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2007年 3月号 2007年 4月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

(奇数月用1―13号)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 30日
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詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの英語教育(2)

++++++++++++++++++

中央教育審議会での話し合いなど、
どこ吹く風。

親たちの英語教育に対する関心は、
たいへん大きい。

公民館などでなされるプレスクール・
英会話教室などは、月謝が安いことも
あって、どこも満員。

英語だけで一日をすごす、英語プレ
スクールは、06年11月現在で、
214校(朝日新聞)もあるという。

この数は、01年の18校の約10倍
以上!

++++++++++++++++++

 中央教育審議会での話し合いなど、どこ吹く風。親たちの英語教育に対する関心は、た
いへん大きい。

公民館などでなされるプレスクール・英会話教室などは、月謝が安いこともあって、ど
こも満員。

英語だけで一日をすごす、英語プレスクールは、06年11月現在で、214校(朝日
新聞)もあるという。この数は、01年の18校の約10倍以上!

 で、私の意見。

 たとえば(海外留学)にしても、留学することの価値は、留学したものでなければわか
らない。留学したことがない人に向って、留学することの価値をいくら説いても意味はな
い。中には、「日本の中でも知らないことが多い。まず日本を知るべきだ」「日本語も満足
に話せないのに、外国語など学ぶ必要はない」などと反論する人もいる。

 こんな論理がまかり通るなら、こうも言える。

 「アジアの中でも知らないことが多い。まずアジアのことを知るべきだ」と。反対に、「こ
の町の中でも知らないことが多い。まずこの町のことを知るべきだ」でもよい。

 こうした意見が、トンデモナイ意見であることは、留学したことがある人なら、わかる。
つまり留学することには、想像以上の価値がある。観光客の立場で、旅行するのとは、わ
けがちがう。

 そんなわけで、私の息子たちのばあい、3人とも、それぞれ、みな、外国に留学させた。
半ば強引に留学させた。「私の知らない世界を、見てきてほしい」と。

 そんなわけで、私は、子どもの英語教育についても、同じように考えている。ただ、だ
からといって、幼児期の英会話教育が役にたつとは思っていない。長い間、この問題を考
えてきたが、もっともよいのは、ある程度、英語の基本を学んだあと、高校生か、大学1、
2年生のころに、英語国で、1、2年の留学を経験するという方法である。

 それ以前でもあまり効果はないし、それ以後でも、あまり効果はない。ムダではないが、
効率という点を考えるなら、時期的には、そのころがもっとも適切ではないか。(異論、反
論もあるかと思うが……。)

 それに適性の問題もある。留学といっても、外国生活になじめる子どもと、そうでない
子どもがいる。その割合は、2:1くらいではないか。つまり3人に1人は、外国生活に
なじめないまま、はじき飛ばされてしまう。

 こう書くと、民族主義者たちの反感をかうと思うが、留学してみると、「日本は、本当に
小さい国」ということが、よくわかる。よく「日本は島国」というが、その「島国」であ
ることを実感する。

 おそらく留学したことがない人は、「島国」と言われても、ピンとこないのではないか。
反対に、「島国で、何が悪い」と居直ってしまう人も多い。

 さらに言えば、留学したことがある人は、たとえば日本を考えるときも、いつも、日本
の外から見た日本を考える。日本の中から日本を考える人と、ばあいによっては、180
度、ものの考え方がちがうことさえある。

 話が脱線したが、子どものころから異文化に触れるということは、とても重要なことで
ある。そういう意味での英語教育ということであるなら、反対しなければならない理由な
ど、どこにもない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
英語教育 子供の英語教育)

(補記)

 中央教育審議会のみなさんは、頭の中だけで教育を考えるのではなく、今、現状はどう
なっているか、それを前提に、ものを考えたらよい。「英語教育をやる・やらない」の議論
だけで、02年から、5年間も議論をつづけていることのほうが、お・か・し・い。バカ
げている!

 現状は、審議会の討論など、どこ吹く風。もうとっくの昔に、ずっと先を進んでいる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【破壊される心】

●高齢者への虐待

+++++++++++++

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

+++++++++++++

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の
介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったとい
う(03年11月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待
があったということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いとい
うことになる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のう
ち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府
の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中
で育っている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだっ
たの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそ
う言うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎ
の場ではない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。こ
れはもう、立派な虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信を
いだいている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさ
かいに、急速に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖か
い人もいれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でい
た人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生
まで、連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心が
その受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、
ドライで、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」
というような考え方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言
えない。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と
言うだろうか。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、
もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

++++++++++++++++++++++

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほ
ど、子どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえ
た過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小
4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、い
つも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、
ごくふつうの子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」
とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこ
からは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその
日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの
中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小
二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというの
だ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大き
な問題になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学
生)もいた。牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もい
た。ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つ
かまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつ
けて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなく
し、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担
や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を
何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによっ
て説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく
知られている。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温か
い人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、
心が温かいということを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつける
のはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。そ
れを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あ
るいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親
たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得
をし、そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日
常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制
度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「お
かしい」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日
本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは
言える。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子
関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場
で、他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同
調性、調和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に
知ることにより、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこ
れは遺伝子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばん
でしまう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面
化の自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的
なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であ
ればあるほど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が
遅れる。ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがあ
る。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受
験競争をする子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれて
いる。『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を
導く』など。それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自
己正当化しているだけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に
高邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知
っている。こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたた
きこまれている。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方を
することができない。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。
迎合的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、
どこか心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうで
ないと、都会では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつ
のは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとお
れないこと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊
してしまう。しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうで
ないとのとでは、大きな違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日々・あれこれ】

●安楽死

+++++++++++++++

安楽死をどう考えるか?

自分のことになると、そのときが
きたら、静かに死なせてほしいと
思う。

しかし、自分を離れて、そういう
ふうに考えることはできない。

+++++++++++++++

 犬のクッキーが、17歳になった。たいへんな高齢である。人間にたとえると、9倍し
て、153歳! (犬の年齢は、9倍するという。)

 目も、ほとんど見えない。耳も聞こえない。ウンチは、庭のいたるところで、少量ずつ、
する。歩くのがやっという感じで、一日の大半は、眠ってばかりいる。

 その話をすると、オーストラリアの友人も、アメリカ人の友人も、「ヒロシ、安楽死をさ
せてやれ」と言う。

 彼ら遊牧民族は、すぐそういう発想で、ものを考える。私たち日本人とは、かなりちが
う。

 昔、オーストラリアの友人の牧場で休暇を過ごしていたときのこと。何の気になしに、
散歩をしながら家の裏手にある林の中に入っていった。が、そこで私は、ゾーッとしたま
ま、足が立ちすくんでしまった。

 見ると、死んだ子羊が、木にぶらさげてあった。皮をはがれ、ところどころ、肉がむき
出しになっていた。その子羊は、その家族の食用の子羊だった。

 つまり彼らは、そういうことが平気でできる。だから、発想がちがう。家畜を殺すとい
うことについて、特別の罪悪感は、ない。もう一人のアメリカ人の友人も、馬を飼ってい
るが、けがなどで歩けなくなると、殺すという。しかも銃で、ズドン!、と。

 「日本人は、そんなことできないよ」と言うと、ワイフは、「でも、殺してあげたほうが、
結局は、その犬にとっても、幸福なのかもね」と。恐ろしいことを考える。残念ながら、
私には、そういう発想はない。

 「犬だって、自然に死ぬのがいいよ。あわてて殺さなくても、そのときがきたら、静か
に死ぬよ。点滴や手術までして、生かしてやろうとは、ぼくも思わないけど……」と。

 考えてみれば、彼ら白人は、ブタの丸焼きを平気で食べる。私も一度、それを見たこと
があるが、見たとたん、食欲が、どこかへ吹っ飛んでしまった。気味が悪かった。その話
をすると、ワイフは、こう言った。

 「白人って、目のついた魚を食べることができないでしょ。それと同じじゃ、ない?」
と。そうかもしれない。そうでないかもしれない。つまり、意識というのは、それぞれ、
みな、ちがうということ。日本人だけの意識で、ものを考えてはいけない。反対に、白人
だけの意識だけで、ものを考えてはいけない。

 その人がもっている意識などというのは、あくまでも、その人だけのもの。そういう前
提で考える。

 しかし私のばあいは、そのときがきたら、安楽死でもかまわない。私自身は、最後の最
後まで生きたいと思うが、へたに長生きをすれば、家族のみんなに、迷惑をかけてしまう。
そういう長生きだけは、したくない。

 だから……。とってつけたような結論になるが、今、精一杯、懸命に生きていく。その
とき、後悔しなくてもよいように……。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●「私は私」という意識
 
+++++++++++++++

教師によるわいせつ行為事件は、
つづく。

いくら管理を徹底しても、つづく。
つづくものは、つづく。

人間の「性(さが)」は、それほどまでに
強力。

+++++++++++++++

東京の小学校の男性教諭が、中学3年の男子生徒に現金をわたし、わいせつな行為をし
たとして警視庁に逮捕された(TBS・iNEWS)。

児童買春の疑いで逮捕されたのは、東京・杉並区の小学校に勤務するNM容疑者(32)。
NM容疑者は 去年10月、新宿公園で知り合った当時15歳の中学3年の男子生徒を渋
谷区のまんが喫茶に誘い、現金1万円を渡して下半身を触るなどの、わいせつな行為を
した疑いがもたれているという。
 
 NM容疑者は小学5年生のクラスを受け持ち、教育熱心な先生という評判だった。
 
 大学で性教育についての卒業論文を書いたのをきっかけに、男性に興味を持つようにな
ったという成田容疑者。新宿公園のことはインターネットで 知ったという。
 
  一方、「新宿公園で待っていれば、買ってくれる人が声をかけてくる」。男子生徒はイ
ンターネットでこうした書き込みを見て、小づかいいほしさに新宿公園に行っていたと
いう。
 
 「一人でご飯とか食べていると、声はかけられますね。『暇なら一緒にどこか行かない?』
とか、『ホテル行かない?』とか」(公園の近所の男性)
 
 NM容疑者と男子生徒のわいせつ行為は、去年の8月以降5回に及び、NM容疑者はわ
いせつ行為をデジタルカメラで撮影し、ディスクに保存していたという。
 
 NM容疑者は「男子生徒には申しわけないことをした。教え子に顔向けができない」と
供述しているが、警視庁は、別の男子高校生らともわいせつ行為をしていたとみて、捜
査しているという。(以上、TBS・iNEWSより)

 この事件で、私は、同性愛について、語るつもりはない。教師のハレンチ行為について、
語るつもりもない。

 こうしたおとなの行為で、キズつくのは、子ども。それはそれとして、私はこの事件を
知ったとき、「意識のズレというのは、こういうものか」と、思い知らされた。

 その男性教師は、中学生の男子に対して、お金を渡して、ワイセツ行為をしたという。
どういう方法で、どういうことをしたかについては書いてないが、おおよその見当はつく。
しかし、その男子高校生は、男性教師とは、「同性」である。私が、どうにもこうにも、理
解できないところは、ここである。

 私は、同じ「男」の中でも、「濃い男」である。この言い方は、私が発明した言い方だが、
男にもいろいろある。同性にまったく興味を示さない男もいれば、同性に興味を示す男も
いる。同性にはまったく興味を示さない男を、「濃い男」という。同性に興味を示す男を、
「薄い男」という。要するに、私は、「男にはまったく興味のない男」。

 そういう私から見ると、男子の下半身など、見たくもない。さわりたくもない。まった
く興味がない。その男性教師は、デジタルカメラで、撮影したというが、私のばあい、「ど
うして?」と思うだけで、つぎの言葉が出てこない。

 一方、私は女性には、興味がある。あるものはあるのであって、どうしようもない。最
近でこそ元気がなくなってきたが、しかし今でも、ないわけではない。女性の体は、この
年齢になっても、魅力的に見える。すばらしい。

 問題は、ここである。

 その男性教師にしてみれば、男子生徒の下半身は、私にとっての女性の体と同じくらい、
魅力的に見えるらしいということ。私が女性の裸体を見たとき、ムラムラと感ずるような
情欲を、その男性教師は、男子中学生の下半身を見たときに感じたらしい。「らしい」とい
うところまではわかるが、そこまで。その先が、理解できない。どうしてか? どうして
こんなちがいが生まれるのか?

 言いかえると、私がもっている意識にしても、一つ立場がちがえば、180度変化する
ことだって、考えられる。その意識は、絶対的なものでもなければ、普遍的なものでもな
い。正常か、正常でないかという判断すら、できなくなる。

 考えてみれば、男のばあい、射精する前と、射精するあととでは、女性、とくに女性の
体に対する思いは、まったくちがう。射精する前は、女性の体を、狂おしいほどに、いと
おしく思う。しかし射精したとたん、「どうしてこんなもの(失礼!)に興味をもったのだ
ろう」と思う。

 こうして考えていくと、意識とは何か。ますますわからなくなる。

 そこで先の男性教師の話。その男性教師は、男子中学生のそれを、デジタルカメラで撮
影したという。実は、私は、ここでもわからない。もしそれほどまでに見たかったら、自
分のそれを、カガミか何かに映して見ればよいのではないのか、と。

 あのフロイトは、私たち人間の行動の原点には、「性的エネルギー」があると説いた。つ
まりその性的エネルギーが、さまざまなバリエーションをもって、私たちの生活のあらゆ
る部分に作用している、と。男性のスポーツ選手が、スポーツでがんばるのも、女性が化
粧をするのも、心の奥深いところで、その性的エネルギーの命令を受けているからである。

 となると、今、私がもっている意識のほとんどは、「?」となってしまう。男性教師は、
教職を棒に振るという危険までおかして、(実際、棒に振ってしまったが……)、男子中学
生のそれをデジタルカメラに収めた。それは、ものすごいエネルギーと言ってもよい。

 で、そういうエネルギーが私にもないかというと、実は、ある。こうして毎日、パソコ
ンを相手に原稿を書いているのも、心の奥深いところで、何かしらの性的エネルギーの命
令を受けているためかもしれない。

 事実、男性の読者から、感想文をもらうより、女性の読者から、感想文をもらうほうが、
うれしい。これは隠しようがない、事実である。が、その意識も、ここに書いたように、
絶対的なものでもなければ、普遍的なものでもない。何かのきっかけで、180度、変る
ことだって、ありえる。

 ……と考えていくと、ますますわからなくなってしまう。意識とは何か、と。あるいは、
私は、私でない、もっと深遠なる意識によって、動かされているだけかもしれない。もっ
と言えば、「私は私」と思っているのは、表面的な「私」でしかなくて、「私」でないかも
しれない。その男性教師だって、そうだ。

 恐らく、「私は、男子中学生のそれが見たい」と思って、デジタルカメラで、写真をとっ
た。そのときその男性教師は、「私は私」と思って、そうしたにちがいない。しかし本当の
ところは、その男性教師の意思というよりは、その男性教師の中の、性的エネルギーに命
令されて、行動しただけかもしれない?

 話が繰りかえしになってきたので、この話は、ここまで。私は、このハレンチ事件をイ
ンターネットで知ったとき、意識とは何か。それを改めて考えさせられた。ホント!
(はやし浩司 意識 意思 性的エネルギー)

【追記】

 私たちは、「私は私」と思って行動している。しかしその「私」が、私ではなく、心の奥
底に潜む、別の「私」に命令されいるとしたら……。

 たとえば若い女性が、化粧をして、ミニスカートをはいたとする。そのときその若い女
性は、自分の意思で、自分で考えてそうしていると思うかもしれない。

 しかし実際には、その女性は、さらに心の奥底に潜む、「性的エネルギー」の命令に従っ
て、そうしているだけかもしれない。ただ自分では、それに気づかないだけ。

 こうした例は、多い。つまり私たちが、「自分の意思」と思っていることでも、そうでは
ないことも多いということ。そういう意味で、「意識」とは何か、それをつきつめていくと、
わけがわからなくなる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
 
●見苦しい老人たち

+++++++++++++++++

老齢になるから、人格が完成するということ
はない。

むしろそれまで内面に隠されていた、
邪悪な部分が、表面に現れてくることのほうが
多い。

+++++++++++++++++

 こんな話を聞いた。

 Aさん(50歳)のグループは、ボランティア活動として、炊事が満足にできない老人
たちのために、昼の弁当を届けている。

 料金は、一食、500円。それを、老人たちに、毎日、配達している。利益など、まっ
たくない。配達の労費を考えるなら、赤字。

 そのAさんが、毎日、弁当を届けている人に、Xさん(83歳)と、Xさんの妹(76
歳)がいる。Xさんと、Xさんの妹は、いろいろな理由があって、今は、同居している。

 が、Xさんと、Xさんの妹は、毎日のように、「私の弁当の残りを食べた」「いや、食べ
ていない」「どこへやった?」「知らない」と、喧嘩ばかりをしているという。

 言い忘れたが、その500円の料金(二人分で1000円)は、Xさんの息子(53歳)
が、負担している。

 Aさんは、こう言う。「本当に、見苦しいですね」と。「ただで食べているんだから、文
句を言ってはいけないと思うのです。でも、そういう感謝の念は、まったくないみたいで
すね」とも。

 この話をワイフにすると、ワイフも、こう言った。「もう先が長くないのだから、穏やか
に生きることはできないのかしら?」と。

 しかしそういう状態になればなるほど、老人によっては、我欲が強く現れるようになる。
理由は私にもわからないが、そうなる。巨億の資産をもちながら、わずかな土地の権利の
ことで、裁判で争っている老人がいる。近所の人が、車を道路に一時的にとめるたびに、
警察に電話をかけて、パトカーを呼んでいる老人もいる。

ワイフ「歳をとればとるほど、その人の地(=内面)が表に出てくるということかしら?」
私「ぼくも、そう思う。自分の中の悪い面を隠そうという意欲や気力が弱くなってくる。
だから、悪い面ばかりが外に出てくるようになる」
ワ「死ねば、すべてをなくすということが、わからないのかしら?」
私「そういう老人は、そうは思っていない。死後の世界を、しっかりと信じている」と。

 この一例だけではないが、老人が、人生の先輩だとか、経験者だとかいうのは、まちが
い。ウソ。幻想。もちろん大半の老人は、すばらしい人たちである。しかし老人になれば
なるほど、Xさんや、Xさんの妹のように、むしろ見苦しくなっていく人も、少なくない。

 もっとも、それは本人たちの問題だから、部外者の私たちが、とやかく言う必要はない。
本人がそれでよいのなら、それでよい。

 しかし人生も晩年になって、弁当の残りを取りあって争うなどということが、本当にあ
るべき老後なのかどうかということになると、だれも、そうは思わない。だれだって、静
かで、穏やかで、心豊かな晩年を送りたいと思うはず。死が近づけば、なおさらそうだ。

 で、そのちがいは、どこにあるかというと、私は、(前向きに生きる人)と、(そうでな
い人)のちがいではないかと思う。「思う」というだけで、確信はないが、そう思う。これ
は老人にかぎらないことだが、人は、うしろ向きに生き始めたとたん、その生きザマは、
見苦しくなる。

 わずかな財産にこだわったり、過去の名誉や地位にぶらさがり、それをいばって見せた
りするなど。

 それに生きザマがうしろ向きになったとたん、その時点から、時間ばかりを浪費するよ
うになる。はっきり言えば、いくら長生きしても、ムダ……という状態になる(失礼!)。
「明日は、今日よりも悪くなる」ということを繰りかえしながら、不幸に向かって、まっ
しぐらに進んでいく。

 で、Aさんは、ある日、見るに見かねて、Xさんにこう言ったという。「また明日、お弁
当を届けてあげますから、どうか喧嘩をしないでください」と。するとそれに答えて、X
さんは、つぎつぎと、Xさんの妹の悪口を言い始めたという。

 「でも、私が何も言わなかったら、K(=Xさんの妹)は、私の分まで、食べてしまう」
「残ったのを捨ててしまう」「この前も、冷蔵庫にしまっておいたおかずを、自分で食べて
しまった」「妹は、太りすぎだということがわかっていない」「胃が痛いと言って、夜中に
泣かれるのは、困る」と。

 あまりにも低劣な話なので、Aさんは、思わず、耳をふさいでしまったという。そして
私には、こう言った。「歳をとっても、ああはなりたくないです」と。

 最近、「じょうずに歳をとる」という言葉を、あちこちで耳にする。最初、その言葉を聞
いたときは、私にはその意味が、よくわからなかった。が、このところ、少しずつだが、
私にもわかるようになってきた。と、同時に、それがこれからの私にとっては、重要なテ
ーマになるだろうということを知った。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育】

●英語教育

++++++++++++++++

外国人の客が、私の家にいるときは、
みな、英語で話すようにしている。

ワイフも、カタコト英語だが、懸命に
英語で話す。

それは客に不安感を与えないための、
最低限のマナーではないのか。

++++++++++++++++

●英語教育に「待った!」をかけた、文科相

 I文科相は、こう言った。「私は、(小学校での英語教育を)必修化する必要は、まった
くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と。

 こういうのを、パラドックスという。わかるかな?

 『張り紙を刷るな』という張り紙を張る。
 『私は逆らっていない』と言って、相手に逆らう。

 『美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ』と言って、きたない日
本語を話す。

 「外国の言葉をやったってダメ」? ……美しい日本語では、「外国の言葉を学んでも、
意味がありません」という。

 もう10数年も前から、同じような論理で、小学校での英語教育に反対している教授が
いる。しかし今どき、「英語教育が必要ない」なんて……!!

●予定では…… 

中央教育審議会の外国語専門部会は、2006年3月、「小学5年生から、週1時間程度、
英語教育を必修化する必要がある」という提言をまとめた。が、それに「待った」をか
けたのが、ほかならぬ、I文科相だった。それが冒頭に書いた言葉である。

「やったって、ダメ」と。

 そこで各小学校では、総合学習の時間を利用して、英語教育というよりは、英語活動を
するようになった。英語でゲームをしたり、リズム運動をしたりしている。結果、文科省
の調べによれば、公立小学校の93・6%が、何らかの(英語の活動)を、授業の中に取
り入れている。

 しかし現実には、過半数の学校では、月1回か、それ以下だという(以上、「朝日キーワ
ード」2007)。

●現実はどうか?

 日本が国際社会で勝ち抜き、生き残るためには、国際語としての英語教育は、MUST! 
数年前に書いた原稿を、そのままここに転載する。

++++++++++++++++++

●遅れた教育改革

 2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。こ
の数はピーク時の約3分の1(90年は125社)。さらに2002年に入って、マクドナ
ルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、
コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用
しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)に
よる情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとす
れば。今どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ
2を争うしまつ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試
験で、日本人の成績は、一六五か国中一五〇位・九九年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や
理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レ
ベルの問題で、正解率は59%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそ
うだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、1000
近い分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、1つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。し
かし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない(2002年
時)。

ちなみにアメリカだけでも、250人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと
多い。「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、
たいへんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学
校の参観日(小1)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、
まるでプロレスの授業でした」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立
高校の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを
言った。いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。
すると別の教師が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているの
がいる」と。そこで私が「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「み
んな、自動車の教習本を読んでいる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう15年以上も前のこと。
日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、
疲弊している! つまり何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を
支えている。

もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも
崩壊する。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内
閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、26%もいる(2
000年)。98年の調査よりも8%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌク
と生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比では
ない。護送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、20年先、30年先を見越して、「形」
を作らねばならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに
10年以上も前から、小学3年生からコンピュータの授業をしている。

メルボルン市にある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フラン
ス語、ドイツ語、インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになってい
る。もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、
芸術、コンピュータの科目もある。

芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さらに環境保護の科目もある。
もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科
目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減
しているという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教え
てくれた。「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを
閉鎖した学校もあります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っている
のだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。も
っとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方
に任す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかし
い。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、
それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をの
さばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良
な会社人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会
社のために命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から
生まれた。が、これからはそういう時代ではない。日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふ
つうの国民」と認められるためには、今までのような教育観は、もう通用しない。いや、
それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「ま
だ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。

つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言
える。「日本もまだよく旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のことも
よくわかっていないのに、火星に探査機を送るのはムダ」と。私がそう言うと、D氏は、
「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかりとした日本語が身につい
てから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校
では、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、
4歳児から子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立
大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、
教育の目標だ」と。事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も
次のように述べている。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てる
こと」(長野県経営者協会会合の席)と。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたち
は学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語
を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。

もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立た
ない。こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもた
ちはもっとかわいそうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言
葉を使って、いかにして自分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三
人称単数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌
いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答え
る。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つ
というのか。こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。

「社会生活を営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほ
しい。「なぜ中学1年で一次方程式を学び、3年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねば
ならないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から
押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなけ
ればいけないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第
3回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がな
い。こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから
英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子ど
もがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人が
いる。早くから教える必要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる気を
なくしてしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家庭教育ま
で押しつけられて、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。ある教師(小学5年
担任、女性)はこう言った。

「授業中だけが、体を休める場所です」と。「子どもの生きるの死ぬのという問題をかか
えて、何が教材研究ですか」とはき捨てた教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそ
れができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもあ
りき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。
教師は学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたない
という制度が徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えな
い(バンクーバー市)。

だからたとえば親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。す
るとしばらくすると、教師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいの
か悪いのかについては、議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほ
うが多いことも忘れてはいけない。

++++++++++++++++

 「英語を学んだから、日本語がおろそかになる」というのは、根拠のない、まったくの
デマ。ウソ。たしかに乳幼児期に、バイリンガルの環境で子どもを育てると、言語中枢そ
のものの発達に、支障をきたすという報告は、しばしば耳にしている。しかし満5、6歳
以上の子どもには、そうした影響はない。むしろこの時期のほうが、発音にせよ、感覚的
に言語をとらえるため、すなおに身につけてくれる。

 さらに言えば、「美しい日本語」というのは、母親の会話能力によって決まる。母親が、
子どもに向って、「テメエ、殺すぞ!」(実際、ある人がコンビニで耳にした会話)という
ような言い方をしていて、どうして子どもが美しい日本語を話すようになるというのか。

 文章能力(=作文力)にいたっては、英語を学ぶことによって、よい刺激を受けること
はあっても、それで文章がへたになるということは、ない。

 I文科相の発言を聞いていると、「日本もこの程度」と思うと同時に、「日本も、ここま
でだな」と思う。

 ちなみに、現在、アジアの経済の中心地は、東京から、シンガポールに移動している。
アメリカでも、日本の経済ニュースですら、シンガポール発で、配信されている。

 ついでに日本の子どもたちの学力について。5年前に書いた原稿だが、その後、日本の
子どもたちの学力が、よりさがったという話は聞くが、あがったという話は、聞いていな
い。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
英語教育 日本の英語教育)

++++++++++++++++++

【公立小中学校・放課後補習について】

 文部科学省は、公立小中学校の放課後の補習を奨励するため、教員志望の教育学部の大
学生らが児童、生徒を個別指導する「放課後学習相談室」(仮称)制度を、二〇〇三年度か
ら導入する方針をかためた(〇二年八月)。

 文部科学省の説明によれば、「ゆとり重視」の教育を、「学力向上重視」に転換する一環
で、全国でモデル校二〇〇〜三〇〇校を指定し、「児童、生徒の学力に応じたきめ細かな指
導を行う」(読売新聞)という。「将来、教員になる人材に教育実習以外に、実戦経験をつ
ませる一石二鳥の効果をめざす」とも。父母の間に広まる学力低下への懸念を払しょくす
るのがねらいだという。具体的には、つぎのようにするという。

 まず全国都道府県からモデル校を各五校を選び、(1)授業の理解が遅れている児童、生
徒に対する補習を行う、(2)逆に優秀な児童、生徒に高度で発展的な内容を教えたり、個々
の学力に応じて指導するという。

 しかし残念ながら、この「放課後補習」は、確実に失敗する。理由は、現場の教師なら、
だれしも知っている。順に考えてみよう。

第一、学校での補習授業など、だれが受けたがるだろうか。たとえばこれに似た学習に、
昔から「残り勉強」というのがある。先生は子どものためにと思って、子どもに残り勉
強を課するが、子どもはそれを「バツ」ととらえる。「君は今日、残り勉強をします」と
告げただけで泣き出す子どもは、いくらでもいる。「授業の理解が遅れている児童、生徒」
に対する補習授業となれば、なおさらである。残り勉強が、子どもたちに嫌われ、こと
ごとく失敗しているのは、そのためである。

第二、反対に「優秀な児童、生徒」に対する補習授業ということになると、親たちの間
で、パニックが起きる可能性がある。「どうしてうちの子は教えてもらえないのか」と。
あるいはかえって受験競争を助長することにもなりかねない。今の教育制度の中で、「優
秀」というのは、「受験勉強に強い子ども」をいう。どちらにせよ、こうした基準づくり
と、生徒の選択をどうするかという問題が、同時に起きてくる。

 文部科学省よ、親たちは、だれも、「学力の低下」など、心配していない。問題をすりか
えないでほしい。親たちが心配しているのは、「自分の子どもが受験で不利になること」な
のだ。どうしてそういうウソをつく! 新学習指導要領で、約三割の教科内容が削減され
た。わかりやすく言えば、今まで小学四年で学んでいたことを、小学六年で学ぶことにな
る。

しかし一方、私立の小中学校は、従来どおりのカリキュラムで授業を進めている。不利
か不利でないかということになれば、公立小中学校の児童、生徒は、決定的に不利であ
る。だから親たちは心配しているのだ。

 非公式な話によれば、文部科学省の官僚の子弟は、ほぼ一〇〇%が、私立の中学校、高
校に通っているというではないか。私はこの話を、技官の一人から聞いて確認している! 
「東京の公立高校へ通っている子どもなど、(文部官僚の子どもの中には)、私の知る限り
いませんよ」と。こういった身勝手なことばかりしているから、父母たちは文部科学省の
改革(?)に不信感をいだき、つぎつぎと異論を唱えているのだ。どうしてこんな簡単な
ことが、わからない!

 教育改革は、まず官僚政治の是正から始めなければならない。旧文部省だけで、いわゆ
る天下り先として機能する外郭団体だけでも、一八〇〇団体近くある。この数は、全省庁
の中でもダントツに多い。文部官僚たちは、こっそりと静かに、こういった団体を渡り歩
くことによって、死ぬまで優雅な生活を送れる。……送っている。そういう特権階級を一
方で温存しながら、「ゆとり学習」など考えるほうがおかしい。

この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。なぜそうなのかという
ところにメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。ああ、私だって、
この年齢になってはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった! 死ぬまで就
職先と、年金が保証されている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはいやと
いうほど、思い知らされている。だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はい
つも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を
支配する時代は終わった。教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、
すべてボロボロ。何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。その教育改革にしても、
ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。学校は自由選択制の単位
制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自治体にカリキュラム、
指導方針など任せればよい(アメリカ)。設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。
いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。オー
ストラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしてい
る。しかし検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検
定してはいけないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。たとえばアメリカでは、大学入
学後の学部、学科の変更は自由。まったく自由。大学の転籍すら自由。まったく自由。
学科はもちろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯
事。なのになぜ日本の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐
れるのか? あるいは自分たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいの
か?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改
革」というよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。もうすでに
日本の教育はにっちもさっちもいかないところにきている。このままいけば、あと一〇年
を待たずして、その教育レベルは、アジアでも最低になる。あるいはそれ以前にでも、最
低になる。小中学校や高校の話ではない。大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとん
ど勉強などしていない。していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく
知っている。その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部
系の学生と、教育学部系の学生である。このことも、もしあなたが大学を出ているなら、
一番よく知っている。いわんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習
授業とは!

 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲
弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本
から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確か
に一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教
育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査
よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅
れた。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世
界はどこまで進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低く
はない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数
の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベルの問題
で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)(※2)
だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL
(国際英語検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジア
で日本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)
だそうだ。オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロして
いる。しかし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。ちな
みにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田
丸謙二氏指摘)。

 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、
この日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政
である。私はその改革について、つぎのように提案する。

(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。

 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不
公平である。この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まった
くといってよいほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのも
のが、不公平社会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて
水泡に帰す。今の状態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、
またぞろ復活することになる。

 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじ
めて「改革」と言うにふさわしい。ここにあげた「放課後補習制度」にしても、アメリカ
では、すでに教師のインターン制度を導入して、私が知るかぎりでも、三〇年以上になる。
オーストラリアでは、父母の教育補助制度を導入して、二〇年以上になる(南オーストラ
リア州ほか)。

大半の日本人はそういう事実すら知らされていないから、「すごい改革」と思うかもし
れないが、こんな程度では、改革にはならない。少なくとも「改革」とおおげさに言う
ような改革ではない。で、ここにあげた(1)〜(8)の改革案にしても、日本人には
まだ夢のような話かもしれないが、こうした改革をしないかぎり、日本の教育に明日は
ない。日本に明日はない。なぜなら日本の将来をつくるのは、今の子どもたちだからで
ある。
(02−8−28)※
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本
の中学生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。
以下、オーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、
台湾、シンガポールに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメ
リカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教
育は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメ
ントを寄せている。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶとい
うメッセージを与えるのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」
と答えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で
勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、
テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を
公表している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結
果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、
小学六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から
六六・五%に低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛
け算の混合計算は、三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五
七・五%に低下している(同じ問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判
した意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑
いようがない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答
えた子どもが、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。

反対に「算数が好き」と答えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しか
いない。原因はいろいろあるのだろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも
考えていない。少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持してい
ると言える」というのは、もはや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであった
という。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学など
を研究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点
満点で平均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学
の文学部一年生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとっ
たという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学力 日本の子どもの学力 子供の学力 英語力)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(2月28日)

+++++++++++++++

今日で、2月もおしまい。
ここ数日、冬に逆戻りしたかのようだったが、
昨夜は、暑くて寝苦しかった。

「ストーブを止めたら?」とワイフに言ったら、
「ストーブは、使っていないわ」と。

+++++++++++++++

●ジジ・ババ受難の時代

++++++++++++++

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

++++++++++++++

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、
ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配
者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。ある交通事故の相談を専門に受
けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。おかげで、こちらは2週間も入院。
そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。あんなジジイに、何度も
見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになって
きた。加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。「現在の日本の繁栄を築き
あげたのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、
身勝手な論理にすぎない。私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんば
ってきただろうか。私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってき
た。結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以
上になるとも言われている。そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目
で見るだろうか。そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この
日本は、たいへん住みにくい国ということになる。そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常
的に起こるようになるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもと
いうことになる。が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊さ
れている。親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」
などと言っているうちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマン
といる。反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、
親思いになる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた
自身のことを考えてみればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。「親の恩も遺産次第」と考えて
いる若者は、もっと多い。たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみ
る」と答えている。つまり「余裕がなければ、みない」※と。数年置きに、総理府が調査
しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが
現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。そこでは、30〜4
0人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。見
た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわから
ない。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。補助金
を削減し始めている。10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきび
しくなる。単純に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろう
か。またどのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりして
いる。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。そういう人たちが、手をたたいて、
カラオケで童謡を歌っている! つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言え
ない。また、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。社
会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。そういうか
かわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それな
りにの(人間)として認められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に! 姿勢を低くして、
若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。その努力を今から、怠ってはい
けない。

++++++++++++++++

古い原稿を再掲載します。

++++++++++++++++

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そ
こで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。そ
れにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それ
だけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだ
が、今、こういう若者がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめ
んどうを、あなたはみるか」と。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! こ
の数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジア
の若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、
その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。このことからもわかる
ように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになっ
た。金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、
平均27万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。そ
れこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ば
かり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子
の生活を、見て驚いた母親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけ
っぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもす
らいる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではない
か。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業
できたという学生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、
私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、
さらにこう言った。「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものお
けいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親
を、誰が笑うことができるだろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・6万
円。毎月の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をか
かえる親の平均年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均
借金額は、182万円。99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 26日
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4月からの新年中児、新年長児、新小1児〜のみなさんは、どうか、おいでください。
3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html
より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの鉛筆

++++++++++++++++++

鉛筆は、きわめて危険な道具である。
事故も多い。

鉛筆を口にくわえる。
鉛筆をもって手をあげる。
鉛筆をもって歩く、走る。

どれもそのまま事故につながる。

私も、この30年の間に、
数回、あわや……という事故を経験している。
徹底して注意していても、そうである。

いわんや、両端を鋭く削った鉛筆を
子どもにもたせるというのは、
危険というより、愚かな行為と考えてよい。

++++++++++++++++++

 T県のHさんより、こんなメールが、届いている。そのまま紹介させてもらう。

【Hさんより、はやし浩司へ】

教えて欲しいことがあります。

二女(4才)年中の幼稚園のことです。

先日保育参加に行ったのですが、子供たちが鉛筆を使っていました。それだけなら良いの
ですが、HBのおろしたての鉛筆の両側を鋭くとがらせた物でした。

みんなで使えるようにそれが10本くらい、ペン立てに立ててあり、思い思いに使ってい
たのですが、使っていたのは一部で、それ以外は、紙飛行機を飛ばしたり、ままごとをし
たりしていました。

ときおり、その活動的な子供がまわりに来たり、近くを子供が通ったりしていたのですが、
使っている子たちも結構無防備で、持ち歩く子もいたので何だか危険な気がしました。

私の心配しすぎなのかもしれませんが何かあってからでは遅いので、先生に電話で片側だ
け削った物にしてもらえるようお願いしようと思っているのですが、ちょっと私が過保護
過ぎるでしょうか。

幼稚園では鉛筆の扱いは両側を削るのは一般的ですか。教えてください。

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、Hさんへ】

 詳しく調査したわけではありませんが、今、ほとんどの幼稚園では、鉛筆の使用をひか
えています。とくに年中児以下はそうです。年長児になり、指導が行き届くようになって
から、鉛筆の使用を始めています。つまり、鉛筆は、それだけ危険な道具だからです。

 私も、何度か、あわや……と思うような事故を経験しています。

 ある女の子が、(男の子だったかもしれません)、鉛筆をもったまま、「ハ〜イ!」と言っ
て手をあげたときのことです。幼児は、まっすぐ上に手をあげないで、ななめ横にあげる
子どもも少なくありません。

 そのとき、横にいた別の女の子(その子は、女の子でした)が、その声に驚いて、鉛筆
をもった子どものほうを振り向いたのです。そのとき、鉛筆の先が、その女の子の頬を突
き刺してしまいました。頬の中で、芯(しん)が折れました。

 頬だからよかったものの、あれがもし目だったら……と考えると、今でも、ぞっと、し
ます。

 鉛筆を、口にくわえるというのも危険です。だれかが、どんと体をぶつけたときのこと
を想像してみてください。あるいはころんだりしたときのことでも、結構です。ゾッとし
ますね。

 さらに両端を削った鉛筆ともなると、使っているときですら、危険にさらされることに
なります。子どもにとって、20センチの長さの鉛筆でも、おとなの身長に換算すると、
30センチということになります。そういう鉛筆を、顔と机の間に立てるというのは、ま
さに危険極まりない行為です。

 さらに、こわいのは、実は、鉛筆のキャップです。

 鉛筆のキャップをはずすと、たいていの子どもは、鉛筆のキャップを、鉛筆のお尻にか
ぶせます。そこまでは、問題はありません。

 が、今度は、そのキャップをはずして、もとのほうにかぶせようとします。そのとき、
事故が起きます。

 子どもは両手で、鉛筆とキャップをにぎります。そして力いっぱい、それを両手で広げ
るようにして、はずそうとします。子どもの体はやわらかいため、そのまま両手が、左右、
ほぼ180度に広がってしまいます。そのとき、鉛筆の先で、隣の子どもの顔を、突き刺
したりします。

 私のところでも、(結構、広い机を使っていても、ですが)、そういう事故が、何度か、
起きています。そこで教訓。

(1)鉛筆の指導は、親に任す(年中児まで)。
(2)鉛筆は、使わないときは、筆箱に、もどす。徹底して、そう指導する。
(3)キャップは、使用禁止。
(4)両端を削った鉛筆は、厳禁。見つけしだい、とりあげて、捨てる。

 鉛筆を口にくわえたまま歩いたり、走ったりする子どももいますが、とんでもない行為
であることは、今さら言うまでもありません。Hさんならずとも、だれでも、ゾッとして
当然です。私なら、その場で、先生に、注意を促します。事故が起きてからでは、遅すぎ
るからです。

 忘れてならないのは、鉛筆の芯は、「金属」であるということ。とがった刃物と同じであ
るということ。そういう視点を、いつも忘れないようにします。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●先生への苦言

++++++++++++++++++

鉛筆をもったまま、教室の中を走り回る……。
そういう光景を見て、T県に住んでいるHさんは、
ゾッとしたという。

ゾッとして、当然!

そこでHさんは、それを先生に告げるべきか
どうかで、迷ったという。

先生にも、プライドがあるだろう。そんな
思いが、ふと、Hさんの口を重くした(?)。

しかし、こういうケースのばあい、親は、
どう対処したらよいのだろうか?

++++++++++++++++++

 親の指導方針と、幼稚園(保育園)の先生との指導方針が、くいちがうというケースは、
多い。そういうとき、子どもを預かってもらう親のほうは、どう対処したらよいのか。当
然、任すところは、任す。しかしそうでないケースもある。

 たとえばT県に住んでいるHさんは、こんな経験をしている。幼稚園の参観日に行った
ときのこと。先が鋭くとがった鉛筆を手にもったまま、教室の中を歩き回っている子ども
(年中児)がいたという。

 それを見て、Hさんは、ゾッとした。そしてそれを先生に言うべきかどうかで、迷った、
という。

 こういうケースでは、できるだけ早い時期に、先生に自分の気持ちを伝えたほうがよい。
園長に言うという方法もないわけではないが、こういうばあいは、直接、担任の先生に言
うほうがよい。

 問題は、その言い方。

 間に子どもがいるため、言い方をまちがえると、あとあと(しこり)を残すことにもな
りかねない。先生には、先生のプライドというものがある。自分の指導法を注意されたり
すると、不愉快に思う先生も、多い。

 そこでこういうばあいは、まず、家で、かがみに向かって、練習するとよい。コツは、
にこやかに、おだやかに、そしてやわらかく……。いきなり唐突に言うのではなく、ワン
クッション置いて、ものを言う。

 「あのう、先生、ちょっと気がついたのですが……。いえ、事故でも起きてからでは、
遅いので、で、先生にお伝えしておいたほうがよいかと思いまして……」

 「実は、うちの子、先のとがった鉛筆をもったまま、歩いたり、走ったりすることがあ
ります。私は、それがあぶないと思って注意しているのですが……。先生は、どう思われ
ますか……?」とかなど。そのあと、ゆっくりと、「そう言えば、教室でも、そういう光景
を見かけました。あれは、先生、あぶないですね……」と。

 私も、実は、こうした経験を、そのつど、何度かしている。

 たとえば新幹線の中などで、騒いでいるおばちゃんやおじちゃんたちを注意するとき。
 駐車場でないところに駐車している人たちを見かけたとき。
 道路にゴミやタバコの吸い殻を捨てている人を見かけたとき、など。

 最初は、勇気がいる。が、2度、3度とそれを重ねていると、うまく言えるようになる。
コツは、こちらがニコニコ笑いながら、相手の警戒心を解きながら、注意するということ。
相手によっては、こちらが、バカに見えるように演技することもある。とくに若い人たち
を相手にするときは、そうである。若いだけに、何かを注意したりすると、すぐカリカリ
する。

 で、大切なことは、「こちらが迷惑しています」とだけ言い、それ以上のこと、たとえば、
「こんなところに駐車してはいけません」「あちらに移動してください」などとは、言わな
いこと。あくまでもそのあとの判断は、相手に任す。

 新幹線の中で騒いでいる、おばちゃんやおじちゃんに対しては、やはりにこやかな表情
で、こう言う。「せっかく、お楽しみのところ、たいへん申しわけないのですが、もう少し、
静かに話していただけると、ありがたいのですが……。よろしくお願いします」とか。少
し間をおきながら、つまりどこか間(ま)の抜けた言い方をするのが、コツ。早口で、ガ
ミガミ言ってはいけない。

 何度もそれを繰りかえしていると、やがてうまく言えるようになる。私のばあい、めっ
たに相手を怒らせることはない。ほとんどのばあい、相手に、「すみません」と言わせるこ
とができる。

 が、それには練習が必要。「かがみを見ながら、練習する」というのは、そういう意味。
Hさんも、ぜひ、試してみてほしい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【スタンフォード大学の監獄実験】

+++++++++++++++++++

今から、15年ほど前、アメリカの
スタンフォード大学で、興味ある
実験がなされた。

「スタンフォード監獄実験」というのが、
それである。

この実験を通して、改めて、人間のもつ
弱さというか、本来的な欠陥が明らかに
なった。

+++++++++++++++++++

 ウィキペディア百科事典から、直接、そのまま原稿を引用する。

【スタンフォード・監獄実験】

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心
理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を
舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動し
てしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォ
ード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人
を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い
設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、
受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。
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●実験の内容

ジンバルドーは役割を与えられた者達に自ら与えられた役割をよりリアルに演じさせるた
め、逮捕から始まり、囚人役に対して指紋をとり、シラミ駆除剤を拭きつけ、屈辱感を与
えるために下着を着用させず、トイレへ行くときは目隠しをさせ、看守役には表情が読ま
れないようサングラスを着用させたり、午前2時半などに囚人役を起こさせたりした。

次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗
した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ
排便するように強制され、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルド
ーはリアリティを追求し、「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続さ
れた。

精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう1
人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての
非難を強制し、まもなく離脱。

離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から
5階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。

 ●実験の中止

ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診
てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症
状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。

看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレット
ペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。

ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、牧
師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族たちは弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日
間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。

後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると
認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被
験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。

●実験の結果

権力への服従 
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、
次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。 

非個人化 
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥っ
てしまう。 

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 以上が、『スタンフォード・監獄実験』
と呼ばれる実験の概要である。この実験
記事を読んで、私は、かなり前に書いた
原稿のことを思い出した。それをそのま
ま紹介する。

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自分の中の敵と戦え!

子どもに平和を語るとき 

●私の知人は七三一部隊の教授だった 

平和教育について一言……。

私の知人、(知人といっても、近所に住んでいた、男性だったが)、その知人は関東軍第
七三一部隊の教授だった。残虐非道な生体実験をした、あの細菌兵器研究部隊である。
そのことがある本で暴露されたとき、知人の妻はその本を私に見せながら、人目もはば
からず、大声で泣いた。「父ちゃん(知人)が死んでいて、よかったア〜」と。知人はそ
の少し前、脳内出血で死んでいた。

●「貴様ア! 何抜かすかア!」

 ドイツのナチスは、1100万人のユダヤ人絶滅計画をたて、あのアウシュビッツの強
制収容所だけで、400万人のユダヤ人を殺した。そういう事実を見て、多くの日本人は、
「私たち日本人はそういうことをしない」と言う。しかし本当にそうか? ゲーテやシラ
ー、さらにはベートーベンまで生んだドイツですら狂った。この日本も狂った。狂って、
同じようなことをした。

それがあの七三一部隊である。が、知人は私が知る限り、どこまでも穏やかでやさしい
人だった。将棋のし方を教えてくれた。子ども会の長もしていたので、よく遊びにも連
れていってもらった。いや、一度だけ、こんなことがあった。

ある夜、知人と一緒に夕食をとっていたときのこと。知人が新聞の切り抜きを見せてく
れた。見ると、知人がたったひとりで中国軍と戦い、30名の満州兵を殺したという記
事だった。当時としてもたいへんな武勲で、そのため知人は国から勲章をもらった。記
事はそのときのものだった。

が、私が「おじさん、人を殺した話など自慢してはダメだ」と言うと、知人は突然激怒
して、「貴様ア! 何抜かすかア!」と叫んで、私を殴った。その夜私は、泣きながら家
に帰った。

●敵は私たち自身の中に

 もしどこかの国と戦争をすることになっても、敵はその国ではない。その国の人たちで
もない。敵は、戦争そのものである。あの知人にしても、私にとっては父のような存在だ
った。家も近かった。いつだったか私は子どものころそういう知人と仲良くしていたこと
を知り、自分の胸をかきむしったことがある。

時代が少し違えば、私がその教授になっていたかもしれない。いや、戦争が知人のよう
な人間を作った。知人を変えた。繰りかえすが、私の知っている知人は、どこまでも穏
やかでやさしい人だった。倒れたときも、中学校で柔道の指導をしていた。

知人だって、戦争の犠牲者なのだ。戦争という魔物に狂わされた被害者なのだ。つまり
戦争には、そういう魔性がある。その魔性を知ること。その魔性を教えること。そして
その魔性と戦うこと。敵は私たちの中にいる。それを忘れて、平和教育は語れない。

(付記)

●戦争の責任論

 日本政府は戦後、一貫して自らの戦争責任を認めていない。責任論ということになると、
その責任は、天皇まで行ってしまう。象徴天皇を憲法にいだく日本としては、これは誠に
都合が悪い。

そこで戦後、政府は、たとえば「一億総ざんげ」という言葉を使って、その責任を国民
に押しつけた。戦争責任は時の政府にではなく、国民にあるとしたわけである。が、そ
れでは「日本はますます国際社会から孤立し、近隣諸国との友好関係は維持できなくな
ってしまう」(小泉総理大臣)。

そこで、2001年の8月、小泉総理大臣は、「先の大戦で、わが国は、多くの国々、と
りわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」(第56回全国戦没者追悼式)と
述べ、「わが国」という言葉を使って、その戦争責任(加害主体)は「政府」にあること
を、戦後はじめて認めた。

が、しかし戦後、60年近くもたってからというのでは、あまりにも遅すぎるのではな
いだろうか。

(参考)

 この「平和教育を語るとき」の原稿と同時に書いたのが、次の「杉原千畝副領事のビザ
発給事件」である。

●杉原千畝副領事のビザ発給事件 
 
「1940年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチ
スの迫害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人6000人に対して、ビザ(査
証)を発給した。これに対して1985年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くし
た外国人に与えられる勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与さ
れた」(郵政省発行20世紀デザイン切手第九集より)。

●たたえること自体、偽善

 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、1100万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、ア
ウシュビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約400万
人ものユダヤ人が虐殺されたとされる。杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう
過程の中で起きたものだが、日本人はこの事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。郵
政省発行の記念切手にもなったことからも、それがわかる。が、しかし、この事件をたた
えること自体、日本にとっては偽善そのものと言ってよい。

●杉原副領事のしたことは、越権行為?

 当時日本とドイツは、日独防共協定(1936年)、日独伊防共協定(37年)を結んだ
あと、日独伊三国同盟(40年)まで結んでいる。

こうした流れからもわかるように、杉原副領事のした行為は、まさに越権行為。日本政
府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定違反の疑いすらある。杉原副領事の
した行為を正当化するということは、当時の日本政府がしたことはまちがっていると言
うに等しい。その「まちがっている」という部分を取りあげないで、今になって杉原副
領事を善人としてたたえるのは、まさに偽善。

いやこう書くからといって、私は杉原副領事のした行為がまちがっていたというのでは
ない。問題は、その先と言ったらとよいのか、その中味である。

当時の日本といえば、ドイツ以上にドイツ的だった。しかも今になっても、その体質は
ほとんど変わっていない。どこかで日本があの戦争を反省したとか、あるいは戦争責任
を誰かに追及したというのであれば、話はわかる。そうした事実がまったくないまま、
杉原副領事のした行為をたたえるというのは、「今の日本人と戦争をした日本人は、別の
人種です」と言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。

●日本はだいじょうぶか?

 そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。仮にこの日本に、100万人単位の外国人
不法入国者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえ
の勤勉さで、日本の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者
を呼び、日本の人口の何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、
あなたよりリッチな生活をし始めたとしよう。

もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。が、彼らは日
本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかりと払
わないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身
のこととして考えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラ
ーが政権を取ったころのドイツは、まさにそういう状況だった。

つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂ったということ。この日本が狂わな
いという保証はどこにもない。現に2000年の夏、東京都の石原都知事は、「第三国発
言」をして、物議をかもした。そして具体的に自衛隊を使った、総合(治安)防災訓練
までしている(2000年9月)。石原都知事のような日本を代表する文化人ですら、そ
うなのだ。

●「日本の発展はこれ以上望めない」

 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道してい
る。「日本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。そし
てそれを受けてその直後、アメリカのクリントン大統領は、「アメリカはすべての国からの
移民を認める」と宣言した。

日本へのあてこすりともとれるが、日本が杉原副知事をたたえるのは、あくまでも結果
論。チグハグな日本の姿勢を見ていると、どうもすっきりしない。石原都知事の発言は、
「私たち日本人も、外国で同じように差別されても文句は言いませんよ」と言っている
のに等しい。

多くの経済学者は、2015年には日本と中国の経済的立場は逆転するだろうと予測し
ている。そうなればなったで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならない。そう
いうことも考えながら、この杉原千畝副領事によるビザ発給事件、さらには石原都知事
の発言を考える必要があるのではないだろうか。

++++++++++++++++++

 『善人も悪人も紙一重』。大きくちがうようで、それほど、ちがわない。子どもの世界も
また、しかり。問題のある子どももいれば、そうでない子どももいる。大きくちがうよう
で、それほど、ちがわない。

 置かれた環境、育てられ方、受けた教育で、よい子は、よい子になり、そうでない子は、
そうでなくなる。

 もしあなたが今、善人なら、それはたまたまそうであるにすぎない。もしあなたが今、
悪人なら、それはたまたまそうであるにすぎない。

 『スタンフォードの監獄実験』は、心理学の教科書にもよく出てくる話である。この実
験の内容、経過を読めば読むほど、人間の心がもつ、本来的な魔性がよくわかる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
監獄実験 スタンフォード大学 監獄 個性 権力への服従 非個人化)


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●入社内定vsリストラ

++++++++++++++++++

リストラの嵐が吹き荒れる(?)J社に、
今度、息子が入社することになった。

息子は、入社内定を喜んでいたが、
リストラされる人たちは、どんな気持ちだろう。

入社内定を喜ぶエネルギーを、正のエネルギー
とするなら、リストラされて苦しむエネルギーは、
負のエネルギーということになる。

そのエネルギーの強さは、同じ。

++++++++++++++++++

 喜怒哀楽という言葉がある。これにあと3つの感情を加えて、漢方(東洋医学)では、「七
情」という。

 この感情にいちいち動揺していたのでは、心の平安を保つことはできない。ついでに健
康を保つことはできない。とくにこわいにが、激怒。

 私もつい先月、激怒ではないにしても、あることで頭にカーッと血がのぼるのを感じた。
そのときのこと。体全体がフワフワした感じになった。恐らく体内では、血圧が急上昇し、
危険レベルを超えていたにちがいない。

 その夜血圧を測ったら、下がxxmmHgもあった。ふだんより、20mmHg近くも
高かった。で、私は心に決めた。「ささいなことで激怒して、それで体をつぶしてしまった
ら、おしまい」と。「脳内出血でも起こしたら、どうするのだ」と。

 以来、『まな板の上の鯉(こい)』の心境になった。「どうでもなれ」と、そのときどきに
おいて、運命に身を任すようにした。「なるようになれ」と、あとは、そのときどきの(流
れ)に身を任すようにした。とたん、血圧は、再び、正常値にもどった。

 今は、そういう状態。そんなとき、息子の就職先が決まった。新聞報道などによれば、
リストラの嵐が吹き荒れている、あのJ社に決まったという。そのことを、息子と話す。

 「お前は、入社が決まって喜んでいるが、リストラされる人たちは、それと同じ、反対
のエネルギーで苦しんでいるんだよ。そういう会社へ入るということは、たいへんなこと
なんだよ」と。

 実際、リストラが始まると、その会社の人たちは、仕事が手につかなくなるという。上
司に呼ばれただけで、心臓が止まる思いがすると言った人もいた。あるいは上司から、夕
食に誘われただけでも、そうなったという人もいた。サラリーマンにとっては、まさに地
獄。それがリストラ。

 息子は、ただ空が飛びたいだけらしい。国際線のパイロットとなって、世界中を飛び回
りたいだけらしい。それ以上の野心はないらしい。幸せな息子だ。(したいこと)と、(し
ていること)が一致している。人は、本来、みな、こうでなくてはならない。もっと言え
ば、仕事というものは、本来、みな、こうでなくてはならない。しかしそんなことができ
る人は、いったい、この世の中に、何%いるのか?

 たいていの人は、稼ぐために働く。したくなくても、しなければならない。そういう仕
事をする。

 そこでふと、自分のことを考える。「私は、したい仕事をしているのか?」と。

 答は、残念ながら、「NO!」。私が本来的にしたかった仕事というのは、モノづくりだ
った。中学生から高校生にかけては、建築家になるのが夢だった。大工になりたかった。
それが今、どういうわけか、まったく異質の仕事をしている。

 話がそれたが、その仕事からも、追われる。それはその人にとっては、自己否定そのも
の。強烈な衝撃を与える。「君は、来月から、もうこの会社に来なくていい」と言われるの
は、まさに、自己否定そのもの。

 カーッと血がのぼる程度では、すまない。最近、ある女性からメールをもらったが、そ
の人の父親は、定年退職したその2日後に、脳梗塞で倒れてしまったそうだ。私にはその
父親の気持ちというか、無念さが、痛いほど、よくわかる。

 ともかくも、感情は平坦に。それがこれからの老後を、楽しく、愉快に生きるコツのよ
うに思う。プラス、脳みそは、いつも鍛えておくこと。心と体は、一心同体。「心」という
のは、「脳みそ」のことをいう。

 追記だが、脳みそを鍛えるためには、音読がよいそうだ。かいま見たテレビ番組の中で、
だれかがそう言っていた(NHK)。さっそく、自分の書いた文章を、音読してみる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(2月28日)

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今朝は、寒々とした曇天。
朝食後、することもないので、
こうしてコタツに座って、
原稿を書く。

日曜日。昨夜は、ワイフと2人で
DVDを見た。

パイロットの戦争映画だった。
が、途中で、気分が悪くなって、
中止。私は近く、オーストラリアへ
行くことになっている。

飛行機がどんどんと撃墜されていく、
そんな映画を見るのは、つらい。
だから中止。

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●息子と話す

 ウィルコムどうしの携帯電話だと、いくら話しても、無料。(追加料金なしということ。)
だから今朝、息子と、1時間ほど、電話で話をした。電話料金を気にせずに話ができると
いうのは、よいことだ。……といっても、それほど話すこともないが……。

 そういう現実を前にすると、では、以前は、何だったのかということになる。少し前ま
で、電話料金は、距離によって、こまかく細分化されていた。隣町というだけで、料金が
ちがっていた。(今でも、そうだが……。)

 そのたびに、私は「?」と思った。郵便料金だって、全国一律。どうして電話料金は、
一律ではないのか、と。

 結局はその分、NTTの収入になっていた。独占事業体の強みというか、それでNTT
は、莫大な利益をあげていた。電話通信の自由化に徹底的に抗戦したのは、言うまでもな
い。おかげでインターネットの普及にしても、欧米どころか、このアジアの中においてで
すら、10年は遅れた。

 アメリカでは、市内通話は、どこでも無料。長距離電話にしても、数千キロ離れたとこ
ろにかけても、1通話、10〜20円程度。規制緩和……つまり官僚主義の是正がいかに
大切かは、この一例をとっても、わかるはず。

 さて息子との電話。いろいろ話した。話しながら、ふと、さみしさを覚えた。「これでぼ
くも、用なしになるのだなア」と。

 とくに息子、つまり三男は、私も三男だったこともあり、かつ、ちょうど、年齢も、私
の父との差と同じということもあり、どこか私自身のように感ずることがよくある。私の
父は、私が、29歳とき死んでいる。享年64歳。つまり三男が、29歳になったとき、
私はその64歳になる。そんなわけで、「ぼくの寿命も、あと4年かア」と。

 少し前まで、負け戦(いくさ)をつづけるのが、つらかった。しかし今は、その負け戦
をするのにも、疲れた。投げやりな気持ち。それから生まれる無気力感。虚脱感。あえて
言うなら、私の今の心の状態は、今朝の曇天のようなもの。コタツの中から伝わる、わず
かなぬくもりだけが、心の片隅を、暖めてくれる。

 私がそうであったように、息子たちは、みな、それぞれ自分の道を歩み始めている。こ
れから先、何かとつらいことや、きびしいことがあるだろう。あって、当たり前。今の私
にできることといえば、そういう息子たちのために、重荷にならないこと。じゃまになら
ないこと。それに、心配をかけないこと。

 そうそう、健康にだけは、注意したい。昨夜も、寝床で、ワイフとそんな話をして、た
がいに誓いあう。「健康には、気をつけようね」「息子たちに、迷惑をかけないようにしよ
うね」と。

 さあて、家の中でくすぶっていてもいけないから、これから風呂にでも入って、どこか
へ行ってくるかア。

 私は、ヤング・オールド・マンなのだア!!


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●おばあちゃんの尻

+++++++++++++++

毎日、一日数回は、母の尿取りパット
を取り替えている。そのたびに、当然の
ことながら、母の尻を見る。

母も、昔は、(女性)だった。しかし
今は、見る影もない。

だから、ときどき、ふと、こう思う。
「ワイフもいつか、こうなるのかなア」と。

で、そう思ったつぎの瞬間、
ワイフの尻が、美しく思えるから不思議。

+++++++++++++++

私「あのなあ、ぼくね、最近、お前の尻が、きれいに見えるようになってきた」
ワ「あら、どうして?」
私「毎日、バーサンの尻を見ているうちに、そう見えるようになってきた」
ワ「お母さんのお尻と、比較しないでよ」
私「うん。それはわかっている。でも、母だって、昔は、女性だったんだよ」
ワ「当然でしょ」
私「でも、今は、見る影もない。形も、丸めた新聞紙みたいだし、色もすすけている……」

ワ「だれだって、90になったら、そうなるわよ」
私「お前の尻も、そうなるのか?」
ワ「あのね、女性のお尻というのは、もともと、そんな、きれいなものじゃないのよ」
私「そんなことはない。女性の尻は、きれいだよ。白く、脂がのった女性の尻は、まさに
芸術品だよ」
ワ「女性には、わからないわ。……それが男の心理なのかもね」と。

 母の介護をするようになって、毎日、いろいろと、新しい発見をしている。副次的効果
と書くべきか。母の尻を見ているうちに、それまでは気づかなかったが、ワイフの尻が、
きれいに見えるようになってきた

 しかし本当のところは、「尻」の話ではない。女性の「体」の話でもない。そういう会話
をしながら、私は本当は、ワイフに、こう言いたかった。「お前の尻が、どんな尻になって
も、ぼくは、いつまでもお前の尻を美しいと思うよ」と。

 しかしそんなことを言っても、ワイフは、ぜったいに、本気にしない。そういう話をす
ると、いつもケラケラと笑って、こう言う。「あなたは口がうまいから」と。だからそれ以
上は、言わなかった。

 しかしこんな自信はできた。

 いつか、ワイフが寝たきりのような状態になっても、私なら、ワイフの便の始末はでき
る、と。

 ……ということで、人は、歳を重ねながら、つぎの時代の準備を始める。若いときは、
そんなことは考えもしなかった。とくに子育てに夢中になっているときは、そうだった。
子どもの未来だけを考えて生きていた。が、ふと気がつくと、そこにあるのは老齢。

 老齢になるには、その準備が必要。今日は、母から、それを学んだ。

 ……とまあ、むずかしい話はさておき、ここで教訓。もしあなたが、あなたの妻のお尻
を見飽きたら、どこかの高齢な女性のお尻を見せてもらうといよい。ついでに、いろいろ
と介護してみるとよい。便の始末もしてみるとよい。あなたはあなたの妻のお尻を、かな
らずや見なおすことと思う。ホント!


●カメラ

++++++++++++++++

このところ暇さえあれば、
カメラをいじってばかりいる。

P社のFZ50。昔の一眼レフ風の
デジタルカメラ。

以前は、F社、C社のカメラを使って
いたが、手ブレ防止機能がつくように
なってから、P社のカメラにした。

それからは、ずっと、もっぱら、
P社のカメラばかり。息子たちにも、
みな、P社のカメラを買ってやった。
(正確に言えば、払い下げ?)

当時は、驚いた。手ブレ防止機能が、
かくもすばらしいものだとは、
思ってもいなかった。

一度使ったら、ほかのメーカーの
カメラは使えない。それで
P社のカメラばかりになってしまった。

++++++++++++++++

 カメラには、不思議な魅力がある。ズシリとした重量感。ギッシリとつまった充実感。
黒光りするボディに、ガシッガシッと決まるメカニックな動き。プラス、硬質プラスチッ
クの肌ざわりのよさ。

 もちろんメカもすごい! FZ50は、光学で、21倍まで望遠がきく。昔なら、巨大
なレンズをそのつど、装着しなければならなかった。21倍といえば、そんな倍率である。
もちろん5センチまでの接写も可能。(いったい、どうなっているのだろう?)

 同じクラスの他社のカメラは、10万円〜もするが、このカメラは、2GBのメモリー
カードをつけて、6万円弱。(店で、交渉して、その値段にしてもらったが……。)

 しかし私は、同じことを、今から20年前にもしていたのではなかったか? 当時、私
は、4〜5個のコンパクトカメラのほか、C社、A社、それにF社の一眼レフカメラをも
っていた。そして今と同じように、暇さえあれば、カメラをいじってばかりいた。

 そのころはもちろん、フィルムカメラ。今は、デジタルカメラ。中身はちがうが、見た
感じは、それほどちがわない。……ということは、この20年間、カメラは、というより、
私は、何だったのかということになる。

 私が好きなのは、カメラであって、写真ではない。このあたりが、ワイフにも理解でき
ないところらしい。たとえて言うなら、ガン(銃)のコレクターのようなもの。撃つのが
目的ではない。いじるのが目的。

 ただ私のばあい、指先に特殊な感覚があるようだ。こうしたモノにさわっているだけで、
陶酔感を覚える。反対に、何かにさわっていないと、落ち着かない。乳幼児にも似たよう
な性癖があることを知っている。いつも手に何かを握っている。それと同じ? 

 漢方(東洋医学)でも、指先には、経絡(けいらく)(ツボとツボをつなぐ観念的な線路
のようなもの)が届いていると教える。その指先を刺激すると、脳の中で、モルヒネ様の
物質(エンドロフィン、エンケファリンなど)が放出されるという。そのことは、指しゃ
ぶりをしている幼児を見ればわかる。指しゃぶりをしている幼児は、実に気持ちよさそう。
うっとりとした表情をしてみせる。

 つまり、モノをいじるということは、天然の(?)、精神安定剤ということになる。わか
りやすく言えば、おとなのマスターベーション(オナニー)と同じ。無理にやめさせると、
精神そのものが、不安定になる。子どもも、また同じ。たとえば指しゃぶりにしても、無
理にやめさせると、情緒が不安定になる。

 さて、この私。こうしてカメラをいじりながら、自ら、精神を安定させていることにな
る。が、それだけではない。加えて脳みその老化防止にもなるそうだ。指先からの刺激が、
脳みそにほどよい刺激を与える。

 しかし、そのカメラを見ながら、ときどき、こう思う。「本当に、私と同じ人間が、こん
なもの作っているのか」と。日本人の、というより、人間がもつ技術力には、ものすごい
ものがある。そうした驚きも、また、カメラをいじるときの楽しみの一つでもある。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●アメリカの裏切り

++++++++++++++++++++

今回の6か国協議で、アメリカは、日本を
裏切った。

私は、協議の前から、そう書いていた。
そのことが、日を追うごとに、ますます
はっきりしてきた。

しかし問題は、なぜアメリカが日本を
裏切ったかではなく、そこまでアメリカを
追いつめたか、である。

++++++++++++++++++++

 共同通信は、つぎのように伝える(2月26日)。

 『K国核問題をめぐる最初の6か国合意文書案に、「核兵器廃棄」を明記しながら、K国
の反発で、アメリカが取りまとめた第2次案段階で、削除されていたことが2月25日、
わかった。合意文書では「高濃縮ウランによる核開発の放棄」の文言も、K国の反対で削
除されたことが判明しており、6カ国協議の目標が、「朝鮮半島の非核化」から、「核不拡
散」に移っている実態が、あらためて鮮明になった』と。

 つまり、

(1)アメリカは、K国の核兵器保有には、目をつぶった、ということ。

 これを日本への裏切り行為と言わずして、何という。K国は、かねてから、「核開発は日
本向けのもの」と公言している。この先日本は、K国の核兵器にビクビクしながら、単独
で、そのK国と対峙しなければならない。

 ついでに申し添えるなら、韓国も、「K国が核開発を放棄するのは、南北統一後の202
0年ごろ」とまで言い出している。韓国は、内心では、K国の核兵器保有を容認している。
現在のN政権誕生直後、政府高官の1人が、「K国の核兵器保有は、統一後の朝鮮にとって、
有利」という発言をしている。そのことを忘れてはならない。

 わかりやすく言えば、日本だけが、K国の核兵器の脅威にさらされることになる。その
上での、日朝交渉ということになる。すでに中国を通して打診してきた戦後補償額にして
も、4兆円とか、40兆円とかいう数字が出ている。

 仮に4兆円にしても、もうめちゃめちゃな、つまり桁外れの補償額ということになる。
日本人1人あたり、約4万円。4万円だぞ! 仮に40兆円なら、一人あたり、約40万
円!

 しかし問題は、なぜアメリカが、日本を裏切ったかということ。見捨てたとか、そうい
うレベルの話ではない。明らかに、裏切った。

 その一つのヒントが、今回来日した、アメリカの国防長官の動きにある。国防長官は、
日本の防衛相との会談を、事前より日程にあげることすらしなかった。つまり、アメリカ
は、日本を怒っている。反対に言えば、日本は、何かのことで、アメリカを怒らせてしま
った。防衛相の、おバカ発言もその一つだが、そのほかにも、いろいろあったのだろう。

 (しかしあんな防衛相で、日本の平和と安全が本当に守れるのだろうか? 人は見た目
で判断してはいけないというが、知性、理性、鋭さ、そのどれをも、私は、感じない。)

 ともかくも、今回の6か国協議で、極東アジアの情勢は、急変してしまった。ほくそ笑
むK国。勢いづく韓国。極東アジアでの主導権を握った中国。

 さあ、どうする、日本? しかし……今のところ、打つ手なし。しかしそれにしても、
こんなへたくそな外交戦略は、見たことがない。今ごろ外務省内部では、毎日、意味のな
い小田原評定(=いつまでたっても、話が進まず、結論もでない会議)が繰りかえされて
いることだろう。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 23日
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3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものリズムをつかむ 

子ども自身がもつ、学習のリズムは、みな、ちがう。数分きざみに、騒いだり、しゃべっ
たりする子どももいれば、5分くらい静かに作業したあと、1〜2分、休んだりする。勉
強にとりかかるまでに、10分以上かかる子どももいれば、すぐ、勉強に入れる子どもい
る。大切なことは、それぞれのリズムに合わせて、指導するということ。とくに子どもが
小さいうちは、そうする。


●ささいなミスは、許す

たとえば20問、計算問題をする。そのとき、1、2問くらいなら、まちがっていても、
何も言わない。「よくがんばったね」と、ねぎらう。そして大きな丸を描いてすます。とく
に子どもが、懸命にしたときは、そうする。正解よりも、この時期大切なのは、達成感。
その達成感が、子どもを伸ばす。こまごまとした神経質な指導は、一見、親切に見えるが、
かえって子どもの伸びる芽をつんでしまうこともあるので注意する。


●テーマは、一つ

子どもに何かを教えようとするときは、いつも、テーマは、一つにする。あれこれ、同時
に指示を与えても、意味がないばかりか、かえって、「二兎を追うもの、一兎……」という
ことになりかねない。たとえば作文練習のときは、作文の内容だけを見て、文字のまちが
いなどは、無視する。作文の内容だけを見て、判断する。


●子どもを伸ばすのは、子ども

子どもを伸ばすのは、子ども。しかしその子どもをつぶすのも、これまた子ども。とても
残念なことだが、「質」のよい子どももいれば、そうでない子どももいる。質がよいという
のは、おだやかで、知性的。自己管理能力もしっかりしていて、もの静か。そういう子ど
もは、そういう子どもどうし集まる傾向がある。で、もしあなたの子どもが、そういう子
どもであれば、努力して、そういう子どもどうしが集まれるような環境をつくってやると
よい。あなたの子どもは、さらに伸びる。
(はやし浩司 子供の冴え)


●冴(さ)えを伸ばす

子どもが、「アレッ」と思うようなヒラメキを示したときは、すかさず、それをほめて、伸
ばす。この時期、あとあと子どもほど、思考が柔軟で、臨機応変に、ものごとに対処でき
る。趣味も多く、多芸多才。興味の範囲は広く、何か新しいことを見せると、「やる!」「や
りたい!」と食いついてくる。この時期、することと言えば、テレビゲームだけ。友だち
も少ないというのは、子どもにとっては、望ましいことではない。


●一歩手前で、やめる

子どもが30分ほど、勉強しそうだったら、20分くらいのところで、やめる。ワークを
10ページくらいしそうだったら、7〜8ページくらいのところで、やめる。子どもを伸
ばすコツは、無理をしない。強制をしない。もしあなたが、「子どもというのは、しぼれば
しぼるほど伸びる」とか、「子どもの勉強には、きびしさが必要」と考えているなら、それ
は、とんでもない誤解。どこかの総本山での、小僧教育ならともかくも、今は、そういう
時代ではない。


●バカなフリをして伸ばす

おとなは、決して、おとなの優位性を子どもに、見せつけてはいけない。押しつけてはい
けない。子どもにとって、最大の喜びは、父親や、母親を、何かのことで、負かすことで
ある。親の立場でいえば、子どもに負けることを、恥じることはない。反対に、ときには、
バカな親のフリをして、子どもに自信をもたせる。「こんな親では、アテにできない」と子
どもが思うようになったら、しめたもの。


●集中力も「力」のうち

よく、「うちの子は、集中力がありません。集中力をつけるには、どうしたらいいでしょう
か」という質問をもらう。しかし集中力も、「力」のうち。頭をよくする方法が、そんなに
ないように、集中力をつける方法というのも、それほど、ない。あれば、私が知りたいく
らいである。ただ指導のし方によって、子どもを、ぐいぐいとこちらのペースに引きこん
でいくことはできる。しかし集中力のある・なしは、子どもの問題ではなく、指導する側
の問題ということになる。
(はやし浩司 子供の集中力)


●一貫性

内容がどうであれ、よき親と、そうでない親のちがいといえば、一貫性のある、なしで、
決まる。権威主義的なら権威主義的でもかまわない。(本当は、そうでないほうがよいが…
…。)親にその一貫性があれば、やがて子どものほうが、それに合わせる。私の叔父の中に
は、権威主義のかたまりのような人がいた。しかし私は、その叔父は叔父として、認める
ことで、良好な人間関係をつくることができた。それなりに尊敬もしている。子どもの前
では、いつも、同じ親であること。それが子どもの心に、大きな安定感を与える。
(はやし浩司 一貫性)


●子育ては工夫

 子育ては工夫に始まって、工夫に終わる。わかりやすく言えば、知恵比べ。この知恵比
べによって、子どもは、伸びる。が、それだけではない。何か問題が起きたときも、同じ。
家庭環境は千差万別。状態も状況も、みなちがう。子どもについて言うなら、性格も性質
も、みなちがう。能力もちがう。そんなわけで、「子育ては知恵くらべ」と心得る。この知
恵比べを、前向きにできる人を、賢い親という。


●内政不干渉

 たとえ親類でも、兄弟でも、内政については、干渉しない。相手が相談をもちかけてき
たときは別として、こちらからあれこれアドバイスしたり、口を出したりしてはいけない。
相手を説教するなどということは、タブー中のタブー。ばあいによっては、それだけで、
人間関係は、破壊される。それぞれの家庭には、人には言うに言われぬ事情というものが
ある。その事情も知らないで、つまり自分の頭の中だけで考えてものを言うのは、たいへ
ん危険なことである。


●受験についての話は、タブー

 「受験家族は、病人家族」と心得るべし。受験生をもつ親に向かって、「どこを受験する
の?」「合格したの?」と聞くことは、病人に向かって、「病名は何?」「寿命はどれくらい?」
と聞くのと同じくらい、失礼なこと。相手のほうから話題にするばあいは、べつとして、
そうでなければ、それについて触れるのは、タブー。出身校、学歴についても、同じ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【付記:世界の教育格言】

●種を蒔いたように……

As you sow, so we shall you reap. 「あなたが種を蒔いたように、あなたはそれを刈らねば
ならない」。イギリスの教育格言。つまり因果応報ということか。子育てについて言えば、
ほとんどの親は、子どもに何か問題が起きると、「子どもをなおそう」とする。しかしなお
すべきは、子どものほうではなく、親のほうである。そういう視点から、子どもの問題を
見つめなおしてみる。


●引いて、発(はな)たず

孟子(紀元前3世紀ごろの、中国の思想家。著書『孟子』は、儒学の経典のひとつとされ
る)が残した言葉である。子どもに矢の射り方を教えるときは、矢の引き方までは教える。
しかし、その矢を放つところまでは見せてはいけないという意味。教育といっても、やり
すぎはよくない。たとえば手取り、足取り教える教育法がある。一見、親切な指導法に見
えるかもしれないが、かえって子どものためにならない。


●子どもは人の父

The Child is Father of the Man. 「子どもは人の父」、イギリスのワーズワースの詩の一節
である。子どもが成長し、やがておとなになっていくのを見ていると、この感を強くする。
つまり、子どもは、人の父、と。子育てというのは、子どもを育てることではない。子ど
もに、子育ての仕方を見せておく。見本を見せておく。「あなたが親になったら、こういう
ふうに、子どもを育てるのですよ」と。それが子育て。


●食欲がないときに……

『食欲がないときに食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』。Studying without an inquiring desire will be not 
retained in ones' memory. レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)の言葉である。
子どもの学習指導の常識と言ってもよい。日本では教育というと、「教え育てる」が基本に
なっているが、それは昔の話。子どもから意欲を引き出し、それをじょうずに育てる。あ
とは子ども自身がもつ「力」に任せればよい。


●忠告は密かに……

Give advice secretly, and praise children openly. 「忠告は密かに、賞賛はおおやけに」。
古代ローマの劇作家、シルスの言葉である。子どもを叱ったり、子どもの名誉をキズつけ
るような行為は、だれもいないところでせよ。しかし子どもをほめるときは、みなの前で
せよ、という意味である。子育ての行動規範のひとつとして覚えておくとよい。


●教育の秘法

あのエマーソン(アメリカの詩人、思想家、1803〜1882)は、こう書いている。『教
育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と。欧米では、「自立した
よき家庭人」を育てるのが、教育の柱になっている。とくにアメリカでは、デューイの時
代から、より実用的なことを教えるのが、教育の柱になっている。生活に根ざさない教育
は、そも役に立たない。生活を尊重してこそ、そこに真の教育があるというわけである。


●かわいくば……

『かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ』(二宮尊徳、江戸時代後期
の農政家、1787〜1856)と。「子どもがかわいいと思ったら、叱るときでも、一呼
吸おいて、まずよいところを三つみつけて、それをほめる。そしてそのあと、二つくらい
の割合で、叱れ」という意味。子どもをほめる、子どもを叱る……。それは家庭教育の要
(かなめ)と言ってもよい。


●最初に受けた印象が……

First impressions are most lasting. イギリスの教育格言。つまりものごとは、第一印象が
大切ということ。とくに子どもの教育では、そうである。その第一印象で、すべてが決ま
るといっても、過言ではない。だから子育てをしていて、「はじめの一歩」を感じたときは、
とくに慎重に! コツは、叱らない、おどさない。「小学校はきびしいのよ」「先生はこわ
いわよ」と教えたため、学校へ行きたがらなくなる子どもは少なくない。


●玉、磨かざれば……

『玉、磨かざれば、器(うつわ)ならず。人、学ばざれば、道知らず』(礼記、中国五経の
一つ)。脳の健康は、肉体の健康と似ている。究極の健康法などというものはない。同じよ
うに、究極の思想などというものはない。運動を怠ったら、その日から、健康はくだり坂
に向かう。同じように考えることを怠ったら、その日から、脳は老化する。人は、日々に
研鑽(けんさん)してこそ、人でありえる。学ばない人、考えない人は、それだけで、大
切な人生を無駄にしていると言える。


●馬を水場に……

A man may lead a horse to the water, but he cannot make it drink. 「馬を水場に連れて
行くことはできても、その馬に水を飲ませることはできない」。イギリスの教育格言である。
子どもを伸ばす最大の秘訣は、まず楽しませること。楽しむことによって、自発的行動(オ
ペラント)が生まれ、それが強化の原理となって、子どもを伸ばす(スキナー)。しかし無
理は禁物。無理をしても、意味がない。それがこの格言の意味ということになる。


●ビロードのクッションより……

It is better to sit on a pumpkin in the field rather than to sit on the soft velvet cushion of 
the palace. 『ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうがよい』(ソロ
ー、アメリカの随筆家、1812〜1862)。子どもにとって家庭とは、すべからく、カ
ボチャのようでなくてはならない。子どももある程度の年齢になったら、家庭は、しつけ
の場から、心を癒す、憩いの場となる。またそうでなくては、いけない。


●教育は、母のひざに始まり……

I・バロー(17世紀のイギリスの数学者)は、こう言っている。「Education starts in 
mother's lap and what children hear in those days will form their character.(教育は母
のひざに始まり、幼年時代に伝え聞くすべての言葉が、性格を形成する)」と。この時期、
母親の子どもへの影響は、絶対的なものであり、絶大である。母親が、子どもの方向性の
すべてを決定づけると言っても過言ではない。子どもの教育は、子どもをひざに抱いたと
きから始まると、バローは言っている。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●炎上

++++++++++++++++++++

BlogやWebsite(HP)には、
書いてよいことと、書いていけないことが
ある。

たとえば「予定」。

「○月○日、午前xx時より、講演会」と
書くのは、ドロボーに向かって、「その日に
うちへおいでください」と書くようなもの。

私も、それを知人に指摘されるまで、気がつか
なかった。

それから、今となっては、もうどうしようも
ないが、自分のメールアドレスを書き込むのも
タブー。

どうしても書きたいときは、つぎの方法が
あるそうだ。たとえば、

HiroshiHayashi@mail.google.co

のときは、たとえば、

(1)デザイン文字をつかう。
(2)文字をわざと1文字、別の文字にして、
   たとえばHiroshiHayashi@mail.google.com
   とした上で、「最後のmを取ってください」
   と注意書きを添える。
(3)同じように、アドレスにスペースを入れて、
   たとえばHiroshi Hayashi @mail.google.co
   とした上で、「スペースを取ってください」
   と注意書きを添える、など。

 でないと、私のように、毎日、何百通という
 スパムメールに悩まされることになる。

 フィルターをかけても、かけても、追いつかない。

 そういうばあいは、(つまり私のばあいは)、
 一度、すべてのメールを削除フォルダーに
 移動するように設定したあと、そうでない
 メールのほうを、それぞれのフォルダーに
 移動させるようにしている。

 ほかにも、いくつかのタブーがある。

++++++++++++++++++++++

 BlogやWebsite(ホームページ)に記事を書くときには、いくつかのタブー
がある。

 最大のタブーは、個人や団体を非難するときは、ぜったいに固有名詞を書かないという
こと。個人や団体が特定できるような内容の記事もまずい。書くなら書くで、それなりの
覚悟と、裏づけをしっかりと取っておくこと。

 たとえば私の世界では、その子どもの実名を出して、「○○君は、学習障害の疑いがあり
ます」などと書くのは、タブー中のタブー。もしそんなことを書いたら、その日に、We
bsiteは、閉鎖に追い込まれる。追い込まれても、文句は言えない。が、それだけで
はすまない。ついでに、名誉毀損で、莫大な損害賠償を請求される。

 以下、物書きのハシクレにいる者からの、アドバイス。

(1)読者対象を、しっかりと見極める。

 自分の書いている記事が、どういう人を対象にしているものかを、しっかりと把握しな
がら書くこと。

(2)きわめてプライベートなことは書かない

 いくら家族のことでも、書いてよいことと、そうでないことがある。自己開示すること
によって、友を得たいという気持ちが働くこともあるが、不特定多数の人に自己開示する
ことは、同時に、たいへん危険なことでもある。とくに、実名を明らかにしている人は、
気をつけたほうがよい。

(3)インターネットで友を求めない

 私生活の中で、友の少ない人が、インターネットで友を得られると考えるのは、幻想で
しかない。インターネットだけでは、親しくなるにも、限度がある。その限度を超えて、
親しくなることはありえない。その限度をしっかりとわきまえること。インターネットが
きっかけで、たがいに直接会いながら親しくなるということはある。

(4)文字だけの交際は、危険

 文字を読むとき、読む側は、自分の感情をその中に移入して読む。たとえば書いた側は、
冗談のつもりで、「お前は、バカだなあ」と書いたとしても、読む側は、そのときの自分の
気分で、その文を読む。結果、「バカとは、何だ!」となる。

 だから、これは私のばあいだが、知りあいとのやりとりは、できるだけ電話を使うよう
にしている。メールのやりとりがつづいたときには、とくに、そうしている。文字で、自
分の思いや感情を的確に相手に伝えることができるのは、その道のプロだけ。

 ときどきその人が不注意に書いた文章が、インターネットの世界で、大問題になること
がある。それをこの世界では「炎上」と呼ぶ。インターネット上に、文章を書くときは、
世界に向かって原稿を書いているという意識を、いつも、しっかりともつこと。「個人のB
LOGだから、何を書いてもいい」という甘えは許されない。

 みなさんも、くれぐれも、ご注意のほどを!


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●黄砂(こうさ)現象

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地球温暖化の影響か?
すでに今年も、黄砂現象が
始まっている。

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 地球温暖化の影響か? すでに今年も、黄砂現象が始まっている(2月24日現在)。北
風に乗って、何となく空が黄色いと思ったら、黄砂現象と考えてよい。

 時期が毎年、早まっているだけではない。回数もふえている。80年代後半までは、観
測延べ日数が、300日を超えることはなかったというが、最近では、03年度をのぞき、
毎年、400回を超えているという。

 原因は、中国内陸部にある、ゴビ砂漠やタクラマカン砂漠の乾燥化である。

 以前だと、今ごろは、まだ雪の下で、ダスト・ストーム(砂塵嵐)が起きることはなか
った。しかし温暖化で、雪が早く解けるようになった。その分だけ、黄砂現象が起きる時
期が、早くなった。回数も多くなった。今では、西日本のみならず、東京でも黄砂現象が
観察されるようになった(06年4月)。

 そのときの様子を、たまたま飛行機の上から見ていた息子は、こう表現した。「キモイ」
と。空からの写真で見ると、まるで巨大な生き物のように、丸く地表を覆っていた。

 で、この黄砂現象を何とか食い止めようと、各国が「黄砂対策プロジェクト」なるもの
を開始している。日本も、中国向けの開発援助を利用して、この問題と取り組んでいる。
手っ取りばやい方法としては、植林、植草がある。あるいは防風林をつくったり、柵をつ
くったりするという方法もある。

 が、どれも、焼け石に水というか、植林をするより速く、砂漠化が進んでいるという。

 で、問題は、黄砂現象による影響だが、これがどうも、はっきりしない。相手はこまか
い砂だから、悪い影響ばかりが指摘されるが、中には、地表を冷やす効果もあると説く学
者もいる。あるいは鉄分を多く含んでいるため、プランクトンの生育を増進すると説く学
者もいる。

 しかしどうであるにせよ、こと地球環境という規模で考えるなら、急激な変化は、かな
らず何かしらの副次的作用というか、二次的被害をもたらす。地球温暖化が原因というの
なら、なおさらである。

 それにしても、こうまでつぎからつぎへと問題が起きてきて、これから先、地球はどう
なるのだろう。黄砂現象にしても、10年前に、今の現象を予想した人は、いただろうか。
言いかえると、これから先、今はまだ予想できない問題が、つぎからつぎへと起きてくる
可能性がある。そのたびに、人間は、対策を考えて、あたふたと行動を開始する。

 が、やがてそれも限界にくるかもしれない。こわいのは、そのあとだ。限界を超えて、
人々が無気力になったとき、地球温暖化は、一気に加速する。たとえて言うなら、借金を
返そうと、まだがんばっている間はよい。しかしその借金も限界を超えると、働く気力そ
のものが失せる。

 「黄砂対策プロジェクト」は、その試金石になるかもしれない。現在このプロジェクト
には、日本、中国のほか、韓国、モンゴル、それに国連などの国際機関が参加していると
いう。

 がんばれ、黄砂対策プロジェクト!

(追記)

 私も一度だけだが、ダスト・ストームを経験している。オーストラリアのメルボルンに
いたときのことである。

 砂の嵐が、まるでカーテンのようになって、遠くからどんどんと近づいてきた。「カーテ
ン」というか、巨大な海の波のような感じ。

 それがしばらくすると、強風に変わり、あたりがボーッとかすんでしまった。もちろん
目を開けていることはできない。息をすると、口の中は、すぐ砂だらけ。みな、家の中に
避難した。

 日本とちがって、大陸では、起きることは、スケールがちがう。不謹慎な言い方になる
かもしれないが、タクラマカン砂漠で起きるダスト・ストームは、どんなものだろう。一
度、見てみたい気がする。タクラマカン砂漠だけでも、日本の何十倍もある。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1823)

●浜松市長選挙

++++++++++++++++

浜松市の市長選挙が、動き出した。
現職は、K氏。元外務官僚。そのK氏に対して、
民主党のS氏が、一騎打ちをいどんでいる。

最初にK氏をかつぎ出したという、
S自動車製造会社の社長のS氏自身が、
今度は、対立候補のS氏を推しているという。
2人の間には、いろいろあったらしい。
あくまでも、巷(ちまた)のうわさだが……。

政治の世界は、まさに一寸先は、闇。
昨日の友は、今日の敵、……ということか。

++++++++++++++++

 現職のK氏に、すべての責任があるというわけではないが、工業の町、浜松市が、いつ
の間にか、(楽器の町)から、(音楽の町)になってしまった。さらに楽器産業が斜陽にな
ってくると、今度は、(花と緑の町)になってしまった。

 浜松市の衰退は、著しい。HONDA、SUZUKI、YAMAHAという日本を代表
する企業の工場は、軒並み、浜松市を離れ、近郊の都市に移転してしまった。おかげで今
では、その時間帯になると、市内から郊外をめざす、いわゆる逆ラッシュアワー現象が起
きている。

 そのことを浜松市役所に勤める友人に話すと、友人は、こう言った。「土地がないからで
すよ」と。

 本当に、そうか? どの自治体も、工場を誘致しようと血眼(ちまなこ)になっている。
努力している。土地がなければ、山を削ってまで、誘致しようとしている。土地代をただ
で提供している自治体すらある。しかしこの浜松市では、そういう話を聞いたことがない。
つまりそういう努力を、していない。

たとえば浜名湖の北に、ガーデンパークという公園がある。2年前、花博でにぎわったと
ころである。今は、ガーデンパークとなっているが、たとえばあそこに、今、巨大な自動
車工場があったとしても、何ら、おかしくない。

 ここに浜松市のなす行政の、最大の欠陥がある。(音楽の町)で、メシを食えるのか? (花
と緑の町)で、メシは食えるのか? この浜松市が再生するためには、浜松市を、もう一
度、工業の町に戻すこと。大企業の工場を、再誘致すること。

 が、浜松市の行政は、どこか、おかしい。毎年、莫大な予算を使って、駅前の整備ばか
りしている。ノー天気な人たちは、浜松駅前の豪華なビルや建物を見て、「浜松は発展して
いる」と思うかもしれない。が、実際のところ、台所は火の車。

 今、浜松の市民が求めている市長は、この浜松市に「実利」をもたらす市長である。(音
楽の町)や(花と緑の町)もけっこうだが、今は、そういう道楽にうつつを抜かしている
ばあいではない。

 ……という危機感をもった市長を、私たちは求めている。現職のK氏が優勢なのか、そ
れともS自動車製造会社のS氏に推されたS氏が優勢なのか、今のところ、よくわからな
い。私も、どちらかを応援しているわけではない。しかしこれだけは言える。

 政治は私たち1人ひとりがつくるもの。そのためには、私たち1人ひとりが考えなけれ
ばならない。その(考える力)が、政治家に届いたとき、政治は変わる。ついで市が変わ
り、日本が変わる。けっして政治家が口にする美辞麗句に、私たちは踊らされてはいけな
い。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●介護記

++++++++++++++++++

母の介護をしてみて、いくつか気がついた
ことがある。

その第一。介護をしたことがある人のみが、
介護について語る資格があるということ。

++++++++++++++++++

 これはケア・マネージャーをしている人から聞いた話である。そのケア・マネージャー
が事務所を構えるケア施設には、常時、5〜6人のボランティアがいる。ボランティアで、
老人の世話をしている人たちである。

 その中の1人。神様のように思われていた女性がいた。当時、年齢は50歳くらいだっ
たという。面倒見がよく、毎週、ひとり住まいの老人の家を訪ねては、御用聞きのような
ことをしていたという。ときには、その老人のために、その老人の親戚中を回って、必要
な書類などを集めたこともあるという。何かの相続問題が起きたときのことである。

 そのため、その女性は、その世界では、ここにも書いたように、神様のように思われる
ようになった。周囲の尊敬を、一身に集めるようになった。

 が、その女性が突然、変わった。その女性が、実の父親の介護をするようになった。そ
れまでは、その女性の父親は、兄の家にいたのだが、その兄が、脳内出血で倒れ、ほぼ寝
たきりの状態になってしまった。それでその女性が、父親を引き取ることになった。

 それまでボランティアではあるにせよ、その女性は、介護の仕事を手伝っていた。だか
ら介護については、かなりの知識と経験があったということになる。ところが、である。
自分で自分の父親を介護するようになってからというもの、毎日、父親と喧嘩ばかり。た
とえば父親が、廊下で小便を漏らしただけで、その女性は、父親をはげしく叱ったりした。

 わかりやすく言えば、自分の父親の介護をするようになって、それまでの仮面というか、
化けの皮がはがれたということになる。ケア・マネージャーの人は、こう言った。

 「介護だけは、言うは易く、なすは難(かた)しですよ」と。つまり口で言うのは、簡
単なこと。実際自分で介護をしてみて、介護のたいへんさがわかる、と。

 これは介護のことではないが、子どもの世界でも、似たようなことを、よく経験する。
たとえば幼稚園などでも、「親の顔を見てみたい」とか、「親のしつけがなっていない」な
どとこぼすのは、たいてい、自分では子育てを経験したことがない先生である。自分で子
育てを経験してみると、そのたいへんさがよくわかる。口が重くなる。

 思うようにならないのが、子育て。介護も、またしかり。

 合わせて、こういうことも言える。

 介護にせよ、子育てにせよ、だれかに相談するにしても、それを実際にしたことがある
人に相談すること。その経験もない人に相談したところで、何の助けにもならない。同時
に、もしあなたが、自分で介護をしたことがないのなら、(あるいは子育てをしたことがな
いのなら)、他人の介護に、口を出すのは、やめたほうがよい。(他人の子育てに、口を出
すのを、やめたほうがよい。)

 今回も、母の介護をするに先立って、あれこれ言ってきた人が何人かいた。中には、私
に説教をした人もいる。しかしそういう人にかぎって、自分では介護をした経験がない。
ないから、無責任なことを、平気で口にする。

 で、その私だが、(ワイフも、まったく、同意見)、運命というのは、割り切って受けい
れてしまえば、何でもないということ。運命に逆らうから、波が立つ。気が重くなる。不
平、不満も口から出てくる。

 しかし受けいれてしまえば、悪魔は、向こうからシッポを巻いて退散していく。当然、
世話はかかる。いろいろ忙しくなる。が、しかしそこまで。考えようによっては、子育て
より、はるかに楽。デイ・サービスにしても、子どもが学校に通うようなもの。持ち物を
用意して、介護士の人に、それを渡せばよい。

 あとは割り切って、自分の生活を大切にする。どうせやらなければならないことは、や
らなければならない。もちろん愛情も大切。信頼関係も大切。それがそろえば、あとは自
然体。

 数日前も、私は、母とこんな会話をした。ベッドのまわりに、塩化ビニールのパイプで、
手すりを取りつけたときのこと。母が移動しやすいように、パイプに輪をつけて、それに
タオルを結んだ。タオルをもって移動すれば、ころぶこともない。が、母は、「これは何だ?」
と聞いた。

私「あのな、これはお前がクビをつって、死ぬためのもんだよ」
母「それはいいな。ありがと」
私「お前なんか、生きていてもしかたないだろ」
母「そうやな」
私「だから、生きるのがいやになったら、このタオルに首をかけて、死ねばいい」
母「ありがと」と。

 こういう冗談が言いあえることこそ、大切。母は、その夜から、そのパイプを使って、
自分で歩行練習を始めた。自分で立って移動できるようになったことが、よほど、うれし
かったらしい。

 それを見て、私は、またこう言ってやった。「あのな、お前は、あと10年は生きても、
110歳までは生きるなよ。そこまでは、めんどう、みないからな」と。

 介護をしたことがない人が、この会話を聞いたら、「何てこと言う息子だ!」と思うかも
しれない。しかし自分で介護をしたことがある人は、そうは思わない。「めんどう、みない
から」と言ったのは、その少し前、おむつを替えてやっているとき、私の顔に、腸内ガス
をぶっかけたからだ。この話を、義兄と義姉に話してやると、義兄と義姉は、笑ってこう
言った。

 「ハハハ、オレたちと同じこと言っているな」と。義兄と義姉も、親の介護で、さんざ
ん苦労を重ねた。だから笑った。

 介護をするものは、遠慮せず、言いたいことを言えばよい。したいことをすればよい。
がまんするのは、何かにつけて、「腹ふくるわざ」(徒然草)ということになる。つまり「ス
トレスがたまる」。

これも、介護をするときの、コツのひとつということになる。つまり仮面をかぶらない。
偽善者にならない。たがいに、真正面から、自然体でぶつかる。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●韓国のひがみ節

+++++++++++++++++

韓国という国は、日本が何をしても
おもしろくないらしい。

たとえば今日(2月24日)、日本は
H2ロケットを使って、偵察衛星を
打ち上げた。

それについて、「韓国の偵察が目的」
「中国の衛星破壊実験は、日本の
衛星を想定したもの」と。

まさに言いたい放題。

+++++++++++++++++

 まず韓国、朝鮮N報の記事を、そのまま紹介しよう。前段、3分の2ほどで、日本の偵
察衛星打ち上げを非難したあと、こうつづけている。

 『日本の偵察衛星打ち上げは、K国のミサイル発射がきっかけとなった。K国が98年
に長距離弾道ミサイルのテポドン1号を、太平洋に発射すると、日本はK国のミサイル脅
威論を名分として、「韓半島監視」を主な任務とする、偵察衛星打ち上げ計画の実行に入っ
た。その後8年半かけて、偵察衛星システムを整備するのに、総額5050億円が投入さ
れた。

 日本は09年には、現在の1メートルの大きさを識別できる性能から60センチにまで
解像度を上げ、監視対象を様々な角度から観測可能な、制御能力を大幅に向上させた新型
の偵察衛星も打ち上げる計画だ。

 さらに中国が1月にミサイルによる衛星破壊実験を行ったのは、日本の偵察衛星を狙っ
たものとの警戒心も高まっている。日本の偵察衛星は中国が破壊に成功した高度865キ
ロよりも低空にある。一方、ミサイル発射を感知する米国の衛星は高度3万6000キロ
にある』と。

 つまり「日本は、K国のミサイル発射実験を口実に、韓国を監視する偵察衛星を打ち上
げた」と。

 本当かな? K国は、日本に向けてミサイルをすでに実戦配備している。日本がそれに
対して、監視衛星を打ち上げるのは、当然のことではないのか。

 さらに「?」なのは、「中国が1月にミサイルによる衛星破壊実験を行ったのは、日本の
偵察衛星を狙ったものとの警戒心も高まっている」という部分。この日本で、警戒心が高
まっている? 日本に住んで、毎日報道記事に目を通しているが、そんなことを書いてい
る記事など、見たこともない。つまりこれは朝鮮N報の(憶測記事)。もっと言えば、(被
害妄想記事)。さらに言えば、韓国独特の、(ひがみ節)。

 韓国という国は、日本という国が、ねたましくて、ねたましくてならないらしい。日本
が何をしても、文句を言う。

 韓国の人たちの日本観を知る上において、たいへん興味深い記事である。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●万引きを繰りかえす子ども

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掲示板のほうに、万引きを繰りかえす
子どもについての相談があった。

++++++++++++++++

 掲示板のほうに、万引きを繰りかえす子どもについての相談があった。それをそのまま
紹介する。

【UK様より、はやし浩司へ】

中2の娘(一人っ子)の万引きについての相談です。

化粧に興味を持ち始め、昨年(06)の夏頃から化粧品を買うようになりました。もとも
とオープンな性格でない上、校則で禁止、親にも反対されることはわかっているため、コ
ソコソと隠れて買っていました。

私は時々娘にわからないようにチェックしていました。小遣いのわりに化粧品の数が多
い?、と心配していたところ、先日じんじょうでない量の化粧品を見つけました。問いた
だすと、万引きをしていたことを認めました。

5つの店で10数点。とても出来心でとはいえない数です。翌日学校を休ませてお詫びに
まわりました。もうやらないとうなだれていた娘でしたが、その一週間後に、また返し渋
ったと思われる化粧品を見つけました。

が、証拠(?)をつきつける前に娘は、それを隠してしまいました。あの時の涙は何だっ
たの?、と娘が信じられません。そしてそのわずか数日後、買い物に行くという娘をドキ
ドキしながら送り出しました。

娘が帰ってきてから調べてみると、所持金、レシート、購入品、残高が合いません。レシ
ートのない商品がふたつ。4000円ほど。これをどう娘に切り出せばいいか、今後どの
ようにすればいいか、わからないでします。

学校でのことなど、当たり障りのないことは話しますが、そのほかのことについては、秘
密主義。小さい頃からのこともあって、私は気になってしかたありません。それが今回の
万引き発覚に繋がった訳ですが、娘にしてみれば、私はこそこそ嗅ぎまわる母親でしかな
く、たがいに不信感は募るばかりです。だから娘は、余計隠す・・・の悪循環に陥ってい
ます。

心のうちをなかなか明かしてくれないので、というより、鎧を着込んでかたくなになるば
かりの娘の心をときほぐし、良好な親子関係を築き、二度と万引きをしないようにするに
はどうしたらいいのでしょうか。

娘は、インターネットや雑誌の情報が世の中全てと思い、自分の生活との違いに不満ばか
りをもらします。使いもしないのに持っていたいという、欲張りなところもあります。

●子どもの行為障害

 病的な万引きということであれば、まず疑ってみるべきは、「行為障害」ということにな
る。(UKさんの子どもがそうであるというのではない。こうした相談を受けたときには、
最悪なケースから考え、消去法で問題を考えていくのが、筋道だからである。)

 行為障害の診断基準は、つぎのようになっている(「心理学用語辞典」かんき出版)。

(1)他人に対するいじめ、脅迫、威嚇
(2)取っ組み合いのけんか
(3)凶器を使用して他人に重大な身体的危害を加える
(4)他人の体に対して残酷な行為をする
(5)動物の体に対して残酷な行為をする
(6)強盗
(7)性行為を強いる
(8)放火
(9)器物損壊
(10)他人の住居、建造物、自動車の中への侵入
(11)ウソをつく
(12)万引き、侵入盗以外の窃盗、偽造
(13)親の監視にもかかわらず、深夜の外出がしばしばある
(14)外泊が2回以上
(15)不登校(13未満)

 以上、15項目のうち、3項目以上があてはまる場合、行為障害となる(同書)。

 多くは、児童期にADHDを示した子どもが、思春期(中学生)以上になって示すこと
が多いとされる(同書)。

 が、ADHD児が、すべてこうした障害をもつようになるというわけではない。ADH
Dに対する不適切な対応、たとえば、(1)身体的、性的虐待、(2)攻撃的なモデル(身
近で、暴力的な行為を見聞きして育つ)、(3)不安定な愛着(同書)などが重なったとき
に、思春期以後、行為障害を誘発すると考えられる。

 病的な万引きのばあいには、つぎのような特徴が見られる。

(1)無作為、無目的に万引きする
(2)同一物を万引きする
(3)衝動性が強く、罪悪感を覚えることなく万引きする
(4)咎(とが)められると、そのときは、しおらしく謝罪したりする

 (そのものを使いたいから、万引きする)というよりは、(そのものがほしいから、万引
きする)。また同じものをもっていても、万引きする。で、万引きするのは衝動的で、得を
したという快感が、陶酔感を呼び起こす。

 咎められると、そのときは反省した態度を示し、しおらしく謝罪したりはするものの、
ほとんど、効果はない。周期的、習慣的に万引きを繰りかえす。

 わかりやすく言えば、(心の病気)が基本にあって、その(心の病気)を代償的に解消す
るために、万引きを繰りかえすと考えるとわかりやすい。つまり万引きだけを問題にして、
それを叩いても、あまり意味はないということ。病気にたとえるなら、対症療法だけを繰
りかえしても、根治療法にはならないということ。

 さらに児童期にADHDを経験したような子どものばあい、管理能力、自制力、善悪の
自己判断力が弱く、ふつうの子ども以上に、ていねいで、静かな指導が必要である。頭ご
なしに、ガミガミ叱っても意味がないばかりか、かえって症状をこじらせてしまうことに
なるから注意する。

 ただし、掲示板の相談のあった子どもが、ここでいう行為障害のある子どもというわけ
ではない。(これだけの内容では、判断はできない。)しかしもしここでいう行為障害の疑
いがあるなら、(心の病気)を疑ってみる。たとえば依存うつなど。

 解決方法としては、子どもの心を抑圧している重荷を、解放させることを第一に考える。
とくにこの相談をしてきた親子のばあいは、すでに親子関係が危険なレベルに達している
と思われる。相互の不信感が、親の過干渉、過関心へとつながっている。子どもの側から
みて、息が抜けない家庭(親子)環境になっている。

 中2の子どもというのであれば、本来なら、たがいにその存在すら感じないという家庭
環境が望ましい。しかし(一人っ子)という環境では、それもままにならない。おそらく、
子どもが生まれたときから、UKさんは、過関心ぎみの子育てをしてきたものと考えられ
る。またその時期(小3〜4)に、親ばれをしようとする子どもを、適切に親離れさせな
かったということも考えられる。今は、すでに子離れしてなければならない時期であるに
もかかわらず、UKさん自身が、無意識のうちにも、それを拒んでいる。

 UKさんにはたいへん辛らつな言い方になるが、UKさんは、子どもの万引きを心配し
ながら、それでいて、娘を自分の支配下におき、自分という親の存在を、娘の前で、誇示
しようとしようとしているのではないのか。そういうケースは、多い。たとえば子どもの
ことになると、「心配だ」「心配だ」を繰りかえし、子どもをかえって、その(心配な子ど
も)にしてしまうケースがある。

 一見、この問題は、(万引きをする子どもの問題)のように見えるが、実は、(子離れが
できない親の問題)と考えてよい。

 もしここでいう行為障害、もしくは病的な万引きでなければ、UKさんは、冷めた目で、
一度、子どもを突き放してみること。簡単なことではない。それはわかっている。それこ
そ、今の子どもを妊娠したときからつづいている、親子のリズムを、ここで変えなければ
ならないからである。

 というのも、(万引き)そのものは、この時期の子どもにとっては、(はしか)のような
もの。もっと言えば、熱病のようなもの。万引きを是認するわけではないが、たいていの
子どもは、それを経験する。掲示板に書かれた様子からみるかぎり、それほど、大げさな
万引きでもないように思われる。「5つの店で、10数点」というのは、やや多いかなとい
う程度である。

 それよりも気になるのは、UKさん自身が、子どもを連れ、それぞれの店を回って、謝
罪したということ。このあたりは意見の分かれるところだとは思うが、「ふつうなら、そこ
まではしない」というのが、私の印象である。

 「親がしない」というのではない。「子どもがしない」ということ。

 謝罪するなら、親だけが行ってすればよい。「子どもを連れて……」というところが気に
なる。UKさんの子どもは、それに従順に従ったのだろうか。ふつうなら、子どものほう
がそれに抵抗するはず。「イヤダ!」とか「行かない!」とか、など。

 もし従順に従ってというのなら、親の威圧的な過干渉のもとで、どこか萎縮している子
どもの姿が、浮かんでくる。

 さらにUKさんは、「不信感がつのるばかり」と書いている。しかし大切なことは、子ど
もを信ずること。仮に悪いことをしているようであっても、見て見ぬフリをする。「まあ、
どんな子どもでも、万引きくらいはする」「万引きして、補導されたら、そのときはそのと
き」というおおらかさが、子どもの心に風穴をあける。(もちろん、それが発覚したときは、
叱らなければいけないが……。)

 私がUKさんの子どもなら、UKさんのことを、「うるさい親だな」と思うだろう。ある
いは私なら耐えられない。UKさんの子どもには、はたしてそういう反発力はあるのだろ
うか。

 さらに親に連れられて、5店を謝罪して回ることによって、子どものプライドは、ズタ
ズタにされてしまった。もともと萎縮した子どもであれば、さらに萎縮し、自信をなくし
てしまったはず。

 私がこの相談から受けた印象としては、そんなわけで、UKさん自身が、完ぺき主義の
母親ではないかということ。その完ぺき主義が、UKさんの子どもの心を、かえって閉ざ
してしまっているのではないかということ。繰りかえすが、小学生ならまだしも、中学2
年生で、そこまで従順な子どもは少ない。その(従順すぎる)というところが、どうして
も気になる。

 今のUKさんと子どもの置かれた状況から思うに、UKさんがカリカリしても、かえっ
て逆効果ではないかということ。この問題の「根」は、もっと深いところにある。さらに
言えば、UKさんは、子どもの問題点ばかりを指摘しているが、UKさん自身については、
問題にしていない。もっと言えば、自分がかかえている問題点について、気づいていない。

 子どもが化粧品をほしがるようなら、どうしていっしょに、買い物に行ってやらないの
か。化粧品選びを手伝ってやらないのか。押してだめなら、思い切って引いてみる。これ
は子どもを指導するときのコツでもある。「あら、すてきな化粧品ね。お母さんも使ってみ
たいな。でも盗むのは悪いことだから、今度、いっしょに買いに行かない?」とかなど。

 以上、おおざっぱに思いつくまま書いたので、不適切な表現もあるかもしれないが、U
Kさんの参考になればうれしい。

【はやし浩司よりUKさんへ】

 以上、ほとんど返事を書いたようなものです。きびしい意見も並べましたが、UKさん
親子の、よりよい関係作りに役立てば、うれしいです。(ご立腹なさっておられるかもしれ
ませんが……。)

 この種の問題は、「今の状況をこれ以上悪くしないこと」だけを考えて、対処するのがコ
ツです。子どもを直してやろう(?)と考えて、無理をすればするほど、逆効果。子ども
を追いつめることになってしまいますから、ご注意ください。追いつめれば追いつめるほ
ど、症状はこじれ、さらに二番底、三番底に子どもは落ちていきます。

 とくに今は、子どもは、思春期という、たいへんむずかしい時期に入っています。子ど
も自身も、内なる世界からわきおきてくる、性的エネルギー(フロイト)を、自分でどう
コントロールしてよいかわからないでいる時期です。今ほど、UKさんの冷静な、判断力、
指導力が必要なときはありません。

 あまりカリカリしないで、肩の力を抜いてください。そしてUKさん自身が、子離れの
準備をしてください。つまり子どものことは忘れて、あなた自身が、1人の人間として、
したいこと、やるべきことを追求します。その結果として、子離れをします。

 子どもの横に友として立ち、手をつなぎながら歩くのです。決してたがいに見つめあわ
ないように! いっしょに前だけを見て、前に進みます。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子供の行為障害 行為障害 子供の万引き 盗癖)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

++++++++++++++++

昨日、ある床屋へ行った。
髪の毛を切ってもらった。

そこでのこと。2人の客が、
並んで椅子に座っていた。
1人の客は、ヒゲを剃って
もらっていた。

ヒゲを剃っているのは、
助手らしき、女性。
それはそれでよいが、見ていると、カミソリを
使い分けていうふうでもない。

右の男のヒゲを剃ったあと、
そのまま今度は、左の男のヒゲを
剃り始めた!

ゾーッ!

++++++++++++++++

 世の中には、「感染症」という恐ろしい病気がある。HIV(エイズ)もそれだが、病名
をあげたら、キリがない。その感染症の中でも、血液を介して感染する感染症には、恐ろ
しいものが多い。そんなわけで、他人が一度使ったカミソリを流用することほど、危険な
行為はない。

 それはこの世の常識!

 が、である。昨日、私は床屋へ行ってきた。そこでのこと。2人の男性が椅子に座って
いた。1人はヒゲを剃ってもらっていた。が、である。見ていると、その女性はそのまま、
今度は隣の男性のヒゲを剃り始めた。

 こうしたばあい、一度使ったカミソリは、消毒することになっているはず。しかしその
女性は、それをしなかった。私は、それを見ていて、心底、ゾーッとした。「このまま帰ろ
うか」という気分にさえなった。

 HIVでなくても、相手が肝炎か何かの病気をもっていたら、それだけで、感染してし
まう。カミソリでヒゲを剃るといっても、皮膚には、無数の傷をつける。目に見えない傷
でも、傷は傷。その傷を介して、病気が感染する。

 ……が、やがて私の番に。いつものように散髪をしてもらった。が、そのあと、自動的
に、ヒゲ剃りにかかり始めた。私は拒否した。「ヒゲ剃りは結構です」と。

女「いいんですか?」
私「ヒゲ剃りはしてもらわなくても、いいです」
女「そうですかア……」と。

 しかしその女性は、何かをしなければというような様子で、しばらくカミソリをブラブ
ラさせたあと、私の後頭部の髪の毛の生え際を剃り始めた。抵抗する間もなかった。

 ああああ。

 しかしそれにしても、いいかげんなやり方である。以前、そのことで、県の衛生室に苦
増を訴えたことがある。そのとき書いた原稿を添付する。

++++++++++++++++++

●大勇と小勇(孟子)

 3年間、その床屋には通った。ただ幸いなことに(?)、その床屋のオヤジとは、ほとん
ど会話を交わさなかった。私はいつも、床屋では、目を閉じて、眠ったフリをしていた。

 その床屋で、ずっと、気になることがある。横に、電子レンジ大の消毒箱がおいてある
のだが、私はこの3年間、その箱が開いたり、閉じたりしたのを見たことがない。言うま
でもなく、カミソリは、1度使ったら、そのつど消毒しなければならない。あのカミソリ
ほど、危険なものはない。とくに注意しなければならないのは、ウィルス性の感染症。カ
ミソリを介して、人から人へと感染する。

 孟子(中国戦国時代の思想家)は、『勇にも、大勇、小勇の区別あり』と書いている(「孟
子」)。勇気といっても、大きな勇気と小さな勇気があるという意味だが、私は今日も、そ
の床屋で、目を閉じながら、それを考えた。「こういうとき、オヤジに、忠告すべきかどう
か」と。「私に勇気があるなら、一度、消毒のことを、言うべきだ」と。

 しかし結果として、私は、それをオヤジに言うことができなかった。「こんなことを言う
と、気分を悪くするだろうな」「必ずしも、感染するとはかぎらない」「一応相手はプロだ。
プロとしての立場は尊重しなければならない」と。考えてみれば、小さな勇気だが、どう
しても、それができなかった。……どうしてできなかったのか? 

 かく言う私は、昔から、こわいもの知らず。相手が大きければ大きいほど、ムラムラと
勇気がわいてくる。小学5年生のときは、たったひとりで、10人前後の悪ガキを相手に
して、けんかをしたこともある。(私も悪ガキだったが……。)気が小さいくせに、そうい
う場になると、ハラが座ってしまう。が、その私が、床屋で悶々と悩んでいる。「ヒゲ剃(そ)
りはいいです」と断りかけたが、もうそのとき、オヤジは、首のうしろを剃り始めていた。

 私は心を決めた。「ちょうど今日で、スタンプカードは、いっぱいになる」と。スタンプ
カードがいっぱいになったところで、○千円引きになる。それを考えた。考えながら、「今
日で、この床屋とはおさらば」と。「3年間通った床屋だったが、オヤジと親しくならなく
てよかった」とも。

 そこで改めて、小勇と大勇について考えてみる。床屋のオヤジに小言をいうのは、まさ
にその小勇ということになる。たいした勇気ではない。一方、巨大なカルト教団を相手に、
筆で戦うのは大勇ということになる。これは命がけだ。私には、そういう大勇はあるが、
小勇はない? 床屋の事件をみても、それは言える。なぜか。大勇のある人は、当然、小
勇もあるはず。私の常識でも、そうなる。しかし実際には、それがない?

 そこで私は気がついた。大勇のある人は、ささいなことは相手にしない。……というこ
とではなく、そういうことをするのが、めんどうなのだ。人間に与えられた時間やエネル
ギーには、かぎりがある。そうした時間やエネルギーを一つのことに使えば、どうしても
別のところで使うのがおっくうになる。小さな町の、小さな床屋のオヤジを相手に、正義
感を振りまわしたところで、それがどうだというのだ。どうせ不愉快と思うなら、もっと
別のところで不愉快と思いたい。おかしな論理だが、私はそう思った。つまり大勇と小勇
は、本質的に、別なもの。

 そこで天下の『孟子』を補足する。

●小勇のないものに、大勇はない。しかし大勇があるから、小勇があるとはかぎらない。
●大勇に使う時間とエネルギーは、小勇に使う時間とエネルギーは、等しい。小勇に使う
時間とエネルギーがあったら、大勇に使え。

しかしこれでは私の正義感は収まらない。さっそく静岡県庁の生活衛生室に手紙を書く
ことにした。

+++++++++++++++

静岡県庁
生活衛生室

関係各位殿

拝啓

●調髪のあとの、髭剃りについて……

 私は現在、この浜松市に住むものです。そして調髪のため、随時、近所の理髪店に通っ
ているものです。つきまして、気がついたことがあり、貴組合の指導と指示により、改善
していただきたい点がありますので、ここに手紙で、申し入れることにしました。

 調髪のあと、髭剃りをしてもらっていますが、そのとき使用するカミソリの消毒が、ど
この店でも、なおざりになっているように思います。私がこの数年間通った理髪店でも、
私はあの消毒箱の扉が開閉したのを、見たことがありません。その理髪店では、たいてい
(というより、すべて)、前の人を剃ったカミソリを、簡単に洗い流したあと、そのまま、
つぎの客の肌にあてて使っています。

 昨今、ウィルス性の感染症がマスコミでも話題になっていますが、こうした行為は、感
染症の伝染という意味でも、たいへん危険なことかと思います。またそういう心配を、利
用者全体がもつようになったら、理髪業界全体にとっても、大きなイメージダウンになる
と思います。理髪店では、何よりも衛生状態が、重要視されるのではないでしょうか。よ
ろしくご判断の上、適切にご指導くださればうれしく思います。

                                敬具
 
 
                            浜松市     林 浩司

+++++++++++++++

 さてあなたの住む町では、事情はどうだろうか。あなた(あるいはあなたの夫や子ども
たち)が通う床屋では、そのつど器具を消毒しているだろうか。もしそうでないなら、こ
の手紙をコピーして、県庁の担当課まで出したらよい。(担当の課は、県によって名称が異
なる。)

 なお、こうした手紙を出す以上、今日を最後に、私はその床屋へ行くのをやめることに
した。もしこの手紙を書いたのが私とわかれば、あのオヤジは、私の首を切るかもしれな
い。こう見えても、私は気が小さい。

 なお、いろいろ調べてみたが、こういうケースでは、理容師組合(各県に、県単位で、「理
容生活衛生同業組合」というのがある)にこうした手紙を書いても、あまり意味がないそ
うだ(県庁に勤める友人のアドバイス)。皆さんの地域でも同じような問題があれば、その
監督指導にあたる、県の生活衛生部(静岡県のばあい)に、抗議の手紙を書いたらよい。「私
は関係ない」と言ってはいけない。床屋へ行くのは、おとなだけではない。子どもたちだ
って、行く。
(03−1−22)


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●わかってはいるが……

++++++++++++++++

結婚式に、黒いネクタイ?
わかってはいるが、どうも、落ちつかない。

そこで嫁に相談すると、こう教えてくれた。
「銀色のネクタイは、見たことない。
黒いネクタイが、無難だ」と。

やっぱり、ネクタイは、黒にする。
いいのかなあ……?

++++++++++++++++

 今度、オーストラリアの友人の娘が結婚する。その式に顔を出すことにした。しかしい
ろいろと気をつかう。服装、祝儀など。が、問題は、やはり、ネクタイだ。

 日本では、結婚式といえば、礼服に白か銀色のネクタイ。しかし欧米では、黒いネクタ
イ.わかってはいるが、どうも落ちつかない。黒いネクタイといえば、葬儀のときしか使
ロ.わない。同じネクタイを、結婚式に身につける? なんとも落ちつかない。

 そこで嫁に質問すると、返事が届いた。が、その内容が、またややこしい。

Hello, Hiroshi!

To be quite honest, I have only attended about ten weddings in my life and
most were quite informal. For the two that were formal, they were very
"modern" and did not follow the traditional rules about wedding colors.

ヒロシへ、

正直に言いますが、私は人生で、10回しか結婚式に出ていません。そしてそのほとんど
が、インフォーマル(略式)なものでした。2つは、フォーマルでした。それらは、とて
もモダンなものでしたが、結婚式の色について、伝統的なルールに従ったものではありま
せんでした。

If Australia is like the United States, unless it says on the invitation
"black tie" or "white tie", you are pretty much entitled to wear whatever
color of tie you would prefer. I have never heard of guests wearing silver
ties in a western wedding unless asked to do so. I would assume that the
safest option would be to wear the black one.

もしオーストラリアでも、合衆国のように、招待状に、黒とか白とか書いてなければ、あ
なたは好きな色のネクタイをつけてもよいと思います。ゲストが、西洋の結婚式で、頼ま
れたばあいでなければ、銀色のネクタイをつけたという話は聞いたことがありません。も
もっとも安全な色は、やはり「黒」です。

(以下、ウェブサイトからの引用))

Attire For Men:

* If you are invited to an informal or semi-formal or even a formal daytime
wedding, that is, morning, early afternoon or tea time wedding you may wear
a dress shirt and slacks and bring a sports jacket.

あなたがインフォーマルかセミ・フォーマルの昼の結婚式に招待されたのなら、たとえば
朝とか、時間の早い午後とかなら、あなたは、ドレス・シャツとスラックス、それにスポ
ーツジャケットをもっていくとよいでしょう。

Take cues from the other guests. If most do not wear sport jackets then it
is your option not to wear yours. If the majority does wear jackets, then
you are prepared. Either way, don't forget the tie.

他のゲストを参考にしてください。もしみなが、スポーツジャケットを着ていないなら、
あなたもそうしなさい。もし大多数が、ジャケットを着ているなら、用意しておきなさい。
どちらにせよ、ネクタイは、忘れないように。

If you are invited to a formal daytime an informal or semi-formal evening
wedding, wear a suit and tie.

もしあなたが昼のフォーマルの結婚式、もしくは、夕刻(日没後)のインフォーマル、あ
るいはセミ・フォーマルの結婚式に招待されているなら、スーツとネクタイを着用しなさ
い。

If you are invited to a formal evening or a black-tie affair wear a dark
suit and either a straight or a bow tie.

もしフォーマルの夕刻の結婚式に招待されているなら、黒いスーツに、黒いネクタイを着
用しなさい。どちらのばあいも、ネクタイか、ボウタイ(蝶ネクタイ)を着用しなさい。

Unless you are in the wedding party, do not wear a tuxedo, unless the
invitation specifically stated "Black-Tie".

結婚式のパーティでなければ、とくに招待状に、「黒いネクタイ」と書いてなければ、タキ
シードを着用しなさい。

If you are not sure how formal the wedding reception is, a dark suit with a
conservative tie are always appropriate.

結婚披露宴が、どの程度、フォーマルかわからないときは、黒いスーツに、地味なネクタ
イが、望ましいです。

If the reception will be outdoors, bring a change of clothing and follow the
groom's cues.

もし披露宴が、アウトドアでなされるなら、替えの服を用意して、新郎のようにしなさい。

If the groom changes to sportswear, it is perfectly ok for the guest to do
the same.

新郎がスポーツウェアに替えたなら、客も同じようにして、まったくかまいません。

+++++++++++++++

やはりネクタイは、黒にしよう。しかし今までに使ったのではなく、新しいのにしよう。
それが結論。一応、念のために、銀色のネクタイも、もっていくつもり。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(2月22日)

●自分の体は、自分で守る

++++++++++++++++++

ガス湯沸かし器による一酸化炭素中毒による、
事故死について、各会社は、ひた隠しに
隠しつづけていたらしい。

R社、P社につづいて、こんどは、日本でも
最大手のM社の製品でも、事故死が起きて
いたという。しかも驚くなかれ、その数、
27件! 48人も死亡!

++++++++++++++++++

 ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

 「M電器産業が製造した小型ガス湯沸かし器で、1986年以降、一酸化炭素(CO)
中毒による死亡事故が27件発生、48人が死亡していたことがわかった。

 小型湯沸かし器によるCO中毒の危険性は、R(名古屋市)製品での一連の事故発覚で
クローズアップされたが、M社の事故は、件数、死者数とも、リンナイの約5倍にのぼっ
ている。

日本ガス石油機器工業会が今月19日に加盟各社の事故データを開示するまで、M社は
これらの事故を公表しておらず、重大事故を『使い方に問題があった』として片づけて
きた、ガス機器業界の対応の甘さが、改めて露呈した形となった」と。

 ……この記事を読んで、まず頭の中にひらめいたのは、「では、石油(灯油)ストーブは
安全なのか」という疑問。

 この冬、私は、隣の町に住む、ある知人の家を訪ねた。そのときのこと。部屋へ入ると
すぐ、むっとするような石油の燃えたにおい。見ると、その家では、石油ストーブを使っ
ていた。熱気はじゅうぶんだったが、どこか息苦しい。

 私は、石油ストーブにあたっていると、アレルギー反応が起きる。そこであれこれ理由
をつけて、何とか、知人の家から退散したものの、そのときすでに頭痛が始まっていた。
危険といえば、石油ストーブも、同じようなもの。火力が弱い分だけ、一酸化炭素中毒に
なる可能性は少ない。しかし簡単に言えば、部屋の中で焚き火をするようなもの。体によ
いはずはない。

 とくに子どもにはよくない?

 石油は燃えると、水と二酸化炭素に分解する。もちろんもろもろの不純物も含まれてい
るから、それが燃焼して、ススや煙となる。酸素がじゅうぶん供給されていれば、問題は
ないと思われるが、そうでなければそうでない。

 脳みそは、常に、じゅぶんな酸素を必要とする。実際、石油ストーブのある部屋に長く
いると、頭の中がボーッとしてくる。自分でも脳みその活動が低下していくのが、よくわ
かる。石油ストーブと電動のファンがくっついた、電動ファンヒーターというのもある。
室内の二酸化炭素が多くなってくると、「換気してください」というような音声が流れる。

 つまり、それだけ危険だから、こうした警告の音声が流れる。しかし大半の、安価な石
油ストーブには、それがない。

 だいじょうぶか? 本当に安全なのか?

 あの天下のM社の製品でも、48人が死亡していたという。けっして、油断してはいけ
ない。つまり自分の体は自分で守る。子どもの脳みそは、私たち親が守る。とくに根拠が
あるわけではないが、子ども部屋では、石油ストーブは、使わないほうがよいのでは……?
できれば、暖房には、安全な電機ストーブを使ったほうがよい。

 私も、こんな事件を経験している。はっきりとした根拠があるわけではないが、酸欠状
態が、子どもの脳みそにはよくない例として、聞いてほしい。

++++++++++++++

 昔、J君という中学1年生の生徒がいた。その生徒だが、夏休みを境に、まるで別人の
ように、反応がなくなってしまった。どこか顔に膜がかかったような状態になってしまっ
た。

 何を話しかけても、ただボーッとしているだけ。

 そこで母親に相談すると、母親は、「そう言えば……」と言って、こんな話をしてくれた。

 夏休みの間に、J君の家では、家を改築したという。そのとき、J君は、自分の部屋を
使えなくなってしまった。そこでそれまで物置部屋として使っていた部屋を、J君の部屋
として使うことになった。部屋といっても、3畳もない部屋だったという。しかも、部屋
の中には、「物」がぎっしりと詰まっていた。

 ある朝のこと、その部屋からJ君が、まっさおな顔をして、まるで幽霊のようになって
出てきたという。母親がびっくりして声をかけたのだが、しばらくJ君は、半分眠ってい
るのか、気を失っているのかわからないような状態だったという。

 J君は、その狭い部屋の中で、一晩中、クーラーにあたって寝ていたらしい。

ふつう、酸素が不足してくると、寝苦しくなって、体がほてってくる。無意識のうちに
も、窓をあけて、外の空気を中に入れようとする。が、J君は、それをしなかった(?)。
そのため脳の中が、一時的に酸欠状態になったらしい。

 ……これはあくまでも私の憶測による意見だが、『疑わしきは罰する』。子ども部屋は、
常に、換気に注意すること。3畳もない部屋で、クーラーをかけたまま、窓を閉め切って
寝るなどということは、脳みそにとっては、自殺行為に等しい。

 ただJ君のケースでは、そのあと、数週間〜1か月ほどで、またもとの状態にもどった
からよかった。しかしあぶなかったことは、事実。みなさんも、くれぐれも、ご注意。自
分の体は、自分で守るしかない!

 M電器産業が製造した小型ガス湯沸かし器による事故死にしても、ひょっとしたら、ほ
んの氷山の一角かもしれない。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●K国の核開発問題

++++++++++++++++

安易な妥協に突っ走った、
ヒル国務次官補。その稚拙さが、
日を追うごとに、はっきり
してきた。

2月22日、記す。

++++++++++++++++

 先の6か国協議で、アメリカ代表のヒル国務次官補は、安易な妥協に突っ走ってしまっ
た。報道によれば、アメリカ側は、ブッシュ大統領→ライス国務次官→ヒル国務次官補の
3人だけで、協議に臨んだという。つまりアメリカ国内の、強硬派はもちろん、核開発の
専門家まで、除外してしまった。

 しかもヒル国務次官補は、6か国協議に先立ち、秘密裏に、K国のKとベルリンで会談
し、覚書までかわし、かつその覚書に、サインまでしていたという。

 これは日本に対するたいへんな背信行為と考えてよい。もっと言えば、裏切り行為。こ
の時点で、アメリカは、日本を切り捨てたということになる。

 そのため、このところ、日を追うごとに、先の共同声明で発表された内容の稚拙さが、
はっきりしてきた。つまり得をするのは、K国だけという図式が明確になってきた。たと
えばYにある、核施設にしても、韓国の亡命したファン・ジャンヨプ氏(元労働党国際担
当書記)は、自由北朝鮮放送を通じて、こう述べている。「10年前にすでに必要がなくな
っている施設」と(2月19日)。

 そのYにある核施設の不能化措置に対する補償として、K国は、重油100万トンを受
け取ることになっている。

 さらにパキスタンのシャラフ大統領でさえ、昨年出版した回顧録『イン・ザ・ライン・
オブ・ファイアー(攻撃にさらされて)』で、「カーン博士が1990年代以降、K国に約
20個(nearly two dozens)のウラン濃縮用P1、P2遠心分離機を引き渡した」と証言
しているにもかかわらず、ウラン濃縮については、不問にしてしまった。

現在、自宅軟禁中のカーン博士は、北朝鮮を13回も訪問したという記録がある。

 こんな状況で、K国にモノだけ、与えつづけてもよいものか。今ごろ、いちばん笑いが
止まらないのは、ひょっとしたら、あの金xxかもしれない。

 で、そのアメリカだが、怒り狂う日本をなだめるためか、沖縄にF22ステルス戦闘機
を派遣してみせたり、副大統領を訪日させたりしている。しかし時、すでに遅し。一度こ
われた信頼関係は、そうはすぐには、修復されない。

 ところで韓国のことだが、韓国政府は、「K国の核開発問題が解決されるのは、2020
年ごろ」(東亜N報)と考えているようである。「核兵器よりも、朝鮮半島の不安定化のほ
うが心配」と。

 東亜N報は、つぎのように伝える。

「K国が2020年まで核武装を強化しつづける可能性を排除できず、最終的な解決は、
統一が実現した後に、旧ソ連崩壊後にウクライナの核問題が解決された方法で履行され
る可能性が高い」と(2月21日)。

 ならば、何のための6か国協議か、ということになる。韓国のN大統領は、外遊先のヨ
ーロッパで、K国援助を、マーシャルプランになぞらえて、「K国がほしがるものは、何で
も与えてやる」「韓国がすべて負担する」とまで言い切っている。

 本来なら、日本は、6か国協議を離脱し、「拉致問題が解決するまで、援助なし」という
姿勢を貫くべきかもしれない。しかし悲しいかな、この日本には、それだけの外交力も実
力もない。表面的には、日米友好を装いながら、アメリカに追従していくしかない。何と
も情けない話だが、それしかない。

 しかしどの道、今回の6か国協議でなされた合意は、霧散する。金xxが実権をにぎっ
ている間は、K国は、ぜったいに核開発を放棄しない。ヒル国務次官補も、やがてそれを
知るときがやってくる。

日本は、じっと、今はがまんのとき。静観のとき。「バカだ」「アホだ」と言われても、
ノラリクラリと言葉をかわしながら、時の推移を見守ればよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(2月24日)

++++++++++++++++++

昨日、衝動買いのようなものだが、
しかし前からほしかった、デジタルカメラを
買った。

P社製の、FZ−50。プロ使用のカメラ
というよりは、セミプロ用。

マニュアルで、シャッター優先モード、
絞り優先モードが選択できる。

あとは、もろもろ……。

今日は、母がデイサービスに行ったあと、
近くの公園で、花を撮影してくるつもり。

++++++++++++++++++

 カメラには不思議な魅力がある。若いころから、私は、カメラが大好き。一時は、一眼
レフカメラを、数台もっていたこともある。自慢のカメラは、ペンタックスのEZ−1、
だった。

 当時のお金で、本体だけで、10数万円もした。プラス、レンズ。たいした写真は撮れ
なかったが、もっているだけで楽しかった。

 それが今では、デジタルカメラになった。カシオのEZ1を皮切りに、つぎつぎと新し
い機種を買い求めている。(EZ1というのは、日本最初のデジタルカメラ。)で、古いのは、
そのまま息子たちに。そういう意味では、子どもは多ければ多いほど、よい。

 で、再び、一眼レフカメラに。(デジタルカメラは、構造的には、すべて一眼レフカメラ
だが……。)

 しかしあのデジタルカメラが、ここまで進化するとは夢にも思っていなかった。今では、
往年の一眼レフカメラに勝るとも劣らない画質の写真を撮れるようになった。

 昨夜は、そのカメラを磨きながら、眠った。しばらく枕元に置いて、いっしょに寝てや
るつもり。

 そうそうこのところの株価の上昇で、少し小銭が入ったので……。それで買った。


●息子がパイロットに!

 何かといやなニュースがつづいて、落ちこんでいた。が、そこへ久々に、朗報。息子が、
JALに就職が内定した。よかった。うれしかった。

 息子は、私のかなえられなかった夢を、かなえてくれた。今回は、航空大学でも、3人
しかJALに入社できなかったそうだ。ANAは、2人。ここ数年、航空大学の入試倍率
は、60倍前後となっている。テレビのトレンディドラマの影響である。

 しかしそのJAL、内情は、たいへんらしい。「だいじょうぶか?」と聞くと、「パイロ
ットと整備は、関係ない」とのこと。息子の目的は、国際線のパイロットになること。そ
のためにJALに入社したかったそうだ。つまり空を飛べれば、それでよいらしい。

 仕事は、名誉でも、地位でもない。お金でもない。好きなことをできるというのが、最
高! それを可能にした息子が、うらやましい。

 息子ははっきり言わないが、つぎの夢は、政府専用機のパイロットになることらしい。
できれば、宇宙船のパイロットにもなりたいとも言っている。空には、無限の可能性があ
る。

 親としては、複雑な気持ちだが……。


●ほがらかに生きる

 ほがらかに生きるといっても、何かと、たいへん! そのつど、感情に押し流されてし
まう。昨夜も、ワイフとこんな会話をした。

私「ぼくと結婚して、後悔していないか?」
ワ「……してないわ」
私「もっとやさしい人と結婚していれば、楽な人生を歩めたのに……」
ワ「これが私の運命だったと思っているわ」
私「ごめんな」と。

 このところワイフに、「ごめん」と言うことが多くなった。私はいつも、自分の感情に押
し流されている。つまり感情のおもむくまま、生きている。それがワイフを悲しませる。
それが自分でもよくわかっている。

 晃子、ごめんな! これからは、……というよりは、今日1日だけでも、ほがらかに生
きるよ! 


●義兄

 昨日、市内に住む義兄が遊びに寄ってくれた。そしてそのまま健康談義。

 年齢の近い人と会うと、このところいつも、そのまま健康談義になる。……なってしま
う。義兄は一度、脳梗塞を起こしている。幸い、措置が的確で、完治した。が、そうでな
かったら、一命を落としたところだという。

 その予防法というか、前兆をどうとらえるかという話を、義兄がしてくれた。いつもな
ら、ゲラゲラ笑うような話が多いが、そんなわけで、昨日は、私のほうが、ただしんみり
と、聞くだけ。

 私も、あぶない。気をつけよう。


●黒いネクタイ

 少し前、黒いネクタイについて書いた。欧米では、結婚式には、男性は、黒いネクタイ
をする。しかし……。

 いくら何でも、いつも葬式に使っていたネクタイを、そのまま結婚式に使うわけにはい
かない。私は、ものごとは合理的に考えるほうだが、しかしどうも、すっきりしない。黒
いネクタイには、線香のにおいがしみこんでいる(?)。

 で、新しいネクタイを買うことにした。それなら、いい。オーストラリアの別の友人に
聞くと、今では、好きなカラーのネクタイをする人もふえてきたとか……。


●BLOG

 楽天のBLOGで、一昨日、700件近い、アクセスを記録した。数年前に開設したと
きには、よくて1日、30件。そんなものだった。あるいは1日、10〜20件。

 それが今では、平均して、1日、300件前後。これはすごいことだと思う。(ときどき、
どこかのロボット・サーチが入るときには、けた外れのアクセス数になることがある。が、
これは例外。)

 読者のみなさん、ありがとう!


●教育基本法


 くだらない話ばかりしていてはいけないので、カタイ話も、ひとつ。

 2006年の秋の臨時国会で、政府提出による教育基本法の全面的な改定案が成立した。
その教育基本法の中で最大の焦点と言えば、何と言っても、「愛国心」についての部分であ
る。

 旧教育基本法には、愛国心についての記述はなかった。それが今回の改正案では、つぎ
のようになっている。

 「我が国と郷土を愛する態度を養う」と。

 つい先日も、「教育再生会議」なる会議では、「金を出す以上、(国は)、教育委員会にも
口を出す」というような発言が飛び出している。つまり国が、もっと、教育を支配する、
と。

 あの、教育再生会議って、何? それはともかくも、教育基本法は、教育の憲法。国民
に与える影響ということになると、憲法以上のパワーを秘めている。一度決まってしまえ
ば、それを楯に、文科省は、好き勝手なことができる。

 我が国と郷土を愛する態度を養うために、国旗を掲揚しましょう。
 我が国と郷土を愛する態度を養うために、国歌を斉唱しましょう。
 ついでに、我が国と郷土を愛する態度を養う証(あかし)に、胸には、日本国のバッジ
をつけましょう。我が国と郷土を愛する態度を養うために、靖国神社を毎年参拝しましょ
う、と。

 この程度の通達なら、文科省の課長程度でもできることになっている。つまりこうして
国民は、作られていく。戦前の日本のように!

 あのね、世界はね、教育の自由化の方向に向って、まっしぐらに進んでいるのですよ。
どうしてこの日本の教育だけが、うしろ向きなのですか?


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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●荒れる子どもたち。

+++++++++++++++++

はっきり言おう!

受験塾へ通い始めただけで、
子どもの心は殺伐としてくる。
ゆがんでくる。冷たくなる。

やさしい先生にだと、
「テメエ、このヤロー!」と、
長いものさしをもって
飛びかかってくる。

そんな子どもの変化を、世の親たちは、
気づいているのか?

+++++++++++++++++

 心の内面化が充分できていない子どもを、受験競争に駆り立てるのは、愚かなこと。実
に愚かなこと。

 私が住むこの地方でも、ほんの7、8年前までは、無風地帯だった。高校入試が受験競
争の関門になっていた。が、今は、ちがう。都会並みに、中学入試が受験競争の関門にな
ってしまった。

 そこでほとんどの受験塾では、それまで中学生にしていた受験競争を、そっくりそのま
ま小学生に対してするようになった。

 定期テストをし、順位を出し、合格率(?)を算定して、あとは、親や子どもをおどす。
分厚い問題集を与え、宿題にし、競争でしぼる。

 とたん、子どもの心は破壊される。こなごなに破壊される。

 たった1か月、受験塾の主催する夏期講座に参加しただけで、ガラリと様子の変わる子
どもとなると、いくらでもいる。以前、10人中、3、4人はそうなると書いたが、それ
とて控えめな数字。実際には、7、8人がそうなる。

 このタイプの子どもは、相手がやさしい先生とわかると、容赦なく、暴力を振るう。暴
力と言っても、子どもらしい、やさしさのある暴力ではない。「テメエ、このヤロー!」と
叫んで、長いものさしをもって飛びかかってくる。足蹴りをしてくる。頭をスリッパで殴
ってくる。

 すごんだ目つき。すさんだ表情。スパスパと動く体。

 そういう子どもでありながらも、ほとんどの親は、「うちの子も、やっと気構えができて
きたようです」と、喜んでみせる。あるいは「すさんだ態度をとるのも、家の中だけ」と
思いこんでいる。

 しかし決して、家の中だけではない。昨夜も、そのことで、ある小学校の先生と、電話
で話した。その先生は、こう言った。

 「おそらく、親たちは、自分の子どもがそうであるということに気づいていないでしょ
うね」と。

私「親に話したら、どうなりますか?」
先「自分の子が、先生に嫌われたと判断するでしょうね」
私「結局は、だまっているしかないのですね」
先「そうです。ヤブヘビになりますから」と。

 こういうケースのばあい、子どもを「君の態度を、親に告げる」と脅すのはタブー。子
どものほうが先手を取って、親に、先生の悪口を言い始める。つまり親をして、先に、先
生のほうっが悪いと思わせてしまう。

 私も、そういう場面をよく経験する。暴力を振るわれるのは、日常茶飯事。たいていは、
冗談めかしながら、その場をやりすごす。しかしそれでも足蹴りをしてくる子どもは、多
い。ふつうの足蹴りではない。まともに蹴ってくる。本気で蹴ってくる。

 ときにしばらく息もできないこともある。で、あまりにも暴れ方がひどいときには、私
のばあいは、即刻、退塾させる。が、親は親で、そういう私のほうを、うらむ。気持ちは
よくわかる。しかしそれ以上に、自分の子どもの心の状態が、今どうなっているか、親は
知らない。気がついていない。

 あとは、この悪循環。結局は行き着くところまで行かないと、親は気がつかない。子ど
もの心がこなごなにこわれても、(いい学校?)へ入れば、それでよいと考える。どこまで
もさみしい、親心。どこまでも悲しい、親心。

 考えてみれば、みな、受験競争が悪いのだ。それで金儲けをする受験塾が悪いのだ。い
や、その前に、この世にはびこる不公平社会が悪いのだ。そういうものをいっぽうで野放
しにしておいて、何が教育だ!

 小学校の5、6生といえば、まさに心ができてくる時期。その時期に、「勝った」「負け
た」「受かった」「すべった」と、そんなことばかりしていたら、子どもは、どうなる? 少
し冷静になれば、そんなことはだれにだってわかるはず。

 それに受験競争にしても、うまくいく例よりも、うまくいかない例のほうが多い。一度、
ボロボロになってしまった心は、2度ともとには戻らない。戻らないことは、その受験勉
強で成功した(?)人たちを見ればわかるはず。ひょっとしたら、あなた自身も、そうか
もしれない。

 しかし、こんなことでよいのだろうか?

 やさしく、穏やかな先生が、子どもたちに足蹴りにされ、罵声を浴びせかけられる……。
殴られることから身を守るため、手で頭を覆う。こんな世界であってよいのだろうか。

 世の親たちよ、もう少し、目を開け!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
荒れる子供 荒れる子ども 子どもの暴力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●大河ドラマ

++++++++++++++++

NHKの大河ドラマについては、
たびたび批判してきた。

理由の第一。封建主義時代の負の
側面に目を向けることなく、ただ
一方的に、あの時代を美化しては
いけない。

理由の第二。私たち日本人は、
封建時代の暴君たちの目を通してしか
その歴史を見ない。しかし私たちの
祖先の99・99%は、その暴君に
虐げられた庶民であった。
それを忘れてはいけない。

++++++++++++++++

 戦国時代の日本がどういう国であったかを知りたかったら、現在、部族紛争を繰りかえ
しているアフリカ諸国を見ればよい。あるいはそれ以下であったかもしれない。もちろん
歴史は歴史だから、それなりの評価はしなくてはいけない。しかし必要以上に美化しては
いけない。

 今の今でも、織田信長や豊臣秀吉を、理想のリーダーとして考えている人は多い。徳川
家康ともなると、もっと、多い。しかし江戸時代という時代が、いかに暗黒かつ、恐怖政
治の時代であったか、それを忘れてはいけない。中には、おめでたい人がいて、「日本は、
戦国時代の昔から、先進国だった」と信じている人がいる。

 しかし現実には、明治のはじめですら、当時の日本の国力は、当時のインドネシア程度
であったと言われている。何も、私は日本をけなしているのではない。私たち日本人にい
ちばん欠けている歴史観といえば、そのつど、歴史そのものを、ナーナーですませてしま
ったこと。

 江戸時代という封建主義時代ですら、日本人は、一度とて、清算していない。さらに戦
前の軍国主義時代というあの時代ですら、一度とて、清算していない。清算しないまま、
つまりわかりやすく言えば、反省することもなく、それをつぎの時代につなげてしまった。

 だからいまだに、封建主義時代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。軍国主義時
代の亡霊たちが、この日本にのさばっている。

 だから私たち日本人は、声を高くして、正義を主張することができない。隣に封建主義
そのものの国があっても、あるいはまた軍国主義そのものの国があっても、「あなたがたは
まちがっている」と、言うことすらできない。

 いくら「私たち日本人は、自由だ、平等だ」と叫んでも、その声は、そのまま空のかな
たに消えてしまう。日本が、本当に民主主義国家だと思っている人は、いったい、この世
界に、何パーセントいるだろうか。もう30年前にはなるが、オーストラリアの大学生が
使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。別のテキストには、「君主(天
皇)官僚主義国家」となっていた。

 その状況は、今でも変わっていない。変わっていないばかりか、時代はまさに、逆行し
つつある。日本の大勢がそれでよいというのなら、それはそれでかまわない。しかしどう
して今、この2007年という年にあって、『風林火山』なのか。それを、私たちは、一度
ここで立ち止まって考えてみる必要があるのではないだろうか。

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『世にも不思議な留学記』として
書いた原稿です。

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●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。中には、「空手
を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。

あるいは「弾丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、
競馬の馬は、コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。

さらに「日本人は、牛の小便を飲むというが本当か」というのもあった。話を聞くと、「カ
ルピス」という飲料を誤解したためとわかった。カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」
という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲
んで、こう聞いた。「忠臣蔵を説明してほしい」と。いわく、「浅野が吉良に切りつけた。
浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。ここまではわかる。しかしなぜ、浅
野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。

加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、どう考えても、おかしい。それに死刑
を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に
抗議すればよい。また自分たちの職場を台なしにしたのは、浅野というボスである。ど
うしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本
人は、水戸黄門に頭をさげるのか。水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるの
か」と。私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになって
いる。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。体中を鉄板でお
おい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。イギリスにも、ロビン・フッドや、
ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロースクールの一室で、みながお茶を飲んでい
るときのこと。ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。

「日本には単身赴任(当時は、短期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)
という制度があるが、法的な規制はないのかね?」と。そこで私が「何もない」と答え
ると、まわりにいた学生たちまでもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫
んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでい
るかぎり、絶対にわからない。が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が
日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのと
きすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイ
と泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア〜」と。

だからといって、母を責めているわけではない。母は母で、当時の常識に従って、そう
言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。が、
その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世
界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。一方、中の世界では、留学していたこ
とを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてし
まった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、
ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらし
い仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 

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 若い人たちにしてみれば、60年前というのは、遠い昔かもしれない。しかし私のよう
なものにしてみれば、60年前といっても、つい昨日のようなもの。

 私自身は戦後の生まれだが、それでも子どものころは、毎日、軍歌を口ずさみ、戦艦大
和の話をしていた。当時はまだ、「天皇」と呼び捨てにすることさえできなかった。一度だ
けだが、私がそう言ったとき、父は、私を殴った。「陛下と言え!」と。

 さらに江戸時代ともなると、遠い遠い昔かもしれない。しかし私のようなものにしてみ
れば、120年前といっても、たったの2倍。つまり60年の2倍。私の祖父は、明治生
まれだったが、江戸時代をそのまま引きずって生きていた。

 その祖父の時代に、江戸時代は終わっただろうか。私の父の時代に、軍国主義時代は終
わったのだろうか。答は、「NO!」。

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みんなで、もう一度、「武士道」について
考えてみよう。

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●武士道

トム・クルーズの『ラスト・サムライ』がヒットしたこともある。NHKの『新撰組』
もそうだ。そのせいか、今、日本は、武士道一色といってもよい。O女子大教授の、F
M氏などは、「日本が誇るべき民族精神である」(「文言春秋」04・05)などと、賞賛
している。

 しかし武士道とは、いったい何なのか。たとえば今、話題の、『新撰組』。

 あの新撰組が、京都の町に現れたとき、京都の町は、恐怖のどん底に叩き落された。新
撰組は、我がもの顔に刀を振り回し、自分たちの意に沿わない者を容赦なく殺していった。

そういう連中が、いかに恐ろしい存在であったは、数年前に佐賀県で起きた『バス・ハ
イジャック事件』を思い出してみればわかる。あのときは、刃渡り40センチ足らずの
包丁をもった少年に、日本中が震えた。

 そこで武士道。

 江戸時代には、士農工商という、明確な身分制度がしかれていた。この身分制度でいう、
「士」が、武士ということになる。つまりは、刀をもった、為政者。日本人全体としてみ
れば、数パーセントに満たない人たちであった。

 大半の日本人は、その武士の圧制、暴力の影におびえながら、細々と生活をしていた。
つまり江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、暗黒かつ恐怖政治
の時代であった。私たちがいう武士とは、そういう時代の「武士」であったことを、忘れ
てはならない。

 こんな話を、15年ほど前、山村に住む90歳(当時)くらいの女性に聞いた。

 明治時代の終わりごろ。江戸時代が終わって、20〜30年近くもたっていたというが、
そのときですら、まだ、旧武士たちは士族と呼ばれ、刀をさして歩いていたという。

 その人が歩いてくると、遠くからカチャカチャと、鞘(さや)が、当たる音がしたとい
う。すると、皆は、道の脇により、頭を地面にこすりつけるようにして、ひざまづいたと
いう。

 「私が子どものころはそうだったよ」と、その女性は笑っていたが、武士道には、そう
いう側面がある。

 私たち日本人は、こういう話を聞くと、自分の視点を、武士の目の中に置いて、考えが
ちである。「頭をさげた平民」ではなく、「頭をさげさせた武士」の目を通して、日本を見
る。

 これは日本人独特の、オメデタさと考えてよい(失礼!)。今でも、つまり2004年の
今でも、「私の先祖は、旧M藩の家老でした」「私の先祖は、官軍の指揮官でした」などと、
自慢する人は多い。残りのほとんどの先祖は、町民や農民であったことについては、目を
つぶる。

 「私の先祖は、武家だった」と主張するのは、その人の勝手。またそれを誇りに思うの
も、その人の勝手。しかしそれがどうしたというのか? あるいは、そんなことは、そも
そも、誇るべきことなのか。

 江戸時代が終わって、140年近くもたったいるのに、いまだに、そういうことを言う
というのは、つまりは、それくらい、あの江戸時代という時代が、恐怖政治の時代であっ
たということを意味する。民衆は、骨のズイまで、魂を抜かれた。一つの例をあげよう。

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●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所とい
うことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。

江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、
その「きびしさ」。

関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれば死
罪だが、その関所破りを助けたもの、さらには、その家族も同程度の罪が科せられた。

新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、
そこでさらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきび
しく制限されていたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いた
ことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その
中の随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでい
た」というような記述があったことである。

当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。私と
女房は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。「江戸時代が自
由な時代だったア?」と。

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それを
きゅうくつとは思わなかっただろうということは、私にもわかる。あの北朝鮮の人たちだ
って、「私たちは自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たちで、「自分たちの
国は民主主義国家だ」と主張している。(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)

現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコ
メント)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことで
ある。

私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかというこ
と。新居の関所はその象徴ということになる。たまたま館員の人に説明を受けたが、「番
頭は、岡崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこ
か誇らしげであったのが気になる。

関所がそれくらい身分の高い人(?)によって守られ、新居町が特権にあずかっていた
ということだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そう
いう意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関
所をとおして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じ
てみるとよい。

何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して
美化してはいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。そういえば関所
の中には、これまた美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のよう
に美しかった。

私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。

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もう一つ、こんなエッセーを書いたことがある。
(中日新聞、投稿済み)

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「偉い」を廃語にしよう
●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人(respected man)」と言
う。よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間が
ある。

日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あま
り偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしな
い。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、……関所を廃
止して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。
これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。
しかし……?    

実際のところ、それから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒
かつ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極
貧の生活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その
刑は関係者はもちろんのこと、親類縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)
安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いてい
る。

家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実
は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結
果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世
主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治
にそれが利用されると、とんでもないことになる。

少し前、幼稚園児を前にして、「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そうい
う意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

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●武士道とは

 武士道を信奉する人たちのバイブルとなっているのが、新渡戸稲造が書いた、『武士道』
(明治32年)である。新渡戸稲造といえば、5000円札の肖像画にもなっているから、
知らない人はいない。明治時代の終わりごろ活躍した人物で、ほかにも『随想録』(明治4
0年)に書いたりしている。

 もともとは、幕末の南部藩(岩手県)の武士の子弟として生まれ、札幌農学校を卒業し
たあと、アメリカにも留学している。

 その武士道でもっとも重んじるのが、「名誉」ということになる。新渡戸稲造も、『武士
道』の中で、こう書いている。

 「武士は、命よりも高価であると考えられることが起きれば、極度の平静と迅速をもっ
て、命をすてる」と。

 要するに、名誉のためには、死をも覚悟せよ、と。

 新渡戸稲造が、いつの時代の武士を念頭に置いたのかはしらないが、幕末の武士たちは、
堕落し放題。権威と権力の座に安住し、その中身と言えば、完全にサラリーマン化してい
た。サラリーマン化が悪いと言っているのではない。「名誉のために、死をも覚悟した」と
いうのは、あまりにも大げさ。

 もっともこの心は、やがて日本の軍国主義の精神的根幹にもなっていった。「死して虜囚
(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」とういう、あれである。しかしその言葉の
裏で、いかに多くの日本人が、犠牲になったことか。あるいはいかに多くの外国人が、犠
牲になったことか。

 もっとも愛国主義が最初にあり、それから生まれた名誉のために死ぬというのであれば、
まだ納得できる。正義、あるいは、自由や平等のために死ぬというのであれば、まだ納得
できる。しかし武士道でいう『名誉』とは、まさに主君もしくは、「家」に対する、忠誠心
をいった。

 ほかにも、武士道には、「義」「勇」「仁」という三つの柱があり、さらに「礼節」「誠実」
「名誉」「忠義」「孝行」「克己」の、人が守るべき、徳目として、並べられている。「名誉」
それに、それから生まれる「恥」の概念も、こうした徳目から、生まれた。

 もちろんある側面においては、武士道は魅力的であり、それなりに納得できる部分もあ
る。しかし武士道が、封建時代というあの時代の「負の遺産」を支えたもの事実。「影の部
分」と言ってもよい。もっとわかりやすく言えば、武士道がもつ「負の側面」に目を閉じ
たまま、武士道を、一方的に礼さんするのは、たいへん危険なことでもある。

 たとえばここでいう「義」「仁」にしても、つきつめれば、「仁義の世界」。つまり、現代
風に言えば、ヤクザの世界ということになる。

 また、名誉についても、『武士は食わねど、高楊枝(ようじ)』(武士というのは、食べる
ものがなくて空腹でも、満腹のフリをして、名誉を守った)という、諺(ことわざ)も、
ある。

 果たしてそういうメンツや見栄にこだわることも、武士道なのだろうか。武士道を礼さ
んする人は、武士道を知らなければ、「人の正義」はないようなことを言う。しかしこの私
などは、武士道とはまったく無縁。しかしそんな私でも、礼節もあれば、名誉もある。誠
実、忠義、孝行、克己についても、自分なりに考えている。

 たしかに、今の世相は、混乱している。それはわかる。しかしそれは当然のことではな
いか。

 日本は、江戸時代という封建主義時代。明治、大正、昭和という軍国主義時代。そして
戦後の官僚主義時代。こういった時代を、それぞれ経験しながら、そのつど、過去の清算
をしてこなかった。反省もしなかった。

 だから、今の若い人たちを中心に、「わけのわからない世界」になってきた。

 それはわかるが、で、こうした世相に対する考え方は、二つある。

 一つは、過去にもどるという考え方。よくても悪くても、そこには、一つの「主義」が
ある。最近もてはやされている武士道も、その一つかもしれない。

 もう一つは、新しい主義を、創造していくという考え方。当然のことながら、私は、こ
の後者の考え方を、支持する。またそのために、こうしてモノを書いている。それについ
ては、これからも追々書いていくが、ともかくも、今の段階では、そういうことになる。

 最後に、忘れてならないのは、私の先祖も、あなたの先祖も、その武士階級にしいたげ
られた、町民や農民であったこと。もし仮に今でもあの封建時代がつづいていたとしたら、
私やあなたも、今でも、ほぼまちがいなく、町民や農民であるということ。

 そういう私やあなたが、武士のまねごとをして、どうなるというのか? 武士でもない
私やあなたが、武士道を説いて、どうなるのか。そのあたりを、じっくりと考えなおして
みてほしい。

今でこそ、偉人としてたたえるが、新渡戸稲造にしても、武士という特権階級に生まれ
育った人物である。アメリカから帰ってきたあとも、京都帝国大学教授、第一高等学校
校長、東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長などを歴任している。まさにエリー
ト中のエリート。時の権力や権威をほしいままに手に入れた人物である。その事実を、
忘れてはならない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
武士道 新渡戸 義 勇 仁 仁義の世界 仁義)

【恥・名誉論】

 懸命に生きる。それがすべて。
 恥なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 懸命に生きる。それがすべて、
 名誉なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 恥や名誉があるとするなら、
 それは、自分に対してのもの。
 懸命に生きなかったことを恥じろ。
 懸命に生きたことを、名誉に思え。

 これからに私たちは、そういう生き方をしよう。
(040418)

【追記】

 現在の今でも、こうした武士道の片鱗(へんりん)は、ヤクザの世界に見ることができ
る。そこは、まさに仁義の世界。

 ここにも書いたように、武士道の世界にも、それなりのよさもある。それは否定しない。
しかし同時に、あの封建時代がもっていた、負の側面にも、目を向けねばならない。武士
がいう、武士道とやらの陰で、いかに多くの民衆が、しいたげられたことか。恐怖におの
のいたことか。一部の特権階級を守るために、犠牲になったことか。

 決して、武士道を、無批判なまま美化してはいけない。それが私の考えである。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家庭内暴力】

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激しい家庭内暴力を繰りかえす子ども。
そのたびにお金を巻き上げられ、その
お金は、ゲームセンターへと消えていく。

そんな息子(15歳)をもつ母親から、
「どうしたらいいか」という相談が届いて
います。

みなさんと、いっしょに、この問題を考
えてみましょう。

+++++++++++++++++++

【京都府にお住まいのKさんより、はやし浩司へ】

家族は、私(母親)と、息子(15歳)の、2人住まいです。息子が生まれるとまもなく、
夫が事故で他界。以来、14年になります。

で、先生のHP(=はやし浩司のHP)に出会って、毎日繰り返し読んでは、反省したり、
気持ちを切り替えたりしています。私の置かれた状況は、かなり深刻な状況だと、内心不
安でいました。が、心のインフルエンザで、いつか必ず治るという言葉には、とても慰め
られました。もう少し早く出会っていればもっとよかったと思います。

HPに書いてあることを、ひとつひとつ実践してはいますが、我が家の置かれている状況
は、なかなか手ごわいものです。

私自身、勉強をして、いい学校に入って幸せになりたいと、まじめにやっていた子だった
ため、息子の心がわかってあげられませんでした。が、息子は勉強嫌いで、高望みはしな
いまでも、なんとか高校にはいって欲しいという気持ちだけで、苦労を乗り越えてきた気
がします。

現在は、学校へはほとんど通っていません。その怠学はともかくとして、ゲーセン通いが
つづいています。で、そのたびに息子は、激しい暴力と嫌がらせで、私から、お金を巻き
上げようとします。そうした息子との戦いは本当に苦しいものです。

トイレにわざと、牛乳をまき散らしたり、家のものを全部、ひっくりかえしたり、殴る蹴
るの連続です。暮れから何度もそんな激しい暴力が繰りかえされ、ひどいことをされまし
た。息子という人間が破滅していくような感じがし、それに耐えられなくて、何度もお金
をあげてしまいました。

ゲーセンのことで頭がいっぱいだと、人はこんなにも、ひどいことができるのかと思って
悲しくなります。もう、そんなときの息子は、獣のようです。手がつけられません。暖か
い無視を繰り返し、空気のように関わることを願ってはいますが、私に対する暴力がつづ
くと、関わらないでいることもできません。

状況をこれ以上わるくしないためにできることって、なんでしょう。どうか、どうかアド
バイスをください。二番底、三番底に向ってまっさかさまに落ちているようで、不安です。
唯一の親として、いつか無償の愛で、心が満たされるために、今してやれること、しなく
てはいけないことはなんでしょうか。アドバイスを何度読んでも、ここまできてしまった
我が家でも、それでいいのかわからなくなってしまっています。

【はやし浩司より、Kさんへ】

 今朝(07年2月20日)は、花粉症もあって、早朝に目をさましました。起きると同
時に、たてつづけにクシャミの連続です。目もかゆいです。

 相談のメールを数回、読みました。私自身は、Kさんの気持ちもよくわかりますが、息
子さん(=U君としておきます)の気持ちも、これまたよく理解できます。U君自身も、
行き場のない袋小路の中で、もがき、苦しんでいます。

 まず、最初に申しあげなければならないのは、症状からして、U君は、(心の病気)にか
かっているということです。病気は病気です。おとなの世界にも、「ギャンブル依存症」と
いうのがあります。これは立派な病気で、うつ病に準じて考えられています。「依存うつ」
とも呼ばれています。

 何かに依存することによって、自分の中の(うつ状態)を解消しようとするところから、
そう呼ばれています。

 傍から見ると、本人の意思の問題のように見えるかもしれませんが、今の状況では、本
人の意思では、どうにもなりません。本人の意思を超えたところで起こる、心の病気だか
らです。で、問題を整理してみます。

(1)子どもの怠学
(2)家庭内暴力
(3)ゲーセン通い

 お気づきのように、U君は、学校恐怖症による不登校児ではなく、怠学と判断されます。
学校恐怖症と怠学の大きな違いは、学校へ行かない間、家に引きこもるかどうかという点
です。「学校をサボッて、遊び歩くというのであれば、怠学です。私のHPに、アメリカの
内科医学会のレポートを収録しておきましたので、またいつか、読んでみてください。

 家庭内暴力については、うつ症状のひとつと考えられます。ゲーセン通いについても、
そうです。

 一見、バラバラな症状に見えますが、基本的には、(うつ病)が基盤にあって、それが怠
学になり、家庭内暴力になり、ゲーセン通いにつながっていると考えられます。

 が、この種の問題で、いちばんやっかいな点は、子ども自身が、そうした心の病気をか
かえていることではなく、(1)親が、心の病気と理解できないケースが多い。(2)本人
自身が、それに気がつかないという点、です。

 もうひとつつけ加えるなら、心の病気は、外からはわかりにくく、そのため安易に考え
る傾向がありますが、(治療)を考えるにしても、半年単位、1年単位という時間がかかる
ということです。

 インフルエンザのように、1週間単位で治るということはありません。

 精神療法の中には、認知療法というのがあります。心のインフルエンザにしても、自分
でそういう自分であると気がつくだけでも、病気のほとんどが治ったと考えます。あとは
時間が解決してくれます。

 しかし先に書いたギャンブル依存症にしても、本人が自分でそれに気づくことは、まず
ありません。「自分は正常だ」「オレは、どこもおかしくない」と考えて、家族や他人の指
摘をはねのけてしまいます。医院へ足を向かせるだけでも、たいへんということです。

 そこで問題は、どうすれば、本人自身に、それを気づかせるかということです。そんな
わけで、これは教育の問題ではなく、またKさんが、家庭の中で悶々と悩むような問題で
はなく、すでに医療の問題になっているということです。

 お近くに心療内科の医院があれば、一度、Kさん自身が足を運び、そういうところで相
談なさるというのも、一つの解決法かと思われます。ケースとしては、いまどき珍しくも
なんともない。つまりごくありふれたケースです。(Kさんにしてみれば、「どうしてうち
の子だけが……」と思っておられると思いますが……。)

 今ではたいへんよい薬も開発されていて、精神を安定させるだけではなく、こだわりを
取り除く薬もあります。そのためにも、本人自身に、自分がそうであると気がつかせるこ
とが大切だということです。しかし、ここがむずかしいです。

いただいたメールを読む範囲では、一触即発といった感じがします。どなたか、間に入
ってもらうのがよいかと思います。京都府内にも、同じような子どもをもち、相談しあ
うような会がありますので、一度、保健所か、市の相談窓口、あるいは教育委員会の相
談窓口に相談なさってみてはどうでしょうか。

 「こういう会がありますよ」「こういう相談窓口がありますよ」という形で、相談にのっ
てもらえるはずです。

 あるいは、インターネットで、「京都府 家庭内暴力 相談」「ギャンブル依存症 相談」
などで、検索されますと、お近くにある「会」をヒットすることができるはずです。

 今、Kさんが悩んでおられるような問題は、「許して忘れる」とか、「親の愛」とかいう
ような大げさな問題ではありません。またそれで解決する問題ではありません。まさに(心
のインフルエンザ)です。わかりやすく言えば、心がウィルスに侵され、発熱しているよ
うな状態です。発熱して、自分で自分がわからなくなっているような状態です。

 そんなわけで、

(1)心の病気と、はっきりと割り切ること。
(2)ひとりで悩んだり苦しんだりしないで、「会」へ顔を出すこと。
(3)心療内科(もしくは精神科)のドクターに相談すること。
(4)「治療」を考えた行動に移すこと、です。

 ただそのばあいでも、つぎのことを守ってください。

(1)ぜったいに、U君を突き放すような言動をしてはならないということ。
(2)「どんなことがあっても、私はあなたを守る」という姿勢を貫くこと。

 そういう意味では、今、まさにあなたの愛の深さが試されるときと、心得てください。
親としての、正念場ということです。というのも、ここから先が、U君の置かれた立場の
問題ということになります。

 あなたが悩んでいるのと同じくらい、U君自身も、自分で何をしたらよいのか、自分が
どうあるべきなのか、わからないでいるのです。このタイプの子どもは、不安の上に不安
を増幅させてしまいます。妄想がそれに重なることもあります。それが自分の将来への不
安とつながり、自暴自棄になっていく……。自らにダメ人間というレッテルを張ってしま
い、そこから抜け出すこともできません。

 家庭環境にも、問題がありました。溺愛と甘やかし。期待と強要。U君にいてみれば、「こ
んなオレにしたのは、お前のせいだ」となるわけです。Kさんがお気づきのように、Kさ
ん自身が、U君の心の様子を知ることもなく、一方的に親の価値観を押しつけてきたとい
う点も、見逃せません。(が、それは、過去のことですから、この際、忘れましょう!)

 Kさんは、2番底、3番底の話をされましたが、しかし同じうつ病でも、(これはあくま
でも一般論ですが)、引きこもりを起こすタイプ(私はマイナス型と呼んでいますが)、そ
のタイプよりは、家庭で暴れる子どものほうが、治療もしやすいということになっていま
す。

 回復期間も早く、治ったあとも、立ち直りが早いと言われています。さらに治ったあと、
ふつうの人よりも、よき常識人となることも知られています。今は、苦しいかもしれませ
んが、いつか笑い話になると信じて、ここを乗り越えてください。

 「ぼくの母は、どんなときでもぼくを見捨てなかった」という思いが、やがて、あなた
とU君の間の、太い絆(きずな)になります。そういうときが必ず、やってきます。

 で、その一方で、U君が本当は何をしたいのか、それをさぐりつつ、U君といっしょに、
(U君さがし=自分さがし)を、したらよいかと思います。

 なおこの種の家庭内暴力の特徴として、子どもは暴力的行為を繰りかえしながらも、あ
る一線を越えるということはありませんので、不必要におびえる必要はありません。わか
りやすく言えば、暴力的行為を繰りかえしながら、U君は、あなたの愛情の深さを試して
いると考えてください。

 つまり、自分を支配するマザーコンプレックスと、母親から受ける呪縛感という、相矛
盾する心理状態の中で、はげしく葛藤している状態と考えます。絶対的な愛を求めながら、
それを求めきることもできない。しかし母親の強い呪縛感(=家族自我群)のはざまで、
もがいている。

 「お母さん、何とかしてくれ」という甘えと、「もうぼくのことは放っておいてくれ」と
いう、自我の芽生えの中で苦しんでいると考えるとわかりやすいでしょう。

 今のU君の心理状態は、そういう状態です。(原因は、Kさん自身が、子離れできていな
いこと。さらには、U君の親離れを、うまくさせてこなかったことなどが考えられますが、
それも過去の話ですから、ここではあまり考えないでおきましょう。)

 以上を参考にして、内に引きこもって悩むのではなく、ここに書いたことを参考に、行
動に移してください。そういう意味では、この日本は、すばらしい国ですよ。みんな、心
暖かく、あなたを迎えてくれますよ。そういう人たちを信じて、足を一歩、前に踏み出す
のです。

 なお、今回のこの問題は、私の電子マガジン(無料版)の、3月19日号(予定)で、
再度取りあげて考えてみたいと思っています。よろしかったら、購読を申しこんでくださ
い。私のHPのトップページからできるようになっています。

 繰りかえしますが、今、U君は、あなたに何か尊いものを教えるために、そこにいるの
です。あなたはU君を通して、「愛」の深さというか、すばらしさを教えられつつあるので
す。

 勇気を出して、友として、横に立ちなさい。問題のない子育ては、それ自体、美徳かも
しれません。が、そんな子育てからは、何も生まれません。あなたがこの問題を乗り越え
たとき、あなたは、そこにすばらしい(あなた)を発見することでしょう。ついでに、世
の母親たちが、みな、愚かで、つまらなく見えてくることでしょう。

 親は、子どもを産んで母親になりますが、真の母親になるには、幾多の山や谷を越えな
ければなりません。今が、その山や谷を越えるときだと心得てください。つまり運命を受
け入れるのです。さからわないで、ね。応援します!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
家庭内暴力 ゲーセン 怠学)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 16日
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3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●能・不能

++++++++++++++++++

人には、能・不能がある。
自分の能を見極め、それに静かに従えば、
能力を発揮することができる。
成功を収めることができる。

しかしその能もないのに、高望みしても、
はじまらない。

「できない」「なれない」と
嘆いても、しかたない。

++++++++++++++++++

 人には、能・不能がある。自分の能を見極め、それに従えば、能力を発揮することがで
きる。成功を収めることができる。

 しかしその能もないのに、高望みをしても、始まらない。「できない」「なれない」と嘆
いても、しかたない。

 そのことは、子どもの世界を見ていると、よくわかる。たとえば子どものもつ能力とい
うのは、けっして、平等ではない。小学3、4年生を境にして、それがはっきりとわかる
ようになる。親は、「何とかS中学校へ入れたい」と言うが、その段階で、「無理だろうな」
と思うことは、しばしばある。

 しかし親にそれを告げることはできない。また説明したところで、わかってはもらえな
い。ほとんどの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思いこんでいる。「できないの
は、やらないから」と。

 自分の能・不能を知ることはむずかしい。いわんや、自分の子どもの能・不能を知るこ
とは、さらにむずかしい。それができるのは、たくさんの子どもを、長い間教えてきたと
いうキャリアのある人だけである。親にそれができないは、当然といえば、当然。しかた
のないこと。

 で、結局、私の仕事は、親に夢と希望をもたせながら、子どもを前向きにひっぱってい
くことでしかない。その過程で、やがて親は子どもの能・不能を知る。この段階で、無理
をすれば、それなりの学校には入るだろうが、しかし、あとがつづかない。いつだったか、
『のびたバネは、必ず縮む』という格言を考えたが、それとて、キャリアのある人にしか
わからない。

 はっきり言えば、無理に不相応な学校に子どもを押しこんでも、苦しむのは子ども自身
ということ。

 しかしここが教育のおもしろいところだが、能・不能といっても、個性差はある。個人
差ではない。個性差である。

 勉強はだめでも、スポーツが得意とか、そういう個性によるちがいはある。だから勉強
がだめだからといって、すべてがだめというわけではない。その個性差を認め、その中か
ら能力を引き出していく。それが、教育ということになる。どうか、誤解のないように。

++++++++++++

 これからワイフと買い物に行ってきます。+では、みなさん、おはようございます。
(07年2月18日記)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●同時性二重人格

+++++++++++++++

二重人格というと、スティーブンソンが
書いた、『ジキル博士とハイド氏』を
思い出す。

同じ人物なのだが、それぞれの人格に
なったとき、別の人格のときの記憶が途絶える。

しかしそうした二重人格ではないにしても、
二重人格性をもった人は多い。

ひょっとしたら、あなた自身が、そうであるかも
しれない。

+++++++++++++++

 ふつう二重人格というときは、一方の人格になったとき、他方の人格のときの記憶がな
いことをいう。スティーブンソが書いた、『ジキル博士とハイド氏』に、その典型的な例を
みる。

 しかし、中には、それぞれの人格になりながら、記憶が連続している人がいる。そうい
うのを、「同時性二重人格」という。「同時的二重人格」という人もいる。別人格になりな
がら、もう一方の人格が、同時的に、存在している。再び、もとの人格にもどったときも、
記憶がそのまま残っている。

 とたえばカッと怒ったようなときを、考えてみる。たいていの人は、ふだんの自分とは
ちがう自分になる。その瞬間から記憶が途絶えるわけではない。

 が、それだけで、同時性二重人格ということではない。二重人格というときは、「人格」
そのものが、変化する。たとえば極端に冷酷になったり、孤独に強くなったりする。価値
観そのものが、変化する。そして場合によっては、どちらの自分が本当の自分なのか、そ
の判断がつかなくなってしまう。

 私の知人にも、そういう男性(45歳くらい)がいる。

 彼のばあい、アルコールが入ると、そうなる。ふだんは、静かで、おとなしい。人に話
しかけられても、ニコニコと笑っている。が、アルコールが入ると、人格が一変する。目
つきそのものが変わる。彼の奥さんも、そう言っていた。「夫の目つきが鋭くなったときは、
注意しています」と。

 で、それについて、最近の研究によれば、乳幼児期に受けた虐待が原因であるという説
が、支配的になっている。それには性的虐待も含まれる。さらに私は「間接虐待」と呼ん
でいるが、たとえばはげしい夫婦喧嘩なども、ここでいう虐待と考えてよい。子どもはそ
れを見ながら、大きな恐怖感を覚える。

 さらに、過干渉、過関心も、度を超したとき、虐待となる。

 虐待された子どもは、自分の心の中にもう1つの部屋をつくり、その部屋にこもる。そ
れが二重人格の基礎となる。

 しかし本当の問題は、その人が二重人格であるにせよ、同時性二重人格であるにせよ、
それに気がつかないまま、それに振りまわされること。同じ失敗を繰りかえすこと。だか
らもし、あなたが自分の中に、ここでいうような同時性二重人格、あるいは二重人格性を
感じたら、まず、自分を疑ってみる。

 それがこの問題に関する、唯一の解決方法ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
二重人格 同時性二重人格 同時的二重人格)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ

+++++++++++++++

私の悪いところ。良いところかも
しれないが、ひとつのことにこだわると、
とことん、それを追及してしまうこと。

「追及」が、「追求」「追究」になる
こともある。

要するに、しつこい。自分でも、それが
よくわかっている。

+++++++++++++++

 今、いちばん関心があるのは、K国問題。おととい、6か国協議が終わった。いろいろ
言いたいことはあるが、疲れた。どうでもよくなってしまった。何という虚脱感。何とい
うニヒリズム。

 今日も街中をひとりで歩いた。見ると、1人の男が、コーヒーショップから出てくると
ころだった。年齢が私と同じくらいだった。気になった。その男を見たとき、ふと、自分
のしていることが、バカらしく思えた。

 私とその男は、どこがどうちがうのか。私が1人の男なら、彼も1人の男。無数の男た
ちの中の、1人の男。その男がいくら叫んでも、だれも耳など貸さないだろう。私にして
も、そうだ。それを感じたとき、ふと、自分のしていることが、バカらしく思えた。

 外交問題は、国に任せておけばよい。外務省の役人たちに任せておけばよい。私は私で、
その1人の男のように、コーヒーショップでコーヒーを飲んで、遊んでくればよい。どう
してこの私が、K国問題を考えなければならないのか。

 こういうときというのは、つまり虚無主義がいったん、心の中に充満しはじめると、そ
れがあらゆることに、飛び火してしまう。そういう意味では、人間の心というのは、それ
ほど、器用にはできていない。

 たとえば私には、現在、5人の扶養家族がいる。母に兄、息子が2人、それにワイフで
ある。その5人が、ズシリと私の肩にのしかかっている。私はいつもその重荷を心のどこ
かで感じている。したいこともせず、買いたいものも買わず、じっとそれに耐えている。

 が、虚無主義が充満してくると、「どうして私だけが、こんなに苦労しなければならない
のか」と考えるようになる。「苦労」というのは、(精神的重圧感)をいう。母や兄はもち
ろんのこと、息子たちにしても、ワイフにしても、私が感じている重圧感など、どこ吹く
風。たがいに電話をしながら、キャッキャッと笑いあっている。

 そのK国問題。これから日本は、孤立無援のまま、K国と、単独で対峙しなければなら
ない。表向きはともかくも、今ごろブッシュ大統領は、こう言っているにちがいない。「日
本のことなど、知ったことか!」と。

 アメリカの国防長官が、日本の防衛大臣との会談をキャンセルしたのも、その表れと考
えてよい。どうしてアメリカが、日本の平和と安全に、責任をもたねばならないのか。そ
のアメリカを、日本の防衛大臣が公然と批判した。内々に批判するならまだしも、公然と、
だ。

 外務大臣にしても、しかり。

 結局、今回の6か国協議は、日本の大敗北で終わってしまった。拉致問題にこだわった
からではない。もともと大義名分などなかった。人道主義にしても、人権問題にしても、
世論に押されて、それを口にしただけ。どうしてK国の核開発に反対なのかという、その
輪郭(りんかく)すら明確にすることさえできなかった。

 日本には、もともと(主義)など、ない。民主主義国家ということにはなっているが、
どうして日本が民主主義国家なのか。世界の人たちは、だれもそう思っていない。つい先
日も、オーストラリアのある雑誌が、日本の皇室の批判記事を書いた。それについて日本
政府は、政府として、それに抗議した。どうしてそんな日本が、民主主義国家と言えるの
か。

 何ともわけのわからない、日本の外交姿勢。態度。いったい日本は、何のために6か国
協議に参加してきたのか。その大義名分は何だったのか。あるいは仲間はずれにされるの
がこわいから、参加してきただけなのか。これから先、K国をひとりで相手にする度胸と
勇気がないから、参加してきただけなのか。

 ……といっても、心配は無用。

 K国は、核開発を放棄しない。ぜったいに放棄しない。金xxが、健在(?)なかぎり、
放棄しない。つまり、アメリカ、中国、それに韓国は、それに翻弄(ほんろう)されるだ
け。

 だからここは、日本は、高見の見物と決め込めばよい。ジタバタしてはいけない。静か
に傍観しながら、K国が自然崩壊するのを待てばよい。あわてふためいて、アメリカのあ
とを追いかけるようなブザマなことだけは、してはならない。

 こういうときの外交政策の鉄則は、ただひとつ。じっと、時を待つ、である。

 ……それにしても、この虚脱感は何か。小泉内閣から安倍内閣。内閣が替わっただけで、
こうまで極東アジア情勢が変わるとは! いったい、だれがそんな変化を予想しただろう
か。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

【母の介護記】

++++++++++++++++

母のベッドのまわりが、ジャングル・ジム
のようになった。母の行動を観察しながら、
手すりをつくった。手すりと手すりを、
パイプでつないだ。それでそうなった。

一見、不便なように見えるかもしれないが、
母は、自分で立って歩けることを喜んで
いるよう。

何度も、ベッド→ソファー→トイレと、
行ったり来たりしている。立ったり座ったり
している。

そのせいか、今朝は、漏らすこともなく、
自分で大便ができた。

「よかったね」と声をかけると、
「わしは、しとらん」と。

それを聞いて、ワイフが、ケラケラと
笑った。

+++++++++++++++++

 昨夜、母が、仏壇の前に座っていた。「何をしている?」と声をかけると、「お経をあげ
てくれ」と。

 経本のひとつを選んで読んでやる。仏壇の中には、ほてい様の人形が安置してある。母
は、それが仏様と思っているらしい。いや、ここへ来たころ、「どうしてほてい様が祭って
ある?」と聞いた。「浜松では、ほてい様を祭る」と言ってやった。母は、「たわけたこと
(=バカなこと)を言うな」とはき捨てた。

 お経をあげてやっているとき、母は、数珠(じゅず)をいじって、遊んでいた。それを
横目で見て、「ちゃんと聞いていろ」と、私は叱った。

 天界……つまり仏教で、「天」というときは、天上の「天界」を表すときと、「帝釈天(た
いしゃくてん)」や「弁財天」などの、「人」を表すときがある。帝釈天も弁財天も、人知
をはるかに超越した人物というふうに考えられている。

 しかしもともと仏教には、キリスト教でいうような「天国」はない。天上に理想郷があ
ると教えたのは、仏教ではない。それ以前からインドに伝わっていた「生天(しょうてん)
思想」によるものである。それがいつの間にか、仏教の中に混入してしまった。「極楽」と
か「浄土」という言葉も、そこから生まれた。

母「死んだら、天国へ行くのか?」
私「ああ、そうらしい」
母「天国はいいところか?」
私「いいところらしい。あんたは、極楽へ行くことになっている」
母「そうか。お前は、頭がいいから、何でも知っているな」
私「そうだ。ぼくが言うから、まちがいない」と。

 気がつかなかったが、お経を読み終えて、うしろを見ると、ワイフがそこに立っていた。
笑いながら、私たちを見ていた。

 言い忘れたが、仏壇の中は、カラである。20年近く前、どこかのだれかが仏壇を売り
にきたので、それを買った。いつか役にたつだろうと思って、買った。そのときは、宗派
ごとに仏壇がちがうなどということさえ知らなかった。しかし宗派ごとに、仏壇がちがう
というのもおかしい。

 それはともかくも、それ以来、仏壇は、大切なものを入れる戸棚として使っていた。思
い出の写真や、みやげものなどをかざっていた。が、今回、母がきたので、仏壇を仏壇と
して使うことにした。私の祖父母の写真なども、その中に飾った。

 ほてい様を祭ったのは、ほかに飾るものがなかったからである。いいかげんと言えば、
これほど、いいかげんな信仰もない。しかしそれが私たちのやり方だった。信仰は「形」
でするものではない。「中身」だ。「教え」だ。教えによってするもの。

 ……とまあ、勝手な自己弁護ばかりしている。熱心な信仰家が聞いたら、顔を赤くして
怒るにちがいない。

私「お前は、今でも、お金がほしいか?」
母「もう、いらん。命には、かえられん」
私「そうだな。お前も、やっとわかったな」
母「……」と。

 若いころの母は、貪欲(どんよく)だった。小銭の亡者のように思ったこともある。そ
の母が、「命にはかえられん」と。歳が母を賢くしたのか。それとも、命の限界をそこに感
じて、賢くなったのか。どちらにせよ、今の母は、昔の母とはちがうらしい。

私「さあ、もう寝ろ」
母「わかった」
私「明日は、デイサービスの人が、また迎えにくるから」
母「ありがと」
私「友だちは、できたか?」
母「できん。みんな年寄りばかりや」と。

 母は、自分が最高齢者であることを忘れて、そう言う。だからおかしい。

私「お前が、いちばんのクソババアだろが」
母「そうやな」と。

 介護するときのコツ。

 介護するときは、する。しかしそれ以外の時間のときは、介護のことは、まったく忘れ
る。この頭のスイッチの切り替えをじょうずにできる人のことを、介護のじょうずな人と
いう。

 私とワイフは、居間にもどって、DVDのつづきを見ることにした。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●消え行く文化

+++++++++++++++++

最近になく、身につまされたというか、
読むにつれ、つらくて心が重くなってしまった。
その記事がこれ。

ヤフーニュースは、「ある豆腐屋の親子の
自殺」と題して、つぎのような記事を載せて
いる(07年2月16日)。

+++++++++++++++++

『通りから、「チンチン」という路面電車の音が聞こえる東京・Rの商店街。老舗の豆腐店
で、先月30日、男性店主(52)と母親(79)が首をつって亡くなっているのが見つ
かった。

チラシの裏に書かれた店主の遺書に、「収入が減り、先行きが不安」とあった。時代の移ろ
いとともに商店街はかつてのにぎわいを失い、「シャッター通り」と呼ばれていた。「一緒
にやってきたのに」と。仲間たちは無念の死を悼む。

 都電R線の町屋2丁目駅近く。商店街は関東大震災で焼け出された人たちが集まり、大
正後期から発展した。豆腐店は40年以上前、店主の父親が開いた。店主は80年ごろ、
20代半ばで店を手伝うようになった。買い物客で込み合う街の中でも、「いらっしゃい」
と、ひときわ威勢のいい声を響かせた。

 80年代半ばからの再開発でスーパーや新しい商業地区が現れ、買い物客が離れ出した。
街を活気づけようと電柱に花飾りをつけたのが、若い豆腐店主だった。やがて、閉じたま
まのシャッターが軒を連ねるようになった。

 豆腐店主は2年ほど前、病気を患い入院した。病院や学校など得意先を失い、「売れなく
て困った」と話すようになる。昨年春、近くに28階建てマンションが建ち、住民は増え
たが、買い物客は戻らない。マンションの中にスーパーがあった。

 「福引きは、もうやめないか」。昨年末、豆腐店主はそう漏らした。盛りあがらない客寄
せ行事は、さびしさをいっそう募らせる。そう言いたいのは仲間にも分かった。「お酒と違
って、豆腐なら独自商品も作れるじゃない」。酒店の仲間から励まされても、うなだれてい
た。

 1960年代、東京都豆腐商工組合には3000軒が加盟していた。昨年は992軒に
まで減っている。

 今月初めの昼時、商店街を訪ねた。「うちも息子はサラリーマン。店は私の代で終わりだ
よ」。創業77年の、時計店の男性(79)はそう言った。

 八百屋の方から声が聞こえた。「食べごろは?」「伊予柑がいいよ」。買い物客と店員のや
りとりだった。常連さんらしい。「商店街の良さって、あるんだよ」。店員の男性(61)
は自分に言い聞かせるように話した』【NH記】と。

 客待ち商売のつらさは、それをしたものでないとわからない。それも活気のあるうちは、
まだ救われる。しかし商売が下り坂に向かったとき、心は沈む。明日は今日より悪くなる。
来月は今月より悪くなる。来年は今年より悪くなる。

 懸命にふんばる。歯をくいしばる。しかしそれにも限度がある。やがて商売をしようと
いう気力さえ、なえる。が、それでもやめるわけにはいかない。「何とか食べていければい
い」というところまで、追いつめられる。「店だけはあけておこう」というところまで、追
いつめられる。

 ほかにできることはない。気がついてみると、その体力さえない。商人というのは、そ
の道のプロだが、つぶしがきかない。自殺した豆腐店の店主にしても、豆腐づくり以外の
道を知らなかった(?)。

 私の実家にしても、そうだ。実家は、自転車屋だったが、私が高校生になる前から、家
計は、火の車。そのころすでに斜陽の一途。近くに大型ショッピングセンターができたこ
ともある。いや、この世界ほど、弱肉強食の原理がそのまま通用する世界はない。

 客は、少しでも品揃えの多い店、少しでも安い店をめざして、去っていく。私は父のつ
らい気持ちが、痛いほどよくわかった。父は毎日、来るはずもない客を待って、店先の火
鉢に体を丸めて、それにあたっていた。

 ここにある豆腐店の店主の気持ちは、そのまま私の父の気持ちだった。私の父は、60
数歳という若さで、この世を去った。死因は、心筋梗塞だった。

 無責任な人は、こう言う。「この世は、実力のあるものが勝つ」と。「力に応じて、貧富
の差ができるのは当然」と。

 しかしそれがあるべき世の論理だとは、私は、思わない。つまりその論理の矛盾が、こ
うした弱小の商店主のところにシワ寄せされる。結果として、こうした悲惨な事件へとつ
ながる。
 
 私の父にしても、酒に溺れるしか、自分を救う道はなかった。2、3日おきに酒を飲ん
で、家の中で暴れた。やがて肝臓を悪くし、ついで心臓を悪くした。心筋梗塞といえば、
当時の父には、もっとも、わかりやすい死因だった。私も含めて、だれしも、そう思った。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●心のステータス

++++++++++++++++++

1人の男性(40歳くらい)が、リストラ
で職をなくした。

しかしその男性は、それからも、いつもどおり、
カバンを手に、会社へ出かけていたという。

が、その男性は会社へは行っていなかった。
釣りをしたり、パチンコをしたりして、
その日を過ごしていた。そして一日が終わると、
その男性は、以前と同じように帰宅し、
家族といっしょに、食事をしていたという。

++++++++++++++++++

1人の男性(40歳くらい)が、リストラで職をなくした。しかしその男性は、それから
も、いつもどおり、カバンを手に、会社へ出かけていたという。

が、その男性は会社へは行っていなかった。釣りをしたり、パチンコをしたりして、その
日を過ごしていた。そして一日が終わると、その男性は、以前と同じように帰宅し、家族
といっしょに、食事をしていたという。

 が、この話を聞いて、ワイフはこう言った。「どうして正直に、家族に言わないのかしら?」
と。つまり「リストラで職をなくしたらなくしたで、妻や子どもたちには、正直に話せば
いいのに」と。

 しかしそれは、専業主婦の発想。私には、その男性の気持ちがよくわかる。痛いほど、
よくわかる。もし私がその男性と同じ立場に置かれたら、やはり同じような行動をしてい
ただろう。リストラという大ごとではないにしても、それに似たようなことは、日常的に
よく経験する。

 そういとき、私も、その男性と、同じような行動をとる。たとえば親や生徒と何か、ト
ラブルがあったようなとき。そういう話は、極力、ワイフや息子たちには話さないように
している。不要な心配をかけたくないというよりは、自分が情けなくて、そういう話をす
ることができない。

 「情けない」というのは、情けないということ。話したところで、どうにもならない。
自分で自分がいやになる。そういういやな部分というのは、自分の中から消し去りたい。
どうしてそれを、あえて、ワイフや息子たちに話さなければならないのか。

 その男性も、そうなのだろう。「リストラされた」と告げるということは、自分の存在感
を、家族の中から消し去ることを意味する。それは仕事をする男性にとっては、死の宣告
に等しい。つらい。苦しい。

 で、同じようなことが、子どもの世界でも、よく見られる。たとえば私の教室でもとき
どき、テストをすることがある。そのテストだが、悪い点数を取った子どもがいたとする。
私は100点のときは、大きく100点と書くが、それ以外のときは、めったに点数をつ
けない。それでもその答案用紙を、帰りにゴミ箱に捨てて帰っていく子どもがいる。

 悪い点数を取って帰るということは、その子どもにとっては、自己否定そのもの。親に
叱られるとか、叱られないとかいう、そういうレベルの問題ではない。たとえばこんなこ
ともある。

 親の望みと、子どもの力が、大きくかけ離れるということは、よくある。一定の範囲内
であれば、それなりの指導も可能だが、その範囲を超えたばあいには、子どもも苦しむが、
親も苦しむ。だから、子どもに向かって、私は、こう言う。

 「君の力は、君がいちばんよく知っているはずだから、お父さんとお母さんに正直に言
ったらどうかな?」と。

 しかしこういうケースのばあい、それを正直に親に話す子どもは、10人に1人もいな
い。100人に1人もいない。子どもにとって、親をして、「やればうちの子はできるはず」
と思わせておくことは、それ自体が、子どものステータスになっている。「ぼくにはあの学
校は無理だ」と親に言うことは、子ども自らが、そのステータスを否定することになる。

 つまりその子どもの心情もまた、冒頭に書いた、リストラで職をなくした男性の心情に
似ている。似ているというより、同じ。

 ことこの問題に関しては、正直であるとか、正直でないとか、そういうこととは関係な
い。もちろん何でも正直に話せるようであれば、それはそれですばらしいことだと思う。
しかしそんな夫婦、そんな親子は、いったい、どれだけいるだろうか。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●『週刊新潮』を読む

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アメリカに住む息子のために、
毎週、週刊誌を買って送っている。

週刊誌というのは、立ち読みするか、
喫茶店で読むものと思っていた。

が、今は、ちがう。

まず買う。自分で読む。それから
息子に送る。

++++++++++++++++

●加山Y氏の妹

 今日は、『週刊新潮』(2・22)を買ってきた。アメリカに住む息子に送るためである。
インターネットの時代になったとはいえ、週刊誌には、それなりの意味がある。息子もそ
う言っていた。

 日本の事情が、全体的につかめる。
 日本の事情が、バランスよくつかめる。
 日本の事情が、常識的に理解できる。

 で、最初に目をひいたのは、歌手の加山Y氏と、実の妹の確執問題。実の妹が借金をか
かえて、自己破産したという。それに対して、加山Y氏は、記者のインタビューに答えて、
「冷めた関係を思わせるコメントが返ってきたのみ」(週刊新潮)とのこと。

 「兄弟だから、仲がよいはず」と考えるのは、誤解でしかない。親から見れば、子ども
は、みな、平等にかわいいかもしれない。しかし兄弟どうしの横のつながりは、必ずしも、
親の思いどおりには、いかない。ばあいによっては、他人以上に、疎遠になることもある。

 たとえばよくある例は、年がそれほどちがわない兄と弟、姉と妹などは、一般的には、
それほど仲がよくないと言われている。兄や姉が、下の子に嫉妬(しっと)するのが原因
と言われている。

 だから長男、長女は、生活態度が、どうしても防衛的になる。ケチになる。

 だから加山Y氏と、実の妹の関係が、週刊誌に書いてあるようだとしても、私は驚かな
い。むしろ逆に、「兄弟だから……」「姉妹だから……」という『ダカラ論』に縛られて、
もがき苦しんでいる人は多い。

 そんなわけで、一昔前なら、「加山家の恥」というようなタイトルで報道されたであろう
記事も、今は、ちがう。「兄は兄」「妹は妹」という視点で、報道されている。加山Y氏自
身も、「とにかくおたがい、一生懸命生きていこう、それだけです」とコメントを寄せてい
る。


●皇室接遇マニュアル

+++++++++++++++++

皇室の人たちを接待するための、
特別のマニュアルがあるという。

週刊新潮によれば、
(1)おしぼりは、かために。
(2)便座カバーは、白
(3)ご先導は、2、3歩左ななめ前を……、と。

+++++++++++++++++

 皇室の人たちを接待するための、特別のマニュアルがあるという(「週刊新潮」)。たとえ
ば、トイレについては、つぎのようにある。

(1)洋式が望ましい。
(2)お手洗いは、両陛下専用のものを用意する。
(3)お手洗いに花を置く場合は、匂いの少ないものにする。
(4)石けんは固形とする。石けん液などの設備があるばあいは、中の石けん液を抜い
ておくこと。
(5)直接体が触れる部分(レバー、便座)については、消毒を行う。
(6)トイレットペーパーは、白地の上質なもの(新品)とする。
(7)石けんケース(新品)、タオル(フェイスタオル、およびふつうのタオル)3枚。
(8)水飲み用コップ、ミネラルウォーターなど、10種。
(こうした物品の配置図も、図解で説明とのこと。)

 ほかにもいろいろ書いてある。

(1)御料車の御着時は、御先導位置で軽く一礼してお迎えする。
(2)車を降りる順序は、皇后陛下が先で、ついで天皇陛下。
(御料車のドアの開閉は、必ず随行員が行うので、その妨げにならないように注意するこ
と。)
(3)両陛下がお出ましになったら、先導者は、軽く前に出てお迎えする。
(1礼のあと、「御挨拶→自己紹介」を行い、御先導の旨を伝えること。)
(4)「本日は、ようこそおいでくださいました」とあいさつする。
(5)御先導は、陛下のお近く、2、3歩ななめ前を進むのが自然であるが、場所の都
合次第で、右ななめ前または中央前であっても、差し支えない。なお御先導の際に、両陛
下の前を横切る場合は、直前を横切ることがないように注意すること。

 ……以下、いろいろと書いてある。かなりの分量のマニュアルらしい。お茶の温度につ
いても書いてある。「お茶の温度は、70〜80度C」と。興味のある人は、『週刊新潮』
を読んだらよい。しかし全体を読んでみると、どこか、ヘン。つまり、皇室の人たちを迎
えるためのマニュアルが、どこか、皇室の人たちをバカにしたような印象すら受ける。つ
まりこんなマニュアルどおりに迎えられて、果たしてそれで皇室の人たちが、喜ぶとでも
思っているのだろうか。リラックスできるとでも思っているのだろうか。

 まるで皇室接待そのものが、演技化されているよう。たとえて言うなら、歌舞伎座の舞
台でなされる演技のよう。皇室の人たちがそれを望んでいるのなら、私とて何も言うこと
はない。あるいは、このマニュアルを作成した人は、一度でも、「これでいいですか?」と、
皇室の人たちに聞いてみたことがあるのだろうか。

 すばらしいマニュアルと感心する前に、「何という窮屈な世界!」と、先に驚いてしまう。
私の率直な印象としては、「今どき……ねえ?」といったところか。

 この世の中には、「自然体」という言葉がある。自然な振る舞いの中にこそ、真実がある。
本質がある。接待についても、同じ。皇室の人たちを尊敬する人々がいる。そういう人々
が自然な振る舞いを通して、自分たちの敬意を表す。皇室の人たちはそれに感動し、そし
て喜ぶ。

 どうしてそういう「自然体」を、もっと大切にしないのだろうか。……というところで、
この話はおしまい。

 週刊新潮は、つぎのように結んでいる。

 「開かれた皇室とはいうものの、まだまだ一般の感覚とは遠いということなのである」
と。まさに同感である。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(日曜日)

++++++++++++++++++

今朝は、久しぶりに朝風呂。
パジャマのまま、浴槽に湯を張る。
いっぱいになったのを見届け、
裸になって飛び込む。

そしていつも、この歌を口ずさむ。

「♪オッハラ、ショウスケさん、
 なぜ、シンショウ、つぶした……」と。

私も、あぶない! そのうち、自己破産
ということになるかも……。

++++++++++++++++++

 起きたときはドシャブリ。しかし風呂から出ると、青い空。どうやらたった今、前線が
通過したらしい。

 言い忘れたが、結婚して以来、風呂はいつも、ワイフといっしょに入っている。それが
習慣になっているから、どうということはない。それに今は、ジジイとババア。長いとき
は、浴槽につかったまま、1時間以上も、話をしている。今朝もそうだった。

 とりとめのない長話。意味のない長話。世間話にウワサ。

 今、その風呂から出て、こうして居間のパソコンで、雑文を書く。どうしようもない雑
文。ワイフは、うしろで、朝食の用意。その音だけが、うしろから聞こえてくる。そうそ
う今朝も、母に起こされた。時計を見ると、7時少し前。ちょうど起きるころだったので、
そのまま起きた。

 母を見ていると、自分たちの老後がどうあるべきか、それがよくわかる。しかし計画ど
おりいくものか? 頭がボケると、すべての計画が狂ってくる。ボケには、注意したい。

 この2日間、私とワイフの間は、一触即発。険悪なムードが漂っていた。きっかけは、
たわいもないことだが、ワイフが、すなおに自分のまちがいを認めなかった。それで言い
争いになった。

 で、いつもそうなのだが、喧嘩になると、「離婚してやる!」「私も、あなたなんかと結
婚するつもりはなかった!」「オレだって、なかった!」となる。あとはお決まりの無視。
無言。

 が、やがてそれも限界に近づいてくる。そして「いっしょにDVDでも見るか?」とな
る。そんなわけで昨夜は、ニコラス・ケイジの『ロード・オブ・ウォー』を見た。武器商
人のDVDだった。

 なお夫婦喧嘩というのは、(1)安定期→(2)倦怠(けんたい)期→(3)緊張期→(4)
爆発期→(5)反省期→(1)安定期……というサイクルを繰りかえす。密着度の濃い夫
婦ほど、このサイクルが顕著に現れる。

 ともかくも、今朝は、安定期。朝食のおかずも、昨日より、2〜3品ふえていた。(おと
といは、カップヌードル一個だったぞ!)

 軽い頭痛があるのは、花粉症のせい? あの花粉症からは解放されたが、それでもその
季節になると、1週間ほどは、花粉症まがいの症状が現れる。断続的なクシャミは、先週
あたりからつづいている。もうそろそろ花粉症による症状は消えるころなのだが……。


●人生

++++++++++++++++++

今日1日、できることをやる。
やるべきことをやる。それを懸命にやる。

それでよい。

明日は必ず、やってくる。
明日は明日で、そのとき、またその日の
ことを考えればよい。

++++++++++++++++++

 ぜいたくな望みかもしれないが、私は、死ぬときは、心筋梗塞で死にたい。その瞬間に
は、気を失うほど痛いそうだが、一瞬で終わる。いろいろな病気を想定するが、やはり心
筋梗塞がいちばん、よい。

 数年前のこと。どこかの中学校で、講演会場に向かっているとき、突然、胸がギーンと
締めつけられるような痛みを感じた。今から思うと、あれは、狭心症によるものだったと
思う。

 以後、その症状はないが、私の父方の家系は、心筋梗塞で死ぬ人が多い。一方、母方は、
脳梗塞か脳内出血。がんで死ぬ人は、ほとんど、いない。だから確率としては、心筋梗塞
ということになる。

 で、ときどき、こう思う。そのときがきたら、いさぎよく死のう、と。ジタバタしない。
延命措置など、してほしくない。できれば安楽死させてほしい。そのときは、オーストラ
リアの友人(ドクター)が、「パxxxxxx」という薬を送ってくれることになっている。
「パラダイス」をもじった薬の名前である。

 オーストラリアでは違法だが、秘密裏に利用している人は多いらしい。パラダイスにい
るような気分で、眠るようにして死ぬことができるという。

 ともかくも、運命は受けいれる。もちろん、ふんばることができる部分については、ふ
んばる。ふんばるからこそ、そこから生きることのドラマが生まれる。そのドラマが、人
の世界を、潤い豊かで、楽しいものにする。

 私も、その運命に身を任す年齢になってきた。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 14日
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詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どものやる気を考える】

●論理的に、おかしな調査

++++++++++++++++++++++

このほど、東北にある、ある大学大学院系の研究機関が、
こんな調査結果を公表した。

生きがいの(ない)人は、死亡率が高い。
(ある)人の、1・5倍、と。

しかしその調査そのものが、?????。

++++++++++++++++++++++

 このほど、東北にある、ある大学大学院系の研究機関が、こんな調査結果を公表した。
いわく、「生きがいの(ない)人は、死亡率が高い。生きがいの(ある)人の、1・5倍」
と。

 しかしよく読んでみると、調査内容そのものが、へん。おかしい。「?」マークを、20
個くらい並べてもよい。ある大学院系の研究機関がした調査だから、ケチをつけるにも勇
気がいるが、ともかくも、読売新聞の記事を、そのまま紹介する。

++++++++++++++++

●『生きがい「ない」人は病死率高い…「ある」の1・5倍 (読売新聞) 

 生きがいがない人は、ある人に比べ、病気などで死亡する割合が1・5倍に高まる――
T大大学院医学系研究科のT教授(公衆衛生学)の研究グループが、こんな調査結果をま
とめた。

 研究グループは、1994年に、宮城県内の40〜79歳の健康な男女、4万3391
人の健康調査を実施。「『生きがい』や『はり』を持って生活しているか」との質問に、「あ
る」と回答したのは59%、「ない」は5%、「どちらとも言えない」は36%だった。

 このうち、7年後の2001年末までに病気にかかるなどして死亡した3048人につ
いて、死因を追跡調査したところ、がん(1100人)が最も多く、続いて脳卒中などの
脳血管疾患(479人)、肺炎(241人)などが多かった』と(07年2月12日)と。

+++++++++++++++++

 ここで注意しなければならないことは、つぎの1点。

(1)調査対象としたサンプルの年齢幅が、40歳から79歳までと、広いこと。

 わかるかな?

 40代〜50代というのは、いわば働き盛り。生きがいがあるとかないとか、そういう
ことを考えることもないまま、懸命に働いている。そういう世代の人に、「生きがいはあり
ますか?」と聞けば、大半が、こう答えるだろう。「YES!」と。しかし若いから、当然
のことながら、死亡率は低い。

 一方、60代〜70代ともなると、ほとんどが引退している。現職の人は少ない。そう
いう世代の人に、「生きがいはありますか?」と聞けば、大半が、こう答えるだろう。「N
O!」と。少なくとも、若い世代よりは、生きがいをもって生活している人は、少ない。
しかし老齢である分だけ、死亡率は高い。

 もうすこし話をわかりやすくするために、こんな例で考えてみよう。

 幼児(4〜6歳)と、老人(77〜79歳)に、「毎日は楽しいですか」と聞く。大半の
幼児は、「楽しい」と答える。一方、大半の老人は、「楽しくない」と答える。しかし現在、
幼児の死亡率は、きわめて低い。

 が、77〜79歳の老人ともなれば、ほとんどがそのあと、7年後には、寿命を迎える。
死亡率はきわめて高い。

 そういう幼児と老人をひとまとめにして、「人生を楽しいと思っている人の死亡率は、低
い。人生を楽しくないと思っている人の死亡率は高い」と。そんな結論を出してよいもの
か。

 先にも書いたように、この調査をしたのは、天下のT大学大学院の某研究室である。そ
んな研究室が、こんな「?」な調査結果を公表した?

 さらにおかしな点は、それを、死亡原因に結びつけていること。いわく、「がん(110
0人)が最も多く、続いて脳卒中などの脳血管疾患(479人)、肺炎(241人)などが
多かった」と。

 40歳から79歳までを、ひとまとめにして、こうした病名を並べても意味はない。ま
ったく、ない。とくに「肺炎で死亡」というのは、老人特有の死亡原因と考えてよい。(若
い人は、肺炎ではめったに死なないぞ!)たとえばがん患者などは、がんそのものよりも、
がんの治療中に、肺炎などで死亡するケースが多い。このばあいも、診断名は、「肺炎」と
なる。

 つまりこの調査結果を、簡単に読むとこうなる。

 40代の若い人は、生きがいがあるから、死亡率は低い。しかし70代の老人は、生き
がいがないから、死亡率は高い、と。しかしそんなことは、何も、4万人以上もの人を対
象に調査などしなくても、常識でわかること。

 読売新聞だけの記事だから、私はまちがっているかもしれない。ここに書いたことは、
あくまでも、新聞記事の範囲内で、ということ。

実際には、年齢別に、(生きがい)と(死亡率)について調べてあるのかもしれない。た
とえば40歳〜45歳、45歳〜50歳……、と。もしそうなら、話がわかる。(1・5
倍という数字が、どうして出てきたかについて、読売新聞は何も書いてないが……。)

 しかしそれでも、病名と結びつけて考えるのは、どうかと思う。読売新聞を一読した人
は、きっと、こう思うにちがいない。「生きがいのない人は、がんになりやすい」と。

 ちなみに、日本人の死亡原因は、つぎのようになっている(98年・厚生省死亡統計)。

1位=ガン28万3921人【30.3%】
2位=心疾患14万3120人【15.3%】
3位=脳血管疾患13万7819人【14.7%】
4位=肺炎7万9952人【8.5%】
5位=不慮の事故3万8925人【4.2%】、
6位=自殺3万1755人【3.4%】
7位=老衰2万0374【2.3%】
8位=腎不全1万6638人【1.8%】
9位=肝疾患=1万6133人【1.7%】
10位=糖尿病l万2537人【1.3%】

 この厚生省の死亡統計に、T大学大学院のした調査結果を並べてみる。

1位=がん1100人【36・0%……1100÷3048】
2位=脳卒中などの脳血管疾患479人【15・8%】
3位=、肺炎241人【7・9%】

 厚生省の調査結果と、T大学大学院のした調査結果は、ほとんど同じということになる。
(ほとんど同じになるに決まっている。)となると、(生きがい)と、(死亡原因)は、どこ
でどう結びつくというのかということになる。先にも書いたように、たとえ老衰で死んで
も、最後が肺炎であったりすると、診断名は、「肺炎」となる。その肺炎にしても、割合は、
ほぼ、同じ。

 つまりたとえば、「生きがいのない人の自殺率は高い」「生きがいのある人の自殺率は低
い」とか、そういう話なら、まだ私にもわかる。しかしそれとて、何もぎょうぎょうしい
調査などしなくても、常識でわかること。

 一度、何かの機会にこの調査結果を取り寄せ、再度、この調査に検討を加えてみたい。
それにしても、「?」な調査ではないか。今は、そういう印象だけを、ここにとどめておく
ことにする。

+++++++++++++++++++++

ついでに、(生きがい)、つまり(やる気)に
ついて書いた原稿を、添付します。

+++++++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
どうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の
中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが
自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モル
ヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包
まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではない
ようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除
してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい
うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも
のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝
手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、
そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反
応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教
室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも
つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印
象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子
どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、
ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」と
いう言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしてい
く。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってし
まい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみ
よう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があ
るという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン
にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド
レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5
9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる
ということ。


 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚
えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(ど
れだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁
桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると
考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、
その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ
の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしてい
る。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせ
る。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が
芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること
がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児
教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて
いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな
い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育
のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる
気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、
子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものが
ない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、
たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早
い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉
強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、
その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し
でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない
ということ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
やる気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子のBLOGより

++++++++++++++++++

息子が、最終的な就職試験を受けている。

今日、その試験があった日。
気になる。気になった。

床につくまで、ワイフと、
電話をかけるべきかどうか迷ったが、
やめた。

息子には、息子の人生がある。
ヒナが巣立つように、息子は、
大空に向って、本当に巣立ってしまった。

親としてできることは、ただただ静かに、
そのうしろ姿を見守ることだけ。

++++++++++++++++++

【息子のBLOGより】

明日、僕の操縦する飛行機の後席に、2名のJ社の機長が乗られる。オブザーブという、
就職試験の一環だ。

 緊張していないといったら嘘になるが、できるだけ緊張しないようにしている。僕は緊
張しないほうが、普段の力が出せるから。

 J社の面接のとき、『緊張してないように見えますが、緊張していますか』という質問を
された。僕は馬鹿正直に、『緊張していません』と答えた。ありのままを見て、それで採
用・不採用を決めてほしかった。僕がJ社でも通用する人間かどうか、素直に見極めて
ほしかった。無理して自分を偽って、それで受かったとしても、この先何十年間偽り続
けなくてはいけないし、また落ちたとしても、諦めがつかない、と思ったからだ。JA
Lの面接会場に入るまでに、僕はこんな心境に達していた。そして今回も、同じ心境だ。

 結果として、緊張しない方が見栄えが良かったのかもしれない。客席にどんなに偉い人
が乗られても、どんなに難しい試験中であろうとも、またどんな緊急事態が起こっても、
動じないパイロット。緊張しているそぶりを見せないことで、自分はそういう人間です
と、何よりも物語れるのかもしれない。

 僕が緊張しない(しないようにしている)理由はもう一つある。こんなこと言ったら怒
られるかもしれないが、僕はもう、航大生活に満足している。嫌というほど大空を飛べ
た。綺麗な景色をたくさん見られた。実家の上も飛べた。教官や同期には、手に余るほ
どの新しい価値観や生き方を教えてもらった。間違いなく、今までの人生の中で最も濃
く、得るものの多い2年間であった。

 これ以上、いったい何を望むのか。

 就職活動中、僕は何度か、この問いを自分に投げかけていた。いい会社に入りたいだな
んて、おこがましいことなのではないか、黙って与えられた環境を受け入れるべきなの
ではないか、と。いい会社に入ることが航大の目的ではない。いいパイロットに、いい
人間になることが、最大の目的である。僕はその目標に向かって、精一杯頑張ってこら
れたと思う。

 だから、いつも通りやればいいんだと、心から思える。こういう僕が、誰かのお役に立
てるのならば、喜んでお手伝いしようと思う。これからも飛ぶ機会が与えられるのであ
れば、命尽きるまでまで飛ばせていただこうと思う。それは、空への恩返しのようなも
の。明日は、後ろに試験官ではなく、『初めてのお客さん』を乗せているつもりで、快適
なフライトができるよう、がんばろうと思う。

 僕にこんな経験をさせてくれて、空よ、翼よ、ありがとう。


++++++++++++++++++++

息子のこの記事を読んで、私は以前、こんな
原稿を書いたのを思い出しました。

『ドラえもん』は、1〜30数巻まで、
読破(?)しましたが、その中でも、いちばん
すきな部分について書いたエッセーです。

それをそのまま紹介します。
(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++++++

●親離れ、子離れ

 子どもは小学3、4年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。
気づかないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解す
る。つまり子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。あの芥川龍之介も、『人生の悲
劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる』(侏儒の言葉)と書いている。

 息子が中学1年生になっても、「うちの子は、早生まれ(3月生まれ)ですから」と言っ
ていた母親がいた。娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を
心配していた父親もいた。自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤ
ツ、大学なんか、やるんじゃなかった」とこぼしていた父親もいた。

あるいは息子(中2)に、「クソババア! オレをこんなオレにしたのは、テメエだ」と
怒鳴られながら、「ごめんなさい。お母さんが悪かった」と、泣いてあやまっていた母親
もいた。

しかし親子の間に、細くとも1本の糸があれば、まだ救われる。親はその1本の糸に、
親子の希望を託す。しかしその糸が切れると、親には、また別の悲劇が始まる。親は「親
らしくしたい」という気持ちと、「親らしくできない」という気持ちのはざ間で、葛藤す
る。これは親にとっては、身をひきちぎられるようなものだ。ある父親はこう言った。「息
子(19歳)が暴走族の1人になったとき、『あいつのことは、もう構いたくない』とい
う思いと、『何とかしなければ』という思いの中で、心がバラバラになっていくのを感じ
た」と。

もう少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。が、
きまじめな親ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。

 子どもというのは、親の期待を1枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の1
枚まではぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸
せな人だ。しかしそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。

大半の親は、年ごとにますます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心
を引きずって歩く。「そんな子どもにしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもある。
しかしそれとてもとをただせば、子離れできない親に、問題がある。

あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(18巻)。タンポポの種が、
タンポポの母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親は懸命に
説得する。

しかし一度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポの種が、どこ
でどのような花を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。しかし母親はこ
う言って、子どもを送り出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにできることがどう
してできないの」と。

 子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもう
あなた自身の力が及ばない世界のこと。言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかな
い。たとえあなたの息子が、あなたの夢や希望、名誉や財産、それを食いつぶしたとして
も、それに耐えるしかない。

外から見ると、どこの親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこそ
まさに仮面。子育てに失敗しているのは、あなただけではない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(2月13日)、あれこれ

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昨夜、市内に住むT氏と、1時間ほど、
電話で話す。

T氏は、私と同じ、昭和22年生まれ。
退職まで、あと1年だという。

そのT氏は、退職後は、農業を営むつも
りだという。

すでに農業資格を取っている。農地も近く、手に
入れるという。

+++++++++++++++++

 昨夜、市内に住むT氏と、1時間ほど、電話で話す。ほぼ1年ぶりの電話である。T氏
は、私と同じ、昭和22年生まれ。団塊の世代である。

 そのT氏、退職まで、あと1年だという。退職後は、農業を営むつもりだという。すで
に農業資格を取っている。農地も近く、手に入れるという。現在は、地主と交渉中とか。「ど
うやって農業資格を?」と聞くと、何でも奥さんが、農家の出で、その関係をつたって、
手に入れたとか。

 ほかに農業資格を取る方法としては、3反ほど農地(畑地)を借りて、何年か実績をつ
むという方法もある。農業資格がないと、農地を手に入れることはできない。

 あとは、健康論。それに老後論。今回は、いつものような子育て論については、ほとん
ど、しなかった。かわりに家族論について、あれこれ話しあった。T氏のように、何か、
一本スジの通った人と会話をするのは、楽しい。正確には、一本スジの通った生き方をし
ている人と会話をするのは、楽しい。たとえ意見はちがっても、得るものがある。参考に
なる。

 T氏の長年の夢は、「土とともに生きること」。つきあうようになって、もう30年近く
になるが、その思いは、ずっと、一定している。現在は、公的機関の農業改良センターの
ようなところで、仕事をしている。2年前の浜名湖花博では、中心的な人物として活躍し
た。

 「収穫したときの喜びは、すばらしい」と、何度も言った。

 私はそういうT氏の話を聞きながら、心底、うらやましく思った。(やりたいこと)と、
(やるべきこと)とは、ちがう。ほとんどの人は、(やるべきこと)の中で、右往左往して
いる。そしてそれを(生きること)と誤解している。

 たとえば今、私は(やるべきこと)をしているが、それはけっして、(やりたいこと)で
はない。その(やりたいこと)ができる人は、幸福である。それをしようとしているT氏
を、私はうらやましく思った。

 と、同時に、私は何をしたらよいのか、それを考えた。その前に、何をしたいのか、そ
れを考えた。が、私は若いころから、(やるべきこと)はしてきたと思う。しかしほとんど
といって、(やりたいこと)はしてこなかった。

 生きることの醍醐味は、損得の勘定なしで、無私の状態になって仕事に没頭するところ
にある。損得の勘定をしたとたん、生きることの醍醐味が半減する。私はいつも、心のど
こかで、その損得の勘定ばかりしてきた。そのツケが、今、やってきた。

 で、私の周囲を見ると、その(やりたいこと)がない。どこか殺伐としている。さみし
い。「私は何がやりたいんだろ?」と考えたところで、ハタと、思考が停止してしまう。し
かしこんなことで、これからの老後を乗り切ることができるのだろうか?

 そんな思いで、T氏との電話を切った。近く、会うつもり。その約束は、した。


●炎上

++++++++++++++++++

HPやBLOGに書いた記事が問題に
なることを、この世界では、「炎上」
という。

炎上はこわい。そのため、電子マガジンを
廃刊した人もいる。そのとき、読者が
2千数百人もいたというが……。

++++++++++++++++++

 HPやBLOGに書いた記事が問題になることを、この世界では「炎上」という。たち
えば個人を誹謗するとか、会社の製品を、理由もなく叩くとか、など。そういうことが原
因となって、HPやBLOGが問題になる。あるいは読者からの猛攻撃にさらされる。

 インターネットのこわいところは、ここにある。こうして私は文を書いて、インターネ
ットに載せる。私は個人的なことを書いているつもりだが、この画面の向こうは、そのま
ま(世界)とつながっている。つまり個人対世界の関係である。

 炎上はこわい。そのため、電子マガジンを廃刊した人もいる。そのとき読者が、2千数
百人もいたという。理由を聞くと、「ある飲食店の批判記事を書いたため」と教えてくれた。
そのため「客が減った」「どうしてくれる」と、からまれたという。

 最近では、どこかの教師が、自分のHPに、子どもの交通事故の写真や、裸の写真を載
せて、問題になった。こういうケースは、例外としても、炎上には気をつけたほうがよい。
どこでどう火がつくか、わからない。

 実のところ、私もよくからまれる。宗教を批判したり、特定の職業を批判したりすると、
たいていからまれる。しかし、慣れたというか、そういうことがあるという前提で、もの
を書いている。「来るなら、来い」といった心境である。ごく最近も、(ほんの数日前のこ
とだが)、K国の在日関係者から、恐ろしい脅迫まがいのメールが届いた。しかしそんなこ
とをこわがっていたのでは、原稿など書けない。

 私は、あるカルト教団を叩く本を、5冊書いた経験がある。最初は命がけ。こわかった。
が、それが終わると、こわいものがなくなってしまった。からんでくる人は今でもいるが、
そういうときは、やんわりと、「参考になりました」「ご意見は大切にいたします」とかな
どと返事を書いて、あとは忘れるようにしている。

 もちろん現役の親や子どもを批判するのは、タブー。かりに批判めいたことを書くにし
ても、ぜったい、その人とわからないように書く。他人から聞いた話も、そう。いくつか
の話をまぜたり、分断したりして書く。

 そんなことは、この世界では常識。その上で、私は、現在、交際している人のことは、
ぜったい書かないようにしている。一方でその人を批判しておきながら、(=悪口を書きな
がら)、他方で、にこやかに会うなどという器用なことは、私にはできない。

 その人を批判したときには、同時に、その人とは、絶交する。絶交した上で、その人を
批判する。もちろんそのばあいでも、個人名は出さない。その人とわかるような記事も書
かない。

 炎上がこわいからではない。いくらその人を批判しても、その人をキズつけるのは、私
の目的ではない。

 ……しかし、これだけたくさんの文章を書いていると、いつ炎上が始まってもおかしく
ない。まあ、そのときは、そのとき。そのとき、また考えよう。私は、今日も、マイペー
ス。マイペースで、書く。

 これから母の世話と、朝食。みなさん、おはようございます!


++++++++++++++++++++++++++

●6か国協議


++++++++++++++++

結局は、中国、韓国の思惑通りに
ことが運んだ、6か国協議。

アメリカは、できるだけ早く、
K国の核開発問題から、抜けたがって
いる。実際には、すでにサジを
投げている。

見た目には、「軟化」だが、
中身は、日本の切り捨て。

++++++++++++++++

 あのK国の金xxが、約束など、守るはずがない。今ごろは、すでにつぎの一手を考え
ているはず。

 こんなことを繰りかえしていても、問題は、何も解決しない。金xxという独裁者を、
延命させるだけ。それはそれでかまわないかもしれないが、ならば、「正義」は、どうなる?
 拉致問題という、「正義」は、どうなる?

 これから先、日本は、孤立無援の状態で、そのK国と、対峙しなければならない。その
覚悟は、あるのか? できているのか?

 結局は、中国と韓国の連合軍に、日本は敗れた。負けた。今回の協議の結末を、いちば
ん喜んでいるのは、韓国であり、中国ということになる。アメリカは、中東問題で、頭が
いっぱい。手がいっぱい。核開発問題さえ解決すれば、極東アジアには、もう用はない。

 ノー天気なテレビ解説者(某大学教授)たちは、「これで緊張状態にあった朝鮮半島は、
沈静化する」などと、チンプンカンプンなことを言っている。

 バカめ!

 今、ここでK国が息を吹き返したら、この日本はどうなる。それを、少しは考えろ。核
兵器開発はやめたとしても、ミサイルは作り放題。生物、化学兵器は作り放題。おまけに
今、K国は、海軍を増強しようとしている。いや、お金をもったら、すぐそれを実行に移
すだろう。もちろんターゲットは、日本! ジャパン・マネー!

 韓国も、中国も、そしてロシアも、「日本のことは、知ったことか!」と。つまりそうい
う心情的土壌を、日本は、戦後、作ってしまった。アメリカに対しても、そうだ。

 同じ6か国協議の最中だったが、K国の代表(姜錫柱第一外務次官)が、立ち話で、「核
は日本だけを対象にしたものだ」と漏らしただけで、当時のケリー国防次官補は、席を蹴
飛ばして、協議をボイコットしてしまった。たった5年前の、02年10月3日のことで
だった。

 あのときのアメリカの「正義」は、今は、もう夢物語。どこへ、どう消えた?

 これから先、日本は、たいへんな難局を迎える。危機といってもよい。そのはじめの一
歩が、今回の6か国協議である。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●米はざし文化

+++++++++++++++++++

私が子どものころ住んでいたM町には、
昔、濃密な地域文化が息づいていた。

何をするにも、(町)が、いったいとなって
それをした。

旅行、催事、祭り、などなど。地域にある寺では、
毎年、その季節になると、子どもたちが集まって
演劇会を開いた。もちろん映画会もあった。

それが私たちの(町)だった。

しかしその(町)も、今はさびれ、昔の
活気は、もうない。10のうち、7〜8の
店舗は店をしめた。通りを行きかう人も
まばら。

一度、それを見た息子は、「死んだ町みたい」
と言ったが、それに近い。たまたまその
日は、日曜日の午後だった。それでも、
そうだった。

+++++++++++++++++++

 郊外に、ケタはずれに大きなショッピングセンターができた。デパートをいくつも重ね
合わせたような、大きなショッピングセンターである。とたん、車の流れが変わった。そ
れまでは、大通りといえば、町の中心部に向かって流れるものだった。が、今は、反対。

 その時刻のころになると、車は、町の中心部から、郊外に向かって走る。つまり町の中
心部に住んでいる人たちですら、ショッピングのために、郊外を目ざすようになった。

 私はそれを見ながら、子どものころ住んでいた、あのM町を思い出した。昔から和紙の
産地でよく知られた、由緒ある町である。その町も、郊外に、大型のショッピングセンタ
ーができるようになると、さびれていった。しかも10年単位で、そのショッピングセン
ターは、倍々と、大きくなっていった。そのたびに、ガクン、ガクンと、さびれていった。

 文化というのは、濃密な地域社会が基礎にあって生まれる。育つ。たとえば私が子ども
のころは、(町)が、活動のすべてだった。旅行、催事、祭り、などなど。地域にある寺で
は、毎年、その時期になると、子どもたちが集まって演劇会を開いた。もちろん映画会も
あった。

 それを知らない若い人たちには、想像もできないだろう。そういう昔のM町とくらべる
と、つまり昔のM町を、押し寿司にたとえると、現在の都市生活は、カスカスの、まるで
米はざしのようなもの。けっして大げさなことを言っているのではない。人の交流そのも
のが淡白で、細くなってしまった。

 それがよいことかどうかという判断は別にして、……というのも、昔のM町には、よい
面もあったが、悪い面もあった。同じように、現在の都市生活には、悪い面もあるが、よ
い面もある。だからどちらがどうという判断は別にして、こうした都市型生活の中では、
地域文化というのは、生まれにくい。育ちにくい。

 総じてみれば、どこも似たようなもの……という文化は生まれる。子ども会にしても、
町内会にして、そうである。祭りにしても、花火大会にしても、そうである。が、そこま
で。そこから先がない。

 地域文化の熟成のためには、それこそ100年単位の時間が必要である。しかも一度壊
したら、もとには、戻らない。消えてしまうというより、人々が、その文化そのものを忘
れてしまう。忘れてしまうだけならまだしも、(ないのが当たり前)という前提で、ものを
考えるようになる。

 今の私がそうかもしれない。

 今日もこれから、そのショッピングセンターに買い物に行く。ほんの20、30年前に
は、近くの商店街でものを買っていた。が、今は、もうしない。車で行って、駐車場に止
めて、ほしいものをカゴに入れて帰ってくる。店員と会話を交わすこともない。だれかと
顔見知りになるということもない。

 ときどき「これでいいのかなあ」と思うことはある。あるが、もう、どうしようもない。
それほどまでに、地域文化は、破壊されてしまった。

 そうそう私が今のこの地に移り住んできたころには、まだ草刈りというのがあった。年
に2回、地域の人たちが総出で、近くの神社や小川の土手の草刈りをした。しかし今は、
もうしない。で、数年前、そのことが、自治会長と話題になった。自治会長はこう教えて
くれた。

 「今は、市のほうで、やってくれますから」と。ついでに、「最近の若い人たちは、そう
いうことをしたがりませんから」と。

 たしか当時は、草刈りに出ない人は、1000円の罰金(?)を払ったのではなかった
か。が、そのうち、それにかみついてくる人がふえた。「どうして、そんなお金を払わねば
ならないのか!」と。さらには、「1000円払ったほうが、楽」と考える人もふえてきた。
そんなわけで、いつしか、市のほうで草刈りをするようになった。

 こういうこまかいことが重なって、地域文化は、消えていく。何とも味気ない社会だが、
これも時代の流れなのだろう。私ひとりが、どうこう論じても、しかたのないこと。(流れ)
には、身を任すしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

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アメリカの子育て事情が、そのままわかって、楽しいですよ。

++++++++++++++++++

2月14日号より……

悪い夢を見たのか、昨晩はメイが朝の5時ごろまで泣きながら何度も目を覚ましていまし
た。最初の英語のレッスンは朝の5時半だったので、5時ごろ一緒にオフィス(英会話の
レッスンをする部屋)へ連れて行きました。メイを抱えながらコンピュータの電源を入れ、
真っ暗の中、部屋を歩き回ってメイをなだめようとしていました。しばらくして部屋の電
気を入れたら、写真のように箱に入ったキャンディーとバレンタイデーのカードが椅子の
上に置いてあるではないですか! 数時間しか眠れなかった後だったので、余計幸せでした。 
一日を乗り切るエネルギーを与えてくれました。 宗市は私の心を奪う方法を知っています。
チョコレート!私のレッスンが始まる5時半ごろ、彼がメイを寝室へ連れ戻って、眠らせ
てくれました。なんてロマンチックなんでしょうか! 

Mae had a bad night and woke up crying several times, the latest being at 5:00 a.m. I 
had my first English lesson of the day at 5:30. So I took her with me to the office room. 
While I was standing up and holding her, I bent down to I turn on the computer. After 
that, I walked around with Mae for a while hoping to calm her down. Around 5:20, I 
turned on the light in the room. Sitting in the computer chair was this container of 
sweets with a card on top from my valentine! It made me so happy, especially after only 
getting a couple of hours sleep. It gave me the energy I needed to get through the day. 
Soichi knows the way to my heart--chocolate! At 5:25, he took Mae back to bed and was 
able to eventually get her back to sleep. How romantic!

(デニースのBLOGは、私のHPのトップページから、お読みいただけます!)

Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●政治サッカー、日韓戦

+++++++++++++++++++

2対2の同点のまま迎えた、後半戦。
日本がやや有利かと思われたが、
40分を過ぎたところで、韓国側が
猛烈な反撃を開始した。

それは死闘とも言えるほど、猛烈な
反撃だった。なりふりかまわず、
日本陣営に頭からつっこんできた。

日本側もよく守った。が、その一瞬、
ほんの小さなスキを狙って、後方から
突進してきたミッド・フィルダーが、
こぼれ玉を蹴った。

ボールは、日本側守備陣の頭をかすめて
ゴールに入った。

これで2対3。

残すは、残り5分。よほどのことがない
かぎり、日本の逆転はむずかしい。
よくて同点。

今回(2月15日終了)の6か国協議を
サッカーにたとえると、そうなる。

++++++++++++++++++

 小躍りする韓国。勢いづく、韓国のN政権。与党ウリ党の支持率は、一時は10%以下
にまでさがった。が、ここにきて、雲行きが大きく変わった。南北首脳会談を支持する声
が、支持しないを超えた。N大統領は、外遊先のヨーロッパから、さっそく声明を発表。「韓
半島から危機は去った」「(K国に)、ほしいものは、(何でも)くれてやれ」と(2月15
日)。

 アメリカにさえ裏切られた日本。ブッシュ大統領が、ここまで心変わりするとは、いっ
たい、だれが予想しただろうか。加えて、良家で生まれ育ち、世間知らずのヒル国務次官
補。ヒル氏は、人間の心の奥底に潜む闇の世界を知らない。知らないから、操られるまま、
「合意に達した」と、はしゃいでいる。しかし、そうは、うまくはいくものか?

 金xxは、核兵器を放棄しない。すでに5〜6発の核兵器をもっているとされる。K国
にしてみれば、それじゅうぶん。あとは核開発施設をひとつずつ停止(もしくは閉鎖)し
ながら、莫大な(見返り)を求める。日朝交渉も、これから始まる。中国を介して打診し
てきた戦後補償費は、4兆円? あるいは40兆円? 

 そのK国と、今後、日本は、ひとりで対峙しなければならない。孤立無援。表向きは、「会
談の成功を歓迎する」とは言ってはみたものの、その声は虚しい。冬の風の中に消えた。

 失言つづきの日本の防衛相、それに外務大臣。そういうのが一つずつ積み重なって、ア
メリカの背信へとつながった。「どうして、アメリカが日本の平和と安全について、責任を
もたねばならないのか」と。

 このところ、ニュースを見るのもいやになった。「どうでもなれ」という、投げやりの気
持ち。無力感。脱力感。どうせ私のようなものが、いくら騒いでも、日本は、ビクとも動
かない。私のようなものがいくら心配しても、その声はだれにも届かない。はっきり言え
ば、ムダ。もう、どうでもよくなってしまった。

 とにかく試合には負けた。残り5分はあるが、その5分で何ができるというのか。今も
ボールは、韓国側にある。守勢、守勢の日本。

 願わくは、経済戦争で、韓国をたたきのめすこと。今朝の東亜N報は、アメリカの議員
が、従軍慰安婦問題を取りあげたことについて、見出しに、こう書いている。

 「ありがとう、国会議員さん」(2月16日)と。

 新聞という天下の公器に、「ありがとう」という、どこまでも私的な感情をぶちこむとこ
ろが、恐ろしい。つまりこうして韓国の対日世論は形成される。K国もK国なら、韓国も
韓国。中身は、どこもちがわない。

 ここはしばらく、穴にこもって、静観する。今の日本には、それが最善。韓国、中国の
お手並みを拝見する。今は、ジタバタしてはいけない。すればするほど、自ら、墓穴を掘
る。そして相手がスキを見せたところで、切り込む。

 サッカーの試合にたとえるなら、韓国側に油断させたところでボールを奪い、同点にも
ちこむ。今は、それしかない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 12日
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**************コマーシャル*****************

【BW・4月生を募集しています】
4月からの新年中児、新年長児、新小1児〜のみなさんは、どうか、おいでください。
3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html
より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

●ウンチ論

 数日前、子どもたちと、ウンチ論をした。ある子ども(小4男児)が、「どうしてウンチ
は臭いの?」と聞いた。私は、こう教えた。

私「あのね、ウンチが臭くなかったとしたら、人間は、とっくの昔に、絶滅していたんだ
よ」
子「どうして?」
私「まちがえて、食べたりするからだよ」
子「食べないよ。だって、臭いもん」

私「だろ。しかしね、人間も、大昔は、ネズミのような動物だったんだよ。頭がよくなか
ったというわけ。だから、食べものとウンチを、まちがえて食べることもあったと思うよ。
もし臭くなかったらネ」
子「まちがえて食べたら、どうなるの?」
私「伝染病なんかあったら、あっという間に広がってしまっただろうね」と。

 つまり臭いウンチをする動物だけが、進化の過程で、生き延びることができた。だから
ウンチは臭い。同時に、人間の嗅覚は、ウンチの臭いに敏感になった。だからウンチは臭
い。

 以上、私のウンチ論。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●いじめ(『負けるが、勝ち』)

++++++++++++++

学校教育法施行令によれば、
市区町村教委が入学先を指定
した小中学校を、保護者の申請
で変更できるとしている。

++++++++++++++

学校教育法施行令によれば、市区町村教委が入学先を指定した小中学校を、保護者の申
請で変更できるとしている。

 つまりある程度の理由づけがあれば、だれでも転校できるということ。「ある程度」とい
うのは、「同施行規則で各教委がその具体的要件や、手続きを定めている範囲」ということ。
実際には、そうした手続きを踏まないまま、転校を認めているケースも、少なくない。

 だから、子どもがいじめにあい、苦しんでいるのがわかったら、無理をせず、転校も視
野に入れて、解決方法を考えたらよい。言いたいこともあるだろう。不満もあるだろう。
親としてのプライドもあるだろう。しかし、この世界には、『負けるが勝ち』という格言が
ある。子どもの心を守ることを第一に考えて、行動したらよい。

 前にも書いたように、「教育」「教育」と気負いすぎると、あなたも疲れるが、子どもも
疲れる。転校するからといって、それをおおげさにとらえる必要はない。実際、転校する
ことによって、いじめの問題は、おおかた、そのまま解決する。

 子どもと担任との相性が悪いときも、同じように考えたらよい。ほかの父母との折りあ
いが悪くなったときも、同じように考えたらよい。それがあなた自身の問題であるなら、
あなたも、がんばればよい。しかし間に、あなたの子どもがいるなら、『負けるが、勝ち』。
大切なことは、子ども自身が、気持ちよく、学校へ通えるという環境を、子どもに用意す
ること。

 あなたではない。子どもが、だ。

 こうした行動が、ともすれば硬直化した学校教育のカベに、穴をあけることができる。
あなた自身も、あなたをがんじがらめにしているクサリから、解放される。けっして、学
校教育を、否定しているのではない。

 日本人は、あまりにも、「学校」にこだわりすぎる。「学校」という亡霊に、だ。私たち
にとって大切なことは、子どもの教育を、子どもの視点に立って、もっと自由に考えるこ
と。自由に組み立てること。

 以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を書いたことがある。この原稿に対する、反響
は大きかった。

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【若者たちが社会に反抗するとき】
 
●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』
の中でこう歌った。

「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきか考えていた」
と。

「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。現実にはコー
スがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られてしまう。尾
崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。し
かし夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことす
ら許されない。

ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそこの夢を
かなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。尾崎
はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩い
た」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張
しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。

そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よく
まじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなと
の争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が2億円もあるようなニュースキャス
ターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身
につけているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。

こういうのを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そ
こで尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。
もちろん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方
法が思いつかなかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、
打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで200万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、200万枚を超
えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中
に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の
教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)

●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず1人の
中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。

もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、
「では、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞
くと、こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。

ほかに5人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将
来について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少
年の生活と意識に関する基本調査」(01年)でもわかる。

 15〜17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(0
1年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあ
って決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日
は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)

●新聞の投書より

 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日
新聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、
11人の人からいろいろな投書が寄せられていた(01年8月静岡県版)。それをまとめる
と、次のようであった。

女子学生の服装の乱れに猛反発     ……8人
やや理解を示しつつも大反発      ……3人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……0人

投書の内容は次のようなものであった。

☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締
まってほしい。(65歳主婦)

☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛
情をもって、周囲の者が注意すべき。(40歳女性)

☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(1
6歳女子高校生)

☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(61歳女性)


●学校教育法の改正

 校内暴力に関して、学校教育法が2001年、次のように改定された(第26条)。

 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められると
きは、その児童に出席停止を命ずることができる。

一、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、施設または設備を損壊する行為。
四、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。

文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

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ついでに、もう1作。
『負けるが勝ち』について
書いた原稿です。

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●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。

このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そう
いうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに
相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、
よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつき
あいの大鉄則と考えてよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(2月11日)

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昨日、私のノートパソコンに、ウィルスが
侵入した。ウィルス対策ソフトのおかげで、
難なく処理できたが、それにしても……。

また昨夜、DVDで『イルマーレ』をみた。
頭の中で、そのつど、「これは過去」「これは
未来」と考えなければならなかった。

久々に、頭の中で、心地よい火花を感じた。

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●ウィルス

 メールの中に、「件名:S社からのお知らせ。300GBの外付けハードディスクが、1
万2000円から……」というのがあった。

 S社というのは、格安のパソコン用ソフトを販売している会社である。私も、15本前
後は、利用している。それでそのメールを開いてしまった。

 いや、その前にふと、「?」と思ったのは、「Sxxxexx」社の名前が、「SxxxE
xx」と、一部、大文字になっていたこと。うかつだった。

 で、メールを開くと、ホームページ・アドレスが、10個くらい並んでいた。その中の
ひとつに、「USB高速メモリーを、50%引きで、ご提供」とあった。私は、それをクリ
ックしてみた。が、変化、なし。画面が開かない。「?」「?」……。とたん、フィッシィ
ング・メールとわかった。

 「やられた!」と思ったとたん、そのパソコンにインストールしてあったウィルス対策
ソフトが起動。ポップアップ画面が出て、「ウィルスを検知しました。しかしご安心くださ
い。感染ファイルは、隔離しました」と。

 あぶなかった!

 そのあと、すぐウィルス・チェック。隔離されたウィルスは、インターネット・エクス
プローラのTEMPに入っていることがわかった。即、TEMPの中身を、丸ごと削除。
かつ2度目のウィルス・チェックを実行。

 2度目のチェックのときには、ファイルごと、ウィルスはきれいに消えていた。

 しかしそれにしても……。みなさんも、くれぐれも、ご用心ください。


●DVD『イルマーレ』

昨夜、夕食後に、DVD『イルマーレ』をみた。おもしろかった。画面ごとに、「これは
2004年だ」「これは2006年だ」と、頭の中で、そのつど頭の中の時計を、切り替
えながら見た。

 DVDは、2004年に住む男と、2006年に住む女の文通から始まる。時空を超え
た文通ということになる。

 で、最初のうちは、それなりにわかりやすい展開だったが、やがて、どうこうするうち
に、それから2年ほど、時間が経過する。2004年に住んでいた男が、2006年を生
きるようになる。2006年に住んでいた女が、2008年を生きるようになる。

 ……頭の中がゴチャゴチャしてくる。

 伏線として、一匹の犬が、過去と未来を行ったりきたりする。さらには、主人公の男が
交通事故で死んだり、死ななかったりする。

 ……頭の中が、さらにゴチャゴチャしてくる。

 過去をいじれば、未来を作りかえることができる。ふつうは、できないということにな
っているが、このDVDの中では、できることになっている。それをマンションの前の大
木が証明する。(このあたりは、描写がていねい。こまかい。)

 ……などなど。久々に、頭の中で、バチバチと火花がショートするのを感じた。あの『マ
トリックス』『シックス・センス』を見て以来のことである。

 最後は、2006年に、2006年に住む男と、2006年に住む女が、抱きあったと
ころで終わる。(エンディングを話してしまって、ゴメン!)

 夜、床についてから、最後のあのシーンは、2006年のことだったのか、それとも、
2008年のことだったのかと、考える。私の結論は、2006年のことだったというこ
とになるが、このあたりが、少しわかりづらい。

 字幕の翻訳が、少し荒すぎるのではないか。星は、★★★★。星が1つ欠けるのは、私
はあの女優が、あまり好きではないから。


●相性

 (好き・嫌い)の話を書いたので、ついでに、一言。

 昔から、「似たもの夫婦」とか、「似たものどうし」とかいう。性格、心情、目的、態度、
好みなどが似ていると、たがいに親しくなりやすいことをいう。

 しかし似ているから、相性がよいということにはならない。

 たとえば性格にしても、好ましい性格と、好ましくない性格がある。好ましい性格とい
うのは、自分が「よい」と思っている部分をいう。朗らかだとか、明るいとか、あるいは
社交的とか、など。好ましくない性格というのは、自分の中に潜む邪悪な部分をいう。ね
たみやすいとか、いじけやすいとか、ネチネチとものごとを暗く考えやすいとか、など。

相手が自分と同じ、好ましい性格をもっているわかると、その人との親しみがます。し
かしそうでなければ、そうでない。好ましくない性格だと、かえってその人を遠ざける
こともある。その人に会うたびに、自分の中に潜む邪悪な性格を見せつけられる思いが
するからである。

 そこでシュプランガーという学者は、性格を、(1)理論型、(2)経済型、(3)審美型、
(4)政治型、(5)社会型、(6)宗教型の6つに分類した。

 これらの性格について、同じような性格をもっている人は、たがいに親しくなりやすい
ということがわかっている。たとえば理論型の人どうし、経済型の人どうし、など。

 が、誤解も生じやすい。

 自分では「親しい」と思っていても、相手はそうは思っていないというケースも、少な
くない。これを心理学の世界では、「類似性の仮想現象」と呼んでいる。わかりやすく言え
ば、思い込みによる誤解ということになる。

 実は、こうした現象は、夫婦の間で、よく見られる。よくある例は、夫のほうが一方的
に、「私は妻とは、良好な人間関係にある」と思い込むのが、それ。あるいは「私は、妻と
はうまくいっている」「妻は、私をよく理解し、私を尊敬しているはず」「妻は、私という
夫と結婚して、幸福なはず」と。

 しかし仮想は仮想。崩れるときには、一気に、崩れる。民法が定める離婚事由の中にも、
「性格の不一致」というのがある。性格が異なると、たがいに親しくなるのはむずかしい。
そういう意味で、毎日、薄氷の上を恐る恐る歩くようにして、生活を維持している夫婦も
多いのではないのか。

 私たち夫婦も、そうかもしれない。私は、理論型+政治型。ワイフは、社会型+審美型。
こう考えてみると、この40年弱の間、よくもまあ、無事、夫婦でいられたものだと思う。

 ホント!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
性格 性格の一致 相性 類似性 類似性 類似性の仮想現象)


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●雑感

+++++++++++++++++

今夜は、天丼。
先ほど、ワイフと買い物から帰って
きたところ。

昨夜は、チャーハンだった。もちろん
私の料理。土日は、できるだけ私が
料理するようにしている。

時刻は、午後4時を少し回ったところ。
夕食の支度を始めるまで、1時間ほど
ある。

その間に、雑感を、まとめよう。
頭の中が、モヤモヤしている……。

+++++++++++++++++

●慎重な質問

 オーストラリア人の友人の娘が、近く、結婚する。私も出席する。で、そのことについ
て、別の友人に、あれこれと相談すると、その友人から、改めて、メールが届いた。

 「父親(=友人)と、娘たちは、うまくいっているのか?」「その娘は、君の出席を望ん
でいるのか?」「君は、レセプションまで招待されているのか?」などなど。

 こういうばあい、日本人なら、こういう質問はしない。たとえ親子関係がうまくいって
いないとわかっていても、知らぬフリをする。「うまくいっている」という前提で、話を進
める。日本人の私には考えられない質問なので、改めて、「日本人とオーストラリア人は、
ちがうなア」と感心する。

 つまりオーストラリアでは、たとえ親子でも、別々の人間とみる、……らしい。親子で
も、うまくいっていないケースは、いくらでもある。私のようなものが、勝手に出席する
のは、かえって失礼になるケースもある。第一、娘自身が、それを望んでいるのか。別の
友人は、それを心配した。

 もちろんオーストラリアには、日本でいう、「家」意識は、ない。日本では、結婚式とい
うと、「家」どうしのつながりをつくるのが、いまだに、慣例となっている。中には、自分
の先祖を自慢する人さえいる。「私の先祖は、○○藩の家老だった」と。悪しき、封建時代
の遺物である。

 来月に入ったら、いろいろ忙しくなりそう……。


●6か国協議

 案の定というか、やっぱりというか、北京で行われている6か国協議が、4日目に入っ
たというのに、難航しているという。

 K国が、核放棄の見返りとして、桁外れの要求を出しているためである。そうしたニュ
ースを読みながら、いつも不思議に思うこと。

(1)なぜ、日本のマスコミは、こうした協議の内容について、逐一(ちくいち)、実況中
継でも何でもいいから、報告しないのか。

 K国の核開発問題、さらには6か国協議は、日本の命運を左右するような重大問題であ
る。そこらのサッカーの親善試合とは、わけがちがう。

(2)なぜ、こんな茶番劇をいつまでもつづけるのか。

 K国の金xxは、自分が健在なうちは、ぜったいに、核開発を放棄しない。彼にとって、
核兵器は、自分のパワーを象徴する、本尊のようなもの。つまり思考回路そのものが、カ
ルト化している。仮に「放棄する」と言っても、K国を信用するほうが、どうかしている。
K国は、今まで、さんざん、周辺の国々を欺いてきた。

(3)ノー天気な韓国政府

 会議が始まる前の、韓国政府のはしゃぎようは、たいへんなものだった。(いつもそうだ
が……。)前回の協議のときも、「これで解決」と大見得を切った。今回は、「大きな転換期
になる」と、これまた大見得を切った。しかし結果は、ご覧のとおり。

 ここまでK国の核開発をウラで支えてきたのは、韓国政府と言ってもよい。その責任は、
どうなるのか。

 ところで今朝の東亜N報の社説は、こうだ。「(従軍慰安婦問題について)、謝罪が遅すぎ
るということはない」と。

 しかし、日本は、戦後、そのつど、さんざん謝罪してきたではないか。天皇が訪韓した
ときも、そうだ。で、時の外務大臣のSが、キレた。「何度、謝罪したら、気がすむのだ!」
と。

 私も、同感。で、朝鮮N報のほうでは、オランダ人の従軍慰安婦問題を取りあげている。
どうして韓国が、オランダ人の従軍慰安婦問題まで、問題にするのか。

(4)A外務大臣

 日本のA外務大臣が、アメリカのイラク政策を批判して、「幼稚」と発言した。どうして
あの人は、失言ばかり繰りかえすのだろう。さらに防衛大臣の発言をとりあげて、「私の(失
言)は、防衛大臣のとはちがう」と、まで。 ???

 今、日本の外交政策を安心して見ている人は、いったい、どれほどいるだろうか。現実
には、あぶなっかしくて、とても見ておられない。つまり、それも、安倍内閣の支持率低
下の一因ではないのか。

 ……などなど。そろそろ、夕食の支度にかかる。ワイフは、天丼を作る。私は、酢豚を
作る。

 暗い話ばかりで、ごめん。

 はやくVISTA搭載のパソコンが、ほしい! ほしくて、ウズウズしている。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●揺れる心

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心というのは、けっして安定
しているものではない。

ばあいによっては、刻々と変化する。

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 母の介護をしていて、こんなことに気づいた。母は、もともと難聴である。そのため、
私のほうが、どうしても、大声になる。命令口調になる。

 今日もパットを取り替えるとき、母は、臭いオナラをした。大便が近いと感じた。それ
で母に、そのままポータブルトイレに座らせた。が、母は、「出ない」とがんばった。

私「ウンチが出るまで、ここに座っていろ」
母「ハハハ、出んなア」
私「いいから、座っていろ」
母「わかった」と。

 母はすでに排便のコントロールができなくなっている。大便も小便も、たれ流しの状態。
しかも大便といっても、毎回、下痢のような便である。

 だから大便については、どうしても神経質になる。が、肝心の母は、私の思いなど、ま
ったく意に介さない。「便が出る」と言ったときには、たいてい、もう出たあと。オムツの
中で、便がぐちゃぐちゃになっている。が、私を怒らせるのは、そのことではない。私が
ほんの少しでも、母の部屋を出ると、ポータブルトイレから、腰を浮かそうとする。約束
というのが、ほとんど、守れない。

私「あのなア、ちゃんと座っていろ」
母「出んもんは、出ん」
私「そんなはずはない」と。

 そういうとき、私の心は揺れ動く。慈悲深い暖かい心が消え、冷酷な独裁者になる。が、
そうなったとたん、ふと、また我に帰る。帰って、「どうせ言ってもわからないし……」と
自分に言って聞かせる。

 このことをワイフに話すと、ワイフも、「私も、そう」と言った。

私「お前も、そうか?」
ワ「私も、そうよ」
私「悪いな。お前に迷惑をかけて、申しわけない」
ワ「そうじゃないのよ。私だって、ときどき、心が冷たくなるのを感ずることがあるって
いうこと。人間の心って、そういうものじゃ、ないかしら?」
私「やさしくなったり、冷たくなったりするということか?」
ワ「そう……」と。

 考えてみれば、これはおもしろい現象である。同じ私なのに、状況に応じて、心そのも
のが変化する。しかしどちらも、「私」である。わかりやすく言えば、そのつど、多重人格
者のように、人格そのものが変化する。冷たくなったときは、冷たくなったときの自分が、
本物の自分と思う。暖かくなったときには、暖かくなったときの自分が、本物の自分と思
う。

 優劣はない。

 しかし結論は、出ている。冷たい人間よりは、暖かい人間のほうがよい。だったら、暖
かい自分のときを思い出して、できるだけ早く、冷たい自分から抜け出る。つまり自分で
自分を管理する。

 EQ論(人格完成論)でも、こうした管理能力の高い人を、人格の完成度の高い人とい
う。そうでない人を、低い人という。

 しかし母が、寝たきりになるのは、もう時間の問題。今は、なんとかデイサービスを受
けに行ってくれるが、起きあがることもできなくなったら、私やワイフでは、介護できな
い。

 まあ、そのときはそのとき。そのときがきたら、まただれかに相談しよう。幸いなこと
に、私のまわりには、心の暖かい人が多い。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司
●夫婦円満

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夫婦が円満であるためには、
3つの条件が必要であるという。

マーンスタインSVR理論というのが、
それ。

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 アメリカの心理学者のマーンスタインは、男女の関係を、つぎの3段階に分けて考える
(「性格心理学」ナツメ社)。

(1)刺激ステージ
(2)価値ステージ
(3)役割ステージ

 刺激ステージというのは、いわゆる電撃に打たれるような衝撃を感じて、恋愛関係にな
ることをいう。

 価値ステージというのは、その刺激ステージから覚め、たがいに価値観の一致を求める
ようになることをいう。

 さらに役割ステージというのは、たがいに役割を分担し、助けあい、補完しながら生活
をするようになることをいう。

 これらのそれぞれのステージで、不一致を生ずると、夫婦は、そのとき危機的な状況を
迎える(?)。

 もっともマーンスタインのSVR理論というのは、恋愛期のもので、結婚生活について
いったものではない。しかしこの3つのステージは、そのまま、結婚生活についても、あ
てはめて考えることができる。

 夫婦が円満であるためには、たがいの愛情はもちろん、価値観を共有し、たがいに役割
をもち、補完しあわなければならない。言い換えると、日常の生活の中で、どうやってそ
れを作りあげていくかが、夫婦円満のカギということになる。

 ところで話はぐんと生々しくなるが、少し前、夫婦で、全国を泥棒行脚(あんぎゃ)し
ていた人が、逮捕されたことがある。私はその話を聞いたとき、不謹慎に聞えるかもしれ
ないが、「いい夫婦だなあ」と思ってしまった。

 同じ夫と同じ妻で、夫婦生活を何十年もつづけるのは、至難のワザである。円満な夫婦
生活をつづけるのは、さらに至難のワザである。ここでいう価値観のズレが、そのままた
がいの間にキレツを入れることも、少なくない。

 が、夫婦で、泥棒行脚していた(?)。価値観が一致していないと、ともにこういう行動
はとれない。「いい夫婦だなあ」と思ったのは、けっして、泥棒という窃盗行為を容認して
での感想ではない。どうか、誤解のないように!

 というのも、泥棒という行為を繰りかえしながら、当然、その夫婦は、「悪」に対する嫌
悪感を、たがいに慰めあわなければならない。それができるということは、つまり、ふつ
うの夫婦ではないということ。かなり濃密な価値観の共有がないと、できない。

 アメリカ映画にも、『俺たちには明日はない』というのがあった。ボニー・パーカーとク
ライド・バローという、実在した男女をモデルにした映画である。

 ウィキペディア百科事典には、こうある。

 『(映画は)クライドが、ボニー・バーカーの母親の車を盗もうとする場面から始まる。
ボニーはクライドの非合法的な振る舞いに興奮させられ、そして彼は彼女の面前で店から
掠奪をすることで、彼女をさらに刺激する。クライドはボニーを引き連れて車を掠奪し、
彼らの伝説的な犯罪を行い放題が始まる。2人は町から別の町まで渡り歩き小さい強盗を
やってのける』と。

 この2人も価値観を共有し、やがてたがいに役割を分担するようになる。

 正式な統計はないので、あくまでも推定だが、農村地帯では、離婚率が低いのは、それ
だけ、役割分担がしっかりしているためではないか。夫婦でも、たがいに相手がいなけれ
ば、生活を維持することすら、できない。

 あまりよいエッセーではないかもしれないが、ちょっと気になる理論に出会ったので、
それについて書いてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦 夫婦段階説 俺たちに明日はない ボニー クライド マーンスタイン SVR理
論)


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●6か国協議・最終日(?)

+++++++++++++++++

今日2月12日は、6か国協議、最終日。
アメリカの国務次官補のヒル氏は、そう述べている。
中国側も、そう発表している。

つまり今回も、何ら成果(?)を生み出せないまま、
閉会ということになりそう。

今は、午前8時だから、まだなんとも言えないが、
昨日までの流れをみると、どうやらその気配が
濃厚になってきた。

+++++++++++++++++

 今回も、6か国協議に先立って、韓国のはしゃぎようは、なかった。「(南北関係は歴史
的)転換期を迎えた」(N政権)と。

 N大統領としては、今回の会談の成果をふまえて、南北首脳会談へともっていきたかっ
たのだろう。核開発放棄の見返りを話しあう作業部会でも、韓国は、主導権を握ろうとし
た。そしてあろうことか、残り4か国(日本、アメリカ、中国、ロシア)に対して、「(見
返りを)ケチるな」(韓国側代表)とまで言い切った。

 が、ここから、話がおかしくなった。

 当初は、原油5万トン程度で、K国は、Yにある核施設のスイッチを一時、止めるつも
りだった。が、アメリカは、「停止(Freeze)」ではなく、「閉鎖(Close)」を考えていた。
とたん、K国は、見返りを、つりあげた。

 原油200万トンのほか、電力を200万キロワットなどなど。ロシアの代表をして、「法
外」と言わせるほど、メチャメチャな要求である。とたん、韓国代表部の態度が、しぼん
だ。

 韓国への負担が大きくなると感じたとたん、「見返りは、5か国でするのがふさわしい」
と。

 一方、日本は、当初、「拉致問題が進展しないかぎり、見返りは与えない」と強気の姿勢
だったが、会議が進むにつれて、「会議が進展すれば、一部、制裁を解除する」「間接的に
なら協力する」(A外務大臣)と姿勢を変化させた。日本が孤立するのを恐れたためだが、
しかしこの時点で、腰がくだけた。(日本の腰くだけは、毎度のことだが……。)

 韓国も韓国なら、日本も日本ということになる。

 そして今日。2月12日。

 6か国協議は、またまたなんら成果を生み出すこともなく、閉会しそうである。しかし
今回は、前回とちがって、中身がまるでちがう。

 その第一。アメリカは、この極東アジアから、足を抜こうとしている。米朝会談を、ド
イツという場所で秘密裏に行ったことも、それを示す。しかも双方で、覚書まで交わして
いた。

 わかりやすく言うと、アメリカは、アメリカの国益だけを最優先に考えるようになった。
「あとのことは、知ったことか!」と。

 これは日本にとって、重大事と考えてよい。仮に6か国協議がスムーズに流れて、K国
が核開発を断念したようなばあいを考えてみればよい。そのあと、K国は、なりふり構わ
ないやり方で、日本に莫大な補償を要求してくるはず。そのとき、日本は、たったひとり
で、孤立無援のまま、そのK国と対峙しなければならない。

 今の日本に、それだけの(力)があるか? (度胸)はあるか? K国と対峙するため
には、それこそ一戦を交えるほどの覚悟が必要となる。今までは、バックにアメリカがい
た。しかしこれからは、そうではない。

 今のところ、日本にとっての最良のシナリオは、K国自体が、自然崩壊すること。その
あと、今のK国が、中国の管轄下におかれるようになること。その上で、日本は、中国と、
K国の補償問題について、話しあう。韓国とではなく、中国と、である。そしてそれがま
た、K国の人たちにとっても、最良の解決策ということになる。

 韓国のN大統領にしてみれば、まさに最悪の解決策ということになるが、それこそ私た
ち日本人の知ったことではない。K国の金xxイコール、韓国のN大統領と考えている人
は、多い。少なくとも、その心情は、兄弟のように、よく似ている。私たち日本人がもっ
とも恐れていることは、南北C鮮が一体化し、そこに強大な反日国家が誕生することであ
る。

 今、重要なことは、韓国のN大統領が、目を覚ますこと。N大統領が支えようとしてい
るのは、社会主義国家でもなければ、共産主義国家でもない。頭のおかしい独裁者が支配
する、独裁国家である。それだけでもわかれば、N大統領の思考回路も少しは、修正され
るはず。

今回の協議が不調のまま終われば、K国は、ますます自滅の道を歩むことになる。それも、
私たち日本人の知ったことではないが……。

 それにしても、日本側と、韓国側の報道内容が、180度ちがうことには驚いた。以下、
TBS―iニュースと、朝鮮N報の新聞記事を掲載する(ともに11日、夜)。「会議は決裂寸
前」と書く、TBS。「会議は、合意寸前」と書く、朝鮮N報。さて、どちらが正しいのか。
その結論は、まもなく出る。

 まずTBS。

 『……ヒル国務次官補は11日夜、「朝になって北朝鮮の考えが変わっていれば、協議を
続けるが、変わっていなければそのまま飛行機に乗って帰ることも考えている」と、北朝
鮮に事実上の最後通ちょうを突きつけた。きょう12日を最終日と決めたことについて、
協議関係者は「何日続けても北朝鮮の態度が変わる見込みはないからだ」としている』と。

一方、朝鮮N報は、以下のように韓国国内で報道している。

『6カ国協議の米国代表であるヒル国務次官補は同日夕、宿泊先のセイントレジスホテル
に戻り、「協議は明日(12日)で最後となるが、これは今日開かれた首席代表協議で決まっ
たこと」と話した。 

 また、「北朝鮮の核廃棄に向けたエネルギー支援量の問題で会談が長引いているが、明日
には合意に至れる」とし、合意文の妥結が近づいていることを示唆した。 

(中略)

 米国は、今回の協議で合意が成立する場合、ヒル次官補が北朝鮮を訪問する可能性があ
るとの立場を明らかにしたという』と。

【補記】

 K国は、K国の核兵器開発は、「日本向け」であって、「アメリカ向けではない」と、た
びたび公の席で、発言している。「同胞である韓国に対して、使用することはない」とも。

 そういう現状を無視して、日本のK防衛大臣は、アメリカ批判を重ねている。以前から、
何かと失言の多いK氏だが、今回のは、(失言)ではすまされない。アメリカ兵たちが命を
かけて戦っているイラク戦争を批判して、「(ブッシュ政権の)判断はまちがっていた」「(ブ
ッシュ政権は)根回しを知らない」と言った。

 もし今ここで、アメリカが、「極東のことは、知らない。自分たちで勝手にやればいい」
と、日本を突き放したら、日本は、いったい、どうなるのか? 防衛大臣ともあろう人物
が、そんな程度のことすら、理解していないのか、ということになる。

 安倍内閣の支持率は、ますますさがりそう!
(07年2月12日、早朝記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 9日
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4月からの新年中児、新年長児、新小1児〜のみなさんは、どうか、おいでください。
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詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【YKさんからのメールより】アスペルガー児について(補足)

++++++++++++++++++

アスペルガー児をおもちのNさんより、
YKさんに、意見が届いています。

あくまでも参考、ということで、ここに
掲載させていただきます。

もしASの心配があるなら、専門の診療
機関で、専門医による診断を受けてください。

++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

こんにちは。

私はこのYKさんの記事を読んで、ちょっとこのお子さんは発達障害の可能性があるので
はないかなと思いました。

もちろん確信はなく、発達障害の子どもを育てたことがある方だと、「ちょっと可能性があ
るかな」と思うくらいの程度でしかわかりません。2歳という年齢ですから、まだ判断す
るのは難しいのです。

でもよくアスペルガー症候群や、高機能自閉症の親のサイトでは、「外で癇癪が始まると激
しく騒いで、周りから白い目で見られたり親の躾(しつけ)がなっていないと怒鳴られた」
というような記事が出ていたりします。

発達障害を診断する医師は、このような、赤ちゃんから今までの様子なしでは診断できな
いと言われているくらい、発達過程での様子は大事なのです。

うちの息子も1歳くらいから、暑さ、寒さ、不快さ、などの理由で大泣きし寝転がって両
手両足を激しく動かして抱く事もできないような癇癪から始まり、2歳くらいでは、YK
さんのような理由での激しい癇癪が多かったです。電車の中でも、自分が思った通りでな
い事が起こると癇癪になったりしました。その当時はASなどの知識はなかったので、失
敗したなと思います。以下は私の感想です。

【YKさんからのメールより】生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあ
るほど、まとめて寝ない子で、起きている時間は抱っこして歩きまわらないと、グズって
ばかりの娘でした。

家の子の場合も、寝かせるのが本当に大変でした。眠いし、寝たいのに無理に目を開けて
いるのです。放っておくと午前1時でも寝ません。しかし、これはBed time storyの定着
でかなり解消されました。Ritualが好きで、それを一通り済ませる事で安心して寝られた
ようです。

【YKさんからのメールより】2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済
みません。着替えも、ちょっと手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れ
そうなほど引っ張って
全部脱いでしまいます。

これは私は、OCとかOCDと言われるものが強い、つまりこだわりが強いからだと思い
ます。誰でも多少は持っています。しかし病的に近いものであると、手を洗うのがやめら
れない、この通りの順番でないと駄目、と社会生活に支障をきたしてきます。

OCである子どもの性格を変える事は出来ませんが、緩和する事は出来ます。それはその
習慣の連続性をたまに断ち切るのです。無理強いではなく、あくまで偶然という感じでで
す。

例えば石鹸を使わないと手を洗った気がせず、いつも石鹸で長い時間洗い続けている場合、
石鹸を求めてきたらそこにあればあげてもいいのですが、たまには石鹸を隠しておいて、
「そういえば買い忘れたからないわ。今度買っておくね、今日は水だけで洗おうね」とい
う感じでです。

一度か2度習慣を断ち切るうちに、その習慣性から抜け出す事が訓練されるようになりま
す。無理強いは駄目ですが、あくまでさりげなくです。服に関しては自分で着るのは良い
事で、やらせておいてもいいように思います。急いでいても親があせって着せてあげる必
要はないかもしれません。

いつも私は自分に言い聞かせているのは「5分待ってあげたら癇癪にならなかった。5分
待てなかったから癇癪になって半日潰れた。焦ったら駄目」という言葉です。

【YKさんからのメールより】三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、
購入して1週間で自分でこげるようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言っ
て横断歩道の真ん中でも足を踏ん張って動かなくなってしまいます。

多分、この子はお母さんが後ろを押すのが嫌なのではなくて、断りもなしに押されるのが
嫌なのだと思います。発達障害の子は、次に何が来るのか状況から判断するのが非常に苦
手なので、突然その出来事が降りかかったように思って驚いてしまうのです。だからお母
さんが一言、「押してあげようか?」と聞いたり、他の子を押している場面とか楽しい場面
を見せて「こうやって欲しい?」と聞いてあげれば、やりたいと言ったかもしれません。

【YKさんからのメールより】公園などでは順番や物の貸し借りのルールをすごく理解し
ています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どうぞ」と貸してあげ
られたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられないほど
暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

社会規範、学校校則など、決まりごとはきちんと守るべきと捉え、その枠から少しも外れ
る事ができないのは息子も同じです。言葉を文字通りにしか受け取れないからです。

学校で「教室で私語をしてはいけません」と先生が言ったら、休み時間でも私語をしませ
ん。人とのルールも決まった通りにのみ動くと思っていて、そうでない人を軽蔑していま
す。しかし人間ですから、そうでない場合もあり、プレイセラピーなどを通して学んでい
くのが課題です。

【YKさんからのメールより】お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

さっきのと重複しますが、これも突然だったからではないでしょうか。「これこれしたらバ
イバイするけどいいかな?」と聞いて、本人が納得してからバイバイさせるとなんともな
くバイバイしたりします。出かける時も、例えば家族で食事の時、今日は映画見に行こう
か、なんて話していても、本人に「今日は何時に何の映画見に行くけどいいかな?」と確
認を取っておかないと、出かける時に「言われてない」と癇癪になったりしました。何で
も疑問形で聞くので母とかは「子どもの顔色伺ってる」と批判してきました。

【YKさんからのメールより】ここまで激しいと私まで泣きたくなります。

私もその気持ち、とてもよくわかります。何度も泣きました。

【YKさんからのメールより】相手が泣いていたりすると自分が悪いと思ってしまい、何
度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。

人間関係の相手の感情とか全く読めないので、目に見えるもの、涙とか怒った言葉の口調
などで自分が責められたと思う場合が多いみたいです。また聴覚過敏だと、声のトーンが
上がっただけで平手ビンタをくらって気持ちになるそうです。

【YKさんからのメールより】こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかっ
たように、いつもの太陽みたいな笑顔を見せてくれます。

そうです。まるでスイッチがオンになったり、オフになったりしたみたいです。

普通、気分悪かった事、恨みに思ったり、嫌な感情は、その事が過ぎてもなかなか忘れま
せん。忘れないからこそ、学習したり、次から気をつけたり、同じ事を同じ人にしないよ
うにします。でも発達障害の子の癇癪の場合、その間の記憶があまりはっきり残っていな
かったりする事もあります。

そして癇癪発作が治まると、まるで何事もなかったように、スイッチがオフになったよう
に普通の子に戻ります。もう少し年齢が進むと、フラッシュバックで再度癇癪発作になら
なければ、その理由を話させたり、聞き出す事も出来るようになります。

大切なのは学び続ける事だと思います。

自分の子どもがこういう個性を持って生まれてきて、さて、どうやったら社会で生きてか
れるのか、レッテルを貼る事が必ずしもいいとも限りません。でも親だけはその子の特性
を十分理解してあげて、それに沿った援助をしてあげて欲しいと思います。

【はやし浩司よりNさんへ】

 現在(07年2月)、私も、2人のアスペルガー児を、指導させていただいています。と
もに症状は軽いほうですが、診断基準通りの症状を示しています。

(1)他人と良好な人間関係が結べない。
(2)不器用。(文字、数字が、乱雑すぎて、読めないなど。)
(3)ともに、数の分野で、特異な才能を見せている。
(4)まちがいを指摘されると、パニック状態になる。
(5)キレた状態になると、突発的にかんしゃく発作的な症状を示す、など。

 しかし私の今までの経験では、小学3、4年生ごろになると、症状が急速に収まってき
ます。ときに自己意識(=自分を客観的に判断して、自分で自分をコントロールする力)
が育ってくると、見た目には、わからなくなります。

 私のように幼児期からその子どもを見ている者にはわかりますが、たとえば小学校の先
生などには、判断できないのではないかと思います。実際、学校の先生に、いつも「字が
汚い」と、叱られている子ども(小学高学年児)もいます。(叱ったところで、どうにかな
る問題ではないのですが……。)

 もちろん、親の前で、「アスペルガー」という診断名を口にすることは、タブー中のタブ
ーです。しかしその子どもから、ときどき、そういうケアセンター(名称は、いろいろで
す)で、指導を受けているという話を聞き、そのように診断されているということを、私
は知ります。

 (親のほうから、診断名を言うということは、めったにありませんので……。私のばあ
いは、知っていても、知らぬフリをして、指導しています。)

 発達障害児の問題は、その子ども自身に問題があるというよりは、親自身にその知識と
理解がなく、強引な指導などにより、症状をこじらせてしまうところにあります。ADH
D児についても、同じです。

 早期に、それと知り、適切な指導で、症状をこじらせないことこそ、重要です。あとは、
ここにも書きましたように、(時)を待ちます。根気のいる作業ですが、終わってみると、
「何だ、こんなことだったのか」という状態になります。

 ただ小学3、4年生になったから、症状が消えるということではありません。中学生、
高校生になっても、症状は残ります。(ADHD児も同じです。)が、「注意してみれば、わ
かる」といった程度まで、症状は、わかりにくくなります。またそうなるよう、指導をつ
づけます。

 現在指導している、A君(小学高学年児)にしても、そういう子どもであるという前提
で、指導しています。いろいろ問題点はありますが、A君自身でもどうにもならないこと
だとあきらめ、私のほうが、先に手を引くようにしています。たとえばまちがいを指摘し
ない、字が乱暴なのを責めないなど。

 こまごまと、追いつめないのが、指導のコツです。

 ともかくも、私は、実のところ、乳幼児期(0〜3、4歳児)については、ほとんどと
いってよいほど、知識も、また指導の経験もありません。貴重なご意見、たいへんありが
とうございました。

++++++++++++++++

YKさんからの相談(掲示板への
書き込み)を、再度、ここに転載
させていただきます。

++++++++++++++++

【YKさんより、はやし浩司へ】

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩
きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、
至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかります
が、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいい
か分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反
抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長
に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシ
ップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わが
まま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのか
なぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと
手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱い
でしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合
ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だ
からどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげる
ようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏
ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し
借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもち
ゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重な
ると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃく
を起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分の
おもちゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠
たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとする
から、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激
しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまい
ます。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせて
あげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれ
て、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつ
までたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘し
なきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るとい
うのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配
されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる
子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激し
いと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪い
と思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いの
で、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないもの
をきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたい
な笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってく
れます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、
反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばし
てあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろ
しくお願いします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー 発達障害)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・雑感】(2月10日)

+++++++++++++++++

母は、今日はデイサービスを受けに
行った。

その間に、私とワイフは、山荘で、
つかの間のひとときを、楽しんだ。

ミルクティーを飲んで、ハッサクの
収穫。レモンも、5、6個取った。

+++++++++++++++++

 人は子育てをしながら、自分の過去を見る。同じように人は、親の介護をしながら、自
分の未来を見る。私は、今、その(未来)を見つつある。

 過去を、(プラスの領域)とするなら、未来は、(マイナスの領域)となる。たとえば小
学校でも、比例のところで、グラフの学習をする。しかしそこはプラス(正)の世界。し
かし中学生になると、マイナス(負)の世界を学ぶ。とたん、グラフの世界は、4倍の広
さをもつようになる。

 私は、今まで、そのプラスの世界だけを見てきた。またプラスの世界だけを論じてきた。
が、その一方に、もうひとつ別の世界があることを知った。それがマイナスの世界である。
つまりそれが自分自身の老後の世界ということになる。

 私は母の介護をしながら、「では、自分はどうあるべきか」を、懸命に学ぼうとしている。
ワイフも、同じで、今日、そのことがドライブの途中で、話題になった。

 有吉佐和子は、「恍惚の人」という本の中で、こう書いている。『長い人生を営々と歩ん
で来て、その果てに老もうが待ち受けているとしたら、人間は何のために生きたことにな
るのだろう』と。

 まさにそのとおり。

私「……ということは、元気なうちに老後のありかたを決めておかねばならない」
ワ「老後になってから、あわててもしかたないわね」
私「うん。何よりも大切なことは、老後、とくに晩年になったとき、何に生きがいを求め
るかということかもしれないね」
ワ「ただ死を待つだけの人生だったら、つまらないわね」と。

 で、私たちが出した結論は、こうだ。

 できるだけ元気なうちに、(生涯介護)という名前の施設に入ること。そこを起点に、旅
行をしたりして、人生を楽しむ、と。この浜松市にも、(生涯介護)をうたった施設は、い
くつかある。

 入居のとき、○千万円を納める。あとは月々の出費と小遣い程度で、死ぬまで、めんど
うをみてくれる施設である。ワイフは、「家と土地を売れば、何とかなる」と、いつも口ぐ
せのように言う。

 これから10年。私を取り巻く環境は、大きく変化するだろう。いくらがんばっても、
寿命には勝てない。今のところ、これといった病気はない。認知症の心配もない。だから
こそ、今のうちに、老後のあり方を決めておかねばならない。

+++++++++++++++++

4年前(03年)に、こんな原稿を
書きました。

+++++++++++++++++

【未来と過去】

●回顧と展望

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるとい
う。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかしこ
れには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反対
に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんどち
らがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 これを心理学の世界でも、「展望性と回顧性の転換期」と呼んでいる。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど毎
日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあって
も、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10
年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているか
なあ」という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※をい
くら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏教
典のほとんどは、釈迦滅後四、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミッ
クスされてできた経典である。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主
張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あれ
ばもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわから
ないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私の
ようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はやし
浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。大
きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があるとし
ても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。それ
しかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつ
かしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華や
肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、いく
らでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々
に前進することこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。わかりやすく言え
ば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは
許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向
きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 1年前(02年)に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

【前向きの人生、うしろ向きの人生】

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからな
い。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信は
ないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70
歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を
築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は
従業員を5人ほど雇うほどまでになった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなって
から2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方を
していた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私
と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。

「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこ
にあるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいう
ような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生ひとりで、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへ
と、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波
がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわい
のは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。仏教でも、「輪廻彷徨
(りんねほうこう)」という言葉を使って、それを説明している。

もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは
言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチン
コ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人
がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがう
まくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記
しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある
会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きし
た顔色を見て驚いた。「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑い
ながら、こう言った。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だ
ったという。そういうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。
あるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大
波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ
以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせ
る。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あく
までも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっと
したら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。その
あと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化し
て、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅を
もたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜に
は神はいなかったのかということになる。数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、
人類の歴史の数10万年など、マバタキのようなものだ。

お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しかし数10万円では、
パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モーゼがシナイ山で
十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000年ほど前のこと。
たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう神はいったい、
どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定してい
るのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、
はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかも
しれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふく
めて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからと
いって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡
を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待し
てするものではない。

ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマ
パダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。キリスト教のこと
はよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばる
からこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、
毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。同じ
ようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。たとえば受験が押し迫ってくると、「何
とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。そういうとき私の立場で言えば、
泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られた
ら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。もしそういう人がいれば、多分、私はこ
う言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格で、その時点からさらに前向き
に生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がい
る。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意して
あげねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、
人として、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うし
ろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになっ
たら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私
はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるよ
うになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふん
ばっている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、
おしまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。しかしふんばるからこ
そ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。もっと言えば、前向き
に生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。……つまり、そう
いう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、
よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこ
れ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生
きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろ
う」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、
その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれ
ばそれでよいと考えている人も多い。

中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。クシャクシャになったボート
レースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。人は年齢とともに、より賢
くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。愚かになるだけならまだし
も、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつ
の間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実
に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということに
なる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、
日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、
それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精
神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つま
りいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場
だ」と。
(030613)

++++++++++++++++++

 こうして自分が書いた原稿を読みなおしてみることは、とてもよいことだ。4年前に書
いた原稿だが、「その後、自分は、それだけの進歩をしたのだろうか?」と考えることによ
って、自分の中の変化を知ることができる。

 今、言えることは、4年間には、私はマイナス(負)の世界を知らなかったはず。頭の
中では、想像していたかもしれないが、そこまで。私は、今よりも、小さな世界に住んで
いた。

 私の身のまわりで起こることは、私に何かを教えるために、起こる。そして身のまわり
にいる人たちすべては、私に何かを教えるために、そこにいる。母の介護にしても、また
母にしてもそうだ。

 介護をするようになって、すでに1か月以上がすぎた。私は、この1か月で、自分の住
む世界を、ぐんと広げることができた。これは私にとっては、すばらしい経験になるにち
がいない。

 そう言えば、昨夜、オーストラリアに住むR君(南オーストラリア州在住)が、こんな
メールをくれた。彼もまた、84歳の母のめんどうをみている。私が、「今、母のめんどう
をみている」と書いたことについての返事である。

 いわく「ヒロシ、おめでとう。君は、すばらしい経験をしているんだよ」と。

 ありがとう、R君! 君はいつも、何かを私に教えてくれる!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Bさんからのメール

【幸せのどんぶり】

+++++++++++++++++

Bさんから、メールが届きました。
私とはちがった視点からのエッセーで、
いつも、たいへん刺激です。

+++++++++++++++++

先生、体調はいかがですか?

私の父は 以前にもお伝えしたことがあるように 
退職3日後に脳出血で倒れて以来 右半身不随の障害者になってしまいました。
あっけなく父が望んでいた定年後の様々な夢を奪われてしまった代わりに、
父は母といつも一緒に外出。両親のお友達曰く、
「ラブラブ」な夫婦になっているようです。あはは!

それでもやはり 大切な存在の人には健康でいてほしいです。
ですので はやし先生もどうかご無理をなさらないで、健康にお過ごしください。
だなんて… 私のような人生の大後輩(?)が口にすることではないかもしれませんが…。 
でも本当にそう思います。 お元気でいらしてください。
 
以前少し触れた 幸せのおどんぶりのお話についてお話します。

この話は 母が父のもとに嫁ぐとき 祖母から聞いた話だそうです。
 
ひとは ふたつの同じ大きさのおどんぶりをもっている。
ひとつは しあわせのおどんぶり。
もうひとつは かなしみの(しあわせでない)おどんぶり。

人生を送っていくうちに、 
幸せのおどんぶりに潤いが増すことがあれば、 
悲しみのおどんぶりに、ぽたりぽたりと、しずくが溜まることもある。
その人の人生が終わるとき ふたつのおどんぶりは どちらも満タンになっている。
 
子供の頃、なんでわたしばかり。。。、と、唇をかみ、人を羨むこともありましたが、
いつの頃か、この話を聞いてから、
「美人のあの子もあの子なりに苦しみを持っているんだ…」とか、
「あんなにキラキラして輝いている裏で、
あの俳優さんはその光を放つための努力や苦しみを味わっているのだろう」 
と、想像をすることができるようになったように思います。

そしてなんで私ばかり…、と思うことは 全くなくなりました。
ゼロです。なくなりました。

苦しみも幸せも人それぞれ価値観が様々で、 
ある同じ出来事を当たり前とかんじる人もいれば、
なんて幸福なことだろうと思う人もいる。悲しみや怒りに関する出来事も同様。
 
だとすれば 今の私の毎日は 幸せのおどんぶりにしずくが、
トクトクと流れ込んでいるように思います。

数年前のある冬の朝、いまが私の人生で一番辛いときだと、
決めたときがありました。
あの頃は 悲しみのおどんぶりに、黒い濁ったお水がじわじわと
容積を占めていたときのように思います。

ただそのように想像するだけなのですが、今思い返せば、
吹き出してしまうほど、くら〜〜い顔で、当時 夫に、
「死人のような顔をしている」と言われたこともあります。

(家とグランマの看護の往復で睡眠不足でした。1週間で8〜9時間くらい! 
今の私には無理やねぇ) 

そんな事を言われたことに何も感じなかった自分も 
今となれば 机をたたいて笑いたくなる笑い話です。
まるで亡霊のように生きていたのでしょう。
しかし、時薬(ときぐすり)が、ここへ私を招いてくれました。
 
あの冬の朝味わった私の気持ちは、この命が消えるときまで、
Worst1であろうと、今は信じたいです。
 
以下は私の大好きな歌の歌詞の抜粋です(木村弓作、「いつも何度でも」)。
 
 『悲しみの数を言い尽くすより 同じくちびるでそっとうたおう
 こなごなに砕かれた鏡の上にも 新しい景色が 映される
 海の彼方にはもう探さない
 輝くものはいつもここに
 わたしのなかに見つけられたから』
 
でもネ、先生、私の人生は多分まだあと半分くらいは残っていると思う。
まさか自分の子供がお腹にいるとわかる直前に父が倒れるだなんて、
父が最重度の障害者になるだなんて、思いもしなかった。

大切な人と無理にも離れなくてはならなくなるだなんて、思いもしなかった。
思いもしなかったことが起きるから人生は、生きていることは苦しかったり、
幸福だったり、とにかく、いまここにいることが私にとっては本当にありがたい。

悲しみのおどんぶりの中身がもう充分いっぱいに近づいているつもりでいても、
これからもっと山盛りになってしまうのかもしれない。
幸せのおどんぶりの中身が、これからもっともっと増えていくのは
私自身の決断や行動が反映していくのかもしれない。
 
最近、好きな歌の歌詞をノートに書きとめることをしています。
歌詞だけでなく、何気なく耳にした心地よい響きの言葉や出来事も。
生きていく力の源となるような輝きのある言葉たち。

「よいお靴を履いているとよい所へゆける」

よい所って、人によってどんな場所かわからないけれど
私の普段愛用している靴は 高級品ではないけれど、
10年近く履いているとても気に入った靴。

もうそろそろお役御免にしてあげたいところだけれど…。
R男(息子)の父が転勤のために引っ越す前日、3人で買い物に出かけ、
彼(お父さん)の気に入った靴、R男と私二人で購入し、プレゼントしました。

そんなことをすることが 些細でも 本当に幸せなこと。
大切な人の幸せを願うことはとても幸せなことですね。
おまけに神社でお守りも購入して贈りました。
 
小さなベランダでイチゴやハーブを育てたり、
お誕生日の練習と言って、ろうそくだけをつけてお夕飯を食べたり、
お気に入りのブランケットを取り合ったり、
オヤスミの前には、時間帯によって、(早い方がたくさん読んでもらえるという
決まりにしてあるので、早寝に効果アリ!!)、ご本の数を決めて読んだり…。

Now I'm sure that our life is filled with every little happiness.
小さな幸せで満ちた毎日です。
 
もう過去には戻れないのだから
今と未来の幸せをたっぷりと感じて生きていきたい。
 
夜の文章は情熱的になるといいますので、今宵はこの辺で失礼いたします。
おやすみなさいませ☆彡

Bより

+++++++++++++++

Bさんへ、

いつもエッセーありがとうございます。

「Bさん」というのも、どこか失礼な感じがしますので、
もしできたら、ペンネームでも決めていただけたらと
思っています。

いかがでしょうか?

そのつど、私のマガジンで、エッセーを紹介させてください。
よろしくお願いします。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

【最悪のシナリオ】

+++++++++++++++++++

現在、中国の北京で、K国の核開発問題
についての、6か国協議が行われている。

結論を簡単に言えば、日本にとっては、
まさに最悪のシナリオ。それに沿って、目下、
協議は進行中!

+++++++++++++++++++

●サジを投げたアメリカ

 中間選挙に敗北して以来、アメリカのブッシュ大統領の極東政策は、大きく変わった。
弱気になったというよりは、アメリカはアメリカの国益だけを第一に考えるようになった。
それもそのはず。どうしてアメリカが、この日本や韓国の平和と安全について、責任をも
たねばならないのか。

 アメリカの国益。ズバリ一言で言えば、K国に核開発を廃棄させること。それさえ達成
できれば、アメリカは、K国には、もう、用はない。少なくとも、あとのことは、知った
ことではない。

 こうしたアメリカの意図は、この1か月半の、アメリカの動きをていねいに見るとわか
る。そのたった1か月半前に、前回の6か国協議は、何ら話しあいらしい話しあいもない
まま、閉会している。(たった、1か月半前だぞ!)

 それがこの1か月半の間に、大きく変わった。あれほど、米朝間の2か国協議はしない
と言っていたブッシュ政権だが、水面下では、その2か国協議を、ひんぱんに行っていた。
あろうことか、覚書まで交わしていた。

 これは日本にとっては、たいへんな背信行為と考えてよい。つまり、この時点で、アメ
リカは、日本を切り捨てた。何をしても、「反米」「反米」の大合唱。防衛大臣まで、「イラ
ク戦争は、まちがっていた」と発言する始末。ブッシュ大統領が、頭にカチンときたとこ
ろで、何らおかしくない。

●目の上のタンコブ

一方、K国にしてみれば、アメリカさえ押さえ込むことができれば、もう、こわいものは
ない。つまり日本は、アメリカという後ろ盾を失うことになる。アメリカという目の上の
タンコブを取り除くことができる。K国の最大のねらいは、そこにある。

 一方、なぜ、中国と韓国は、こうまで6か国協議を急いだか。

 K国が崩壊の危機に立たされているということは、アメリカも日本もすでに知っていた。
しかし中国にせよ、韓国にせよ、K国が崩壊するようなことにでもなれば、たいへんなこ
とになる。数百万人単位の難民が発生し、朝鮮半島は、大混乱に陥る。

 たった1か月半で、K国が協議にもどったという理由も、そこにある。

●相互不可侵条約

アメリカの、NBCテレビ(電子版)は8日、アメリカ政府当局者の話として、つぎのよ
うに伝えている。K国は、(1)1億ドルの燃料支援のほか、(2)米朝両国間の外交関係
の樹立、(3)国連制裁の解除を求めている、と。

 ここで注意しなければならないことは、これら3つの要求は、どれも、アメリカにとっ
ては、何でもないものであること。1億ドルというのは、たったの120億円。(たったの
120億円だぞ!)

 外交関係の樹立など、簡単な文書の交換だけでできる。国連による制裁解除にしても、
アメリカが音頭を取れば、明日にでも可能。つまりアメリカにとっては、痛くもかゆくも
ない。

 しかしそれこそが、K国のねらい。わかるか?

●ねらいは、ジャパン・マネー

 K国は、「核開発を停止する」という条件を出しつつ、アメリカに、「NO」と言えない、
軽い要求をつきつけた。協議の前には、「50万トン超の原油支援」と言っていたが、それ
を、たったの1億ドルにおさえた。イラク戦争の出費だけで、80兆円とも言われている。
120億円という金額は、その6600分の1にすぎない。

 K国のねらいは、ズバリ、ジャパン・マネー。K国の立場で考えてみると、その構図が、
はっきりと見えてくる。

 K国にしてみれば、韓国や中国から得る援助金など、ハシタ金。K国がねらっているの
は、日本からの補償金。すでに中国を介して打診してきた金額は、4兆円とも、40兆円
とも言われている。(ケタがちがうぞ!)

 そのジャパン・マネーを手にするためには、日本をそれなりに脅さねばならない。しか
し日本のうしろには、アメリカがいる。そうは簡単には、手が出せない。そこでアメリカ
を押さえ込んでおく必要がある。

 K国が、アメリカとの間で、相互不可侵条約を結びたがる理由は、そこにある。が、も
しそんな条約が結ばれたら、その時点で、日米安保条約は、死文化する。アメリカは、ア
メリカ本土が攻撃されないかぎり、K国に対して、手を出せないことになる。

 まさか相互不可侵条約まで結ぶということはないとしても、外交関係を樹立したあと、
アメリカがK国の体制保証するというのは、それに順ずる効果をもたらす。K国は、それ
に一歩、近づいたことになる。

 が、こうした動きは、結局は、金xxという独裁者を延命させることになる。アメリカ
は、それを承知の上で、今回の協議をまとめようとしている。つまり、アメリカは、正義
を捨てた。わかりやすく言えば、サジを投げた。これについては、イラク戦争の失敗が、
大きく影響している。

●これからの日本

 では、これから先、日本は、どうなるか?

 短期的には、日本だけが、他の5か国から、のけ者になる。拉致問題にこだわればこだ
わるほど、そうなる。が、それではすまない。

 すでに中国、つづいてロシアが、K国に流れ込むであろうジャパン・マネーをねらって、
動き出している。日本とK国の間に立って、仲介しようとしている。(いらぬお節介だが…
…。)韓国も、また同じ。これから先、K国が小出しに出してくる核開発の縮小に応じて、
日本は、そのつど、莫大な補償金を支払うことになる。

 が、それで極東アジアの平和が保たれるかというと、それは疑わしい。仮に、(10中、
8、9そうなるだろうが)、南北朝鮮が急接近するようなことにでもなれば、日本は、隣に
強大な反日国家をもつことになる。陸軍の数だけでも、150万人以上。それだけの軍隊
が日本へ攻めてきたら、日本など、ひとたまりもない。

 もしあなたが、「韓国も、K国も、そこまでしないだろう」と考えていたら、それは甘い。
かつての日本は、逆の立場で、韓国やK国に、(そこまでしないだろう)というようなこと
を、してしまった。

 彼らがもつ、不完全燃焼感には、相当なものがある。「日本ごときに蹂躙(じゅうりん)
された」という不完全燃焼感。それに「独立を自分たちの手でなしえなかった」という不
完全燃焼感。

 それが反日感情と結びつき、この40年間、まったく変わっていない。戦後の60年間、
まったく変わっていない。

 韓国のイ統一部長官は、はやばやと声明を発表した(9日)。「朝鮮半島に平和体制を築
く重要な転換点になる」と。韓国がそれだけはしゃぐということは、日本にとっては、そ
れだけ不利な状況になったと考えてよい。

 あやうし、日本!、ということになるが、アメリカにも、まだ良識は残っている。

 アメリカのペリー元国防長官は、9日、東京都内で行われたシンポジウムで、つぎのよ
うに発言している。ヤフーニュースをそのまま紹介する。

 「94年の米朝枠組み合意当時、K国・Nにある核施設の凍結は、『交渉開始の条件にす
ぎなかった』と指摘。『6か国協議の成功とは、核計画を中止させることで、その意味では
何の成果も出ていない』と楽観論を戒めた。

その上で、核開発を放棄させる(威圧的外交)と、凍結を継続させる(見返り)の必要性
を強調。効果的・現実的な強制措置の具体例として、中韓両国による燃料・食糧支援停止
を挙げた」と。

 ペリー氏のような親日的な国防長官が、今のアメリカにいないことは、とても残念であ
る。
(この原稿は、去る2月9日(土)に書いたものです。その後、国際情勢は、大きく変わ
るかもしれません。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 7日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
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**************コマーシャル*****************

【BW・4月生を募集しています】
4月からの新年中児、新年長児、新小1児〜のみなさんは、どうか、おいでください。
3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html
より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人心理

+++++++++++++++

老人の心理は、子どもの心理に
似ている(?)。

老人の心理を観察していると、ふと、
別の心で、子どもの心理を思い
浮かべることがある。

+++++++++++++++

 他人と良好な人間関係を結べない子どもは、おおまかに言えば、つぎの4つのうちの、
どれかの症状を示す。(1)攻撃的になったり、(2)服従的になったり、(3)同情を求め
やすくなったり、あるいは(4)依存的になったりする。

 攻撃的になるというのは、ツッパリ児を思い浮かべればよい。他人に対して攻撃的にな
ることによって、自分の立場を守ろうとする。

 服従的になるというのは、徒党を組んで非行を繰りかえす子どもを思い浮かべればよい。
集団の中で、「長」という立場の者に徹底的に服従することによって、自分の立場を守ろう
とする。

 同情を求めやすくなるというのは、みなが、「どうしたの?」「だいじょうぶ?」という
声をかけてくれるような雰囲気を、自分のまわりにつくることをいう。わざと弱々しく、
病弱な自分を演出してみせたりする。

 また依存的になるというのは、自立性を失い、生活態度そのものが、依存的になること
をいう。

 こうした一連の行為は、無意識のうちに、子どもの心の中で熟成されるもので、それを
まわりのものが指摘しても、意味はない。本人にもその自覚は、ない。

 で、こうした心理状態は、子どもの世界ではよく知られた現象だが、実は、老人にも、
同じような現象が、見られる。それを最近、発見した。

 現在、私の家には、90歳になる母がいる。私たちの介護なしでは、ほとんど身動きで
きない状態である。その母を観察していて、いくつか、興味ある事実に気がついた。

 ケア・マネージャーの人に、「依存性が強い」と評価されるような母だから、どういう母
かは、わかってもらえると思う。最初にもらった報告書には、そう書いてあった。

 そんな母だが、施設の係の人たちが、入所に先だって様子を見に来たようなときだけは、
ちゃんと、体を動かしてみせる。こんなことがあった。

 その朝、私が起こしにいくと、母は、私の前で、二転、三転と体をよじらせるだけで、
起きあがろうとしない。ベッドがまるで磁石にでもなったかのように、起きあがっても、
すぐ体が、倒れてしまう。

 「手を貸してくれ」と母は言うが、どこか、演技ぽい(?)。が、そのうち、私のほうが
根負けし、そのときは、手を貸して、起してやった。

 が、その数時間あとのこと。施設の係の人、2人が、ケア。マネージャーとともに、私
の家にやってきた。母と面会するためにである。「どの程度の介護が必要か、確かめたい」
ということだった。私は、母の寝室に、みなを、案内した。

 ところが、である。係の1人が、「林さん、ベッドから起きあがれますか?」と、母に声
をかけたときのこと。同じ母が、「起きあがれます」と言って、まるで別人のように、背中
を立て、足をベッドの下におろし、手すりに手をかけると、スーッと立ちあがった! ス
ーッと、だ。

 これには、私も驚いた。ワイフも驚いた。驚いて、思わず、笑ってしまった。「ナーンダ、
お前、ちゃんと、立てるじゃないか。ハハハ」と。

 こうした老人の心理も、子どもの心理に当てはめてみると、理解できる。母は、もとも
と依存性の強い女性である。生涯において、いつもだれかに依存して生きてきた。で、そ
の依存性を合理化するために、その母が使った方法は、ここでいう、(3)の同情を求める
という方法だったということになる。

 つまり、だれかに同情を求めながら、自分の依存性を合理化してきた。たとえばことあ
るごとに、自分は弱い人間であるということを強調する、など。50歳を過ぎるころから、
「私も歳をとったからね」「体が弱くなったからね」が、母の口ぐせでもあった。

 つまり、「歳をとったから、だいじにしてくれ」「体が弱くなったから、めんどうをみて
くれ」と。

 ……ということで、実は、今朝も、同じことが起きた。朝、母を起こしにいったときの
こと。「さあ、オシッコをするからね」と声をかけて、私がふとんをめくった。が、どうし
ても起きあがろうとしない。ベッドの上で、二転、三転と体をよじらせては見せるが、起
きあがろうとしない。

私「起きられるから、起きてみな」
母「……」
私「この前は、ちゃんと、できただろ」
母「手を貸してくれ」
私「だめだよ。少しは運動をしなくては……。寝たきりになってしまうよ」
母「……」と。

 恐らく母の記憶の中には、先日の記憶は、残っていないはず。つまりみなの前では、立
ちあがれたという記憶は、残っていないはず。だから私が、それを指摘しても意味はない。
母は、いつもの母に、もどってしまっていた。

 私は、部屋を出た。私が近くにいると、無意識のうちにも、母は、同情を求めるような
行動をとる。それが私にも、よくわかっていた。

 で、案の定というか、食事を用意して盆にのせてもって、再び母の部屋に入ると、母は、
ポータブルトイレで用をすませたあと、その前のソファに、腰をかけていた。時間にすれ
ば、ほんの5〜10分くらいの間のことだった。

私「ほら、ちゃんとできたじゃ、ないか」
母「ありがと」
私「べつの礼を言ってもらわなくてもいいけど、自分でできることは、自分でしなきゃア」
母「ありがと」と。

 人は、成長して、おとなになる。それはそのとおりだが、さらに歳をとると、今度は、
幼児にもどる。そういう意味では、老人というのは、幼児そのものといってよい。

 そこで教訓。

 老人になると、幼児化するのはしかたのないことだとしても、それまでに、(自分)とい
うものを、しっかりと作っておかねばならない。その必要がある。でないと、老齢に近づ
くにつれて、それまでごまかしていた持病が表に出てくるように、それまで、自分の中に
隠されていた性格の「質」の部分が、表に出てきてしまう。

 若いうちは、気力で、それをごまかすことができるかもしれない。それなりの人格者を
演ずることが、さほどむずかしいことではない。が、歳をとると、気力そのものが、弱く
なる。つまり、自分の「地」が、そのまま表に出てきてしまう。そういう意味では、(自分
を作る)時間というのは、それほど長くない。青年期から壮年期までの間ということにな
る。

 端的に言えば、幼児からおとな、おとなから老人になる過程で、人格の核(コア)を、
しっかりと確立しておくということ。それをしないまま、老人になると、ここでいう幼児
化が始まり、そのまま幼児そのものになってしまう。

 さて、母のことだが、母は、母というよりは、すでに赤子に近い。ただ頭のほうは、ま
だ何とかしっかりとしている。冗談も通ずる。やさしくしてやると、それがスーッと心の
中にしみこんでいくのがわかる。

 それだけが、今、ゆいいつの救いでもある……。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教育の自由化】

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その学校の教頭と学年主任、それに
担任の教師の3人。その3人に加えて、
いじめをしたという、子ども(小5)と、
その両親の計6人が、謝罪のため、
X子(小5)の家を訪問した。

しかしX子の母親は、それを許さなかった。
玄関先で、「うちの子が学校へ行けなく
なったのは、あなたがたのせい!」と、
大声で、泣き叫んだ。

+++++++++++++++++

●あるいじめ事件(?)

 ある小学校(K県、H市)で、こんな事件が起きた。BさんというB子さんの母親から
もらったメールによれば、こうだ。

 正月の書初めの授業になったときのこと。和紙が長く大きかったこともあり、班ごとに、
時間をズラして書くことになった。

 そのときX子のグループは、先に書くことになった。が、そのとき事件が起きた。事件
と言えるような事件ではなかったが、ともかくもそれが、事件となってしまった。

 X子はここにも書いたように、先に書初めをした。が、数枚書いてはみたが、うまく書
けなかった。交替する時間は過ぎていた。X子は「もう1枚」と言って、もう1枚、書き
始めた。

 それを横で見ていたA子(小5)が、X子をとがめた。多分、「もう時間だから、交替し
てよ」というようなことを言ったのだと思う。X子は、そのときはすなおに、「ごめん」と
言って、謝ったという。

 が、翌日、X子の母親が、学校へやってきた。いきなり校長室へ入ってきて、こう怒鳴
った。

 「うちの子が、いじめにあっている。いじめているのは、同じクラスのA子だ。そのた
め、うちの子が、学校へ行くのはいやだと泣いている。どうしてくれる!」と。

 で、そのときは、いったんX子の母親には、家に帰ってもらった。校長はX子の担任を
呼びつけ、事情を聞いた。ついで、A子にも、事情を聞いた。さらにその周辺の生徒たち
にも、事情を聞いた。

 が、いくら事情を聞いても、X子がいじめられたという事実が浮かびあがってこなかっ
た。担任は、「そのときは、とくに変わった様子もなく、X子も、なごやかな様子だった」
と言った。

 時期が時期である。いじめが理由で、あちこちで子どもが自殺するという事件が、相つ
いでいる。校長と担任の2人が、その日の夕方、X子の家を訪問した。そしてX子の母親
に、「いじめらしいいじめは、確認することができなかった」と報告した。が、この報告に、
X子の母親が激怒した。

 「うちの子は、ウソをつくような子ではない」「うちの子は、いつもA子にいじめられて
いる」「ほかにも、いろいろな事実がある」「何とかしろ!」と。

 校長と担任は、平謝りに謝り、X子の家をあとにした。で、その翌日、再度、周辺にい
た生徒たちから事情を聞いた。結果は、同じだった。そこでしかたないので、校長は、A
子の両親に電話をした。「このままでは、X子の母親の怒りは収まりそうにもない。私たち
といっしょに、X子の家まで、謝りに行ってほしい」と。

 A子の両親は、ものわかりのよい人だった。校長が困っている様子を知ると、それに応
じた。A子も、それに応じた。

 その夜、学校側からは、校長と教頭それに担任の3人。その3人に加えてA子と両親の、
計6人が、X子の家を訪れた。X子とX子の両親に謝罪するためである。が、この行為が、
かえってX子の親、とくに母親を激怒させてしまった。

 「いじめはなかったと言ったのに、どうして今日になって、謝りにきたのか」「今さら、
謝ってもらっても、しかたない」「うちの子は、不登校児になってしまった!」と。

●学校の先生も、たいへん!

 ……というのが、ここでいう事件である。この話は、A子のそばにいた、B子さんの母
親から、伝えられたものである。B子さんは、そのときの様子を、すべて見ていた。その
B子さんも、「いじめというようなものではなかった」と断言しているという。が、それは
あくまでもA子を擁護した意見。そういう意味では、私がここに書いたことは、一方的な
ものかもしれない。もっと事情を詳しく知るためには、X子自身からも、話を聞くべきか
もしれない。

 だからここではどちらの言い分が正しいかということは、私にもわからない。その判断
は、くださないでおく。A子には、ささいな行為だったかもしれないが、X子は、それを
(いじめ)ととらえてしまった。そういうケースも、実際には、ないわけではない。

 が、Bさんからのメールを読んで、まず私が感じたことは、「学校の先生も、たいへんだ
なあ」ということ。校長と担任は、2度も、X子の家を訪問している。しかし現実問題と
して、仮にそれがいじめであったとしても、学校側に、そこまで子どもたちの世界を監督
することは、不可能である。「監督」ではなく、「監視」と言ってもよい。

 前にもどこかで書いたが、険悪なムードだから、(いじめ)ということにはならない。し
かしなごやかなムードだから、(いじめ)でないとも、これまた言えない。さらにいじめる
側に、その気はまったくなくても、受け取る側は、そうでないというケースも多い。悪ふ
ざけが、(いじめ)と誤解されることも多い。さらにふつう(いじめ)というのは、先生の
目をたくみに盗んで、先生の目の届かないところでなされることが多い。

 加えて、子ども自身の心の問題もある。X子の母親は、「うちの子は、ウソをつくような
子ではない」と息巻いたというが、親が知っている子どもと、実際の子どもとは、まるで
別人というケースも、少なくない。

ことウソということになれば、子どもだから、ウソをつかないというのは、まったくの
幻想でしかない。「学校へ行きたくない」という気持ちを合理化するために、「みんなが、
私をいじめるから、行きたくない」と、ウソをつくことは、子どもの世界では、珍しく
ない。(だからといって、Xさんがウソを言っているというのではない。誤解のないよう
に!)

●萎縮する教育

 しかしそれ以上に問題なのは、こうした事件がつづくことによって、学校の教育そのも
のが、萎縮してしまうこと。いくら時期が時期とはいえ、学校の「長」たる校長が、家庭
訪問までして、親に謝罪しなければならないというのは、常識で考えても、おかしい。

 なぜ、校長ともあろう人が、そこまでするのか? そこまでしなければならないのか?
 こんなことをしていたら、学校教育そのものが麻痺(まひ)してしまう。現場の教師に
しても、こわくて、授業そのものが、できなくなってしまう。

 実際、ある小学校の校長(I町I小学校)は、こう言った。「現場が、萎縮してしまって
います。教師が少し乱暴な言葉を使っただけで、親たちは、『体罰だ』と騒ぎます。子ども
どうしの喧嘩ですら、『いじめだ』と騒ぎます」と。

 (いじめ)は、たしかに深刻な問題である。(いじめ)によって、心に深いキズを残す子
どもも少なくない。私とて、(いじめ)を是認する意図は、毛頭ない。

しかし(いじめる側)を、一方的に、(絶対的な悪)と決めつけ、また反対に、(いじめ
られる側)を、これまた一方的に、(絶対的な善)と決めつけて考えるのも、どうかと思
う。子どもの世界というのは、おとなの私たちが考えているより、ずっと複雑。しかも、
絶妙なバランスの上に成りたっている。見た目の様子だけで判断してはいけない。

 X子の母親にしても、X子自身にというより、自分自身に何か問題がないか、反省して
みることも大切なことではないか。親がこうまでピリピリしていて、どうしてその子ども
が、家庭で息を抜くことができるというのか。……と書くのは、たいへん危険なことは、
私も承知している。

 しかし家庭が家庭として、つまり子どもの心を休める場所として機能していたなら、仮
に学校で何かのトラブルがあったとしても、ここまで深刻な問題にまでは発展しなかった
かもしれない。

 では、どうするか? どうしたらよいのか? どう考えたらよいのか?

 私は、こうした(いじめ)は、(あくまでもいじめがあったという前提で考えるなら)、
いくら現場の先生ががんばっても、なくならないだろうと思う。そこで重要なことは、も
しそうならそうで、学校選択の自由、クラス選択の自由を、もっと大幅に緩和したらよい
のではないかということ。

 その学校がいやだったら、ほかの学校へ転校すればよい。その先生がいやだったら、別
の先生のクラスに移動すればよい。さらにそれでも問題が解決しなければ、アメリカのホ
ームスクールのような制度をつくればよい。そうした選択が自由に、かつ、気楽にできる
ようになったとき、こうした問題のほとんどは、そのまま解決する。

 今でも「学校とは、行かねばならないところ」「学校へ行かない子どもは、落ちこぼれ」
と考えている親は多い。学校神話、学校万能主義を信奉している親となると、さらに多い。
つまり教師も、そして親も、自分の体をがんじがらめにヒモで縛った上で、こうした問題
を解決しようとしているが、そこにはおのずと限界がある。かえって自らを、袋小路に追
いこんでしまう。

 ……先にも書いたように、Bさんからのメールだけをもとに、この原稿を書いたので、
何とも歯切れの悪い文章になってしまった。が、これだけは、忘れないでほしい。

 今、全国、津々浦々の学校で、無数の校長や教師たちが、この種の問題で、悲鳴をあげ
ている。悲鳴をあげながら、教育そのものを萎縮させてしまっている。(いじめ)の問題も
さることながら、それが理由で、学校教育を萎縮させてしまったとしたら、それもまた深
刻な問題ということになる。

 だから改めて、私は、主張する。教育を、自由化せよ、と。

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これに関連して、いくつかの原稿(中日新聞
発表済み)を、掲載します。

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●教育カルトに気をつけろ!

教育者が教育カルトにハマるとき  
●教育カルト  
教育の世界にもカルトがある。学歴信仰、学校神話というのもそれだが、一つの教育法
を信奉するあまり、ほかの教育法を認めないというのも、それ。教育カルトともいう。

この教育カルトにハマった教育者(?)は、「右脳教育」と言いだしたら、明けても暮れ
ても「右脳教育」と言いだす。「S方式」と言いだしたら、「S方式」と言いだす。
  親や子どもを黙らすもっとも手っ取り早い方法は、権威をもちだすこと。水戸黄門の葵
の紋章を思い浮かべればよい。「控えおろう!」と一喝すれば、皆が頭をさげる。「○×
式教育法」などという教育法を口にする人は、たいてい自分を権威づけるために、そう
する。宗教だってそうだ。あやしげな新興宗教ほど、釈迦やキリストの名前をもちだす。

 教育には哲学が必要だが、しかし宗教であってはいけない。子どもが皆違うように、そ
の教育法もまた皆違う。教育はもっと流動的なものだ。が、このタイプの教育者にはそれ
がわからない。わからないまま、自分の教育法が絶対正しいと盲信する。そしてそれを皆
に押しつけようとする。これがこわい。

●自分勝手な教育法 
 教育カルトがカルトであるゆえんは、いくつかある。冒頭にあげた排他性や絶対性のほ
か、小さな世界に閉じこもりながら、それに気づかない自閉性、欠点すらも自己正当化す
る盲信性など。

これがさらに進むと、その教育法を批判する人を、猛烈に排斥するという攻撃性も出て
くる。自分が正しいと思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、相手に向って、「あ
なたはまちがっている」と言う。

はたから見れば自分勝手な教育法だが、さらに常識はずれなことをしながら、それにす
ら気づかなくなってしまうこともある。ある教育団体のパンフには、こうあった。「皆さ
んも、○×教育法で学んだ子どもたちの、すばらしい演奏に感動なさったことと思いま
す」「この方式が日本の教育を変えます」と。

あるいはこんなのもあった。「私たちの方式で学んだ子どもたちが、やがて続々と東大の
赤門をくぐることになるでしょう」(ある右脳教育団体のパンフレット)と。自分の教育
法だったら、おこがましくて、ここまでは書けない。が、本人はわからない。この盲目
性こそがまさに教育カルトの特徴と言ってもよい。

●脳のCPUが狂う?

私たちはいつもどこかで、何らかの形で、そのカルトを信じている。また信ずることに
よって、「考えること」を省略しようとする。教育についても、「いい高校論」「いい大学
論」は、わかりやすい。それを信じていれば、子どもを指導しやすい。進学校や進学塾
は、この方法を使う。

それはそれとして、一度そのカルトに染まると、それから抜け出ることは容易なことで
はない。脳のCPU(中央演算装置)そのものが狂う。が、問題は、先にも書いた攻撃
性だ。

一つの価値観が崩壊するということは、心の中に空白ができることを意味する。その空
白ができると、たいていの人は混乱状態になる。狂乱状態になる人もいる。だからよけ
いに抵抗する。ためしに教育カルトを信奉している教育者に、その教育法を批判してみ
るとよい。「S方式の教育法に疑問をもっている評論家もいますよ」と。その教育者は、
あなたの意見に反論するというよりは、狂ったようにそれに抵抗するはずだ。

 結論から言えば、教育カルトをどこかで感じたら、その教育法には近づかないほうがよ
い。こうした教育カルトは、虎視たんたんと、あなたの心のすき間をねらっている!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
教育カルト)


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6,7年前に書いた原稿ですが、
4作、紹介します。

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●フリップ・フロップ理論(次の安定期へ)

 戦時下のサラエボでのこと。ガレキになった家にいる子どもに、NHKのカメラマンが
こう聞いた。「学校はどうしているの?」と。

戦争で学校どころではないはずだ。しかし日本人は、子どもを見れば、すぐ「学校、学
校」と言う。明治以来、学歴信仰、あるいは学校神話が徹底的に叩き込まれているから
だ。

 心理学に「フリップ・フロップ理論」というのがある。私は勝手に「コロリ理論」と訳
している。箱でたとえて言うなら、どちらかの側に倒れているときは、安定している。し
かしそれを中途半端な状態に置くと、たいへん不安定になる。

たとえば有神論の人が無神論に、無神論の人が有神論になるときというのは、心理状態
がたいへん不安定になる。よく「この宗教は絶対正しい」と、大声で叫んでワーワー言
っている人がいる。そういう人は、心理状態がたいへん不安定になっているとみてよい。

ちょっとしたことで、コロリと無神論になったりする。あるいは反対に、いくつかの不
幸が重なり、混乱したりすると、コロリと有神論者になったりする。フリップ・フロッ
プ理論というのは、そういう心理を説明した理論だと思えばよい。

 さて本論。子どもが不登校児になったりすると、この日本では、たいていの親は大混乱
する。「進学できなくなってしまう」「高校ぐらい卒業しておかないと」「就職はどうする」
「うちの子はダメになってしまう」と。

一見、子どものことを心配しているようで、親は自分のことしか考えていない。世間体、
見栄、メンツ、それにコースだ。この日本では「学校」というコースから、子どもがは
ずれることは、親にとっては恐怖以外の何物でもない。そのため狂乱状態になる人も珍
しくない。

が、それも一巡すると、……と言っても、それは簡単なことではないが、ちょうど箱が
もう一方の側に倒れるように、やがて落ち着く。しかもある時期を境に、コロリと倒れ
る。人間の心というのは、不安定な状態に対して、それほど抵抗力はない。そしてこう
言う。「学校なんて行かなくてもいいのよ」と。

 どちらの側に箱が倒れているにせよ、一方の側から他方の側を見ると、まったく別世界
に見える。そして互いに、相手を理解できない。学歴信仰を信じている人に、その無用論
を説いても意味はない。一方、学歴無用論の人に、学歴信仰を信じている人の心理を説明
しても、理解できない。互いに「自分のほうが正しい」と信じて疑わないでいる。

しかし結論から先に言えば、学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、中身はカラッポ。もと
もと信ずるほうがおかしい。信ずる価値もない。学歴信仰がいかに愚劣なものかは、台
湾へ行ってみればわかる。

あの国では、いまだに初対面のとき、相手の学歴をあいさつがわりに聞いている。学歴
でしか人を判断しない。20年前の日本でも、あそこまでひどくはなかった。しかし彼
らは真剣だ。その真剣なところが、おかしい。そして悲しい。

 今、日本の親たちは、大混乱している。教育の世界そのものも、大混乱している。しか
しこの混乱を、フリップ・フロップ理論で説明するなら、それは次の安定状態への移行期
ともとらえることができる。日本の新しい未来は、すぐそこまで来ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
 ●家族主義と幸福論 
●幸福の原点は家庭にある 
ボームが書いた物語に「オズの魔法使い」がある。カンザスの田舎に住む、ドロシーと
いう女の子と、犬のトトが虹のかなたにある幸せを求めて、冒険するという物語である。
こんなことがあった。
  オーストラリアにいたころ、仲間に「君たちはこの国(カントリー)が、インドネシア
軍に襲われたらどうするか」と聞いたときのこと。皆はこう答えた。「逃げる」と。「お
やじの故郷のスコットランドへ帰る」と言ったのもいた。何という愛国心! 私があき
れていると、一人の学生がこう言った。「ヒロシ、オーストラリア人が手をつないで一列
に並んでもすきまができるんだよ。どうしてこの国を守れるか」と。
  英語でカントリーというときは、「国」というよりは、「土地」を意味する。そこで質問
を変えて、「では、君たちの家族がインドネシア軍に襲われたらどうするか」と聞くと、
皆血相を変えてこう言った。「そのときは、命がけで戦う」と。

これだけではないが、私はいつしか欧米人の考え方の基本に、「家族」があることを知っ
た。愛国心もそこから生まれる。たとえばメル・ギブソンの映画に『パトリオット』と
いうのがあった。日本語に訳する「愛国者」ということになるが、もともとパトリオッ
トという語は、ラテン語のパトリス、つまり「父なる大地」という語に由来する。

つまり欧米で、「ペイトリアチズム(愛国心)」というときは、「父なる土地を愛する」あ
るいは、「同胞を愛する」を意味する。その映画の中でも、国というよりは家族のために
戦う一人の父親が、テーマになっていた。
  家族主義というと、よく小市民的な生き方を想像する人がいる。しかしそれは誤解。冒
頭にあげたオズの魔法使いの中でも、人間が求めている幸福は、そんな遠くにあるので
はない。あなたのすぐそばで、あなたに見つけてもらうのを、息を潜めて待っている…。
ドロシーは長い冒険の末、それを教えられる。
  明治の昔から、日本人は「出世」という言葉をもてはやした。結果として、仕事第一主
義が生まれ、その陰で家族が犠牲になるのは当然と考えられていた。発展途上の国とし
てやむをえなかったのかもしれないが、しかし今、多くの人がそうした生き方に疑問を
もち始めている。99年の終わりに中日新聞社がした調査でも、45%の日本人が「も
っとも大切にすべきもの」として「家族」をあげた。日本人は今、確実に変わりつつあ
る。

(注……現在は、80〜90%近い人たちが、「家族」をあげるようになっている。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
 ●運命と生きる希望 ●希望をなくしたら死ぬ? 
不幸は、やってくるときには、次々と、それこそ怒涛のようにやってくる。容赦ない。
まるで運命がその人をのろっているかのようにさえ見える。Y氏(45歳)がそうだ。
会社をリストラされ、そのわすかの資金で開いた事業も、数か月で失敗。半年間ほど自
分の持ち家でがんばったが、やがて裁判所から差し押さえ。そうこうしていたら、今度
は妻が重い病気に。検査に行ったら、即入院を命じられた。家には24歳になる自閉症
の息子がいる。長女(21歳)は高校を卒業すると同時に、暴走族風の男と同棲生活。
ときどき帰ってきては、遊興費を無心する…。

2000年、日本での自殺者が3万人を超えた。何を隠そう、この私だって、その予備
軍の1人。最後のがけっぷちでかろうじて、ふんばっている。いや、自殺する人の気持
ちが、痛いほどよくわかる。

昔、学生時代、友人とこんな会話をしたことがある。金沢の野田山にある墓地を一緒に
歩いていたときのこと。私がふと、「希望をなくしたら人はどうする。死ぬのか?」と語
りかけた。するとその友人はこう言った。「林君、死ぬことだって希望だよ。死ねば楽に
なれると思うことは、立派な希望だよ」と。

Y氏はこう言う。「どこがまちがっていたのでしょうね」と。しかしその実、Y氏は何も
まちがっていない。Y氏はY氏なりに、懸命に生きてきた。ただ人生というのは、社会
という大きな歯車の中で動く。その歯車が狂うことだってある。そしてそのしわ寄せが、
Y氏のような人に集中することもある。運命というものがあるのかどうか、私にはわか
らない。わからないが、しかし最後のところでふんばるかどうかということは、その人
自身が決める。決して運命ではない。

私は「自殺するのも希望だ」と言った友人の言葉を、それからずっと考えてきた。が、
今言えることは、「彼はまちがっていた」ということ。生きているという事実そのものが、
希望なのだ。私のことだが、不運が重なるたびに、その先に新しい人生があることを知
る。平凡は美徳であり、何ごともなく過ぎていくのは、それなりにすばらしいことだ。
しかしそういう人生から学んだものは、ほとんどない。
 どうにもならない問題をかかえるたびに、私はこう叫ぶ。「さあ、運命よ、来たければ来い。
お前なんかにつぶされてたまるか!」と。生きている以上、カラ元気でも何でも、前に
進むしかないのだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●かわいた冬の風
●心を破壊する受験勉強●温もりの消えた日本 
 昔、バリバリの猛烈社員がいた。ある企画会社の男だったが、彼は次々とヒット作を世
に送り出していた。その彼と半年あまり一緒に仕事をしたが、おかしなことに気づいた。
彼の頭の中にあるのは、営業成績だけ。数字だけ。友人の姿はおろか、家族の姿すらなか
った。

「仕事が生きがい」と言えば聞こえはよいが、その実、仕事の奴隷。私はその男を見な
がら、どうしてこういう人が生まれるのか、それに興味をもった。しかしその理由はす
ぐわかった。
  受験期を迎えると、子どもの心は大きく変化する。選別されるという恐怖と将来への不
安の中で、子どもの心は激しく動揺する。本来なら家庭がそういう心をいやす場所でな
ければならないが、その家庭でも、親は「勉強しろ」と、子どもを追いたてる。行き場
をなくした子どもはやがて、人とのつながりを自ら切る。切りながら、独特の価値観を
身につける。
  話はそれるが、こんな役人がいた。H市役所でもトップクラスの役人だった。ある日、
私にこう言った。「林君、H市は工員の町なんだよ。その工員に金をもたせると、働かな
くなるんだよ。だから遊ぶ施設をたくさん作って、その金を吐き出させなければならな
いんだよ」と。

この話で思い出したが、こんなことを言った通産省の役人もいた。「高齢者のもつ預貯金
を、財政再建に利用できないものか」(テレビ)と。
  受験勉強の弊害を説く人はほとんどいない。明治以後、教師も親も、そして子どもたち
も、それが「善」であると信じて、受験勉強をとらえてきた。しかしそれによって犠牲
になるものも多い。その一つが、「心」。

もちろん「勉強」が悪いのではない。受験にまつわる「競争」が悪い。青春期の一番大
切な時期に、この競争で子どもを追いたてると、子どもから温かい人間的な心が消える。
「能力のある人がいい生活をするのは当然」という人生観が支配的になり、ものの考え
方が、ドライになる。冷たくなる。「受験期に学級委員なんかしているヤツはバカだ」と
言った高校生がいた。親子という人間関係すらも、数字でみるようになる。

今、日本の若者のほとんど(66%)は、「生活力に応じて、(老後の)親のめんどうを
みる」(総理府97年)と答えている。
  子どもが有名大学へ入ったりすると、親は、「おかげさまで」と喜んでみせる。しかしそ
の背後で吹きすさぶのは、かわいた冬の風。その風が、今、日本中をおおっている。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(2月6日)

++++++++++++++++++++

人には、それぞれ、(流れ)というものがある。
その(流れ)がまとまって、さらに大きな
(流れ)となる。人は、それを「運命」という。

先のことはわからない。
しかし無数の(今)という糸がからんで、
その人の(流れ)を決める。

大切なことは、その(流れ)を感じたら、
それに静かに身を任すこと。

ジタバタすればするほど、無数の糸に
体がからまれ、身動きがとれなくなる。

++++++++++++++++++++

●運命

 私には、私の無数の糸がからんでいる。「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには、い
つも限界がある。私は、その限界の中で生きている。

 たとえば私には、家族がある。「扶養(ふよう)」という言葉は好きではないが、私には、
扶養家族がいる。私自身も、家族によって支えられている。家族を放り出してまで、好き
勝手なことはできない。

 もう少しわかりやすい例で言えば、健康がある。

 私は、つい数日前、こんなことを経験した。

 私は、もともとは低血圧気味で、長い間、最高値が100〜110、最低値が、65〜
70前後で推移していた。しかしとくに何かがあったわけではないが、数日前に、血圧を
測ってみたら、最高値が145、最低値が90にもなっていた。

 明らかに高血圧の値である。

 その翌日も測定してみたが、値は変わらなかった。原因をいろいろ考えてみた。

 最初に思い当たったのは、ときどき、ワイフのコレステロール値をさげる薬を、半分、
もらってのんでいたこと。この(ときどき)というのが、よくなかったのかもしれない。

 つぎに、肥満。このところ、私の正常値より、2〜3キロも体重が、オーバーしている。

 さらにストレス。4、5日前のことだが、私は、あることで、カーッと頭に血がのぼる
のを感じた。そのときのこと、体中がフワフワとした感じになった。いままでに経験した
ことのない感じだった。

 つまりストレス。そのストレスがいくつか重なった。

 そこで昨日は、減量大作戦を決行。自宅から職場までの約7・5キロを歩いた。プラス
1単位の自転車。(40分間、自転車で全力で走ることを、1単位としている。)

 それに間食をやめた。とくに夕食後のデザートをやめた。が、何よりも大切なのは、ス
トレスを感じないということ。

 昨日もいろいろあった。あったが、すべてを受けいれた。「受けいれた」というよりは、
「もう、どうにでもなれ」という気持ちで接した。「私の知ったことか!」と。

 とたん、気分が晴れた。つまり私は、その時点で、運命に身を任せたということになる。
(少しおおげさかな?)。

 ともかくも、それで血圧はさがった。昨晩、床につく前に計ったら、最高値が106、
最低値が75にもどっていた。よかった!

 要するに、ジタバタしないということ。ジタバタすればするほど、無数の糸にからまれ、
身動きができなくなる。その日、その日を、懸命にがんばったら、その結果は、その翌日
に回せばよい。ものごとは、なるようにしかならない。それが冒頭に書いた、(流れ)とい
うことになる。そしてその(流れ)が、その人の進むべき道を決めていく。

 話は、ずっと飛躍するが、やがて私も、大病を患うようになるかもしれない。刻々と、
そのときが近づいてきているように感ずる。で、ときどき、私は、自分にこう言って聞か
せる。

 「そのときがきたら、そのとき。いさぎよくそれを受けいれ、あの世へ行こう」と。

 運命にさからったところで、勝ち目はない。私は(私)である前に、人間という(生き
物)なのだ。だからいくらがんばっても、その(生き物)の部分にまで、私は、踏みこむ
ことはできない。つまりは、それも、「運命」ということになる。


●6か国協議

++++++++++++++++++

エセ人道主義者というものを知りたかったら、
韓国のN大統領を見ればよい。

わかりやすく言えば、偽善者。

++++++++++++++++++

 K国という国は、おかしな国だ。首都のP市と、それ以外の地域が、まるで独立国のよ
うに分離している。少なくとも、意識の上では、そうなっている。……らしい。

 P市は、いわば、K国の中でも、特別の国。特別の許可をもらった人だけが、そこに住
める。それはそれでわかるが、つまりそのP市に住む人たちにすれば、周辺の地域の人た
ちが、飢餓で苦しんでいようが、貧困のどん底にあろうが、「知ったことか!」となるらし
い。

 こうした(意識のズレ)は、実は、この日本の中でも経験する。たとえば東京や大阪と
いう大都市に住む人たちすれば、地方に住む人など、ただの田舎者にすぎない。そういっ
た意識を、逆に、地方に住む私たちが感ずることがある。

 ほんの12、3年ほど前のことだが、関東地方を、小さな台風が襲ったことがある。そ
のときのこと。NHKをはじめ、民放各社は、一日中、台風のニュースばかりを流してい
た。

 その前後に、東海地方を同じような台風が襲ったときには、定時ニュース、プラスα程
度のニュースでしかなかった。私は、すぐに抗議の手紙を書いた。(最近は、NHKも気を
つかってか、地方のニュースも、大きく取りあげるようになったが……。)

 東京や大阪など、都会に住む人たちは、それ以外の(地方)など、日本とは、思ってい
ない? つまりそれが極端化したのが、今のK国ということになる。

 そこで韓国のN政権だが、金大中の時代から、推定でも、7000億円以上の現金(注
※)、穀物にしても、毎年数十万トン以上も、K国を援助している。しかしこれらの援助は、
そのほとんどが、P市へと回っている。つまりN大統領がいう、「融和政策」というのは、
金xxという独裁者とその一派を支えるための延命政策でしかない。

 これが、私が、「エセ人道主義」という理由でもある。P市以外に住むK国の人たちの生
活は、ますますきびしく、貧しいものになっている。

 K国は、共産主義国家でも、社会主義国家でもない。1人の独裁者が率いる独裁者国家。
そんな国に、安っぽい人道主義とやらをかかげて接しても、意味はない。ないばかりか、
かえって、独裁者に利用されるだけ。

 さて、またまた6か国協議。この2月12日から、北京で開かれる。

 どういう形で終わるか、私にもわからない。わからないが、独裁者の延命策につながる
ような結果だけは、避けるべきである。アメリカのブッシュ政権は、すでにサジを投げて
しまっているような状態だから、結局は、中国、韓国、それにロシアの思惑どおりに、こ
とは進むだろう。ヒルさんの気持ちもわからないわけではないが、ヒルさんでは、役者不
足。はっきり言えば、ただのピエロ。

しかしそれは同時に、日本にとっては、最悪のシナリオであることだけは、忘れてはい
けない。

(付記)

 アメリカという後ろ盾を失った日本は、これから先、中国の仲介により、K国から莫大
な賠償金(戦後補償費)を請求されることになる。すでに中国は、今回の6か国協議と並
行して、朝日(「日朝」ではなく、「朝日」)国交正常化会議を主宰することを宣言している。

 目的は、ズバリ、ジャパン・マネー!

 すでに中国は、4兆円という金額を提示してきているが、その程度ですむはずがない。
すむはずがないことは、今までのK国のやり方を見ればわかるはず。

 あせるな、日本! ここは時間を稼げ! 稼いで、K国を自己崩壊にもっていけ!

(注※)(朝鮮N報より)

 P理事長(朝鮮半島先進化財団)は、過去8年間にわたり8兆ウォン以上を北朝鮮に支
援し、200回以上の南北交渉を行ったが、金xx総書記体制は正常な国への変化を拒み、
体制の閉鎖性を一層強化したと主張した。

また、共存を通じた統一を目指す太陽政策は、かえって北朝鮮の開放・改革を遅らせた
まま独裁体制を強化するとともに、韓国社会全般に左傾化をもたらしたと指摘した。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「女性は、子どもを産む機械」vs「田舎者は、イチコロよ」

++++++++++++++++++

私の地元選出の、柳沢伯夫厚生労働相のした発言が、
今、問題になっている。

柳沢伯夫国会議員は、ある会場で、「女性は、子ども
を産む機械」と発言した。

ならば問うが、同じく私の地元選出の片山さつき国会議員の
「田舎者」「イチコロ」発言は、どうして中央で、問題に
ならないのか?

++++++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年半になる。
同じ自民党の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。
城内実氏は、郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客
ということになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県
7区から立候補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな記事を書いている(以
下、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土
下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田
真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話
は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんて
したら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした
発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないか
とは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年半になるが、片山さつき氏が、この1年半の間、この
地元に帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフに
も聞いてみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言っ
た。少なくとも、片山さつき氏が、私たち民衆レベルの段階までおりてきて、何かをした
という話は聞いたことがない。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 それはそれとして、つまりこの際、民主主義の話はさておき、この「土下座」「田舎者」
「イチコロ」発言は、何か? どう理解したらよいのか? この発言にくらべたら、柳沢
伯夫厚生労働相の「女性は、子どもを産む機械」発言など、かわいいもの。許せないが、「愚
かな発言」という程度で、処理できる。が、「子どもを産む機械」発言は、今、大問題にな
っている。柳沢伯夫厚生労働相の不信任決議案問題から、さらに内閣不信任問題へと発展
している。

 が、片山さつき氏の問題は、そのままウヤムヤにされてしまった! なぜか? 多分、
国会議員の多くも、内心では、同じように考えているためではないか。「地方の田舎者ども
は、土下座でもしてやれば、みな、イチコロよ」と。

 ならば片山さつき氏を候補者にもつ私たち地元の有権者が、この問題に決着をつけなけ
ればならない。片山さつき氏は、まさに私の選挙区から出た国会議員である。

 さて、現在は、あのピンク系のポスターに変わり、安倍総理大臣と仲よく握手をかわし
ているポスターが、通りにズラリと並んでいる。私はあの顔を見るたびに、こう思う。「あ
の目から見れば、私たちは、田舎者なのだなあ」と。

(付記)

 土下座という、実に日本的な謝罪方法(懇願方法)が、いまだに、この日本に残ってい
ること自体、不思議な感じがする。だいたい、土下座をする人に、本物はいない。その人
に一片のプライド(自尊心)が残っていれば、土下座など、しないはず。一片のプライド
すらないから、土下座をしてみせる。つまりそんな人の謝罪に、意味はない。あえて言う
なら、イヌのお座(すわ)りと同じ。

 また柳沢伯夫厚生労働相の「産む機械」発言にしても、それを厚生労働相という立場に
ある人がしたから、問題なのだ。つい先ごろも、防衛省の長官が、「アメリカのイラク攻撃
はまちがっていた」と発言して、これまた問題になった。

 日ごろから、ものを考える習慣のある人たちなら、こうした発言は、しないはず。まち
がっても、口から出てこない。しかし柳沢氏にしても、片山氏にしても、一様に言葉の選
び方、そのものを知らない。

 それにしても、片山さつき氏について言えば、どうしてこの地元の人たちは、あの発言
を問題にしないのだろう。今のところ、問題にしているのは、この私だけのような気がす
る。つまりこの私が、異端児なのか? 変わり者なのか? 


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●女は子どもを産む機械?

+++++++++++++++++

私たちが子どものころには、
男尊女卑思想が、まだ、色濃く残っていた。

「男は仕事、女は家庭」と。
「内助の功」という言葉などは、最近でも
堂々と使われている。

で、今、柳沢厚生労働省の言った、「(女性は)
子どもを産む機械」という言葉が、社会で、大問題に
なっている。

しかしそんな発想は、60代以上の、古い世代の人なら、
だれしももっている。ないとは言わせない。少し前まで、
子どもを産めない女性をさして、差別的に蔑視
する言葉すらあった。それが理由で離婚された女性も、
数多い。が、それに対して女性たちは、
文句を言うことさえできなかった。

柳沢氏も、その古い世代に属する。

彼にしてみれば、「自分がもっている
常識を口にしただけなのだがなあ」と
いうことになるのかもしれない。

++++++++++++++++++

 私たちが子どものころには、「女、子ども」という言葉がよく使われた。「女や子どもは、
一人前の人間ではないから、相手にするな」という意味で、そう言った。

 たとえば私が小学生のときですら、男子が女子といっしょに遊ぶことすら、考えられな
かった。遊べば遊んだで、「女たらし」と呼ばれ、みなからバカにされた。仲間はずれにさ
れた。

 が、戦後、子どもの地位はともかくも、女性の地位は、急速に向上した。そして今に見
る、男女同権社会が生まれた。不完全ではあるが、ともかくも、(形)だけは、できた。

 しかし意識というのは、そうは簡単に変わらない。変わらないというより、変えられな
い。民主主義時代になった今でも、おかしな復古主義を唱える人は、少なくない。「武士道
こそ、日本のアイデンティティである」と説く人もいる。「武士道を日本の教育の柱にすべ
き」と説く教師集団もある。

 武士道がまちがっているというのではない。武士道なるものがもつ、負の側面に目を閉
じたまま、武士道を礼さんすることは、危険なことだと、私は言っている。

 それはさておき、現在を時代の過渡期というなら、一方に、戦前のままの意識をもった
人たちがいて、またその一方に、新しい人権意識に目覚めた人たちがいても、おかしくな
い。

 今回、「(女性は)子どもを産む機械」と発言した、柳沢大臣は、その古い世代に属する。
しかも悲劇的なことに、柳沢氏は、中央官僚を経て大臣にはなったが、その部分の意識改
革をしないまま、あろうことか、厚生労働省の大臣になってしまった。つまり本来なら、
女性の人権回復、地位向上の先頭に立って、旗を振らなければならない立場の人が、流れ
に乗っただけという理由で、大臣になってしまった。

 こうした例は、政治家の世界では、珍しくない。いわゆる「あとから権威」というのが、
それ。この世界では、肩書きが、先行する。肩書きが先について、そのあと、その人は、
それらしい人になる。それらしい人物として、振る舞う。

 ひょっとしたら、現在の外務大臣、防衛大臣も、そのタイプの人たちかもしれない。イ
ラク戦争をさして、「ドンパチ」と表現してみたり、「アメリカは、まちがえた」などと言
ってみたりする。そのため、現在、対米関係は、コンピュータにたとえるなら、フリーズ
状態。

 が、何ともやりきれないのは、その背景にある、日本人の政治意識のレベルの低さ。お
笑いタレントが、どこかの県の知事になっても、何も疑問に思わない国民である。この国
民にあって、この国。そしてこの大臣。

 もしこの国を救う方法があるとするなら、それは私たち一人ひとりが、自ら考える人間
になること。賢くなること。もっと言えば、モグラ叩きのように、出てきたモグラだけを
叩いていても、意味はない。そんなことだけをしたのでは、この国は、けっしてよくなら
ない。

 男尊女卑思想が、いかに愚劣な思想であるかは、ほんの少しでも、自ら考える力のある
人になら、わかるはず。幼稚園児にだって、わかる。が、悲しいかな、柳沢大臣には、そ
のほんの少しの力もなかったことになる。

 いかに弁解しようとも、またいかにそれらしく振る舞おうとも、柳沢氏は、厚生労働省
の大臣としては、ふさわしくない。意識そのものが、陳腐。完全にズレている。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●今朝・雑感(2月7日)

++++++++++++++++

JALが、大揺れに揺れている。
詳しくは知らなかったが、
経営状況は、かなり悪いようだ。

昔から、組織が官僚的で、労使関係が
うまくいっていなかったという。
そんなウワサは、よく耳にした。

しかしここまで悪化していたとは!
……知らなかった。

++++++++++++++++

 息子の夢は、JALかANAのパイロットになって、外国を飛び回ること。そのために、
この2年間、K大というパイロット養成大学で、がんばってきた。

 そのJALが、ここにきて、大揺れに揺れている。ふつうなら、とっくの昔に倒産して
いても、何らおかしくない。そんな状態だという。だいじょうぶかな?

 のんきな息子は、JALに強いあこがれを抱いている。国際線の世界では、JALをお
いてほかに、航空会社はない。日本としても、JALをつぶすわけには、いかない。しか
し勝ち目はあるのか?

 つまり外国の航空会社は、安い人件費を武器に、格安の航空券を販売している。私にし
ても、外国へ行くときは、いつも、できるだけ安い航空券を買い求めるようにしている。
旅行会社の社員ですら、「JALは、(値段が)高いです」と言う。

 しかし息子の立場では、ぜいたくは言えない。「採用してもらえるなら、どこへでも……」
という心境らしい。

 どうなることやら? 私が心配したところで、どうしようもない話だが……。


●VISTA

 だんだん、しかし確実に、つぎにほしいパソコンの形が見えてきた。このところ日曜日
になると、近くのパソコンショップへ出かけていき、ビスタ搭載のパソコンをながめてい
る。

 全体的に見ると、OSがビスタになって、それまでどこか二次元的だったパソコンの世
界が、三次元的になったような感じがする。奥行きが深まった。

 こまかい点では、ファイル検索機能が、格段に進歩したということ。ただ機能的には、
余計な(飾り)ばかりがふえて、かえって低下してしまったのではないか。たとえて言う
なら、盆や暮れにもらう、海苔(のり)のようなもの。見た目には豪華だが、中身がない
(?)。

メモリーにしても、最低でも1GBは必要だという。「2GBあれば、さらに快適に動きま
す」(ショップの店員)とのこと。

 2GBだぞ! 

 ほかにセキュリティが強化されたということも言われているが、それについては、まだ
使ったことがないので、私には、よくわからない。

 で、M社のHPで、自分好みにパソコンを組み立ててみたら、20万円弱になった。そ
ろそろ買いどきかな……と思ったところで、この話は、おしまい。いつもパソコンは、株
で儲けたお金で買うことにしている。しかしその株が、ず〜っと、さがったまま。ハハハ。


●ひとりぼっち

 ワイフは、クラブ。長男は、大学。母は、デイサービス。私はひとりで、こうして居間
で、パソコンをたたく。

 とくにやることはない。やりたいこともない。ときどきお茶を飲んだり、雑誌に目を通
したりする。あるいは血圧を測ったりして、時間をつぶす。何でもない1〜2時間だが、
私にとっては、貴重なひととき。

 (たった今、こたつの中でゴロリと寝ていたが、起きたところ。)

 こういうときは、新しい機械を買って、それをいじるのがいちばん、よい。そういう点
では、電子機器というのは、私にとっては、おもちゃのようなもの。機能満載の、新製品
であればあるほど、よい。それをあれこれといじっているだけで、ハッピーな気分になれ
る。

 しばらく使っていなかった携帯電話(W社の004)をいじってみたり、それに無料の
ソフトをダウンロードしてみたりする。

 しかしワイフが帰ってくるまで、あと1時間と少し。ここは、コタツの中で、寝て待つ
のがよい。昨夜も、母の介護で、夜中に起こされた。少し、眠い。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●嫁をもらう(?)

+++++++++++++++++

今朝、90歳の母が、こう言った。
何かの話のついでに、息子の話になり、
「そろそろ、嫁をもらう年齢だな」と。

私は、この(もらう)という言い方に、
頭にカッと血がのぼるような不快感を覚えた。

+++++++++++++++++

今朝、90歳の母が、こう言った。何かの話のついでに、息子の話になり、「そろそろ、嫁
をもらう年齢だな」と。

私は、この(もらう)という言い方に、頭にカッと血がのぼるような不快感を覚えた。

私「母ちゃん、(もらう)という言い方はしてはいけないよ。失敬だよ」
母「いい歳だろ」
私「イヌやネコでもあるまいし……。(もらう)とか(もらわない)とかいう話ではないよ」
母「嫁をもらえばいい」と。

 私は、母がもっている(意識)と、私がもっている(意識)が大きくズレているのを感
じた。母の生きた時代には、嫁は、(もらうもの)だった。しかし今どき、そんな言葉を口
にしたら、それだけで袋だたきにあう。実際には、だれにも相手にされなくなる。

 しかし私が子どものころには、それが常識だった。私が子どものころには、嫁は、(もら
うもの)だった。かすかだが、私の記憶の中にも、そういった意識が残っている。私も子
どものころ、そう考えていた。同じような言葉を使ったこともある。

 ……ということは、2つの意味をもつ。

 ひとつは、母は、この半世紀あまりの間、そのままだということ。進歩、ゼロ。もうひ
とつは、私の(意識)は、この半世紀の間に、大きく変わったということ。それが今、た
がいの間の大きなズレとなって、表面化した。

 このことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

ワ「もし、あなたがそのまま、あのM町に住んでいたら、今ごろは、あなたはあなたのお
母さんと同じようなことを言っているでしょうね」
私「ぼくも、そう思う。そのまま郷里に残った友人や、いとこたちは、今でも、同じよう
な言い方をする」
ワ「あなたは、あの町から外へ出たでしょ。だから自分の意識を変えることができたのよ」
私「そうだね。……ほかにも、いろいろな場面で、それを強く感ずることがあるよ」と。

 恐らく、母は、そう言いながら、それがとんでもない男尊女卑思想であるということに
は、気がついていない。女性である母が、そういう意識をもっているから、おもしろい。(失
礼!)

 とくに同じ岐阜県でも田舎のほうへ行けばいくほど、そうした意識は、今でも根強く残
っている。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」「兄が上、妹は下」と。家父長意識、さら
には悪玉親意識というのもある。平気で親風を吹かす。わずか数歳しか歳がちがわないの
に、年上風を吹かす人となると、さらに多い。人間を、中身を見て判断するのではない。(上
下関係)だけで、判断する。

 実に愚劣な意識なのだが、中には、それが日本人の美徳と説く人もいるから、たまらな
い。またそういうことを書いた本が、ベストセラーになったりする。

私「ぼくは、あのM町を離れて、本当によかったと思う。もしあの町で、そのまま生きて
いたら、ぼくは、まったく別のぼくになっていたと思う」
ワ「そうね」
私「だからぼくから見ると、そういうものの考え方をしている人に出会ったりすると、愚
かにに見える。実際には、相手にしない」
ワ「でも、本人は、そうではないわよ、きっと……。自分では、それが正しいものの考え
方だと思っているはずよ」
私「そう、意識というのは、そういうもの。たとえて言うなら、山登りのようなものかも
しれない。山に登ってみて、はじめて、その山から見た景色がわかる。同時に、それまで
自分がいたところが、低く見える」と。

 母を見ていると、半世紀前の自分にタイムスリップしたかのように感ずることがある。
私にとっては、母は、まさに化石のような人間ということになる。教えられるというより
は、反面教師となって、私の中にある、封建主義的な古い意識を、そのつどえぐり出して
くれる。今は、それがおもしろい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 3月 5日
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【BW・4月生を募集しています】
4月からの新年中児、新年長児、新小1児〜のみなさんは、どうか、おいでください。
3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html
より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【自己実現】

++++++++++++++++++

かつて三男と同じ部屋に、K君という三男の
「部屋っ子」がいた。

「部屋っ子」というのは、寝食をともに
する仲間のことをいう。航空大学では、
2人1組で、同じ部屋に寝泊りする。

そのK君が、北海道の帯広分校で訓練中、
悪ふざけをしてしまった。そしてそれが
理由で、退学処分になってしまった。

ちょうど、今から1年前のことである。

++++++++++++++++++

●自己実現

 自分はこうあるべきだという概念を、「自己概念」という。一方、そこには、現実の自分
がいる。現実の自分を、「現実自己」という。

 たとえば、「私は、有名人になりたい。みなに、その力を認めてもらいたい」と、自分の
あるべき姿を描く、その姿が、自己概念。しかし現実は、きびしい。だれからも相手にさ
れず、またその力もない。これが現実の自分。つまり現実自己。

 この自己概念と、現実自己が一致した状態を、「自己の同一性」(アイデンテティ)とい
う。自己が一致している人は、強い。見た目にも、安定している。わかりやすい例では、
サッカーに夢中になっている子どもがいる。その子どもは(サッカーをしたい)という思
いを、(サッカーをしているという現実)と一致させている。

 このタイプの子どもは、どっしりとしている。落ちついている。

 が、何らかの理由で、この自己概念と現実自己が、不一致を起こすことがある。卑近な
例として、不本意な結婚をした女性を例にあげてみよう。今流行の、(できちゃった婚)で
もよい。「結婚はしてみたものの……」という状態の女性である。

 このタイプの女性には、毎日の生活が苦痛でならない。夫と顔をあわせるのも、つらい。
料理をしていても、身が入らない。つまりその女性にしてみれば、自己概念と現実自己が、
不一致を起こしていることになる。

 そのため、精神状態は不安定。毎日が、一触即発。ささいなことで、夫婦喧嘩になるこ
とも多い。

 そこで人は、(そして子どもでも)、自己概念と現実自己を一致さえようとする。自分が
あるべき姿に、自分を近づけようとする。そのプロセスを、「自己実現」という。

●K君

かつて三男と同室に、K君という三男の「部屋っ子」がいた。「部屋っ子」というのは、寝
食をともにする仲間のことをいう。航空大学では、2人1組で、同じ部屋に寝泊りしなが
ら、合宿生活をする。

そのK君が、北海道の帯広分校で訓練中、悪ふざけをしてしまった。そしてそれが理由で、
退学処分になってしまった。

ちょうど、今から1年前のことである。

 そのときK君は、ボナンザという飛行機を、単独で操縦していた。飛行機というのは、
空を飛んでいるときは、自動車の運転よりも楽と言われている。広い海で、ボートを走ら
せるようなものかもしれない。

 そのときK君は、何を思ったか、カメラを手にすると操縦席を離れて、うしろの席に移
動してしまった。そしてそこから窓の外の景色を、そのカメラでパチパチと撮り始めた。

 が、そのとき、教官たちが乗った監視用の飛行機が、K君の乗った飛行機の、後方下か
ら近づいていた。万が一の事故に備えるためである。

 それにK君は気がつかなかった。同時に、ゆっくりとだが、K君の乗った飛行機は、大
きな円を描いて、コースから右にそれ始めた。「?」と思った教官の乗った飛行機が高度を
あげてみると、操縦席には、だれもいない。

 つまりそれが理由で、K君は、退学処分になってしまった。

●自己実現

 「サッカー選手になりたい」と思うのは、夢であり、希望である。そして努力に努力を
重ねて、その子どもが、プロのサッカー選手になったとする。

 単純に考えれば、その子どもは、ここでいう(自己概念)と(現実自己)を一致させた
ことになる。つまり自己の同一性を、確立したことになる。

 が、それで自己実現が、完成したということにはならない。自己実現とは、(結果)では
なく、あくまでも、そこに至る、(プロセス)をいう。自分が描いた像に向かって、まい進
努力していく、その姿をいう。

 わかりやすい例で考えると、好きで好きでたまらない男性と結婚したから、その女性が、
それで自己の同一性を確立したということにはならない。結婚と同時に、また別の道がそ
の前に現れる。妊娠、出産、育児とつづくかもしれない。

 つまり自己実現は、目標を達することではなく、そのつど、自分の中に自己概念を描き
ながら、それに向かって、前に進んでいくことをいう。自己実現に、ゴールはない。

●再びK君

 K君は、理事会の決定で、退学処分を受けることになった。そのときの様子を、息子は、
自分のBLOGの中で、つぎのように書いている。そのまま紹介する。

 『……最後に写真を撮ってくれと言うので、ファインダーを覗き込んだ。シャッターを
押すまでの瞬間、K太の笑顔が哀しみに沈んでいくのを見た。カメラを顔から離すと、も
ういつもの笑顔にもどっていた。

 せめてもの餞別をと思い、みなでK太のパイロットシャツに寄せ書きをした。それを空
港で冗談交じりに渡すと、K太も冗談交じりに受け取る。その姿を、最後まで見届けられ
ずに僕はうつむいてしまった。最後の言葉は、なぜいつもあんなにチープなのだろう。も
っと何か気の利いたことは言えないのだろうか。初めて見る同期の涙を、今日はたくさん
見た。

 部屋に帰ると、もうそこには誰もいない。本棚も机もベッドも、からっぽだ。自分の半
分がなくなってしまったように、身体の内側が寒い。K太のイスに座ってみた。ここからK
太は、どんな風に僕を見ていたのだろう。どんな苦しみと戦いながら、どんな夢を描きな
がら過ごしていたのだろう。僕は3ヶ月間も一緒の部屋にいたのに、何も知らない。

 沖縄の太陽、K太。退学が決まってからの君は、ひどく落ち込んでいた。それを見るの
が辛くて、うまく話しかけることもできず、部屋を空ける時間が多くなった。後半3ヶ月
の訓練は特に辛かったが、部屋に帰るといつも笑顔でいれた。君のおかげで、乗り切るこ
とができた。どんな誘いにも嫌な顔ひとつせず乗ってくれたK太。それなのに僕は、君の
姿を、最後までちゃんと見届けることができなかった。

 二人で、たくさん新しいことを成し遂げたよね。ヘッドオンスタイルに、作曲に。ジュ
ージャンにお湯ジャン、二人で同時に曲を流したり、杯が乾くと「ドスン」したり、二人
で作ったルールがこの部屋にはあふれている。本当に楽しかった。辛いなんて感じる暇を、
二人して与えなかった。僕とK太だからできたのかな。いや、違う。K太なら、誰とでも
そうなれる。それは君の、他の人にはない才能だ。今君は失意の底に沈んでいることだろ
う。ゆっくりでいい。少しずつ浮上していこう。少しずつ、自分のいい部分を再発見して
いこう。そしてまた、走り出そう。前へ進もう。進んでほしい。

 君の分まで、僕は頑張らない。君の分は君の分だ。その報いも、すべて君のもの。もう
一度空の上で会おう。果たせなかった約束を果たそう。

 負けるな、頑張れ。』

●返り咲き

 K君は、そののち、どのように考え、どのように行動したかは、私にはわからない。し
かしK君には、K君の(自己概念)があった。そしてそれをあきらめなかった。自己概念
に現実の自分を近づける努力を怠らなかった。根性を忘れなかった。

 つぎの一文を読めば、読者のみなさんも、自己実現というものが、どういうものか、わ
かってもらえるはず。

 息子の07年2月1日のBLOGには、こうある。

 『……おとといだったか、もと部屋っ子だったK太から、メールが入った。航大入試に
合格した、という吉報であった。帯広の終了間際で退学を命ぜられた彼だが、その後再び
航大受験を決意し、文字通り0からのスタートを切った。どんな心境で、この10か月間
を乗り越えてきたのだろう。僕には想像することも出来ない。長く、険しい道だったに違
いない。彼は辛そうな顔一つ見せることなく、いつも笑顔で明るく接してくれた。そして、
一度は失ってしまったパイロットへの切符を、再び手にした。その情熱に、僕は感動した。

 彼は航大至上、他に例を見ない学生となった。生きる伝説となった。それはまさに、奇
跡。彼のメールの最後に、「うかうかしていると、左席取っちゃうよ!」という一文があっ
た。つまり、航大を卒業するのは遅くなるかもしれないが、機長になるのは君たちよりも
早いかもよ、という意味。

彼の勢いなら、もしかしたらそれも可能かもしれない。彼は僕の系列の後輩になる。これ
から、厳しくも楽しい航大生活をもう一度やり直せるのはうらやましく思う。心から、お
めでとうと言いたい。そして、お疲れさん。ちょっと回り道しちゃったけど、それがまた、
K太の力の源になるはずだよ。頑張れ!

 ちなみに彼も、実は浜松出身。』と。

 K君は、再び、パイロットの道に返り咲いた。が、それで彼は、自己実現を完成させた
わけではない。今度は、「左席(=機長席)を取る」と。つまり自己実現は、そのつど、そ
のプロセスの途中でなされるもの。

 わかりやすく言えば、死ぬまで、私たちは常に、自己概念を描き、それに向けて、現実
の自分を一致させながら、生きていく。ゴールは、ない。つまりは、それが「生きる」と
いうことになる。

 久々に、三男のBLOGを読んで、感動した。

 おめでとう、K君。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【恥の文化】(小ズルイ日本人)

●ある表彰式での珍事

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どこかの県の、どこかの団体で、
このほど、ある表彰式が行われた。

その表彰式でのこと。

たまたま最優秀賞(県知事賞)に選ばれた
中2の女子が、何かの理由で、式に欠席。
出席できなかった。

が、ここからが、珍事!

どこかの県の県知事よ、
どこかの団体の主催者よ、
恥を知れ!

主催者側は、表彰式に、その中2の
女子とは、縁もゆかりもない、
また面識もない、まったくの別人の女子を立て、
替え玉表彰式を行った(07年1月)。

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 どこかの県……といっても、この静岡県のことだが、この静岡県のある団体(=○○連
盟)が、先日、ある会場で、表彰式を行った。最優秀賞は、県知事賞。その県知事賞に、
Y市に住む、ある女子(中2)の作品が選ばれた。

 名誉ある賞である。

 その表彰式での珍事。まさに珍事。

 その女子の名前を、IYさんとしておく。そのIYさんが、何らかの事情で、その表彰
式に出席できなかった。それはそれでしかたのないこと。が、ここからが、とんでもない
話!

 団体側は、それではまずいと判断したのだろう。同じ日本人だから、その心情は、わか
らぬわけではない。が、である。団体側は、あろうことか、まったくの別人を代理に立て、
その表彰式を行った。わかりやすく言えば、替え玉表彰式。ただの替え玉表彰式ではない。

替え玉として表彰式で表彰されたのは、IYさんとは、縁もゆかりもない、まったくの別
人。IYさんが、代理を依頼した人でもない。もちろん、それまでに面識があった女子で
もない。

 この表彰式に驚いたのが、同じくその表彰式に出席していた、父母の人たち。IYさん
を個人的によく知る人も、多くいた。

 この替え玉表彰式で、いちばんキスついたのが、ほかならぬIYさん自身。事情をよく
知る人の話では、「もう、○○道をやめよう」とさえ漏らしているという。わかるか、団体
のみなさん? あなたがたのインチキで、今、一人の女子が、大きくキズついている。そ
れまで何年もかけてやってきた、○○道の練習を、やめようとしている。あなたがたにと
っては、ささいなインチキかもしれないが、子どもの世界では、そういうインチキは、通
用しない。

 IYさんが、出席していなかったら、それはそれでしかたのないことではないか。正直
に、「今日は、事情により、IYさんは、出席できませんでした」とか、何とか言って、式
をすませればよかった。またそうであっても、何も、団体のメンツをつぶしたことにはな
らない。

 日本人は、こういう式では、形やかっこうばかりを、重んじる。江戸時代、あるいはそ
れ以前からつづいている悪習のひとつである。そして、その一方で、「正直である」ことを、
犠牲にしている。もっといえば、「あるがままに生きる」ということを、犠牲にしている。

 こういう例は、多い。いまだにこの日本中に、亡霊のようになって、はびこっている。
結婚式にしても、はたまた葬式にしても、見栄とメンツの張りあい。そうでない式もふえ
てきたが、ほとんどがそうではないかと言えるほど、まだ多い。中には、替え玉親族を立
てて、結婚式や葬式を行う人もいる。またそういう替え玉を用意するサービス会社も、現
実にある!

 (こういうのも人材派遣というのか?)

 が、今回の替え玉表彰式は、子どもの世界で起きた。IYさんをだましただけでは、す
まない。会場にいた、多くの父母たちをもだましたことになる。もっと言えば、これほど
までに、県知事賞なるものをけがす行為もない。

 繰りかえすが、私たち日本人に欠ける道徳性とは何かと聞かれれば、それは「正直」。欧
米では、親は、子どものときから、子どもに、「正直でいなさい(Be honest.)」
と徹底的に教えこんでいる。かたやこの日本では、子どもに向かって、「正直でいなさい」
と教えている親を、私は、見たことがない。聞いたこともない。

 むしろ事実は逆で、他人と争って角を立てるよりは、ナーナーで生きなさいと、親は教
える(?)。親自身も、そう思っている。

++++++++++++++++++

ここまで書いて、「飛騨の昼茶漬け」の
話を思い出した。

その原稿を添付します。

++++++++++++++++++

●あなたは裁判官

(ケース)Aさん(40歳女性)は、Bさん(45歳女性)を、「いやな人だ」と言う。理
由を聞くと、こう言った。

AさんがBさんの家に遊びに行ったときのこと。Bさんの夫が、「食事をしていきなさい」
と誘ったという。そこでAさんが、「食べてきたところです」と言って断ったところ、Bさ
んの夫がBさんに向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言った
という。

それに対して、Bさんが夫に対して、家の奥のほうで、「今、食べてきたと言っておられる
じゃない!」と反論したという。それを聞いて、AさんはBさんに対して不愉快に思った
というのだ。

(考察)まずAさんの言い分。「私の聞こえるところで、Bさんはあんなこと言うべきでは
ない」「Bさんは、夫に従うべきだ」と。Bさんの言い分は聞いていないので、わからない
が、Bさんは正直な人だ。自分を飾ったり、偽ったしないタイプの人だ。だからストレー
トにAさんの言葉を受けとめた。

一方、Bさんの夫は、昔からの飛騨人。飛騨地方では、「食事をしていかないか?」があい
さつ言葉になっている。しかしそれはあくまでもあいさつ。本気で食事に誘うわけではな
い。相手が断るのを前提に、そう言って、食事に誘う。

そのとき大切なことは、誘われたほうは、あいまいな断り方をしてはいけない。あいまい
な断り方をすると、かえって誘ったほうが困ってしまう。飛騨地方には昔から、「飛騨の昼
茶漬け」という言葉がある。昼食は簡単にすますという習慣である。

恐らくAさんは食事を断ったにせよ、どこかあいまいな言い方をしたに違いない。「出して
もらえるなら、食べてもいい」というような言い方だったかもしれない。それでそういう
事件になった?

(判断)このケースを聞いて、まず私が「?」と思ったことは、Bさんの夫が、Bさんに
向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言ったところ。そういう
習慣のある家庭では何でもない会話のように聞こえるかもしれないが、少なくとも私はそ
ういう言い方はしない。

私ならまず女房に、相談する。そしてその上で、「食事を出してやってくれないか」と聞く。
あるいはどうしてもということであれば、私は自分で用意する。いきなり「すぐ食事の用
意をしろ」は、ない。

つぎに気になったのは、言葉どおりとったBさんに対して、Aさんが不愉快に思ったとこ
ろ。Aさんは「妻は夫に従うべきだ」と言う。つまり女性であるAさんが、自ら、「男尊女
卑思想」を受け入れてしまっている! 本来ならそういう傲慢な「男」に対して、女性の
立場から反発しなければならないAさんが、むしろBさんを責めている! 女性は夫の奴
隷ではない!

私はAさんの話を聞きながら、「うんうん」と返事するだけで精一杯だった。内心では反発
を覚えながらも、Aさんを説得するのは、不可能だとさえ感じた。基本的な部分で、思想
の違いを感じたからだ。さて、あなたならこのケースをどう考えるだろうか。
(はやし浩司 都会 田舎 意識の違い)

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同じような原稿ですが、
別の機会に書いたものです。

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●飛騨の昼茶漬け

 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。たとえば岐阜県の飛騨地方には、
『飛騨の昼茶漬け』という言葉がある。あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習が
ある。しかし道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。相手が断るのを承知の上で、
誘う。そして断るほうも、これまたウソを言う。おなかがすいていても、「食べてきたとこ
ろです」と答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうものな
ら、さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。まさか昼飯に茶漬け
を出すわけにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。ひょっとしたら、あなたも日常的に使
っているかもしれない。日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、う
まくごまかして先へ逃げるほうが、美徳とされる。ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌
う。何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)
す』というお国がらである。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。そしてそれが日本人の
国民性をつくりあげている。私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。オーストラリアのメルボルン
大学にいたときのことである。私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけない
と思い、断るつもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。で、そのあと、別
の友人たちといっしょに、昼食を食べた。そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられ
ないほど、激怒した。「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。私はそう怒鳴ら
れながら、ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、寛容度がまったく違うとい
うことを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。
しかし日本人は、それをしない。しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分
も」と考える。そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。
それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。

++++++++++++++++++

 さあ、あなたも正直に生きよう! あるがままをさらけ出しながら、生きよう! 世間
体? 見栄? メンツ? 「恥」? ……もう、そんなものと決別して生きよう。

 その第一歩として、先に書いた表彰式を笑おう。笑って、自分の心の中から、ウソを消
そう。ハハハ! バカめ!


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●恥の文化

++++++++++++++++

「恥」を、ことさら美化する人たちが
ふえてきた。

「恥こそ、日本人の美徳である」と。

++++++++++++++++

親が子どもをだますとき  
●世間体を気にする人 
 夫が入院したとき、「恥ずかしいから」という理由(?)で、その夫(57歳)を病院か
ら連れ出してしまった妻(51歳)がいた。

あるいは死ぬまで、「店をたたむのは恥ずかしい」と言って、小さな雑貨店をがんばり続
けた女性(85歳)もいた。(85歳だぞ!)

気持はわからないわけではないが、しかし人は「恥」を気にすると、常識はずれの行動
をとるようになる。S氏(81歳)もそうだ。隣の家に「助けてくれ」と電話をかけて
きた。そこで隣人がかけつけてみると、S氏は受話器をもったまま玄関先で倒れていた。

隣人が「救急車を呼びましょうか」と声をかけると、S氏はこう言ったという。「近所に
恥ずかしいから、どうかそれだけはやめてくれ!」と。

●日本の文化は、恥の文化? 
 恥にも二種類ある。世間体を気にする恥。それに自分に対する恥である。

日本人は、世間体をひどく気にする反面、自分への恥には甘い。それはそれとして世間
体を気にする人には、独特の価値観がある。相対的価値観というべきもので、自分の生
きざますら、いつも他人と比較しながら決める。そしてその結果、周囲の人よりよい生
活であれば安心し、そうでなければ不安になる。それだけではない。

こういう尺度をもつ人は、自分よりよい生活をしている人をねたみ、そうでない人をさ
げすむ。が、そのさげすんだ分だけ、結局は自分で自分のクビをしめることになる。

先の雑貨点を営んでいた女性は、それまで近所で店をたたんだ仲間を、さんざん悪く言
ってきた。「バチがあたったからだ」「あわれなもんだ」とか。また救急車を拒否したS
氏も、自分より先に死んでいった人たちを、「人間は長生きしたものが勝ち」と、いつも
笑っていた。

●息子の土地を無断で転売

 こうした価値観は、そのまま子育てにも反映される。子育てそのものが、世間体を気に
したものになる。当然、子どものとらえ方も、常識とは違ってくる。子どもが、その世間
体を飾る道具に利用されることも多い。たとえばYさん(70歳女性)がそうだ。

Yさんは言葉巧みに息子(42歳)から土地の権利書を取りあげると、それをそのまま
息子に無断で、転売してしまった。が、Yさんには罪の意識はない。息子が抗議すると、
「先祖を守るために親が子どもの財産を使って、どこが悪い」と言ったという。「先祖を
守るのは子どもの義務だ」とも。

Yさんがいう「先祖」というのは、世間体をいう。もちろんそれで親子の縁は切れた。
息子はこう言う。「母でなければ、訴えています」と。ふつうに考えればYさんのした行
動は、おかしい。おかしいが、価値観がズレている人には、それがわからない。が、こ
れだけは言える。

 恥だの世間体だのと言っている人は、他人の目の中で人生を生きるようなもの。せっか
くの、それもたった一度しかない人生を、ムダにすることにもなりかねない。が、同時に、
それも皮肉なことに、他人から見て、それほど見苦しい人生もない。

(補記)

 世間体を気にする恥を、「外に向う恥」とするなら、自分に対する恥は、「内に向う恥」
ということになる。

 外に向う恥が、いかに、愚劣なものであるかは別として、大切なことは、自分に対する
恥を忘れないこと。他人が見ているとか、見ていないとか、あるいは他人が気がついてい
るとか、いないとか、そういうことは、関係ない。

 先の原稿(=「ある表彰式での珍事」)の中で、私は、「恥を知れ」と書いたが、それは
自分自身に対する恥のことをいう。どうか、誤解のないように。



Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

(教育者の美談)

++++++++++++++++

教育者は、美談が、お好き。
美談で自分を飾る。
飾って、自分をことさら、
立派な人物と、演出する。

この種の美談には、じゅうぶん、
ご注意!

++++++++++++++++

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こ
んな話がある。

 あるテレビタレント(現在、国会議員)がアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子ど
もがその人のところにやってきて、「あなたの持っているペンをくれ」と頼んだという。理
由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」(※)
と。

そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(200
0年夏、H市での教育講演)。

しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神を持っている
子どもが、「ペンをくれ」などと物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れたとして
も、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝
せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然
である。こんな事実もある。

●日本の学用品は使えない?

22年ほど前のこと。S国からの留学生が帰国に先立って、「母国の子どもたちに学用品
を持って帰りたい」と言いだした。最初は一部の教師たちの間の小さな運動だったが、
この話はテレビや新聞に取りあげられ、ついで県をあげての支援運動となった。そして
その結果だが、何とトラック一杯分のカバンやノート、筆記用具や本が集まったという。

 で、その1年後、その学用品がどう使われているか、2人の教師が現地まで見に行った。
が、大半の学用品はその留学生が持ち逃げ。残った文房具もほとんどが手つかずのまま、
学校の倉庫に眠っていたという。

理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の1日の給料よりも高価なノートや
鉛筆を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」
とも。そういう話なら私にもわかるが、「国を救う立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの
話もおかしい。貧しい親子が、1杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。
国会でも取りあげられ、その後、映画にもなった。

しかし私がその場にいた親なら、そばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけ
で食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。
その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。またこんな話も……。

●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから50メートル走というときのこと。横に並んだB君(小2)
が、A君にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママ
に叱られる」と。そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえっ
てB君のためにならないと思い、とちゅうから本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝っ
た、と。

ある著名な大学教授が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのも
のがおかしい。その教育者は、2人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それ
に教えたことのある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、まだ小学2年生
には、ない。仮にあったとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたと
いうのだろうか。さらに、こんな話も……。

●子どもたちは何をしていたか?

 ある小学校教師が1時間目の授業に顔を出したときのこと。小学1年生の生徒たちが、
「先生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をして
いた。原因は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま
顔に出ていた。

そこでその教師は、30分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、
そして再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたち
の前に立つときは心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。

その30分間だが、子どもたちはどこで何をしていたというのだろうか。その教師の話
だと、その教師は子どもたちを教室に残したまま散歩に行ったということになるのだが
……? あるいは授業放棄?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注
意したらよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、
こうした美しい話で自分の説話を飾りたがる。

……「立派な社会人思想」は日本のお家芸だが、隣の中国では、今「立派な国民思想」が
もてはやされている。親も教師も、子どもに向ってさかんに「立派な国民になれ」と教え
ている(北京第33中学校教師談)。

それはさておき、そのタレントは、「その子どもは立派な人間になりたいと言った」と話
したが、その発想そのものがまさに日本的である。英語には「立派な」にあたる単語す
らない。

あえて言えば「splendid, fine, noble」(三省堂JRコンサイス和英辞典)だが、ふつ
うそういう単語は、こういう会話では使わない。別の意味になってしまう。一体その物
乞いの子どもは、そのタレントに何と言ったのか。この点からも、そのタレントの話は、
ウソと断言してよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝、あれこれ】

●定年

+++++++++++++++++

同窓生たちは、今、みな、いっせいに、
定年退職を迎えつつある。

私には定年退職はないと思っていた。しかし
私も、何を隠そう、その定年になりつつ
ある。定年退職を迎えつつある。

私はそうでないと思っても、親や、子どもたちは、
それを認めてくれない。

私は、ジジイ。どうしようもない、ジジイ。
親も子どもたちも、若い先生を
求めて、私から去っていく。

+++++++++++++++++

 現在、電子マガジンを発行している。Eマガ(無料版、2誌)、メルマガ(無料版、簡略
版)、それにまぐプレ(有料版)の、計4誌である。

 最近の私の楽しみは、読者が、少しずつでもふえていくこと。それが私の生きがいにも
なっている。しかしそれほど、ふえるわけではない。1年間に、300〜320人。その
程度。実際には、アドレスの変更などで、ダブって購読している人も多いはず。だから、
読者数は、減っているかもしれない。

 その電子マガジンにしても、「こんなことをしていて、何になるのだろう」という疑問と
の戦い。毎日が、その連続。

 「読者が1000人になれば、何かいいことがあるかもしれない」と思っていた。しか
し何も、起こらなかった。

 つぎに「読者が2000人になれば、何かいいことがあるかもしれない」と思っていた。
しかし、そのときも、何も、起こらなかった。

 今は、3000人をめざしてがんばっている。が、読者が3000人になっても、やは
り、何も起こらないだろう。4000人になっても、5000人になっても、何も起こら
ないだろう。

 電子の世界というのは、そういうもの。「モノ」としての実感がともなわない。だから「動
き」がない。動きがないから、世間に、波風を立てるということもない。タダの収入にも、
つながらない。道楽。結局は、そういう状態で、終わってしまう。

 で、それに加えて、私も、ジジイの仲間に入った。私がいくら「私はちがう」と叫んで
も、親や、子どもたちの耳には、それは届かない。私には、親や子どもたちが、私をどう
見ているかが、わかる。私は、ただのジジイ。

 昨夜も、ワイフとこんな会話をした。

私「こうして59歳まで、よくもまあ、無事に仕事ができたものだと、自分でも不思議に
思うことが多い。これという病気もしなかった」
ワ「そうね、定年退職の年だから……」
私「でも、ぼくは、負けた。もう勝ち目はない……」
ワ「いいのよ、あなたは、あなたで、じゅうぶん、がんばったわ」
私「ぼくの年齢では、若い親たちは、ぼくに子どもたちを任せてくれない」
ワ「いいじゃない、そうなれば、そうなったときよ」

私「ぼくは、休んでいていいか?」
ワ「休めばいいのよ。もっと休みを多くして、遊べばいいのよ」
私「迷惑じゃ、ないか?」
ワ「何が?」
私「だって、ぼくが一日中、家の中でゴロゴロしていたら、お前にも、目ざわりだろ? じ
ゃまじゃ、ないか?」
ワ「そんなことないわよ。私は、あなたといっしょにいると、楽しいわ」

私「本当か?」
ワ「本当よ。だから休みを多くして、いっしょに、旅行しようよ。あちこちへ行こうよ」
私「うん……」
ワ「私には、あなたしか、いないのよ。あなたといっしょに、世界中を回りたいわ。オー
ストラリアにも行きたいわ」
私「うん……」と。

 そのとき、細い涙が、頬を伝って下に落ちた。私は、それをワイフに見られないように、
手でさっとふいた。

 来年のX月には、ワイフをオーストラリアへ連れていくつもり。私が、この37年間、
いちばん大切にしていたものを、ワイフに見せてやるつもり。できれば、息子の操縦する
飛行機で行きたい。その決心は、できた。

 晃子へ、ありがとう! 今のぼくを支えてくれるのは、お前のやさしさだけでしかない。
本当に、ありがとう!


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●6.4度!

+++++++++++++++++++++

今世紀(21世紀)末までに、地球の
平均気温は、6・4度も上昇するという。

それだけでも、人類のみならず、地球上の
あらゆる生物は、危機的状況を迎える。

が、それで気温上昇が止まるわけではない。
仮に今すぐ、人類があらゆる化石燃料の使用を
やめたとしても、その後、数百年にわたって、
気温は上昇しつづける。

地球の火星化は、SFの世界の話ではない。
すでに現実の話になりつつあると言ってもよい。

+++++++++++++++++++++

 今度、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第一作業部会が、つぎのよ
うな報告をまとめた(2月1日)(日本時間2日朝)。『地球温暖化に関する最新の科学的知
見を集約した第4次報告』というのが、それである。それによれば、

「20世紀半ば以降の地球の平均気温の上昇は、90%を超える確率で人為的な温室効果
ガスの増加が主因だと評価。石油などの化石エネルギーに依存し、高度経済成長を維持し
たケースでは、今世紀末の平均気温が、20世紀末に比べて、最大で6・4度、海面は最
大58センチ上昇する」と。

 「6・4度」と聞いて、「何だ、それぽっちか」と思う人もいるかもしれない。しかしこ
れはとんでもない誤解。まちがい! 仮に地球気温が、1〜2度あがっただけで、世界各
地で、気候の大変動が起きる。不測の事態が、これまた不測の事態を生み、地球環境は、
壊滅的なほどまでに、大打撃を受ける。

 6・4度という数字は、まさに想像を絶する数字と考えてよい。とくに影響を受けるの
が、中緯度帯から、高緯度帯である。日本は、その中でも、中緯度帯にある。

 が、今世紀末には、その気温になるとしても、そこで気温上昇が止まるわけではない。
仮に今、この時点で、世界中の人たちがいっせいに、化石エネルギーの使用をやめたとし
ても、地球の気温は、その後も、上昇しつづける。

 最終的には、地球の気温は、400度になると予想する科学者もいる。実際には、気温
が40度を超えるようになると、人類はもちろん、ありとあらゆる生物は、その時点で絶
滅する。「6・4度」という数字を、決して、あなどってはいけない。 

 また先の報告書によれば、海面も、最大58センチも上昇するという。もしそうなれば、
日本の海岸沿いの平野部のほとんどが、水没することになる。「堤防を高くすればいい」と
いう意見もあるかもしれないが、それには莫大な費用がかかる。それに仮にそのときはそ
れでよいとしても、海面の上昇にしても、それで止まるわけではない。

 気温上昇により、海水が膨張する。これがこわい。さらに気温があがれば、海水は、水
蒸気化し、厚い雲となって、地球を包むようになる。地上は日光のささない、不毛の地と
化す……。

 よいことは、何もない。ないが、ゆいいつ救いなのは、この日本は、本当にラッキーな
国だということ。四方を海に囲まれ、北から南まで、3000メートル級の山脈がつらぬ
いている。

 この地質的な特徴が理由で、この地球上でも、最後の最後まで生き残る国が、この日本
ということになる。現在、すでに世界各地で、水不足が深刻な問題となっている。世界の
人口の3分の1が、水不足状態にあるとされる。が、当面、この日本には、それもない。
仮に日本の気候が、現在の東南アジア並みになったところで、それで人が住めなくなると
いうわけでもない。

 が、それにしても、6・4度とは! つい先日まで、1〜2度と予測されていたはず。
それが一気に、3倍近くにまで数字があがってしまった。へたをすれば、10度になるか
もしれない。また今の状況をみると、それも、決してありえない話ではない。

 私は、人類がそれによって滅ぶことになっても、それはそれでしかたのないことだと思
う。人類は、あまりにも、自分勝手なことをしすぎた。しかし問題は、滅ぶことではなく、
その過程で、人類が、まさに地獄絵図を経験するだろうということ。

 わずかな水を奪いあって、戦争をするようになるかもしれない。道徳や倫理は崩壊し、
醜悪な争いを繰りかえすようになるかもしれない。そこはまさに「地獄」。私は、むしろ、
そちらのほうを、恐れる。

 残された時間は、あまりにも少ない。さあ、みんな、いっしょに考え、いっしょに賢く
なろう。それしか、人類の未来を救う方法はない!



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3月中は、随時、見学会、説明会などを、開いています。

詳しくは、
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より、おいでください。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●誠司(孫)の就眠儀式(ベッド・タイム・ゲーム)

++++++++++++++++++

乳幼児には、毎晩、眠る前に、同じ儀式を
繰りかえすという習性がある。

これを、日本では「就眠儀式」という。
英語では、「ベッド・タイム・ゲーム」という。

誠司の就眠儀式について、二男がこんな
ことを書いている。

二男のBLOGより。

++++++++++++++++++

【次男のBLOGより】

誠司を寝かせるのはいつも僕の役割なのだけれど、子供の生活の中に、何かひとつでも
「パパ」じゃなきゃだめっていうことがあるのは、とても嬉しい。子供って、ルーティ
ーンが大切だって言うけど、いつも誠司が寝るときのルーティーンは、カソリック教会
の儀式顔負けの物と化してきている。以下が誠司の「儀式」。

8:45PM

パジャマに着替え、なぜかキャッチボールをする。これをしないと後の儀式へと移行でき
ない。

8:55PM

歯磨き、おしっこ。

8:57PM

くまのぬいぐるみ、シッピーカップに入った牛乳、小さなおもちゃ(日替わり)を持って
ベッドへ入る。必ずこの3品。

8:58PM

2冊本を読む。一冊目は日替わりだが、2冊目は彼が2歳ぐらいの時から読んでい
る「Good Night Moon」という本。

9:05PM

「ふるさと」と「誠司の子守唄」を歌う。必ずこの二曲。

9:08PM

キス、そしていつもの決まり文句。「Keep the door open. Don't turn off the light(ナイ
トライトのこと).」就寝。

……というのが彼の儀式。順番を間違えたり、きっちりこの手順どおりにやらないと、
最悪の場合一晩中ベッドで泣き叫ぶことになったりもする。原発を運転するがごとく、
このルーティンをこなすのが、ポイントだ。子供っていうのはおもしろい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●寝起きのよい子どもは安心

 子ども情緒は、寝起きをみて判断する。毎朝、すがすがしい表情で起きてくるようであ
れば、よし。そうでなければ、就眠習慣のどこかに問題がないかをさぐってみる。とくに
何らかの心の問題があると、この寝起きの様子が、極端に乱れることが知られている。た
とえば学校恐怖症による不登校は、その前兆として、この寝起きの様子が乱れる。不自然
にぐずる、熟睡できず眠気がとれない、起きられないなど。

 子どもの睡眠で大切なのは、いわゆる「ベッド・タイム・ゲーム」。日本では「就眠儀式」
ともいう。子どもには眠りにつく前、毎晩同じことを繰り返すという習慣がある。それを
ベッド・タイム・ゲームという。

このベッド・タイム・ゲームのしつけが悪いと、子どもは眠ることに恐怖心をいだいた
りする。まずいのは、子どもをベッドに追いやり、「寝なさい」と言って、無理やり電気
を消してしまうような行為。こういう乱暴な行為が日常化すると、ばあいによっては、
情緒そのものが不安定になることもある。

 コツは、就寝時刻をしっかりと守り、毎晩同じことを繰り返すようにすること。ぬいぐ
るみを置いてあげたり、本を読んであげるのもよい。スキンシップを大切にし、軽く抱い
てあげたり、手でたたいてあげる、歌を歌ってあげるのもよい。時間的に無理なら、カセ
ットに声を録音して聞かせるという方法もある。

また幼児のばあいは、夕食後から眠るまでの間、興奮性の強い遊びを避ける。できれば
刺激性の強いテレビ番組などは見せない。アニメのように動きの速い番組は、子どもの
脳を覚醒させる。そしてそれが子どもの熟睡を妨げる。ちなみに平均的な熟視時間(眠
ってから起きるまで)は、年中児で10時間15分。年長児で10時間である。最低で
もその睡眠時間は確保する。

 日本人は、この「睡眠」を、安易に考えやすい。しかし『静かな眠りは、心の安定剤』
と覚えておく。とくに乳幼児のばあいは、静かに眠って、静かに目覚めるという習慣を大
切にする。今、年中児でも、慢性的な睡眠不足の症状を示す子どもは、20〜30%はい
る。日中、生彩のない顔つきで、あくびを繰り返すなど。興奮性と、愚鈍性が交互に現れ、
キャッキャッと騒いだかと思うと、今度は突然ぼんやりとしてしまうなど。(これに対して
昼寝グセのある子どもは、スーッと眠ってしまうので、区別できる。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【愛知県のR子さんより、はやし浩司へ】

こんにちは、先日は講演すごくよかったです。
ありがとうございました。
ホームページもとても充実していますね、びっくりしました。 先生が作ったのですか?

はっきりわかりました。
自分は「マズイ」ぞっと、思いました。
お話の中心は幼稚園に通う子どもの年齢だったのですが、
上の子は八歳で男、下の子は四歳で女です。
下の子は特に問題はないと思うのですが、
(上の子は)保育園の時からなんですけど嫌な事をいやと言わないみたいです。
だからたたかれたりしても、怒らないし、やり返したりしないみたいで、
保育園では年下の子には人気があったようですが
(なにしても怒らない優しい子だったようです)

園長先生にもこのままだといつか爆発するよ!っといわれました。
本人に聞いたこともあるのですが。(嫌な事されても言わないから)
「遊びだからいいんだ!」っと言っていて? 大人みたいっと思っていました。

家ではものすごくいやだーと泣くし妹とよく喧嘩をするし、
パパがあきれてうるさがるくらいの大声で泣きます。
でも、小学校に通ってもどうもたたかれたり、しているみたいで、
帽子のゴムをきられてしまったり、まあふざけているうちはいいんですけど、
エスカレートしたら困るなと思っています。

私が小学校の時に三、四年の頃いじめられていて本当にいやで、
先生にそれらの子と、別なクラスにして欲しいっとお手紙をだしたりしました。
クラスが変わってからは明るい人生でしたが、あの時のようになったら
困るなーと心配になります。

私が情緒不安定で怒りっぽいし、だから安心できなくって
どっしりとできないのかなぁーっと思いました。
人の顔色をうかがうように、上手い事を言ってくれるのもそうなのかぁー。
っと思いました。
それをやはり私が自覚して気をつけるようにしないとだめなんだなぁー
つくづく思いました。まったく
自分の母親やパパから、よくそこがあんたの悪い所だよ、よくないよっとは言われても
実際に私の悩みの答えがそこにあるとは思わなかったです。

「子供がおびえるようになるよ。」っと母に言われても
私は「?」なんで???
「だってイライラが爆発してしまうと、、、
子供が忙しい時にあーでもないコーでもないとなると。
爆発しちゃうもん。」「反省はしているけどさー。」って感じでしたが。。
先生の言っていることがあんまりにも当たっているのでびっくりでした。

大泣きをしている時、ママを求めてぶそくりながらもわざとキーキーないている時は
「わかっているから」っと言って抱きしめてあげるようにしてはいます。
でも忙しくって大半は
パパは「いいかげんにしろ」っと怒鳴るまでほって置いてしまいます。
あまえているのか、あまったれているのか?
いまだに赤ちゃんの火がついたように泣いている時
どうやった安心できるのかと思ってしまいます。

パパもD君を怒りすぎて悪かったっと思っています。
太陽のお母さんになりたいのですが、大地の母になりたいのですが、
現実はそうもいかず。反省
でもお話を聞く事はやっぱりいい事ですよね、知らない事いっぱいあるし
そうなんだ-っと思うことが出来たし。
今回ぎくっと特にしてしまったので、いきなり長いメールになってしまったのですが。

下の子は上の子を見ているのか甘え上手です。
両方ともとっても可愛くって大好きです。

「勉強は何故しないといけないの?」っといつも上の子に聞かれます。
「K子ばっかり遊んでいてずるい」っと
宿題をする時間より遊んでいたいから、だっと言っています。

私は「知ることは面白いよ、字が読めれば本人の好きなプラモデルが自分で作れるし、
恐竜の本も自分で読めるよ」とは言ってみても、わかんないっと言っています。
できたとかやれるようになった喜びをいっぱい感じて欲しいし、と思うのですが

私は勉強が嫌いで高校でもう勉強はまっぴらご免って感じでした。
二〇歳の頃仕事をしながら宅建の勉強をした時に覚える事が面白いと思いまして、
あーもっと前に気が付いてやっていたらなぁーっと思いました。

去年はパソコンの勉強を会社でさせてもらい、朝早起きをして勉強する一年でした。
教室が夜の六時から八時週二回だったので子どもたちが寂しかったかも?
でも充実していました。

大泣きをしている時いまさら恥ずかしいんだけど、どうしたらいいのでしょうか?
勉強は何故しないとっと聞かれた時の私の返事はマズイでしょうか?
夜寝る時には「D君が大好き、D君だーいじ、D君ちゃん大丈夫。ママや
パパがいるからね」っと、言っているのはかえって良くないのかしら?
安心できるかなぁっと思ってたまに言ったりするのですが、

学童保育に行っていてもどーも、いい子みたいでおとなしいようです。        
家ではくそババーとか言っているし、威勢はいいのに。
でもそれは私の情緒不安定が悪かったのには参りました。

今先生の講演を聴けたきっかけを忘れずにしようと思いました。
ありがとうございました。
パパにも聞かせてやりたかったなぁと思いました。
二人で聞けばもっとD君について話ができるから。

またメールします。

(愛知県T市・R子より)

+++++++++++++++++++++++

【R子さんへ、はやし浩司より】

 メールから浮かびあがってくるご家庭は、とてもすばらしいですね。どこか全体にほの
ぼのとして、それでいて活気があって。R子さんの、生き生きしたママぶりが、目に浮か
んできます。まったく問題ないですよ。順にご質問について、考えてみます。

●いやなことを、『いや』と言わないこと……長男、長女は、総じてみれば、神経質
てをしてしまうため、その分、子どもも萎縮し、(あるいは無理をするため)、どう
しても意思表示がへたになります。いやなことがあっても、「いや」と、はっきり言う
ことができないわけです。しかし「がまん強い子」と誤解してはいけません。このタ
イプの子どもは、ストレスを内にためやすく、そしてその分だけ、心をゆがめやすく
なります。ひねくれる、いじける、ぐずる、つっぱるなどの症状があれば、要注意で
す。

 しかし一度、そういった行動パターンができると、なおすのは容易ではありません。た
だしここで誤解していけないのは、そのパターンはだれに対しても、同じというのではあ
りません。子どもは相手によって、パターンを変えますので、一部分だけをみて、それが
子どものすべてと思ってはいけません。家の中で見せる様子と、友だちとの世界で見せる
様子が、大きく違うということはよくあります。A君に見せるパターンと、B君に見せる
パターンが、大きく違うということもよくあります。

 だから一部だけを見て、「うちの子はダメ」とか、「心配だ」と思ってはいけません。も
ちろん威圧的な過干渉や、神経質な過関心が日常化すると、子どもの心は内閉しますが、(あ
るいは反対に粗放化することもあります)、そういうケースでは、全体に行動や言動が萎縮
します。もしそうなら、それは子どもの問題ではなく、親の問題だということです。

●「いつか爆発するよ」と言われたこと……多分、園長先生は、「ストレスがたまると、そ
れが心をゆがめ、それがあるとき臨界点を超えて、爆発することもある」という意味で言
われたのだと思います。

 一般に、ふつうでない家庭状況で育てられた子どもは、大きく分けてつぎの二つの経過
をたどります。ひとつは、そのままのパターンでおとなになるタイプ。もうひとつは、そ
の途中で、ゆがんだ自分を、自ら、軌道修正しようとするタイプ、です。

 たとえば親の過干渉で、精神そのものが内閉したような子どものばあい、そのまま内閉
したままおとなになるタイプと、その途中で、そうした自分を一度リシャッフルするタイ
プがあります。リシャッフルといっても、ふつうのリシャッフルではありません。心に受
けたキズが大きければ大きいほど、あるいはあとになればなるほど、はげしいリシャフル
のし方をします。はげしい暴力をともなう家庭内騒動に発展することも珍しくありません。
子どもの成長ということを考えるなら、一見、扱い方がたいへんなように見えるかもしれ
ませんが、後者のほうが、好ましいということになります。

 もちろんR子さんのケースがそうだと言っているのではありません。これも一般論です
が、幼児教育の世界では、「いい子」ほど、心配な子どもなのです。親に向かって、「ババ
ア」とか、「クソババア、早く死んでしまえ」と言う子ども、あるいはそういうことが言え
イ」る子どものほうが、正常だということです。子どもの口が悪いことを、あまり深刻に
ウ」悩まないこと。言いたいだけ言わせながら、相手にしないようにします。相手は、子
エ」どもなのですから。

●イライラすることについて……約72%の母親が、子育てでイライラしています(日本
女子社会教育会・平成七年調査)。そのうち、7%は、「いつもイライラする」と答えてい
ます。だから、ほとんどの母親は、子育てをしながら、イライラしていると考えて、まち
がいないようです。R子さんだけが、例外ではないということです。
 
 そこで大切なことは、そのイライラを、自分の範囲にとどめ、それを子どもにぶつけな
いこと。……と言っても、子育てはいちいち考えてするものではありません。子育てはい
わば、条件反射のかたまりのようなものです。たいていの母親は、「頭の中ではわかってい
るのですが、いざその場になると、つい……」と言います。子育てというのは、そういう
ものです。あまり自分を責めないように。子どもにも適応能力があるので、その能力を信
じてください。情緒不安もある一定の範囲なら、子どものほうがそういう親でも適応して
しまいます。

 子育てをしていて、イライラしたら、子育てそのものから離れる方法を考えます。少し
無責任な言い方かもしれませんが、ときには、「なるようになれ!」と、子育てそのものか
ら離れるような「いいかげんさ」も大切だということです。またそのほうが、子どもも羽
をのばすことができ、かえって子どもの表情も明るくなります。

●「赤ちゃんが火がついたように怒る」について……かんしゃく発作が疑われます。時期
的には、もうそろそろ落ちついてくるものと、思われます。自意識(自分の意思)で、コ
ントロールするようになるからです。ただこのタイプの子どもは、興奮性だけは残りやす
く、そのため年齢が大きくなっても、緊張したりすると、声がうわずったり、反対におど
おどしたりすることがあります。興奮させないように。食生活の面で、カルシウム分やマ
グネシウム分の食生活が、この時期、たいへん効果的ですので、一度、ためしてみてくだ
さい。

●甘えじょうず……心の開いている子どもは、甘えじょうずです。甘え方が自然で、親の
ほうがやさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中にしみていくの
がわかります。R子さんのお子さんは、「甘えじょうず」ということですので、心の問題は
ないとみます。このままスキンシップを大切にして、お子さんたちが心を開いてきたら、
それをいつもやさしく包んであげてください。一般に愛情豊かな家庭に育った子どもは、
ぬいぐるみを見せたりすると、ほっとするようなやさしさを見せます。

●「どうして勉強しなければいけないの?」について……R子さんの答え方は、満点です。
視線がお子さんの目の高さにあるのが、よくわかります。コツは、言うべきことはしっか
り言いながらも、あとは「時」を待つということです。その場で、「わかんない」とか言っ
て、反応がなくても、あせってはいけません。子どもと接するときのコツは、言うべきこ
とは言いながらも、そのときは、わからせようと思わないこと。

イギリスの格言に、『子どもの耳は長い』というのがあります。もともとの意味は、「子
どもはおとなのヒソヒソ話でも聞いてしまうから、注意しろ」という意味ですが、私は
勝手に、「子どもの耳は長く、耳に入ってから脳に届くまで時間がかかる」と解釈してい
ます。参考にしてください。

●寝る前の愛情表現……心安らかな眠りは、子どもの情緒の安定のためには、とても重要
です。欧米では、「ベッドタイムゲームの時間」として、たいへん大切にしています。日本
でも就眠儀式といいますが、子どもは毎晩、眠りにつく前、同じ行為を繰り返すという習
性があります。

まずいのは、子どもをベッドへ無理に追い込み、電気を消してしまうような、乱暴な行
為です。子どもの情緒が不安定になることがあります。R子さんのやり方でよいと思い
ます。概して言えば、日本人は、元来スキンシップの少ない民族です。遠慮せず、ポイ
ント的に濃厚な愛情を表現してみてください。ベタベタの愛情表現がよいわけではあり
ません。要するに、子どもを安心させるようなスキンシップを大切にします。

●「いい子みたいでおとなしいようです」について……内弁慶外幽霊というのですね。


 以上です。R子さんの子育てで、参考にしていただければ、うれしく思います。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
幼児の就眠儀式 就眠儀式 ベッドタイムゲーム ベッド・タイム・ゲーム)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【黄色い旗】

++++++++++++++++++++

2007年1月30日。
息子のEが、自分で飛行機を操縦して、
はじめて、浜松市の上空を飛ぶ。

そこで、私は、2メートル四方の大きな
旗をつくった。テカテカと光る黄色い旗である。

それを地上から振り、息子に合図を送る。

++++++++++++++++++++

●電話

 高知県の高知空港から、連絡が入った。「これから高知空港を飛び立って、浜松に向う」
と。私は、すかさず、「何時ごろ?」と聞く。

E「1時から、1時半ごろの間だよ」
私「わかった。ぼくとママは、自衛隊基地の南西の角地で、旗を振る。黄色い、大きな旗
だ」
E「見えるかなあ?」
私「南西の角地だ。わかったか。そこを見ろ」と。

 一度、電話を切ったものの、すぐまた電話。今度は、こちらからかけた。

私「そうそう、飛行機はどちらの方向から飛んでくるんだ」
E「真西から、真東に向う」
私「地図で見ると、南西の方角ではないのか?」
E「一度、名古屋の先まで向かい、そこから、東に向う」
私「わかった」と。

 私の声は、子どものようにはしゃいでいた。それが自分でもよくわかった。

 現在、息子は、航空航空大学にいる。2年間の全寮制の大学である。それがいよいよ終
了に近づいてきた。現在は、宮城県の仙台市にいて、最終的な訓練を受けている。練習機
も、単発機のボナンザから、双発ジェットのキングエアに変わった。正確には、ターボプ
ロップエンジンといって、ジェットエンジンでプロペラを回して飛ぶ飛行機である。

 巡航速度は、550〜600キロ(毎時)だそうだ。

●旗

 旗は、長い棒に、セロテープでとめた。テカテカと光る黄色い旗である。それに合わせ
て、ワイフも、私も、黄色いジャケットに着替えた。「これなら空から見えるかもしれない
ね」と。

 空を見あげると、ほんのりと白いモヤがかかっているものの、ほぼ快晴。ところどころ
に、白い雲がポツポツと見える。青い空が、目にしみる。

 「これなら、飛行機が見えるかもしれない」と、また私。

 私とワイフは、旗を車に載せると、航空自衛隊の基地のほうに向った。途中、コンビニ
よって、おにぎりを買うつもりだった。

ワ「私ね、あなたと結婚して、よかったと思うことが、ひとつ、あるわ」
私「なんだ?」
ワ「あなたといると、感動の連続で、退屈しない……」
私「なんだ、そんなことか」と。

●1万5000フィート

 自衛隊の基地へは、10分ほどで着いた。手前のコンビニで、おにぎりとお茶を買った。
1時までは、まだ時間がある。時計を見ると、12時45分。

 基地の南西の角にある空き地に車を止めた。止めるとすぐ、ワイフが、車の屋根に、黄
色いシートをかぶせた。私は、旗を出すと、それを振る練習をしてみた。通り過ぎる車の
中から、みな、人がこちらを見ていた。が、私は気にしなかった。

私「これなら、見えるよ、きっと」
ワ「でも、高いところを飛ぶのでしょ」
私「1万5000フィートだそうだ。約4500メートル」
ワ「富士山より高いのよ」
私「見える、見える、あいつは、視力がいい」と。

 私は何度も時刻を聞く。ワイフは、空をまげたまま、動かない。ときどき、大きなライ
ン機が、空を飛びかう。白い雲が、今日は、いじらしい。

ワ「あの飛行機は、どれくらいの高さを飛んでいるのかしら?」
私「あれも、4500メートルくらいではないかな?」
ワ「あれくらいの高さだったら、見えるかもしれないね」と。

●1時15分

 そのとき、真西のほうから、飛行機が近づいてきた。ライトをつけている。それを見て、
ワイフが、「あれ、E君じゃ、ない?」と。

 私は「そうかもしれない」とは言ったものの、それにしては高度が低すぎる。「あんな低
くはないよ」とは言ったものの、期待はふくらんだ。「ひょっとしたら、Eかもしれない。
あいつ、基地に近づいたら、前輪灯をつけると言っていた」と。

 目をこらしていると、その飛行機は、基地をめざしてまっすぐに飛んできた。が、やが
てそれに爆音がまじるようになった。

ワ「ジェット機よ……。自衛隊の……」
私「そうだよな、あんな低いはずはないよな」と。

 ジリジリと時間が過ぎていく。1時は過ぎた。しかし、薄いモヤを通して飛行機をさが
すのは、容易なことではない。飛行機そのものが、空に溶け込んでしまっている。そんな
感じがした。

私「何時だ?」
ワ「1時10分よ」
……
私「何時だ?」
ワ「1時12分よ」と。

 そのとき、一機の飛行機が、2本の飛行機雲を残しながら、上空を横切っていった。

私「あれは、ちがうよね」
ワ「あれは、旅客機みたい。大きいわ。Eのは、小型機よ」
私「そうだね……」と。

 するとそのあとすぐ、それを追いかけるかのように、一機の飛行機が空を横切っていっ
た。後退翼の飛行機である。翼端の青い線が、何となく見えた気がした。その飛行機が、
丸い雲の間から出て、まっすぐと東に飛んでいった。

ワ「あれよ、きっと、あれよ」
私「あれかなあ? キングエアの翼は、まっすぐだよ。後退翼ではないはず……」と。

 しかし旗を振るヒマはなかった。目にもわかる速い速度で、その飛行機は、スーッと視
界から遠ざかり、再び、丸い雲の中に消えていった。

私「時刻は、何時?」
ワ「ちょうど、1時15分よ」
私「そうか。やっぱりあれが、Eの飛行機だ。あいつは、昔から時間に正確な子どもだっ
たから。1時から1時半の間と言えば、1時15分だ」
ワ「そうよ、きっと、あれよ。よかったわ。見ることができて」
私「うん」と。

●キングエア

 私たちは、すぐには帰らなかった。「ひょっとしたら、まちがっているかもしれない」と
いう思いで、そのまま、そこに立った。手には黄色い大きな旗をもったままだった。

 が、通るのは、明らかにライン機と思われる大型のものばかり。それから1時半まで、
小型の飛行機は通らなかった。

私「やっぱり、あれだった」
ワ「私も、そう思うわ。あれよ」
私「あとで、Eに聞いてみればわかる。あいつも浜松を通過した時刻を覚えているはずだ
から」
ワ「そうね」と。

 何となく、後ろ髪をひかれる思いで、私とワイフは、その場を離れた。時刻は、1時3
5分ごろだった。

 旗をしまい、つづいて、車の上のシートをしまった。ワイフは、何度も、「やっぱり、あ
の飛行機よ」と言った。

 Eが操縦していたキングエアは、翼に上反角がついている。だからうしろ下方から見る
と、後退翼の飛行機のように見える。はじめは、後退翼の飛行機だったから、キングエア
ではないと思った。しかしそのうち、それを頭の中で、打ち消した。「やっぱり、あの飛行
機だった」と。

●息子のE

 ふたたび、私たちは現実の世界にもどった。いつものように車を走らせ、信号で、止め
る。

 そのとき、ふと、私は、こう言った。「あいつは、本当にあっという間に、飛び去ってい
ったね」と。

 Eをひざの上に抱いたのが、つい、先日のように思い出された。生まれたときは、30
00グラムもない、小さな子どもだった。何もかも、小さな子どもだった。

 そのEが、今は、もうおとな。身長も180センチを超えた。本当に、あっという間に、
そうなってしまった。そして私たちのところから、飛び去ってしまった。

私「あの飛行機の中に、あいつがいたんだね」
ワ「そうね」
私「もう東京あたりまで、行っているかもしれないよ」
ワ「そんなに早く?」
私「そうだよ。時速600キロだもん。30分で東京へ着いてしまうよ」
ワ「飛行機って、速いのね」
私「うん……」と。

 うれしくも、さみしさの入り混じった感情。それが胸の中を熱くした。多分、ワイフも、
同じ気持ちだったのだろう。家に着くまで、ほとんど、何もしゃべらなかった。

 車をおりるとき、再び、ワイフが、こう言った。「本当に、あなたといると、退屈しない
わ」と。
 私は、それに答えて、「ウン」とだけ言った。
(2007年1月30日記)

【追記】

 やっぱり、あの飛行機が、キングエアでした。以下、EのBLOGから、日記をそのま
ま紹介します。

++++++++++++++++++++

 一泊航法、2日目。この上なくスッキリとした寝起き。僕たちの班は、高知経由で仙台
へ帰還する。高知〜仙台間が、僕の担当するレグだ。僕は浜松出身なので、どうしても浜
松上空を通って帰りたかった。名古屋のあたりから新潟へ抜け、そこから真東へ帰るルー
トが主流なのだが、僕は名古屋から浜松、大島を経由し館山、御宿、銚子と房総半島を沿
うように北上、仙台に至るルートを選択。教官すら飛んだことのないルートで、フライト
プランが受理されるかどうか心配だった。というのも、羽田や成田の周辺は、国内一、航
空交通量の多いところなので、C90のような遅いプロペラ機が訓練でフラフラ来られると迷
惑がかかるのでは、と思ったのだ。実際、高度帯によっては迂回させられる場合もあるん
だとか。今回は17,000ft、約5000mを選択。空港に離着陸するライン機は、空港周辺で
はこの高度よりも低いところを飛んでいるだろうと予想した結果だ。難なく許可されたの
で一安心。

 14,000ft以上の高度を航空業界では、『フライトレベル』と呼ぶ。フライトレベル1・7・
0(ワン・セブン・ゼロ)。そこから見た日本の姿は、本当に綺麗だった。

航空自衛隊・浜松基地。両親がこの南西端にいて旗を振っていたらしいが、インサイトで
きず。

アクト・シティ。デジカメの望遠でここまで見えた。

一生忘れられない景色を、今日はたくさん見た。

 この他、羽田空港や成田空港なども見ることができた。成田空港では、アプローチする
海外のエアラインが僕らのはるか下方を、列を作って飛んでいるのが見えた。見えたは2
〜3機だけだったが、等間隔のセパレーションを保って、はるかかなたの海から繋がる飛
行機の列は、まるでベルトコンベアーのようであった。高知離陸から仙台着陸まで2時間
45分。今日は仙台に来て初めて、ランウェイ09に着陸した。

 今回の旅で感じたことはたくさんあったが、まとめると、本当に楽しかった、という言
葉になるだろう。操縦技術やオペレーションの訓練はもちろん、日本の空、日本の地形と
いうものの全体的なイメージが掴めた気がする。そして、日本国内だけでなく、海外にだ
って行けそうな、そんな自信も手に入れた。本当に、すばらしい2日間であった。一泊航
法で得た経験を、見た景色を、初めて飛んだ地元の空を、誇りに思ってくれた両親を、宮
崎で再確認した初心を、僕は一生、忘れない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++++++

今日から、2月。
2007年1月も、あっという間に
過ぎてしまった。

何かと、気ぜわしい、1か月だった。

++++++++++++++++++

●1月を振りかえって……

 母の介護をするようになって、1か月。当初は何かと忙しかったが、今は、すっかりな
れた。なれたというより、元通りの生活にもどった。

 正月休みの間、原稿書きは、低調だった。遊んでばかりいた。マガジンの原稿は、ほぼ
1か月前に書くことにしている。が、1月の中旬を過ぎても、2月号に入れなかった。本
来なら、1月の中旬には、2月の中旬に出すマガジンの原稿を書いていなければならない。
それができなかった。

 が、それ以後は、調子も、もどった。で、現在は、3月2日号の原稿を書いている。今
日は、2月1日だから、やっと追いついたということか。

 だれに頼まれたわけでもない。出しても、出さなくても、どうということはない。やめ
ようと思えば、いつでもやめられる。しかし私は、書く。これは私自身との戦いでもある。
ここでやめたら、私の負け。1000号までは、何としても、つづける。

 で、そのマガジンだが、この3月2日号で、851号になる。1000号まで、残り1
49号。あと1年と少し。がんばろう。がんばるぞ! そのあとのことは、考えていない。


●あぶなかった!

 数日前、いやなことがあった。詳しくは、書けない。

 そのときのこと。私は懸命に自分を抑えながら、その人と対峙した。たいしたことでは
なかったが、私のプライドがズタズタにされるような事件だった。

 で、それはそれで終わったが、そのあと、奇妙な現象が起きた。

 自分の部屋に帰り、椅子に座ったとたん、左目まぶたの下が、痙攣(けいれん)を始め
た。眼球のうしろの三叉神経が、血管に圧迫されたためらしい。つまり、血圧が急激にあ
がった(?)。

 もともとは低血圧ぎみの私が、である。体全体が、フワフワとした感じになった。私は
あわてて、精神安定剤を半錠、舌の先で溶かしてのんだ。

 これからは、注意しよう。低血圧ぎみだからよかったようなものの、もし私が高血圧ぎ
みだったら、それが原因で、脳梗塞か、脳内出血を起こしていたかもしれない。ゾーッ!

 家に帰って、そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「これからは、流れに
任せて、淡々と生きることね」と。

 そう、生きていること自体が、奇跡なのだ。それがわからなければ、天空に輝く、星々
を見ればよい。地球自体が、宇宙のゴミの、そのまたゴミのようなもの。そのゴミに、人
間は、カビのように、へばりついて生きている。

 しかしただのカビではない。考えるカビである。そのうちの一匹が、「私」。それを奇跡
と言わずして、何と言う。

 もうくだらないことで、腹を立てるのはやめよう。なるようになる。なるようになれ。
私は、今日も懸命に生きる。それだけ。あとのことは、知らない。知る必要もない。その
ときは、そのとき。そのとき、考えればよい。

 賢明な人は、日々を、淡々と生きる。愚かな人は、取り越し苦労と、ヌカ喜びを繰りか
えしながら、日々を、あたふたとしながら生きる。私は、そういう愚かな人にだけは、な
りたくない。


●グチ

 子育てをしながら、グチばかりを並べる親がいる。「おしっこを漏らした」「(幼稚園の先
生に)苦情を言われた」「服をよごした」「約束を守らない」「参観日に行ってみると、居眠
りをしていた」「友だちに体当たりをして、けがをさせるところだった」と。

 そういう親と、30分も話していると、こちらのほうが、気がヘンになる。私はそのつ
ど、「何でもない問題なのだがなあ」と思う。「どこの子どもも、同じようなものなのだが
なあ」と思う。思うが、それは言えない。その親は、その親なりに、懸命に(?)、子育て
をしている。

 しかしグチはグチ。こういうグチを並べること自体、その人の知的レベルの低さを表す。
その前に、自分の子どもに対する愛情そのものに、問題がある。

 それぞれの人には、それぞれ、無数の(糸)がからんでいる。社会的糸、家族的糸、人
間的糸、文化的糸、肉体的糸、風習的糸などなど。そういう無数の(糸)がからんで、そ
の人の進むべき道を決める。

 それを「運命」という。

 その運命を感じたら、運命は、静かに受けいれる。さからってはいけない。抵抗しても
いけない。運命は、運命。運命にさからうと、突然、悪魔が現れ、あなたに襲いかかる。
容赦なく、あなたを苦しめる。

 しかし運命を笑えば、悪魔は、シッポを巻いて退散する。もともと、悪魔は小心。気が
小さい。臆病。

 子育ても、またしかり。

 「こんなはずはない」「まだ何とかなる」「あれが悪い」「これが悪い」と思っている間は、
親に、安穏たる日々は、やってこない。仮にひとつの問題が解決しても、また別の問題が
起きてくる。起きてくるのではなく、自分で、別の問題を作ってしまう。

 が、運命を運命として受けいれてしまえば、とたん、あなたのまわりの世界は、一変す
る。そのまま、あらゆる問題は、解決する。

 あとはみんなで仲よく、助けあい、知恵を出しあい、いっしょに前に進めばよい。

 そうそう、先日、「介護の会」なるものに、出席してみたときのこと。一人の女性(60
歳くらい)が、こう言っていた。

 「(介護をしている)母の部屋が、老人臭くてたまらない」
 「夜中に、シーツを小便で濡らす」
 「大便が、間にあわず、床を汚す」
 「夜中に、尿取りパットをはずしてしまう」
 「大食で困る」
 「デイサービスに行くのを、いやがることがある」
 「夜中に起こされる」
 「私の夫に申し訳ない」
 「補助金で手すりをつけることもできるが、今の家は、夫の家で、私の家ではない」
 「妹がいるが、何もしてくれない」などなど。

 まさにグチの洪水。私はその話を聞きながら、「要するに、この女性は、親の介護をした
くないのだ」と感じた。つまり、自分の運命を、自分の運命として、受けいれていない。
しかしこれでは、先にも書いたように、安穏たる日々はやってこない。

 むしろ、状況は悪化するだけ。その女性自身が心を病むのも、時間の問題。それが悪循
環となって、その女性は、ますます苦しむようになる。

 その母親は、85歳だそうだが、話を聞きながら、私は、「私の母より、まし」と思った。
私の母は、もっと、ひどい。ひどいが、「老人というのはそういうもの」という前提で考え
れば、何でもない。

 たとえば私の家でも、老人臭が漂うになったが、そんなことは、換気扇をつければ、そ
れで解決するはず。だから近く、換気扇の工事をするつもり。工事といっても、そんな程
度の工事なら、自分でできる。

 話はそれたが、グチほど、その人を見苦しくするものはない。それを聞くほうも、つら
い。だからグチは、言わない。とくに言ってもしかたのない相手には、言わない。これは
自分の人生を賢く生きるための、重要なコツのひとつ。

【格言】●グチを口にしたら、自分の愚かさを、まず疑え。
    ●心のポケットにない相手に、グチをこぼすな。
    ●グチを聞いた相手は、必ず、それを酒の肴(さかな)にする。
    ●グチは、人間性の低さから発生する。
    ●グチを口にしても、問題は、何も解決しない。
    ●グチは、うつ病の初期症状。
    ●グチを並べる人は、相手にしない。それを聞くあなた自身も、レベルをさげる。
    ●グチを並べる人には、近づくな。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●人間の脳(病識)

+++++++++++++++++

人間の脳も、ずいぶんといいかげんなもの。
それを強く感ずるのは、射精前の脳みそと、
射精後の脳みそ、だ。

射精前には、あれほどまでに狂おしく見える
女性の体も、射精後には、ただの肉にかたまりになる。

医学的にはあれこれと説明されているようだが、
この際、そんな説明など、どうでもよい。

一度射精してしまうと、では射精前の私は、
いったい、何だったのかということになる。
それが問題なのだア!

+++++++++++++++++

 女性のことは知らない。しかし男性のばあい、(私のように、「濃い男」のばあいと考え
てよいが)、射精前の私と、射精後の私は、180度というか、まるで別人のようにちがう。

 射精前には、あれほどまでに狂おしく見えた女性の体が、射精後には、ただの肉のかた
まりになる。おおげさなことを言っているのではない。これは本当だ。

 たとえば射精前には、一晩中でも、舌の先で女性の体をなめていたいと思う。(これは若
いときの話だが……。)しかしそれが絶頂に達し、射精をすると、その思いは、一変する。
本当に一変する。

 ここで(肉のかたまり)と書いたが、そのとおり。たがいに愛情が行きかっていればそ
ういうこともないのだろうが、それがないと、まったくの(肉のかたまり)になる。精肉
店で見る(肉のかたまり)と、それほど、ちがわない。

 そこで射精前の私と、射精後の私とでは、どこがどうちがうのかということになる。そ
れについては、医学的な立場で、あれこれと説明されている。何しろ本能にかかわる部分
なので、そのメカニズムは複雑怪奇。

 それはそれとして、では、心理学的にはどうなのか。

 少し前、私は、「病識」について書いた。「私は病気である」と認識することを、病識と
いう。精神疾患をもった人では、その病識がある、なしで、軽重が決まる。病識のない人
は、一般的に、重いとみる。病識のある人は、一般的に、軽いとみる。

 では、性欲はどうなのか? わかりやすく言えば、射精前の男は、どうなのか? 「女
性を抱きたい」と思うのは、性欲のなせるわざであるとしても、そのとき、それが本能に
根ざした性欲によるものであると、冷静に判断することができるものなのか? 精神疾患
にたとえるなら、「病識」として認識できるものなのか?

 反対に、病識について理解できない人(男性)は、射精前の自分を思い浮かべてみると
よい。ムラムラと性欲が自分の体を支配したとき、それを冷静に、「これは本能によるもの
だ」と、判断できるなら、それはそれでよし。そうでないなら、病識も似たようなものだ
と思えばよい。

 わかるかな? この複雑な話?

 つまり私が書きたいことは、病識のない精神疾患をもった患者に、「あなたは病気だ」と
言っても意味はない。自分では、病気とは思っていない。むしろ正常と思っている。へた
な言い方をすると、「オレは病気ではない」と、かえって相手を怒らせてしまう。

 脳のCPU(中央演算装置)が狂っているためである。

 同じように、射精前の男は、本能によって、そのCPUが狂う(?)。冷静に考えれば、
つまり射精後の立場で考えれば、女性の体といっても、男のそれと、それほどちがわない。
乳房にしても、関取(相撲)の乳房のほうが、見方によっては、女性の乳房よりは、よっ
ぽど美しい。脂(あぶら)がのっている。しかし女性の乳房には感じても、関取の乳房に
は感じない。なぜだろう?

 半面、女性の性器は、ウンチや尿の出口に近いところにある。射精前の男は、狂おしい
までの魅力を、そこに感ずる。これも冷静に考えればおかしなことだ。が、そのときは、
それがわからない。たとえばセックスに夢中になっている男に、(女でもよいが)、「君たち
は、本能によって狂わされているだけだよ」と話しても意味はない。かえって、相手を怒
らせることになるかもしれない。

 ……と考えていくと、私たちは、ひょっとしたら、生活のあらゆる場面で、病識のない
まま、生きているのかもしれないということになる。

 身近な例では、ファッションがある。名誉欲、物欲、食欲などもある。「いい車に乗って
みたい」「いい家に住みたい」というのも、本当は、病識のない病気(?)なのかもしれな
い。その意識がないから、わからないだけ。

 さらに大きな例としては、カルトがある。戦後生まれた新興宗教は、多かれ少なかれ、
カルト的色彩をもっている。そのカルトにしても、一度、それにハマると、自分がわから
なくなってしまう。つまりここでいう病識がなくなる。

 他人から見ればおかしなことでも、当人たちにとっては、ごくふつうのこととなる。死
んでミイラになった人を、「まだ生きている」とがんばったカルトがあった。足の裏を見る
だけの、その人の人生がすべてわかると教えたカルトもあった。さらに教祖の髪の毛を煎
じて飲むだけで、霊力が備わると教えたカルトもあった。

 このことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、わかる。

 たとえばカード遊びがある。いまだにカード遊びは全盛期のままだが、そういう遊びを
している子どもに向かって、「そんな遊びはつまらない」と言っても、意味はない。子ども
たちは、そのカードで遊びながら、ハッピーな気持ちになったり、落胆したりする。

 つまり子どもたちには、その病識がない。病識がないまま、カード遊びに、夢中になっ
ている。

 同じようなことが、おとなの世界についても、言えるのではないか。「私は正常だ」「ふ
つうの人間だ」と思っていても、病識(?)がないから、そう思っているだけ、と。

 金銭欲にしても、そもそも、マネーが一般社会で流通し始めたのは、この日本では、江
戸時代の中期と言われている。それ以前には、金銭欲といっても、金銭そのものが、なか
った。

 日本人がこうまで、「マネー」「マネー」と言い出したのは、戦後のことである。現在の
中国を見れば、戦後の日本がどういう国であったかがわかる。それまでは、日本人は、そ
れほどマネーには、執着心をもっていなかった。私が子どものころには、まだ「盆暮れ払
い」というのが、残っていた。

 借金があっても、盆か、暮れ(年末)に払えばよいというのが、それである。社会全体
が、実にのんびりとしていた。

 ここで結論。

 わかりやすく言えば、私たちは、病識のないまま、無数の心の病気に侵されているので
はないかということ。何か、おかしなことをしながら、それをおかしいとも思わず、それ
をつづけている? その例として、きわどい話で恐縮だが、射精をテーマに考えてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
病識 カルト 子供の心理)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●6か国協議

++++++++++++++++

もつれにもつれた、6か国協議。
しかしその6か国協議も、常識を
働かせて考えれば、なんでもない。

つまり、結果は、明白。

++++++++++++++++

●金xxの健康状態

 大前提として、現在、K国の金xxの健康状態は、きわめて悪いとみてよい。私の推察
では、06年の終わりごろ、肝臓か、腎臓の移植手術を受けている。金xxのアルコール
依存症、それに慢性的な糖尿病は、公知の事実である。

 昔から、「肝腎、要(かなめ)」という。「肝心」と書くこともあるが、正しくは、「肝腎」。
それはともかくも、その双方が、かなりのダメージを受けている。昨年には、「20メート
ル歩くのがやっと」という情報も、外に漏れた。

 が、これらの臓器がやられると、同時に、脳性障害が起きる。わかりやすく言うと、狂
人的になり、手がつけられなくなる。年末から今年の年初にかけて、金xxが、軟禁され
たという情報も流れているが、それはありえないことではない。つまり、幽閉。

 こうした情報は、アメリカも、韓国も、そして中国も、すでに知っているはず。移植手
術を行ったのは、北京の外科医たちと推察される。中国が、それを知らぬはずはない。

●失敗した核兵器開発

 K国の核兵器開発は、すでに失敗している。何個かは作ったかもしれないが、あまりに
も大きな人的被害(=放射線障害)のため、開発計画そのものが、頓挫(とんざ)してい
るとみてよい。その被害者だけでも、数万人以上とも言われている。

 貧弱な研究設備、とぼしい研究資金。研究者たちが、研究意欲を失っているとみるのが
正当である。P市の大学卒業者でも、優秀な学生は、核兵器開発部門に送られるという。
しかしそれらの学生たちは、みな、「そこは生きては帰れないところ」というところを知っ
ている。だから、「優秀」というレッテルを張られることを、何よりも、恐れている。

 そんなK国に、どうして満足な核兵器開発ができるというのか。何も、アメリカや日本
に言われなくても、K国は、核兵器開発をつづけるだけの「力」は、ない。

 が、それを公(おおやけ)にするわけにはいかない。ポーカーにたとえるなら、最後の
最後まで、切り札をもっているフリをする。それが今のK国のおかれた現状である。

●破綻する国家経済

 K国の国家経済が破綻状態にあることは、もうだれの目にも疑いようがない。おまけに、
今(1月末)、伝染病が大流行している。加えて、食糧不足。燃料不足。電気もガスもない。

 もしあなたがK国の政府高官なら、どうするだろうか?

 金xxには、どこかの招待所(別荘)に、治療名目で、ひっこんでいてもらう。軟禁状
態でもよい。しかしそれを公にすることはできない。表向きは、金xxの健在ぶりを、誇
示する。

 その上で、金融制裁解除会議、つづいて、6か国協議に臨む。目的は、ただひとつ。核
兵器をちらつかせながら、莫大な援助金を手に入れること。

●金融制裁会議

 アメリカ政府は、解除派の国務省、制裁派の財務省と、まっ2つに分かれている。ヒル
さんは、国務省派。しかし今回、金融制裁会議を主導しているのは、財務省。もとから、
制裁を解除するつもりはない。

 財務省の目的は、K国による、にせ札作りをやめさせること。その原版を破棄させるこ
と。それがかなわないかぎり、財務省は、そうは簡単に、制裁解除には、応じないだろう。
また応ずる必要もない。

 ただアメリカ政府(=ブッシュ政権)の意向を受けて、ある程度のお金については返還
する可能性はないとはいえない。すでにアメリカ政府は、サジをなげている。つまり、日
本や韓国など、どうなろうと知ったことか、と。

 アメリカの国益を最優先。その国益とは何かといえば、核兵器を廃棄させること。それ
だけ。つまりそれさえかなえれば、あとは知ったことか、と。

●各国の思惑

 K国の思惑は、核兵器をちらつかせながら、より多くの援助を、他の5か国から引き出
すこと。そのためのサル芝居というか、茶番劇をこれから繰り広げるはず。

 中国やロシアは、その援助を、K国を経て、自分のものにしたいはず。現在、K国は、
4兆円近い戦後補償費を、日本に支払うよう、中国に打診している。中国は、日本とK国
を仲介しながら、その補償費を、自分のものにしようとしている。ロシアも同じ。

 韓国は、K国が、中国やロシアの一部になることをもっとも恐れている。だから「遅れ
まじ」と、6か国協議では、何とか先頭に立とうとしている。が、そうは、うまくはいか
ない。

 さて日本だが、本音の本音を言えば、6か国協議など、もうどうでもよいといったとこ
ろ。アメリカがサジを投げている今、6か国協議に、どれほどの意味があるというのか。

 仮にアメリカとK国が、相互不可侵条約的な平和条約でも結べば、そのときから、日本
は、K国の直接的な脅威に立たされることになる。K国は、日本に対して、したい放題の
ことをしてくるだろう。言いたい放題のことを言ってくるだろう。

 日本は、それを一番、恐れている。わかりやすく言えば、アメリカに裏切られることを、
何よりも、恐れている。

 で、そのアメリカだが、ブッシュ大統領の心境としては、「もうどうにでもなれ」といっ
たところか。それについては、繰りかえしになるので、ここには、書かない。そうでなく
ても、中東問題だけで、頭がいっぱい!

●私の推察

 1月30日から開かれている、金融制裁解除会議は、K国側が、にせ札作りを認め、そ
の原版をアメリカ側に渡さないかぎり、お流れとなる。その可能性は、5分、5分。

 もしここで金融性解除会議が流れるようなことにでもなれば、(ブッシュは、そういう方
向にもっていこうとしているようだが……)、次回、2月8日から予定されている、6か国
協議も流れる。

 今度は、アメリカが、6か国協議を、蹴飛ばす番である。そしてそのあとは、時間を待
つ。時間を稼ぐ。冒頭に書いたように、金xxの健康状態は、きわめて悪い。ここであせ
って、K国を助けなくても、早晩、K国は、崩壊する。

 韓国や中国には困った話かもしれないが、つまりK国が崩壊するということは、困った
話かもしれないが、韓国はともかくも、中国が困るということは、そのまま、アメリカの
国益につながる。韓国についても、すでにアメリカは、見放しつつある。

 だから今ごろは、ブッシュは、側近にこう言っているはず。

 「時間を稼げ」と。

 つまり6か国協議が開かれても、アメリカは牛歩戦術というか、ノラリクラリと対処す
るはず。日本も、また同じ。すでにその兆候は、現在、北京で開かれている、金融制裁解
除解除でも、表れ始めている。
(以上、1月31日記)


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●少人数校の問題

++++++++++++++++

少人数校を嫌う親たちは多い。
しかしどうして少人数校では、
いけないのか?

++++++++++++++++

 よく少人数校が問題になる。昨日、講演をしたT小学校のI校長も、それを話題にした。

 そのT小学校のI校長は、こう言った。「親は、よく少人数校を問題にします。中学にな
って、大規模な学校へ進学したときに、困ることはないのかとです。しかし、そういう問
題は、入学時のときだけです。子どもたちは、すぐ新しい環境になれます」と。

 この日本で、小規模校や大規模校が問題になること自体、おかしい。総じてみれば、日
本の学校は、どこも、大規模校。国際的な水準でみれば、そうなる。

 オーストラリアの学校と比較するのもヤボなことだが、オーストラリアには、「無線学校
(エアースクール)」というのもある。小学3年生ごろまでは、家庭で、無線で勉強する。
スクーリングも、週に1回程度。しかも集まって、10名前後。

 で、そういうところの子どもたちが、どこかおかしいかといえば、そういうことはない。
むしろ、人間関係が濃密で、その分だけ、人とのつながりを大切にする。私自身が、それ
を友人の家で、体験している。

 一方、すさまじいのが、東南アジアの国々の学校。昔、香港で、中学生らしき子どもた
ちがゾロゾロとビルの中へ入っていくのを見たことがある。日本の都会にあるような、ビ
ルである。

 「何ごとか?」と思って見ると、それが中学校だった。もちろん校庭など、ない。「どこ
にあるか?」と聞くと、「運動は、屋上でする」とのこと。

 そういう学校とくらべると、日本の学校は、恵まれている。

 ……というようなことを総合すると、私の結論は、ただ一つ。小規模校であるからとい
って、問題は、何もない。ただし、1クラス10人以下になると、子どもたちのもつエネ
ルギーが、消沈してしまうのではないか? 私の経験では、1クラス12〜15人。1人
の教師が、ほどよく把握できる。この人数だと、問題のある子どもの出現率も、だいたい
1クラス1人程度におさえられる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ギルフォードの立体知能モデル

++++++++++++++++

子どもの知能は、多方面から、
多角的に判断しなければならない。

ある一面だけを見て、一方的に
判断すると、子どもを見誤る
原因となる。

++++++++++++++++

 ギルフォードは、知能因子を、4x5x6=120の立体モデルで、表現した。196
7年のことだった。

 私が、最初に、その立体モデルの模式図を見たのは、ある出版社でのこと。そこの編集
部員が、「林さん、こんなのがありますよ」と言って見せてくれた。

 それが1978年ごろのころではなかったか。私は、その立体モデルを見たとき、強い
衝撃を受けた。

 そこで私は、その120の知能因子にそった、教材というか、知恵ワークを考えた。そ
れらはすぐ、学研の『幼児の学習』という雑誌に、採用された。その雑誌は、やがて、『な
かよし学習』という雑誌とともに、毎月47万部も売れた。

 ギルフォードの「立体知能モデル」。

 今では、もう古典的なモデルになっている。というのも、縦軸に、認知能力、記憶、拡
散的思考……、横軸に、図形、記号、言語……、高さに、単位、類、関係……と分けてい
るが、具体性が、ほとんどなかった。

 今から思うと、「どこか思いつき?」という印象すら、もつ。しかしそれはともかくも、
知能因子を、このように分けた意義は大きい。

 というのも、それまでは、知能因子は、スピアマンの「知能因子、2因子説」や、サー
ストンの「多因子説」などがあった程度。知能因子のとらえ方そのものが、まだばくぜん
としていた。

 それを120の知能因子に分けた! それ自体、画期的なことだった!

 で、それから25年以上。今では、この分野の研究が進み、IQとか、さらにはEQと
いう言葉も生まれ、常識化している。さらには、これらの数値では、測定できない、つま
り因子と言えない因子も考えられるようになった。

 たとえばヒラメキや、直感力、直観性、創造性、思考の柔軟性など。そこで教育の分野
だけではなく、大脳生理学の分野でも、因子についての研究が、始まっている。昨今、右
脳教育という言葉がもてはやされているが、それもその一つ。

 今の段階では、知能の内容も、複雑で、奥が深いということ、その程度しか、ここに書
くことができない。あるいはもともと思考の内容を、パターン化しようとするほうが、無
理なのかもしれない。

 人間の脳の中には、約100億個の神経細胞がある。そしてそれぞれの神経細胞が、1
0万個のシナプスをもっている。つまりこれだけで、10の15乗のシナプスの数になる。
その数は、10の9乗〜10乗と言われているDNAの遺伝情報の数を超えている! 思
考の可能性を、ワクの中で考えることのほうが、おかしい。

 ギルフォードの立体知能モデルを見るたびに、そう思う。
(はやし浩司 ギルフォード 立体知能モデル 神経細胞 シナプス)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●自分の子どもの心を読む

 「うちの子のことは、私が一番よく知っている」と言う親ほど、本当のところ、子ども
の心がわかっていない。

 反対に、「うちの子のことがよくわからない」と言う親ほど、本当のところ、子どもの心
が、よくわかっている。

 心というのは、おとなであれ、子どもであれ、そんなに簡単にわかるものではない。「よ
く知っている」と言う親ほど、知ろうと、努力しない。だから、ますます子どもの心を見
失う。

 反対に、「よくわからない」と言う親ほど、子どもに謙虚になる。子どもの心に耳を傾け
る。だから子どもの心が、読める。

 まずいのは、親の判断だけで、子どもの心を決めつけてしまうこと。こうした決めつけ
が習慣化すると、子どもは自分の意思を自分で表現できなくなってしまう。もちろんその
時点で、親子の間に、深刻なキレツが入ることになる。

 子どもの心を見失う親の特徴としては、つぎのようなものがある。

(1)独断性

 子どもに対してというより、日常生活全般にわたって、独断性が強い。がんこで、人の
話を聞かない。他人に何か言われると、その何倍も、反論したりする。

(2)狭小性

 自分の世界が、小さい。限られた人たちと、限られた範囲でしか、交際しない。当然、
人の好き嫌いがはげしい。

(3)偏見性

 独得の価値観をもっていることが多い。「A高校の出身者には、いい人はいない」とか、
など。ものの考え方が、極端であったり、どこか偏屈であったりする。

(4)無学性

 人間の脳ミソというのは、常に刺激していかないと、刺激を止めたときから、退化し始
める。それは健康に似ている。運動をやめたときから、体の調子は、悪いほうに向かう。

 このタイプの人は、そういう意味での、刺激を嫌う。勉強しない。本も読まない。それ
以上に、考えない。知的な意味で、進歩がない。

(5)過干渉性

 子どもの価値観まで、親が決めてしまう。私が子どもに向かって、「楽しかった?」と聞
いても、親が、すぐその会話に割りこんでくる。「楽しかったでしょ。だったら、楽しかっ
たと言いなさい!」と。

(6)威圧性

 威圧的な育児姿勢は、百害あって一利なしと覚えておくとよい。悪玉親意識の強い人、
権威主義的傾向の強い人、親風を吹かす人、家父長意識の強い人は、その子どもに対する
育児姿勢が、どうしても威圧的になりやすい。 

そしてあとは、お決まりの言葉。「うちの子のことは、私は一番よく知っている」と。そ
して長い時間をかけて、親子の間に、大きなミゾをつくる。

 あなたも、もし、「うちの子のことは、私が一番よく知っている」と思っているなら、本
当にそうか、一度だけ、自問してみるとよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感、あれこれ】

●浮気性

++++++++++++++

日々に進化するネットの世界。
ついていくだけで、やっと。
が、それだけではない。

ふと振りかえると、自分だけが
どんどんと取り残されていく。

今、発行している電子マガジンに
しても、すでに時代遅れ?

そんな感じがしてならない。

+++++++++++++++

 インターネットをしていると、つぎつぎと、新しいサービスが始まる。電子マガジンサ
ービスやネットタウンサービス、それに携帯電話HPサービスなど。これらは、古いほう
だが、それだけではない。今度は、F社から、「F・ネットワーク」というのが、始まった。

 いわゆる仲間づくりのためのサービスと考えると、わかりやすい。

 おもしろそうだったので、入会してみた。

 で、この世界、日進月歩というか、新しいサービスだけに、使いやすい。画面も見やす
い。それでついつい、「Fネットワーク」に、ハマってしまった!

 しかし我が身は、一つ。パソコンに向える時間にも、限りがある。そこで一つのサービ
スに熱中し始めると、別のサービスが、おろそかになる。

 こうしておろそかになったものに、チャットがある。今は、ほとんど、していない。つ
ぎに掲示板もおろそかになってきた。今は、かろうじて、電子マガジンを発行しているが、
会員数がふえない日がつづいたりすると、とたんに、やる気をなくす。

 仕事としてしていれば、そういうこともないのだろうが、もちろん仕事ではない。サー
ビスというより、ボランティア。ボランティアというより、脳ミソのジョギング。何とか、
1000号までは、つづけたい。

 こうして考えてみると、私は、かなりの浮気性である。一つのことに夢中になり、それ
が一巡すると、つぎのものへと興味の対象が、移動していく。

 ホームページにしても、今は、新しく、「はやし浩司の書斎」というのを、つくっている。
今は、それが楽しい。

 ただ、問題がないわけではない。

 それぞれのサービスを通して、それぞれの世界の人たちと知りあい(?)になる。それ
はそれで楽しいことだが、やがてどの人がどの人だったのか、わからなくなってしまう。
それにせっかく一つのサービスで知りあった人でも、そのサービスから遠ざかると、その
まま、疎遠になってしまう。

 人間関係が希薄になったというか、なりつつある。もともと顔を見たこともない人たち
だし、声も聞いたことがない人たちである。だから忘れるのも早い。とくにこのところ、
初老性のボケもあるのか、よけいに早く忘れる。数週間も間をおいたりすると、「そんな人、
いたかな?」(失礼!)と思ってしまう。

 こうしたインターネットがもつ欠陥を克服するためには、どうしたらよいのか。いろい
ろ考えるが、妙案が浮かばない。というのも、これは私だけの問題ではないからだ。相手
の人にとっても、立場は同じ。私は忘れたくなくても、相手の人は、私のことなど、すぐ
忘れる。

 そこで今は、こう割りきっている。

 相手の人も、私のことなど、すぐ忘れるだろう。だから、はじめから、何も期待しない、
と。考えてみれば、さみしい世界。ホント!

【補記】

 しかし、もう、電子マガジンの時代は、終わったのかもしれない。ある時期、つまりマ
ガジンの全盛期には、どのマガジンも、爆発的に、読者をふやすことができたという。が、
私がマガジンを発行したのは、その時期が過ぎて、下火になったころ。

 が、このところ、ますます下火になってきたのではないか?

 こうまでいろいろなサービスが出まわってくると、マガジンを出す意味が、どんどんと
薄れてくる。私自身も、ときどき、何かしらムダなことをしている気持ちに襲われる。

大きな流れとしては、発行者と読者との、相互コミュニケーション型のサービスの方に
人気が移りつつあるのではないか? またそういう方向に進んでいるのではないか? 
あくまでもそう思うだけだが……。

 「マガジン」という以上、もう少し、雑誌型のマガジンにしてもよいのではないか。読
み物あり、コラムあり、と。今のやり方は、どちらかというと、報告書を、読者のみなさ
んに、ただ一方的に送りつけているだけ。そんな感じがする。

 今日もまた、「これでいいのかなあ?」と疑問のまま、マガジンの発行予約を入れる。

 ……そうそう、もう一つ、問題点が浮かんできた。

 以前は、朝起きるとすぐに、パソコンにスイッチを入れ、ほとんどそのまま原稿を書き
始めることができた。

 しかし今は、あちこちのサイトをチェックしたり、あるいは書いた原稿を、あちこちの
サイトに転送したりする手間に、かなりの時間をとられるようになってしまった。実際に
は、朝起きてから、原稿を書き始めるまでに、何だかんだと、1時間ほど、時間がとられ
てしまう。

 これはかなりの時間のロスと考えてよい。

 そんなわけで、やはり、どこか一本に、活動の本拠地を、しぼらねばならない。浮気ば
かりしていると、それこそ、わけがわからなくなってしまう。

 そういうことで、1000号までは、電子マガジンに、精力を傾けることにした。改め
て、今、そう、自分に言ってきかせた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもや孫とのつきあい

+++++++++++++++++

孫と同居したがる日本人。

が、それは決して、世界の常識ではない。

+++++++++++++++++

 老後になったら、子どもや孫と、どのようにつきあえばよいのか?

 内閣府が、平成12年に調査した、「高齢化問題基礎調査」によれば、子どもや孫とのつ
きあいについて、日本人は、つぎのように考えていることがわかった。

(1)子どもや孫とは、いつもいっしょに、生活ができるほうがよい。

      日本人   …… 43・5%
      アメリカ人 ……  8・7%
      スウェーデン人…… 5・0%

(2)子どもや孫とは、ときどき会って、食事や会話をするのがよい。

日本人   …… 41・8%
      アメリカ人 …… 66・2%
      スウェーデン人……64・6%

 日本人は、欧米人よりも、はるかに「子どもや孫との同居を望んでいる」。それがこの調
査結果からもわかる。一方、欧米人は、老後は老後として、(1)子どもたちの世話にはな
らず、(2)かつ自分たちの生活は生活として、楽しみたいと考えている。

 こんなところにも、日本人の依存性の問題が隠されている。長い歴史の中で、そうなっ
たとも考えられる。

 「老後は、子どもや孫に囲まれて、安楽に暮らしたい」と。

 そうそう、こんな話もある。

 このところ、その女性(48歳)の母親(79歳)の足が、急に弱くなったという。先
日も、実家へ帰って、母親といっしょに、レストランへ行ったのだが、そこでも、その母
親は、みなに抱きかかえられるようにして歩いたという。

 「10メートル足らずの距離を歩くのに、数分もかかったような感じでした」と。

 しかし、である。その娘の女性が、あることで、急用があって、実家に帰ることになっ
た。母親に連絡してから行こうと思ったが、あいにくと、連絡をとる間もなかった。

 で、電車で、駅をおりて、ビックリ!

 何とその母親が、母親の友人2人と、駅の構内をスタスタと歩いていたというのだ! 
「まるで別人かと思うような歩き方でした」と。

 が、驚いたのは、母親のほうだったかもしれない。娘のその女性がそこにいると知ると、
「しまった!」というような顔をして、突然、また、弱々しい歩き方で歩き始めたという。

 その母親は、娘のその女性の同情をかうために、その女性の前では、わざと、病弱で、
あわれな母親を演じていたというわけである。

 こういう例は、多い。本当に、多い。依存性の強い人ほど、そうで、同情をかうために、
半ば無意識のうちにも、そうする。

 しかし、みながみなではない。

 反対に、子どもの前では、虚勢を張る親も、いる。「子どもには心配をかけたくない」と
いう思いから、そうする。

 どこでそう、そうなるのか? どこでどう、そう分かれるのか?

 私などは、いくら疲れていても、ワイフや息子たちの前では、虚勢を張ってみせるほう
だから、反対に、同情をかう親の心が、理解できない。気持ちはわかるが、しかしそれで
よいとは思わない。

 ひょっとしたら、この問題も、冒頭にあげた調査結果で、説明できるのではないか。少
し脱線したような感じだが、それほど大筋から離れていないようにも、思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

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 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●息子や娘の結婚

++++++++++++++++

息子や娘の結婚、さらには結婚式に
ついて、どのように考えたら、よいのか。

自分の息子たちのこともあり、このところ、
それについて、よく考える。

++++++++++++++++

 息子や、娘の結婚について。結婚というより、その結婚相手について。最初、息子や娘
に、その相手を紹介されたとき、親は、何というか、絶壁に立たされたかのような、孤立
感を覚える。

 これは、私だけの感覚か。

 最初に聞きたいのは、通俗的な言い方だが、どんな家庭環境に生まれ育ったかというこ
と。……ではないか?

 「まとも」という言い方は、あまり好きではないが、こと、結婚ということになると、
保守的になる。「まともな家庭環境」という言葉が、自然な形で、口から出てくる。

 もちろん結婚というのは、当人たちの問題だし、その段階で、あれこれ口を出しても、
意味がない。

 そこで、あえて聞かない。聞いたところで、どうにかなる問題ではないし、かえって取
り越し苦労をすることにもなりかえない。当人たちが、幸福になれば、それでよい。

 で、親は、そういうとき、(1)相手の家族構成、(2)相手の親たちの仕事、(3)生ま
れ育った環境が、気になる。どんな教育を受けたかということで、(4)学歴も気になる。
が、何よりも気になるのは、(5)その相手の性格、である。

 おだやかで、やさしい性格ならよい。情緒や、精神的に安定していれば、なおさら、よ
い。すなおな心であれば、さらによい。

 ……と、相手ばかりに求めてはいけない。それはよくわかっているが、どうしても、そ
れを求めてしまう。

 ただ、これは私の実感だが、女性も、25歳をすぎると、急に、いろいろなクセが身に
つくものか? 18〜25歳までは、画用紙にたとえるなら、白紙。しかし25歳をすぎ
ると、いろいろな模様が、そこに現れるようになる。

 つまり計算高くなったり、攻略的になったりする。だからというわけではないが、どう
せ結婚するなら、それまでの時期に、電撃的な衝撃をたがいに受けて、結婚するのがよい。
映画『タイタニック』の中の、ジャックとローズのように、である。


●結婚式(PART2)

 数日前、結婚式について、エッセーを書いた。それについて、何人かの人たちから、コ
メントが届いている。

 「おかしい」「考えさせられた」と。1人、結婚式場で働いていたことがあるという女性
からは、こんなものも……。

 「結婚式場って、儲かるのですよ。何でも、追加料金で、すみますから」と。

 で、昨日、オーストラリアの友人の長男が、その結婚式をした。日本円で、総額、40
万円程度とのこと。それでも、豪華なほうだという。

 二男も、数年前、アメリカで結婚式をしたが、総額で、30万円程度。貸衣装などに、
10万円。教会(チャペル)と牧師さんへの費用が、10万円。そのあとの飲み食いパー
ティに、10万円程度。計、総額で、30万円弱。

 もう一度、数日前に書いた原稿を、ここに載せておく。

++++++++++++++++++

●結婚式に、350万円プラス150万円!

 知人の息子が結婚式をあげた。浜松市内の、あるホテルであげた。費用は、350万円
プラス150万円!

 これでも安いほうだそうだ。

 知人いわく、「最初、350万円と聞いていたので、その範囲ですむかと思ったていたら、
それは基本料金。テーブルクロス一つにしても、ピンからキリまであり、値段も、みな、
ちがっていた。追加料金で、150万円も取られた」と。「あんなのサギだ」とも。

 日本のみなさん、こんなバカげた風習は、もうやめよう! みんなで、1、2の3でや
めれば、それですむ。

 あんな結婚式に、どれほどの意味があるというのか。意味だけでは、ない。まったくの
ムダづかい! 新郎新婦のほうは、祝儀でその費用をまかなえると思っているかもしれな
いが、世間に甘えるのも、ほどほどにしたらよい。

 大切なのは、2人だ。中身だ。

 ……というのは、少し過激な意見かもしれない。しかしもう少し、おとなになれば、こ
うした結婚式が、いかにつまらないものか、わかるはず。聖書すら読んだこともない2人
が、にわかクリスチャンになりすまし、張りぼての教会で、ニセの祭儀をあげる。もちろ
ん牧師もニセモノ。

 (オーストラリアでは、ニセ牧師を演じて、お金を取ると、逮捕されるそうだ。)

 ワイフは、こう言った。「狭くても、みすぼらしくても、自分の家で、質素に、本当に岩
ってくれる人だけが集まって、結婚式をすればいい」と。

 私もそう思う。日本人独特の、「家」意識。それに見栄、メンツ、世間体が融合して、今
に見る、日本歌型結婚式の「形」ができた。もし、それでもハデな結婚式をしたいという
のなら、自分たちで稼いで、自分たちですればよい。

 どこまで親のスネをかじったら、気がすむのだ!

 知人の息子の結婚式の話をしながら、さらにワイフは、こう言った。「今では、祝儀も、
3万円から5万円。夫婦で出席すれば、その倍よ。みんな、そんなお金、出せないわよ」
と。

 ……と、書いたが、これはあくまでも、参考意見。かく言いながらも、私は、今まで、
数え切れないほどの結婚式に、出席してきた。それに私の息子たちはともかくも、相手の
女性の両親が、「そういう結婚式をしたい」と言えば、それに従わざるをえない。へんにが
んばっても、角が立つ。

 妥協するところは妥協しながら、あまり深く考えないで、ナーナーですますのも、処世
術の一つかもしれない。ハハハ。(ここは、笑ってごまかす。)

++++++++++++++++

【追記】

 結婚式場では、「○○家」「△△家」と、書くならわしになっている。私は、あれを見る
たびに、「結婚式って、何だろう?」と考えてしまう。

 昔の武家なら、それなりの意味もあるのだろう。そこらの町民や農民が、武家のマネを
して、どうなる? どうする? こんな伝統や文化、本当に、それが日本人の伝統や文化
なのだろうか。守らなければならないような、伝統や文化なのだろうか。

 アメリカ人の友人に、こう聞いたことがある。「どうして、アメリカには、日本のような、
結婚式のような結婚式がないのか?」と。アメリカでは、結婚する2人が、自分たちで、
ほとんどを準備する。

 すると、その女性(30歳)は、こう言った。

 「カルフォニア州の大都市なんかへ行くと、そういうビジネスもあるようだけど、アメ
リカには、定着しないでしょうね」と。

 そして結婚式と言えば、お決まりの、ヨイショ。ただ騒々しいだけの、ヨイショ。新郎、
新婦の友人たちが集まって、ギャーギャーと、騒ぐだけ。安物のバラエティ番組風。「祝う」
という意味が、ちがうのではないのか?

 いろいろ考えさせられる。

 ちなみに、私たち夫婦は、その結婚式をしていない。貯金が、当時、10万円しかなか
った。それでワイフに、「結婚式をしたいか。それとも、このお金で、香港へ行きたいか」
と聞いたら、「香港へ行きたい」と。それで、おしまい。

 毎月、収入の半分を、実家へ仕送りしている身分だった。どうして、親のスネをかじる
ことなど、できただろうか。
 

Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●もう一人の私

+++++++++++++++

心の状態と表情の一致している
人を、すなおな人という。

そうでない人を、そうでないという。

+++++++++++++++

 情意(心)と、表情が遊離してくると、人間性そのものが、バラバラになる。

わかりやすく言うと、本心と外ヅラを使い分け、表ヅラばかりとりつくろっていると、
本当の自分がわからなくなってしまう。つまりこうして、自分の中に、もう一人の、自
分でない自分が生まれてくる。

 こうした二面性は、その立場にある人に、よく見られる。ある程度は、しかたのないこ
とかもしれないが、そういう立場の中でも、もっともその危険性の高いのが、実は、教師
ということになる。

心理学の世界にも、「反動形成」という言葉がある。みなから、「あなたは先生だ」と言
われているうちに、「そうであってはいけない、ニセの自分」を、その反動として、作っ
てしまう。

 たとえば牧師という職業がある。聖職者ということで、「セックス(性)」の話を、こと
さら、嫌ってみせたりする。本当にそうなのかもしれないが、中には、自分をつくってし
まう人がいる。

 まあ、どんな職業にも、仮面というものが、ある。みんな、それぞれ何らかの仮面をか
ぶりながら、仕事をしている。「コノヤロー」「バカヤロー」と思っても、顔では、にこや
かに笑いながら、その人と応対する。

 実は、教育の世界には、それが多い。教育というよりは、教師という職業は、もともと
そういうもの。反対に、もし教師が、親や生徒に本音でぶつかっていたら、それこそ、た
いへんなことになってしまう。

 たとえば私は、幼児教育にたいへん興味がある。しかし「幼児が好きか?」と聞かれれ
ば、その質問には、答えようがない。医者が、「病人が好きか」と聞かれるようなものでは
ないか。あるいは、仕事を離れては、幼児の姿を見たくない。それはたとえて言うなら、
外科医が、焼肉を嫌うのと似ている。(焼肉の好きな外科医もいるが……。)あるいは、ウ
ナギの蒲焼き屋のおやじが、ウナ丼を食べないのに、似ている?

 しかし一度、幼児に、仕事として接すれば、幼児教育家モードになる。子ども、とくに
幼児の世界は、底なしに深い。奥が、深い。そういうおもしろさに、ハマる。私にとって
の幼児教育というのは、そういうものである。

 ただ、もう一つ、誤解してほしくないのは、同じ教育の中でも、幼児教育は、特殊であ
るということ。いくら人間対人間の仕事といっても、相手は、幼児。いわゆる、ふつうの
世界でいうところの人間関係というのは、育たない。

 話が少し脱線したが、私が、自分の中に、こうした二面性があるのを知ったのは、30
歳くらいのことではなかったか。

 自分の息子たちに対する態度と、他人の子どもたちに対する態度が、かなりちがってい
たからだ。ときには、冒頭にも書いたように、自分の人間性が、バラバラになっているよ
うに感じたこともある。「コノヤロー」「バカヤロー」と言いたくても、顔では、ニッコリ
と笑って、別のことを言う。毎日が、その連続だった。

 しかし脳ミソというのは、それほど、器用にはできていない。二つの自分が、たがいに
頭の中で衝突するようになると、疲れるなどというものではない。情緒不安、精神不安、
おまけに偏頭痛などなど。まさにいいことなしの状態になる。

 だから、結局は、(ありのままの自分)にもどることになる。

 が、これとて、簡単なことではなかった。それこそ数年単位の努力が、必要だった。私
は、まさに反動形成でつくられた(自分)を演じていただけだった。高邁で、高徳で、人
格者の教師を、である。

 しかし本当の私は、まあ、何というか、薄汚い、インチキ男……とまでは、いかないが、
それに近かったのでは……。

 そこで(ありのままの自分)を出すことにしたが、悲しいかな、(ありのままの自分)は、
とても外に出せるようなものではなかった! そこで私は、(ありのままの自分)を出すた
めに、別の意味で、(自分)づくりをしなければならなかった。

 今も、その過程の途中にあるということになる。

 で、その今も、もう1人の私が、私の中に同居している。いやな「私」だ。できれば早
く別れたいと思っている。ときどき、「出て行け」と叫びたくなる。そんな「私」だ。妙に
善人ぶって、自分を飾っている。

 どこかのインチキ牧師みたいで、ああ、いやだ! ホント!

 ……ということで、本当の自分を知ることを、むずかしい。この文章を読んでいる、み
なさんは、はたして、どうだろうか? ありのままの自分で、生きているだろうか?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●幻惑からの脱出

++++++++++++++++

親子であるがゆえに生まれる、
強烈な関係。そしてそれが生まれる
束縛感。

これを心理学の世界では、「幻惑」という。
しかし実際には、そうでない親子も多い。

そうでないというのは、親子関係と
いっても、心理学の教科書どおりには
いかないケースも、あるということ。

++++++++++++++++
 
テレビ局のレポーターが、一人の少女に話しかけた。

レポーター「学校は、行っているの?」
少女「行ってない」
レ「いつから?」
少「もう、3か月になるかなア」

レ「中学生でしょう?」
少「一応ね」
レ「お父さんや、お母さんは、心配してないの?」
少「心配してないヨ〜」

 東京の、あるたまり場。まわりでは、それらしき仲間が、じっと二人の会話を聞いてい
る。その少女は、埼玉県のA市から来ているという。家出をして、すでに3か月。居場所
も転々と、かえているらしい。

レ「おうちに電話してみようかしら?」
少「ハハハ、無駄よ」
レ「無駄って?」
少「だって、さア〜」と。

 「家族」には、家族というひとつの、まとまりがある。そのまとまりは、ある種の束縛
をともなう。それを「家族自我群」という。しかしその束縛というか、それから生まれる
束縛感には、相当なものがある。

 たとえば親子という関係で考えてみよう。

 いくら親子関係がこじれたとしても、親子は親子……と、だれしも考える。そのだれし
も考えるところが、「家族自我群」というところになる。

 しかしさらにその関係がこじれてくると、親子は、その幻惑に苦しむようになる。こん
な例がある。

 ある父親には、生活力がなかった。バクチが好きだった。そこでその父親は、生活費が
必要になると、息子の勤める会社まで行って、小遣いをせびった。息子は、東京都内でも、
大企業のエリートサラリーマンだった。父親はそこで、息子が仕事を終えて出てくるのを
待っていた。

 息子は、そういう父親に苦しんだが、しかし父親は父親。そのつど、いくらかの生活費
を渡していた。

 多分、「お父さん、もう、かんべんしてくれよ」、「いや、今度だけだよ。すまん、すまん」
というような会話をしていたのだろうと思う。もちろん、その反対の例もある。

 ある息子(30歳)は、道楽息子で、放蕩(ほうとう)息子。仕事らしい仕事もせず、
遊びまわっていた。いつも女性問題で、両親を困らせていた。

 そういう息子でも、息子は息子。両親は、息子にせびられるまま、小遣いを渡し、新車
まで買い与えていた。

 これらの例からもわかるように、親子であるがゆえに、それが理由で、そのどちらかが
苦しむことがある。「縁を切る」という言葉もあるが、その縁というのは、簡単には切れな
い。もちろん親子関係も、それなりにうまくいっている間は、問題は、ない。むしろ親子
であるため、絆(きずな)も太くなる。が、そうでないときは、そうでない。ときには、
人格否定、自己否定にまで進んでしまう。

 ある地方では、一度、「親捨て」のレッテルを張られると、親戚づきあいはもちろんのこ
と、近所づきあいもしてもらえないという。実際には、郷里にすら帰れなくなるという。

 反対にある男性(現在、50歳くらい)は、いろいろ事情があって、実の母親の葬儀に
出ることができなかった。以後、その男性は、それを理由にして、ことあるごとに、「自分
は人間として、失格者だ」と、苦しんでいる。

 家族自我群から発生する幻惑というのは、それほどまでに強力なものである。

 が、親子の関係も、絶対的なものではない。切れるときには、切れる。行きつくところ
まで行くと、切れる。またそこまで行かないと、親であるにせよ、子どもであるにせよ、
この幻惑から、のがれることはできない。

 冒頭の少女は、何とか、レポーターに説得されて、母親に電話をすることになった。こ
れからは、私が実際、テレビで聞いた会話である。そうでない親子には信じられないよう
な会話かもしれないが、実際には、こういう親子もいる。

少女「やあ、私よ…」
母親「何よ、今ごろ、電話なんか、してきて…」
少「だからさあ、テレビ局の人に言われて…」
母「それがどうしたのよ。あんたなんか、帰ってこなくていいからね」

 その少女の話によれば、父親は、ごくふつうのサラリーマン。家庭も、どこにでもある
ような、ごくふつうのサラリーマン家庭だという。

 そこで少女にかわって、レポーターが電話に出た。

レポーター「いろいろあったとは思うのですが、お嬢さんのこと、心配じゃありませんか?」
母親「自分で勝手に、家を出ていったんですから…」
レ「そうは言ってもですねえ、家出して3か月になるというし…。まだ中学生でしょう?」
母「それがどうかしましたか? あなたには、関係のないことでしょう。どうか、私たち
のことは、ほうっておいてください」と。

 こうした幻惑から逃れる方法は、ただひとつ。相手が親であるにせよ、子どもであるに
せよ、「どうでもなれ」と、最後の最後まで、行きつくことである。もちろんそれまでに、
無数のというか、常人には理解できない葛藤というものがある。その葛藤の結果として、
行きつくところまで、行く。またそうしないと、親子の縁は切れない。

 「もう、親なんて、クソ食らえ。のたれ死んでも知るものか」「娘なんて、クソ食らえ。
どこかで殺人事件に巻きこまれても知るものか」と、そこまで行く。行かないと、この幻
惑から逃れることはできない。

 が、問題は、そこまで行かないで、その幻惑の中で、悶々と苦しんでいる人が多いとい
うこと。たいへん多い。ある女性は、見るに見かねて、自分の母親のめんどうをみている。
母親は、今年、80歳を超えた。

 その女性が、こう言った。

 「近所の人に、あなたは親孝行な方ですねと言われるくらい、つらいことはない。私は、
何も、親孝行をしたくて、しているのではない。ただ見るにみかねて、そうしているだけ。
本当は、あんな母親は、早く死んでしまえばいいと、いつも思っている。だから親孝行だ
なんてほめられると、かえって、みんなに、請求されているみたいで、不愉快」と。

 あなたは、この女性の気持ちが理解できるだろうか。もしできるなら、親子の問題に、
かなり深い理解力のある人と考えてよい。

 もしあなたが今、相手が親であるにせよ、子どもであるにせよ、ここでいう幻惑に苦し
んでいるなら、方法はただひとつ。徹底的に行きつくところまで行く。そしてそのあとは
割り切って、つきあう。それしかない。

 この家族自我群による幻惑には、そういう問題が含まれる。

 で、ここまで話したら、ワイフがこう言った。

 「夫婦の間にも、同じような幻惑があるのではないかしら?」と。つまり夫婦でも、同
じような幻惑に苦しむことがあるのではないか、と。

 いくら夫婦げんかをしても、どこかで相手のことを心配する。もし心配しなければ、そ
そのとき、夫婦関係は終わる。そのまま離婚ということになる、と。

ワイフ「夫婦のばあいは、最終的には、別れることができるからね。でも、親子ではそれ
ができないでしょう。少なくとも、簡単にはできないわ。だから、よけいに、苦しむのね」
と。
私「ぼくも、そう思う。つまりそれくらい、家族自我群による幻惑は、強力なものだよ」
と。

 幻惑……今も、多くの人が、家族という(しがらみ)(重圧感)の中で苦しんでいる。し
かしそれは、どこか東洋的。どこか日本的。

 あなたという親が幻惑に苦しむのは、しかたないとしても、あなたの子どもは、この幻
惑から解放してやらねばならない。具体的には、子どもが、親離れを始める時期には、親
自身が、子どもに親離れができるように、仕向けてあげる。

 こうすることによって、将来、子どもが、その幻惑に苦しむのを防ぐ。まちがっても、
ベタベタの親子関係で、子どもをしばってはいけない。親孝行を子どもに求めたり、それ
を強要してはいけない。いつか子ども自身が自分で考えて、親孝行をするというのであれ
ば、それは子どもの問題。子どもの勝手。

 世界的にみても、日本人ほど、親子の癒着度が高い民族はそうはいない。それがよい面
に作用することもあるが、そうでないことも多い。それが本来あるべき、(人間)の姿かと
いうと、そうではないのではないか。議論もあるだろうと思うが、ここで、一度、家族自
我群というものがどういうものか、考えてみることは、決して無駄なことではないように
思う。

 先の少女について、ワイフはこう言った。「実の娘でも、そこまで言い切る母親がいるの
ね。何があったのかしら?」と。

【付記】

 心理学の世界でも、「幻惑」という言葉を使う。家族という、強力な束縛感から生まれる、
重圧感をいう。

 この重圧感は、ここにも書いたが、それで苦しんでいる人にとっては、相当なものであ
る。

 ある女性(35歳)は、その夜、たまたま事情があって、家に帰っていた。その間に、
父親が、息を引き取ってしまった。「その夜だけ、5歳になる娘のことが心配で、家に帰っ
たのですが……」と。

 そのことを、義理の父親が、はげしく責めた。「父親の死に目にも立ち会えなかったお前
は、人間として、失格者だ」「娘なら、寝ずの看病をするのが、当然だ」と。

 以来、その女性は、ずっと、そのことで悩んでいる。苦しんでいる。そう言われたこと
で、心に大きなキズを負った。

しかし、だ。その義理の父親氏は、そういう言い方をしながら、「自分のときは、そうい
うことをするな」と言いたかったのだ。家族自我群をうまく利用して、子どもをしばり
つける人が、よく用いる話法である。自分の保身のために、である。だから私は、その
女性にこう言った。

 「そんな老人の言うことなど、気にしないこと。私があなたの父親なら、こう言います
よ。『また、あの世で会おうね。ゆっくり、おいで』と」と。

 この自我群は、親・絶対教の基本意識にもなっている。つまり、カルト。それだけに、
扱い方がむずかしい。ひとつまちがえると、こちらのほうが、はじき飛ばされてしまう。
だから、適当に、妥協するところはして、そういう人たちとつきあうしかない。そういう
人たちに抵抗しても、意味はないし、この問題は、もともと、あなたや私の手に負えるよ
うな問題ではない。

 ただつぎの世代の人たちは、この家族自我群でしばってはいけない。少なくとも、子ど
もが、いつか、自我群で苦しむような下地を、つくってはいけない。

 いつか、あなたの子どもが巣立つとき、あなたは、こう言う。

 「たった一度しかない人生だから、思う存分、この広い世界を、はばたいてみなさい。
親孝行? くだらないことは考えなくていいから、前だけを見て、まっすぐ、進みなさい。
家の心配? バカなことは考えなくていいから、お前たちは、お前たちの人生を生きてい
きなさい」と。

 こうして子どもの背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての義務を果たしたことに
なる。

 親としては、どこかさみしいかもしれないが、そのさみしさにじっと耐えるのが、親の
愛というものではないだろうか。

【付記2】

 家族自我群から生まれる幻惑を、うまく使って、親としての保身をはかる人は多い。こ
のタイプの親は、独特の言い方をする。

 わざと息子や娘の聞こえるようなところで、ほかの親孝行の息子や娘を、ほめるのも、
それ。「Aさんとこの息子は、偉いものだ。親に、今度、離れを新築してやったそうな」と
か。

 さらにそれがすすむと、親の恩を着せる。「産んでやった」「育ててやった」「大学まで、
出してやった」と。「だから、ちゃんと、恩をかえせ」と。あるいは生活や子育てで苦労し
ている姿を、「親のうしろ姿」というが、わざと、それを子どもに見せつける親もいる。

 が、それだけではない。最近、聞いた話に、こんなのがあった。

 一人の娘(50歳くらい)に、その母親(75歳くらい)が、こう言ったという。「○夫
(その母親の長男)に、バチが当たらなければいいがね」と。

 その長男は、最近、盆や暮れに、帰ってこなくなった。それをその母親は、「バチが当た
らなければいい」と。つまりそういういい方をして、息子を、責めた。

息子にバチが当たりそうだったら、だまってそれを回避してやるのが親ではないのか…
…というようなことを言っても、ヤボなこと。もっとストレートに、息子に向って、「(私
という)親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちるぞ」と、脅した母親もいる。

 中には、さらに、実の娘に、こう言った母親ですら、いた。この話は、ホントだぞ!

 「(私という)親をそまつにしやがって。私が死んだら、墓場で、あんたが、不幸になる
のを楽しみに見ていてやる!」と。

 もちろん大半の親子は、心豊かな親子関係を築いている。ここに書いたような親子は、
例外とまではいかないが、少数派にすぎない。が、そういう親子がいると知るだけでも、
他山の石となる。あなた自身が、よりよい親子関係を築くことができる。

 それにしても、世の中には、いろいろな親がいる。ホント!

【付記3】

 毎日、たくさんの方から、メールや相談をもらう。そしてその中には、子育てというよ
り、家族の問題についてのも、多い。

 そういう人たちのメールを読んでいると、「家族って、何だ?」と考えてしまうこともあ
る。「家族」という関係が、かえってその人を苦しめることだって、ある。

 東京都のM区に住んでいるH氏(50歳くらい)は、こう書いてきた。

 「父親の葬式が終わったときは、心底、ほっとしました。もう葬式は、こりごりです。
息子がいますが、息子には、そんな思いをさせたくありません」と。

 H氏は、葬式を問題にしていた。しかし本音は、「父親が死んでくれて、ほっとした」と
いうことか。何があったのかは、わからない。しかしそういうケースもある。

 私たちは、子であると同時に、親である。その親という立場に、決して甘えてはいけな
い。親は親として、自分の生きザマを確立していかねばならない。つまり親であるという
ことは、それくらい、きびしいことである。それを忘れてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●離婚

 ワイフがこう言った。

 「女っていうのはね、離婚するときは、夫に体にちょっと触れられただけでも、気分が
悪くなるものよ」と。

 そこですかさず私が、ワイフの太ももに触ると、ワイフは、さっと、体をよけた。

私「ははあ、ぼくに触られるのが、いやなんだ?」
ワイフ「ちがうわよ。くすぐったいからよ」
私「ちがう、ちがう、今のはいやがっているみたいだった」
ワイフ「ちがうってば」と。

 私の立場は、きわめてあぶないようだ。明日あたり、離婚を申し出られるかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●人格の完成

+++++++++++++++++

人格の完成度は、どこをどう見て、
判断すべきなのか。

そのヒントとなるのが、「人格論」
である。

+++++++++++++++++

 人格の完成度は、(1)共鳴性、(2)自己管理能力、(3)社会性の三つをみる(EQ論)。
これは常識だが、これら3つには、同時進行性がある。

 共鳴性、つまりいかに利己から脱して、利他になるか。自己管理能力、つまりいかに欲
望と戦い、それをコントロールするか。さらに社会性、つまり、いかに他者と、良好な人
間関係を築くか。

 これら3つが、できる人は、自然な形で、それができる。そうでない人は、そうでない。

 自己中心的な人は、それだけ自己管理能力が弱く、他者と、良好な人間関係を、築くこ
とができない。あるいは自己管理能力の弱い人は、長い時間をかけて、ものの考え方が自
己中心的になり、そのため、他人から、孤立しやすい。さらに社会性が欠落してくると、
自分勝手でわがままになる、など。

 これら3つは、相互に、からんでいる。そして全体として、その人の人格の完成度を、
決定する。

 が、やはり、キーワードは、「自己中心性」である。

 その人の人格の完成度を知りたかったら、その人の自己中心性をみればわかる。もしそ
の人が、自分のことしかしない。自分だけよければ、それでよいと考えているなら、その
人の人格の完成度は、きわめて低いとみてよい。

 これには、老若男女は関係ない。地位や名誉、職業には、関係ない。まったく、関係な
い。

 つぎに自己管理能力。わかりやすく言えば、ここにも書いたように、それには、欲望の
管理が含まれる。性欲、食欲、所有欲など。

 こうした欲望に溺れても、よいことは何もない。もちろん心の病気が原因で、溺れる人
もいる。セックス依存症の人にしても、節食障害の人にしても、それぞれ、やむにやまれ
ぬ精神的事情が、その背景にあって、そうなる。

 だから肥満の人が、即、自己管理能力のない人ということにはならない。(一般社会では、
そう見る向きもあるが……。)

 3つ目に、社会性。
 
 人間は、他者とのかかわりをもってはじめて、その人らしさを、つくる。その(その人
らしさ)が、良好であること。それが人格の完成度の、3つ目の要件ということになる。

 いくら高邁でも、他者とのかかわりを否定して生きているようでは、そもそも、人格の
完成度は、問題にならない。

 たとえば小さな部屋にひきこもり、毎日絵ばかり描いている画家がいたとする。すばら
しい才能をもち、すばらしい絵を描いている。が、個展を開いて、それを発表することも
ない。同業の人との、交流もない。

で、そういう人を、人格の完成度の高い人かというと、そうではない。EQ論では、そ
ういう人を、評価しない。(もちろんその人の芸術性の評価は、別問題である。)

 言いかえると、私たちは日々の生活の中で、これら3つを、いかにして鍛錬していくか
ということが、重要だということ。

 いかにすれば、自分の中の自己中心性と戦い、欲望をコントロールし、そして他者と、
良好な人間関係を築いていくか。つまりは、そこに、私たちが、日々に務めるべき、努力
目標がある。

 がんばりましょう! がんばるしかない!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日から4月

++++++++++++++++

今日から、4月。
(電子マガジンでは、4月30日号。)

静岡市では、今日、何と、31度の
真夏日を記録したそうだ。

4月1日に、気温、31度!

ギョーッ!

これはエイプリルフールではなく、
本当の話。

++++++++++++++++

●4月6日に、アメリカ軍が、イランを攻撃?

 外電だが、4月6日に、アメリカ軍が、イランを攻撃する予定だという。すでにアメリ
カは、臨戦態勢に入ったとか。が、もしアメリカ軍がイランを攻撃するようなことにでも
なれば、日本も、大きな影響を受ける。そればかりか、アメリカ、イスラエルを片方に置
いた、中東大戦争へと発展する危険性すら、ある。

 イランの核兵器開発問題は、こじれにこじれ、もうにっちもさっちもいかないところま
できている。ドイツもフランスも、サジを投げた。ロシアも投げた。そこで危機感をいだ
いたイスラエルが、アメリカを動かした(?)。

 明日からの国際ニュースから、目が離せない


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前号からのつづきです】

●日本

 このオーストラリアから見ると、日本が、小さな国に思えてくる。……思えてくるとい
うよりは、かつてそう思った自分を思い出す。そしてそれがそのまま、今の私の印象に変
わる。

 しかしやはり、小さな国だ。しかしその一方で、それが私の国。その国では、日本語が
通ずる。習慣も、風習も、私に体にしみこんでいる。

 そういう国を大切にしなければならないことは、当然のこと。もし日本語が消えてなく
なってしまったら、私が今まで書いてきたことは、すべて、そのままツユと消えてなくな
ってしまう。私が私でなくなってしまう

 何も愛国心なんて、ぎょうぎょうしいことを言わなくても、そんな(心)ならだれでも、
もっている。いざとなれば、私たちは、日本人として、すべきことをする。

●3月24日

 今日は、結婚式。一生の間で、かくも緊張する日は、そうはない。結婚する当事者にと
っても、また、その親たちにとっても。

 昨夜は、D君は、午後8時ごろ、床についた。私も、それを聞いて、そのあとすぐベッ
ドに横になった。睡眠薬を、4分の1錠ほどのんだ。2錠、のむことになっているが、2
錠ものんだら、気がヘンになってしまう。

 朝まで、ぐっすりと眠った。……というより、またまたあの屋根をたたきつけるような
雨で目がさめた。水不足で悩むオーストラリアにとっては、まさに恵みの雨。どれだけ多
くの人たちが、その音を待ち望んでいたことか。

 時計を見ると、午前4時。風呂タブに湯をはって、風呂に入る。

●部屋

 オーストラリア人の家は、どこも、大雑把(ざっぱ)。これについては、前にも書いた。
壁も厚く、床もしっかりとしているが、大雑把。日本でいうような、プレハブ工法の家は、
まだ少ないようだ。またそういう建て方には、なじまない。

 レンガ職人が、レンガを積み重ねて、家を建てる。そんな感じがする。

 で、掃除の仕方にもよるのだろうが、大きな家になると、どこも、ほこりまるけ。D君
の家も、奥さんが亡くなって、3か月になる。掃除らしい掃除は、していないらしい。

 それに加えると、間取りがメチャメチャ。日本でいうような「型」というものがない。
ただあえて言うなら、共通点としては、玄関を入ると、やや長い廊下があって、その両側
に、部屋がある。一番近い部屋が居間ということになる。その奥が台所にキッチン。さら
にその奥が寝室といったぐあいである。

 家の建て方は、イギリス流。しかしそこからが、問題。今朝も、髪をとかすクシをさが
すため、母屋(おもや)のほうへ行ってみたが、迷路の中に入ったような気分になった。
何度か来たことがある家とはいえ、右へ迷ったり、左へ迷ったり……。

●無理ができない

 自分では若いつもりでオーストラリアへ来たが、どうもそうではないようだ。

 何をしても、疲れが先に立つ。幸いにも、昨夜は、すぐ眠ることができたが、それとて、
簡単なことではない。加えて、風邪が抜けない。いまだに鼻水が出る。のどが痛い。

 観光旅行なんて、とても考えられない。ホテルに寝泊りしながら、その周辺を歩き回る
程度で、疲れてしまう。またそれでじゅうぶん。

 何かの目的があれば話は別だが、観光名所など、今の私には、ほとんど興味はない。

 このあたりでは、ヘアー・クリームは、理髪店で買うとか、子どもの遊び場(野外)に
は、コルクが敷き詰めてあるとか、そういったことのほうが、おもしろい。ふだんの、何
気ない生活の中にこそ、見所がある。

 それにしても、無理ができなくなった。よく50歳をすぎて、単身赴任で、外国へ行く
人がいる。が、健康管理の面だけでも、たいへんなことだと思う。それがよくわかった。

●やはりホテルのほうがよい

 せっかく招待してくれたので、それについてとやかく言うことはできない。しかし次回
からは、ホテルに泊まることにする。

 ホームステイだと、いろいろ気をつかう。バスタブにしても、使いっぱなしというわけ
にはいかない。きれいに洗い流したあと、タオルもきちんとかけておかねばならない。使
ったクシは、洗って、もとの位置に置かねばならない。……などなど。

 ベッドにしても、そうだ。こちらでは、日本でいう布団のようなものは、使わない。寒
いときは、毛布を重ねて使う。その毛布を、そのたびに、たたまなくてはいけない。

 そういった作業が、結構、たいへん。めんどう。

 今さら親交を深めるということも、あまりない。会うときは会う。またその範囲で、会
う。……そういう意味では、D君は、私のことを、学生時代のままの私に思っているよう
だ。

 往復の旅費だけで、20万円弱。それにおみやげだ、祝儀だとかで、結局は30万円近
い出費。ホームステイをして、数万円の宿泊費をケチって、それでどうなるというのか。

●一転、冬の冷気

 大陸の気候は、急激に変化する。しかもその変化の仕方が、はげしい。

 昔、サンパウロに行ったときのこと。朝は、寒いので、セーターが必要だった。が、昼
ごろになると、今度は一転、夏の陽気。一日の間でも、寒暖の差がはげしい。

 今が、そうだ。昨日は、「異常な暑さ」だった。しかし今朝は、冬のような冷気を感ずる。
これが大陸の気候の特徴。島国の日本では経験できない気候である。

 つまりその分だけ、彼らは彼らなりに、地球温暖化の問題について、敏感に反応する。
30年前には、世界一、気候が温暖なところとして知られていたメルボルン市だが、ここ
10〜20年で、大きく変化した。

 市内の議会前に立っている大理石の像にしてみ、酸性雨の影響らしく、見る影もなく、
ボロボロになっている。

 とても悲しいことだが、この地球は、確実に病み始めている。しかも急速な勢いで、病
み始めている。

●書くということ

 パソコンをあちこちにもって歩くのはたいへんなことだが、しかしそれさえあれば、こ
うして自由気ままに時間をつぶせるというのは、すばらしい。

 画家がスケッチをするようなものか。

 もし何もすることがなかったら、時間をどう過ごすか、それだけで、イライラしてしま
うはず。しかしパソコンに向かったとたん、指がキーボードを求めて、動き出す。とたん、
退屈を忘れる。

 今回は、古いパソコンだが、私が一番気に入っているのが、P社のLet's Note。
今回は、それをもってきた。キーボードの感触が、よい。ストロークは浅いが、その分、
疲れが少ない。

 で、こうして思いついたままを書く。ほとんど意味のない文章ばかりだが、頭の体操に
はなる。それに書いていると、それまで気がつかなかったことに、気がつくことが多い。

 ただD君は、本が好き。自分では、書かない。だからいつも本を読んでいる。一方、私
自身は、本は、あまり好きではない。興味のある本しか、読まない。

 これは、野球の中継を見て楽しむタイプの人と、自分でプレーをして楽しむタイプの人
のちがいではないか。

●早く日本へ帰りたい

 D君には悪いが、早く、日本へ帰りたい。そばにいると、空気みたいで、その存在価値
がわからないが、ワイフがそばにいるのと、そうでないのとでは、私自身の精神状態は大
きくちがう。

 私が見たいというよりは、私がワイフに見せたいものが、ここには、山のようにある。「見
せたいのに、見せられない」……というのは、たしかにストレスだ。波にたとえるなら、
さざ波のようなストレス。それがどこへ行っても、ザワザワと襲ってくる。

 次回は、必ず、ワイフを連れてくる。ワイフも、来たがっていた。

 昨日来たばかりなのに、今朝は、こう思う。「あと、1日のがまん」と。

●ネクタイ

 ネクタイには、最後まで迷ったが、結局は、正式の(?)、黒にした。D君が、茶色の縞
模様のを貸してくれたが、やはり、ここは正式の色でいこう。

 日本人は、礼に始まって、礼に終わる。……という言い方は好きではないが、せっかく
日本からもってきたことだし、「黒でも悪くない」というのなら、黒でよい。

 ところで、失敗談が、いくつかある。

 オーストラリア人の家庭では、多くは、土足でもよいということになっている。それは
それで結構なことだが、そのため、床が汚い。ドロとか、そういうもので汚れるというこ
とはないにしても、ハウスダストや髪の毛、その他、もろもろのホコリがたまっている。

 大きな家になると、掃除もままならないらしい。

 で、日本から、日本型の礼服をもってきたが、これが100%、ウール。下にそれを落
とすたびに、ドカッと、礼服にホコリがつく。そのたびにタオルで、拭くのだが、拭いた
だけでは落ちない。しばらくすると、ホコリが全体に広がっているのがわかる。

 そこで礼服を、壁にかけるのだが、オーストラリアでは、床よりも壁のほうが汚れてい
る。床掃除をする人はいても、壁掃除する人はいない。

 しかたないので、またまたドアのサンに礼服をかける。しかしそのたびに、下へ、ドサ
ッと落ちる。

 あああ……。

 こんな作業だけで、何十分も無駄にした。やはり、日本の家のほうが、好きだ。

●6か月ぶりの雨

 昨夜の雨は、6か月ぶりの雨だったそうだ。驚いた。「6か月!」と驚いていたら、「も
っとなるかもしれない」と。

 オーストラリアの水不足は、かなり深刻なものだったようだ。

 で、朝起きると、私は近所の写真を撮りにでかけた。オーストラリアでは、ごくふつう
の住宅地とみてよい。どの家にも、たくさんの木が植えられていた。しかし問題は、水。
きれいな庭木がある家の前には、たいていこんな標識が門のところにつけられている。

 「うちの庭木に与える水は、リサイクルしたものです」とか。

 そうでも書かないと、近所の人たちに、にらまれるのだろう。わかる、わかる、その気
持。

●標識

 道路を歩いていて、おかしな標識に出会った。カメのマークでもあるようで、カメでも
ない。その下には、時速20キロと書いてある。

 通りかかった人に、「あれは何のサインか」と聞くと、「先に、丘があるから」と言った。
しかし丘など、どこにも見えない。

 そこで「?」な顔をしていると、道路を指差した。そこには、道路を横切って、高さ、
10センチほどに、盛り土がしてある。つまり車が、スピードを落とすように、わざと盛
り土をしてあった。

 速い速度だと、車が、バンプしてしまう。「いいアイデア」と感心する。

●売り家

 道路を歩いてみて、売り家が意外と多いのには、驚いた。このあたりの人たちは、収入
に応じて、つまりヤドカニのように、家から家へと渡り歩く。もちろん、貧しくなれば、
貧しい家に移る。

 日本でいうような「家意識」というのは、まったく、ない。昔、福沢諭吉が留学先で、「ワ
シントンの子孫はどうしているか?」と聞いたときのこと。アメリカ政府の高官たちは、
みな「知らない」と言ったという。

 それを聞いて、福沢諭吉は、たいへん驚いたという。当時の日本の常識では、考えられ
ないことだった。

 一方、日本では、いまだに、「家」にこだわる人が多い。人は何かの(心のより所)がな
いと生きていけないのかもしれない。

 となると、オーストラリア人たちは、何を、(心のより所)として生きているのかという
ことになる。

 D君にしても、過去の話は、ほとんどしない。自分のキャリアを自慢することもない。
サバサバしている。

●6か国協議

 先ほど、インターネットで、日本の「朝日ニュース」を見た。どうやら6か国協議は、
休会に入ったようである。

 よかった!

 これで中国のメンツは、丸つぶれ。韓国も、援助をしにくくなるだろう。ロシアは、先
に抜けてしまったようである。ひとりガッカリしているのがヒルさんらしいが、そんなこ
とは、最初からわかっていたはず。

 金xxは、まともではない。たった28億円のことで、その数十倍もの援助をフイにし
ている。このあたりが、常人では理解できなところ。

 一方で、テロで脅しながら、「テロ国家指定を解除しろ」とは! しかもBDAで制裁解
除しても、ほかの銀行がそれに追従するとは限らない。「やっぱり、K国は信用できない」
となれば、ますます制裁の度合いを高めるだけ。

 わかっていないな?

●ワイフ

 今ごろワイフは、ひとりでさみしがっているだろうか。それとも、「鬼のいない間に……」
とか何とかで、羽を伸ばしているだろうか。

 私にはわからないが、私のほうは、早く、ワイフに会いたい。何を見ても、ワイフに見
せたい。そんな気持ばかりが先に立つ。

 まあ、たまには、離れ離れになるのもいいだろう。「ひょっとしたら、飛行機事故で死ぬ
かもしれない」とワイフに言うと、ワイフは、「生きて帰ってきてよ」と言った。

 うれしかった。

●結婚式

 結婚式は、市内近くの教会で行われた。それが午後2時半。

 それから私たちは、それぞれの車に分乗して、披露宴会場へと向かった。それが何と、
車で、1時間半もかかるところにある、遠くの会場!

 1時間半というが、オーストラリアでは、高速道路(フリ−ウェイ)を使っての1時間
半である。日本の感覚からすれば、2つも3つも離れた町で披露宴をするようなもの。こ
れはアメリカでも感じたが、こうした大陸では、距離感が、日本のそれとはまったくちが
うようだ。

 で、その会場というのが、中世の城を思わせるような古い建物。シェークスピアの劇が
そのままできるような建物だった。

 そういう建物が、まるで映画のセットのように並んでいる。オーストラリア人にとって
は、何でもない雰囲気かもしれないが、私は感動した。1時間半もかかってきたというの
に、それをすっかり忘れて、私は夢中で、デジカメのシャッターを切りつづけた。

●明かり

 披露宴会場は、薄暗かった。それぞれのテーブルに、ローソクが3本ずつ。あとは周囲
の壁に、4、5本ずつ。部屋を暗くして、さらに暗くしたような感じだった。

 私が周囲のオーストラリア人に、「暗くないか?」と聞くと、「暗いが……」という返事
がかえってきた。しかし一向に気にする気配はない。「このほうが、落ち着いて話ができる」
と。

 で、そのうち、欧米人と日本人のちがいの話になった。「私たちの目は、小さく細い」「君
たちは、北欧という、もともと太陽光線の少ないところで進化した」「だから薄暗いところ
でも平気なのだ」と。

 彼らは日中ともなると、みな、サングラスをかける。日本人とオーストラリア人とでは、
感ずるまぶしさに、ちがいがあるようだ。

●花婿

 花婿は、市内で証明器具を扱う会社を経営している。個人でしているという。こうした
ケースは、オーストラリアでは珍しくない。若い人たちは、どこかの会社に属することよ
りも、独立して何かの事業をおこすことを望む。

 国民性のちがいというよりは、教育の仕方のちがいによる。さらに言えば、もともとオ
ーストラリアという国は、開拓の時代から、そういう国だった。アメリカにも、西部開拓
史のような歴史があったが、オーストラリアにも、あった。

 そうした精神が、今でも力強く生きている。

 が、半面、弊害もある。オーストラリアでは、大きな組織が育たない。D君は、こう言
った。

 「オーストラリアのような国は、アイデア(知恵)で勝負するしかない。そのためにも、
個人の競争は欠かせない」と。

 しかし雨後の竹の子のように、新しい事業が生まれ、同じ数ほどの事業が、つぎつぎと
つぶれていく。これがオーストラリアの現状ではないか。

●ギリシア人街

 私がオーストラリアにはじめてきたころには、ギリシア人やイタリア人は、街の一角に
集団で住んでいた。どちらかというと貧しい人たちだった。

 それが今では、すっかりサマ変わりしていた。「ギリシア人たちはどこへ行ったのか?」
と聞くと、D君は、こう言った。「彼らは貧しいから、一生懸命に働いた。で、今では金持
ちになった。金持ちになって、それぞれが独立して暮らすようになった」と。

 皮肉なことに、今、オーストラリアでは、もとからいた白人、これをレイジー・オース
トラリア人というが、その白人が、相対的に、貧しくなりつつある。

 そのうち、中国系の移民や、インド系の移民、さらには韓国系の移民たちよりも、貧し
くなるかもしれない。

●インターナショナルハウス

 メルボルン(タラマリン)空港に向かう途中、D君が、インターナショナルハウスに寄
ってくれた。時間は、15分。

 私は車から飛び出すと、カメラを前にもち、あたりかまわず写真を撮り始めた。

 が、昔のようにだれでも入れるわけではない。玄関のガラス窓越しに、たまたま近くに
いた女性に声をかけると、玄関を開けてくれた。

 「1970年の学生です」とだけ、自己紹介した。学生かと思ったが、その女性は、な
まりのある英語で、「チューターだ」と言った。

 カレッジでは、学生と同時に、年長の講師が、チューターとして、いっしょに寝泊りす
ることになっている。その女性が、あちこちを案内してくれた。……といっても、案内は
必要なかった。

 ただおかしなことに、私はトイレがどこにあるかを忘れてしまった。毎日使っていたは
ずなのに……。近くにいた女子学生に、場所を聞くと、地下室にあることがわかった。

●夢が、現実に!

 あの時代は、私にとっては、今では、夢のようなもの。本当にあの時代があったのだろ
うかとときどき、思う。

 しかし決して、(夢)ではなかった。インターナショナルハウスは、ちゃんと、そこにあ
った。何もかも、そっくりそのままの形で、そこにあった。

 それは新鮮な驚きだった。体中が、時の流れを感じ、その流れが、サーッと心を洗って
いくかのように感じた。

 私は、37年前に、たしかにここにいた。そして今もここにいる。

 私はハウスで、ハウス・タイ(ハウスの紋章の入ったネクタイ)を買うつもりだったが、
あいにくの日曜日。事務所は閉まっていた。

 近くにいた学生が何人か、あれこれ骨折ってくれたが、事務員がいなかった。私はてい
ねいに礼を言うと、ハウスの外に出た。

●マルチカルチュアル

 オーストラリアは、多民族国家である。さまざまな人種が、たがいの領域を守りながら、
共存している。こんなことは、今さら説明すべきようなことでもない。

 で、改めて、民族とは何か、考えてみる。わかりやすく言えば、オーストラリアには、
オーストラリア人と言われるオーストラリア人は、いない。オーストラリアに住んで、オ
ーストラリア国籍を取った人が、オーストラリア人ということになる。

 それこそ先祖をたどれば、メチャメチャ。祖父はイギリス人で、祖母はウクライナ人。
父は、中国系の女性と結婚して……というようなことが、この世界では、珍しくない。

 こんな世界で、「私は、日本人」と主張しても、ほとんど、意味がない。「アジア人」と
言ったほうが、彼らには、わかりやすい。実際、私は、1970年当時、そう言っていた。

 繰りかえすが、こんな世界で、へたに武士道なるものを強調すれば、変人扱いされる。
どこまでも無色、透明になって、彼らの世界に溶けこむこと。こういう世界で、楽しく生
きていくためには、それしかない。

●披露宴

 話が前後するが、許してほしい。

 披露宴は、メルボルン市の郊外にあるレストランで行われた。ゆるい坂をのぼった山の
上に、それがあった。

 10〜15戸くらいの家やレストランが散在していた。どの家も、中世の城を思わせる
ような建物だった。

 しかしそこはさすが、オーストラリア人。1人の男性(60歳くらい)が、こう教えて
くれた。

 「ミスター林、あの壁を見てごらん。黒い石と、白い石が、まだらに積まれているだろ。
白い石は、どこかの家を解体してもってきた石なんだよ」と。

 つまり中世の城に似せてつくってはあるが、廃材を組み合わせて作った建物ということ
になる。しかし私を感動させるには、じゅうぶん。

●美しい女性

 美の基準が、西欧化してしまっている以上、これはどうにもし方のないことかもしれな
い。しかしその基準をさておいても、まるで絵から抜け出てきたような美しい人を、何人
か見かけた。

 その中の1人が、レストランでメイドをしていた女性である。

 年齢は20歳前後か? 金髪というよりは、銀色の髪の毛だった。肌は透きとおるよう
に白かった。「どうしてこんな美しい人がこんなところにいるのだろう」と、正直、そう思
った。

 美しさのレベルがちがう。彫りの深い顔。知性的な目つき。細く流れるように額を走る
まゆげ。見ているだけで、うっとりする。まるで絵の中から飛び出したような女性だった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

++++++++++++++++++++++

嵐のように過ぎた、10日間。忙しかった。
本当に忙しかった。

が、今日は、一段落。昨夜、やっと、9時間、
ぐっすりと休むことができた。

いろいろあった。たくさんあった。
ありすぎて、ここには、書ききれない。

しかし、原稿書き、再開!

これから1週間、思う存分、原稿を書く。
書ける。

バンザーイ!

++++++++++++++++++++++

●健康診断

 私の健康を心配した人もいるかもしれない。(キーボードを叩く、指が、どこかもどかし
い。しばらくパソコンから遠ざかっていたためだろう。)

 しかし安心してほしい。先週、市の医療センターから、検診結果が届いた。結果は、1
項目を除いて、オール(A)!

 その1項目というのは、「脂質」。総コレステロールが、前回は283mg/dl、今回
は、216mg/dl。200mg以内が健康値だそうだ。それで(B)。

 ついでに、HDL(善玉コレステロール)は、47mg/dl。
 中性脂肪は、114mg/dl。ともに正常範囲。

 心電図、肝機能検査、血液検査、尿検査、すべて異常なし!


●思いつくまま

 今朝(4月1日)は、起きてきて、まず新聞に目を通す。大きなニュースはない。が、
やはり気になるのは、6か国協議。

 4月14日までに、初期段階を、アメリカとK国がすますことになっている。が、どう
やら、それが事実上、不可能になりつつあるようだ。BDAにあるK国資産の移転を、中
国銀行が拒否しているためらしい。

 文句があるなら、K国は、直接BDAへでかけて行き、自分で預金を引き出せばよい。
しかしそれもできない。架空名義であったり、名義人がすでに死亡していたり、さらには、
同一人物が、別名でいくつもの口座をもっていたり……。

 あの国は、やることなすこと、すべてインチキ。デタラメ。

 韓国と中国は、かなりあせっているようだが、ここは、静観。日本がすべきことは、音
なしの構えで、様子をうかがうこと。もともと日本を蹴飛ばしてまで、合意にこぎつけた
(?)、6か国協議。日本は、無視すればよい。

 「どうぞ、ご勝手に!」。

 これでヒル国務次官補も、少しは、目が覚めたことだろう。このアジアで、日本をはず
して、何ができる?

●春休み

 今日から9日間の春休み。しかしこの10日間、本当に忙しかった。時間単位で、あち
こちを飛び回っていた感じ。新幹線に乗った回数だけでも、6回。その間に、日本とオー
ストラリアを往復。講演2本。それに息子の大学の卒業式。

 今のところ、大きな予定はない。F市の友人夫妻が、遊びにくることになっているが、
日時は、未定。

 ワイフのほうが、「好きなことをしよう」と、はしゃいでいる。肝心の私は、のんびりし
たいと思っている。ともかくも今日は、家で、のんびりしたい。疲れた……というより、
やっと一息ついた。

●畑

 ニンニクの茎が、ぐんぐんと太くなっている。ネギも芽を出してきた。インゲンは、ど
ういうわけか、種をまいてから、2週間以上になるというのに、いまだに芽を出していな
い。カイワレダイコンは、いっせいに芽を吹き出した。……などなど。

 このところ起きると一番に、畑へ行き、その様子を見る。どうということのない習慣だ
が、それが結構楽しい。

 今年は、畑を拡張するつもり。現在は、10坪程度の畑だが、できれば15坪くらいに
したい。この春休み中に、しよう。

●浜名湖一周

 近く、長男と、浜名湖を一周するつもり。楽しみ。数日前、ワイフが地図を買ってきて
くれた。が、改めて、それを見て、ゾーッ。

 思ったより、距離がありそう。だいじょうぶかな?

●熟年離婚・定年離婚

 昨夜、恐る恐る、ワイフに聞いた。「お前、ぼくと、離婚したいか?」と。

 するとワイフは、「何、言っているの?」「楽しいのは、これからでしょ」と。

 どうも、私は、ワイフの言うことが信じられない。本当は、離婚を考えているのかもし
れない。今、熟年離婚、定年離婚というのが、ふえている。

 ちなみに、今朝の中日新聞の特集記事を読むと、(夫の)定年後の生活について、妻たち
は……、

 楽しみにしている   ……11・5%
 どちらかといえば楽しみ……49・6%
 どちらかというと憂うつ……35・0%
 憂うつ         ……3・8%、だそうだ。
(04年、博報堂、エルダービジネス推進室調べ)
 
 「どちらかというと憂うつ」と「憂うつ」を加えると、約40%の妻が、「憂うつ」と答
えているという。

 「そういうものかなア」と思ってみたり、「これが現実だろうなア」と納得してみたり…
…。

 気をつけよう。つまり、世の夫たちよ、「夫である」という権威主義を捨て、妻へのサー
ビスを充実しようではないか。「おい、お茶!」「飯!」「風呂!」では、妻のほうが逃げて
いくということ。

 実のところ、私もあぶない(?)。

●ループ状態

 だれとは言わない。しかしボケていく人には、一定のパターンがあることがわかる。つ
まり思考が、ループ状態になる。

 つまり思考が、同じところをぐるぐると回り始める。言っている内容は、そのつどちが
う。が、よくよく考えてみると、「同じ」ということになる。

 進歩がない。発展性もない。同じ悩みにしても、そのつど、ターゲットが変わるだけ。「A
さんが悪い」と言い、そのAさんとの問題が片づくと、今度は、同じように、「Bさんが悪
い」と言い出す。

 あとは、この繰りかえし。

 もう少し整理してみると、こうなる。

(1)思考がループ状態になる。思考が堂々巡りして、先に進まない。
(2)思考のハバが狭くなる。こまかいことを気にする。針小棒大に考える。
(3)がんこになり、偏屈になる。「自分が絶対正しい」という妄想にとりつかれる。
(4)趣味や興味のハバがせまくなり、交友関係も貧弱になる。
(5)考えることを自ら、拒否するようになる。「本を読むと、頭が痛くなる」などと言
う。
(6)学習能力が低下し、音楽を聞いたり、映画を見たりということが少なくなる。

 これらは、いわば、ボケの初期症状ということになる。あとは時間をかけて、ゆっくり
と、本当にボケていく。

 では、それを防ぐためには、どうすればよいのか。

 私は、チャレンジ精神こそ大切だと思うが、この先は、もう少し考えてから、書いてみ
たい。

●時計

 昨日、書店で、時計を買った。定期的に発売になる、時計雑誌である。その雑誌のおま
けに、ホンモノの時計がついてくる。

 かなりの個数が、集まった。しかし昨日買ったのは、欠陥品。

 1時間で、何と、15〜20分も、進んでしまう。しかしこれではいくら、おもちゃで
も、使いものにならない。

 で、夜になって返品に行く。幸いにも、レジの人がこころよく応じてくれたので、よか
った。

 私は、子どものことから、時計が好き。こまかいメカを見ていると、それだけで、楽し
くなる。

●息子の卒業式

 息子の大学の卒業式が、無事、すんだ。卒業生は、15人。来賓が30人近く。父母が
40人近く。あとは在校生が15人程度。

 厳粛な、ひさびさに見る、よい卒業式だった。

 父母は、みな、正装。来賓も、みな、正装。胸に赤いリボンをつけられたときには、グ
グーッと熱いものが、こみあげてくるのを感じた。

 Eよ、おめでとう!

 しかしこれからはもう学生ではない。社会人として、自覚して、行動してほしい。軽率
なミスは、もう許されない。よく心して、先へ進んでほしい。

●OBのU君

 数日前、BWの卒業生のU君が、突然、BW教室へ寄ってくれた。今は、名古屋大学の
医学部に在籍しているという。今度、2年生になるという。

 幼児クラスのときから、小学6年生まで、BWへ来てくれた。そのとき父親の転勤で、
名古屋へ引っ越した。

 若いころは、教え子を、東大へ入れるのが私の夢だった。しかし当時は、いくらあせっ
ても、それができなかった。

 が、今は、ちがう。卒業生の消息を聞くと、「あいつは、東大で……」「あいつは、東京
理科で……」「阪大で……」という言葉が、簡単に返ってくる。みな、当たり前のように、
有名大学(こういう言い方は、好きではないが……)へ、スイスイと入っていく。

 (だからといって、どうということはないが……。大切なことは、それぞれが、自分の
夢を達成すること。)

 幼児期に、いかにその方向性をつくるか。改めて、その方向性の重要性を、実感する。


Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司

●オーストラリア・雑談

+++++++++++++++++

オーストラリアでは、今後、裸電球の
販売が、禁止されるという。かわって、
蛍光灯の使用が奨励されるという。

地球温暖化の防止対策のひとつだという。

+++++++++++++++++

 オーストラリアでの地球温暖化の影響には、かなり深刻なものがある。あのメルボルン
市にしても、私が行ったとき、たまたま、雨が降った。ものすごい大雨だった。6か月ぶ
りの大雨だったという(07年3月末)。

 かなりまとまった雨のようだったが、それでも足りない、とのこと。「こういう雨が1週
間は降ってくれないと、水不足は解消されない」と。私の友人のD君は、そう言った。

 帰りに飛行機から、南オーストラリア州を見たが、砂漠につづく砂漠で、川らしいもの
は、どこにも見えなかった。オーストラリアの干ばつは、きわめて深刻なようだ。

 で、今度、オーストラリアでは、裸電球の販売が禁止され、かわりに、蛍光灯の使用が
奨励されるようになったという。今すぐ、裸電球が、使えなくなるということではない。
しかし裸電球は、熱をもつ。熱をもつ分だけ、環境を破壊する。

 裸電球……と聞くと、私たちは、日本型のフィラメント方式の電球を思い浮かべる。し
かし現地で見ると、彼らがいう「裸電球」というのは、日本でいうハロゲンランプのこと
であることがわかる。(あるいはそれを報道したニュース機関の、翻訳のミスか?)

 小さなランプだが、強烈な光を発する。そういうランプが、どこの家でも、天井や壁に、
1〜2個つけてある。明るさとしては十分だが、その分だけ、電力を消費する……らしい。
そのランプの販売が禁止された。

 反対に、日本では、ハロゲンランプを使用している家は、少ない。私の家でも、防犯灯
の中に組みこまれている程度。小さなランプだが、見ると、200Wとか、300Wとか、
書いてある。

 日本でも、ハロゲンランプの使用は、控えるべき時期にきているように思う。


●タバコが1箱、1000円!

 オーストラリアでは、タバコは、すべて一律、1000円。1箱、1000円。しかも
パッケージの裏には、カラーの写真入で、恐ろしいことが書いてある。

 『喫煙は、肺気腫を起こす。
  肺気腫というのは、肺の中の気泡が少しずつダメージを受け、やがて呼吸困難を引き
起こす病気である。患者は、その病気を、生きる地獄と表現している。ほとんどすべての
肺気腫は、喫煙によってもたらされる。

 あなたも禁煙できる。131−848まで電話してほしい。あるいは医師に相談するか、
www.quitnow.info.auまで、連絡してほしい』と。

 このHPには、恐ろしい写真が、ズラリと並んでいる!

 日本でも、1箱1000円にすべきという意見がある。それに対して、「貧しい人が困る
から、かわいそう」という反対意見もある。

 しかし現に、1箱1000円(10ドル)にしている国がある。それでそれなりに効果
をあげている。日本も、そうしたところで、何も、おかしくない。1箱2000円でもよ
いのでは……?

 貧しい人たちが、タバコを吸って病気になり、さらに貧しくなる。「貧しい人が困るから」
という論理は、どこかおかしい?


●結婚・チン騒動

 オーストラリアでも、結婚式の当日、花嫁がどこかへ逃げてしまうという事件(?)が、
よくあるそうだ。知人が、パーティの席で、そんな話をしてくれた。

 「日本でも、ときどきそういう話を聞く」と私が言うと、みな、驚いていた。「日本では、
アレンジ・マリジ(見合い結婚)がふつうというから、そういうことはないと思っていた」
と。

 しかし、現実には、ある。

 私の知人の息子も、結婚式の当日、花嫁に逃げられてしまった。結婚式は、そのまま中
止。町の中に、マンションまで買って新婚生活に備えたというが、それが、ムダに終わっ
てしまったという。

 こういうケースのばあい、当然のことながら、慰謝料がからむ法律問題へと発展する。
しかしそれも酷というもの。逃げるほうだけを一方的に責めるのも、どうかと思う。しょ
せんわからないのが、男と女の関係。相思相愛で始まった恋愛でも、そのうち、熱が冷め
ることだって、ありえる。相手をだましたとか、だまさなかったとかいう話とは、わけが
ちがう。

 むしろ自分の心を偽って、ずるずると、意味のない結婚生活をつづけるほうが、罪とい
うもの。疑問に感じたら、たとえ結婚式当日でも、キャンセルすればよい。そのほうが、
ずっとわかりやすい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【オーストラリア】

+++++++++++++++++

2007年3月22日(木)、
私は、オーストラリアへと旅立った。

友人のお譲さんの結婚式に
出席するためである。

その友人と会うのは、15年ぶりかな?
よくわからないが……。

+++++++++++++++++

●オーストラリアへ

 静かな朝だった。薄いモヤのかかった山々を、ぼんやりとした光が照らしていた。行く
筋にも延びる、低い雲。ひんやりとした冷気。3月22日。木曜日。私はこれから、オー
ストラリアのメルボルンへと向かう。

 ワイフと東名西インターで別れ、そのまま中部国際空港行きの高速バスに。窓の外の景
色を見ながら、考えるのは、37年前のこと。しかし頭の中は、まだ眠ったまま。ぼんや
りとした景色が、気ぜわしく、目の前を流れていく。

●記憶

 記憶というのは、タマネギのようなもの。中心に若いころの記憶が残っていて、そのあ
と、皮を重ねるように、記憶が重なっていく。新しい記憶ほど、外側を包む。

 が、歳をとると、今度は反対に、外側から記憶から、皮がはがれるように消えていく。
あるいはバケツの底にあいた穴のようなもの。新しい記憶が重なるたびに、それ以上の記
憶が、その穴からどこかへ漏れていく。

 そんなわけで、古い記憶だけが、そのまま残る。より鮮明に、記憶に残る。

●37年

 ちょうど37年前の今月、私は、オーストラリアへ渡った。当時は羽田から、シドニー
へ。そこから飛行機を乗り継いで、メルボルンへ。

 懸命に、そのとき覚えた感動を思い起こそうとする。が、どうもつかみどころがない。
そこにあるはずなのに、そのままスーッとどこかへ逃げてしまう。あのときは、夢と希望
に満ち溢れていた。すべてが金色に輝いていた。

 私は天にも昇るような気持で、飛行機に乗った。

●中部国際空港

 空港へは、2時間ほど前に着いた。ロビーは混雑していたが、手続きをすましたあとは、
一変した。中は、閑散としていた。国際線の出発ロビーは、左側。目の前には、コリアン・
エアーのジャンボジェットが、どこかくすんだ、水色の機体を、横たえていた。

 その向こうに、JAL機が数機。そんなとき、ふと、「国際って何だろう」と思った。「世
界」でもよい。この空港にも、世界中の飛行機が集まっている。まわりを通り過ぎる人た
ちも、それぞれの国の言葉を話している。

 37年前とは、大きく、事情が変わった。あのころの私は、外へ飛び出すこと。それし
か考えていなかった。「大学はどこにしたい」と聞かれたときも、一番、遠い、メルボルン
大学を選んだ。とにかく、遠くへ行きたかった。

●友人の娘

 あさって、友人の長女が結婚式をあげる。それに招待された。しかし本当は、友人の妻
の葬儀に参列するつもりだった。しかし航空券が取れなかった。友人の妻がなくなったの
は、12月の終わりだった。

 メールで何度かやりとりしているとき、友人が、3月に娘が結婚するという話をした。
それで3月にした。葬儀と結婚式。日本では、正反対に考えられている。こうした意識が、
オーストラリアでも同じかどうかは知らないが、私が行くことで、友人の悲しみが少しで
も和らげばよい。

 結婚式に出るのは、あくまでも口実? 

●メルボルン

 メルボルンは、私にとっては、とても大切な町だ。私の青春時代のすべてがそこにある。
私の人生は、あのメルボルンで始まった。

 で、先に書いたタマネギの話だが、タマネギにも、いろいろな大きさがある。大きなタ
マネギもあれば、小さなタマネギもある。もしあのころ、あのまま、大学を卒業して商社
マンか何かになっていたとしたら、私は、大きなタマネギを知らないまま、それなりの人
生を送っていたかもしれない。

 私はあるとき、友人に、こんな手紙を書いた。「ここでの1日は、金沢で学生だったころ
の1年のように長く感ずる」と。

 決して、オーバーなことを書いたのではない。本当にそう思ったから、そう書いた。

●飛行機恐怖症

 私は飛行機恐怖症である。飛行機に乗るたびに、おかしな緊張感にとらわれる。体がカ
チカチになる。一度、飛行機事故を経験してから、そうなった。

 それ以後もたびたび飛行機に乗ってはいるが、旅先で、不眠症になってしまう。そのた
め、海外へ行くときは、睡眠薬(睡眠導入剤)は欠かせない。

 その私が、また飛行機に乗った。いやな気分だ。このままだったら、偏頭痛が始まるか
もしれない。そんな雰囲気だった。私は、水を、1時間あたり、1リットルの割合で飲ん
だ。座席が通路側だったのが、よかった。そのつど、トイレへ足を運んだ。

 が、シンガポールのチャンギ空港に着くころからその偏頭痛が始まった。若いころは、
偏頭痛で苦しんだ。

 今は、よい薬がある。

 第一段階。まずB錠Aで痛みを抑える。それで聞かなければ、C剤。それでも効かなけ
れば、Z剤。1錠、500円(保険価格)という高価な薬である。

●チャンギ空港

 チャンギ空港(Singapore Changi Airport)は、大荒れの天
気だった。一度着陸に失敗したあと、飛行機は、空港上空を、30〜40分ほど、旋回し
た。ときどき、稲妻の閃光が走るのが見える。機体が大きく揺れる。

 隣の若い男女は、のんきにガイドブックを読んでいる。それがおかしいほどに、不釣合
いな様子に見えた。

 2、3度、積乱雲に入ったようなダウンバースト(急降下)を経験する。そのたびに、
飛行機は、パワー全開にして、また機首を上に向ける。この繰りかえし。息子がいつか言
った。

 「高度、x00メートルまでさがって、視程がx000メートル以下だったら、着陸は
許可されない」と。

 xの部分の数字は、忘れたが、こういうときのために、こまかいルールが設定されてい
る。

 が、ともかくも、飛行機は着陸した。私は飛行機を出ると、トランスファー(乗り継ぎ)
ルームへと向かった。

●死ぬこと

 飛行機が空港の上を旋回しているときのこと。私は、ふと、死ぬことを考えた。このあ
たりが、私の、かなりうつ的なところ。あるいは飛行機恐怖症のせいかもしれない?

 しかしどういうわけか、こわくなかった。死ぬ覚悟はできていた。「このまま死んでも、
構わない」とさえ思った。死ぬといっても、一瞬だ。脳みそに痛みが届く前に、私は気を
失い、そのまま死ぬ。

 ジタバタしても、しかたない。おかしなことだが、「私はじゅうぶん、人生を楽しんだ」
「これ以上、何を望むのか」と。そういう思いが、交互に頭の中をかけめぐり、死への恐
怖をやわらげる。

 人には、それぞれ運命というものがある。その運命のほとんどは、私が知らないところ
で、私の力の及ばないところで、決まる。死も、そのひとつ。死ぬときは、死ぬ。死なな
いときは、死なない。そんな運命を、だれが、避けることができるだろうか。

●チャンギ空港(2)

 トランスファー・ルームをあちこち歩いて、やっと、パソコンコーナーを見つけた。無
料のインターネット・コーナーはいくつかあったが、電源を用意したデスクは、一か所だ
けだった。運良く、ひとつだけ席があいていた。

 英語では、「Laptop Access」というらしい。そういう表示が、デスクの上
に書かれていた。ナルホド!

 隣の席の男性は、シンガポール英語を話す日本人だった。ときどき携帯電話で、だれか
と連絡を取りながら、パソコンのキーボードをたたいていた。

 キンキンと、語尾を短く切る英語。インド英語にも似ているが、かなりちがう。慣れな
いと、聞きづらい。

 先ほど、案内人に、「待ち時間が5時間もある」とこぼしたら、「シンガポール観光をし
てききたら」とすすめられた。「2時間でできるから」と。私は、礼だけは言ったが、「N
o」と答えた。

 この雨だ。それに軽い頭痛が残っていた。まずB錠Aを試してみる。それを口の中で、
かじりながらのむ。

●シンガポール

 シンガポールには、何人か友人がいる。学生時代からの友人である。しかし今回は、連
絡を取らなかった。オーストラリアの友人たちにも、連絡を取らなかった。

 葬儀のかわりに結婚式に出る私が、観光旅行など、できるわけがない。私がすべきこと
は、静かに、友人の指示に従うことだ。何もすることがなければ、静かに、家の中で、彼
の帰りを待つこと。

 しかしシンガポールが、ここまで発展するとは! 37年前に、だれが予想しただろう
か。大きさで言えば、名古屋の中部国際空港の2、3倍程度といった感じだろうか。アジ
アのハブ空港を自負するだけあった、さすがに大きい。デスクから見たところでは、滑走
路が平行して2本、走っているのがわかった。

 ハブ空港……。自転車のハブのほうに、世界中の飛行機が、ここに集まるようになって
いる。(それにしては、私が見ている間、それほど、頻繁に飛行機が離発着しているといっ
たふうでもなかったが……。)

 こんな小さな国が、韓国の数倍もの、貿易黒字をたたき出している(06年)。

●私の人生

 私の人生は、前にも書いたが、オーストラリア留学時代に始まった。それが、結局は、
その時代で終わる。少し前までは、「終わるような気がする」と書いたが、最近は、それが
確信に変わってきた。

 あの時代が、暗闇を照らす灯台のように、それからの私の人生を、照らしてくれた。方
向を示してくれた。今までも、何度か足を踏み外しそうになったことがある。が、あの時
代が、再び私をもとのコースにもどしてくれた。

 私は根っからの善人ではない。悪人でもないが、少なくとも、善人ではない。もし私に
あの時代がなかったとしたら、今の私は、大きく変わっていただろう。

 それに私は、歳とともに、ワイフのすばらしさが、よくわかるようになった。そんな私
を、ワイフが支えてくれた。私のワイフは、私の心を写すカガミのようなもの。私の美し
い面も、そして醜い面も、そのまま映しだしてくれる。

 私はそれを見て、自分を軌道修正することができた。

●日本人

 少し前、日本人のことを、「極東アジアの島国に住む原住民」と書いた。この言葉を聞い
て、ムッときた人もいるかもしれない。しかし世界から見れば、それに近い。

 先日も、ワイフが、「(浜松から)東京まで、飛行機で30分!」と驚いていたが、地図
で見ても、そんなもの。世界で見る世界は広いし、世界で見る日本は、小さい。これはど
うしようもない事実であって、さからいようがない。

 このシンガポールから見ても、日本は、はるか北にある島国でしかない。一方、シンガ
ポールは、インドネシアやインドとの交流も深い。東南アジアの中心部に、どっしりと自
分の位置を確保している。

 すでに経済の中心は、このアジアでは、日本の東京から、このシンガポールに移動して
いる。このことはアメリカに住んでみるとわかる。アジアのニュースは、日本のニュース
も含めて、このシンガポール経由で、アメリカに流れている。東京ではない。シンガポー
ル、だ。

●気温29度

 シンガポールの気温は、29度。空港の窓のガラスに手で触れてみたが、それほど、熱
気はなかった。雨で気温がさがったのか?

 若いときは、シンガポールの異国情緒に、たまらないほどのいとおしさを覚えた。W・サ
マーセット・モームの小説を読んだこともある。今、その名前を思い出せない。モームは、
このシンガポールにも、長期滞在している。

 そんなこともあって、ふと今、「もし、私がここに住んだら……」と考える。しかし空港
というところは、一見、華やかだが、その一方で、恐ろしく孤独を感じさせる。

 私という植物の(根)が切られてしまったかのような孤独感である。たとえばこんなと
ころで、日本の武士道を説いたら、どうなるのだろう。ニュージーランドのマオリ族がす
るダンスのように、思われるかもしれない。おもしろいが、それだけ。

●インド

 今度は、横にインド人の若いビジネスマンが座った。自信に満ちあふれ、マナーもよい。
これも37年前には考えられなかったことだ。

 インドの経済発展は、すさまじい。やがては中国以上の経済大国になるかもしれない。
もともとイギリスの植民地だったところだから、身のこなし方も、どこかイギリス風。彼
らは、「紳士」の見本を見て育っている。

 で、気になるのが、6か国協議。今ごろ北京では、その6か国協議が行われているはず。
あの金xxは、たったの28億円にこだわって、昨日は、会議そのものを、ボイコットし
てしまった。

 今ごろは、どうなっていることやら?

 だいたいにおいて、あの金xxが、核開発を断念するはずがない。核兵器は、まさに彼
の力のシンボル。本尊。核兵器あっての、K国である。今の今も、核兵器がなかったら、
だれがあんな国など相手にするか? 金xxも、それをよく知っている。

●英語

 英語というのは、不思議なものだ。私のばあい、外人の顔を見たとたん、頭の中が英語
モードになってしまう。

 よく地方の郷里に帰ると、その地方の方言で話すという人がいる。私も、若いころ、そ
れを経験した。しかし同じ日本語ということもあって、40〜50歳をすぎるころからは、
郷里の岐阜に帰っても、浜松弁を話すようになった。

 少し無理をすれば、岐阜弁を思い出すことはできる。が、最近では、違和感を覚えるこ
とのほうが多い。

 が、英語はちがう。一説によると、日本語は、左脳に格納されているという。一方、英
語は、右脳に格納されているという。使っている脳みそそのものが、ちがう。

 そう言えば、このところ、英語を日本語に翻訳するのが苦痛になってきた。これは右脳
と左脳をつなぐ、脳梁(のうりょう)の機能が衰えてきたためかもしれない。

 多分、友人のD君に会ったとたん、私の脳みそは、100%、英語モードになるはず。
言葉だけではない。ジェスチャも、発想も、そしてジョークも。

●心を許す

 このことと関係があるのかもしれないが、私は、日本語で話している間は、その人に対
して、心を開くことができない。

 しかし英語だと、心をそのまま開くことができる。たとえば違法駐車した人がいたとす
る。相手が日本人だと、こちらのほうが緊張してしまい、うまく、それを注意をすること
ができない。

 しかし相手が欧米人だったりすると、ごく自然な形で、つまり相手に不快感を与えない
ような言い方で、それを注意することができる。相手も、ニッコリ笑って、それに従って
くれる。

 これは私が留学時代、彼らの世界に、何も考えずに飛び込んでいったせいではないか。
私はすべてをさらけ出し、彼らの世界の中に、飛び込んでいった。もちろん自分が日本人
であることさえ忘れた。

 今、そういう意味で、私が心を開ける相手は、少ない。私のワイフのほか、数人の友人
でしかない。友人というのは、オーストラリア人である。

 彼らなら、言いたいことがそのまま言える。彼らも、言いたいことをそのまま、言う。
D君は、大学の教授職にありながら、私のことをいまだに、「Fuck and Blod
dy Bastard」(こんちくしょう)と呼んでいる。彼にしても、ほかの世界では、
めったに使わない言葉である。

●空港

 空港で見る世界は、まるで別世界だ。以前。アメリカのヒューストン空港で、こんなこ
とを感じたことがある。「ここはまるで、スターウォーズの世界だ」と。

 その空港よりはまだよい。しかしどの人も、それなりの服装で身を飾っている。ときど
き、ハッとするようなスタイルの女性を見たりする。「これが私と同じ人間か」と思うと同
時に、自分の姿を横に想像して、落胆する。

 しかし空港は空港。横にいる若いインド人にしても、ここで別れたら、二度と会うこと
はないだろう。午後8時の便で、インドへ帰るという。昨日まで、香港で、電子部品の商
談をまとめていたという。

 が、もし私が今、20代なら、すぐ名刺を交換して、何らかのビジネスに話をつなげた
かもしれない。が、今は、もうその元気はない。ないというより、これから先、何ができ
るというのか。

●携帯電話
 
 ところで隣のインド人のところに、電話がかかってきた。それでしばらく。携帯電話の
話になった。そのあと、そのインド人に聞いた話。

 日本のみなさん、驚くな!

 インド人がインドで、携帯電話を購入したとする。ごくふつうの、どこの店でも売って
いる携帯電話である。

 その携帯電話は、シンガポールでも、ごくふつうに使える。香港でも、台湾でも、オー
ストラリアでも、ごくふつうに使える。料金は、国際ルーミング・ファシリティという組
織を通して、カードで、支払うそうだ。

 プリペイド(先払い)ではなく、ポウストペイド(後払い)だ、そうだ。

 彼は、言った。「日本だけは、例外。日本だけでは、使えない」と。

 こうした事実を、いったい、どれほど多くの日本人が知っているか。日本は、島国だ。
いまだに鎖国している?

●ラウンジ

 空港内のラウンジで、生演奏が始まった。曲は、映画『南太平洋』から、『魅惑の宵』。
ここからバリ島までは、近い。バリ島へ行く人は、一度、このチャンギ空港を経由する。

 ロマンチックな曲だ。日本で聞くのと、どこかちがう。たまたま外は、夕暮れ時。ラン
プは、雨でしっとりと濡れている。

 三男は、やがてすぐ、こういう空港を職場にして働くようになる。世界中を飛び回るよ
うになる。3、4年もすれば、今の私のとは、まったくちがった国際感覚をもつようにな
るにちがいない。どんな感覚をもつようになるだろう。

 きっと私の知らない世界を、無数に見るにちがいない。(すでに、私の知らない世界を見
ているが……。)

 ときどき三男に会って、私の知らない世界のことを聞くのが、これからの私の楽しみの
ひとつになるだろう。

●明日はオーストラリア

 シンガポールからメルボルンまで、私は窓側の席にすわる。「〜〜A」という席である。
窓側でもよいが、水分の摂取は、ひかえめにしなければならない。だいじょうぶかな。

 朝、目がさめるころ、眼下には、真っ赤な大地が見えるはず。37年前には、それを見
て驚いた。本当の驚いた。

 その感激が、もう一度、よみがえってくればいい。私は、そのとき、こう思った。「この
下では、みな、英語を話している」と。

 そのときは、それがとても不思議な感じがした。

 さあ、これから簡単な食事をして、搭乗手続きをすまさねばならない。

 時刻は、午後7時20分。日本は、午後8時20分。あたりは、まだ何となく明るい。

●暗闇の世界

 飛行機は、現地時間で、午後9時に飛び立った。久々に、ジャンボジェットである。席
は、ほとんど最後尾の、窓側。

 最悪だった。狭い。窮屈。隣に、オーストラリア人の若いカップルが座った。イギリス
からの帰りだという。しばらく話が、はずむ。

 離陸後、窓の外をながめる。飛行機は、ジャワ島を横切って、まっすぐ下へ南下。うと
うとし始めたところで、夕食が始まった。狭い。窮屈。食事のトレイを置いたら、それで
ひざの上はいっぱい。

 私は、窓に顔をこすりつけて、眼下の景色や、空を見た。そこには、何もさえぎるもの
がない、満天の星空が、広がっていた。

●白人の世界

 白人の世界では、日本で言うような、ファジーな情というものが通じない。YESと言
えば、YES。NOと言えば、NO。白黒がはっきりしている。

 あいまいな言い方が、通じない。ときとして、日本人の私は、それに戸惑う。が、それ
に慣れれば、あとは、楽。そういう意味では、彼らは、彼らの言葉を借りるなら、インデ
ィペンデント(独立的)な民族である。

 日本人が農耕民族なら、彼らは、狩猟民族ということになる。農耕文化圏では、たがい
助けあわないと生きていかれない。一方、狩猟文化圏では、荒野の中で、ひとりで生きて
いかねばならない。

 となりの若いカップルと話していて、ふと、それを感じた。親切な人たちで、こちらが
質問すると、ケカケラと明るい笑顔を振りまきながら、あれこれ教えてくれる。が、しっ
かりと一線を引いている。

 もっとも白人といっても、いろいろな白人がいる。概して言えば、イギリス系は、ドラ
イ。ドイツ系は、イギリス系よりも、どこか日本的。

●一路、南下

 飛行機は、オーストラリア大陸を横断するかと思ったが、そのまま南下。これは、気流
にうまく乗るためではないか。あるいは、万が一のために、飛行場のあるところをつなぎ
ながら、飛ぶためではないか。

 よくわからないが、地図の上では、何かしら大回りしているような感じがした。

 で、そのころなると、満天の空が、さらに輝きを増した。地平線に、薄いモヤのような
ものがかかっているのさえ見えるが、その上は、まばたきもしない星の空。

 で、一度、南氷洋に出たあと、今度は、進路を、まっすぐ東に変えた。かなりの大回り
だが、しかし時速130〜50キロの追い風に乗ったらしい。対地速度は、950キロを
超えていた。やはり、気流に乗るために、大回りしたようだ。高度は、1万1200メー
トル。

●眠る?

 眠ったのか? それとも眠らなかったのか? よくわからない状態で、飛行機は、ビク
トリア州に入った。町ごとの明かりが、まるで島のようにところどころ見える。広大な国
である。

 まだ、暗くて、朝日に照らし出された真っ赤な大地は見えなかった。やっと朝日が見え
たところで、飛行機は、着陸態勢に入った。高度をさげた。とたん、メルボルンの町並み
が、見えてきた。まだ薄暗い早朝だというのに、無数の車が道路を走っていた。

 不思議と感動はなかった。もっと感動するかと思っていたが、それはなかった。静かな
朝だった。それ以上に、頭の中がぼんやりとしていた。

●メルボルン空港

 通関をすませ、荷物を受け取ると、そのまま廊下へ。ゆるいスロープのついた廊下だっ
た。この廊下だけは、この37年、変わっていなかった。

 空港全体は、大きくなっていたが……。

 大きな金属製のドアを抜けると、人垣の向こうに、D君が立っていた。細くなった。そ
の分、背が高くなったよう思う。それをさっそく話題にすると、「糖尿病になってしまった」
と教えてくれた。

●臭(にお)い

 それぞれの都市には、それぞれの臭いというものがある。それは飛行機を降りたったと
きだけわかる。昔、別のオーストラリア人の友人がこう言った。「羽田へ着いたとき、魚の
臭いがした」と。

 メルボルンには、メルボルンの臭いがある。鉄がさびた臭いと、皮の臭い。それに乾い
た土の臭い。とくに土の臭いは強烈だ。

 もっとも、この臭いは、半日もすると、消える。鼻のほうが、においに慣れてしまうた
め。

 「今年は水不足でたいへんだった」と、D君が言った。途中、アルバート湖という小さ
な湖があったが、「水位がかなりさがっている」とも。オーストラリアは、去年の終わりか
ら、干ばつに襲われている。

●D君の家

 D君の家は、メルボルン市の中心部から、車で30〜40分ほどのところにある。カー
ネギーという名前の地区である。

 そのカーネギー自体が、ひとつの商圏を作っている。アメリカや日本のように、郊外に、
巨大なショッピングセンターがあるというわけではないらしい。通りの商店街の通りには、
かなりの人たちが、歩いていた。

 私は、近くの電気ショップで、コンセントにつけるアダプターを買った。コンセントの
形状がちがうため、オーストラリアでパソコンを動かしたり、電池に充電するときは、必
要である。

 値段は、500円前後。こちらでは消費税は、10%ということらしい。あとは近くの
店で、お菓子類をたくさん買いこんだ。そのまま日本へのみやげにするつもり。

●落差

 この37年間、メルボルン市の中心部は、大きく変わった。しかし郊外は、そのままと
いったふう。そのせいか、37年前には、すばらしく立派に見えた家々が、今では、反対
に、みすぼらしく見える。

 相対的に、日本の家々が、よくなったためではないか。

 当時は、1ドルが、400円。今は、100円前後。一時は、50円以下になったこと
もある。37年前には、スウェーデンについで、世界で、2番目にリッチな国ということ
になっていた。

 が、今では、通りこそ広いが、日本の家々のほうが立派に見える。快適さという点でも、
日本の家々のほうが、よいのでは? どの家も大雑把(ざっぱ)。地震のない国だから、ど
んな作り方でも、建てられる。が、その分だけ、きめこまやかさがない。

 レンガを両側に積んで、木材を渡して、部屋をつくる。あとは屋根を作って……という
感じの家。

 「日本の家のほうがいいよオ〜」と思ったところで、この話は、おしまい。

●独立心

 オーストラリアでは、個人が、独立して仕事をするケースが多い。組織に属して、サラ
リーマンになるというよりは、自分でする。

 車で走っていると、それらしい車と何台か、すれちがった。「掃除屋」「電気修理屋」な
ど。

 車一台と、電話一本だけで仕事をしているらしい。あるいはインターネットだけ。日本
だったら、行政が介入してきて、「管理」「管理」となるところだが、オーストラリアには、
それがない。

●暑い秋

 D君が、「今日は暑い」と言った。「異常に暑い」と言った。昼をすぎるころには、シャ
ツ一枚でも、ジワジワと汗が体中からにじみ出てきた。

 日本が3月ということは、それに6か月を足したのが、メルボルンの季節ということに
なる。つまり、日本で考えれば、9月の23日。

 数年前だが、日本でも9月の終わりまで、30度近い気温だったから、今は、その反対
のことが、メルボルンでも起きているのかもしれない。

 しかし強い日差しだった。紫外線をそのまま感じるような日差しだった。私はあたり構
わず、写真を撮った。

●日本

 当然のことながら、ここオーストラリアでは、日本の情報は、ほとんど入ってこない。
念のためにD君に、「6か国協議はどうなった?」と聞いてみた。元国防省の役人だった彼
でさえ、「知らない」と言った。

 今、オーストラリアには、多くの韓国人が住んでいる。通りを歩いても、ハングル文字
の店が目立つ。このカーネギー地区では、日本食のレストラン(テイク・アウトの店)は、
1軒だけ。

 私も、ここ2日、日本にニュースは、まったく見ていない。あとで友人に頼んで、日本
のニュースを見せてもらうつもりではいる。が、このメルボルンから見るところでは、日
本も韓国も、同じ。

 日本人にとって、ノルウェイも、スウェーデンも同じ。それと同じに考えてよい。

●移住

 日本人だけの単独の移住は、たいへんむずかしい。当然のことながら、オーストラリア
も法治国家。生きていくことには、無数の法律が、からんでくる。それをひとつずつ理解
しながら生きていくのは、たいへん。だれかの手助けがないと、不可能。

 加えてここメルボルンでは、日本人だからという甘えは許されない。ベトナムやカンボ
ジアからの移民と、基本的には、同じ。「私は日本人」と威張っていられるのは、どこかで、
日本に(根)を張っている人だけ。日本の会社名を背負ったサラリーマンとか、領事館の
役人とか、そういう人たちだけ。

 病気になったら、どうする? どうなる? 老後を迎えたら、どうする? どうなる? 
……そんなことを考えていくと、先がどんどんと暗くなる。

 やはりするとしても、長期滞在型の移住のほうがよい。たとえば3か月とか、長くても
半年とか。移住までして、オーストラリアに住むことはない。

 仕事や生きがいがあれば、話は別だが、こんなところで、何もすることもなく、ただぼ
んやりと過ごしていても、意味はない。

 ……というのが、今の私の結論ということになる。つまり「移住は、やめよう」と。

●生活水準

 なにをもって、「高い」とか、「低い」とか言うのかわからないが、生活水準ということ
になれば、日本とオーストラリアは、それほど、ちがわない。ただ日本では、貧富の差と
いうか、(格差)が大きい。ここ10年、その(格差)がますます大きくなったように思う。

 一方、オーストラリアでは、その(格差)をあまり感じない。ある一定以上の収入にな
ると、突然、税率が高くなる。そういうこともあって、みな、中産階級? ざっと見ても、
そんな感じがする。

 そのことを、別の知人と話題にすると、その知人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは、年収が6万ドルを超えると、所得税が、44%になる」と。

 そのためメチャメチャな金持ちもいない。しかしメチャメチャな貧乏人もいない。この
国は、ラッキーな国だ。資源が豊富だし、何といっても、国土が広い。同じ家にしても、
全体的に見ると、日本の2倍はある。そう、何もかも、2倍といった感じ。

●スコール

 ベッドに横になっていたら、突然、電車が走り抜けるような音がした。近くに、電車線
路がある。「電車かな?」と思ったが、そうではなかった。

 スコールだった。突然の大雨だった。

 すごい大雨! ゴーッと降りだしたか思うと、地面をたたきつけるかのような音。トタ
ン板でできている屋根が多いせいか、音もすごい。

 が、10〜20分ほどで、それが終わった。空は暗くなったままだが、先ほどまでの蒸
し暑さは、どこかへ消えた。

 なぜ、私がこうして家にひとりでいるか? ……D君は、娘さんと、明日の結婚式のリ
ハーサルにでかけている。私が留守番というわけ。

●プレゼント

 こうした習慣は、アメリカだけかと思っていたが、ここオーストラリアでも、花嫁、花
婿にあげるプレゼントがダブらないよう、あげるプレゼントを、デパートに代理登録して
おく制度がある。

(デパートで登録番号を言えば、その人にあげるプレゼントの一覧表が出てくるしくみ
になっている。一覧表は、インターネットでも検索できるようになっている。)

 たとえば電気ヒーターが2つあっても、しかたない。そこでAさんが、先に、電気ヒー
ターを買い、先に登録しておくと、つぎに電気ヒーターをあげたいと思っているBさんは、
リストを見ながら、別のものにする。

 日本ではお金をあげる習慣になっている。だったら、お金にすればよいと思うのだが…
…。言い忘れたが、ここオーストラリアでも、リセプション(披露宴)のとき、お金を渡
す習慣があるそうだ。

 金額は、100ドル前後。日本円で、1万円くらいか。

 なおプレゼントは、結婚式の前日に、花婿の夫のほうが受け取るのだそうだ。そしてそ
のプレゼントは、結婚式のあとの披露宴の席で、花嫁に渡されることになっている。プレ
ゼントは、純白の包装紙で包むのが慣わしだとか……。

●風邪気味

 どうも鼻水が抜けない。セキも出る。熱はないと思うが、その一歩手前で、グズグズし
ている感じ。こういうとき、外国に出ていると、何かと心細い。

 正直言って、早く、日本に帰りたい。ふと、「どうしてぼくがここにいるんだろう」と思
う。片道、22時間。メルボルンは、遠い。距離的には、日本とニューヨークほどではな
いか。地球儀上での、直線距離にしての、話だが……。

 で、近くのレストランで、今日はダイエットも忘れて、肉類の多いチャーハンを食べた。
あとは風邪薬をのんだ。

 横になったところで、またまたスコール。しかたないので、体を起こして、パソコンに
向かって、文章を書くことにした。

●大学生

 近くにモナーシュ大学の分校がある。その分校に通う学生たちを見る。みな、天下を取
ったような顔をして、食事をしたり、話しこんだりしている。

 私もかつてはそうだった。……と同時に、(時の流れ)を感ずる。私が学生のときには、
影も形もなかった連中である。そういう連中が、いつの間にか、この世に生まれ、私たち
を追いやり、そこにいる。

 「彼らはどこから来たのか?」と考えるのは、ヤボなこと。そういう私だって、どこか
ら来たのか、わからない。わからないまま、当時は、私なりに、結構、偉そうな顔をして
いた。

●D君の奥さん

 D君の奥さんが亡くなって、もう3か月になる。で、そのD君の家に来てみて、気がつ
いたこと。

 やはり(家)というのは、奥さんがいてはじめて、光る。台所にしても、まるで学生の
寮のように汚れ、乱雑になっていた。

 家具にしても、どれも、無造作にそこにあるだけといった感じ。で、私は、私のワイフ
がいなくなったときのことを考える。多分、私の家も、このD君の家以上に、荒れるにち
がいない。

 そのD君だが、もともと静かな男だった。しかし奥さんを亡くして、すっかり自信をな
くしているといったふう。声にもハリがない。自分の娘にさえ、どこか遠慮している。私
には、そんな感じがした。

 世の夫たちは、妻の前で威張っているかもしれないが、それは妻がいるからこそ、でき
ること。夫婦の価値は、それがなくなってはじめて、わかること(?)。

 ……ところで、スコールが去って、秋の虫たちが鳴き始めた。日本では聞いたことのな
い声である。いくつも鈴を、連続して鳴らしているかのような音。貝殻をすり合わせてい
るかのような音にも聞こえる。

 それからもうひとつ。このオーストラリアにも、日本で見るのとまったく同じドバトが
いるのには、驚いた。よく見てみたが、区別がつかない。それほど、よく似ている。

●照明器具

 電化製品の質の悪さには、驚く。近くの店の中をのぞいてみたが、どこかみな、粗悪品
といった感じ。

 このオーストラリアでも、液晶テレビを売っている。日本のP社製のもあったが、その
数倍の数ほど、韓国のL社製のものが並んでいた。見た感じでは、L社製のほうが美しい
画像を映していた。

 「本当にP社製かな?」と思った。ひょっとしたら、中国製のニセモノかもしれない。

 一方、韓国製って、意外にがんばっているといった感じ。

 で、その電気製品だが、全体的には、日本の10年前レベルといったところか? 家具
も大雑把(ざっぱ)。デリカシーを感じない。

 この部屋にも、小さな、裸電球が一個ついているが、それだけ。明るさはまあまあだが、
直接見ると、目が痛い。いわゆるハロゲンランプというのか。日本でいう、蛍光灯がほと
んどないのには、驚いた。

●アズ・ユー・ライク

 欧米では、客がくると、「好きにしなさい」というような、もてなし方をする。またそれ
が最高のもてなし方ということになっている。

 友人のD君は、離れの一軒家を貸してくれた。冷蔵庫も置いてくれた。キッチンもトイ
レも、そのまま使える。

 そういう(もてなし方)を知らないわけではないが、日本人の私には、どこかさみしい。
先ほども、自分でミネラル・ウォターを買ってきた。こういう部屋でひとりで飲んでいる
と、何となくさみしい。つまらない。

 あちこちを引き回されるよりはよいが……。

 ただ私のばあいも、オーストラリアから友人が来たようなときには、「好きにしなさい」
というようなもてなし方をする。相手が何かを望むまで、こちらからは口を出さない。相
手が何かを頼んできたら、それには、誠心誠意、応ずる。相手がやりたいようにさせる。

●老人介護

 オーストラリアでも、老人介護のことがよく話題になるそうだ。で、私が聞くと、D君
は、こう教えてくれた。

 みな、保険(インシュアランス)に入っているから、それで自分で自分の老後をみるこ
とになっている、と。

 「日本では、子どもがいるときは、親のめんどうをみるのが義務化されているが、そう
いうことはないのか?」と聞くと、きっぱりと、こう言った。「ない」と。

 オーストラリアでは、子どもだからといって、親のめんどうをみなければならないとい
うことは、ないようだ。

私「保険に入っていない人はどうするのか?」
D「国がめんどうをみてくれる。しかしサービスは限られたものになる」と。

●移民国家

 こうした移民国家に着てみると、民族とは何か、それがわからなくなる。日本にも、「武
士道こそ、日本民族が誇るべき、精神的基盤」と説く人がいる。

 気持はわからないわけではない。しかし国際的にみると、「士」の意味すら、よくわから
ない。中国では、「士」を、別の意味で考えている。もともと「士」という言葉は、中国か
らきた言葉だから、日本が勝手に、まげて使っていることになる。

 弁護士、会計士の「士」と考えたほうが、より中国語の「士」の意味に近いのではない
か。

 ともかくも、こんな国に来て、「私は日本人だ」といくらがんばっても意味はない。民族
意識というのは、そういうもの。いわんや、「大和民族のほうが、朝鮮民族よりすぐれてい
る」と叫べば、(その反対でもよいが……)、変人あつかいされるだけ。

 当のオーストラリア人たちには、そうした民族意識がない。

(次号へ、つづく)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    4月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●気うつ症の子ども

+++++++++++++++++

元気がない。
ハキがない。
もちろん目標も、目的もない。

そんな子どものことを思い出した。

+++++++++++++++++

 もうあれから五年になるだろうか。夏休みの間だけ、預かってほしいと頼まれたので、
私はその子ども(中二男子)を、一か月だけ教えた。そのときの記録が、ファイルの中か
ら出てきた。

A君の症状

●子どもらしいハツラツとしたハキがない。何かを問いかければ、ニンマリと笑ってそれ
に答えるが、どこか痛々しい。
●「何が心配だ」と聞くと、「テスト」と答える。頭の中は、テストのことばかりといっ
たふう。「がんばって、それでだめなら、いいじゃない」と言うと、「夏休みあけのテスト
で悪かったら、ガックリすると思う。そういう自分がこわい」と。
●「どんな夢を見るの?」と聞くと、「ときどき、こわい夢」と。そこで「どんな内容か
な?」と聞くと、「内容は覚えていない。でも、こわい夢」と。何度問いただしても、「こ
わい夢」というだけで、内容はわからなかった。
●「家では、だれがこわい人から?」と聞くと、「お父さん」と。「どうして?」と聞くと、
「テストの点が悪いと、しかられる」と。
●「今、一番、何をしたいのかな?」と聞くと、「写真を撮りたい」と。彼の趣味は、カ
メラをいじることだった。写真を撮るというよりも、毎日、自分のカメラをみがいていた。
カメラは、一五台くらいもっているとのこと。
●学習は、すべて受け身。私が「〜〜しよう」と声をかけないと、そのままじっと座って
いるだけといったふう。無気力。「最近、大声で笑ったことがあるか?」と聞くと、「あま
りない」と。
●「睡眠はどうかな?」と聞くと、「ときどき、朝の三時か四時ごろまで眠られないこと
がある」「朝早く、目が覚めてしまうことがある」と。
●「家の中で、一番、気が休まるところはどこかな?」と聞くと、「ふとんの中……」と。
「お母さんはこわくないの?」と聞くと、「お母さんもお父さんの仕事を手伝っているから、
家にいない」と。
●「食事はどう?」と聞くと、「このところあまり食べない」と。しかしA君は、ポッテ
リと太った肥満型タイプ。水泳部に属しているということだが、筋肉のしまりがない。「結
構、太っているんじゃないの? 何を食べているの?」と聞くと、「あまり食べていない」
と。この年齢の子どもは、もう少し身なりに神経をつかうものだが、髪の毛はボサボサ。
無精ひげはのび放題のびていた。強い口臭もあった。

A君の症状で一番気になったのは、ここにも書いたように、ハツラツさがなく、どこか
もの思いげに、暗く沈んでいたこと。ため息ばかりついて、私が指示しなければ、何も
自分ではしようとしなかったこと。一度は、本人が何かをするまで待っていたことがあ
るが、ほぼ三〇分間、何もしないでボーッと座ったままだった。

 こういうケースでも、私はドクターではないから、「診断」するということはできない。
夏休みが終わる少し前、迎えに来た母親に、「負担を軽くしてあげたほうがいいのでは……」
と言うと、母親は笑いながら、「今が、(受験勉強では)一番、大切な時期ですから、あの
子にはがんばってもらわないと」と言った。

 結局、子育てというのは、行き着くところまで行かないと、親は気づかない。たいてい
の親は、「うちの子に限って」「まさか……」「うちはだいじょうぶ」と思って、その場、そ
の場で無理をしてしまう。この無理が、子どもをやがて、奈落の底にたたき落としてしま
う。私は別れるとき、「この子は、もう勉強についてはあきらめたほうがよい。またそうす
ることがその子どものために最善」と思った。思ったが、結局は言えなかった。

 ……それから三年。久しぶりにその子どものうわさを聞いた。今は、私立高校(このあ
たりでも、公立高校よりもランクが下と言われるD高校)に通っているということだそう
だ。「元気かな?」と聞くと、彼をよく知っている高校生はこう言った。「うん、あいつは
元気だよ」と。私はほっとすると同時に、「そんなはずはない」と思った。何か大きな問題
をかかえているはず。しかしそれ以上は、聞かなかった。かえってこの時期、不登校でも
起こしてくれたほうが、あとあとの症状は軽くすむ。問題を先送りにすればするほど、症
状は重くなり、なおるのに長期化する。今、青年期に、精神的な問題を起こす子どもが、
ものすごくふえている。「ものすごく」としか書きようがないが、あなたの周辺にも、一人
や二人は必ずいるはず。私はそれを心配した。

(子どもの気うつ症)

●親の過負担、神経質な過関心、威圧的な過干渉、価値観の押しつけ、権威主義が、慢性
的につづくのが原因として起こる。
●気うつ症に先立って、神経症を起こすことが知られている。チック、吃音(どもり)、
夜尿、頻尿など。腹痛、頭痛もよく知られた症状である。
●症状としては、ノイローゼ、うつ病に準じて考えられている。

(1)気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、思考障害(頭が働かない、思考がまとまら
ない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)、
(2)神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
(3)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。
さらにその状態が進むと、
(4)ぼんやりとして事故を起こす(注意力欠陥障害)、
(5)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(6)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(7)同じようにささいなことで激怒したり、ぐすったりする(感情障害)、
(8)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(9)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(10)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こ
うした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。

要はその前兆をいかにとらえるかだが、これがむずかしい。多分、あなたも、「うちの子
はだいじょうぶ」「私はだいじょうぶ」と思っている。親というのは、そういうもので、
自分で失敗し、行きつくところまで行かないと、わからない。自分では気がつかない。
これは子育てが本来的にもつ、宿命のようなものと考えてよい。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●笑い話

++++++++++++++++

あなたの子育てチェック!

++++++++++++++++

 ある日一人の男が、そのあたりでも有名な精神科医のところへやってきた。そしてこう
言った。
 
「ドクター、私は、夜もよく眠られません。人と顔を合わせるのも、おっくうになりまし
た。生きているのもつらいです。どうしたらいいでしょうか」と。

 するとその精神科医は、こう言った。「そういうときは、笑うことです。大声で笑うこと
です。そう言えば、遊園地に道化師ショーというのがありますから、あそこへ行ってみた
らどうでしょう。あそこには、おもしろい道化師がいます。みんな、腹をかかえて笑って
います。あなたもあそこへ行って、大声で笑ってみてはどうでしょうか」と。

 するとその男は、こう言った。「いえ、ドクター、それが私にはできないのです。私がそ
の道化師ですから……」と。

●私のばあい
 
 私にもこんな経験がある。浜松に住むようになって、近所のH内科医院にずっと世話に
なっているが、ある日、そのドクターに、こう相談した。

 「先生、最近、こまかいことが気になると、そればかりを考え、頭から離れないことが
あります。どうしてでしょう?」と。

 するとそのH医師は、あれこれ症状を並べ始めた。「夜、眠られないでしょう」「はい」「朝、
早く目が覚めることがあるでしょう」「はい」「気が滅入って、テレビや新聞を見るのもい
やになることがあるでしょう」「はい」と。

 私はさすがドクターだと感心した。よくもまあ、他人の症状がこうまで、正確にわかる
ものだと。そこで私はそのH医師にこう言った。「さすが、先生ですね。よく私の症状がわ
かりますね」と。するとそのドクターは、こう言った。「いえね、林さん、実は私もそうな
んですよ、ハハハ」と。

●自分のこと

 子育てをしていると、子どもの中に、自分の過去を見るときがある。「ある」というより、
その連続。そういうとき私はいつも、「自分もそうだったから……」と、ヘンに納得してし
まう。たとえば息子の一人が、金庫から、一〇万円単位のお金を盗み、それを使っていた
ことがある。そのときも、私は息子を叱りながらも、「ああ、私もそういうことをしたこと
がある」と思った。一〇万円という大金ではないが、私も子どものころ、五円とか、一〇
円とか、ときどき店の金庫から、お金を盗んで使ったことがある。

 こういう心の操作は、子育てをしていく上では、とても大切なことだ。ふつうは、「自分
はどうだったか」「自分ならできるか」「自分ならどうするだろうか」という視点で見る。
そうすると、それまでは見えていなかった子どもの心が見えてくる。

 最近でも、子ども(生徒)たちが、カード集めに夢中になっているのを見たときのこと。
私はふと、自分の子ども時代を思い出した。私が子どものころは、相撲取りのカードとか、
プロ野球の選手のカードを集めていた。岐阜のほうでは、パンコと呼んでいたが、メンコ
も人気があった。そういう記憶が心のどこかに残っているから、「くだらないから、やめろ」
とは、とても言えない。一応叱りながらも、心のどこかでそれを許す。

 実はこうした操作は、それができる親には、ごく自然にできるものだが、できない親に
はできない。とくに子ども時代、とくに悪いこともしなかったという親ほど、できない。
それだけ許容範囲が狭いということになる。さらに子ども時代、優等生だったという親ほ
ど、できない。そういう意味では、子ども時代に、男の子でいえば、わんぱくで、いろい
ろなサブカルチャ(非行などの下位文化)を経験した子どもほど、親になると、よい親に
なる。

 私も、子ども時代、とくに小学六年生ごろまでは、目いっぱい、わんぱく少年で育った。
わがままで、傲慢で、自分勝手で、自己中心的な部分もあったが、それだけに、子どもの
世界を広く知っていた。当時、子どもの世界で流行した遊びは、すべて経験した。そうい
う私だから、今、わんぱくな男の子を見たりすると、正直言って、ほっとするような懐(な
つ)かしさを覚える。つい先日も、こんなことがあった。

 今、S君(小三)という子ども(生徒)が、私の教室に来ている。存在感のある子ども
で、ワーワーと騒いでばかりいる。その子どもが実に楽しい。ユーモアのセンスも抜群だ
し、感受性も強い。親はホトホト手を焼いているようだが、私はそうでない。その子ども
をからかったり、反対にからかわれていたりすると、そのままストレスがどこかへ吹っ飛
んでしまう。そんなある日、母親がやってきて、こう言った。

 「先生、すみません。うちの子はああいう子で、何かとたいへんでしょう」と。

 そこで私はこう言った。「いいえ、ぜんぜん。S君は、私の子ども時代、そっくりの少年
です。かえって教えやすいです」と。そう、私はそのS君の心が、まさに手に取るように
わかる。わかるから、教えやすい。

(補足)
 もちろん嫌いなタイプもある。ネチネチしたり、グズグズしたりするタイプ。いい子ぶ
るタイプ。つげ口をする子どもなど、卑怯(ひきょう)なことをするタイプ。とくに私は
つげ口が嫌い。私にあれこれつげ口をしてくる子どももいるが、そういうときは、「つげ口
をするのはもっと悪いこと。自分で相手に文句を言いなさい」とはねのけることにしてい
る。ホント。つげ口は、いやなもの!

【あなたのチェックテスト】

 あなたの子育て失敗危険度をチェックしてみよう。あなたの子ども時代は、どうであっ
たか。

(1)ずっと優等生で、勉強もよくでき、親にも、期待された。
(2)それなりの範囲の、できのよい友だちとだけいつも、つきあっていた。
(3)中学、高校、大学と、わりとスンナリと、進学した。
(4)結婚も、みなに祝福され、これといって問題なく、した。
(5)今の生活は、平均以上だと思うし、これといって問題はない。

 このテストで、三〜四個、当てはまるようであれば、それだけ子育ての許容範囲がせま
いとみる。あなたの子どもがその範囲に収まっていれば問題はないが、その範囲を超えた
とき、あなたはそうでない人より大きなショックを受ける。そしてそのショックが、家庭
騒動、さらには親子の間にキレツを入れる原因となる。くれぐれも、ご注意!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●暴論は疑う

++++++++++++++

子育ての世界には、暴論と
呼ばれるメチャメチャな
育児法がある。

そうした暴論には、みなさん、
くれぐれも、ご注意!

++++++++++++++

 少し前、子どもの不登校や情緒障害を、怒鳴り散らして「治す(?)」という指導者がい
た。テレビでも何度か紹介されたことがあるが、ただただ(?)クェスチョンマークだけ
が並ぶような指導法だった。

 ときとしてこういう暴論が、世間をにぎわす。少し前には、Tヨットスクールというの
があった。死者まで出す、めちゃめちゃな指導法だったが、当初は、マスコミにも取りあ
げられ、結構話題になった。
 
 私はずっと子育てや、育児論を最前線で見てきたが、結論はただひとつ。「暴論は疑う」
だ。

 子どもの心は、ときとしてガラス箱のように、デリケートでこわれやすい。そしてこわ
れた心は、こわれたガラス箱のように、簡単には、もとに戻らない。それこそ一年単位の
時間と努力が必要。それを数回、怒鳴っただけで治す(?)とは! 私もその指導者が書
いた本を、二冊買って読んだが、正直言って、「?」の本だった。一冊は、自分が高校生の
とき、父親の車を盗んで、無免許で乗り回したとか、そういう話が書いてあった。つまり
「そういう経験が、今、役にたっている」と。

 それ以上のことは私にはわからないので、反論のしようがないが、子育てには、近道も
抜け道もない。あるとすれば、あなたがそこにいて、子どもがそこにいるという事実。そ
の事実だけを冷静に見つめて、子育てをすればよい。仮に子どもに問題があったとしても、
「なおそう」とか、「なおしてやろう」とか、さらには、「なおさなければ」と思う必要は
ない。今ある事実を、あるがままに受け入れて、その中で、あなたとあなたの子どもの人
間関係をつくればよい。

 つぎの原稿は、こうした暴論について書いたもの。

+++++++++++++++++++++++

(暴論1)

スパルタ方式への疑問

 スパルタ(古代ギリシアのポリスのひとつ)では、労働はへロットと呼ばれた国有奴隷
に任せ、男子は集団生活を営みながら、もっぱら軍事教練、肉体鍛錬にはげんでいた。そ
のきびしい兵営的な教育はよく知られ、それを「スパルタ教育」という。

 そこで最近、この日本でも、このスパルタ教育を見なおす機運が高まってきた。自己中
心的で、利己的な子どもがふえてきたのが、その理由。「甘やかして育てたのが原因」と主
張する評論家もいる。しかしきびしく育てれば、それだけ「子どもは鍛えられる」と考え
るのは、あまりにも短絡的。あまりにも子どもの心理を知らない人の暴論と考えてよい。
やり方をまちがえると、かえって子どもの心にとりかえしのつかないキズをつける。

 むしろこうした子どもがふえたのは、家庭教育の欠陥と考える。(失敗ではない!)その
欠陥のひとつは、仕事第一主義のもと、家庭の機能をあまりにも軽視したことによる。た
とえばこの日本では、「仕事がある」と言えば、男たちはすべてが免除される。子どもでも、
「宿題がある」「勉強する」と言えば、家での手伝いのすべてが免除される。こうした日本
独特のおかしさは、外国の子育てと比較してみると、よくわかる。ニュージラーンドやオ
ーストラリアでは、子どもたちは学校が終わり家に帰ったあとは、夕食がすむまで家事を
手伝うのが日課になっている。こういう国々では、学校の宿題よりも、家事のほうが優先
される。が、この日本では、何かにつけて、仕事優先。勉強優先。そしてその一方で、生
活は便利になったが、その分、子どものできる仕事が減った。

私が「もっと家事を手伝わせなさい」と言ったときのこと、ある母親は、こう言った。「何
をさせればいいのですか」と。聞くと、「掃除は掃除機でものの一〇分ですんでしまう。
料理も、電子レンジですんでしまう。洗濯は、全自動。さらに食材は、食材屋さんが届
けてくれます」と。こういうスキをついて、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。で、こ
こからが問題だが、ではそういう形でドラ息子、ドラ娘になった子どもを、「なおす」こ
とができるか、である。

 が、ここ登場するのが、「三つ子の魂、一〇〇まで」論である。実際、一度ドラ息子、ド
ラ娘になった子どもをなおすのは、容易ではない。不可能に近いとさえ言ってもよい。そ
れはちょうど一度野性化した鳥を、もう一度、カゴに戻すようなものである。戻せば戻し
たで、子どもはたいへんなストレスをかかえこむ。本来なら失敗する前に、その失敗に気
づかねばならない。が、乳幼児期に、さんざん、目いっぱいのことを子どもにしておき、
ある程度大きくなってから、「あなたをなおします」というのは、あまりにも親の身勝手と
いうもの。子どもの問題というより、日本人が全体としてかかえる問題と考えたほうがよ
い。だから私は「欠陥」という。いわんやスパルタ教育というのは! もしその教育をし
たかったら、親は自分自身にしてみることだ。子どもにすべき教育ではない。

+++++++++++++++++++++++

(暴論2)

「親だから」という論理

 先日テレビを見ていたら、一人の評論家(五五歳くらい)が、三〇歳前後の若者を叱責
している場面があった。三〇歳くらいの若者が、「親を好きになれない」と言ったことに対
して、その評論家が、「親を好きでないというのは、何ということだ! お前は産んでもら
ったあと、だれに言葉を習った! (その恩を忘れるな!)」と。それに対して、その若者
は額から汗をタラタラと流すだけで、何も答えられなかった(〇二年五月)。

 私はその評論家の、そういう言い方は卑怯(ひきょう)だと思う。強い立場のものが、
一方的に弱い立場のものを、一見正論風の暴論をもってたたみかける。もしこれが正論だ
とするなら、子どもは親を嫌ってはいけないのかということになる。親子も、つきつめれ
ば一対一の人間関係。昔の人は、「親子の縁は切れない」と言ったが、親子の縁でも切れる
ときには切れる。切れないと思っているのは、親だけで、親はその幻想の上に安住してい
るだけ。そのため子どもの心を見失うケースはいくらでもある。仕事第一主義の夫が、妻
に向かって、「お前はだれのおかげでメシを食っていかれるか、それがわかっているか!」
と言うのと同じ。たしかにそうかもしれないが、夫がそれを口にしたら、おしまい。親に
ついていうなら、子どもを育て、子どもに言葉を教えるのは、親として当たり前のことで
はないか。

 日本人ほど、「親意識」の強い民族は、そうはいない。たとえば「親に向かって何だ」と
いう言い方にしても、英語には、そういう言い方そのものがない。仮に翻訳しても、まっ
たく別のニュアンスになってしまう。少なくとも英語国では、子どもといえども、生まれ
ながらにして対等の人間としてみる。それに子育てというのは、親から子への一方的なも
のではない。親自身も、子育てをすることにより、育てられる。無数のドラマもそこから
生まれる。人生そのものがうるおい豊かなものになる。

私は今、三人の息子たちの子育てをほぼ終えつつあるが、私は「育ててやった」という
意識はほとんどない。息子たちに向かって、「いろいろ楽しい思い出をありがとう」と言
うことはあっても、「育ててやった」と親の恩を押し売りするようなことは絶対にない。
そういう気持ちはどこにもないと言えばウソだが、しかしそれを口にしたら、おしまい。

 私は子どもたちからの恩返しなど、はじめから期待していない。少なくとも私は自分の
息子たちには、意識したわけではないが、無条件で接してきた。むしろこうして子育ても
終わりに近づくと、できの悪い父親であったことを、わびたい気持ちのほうが強くなって
くる。いわんや、「親孝行」とは? 自分の息子たちが私に孝行などしてくれなくても、私
は一向に構わない。「そんなヒマがあったら、前向きに生きろ」といつも、息子たちにはそ
う教えている。この私自身が、その重圧感で苦しんだからだ。

 私はそんなわけで、先の評論家の意見には、生理的な嫌悪感を覚えた。ぞっとするよう
な嫌悪感だ。しばらく胸クソの悪さを消すのに苦労した。

++++++++++++++++++++++++

(暴論3)(少し前に掲載した原稿です)

子どもにはナイフを渡せ!

●墓では人骨を見せろ?

 ある日、一人の母親(三〇歳)が心配そうな顔をして私のところへやってきた。見ると
一冊の本を手にしていた。日本を代表するH大学のK教授の書いた本だった。題は「子ど
もにやる気を起こす法」(仮称)。

 そしてその母親はこう言った。「あのう、お墓で、故人の遺骨を見せたほうがよいのでし
ょうか」と。私が驚いていると、母親はこう言った。「この本の中に、命の尊さを教えるた
めには、お墓へつれていったら、子どもには遺骨を見せるとよい」と。その本にはほかに
もこんなことが書いてあった。

●遊園地で子どもを迷子にさせろ?

 親子のきずなを深めるためには、遊園地などで、子どもをわざと迷子にさせてみるとよ
い。家族のありがたさを教えるために、子どもは、二、三日、家から追い出してみるとよ
い、など。本の体裁からして、読者対象は幼児をもつ親のようだった。が、きわめつけは、
「夫婦喧嘩は子どもの前でするとよい。意見の対立を教えるのによい機会だ」と。これに
はさすがの私も驚いた。

●子どもにはナイフをもたせろ?

 その一つずつに反論したいが、正直言って、あまりのレベルの低さに、どう反論してよ
いかわからない。その前後にこんなことを書く別の評論家もいた。「子どもにはナイフを渡
せ」と。「子どもにナイフを渡すのは、親が子どもを信じている証(あかし)になる」と。
そのあとしばらくしてから、関東周辺で、中学生によるナイフ殺傷事件がつづくと、さす
がにこの評論家は自説をひっこめざるをえなかったのだろう。ナイフの話はやめてしまっ
た。しかし証拠は残った。その評論は、日本を代表するM新聞社の小冊子として発行され
た。その小冊子は今も私の手元にある。

●ゴーストライターの書いた本

 これはまた元教師の話だが、数一〇万部を超えるベストセラーを何冊かもっている評論
家がいた。彼の教育論も、これまたユニーク(?)なものだった。「子どもの勉強に対する
姿勢は、筆箱の中を見ればわかる」とか、「たまには(老人用の)オムツをして、幼児の気
持ちを理解することも大切」とかなど。「筆箱の中を見る」というのは、それで子どもの勉
強への姿勢を知ることができるというもの。たしかにそういう面はあるが、しかしそうい
うスパイのような行為をしてよいものかどうか? そう言えば、こうも書いていた。「私は
家庭訪問のとき、必ずその家ではトイレを借りることにしていた。トイレを見れば、その
家の家庭環境がすべてわかった」と。たまたま私が仕事をしていたG社でも、彼の本を出
した担当者がいたので、その担当者に話を聞くと、こう教えてくれた。

 「ああ、あの本ね。実はあれはあの先生が書いた本ではないのですよ。どこかのゴース
トライターが書いてね、それにあの先生の名前を載せただけですよ」と。そのG社には、
その先生専用のライター(担当者)がいて、そのライターがその評論家のために原稿を書
いているとのことだった。もう二〇年も前のことだが、彼の書いた(?)数学パズルブッ
クは、やがてアメリカの雑誌からの翻訳ではないかと疑われ、表に出ることはなかったが、
出版界ではかなり話題になったことがある。

●タレント教授の出世術

 先のタレント教授は、つぎのようにして本を書く。まず外国の文献を手に入れる。それ
を学生に翻訳させる。その翻訳を読んで、あちこちの数字を適当に変えて、自分の原稿に
する。そして本を出す。こうした手法は半ば常識で、私自身も、医学の世界でこのタイプ
のゴーストライターをした経験があるので、内情をよく知っている。

 こうした常識ハズレな教授は、決して少数派ではない。数年前だが私がH社に原稿を持
ちこんだときのこと、編集部の若い男は遠慮がちに、しかしどこか人を見くだしたような
言い方で、こう言った。「あのう、N大学のI名誉教授の名前でなら、この本を出してもい
いのですが……」と。もちろん私はそれを断った。

が、それから数年後のこと。近くの本屋へ行くと、入り口のところでH社の本が山積み
になっていた。ワゴンセールというのである。見ると、その中にはI教授の書いた(?)
本が、五〜六冊あった。手にとってパラパラと読んでみたが、しかしとても八〇歳を過
ぎた老人が書いたとは思われないような本ばかりだった。漢字づかいはもちろんのこと、
文体にしても、若々しさに満ちあふれていた。

●インチキと断言してもよい

 こうしたインチキ、もうインチキと断言してよいのだろうが、こうしたインチキは、こ
の世界では常識。とくに文科系の大学では、その出版点数によって教官の質が評価される
しくみになっている。(理科系の大学では論文数や、その論文が権威ある雑誌などでどれだ
け引用されているかで評価される。)だから文科系の教官は、こぞって本を出したがる。そ
ういう慣習が、こうしたインチキを生み出したとも考えられる。が、本当の問題は、「肩書
き」に弱い、日本人自身にある。

●私の反論

 私は相談にやってきた母親にこう言った。「遺骨なんか見せるものではないでしょ。また
見せたからといって、生命の尊さを子どもが理解できるようにはなりません」と。一応、
順に反論しておく。

 生命の尊さは、子どものばあいは死をていねいに弔うことで教える。ペットでも何でも、
子どもと関係のあったものの死はていねいに弔う。そしてその死をいたむ。こうした習慣
を通して、子どもは「死」を知り、つづいて「生」を知る。

 また子どもをわざと遊園地で迷子にしてはいけない。もしそれがいつか子どもにわかっ
たとき、その時点で親子のきずなは、こなごなに破壊される。またこの種のやり方は、方
法をまちがえると、とりかえしのつかない心のキズを子どもに残す。分離不安にさえなる
かもしれない。親子のきずなは、信頼関係を基本にして、長い時間をかけてつくるもの。
こうした方法は、子育ての世界ではまさに邪道!

 さらに子どもを家から二、三日追い出すということが、いかに暴論かはあなた自身のこ
ととして考えてみればよい。もしあなたの子どもが、半日、あるいは数時間でもいなくな
ったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願だって出すかもしれない。

 最後に夫婦喧嘩など、子どもの前で見せるものではない。夫婦で哲学論争でもするなら
まだしも、夫婦喧嘩というのは、たいていは聞くに耐えない痴話喧嘩。そんなもの見せた
からといって、子どもが「意見の対立」など学ばない。学ぶはずもない。ナイフをもたせ
ろと説いた評論家の意見については、もう書いた。

●批判力をもたない母親たち

 しかし本当の問題は、先にも書いたように、こうした教授や評論家にあるのではなく、
そういうとんでもない意見に対して、批判力をもたない親たちにある。こうした親たちが
世間の風が吹くたびに、右へ左へと流される。そしてそれが子育てをゆがめる。子どもを
ゆがめる。

++++++++++++++++++++++

 こうした暴論がなぜ生まれるか。その背景には、独断と独善がある。だからといって、
私の意見が正論とは思わないが、私のばあい、すべての授業を公開することで、つまりい
つも親の視線と監視のもとに自分の教育を置くことで、そのつど軌道修正してきた。いま
だかって、非公開で授業をしたことはないし、参観を断ったことがない。これは教育を組
みたてるときには、たいへん重要なことだと思う。あえていうなら、世間的な常識の注入
ということになる。これがないと、教育者も評論家も、軌道を踏みはずすことになる。理
由は、簡単。英語でも、教師のことを、「子どもの王(King of Kids)」という。つまり
独裁者。世間的な常識の注入がないと、その独裁者になりやすい。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●相撲(すもう)

++++++++++++++

4年前だが、相撲について書いた
原稿が、これ。

今、読みかえしてみると、
「ますます、そうだ」と
思える点が多い。

++++++++++++++

 私は子どものころ、相撲が大好きだった。私だけではない。日本中が、大好きだった。
テレビで相撲の中継が始まると、みな、テレビの前に集まった。相撲は、まさに日本の国
技だった。

 しかしそれから五〇年。この模様は、すっかり変わった。今では、子どもでも、相撲を
見る子どもは、ほとんどいない。実のところ、私も、この三〇年、ほとんど見ていない。
何がどう変わったのかは知らないが、興味をなくした。

 そういう中、先日、横綱のT関が、引退した。そのニュースは、NHKの昼の定時ニュ
ースのトップで、報じられた(〇三年一月)。私は時計を見ていたが、そのニュースだけで
六分間! そしてそのあと、怒涛のように、T関のニュース、またニュース。NHKでも、
その夜、T関の特集を組んで報道していた。

 しかし、だ。たかが横綱が引退したくらいのことで、そんなに大騒ぎしなければならな
いのだろうか。常識で考えても、おかしい。「国技」ということはわかるが、それほどまで
に国技にこだわらなければならない理由など、どこにもない。たとえば今は、冬場所だが、
BS放送でも、午後一時前後から、夕方六時前後まで、実況中継している。毎日、五時間
である! NHKと日本相撲協会の関係は、きわめて深い。どう深いかは、また別のとこ
ろで書くとして、何ともうさん臭いものを感ずる。

で、その結果、相撲業界の裏では、億単位の現金が乱舞しているという。ときどきマス
コミにも漏れ、そのつど話題になるが、そういうのはまさに氷山の一角? 数年前だが、
「金による八百長は、日常茶飯事」と暴露した、元力士もいた。

 私は何も、相撲の実況中継に反対しているのではない。しかし「程度」というものがあ
る。今、日本人の何%の人が、そういう実況中継を、午後一時から見たがっているのか、
一度調査してみたらよい。報道の世界にも、需要と供給のバランスというものがあるので
はないのか。相撲の実況中継に毎日五時間も取られる分だけ、ほかの報道がなおざりにな
る。少なくとも、まだ観客がほとんどいないうちから、中継を始めなければならない理由
など、ない。ちなみに昨年(〇二年一一月場所)の観客動員数は、六割前後※(1)(読売
新聞)。どの場所も空席ばかりが目立つ、さみしい状況となっている。

 相撲は残念ながら、スポーツではない。興行である。興行である以上、金儲けが目的。
金儲けが悪いと言っているのではない。金儲けなら金儲けでよいが、だったら、そこには
一線を引くべきではないのか。こうまで国やNHKが、相撲協会を助けなければならない
理由など、ない。また、助けてはいけない。反対にスポーツというなら、もう少しわかり
やすくしてはどうか。少なくとも柔道とか、剣道のように、だ。今のやり方は、税金の使
われ方という意味においても、公平さを欠いている。少なくとも、民主的ではない。

 ……こう書くと、「相撲こそ、日本の伝統文化だ」と反論する人がいる。型、型、型でが
んじがらめになった、あの相撲を、だ。ならば、私は反対に問題にしたい。なぜ、日本人
は、こうまで「型」にこだわるのか、と。型が文化であると思い込んでいる人すら、いる。
あるいは型を守ることが、伝統文化を守ることだと錯覚している人すら、いる。しかし型
は文化ではない。文化というのは、観念をいう。考え方をいう。たとえばベネディクトは、
『菊と刀』の中で、「キリスト教的欧米文化は、罪の文化である。日本の文化は、恥の文化
である」と書いている。そういうのを文化という。

 だからといって繰りかえすが、私は相撲を否定しているのではない。それを守りたいと
いう人がいて、それを守るという人がいるなら、それはそれでよいことだ。私のような人
間がとやかく言っても始まらない。相撲によく似ているが、私も学生時代、宝生(ほうし
ょう)クラブという、謡(うたい)のクラブに入っていた。京都の能舞台で、うなったこ
ともある。それはそれで結構楽しかったし、よい思い出になっている。

 ただ私が心配するのは、型にこだわるあまり、日本人は、どうしても生きザマがうしろ
向きになりやすいということ。ときには型が、ブレーキになることもある。何かにつけて
型を決めてから行動しようとする。そのため、その分、進歩が遅れてしまう。決しておお
げさなことを言っているのではない。あの堺屋太一氏も、「(日本の社会)は、厳しい新規
参入の制限、伝統的様式による規格化、独占の管理機構(日本相撲協会)という、市場原
理の働かない(相撲型社会である)」(講談社刊「大変な時代」)と書いている。堺屋氏は
相撲型社会を決して、ほめているのではない。「このままでは日本はダメになる」と警告し
ているのである。

教育の世界とて、例外ではない。たとえば文字の、トメ、ハネ、ハライがある。その上、
書き順まである。こういうものに子どもたちは神経をすり減らしているから、文字を書
いて考えたり、自分を表現したりすることが、どうしてもなおざりになってしまう。恐
らく世界でも、もっとも思考能力のない民族はといえば、私たち日本人ではないのか。
ロンドン大学の森嶋名誉教授も、そう書いている。「(日本の学生は)、自分で考え、判断
する訓練が、もっとも欠如している※(2)」と。

 相撲から文化論、さらには教育論にまで、話が飛躍してしまったが、NHKや日本相撲
協会が、必死になって、観客需要をつくろうとしても、それは無理というもの。なぜなら、
それを決めるのは、一部の指導者ではなく、私たち民衆だからである。いくら「相撲はお
もしろぞ」と私たちを扇動しようとしても、私たちが「おもしろくない」と思えば、それ
までのこと。その意識そのものが、まさに文化ということになる。

 冒頭にも書いたように、私も子どものころは、相撲が大好きだった。そういう私でも、
このところ相撲が低調ということについて、それほど悲しいという思いはない。理由のひ
とつとして、金まみれのスキャンダルがつづいたこと。今の今でも、ここにも書いたよう
に、相撲業界の裏では、億単位の現金が乱舞しているという。そういう話を聞かされるた
びに、「結局は私たちは、だれかの金儲けのために利用されただけ」という思いにかられる。
つまり私のばあい、そういう思いが消えないかぎり、再び相撲が好きになることはないと
思う。
(03−1−25)

※(1)……〇二年一一月場所、観客動員数(読売新聞調べ)
    初日     ……6310人
    二日目〜六日目……5050人〜5850人
         (満席で8720人)

※(2)……ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教
え過ぎの教
育である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考
え、横並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本
当にダメになる」(「コウとうけん」・九八年)と。

●伝統が創造されるといふのは、それが形を変化するといふことである。伝統を作り得る
ものはまた伝統を毀(こわ)し得るものでなければならぬ。(三木清「哲学ノート」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●伝統論

+++++++++++++++

保守主義者たちは、「伝統」という
言葉を使って、自分たちを正当化する。

「伝統」という言葉を口にすれば、
それですべてが解決すると
信じている。

しかし果たして、それでよいのか。

+++++++++++++++

 伝統は、それ自体は、経験の集合である。先人たちの積み重ねてきた知恵や情報が、そ
の中には、ぎっしりとつまっている。

 しかしその伝統にしばられるのは、正しくない。伝統は、いつも、よりよい伝統によっ
て置き換えられなければならない。またそうであるなら、それ以前の伝統が否定されても、
何ら悲しむべきことではない。なぜなら、伝統そのものも、無数の取捨選択の結果でしか
ないからである。相撲を例にあげて考えてみよう。

 相撲はまさに日本の伝統的スポーツ。しかしその相撲は、ある日突然現れ、そして完成
したわけではない。今に見る相撲になるまでに、無数の人たちと、無数の試行錯誤が繰り
かえされた。しかしどこかで完成されたわけではない。今の今も、その試行錯誤の過程に
あるとみるのが正しい。だとするなら、過去にこだわるあまり、「完成した」とみるのは正
しくない。改良すべき点があるなら、どんどんと改良していったらよい。

 たとえば相撲では、けがをする人が絶えない。理由は、土俵が上に盛りあがっているか
らだ。だったらなぜ、土俵を地面と同じ高さにしないのか。あるいは、ころんでもけがを
しないように、同じ高さのワクを広げてもよい。またあのマワシにしても、どうしてそれ
がパンツではいけないのか。こういう意見はどこか極論に聞こえるかもしれないが、「過程」
というのは、そういう意味である。過去にこだわりすぎるあまり、試行錯誤する過程を否
定してはいけない。

 もちろん伝統を頭から否定してはいけない。それはいわば、無数の石で積みあげられた
塔のようなもの。こわすのは、だれにだってできる。それに簡単だ。大切なことは、こわ
すならこわすで、それに代わるもの、あるいはもっとすばらしいものを用意しなければな
らない。「相撲はつまらないからやめてしまえ」と言ってはいけない。私たちが考えるべき
ことは、「どうすれば、もっとおもしろくできるか」ということ。

 もっとも相撲のばあい、「伝統」という言葉を、逆手にとって利用している面がある。「伝
統だから守ろう」という立場ではなく、「伝統だから守るべき」、さらには、「伝統だから、
ありがたく思え」というふうにである。この傲慢(ごうまん)さは、いったい、どこから
くるのか。

私はその理由の一つとして、「興行」という名のもとの「金儲け」をあげる。つまり今の
相撲は、伝統を守ろうとか、守らないとかいうレベルの話ではなく、むしろ「伝統」と
いう言葉を利用して、金儲けの道具に使われている。よい例が、外人力士たちだ。彼ら
は日本の伝統を守るために、日本へやってきて、力士になったのではない。ボランティ
ア精神など、みじんもない。あくまでも、金儲けだ。わかりやすいと言えばわかりやす
いが、そのわかりやすい分だけ、そこに不純なものが、にじみ出てくる。その不純なも
のを、おおい隠すために、むしろ「伝統」という言葉が利用されている。

 だったら、なぜ、相撲を、もっと前向きにとらえないのか。柔道や空手のように、国際
的なスポーツにするという方法もある。少なくとも、組織まで、かたくなに守らねばなら
ないという理由はない。もっとも組織にメスを入れたら、その組織の中で安穏としていた
人には、大打撃になる。だから当然のことながら抵抗するだろう。つまりその抵抗の道具
として、ここでも「伝統」という言葉が利用されている。

 こうした例は、日本の中に、無数に残っている。相撲だけではない。伝統という言葉を
利用して、既得権を守る。排他的になる。独善的になる。そして改革をこばむ。三木清(哲
学者、1897−1945)は、それではいけないと言っている。彼はこう書いている。「伝
統が創造されるといふのは、それが形を変化するといふことである。伝統を作り得るもの
はまた伝統を毀(こわ)し得るものでなければならぬ」(「哲学ノート」)と。つまり伝統と
いうのは、形を変え、また壊しうるものでなければならない、と。

 私たち日本人は、「伝統」という言葉にあまりにも、おびえすぎているのではないのか。
あるいは、子どものときから、ことあるごとに、そう洗脳されつづけてきた? あなたも
子どものころ、学校や近隣で、耳にタコができるほど、「伝統を守ろう」という言葉を聞か
されてきたと思う。そしてその結果、ちょうどどこかの宗教団体の信者が、本尊におびえ
るように、「伝統」という言葉におびえるようになってしまった? しかし何も恐れること
はない。もし今までの伝統より、すばらしいものを用意できるなら、その伝統にこだわる
必要はない。またこだわってはいけない。

 そこでここでの結論として、私はこう考える。

 伝統とは、それ自体が、伝統の種である。種であるから、心のどこかにまいてこそ、意
味がある。やがて実をつけることができる。決してその種を手の中で、握ったままにして
おいてはいけない。握ったままにすれば、腐るだけ。腐って滅びるだけ。
(03−1−25)


Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司

●自然教育

+++++++++++++++

自然教育は、どうあるべきか。
その前に、「自然」を、私たちは、
どう考えたらよいのか?

+++++++++++++++

 地球温暖化の問題は、年々、深刻さをましている。しかしこういう言い方は、ほかの国
の人たちには失礼かもしれないが、日本ほど、ラッキーな国はない。

 四方を海に囲まれ、しかも中央には、三〇〇〇メートル級の山々を連ねている。これか
ら先、地球温暖化の問題が起きてくるとしても、日本に被害がおよぶのは、最後の最後。
海面上昇にしても、また水不足にしても、当面は心配ない。が、油断してはいけない。そ
のひとつ。食料とエネルギーの確保。

 ……というようなことは、私が書いても意味がない。そこでここでは、もう一歩、先に
話を進める。

 いろいろ誤解があるようだが、世界の中でも、日本人ほど、自然に対して破壊的な民族
は、そうはいない。よく「日本人は自然を愛する民族だ」というが、これはウソ。日本に
緑が多いのは、たまたま放っておいても緑だけは育つという、恵まれた環境だからにほか
ならない。

 つぎに「自然を大切にしましょう」と、声高に叫ぶのは勝手だが、その「自然」がやさ
しいのは、ごく限られた国々でしかない。たとえばアラブの、つまり砂漠の国々へ行って、
「自然を大切に」などと言おうものなら、「お前、アホか!」と言われる。ほとんどの国で
は、自然というのは、人間が戦うべき「脅威」ということになっている。つまり、これら
の点でも、日本は、本当にラッキーな国である。

 しかしもともと日本人は、自然に対して、受け身の民族であった。が、その姿勢が大き
く変化したのは、戦後のことである。それについて書いたのが、つぎのエッセー。

+++++++++++++++++++++++

この私の自然論は、
少し難解なため
興味のある方だけ、
お読みください。

+++++++++++++++++++++++

自然論

 フランシス・ベーコン(1561−1626、イギリスの哲学者)は、「ノーヴェム・オ
ルガヌム」の中で、こう書いている。「まず、自然に従え。そして自然を征服せよ」と。こ
のベーコンの自然論の基本は、人間と自然を、相対した関係に置いているというところ、
つまり人間がその意識の中で、自然とは別の存在であると位置づけているところにある。

それまでのイギリスは、ある意味で自然に翻弄されつづけていたとも言える。つまりベ
ーコンは、人間の意識を自然から乖離(かいり)させることこそが、人間の意識の確立
と考えた※。この考えは、その後多くの自然科学者に支持され、そしてそれはその後さ
らに、イギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには1740年ごろから始まった産
業革命の原動力となっていった。

 一方、ドイツはまったく別の道を歩んだ。ベーコンの死後から約100年後に生まれた
ゲーテ(1749−1832)ですら、こう書き残している。「自然は絶えずわれわれと語
るが、その秘密を打ち明けはしない。われわれは常に自然に働きかけ、しかもそれを支配
する、何の力ももっていない」(「自然に関する断片」)と。さらにこうも言っている。「神
と自然から離れて行動することは困難であり、危険でもある。なぜなら、われわれは自然
をとおしてのみ、神を意識するからである」(「シュトラースヴェルグ時代の感想」)と。

ここでゲーテがいう「神」とは、まさに「自己の魂との対面」そのものと考えてよい。
つまり自己の魂と対面するにしても、自然から離れてはありえないと。こうしたイギリ
スとドイツの違いは、海洋民族と農耕民族の違いに求めることもできる。海洋民族にと
って自然は、常に脅威であり、農耕民族にとっては自然は、常に感嘆でしかない。海洋
民族にとっては自然は、常に戦うべき相手であり、農耕民族にとっては自然は、常に受
け入れるべき相手でしかない。が、問題は、イギリスでも、ドイツでもない。私たち日
本人はどうだったかということ。

 日本人は元来農耕民族である。ドイツと違う点があるとするなら、日本は徳川時代とい
う、世界の歴史の中でも類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治を体験したということ。その
ためその民族は、限りなく従順化された。日本人独特の隷属的な相互依存性はこうして説
明されるが、それに反してイギリス人は、人間と自然を分離し、人間が自然にアクティブ
に挑戦していくことを善とした。ドイツ人はしかし自然を受け入れ、やがてやってくる産
業革命の息吹をどこかで感じながらも、自然との同居をめざした。

ドイツ人が「自然主義」を口にするとき、それは、自然への畏敬の念を意味する。「自然
にあるすべてのものは法とともに行動する」「大自然の秩序は宇宙の建築家の存在を立証
する」(「断片」)と書いたカント(1724−1804)に、その一例を見ることができ
る。一方、日本人は、自然を従うべき相手として、自らを自然の中に組み入れてしまっ
た。その考えを象徴するのが、長岡半太郎(1865−1950)である。物理学者の
彼ですら、こんな随筆を残している。「自然に人情は露ほども無い。之に抗するものは、
容赦なく蹴飛ばされる。之に順ふものは、恩恵に浴する」と。

日本人は自然の僕(しもべ)になることによって、自然をその中に受け入れるというき
わめてパッシブな方法を選んだ。が、この自然観は、戦後、アメリカ式の民主主義が導
入されると同時に、大きく変貌することになる。その象徴的なできごとが、田中角栄元
首相(1972年・自民党総裁に就任)の「日本列島改造論」(都市政策大綱、新全総、
国土庁の設置、さらには新全総総点検作業を含む)である。

 田中角栄氏の無鉄砲とも思える、短絡的な国家主義が、当時の日本に受け入れられたの
は、「展望」をなくした日本人の拝金思想があったことは、だれも疑いようがない。しかし
これは同時に、イギリスからアメリカを経て日本に導入されたベーコンイズムの始まりで
もあった。日本人は自らを自然と分離することによって、その改造論を正当化した。それ
はまさに欧米ではすでに禁句となりつつあった、ハーヴェィズム(「文明とは、要するに自
然に対する一連の勝利のことである」とハーヴェィ※2は説いた)の再来といってもよい。

日本人の自然破壊は、これまた世界の歴史でも類をみないほど、容赦ないものであった。
それはちょうどそれまでに鬱積していた不満が、一挙に爆発したかのようにみえる。だ
れもが競って、野や山を削ってそれをコンクリートのかたまりに変えた。たとえば埼玉
県のばあい、昭和三五年からの四〇年間だけでも、約二九万ヘクタールから、約二一万
ヘクタールへと、森林や農地の約三〇%が消失している※3。田中角栄氏が首相に就任
した1972年以来、さらにそれが加速された。(イギリスにおいても、ベーコンの時代
に深刻な森林の減少を経験している。)そこで台頭したのが、自然調和論であるが、この
調和論とて、ベーコンイズムの変形でしかない。基本的には、人間と自然を対照的な存
在としてとらえている点では、何ら変わりない。そこで私たちがめざすべきは、調和論
ではなく、ベーコンイズムの放棄である。そして人間を自然の一部として再認識するこ
とである。私が好きな一節にこんなのがある。ファーブルの「昆虫記」の中の文章であ
る。

「人間というものは、進歩に進歩を重ねたあげくの果てに、文明と名づけられるものの
行き過ぎによって自滅して、つぶれてしまう日がくるように思われる」と。

ファーブルはまさにベーコンイズムの限界、もっと言えばベーコン流の文明論の限界を
指摘したともいえる。言い換えると、ベーコンイズムの放棄は、結局は自然救済につな
がり、かつ人間救済につながる。人間は自然と調和するのではない。人間は自然と融和
する。そして融和することによってのみ、自らの存在を確立できる。自然であることの
不完全、自然であることの不便さ、自然であることの不都合を受け入れる。そして人間
自身もまた、自然の一部であることを認識する。たとえば野原に道を一本通すにしても、
そこに住む生きとし生きるすべての動植物の許可をもってする。そういう姿勢があって
こそ、人間は、この地球という大自然の中で生き延びることができる。
 
※……ベーコンは「知識は力である」という有名な言葉を残している。「ベーコンは、ル
ネッサンス以来、革新的な試行に哲学的根拠を与えた人物としても知られ、『自然科学
の主目的は、人生を豊かにすることにある』とし、その目標を『自然を制御し、操作す
ること』においた。この哲学が、自然科学のイメージを高め、将来における科学の応用、
さらには技術や工学の可能性を探求するための哲学的根拠となった」(金沢工業大学蔵
書目録解説より)。

※2……ウィリアム・ハーヴェイ(1578−1657)、医学会のコペルニクスとも言

われる人物。彼は「自然の支配者であり、所有者としての役割は、人類に捧げられたも

のである」と説いた。

※3……埼玉県の「森林および農地」は、昭和35年に296・224ヘクタールであっ
たが、平成11年現在は、211・568ヘクタールになっている(「彩の国豊かな自然環
境づくり計画基礎調査解説書」平成九年度版)。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    4月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の愛情不足?

++++++++++++++

ある講演会場で、1人の父親が、
こんな質問をしてきた。

++++++++++++++

Q:私がテレビを見ていると、四歳の娘がすぐひざの上にのってきます。どう対処したら
いいでしょうか。(父親、IセンターA保育園での講演後の質問より)

A:よく誤解されるが、親に愛情がないから、子どもが愛情不足の症状(欲求不満など)
を示すのではない。子ども側から、働きかけがあり、そのとき、親が拒否的な態度に出た
りすると、子どもは愛情不足の症状を示すようになる。もう少しわかりやすく説明すると、
こうなる。

 親子の愛情(たがいの愛着行動)は、相互的なものである。親は子どもに対して、愛着
行動を示す。たとえば子どもを抱きあげ、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするの
がそれ。一方、ここで重要なのは、子どもも、親に対して愛着行動を示すということ。

最近の研究では、生まれたばかりの新生児ですら、親に対して、愛着行動を働きかけて
いることがわかっている(イギリス、ボウルビー、ケンネル※)。親に微笑みかけたり、
手足をバタつかせたり、あるいは泣いて甘えたりするなど。

 この子どもからの愛着行動の働きかけがあったとき、親がそれを受け止めてやるかやら
ないかで、愛情不足かどうかが決まる。つまりこのとき、子どもの側から見て、それを親
に受けいれてもらえないとき、その時点で、子どもは「不満足感」を、欲求不満症状に変
える。このことは、つぎの点で重要な意味をもつ。

(愛情表現)

子どもを抱きながら、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするのは、ここにも書い
たように、親側から子どもへの愛着行動ということになる。しかしそのとき、子どもが
それを望んでいないとしたら、子ども側からみれば、それは迷惑な行為ということにな
る。親は、「子どもは喜んでいるハズ」「うれしがっているハズ」と考えてそうするが、
それは親の身勝手というもの。またそういうことをしたからといって、子どもが満足し
たり、深い親の愛を感ずるということにはならない。それがわからなければ、あなた自
身のことで考えてみればよい。

 もしあなたが妻で、今、部屋を掃除していたとする。そのとき夫がうしろからやってき
て、あなたにその気もないのに、あなたを抱き、「愛している、愛している」と、体中をさ
わり始めたとする。そのとき、あなたは夫に愛されていると感じ、それを喜ぶだろうか。
喜ぶ人もいるかもしれないが、しかし大半は、それを迷惑に思うに違いない。

 しかしあなたが反対に、体の中に燃えるものを感じ、それとなく夫の体に触れたとする。
そのときあなたの夫が、「うるさいな……」というような表情をして、あなたの体を払いの
けたとする。つまり夫に拒否されたとする。そのときあなたはどう感ずるだろうか。

 つまり子どもも同じで、子どもが愛情不足を感ずるのは、子ども側から何かの働きかけ
をし、それが親に拒否されたときである。言いかえると、子どもが何らかの形で、親に対
して愛着行動の働きかけがあったときこそ、親側の愛情表現の見せどころということにな
る。いくつかの例で考えてみる。

●子どもが親のひざの上に座ろうとするとき
●子どもが親に甘え、体をすりよせてくるとき
●子どもがぐずり、わけのわからないことを言って、ダダをこねるとき
●何か新しいことができるようになて、それを親に見せにきたようなとき

こうした働きかけは、必ずしも平和的なものばかりではない。中には、わざと親を困ら
せたり、あるいは攻撃的、暴力的な方法で表現する子どももいる。こういうときどのよ
うに対処したらよいかは、また別に考えるとして、基本的には、子どもの心を大切に受
け止めてあげること。つまり相談(冒頭)のケースでは、父親は、ある程度子どもが満
足するまで、そのままの姿勢を保つのがよい。

 というのも、こうしたケースでは、子どもが親のひざに抱かれたいと思うのは、あくま
でも症状とみる。もっと言えば、情緒を安定させるための、代償行為と考える。だからこ
の段階で、父親が、娘を拒否すれば、その時点で、子どもの情緒は一挙に不安定になる。
言いかえると、子どもはこうした代償行為(よく知られた例に、指しゃぶりなどがある)
を繰りかえすことで、自分の情緒を安定させようとする。もっと言えば、「なぜ抱かれてく
るか」という原因をさぐってみることこそ大切。その原因を放置したまま、症状だけを攻
撃しても意味はない。それはたとえて言うなら、肺炎で熱を出して苦しんでいる子どもに、
「熱をさます」という理由で、水をかけるようなもの。

(愛情は量ではなく質)

よく「私は子どもを愛せない」と悩む親がいる。しかし問題は、愛せないことではない。
問題は、子どもが親に対して何らかの愛着行動を働きかけてきたとき、それに答えるこ
とができるかどうかである。つまりその答え方ができれば、それでよし。しかしそれが
できないときに、問題が起きる。たとえば子どもが、母親の服のゾデを引っぱりながら、
「ママ〜」と甘えてきたとする。そのとき大切なのは、その瞬間だけでもよいから、子
どもの甘えを受け止めてあげること。そして子どもの側からみて、「絶対的な安心感」を
覚えられるような状態にすること。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という
意味。

 そういう意味では、愛情は、量の問題ではなく、質の問題である。ベタベタの愛情が、
好ましいわけではない。先にも書いたように、親側の一方的な愛情は、子どもにとっては、
迷惑ですらある。つまり愛情が多いからよいというのでも、また少ないから悪いというの
でもない。要は、子どもがそれで安心感を得られるかどうかである。その点だけ注意すれ
ば、「子どもを愛していない」ということに悩む必要はない。(愛していれば、それに越し
たことはないが……。)

 結論から言えば、子どもが親のひざのなかに入ってきて、甘えるしぐさを見せたら、子
どもがある程度満足するまで、抱いてあげる。子どもにとって、父親のひざは、まさにい
こいの場。体を休め、心をいやす場。それだけではない。親子の情愛も、それで深めるこ
とができる。また親の立場からしても、子どもの体のぬくもりを感ずることは、とても大
切なことである。こういう時期は、その渦中にいると、長く見えるが、終わってみると、
あっという間のできごと。あとあと人生の中で、光り輝くすばらしい瞬間となる。だから
そういう時期は、そういう時期として、子育てとは別に、大切にしたらよい。

※……母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これ
よく知られた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」が
あることがわかってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互
作用が、新生児の発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情
緒的、精神的欠陥が現れるという。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ふつうこそ、最善

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ふつうこそ、最善。
ふつうの価値は、それをなくしたとき、
はじめて、知る。

賢い人は、それをなくす前に知る。
愚かな人は、なくしてから、知る。

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 ふつうに生きて、ふつうに生活する。子どももふつうなら、その子育ても、またふつう。
賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づき、愚かな人は、なくしてから気づく。

 そう、それは健康論に似ている。健康も、それをなくしてはじめて、その価値に気づく。
それまではわからない。私も少し前、バイクに乗っていて、転倒し、足の腱を切ったこと
がある。そのため、歩くことそのものができなくなった。その私から見ると、スイスイと
歩いている人が信じられなかった。「歩く」という何でもない行為が、そのときほど、それ
までとは違って見えたことはない。

 子育ても、また同じ。その子育てには、苦労はつきもの。だれだって苦労はいやだ。で
きるなら楽をしたい。しかしその苦労とて、それができなくなってはじめて、その価値が
わかる。平凡は美徳だが、その平凡からは何も生まれない。あとで振りかえって、人生の
中で光り輝くのは、平凡であったことではなく、苦労を乗り越えたという実感である。

 今は冬で、風も冷たい。夜などは、肌を切るような冷たさを感ずる。自転車通勤には、
つらい。苦労といえば苦労だが、一方で、その結果として健康というものがあるなら、そ
れは喜びに変わる。楽しみに変わる。要は、その価値に、いつ気がつくかということ。

こんなことを書くと、その苦労の渦中にいる親たちに、叱られるかもしれない。「人の苦
労も知らないくせに。言うだけなら、だれにだって言える」と。しかしこれだけは頭に
入れておくとよい。

子育てに夢中になっているときは、時の流れを忘れることができる。あるいは子どもの
成長を望みながら、時が流れていくのを納得することができる。「早くおとなになれ」と
望みながら、同時に自分が歳をとっていくのを、あきらめることができる。しかしその
子育てが終わると、とたんに、そこに老後が待っている。そうなると今度は、時の流れ
が、容赦なく、あなたを責め始める。「何をしているんだ!」「時間がないぞ!」と。そ
れは恐ろしいほどの重圧感と言ってもよい。

 私は、今、三人の息子たちに、ときどきこう言う。「お前たちのおかげで、人生を楽しく
過ごすことができた。いろいろ教えられた。もしお前たちがいなかったら、私の人生は、
何と味気なく、つまらないものであったことか。ありがとう」と。私はそれを、子育てが
ほぼ終わりかけたときに気づいた。

子育てには、子育ての価値がある。そしてそれから生まれる苦労には、苦労の価値があ
る。そのときはわからない。私も、そのときはそれに気づかなかった。つまりかく言う
私も、偉そうなことは言えない。私とて、子育てが終わってからそれに気づいた、まさ
に愚かな人ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育ては目標さがし

++++++++++++

子育てをしながら、常に、
親は、目標をさがす。

子育ては、まさに目標さがし。

++++++++++++

「目標」といっても、中身はさまざま。しかし目標のない子育てほど、こわいものはな
い。そのときどきの流れの中で、流されるまま、右往左往してしまう。が、そんな状態
で、どうして子育てができるだろうか。たとえば、隣の子が水泳教室へ入った。それを
聞いて、言いようのない不安にかられた。そこで自分の子どもも、水泳教室に入れた、
と。

 目標をもつためには、まず視点を高くもつ。高ければ高いほど、よい。私はこれを『心
の地図』と呼んでいる。視点が高ければ高いほど、視野が広がる。そしてその視野が広け
れば広いほど、地図も広くなり、道に迷うことがない。

 問題は、どうすれば、その心の地図をもつことができるか、だ。それにはいつも情報に
対して、心の窓を開いておくこと。風とおしをよくしておくこと。まずいのは、自分が受
けた子育てが最善と信ずるあまり、ほかの情報を遮断(しゃだん)してしまうこと。そし
て自分だけの子ども観、教育観だけをもって、子育てをしてしまうこと

そういう点では、「私の子どものことは私が一番よく知っている」「私の子育て法は絶対、
正しい」と豪語する親ほど、子育てで失敗しやすい。この世界には、そういうジンクス
(=悪い縁起)がある。つまり心の地図を広くするためには、謙虚であればあるほど、
よい。

 そこで子育ての目標は、どこに置くか。心の地図の目的地といってもよい。ひとつのヒ
ントとして、私は、『自立したよき家庭人』をあげる。子どもを、よき家庭人として自立さ
せることこそ、まさに子育ての目標である、と。

 これについては、もうあちこちに書いてきたので、ここでは省略する。が、『自立したよ
き家庭人』という考え方は、もう世界の常識とみてよい。アメリカでも、オーストラリア
でも、カナダでも、ドイツでも、そしてフランスでも、そうだ。これらの国々については、
私が直接、確認した。フランス人の女性はこう言った。私が「具体的には、どう指導する
のですか?」と聞いたときのこと。「そんなのは、常識です」と。

 日本では、いまだに、出世主義がはびこっている。よい例がNHKのあの大河ドラマ。
歴史は歴史だから、それなりに冷静に判断しなければならない。しかしああまで封建時代
の圧制暴君たちを美化してよいものか。ああした暴君の陰で、いかに多くの民衆が苦しみ、
殺されたことか! 江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、恐怖
政治の時代だった。それを忘れてはならない。

 話はそれたが、今、日本は大きく変わりつつある。また変わらねばならない。学歴社会
から、能力社会へ。権威主義社会から、個人主義社会へ。上下社会から、平等社会へ。そ
して出世主義社会から、家族主義社会へ。

 地図を広くもつということは、そうした主義の世界にまで足を踏み入れることをいう。
そしてその地図ができれば、目的地もわかる。それがここでいう「子育ての目標」という
ことになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●限界を知る

++++++++++++++

限界を知ることは、敗北を認める
ことではない。

むしろ限界を知らない親のほうが、
こわい。子育てで失敗する確率の
ほうがずっと、高い。

++++++++++++++

 子どもの限界を知り、限界を認めることは、決して敗北を認めることではない。自分の
ことならともかくも、こと子どもについてはそうで、何が子どもを苦しめるかといって、
親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。

そんなわけで、「うちの子は、やればできるはず」と思ったら、すかさず「やってここま
で」と思いなおす。もっとはっきり言えば、「まあ、うちの子はこんなもの」とあきらめ
る。その思いっきりのよさが、子どもの心に風をとおし、子どもを伸ばす。いや、その
時点から、子どもは前向きに伸び始める。

 もちろんその限界は、親だけの秘密。子どもに向かって、「あんたは、やってここまで」
などと言う必要はない。また言ってはならない。しかし親が限界を認めると、そのときか
ら、親の言い方が変わってくる。「がんばれ、がんばれ」と言っていたのが、「よくがんば
っている、よくがんばったわね」と言うようになる。そのやさしさが、子どもを伸ばす。
子ども自身が、その限界のカベを破ろうとするからだ。それがわからなければ、自分のこ
とで考えてみればよい。

 あなたの夫が、あなたの料理を食べるたびに、「まずい、まずい」と言えば、あなただっ
てやる気をなくすだろう。あるいはあなたの妻が、あなたが仕事から帰ってくるたびに、「も
っと働きなさい」と言ったら、あなただってやる気をなくすだろう。

 もちろん子どもを伸ばすためには、ある程度の緊張感は必要。そのための、ある程度の
無理や強制は必要。それは認める。しかし限界を認めているか認めていないかで、親の態
度は大きく変わる。たとえば認めないと、親の希望は、際限なくふくらむ。「何とかB中学
に……」と思っていた親でも、子どもがB中学へ入れそうだとわかると、今度は「何とか
A中学に……」となる。一方、限界を認めると、「いいよ、いいよ、B中学で。無理するこ
とないよ」となる。

 ……こう書く理由は、今、子どもの能力を超えて、高望みする親があまりにも多いとい
うこと(失礼!)。そしてそのため子どもの伸びる芽をかえって摘んでしまう親があまりに
も多いということ(失礼!)。それだけではない。そのため、親子の絆(きずな)すら、こ
なごなに破壊してしまう親があまりにも多いということ(失礼)。さらに、行きつくところ
まで行って、はじめて気がつく親があまりにも多いということ(失礼!)。またそこまで行
かないと、気がつかない親が、あまりにも多いということ(失礼)。それを避けるためにも、
親は、できるだけ早く子どもの限界を知る。限界を認める。親としては、つらい作業だが、
その度量の深さが、親の愛の深さということになる。

(追記)今では、親に、「やればできるはず」と思わせつつ、自分の立場をとりつくろう子
どもも少なくない。ある男の子(小五)は、親の過剰期待もさることながら、親にそう期
待させながら、自分のわがままをとおしていた。

その男の子は、よい成績だけを親に見せ、悪い成績を隠した。先生にほめられたことだ
けを話し、叱られたことは話さなかった。

 私は長い間、それに気づかなかった。そこで私はある日、その男の子に、「君の力は、君
がいちばんよく知っているはず。自分の力のことを、正直にお父さんに話したら」と言っ
た。その男の子は、親の過剰期待で苦しんでいると思った。しかしその男の子は、それを
父親には言わなかった。言えば言ったで、自分の立場がなくなることを、その男の子はよ
く知っていた。

 しかし、こうした仮面は、子どもを疲れさせるだけではなく、やがて終局を迎える。仮
面がはがれたとき、同時に親子の絆(きずな)は破壊される。破壊されるというより、子
どものほうが自ら親から遠ざかる。その結果として、親子の関係は、疎遠になる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●仮面に注意

+++++++++++++++

仮面にご注意!

だれしも人前では、ある程度の
仮面をかぶるもの。
しかし仮面は、仮面。

それを脱ぎ忘れたとき、
その人は、自分を見失う。

子どもも、またしかり。

+++++++++++++++

もしあなたが「うちの子は、できのいい子だ」と思っているなら、気をつけたほうがよ
い。それは、まず、仮面と思ってよい。だいたい幼児や小学生で、「できのいい子」など、
いない。「できがいい、悪い」は、ずっとおとなになってから、それも無数の苦労を経た
結果として決まることで、幼児や小学生の段階で決まるはずもない。

 ある女の子は、小学二年生のときから、学級委員長をつとめた。勉強もよくできた。先
生の指示にもよく従った。そういう女の子を見て、母親は、「うちの子は優秀」と思いこん
だ。たしかに優秀(?)だったが、私には、気になる点がいくつかあった。小学五年生の
ときのこと。これから夏休みというとき、その女の子は、夏休み明けのテストのことを心
配していた。

私が「そんな先のことは心配してはいけない」と何度も言ったのだが、その女の子にし
てみれば、それが彼女のリズムだった。母親にも私はそう言ったが、母親はむしろそれ
を喜んでいるふうだった。「あの子は、大学の医学部へ行くと言っています。あの子の望
みをかなえさせてあげたいです」と。
 しかしその女の子は、中学へ入ると同時に、プッツンしてしまった。不登校、節食障害
(過食、拒食)、回避性障害(人に会うのを避ける)を繰りかえすうちに、自分の部屋に引
きこもるようになってしまった。

こうした例は、多い。本当に多い。しかしこういうケースとて、その途中にいる親は、そ
れに気づかない。親は、自分の子どもはすばらしいと思いこむ。そして子どもは子どもで、
親がそう思うの分だけ、仮面をかぶる。この仮面が、やがて子どもの心をゆがめる。
 もしつぎの項目のうち、あなたの子どもに思い当たることが三つ以上あれば、あなたの
子どもは、あなたの前で仮面をかぶっていると思ってよい。

(1)あなたは自分の子どもを、できのいい子だと思っている。勉強もスポーツもよくで
きる。マナーもわきまえている。人前では礼儀正しい。

(2)幼稚園や学校では、「いい子ですね」と、先生にほめられることが多い。親や先生に
指示に従順で、指示されたことを、うまくやりこなす。

(3)わがままを言ったり、大声で自己主張することもなく、一方、あなたに甘えたり、
ぐずったりすることも少なく、独立心が旺盛にみえる。

(4)ときどき何を考えているかわからないところがある。感情をストレートに表現する
ことが少ない。万事にがまん強い。

(5)ときどき子育てがこんなに楽でいいものかと思うときがある。うちの子は、このま
ま優秀なまま、おとなになっていくと思うことが多い。

 子どもが仮面をかぶっているのがわかったら、家庭のあり方をかなり反省しなければな
らない。子どもの仮面は、子どもの責任ではない。仮面をかぶらせる、親の責任である。
もちろん子ども自身の問題もある。仮面をかぶるタイプの子どもは、親にすら心を開くこ
とができない子どもとみる。しかしそれとて、新生児から乳幼児期にかけて、親子の相互
愛着行動のどこかに問題があったとみる。子どもの側からみて、満たされない愛、あるい
は大きなわだかまりや、欲求不満が、その背景にあったとみる。

 しかし過去は過去。もしあなたの子どもが、今、仮面をかぶっているようなら、まず子
どもの心を溶かすことだけを考える。言いたいことを言わせ、やりたいことをやらせる。
その時期は早ければ早いほどよい。子どもが小学生になってからだと、むずかしい。……
というより、なおすのは不可能。それがそのまま子どもの性格として、定着してしまうか
らである。そういう覚悟で、時間をかけて対処する。

 しかし本当の被害者は、仮面をかぶる子ども自身である。ある母親(三五歳)は、こう
言った。「今でも実家の父と母を前にすると、心が緊張します。ですから、実家には、二晩
連続でとまることはできません。何だかんだと理由をつけて、できるだけ日帰りで帰って
きます」と。

 この母親も、親には、ずっとできのいい娘と思われていた。今もそう思われているとい
う。そのため、「父親や母親のそばにいるだけで、心底疲れます」と。今、こういう例は、
本当に多い。

 そんなわけで、今、あなたが自分の子どもを、できの悪い、どこかチャランポランな、
いいかげんな子どもと思っているなら、むしろそれを喜んだらよい。ワーワーとうるさい
ほど自己主張し、親を親とも思わないようなことを言い、態度も大きく、ふてぶてしいな
ら、むしろそれを喜んだらいい。これは皮肉でも何でもない。本来、子どもというのは、
そういうもの。そうであるべき。またそういう前提で、子どもをみなおしてみる。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●「こまかい指導は、子どもをつぶす」
 
++++++++++++++

子育ては、おおらかに!

こまかいことは、ガミガミ言わない。
そのおおらかさが、子どもを伸ばす。

++++++++++++++

★文字を覚えたての子どもは、親から見てもメチャメチャな文字を書く。形や
 書き順は言うにおよばず、逆さ文字、鏡文字など。このとき大切なことは、
 こまかい指導はしないこと。日本人はとかく「型」にこだわりやすい。トメ、
 ハネ、ハライがそれだが、今どき毛筆時代の名残をこうまでこだわらねばな
 らない必要はない。……というようなことを書くと、「君は日本語がもつ美
 しさを否定するのか」と言う人が必ずいる。あるいは「はじめに書き順など
 をしっかりと覚えておかないと、あとからたいへん」と言う人がいる。しか
 し文字の使命は、自分の意思を相手に伝えること。「美しい」とか「美しく
 ない」というのは、それは主観の問題でしかない。また、これだけパソコン
 が発達してくると、書き順とは何か、そこまで考えてしまう。

 一〇年ほど前、オーストラリアの小学校を訪れたときのこと。壁に張られた
 作文を見て、私はびっくりした。スペルはもちろん、文法的におかしなもの
 がいっぱいあった。そこで私がそのクラスの先生(小三担当)に、「なおさ
 ないのですか」と聞くと、その先生はこう言った。「シェークスピアの時代
 から正しいスペルなんてものはないのです。音が伝わればいいのです。また
 ルール(文法)をきつく言うと、子どもたちは書く意欲をなくします」と。

 私もときどき、親や祖父母から抗議を受ける。「メチャメチャな文字に、丸
 をつけないでほしい。ちゃんとなおしてほしい」と。しかしこの時期大切な
 ことは、「文字はおもしろい」「文字は楽しい」という思いを、子どもがもつ
 こと。そういう「思い」が、子どもを伸ばす原動力となる。このタイプの親
 や祖父母は、エビでタイを釣る前に、そのエビを食べようとするもの。現に
 今、「作文は大嫌い」という子どもはいても、「作文は大好き」という子ど
 もは少ない。よく日本のアニメは世界一というが、その背景に子どもたちの
 作文嫌いがあるとするなら、喜んでばかりはおれない。

 ある程度文字を書けるようになったら、少しずつ機会をみて、なおすところ
 はなおせばよい。またそれでじゅうぶん間に合う。そういうおおらかさが子
 どもを勉強好きにする。

 

(補足)もともと「学ぶ」は、「マネブ(まねをする)」に、由来するという。つまり日
本では、「先人のマネをする」が、「学ぶ」の基本になっている。そのひとつが、日本独
特の「型」教育。日本人は、子どもを、型にあてはめることを教育と思い込んでいる。
少なくとも、その傾向は、外国と比べても、はるかに強い。そのよい例が、英語の書き
順。

 たとえば「U」は、まず左半半分を上から下へ書き、つぎに右半分を上から下に書い
て、底の部分でつなげる。つまり二画だそうだ。同じように、「M」「W」は、四画だそ
うだ。こういう英語国にもない書き順が、日本にはある! 驚くというより、あきれる。
ホント!

 そのため、日本では、今でも、先生は、「わかったか?」「では、つぎ!」と授業を進
める。アメリカやオーストラリアでは、先生は、「君はどう思う?」「それはいい考えだ」
と授業を進める。この違いは、大きい。またその根は、深い。

 もうトメ、ハネ、ハライなど、もうなくしたらよい。それを守りたいという人に任せ
て、少なくとも、学校教育の場からは、なくしたらよい。(もう二〇年前から、私は、そ
う主張しているのだが……。)書き順にしても、それにこだわらなければならない理由な
ど、もう、ない。守りたい人が守ればよい。守りたくない人は、守らなくてもよい。そ
れよりももっと大切なことがある。その「大切な部分」を、教えるのが教育ということ
になる。この「ワンポイントアドバイス」の中では、それを書いた。

 ただこういう私の意見に対して、「日本語の美しさを君は否定するのか?」という反論
もあるのも、事実。とくに書道教育関係者からの反論が、ものすごい。しかしこのアド
バイスの中にも書いたように、「美しい」とか、「美しくない」とか思うのは、その人の
勝手。それを他人、なかんずく子どもに押しつけるのは、どうか。私は、トメ、ハネ、
ハライがあるから文字が美しいとか、ないから美しくないとか、そういうふうには、思
わない。みなさんは、この問題を、どう考えるだろうか?


●国語の勉強は、読書に始まり、読書に終わる。アメリカの小中学校へ行って驚くのは、
どの学校にも、図書室が、学校の中心部にあること。(たいていは玄関を入ると、そのすぐ
近くにある。)そして小学校の場合、週一回は、「ライブラリー」という勉強がある。これ
はまさに読書指導の時間と思えばよい。さらに驚くべきことは、この読書指導をする教師
は、ふつうの教師よりもワンランク上の、「修士号取得者」があたることになっている。こ
のあたりにも、日本とアメリカの教育に対する考え方の違いが、大きく出ている。もちろ
ん、アメリカには、英語の書き順などない。(また書き順と構えなければならないほど、文
字の数がない。)※


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2050年までに、2度!

++++++++++++++++++++

国際的な権威機関(ヤフー・ニュース)
の最新研究結果によれば、

「今後も温室効果ガスの抑制ができなければ、
地表温度は2050年に2度、世紀末には、
5度上昇するだろう。

2度の上昇は氷河の融解と、海水の体積膨張を促し、
海面が急上昇する恐れがある」とのこと。

++++++++++++++++++++

 このほど上海を訪れた、イギリス「ガーディアン」紙記者の、ポール・ブラウン氏は、
つぎのように発言した。

「今後も温室効果ガスの抑制ができなければ、地表温度は2050年に2度、世紀末には
5度上昇するだろう。2度の上昇は氷河の融解と、海水の体積膨張を促し、海面が急上昇
する恐れがある。上海のような海抜の低い沿海都市は、水没の危機に瀕するだろう。広州
の平均気温があと3度上昇したら、真夏はエアコンなしでは到底耐えられない暑さになる」
(ヤフー・ニュース)と。

「地球表面温度があと2度上昇すれば、上海は水没する!」とも。

2007年3月17日に開かれた、広州市科学技術協会と英国領事館が共同で開催したシ
ンポジウムでの発言である。「同氏は16年間一貫して、地球の温度変化に着目してきた環
境専門記者。今回の訪中には、国際的な権威機関の最新研究結果を携えてきた」(同・ニュ
ース)という。

 とうとうここまできたかというのが、地球温暖化の問題。

学生時代、ローマ会議に出席してきたという学者が、私がいたカレッジに寄ったことがあ
る。ローマ会議というのは、世界の賢人たちが集まって開く会議である。

 その秘密会で、地球温暖化と食糧危機の問題が討議されたという。が、当時は、食糧危
機のほうが、深刻な問題とされていた。1970年のことである。

 地球温暖化については、「ハワイでの観測によれば、二酸化炭素は、ほとんどふえていな
いので、心配しなくてもいい」ということだった。

 が、それ以後、地球温暖化は、予想を上回る速度で、進んだ。20代、30代の人には
わからないかもしれないが、50代以上の人なら、みな、知っている。この日本にしても、
私たちが子どものころよりも、はるかに暖かくなった。

 しかし本当の問題は、地球温暖化ではない。そのため、人類が絶滅することでもない。
その過程で、人類は、まさに地獄を経験するだろうということ。

 人々はわずかな食料と水を求めて、殺しあうようにさえなるかもしれない。現に、K国
を脱北したある女性は、こんな証言している。

 「自分の息子(数歳)が、いなくなった。母親が、血眼になってさがしたが見つからな
かった。が、数日後、肉類などを売る闇市へ行ってみると、自分の息子の手が、店先につ
りさげられて、売られているのを知った」と。

 こういうことが日常茶飯事に起こるようになると、人間の心は、マヒする。そのマヒし
た状態が、積み重なって、さらに大きな地獄絵図へとつながっていく。そうした状況に、
人類は、いつまでもちこたえることができるだろうか。

 社会秩序は崩壊し、道徳、倫理も地に落ちる。人類はかぎりなく動物化し、醜い争いを
繰りかえすようになる。頭の狂った独裁者が現われ、核兵器のような武器を使って、情け
容赦なく、敵対する国々を滅ぼすかもかもしれない。

 地球温暖化には、そういう問題も含まれる。ヤフー・ニュースは、「真夏はエアコンなし
では到底耐えられない暑さになる」というが、エアコンの能力にも限界がある。説明書な
どによれば、(45度が限界)というようなことが書いてある。つまりエアコンがエアコン
として機能するのは、45度までということ。

 「45度!」と聞いて、驚いてはいけない。今年(07年)の夏、オーストラリアの各
地では、40度以上の気温を記録している! 風呂でも、42、3度が限界。

 が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。今、ここで人類がいっせいに、化石燃料
の使用をやめたとしても、地球の気温は、2100年以後も上昇しつづける。そのころに
は、私やあなたは生きていないかもしれないが、あなたの孫や、ひ孫は生きている。

 しかし今度の発言は、2050年についてである。あと43年。その2050年ですら、
地球の気温は、2度も上昇するという。

 何度も書くが、「2度」という数字を甘く見てはいけない。ほんの0コンマ数度あがった
だけで、今のような変化をもたらした。2度も上昇したら、地球は、どうなることやら。

 不測の事態が、別の不測の事態を引き起こし、地球環境そのものが、メチャメチャにな
ってしまうかもしれない。たとえばツンドラの凍土が溶けて、メタンガスが大量に発生す
るとか、海流の流れそのものが変化するとかなど。

 私やあなたはともかくも、2050年といえば、あなたの子どもは、確実に生きている。
そういう子どもたちが、ここでいう地獄を経験しないという保証は、どこにもない。

 恐ろしい話を書いてしまったが、何か、打つ手はないのか?

 ただ個人的なことを言えば、私はこの35年以上、ずっと自転車に乗っている。どこへ
行くにも、できるだけ自転車に乗っている。ときどきワイフの小型車に乗ることはあるが、
それはやむをえないばあいだけ。だから、意外と、サバサバとしている。またそういう気
分になれる。

 「まあ、しかたないな」と。「人間は、あまりにも好き勝手なことをしすぎた。これも自
業自得というもの」と。

 これからも死ぬまで、私個人は、地球環境をできるだけ破壊しないように行動したい。

【提案】

 みんなが、自分でできる範囲で、環境保護に、力を入れよう。大きなことはできないが、
身のまわりには、できることが、たくさんあるはず。そこで私のささやかな提案。

●公官署の役人、学校の教師たちは、自転車通勤をする。車に乗るときも、相乗り
をする。
●民間でも、自転車通勤を奨励する。車に乗るときも、相乗りを奨励する。
●快適な生活そのものが(悪)であるという前提で、ものを考えるようにする。


Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司

●息子のBLOGより

++++++++++++++++++++

人には、コースというものがある。
そのコースに入っているときには、
それがわからない。

そのコースからはずれたとき、はじめて、
そこにコースがあったことを知る。

息子は、もう、あの飛行機には乗れないと
いう。

……いつか、私も同じような思いを

したことがある。それを思い出しながら、
息子のBLOGを読む。

+++++++++++++++++++++

【EのBLOGより】


 最終技能審査にも無事合格し、これで僕は晴れて、この航空大学校を卒業できることと
なった。事業用操縦士免許(飛行機・陸上・多発)と計器飛行証明の資格を引き下げて。

 試験は散々だったけど、講評が終わり審査官が部屋を去った後、共にC'Kを受けたきん
にくんと握手し抱き合って卒業おめでとうを言い合った。試験中は最後のフライトをかみ
締める余裕なんてなくて、降機後もゆっくり飛行機と話せなかった。このときようやく落
ち着いて『終わり』を感じることが出来て、『すべての終わり』を感じることが出来て、溜
まっていた涙があふれ出た。

 総飛行時間220時間30分、総着陸回数483回。

 苦しかった時間、数千時間。涙を流した回数、数百回。もう飛びたくないと思った回数、
数十回。上空でお腹が痛くなった回数、数回。もう諦めようと思った回数、0回。

 夕べ僕は夢を見た。空を飛ぶ夢だった。航大に入学する直前まで、僕は夢の中では自由
自在に飛べていた。飛べることが前提になっていた。どんな夢でも、飛べることに変わり
はなかった。それが、航大に入った途端、飛べなくなってしまった。というか、飛ぶ夢を
見なくなってしまった。

 久しぶりに見た空を飛ぶ夢。ビルの屋上から、両手を広げ、フワリと浮き上がる。どこ
へ向かうでもなく、特別高いところでもなく、ただ飛ぶことが目的の、短い空中遊泳。『こ
れくらいはいいよね』みたいな後ろめたさを感じていた気がする。飛べなかったのではな
く、もしかしたら我慢をしていたのかもしれない。夢見ることを我慢して、現実だけを見
つめてきた。僕は久しぶりに、夢を見た。

 目が覚めて、思い出す。もう航大の空は飛べない。ランウェイ・エンドまで暇つぶしに
散歩した。下から見上げた同期のC'K機。僕はもうあそこには行けない。西日の中に消え
ていくやけに大きなC90とゆっくりと流れる金色の雲。頭上をかすめる旅客機。柵の中
で風に揺れるススキが、何だか羨ましく思えた。僕もずっとここにいたい。ずっとここで
夢を見ていたい。でも先に進まなきゃ。

 次の夢を探しに行こう。


Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司

●マリアの処女懐胎について

++++++++++++++

どうして、キリスト教では、
父親、ヨセフの影が薄いのか?

私なら、妻が、私の知らないところで
「妊娠した」と言ったら、それだけで
離婚を考える。

「神の子」と言ったら、「お前は、アホか!」と
言って、妻を家から、たたき出す。(多分?)

あなたなら、どうするか?

それについて……

++++++++++++++++

 マリアの処女解体について、オーストラリアの友人(M大学教授、E・I氏)から、こん
な情報が入ったので、報告する。

Dear Hiroshi,

Thank you for your phone call and for your concern. Melbourne is in no
danger. The fires are about 300 kilometers away. There was a lot of
smoke over Melbourne yesterday but today the sky is clear.
Australia will have severe bush fires about every 20 years I think.
As for the virgin birth and Mary, some scholars say this is based on a
mistranslation of the Greek New Testament. They say the word should be
be "young woman" not "virgin". Roman Catholics believe in the Virgin
Mary but many other Christians have a different view of this. There has
been a lot of discussion of this in recent years.
Dennis

浩司へ

心配してくれてありがとう。
メルボルンは心配ありません。
山火事からは300キロ離れています。
昨日は煙が届きましたが、今日の空はきれいです。
オーストラリアは20年ごとに、大きな山火事に襲われます。

処女懐胎をメアリー(マリア)についてですが、
「ギリシャ語の新約聖書の誤訳である」という説もあります。
その語は、「処女(バージン)」ではなく、「若い女性」と翻訳すべきだというのです。
ローマカトリック教会は、「処女」を信じていますが、多くのほかの
宗派は、違った見解をもっています。
最近、この点についての議論がたくさんなされています。
DDより

+++++++++++++++

 こうした誤訳の中で、私自身が発見したものに、つぎのようものがある。

 ミケランジェロが彫刻した「ダビデ王の像」には、額のところに、二つのコブ状の角(つ
の)がある。それとよく似た角が、中国の神農(炎帝のこと。黄帝はこの炎帝を倒して位
についたとされる。

神農は、漢方医学の神様と言われている)の額にもある。不思議な一致である。そこで
その共通点の根拠をさぐってみたところ、ミケランジェロは、当時の常識に従って、ダ
ビデ王の額にコブ状の角をつくったのがわかった。しかし、それは「角」ではなく、「光
線(RAY)」だった。つまり誤訳だった。

つまりダビデ王は、頭から光線を出していたという。その「光線」が「角」と誤訳され、
ヨーロッパには、「コブ状の角」として伝わった。このことは、私が直接、あちこちの領
事館に問い合わせて知ったことである。

それでミケランジェロは、ダビデ王の額に、コブ状の角をつくった。話せば長くなるが、
結論を簡単に言えば、そういうことになる。

 こうした誤訳を私自身も確認しているので、「若い女性」を、「処女」と誤訳したと聞い
ても、私は驚かない。キリスト教徒の人には悪いが、こうした誤訳は、聖書(とくに旧約
聖書)の中には、いたるところにある。

+++++++++++++++

 さて本題。

 あなたが夫であるとする。結婚という結婚ではないにしても、一応結婚していたとする。
同棲(どうせい)という形でもよい。ともかくも、ある日、突然、妻が妊娠した。あなた
には、セックスをした覚えはない。そこであなたは妻に、「だれの子だ!」と問いつめた。
すると妻は、「神の子だ」と。

 このとき、妻の言葉をそのまま受け入れるのは、たいへんなことだ。私なら、「何をバカ
なことを言うか!」と、妻を一蹴(いっしゅう)するに違いない。が、ヨセフは、父親と
して、イエスを受け入れた。そしてイエスを育てた。それはたいへんな苦悩であったに違
いない。「違いない」と書くのも、はばかれるが、しかし私なら、耐えられない。一説によ
ると、マリアは神の啓示を受けたというが、ヨセフは受けていない。またヨセフは、一説
によると、イエスが神の子としての仕事を始める前に、他界している。私は、オーストラ
リアの友人にそのことについて聞いた。「ヨセフは、君たちの世界では、どう理解されてい
るのか」と。それについての返事が、冒頭にあげた、メールである。

 あなたはこの問題を、どう考えるだろうか。「おもしろい問題」と言うと少し語弊がある。
キリスト教徒の人たちは、不愉快に思うかもしれない。しかし考えるテーマとしては、お
もしろい。この問題は、これから先、機会を見つけて考えてみたい。また新しい情報が入
ったら、報告する。なお、D君の意見では、「マリアを祭るのは、主にローマンカトリック
だ」とのこと。参考までに。

++++++++++++++

Dear my friend, DD,

Thank you for your mail.
The reason why I have been interested in Maria and Joseph, Mother and Father of 
Jesus Christ is that the concept of family is different between mothers and children, and 
between fathers and children. I mean hereby that the Austrian psychologist Dr. Froid 
once wrote in is book, that the relationship between mothers and children is stable but 
the relation between fathers and children is less stable. Then I have come to notice that 
in Christianity people worship Maria, not but so often Joseph. So I wondered why?  
Wasn't Joseph a father of Jesus Christ? Everybody says the father of Jesus Christ is 
God himself, not Joseph. If not then, what was he? For what he was with Maria and 
Jesus Christ? Some people say that Joseph was not met by angels as Maria was, and 
Joseph passed away before Jesus Christ started his job as a son of God. Then what was 
Joseph? Could he accept Maria with Jesus Christ? If I had been Joseph, I would not 
have been able to accept it, but frankly would have kicked out my wife when she had 
said that she had got pregnant but the baby was not my son. I can understand the 
concept of marriage was not the same as we have now. But still there are lots of 
un-understandable facts, about which I asked you over the phone. So I have been 
thinking about this. Thank you for your comments, which is very helpful.

Hiroshi

メール、ありがとう。
なぜ今、ぼくがマリアとヨセフに興味があるかといえば、母親と子ども、父親と子どもの
関係は、違うのではないかということを考えているからです。
フロイトも、そう言っています。
キリスト教では、マリアを祭りますが、それに比べてヨセフの影は、薄いですね。
それでキリスト教国では、どのように考えているかと興味をもったわけです。
ヨセフは、イエスの父親ではなかったのか、と。
一説によると、ヨセフは、マリアのように、神の啓示を受けていない。
またイエスが神の子としての仕事を始める前に、ヨセフは死んでいる。
となると、ますますわからなくなります。当時の結婚の形態が今と違うことは、ぼくにも
理解できます。
しかし理解できない面もたくさんあります。で、このことをずっと考えていました。コメ
ントを送ってくれて、ありがとう。

浩司より

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親の悩み

 オーストラリアの別の友人のJJから、こんなメールが届いている。このところ息子(2
3歳)の婚約のことで悩んでいる。毎日のように、メールを交換している。今朝も、こん
なメールが、届いた。

 JJが言うには、息子(SS)の婚約者(LL)と、彼のワイフ(NN)と娘(RR)との折
り合いが悪いということらしい。息子の婚約者が、あからさまに、息子に、「私は、あんた
のお母さんと、妹が嫌い」と言っているらしい。それで友人のJJは、その調整に苦しんで
いる。これは私が何度かアドバイスしたあとの、友人からのメールである。

「Thanks for your reply.

We have essentially taken the view that you have advised.

基本的には、君の忠告に従う。

NN(his wife) in particular has spoken her mind to SS (his son) and LL(his fianc?) in 
her usual very frank manner. Now the engagement is announced she has decided to 
"step out of the picture", not interfere any more and give what support is necessary.

私の妻はいつものフランクな言い方で、息子とフィアンセには、話しかけてはいる。しか
し婚約が発表されてしまった今、フィアンセは、「写真の中から飛び出した」(いい子ぶる
のをやめた)ようだ。で、私は彼らにあまり干渉しないで、必要なことはする。

I don't think LL is a particularly Bad person, just that she lives on her emotions and 
needs all attention focused on her. Especially SS's. NN and RR (his daughter) are a 
bit more skeptical about her.

フィアンセは、とくに悪い女性ではないと思う。ただ彼女は息子の関心を自分にひきたい
ため、感情に任せて生きている。それで妻や妹は、彼女に懐疑的になっている。

I find I can't "connect" with LL. There is not much feeling comfortable or communicating 
easily with her.

フィアンセのLLとよい関係を保つことはできない。彼女といっしょにいても、私は居心地
は悪いし、気が休まらない。

Let's hope they both "grow up" and see the world and particularly NN and RR in less 
black and white terms.

彼らが成長し、彼女がワイフや娘を、あまり白黒はっきりとした目で見ないようにするの
を望むしかない。

My job is to keep talking to SS and LL and try to push them gently in the right 
direction. 
There is no particular "bust up" between them and me.

私がすべきことは、息子やフィアンセが、ワイフや娘に正しい方向でやさしく接するよう
に、話すこと。彼らと私の間は、とくに悪いというわけではない。

Things are even more complicated though, since RR 's new boyfriend, DD, is partners 
with SS in a building construction business. Worse than that he is a long time friend 
and ex-boyfriend of LL's!!!!

が、さらに悪いことに、もっと事情は複雑。というのも、娘の新しいボーイフレンドのDD
は、息子のSSの仕事仲間。そのボーイフレンドのDDは、息子のフィアンセのLLの、前
のボーイフレンド!!! 長くつきあっていた。

Oh what a tangled web we weave!!!

何とからんだクモの巣を、私たちは編むことか!

JJ

JJより」

 こうしたメールの内容はともかくも、私がいつも不思議に思うのは、つぎのこと。

このJJ君にしても、日本では考えられないほど、すばらしい環境の中に住んでいる。今
度新しい二階建ての家を建てたが、周囲には、ほかに家が見当たらない。少し離れたと
ころには、小さな湖がある。もちろんそれも彼の敷地の一部である。奥さんは女医で、
自分は、政府の農業指導員をしている。息子はアデレード大学を卒業し、建築技術者。
娘は、今、同じ大学の医学部に通っている。そういう彼が、「どうして悩むのか?」と。

「ない人」には、ないことがわかるが、「ある人」には、あることがわからない。私から
見れば、その友人は、まさに夢のような生活をしている。いや、私も若いころ、いつか
オーストラリアに移住して、そんな生活をしてみたいと何度も思った。しかしその友人
にしてみれば、それがふつうの生活であり、何でもない生活ということになる。だから
私はこうしたメールを交換しながらも、つい、こう言いそうになる。「君たちはうらやま
しいような生活をしているのだから、まずそれに感謝しなければいけない。息子が多少、
気に入らない女性と結婚することになっても、がまんしなければいけない」と。

  しかし、もちろん、当の本人にとっては、そうではない。深刻な問題である。私には
その「深刻さ」が、不思議でならない。

●幸福というのは、遠くの未来にあるかぎり光彩を放つが、つかまえてみると、もう何で
もない。……幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には、不可能なことなのである。(エ
ミール・アラン「幸福語録」、1861−1951、フランスの哲学者)

アランは、「幸福などというものは、手にしたとたん、幸福ではなくなる」と。……とな
ると、これは、そのまま私たちの問題となる。今、私は幸福でないと思っている部分は
多い。しかしその中には、人もうらやむような幸福があるかもしれないということ。そ
れについては、老子(中国、道家の根本書物、「老子道徳経」ともいう)は、こんなふう
に書いている。

●不幸は、幸福の上に立ち、幸福は不幸の上に横たわる、と。

つまり不幸があるから、幸福がわかり、幸福があるから、不幸がわかる、と。もう少し
わかりやすい例では、他人の不幸を見ながら、自分の幸福を実感する人は、いくらでも
いる。そういう点では、人間は残酷な生きものである。ラ・ロシェフーコ(フランス人
作家)も、「われわれはみな、他人の不幸を平気で見ていられるほど、強い」(「道徳的反
省」)と言っている。

これらは、いわゆる幸福相対論だが、相対論だけではすまされないところが、幸福論の、
また深遠なるところである。こう書いている神学者がいる。

●ささいなことで喜びをもちうることは、子どものみではなく、不幸な者の、高貴な特権
である。(リチャード・ローテ「箴言(しんげん)」、1799−1867、ドイツの神
学者)

少し皮肉的な言い方だが、ローテが言っているのは、こういうことだ。

 子どもはささいなことで喜ぶ。同じように不幸な人は、身のまわりから、ささいな喜び
をさがして、それを幸福とすることができる、と。つまり幸福というのは、相対的なもの
であると同時に、視点の違いによって、どうにでもなるということ。幸福だと思っている
人でも、視点を変えてさがせば、不幸なことはいくらでもある。同じように不幸だと思っ
ている人でも、視点を変えてさがせば、幸福なことはいくらでもある。もっと言えば、「幸
福」などというものは、得体の知れないもの。さらに言えば、実体のない幻想ということ
になる。

 友人のメールを読みながら、その内容もさることながら、私は幸福論について、改めて
考えてなおしてみた。多くの文人や哲学者たちが、人生最大のテーマとして考え、そして
考えてきた「幸福論」。これで結論が出たわけではないが、今日はここまででひとつの区切
りとしたい。このつづきは、また別の機会に考えてみる。

 しかしそれにしても、まずい。娘のボーイフレンドが、息子のフィアンセの、元ボーイ
フレンドというのは! 向こうで「ボーイフレンド」というときは、性的関係のある人を
いう。日本では、こういうのを、「腐れ縁」という。こういう腐れ縁は、何かにつけてトラ
ブルのもと。しかしこの問題だけは、親でもフタをすることはできない。言うべきことは
言いながらも、あとは様子を見るしかない。まさに「何とからんだクモの巣を、私たちは
編むことか!」ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++Mar 07+++++++++++はやし浩司

●安倍内閣の国際外交

++++++++++++++++

安倍内閣の国際外交のまずさは、
今回の6か国協議に集約されている。

理由の第一。安倍総理大臣は、自民党の
中でも右派と目されている。その安倍総理大臣が、
さらに右派と呼ばれる人たちと、くっついて
しまった。

いわゆる極右民族主義者と呼ばれる人たちと
である。

これらの人たちは、「武士道こそが日本が誇るべき
民族精神」と説く。「対米追従外交反対」と説く。

おまけに拉致被害者たちまでもが、これらの
人たちと、くっついてしまった。

それがわからなければ、被害者同盟の人たちが、
壇上で、どういう政治家たちと並んで座って
いるか、それを見ればよい。

これでよいのか、安倍総理大臣!
拉致被害者のみなさん!

+++++++++++++++++

 あなたにはブッシュ大統領の怒りが、わかるだろうか? 今ごろ、……というよりは、
昨年の終わりごろ、ブッシュ大統領は、こう思っていたにちがいない。

 「日本に、思い知らせてやれ!」と。

 あろうことか、日本の防衛大臣や外務大臣は、ブッシュ大統領が一般教書演説をしたそ
の直後、イラク戦争を批判してしまった。「まちがっていた」「幼稚だ」と。

 本来なら、安倍総理大臣は、就任直後、ブッシュ大統領に会うべきだった。あいさつす
べきだった。しかし自民党の中でも、極右勢力の言うがままに、就任後、この8か月、一
度も、アメリカへ行っていない。来月4月に日米首脳会談が開かれることになっているが、
今ごろ、ノコノコとアメリカへでかけていって、何ができるというのか。何が変わるとい
うのか。

 たった1年前、ブッシュ大統領は、こう言っていた。

 「K国への金融制裁解除は、ぜったいにしない」と。

 それが今、あっさりと、くつがえされてしまった。しかも、「現在、K国がもっている核
兵器については、不問にする」とまで!

 韓国の高麗大学の姜教授は、「アメリカの目的が、『K国の過去の核は問題視しないが、
その代わり核物質の外部流出を防止する』という方針に変わったのかもしれない」(朝鮮N
報・3月19日)と述べている。

 わかりやすく言えば、アメリカは、自国の国益を最優先させながら、その一方で、「日本
や、韓国のことなど、知ったことか!」と。

 日本の極右勢力のみなさん、もっと、現実を見ろ! これが現実。

 今日(20日)も、日本は、孤立無援のまま、6か国協議に出席している。今の日本に
できることは、中国に泣きつき、アメリカに泣きつくこと。それだけ。しかし中国もアメ
リカも、日本を完全に見放している。この先、日本は、どうやって、あのK国と、単独で
対峙していくつもりなのか。

 だいたい、日本の外務大臣ともあろう人物が、英語で、まともに演説したり、議論でき
ないというところがおかしい。文科大臣までもが、「(小学校での)英語教育は必要ない」
と言っている。

 私たちは、極東アジアの、その島国に住む、土着民族のままでよいのか?


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある母親からの相談より

+++++++++++++

傷つく子どもの心。
しかしそれに気づく親は、少ない。

が、だからといって、親を責めては
いけない。

親は親で、そのつど、懸命に考え、
もがきながら、子育てをしている。

つまりこうして親は、賢くなっていく。
その過程では、いろいろあるだろうが、
それはそれ。

以前、こんな相談があった。

+++++++++++++++++

名はHKと申します。
  
 早生まれで2月の、先月四歳になりました、息子が1人おります。
 F男という名前です。
 
 めぐりめぐってはやし先生のHPにたどり着いた次第でございます。
 どうぞよろしくお願い致します。
 
 まずは息子の事から話します。
 
 2歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。
 そのときは1週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。
 
 昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、
 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。

 公園に行っても、お母さんも一緒にというのがもう口癖のようになっていました。
 早生まれで3歳になってすぐ3年保育の保育園へ通わせるようになりました。
 最初のうちは泣きましたが、他にも泣いている子どもがいるので、
 そのまま通わせました。
 
でも思いのほかすぐに泣かずにバスに乗れるようになりましたが、
 いまいち、保育参観なども見ていても、覇気が無く、
 つまらなそうでした。
 
そのうち、お遊戯会などがあり、楽しいというようになりました。
 でも、冬休み明けにまた嫌がるようになり、
 しぶしぶ行くといった感じでした。
 
幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、
 1つ下の、小さい年少さんが5人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。
 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。
 
家では、1人で遊ぶ時間もちょっと出てきましたが、
 じっくり1人遊びができなくて悩んでいます。
 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが
 口癖です。私も私で、遊んでやればいいのですが、家事もあったりして、
 少しの合間に遊んであげてもまた次の用事があるときに
 離れるときに泣かれるとやなので、
 遊んであげない事がほとんどです。

 遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、
怒ったりして、 
 不安定だなと感じます。
 私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。
 先生のHPを見ていてこれだと思ったのが、自分がブランコを使っていても、
 自分より強そうな子だと、ニヤニヤしながら貸してしまう、そういうタイプの子です。
 
 先日、2月の保育参観と、役員会の時にむすこの幼稚園での生活の様子で
気になった事があるので、相談したいと思い、メールをさせて頂きました。

家でひとり遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。
 だいたいの年少さんは、皆それぞれひとり遊びをやりながら
友達とかかわっているといった感じなのですが、
 
うちの子だけ、その日、との時によっても違うのですが、
 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。
 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! ついてこないで!と言われても
 ニコニコして、ついて回っています。 
 それはいかがなものでしょうか?

 ひとり遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか?
 どうも、相手にされてないようで、
うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、
 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。
 
  
 昔からママ友達5人ほどで集まることが多いのですが、
 自然に子供は10人ほど集まります。
 ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は2階で遊んでいるのに、
 うちの子だけ未だに溶け込めず、ひとりで下でもてあましているといった感じです。

 でも、昔はずっと私のひざの上から離れなかったということを考えると、
離れるだけましと考えているのですが……
 
親としてはもっともっとと欲が出てきてしまうのですね。
 良くないですよね。
 
 私もこういうHPを見れば見るほど、神経質になってしまい、
 あ〜しなければ、こ〜しなければ、今こう言ったら機嫌悪くなりそうとか、
 いちいち考えてしまい、
 自然に息子と接することができなくなってきました。
 
 もっと、ゆっくり、息子を見てやろうと思うのですが、
ちょっとした事がすぐ気になってしまい、
 いちいち考え過ぎてしまいます。
 
自分の悪い癖です。
 先生の話にもあった、息子と2人で歩いていても息子のペースが
遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。

 父親もそういうタイプです。
 先生のHPを見てからは気をつけています!
 あまり過干渉にならないようにも気をつけています!
 子供と遊ぶのが苦手な方です。
 でも、もう1人子供が欲しいのですが、もう2度も流産していて、
 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。
 
 長々と聞いて頂きまして、有難うございました。
 ほんとはもっともっと話したいことが沢山あるのですが、まとまらないので、
 この辺で。
 
 アドバイス、お待ちしております。
 どうか、よろしくお願い申し上げます!
 
    兵庫県H市、HKより

++++++++++++++++++++++++++

【HKさんへ】

HKさんの問題点を整理してみると、つぎのようになる。
 
●2歳になるころにうちのF男にどもりの症状が出ました。
 そのときは1週間くらいで治り、今も全くそういうチックは無く、生活しております。
 
●昔から育児サークルへ行っても私のそばから離れず、神経質っぽく、
 すぐ、よく泣く子供でした。今もちょっと言われただけですぐ泣く子です。
 
●幼稚園でのお友達も、同じ学年の年少さんとではなく、
 1つ下の、小さい年少さんが五人ほどいるのですが、その子達と遊んでいるようです。
 同じ年少さんは遊んでくれないと言っています。
 
●じっくりひとり遊びができなくて悩んでいます。
 ちょっと遊んでも、すぐ「お母さん、一緒に遊ぼう」「遊んで」というのが口癖です。
 
●遊んでいても、自分の思うとおりにいかないと、すぐ息子の機嫌が悪くなり泣いたり、
怒ったりして、 不安定だなと感じます。
 
●私もどちらかと言うと、イライラしがちな短気な性格です。

●家でひとり遊びができないといいましたが、園でもそうみたいでした。
 だいたいの年少さんは、皆それぞれひとり遊びをやりながら
友達とかかわっているといった感じなのですが、
 
●うちの子だけ、その日、その時によっても違うのですが、
 この子と思うと、そのこに執拗について回ります。
 ついてこられる子は迷惑そうな感じで、やめて! ついてこないで!と言われても
 ニコニコして、ついて回っています。 
 それはいかがなものでしょうか?

●ひとり遊びができないというのは、私が十分に遊んでやらなかったからでしょうか?
 どうも、相手にされてないようで、
うちの子が入っていっても遊びに入れてくれないので、
 お友達同士が遊んでいる後ろを、まねしてついてまわっいることも多いようです。
 
●ほとんど男の子ばかりなのですが、その中でも皆は2階で遊んでいるのに、
 うちの子だけ未だに溶け込めず、ひとりで下でもてあましているといった感じです。

●先生の話にもあった、息子と2人で歩いていても息子のペースが
遅すぎていつも私が先に立って歩くタイプです。

●父親もそういうタイプです。
 先生のHPを見てからは気をつけています!
 あまり過干渉にならないようにも気をつけています!
 子供と遊ぶのが苦手な方です。
 でも、もう1人子供が欲しいのですが、もう2度も流産していて、
 もうそろそろまた頑張ろうかと思っているところです。
 
++++++++++++++++++

●HKさんのお子さんのF男君について、考えてみる。

 2歳のときに、吃音(どもり)が出たということから、F男君を包む家庭環境が、どこ
か神経質であったことがうかがわれる。子どもの側からみて、全幅の安心感を得られない
ような状況と考えられる。

 症状だけをみると、母子分離不安をまず疑ってみるべきでしょう。ギャーッと大声を出
して、親を追いかけるプラス型。ジクジクとして、情緒がきわめて不安定になるマイナス
型に分けて考えます。

 ……と言っても、第1子のばあい、ほとんどの親は、神経質な子育てをする。不安先行
型、心配先行型の子育てである。しかしこれはある意味では、当然のことであって、だか
らといって、親を責めることはできない。(HKさんも、自分を責めてはいけない。)

 メールを読んで、気になるのは、親子のリズムが、合っていないこと。どこかにHKさ
んの「設計図」があり、HKさんは、その設計図に合わせて、子どもを「作ろう」という
意識が強いこと。たとえば子どもが泣くことについても、「泣いてはだめ」という前提で考
えてしまう? なぜ、泣くのか、あるいは「泣いても、私がガードしてあげよう」という
視点が、あまり感じられない?

 子どもが泣くのは、子ども側から、それ自体が親への働きかけとみると同時に、ストレ
スの発散をしながら、心の調整(バランス)をとっていると考える。またその前提として、
F男君が、やや情緒が不安定になっているとみる。

 幼児のばあい、情緒不安は、(1)攻撃型、(2)内閉型、(3)固執型に分けて考える。
ささいなことが引き金となって、(とくに不安、心配)、子どもの心は一挙に不安定になる。
不安や心配を解消するためである。

 「泣く」という行為は、風邪にたとえると、「熱」のようなもの。熱だけを冷ます方法も
ないわけではないが、しかし熱をさげたからといって、病気がなおるわけではない。同じ
ように、「泣く」という行為だけをみて、それをなおそうとしても、意味はない。ないなば
かりか、かえって症状をこじらせてしまう。

 F男君のケースでは、乳児期に、何らかの原因で、不安(基底不安)を覚えてしまった
ことが考えられる。親自身が、それに気づかないことが多い。軽い置き去り、拒否的態度
など。迷子かもしれないし、無視(親はその気がなくても)、冷淡など。分離不安的な症状、
孤立恐怖症的な症状が、F男君には、みられる。

 こうした不安が基本にあって、いくつかの恐怖症を併発している。対人恐怖症も、その
一つ。仲間と遊べないが、年下の子どもと遊べるというのは、年下の子どもとの世界のほ
うが、居心地がよいからである。一般論から言えば、より年下の子どもとの世界を求める
のは、愛情不足(愛情を求める代償行為)が原因と考える。親にはその自覚がなくても、
子どもは満足していないということ。

 親のイライラほど、子どもの心に悪影響を与えるものはない。もっとも約70%の母親
が、何らかの形でイライラしているから、だからといって、HKさんは、自分を責めては
いけない。

 しかし疑ってみるべきは、母親自身の欲求不満。家庭に閉じ込められることから発生す
る不満、結婚生活の心配、望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、な
ど。そういう欲求不満が、ときとして、イライラに転ずることもある。そういう自分自身
の欲求不満を、F男君にぶつけていないか? 

 ひとり遊びができないのは、あくまでも、その結果でしかない。F男君は、不安なのだ。
基本的に不安なのだ。母子の間に、絶対的な安心感を覚えることができないでいる。絶対
的というのは、「疑いをいだかない」という意味。

●では、どうするか?

 濃密なスキンシップを、大切にする。その前に、HKさん自身の中にある、不安や心配、
「うちの子は問題がある」式の心配を、払拭(ふっしょく)する。そのために、子どもの
前では、「あなたはいい子」を繰り返すとよい。

 方法としては、添い寝、手つなぎ、抱っこをふやす。子どもが求めてきたときは、子ど
ものほうから、体を放そうというそぶりをみせるまで、力強く、抱く。「もういい?」と、
声をかけてあげるとよい。

 とにかく、F男君自身が、いだいているであろう、「不安」と戦うこと。F男君のことで
はない。あなたの不安でもない。F男君の不安である。そのために、F男君には、全幅の
安心感を与えることだけを考える。まさに何があっても、「許して忘れる」こと。

 HKさんは、「私は短気だ」と言っているが、戦うべきは、その短気ということになる。
しかし心配してはいけない。子どもは、満4歳半くらいから、幼児期から少年少女期への
移行期に入る。このとき、もう一度、子どもの性格そのものを、つくりかえることができ
る。この時期をのがしてはいけない。最後のチャンスと考えてよい。

 大きな失敗ではないが、しかしHKさんは、心配先行型、不安先行型の子育てをし、ど
こかでF男君の心を置き去りにしてきた。それはそれとして、これからは、それを改める。
F男君のうしろを、1歩退いて、歩く。これから1年半が勝負と、思うこと。この時期を
のがすと、悪い面も、すべて性格として定着してしまうので、注意する。それこそずっと、
ハキのない子どもになってしまう。

 私のHPを読んで不安になるというのは、むしろよいこと。不安になることを、不安に
思ってはいけない。HKさん自身が、自分の問題点に気づき、それを改めようとしている
ためと考えてよい。しかしこの不安も、「私は、子どもを愛している」「子どもが好きだ」「ど
んなことがあっても、許して忘れる」と宣言すれば、消える。そしてそのときから、私の
HPを、気楽に読めるようになる。

(マガジンも発行しています。どうかご購読ください。無料です。)

 こうした問題を考えるとき、大切なことは、何が「原因」で、何が、「随伴症状」かとい
うこと。たとえば分離不安にしても、ひとり遊びができない(孤立恐怖症)にしても、さ
らには対人恐怖症にしても、その症状だけを問題にすると、「原因」を見失ってしまう。そ
して対症療法ばかりを繰り返しているうちに、かえって症状をこじらせてしまう。

 原因は、ここにも書いたように、子ども自身がもっている、「基底不安」。その不安だけ
を見すえながら、親子のあり方を、再構築するとよい。あとの問題は、それが解決すれば、
自然消滅する。

●具体的には……

(1)濃密なスキンシップを与える。とくに子どもが求めてきたときは、いやがらず、力
いっぱい、抱く。
(2)「あなたはいい子」「すばらしい子」を口ぐせにする。
(3)CA、MG分の多い、食生活にこころがける。甘い食品をひかえる。
(4)HKさん自身の心の問題と戦う。過去を冷静にみつめ、その過去と決別する。何か、
わだかまりがあるときは、それに気づく。気づくだけで、よい。子どもを育てるのではな
い。これから生涯の友を育てるのだと考える。そういう意味で、子どもの横に立ったもの
の考え方をする。
(5)随伴症状(ひとり遊びができない。よく泣く)は、子どもが安心感を覚え、満足感
を覚えるようになった段階で、消えるので、この際、無視。おおらかに受けとめること。
(6)母子分離不安による症状が強いばあいには、「なおそう」と考えるのではなく、今の
状態を今以上に悪くしないことだけを考えて、こまめに愛情表現を繰りかえします。

 さあ、HKさん、自信をもって、前に進みましょう。あなたはこれから先、子どもと人
生を分かちあうのです。子どもを子どもと思うのではなく、友として、迎えいれるのです。
親の気負いなど、どこかへ捨てなさい。子どもに教えられることを、恥じてはいけません。
謙虚になるのです。親意識も、捨てなさい。あなたの子どもがさみしそうだったら、親友
として、そのさみしさを共有すればいいのです。そうすれば、あなたの不安も、解消しま
す。約束します。

(HKさんへ)

 以上のように、HKさんからのメール、および、私の返信を、次回のマガジン(xx号、
予定)に掲載しますが、よろしいでしょうか。よろしくご理解の上、ご協力いただけたら
と思います。ご都合の悪い点があれば、改めますので、できるだけ早く、お教えいただけ
たらと思います。勝手なお願いですみません。マガジンの購読申し込みは、私のHPのト
ップページからできます。
(030311)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【基底不安】

++++++++++++++++++

(不安)そのものが、心の病気と考えて
よい。

アメリカの精神医学会の手引書(DSM−IV)
「精神障害の分類と診断の手引き」でも、
(不安が強い人)を、人格障害の人と
クラス分けしている。

+++++++++++++++++

 不安感の強い人は多い。心が安定した状態を、(健康な心)とするなら、(不安)そのも
のは、(心の病気による症状のひとつ)と考えてよい。アメリカの精神医学会の手引書(D
SM−IV)「精神障害の分類と診断の手引き」(第4版)でも、(不安感が強い人)を、人
格障害者のひとつとして、クラス分けしている。

 その(不安感が強い人)は、(1)回避性人格障害、(2)依存性人格障害、(3)強迫性
人格障害に分けて考えられている(同、手引書)。

 清水弘司氏の「性格心理学」(ナツメ社)をもとに、自己診断項目を並べてみると、つぎ
のようになる。(本書の中の記述を、自己診断風に、箇条書きにしてみた。)

(1)回避性人格障害

(ア)自分に対する評価が低い。
(イ)自分が傷つくことを恐れて、人との関わりを避ける。
(ウ)自己否定的な意識が強い。
(エ)対人関係において、極端に臆病になる。
(オ)その一方で自尊心が強い。
(カ)批判されたり、恥をかいたりするのを嫌う。
(キ)自分を確実に受け入れてくれる場以外には、出たがらない。

(2)依存性人格障害

(ク)自分に自信がない。
(ケ)他人への依存心が強い。
(コ)自分で何かを計画して実行することが少ない。
(サ)失敗を他人のせいにする。
(シ)保護を失うことを恐れて、他人に迎合することが多い。
(ス)親しい人が離れていこうとすると、必死にしがみつこうとする。

(3)強迫性人格障害

(セ)極端な完全主義者
(ソ)考え方にも行動にも、柔軟性が欠ける。
(タ)規則、順序、予定などを守らないと気がすまない。
(チ)細部にこだわりやすい。
(ツ)融通がきかないため、不要な回り道をすることがある。
(テ)他人にも完全主義を強要することが多い。
(ト)他人に仕事を任せられず、自分自身は仕事中毒になりやすい。

 以上の項目に、いくつか当てはまれば、あなたは、人格障害の疑いがあるということに
なる。つまりこうしたテストは、自分をさらに知るためのひとつの手がかりになる。

 で、私のばあいだが、自分の過去を振りかえってみたとき、いつも(不安)が、心の基
底にあったのがわかる。それがあるときは、回避性障害的な症状となって、外に出てきた
り、また別のときは、依存性人格障害的な症状となって、外に出てきた。強迫性人格障害
的な症状となって、外に出てきたこともあるように思う。

 そのときは、そういう自分に気がつくということはなかった。ただ幸いなことに、極端
な状態になるということはなかった。言いかえると、だれしも、そのときの状況に応じて、
そういった精神状態になるということ。それは肉体の病気に似ている。

 風邪をひいたこともある。食あたりで、下痢をしたこともある。偏頭痛に苦しんだこと
もある。つまり人間の心というのも、そのつど、いろいろな病気にかかるということ。だ
から一部だけをみて、自分が精神障害者と決めつけるのは、正しくない。

 むしろこわいのは、(病識)、つまり、「自分が病気である」という意識がないケース。こ
のタイプの人は、まず、こうした文を読まない。その前に、自分を知ろうともしない。多
くは、その知力、能力そのものに欠ける。

 言いかえると、この文を読み、自己診断をした人は、それだけ症状が軽いということに
なる。

 さて、あなたは、どうか?

 ついでに言うと、ここでいう(不安)、もしくは(不安感)は、自分の努力で解消できる
ような生易しいものではない。心理学の世界にも、(基底不安)という言葉がある。その人
の心の奥底に住みつき、生涯にわたって、その人を苦しめる。

 で、大切なことは、そういう(不安)、あるいは(不安感)があるにしても、それを解消
しようと考えるのでなく、じょうずにつきあうこと。心の傷というのは、すべて、そうい
うもの。

+++++++++++++++++

過去に、「基底不安」について書いた
原稿をここに収録しておきます。

+++++++++++++++++

●心を許さない子ども

 無視、冷淡、親の拒否的態度は、子どもに深刻な影響を与える。乳幼児期に、心のさら
け出しができないため、親のみならず、他人と良好な人間関係を結べなくなる。

子どもは、絶対的な信頼関係のある親子関係の中で、心をはぐくむことができる。「絶対
的な信頼関係」というのは、どんなことをしても、また何をしても、許されるという信
頼関係である。親に対して疑いをいだかない安心感をいう。

 この信頼関係が欠落すると、子どもは絶対的な安心感を得られなくなり、不安を基底と
した心理状態になる。これを「基底不安」というが、その不安を解消しようと、子どもは
さまざまな方法で、心を防衛する。(1)服従的態度(ヘラヘラとへつらう)、(2)攻撃的
態度(威圧したり、暴力で相手を屈服させる)、(3)回避的行動(引きこもる)、(4)依
存的行動(同情を求める)などがある。これを「防衛機制」という。自分の心を守るため
に働く、無意識下の行動と考えるとわかりやすい。

 このタイプの子どもは、孤独と不安を繰りかえしながら、そのつど相手を求めたり、拒
絶したりする。まさに「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」の人間関係をつくる。本
人はそれでよいとしても、困惑するのは、周囲の人たちである。あるときはベタベタと近
づいてきたかと思うと、つぎに会うと、一転、冷酷な態度をとったりする。親しみと憎し
み、依存と拒絶、密着と離反、親切と不親切が、同居しているように感ずることもある。

 が、悲劇はつづく。

 他者とのつながりがうまく結べない分だけ、独善的、独断的な行動が多くなる。一見す
ると主体的な生き方に見えるかもしれないが、その主体そのものがない。私の印象に残っ
ている女の子(中2)に、Bさんという子どもがいた。

 Bさんは、がんばり屋だった。能力的には、それほどでもなかったが、そのため勉強も、
よくできた。親は、そんなBさんを、よくほめた。先生も、ほめた。とくに気になったの
は、融通(ゆうづう)がきかなかったこと。ジョークを言っても、通じない。このタイプ
の子どもは、自分だけのカラに閉じこもりやすく、がんこになりやすい。

 そのBさんが、ここに書いた、決して心を許さないタイプの子どもだった。そのときま
でに、すでに私のところへ5、6年、通っていたが、いつも心を風呂敷で包んだような感
じがした。俗にいう「いい子」ではあったが、何を考えているか、よくわからなかった。

 決して勉強が好きというわけではなかった。しかしBさんにとっての勉強は、まさに自
己主張の道具だった。(勉強ができる)=(優秀であるという証明)=(みなにチヤホヤさ
れる)というように、である。ここにも書いたように、一見、主体性があるようで、どこ
にもない。Bさんは、いつも自分の評価を他人の目の中でしていた。

 もうおわかりかと思う。このBさんが、とっていた一連の行為は、自分の心の中の不安
を解消するためであった。勉強という手段を用いて、他人に対して優位に立つことにより、
自分にとって居心地のよい世界を、まわりに作るためであった。先にあげた防衛機制の中
の、(2)攻撃的態度の一つということになる。

 Bさんは、勉強がよくできる分だけ、孤独だった。友だちもいなかった。しかも自分よ
り目立つ仲間は、すべてライバルだった。Bさんの前で、ほかの子どもをほめたりすると、
嫉妬心からか、Bさんは、よく顔をしかめた。が、そのBさんが、ある日、とうとう勉強
でつまずいてしまった。最初は「勉強がわからない」と、よくこぼした。つぎに数か月先
のテストのことを心配したりした。親はBさんに頼まれるまま、進学塾をもう一つふやし、
家庭教師もつけた。しかしそうすればするほど、Bさんの勉強は空回りをし始めた。

 とたん、Bさんは、プツンしてしまった。ふつうの燃え尽き症候群と違うのは、無気力
症状は出てこないこと。別の形で、攻撃的になるということ。Bさんのケースでは、その
まま、本当にあっという間に、非行の道へ入ってしまった。髪の毛を染め、ツメにマニキ
ュアをし、そしてあやしげな下着を身につけるようになった。と、同時に、私の教室をや
めた。しばらくしてから、ほかの子どもたちに、Bさんが、学校でも札つきのワルになっ
たという話を聞いた。

 Bさんを知る、ほかの母親たちは、こう言う。「えっ? あのBさんが、ですか?」と。
実のところ、この私ですら、その変化に驚いたほどである。授業中でも、先生を汚い言葉
で罵倒(ばとう)して、部屋から出て行くこともあるという。

 ……では、どうするかということではない。あなたの子どもは、だいじょうぶかという
こと。あなたの子どもは、乳幼児のとき(2〜4歳の第一反抗期)から、あなたに対して、
好き勝手なことをしていただろうか。わがままというのではない。言いたいことを言い、
したいことをしたかということ。もしそうなら、それでよし。しかし乳幼児のとき、どこ
かおとなしく、仮面をかぶり、手がかからない子どもだったとしたら、ここでいう「心を
許せない子ども」を疑ってみたらよい。そして今は、その「いい子」かもしれないが、そ
のうちそうでなくなるかもしれないと、警戒をしたほうがよい。

 心の問題は、簡単にはなおらない。なおらないが、警戒するだけでも、仮に問題が起き
たときでも、原因がわかっているから、対処しやすいはず。またあなたの子どもが0〜2
歳であるなら、これからの反抗期を、うまく通り過ぎることを考える。この時期は、子ど
もの心を形成するという意味で、きわめて重要な時期である。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【「私」論】

++++++++++++++++++

だれも、「私のことは私がいちばん、
よく知っている」と言う。

しかし本当に、そうか?

そう言い切ってよいか?

むしろ(私)をいちばん知らないのは、
私自身ではないのか?

そんなことを知ってもらうため、
「私論」を書いてみた。

+++++++++++++++++

●基底不安

 家庭という形が、まだない時代だった。少なくとも、戦後生まれの私には、そうだった。
今でこそ、「家族旅行」などいうのは、当たり前の言葉になったが、私の時代には、それす
らなかった。記憶にあるかぎり、私の家族がいっしょに旅行にでかけたのは、ただの一度
だけ。伊勢参りがそれだった。が、その伊勢参りにしても、夕方になって父が酒を飲んで
暴れたため、私たちは夜中に、家に帰ってきてしまった。

 私はそんなわけで、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。同時に、家にいても、
いつも不安でならなかった。自分の落ちつく場所(部屋)すら、なかった。

 ……ということで、私は、どこかふつうでない幼児期、少年期を過ごすことになった。
たとえば私は、父に、ただの一度も抱かれたことがない。母が抱かせなかった。父が結核
をわずらっていたこともある。しかしそれ以上に、父と母の関係は、完全に冷えていた。
そんな私だが、かろうじてゆがまなかった(?)のは、祖父母と同居していたからにほか
ならない。祖父が私にとっては、父親がわりのようなところがあった。

 心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底に
なっていて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。絶対的な安心感があって、子ど
もの心というのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その安心感がゆらぐと、それ
以後、「不安」が基本になった生活態度になる。たとえば心を開くことができなくなる、人
との信頼関係が結べなくなる、など。私のばあいも、そうだった。

●ウソつきだった私

 よく私は子どものころ、「浩司は、商人の子だからな」と、言われた。つまり私は、そう
言われるほど、愛想がよかった。その場で波長をあわせ、相手に応じて、自分を変えるこ
とができた。「よく気がつく子だ」「おもしろい子だ」と言われたのを、記憶のどこかで覚
えている。笑わせじょうずで、口も達者だった。当然、ウソもよくついた。

 もともと商人は、ウソのかたまりと思ってよい。とくに私の郷里のM市は、大阪商人の
影響を強く受けた土地柄である。ものの売買でも、「値段」など、あってないようなもの。
たがいのかけ引きで、値段が決まった。

客「これ、いくらになる?」
店「そうですね、いつも世話になっているから、1000円でどう? 特別に勉強(=安
く)しておきますよ」
客「じゃあ、2つで、1500円でどう?」
店「きついねえ。2つで、1800円。まあ、いいでしょう。それでうちも仕入れ値だよ」
と。

 実際には、仕入れ値は、500円。2個売って、800円のもうけとなる。こうしたか
け引きは、日常茶飯事というより、すべてがその「かけ引き」の中で動いていた。商売だ
けではなく、近所づきあい、親戚づきあい、そして親子関係も、である。

 もっとも、私がそういう「ウソの体質」に気づいたのは、郷里のM市を離れてからのこ
とである。学生時代を過ごした金沢でも、そして留学時代を過ごしたオーストラリアでも、
この種のウソは、まったく通用しなかった。通用しないばかりか、それによって、私はみ
なに、嫌われた。さらに、この浜松でも、そうだ。距離にして、郷里から、数100キロ
しか離れていないのに、たとえばこの浜松では、「かけ引き」というのをまったくしない。
この浜松に住んで、30年以上になるが、私は、客が店先で値段のかけ引きをしているの
を、見たことがない。

 私はウソつきだった。それはまさに病的なウソつきと言ってもよい。私は自分を飾り、
相手を楽しませるために、よくウソをついた。しかし誤解しないでほしいのは、決して相
手をだますためにウソをついたのではないということ。金銭関係にしても、私は生涯にお
いて、モノやお金を借りたことは、ただの一度もない。いや、一度だけ、10円玉を借り
たことがある。緊急ための電話代だった。

●防衛機制

 こうした心理状態を、「防衛機制」という。自分の身のまわりに、自分にとって居心地の
よい世界をつくり、その結果として、自分の心を防衛する。私によく似た例としては、施
設児がいる。生後まもなくから施設などに預けられ、親子の相互愛着に欠けた子どもをい
う。このタイプの子どもも、愛想がよくなることが知られている。

 一方、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような子どもは、どこかどっしりとしていて、
態度が大きい。ふてぶてしい。これは犬もそうで、愛犬家のもとで、ていねいに育てられ
たような犬は、番犬になる。しかしそうでない犬は、だれにでもシッポを振り、番犬にな
らない。私は、そういう意味では、番犬にならないタイプの人間だった。

 ほかに私の特徴としては、子どものころから、忠誠心がほとんどないことがある。その
場、その場で、相手に合わせてしまうため、結果として、ほかのだれかを裏切ることにな
る。そのときは気づかなかったが、今から思い出すと、そういう場面は、よくあった。

だから学生時代、おかしなことだが、あのヤクザの世界に、どこかあこがれたのを覚え
ている。映画の中で、義理だ、人情だなどと言っているのを見たとき、自分にない感覚
であっただけに、新鮮な感じがした。

 が、もっとも大きな特徴は、そういう自分でありながら、決して、他人には、心を許さ
なかったということ。表面的には、ヘラヘラと、ときにはセカセカとうまくつきあうこと
はできたが、その実、いつも自分を偽っていた。相手を疑っていた。そのため、相手と、
信頼関係を結ぶことができなかった。いつも心のどこかで、「損得」を考えて行動していた。
しかしこのことも、当時の私が、知る由もないことであった。私は、自分のそういう面を、
母を通して、知った。

●母の影響

 私の母も、よくウソをついた。で、ある日、私の中に「ウソの体質」があるのは、母の
影響だということがわかった。が、それだけではなかった。私の母は、私という息子にさ
え、心を開くことをしない。詳しくは書けないが、80歳をすぎた今でも、私やワイフの
前で、自分を飾り、自分をごまかしている。そういう母を見たとき、母が、以前の私そっ
くりなのを知った。つまりそういう母を通して、過去の自分を知った。

 が、そういう私という夫をもつことで、一番苦しんだのは、私のワイフである。私たち
は、何となく結婚した。そういうような結婚のし方をした。まさにハプニング的な結婚と
いう感じである。電撃に打たれるような衝撃を感じて結婚したというのではない。そのた
めか、私たちは、当初から、どこか友だち的な夫婦だった。いっしょにいれば、楽しいと
いう程度の夫婦だった。

 そういうこともあって、私は、ワイフと、夫婦でありながら、信頼関係を築くことがで
きなかった。「この女性が、私のそばにいるのは、お金が目的だ」「この女性は、もし私に
生活力がなければ、いつでも私から去っていくだろう」と。そんなふうに考えたこともあ
る。

同時に、私は嫉妬(しっと)深く、猜疑心(さいぎしん)が強かった。町内会の男たち
とワイフが、親しげに話しているのを見ただけで、頭にカーッと血がのぼるのを感じた
こともある。

 まるで他人のような夫婦。当時を振りかえってみると、そんな感じがする。それだけに
皮肉なことだが、新鮮といえば、新鮮な感じがした。おかげで、結婚後、5年たっても、
10年たっても、新婚当初のままのような夫婦生活をつづけることができた。これは男女
のどういう心理によるものかは知らないが、事実、そうだった。

 が、そういう自分に気づくときがやってきた。私は幸運(?)にも、幼児教育を一方で
してきた。その流れの中で、子どもの心理を勉強するようになった。私はいつしか、自分
の子ども時代によく似ている子どもを、さがすようになった。と、言っても、これは決し
て、簡単なことではない。

●自分をさがす

 「自分を知る」……これは、たいへんむずかしいことである。何か特別な事情でもない
かぎり、実際には、不可能ではないか。どの人も、自分のことを知っているつもりで、実
は知らない。私はここで「自分の子ども時代によく似ている子ども」と書いたが、本当の
ところ、それはわからない。無数の子どもの中から、「そうではないか?」と思う子どもを
選び、さらにその子どもの中から共通点をさがしだし、つぎの子どもを求めていく……。
こうした作業を、これまた無数に繰りかえす。

 手がかりがないわけではない。

 私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。
 私は毎日、家には、まっすぐ帰らなかった。
 私は休みごとに、母の実家のある、I村に行くのが何よりも楽しみだった。

 こうした事実から、私は、帰宅拒否児であったことがわかる。

 私は泣くと、いつもそのあとシャックリをしていた。
 静かな議論が苦手で、喧嘩(けんか)になると、すぐ興奮状態になった。
 私は喧嘩をすると、相手の家の奥までおいかけていって、相手をたたいた。

 こうした事実から、私は、かんしゃく発作のもち主か、興奮性の強い子どもであったこ
とがわかる。

 私はいつも母のフトンか、祖父母のフトンの中に入って寝ていた。
 町内の旅行先で、母のうしろ姿を追いかけていたのを覚えている。
 従兄弟(いとこ)たちと寝るときも、こわくてひとりでは、寝られなかった。

 こうした事実から、私は分離不安のもち主だったことがわかる。

 ……こうした事実を積み重ねながら、「自分」を発見する。そしてそうした「自分」に似
た子どもをさがす。そしてそういう子どもがいたら、なぜ、その子どもがそうなったかを、
さぐってみる。印象に残っている子ども(年長男児)に、T君という男の子がいた。
 
●T君

 T君は、いつも祖母につられて、私の教室にやってきた。どこかの病院では、自閉症と
診断されたというが、私はそうではないと思った。こきざみな多動性はあったが、それは
家庭不和などからくる、落ち着きなさであった。脳の機能障害によるものなら、子どもの
気分で、静かになったり、あるいはおとなしくなったりはしない。T君は、私がうまくの
せると、ほかの子どもたちと同じように、ゲラゲラと笑ったり、あるいは気が向くと、静
かにプリント学習に取りくんだりした。

 そのT君の祖母からいつも、こんなことを言われていた。「母親が会いにきても、絶対に
会わせないでほしい」と。その少し前、T君の両親は、離婚していた。が、その日が、や
ってきた。

 まずT君の母親の姉がやってきて、こう言った。「妹(T君の母親)に、授業を参観させ
てほしい」と。私は祖母との約束があったので、それを断った。断りながら、姉を廊下の
ほうへ、押し出した。私はそこにT君の母親が泣き崩れてかがんでいるのを見た。私はつ
らかったが、どうしようもなかった。T君が母親の姿を見たら、T君は、もっと動揺した
だろう。そのころ、T君は、やっと静かな落ち着きを取りもどしつつあった。

 T君が病院で、自閉症と誤診されたのは、T君に、それらしい症状がいくつかあったこ
とによる。決して病院を責めているのではない。短時間で、正確な診断をすることは、む
ずかしい。こうした心の問題は、長い時間をかけて、子どもの様子を観察しながら診断す
るのがよい。しかし一方、私には、その診断する権限がない。診断名を口にすることすら、
許されない。私はT君の祖母には、「自閉症ではないと思います」ということしか、言えな
かった。

●T君の中の私

 T君は、暴力的行為を、極度に恐れた。私は、よくしゃもじをもって、子どもたちのま
わりを歩く。背中のまがっている子どもを、ピタンとたたくためである。決して痛くはな
いし、体罰でもない。

 しかしT君は、私がそのしゃもじをもちあげただけで、おびえた。そのおびえ方が、異
常だった。私がしゃもじをもっただけで、体を震わせ、興奮状態になった。そして私から
体をそらし、手をバタつかせた。私が、「T君、君はいい子だから、たたかないよ。心配し
なくてもいいよ」となだめても、状態は同じだった。一度、そうなると、手がつかられな
い。私はしゃもじを手から離し、それをT君から見えないところに隠した。

 こういうのを「恐怖症」という。私は、T君を観察しながら、私にも、似たような恐怖
症があるのを知った。

 私は子どものころ、夕日が嫌いだった。赤い夕日を見ると、こわかった。
 私は子どものころ、酒のにおいが嫌いだった。酒臭い、小便も嫌いだった。
 私は毎晩、父の暴力を恐れていた。

 私の父は、私が5歳くらいになるころから、アルコール中毒になり、数晩おきに近くの
酒屋で酒を飲んできては、暴れた。ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと、人が変わっ
た。そして食卓のある部屋で暴れたり、大声で叫びながら、近所を歩きまわったりした。
私と姉は、そのたびに、家の中を逃げまわった。

●フラシュバック

 そんなわけで今でも、ときどき、あのころの恐怖が、もどってくることがある。一度、
とくに強烈に覚えているのは、私が6歳のときではなかったかと思う。姉もその夜のこと
をよく覚えていて、「浩ちゃん、あれは、あんたが6歳のときよ」と教えてくれた。

 私は父の暴力を恐れて、2階の1番奥にある、物干し台に姉と2人で隠れた。そこへ母
が逃げてきた。が、階下から父が、「T子(母の名)! T子!」と呼ぶ声がしたとき、母
だけ、別のところへ逃げてしまった。

 そこには私と姉だけになってしまった。私は姉に抱かれると、「姉ちゃん、こわいよ、姉
ちゃん、こわいよ」と声を震わせた。

 やがて父は私たちが隠れている隣の部屋までやってきた。そして怒鳴り散らしながら、
また別の部屋に行き、また戻ってきた。怒鳴り声と、はげしい足音。そしてそのつど、バ
リバリと家具をこわす音。私は声をあげることもできず、声を震わせて泣いた……。

 声を震わせた……今でも、ときどきあの夜のことを思い出すと、そのままあの夜の状態
になる。そういうときワイフが横にいて、「あなた、何でもないのよ」と、なだめて私を抱
いてくれる。私は年がいもなく、ワイフの乳房に口をあて、それを無心で吸う。そうして
吸いながら、気分をやすめる。

 数年前、そのことを姉に話すと、姉は笑ってこう言った。「そんなの気のせいよ」「昔の
ことでしょ」「忘れなさいよ」と。残念ながら、姉には、「心の病気」についての理解は、
ほとんどない。ないから、私が受けた心のキズの深さが理解できない。

●ふるさと

 私にとって、そんなわけで、「ふるさと」という言葉には、ほかの人とは異なった響きが
ある。どこかの学校へ行くと、「郷土を愛する」とか何とか書いてあることがあるが、心の
どこかで、「それができなくて苦しんでいる人もいる」と思ってしまう。

 私はいつからか、M市を出ることだけしか考えなくなった。M市というより、実家から
逃げることばかりを考えるようになった。今でも、つまり55歳という年齢になっても、
あのM市にもどるというだけでも、ゾーッとした恐怖感がつのる。実際には、盆暮れに帰
るとき、M市に近づくと、心臓の鼓動がはげしくなる。40歳代のころよりは、多少落ち
着いてはきたが、その状態はほとんど変わっていない。

 しかし無神経な従兄弟(いとこ)というのは、どこにでもいる。先日もあれこれ電話を
してきた。「浩司君、君が、あの林家の跡取りになるんだから、墓の世話は君がするんだよ」
と言ってきた。しかし私自身は、死んでも、あの墓には入りたくない。M市に葬られるの
もいやだが、あの家族の中にもどるのは、もっといやだ。私は、あの家に生まれ育ったた
め、自分のプライドすら、ズタズタにされた。

 私が今でも、夕日が嫌いなのは、その時刻になると、いつも父が酒を飲んで、フラフラ
と通りを歩いていたからだ。学校から帰ってくるときも、そのあたりで、何だかんだと理
由をつけて、友だちと別れた。ほかの時代ならともかくも、私にとってもっとも大切な時
期に、そうだった。

●自分を知る

 そういう自分に気づき、そういう自分と戦い、そういう自分を克服する。私にはずっと
大きなテーマだった。しかし自分の心のキズに気づくのは、容易なことではない。心のキ
ズのことを、心理学の世界では、トラウマ(心的外傷)という。仮に心にキズがあっても、
それ自体が心であるため、そのキズには気づかない。それはサングラスのようなものでは
ないか。青いサングラスでも、ずっとかけたままだと、サングラスをかけていることすら
忘れてしまう。サングラスをかけていても、赤は、それなりに赤に見えてくる。黄色も、
それなりに黄色に見えてくる。

 たとえば私は子どものころ、頭にカーッと血がのぼると、よく破滅的なことを考えた。
すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられたこともある。こうした衝動性は、自分
の心の内部から発生するため、どこからが自分の意思で、どこから先が、自分の意思でな
いのか、それがわからない。あるいはすべてが自分の意思だと思ってしまう。

 あるいは自分の思っていることを伝えるとき、ときとして興奮状態になり、落ちついて
話せなくなることがあった。一番よく覚えているのは、中学2年になり、生徒会長に立候
補したときのこと。壇上へあがって演説を始めたとたん、何がなんだか、わからなくなっ
てしまった。そのときは、「あがり性」と思ったが、そんな簡単なものではなかった。頭の
中が混乱してしまい、口だけが勝手に動いた。

 私がほかの人たちと違うということを発見したのは、やはり結婚してからではないか。
ワイフという人間を、至近距離で見ることによって、自分という人間を逆に、浮かびあが
らせることができた。そういう点では、私のワイフは、きわめて常識的な女性だった。情
緒は、私よりはるかに安定していた。精神力も強い。たとえば結婚して、もう30年以上
になるが、私はいまだかって、ワイフが自分を取り乱して、ワーワーと泣いたり、叫んだ
りしたのを、見たことがない。

 一方、私は、よく泣いたり、叫んだりした。情緒も不安定で、何かあると、すぐふさい
だり、落ちこんだりする。精神力も弱い。すぐくじけたり、いらだったりする。私はそう
いう自分を知りながら、他人も似たようなものだと思っていた。少なくとも、私が身近で
知る人間は、私によく似ていた。祖母も、父も、母も、姉も。だから私が、ほかの人と違
うなどというのは、思ったことはない。違っていても、それは「誤差」の範囲だと思って
いた。

●衝撃

 ふつうだと思っていた自分は、実は、ふつうではなかった。……もっとも、私は、他人
から見れば、ごくうつうの人間に見えたと思う。幸いなことにというか、心の中がどうで
あれ、人前では、私は自分で自分をコントロールすることができた。たとえばいくらワイ
フと言い争っていても、電話がかかってきたりすると、その瞬間、ごくふつうの状態で、
その電話に出ることができた。

 自分がふつうでないことを知るのは、衝撃的なことだ。私の中に、別の他人がいる……
というほど、大げさなことではないが、それに近いといってもよい。自分であって、自分
でない部分である。それが自分の中にある! そのことは、子どもたちを見ているとわか
る。

 ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、つっぱりやすい子どもなど。いろいろな子
どもがいる。そういう子どもは、自分で自分の意思を決定しているつもりでいるかもしれ
ないが、本当のところは、自分でない自分にコントロールされている。そういう子どもを
見ていると、「では、私はどうなのか?」という疑問にぶつかる。

 この時点で、私も含めて、たいていの人は、「私は私」「私はだいじょうぶ」と思う。し
かしそうは言い切れない。言い切れないことは、子どもたちを見ていれば、わかる。それ
ぞれの子どもは、それぞれの問題をかかえ、その問題が、その子どもたちを、裏から操っ
ている。たとえば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えなくなると、ギャーッとものす
ごい声を張りあげて、あとを追いかけたりする。先にあげた、T君も、その一人だ。

 その分離不安の子どもは、なぜそうなるのか。また自分で、なぜそうしているかという
自覚はあるのか。さらにその子どもがおとなになったとき、その後遺症はないのか、など
など。

●なぜ自分を知るか

 ここまで書いて、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あなたは自分を知れと言う
けど、知ったところで、それがどうなの?」と。

 自分を知ることで、少なくとも、不完全な自分を正すことができる。人間の行動という
のは、一見、複雑に見えるが、その実、同じようなパターンの繰りかえし。その繰りかえ
しが、こわい。本来なら、「思考」が、そのパターンをコントロールするが、その思考が働
く前に、同じパターンを繰りかえしてしまう。もっとわかりやすく言えば、人間は、ほと
んどの行動を、ほとんど何も考えることなしに、繰りかえす。

 そのパターンを裏から操るのが、ここでいう「自分であって、自分でない部分」という
ことになる。よい例が、子どもを虐待する親である。

●子どもを虐待する親

 子どもを虐待する親と話していて不思議だなと思うのは、そうして話している間は、そ
ういう親でも、ごくふつうの親であるということ。とくに変わったことはない。ない、と
いうより、むしろ、子どものことを、深く考えている。もちろん虐待についての認識もあ
る。「虐待は悪いことだ」とも言う。しかしその瞬間になると、その行動をコントロールで
きなくなるという。

 ある母親(30歳)は、子ども(小1)が、服のソデをつかんだだけで、その子どもを
はり倒していた。その衝撃で、子どもは倒れ、カベに頭を打つ。そして泣き叫ぶ。そのと
たん、その母親は、自分のしたことに気づき、あわてて子どもを抱きかかえる。

 その母親は、私のところに相談にきた。数回、話しあってみたが、理由がわからなかっ
た。しかし3度目のカウンセリングで、母親は、自分の過去を話し始めた。それによると
こうだった。

 その母親は、高校を卒業すると同時に、一人の男性と交際を始めた。しばらくはうまく
(?)いったが、そのうち、その母親は、その男性が、自分のタイプでないことに気づい
た。それで遠ざかろうとした。が、とたん、相手の男性は、今でいうストーカー行為を繰
りかえすようになった。

 執拗(しつよう)なストーカー行為だった。で、数年がすぎた。が、その状態は、変わ
らなかった。本来なら、その母親はその男性と、結婚などすべきではなかった。しかしそ
の母親は、心のやさしい女性だった。「結婚を断れば、実家の親たちに迷惑がかかるかもし
れない」ということで、結婚してしまった。

 「味気ない結婚でした」と、その母親は言った。そこで「子どもができれば、その味気
なさから解放されるだろう」ということで、子どもをもうけた。それがその子どもだった。

 このケースでは、夫との大きなわだかまりが、虐待の原因だった。子どもが母親のソデ
をつかんだとき、その母親は、無意識のうちにも、結婚前の心の様子を、再現していた。

●だれでも、キズはある

 だれでも、キズの1つや2つはある。キズのない人は、いない。だから問題は、キズが
あることではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振りまわされること。そして
同じ失敗を繰りかえすこと。これがこわい。

 そのためにも、自分を知る。自分が、いつ、どのような形で、今の自分になったかを知
る。知ることにより、その失敗から解放される。

 ここにあげた母親も、しばらくしてから私のほうから電話をすると、こう話してくれた。
「そのときはショックでしたが、そこを原点にして、立ちなおることができました」と。

 しかし自分を知ることには、もう一つの重要な意味がある。

●真の自由を求めて

 自分の中から、自分でないものを取り去ることによって、その人は、真の自由を手に入
れることができる。別の言葉で言うと、自分の中に、自分でない部分がある間は、その人
は、真の自由人ということにはならない。

 たとえば本能で考えてみる。わかりやすい。

 今、目の前にたいへんすてきな女性がいる。(あなたが女性なら、男性ということになる。)
その女性と、肌をすりあわせたら、どんなに気持ちがよいだろうと、あなたは頭の中で想
像する。

 ……そのときだ。あなたは本能によって、心を奪われ、その本能によって行動している
ことになる。極端な言い方をすれば、その瞬間、本能の奴隷(どれい)になっていること
になる。(だからといって、本能を否定しているのではない。誤解のないように!)

 人間の行動は、こうした本能にかぎらず、そのほとんどが、実は、「私は私」と思いつつ、
結局は、私でないものに操られている。1日の行動を見ても、それがわかる。

 家事をする。仕事をする。育児をする。すべての行為が何らかの形で、私であって私で
ない部分によって、操られている。スーパーで、値ごろなスーツを買い求めるような行為
にしても、もろもろの情報に操られているといってもよい。もっともそういう行為は、生
活の一部であり、問題とすべきではない。

 問題は、「思想」である。思想面でこそ、あらゆる束縛から解放されたとき、その人は、
真の自由を、手に入れることになる。少し飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、その
第1歩が、「自分を知る」ということになる。

●自分を知る

 私は私なのか。本当に、私と言えるのか。どこからどこまでが本当の私であり、どこか
ら先が、私であって私でない部分なのか。

 私は嫉妬深い。その嫉妬にしても、それは本当に私なのか。あるいはもっと別の何かに
よって、動かされているだけなのか。今、私はこうして「私」論を書いている。自分では
自分で考えて書いているつもりだが、ひょっとしたら、もっと別の力に動かされているだ
けではないのか。

 もともと私はさみしがり屋だ。人といるとわずらわしく感ずるくせに、そうかといって、
ひとりでいることができない。ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」※は、どこかで
書いた。私は、そのヤマアラシに似ている。まさにヤマアラシそのものと言ってもよい。
となると、私はいつ、そのようなヤマアラシになったのか。今、こうして「私」論を書い
ていることについても、自分の孤独をまぎらわすためではないのか。またこうして書くこ
とによって、その孤独をまぎらわすことができるのか。

 自分を知るということは、本当にむずかしい。しかしそれをしないで、その人は、真の
自由を手に入れることはできない。それが、私の、ここまでの結論ということになる。

●私とは……

 私は、今も戦っている。私の体や心を取り巻く、無数のクサリと戦っている。好むと好
まざるとにかかわらず、過去のわだかまりや、しがらみを引きずっている。そしてそうい
う過去が、これまた無数に積み重なって、今の私がある。

 その私に少しでも近づくために、この「私」論を書いてみた。
(030304)※

※ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」……寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、た
がいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相
手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマア
ラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあっ
た。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己同一性(アイデンティティ)

++++++++++++++++++

(自分はこうあるべきだ)というのが自己概念。
その自己概念に対して、そこには、
現実の自分(=現実自己)がいる。

この自己概念と現実自己が、どの程度一致しているか。

それが、「自己同一性」の問題ということになる。

「アイデンティティ」の訳語である。

「自己同一性」を、「自我同一性」と書く
研究者もいる。

アイデンティティの確立した子どもは、
どっしりとした落ち着きがある。そうでない
子どもは、そうでない。

いつも将来に対する、ばくぜんとした
不安感に襲われる。自発的、自主的な
行動ができなくなる。

しかしこれは、子どもだけの問題ではない。

+++++++++++++++++++

●子どもの問題
 
(自分はこうあるべきだ)(こうありたい)と、自分が心の中に描く自己像を、(自己概
念)という。

 たとえて言うなら、恋愛期を思い浮かべてみればよい。恋愛前には、ほとんどの男女は、
(理想の異性)を、頭の中に描く。

 一方、そこには、現実の自分、つまり現実自己がある。いくら理想の異性を頭の中に思
い浮かべても、その前に、理想の異性が現れなければ、どうしようもない。仮に現れても、
相手にされるかどうか、わからない。

 もちろん電撃に撃たれるような恋をして、相思相愛で、結ばれるカップルもいる。そう
いう状態を、自己概念と現実自己の一致した状態という。

 で、子どものばあい、つぎの4期を経て、アイデンティティを確立する。

(1)人形期
(2)反抗期
(3)模索期(モラトリアム期)
(4)同一性の確立
 
(1)人形期……親の期待に応え、親の希望どおりになろうと努力する時期。年齢的には、
〜満10歳(小学3、4年生)。
(2)反抗期……やがて子どもは、自ら自己概念を描き始める。そして現実の自分とのギ
ャップを知り、葛藤する。親からの呪縛感に反抗する。年齢的には、〜18歳前後。
(3)模索期……自己概念に自分を近づけようとしたり、あるいは自己概念そのものを求
めて模索する。年齢的には、〜24、5歳前後。
(4)同一性の確立……(自分のしたいこと)と(自分のしていること)を一致させる。

 ここに年齢を、例としてあげたが、同一性が確立する時期は、それぞれみな、ちがう。
中学、高校生ぐらいのときに、すでに方向性の定まっているいる子どももいれば、30歳
を過ぎても、方向性の定まらない子どももいる。

 ひとつの例をあげて考えてみる。

 A君(年長児)は、クラスでもよく目立つほど、聡明な子どもだった。母親は、「将来は、
医者にしたい」と言った。A君も、「ぼくは、医者になる」と言った。

 この時期、子どもは、親の価値観をそのまま受けいれ、親に好かれようと、無意識のう
ちにも、親の描く(自己像)を受けいれようとする。

 が、小学4年生になったとき、変化が起きた。A君は、サッカーが好きだった。それま
では、近所の子どもたちとサッカーをして遊ぶことが多かった。が、母親が、無理やりA
君を進学塾に入れた。週3回の塾である。

 そのため、母親はA君に、「サッカーをやめるように」と言った。A君はそれについて不
満だった。が、母親に従った。

 小さなキレツだったが、やがてそのキレツは大きくなった。塾から返されるテスト結果
を見て、母親は、A君を叱ることが多くなった。「こんなことでは、S中学に入れないわよ!」
と。A君には、それが「こんなことでは医者になれないわよ」と聞えた。

 こうしてA君は、やがて反抗期へと突入していった。それまでは母親に従順だったのだ
が、その母親に対して暴言を吐いたり、ときには、ものを投げつけるなどの暴力行為を働
くようになった。

 何とかA中学に入学したものの、A君の心の中には、挫折感が残ったままだった。母親
に反抗しながらも、その母親の期待に応えられなかったという挫折感。A君は、悶々とし
た気分で、毎日を過ごした。

 が、ある日、A君は、遊園地で、数人の男女が、着ぐるみ身を包み、舞台の上で踊って
いるのを見た。楽しそうだった。と、そのとき、A君の心の中で、何かが光るのを感じた。
最初は小さな光だったが、やがてその光は、心の中全体を照らすようになった。

 A君は、そのままA高校へと進学した。が、勉強はつまらないものだった。勉強に興味
をもつことができなかった。で、親に内緒で、あちこちの養成所の案内書を手に入れた。
A君はある日、その案内書を母親に見せた。「ぼくも、この仕事がしたい」「学校をやめて、
養成所に通う」と。

 母親は、絶望感から、半狂乱になってしまった。父親を巻きこんで、それに猛反対した。
が、A君の意思はかたかった。「ぼくは、どうしても、そこへ行く」と。

 家出寸前のところで、親のほうが、折れた。「そこまで思っているなら……」ということ
で、親は、養成所の近くにワンルームマンションを借りてやった。A君は、そのまま高校
を中退した。

 で、そのA君だが、現在は、その劇団でも指導的な立場について、活躍している。全国
のイベント会場で、踊っている。

 以上が、A君の例だが、どこからどこまでが、人形期で、どこからどこまでが反抗期。
さらには、どこからどこまでが、模索期かということは、ここに改めて説明するまでもな
い。A君は、こうして自己の同一性を確立した。

●退職者の問題

 しかし自己同一性の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。近くに、こんな知人が
いる。

 その知人は、最近定年で退職したのだが、退職してからも、それまでと同じように、か
ばんをもって、会社に行く。もちろん会社に行くのではない。行くフリをしているだけ。
電車に乗って、街までは行くのだが、あとは、何をするでもなし、何もしないでもなし。
一日をそうして過ごして、そして夕方には、家に帰ってくる。

 妻や子どもたちには、「職さがし……」と言っていたそうだ。いや、退職直後は、その会
社の子会社の倉庫会社で、倉庫番の仕事をしていたのだが、1週間もつづかなかったとい
う。

 この退職者のばあい、それまでは会社一筋で、仕事をしていた。「一社懸命」という言葉
も、よく使った。が、退職と同時に、その(糸)が切れてしまった。と、同時に、アイデ
ンティティがばらばらになってしまった。心理学の用語を使うなら、(アイデンティティの
拡散)ということになる。

 子どもでも、アイデンティティが拡散すると、心理的にもきわめて不安定になることが
知られている。将来に対して大きな不安感をもち、自主的、自発的な行動がとれなくなる。

 その知人も、同じように考えてよい。家にいても、することがない。家族からは、ゴミ
のように思われている。(それはその知人の被害妄想のようなものだったが……。)かとい
って、自分がしたいことすら、はっきりしない。だから当然、自分で何をしてよいのかわ
からない。心そのものが、宙ぶらりんのような状態になる。

 では、どうすればよいのか?
 
 実は、この問題は、私自身の問題でもある。

 ときどき私は、「いったい、私は何をしたいのか」と思い悩むことがある。そこでいくつ
かそれを頭の中で、思い描いてみる。

☆オーストラリアへ移住したい。
☆世界中を旅行してみたい。
☆旅行記を書いてみたい、など。

 しかしそのあとがつづかない。「だからどうなの?」「それがどうしたの?」と聞かれる
と、返答に困ってしまう。その前に、生活費の問題もある。健康の問題もある。私が本当
にしたいこと、あるいはすべきことは、もっとほかにあるように思うのだが、それがはっ
きりとしない。つまり退職後の自己概念が、どうしても描けない。

 自己概念が描けないのに、どうして、現実の自分を、その自己概念に近づけることがで
きるのか?

 「有名になりたい」という気持ちは、今でもないわけではない。それにお金は嫌いでは
ない。しかしそれとて、「だから、どうなの?」と聞かれると、これまたはたと、返答に困
ってしまう。

 言いかえると、定年退職をするということは、同時に、どうやって自己概念をもつかと
いう問題ということになる。それがはっきりしないまま退職してしまうと、ここに書いた
知人のようになってしまう。

 しかし老後は長い。人によっては、退職後、20年とか、30年もつづく。それだけの
年月を、無益に過ごしてしまうというのも、どうか?

 そこで青年期には、模索期(モラトリアム)という時期がある。わかりやすく言えば、(私
さがしの時期)ということになる。この時期を通して、青年は、(私)をさがし求め、その
(私)に行きつく。

 同じように、退職者にも、模索期(モラトリアム)があってもよいのではないか。……
といっても、青年のように、時の流れに身を任せ、のんびりしていることはできない。残
された時間には、かぎりがある。青年期とちがい、時間の流れが、速い。あっという間に、
1年とか、2年が過ぎていく。加えて、体力、気力ともに、衰えてくる。

 で、再び、私のばあいだが、実のところ、(したいこと)が、はっきりしない。今まで、
生活に追われるまま、そんなことを考える余裕すらなかった。(したいこと)そのものが、
土の中に埋もれてしまっている。そんな感じがする。

 そんなわけで、今も、こう考えている。「私は、何をしたいのか」「何をすべきなのか」
と。まさに私は、模索期(モラトリアム)に入ったことになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己の同一性 自己同一性 自我同一性 自己概念 現実自己 モラトリアム)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の傷】

●心を司る脳

++++++++++++++++++

脳みその中心部に、辺縁系と呼ばれる組織体がある。
昔は、「原始脳」と呼ばれ、機能を失った脳という
ことになっていた。 

しかしそれがとんでもないまちがいであることが、
最近の研究でわかってきた。

原始脳どころか、人間の心を司っている。

++++++++++++++++++

 今までに、「辺縁系」について私が書いた原稿を、いくつか検索してみた。内容が、かな
りの部分でダブるが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●知識と思考

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短
期記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶とい
うのは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれ
に含まれる。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記
憶は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶
は「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日
本実業出版社)参考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だ
けでは、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題
によって、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんであ
ると認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが
近づいてくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当た
る。あぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。
しかしこの段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。こ
の危険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳とい
うことになる。

人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記憶を呼び起こ
しながら、それを脳の中で有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論と
して、思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。で、
最近の研究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということがわ
かってきた(伊藤正男氏)。

伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・新皮質」というところで思
考がなされるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃体(価値判断)な
ども総合的に作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」
は別のものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多い
から思考能力が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはな
らない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数
ができる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子ど
もということにはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここで
ひも解いてみた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●馬に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』
というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であっ
て、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、
つぎのように説明されている。

 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁という部分がある。それらを包み込んでいるのが、大
脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬も
この中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組
織があるという(伊藤正男氏)。

つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説
明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族
維持などを維持するための機関と考えられていた。)

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新
皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずし
も的確ではない」(新井康允氏)ということになる。

脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。
いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十
分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』
のである。

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考え
るばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよけれ
ばさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状
回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によ
れば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、
そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気
がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●思考のメカニズム

 古来中国では、人間の思考作用をつぎのように分けて考える(はやし浩司著「目で見る
漢方診断」「霊枢本神篇」飛鳥新社)。

 意……「何かをしたい」という意欲
 志……その意欲に方向性をもたせる力
 思……思考作用、考える力
 慮……深く考え、あれこれと配慮する力
 智……考えをまとめ、思想にする力

 最近の大脳生理学でも、つぎのようなことがわかってきた。人間の大脳は、さまざまな
部分がそれぞれ仕事を分担し、有機的に機能しあいながら人間の精神活動を構成している
というのだ(伊藤正男氏)。たとえば……。

 大脳連合野の新・新皮質……思考をつかさどる
 扁桃体……思考の結果に対して、満足、不満足の価値判断をする
 帯状回……思考の動機づけをつかさどる
 海馬……新・新皮質で考え出したアイディアをバックアップして記憶する

 これら扁桃体、帯状回、海馬は、大脳の中でも「辺縁系」と呼ばれる、新皮質とは区別
される古いシステムと考えられてきた。しかし実際には、これら古いシステムが、人間の
思考作用をコントロールしているというのだ。まだ研究が始まったばかりなので、この段
階で結論を出すのは危険だが、しかしこの発想は、先の漢方で考える思考作用と共通して
いる。あえて結びつけると、つぎのようになる。

 大脳皮質では、言語機能、情報の分析と順序推理(以上、左脳)、空間認知、図形認知、
情報の総合的、感覚的処理(以上、右脳)などの活動をつかさどる(新井康允氏)。

これは漢方でいう、「思」「慮」にあたる。で、この「思」「慮」と並行しながら、それを
満足に思ったり、不満足に思ったりしながら、人間の思考をコントロールするのが扁桃
体ということになる。もちろんいくら頭がよくても、やる気がなければどうしようもな
い。その動機づけを決めるのが、帯状回ということになる。これは漢方でいうところの
「意」「志」にあたる。日本語でも「思慮深い人」というときは、ただ単に知恵や知識が
豊富な人というよりは、ものごとを深く考える人のことをいう。

が、考えろといっても、考えられるものではないし、考えるといっても、方向性が大切
である。それぞれが扁桃体・帯状回・海馬の働きによって、やがて「智」へとつながっ
ていくというわけである。 

 どこかこじつけのような感じがしないでもないが、要するに人間の精神活動も、肉体活
動の一部としてみる点では、漢方も、最近の大脳生理学も一致している。人間の精神活動
(漢方では「神」)を理解するための一つの参考的意見になればうれしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●無理に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』
というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であっ
て、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、
つぎのように説明されている。

●動機づけを決める帯状回?

 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んで
いるのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつか
さどる海馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯
状回という組織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の
活動のひとつとして説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従
来は生命維持と種族維持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究
では、それぞれにも独立した働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)

●やる気が思考力を決める

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新
皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずし
も的確ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞ
れに仕事を分担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれてい
ても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲
む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のである。

●乗り気にさせるのが伸ばすコツ

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、
一生懸命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違う
でしょうし、結果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、
これを行っているのが帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によ
れば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、
そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気
がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●脳と心と快感

 人間の体は、数十万年という、まさに気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化し
てきた。指一本、爪の形や位置にしても、そこには、長い進化の歴史が刻まれている。そ
れは常識だが、実は、人間の心も、環境に適応するため、そのつど進化してきたと考える
のが、正しい。

 私は今、脳の中心部にある、扁桃体と呼ばれている部分に、たいへん興味をもっている。
(扁桃核ともいう。)

この扁桃体というのは、大脳の辺縁系の中、つまり新皮質部の下にある原始的な脳の一
部だと思えばよい。(原始的という言い方は正しくないかもしれない。大脳連合野の新皮
質部が比較的あとになって発達した脳であることに対して、そう言う。新皮質部は、人
間の思考など、知的活動をつかさどる。)

この扁桃体が、人間の情動活動に、たいへん深く関わっているということが、最近の研
究でわかってきた(伊藤正男氏の思考システムより)。

 たとえばこの扁桃体を、サルの実験などで、刺激したり、反対に破壊したりすると、情
動的な大きな変化が起こるという(新井康允氏)。「サルの扁桃体とその周囲の大脳皮質を
壊すと、情緒的反応性の低下が見られ、ヘビやイヌをふだんは怖がるのに、扁桃体を破壊
されたサルは、ヘビやイヌを近づけても、平気になってしまう」「扁桃体とその周囲の大脳
皮質を壊された雄ネコは、ウサギに交尾しようとしたり、ばあいによっては、ヒトに性行
動を示した例も報告されています」(新井康允氏「脳のしくみ」)と。

 こうした事実から、新井康允氏は、つぎのように結論づけている。

 「このようなことから、扁桃体は、外から入ってくる刺激について、それぞれ生物学的
な意味づけや、生物学的価値判断をくだし、快、不快、恐怖といった情動反応を起こさせ
るメカニズムがあると考えられます」(同書)と。

 伊藤正男氏も、「(思考は大脳連合野がつかさどるが)、満足、不満足の価値判断は、新皮
質が行うのではなく、扁桃体の快、不快システムを転用して、満足、不満足の価値判断を
くだしているのではないか」(同書)と述べている。

つまり私たちのもつ常識的な反応は、知的な活動によるものというよりは、もっと原始
的なレベルで、脳の機能の一部として起きているのではないかということ。たとえば人
に親切にしたり、やさしくしたりすると、たしかに気持ちがよいが、そうした快感は、
脳そのものが判断しているということだ。で、もしこれが事実なら、これは重大な意味
をもつ。

 仮に、これはあくまでもこれは仮定の問題だが、もし人間が、仲間を殺すことに快感を
覚えるようなシステムをもっていたとするなら、人間はとっくの昔に絶滅していただろう
ということ。もし人間が、仲間に意地悪をしたり、いじめることに快感を覚えるようなシ
ステムをもっていたとしたら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。人間
が今の今、こうして生き延びていること自体、脳のシステムの中で、それを判断するしく
みが働いたということになる。たがいに助けあい、たがいに誠実であることに快感を覚え
るようになっているということになる。つまりこうした扁桃体があるということが、まさ
に進化の結果といえるのではないのか。

 もしこのことがわからなければ、今、こんな実験をしてみるとよい。どんなことでもよ
い。あなたの身の回りのことで、何か問題がおきたとき、正直に、そして誠実に、その問
題に対処してみてほしい。人に親切にするのもよい。そのとき、あなたは今まで感じなか
った、快感を覚えるはずである。この快感の根源こそが、新井氏や伊東氏のいうところに
よる、(多分? まちがっているかもしれないが……)、扁桃体の快、不快システムによる
ものということになる。私はこのことを、こんな事件を通して、学んだ。

 少し前だが、私は100円のペンを7本買って、1000円札を出した。で、レジの女
性からつり銭を渡され、店を出ようとするとき、手の中を見ると、つり銭が300円以上
あるのに気づいた。私は瞬間、「アッ」と思った。が、1、2歩、歩いたところで、振りか
えり、「あのう……」と言った。見ると、いつの間にか店長の女性もそこに立っていて、ニ
コニコ笑いながら、こう言った。「今、すべての商品を10%引きにしていますから」と。

 私はその一言で、心の中が晴れ晴れとした。そうした状態を、快感というのなら、それ
はまさに快感だった。私もニコニコ笑いながら、「そうですか。ありがとうございます」と
頭をさげたが、その快感は、私の大脳連合野によるもの、つまり知的活動によるものとい
うよりは、もっと深いところから湧(わ)きあがってくるものだった。

 だから……、というのは失礼かもしれないが、(というのも、すでにそんなことを実践し
ている人も多いと思うので)、こうした知識を一度頭に入れながら、あなたも一度、心の実
験をしてみてほしい。何かのことで、そういう立場に立たされたら、正直に、そして誠実
に対処してみてほしい。人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげるのもよい。そして
そのとき、あなたの心(情動活動)が、あなたの中でどう反応するかを静かに観察してみ
てほしい。それが、あなたの中の扁桃体による作用ということになる。

 むずかしい話になってしまったが、以上をまとめると、こういうことになる。

●人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、気持ちがよい。
●人に正直に接したり、誠実に接すると、気持ちがよい。
●その快感は、大脳辺縁系の扁桃体が判断して、生み出す。

つまりそういう機能があるがため、人間は今日の今日まで、進化の過程で生き延びるこ
とができた。そうでなければ、もうとっくの昔に絶滅していたはずである。進化論とい
うと、肉体という「形」ばかりが問題になるが、「心」もまた、問題とされるべきである。

それがわからなければ、あなたも心の実験をしてみるとよい。だれかに、親切に。だれ
かに、やさしく。だれかに、正直に。だれかに、誠実に。あなたもきっと、今までにな
い快感を覚えるはずだ。あなたの脳の中には、そういうシステムがすでに、できている。
それを信じて、一度実験してみてほしい。私がここに書いたことの意味を理解してもら
えるはずである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数十万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、
魚そっくりのときもあるそうだ。

 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰
り返す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせ
る場面に、よく出会う。

たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれて、
さまざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがあ
る。眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の
発達を段階的に繰り返しながら、子どもは成長する。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、
扁桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。確かに知的活動(大脳連合野
の新新皮質部)と、情動活動は、違う。たとえば一人の幼児を、皆の前でほめたとする。
するとその幼児は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮かべる。その表情を観察してみる
と、それは知的な判断がそうさせているというよりは、もっと根源的な、つまり本能的な
部分によってそうしていことがわかる。が、それだけではない。

 幼児、なかんずく4〜6歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であ
ることがわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、
生まれながらにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなった
と考えるのが正しい。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、
絶対に悪い子どもにはならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断
言する。)

 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよ
くわかる。

 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺し
ても、それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚
えるとか。新生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早く
ミルクをよこしやがれ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間
はとっくの昔に、絶滅していたはずである。つまり今、私たちがここに存在するというこ
とは、とりもなおさず、私たちが善人であるという証拠ということになる。私はこのこと
を、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、こ
の1、2年で1度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、
場合によっては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣
の中の幼虫を地面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば10分もたたないうちに、
無数の小さなアリが集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。

 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかか
っているのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあ
るハチの幼虫が、動き出したのである!

 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っ
ているだけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうも
それだけではないように感じた。

たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる
排泄行為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考え
る。そして相手が楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はア
リたちにも、同じような作用が働いているのではないかと思った。

つまりアリたちは、ただ単に行動本能に従っているだけではなく、「皆と力を合わせて行
動する喜び」を感じているのではないか、と。またその喜びがあるからこそ、そういっ
た重労働をすることができる、と。

 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔
に絶滅していたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜
びを感じているに違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しか
も過酷な肉体労働をすることができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それ
とも悪なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存
在」なのである。私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠
である。繰り返すが、もし私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔
に、恐らくアメーバのような生物にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じて
よい。自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それ
に従って行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜ
っぺき)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、
重要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。が、問題は、何がその帯状回を刺激
するか、だ。そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。ビジネスマンがビジネス
をとおして利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。科学
者にとっては、名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価という
ことになるのか。こう決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言え
ば、そういうことになる。こうした自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状
回(あくまでも伊藤氏の説に従えばということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。こ
れを私は「絶壁性」と呼んでいる。つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、
人ははじめてやる気を出す。たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も
変わりなく保障されるというような状態では、やる気は生まれない。「明日はどうなるかわ
からない」「来月はどうなるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はが
んばる。が、それがなければ、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二
つに集約される。「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。ただ
私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。とくにインターネットに原稿を載せても、
利益はほとんど、ない。ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自
我が原動力になっていることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。私のように、まったく保障のワクの
外で生きている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。明日、病気か事故で倒れ
れば、それでおしまい。そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。
毎日、自転車で体を鍛えているのも、そのひとつということになる。あるいは必要最低限
の生活をしながら、余力をいつも未来のためにとっておく。そういう生活態度も、そうい
う危機感の中から生まれた。もしこの絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだ
ろうと思う。

 そこで子どものこと。子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その
我欲の追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。順に考え
てみよう。

(自我の追求)

 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段
階に分けて、子どもを導く。幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。この動機づけ
がうまくいけば、あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種
をまいて、引き出す』の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。そのためには、『子どもは使えば使うほど
いい子』と覚えておくとよい。多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子ど
もに楽をさせること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くす
るコツ」と考えている。しかしこれは誤解。まったくの誤解。

 3つ目に、達成感。「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱってい
く原動力となる。もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)

 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子ど
もは伸びない。子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。(しかし危機感を
もたせすぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も
多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。しかし残念ながら、ここま
で飽食とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかし
い。仮に生活の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。子ど
もの心をコントロールするのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。
E君という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。そのときのE君は、はた
から見ても、かわいそうなくらい緊張したという。数日前から不眠症になり、当日は朝食
もとらず、会場へでかけていった。で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだっ
たらしい。それ以後、度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)
や、生徒会長(中学校)、文化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなって
いった。そのときどきは、親としてつらいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に
立たせるというのは、子どもを伸ばすためには大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかというこ
と。その一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生きがいを決めるのは、帯状回?

 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。脳のこの部分は、人間が原始動物であった
ときからあるものらしい。イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。

その辺縁系の中に、帯状回とか扁桃体と呼ばれるところがある。最近の研究によれば、
どうやら人間の「やる気」に、これらの帯状回や扁桃体が関係していることがわかって
きた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。反対にみなの前でけなされた
りすると、不快感を覚える。その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感
や不快感を受けて、大脳連合野の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。

一方、その扁桃体の感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。
やる気があれば、ものごとは前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、
何をするのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。たとえば他人
にやさしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。しかし反対に、他人をい
じめたり、意地悪したりすると、後味が悪い。この感覚は、きわめて原始的なもので、つ
まりは理屈では説明できないような感覚である。しかしそういう感覚を、人間がまだ原始
動物のときからもっていたと考えるのは、進化論から考えても正しい。もし人間が、もと
もと邪悪な感覚をもっていたら、たとえば仲間を殺しても、平気でいられるような感覚を
もっていたら、とっくの昔に絶滅していたはずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。新皮質
部というのは、いわゆる知的な活動をする部分である。たとえば正直に生きたとする。す
ると、そのあとすがすがしい気分になる。このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだ
が、それを受けて、新皮質部が、「もっと正直に生きよう」「どうすれば正直に生きられる
か」とか考える。そしてそれをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の
判断を受けて、やる気を引き起こす。「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そう
いう前向きな姿勢を生み出す。そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、
思考や行動を活発にしたりする。

●私のばあい

 さて私のこと。こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるというこ
とは、ひょっとしたら、それだけ役にたっているということになる。(中には、「コノヤロ
ー」と怒っている人もいるかもしれないが……。)

さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたりすると、どういうわ
けだか、それがうれしい。そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳細胞を活
発化する。そしてそれが私のやる気を引き起こす。そしてそのやる気が、ますますこう
してマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。が、読者が減ったり、ふえな
かったりすると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が低下する。そしてそれ
が帯状回の機能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子ど
ものやる気を考えることができる。よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほ
めて伸ばせ」「子どもは前向きに伸ばせ」というが、なぜそうなのかということは、脳の機
能そのものが、そうなっているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらな
ければならない」という気持ちが強い。では、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。
ここでいう「やる気論」だけでは説明できない。どこか絶壁に立たされたかのような緊張
感がある。では、その緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす

 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。このア
ドレナリンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。そして脳や筋肉により多くの酸素
を送りこみ、危急の行動を可能にする。こうしたストレス反応が過剰になることは、決し
て好ましいことではない。そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低
下や低体温などの、さまざまの弊害が現れてくる。しかし一方で、ほどよいストレスが、
全体の機能を高めることも事実で、要は、そのストレスの内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月5万
円を返済するのと、家を建てるため、毎月5万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで
違う。子どもの成績でいうなら、いつも100点を取っていた子どもが80点を取るのと、
いつも50点しか取れなかった子どもが、80点を取るのとでは、同じ80点でも、子ど
ものよって、感じ方はまったく違う。

私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと100人を超えたときのうれしさを忘れる
ことができない一方、450人から445人に減ったときのさみしさも忘れることがで
きない。100人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。しかし445人
に減ったときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気

 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程
度の緊張感を与える。しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるよう
な緊張感でなければならない。私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきている
ように感ずる。ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。あるいは交
通事故にあうかもしれない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないかと思
う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、
前に進むものか。そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。ただ
パンと水だけを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。今、こう
して自分のマガジンを発行しながら、私はそんなことを考えている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないか
と。よく「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」
なのか。手に生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)
がない。あるはずもない。

ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。だから、「私の顔」
と言えなくもない。しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。しかしなぜ書くかといえば、それがわか
らない。多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。それ
はサッカー選手が、サッカーの試合をするのに似ている。本人は自分の意思で動いている
と思っているかもしれないが、実際には、その選手は「私」であって「私」でないものに、
動かされているだけ? 

同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされて
いるだけかもしれない。となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャック
とローズを思い浮かべてみよう。彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。
そして数日のうちに、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心
をとらえた。それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に
翻弄(ほんろう)されただけかもしれない。電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意
思というよりは、その意思すらも支配する、本能によって引き起こされたと考えられる。

いや、だいたい男と女の関係は、すべてそうであると考えてよい。つまりジャックにし
てもローズにしても、「私は私」と思ってそうしたかもしれないが、実はそうではなく、
もっと別の力によって、そのように動かされただけということになる。このことは、子
どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。この時期
は、乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。この時期をすぎると、
子どもは急に生意気になる。人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子は
こういう子だ」という、とらえどころができてくる。そのころから自意識による記憶も残
るようになる。(それ以前の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。これは脳
の中の、辺縁系にある海馬という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆ
るふつうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。ここに書いた、貪欲さ
や闘争心も、それに含まれる。嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。

子ども、一人ひとりは、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し
高い視点から見ると、どの子どもも、それほど変わらない。ある一定のワクの中で動い
ている。もちろん方向性が違うということはある。ある子どもは、作文で、あるいは別
の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲さや闘争心を、昇華させていく。反
対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらには心をゆがめる子ども
もいる。しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうしているにすぎ
ない。

 となると、私は、どうなのか。私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局
はそのハバの中で踊らされているだけなのか。もっと言えば、私は私だと思っているが、
本当に私は私なのか。もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私
ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。ムダにした原稿も、
もう一〇枚(1600字x10枚)以上になる。どうやら、私はたいへんな問題にぶつか
ってしまったようだ。手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。こ
れから先、ゆっくりと時間をかけて、この問題と取り組んでみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 たとえば腹が減る。すると私は立ちあがり、台所へでかけ、何かの食べ物をさがす。カ
ップヌードルか、パンか。

 そのとき、私は自分の意思で動いていると思うが、実際には、空腹という本能に命じら
れて、そうしているだけ。つまり、それは、「私」ではない。

 さらに台所へ行って、何もなければどうする? サイフからいくらかのお金を取り出し
て、近くのコンビニへ向かう。そしてそこで何かの食物を買う。これも、私であって、「私」
ではない。だれでも多少形は違うだろうが、そういう状況に置かれた同じような行動をす
る。

 が、そのとき、お金がなかったどうする? 私は何かの仕事をして、そのお金を手に入
れる。となると、働くという行為も、これまた必然であって、やはり「私」でないという
ことになる。

 こうして考えていくと、「私」と思っている大部分のものは、実は、「私」ではないこと
になる。そのことは、野山を飛びかうスズメを見ればわかる。

 北海道のスズメも、九州のスズメも、それほど姿や形は違わない。そしてどこでどう連
絡しあっているのか、行動パターンもよく似ている。違いを見だすほうが、むずかしい。
しかしどのスズメも、それぞれが別の行動をし、別の生活をしている。スズメにはそうい
う意識はないだろうが、恐らくスズメも、もし言葉をもっているなら、こう考えるだろう。
「私は私よ」と。

 ……と考えて、もう一度、人間に戻る。そしてこう考える。私たちは、何をもって、「私」
というのか、と。

 街を歩きながら、若い人たちの会話に耳を傾ける。たまたま今日は日曜日で、広場には
楽器をもった人たちが集まっている。ふと、「場違いなところへきたな」と思うほど、まわ
りは若さで華やいでいる。

「Aさん、今、どうしてる?」
「ああ、多分、今日、来てくれるわ」
「ああ、そう……」と。

 楽器とアンプをつなぎながら、そんな会話をしている。しかしそれは言葉という道具を
使って、コミュニケーションしているにすぎない。もっと言えば、スズメがチッチッと鳴
きあうのと、それほど、違わない。本人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、
「私」ではない。

 私が私であるためには、私を動かす、その裏にあるものを超えなければならない。その
裏にあるものを、超えたとき、私は私となる。

 ここまで書いて、私はワイフに相談した。「その裏になるものというのを、どう表現した
らいいのかね」と。本能ではおかしい。潜在意識では、もっとおかしい。私たちを、その
裏から基本的に操っているもの。それは何か。ワイフは、「さあねエ……。何か、新しい言
葉をつくらないといけないね」と。

 ひとつのヒントが、コンピュータにあった。コンピュータには、OSと呼ばれる部分が
ある。「オペレーティングシステム」のことだが、日本語では、「基本ソフト」という。い
わばコンピュータのハードウエアと、その上で動くソフトウエアを総合的に管理するプロ
グラムと考えるとわかりやすい。コンピュータというのは、いわば、スイッチのかたまり
にすぎない。そのスイッチを機能的に動かすのが、OSということになる。人間の脳にあ
る神経細胞からのびる無数のシナプスも、このスイッチにたいへんよく似ている。

 そこで人間の脳にも、そのスイッチを統合するようなシステムがあるとするなら、「脳の
OS」と表現できる。つまり私たちは、意識するとしないにかかわらず、その脳のOSに
支配され、その範囲で行動している。つまりその範囲で行動している間は、「私」ではない。

 では、どうすれば、私は、自分自身の脳のOSを超えることができるか。その前に、そ
れは可能なのか。可能だとするなら、方法はあるのか。

 たまたま私は、「私」という問題にぶつかってしまったが、この問題は、本当に大きい。
のんびりと山の散歩道を歩いていたら、突然、道をふさぐ、巨大な岩石に行き当たったよ
うな感じだ。とても今日だけでは、考えられそうもない。このつづきは、一度、頭を冷や
してから考える。
(02−10−27)※

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。スパルタの七賢人
の一人のキロンも、『汝自身を知れ』と言っている。自分を知ることが、哲学の究極の目的
というわけだ。ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623〜
62)も、『パンセ』の中で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。別のところでは、「思考が人間の偉大さを
なす」ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。この言葉は、
釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。精進というのは、「一心に仏道に修行する
こと。ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。釈迦は「死
ぬまで精進しろ。それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。つまり「私」というのは、その「考える部分」とい
うことになる。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。そんなある日、一人の事業家がやってきて、あな
たの目の前に大金を積んで、こう言ったとする。「今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)
をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こ
う言うにちがいない。「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。そこであなたとい
う政治家が、人間であるためには、考えなければならない。考えて、脳のOSの外に出な
くてはいけない。そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」
と言って、そのお金をつき返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こ
る。そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はない
ことになる。しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」
があることになる。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。考えるといっても、あまりにも漠然
(ばくぜん)としている。つかみどころがない。考えというのは、方法をまちがえると、
ループ状態に入ってしまう。同じことを繰り返し考えたりする。いくら考えても、同じこ
とを繰り返し考えるというのであれば、それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。そのヒン
トとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533−92)の『随想録』であ
る。彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたこと
がない」と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。そのために「書く」
ということか。私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。もち
ろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかし
くない。しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考
えることができる。書くことイコール、考えることと言ってもよい。

 「私」が私であるためには、考えること。そしてその考えるためには、書くこと。今の
ところ、それが私の結論ということになるが、昨年(〇一年)、こんなエッセーを書いた。
中日新聞で掲載してもらった、『子どもの世界』(タイトル)で、最後を飾った記事である。
書いたのは、ちょうど一年前だが、ここに書いた気持ちは、今も、まったく変わっていな
い。

++++++++++++++++++++

〜02年終わりまでだけでも、これだけの
原稿が集まった。

それ以後も、現在に至るまで、たびたび、
私は辺縁系について書いてきた。

最後に、こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

++++++++++++++++++++

 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核
に生ずる傷によって起きると結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」と
いうのである。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、P
ET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)
が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、お
よそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『い
じめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
扁桃体 辺縁系 扁桃核 心 心の傷)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ

++++++++++++++++

背筋が寒い。
風邪?
そんなわけで、今日は遠出もせず、
(買い物には行ってきたが……)、
家でおとなしくしていた。

熱はない。
ほかに症状もない。
花粉症による寒気と似ている。

気をつけよう!

++++++++++++++++

●モニター

パソコンの、モニターを取りかえた。19インチ・ワイドのモニターにした。広い。大
きい。見やすい。
 
 ほんの数年前には、「1インチ、1万円」と言われていた。が、今は、19インチ・ワイ
ドのモニターが、2万9000円。つまり1インチ、1600円弱。そう言えば、今朝の
チラシには、8GのUSBメモリーが、8800円とあった。

 これも数年前には、考えられなかった値段である。

 ほかにもある。SDカードにしても、今では、2GBのものが、やはり、何と、900
0円前後で手に入る。

 で、モニターの話。日本のB社製とあるが、実際には、台湾製。パソコンのモニターと
して使うには、申し分、ない。

 ところでワイフが、「パソコンを買いかえたら?」と、さかんに言ってくれる。GOOD 
WIFE! しかし、古いパソコンには、それなりの愛着、というものがある。指にもな
じんでいる。今、この文章を打っているパソコンは、もう、8年近くも使っている。人間
にたとえるなら、80歳というところか?

 その間、内部の部品は、マザーボード以外は、ほとんど取りかえた。ハードディスク、
CDドライブ、メモリーなどなど。その上、改造に改造を重ねた。つまりその分だけ、捨
てがたい。

 そんなわけで、もうしばらく、このパソコンを使ってみる。

(注)私は、安全のため、文書作成用のパソコン、インターネット用のパソコン、HP編
集用のパソコンと、それぞれ使い分けている。今日、モニターを取りかえたのは、その中
の、文書作成用のパソコン。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●常識

+++++++++++++++++++

もしあなたが、どこかの銀行マンだったとする。
そのあなたが、にせ札をつかまされたとする。

額は、1億円。精巧なにせ札である。
もし、あなたがそういうことをされたら、
あなたはどうするだろうか?

 ものごとは、常識で考えればよい。

+++++++++++++++++++

 もしあなたが、どこかの銀行マンだったとする。そのあなたが、にせ札をつかまされた
とする。額は、1億円。きわめて精巧なにせ札である。ふつうの鑑定機では、鑑別できな
い。

 もしあなたが、そういうことをされたら、あなたは、どうするだろうか? そのときあ
なたは、「よくあることだ」「しかたないさ」と、笑って過ごすことができるだろうか。も
し、あなたがもう少し悪人なら、知らぬ顔をして、そのにせ札を、別の銀行マンに渡すこ
とも考えられる。あるいは、そのお金を、ほかの決済に使うことも考えられる。

 もしバレたら、そのときはそのとき。「私も知りませんでした」と言えばよい。

 が、ふつうの銀行マンなら、怒る。まともな銀行マンなら、怒る。銀行という業種は、
信用が第一。にせ札を取り扱っていたとなれば、信用度は、地に落ちる。だれかがにせ札
と指摘した段階で、そのにせ札を渡した相手に、食ってかかるにちがいない。「どうして、
お前は、こんなものを、私に渡したのだ!」と。

 私なら、そのにせ札を相手に叩きかえしてやる。叩きかえした上で、損害が発生してい
るなら、損害賠償を求める。もちろん、取り引きは停止。世界に向かって、「あいつは、ひ
どいやつだ」と声を大きくして叫ぶにちがいない。

 その(あなた)と、マカオのBDA銀行を、置きかえて考えてみればよい。ここにいた
って、BDA銀行は、「K国との取り引きは、正当なものだった」「マネーロンダリング(資
金洗浄)はしていなかった」「逆に、アメリカを訴えてやる」と、息巻いている。

 しかしどう考えても、お・か・し・い?

 当初、アメリカが、BDA銀行との取り引きを中止したとき、BDA銀行は、それに反
発するどころか、すなおに、K国との取り引きを停止してしまった。K国に対して、怒っ
た形跡すらない。まったく、ない。

 それを見た、世界中の銀行が、「K国は信用できない」と、K国との取り引きを停止して
しまった。これはアメリカにしてみれば、予想外のできごとだった。まさに予期せぬ波及
効果が現れたことになる。

 BDA銀行は、はじめから、それがにせ札と知っていた。知っていたからこそ、即、K
国との取り引きを停止した。もし知らなかったというなら、その時点で、アメリカに反発
したはず。K国に対しては、激怒したはず。アメリカに対しては、「私は知らなかった」と
主張し。K国に対しては、「よくも、だましたな!」と怒ったはず。

 しかしそういう形跡は、いっさい、ない。ないから、やはり、BDA銀行は、グルだっ
たということになる。ものごとは、常識で考えればよい。常識が、ときに、何万もの証拠
より、正確に事実を言い当てることがある。今回も、そのひとつと考えてよい。

 私の推理によれば、こうだ。

 あるとき、K国の政府高官(あるいは外交官でもよい)がBDA銀行にやってきた。「に
せ札を買わないか」ともちかけられた。額は、10億ドル。そこでBDA銀行の幹部は、
そのにせ札を調べる。が、どこをどう見ても、ホンモノ。ホンモノそっくり!

 「これならいける!」と、BDA銀行の幹部は、判断する。買値は、半額の5億ドル。
つまり差額の5億ドルは、そのまま、まるまる、BDA銀行のふところに入る。こんなお
いしい話はない。

 BDA銀行の幹部は、そのあと、その10億ドルを、あちこちにバラまく。何かの決済
をとおして、バラまく。

 実際には、最初は小額から始まったにちがいない。やがてそれがふくらみ、1億ドル、
10億ドルとなったにちがいない。長い時間をかけて、BDA銀行は、K国のにせ札の洗
浄に、手を貸したことになる。

 これはあくまでも、私の推理である。しかし荒唐無稽な推理かというと、そうではない。
ほとんど事実に近い推理と考えてよいのでは……。

 BDA銀行にしても、今さら、「マネーロンダリングに手を貸していました」とも言えま
い。だから、精一杯の虚勢を張って、「アメリカ政府を訴える」という姿勢に転じた。しか
し実際に、訴えることはないだろう。それこそ、自ら墓穴を掘ることになる。ヤブヘビに
なるかもしれない。

 今ごろ、BDA銀行は、大ジレンマに落ちているはず。24億ドル全額は、返したくな
い。大半はにせ札だから、真正なドル札を、どこから仕入れてこなければならない。しか
し正当な預金であるとするなら、24ドル全額、返却しなければならない。 

 恐らく中国政府は、「24億ドル、全額、返してやれ」と、BDA銀行に迫っているはず。
しかしそんな現金、どこにある? アメリカにしてみれば、ハシタ金だが、マカオ第4位
の銀行にしてみれば、大金。

 考えられる唯一の方法は、中国政府が、裏金で、BDA銀行を援助すること。が、もし
そんな動きを、世界の銀行が知ったら、世界の銀行は、ますますK国と取り引きをしなく
なる。事実上の経済制裁は、つづくことになる。

 ここ数日の、BDA銀行の動きは、まさに見ものである。
(3月18記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●定年

+++++++++++++++++++++

子どもというのは、先生の年齢を、たいへん
気にしている。

父親や母親の年齢以上に、先生の年齢を気にしている。
これは子どもの、どういう心理的作用によるものか。

いくら私が、「49歳だ」と言っても、
子どもたちは、信じない。「先生は、59歳だ」と
言いかえす。

なおかつ、最近では、「先生は、いつ、定年退職
するの?」と聞く子どもも多い。

この時期は、とくに、それが話題になる。

+++++++++++++++++++++

 ときどき私は、ボケたフリをして、レッスンを進めることがある。そういう私を見て、
子どもたちは、不安そうな表情をしてみせる。「先生、だいじょうぶ?」と。

私「もし、ぼくがボケたら、どうする?」
子「先生が、生徒より頭が悪いなんて、おかしい」
私「そうだよね」と。

 実のところ、4、5年前までは、高校生も教えていた。しかしもうやめた。教えられな
くはないが、体力の消耗がはげしい。「消耗」というよりは、教えたあと、脳みそが興奮状
態になってしまう。そのまま夜、寝つかれなくなってしまう。高校生を教えるのは、たい
てい、7〜10時の時間帯になる。もちろん、夜中の、である。

 今のところ、ボケた感じはない。頭の回転も、高校を受験する生徒たちよりも、速い。
質問には、スパスパと切りかえすことができる。しかし最近、ふと、そんな自分に自信が
なくなるときがある。

 何かの説明をしているとき、(わかりやすく説明する)というよりは、(説明だけをして、
おしまい)ということがふえてきた。子どもの立場になって考えるのが、おっくうになっ
てきた。どことなく、ボーッとしたまま、教えることがある。

 集中力が鈍ってきたということか? よくわからないが、どうやら、そういうことらし
い。

 が、その一方で、教え方が、穏やかになったように思う。若いころは、「何度、説明した
らわかるんだ」というような教え方をしていたと思う。今は、同じことでも、何度も、繰
りかえし、教えることができるようになった。子どものほうも、わかるまで、繰りかえし、
聞きにくる。

 ところで、子どもというのは、先生の年齢を、よく知っている。いろいろと気になるら
しい。先日も、ある子ども(小5)が、こう言った。「先生、もうすぐ定年退職?」と。

 この言葉には、ドキッとした。「今の仕事は、無理だから、やめろ」というふうに聞こえ
た。「どうして、そんなことを、子どもが話題にするのだ」とも、思った。

 老人は、自ら老人になるのではない。まわりの人たちによって、老人に仕立てられてい
く。あるいは、(老人)というワクの中に、押しこめられていく。発達心理学の世界にも、
(役割形成)という言葉がある。それに近いものと考えてよい。

 いくら「私は老人ではない」とがんばっても、まわりの人たちが、それを許してくれな
い。「老人は、老人らしく……」というふうにして、私をして、老人にしてしまう。

 そこで私は私なりに、精一杯、それに抵抗してみせる。しかしその力にも、限界がある。
子どもたちだけではなく、若い母親にしても、私は、ジジイなのだ。「ジジイの先生より、
若い先生のほうがいい」となる。

 つまり、こうして私は、自分の定年を迎えつつある。

 まあ、こういう不平、不満、愚痴は、もうやめよう。「健康で、仕事ができる」というだ
けも、御の字。感謝しなければいけない。あるいは、それ以上に、いったい、何を望むこ
とができるのか。

 で、子どもたちは、私を、「クソジジイ」と呼ぶ。私は、それに対して、「ぼくは、クソ
ジジイではない。大クソジジイだ。わかったかア!」と言いかえす。この時期になると、
そういうやり取りが多くなる。私にとっても、3月というのは、いやな季節だ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●文部科学大臣からのお願い

2007年の11月、日本の文部科学省のI大臣は、全国すべての公立学校にあてて、つ
ぎのような通達文を送った。

++++++++++++++++

文部科学大臣からのお願い

未来のある君たちへ
弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。
仲間といっしょに友だちをいじめるのは、ひきょうなこと。
君たちもいじめられるたちばになることもあるんだよ。後になって、なぜあんなはずかし
いことをしたのだろう、ばかだったなあと思うより、今、やっているいじめをすぐにやめ
よう。

いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近
所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられている
ことを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。

お父さん、お母さん、ご家族の皆さん、学校や塾の先生、スポーツ指導者、地域のみなさ
んへ、

このところ「いじめ」による自殺が続き、まことに痛ましい限りです、いじめられている
子どもにもプライドがあり、いじめの事実をなかなか保護者等に訴えられないとも言われ
ます。

一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱き取った生命。無限の可能性を持つ子どもた
ちを大切に育てたいものです。子どもの示す小さな変化を見つけるためにも、毎日少しで
も言葉をかけ、子どもとの対話をして下さい。

子どもの心の中に自殺の連鎖を生じさせぬよう、連絡し合い、子どもの生命を護る責任を
お互いに再確認したいものです。

平成十八年十一月十七日

文部科学大臣 伊吹B明

+++++++++++++++++++

 この通達文を読んで、まず気がつくのは、2つのキーワード。「恥」そして「卑怯」。も
う一度、繰りかえす。「恥」そして「卑怯」。

 その部分だけを、もう一度、読んでみてほしい。

 『弱いたちばの友だちや同級生をいじめるのは、はずかしいこと。仲間といっしょに友
だちをいじめるのは、ひきょうなこと。君たちもいじめられるたちばになることもあるん
だよ。後になって、なぜあんなはずかしいことをしたのだろう、ばかだったなあと思うよ
り、今、やっているいじめをすぐにやめよう』と。

 あなたはこの2つのキーワードを読んで、何か、思い当たることはないだろうか? し
かしもしあなたが、220万人の1人なら、思いあたることがあるはず。そう、あの本で
ある。2006年、日本一のベストセラー書になった、あの本である。

 藤原M氏の書いた、『国家のH格』という、あの本である。藤原氏は、いじめについても、
「卑怯」を教えれば、それで解決できるというようなことを書いている。

 私はこの一文を読んだとき、『国家のH格』が、この通達文書とつながっているのを感じ
た。感じたというだけで、それ以上の根拠はない。100%、私の推察。私の憶測? あ
くまでも、私の「勘」である。

 しかしもし私の勘が正しいとするなら、『国家のH格』という本と、この文部科学省の大
臣の通達文書とは、どこかでつながっている。仮にもしそうであるとするなら、日本人の
心が、私たちの知りえない、巨大な策謀の中で、だれかによって、よいように操られてい
る?

 しかし、これはあくまでも私の推察。私の憶測?

 そうでないことを願う。もちろんだからといって、藤原氏が、その策謀の片棒をかつい
だとか、そういう失敬なことを言っているのではない。藤原氏の本は、あくまでも藤原氏
の本。かりにどこかでつながっているとしても、それは結果論。藤原氏の本は、利用され
ただけということになる。

 そこで改めて、この通達文書について考えてみる。言いたいことは、つぎの4点。

(1)友だちをいじめるのは、恥ずかしいこと。
(2)そういういじめをすると、あとで後悔するということ。
(3)いじめられている子は、だれかに話そう。
(4)それを話すことは、恥ずかしいことでも何でもないということ。

 ……なるほど。ウ〜ン。

 書きたいことは山ほどある。が、しかしここまで。が、あえて言うなら、今どき、「恥」
だとか、「卑怯」だとか……。私には、こういう言葉に、どうしてもついていけない。仮に
恥じるとしても、それは自分に対してのもの。また「卑怯」という言葉にしても、それは
「愛」という言葉ほど、あいまいもことして、つかみどころのない言葉はない。

 だったら、もっと端的に、「友だちを愛しましょう」と、なぜ、I文部大臣は、言わない
のだろう。そのほうが、ずっと、わかりやすい。説得力もあるし、国際的にも通用する。
まさかI文部大臣も、日本式の武士道の信者? もしそうなら、話はわかる。藤原氏の書
いた本に、強く感銘を受けたとしても、私は、驚かない。

 今の日本の動きを見ていると、日本全体が、どこか右へ、右へと流されていくように感
ずる。それとも、私が、左へ、左へと傾いているのか。それはよくわからないが、……と
いうのも、私は、自分では中立だと思っているので、ともかくも、今、日本は、戦前歩い
た、その同じ道を再び歩もうとしているのではないか。この通達文を読むと、私には、そ
んな感じがしてならない。

++++++++++++++++++++

批判ばかりしていてはいけないので、
私が書いた文を、ここに掲載します。

++++++++++++++++++++

●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。

 この詩の中で私は、善悪の感覚は、乳幼児期につくられることを言いたかった、です。
つまり善悪の判断の基本となる、「ここちよい響き」「いやな響き」というのは、すでに乳
幼児期に作られるということです。よく「善悪の判断は、学校で、しかも道徳の時間に学
ぶもの」と考えている人がいますが、それは頭の中で考える「善悪の判断」です。もちろ
んそれがムダだとは思いませんが、その前提として、こうした「響き」があるかないかが、
その子どもの心の基本になります。子どもは心豊かで、愛情にあふれた、静かで、思いや
りのある環境で心をはぐくみます。乳幼児期の「心の環境」を大切にしてください。(この
詩は、「子どものページ」にも掲載してあります。)


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●書店で……

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書店へ行くと、まっさきに足を運ぶのが、
パソコンの雑誌コーナー。

そのあとは、週刊誌コーナー。

で、そのあとのことだが、私は、できるだけ
場違いのコーナーを回るようにしている。
ときには、女性月刊誌のコーナーも。

これはとても重要なことだと思う。
私にとって、一番こわいのは、脳みその
かたより。

+++++++++++++++++++++

 ここ数か月、月刊誌をほとんど、買っていない。よく読む月刊誌は、「現代」「諸君」な
ど。「Saピオ」は面白いが、どこかかたよっている。「諸君」も、以前は、毎月欠かさず
買っていたが、このところ、その(かたより)を感ずるようになった。過激になってきた
というか、右翼的になってきた(?)。

 いつも、バカなことしか書いてないのが、女性週刊誌。若いころは、主婦と生活社で出
していた、(今でも出しているが)、「J」という女性週刊誌のフリーの記者もしていた。こ
れは、本当だぞ。ちゃんと、名詞まで、もっていた。

 しかし一応、目を通しておく必要がある。ほかに、子どもの雑誌など。私にとって、一
番こわいのは、脳みそのかたより。ものの考え方が、偏屈になること。そういう老人を、(若
くても、偏屈になる人は多いが……)、もう何百人と見てきた。

 脳みそというのは、やわらかければ、やわらかいほど、よい。そのためには、いろいろ
な分野について知り、考えること。そのためには、書店では、できるだけ、いろいろなコ
ーナーを回るようにしている。

 が、育児書コーナーだけには、ぜったいに、近づかない。本も読まない。理由は、いく
つかある。

 その1。他人の育児法の影響を受けたくない。
 その2。他人の育児法を読んで、カリカリしたくない。
 その3。あとで、パクッたとか、盗作したとか、思われたくない。

 ときどき、親切にも(?)、他人の書いた育児書を送り届けてくれる人がいる。しかし私
は、そのまま本箱の隅にしまってしまう。育児雑誌も、そうである。読みたくもない。読
む価値もない。私は、どこまでいっても、私。そういう本や雑誌で、あれこれわずらわさ
れるのは、ゴメン。

 ……と書くと、「はやし浩司の育児論は、かたよっている」と思う人がいるかもしれない。
しかし私の(師)は、いつも子どもたち自身だった。今も、そうだ。何かわからないこと
があると、かならず、子どもたちに、それを問うようにしている。いつも子どもを見なが
ら、ものを考えている。

 画家にたとえて言うなら、写真を見ながら絵を描く人もいるかもしれない。しかしそれ
以上に大切なのは、その場の雰囲気というか、空気の流れ、風の匂い。それを肌で感じな
がら、絵を描く。育児論にしても、同じようなことが言える。

 子どもを実際教えたことのない、どこかの大学の教授が書いたような育児書など、私に
は、意味がない。興味もない。(そういう本のほうが、よく売れるが……。)

 ああ、また愚痴ぽくなってきた。今朝の私は、どこか、へん。ものの考え方が、沈んで
いる。昨夕から断食しているせいかもしれない。空腹感がものすごい。血糖値がさがって
いる。そのためイライラする。今朝は、健康診断がある。それまでは、「お湯しかだめ」と
いうことになっている。


●校長が万引き

++++++++++++++++++

どこかの高校の校長が、万引きをしていて
逮捕された。

が、驚いたのは、万引きしたという事実ではない。
その校長が校長をしている
高校のHPを見たときのこと。

教師陣が紹介されていたが、その紹介欄が
すごい。

++++++++++++++++++

 どこかの高校の校長が、万引きをしていて、逮捕された。それえ自体は、何でもないニ
ュース。万引きなど、今どき、珍しくも、何ともない。どこかの校長がそれをしたとして
も、驚かない。以下はそのニュース。News−iより、そのまま引用。

++++++++++++

 千葉県君津市の食料品店で、ハチミツや調味料を万引きしたとして、私立高校の校長の
男が逮捕されました。男は「ストレスがたまっていた」などと話しているということです。

 窃盗で現行犯逮捕されたのは、千葉県鴨川市の私立高校「千葉M高校」の校長・鈴木Y
容疑者(48)です。

 調べによりますと、鈴木容疑者は今月12日、君津市の食料品店でハチミツ1ビンと、
うま味調味料1ビンを上着の中に隠し、店の外に持ち出そうとしました。

 しかし、従業員の男性に発見され、その場から逃げ出したものの、100メートル先の
田んぼの中で取り押さえられたということです。

 逮捕された当初、鈴木容疑者は、「職についていない」などと話していましたが、14日
になって高校の校長であることを明かしたということです。

 鈴木容疑者は「学校に迷惑がかかると思い言えなかった」「ストレスがたまってやってし
まった」と話しているということです。

 そこでその千葉M高校のHPを開いてみた。読んでみた。そして驚いた。万引き事件に
驚いたのではない。その教師陣の紹介コーナーには、つぎのようにある。

 冒頭には、「東京、超一流校の教員頭脳が、本校に集結」とある。そして教員紹介のとこ
ろには、7人の教員が紹介されている。

 まず万引きをした、鈴木Y校長について……。

【鈴木Y】

D蔭学園(毎年東大合格者は常にトップ10に入り、一橋大学、東京工業大学、国公私立
医学部、早稲田、慶応、上智、東京理科大などで全国トップの実績を挙げている学校です)
では、毎年東大100名前後、早慶上智はそれぞれ数百名という合格者を出して来た受験
数学のエキスパート。

偏差値を大幅にアップさせる「教科書と受験レベルのギャップを埋める指導法」には定評
があります。結果として、偏差値60以下の生徒を数多く東大等に合格させてきた実績が
あります。また、D蔭学園のオリジナルテキスト(数学関係)の大半を執筆してきた実績
にも目を見張るものがあります。受験数学指導のエキスパートと言えるでしょう。また、
12桁までの暗算が可能な、暗算の達人でもあります。D蔭学園時代は、サッカー部の顧
問もしており、教え子で、現在Jリーグで活躍している選手も数多くいます。

【国語科 X】

法政大学文学部大学院博士課程修了。代々Gゼミナール(45年におよび進学指導の第一
線で活躍する予備校で高校や大学から依頼を受けて、さまざまな側面から教育のサポート
をしている)と、駿台Rンデンスクールの看板教員。分かりやすい教え方、特に古文・漢
文の入試のポイント指導には、抜群の定評があります。予備校時代は、生徒が溢れて満室
になるくらいの人気講師でした。受験国語のエキスパート教員です。趣味は、水泳です。

【英語科Y】

上智大学文学部大学院博士課程卒。埼玉の進学校 浦W第一女子高等学校(生徒の進路希
望の実現をめざし、授業改革に取り組むひとつとして「生徒による授業評価」を行ってい
る学校で、国公立大学に現役100名超える合格者を出している学校である)にて、英語
科の看板教員として活躍されていました。特に受験英語の指導については、この先生の講
義を受講すれば参考書がいらないと言う位、文法指導、読解指導、英作文指導どのジャン
ルをとっても抜群の指導力です。また、教え方も丁寧で、難解なことを理解しやすく教え
てくれるとの評判も高い英語のエキスパート教員です。特進コースの担任をしています。

【数学科Z】

日本大学理工学部修士課程修了。渋谷M張シンガポール校や開C学園(最難関大学に現役
で合格する、中高一貫教育カリキュラム教育をとり、東京大学現役合格率埼玉県内、NO
1の学校)にて教鞭をとられた数学科のエキスパートです。また、中学校時代から、数学
研究会で活躍された経歴もあり、受験数学は言うまでもなく、パズルや、知的数理のジャ
ンルにも精通しています。数学の、受験と研究、両方の力を兼ね備えた教員です。

 ……とつづく。

 これだけ読んでも、いったい、この高校は何かと思ってしまう。ホント! ものすごい
高校であることにはちがいないが、まるで予備校が、そのまま全日制の高校になったよう
な感じ。

 へ〜と驚くだけ。つまり校長が万引きしても、私は驚かない。今は、そういう時代であ
る。しかし、こういう高校を、はたして、(教育機関)と呼んでよいのか。またそこでして
いることを、(教育)と呼んでよいのか。

 今では、こういう高校のほうが、繁盛するらしい。しかしこういう高校で育った(?)、
子どもたちが、やがて日本の中枢部を担うようになると思うと、ゾッとする。

 「いいのかなあ?」と思ったところで、この話は、おしまい。それにしても、日本の教
育、どこか、おかしいぞ!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●欲望一元論

++++++++++++++++++

食欲、性欲、物欲……、
それぞれ形はちがうが、中身は、同じ。
そう考えると、欲望というのが、
どういうものか、わかる。

++++++++++++++++++

 今日、ワイフと、スーパーへ買い物に行った。それまでは、食欲は、ほとんど、なかっ
た。朝食が遅かったこともある。「昼は、簡単でいいよ」と、私は、2度、3度、そう言っ
た。

 が、その気持ちは、突然、消えた。スーパーの入り口で、焼きそばの実演販売をしてい
た。濃いソースが、熱で焼けるにおい。そばが鉄板の上で、油をはじく音。それを見たと
たん、ムラムラと食欲がわいてきた。

私「昼は、焼きそばにしよう」
ワ「そうね」と。

 それはちょうど、若い男が、(若くなくてもそうだが)、女性のヌードか何かを見たとき
の気持ちに似ている。似ているというより、同じ。それまではその気がなくても、女性の
ヌードをみたとたん、ムラムラと性欲がわいてくる。

 ここで私は食欲と性欲を分けて書いたが、形こそちがうが、中身は、同じ。ちがうと考
えるほうが、おかしい。(おいしそうな焼きそばを見る)→(食欲がわいてくる)。(若い女
性のヌードを見る)→(性欲がわいてくる)。

 この時点で、つまり、おいしそうな焼きそばを見たり、あるいは女性のヌードを見たり
したとき、その欲望を、うまくコントロールできる人は、意外と少ないのではないだろう
か。ほとんどの人は、そのまま、焼きそばを食べる。そのまま、女性を抱く。

 つまりここで自制心の問題が、生まれる。欲望をうまくコントロールできる人を、自制
心のある人という。そうでない人を、自制心のない人という。わかりやすく言えば、この
とき、頭の中で、本能と理性が、はげしくぶつかりあう。

 この(葛藤)こそが、人間が、人間である証(あかし)ということになる。ほかの動物
たちと、ちがう点ということになる。

 そこで本題。

 食欲、性欲と並んで、物欲というのもある。たとえば、あなたが政府の高官か何かであ
ったとする。そのあなたの前にある日、建設会社のだれかがやってきて、500万円単位
の現金を、あなたの机に積んだとする。1000万円でもよい。5000万円でもよい。

 ワイロだ。公共事業にからんだ、ワイロだ。あなたはそれを知っている。が、相手の男
は、「あなたの政治資金として使ってほしい」「このことは、私以外、だれも知らない」と
言ったとする。

そのとき、あなたは、それを断ることができるだろうか? あなたが食欲や性欲をコン
トロールできるように、物欲(それを物欲と言ってよいかどうかという問題もあるが…
…)、その物欲を、コントロールできるだろうか?

 そこで私は、(欲望一元論)を説く。

 つまり欲望をコントロールする力は、一元的なもの。食欲や性欲をコントロールできる
人は、同じように、物欲をコントロールできる。食欲や性欲はコントロールできないが、
物欲はコントロールできる人というのは、いないと考えてよい。あるいは反対に、食欲や
性欲はコントロールできるが、物欲はコントロールできない人というのは、いないと考え
てよい。

 もっとわかりやすく言えば、一事が万事。食欲や性欲をコントロールできる人は、物欲
もコントロールできる。食欲や性欲をコントロールできない人は、物欲もコントロールで
きない。

 人間の脳みそは、一見複雑に見えるかもしれないが、それほど、器用にはできていない。

 そこでたとえばある県のある知事を念頭に置いて、ものを考えてみる。どこの知事とい
うわけではない。あくまでも架空の知事である。その知事は、自分の名誉欲、出世欲を満
たすために、知事になったとする。たまたま知名度もあった。その流れに乗って、知事に
なったとする。

 うわさでは、いろいろと女性問題も起きているようである。今は離婚しているが、東京
にも、また地元にも、それぞれ愛人がいるという。俗な言い方をすれば、女にだらしない。
そういうことから、その知事は、性欲のコントロールが、甘い人と考えてよい。

 今は、知事になったばかりで、それなりに品行方正だが、そういう知事のところへだれ
かがやってきて、たとえば机の上に、大金を積んだとする。地元の建設会社の社長である。
そういうとき、その知事は、ここでいう自制心を、うまく発揮できるだろうか。

 私の(欲望一元論)に従えば、答は「NO!」ということになる。食欲や性欲にだらし
ない人は、同じように物欲にもだらしないと考えてよい。反対に考えれば、知事になるよ
うな人は、それなりに、あらゆる場面で、品行方正でなければならない。またそういう人
物を、知事として、選ぶべきである。

 繰りかえすが、(女性にだらしない人)が、(ワイロにはきびしい)ということは、あり
えない。欲望というのは、そういうもの。形はちがっても、中身は、同じ。

 もしそういう知事が、現実にいたとするなら、やがて、何年か先には、ボロを出すはず。
実際、そういう知事は、過去にも、何人かいた。よく知られている例として、大阪府の知
事をした、YNがいる。

 見るからにだらしなさそうな顔つきをしていたが、最後は、選挙運動を手伝っていた女
性にセクハラ行為をはたらき、政界から追い出されている。

 昼の焼きそばを食べながら、ワイフにその話をする。つまり(欲望一元論)の話をする。
それについて、ワイフは、こう言った。

 「若いときは、食欲と性欲は別のものと考えていたわ。物欲も、そう。でも、歳をとる
と、食欲や性欲、とくに性欲を客観的に見ることができるようになるのね。そして自分に
気がつくのよ。みな、同じ」と。

 ただ性欲や物欲はともかくとして、食欲だけは、死ぬまでつづく。今の私の母がそうで
ある。今の母に、食べ物を見せると、それだけで顔つきが、おかいいほど、変化する。目
つきそのものが変化する。まるで獲物を見つけた動物のような、鋭い目つきになる。

 もともと欲望に対するコントロールが苦手な人だった。それが今、90歳という年齢を
超えて、食欲という形になって現れている。つまり、そういうことはある。

 が、欲望一元論は、欲望一元論。人間がもつ欲望は、もともとは、同じものと考えてよ
い。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(3月14日)

+++++++++++++++++++

昨日は、寒かった。その一言。東北地方では
雪まで降ったという。

そんな夜、ワイフが、仕事場まで、迎えに
きてくれた。自転車で帰るつもりだったが、
私の意志は、それほど、強くない。

一応、「自転車で帰るからいい」とは言ったものの、
そのまま、「じゃあ、今夜は車で帰る」となって
しまった。

このところ、(寒さ)に、強くなったように思う。
冬の冷気を、心地よく感ずることすら、ある。

英語では、「フレッシュ・エアー」という。
昔、友人のN君が、いつもそう言っていた。

N君は、ひとり旅が好きで、いつも、ひとりで
旅をしていた。

冬の日も、雨の日も。キャンピング道具一式を
もって、ひとりで、キャンプにでかけていた。

雨が降っているにもかかわらず、出かけていくので、
私は驚いた。が、N君は、こう言った。

「ヒロシ、ぼくは、雨の音が好きなんだ」と。

最近になって、私は、やっとN君の気持ちが、
理解できるようになった。

自然に、夏も冬もない。晴れも雨もない。

人間にとってつごうのよい季節だけが、季節ではない。

冬の寒さもしかり。

おとといも、風呂から出ると、パンツ一枚で、
庭の真ん中に立って、星空を見あげてみた。
心のどこかで、ふと、「寒中水泳みたい」と
思ったが、そんな感じだった。

おかげで、今朝になって、のどと、腰が痛い。
どうやら、それで風邪をひいてしまったらしい。

それで昨日、ワイフがそれを心配して、仕事場まで、
迎えにきてくれた。

++++++++++++++++++++++

●世の中、暗いニュースばかり?

 このところ、明るいニュースが、少ない。今朝(3月14日)も、株価は、大暴落。何
がどうなっているのか、私にも、よくわからない。わからないというより、もう、どうで
もよくなってしまった。

 が、性分というか、習慣というのは、こわいもの。私はいつものように、パソコンを立
ち上げると、読みたくもないのに、政治ニュース、経済ニュースに目を通す。そしてあれ
これ考え始める。

 ときどき別の声が、こうささやく。「お前が書いたところで、どうせだれも、気にしない」
「お前は、だれにも相手にされていない」と。

 私のしていることは、町のおやじさんたちの、政治談議のようなもの。おばさんたちの、
井戸端会議のようなもの。

 まあ、あえて言うなら、頭の体操。今風に言えば、IQサプリ。私は考えることによっ
て、脳みそを活性化させている。(多分?)読んでくれる人がいれば、それでよし。だれも
読んでくれていないとしても、それも、それでよし。

 そこで、まず、拉致問題について、考えてみる。

●拉致問題

 拉致被害者の気持ちはよくわかる。それはそれとして、なぜ、拉致事件が起きたかとい
えば、国防の怠慢(たいまん)。それが第一に、あげられる。その前後には、いくつかの不
審な事件が、たてつづけに起きていた。しかし警察はもちろんのこと、政府も、何ら手を
打たなかった。

 中には、K国に拉致された被害者から届いた手紙を、わざわざ朝鮮S連の幹部に届けた
政党すらある。A新聞などは、「拉致事件は、日本政府のデッチあげ」という論陣を張って
いた。

 で、拉致事件が発覚した。拉致被害者の家族たちが、動き出した。ここまでは、私にも
理解できる。が、その運動が、いつの間にか、自民党の中でも右派と呼ばれる人たちと結
びついた。「制裁」という言葉も、その流れの中から、飛び出した。

 拉致被害者が、先頭に立って、「制裁」という言葉を使うこともある。

 たまたまK国への風当たりが強くなっていた時期と重なる。K国の核兵器開発問題が、
それにからんできた。つまり、話が、ゴチャゴチャしてきた。(拉致)→(制裁)→(K国
の核兵器開発問題)→(制裁)、と。

 それが「拉致問題の前進なくして、援助はありえない」という、日本政府の基本姿勢に
変わった。

 しかし拉致問題は、制裁では、けっして解決しない。そのことは、この日本を見れば、
わかる。いまだに日本政府は、(戦争責任)すら認めていない。もし認めるようなことをす
ると、その(責任)は、(天皇)にまで及んでしまう。官僚主義国家を内含する日本政府と
しては、これは、まことにまずい。

 (天皇)という絶対的権威者を頂点にあおいでこそ、官僚主義国家は、官僚主義国家と
して、成りたつ。

 拉致問題の最高責任者は、言うまでもなく、K国の金xxである。この事件には、国家
のトップがからんでいる。K国が、拉致問題の責任を認めない理由は、ここにある。(今さ
ら、私が説明するまでもないことだが……。)

 で、ここからは私の意見。ときどき拉致被害者がマスコミに向かって会見を開くことが
ある。つい先日も、そうである、それはそれとして、このところ、必ずといってよいほど、
その横に、何人かの政治家たちが並ぶ。

 問題は、その政治家である。先にも書いたように、自民党の中でも、右派と呼ばれる政
治家たちである。つまり拉致被害者たちが、いつの間か、そうした政治家たちと結びつい
てしまっている。もっと言えば、拉致被害者の人たちの活動が、どこか右翼的色彩を強め
ている(?)。もっとわかりやすく言えば、(拉致問題)という(人権問題)が、いつの間
にか、(人権問題)にかこつけた、(反共運動)にすりかえられてしまっている。(政治活動)
と言ってもよい(注※1)。

 その会見でも、「対米追従外交は、許さない」などというようなことを、拉致被害者たち
が口にしていた。(横にすわっていた、政治家だったかもしれない。)

 本当はそうではないのかもしれないが、一般社会では、そのように誤解され始めている。
が、これは拉致被害者の人たちにとっても、マイナスにこそなれ、あまりプラスにはなら
ないのではないか。

 そこで世界の人たちは、日本の拉致問題を、どう見ているか。

 たとえば韓国の人たちは、こう考えている。「戦前に日本がしたことを考えるなら、日本
は、『人権』『人権』と、偉そうなこと言うな」と。中国も、同じように考えている。さら
にここにきて、アメリカ内部にも、(従軍慰安婦問題)にからんで、こうした動きに同調す
る人たちがふえてきている。

 無理やりであったにせよ、あるいは、なかったにせよ、外国の女性たちを、(慰安婦)と
して戦地へ送りこんだ、日本政府。考えるだけも、ゾッとする。そしてその(慰安婦)を
抱いた、兵隊たち。それを考えると、さらに、ゾッとする。

 日本の中でも、80代、90代の人たちの中には、その(慰安婦)を抱いた人もいるは
ず。そういう人たちが、音なしの構えで、だんまりを決めこんでいる。それを考えると、
さらにさらに、ゾッとする。

 K国が、拉致問題をあいまいなまま終わらせようとする背景には、そんな心情的反発も
ある。

 さて、先の日朝首脳会談で、K国側は、拉致被害者の存在を認め、うち何人かを、日本
へ返してきた。その日朝首脳会談の席で、当時の小泉首相が、10兆円にも及ぶ、経済援
助を申し出ていたという。そんなニュースが、数日前、韓国の報道機関から流れた(注※
2)。

 経済援助の内容が、ことこまかく記されていたところを見ると、恐らくこの情報は、K
国側がリークした(=漏らした)ものらしい。それにしても、会談のウラで、こういう密
約がなされていたとは? しかも10兆円!

 別にK国を擁護するわけではないが、もし、この話が事実とするなら、K国が、「日本は
ウソばかりついている」と騒ぐ理由は、こんなところにもあるのではないか。日本の政治
家たちのやっていることも、どうも、信用できない。

 マカオのBDA銀行は、全額、K国に凍結資金を返還しようとしている。韓国は、早々
と、K国への支援を始めている。ひとり「制裁」「制裁」と叫んでいるのは、日本だけ。今
となっては、その声も、どこか、むなしく響く。

(補記)

 ……と書いていたら、今朝(13日)、こんな情報が飛びこんできた。アメリカの財務省
が、BDAを、「懸念対象銀行」から、「対象」銀行へ変えたというのだ。わかりやすく言
えば、国務省のK国寄り政策に対して、財務省(もともと反K国的)が、BDAをつぶし
にかかったということ(注※3)。

 私は、これが世界の良識だと思う。BDAは、K国からのにせ札をにせ札と知りながら、
マネーロンダリングに手を貸していた。そんなマネーを「返せ」というK国もK国だが、
制裁を解除するという国務省も、国務省である。

 正義は、どこへ消えた?

 財務省と国務省の対立。その対立を、ブッシュ大統領は、どのように調整するというの
だろうか。ここ1両日は、このニュースから、目を離せない。

(3月14日記、この原稿がマガジンに載るころには、国際情勢は大きく変化しているか
もしれません。なお、この原稿は、3月14日に、楽天日記のほうに掲載しておきます。)

++++++++++++++++

注※1…… 北朝鮮による拉致被害者の家族会メンバーが、3月11日、都内で開かれた
支援組織「救う会」の全国会議に参加し、米国にならって日本が独自に北朝鮮を「テロ支
援国家」に指定できるようにする法整備を政府や国会議員に働きかけることなど、当面の
活動方針を決めた。(以上、ヤフーニュースより。)

注※2……日本政府は02年9月に、当時の小泉純一郎首相がK国・平壌を訪問するに当
たり、日朝関係が正常化し経済協力を行うことになれば100億ドル(約10兆円)規模
の無償支援を行うとの意向を事前に北朝鮮側に伝えていたとする主張が出された。 

 この対K国経済協力資金は現金ではなく、役務と財務を10年間で分割し100億ドル
を提供するというものだったという。

これとは別途に有償で輸入決済資金、プロジェクト借款、公共事業推進借款などの円借
款も提供し、最貧困国向けの0・75%という低金利を適用し、10年据え置き30年
償還の条件を付けるとしていたとの主張だ。

過去の補償問題についても日朝がともに財産請求権を放棄した上で、こうした日本の資
金提供に合意し、実務的な手続きを残し妥決した状態だったと強調した。金xxが日本
人拉致の事実を認めたのもこのためだとしている(以上、韓国、統一部事務官論文より。)

注※3……米財務省が、マネーロンダリング(資金洗浄)などK国の違法資金取引疑惑を
受けていた、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)に対する制裁措置として、
米国内行とBDAの取引を禁じる方針を固めたようだ。北朝鮮の凍結口座の解除問題にか
らみ、核問題にどのような影響がもたらされるか注目される。 

 米財務省官僚は13日、聯合ニュースの電話取材に対し、BDAに関する決定が14日
か15日にも正式に発表されるだろうと述べた。米国はBDAをマネーロンダリングの「懸
念対象」から、「対象」機関に指定する予定で、マネーロンダリングに関与したBDAの主
要幹部を起訴することも検討しているという。

こうした措置が取られた場合、BDAの外国為替取引機能が停止され破産する可能性も
高く、マカオの金融当局は清算のため売却や買収合併(M&A)手続きに入ることが予想
される。(以上、聯合ニュースより。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●あわてふためく日本政府

+++++++++++++++++

対米追従外交はしないとがんばった、
安倍総理大臣、A外務大臣、自民党の
右派勢力。

総理大臣になって、もう8か月に
なろうというのに、総理大臣は、いまだに、
アメリカ詣(もうで)すら、していない。

4月に日米首脳会談が開かれるが、
今ごろアメリカへ行って、どうなる
というのか?

総理大臣は、何を話しあうというのか?

+++++++++++++++++

●つげ口をされた私

 国際政治は、どこまでも現実的でなければならない。このことは、もう、何十回も書い
てきた。

 ところで最近、こんなことがあった。

 もう20年ほど、つきあってきた人(=Aさん、女性)だが、私の書いた本を別の人(B
氏、男性)に見せ、「あの林が、こんなことを書いている」と、その別の人に、つげ口をし
たという。

 私は、何も、そのB氏のことを書いたのではない。似たような話は、いくらでもある。
が、B氏は、自分のことを書かれたと思い、私に電話をしてきた。私は、B氏に、事情を、
ていねいに説明した。

 が、私が感じた怒りは、そのままだった。そのAさんというのは、そのあとも、あたか
も私のファンであるかのように、振る舞っていた。私は、Aさんとは、絶交した。

 こうした信義に反する行為は、とことん、相手を怒らせる。とくに、今は、そうだ。ア
メリカは、多くの犠牲者を出しながら、あのイラクで戦争をつづけている。正しいとか、
まちがっているとか、そういうことを論議しても、意味はない。それが現実。そういう最
中、日本のA外務大臣や、K防衛大臣は、そのアメリカを陰で、批判した。

●対米追従外交?

 対米追従外交と批判されようが、笑われようが、今の日本は、アメリカに追従するしか
ない。でないというのなら、どこのだれが、日本にかわって、K国の核兵器開発問題を抑
えてくれるというのか?

 中国か、ロシアか、EUか? 答は、NO!

 このことも、もう何十回も書いてきた。しかも私は、今回の6か国協議の前に、そう書
いてきた。

 本来なら、安倍総理大臣は、就任直後、イのいちばんに、ワシントン詣(もうで)をす
べきだった。ブッシュ大統領に、あいさつすべきだった。

 それを「対米追従外交」と、一部の右派勢力というより、そのまた右にいる極右勢力の
批判に流されるまま、中国を先に訪問し、ついで、ヨーロッパを先に訪問してしまった。
8か月間も、アメリカ詣でをしていないということ自体、歴代の首相の中でも、異常事態
としか、言いようがない。

 おまけに、A外務大臣、K防衛大臣らの、失言につづく、失言。「アメリカは幼稚」「ア
メリカのイラク政策は、まちがっていた」「アメリカは、根回しというものを知らない」な
どなど。

 ブッシュ大統領が、日本を見限ったところで、何ら、おかしくない。それがわからなけ
れば、相手の立場で、ものを考えてみることだ。どうしてアメリカが、日本の平和と安全
に、責任をもたねばならないのか?

●孤立無援の日本

 で、この極東アジアにおいて、今では、日本は、孤立無援の状態。アメリカにさえ裏切
られた。

 今朝(3月16日)のヤフー・ニュース(産経新聞)を読むと、日本政府の狼狽(ろう
ばい)ぶりが、よくわかる。

 『日本政府は、米国がK国への金融制裁問題で、凍結されていたK国関連口座の解除を
事実上容認したことを、比較的冷静に受け止めている。ただ、米国の譲歩に乗じて、K国
が強気に出る懸念もある。このため、政府は今後、核放棄に向けた具体的措置をK国がき
ちんと履行するかどうかを、注視していく。また、拉致問題解決への進展がなければK国
の要求に応じない考えで、安倍晋三首相は15日、「日本の制裁は今後とも続ける」と語っ
た。

 A外相も参院外交防衛委員会で「(米国が)譲った形になるが、朝鮮半島の非核化のため
に協議が動いた点は評価すべきだ。少なくとも寧辺の核施設の停止の話などが進み始める
ならいい」と述べた。

 政府は金融制裁問題での米朝協議の進展が、核施設の停止・封印などで合意した2月の
6カ国協議につながったとみてきた。今回の措置も織り込み済みといえ、首相は日本の対
応への「影響はない」としている。ただ、K国が改めて金融制裁の全面解除に固執するな
ど、国際社会の圧力を逆手にとった駆け引きを演じる懸念は残る。

 政府が警戒するのは、金融制裁解除をきっかけに関係国が態度を軟化させることだ。こ
のため6カ国協議の場などで、米中韓露に連携強化を働きかける。特にK国とテロ支援国
家指定の解除について協議を始めたアメリカには、拉致問題解決を解除の条件とするよう
強く求め続ける方針だ』と。

 まさに、打つ手なし。首相は日本の対応への「影響はない」としているというが、どこ
までがんばれることやら? そう言わざるをえないところまで、今、日本は、追いこまれ
ている。

 K国は、アメリカと国交をある程度正常化したあと、つぎに日本の料理にとりかかる。
核兵器で脅しながら、日本から巨額の賠償金を手に入れる。そのための準備を、着々と進
めている。中国も、韓国も、それに協力し始めている。どうしてこんな簡単なことが、日
本の総理大臣に、わからないのか。
(3月16日記)

【付記】

 少し前まで、極右団体の間では、「アメリカは、日本を51番目の州にしようとしている」
という意見が、よく聞かれた。「だから、アメリカを排斥せよ」と。

 しかし私が知るかぎり、アメリカ人は、だれもそんなことを言っていない。つまりそれ
は日本人の、勝手な被害妄想。誇大妄想。「誇大妄想」というのは、だれも、日本のような
小さな島国など、相手にしていない。

 そのことがわからなければ、自分の目を、ワシントン市に置いてみることだ。ハリウッ
ドがあるカルフォルニア州にではなく、ワシントン市だ。

 そのワシントン市から日本を見ると、日本は、ヨーロッパの向こうの、シベリア大陸の
そのまた向こうの、中国の果てにある。それがわかる。

 どうしてそんな国の、平和と安全を、アメリカという国が、守らねばならないのか。「5
1番目の州」などという発想は、とんでもない発想と考えてよい。

 が、極右勢力の核にいる、民族主義者たちには、それがわからない。いまだに、「大和民
族が、どうのこうのとか、あるいは日本を統治してきたのは、大和民族」などと、チンプ
ンカンプンなことを口にしている。

 安倍総理大臣も、A外務大臣も、自民党右派というよりは、そのまたさらに右にいる右
派と考えてよい。あくまでも結果論だが、今となってみると、そんな感じがしてならない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    4月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感】

●ある母親の相談

 今日、一人の母親から、こんな相談を受けた。何でも三歳になる娘が、父親になつかな
くて、困っているというのだ。「父親は、子どもが起きる前に仕事に行き、いつも子どもが
寝てから、仕事から帰ってきます。それで父子が接触する時間がないのです」と。

 しかしこの母親は、大きな誤解している。娘が父親になつかないのは、接触時間が少な
いからだと、この母親は言う。これが誤解の第一。

 ずいぶんと前だが、私は接触時間と、子どもへの影響を調べたことがある。その結果、「愛
情は、量ではなく、質の問題である」という結論を出した。こんな例がある。

 その子ども(年中男児)は、やはり父親との接触時間がほとんどなかった。母親は、「う
ちは疑似母子家庭です」と笑っていたが、そういう環境であるにもかかわらず、その子ど
もには、心のゆがみが、ほとんどみられなかった。そこで母親にその秘訣(ひけつ)を聞
くと、こう話してくれた。

 「夫(父親)は、休みなど、たまに顔をあわせると、子どもを力いっぱい、抱きます。
そして休みの日などは、いつもベタベタしています」と。

 要するに子どもの側からみて、絶対的な安心感があるかどうかということ。この絶対的
な安心感があれば、子どもの心はゆがまない。「絶対的」というのは、その疑いすらいだか
ないという意味。そういうわけで、愛情は、量ではなく、質の問題ということがわかった。

 で、冒頭の母親の話だが、子どもの様子を聞くと、こう話してくれた。

 「私のひざなら、何時間でもじっと座っているのですが、夫(父親)のひざだと、すぐ
体を起こして逃げていきます。そこでエサで魚を釣るように、娘がほしがりそうなものを
見せて、抱っこしようとするのですが、それでも、うまくいきません」と。

●心を開く

 ふつう子どもがスキンシップを避けるという背景には、親か、子か、あるいは両方かも
しれないが、たがいに心を開いていないことがある。このことがわからなければ、男女の
関係を思い浮かべてみればよい。夫婦でも、こまやかな情愛が行き交い、たがいに心を開
きあっているときは、抱きあうと、体がしっくりとたがいになじむ。しかしそうでないと
きは、男の側からみると、何かしら丸太を抱いているような感じになる。抱き心地がたい
へん悪い。

 子どももそうで、たがい心を開いているときは、子どもを抱くと、子どもはそのままベ
ッタリと親に体をすりよせてくる。さらに心が通いあうと、呼吸のリズム、さらには心臓
の鼓動のリズムまで同調してくる。こういう状態のとき、子どもの心は、絶対的な安心感
に包まれていると考えてよい。もちろん情緒も安定している。

 が、抱いても、抱き心地が悪いとか、あるいは抱っこしても、子どもがすぐ逃げていく
というのであれば、どちらかが心を開いていないということになる。このケースのばあい、
子どもが心を開いていないということになるが、実は、その原因は、子どもにあるのでは
ない。父親のほうにある。子どもが心を開けない状態を、父親自身がつくりだしている。
もっとはっきり言えば、父親が、心の開き方を知らない。子どもは、それに応じているだ
け。

●原因は父親の幼児期に

 このケースでは、私はここまでしか話を聞かなかったので、これ以上のことは書けない。
しかし一般論として、こういうケースでは、父親自身の幼児期を疑ってみる。たいてい、
父親自身が、何らかの理由で、その親から、じゅうぶんな愛情を受けていないことが多い。
そういう意味で、親像というのは、親から子へと、代々、受け継がれていく。よくあるケ
ースは、その親の親が、昔風の権威主義的なものの考え方をしていたようなとき。

 A氏(四〇歳)の父親は、昔からの醤油屋を経営していた。祖父は、旧陸軍の少将にま
でなった人だった。そういう家風だから、家族の序列も、厳格だった。風呂でも、祖父が
一番、ついで父が二番、そのA氏(長男)が三番が……と。祖父はおろか、父親にさえ口
答えするなどということは、考えられなかったという。

 そういう家庭でA氏は、生まれ育ったから、「親子の間で、心を開きあう」ということな
どということは、ありえなかった。この話を私がA氏に話したときも、A氏は、「心を開く」
という意味すら理解できなかった。そればかりか、自分自身も、そういう権威主義的なも
のの考え方にどっぷりとつかっていて、「父親には、父親としてのデンとした権威が必要で
ではないでしょうか」などと、私に言ったりした。

 たしかに権威主義は、「家」の秩序を守るには、たいへんうまく機能する。しかし「人間」
を考えると、権威主義は、弊害になることはあっても、利点は何もない。

 だからA氏の子育ては、いつもギクシャクしていた。A氏の妻が、現代的な女性で、権
威を認めないような人だったから、ときどき夫婦ではげしく対立したこともある。A氏は
家事はもちろんのこと、子どもの世話も、まったくといってよいほどしなかった。子ども
の運動会や遊戯会、さらには父親参観会にも、一度も顔を出したことがない。それはA氏
の体にしみこんだ「質」のようなものだった。「父親がそんなことするものではない」とい
う意識があったのかもしれない。いや、その意識以前に、そういう親像そのものが、頭の
中になかった。

●親像がない?

 これは私の推察だが、冒頭にあげた父親にしても、父親としての親像の入っていない親
とみてよい。不幸にして、不幸な家庭に育ったのかもしれない。あるいは今の年代の親の
親たちは、日本がちょうど高度成長期を迎え、だれもかれもが、仕事、仕事で、子育てな
どかまっているヒマさえなかった。そういうことがあったのかもしれない。ともかくも、
親像がないため、どうしても子育てが、ギクシャクしてくる。(これとは反対に、自然な形
で親像が入っている親は、これまた自然な形で子育てができる。)

 こういうケースでは、「子どもが親になつかない」という視点で考えるのではなく、親自
身が、子どもに対して、いかにして心を開くかという視点で、問題を考える。とくにここ
に書いたように、心のどこかで権威主義的なものの考え方をする人は、つい「親に向かっ
て」とか、「私は親だ」という親意識を出してしまう。その親意識が、子どもの心を閉ざし
てしまう。

 ……と書いても、この問題の根は深い。本当に深い。日本人が、民族の基盤としてもっ
ている土台にまで、その根がおよんでいる。だから、そんなに簡単にはなおらない。「では
明日から、権威主義を捨て、対等の立場で、子どもには心を開きます」とは、いかない。
私もその母親と別れるとき、一応言うべきことは言ったが、内心では、「むずかしいだろう
な」と思った。ただ最後にこう言った。「今度、父親を相手にした講演会で、そういう話を
してください」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●誠実論

++++++++++++++++

「誠実」には、2つの意味がある。

他人に対する誠実。
そして自分に対する誠実。

++++++++++++++++

 どこかの学校に講演に行ったら、その校長室に、「誠実に生きる」という、校訓がかかげ
てあった。私はその校訓を見ながら、しばし、考え込んでしまった。

 「誠実」には、ふたつの方向性がある。他人に対する誠実と、自分に対する誠実である。
他人に対する誠実は、わかりやすい。ウソをつかない。約束を守る。たいていこの二つで、
こと足りる。

 問題は、自分に対する誠実である。わかりやすく言えば、自分の心を偽らないというこ
と。となると、ここに大きな問題が、立ちはだかる。自分に誠実であるためには、その大
前提として、自分自身が、それにふさわしい誠実な人間でなければならない。

 たとえば、道路に、サイフが落ちていたとする。だれも見ていない。で、サイフの中を
見ると、一〇万円。そのときだ。そのお金を手にしたとき、あなたは、どう考えるか。ど
う思うか。

 だれだって、お金はほしい。少なくとも、お金が嫌いな人はいない。私だって、嫌いで
はない。そこである人が、その心に誠実(?)に従い、そのお金を自分のものにしたとす
る。そのときだ。その人は、本当に誠実な人と言えるのか。

 ここで登場するのが、道徳ということになる。「お金を落として、困っている人がいる」
ということがわかると、その人の気持ちになって、ブレーキが働く。「そのまま自分のもの
にするのは、悪いことだ」と。

 この段階で、二つの心が、自分の中で、葛藤(かっとう)する。「ほしいから、もらって
しまおう」という気持ちと、「自分のものにしてはだめだ」という気持ちである。こういう
とき、自分は、どちらの自分に誠実であったらよいのか。

 ……これは落ちていたサイフの話だが、実は、私たちは日常茶飯事的に、こういう場面
によく立たされる。自分に誠実に生きようと思うのだが、どれが本当の自分かわからなく
なってしまうことがある。あるいは相反した自分が、二つも三つもあって、どれに誠実で
あったらよいのか、わからなくなってしまうこともある。

 そこで世界の賢者たちは、どう考えたか、耳を傾けてみよう。

 まず目についたのが、論語。そこにはこうある。いわく『君子は、本(もと)を努む。
本立ちて道生ず』と。「賢者というのは、まず根本的な道徳を求める。その道徳があってこ
そ、進むべき道が決まる」と。論語によれば、誠実であるかどうかということを問題にす
る前に、まず基本的な道徳を確立しなければならないということになる。道徳あっての、
誠実ということか。

 論語の解釈は、たいへんむずかしい。むずかしいというより、専門に研究している学者
が多く、安易な解釈を加えると、それだけで轟々(ごうごう)の非難を受ける。もっとも
私など、もともと相手にされていないから、そういうことはめったにないが、それでも慎
重でなければならない。ここで私は、「道徳あっての誠実」と説いたが、そんなわけで、本
当のところ自信はない。

 しかし論語がどう説いているにせよ、「道徳あっての誠実」という考え方は、正しいと思
う。今のところ「思う」としか書きようがないが、このあたりが私の限界かもしれない。
つまり自分に誠実であることは、とても大切なことだが、その前に、自分自身の道徳を確
立しなければならない。もし私たちが、意のおもむくまま、好き勝手なことをしていたら、
それこそたいへんなことになってしまう。みんなが、拾ったサイフを、自分のものにし、
それで満足してしまっていたら、この世は、まさに闇(やみ)? 言いかえると、道徳の
ない人には、誠実な人間はいないということになるのか?

 何だか、話が複雑になってきたが、私のばあい、こうしている。

 たとえばサイフにせよ、お金にせよ、そういうものを拾ったら、迷わず、一番近くの、
関係のありそうな人に届けることにしている。コンビニの前であれば、コンビニの店長に。
駅の構内であれば、駅員に。迷うのもいやだし、葛藤するのは、もっといやだ。何も考え
ないようにしている。どこかの店で、つり銭を多く出されたときもそうだ。迷わず、返す
ようにしている。本当の私は、もう少しずるいが、そういうずるさと戦うのも、疲れた。
だから、教条的に、そう決めている。それはもちろん道徳ではない。ただ論語で説くよう
な、高邁(こうまい)な境地に達するには、まだまだ時間もかかるだろう。一生、到達す
ることはできないかもしれない。だから、そうしている。

 子どもたちに向かって、「誠実に生きろ」と言うのは簡単なこと。しかしその中身は、深
い。それがわかってもらえれば、うれしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【正解のない世界】

+++++++++++++++++

もともと生きることに、正解など、ない。
ないのに、いつも、人は、正解を求めようとする。

子どもの世界とて、同じ。

今の教育は、正解などあるはずもないのに、
その正解を押しつけようとする。

+++++++++++++++++

●二枚の絵

玄関先に、一人の男の人(おとな)が立っている。手前に子ども(幼児)がいる。そん
な一枚の絵を見せながら、子ども(年長児)たちに、「この絵の中の二人は、どんな話を
していますか?」と質問。すると、一人の男の子が、こう答えた。

子「(男の人が)入ってもいいですか?」と言った。
私「でも、玄関は、もうあいているよ」
子「うん、そう」
私「では、子どもは何と言っているの?」
子「帰ってください」
私「ということは、その男の人は、何?」
子「どろぼう」と。

今度は別の絵。一人の女の子(幼児)が、ふとんの中で寝ている。そのそばに男の子(幼
児)が立っている。同じように、「この二人は、どんな話をしていますか?」と質問。す
ると今度は、一人の女の子が、こう答えた。

子「(女の子は)遊ぼうと言っている」
私「どこで?」
子「おふとんの中で……」
私「じゃあ、男の子は、何と言っているの?」
子「うふん……」
私「まさか……、ラブラブ?」
子「ちがうわよ!」

 ときとして、子どもたちは、こちらが意図しない考えをもつ。最初の絵は、お客さんが
来たところを想定し、「こんにちは」「いらしゃいませ」と答えるのを、期待していた。二
枚目の絵は、「早く元気になってね」「ありがとう」と答えるのを、期待していた。しかし
子どもたちは、ここに書いたように答えた。もちろん私は爆笑。ゲラゲラ笑ってしまった
ので、授業にならなかった。

●本音と建て前

 「すなおな考え方」とは何か。五、六年も前のことだが、小学一年生の生活科のテスト
に、こんなのがあった。

 あなたのお母さんが、台所で料理をしています。あなたはどうしますか。つぎの三つの
絵の中から、答を選んでください。
(1)そのままテレビを見ている絵。
(2)お母さんを手伝う絵。
(3)本を読んでいる絵。

 この問題の正解は、(2)のお母さんを手伝う絵ということになる。しかしほとんどの子
どもは、(1)もしくは、(3)に丸をつけた。このことを父母との懇談会で話題にすると、
ひとりの母親がこう言った。「手伝ってほしいとは思いますが、しかし実際には、台所のま
わりでウロウロされると、かえってじゃまです。テレビでも見ていてくれたほうが、楽で
す」と。つまり建て前では、(2)が正解だが、本音では、(1)が正解だ、と。

 そこで本題。冒頭にあげた絵の問題では、子どもたちは私の意図した答とは、別の答を
出した。正解か正解でないかということになれば、正解ではない。また小学一年生のテス
トでは、本音と建て前が分かれた。こういうとき、どう考えたらよいのか。

●正解のない世界

 ……と考える、必要はない。悩む必要もない。もともとこの世の中に、「正解」などとい
うものは、ない。ないにもかかわらず、私たちは何かにつけて、正解を大切にする。正解
を求めようとする。とくに教育の世界ではそうで、その状態は、高校三年生までつづく。
が、それで終わるわけではない。ある東大の教授が、学生たちに、答のない問題を出した
ときのこと。一人の学生が、「答のない問題を出さないでくれ」と、その教授に、くってか
かったという。その教授は、「この世界のできごとは、九九・九九%、正解のないことばか
り。なぜ今の学生は、正解にこだわるのか」と笑っていた。

 そこで今、教育の世界では、「答のない問題」が、クローズアップされている。私立大学
だが、T理科大学の面接試験では、こんな問題が出された。「塩と砂糖と砂が混ざってしま
った。この状態で、塩と砂糖と砂を分離するには、どうしたらよいか」と。

 こうした問題を与えられたとき、日ごろから、考えるクセのある子どもは、あれこれ分
離方法を言うが、そうでない子どもは、そうでない。さらに入学試験のとき、教科書や参
考書もちこみOKという大学もふえてきた。「知識」よりも、「考える力」を大切にすると
いうもくろみがある。当然のことながら、これからはこの傾向は、ますます強くなる。さ
きの教授は、こう話してくれた。「これだけインターネットが発達してくると、知識の価値
は、ますますさがってくる。大切なのは、いかにその知識を組みたて、新しい考えを生み
だすかです」と。

 私たちは子どもたちと接しながら、あまりにも、答を押しつけすぎているのではないだ
ろうか。そしてそういうのが、教育と思いこみすぎているのではないだろうか。子どもた
ちにかぎらず、私たちは、もっと自由な発想で、自由な答を求めてもいいのではないだろ
うか。私は子どもたちの前で、爆笑してしまったが、爆笑そのものの中に、未来につなが
るものの考え方の、大きなヒントが隠されているような気がする。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●3月x日

++++++++++++++++++

今日、偶然にも、2人の友人に会った。

1人は、H氏。50歳くらい。
もう1人は、N氏、60歳くらい。

本当は年齢を知っているが、あえて
あいまいにしておく。

長いつきあいだ。

別れるとき、N氏とは、今度、いっしょに
食事をすることにした。

H氏には、まだ話していないが、奥さんと
近く、山荘に、来てもらうつもり。

4月に入ったら、連絡しよう。

++++++++++++++++++

●浜名湖1周

 今度、長男と、浜名湖を自転車で一周することにした。「やってみようか?」と声をかけ
ると、「暖かくなったら、いいよ」と。「あまり暑くなってからでもしかたないので、4月
にしよう」と言うと、「うん」と。

 浜名湖の周囲には、その浜名湖をぐるりと1周する形で、自転車道が完成している。1度
はしてみたいと思っていた。「これがぼくの人生で、最初で最後の思い出になるかもしれな
い」と、私は言ったら、長男も、そう思ったらしい。意外とあっさりと、同意してくれた。

 が、私は毎日、自転車で体を鍛えている。一周できるだろう。しかし長男は、そうでな
い。いくら若くても、鍛えていなければ、そうでない。一周は、無理かもしれない。

 ともかくも、楽しみだ。ざっと計算してみると、一周、60〜80キロはある。曲がり
くねった道だから、道のりは、もっとあるかもしれない。時速10〜15キロで走っても、
6〜8時間はかかる。かなりきつい行程だ。休みながら走れば、何とかなるだろう。

●GOOD NEWS

 それからGOOD NEWS! 今日、三男の就職先が正式に決まった。航空会社のJ
社。勤務地は、成田空港だそうだ。今日、昼食をとりながら、ワイフと2人で、静かに乾
杯した。

 あとは、いつもどおりの1日。午前中は、O幼稚園で、講演。午後は、仕事。夜は、D
VD鑑賞。液晶テレビを買ってから、映画館へは、ほとんど足を運んでいない。それまで
は毎週金曜日の夜は、ワイフといつも映画を見に行っていた。金曜日の夜は、満50歳以
上は、入場料金が半額になる。

●新年度

 今年も、インターネットを通して、たくさんの生徒が入会してくれた。毎年2月になる
と、「BWも、今年度でおしまいかな」と思う。が、3月末になると、息を吹きかえす。こ
の20年間、その繰りかえし。それがBW。

 N氏にそのことを話す。体力的にも、そろそろ限界に近づいてきた。無理はできない。
とくに今は、精神の安定に心がけている。

●株価暴落

 ところで話は、ぐんと深刻になるが、ここ数日、株価が、全世界的に暴落している。む
ずかしい理論など、必要ない。アメリカへ行ったことがある人なら、だれでもわかると思
うが、こういうこと。

 「どうして、そんなに働きもしないアメリカ人が、こんないい生活ができるのだろう」
と。

 一方、中国やインドでは、それが反対になる。東南アジアの国々へ行けば、さらに、そ
れがよくわかる。「どうしてみんな、こんなに一生懸命働いているのに、生活が貧しいのだ
ろう」と。

 この日本について言うなら、どちらかというと、アメリカに近い。全体としてみると、
それほど働いていないのに、みな、そこそこに、よい生活をしている。

 つまり世界は、(富)をもつものと、もたないものの間で、不公平が起きている。それが
今、世界的な株価の暴落で、調整期に入った(?)。

 日本は、アメリカに近いから、その分だけ、下に落ちるということか。

●韓国のおバカ大統領

 で、問題は韓国だ。あのN大統領が、またまた、おかしなことを言いだした。どうして
あの人は、こうまでものの考え方が、うしろ向きなのだろう。今度は、日本に向かって、「誠
意を見せろ」(3月1日)と。天皇や日本の首相が訪韓するたびに、「謝罪しろ」「謝罪しろ」
の大合唱。いったい日本は、何度、それも、いつまで謝罪しつづけたら、韓国は気がすむ
のか。

 要するに、今の日本は、韓国とは、仲よくできないということ。ついでにK国とも。

 目下、その韓国だが、日本との間で、し烈極まりない経済戦争が進行している。まさに
「死闘」というにふさわしい。勝つか、負けるか。

 ノー天気なオバチャンたちは、「イー様」「ヨン様」と浮かれている。よい年齢のオバチ
ャンたちだ。そんなオバチャンたちが、(追っかけ)までしている。本当にどうかしている。
日本が今、この極東アジアでどんな立場にあるか、それが少しでもわかったら、そんなア
ホなことはできないはず。(私は、あえて「アホなこと!」と断言するぞ!)

 いいか! この戦争に破れたら、日本の明日はないのだぞ! それがわかっているのか
ア!

 少し頭が熱くなったので、軽い話をしよう。

●自転車屋

 私は、当然のことながら、自転車に興味がある。実家の稼業は、その自転車屋だった。
その自転車だが、少し前まで、1万円の自転車に驚いていたが、最近では、7500円の
ものまである。7500円だぞ! (私が子どものころでさえ、1万円というのは、破格
の値段だった。)

 ところで私がいつも修理を頼んでいる自転車屋だが、どうも、元気がない。毎年、店に
並ぶ自転車の数が、どんどんと減っている。店のおやじも、元気がない。近くのショッピ
ングセンターでは、100台とか200台もの自転車を、並べて売っている。値段も、安
い。最近では、サービスもよくなった。これでは個人の自転車店には、勝ち目はない。

 では、どうすればよいのか?

(1)道路沿いの、車のホコリをかぶっているような店では、勝ち目はない。(油で
店も、勝ち目はない。)
(2)歳をとったおじさんが、セーターを着て仕事をしているような店では、勝ち目は
ない。(ふだん着で仕事をしている店では、さらに勝ち目はない。) 
(3)値段があやしげな店では、勝ち目はない。
(4)自店で、独自のカラー印刷の広告を出せないようでは、勝ち目はない。

 この反対の店にすれば、個人の店でも、生き残ることができる。つまり、それなりのセ
ンスがあり、若い店員が生き生きと仕事をしている。そして雑誌にも、値段が載っている
ようなメーカー品の自転車を並べている。そんな店なら、勝ち目はある。あとは、高級品
で勝負するという方法もあるが、個人の店では、たいてい失敗する、

 ただし、近くに大型のショッピングセンターがないこと。いくらなんでも、近くに大型
のショッピングセンターがあったら、勝ち目はない。

 私という素人の商店評論だが、それほど、まちがってはいないと思う。私は子どものこ
ろから、先にも書いたように、その自転車屋を見て育った。

●貧乏人vs金持ち

 あまりバカな話ばかり書いていてはいけないので、シメに、少し、有益な話(?)をひ
とつ。

 金持ちが、それなりの人格者になるのは、当たり前。また人格者のフリをするのは、簡
単。しかし貧乏人が、人格者になるのは、むずかしい。人格者のフリをしても、すぐボロ
がでる。……これは私の意見ではない。論語の中に、そういうようなことが書いてある。

 それを、今、思い出しながら、自分の意見を書き加える。

 ……というより、今日、ワイフとそのことを話題にした。「貧しいと、人間性まで狂って
くるから、いやだね」と。

 たとえば生活が貧しくなると、ひがみやすく、ねたみやすくなる。それ以上に、人を恨
みやすくなる。こうしてその人の精神は、少しずつ、蝕(むしば)まれていく。結果とし
て、人格者とは、ほど遠い人間になってしまう。みながみなというわけではないが、そう
なる可能性は低くはない。

ワ「生活に余裕がなくなるからね」
私「そうなんだよな。つまるところ、余裕の問題ということになる」と。

 言いかえると、いくら生活が貧しくても、心の余裕さえあれば、自分の人格を保持する
ことができる。みがくこともできる。反対に、いくら生活が豊かでも、心の余裕のない人
は、そうでない。高級車に乗って、御殿に住んでいても、人格に疑問符のつく人は、いく
らでもいる。

 では、心の余裕とは何か? どうすれば、心に余裕をもつことができるか?

 ひとつの方法として、『運命を受けいれる』というのがある。自分の置かれた立場、境遇、
環境を、そのまま受けいれる。不平、不満をもたず、日々に、満足して生きる。

 私がここでいう「運命」というのは、その人をつないでいる、無数の「糸」をいう。家
族という糸、親類という糸、地域、社会、国という糸、それに日本人という糸など。私自
身の肉体、健康という糸もある。そういう無数の糸が、それぞれの人を、からみながら、
その人の生きる道を定めている。それが「運命」ということになる。

 それを先に受けいれてしまう。「何もベンツに乗れなくても、ビッツでじゅうぶんではな
いか」と。(これは、私自身のことだが……。)

 要するに無理をしないということ。そういう気構えが、心の余裕をつくりだす。

ワ「論語って、すごいことが書いてあるのね」
私「ホント」、……ということで、今朝の雑感は、おしまい。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●一日の交通費、1万1000円!

+++++++++++++++++++

数年前のことだが、この浜松市でも、
市議会議員の交通費が、1日(1日だぞ!)、
「片道、5000円」ということになった。

片道、5000円ということは、往復で、
1万円。議員が、どんな方法で議会に
来ようが、1万円ということ。

(この数字については、記憶によるもの
なので、正確ではない。)

当時、私は、その金額に驚いた。
仮に10日間、議会に顔を出せば、
それだけで、10万円、と!

+++++++++++++++++++

地方議会に出席した議員には、交通費が支払われている。日額で支払われることが多く、
それを「費用弁償」という。

この「費用弁償」ほど、不透明なものはない。読売新聞の全国調査によれば、47都道府
県・15政令市議会のうち、廃止しているのは大阪、堺両市だけ。実費のみの支給も鳥取
県と静岡市にとどまるという(07年3月11日)。

それによれば……、

 『40都道府県・12市は、一律または自宅からの距離に応じて定額を支給している。
このうち15都道県・7市は自宅が近い議員にも1万円以上を支払っており、実態とかけ
離れた高額支給が鮮明になった。交通手段を問わず、たとえ歩いたとしても定額が支払わ
れる仕組みだ。

 調査は2月末現在で実施した。一律で定額支給しているのは10市。最高は広島市の1
万1000円で、札幌、仙台、横浜、名古屋、京都、福岡市が1万円』(読売新聞)と。

 しかしこんなメチャメチャな交通費が、どこにあるだろうか? ……とだれしも、思う。
思って当たり前。しかし、こうして市議会の議員にそれなりのウラがある。わかりやすく
言えば、役人側の、(議員懐柔策)。議員にアメをしゃぶらせながら、役人たちは、自分た
ちの特権を、拡大する……。

 この浜松市でも、数年前、市議会議員の交通費が、「片道、5000円」という条例が可
決された。当時、それを私に教えてくれた議員の人(女性)は、こう言った。「(議会では)、
だれも、反対しなかった」と。

 が、こうした条例の改正案の可決には、ウラがある。つまりこうした改正案が出される
ときは、ほとんどのばあい、役人の待遇向上(?)のための法案が、抱き合わせになるこ
とが多い。

 ご存知の方も多いと思うが、議会といっても、質問書も、答弁書も、実は、担当の役人
が書くことが多い。つまり議員は、役人の作った質問書を読み、その一方で、これまた役
人の作った答弁書を読む。

 国会ですら、そうなのだから、いわんや、地方議会をや、ということになる。「作文力の
ある議員は、ほとんどいない」「いや、その前に、役人が、情報をしっかりとにぎっている
から、議員は、役人に頭をさげるしかない」と。そんな声も、よく聞かれる。

 役人が、なぜ役人なのかといえば、(情報)を握っているからである。役人に嫌われたら、
情報に接することすら、できない。

 この浜松市がそうであるというのではないが、そんなわけで、実際に、地方議会を牛耳
っているのは、役人たちと考えてよい。少なくとも、役人たちは、そう考えている。

 そこでたとえば、役人たちは、自分たちの特権を拡大するとき、一方で、議員側にも、
それなりのアメを用意する。用意しながら、「あなたたちも、いい思いをさせてあげるから、
同時に、この法案を通してくれ」と言う。

 私は憶測で書いているのでは、ない。こんなことは、この日本では、常識! 役人と議
員は、いつもそのウラで、談合を繰りかえしている。(談合だぞ!)繰りかえしながら、長
い時間をかけて、自分たちにとって都合のよい世界を、作りあげる。

 今回、読売新聞社は、全国調査をして、「1万1000円」という金額を公表した。しか
し私が知るかぎり、こんなのは氷山の一角。さらに言えば、その奥には、さらに巨額な特
権、つまり役人の特権が隠されている。

 少し前にも話題になったが、役人の世界には、8年間で、たった5日、勤務しただけで、
その間、ずっと、満額の給料を手にしていた人すらいる。5年間で、8日だったか? ど
ちらにせよ、これを役人の特権と言わずして、何と言う。しかしそんな例は、いくらでも
ある。あちこちにゴロゴロしている。

 ……ということで、私たちは、もう少し、怒ってもよいのではないだろうか? その(怒
り)なくして、民主主義の発展は、ない!


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●中教審答申

+++++++++++++++++

中教審の答申が、公表された。
それによれば、

(1)義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度」を新設する。
(2)教育長任命時の国の承認制度復活には反対する、だそうだ。

+++++++++++++++++

●教審答申のポイント

 ◇学校教育法◇

・義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する
態度」を新設する。
・義務教育年限は9年の現行通りとする。
・学校は自らの評価制度を設けるべきだとの努
 力義務規定を新設する。情報開示規定も新設する。
・副校長、主幹などの設置規定を新設する。

 ◇教員免許法◇

・免許状の有効期間は10年間とする。
・分限免職処分を受けた場合は免許状失効する。
・更新時の講習時間は30時間程度とする。

 ◇地方教育行政法◇

・教育で著しい不適切行為がある場合、国が
 教育に関する責務を果たすための仕組みが
 必要(教委への勧告・指示権限に関し賛否両論併
 記)。
・教育委員に必ず保護者を含むようにする。
・教委は第三者らによる点検・評価を受けて
 議会に報告する。
・教育長任命時の国の承認制度復活には反対する。
・教委が私学に指導する制度には反対する。
・文化とスポーツの管轄は教委から首長に移
 すことを可能とする。

(以上、毎日新聞 07−03−10)

 今回の中教審のポイントを、さらにしぼると、つぎの2点に集約される。

(1)義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度」を新設する。
(2)教育長任命時の国の承認制度復活には反対する。

 ここで重要なのは、「態度」の内容。そしてだれかが、中教審に対して、「承認制度の復
活」を協議するように働きかけたという点。言うまでもなく、その(だれか)というのは、
文部科学省の官僚たちである。

 どうして国=官僚たちは、こうまで国民を束縛したがるのだろう? 「自由」を一方で
標榜(ひょうぼう)しながら、やっていることは、(しめつけ)一辺倒。EUにせよ、アメ
リカにせよ、世界の教育は、自由化に向けて、まっしぐらに進んでいる。カナダでは、学
校の設立そのものが、ほとんど自由化されている。

 教科書検定にしても、欧米の国々の中で、それをしている国が、どこにある? アメリ
カでは、公立の学校ですら、PTAで、自由にカリキュラムを組んでいる。

 これでは外国から見れば、日本もK国も、同じ。区別のしようがない。あるいは、あな
たなら、シリアとクウェートのちがいを言うことができるだろうか?

 が、問題なのは、「我が国と郷土を愛する態度」の「態度」。

 これから文部科学省はこの答申を受けて、したい放題のことをしてくるはず。拡大解釈
は、官僚たちの常套(じょうとう)手段。国歌、国旗の問題にとどまらないだろう。へた
をすれば、そのうち、学校の各教室に、天皇、皇后の写真が、並べて飾られるようになる
かもしれない。

 だいたい、どういう基準で、またどうして、中教審のメンバーたちが選ばれたか、それ
すら明確ではない。「選ばれた」という時点で、すでに、(イエス・マン)だけが選ばれた
と考えるのが、自然である。

 そういう人たちが、文部科学省の意向に沿った答申をし、それを受け取った官僚たちは、
「お墨付きを得た」とばかり、それをもとに、好き勝手なことを始める。

 このやり方は、大正デモクラシーを押しつぶしながら、軍国主義への道を歩んだ、あの
時代に官僚が見せた手法と同じではないか。……と言っても、官僚ばかりを責めるわけに
は、いかない。私たち国民にしても、(考えること)を、放棄してしまっている。賢い国民
というよりは、ますます愚かになりつつある。どこかのお笑いタレントが、県知事になっ
たとしても、それを何ら疑問に思わない国民である。

 この国民にして、この国家である。

 いったい、この先、この日本は、どうなっていくのか? 忘れてならないのは、貴族政
治にせよ、独裁政治にせよ、為政者がまず手をつけるのが、(教育)だということ。戦前の
日本も、そうである。

 あの軍国主義を、先頭に立ち、もっとも過激に日本を先導したのが、ほかならぬ当時の
文部省である。

 あえて評価するなら、「教育長任命時の国の承認制度復活には反対する」という部分。い
くらイエス・マンの集団とはいえ、最後のところで、一縷(いちる)の良心が残っていた
ということか。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●孤立する日本

++++++++++++++++

失言につづく、失言。
今度は、日本のA総理の失言。
失言というより、あまりにも、
タイミングが悪かった。

おかげで、アメリカでは、
反日の大合唱。

ボストン・グローブ紙まで、
「日本に裏切られた」という
社説をあげるまでになっている。

++++++++++++++++

 産経新聞は、つぎのように伝える(3月10日)。

『米下院でのいわゆる慰安婦問題に関する決議案は、慰安婦を、「日本政府による軍の強制
売春システム」と定義し、日本政府の公式謝罪と、歴史責任の受諾、若年世代に対する教
育強化−などを求める内容だ。

(中略)

最近のアメリカリベラル紙の対日非難は、慰安婦問題の強制性を裏付ける証拠を否定した、
安倍晋三首相の発言に的を絞っている。これらメディアはもともと、首相を、「民族主義者」
とみる傾向が強く、強制性の否定や再度の謝罪拒否という発言が、固定観念を刺激した形
だ。

 決議案について、下院では月内に外交委員会での採決を経て、4月の安倍首相の訪米日
程をにらみながら、本会議採択を目指すとの見方が強い。首相発言の影響で、決議を阻止
するのは厳しくなったとの懸念も出ている』と。

さらに、8日付のボストン・グローブ紙社説は、首相発言が、「近隣アジア諸国にとどまら
ず、同盟国たるアメリカの信頼も失った」と決めつけ、ロサンゼルス・タイムズ紙の社説
(7日付)が、天皇の謝罪を公然と要求するなど、リベラル系メディアを中心とした対日
非難は、エスカレートしている(ヤフーニュース)。

 ここで注目すべき点は、アメリカのマスコミは、はっきりと(天皇の戦争責任)を追及
し始めているという点。いくら日本国内で、日本人が、「そうでない!」と叫んでも、そう
いう声は、届かない。それが、世界の常識ということになる。

 が、なぜ、戦後60年以上もたって、(今)なのか? 時、同じくして、6か国協議の部
会が、開かれている。日本は、日朝部会の席で、「拉致問題の解決なくして、国交正常化は
ありえない」「援助もしない」と主張している。そしてアメリカには、「拉致問題の前進な
しでは、テロ支援指定解除をしないでほしい」と、要請している。

 しかしすでに、米朝間では、テロ支援指定解除の話しあいが、進んでしまっている。韓
国の聯合ニュースは、9日、つぎのように伝えている。

『先の米朝国交正常化に関する作業部会で、K国が年内に核施設を「無能力化」する措置
を取ることができるとの立場を示し、アメリカがこうした措置に呼応して、テロ支援国指
定解除と対敵通商法の適用終了を履行することで、双方が原則的に一致した』と。

 以上を、簡単にまとめてみると、こうなる。

(1)アメリカは、米朝の2国間協議を始めてしまった。
(2)アメリカは、拉致問題にこだわる日本を無視して、テロ支援指定国家解除の道筋
をつけてしまった。
(3)アメリカにとっての国益は、「核の解除」から、「核の拡散」へと、移動してしま
った。
(4)アメリカには、日朝間の話しあいの仲介をする意図は、まったくない。

 アメリカのヒル国務次官補は、米朝交渉の中で、拉致問題を取りあげたと言っている(日
本側報道)。しかし肝心のK国の代表は、「拉致問題の話はなかった」と言っている。どち
らが本当のことを言い、どちらがウソを言っているのか。

 日本政府は、「日本は孤立していない」とさかんに言っているが、日本は、今、完全に孤
立している。しかし問題は、なぜこうまで孤立したかではなく、アメリカに、こうまで裏
切られたか、である。

 外務大臣、防衛大臣、それに総理大臣の失言につづく失言が、その背景にあったことは
言うまでもない。とくに、今度の安倍総理大臣の発言は、あまりにもタイミングが悪かっ
た。安倍総理大臣は、「(アメリカの下院で非難決議が採択されても)、謝罪しない」と言い
切ってしまった。

 アメリカが激怒して、当然。ボヤボヤと反日感情が、くすぶっていた。そこへ安倍総理
大臣は、ガソリンをまいてしまった。これで一気に、日本非難が、加速してしまった! 簡
単に言えば、そういうことになる。

 では、どうするか? 日本は、どうなるか?

 6か国のうち、日本をのぞく5か国は、日本を悪者にしたてながら、K国の核開発問題
に取り組むことになる。アメリカは、(そして韓国も中国も)、「現在、K国がもっている核
兵器については不問にし、開発と拡散だけを抑え込もうとしている」。一方、K国は、「ア
メリカとの国交正常化を最優先にし、6か国協議をつづけようとしている」。最近の国際情
勢の動きをみていると、どうやらそれが結論ということになる。

 つまり、日本にとっては、最悪のシナリオということになる。今後、日本は、核兵器の
影におびえながら、日朝交渉を進めることになる。莫大な戦後補償を支払うことになる。

 私は、もう4、5年前から、こう書いてきた。「拉致問題にからめて、K国を制裁しては
いけない。人権問題として、世界に訴えていくことこそ、重要」と。「拉致被害者の気持ち
は、わからないわけではないが、制裁では解決しない」と。

 それがいつの間にか、核開発問題による制裁と、区別がつかなくなってしまった。そし
て今は、「拉致問題に前進がなければ、K国援助はない」ということになってしまった。

 そこで日本がとるべき手段は、ただひとつ。

 国際外交の常識として、ここは、静かに、嵐が過ぎ去るのを待つのがよい。謝罪すべき
ことは、謝罪し、姿勢を低くして、嵐が過ぎ去るのを待つがよい。そしてK国が、シッポ
を出すまで、じっと、がまんする。

 米朝交渉は、かならず、行きづまる。すでにアメリカの国務省の中には、米朝交渉を重
荷に感ずる雰囲気が大きくなっているという。その重圧感は、今後、ますます大きくなる
はず。そうなったとき、そこに、スキができる。

 そのとき、日本が、そのスキに割って入ればよい。それまでじっと、がまんする。大切
なことは、これ以上、日米関係を悪化させないこと。理由は、簡単。今の日本にとって、
頼れる相手は、アメリカしか、いない。「バカだ」「アホだ」と言われても、アメリカの足
元にすがるしかない。悲しいかな、それが今の日本の置かれた、きびしい現実ということ
になる。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●子どもの言葉(乱れる言葉)

+++++++++++++++++

昨日、生徒たちと、こんな会話をした。
だれかが、「先生、トイレ!」と言ったときのこと。

私は、「もう少し、言葉を、ていねいに話そう」と
指導した。そしていろいろな例をあげて、
日本語のおかしさを、指摘した。

つぎの原稿は、そうした視点から書いたもの。

+++++++++++++++++

ある夏の暑い日、1人の女の子(小2)がこう言った。「私、今日、プール、ない!」と。
ほかの子どもが、「今日、私、プール、あった」と言った言葉に対してそう言った。私は
そのときふと、「こういうとき、IBMの翻訳ソフトなら、こういう会話をどう翻訳する
だろうか」と考えた。ちなみに、私がもっているソフトで、実際、翻訳してみた。つぎ
のがそれである。

 「私、今日、プール、ない!」……"Pool and there is nothing me and today." (プール、
私と今日、何もない)
「今日、私、プール、あった」……"today and me -- a pool -- "(今日と私……プール)

 仮にもう少し原文に忠実に翻訳して、たとえばアメリカ人に、「Me, today, pool, no!」
「Today me, pool, yes」と言っても、多分その意味は通じないだろう。

 そこで私はその女の子に、つぎのように質問しながら、正しい言葉で言いなおさせた。

私「あなたはプールをもっていないの?」
女「私が、もってるんじゃ、ない」
私「プールがどうしたの?」
女「プールがなかった」
私「どこになかったの?」
女「そうじゃなくて、プールはあるけど、プールのレッスンはなかったということ」

私「プールがレッスンするの?」
女「あのねえ、私がプールへ行かなかったということ」
私「どうして?」
女「だからさあ、プールがなかったの」
私「プールがなくなってしまったの?」

女「そうじゃなくてエ〜、今日は水泳のレッスンはなかったということ」
私「だったら、最初から、そう言ってね」と。

 こういうとき英語では、「私は今日、スイミングのレッスンには行かなかった」というよ
うな言い方をする。IBMの翻訳ソフトで、翻訳させると、今度はちゃんと、「"I did not go 
to the lesson of swimming today."」と翻訳できた。

今、書店へ行くと、日本語についての本がたくさん並んでいる。その理由が、少しは理
解できたような気がした。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●依存性

+++++++++++++++++++

人間が動物としてもっている、(群れ意識)、
それが、依存性に転化した。

その依存性は、本能的であるがゆえに、
なかなか、その輪郭(りんかく)を外には現さない。

そのため、「私は独立心が旺盛だ」と思って
いる人でも、依存性の強い人は、多い。

+++++++++++++++++++

 「よい人間でいよう」「よい夫でいよう」「よい妻でいよう」、さらには、「よい親でいよ
う」と思うこと自体、すでに、それが依存性の表れとみてよい。人間は、だれかを意識し、
自分の立場を意識したとたん、そこに(保護)と(依存)の関係をつくる。

 誤解してはいけないのは、保護意識が強いからといって、依存性が弱いということには
ならない。「だれかに保護してもらいたい」「だれかに依存したい」という意識が転じて、
得てして、それが他人を保護するという意識に変わる。そういった例は、親子の間で、よ
く観察される。

 たとえば子どもの受験競争に狂奔する親。このタイプの親は、一見すると、保護意識が
強く、その分だけ、独立心が旺盛のように見える。しかし実際には、子どもに依存したい
という意識が基本にあって、それが転じて、親をして、子どもの受験競争に駆り立てる。
もう少しわかりやすく言えば、子どもを1人の人間として認めていない。つまりはそれだ
け子離れできない、未熟な親ということになる。

 が、だからといって、依存性のない人はいない。だれでも、多かれ少なかれ、依存性を、
体質としてもっている。実際には、「私は私」と、自分を確立しながら生きるのは、この世
界では、容易なことではない。子どもについて言えば、「うちの子は、うちの子」と、子ど
もを守りながら生きるのは、この世界では容易なことではない。

人に依存して生きることによって、自らがもつ重荷を、軽減することができる。その分
だけ、気が楽になる。

 半面、独立的であろうと思えば思うほど、そこにあるのは、(孤独)。言いかえると、依
存性がもつ甘美な世界と、独立性がもつ孤独な世界は、ちょうど対照関係にある。だから
人は、無意識のうちにも、独立的であろうとするよりは、だれかに依存しながら、楽に生
きる道を選ぼうとする。冒頭に書いた、(群れ意識)というのも、そこから生まれた。

 私は、これを昔から、「甘い誘惑」と呼んでいる。が、その甘い誘惑から自分を切り離し、
独立して生きることは、容易なことではない。たとえば(自由)という言葉がある。人が
真に自由を求めようとするなら、まず、この甘い誘惑から自分を切り離さなければならな
い。

 話がわかりにくくなってきたので、もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 ある教会に、1人の信者がやってきた。その信者は、白内障で、視力がかなり低下して
いた。が、その少し前、手術で、白内障が治った。

 その信者は、教会の祭壇の前に正座すると、こう言った。「神様が私を守ってくださった
おかげです」と。何度も何度も手を合わせ、祭壇に向って、礼拝した。

 しかし白内障を治したのは、実は、神ではない。病院のドクターである。しかし依存性、
このばあい、神への依存性の強い人には、それがわからない。「神様が、白内障を治してく
れた」と考える。しかも白内障といっても、今では、簡単な手術で治すことができる。

 しかしその信者は、自分では、けっして神に依存しているとは、思っていない。「神を信
じている」とは言うが、「依存している」とは言わない。しかし依存は、依存。それがわか
らなければ、子どもの受験について、合格祈念をしている親の姿を思い浮かべてみればよ
い。

 そんなことに(力)を貸す仏や神がいたとするなら、その仏や神は、エセと考えてよい。
常識のある人なら、そう考える。しかし依存性が強くなると、それがわからなくなる。そ
して子どもが運よく(?)、目的の学校に合格できたりすると、「仏様のおかげ」「神様のお
かげ」と喜ぶ。

 子どもの能力ではない。子どもの努力でもない。仏や神のおかげと、それを喜ぶ。

 こうした依存性と戦うためには、まず自分の中の、依存性に気づくこと。たとえばあな
たが子どもの歓心を買うために、何か高価なプレゼントを買い与える場面を想像してみる
とよい。そのときあなたは、心のどこかで、「買ってやる」という、(やる意識)をもつか
もしれない。

 それも立派な、依存性である。だから子どもがあなたの期待に応えなかったりすると、「あ
んな高価なものを買ってやったのに」と、子どもを叱ったりする。子どもが高校受験に失
敗した日に、私にこう言った母親さえいた。「子どものころから、音楽教室や体操教室に通
わせましたが、みんな、ムダに終わりました」と。……ムダ?

 さらにそれが高じてくると、子どもに向って、「産んでやった」「育ててやった」「大学ま
で出してやった」となる。が、それについては、もう、何度も書いてきたので、ここでは
省略する。

 話をもどす。

 概していえば、日本人は、民族学的な視点からしても、依存性のたいへん強い国民であ
る。日本人独特の集団意識、ムラ意識などに、その例をみる。「みなで渡れば、こわくない」
という発想を共にもつ。つまりそれだけ日本人は、独立心が弱く、さらにその分だけ、(自
由)というものがどういうものであるか、それを知らないでいる。自由とは、もともとは、
「自らに由(よ)る」という意味である。

 ……以上、思いついたまま、メモ風に書いたので、どこかチグハグな感じがしないでも
ない。雑感として、ここに記録する。(07年3月9日)

+++++++++++++++++

つぎの原稿を書いてから、もう4年に
なる。

同じ、(依存性)をテーマにした原稿だが、
そのままここに紹介する。

+++++++++++++++++

●依存心

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」
は言わない。「おなかが、すいたア〜」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからネエ〜」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、K国について話しあったが、その女性は、こう言った。
「アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。一見、なご
やかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっているだけ。
総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、その
依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわくない」
「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」など。こ
うした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、ある
いは同情を買ったりする。「〜〜してあげたから、〜〜してくれるハズ」「〜〜してあげた
から、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。そ
れ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。もの
ごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい子
イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠牲的であればある
ほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそれに気づくことは、
まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反発したりする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。個人が個人として
確立していない。あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、ある
いは封建時代の全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性
が、外の世界からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつ
までたっても、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。
(03−1−2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」)

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ついでにもう1作。
中日新聞発表済み。

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●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分
こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分
のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親
は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あ
なたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで
子育てをするなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」と
いうタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●友だち親子

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友だち親子がよくないという意見もある。

「よい」という意見もある。

しかし人間に、上下はない。そういう
視点でみると、「どうして友だち親子が
悪いのか」ということになる。

はっきり言えば、親の権威など、クソ
食らえ!

++++++++++++++++

 02年の3月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」につ
いての調査だが、それによると……。

 一緒にいると安心する ……94%
 何でもおしゃべりする ……87%
 友だちのように仲がよい……77%
 親は偉くて権威がある ……68%

(全国の小学4〜6年生、200人、および五歳以上の子どもをもつ30〜44歳の父母
600人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)

 一方で「現実の親子関係」では、

 子どもと何でもおしゃべりすると答えた父親 ……72%
 父親と何でもおしゃべりすると答えた子ども ……49%

 この調査からわかることは、子どもは親に、「友だち親子」を求めているということ。そ
れについて、バンダイキャラクター研究所の土居由希子氏は、「友だちのような親子関係は、
『家族の機能が失われつつある』という文脈で語られることが多いが、実はそうではない。
家族がひとつにまとまるために、これまでの伝統や習慣にかわって、仲のよさや、共通の
趣味や話題が必要となっているようだ」(読売新聞)とコメントを寄せている。

 また父親の72%が、子どもと何でもおしゃべりすると答えているのに対して、子ども
の側は、49%であることも注目したい。父親と子どもの意識が、微妙にすれているのが、
ここでわかる。

 親には3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、総合的にみても、子ども
の前やうしろを歩くのは得意だが、子どもの横を歩くのは、苦手。バンダイの調査に対し
て、「親の威厳こそ大切」という意見もある。しかしこうした封建時代の遺物をひきずって
いるかぎり、子どもは親の前で心を開くことはない。はからずも、「いっしょにいると、
安心する」を、94%の親子が支持している。この数字のもつ意味は大きい。
(02−7−25)


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●倫理規範

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弱者にいかに温かい世界かで、
その世界の優劣が決まる。

弱者に冷たい世界は、それだけで、
劣った社会と考える。

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 昨日、テレビの「討論バトル」という番組をみた(〇二年七月)。今回は、暴走族と、4
人の講師(?)たちとのバトルだった。チャンネルをかえていたら、たまたまその番組が
飛び込んできた。

 案の定、4人の講師たちは、暴走族の若者たちを完全否定。ジャッジ役のおとなたちも、
完全否定。暴走族の若者が、1人の講師に向かってあれこれ反発すると、40歳くらいの
女性はこう言った。「あなたがたは、人生の先輩者の意見を、もっと前向きに聞くことがで
きないの!」と。

 私は、暴走族の若者たちをかばう気持ちは、毛頭ない。好きか嫌いかと言われれば、嫌
いに決まっている。しかしああまで一方的に、彼らを否定することもできない。

理由の第一は、彼らは、一見「強者」のフリをしているが、その実、社会の底辺を生き
る、「弱者」でしかないということ。学校の先生から見放され、親たちからも見放され、
将来への夢や希望も、ことごとくつぶされた若者たちである。それだけに将来に対する
不安や心配も大きい。運転免許証以外、資格をもっている若者はいないだろう。身を寄
せる、温かい家庭すらもっていない。彼らは彼らなりに、精一杯、自己主張しているだ
け。

ゆいいつ心を開くことができる相手というのは、自分と同じような立場で、同じような
苦しみのわかる仲間だけ。そういう仲間の間で、たがいに慰めあっている。不安や心配
と戦っている。もしそれが悪いというのなら、では、ほかに彼らには、どんな方法があ
るというのか。

 はからずも1人の若者がこう叫んだ。「お前たち(おとな)に、偉そうなことを言う資格
などあるのかよ!」と。その通り。私たちおとなに、彼らを責める資格などない。この日
本だけをみても、不正義と不公平が満ち満ちている。コースに乗っただけという理由で、
その恩恵を受ける人は、とことん受ける。そうでない人は、少しばかりがんばったところ
で、どうにもならない。こうした無力感は、多かれ少なかれ、だれで感じている。が、若
いがゆえに、彼らはそれを人一倍、強く感ずるのだろう。それを彼らは、暴走させている
だけだ。

 いや、実のところ、この私とて、毎日、暴走しそうな自分を必死に押し殺して生きてい
る。体には無数のクサリががんじがらめに取り巻いている。こうしたクサリから解放され
たら、どれほど気が楽になることか。できるなら私も、バイクの音をバリバリとたてなが
ら、天下の国道を、思う存分、自由気ままに走り回ってみたい。

しかし現実は、どこへ行っても、規制、また規制。生きることすらままならない。何を
するにも、資格だの認可だの許可がいる。職をなくしたから、では明日からリヤカーで
も引いて、屋台のラーメン屋でもしたいと思っても、それは不可能。調理師の免許、保
健所や市役所への届け出、検査、認可が必要である。尾崎豊の言葉を借りるなら、私た
ちはまさに「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、あがきもがいているだけ?

 今の日本のしくみの中では、ある一定の割合で、彼らのような若者が生まれる。学校で
の勉強でも、いまだに「みんなが百点でも困る。差がつかないから。しかしみんなが0点
だともっと困る。差がわからないから」が基本になっている。10%のエリートを生み出
す一方、10%の落ちこぼれが、必然的に生まれる。そういうしくみになっている。

言いかえると、彼らこそ、こうしたゆがんだ教育体制の犠牲者にすぎない。もっと言え
ば、彼らが彼らであるのは、彼らから夢や希望を奪ってしまった私たちにこそ、その責
任がある。さらにもっと言えば、彼らは重い心の病気にかかっている。そういう若者を、
一方的に否定することはできない。いや、否定したところで、問題は何も解決しない。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

【4年前の正月】

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原稿の整理をしていたら、
たまたま4年間に書いた原稿が出てきた。

「おもしろい」と思った。
自分で書いた原稿を自分で評価するのも
おかしなことだが、そう思った。

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●演歌の世界

 02年度も、最後の部分だけだが、NHKの紅白歌合戦を見た。私が子どものころは、
視聴率も、80%以上あったという。あの番組は、まさに国民的番組であった。が、今は、
見る影もない。どういうわけだか、おもしろくない。時代が変わったのか? 私の趣向が
変わったのか? それとも番組自体が、つまらないのか?

 こう書くと、紅白歌合戦を楽しんだ人には失礼になるかもしれない。「何、言ってるの! 
私は楽しんだわ」と。

 こういうエッセーを書くとき、一番神経をつかうのは、「私はこうだから……」という理
由だけで、ものごとを決めてかかってはいけないということ。個人的な好き嫌いを、ほか
の人に押しつけてはいけない。

紅白歌合戦についても、そうで、「私がそう思うから」という理由だけで、「つまらない」
と書いてはいけない。それに「つまらない」と書く以上、それにかわる案なり、方法を
提示しなければならない。批判したり、批評したりする程度なら、だれにでもできる。


 「紅白」の紅白というのは、もともと、女性の生理の血の赤と、男性の精液の白を意味
しているそうだ。外国では通用しない、日本独特の色彩観である。(あるいは中国からきた
色彩観か?)たとえばアメリカでは、結婚式でも、花婿、花嫁以外は、男性はダークのス
ーツだが、女性は、ブルーとかオレンジに、色がある程度、限定されている。これは花嫁
の美しさを目立たせるためではないか。日本でも、結婚式では、そういう気配りをする。

……というように、あれこれ思い浮かべても、「男は白、女は赤」という場面は見たこと
がない。そう言えば、私の二男の結婚式で驚いたのは、列席してくれた男性たちが、皆、
黒いネクタイをしていたことだ。「日本では、葬式のときに黒いネクタイをする」と言い
かけたが、この話は、だれにもしなかった。

さて、本題。紅白歌合戦では、最後(トリ)を、演歌歌手が占めた。男性は、演歌歌手
のK氏につづいて、I氏。女性は、Iさんだった。私が紅白歌合戦をつまらないと思っ
たのは、もともと演歌が好きでないこともある。人間の心を、安っぽい論理で、決めて
かかるところが、好きでない。酒、夜、女、雨が、テーマになることも多い。

私は酒は飲めない。夜は苦手。女は関係ないし、雨より、青い空が好き。それに若いこ
ろから、義理とか人情とかいう言葉が好きではなかった。昔、『甘えの構造』という本を
書いた土居健郎氏は、「人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理
人情が支配的なモラルである日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった」
と述べている(「甘えの構造」)。そういう点では、演歌は、どれもネチネチしている。カ
ラッとしていない。

 ……とまあ、私は、またまたひどいことを書いてしまった。日本の民族的音楽である、
演歌を批判してしまった。きっとこのエッセーを読んで、怒っている人もいることだろう。
もしそうなら、許してほしい。だからといって、私が正しいとか、こうあるべきだとかと
書いているのではない。あくまでもひとつの意見として読んでほしい。

 ただこうした私の趣向の背景、つまり演歌がどうしても好きになれない理由には、こん
なことがある。

 私の父は酒乱で、数日おきに酒を飲んで暴れた。そしてそれは私が5歳くらいのときか
ら、私が中学2年生くらいになるときまでつづいた。そのあとは、父も肝臓を悪くし、酒
が飲めなくなったが、そんなわけで、私は今でも、酒臭い人間が、大嫌い。ゾッとするほ
ど、大嫌い。

だから何かの理由で、酒場のようなところに入ると、その酒臭さに、耐えられなくなる。
演歌は、そういう酒場のようなところで歌われることが多い。カラオケができてからは、
なお一層、その傾向が強くなった。だから、演歌を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。
この嫌悪感だけは、どうしようもない。演歌に、そういうイメージが焼きついてしまっ
た。そう言えば、ワイフと結婚する前も、私はワイフにこう聞いた。「あなたは、演歌が
好きですか?」と。するとワイフは、「大嫌い」と。それだけではないが、それで私はワ
イフと、安心して結婚することができた。

 ただ、美空ひばりだけは好きだった。とくに「悲しい酒」だけは、好きだった。美空ひ
ばりは、演歌歌手というレベルを超えた歌手だった。「悲しい酒」にハマったときは、ワイ
フといっしょに風呂につかりながら、歌い方を何時間も練習した。これは私の唯一の例外
か?
(03−1−2)

●あとで聞いたら、02年度の紅白歌合戦は、演歌ばかりではなかったそうだ。しかした
またま私が見たときは、演歌ばかりだった。不運な偶然が重なったのかもしれない。少な
くとも、ここ15年くらいは、紅白歌合戦は、ほとんど見ていない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●正月2日

 たき火をしようと居間におりたが、外を見ると、強風。そこでワイフに、ふと、「ドライ
ブでもしてこようか?」と声をかけると、「いいね」と。そこで正月2日だったが、ドライ
ブにでかけた。

 車は、トヨタのビッツ。私たちは、勝手に、「ビンツ」と呼んでいる。ドイツのベンツを
もじって、そう呼んでいる。

 コースは、浜松市内から、国道1号線に入り、そこからバイパスを通って、新居まで行
く。そしてそこから浜名湖1周コースに入る。このコースだと、ドライブをしている間中、
右側に海が見える。

 途中、浜名湖鉄道のK駅で、昼食。駅を改造したレストランで、マスコミにもよく紹介
される。料理は……と書きたいが、ここから先は書けない。(だからといって、推薦してい
るわけではないので、誤解のないように!)

 それからまた走って、細江町へ抜け、そこから姫街道を通って、市内へもどる。時間に
して、ちょうど2時間半のコースだった。ちょっとドライブというときには、よい距離だ。
気分転換になる。

 途中、ワイフといろいろな話をする。たいていは、くだらないバカ話だが、ときどき哲
学的な話もする。あとは、ただひたすら雑談、また雑談。「若いときは、よくドライブをし
たわね」とワイフ。「そうだね、毎晩したね」と私。

 私たちは、よく真夜中にドライブにでかけた。夜中の11時とか、12時に、である。
そしてあちこちを回ったあと、明け方に帰ってくることもあった。自由業とは、まさに私
のような仕事をいう。そういう点では、私たちは、本当に好き勝手なことができた。

 当時は、貯金もしなかった。翻訳料で少しでも、予定外のお金が手に入ったりすると、
そのお金をもって、隣の浜北市の旅館で1泊してきたりした。そして翌日は、また幼稚園
へ……。収入も、仕事も不安定だったが、私たちには、こわいものは、何もなかった。不
安もなかった。今でも、こうしてドライブをしていると、あのころの自由奔放(ほんぽう)
さが、そのまま心の中によみがえってくる。

 明日からは、人に会わなければならない。行かねばならないところもいくつかある。そ
れに正月明けの仕事の準備もしなければならない。こうしてゆっくりと原稿を書けるのも、
今夜まで。……といっても、こういうふうにヒマなときほど、原稿は書けないもの。頭の
回転がどこか鈍る。私は、仕事をしていたほうが、頭の調子はよいようだ。だから、今は、
こんなどうしようもない駄文しか、書けない。ここまで読んでくれた人には申し訳ないと
思う。どうか許してほしい。
(03−1−2)※


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●人生は、無数の選択

 ときどきふと、考える。どうして今の私は、今の私なのか、と。そして同時に、「もし、
あのとき……」とも考える。「もし、あのとき、別の選択をしていたら、私の人生は、大き
く変わっていたかもしれない」と。

 しかし私は、こうも考える。私はそのつど、無数の選択を繰り返してきた。それはC・
ダーウィンの進化論のようなものだ。今の私は、そういう無数の選択をくぐりぬけながら、
今の私になった。しかしその選択をしたのは、私自身であって、ほかのだれでもない、と。

 たとえば私があのままM物産という商社で働いていたら、私は「社畜」(会社の家畜とい
う意味)になって、いまごろは、狂い死にしていたかもしれない。私という人間は、そう
いうタイプの人間だった。いや、死なないまでも、今ごろはどこかの精神病院に入院して
いるか、心筋梗塞(こうそく)か何かで、倒れていたかもしれない。つまり私がM物産と
いう会社を飛び出したのは、私自身が、そういう未来を避けるために、そのように選択し
たからだ。

 だから、ひょっとしたら、私でなくても、私のような人間が、同じような立場に置かれ
たら、やはり私と同じような運命をたどったであろうということ。そう、それを「運命」
というなら、たしかに運命というのは、ある。

 私は、結局は、たいした人間にはなれなかった。これからもなれそうもない。このH市
という、地方都市にうずもれて、このまま人生を終えることになる。それは私の本望では
ないが、しかしこれが私の限界なのだ。私は私なりに、精一杯、生きてきた。その精一杯
生きる過程で、無数の選択を繰り返してきた。今も、毎日のように選択を繰り返している。
しかしいくらがんばっても、その限界を超えた選択は、私にはできない。

 たとえばこの正月になって、どうも体の調子が悪い。原因は、運動不足だということは
よくわかっている。しかし私ができることといえば、せいぜい、犬のハナと散歩に行くこ
と。本当なら、トレーナーを着て、10キロくらいランニングするのがよいのだろうが、
この寒さでは、それもできない。する気が起きない。そこで私は、自分の限界を感ずる。
その限界の中で、私はハナとの散歩を選択した。つまり、こうして、無数の選択が積み重
なって、私の運命が決まっていく。

 いろいろ私自身についての不満もある。後悔というほどのものではないが、「ああすれば
よかった」「こうすればよかった」と思うこともある。しかし私はそのつど、最善を尽くし
てきた。そのときどきに、その限界の中で、最善の選択を繰りかえしてきた。その結果が、
今の私であるとするなら、私には、ほかにどんな道があったというのか。

 もちろん私にも、その限界を超えた「夢」がある。しかし夢は夢。しょせん、かなわぬ
夢。そこには私の実力がからんでくる。運、不運もある。私の精神的欠陥や性格的欠陥も
ある。そういうものを総合的に考えてみると、やはり今が、限界。この程度が限界。ある
いは今以上に、私は、何を望むことができるのか。

 私が今、できることは、その限界状況と戦いながら、よりよい選択をそのつど、してい
くしかない。たとえばハナと散歩にでかけても、いつもより距離をのばしてみるとか。い
つもより、より速くいっしょに走ってみるとか。ささいなことだが、こうした選択をする
ことで、明日が決まる。だから過去をほじくりかえして、後悔しても、意味はない。後悔
する必要もない。あの宮本武蔵も、『我が事に於て後悔せず』(「独行道」)と書いているが、
私も、自分のことでは、後悔しない。……したくない。
(03−1−2)※

(追記)ときどきワイフにこう聞く。「お前は、ぼくと結婚して、後悔していないか? も
っと別の人生を歩きたかったのではないないか?」と。

するとワイフは、「これが私の人生だから」と言う。ときどき、「私は家族のみんなが、
それぞれ幸せになってくれれば、それでいいの」と言うときもある。そこでさらに私が、
「何か、やり残したことはないか?」と聞くと、「私は家族が幸せになるのを見届けたい
だけ」と。

実は、私も同じように考えるようになってきた。残りの人生は、家族や、ほかの人たち
のために使いたい。

+++++++++++++++++

(後記)

4年前の原稿だから、「未熟だったなあ」と
思う部分もあれば、「なかなか鋭いなあ」と
思う部分もある。

原稿も、古い原稿になると、自分で書いたと
いう意識は、あまりない。(書いたことすら
忘れてしまっているので……。)

しかし読んでいると、何というか、
スーッと、脳みその奥の奥までしみこんで
いくのがわかる。

それもそのはず。いくら忘れたとはいえ、
その過去の上に、今の私がある。

文体も、私のもの。

+++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●日本人のあいまいさ

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嫁のデニーズ(アメリカ人)が、先ほど、
こんなメールを書いてきた。

ある人にスカイプ英会話の案内をした。
もう数日になるのに、返事がない。

どうしたらいいか、と。

つまりデニーズは、もう一度、メールを
書くべきかどうかで悩んでいる。

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 アメリカのばあい、大統領に手紙を出すと、必ずといってよいほど、返事がかえってく
る。(もちろん大統領自身からではないが……。)

 オーストラリアでもそうである。欧米諸国は、みな、そうである。

 しかしこの日本では、そうではない。私のBW教室でも、つぎのようなことが、よくあ
る。

 「教室を見学をしたい」というから見学をしてもらう。しかし大半の親子は、そのまま
帰ってしまう。私のほうとしては、「入会してもらえるかどうか、その意思表示をしてほし
い」と思っているが、そのまま帰ってしまう。何も言わないで、帰ってしまう。

 で、こちらのほうが不安になって、「どうしますか?」と聞くと、「家へ帰ってから、相
談して決めます」と。

 見学についてもそうだが、案内書についてもそうである。「案内書がほしい」と言うから、
送る。しかしそのあと、そのままという人が多い。

 が、アメリカには、そういう習慣(?)は、ない。ないというか、こういうケースのば
あい、けっして、あいまいなままにしておかない。教室の見学をすれば、その場で、YE
S・NOをしっかりと意思表示する。案内書を送れば、かならずそれに対する返事をくれ
る。

 「日本は礼儀の国」とは言うが、ことこの部分についての、礼儀はない。

 だからデニーズには、こう返事を書いた。

 「日本人は、YES・NOをはっきり言うのを嫌う国民です。ものごとをあいまいなま
まにしておくのを、より好む国民です。だから相手から何か言ってくるまで、待つのがい
いです」と。

 ついでに、日本人のダブル・マインド(心の二重構造性)についても、書いた。いわゆ
る、(本音と建て前論)である。

 しかし今は、そういう時代でもないと思うのだが……。

++++++++++++++++++

本音と建て前で思い出したのが、
教師言葉。この教師言葉ほど、
本音と建て前を使い分けるものもない。

++++++++++++++++++

●教師言葉

 子ども(小2男児)がもらう成績表の通信欄。そこには、こうある。「運動は活発にでき
ました。授業にも集中できるようになりました。1学期は飼育係をし、友だちと協力して
動物を育て、思いやる心を学びました。2学期は学習面での飛躍が期待されます」と。

 この世界には、「教師言葉」というのがある。先生というのは、奥歯にものがはさまった
ような言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れて
います」とは言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。

こういうとき先生は、「お宅の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さ
っぱりできない)」「私のほうでも努力してみますが……(家庭で何とかしろ)」と言う。

あるいは問題のある子どもの親に向かっては、「先生方の間でも、注目されています……
(悪い意味で目立つ)」「元気で活発なのはいいのですが……(困り果てている)」「私の
力不足です……(もうギブアップしている)」「ほかの父母からの苦情は、私にほうでお
さえておきます……(問題児だ)」などと言う。ほかに「静かな指導になじまないようで
す……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもいいのですが……(嫌
われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労している)」「ほ
かの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。

 一方、先生というのは、子どもをほめるときには、本音でほめる。先生に、「いい子です
ね」と言われたときは、すなおに喜んでよい。

先生は、おせじではほめない。おせじを使わなければならない理由そのもがない。裏を
返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめられたことがないという
のであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうがよい。

幼児のばあい1つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子ど
もの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないのなら、かなりの問題のある
子どもとみてよい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや
先生から耳にする、日ごろの評判を基準にして、それを決める。

 さて冒頭の通信欄だが、プロはこう読む。「運動は活発にできました……(学習面はさっ
ぱりダメ)」「授業にも集中できるようになりました……(集中力がなく、問題児だ)」「一
学期は飼育係をし、友だちと協力して動物を育て……(一人では責任ある行動ができない)」
「思いやる心を学びました……(自分勝手でわがままだ)」「二学期は学習面での飛躍が期
待されます……(今は、学習のほうは、さっぱりダメ。家庭で何とかしろ)」と。

 今回は生々しい話になってしまったが、もともと教育というのは、そういうもの。親と
教師の価値観やエゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこ
に「子ども」が介在すること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉
は、そういう世界から必然的に生まれた。ある意味でやむをえないもの。

だいたいにおいて、あなたという「親」だって、先生の前では本音を言わない。……言
えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それをあなたは、よく知っているは
ずだ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
教師言葉 本音論 建て前論)


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●デニーズへ、

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ときとして、デニーズは、日本の風習に
とまどうことがある。

YES・NOをはっきり言わない日本人。
ものごとを、あいまいなまますまそうとする
日本人。

そういう日本人を見て、いらだつことも
多いらしい。

反省!

+++++++++++++++++++

デニースへ、

アメリカのばあい、大統領に手紙を書くと、必ず、大統領から返事がきますね。大統領以
下、みな、そうです。上院議員、下院議員、それに州知事も、みな、そうです。そういう
システムが、できあがっているのですね。

以前、こんなことがありました。

私の生徒が、オーストラリアへの大学への進学を希望したときのことです。私は、何校か
の願書を取り寄せてやりました。で、うち一校については、願書を出し、その大学付属の
語学校(ランゲージ・スクール)の入学の手続きを、すませました。

あとの数校については、日本流に、無視。が、こうした行為が、相手の大学の入学登録事
務所(レジストレーション・オフィス)の担当の人を怒らせてしまいました。「キャンセル
するならするで、どうして返事をくれないのか」とです。

こうしたトラブルは、よく経験します。たとえばいくつかの出版社に、原稿を送ったとし
ます。日本では、そうした行為に対して、返事をくれる出版社は、まずありません。ほと
んどのばあい、無視されて、ポイ、です。返事をくれるときは、「出版、OK」というばあ
いだけです。相手の出版社にしてみれば、「あなたが勝手に送り届けてきたのだから、返事
をする必要はない」ということになります。

ですから、日本人とビジネスするときは、(忍耐)が必要です。とくに、日本人は、YES・
NOをはっきり言うのを、きらいます。あいまいなまま、その場をやりすごそうとします。
さらに、YESと言いながら、NOのばあいがあったり、NOと言いながら、YESのば
あいがあったりします。

これも実際あった話しですが、アメリカの外交官が、あることで、日本の政治家に決断を
迫ったときのことです。その日本の政治家は、こう答えました。「前向きに検討してみまし
ょう」と。

そこでアメリカの外交官は、YESかNOかと迫ったというのです。で、再び、その日本
の政治家は、「前向きということは、前向き。検討してみます」と。

おかしな問答ですが、このばあい、アメリカ人の外交官には、日本の政治家の返事が、「N
O」に聞こえたかもしれません。日本の政治家は、「YES」のつもりで答えたのですが…
…。

そんなわけで、日本でビジネスをするときは、繰りかえしますが、(忍耐)が必要です。相
手が返事をしてくれるまで、じっと待ちます。が、だからといって、誤解しないでくださ
い。日本人が、(ていねいな国民)ではないということでは、ありません。

結論が出るまで、時間がかかるということです。そしてそれまでは、できるだけ、あいま
いにしておこうという心理的作用が働くためです。YES・NOをはっきり言って、結論
を出すよりは、日本人は、そのほうが人間関係が、スムーズに流れると考えるわけですね。

日本流に言えば、「やるべきことはしながら、あとは時間を待つ」です。これは日本人とつ
きあうときのコツです。よく覚えておくとよいでしょう。多分、息子のSにも、そういう
部分が残っていると思います。

【デニーズからの返事】

Thank you very much for the information! I know of people being vague 
about answering yes and no in Japan; Soichi and I have talked about that 
before. But when I asked him about what to do about a non-responsive 
customer, he didn't have any idea. Perhaps it is because he has not had 
a chance to live as an adult in Japan yet. Maybe he never quite caught 
onto that courtesy.

情報、ありがとうございます。日本では、YES・NOをはっきり言わないで、あいまい
にしておくということを、知っています。ソーイチと私は、以前、それについて、話しあ
ったことがあります。しかし何か連絡しても、返事のない人には、どうしたらいいのかと、
ソーイチにたずねたことがあります。しかし彼には、わかりませんでした。

たぶんそれは、ソーイチが、日本で、おとなとして生活した経験がないからではないかと
思います。そういうような(日本流の)礼儀作法を知らないのでしょう。

I honestly thought that in Japan, people probably returned emails right 
away, even more quickly than in America, because of how prompt and 
punctual people are about being on time for work. Here people do not 
worry so much about that. If we're a few minutes late, we'll make up 
for it at the end of the day. 

私は、日本では、人々が、すぐ返事をくれるものだとばかり、思っていました。アメリカ
人よりも、早くです。というのも、日本人というのは、仕事面で、時間に正確で、迅速な
国民と思っていたからです。アメリカでは、だれかが、2、3分遅れただけで、その日の
終わりには、それをつぐなおうとします。

It's very interesting to me to find all of the little differences in the 
cultures. I appreciate your letting me know. That's very helpful!!!!

文化について、ささいなことでも、そのちがいを知ることは、とても興味深いことです。
私に教えてくれたことを感謝します。とても助かりました。ありがとうございました。

Denise


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    4月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●赤ちゃん返り

+++++++++++++++

愛着行動は、親から子どもへの
一方的なものではない。

子どもも、実は、親へ、愛着行動を
繰りかえす。

親にとってかわいい子であることを、
子どもは本能的な部分で、演出しよう
とする。

+++++++++++++++

 子どもの世界には、「赤ちゃん返り」と呼ばれる、よく知られた症状がある。下の子ども
が生まれたことが原因で、上の子どもが、赤ちゃんのようになる症状をいう。それまでし
なかったおもらしを、再び、し始めたり、態度、しぐさ、それにものの言い方などが、赤
ちゃんのようになる。「ママ」のことを、「ウマーマー」と言ってみせたりするなど、言い
方そのものが、ネチネチとした言い方になることも多い。

 本能的な嫉妬心が、子どもの心をゆがめると考えるとわかりやすい。つまり生まれたば
かりの赤ちゃんは、自分のかわいさを親にアピールすることで、親の保護を受けようとす
る。こうした行為は、意思的な行為というよりは、本能的な行為と考えるのが正しい。つ
まりこの時期、愛着行動は、親から赤ちゃんに対してだけではなく、赤ちゃんからも親に
対してと、その双方向においてなされる。

 それを「ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着)」と呼ぶ学者もいる。

 で、下の子どもが生まれたりすると、上の子どもは、もう一度、親の愛情を自分のもの
にしようと、本能的な部分で、親への働きかけ(アタッチメント)を始める。それが「赤
ちゃん返り」である。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●人間の刷り込み

+++++++++++++++++

人間の脳にも、刷り込みがあるという。
生後直後から、数週間の間に、
それがなされるという。

この期間を、「敏感期」と呼んでいる。
親子の関係を築く、とくに重要な時期と
考えてよい。

+++++++++++++++++

●刷り込み(インプリンティング)

 中学生が使う英語の教科書に、「インプリンティング(刷り込み)」の話が出ていた。オ
ーストリア人の動物学者のコンラット・ローレンツ(1973年にノーベル医学・生理学
賞受賞者)という学者の体験談である。

もう15年近く前のことだが、私は、それまでインプリンティングのことは、知らなか
った。最初に、「ほほう、そんなおもしろいことがあるのか」と感心しながら、辞書を調
べたのを覚えている。

 が、当時は、英語の辞書にも、その説明はなかったように思う。だから子どもたちには、
「そんなこともあるんだね」というような言い方で、教えていたと思う。

 刷り込み……アヒルやカモなど、孵化後、すぐ歩き始める鳥類は、最初に見たり、聞い
たりしたものを、親や、親の声だと思うようになるという。しかしその時期は、孵化後す
ぐから、24時間以内だという。その短時間の間に、脳の中に、刷り込まれるという。

 そしてここが重要だが、一度、その刷り込みが行われると、それ自体が、やりなおしが
きかなくなるという。だから「刷り込み」のことを、(やりなおしのきかない学習)と呼ぶ
学者もいる。その鳥は、生涯にわたって、その刷り込みに支配されるようになる。

 実は、人間にも、そういう刷り込みに似た現象が起きていることが、わかっている。生
後直後から、数週間の間だと、いわれている。「敏感期」と呼ばれる時期がそれである。新
生児は、生後直後から、この敏感期に入り、やがてすぐ、どの人が自分の親であるかを、
脳の中に刷り込むと言われている。

 が、それだけではない。その刷り込みと同じに考えてよいのかどうかはわからないが、
新生児特有の現象に、「アタッチメント(愛着)」がある。

 子どもは生まれるとすぐから、母親との間で、濃密な情愛行動を繰りかえしながら、愛
情の絆(きずな)を築く。アタッチメントという言葉は、イギリスの精神科医のボウルビ
ーが使い出した言葉である。

 しかし何らかの理由で、この愛着の形成に失敗すると、子どもには、さまざまな精神的、
肉体的な問題が起こるといわれている。ホスピタリズムも、その一つ。日本では、「施設児
症候群」と呼ばれている。

ホスピタリズムというのは、生後まもなくから、乳児院や養護施設など、親の手元を離
れて育てられた子どもに広く見られる、特有の症状をいう。

 このホスピタリズムには、つぎの10項目があるとされる(渋谷昌三「心理学辞典」・か
んき出版)。

(1)身体発育の不良
(2)知能の発達の遅れ
(3)情緒発達の遅滞と情緒不安定
(4)社会的発達の遅滞
(5)神経症的傾向(指しゃぶり、爪かみ、夜尿、遺尿、夜泣き、かんしゃく)
(6)睡眠不良
(7)協調性の欠如
(8)自発性の欠如と依存性
(9)攻撃的傾向
(10)逃避的傾向

 親の育児拒否、冷淡、無視などが原因で、濃密な愛着を築くことに失敗した子どもも、
似たような症状を示す。そして一度、この時期に、子どもの心にキズをつけてしまうと、
そのキズは、一生の間、子どもの性癖となって残ってしまう。

 先に書いた刷り込みと、どこか似ている。つまり一度、そのころ心が形成されると、(や
りなおしのきかない学習)となって、その人を一生に渡って、支配する。

 ……と書くと、実は、この問題は、子どもの問題ではなく、私たちおとなの問題である
ことに気づく。その「やりなおしのきかないキズ」を負ったまま、おとなになった人は、
多い。言いかえると、私たちおとなの何割かは、新生児の時代につけられたキズを、その
まま、引きずっていることになる。

 たとえば今、あなたが、体が弱く、情緒が不安定で、人間関係に苦しみ、睡眠調整に苦
しんでいるなら、ひょっとしたら、その原因は、あなた自身というより、あなた自身の乳
幼児期にあるかもしれないということになる。

 さらに反対に、おとなになってからも、あなたの母親との濃密すぎるほどの絆(きずな)
に苦しんでいるなら、その絆は、あなたの乳幼児期につくられたということも考えられる。

 実は、私が話したいのは、この部分である。

 そうした(あなた)は、はたして(本当のあなた)かどうかということになる。

 少し前、(私)には、(私であって私でない部分)と、(私であって私である部分)がある
と書いた。もしあなたという人が、その新生児のころ作られたとするなら、その(作られ
た部分)は、(あなたであって、あなたでない部分)ということになる。

 仮に、あなたが、今、どこか冷淡で、どこか合理的で、どこか自分勝手だとしても、そ
れは(あなた)ではない。反対に、あなたが、今、心がやさしく、人情味に厚く、いつも
他人のことを考えているとしても、それも(あなた)ではないということになる。

 あなたは生まれてから、今に至るまで、まわりの人や環境の中で、今のあなたに作られ
てきた。……と、まあ、そういうふうに考えることもできる。

 このことには、二つの重要な意味が含まれる。

 一つは、だから、育児は重要だという考え方。もう一つは、では「私」とは何かという
問題である。

 かなり話が、三段跳びに飛躍してしまった感じがしないでもない。しかし子どもを知れ
ば知るほど、その奥深さに驚くことがある。ここにあげたのが、その一例ということにな
る。

 そこであなたの中の「私」を知るための、一つのヒントとして、あなた自身はどうだっ
たかを、ここで思いなおしてみるとよい。あなたの乳幼児期を知ることは、そのままあな
た自身を知る、一つの手がかりになる。

 まとまりのない原稿になってしまったので、ボツにしようかと考えたが、いつか再度、
この原稿は、書きなおしてみたいと思っている。それまで、今日は、この原稿で、ごめん!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アタッチメント ホスピタリズム 敏感期 刷り込み インプリンティング 刷りこみ)


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●兄弟(姉妹)

++++++++++++++

兄弟は、他人の始まりともいう。

親にすれば、どの子も、わが子。
しかし兄弟どうしの間では、
その論理は、通用しない。

中には……というより、その多くは、
他人以上の他人になる。

「兄弟だから……」という、『ダカラ論』
ほど、アテにならないものはない。

+++++++++++++++

 兄弟(姉妹)には、つぎの7つの関係がある。

(1)対立関係(兄弟同士が、対立する)
(2)協調関係(たがいに力を合わせて行動する)
(3)相補関係(たがいに足りないところを補いあう)
(4)競争関係(たがいに競争する)
(5)主従関係(上の子が、下の子を従わせる)
(6)類似関係(たがいに、よく似てくる。まねをする)
(7)依存関係(たがいに、依存しあう)

 「兄(姉)だから……」「弟(妹)だから……」という、ダカラ論は、できるだけしない。
良好な兄弟関係をつくるためには、これは鉄則である。

 たとえば長男が、長男らしくなるのは、日常的に、「あなたは長男だから……」と言われ
ることによる。親は、長男に、長男としての自覚をもたせるためにそう言うが、しかしこ
うしたダカラ論は、思わぬところで、その子どもを追いつめることになり、ついで苦しめ
ることになる。

 よく知られた例に、反動形成がある。「あなたは兄だから……」と言われつづけると、子
どもは、本来の自分とは反対側の自分を、自分の中につくりあげてしまう。たとえば弟(妹)
の前で、ことさらよい兄(姉)を演じてみせるなど。

 そこまで行かなくても、仮面をかぶったり、心を偽ったりするようになる。こうした現
象が日常的につづくと、子どもの心は、本来そうである自分から、遊離してしまう。そし
てその結果として、兄弟関係を、ぎくしゃくとさせる。

 「兄弟(姉妹)は、仲がよいほうがいい」……というのは、当然であるとするなら、い
くつかのコツがある。

●上下意識は、もたない

 兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人
からこの意識を抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれ
ている。今でも、長子相続を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的
なものの考え方をしているようなら、まず、それを改める。

●子どもの名前で、子どもを呼ぶ

 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子ども
を呼ぶ。たとえば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに名前
で呼びあう兄弟(姉妹)は、仲がよいと言われている。

●差別しない

 長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置か
れる。親は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なの
である。そういう前提で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、
不平等に対して、きわめて敏感に反応しやすい。

●嫉妬はタブー

 兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬
は、確実に子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。
この嫉妬がゆがむと、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、た
がいに嫉妬させないようにする。

●たがいを喜ばせる

 兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買い
物に連れていったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわね」
というような買い与え方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがいの思
いやりの心を育てるためにも、重要である。

●決して批判しない

 子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば
兄に何か問題があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口し
た段階で、あなたと兄の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、
あなたは聞くだけ。決して相づちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけな
い。

 いくら兄弟でも、同じように育つというわけではない。たとえば兄が、C小学校で、弟
が名門(こういう言い方は不愉快だが……)のS小学校へというケースは、少なくない。

 そういうとき親は、「兄がひがまないでしょうか?」とよく相談してくる。

 仮にひがむとしても、しかしそういう下地をつくったのは、親自身である。そのことを
棚にあげて、「ひがまないでしょうか?」は、ない。

 つまりそういう下地を、日ごろから、作らないこと。「あなたはお兄ちゃんだから、がん
ばってS小学校へ入ってね」とは、たとえば、言ってはいけない。弟に対しては、「あなた
もがんばって、お兄ちゃんと同じS小学校に入ろうね」とは、たとえば、言ってはいけな
い。

 兄弟どうしの問題は、たいへん重要であると同時に、デリケートな問題である。決して、
安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 兄弟 兄弟の問題 兄弟の育て方 育てかた)
(041124)

【補記】

 ワイフには、ワイフを入れて7人の兄弟(2男5女)がいる。

 その兄弟を見ていて、気がついたことがある。つまりワイフの兄弟は、本当に仲がよい。
信じられないくらい、仲がよい。

 その秘訣の一つが、長女のE子さんをのぞいて、上下意識がまったくないということ。
E子さんは、ワイフの家族の中では、母親がわりだった。それでどこか家父長意識がある。
しかしそれでも、仲がよい。(ワイフの母親は。、若くして他界。)

 で、気がついたのは、ワイフの兄弟は、たがいに、ずべて名前で呼びあっているという
こと。「兄」とか、「姉」という言葉を、私は、聞いたことがない。

 一方、私が生まれ育ったG県は、何かにつけて、上下意識が強い。あらゆるところに、
身分意識が入ってくる。そのため、兄弟でも、「上の兄」「下の兄」「三番目の兄」というふ
うに呼びあったりする。序列をつける。そしてその序列に従って、上下関係、つまり命令
と服従の関係をつくる。

 みながみな、そうではないと思うが、この静岡県とG県を、おおざっぱに比較すると、
それだけ静岡県は、G県と比較すると、開放的ということになる。

 そんなわけで、やはり子どもは、名前で呼んだほうがよい。そのほうが、兄弟(姉妹)
は、うまくいく。が、それだけではない。

 子どもは、自分の立場を無意識のうちにも、自分の役割を形成していく。男の子は男の
らしく、女の子は女の子らしくなっていくのが、それである。

 それを役割形成というが、その役割形成がよいものであれば、問題はない。しかしその
役割形成によって、子ども自身が、不必要な役割をつくり、その重圧に苦しむことがある。

 先日もある女性から、こんなメールが届いた。いわく、「私の兄は子どものころから、長
男、長男と、耳にタコができるほど、言われつづけました。妹がもう1人いますが、兄は、
家の跡継ぎになるのが当然といったふうに育てられました。家のあとをつぐのは、当然、
親のめんどうをみるのは、当然、と。そういう兄をみていると、かわいそうです」と。

 いまだに長子相続的な考え方が残っていること自体、おかしなことだ。江戸時代の身分
制度の亡霊そのものといってよい。

 最近になって、江戸時代の武士道を礼さんする人が、たくさん出てきたが、封建時代が
もっていた負の遺産を清算することなく、一方的に、こうした武士道を礼さんすることは、
危険なことでもある。

 あの江戸時代という時代は、世界でも類をみないほど、自由と人権が抑圧された、暗黒
の時代であってことを、忘れてはいけない。人々は、移動することもできず、職業選択の
自由もなく、思ったことも言えなかった……などなど。厳格な身分制度も、その一つ。

 話は少し過激になったが、大切なことは、子どもに上下はないということ。人間に上下
はないということ。おかしな上下意識は、もう、このあたりで、捨てよう!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
兄弟 兄弟論)

Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●子どもの国語力

++++++++++++++++++

子どもの国語力は、親が決める。

親が、「テメエ、殺すぞ!」というような
言い方をしていて、どうして、子どもに、
国語力が育つというのか。

++++++++++++++++++

 先日、ある小学校で講演をしたら、その学校の校長が、こんなエピソードを話してくれ
た。

 その校長が、コンビニのレジの前で並んでいたときのこと。前に立った若い母親が、子
どもを、こう言って、叱っていたという。

 「テメエ、殺すぞ!」と。

 子どもは、5歳くらい。何かのことで、母親の言うことを聞かなかったらしい。それで
その母親は、そう言った。

 校長は、その言葉に驚いた。そして私に、こう言った。「今の若いお母さんたちは、ああ
いう言い方をしているんですねえ」と。

 子どもの国語力は、母親の会話能力によって、決まる。それについて書いたのが、つぎ
の原稿である。

+++++++++++++++++

【子どもの国語力が決まるとき】

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣ってい
ると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこ
がどう違うかを調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校
ジャン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」とな
る。たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」
と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バン
バン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まった
くわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウ
ン」だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどう
だったの?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみた
が、どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を
習う外国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごら
ん」、子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそ
のことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホン
トにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話
し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持って
いますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まっ
てこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞い
ているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それ
こそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を
音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、そ
の音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文
字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも
使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をす
るとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわか
ってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だ
と思っている人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。

ある男(五四歳)はこう言った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、こ
の国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味
では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【読者の方より……】

 埼玉県にお住まいの、SY子さんから、こんな質問がありました。

+++++++++++++

毎回楽しみに読ませていただいています。

少し前のマガジンになりますが、カレンダーのお話が載っていて母からの話を思い出しま
した。

日本人は働いてから休む。だから月曜日から始まって最後が日曜日。でも欧米は休んでか
ら働く。だから日曜から始まると・・・。

本当なのかはわかりません。母は他界しているのでどこからその話を知ったのかも分から
ないのですが、「だから頑張ってから休む、頑張ってからご褒美がもらえるのよ」と言う話
に、納得した記憶があります。

先生はこの説、どうお考えになるでしょうか?? 先生のご意見が聞けたらまた勉強にな
るかと思います。

+++++++++++++

★日曜日か、月曜日か?

 そこでインターネットを使って、調べてみた。

 西暦1年1月1日は、何曜日だったか? それがわかれば、カレンダーは、月曜日から
始まるのか、日曜日から始まるのか、それがわかるはず。

 で、私は若いころ、何かの雑誌で、西暦1年の1月1日は、日曜日だったと読んだこと
がある。もし、そうなら、カレンダーは、日曜日から始まるのが正しいということになる。

 が、しかし実際のところ、本当のことは、よくわからないそうだ。現在のグレゴリオ暦
が使われるようになったのは、西暦1582年の10月15日以後のこと。(14日以後と
いう説もある。)それ以前は、ユリウス暦が使われていたという。

 ただ、東京天文台の公式見解では、西暦1年の1月1日は、土曜日だったという。

 カレンダーは、月曜日から始まるのか。それとも日曜日から始まるのか。

 ……という議論は、あまり意味がないのでは……?

★文化のちがい

 ここまで書いて思い出したが、こうした「ちがい」というのは、カレンダーだけではな
い。生活のあらゆる場面で経験する。

 アメリカ人やオーストラリア人は、包丁やナイフを、押しながら、ものを切る。日本人
は、引きながら切る。

 同じように、刀で相手を殺すとき、欧米人は、刺しながら、相手を殺す。日本人は、一
度刀を前に出し、引きながら、相手を殺す。

 ヨーロッパでは、車は左側を通行する。これは馬に乗った騎士が、たがいに相手と戦い
やすい位置に自分を置くためである。それを説明したのが、下の図である。

 (日本でも、車は左側を通行する。刀は左側にさして、右手で抜く。そのためすれちが
うときは、相手を自分の右側に置かねばならない。それで左側を通行するようになった。)

 (馬に乗って、右手で剣をもった姿勢を頭の中で、想像してみてほしい。馬どうしは、
たがいに左側通行になる。)

         ■■●■→
            I      
                 I
              ←■●■■

(●が剣士。■が馬。Iが刀)

 一方、アメリカでは、車は右側を通行する。これは馬車をひっぱる人が、たがいに馬車
をぶつけないように、すれちがったためである。馬車をひっぱる人は、馬の左側先頭に立
つ。たがいに右側を通行すると、すれちがうとき、たがいに顔を合わせることができる。

          ← ■■■
           ●
 
          ●
       ■■■ →

(●が馬車を引く人、■■■が、馬車。反対だと、たがいにすれちがいにく
くなる。それで右側通行になったという。)

 ほかにもたとえば、日本人は、あいさつをするとき、頭をさげる。これは相手に、「頭を
切られても、文句ありません」ということを伝えるためだそうだ。

 一方、欧米では、握手をする。それは、たがいに剣をもっていないという示すためだそ
うだ。

 それぞれの文化には、さらにその背景となる文化がある。そうした文化が無数に積み重
なって、今の文化をつくりあげている。

★日曜日は、安息日

 ……と考えていくと、カレンダーにも、無数の文化が凝縮されていることがわかる。毎
日、働きづめでは、体がもたない。だから日曜日という、安息日をもうけた。この日は、
皆が、休息できるようにした。

 そう言えば、私がオーストラリアにいたころは、日曜日といえば、メルボルン市内の商
店街は、すべて、店を閉めていた。(最近は、日曜日にも開店している店が多くなったと聞
く。)

 一方、日本には、大安、友引、仏滅……などという言い方がある。今でも、それに応じ
て、その日の行動を決めている人は多い。これは、一つの寺で、たとえば葬式と結婚式が
重ならないようにするためであった。

 いろいろ、ある。

 で、SY子さんのメール。こう書いてある。

 「日本人は働いてから休む。だから月曜日から始まって最後が日曜日。でも欧米は休ん
でから働く。だから日曜から始まると……」と。

 しかし本当にそうだろうか。私が知るかぎり、私が子どものころでさえ、日曜日などは、
あっても、ないようなものだった。その前の、つまり江戸時代から、戦前にかけては、盆
と正月しか、休みのない人もいたという。日曜日イコール、休みという考え方が定着した
のは、戦後のことではないか。

 さらにこのところ、正月の三が日ですら、仕事をする人がふえてきた。私が子どものこ
ろには、正月の三が日というのは、絶対的な休日になっていた。商店街の「初売り」にし
ても、たしか正月の3日の午後か、もしくは4日ではなかったか。

 が、今は、ちがう。どうちがうかは、みなさん、すでにご存知のとおりである。

 便利になったというか、めちゃめちゃになったというか……。曜日というものが、あま
り意味をもたなくなってきた。

★私は、日曜日始まりが、好き

 で、私のばあいだが、やはり、カレンダーは日曜日始まりのものがよい。月曜日始まり
のカレンダーをたまに使ったりすると、かえって混乱してしまう。(実は、もう、何度も失
敗している。)

 SY子さんは、はたしてどうだろうか? しかしSY子さんのお母さんは、すばらしい
お母さんだと思う。それが正しいかどうかという問題は、さておき、そういう指導ができ
る母親というのは、そうはいない。

 「休んでからがんばる」より、「がんばってから休む」。そのほうが、何となく、合理的
である。私自身も、そういう生きザマのほうが、性(しょう)にあっているような気がす
るのだが……。

++++++++++++++++

【異論・反論】

 欧米人は、「休んでから働く」という。(本当は、どちらとも言えないのだが……)、ここ
まで書いて思い出したのが、『休息を求めて疲れる』という、イギリスの格言である。この
格言は、愚かな生き方の代名詞にもなっている。

 「いつか楽になろう、いつか楽になろう」と思ってがんばっているうちに、気がついて
みたら、自分の人生が終わっていたという生きザマである。

 これについて、以前、一度、原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れて
しまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生
き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、
ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自
分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう
生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。

「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、
一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の
位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。
しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現
実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だ
け。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。

子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、
大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではな
いか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったも
のを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。
 
同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本で
は「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくても
いいのよ」と。

ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本
的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味が
わからないのではないか……と、私は心配する。

+++++++++++++++

 この生きザマは、おとなだけのものではない。小学校の勉強は、中学入試のため。中学
校の勉強は、高校入試のため。そして高校での勉強は、大学入試のため……。そういうふ
うに、「未来のために現在を犠牲にする」という生きザマを繰りかえしていると、いつまで
たっても、その「時」を、自分のものとすることができなくなる。

 さらに、このことは、「生きるために働くのか」、それとも、「働くために生きるのか」と
いう問題にまで、行きつく。

 その点、欧米人の生きザマは、わかりやすい。彼らの考え方の基本にあるのは、「自分の
生活を楽しむために、お金を稼ぐ」。その前提で、彼らは仕事をする。だから、土日はもち
ろんのこと、1、2か月もつづくバカンスでも、目いっぱい、楽しむ。

 一方、日本人は、そうではない。「仕事がある」と言えば、たいていの家事は、免除され
る。子どもでも、「宿題がある」「勉強がある」と言えば、家事の手伝いが免除される。仕
事第一主義が悪いというのではない。しかし日本人は、仕事のためなら、家庭を犠牲にす
ることをいとわない。少なくとも、少し前までの日本では、そうだった。

 しかしなぜ仕事をするかといえば、それで得たお金で、家族と楽しく過ごすためではな
いのか。お金はお金。どこでどう稼いだかは、問題ではない。が、日本では、その中身も、
問題になる。

 これは私自身のことだが、私は、若いころ、がむしゃらに働いた。1か月のうち、休みが
1日だけということも、長くつづいた。が、それでも、私の収入は、大手企業に勤める同
年齢のサラリーマンの給料と、ほぼ同額だった。それはそれとして、そのときのこと。私
は、ふと、こう思った。

 「サラリーマンがもらう10万円も、私が手にする10万円も、10万円は10万円。
何もちがわない」と。

 しかし世間は、そうは見なかった。「大企業から給料としてもらう10万円と、今でいう
フリーターが手にする10万円はちがう」と。おかしなことだが、当時は、まだ、そうい
う風潮が根強く残っていた。そのころ私に面と向かって、こう言った男性(50歳くらい)
さえいた。

 「お前は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にも、つけなかったんだろう」
と。

 仕事に、ロクな仕事も、ロクでない仕事もない。あるいは、何を基準にして、仕事をそ
ういうふうに、より分けるのか。

 ……というふうに考えていくと、仕事をしたあと、褒美(ほうび)として、休みをもら
うよりも、楽しんでから、仕事をいたほうが、よいということになる。事実、私の年齢に
なると、ポツポツと、他界していく人が現れるようになった。

 これは私の姉の友人のことだが、その友人は、死ぬまで、まさに(仕事の虫)。明けても
も暮れても、仕事ばかりの人生を送っていたという。で、そこそこの財産を作ったが、あ
る日、車を運転しているときに心筋梗塞を起こし、そのまま死んでしまった。

 その友人について、私の姉はこう言った。「何のための人生だったのかねえ……?」と。
つまり、仕事、仕事で明け暮れて、その最後にポックリと死んでしまった友人を思い浮か
べなら、その友人の人生は、何だったのか、と。

 こう書くと、SY子さんのお母さんの意見を否定することになる。しかしそれもつらい。

 そこで折衷(せっちゅう)案ということになる。

 日曜日から始まるカレンダーも、おかしい。しかし月曜日から始まるカレンダーも、お
かしい。だったら、水曜日から始まるカレンダーを作ってみたらどうだろうか。

 水、木、金、土、日ときて、つぎに、月、火とつづく。考えるだけでも、楽しいではな
いか。

 こうすれば、仕事も、褒美も半々ということになる。仕事のために、家庭を犠牲にする
こともないし、反対に、遊んでばかりいて、仕事をしなくなるということもない。

 要するに、ほどほどに仕事をし、ほどほどに人生も楽しむということ。

 何でもないメールだったが、(最初はそう思ったが……)、SY子さんのメールは、たい
へん意味のある、つまり考えさせられるメールだった。

 SY子さん、ありがとうございました。

【補記】

 戦後の日本といえば、日本全体が、基底不安型の国家になっていたのでは……。敗戦に
よって、日本人は、精神的基盤というか、バックボーンをなくしてしまった。

 その結果、大半の人は、「マネー信仰教」というカルトに走った。新興宗教が、雨後の竹
の子のように生まれたのも、この時期である。

 「働いていないと、不安」「せっかくの休みになっても、休み明けの仕事を考えると心配
で、ゆっくり休むこともできない」と。

 こうして働き蜂が生まれ、仕事中毒の人が生まれた。周囲の社会も、そういう人たちを、
「企業戦士」とたたえた。

 その結果、今に見る、繁栄した国家が生まれたが、心の空白感はそのままだった。「何か、
おかしいぞ」「どこか、へんだぞ」と思いながらも、それが何であるかさえ、わからないま
まだった。ずるずると生きてきた。現代に至った。

 が、ここにきて、今、日本人の心に、一大革命が起こりつつある。権威の崩壊と、出世
主義の崩壊である。

 それにかわって、新家族主義が台頭してきた。「仕事よりも家族が重要」と考える人は、
99年ごろには、40%(文部省)前後にすぎなかった。が、最近の各種調査によれば、
それが80〜90%までにふえている。

 日本人は、内面社会に、より充実した幸福感を求めようとしている。もっとも、今は、
まだ模索段階で、そこに確固たる信念を見いだしたわけではない。「今までの生きザマは、
どこかおかしいぞ」「まちがっていたのでは?」という思いが、新・家族主義へ走る原動力
になっている。

 こうした流れの一方で、過激な復古主義が、勢力を伸ばしつつあるのも、事実。

 江戸時代の武士道をたたえたり、明治時代に入ってからもてはやされた、徳育教育を教
育の柱に持ち出す人も、多い。さらには、戦前の、民族主義を先頭にかかげる人もいる。
天皇制復活の動きも、あちこちに見られる。

 たしかに今の日本の世相は、混乱している。バックボーンをなくした状態というのは、
こうした状態のことをいう。

 しかし、ここで重要なことは、私たちは、前に進むということ。「混乱したから、過去に
もどる」のではなく、「混乱の中から、未来に向かって、何かを生み出す」ということ。言
うまでもなく、改革思想は、こうした混乱期に生まれる。安定期には、生まれない。

 言いかえると、今こそ、そのチャンスということになる。新しい日本を生み出す、好機
ということになる。

 さあ、私たちは、失敗にめげないで、前に進もう! 新生、日本のために!

【補記2】

 みながみな、そうではないが、しかし、今、日本へビジネスマンとしてやってくる、あ
の中国の人たちの見苦しさは、いったい、何か? おかしいというより、狂っている。

 口を開けば、「マネー」「マネー」。明けても暮れても、「マネー」「マネー」。考えること
は、すべて、「マネー」「マネー」。まさに金の亡者。体中を札束でくるんだような人ばかり。
まるでマネーという獲物をねらう、ハゲタカのよう。

 しかしその姿は、30年前、40年前の、私たち日本人の姿そのもの。と言うより、今
の中国人たちを見ていると、あのころの日本人を、そのまま思い出す。私たちも、実は、
そうだった。

 そう言えば、当時、どこかの会社のカレンダーには日曜日がなく、「月・月・火・水……」
となっていた。実のところ、私の家もそうだった。ハハハ。(笑って、ごまかす。)

 決して中国の人を笑っているのではない。私自身の過去を笑っている。ハハハ。得たも
のも、多いが、そのため、犠牲にしたものも、多い。今から思うと、もう少しましな方法
で、人生を楽しむことができたのではないかと思う。

 何か、不便なことがあれば、すぐモノを買って、解決する。そんな世相だった。おかげ
で、私の狭い家の中には、モノがあふれ、自由に歩くことさえ、ままならなかった。

 今回の、SY子さんが投げかけてくれたカレンダーの問題には、本当に、いろいろ考え
させられる。SY子さん、重ねて、ありがとうございました。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●家計負債が、72兆円!

+++++++++++++++++

「世界にもっとも、(好影響)を与えている
国は、カナダと日本」だ、そうだ。

こういう事実を、韓国のN大統領は、
どこまで知っているのだろう?

韓国のN大統領も、狭い世界の中だけで
ものを考えず、少しは、井戸の中から、
顔を出してみてはどうだろうか。

+++++++++++++++++

「世界に最も好影響を与えている国は、カナダと日本」という、そんな調査結果が、こ
のほど、公表された」(読売新聞、07年3月7日)。

 読売新聞の記事をそのまま紹介する。

『イギリスのBBC放送と、アメリカのメリーランド大学が、27か国の約2万800
0人を対象に行った世論調査で、日本の国際的影響力が高い評価を得ていることがわか
った。

 調査は、昨年11月〜今年1月の間に実施され、英国、カナダ、中国、フランス、イン
ド、イラン、イスラエル、日本、北朝鮮、ロシア、米国、ベネズエラ、欧州連合(EU)
のそれぞれについて、世界に「好影響を与えているか」「悪影響を与えているか」を聞い
た。

 「好影響」は、カナダと日本が54%で並んでトップ。EU(53%)、フランス(50%)
がつづいた。日本について「悪影響」との回答は20%。「悪影響」との回答の方が多か
ったのは、中国と韓国だけだった』(YOMIURI ONLINE)と。

 ここで注目すべき点は、「悪影響との回答の方が多かったのは、中国と韓国だけだった」
という点(原文のまま)。

 こうしたニュースは、中国はもちろん、韓国の中では、ぜったいに報道されない。戦後、
アメリカ、そして日本が、敷いてきた自由貿易体制の中で、今、経済的繁栄を謳歌しなが
ら、反日、反米を説くおかしさ。そのおかしさを、少しは、中国も韓国も知るべきではな
いのか。

 とくに、韓国。N大統領。「反日」を唱えれば、それだけで支持率があがると、いまだに
思いこんでいる。しかも何をしても、「日本は悪い」と。アメリカで、アメリカの議員が、
従軍慰安婦問題をとりあげれば、「ありがとう」と。そして「日本は必死で、ロビー活動を
展開し、この問題をもみ消そうとしている」(東亜N報)とも。

 東亜N報は、つぎのように報道している。

 『日本は、首相官邸主導で、アメリカ政府や関係議員に、「採択阻止の協力」を要請し
ている。安倍首相の訪米日程を当初の予定より多少繰りあげる方向で調整しているのも、
これと無関係ではない』(3月3日)と。

 これほどまでに、憶測と被害妄想のかたまりのような記事はない。今どき、ロビー活動
をするのは、世界の常識ではないか。しかも韓国は、つごうのよいときだけ、新米的にな
る。反米なら反米でよいから、アメリカの議会の動きなど、気にしないこと。

それにしても、安倍首相が、採択阻止のために、訪米の日程を繰りあがている? フ〜
ン。知らなかった……。

 が、日本は、そうまで悪者なのか? 韓国の新聞記事を読んでいると、おかしな錯覚に
とらわれる。たとえば日本が偵察衛星をあげたことについても、「K国の核開発にかこつけ
て」と、「かこつけて」という言葉を使って、報道している(朝鮮N報)。

 つまり「K国の核開発にかこつけて、韓国をも偵察する衛星を打ちあげた」と。少し前
には、「中国が衛星破壊実験をしたのは、日本の偵察衛星の破壊実験が目的だった」(朝鮮
N報)とも。

 まさに言いたい放題。つまり韓国では、こうして韓国内の反日感情をもりあげている。

 しかし世界の人たちは、日本をそうは見ていない。見ていないことは、今回の調査結果
でもわかるはず。

 どうにもこうにも、仲よくできない国、それが韓国。そしてK国。心理学の世界にも、「好
意の返報性」という言葉がある。「魚心あれば、水心」ともいう。相手の感情に応じて、こ
ちらの感情も形成される。日本の私たちのもつ、反韓国感情のほとんどは、韓国の人たち
自らが作りだしていると考えてよい。

 (私は、現在のN大統領政権になってから、ますます韓国が嫌いになったぞ!)

 その韓国。韓国銀行の統計によれば、昨年末(06年)現在で、家計での借入など借金
の総額が、581兆9635億ウォン(約71兆7094億円)となり、前年比では60
兆4676億ウォン(約7兆4508億円)=11・6 %=増加したという。

 家計の借金が、史上最大規模の、72兆円にも達したというのだ(朝鮮N報・3月7日)。

 日本は、バブル経済期に、銀行が不良債権をかかえたが、韓国では、家庭が不良債権を
かかえていることになる。しかしそれにしても、72兆円とは! 日本の人口規模に換算
すると、210兆円! 210兆円だぞ!

 ハハハ、私たち日本人の知ったことかア!

 いいか、日本政府! 今度韓国経済が破綻しても、ぜったいに日本のほうから助け舟を
出すな! 相手が頭をさげて頼みにくるまで、出すな! ぜったいに、出すな!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生徒の依存性

 教える立場のあるものは、いつも、生徒の依存性に注意を払わなければならない。はっ
きり言えば、「生徒に、依存心をもたせてはいけない」。

 仮に教師が、生徒に依存性をもたせると、(教育)というよりも、それは(カルト)に近
い関係になる。教師は、どこまでも教師。カルト教団の教祖であっては、いけない。

 たとえば教師と生徒は、いつかどこかで出会い、そして別れる。わかりやすく言えば、
教師と生徒の関係は、その出会ってから、別れるまでの関係である。つまり、教える側も、
学ぶ側も、その(別れ)をいつも、心のどこかに用意して、教え、そして学ぶ。

 そういう意味では、(教育)というのは、その人の(土台)のようなもの。

 私は中学時代、M氏という、バリバリの共産党員の先生に習った。塾の先生だった。何
度も市長に立候補したが、最後まで当選することはなかった。

 しかし私は、心の中で、いくらその先生を尊敬していても、私自身は、共産党員にはな
らなかった。私が尊敬したのは、そのM先生の生きザマだった。

 たとえばM先生は、正月の年賀状も、自分で歩いて配達していた。夏になると、毎日、
長良川で水泳をしていた。そういう生きザマだった。事実、M先生は、(当然のことだが…
…)、塾の中では、共産党の話は、まったくしなかった。マルクスの「マ」の字も、話さな
かった。

 だから私は、M先生を尊敬しながらも、M先生を自分の土台とすることができた。恐ら
く私も、M先生も、いつかくる(別れ)を予想しながら、つきあっていたのだと思う。

 そんなわけで、教師は、生徒に依存心をもたせてはいけない。「いつか、そのときがきた
ら、あなたはあなたで勝手に生きていきなさい。あとのことは、私は知らない」と。そう
いうクールさ(=ニヒリズム)をもつ。

 それが私は、教師と生徒の、あるべき関係だと思う。余計なお節介かもしれないが……。
(はやし浩司 理想の教師 教師と生徒 生徒と教師)

++++++++++++++++

(補記)

 今、ふと、こんなことを思った。

 M先生は、そのあと何度か市長選に出たが、毎回、破れた。つまりそれなりの人物だっ
たということになる。が、私たちの前では、共産主義の「キ」の字も話題にしなかった。

 しかしそれは、つまりM先生が、仕事と主義を分けていたのではなく、私たちのような
子どもを相手にしていなかったと考えるほうが、正しい。

 私も同じような場面に、よく出会う。たとえば子どもが、私に向って、「先生は、バカだ
なあ」と言ったとする。しかしそういうとき、私は、「君たちなんか、相手にしてないよ」
と、心の中で思う。

 こちらはその子どもの心のスミのスミまでわかる。しかしそんなことを説明しても意味
はない。説明するとしても、何年もかかるだろう。それは乾電池のつなぎ方をやっと覚え
た子どもに、ラジオの回路の話をするようなものかもしれない。

 あのM先生も、いつも、そう思いながら、私たちを見ていたにちがいない。私は見たこ
とがないが、市議会の場などでも、M先生は、かなりはげしい議論をしていたそうだ。私
たちの前では、静かで、学者のような先生だったが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●赤ちゃんがえりのあとに……

 下の子どもが生まれると、上の子どもが、赤ちゃんがえりを起こすことは、よくある。
それはそれだが、そのとき、上の子どもが、下の子どもに、執拗な攻撃性を示すことがあ
る。

 ふつうの攻撃性ではない。「殺す」寸前のところまでする。そのため、下の子どもが、上
の子どもに、恐怖心さえもつようになることがある。

 ……という話は、この世界では常識だが、今日、こんなメールを、ある女性(埼玉県U
市在住、TEさん)から、もらった。

 その女性は、三人兄弟(上から、兄、自分、妹)の、まん中の子どもだった。兄とは、
4歳ちがい。妹ととは、1歳ちがいだった。いわく……。

 「私は、もの心つくころから、兄にいじめられました。そんな記憶しかありません。父
や母に訴えても、相手にしてもらえませんでした。兄は、父や母の前では、借りてきたネ
コの子のように、おとなしく、静かだったからです。

 で、私は毎日、学校から家に帰るのがいやでなりませんでした。兄は、父や母の目を盗
んでは、私と妹を、(とくに私を)、いじめました。何をどういじめたかわからないような
いじめ方でした。意地悪というか、いやがらせというか、そういういじめ方でした。

 よく覚えているのは、私が飲んだ牛乳に、兄が、何かへんなものを入れたことです。お
かしな味がしたので、すぐ吐き出したのですが、かえって母に叱られてしまいました。『ど
うして、そんなもったいないことをするのか!』とです。

 で、私が中学生になったとき、とうとうキレてしまいました。兄ととっくみあいの喧嘩
になり、兄の顔に、花瓶をぶつけてしまいました。そのため兄は、下あごの骨を折ってし
まいました。

 たいへんな事件でしたが、それ以後は、兄のいじめは止まりました」と。

 ……と書いて、私は、今、おかしな気分でいる。

 今の仕事を35年近くもしてきたにもかかわらず、こういう問題があることに気づかな
かった。自分の盲点をつかれた感じである。赤ちゃんがえりを起こした子どもについては、
よく考えてきた。が、しかし、その赤ちゃんがえりを起こした兄や姉の下で、いじめに苦
しんだ、弟や妹のことについては、考えたことがなかった。

 つまり赤ちゃんがえりを起こす子どもの側だけで、私は、ものを考えてきた。そして赤
ちゃんがえりを起こした子どもについて、「被害者」という前提で、その対処法を書いてき
た。しかしその赤ちゃんがえりを起こした子どもは、一方で、下の子どもに対しては、加
害者でもあった。

 実際、このタイプの子どものいじめには、ものすごいものがある。ここにも書いたよう
に、(下の子どもを殺す)寸前までのことをする。そういう意味で、動物がもつ嫉妬という
感情は、恐ろしい。人間がもつ本性そのものまで、狂わす。

 弟を、家のスミで、逆さづりにして、頭から落とした例。自転車で体当たりした例。シ
ャープペンシルで、妹の手を突き刺した例。チョークをこまかく割って、妹の口の中につ
っこんだ例などがある。

 このタイプのいじめには、つぎのような特徴がある。

(1)執拗性……繰りかえし、つづく。
(2)攻撃的……下の子を、殺す寸前までのことをする。
(3)仮面性……上の子が、親の前では、仮面をかぶり、いい子ぶる。
(4)計画的……策略的で、「まさか」と思うような計画性をもつ。
(5)陰湿性……ネチネチと陰でいじめる。

 この中で、とくに注意したいのが、(3)の仮面性である。もともと親の愛情を、自分に
取りかえすための無意識下の行為であるため、親の前ではいい子ぶることが多い。そのた
め下の子どもが、上の子どものいじめを訴えても、親が、それをはねのけてしまう。親自
身が、「まさか」と思ってしまう。

 で、さらに一歩、踏みこんで考えてみると、実は、こうした陰湿な攻撃性をもつことに
よって、上の子ども自身も、心のキズを負うということ。将来にわたって、対人関係にお
いて、支障をもちやすい。こうした陰湿な攻撃性は、外の世界でも、別の形で現れやすい。

 たとえば学校などで、陰湿ないじめを繰りかえす子どもというのは、たいてい、長男、
長女とみてよい。

 そういう意味でも、人間の心は、それほど、器用にはできていない。結局は、その子ど
も自身も、苦しむということになる。

 さらにいじめられた下の子どもも、大きな心のキズをもつ。たとえば兄に対してそうい
う恐怖心をもったとする。その恐怖心が潜在意識としてその人の心の中にもぐり、その潜
在意識が、自分が親となったとき、自分の子どもへのゆがんだ感情となって、再現される
ということも考えられる。

 実はここに書いた、埼玉県のTEさんも、そうだ。最初は、「上の兄(8歳)を、どうし
ても愛することができない」という悩みを、私に訴えてきた。その理由としては、TEさ
ん自身の子ども時代の体験が、じゅうぶん、考えられる。断定はできないが、その可能性
は高い。

 何度も今までにそう書いてきたが、決して赤ちゃんがえりを、軽く考えてはいけない。
この問題は、乳幼児期の子どもの心理においては、重大な問題と考えてよい。
(はやし浩司 赤ちゃんがえり 赤ちゃん返り 負の性格 下の子いじめ 攻撃性)


●負の性格

 「負の性格」という言葉は、私が考えた。

 その人がもつ、好ましくない性格を、「負の性格」という。たとえば、いじけやすい、ひ
がみやすい、つっぱりやすい、ひがみやすい、くじけやすい、こだわりやすいなど。

 こうした性格は、その人を、長い時間をかけて、負の方向にひっぱっていく。他人との
関係で、いろいろなトラブルの原因となることもある。

 問題は、こうした負の性格があることではなく、そういう負の性格に気づかないことで
ある。気づかないまま、その負の性格に、操られる。そして自分では気づかないまま、同
じ失敗を繰りかえす。

 こうした現象は、子どもたちを見ていると、よくわかる。ひとつのパターンに沿って、
子どもは行動しているのだが、子ども自身は、自分の意思でそうしていると思いこんでい
る。
 
 ただここで注意しなければならないのは、仮にひがみやすい性格であっても、その子ど
もが、いつも、そうだということにはならないということ。

 相手によっては、素直になることもある。明るく振る舞うこともある。そういう意味で、
人間の心というのは、カガミのようなものかもしれない。相手に応じて、さまざまに変化
する。

 言いかえると、子どもを伸ばそうと考えたら、この性質をうまく利用する。こうした変
化は、子どもほど、顕著に現れる。そして仮に負の性格があっても、それをなおそうとは
考えないこと。簡単にはなおらないし、また「それが悪い」と決めてかかると、子ども自
身も、自信をなくす。

 で、問題は、私たちおとなである。

 こうした子どもの問題を考えていくと、その先には、いつも、私たちがいる。「私たち自
身はどうか?」と。

 考えてみれば、私も、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。そういう負
の性格をいっぱい、かかえている。で、そういう性格が、おとなになってから、なおった
かというと、そういうことはない。今でも、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみ
やすい。

 ただ、そういう自分であることを知った上で、じょうずにつきあっている。どこか、ふ
と袋小路に入りそうになると、「ああ、これは本当の私ではないぞ」と思いなおすようにし
ている。「自分を知る」ということは、そういうことをいう。

 だれしも、二つや三つ、四つや五つ、負の性格をもっている。ない人は、いない。要は、
それといかにじょうずにつきあうかということ。そういうこと。
(はやし浩司 負の性格 いじけやすい ひがみやすい)


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●老人の赤ちゃん返り

++++++++++++++++++

下の子どもが生まれると、上の子どもが、
赤ちゃん返りを起こすことがある。

つまり本能的な部分で、このタイプの子どもは、自らを、
赤ちゃんぽくして、親の愛(=本能的な愛)を、
自分に取りもどそうとする。

本能的であるがゆえに、叱っても意味はない。
子ども自身にも、その自覚はない。
意識的な行動というよりは、無意識的な行動である。

同じように、老人にも、赤ちゃん返りに似た
現象が起きることを発見した。

称して、「老人の赤ちゃん返り」。

++++++++++++++++++

 生後直後の赤ちゃんでも、親に対して愛着行動(アタッチメント)を繰りかえすことが、
最近の研究でわかってきた。わかってきたというより、常識。親から子、子から親へと、
相互に働くことから、相互愛着(ミューチュアル・アッタチメント)という。

 (それまでは、愛着行動は、親から子への一方的なものと考えられていた。)

 つまり赤ちゃんは、本能的な部分で、(かわいさ)を演出し、親の愛(=本能的な愛)を
呼び起こそうとする。つまりこうして赤ちゃんは、親の愛を自分にひきつけ、親にめんど
うをみてもらうとする。

 もしこの段階で、赤ちゃんが、親に向って、「コノヤロー、テメエ、早く、乳、よこせ!」
というような態度をとったら、親は、子どもを育てない。つまり、その時点で、人類は、
絶滅していたことになる。

 だから赤ちゃんは、親にとっては、かわいい。かわいいから、親は、赤ちゃんを育てる。
ほとんどの母親が、赤ちゃんの泣き声を聞いたとき、いたたまれないような愛くるしさを
覚えるのは、そのためと考えてよい。

 人類が、(ほとんどの動物も同じように考えてよいが)、過去、数十万年という長い歴史
の中を生き抜いてくるこができたのは、この(かわいさ)があったためということになる。

 で、その(愛)に不安を感じたとき、子どもは、赤ちゃん返りを起こす。よくある例は、
下の子どもが生まれたようなとき。嫉妬(しっと)は、子どもの心をゆがめる。ゆがめる
だけならまだしも、自分の生存がおびやかされるような不安を感ずると、本能そのものが、
目覚める。

 それが赤ちゃん返りである。つまり子どもは、もう一度、赤ちゃんにもどり、親の愛を
取りもどそうとする。赤ちゃんらしくして、親の本能をくすぐろうとする。

 ……というのは、子どもの世界の話。実は、老人にも、似たような現象があるのがわか
る。現在の私の母が、そうである。

 現在、私の母は、90歳。ベッドから半径3〜4メートル以上は、離れることができな
い。少し前までは、這って行動していたというが、私の家では、しない。手すりから手す
りへと、つたって歩いている。下半身も不自由になったが、脳の中の三半規管に、問題が
あるようだ。手すりにつかまっていても、まっすぐ立っていることができない。

 母は、私たちの介護なしでは、生きていくことはできない。そういう母だが、懸命に、
やさしい母を演じながら、私たちの関心をひこうとする。いや、最初は、「やさしい母」と
思ったが、よく観察してみると、どうもそうではない。

 絶えず同情を買うような、表情、しぐさをしてみせる。私たちがそばにいるとわかると、
突然、変化する。弱々しく、ひ弱な母に変身する。変身するというより、それが身につい
てしまっている。

 ただ私は、子どものころから、そういう母を、うしろから見て育っている。表では、今
にも死にそうな声で、「浩司、元気……?」と言ったあと、私が何か口答えでもしようもの
なら、突然キレる。怒鳴り散らす。「何だ、子どものクセに、親に向ってエ!」と。

 今の母は、言うなれば、仮面をかぶった母ということになる。しかもその仮面を、取り
はずすことを忘れてしまっている。だから私たちと同居するようになって、もう、3か月
になろうというのに、心の交流がない。心を閉ざしたまま、それを開こうともしない。

 よい母は、よい母なのだが、まるで他人のよう。他人に接するように、私たちに接する。
「よい母に見せるためには、どうあるべきか」……ということだけを考えて行動している。
そんな感じすらする。長い間、老人をつづけているうちに、どうやら、そうなってしまっ
たらしい。

 その(よい母)は、まるで、赤ちゃん。オギャーオギャーとまでは泣かないが、それに
近い行動をとる。ベッドから起きあがるときも、わざと体を二転、三転させたりする。そ
して手を私のほうに差し出し、「助けてくれエ……」と。

 ネチネチとした言い方、甘え方は、まるで赤ちゃん。が、どこか不自然。そのどこか不
自然なところが、本物の赤ちゃんとちがうところ。つまり赤ちゃん返りを起こしている幼
児、そっくり。

 つまり母は母で、そういう形で、私たちの愛を、自分に向けさせようとしている。

 ……こうして考えてみると、人間が本能的にもつ性(しょう)というのは、そうは簡単
には変わらない。変えられない。人間の脳みその奥深くにまで、しみこんでいる。そして
それが、90歳という年齢になっても、必要に応じて外に出てくる。

 対する私は、「どうせ、本気で相手にしてもしかたないから……」と、適当にあしらって
すます。ときに、冷たく、突き放すこともある。「自分のことは、自分でしな!」と。そう
いうとき瞬間、母の目は、鋭く冷たい眼光を放つ。いくら笑顔をとりつくろっても、目だ
けは、笑わない。暗く沈んでいる。が、私は、無視する。

 つまりそうすることのほが、かえって母には、よい。運動にもなる。そのあと、戸のす
きまからのぞいて見ていると、まるで別人のように、自分で起きあがって、好き勝手なこ
とをしている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
老人の赤ちゃん返り、赤ちゃん帰り、あかちゃんがえり)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●交流分析

 人とのかかわり方を見て、その人の性格を分析しようというのが、「交流分析」。たとえ
ば、事業か何かで失敗した人がいたとする。

 その人との濃密度にもよるが、そのとき、その人への接し方には、さまざまなパターン
に分かれる。

 精神分析学者のバーンは、つぎの3つに分類した。

(1)親の心(P)
(2)おとなの心(A)
(3)子どもの心(C)

 「そんなことでは、ダメでしょ」「ちゃんとがんばりなさいよ」と、親の立場で、叱った
り励ましたりするのが、親の心(P)。「失敗はだれにでもある」「では、こうしたらどうか
な」と、冷静に判断して、理性的に解決策を考えたりするのが、おとなの心(A)。「ワー、
どうしたらいいの」「あなたはこのままダメになってしまう」と、子どものように、取り乱
して、相手を責めるのが、子どもの心(C)ということになる。

 子どもの心(C)が、悪いというわけではない。ときには、子どもの心(C)にかえり、
自然や芸術に感動することも必要。またおとなの心(A)が、よいというわけではない。
おとなの心(A)が強すぎると、権威主義的なものの考え方をするようになったりする。

 大切なのは、「バランス」(バーン)。

 この3つの心をじょうずに使い分け、そのつど、臨機応変に対処していく。たとえばみ
なで、楽しく騒ぐときは、いっしょに騒ぐ。しかし必要に応じて、威厳を保ち、相手を指
導すべきときは、指導する。それがうまくできる人、つまりほどよくバランスのとれた人
を、「協調性のある人」という。人格の完成度の高い人という。

 これら3つの心は、そのつど、微妙に変化する。変化して、当然。たとえば子どもが何
かの失敗をしたとする。お茶をこぼしたときを考えてみればよい。

 そういうとき、ときには、カッと頭に血がのぼり、子どもをはげしく叱ることもあるだ
ろう。またべつのときには、冷静に、「これからは、気をつけよう」と諭すこともあるだろ
う。

 そういう変化をコントロールするのが、自己管理能力ということになる。最近の研究に
よれば、大脳の前頭前野がその管理能力に、深くかかわっているそうだ。

 ……そう言えば、あのフロイトも、(超自我の人)、(自我の人)、(エスの人)という言葉
を使って、同じようなことを説明していた。

 ともかくも、人は、他者とのかかわりをもってはじめて、人となる。いくら人格的に高
邁(こうまい)でも、他者とのかかわりをもたない人は、人でないと断言してもよい。交
流分析は、その(かかわり方)をみて、その人の性格を分析する方法と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
交流分析 バーン 性格 性格論 おとなの心 子どもの心 親の心)


●超自我の人、自我の人、そしてエスの人。

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超自我の人、自我の人、そしてエスの人。

「エスの人」というのは、自分の本能の
命ずるまま、欲望に溺れて生きる人をいう。

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●エスの人

 フロイトは、人格、つまりその人のパーソナリティを、(1)自我の人、(2)超自我の
人、(3)エスの人に分けた。

 たとえば(1)自我の人は、つぎのように行動する。

 目の前に裸の美しい女性がいる。まんざらあなたのことを、嫌いでもなさそうだ。あな
たとのセックスを求めている。一夜の浮気なら、妻にバレることもないだろう。男にとっ
ては、セックスは、まさに排泄行為。トイレで小便を排出するのと同じ。あなたは、そう
割り切って、その場を楽しむ。その女性と、セックスをする。

 これに対して(2)超自我の人は、つぎのように考えて行動する。

 いくら妻にバレなくても、心で妻を裏切ることになる。それにそうした行為は、自分の
人生をけがすことになる。性欲はじゅうぶんあり、その女性とセックスをしたい気持ちも
ないわけではない。しかしその場を、自分の信念に従って、立ち去る。

 また(3)エスの人は、つぎのように行動する。

 妻の存在など、頭にない。バレたときは、バレたとき。気にしない。平気。今までも、
何度か浮気をしている。妻にバレたこともある。「チャンスがあれば、したいことをするの
が男」と考えて、その女性とのセックスを楽しむ。あとで後悔することは、ない。

 これら三つの要素は、それぞれ一人の人の中に同居する。完全に超自我の人はいない。
いつもいつもエスの人もいない。

 これについて、京都府に住んでいる、Fさんから、こんな質問をもらった。

 Fさんには、10歳年上の兄がいるのだが、その兄の行動が、だらしなくて困るという。

 「今年、40歳になるのですが、たとえばお歳暮などでもらったものでも、無断であけ
て食べてしまうのです。先日は、私の夫が、同窓会用に用意した洋酒を、フタをあけて飲
んでしまいました」と。

 その兄は、独身。Fさん夫婦と同居しているという。Fさんは、「うちの兄は、していい
ことと悪いことの判断ができません」と書いていた。すべての面において、享楽的で、衝
動的。その場だけを楽しめばよいといったふうだという。仕事も定食につかず、アルバイ
ト人生を送っているという。

 そのFさんの兄に、フロイトの理論を当てはめれば、Fさんの兄は、まさに「エスの強
い人」ということになる。乳幼児期から少年期にかけて、子どもは自我を確立するが、そ
の自我の確立が遅れた人とみてよい。親の溺愛、過干渉、過関心などが、その原因と考え
てよい。もう少し専門的には、精神の内面化が遅れた。

 こうしたパーソナリティは、あくまでも本人の問題。本人がそれをどう自覚するかに、
かかっている。つまり自分のだらしなさに自分で気づいて、それを自分でコントロールす
るしかない。外の人たちがとやかく言っても、ほとんど、効果がない。とくに成人した人
のばあいは、そうだ。

 だからといって、超自我の人が、よいというわけではない。日本語では、このタイプの
人を、「カタブツ人間」という。

 超自我が強すぎると、社会に対する適応性がなくなってしまうこともある。だから、大
切なのは、バランスの問題。ときには、ハメをはずしてバカ騒ぎをすることもある。冗談
も言いあう。しかし守るべき道徳や倫理は守る。

 そういうバランスをたくみに操りながら、自分をコントロールしていく。残念ながら、
Fさんの相談には、私としては、答えようがない。「手遅れ」という言い方は失礼かもしれ
ないが、相手が、それなりの(おとな)であるなら、私には、どうしてよいか、わからな
い。(ごめんなさい!)

++++++++++++++++++

 バーンが考えた、(1)親の心、(2)おとなの心、(3)子どもの心を、フロイトのこの
理論に当てはめると、親の心は自我の人の心、おとなの心は超自我の人の心、子どもの心
というのは、エスの人の心ということになる。(必ずしも一致するわけではないが……。)

 「エス」というのは、体の中心部から人間を動かす原動力のようなものを考えたらよい。
フロイトは、それを「性的エネルギー」と呼んだ。つまり本能のこと。

 いつだったか、私は、「理性(前頭前野)の力で、この性的エネルギーをコントロールす
ることは、容易なことではない」と書いた。その気持ちは、今も、変わっていない。つま
りその力は、それほどまでに強力なものであるということ。

 だからEQ論でも、人格の完成度を、その管理能力をみて、判断する。自己を管理する
能力の高い人を、人格の完成度の高い人といい、そうでない人を、そうでないという。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(3月5日)

+++++++++++++++++

春のような陽気。
どんより曇った灰色の空。
しかし春は、春。

昨日、まだ3月のはじめというのに、
この浜松市では、気温24度を記録した。

暑さを感ずるほど。

そのせいか、周囲の緑がいっせいに、
活気づいた。

桜の開花も、桃の開花も、みな、
例年より2〜3週間以上、早いという。

+++++++++++++++++

●偏頭痛

 今朝は、7時半に起きる。夜中に、頭痛。いつもの偏頭痛(?)。がまんして目を閉じて
いたら、そのまま熟睡。起きたときには、痛みは、ほとんど消えていた。よかった!

 偏頭痛は、眠っていても痛い。これがほかの頭痛、たとえば二日酔いによるものとか、
風邪によるものとかのちがい。

 朝、起きて、市販のB剤をのむ。あとは、お茶をたてつづけに、1リットルほど。一度、
水分を大量に補給して、血管を拡張させる。そのあと、排尿で、一気に、収縮させる。私
のばあい、軽い偏頭痛は、こうして治している。(どうか、まねをしないように!)

 偏頭痛というのは、血管が拡張して、周囲の神経を圧迫するために起こる。私の治療法
は、それなりに理屈にかなっている。


●花粉症

 今年の、花粉飛散量は、例年になく多いそうだ。私は、12年ほど前までは、その花粉
症で苦しんだ。が、今は、初期だけ。つまり最初の1週間程度だけ。あとは、そのまま、
症状が消えてしまう。

 花粉症が消えたとき、春のすばらしさを、改めて満喫するようになった。それまでは、
冬が終わることから、憂うつでならなかった。が、今はちがう。かつて苦しんだ分だけ、
春をすばらしく思うようになった。

 花粉症で苦しんでいる人には、申し訳ないが……。


●長男と浜名湖一週

 4月に、長男と、浜名湖一周を計画している。「してみないか?」と声をかけると、「暖
かくなったら、いい」と。

 おそらく、私にとっては、最初で最後の冒険になるだろう。新しい自転車を1台、新調
するつもり。今朝、そのことをワイフに話すと、「あなたは鍛えているからいいけど、Sに
は、無理かもしれないわ」と。

 「いいよ、ぼくは、Sのペースで、うしろを走るから」と。今日にでも、地図を買って
きて、計画を練るつもり。


●EのBLOG

 息子のEが、正式に、JALのパイロットとして、就職が決まった。最初の勤務地は、
成田。国際線パイロットに1歩、近づいた。

 が、問題が起きた。JALの職員の人に、「JALの内部のことは書かないように」と。
息子のEは、この2年間、ずっと、日記風のBLOGを書いている。それがJALの人の
目にもとまっていたようだ。

 私も、同意見。これからは学生ではない。息子は気をつかって、「J社」と書いていたが、
「J社」でもまずい。だれが読んでも、JALとわかってしまう。「世界の旅行記でも書い
たら?」と、私は提案しているが……。


●株価、大暴落!

 ここ1週間、株価の動きが異常。飛行機にたとえるなら、積乱雲か何かにつかまってし
まい、乱高下しているような感じ。あるいは地面にたたきつけられているような感じ。

 私のように、小遣いの範囲で株の売買を楽しんでいる人には、そうではないが、一方で、
今ごろ、まっさおになって、対策を考えている人もいるはず。全財産を失った人もいるか
もしれない。とくに証券会社に踊らされて、中国株を買った人など。

 ちなみに3月5日、午前11時(日本時間)現在、世界の株価は、つぎのようになって
いる。

日本    ……364円安      2・2%↓
韓国    ……韓国23ポイント安  1・7%↓
台湾    ……114ポイント安   1・5%↓
シンガポール……85ポイント安    2・8%↓

問題の中国・上海株(B株式指数)は、4・6ポイント安で、2・7%↓。

 日本の株価は、さがりすぎ? ほんの少し金利をあげただけで、急激な円高を招いてし
まった。それが株価(輸出関連株)の下落につながった。1週間前に、私は、「まだ切りあ
げの時期が、早すぎる」と書いた。それがはからずも、当たってしまった。

 (私には、結構、先見の明があるのだぞ。損得勘定なしに、無我、無益の状態で、もの
を書いているからね。)

 では、どうなるか?

 ここ1か月は、大混乱がつづく。私のような素人は、株を塩漬けにして、嵐が過ぎ去る
のを待ったほうがよい。


●ISO・3200

 今度のデジカメ(P社のFZ50)は、すごい。超高感度に設定すると、ISO・32
00にまで、感度をあげられる。

 これで夜空をとると、まるで、昼間のような写真がとれる。

 昨夜、その写真をワイフに見せると、「これ昼間にとったのでしょ」と言った。私の言う
ことを信じなかった。しかし夜の写真である。月は明るかったが、夜は、夜。

 そこで気がついた。

 夜でも、超高感度のカメラ(目)で見ると、昼のように見える。

 ……よく宇宙人の目は、大きいという。宇宙という暗い空間を行き来しているうちに、
目だけが大きくなったらしい。だから宇宙人は、みな、目に、サングラスとして働く、透
過性の膜を張っているという。

 あくまでも、SF的な話のひとつだが……。

 しかし宇宙人には、夜でも、昼間のように明るくものが、見えるはず。夜中でも、空は、
水色の空に見えるはず。

 超高感度のカメラで、夜空をとると、その空が、水色になっていた。これには、驚いた。
夜でも、空は、青いのだ。水色なのだ!


●失言外交

+++++++++++++++++

日本の国際外交のお粗末さには、あきれる。
ホント!

すべてが、後手、後手。今は、打つ手なし!

「拉致問題が解決しなければ、援助はいっさいしない」と、
いくら声高に叫んでも、今となっては、負け犬の遠吠え。

競技場の外から、ワォー、ワォーと叫ぶだけ。

アメリカに裏切られても、文句、ひとつ言えない。
おまけに、失言つづき。

一連の失言が、日本を窮地に陥(おとしい)れた。
称して、「失言外交」。

+++++++++++++++++

 「黙っていても、アメリカは日本を助けてくれるだろう」という夢に、日本はとりつか
れていた。日本は、何もしなかった。しないばかりか、アメリカの批判までしてみせた。
あの防衛相は、あろうことか、ブッシュの一般教書演説のその直後に、それをやってしま
った! 「アメリカのイラク政策は、幼稚」「まちがっていた」「アメリカは根回しをしら
ない」と。ブッシュ大統領が、怒って当たり前。

 とたん、極東アジア情勢が、急変した。ドイツで米朝2国間協議がなされ、裏取り引き
で、覚書まで交わされた。「まさか、そこまではしないだろう」と、日本政府は思っていた
にちがいない。甘いと言えば、甘い。当時、日本におけるアメリカ軍の基地移転問題は、
こじれにこじれていた。

 現在、韓国とK国の間の、南北閣僚級会談は、終了したところ(3月3日)。「南北閣僚
級会談は、成果なく終わった」(日本の報道機関)ということになっているが、だれがそん
な話を信ずるか? 

 K国のP市を離れるとき、K国の代表たちは、みな、韓国の代表たちに、にこやかに手
を振っていたという。K国の代表は、大声で笑っていたという。

 一方、今、ニューヨークで米朝会談が進められている。米朝会談は、今後「今後、定例
化される」という。……となると、日本は、どこに身を置いたらよいのかということにな
る。日本の居場所すらない。言うなれば、住所不定。そんな状態。

 しかしまあ、それにしても、お粗末な外交。小泉さんから安倍さんにバトンタッチした
だけで、かくも、極東情勢が急変するとは! 実のところ私にも予想していなかった。小
泉さんは、イギリスへの留学経験がある。安倍さんは大学を卒業したあと、会社員をして
いたという。世界を見る目が、180度、ちがっていたということか?

 どうして日本の外務省は、アメリカの心変わりを、先に読めなかったのか。同時に、ど
うして何らかの手を打てなかったのか。国際外交の世界には、いつもウラがある。ウラの
そのまたウラがある。

 すでに今ごろは、こんなウラ取り引きがなされていることだろう。
 
●南北統一後も、K国は、核兵器をもってもよい。(アメリカ、中国)
●K国への補償は、すべて日本にさせる。(他の4か国)
●日朝交渉は、日本の問題。(アメリカ)
●米中で、アジアの富を、2分する、と。(アメリカ、中国)
●K国の憎悪の念は、日本に向けさせる。(韓国)

ここまで追いつめられると、日本にとって考えられる、つぎの手は、つぎの3つ。(1)交
戦覚悟で、日朝交渉に臨む。(2)韓国経済を破綻にもちこむ。(3)アメリカから日本の
債権を引きあげる。「引きあげる」と脅すだけでもよい。

 しかしどれも今は、実行不可能なことばかり。そんなわけで、ここは静かに、時の流れ
を待つしかない。将棋にたとえるなら、王将を左右に動かしながら、相手の出方を待つし
かない。

 どこかでスキが生じたら、そのスキに割って入る。今は、それしかない。

 それにしても、日朝交渉の部会が、ハノイでなされるとは! どうしてハノイなのか…
…というところから読めば、この先、日本がどうなるか、おおかたの予想はつくはず。あ
やうし、日本! どうする、日本!

●HPのタイトル

 FLASHを使うと、動きのある画像を、HP上に載せることができる。このところ安
価なソフトが出てきた。以前は、FLASH作成ソフトというと、4〜5万円はした。今
は、1万円弱で買える。

 で、それを使って、HPのタイトルを作りなおしてみた。興味のある人は、どうか、私
のHPをのぞいてみてほしい。

 で、こういうことに夢中になっているときというのは、時間が過ぎていくのを忘れる。
床についてからも、「ああしよう」「こうしよう」と考える。そのまま眠ってしまう。


●青い空

 ここ数日は、空ばかり見ている。青い空に、白い雲。風が強い日は、空も美しい。私の
ような人も少なくないと思う。私は、白い雲が好き。そんなわけで、ここ数日は、ヒマさ
えあれば、雲ばかり、撮影している。

 そうそう、木々の若葉が、少しだが、吹き出してきた。春の気配を、あちこちに感ずる。
新しいデジカメも手に入った。よい写真を撮って、マガジンに載せたい!


●卒業式

 息子の大学の卒業式が近づいてきた。ホテルとチケットの予約を、今日の午後、すます。
無事、就職先も決まった。よかった。

 それにしても、長い大学生活だった。横浜のY大学に3年。それからオーストラリアに
1年。航空大学に2年。計、6年。息子は息子なりに、よくがんばった。


●教育長の任命制度

 教育再生会議なる(会議)の動きに、みなさんも、注意したらよい。どうも、おかしい? 
どこか、ヘン? 各地で行われた公開討論会も、やらせだったという。しかも出てくる答
申が、どれも「?」。各県の教育長にしても、任命制度にするとか、しないとか。

 完全に、時代の流れに逆行している。(欧米では、教育は自由化の方向に向っているぞ!)

 どうして中央官僚たちは、こうまで日本人を管理したがるのか? むしろ逆で、文科相
を、選挙で選ぶようにしてはどうか。地方の市町村クラスの教育長が、選挙で選ぶ、とか。

 I文科相に失言には、うんざり。

 「大和民族がずっと日本の国を統治してきたことは、まちがいない」「日本はきわめて、
同質的な国」(長崎県N町での自民党支部大会・07年2月25日)と。

 その上で、こんな発言まで!

 「どんなに栄養があっても、毎日バターばかり食べていれば、メタボリック症候群にな
る。人権は大切だが、尊重しすぎたら、日本社会は、人権メタボリック症候群になる」と
も。

 とんでもない発言だが、そういうことを、文科相という、(知的世界のトップ)に立つ人
が口にするから、恐ろしい。そうでなくても、日本人がもつ人権意識は、低い。低いまま、
こういうことを堂々と言ってのける。文科相というより、政治家の知的レベルの低さに、
ただただあきれる。

 
●今日も始まった!

 Eマガの読者が、3人、ふえた。うれしかった。大きなことは望まない。望みようもな
い。今は、こうして少しでも、Eマガの読者がふえることだけが、楽しみ。励みになる。

 今日も、がんばる! 今日、新たに購読を申しこんでくれた3人のみなさん、どうもあ
りがとう!

(付記)

 この日本で、文科相のような人を批評、批判できるのは、私のような立場のものだけ。
学校社会では、文科相といえば、宗教団体の中における法主(ほっす)のようなもの。ク
ビまでは飛ばないが、かなりヤバイ。

 どこの組織にも属さず、好き勝手なことが書ける。これが私の強み。利点。私の特権。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●精神不安

 S県のKKさん(女性)が、精神不安で悩んでいるという。

 「何をしても落ちつきません。夫は『気はもちようだ』と言います。わかっていますが、
この不安感は、どうしようもありません。とくに何か、問題があるというわけではないの
ですが、不安でなりません」と。

 不安イコール、情緒不安と考えてよいのでは……? 精神そのものが、不安定になって
いる。そこへ心配ごとや、不安なごとが入ると、情緒は、その心配ごとや、不安なことを
解消しようと、一気に不安定になる。

 イライラしたり、反対に怒りっぽくなったりする。突発的に、喜怒哀楽がはげしくなっ
たりする。ささいなことで、激怒することもある。

 こうした症状は、だれにでもあるのでは……? 私は、花粉の季節(毎年2月末〜3月)
になると、心身のだるさを覚え、ついで精神状態が、不安定になる。毎年のことだから、
このところは、自分で自分をコントロールする方法を、身につけた。「ああ、今の自分は、
本当の自分ではないぞ」と。

 幸いにも、ワイフが、きわめて安定した女性なので、そういうときは、すべての判断を
ワイフに任す。「お前は、どう思う?」「お前なら、どうする?」と。たいていの問題は、
それで解決する。

 あとはCA、MGの多い食生活にこころがける。CAの錠剤も、私には、効果的である。
戦前までは、CA剤は、精神安定剤として使われていたという。

 もともと私は、基底不安型の人間だから、心配性。そのため、いつも不安とは、隣りあ
わせにいる。とくに、今は、いろいろ問題があって、何かにつけて、落ちつかない。

私の欠陥は、いくつかの問題が同時に起きたりすると、パニック状態になること。具体
的には、大きな問題も、小さな問題も、同時に悩んでしまう。

 だからそうなる前に、つまり自分がそうならないように、気をつける。この世界でも、
予防こそが、最大の治療法なのである。だから、あまり変ったことはしない。「平凡」を感
じたら、それがベストだと思うようにしている。そしてその状態を、できるだけ長く守る
ようにしている。あとは、よく眠る。運動も効果的。

 あまり参考にならないかもしれない。どうか、めげないで、前に向って進んでほしい。



●義理の兄夫婦の離婚問題

 もう一通、N県にお住まいの、SHさん(女性、35歳)からのメール。いわく、「義理
の兄夫婦が、離婚寸前。仲が悪そう。こういうとき、私は、どうしたらいいか。毎月のよ
うに離婚騒動を繰りかえしている。しかし離婚はしないようだ……」と。

 夫婦というのは、おかしなもので、結論を言えば、夫婦のことは、夫婦にしかわからな
いということ。殴られても、蹴られても、「今の夫がいい」と言う妻がいる。あるいはまっ
たく収入がなく、一日中パチンコばかりしている夫でも、「今の夫がいい」と言う妻がいる。

 もちろんその反対の妻もいるだろう。要するに、夫婦の問題は、どこまでも夫婦の問題。
その夫婦に任せるしかない。

 では、夫婦を最後の最後で結ぶ、「絆(きずな)」は何か。

 私は(やすらぎ)だと思う。その(やすらぎ)が、ほんの瞬間でもあれば、夫婦は夫婦
でいられる。反対にそれがないと、いくら体裁をとりつくろっても、夫婦の関係は、やが
て崩壊する。

 で、私たち夫婦のばあい、その(やすらぎ)とは何かを、私はよく考える。

 これは結婚当初からの習慣になっているが、どちらかが夜、床にはいるときは、必ず、
いっしょに入るようにしている。とくに、冬の寒い日は、ワイフのぬくもりは、ありがた
い。つまりそれが私にとっては、(やすらぎ)であるように思う。

 この(やすらぎ)があるから、あとは一日中、それぞれが勝手なことをしていても、私
たちは夫婦でいられる。仮に見た目には、大喧嘩をしても、また元のサヤに収まることが
できる。夫婦というのは、そういうものか?

 多分、SHさんの義理の兄夫婦にも、どこかにその(やすらぎ)があるのかもしれない。
またそれがあるからこそ、離婚しないで、最後のところで、たがいにふんばっているのか
もしれない。外見だけを見て、その夫婦を判断してはいけない。

 その点、欧米人の夫婦には、学ぶべき点が多い。たとえば寝室にしても、ほとんどがダ
ブルベッドで寝ている。50歳になっても60歳になっても、そうだ。つまり一日のうち
の三分の一から、四分の一を、いっしょに過ごすことで、夫婦の絆を守っている?

 誤解のないように言っておくが、アメリカは別として、今では、日本の夫婦の離婚率の
ほうが、ヨーロッパ各国の夫婦の離婚率より高いことを忘れてはならない。

 さてあなたは、今の夫(妻)に、どこでどのような(やすらぎ)を覚えているだろうか。
これは私の勝手な解釈によるもので、何も参考にならないかもしれない。しかし今の私の
考えによれば、その(やすらぎ)を、どこかで覚えれば、それでよし。そうでなければ、
ひょっとしたら、あなたも、離婚予備軍かもしれない。

 反対に言うと、たがいにその(やすらぎ)をもつということは、夫婦円満のカギになる
ということ。毎晩、同じベッドで、たがいの寒さを防ぎあって寝るというのも、その一つ
の方法かもしれない。

 そう言えば、ここ数日、暖かいと言っても、夜は寒い。しばらくストーブを使っていな
かったが、ここ数日は、使っている。そのせいか、昨夜は、改めてワイフの体のぬくもり
を、ありがたく感じた。
(はやし浩司 夫婦絆 夫婦のきずな やすらぎ 夫婦のやすらぎ)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【いじめ】

+++++++++++++++++++

管理、管理、また管理。

子どもたちが窒息している。
おまけにあろうことか、教育再生会議なる
会議が、それに拍車をかけようとしている。

あやういところで流れたが、
教育長の国の任命制度なども、それ。

そこで子どもたちは、不満の
はけ口を、弱いもの、少数なものに
向けようとする。

本来なら、そうしたエネルギーは、
親に向かい、教師に向かい、
さらには社会に向かわねばならない

が、それができない。その力もなければ、
方法も知らない。
できないから、そのエネルギーは、
子どもどうしの仲間に向かう。

これが、いじめる側の、
いじめの構造と考えてよい。

++++++++++++++++++

 昨夜(3月3日)、NHKで、「いじめ問題」の特集番組を流していた。いろいろな専門
家が集まり、いろいろな意見を述べていた。「いじめはなくなるか、なくならないか」と、
(YES・NO)方式で、そのつど、アンケート調査もしていた。(YES・NOで答えら
れるような問題でもないと思うのだが……。)

 最初の部分と、最後の部分は見ていないので、こう言い切るのは危険なことかもしれな
い。が、(いじめる側)を擁護する意見が、まったくなかったのには驚いた。「いじめる子
どもは絶対的な悪である」という大前提が、まず、はじめにありき。その上で、「どうしよ
う」「こうしよう」と。

 「擁護」と言っても、誤解しないでほしい。私は何も、「いじめが悪いことではない」と
言っているのではない。いじめは悪である。それはそうだ。ただ、しかしいじめる子ども
にしても、それなりの背景というか、理由があるということ。もっと言えば、この問題は、
(いじめる側)の子どもの心の奥深くまで、メスを入れないと、解決しないということ。

 善人も悪人も、紙一重。

 何度も書くが、『抑圧は、悪魔をつくる』(イギリスの教育格言)。つまり抑圧された状態
が長くつづくと、人の心は悪魔的になる。ものの考え方、行動が、悪魔的になる。人間の
心の奥底に隠されている邪悪な部分が、抑圧によって、えぐり出されるためと考えてよい。

子どもの世界とて、例外ではない。今、子どもたちは、(学校)という場で、窒息してい
る。管理、管理、また管理。さらに(受験競争)という(勉強)が、子どもたちをしめ
つけている。本来なら自由化に向わねばならないはずの教育が、今、逆行しようとして
いる。教育再生会議なる会議も、そういう方向に向っている。

 あやうく流れたからよいものの、教育長の国の任命権もそのひとつ。とんでもない話で
ある。

 先日も、ある小学校の校長がこう言った。「昔は、学校帰りに道草を食いながら、遊んで
帰るというのが、当たり前だった。しかし今は、それができない。まっすぐ家に帰るよう、
親も教師も、そう指導している」と。

 私も、小学生のころは、めったに、まっすぐ家に帰ったことはない。学校の門を出たと
ころで、私たちはすべてから解放された。好き勝手なことをした。ザリガニを取ったり、
ドジョウを取ったりした。夏の暑い日だと、魚釣りをして帰ったこともある。

 そういうことが、当時は、まだ自由にできた。

 ただ、当時もいじめは、あったと思う。私もいじめられたし、(私にはその意識はなかっ
たが)、だれかをいじめたこともあると思う。しかしそうした解放感にひたることによって、
(抑圧)の大部分は、解消されたと思う。いじめる側にしても、またいじめられる側にし
ても、だ。

 さらに言えば、いじめる側の子どもの心は、私たちが考えているほど、単純なものでは
ない。そこには、人間が動物としてもっている、(本能)の問題もからんでいる。集団で行
動しようとする(群れ意識)、さらには、弱くて、力のないものを、ふるい落とそうとする
(種族選択意識)、さらには、自分より弱者を身近に置くことによって、安心感を得たいと
いう(優越意識)などなど。

 群れの中にいることによって安心感を覚える。(とくにアジア人種はそうか?)半面、そ
の群れからはずれるものを許さない。自分とは異質なものを、許さない。群れを否定する
ものに対しては、それを徹底的に攻撃する。

 より優勢な種族を残そうと、弱いものや、劣等なものを、ふるい落とそうという意識も
働く。動物の世界では、よく見られる現象である。たとえば私の庭には、毎年、ドバトが
やってきて巣をつくる。たいてい2羽のヒナがかえるが、うち1羽のヒナは、ある時期に
なると、もう1羽のヒナに巣から落とされ、殺される。

 さらに自分より弱いものをそばに置いておくということは、それだけで、安全が担保さ
れる。まずその弱いものが犠牲になり、つづいて、自分となる。だから人間は、ほかの動
物たちと同じように、自分より弱いもの、劣等なものを身近に用意することによって、自
分の安全を担保しようとする。

 人間は、「私たちは、ほかの動物たちとはちがう」と考えがちだが、人間がほかの動物た
ちと、ちがうと考えるほうが、おかしい。むしろ、動物そのもの。ときには、動物以下に
もなる。動物でもしないような愚かなことを、平気ですることさえある。

 いじめには、こうした問題が複雑にからんでいる。

 例によって例のごとく、じめられた経験のある子どもたちが、涙ながらに、「いじめられ
るものの苦しみをわかってください」と訴えていた。その気持ちは痛いほど、よくわかる。
いじめは、根絶しなければならない。繰りかえすが、悪である。

が、ではその子どもたちが、反対の立場になったら、どうなのだろう。はたしていじめ
とは無縁の、すばらしい子どもになるだろうか。この問題は、個人というワクをこえて、
その向こうにある、人間を見て考えなければならない。いじめの問題には、人間が人間
であるがゆえにかかえる、本来的もつ問題がからんでいる。

 ある教師はこう言っていた。「じめは、努力でなくなります」と。

 しかし本当に、そうか? 現実には、教師の間のいじめほど、すさまじく、はげしいも
のはない。そんなことは学校教育にたずさわっているものなら、みな、知っている。わか
りやすく言えば、教師どうしが、いじめに明け暮れていて、どうして子どものいじめをな
くすことができるか、ということ。私はこの意見には、「?」を、10個ほど、感じた。

 たいへんきわどい問題である。それはわかっている。

 しかしこれだけは言える。抑圧された心は、そのはけ口を、どこかに向ける。向けなけ
れば、その人自身が窒息してしまう。子どもとて、同じ。

 そこで本来ならそのエネルギーは、親や教師に向かうべき。あるいは社会に向かうべき。
「どうして勉強なんか、させるのだ」「受験競争をなくしてほしい」と。しかし子どもには、
その力がない。方法も知らない。だからそのエネルギーは、内へと向かう。中の世界へと
向かす。自分より弱いもの、かつ少数なものに向かう。それが(いじめる側の、いじめの
構造)である。

 つまりこの部分にまでメスを入れないと、いじめの問題は解決しない。

 むずかしい話はさておき、一方で、子どもたちを受験競争でギューギューにしめつけな
がら、その一方で、「いじめをなくすにはどうしたらいいか」は、ない。抑圧と、いじめは、
相関関係にある。そう言い切ってもよい。

つまり、現象として表れる、いじめだけを問題にしても、ナンセンス。たとえて言うな
ら、熱を出している患者の熱だけを見て、病気を論ずるようなもの。私には、その番組
を見ていて、そう感じた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
いじめ いじめの問題 いじめる側の論理)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「生」の原点

+++++++++++++++++

90歳になった母。
その母を見ていて、重大なことに気がついた。

+++++++++++++++++

 デイサービスに行かない日は、母は、1日中、自分の部屋にこもって、好き勝手なことを
している。寝たり、起きたり、ソファに座ったり、ときおり、便器に座ったり……。

 いろいろ試してはみたが、母は、もう、何にも興味を示さない。テレビを見せても、う
つろな目で、ながめるだけ。写真や本はなおさらで、見るといっても、瞬間的。ときどき
衝動的に、「M町(=郷里)に帰りたい」とか、「○○さん(=友人)に会いたい」などと
言うが、つぎの瞬間には、それを忘れてしまう。

 「何のために生きているのだろう?」と、ときどき思う。「もし私が母なら、退屈すぎて、
気がへんになってしまうだろう」とも。しかし母は、平気。まったく何もしないまま、1日
を過ごす。

 そんな母だが、目の色を変えるときがある。まるで別人のような反応を示す。そのとき、
母は、ふだんは見せないような行動をとる。たとえば朝などは、ベッドから体を起こすだ
けでも、たいへん。たいへんというより、起きあがれない。しかしそのときは、ちがう。
体をひょいと起こし、ベッドの下におりる。

 食事のときである。

 私が食事を届け、ソファの横の台の上に置く。そのとき母は、ベッドの上で休んでいる。
そこで私は、「おなかがすいたら、食べるんだよ」と声をかける。が、もうそのときには、
母は、ベッドから体を起こし、ソファに向かって歩こうとする。

 こんなことがあった。

 夕食がすんで、あと片づけもすんだころのこと。私は小さなケーキをもって、母の部屋
に入った。母は、食事がすむと、いつも、そのままベッドに入って、横になる。そこで私
はそのケーキを、台の上に置き、そっとその場を離れようとした。大きな電気を消し、枕
もとの小さな明かりだけにした。

 母が、「何や?」と言ったので、「ケーキや」とだけ答えた。が、それを聞くと、母が体
をがばっと起こしたではないか! 先にも書いたが、ふだんは見せない行動である。

 私は何かしら背筋に冷たいものを感じた。その場を離れた。部屋から出て、ドアを閉め
た。

 が、気になった。あちこちの部屋の戸締りをしたあと、透き間から、母の部屋をのぞい
た。そのとき背筋の冷たいものが、体中に広がった。ぞっとした。あの母が、両手で、ケ
ーキをむさぼっているではないか。「食べている」というような、上品な雰囲気ではなかっ
た。しかも床の上に正座したまま……。

 薄暗い部屋だったこともある。私は見てはいけないものを見たような気分になった。そ
の場を離れた。

 ワイフにそのことを話すと、ワイフも、「そう言えば……」と言って、こう言った。「お
母さんたら、食べ物には、ものすごい執着心を見せるわね」と。

 しばらくしてからまた、私は母の部屋にもどった。あと片づけをするためである。母は、
再びベッドの中に入っていた。ケーキで汚れた手を、テッシュペーパーで拭いたらしい。
それがひとかたまりになって、皿の上にあった。が、ひとかけら、ケーキが床の上に落ち
ていた。

 私はそれをつまんで、皿の上に載せようとした。その瞬間、母の声が聞こえた。「それを、
くれ!」と。見ると母が、ものすごい目つきで、そのケーキをにらんでいるではないか。

私「落ちていたから、捨てる」
母「いいから、くれ」
私「捨てる」
母「食べるから、くれ」と。

 私はまだ背筋に冷たいものを感じていた。母の意思を無視して、それを紙でくるむと、
そのままゴミ箱に捨てた。が、すぐ取り出した。そのときの母なら、ゴミ箱から取り出し
てでも、それを食べただろう。そんな気がした。

 あのフロイトは、「生命力」の原点に、「性的エネルギーがある」と説いた。若い人たち
を見ていると、それはそうだろうと思う。人間の生きるすべてのエネルギーは、どこかで
「性」と結びついている。

 しかし老人は、どうだ? 母に性的エネルギーがあるとは、とても思えない。しかし食
欲に見せる、あの貪欲までのエネルギーは何か。そこでフロイトの弟子のユングは、フロ
イトの説を修正して、「性的エネルギーではなく、生的エネルギーである」と説いた。結果、
この子弟は、袂(たもと)を分かつことになった。

 母を見ていると、それがよくわかる。つまりなぜユングが、「生的エネルギー」と言った
か、その意味がよくわかる。今の母にしてみれば、食事だけがゆいいつの楽しみ。食べる
ことだけが、生きがい。あるいは生きているという証(あかし)。母にとって、生きるとい
うことは、食べること。その原点にあるのが、「生的エネルギー」ということになる。

 フロイトとユングのどちらが正しいかということになれば、こと、老人を見るかぎり、
ユングのほうが正しいということになる。言うなれば、「性的エネルギー」も、「生きたい
というエネルギー」が基本にあって、そこから生まれると考える方が、自然である。

 つまり母のばあい、らっきょうの皮のように、母の心を包んでいたものが、つぎつぎと
はがされた。そのあと、最後に残っていたものが、「食欲」ということになる。私の母は、
社交的で、ほんの少し前までは、1日中、あちこちの友人宅を飛び回っていた。多芸多才で、
趣味も多かった。そういう母が、今は、無気力になったまま、1日中、自分の部屋にこもっ
ている。

 そんなわけで、「腹、減った」という言葉が、今の母の口グセにもなっている。ときどき、
「昼飯を食べておらん」というようなことまで言う。その数分前に食事を終えたはずなの
に、そう言う。

 母というより、人間が本来的にもつ「欲望」の強さに、改めて、驚く。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●自分の中の邪悪さ

+++++++++++++++++++

遠い昔、
私は、母の子だった。

しかしその母と別れて住むようになって、
40年以上。

が、どういうわけか今また、私は
母といっしょに暮らしている。

その母を見ていると、そこに、ときどき、
自分の(過去)が、そこにあることを知る。

+++++++++++++++++++

 遠い昔、私は、母の子だった。しかしその母と別れて住むようになって、40年以上。
盆暮れのときには、そのつど帰っていたが、しかしその程度。その私が、今、どういうわ
けか、その母といっしょに暮らしている。

 その母を見ていると、そこに、ときどき、自分の(過去)が、そこにあることを知る。

 よい部分もあれば、そうでない部分もある。私は、母に溺愛されて育った。それはそれ
で感謝しなければならないことかもしれない。が、溺愛は、決して、「愛」ではない。私は、
母のモノとして、つまり、母を慰めるための道具として、育てられた。

 少年時代は、母の期待にこたえることだけが、私の生き様(ざま)だったように思う。
が、それだけではない。私は、母のもつよい部分はもちろんのこと、そうでない部分まで、
そっくりそのまま引きついでしまった。

 そうでない部分の多くは、邪悪な部分といってもよい。母と別れて住むようになって、
私はその部分と、ずっと自分の中で戦ってきたように思う。母はまだ生きているので、そ
れについて詳しくここに書くことはできない。しかしいつだったか、これももう、ずいぶ
んと前のことだが、こう思ったことがある。

 「母だって、ただの女性ではないか」と。何も、(ただの女性)であることが悪いという
のではない。「親である」という幻想に振りまわされて、過大な期待はしてはいけないとい
うこと。それに気がついた。

 以来、私は母を冷静に見ることができるようになった。と、同時に、自分の中の邪悪な
部分についても、冷静に見ることができるようになった。

 邪悪な部分……しかし、それはけっして、単純な問題ではない。自分の心の中に、顔の
シミのように、しみついている。ある時期は、自分の中のそれと戦うために、もがき苦し
んだこともある。そういう部分を、今、母は、平気で私に見せる。

 頭に、カチンとくることもある。心だけが、過剰に反応することもある。しかし母は、
母。しかも90歳をすぎている。脳みその働きも、よくない。つまり私が本気で相手にし
なければならないような相手ではない。だから、瞬間的にはカチンときても、つぎの瞬間
には、笑ってすます。

私「あのバーさん、またやったよ」
ワ「放っておきなさいよ」
私「わかってる……」と。

 親といえども、けっして(親である)という立場に甘えてはいけない。親だって、1人
の人間。いつかその親も、1人の人間として、子どもに評価されるようになる。つまりそ
のとき、その評価に耐えられるような親であれば、それはそれでよし。そうでなければ、
そうでない。結局は、さみしい思いをするのは、親自身、つまりあなた自身である。

 ところで今、あの森Sが歌う、『おふくろさん』が、世間の話題になっている。何でも森
Sと、作詞家の間の関係が、険悪なものになっているという。ときどき、私はあの『おふ
くろさん』を、批評する。日本的な、実に日本的な歌であるという意味で、批評する。

 ここに書いたこととあまり関係ないかもしれないが、それについて書いた原稿を、ここ
に添付する。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

日本人の依存性を考えるとき
 
●森Sの『おくふろさん』

 森Sが歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。
しかし……。

日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは
日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の
親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。

そして結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコ
ール、「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して
保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子
ども(年中男児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着は
もちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげ
たまま、教室に戻ってきたりする。

あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできない。で
きないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助け
てくれるのだろう。

そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミ
ルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系
の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ど
も」という考え方が徹底している。こんなことがあった。

一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいた
のだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話
に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないで
ね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立
させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなた
の子どもはどうだろうか。

依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、それ
である。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすい
たア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。

ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強く
なると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」
子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。

実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さて森Sの歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさん
よ……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背
後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

(参考)

●夫婦別称制度

 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれ
が顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のよ
うな世論調査結果を発表した(二〇〇一年)。それによると、同制度導入のための法律改正
に賛成するという回答は四二・一%で、反対した人(二九・九%)を上回った。前回調査
(九六年)では反対派が多数だったが、賛成派が逆転。さらに職場や各種証明書などで旧
姓(通称)を使用する法改正について容認する人も含めれば、肯定派は計六五・一%(前
回五五・〇%)にあがったというのだ。

調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が六八・一%と男性(六一・
八%)より多く、世代別では、三〇代女性の八六・六%が最高。別姓問題に直面する可
能性が高い二〇代、三〇代では、男女とも容認回答が八割前後の高率。「姓が違うと家族
の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の五二・〇%が「影響がない」と答え、「一
体感が弱まる」(四一・六%)との差は前回調査より広がった。

ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が六六・〇%
で、「影響はない」の二六・八%を大きく上回った。調査は二〇〇一年五月、全国の二〇
歳以上の五〇〇〇人を対象に実施され、回収率は六九・四%だった。なお夫婦別姓制度
導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあいに結婚前の姓を名乗ることを
希望するかどうか尋ねたところ、希望者は一八・二%にとどまったという。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●老人医療(終末期医療)

+++++++++++++++++

要するに政府は、

高齢者の医療費を、もうこれ以上、
負担できないということらしい。

はっきり言えば、お金がナ〜イ。

高齢者医療制度もそのひとつ。

75歳以上の高齢者でも、保険料を1割
負担するということになっているが、
実際には、そのお金は、家族が支払うこと
になる。

+++++++++++++++++

 母を介護してみて、いろいろ気がついた点がある。一見すばらしく見える制度だが、中
身は、矛盾だらけ。75歳以上の高齢者が1割支払うという、高齢者医療制度にしても、
結局は、その家族が支払うことになる。一方で老齢年金を受け取りながら、その一方で、
保険料を払う?

 さらに(流れ)をみると、負担増に苦しむ国が、抑制策に四苦八苦している姿が、浮か
びあがってくる。たとえば05年末に、政府は、突然、「介護病床を廃止する」と発表した。

 それまでは、高齢者の長期入院医療が可能だったが、それができなくなった。これにつ
いては、私も、「しかたない」と思っていた。どこの大病院も、長期入院を繰りかえす高齢
者で、あふれかえるようになったからである。つまり病院そのものが、行き場を失った高
齢者の養護施設のようになってしまった。

 しかし一律、廃止してしまったのも、どうかと思う。それまで38万床もあった、介護
保険、医療保険の適用病床が、15万床の医療病床だけになってしまった。つまり長期入
院を繰りかえしていた高齢者たちは、そのまま介護施設に移された。

 わかりやすく言えば、パンク状態だった医療保険を、国は、こうして救済した。さらに
わかりやすく言えば、国民に、医療保険と介護保険の2本立てで、負担を強いることによ
って、医療保険を救済した。

 つまりその分、国民は、負担増を強いられることになった。現に今、若い世代は、医療
保険と介護保険の、両方の保険料を、支払わねばならない。さらにここにきて、高齢者医
療制度である。

 一応建て前は、75歳以上の高齢者ということになっているが、実際に支払うのは、そ
の家族。私の家庭でいえば、私ということになる。その上、医療費の3割負担!

 要するに国は、こう言いたいのだ。「お金が、ナ〜イ」と。

 では、どうすればよいのか。

 私の母にしても、寝たきりの状態になるのは、時間の問題。そうなれば、私ではもう世
話はできない。特別擁護老人施設への入居ということになるが、それも簡単ではない。「緊
急性の高い人から入居できます」ということだが、言いかえると、「緊急性」とは、「終末
性」ということになる。

 死ぬ間際でないと、入居できないということらしい。つまり、「それまでは、在宅で世話
をしろ」と。

 施設で過ごさせるよりも、在宅で世話をしたほうが、高齢者にとってもよいことはわか
る。しかし在宅医療制度も、今、始まったばかり。在宅医療制度に対応した診療所にして
も、ひどいところ、たとえば富山県では、5000人につき1か所しかない。

 わかるか?
 
 75歳以上の高齢者5000人につき、1か所しかないのだぞ! どうやって、1か所
の診療所が、5000人もの高齢者のめんどうをみることができるというのか?

 これから先、ますます住みにくくなる、この日本。とくに私たちの世代は、そうだ。こ
の先のことを想像すると、ぞっとする。心暖かな家族に恵まれ、たがいに世話をしあうよ
うな家庭環境があれば、まだよい。しかし実際には、そういう家庭は、さがさなければ見
つからないほど、少ない。

 少し前にも書いたが、私たち高齢者が、社会の粗大ゴミになる時代は、すぐそこまでき
ている。

 どうすればいいのだ! どうしたらいいのだ!、と叫んだところで、この話はおしまい。
要するに、自分の老後は、自分で守るしかないということ。国なんて、まったく、アテに
ならない!

(補記)

 育児BLOGが、いつの間にか、老人介護BLOGになってしまった。おかしなことだ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝あれこれ

+++++++++++++++

昨日、上海株が、大暴落した。
9%前後の、大暴落だったという。
で、その影響を受けて、日本の
株価も、暴落。

が、一転、今日は、アメリカの
株価が、急反騰。……ということは、
日本の株価も、急反騰するはず?、
……と思って、3月1日の株価を
見ているが、動きが鈍い。

私のような素人では、理解しがい
何かが、起きている!

+++++++++++++++

 わかりやすく言えば、今、中国は、お金がジャブジャブの状態。そのお金が行き場を失
って、株式市場に流れこんでいる。中国における株価の上昇は、尋常ではない。それと同
時進行の形で、中国の外貨準備高が、2006年10月末現在で、1兆ドルを超えた。日
本を抜いて、世界一の規模を更新している。

 少し経済をおさらいしてみよう。

●流入する外貨

 中国には今、ぼう大な額の外貨が流入している。わかりやすく言えば、こうだ。

 もしあなたが手元に、100万円をもっていたとする。何か、投資に向くものをさがす。
そこで中国の人民元に目をつける。その100万円で、中国の人民元を買う。やがてその
人民元の価値があがることを知っているからだ。

 こうして世界中の人たちが、人民元を買う。それが外貨となって、どっと中国に流入す
る。

●ドルを買う中国人民銀行

 そのままにしておけば、人民元の価値は高まり、人民元の上昇をもたらす。が、人民元
が上昇すれば、中国にとっては、輸出に不利になる。05年度の外貨の増加分の約210
0億ドルのうち、約半分が、輸出によって稼いだお金である。

 ご存知のように、(100円ショップでもわかるように)、中国は安い製品を作って、そ
れで世界中からお金を稼ぎまくっている。

 そこで人民元の価値をあげないよう、中国人民銀行(=日本の日銀)は、ドルを買って、
人民元を下げようとする。繰りかえし市場介入をつづける。

 その結果、中国人民銀行には、ドルがたまる。そのまま外貨準備高となって、数字の上
に表れる。それが1兆ドル。

●人民元をなぜ、あげない

 ならば、人民元を元高にもっていけばよいのでは……ということになるが、中国では、
農村地区から、ぼう大な数の労働者が都市部に集まってきている。こうした人たちに仕事
を与えるためにも、中国は、最低でも、7〜10%程度の成長率を維持しなければならな
い。

 わかりやすく言えば、本来なら、1人分の給料を、10人の労働者に分けてでも、職場
を用意しなければならない。

 もし成長率がさがるようなことにでもなれば、こうした労働者を吸収できなくなる。と
たん、それは暴動に発展するかもしれない。中国政府は、それを恐れている。

●行き先を求めてさまよう外貨

 06年に1兆ドルを超えた外貨だが、中国とて、それをタンス預金しておくわけにはい
かない。つまりこのお金が、チャイナマネーとして、動き出している。具体的には、海外
での企業や資源の買収など。海外で土地(資産)を購入したり、海外での投資へと向って
いる。

 中国、恐るべし……ということになる。

●救済されるアメリカ

 一方、アメリカは、これまたぼう大な額の貿易赤字に苦しんでいる。その額、毎年、8
000億ドル前後。が、どっこい。この赤字額を埋め合わせるかのように、このアジアで
は、日本も含めて、輸出産業の競争力を維持するため、せっこら、せっこらと、ドルを買
いこんでいる。

 わかりやすく言えば、紙くず同然のドル紙幣を、みんなが買い支えている。

 こうしてアメリカとアジアは今、もちつ、もたれつの関係で、成りたっている。が、そ
れほど、基盤は、しっかりとしていない。ささいな(うわさ)だけで、株価が暴騰したり、
反対に暴落したりする。

 今回の上海株式の暴落は、そうして起きた。

●(金)価格の上昇

 要するに、アメリカもアジアも、マネーと呼ばれる札が、ジャブジャブの状態になって
いるということ。わかりやすく言えば、世界中の中央銀行が、フル回転で、札を増刷して
いるということ。

 が、紙は、紙。そんなものでは、燃料にもならない。食料にもならない。そこでそのお
金が、「金(きん)」へと向っている(?)。

 田中貴金属工業の貴金属相場によれば、去る2月27日、この10年間で、「金(きん)」
は、最高値のグラム2819円を記録している。

 その翌日の2月28日には、123円安という暴落を記録したが、今朝、再び、上昇に
転じた。3月1日の価格は、グラム、2737円。各国の中央銀行は、「金(きん)」を売
却しつづけているが、それ以上に、中国、さらにはインドでの需要のほうが大きいという
こと。

 このようにアジアの金融情勢は、今、めまぐるしく動いている。「この先、どうなるか…
…」ということよりも、「私たちは、どう資産を守り、ふやしていったらよいか」というこ
と。

 で、今朝は株価はどうなるかと、注視してみた。アメリカの株価が急反騰したから、(1
30ドル超の上昇)、日本も……と思っていたが、まったく予想ははずれた。日本の株価は、
昨日暴落した価格のまま。

 「?……」。

 そこで調べてみると、上海をのぞいて、韓国、香港、タイ。ジャカルタ市場ともに、み
な、値をさげているのがわかる。

 ……私には、理由がわからない……ということで、冒頭に書いた話にもどる。私には理
解しがたい、何かが、このアジアで起きている。

(付記)

 要するに、それだけたがいの不信感が強いということか。疑心暗鬼の世界で、株価だけ
が、勝手に乱高下しているといった感じ。


Hiroshi Hayashi+++++++++MAR.07+++++++++++はやし浩司

●あきれた話だが……

++++++++++++++++++

どこかの大学の教授が、不要ゴミを
川原に捨てて、逮捕された。

ある大学の法学部の教授だったという。
警察官に事情を聞かれたとき、「礼状は
あるか」と、それを拒否したという。

あきれた話だが……。

++++++++++++++++++

ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

『引っ越しの際に不要になったごみを、川岸に不法投棄したとして、広島県警広島北署は
27日、福岡県志摩町、広島S大法学部教授、松尾T憲容疑者(48)を、廃棄物処理法
違反容疑で逮捕した。容疑を認めているという。

 調べでは、松尾容疑者は、今年2月19日午後4時〜同5時半ごろ、広島市安佐南区沼
田町伴の奥畑川の岸に、車や徒歩などで数回にわたり、不要になった鍋や衣類、カーペッ
ト、書類などのごみ計67キロを投棄した疑い。

 松尾容疑者は民事訴訟法を専攻し、03年4月から同大に勤務。単身赴任で投棄現場近
くのアパートに住んでいたが、今年3月末で退職し、自宅のある福岡県に引っ越しをする
作業をしていた。

松尾容疑者はごみを捨てる姿を近所の住民に目撃されており、同署が事情を聴こうとした
ところ、「令状はあるのか」と拒否。そのまま福岡県に転居していたという』と。

++++++++++++++++++++

 こうしたエッセーでは、実名を出さないことにしているが、あまりにもあきれた事件な
ので、実名をそのまま載せることにした。

 「法学部の教授がねえ?」というのが、率直な感想だが、世は、インターネット時代。「松
雄T憲」で検索すると、150近い検索結果が出てきた。というのも、法学部の教授とい
っても、いろいろなタイプがある。

 純粋に学者畑を歩いて教授になった人もいれば、法曹(弁護士、検事)を経て、教授に
なった人もいる。松雄なる教授は、有斐閣という、法律の専門書を出版する出版社から、
何冊かの専門書を出している。学者畑を歩いてなった教授のようである。

 あまりにもあきれた事件なので、これ以上のコメントのしようがない。ないが、これを
読んだとき、ムラムラと大きな怒りを私は覚えた。つい先日も、私の家の横の空き地に、
ダブルベットを放棄していった人がいた。その処分をするのに、私とワイフで、3、4時
間もかかった。こういうのを心理学の世界でも、「同一視」という。「転移」でもよい。『坊
主、憎ければ、袈裟まで憎い』という、それである。

 今でも、夜中にこっそりやってきて、大きなゴミを捨てていく人は絶えない。物干し台
や、自転車など。少し前には、車を捨てていった人もいた! この記事を読んだとき、そ
のとき覚えた怒りが、そのままムラムラと起きてきた。

 が、さらにあきれるのは、警察官が事情を聞こうとしたところ、「礼状はあるか」と、そ
れを拒否した点。

 いるいる……こういう権威主義者! バカ者! 広島ではなく、福岡で逮捕されたとい
うことだから、一応、福岡まで、逃げていったらしい。

 法律家の法律知らずとは、まさに松雄教授のような人間をいう。このタイプの人間は、
常識でものを考える前に、「まず、法律ありき」という考え方をする。わかりやすく言えば、
法律家として、失格。こういう人間が、法学部の教授として、教壇に立っていたかと思う
と、ぞっとする。

 で、もうひとつ、インターネットのこわいところ。こうして実名が報道され、あちこち
で記事が引用されると、「松雄T憲」という名前は、ほぼ永遠に、そのまま残ってしまうと
いうこと。「松雄T憲、ゴミの不法投棄で逮捕」と。つまり法律家としての彼の生命は、そ
れで終わり。

 便利な世の中になったが、考えてみれば、これも、恐ろしい話ではないか。昔は、『人の
うわさも、45日』と言った。今は、永遠。

(補記)
 私はちゃんと、「松雄T憲」と、名前を伏せたぞ!


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