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2007年 5月号 2007年 6月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

(奇数月用1―13号)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●宗教論はタブー 

++++++++++++++

子どもの前では、宗教論は
タブー。

わかっていても、ときに、
失敗する。

++++++++++++++

 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子
ども(小三男児)がやってきて、こう言った。

「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たったからだ」と。そこで私はこう言っ
た。

「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不足で、農家の人は雨が降っ
て喜んだはずだ」と。

翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何て
ことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その一家は、ある仏教系の宗教教団
の熱心な信者だった。

 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。

「先生、うちの主人には、シンリが理解できないのです」と。

私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理というのは、そういうものかも
しれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところです」と。

その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わない。
そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、
それが汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とその
ひもに手をかけると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫
んだ。叫んで、「汚れるから、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家
も、ある宗教教団の熱心な信者だった。

●宗教と人間のドラマ

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うこ
とは許されない。

よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいる
から、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。

それに仮に、一つの宗教が否定されたとしても、その団体とともに生きてきた人間、な
かんずく人間のドラマまで否定されるものではない。

 今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全
国の美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるというこ
とは、それだけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸
命に信仰している。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

●「さあ、ぼくにはわからない」

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私は
そういうとき「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あ
るいは「あの世はあるの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」
と逃げる。霊魂や幽霊についても、そうだ。

ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」という言い方
には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判断、
さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていな
いというより、もとから考えの中に入っていない。

私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」
ということで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だ
ったということも、あとから母に言われて、はじめて知った。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●息子の初恋について

++++++++++++++

I県に住む、ある母親から
息子の初恋についての相談が
あった。

++++++++++++++

 息子(中3)の初恋について、「今は、受験期なので、何とかやめさせたいが、方法を教
えてほしい」という相談をもらった。岐阜県に住む、HMさんという母親からのものだっ
た。

 この種の感情に、ブレーキをかけることはできない。親が反対すればするほど、恋心と
いうのは、燃えあがる。

 心理学の世界にも、「自己決定感」という言葉がある。「自分で決定することによる満足
感」をいう。この自己決定感がもつ問題は、それ自体が重要というより、それが阻害(じ
ゃま)されたとき、子どもの心理に、さまざまな弊害を起こすということ。

 ここでいう「恋」には、それをおぎなうための代わりのものが、ない。

 たとえば人間は、何かの欲求を、じゅうぶんに満たされないとき、その欲求を、別のも
ので満たそうとする。そしてその方法により、自分を満足させる。これを「代償的満足感」
という。

 よく知られた例としては、マスターベーションがある。性交への満たされない欲求を、
男性のばあい、ヌード写真を見ながら、マスターベーションをしたりする。

 しかしこの方法では、一時的に、性欲を吐き出すことはできても、最終的な満足感を得
られることはない。反対に欲求不満が、つのるということがある。ここに代償的満足感の
限界がある。

 そこで子どもは、自分の自己決定感を満足させようとするが、このとき、それを阻害(じ
ゃま)するものが現れると、それを「敵」とみなして、徹底的に攻撃しようとする。

 この攻撃性が、必要以上に、ここでいう恋心を燃えあがらせることがある。「必要以上」
というのは、本来、その子どもが思っている以上に、自分が、その相手の女の子を好きに
なったと思いこむことをいう。

 (よくある例は、親の猛反対を押しきって、かけおちまでしたようなカップルが、「いっ
しょに生活してよい」と周囲に認められたとたん、その恋心がさめてしまう、など。周囲
に反対が、本人たちどうしが思っている以上に、恋心があると錯覚させてしまうことによ
り、そうなる。)

 こうした子どもの攻撃性には、二面性がある。前向きに攻撃していくタイプと、内にこ
もってしまうタイプである。

 よくあるのは、親が、「受験期になったから、(好きだった)サッカーをやめなさい」と、
子どもの生きがいを奪ってしまうような例。

 親としては、「サッカーをしていたエネルギーを、勉強に向けさせたい」と思って、そう
するが、子どもは、当然のことながら、猛反発する。暴力的な反発も珍しくないが、それ
ができないと、今度は子どもは内にこもり、大きく心をゆがめる。

 その(ゆがめ方)が、常軌を逸することもある。異常な嫉妬心、ねたみ、いじめに走る
こともある。非行の原因になることもある。

 子どもの指導で重要なのは、この「自己決定感」を、うまく引き出し、それを利用しな
がら子どもを伸ばすということ。

 さて本題だが、子どもの初恋は、(1)暖かく無視する。(2)アドバイスを求められた
ときは、ていねいにそれに応じてあげる、という方法で対処する。

 反対しても意味がない。意味がないことは、ここに書いたとおりである。扱い方をまち
がえると、子どもの心をゆがめるだけではなく、親子の絆(ぱいぷ)を切ってしまうこと
にもなりかねない。

 恋心という、人間が、そしてあらゆる生物が、本能的にもっている感情というのは、そ
ういうものである。親の立場では、「熱病にでもかかった」と思い、あきらめるしかない。

【教訓】

●子どもの一芸は、聖域と考えて、親が踏みこんで、それを荒らしてはいけない。
●子どもの初恋は、(1)暖かい無視、(2)求めてきたときが与えどきと心得る。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人の心理

++++++++++++++++

母だけを観察して、「老人はこうである」
という意見を書くのは、きわめて危険で
ある。

それはよくわかっている。

しかしその一方で、母が見せる様子を、
幼児に照らし合わせてみると、これまた
興味深い点がいくつか見つかる。

少し前、老人特有の自己中心性につい
て書いた。認知症になればなるほど、
老人は、自分のことしか考えなくなる。

乳幼児の自己中心性は、よく知られて
いる。その自己中心性は、成長とともに、
利己から利他へと、変質していく。

老人のばあい、反対に利他から利己へと
変質していく。

そのほかにも、いくつか気がついた。

++++++++++++++++

 たとえば母だが、最近、おもしろい言い方をするのに気がついた。たとえば、大便や小
便が近くなると、こう言う。「オシッコが出てしまう」「ウンチが出てしまう」と。

 大便や小便が、まるで勝手に出てくるというような言い方をする。「自分の意思とは関係
なく、大便や小便のほうが、勝手に出てくる」と。他人ごとのようでもある。つまり、「だ
から、何とかせよ!」と。あるいは、「困るのは、お前たちのほうだ」とでも、言いたげで
ある。

 同じような現象は、幼児の世界でも観察される。大便や小便をしたくなったようなとき、
ほとんどの幼児は、こう言う。「オシッコ! (……だから何とかしてくれ)」「ウンチ! (…
…だから何とかしてくれ)」と。

 こういう言い方を総称して、『何とかしてくれ』言葉という。依存性の強い子ども特有の
言い方と覚えておくとよい。

 一方、老人も、そうである。「オシッコが出てしまう」「ウンチが出てしまう」と言いな
がら、その裏で、「だから何とかしてくれ」と言っている。健康な人なら、そういう言葉を
聞くと、こう思うにちがいない。「オシッコでもウンチでも、自分のことだろう」「自分で
始末しろ」と。しかし老人になると、自己中心化が進む。進むと、精神そのものが、肉体
から遊離し始める。

 ケア・ゼンターには、こんな老人もいるという。

 思うように動かなくなった自分の体について、「どうして治らない!」と、ドクターの顔
を見るたびに怒鳴りつけている老人である。「どうして治せない!」ではなく、「どうして
治らない!」と言っているところに注目してほしい。その老人は、ドクターに対して怒り
をぶちまけているのではない。自分の体に対して、そうしている。

 そこで私は学んだ。

 肉体あっての精神である。精神活動も、もとはといえば、肉体活動の一部である。肉体
を離れて、精神はありえない。

 そこで重要なことは、精神は、いつも、自分の肉体を受け入れなければならないという
こと。わかりやすく言えば、老いゆく自分の体にしても、それは私自身であるということ。
自分の肉体を嫌うということは、そのまま、自分の精神を嫌うということになる。

 が、若い人の中でも、自分の肉体を嫌う人は少なくない。必要もない整形手術を繰りか
えすような人たちである。つまりそれだけ自己中心性の強い人とみてよい。もっとはっき
り言えば、それだけ幼児性が残っているということになる。……こう言い切るのは危険な
ことかもしれないが、老人の心理を観察していると、それがよくわかる。

 私たちはいつも、あるがままの(私)を受け入れながら生きる。ここでいう(あるがま
ま)の中には、当然(肉体)も含まれる。「オシッコが出てしまう」「ウンチが出てしまう」
ではなく、言うべき言葉は、「私はオシッコをしたい」「私はウンチをしたい」である。

 願わくは、私は死ぬまで、そういう生き方をしたい。

+++++++++++++++

乳幼児の自己中心性について、
以前書いた原稿を紹介します。

+++++++++++++++

●乳幼児の自己中心性

 乳幼児の自己中心性は、よく知られている。

 このほかにも、乳幼児には、(1)物活論、(2)実念論、(3)人工論など、よく知られ
た心理的特徴がある。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。

 風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きてい
ると考える。……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考
える心理をいう。

 ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを
念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別が
できない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつ
くられたと考える心理である。

 人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月
を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう感覚は、乳幼児の人工
論によって、説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されて
いく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには
青年期を迎えることがある。

 今朝のY新聞(6月28日)の朝刊を読むと、まだあのA教祖に帰依している信者がい
るという。あの忌まわしい地下鉄サリン事件をひき起こした、あのA教祖である。

 私はその記事を読みながら、ふと、こう考えた。

 「この人たちの心理は、乳幼児期のままだな」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 人口論 実念論 物活論 幼児の自己中心性)

+++++++++++

もう1作、補足します。

+++++++++++


●実念論

 乳幼児の心理の特徴の一つに、「実念論」がある。聞きなれない言葉だが、要するに、乳
幼児は、「念力」を信じているということ。

 実念論……どこか「?」な言葉だが、最初に、外国の論文を翻訳した学者が、そういう
訳語をつけたのだろう。「念じて、ものごとを実現させる」という意味である。

 私も幼児のとき、クリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザがほしくて、心の中で何
度も念じたことがある。ほかにもいろいろ念じたことがあるが、それについては、あまり
よく覚えていない。

 つまり、乳幼児は、現実と幻想の世界の区別が、あまりつかないということ。

 しかし問題は、このあとに起こる。

 こうした実念論は、やがて修正され、成長とともに、思考パターン(回路)の中でも、
マイナーな領域へと追いやられる。子どもは、より現実的なものの見方を身につけていく。

 しかしその実念論が、子どもの中に必要以上に残ることがある。あるいは、その実念論
が、かえって、増幅されることがある。

 少しくだらないことだが、こんなことがあった。

 まだ私が幼稚園で働いていたときのこと。ある日、あるところへ行ったら、そこでばっ
たりと、幼稚園の同僚の先生(若い女性)に出会った。「こんなところで何をしているの?」
と聞くと、その先生は、恥ずかしげもなく、こう言った。

 「ここで私の運勢を、占ってもらっていたんです」と。

 見ると、その一角が、ボックスで仕切られたブースになっていた。そして小さいが、そ
こには、看板がかけられていた。「○○占星術研究会」と。

 私はそのとき、ほんの瞬間だが、「こんな先生に指導される子どもたちは、かわいそうだ」
と思った。体はおとなだが、心は、乳幼児のまま(?)。

 もちろんそのころには、私は、実念論という言葉は知らなかった。(まだそういう言葉は、
なかったように思う。)が、乳幼児が、ときどき空想と現実を混濁するという現象は、経験
していた。 

イギリスの格言にも、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわ
せてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしそ
の空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。この格言を、私はす
でに25年前に知っていた。

 が、今は、念力ブーム。現象としては、あの『ポケモンブーム』のときから、加速され
たように思う。自分の願いごとを、スーパー・パワー(超能力)のようなもので実現させ
ようとする。こんなことがあった。

 ある中学生が、何やら真剣な表情で、ビルの一角をじっとにらんでいた。「何をしている
の?」と声をかけると、その中学生は、こう言った。

 「先生、ぼくね、念力で、あのビルを吹っ飛ばしてみたい」と。

 そのポケモンブーム全盛期のころのことである(99年)。私は、こう言った。「吹っ飛
ばしたいと思うのは、君の勝手だが、吹っ飛ばされる人たちの立場で、少しはものを考え
なよ」と。

 乳幼児の実念論。こうした現象が、どうして乳幼児にあるかは別にして、できるだけ、
そうした実念論からは、子どもを遠ざけていく。あるいはそれにかわる思考パターンを、
植えこんでいく。

 これは幼児教育においては、とても重要なことだと思う。

 つまり、先生が、占いや、まじないを信じていたのでは、話にならない!、ということ。


●物活論

 この実念論と並んで、よく知られている乳幼児の心理に、「物活論」がある。乳幼児が、
ありとあらゆるもの、無生物も含めて、すべてのものは、生きている」と考える現象をい
う。

 人形やおもちゃは言うにおよばず、風にそよぐカーテン、点滅する電気、自動車、石こ
ろ、本など。

 ある子どもは、姉が本を何かで叩いたとき、「本が痛がっているから、やめて」と言った。
反対に、飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池をかえれば、また動く」と主張した
子どももいた。

 物活論の特徴は、(1)すべてのものは、生きている。(2)すべてのものには、感情が
ある、と考えるところにある。

 これも広い意味では、現実と空想の混濁。乳幼児の視点に立ってみると、それがよくわ
かる。つまり乳幼児には、まだ生物と無生物を区別するだけの知力や経験が、ない。

 が、こうした物活論を修正していくのも、幼児教育の重要なポイントということになる。
わかりやすく言えば、「生物」と、「無生物」の区別を指導する。

 私には、こんな経験がある。

 10年ほど前、たまごっちというゲームが流行したことがある。そのときこと、私は不
注意で、その中の生き物(?)を殺してしまったことがある。スイッチの押し方をまちが
えてしまった。

 とたん、その女の子(年長児)は、「先生が、殺してしまったア!」と、おお泣きした。
で、「私が、死んではいないよ。これはゲームだから」と何度も言って聞かせたが、結局は、
ダメだった。私を責めつづけた。

 (反対に、生物を無生物と思いこんでしまうこともある。これはたいへん危険な現象と
考えてよい。これについては、また別のところで、考えてみる。当時、ちょうど同じころ、
死んでミイラ化した死体を、『まだ生きている』と主張した、おかしなカルト教団が現れた
のを覚えている。

無生物を生物と思いこむ子ども。死んだ人を生きていると思いこむ信者。現象としては、
正反対だが、これら両者は、一本の糸でつながっている。)

 風でそよぐカーテンを、「生きている」と思うのは、どこかロマンチックな感じがしない
でもない。しかし子どもは、さまざまな経験をとおして、やがて生物と無生物を区別する
知力を身につける。

 それを指導していく、つまり論理的(ロジカル)なものの考え方を教えていくのも、幼
児教育の一つということになる。

【付記】

 そういう意味では、乳幼児期の教師(先生)の選択には、きわめて慎重でなければなら
ない。

 思想性はもちろんのこと、とくに宗教性には、慎重でなければならない。この時期の教
師としては、論理的で知的な教師であればあるほど、よい。社会的に認知されていない、「?」
的なカルト教団に染まっているような教師は、好ましくない。(当然だが!)
(はやし浩司 実念論 物活論 乳幼児の心理)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●認知症の模擬体験

++++++++++++++++

私は今日、認知症の模擬体験をした。
自分で自分の脳みそを一時的だが、
信じられなくなった。

それは世にも、恐ろしい体験だった。
本当に恐ろしい体験だった。

++++++++++++++++

 今日、待ちに待った、新しいパソコンが届いた。うれしかった。OSは、もちろんビス
タ・Ultimate!

 その設定をしているとき、私は、はからずも認知症の模擬体験をした。その話をする前
に、まず、それまでの経緯(いきさつ)を書かねばならない。

 新しいパソコンを買うと、いろいろと初期設定をしなければならない。それぞれのソフ
トについても、ユーザー登録をしなければならない。これがめんどう……というより、こ
れをしっかりとしておかないと、あとでいろいろとめんどうなことになる。

 まず、OSのユーザー登録。つづいて、いくつかのソフトのユーザー登録。今度のパソ
コンには、最初からOffice2007が、インストールしてあった。が、ここで、ま
ずつまずいた。IDナンバーと、製品ナンバーをまちがえた。何度かやりなおしてみたが、
うまくいかなかった。で、あと回しにした。

 つづいて、ウィルス対策ソフトのインストール。おまけでついていたM社のウィルス対
策ソフトを削除して、I社のウィルス対策ソフトをインストールしようとした。が、これ
もまた、うまくいかない。マニュアルどおりに、(プログラムの削除)から、削除しようと
するが、どうしてもその中の3つのファイルだけが残ってしまう。ファイルの一部だけで
も残っていると、I社のウィルス対策ソフトとバッチングしてしまう。ばあいによっては、
コンピュータが動かなくなってしまう。

 その作業に30〜40分ほど、かかった。が、うまくいかなかった。M社にメールで問
い合せると、1時間ほどで、返事がもどってきた。「アンインストール・プログラムをサイ
トからダウンロードしてから、削除してほしい」とのことだった。

 OSが変わると、こういうトラブルはよくある。で、その指示に従って、M社のウィル
ス対策ソフトをアンインストール。ここまではうまくいった。

 いよいよ仕事上、いちばん重要なOffice2007のユーザー登録。それをしっか
りとしておかないと、やがて使用不能になってしまう。ワードを立ちあげるたびに、その
警告文が現れる。

 が、ここで事件が起きた!

 いくらさがしても、Office2007パッケージが、見つからない。とたん頭の中
は、パニック。「冷静になろう」と何度も自分に言い聞かせる。しかし、ないものは、ない。

 ワイフもいっしょになってさがしてくれた。が、ない。パソコンの入っていた箱を何度
もひっくり返してみた。ゴミ箱の底まで、何度か調べてみた。が、やはり、ない。そのと
きのこと。ワイフがこう言った。「本当に、あったの?」と。

私「ぼくは、ちゃんと見た。……見たような気がする。25桁の番号を、ちゃんと見た…
…」
ワ「おかしいわねエ」と。

 そして再三再四、同じところをさがす。「ひょっとしたら、ハナ(犬)が、もっていった
かもしれない……」と私。「まさかア……」とワイフ。私は念のため、庭から犬小屋までさ
がしてみた。が、やはり、なかった。

 私はだんだん、自分の脳みそが信じられなくなった。ワイフに言われるまま、それまで
に動いた範囲を、隈(くま)なくながした。トイレの中までさがした。が、ない!

私「ひょっとしたら、コタツのふとんの中かもしれない」
ワ「もう、3回ぐらい、見たわよ」
私「フトンとフトンの間だ。もう一度、さがしてみよう」と。

 そのときのこと。私は私の脳みそを疑い始めた。「私は本当にOffice2007のパ
ッケージを見たのか」と。「いや、見たと思っただけで、本当は見ていないのかもしれない」
「そんなはずはない。ちゃんと箱を開けた感触が、指先に残っている」「しかし消えること
はありえない」と。

 同じ考えが、繰りかえし頭の中をかけめぐる。堂々めぐり。が、結論は出ない。「おかし
い?」と。

私「ぼくネ、自分の頭が信じられなくなった」
ワ「本当にあったの?」
私「うん、あった。……あったと思う。……あったかなア?」
ワ「あなた、だいじょうぶ?」
私「うん。……だいじょうぶ。……だいじょうぶかなア?」と。

 このところ、オカルトもののDVDをよく見る。映画の中では、幽霊が、ものを持ち去
ったりする。私はそんなことまで考えていた。

 何とも表現しがたい不安感。イライラ感。ざわめく心。落ちつかない。ありえないこと
が、起きた。目の前で起きた。こういう現象をどう理解したらよいのか。つまりモノが、
目の前から、こつ然と消えてなくなった……!

 そういう状態が、午後の午後の1時ごろまでつづいた。ワイフと買い物に行ったが、話
題はそのことばかり。「ちゃんとあったよ。確かにぼくは、この指で箱をあけた。製品番号
の書いたオレンジ色の紙も見た。……見たような気がする……」と。

 私はすっかり自信をなくしていた。もうこうなると、パソコンどころの話ではなくなる。

 買い物から帰ってきて、庭に出た。畑の草を取るつもりでいた。いやな気分だった。不
愉快だった。と、そのとき、ワイフが、家の中から、こう言って叫んだ。「あなたア、あっ
たわヨ!」と。

 見るとワイフは、Office2007のパッケージを手にもっているではないか。

私「どこにあった?」
ワ「ジュータンの下よ」
私「ジュータンの下だってエ?」と。

 パッケージといっても、厚さは1センチほど。それがコタツのふとんの下の、ジュータ
ンの下にあった!

 心の緊張感が、一気にほぐれた。パッケージがあったという喜びよりも、自分の頭がお
かしくなかったという喜びのほうが、はるかに大きかった。

私「よかったア……」
ワ「本当ねエ」
私「いや、ぼくは、自分の頭がおかしくなったかと思った。毎日、頭のボケた母を見てい
るだろ。いつか自分もああなるという恐怖心ばかりが先に立ってね。それで不安になって
しまった……」
ワ「頭がボケると、どこにモノを置いたか、忘れてしまうそうよ」
私「それだよ、それ。ぼくは、ぼくの知らないところへ、無意識のうちに、そのパッケー
ジをしまいこんだのではないかと思っていた。が、頭の中の、どこをどうさがしても、そ
ういう記憶がない……」
ワ「よかったわネ」
私「ホント……」と。

 そしてそのあと、私はワイフにこう言った。「ぼくは、認知症の模擬体験をしたような気
分だ」と。

 認知症の人は認知症の人で、自分の頭が信じられなくて、悩んでいるにちがいない。モ
ノ忘れがひどい人も、そうだ。そう思ってそう言った。本当のところはどうか、わからな
いが……。

 それにしても、私にとっては、恐ろしい体験だった。本当に恐ろしい体験だった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●狂った牛

++++++++++++++++

中国の経済が、大暴走をつづけている。
「狂った牛」と表現する人もいる。

国中が、まさに「マネー」「マネー」の、
大狂騒曲。

一日、平均して約12万人もの新しい
投資家(?)が生まれているという。
このまま行けば、この7月にも、1億人を
突破するという(朝鮮N報)。

その中国は、昨年7月から断続的だが、
4月7日までに、計7回の金融引き締め
策をとった。しかし、まさに、焼け石に水。

日本経済は、中国経済の大躍進で、破綻を
まぬがれることができた。が、このままでは、
たいへんなことになる!

+++++++++++++++

かつて日本は、経済破綻の崖っぷちに立たされた。バブル経済が崩壊した直後のことだっ
た。しかしここで思わぬ救世主が現れた。中国という救世主である。

 おかげで日本は、経済破綻をまぬがれた。何とか今日まで、生き延びてきた。しかしそ
の中国経済が、このところ、おかしくなってきた。おかしくなってきたというよりは、ま
さに狂乱状態。「狂った牛」と表現する人もいる。

 毎日、新しく投資家(?)になる人が、12万人。この7月には、1億人を突破するだ
ろうと言われている。「働くよりは、株で儲けたほうがいい」と考える人が、それだけふえ
ているとみてよい。

 そこで株価は天井知らずの上昇をつづけている。4月30日、上海総合株価指数は、3
841ポイントと、史上最高値を記録している。

 しかしもう、メチャメチャ。中国から入ってくる情報をながめていると、あまりの凄さ
に、ただただあきれるばかり! 自分の家を売ってまで、現金をつくり、その現金で株投
資している主婦もいるという(朝鮮N報)。

 多分、証券会社の一室だと思うが、老若男女が、ぎゅうぎゅう詰めで、株価情報が流れ
る画面をみつめていた。会社といっても、実体のない会社も多いという。一説によると、
上場銘柄のうち、約3分の1がそうであるという。そういう会社にさえ、中国人たちは、
血眼(ちまなこ)になって、投資をつづけている(某テレビ報道)。

 こうした状況の中、強気の中国政府だが、中国のバブル経済は、もう、だれの目にも明
らか。このまま行けば、……というより、先へ行けば行くほど、バブル経済がはじけたと
き、爆発力が大きくなる。後遺症も大きくなる。規模が大きいだけに、当然のことながら、
この日本にも大きな影響を与える。へたをすれば、同時に日本の今の、ミニバブル経済も
はじける。どこかへ飛んでいってしまう。

 あやうし、中国。そして、日本!

 日本では地価が大暴落したとき、巨額の負債が、銀行に残った。同時に株価も暴落した。
結果、中小企業の倒産があいつぎ、バブルに踊った地方自治体にも、借金が残った。以後
10年近く、日本経済は、地を這うような辛酸(しんさん)をなめる。

 「だったら、元高を誘導すればよい」とだれしも考える。しかし時、すでに遅し! 今
ごろ元高に誘導したら、外国の投資家たちは、元をいっせいに売り、外資は、中国市場か
ら逃げてしまう。もちろん輸出企業は、大打撃を受ける。地方からあがってくる労働者を
吸収できず、失業者はふえる。結果、社会不安から中国の体制そのものが、不安定になる。

 何もよいことはない。

 で、私たちは、どうしたらよいのか。わずかな財産だが、しかしそれを守らなければな
らない。土地は、もう投資には向かない。貴金属も、今は冒頭しているが、中国経済がは
じければ、一転、大暴落する。日本の株価も、あぶない。先月、ほんの少し中国株価がク
シャミをしただけで、世界を2、3周するほど、株価の暴落がつづいた。現金にしても、
円安になればなるほど、価値は目減りする。

 要するに、お金というのは、ただの「紙」にすぎないということ。もともと、価値がな
い。価値があると思いこんでいるだけ。価値があがろうが、さがろうが、そんなことで一
喜一憂するほうがおかしい。どこかでその一線を引かないと、やがてお金の奴隷になって
しまう。……ということを、現在の中国が、私たちに教えている。 


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(5月4日)

++++++++++++++++++

今日は、人に会う約束もない。
計画もない。しかしやりたいことは、
山のようにある。

(1)春の写真を撮りたい。
(2)ビスタ・パソコンと、遊びたい。
(3)山荘へ行きたい。

こういうふうに迷ったら、私はすべてを
することにしている。

(4)夜は、浜松の祭りを見に行くつもり。

++++++++++++++++++

●ビスタ・パソコン

 OSのビスタがすごいというより、パソコン自体がすごい。2万ページ近い文書を、2
つ開いても、ビクともしない。動きも速い。なめらか。昨夜、ワーフと2人で、グーグル・
アースで、世界旅行を楽しんだ。

 グーグル・アースというのは、宇宙から撮った映像を、居ながらにして楽しめるという
グーグル社のサービスである。場所にもよるが、解像度の高い地域だと、道路を走る車の
種類までわかる。

 それでオーストラリアの友人たちの家をさがした。さがして、クリップマークをつけた。
クリップマークをつけると、次回から、そのクリップマークを手がかりに、その場所へす
ぐ移動することができる。

 今は、そのビスタ・パソコンで、この文書を書いている。

 
●OFFICE2007

 今度のパソコンには、OFFICE2007が、最初からインストールしてある。今のところ、
ワードしか使っていないが、私にとっては、余計な機能がゴチャゴチャとついているカン
ジ。そのメニューが、文書編集画面の上に、ドサッと並んでいる。

 編集画面の大きさは自由に変えられる。それはそれでよいのだが、1ページ全体を表示
しようとすると、文字が小さくなりすぎて、読めない。

そういうことも考えると、今度のOFFICE2007は、モニターも19インチ(ワイド)以上
のものを前提に、開発されたということがわかる。15インチや、17インチのモニター
では、編集作業そのものが、できない?

 今のところ、使い勝手はよい。

 ところでそのモニターだが、今は、19インチのワイドモニターを使っている。が、そ
のモニターでさえ、最近は、小さく感ずる。目の前のテレビが32インチということもあ
る。

15インチのモニターを使っていたころ、17インチのモニターが、すごく大きく見えた。
17インチのモニターを使っていたころには、19インチのモニターがすごく大きく見え
た。今では、15インチや17インチのモニターでは、作業そのものが、しにくい。

 これは人間のどういう心理によるものか。一度、自由を知った人間は、二度と自由のな
い生活に戻れなくなる。(自由)を(ぜいたく)と置き換えてもよい。

 ……こうしてパソコンとつきあうようになって、もう35年近くになる。コモドール社
のPET2002の時代からである。その前には、東芝のTK−80とかいうパソコンも使って
いた。

 これから先、パソコンの世界は、どこまで進化するのだろう。今朝のヤフーニュースに
よれば、今度、スーパーコンピューでさえ、1000万年かかる計算を、数10秒で解く
とされる未来の超高速計算機、「量子コンピューター」なるものが、開発されたそうだ(読
売新聞)。

 わかるかな?

 スーパーコンピューターでさえ、1000万年もかかる計算を、何と、数10秒で解く
という。「どういうことだろう?」と思っただけで、そのつぎがわからない。映画『マトリ
ックス』の世界が、現実のものになろうとしている。

 さらにそのうち、画像を、直接脳みその中の視覚野に、映像を映すことができるように
なるかもしれない。もしそんなことができるようになったら、そこはまさに、映画『マト
リックス』の世界。……なんだか、末恐ろしくなってきた!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●DVD『記憶の棘』

++++++++++++

ニコール・キッドマン主演の
『記憶の棘』を見る。

おもしろかった。

★は、星3つの★★★。

映画の内容は、ブルース・ウイ
ルス主演の『シックス・センス』の
正反対の映画と思えばよい。

が、それ以上に、見終わったあと、
男女の(仲)について、いろいろ
考えさせられた。

+++++++++++

 ニコール・キッドマン主演の、『記憶の棘』を見る。おもしろかった。物語は、ある女性
の前に、「ぼくは、あなたの夫だ」という少年が現れるところから始まる。

 その女性の夫は、その10年前に、ジョギング中に、心臓発作か何かで、死んでいた。
その少年は、その夫の生まれ変わりだという。その少年の年齢は、10歳!

 私が話せるストーリーの内容は、ここまで。あとは、そのDVDを見てからの、お楽し
み!

 で、そのDVDを見終わったあと、男女の(仲)について、いろいろ考えさせられた。砂
浜で亡き夫をしのんで、狂ったように自分を取り乱す元妻(=ニコール・キッドマン)。映
画はそこで終わるが、しかし……。

 結局は、男も女も、自分が描いた幻想にしがみついて生きるものなのか。が、それ自体、
自己中心性の変形とみてよい。

 「自分がそう信ずるから、私は正しい」と、ときとして、人は、そう思いこむ。「信ずる」
ということは、このばあい、「疑わない」という意味。しかしその(自分)ほど、あてにな
らないものはない。

 わかりやすく言えば、私は私。いくら配偶者でも、人は人。「私は相手を愛しているから、
相手も私を愛しているはず」と考えるのは、まさに自己中心性の現れと考えてよい。

 たとえば私のワイフにしても、……というより、世の夫たちは、こう考える。「男は仕事、
女は家庭。夫たる私が、仕事をしているからこそ家族は、生活ができる」「それで家族は満
足しているはず」「感謝しているはず」と。

 しかしこれほどまでの自己中心性は、そうはない。人格的な未成熟さが、夫をして、そ
う思わせる。が、中には、「それでいい」と考える夫もいる。しかしもしそうなら、一度、
冷静に、あなたの家族の心の中をのぞいてみたらよい。本当にあなたの家族は、それで満
足しているか。感謝しているか。

 たぶん、あなたの家族は、そういう(あなた)にあきれ、仮面をかぶりつつ、(あなた)
に合わせているだけ。とうの昔に、心はバラバラ。そういうケースは、多い。よい例が、
熟年離婚。定年離婚でもよい。ある日、妻側から離婚届をつきつけられて、夫は、それま
での関係をはじめて知る。

 このDVDを見て、そこまで考える必要はないかもしれないが、そんなことも心のどこか
に置いてこのDVDをみると、また楽しいのでは……。

 星が3つなのは、『シックス・センス』で感じたほどの衝撃が、なかったこと。もしこの
映画が先に発表されていたら、その反対だったかもしれない。

 動きは平坦で、静かな映画だった。そのためか、ニコール・キッドマンの美しさもさる
ことながら、名演技がかえって光った。

 そうそうひとつだけアドバイスするとしたら、ひとりの女性がもっていた箱。その女性
は、その箱を、公園の中に埋めるが、その箱に注目しながら、このDVDを見たらよい。
その箱が、この映画の中では、重大な意味をもつ。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●落ち着かない女性

++++++++++++++++

昨日(5月3日)、ファースト・フードの
レストランで、こんな女性を見かけた。

年齢は、60歳くらいか。若い母親と、
小さな女の子(4歳くらい)と、3人で
いっしょに食事をしていた。

++++++++++++++++

 昨日、買い物の帰りに、ワイフと2人で、ファースト・フードのレストランで昼食をと
った。そのときのこと。通路の向こう側に座っていた女性(60歳くらい)が、おかしな
行動をとり始めた。連れの若い母親(30歳くらい)と女の子(4歳くらい)が、トイレ
かどこかへ席をはずしたときのことである。

 その女性は、カバンの中からビニール袋を取り出すと、その中に食べ物の残りを、人目
を盗むかのように、キョロキョロとあたりを見回しながら、詰め始めた。

 その動作が、すばやいというか、こまかいというか……。チョコチョコとした感じだっ
た。それで私の目にとまった。

 この年代の女性には、このタイプの人は多い。「このタイプ」というのは、レストランな
どでの残り物を、きちんともって帰る人である。戦後の、あの(ひもじい時代)を経験し
ている。

 それはわかる。しかしその動作が奇異だった。動物園のサルにたとえるのは、たいへん
失礼なことだが、しかしそんな感じがした。人間がもっているはずの、奥ゆかしさとか、
深みがまったく、なかった。

 ワイフもその女性を見ていた。

私「初老性のボケが始まっているみたいだね」
ワ「そんな感じね」
私「こまかいことを、つぎつぎと気にする人かもしれないけど、頭の中はカラッポだよ」
ワ「何も考えていないみたいね」
私「ぼくも、そう思う」と。

 よく観察してみると、その女性には、つぎのような特徴があるのがわかった。ひとつの
行動をしながら、それとは別に、手や体は、すでに別の行動に移っている。たとえば袋の
中に残り物を詰めながら、一方で顔はすでにカバンのほうを向いている。

 そしてカバンの中にその残り物を入れながら、顔を通路のほうに向ける。向けて、あた
りをキョロキョロと気にしている。キョロキョロと気にしながら、テーブルの下で、かば
んのチャックをしめている。

私「いいか、よく見てみろ。あの女性は、同時に、2つとか3つの行動を、同時進行の形
で、繰りかえしている」
ワ「落ち着かないわね……」
私「そう、昔の人は、そういう言い方をした。いわゆる多動児特有の動作といってもいい」
ワ「ひとつの行動を、しっかりと終えてから、つぎの行動に移ればいいのに……」
私「ふつうの人なら、そうする」と。

 顔の表情も、つぎつぎと変化した。4歳くらいの孫が、トイレかどこかから帰ってくる
やいなや、笑みをつくって見せたかと思うと、パッと表情を変え、つぎに女の子の母親の
ほうを見やるなど。そしてその間も、頭や体を、絶え間なく動かす。

 女の子に話しかけながら、一方でテーブルの上の食器を並べなおす。並べなおしながら、
もう一度、手を拭く。拭きながら、瞬間的に女の子に笑みを投げかける。

ワ「ああいう人を、世間では、(よく気がつく人)というのね」
私「そう、日本では、そういうふうに評価する」
ワ「反対に、ひとつずつ行動を見届けてからする人のことを、(気がつかない人)と言うわ」
私「それも、そうだ。お前なんか、ああいう女性から見たら、牛のように見えるかもしれ
ないよ」
ワ「でね、あなた、ああいう人は、自分でそれに気がつくということはないのかしら?」
私「ないだろうね。自分のほうが正常だと思っているよ」と。

 そういう意味では、人間の評価などというものは、相対的なもの。せわしなく動き回る
人から見れば、そうでない人は、おかしく見える。一方、私たちがその女性をおかしいと
思うのは、私たちを基準にしているからにすぎない。

ワ「私、ああいう人がそばにいると、落ち着かないわ」
私「そうだろうね。お前には合わないだろうね」
ワ「頭の中はカラッポみたい……」
私「そうだろうね。何も考えていないだろうね」と。 

 ついでに言うなら、私は、先にも書いたように、その女性は、認知症か何かになり始め
ているのではないかと思った。思いついたまま行動しているといった感じで、その前後が
途切れてしまっている。つまり思考の連続性がない。そのため、感情や行動の連続性もな
い。

私「いちばんよい方法は、そういう姿をビデオか何かにとって、その女性自身に見せるこ
とだ。そうすれば、その女性は、自分の姿に気がつくかもしれない」
ワ「そんなことをして、どうするの……?」
私「……たぶん、無駄だとは思うけど……」と。

 このタイプの人は、少なくない。概して言えば、女性に多い。が、あまりにもそれが顕
著だったので、ここに書きとめておくことにする。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「先生は、S? それともM?」

+++++++++++++++++

中学生のSさんが、突然、私にこう
聞いた。

「先生、先生は、S? それとも
M?」と。

ギョッとした。が、そこはとぼけて、
「服はみんな、Mサイズだよ。下着は
Sかな?」と。

するとSさんは、「そうじゃないわよ。
先生は、サド? それともマゾ?」と。

+++++++++++++++++

 学生言葉というのがある。学生しか通じない言葉である。あとで以前、それについて書
いた原稿を添付しておくが、今度は、「SとM」。

 そこでSさんに、話を聞くと、こう教えてくれた。

 「いじめる側に回って、いじめるのが好きな人を、Sというのよ。反対に、いじめられ
る側に回って、いじめられるのを楽しむ人を、Mというのよ」と。

私「いじめられて楽しい人なんているの?」
S「いるわよ。そういう趣味の人も」
私「それはおかしいよ。趣味だなんて……」
S「いじめられる側って、結構、気楽なものよ」
私「あのねえ、そういう考え方をするバカがいるから、いじめの問題は、いつまでもつづ
くんだよ」と。

 しかしサドとか、マゾとか、そういう言葉が、中学生の子どもの口から出てくるとは、
想像もしていなかった。ホント!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの心をつかむために

 あなたは子どもの世界(小学生)を、どれほど知っているだろうか。つぎの言葉の中で、
意味を説明できるのが、いくつあるか、答えてみてほしい。

●アブトロニック
●ムッチョ
●ホグワーツのグリフィンドール
●マッチョ(流行語)
●ブルーアイズ、アルティミッドドラゴン
●かごちゃん、つじちゃん、ごっちん、なっち
●SAKURAドロップ
●桃色の片思い

 8問のうち、5〜6問までわかれば、あなたはすばらしい親と考えてよい。子どもの心
をしっかりと、つかんでいる。

 正解は、つぎ。

○アブトロニック……10分で腹筋を600回、振動する美用具、19800円
○ムッチョ……筋肉モリモリ、「ムキムキマッチョ」……筋肉モリモリの人。
○ハリーポッターの通う全寮制の学校と、宿舎名
○マッチョ……筋肉モリモリ(ムッチョの最近の言葉)
○遊戯王の裏ワザ……ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが三枚と、アルティミッドドラゴ
ンが一枚。それと融合カードが一枚で、ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが降臨する。
○モーニング娘の、かごちゃん、つじちゃん、ごっちん、なっち
○宇多田ひかるの「SAKURAドロップ」
○松浦あやの「桃色の片思い」

 あなたも一度、子どもの前で、こう言ってみたらどうだろう。「あのね、ブルーアイズ・
ホワイトドラゴンが三枚と、アルティミッドドラゴンが一枚。それと融合カードが一枚で、
ブルーアイズ・ホワイトドラゴンが降臨するんだってね。あなた知っている?」と。

あなたの子どもは目を白黒させて、あなたを尊敬するようになるだろう。一度、試して
みてほしい。女子だったら、「私、かごちゃん、つじちゃん、ごっちん、なっちの中で、
やっぱりかごちゃんが一番、すてきだと思うわ」と。コツは、さりげなく、サラリと子
どもの前で言うこと。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●はじめの一歩

+++++++++++++++

子どもの世界では、何ごとも、
「はじめの一歩」が重要。

それをまちがえると、その
修正そのものが、たいへん!

+++++++++++++++

 子どもの方向性は、「はじめの一歩」で決まる。……と言いきるのは、少し問題があるが、
しかしほぼまちがいがない。たとえば私の二男は大のサシミ嫌い。恐らく幼児のころ、魚
のサシミを食べていやな思いをしたためだろう。生臭いサシミを食べたとかなど。そして
そういう経験が、つぎつぎと重なって、ますますサシミ嫌いになっていった……?

 食べ物だけではない。「勉強」もそうだ。何らかの理由で、子どもは一度勉強嫌いになる
と、それ以後、好きになるということは、まず、ない。あるいは同じ勉強をさせようとし
ても、そうでない子どもの何倍もの努力が必要となる。

たとえば今、年中児(満五歳児)で、「名前をひらがなで書いてごらん」と指示すると、
体をこわばらせる子どもは、10人のうち、1〜2人は必ず、いる。中には涙ぐんでし
まう子どももいる。文字に対して、何らかの恐怖心をもっているためと考えてよい。そ
ういう子どもが、その先、たとえば小学校などで、国語が好きになるということは、ま
ず、ない。(絶望的とは言わないが、好きになるのは、たいへんむずかしい。)

 そういうわけで、子どもに経験させることは、何でも、はじめの一歩を大切にする。こ
のはじめの一歩がうまくいけば、あとが楽。子どもは自分で伸びる。コツは、無理をしな
いこと。子どものリズムに合わせて、慎重に進める。が、これがむずかしい。先日もある
母親が、こう言って相談にきた。

 「うちの子(小一男子)は、『39は30と□』という問題ができない。みんなはできる
のに、どうしてできないか」と。そしてたまたまそばにいた息子に向かって、「どうしてこ
んな簡単な問題ができないの!」と。勉強が、子どもを責める道具になっている! 

しかし一度、この悪循環におちいると、あとは底なしの悪循環。(親が叱る)→(子ども
はますます勉強嫌いになる)→(ますます叱る)の悪循環で、ドロ沼に落ちる。

 この子どものケースでは、私はその母親にこう聞いた。「あなたは自分の子どもが、どう
であれば、満足するのですか?」と。すると母親は、こう言った。「こんな簡単なことがで
きないでは、困る」と。そこでさらに、「どうして、だれが困るのですか?」と聞くと、「勉
強ができないと、子どもが困る」と。で、また私が、「子どもが困っているのですか?」と
聞くと、「今に、困るようになるはずだ」と。しかし実際には、その困る原因を、母親自身
がつくっている! はじめの一歩のところで、子どものやる気そのものをつぶしてしまっ
ている。母親は、それに気づいていない!

 幼児期は、子どもの方向性をつくるための、大切な時期。ものごとは、すべて慎重にす
ること。この世界では、こう言う。「はじめよければ、すべてよし」と。肝(きも)に銘じ
てほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●言葉能力

++++++++++++++

言葉能力は、あらゆる学習の
基本となる。

が、今、その言葉能力そのものに
問題がある子どもが、ふえている。

++++++++++++++

 日本人の男性と国際結婚した母親がいた。台湾から来た人だった。が、たいへん教育熱
心な人(?)で、子ども(小1男児)がテストで、まちがえたりすると、そのつど子ども
をはげしく叱っていた。ふつうの叱り方ではない。たいていは「どうして、こんなの、で
きない!」「できるわ!」の大騒動になった。 

 そこで私に相談があった。そのときその子どもは、小学2年生になっていた。しかし原
因ははっきりしていた。その子どもは頭のよい子どもだったが、しかし言葉能力が不足し
ていた。文章題が読めなかった。

たとえば「3足す4(3+4)」と「3が4つ(3×4)」の区別がつかなかった。母親
が家の中では中国語を話していたこともある。しかしそれ以上に、母親の日本語能力が、
問題だった。私と話すときも、「先生、息子、ダメ。算数、できない。どうして。これ、
困る、ね」と。

 そこで私は、「お子さんの言葉能力に、問題があります」と言った。するとその母親は猛
烈に反発して、「うちの子、日本語、だいじょうぶ。話せる、あるよ」と。……と書くと、
簡単な会話のように思う人がいるかもしれないが、こうした押し問答が、延々と三30分
近くもつづいた。

説明するのに時間もかかったが、そのたびにその母親は、ああでもないこうでもないと
反論した。「うちの子は、私が教えたら、できた。どうして学校では、できない、あるか」
「中国では、1年生で、20までの数の足し引き算ができる」「うちの子、頭、いい。で
きないはず、ない」と。

が、何よりもその母親で不愉快だったのは、異常なまでの教育に対する、過関心だった。
子どものささいなミスをとらえて、それをことさらおおげさに問題にしていた。私が「こ
の時期は、学ぶことを楽しむことのほうが大切です。もっとおおらかに構えてください」
と言ったのだが、最後の最後まで、「おおらか」という意味さえわかってもらえなかった。

この母親のケースは、極端なケースだが、しかしこれを薄めたケースとなると、いくら
でもある。子どもが勉強できない原因は母親にある。しかし母親はそれに気づいていな
い。気づかないばかりか、このタイプの母親は、その責任は子どもにある、学校にある
と主張する。そして結果として、子どもの伸びる芽すら、自ら摘んでしまう……。

 この母親とはそのあとも、いろいろあった。で、やがて私のほうが疲れてしまい、最後
は、「どうぞ、自分で教育してください」と、サジを投げてしまった。そのあとその母親と
子どもがどうなったか、消息は聞いていない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●あせる親

++++++++++++++

子育てをしていて(あせり)を
感じたら、子育てから、手を引いた
ほうがよい。

そのほうが子どものため。
あなた自身のため。

++++++++++++++

 子育ては競争と考えている人がいる。が、このタイプの親は、自分ではそれを意識して
いない。自分では、「ごく当たり前のことをしているだけ」と思っている。だからよけいに、
指導がむずかしい。

 つぎのような症状に、思い当たるようであれば、あなたはここでいう「あせる親」と考
えてよい。

●近所や知り合いの子どもが、英会話教室や算数教室に通っているという話を聞くだけで、
言いようのない不安感に襲われる。自分の子どもだけが取り残されていくように感ずる
(不安、妄想)。

●明けても暮れても、頭の中にあるのは、子どものことばかり。テストでまちがえたりす
ると、それが気になって、夜も眠られないことがある。こまかいことが気になる(過関心)。

●学校や塾の先生と顔を合わせるたびに、すかさず「うちの子、どうですか」と聞く。あ
るいは子どもの問題点を並び立て、「どうしたらいいでしょうか」と聞くことが多い(心配
過剰)。

●日常的に、子どもの意思を自分で確かめることをしない。「うちの子どものことは、私が
一番よく知っている」と思う。子どもに対する親意識が強い。子どもには命令口調が多い
(過干渉)。

 こういう状態(過関心、過干渉、心配過剰、不安、妄想)が、長くつづくと、親自身の
精神状態がおかしくなる。この段階から、育児ノイローゼ、うつ病に進む人も多い。しか
しその前に、子どもがおかしくなる。性格が内閉したり、萎縮したりする。反対にはげし
い家庭内暴力に発展することもある。そうなると、もう、勉強どころではない。

 要はいかに早く、その初期症状に気づくか、だ。が、冒頭にも書いたように、親自身が
それに気づくことは、まずない。私のような立場のものが、「お母さん、あせってはダメ。
今は、子どもが楽しむことだけを考えてしなさい。幼稚園から帰ってきたら、よくがんば
ったわねとほめなさい」と指導しても、ムダ。つぎに会うときには、すっかりそれを忘れ
ている。そして前と同じ会話を繰り返す。「うちの子は、ダメでねえ……」と。

 子どもというのは、親があせっても、どうかなるものではない。しかしほうっておいて
も育つ。そうした冷めた目が、一方で、子どもを伸ばす。もしあなたが今、自分の子育て
で、あせりを感ずるようなら、こう考えてほしい。「親のあせり、百害あって、一利なし」
と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教育基本法改正

 教育の世界の憲法、それが教育基本法ということになる。その「改正」が、今、急ピッ
チで進められている。しかしなぜ、今なのか?

 問題点はいくつかある。愛国心に始まって、公共の精神、伝統の継承など。そのほかに
も、「不当な支配」(旧法、第10条)がある。

 「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる
べき」というのがそれである。

 それが改正案では、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定
めるところにより行われるべき」となっている。

 問題は、この「不当な支配」の解釈。

 もともとは、「教職員による不当な支配」を念頭に置いてつくられた条文だが、一方、教
職員側は、「国による不当な支配」と解釈した。解釈のし方によって、その目的するところ
が、180度、ちがう。

 この条文によって、国側は、「教職員による政治教育」を排除しようとした。一方、教職
員側は、「国による教育の強制」を排除しようとした。こうした解釈のちがいが鮮明化した
のが、国歌、国旗の問題である。

 「国歌の斉唱、国旗の掲揚を拒否するのは、教職員による不当な支配」と主張する国。
一方、「国歌の斉唱、国旗の掲揚を、教育現場に押しつけるのは、国による不当な支配」と
主張する教職員。

 そこでそのあいまいさをなくすため、改正法では、「この法律及び他の法律の定めるとこ
ろにより行われるべき」となった。つまり改正法によれば、教職員側の解釈は、一方的に
排除されることになった。

 ……とまあ、いまだにこうした時代錯誤的な論議がなされていること自体、奇異な感じ
がする。欧米では、何度も書くが、教育は自由化に向かって、どんどんと進んでいる。た
とえば教科書の検定をしているのは、この日本だけ。EUでは、大学の単位そのものが、
共通化されている。またカナダでは、学校の設立そのものが、完全に自由化されている。
学校で使う言語そのものも、自由。そうした流れを止めることは、もう、だれにもできな
い。

 いまどきこんなことにこだわっているのは、先進国の中では、日本くらいなもの。愛国
心にしても、それは内なる世界からわき起こってくるもの。国であれ、他人から押しつけ
られるものではない。郷土愛にしてもそうだ。国旗を掲揚し、国歌を歌うから愛国心があ
るということにはならない。また国旗を掲揚せず、国歌を歌わないから、愛国心がないと
いうことにもならない。

 安倍総理大臣は、任期後半は教育改革だと息こんでいるが、何をどうしようとしている
のか、私にはよくわからない。あるいは、つぎの憲法改正のための基礎づくりをしている? 
つぎの憲法改正では、天皇を日本の元首にすえるという。そういう動きというか、流れづ
くりも、これまた急ピッチで進められている。

 そのためにまず思想づくり、つまり教育……ということか?

 あるとき気がついたら、学校の各教室に、天皇、皇后の写真が飾られている。そういう
時代が、もう、すぐそこまできているのかもしれない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
教育基本法 改正 不当な支配 憲法改正)


●教育基本法改正(2)

+++++++++++++++++

愛国心、郷土愛も結構だが、
どうして教育基本法では、
自由や平等、さらには博愛を
歌わないのか?

近隣諸国との友好でもよい。
今のところまだ現行憲法は
生きているのだから、平和でも
よい。

そうすることに、何か、
まずいことでもあるのだろうか?

+++++++++++++++++

 母の介護をして5か月になる。その間、いろいろなことを、反面教師として、母から学
んだ。

 そのひとつ。介護は、きれいごとだけではできない。たとえば便の始末など。が、それ
だけではない。母が我が家に住むようになってから、私たち家族は、いろいろな病気(?)
に悩まされた。多くは皮膚病だが、おそらく母が我が家にもちこんだものだ。

 そういう母だから、おむつを替えるたびに、私は、陰部をアルコール消毒してやってい
る。が、母には、そういう私たちの意図など、理解できない。そのつど、「冷たい!」「親
に、何てことする!」「おまはんら、鬼や」と叫ぶ。

 そういうとき実の私ですら、「コノヤロー!」という気持ちになる。が、そこは親子。私
は無視して、必要なことはする。

 つまり実の親子でも、介護にはかなりの忍耐心と寛容心が必要。いわんや、他人をや!

 そこで私は、「博愛」という言葉を使う。これから先、この日本は、いまだかって世界で
も経験したことがないような老齢化社会を迎える。あと10〜20年先には、人口の3分
の1が、満65歳以上になるとも言われている。

 そうなったとき、私たち老人は、社会からどのような扱いを受けるか? 多分、「コノヤ
ロー!」ではすまないだろう。すでに老人虐待も、問題になりつつある。つまり愛国心も
結構なことだが、こと「教育」ということになるなら、そんな狭い料簡(=考え)は捨て
て、「博愛心」としてもよいのではないか。

 さらに自由、平等もある。現行の憲法はまだ有効なのだから、平和でもよい。しかしな
ぜか、そういう言葉は、教育基本法の中には、どこにも出てこない。なぜか?

 自由……今、自由化がいちばん必要なのは、実は教育の世界である。が、その教育が、
今、逆行している。管理、管理、また管理。だから教育基本法で「自由」を歌うことは、
まことにもって、ま・ず・い。

 平等……日本に天皇制が残るかぎり、日本には、平等はない。とくにつぎの改正憲法で
は、天皇を元首に置くという動きすらある。だから「平等」を歌うことは、ますます、ま・
ず・い。

 平和……現行憲法を改正するという大前提で、教育基本法が改正されるのだから、「平和」
を歌うことも、ま・ず・い。誤解してはならないのは、平和憲法があるから、戦争はダメ
ということではない。自由や平等、博愛を守るためなら、いざとなったら戦う。相手が攻
めてきたら、戦う。これは当然のことである。

 新教育基本法では、「我が国と郷土を愛する態度を養う」とある。この「我が国と郷土」
の部分を変えて、「自由、平等、博愛、平和を愛する態度を養う」としたら、どうか? そ
のほうが、よっぽど視野が広くて、私はよいと思うのだが……。

(追記)

 何度も書くが、政府はことあるごとに、「愛国心は世界の常識」と説く。しかしこれはま
っかな、ウソ!

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あ
の映画では家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。

日本ではその「パトリオット」を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」とい
うのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語
に由来する。

「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。
家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわっ
て、彼らのいう愛国心になっている。

 どうか誤解のないように!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(5月2日)

++++++++++++++++++

今朝も、犬のハナがほえた。
時計を見ると、午前4時半。

ハナを叱るため庭へ出ると、ハナは
すでに犬小屋に。

ハナも、犬にしては、かなり高齢。
ワイフは、「ハナも、ボケてきたのかな?」と
言っている。

たしかにそういう面はある。
心配だが、どうしようもない。

5月2日、おはようございます。

+++++++++++++++++

●石川啄木

 昨日、久しぶりに石川啄木の詩集を読む。『一握の砂』を、数度、声を出して読む。『東
海の小島の磯の白砂に……』という、あの詩である。

もう一冊、中原中也の詩集も、読む。何でも中原中也の生まれ故郷の山口市には、中原
中也の記念館もあるそうだ。ただ私は詩は好きだが、私には書けない。だからこうして
読むだけ。

 ところで中原中也だが、16歳のとき3歳年上の女性と知りあい、2人で東京まで駆け
落ちする。そのとき知りあったのが、後に評論家として名をなす、小林秀雄。が、その小
林秀雄に、その女性を取られてしまう。

 そういう話は、昔は、よくあった。(今も、あるが……。)私の生まれ故郷のM町でも、
そういう話をいくつか聞いたことがある。ある店の若い嫁さんが、となりの店のダンナと
できてしまったとか、そういう話である。

 話はそれたが、で、昨日は、その『一握の砂』を暗記してやろうと挑戦してみた。が、
数度やってみたが、だめだった。

 『東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて、蟹とたわむれる……』と。今、思い出せ
るのは、そこまで。記憶力というか、記銘力がかなり低下したようだ。そこで数度、声を
出して読んでみた。

 とは言っても、そんなわけで、私の脳みそは、今、詩作モード。

 鉛色のくすんだ空の色
 一筋の茜(あかね)色の筋雲
 ぼんやりとした木々の輪郭

 静寂の中に、静かに回る
 パソコンのモーター音
 小鳥のさえずりをさがすが、
 まだ、それもない。

 ぼんやりとして、
 つかみどころのないモヤモヤ。
 無意味にキーボードを
 たたいては、幾度も目を閉じる。

 ……心のこもっていない私の詩は、ただの情景描写にすぎない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日本の教育の元凶

+++++++++++++++

いまだにのさばる、権威主義。
どうして日本人は、こうまで
権威主義なのか?

+++++++++++++++

 私は子どものころ、チャンバラ映画が好きだった。が、ある日のこと。Nという日本を
代表する俳優の映画をみていたときのこと。日本のチャンバラ映画は、かっこうばかりで、
中身がないことに気づいた。

Nは、いかにも強そうなかっこうばかりをしているだけ。刀を振り回すと、相手がその
刀の中に入り、自動的に(?)倒れていった。

 一方、同じころ、ブルース・リーの映画を見た。彼の演技は衝撃的だった。映画を見て
いるとき、自分の手足が勝手に動いた。ブルース・リーの演技には、それだけ中身がぎっ
しりとつまっていた。

 こうした日本映画と、外国映画の違いを一言で言えば、権威主義と実力主義の違いとい
うことになる。映画だけではない。当時の日本には、(今も……)、その権威主義が、色濃
く残っていた。とくに教育の世界はそうで、たとえば同じ教師にも、歴然とした「格」が
あった。

一番偉いのが、大学の教授、つぎが高校の教師で、つぎが中学校の教師、小学校の教師
と。幼稚園の教師は番外で、評価の対象にもならなかった。こんなことがあった。

 ある日東京のW大学の教授が、この浜松へやってきて、幼児教育について講演をした。
私も聞いたが、最初から最後まで、トンチンカンな講演だった。あとで話を聞くと、その
教授は、乳児のハイハイ(歩行)のし方を研究している教授ということだった。乳幼児の
ハイハイを調べると、爬(は)虫類(ワニやトカゲなど)の歩き方を同じだという。それ
はそれとしておもしろい話だが、そういう教授が、「幼児教育とは……」と講演をするから、
話がおかしくなる。

 では、今、この日本が実力主義の世界になったかというと、それは疑わしい。いまだに
権威主義がハバをきかせている。よい例が日本のNHK。まさに権威主義のかたまりとい
っても過言ではない。どう権威主義的かということについては、外国の放送局とくらべて
みるとわかる。

たとえば日本のNHKは、アメリカのNBCと、北朝鮮のピョンヤン放送の中間あたり
にあるのでは? ひとつずつの番組を見ていると、それなりに民主的な感じはする。が、
たとえばオーストラリアなどにしばらく住み、その状態で、日本のNHKを思い出すと、
そういう印象をもつ。地位や肩書きのある人には、どこかペコペコし、そうでない人に
は、どこか「出してやる」という傲(ごう)慢さを感ずる。

 こうした権威主義がいつごろ日本に生まれたかという問題は、いまさら論じても意味は
ない。大切なことは、こうした権威主義が、一方で日本が進むべき道の、大きな障害にな
っているということ。もっと言えば、権威主義は、「自由」や「平等」の大敵になっている。
しかしそれだけではすまない。

権威のある人は、必要以上に「得」をし、そうでない人は「損」をする。そしてこの不
公平感が、結局は日本の学歴社会の温床になっている。教育そのものをゆがめる元凶に
なっている。権威主義を考えるときには、そういう問題も含まれる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私の人間性

+++++++++++++

子育てが終わると、どんと
やってくるのが、老後。

持病も表に出てくる。
そしてあなた自身の
人間性も、そのまま表に
出てくる。

++++++++++++++

 子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。それまで何とかごまかしてきた持病
が、どんと吹き出す。持病だけではない。その人の人間性まで、どんと吹き出す。気力が
弱くなり、ごまかしがきかなくなるためと考えてよい。

 で、私のこと。まず健康だが、こうなってみると、長い間、運動をつづけてきたことが、
喜びとなって返ってくる。私はもう30年近く、自転車通勤をしている。数日も自転車に
乗らないでいると、体のほうがそれを求める。おかげで成人病とは無縁。まったく健康と
いうわけではないが、しかし同年齢の友人や知人とくらべても、健康なほうだ。

 問題は、人間性。私は若いころ、ずいぶんといいかげんな人間だった。目先の利益のた
めなら、平気で正義をねじまげた。人をだましたり、キズつけたりしたこともある。言う
なれば小ズルイ男で、そういうことが平気でできた。私は自分の中にそういう邪悪な部分
があることを知っている。今は、かろうじてそういう自分を抑え込んでいるが、いつまた
そういう自分が出てこないともかぎらない。いや、ときどき、顔を出す。

 先日も、コンビニの前で、サイフを拾った。善良な人なら、そういうサイフを、すぐそ
の店に届けたりするのだろう。しかし私は、一瞬、迷った。迷って、サイフの中を見てし
まった。が、幸いなことに(?)、中味は免許証とカード、それに小銭だけだった。だから
店にそのまま渡すことができた。が、しかし、もしあのサイフの中に、10万円とか20
万円が入っていたとしたら、どうだったか……。私はもっと迷ったかもしれない。つまり
これが私の中の邪悪な部分である。

 そこで私は気がついた。健康と同じように、人間性もまた、日々の鍛錬(たんれん)に
よってつくられるものだ、と。安易なだらしない生活を繰り返していれば、人間性も影響
を受ける。はっきり言えば、悪くなる。そして結果として、その人は、見苦しい人間にな
る。いや、鍛錬といっても、むずかしいことではない。ごく日常的な、ほんのささいなこ
とでよい。

たとえばウソをつかない。ゴマかさない。人に意地悪をしない。ゴミを捨てない。人に
迷惑をかけない。社会のルールを守る、など。常識的なことを、ふつうに守ればよい。
そういう積み重ねが、積もりにつもって、その人の人間性をつくる。

 さて私はどうか? このところときどき自分がこわくなる。今はこうして自分の気力で、
自分を抑え込んでいる。しかしその気力が弱くなったとき、自分の人間性が、モロに外に
出てくる。そのときどんな自分が、外に出てくることやら? 

プロ野球の元監督の妻に、Tという女性がいる。人間がもつあらゆる醜悪さを顔中に塗
りたくったような女性だ。先ごろ脱税で逮捕されたが、あの女性を見ていると、ああは
なりたくないものだと思う。しかしその自信は、私にはない。ひとつまちがえば、私だ
ってああいう人間になる? それが今、こわい。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●5月2日

++++++++++++++++

5月2日号のマガジンで、感想を
募集したら、C県の方が、返事を
くれた。

うれしかった。

ありがとうございました。

++++++++++++++++

【C県F市のTさんより】

毎回楽しみに読ませて頂いております。

中学3年生の不登校して1年半になる男の孫がおります。
過去の子育てには、はやし先生のコメントにかかれているような怖いことを、沢山経験し
ました。

大手の塾へ通い、偏差値で人格まで判断するカルトのような洗脳に親子でどっぷり浸かっ
ていました。

地味なこつこつ努力タイプでなく、授業だけはよく聞いていたようですが、ひらめきだけ
で、いつも良い点を取っていました。

結果、中学受験に失敗し、最後の滑り止めだけ受かりました。
本人の挫折感は大きく、入学した学校の偏差値を思い、「なんて自分はダメなんだ」から立
ち直れなくなりました。

小さい時から勉強を頑張れと追い込んでしまった家族は不登校になって初めて子どもの心
を知りました。

今はPCと言う道具があります。大好きなゲーム作りに励んでいます。
あくまでも趣味で、独学で考えながら作るのが楽しいそうです。

学校には行っていませんが、明るく元気で家庭で過ごしています。

はやし先生をもっと早く知っていたら、どんなに良かったかと思います。

これからでも遅くない、子どもの自立に向けてはやし先生の書かれることから沢山のこと
を学んで行きたいと思っています。

マガジンはいつも私のところには、きちんと届いております。
ありがたいことです。感謝いたしております。
可愛いお孫さんの写真も楽しみにしております。

お母様の介護も体力気力の要ることと思います。
お体に気をつけて、これからも 発信を続けられてください。
次回は何かなと楽しみにしております。

本当にありがとうございます。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●二男のBLOGより

++++++++++++++++

アメリカに住む二男が、興味ある
エッセーを書いた。題して、「最近の
夫婦関係」。

それをそのまま紹介する。

++++++++++++++++

このあたりでは「結婚している」といっても多種多様で、友達から話を聞いて、いろい
ろと驚かされることが多い。

 例えば、結婚したら銀行口座というのは夫婦で共同保有するものだと思っていたのだけ
ど、結婚前から持っている別々の口座をそのまま使っている人たちが多い。お互い、い
くら貯金があるかとか、給料はいくらなのかとか、知らない人が多いし、そういうこと
は夫婦間でもプライベートなこととして話さないのだそうだ。

 ひどい家族だと、冷蔵庫の中にある食品も「誰が」買ったものであるとか、所有者がい
て、自分が買った物でない物を食べてしまった場合には、その分の料金を支払わなけれ
ばならなかったりする。夫婦喧嘩になったりすることもあるのだそうだ。大学の寮みた
いな世界だ・・。

 よく有名なファイナンシャル・アドバイザーが、結婚しても口座は別々に持っておいた
ほうがいいと話しているのを耳にする。万が一離婚沙汰になったときに面倒だ、という
のが、ひとつの理由かもしれないが、結婚した瞬間から、離婚に有利になることを考え
ながら生活するなんて、何て悲しい世界だろう。

 はっきり所有権を決めておくのを「平等」だとか、「相手を尊重している」と考えている
人が多いようだけれども、夫婦ですべてを共有し、相手を信頼し、万が一離婚したら・・
なんて心配をせず生きて行けたらいい。

+++++++++++++++++

 同じような話を、中国人の妻と結婚した男性(日本人)からも、聞いている。私たち日
本人にとっては、何でもない話でも、白人社会ではそうでないという話も多い。

 たとえば以前にも書いたが、夫婦でレストランへ入ったようなとき、日本人なら、たい
てい妻のほうがサイフを開き、妻が払う。

 それを見たオーストラリア人の私の友人は、たいへん驚いていた。「日本では、妻が、勘
定を払うのか?」「どうして(収入がない)妻が、勘定を払うのか?」と。

 オーストラリアでも、サイフは、夫婦別々にもっている。生活費にしても、妻が夫に請
求して、そのつど、夫が妻にその額を払うことが多い。

 日本の常識は、かならずしも、世界の常識ではない。

ただここで誤解してはならないことは、だからといって白人社会は冷たいとか、白人の
夫婦はドライとか、そういうふうに考えてはいけないということ。繰りかえすが、世界
的に見れば、日本の夫婦のほうが、奇異に見えるということ。日本だけを基準にしても
のを考えると、ものごとの本質を見失うことになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老齢期の統合性】(2)

++++++++++++++++++

少し前、老齢期の統合性について、書いた。
老齢期は、老齢期で、自己概念と現実自己を
一致させなければならない。

それを「統合性」という。

この統合性の構築に失敗すると、その人の
老齢期は、あわれで惨(みじ)めなものになる。

日々に、「こんなはずではない」と、悶々と
悩みながら生きることになる。

++++++++++++++++++

 若いときは、よい。一つの目標を設定し、その目標に向かって努力することで、自己概
念(=「私はこうであるべき」と描く自己像)と、現実自己(=現実の自分)を一致させ
ることができる。

 が、その同一性は、長くはつづかない。「これでいいのか」「自分は、もっとできるはず」
「今の仕事は、本当に自分が求めていたものか」と。やがて、日々の平凡さの中で、人は、
それを考え始める。

 名誉や地位は、それなりに魅力的なもの。お金はなければ、不幸になる。しかしお金で、
幸福は買えない。健康も買えない。いわんや精神を満足させることはできない。「だからど
うなの?」と自問することも多くなる。

 豪華な高級車を購入した……だからどうなの?
 息子が有名大学に進学した……だからどうなの?
 立派な家を購入した……だからどうなの?
 高価な服を買って、身を飾った……だからどうなの?、と。

 そこで大半の人は、40歳をひとつの曲がり角として、再度、自己の同一性を求めて、
さまよい歩くことになる。ちょうどそのころ、親であれば、子育てが一段落する。子ども
は親離れし、親も子離れをする。

 仕事にしても、先が見えてくる。それまではぼんやりとして見えなかった(未来)が、
そこに見えてくる。「ああ、私はこの先、よくて部長どまり」「今の夫と、いっしょに老後
を暮らすことは考えられない」と。と、同時に、自分の限界を思い知らされる。「何だ、私
の人生は、こんなものだったのか」と。

 が、それまでの人生を軌道修正することは、容易なことではない。日々に悩んでも、そ
のまま明日はやってくる。そしてその明日になれば、またそのつぎの明日がやってくる。

 「このままでいいとは思わない」「何とかしなければならない」……そんな思いの中で、
ときに人生は空回りをする。いや、中には、そうした人生に、果敢に挑戦していく人もい
る。転職したり、離婚したり、あるいは資格を取り独立したり……。しかしそれをするに
も、かなりの体力と気力が必要。たいていの人は、その勇気もないまま、その一歩手前で、
立ち止まってしまう。

 そこでこのタイプの人は、身近に安楽な道をさがし、妥協し、納得し、その中に身を沈
めていく。仕事から帰ってきたら、テレビでみるのは野球中継だけ。たまの休みには、近
くのパチンコ屋で、一日を過ごす。新聞にバーゲンのチラシが入れば、それを頼りに買い
物にでかける。街角で友人に会えば、数時間でも立ち話をして、時間をつぶす。

 こうして人は、50代になり、やがて60代へと突入する。

 が、ここで人は、人生、最大の問題を迎える。「命の限界」という問題である。いくら「私
は、老人ではない!」と叫んでみても、まわりの人たちは、それを認めてくれない。人は
加齢とともに老人になるのではなく、まわりの人たちによって、老人につくられていく。
それもそのはず。あなたはだれから見ても、老人。老人そのもの。白髪に、弱った足腰。
たるんだ皮膚に、鈍くなった頭の回転。

 その先にあるのは、暗くて冷たい、死の世界。

 そこで人は、再び、こう叫ぶ。「私の人生は、いったい、何だったのか!」「今まで、私
は何をしてきたのか!」と。

 そのときそこに(自分)を知る人は、幸福な人だ。自分の人生を、それまでに築きあげ
た土台の上に、さらに自分の人生を円熟させる。しかしそんな幸運な人は、コンマ・数パ
ーセントもいない。あるいは、もっと少ないかもしれない。

 そのとき一番楽な方法といえば、何も考えることなしに、バカになること。アホになる
こと。人生そのものを放棄してしまうこと。「老後は、悠々自適な年金生活」「庭いじりを
して、あとは孫の世話」と。しかしそんな人生に、どれほどの意味があるというのか。

 あるいはあの世に身を託し、宗教に埋没するという方法もある。あの世を認めれば、理
屈の上では、命は永遠につづくことになる。この世の限界を乗り越えることができる。し
かし見たこともないあの世に、どうして自分の身を託すことができるのか。少なくとも、
私にはできない。

 先ほど、私は、「40歳」という年齢を具体的に書いた。心理学の本などでも、この「4
0歳」という年齢を取りあげることが多い。この年齢を、「人生の正午」(エリクソン)と
呼ぶ学者もいる。ちょうど子どもたちが、14、5歳ごろから思春期を迎えるように、人
は、この40歳を節目に、大きな転機を迎える。

 この40歳ごろから、人は、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、新しい自分
探しを始める。「自分探し」というよりは、つぎのステップに進むための土台づくりと言っ
たほうが正確かもしれない。

 言いかえると、この時期を安逸に逃してしまうと、その人の老後は、ないに等しい。そ
う断言するのは危険なことだが、自分を見つめなおす気力そのものを失ってしまう。ある
いは、こう言って日々に、自分を慰めて生きる。

 「まあ、人生、こんなものだよ」「死ねば、みな、同じ」「楽しく生きることこそ大切」
と。通俗的な論理をふりかざし、問題をいつも先送りしながら、生きる。生きていると言
えるよう状態でないまま、生きる。

 老後の問題。それはここでいう統合性の問題と言ってもよい。若者は、「私はどうあるべ
きか」と悩む。そしてそれに現実の自分を一致させようとする。しかし命の限界を感ずる
と、そうはいかない。自己像にしても、「私はどうあるべきか」ではなく、「私は何をすべ
きか」と変質していく。「どうあるべきか」ではなく、「何をすべきか」と。

そして具体的に自己像を描く。その自己像に合わせて、現実の自分をつくりあげていく。
それが老後の自己同一性の問題ということになる。

 繰りかえすが、その時期は、「40歳」。老後の準備は、このころからしても、早すぎる
ということはない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 統合性 老後の統合性 自己同一性 自我同一性 自己像)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●老齢期メランコリー

+++++++++++++++

改めて、老齢期の適合性に
ついて考えてみる。

+++++++++++++++

 定年退職か何かで、仕事を失う。退職でなくてもよい。リストラ、左遷、配置転換、転
職などなど。

 そのときだれしも、ふと、こう思う。「私は、今まで、いったい、何をしてきたのだろう?」
と。

 そこに残っているものは、何もない。恐ろしいほど、何もない。

 そんなことを考えているとき、通りで、こんな光景を見かけた。若い数人の男たちの集
団だった。胸には、どこかの会社のバッジをつけていた。みな、意気揚々と、肩で風を切
りながら歩いていた。多分、これからどこかで、打ちあげ式か何かをするつもりなのだろ
う。

 私にも、ひょっとしたら、ああいう時代があったかもしれない。しかしそれも今は、乾
いた風の中。振りかえると、その風の中で、秋の落ち葉がヒラヒラと舞っているだけ。

 老後……人は、「第二の人生」と呼ぶが、どうすれば自分の統合性をつくりあげることが
できるのか。思春期を過ぎた若者たちが、自己の同一性で悩むように、老後を迎えた私た
ちも、その同一性、つまり統合性の問題に直面する。

 「何をすべきか」と、悩む。「そのために、自分は、どうあるべきか」と。

 孫と悠々自適な老後生活? 年金暮らし? 海外旅行に庭いじり? とんでもない! 
そんなもので心のすき間を埋めることはできない。またそんなものを求めて、今まで自分
の道を歩いてきたのでもない。

 心理学の本などによれば、その統合性を準備するのは、40歳くらいからだという。エ
リクソンは、「人生の分岐点」という意味で、その40歳という年齢を、「人生の正午」と
呼んだ。

 「さあ、これから午後の仕事だ」という意味で、「正午」と呼んだのか。それとも「午後
の仕事のあり方を決める」という意味で、「正午」と呼んだのか。

 40歳といっても、決して早すぎることはない。学者で言えば、ライフワークを始める
年齢ということになる。それまでの研究を基礎に、「これが私だ」というものを、作りあげ
る。40歳で始めても、10年や20年はかかる。
 
 が、この時期を逸すると、そのままズルズルと老齢期を迎える。ズルズルと、だ。で、
そのうち、体力も衰え、持病が表に出てくる。気力も薄れる。より安易な道を選び、それ
に納得し、満足する。いや、心のどこかで、「これではいけない」と思うことがあるかもし
れない。が、自ら、それを打ち消してしまう。「人生、こんなものよ」と。

 たいていの人は、こうして定年退職か何かで、仕事を失う。そしてハタと気がつく。「私
は、今まで、いったい、何をしてきたのだろう?」と。

 そこには何もない。本当に何もない。あるのは、秋の、ただの乾いた風。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日から5月(5月1日)

++++++++++++++++

今日から5月。今朝は、犬のハナの
ほえる声で目が覚めた。

母と同居するようになって5か月。
「しばらく預かってくれ」と言った姉だが、
「母を連れ帰る」という気配はまったく
ない。

ないばかりか、母の持ち物を、あれこれ
口実を作っては、送り届けてくる。

……と言っても、介護がこんなにも
楽だとは思っていなかった。姉から
聞いていた話とは、おお違い。

大切なのは、心の切り替えではないか。

介護するときは、する。しかしそれ以外の
ときは、介護のことは忘れる。

まったく忘れる。忘れて、私たちは
私たちで、好きなことをする。

その間に、母が突然死でもしたら……?、
と、ときどき考える。

しかしそれも運命。しかたのないこと。
いろいろ言う人はいるが、しかし、
これが現実。つまりそのあたりまで
ニヒリズムをもたないと、とても
日々の介護はできない。

とくに気をつかうのが、大小便の始末。
ときには、やわらかい大便を、部屋中に
まき散らす。

介護は、決して、きれいごとでは
できない。母は母で、自分で好き勝手な
ことをすればよい。

私たちもすべきことはする。が、そこまで。
その割りきりが大切。

そうそうハナは、母を見るたびに
ほえる。どうも相性が悪いようだ。

今朝も、多分、母が部屋のカーテンでも
あけたときに、ほえたらしい。

ボケもある。母の表情は、
いつも、どこかニヤニヤしている。
ニコニコというよりは、ニタニタに
近いかも。

が、心は開かない。閉じたまま。
つまり不気味。

犬のハナにも、それがわかるらしい。

+++++++++++++++++

 母と同居するようになって、もう5か月になる。先日、介護度を認定してもらった。そ
れまでの要介護度2から、要介護度4に、レベルがあがった。要介護度4というと、軽い
寝起きはできるが、自分ではほとんど生活ができない状態ということらしい。

 その母と、犬のハナの相性が悪いのには困る。いまだに、ハナは、母を見るたびに、ワ
ンワンとほえる。なぜか?

 母は、昔から心の開けない女性だった。今も、そうだ。ボケがそれに加わった。何を考
えているか、息子の私でさえ、まったくわからなかった。今は、さらにわからない。

 穏やかな表情、やさしげな笑み。しかしそれは仮面。ペルソナ。ニコニコというよりは、
ニタニタに近い。そんな母が、犬のハナには、不気味に見えるのだろう。母が窓から顔を
出すたびに、ワンワンとほえる。

 今朝は、6時、少し前にほえた。多分、母が、カーテンでも開けて、外をのぞいたらし
い。そんなわkで、私もワイフも、今朝は、6時起き!

 一度ハナを強く叱ったあと、母のいつもの世話をした。おむつとパットをかえ、下着を
かえる。それに便器の清掃。時間にすれば、10分程度で、手際よくできるようになった。

 で、そのあと、庭に出て、畑を見回る。二十日大根が、いっせいに目を吹き出していた。
風で弱っていた青じそが、元気になっていた。ネギも、ここ数日で、みちがえるほど、大
きくなった。パセリも食べごろ。

 その間も、ハナは、私にじゃれる。「もうほえるんじゃないぞ」と何度も声をかける。が、
わかっているのか、わかっていないのか……?

 朝食までには、まだ時間がある。書斎に入って、この文を書く。しかし心の中は、あさ
って届くパソコンのことばかり。

 そうそう今度のビスタ(OS)では、USBメモリーを、スワップメモリーとして使う
ことができるそうだ。メモリーが不足してくると、パソコンは、勝手にハードディスクを
仮想メモリーとして使うようになる。これが作業の能率を、ぐんとさげる。

 そこでビスタでは、USBメモリーが、ハードディスクのかわりに働く……それを「レ
ディ・ブースト機能」というのだそうだ。で、そのUSBメモリーを、昨日、一足先に買っ
た。4GBという大容量のものだった。が、たったの8000円と少し。

 4GB、つまり4ギガバイトというのは、40億バイトをいう。フロッピーディスク(2
HD)が、一枚、1・2MBだから、フロッピーディスクに換算すると、約3300枚分
の容量ということになる。

 3300枚分だぞ! ……だから、ここであえて、「たったの8000円と少し」と書い
た。それにしても、すごい! 3300枚分とは!

 それと昨日は、ウィルス対策ソフトを購入した。パソコンを購入したら、まっさきに、
ウィルス対策ソフトをインストールする。これはこの世界では、常識!

 あと、必要なのは、ハードディスク。一度そのハードディスクにファイルやデータを移
し、そのハードディスクを新しいパソコンに搭載する。が、ここで失敗。昨日、市内のシ
ョップで、そのハードディスクを買おうとしたが、2種類あることを知った。

 Serial−ATA2仕様のものと、Ultra−ATA2仕様のものだ。今度のパ
ソコンは、どちらの仕様のものかわからなかったので、購入しないで、そのまま帰った。
帰ってきてから調べたら、Serial仕様のものだとわかった。

 で、テレビを見ながら、ワイフにこう言った。「あさってから、お前は、未亡人だからね」
と。するとワイフは心配そうな顔をして、「どうして?」と。

私「パソコン未亡人だよ」
ワ「ああ、そうかア」と。

 そのワイフだが、ひとつだけ理解できないところがある。新しいパソコンが届くことを、
まるで自分のことのように楽しみにしている。そんな感じがする。だからまたまた、聞い
た。「あのなあ、パソコンって言っても、ぼくのだよ。お前のじゃ、ないよ。どうしてお前
がうれしいんだ?」と。

 するとワイフは、こう言った。「あなたがうれしければ、私もうれしい」と。

 ナルホド! しかし私は、とてもそういう気分にはなれない。……ということで、昨夜
遅く、ビデオレンタルショップへ行って、ビデオを何本か、借りてきた。

 「連休中は、ビデオをたくさん見ればいいよ」と。

 明日から私も、大型連休。講演は入っているが、人と会う約束はない。そうそう来週、
恩師の田丸先生と会う。浜松市の郊外にあるMというレストランで会食する。夕食をおご
ってくれるというから、それに甘えることにした。楽しみだ。

 ところで知らなかったが、田丸先生の父親というのは、これまたすごい学者だったそう
だ。日本学士院の学士院長まで務めた人物だという。田丸節郎という名前の人だった。で、
その田丸節郎という人の兄が、田丸卓郎。物理学者だったそうだ。日本語をすべてローマ
字にしようとがんばった学者としても知られている。

 その田丸先生の娘婿氏が、『国家の品格』の著者のF氏。田丸卓郎氏とは、(多分?)、1
80度ものの考え方が、正反対だというのは、たいへん興味深い。

 もっとも、私が田丸先生と会うときは、こうした話は、まったく関係ない。いつもバカ
話ばかりしている。この関係は、学生時代から、変わらない。

 たった今、ワイフが、「食事にしよう」と声をかけてくれた。今朝の雑感は、ここまで。

 ではみなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●またまた「東海(トンヘ)」?

Why should the Japan Sea be the Eastern Sea?
The Japan Sea is situated to the east of Korea, 
but is situated to the north to Japan.

++++++++++++++++++

韓国にとっては、東海(トンヘ)かも
しれないが、日本にとっては、「北西海」。
あるいは「北海」。

どうして韓国は、こうまで「東海」に
こだわるのか?

++++++++++++++++++

 『坊主憎ければ、袈裟まで憎い』という諺(ことわざ)を地で行くような事例が、これ。
今も、つづいている。韓国は、数年前から世界各国に特使まで送り、「日本海」を、「東海
(トンヘ)」に改称しようと運動を重ねてきた。

 韓国にとっては、たしかに「東海」だが、日本にとっては、「北西海」。あるいは「北海」。
韓国は、よほど、「日本」という名前が嫌いらしい。「日本海」ではなく、「日本」という名
前が嫌いらしい。

 しかし日本の周辺を見ただけでも、その地域や固有の名前がついた海というのは、いく
らでもある。

 北から、東シベリア海、ベーリング海、オホーツク海、東シナ海、台湾海峡、フィリッ
ピン海、南シナ海などなど。

 しかし「東海」などという、自己中心性丸出しの名前は、どこにもない。英語で言えば、
「the Eastern Sea(東海)」。「トンヘの意味は?」と聞かれたら、韓国の人たちは、何と答
えるのか。

 こんな改名がまかり通るなら、まず日本とフィリッピンの間にある「フィリッピン海」
を、「南海」としたらどうか。が、それが韓国にとっては、おもしろくないらしい。こんな
記事が、今朝の朝鮮N報に載っていた。

 『5月7日からモナコで開かれる、国際水路機構(IHO)総会に参加する、加盟国78
カ国のうち、大多数が「日本海」の単独表記を支持していることが判明し、韓国政府に緊
張が走っている。
 韓国政府当局者は30日、IHO総会に関するブリーフィングを開き、「現在の状況で
は大多数のIHO加盟国が日本海単独表記を支持しているが、どのような状況であれ、日
本海が単独表記されることを絶対に容認することはできないというの、われわれの基本的
な立場」と述べた』(5月1日)と。

 どうして容認することができないのか? 韓国側は、その理由も述べたらよい。と、同
時に、どうして日本海ではいけないのか。その理由も述べたらよい。さらに、どうして「東
海」なのか、その理由も述べたらよい。

 仮に「東海」ということになれば、今度は、日本が猛反対するだろう。「どうして東海な
のか」と。

 さすがの韓国政府も、自分たちの愚かさに気づいたのだろう。今度は、「平和の海」とい
う代案を出してきた。「平和」という名前は、K国が好んで使う名称でもある。今の今も、
あの38度線をはさんで、韓国側にある村を、「自由の村」と呼び、K国側にある村を、「平
和の村」と呼んでいる。

 が、その「平和の海」論も、どこかへ消えた。そこで再び、「東海」。今度は、「日本海と
東海を併記せよ」と。

 こうした韓国側の動きを見ていると、反日運動の原点を見ているようで、興味深い。つ
まり韓国にとってみれば、日本の存在そのものが、おもしろくないのだ。理由など、ない。
まさに感情論。彼らが主張するところの歴史認識問題にしても、そのうち何割か以上は、
その感情論と考えてよい。

 しかし一言。韓国政府も、いちいちそんな(名称)の問題にこだわらないで、もっと大
きな問題に取り組んでみたらどうか? たとえば国連への分担金を一人前にふやすとか、
そういうことを考えてみたらどうか? あるいは政府開発援助金を、人口比に応じて、せ
めて日本の3分の1くらいにまで、ふやすとか……。

 そういうことはまったくせず、言うことだけ、一人前。あるいはそれ以上!

 どちらにせよ、「東海」などという呼称そのものが、私たち日本人にとっては、言語道断。
どうして日本の北にある日本海が、東海なのか。日本としては、絶対に容認できない呼称
である。

そこで国際水路機構(IHO)総会では、大多数が、「日本海」の単独表記を支持してい
るという。当然のことである。

(付記)今まで、直接的な批判を避け、あえて東海を「西海」などとまぶして、批判記事
を書いてきましたが、今日から、正面から、「東海」とすることにしました。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争・2007年版

+++++++++++++++++

日本と韓国は、目下、水面下で
し烈な戦いを繰り広げている。
称して、「日韓経済戦争」。

日本にはそうでなくても、韓国には
日本は、100年の宿敵。

勝つか、負けるか……?

ここにきて、今、韓国経済が、
急速にしぼみ始めている。

++++++++++++++++

 韓国の経済が、ここにきて、急速にしぼみ始めている。小泉内閣当時から始まった、日
韓経済戦争が、効を奏し始めたとみてよい。小泉前首相は、韓国に向かって、こう言い放
った。「後悔するのは、韓国のほうだ」と。韓国のN大統領が、はげしい反日批判を繰り広
げているときのことだった。

 韓国政府の発表によれば、2007年度の韓国の経済収支は、黒字になると言われてい
る。韓銀のC国際収支チーム長は、「商品収支の黒字がつづいているから、年間では、約2
0億ドル(=2400億円)の黒字になるだろう」と予測している。しかしこの数字は、
甘い。

 サムスン経済研究所の予測によれば、13億ドル(=1500億円)の赤字。LG経済
研究員の予測によれば、12億ドル(=1400億円)の赤字。さらに現代経済研究院の
予測によれば、30億ドル(=3600億円)の赤字ということになっている。

 それに呼応するかのように、たとえば現代起亜社などの経営危機説も、ちまたではささ
やかれている。

 一方、この日本は、どうか?

 社団法人、日本貿易会の予測によれば、2007年度は、輸出が80兆円台、輸入が7
0兆円台で、経常収支は、10兆円台の黒字になるという。(05年度、7兆8000億円
の黒字、06年度、8兆2000億円の黒字。)

 わかりやすい数字で比較すると、こうなる。

 お隣の韓国家は、年間360万円の赤字。しかしこの日本は、1000万円の黒字とい
うこと。それほど大きなちがいはないように見えるかもしれないが、日本は、輸出入の合
計金額では、150兆円。経済規模そのものが、ケタはずれに、ちがう。

 しかしなぜ、こんなバカなことになってしまったのか。

 結局は現実離れした、韓国政府の経済運営にあると説く人は多い。

 たとえば2003年9月以来、韓国の財経部は、輸出拡大をスローガンに、積極的な為
替介入をつづけている。しかしその為替介入が、ヘン。ふつうは、為替当局は世界のマネ
ーの流れを見ながら、時には、ディーラーに損をさせながら、適時、介入、無視を繰りか
えす。

 ところが韓国の財経部は、一定金額を(限界)として、ほぼ毎日、為替介入を繰りかえ
している。

 こうなれば、ディーラーたちは、その一定金額をにらみながら、つまり損をすることな
く、外貨やウォンを売買したりすることができる。

 結果、韓国は、経済不振の中、ウォン高になり、かつ、為替平衡資金の損失だけが、雪
だるま式にふえた。その額は、「03年度、640億円、04年度、1兆2600億円、0
5年度、4兆6000億円!(数字は、「Kaneda Blog」より)。

 わかりやすく言えば、韓国が稼ぎ出している外貨の、何割かを、韓国政府は、そのまま
ドブへ捨てているということになる。

 さて、金大中からN政権になって、日本にとって韓国が、どういう国であるか、日本人
もそれがわかったはず。K国の核開発問題ひとつ取りあげても、韓国は、ことごとく日本
に背を向け、最近では、K国に呼応して、日本はずしを画策している。

 その韓国の、あの97年の国家破綻(デフォルト)のときは、頼まれもしないのに、日
本は、500億ドルという外貨資金を用意して、韓国の救済にあたった。その恩も忘れて、
戦後60年以上にもなろうというのに、いまだに、反日、反日の大合唱。

 それはそれで結構なことだが、かといって、韓国は、ウォン高をどうすることもできな
い。ここで公定歩合をほんの少しでさげただけでも、韓国経済は、そのまま一気に奈落の
底へと落ちていく。個人負債額だけでも、30兆円以上もある。日本の人口規模に換算す
れば、100兆円!

 そこで私の主張。

 韓国経済が、2度目の破綻(デフォルト)を迎えるのは、このまま進めば、時間の問題。
しかし日本政府よ、日本人よ、つぎはぜったいに、日本のほうから韓国を助けてはならな
い。またその必要はない。相手が頭をさげて頼みに来るまで、助けてはならない。それだ
けは、今から、しっかりと肝に銘じておこう!


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●憶測

+++++++++++++++++

私には、韓国のN大統領というお方が、
いったい、何を考え、何をどうしたいのか、
その(心)が、まったく理解できない。

今、K国は、マカオのBDAに預けてある
預金を、ベトナムの某銀行に、送金しよう
としている。

それについて、中国政府筋は、「この2、3日
のうちに解決する」「楽しみにしていてほしい」
などと、述べている。

K国は、「完全に」という言葉を使って、
「BDA問題が完全に片づいたら、核開発
停止に向けての初期段階措置を開始する」
と繰りかえし、述べている。

が、ここでまたまた、韓国のN大統領が、
おかしなことを言い出した。

いわく「BDA問題が解決したら、即、
協議で決めた内容にしたがい、K国への
援助を開始する」と。

しかしこれは、おかしい。へん。

どうしてだろう? どうしてこうまで、
N大統領は、K国に気をつかうのだろう?

行き過ぎというよりは、その(行き過ぎ)を、
はるかに超えている。

++++++++++++++++++

 現在の韓国の大統領であるN氏は、長い間、労働組合の顧問弁護士として活躍してきた
人物である。日本的に言えば、極左勢力の中枢部門にいた人である。そのN氏が、ハプニ
ング的に、今の大統領の座についてしまった。

 きっかけは、アメリカ軍兵士による、女子学生ひき逃げ事件である。

 それはそれとして、以後、ご存知のように、N大統領は、完全にK国寄りの政策を、つ
ぎつぎと繰り広げている。K国に対しては、あたかも腫れ物でも触れるかのように、気を
つかっている。(行き過ぎ)をはるかに超えた、気のつかいようである。そのせいか、N政
権、とくに政権内の、あの統一部というところは、まるで、K国の韓国支局といった感じ
がしないでもない。

 そう、N政権は、K国のまさに、言いなり。韓国のほうが、頭をさげて、(支援する側の
韓国が、だぞ!)K国に、支援を繰りかえしている。私は今まで、「それもしかたのないこ
とかな?」と思ってきた。相手が相手。道理の通ずる相手ではない。しかしそれを考慮に
入れても、お・か・し・い。

 なぜか?

 昨日も、N大統領は、またまたおかしなことを言い出した。「BDAの預金が、ベトナム
の某銀行に送金されしだい、6か国協議で決まったことに応じて、韓国は、全面的にK国
の支援を開始する」(4月28日)と。

 支援というのは、原油5万トン、米40万トンなどをさす。

 しかしこれはおかしい。

 BDA問題の解決と、核開発の初期停止措置は、本来は、同時進行の形で、なされるべ
き性質のものである。少なくとも、K国が、核開発の初期停止措置をしてはじめて、K国
は、約束を守ったことになる。K国への支援が開始されるのは、そのあとのことである。

 が、N大統領の発言によれば、その初期停止措置がなくても、K国を支援するという。
現在まで、そのK国は、停止措置に向けて、何ら、行動を起こしていない。

 で、私は、ふと、こんなことを思った。あくまでも思っただけで、根拠はない。つまり
まったくの私の憶測だが、韓国のN大統領は、だれかに脅されているのではないか、と。
つまりだれかに弱みをつかまれ、それが理由で、脅されているのではないか、と。

 が、まったくの憶測かというと、そうでもない。事実、N大統領の側近の1人は、K国
側のスパイ容疑で、政界の座から身を引いている。そんな事件も過去に、あった。また韓
国には、「一心K」という、K国の金日成を崇拝する組織もあるそうだ。N大統領の過去の
経歴をみると、N大統領が、そういった組織と無縁だったとは、とても思えない。

 しかしそう考えると、つまりN大統領が、だれかに弱みをつかまれ、脅されているので
はないかと考えると、一連のN大統領の不可解な行動を、うまく説明することができる。
そのだれかが、今の今も、N大統領にこう言っている。

 「オレの言うことを聞かなければ、お前の過去をバラすぞ」と。

 仮に私がここに書いたことが事実であるとするなら、この問題は、前代未聞の国際スキ
ャンダルに発展するだろう。もちろん韓国国内は、大騒動! N大統領自身も、国家反逆
罪で、死刑以上の刑が科せられるかもしれない。

 繰りかえすが、これは私の、まったく勝手な憶測である。根拠は、何もない。しかしお
かしな点は、いくつかある。たとえば先日の南北閣僚級会談のやり取りをみても、支援す
る側の韓国が頭をさげ、支援を受ける側のK国が、威張り散らしている。

 そうしたK国側の態度についても、韓国側は、ただ黙っているだけ。抗議らしい抗議を、
何ひとつしていない。私でなくても、だれしも、おかしいと思うはず。どうして韓国は、
K国に対して、こうまで弱気なのか。一方、K国は、韓国に対して、こうまで強気なのか。
また強気で出られるのか。

 で、今、韓国のN大統領は、南北首脳会談を、画策しているという。首脳会談というと
聞こえはよいが、私の憶測によれば、まさに(命乞いの会談)ということになる。N大統
領にしてみれば、何としてもだれかの口を封じておきたい。しかも直接会って、口を封じ
ておきたい。また直接会わなければ、こうした話しあいは、できない。

 「N大統領の行動が理解できない」と、私は3、4年前から書きつづけてきた。今もそ
の気持ちには、変わりない。ただN大統領のウラには、何かがある。何かはわからないが、
たしかに何かがある。

 その何かとは、何か。それについて、私の憶測で、この原稿を書いてみた。みなさんは、
この原稿を読んで、どのように感じただろうか。

【付記】

 ついでにもうひとつ、疑問。

 BDAにあるK国の預金についてだが、それを今回、今度は、ベトナムにある、ある銀
行に送金することになったという(中国筋)。

 しかしそれで本当に、BDA問題は解決したと言えるのか?

 今までBDAにあった預金が、ベトナムの、ある銀行に移動するだけということになる。
K国は、そこでそのお金をどうするつもりなのか。

 やはり、その銀行に預けておくだけなのか。だとするなら、何も、問題は、解決しない
ということになる。

 仮に、その預金が、ベトナムのX銀行に移動したとする。いくらX銀行が、「私の銀行は、
マネーロンダリングに加担していません」と叫んでも、世界は、そうはみない。「預かった」
ということ自体が、「協力した」とみなされる。世界中の銀行は、いっせいに、X銀行との
取り引きを、ひかえるようになるだろう。

それにアジア地域では、ドルの送金に関しては、一度、アメリカにある、金融センターを
経由することになっている。いつなんどき、またアメリカが、X銀行との取り引きを停止
するかもしれない。

 私がK国の金xxなら、預金を全額引き出し、自国でタンス預金にでもしておく。結局
は、それがいちばん安全な方法ということになる。が、どういうわけか、K国は、その預
金を引き出そうという動きを、まったく見せていない。

 「BDAの預金が、ベトナムの、ある銀行に送金された段階で、BDA問題は解決」と
はしゃぐ、韓国と中国。「あと2、3日で解決する」「K国は、核開発の初期措置を始める
はず」とはしゃぐ、中国。

 しかしそんなことはありえない。つまり、K国は、いつまでも「完全に」という言葉に
こだわりながら、時間稼ぎをするはず。なぜなら、K国の目標は、ただひとつ。核兵器を
もち、核保有国として、名乗りをあげること。

 わかりやすく言えば、K国が、核開発放棄につながるような行動を、とるはずがない。
いろいろなジェスチャはして見せるだろうが、しかしそこまで。たとえば老朽化して使い
ものにならないYビョンの核開発関連施設などを停止して見せるなど。

 では、どうするか?

 2010年までに、K国は、5〜6発の核兵器をもつという(在韓米軍B司令官)。そう
なったときのことを考えるなら、日本は、今、ここで行動を開始しなければならない。「平
和だ」「対話だ」などと、のんきなことを言っていると、それこそ、たいへんなことになる。
少なくとも、韓国や中国に同調していると、たいへんなことになる。

とくに韓国とは、決別しても構わないから、日本は日本で、日本と韓国の間に一線を引か
ねばならない。ばあいによっては、韓国に対する経済制裁も、視野に入れることも考える。

 K国の核開発問題というのは、日本にとっては、それほどまでに深刻な問題なのである。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの問題、家族の問題

++++++++++++++

子どもに何か問題が起きると、
たいていの親は、「原因は、子ども
自身にある」「子どもに問題がある」と
考える。

これに対して、最近は、「家族とい
うのは、よくても悪くても、相互
に作用しあうもの」、つまり、
子どもの問題といっても、それは
家族の問題と考える考え方が、主流
になってきている。

つまり子どもといっても、家族の
「代表者」にすぎない、と。

子どもに何か問題が起きたら、
まず、家族のあり方を考える。

+++++++++++++++

子どもに何か問題が起きると、たいていの親は、「原因は、子ども自身にある」「子ども
に問題がある」と考える。そして「子どもを、何とかしよう」と考える。

これに対して、最近では、「家族というのは、よくても悪くても、相互に作用しあうもの」、
つまり、子どもの問題といっても、それは家族の問題と考える考え方が主流になってき
ている。つまり子どもといっても、家族の「代表者」にすぎない、と。子どもに何か問
題が起きたら、まず、家族のあり方を考える。

 たとえばここにハキがなく、見るからに萎縮した子どもがいたとする。親は、「どうして
ウチの子は、ハキハキしないのか」「どうすれば、活発な子どもにすることができるか」と
悩む。

 しかし本当の原因は、親自身にある。親の神経質な育児姿勢、過関心、それに過干渉。
こうした家庭環境が混然一体となって、その子どもをそういう子どもにした。こんな例も
ある。

 ある姉(当時、小2)と、弟(年長児)がいた。ともにハキがなく、チックや吃音(ど
もり)などの神経症的症状のほか、無気力、無関心などの症状も示していた。話を聞くと、
姉は、こう言った。「勉強しないと、その夜は犬小屋で寝させられる」と。

 まだ「虐待」という言葉が、それほどポピュラーでない時代だった。私は、その(犬小
屋で寝させられるという異常さ)にぞっとした。つまりそういうことを当たり前とする家
庭環境が、その姉と弟を、そういう子どもにした。

 が、親は、それに気づいていない。いないばかりか、そうすることが親として、あるべ
き姿と信じていた。

 そこでここにも書いたように、最近では、子どもに何か問題が起きると、家族全員(た
いていは両親、両祖父母)を集めて、その問題を考えるようになってきている。これを「家
族療法」という。つまり子どもの問題は、家族の問題と考える。

 が、私の経験からしても、これは容易なことではない。家族というのは、家族自体が、
ひとつの(自我群)で取り囲まれている。ひとつの固いカラでおおわれていると考えると、
わかりやすい。

 もっとわかりやすく言えば、親というのは、(おとな)。価値観や人生観、それに宗教観
や哲学などが、それなりにかたまってしまっている。そういう(おとな)を相手に、親自
身がもつ問題点をわからせるのは、たいへんなこと。いわんや、親自身を変えるようにも
っていくのは、もっとたいへんなこと。

 私にしても最近になって、年の功というか、若い親たちをやっと説教できるようになっ
た。が、若いときは、そうではない。へたに(家族)に介入しようものなら、「何を、生意
気なことを!」と、はね返されてしまった。

 たとえば過負担から無気力になってしまった子ども(小5男児)がいた。親は、毎日、
その子どもに、3〜4枚のプリント学習を強制していた。

 で、私はある日、意を決して、その父親にこう言った。「もう、勉強はあきらめたほうが
いい。今のままでは、本当に燃え尽きてしまう」と。

 しかし父親は、それに頑(がん)として反対した。「このままでは、ウチの息子は、ダメ
になってしまう」と。さらにこうも言った。「先生(=私)は、他人の子どものことだから、
そういうふうに言うことができる」と。

 今の私なら、もう少しうまく説得できたかもしれない。が、それがその親子との最後の
会話になってしまった。

 そこで家族療法としては、(1)まず、子ども自身がもつ問題点を、親に理解してもらう、
(2)その原因は、家族全体がもつ雰囲気(システム)にあることを理解してもらう、と
いうところから始める。

 が、これとて、私のほうからするわけではない。親のほうから何か相談があったとき、
その機会を通して、それとなく親に理解してもらう。言い方をまちがえると、大騒動に発
展してしまうこともある。

 加えて親自身がもつ、知的能力の問題もある。家族療法といっても、親に、それを理解
するだけの知的能力がなければならない。さらに家庭環境の問題もある。すでに家庭崩壊
の状態にある親子に向かって、家族療法を勧めても、意味はない、などなど。

 が、ひとつだけ、心に留めておいたらよい。

 子どもに何か問題を発見したら、それはあなたの問題である、と。

 そういう謙虚さが、あなたの心を溶かし、ついで、子どもの心を溶かす。「ウチの子ども
のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語する親ほど、自分の子どものことがわか
っていない。くれぐれも、ご注意!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
家族療法 家族自我群)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●家庭内子育て戦争

+++++++++++++

家族の問題は、相手から相談
があるまで、介入しない。

これは子どもを指導するときの
大鉄則。

+++++++++++++

 明らかに過保護な子ども(年中男児)がいた。原因は、おばあさん。そこである日、た
またま母親が迎えにきていたので、その母親にこう言った。「少し、おばあちゃんから離し
たほうがいいですよ」と。

おばあさんは、ベタベタに子どもをかわいがっていた。が、この一言が、その後、大騒
動の引き金になろうとは!

 それから一か月後。母親がすっかり疲れきった様子で、幼稚園へやってきた。あまりの
変わりように驚いて、私が「どうしたのですか」と声をかけると、こう話してくれた。

「いやあ、先生、あれからたいへんでしたの。祖父母と別居か、さもなくば離婚という
ことになりまして、結局、祖父母とは別居することになりました」と。ほかのことなら
ともかく、親も、こと子どものこととなると、妥協しない。こんなこともあった。

 その老人は、たいへん温厚で、紳士的な人だった。あとで聞くと、中学校の教師をして
いたという。その老人が、どういうわけだか、D君(年長児)の入試に、異常にこだわっ
ていた。「先生、何としても孫には、A小学校に入ってもらわねば困るのです」と。

私はその老人の気持ちが理解できなかった。「元先生ともあろう人が、どうして?」と。
が、ある日、その理由がわかった。老人は、こう話してくれた。D君の父親は、隣町の
浜北市で勤務医をしていた。もしD君がA小学校に入学すれば、D君は、その老人の家
から小学校へ通うことになる。が、入学できなければ、D君は浜北市の親のもとへ帰る
ことになる、と。

しかし入試の直前になって、事態が急変した。親が入試を受けることに、猛烈に反対し
始めたのだ。私のところにも父親から電話がかかってきた。「今後は、我が家の教育につ
いては干渉しないでほしい。息子は浜北市の地元の小学校に通わせることにしたから」
と。

 この事件はそれで終わったが、それから半年後。そのときその老人は、自転車に乗って
いたが、車ですれ違うと、別人のようにやつれて見えた。孫の手を引きながら、意気揚揚
と幼稚園へ連れてきた、あのハツラツとした姿は、もうどこにもなかった。あとで聞くと、
それからさらに半年後。その老人は何かの病気で亡くなってしまったという。その老人に
とっては、孫育てが生きがい以上のもの、つまり「命」そのものだった。

 孫を取りあって、父母との間で壮絶な、家庭内戦争を繰り広げている人はいくらでもい
る。しかし世の中には、こんな悲惨な例もある。例というより、一度、あなた自身のこと
として考えてみてほしい。あなたなら、こういうケースでは、一体どうするだろうか。

 ある祖父母には、目に入れても痛くないほどの一人の孫がいた。が、その孫が交通事故
にあった。手術をすれば助かったのだが、その手術に、嫁が、がんとして反対した。嫁は、
ある宗教教団の熱心な信者だった。その教団では、手術を拒否するように指導している。

一度私が教団に確認すると、「そういう指導はしていません。しかし熱心な信者なら、自
ら拒否することもあるでしょう」とのこと。ともかくもそれで、その孫は死んでしまっ
た。
 
 その祖父はこう言って、言葉をつまらせた。「それまでは、愛だとか平和だとか、嫁の宗
教も、それほど悪いものではないと思っていたのですが……」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●根性のある子ども

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今、子どもたちが、どこか
ナヨナヨしている。

またそういう子どもほど、
できのよい子と考える。

しかし……。

+++++++++++++
 
 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。この根性さえあれば、この世の中、
何とかなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナ
ヨとした人生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう一枚、ピザを食べる」と言い出した。そ
こで母親が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても一枚食べる」と。
母親はあきらめて、もう一枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたとい
う。あとで母親が、「おとなでも二枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰
りなさい!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、
その子どもは先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。先生も、
まさか本当に帰るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間は
かかるのに」と笑っていた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考え
る。つまりもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にた
むろするスズメのようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードを
かすめ取っていく。そういうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年
もの長い年月を、生きのびることができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや
親の完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、
その設計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、
自我をそがれる。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがま
まを受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとは
っきり言えば、あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、
子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様
子になるのは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でな
いと、絶対に座らなかった。また別の男の子(年長児)は、二年間、ただの一度もお迎え
にくる先生に、あいさつをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったの
に、どうしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あ
れ買って!」「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。ふつう幼児の
ばあい、わがままは無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にし
ませんよ」という姿勢を貫く。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●壮絶な家庭内暴力

++++++++++++++

家庭内暴力を繰りかえす子どもは、
外の世界では、信じられないほど、
(いい子)であることが多い。

T君も、そんな子どもだった……。

++++++++++++++
 T君は私の教え子だった。両親は共に中学校の教師をしていた。私は七、八年ぶりにそ
のT君(中二)のうわさを耳にした。たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったか
らだ。

いわく、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、
廊下を通るときは、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しまし
た」と。私は壮絶な家庭内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。砂場でスコップを横取りされても、そ
のまま渡してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な笑みを浮かべていた。しか
し私は、T君の心に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思って
いることや考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。従順で、も
のわかりのよい子どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。むしろこのタイプの子
どもは、心に受けるストレスを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆがめやすい。T
君はまさに、そんなタイプの子どもだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりであ
る。家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情など
の症状が現われてくる。

しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒ったり、暴れた
りする。少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。この
タイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようと
したときのことである。いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教
室で授業をしていると、T君はいつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、
学習していた。T君の担任が、よく連れ戻しにきた。

そこである日、私はT君の母親に電話をした。「私の教室へよこしませんか」と。それに
答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うちにはうちの教育方針
というものがあるから!」と。しかしT君はそれからしばらくして、私の教室へ来るよ
うになった。家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。以後私は、半年の間、
T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。母親はこう言った。「あんたは、私た
ちがお願いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介だ」と。

 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。しかし
現実にはそれは不可能に近い。指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」と
いう迷いがある。「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。が、何
と言っても、親自身にその自覚がない。知識もない。どの人も、行きつくところまで行っ
て、自分で気づくしかない。教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父母との交際は慎重に

 教育の世界では、たった一言が大問題になるということがよくある。こんな事件が、あ
る小学校であった。その学校の先生が一人の母親に、「子どもを塾へ四つもやっているバカ
な親がいる」と、ふと口をすべらせてしまった。

その先生は、「バカ」という言葉を使ってしまったのだが、今どき、四つぐらいの塾なら、
珍しくない。英語教室に水泳教室、ソロバン塾に学習塾など。そこでそれぞれの親が、
自分のことを言われたと思い、教育委員会を巻き込んだ大騒動へと発展してしまった。
結局その先生は、任期の途中で転校せざるをえなくなってしまった。が、実は私にも、
これに似たような経験がある。

 母親たちが五月の連休中に、子どもたちを連れてディズニーランドへ行ってきた。それ
はそれですんだのだが、そのあと一人の母親に会ったとき、私が、「あなたは行きましたか」
と聞いた。するとその母親は、「行きませんでした」と。

そこで私は(連休中は混雑していて、たいへんだっただろう)という思いを込めて、「そ
れは賢明でしたね」と言ってしまった。

が、この話は、一晩のうちにすべての母親に伝わってしまった。しかもどこかで話がね
じ曲げられ、「五月の連休中にディズニーランドへ子どもを連れていったヤツはバカだと、
あのはやしが笑っていた」ということになってしまった。数日後、ものすごい剣幕の母
親たちの一団が、私のところへやってきた。「バカとは何よ! あやまりなさい!」と。

 母親同士のトラブルとなると、日常茶飯事。「言ったの、言わないの」の大喧嘩になるこ
とも珍しくない。そしてこの世界、一度こじれると、とことんこじれる。現に今、市内の
ある小学校で、母親同士のトラブルが裁判ざたになっているケースがある。

 そこで教訓。父母との交際は、水のように淡々とすべし。できれば事務的に。できれば
必要最小限に。そしてここが大切だが、先生やほかの父母の悪口は言わない。聞かない。
そして相づちも打たない。相づちを打てば打ったで、今度はあなたが言った言葉として、
ほかの人に伝わってしまう。「あの林さんも、そう言っていましたよ」と。

 教育と言いながら、その水面下では、醜い人間のドラマが飛び交っている。しかも間に
「子ども」がいるため、互いに容赦しない。それこそ血みどろかつ、命がけの闘いを繰り
広げる。一〇人のうち九人がまともでも、一人はまともでない人がいる。このまともでな
い人が、めんどうを大きくする。が、それでもそういう人との交際を避けて通れないとし
たら……。そのときはこうする。

 イギリスの格言に、『相手は自分が相手を思うように、あなたのことを思う』というのが
ある。つまりあなたが相手を「よい人だ」と思っていると、相手もあなたのことを「よい
人だ」と思うようになる。反対に「いやな人だ」と思っていると、相手も「いやな人だ」
と思うようになる。

だから子どもがからんだ教育の世界では、いつも先生や父母を「よい人だ」と思うよう
にする。相手のよい面だけを見て、そしてそれをほめるようにする。要するにこの世界
では、敵を作らないこと。何度も繰りかえすが、ほかの世界のことならともかく、子ど
もが間にからんでいるだけに、そこは慎重に考えて行動する。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●見え、メンツ、世間体

++++++++++++++

子育てを暗くするものに、
見え、メンツ、世間体がある。

この3つから解放されるだけでも、
あなたの子育ては、ぐんと
明るくなる。

++++++++++++++

 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆが
める。裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解
消する。

まず見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がいた。「だ
からどうしてもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見えにこ
だわると、親も苦しむが、それ以上に、子どもも苦しむ。

 次にメンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、一度も
顔を出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、毎朝、自
動車で送り迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」というのが、
その理由だったようだ。また駅の近くで、毎朝、制服に着がえてから、通学していた子ど
ももいた。が、こういう姿勢は子どもの自尊心を傷つける。子どもを卑屈にする。

 最後に世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうようになる。
「どうしてもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。私が「無
理だと思いますが」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったという形を作
っておきたいのです」と。

何とか「形」だけは整えようとするわけだが、ここから多くの悲喜劇が生まれる。私の
ような立場の人間が、「世間は、あなたのことを、そんなに気にしていませんよ」と言っ
ても、無駄。このタイプの親は、世界は自分を中心にして回っているかのように錯覚し
ている。あるいは世界中が自分に注目しているようかのように錯覚している。

 考えてみればドングリの背くらべ。A高校だろうがC高校だろうが、日本というちっぽ
けな国の、そのまたちっぽけな町の、序列にすぎない。この地球という惑星にしても、宇
宙から見ればゴミのような存在ではないか。

私の部屋には太陽と地球の模型がかざってある。太陽を直径一五センチの球にしてみる
と、地球は、それから約一〇メートルも離れたところにある、直径〇・五ミリ(一ミリ
の半分!)の玉にすぎない。にもかかわらずその時期になると、多くの親たちは子ども
の受験戦争に狂奔する。

 しかし一言。学歴にぶらさがって生きている人は、結局はその学歴で苦しむようになる。
ある父親は、ことあるごとに自分の出身高校を自慢していた。「そうそう今度ね、A高校の
同窓仲間と、ゴルフをしましてね」とか。

それとなく会話の中に、自分の出身高校名を織り込むわけだが、やがて自分の息子(中
三)がいよいよ高校受験ということになったときのこと。しかしその子どもにはその力
はなかった。なかったから、その分その親は、見えとメンツの中で、地獄の苦しみを味
わうハメになった。ほとんど毎晩、その父親と息子は、「勉強しろ!」「ウルサイ!」の
大乱闘を繰り返していた。

 この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」
という、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観というの
はそういうもので、一朝一夕には確立できない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1918)

●虐待される子ども

++++++++++++++++

 カナーという学者は、虐待を次のように
定義している。

(1)度の敵意と冷淡、
(2)完ぺき主義、
(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、
愛情に根ざした本来の過保護ではなく、
子どもを自分の支配下において、思い
通りにしたいという、親のエゴに基づ
いた過保護をいう。

代償的過保護ともいう。

+++++++++++++++

                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で
幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。

「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震
わせていました」と。虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかな
かったのだろう。その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。(1)過度の敵意と冷淡、(2)
完ぺき主義、(3)代償的過保護。

ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを
自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。
代償的過保護ともいう。

その結果子どもは、(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、(2)強迫傾向(いつも何かに
強迫されているかのように、おびえる)、(3)情緒的未成熟(感情のコントロールがで
きない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の
子でした。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。

私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分
その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、(1)親自身が障害をもって
いる。(2)子どもが親の重荷になっている。(3)子どもが親にとって、失望の種になっ
ている。(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、
の四つをあげている。

それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、
殺す寸前までのことをする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心に
も深いキズを負う。学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動
物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほう
がよい。教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単
ではない。父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、
殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。

あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりより
を戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるとい
う認識を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつ
か私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが
虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」という方法
もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。そ
のほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
虐待 虐待の定義 ホルネイ)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●キズつく子どもたち

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虐待というわけではないが、
親の不適切な育児姿勢の中で、
キズつき、もがいている子どもは
少なくない。

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 ある日、F君(年長児)の母親が、幼稚園へやってきた。そして私の授業をどうしても、
参観させてほしいと言った。私がそれを断ると、母親は泣き崩れて、ドアのところで身を
かがめてしまった。

つき添ってきた女性(母親の姉)も、「一度でいいから」と、私に迫った。が、私にはど
うすることもできなかった。F君には、そのとき、新しい母親がいた。その母親は母親
で、F君の心をつかもうと必死だった。F君の祖母からも、「仮にそういうことがあって
も、決して、前の母親には会わせないでほしい」と、何度も念を押されていた。しかし
私が母親に参観させることができなかった理由は、ほかにあった。

 離婚するのは離婚する人の勝手だが、そこに至る騒動が、子どもの心をキズつける。こ
んなことがあった。ある日J君(年中児)に、「絵を描いてごらん」と紙を渡したときのこ
と。J君はクレヨンで真っ黒に塗りつぶしてしまった。

そこでもう一度、紙を渡すと、その紙も同じように塗りつぶしてしまった。軽く叱ると、
今度は足で机をひっくり返してしまった。あとで母親にその理由を聞くと、「実はその前
夜、夫が蒸発しまして……」と。

 一般論として、子どもというのは引っ越しなど、環境の変化には、たいへん強い適応力
を見せる。しかし愛情の変化には、もろい。夫婦喧嘩も、ある一定のワクの中でするなら
問題はないが、そのワクを超えると、子どもに大きな影響を与える。

ものの考え方が粗雑化する。感情のコントロールができなくなる。育児拒否児、家庭崩
壊児に似た症状を示すこともある。

ある子ども(年長男児)は、いくら先生に叱られても、口をキッと結んだまま、涙一つ
こぼさなかった。自然な感情表現そのものも、自ら押し殺してしまう。そしてそれが慢
性化すると、俗にいう、「ひねくれ症状」が出てくる。

私「誰だ、このクレヨンをバラバラにしたのは」
子「体がひっかかって、落ちた」
私「だったら、拾っておきなさい」
子「先生がそんなところに置くから悪い」
私「置いても、落としたのは君なんだから、拾うべきだ」
子「先生だって、この前、落としたクセに……」
私「……」と。

 それにもう一つ一般論。たった一度でも、その衝撃が大きければ大きいほど、子どもの
心には、取り返しがつかないほどの大きなキズがつく。以前だが、NHKの報道番組の中
で、失語症になってしまった女性(二〇歳ぐらい)が紹介されていた。

彼女は一〇歳ぐらいのとき、両親が目の前で惨殺されるのを目撃してしまった。以来、
声が出なくなってしまったという。戦時下のサラエボで起きた悲劇だが、これに似たケ
ースはいくらでもある。実は冒頭にあげたF君も、そうだった。

会ったときから、強度の自閉傾向を示していた。勝手にあちこちを動き回り、自分から
は決して心を開こうとしなかった。意味のない独り言をボソボソと言い続けるなど、話
しかけても、会話そのものが、かみあわない。

私「今日はいい天気だね」
F「冷蔵庫の上に、トンボ!」と。

突然、奇声をあげて教室の中を走り回ったり、私の手にかみつくこともあった。そんな
姿を母親が見たら、その母親はどう思うだろう。私にはそれを見せることができなかっ
た。私は別れぎわ、その母親にはこう言った。「心配しなくても、いいですよ。F君は、
今、元気にやっていますから」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自閉傾向 自閉症)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悪化する対アジア人感情

+++++++++++++++

アメリカのアーカンソー州のある
高校で、日本人の学生(ハーフ)が、
退学させられた。

バージニアでの韓国人学生による
銃、乱射事件のとばっちりを
受けたものらしい。

アメリカ人にしてみれば、韓国人
も日本人も同じ。

区別せよと言うほうが、無理。

+++++++++++++++

 いくら日本人が、「私たちは、韓国人とはちがう」「中国人とはちがう」と叫んでも、そ
んな声は、アメリカ人には届かない。

 アメリカ人にしてみれば、韓国人も日本人も同じ。区別せよと言うほうが、無理。それ
はちょうど、日本人にとって、ノールウェイもスウェーデンも同じと思うのに似ている。
あるいは、カザフスタンもウズベキスタンも同じと思うのに似ている。

 だいたい、日本がどこにあるか知らない大学生のほうが多い。

 そんな中、バージニア州で、韓国人留学生による、銃、乱射事件が起きた。結果、32
人もの学生が殺された。たいへん不幸な事件だが、連日、韓国の新聞は、「この事件は、個
人的なもので、韓国という国とは直接関係ない」という記事を掲載している。

 それはそれで構わないが、個々のアメリカ人にとっては、そうではない。息子(現在、
アメリカに在住)のBLOGに、こんな記事が載っている。それをそのまま紹介する(4
月26日)。

 『32人もの学生、教授が殺されたバージニアの銃乱射事件がおきて、早一週間。イラ
ク戦争で死んでいく陸軍のことや、連日百人単位で死んでくイラク人の話はそっちのけで、
連日バージニアの話ばかり。

しかしNBCなどのメディアは一体何を考えて、あのチョ殺人鬼が残したビデオなど連日
放送しているのか? ところで本当かどうかは知らないのだが、インターネットの投稿
によるとアーカンソーのある高校へ通っていた日本人ハーフの16才少年が、高校から
退学処分を受けた。

理由は、バージニアの銃乱射事件の前に「頭の中の5つの声のうち4つが、やってしま
えと言っている」と書かれたTシャツを着ていたということと、「アジア人で、物静か」
だというのが、理由だそうだ。

それで警察に通報され、その後Myspaceに、エイリアンを皆殺しにする内容のアニメ
(??)を保持していたということが理由だったそうだ。

母親はすでにACLU(アメリカ自由人権協会)へ届出を出したのだとか。本当だとしたら
まあ、なんというか、アーカンソーならではの話だと思う。

 これ以上アジア人や、アジア人ハーフの身が狭くなるようなニュースは見たくない』と。

 もちろん韓国人学生も、被害を受けている。AP通信は、こんな記事を配信している(4
月24日)。

『米アラバマ州オーバーン大学で、韓国人留学生が集団暴行を受ける事件が起きた。米
連邦捜査局(FBI)は、この事件が今月16日(現地時間)に発生したバージニア工
科大学乱射事件にかかわる報復目的のものなのか、詳しく捜査している。
 アラバマ州オーバーン警察署によると、19日(現地時間)午前0時前に、オーバーン
大学の学生寮「レイン・レジデンス・ホール」で、韓国人の男子学生(18)が男4人に
集団暴行されたとのことだ。

氏名が公開されていないこの韓国人学生は、約1カ月前に渡米、暴行により軽症を負っ
たという』と。

 事件直後から、韓国の新聞各社は、事件そっちのけで、アメリカ人による報復を何より
も恐れた。「自分たちなら、報復するだろう」という思いが、そういう(恐れ)に転化した
と考えるのが正しい。

 事実、たった1人の女子中学生が、アメリカ兵に引き逃げされただけで、韓国人は、そ
れを反米感情につなげ、国中で、大規模なデモ行進までしてみせた。現在のN大統領は、
その流れにのって、そのまま大統領になった。

 が、そのとばっちりが、日本人にもおよんでいる! 日系ハーフの高校生が、退学処分
を受けたのも、そのひとつ。で、今回のバージニア州での銃、乱射事件にしても、韓国内
における反米教育が影響を与えていないとは、だれも断言できない。韓国の論理によれば、
朝鮮半島が2つに分断されたのは、もとはと言えば、アメリカの責任ということになって
いる。少なくとも現在のN大統領は、そう考えている。

 いくら精神に問題があったとしても、32人もの学生を射殺するには、それなりの(憎
悪の念)がなければ、できるものではない。その(憎悪の念)というのは、実は、日々の
教育によって熟成される。

 さて、結論。

 「誇張された民族主義」(アインシュタイン)ほど、危険なものはない。日本的に言えば、
「極右的民族主義」ということになる。この誇張された民族主義に毒されると、世界が自
分たちを中心に回っているかのような錯覚に陥(おちい)る。「自分たちだけが最高の民族
である」と。

 そう思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、「自分たち以外の民族は劣っている」
と考える。これがこわい。ひとたびそれが火がつくと、他の民族を徹底的に排斥しようと
する。戦争ともなれば、情け容赦なく、相手を殺しつづける。

 で、韓国のN大統領に一言。

 反日運動も結構だが、もう少し、広い視野で、自分たちの国を見つめなおしてみてはど
うか。「韓民族」「韓民族」と声を高くして叫ぶのは、あなたの勝手だが、しかし世界は、
だれも、あなたなど相手にしていない。

 日本がどこにあるか知らないアメリカの大学生は多い。が、韓国がどこにあるか知らな
い学生となると、もっと多い。おかしな民族主義にとらわれていると、結局はあなた自身
が孤立することになる。

 それができないというのなら、つまり「誇張された民族主義」に、いつまでもこだわる
なら、韓国の流儀に従って、今度、高校を退学処分になった日本人高校生に、心から謝罪
してほしい。

なぜならこの事件は、あなたがた韓民族の一員によって引き起こされた事件なのだから
……。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●2つのハプニング

+++++++++++++++++

ときとして、とんでもないハプニング
が起きる。

たまたま昨日(4月26日)、こんな
ハプニングが、2つも起きた!

+++++++++++++++++

 まず、軽いハプニング。

 母のおむつを替えおわったところで、母が、「おしっこをしたい」と言い出した。しかた
ないので、パンツをさげ、便器に座らせた。そのとき、何割かの小便が、パンツにこぼれ
たらしい。

 気がつかなかった。

 「終わった」と母が言うので、母を立たせた。パンツを上にひきあげてやった。そのと
き、パンツをぐいと上にあげ、手を放した。そのとたん、パチンと、パンツについていた
小便が、四方に飛び散った。

 私の顔にも、何滴か、かかった。ゲーッ!

 ワイフに、「バーさんの小便が顔にかかったよオ」とこぼすと、ワイフも、「私もときど
きある」と。2人で、ゲラゲラと笑った。

 ところで母は、めでたく(?)、要介護度4に、認定された。「お前、要介護度4だぞ。
成績があがったぞ!」と、母をからかってやると、事情がわからないまま、母は、こう言
った。「ありがと」と。またまた2人で、ゲラゲと笑った。

 で、もうひとつのハプニング。これは、かなり深刻なもの。

 BW教室には、現在、3方に3台の電動式の鉛筆削り機が置いてある。その1台に、A
君(小1)が、プラスチック製のボールペンをつっこんだ。

 ガリガリと金属的な音をたてて、その鉛筆削り機は、そのまま止まってしまった。

私「いかんじゃないか、鉛筆削りに、こんなものを入れては……」
A「……」と。

 が、そのあと、10分くらいしてから、別の子どもが、その鉛筆削り機で、自分の鉛筆
を削ろうとした。が、その子どもはこう言った。「動かな〜イ」と。

 そこで近くに行ってみると、金属が焼けるにおい。かなり臭かった。で、鉛筆削りに手
を触れたとたん、「熱い!」。

 かなりの発熱である。もしそのままあと10分も放置しておいたら、その鉛筆削り機は、
発火していたかもしれない。そういう状態だった。

私「あぶなかった。火事になるところだった」
子「先生、臭いよ〜オ」
私「ホント。あぶなかった……」と。

 熱が冷めかけたころ、私はその鉛筆削り機を分解してみた。が、コイル類は、すでに焼
き切れていた。使い物にならない。それでそのまま私はゴミ箱に捨てた。

私「こんなこと、2度としてはダメだよ」
A「うん」と。

 私は昔、私の息子が、コンセントに針金をつっこんだ事件を思い出していた。それにし
ても、子どもというのは、油断もスキもあったものではない。何をしでかすか、わかった
ものではない。

 よく「日本の学校の教室は殺風景だ」と批評する人がいる。事実、そのとおりである。
外国の学校の教室と比較してみると、それがよくわかる。

 しかしその理由のひとつは、こんなところにある。子どもというのは、何をしでかすか
わかったものではない。教室には、物を置けない。

 それにしても、あやうく、教室が、火事になるところだった。もしあのまま、知らない
で、私が家に帰っていたら……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●あやしげな本?

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先日来より、あやしげな本について
書いている。

どこかの有名大学の教授が書いた
本ということになっている。

その中に、またまた、私の書いた
本の内容そっくりの記述を見つけた。

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 先日来より、あやしげな本について書いている。どこかの有名大学の教授が書いた本と
いうことになっている。かなり売れているらしい。

その中に、またまた、私の書いた本の内容そっくりの記述を見つけた。

 いわく「やればできるはずと思ったら、あきらめる」と。

 私が1993年に書いた本の中の内容にそっくり。私は、こう書いた。「うちの子は、や
ればできるはずと思ったら、すかさず、やってここまでと思いなおせ」と。

 もちろん私のほうが先に書いている。そのあとも、たびたびこのテーマについて、書い
ている。

 ……ということで、書店に行き、もし私が書いていることと同じようなことが書いてあ
る本を見つけたら、そちらの本のほうを疑ってほしい。

 だいたい、大学の教授ともあろうお方が、こんな臨場感のある情報を、手に入れるのは、
不可能。日々の生活の中で、子どもと接していなければ、手に入らない。こうした本を読
むときは、まずそのあたりから疑ってみたらよい。

【ついでに一言】

 某・育児書ライターの方へ

 私のHPやマガジンを参考にして、育児書を書くような卑劣な行為は、即刻、やめてい
ただきたい。私のHPやマガジンを読むことも、やめていただきたい。あなたがたは、そ
れなりに頭のいい人たちだろうから、尻尾をつかまれるような記事は書かないだろう。し
かし私には、わかる。ニュアンスというか、雰囲気というか、それがまったく私のそれと
同じ。そんなことは、確率から言っても、ありえない。

 そのうち、証拠を整理して、あなたを法の場で訴えてやる。覚悟しておけ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学歴と人格

++++++++++++++++

はっきり、言おう。

学歴と人格は、まったく、関係ない。
わかりやすく言えば、勉強ができる人
イコール、人格者ということは、ぜったいに、
ありえない。

ところが、ほとんどの人は、こう錯覚
している。

学歴のある人イコール、人格的にも
すぐれた人、と。

しかしこれは誤解、ウソ、偏見。

++++++++++++++++

 ほとんどの親は、勉強がよくできる子どもイコール、人格的にすぐれた子どもと誤解し
ている。誤解と言うより、これはウソ、偏見。

 同じように、学歴が高い人ほど、やはり、人格的にすぐれた人と誤解している。これも
誤解と言うより、ウソ、偏見。

 学歴と人格の間には、相関関係は、まったくない。

 ただそれなりの地位や役職、職業についている人が、それなりの人物に見えることはあ
る。しかしそれはそうした仕事を通してその人が身につけた、(役割形成)のようなもの。
まわりの人たちから、「先生」「先生」と呼ばれているうちに、自ら、それらしい人間にな
っていく。そういうことはある。

 (が、だからといって、その人が、人格者であると判断してはいけない。念のため。)

 また一般の人も、それなりの地位や役職、職業の人と会ったりすると、それなりの人物
であると思いこんでしまう。そしてそういう目で、その人を見る。相手は相手で、そうい
う(目)を、敏感に感じ取り、それなりの人物らしく振る舞う。だから一般の人は、「やっ
ぱり、あの人は、すぐれた人」と思いこんでしまう。

 もちろん、その反対のこともある。世間的にレベルの低い仕事をしている人がいたとす
る。(本来、仕事に上下はない。自分でそう思いこんでいるだけ。)そういう人は、「自分は
ダメな人間」と、自らにレッテルを張ってしまう。そして自ら、自己評価をさげ、それら
しい人間になってしまう。そういうこともある。

 しかし、あえて繰りかえす。

 学歴、つまり勉強ができる、できないということと、その人の人格は、まったく関係は、
ない。もちろん、高い学歴をもちながら、高い人格をもっている人はいる。しかし反対に、
高い学歴をもちながら、そうでない人もいる。

 人格の完成度は、たとえばEQ論(情緒指数論)などによって判断する。そのEQ論に
よれば、(1)他者との共鳴性のある人、(2)自己管理力の高い人、(3)良好な人間関係
を築いているなどを、人格の完成度の高い人とみる。むしろ、受験競争をバリバリとやり
こなしてきた人ほど、人格の完成度は低いとみてよい。

 自分勝手で自己中心的。享楽的な生き方をし、自分のカラにこもりやすい、など。たと
えば進学校と呼ばれる学校でのほうが、一般校よりも、いじめの発生率が高く、かつ陰湿
であると言われている。確たる統計結果があるわけではないが、こんなことは、教師の間
では、常識。

 またはげしい受験競争を経験すればするほど、子どもの心は、ぞっとするほど、冷たく
なる。ものの考え方が合理的で、ドライになる。人間の価値すら、点数で決めてしまう。
また皮肉なことに、そういう子どもでないと、はげしい受験競争は勝ち抜けない。

 つまり子どもの世界では、(おとなの世界でも、そうだが)、「勉強」「学習」というテー
マと、「人格の形成」というテーマは、まったく別のもの、異質なものであると考える。

 で、日本の子育てで、最大の欠陥といえば、この一点に集約される。この両者を、同一
視、もしくは混同している。ほとんどの親たちは、「勉強がよくできる子どもイコール、人
格的にもすぐれた子ども」と誤解している。中には、「勉強ができるようになれば、人格的
にもすぐれた子どもになる」と、信じている人がいる。しかし、何度も繰りかえすが、こ
れはまったくの誤解、ウソ、偏見。

 ところでこんなおもしろい実験がある。以前、何かの心理学の本の中で読んだものだが、
こんな実験である。

 信号待ちのとき、青信号になっても、車をそのまま止めておく。そのとき、うしろにつ
づく車を運転している人は、何秒ほど、それを待つことができるかという実験である。

 青信号になっても、前にいる車が、動かなければ、それにつづく車の運転手は、クラク
ションを鳴らしたりして、前の車に、「動け」と合図する。その時間、つまり青信号になっ
てから、うしろの車を運転する人がクラクションを鳴らすまでの時間を測定してみた人が
いた。

 結果、前に止まっている車が、安い大衆車であればあるほど、時間は短く、前に止まっ
ている車が、高級な車であればあるほど、時間は長くなるということがわかったそうだ。
たしか2倍ほど、時間がちがったのではなかったか。あいまいな記憶で、申し訳ないが、
これなども、偏見の一例と言える。

 つまり相手がそれなりの地位や立場の人だと、それなりの人物だと思いこんでしまう。
そうでなければ、そうでない。私たちは無意識のうちにも、相手の価値を、見栄えや、肩
書きで判断してしまう。遠慮したり、自分を卑下したりする。

こうした権威主義的な人の見方は、ときとして、相手を見誤る原因となる。ときには、
そうした偏見が、自分の自己評価をさげてしまうことにもなりかねない。

 それこそ、「損」というもの。

 人を見るときは、中身を見て判断する。子どもを見るときも、また同じ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学歴 人格 学歴と人格 人格と学歴)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(4月22日)

●ズルイ人たち

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電話による何かの勧誘が、
このところ、たてつづけにある。

先日は、「名鑑」。「T有名人名鑑に、
あなたの名前を載せませんか」と
いう内容の電話。

私は「結構です」と言ったのだが、
数日後、書類が勝手に送り届けられ
てきた。

費用は、名前を載せるだけで、
ナ、何と、20万円!

+++++++++++++++

 最近、あちこちの雑誌を見ると、こんな記事が目につく。

 「団塊の世代に、売れ筋商品とは?」
 「ねらえ、団塊の世代のサイフ。その戦術と方法」
 「団塊の世代のポケットマネーが、日本を動かす」などなど。

 団塊の世代のもつお金(マネー)が、今、ねらわれている。こうした商法まとめて、『団
塊商法』という。

その団塊商法と同じレベルで考えてよいのかもしれない。電話による何かの勧誘が、こ
のところ、たてつづけにある。先日は、「名鑑」。「T著名人名鑑にあなたの名前を載せま
せんか」という内容のものだった。「T」というのは、日本を代表する興信会社の名前。

 私はこの種の勧誘については、即座に、断ることにしている。100のうち99は、イ
ンチキもしくは詐欺。英語では、FAKE(フェイク)。

 が、それから数日後、勝手に書類が送り届けられてきた。見ると、どこでどう調べたの
か、私の名前と住所、それに私の家の電話番号がタイプされている。さらに職業まで!

ワ「どこで調べたのかしら?」
私「たぶん、同窓会名簿か何かで調べたんだろう」
ワ「いやね。気味が悪いは……」と。

 そこで読むと、裏に、こう書いてある。「訂正箇所があったら、訂正して送り返してくだ
さい。訂正箇所がないばあいは、そのまま送り返してください。何も返事がないばあいは、
訂正箇所なしということで、そのまま掲載させていただきます」と。

 「何も返事がないばあいは、訂正箇所なしということで、そのまま掲載させていただき
ます」だと! ギョッ!

 一方で、掲載費用、20万円とある。つまり何も返事をしないでおくと、相手は勝手に
私の名前と住所を、その「T著名人名鑑」とやらに載せ、20万円を請求してくることに
なる。最初の電話で、私が、「承諾」したことになっているらしい。

 で、こういうばあい、どうするか?

 1に無視。2に無視。3に無視。「載せないでくれ」という返事も書く必要はない。一応、
届いた書類は、あとあとのために保存しておく。

 しかし私のばあい、まだ判断力があるからよい。私の年代になると、何分の1かの人た
ちは、頭の働きが鈍くなる。こうした書類を見ると、そのまま名前を書いて、返送してし
まうかもしれない。

 あるいはあとで費用を請求されたとき、そのまま、その費用を支払ってしまうかもしれ
ない。中には、20万円を出してでも、名を残したいと思っている人もいるかもしれない。
しかしこうしたやり方も、『団塊商法』のひとつと考えてよいのでは……?

 ついでに一言。

 冒頭に書いたように、今、団塊の世代のサイフが、ねらわれている。ねらうのは勝手だ
が、ねらわれるほうは、あまり気持ちのよいものではない。それに誤解が、ひとつ、ある。

 自分もその1人になったわけだが、団塊の世代といっても、この世代は、今、老齢期の
入り口に立っている。未来は、暗い。道にたとえるなら、その先はどんどんと細くなり、
さらにその先は、黒いモヤに包まれている。仮に2000万円の退職金を手にしたとして
も、若いときのように、それをパッパッと消費する気分にはなれない。

 つまりケチ。保守的。守銭奴。団塊の世代のサイフをねらうくらいなら、もっと別の世
代のサイフをねらったほうが、よい。そのほうが、ずっと楽。

(付記)

 いらぬ情報だが、団塊の世代といっても、それぞれ60年も人生を歩んできた人たち。
もしその団塊の世代のサイフをねらって商売をしたいと考えるなら、それぞれの人の趣味
と実益に合わせて、きめこまかく、商売するのがよい。

 大きく網(アミ)を張って商売をしかけても、無駄ばかりが多くなり、うまくいくはず
がない。

 まあ、あえて言うなら、健康器具、健康薬品、運動用具などが、団塊の世代を相手にす
るなら、売れ筋商品ということになるのでは?


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●血栓性の認知症

+++++++++++++++++

認知症になる原因にもいろいろあるが、
その中のひとつ。血管の内部に血栓ができ、
それが脳の中の血管をつまらせ、
それが原因で、認知症になるというのも
あるという。

++++++++++++++++

 東海大学脳神経外科のHPには、「アテローム血栓性脳梗塞(こうそく)」について、こ
うある。「アテローム」というのは、『「粥状硬化」ともいわれ、血管の内部に脂肪や石灰な
どが沈着して、内腔がせまくなる、血管の変性のことです』と。

『脳内の太い血管(主幹動脈)や、頚動脈の動脈硬化が進行し、血管内に血栓ができ、
つまることにより起こります。

  従来は欧米人に多く、日本人にはまれといわれていました。しかし食生活の欧米化に伴
い、日本人にも増加してきています。

発症の前駆症状として、一過性脳虚血発作(TIA)が先行することがあり、安静時に
起こりやすく、症状の経過はゆっくりで、徐々に悪くなる、いわゆる「階段状の進行」
をとりやすいとされています。

症状はラクナ梗塞同様の症状に加えて、軽い意識障害や、「思った通りの言葉が出ない」
「視界の一部が欠けている」といった、脳の広い範囲の障害を思わす症状がみられること
があります。

CTやMRIでは、比較的広範囲に病変を認め、その直径は1・5センチ以上です。

初期は軽症でも、放置すると重症化しやすいため、精密な検査、治療を一刻も早く開始
する必要があります』と。

 また「ラクナ梗塞」については、つぎのようにある。

『脳の深部の細い血管がつまることによって起こります。 日本人に多く、脳梗塞の約半
数を占めます。

原因としては高血圧が最も重要で、そのほか糖尿病もあげられます。
 
発症の前触れ(前駆症状)はないか、まれで、安静時の発症が多く、比較的ゆっくり進
行していきます。
 
症状は、「手足がしびれる」「手足の力が入らない」「ろれつが回りにくい」などといった
症状が、単一で起こる場合が多いようです。

細い血管がつまることによって起こるため、CTやMRIで見ると、直径1・5センチ
以下の小さい病変です。

 しかし血栓性脳梗塞については、何もCTやMRIによる検査に頼らなくても、顔の表
情からでもわかるという。ある精神科医が、そう話してくれた。その話を参考に、自分な
りにまとめてみると、こうなる。

 何となく顔の肌が、ボテッとしまりない。水ぶくれのように太っていて、肌の色にもツ
ヤがない。話し方もアップアップした感じになり、たどたどしくなる、など。東洋医学で
も、同じようなことを教えている。

 が、問題は、梗塞そのものよりも、梗塞が原因で起こる、認知症である。脳みそがダメ
ージを受ければ、当然、その分だけ、脳の機能が低下する。ボケる。私の知人に、今年、
65歳くらいになる女性がいる。

 その女性だが、長いこと、糖尿病を患っている。今は、毎日のインシュリン注射が欠か
せない。その女性も、ここでいう血栓性の脳梗塞が疑われる。顔の様子も、ここに書いた
とおり。ワイフがこう言った。

 「そう言えば、あの人も、同じ話を、何度も繰りかえすわよ。それにズケズケとものを
言うわよ。みんなの前で、突然、相手の人を批判したり、ね。そのため、このところ、み
んなに嫌われ始めている」と。

 アテローム血栓性脳梗塞?
 ラクナ梗塞?

 ……それにしても、いろいろな病名があるものだ。少し前も私は、家庭医学書を見て、
ゾッとしたことがある。800ページ近い医学書だったが、そこには、ぎっしりと、いろ
いろな病名が書かれていた。

 言いかえると、健康であるということは、こうした無数の病気をたくみに避けながら生
きていくということということになる。簡単なことではない。たとえて言うなら、天から
降り注ぐ雨を避けて歩くようなもの。生きていること自体、奇跡のようなものだが、健康
であるということも、これまた奇跡のようなもの。

 話がそれたが、こうした脳梗塞を防ぐには、どうしたらよいか。

 私は、日々の体の鍛錬(たんれん)しか、頭に思いつかない。わかりやすく言えば、運
動。健康雑誌などによれば、週3回ほど、30分〜1時間前後の運動をして、軽く汗をか
くとよいというようなことが書いてある。

 もちろん、これより多ければ多いほど、よい。またそれだけの運動量で足りる人もいれ
ば、そうでない人もいる。私のばあいは、週4、5日、約1時間前後、自転車で運動をし
ている。が、このところ、それでも少ないのではと、感ずるようになった。数日、運動を
しない日がつづいただけで、脳みその働きがぐんと低下するのが、実感としてわかる。

 あとは水分補給? みなさんも、脳みその健康には、くれぐれも、お気をつけください。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●小ずるい人とは、つきあわない
 
+++++++++++++++++++++

小ズルイ人とつきあっていると、こちらまで、
その影響を受ける。小ズルクなってしまう。

それを証明するような話を、私はA氏(45歳)
という人から聞いた。

+++++++++++++++++++++

 小ズルイ人とつきあっていると、こちらまでその影響を受ける。小ズルくなってしまう。
それを証明するような話を、私はA氏(45歳)から聞いた。

 A氏は、長い間、地元のある製造会社に勤めていた。その会社の上司のことだが、たい
へん小ズルイ人だったという。出張費をうまく浮かして小遣いにするなどということは、
朝飯前。ときには、A氏に、その裏工作を言いつけてくることもあったという。

 取り引き先との交渉もそうで、何か都合の悪いことがあったとすると、言葉たくみに、
それを煙に巻いてしまっていたという。口のうまい人だったらしい。あるいは部下のA氏
たちの責任にしたこともあるという。A氏は、こう言う。

 「そういうズルイ上司と仕事をしていると、私たち部下まで、おかしくなってしまうの
ですね。最初は、少し抵抗感を覚えるのですが、やがて、『あの上司にならいいや』という
気持ちになるのです。そして気がついてみると、自分たちも、上司がしていることと、ま
ったく同じことをしているのです」と。

 つまり(上司の小ズルイ様子を見ている)→(上司に対して小ズルイことをする)→(そ
れがたび重なる)→(今度は、自分自身も、部下に対して小ズルイことをするようになる)、
と。

 いつか反面教師の限界について、書いた。たとえば自分の父親なら、父親でもよい。そ
の父親のいやな面を見ながら、「私は、ああいう父親にはならないぞ」と思っていても、い
つしか気がついてみると、自分自身が、その父親そっくりの人間になっていたりする。そ
ういうことはよくある。

 もしあなたの近くに反面教師がいたとする。その反面教師についてだが、ただ批判する
だけでは、足りない。その反面教師を乗り越えるだけの哲学なり、倫理観をもつ。それを
しないと、やがてその反面教師に餌食(えじき)になってしまう。つまり反面教師そっく
りの人間になってしまう。

 (悪)のもつ力は、それほどまでに強力である。

 ではどうするか?

 いちばん手っ取りばやい方法は、批判することもやめて、無視する。無視して、その人
のことは考えない。心の中で、その人のことを考えない。そして自分は自分で、自分の道
を進む。できれば、そういう小ズルイ人を、自分の周辺に置かない。

 が、問題は、親子。親子となると、そうはいかない。毎日、目の前で見ている。接して
いる。もし私やあなたの親が、ここでいうような小ズルイ人だったら、どうするか?

 私は、『相手にしない』という方法を勧める。またそれしか方法はないのではないか。で
きれば批判することもやめる。「うちのオヤジは……」と、批判を始めたとたん、その親の
もつ毒気に染まってしまう。

 で、ここからが育児論。

 もしあなたが今、親なら、子どものためというよりも、あなた自身のためにも、小ズル
イ部分があったら、それと戦って、自分で消しておく。それはささいなことから始まる。

 信号が黄色になったら、車の速度を落とす。(この浜松では、黄信号は、「アクセルをふ
かして、突っ走れ』」というふうに理解されている。おかげで、交通事故率、全国ワースト・
ワン!)。

 駐車場があいてなければ、あくまで、じっと待つ。

 ゴミや空き缶は、所定の場所に捨てる、など。

 こうした日々の行為が積み重なって、月となり、年となる。そしてそれが長い年月を経
て、あなたの人格を構成する。つまりそれを見て、あなたの子どもは、あなたをいつか、
ひとりの人間として、評価するようになる。

 反面教師になるのが悪いというのではない。そこに哲学があり、一本の筋が通っている
なら、それはそれでよい。それを発達心理学の世界でも、「一貫性」という。小ズルイ人間
には、その一貫性すらない。

 私たちは、親として、そういう親だけには、なってはならない……と思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●とうとう買ったぞ!

+++++++++++++++++++++++++

息子たちよ、よく聞け!

とうとう買ったぞ、ビスタ、Ultimate!
CPUは、インテルCore(TM)2Duo
プロセッサ、E6600!
メモリは、DDR2・SDRAM、2048MB!
ハードディスクは、250GB!
グラボーに、NVIDIA、GeForce7600GT!
16倍速のDVDスーパーマルチドライブ(RW)!

それに加えて、Office・2007!

ハハハ!
すごいだろ!

++++++++++++++++++++++++

 とうとう買ったぞ、高性能のパソコン! 今のところ、20万円前後(モニターなし)
で、これ以上の性能をもつパソコンは、発売されていない。手元に届くのは、5月2日ご
ろ。ちょうど連休中。今は、その仕様書をながめながら、ワクワクしている。

 しかしこれはすごいパソコンだア! 驚くほど、すごい! 言い忘れたが、マザーボー
ドは、インテルのP965、Express!

 今、考えていることは、どうやって引越しをしようかということ。段取りをまちがえる
と、たいへんなことになる。古いほうに残っているデータ類やファイルは、すべて、一度、
外付けのハードディスクにコピーするつもり。各種ソフトの再インストール作業もある。
結構、めんどう。たいへん。しかし、それが楽しい。……楽しみ。

 モニターは、店頭で、自分の目で見て購入するつもり。先月、安物のモニター(19イ
ンチワイド)を購入したが、イマイチ、文字が不鮮明。とくに反転した白文字が、つぶれ
てしまう。

 それに私は日本製を買うつもり。値段は少し高くても、品質は、日本製がいちばんよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●『子育て格言・ママ100賢』

+++++++++++++++

最近、よく売れている育児書を
読んで、びっくり。

どこか、私の書いてきた本の内容に
そっくり。

おかしいぞ?

+++++++++++++++

 1993年の発行ということだから、もう14年も前になる。私は、山手書房新社とい
う出版社から、『子育て格言・ママ100賢』という本を出版してもらった。

 1巻、2巻、3巻の、計3巻である。

 この本を久しぶりに読みなおしてみる。私が、それまでの教材づくりの世界から足を洗
い、子育て論を書き始めたころの本である。

 イラストも自分で描いた。描いたというより、予算をつけてもらえなくて、しかたない
ので、自分で描いた。

 随所に未熟な見解、不勉強な部分、さらには読んでいて恥ずかしくなるような部分もあ
る。少し前までは、そういう部分ばかりが目立って、本を開くのもおっくうだった。だれ
かが「いい本ですね」と言ってくれても、即座に、「お世辞だ」と思ってしまった。しかし
当時の私は、当時の私。

 ところで最近、よく売れている育児書がある。それを読んでみて、驚いた。私の書いた
本の内容に、そっくり? 「?」と思ってはいるが、しかし私のほうは、すでに13〜5
年ほど前から、自分の本を書いている。つまり、私のほうが先。

 そういう育児書を書く人は、頭のよい人だから、(多分)、シッポをつかまれるようなヘ
マはしない。だからここで「私の本を盗作した」とか、「流用した」とは書けない。しかし
あ・や・し・い。あやしいものは、あやしい?

 そこで私は、13年前の本だが、すべてそのまま、HPに収録することにした。この本
は、絶版になっているから、HPに収録しても問題はない。またイラストも私が描いたも
の。

 興味のある方は、どうか私のHPのトップページから、『子育て格言・ママ100賢』へ
と進んでみてほしい。読んでみて、「そう言えば、ここに書いてあることと同じことが、あ
の本にも書いてある」と思ったら、そちらのほうの本を疑ってほしい。私の本のほうが、
古いので、私が盗作したということは、ありえない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子育て格言 ママ100賢 山手書房新社)


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司


●今朝・あれこれ(4月25日)

++++++++++++++

今朝は、雨。
ワイフは、クラブに。
私は、ひとり部屋にこもって、
パソコンに電源を入れる。

これから昼まで3時間。
ぽっかりとあいた、私の3時間。

まず、ニュースに目を通して、
つぎにワードを立ちあげる。

おもむろに、キーボードを
たたき始める。

++++++++++++++

●孔子

 春秋戦国時代の中国に、こつ然と現れたのが、孔子。551BC〜471BCごろの人
だとされる。

 その孔子は、「仁」と「礼」を説いた。彼の弟子たちが、孔子の教えを記録した『論語』
は、そののち、東洋思想の基盤となった。そのことは、いまさら、ここに書くまでもない。

 その「仁」とは何か? 「礼」とは何か?

 一般的には、仁とは、理想的な精神状態をいう。また礼とは、人が人として守るべき、
生活規範をいう。しかしここで重要なことは、孔子は一方で「仁」を説きながら、「大切な
のは、その仁に至るプロセスである」と説いている点である。

 仁とは、そういう意味では漠然(ばくぜん)とした概念であって、形はない。そういう
意味では、キリスト教でいう「神」、あるいは仏教でいう「仏」の概念と似ている。もっと
言えば、キリスト教的な「愛」、仏教的な「慈悲」に通ずる概念と考えてもよい。

 つまりゴールはないということ。大切なのは、そのゴールに向かって、日々に歩きつづ
けるということ。そこに人間の生きる価値がある。美しさがある。

 つぎに「礼」。

 おそらく孔子の生きた春秋戦国時代という時代は、荒廃した時代であったにちがいない。
そんな時代が、500年以上もつづいた。そういう現状を見ながら、孔子は、「礼」を考え
た。礼節の「礼」である。

 ここにも書いたように、礼とは、人が人として守るべき生活規範のことをいうが、もし
その礼を忘れたら、人は、そのまま動物(獣)と化す。が、その礼を守ることはむずかし
い。『衣食足リテ礼節ヲ知ル』ということからもわかるように、その前提として、人間らし
い生活基盤がなければならない。

 が、もちろんそれだけでは足りない。高い知性と理性。深い知識と経験。それらがあい
まって、高度な文化をつくる。その文化から生まれる文化性をもたなければならない。

 たとえば生活規範の一つとして、法律やルールがある。その法律やルールにしても、守
ればそれでよいというものではない。わかりやすく言えば、「法律やルールに触れないなら、
何をしてもよい」と考えるようでは、まだ足りない。

 礼とは、あくまでも、自分の心の問題である。自分の心が、それに納得するかどうかと
いう問題である。

 つまり仁にせよ、礼にせよ、「形」ではないということ。論語にしても、そんなことはど
こにも書いてない。にもかかわらず、この日本では、それらを「形」にしてしまった。「仁」
というと、すぐヤクザ的なものを連想してしまう? 「礼」にしても、「礼儀作法」と結び
つけて考えることが多い。

 形を整えたからといって、それでよいというものではない。私はこのことを、オースト
ラリアで知った。

 今でこそ笑い話に聞こえるかもしれないが、私はある日、ある教授が、自分の足を机に
あげて講義をしているのを見て、心底、驚いたことがある。まさに驚天動地! 当時の私
の常識では、理解しがたい光景だった。

 つまり日本的に言えば、その教授は、礼儀作法を知らないということになる。が、ある
とき、反対にこんなことにも気づいた。

 礼儀作法にきびしいからといって、その人が、「礼」を本当に知っているということには
ならないのではないか、と。ここにも書いたように、仁にせよ、礼にせよ、それらはあく
までも心の問題。心を離れて、仁などない。礼もない。礼儀作法があるとするなら、それ
はあくまでも結果。結果として、その人の内なる世界から生まれるもの。

繰りかえすが、「形」を整えたからといって、それでよいというものではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
孔子 仁 礼)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●移転登記

++++++++++++++

私の土地の一部が、私とワイフ、
それに母の3人の、共有財産に
なっている。

が、母は、今、こういう状態。
あとあとのために、母名義の
持分を、私の名義に書きかえる
ことにした。

+++++++++++++++

私の現在住んでいる土地の一部が、私とワイフ、それに母の3人の、共有財産になって
いる。が、母は、今、こういう状態。あとあとのために、母名義の持分を、私の名義に
書きかえることにした。

 母が万が一のときは、法律的には、「相続」という形で、名義を変更できる。しかしもし
万が一、私の方が先にあの世へ行くようなことにでもなれば、これまたやっかいなことに
なる。

 それで名義を書きかえることにした。が、これも、けっこう、めんどう。たいへん。

 まず市内の法務局に足を運んだ。書類などは、一応、そろえておいた。今では、インタ
ーネットを通して、書類のひな形は、簡単に入手できる。その書類のひな形を指示に従っ
て、書きなおす。プリントアウトする。

 が、問題は、母の住所。母は、今回浜松へ来るまでに、3度、本籍地を変更している。
その転籍証明書が必要、……などなど。

 こまかく書いても意味がないので、ここでは省略する。要するに、昨日、その手続きを
した。朝9時に法務局に出かけ、ついで市役所を回った。食事をして家に帰ってきたのが、
午後1時。が、これで片づいたわけではない。

 母の転籍証明書が手に入ったら、また法務局へ足を運ばねばならない。

私「ボケ防止のためだと思って、やればいいよ」
ワ「どうせヒマだしね」と。

 司法書士に頼むという方法もあるが、手数料だけでも、3〜4万円はかかる。それがい
やな人は、私のように、自分ですればよい。ここに書いた書類のひな形にしても、法務局
の相談窓口に行けば、ちゃんと用意してある。まず相談窓口の人に、相談してみるとよい。


●介護

 今朝、母を車椅子に乗せたまま、庭を案内した。雨はやんでいた。そのときのこと。

 母は、まわりの景色にはほとんど興味を示さなかった。かわりに、小さな花を目ざとく
見つけた。「きれいや」と、何度も喜んだ。

 忘れていた! 母は、花が好きだった!

 さっそく計画を立てる。

 ベッドの横に、台を置き、そこに室内花壇を作ってやろう。ワイフがクラブから帰って
きたら、近くのショッピングセンターに足を運ぶつもり。


●オメデタイ韓国政府

+++++++++++++++++++

韓国政府の元統一部長官が、これまた
オメデタイことを言った(4月24日)。

何でも「朝鮮半島の平和協定は南北が主体
となり、米中がこれを保証しつつ、国連が追
認するという(2+2+国連)方式がよい」と。

どうして朝鮮半島の平和と安全を、アメリカ
と中国が保障しなければならないのか?

こうした極端な自己中心性は、韓国のお家芸。
それはわかるが、それにしても……?

統一部というところは、イコール、K国の
韓国支局と考えてよい。

++++++++++++++++++

 2012年までに、韓国からアメリカ軍が撤退する。しかしこのままでは、2012年
までに、K国が核兵器はもちろん、核開発を放棄するということは、事実上、不可能にな
りつつある。

 「どうするのだろう?」と思っていたら、またまた韓国のI元統一部長官が、これまた
オメデタイことを言った。

 いわく、「朝鮮半島の平和協定は南北が主体となり、米中がこれを保証しつつ、国連が追
認するという(2+2+国連)方式を取るべき」(4月24日・19期民族和解アカデミーの
席で)と。

 わかるかな?

 南北の平和協定は、南北朝鮮が主体となって推進する。(やれるものなら、やってみたら
よい。どうぞ、ご勝手に!)

 その平和協定をアメリカと中国が、保障する。(アメリカや中国が、韓国の属国? どう
してアメリカや中国が、朝鮮半島の平和と安全を保障しなければならないのか?)

 そして最後に国連が、追認する。(どうして? 世界が、南北の平和協定を追認しなけれ
ばならないのか?)

 こうした極端な自己中心性は、たとえば「日本海」を「西海」と呼び変えていることで
もわかる。自国内だけでそう呼ぶのは構わないが、韓国政府は、世界中に特使まで派遣し
て、呼称を変えようとしている。

 日本海は、韓国にとっては確かに「西の海」だが、日本にとっては、「北の海」。ロシア
にとっては、「南の海」。どうして「日本海」であってはいけないのか。世界には、近くの
国の名前がついている海は、いくらでもある。

 もっとも韓国政府の統一部というところは、K国の韓国支部ととらえたほうが、わかり
やすい。その統一部のI元統一部長官は、つぎのような構想を述べた。

 「南北平和構築の課題としては、(1)米朝敵対関係の解消、(2)南北経済共同体の結
成、(3)軍事縮小を通じた軍事力均衡と通じた軍備統制、(4)時代に合わせた在韓米軍
の地位と役割の変更、(5)北東アジア安全保障協力体制の構築」と。

 しかしこのどれもが、ヘン?

(1)米朝敵対関係の解消……「敵対関係」というが、アメリカは、K国を敵などとは
思っていない。どうして敵なのか? そう言って騒いでいるのは、K国だけではないの
か? 日本にしても、そう。日本は、K国など、敵とは思っていない。K国が勝手に、
そう思いこんでいるだけ。あんな国、相手にしたくもない。相手にもならない。

(2)南北経済共同体の結成……韓国側がそう思うのは、勝手だが、肝心のK国側は、
そんなことは毛頭も考えていない。K国側は、朝鮮半島そのものを、自分のモノにした
がっている。

(3)軍事縮小を通じた軍事力均衡と通じた軍備統制……意味がよくわからないが、と
もにバランスのとれた軍事力ということか? しかしそれは風前のともし火。K国はす
でに核兵器を保有している。その前に、どうやって、K国の核兵器を廃棄させるのか? 
それとも、以前から韓国政府が言っているように、K国に核兵器を残したまま、南北統
一をするつもりなのか?

(4)時代に合わせた在韓米軍の地位と役割の変更……簡単に言えば、「アメリカ軍に出
て行け」ということか。韓国政府は、朝鮮半島有事の際には、50万人(数字は不正確)
のアメリカ軍が韓国を助けてくれるはずと一方で公言している。が、その一方で、韓国
外での有事の際には、在韓米軍の出動はならぬとも、公言している。

(5)北東アジア安全保障協力体制の構築……これから先、日本は、K国の核兵器にお
びえながら、K国と単独で対峙していかねばならない。K国の存在そのものが、日本に
とっては、脅威なのだ。にもかかわらず、何が、「協力体制」だ? 日本など、自分の意
のままに動かせると、I元統一部長官は、考えているらしい。

私は、むしろ逆だと思う。つまりK国を、まともな国という前提で考えること自体、ま
ちがい。あの国は、まともでではない。そのことは、今回の、6か国協議の流れを見て
もわかるはず。

 アメリカは、BDAへの制裁を解除すると約束した。(実際には、その時点では、制裁な
どしていなかった。取り引きを停止していただけ※。)それと引きかえに、K国は、核開発
の停止に向けて、初期段階措置をとると約束した。

 が、結果は、ご存知のとおり。K国は、預金を自由に引き出せる状態になっても、引き
出さなかった。あれこれ理由を並べて、それを渋った。アメリカがBDAを制裁したのは、
そのあとのことである。

 もちろんK国側が約束した初期段階措置は、まったくの手つかずのまま。

 拉致問題はもちろんのこと、K国の核開発問題を解決するためには、K国の政治体制を
変えるしかない。わかりやすく言えば、現在の金xx独裁体制を、崩壊させるしかない。
もし「対話」(金大中)で解決できるような問題であれば、とっくの昔に解決していたはず。
もしこのままズルズルと時間稼ぎをさせればさせるほど、K国は、さらにやっかいな国に
なる。

 韓国の統一部には、そういうことがまったくわかっていない。つまりここまでK国問題
をこじらせてしまったのは、韓国ということになる。今の今も、直接的、間接的に、毎年、
x00億ドル近い資金援助をしているという。

 かたや日本は、どうあるべきか?

 「対米追従外交」と酷評されようが、今の日本は、アメリカにすがるしかない。でない
というなら、どこのどの国が、K国の核開発問題を解決してくれるというのか? K国は
かねてより、「核開発は、日本向けのもの」と、公言してはばからない。

 中には、「1発や2発、東京で核兵器が爆発しても、たいした被害にはならない」(雑誌
「諸君」)と説く人もいる。しかしこれはとんでもない暴言である。その危険を感じただけ
で、外資は、すべて日本から引きあげていくだろう。

 もし1発でも東京のド真ん中で核兵器が爆発すれば、そのときから、日本に政治、経済
は、機能停止状態になる。

 日本は、もう一度、アメリカとの間で、日米関係を、再構築するしかない。つぎの6か
国協議は、それからの話である。
(この原稿は、07年4月25日に書いたものです。)

(注※)アジアでは、ドル決済は、すべて一度、アメリカの金融センターを経由すること
になっている。たとえばBDAからベトナムのX銀行に、1万ドルを送金するときも、直
接、BDA→X銀行に送金されるのではなく、一度、BDA→アメリカの金融センター→
X銀行、というように、一度アメリカの金融センターを経由しなければならない。現在、
そのアメリカの金融センターは、BDAとの取り引きを停止している。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●60歳

+++++++++++++++++

60歳までに、10人のうち、1人が、
死ぬという。
100人の同窓生がいるなら、10人
が死ぬことになる。
300人なら、30人……。

こういう話を聞くと、生きることは、
クジ引きのようなものだと思う。
そのつど、くじ引きに当たった人だけが
生き延びることができる。

自分の命が、何か、得体に知れないもの
によって、もてあそばれているみたいで、
恐ろしい。

++++++++++++++++

 暗い話でごめん。統計上では、60歳までに、10人のうち、1人が死ぬという(ある
生命保険会社のパンフレットより)。100人の同窓生がいるなら、10人が死ぬことにな
る。300人なら、30人……。

 夫婦でいうなら、60歳までに、5組に1組の夫婦が、配偶者を失うことになる。が、
問題は死ぬことではない。(……と私は、思う。)問題は、それまで、たいていの人は、長
い闘病生活を余儀なくさせられる。その闘病生活が、つらい。そんなわけで、自分のこと
でいうなら、「朝、家人が見に行ったら、ふとんの中で死んでいた」というような死に方を
したい。もしそうなら、いつ死んでもよい。その覚悟は、できている。

 で、10人に1人というが、10人に2〜3人は、現在、その闘病生活を送っている。
半病人という人となると、もっと多いかもしれない。

 こうして考えていくと、生きるということは、くじ引きのようなもの。そのつど、人は
くじを引き、そのくじに当たった人だけが、生き延びることができる。私やあなたという、
個人の力では、どうにもならない。よい例が、がんである。

 自分の中に、自分でないものが生まれ、その自分でないものが、自分さえも殺してしま
う。当然、そのとき、自分でないものも死ぬ。死ぬと言うより、自滅する。

 そのがんになるかならないかは、確率の問題であって、個人の問題ではない。個人の力
では、どうにもならない。つまり私たちの命は、いつも、得体の知れない何かによって、
もてあそばれている。私は、そこに生きることの恐怖を感ずる。

 そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「だったら、生きているということだけでも、すばらしいことね」と。

 そう、何もかも、落ち目、落ち目の私だが、健康で、今、こうして自分の好きな仕事が
できるということだけでも、ありがたい。大切なことは、(その日)まで、懸命に生きるこ
と。悔いのない人生を送ること。自分を完全燃焼させながら、生きること。

(1)今日できることは、明日に回さない。今できることは、あとに回さない。
(2)何ごとも、とくに楽しいことは、先手、先手で、実行していくこと。

 たった今、いつもの生活訓を、自分に言ってきかせた。

 そうそう、忘れてならないのは、10人のうち1人は、100歳まで生きることができ
るということ。そう考えて、ここは前向きに生きていこう。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●代償的過保護

 親の過干渉、過関心、プラス過剰期待が、子どもをいかに苦しめるものであるか。親は、
「子どものため」と思ってそうしますが、子どもにとっては、そうではないのですね。そ
の苦しみは、苦しんだものでないと、わからないものかもしれません。

 発達心理学の世界にも、「代償的過保護」という言葉があります。一見、過保護なのだが、
ふつう過保護には、それがよいものかどうかは別として、その基盤に親の愛情があります。
その愛情が転じて、過保護となるわけです。が、中には、愛情のともなっていない過保護
があります。それが「代償的過保護」ということになります。言うなれば、過保護もどき
の過保護を、「代償的過保護」といいます。

 たとえば子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思うのが、代償
的過保護です。そして親自身が感ずる、不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 「こんな成績で、どうするの!」「こんなことでは、A学校には、入れないでしょ!」「も
っと、勉強しなさい!」と。

 その原因はといえば、親の情緒的未熟性、精神的欠陥があげられます。親自身が、心に
キズをもっているケースもありますし、それ以上に多いのが、親自身が、自分の結婚生活
に対して、何か、大きなわだかまりや不満をもっているケースです。

 わかりやすく言えば、満たされない夫婦生活に対する不満を、子どもにぶつけてしまう。
自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに求めてしまう。明けても暮れても、考えるの
は、子どものことばかり、と。

 しかし本当に子どもの立場になって、子どもの心を理解しているかといえば、そういう
ことはない。結局は、自分のエゴを、子どもに押しつけているだけ。よい例が、子どもの
受験競争に狂奔している母親です。(父親にも多いですが……。)

 このタイプの親は、子どもには、「あなたはやればできるはず」「こんなはずはない」「が
んばりなさい」と言いつつ、自分では、ほとんど、努力しない。いつだったか、私が、そ
んなタイプの母親に、「では、お母さん、あなたが東大に入って見せればいいじゃないです
か」と言ったことがあります。すると、その母親は、はにかみながら、こう言いました。「私
は、もう終わりましたから……」と。

そして、すべてのエネルギーを、子どもに向けてしまう。それが親として、あるべき姿、
もっと言えば、親の深い愛情の証(あかし)であると誤解しているからです。

●親の過剰期待

 が、何が子どもを苦しめるかといって、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはあ
りません。子どもは、その重圧感の中で、もがき、苦しみます。それを表現したのが、イ
プセンの『人形の家』ですね。それについては、もう何度も書いてきましたので、ここで
は省略します。子どもは子どもで、まさに「人形」のような子、つまり「人形子」になっ
てしまいます。

 「いい子」を演ずることで、自分の立場をとりつくろうとします。しかし人形は人形。
どこにも、「私」がない。だから、このタイプの子どもは、いつか、その成長段階で、自分
を取りもどそうとします。「私って、何だ!」「私は、どこにいる!」「私は、どうすればい
いんだ!」と。

 それはまさに、壮絶な戦いですね。親の目からすれば、子どもが突然、変化したように
見えるかもしれません。そのままはげしい家庭内暴力につながることも、少なくありませ
ん。

 (反対に、親にやりこめられてしまい、生涯にわたって、ナヨナヨとした人生観をもっ
てしまう子どももいます。異常なまでの依存性、異常なまでのマザコン性が、このタイプ
の子どもの特徴のひとつです。中には、40歳を過ぎても、さらに50歳を過ぎても、母
親の前では、ひざに抱かれたペットのようにおとなしい男性もいます。)
 
 ……だからといって、Vさんがそうだったとか、Vさんのお母さんが、そうだったと言
っているのではありません。ここに書いたのは、あくまでも、一般論です。

 ただ注意したいことは、2つあります。

●批判だけで終わらせてはいけない
 
ひとつは、Vさんは、自分の母親を見ながら、反面教師としてきたかもしれませんが、
自分自身も、自分の子ども、つまりY男君に対して、同じような母親になる可能性が、
たいへん高いということです。「私は、私の母親のような母親にはならない」と、いくら
がんばっても、(あるいはがんばればがんばるほど)、その可能性は、たいへん高いとい
うことです。

 子育てというのは、そういう点でも、親から子へと、伝播しやすいと考えてください。
今はわからないかもしれませんが、あとで気がついてみると、それがわかります。「私も、
同じことをしていた」と、です。どうか、ご注意ください。

●基本的信頼関係

 もうひとつは、情緒的未熟性、精神的な欠陥の問題です。(Vさんが、そうであると言っ
ているのではありません。誤解のないように!)

 最近の研究によれば、おとなになってからうつ病になる人のばあい、そのほとんどは、
原因は、乳幼児期の育てられ方にあるということがわかってきました。とくに注目されて
いるのが、乳幼児期のおける母子関係です。

 この時期に、(絶対的な安心感)を基盤とした、(基本的信頼関係)の構築に失敗した子
どもは、不安を基底とした生き方をするようになってしまうことが知られています。「基底
不安」というのがそれです。おとなになってからも、ある種の不安感が、いつもついてま
わります。それがうつ病の引き金を引くというわけです。

また、ここでいう(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的
な受け入れ)を言います。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味です。

 つまり子どもの側からみて、「どんなことをしても、許される」という、絶対的な安心感
のことをいいます。これが(心)の基本になるということです。心理学の世界でも、こう
して母子の間でできる信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼んでいます。

(あくまでも、「母子」です。この点においては、父親と母親は、平等ではありません。
子どもの心に決定的な影響を与えるのは、あくまでも母親です。あのフロイトも、そう
言っています。)

 そのためには、子どもは、(望まれて生まれた子ども=wanted child)でな
ければなりません。(望まれて生まれた子ども)というのは、夫婦どうしの豊かな愛情の中
で、愛情に包まれて生まれてきた子どもという意味です。

 が、そうでないケースも、多いです。たとえば(できちゃった婚)というのがあります
ね。「子どもができてしまったから、しかたないので結婚しよう」というのが、それです。
夫婦の愛情は、二の次。だから生まれてきた子どもへの愛情は、どうしても希薄になりま
す。

それだけですめばまだよいのですが、そのため親は親で、(とくに母親は)、子育てをし
ながら、そこに犠牲心を覚えるようになる。あるいは、そのまま自分の子どもを、溺愛
するようになる。

●絶対的な母子関係

 「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」を、口ぐせにする親は、た
いていこのタイプの親と考えてよいです。もともと夫婦の愛情が基盤にあって生まれた子
どもではないからです。

 一方、子どもは子どもで、そういう母親でも、親であると、自分の脳みその中に、本能
に近い部分にまで刷りこみます。やはり最近の研究によれば、人間にも、鳥類(殻から出
てすぐ二足歩行する鳥類)のような、(刷りこみ=imprinting)があることがわ
かってきました。これを「敏感期」と呼んでいます。

 つまり子どもは子どもで、そういう環境で育てられながらも、「産んでいただきました」
「育てていただきました」「大学まで出していただきました」と言い出すようになります。

 つまり、親の子どもへの依存性が、そのまま、今度は、子どもの親への依存性へと変化
するわけです。

 これがここでいう「伝播」ということになります。わかりますか?

 そしてそれは、先にも書きましたように、今度は、あなたという(親)から、あなたの
(子ども)へと伝播する可能性があるということです。そういう意味では、『子育ては本能
ではなく、学習』ということになります。あなたの子どもはあなたという母親を見ながら、
今度は、それを自分の子育て観としてしまう!

 では、どうするか?

●「私」をつくる3つの方法

 自分の親を反面教師とするならするで、批判ばかりでは終わってはいけないということ
です。また今は、「仏様」(Vさん)のようであるからといって、過去の母親を、許しては
いけないということです。

 あなたはあなたで、親というより、人間として、別の人格を、自分でつくりあげなけれ
ばなりません。それをしないと、結局は、あなたは、自分の親のしてきたことを、そっく
りそのまま、今度は、自分の子どもに繰りかえしてしまうということになりかねません。
 
そのために、方法はいくつかありますが、ひとつは、すでにVさん自身がなさっている
ように、(1)過去を冷静にみながら、(2)自己開示をしていくということです。わか
りやすく言えば、自分を、どんどんとさらけ出していくということです。そしてその上
で、(3)「私はこういう人間だ」という(私)をつくりあげていくということです。

 いろいろ事情はあったのでしょうが、またほとんどの若い母親はそうであると言っても
過言ではありませんが、あなたの母親は、そういう点では、情緒的には、たいへん未熟な
まま、あなたという子どもを産んでしまったということになります。(だからといって、あ
なたの母親を責めているのではありません。誤解のないように!)

 子どもから見れば、どんな母親でも、絶対的に見えるかもしれません。が、それは幻想
でしかないということです。ここに書いた、(刷りこみ)によってできた幻想でしかないと
いうことです。

 それもそのはず。子どもは、母親の胎内で育ち、生まれてからも、母親の乳を受けて、
大きくなります。子どもにとっては、母親は(命)そのものということになります。しか
し幻想は幻想。心理学の世界では、そうした幻想から生まれる、もろもろの束縛感を、「幻
惑」と呼んでいます。

 で、私もあるとき、ふと、気がつきました。自分の母親に対してです。「何だ、ただの女
ではないか」とです。私も、「産んでやった」「育ててやった」という言葉を、それこそ、
耳にタコができるほど、聞かされて育ちました。だからある日、こう叫びました。私が高
校2年生のときのことだったと思います。

 「いつ、オレが、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

 それが私の反抗の第一歩でした。で、今の私は、今の私になった。もしあのとき反抗し
ていなければ、ズルズルと、マザコンタイプの子どものままに終わっただろうと思います。
(もっとも、それで家族自我群がもつ重圧感から、解放されたというわけではありません
が……。)

●Vさんへ、

 ……とまあ、Vさんに関係のないことばかりを書いてしまいました。Vさんからのメー
ルを読んでいるうちに、あれこれ思いついたので、そのまま文にした感じです。ですから、
どうか、仮にお気にさわるような部分があったとしても、お許しください。

 子育てを考えるということは、そのまま自分を考えることになりますね。自分を知るこ
ともあります。私も多くの子どもたちに接しながら、毎日、それこそいつも、「私って何だ
ろう」「人間って何だろう」と、そんなことばかりを考えています。

 以上、何かの参考になれば、うれしいです。また原稿ができまたら、送ってください。
いっしょに、(自己開示)を楽しみましょう! どうせたった一度しかない人生ですから、
ね。何も、それに誰にも、遠慮することなんか、ない。

 だって、そうでしょ。私も、Vさんも、「私」である前に、1人の人間なのですから……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
家族自我群 幻惑 過干渉 過関心 代償的過保護 自己開示 はやし浩司 親の過干渉 
過干渉児)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人形期から反抗期前夜へ

++++++++++++++++

子どもは、親の人形であること
によって、身の保全を図ろうと
する。この時期を、「人形期」と
いう。

親の前でいい子ぶる。
親の期待に答えようとする。
「うちの子はやればできるはず」と
親に思わせることによって、
自分の立場を確保する子どももいる。

が、その時期は、小学3年生前後まで。
この時期を境に、子どもは急速に
親離れを始める。つづいて反抗期へと
入っていく。

++++++++++++++++

 子どもは、満4・5歳〜5・5歳から、幼児期を脱して、少年、少女期に入る。以後、(1)
人形期→(2)反抗期→(3)モラトリアム(猶予)期→(4)自己同一性期を経て、お
となへと成長していく。

 そのうちの人形期の特徴としては、つぎのようなものがある。

(1)親が描く子ども像を敏感に察知して、その像に合わせて自分を演出する。
(2)親の期待に答えられる子どもであるという期待感を、親にもたせようとする。
(3)ものの考え方が、隷属的、依存的になりやすい。
(4)いい子ぶることによって、仮面をかぶったり、二面性をもつこともある。

 この時期、親の存在感が強すぎると、子どもは、その存在感に押しつぶされる形で、マ
ザーコンプレックスやファーザーコンプレックスをもちやすくなる。そのためにも親やお
となのもつ優位性を、子どもに押しつけないこと。あるいは子どもが親離れを始めたら、
親離れしやすい環境を用意する。

 人形期から反抗期への移行に失敗すると、子どもは、いわゆる「人形子」(イプセン、「人
形の家」)になる。未成熟なまま、おとなになる。子どもの側からすると、そのあとの自己
の同一性の形成がしにくくなる。

 人形子ほど、そのあと、親子の呪縛に苦しむことは、よく知られている。これを心理学
の世界でも、「幻惑」と呼ぶ。「親だから……」「子だから……」という『ダカラ論』にしば
られる。ふつうの苦しみではない。ある男性は、それを、「悶々と、いつ晴れるともわから
ない苦しみ」と表現した。「親子でも、よい関係であるなら、そういうこともないのでしょ
うが、私のばあいは、そうではありませんでした。私は父を、ずっと憎んでいました。私
が解放されたと感じたのは、父親が死んだときです」とも。

 少しずつだが、(親の前で見せる自分)と、(本当の自分)との間のギャップを感ずるよ
うになる。こうして子どもは、いわゆる(反抗期前夜)を迎える。

++++++++++++++++

●ゆりもどし現象

++++++++++++++

子どもは、突然、親離れをするの
ではない。

ときにおとなびてみたり、ときに
幼児ぽくなったりを繰りかえしな
がら、徐々に親離れをする。

これを『ゆりもどし現象』と、
私は呼んでいる。

数年前に書いた原稿をそのまま、
ここに載せる。

++++++++++++++++

●巣立ち

++++++++++++++++++

岐阜県在住の、Yさん(母親)より、
こんな相談があった。

「高校2年の息子と、断絶状態にあるが、
どうしたらいいか」と。

メールには、「転載、引用、お断り」と
あったので、詳しくは、紹介できない。

++++++++++++++++++

 岐阜県のF市に住む、Yさんという方より、こんな相談があった。家族構成は、わから
ない。

 Yさんは、目下、Yさんの、高校2年生になる息子と、断絶状態にあるという。それに
ついて、「どうしたらいいか」と。

 メールには、「転載、引用、お断り」とあった。私のほうで、簡単にまとめてみる。

(1)朝食を食べないで学校へ行く。用意しても無視する。
(2)ときどき、学校をサボって、部屋の中に引きこもってしまう。
(3)部屋の中で、何をしているかわからない。
(4)小遣いがあると、ヒーローものの人形を、買い集めている。
(5)夕食も、ひとりで食べる。家族との接触を避ける。
(6)会話は、ない。話しかけると、すぐけんかになってしまう。
(7)けんかといっても、一方的にキレてしまい、会話にならない。
(8)「(中学時代)、行きたくもない塾に行かされた」と、Yさんを責める。
(9)「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Yさんを責める。
(10)無気力状態で、勉強をしない。成績はさがった。
(11)中学2年生ごろまでは、いい子で、Yさんに従順だった。
(12)中学生のころには、成績もよく、クラスでもリーダー的な存在だった。

 子どもは小学3、4年生を境に、急速に親離れを始める。(ほとんどの親は、それに気が
つかないが……。)この時期、たいていの親は、「うちの子にかぎって……」「まだ何とかな
る……」と考えて、子どもの心を見失う。あるいは「親離れ」というものが、どういうも
のかさえ、わかっていない。

 ただ「親離れ」といっても、一次直線的に、親離れしていくのではない。ときに幼児ぽ
くなったり、ときに、妙におとなびてみたりを繰りかえしながら、徐々に親離れしていく。
これを「ゆりもどし」と呼ぶ。

 女児であれば、この時期を境に、父親との入浴をいやがるようになる。男児であれば、
学校でのできごとを話さなくなったりする。同時に、第3世界(子供どうしの世界)が、
急速に拡大する。相対的に第1世界(家族の世界)が、小さくなる。

 そのあと、子どもは、思春期に入り、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になる。
自我(私は「私」でありたいという意識)が強くなってくると、「私さがし」を始めるよう
になる。

 そのとき自己概念(私は、こうでありたいという自己像)と、現実自己(現実の自分)
が一致していれば、その子どもは、たいへん落ちついた様子を見せる。自己の同一性(ア
イデンティティ)が、確立されているからである。

 が、この両者が不一致を起こすと、子どもは、(おとなもそうだが)、ここに書いたよう
に、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になる。これを「同一性の危機」と呼ぶ。
わかりやすく言えば、心が、スキマだらけになる。誘惑に弱くなり、当然、非行に走りや
すくなったりする。

 それは、たとえて言うなら、嫌いな男性と、いやいや結婚した女性の心理に似ている。
あるいは不本意な仕事をしている男性の心理に似ている。

 こうした状態が慢性的につづくと、それがストレッサーとなって、子どもの心をゆがめ
る。それから生まれる抑うつ感が、うつ病などの精神病の引き金を引くこともある。それ
はたいへんな抑うつ感といってよい。決して、安易に考えてはいけない。

 Yさんの息子は、メールを読むかぎり、小中学生のころは、親に従順で、(いい子)であ
ったようである。Yさんも、それに満足していた。そして多分、世間で起きているような
子どもの非行問題を横目で見ながら、「うちの子は関係ない」「うちの子は心配ない」と思
っていたはずである。

 が、そんな子どもでも、ある時期から、急変する。その時期は、ここにも書いたように、
内的な性的エネルギーが急速に肥大化する、思春期ということになる。

 大きく分けて、(1)攻撃型と、(2)引きこもり型がある。症状はまったく反対だが、
引きこもり型でも、突発的にキレて、大暴れすることも、珍しくない。

 Yさんの息子について、いくつか気になる点は、過去の問題をとりあげて、被害妄想的
に、それを親の責任にしていること。「行きたくもない塾に行かされた」「こんなオレにし
たのは、お前だ」という言葉に、それが集約されている。

 しかしこうした言葉を、Yさんに浴びせかけるようであれば、まだ症状は軽いとみる。
この段階で、対処のしかたを誤ると、子どもは、さらに二番底、三番底へと落ちていく。
はげしい家庭内暴力を繰りかえしたり、あるいは数年単位の引きこもりを繰りかえしたり
するようになる。(ご注意!)

 で、こういう症状が出てきたら、鉄則は、ただ1つ。

(1)今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えながら、1年単位で様子をみる。
(2)進学、学習は、あきらめて、なるように任す。高校中退も念頭に入れる。
(3)「がんばれ」「こんなことでどうするの」式の励まし、脅しは、タブー。
(4)キレる状態がはげしければ、一度、心療内科で相談してみる。

+++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、
ここに添付しておきます。

+++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親
子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけ
なければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくな
り、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言っ
たまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉
で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに
苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、
じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生は手
記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもう
この世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道
を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。
 
++++++++++++++++

 問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない家庭はない。いわんや、親の願
いどおりに育っていく子どもなど、さらに、いない。つまり子育てというのは、そういう
もの。またそういう前提で、子育てを考える。

 Yさんの息子のケースでは、遠くは、母子間の信頼関係が、じゅうぶん育っていなかっ
たことが考えられる。心配先行型の子育て、不安先行型の子育てだった可能性は、じゅう
ぶん、考えられる。あるいはそれ以上に、Yさん自身の過関心、過干渉があったことも、
考えられる。子どもの心を確かめないまま、子育てをしてきた。親のリズムだけで、子育
てをしてきたかもしれない。

 だからYさんの息子は、思春期に入るまでは、(いい子)だった。子どもの側から見れば、
(いい子)であることによって、自分の立場をとりつくろってきた。が、ここにきて、一
変した。Yさんにとっては、つらい毎日かもしれないが、それも巣立ちと考えて、親は、
1歩、退くしかない。

 子どものことは、子どもに任す。もしYさんの心が袋小路に入って、悶々とするような
ら、つぎの言葉を念ずればよい。

 『許して、忘れる。あとは時の流れに任す』と。

 子育てというのは、基本的には、そういうもの。あるいはYさん自身は、どうであった
かを考えてみるのもよい。あなたは、あなたの親に対して、ずっと(いい子)であっただ
ろうか。たいていの人は、「私には問題がなかった」と思っているが、そう思っているのは、
その人だけ。

 先にも書いたように、子どもは、小学3、4年生を境に、急速に、親離れをする。しか
し親は、それに気がつかない。親が、子離れするようになるのは、子どもが高校1、2年
生になったころ。

 「このクソババア!」と叫ばれて、はじめて親は、自分に気がつく。そして子離れをす
る。それはさみしくも、つらい瞬間かもしれない。しかしそれを乗り越えなければ、子ど
もは子どもで、自立できなくなってしまう。

 忘れていけないのは、Yさん自身も苦しいかもしれないが、それ以上に苦しんでいるの
は、子ども自身だということ。その子どもが今、懸命に、Yさんの助けを求めている。が、
肝心のYさん自身は、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 こんな状態で、どうしてYさんの息子が、Yさんに、自分の悩みや苦しみを、心を開い
て話すことができるだろうか。

 先にも書いたが、こうした問題には、必ず、二番底、三番底がある。今の状態を、決し
て「最悪」と考えてはいけない。むしろ事実は逆で、Yさんの息子は、まだじゅうぶん立
ちなおることができる状態にある。悪い面ばかり見るのではなく、息子のよい面もみる。
ほかの子どもよりは、独立心がおう盛で、かつ自分の人生を、真剣に考えている。親は、
自分の(常識)の範囲だけでものを考えようとするが、一度、その常識をはずして考えて
みることも、大切なのではないだろうか。

 「あなたは、あなたの道を行けばいい。それがどんな道であっても、お母さんは、あな
たを信じ、支持するからね」と。

 今、Yさんの息子が待っている言葉は、そういう言葉ではないだろうか。

+++++++++++++++++

ついでに「人形子」という言葉を
はじめてつかった、イプセンの
『人形の家』について書いた原稿を
収録しておきます。

+++++++++++++++++

●夫婦とは……

 ついでながら、夫婦について、考えてみる。

 フランシス・ベーコンは、こう言った。『若い男にとっては、妻は、女主人であり、中年
の男にとっては、友であり、老年の男にとっては、看護婦である』(「結婚と独身生活」)と。

 男の側から見た、夫婦というのは、そういうものかもしれない。では、女の側から見た、
夫婦というのは、どういうものか。最初に思い浮かんだのが、イプセンの「人形の家」で
夫婦は、どういうものか。それを如実に表したのが、イプセンの『人形の家』である。

 『私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で、人形子であったように……』
と。

 最初は他人どうしで始まる夫婦だが、何年もいっしょに暮らしていると、1+1=1に
なってしまう。たがいにからみあう木のようなもので、一体化してしまう。どこからどこ
までが、「私」で、どこから先が、「妻」なのか、「夫」なのか、わからなくなってしまう。

 そういう点では、ベーコンも、イプセンも、たがいの間に、一線を引いている。1+1
=2の原則を、貫いている? 夫婦でいながら、どこか他人行儀。それがよいことなのか、
悪いことなのかという議論はさておき、世の中には、(1+1=1夫婦)と、(1+1=2
夫婦)がいる。あるいは、(1+1=1+1夫婦)というのも、いる?

【1+1=1夫婦】

 ショッピングセンターの中でみかける夫婦でも、服装の趣味から、雰囲気、様子までそ
っくりの夫婦がいる。ワイフは、「奥さんが、ダンナの衣服をそろえていると、夫婦も、あ
あなるのよ」と言うが、そうかもしれない。『似たもの夫婦』とは、よく言ったものだ。

 で、農村へ行くと、この(1+1=1夫婦)に、よくであう。仕事も、生活も、あらゆ
る面で、夫婦が、一体化している。原付リアカーで、うしろに奥さんを乗せて、トコトコ
と走っている夫婦が、その一例である。

 こうした夫婦は、二人に、分けることはできない。どちらか一方が欠けても、仕事も、
生活も、できなくなる。二人の境界が、溶けて混ざりあうように、密着している。

【1+1=2夫婦】

 宇宙飛行士の夫婦に、そういう人がいる。奥さんのMさんは、アメリカで宇宙飛行士と
して活躍している。ダンナさんは、日本に残って、「家」を守っている……。

 ダンナさんは、得意になって本まで書いているが、しかしそういう夫婦の形が理想的だ
とは、だれも思っていない。だいたいにおいて、「夫婦」と呼んでよいものか、どうか?

 もっとも最近の傾向としては、(1+1=2夫婦)が、標準的になりつつある。概して言
えば、サラリーマン家庭では、そうではないか。夫の仕事の中に、(妻の存在)を組みこむ
ということ自体、無理がある。それで、「夫は夫、妻は妻」となる。

 本来は、やはり(1+1=1夫婦)が自然だとは思うが、社会も変わってきたので、そ
うばかりは言っておられない。(1+1=1・5夫婦)とか、(1+1=2夫婦)というの
があっても、しかたないということになる。どこかで夫婦としての接点があれば、それで
よいということか。

 どちらを選ぶかというよりも、どちらの夫婦になるかということは、生活の「形」が決
めること。あくまでも、成り行き。夫婦というのは、結果として、(1+1=1夫婦)にな
ったり、(1+1=2夫婦)になったりする。

 たがいに個性的に生きるなら、(1+1=2夫婦)がよいということにもなるが、私のよ
うに、もともと依存性が強い男には、そういう夫婦は、さみしい気もする。仮に、ワイフ
が、アメリカへ行き、そこで宇宙飛行士として活躍し始めたら、それを受入れる前に、別
れてしまうだろうと思う。

 その宇宙飛行士にしても、今は花形職業(?)だが、たかが宇宙飛行士ではないのか。
明治のはじめ、東京、新橋間を走る、あのチンチン電車の運転手は、まさに英雄だったと
いう。そういうチンチン電車の運転手になるため、妻が、逆単身赴任で、東京に出た。状
況的には、それと、どこも違わない。このタイプの夫婦は、(1+1=2夫婦)ではなく、
(1+1=1+1夫婦)ということになるのかもしれない。

 (私が言いたいのは、宇宙飛行士になるため、夫婦が別々に暮らすというが、それほど
までの価値が、宇宙飛行士という職業に、あるかということ。)

 夫婦は、同居して、夫婦なのである。守りあい、教えあい、励ましあって、夫婦なので
ある。セックスだって、重要な要素だ。この大原則は、昔も、今も、変わらない。あるい
は、これからは、(1+1=1+1夫婦)というのも、ごくふつうのことになるのかもしれ
ない。が、それを決めるのも、やはり成り行き。

 わかりやすく言えば、夫婦に形はない。最初はみな、同じでも、その形は、それぞれが
決める。大切なことは、それがどんな形であっても、たがいに認めあい、尊重するという
こと。自分の形を、決して、他人に押しつけてはいけない。

 ここまでのところをワイフに読んで聞かせたら、ワイフは、こう言った。「ホモの人どう
しが、結婚するということもあるからねエ……」と。

 ナルホド! ワイフの一言が、私の夫婦論を、根底から粉々に、破壊してしまった!

 つきつめれば、一人の人間と、一人の人間が、それぞれに納得すれば、それでよいとい
うことか。「夫婦」という名称にこだわるほうが、おかしいということになる。となると、
ここに書いた、(1+1=1夫婦)も、(1+1=2夫婦)も、そうして考えること自体、
無意味ということになる。

 ああああ。

 私が今まで考えてきたことは、無意味ということか。私はときどき、この(1+1=1
夫婦)と、(1+1=2夫婦)の話を、あちこちでしてきたのだが……。

 となると、話は、振り出しにもどってしまう。「夫婦とは、何か?」と。このつづきは、
また別の機会に……。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無駄なことをしているのかな?

+++++++++++++++++++

Eマガからメルマガへの移動をお願いして、
ちょうど1週間になる。

理由はいろいろある。

しかしこの1週間で、協力してくれた読者の
方は、ゼロ。

「そういうものかな?」と思ってみたり、
「そういうものか……」と思ってみたり。

ワイフは、「どうせ無料だから、読者も、
その程度のマガジンと思っているのよ」と。

「そうでないのだがあ……」と思ってみたり、
「そんなはずはないのだがなあ」と思ってみたり。

まあ、グチを言ってもしかたないので、
ここはがんばるしかない。

「♪若者は、ま〜た、歩き始める」だ!

++++++++++++++++++++

●ある育児書

 ある育児書を書店で立ち読みして、ビックリ! どこか、私の書いた原稿の内容に似てい
る? 

たとえば「子育てはあきらめが大切」とか、あるいは、「子どもがいじめられて帰ってき
ても、それを包む暖かい家庭があればいい」とか、など。

 いじめられている子どもの服が汚されているシーンもあった。が、それなどは、「チ
ョークでいたずら書きをされた」という、私の書いた本の内容にそっくり? ……かな?
それとも私の思い過ごし?

 さらにインターネットで検索してみると、いろいろなページの見本が載っていた。それ
についても、やはりところどころ、似ている? おかしいぞ?

 人を疑うのはよくないことだが、(疑うこと自体、不愉快だし……。)しばらくこの本に
注目してみたい。なんでも、かなり売れているとか。

 一応、あのSS大学のAA教授が書いた本ということになっている。が、その教授は、
こういう臨場感のあるネタをどこで仕入れてきたのだろう? ……????……? とり
あえず今は、「?」とだけにしておく。


●Depression

 今日の私は、どこか落ちこんでいる。元気がない。自分でも、それがよくわかる。やる
気も、ない。頭の中は、カラッポ。

 先ほど、『若者たち』という歌を口ずさんだ。落ちこんでいるときは、いつもこの歌が、
口から出てくる。学生時代のときから、ずっと、そうだ。

 以前、こんな原稿を書いた。日付を見ると、5年前の原稿ということがわかる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●悲しき人間の心

 母親に虐待されている子どもがいる。で、そういう子どもを母親から切り離し、施設に
保護する。しかしほとんどの子どもは、そういう状態でありながらも、「家に帰りたい」と
か、「ママのところに戻りたい」と言う。それを話してくれた、K市の小学校の校長は、こ
う言った。「子どもの心は悲しいですね」と言った。

 こうした「悲しみ」というのは、子どもだけのものではない。私たちおとなだって、い
つもこの悲しみと隣りあわせにして生きている。そういう悲しみと無縁で生きることはで
きない。家庭でも、職場でも、社会でも。

 私は若いころ、つらいことがあると、いつもひとりで、この歌(藤田俊雄作詞「若者た
ち」)を歌っていた。

 ♪君の行く道は 果てしなく遠い
  だのになぜ 歯をくいしばり
  君は行くのか そんなにしてまで

 もしそのとき空の上から、神様が私を見ていたら、きっとこう言ったにちがいない。「も
う、生きているのをやめなさい。無理することはないよ。死んで早く、私の施設に来なさ
い」と。

しかし私は、神の施設には入らなかった。あるいは入ったら入ったで、私はきっとこう
言ったにちがいない。「はやく、もとの世界に戻りたい」「みんなのところに戻りたい」
と。それはとりもなおさず、この世界を生きる私たち人間の悲しみでもある。

 今、私は懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。が、みながみな、満ち足りた
生活の中で、幸福に暮らしているわけではない。中には、生きるのが精一杯という人もい
る。あるいは生きているのが、つらいと思っている人もいる。まさに人間社会というワク
の中で、虐待を受けている人はいくらでもいる。が、それでも私たちはこう言う。「家に帰
りたい」「ママのところに戻りたい」と。

今、苦しい人たちへ、
いっしょに歌いましょう。
いっしょに歌って、助けあいましょう!

 若者たち

             
       君の行く道は 果てしなく遠い
       だのになぜ 歯をくいしばり
       君は行くのか そんなにしてまで

       君のあの人は 今はもういない
       だのになぜ なにを探して
       君は行くのか あてもないのに

       君の行く道は 希望へと続く
       空にまた 陽がのぼるとき
       若者はまた 歩きはじめる

       空にまた 陽がのぼるとき
       若者はまた 歩きはじめる

            作詞:藤田 敏雄

 そうそう、学生時代、NWという友人がいた。一〇年ほど前、くも膜下出血で死んだが、
円空(えんくう・一七世紀、江戸初期の仏師)の研究では、第一人者だった。その彼と、
金沢の野田山墓地を歩いているとき、私がふと、「人間は希望をなくしたら、死ぬんだね」
と言うと、彼はこう言った。「林君、それは違うよ。死ぬことだって、希望だよ。死ねば楽
になれると思うのは、立派な希望だよ」と。

 それから三五年。私はNW君の言葉を、何度も何度も頭の中で反復させてみた。しかし
今、ここで言えることは、「死ぬことは希望ではない」ということ。今はもうこの世にいな
いNW君に、こう言うのは失敬なことかもしれないが、彼は正しくない、と。何がどうあ
るかわからないし、どうなるかわからないが、しかし最後の最後まで、懸命に生きてみる。
そこに人間の尊さがある。生きる美しさがある。だから、死ぬことは、決して希望ではな
い、と。

……いや、本当のところ、そう自分に言い聞かせながら、私とて懸命にふんばっている
だけかもしれない……。ときどき「NW君の言ったことのほうが正しかったのかなあ」
と思うことがこのところ、多くなった。今も、「若者たち」を歌ってみたが、三番を歌う
とき、ふと、心のどこかで、抵抗を覚えた。「♪君の行く道は 希望へと続く……」と歌
ったとき、「本当にそうかなあ?」と思ってしまった。
(02−11−20)


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●今日・あれこれ(4月20日)

++++++++++++++++

このところ、寒い日がつづいている。
「冬に戻ったみたい」とワイフは、言った。

そう言えば、昨日、オーストラリアの
D君からメールが届いていた。それには
こうあった。

「相変わらず、雨が降らない」と。

オーストラリアの水不足が心配だ。
穀物への影響も大きい。

ご存知ない方も多いかもしれないが、
オーストラリアでは、冬から春に
かけて、穀物を収穫する。夏場は、
暑すぎて、穀物の生育には向かない。
(反対に、日本では、夏から秋にかけて、
穀物を収穫するが……。)

もうそろそろ大量の雨が降らないと、
今年は大変なことになる?

++++++++++++++++

●敗北感

 この数日、敗北感が、私を襲っている。症状としては、虚脱感に似ている。何をしても、
「こんなことをしていて何になるのだろう?」という思いばかり。それが、先に立つ。

 ワイフには心配をかけたくないので、ワイフの前では、それなりに明るく振る舞っては
いる。が、しかしそれにも限界がある。(隠そうと思う部分)が大きくなればなるほど、同
時に、その分だけ、気が重くなる。

 スランプか? うつか?

 数日前も、ワイフとこんな会話をした。「インターネットでは、友だちはできないね」と、
私が話しかけると、ワイフも、それを認めた。「やはり、人というのは、会わなければ、友
だちにはなれないわよ」と。

 一番、ショックだったのは、ちょうど1年ほど前のこと。私が発行しているマガジンで、
アンケート調査を取ったことがある。

 マガジン本文の中に、「ここまで読んでくれた人は、どうか、つぎのリンクマークをクリ
ックしてください」と書いた。クリックするだけの、簡単なアンケート調査だった。それ
で私のほうは、実際には、何人の読者がいるか、わかるしくみになっていた。

 が、クリックしてくれた読者は、40人前後。一応、Eマガ、メルマガ、まぐプレの購
読者を合わせると、2100人(当時)ということになっていた。

 今回も、そうだ。Eマガからメルマガへの移動を、読者にお願いした。アドレスをボッ
クスの中に書きこむだけの、簡単な方法で移動できるようにした。しかしこの1週間(マ
ガジン3回分)で、それに協力してくれた読者は、ゼロ。

 昔、ある出版社の編集部の人がこう言っていた。昔は、本を出すと、その中に返信用の
ハガキを添えた。そのハガキについて、「1000部で1枚ですよ」と。つまり本を500
0部出版しても、返ってくるハガキは、5枚程度、と。そのときも、「そういうものかなあ?」
と思った。今も、そうだ。

 無料版マガジンはどうしたらよいものか? とにかく第1000号までは、がんばって
みる。07年5月1日現在、877号。あと123号!

 そうそう、先の「友だちはできないね」の話のつづき。

 今まで、私は無数の方からの相談に応じてきた。しかし私の頭の中では、どの人がどの
人だったのか、さっぱり、わからない。それには理由がある。

 そうした相談を記録するとき、あとあと、トラブルを避けるために、名前や住所はもち
ろん、家族構成や職業、さらには相談内容まで改変する。たとえば「滋賀県の山田花子さ
ん」は、「M県のHUさん」に。「兄弟2人」は、「姉と弟」に、と。

 ときどき電話で、相談内容を確認することはあっても、相談してきた人と、個人的に会
うことはない。だからますます、どの人がどの人だったのか、わからなくなる。

 いろいろな雑誌を読んでも、「インターネットでは友だちはできない」が、定説になりつ
つある。一時的に、たがいの書きこみを通して、親しく(?)なるケースはある。しかし
『文の切れ目が、縁の切れ目』。どの人も、嵐のようにやってきては、またどこかへと去っ
ていく。記憶の中からも、消える。あとは、この繰りかえし。

 ……つまりこのあたりが、インターネットの限界ということになる?

 それが今、大きな敗北感となって、私を襲っている。


●スランプ

 スランプ状態に陥ったら、どうすればよいか?

 今の私の状態を正確に書けば、きっと役にたつこともあるだろう。そして私がこういう
状態になるのは、今回がはじめてではない。

 私のばあい、おおむねつぎのようなサイクルを経て、スランプ状態になる。

(1)平穏期……何ごともなく、無事、日々が流れていく。
(2)緊張期……何かのきっかけで、心が緊張状態になる。
(3)無気力期……その緊張状態のまま、無気力状態になる。

 無気力になるから、緊張感が解けるわけではない。無気力になった状態でも、心の中は
緊張したまま。悶々として、気が晴れない。

(4)倦怠期……しばらくぼんやりとした時期がつづく。
(5)回復期……これまた何かのきっかけで、さっと回復する。

 私のばあい、意外と単純。緊張期になるきっかけも単純なら、また回復するきっかけも
単純。何か新しいものを買っただけで、回復することもある。

 しかし緊張期の私は、それなりに苦しむ。ささいなことで、激怒することもある。(最近
は、少なくなったが……。)不安や心配ごとが入りこんでくると、一気に、情緒は不安定に
なる。

 もっとも最近は、よい安定剤が出回っている。女性用の精神安定剤というが、「S」とい
う薬も、そのひとつ。1〜2錠のむことになっているが、私は、それを半分に割ってのん
でいる。あとはハーブ系の安定剤など。

 大切なことは、この緊張感を取り去ること。子どもでも、たとえば学校での成績がさが
ったようなとき、スランプ状態になることがある。親からすると、怠けているように見え
るかもしれないが、決して、怠けているのではない。心は緊張状態にあるとみる。つまり
子どもは子どもなりに、「そうであってはいけない」と悩んでいる。

 だからそっとしておいてやるほうがよい。「がんばれ」式の励まし。「こんなことでどう
するの」式の脅しは禁物。ここにも書いたように心の中は緊張状態にあるため、言い方を
まちがえると、はげしい親子げんかになってしまう。

 ……こうして文を書けるようになったことだけでも、私は今、回復期に向かっていると
いうことになる。

 あとは、ひとり静かに、ぼんやりするのがよい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 16日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【善と悪】

●神の右手と左手

 昔から、だれが言い出したのかは知らないが、善と悪は、神の右手と左手であると、言
われている。善があるから悪がある。悪があるから善がある。どちらか一方だけでは、存
在しえないということらしい。

 そこで善と悪について調べてみると、これまた昔から、多くの人がそれについて書いて
いるのがわかる。よく知られているのが、ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反
キリスト」)

 要するに、自分を高めようとするものすべてが、善であり、自分の弱さから生ずるもの
すべてが、悪であるというわけである。

●悪と戦う

 私などは、もともと精神的にボロボロの人間だから、いつ悪人になってもおかしくない。
それを必死でこらえ、自分自身を抑えこんでいる。トルストイが、「善をなすには、努力が
必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」(『読書の輪』)と書いた理
由が、よくわかる。

もっと言えば、善人のフリをするのは簡単だが、しかし悪人であることをやめようとす
るのは、至難のワザということになる。もともと善と悪は、対等ではない。しかしこの
ことは、子どもの道徳を考える上で、たいへん重要な意味をもつ。

 子どもに、「〜〜しなさい」と、よい行いを教えるのは簡単だ。「道路のゴミを拾いなさ
い」「クツを並べなさい」「あいさつをしなさい」と。しかしそれは本来の道徳ではない。
人が見ているとか、見ていないとかということには関係なく、その人個人が、いかにして
自分の中の邪悪さと戦うか。その「力」となる自己規範を、道徳という。

 たとえばどこか会館の通路に、一〇〇〇円札が落ちていたとする。そのとき、まわりに
はだれもいない。拾って、自分のものにしてしまおうと思えば、それもできる。そういう
とき、自分の中の邪悪さと、どうやって戦うか。それが問題なのだ。またその戦う力こそ
が道徳なのだ。

●近づかない、相手にしない、無視する

 が、私には、その力がない。ないことはないが、弱い。だから私のばあい、つぎのよう
に自分の行動パターンを決めている。たとえば日常的なささいなことについては、「考える
だけムダ」とか、「時間のムダ」と思い、できるだけ神経を使わないようにしている。社会
には、無数のルールがある。そういったルールには、ほとんど神経を使わない。すなおに
それに従う。

駐車場では、駐車場所に車をとめる。駐車場所があいてないときは、あくまで待つ。交
差点へきたら、信号を守る。黄色になったら、止まり、青になったら、動き出す。何で
もないことかもしれないが、そういうとき、いちいち、あれこれ神経を使わない。もと
もと考えなければならないような問題ではない。

 あるいは、身の回りに潜む、邪悪さについては、近づかない。相手にしない。無視する。
ときとして、こちらが望まなくても、相手がからんでくるときがある。そういうときでも、
結局は、近づかない。相手にしない。無視するという方法で、対処する。

それは自分の時間を大切にするという意味で、重要なことである。考えるエネルギーに
しても、決して無限にあるわけではない。かぎりがある。そこでどうせそのエネルギー
を使うなら、もっと前向きなことで使いたい。だから、近づかない。相手にしない。無
視する。

 こうした方法をとるからといって、しかし、私が「(自分の)意思を高揚させた」(ニー
チェ)ことにはならない。これはいわば、「逃げ」の手法。つまり私は自分の弱さを知り、
それから逃げているだけにすぎない。本来の弱点が克服されたのでも、また自分が強くな
ったのでもない。そこで改めて考えてみる。はたして私には、邪悪と戦う「力」はあるの
か。あるいはまたその「力」を得るには、どうすればよいのか。子どもたちの世界に、そ
の謎(なぞ)を解くカギがあるように思う。

●子どもの世界

 子どもによって、自己規範がしっかりしている子どもと、そうでない子どもがいる。こ
こに書いたが、よいことをするからよい子ども(善人)というわけではない。たとえば子
どものばあい、悪への誘惑を、におわしてみると、それがわかる。印象に残っている女の
子(小三)に、こんな子どもがいた。

 ある日、バス停でバスを待っていると、その子どもがいた。私の教え子である。そこで
私が、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その子どもはこう言った。「い
いです。私、これから家に帰って夕食を食べますから」と。「ジュースを飲んだら、夕食が
食べられない」とも言った。

 この女の子のばあい、何が、その子どもの自己規範となったかである。生まれつきのも
のだろうか。ノー! 教育だろうか。ノー! しつけだろうか。ノー! それとも頭がか
たいからだろうか。ノー! では、何か?

●考える力

 そこで登場するのが、「自ら考える力」である。その女の子は、私が「缶ジュースを買っ
てあげようか」と声をかけたとき、自分であれこれ考えた。考えて、それらを総合的に判
断して、「飲んではだめ」という結論を出した。それは「意思の力」と考えるかもしれない
が、こうしたケースでは、意思の力だけでは、説明がつかない。「飲みたい」という意思な
らわかるが、「飲みたくない」とか、「飲んだらだめ」という意思は、そのときはなかった
はずである。あるとすれば、自分の判断に従って行動しようとする意思ということになる。

 となると、邪悪と戦う「力」というのは、「自ら考える力」ということになる。この「自
ら考える力」こそが、人間を善なる方向に導く力ということになる。釈迦も『精進』とい
う言葉を使って、それを説明した。

言いかえると、自ら考える力のな人は、そもそも善人にはなりえない。よく誤解されるが、
よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから善人というわけでも
ない。人は、自分の中に潜む邪悪と戦ってこそはじめて、善人になれる。

 が、ここで「考える力」といっても、二つに分かれることがわかる。一つは、「考え」そ
のものを、だれかに注入してもらう方法。それが宗教であり、倫理ということになる。子
どものばあい、しつけも、それに含まれる。もう一つは、自分で考えるという方法。

前者は、いわば、手っ取り早く、考える人間になる方法。一方、後者は、それなりにい
つも苦痛がともなう方法、ということになる。どちらを選ぶかは、その人自身の問題と
いうことになるが、実は、ここに「生きる」という問題がからんでくる。それについて
は、また別のところで書くとして、こうして考えていくと、人間が人間であるのは、そ
の「考える力」があるからということになる。

 とくに私のように、もともとボロボロの人間は、いつも考えるしかない。それで正しく
行動できるというわけではないが、もし考えなかったら、無軌道のまま暴走し、自分でも
収拾できなくなってしまうだろう。もっと言えば、私がたまたま悪人にならなかったのは、
その考える力、あるいは考えるという習慣があったからにほかならない。つまり「考える
力」こそが、善と悪を分ける、「神の力」ということになる。


++++++++++++++++++++

●補足

 善人論は、むずかしい。古今東西の哲学者が繰り返し論じている。これはあくまでも個
人的な意見だが、私はこう考える。

 今、ここに、平凡で、何ごともなく暮らしている人がいる。おだやかで、だれとも争わ
ず、ただひたすらまじめに生きている。人に迷惑をかけることもないが、それ以上のこと
も、何もしない。小さな世界にとじこもって、自分のことだけしかしない。日本ではこう
いう人を善人というが、本当にそういう人は、善人なのか。善人といえるのか。

 私は収賄罪で逮捕される政治家を見ると、ときどきこう考えるときがある。その政治家
は悪い人だと言うのは簡単なことだ。しかし、では自分が同じ立場に置かれたら、どうな
のか、と。目の前に大金を積まれたら、はたしてそれを断る勇気があるのか、と。刑法上
の罪に問われるとか、問われないとかいうことではない。自分で自分をそこまで律する力
があるのか、と。

 本当の善人というのは、そのつど、いろいろな場面で、自分の中の邪悪な部分と戦う人
をいう。つまりその戦う場面をもたない人は、もともと善人ではありえない。小さな世界
で、そこそこに小さく生きることなら、ひょっとしたら、だれにだってできる(失礼!)。
しかしその人は、ただ「生きているだけ」(失礼!)。が、それでは善人ということにはな
らない。繰り返すが、人は、自分の中の邪悪さと戦ってこそ、はじめて善人になる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【謎の6か国協議】(4月16日)

++++++++++++++++++

K国は、IAEAの査察官を受け入れるか?

Yビョン、およびその周辺にある核開発
関連施設の停止、封印に応ずるか?

今、世界の目は、この1点に、集中してい
る。

++++++++++++++++++

●なぜ、K国は、BDAの30億円に、ああまでこだわったか?

 もしK国が、先の6か国協議で決まったことに応じていれば、今ごろK国は、原油5万
トンを手にしていたはず。原油5万トンといえば、日本円になおすと、ちょうど25億円
になる。

 さらにその過程で、K国は、こうも主張している。「BDAの預金は、一度、中国銀行に
送金しろ」と。なぜ、K国は、こうまで中国銀行にこだわるのか?

 それについては、最近になって、こんな事実が暴露されている。つまりマネーロンダリ
ングをしていたのは、中国銀行だった、と。アメリカの(インターナショナル・ヘラルド・
トリビューン)紙と(ウォールストリート・ジャーナル)紙は、つぎのように報道してい
る(4月12日)。

……アメリカはK国が、BDAや中国銀行(中国国内3位)マカオ支店などで、資金洗浄
を行った証拠を大量に確保した。資金洗浄の規模はBDAよりも中国銀行の方がはるかに
大きかった。

にもかかわらずアメリカ財務省は05年9月15日に、BDAのみを資金洗浄の疑いがあ
る銀行として指定した。

当時の調査を担当した元国務省諮問官のデビッド・アッシャー氏はその理由について、「B
DAは大銀行ではなく、制裁を受けてもマカオ全体の金融システムを崩壊させる心配はな
かったから」と説明した。中国の反発も考慮した。

K国の朝光貿易などは、アメリカによる金融制裁直前に、BDAの巨額の資金を引き出し
たが、2500万ドル(約30億円)は引き出せなかった(以上、朝鮮N報より)。

 BDAよりも、中国銀行のほうが、ワルだったということになる。それに朝光貿易は、
アメリカによる金融制裁前に、「巨額の資金」をすでに引き出していたという。

 ならば何も、K国は、残りの30億円にああまでこだわる必要はなかったはず。もとは
といえば、ニセドル札である。まともなお金ではない。

●K国の言い分

 現在、K国が、6か国協議で決まったように、IAEAの査察官を受け入れ、Yビョン
周辺にある核開発関連施設の停止、封印に応ずるかどうか、世界の注目が集まっている。

 大半の人は、「アメリカは約束を守ったのだから、K国も約束を守るだろう」と予測して
いる。先ほどK国を訪れた、アメリカのビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事も、
「今週中にK国は行動を開始すると予想している」と述べている。

 しかし本当にそうか? そう考えてよいのか? 答は、NO!、である。

 理由はいくつかある。K国の立場でものを考えてみよう。

 アメリカと韓国は3月の終わり、米韓合同の軍事演習を実行している。この演習に先立
ち、K国は、何度も「6か国協議での合意内容を破壊する行為である」と公式に声明を出
している。

 同じく日本に対しては、「6か国協議に参加する資格はない」「拉致問題を取りあげるの
は、合意内容を破壊するものだ」と、これまた何度も声明を出している。が、これらの声
明は、ことごとく無視されている。

●おめでたい韓国

 韓国政府は、2月以後、すでに300〜400億円程度の援助を、決定し、すでにその
一部を、実行に移している。原油5万トンにしても、それを満載したタンカーを、東シナ
海に待機させている。

 産経新聞をして「異様」と言わせるほどの、K国へのスリよりである。が、それだけで
はない。韓国は、K国に同調して、(日本はずし)を加速させている。先週には、韓国に、
中国とアメリカの主席代表を集め、米中韓の代表者会議を開いている。

もちろん日本は、お呼びではない。時同じくして、N大統領は、日本に向かっては、「従軍
慰安婦問題」で、日本を非難している。「(両国の)未来を暗いもののしている」と。日本
をはずした理由は、従軍慰安婦問題にあるというわけである。

 一方、K国に言わせれば、「すでにほしいものは、すべて手に入れた」ということになる。
高麗大学の柳浩烈(ユ・ホヨル)高麗大学教授は、「このところのK国を見ると、大統領選
を前に支持率を下げているアメリカや韓国の与党勢力の弱点を、徹底的に利用しているよ
うに見える。K国の立場から言えば、ほしいものはすべて手に入れられるのに、譲歩する
必要など何もない、といったところだろう」と述べている(朝鮮N報)。

●不確定要素

 K国問題を考えるときはいつも、つぎの2つの要素を、頭に入れておかねばならない。

(1)金xxの健康状態
(2)まれにみる、独裁恐怖政治体制

 金xxの健康状態については、何度も書いてきた。慢性的な糖尿病から腎不全に。さら
に暴飲暴食がたたって、肝硬変の疑いも濃厚である。金xxに、ある種の脳性障害が起き
ていると考えても、何ら、おかしくない。

 つまり金xxは、まともではない。まともな思考回路をもっていない。

 加えて、世界でも類をみない、独裁恐怖政治。首相ですら、金xxの一声でクビが飛ぶ
ような国である。金xxの側近たちは、日夜、金xxの影におびえながら、ビクビクして
いるにちがいない。

 そんな体制の中で、どうしてまともな政治ができるだろうか。外部の情報にしても、正
確に金xxに伝わっていない可能性が濃厚である。側近にしても、何がなんだかわからな
いまま、金xxに、日々、振りまわされているだけ。またそうであったとしても、だれも、
驚かない。それが現在のK国と考えてよい。

●2回目の核実験につき進むK国

 K国は現在、2回目の核実験に向けて、着々と準備を進めている。1回目の核実験は中
途半端で終わった。そのため、アメリカ政府高官は、「核保有国とは認めない」と発言して
いる。

 K国がいちばん恐れるのは、国連による制裁決議だが、しかし今となってみると、ただ
の決議。K国には、痛くもかゆくも、何ともない。ほしいものは、すべて韓国が提供して
くれる。

 そこでK国が取るべきつぎの一手は、ズバリ、2回目の核実験。その実験を成功させ、
名実ともにK国は、今度こそ、核保有国として、名乗りをあげる。そうなれば6か国協議
での立場はより強固なものとなり、発言力もます。

 K国崩壊を恐れる韓国や中国(とくに韓国)は、そういうK国に対して、手も足も出せ
ない。まさに言いなり。K国が暴発すれば、さらに困る。一瞬にして、首都ソウルが、「火
の海」になる。

●なぜK国は、中国銀行にこだわるか?

 もともとBDAは、すでに破産状態。K国に払えるような現金をもっていない。……い
なかった。それをK国は、事前に知っていた。だから、K国は強硬に出ることができた。「B
DA問題が完全に解決しないかぎり、核開発関連施設の停止、封印はしない」と。

はじめから、「BDA問題は解決しない」ということを知った上で、アメリカに責任を転嫁
するつもりでいた。が、ここで思わぬハプニングが起きた。アメリカが妥協に妥協を重ね、
BDA問題を解決してしまった。

 恐らくその裏で、BDAに対して、どこかの国が現金注入をしたにちがいない。私は「韓
国がした」と思っているが、これはあくまでも、私の推察。

 で、最後に、なぜK国はこうまで中国銀行にこだわるか、である。しかしこれもK国の
立場で考えると、よくわかる。

 K国は、中国銀行に、一泡吹かせたがっている。金xxに言わせれば、「さんざん、今ま
で、オレたちのニセドル札でいい思いをしてきたのに、この場におよんで、オレたちを裏
切るとは何ごとか」ということになる。もっと言えば、「30億円は、おまえたち、中国銀
行が負担しろ」と言っているに等しい。

●今日の結論(4月16日)

 こういうとき、専門の評論家なら、こう書くだろう。「K国が、核開発関連施設の停止、
封印に応ずるのは、フォフティ・フィフティ(50・50)である」と。自分の予測がは
ずれたときのための布石として、そう書く。

 しかし私は、そうでない。私の予測では、100%、K国は、核開発関連施設の停止、
封印には応じないだろうということになる。あれこれ、何だかんだと、難グセをつけては、
K国は、時間稼ぎをするはず。そしてその間に、さらに核兵器開発を推進するはず。

 忘れてならないのは、K国自体が、巨大なカルト国家になっているということ。本尊は、
もちろん、核兵器である。その核兵器を放棄するということは、彼らにしてみれば、信仰
の基盤を失うことに等しい。それがどういうことであるかは、今、何かの信仰をしている
人なら、わかるはず。

 ふつうの道理が通じないのは、そのためと考えてよい。

【補足】

●だれが、BDAに現金を注入したか?

破産状態にあった、BDA。
そんな銀行に、どうして30億円もの
現金があるのか?

30億円といっても、もとはといえば
ニセ札。いくらなんでも、ニセ札を
K国に返すわけにはいかない。

だれかが、BDAに現金を注入した。

そのだれかがだれと言えば、もう
おわかりのここと思う。

アメリカか? ……NO!
中国か? ……NO!
日本ということはありえない。
ロシアは、ケチ。
……となると、残るは韓国しかない。

そう、韓国が、裏で、BDAに、
30億円という現金を注入した。

2月の6か国協議以来、300〜400
億円規模の援助を考えていた韓国にしてみれば、
30億円なんて、ハシタ金!

が、ワルはワルどうし、情報を交換している。
当然のことながら、K国は、その情報を
BDAから聞いていたはず。

……となると、K国にも、一分のプライド
というものがある。

いくら何でも、そんなお金を、おめおめと
受け取りに行くことはできない。
「オレたちを、バカにするな!」と。

……ということで、韓国は今、
「太陽政策」とやらのドロ沼に、のめり
こみ始めている。今さら、「まちがっていました」
とは、とても言えまい。

金大中は、「対話が大切」と、何とかの
ひとつ覚えで、自説を繰りかえしている。
N大統領は、南北首脳会談を画策している。

どこまで、この2人は、おめでたいのか!

結局、韓国のしてきたことは、K国を
資金面で助けながら、時間稼ぎに手を貸して
きただけ。

あと半年もすれば、核を積んだミサイルが
直接、首都ソウルにねらいを定めるようになる。

そうなったとき、この2人は、どう自分たちを
弁解するつもりなのか?

「北の核開発問題は、ワレワレが解決してみせる」と
大言壮語して大統領になった、N氏。

いったい、N大統領は、その言葉に、
どうやって責任を取るつもりなのか。

反日政策も結構だが、今の日本は、
戦前の日本とはちがう。

同時に、中国も、ちがう。その中国を
甘く見ないほうがよい。そのうち竹島どころか、
38度線が、中国との国境ということにも
なりかねない。

わかっているか、N大統領!

Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

【謎の6か国協議】

++++++++++++++++

楽しんではいけないのだが、
今回の6か国協議ほど、謎に満ちた
ものはない。

まるでサスペンス小説。あるいはギャン
グ映画。

昼ごろになって、仕事のしたくを
していると、ワイフが階段の下から、
こう言って声をかけた。

「あなた、Yビョンの核関連施設に
封印の動きがあるってよ!」と。

そんなはずはない!

++++++++++++++++

 昼ごろになって、仕事のしたくをしていると、ワイフが階段の下から、こう言って声を
かけた。「あなた、Yビョン(K国の核開発関連施設)に、封印の動きがあるってよ」と。

私「そんなはずはない!」
ワ「だって、たった今、テレビのニュースでそう言っていたわ」
私「……? たぶん、その逆じゃないの?」
ワ「逆?」
私「そう。Fさん(K国から亡命した、金xx元側近)の話によれば、Yビョンの核開発
施設は老朽化して、使い物にならないそうだ。それでK国は、査察が入るかもしれないと
いうことで、急きょ、体裁を整えている。ぼくならそう考えるよ」

ワ「メンツに異常なまでにこだわる国だから、それは考えられるわね」
私「そう。査察してみたら、ただのガラクタだったでは、笑い話にもならないからね」
ワ「じゃあ、どこでK国は、核開発をしているの?」
私「もちろん、山の中さ。そういう情報もたくさん流れている」と。

 K国は、かねてより、「BDA問題が完全に解決しないかぎり、行動しない」と宣言して
いる。この「完全に」という言葉がクセモノ。注意! 解釈のしかたによっては、どのよ
うにも拡大できる。

 まずいくつかの事実を重ね合わせてみよう。

(1)4月17日(火)現在、K国は、BDAからいつでも預金を引き出せる状態にあ
りながら、その動きすら見せていない。
(2)4月18日(水)、つまり明日、いよいよBDAに対する、制裁が発動される。B
DAは、アメリカのすべての銀行と、取り引きできなくなる(※1)。
(3)そしてここがとくに重要だが、そのあと、BDAは、K国と組んで、アメリカで
訴訟を起こす構えを見せている。

 私はすかさずインターネットで、ニュースを読む。ヤフー・ニュース、TBS・i・n
ewsなど。どれも、このニュースを報道していた。しかしよく読むと、「?」。

 まずニュースの出所は、韓国の東亜N報。さらによく読むと、「有力外交筋によれば……」
とある。その有力外交筋によれば、さらにその出所は、「アメリカ政府」とある(※2)。

 逆に順をたどってみると、(アメリカ政府)→(有力外交筋)→(東亜N報)→……とい
うことになる。つまりそういう筋をたどって、このニュースが流れたことがわかる。具体
的な名前がどこにもない。

私「おかしいよ?」
ワ「どうして?」
私「お前は知らないかもしれないが、韓国の新聞社の記事は、あまり信用できない。日本
の新聞社のような、長い歴史をもっていない」
ワ「……」
私「ほとんどの新聞社は、戦後できたものばかり。しかも李承晩時代、朴政権時代には、
弾圧されきたという苦い経験をもっている。歴史が浅い。つまり憶測でものを書いたり、
記事の中に、記者の個人的な感情を混入させるなどということは、よくある」

ワ「信用できないって、こと?」
私「そういう例は、多いよ。2年前だったと思うけど、K国の北部で、キノコ雲ような丸
い雲が現れたときもそうだった。当初、韓国の新聞は、『核実験か?』と報道していた。し
かしそんなことはなかった」
ワ「そうね」

 あのキノコ雲事件のときは、それを真に受けた日本の報道機関が、踊らされるはめにな
った。が、さらに奇怪なことは、その報道に基づいて、韓国政府が、「アメリカは同盟国な
のに情報を隠している」と、アメリカを非難したこと。

 が、結局は、ただの「雲」だった。自作自演と言うべきか。しかしそれについても、そ
のあと、これまたおかしなことに、「情報の発信源は、日本だった」と、言い出した。

私「いいか、BDAといっても、ただの個人銀行。アメリカはマネーロンダリングしてい
たという、確たる証拠をもっているという。となると、BDAとK国は、ワルどうし」
ワ「グル(仲間)ね」
私「そこが重要だ。明日、18日に、BDAに対する制裁が、いよいよ発動される。それ
に呼応して、BDAとK国は、共同でアメリカで訴訟を起こす構えを見せている」
ワ「どうして訴えるの?」

私「制裁をそのまま認めると、BDAは、偽札を洗浄していたことを認めることになる。
K国は、偽札を作っていたことを認めることになる。ともに、それを認めるわけにはいか
ない」
ワ「なるほど……」
私「つまりね、K国が言うような、『完全に解決』というわけにはいかなくなる」

 先にも書いたように、今日(17日)までの段階では、K国は、まだBDAで現金を受
け取る動きを見せていない。あれほど大騒ぎしていたのに、これはおかしい。私が金xx
なら、イのいちばんに、現金を引き出させ、それを飛行機に積んで、もってこさせる。

 なぜか? その前に、なぜ、K国は、30億円程度というハシタ金に、ああまでこだわ
ったのか?

 理由は明白。最初から、金xxは、BDA問題は解決しないと読んでいた。そこはワル
どうし。BDAにしても、30億円を返すつもりはなかった。またそんな現金(真ドル)
はもっていなかった。(偽札はもっていたかもしれないが……。)

 が、アメリカのヒル氏は、あちこちを飛び回り、この問題を解決してしまった。金xx
にしても、そこまでアメリカがするとは思っていなかった。 

ワ「じゃあ、K国の目的は、何?」
私「ズバリ、時間稼ぎさ」
ワ「何のため?」
私「2回目の核実験を準備しているということ。そして今度こそ、真の核保有国として、
名乗りをあげる」
ワ「そうだとするなら、絶対にIAEAの査察官など、入れないわね」
私「そう。だから、東亜N報のその記事は、憶測に基づいたものだと思うよ。何かの動き
はあったかもしれないが、それを停止、封印のための動きととらえるのは、少し早計だと
思うよ」と。

 ますます混沌としてきたK国の核開発問題。仮に停止、封印のための動きがあったとし
ても、それはただのジェスチャに過ぎない。K国がもつ、大きな(流れ)は変わらない。

 さあ、どうなるか? ここ2、3日の動きに注目したい。

(注※1)……【ワシントン16日時事】アメリカ財務省スポークスマンは16日、マカオ
のバンコ・デルタ・アジア(BDA)に対する取引停止の処分について、18日に発効すると
述べた。

 アメリカ財務省は3月に、BDAのK国関連口座が、ドル札、たばこ偽造などで得た資
金の洗浄に使われていたと断定。在米金融機関との取引を停止する処分を30日後に発効
させると発表していた。

 マコーマック米国務省報道官は16日、「この決定を財務省が変更するとは聞いていな
い」と述べ、予定通りの処分になるとの見通しを示した。

(注※2)【ソウル17日時事】17日付の韓国紙・東亜N報は、K国が核施設の停止・封
印のための作業を始めたと推定される情報を米国が衛星写真を通じて入手したと報じた。
有力な外交消息筋によると、「Yビョンの原子炉の冷却塔と駐車場周辺などで人と車両の活
動を捕捉した。核施設停止準備のための作業の可能性が高い」という。

 米国はこの情報を韓国政府に伝達。ただ、韓国の通信社・聯合ニュースによると、核施
設は現在も稼働中で、情報機関が分析を続けている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(4月18日)

++++++++++++++++++

昨日は、K国のことばかり、書いていた。

日本にとっては、重大事である。

しかし同じ昨日、とんでもない事件が、
アメリカと、この日本で起きた。

アメリカでは、32人もの学生を射殺
するという事件が起きた。
犯人は、韓国人留学生だったという。

一方、この日本では、暴力団員が、長崎
市長を射殺するという事件が起きた。

K国の核開発問題が、どこかへ
吹っ飛んでしまった。

++++++++++++++++++

●韓国系の学生が、32人を射殺

 昨日(日本時間、4月17日)、アメリカのバージニア工科大学で銃乱射事件が発生した。
犯人は、韓国人留学生だったという。韓国側のメディアによれば、「9歳で渡米し……」と
あるが、アメリカ側のメディアによれば、「最近留学してきた……」とある。

 さっそく朝鮮N報の記事を読んでみる。が、どこにも謝罪の文言はない。見出しも、「報
復を恐れる韓国人留学生」とある。

『今後は韓国から来た韓国人とは言えなくなった。だれかが尋ねれば当分は中国人か日
本人と言うしかない』と語り、韓国人に対する偏見が高まることを心配した。さらに他
の学生たちも「こんな大惨事を引き起こしたのが韓国系という事実に驚いた」「今後は米
国人学生の冷たい視線に苦しむだろう」「偏見のためにアジアからの留学生が不利益を受
けないか心配だ」などと語った。……。キム氏は「これまで築きあげてきた韓国人への
信頼が一気に崩れ去ってしまった。昨日の報道では犯人は中国系とされたのである意味
安心していたが、今後は韓国人に対する冷たい視線にどう対応すればいいかわからない」
とため息をついた』(以上、朝鮮N報)と。

 もし逆にこんな事件が韓国で起きたら、韓国の人たちは、どのように反応するだろうか。
今のN大統領にしても、1人の女子中学生がアメリカ兵によってひき逃げされたという事
件がきっかけとなって、政権の座についたようなもの。それからもう5年近くになるが、
毎年、いまだにその命日には、ローソクをもった人たちによって、追悼供養が行われてい
るという。

 言いかえると、「自分たちなら報復するだろう」という思いが、逆に、「報復されるので
はないか」という心配に、置きかわっているのではないだろうか。朝鮮N報の記事を読ん
でいるとき、そんな印象をもった。

 余談だが、AFP電によれば、「バージニア工科大学には、大学院生を含み約2万600
0人の学生が在籍しており、そのうち韓国人留学生や韓国系米国人を含む韓国系は、合計
500人ほどで、中国系は400人から500人、日系は20数人だ」ということだそう
だ。

 韓国系が500人! 韓国の学生たちが海外へ流出しているという話は、よく耳にする。
が、こうまで多くなっているとは、私も思っていなかった。

●やっぱり、動きはなし!

 また昨日、韓国の東亜N報は、「有力外交筋の話として、K国が、Yビョンの核開発関連
施設を停止、封印する動きがある」と報じた。しかしやはり、そういう動きはなかったよ
うだ。

 今朝(18日)の、AP通信によれば、「そういう連絡はない」(アメリカ国務省のマコ
ーマック報道官)とのこと。「アメリカは17日、K国が6か国協議の合意に基づき、Yビ
ョンの原子炉閉鎖に向けた措置を取っているとの正式な連絡は、受けていないと明らかに
した」と。

●長崎市長銃撃事件

 またまた起きた、銃撃事件。犯人は、どこかの暴力団員だったという。こういうバカが、
バカなことをするたびに、日本の民主主義は、足踏みをしてしまう。事故をめぐる市との
トラブルが動機だったという。が、それがどうであれ、常軌を逸した自己中心性。異常な
までの身勝手さ。それがこういう連中の行動的基盤となっている。

 「あなたたち、少しものの考え方がおかしいですよ」と言ったところで、意味はない。「独
善」という、厚いカラの中に閉じこもってしまっている。そこから引き出すだけでもたい
へん。それを理解するだけの知力もない。

 ……いろいろ言いたいことはある。やりようのない怒りも感ずる。が、どうも筆が進ま
ない。「バカは相手にしたくない」という思いが、ブレーキとなって働く。あるいは、何を
どう書けばよいのか。

 政党各党は、抗議声明分をつぎつぎと発表している。が、いったい、だれに対して抗議
しているのか? 私たちがなすべきことがあるとするなら、私たち1人ひとりが、自分の
中の(愚かさ)に、耳を傾け、反省すること。私たちの中にある(弱さ)が、結局は、こ
ういう連中をのさばらせてしまう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑談】

●自転車のヘルメット

 あのう、あの自転車のヘルメット、みなさんは、少し形がヘンだとは思いませんか?
 私も最近使うようになったのですが、脳みそが縦に分断されているようなデザインで、
どこか不気味。

 それにどうして全部が丸く、後部がとがっているのでしょう? たかが自転車だから、
流線型にする必要もないと思うのですが……。それにかぶるというよりは、頭の上にちょ
こんと載せる感じ。これでは、側頭部の打撃をうまく防ぐことはできません。


●小便判定機

 先日、シンガポールへ行ったときのこと。男子用トイレに入ったのですが、便器の中心
部に、小さな絵が描いてありました。ゴルフのホールと旗が描いてありました。

 「うまく小便を、この穴に入れろよ」という意味です。

 そこで思いつきました。

 便器の中心部に、小便感知器をつけるのです。そしてだれかが小便をしたら、その小便
のしかたのじょうず、へたを判断して、それを点数にして表示します。

 ずっとその感知器に小便が絶え間なく当たっていたら、100点。「♪ピンポーン」とで
も音を鳴らせば、さらに楽しいですね。「♪パチパチ音」でもいいですね。

 反対に、小便が断続的に当たるようなら、「♪ブー音」。

 こうすれば、みな、じょうずに小便をするようになると思います。

 女性の方は知らないと思いますが、男子用便器の周辺には、どこでも小便が飛び散って
います。これは、それを防ぐためにアイデアというわけです。


●デジタルカメラのシャッター

 デジタルカメラの世界では、ブレ防止がひとつの大きなテーマになっていますね。
 だったら、どうして、着脱式のシャッターにしないのでしょうか。シャッター部だけ、
とりはずしができるようにして、リモコン方式で、シャッターが切れるようにするのです。

 左手にカメラ。右手にシャッター。そうれば、ブレを、100%、防ぐことができます。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ

+++++++++++++++++

昨夜、寝る前に、まんじゅうを3つも
食べてしまった。

おかげで、今朝は、4時起き!

胃の中がガポガポしている。
消化不良を起こしているようだ。

ときどき食べ過ぎては、後悔する。
運動不足もあるのかもしれない。

おまけにこのところ、雨つづき。
自転車も、市内の教室に置いたまま。

いやな気分。

+++++++++++++++++

●過激?

 昨夜、私が書いた6か国協議についての原稿を、ワイフに読み聞かせると、ワイフは、
こう言った。「あなたも、はっきりと書くわね」「過激になってきたわね」と。

 私は、それを聞いて、「フ〜ン」と言った。自分では、過激とは、思っていない。しかし
気をつけよう。


●憲法改正

 憲法改正に向けての動きが、加速している。しかしどうして今、憲法改正なのだろう?
 改憲派の連中は、さかんに「戦後60年」という言葉を使う。「60年もたったのだから、
実情に合わなくなった」と。

 要するに改憲派は、天皇を元首としたいらしい。つまり王政復古が目的らしい。しかし
今どき、ねエ〜?

 王政復古と言えば、イギリスのスチュアート王朝、フランスのブルボン王朝がよく知ら
れている。スチュアート王朝は、クロムゥエルの共和政治のあと、そしてブルボン王朝は、
ナポレオンの第一帝政のあと、それぞれ誕生している。

 日本の明治天皇即位も、王政復古(the Restoration)の一例として、世界ではよく知ら
れている。

 あとは、憲法第9条を何とかしたいらしい。今の憲法では、何かと制約が多すぎて、自
衛隊が自由に活動できないということらしい。

 どちらにせよ、こうした極右勢力による復古主義には、じゅうぶん気をつけたほうがよ
い。私は何も天皇制に反対するわけではないが、どうして今の、象徴天皇制であってはい
けないのか? 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。それゆえに、官僚たちは、絶対
的権威者としての天皇を、頂点にいだきたいのかもしれない。しかしそれこそ、自ら、民
主主義の根幹を破壊する行為といってもよい。

 もっと言えば、歴史の逆戻り!

 近く日本人は、官僚主義国家をとるのか、民主主義国家をとるのか、その重大な選択に
迫られることになる。岐路に立たされることになる。

今の動きを簡単に言えば、そういうことになる。

さあ、みなさん、どうする?


●ビスタ

 実のところ、私はまだ、ビスタ搭載のパソコンを買っていない。いまだに、迷っている。
理由はいくつかある。

 まず、私のもっている株の株価が低迷したまま。外債でカバーしているから、全体的に
は損はしていない。が、パソコン間連製品は、株で……が、私が自分に決めた、ひとつの
原則になっている。

 もうひとつの理由は、プリンターなどの周辺装置をどうするかという問題。加えてパソ
コンの引越しというのは、けっこう、たいへん+めんどう。ビスタを買った人は、みな、「も
うXPには、もどれない」と言う。それはわかるが、XPしか知らない私は、XPで何か、
不自由をしているというわけでもない。

 2年前に買ったこのパソコン(MOUSE社のMDV−ADVANCE、6380GT)
にしても、動きは軽快そのもの。……とは言いつつ、来月、いよいよビスタ搭載のパソコ
ンを買うことにした。何ごともなければ……という条件付だが……。


●介護

 母は、現在、大便、小便ともに、垂れ流しの状態になっている。ベッドの横にポータブ
ルトイレを置いているが、そのトイレにさえ、間に合わない。ベッドの上で漏らしたり、
床の上で漏らしたりしている。

 そのため紙おむつとパットを使用しているが、母は、それらが少しでも濡れると、はず
してしまう。気持ち悪いらしい。それはわかるが、そのため毎日のように、下着とベッド
は、便で汚れる。

 私の家に母が来て、5か月目になる。最初のころは、毎日、シーツを取り換え、ふとん
を干していた。紙おむつも、日に何度も取り換えてやったりしていた。が、これが結構な
出費になる。

 紙おむつは、一枚100円程度。パットは、一枚30円前後。紙おむつにしてもパット
にしても、それぞれ5〜6回の排尿には耐えられるようになっている。1回ごとに取り換
えていたら、たいへん。

 そこで最近では、それほど汚れていないようなら、パットだけ取り換えて、紙おむつは
そのままにしている。が、それでも母は、それをはずしてしまう。そこで私たちは、こう
思った。

 紙おむつというと、取りはずしのしやすいものほどよいということになっているが、老
人によっては、反対に、とりはずしにくいもののほうがよいということもある、と。いろ
いろさがしてはみるが、そういう紙おむつというのは、今のところ、見つかっていない。

 老人介護というのは、まさに便との戦い。そんな感じがする。


●介護老人

 その老人問題だが、現在、介護を必要とする老人が、全国で170万人近くもいるそう
だ。それがここ15〜20年のうちに倍にふえて、340万人近くになるそうだ。私たち、
団塊の世代が、それに加わるためである。

 しかし今の日本に、それだけの老人を支えるだけの財力は、果たしてあるのだろうか? 
仮にそれだけの財力があるとしても、鉄筋で建てられた豪華なケア・センターはあちこち
にあるが、ああまで豪華でなくても、私はよいと思う。何かしらムダなことばかりにお金
をかけているような気がする。

 そういうことも考えていかないと、今に、介護保険はパンクする。確実に崩壊する。私
の母にしても、収入は、月額2〜3万円の老齢年金だけ。いくら1割負担といっても、週
に3〜4回のデイサービスを受けたら、それだけで赤字。あとは老人をかかえる、家族の
負担ということになる。

 私はまだ仕事をしているから、何とかなるが、それでも私は、今年満60歳。老々介護
ということも、そろそろ現実の問題となってきた。


●男子用便器

 少し前、男子用便器について書いた。男子用便器の周辺は、小便が飛び散っている。ど
こも汚い。便器から遠く離れて小便をする、不届き者が多いからである。

 それでひとつのアイデアとして、私は「採点機付の便器」というのを考えた。便器の中
心部に感知器をつけ、それにずっと小便が当たっていれば、「♪ピンポ〜ン」、そうでなけ
れば「♪ブ〜」と。

 が、このことを生徒たちに話すと、1人の生徒がこう言った。「距離をセンサーで感知し
て、それを信号で教えればいい」と。その子どもは、車のうしろについているバック・セ
ンサーのようなものを考えたらしい。

 体が便器から遠く離れていたら、赤信号、適正位置になったら、青信号で、それを知ら
せる。交通信号のようなものを想像すればよい。もう少し進んで、(1)適正位置に足を置
き、(2)適正距離になったら、信号を、青にかえるというアイデアもある。

 「コストがたいへん」と思う人もいるかもしれないが、毎日の清掃代をその分だけ減ら
すことができる。長い目で見れば、そのほうが安くつく。


●ニュース

 最近は、ニュース番組にしても、テレビを見なくなった。私には、こんな現象が起きて
いる。

 たとえば午後6時45分ごろになったとする。そのとき心の中で、「7時のニュースまで、
あと15分……」と計算する。

 で、その15分を待つ間に、いつの間にか、30分ほど、時間が過ぎてしまう。気がつ
くと、7時15分になっていたりする。つまりニュース番組を見逃してしまう。

 そんなわけで、このところニュースにしても、インターネットで見ることが多くなった。
インターネットだと、いつでも好きなときに、ニュースを見ることができる。しかもそれ
を任意に選んで見ることができる。それに最近では、速い。

 サッカーの試合でも、約数分遅れ程度で、速報版が入る。先の三重県の亀山地震のとき
も、5分もたたないうちに、そのニュースが流れ始めた。

 インターネットは、この分野でも、確実に世界を変えつつある。若い人を中心に、テレ
ビのニュース番組を見ない人がふえている。新聞を購読していない人となると、もっと多
い。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思想の変化

+++++++++++++++

自分の思想を変えるということは、
たいへんなこと。

ふつうは、変えられない。
変えれば、それまでの自分を否定する
ことになる。

+++++++++++++++

●思想

 自分の思想を変えるということは、たいへんなこと。ふつうは、変えられない。変えれ
ば、それまでの自分を否定することになる。若いときならまだしも、歳をとってから変え
るということは、自分の過去、あるいは自分の人生そのものを否定することになる。

 こんな例がある。

 ある日、電話がかかってきた。受話器を取ると、その女性は、こう言った。「助けてくだ
さい」と。

 話の内容は、こうだ。

●AA教団

 その女性の弟夫婦が、小学3年生になる子どもを連れて、AA教団に入信してしまった
という。AA教団というのは、共同生活しながら修行するという、あの教団である。どこ
かの山奥で、それをするという。自分たちは、「宗教団体ではない※」と、たびたび公言し
ているが、カルトとみてよい。宗教的色彩が、きわめて濃厚な団体である。

 「弟は、そのため、10年ほど勤めた会社をやめてしまいました。弟の子どもも、いっ
しょに、共同生活をすることになるので、学校へは行かなくなります。どうしたらいいで
しょうか」と。

 その女性は、39歳。弟は、34歳という。

 その人が、いわゆるカルトと呼ばれている教団に入信するのは、その人の勝手。しかし
その人が周囲に与える、混乱というか衝撃は、相当なものである。よくあるケースは、あ
る日、突然、妻が、ある教団に入信してしまうケース。息子や娘が、入信してしまうケー
スも、少なくない。

 入信した人は、「私の勝手」「信仰は個人の自由」などというが、そうはいかない。

 さらにこんな深刻なケースもある。

●BB教団

 何でもその教団では、手をかざして病気を治すという。その教団を、BB教団としてお
く。

 そのBB教団に属する、熱心な信者がいた。夫婦で、信仰をしていた。で、ある日、そ
の夫婦の子ども(5歳)が、熱を出した。肺炎のような病気ではなかったか。そこでその
祖父にあたる人が、その子ども(孫)を、病院へ連れていこうとした。

 が、その夫婦は、がんとして、それを拒否した。そして一晩中、彼らがいうところの神
に祈り、手かざしをつづけた。が、その結果、その子どもは、そのまま死んでしまった。

 ふつうなら、そこでその夫婦は、その教団に疑問をもつはず。しかし、その夫婦は、ま
すますその信仰にのめりこんでいったという。

 なぜか?

 その時点で、自分たちの信仰に疑問をもつということは、同時に、自分たちの信仰で、
子どもを殺してしまったことを自ら、認めることになる。だからその夫婦にしてみれば、
自分の信仰を疑うことなど、ぜったいにできない。だからますます自分たちの信仰にのめ
りこんでいった。

 こうしたカルト信仰では、常人には、理解しがたい、独特の論理が働く。

 しかし冒頭に書いた相談は、少し、内容がちがう。

私「弟さん夫婦が、同時に入信したわけですね」
電話の女性「そうなんです。それを何とか、やめさせたいのです」
私「夫婦は、うまくいっているにですか」
女「仲のよい夫婦です」

私「そうですか……。夫婦が、それでいいというのなら、何もできないと思います」
女「子どもがかわいそうです」
私「しかし、それもその夫婦の問題です」と。

 こういう相談では、私は無力でしかない。その上、その女性が心配しているのは、34
歳という、弟夫婦のことである。

女「何とか、やめさせる方法はないでしょうか」
私「あなたはまちがっていると言うことはできます。しかし、まちがっていると言う以上、
それにかわる思想をこちらで用意してあげねばなりません。この問題だけは、ハシゴだけ
はずして、あとは勝手にしなさいというわけにはいかないのです」と。

 よく誤解されるが、信仰があるから、信者がいるのではない。それを求める信者がいる
から、信仰がある。

 AA教団にせよ、BB教団にせよ、その教団を否定しても、意味がない。その夫婦が、
そうした信仰に走ったのは、すでにその前提として、それを求める(心の空白部分)があ
ったからである。もっとはっきり言えば、その夫婦は、何らかの救いを求めて、その教団
に入信した。

 もう少し単純なケースでは、夫の知らないところで、妻だけが勝手に、カルト教団に入
信してしまうケースがある。夫は、一方的に妻の入信を責めるが、しかしそれ以前に、す
でに夫婦関係は、こわれていたとみる。信仰が夫婦関係をこわしたのではない。

私「弟さん夫婦が、それでハッピーなら、それでいいではないですか。お姉さんのあなた
が、とやかく言ってもしかたないでしょう」
女「しかし弟が不幸になっていくのを、見過ごすことはできません」
私「あなたはそう思うかもしれませんが、それはあくまでも弟夫婦の問題です」と。

 ……と、こんな押し問答のような会話がつづいた。そして最後に私は、こう言った。

 「どうであるにせよ、この問題は、私の専門ではありません。以前は、カルト問題にか
かわってきましたが、足を洗って、もう20年近くになります。ですから、私にできるこ
とは、残念ですが、何もありません」と。

 それでも時間にすれば40分ほど、電話で話しただろうか。その女性は、電話を切った。
どこか納得できないといった雰囲気だった。アクセントからして、関西方面の人だとわか
ったが、それ以上のことは、わからない。名前も、聞かなかった。

 私にとっても、どこかあと味の悪い電話だった。

 受話器を置くと、そこにワイフがいたので、「どうして姉が、弟夫婦のことを心配するの
だろう?」と聞くと、ワイフはこう言った。

 「それぞれの家には、複雑な事情があるからよ。兄弟関係も、きっと、複雑なのよ」と。

※……宗教法人格を取得しているか、取得していないかのちがいだけである。宗教団体の
資格を取得するためには、たとえば、本部の特定、本尊の特定などが、要求される。

●思想の変化

 思想と信仰はちがう。しかしその両者には、共通点が多い。思想といっても、信仰に近
い思想もある。一方、信仰といっても、その中には思想も含まれる。思想と信仰の境目は、
いつもあいまいである。

 たとえば「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的根幹」と説く人がいる。「子どもたちに
卑怯、恥の概念を教えれば、いじめはなくなる」と説く人がいる。

 一見、その人の言っていることは思想に見えるが、つきつめていくと、信仰そのもので
あることがわかる。言葉と言葉の間に、論理的な脈絡がない。

 一方、仏教にせよ、キリスト教にせよ、そこには深い思想が凝縮されている。信仰とい
いながら、信仰者でない私にも、おおいに共感を覚える部分がある。

 で、話をもどす。

 一般論から先に言えば、人生の半ば、あるいは後半部になって、自分の思想を変えるの
は、容易なことではない。心理学の世界でも、(愛着)という言葉を使って、それを説明す
る。人は、いつも、それまでの自分、つまり自分の過去に愛着をもって生きている。その
愛着を断ち切ることは、たいへんむずかしい。

 たとえばそれまで権威主義にこり固まっていた人が、突然、自由思想にめざめるという
ことは、実際には、ありえない。たまにそういう話も聞くが、何か大きな変化を体験した
人でないと、そういうことはありえない。反対に、自分の思想に反するものを、徹底的に
排撃したりする。

 ただひとつ方法があるとすれば、自分を成熟させながら、思想を変化していくという方
法である。心理学の世界でも、これを「成熟的変化」と呼ぶ。が、それとて、簡単なこと
ではない。

 加齢とともに、脳みそは、ますます柔軟性をなくす。なくした分だけ、変化そのものに
対する適応性を失う。

 では、どうするか?

 私のばあい、「人、それぞれ」と考えることで、対処している。「その人が、それでいい
と考えているなら、それでいい」と。

 相手が、何か意見を求めてきたときは、それなりに自分の意見を述べる。しかしそこま
で。相手を説き伏せようとか、自分に合わせようなどとは、考えない。それこそ、そうい
うのを、「傲慢(ごうまん)」という。

 同時に、「私は私」と考える。そう考えて、相手の意見には耳を傾けながらも、「それは
それでいい」と考える。何か参考になるときは、当然、参考にさせてもらう。しかしそこ
まで。

 やはり、「人、それぞれ」。

 宗教も、同じように考える。冒頭で、AA教団やBB教団について書いた。しかしここ
でも大切なことは、それぞれの人が、それぞれの宗教を信じ、それで幸福なら、それはそ
れでよいということ。私のような他人がとやかく言っても、しかたのないこと。また言う
必要もない。

 ただこういうことは言える。

 ときどき、「あなたの意見はおかしい」と言ってくる人がいる。そうかもしれない。そう
でないかもしれない。が、そういうとき私は、こう思う。「私は私なのだから、放っておい
てほしい」と。

 いろいろな思想があり、いろいろな宗教があり、その中で、人は、あるときは同調し、
またあるときは、反発しながら、生きていく。その生きていくことの中に、価値がある。
生きることのすばらしさが生まれる。

 話がそれたが、最後に一言。

 思想というのは、成熟していくもの。その努力だけは、大切にしたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
思想 思想論 思想の成熟)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++++

静かな朝だ。先ほど、庭を回り、
畑を見てきた。

小さな畑だが、それでも毎日、
野菜の苗が大きくなっていくのを
見るのは、楽しい。

その間、犬のハナが、さかんに
私に向かってじゃれてくる。

私はそれを無視して、畑の横に
立つ。

静かな朝だ。今日も、がんばろう!

+++++++++++++++

●しびれ

++++++++++++++++++

ここ2、3日、右手の指先が、軽く
しびれたような状態になる。

仕事から帰ってきて、コタツの中に
入ったようなときに、
それを、かすかに感ずる。

「?」と思うが、よくわからない。
そこでインターネットを使って
調べてみた……。

++++++++++++++++++

 手足のしびれを、軽く見てはいけないそうだ。最悪のばあいは、脳腫瘍も疑われるとか。
インターネットで調べてみたら、そういうことがわかった。

 数年前、脳腫瘍で死んだ友人も、そう言っていた。「脳腫瘍の2大症状は、頭痛としびれ
だよ」と。

 みながみな、そうというわけではないのだろう。が、しかし様子をみたほうがよい。た
だし、脳腫瘍なら、私は治療を拒否する。

 脳腫瘍にもよるのだそうだが、脳腫瘍というのは、10年単位で、2倍、3倍となって
いくのだそうだ。だからそれ以上に症状が悪化しないのなら、手術はしないで、温存しな
がら仲よくつきあうという方法もある。そのうち、いっしょに、寿命も尽きる。

 それに一部であれ、脳みそを切り取れば、何かと弊害も出てくるのでは……? その友
人にしても、手術前と手術後では、明らかに人格の変化が見られた。

 ワイフに「ぼくは、運命に身を任すよ」と話すと、ワイフも、「そうね」と、納得してく
れた。私は、じゅうぶん、人生を楽しんだ。楽しい思い出もたくさん、つくった。息子た
ちも、みな、おとなになってくれた。

 今まで、なにごともなく、無事、平和に暮らせただけでも、ありがたい。その私が、脳
みそを切り取って、たとえば寝たきりのような状態になるなんて、とても考えられない。
で、今朝、朝食のとき、ワイフにこう言った。

 「ぼくはお前に、苦労ばかりかけてきた。だから老後は、もう苦労をかけたくない。だ
からお前に苦労をかけるくらいなら、ぼくは、自ら、死を選ぶよ」と。

 ワイフは、半分、冗談のように思ったかもしれない。しかし私は、本気である。死に方
も決めてある。

 今のところ、しびれといっても、たいしたことない。一時的なものですむだろう。しか
し「死」を考えるには、よい機会になった。


●老い

+++++++++++++++++

ボケるといっても、突然、ボケる
わけではない。

徐々に、少しずつ、ボケる。

そういう意味では、だれしも、すでに
そのくだり坂をくだり始めているの
かもしれない。

30代の人も、40代の人も……。

50代の人や、60代の人になれば、
なおさらだ……。

++++++++++++++++

 母を見ていると、ときどき、「この人は、いつごろからボケ始めたのか」と思うときがあ
る。現在は、90歳だが、「70歳ごろだろうか?」「80歳ごろだろうか?」と。

 今にして思えば、おかしな点は、いくつかあった。自分にとってつごうの悪いことにな
ると、母は、とことん、とぼけたフリをする。が、フリだと思っていたが、本当にそうだ
ったのかもしれない。それが今となってみると、よくわからない。

 そのときは、私は、母がウソをついていると思った。とぼけていると思った。母は、昔
から、誠実な人だったとは、とても言いがたい。

 そういう母を見ながら、「では、私はどうか?」「私はだいじょうぶか?」と考える。実
のところ、私の説によれば、私も、少しずつだがボケ始めていることになる。例外は、な
い。

 が、どの部分が、どのようにボケ始めているのか、それがよくわからない。ボケという
のは、そういうもの。脳の中枢部分がいかれるため、自分でそれに気づくことは、ない。

 ゆいいつの方法は、昔書いた文章と、現在書いている文章を比較してみることである。
同じようなテーマで書いた文章なら、比較しやすい。

 文章は、(つっこみの深さ)で、価値が決まる。もちろん読みやすく、展開がおもしろけ
ればおもしろいほど、よい。そういう判断力は、まだ、私にも残っている。

 もうひとつの方法は、読者の方に感想をたずねるという方法もある。しかし、たずねて
も、本当のことを話してくれる人はいないだろう。ワイフもその読者の1人だが、そのワ
イフはあてにならない。私と同時進行の形で、ボケている可能性がある。

 そこで今日も、私の闘いはつづく。

(1)運動をする。
(2)パソコンを相手に、知恵比べをする。

 最近になって気がついたが、ボケ防止のためには、パソコンと遊ぶとよい。器質的にも、
指先の刺激は、脳みそによい影響を与えるそうだ。が、それだけではない。おとといは、「B
OX」に挑戦してみた。

 「BOX」というのは、最近始まった、インターネット・ストーレッジ・サービスをい
う。BOXに原稿を収録しておくと、好きなときにダウンロードして、それを読むことが
できる。これは私のためというよりは、HPを訪ねてきたくれた人のため、ということに
なる。

 こういうことを繰りかえしていると、つぎつぎと、自分の住んでいる世界が広がってい
く。もちろん脳みその刺激にもなる。

 ただ若いころとちがって、集中力に衰えを感ずるようになった。文章を書いていても、
1、2時間で、席を離れることが多くなった。が、そういうときは、無理にでも、自分を
2、奮(ふる)い立たせる。「がんばれ!」と。

 すると、頭の中全体が、熱くなっていくのがわかる。

 ……ということだが、いつまでがんばれるか、今のところ、よくわからない。しかしこ
んなこともある。

 (怒り)は、ボケ防止のためによいのでは……ということ。怒りを感ずると、カーッと
頭に血がのぼっていくのがわかる。が、ささいなことで、怒ってはいけない。私のばあい、
今は、K国関連の記事を読むたびに、カーッと血がのぼるのがわかる。

 実のところ、今の今も、それについて書きたくて、ウズウズしている。しかし私のHP
やマガジンの読者は、女性が多い。大半は母親だ。そういう読者を感ずると、どうしても
遠慮してしまう。政治問題は、そこそこにしておこう、と。

 私も、やがてボケる。ボケて母のようになる。しかし、それは同時に、とてもさみしい
ことでもある。何とか、現在の知力、体力、気力を、できるだけ長く保つようにしたい。

(読者のみなさんへ)

 最近、私が書いた文章をどう思いますか?
 鈍くなったと思いますか?
 読みにくくなったと思いますか?
 ヘタクソになったと思いますか?
 どうですか?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●老齢期の絶望

++++++++++++++++

老齢期は老齢期で、
自分のアイデンティティを
確立しなければならない。

自分を真剣の見つめなおさなければ
ならない。

+++++++++++++++

 老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、肯定すること。エリクソンは、それを
「(人生の)統合性」と呼んだ。

「老齢」といっても、50代、60代のことではない。ユングの「ライフ・サイクル論」
によれば、40歳前後から、人は、(人生の正午)を過ぎ、中年期、さらには老年期へと
向かうとされる。

 この時期までに、その人のアイデンティティ(=自己同一性)は、おおかた決まってく
る。が、中には、そのアイデンティティをかなぐり捨ててまで、別の人生を歩もうとする
人がいる。

 こんな話を耳にした人は多いと思う。

 「第二の人生」と踊らされて、退職後、田舎暮らしを始める人たちの話である。私が知
るかぎり、こうしたもくろみは、たいてい失敗する。たとえば浜名湖の北に、Aという村
があった。退職者たちが集まってつくった村である。

 当初はマスコミにも騒がれ、それなりに注目されたが、それから15〜20年。今は見
る影もない。荒れ果てた原野に逆戻り。地元の小学校で校長をしている男性に理由を聞く
と、こう話してくれた。

 「周囲の村の人たちと、うまく溶けこめなかったからです」と。

 それも理由のひとつかもしれないが、心理学的に言えば、アイデンティティの崩壊が起
きたからと考えるのが、正しい。つまり、それまでに自分がつくりあげてきたアイデンテ
ィティを放棄し、別のアイデンティティを求めても、うまくいかないということ。生命力
にあふれた成人前期(ユング)でも、アイデンティティの確立はむずかしい。いわんや、
中年期においてをや。

 人生の正午を過ぎると、精神力、体力は急速に衰えてくる。それ以上に、「死」をそこに
感ずるようになる。時間の限界を覚えるようになる。言うなれば、断崖絶壁の上に立たさ
れたような状態になる。

 そういう状態で、それまでの自分を否定する。それまでの自分とはまったく別の人生を
歩もうとする。が、それはそのまま、想像を絶するストレッサーとなって、その人にはね
かえってくる。

 たいていの人は、この段階で、もがき、あがき、そして苦しむ。自己否定から、絶望す
る人も少なくない。

 もっとも、だからといって、たとえばここに書いたような田舎暮らしに、みながみな、
失敗するというわけではない。中には、それなりにうまく、田舎に溶けこんでいく人もい
る。

 たとえば私の姉の義理の叔父は、50歳を過ぎるころまで、名古屋市内で事業を営んで
いた。が、そのころ会社を他人に売り払い、そのまま、屋久島に移り住んだ。九州の南に
ある、あの屋久島である。5、6年前に80数歳の歳で亡くなったが、その人のばあい、
30年以上、その屋久島で、田舎暮らしをしたことになる。

 それには理由がある。

 姉の義理の叔父は、それまでも、つまり若いときから、年に数回は屋久島に旅をつづけ
ていた。屋久島に心底、惚れこんでいた。そういう下地があった。だからうまくいった。
うまくいったというよりは、移住した時点で、(自分がしたいこと)と、(現実の自分)を
一致させることができた。

 そういう例なら、私にも理解できる。しかしそれまで都会でサラリーマンをしていた人
が、突然、田舎へ移り住んで、それでうまくいくということは、心理学的に考えても、あ
りえない。いくらそれが(自分がしたいこと)であっても、それに合わせて、(現実の自分)
をつくることは、たいへんなこと。並大抵の努力ではできない。遊んでいても暮らせるな
らまだしも、農業を職業とするとなると、なおさらである。

 では、どうするか?

 大切なことは、冒頭にも書いたように、老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、
肯定すること。あるいはそれまでの人生の延長線上に、自分を置くこと。ユングは、「生の
縮小」という言葉を使った。が、だからといって、それは敗北を意味するのではない。「生
の縮小」とは、自分の限界を認めること。「ああ、私はこんなものだ」「私の人生は、こん
なものだ」と。

 そしてその範囲の中で、自分ができることを模索する。そういう意味では、ユングも言
っているように、この時期こそ、自分を真剣に見つめなければならない。またその努力を
怠ってはいけない。

 私も、もうすぐ満60歳になる。定年退職ということはないにしても、心の中では、す
でに老齢期の過ごし方を準備している。しかしその過ごし方は、今の私とまったく別のも
のではない。「60歳を過ぎて、何ができるか」「70歳になったら、何ができるか」とい
う視点で、ものを考える。

 でないと、自分がバラバラになってしまう。へたをすれば、先にも書いたように、自己
否定から、絶望へと進んでしまう。が、何としても、それだけは避けなければならない。
そのためにも、今こそ、私は、自分を真剣に見つめなおさなければならない。

 ついでに一言。

 私はときどき、ふと、こう思う。もし神様か何かが、私にこう言ったとする。「お前を、
奇跡によって、もう一度、青春時代に戻してやろうか?」と。

 しかし多分、私は、こう答えるだろうと思う。「これからも健康でいたい。長生きをした
い。そのために努力はする。しかし同じ人生をもう一度歩めと言われるなら、それは断る。
人生は、一度でたくさん」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
老齢期の統合性 アイデンティティ アイデンティティの確立 人生の正午 生の縮小)


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●メタ・コミュニケーション

++++++++++++++++++

 最近、「メタ……」という言葉を、
よく耳にする。「メタ・サーチ」
「メタ・ミュージック」
「メタ・サイコロジー」など。

++++++++++++++++++

 最近、「メタ……」という言葉を、よく耳にする。「メタ・サーチ」「メタ・ミュージック」
「メタ・サイコロジー」など。

 その中に、「メタ・コミュニケーション」というのがある。この場合の「メタ」は、「高
次」と訳す。「メタ(高次)・コミュニケーション」という意味である。

 たとえばあなたが今、Aさんという人と、対峙して話したとする。そのときあなたは、
自分の心情を、(1)言葉と、(2)言葉以外の動作、表情、しぐさなどで伝えようとする。
この(2)の言葉以外の、伝達方法を、メタ(高次)・コミュニケーションという。

 たとえば、あなたがAさんからプレゼントをもらって、うれしかったとする。するとあ
なたは、Aさんに、「ありがとう」と言う。それが、言葉によるコミュニケーションだが、
同時に、あなたは、そのうれしさを、表情や動作で表現したりする。そのコミュニケーシ
ョンを、メタ・コミュニケーションという。相手のAさんは、そういうあなたを見て、あ
なたが感謝していることを知る。

 ふつう、この(1)の言葉と、(2)の言葉以外の伝達方法は、たがいにシンクロナイズ
(同調)する。「ありがとう」と言って、ニコニコ笑う。「バカヤロー」と言って、怒った
顔をする、など。

 しかしときに、この二つが、一致しないことがある。子どもの世界でも、ときどき観察
される。

 たとえばブランコを横取りされても、ニヤニヤ笑っている。先生に叱られているのに、
無表情のまま。あるいは、先生にほめられているのに、すごんだ目つきをする、など。以
前、数学の問題を解きながら、突然、ニヤニヤと笑い出した子ども(中学生女子)もいた。
「何を考えているかわからない」といった、状態になる。

 このタイプの子どもに接すると、熟練した教師でも、ある種の不気味さを感ずる。

 そこで私は、年に1度、「表情」というレッスンをもうけている。心の状態を、すなおに、
そのまま表現できるように、子どもを指導する。喜怒哀楽の情に合わせて、それに言葉や、
ジェスチャをのせていく。そして最終的には、少し大げさであるにせよ、心の状態を外に
向って開放できるようにする。

 参観している親たちから見ると、(多分)、私が遊んでいるように思うかもしれない。あ
るいは、そういう指導が、「勉強」と、どういう関係があるのかと疑問に思う人もいるかも
しれない。

 本来なら、そういう説明をした上で、「表情」の指導をしたほうがよいのかもしれないが、
時間的にも無理。それに本当のところ、若いお父さんやお母さんに、理解してもらえるか
どうか、わからない。だから、私はあくまでも、子どもだけを見て、指導する。

 話をもどすが、このメタ・コミュニケーションの重要さは、そうでない子どもに出会っ
たときに、わかる。「何を考えているかわからない」という子どもとしばらく接していると、
こちら側も、言いようのない不安感に襲われる。イライラすることもある。

この「メタ・コミュニケーション」という言葉は、もともとは、ベイトソンという学者
が、統合失調症(分裂病)の患者を観察していて、使い出したという。恐らくベイトソ
ンも、そういう患者と接していて、言いようのない不安感、あるいは恐怖感を覚えたの
ではないか。そのことからもわかるように、こうした状態、つまりメタ・コミュニケー
ションが、言葉と遊離した状態を、決して、安易に考えてはいけない。

 こうした(1)言葉と、(2)言葉以外の伝達方法が不一致を起こす原因としては、いろ
いろ考えられる。

 抑圧された家庭環境、神経質な家庭環境など。過干渉、過保護、過関心がよくないこと
は言うまでもない。さらに進んで、母子関係の不全、基本的信頼関係の不足などもある。

 何でもないことのようだが、明るい表情で、心の状態をありのままに表現する子どもは、
それだけでも、心がまっすぐに伸びていることを示す。
(はやし浩司 メタ・コミュニケーション メタコミュニケーション 高次コミュニケー
ション ベイトソン)


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●どうしようもない夫

+++++++++++++++++

暴力夫に、献身的に仕える妻。

一見、すばらしい妻に見えるが、
こういうのを、「共存依存」という。

決して正常な関係ではない。

+++++++++++++++++

 Aさん(45歳・女性)の夫は、大のギャンブル好き。借金ばかりしている。酒も飲む。
暴力も、振るう。そんな夫だが、Aさんは、別れることもできず、夫のそばにいる。めん
どうをみている。昼間はスーパーで働き、夜は、宅配会社の仕分けの仕事をしている。

 ふつうなら、Aさんは、夫に愛想をつかして、別れてもよいはず。まわりの人たちも、
Aさんに、「早く別れなさい」と勧める。

 しかしAさんは、別れない。Aさんは、こう言う。「私がいなければ、あの人は生きてい
けない」「あの人には、私が必要」と。

 そういえば、同じようなシーンを、昔、何かのヤクザ映画で見たことがある。チャンパ
ラ映画の定番にもなっていた。どこまでも献身的な妻。それに甘えて、ますます自分勝手
な振るまいを繰りかえす夫。

 こういうのを、心理学の世界では、「共存依存」という。

 つまりそういうふうにして、夫と共存すること自体が、その妻の生きがいになっている。
もしそういう夫と別れたら、その妻は、自分を証明するものを、失ってしまう。まわりか
ら、「かわいそうだ」「いい嫁だ」と言われることが、その妻にとっては、生きがいになっ
ている。

 一方、夫は夫で、精神的に妻を虐待すればするほど、妻が、自分に依存してくるのを、
知っている。だから、ますます自分勝手な振るまいを繰りかえすようになる。

 しかしこんな人間関係は、異常である。ゆがんでいる。

 栃木県に住んでいるBさんから、こんな相談があった。ここでいうAさんというのは、
そのBさんの姉である。

 「どうしたらいいか?」と。

 こういうケースのばあい、まず、本人自身に、その異常さを理解してもらうのが、一番
よい。そしてパチンコ依存症(男性に多い)や、買い物依存症(女性に多い)と同じよう
な、依存症の一つであることを、わかってもらう。

 こうした共存依存に陥ると、(1)自分のことが客観的に判断できなくなる、(2)自分
が何を望んでいるか、それを表現できなくなる、(3)自分が自分でなくなり、(夫の)人
形のようになってしまうなどの、障害が現れるようになる。

 方法としては、一度、夫と離れて暮らしてみるのがよい。たがいに冷却期間を置くわけ
だが、実際には、これがむずかしい。無理に離れさせたりすると、禁断症状のような症状
が、たがいに出てくることがある。だから結局は、またモトのサヤに収まってしまう。

 こういうケースでは、たがいに「好きだ」とか、「愛している」とか言うものだが、本当
のところは、それは愛でも何でもない。たがいに依存しあっているだけ。が、それすらも
本人たちには、わかっていない。

 もともとどちらか一方に、心の空白部分があるために、そうなると考える。だから、こ
とは簡単ではない。また簡単には解決しない。ふつうは、そういう状態のまま、双方が、
その人生を終えることが多い。

 Aさんも45歳ということだから、私の印象では、そのままの状態で、これからもいく
だろうと思う。妹のBさんにとっては、つらいことかもしれないが、Bさんにできること
にも限界がある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
共存依存 依存うつ)

【付記】
 夫婦の問題は、どこまでいっても、夫婦の問題。他人がとやかく言っても、始まらない。
どうしようもない。親や兄弟でも、そこには限界がある。本人たちが、「それでいい」と言
うなら、あとは、暖かく無視するしかない。何かあって、助けを求めてきたら、そのとき
は、相談にのる。しかし、そのときまで、待つしかない。

 この種の問題は、きわめてデリケート。へたに干渉すれば、その時点で、人間関係は終
わる。干渉するにしても、慎重に。控えめに。相談されたことだけを、その範囲で、てい
ねいに、いっしょに考えてあげるのがコツである。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●老齢期のボケ

+++++++++++++++

老人がみな、ボケているという
わけではない。

中には、若い人たちより、
シャキシャキとしている人もいる。

+++++++++++++++

 老人イコール、ボケるということではない。

 頭の働きにもいろいろある。たとえばJ・L・ホーンという学者らは、知能を、(1)流
動性知能と、(2)結晶性知能に分けて考えている。

 わかりやすく言えば、柔軟な思考力で、新しい問題を考えていく力を、流動性知能とい
う。

 反対に、今までの経験の上に、より高度の知的能力や知識を身につけていく力を、結晶
性知能という。

 年齢とともに、流動性知能は減退すると言われているが、結晶性知能は、50代、60
代になっても、伸びつづけると言われている。(結晶性知能にしても、本当は減退するので
はなく、より必要としなくなるから、結果として減退すると説く人もいる。)

 つまり頭は、使えば使うほど、伸びつづける。使わないから、そこで伸びが停滞する。
ボケる。

 そこでまわりの老人たちを観察してみる。

 が、とても残念なことに、老齢期に入ってからも、頭を使いつづけている老人というの
は、意外と少ない。新しいことにチャレンジしている老人となると、さらに少ない。

 しかしこれではいけない。私の恩師のT教授は、最近、「第三の人生」という言葉を使い
始めている。老齢期を第二の人生というなら、90歳を過ぎたてからの人生を、第三の人
生と。私は、そういう意気込みこそが、大切ではないかと、思っている。つまりそういう
意気込みこそが、人生を最後まで楽しく生きるコツではないか、と。

 思考能力というのは、健康力と同じで、いつも前向きに戦ってこそ、維持できる。立ち
止まったとたん、その瞬間から、思考能力にせよ、健康力にせよ、それらは減退する。

 だから結論は、こうなる。

 老齢期になるから、頭がボケるのではない。それだけの努力をしないから、ボケる、と。

 世の中の多くの人は、「老人は頭が悪い」と、あまりにも安易に決めつけすぎているので
はないか。

【付記】

 たしかに鈍くなった面も、ないわけではない。若いころなら、一、二度見ただけで覚え
られたような単語や言葉でも、なかなか頭に残らなくなった。それに、すぐ忘れてしまう。

さらに体力と思考力が、密接にシンクロナイズ(同調)されるようになり、肉体的に疲
れているようなときには、集中力そのものが、長くつづかない。長い文章を書いている
と、途中でふと、自分が何を書いているか、わからなくなることさえある。

 そういう変化は、たしかにある。しかしそれはあくまでも、程度の問題。それなりの努
力で、克服できる。だから私は、まだこの問題を、あまり深刻には、考えていない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
流動性知能 結晶性知能 J・L・ホーン 老人のボケ)


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司
 
●おかしな平和主義

+++++++++++++++

おかしな平和主義にとらわれて、
そのうち他国に侵略されてしまった
国の例となると、ゴマンとある。

第二次大戦前のフランスが、そうだ。
今の韓国が、そうだ。

++++++++++++++

 ときとしておかしな平和主義者が、台頭する。韓国の今の、N大統領を見ていると、そ
んな感じがする。前大統領の金大中氏もそうかもしれない。

 昨日(4月14日)、6か国協議で決まった初期措置の履行期限が過ぎてしまった。が、
K国側は、少なくとも昨日までの段階では、何も行動していない。それもそのはず。

 2月の6か国協議以来だけでも、韓国は、矢継ぎ早に、K国に対する援助を決定してい
る。すでに援助を開始したものもある。それをざっと書き並べてみる。

(1)肥料、30万トン
(2)米、40万トン
(3)毛布、6万トン
(4)米、1万500トン
(5)セメント、7万トン
(6)口蹄疫予防、33億ウオン
(7)離散家族の再会施設支援、37億ウオン
(8)マラリヤ予防、12億ウオン
(9)苗用ビニール、10億ウオン
(10)製薬工場、10億ウオン
(11)山林緑化 10億ウオン
(12)金剛山事業、14億ウオン
(13)開城事業、15億ウオン
(14)ほか、117億ウオン
(以上、朝鮮N報の資料より)

 ほかに、現在も、5万トンの原油を満載したタンカーを東シナ海に待機させている。こ
うした支援は3427億ウォン(約428億円)に達し、うち350億ウォン(約44億
円)がすでに執行されていることが明らかになった(産経新聞)。

となると、では昨年のあの国連安保理による制裁決議は何だったのかということになる。
わかりやすく言えば、制裁決議そのものを、韓国がすべて骨抜きにしてしまっている。
産経新聞は、こうした状況を、「異様」という言葉を使って表現している(※)。

 こういうことを繰りかえしているから、K国の核開発問題は解決しない。しないばかり
か、K国は時間稼ぎをしながら、今の今も、核兵器を増産している。が、韓国政府は、そ
れを「人道支援だ」と開きなおっている。

 バカめ!

 お金に名前はつけられない。米を支援すれば、本来なら、米を外国から買うべきお金を、
K国は、核開発に使うことができる。どうしてそんな単純なことさえ、N大統領は理解で
きないのか。

 ここ数日のうちに、BDA問題は解決するだろう。同時に、K国は、Yなどにある核開
発関連施設を、停止する動きを見せるだろう。しかしそんなものは、ただのジェスチャ。
それでK国が、核開発を断念すると考えるのは早計。早計というより、バカげている。

 韓国政府高官は、今のN大統領が就任した直後、こう発言している。「K国の核兵器は、
南北統一後の朝鮮にとっても、有利」と。一方、K国の高官は、当時のアメリカの国務次
官補にこう言っている。「核兵器開発は、日本向けのもの」と。

 中国は、現在着々と、K国支配を完遂させつつある。そしてK国を仲介する形で、日本
に対して、40兆円という戦後補償費を提示してきている。(40兆円だぞ! しかもその
40兆円ですむという保証は、どこにもない。)中国のねらいは、ズバリ、ジャパン・マネ
ー。

 今の時点では、N大統領が率いる韓国は、日本にとって仮想敵国と考えたほうがよい。
少なくともN大統領は、日本を、そうとらえている。

 K国はすでに、必要なものはすべて、韓国から手に入れた。それが冒頭にあげたリスト
である。K国にしてみれば、何をいまさら、ということになる。

 こうした状況であるにもかかわらず、日本は、ゆいいつの盟友であるアメリカにさえ、
見放されてしまった。イラク問題で手詰まり状態。中間選挙で敗北した……などなどの理
由もあるだろう。が、安部外交の稚拙さによるところも大きい。安倍政権はおかしな「対
米追従外交反対論」に押し切られるまま、今の状況をつくりだしてしまった。

 表向きはともかくも、K国を内部崩壊にもっていこうとする日本。それをさせまいとす
る中国、韓国。自国の利益だけを優先して、極東アジア問題から足を抜きたいアメリカ。
K国をなだめてジャパン・マネーをねらうロシア。

 今まさに、四つ巴(どもえ)、五つ巴の、血みどろの戦いが、水面下で繰り広げられてい
る。

(注※)……(これらの援助のほか)、韓国政府は「平壌赤十字病院」支援のため、北から
求められた数百億ウォン(数十億円)の供与を受諾したほか、対北民間支援の活動費とし
て117億ウォン(約15億円)の政府拠出を発表した。N政権の異様なほどの親北姿勢
が浮き彫りになっている(産経新聞)。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【お母さん方からの、Q&A特集】

●夫との違い

1 夫の怒りかたが荒っぽくて困っている。できれば話して(言葉で)わからせたいのに、
夫は怒鳴ったり、手をあげることも・・・。

★『夫婦は一枚岩』というのが、子育ての鉄則です。夫婦で意見の衝突があっても、子ど
もの前では見せないようにします。また『船頭は一人』という鉄則もあります。こういう
ケースでは、母親は、まず父親を立てる。決して男尊女卑的なことを言っているのではあ
りません。たがいに高度な次元で尊敬しあってこそ、それを「平等」といいます。子ども
の前では、「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と、あくまでも父親の側に立
ちます。納得がいかないことがあれば、子どもが寝静まったあとにでも、「私はこう思うけ
ど……」と、意見の調整をします。

★そうでなくても、むずかしいのが子育て。これから先、夫婦の心がバラバラで、どうし
て子育てができるというのでしょうか。なおこういうケースでは、夫が怒鳴ったり、手を
あげたりしそうであれば、その前に、夫の言いたそうなことを前もって、言うようにしま
す。いわゆる夫の機先を制するということです。「そんなことをすると、お父さんに叱られ
ますよ!」と。夫に抵抗すればするほど、夫の心は、あなたや子どもから離れていきます。
これは子どもの問題というより、夫婦の問題かもしれません。どこか夫婦の間に、すきま
風が吹いていませんか。私には、そちらのほうが気になります。

★なお、親子の信頼感は、「一貫性」で決まります。E・H・エリクソンという心理学者
も、「親(とくに母親)の安定的態度が、基本的信頼関係を結ぶ基礎である」というような
ことを言っています。要するに親の心がグラグラしていては、親子の間で、信頼関係を結
ぶことができないだけではなく、つづいて、子どもは、園や学校の先生、さらには友人と
の信頼関係を結べなくなります。よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一本スジの通った子
育てをします。


2 食事中のマナーについて。夫はテレビを見ながら食べている。でも、子どもには、ご
はんを食べるときはテレビを消しなさい」と言ってあるので、子どもの教育上、夫にはテ
レビを消して、協力して欲しい。

★子育ての世界には、メジャーな問題と、マイナーな問題があります。家庭の役目は、家
族が外の世界で疲れた心と体をいやすことです。そのために「家庭はどうあるべきか」を
考えるのは、メジャーな問題。「家庭でのこまごまとした、ルール」は、マイナーな問題と
いうことになります。マイナーな問題に引き回されていると、メジャーな問題を見失うこ
とがあります。そこでこうしたマイナーな問題は、言うべきことは言いながらも、あとは
適当に! その時と、場所になればできればよいと考えて、おおらかに構えます。

★また子どもの世界には、『まじめ八割、いいかげん二割』という鉄則があります。「歯を
みがきなさい」と言いながらも、心のどこかで、「虫歯になったら、歯医者へ行けばいい」
と思うようにします。虫歯の痛さを知って、子どもは歯をみがくことの大切さを学びます。
それだけではありません。子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばします。子育て
でまずいのは、神経質な完ぺき主義。家庭が家庭としての機能を果たさなくなるばかりか、
子どもの心をつぶしてしまいます。さらに子どものことで、こまごまとしたことが気にな
り始めたら、あなた自身の育児ノイローゼを疑ってみます。

★「しつけ」と「ルール」は違います。「しつけ」は、自律規範のことをいいます。この
自律規範は、初期のころは、親から与えられますが、やがて子どもは、自分で考え、自分
で判断し、自分で行動するようになります。子どもをしつけるということは、いかにして
子どもを自律させるかということ。一方、ルールは、あくまでもルール。むしろ『ルール
がないから家庭』と言います。またイギリスの教育格言にも、『無能な教師ほど、ルールを
好む』というのもあります。これを言いかえると、『無能な母親ほど、ルールを好む』(失
礼!)となります。

★ルールは、つくるとしても、家庭では最小限に。夫の立場で言うなら、「家に帰ってき
てからは、のんびりとテレビでも見ながら、食事をしたい」ということではないでしょう
か。私なら妻から、そんなこまごまとしたルールを言われたら、気がヘンになります。な
お、「食事中はテレビを見ない」というのは、マナーでも何でもありません。「マナー」と
いうのは、「他人の心を害さないこと」を言います。そういうマナーは大切ですが、「テレ
ビを見ながら、食事をしてはいけない」というのは、マナーではありません。いわんや「教
育上……」と、おおげさに構えなければならないような、問題ではありません。ちなみに、
私は、毎日、テレビを見ながら、夕食を食べています。

★要するに子育てをするときは、いつもメジャーな視点を忘れないこと。いつも、「より
大切なことは何か」と考えながら、します。そういう視点が、あなたを親として、大きな
人間にします。こまかいルールで、がんじがらめになっている家庭からは、大きな子ども
は生まれません。


3 子どもの習い事など。園のお友だちなどを見ると、習い事をさせる人もけっこういま
す。子どももやりたがっていることだし、私としては何かやらせてもいいのでは? とお
もっているけど、夫は「まだ早い。子どもはのびのび遊んでいればいい」と。この感覚の
違いって、これからももめごとの原因になりそうで・・・。

★親には、三つの役目があります。子どもの前を歩く。子どものガイドとして。子どもの
うしろを歩く。子どもの保護者として。そして子どもの横を歩く。子どもの友として。日
本の親は、子どもの前やうしろを歩くことは得意ですが、子どもの横を歩くのが苦手。そ
ういう発想そのものがありません。こういう相談のケースでも、「(子どもに)やらせる」
という発想そのものが、気になります。大切なことは、子どもの方向性を見極めながら、「あ
なたはどう思うの?」と、そのつど、子どもの心を確かめながら、行動することです。習
い事をする、しないは、あくまでもその結果です。

★で、習い事をするにしても、この時期は、「楽しませること」を考えてします。(できる、
できない)ではなく、(楽しんだかどうか)をみます。そういう前向きな姿勢が、子どもを
伸ばす原動力となります。もう少し専門的には、「プラスのストローク(働きかけ)」を大
切にするということです。

★この時期は、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結果を生みます。ですからその
つど、「あなたはよくできる」「あなたはもっとできるようになる」と、プラスの暗示をか
けていきます。ほかに『一芸論』(子どもに一芸をもたせる。一芸を伸ばす)や、『才能は
作るものではなく、見つけるもの』という鉄則もあります。参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ママ友だちとの違い

1 何かトラブルがあると「うちの子にかぎって、そんなことはしない!」と、決まって
言う母親がいる。自分の子が原因になっていても、よその子から疑うなんて。「他人は他人」
と思っていても、やっぱり頭にきちゃう!

★反面教師という言葉があります。あなたのまわりに「親バカ」(失礼!)がいたら、い
つも「自分はどうか?」と自問してみます。そういう親を非難するのではなく、自分自身
が伸びるために利用します。このケースでも、「頭にきちゃう」ではなく、「親というのは
そういうもの。ならば自分はどうなのか?」という視点でみるようにします。そうすれば、
少しは怒りがおさまるはずです。

★このケースで気になるのは、むしろ相手側の親子です。「うちの子にかぎって」と思っ
ている親ほど、子どもの心がわかっていない。それだけではない。ひょっとしたら、その
子どもは、親の前で、いい子ぶっているだけ? こういうのを「仮面」といいます。さら
にひどくなると、心(情意)と、表情や言動が遊離するようになります。不愉快に思って
いるはずなのに、ニコニコ笑うなど。こうなると、親の側から見ても、自分の子どもが何
を考えているかわからなくなります。親子断絶の初期症状と考えて、警戒します。

★信頼関係を築くためには、(さらけ出し)→(心を開く)というプロセスを踏みます。「ど
んな恥ずかしいことでも、たがいに言いあえる」「何をしても、何を言っても、たがいに許
しあえる」という関係があってはじめて、信頼関係を築くことができます。親子とて、例
外ではありません。しかし今、信頼関係どころか、親子でも、心を開けないケースが、ふ
えています。先日も、私に、「うちの子(小二男児)がこわいです。私のほうから、あれこ
れ言うことができないので、先生のほうから言ってください」と言ってきた、母親がいま
した。

★一方、心を開けない子どもは、開けない分だけ、心をゆがめます。いじける、ひがむ、
つっぱる、ひねくれるなど。それを防ぐためにも、子どもには、まず言いたいことを言わ
せ、したいことをさせます。その上で、よい面を伸ばし、悪い面を削るようにします。相
手側の親子には、そういう姿勢が感じられません。ひょっとしたら溺愛ママ? 自分の心
のすき間を埋めるために、子どもを利用しているだけ? そういう視点で見てあげると、
さらに怒りがおさまるかもしれません。


2 育児論に自信があり、「私の子育ては正しくて間違いはない!」と言ってはばからない
ママが園にいる。みんなそれぞれなのに、人の子育てにも口を出してくる始末。もう、ほ
っといてほしいのに。

★ほかの親とのつきあいは、『如水淡交』が原則。「淡く水のように」という意味です。中
に、自己中心的で、押しつけ的なことを言ってくる親もいますが、そういう親とは、サラ
サラと水のように交際するのが、コツです。この世界、その底流では、親たちのドロドロ
の、それこそ血みどろの戦いがウズを巻いています。それに巻き込まれると、かなり神経
の太い人でも、参ってしまいます。だから交際するとしても、園や学校の行事の範囲だけ
にとどめます。決して深入りしてはいけません。間に子どもがいるため、一度、こじれる
と、この種の問題は、とことんこじれます。もしどうしても、ということなら、あなたの
子どもが通っている園や学校とは、直接関係ない世界に住んでいる親と交際するようにし
ます。

★ただ子育てで注意しなければならないのは、カプセル化です。カプセル化というのは、
親子だけの狭い世界でマンツーマンの生活をすることいいます。そしてその世界だけで、
独自の価値観を熟成してしまう……。家族が、ちょうど小さなカプセルに閉じ込められる
ようになるので、カプセル化といいます。一度カプセル化すると、同じ過干渉でも、極端
な過干渉、あるいは同じ溺愛でも、極端な溺愛になりますから、注意します。それを防ぐ
ためにも、自分のまわりは、いつも風通しをよくしておきます。つまりたがいの情報を交
換することは悪いことではありませんので、「ほっといて!」ではなく、「また教えてね!」
というような、つきあい方に切りかえてみてはどうでしょうか。


3 うちによく遊びに来る子が、まったくしつけされていない。人の家の冷蔵庫を勝手に
あけたり、寝室(入ってはダメと言ってある所)に入ったり・・・。しかも、それを見て
も、本人の親は何も注意しない!「おたくのしつけ、どうなってるの!」って感じ。「もう
こないで!」と言いたいが、子ども同士は仲がいいので、言えない。

★こういうときの鉄則は、ただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』です。相手の子ど
もの行動のどこか、どのように悪いかを、子どもに話しても、決して相手の子どもの名前
を出してはいけないということです。「よそのうちの冷蔵庫を勝手にあけるのはよくない
ね」「そのおうちの人が入ってはいけないという部屋に入ってはいけないね」と、です。こ
ういうケースで、「○○君とは遊んではダメ」と、子どもに言うことは、子どもに、「親を
取るか、子どもを取るか」の択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。そうでなければ、あなたとあなたの子どもの間に大きなキレツを入れることになりま
すから、注意してください。なおこの鉄則は、これから先、あなたの子どもがおとなにな
るまで、有効です。

★で、あえて言うなら、あなたの子どもは、その子どもといっしょにいることが、楽しい
のです。子どもというのは、無意識のうちにも、居心地のよい仲間とつきあいます。つま
り『類は友を呼ぶ』です。そこで大切なことは、あなたの子どもにとって、どこがどう居
心地がよいかを知ることです。ひょっとしたら、あなたのほうが、ガミガミとこまかいし
つけをし過ぎていませんか。……そうではないと思いますが、そんなことも疑ってみるこ
とも、ときには大切です。

★これから先、あなたの子どもは、無数の人間関係を、いろいろな場所で結びながら、そ
の間でのやりくり、つまり社会性を身につけていきます。そういう意味では、悪友もまた、
必要なのです。社会に対する免疫性も、そこから生まれます。だからといって悪いことを
容認せよというわけではありませんが、一般論として、非行などのサブカルチャ(下位文
化)を経験した子どもほど、社会人になってから常識豊かな人になることも、よく知られ
ています。「悪いからダメ」式に、子どもを押さえつけるのではなく、その子どもを反面教
師として、ここで書いたことを参考に、相手の子どもを利用してみてはどうでしょうか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが家
なりのルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無駄に
なる!

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせ
れば、子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをし
ました。今でも、日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマス
などに、より高価なプレゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与え
れば与えるほど、子どもの心をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれ
は誤解。むしろ、逆効果。イギリスの格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、い
っしょに釣りに行け』というのがあります。つまり子どもの心をつかみたかったら、モノ
より、思い出というわけです。しかし戦後のひもじい時代を生きた人ほど、モノにこだわ
る傾向があります。「何でも買い与える」という姑の姿勢の中に、その亡霊を見ることがで
きます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、
いい子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、
「鬼の子」として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありません。
あなたの姑がそうだとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹にかかわる
問題なので、簡単にはなおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)の歓心を
買うことにより、「いいおばあちゃん」でいたいのかもしれません。そこでどうでしょうか。
この私の答を、一度、姑さんに読んでもらっては? しかし子育てには、その人の全人格
が集約されていますから、ここにも書いたように、簡単にはなおりません。時間をかけて、
ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、
我慢して「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます増
えそうなこのモヤモヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったときが
こわい!

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別
居か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるし
かありません。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)に
かけてみると、メリットのほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居して
いるケースでは、ほぼ、100%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあ
いも、祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよい
のです。仕事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょ
にいてくださるので、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、
子どもに影響が出ることもありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自
身の自己意識が育ってくれば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにし
てください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査
してみたことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子
どもの教育に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教
育に口を出す祖父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、
変化しつつあります。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、
あなたが祖父母になったとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そう
いうストレスを、つぎの若い夫婦に与えないようにします。


3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○
だったのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進ん
でいるの! 今のやり方をもっと認めて!

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、
アメリカの詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。
数十万年もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私
は、このことを、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」
も、「昔のやり方」もないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の
狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子
離れどころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係
は、危険な状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなた
が相手を思うように、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返
報性」と呼んでいます。つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」
と思っているということは、まったく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風
って、何よ。いやな嫁」と思っているということです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関
係です。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そ
こでどうでしょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なる
ほど、そうですか!」ともちあげてみるのです。最初は、ウソでもかまいません。それを
つづけていると、やがて姑も、「よくできた、いい嫁だ」となります。そしてそういう関係
が、子育てのみならず、家庭そのものを明るくします。どうせ同居しなければならないの
なら、割り切って、そうします。こんな小さな地球の、こんな狭い日本の、そのまたちっ
ぽけな家庭の中で、いがみあっていても、し方ないでしょう!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児期(自律性の発達)

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青年期最大のテーマは、「自己同一性」の問題
である。

(自分はこうあるべきだ)という姿と、
(現実の自分)が一致していることを、
自己同一性という。簡単に言えば、そういう
ことになる。

それを確立できるかどうか? それで青年期の
あり方が決まる。

結婚にたとえるなら、愛し合って結婚した
カップルは、同一性が確立していることになる。
そうでないカップルは、そうでない。

夫婦の間でも、同一性が確立できないと、
心理状態は不安定になり、
夫婦げんかばかりするようになる。
人間の心理も、また同じ。

その自己同一性の基礎は、実は、乳幼児期に、
作られる。

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 乳児期最大のテーマは、言うまでもなく、「基本的信頼関係」の構築にある。基本的信頼
関係は、生後直後から、母子の関係で、はぐくまれる。

 (絶対的な安心感)が基本にあって、子どもは、母子との間で、基本的信頼関係を築く
ことができる。(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け
入れ)の2つをいう。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。「何をしてもよい」と
自分をさらけだすのを、(絶対的なさらけ出し)という。「何をしても、子どものことは許
す」というのを、(絶対的な受け入れ)という。

 が、それだけではない。

 エリクソンによれば、つづく第2段階の幼児期では、「自律性の確立」が、テーマとなる。
「自立性」と言いかえてもよい。つまり「独立した人間として、自分のことは自分でする」
ことをいう。

 この自律性の確立に失敗すると、子どもは、他人に対して、「恥ずかしい」という感覚を
もつようになる。あるいは過度に他人に対して依存的になり、その分だけ、さらに自立で
きない人間になってしまう。自分が何をしたらよいのか、何をすべきなのか、それがわか
らなくなることもある。

 Y氏は、50歳になるが、たいへん世間体を気にする人である。何をするにも、世間の
目を気にする。「そんなことをすれば世間に顔向けができない」「世間が笑う」「世間が許さ
ない」と。「世間体」という言葉も、よく使う。

 一見、他人と協調性のある人に見えるが、その実、自分がない。「では、あなたはどうし
たいのですか?」と聞いても、答が返ってこない。それが如実に表れたのが、実父の葬儀
でのことだった。

 Y氏はけっして、裕福ではなかった。実父との関係も、よくなかった。その実父は、Y
氏が、48歳のときに、くも膜下出血で急逝した。そのとき、ほかの兄弟たちと、たいへ
んな騒動になってしまった。

 実父は、かなりの知識人であったとみえる。はやくから遺言を残していた。それには、「葬
儀はしなくていい。遺灰は、○○浜から太平洋へまいてほしい」とあった。

 その遺言をめぐって、「遺言は無視して、恥ずかしくない葬式をする」と主張するY氏。
「遺言どおり、遺灰を海にまく」と主張するほかの兄弟たち。結局、Y氏が長男だったと
いうこともあり、父親の遺言を無視して、葬儀をすることになった。その地域でも評判に
なるほど、かなり派手な葬儀であったという。

 Y氏の妹氏(45歳)はこう言う。「兄には、これが私の生き方という、一本のスジがな
いのです。いつも他人の目の中だけで生きているような人です」と。

 が、Y氏のこうした生き様は、エリクソンによれば、幼児期にできあがったものと考え
てよい。長男であるということで、蝶よ花よと、手をかけて育てられた。つまりその分だ
け、自律性の発達が遅れた。

 エリクソンの言葉を借りるなら、「重要な人格構成要素がうまく獲得できるか、それとも
マイナス面が勝ってしまうか」(「性格心理学」清水弘司)というはげしいせめぎあいの中
で、マイナス面のほうが、表に出てきてしまったということになる。

 エリクソンは、これを「心理的危機」「社会的危機」と呼んだ。つづく第3段階の「就学
前期」、4段階の「学童期」にかけて、それぞれの段階で必要な人格の確立に失敗しやすく
なるからである。

 Y氏がそうであったかどうかはわからない。わからないが、Y氏の様子を観察するかぎ
り、Y氏は、自律性の確立に失敗した人ということになる。

 つまりその分だけ、依存性が強い。もちろん本人は、それに気づいていない。自分が自
律性のない人間だとは、さらに思っていない。一応、それなりの仕事をしている。家族も
いる。「世間体」そのものが、Y氏にとっては、ひとつの哲学(?)になっている。「恥」
という言葉にしてもそうだ。

 1人の人間が懸命に生きる。その生き様に価値がある。生きる意味も、そこから生まれ
る。たとえ失敗しても、それはそれ。どうしてそれが「恥」なのか。いつか書いたが、「恥」
にも2種類ある。

 「己に対する恥」と「他者に対する恥」である。ここでいう恥というのは、当然、「他者
に対する恥」ということになる。

 そんなもの、気にするほうがおかしい……と私は思うが、Y氏にとっては、そうではな
い。ここにも書いたように、Y氏にしてみれば、それが生きる哲学(?)にもなっている。

 では、どう考えたらよいのか。

 エリクソンの発達論を借りるまでもなく、幼児期は、子どもの自律性だけを考えて、子
どもを育てる。「自分で自分を律しながら、自立させる」。もっと言えば、「自分で考えて、
自分で行動させ、自分で責任を取らせる」。

 そのために何をすべきかということよりも、何をすべきでないかを考える。というのも、
望ましい環境の中で、あるべき方法で子どもを育てれば、子どもは、自ら自分の中から、
その自律性を引き出していく。過干渉、過保護、過関心、溺愛が悪いことは言うまでもな
い。親の価値観の押しつけ、優位性の押しつけが悪いことも言うまでもない。

 ……ということで、この話はここまでにする。と、同時に、あなた自身は、どうかとい
うことを、ここで自問してみてほしい。

 あなたはここでいう自律した人間だろうか。それとも、依存性が強く、世間体ばかりを
気にするタイプの人間だろうか。どうであれ、そうした基礎は、実は、幼児期に作られた
ものであるということ。それに気がつくだけでも、あなたはさらによく、あなたという「私」
を知ることができる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 自律 自律論 エリクソン 発達論 心理的発達論 恥論 幼児の自律性)

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基本的信頼関係について書いた原稿
などを、参考のために、ここに添付
しておきます。

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●信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、答えてあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人
間関係を結ぶことができる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用して
いくことができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、
第三世界での信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後
の信頼関係の基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあ
い、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出しても、気にしない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意す
るのは、親の役目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなこと
に注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。
(030422)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●感情の発達

 乳児でも、不快、恐怖、不安を感ずる。これらを、基本感情というなら、年齢とともに
発達する、怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの感情は、より人間的な感情ということにな
る。これらの感情は、さらに、自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情へと発展してい
く。

 年齢的には、私は、以下のように区分している。

(基本感情)0歳〜1歳前後……不快、恐怖、不安を中心とする、基本感情の形成期。

(人間的感情形成期)1歳前後〜2歳前後……怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの人間的
な感情の形成期。

(複雑感情形成期)2歳前後〜5歳前後……自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情な
どの、複雑な感情の形成期。

 子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。これには、こんな経験がある。

 年長児のUさん(女児)は静かな子どもだった。教室でもほとんど、発言しなかった。
しかしその日は違っていた。皆より先に、「はい、はい」と手をあげた。その日は、母親が
仕事を休んで、授業を参観にきていた。

 私は少しおおげさに、Uさんをほめた。すると、である。Uさんが、スーッと涙をこぼ
したのである。私はてっきりうれし泣きだろうと思った。しかしそれにしても、大げさで
ある。そこで授業が終わってから、私はUさんに聞いた。「どうして泣いたの?」と。する
と、Uさんは、こう言った。「私がほめたれた。お母さんが喜んでいると思ったら、自然と
涙が出てきちゃった」と。Uさんは、母親の気持ちになって、涙を流していたのだ。

 この事件があってからというもの、私は、幼児に対する見方を変えた。

 で、ここで注意してほしいのは、人間としての一般的な感情は、満五歳前後には、完成
するということ。子どもといっても、今のあなたと同じ感情をもっている。このことは反
対の立場で考えてみればわかる。

 あなたという「人」の感情を、どんどん掘りさげていってもてほしい。あなたがもつ感
情は、いつごろ形成されただろうか。高校生や中学生になってからだろうか。いや、違う。
では、小学生だろうか。いや、違う。あなたは「私」を意識するようになったときから、
すでに今の感情をもっていたことに気づく。つまりその年齢は、ここにあげた、満五歳前
後ということになる。

 ところで私は、N放送(公営放送)の「お母さんとXXXX」という番組を、かいま見
るたびに、すぐチャンネルをかえる。不愉快だから、だ。ああした番組では、子どもを、
まるで子どもあつかいしている。一人の人間として、見ていない。ただ一方的に、見るの
もつらいような踊りをさせてみたりしている。あるいは「子どもなら、こういうものに喜
ぶはず」という、おとなの傲慢(ごうまん)さばかりが目立つ。ときどき「子どもをバカ
にするな」と思ってしまう。

 話はそれたが、子どもの感情は、満五歳をもって、おとなのそれと同じと考える。また
そういう前提で、子どもと接する。決して、幼稚あつかいしてはいけない。私はときどき
年長児たちにこう言う。

「君たちは、幼稚、幼稚って言われるけど、バカにされていると思わないか?」と。す
ると子どもたちは、こう言う。「うん、そう思う」と。幼児だって、「幼稚」という言葉
を嫌っている。もうそろそろ、「幼稚」という言葉を、廃語にする時期にきているのでは
ないだろうか。「幼稚園」ではなく、「幼児園」にするとか。もっと端的に、「基礎園」で
もよい。あるいは英語式に、「プレスクール」でもよい。しかし「幼稚園」は、……?


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てが不安なあなたへ……】

+++++++++++++

子育てをしていて、それが
不安でならないと訴えてきた
母親がいた。

それについて考えてみたい。

+++++++++++++

 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメール
をもらった。「うちの子(小三男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き
離したいと思い、サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっ
しょについてきそうな雰囲気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなり
ません」と。

 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まず
いない。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れて
しまう。不安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げる
ものではなく、乗り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえし
ているうちに、心に免疫性ができてくる。私が最近、経験したことを書く。

 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自
動車。私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、
心配でならなかった。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、
「事故を起こさなければいいが」と思った。

 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、と
きどき仕事先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワ
イフは、「まだよ」と言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたと
たん、ザワザワとした胸騒ぎ。「車なら、三時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、四
時間か五時間。途中で食事をしても、六時間……」と。

 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし
高速道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だ
けが、ジリジリと過ぎる。

 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、
今、着いたよ」と。朝方、出発して、何と、一〇時間もかかった! そこで聞くと、「昼ご
ろ浜松に着いたけど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもであ
る。そこで「あぶなくなかったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周し
てきたから」と。北海度! 一周! ギョッ!

 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなっ
た。「勝手にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、
横浜と浜松の間を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復
するのは、私たちがそこらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何
時に出る」とか、「何時に着く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのこ
とで、不安になることもない。

 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。
この埼玉県の母親のケースで考えてみよう。

 その母親は、こう訴えている。

●親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
●何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
●しかしその友だちとは、仲がよい。
●そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
●が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
●そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。

小学三年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダ
メ」と言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫る
ようなもの。子どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを
入れることになる。そんなわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入る
ようなことは、慎重にしたらよい。

 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、
過干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になり
やすい。子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、
この母親のばあいは、それが友人関係に向いた。

 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもに
どうあってほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いてい
る。「いつも私の子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うち
の子は、ダメになってしまうのでは……」と。

 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけない
ことは、今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従
的になるのは、そもそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。
決してその友だちによって、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、
親から見れば、もの足りないことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地
のよい世界なのである。つまり子ども自身は、それを楽しんでいる。

 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式
の指示を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親
の姿勢に反発するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)

 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかた
ないとしても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親
にも、できることと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがあ
る。そのあたりを、じょうずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができな
い親は、そうでないということになる。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いつ
いたままを書いてみる。

●ふつうこそ、最善

 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私
は私で勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう
何でもない、ごくふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。

 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから
気づく。健康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。
だれに感謝するというものではないが、とにかく感謝する。

●ものには二面性

 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とく
に「人間」はそうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこ
ちら側の問題ということになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言
にも、『相手はあなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、
これを「好意の返報性」という。

 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見
えるのは、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるというこ
と。価値観の限定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他
人もそうでなければならないと思う)など。

 ある母親は、長い間、息子(二一歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引き
こもりが、三年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっ
ていることすら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれな
い。

 しかしその息子は、二五歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るように
なった。が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワ
ルガキ仲間」だったという。週に二、三度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな
遊びを教えたらしい。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものこ
ろは、あんな子と遊んでほしくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていま
した」と。

 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子ど
もに見えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起
き、その問題が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。と
たん、問題が解決するのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。

●自然体で

 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があると
みてよい。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなこ
とでも、だ。たとえば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子
ども自身は、指しゃぶりをしながら、自分の情緒を安定させている。

 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものが
ないのと同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令し
たり、禁止したりしてはいけない。

 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、
そういう友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、
あくまでも親の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そ
ういう友だちを、子ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。

 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそ
うであるように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのよう
なもので、たとえ親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなけ
れば、あなた自身のことで考えてみればよい。

 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」
と、いちいち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子ども
のころ、あなたはそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。

●自分の価値観を疑う

 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威
主義の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育
てが、どこか押しつけ的になる。

 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかり
が強く、このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩
を着せやすい。何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。

 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。

 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(三
〇歳)について、こう言った母親(五〇歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。
親なんてさみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいるこ
とを、「嫁に取られた」というのだ。

 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、
子どもを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題とい
うことになる。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、
モノでもない。「親子」というワクを超えた、一人の人間である。

●価値観の衝突に注意

 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから
親子でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそ
れまでは母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母
に話したとき、母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩
れてしまった。私が二三歳のときだった。

 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大
学を出て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶
望の底にたたき落とされてしまった。そのあと、私は、一〇年ほど、高校や大学の同窓会
でも、自分の職業をみなに、話すことができなかった。

●生きる源流に 

 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子ども
は生きている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。

 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは
事実である。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、
さらにはよい仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似
ている。「うちの子は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲー
ムをしながら、「エメラルドタウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものよう
なもの。あるいは、どこがどう違うのというのか。(だからといって、それがムダといって
いるのではない。そういうドラマに人生のおもしろさがある。)

 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよ
い。またそこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、五、六〇年先には、こ
の世界から消えてなくなる。子どもだって、一〇〇年先には消えてなくなる。そういう人
間どうしが、今、いっしょに、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あな
たは子育てにまつわる、あらゆる問題から、解放される。

●子どもを信ずる

 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだ
けではすまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。

 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。
しかしその子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなた
はダメな子だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子ど
もは自己不信から、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなって
しまう。へたをすれば、一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。

【ASさんへ】

メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの
内容は別として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不
安の根底にある、「わだかまり」ではないかということです。

 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか
心配先行型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は
何かといえば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな「わ
だかまり」があったことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼
児期、少女期にあるのではないかと思われます。

 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。
あなた自身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていな
かった可能性があります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関
係を結ぶことができなかったことが考えられるということです。

 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップ
を経て、形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許され
る」という絶対的な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味です。

 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあ
と、園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなりま
す。どこかいい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出す
ことができないからです。さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べな
くなることもあります。自分の子どもすら、信ずることができなくなることも珍しくあり
ません。(だから心理学では、あらゆる信頼関係の基本になるという意味で、「基本的」と
いう言葉を使います。)具体的には、夫や子どもに対して疑い深くなったり、その分、心配
過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなります。子どもへの不信感も、その一つ
というわけです。

 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」とい
う意味で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的
にどうこうというのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、
親に対して、全幅に心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそう
なら、「恵まれた環境」ということになります。そうでなければ、そうでない。

 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こ
うした問題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国という
か、こと子育てについては黎明(れいめい)期の国ということになります。

 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始
めます。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じ
ような手法を用います。まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言え
ば、自分の中の過去を知るということです。まずいのは、そういう過去があるということ
ではなく、そういう過去に気づかないまま、その過去に振りまわされることです。そして
結果として、自分でもどうしてそういうことをするのかわからないまま、同じ失敗を繰り
かえすことです。

 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりま
すが、やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになりま
す。

 さらに具体的に考えてみましょう。

 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるい
はさらに、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青
年期にかけて、不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。

 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成り
たっているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとし
たら、あなたが考えているより、深いということです。

 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、
本当にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子ども
を嫌っているのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の
子どもを判断しているのではないかということです。

 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つ
です。

(1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭け
ればせまいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。こ
れは私の経験ですが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなけ
ればなりません。(当然ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌
いと言っていたのでは、仕事そのものが成りたたなくなります。ですから原則としては、
初対面のときから、その子どもを好きになります。
 
 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかし
これだけは言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。
とくに幼児については、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。
ですからASさんも、一度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさ
わしくない子どもかどうか、一度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前
にもう一つ大切なことは、あなたの子ども自身は、どうかということです。

 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるよ
うにしかならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作
るようなものです。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の
関係が、今の関係というわけです。

 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとし
ても、それはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある
程度は干渉できても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰
りかえし起きてきます。たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなと
き、など。

 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるか
どうかということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに
反対する権利はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どん
な友だちを選んだとしても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題と
いうことです。

 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、
判断して、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずる
のです。「うちの子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずは
ない」と考えのです。

 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っ
ていると、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子
どもだと思っていると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そ
してあなたの前で、自分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、た
いがいの人間関係は、ますます悪くなっていきます。

 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バ
トルを繰りかえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。
こうした例をみてみてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということ
です。とくに、姑が嫁にもつ、第一印象が重要です。

 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思う
と、何かにつけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えよう
と、ますますよい嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。
こうした相乗効果が、たがいの人間関係をよくしていきます。

 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていま
せんか。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題という
ことになります。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあな
たは悪くない面まで、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子
どもは、あえて自分の悪い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不
思議なもので、自分をよい子だと信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せよう
とします。

 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも
言えます。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験し
ておくことは、それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間にな
ることが知られています。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要と
いえば必要なのです。むしろまずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子ど
ものときは、優等生で終わるかもしれませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、
さまざまな問題を引き起こすようになります。

 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですから
これからのことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなこと
は、何度も起きてきます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが
子ども。そして子育て。そういう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設
計図に子どもをあてはめようとすればするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設
計図から離れていきます。そして「まだ前の友だちのほうがよかった……」というような
ことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だちとつきあうようになります。

 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三
番底」とか呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。

(1)相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろ
い子ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげ
てね。きっと喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロ
ールします。

(2)あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっている
わ」「あなたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。こ
れから先、子どもはあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子
どもは、あなたの信頼をどこかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるよ
うになります。「親の信頼を裏切りたくない」という思いが、行動を自制するということで
す。

(3)「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきら
めは、悟りの境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。
子どもというのは不思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。
伸びも、そこで止まります。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始め
ます。「まだ何とかなる」「こんなはずではない」と、もしあなたが思っているなら、「この
あたりが限界」「まあ、うちの子はうちの子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いな
おすようにします。

 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったとこ
ろもあるかもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことに
ついて、また何か、わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼
します。
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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 9日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●運命論

+++++++++++++++

私が知る私の範囲には、限界がある。
ときに私は、私の知らない世界によって、
自分の進む道を決められてしまうことも
ある。

それを人は「運命」と呼ぶ。

+++++++++++++++

 ほんのささいな過ちや、ほんのささいな妥協が、その人のそれからの人生を狂わすこと
はよくある。とくに男女の仲はそうで、不本意な結婚、不本意な出産が、その人を不幸の
どん底にたたき落とすことは、珍しくない。

言いかえると、今、それこそ電撃に打たれるような恋をして、相思相愛、双方の家族の
温かい理解に恵まれ結婚できる人など、どれほどいるというのか。

「自分の運命は自分でつくるもの。虚偽や不正は絶対に排撃しなければならない」と言
ったのはチェーホフ(「彼のモットー」)だが、そういった強い生き方をできる人は、ど
れほどいるというのか。

たいていの人は、そのときの「流れ」にのまれ、「まあ、こんなものか」「何とかなるだ
ろう」という思いの中で、ずるずると流れの中に、身を沈めてしまう。埼玉県所沢市に
住むUさん(女性、34歳)がそうだ。

 Uさんから、こんなメールが届いた。いわく、「不本意な結婚、子育て、旦那の宗教、ま
た世間体重視の旦那の価値観。そして私の実家は男尊女卑。親の暴力も日常茶飯事だった
……」と。
 
 私には運命というものがあるのかどうかは、わからない。仮にあるにせよ、生きている
のは私たち自身だし、その運命の最後の最後で、ふんばって生きるのも私たち自身である。
決して運命に身を任せてはいけない。つまり任せないところに、人間が人間としてもつ気
高さがある。無数のドラマもそこから生まれる。

ただ結婚や出産がほかの運命と違うところは、そのこと自体が、一生を左右するという
こと。一度その流れの中に入ると、途中で軌道修正することは、たいへんむずかしい。
1年、2年とがまんしているうちに、その分だけ、人生そのものが短くなっていく。そ
2年、してその短くなった分だけ、後悔の念が強くなる。

実のところ、私にも、今のワイフと結婚する前、好きな女性がいた。結局、その女性と
は別れ、そのあと数年して、今のワイフと知りあい、結婚した。どちらかというと、成
りゆき結婚だった。あとで聞いたら、ワイフも、「私はあなたなんかと結婚するつもりは
なかったのよ」と。結婚したのは、私の早とちりからだった。今のワイフが「うちへ遊
びにきて」と言ったのを、「責任を取らされる」と早とちりした。そして自分のほうから、
ワイフの父親の前で結婚を口にしてしまった。「結婚します。収入はこれだけです。しば
らくはアパートで暮らします」と。

驚いたのはワイフのほうだった。あとで「私は遊びにきてと言っただけ」と言われたと
きには、私のほうは、もう身動きがとれない状態になっていた。

 が、だからといって、その私が不幸になったわけではない。ワイフにしてもそうだ。結
婚のしかたこそ、そうであったかもしれないが、それとて、私を超えた運命が、そういう
状況を作ったのかもしれない。

 私といっても、私を知る範囲には、限界がある。私の知らない世界で、私が動かされる
ことだって、ある。

 今にしてみると、私は、別の心で、やすらぎを求めていたのかもしれない。今のワイフ
は、現在に至るまで、私にそのやすらぎを与えつづけていてくれる。つまり私は、無意識
のうちにも、今のワイフのような女性を求め、そして結婚した。

 反対に、私のワイフが、今のワイフのようでなかったとしたら……。それを想像するだ
けでも、ぞっとする。

 大切なことは、そこに運命を感じたら、そっと静かに、それに身を寄せてみるというこ
と。運命というのは、それを受け入れたものには、やさしく微笑みかけ、反対に、それを
拒絶したものには、悪魔となって、襲いかかる。

 所沢市に住むUさんには、こう書いた。

 「どんな人でも、その人の身のまわりには、どうにかなる問題と、反対にどうにもなら
ない問題があるのではないでしょうか。

 どうにかなる問題については、努力でがんばりましょう。しかしどうにもならない問題
については、あきらめて、それを受け入れましょう。すなおに、『私はこうなんだ』と割り
切ってしまうのです。すると、肩から力が抜け、心が軽くなりますよ」と。

(補足)

 たまたま昨日は、「ピック病」という病気が気になって、それを調べていた。認知症のひ
とつに考えられているが、それが原因で、それなりに社会的地位があり、それなりに分別
があると思われる人が、万引きをしたりすることもあるという。

 40〜50代で発症することが多いそうだ。アルツハイマー病よりは、発症率は低いと
いう。

 で、そういう病気にしても、(私)を離れたところで、発祥する。つまり「自分は病気で
ある」という病識がないという。

 運命も、ある意味で、「病識のない病気」と似ているのではないか。たいていのばあい、
私の知らない世界から、私に指令を出し、私を動かしていく。

 あまり関係のない話かもしれないが、今、ふと、そう感じたので、それをそのまま書い
ておく。

【Uさんへ】

 自分で選んだ人生は、たとえ失敗しても、後悔しない。しかし他人に選ばれた人生は、
たとえ成功しても、最後の満足感は得られない。よく親の反対を押し切り、結婚したり、
駆け落ちしたりする人がいる。周囲の人は、「どうせ失敗する」と笑うが、笑うほうがおか
しい。私の知人にこんな人がいる。

 その男性(40歳)のとき、それまでの会社勤めをやめ、単身マレーシアのクアラルン
ンプールに渡った。そこで中古のヨットを購入。私がその話をその男性の兄から聞いたと
きは、「今ごろは、フランス人の女性と、フランスに向けて、インド洋を航海しているはず
です」ということだった。

 私はこの話を聞いたとき、「上には上がいるもんだなあ」と思った。もちろん航海といっ
ても、私たちが頭の中で想像するほど、ロマンチックなものでない。まさに命がけ。その
男性にしても、たまたま独身だったからできたこと。しかしそこに、限りないあこがれを
感ずるのは、反対に私たちの日常的な生活が、あまりにも味気ないからではないのか。

平凡であることは、それ自体は、美徳かもしれない。しかし人間はそれでは満足できな
い何かをもっている。どこかのテーマパークの標語を借りるなら、「夢と冒険とロマン」
こそが、人間に生きる活力を与える。

 と、言っても、失敗は恐ろしい。が、それ以上に恐ろしいのは、失敗を恐れて、自分の
人生を闇に葬ること。「何かをしたかった」「何かができたはずだ」「何かをやり残した」と
いう思いの中で、悶々とした日々を過ごす。それほど不幸なことはない。

人生が永遠であれば、それでもよいが、しかし人生には限りがある。健康にせよ、気力
にせよ、年齢とともに衰える。「明日こそ何かをしよう」と思っていても、その明日その
ものが、なくなってしまう。そんなわけで、要は勇気の問題ということか。

 さて私たち夫婦のこと。そういう結婚だったから、私は最初からワイフには、多くを期
待していなかった。多分、ワイフも何も期待していなかったと思う。私にしても、恋愛は
もうこりごりという状況での結婚だった。が、振り返ってみると、それがかえってよかっ
たのかもしれない。やがて長男が生まれ、二男、三男とつづくうちに、私もワイフも、「家
庭」の中にすっかり取り込まれてしまった。

 それにもうひとつ私たち夫婦を支えたものはといえば、いつも生活そのものが、断崖絶
壁に立たされていたこと。私もワイフも、親戚縁者の援助はもちろんのこと、実家の援助
もいっさい、期待できなかった。収入も不安定だった。

ただひとつすがれるものはと言えば、健康しかなかった。そういう生活だったから、私
はワイフと力を合わせるしかなかった。夫婦げんかをして、どんなに家庭の中がメチャ
メチャになっていても、仕事だけは放棄しなかった。それが結果として、今までかろう
じて「家族」の形を保っている理由ではないか。

 運命は、私たちの努力で変えられる。それに身を負かせば、運命は運命だが、しかし足
をふんばって、それと戦う姿勢を示したとき、運命のほうから、別のドアをあけてくれる。
運命は決して、不変ではない。問題は、運命があることではなく、運命があるとあきらめ
てしまう人間のほうにある。たとえ不本意な結婚をし、不本意な出産をしたとしても、運
命をのろってはいけない。のろえば、それこそ運命の思うツボ。大切なことは、「今という
現実」をしっかりと見つめ、そこを原点として、前向きに生きること。方法はいくらでも
ある。

まず、どうにもならない問題と、何とかなる問題を分ける。
 つぎに、どうにもならない問題には、目をつぶり、あきらめる。
 そして何とかなる問題については、徹底的に戦う。

 冒頭にあげたUさんについて言うなら、結婚して、子どもがいるという事実は、これは
どうにもならない問題。それが運命だというのなら、運命でもよい。しかしそういう運命
はのろってはいけない。のろえば、生き方そのものがうしろ向きになってしまう。

 が、今、Uさんは、生きザマは変えることができる。夫や、そして子どもの悪い面を見
るのではなく、よい面だけを見て、「今」を出発点に、人生を組みなおす。それはちょうど、
棚から落ちた人形のようなもの。こわれたことを嘆いても始まらない。大切なことは、再
利用できるものは別によりわけて、こわれた人形を片づけること。それでも、どうしても
人形がほしいというのであれば、新しく買えばよい。

繰り返すが、こわれた人形を前にして、嘆き悲しんでも、意味はない。悲しめば悲しむ
ほど、それこそ運命の思うツボ。あなたの人生は、何も変わらないばかりか、かえって
あなたを不幸にする。

 最後に一言。運命に身を任すも、任さないも、それはその人自身の意思による。それは
決して運命ではない。自分の意志だ。そしてさらに一言。幸福であるとか、ないとかいう
ことは、決して運命のなせるわざではない。あなた自身の意思で決めることである。

 Uさん、心から応援します。がんばってください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「やってあげた」論(保護・依存の関係)

++++++++++++++++

「私は、これだけのことをやってやった」
「だから、相手は、私に感謝しているはず」
「相手も、それなりの誠意を見せてくれるはず」と、
お人よしの人は、考える。

しかし相手によっては、それがまったく通用しない
こともある。

「やってあげた」論には、いつもこうした
限界がつきまとう。

+++++++++++++++++

 最初は感謝する。しかしそれが2度、3度とつづくうちに、それが少しずつ、当たり前
になる。さらに、4度、5度とつづくと、今度は、それを反対に要求されるようになる。
……こうして、たがいの間に、保護・依存の関係ができあがる。

 一度、保護・依存の関係ができあがってしまうと、保護する側は、いつも保護する側に
回り、依存する側は、いつも依存する側に回る。こんな例がある。

 M氏(開業医)のところに、ある日、ひとりの男が、お金を借りに来た。遠い親戚にあ
たる人である。その男は、「お金がないと、一家心中しなければならない」と、言葉巧みに、
M氏に援助を迫ったという。

 名字が同じということもあり、また同じ地域に住んでいるということもあって、M氏は、
いくらかのお金を渡した。M氏にしてみれば、たいした額ではなかった。男は、M氏に感
謝して、その場を去った。

 が、こういうことが、そのあと、たび重なるようになった。はじめのころは、半年に1
度くらいだったのが、やがて、それが数か月に一度になり、さらに毎月のようになった。
つまり、毎月のようにその男はM氏のところへやってきて、お金を無心した。

 そのころになると、その男は、「助けてもらうのが、当然」と考えるようになった。一方、
M氏は、心のどこかで疑問を感じながらも、その男を援助しつづけたという。

 こういう関係が、15年近くもつづいた。

 で、その男の長男が、大学に入学した。M氏は、こう言う。「入学金や学費はもちろんの
こと、受験先のホテル代まで、うちで負担しました」と。

 金額にすれば、たいへんな額ということになる。しかしここからが、変? そこまで世
話になりながら、その男にしても、そしてその男の長男にしても、M氏に、ほとんどとい
って、感謝の念をもっていないという。

 M氏と、その事情をよく知るM氏の妻は、「どうしてでしょうね?」と私に聞いた。私は、
即座に、その理由がわかった。が、しかし、それは言えなかった。ただ「保護と依存の関
係というのは、一度できあがってしまうと、それを断ち切るのはたいへんなことです」と
だけ、答えた。

 話は、ぐんと政治的になるが、現在のあのK国を見ていると、それがよくわかる。

 先の6か国協議では、「(たがいに)60日以内に、初期措置を完了する」と約束した。
アメリカは、BDAの金融制裁を解除する。一方、K国は、いくつかの核開発施設での活
動を停止する、と。

 しかしそれがいつの間にか、「金融制裁が解除されたのが確認されたら、核開発施設の活
動を停止する」となってしまった。正確には、「制裁解除が現実に証明されれば、我々も行
動を取る」(K国外務省・4月13日)となってしまった。

 いつものK国のやり方である。つまり、これが保護と依存の関係である。

 K国はいつも、(してもらうこと)だけしか、考えていない。「自分たちは、援助されて、
当然」「また、それに値する国である」と。

 こういう感覚は、この日本にもある。たとえば日本とアメリカの関係がそうである。反
対に、「どうしてアメリカが、日本の平和と安全について、責任をもたねばならないのか」
という質問に、満足に答えられる日本人は、どれほどいるだろうか。

 これだけ極東アジア情勢が混とんとしてきても、いまだに、「アメリカが何とかしてくれ
るさ」と考えている日本人は多い。

 アメリカの話はさておき、こうしたK国の心理を読み違えると、6か国協議にしても、
何のための協議かということになってしまう。へたをすれば、他の5か国が、一方的にK
国に振り回されるだけ、ということになってしまう。

 で、今、その渦中にあるのが、実は韓国である。肥料(20万トン)、毛布類につづいて、
食糧(30万トン+40万トン、計70万トン)もの援助を、すでに開始している。韓国
にしてみれば、「これだけのことをしてやっているのだから、K国は、韓国に感謝している
はず」ということになる。

 しかしこうした誠意は、相手によっては、通じない。とくにK国は、戦後、常に外国か
らの援助で生き延びてきた国である。当初は、ソ連、それが中国へと変わった。2つの国
の間を行ったりきたりしたので、当時は、(振り子外交)と呼ばれた。

 今は、それが韓国に変わった。

 だからいくら韓国が援助をつづけても、K国には、そもそも、それを理解するだけの(心)
がない。そのことは、先に書いた、M氏と1人の男の関係を見ればわかる。つまり保護・
依存の関係というのは、そういう関係をいう。わかりやすく言えば、依存する側には、(甘
え)が生まれ、その(甘え)だけがどんどん肥大化し、やがて依存する側は、自分を見失
ってしまう。

 最後に、先のM氏について。M氏は、「どうしてでしょうね?」と私に聞いた。「どうし
て、感謝してくれないのか?」と。

 M氏には話せなかったが、理由は明白である。

 生活のレベルが、あまりにもちがいすぎる。M氏のばあい、一般勤労者の所得基準で計
算すると、年収が5000〜6000万円の生活をしていた。月収に換算すれば、月、5
00万円の給料ということになる。そういう生活ぶりを、その男は、M氏の家を訪問する
たびに、直接見ていた。

 最初は、羨望(せんぼう)。しかし羨望は、やがて嫉妬(しっと)に変化しやすい。嫉妬
は人の心を狂わせる。その男も、そうだ。「自分は、援助してもらって、当然」と。

 ……ということで、この保護・依存の関係には、じゅうぶん、注意したらよい。10人
の人とつきあえば、その10人の人の間で、この保護・依存の関係が生まれる。そしてひ
とたびそれができあがると、それを基準として、人間関係ができてしまう。

 もちろん親子関係とて、例外ではない。依存する側にしてみれば、居心地のよい世界か
もしれないが、保護する側は、そうでない。ときにその重圧感に押しつぶされてしまうこ
ともある。親子関係といっても、つきつめれば一対一の人間関係。それで決まる。

【補足】

●友だち親子

 02年の3月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」につ
いての調査だが、それによると……。

 一緒にいると安心する ……94%
 何でもおしゃべりする ……87%
 友だちのように仲がよい……77%
 親は偉くて権威がある ……68%

(全国の小学4〜6年生、200人、および五歳以上の子どもをもつ30〜44歳の父母
600人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)

 一方で「現実の親子関係」では、

 子どもと何でもおしゃべりすると答えた父親 ……72%
 父親と何でもおしゃべりすると答えた子ども ……49%

 この調査からわかることは、子どもは親に、「友だち親子」を求めているということ。そ
れについて、バンダイキャラクター研究所の土居由希子氏は、「友だちのような親子関係は、
『家族の機能が失われつつある』という文脈で語られることが多いが、実はそうではない。
家族がひとつにまとまるために、これまでの伝統や習慣にかわって、仲のよさや、共通の
趣味や話題が必要となっているようだ」(読売新聞)とコメントを寄せている。

 また父親の72%が、子どもと何でもおしゃべりすると答えているのに対して、子ども
の側は、49%であることも注目したい。父親と子どもの意識が、微妙にすれているのが、
ここでわかる。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、総合的にみても、子ども
の前やうしろを歩くのは得意だが、子どもの横を歩くのは、苦手。バンダイの調査に対し
て、「親の威厳こそ大切」という意見もある。しかしこうした封建時代の遺物をひきずって
いるかぎり、子どもは親の前で心を開くことはない。はからずも、「いっしょにいると、
安心する」を、94%の親子が支持している。この数字のもつ意味は大きい。
(02−7−25)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●たった一度の人生

息子たちへ

たった一度しかない人生だから、
お前たちは、お前たちの人生を、
思う存分、生きなさい。
思う存分生きて、この広い世界を
思いきり、羽ばたきなさい。

だれにも遠慮することはない。
己が命ずるまま、己が人生を生きなさい。
他人の目を気にしてはいけない。
他人に左右されてはいけない。
お前たちの人生は、どこまでいっても、
おまえたち自身のもの。

親孝行……? バカなことは考えなくてもいい。
家の心配……? バカなことは考えなくてもいい。
そんなヒマがあったら、お前たちの人生を
ただひたすら、前向きに生きなさい。
パパもママも、自分の人生を、最後の最後まで、
しっかりと自分で生きるから、
何も心配しなくていい。

そう、パパもママも、自分の人生を
思う存分、生きてきた。つらいことや
苦しいこと、悲しいこともあったけど、
それなりに結構、楽しく生きてきた。
いやいや、お前たちのおかげで、
どれほど人生が潤ったことか。
どれほど励まされたことか。
どれほど楽しかったことか。
どれほど生きがいを与えられたことか。
感謝すべきは、むしろパパやママのほうだよ。

いつかパパもママも、人生を終えるときがくる。
あの世があるかどうか、パパにもママにも
わからないけど、あればあの世で、
お前たちがくるのを待っている。
だから、あわてなくていいから、
ゆっくりときなさい。いつまでも待っている。
それまで、どんなことがあっても、
自分の人生を生きなさい。

たった一度しかない人生だから、ね。
そうそう、言い忘れたが、
ありがとう。心からお礼を言うよ。
今まで、お前たちのおかげで、
パパもママの成長したよ。
……成長することができたよ。
心から、ありがとう。

そうそう言い忘れたが、
ここはお前たちの故郷だよ。
さみしいことや、つらいことがあったら、
いつでも帰っておいで。
羽を休めに、帰っておいで。
いつでもドアをあけて、待っているからね。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●都会人の傲慢(ごうまん)

++++++++++++++++

都会に住んでいる人には、こういう
感覚はわからないかもしれない。

しかし浜松市という地方に住んでいると、
都会人がもつ、あの独特の傲慢さが、
よくわかる。

5年前に書いた原稿だが、それに
少し手を加えてみた。

++++++++++++++++

●現実にあった話

 現実にあった話である。

 一人の男が、突然、ある民家にやってくる。そしてそれに応対した女性(70歳くらい)
に、「この家は大家族と聞いている。お話をおうかがいしたい」と。その女性がとまどって
いると、男は目ざとく、ちゃぶ台の上にのっているご飯とおかずをみつける。そして「あ
れ、食べてもいいですか?」と。

 女性はニコニコ笑いながらも、あきれ顔で、「ええ、いいです」と。男はスタスタと座敷
にあがり、その食事を食べ始める。女性が「味噌汁を出しましょうか」と言うと、男は、「え
え、お願いします」と。もちろん男と女性は初対面。前もって打ちあわせをしたわけでも
ない。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」(02年7月放映)の一コマである。

●都会人の傲慢(ごうまん)

 こうした傲慢さは、多かれ少なかれ都会人に共通してみられる。都会人は、地方をいつ
も下に見る。地方人は地方人で、都会をいつも上に見る。とくにNHKのような中央集権
意識の強い報道機関ほどそうで、カメラをもって歩けば何でもできると思っている。まさ
に、「下ニ〜イ!」の世界である。このおかしさがわからなければ、反対の立場で考えてみ
ればよい。
 地方の人がある日突然、東京に住む人の家に行き、先に男がしたようなことをすればど
うなるか? 恐らく変人扱いをされて、その家からたたき出されるであろう。仮に私が静
岡放送局(SBS)のカメラマンを連れていても、相手にされないだろう。

言いかえると、NHKのその番組は、地方人の素朴さ、地方人のやさしさを逆手にとり、
もっとはっきり言えば、地方人をバカにしながら、自分たちの優位性を誇示している。

●日本人の中央集権意識

 ……というような話は、前にも書いた。問題は、なぜ日本はこうまで中央集権意識が強
いかということ。政治だけではない。すべてが東京を中心として、その文化、伝統、思想
は、東京が頂点になっている。そしてそれらが上意下達方式のもと、地方へ流れていく。

たまに地方から、中央に文化、伝統、思想が逆流することもあるが、あくまでもそれは、
「たまに」という程度。「たまに」そういうことが起きると、かえって奇異な目で見られ
る。都会人自身が、地方の価値を認めない。が、本当の問題は、実はそこにあるのでは
ない。地方人が地方人のプライドをもてないでいる。それこそ本当の問題である。

 たとえばあなたの家にある日突然、NHKのカメラマンと一緒に、有名タレント(この
言葉は本当に不愉快だが……)がやってきたとする。そしてあなたの家の中に入ってきて、
「食事をしたい」と言ったとする。そのときあなたは、それを断るだろうか。それとも冒
頭にあげた女性のように、ニコニコ笑いながら、それに応ずるだろうか。

こういうとき、「私なら……」という言い方は適切ではない。断るとか、断らないとか、
そういう問題ではない。あなたならこうした非常識な訪問を許すだろうか。

●意識の表と裏

 ……というような話も、前に書いた。そこでさらに話を進めよう。都会人が都会人とし
て、中央集権意識をもち、傲慢になったとしても、それはそれでよい。しかし人間の意識
には、いつも表裏がある。表で中央集権意識をもつということは、裏で、地方意識をもつ
ということ。傲慢になりやすいということは、裏で、卑屈になりやすいということ。

だからこうした都会人は、一方で、たとえばアメリカに対しては、地方意識をもち、卑
屈になる。ペコペコする。こうした都会人の意識は、皮肉なことに、地方という地方都
市で見ていると、よくわかる。

 たとえば「イチロー」。アメリカの大リーグのひとつである、マリナーズで活躍している
日本人選手である。このことも前に書いたが、イチローは、何も日本を代表して、日本の
ために戦っているのではない。が、毎日のように、NHKや他の放送局は、イチローの活
躍を報道している。BS放送では、試合そのものをまるごと報道している。

 が、ここでいくつかのことを考えねばならない。そのひとつは、アメリカという国は、
もともと移民国家。大リーグの中には、アメリカ人の選手と同じくらい、外国人選手がい
る。たまたまイチローは日本人だったが、イチローにしても、そういう外国人選手の一人
に過ぎない。

そういうアメリカにあって、「イチローは日本人」と位置づけることは、それ自体、人種
差別になる。私は2001年の4月、野茂投手が完封試合をしたとき、たまたまそれを
アメリカで見ていたが、アナウンサーは最後の最後まで、野茂が日本人だということを
言わなかった。(最後に、「日本人のファンが喜んでいます」と、間接的な言い方で、野
茂が日本人だということをにおわせていた。)

人種、国名を口にすること自体、アメリカではタブーになっている。またそれをタブー
にすることによって、アメリカ社会は、野茂を彼らの一員として迎え入れようとしてい
る。「野茂は日本人だ」と言うことは、そうしたアメリカ人の配慮を、逆なでするような
行為と言ってもよい。

 それでも、このおかしさがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 そのひとつ。台湾のプロ野球チームで活躍している日本人は、なぜ話題にならない。
 そのひとつ。カナダの選手のばあい、アメリカのリーグへ移籍したら、その選手は、そ
の時点で、アメリカ人。カナダの放送局は、その選手を追いかけまわすようなことはしな
い。

 そのひとつ。日本のプロ野球チームで活躍している、アメリカ人選手は、なぜアメリカ
では話題の「ワ」の字にもならない。

 つまりこうした隷属意識は、都会人がもつ、中央集権意識とちょうど、表、裏の関係に
ある。もっとわかりやすく言えば、こうした中央集権意識は、自分自身もだれかに追従し
たいという隷属意識の、焼きなおしでしかない。このことは、たとえば親子の関係でみれ
ばわかる。子どもの依存心に甘い親というのは、自分自身も潜在的に、だれかに依存した
いという思いがある。つまり潜在的な依存心が姿を変えて、子どもの依存心に甘くなる。
では、どうしたらよいか。

●こうした意識を、どう変えるか

最初に、日本人がもつ中央集権意識は、並たいていのことでは、変えられないというこ
と。それこそ奈良時代の昔から、日本は、中央集権体制。そういう点では、日本人は骨
の「ズイ」まで、魂を抜き取られている。

この地方都市の浜松市でも、目は東京ばかりに向いている。「東京からきた」というだけ
で、何でもかんでもありがたがる。教育や子育ての世界では、とくにその傾向が強い。
強いというより、異常。そればかりか、悲しいかな、浜松にいる人自身が、地方人の価
値を認めていない。

よい例が、数年前、浜松市の一等地にできた、半官半民の新設大学。「音楽の町にふさわ
しい大学」ということで、S文化芸術大学という名前がついた。しかし、だ。学長以下、
教官80人は、すべて東京から移住してきた人たちである(教務課調べ)。

この浜松市には、教官にふさわしい人はいないとでもいうのだろうか。教官になった人
には責任があるわけではない。また教官になった人の責任を追及しているのではない。
が、こういうことばかりしているから、地方はいつまでたっても、「地方、地方」とバカ
にされる。

●みんなで勇気を出して断ろう

 ワイフは「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていて、「どうして(食事を)断らないの?」とさか
んに言っていた。「突然の失礼な客なのだから、はっきりと断ればいい」と。そう、その通
り。断ればよい。そういうささいな抵抗が、日本の社会のしくみを変える。そう思ったか
ら、この原稿を書いた。
(02−7−29) 


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●K国の核開発問題(13日の金曜日版)

++++++++++++++++++

ものごとは、常識で考えよう。
常識で考えれば、それまで見えてこなかった
事実が、浮かびあがってくる。

K国の核開発問題にしても、しかり。

++++++++++++++++++

 BDA(マカオのバンコ・デルタ・アジア銀行)問題が、解決した? 本当に、そう考
えてよいのか?

 ものごとは、常識で考えよう。常識で考えれば、それまで見えてこなかった事実が、浮
かびあがってくる。

(常識1)

 BDAは、K国から持ちこまれたニセドル札を、ニセドル札と知りながら、マネーロン
ダリングしていた。つまりグル。

 (悪)は(悪)どうしが、結束する。その結束力は、固い。

 おそらく表の窓口業務とは別に、その裏で、去年(06年)の取引停止処分以来、日夜、
両者は、連絡を取りあっていたにちがいない。BDAにしても、自分たちがグルだと、公
にさらされるのは、たいへんまずい。

(常識2)

 BDAには、30億円分に近い、K国の資金が預金されていた。しかしその大半は、も
ともとはニセ札。K国からもちこまれたもの。つまり、本物のドル札は、ない。

 だからK国側から、いくら「返せ」と言われても、返せるドル、つまり本物のドル札は
ない。

(常識3)

 BDAに、返す能力がないことは、K国は、最初から、よく知っていた。またBDAに
も、その気はなかった。だからBDAは、ノラリクラリと、あれこれ口実を作っては、返
金をしぶった。

 一方、K国は、それを熟知しているから、アメリカに対して、強気に出た。「BDA問題
が解決しないかぎり、核施設の停止など、初期措置をとらない」と。

 なぜ、当初からK国が、これほどまでに強気に出たか? 出ることができたか? 言う
までもなく、BDA問題が、暗礁に乗りあげることが、最初からわかっていたからである。

(常識4)

 が、ここでとんでもない番狂わせがあった。あのアメリカが妥協に妥協を重ね、BDA
問題を解決してしまった。

 破産寸前のBDAに、おそらく裏で、資金注入でもしたのだろう。資金を注入したのは、
アメリカかもしれない。韓国の可能性も高い。K国にしても、アメリカが、そこまでする
とは思っていなかった。

(常識5)

 そこでK国は、「BDA問題が完全に解決するまでは……」と言い出した。「完全に」と
いうのは、(本物の)現金が、K国の手元にしっかりともどることをいう。

 が、ここでも問題、発生! 預金は、53の口座に分かれていた。偽名口座、架空口座
も多い。K国の担当者が、預金を引き出しに行っても、簡単には引き出せない。

 K国はそこで、さらにそれを逆手に取って、ノラリクラリ……。つまり時間稼ぎ。「悪い
のは、アメリカであって、ワレワレではない」と。

(常識6)

 そのK国だが、まったく困っていない。今年(07年度)の食料不足分は、100万ト
ンと言われている。これは例年どおり。

 しかしすでに韓国は、30万トンの食糧援助を始めている。それに加えて40万トン(計
70万トン)の食糧援助を決定している。

 国連による制裁決議は、すでにカスカスの状態。

(常識7)

 また韓国は、5万トンの原油を積んだタンカーを、東シナ海に待機させている。5万ト
ンの原油といえば、現在の価格で、約25億円。

 ちょうどマカオのBDAの預金額に相当する。しかし今のところ、つまり今日4月13
日(金曜日)現在、K国に、核関連施設停止の動きは見られない。

 約束の期日は、明日、14日に迫っている。

(常識8)

 いくら韓国が誠意(?)を演出しても、K国は、動かない。それもそのはず。K国の金
xxは、それを、誠意とは受け取っていない。

 金xxは、こう考えている。「自分たちのもつ核兵器がこわいから、韓国は、ビクビクし
ている」と。

 つまり核兵器あってのK国。金xxも、それをよく知っている。つまり、金xxは、核
開発を、放棄しない。

(常識9)

 いくら韓国がK国にラブコールを送っても、その声は届かない。届かないばかりか、中
国は今、K国内の資源開発権を、着々と、自分のものにしつつある。

 わかりやすく言えば、将来的には、現在の38度線が、中国と韓国の新しい国境になる
かもしれないということ。

 竹島問題にかこつけて、「反日」を叫ぶのもよいが、そうなれば、小さな(島)どころの
問題ではなくなるはず。中国は、そんな甘い国ではない。韓国のおバカ大統領には、それ
がわかっていない。

(常識10)

 K国は、時間稼ぎをつづける。その間に、さらに核兵器開発を進める。現在も、進めて
いる。

 今回、停止するという核開発関連施設などは、もうどうでもよい施設。韓国に亡命した、
K国の元政府高官のF氏も、そう言っている。「すでに役に立たない施設だ」と。

 K国は、もっと別のところで、おそらく山の中深くで、核兵器開発を進めているはず。

(常識11)

 アメリカは、すでに日本を見放している。つまりアメリカの国益を優先させ、日本を見
限った。

 現在の安倍内閣は、「対米追従外交反対」を唱える、自民党の中でも、さらに右よりの政
治家と結びついている。内閣結成以来、一度も、アメリカ詣でをしていない。この間、8
か月。(8か月だぞ!)

 アメリカ詣でをしないばかりか、中国を先に訪問し、さらにEUを訪問している。中国
の首相を、日本に招待している。今こそ、日米の結束が必要なときに、だ。

 ブッシュ大統領は、今ごろは、こう言っているにちがいない。

 「日本のことなど、知ったことか!」「やれるもんなら、やってみな。オレたちは、知ら
ないぞ!」と。

 悲しいかな、今の日本には、中国はもとより、K国とさえ、まともに対峙する外交能力
はない。

(常識12)

 6か国協議は、ますます複雑化する。同時に混迷化する。

 それを知ってか、韓国のN大統領は、「今年中の南北首脳会談は、困難になった」「米中
韓国の外相会議は、困難になった」と、声明を出した(13日)。

 今ごろ、そんな声明を出しても、遅い!

(常識13)

 K国は、何だかんだと、6か国協議の遅れを、日本やアメリカのせいにしながら、時間
稼ぎをするはず。

 その間に、できるだけ多くの、核兵器を増産する。「すでにもっている核兵器については、
不問にする」という密約は、すでにアメリカとK国の間に結ばれている。

 困るのは日本と韓国だが、それについては、ここにも書いたように、「知ったことか!」
ということになる。

(常識14)

 一度は急進展するかに見えた6か国協議だが、結局は、アメリカの裏切りと、韓国のお
バカ大統領の人道主義とやらで、話がここまでおかしくなってしまった。

(なぜこうまで、あたかも手のひらを返すかのように、アメリカが日本を裏切ったかと
いうことについては、すでに何度も書いてきた。)

 で、最後に、こんな話も、伝わってきている。監獄に収容されている少年、少女からの
手紙ということだから、やらせの手紙ではない。朝鮮N報に載った記事を、そのままここ
に紹介する。

+++++++++++++++++

【朝鮮N報の記事より】

++++++++++++++
ラオスの首都ビエンチャン郊外の
拘置所に収監されている3人の脱
北少年少女たちが7日、拘置所の鉄
条網から現地の後援者に支援を要請
する手紙を送った。K国大使館関
係者から激しく追及された後に書い
た手紙で、切実な心情が表現されて
いる(4月14日)。

+++++++++++++++++

●チェ・ハンミさん(17)の手紙

 おじさん、こんにちは。4月6日午後2時半ごろにK国大使館から人が来てわたしたち
を尋問しました。そこでわたしは「死んでもK国には帰らない。韓国人だ。全部忘れた」
と叫びました。もしK国に送られたら死にます。

 おじさんはわたしたちに悪いことはしていません。(おじさんは)わたしたちの親戚や
実の父でもありません。もし本当にK国に送られたら生きる希望はありません。チェ・ヒ
ョクとチェ・ヒャンは弟妹なのでわたし一人で生きるつもりもありません。二人の面倒を
みるという約束をまもるために、おじさんに藁をもつかむ思いで手紙をかきました。

●チェ・ヒャンさん(14)の手紙

 おじさん、わたしたちも広く知られることは望みませんが、K国以外なら公開どころか
地獄でも行きます。4月6日にK国大使館から人が来ました。脅迫するかのように侮辱し、
声を張り上げ、共産党の配慮がどうのこうのと言いながら。あんな党の配慮なんかいりま
せん。

 どうか誰でもいいですからわたしたちに自由をください。だめですか?わたしたちは自
由を求めてここにきました。そしてそのために死ぬかもしれない不幸な子供たちです。も
し誰かが自由をあたえてくれたなら、その恩は一生わすれません。どうかK国にだけは行
かせないでください。お金を使って助けてくれたなら、いつかそれ以上にたくさんのお金
と愛をお返しすることを、キリストの名で誓います。神様はご存知です。そしてわたした
ちを殺そうとする人たちを許さないでしょう。

◆チェ・ヒョク君(12)の手紙
 
アメリカのおじさん、こんにちは。わたしたちがここにいることをK国は知っています。

 K国人が尋問に来て、勝手に書類をつくって持って行きました。もしおじさんが助けて
くれなければぼくたちは皆、死にます。なぜならK国にはかえりたくないからです。帰っ
ても一生ろう獄ですから。

 救ってくれたら、大きくなって必ずお礼をします。本当に自由に生きて行きたいです。
助けてください。2007年4月6日夜チェ・ヒョクより。自由。自由。自由。

++++++++++++++++++ 

 私たちがたたきつぶすべきは、K国の核開発ではない。私たちがたたきつぶすべきは、
K国に君臨する、金xxという独裁者である。その視点をはずして、K国問題を語ること
はあってはならない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもに教える

++++++++++++++++

子どもに、ものを教えるとき、
教えやすい内容と、教えにくい
内容があることがわかる。

先日も……。

++++++++++++++++

 小2の子どもたちに、リットルの話をしていたときのこと。「リットルって、何?」と聞
いた子どもがいた。

私「リットルというのは、ねエ〜。ほら、お母さんが、車でガソリンスタンドへ行くだろ。
そこでガソリンを買うだろ。そのときお母さんは、何と言うかな?」
子「満タン」
私「そうではなく、30リットルとか、40リットルとか、そういうふうに言わないか?」
子「言わないよオ〜。ハイオクって言うよオ〜」「ぼくのママは、レギュラーって言うよオ
〜」
私「あのね、ガソリンというのは、リットル単位で買うの」
子「……?」

 そこでたまたま私がもっていた2リットル入りのペットボトルを、子どもに見せ、こう
言った。

私「1リットルは飲めるけど、2リットルは飲めないよ」
子「飲んで!」「飲んで!」と。

 そこで私は2リットル入りのペットボトルのフタをあけ、みなの前で、「全部で、2リッ
トル。半分なら1リットル。わかったか?」と。

 で、その1リットルを飲み始めた。私は水を、よく飲む。そのときも、「1リットルくら
いなら」と思って、飲み始めた。が、これが苦しかった。

 子どもたちは、「イッキ」「イッキ」とはやしたてた。

 私は、ぐいぐいと飲んで、半分、飲んだ。すると子どもたちは、「もう1リットル、飲ん
でエ!」と。

 そこで私も、ムキになって、2リットルめに挑戦。子どもたちは、「イッキ」「イッキ」
と。

 が、2リットルは飲めない。「苦しい」「もう、だめだ」と。

 ……こうして子どもたちは、はじめて、(リットル)の意味がわかってくれた。「先生っ
て、1リットルも水を飲んだア!」と。

 同じように苦労するのが、(角度)。それに(速度)。小3では、割り算などなど。導入部
でいつも苦労する。とくに角度については、子どもたちに、問題意識をもたせるのがたい
へん。「とがって、ツクンツクンしているところは痛いぞオ〜」というようなところから、
教え始める。

 で、ないと、算数も、ただの暗記科目で終わってしまう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希望

++++++++++++++++

何もなくても、希望さえあれば、人は
生きていくことができる。

ほんの小さな希望でよい。
その希望が、その人を生かすこともある。

しかしもし、その希望をなくしたら……。
いや、そんなことは考えたくない。

大切なことは、どうすれば、私たちは、
希望を失わず、自分の人生を前向きに
生きることができるか。

それをいつも考えること。
考えながら、行動すること。

つまり希望というのは、向こうから
やってくるものではない。

希望というのは、自分でつくるもの。

++++++++++++++++

 今日、自転車で走っているとき、こんな男性を見かけた。新しい家だった。新建材を多
用した、プレハブづくりの家だった。

 その家の、向かって右端に、見た感じ、6畳ほどの部屋があって、その部屋の中央に、
1人の男性が座っていた。年齢は、60歳前後か?

 その男性が、足をX字型に組んで座り、ぼんやりとした表情で、外、つまり私の方を見
ていた。視線はこちらを向いていたが、焦点は合わなかった。うつろな眼差しだった。私
には、その男性が、放心状態にあるのがわかった。

 「どうしたんだろう?」と思ったつぎの瞬間には、私は、再び、自転車のペダルをこい
だ。だから私がその男性を見たのは、ほんの2、3秒のことだった。が、その男性の姿が、
強く、自分の脳裏に焼きついた。どういうわけか、強く、自分の脳裏に焼きついた。

 何もなくても、希望さえあれば、人は生きていくことができる。ほんの小さな希望でよ
い。その希望が、その人を生かすこともある。もし生きていく上で、何がいちばん大切か
と聞かれれば、私は、その1つとして、(あくまでも、その1つにすぎないが……)、「希望」
をあげる。

 が、もし、その希望をなくしたら……。いや、そんなことは考えたくない。もしこの世
でもっとも恐ろしいものをあげろと言われれば、私は迷わず、絶望とそれから生まれる孤
独をあげる。「明日は今日と同じ」「来年は今年と同じ」……というような人生だったら、
生きていく上において、どれほどの意味があるというのか。「だれにも相手にされない」「だ
れからも慕われない」……というような人生だったら、生きていく上において、どれほど
の意味があるというのか。

 さらに「明日は今日より悪くなる」「来年は今年より悪くなる」……というような人生だ
ったら、どうか。それを考えると、つまり、その重みを想像するだけで、自分が押しつぶ
されそうになる。

 しかし希望といっても、向こうからやってくるものではない。それはわかる。が、同時
に、いくらがんばっても、希望のほうが、自分から逃げていくことだってある。「待ってく
れ!」といくら叫んでも、その声は、ぜったいに届かない。

 希望は、そこにあるときは、昼間の太陽のように私たちを明るく、照らしてくれる。し
かし逃げていくときは、まるで冷酷な悪魔のように、私たちをそのまま夜の闇の世界に引
きずりこんでしまう。そんな恐ろしさを、E・ヘミングウェイは、『武器よさらば』の中で、
こう表現している。

I know the night is not the same as the day: that all things are different, 
that the things of the night cannot be explained in the day, because they 
do not then exist, and the night can be a dreadful time for lonely people 
once their loneliness has started. 

 (夜が昼と同じでないことは、よく知っている。つまりすべてが、違う。つまり夜のこ
とは、決して昼には、説明できない。なぜなら昼には、それが存在しないからだ。孤独な
人間にとって、夜は、いったん孤独になれば、それほど恐ろしいものはない。)

 言い忘れたが、孤独ほど、究極的な絶望はない。仏教の世界でも、「無間地獄」と位置づ
けている。

 ならば、私やあなたにとって、希望とは何かということになる。

 名誉や地位でないことは、たしかである。名声や財産でないことは、たしかである。心
休まる暖かい家庭にしても、それが希望であるとは、私は思わない。ひとときの孤独やさ
みしさを癒してはくれるが、心のすき間までは、埋めてくれない。

 つまりこうしたものは、なければないで、これまた困る。困るが、こうしたものが、「心
の空腹感」(マザーテレサ)を満たすことはありえない。では希望とは、何か。

 ひとつのヒントとして、こんな説話が残っている。

 ノアが、神に、こう叫んだときのこと。つまり「人間を滅ぼすくらいなら、どうして最
初から完全な人間を創らなかったのか」と。

 それに答えて神は、こう言う。「希望を与えるため」と。つまり「人間は、堕落すれば獣
のような生き物になる。しかし努力すれば、神のような人間にもなれる。それが希望だ」
と。

 もう一度、繰りかえす。ノアの神は、こう答えた。「努力すれば、神のような人間にもな
れる。それが希望だ」と。

 しかし現実には、多くの人たちは、無数のしがらみの中で、俗欲という魔物によって体
中を、がんじがらめに縛られている。私にしても、お金はほしい。名誉も地位もほしい。
財産がなければ、不安だ。そういったしがらみから、自分を解きほぐすだけでもたいへん。
へたをすると、臨時収入が入っただけで喜び、株価がさがっただけで落胆する。ヌカ喜び
と、取り越し苦労。その連続。そんなつまらない自分が、そこにいることを知る。

 そんな私が、どうして神のような人間になれるというのか。

 これは私の思い過ごしだとは思う。思うが、あの男性は、ひょっとしたら、私の心の中
に住む、もう1人の男だったかもしれない。今もあの男性の、あのうつろな眼差しが、脳
裏に焼きついて、どうしても離れない。

(まとまりのない文章ですが、このまま収録しておきます。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学者の評価

+++++++++++++++

理科系の学者の評価は、その学者の
書いた論文が、いかに多くの、権威ある
研究論文で引用されたかで決まる。

しかし問題は、文科系の学者の評価で
ある。

一般には、いかに多くの権威ある出版社で、
その学者の著書が出版されたかで決まると
される。

しかし今、インターネットが、そうした
常識すらも、変えようとしている。

++++++++++++++

 アメリカの調査会社、「トムソンサイエンティフィック」は、07年4月9日、学術論文
の引用回数(被引用数)を指標にした世界の研究機関ランキングを発表した。

 東京大が物理学で2位、東北大が材料科学の分野で3位になった。総合順位では東京大
が世界13位で、国内トップだった。

 これは1996年1月〜2006年12月の11年間に発行された、世界の学術誌の掲
載論文を分析したもの。論文の質の高さの指標とされる、引用回数を研究機関ごとに集計
した。

 物理学では、東大は集計対象期間中1万5082本の論文を出し、引用回数は17万3
26回。材料科学における東北大の論文は4989本で、引用回数は3万回にのぼってい
る(以上、ヤフー・ニュースより引用)。

 ここに書いたように、理科系の学者の評価は、その学者の書いた論文が、いかに多くの、
権威ある研究論文で引用されたかで決まる。しかし問題は、文科系の学者の評価である。

一般には、いかに多くの権威ある出版社(=名の通った出版社、もしくは専門の出版社)
で、その学者の著書が出版されたかで決まるとされる。出版点数が多ければ多いほど、
よい。あるいは、いかに多くの権威ある講演会で講師を務めたかで決まるとされる。だ
から文科系の学者は、自分の評価をあげるため、著作活動や講演活動に専念する。

しかし問題がないわけではない。私が学生のころには、外国の文献を翻訳して本を出す
学者がたくさんいた。もちろん翻訳するのは、学生たちである。中には、それで100
万部単位の本を売った学者もいた。

 今では、こういうことは少なくなった。それぞれの専門分野での研究活動を通して、た
がいに評価しあうというしくみも、確立している。が、ここでも新たな問題が浮上してい
る。

 専門分野といっても、あまりにも細分化されてしまい、横のつながりを見失ってしまう
という問題である。

 たとえば研究予算を獲得するためには、そのための研究テーマを用意しなければならな
い。その研究テーマを、上部団体に提出し、そこから予算を配分してもらう。が、その研
究テーマが、「?」。

 たとえば「中国南部における、打楽器の発達と歴史について」(架空のテーマ)とかなど。
素人の私が見ても、「こんな研究、何の役にたつのだろう?」と思うようなものがある。あ
るいは、その程度の研究なら、現地の学者たちがすでにしているだろうから、そういった
文献を翻訳すれば、それですむのではないのかと思うようなものもある。

 つまり学者たちは、自分の研究する世界を細分化することによって、より専門家(?)
になろうとする。

 たしかに専門家であることにはちがいないが、へたをすれば、部分を見て、全体を見ず
の愚をおかすことになる。

 ……が、これは今までの話。つまり今までは、そうだったという話。

 最近では、インターネットの発達とともに、学者の世界も大きく様がわりしつつある。
たとえば以前は、横のつながりがなかったこともあって、同じ研究テーマで、別々の学者
が別々の場所で研究していたということがよくあった。

 が、インターネットは、こうした弊害を、一気に解決してしまった。だれが、どこで、
どのような研究をしているかが、即座にわかるようになった。さらに、引用回数にしても、
インターネットの検索機能を使えば、これまた瞬時にわかるようになった。つまり今まで
理科系、文科系を分けていた壁を、インターネットが取り除きつつあるということになる。

 これから先のことは、まだよくわからないが、インターネットは、研究評価の分野でも、
確実にその世界を変えようとしている。

何はともあれ、「東京大が物理学で2位、東北大が材料科学の分野で3位になった。総合
順位では東京大が世界13位で、国内トップだった」というのは、すばらしいことだと
思う。

 こういうニュースを読むと、本当にうれしくなる。日本もまだまだ捨てたものではない
だ、と。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本!


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●まず疑う

+++++++++++++++

「疑う」ということは、とても
楽しいこと。

疑うことで、その先に、これまた
別の事実が見えてくる。

たとえば今朝も、こんなニュース
があった。

何でも、太陽が2つある惑星が、
現実に存在するというのだ。

+++++++++++++++

 まず疑う。たとえば、今朝、ヤフー・ニュースにこんなのがあった。

 『地平線に沈む2つの太陽……。こうした状況はSF映画だけでなく、実際に宇宙の数
多くの惑星に、出現している可能性が高いことがわかった。

米アリゾナ大などの研究チームが9日までに、米航空宇宙局(NASA)のスピッツァ
ー宇宙望遠鏡(赤外線天文衛星)を使い、銀河系の連星を観測した成果を、米天文学誌
アストロフィジカル・ジャーナルに発表した。

 連星とは、近い位置にある2つの恒星が重力で結びつき、互いの周りを回り合っている
天体。3つ以上の場合もある。

 研究チームは、地球から50〜200光年離れた場所にある69の連星を観測し、この
うち4割の連星の周囲に、惑星のもとのちりの円盤があることを発見した』と。

 連星があることは、すでにわかっていた。連星というのは、2つ、もしくは3つ以上の
星が、互いの重力で結びつき、互いのまわりを回りあうという星をいう。

 で、このニュースを読んで、「?」とあなたは思っただろうか。どこか、おかしい。私も、
あの『スターウォーズ』という映画の中で、2つの太陽が同時に地平線のかなたに沈んで
いくシーンを見たことがある。

 しかし、どう考えても、おかしい。

 連星のまわりに、惑星は、存在しえるのか。もし存在しえたとしても、2つの太陽が同
時に、地平線のかなたに夕日として沈んでいくようなことが、ありえるのだろうか。もし
そうだとすると、連星とその惑星の位置関係は、どうなるのか。

 連星の中に存在する惑星は、常に、連星からの重力の変化に耐えなければならない。も
し仮に、2つの太陽が一方向にあったとするなら、その重力に引っ張られて、その惑星は、
あっという間に、どちらかの太陽にのみこまれてしまうはず。

 それを簡単に図式化すると、つぎのようになる。(・)が惑星。(○)が太陽。

    ○  ・  ○    ←この状態なら、惑星は安定する。
    ○  ○   ・   ←この状態だと、惑星は、どちらかの太陽にのみこまれ
てしまう。(しかし2つの太陽の夕日は、この状態でな
ら、見ることができる。)

仮に、1つの惑星が、1つの太陽のまわりを回り、その太陽に、もうひとつの仲間の太
陽があったとする。すると、ここにも書いたように、その惑星は、両方の太陽の重力の
影響を受けて、きわめて不安定な動き方をするはず。それに太陽が2つ並べば、気温は、
倍になるかも? 

私は朝食を食べながら、新聞の折り込みチラシの裏に、いろいろな模式図を描いてみた。
が、どうも、よくわからない。

         連星に惑星が存在しえるとしても、はたして「地平線に沈む2つの太陽」は、可
能なのか?

 ……ということで、何でも、ものごとは疑ってみる。それは実に楽しいことでもある。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●終末期ケアについて

+++++++++++++++

終末期に、延命処置を施(ほどこ)
してもらうか、それとも施しても
らわないか。

本人の意思しだいとはいうが、
現実には、そんな意思を、前もって
確認することなど、できないのでは
ないか。

たいていの高齢者は、終末期に
近づけば近づくほど、判断能力を
失う。

しかもいくら、本人の意思がはっきり
していても、まわりにいる家族の
(思い)というのもある。

肉親の死にかかわることだけに、
後味の悪い思いだけは、したくない。
「さあ、本人の意思を尊重しますので、
延命処置は結構です」とは、
とても言えないだろう。

+++++++++++++++

 治る見込みがなく、死が避けられない患者への医療のことを、「終末期医療」という。そ
の終末期医療について、このほど厚生労働省の検討会は、いくつかの指針を提示した。し
かし……。

 老人を介護していると、常に2つの心が働くのがわかる。たとえば大便で汚れた、下着
の始末をしているようなとき。そんなときを、想像してみてほしい。「かわいそう」という
憐れみの心。それに「何でこんなことをしなければいけないのか」という忌避する心。も
っとはっきり言えば、嫌悪する心。

 この2つの心が交互に現れては消える。心というのは、そんな単純なものではない。Y
ES・NOと、はっきり、区別できないばあいのほうが、多い。

 そこで最近、終末期ケアについて、いろいろ議論されている。とくに延命処置について、
本人の意思が確認されたら、それをしなくてすます、という。わかりやすく言えば、「私に
は延命処置は必要ない」というような承諾書があれば、延命処置は、しないですますとい
う。

 しかしこんなこと、実際には、可能なのだろうか。つまり終末期でなくても、高齢にな
ればなるほど、多かれ少なかれ、たいていの人は、判断能力が鈍ってくる。そういう高齢
者に向かって、「どうしますか?」と聞いても、意味はない。

 では、若いときはどうか? 50代とか、60代とかでもよい。たとえば今の私が、だ
れかに、「延命処置を希望しますか、どうしますか?」と聞かれたとする。しかし私には、
その質問に答えようがない。仮に答えたとしても、10年、20年のうちに、気が変わる
ことだってありえる。

 さらにいくら本人が、「延命処置は不要」という意思表示をしていたとしても、私という
家族の一員が、それに手をくだすことには、大きな抵抗感を覚える。たとえば私の母にし
ても、ときどき、「私は、早く死にたい」などと言ったりする。老人特有のグチのようなも
のだから、本気にはしていない。また本気にしてはいけない。

 つまり、だからといって、「じゃあ、早く死ねるように手を貸そうか」とは、言えない。
またそんなことをすれば、自分の人生を汚すだけ。後味の悪い思いをするだけ。いくら本
人の意思に反したとしても、やはりその場になれば、「できるだけ長く、生かしてやってく
ださい」と言うだろう。思うだろう。

 もっとも本人が苦しんでいるばあいは、別である。「早く楽にしてあげたい」という気持
ちが働くかもしれない。そういうケースも少なくない。

 ただ私が心配するのは、本来なら、もっと長生きできるような人まで、承諾書を口実に、
早く殺してしまうようなことも、起こりえるのではないかということ。あるいは治る見込
みのある人まで、殺してしまうことだって、ありえる。

 そうでなくても、少子高齢化が進み、老人たちが、粗大ごみのように思わるようになっ
てきている。「この患者は、延命処置を望んでいません。だからさっさと死んでもらいます」
とか、何とか。そんなことにでもなったら、たいへん!

 ところで最近、私の友人のD君が、奥さんをがんでなくした。それについて、「さみしい
か?」と私が聞くと、D君は、こう言った。「3年間も痛みで苦しんだから、死んだときは、
うれしかった。これでL(妻)も、やっと苦痛から解放されたと」と。

 そういうふうに考える人もいる。またそういうふうに考えたとしても、だれも、D君を
責めることはできない。深い夫婦の愛情があればこそ、D君は、そう思った。

 要するに、この問題は、承諾書などという紙切れ一枚で片づくような問題ではないとい
うこと。ケースバイケース。承諾書があっても、延命処置が必要なら、延命処置をする。
承諾書がなくても、家族たちが、それを望むなら、延命処置を解除する。

 人の生死にかかわる問題だから、底の浅い議論だけで決めてもらっては、困る。

 一応、厚生労働省の検討会では、つぎのような指針が示されている。

(終末期医療の指針骨子)

●患者本人の決定を基本として終末期医療を進めることがもっとも重要な原則。
●医療の開始、不開始、変更、中止などは、医療・ケアチームが慎重に判断する。
●治療方針の決定に際し、患者と医療従事者の合意内容を文書化する。
●患者の意思を推定できない場合は、家族と話し合い、患者にとって最善の治療方針をと
る。 


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●やっぱり、お金がなかった?

++++++++++++++++++

BDAには、やっぱり、お金がなかった?
わかりやすく言えば、そういうこと。

だから、いくら制裁が解除されても、
払えないものは、払えない。現在、
そのBDAは、破産状態にあるという。

そういうBDAに向かって、「金を返せ」
というK国も、K国。おめでたいというか、
お気の毒としか、言いようがない。ホント!

++++++++++++++++++

 BDA、つまり今、問題になっているマカオのバンコ・デルタ・アジア銀行、やっぱり、
お金がなかった。当初からそれを予想していたのは、私が知るかぎり、私だけ。オホン!

 わかりやすく言えば、つまり金額を単純化して説明すれば、こうだ。

 ある日、K国のだれかが、ニセのドル札を、大量にBDAに持ちこんできた。その額、
50万ドル。ふつうの鑑定機では、鑑定できないほど、精巧にできたニセ札である。

 これをBDAは、ニセ札と知りながら、半額の25万ドルで買った。つまりBDAは、
もとから、グル。

 が、ここで思わぬハプニング。アメリカが、BDAとの取り引きを停止してしまった。
それを見て、まわりの銀行も、みな、BDAとの取り引きを停止してしまった。あわてて
BDAは、窓口を閉じた。おかげで、K国は、25万ドルという自分の預金を引き出せな
くなってしまった。

 (アメリカは、この時点では、K国への制裁を考えていたわけではない。結果として、
K国を制裁することになってしまっただけ。)

 25万ドルといっても、ただの紙くず。BDAも、それをよく知っていた。だからいく
ら送金せよと言われても、送金など、できるわけがない。送金できるお金、そのものが、
ナ〜イ。

 報道によれば、中国銀行などが、仲介を拒否したとか何とか、そういうことになってい
る。が、本物の現金があれば、送金は可能なはず。それこそ現金輸送車か何かで運べばよ
い。あるいはそのままK国の担当者に渡せばよい。

 K国もK国。ニセ札をBDAに、マネーロンダリングさせておきながら、「返せ」、はな
い。日本には、『盗っ人(ぬすっと)、猛々(たけだけ)しい』という諺(ことわざ)があ
る。K国の姿勢は、まさに、それ。しかしK国にしてみれば、「もう、そのお金は結構です」
「いりません」とは、とても言えない。もしそんな弱気な姿勢を見せれば、それこそ自ら、
ニセ札づくりに関与したことを認めてしまうことになる。

 こうしてジリジリと、神経戦が繰り広げられている。恐らくアメリカは、その金額を立
て替えてでも、K国に現金を渡すつもりでいるのだろう。あるいはそう申し出ているのは、
韓国かもしれない。しかしその方法が見つからない。

 さてさて、どうしたらよいものか? いちばんありえるのは、中国政府が債務保証をし
たあと、BDAから中国銀行に一度、送金したという形を取ること。中国銀行は、K国の
担当者の申し出により、25万ドルを、K国に渡す。

 で、そのあと、まちがいなく、BDAは破産する。そのときは、中国銀行は、25万ド
ルを、中国政府から受け取ればよい。筋書きとしては、多分、そうなるだろう。

 しかしなぜ、こんなことまでして、あのK国を支えなければならないのか。そこまで気
を使わねばならないのか。バカげている。本当にバカげている。

 期限の4月14日までの初期履行措置は、どうやら不可能になってきた。が、それを知
って、さっそく今日(10日)、韓国のおバカ大統領は、つぎのような声明を出した。

 「BDA問題が解決すれば、他の国々は、協議での決定内容に応じて、行動する」と。
つまりK国への援助を開始する、と。が、考えてみれば、これほどバカげた考え方もない。
相手のK国は、まだ、何もしていない。何もしていないのに、援助を開始するとは!

 援助を開始するのは、K国が、核開発関連施設を停止し、IAEAの査察団を受け入れ
てからでも、遅くはないのではないか?


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●宇宙ステーション

++++++++++++++++++

もっとも効率的で、高性能、かつ安価な
宇宙ステーションの作り方といえば、
宇宙に漂う、惑星の中をくりぬいて作る
という方法がある。

惑星でなくても、もっと小型のものでも
よければ、隕石がある。

外殻が、固い岩石でおおわれているため、
各種の宇宙線から、乗員を守ることが
できる。大きな惑星になれば、それなりの
重力もあるから、観測機器などを、内部で
固定することもできる。

では、どうすれば、そういう惑星を、ちょうど
よい場所に、もってくることができるか?

これも、方法は、簡単。

岩石の表面に、すり鉢状の穴を掘り、その
中心部で、ものを爆発させればよい。

大きな惑星であれば、小型核爆発でもよい。
爆発力をうまくコントロールすれば、
惑星を移動させることができる。

++++++++++++++++++

 現在、いろいろな国が集まって、宇宙空間に、宇宙ステーションを建設している。しか
し地球から、そのつど資材を持ち運ぶため、莫大な費用がかかる。

 そこでもっとも簡単で、安価な宇宙ステーションの建設方法と言えば、宇宙に漂う惑星
の内部を、くりぬいて作るという方法がある。直径が、1〜2キロもあればじゅうぶん。
あるいはそれ以上でもよい。

 重力といっても、軽いから、削岩機を使えば、まるで雪を削るように簡単に穴を掘れる
はず。掘った岩石は、そのまま、惑星表面の補強に使うこともできる。うまくいけば、岩
石の中に閉じこめられている(水)を取り出すこともできるかもしれない。

 惑星内部に研究室や実験室、居住室などを作ればよい。

 では、そういう惑星を、どうやって、ちょうどよい位置にもってくることができるか。
これも簡単である。

 惑星の一部に、すり鉢状の穴を掘る。茶碗のような穴を想像すればよい。その穴の中心
部で、火薬を爆発させればよい。あるいは大きな惑星であれば、小型核爆発を起こしても
よい。

 こうして惑星を移動させる。速度は、遅くても構わない。危険なコースに入りそうにな
ったら、そのときはそのときで、軌道修正すればよい。

 惑星を止めるときは、隕石の向きを180度変えて、また火薬を爆発させればよい。惑
星を、ちょうどよいところで静止させることができる。

 ……というのは、SFの世界の話だが、しかしそれをすでに考え、実行した生物がいる
のではないか。それを思わせる痕跡は、いくつかある。

 たまたま今朝のヤフー・ニュースは、こんな記事を載せている。

 『火星と木星の間にある、珍しい双子の小惑星、「アンティオペ」は、日本の探査機「は
やぶさ」が着陸した小惑星「イトカワ」と同様に、岩石片が集まってできており、内部に
すき間が多いことが分かった。パリ天文台などの研究チームが10日までに、南米チリに
ある欧州南天天文台の大型望遠鏡などを使って、精密に観測した成果を、米惑星科学誌イ
カルスに発表した』と。

 どうやって「かすかすであること」がわかったかということは、別として、「かすかす」
ということは、「内部が空洞である」というふうには、考えられないだろうか。もしそうだ
とするなら、自然に、空洞になったとは、考えにくい。

 ……けっして、荒唐無稽(こうとうむけい)なことを書いているのではない。この太陽
系には、それを疑わせる惑星がいくつかある。私がとくに注目しているのは、「フォボス」
という火星の惑星である。

 この惑星には、先に書いたような、すり鉢状の穴が、一方の端についている。隕石の衝
突でできた穴ということになっているが、ならば、こんなふうに穴があくためには、正確
に真上から、隕石が当たらなければならない。写真でみるかぎり、穴は、真円に近い。し
かもその穴からのびる直線状の縞模様は、観測されるたびに、数がふえている。


<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/27/img1f2862920qcuy7.
jpeg" 
width="100" height="66" alt="フォボス1"> 

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/28/img8d13ee3bdqd1o2.
jpeg" 
width="200" height="159" alt="フォボス2"> 


 このフォボスも中は、「かすかす」と言われている。

 繰りかえすが、惑星をくりぬいた宇宙ステーションであれば、中に住む生物を、危険な
放射線や太陽光から守ることができる。小さな隕石だったら、当たっても、ビクともしな
い。宇宙空間を漂うゴミと衝突しても平気。部屋をふやしたかったら、穴を掘って作れば
よい。それでできた土砂は、惑星の表面に捨てればよい。

 形こそぶかっこうだが、もっとも効率のよい宇宙ステーションということになる。

 ……ということで、この話はおしまい。で、ここから先は、私のSF的空想物語。

 遠い昔、火星にも、人間に似た知的生物が住んでいた。そして現在の人間のように、宇
宙へ飛び出すほどの知的能力を身につけた。

 そして宇宙空間を漂う惑星を、つぎつぎとくりぬいて、宇宙ステーションを建造した。
が、火星は、急速に温暖化現象を迎えた。火星に住んでいた知的生物たちは、太陽系のあ
ちこちへと非難を開始した。もちろん地球にもやってきた。

 が、地球には住むことができなかった。太陽から注ぎこむ放射線、太陽光に、彼らは耐
えられない。太陽に近い分だけ、量も多い。まぶしい。それに地球の重力がある。で、彼
らは、地球の衛星の、月に目をつけた。彼らは、月をくりぬいて自分たちの宇宙ステーシ
ョンを作ることにした。

 やがて火星は、生物の住めない惑星となってしまった。火星に住んでいた知的生物たち
は、そのままそれぞれの惑星に、住むことにした。地球の上に輝く、月も、その一つであ
る。

 ……ハハハ。私の説によれば、あの月も、どこかの惑星で生まれた知的生物たちの宇宙
ステーションというわけ。(この説を信じているのは、けっして私だけではないが……。)

 しかしそんな思いをもって、あの月を見ると、これまた楽しい。ヤフーのニュースを読
むと、さらに楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●インターネットの世界

+++++++++++++++++

ときどき、親類の、ある人が、私のHPや
BLOGをのぞいているようだ。

どうしてだろう?

何が興味あるのだろう?

……と思いながら、今朝も、あれこれ。

+++++++++++++++++

 インターネットの世界も、どんどんと進化している。世界を騒がせた、動画無料配信サ
ービスの「TUBE」。ファイル無料登録サービスの「Flickr」、それに今度新しく
誕生した、無料インターネット・ストーレッジの「BOX」などなど。

 今までは、こうしたサービスは、有料が原則だった。が、無料になった。無料になった
ばかりか、使える容量が、ケタはずれに大きい。

 そのほか、こまかいところでは、だれかのHPやBLOGを閲覧すると、いつ、どこの
だれが閲覧したかまで教えてくれるサービスがある。名前まではわからないが、プロバイ
ダーの所在地、あるいはプロバイダー名から、その人がだれであるか、おおよその見当が
つく。

 インターネットだから、こちらのことはわからないはずと思っているなら、それはまち
がい。たとえば匿名の書き込みにしても、書いた人は、わからないはずと思っているかも
しれない。たとえば、以前、「Sxxx−Yxx」の匿名で、執拗に、いやがらせの書き込
みをしてくる女性がいた。

 しかしここからがインターネットのすごいところ。グーグルを使って、「Sxxx−Yx
x」を、(あいまい検索)してみると、同じ名前で、メールアカウントを作成している女性
が見つかった。さらに、そういう行為をする人は、同じようなことをするもの。あちこち
の掲示板に、同じような書き込みをしているのがわかった。

 チャットで、同じ名前を使っていることもわかった。

 つまりこうすることで、その女性が特定できてしまった。「近所のものですが……」で始
まる、書き込みだったが、私は、その女性に、こう返事を書いた。

 「S県、H半島にお住まいの、Sxxxさんですね。いつも書き込み、ありがとうござ
います。いただきましたご意見は、大切に参考にさせていただきます。ただ、私の近所の
方でないことを、残念に思います」と。

 以後、いやがらせの書き込みは、ピタリと止まった。

 ……というわけで、最近では、何回、その人が私のHPやBLOGのどの記事を閲覧し
たかまで、わかるようになった。

 インターネットは、日々に進化している。甘く見ないほうが、よい。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●老齢化

++++++++++++++

ニコニコ……というよりは、
ニンマリ……。

ニンマリ……というよりは、
ニタニタ……。

デイサービスの行かない日の母は、
わけのわからない表情で、
ソファに座ったまま。1日を過ごす。

頭の状態は、一進一退。
そういうのを「まだらボケ」というのか?

どうかすると、冗談を話す。
しかし、どうかすると、反応が
まったくない。

ボケたのか?
それともとぼけているだけなのか?

+++++++++++++

 あれほど気丈夫だった母も、今は、見る影もない。何があっても、返ってくる言葉は、
同じ。「ありがと」。本当にわかっていて、そう言うのではない。条件反射というか、口グ
セのようなもの。だから、今日も、こういうことがあった。

 私が母の記憶力を試すために、こう話しかけてみた。

 「ここ(=私の家)に来るまで、お母さんは、どこにいたか覚えているか?」と。

 すると母は、「うち(=自分の家)にいた」と答えた。

私「ここへ来る前、M(=私の姉)の家にいただろ?」
母「そんなところに、いなかった」
私「2年間も世話になったじゃないか。忘れたのか?」
母「世話になっていない」
私「そんなこと聞くと、Mは、怒るぞ」
母「ウソつくな。わしは、1度も、Mの家などには行っていない」と。

 母は、2年間、姉の家にいた。それすらも、記憶にはないようだ。ないばかりか、反対
に私がウソをついていると思っている。

 ボケたのか? それとも母特有の、妄想なのか? その区別がむずかしい。母は、若い
ころから、妄想観念が強く、自分でそうだと1度思いこんでしまうと、その妄想からなか
なか抜け出せない。そんなタイプの女性だった。

 その母が、ここ数日、私の顔を見るたびに、「うちへ帰らせてもらう」と言うようになっ
た。

私「帰るって、どこへ?」
母「K村(=母の生まれ故郷)や」
私「K村って、もう、あの家は、あんたのものじゃ、ないぞ」
母「あの家は、ワシのもんや」
私「ちがう、ちがう。代が2つもかわって、今は、H君(=いとこ)のもんや」
母「帰らせてもらう」と。

 こういう会話になると、何を話してもムダという状態になる。要するに、相手にしない
こと。無視する。「わかった」「わかった」を繰りかえして、その場を逃げる。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【オーストラリア】(余韻)

+++++++++++++++

あわただしい3週間が過ぎた。
やっと、生活が静かになった。
平凡になった。

ありがたいことだ。

+++++++++++++++

●帰国してから……

 オーストラリアから帰国してから、ちょうど、3週間になる。しかし今でも、その余韻
は、深く、長くつづいている。

 といっても、帰国後の1週間は、メチャメチャ忙しかった。帰国直後の1日だけは、1
4時間近く眠ったが、そのあと、平均睡眠時間が、4〜6時間という日がつづいた。おか
げで、頭の集中力は、ゼロ? ものを書こうとしても、テーマそのものが浮かんでこない。
書きたいことは、そこにあるのだが、その輪郭(りんかく)が見えてこない。

 ともかくも、無事、こうして帰ってこられた。そして以前と同じような生活にもどった。
今の私にとっては、それがとても、ありがたいことのように思われる。

●メルボルン

 メルボルンという町は、森の中にある町といった感じ。それについては、前にも書いた。
一応、私が住むこの町も、「花と緑の町」ということになっている。しかしもしメルボルン
の人たちがそれを知ったら、きっと、(?)マークを、100個くらい並べるにちがいない。

 公園にしても、町の中に公園があるというよりは、公園の中に町がある。面積の3分の
1が、公園と言われている。

 今、改めてメルボルンを頭の中に思い出してみると、その(緑)だけが、強く印象に残
っているのがわかる。

 ただし緑が多いのは、都市部だけ。一歩、その都市部を離れると、そこは赤茶けた大地。
どこまで行っても同じ、赤茶けた大地。何かしら、日本とは、正反対のような気がする。

 どちらかを選べと言われれば、やはり日本のほうがいいのかなあ……?

●移住

 私はメルボルンにいる間中、ずっと、移住のことを考えていた。「移住できるだろうか」
と。

 しかし結論は、「やはり、無理だろうな」である。生活習慣が、あまりにもちがいすぎる。
そうしたちがいを乗り越えるのは、たいへんなこと。配偶者の1人が、オーストラリア人
とか、そういうことなら、まだ何とかなる。が、そうでなければ、そうでない。

 日本人の私たち夫婦だけで、それを乗り越えることは、できないだろう。たとえばゴミ
の出し方ひとつにしても、こまかいルールがある。医療の問題となると、さらにそうだ。

 また(生きがい)の問題もある。その生きがいを見つけるだけでも、これまた時間がか
かる。見つけたあと、それを育てるためには、さらに時間がかかる。

 かりに私かワイフが、倒れたら、そのあと、どうなる? そのまま移住しつづけること
は、はたして可能なのだろうか?

●孤独

 これは私が学生時代にも感じたことだが、白人世界には、白人世界独得の孤独感という
のがある。

 言葉の問題もある。しかしそれ以上に大きいのは、「ここは私の国ではない」という疎外
感。それが時折、孤独感となって、襲ってくる。

 たとえば(私)という人間にしても、父と母、さらには祖父と祖母……というように、
日本という国に(根)を張っている。その(根)が、深いところで、他人ともからんでい
る。日本に住んでいるとその(根)を感ずることはないが、オーストラリアまでやってく
ると、その(根)を切られたように感ずる。

 ときとして、自分の足が宙に浮いているように感ずることもある。

 そこでどうしても、日本人は日本人とつきあうようになる。そのほうが、居心地がよい。
その居心地のよさの反対側にあるのが、ここでいう孤独感ということになる。

●質素

 概して言えば、オーストラリア人は、質素。本当に質素。

 たとえばみやげものにしても、日本人なら、どこかへ行くときも、また反対に客が帰る
ときも、あれこれと気をつかう。もちろん、オーストラリア人たちもそれなりに気をつか
う。が、日本人のそれよりは、はるかに稀薄。

 みやげといっても、日本人にしてみれば、実に質素なものばかり。みやげものを交換す
るという習慣そのものがない、という家庭も多い。

 一方、日本人の私にしてみれば、片道20時間近くもかけて行く遠方だし、それに旅費
だけでも、15万円前後もかかる。1000円や2000円のみやげものを包んでいくと
いうことに、ある種の抵抗感を覚える。

 「心のこもったもの」とは言うが、1000円や2000円のもので、心のこもったも
のをさがすほうが、無理。

 だからといって高価なものでは、かえって相手も気をつかうだろう。

 こうした意識のちがいは、どうすればよいのか。どう克服すればよいのか。
 
 で、私の結論。オーストラリア人にも、いろいろなタイプがある。そういうタイプを正
確に見極めながら、相手に合わせる。概して言えば、日本人は、みやげものが、派手。お
金をつかう。またそうすることが、親近感の表れと思っている。が、そういった常識(?)
は、白人の世界では、通用しない。

 白人の世界では、裏腹がない分だけ、ストレートに、かつ誠実に接するのがよい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生殖能力が低下?

++++++++++++++++++

以前から、日本でも言われていたことだが、
男性の精子数が、この40年間で、半減
したという。

そんなショッキングな報告が、中国でも
なされている。

++++++++++++++++++

 ヤフー・ニュースから、そのまま引用する。

『07年4月7日、浙江省杭州市で開かれた、中華医学会生殖医学協会と中国動物学会生
殖生物学分会の第1回連合年会で、中国人の生殖能力が、近年低下傾向にあることがわか
った。

中華医学会生殖医学分会主任委員・王一飛(ワン・イーフェイ)教授と、』浙江大学医学院
副院長、浙江省婦人保険医院・黄荷鳳(ホワン・フーフォン)教授によると、完全な統計
調査は行われていないものの、子供を持たない夫婦は中国全体の7〜10%にもなり、年々
増加の傾向を見せているという。

また生殖医学者の研究によれば、精液1ミリリットルに含まれる精子の数は、40年前の
1億個から、2000万〜4000万個にまで減少しているという。

上海の精子バンクでは、健康な学生の精子提供者でも、精子の数や活力が基準に達しない
ことが頻繁にあると、王教授はコメントした。黄教授は過度の晩婚化も大きな問題で、ほ
かにも公害・食生活・ストレスなどの複合的な要因が予想されると述べた。ここまで明ら
かな傾向が出ている以上、一刻も早く原因の調査・解明と対策が求められる』と。

 精液1ミリリットルに含まれる精子の数が、40年前の1億個から、2000〜400
0万個にまで減少しているというのだ。

もしこれが事実とするなら、さらに40年後には、同じ割合で減少すれば、800〜1
600個になってしまうことになる。

 精子の数イコール、スケベ度というわけでもないだろうが、その分だけ、性的エネルギ
ー(フロイト)が、低下しているとも考えられなくもない。性的エネルギーは、人間のあ
らゆる生きる力の原点ともなっている。

 男児の女児化については、この日本でも、すでに20年以上も前から指摘されている。
最近では、男児と女児の逆転現象も起きている。幼稚園でも小学校の低学年でも、いじめ
られて泣くのは、たいてい男児。いじめて泣かすのは、たいてい女児という構図が、すで
にできあがってしまっている。

 私たちの時代には、考えられなかったことである。

 精子の数が少なくなれば、精子の活力そのものが弱くなり、男女の間で、生殖ができな
くなるという。つまり何らかの人工的な処置をほどこさないかぎり、人類は、このままで
は絶滅することになる。

 原因としては、この日本では、環境ホルモン(内分泌かく乱性物質)も、取りざたされ
ている。魚介類の中には、そのため、メス化してしまったオスもいるそうだ。便利すぎる
ほど便利になった現代社会だが、私たちの知らないところで、今、人間も含めて、ありと
あらゆる生物が、絶滅の危機に瀕しているということになる。

 人間は、あまりにも自分勝手なことをしすぎている。……これが私の実感である。


+++++++++++++++

自分の書いた原稿を、「内分泌」で
検索してみた。いくつかをヒット
した。

+++++++++++++++

砂糖は白い麻薬(失敗危険度★★)

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考
えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)
だそうだ(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多
く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリン
が脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害す
る、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、四月のはじめ。U君がちょうど年長児になったとき
のことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょ
う?」と。U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動
性が強くみられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと
母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残
したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計
算してみるとU君は一日、一〇〇〜一二〇グラムの砂糖を摂取していることがわかった。
かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからが
たいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビ
スケットをくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断った
ときに出る禁断症状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。夜中に
母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、その一週
間後、私はU君の姿を見て驚いた。

U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまった
のだ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと
私を見つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいい
のでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のな
いものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、
子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラ
ム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいは
キーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カ
ルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効
果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間
程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食
品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出
してしまう。と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリー
ム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インス
タントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プ
リン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味
を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるように
するため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を
遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食
物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどという
ことは、不必要なことである」と。つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水
化物にさまざまな添加物を加えた食品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間
を台なしにしているというのだ。「(ジャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、
不安、甘いものへの依存性、アルコール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」
とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように
愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多
く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂
糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫
をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しや
すく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、
機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。子どもの食生活を
安易に考えてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

イメージが乱舞する子ども(失敗危険度★★★)

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞
しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。

鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてその
ままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化す
る。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘ
ンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。
小一児で、一〇人に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もい
ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れか
ら、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」
と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちを
たたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破
ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、
調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
 
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を
使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行
為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからな
くなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)
と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「か
なり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこ
に恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じよう
な現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的に
テレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見てい
るときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動
きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いてい
る!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべ
る。

一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつか
さどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テ
レビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがな
い新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。
その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

銀行寮の掟(おきて)(失敗危険度★★)

●ある銀行の現実

 ここは県庁所在地になっているS市の郊外。不況、不況と言われながらも、大銀行だけ
は別。家族寮なども、ちょっとしたホテル並の豪華さを誇る。そこでのこと。

部長の息子と、課長の息子が同じ中学を受験することになった。こういうとき、部長の
息子が落ちて、課長の息子が合格したりすると、さあたいへん。課長の息子は入学を辞
退するか、その寮を出なければならない。私が「何もそこまで……」と言うと、ある母
親はこう言った。「それは現実を知らない人の言うことです」と。

●夫たちの地位で妻の地位も決まる

 何でもその家族寮では、夫たちの地位に応じて妻たちの地位も決まるという。会合でも、
中央にデ〜ンと座るのが、部長の妻。あとはそれに並んで、次長、課長とつづく。ヒラの
妻は一番ハシ。年齢や教養には関係ない。もちろん容姿も関係ない。また廊下ですれちが
うときもそうだ。相手がどんなに若くても、相手がどんなにそうするにふさわしくない女
性(失礼!)でも、夫の地位が自分の夫の地位よりも高いときには、道をあけなければな
らない。

 「そういう世界だから、どの母親も、子どもの受験にはピリピリです」と。具体的には
こうだ。まず上司の息子や娘と同じ学校は受験しない。上司の息子や娘が不合格になった
学校は受験しない。受験する学校の名前は最後の最後まで秘密にする、と。

●日本人独特の上下意識

 ……私はこの話を聞いたとき、別のところで、「こんなことをしているから日本の銀行は、
国際競争力をなくした」と思った。日本人のほとんどは、日本は先進国だと思っている。
たしかに豊かで、経済力はある。しかしその中身といえば、アフリカの××部族のそれと
それほど違わない。少なくとも、世界の人はそう見ている。日本の社会の中にどっぷりと
つかっている人には、それがわからない。その一つが、日本人独特の上下意識。

日本人はたった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と考える。そしてその間にきびしい序
列をつける。言いかえると、こうした意識があるかぎり、日本はいつまでも奇異な目で
見られる。日本異質論は消えない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

溺愛ママ(失敗危険度★★)

●子どもを溺愛する母親

 親が子どもを溺愛する背景には、親側の情緒的未熟性や精神的な欠陥がある。つまりそ
うした未熟性や欠陥を代償的に補うために親は子どもを溺愛するようになる。つまり子ど
もを溺愛す親というのは、どこかに心の問題をもった人とみてよい。が、親にはそれがわ
からない。わからないばかりか、溺愛を親の深い愛と誤解する。だから人前で平気で、そ
の溺愛ぶりを誇示する。こんなことがあった。

●溺愛を「愛」と誤解?

 高校のワンゲル部の総会でのこと。指導の教師が父母たちに向かって、「皆さんはお子さ
んたちが汚してきた登山靴をどうしていますか?」と聞いたときのこと。一人の母親がま
っさきに手をあげてこう言った。「このクツが無事息子を山から返してくれたと思うと、た
だただいとおしくて頬ずりしています!」と。

あるいは幼稚園で、それはそれはみごとな髪型をしてくる子ども(年中女児)がいた。髪
の毛を細い三つ編みにした上、さらにその、三つ編みを幾重にも重ねて、複雑な髪型をつ
くるなど。まさに芸術的! そこである日、その母親と道路であったので、それとなく「毎
日たいへんでしょう?」と聞いてみた。が、その母親は何ら臆することなく、こう言った。
「いいえ、毎朝、三〇分もあればすんでしまいます」と。毎朝、三〇分!、である。

●溺愛児の特徴

 親が子ども溺愛すると、子どもは子どもで溺愛児特有の症状を示すようになる。(1)幼
児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)退行的になる(目標や規則が守れず、
自己中心的になる)、(3)服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不
断)、(4)柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなるなど。ちょうど膝に抱かれたペッ
トのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった
感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。

●カラを脱がない子ども 

子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。
たとえば子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期が
ある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行する。しかし溺愛児にはそれ
がない。ないまま、大きくなる。そしてあるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、
簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにしたのは、
お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。

しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラを
うまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦
さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そ
うなる。

 溺愛ママは、あなたの周辺にも一人や二人は必ずいる。いて、何かと話題になっている
はず。しかし溺愛は「愛」ではない。代償的愛といって、つまるところ自分の心のすき間
うめるための愛。身勝手な愛。一方的な愛。もっと言えば、愛もどきの愛。そんな愛に溺
れてよいことは、何もない。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

死は厳粛に(失敗危険度★★)

●死を理解できるのは、三歳以後

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解で
きない。飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子
ども(三歳男児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病
院へ連れて行こう」と言った子ども(三歳男児)もいた。

子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかしその概念はおとなとは
かなり違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な
生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平
気でやり過ごすことがある。

●死への恐怖心

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひ
とりぼっちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終
を迎えたとき、子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものでは
ない。

ちなみに小学五年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人
全員が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考
える」と言った子ども(女子)がいた。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死
ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいやだ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人
がそれを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとでは
ないと知る。

そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそ
んでもいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼ってい
た小鳥が死んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨
てれば、子どもは「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれで
はすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死を
ていねいにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死
を粗末にすれば、子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして生きることの大切さを

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめ
るという目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えて
よい。そんなことも頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●変わる人格

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あのユングは、人格(Character)は、
人生において、3度変えられると、説いた。

【第1期】
 少年期から成人前期……青年期への転換点

【第2期】
 青年前期から中年期……中年期への転換点

【第3期】
 中年期から老年期……人生末期への転換点

この中でも、ユングは、とくに第2期の、中年期
への転換点を重要視した。「人生最大の危機」と
それを呼んでいる。

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 人格(Character)は、年齢とともに、変化、進歩するものである。それまで
は、人格というのは、青年期に完成され、加齢とともに、人格は安定するものだと考えら
れていた。

 しかしユングは、「人格は、年齢とともに発達しうるもの」と説いた。それがよく知られ
ている『ライフサイクル発達論』である。

 (ここで注意しなければならないのは、「character」の訳である。多くの心理
学の本では、「性格」と訳している。しかし性格では、意味が通らない。私は、「人格」と
ここでは訳しておく。人格なら、発達する。一方、「性格が発達する」というのは、言葉の
上でも、おかしい?)

 で、ユングは、3つの転換点を考えた。

【第1期】
 少年期から成人前期……青年期への転換点

【第2期】
 青年前期から中年期……中年期への転換点

【第3期】
 中年期から老年期……人生末期への転換点

この中でも、ユングは、とくに第2期の、中年期への転換点を重要視した。「人生最大の危
機」とそれを呼んでいる。

 「危機」というのは、「重大な時期」という意味である。この時期に、人は、それまで以
上に真剣に自分と立ち向かうという。年齢で言えば、満40歳前後(ユング)だという。
もちろん個人差はあるだろう。しかしたしかにこの時期というのは、それまでの自分に対
する疑問が増大し、「これでいいのだろうか」と、強く煩悶(はんもん)する時期でもある。

 たとえば金儲けだけを考えて生きてきた人が、その金儲けに疑問を感じたり、反対に、「私
は死ぬまでに何をなすべきか」と、人生の最終目標を打ち立てようとしたりする。

 しかしみながみな、そうであるとはかぎらない。ほとんどの人は、怠惰(たいだ)な生
活に押し流され、それぞれの転換点をあいまいにしたまま、つぎの世代へと突入してしま
う。あるいは、「発達」ということを考えることもないまま、自分の過去の固執してしまう。

 こうした転換点のある人というのは、それなりに、問題意識をもって生きている人とい
うことになる。事実、高齢になればなるほど、愚かになっていく人は少なくない。人格そ
のものが、低俗化し、崩壊していく人だっている。たとえば私の知人の中には、「他人の不
幸話ほどおもしろいものはない」と、豪語している人がいる。

 その人は、近くに不幸な人がいたりすると、用もないのにその人の家を訪問してみたり
する。そしてその人に、さも同情するようなフリをしながら話を聞きだし、それをそのま
ま別の他人に話したりする。独特の言い回しをする。

 「Aさんは、あわれな人ですよ。本当にあわれですよ。かわいそうな人です。あれほど
の財産家だったのに、息子が株に手を出し、無一文になってしまったそうです。本当にあ
われです」と。

 つまりその知人は、そういう形で、その人の不幸話を楽しんでいるということになる。

 が、その一方で、久しぶりに会ってみると、まるで別人のように、人格者になっている
人もいる。こんな例は、本当は、あってはならない例かもしれない。またこういうところ
で紹介するのも失礼かもしれない。しかし私の印象に残っている女性に、Gさん(母親、
40歳くらい)という女性がいた。

 Gさんは、その1年ほど前、交通事故で、長男をなくしている。そのことは噂で知って
いたが、街角で会うと、まさに神々しいほどまでの人になっていた。穏やかで、深みがあ
って、それでやさしい笑みを絶やさなかった。しばらく立ち話をしたが、近寄りがたい人
とというのは、Gさんのような女性をいう。

 Gさんは、その1年で、長男を交通事故でなくしたという悲しみ、苦しみを乗り越えた
のかもしれない。私も、あえてその話題には触れなかった。Gさんも話さなかった。

 そういう意味では、人格は、発達しうるものということになる。冒頭に書いたように、
青年期に完成され、それがそのままということはありえない。またそういうふうに考えて
はいけない。

 では、どうすればよいのか。

(つづく)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●DVD「タイム・トラベラー(戦場に舞い降りた少年)」

++++++++++++++++++

タイムスリップして、過去や未来を
行ったり来たりする映画は、多い。

しかしその中でも、新作、『タイムトラベラー』は、
ひさびさに、★が4つ。おもしろかった。

イギリス映画らしく、キメこまかい描写、
ていねいな展開が、小気味よく流れる。

そして最後は、「ウ〜ン」と、考えさせられて、
おしまい。

++++++++++++++++++

 子どものころ、『タイムトンネル』というテレビ番組があった。おもしろかった。以来、
タイムトラベル(タイムスリップ)映画は、ほとんどみてきた。

 が、その中でも、今回の『タイム・トラベラー(戦場に舞い降りた少年)』は、1、2を
争うほど、おもしろかった。あくまでも私の主観的な順位だが、1位をつけてもよい。こ
の種の映画にありがちな、(わかりにくさ)がなく、それでいて、結構、考えさせられた。
最後は、「ウ〜ン」と感心したところで、おしまい。

 見終わったあと、心の中が、ポッと暖かくなるのを感じた。

 主人公は、トムという名前の少年。これから見る人のために、ストーリーは書かないで
おく。ただひとつ。この映画の中では、トムが使っている(喘息薬)が、時空を超えて、
重要な働きをする。うっかりしていると、見落としてしまうので、注意!

 それからトムを演ずる、トム・ウィルキンソンの自然な演技がすばらしい。12歳前後
の少年が、ここまで演じられること自体、脅威としか、言いようがない。

 家族で楽しむには、最適なDVD。ぜひ、お子さんと一緒に、どうぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●金xxの核兵器

++++++++++++++++

6か国協議が、またまた暗礁に
乗りあげている。

BDAに凍結されているK国の
資金返還問題について、中国と
K国の決着がつかなかったため
という(産経新聞)。

そのため、2月の6カ国協議で
合意したK国の核施設の稼働停止・
封印などの「初期段階の措置」の
期限が4月14日に迫っているが、
北朝鮮の求めるBDA問題が解決
していないため、期限内実施は事実
上、不可能となったという(同報道)。

+++++++++++++++++

 07年4月8日現在、あの6か国協議が、またまた暗礁に乗りあげているという。産経
新聞によれば、「BDAに凍結されているK国の資金返還問題について、中国とK国の決着
がつかなかったため」という。

 そのため2月の6カ国協議で合意したK国の核施設の稼働停止・封印などの「初期段階
の措置」の期限が4月14日に迫っているが、北朝鮮の求めるBDA問題が解決していな
いため、期限内実施は事実上、不可能となったという(同報道)。

 そのためアメリカのヒル国務次官補は、K国側と話しあうため、会う約束もないまま、
現在、北京に向かっている。

 ……ささいなことにこだわり、大筋で文句を言う。これがK国の外交戦術である。わか
りやすく言えば、常識をはずれている。もっとわかりやすく言えば、そこらの暴力団のチ
ンピラのやり方と同じ。

 今回のBDA問題にしても、額はわずか、50億円程度。もし援助が軌道に乗れば、K
国は、毎年、2560億円近い援助を手にすることになる(韓国政府、試算、注※)。

 K国の金xxには、もともと核兵器を放棄する気など、毛頭、ない。核兵器あっての金
xx。国内的にも、また国外的にも、核兵器あっての金xx。もしそうでないというのな
ら、金xxには、何がある?

 アメリカの前国連大使のボルトン氏は、アメリカン・エンタープライズ研究所で行われ
た講演の中で、つぎのように述べている(4月5日)。要点だけをまとめる。

(1)核兵器を放棄するとは考えられない。
(2)核兵器は米国、日本、中国に対する秘蔵のカードであり、K国の住民を狙ったK国
政権の最終カードである。
(3)K国核交渉は、結局何の成果も得られずに終わり、K国の核兵器は脅威として残る
ことになる。
(4)ニューメキシコ州知事のリチャードソン氏の訪朝を承認したことは、アメリカ政府
の失策である。
(5)K国の核兵器は射程距離圏内の諸国にとっての潜在的な脅威であるだけでなく、だ
れかの手に渡ることがあれば結局危険を招くことになる、と。

 ボルトン氏は、アメリカでは強硬派とか、保守派とか言われている。が、もしそうなら、
私自身も、強硬派であり、保守派ということになる。しかし私が知るかぎり、ボルトン氏
の意見が、まったくの正論のような気がする。

 それをねじまげて、結局は、中国も韓国も、あの独裁者の延命策に手を貸している。時
間稼ぎに、協力している。

 これをふまえて在韓米軍のベル司令官は、米下院軍事委員会聴聞会に出席し、こう述べ
ている。

 「K国は、2009年までに、核兵器を保有することになる」と。

 が、韓国のおバカ大統領は、まだ何も協議内容が具体的に進展していないにもかかわら
ず、毛布、肥料(20万トン)につづき、食料援助(40万トン)まで始めてしまった(4
月はじめ現在)。そしてあろうことか、日本に対して、「日本もK国への援助を開始すべき」
と。

 バカも休み休み言え!

 こんなことを繰りかえしているから、こうまで事態がこじれてしまった。あの河野氏が
外務大臣だったとき、日本は、K国に対して、120万トン(120万トンだぞ!)もの
食糧援助をしている。

 そのとき河野氏は、「これでK国が動かなかったら、私は責任を取る」とまで言い切った。
しかし何も動かなかった。(河野氏も、何も責任を取らなかった。)つまり日本には日本の、
苦い経験がある。

 結局、韓国のおバカ大統領がしていることは、国連による経済制裁を骨抜きにし、なお
かつ、6か国協議そのものを無意味化していることにほかならない。

 では、日本はどうすべきか?

 今度ばかりは、日本には、アメリカに協力しなければならない理由は、どこにもない。
とくにヒル氏は、日本を裏切って、K国と2か国間協議をしてしまった。あろうことか、
2月の6か国協議に先立って、K国との間で、密約まで交わしてしまった。

 そこで日本が取るべき手段は、ただひとつ。K国を、静かに自己崩壊させる。韓国や中
国は、それでは困るというが、日本の知ったことではない。もしこのままあと2年も、K
国が核兵器開発をつづけたとしたら、ベル司令官も言っているように、K国は本当に核兵
器を保有することになる。

 そのとき日本が、どういう状況に置かれるか? それを考えたら、日本にとっての最善
策は、K国が自己崩壊すること。拉致問題も、それで解決する。

 当面日本は、ノラリクラリと、K国や韓国の批判をかわしながら、日米、日中の首脳会
談を成功に導くこと。韓国との間では、経済戦争を勝利に導くこと。

 ヒル氏にはお気の毒だが、K国の金xxは、ヒル氏の手に負えるような相手ではない。
金xxがすぐれた人物だと言っているのではない。金xxは、まともな思考回路をもって
いない。そういう意味で、手に負えるような相手ではない。

(注※)……韓国、統一研究院の崔壽永(チェ・スヨン)専任研究委員は、6日、研究院開設記

日の学術会議で、「最大で年間2兆ウォン(約2560億円)ずつ、10年間で20兆ウォン(約2
兆56
00億円)負担することになる」という試算を発表した。10年間という期間は、北朝鮮が過去に
核廃
棄の対価として要求した軽水炉の建設に要する期間に合わせたもの。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●統一地方選挙

+++++++++++++++

今日は、統一地方選挙の日。
先ほど、選挙を終えてきた。
そしてそのあと、長男の誕生日
パーティ。

で、それも終わり、やっと一息ついて、
NHKニュース。今夜の食器の
洗い物は、すべて、私がした。

+++++++++++++++

●虐待されると脳の一部が萎縮する

 K大学のT准教授が、こんな興味ある研究結果を報告した。児童期に、言葉の虐待など
を受けると、脳の一部が萎縮するというもの。

 とくに左右側頭部にある、言語中枢が影響を受けるそうだ。しかし教育もしくは心理学
の分野では、それはよく知られた常識。虐待を受けた子どもや、いじめを慢性的に受けた
子どもは、(オドオドした様子)を示すようになる。当然、ものの話し方も、オドオドした
感じになる。

 この方法で、ついでに調べてほしいことがある。

 慢性的な抑圧感がつづくと、子どもは、独特のツッパリ症状を示すようになる。現象と
しては、よく知られている。私の印象では、前頭前野の管理能力が低下するようになると
思われるので、このあたりを一度、調べてみてほしい。

 「慢性的な抑圧状態におかれると、子どもの前頭前野は、萎縮することがわかった」と。
そんな結果が出れば、うれしい。

 しかしこういうことが、あたかも頭を開いたかのような映像でわかるようになったとこ
ろが、すばらしい。大脳生理学の進歩というよりは、検査機器の発達に、改めて驚く。


●選挙結果

 選挙を終えて外に出ると、1人の女性が、出口調査なるものをしていた。A新聞社の名
前の入った腕章をつけていた。

 私は、迷わず、市長はX氏に、市議会議員は、Y氏に投票した。出口調査では、その通
りに、○をつけた。が、そのあと、「支持政党」について答える欄があった。が、私には、
支持政党はない。この40年近く、無党派で通してきた。称して、「無党派の王様」。

 私が一票を入れた人は、必ず、当選する。一票を入れた党派は、大躍進する。今夜の8
時から開票が始まるそうだ。


●マーシャラー

 マーシャラーという職業を知っている人は、少ないと思う。マーシャラーというのは、
飛行機がランプ(駐機場)へ入ってきたとき、ライトなどで飛行機を誘導する人をいう。
パイロットは、このマーシャラーの指示に従って、飛行機を操り、駐機場へ飛行機を並べ
る。

 昔の飛行機は、着陸すると、操縦席が大きく上に向いてしまうため、前方がよく見えな
かった。最近の飛行機は大型化し、やはり、前方がよく見えない。

 しかし今度、シンガポールとオーストラリアへ行ってみて、驚いた。飛行場に、そのマ
ーシャラーがいないのである。飛行機は、勝手にランプに入り、そしてうまいぐあいに、
そこで飛行機を止めていた。

 このことを、JALの国際線で、40年近くパイロットをしていた人に聞くと、その人
は、こう教えてくれた。

 「今では画面に、矢印で表示されるようになっています。右の△が出たら、飛行機を右
へ、左の△が出たら、飛行機を左に寄せます。画面の指示に従っていれば、うまく飛行機
を駐機できるようになりました」と。

 この話を聞いて、いとこのお嬢さんを思い浮かべた。そのお嬢さんは、現在、そのマー
シャラーになるために、専門学校へ通っている。もっともだからといって、マーシャラー
の仕事がなくなるわけではない。必要なところでは、必要なのだろう。が、少し、心配し
ている。


●原稿書き

 おかしなもので、休みになると、とたんに、原稿が書けなくなる。その分だけ、自由な
時間が多いはず。しかしどういうわけか、原稿が書けなくなる。

 頭の回転が鈍くなるせいかもしれない。あるいは話題が乏しくなる? あるいはめんど
うになる? よくわからないが、昔から、『大工は、忙しい大工に頼め』という諺(ことわ
ざ)がある。

 それと同じか? やはりある程度の緊張感がないと、原稿というのは書けない。「緊張感」
というのは、私のばあい、(毎日の仕事)をいう。貧乏性というか、休みなどで、家の中で
ゴロゴロしていたりすると、心のどこかで、罪悪感を覚える。ワイフに申し訳ないと思う。

 私は仕事をしていたほうが、調子がよい。心も、体も、だ。

 ともかくも、明日で、春休みはおしまい。よかった! 


●消毒

 今日は、ワイフと畑の野菜の消毒をした。ニンニクの葉に、赤さび病が発生した。いろ
いろな薬剤は、一応、用意してある。それを水に溶かして、散布した。

 そうそう、今日は、ラッキョウの収穫があった。今年はじめての収穫である。小さなか
わいいラッキョウだが、それに味噌をつけて食べた。おいしかった。

 ……とまあ、あまりバカなことばかり書いても、読んでくれる人に、申し訳ない。だか
ら、今日はここまで。

 今日は、とてもすばらしい一日だった。

 みなさん、ありがとう! 明日も、よい日でありますように! (←どこかの宗教団体
の標語みたいで、ごめん。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 5月 2日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幸福であることの、こわさ

++++++++++++++++++++

幸福であるということは、こわいこと。
そのこわさを感じて、ときとして、
身が縮むことがある。

++++++++++++++++++++

 学生時代、オーストラリアにいたときのこと。私を夕食などに招待してくれた家族は、
みな、どの家族も、幸福に見えた。

 豊かな生活。家庭を第一に考えた生活。そこにはいつも、例外なく、よき父親がいて、
よき母親がいた。よき兄弟がいて、よき姉妹がいた。

 が、今度、オーストラリアへ行ってみて、驚いた。そのときの友人たちの消息を聞くと、
みな、それぞれが、バラバラになってしまっていた。父親や母親が、亡くなってしまった
人も多い。が、それだけではない。

 離婚した人、アル中になった人、薬物依存症になった人、破産した人、さらには、重い
精神病になった人などなど。友人から話を聞いている間、私は、何度も、「本当か?」を連
発した。

 とくにショックだったのは、ある友人の姉の話。数度、その姉に会ったことがある。そ
の女性は、まるで絵から抜け出たような、美しい人だった。本当に美しい人だった。私は
その女性に会うたびに、うっとりとした陶酔感を覚えた。

 私が最初に会ったときも、たまたまカナダから、一時帰国していたとか。階段の上のほ
うから、「あなたが、Nの友人のヒロシね。よろしく!」と声をかけてくれた。私には、手
の届かない雲上の、そのまた上にいる女性だった。

 が、その友人の姉は、そのときすでに精神分裂病を発病していたという。そしてそれか
らまもなく、病院に入り、今でも、病院生活をつづけているという。あれこれ消息をたず
ねると、別の友人が、こう話してくれた。

 「今でも病院にいるが、薬のせいか、大きく太ってしまい、一日中ボーッとしているそ
うだ」と。

 「あのときのあの美しい女性が……」と思っただけで、それ以上、私には、返事のしよ
うがなかった。「信じられない」というよりは、私には、「ありえない」話だった。私は、
その話を聞いて、大きく、落ちこんでしまった。今でも、あの「あなたが、Nの友人のヒ
ロシね。よろしく!」という言葉が、耳の中に残っている。私は、声をかけてもらっただ
けで、有頂天になってしまった。

 幸福な家庭は、みな、よく似ている。しかしその幸福な家庭も、時の流れの中で、まる
でガラス箱のようにもろく、こわれていく。例外はない。幸福な家庭が、いつまでもつづ
くと考ええるほうが、おかしい。

 そして今。私は自分の生活を振りかえりながら、その(こわさ)で身が縮む思いがする。
朝起きると、そこにワイフがいて、家族がいる。いつもと変わらない平凡な朝。たいした
ぜいたくはできないが、不自由なこともない。みな、それぞれに健康だし、それぞれが好
き勝手なことをしている。

 が、この(幸福)も、やがてこわれる。病気、事故、災難……。可能性を考えたら、キ
リがない。私たちは、毎日、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。ちょっとし
た油断で、その氷は割れ、私たちは、その氷の下へと落ちていく……。

 幸福であることは、日々にかみしめながら生きていくものか。あるいはそこに幸福があ
るときは、それに気づかない。それを当たり前のことと考えてしまう。

それを思うと、その(こわさ)で、身震いがする。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●浜名湖一周

明日、長男と、浜名湖を一周するつもり。かなりの長距離である。休み休み、のんびり
と時間をかけて走るつもり。

 息子たちが子どものころは、よく、(冒険旅行)というのをした。冒険旅行というのは、
お金だけをもって、どこかへ行くという、旅行のしかたをいう。目的地も決めない。泊ま
るところも決めない。電車の駅に立って、どちらへ行くかを、そのとき決める。

 そのせいか、二男も、三男も、旅行好きになった。ただ長男だけは、どういうわけか、
出不精というか、どちらかというと、家の中にひきこもっているほうが好きなようだった。
だから今回も、私の提案に対して、長男が「OK」と言うとは、思ってもいなかった。

 出発は、明日、午前7時。これから私は自転車のタイヤ交換に行ってくる。その旅行記
は、またBLOGのほうで書いてみたいと思っている。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●そして決行!、浜名湖一周

++++++++++++++++++

4月4日、長男のSと、2人で、
浜名湖を一周した。自転車での
一周である。

東京では雪が降ったとか……?
冷たい風をどこかに感じなら、
私たちは、自転車にまたがった。

++++++++++++++++++

 午前7時30分。私と息子のSは、玄関先で自転車にまたがった。ワイフが、記念写真
を撮ってくれた。「一度はしてみたい」と思っていた。Sは、そういう私の申し出に、ここ
ろよく、応じてくれた。

 私たちは、家の前のゆるい坂を、並んでくだった。「ジャスコの前から、浜名湖バイパス
を抜けて、舘山寺に向かう」と声をかけると、Sは、「OK」とうなづいた。

 ゆっくりとした速度だった。自転車にしてみれば、(歩くような速度)だったかもしれな
い。道のりは、かなりある。体力を温存しながらなの走行となった。

 広いバイパスをしばらく走る。そして浜名湖へ。

 あたりの様子は一変した。美しい海が、目の前に広がった。澄んだ青い空。白い雲。そ
してそれ以上に青い、浜名湖の海。Sは、ずっと顔を左に向けたまま走っていた。私は、
Sの走る速度にあわせて、うしろについた。

 私は、20代のはじめから、自転車に乗っている。足腰は鍛えてある。しかしSには、
そうでない。ときどき、散歩のかわりに乗る程度。速度をあげたいという思いを、こらえ
ながら、Sのうしろを走る。

 最初は、いろいろなことを考えた。雑念が、ザワザワと、頭の中に現れては消えた。し
かしそのうち、何も考えなくなった。そこに海がある。私は海を見た。そこに空がある。
私は空を見た。前につづくのは、幅2〜3メートルの自転車道。

 舘山寺までは、2時間ほどで着いた。車なら、30〜40分の距離である。冷たい向か
い風のせいか、汗は、ほとんどかかなかった。Sが、「弁当を食べようか」と言った。私は、
あたりを見ながら、場所をさがした。

 が、ベンチをみつけて腰をおろしたところで、その弁当がないことを知った。リュック
の中に入れた弁当がない? 2、3度、リュックの底をさがしてみたが、ない?

私「晃子(=ワイフ)は、たしかに、ここに入れたはずだが……」
S「もう一度、さがしてみなよ」
私「……うん、やっぱりない。おかしいな?」と。

 しかたないので、私たちは、いつも行くレストランをめざした。舘山寺から細江(ほそ
え)に抜ける街道の途中にあるレストランである。

 舘山寺から、再び、自転車道に入った。途中、渡り鳥の群れをいくつか見つけた。その
つど、立ち止まって、私は、写真を撮った。

 レストランへは、11時少し前に着いた。「あと少しで、11時になります。それから注
文を取りにきます」と、ウエイトレスの女性が言った。妙に鼻にかかった、聞きづらい言
い方だった。最近の若い女性は、みな、そういう言い方をする。「いらっしゃいませ」を、
「イナアシャイモーセ」と。日本語が、今、大きく変化しつつあるようだ。

 レストランを出たのが、11時半ごろ。私たちは、細江をめざし、そこから、寸座(す
んざ)へ向かうつもりだった。途中、都田川の桜が、ちょうど満開だった。私は夢中で、
カメラのシャッターを切った。

 が、そのあたりで、Sが、「尻が痛い」と言い出した。Sの自転車は、オフロード用にで
きている。アルミ製で、15万円もしたという。

 私の自転車は、ただの通勤車。2万9000円。2年ほど前に買ったもの。長距離には、
楽。

 そこで自転車を交換して、乗り換えてみる。とたん、サドルが小さく、硬いのがわかっ
た。「小さいな」「硬いな」と。

 それ以上に、自転車そのものが不安定。ハンドルを握ると、体が前にぐんと乗り出して
しまう。こういう自転車は、のんびり走るのには、向かない。

 私たちは、三ケ日(みっかび)についた。そこからは海沿いに、寸座まで。細い海外道
を走る。左に海、右に別荘地。が、そこで突然の大雨。スコールと言うにふさわしい雨だ
った。

 私たちはすかさず、道横にあった、漁師の小屋に身を寄せた。一時は、数百メートル先
すら見えないほどの大雨になった。

私「ぼくの友人のN君は、雨の日にキャンプに行くんだよ」
S「バカじゃない?」
私「N君が言うには、雨の日の景色のほうがきれいだそうだ」
S「日本人のぼくには、考えられないね」
私「オーストラリアでは、雨がめったに降らないから……」と。

 やがて雨はやみ、ふたたび、私たちは、自転車にまたがった。今度は、私の尻が痛くな
りだした。

 しばらく行くと、1人の男が、波打ち際で、アサリを取っていた。私たちも、それに加
わった。

 その男は、大阪から来たという。ひとりで来たという。新幹線の新大阪駅付近に住んで
いるという。「今朝、2時ごろ大阪を出て、着ました」と。

 話を聞くと、もともと生まれも育ちも大阪だったという。が、転勤で浜松へ。その浜松
に、26年間も住んだという。

「大阪は、住むには便利なところです。しかし26年も浜松に住むと、浜松のよさが、
忘れられなくてね。月に1、2度は、こうして浜松へやってきます」と。

 男は、浜松のよさを、あれこれと言った。「浜松には、山も海もあるでしょ。それに気候
がいい。来月に入れば、海釣りもできるし、6月になれば、アユの友釣りもできます」と。

 『住めば都』とは言うが、反対に、『燈台、元暗し』とも言う。浜松のよさを知らないの
は、意外と浜松の人たちかもしれない。言い忘れたが、男は、昭和17年生まれだと言っ
た。私は内心で、「姉の年齢と同じだな」と思った。

 こうして私たちは瀬戸(せと)を回り、湖西市(こさいし)へと向かった。が、そこで
Sが、ダウン。農協の小屋に入って、そのままそこに座りこんでしまった。私は、Sの自
転車を、ロープで引っ張って走ることを考えた。が、Sは、「それはいい」と断った。

 しばらく、そこで休憩。

 車が、そのよこを、ゴーゴーと音をたてて走った。私たちは、20分ほど、時間をつぶ
した。そして、また自転車にまたがった。

 そこから湖西市までは、ゆるい山坂道が、何度かつづいた。車にとっては何でもない坂
道かもしれないが、自転車には、そうではない。私にはともかくも、Sには、苦しい坂道
だったかもしれない。

 Sは、何もしゃべらなくなった。私は、Sのうしろに、ぴったりとくっついた。

 湖西市から新居(あらい)、そして弁天(べんてん)をすぎて、再び浜松市内へ。

私「腹が減ったなあ。寿司でも食べていくか?」
S「ぼくは、ラーメンのほうがいい」
私「そうだな。ラーメンでもいいな。そうしようか」と。

 私たちは、いつも行くラーメン屋をめざした。そのラーメン屋から自宅までは、10分
もかからない。

私「富士登山でも、浜名湖一周でも、一生に一度は、しておきたかった」
S「うん」
私「ここでママに助けに来てもらったら、意味がなくなる。あと少しだ、がんばろう」
S「うん」と。

 ……こうして浜名湖一周を、無事、終えた。自宅に着いたのが、午後5時ごろ。途中で
の休憩をのぞくと、約8時間ほどで1周したことになる。

 自宅に帰ると、私とSは、コタツに入って、横になった。

(追記)

 自転車のよいところは、体を痛めないこと。翌日の今日、筋肉痛は残っているが、それ
以外は、なんともない。

 そうそう言い忘れたが、昨夜は8時半ごろ床について、朝7時まで、ぐっすりと眠った。
その間、一度も、目をさまさなかった。今も、眠いが……。(07年4月5日記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】

+++++++++++++++

今日は、4月3日、火曜日。
朝から、猛烈なからっ風が、吹き荒れている。

先ほど、1時間ほど、自転車に
乗ってきた。

英語で言えば、「ヘッド・ウィンド」。
ペダルをこぐだけで、たいへん。
汗、ダクダク。

で、帰ってきてから、畑を拡張。
畝(うね)を、昨年より、3本ほど、
ふやした。

+++++++++++++++

●介護記

 ボケもあるのか? 私の母は、生来的なウソつき。昨日も、ポータブルトイレの上に、
上着が2着置いてあった。それを見つけて、私が、「だれだ、こんなところに上着を置いた
のは?」と聞くと、母は、すかさず、「晃子さん(=私のワイフ)が置いた」と答えた。

 そこで私は間髪を入れず、ワイフを呼んだ。ワイフは、たまたま廊下にいた。「晃子、お
前か、こんなところに上着を置いたのは?」と。

 が、母は、ワイフを見るやいなや、こう言った。「私は、そんなこと、言っていない」と。

 つまり母は、2度、ウソを言ったことになる。「ワイフが、上着を置いた」というウソ。
「そういうことは言っていない」というウソ。

 こういうケースで注意しなければならないのは、(もともと私は母のウソなど、気にして
いない。……念のため)、ウソを責めながら、今度は私が、母のシャドウ(影)を、受け継
いでしまうということ。わかりやすく言えば、心の処理のしかたをまちがえると、私自身
も、母そっくりのウソつきになる可能性が高いということ。

 母子という、濃密な関係にあればあるほどそうで、だれかを反面教師としているうちに、
その反面教師そっくりの人間になってしまうというケースは少なくない。たとえば、泥棒
専門の刑事が、いつの間にか、自分でも泥棒を働くようになるというのがある。

 (泥棒を憎む心)→(泥棒を憎んでいるという仮面をかぶる)→(善人ぶる)→(邪悪
な部分を心のどこかに押しこめる)→(邪悪な自分が、裏からその人を操るようになる)
と考えるとわかりやすい。話は少し飛躍するが、欧米では、牧師や教師による、性犯罪が、
よく問題になる。それも、その一例と考えてよい。

 で、話をもとに、もどす。

親であるにせよ、だれであるにせよ、相手を責めるのは簡単。しかしどこかで自分とい
うものをしっかりともっていないと、その責めている相手がもつ人間性を、知らない間
に、引き継いでしまうことがある。とくに相手がもっている邪悪な部分については、そ
うである。これがこわい。

 だからこういうケースでは、笑ってすますのがよい。けっして、本気で相手にしてはい
けない。母のウソについても、本気で母を責めてはいけない。「どうせ、もうろくしかかっ
たバーさんの言うことだから」と無視して、そのまま忘れる。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●浜名湖一周

明日、長男と、浜名湖を一周するつもり。かなりの長距離である。休み休み、のんびり
と時間をかけて走るつもり。

 息子たちが子どものころは、よく、(冒険旅行)というのをした。冒険旅行というのは、
お金だけをもって、どこかへ行くという、旅行のしかたをいう。目的地も決めない。泊ま
るところも決めない。電車の駅に立って、どちらへ行くかを、そのとき決める。

 そのせいか、二男も、三男も、旅行好きになった。ただ長男だけは、どういうわけか、
出不精というか、どちらかというと、家の中にひきこもっているほうが好きなようだった。
だから今回も、私の提案に対して、長男が「OK」と言うとは、思ってもいなかった。

 出発は、明日、午前7時。これから私は自転車のタイヤ交換に行ってくる。その旅行記
は、またBLOGのほうで書いてみたいと思っている。


●歯医者

 2ヶ月ほど前のこと。奥歯にかぶせていた、金属(専門用語を知らない)が、はずれて
しまった。

 そこでかかりつけの医師に電話をすると、「2、3月は、院長、病気治療のため、休診し
ます」とのこと。

 といっても、ほかに名医を知らない。しかたないので、その2か月を待つことにした。
が、ときどき、その金属が、はずれる。

 ……いろいろな接着剤を試してみた。瞬間接着剤、2種を混合して使う接着剤などなど。
しかしどれも、すぐはずれてしまう。

 で、やっと何とか役にたったのが、コンクリートボンド。はずれた金属の裏に、コンク
リートボンドをたっぷりとつけて、歯にかぶせる。それだと、3、4日は、もつ。

 が、どうにもこうにも、不便。そこで4月2日、月曜日。診療が始まる時刻に、時計を
見ながら、電話を入れた。

私「先生は、もうだいじょうぶでしょうか」
受付の女性「ええ、今日から診療を始めました」と。

 うれしかった。本当にうれしかった。どういうわけだか、うれしかった。その医師の世
話になるようになって、もう30年になる。私の家族は、全員、その医師の世話になって
いる。私の家族の歯の健康イコール、その医師ということになる。

 先生、病気なんかに負けないでくれ!


●タイヤ交換

 たった今、近くのショッピングセンンターで、自転車のタイヤ交換をしてきた。交換料
も含めて、2500円前後。プラス、自転車用ヘルメットを一個、購入。しめて、700
0円と、ちょっと。

 夜中の11時まで営業しているところがうれしい。しかも年中、無休。

 6、7年前までは、個人の自転車屋で自転車を購入したり、修理してもらっていた。し
かしどうも値段が、「?」。自転車というのは、値段があってないようなもの。自転車だけ
を見て、値段のわかる人は、いない。自転車屋のおやじでも、むずかしい。元自転車屋の
息子の私が言うのだから、まちがいない。

 今では、ショッピングセンターと言っても、サービスがよくなった。品ぞろえもよい。
たとえばタイヤにしても、(賞味期限)がある。2、3年も店先に陳列しておくと、タイヤ
そのものが劣化する。そんなわけで、タイヤを交換するにしても、客の出入りの多い店で、
するのがよい。

 もちろん、2、3年も売れないまま、店先に並んでいたような自転車は、購入してはい
けない。メッキの薄いところに、こまかいサビが浮いているようなら、ぜったいに購入し
てはいけない。(ずるい自転車屋になると、タイヤだけを新品に交換して、あたかも新品の
ようにして売る。)

 しかし今、個人の自転車屋も、たいへん! 20台とか30台とかの自転車を並べて、
どうやって大型店と勝負していくというのか。大型店には、200〜300台もの自転車
が、並んでいる。もし今、私が自転車屋のおやじなら、直接、上海か台北まで行って、商
談をまとめてくる。向こうで直接購入すれば、さらに半額程度で、輸入できる。そういう
やり方でもしなければ、勝ち目はない。

 ……こうして、いろいろな店が、町から消えた。酒屋、米屋、菓子屋、時計屋などなど。
今は、町角から、自転車屋がつぎつぎと姿を消しつつある。とてもさみしいことだが、こ
れも時代の流れか?

 タイヤを交換する若い男を見ながら、私はふと、そんなことを考えた。

 ついでながら、どうすれば自転車を、外国から直接輸入できるか、その方法を書いてお
く。

 まず、現地で、見本を見て、商談をまとめる。(それなりの語学力と、貿易の常識は必要。)
商談がまとまったら、現地に支店を構える商社に、間に立ってもらう。LC決済などは、
個人でするのは、無理。プラス危険。

 商社には、3〜5%の口銭(手数料)を払えば、あとは、直接、商品を、玄関先まで届
けてくれる。商社の規模にもよるが、500万円以上の取り引きなら、手伝ってくれるは
ず。(小さな商社なら、200〜300万円の取り引きでも手伝ってくれるが、その分だけ、
口銭が高くなる。)

 私は浜松に住むようになったころ、いろいろな会社からの依頼を受けて、こうして香港
や台湾から、子どもの玩具や雑貨品、衣料品を、輸入していた。

 私は同じく若いころ、三井物産という会社に勤めていたことがある。「口銭」というのは、
三井物産独特の言い方だったように記憶している。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争

+++++++++++++++++++

熾烈(しれつ)さをます、日韓経済戦争。
まさに反日感情むき出しの、韓国。

連日のごとく、韓国の三大新聞(東亜N報、
中央N報、朝鮮N報)は、日本のことを
書き立てている。

今日の朝鮮N報の社説は、こうだ。

『日本の成熟度、精神年齢を疑う』
(タイトルそのまま・4月5日)と。

こういうのを、いらぬ節介という。
日本の精神年齢を疑う前に、自分たちの
精神年齢を疑ってみたら、どうか。

もし日本のどこかの新聞社が、社説で、
『韓国の成熟度、精神年齢を疑う』というよう
なことを書いたら、いったい、韓国は、どのように
反応するだろうか。

++++++++++++++++++++

 韓国の朝鮮N報は、4月5日、社説の見出しに、こう書いた。『日本の成熟度、精神年齢
を疑う』と。安倍首相の従軍慰安婦問題について書いたものだが、よくもまあ、ここまで
書けるのものだ。

 その部分を、そのまま紹介する。

 「……日本は実際に被害に遭った、同じアジアの人々による訴えには耳を貸さずにおき
ながら、米国やカナダ、ドイツといった欧米諸国から批判が出たときだけは神妙にしてき
た。日本は世界第2の経済大国だ。しかし成熟度や精神年齢の面では、それに見合った発
達を遂げることはできなかったようだ」と。

 韓国という国は、よほど、日本が嫌いらしい。今回の、米韓FTA交渉についても、日
本人のほとんどは、そういう交渉がなされていることすら知らなかった。にもかかわらず、
東亜N報は、こう伝える。「韓米FTA妥結、日本に衝撃走る」「韓米FTA合意、日本・
中国のほうがびっくり」(社説)と。

 衝撃? びっくり?

 「日本の多くの新聞は、3日付けの朝刊で大きく紙面を割いて、関連記事を掲載した。
朝日新聞は『次は日本の番だ』というタイトルの社説を、日本経済新聞は『米韓FTA妥
結、やればできる(日韓)も』という社説をそれぞれ掲載し、日本政府が韓米FTA合意
を教訓に、韓国や米国とのFTA交渉に積極的に乗り出す必要があると呼びかけた。
 
これまで日本は、農水産物市場の開放に強力に反対する国内業界に足を引っ張られ、米国
とのFTA交渉に関する話し合いさえまともにできずにいた。しかし、韓米FTA締結で
事態が切迫してきたという認識が日本国内で広がっている」と。
 
 朝日新聞の社説について確認してみた。4月3日に、それがあった。

 いわく、「……韓国市場に風穴を開けた米国が、日本とのFTA交渉を求めてくるとの見
方もある。まだ両国の経済界が交渉開始を提言している段階にすぎないが、成長するアジ
ア経済との関係を重視する米国が、対日戦略を強める可能性は高い。 

 アジア・太平洋をめぐる経済統合への構想は多彩だ。南米やロシアも加盟する昨年秋の
アジア太平洋経済協力会議(APEC)で、米国はAPEC全域の自由貿易協定を提唱し
た。 

 日本は、お隣の韓国や中国との経済連携に消極的な代わりに、東南アジア諸国連合(A
SEAN)を中心に交渉を急いできた。APECにも前向きだ。しかし北東アジアの足元
を固めてこそ、アジア全体への戦略が生きてくる」と。

 簡単に言えば、米韓FTA交渉が成立したので、日本政府は衝撃を受けているというの
だ。しかし、だ。だれが衝撃をうけているというのか? そう感じたのは、東亜N報だけ
ではないのか。朝日新聞は、かねてから、「北東アジアの足元を固めてこそ、アジア全体の
戦略が生きてくる」という論調を張っている。つまり韓国、K国、中国とは、仲よくした
ほうがよい、と。

 それはわかる。しかしいくら日本がそのつもりでも、韓国はそうは思っていない。

 今回のFTA交渉が妥結したその直後には、朝鮮N報は、「米国製日本車が韓国襲来か」
(注※1)と言うような社説まで書いている。「アメリカ製のアメリカ車なら問題はないが、
日本車では困る」と。

 どうしてそういう韓国と、北東アジアの足元を固めることが、できるというのか? 6
か国協議についても、すでに韓国は、日本はずしの動きを加速させている。あの金大中は、
「韓中米北」の4か国だけの首脳会議を提唱している(注※2)。

 こうまで敵意をむき出しにしてくる韓国。どうしてその韓国に対して、日本は、いつま
でもいい子ぶるのか。またその必要はあるのか。

 日韓経済戦争は、07年に入って、さらに熾烈(しれつ)さをましている。勝つか、負
けるか。何度も繰りかえすが、これはサッカーの日韓戦とは、わけがちがう。日本の経済、
つまり私たち日本人の未来、そのものの運命が、かかっている。

 そこで提言。

 もし日本が、韓国からの輸入を、5〜10%落とせば、それだけで、韓国の貿易収支は、
赤字に転落する。つまり日本人の私たちが、心のどこかで、5〜10%分だけ、韓国製の
製品の購入を減らせばよい。現在、韓国と貿易している会社も、5〜10%分だけ、輸入
量を減らせばよい。パソコンショップで、パーツを購入するにしても、「韓国製だから、N
O」と、一言口にすればよい。液晶テレビにしても、日本製にしようか、韓国製にしよう
かと迷ったら、10人のうち1人が、日本製を購入すればよい。

 それで韓国の経済は、万事休す。2度目のデフォルテ(国家破綻)を迎える。

 ここがまさに正念場。

 国策企業であるサムスン電子の営業利益率にしても、2004年は20・85%、20
05年は14・03%、2006年は13・44%へと、年々落ちている。LG電子も、
同期間5・07%→3・85%→2・31%と、年々落ちている。

 韓国経済の、早期老齢化現象を指摘する経済学者も多い。

 さあ、こい、韓国! 負けるな、日本! 

 拉致問題でいらだつ日本を無視して、すでに韓国は、肥料、毛布につづき、米を40万
トン、K国に援助することを決定している(毎日新聞)。つまり経済制裁を、韓国が先頭に
立って骨抜きにしている。

 最後に一言。

 日本の精神年齢を疑う前に、日本にやってくる、韓国のスリ集団、強盗団、窃盗団を何
とかしたらどうか。そういうニュースは、韓国では、ほとんど紹介されていない。なお、
あの福沢諭吉は、こう書き残している。

 「我は心に於て、亜細亜東方の悪友と謝絶するものなり」(脱亜論)と。亜細亜(アジア)
東方の国というのは、現在の韓国とK国のことをいう。福沢諭吉のようなリベラリストで
すら、そう結論づけている。なぜか? 何も、反日感情は、植民地政策で始まったわけで
はない。従軍慰安婦問題で始まったわけでもない。

 韓国人にしてみれば、日本ごときが、アジアでナンバーワンであることが、気に入らな
いのだ。

注※1……韓米FTA妥結:「米国製日本車」が韓国襲来か(朝鮮N報)

 韓米自由貿易協定(FTA)が締結されたことで、米国で生産された自動車が韓国国内
に輸入される場合、関税(8%)対象から除かれるため、米国製の日本車までもが安く輸
入されるようになる見通しだ。

注※2……金大中(キム・デジュン)前大統領は6日、K国鮮核問題と朝鮮半島周辺情勢
の見通しに関連し、「北東アジア安保協力に向けた閣僚級会談が開かれるべき」との考えを
示し、韓国、北朝鮮、米国、中国の4か国による首脳会談で。朝鮮半島の終戦宣言と平和
協定のプロセスを進めることも予想できると述べた(ヤフー・ニュース)。


Hiroshi Hayashi++++++++April 07++++++++++はやし浩司

【今日・あれこれ】(4月6日)

●貞操義務?

+++++++++++++++++++

日本の法務大臣が、こう言った。
「(妻の)貞操義務や性道徳についても
考えないといけない」と。

離婚後300日以内問題に関して、である。
つまり日本には、離婚後300日以内に生まれ
た子どもは、前夫の子とするという民法の規定がある。

それについて、「貞操義務」とは?

+++++++++++++++++++

 離婚後300日以内に生まれた子どもは、前夫の子とみなされる。これについて、今度
法務省は、つぎのような通達を出した。

「離婚後の妊娠が明らかな場合に限り、医師の証明書があれば、裁判の手続きを経ずに戸
籍の窓口で今の夫の子と認めるよう、民法の運用を見直す」と。

 わかりやすく言えば、離婚後300日以内でも、医師の証明書があれば、そのとき交際
中の男性の子とみなすことが可能になったということ。

 が、N法務大臣が、これに「待った!」をかけた。N法務大臣は、「通達」が離婚前の妊
娠を対象にしていないことについて、こう言った。「貞操義務や性道徳についても考えない
といけない」「婚姻中の妊娠は、今の夫の子とする民法の根幹を揺るがすもので認められな
い」と。

 この問題はさておき、つまり「離婚後300日以内問題」はさておき、(貞操義務)とは、
何か? 私の記憶のあるかぎり、私はこの言葉を、2、30年ぶりに耳にした。だいたい
「義務」というのが、おかしい。まさか法的義務というわけでもあるまい? もし法的義
務なら、不倫をした妻は、義務違反で、処罰されることになる。昔は「不貞罪」というの
があった。

 このばあい、(義務)というのは、(夫に対する誠意)ということになる。つまり貞操を
守るかどうかは、あくまでもその人の人間性の結果。もしこんな(義務)が是認されるな
ら、(炊事義務)(掃除義務)(洗濯義務)などなど、なんでも(義務)という言葉で片づけ
られてしまう。

 それに妻側にだけ、貞操義務があるという発想も、おかしい。貞操などというものは、
守りたい人は守ればよい。一方、いくら「守れ」と言っても、守れない人は守れない。ど
こまでも個人的な問題である。そういう点で、そもそも法的アミをかけることには無理が
ある。

 そういうことを百も承知で、「貞操義務」とは?

 (性)が、(妊娠)(出産)、さらには(結婚)というワクから解放された今、その(性)
を、今、どうやって道徳や倫理の世界に、引きもどそうというのか。むしろ世界は、(性)
のさらなる解放に向かって、速度をまして進みつつある。

 保守主義が正しいと思うのは、そう思う人の勝手。自分のもつ価値観を、他人に押しつ
けてはいけない。一夫一妻制にしても、それが、人間が守るべき絶対的な制度であると、
だれも、思っていない。

 そんなわけで、「300日以内でも……」となった。今では、DNA鑑定という方法もあ
る。納得できない人は、最終的には、DNA鑑定という手段を選べばよい。ものごとは、
合理的に考えればよい。

 しかしそれにしても、(貞操)とは? 今どき、こんな言葉を使う人がいること自体、私
には、信じられない。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●二面性のある女性

++++++++++++++++

先日、ケアセンターの女性が、
こんな話をしてくれた。

センターに1人、表の顔と、裏の
顔がまったく異なる女性がいるという。

年齢は、今年、85歳になるという。

++++++++++++++++

 先日、ケアセンターの女性が、こんな話をしてくれた。そのセンターに。1人、表の顔
と裏の顔がまったく異なる女性がいるという。年齢は、今年85歳になるという。

 たとえば……。

 センターでは、月に、2、3度、近くの公園へ散歩にでかけるという。その散歩でのこ
と。その女性は始終、笑顔を満面に浮かべながら、「すてき」「すばらしい」「気持ちいい」
と言う。が、家へ帰ると、一変する。

 ケアセンターの女性が、その女性の家を訪問すると、その女性の実の息子にあたる男性
(50歳くらい)と、その妻(50歳くらい)が、こう言ったという。

 「私を公園なんか連れていくなんて、正気の沙汰(さた)ではない」「あんなつまらない
ところへ、たびたび連れていかれたら、たまらない」と。

 そこでケアセンターの女性が、「センターでは結構、楽しそうでしたよ」と言うと、その
男性と妻は、こう言ったという。「母は、いつもああなんです」と。

 たとえばだれか親戚の人が訪ねてきたとする。するとその女性は、「ありがとう」「うれ
しい」「久しぶりに会えて、本当にうれしい」などと言う。しかしその親戚の人が帰ったと
たん、今度は、悪口。

 「こんなまずいみやげなんか、くれて」「あの人ほど、さんざん私の世話になりながら、
恩知らずはない」と。

 だからケアセンターの女性は、「その女性をどう判断したらよいか、わからなくなるとき
がある」と。

 子どもの世界では、あまり聞かないケースである。二面性のある子どもというのは、い
る。たとえば空想的虚言癖のある子どもなど。しかしその女性(85歳)は、虚言癖があ
るとは言えない。あえて言うなら、本音と建て前を使い分ける女性ということになる。そ
れが加齢とともに、熟成(?)し、現在の女性のようになった。

 だからその女性の家人(息子と妻)は、たとえば親類の人が見舞いにくるなどというと、
こう答えることにしているという。

 「私たちも気をつかいますので、どうか、気をつかわないでください」と。しかし本当
は、その女性の家人たちは、その女性の二面性を知っているからこそ、そう言う。「本当の
母を知ったら、みな、ぞっとするでしょうね」「その前に、私たちの話など、信じないでし
ょう」と。

 老人の心理については、わからないことが多い。一応、記録のために、その女性のこと
を、ここに書きとめておくことにする。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●介護記

++++++++++++++++++++

母の介護をするようになって、
4か月が過ぎた。

介護そのものが、生活の中に溶け込み、
以前と変わりない生活にもどって、
久しい。

が、問題は、いくつかある。

++++++++++++++++++++

 母の介護をするようになって、4か月が過ぎた。最初は、そのリズムを変えるのに、苦
労した。が、今では介護そのものが、生活の中に溶け込み、以前と変わりない生活にもど
った。

 私たちは私たちで、好き勝手なことをしている。幸いにも、母は、自由に動けないとい
うだけで、健康。留守番を頼めば、こころよく(?)、それに応じてくれる。

 しかし問題がないわけではない。加齢臭と、それに便臭。

 毎朝起きると、一番に、母の部屋に行き、カーテンを開け、窓を開ける。母の部屋は、
和室の8畳間だから、それなりに風通しのよい部屋である。日当たりもよい。東と南に、
大きな窓がある。しかしあの便臭は、たまらない。

 で、昨日、部屋のすみに、小さな換気扇を取りつけた。直径が10センチ前後の小さな
ものだったが、値段は、M社製で、5000円弱。「高いかな?」と思ったが、ほかによい
のがなかった。

 壁に、ドリルで穴を開け、それに換気扇を通した。で、スイッチ、ON! 

 そのときはさほど風の流れを感じなかったが、朝、母の部屋に入ってみてびっくり。あ
の便臭が消えていた! 換気扇の威力には、ものすごいものがある。つまりこれほどまで
に効果的とは、予想もしていなかった。

 それに小さな換気扇が5000円弱というのにも、理由があった。モーター音が、まっ
たくといってよいほど、ない。回転音もない。つまり、それが5000円弱という理由だ
った。

 ワイフに、「すごいもんだね」と話すと、ワイフも、それに気づいたらしく、「本当ね」
と。

 で、私たちは考えた。近く……といっても、いつになるかわからないが、現在の古屋を
取り壊し、建てなおすつもりでいる。そのとき、私たち老人用に、老人向けの家に建てな
おす。

 ここに書いた換気扇は必需品。トイレも近いほどよい。それに床は、ベッドを置けるよ
うに、板間にする。あとは日当たりのよい部屋にする。もちろんバリアフリー。

 そう、ほとんどの人は、自宅を建てるとき、若いということもあるが、自分たちの老後
のことはほとんど考えていない。しかし老後は、あっという間にやってくる。「子育てが終
わって、一段落したら、そこに老後」というふうに考えたらよい。

 だから子ども部屋うんぬんよりも、自分たちの老後を優先した間取り、家作りを考えた
らよい。子どもというのは、そのときがきたら、かならず去っていく。

 で、昨日は、もう一つ、作業をした。

 車椅子ののぼりおりが楽なように、玄関先の段差を、コンクリートで埋めた。コンクリ
ート代と砂代で、1000円弱。業者に見積もってもらったら、19万2000円。毎年
20万円まで補助金が出るそうだが、自分ですれば、1000円弱。時間も、30〜40
分ほどで終わった。

 介護というのは、まさに知恵比べ。その知恵比べが、楽しいとまでは言わないが、それ
なりにおもしろい。

 今日はこれから、母をデイサービスに送り出したあと、ワイフと近くのガーデンパーク
へ行って、昼ごはんを食べてくるつもり。春の花が満開になっていることだろう。楽しみ
だ。

(老後の家)

(1)日当たりをよくする。風通しをよくする。
(2)板間にする。
(3)トイレを近くに配置する。
(4)玄関先まで近くにして、バリアフリーにする。
(5)汚物処理のために、部屋の前にテラスをつくる。
(6)換気扇をつける。
(1)思い出の品を近くに置けるようにする。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学力

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子どもの学力は、
現在、どの程度なのか?

+++++++++++++

 先日の新聞にも、子どもの学力についての投書が載っていた。どこかの学習塾で講師のア
ルバ
イトをしている大学院生のものだが、「基礎学力の低下予想以上に深刻」(Y新聞朝刊)と。「ま
ず驚いたのが、中学生でも掛け算の九九を完全にマスターしていない生徒が散見されること
だ」
そうだ。

 実際、子どもたちの学力の低下には、ものすごいものがある。少し前も、小学5年生に、公倍
数と公約数を教えたが、(今ではこの単元は、小学6年の2学期に学ぶことになっている)、掛
け算の九九があやしい子どもが、20%近くもいる。「三・九、24」(本当は、三・九、27)
と平気で言ったりする。

小学二年で、掛け算の九九を勉強したから、以後、子どもたちが掛け算の九九はできるように
なったハズと考えるのは、まったくの誤解。幻想。5年生だから、掛け算の九九ができるハズ
と考えるのも、まったくの誤解。幻想。

以前、掛け算の九九がまだできない中学生が、15〜20%もいるという話を聞いたことがあ
る※。私の実感でも、それくらいはいる。(ただ、どの程度をできる、どの程度をできないと
いうか、その判断の基準がむずかしい。)

 話は変わるが、私はこの35年間、何らかの形で、英語とは深いつながりをもって生きてき
た。
そういう自分を振り返っても、30歳以後に覚えた単語は、ほとんど記憶に残っていない。覚え
るには覚えるのだが、すぐ忘れてしまう。反対に20歳前後に覚えた単語は、今でもしっかりと
頭の中に残っている。

しかしこれは私という、「おとな」の話。脳細胞の老化現象が原因だという。その老化現象に
似た現象が、子どもでも起きている?

 そこで改めて調査してみた。もともと私の教室へきている子どもたちは、教育環境的にはレ

ルの高い子どもが多い。しかしそんな子どもでも、小学3年生で、約20%は、掛け算がまだあ
やしい。掛け算の九九は何とか言えても、「三・八?」と聞いたとき、とっさには答えられない
子どもも含めると、もっと多い。

多くの親たちは、「うちの子は小学2年のときには、掛け算の九九がスラスラと言えたから、
もう掛け算はマスターしたはず」と考える。しかしこれも誤解。幻想。今の子どもたちは、数
か月もすると、学んだことそのものまで忘れてしまう。つまりそれだけ覚え方が浅い? 脳に
きざまれていない? それとも老化現象に似た現象がすでに始まっている? 理由はよくわ
からないが、ともかくも、そういうことだ。

 しかし、だ。これはほんの一例にすぎない。今、あらゆる面で、子どもの学力は低下してい
る。
知識や、知力だけではない。「自ら学ぶ力」そのものまで低下している。言われたことや、教え
られたことはきちんとできるが、その範囲をはずれると、まったくできない。考えようともしな
い。先のクラスでも、最後に私はこんな問題を出してみた。

 「30から50までの中に、3と5の公倍数はいくつあるか」と。10人の子どもがいたが、
何とか、考えるそぶりを見せたのは、たったの1人。あとは、「そんな問題、知らない」「解き
方を学んでいない」「めんどくさい」と、問題そのものを投げ出してしまった。

公倍数など、どうでもよいといった様子を見せた子どももいる。言いかえると、今、子どもに
教えるとき、その動機づけをどうするかが大切。ここをいいかげんにすますと、教える割には、
効果がない。……などなど。

 話が三段跳びで飛躍するが、こうした学力低下の背景にあるのは、結局は、飽食とぜいたく

中で、子どもを甘やかしてしまったこと。「腹、減ったア!」と叫べば、みなが何とかしてくれ
る。それと同じように、「わからなイ〜」「この問題、解けないイ〜」と叫べば、みなが何とか
してくれる。そういう環境の中で、子どもたち自身が、自分を見失ってしまった。

 もっともオーストラリアあたりでは、中学1年で、2桁かける2桁の掛け算を学んでいる。日
本では小学三年生のレベル(01年度までの旧学習指導要領)。掛け算の九九ができないから

いって、教育水準が低いということにはならない。

 しかしオーストラリアのばあいは、科目数そのものが多い。どこのグラマースクール(中高一
貫寄宿学校)でも、たとえば外国語にしても、ドイツ語、フランス語、中国語、インドネシア語、
日本語の五つの言語の中から選択できるし、芸術にしても、音楽、ドラマ、絵画などが、それぞ
れ独立した科目になっている。

環境保護の科目もあれば、キャンピングという科目もある。もちろんコンピュータという科目
もある。数学は、日本と違って、あくまでも教科の一部でしかない。つまりそういう違いも考
慮すると、やはり日本の子どもたちの学力の低下は異常である。
(02−9−18)※
 
※(参考)……東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表している。
教授
が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この20年間(1982年から2000年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、

小学6年生で、80・8%から、61・7%に低下。
分数の割り算は、90・7%から66・5%に低下。
小数の掛け算は、77・2%から70・2%に低下。
たしざんと掛け算の混合計算は、38・3%から32・8%に低下。
全体として、68・9%から57・7%に低下している(同じ問題で調査)、と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学力
 
子供の学力 学力低下)


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

【雑感・あれこれ】

●日本の教育をゆがめる元凶

++++++++++++

日本の教育システムは、
明らかにおかしい。

しかしそれに対して、
だれも声をあげない。

これもまた、おかしい。

++++++++++++

 「頭がよい」ということと、「勉強ができる」ということは、別。概して言えば、「勉強がで
きる子どもは、頭がいい」。しかし勉強ができる子どもでも、頭が悪い子どもはいくらでもいる。
頭がよくても、勉強ができない子どもは、もっといくらでもいる。

 しかしこの日本では、人生の入り口では、勉強ができたほうが、絶対に得! 一度出世のエ

カレーターに乗れば、あとは自動的に楽な道を歩むことができる。この不公平感が、結局は、

験競争の温床になり、教育をゆがめている。

 自分の二男のことをここに書くのは少し気が引けるが、しかし正直に書く。私の二男は一級

頭脳をもっていた。超一級といってもよい。親バカとしてではなく、一人の教育家として、私は
そう見ていた。しかし中学二年のとき、受験勉強そのものを放棄してしまった。

「パパ、くだらないよ」と。

ほとんど勉強らしい勉強などしたことがなかったが、それでも県内のトップ高校(こういう言
い方自体、不愉快だが……)へ入る力をもっていた。その二男が、受験勉強を放棄したいきさ
つはいろいろあった。それはそれとして、結果的にそうなった。私は、迷いはあったが、二男
を支持した。「お前がそう判断するなら、それはそうだ」と。私は二男の力が、受験勉強をは
るかに超えていることを知っていた。

 で、彼は近くの高校を選んだ。市内でも、A、B、C、Dのランクで言えば、Dランクの高校
である。ワイフは「何もそこまで落とさなくても……」と絶句したが、二男はそういう子どもだ
った。「そのときになったら、勉強するよ。どこの高校でも同じだから……」と。私はそうは思
わなかったが、二男のその言葉を信ずるしかなかった。

 が、入学直後から、二男にとっては失望の連続だったらしい。進学校と教科書そのものが違

ていた。二男はそれにショックを受けた。そしてしばらく通ううち、レベルの低さもさることな
がら、勉強するという雰囲気そのものがないことを知った。二男だけがひとり、仲間から浮いて
しまった。と、同時に、二男も勉強しなくなってしまった。

 高校時代の二男は、まあ、俗な言葉で言えば、遊びほけた。好き勝手なことをして過ごした。
バンドを組んだり、文化祭の実行委員長をしたり。ワンゲル部で、全国の山々を歩いたりした。
高校三年生のときは、たったひとりで、北海道を一周したりもした。

が、いよいよ進学というときになったときのこと。もちろん成績は、その程度。「どこか国立
を……」と私は願ったが、何とか入れそうな国立大学は、I県のI大学しかなかった。もとも
と、国立大学へ進学する子どもは、数年に一人いるかいないかというような高校である。しか
も入れそうなのは、「哲学科」? 私が認める二男の能力は、数理的な能力である。その二男
が哲学科? 模擬試験の偏差値で判断すると、そういうことになった。

 そこで私は二男に、アメリカ留学をすすめた。アメリカ人の知人が、勧めてくれたこともある。
で、私は二男をアメリカへ送ることにした。彼も行く気になっていた。が、私は内心、「どうせ、
1、2年で帰ってくるだろう」と思っていた。

高校からアメリカの大学へ行ったところで、まず言葉のカベがある。ふつうのアメリカの高校
生でも、学位をとってアメリカの大学を卒業することはむすかしい。いわんや、日本の高校生
を、や。まあ、私としては、二男のやりたいようにさせてやるのが一番というような、軽い気
持ちだった。

 が、アメリカへ行ってからの二男は、変わった。当時の二男を直接知るわけではないが、二

が言うには、「狂ったように勉強した」とのこと。で、3年目に、私立大学から、より高度な勉
強を求めて、州立大学に転籍。4年間で、その州立大学で学位を取って卒業した。それもアメ

カでもむずかしいとされる、コンピュータ科学の学位。01年の5月のことである。

 私はその二男を今、頭の中で思い浮かべながら、日本の教育システムの欠陥を、改めて思
い知
らされている。ときどき「もし二男が、あのまま日本のどこかの専門学校か、私立大学へ入って
いたら、今ごろ二男はどうなっていたか」と。おそらくもてる才能を伸ばす機会もなく、またそ
の才能を発揮することもなく、そこそこの人間になっていただろう、と。

少なくとも日本の教育システムの中では、大学入試までで、その人の人生の道筋(コース)は
決まってしまう。それ以後、多少がんばったところで、その道筋を変えることはできない。い
くら能力と才能があっても、だ。しかしこういうしくみの中で、それほど苦労しないでも、の
んきな生活ができる人が生まれる一方、そのしくみの中で、苦労に苦労を重ねても、きびしい
生活を強いられる人も生まれるということだ。しかしこういうしくみこそが、日本の教育をゆ
がめる元凶になっている。

 二男が「アメリカで仕事をしたい」と言ったとき、私はもうそれに返す言葉がなかった。その
とき、二男は、日本そのものに失望していたと思う。今でもときどきこう言う。「日本の教育制
度はおかしい」と。 

二男のホームページ……はやし浩司のサイトのトップページから、どうぞ!


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●子どもが好き?

++++++++++++++

好きか、嫌いかと聞かれれば、
私は「嫌いではない」と答える
ことにしている。

++++++++++++++

 幼児教育をしているから、幼児が好きということにはならない。そこで私は、正直に書く。私
はある時期は、毎日、数100人の幼児に接していたことがある。今でも、いろいろな場面で、
毎日幼児と接している。

そういう立場でいうと、仕事がオフのときには、幼児の顔はできるだけ見ないようにしている。
たとえば電車で旅に出たようなとき、前の席に幼児が座ると、私は席をかえる。幼児を、ある
意味で、どうしても専門的な目で見てしまうからだ。気になってしかたない。落ちつかない。
 
 私のそういう気持ちは、たとえて言うなら、うな丼屋のオヤジのようなものではないかと思う。
浜松でも1、2を争ううな丼屋のオヤジが昔、こう言った。「私はうな丼はまったく食べません」
と。こんな話もある。

 浜松の郊外に、大きな医療病院がある。その病院で、外科部長をしているドクターの息子
(高
校生)に英語を教えていたときのこと。私はある日、ふとその高校生にこう聞いた。「君のお父
さんは、担当の患者さんが急変したら、夜中でも病院へとんでいくのか?」と。

私は「たいへんな仕事だろうな」という気持ちで、そう聞いた。するとその高校生は、「いい
や」と。驚いて、「じゃあ、どうするのか?」と聞くと、「たいてい居留守をつかう」と。「昼
だったら、学会へ行っているとか何とか、ウソをつくこともある」とも。

さらに驚いていると、その高校生はこう言った。「もし夜中に病院へ行くようなことをしてい
れば、翌日の手術にさしさわりがでる。手術では失敗は許されない」と。私はそこまで聞いて、
「さすが、プロだなあ」と、今度は一転、感心した。

 子ども、とくに幼児というのは、そもそも好きになる存在ではない。うるさいし、騒々しい。
私は幼児教育をして、もう30年以上になるが、その幼児教育でいちばんつまらないのは、人

関係ができないこと。その点、高校の先生や大学の先生は、うらやましい。いわゆるおとな対

となの関係をつくることができる。しかし幼児教育には、それがない。ないから、教えるとして
も、いつも一方的なもの。人間関係も、いつも一方的なもの。

この一方性が、幼児教育をつまらないものにしている。いかにその子どもで苦労をしても、離
れるときが、別れるとき。親に感謝されることはあっても、子どもの側からはない。

 さて、ここで暴露する。私も無数の幼稚園の教師や園長に会ってきたが、どの人もみな、「私
は幼児が好きです」と言う。そう言わなければ、仕事が成りたたないからだ。しかしここにも書
いたように、「好き」ということは、ありえない。あえて言えば、「嫌いではない」ということ
か。それなら話がわかる。

幼児の世話をしながらも、それが苦にならない。幼児と接していると、気が晴れる。幼児に教
えていると、笑いが絶えない。だから嫌いではない、と。実のところ私もそうだ。好きではな
いが、嫌いでもない。だから幼児教育ができる?

 ただしこういうことはある。何らかの理由で、1〜2週間も幼児から離れていると、無性に幼
児に会いたくなる。あるいは久しぶりに幼児の声を聞いたりすると、ほっとする。

(追記)
 私が幼児教育の世界にスンナリと入ることができたのは、自分自身の子ども時代と大きく関

していると思う。私は小学校の4、5年生まで、お山の大将として、子どもたちの世界に君臨し
ていた。いつも近くの山の中を歩くときは、年少の子どもたちを子分にして歩いていた。

年齢的には5、6歳から小学3、4年生くらいの子どもたちだった。今でも幼児に接している
と、ときどき、そういう親分的な感覚が、ふと戻ってくるときがある。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●子どもの臭い

+++++++++++++

子どもにとって居心地のよい
世界とは?

そんな視点で、こんなエッセーを
書いた。

+++++++++++++

 子どもは、あらゆるいたずらが好き。そのいたずらは、いわば心のユーモア。そのユーモア

子どもを伸ばす。

そのひとつが落書き。子どもはあらゆる場所に落書きをする。私は、その子どもの落書きに
は、
さんざん手を焼いた。注意しても、しかっても一向に減らない。そこで方針を変えた。

 落書きコーナーをあちこちに作った。教室で渡す私製のノートにも、落書きコーナーを作っ
た。
ほかに机とデスクパッドの間にも、それぞれ画用紙をはさみ込み、それにも落書きコーナーを

った。

とくに効果的だったのは、ここでいう画用紙だった。一応表向きは落書きをしてはいけないと
は言っていたが、それは表向き。子どもたちは、その画用紙に自由に落書きをした。おかげ
で、
ほかの場所への落書きは、まったくといってよいほど、なくなった。

 これは子どもを指導するときのコツだが、押してダメなら、思いきって引いてみる。(あるい
はその反対でもよい。)そこで私は考えた。「〜〜をしてはダメ」と禁止命令ばかり出している
と、子どもの心は萎縮する。そこでさらに私は考えた。「子どもの臭い」。

 ずいぶん前だが、私は、不登校で悩んでいる親の家を訪れて、「おかしい」と思ったことがあ
る。大きな家で、大きな居間があったが、その居間のどこにも、子どもの臭いがしなかった。す
べてがきれいに片づいていた。が、それ以上に「アレッ」と思ったのは、子どものものがどこに
もなかったこと。

ふつう子どものいる家庭では、あちこちに子どものものがゴロゴロしているもの。しかしそれ
がない? そのときはそれで終わってしまったが、今から思い出すと、あの家の中には、子ど
もの居場所がなかったのではないか。もちろんそれが不登校の原因とは言わないが、何らか

形で、関連していたことは、じゅうぶん考えられる。

 同じように、保育園でも幼稚園でも、よい園では、子どもの臭いがプンプンする。あちこちに
子どもの残したシミのようなものがあって、それが全体として、温もりのあるものにする。

しかし中には、まるで、どこかの病棟のように、まったく子どもの臭いのしない園もある。す
べてがピカピカに磨かれていて、落書きどころか、シミ一つ、ない。一見、清潔で、過ごしや
すく見えるかもしれないが、それは本来あるべき子どもの世界ではない。またそういう園へ子
どもをやれば……? 

この先は立場上、書けないが、私なら、そういう園へは子どもをやらない。短い期間ならとも
かくも、1年も2年も通わせれば、子どもの心は、まちがいなく萎縮する。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【時間とは何か?】(時間性の問題)

+++++++++++++++

もうあれから30年以上になる。
私は市内のパソコンショップで、
コモドール社のPET2000という
パソコンを買った。

世界ではじめて作られたパソコンで
ある。値段は、当時のお金で、32
〜33万円もした。

あのビル・ゲーツも、同じころ、
同じパソコンを使っていたという。

私はそのパソコンで、二次曲線を描いて
遊んでいた。

二次曲線といっても、黒い画面に、白い
点で、ポツポツと点を描いていくだけ。
そのポツポツと描いた点が、やがて
二次曲線になった。

私はその動きを、いつまでもじっと
ながめていた。それが楽しかった。

+++++++++++++++

●フェムト秒

++++++++++++++

フェムト秒という単位を
知っているだろうか?

1秒を、10の15乗で割った
短い時間を、1フェムト秒と
いう。

++++++++++++++

 フェムト秒という、時間の単位を知っているだろうか? 1秒を、10の15乗で割った短い
時間を、1フェムト秒という。わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というの
は、10の15乗倍して、やっと1秒になるという時間である。

反対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらに反対に言えば、1000兆秒と
いうのは、この地球上では、3100万年分に相当する。(3100万年だぞ!) 数字を見
ただけで、気が遠くなるが、1フェムト秒というのは、そういう時間をいう。(私が計算した
数字なので、まちがっているかもしれない。必要な方は、自分で計算してみたらよい。)

 現在では、そのフェムト秒単位で、分子の動きを追いかけたり、観察することができるように
なったという。このことを逆に考えると、分子の世界では、フェムト秒単位で、ものごとが動い
ているということになる。

 話はずっと飛躍するかもしれないが、こうして考えてみると、私たちが考えている(時間の概
念)ほど、アテにならないものはないということになる。私たちがいう1時間、1分、1秒とい
うのは、それはあくまでも人間が日常生活の中で感ずる概念でしかない。

 たとえば私たちが感ずる1秒という時間の間に、分子の世界では、3100万年に相当する時
間が流れている。極端な言い方をすれば、そういうことになる。

 こうした時間の概念に、哲学的な視点からメスを入れたのが、あのマルティン・ハイデガー(1
889〜1986)である。彼が書いた『存在と時間』(1927年)は、ヘーゲルの書いた『精
神現象学』と並んで、哲学の世界では、最重要文書の一つに考えられている。

 ハイデガーによれば、人間そのものが、時間性をもっているということになる。つまり私たち
は、時間の中で生きているのではなく、生きていること自体が、(時間)であるということにな
る。ハイデガーは、それを「死」と結びつけて考えた。「私たちが存在には、常に死が張りつい
ている」と。

 このことは、介護施設にいる老人たちを見ていると、わかる。昨日も母を見舞うついでに、デ
イ・サービスを受けている老人たちの部屋を見た。老人たちは、小さな紙に、ぬり絵をしてい
た。

 小さな紙である。そこに何匹かの動物が描かれていて、老人たちは、それに色を塗ってい
た。
それは恐ろしくのんびりとした世界であった。私なら、数分もあれば、色を塗ってしまうだろう。
そういうぬり絵を、1時間とか、あるいは2時間とか、そんな時間をかけて、塗る。

 それは私にとっては、衝撃的な光景でもあった。私の世界では、つまり私が見慣れた世界で
は、
時間と私は別のものである。朝、6時に起きる。朝、7時に朝食をとる。朝、8時に散歩に出か
ける。

 しかし老人たちの世界では、私の世界とはまったく別の時間が働いている! 働いていると

うより、老人たちは老人たちの時間の中で、生きている。ということは、同時に、私たちもまた、
私たちの時間の中で生きているということになる。

 私たちがもつ時間は、決して絶対的なものではない。そのことは反対に、子どもたちの世界

のぞいてみると、わかる。子どもたちは、子どもたちの時間の中で生きている。頭の回転も速
い。
気分の転換も速い。

 単純に考えれば、つまりあまりにも常識的に考えれば、子どもたちの頭の回転は速く、老人

ちの頭の回転は、遅いということになる。しかしこうした見方は、あまりにも(作られた常識)
でしかない。「そこにものが見えるから、ある」と考えるのと同じくらい、単純な常識というこ
とになる。

 「単純」というのは、「あまりにも表面的な」という意味である。

 そこでハイデガーがヒントを与えてくれたように、「生きていること自体に、時間性がある」
と考えてみる。そうすると、ものの考え方が一変する。わかりやすく言えば、「生きていること
自体が、時間」ということになる。

 たとえばもう一度、デイ・サービスを受けている老人たちをながめてみよう。その老人たちは、
その老人たちの時間性の中で生きている。私たちからすれば、恐ろしくのんびりとした世界に

えるかもしれない。が、老人たちは老人たちの時間の中で生きているから、自分では、決して、
のんびりしているとは思っていないはず。

 ひょっとしたら、そんなぬり絵をしながらも、「忙しい」と思っているかもしれない。

 この時間性は、加齢とともに、さらに長く、間がのびたものになる。その間がのびきったとき、
人は、「死」を迎える。つまり死などというものは、ある日突然やってくるものではない。それ
ぞれのもつ時間性が、のびきったとき、死がやってくる。言いかえると、老人たちは老人たちで
生きているつもりかもしれないが、すでに限りなく死に近づいているということになる。

 わかりにくい話になってしまったが、極端な例として、こう考えてみるとよい。

 もし私たちがフェムト秒単位で生きることができるとしたら、私たちは、この世界でいうとこ
ろの1秒で、3100万年分の人生を送ることができる。この世界で1秒といえば、瞬間だが、
しかし中身は3100万年分。恐竜の時代にまでは届かないが、人間が小さな哺乳動物だった

代からの人生を生きることができる。

 どちらの人生が長いかということになれば、たとえこの世界で1秒という時間ではあっても、
この世界で100年生きた人よりも、はるかに長く生きることになる。

 そこでまたまた話は飛躍するが、「生きることは時間性の問題である」と考えていくと、「生
きることは、時間との闘いである」ということにもなる。もっとわかりやすく言えば、「私たち
の張りついた死」(ハイデガー)という限界状況の中で、いかに、その死と闘いながら生きてい
くかということ。

 つまりそこに人間の生きる意味がある。さらにさらにわかりやすく言えば、だらだらと、だら
しない人生を生きたところで、そういう生き方には、意味はないということ。意味はないと言い
切るのは正しくないかもしれないが、それに近い。それこそ与えられた命を、無駄にして生きる
ことになる。

 1フェムト秒単位で生きることは無理であるとしても、同じ1秒を、1分、あるいは10分に
拡大して生きることは可能である。ばあいによっては、1時間に拡大することもできる。

「生きていること自体に、時間性がある」という意味がわかってもらえれえば、うれしい。
(2007年6月15日記・(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 
子育て はやし浩司 時間性 生きることの時間性 ハイデガー)

+++++++++++

02年(5年前)の9
月に書いた原稿を添付
します。

+++++++++++

●フェムト秒

 ある科学の研究者から、こんなメールが届いた(02年9月)。いわく……

「今週(今日ですと先週と言うのでしょうか)は葉山の山の上にある国際村センターで日独のジ
ョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズを受けたノー
ベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。 

今は固体表面に吸着した分子1個1個を直接見ながら、それにエネルギーを加えて反応を起

させたり、フェムト秒単位(1秒を10で15回繰り返して割った短い時間)で、その挙動を
追っかけたり、大変な技術が発達してきました」と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フェム
ト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚いた。ただ、
(1)の分子を見ることについては、もう20年前から技術的に可能という話は聞いていたの
で、「へえ」という驚きでしかなかった。

しかし「フェムト秒単位の観察」というのには驚いた。わかりやすく言うと、つまり計算上で
は、一フェムト秒というのは、10の15乗倍して、やっと1秒になるという時間である。反
対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらに反対に言えば、1000兆秒とい
うのは、この地球上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなる
が、一フェムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間が観察
できる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か」という問題を、考
えざるをえなくなってしまう。もし人間が、一フェムト秒を、一秒にして生きることができた
ら、そのたった一秒で、3100万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

 昔、こんなSF小説を読んだことがある。だれの作品かは忘れたが、こういう内容だった。

 ある惑星の知的生物は、珪素(けいそ)主体の生物だった。わかりやすく言えば、体中がガ

ガチの岩石でできた生物である。だからその生物が、自分の指を少し動かすだけでも、地球の

間の時間で、数千年から数万年もかかる。一歩歩くだけでも、数十万年から数百万年もかか
る。
しかし動きというのは相対的なもので、その珪素主体の生物にしてみれば、自分たちがゆっく

と動いている感覚はない。地球上の人間が動いているように、自分たちも、ごく自然に動いて

ると思っている。

 ただ、もしその珪素主体の生物が、反対に人間の世界を望遠鏡か何かで観察したとしても、

まりに動きが速すぎて、何も見えないだろうということ。彼らが一回咳払いする間に、地球上の
人間は、数万年の時を経て、発生、進化の過程を経て、すでに絶滅しているかもしれない!

 ……こう考えてくると、ますます「時間とは何か」わからなくなってくる。たとえば私は今、
カチカチカチと、時計の秒針に合わせて、声を出すことができる。私にとっては短い時間だが、
もしフェムト秒単位で生きている生物がいるとしたら、そのカチからカチまでの間に、3100
万年を過ごしたことになる。となると、また問題。このカチからカチまでを一秒と、だれが、い
つ、どのようにして決めたか。

 アインシュタインの相対性理論から始まって、今では第11次元の世界まで存在することがわ
かっているという。(直線の世界が一次元、平面の世界が二次元、立体の世界が三次元、そし

それに時間が加わって、四次元。残念ながら、私にはここまでしか理解できない。)ここでいう
時間という概念も、そうした次元論と結びついているのだろう。

たとえば空間にしても、宇宙の辺縁に向かえば向かうほど、相対的に時間が長くなれば、(反
対に、カチからカチまで、速くなる。)宇宙は、永遠に無限ということになる。

たとえばロケットに乗って、宇宙の果てに向かって進んだとする。しかしその宇宙の果てに近
づけば近づくほど、時間が長くなる。そうなると、そのロケットに乗っている人の動きは、(た
とえば地球から望遠鏡で見ていたとすると)、ますますめまぐるしくなる。地球の人間が、一
回咳払いする間に、ロケットの中の人間は、数百回も世代を繰り返す……、あるいは数千回も
世代を繰り返す……、つまりいつまでたっても、ロケットの中の人間は、地球から見れば、ほ
んのすぐそばまで来ていながら、宇宙の果てにはたどりつけないということになる。

 こういう話を、まったくの素人の私が論じても意味はない。しかし私はその科学者からメール
を受け取って、しばらく考え込んでしまった。「時間とは何か」と。私のような素人でもわかる
ことは、時間といえども、絶対的な尺度はないということ。これを人間にあてはめてみると、よ
くわかる。

たとえばたった数秒を、ふつうの人が数年分過ごすのと同じくらい、密度の濃い人生にするこ
とができる人がいる。反対に10年生きても、ただただ無益に過ごす人もいる。もう少しわか
りやすく言うと、不治の病で、「余命、残りあと一年」と宣告されたからといって、その1年
を、ほかの人の30年分、40年分に生きることも可能だということ。

反対に、「平均寿命まで、あと30年。あと30年は生きられる」と言われながらも、その3
0年を、ほかの人の数日分にしか生きられない人もいるということ。どうも時間というのは、
そういうものらしい。いや、願わくば、私も1フェムト秒単位で生きて、1秒、1秒で、それ
ぞれ3100万年分の人生を送ることができたらと思う。

もちろんそれは不可能だが、しかし1秒、1秒を長くすることはできる。仮にもしこの1秒を、
たったの2倍だけ長く生きることができたとしたら、私は自分の人生を、(平均寿命まであと
30年と計算して)、あと60年分、生きることができることになる。

 ……とまあ、何とも理屈っぽいエッセーになってしまったが、しかしこれだけは言える。幼児
が過ごす時間を観察してみると、幼児のもつ時間の単位と、40歳代、50歳代の人がもつ時間
の単位とはちがうということ。

当然のことながら、幼児のもつ時間帯のほうが長い。彼らが感ずる一秒は、私たちの感ずる1
秒の数倍以上はあるとみてよい。もっとわかりやすく言えば、私たちにとっては、たった1日
でも、幼児は、その1日で、私たちの数日分は生きているということ。あるいはもっとかもし
れない。

つまり幼児は、日常的にフェムト秒単位で生活している! これは幼児の世界をよりよく理解
するためには、とても大切なことだと思う。あくまでも参考までに。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(6月14日)

+++++++++++++++

やっと6月29日号に追いついた!
苦しい戦いだった。

今朝から、マガジンの6月29日号の
原稿を書く。

遅れること、約14日。本来なら、
今日あたりは、7月16日号のマガジン用
の原稿を書いていなければならない。

+++++++++++++++

 私はマガジン用の原稿は、約1か月前に書くようにしている。安定して、読者のみなさんに、
マガジンを届けるためである。直前になって、バタバタとするのは、いやだ。よい原稿(?)も
書けない。

 が、この1か月、いろいろあった。忙しかった。やる気をなくす事件も、いくつか重なった。
丸1週間、ほとんど原稿を書かない日もあった。

 で、昨日、6月27日号の配信予約をすませた。そんなわけで、今朝から、6月29日号の原
稿を書く。(よかった!)

 だれかのために書くのではない。私自身のために書く。私自身のボケ防止のために書く。こ

は私の頭のジョギングのようなもの。

 しかし遅れること、14日。本来なら、今日あたりは、7月14日号の原稿を書いていなけれ
ばならない。(今日は6月14日だから。)がんばろう! がんばります! 1000号まで、
あと100号と少し!


●はげしい雨

 今朝は、雨戸をたたきつける激しい雨で、目がさめた。昨夜、仕事から帰ってきて、畑に水を
まいた。そんな自分が、バカに見えた。横で寝ているワイフに、「昨日、畑に水をまいて、損し
ちゃった」と話すと、「そうね」と答えた。

 おかげで、今朝は涼しい。このところ毎日、1〜2時間、汗をかいている。そのせいか、体も
軽い。


●畑の収穫

 ところで少しずつだが、畑での収穫も始まった。昨日は、ナスが一個、収穫できた。その前
は、
ピーマンが数個。ネギも収穫期を迎えつつある。あとは、サヤエンドウ。

 そのサヤエンドウだが、田舎の八百屋へ行ったら、ワンパック、100円で売っていた! た
しか苗を120円で買ってきたはず。その苗からは、今のところ、5〜6個しか収穫できていな
い。そのパックを見たとき、自分のしていることが、バカに思えた。

 しかし家庭菜園は、お金ではない。育てる楽しみだ。……とまあ、そう言って、自分をなぐさ
めた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●無価値という恐怖(PART2)

+++++++++++

何がこわいかといって、
自分が無価値と思うことほど、
恐ろしいことはない。

だれからも相手にされず、
だれにも愛されず、
だれにも理解されず、という
恐怖である。

+++++++++++

 自分が無価値と思うとき感ずる恐怖ほど、恐ろしいものはない。それは腹の底から、身をえ

られるような恐怖と言ってもよい。生きる意味もない。生きる目的もない。生きる支えもない。
自分を理解してくれる人もいなければ、生きるための人もいない。

仏教では、孤独を無間地獄のひとつにあげているが、この恐怖も、ひょっとしたら、孤独と同
じくらい恐ろしいものかもしれない。いくら「私は私だ」と言ったところで、人は他者とのか
かわりをもってはじめて、人でいられる。かかわりがなかったら、人は人でなくなってしまう。
それがわからなければ、こんな世界を想像してみればよい。

 その惑星は、犬族が支配する惑星である。簡単な言葉(ワンワンとか、ワォーワォーとか、そ
ういう言葉)しかなく、もちろん文字も文化もない。そういう世界にあなたひとりだけが落とさ
れ、その世界で住むようになったとする。

いくらあなたが犬族の王であったとしても、また数億匹の犬があなたの従ったとしても、あな
たは決して心の満足感を得られないだろう。そればかりか、その孤独と恐怖の中で、狂い死に
するかもしれない。

いや、私もときどき、たとえばタイムトンネルか何かで、数億年前の恐竜時代にタイムスリッ
プしたらどうなるかと考える。想像するのは好きだから、いろいろ考えるが、こういう想像だ
けは、すぐやめてしまう。ぞっとするような恐怖感を覚えるからだ。

 実は私は、それに似た恐怖感を、最近覚えた。昨年、アメリカへ行ったときのことだ。私とワ
イフは、テキサス州のとなりのアーカンソー州というところへ行った。日本人でアーカンソー州
がどこにあるかを知っている人は少ない。

しかしそれと同じくらい、あのアーカンソー州あたりまで行くと、日本がどこにあるか知って
いる人は、ほとんどいない。大学生でも少ない。それはちょうど日本の大学生に、イタリアや
ギリシャがどこにあるかを聞くようなものだ。最近では、アメリカやロシアがどこにあるかさ
え知らない大学生も少なくないという。日本を知らないからといって、アメリカの大学生を一
方的に笑うことはできない。

 そんなわけであのあたりまで行くと、さすが、日本の「ニ」の字もない。臭いすらない。日本
製の車はたくさん走っているが、それが日本製と知っているのは、日本人くらいなもの。ホンダ
にしてもトヨタにしても、彼らはアメリカの車だと思っている。そういう世界にポツンと立たさ
れると、「いったい、自分は何か」とさえ思ってしまう。

心の中で、「私はアジア人だ」「私は日本人だ」といくら叫んでも、その叫び声もそのままど
こかへ消えてしまう。地位や肩書きがあれば、まだ日本という「国」にぶらさがって、「私は
○○部長だ」「私は○○課長だ」と、言えるかもしれない。が、それもない。体格が小さいこ
ともある。レストランへ入って、ほかの客にジロリとにらまれたりすると、それだけでその世
界から拒絶されたかのように感ずる。

 そういう世界では、私がもつ思想や知識、才能など、一片の価値もない。「文を書くのは得意
だ」といくら思っても、それは日本での話。日本語を理解する人すらいない。私はアメリカに滞
在する間、しばしば、こう思った。「こういう世界で、自分の書いた文章が新聞に載せてもらえ
るようになるには、10年、あるいは20年かかるだろうな」と。つまりそれくらい、遠い「距
離」を感じた。

 考えてみればアメリカから見る日本は、本当にちっぽけな国だ。あのテキサス州だけでも、日
本の2倍の広さがある。広さだけで比較するなら、アメリカから見る日本は、日本から見る佐渡
島程度? しかも海の向こうにある佐渡島? そうは思いたくなくても、日本は所詮(しょせ
ん)、
極東の島国。

が、それにしても、アメリカに立つと、どうしてこうまで自分が小さく見えるのか? どうし
てこうまで無力な人間に見えるのか?

 そのとき私は、「自分が無価値と思うとき感ずる恐怖」を味わった。が、それに抵抗しなかっ
たわけではない。私はまず、どんな仕事ならできるかを考えた。しかしアメリカで通用する資格
など、一つもない。日本の大学で得た学位など、まったく意味がない。いくら英語が得意といっ
ても、アメリカ人から見れば、何も話せないに等しい。

「日本レストランの店員くらいならできるかも……」と思ったが、しかし50歳を過ぎた私な
ど、雇ってくれるところもないだろう。だいたい日本レストランといっても、州都のリトルロ
ックにさえ、数軒しかない。肉体労働にいたっては、考えるだけヤボ。

あのあたりには、身長が2メートル近い大男がゴロゴロしている。「こういう国で病気になっ
たら、それでおしまい」と、何度もそう思った。あるいはホームレス? のたれ死に? そう
思うのは実のところ、ぞっとするほど恐ろしいことだった。

 私たちは結局は、何らかの価値を自分で見つけながら、生きている。生きる意味といっても

い。それをさがしながら生きている。言いかえると、それがないときの恐怖を知っているから、
自分で見つけたり、さがしたりする。生きるということは、結局はそういうことかもしれない。
それはちょうど死の恐怖があるから、生きることを大切にすることに似ている。

 何ともわけのわからない文章になってしまったが、最後に、こういうことだけは言える。

生きる目的にせよ、生きる意味にせよ、人は人とのつながりの中でさがし求めていくもの。向
こうからやってくるものではない。自分からさがし、自分でつくり、自分で育てていくもの。
生きる価値もそこから生まれる。

さあて、今日もその恐怖と戦うか!


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●BDA問題(6月15日朝記)

+++++++++++++

マカオのBDA銀行にあった、
K国資金が、やっと、その銀行から
離れた。どこかへ送金された。

しかしこれで、BDA問題は、
本当に解決したと言えるのか?

K国自身は、それで満足する
のか?

+++++++++++++

 マカオのBDA銀行にあったK国の資金が、やっとその銀行から離れた。ロシアのロシア極東
銀行という銀行に送金された。いろいろルートをたどってみると、おおむね、つぎのルートにそ
って、その銀行に資金が移されたという。

  K国資金は、(1)まずマカオ金融監督局が指定した口座に送金される。 (2)金融監督
局はこの資金を、マカオのポルトガル系銀行の大西洋銀行に送る。 (3)K国資金は電信為替
(TT)形態に変わり、米国のニューヨーク連邦準備銀行に伝えられる。 (4)この資金はま
たロシア中央銀行に移されたあと、ロシア極東商業銀行にある、朝鮮貿易銀行名義のK国口
座に
送金されることになるということらしい(BDA側の説明)。

 しかしこれで、本当にBDA問題は、解決したと言えるのか? K国自身は、本当にそれで満
足するのか?

 K国資金は、マカオのBDA銀行から、ロシアの極東商業銀行(ウラジオストック)に移動し
たことになる。極東商業銀行はアメリカ政府による制裁措置を受けていないから、基本的に
は、
K国は、そのお金を、全世界のどこへでも、送金することができる。もちろん、資金の出し入れ
も自由にできる。

 しかしここで問題が起きる。極東商業銀行は、K国は、国から現金がもちこまれるたびに、そ
れを疑ってみなければならない。一方、他の顧客たちは、極東商業銀行から、現金が支払わ
れる
たびに、それを疑ってみなければならない。少なくとも、私なら、極東商業銀行との取り引きを
停止する。そんな銀行とは、おっかなくて、つきあう気になれない。世界中の銀行も、また同じ。

 つまりこうして極東商業銀行は、信用をなくす。多大な被害を、こうむることになる。いくら
ロシア政府が、「保証する」と約束しても、それとこれとは、問題の本質がちがう。

 K国は、世界中の銀行で、自由にお金の出し入れをしたのだろう。それぞれの銀行に口座が

れば、それは可能かもしれない。私という個人にしても、外国に住む友人や知人に、送金する

きは、その口座を使う。

 しかしその口座を開設することは可能なのだろうか。そのあたりのことは、それぞれの国が

断することだが、以前ほど楽ではないことは確かだ。たとえばこの日本では、栃木県のU市に

ったAK銀行だけが、ゆいいつ、K国の銀行との取り引きをしていた。しかし今は、その銀行は
倒産している。

 あとはK国の判断ということになる。世界の銀行の判断ということになる。

 さあ、どう出るか、K国! どうする、金xx!

 ……私の予想では、K国は、老朽化して、どうにもならないような核関連施設を閉鎖するフリ
をしながら、さらなる時間稼ぎをするはず。あるいはああでもない、こうでもないと、難グセを
つけながら、さらなる要求をしてくるはず。

 あんな金xxを相手に、まともな交渉を期待するほうが、おかしい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室から】

●万引き

 子どもたち(小4〜6)と、万引きの話になった。そこで私が、「江戸時代に、万引きしたら、
盗んだものにもよるけど、死罪(死刑)になることもあったよ」と話すと、みな、驚いた。

 江戸時代の刑法に、『公事方御定書(くじかたおさだめかき)』というのがある。その下巻に
よれば、10両以上の盗みは、死罪とある。10両という金額が、どの程度のものであったかと
いうのは、時代にもよるが、現在の貨幣価値に換算して、約50〜100万円程度と考えてよ
い。

 ……と書いたところで、「そうかな?」と、私は、思った。

 そこで1両で、米がどれだけ買えたかを、確かめてみた。(インターネットのおかげで、こう
した調べものが、本当に楽になった。ありがたいことだ。)

 江戸初期 1両で2石5斗買えたから……約150000円の価値
 江戸中期 1両で1石  買えたから……約60000円の価値
 江戸末期 1両で3斗  買えたから……約18000円の価値、だそうだ。
(出典は、「東京知ったかぶり」サイト)

 江戸中期でみても、10両というと、60万円程度ということになる。しかしそれで死刑、と
は!

 で、10両以下だと、タタキの刑を受けたあと、入れ墨をされた。が、再犯を重ね、たとえば
入れ墨も3回になると、「江戸払い」の刑。4回目になると、「盗賊」となり、やはり死刑にな
ったという(「日本史おもしろBOOK」PHP)。

 言うまでもなく、刑には、二つの意味がある。一つは、その犯罪者に対する懲罰としての意味
の刑。もう一つは、社会に対する、見せしめとしての意味の刑。「悪いことをすると、こういう
ひどい目にあうぞ」と、民衆に見せることによって、犯罪を未然に防止する。

 「10両で死刑」というのは、「見せしめ刑」としての意味あいが強い。当然、江戸時代には、
現代のような、きめのこまかい捜査方法もなければ、刑事訴訟法もなかった。

 で、そのことを朝食を食べながら、ワイフに話すと、ワイフは、即座に、昨日、会った男のこ
とを思い出して、こう言った。「あの男の人も、イレズミ(刺青)をいていたわ」と。

 その男は、透けて見えるような薄いシャツを着ていた。私たちの横で、100円寿司を食べて
いた。お決まりの若い、きれいな女性を、横にはべらせていた。そのシャツの下に、腕から背

にかけて、大きなイレズミが見えた。見るからに、「オレは、ヤクザだ」という風体(ふうてい)
をしていた。

私「江戸時代には、入れ墨をわかりにくくするために、その上に、別のイレズミを彫りこんだり
したようだ。それで日本人は、イレズミに対して、悪いイメージをもつようになった」
ワ「でもね、あの男の人ね、最後に、ブルーベリーケーキと、ヨーグルトを注文していたわよ」
私「そうだったけ? 映画の中のヤクザとは、だいぶイメージがちがうね」
ワ「そうよ。だから私、思わず、笑っちゃった」
私「きっと、根は気の小さい、やさしい人だったかもしれないね」と。

 で、万引きの話にもどる。死刑の話をすると、子どもたちは、ワイワイと騒ぎだした。

私「死刑といっても、いろいろあったんだよ」
子「どんな?」
私「軽いほうから、下手人(げしゅにん)、死罪、獄門(ごくもん)、火罪、磔(はりつけ)の
5つがあった」
子「軽いというのは、おかしい。どうせ殺されるんだから……」

私「そうだよな。たしかに、そうだ。軽いというのは、ただ殺されるだけの死刑(下手人)をい
うよ。重いというのは、クビを切られ、刑場の門にかけられる死刑(獄門)のことをいうよ」
子「磔(はりつけ)が、一番重いのかア?」

私「そうだよ。みんなが見ている前で、磔(はりつけ)にされ、ヤリで刺されて殺された。それ
が磔(はりつけ)だよ。その刺し方にもいろいろあってね。たいていは苦しんで死ぬように、刺
したそうだ。しかし相手が、子どもを抱いた母親とかのばあいは、苦しまないように、子どもと
母親を、一気に刺したそうだ」
子「子どもまでエ〜?」
私「そうだよね。江戸時代には、家族の中のだれかが罪を犯すと、家族もろとも、死刑になるこ
とが多かった」と。

 私が子どものころには、まだ。「磔(はりつけ)ごっこ」という遊びが残っていた。これは何
かのことで、その子どもをいじめるとき、その子どもを壁に向って立たせ、うしろから、ボール
を投げていじめるという遊びである。

 戦後のあの時代のことである。今、そんな遊びをすれば、それ自体が、(いじめ)ということ
で、大問題になるだろう。が、そのことは、子どもたちには、言わなかった。

私「ともかくも、人のものを盗むということは、悪いことだ。一時は得をしたと思うかもしれな
いが、実は、もっと大切なものを、同時になくすんだよ。しかし盗んだときには、それに気がつ
かない。それに気がつくのは、ずっと、あとになってからだよね」と。

 子どもたちは、「わかった」というような顔をしていたが、本当にわかったか、どうか? 中
に神妙な顔をして、私の話を聞いているものもいたが、万引きの話は、そこまで。私の頭の中
に、
つぎからつぎへと、いろいろな考えが浮かんでは消えた。いつもの、モヤモヤである。

(モヤモヤ、その1)どういう子どもが、万引きをし、どういう子どもが、万引きをしないかと
いう問題。私は、正直に、本当に正直に言うが、万引きをしている子どもを見つけて、それを店
の人に伝えたことは、何度かある。が、万引きだけは、したことがない。 

(モヤモヤ、その2)子どもの小ズルさは、親譲りと考えてよい。親の何気ない日常的な行動を
見ながら、子どもは、その小ズルさを身につけてしまう。わかりやすく言えば、小ズルい親の子
どもは、小ズルい。親を反面教師として、生真面目(まじめ)な子どもになることもあるが、そ
れは例外。

(モヤモヤ、その3)万引きは、犯罪としては、わかりやすい。しかし半ば合法的に、人のもの
を盗むのは、どうか。たとえば官僚が、天下りを繰りかえしながら、そのつど、ばく大な退職金
を手にするのは、どうか。よく「税金ドロボー(泥棒)」という言葉が使われるが、それこそ、
まさに税金ドロボーではないのか。

(モヤモヤ、その4)「10両以上は、死罪」というのは、江戸時代の刑法。しかし農民から、
「五公五民」とか何とか言って、農民から、5割もの年貢を納めさせることは、ドロボー以上の
ドロボー。そうした体制の矛盾をさておいて、庶民だけ、微罪で死刑にするというのは、どう考
えてもおかしい。

(モヤモヤ、その5)損とか、得とかいうが、何をもって、損というのか。何をもって、得とい
うのか。これも私のことになるが、私は生涯において、みなから一方的に、お金を取られること
はあったが、しかし、お金を取ったことは、一度もない。いや、一度だけ、ワイフの父親が死ん
だとき、遺産として、義兄から10万円をもらったことがある。(もらったのは、ワイフだが…
…。)その10万円以外、もらったことがない。ただの一度も、ない。通俗的な言い方をすれば、
私は、いつも損ばかりしていた!

(モヤモヤ、その6)小ズルいことをすれば、そのときは、得をしたと思う。しかし実は、もっ
と大切なものを、なくす。なくすだけではない。もとの自分にもどるだけでも、たいへんな努力
と、長い時間を必要とする。それからさらに、自分を善なる方向にもっていこうとすると、さら
にたいへんな努力と、長い時間を必要とする。人生は、長いように見えるが、そういう意味で
は、
短い。小ズルい人は、人生が何であるかもわからないまま、死んでいく。つまり、結局は、大損
をするのは、その人自身ということになる。

 いろいろ考えているうちに、時間がきてしまった。それで子どもたちとは別れた。
(はやし浩司 江戸時代の刑法 万引き)2011/05/27

【補記】

 この中で、一番気になったのは、6番目の(モヤモヤ、その6)。

 私は、この数年、努めて、他人に対してはもちろんのこと、自分に対しても、誠実であろうと
心がけている。ウソは、もちろん、厳禁!

 が、ここで「務めて」とわざわざ書かねばならないほど、私の「性(しょう)」は、よくない。
はっきり言えば、悪い。私は、子どものころ、その小ズルさのかたまりのような子どもだった。

 が、それに気づいたのは、今のワイフと結婚してから。さらに、私がなぜ、そういう子どもに
なったかを知ったのは、45歳も過ぎてからのことではなかったか。自分の生まれ育った環境
を、
浜松市という、遠いところからながめることによって、それを知った。

 私が、子どものころ、「おもしろい人だ」「楽しい人だ」と思った人たちは、みな、例外なく、
小ズルい人だった。それが20年とか、30年とかたってみて、はじめて客観的にわかるように
なった。

 そういう人たちは、今、かなりの年齢になっている。が、どの人も、いまだに、ウソを平気で
つく。ウソのかたまりで、何が本当で、何がそうでないかわからない人さえいる。

 私をだまして、お金を奪った人もいる。現在の今ですら、私のお金をごまかして使っている人
もいる。

 そういう人たちを見ると、怒れてくるよりも先に、過去の、つまり子ども時代の私自身を見せ
つけられるようで、ぞっとする。そして私は、こう思う。

 「もし私が、今、あの古里にそのまま住んでいたら、私も、まちがいなく、あのままの人間だ
っただろうな」と。

 だから、私にとっては、「務めて」となる。それは私にとっては、とても悲しいことでもある。
つまり私は、ほかの人たちよりも、何倍も、何倍も、回り道をしなければならなかった。多くの
友人も、それで失ったし、多くの人を、キズつけてしまった。

 その結果だが、今では、友人といっても、数えるほどしかいない。本当に信頼できる人と言え
ば、私のワイフしかいない。孤独と言えば、孤独。恐らくこの孤独からは、死ぬまで逃れること
はできないだろう。

 だから人は、子どものときから、そして幼児のときから、誠実に生きるのがよい。しかしその
カギを握るのは、実は、親である。とくに母親である。

 今、あなたが子育てをしているなら、子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうこと
とは関係なく、あなた自身が、誠実に生きる。信号はきちんと守る。駐車場では、きちんと駐車
場へ車を入れる。1円でも、ごまかさない。そうした生きザマが、やがて子どもの心を作る。そ
う、それはあなた自身のためでもあるが、子どものためでもある。

 約束は守る。ウソはつかない。そして自分にも、他人にも、誠実である。それが子育ての基

の一つということになる。

 それはとても気持ちのよい世界だから、あなたも、今日から私の言ったことを信じて、実践し
てみてほしい。あなたも、そのすがすがしさに驚くはずである。

 そうそう、一つ重要なことを言い忘れた。

 自分の誠実さを守るためには、そうでない人とは、勇気をもって、一線を画すのがよい。それ
が、たとえ幼(おさな)なじみであれ、近隣の人であり、親類のひとであれ、そして肉親であれ、
だれであってもだ。つきあいを避けられないばあいもあるかもしれないが、その距離だけは、し
っかりと保つようにする。

それを忘れると、いつの間にか、もとの自分にもどってしまう。邪悪な人間にもどってしまう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【表と裏】

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みながみなというわけではないが、
私が生まれ育った郷里のM町では、
ときどき、何が本当で、何がウソ
かわからなくなる。

ウソをウソと意識しないまま、平気
でウソをつく。それがその地方の
習慣にもなっている。その場、その場で、
適当なことを言って、とりつくろう。

が、何よりも不思議なのは、そういう
ウソをつかれながらも、つかれた
ほうも平気、ということ。
それなりに、みな、うまく、やっている。

その郷里を離れて、40年。
以前、「飛騨の昼茶漬け」について
書いたことがある。4年前の原稿
である。

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●飛騨の昼茶漬け

 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。たとえば岐阜県の飛騨地方には、『飛
騨の昼茶漬け』という言葉がある。あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習がある。しか
し道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。相手が断るのを承知の上で、誘う。
そして断るほうも、これまたウソを言う。おなかがすいていても、「食べてきたところです」と
答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうものなら、
さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。まさか昼飯に茶漬けを出すわ
けにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。ひょっとしたら、あなたも日常的に使ってい
るかもしれない。日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、うまくごまかし
て先へ逃げるほうが、美徳とされる。ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌う。何といっても、
聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)す』というお国がらであ
る。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。そしてそれが日本人の国民性
をつくりあげている。私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。オーストラリアのメルボルン大学に
いたときのことである。私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけないと思い、断る
つもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。で、そのあと、別の友人たちといっ
しょに、昼食を食べた。そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられないほ
ど、激怒した。「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。私はそう怒鳴られながら、
ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、ウソに対する寛容度がまったく違うというこ
とを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。しか
し日本人は、それをしない。しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分も」と考
える。そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。それがよいこと
なのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。

●私はウソつきだった

 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。ほかの子どもたちよりもウソつきだったか
もしれない。とにかく、ウソがうまかった。ペラペラとその場を、ごまかして、逃げてばかりい
た。私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。

その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。商売で
は、ウソが当たり前。このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへたが決まる。
私は毎日、そういうウソを見て育った。

 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。自分を偽るのをやめた。だからといって、
それですぐ、正直な人間になったわけではない。今でもふと油断をすると、私は平気でウソを

う。とくにものの売買では、ウソを言う。自分の体にしみこんだ性質というのは、そうは簡単に
は変えられない。

 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。あなたは自分の子どもに、どのように
接しているかを考えてみてほしい。あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何と言っている
かを考えてみてほしい。

もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさい」「ウソはついてはいけません」と、
日常的に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。人間は、そうでなくてはいけない。……
とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしまったが、実のところ、それがまた、日本人の
子育てで、一番欠けている部分でもある。そこでテスト。

 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけた。そして帰りぎ
わ、
10万円のタクシー券を渡されたとする。そのとき、あなたはそれを断る勇気はあるだろうか。

さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はあるだ
ろうか。私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしまうだろうと
思う。正直に言えば、そういうことになる。

つまり私は、子どもときから、そういう教育しか受けていない。つまりそれは私自身の欠陥と
いうより、私が受けた教育の欠陥といってもよい。さてさて、あなたは、子どものころ、学校
で、そして家庭で、どのような教育を受けただろうか。
(03―1―7)

【補記】

日本人のこうした国民性は、話せば長くなるが、長くつづいた封建制度の結果と考えてよい。
今のK国のような時代が、300年以上もつづいたのだから、当然といえば当然。「自分に正
直に生きる」ということそのものが、不可能だった。

それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。ただここで言えることは、決
して、あの封建時代を美化してはいけないということ。もちろん歴史は歴史だから、それなりの
評価はしなくてはいけない。しかし美化すればするほど、日本人の精神構造は、後退する。
(はやし浩司 日本人の精神構造 封建時代の遺物)


++++++++++++++++

●表と裏

 私の知人の中にも、こんな人がいる。裏で、私の悪口を言いながら、表では、平気でつきあっ
てくる人である。私はそういう人を見ながら、「この人の精神構造は、いったいどうなっている
のだろう?」と思う。

 が、私は私で、そういう人とはつきあわない。一度でも、そういう事実を知ったら、つきあわ
ない。交際をやめる。年賀状の交換もやめる。が、そういう人にかぎって、騒ぎたてる。

 「あの林は、年賀状の返事もよこさない」とか、何とか。

 あるいは私の動向をさぐってくる。何だかんだと口実をつくっては、近づいてくる。よほど私
のことが気になるらしい。もちろん、私に好意的だから、そうするのではない。私が失敗したり、
不幸になったりするのが、楽しみだから、そうする。それが私にもよくわかる。

 どうせそのレベルの人たちだから、そういう人は、無視する。相手にしない。

 ……ということで、私は若いころ、こんな鉄則を自分につくった。『つきあうなら悪口を言わ
ない。悪口を言ったら、つきあわない』と。

 ついでに同じころ、こんな原稿を書いたこともある。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●電話の口

++++++++++++++++++

あなたは受話器の話し口を手で押さえて、
近くの人と、話をすることはありませんか?

しかし、それはたいへん、危険なこと。
一度でも、それをすると、それが理由で、
相手との人間関係を破壊することになるかも?

++++++++++++++++++

 あなたは今、電話で、だれかと話をしている。だれでもいい。だれかだ。そのとき、あなたは、
近くにいる、子どもか、夫か、あるいは妻と、何か相談しなければならないことができた。受話
器はもったまま、だ。

 そのとき、あなたなら、どうするだろうか。

 一番、安全な方法は、電話機の「保留ボタン」を押すことだ。それを押せば、何らかの音楽が
流れ、会話は、それで完全に、途切れる。

 しかしそこまでは、したくない。その必要は、ない。そういうとき、あなたならどうするだろ
うか。……あなたは、多分、電話の話し口(聞き口ではなく、話し口)の方を、手で押さえる。
そして小さな声で、近くにいる人に、顔をしかめながら、こう言うにちがいない。

 「この電話、あの林からよ。いやねエ〜。どうるす?」と。

 あなたは話し口を手でしっかりと押さえている。だから小声で話したことは、相手には、聞こ
えないと思っている。

 だからそう言い終わると、また手を離して、「そうですねえ、わかりました、林さん」と、明
るい声で話す。

 しかし……だ。最近の電話機は、性能がよい。話し口を手で押さえたくらいでは、会話をさえ
ぎることはできない。あなたの話した言葉は、実は、耳にあてた聞き口からも、相手に伝わる。
話し口も、聞き口も、原理的には、構造は、同じ!

 だから、電話機の口を手で押さえたくらいで、安心してはいけない。最近だが、こんなことが
あった。

 私は、B氏に電話をした。少しこみいった話なので、内容は、省略する。しかしB氏は、留守
だった。(実際には、居留守を使っていた。)かわりにB氏の妻が電話に出た。

私「……では、いつお帰りですか?」
妻「もうすぐ帰ってくると思いますが……」と。

 そのとき、B氏の妻は、受話器の話し口を手で押さえた。その感触というか、手で押さえた感
じが音でわかった。ポンと耳がつまったような感じがした。B氏の妻は、近くにいるB氏に、小
声で、こう言った。「あの林からよ。いやねエ……。この電話、どうする?」と。

 それに答えて、そばにいたB氏は、多分、首を横に振ったのだろう。B氏の妻は、夫の様子を
見て、再び、明るい声で、「ごめんなさいねエ。また帰ってきましたら、林さんから電話があっ
たことを、主人に伝えておきますから……」と。

 ……という、この話は、実は、フィクションである。最近、別のところで経験したことを、私
の話にからめて、作ってみた。

 しかし、現実に、こんなことが私に起きたとしたら、私なら、そのB氏とは、絶交する。つき
あう必要は、ない。つきあいたくもない。

 ……ということで、今日は、電話の話。今でも、受話器の話し口を手で押さえて内密な話をす
る人は、少なくない。しかし、それはたいへん危険なこと。あまりにも無防備なこと。それをみ
なさんにお伝えしたくて、このエッセーを書いた。

 ……この話が、ウソだと思うなら、だれかに協力してもらって、自分で確かめてみたらよい。
私の言っていることがウソでないことが、わかってもらえるはず。どうか、くれぐれも、ご用心!


++++++++++++++

 この中で、私は、「この話は、フィクションである」と書いた。しかし詳しくは書けないが、
似たような経験をしたから、私は、この話を書いた。

 ここでいうB氏も、表と裏のある人ということになる。それまではかなり親しくつきあってい
た人だったが、私は、この電話のあと、B氏とは、縁を切った。ワイフは、「適当につきあって
おけばいいのよ」と言ったが、私には、そういう芸当ができない。若いころならできたかもしれ
ないが、今は、もうできない。めんどうというか、そういう人が近くにいるだけで、神経がすり
減ってしまう。

 が、B氏にはそれがわからない。わからないというか、私がなぜ怒っているかさえ、わかって
いない。だからそのあとも、何ごともなかったかのように、何度も電話をかけてきたりした。

 適当にものを言って、その場をやりすごす。そういう人は、少なくない。好きか嫌いかという
ことになれば、私は、そういう人が、大嫌い! そういう人と、愚劣な交際をつづけて、無駄に
する時間は、私には、もうない!

【補記】

 私は、そういう意味でも、この浜松が、大好き! 私のワイフの兄弟にしても、みな、正直。
本当に正直。表も、裏もない。そのわかりやすさが、たがい人間関係を、さわやかなものにして
いる。

 たとえばこの浜松では、ものの売買をするときでも、(掛け値)ということをしない。(値切
る)ということもしない。そういうやりとりをしているところを、見たことさえない。

 人間関係もそうで、少なくとも私のワイフの兄弟たちは、ありのままの姿で、ありのままに生
きている。飾ることもない。虚栄を張ることもない。見栄や世間体とは、みな、無縁の世界で生
きている。すばらしいことだと思う。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(6月12日)、あれこれ

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昨日は、母のところへ、花を届けた。
母は、それを気持ちよく、喜んで
くれた。

今朝も、朝食をとったら、様子を見に
行くつもり。

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 昨日、母に花を届けた。ちょうど昼食前で、広間にみなといっしょに、集まっていた。その母
の横に立っていると、母が、あたりを見回しながら、こう言った。

 「みんな、間に合わんヤツばっかやなア」「ワシも、その一人やが……」と言った。

 それを聞いて、私は笑った。横にいたワイフも笑った。「間に合う」というのは、地方の言葉
で、「役だたず」という意味である。

 一度は、アルツハイマーと診断されたこともある母だが、こういうところでみると、その母が
正常に(?)見えるから、不思議である。つまり脳みその評価などというものは、相対的なもの
にすぎない。

 私やあなたが、(まともに見える)といっても、それは私やあなたが住んでいる世界での評価
でしかない。別の世界に行けば、その私やあなたは、天才に見えるかもしれない。反対に、バ

に見えるかもしれない。

 その私だが、職業がら、生徒たちによくバカにされる。子どもたちは、おとなの一部である私
をバカにすることによって、自立を図ろうとする。だからおとなの私たちは、子どもたちにバカ
にされても、それを叱ったり、あるいは威圧によって押さえつけてはいけない。

 昨日も、小6の女の子が私にこう言った。「先生は、クソジジイだ」と。

 私はそれに応えて、「ぼくは、クソジジイではない。大クソジジイだ。ちゃんと、『大』をつ
けろ。わかったか、未来のクソババア!」と。

 彼らの多くは、学校でも、家庭でも、そして進学塾でも、日常的に、息の抜けない緊張状態に
おかれている。それが私にも、よくわかる。せめて私のところくらいでは、自由にものを言わせ
てやりたい。

 どうせ相手は、子ども。ただの子ども。人間の価値など、まだとうてい理解できる年齢ではな
い。本気で相手にしてはいけない。そうそうその女の子は、先日、私に、こう聞いた。「先生は、
『デス・ノート』を知っているか?」と。

 実にくだらない映画である。見る価値もない。もともとは、コミックだったという。「知らな
い」と私が答えると、「エーッ、デス・ノートも知らないの?」と。すっとんきょうな声を張り
あげた。

 つまり私は彼女には、本物のバカに見えたらしい。しかし本物のバカは、どちらなのか? あ
んな映画を楽しんで見るほうが、よほどバカだと私は思うのだが、その子どもには、それがわ

らない。

 つまり脳みその評価には、もうひとつ重要な基準が加わる。「価値観」という基準である。価
値観のちがう世界では、私やあなたは、バカとして評価される。よい例が、カルト教団の世界で
ある。

 何かのカルト教団に入信したある女性は、私にこう言った。「入信したとたん、私の魂が、カ
ラをやぶって、天に昇ったように感じました。そしてまわりの人たちが、みな、バカに見えるよ
うになりました」と。

 その女性は、(思想)を注入されただけなのだが、それでもそう感じたらしい。

 そこで私はあらためて、自分のことについて考えてみる。「私はバカなのか?」と。

 もちろん私は、自分ではバカだとは思っていない。しかし私は小6の子どもたちの世界では、
明らかにバカに見えるらしい。それはちょうど、特別養護老人ホームの中でウロウロする老人
を、
私たちが見るようなものではないか。たしかに脳みその機能は低下している。が、しかし、そこ
に住む老人たちは、決してバカではない。

 人格もある。品格もある。人間としての誇りもある。が、それ以上に、この世界を生き抜いて
きたという実績がある。

 同じように、私にも人格がある。品格はどうかわからないが、人間としての誇りもある。少な
くとも、野山に住む動物たちとはちがう。もちろん60年という歳月を生き抜いて生きたという
実績もある。

 母にしても、記憶力は、たしかに低下した。最近のことは、ほとんど覚えていない。1時間前
のことすら覚えていない。だからといって、「今」というときを生きることがムダということに
はならない。母は、バカに見えるが、決して、バカではない。バカかバカでないかということに
なれば、先の小6の女の子のほうが、ずっとバカである。人間の価値がわからないという点で、
バカである。

 が、小6の女の子の世界から見れば、私がバカに見える……? そんなわけで、ひょっとした
ら、特別養護老人ホームの老人たちから見れば、私のほうがバカに見えるかもしれない。ある

はそういう目で、私を見ているかもしれない。

 ……玄関を出たとき、私は、そんなことを考えていた。


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●健康器具

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ショッピングセンターへ行くと、
いろいろな健康器具が並んでいる。

しかしどれも値段が高い。目的は
それぞれだが、しかしあんなものを
買うくらいなら、自転車を買ったほ
うが、ずっとよい。

値段も安いが、そのほうが、健康の
ためによい。

+++++++++++++++

 数日前、ワイフと近くのショッピングセンターに行った。ワイフの誕生日プレゼントをさがす
ためである。で、そのとき、健康器具コーナーへ足を踏み入れた。

 あるは、あるは……、いろいろな器具というか、機械が、ところせましと並んでいた。私たち
は遊園地で遊具に乗るようなつもりで、それぞれを試してみた。

 馬に乗っているように、台がユラユラ(=パカパカ)と揺れるような器具もあった。これは結
構楽しかった。

 台座がブルブルと震え、その振動が体中に伝わってくるのもあった。これはやがてすぐ全身

かゆくなったので、そこでやめた。

 が、何と言っても、マッサージ機の進化には、目を見張るものがある。値段は、20万円前後
から、高いのになると70万円前後まで。必要な人には、70万円でも高くないかもしれないが、
私たちには、必要ない。私もワイフも、健康。腰痛も肩こりも、ない。

私「こんなもの買うくらいなら、自転車を買ったほうがいいよ。そのほうが、ずっと運動になる」
ワ「そうね」と。

 みなさん、もっと自転車に目を向けよう。とくに50代過ぎの人にはよい。全身運動になるこ
とはもちろん、何よりもすぐれている点は、関節を痛めないということ。値段も安い。買い物や
通勤に乗れば、環境保護にもつながる。

 ……ということで、そのあと、自転車コーナーへ足を運んだ。今では安いのだと、8000円
前後からある。値段だけを見ると心配だが、以前のような粗悪品も少なくなった。結構、しっか
りと作ってある。メーカー品がすぐれているという神話は、とっくの昔に崩れた。そのメーカー
と言われる会社ですら、今では、海外で、自転車を製造している。

 で、結局、何も買わなかった。私が「ごめんね」と言うと、ワイフは、「私は何もいらない」
とさみしそうに言った。今日、何かを買ってやるつもり。

 晃子、ごめん!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ

+++++++++++++++

今朝は、午前4時に起きて、
ハナと中田島海岸まで、散歩に
行ってきた。

気持のよい朝だった。
海辺では、何人かの男たちが
魚釣りをしていた。

「釣れますか?」と声をかけると、
「これから釣るところだ」と言った。

朝もやのかかった、幻想的な
景色だった。ハナはいつものように
砂浜を走って、カラスを追いかけて
いた。

+++++++++++++++

●マッサージ機

 昨夜、近くのショッピングセンターで、椅子式のマッサージ機を買ってきた。ワイフへの誕生
日プレゼントである。

 台湾製で、値段はx万円。日本製のようにゴチャゴチャした機能はついていないが、それなり
の機能はちゃんとついている。モミ、タタキ、指圧など。ワイフは「内臓脂肪にも効果がありそ
う」と言った。ときどき体を、左右にはげしく揺さぶったりする。

 「お前も、とうとうこういうものを使う年齢になったね」と言うと、「そうネ〜エ……」と。
うれしそうというよりは、どこか、さみしそうだった。

 ところで体脂肪だが、私は、現在、23・5%もある。毎日はかっているが、ほとんど変わら
ない。適正値は、私のばあい、20%前後だそうだ。少し太り気味ということらしい。

 少し食事の量を減らさなければ……と思っているが、それがどうもうまくいかない。昨日は、
「S亭」というレストランで、うな丼を食べてしまった。おいしかった!


●運命

 水は流れるところへ、流れていく。ときにがんばって、その流れを変えようとする。が、その
流れを変えることはできない。気がついてみると、ちゃんとそうなっている。

 大切なことは、その(流れ)を感じたら、静かに身を任すこと。受け入れること。許して、忘
れること。あとは時間が、解決してくれる。

 ということで、子育ても、またしかり。それぞれの子どもには、それぞれの(流れ)というも
のがある。その流れを感じたら、あとは、その流れに、子どもを任す。親としてはつらい瞬間か
もしれないが、親があせったところで、どうにもならない。あるいはあせればあせるほど、逆効
果。

 今朝は、海を見ながら、そんなことを考えていた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●映画のコマ

 デジカメで、ビデオを撮影することができる。私のデジカメでは、1秒につき30コマか、1
0コマか、そのどちらかを選択できるようになっている。

 そのデジカメを見つめながら、こう考えた。

 若いときというのは、1秒につき30コマで、脳の中に記憶が蓄積される。しかし歳をとると、
それが1秒につき10コマ、さらに5コマになる。あるいはもっと少なくなる。

 だから自分の人生を振りかえってみると、若いときほど、記憶がぎっしりとつまっているよう
な感じがする。その分だけ、時の流れが緩(ゆる)やかだった。が、今はちがう。若いときより
活発に行動しているつもりなのに、その記憶が、どこかへ飛んでいってしまう。その分だけ、時
の流れが、速くなっていく。

 仮に、1秒につき5コマしかない映像を、毎秒30コマの映写機で映してみれば、計算の上で
は、6倍、動きが速くなることになる。つまり再生装置でいうところの、(早送り)の状態にな
る。

 (ついでだが、こういうとき、「速くなったように感ずる」と書くのが正しいのか、それとも、
「早くなったように感ずる」と書くのが正しいのか?)

 そこでそのコマ数を決めるものは何かということになる。もしそれがわかれば、50代になっ
ても、60代になっても、密度の濃い人生を送ることができる。

 私は、それは「感動」だと思う。感動のあるなしで、1秒につき、30コマの人生にもなるし、
反対に、5コマ、1コマの人生にもなる。わかりやすく言えば、日々に感動して生きれば、その
分だけ、自分の人生をより長く生きることができる。(時間)という(数字)ではない。中身だ。
あくまでも中身で決まる。

 いくら長生きをしても、のんべんだらりとした生活をつづけていたら、何も残らない。長生き
をしたということにはならない。しかしたとえ1年でも、充実した日々を送れば、私たちはその
1年を、100年分、あるいはそれ以上、長く生きることができる。

 そこで「感動」ということになる。私たちは常に、感動を求めて生きる。いろいろな方向に触
覚をのばし、アンテナを張る。そしていろいろな情報を、そのつど、手に入れる。

 それは私たちの人生を、より密度の濃いものにするためのコツかもしれない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心臓か、それとも腎臓か?

+++++++++++++++

K国の金xxの健康状態が、
このところ急速に悪化していると
いう。

しかしその原因について、
中央日報の日本語版ニュースでは、
「心臓」となっている。

一方、聯合ニュースを翻訳した
ヤフー・ニュースでは、「腎臓」と
なっている。

どちらが正しいのか?

+++++++++++++++

K国の金xxの健康状態が、このところ急速に悪化しているという。

しかしその原因について、中央日報の日本語版ニュースでは、「心臓」となっている。一方、
聯合ニュースを翻訳したヤフー・ニュースでは、「腎臓」となっている。

どちらが正しいのか? まず、その両者の記事をそのまま紹介する。


【中央N報の日本語版ニュース】

北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)国防委員長は、健康状態が芳しくなく、途中休まず
には30ヤード(約27メートル)以上は歩けない状態だという。英紙テレグラフが西側
諸国政府消息筋の話として、10日に北京発で報じた。 

  同紙によると、金委員長は腎臓手術が必要とされるほど体が弱くなっており、平壌(ピ
ョンヤン)駐在外交官らもそうした事実を確信している。外出の際には、歩行の途中に休
めるよう、イスを持った秘書が同行しなければならなかった、と外交官らは話している。
金委員長の健康悪化説は、先月、ドイツ・ベルリンの腎臓専門医療機関出身の医師ら6人
が8日間平壌を訪問したのを機に流れ出した。 

  また、外交官によると、糖尿病でもある金委員長は当時、外科医を含む医療陣が治療す
る患者リストにも名前が挙がっていたものとされる。だが、ドイツ医療陣側は、平壌に滞
在中に労働者3人、看護婦1人、科学者1人だけを治療した、としている。金委員長は今
年、公式の席上に23回しか姿を現していない。そのため健康悪化のためという見方が強
い。昨年は同期間に倍近くの活動(公式の行事に42回出席)をしている。


【聯合ニュースを、ヤフー・ニュースが翻訳?】 

【ロンドン10日聯合】北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の健康状態が芳しくな
く、途中休まずには27メートルほどの距離しか歩けない状態だと伝えられた。英紙テレグ
ラフが西側諸国政府消息筋の話として、10日に北京初で報じた。金総書記は腎臓手術が必
要なほど体が弱くなっている状態で、平壌駐在外交官らもそうした事実を確信していると
いう。外出の際には歩いている途中で休めるよう、いすを持った秘書が同行しなければな
らないほどだったと、外交官らは話している。

 金総書記の健康悪化説は、先月、ドイツの腎臓専門医療機関出身の医師6人が8日間平
壌を訪問したのを機に流れだした。糖尿病でもある金総書記は当時、外科医師を含む医療
陣が治療する患者リストにも名前が挙がっていたとされるが、医療陣側はこれを否定して
いる。

 金総書記は今年、公式の席上に23回しか姿を現していない。昨年は同期間に2倍近い活
動をしていることからも、健康悪化のためという見方は強い。特にこの1か月間ほどはま
ったく公の場に出ておらず、日本の週刊誌なども腎臓手術を受けたと報じている。

【事実は……?】

 そこでニュース源となった、テレグラフの記事を読んでみると、つぎのようになってい
る。

Kim Jong Il, North Korea's reclusive leader, has been so unwell that he could not walk more 
than 30 yards without a rest, western governments have been told.

K国の孤独な指導者、金xx(拉致問題に抗議して、あえて金xxとしている)の健康状態はた
いへん悪く、休みなしでは、30ヤードも歩くことができないと、西側政府は、伝えられている。

Diplomats in the North Korean capital, Pyongyang, are increasingly convinced that the 
65-year-old dictator needs heart surgery to restore his apparently flagging health. He has 
had to be accompanied by an assistant carrying a chair so that, wherever he goes, he can 
sit 
and catch his breath.

P市(K国首都)の外交官たちは、65歳の独裁者は、明らかに悪化した健康を回復するため
に、
心臓の手術が必要であると、ますます確信している。彼はどこへ行くにも、座って呼吸を整える
ために座る椅子を運ぶアシスタントを同行している。

Speculation about the state of Kim's health was heightened when a team of six doctors 
from 
the German Heart Institute in Berlin flew to Pyongyang, the North Korean capital, for eight 
days last month. Kim, who also suffers from diabetes, was believed by diplomats to have 
been among those on the list for treatment by the combined medical and surgical team. But 
a spokesman for the German team said they had only treated three labourers, a nurse and 

scientist.

糖尿病を患っているとされる金xxの健康状態についての推測は、ベルリンのドイツ心臓研究

の6人の医師チームが、K国の首都のP市に、先月8日間滞在したというところから、高まっ
た。
腎臓病については、医学、外科チームによる治療のリストにあがっている。

しかしドイツチームのスポークスマンは、彼ら医師団は、3人の労働者と、1人の看護婦、それ
に1人の科学者の治療をしただけだと述べている。

+++++++++++++++

 つまり原因は、「心臓」だったということになる。もっとも臓器というのは、それぞれが関連
しあっていて、一つが極度に悪化すると、つぎの臓器も、つづいて悪化する。東洋医学(霊枢・
病伝編)でも、そう教えている。

 が、同じく、「肝腎要(かなめ)」(肝心と書くときもあるが、東洋医学では、肝腎と書く)
ということからもわかるように、肝臓、腎臓、心臓は、とくに重要な臓器である。金xxは、こ
れら3つのうち、3つとも悪いと言われている。

 拉致問題、核兵器開発問題を解決するためには、K国を一度、崩壊させるしかない。金xxの
死後、K国が、どのような国家体制をつくるか、あるいは一度、崩壊するのか、ますますK国か
ら目が離せなくなった。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●地図

年長児になると、急速に、地理的空間弁別能力が発達してくる。自分の家の周囲の様子を、
空中
から見たような感じで理解することができるようになる。能力の発達した子どもだと、簡単な地
図を描くことができるようになる。それまでの子どもは、地図といっても、牛の腸のような、グ
ニャグニャした道の地図を描く。

 この能力は、たとえば近所の2つの場所をいい、「どちらが遠いかな?」というような質問を
すると、知ることができる。「ガソリンスタンドと、バス停は、どちらが遠いかな?」と。

 こうした能力は、……というより、こうした能力が未発達なまま、おとなになると、いわゆる、
「方向音痴」と呼ばれる人になる。ひどい人だと、街の中で数ブロック移動しただけで、右も左
もわからなくなる。

 そう言えば、私の知人の1人は、軽い脳梗塞を起こしたあと、自宅近くでさえ、道に迷うよう
になってしまった。ときに、自宅のまわりを行ったり来たりしてすることもあるという。

 この能力も、つまり方向感覚も、年中期から年長期にかけて、急速に発達すると考えてよ
い。

 で、今週、BW教室では、「地図学習」をしている。あらかじめおうちの方に、住所や簡単な
地図を書いてもらい、それを見ながら、子どもたちを指導している。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

+++++++++++++

今日は、6月11日。月曜日。
はげしい雨がつづいたが、一転、
昨日の午後から、快晴。白い、
空気をそのまま貫くような
朝の光が、まぶしい。

+++++++++++++

●大河ドラマ

 「絶対、見ないぞ」と思っていたが、チャンネルをかえるついでに、NHKの大河ドラマを見
た。……しばらく見てしまった。何かの評定会議をしているシーンだった。

 それを見て、びっくり。10年前の大河ドラマとそっくり。20年前の大河ドラマとそっくり。

 武将たちが、それぞれ自分のセリフを言っていたが、その言い方が、ワンパターン。実にワ

パターン。あんな演技なら、私にだって、できる。あなたにだって、できる。武将というのは、
こういうものの言い方をするものだというような、決められた言い方。こういうときには、こう
いう表情をするものだという、実にわざとらしい演技。

 自然さが、どこにもない。人間味が、どこにもない。

 私も、20年ほど前のことだが、その会社の命運を決するような会議に出させてもらったこと
がある。昨日の大河ドラマのように、そこには、15人前後の役員が集まっていた。そして同じ
ように、自分の意見を述べあっていた。

 しかし雰囲気は、まるでちがう。それぞれの人が、それぞれの立場で、自分の意見を述べて

た。どこかへつらいがちに、ものを言う役員。頭を下に向け、ポツリ、ポツリとしゃべる取締役
社長。だまりこくったまま、ため息ばかりつく、別の役員などなど。大河ドラマの監督も、一度、
そういうシーンをどこかで見てくるとよい。

 領地を取っただの、取られただの、まるで餓鬼の会議。そこには、一片の正義もない。何の

めに、戦っているのか、戦うのか、その大義名分すら、ない。まったく、ない。民衆のために闘
うとか、民主主義のために戦うとか、はたまた自由を求めて戦うというのなら、まだわかる。し
かしそういう正義は、まったく、ない。

 要するに、みな、我欲の追求だけが目的。そのための会議。のどに力を入れて、力んでいる

け。見ているうちに、あのK国の軍人たちを連想してしまった。

 大河ドラマというのは、こういうものでございます……という、まさに型にはまった演技。ど
うしてNHKは、10年一律のごとく、同じような番組ばかりつくるのだろう。

++++++++++++

以前、書いた原稿を
添付します。

++++++++++++

●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーンだが、
欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごす
ということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解できる。
しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするの
か」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」とい
うことになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を
加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あた
かも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の
庶民
たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君を美

したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、伝統
的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的なことを教え
るのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につ
けるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力
主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリ
カ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、
質問する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の基本にな
っているが、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本
になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほど
の開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と
説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこで「では、
オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太子も学
んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュラムを学校

組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。そういう学校を
よい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもらいた

ったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●大学生の親"貧乏盛り"

 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均11万

000円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけではすまな
い。

アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に40〜50万
円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネットも常識。
…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。世間は

どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! 

 そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、
親、貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。

 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさ
なければならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除
制度があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。

しかも、だ。日本の対GNP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。
欧米各国が、7〜9%(スウェーデン9・0、カナダ8・2、アメリカ6・8%)。日本はこ
の十年間、毎年4〜5%前後で推移している。

大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少ないということは、それだけ親の負担が大
きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀行の救済のためだけに、4兆円近い大金
を使った。それだけのお金があれば、全国200万人の大学生に、一人当たり200万円ずつ
の奨学金を渡せる!

 が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というの
はそういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、
世界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。

いまだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本人の
この後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまで
も個人的利益の追求の場と位置づけている。

 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え
ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さ
が積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。

 日本の教育制度は、欧米に比べて、30年はおくれている。その意識となると、50年はおく
れている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。

「こんなところで、子どもを育てたくない!」と。

「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがいろいろあって、
そう言ったのだろう。が、それからほぼ30年。この状態はいまだに変わっていない。もしジ
ョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育てたく
ない」と。

 私も3人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫
のことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●引く文化・押す文化

 日本の子どもは、消しゴムのカスを、手前に払って、机の下に落とす。欧米の子どもは、向こ
う側に払って、机の上に残す。

考えてみれば、不思議なことだ。教えなくとも、日本の子どもたちは、いつの間にかそうする
ようになる。考えてみれば、日本の刀は、手前に引きながら、相手切る。欧米の刀は、相手の
ほうに突き刺しながら切る。ノコギリもそうだ。日本では引きながら切る。欧米では押しなが
ら切る。

これを称して、日本の文化は「引く文化」。欧米の文化は「押す文化」と言った人がいた。た
とえば「庭」。日本では、庭をつくるとき、視点を家の中に置く。つまり家の中に美しさを、
引きこむようにして庭をつくる。欧米は反対に、外に向かって庭をつくる。

わかりやすく言えば、通りから見た美しさを大切にする。何でもないようなことだが、こうし
た文化は、教育にも大きな影響を与えている。

 日本人は、周囲の価値を、自分の中に引きこむことを美徳とする。内面世界の充実を大切
にす
る。一方、欧米では、自分の価値を、相手に訴えることを美徳とする。

日本人はディベイト(討論)がヘタだと言われているが、そもそも国民性が違うから、しかた
ない。いや、長い間の封建制度が、日本独特の国民性を作った。自己主張をして波風をたて

よりも、ナーナーですまし、「和」をもって尊しとすると、日本人は考える。

つまりそもそも風土そのものが、「個」を認める社会になっていない。特に教育の世界がそう
だ。徹底した上意下達方式のもと、親も子どもも、いつもそれに従順に従っている。文部省が
「体験学習だ」と言えば、体験学習。「ボランティア活動だ」と言えば、ボランティア活動。
いつもすべてが全国一律に動く。親の側から、教育に注文をつけるということは、まず、ない。

そういう意味でも、日本人は、まだあの封建制度から解放されていない。体質も、それから生
まれるものの考え方も、封建時代のままといってもよい。言いかえると、日本の封建時代が残
したマイナスの遺産は、あまりにも大きい。

 ……と悩んでもしかたない。問題は、こうした封建体質から私たちをいかにして解放させる
か、
だ。一つの方法として、あの封建時代、さらにその体質をそっくりそのまま受け継いだ明治、大
正、昭和の時代を今ここで、総括するという方法がある。歴史は歴史だからそれなりに正当に

価しなければならない。しかし決して美化したり、茶化したり、歪曲してはならない。

たとえば2000年のはじめ、NHKの大河ドラマにかこつけて、この静岡県で、『葵三代、
徳川博』なるものが催された。たいへんなにぎわいだったと聞いているが、しかしそういう形
で、あの封建時代を美化するのはたいへん危険なことである。

あの世界にも類をみないほどの、暗黒かつ恐怖政治のもとで、いかに多くの民衆が虐げられ、
苦しんだか、それを忘れてはならない。一方、徳川家康についても、その後、300年という
年月をかけて、つごうの悪い事実は繰り返し抹消された。

私たちが今もつ「家康像」というのは、あくまでもその結果でしかない。つまりこうしたこと
を繰り返している間は、私たちはあのマイナスの遺産から抜け出ることはない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育ての原点

 スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。ヤマバトが来ても逃げない。しかしモズが来ると、一
斉に逃げる。モズは肉食だ。しかしではなぜ、スズメは、そんなことを知っているのか。それは
本能によるものなのか。それとも学習によるものなのか。

 スズメは子育てをする一時期を除いて、集団行動をする。それはよく知られた習性だが、子

てのときもそうだ。子スズメたちは、いつも親スズメのあとをついて飛ぶ。そして親スズメに習
って、エサの取り方や食べ方を学ぶ。そのときのことだ。

モズが来ると、親スズメがまず逃げる。そしてそれを追いかけるようにして、子スズメも逃げ
る。スズメたちがモズから逃げるのは、本能によるものではなく、学習によるものだ。本能に
よるものなら、親スズメと同時か、場合によっては、親スズメより先に逃げるはずである。

 実は「子育て」の原点はここにある。教育の原点と言ってもよい。親は子どもを育てながら、
まず命を守る方法を教える。危険なものと、そうでないものを教える。将来生きていくために必
要な知識を、子どもたちに教える。経験を伝えることもある。子どもたちは、そういう知識や経
験を武器として、自分たちの世代を生きる。そして親になったとき、自分たちが教えられたよう
にして、次の世代に知識や経験を伝える。

が、この図式通りいかないところが、人間の世界だ。そしてこの図式通りでないところに、子
育てのゆがみ、さらに教育のゆがみがある。

その第一。たとえば今の日本の子どもたちは、家事をほとんど手伝わない。すべき家事すら、
ない。洗濯は全自動の洗濯機。料理も大半が、電子レンジで温めればすんでしまう。水は水
道、
ガスはガス管から運ばれる。掃除も、掃除機ですんでしまう。幼稚園児に、「水はどこから来
ますか」と質問すると、「蛇口!」と答える。

同じように野菜はスーパー、電気は電線となる。便利になったことはよいことだが、その便利
さに慣れるあまり、「生きることの基本」を忘れてしまっている。そして他方で、必要でもな
いような知識を、人間形成に必要不可欠な知識と錯覚する。よい例が一次方程式だ。二次方

式だ。

私など文科系の大学を出たこともあって、大学を卒業してから今にいたるまで、二次方程式は
おろか、一次方程式すら日常生活で使ったことは、ただの一度もない。さらに高校二年で微分
や三角関数を学ぶ。三年では三角関数の微分まで学ぶ。

もうこうなると、教えている私のほうがバカバカしくなる。こんな知識が一体、何の役にたつ
というのか。こうした事実をとらえて、私の知人はこう言った。「今の教育には矛盾と錯覚が
満々ている」(学外研・I氏)と。

 教育、教育と身構えるから、話がおかしくなる。しかし子どもたちが自立できるように、私た
ちが得た知識や経験を、子どもたちに伝えるのが教育。そしてそれを組織的に、かつ効率よ
く、
かたよりなく教えてくれるのが学校と考えれば、話がスッキリする。子育てだってそうだ。将来、
子どもたちが温かい家庭を築き、そしてそれにふさわしい親として子育てができるようにするの
が、子育て。そういうふうに考えて子育てをすれば、話がスッキリする。

+++++++++++++++++

自分の書いた原稿の中から、
「大河ドラマ」というキーワードを
使って検索してみたら、あっという
間に、数作見つかった。

本来なら、「中には、大河ドラマの
ファンの方もいらっしゃるかも
しれませんが、お許しください」と
書くべきなのだろうが、もうそういう
おじょうずは、言いたくない。
書きたくない。

……ということで、今朝の雑感は、
おしまい。

おはようございます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●高齢社会白書

++++++++++++++

65歳以上の高齢者が、55年には
人口の40・5%を占めるようになる
そうだ(政府・高齢者白書)。

++++++++++++++

 やがて人口の40・5%が、55年には、人口の40・5%を占めるようになるそうだ。この
ほど、政府は、2007年度版、高齢者白書を発表した。

 「高齢者1人を、わずか、1・3人の現役世代(15〜64歳)が支えることになる」と。

 が、この記事を読んで、まず「?」と思ったのは、「55」という数字。みなさんは、この「5
5」という数字が何であるか、わかっただろうか?

 2055年の「55」? 平成55年の「55」?

 2055年ということであれば、48年後ということになる。平成55年ということであれば、
36年後ということになる。役所の文書だから、多分、平成55年ということだろう。つまり3
6年後。私はそのとき、95歳になっている。

 どんなにがんばっても、そのころには私も、(生きていれば)、超ヨボヨボの老人。しかしそ
ういう私を支えてくれるのは、たったの1・3人。現在のような手厚い介護など、期待すべくも
ない。へたをすれば、……というより、まちがいなく、私たちはそのまま粗大ゴミになる。

 そこでゆいいつ生き残る道があるとすれば、できるだけ長く働いて、貯(たくわ)えをしっか
りとしておくということ。年金など、まったくアテにならない。これには厚生年金も共済年金も
ない。アテにならないことは、今の社会保険庁を見ればわかる。

 60歳で定年なんて、とんでもない話。65歳で定年なんて、とんでもない話。70歳でよう
やく定年。……そういう時代は、すぐそこまできている。

 しかしただ生きるだけでは、意味はない。生きがいをもつというか、(やるべきこと)はやる。
それがこれからの私たちの2老後のあり方ということになる。

 が、何といっても、健康。まず健康。その健康のためには、運動。まず運動。運動あっての健
康。健康あっての(生きがい)ということになる。

 今年満60歳になるみなさん、がんばりましょう!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母の旅立ち

+++++++++++++++

昨夜は、母の横で添い寝をした。
しばらくして、母がこう言った。

「寒くないか。ワシ(=私)の
ふとんを使えや」と。

私は、コタツぶとんの上で横になっていた。
見ると、母は、じっと私を見つめていた。

私「だれかに会いたいか?」
母「だれにも会いたくない」
私「その中でも、いちばんだれに
会いたいか?」
母「浩司、お前やナ」
私「ここにいるだろ」
母「そうやナ」と。

しばらく母の実家の話をする。
ついで「今までで、いちばん楽しかった
ことは何か?」と聞くと、
「何にもないなあ」と。

「いやなことは?」と聞くと、
「父ちゃん(=私の実父)が、
酒を飲んだことや」と。

とたん、大粒の涙が、こぼれた。
「ぼくも、いややった……」と。

その前に、姉夫婦と、1時間ほど
電話で話す。

私「まだ特別養護老人ホームへ
入れるという話はできん」
兄「そうやなア……」
私「できるだけ、母のそばにいて
やるよ」
兄「そうやなア……」と。

そんなことを、頭の中で思い出して
いた。

すると母がまたこう言った。

母「寒くないか?」
私「寒くない」
母「わしのふとんを使え」
私「いい……。これでいい」
母「ちゃんとしたところで寝んせエ
(=寝なさい)」
私「ここでいい」と。

いろいろあった。ありすぎて、ここには
書ききれない。しかし恨みも、つらみも
消えた。

そこにいるのは、やさしい母。
私が子どものころに見た、あの母。

私「何か、したいことがあるか?」
母「K村(=母の生まれ故郷)へ
行ってみてエ」
私「行くだけでいいのか?」
母「だれにも会いたくない……」
私「どうして?」
母「会っても、なんも、話しすることが
ねエ(=ない)」と。

……そのあとのことは、どうしても
思い出せない。

多分、私はそのまま眠ってしまったらしい。
気がつくと、だいだい色の、ぼんやりと
した朝日が、カーテンの向こうで
ゆれていた。ときおりはげしい雨が、
窓ガラスをたたきつけていた。

「朝かな?」と思ったが、そのまままた、
一眠りした。

++++++++++++++++

●今朝・あれこれ(6月10日) 

++++++++++++++

今朝は、激しい雷鳴で目が覚めた。
あとで時計を見ると、午前6時だった。
私はそのまま起きた。起きて、普段着に
着替えた。

今日は、日曜日。11時から、老人
ホームでの喫茶会があるという。
それ以外、とくに予定はない。

++++++++++++++

●老人ホーム

 老人のなり方は、千差万別。みな、ちがう。そのことは老人ホームをのぞいてみると、よくわ
かる。

 母は、4人部屋に入ったが、4人部屋といっても、一人分が、12畳間ほどもある。通路も入
れたら、もっとあるかもしれない。

 母のほかに、3人の女性が床に伏せっていた。一人は、寝たきりの状態で、食事も、ヘルパ

さんに食べさせてもらっている。もう一人は、ベッドの上で、ずっと歌を歌っている。もう一人
は、一見元気そうだが、まったく反応がない。

 廊下を出ると広間になっていて、そこには、10〜15人ほどの老人たちが、それぞれ勝手な
ことをしている。しかし何かをしているふうでもない。見たところ、新聞や本をなどを読んでい
る老人は、一人もいない。部屋の中央には、かけっぱなしのテレビ。が、それを見ている老人

いない。

 個性的と言えば聞こえはよい。一人とて、同じ老人がいないのには、驚いた。顔中が、風船

ように腫れた女性、モグモグと口だけを動かしている男性、じっと恐ろしいほどの目つきで、だ
れかをにらんでいる女性、無反応な隣人に向かって、一方的に話しかけている女性などなど。

 老人のなり方は、千差万別だが、みな、こうして最期のときを静かに待っている。そのときが
くるのを、じっと何かに耐えるようにしって待っている。

●ガランとした部屋

 ほかの部屋はどうなっているか? 母のこともあり、いくつかの部屋を回ってみた。見舞客用
の椅子やごみ箱は、どうしたらよいのか。それを知るために、部屋を回ってみた。

 が、土曜日の午後だというのに、見舞客は、ほとんどいなかった。……というより、私たちだ
けだった。またどの部屋も、ガランとしていて、人間臭さがまるで感じられなかった。長期にわ
たって滞在しているのだから、それなりの「蓄積」があるはず。しかしそれがなかった。

 どの人も、生涯において、それなりの生活をし、それなりの財産をつくった人たちにちがいな
い。それなりの人生観をもち、それなりの哲学をもった人にちがいない。それなりの肩書きや

位をもった人も、少なくないはず。

 しかし老人ホームでは、その「臭い」がまったくしない。もちろん病院とはちがう。家庭とも
ちがう。が、これが人生の終着点だとするなら、人はいったい、何のために生きてきたのか、あ
るいは今、何のために生きているのか、ということになる。

 最後に残るのは、ヨボヨボの肉体と、分厚い壁でできた、コンクリートの部屋だけ?

●私の提案

 母が入所したのは、浜松でもいちばん人気と言われる特別養護老人ホームである。設備は
整っ
ている。

 どこかの旅館のような玄関。広い廊下。移動用ベッドが楽々運べるエレベーターなどなど。広
間には、喫茶店風の店まである。

 しかし何か、物足りない? つまり設備は豪華で、立派だが、「緑」がない。どこまでも機能
的にできた「箱」だが、その箱には、窓がない。自然につながる窓がない。

 私なら……という言い方は、誤解を招くかもしれないが、私なら、芝生のはえた庭を中心にし
た老人ホームをつくる。部屋は、木造でもよい。その分だけ、「管理」はしにくいかもしれない
が、そのしにくい部分から、人間臭さが生まれる。老人どうしの交流も、そこから生まれる。

 外から見舞いに来る人にとっても、そのほうが楽しい。

 私は、老人たちの様子を見ながら、その老人たちからは、私たちはどう見えるか、それを考

た。

 何を思っているのだろう。何を考えているのだろう。もし今の私が、こういうところへ押し込
められたら、私なら、1日も耐えられないだろう。あるいは日常生活に必要な品々を、すべても
ちこむ。もちろんパソコンも、だ。

 しかしここは、そういうことさえできなくなった老人たちが、入るところらしい。私の母が、
おかしなことに、こういうところでは、ごくふつうの女性に見える。

 私は、あいさつ用にと、同じ部屋の老人たちにみやげを買ってきたが、渡すまでもない。その
まま受付にもっていき、そこで若い事務員たちにさし出してしまった。

 私が、「まるでみなさん、反応がありませんから……」と笑って言うと、その事務員は、「当
然です」というような笑顔を浮かべながら、それに応えた。

 外に出ると、豪雨が路面をはげしくたたいていた。私とワイフは、急いで車に飛び込んだ。


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●日曜日

+++++++++++++++

今日は、ワイフの誕生日。
「何歳?」と聞くと、「4x歳よ」と。

「それじゃあ、若いって、バカに
されるから、5x歳ということに
したら?」と言うと、「いいの、4x歳
で」と。

誕生日、おめでとう!

+++++++++++++++

●母の旅立ち

+++++++++++++++

昨夜は、母の横で添い寝をした。
しばらくして、母がこう言った。

「寒くないか。ワシ(=私)の
ふとんを使えや」と。

私は、コタツぶとんで横になっていた。
見ると、母は、じっと私を見つめて
いた。

私「だれかに会いたいか?」
母「だれにも会いたくない」
私「その中でも、いちばんだれに
会いたいか?」
母「浩司、お前やナ」
私「ここにいるだろ」
母「そうやナ」と。

しばらく母の実家の話をする。
ついで「今までで、いちばん楽しかった
ことは何か?」と聞くと、
「何にもないなあ」と。

「いやなことは?」と聞くと、
「父ちゃん(=私の実父)が、
酒を飲んだことや」と。

とたん、大粒の涙が、出た。
「ぼくも、いややった……」と。

その前に、姉夫婦と、1時間ほど
電話で話す。

私「まだ特別養護老人ホームへ
入れるという話はできん」
兄「そうやなア……」
私「できるだけ、母のそばにいて
やるよ」
兄「そうやなア……」と。

そんなことを、頭の中で思い出して
いた。

すると母がまたこう言った。

母「寒くないか?」
私「寒くない」
母「わしのふとんを使え」
私「いい……。これでいい」
母「ちゃんとしたところで寝んせエ
(=寝なさい)」
私「ここでいい」と。

いろいろあった。ありすぎて、ここには
書ききれない。しかし恨みも、つらみも
消えた。

そこにいるのは、やさしい母。
私が子どものころに見た、あの母。

私「何か、したいことがあるか?」
母「K村(=母の生まれ故郷)へ
行ってみてエ」
私「行くだけでいいのか?」
母「だれにも会いたくない……」
私「どうして?」
母「会っても、なんも、話しすることが
ねエ(=ない)」と。

……そのあとのことは、どうしても
思い出せない。

多分、私はそのまま眠ってしまったらしい。
気がつくと、だいだい色の、ぼんやりと
した朝日が、カーテンの向こうで
ゆれていた。

「朝かな?」と思ったが、そのまままた、
一眠りしてしまった。


++++++++++++++++

●運命

 今日、買い物に行くとき、ワイフが、車のハッチバックの角で、頭をぶった。私があけたまま
にしておいたのが、まずかった。

私「ごめん。お前が、荷物を入れると思って、開けたままにしておいた」
ワ「痛かったア……」と。

 ワイフは、しばらく自分の頭をマッサージしていた。

私「頭のケガは気をつけたほうがいい。血栓ができると、それがそのまま脳みその中に入り、

栓性に脳梗塞を起こすこともあるそうだ」
ワ「こわいわね」と。

 そのとき、こんな会話になった。

私「もしぼくが、ハッチバックを閉めておいたら、お前は、頭をぶたなかった」
ワ「そうね。でも、もしそうなら、閉めておいてくれたありがたみが、わからなかったわ」
私「いつものように、なにごともなく、すぎていたよね」
ワ「でも、あなたはハッチバックをあけておいてくれた」
私「荷物を入れやすくするためにね」
ワ「だから、私は、頭をぶった……」と。

 運命というのは、そのときまで姿を現さない。どこかに隠れたまま、私たちを虎視眈々(こし
たんたん)とねらっている。(頭をぶつ)程度のことですんだからよかったようなものの、もし
それが大事故につながるようなものだったとしたら……。

 交通事故でもよい。たとえば交通事故に遭遇すると、ほとんどの人は、「あの日に、車に乗ら
なければよかった」とか、さらに重大な事故だったりすると、「免許証を取らなければよかった」
とか、「車を買わなければよかった」とか、思う。

 しかしその一方で、もし交通事故に遭遇しなければ、そのときはそのときで、何ごともなく日々
はすぎていっただろう。交通事故の恐ろしさなど、知る由もない。車に乗ったことや、免許証を
取ったことや、車を買ったことなどを、後悔することもなかったはず。

 が、ここで運命論者たちは、別の考え方をする。何かの宗教を信じている人に、それは多
い。
つまり人の運命は、超自然的な何かによって、決定されているものだ、と。占いや予言も、こう
した考え方を基盤にしている。

 たとえばワイフが、ハッチバックで頭をぶったことも、さらにその前に、私がハッチバックを
あけたままにしたことも、すでにあらかじめ、決められたことだ、と。

 しかし、これはおかしい。ずいぶんと前だが、私はある男性と、こんな議論をしたことがある。
その男性というのは、あるカルト教団で指導的な立場にいた男性である。

私「私はいま、ここで100円玉を握っている。これから私がこれを落とすかどうか、それも運
命で決まっているのか?」
男「決まっている」
私「じゃあ、これからこのコインを落とす」
男「あなたは、落とすように運命づけられている」
私「じゃあ、やめた。落とさない」
男「それならそうで、落とさないと運命づけられている」
私「じゃあ、どっちなのだ?」
男「どちらにせよ、あなたがするように、すでに運命は決まっている」と。

 その男性に言わせれば、私の意思はないということになる。あっても、その意思すら、あらか
じめ超自然的な何かによって、決定されているということになる。

 ……ということで、あとは、私たち個人の判断ということになる。その男性の言い分を信ずる
か、それとも信じないかという問題ということになる。

 当然のことながら、私は信じない。もし運命があるとするなら、その運命は私たちをつないで
いる無数の糸によって決まる。家族の糸、社会の糸、仕事の糸、健康や肉体の糸、心の問題
など
など。そういった糸が無数にからんで、私たちの進むべき方向を決める。しかしそのほとんど
は、
確率と偶然によって、決まる。

 ただ冒頭に書いたように、その(進むべき方向)は、必ずしも、姿を見せるものではない。交
通事故にしても、事故に遭遇したときはじめて、そこに(予期しなかった糸)があったことを知
る。ワイフがハッチバックで、頭をぶったのも、その一つである。

 さて結論。

 今、おかしな占いが、大流行している。カルト化しているものもある。多くの信者を集めてい
るのもある。さらに最近では、天下のテレビ局が、そうしたカルトに手を貸している。

 こんなことでいいのかなあ?、……という疑問を発したところで、この話は、おしまい。この
ところ、「私の知ったことか!」というニヒリズムばかりが先に立つ。バカな人たちが、バカな
指導者の言いなりになって、バカなことをする。バカなテレビ局が、それに手を貸す。それでぞ
れぞれの人が、その人なりにハッピーなら、それはそれでよいこと。私の知ったことではない。


●自然体で……

+++++++++++++

ますます遅れる。
本来なら、今日あたりは、
マガジンの7月11日号を
書いていなければならない。

しかし6月22日号が、
まだ半分も書いていない。

そのうち、追いつかれるだろう。
そうなったら、マガジンは、
休刊。

しばらく休むことにする。

+++++++++++++

 電子マガジンは、ずっと今まで、1か月先の原稿を書いてきた。そうすることで、読者のみな
さんに、安定的に、マガジンを届けることができた。

 しかしそれがこのところ、思うように書けない。マガジンを出すことのむなしさばかりが、先
に立つ。「こんなことしていて、何になるのだろう」と、そんなことばかりを、考える。本来な
ら、今ごろは、7月11日号か、13日号の原稿を書いていなければならない。しかし実際には、
6月22日号。半分も書いていない。

 そのうち、追いつかれるだろう。アタフタしながら、原稿を書くのは、私のやり方ではない。
しかしそうなったら、マガジンは、しばらく休刊。中には、長く読んでくれている人もいるかも
しれない。が、実際には、読んでくれている人は、恐ろしく少ない。それが最近になって、やっ
とわかってきた。

 1000号まであと少しというのに、何たるザマ! 7月2日号で、903号になる。

 とにかく、ここは自然体でいこう。どうせ、なるようにしか、ならない……。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 22日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある相談から(掲示板より)

++++++++++++++++++

スナックで働くようになった娘(中3)
についての相談があった。

++++++++++++++++++

【Uさんから、はやし浩司へ】

はやし先生へ
初めまして。
高校2年、中学3年、小学校1年と3人の娘を持つ母(40才)です。
今回中3の二女のことで、ご相談したくメールさせて頂きました。

毎日、毎日が不安で、子どもにどう向かっていったらいいのか、自分を見失っています。
私は、長女が6才、二女が4才の時に離婚をしました。そして再婚。

主人(34才)は、それは優しく穏やかな人で、何よりも家庭を第一に考えてくれる、す
てきな人です。正式に結婚するまでには、2年ぐらいおつきあいしていたので、子どもた
ちも、すんなりとお父さんと呼んでくれました。自分でも仕事をもっていたので忙しい日々
でしたが、私の実母がこどもたちの面倒をみてくれていたので、なんとか乗り越えてきた
と思っていました。

二女が、中学に入学し変わっていくまでは・・・。

服装の乱れ、授業態度が悪くなる、部活動をさぼることから始まり、突然の家出。
二女の置き手紙には、自分だけお父さんと話せないのが嫌です。
友達がまだ遊んでいるのに自分だけ帰らなくてはいけないのが嫌です・・・
たくさんの不満がつづられていました。

お父さんも私も、ハッとする所があったと思います。
でもその時の私達は、これ以上娘を悪くさせてたまるか! 絶対目をはなさい。ダメな親
だと思われたくない。すごい意気込みだったと思います。娘の友達の親から、「それじゃあ
まりにも厳しすぎて、窮屈でかわいそうだ。」と言われるほどでした。

先生のHPを読ませて頂いて、確信してしまいました。私は、娘に大きなゆがみを与えて
しまったことにです。

それから、1年半。坂道をかけ落ちるかのように娘は変わってしまいました。
授業妨害、夜遊び、化粧、タバコ、飲酒、万引き、繰り返す家出・・・。

その都度、担任、学年主任、児童相談所、先輩のお母さんがた・・・。

とにかくたくさんの方々に相談し、毎日、今自分たちにできることはなんなのか?
夫婦で話し合ってきました。そして、娘の帰るべき所、心休まる所を家庭にしようとして
きました。

あの子を理解し、温かい気持ちで包んであげたいと、ただただそれだけを考え、必死でし
た。

生活態度は、相変わらずですが、娘の私たちに対する態度が明らかに変わり、笑顔での会
話が増えました。家にいることも多くなりました。きっと良い方向に向かうと信じ・・・。

でも、家出したときに世話になった先輩達とスナックで働きたいと言いだしたのは、2週
間前のこと。「自分の人生だから、好きに生きたい。認めてくれとは言わないけど、じゃま
をしないで、高校進学も考えてない、勉強はしないのに、学校へ行く意味がわからない。
もう万引きなんてしない。自分で稼いだお金で自分の好きに生きたい!!」

もちろん反対しました。説得しました。中学生が夜の世界ではたらくなんて、犯罪じゃな
いか、黙認しろなんて・・・このことは、まだ、誰にも相談できずにいます。

玄関に座り込んで、絶対に行かせないって言うべきか、店に乗り込んで、この子はまだ中
学生なので、連れて帰りますと、強行するべきか。何か行動を起して、その結果今度は、
どうなってしまうのか、不安で、怖くて、夜働きにでる娘になにもできないでいます。

私は、どうすべきなのでしょうか。こんなダメな親ですが、あの子が好きです。大切です。
文章がまとまらずすみません。アドバイスを頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

【はやし浩司からUさんへ】

一言で言えば、『許して、忘れなさい』ということでしょうか。あなたの二女は、あなた
が考えているより、はるかにおとなですし、すでにあなたの手の届かないところに巣立
っています。とても残念ですが、今、あなたができることは、ほとんどというより、何
もありません。

 もしあるとすれば、二女がいつ帰ってきてもよいように、窓をあけ、温かいふとんを用
意しておくことくらいなものです。むしろあなたの心配、不安が、二女を、さらに混乱さ
せる結果となっていることに注意してください。もっと言えば、あなたは二女を、ほとん
ど信じていない。それが二女にとっては、不満であり、苦痛なわけです。

 「自分の人生だから、好きに生きたい。認めてくれとは言わないけど、じゃまをしない
で、高校進学も考えてない、勉強はしないのに、学校へ行く意味がわからない。もう万引
きなんてしない。自分で稼いだお金で自分の好きに生きたい!!」という言葉の中に、今
の二女の気持ちが集約されていると思います。

 今、大切なことは、今の状態をこれ以上悪くしないこと。現状を受け入れ、あきらめ、
この段階で、ストップをかけることです。今、ここで「スナックで働くのを阻止する」と
いう行動に出れば、二女は、さらに、そのつぎのステップへと進んでしまうでしょう。あ
なたは今の状態を、ドン底と考えているようですが、そのドン底にはさらにつぎのドン底
があるということです。

 (本当は、ドン底でも何でもないのですが……。)

 ちょうど半年ほど前にも、たいへんよく似たケースを経験しました。相談をしてきたの
は、中3の男子をもつ母親でした。その男子が、ガールフレンドの家で寝泊まりするよう
になってしまったというのです。

 相手の女子の親は、「もし反対すれば、娘もいっしょに家出してしまうかもしれない」と
いうことで、その男子と同居させていました。(マガジンの過去版で、それについて書いた
ことがあります。)

 こういうケースでも、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えて対処する」が
鉄則です。「なおそう」とか、「もとに戻そう」と考えて行動すればするほど、二番底、三
番底へと落ちていきます。(本当は、落ちるのではありませんが……。親から見ると、そう
見えるだけの話ですが……。)

 子どもの巣立ちのし方には、いろいろあります。どういう巣立ちのし方をするかは、そ
の子どもが決めます。しかもその巣立ちのし方は、必ずしも、美しいものばかりではあり
ません。では、どうするか。

 ここまできたら、腹を決めなさい。覚悟しなさい。ジタバタしないで、あなたは自分の
子どもを信じて、一歩、引きさがりなさい。今は、中3ですが、あとは時間が解決してく
れます。

 先の男子のケースもそうですが、その男子は、母親にこう言っていました。「迎えに来た
ら、お前をぶっ殺す」と。が、その男子は、入試直前に家にもどってきました。そして今
は、何ごともなかったかのように、高校に通っています。

 「あなたはあなたの道を行きなさい」「お母さんは、あなたを信じていますからね」と、
一度、肩をたたいてあげる。同時に、あなたは、今の苦しみから解放されます。『あきらめ
は悟りの境地』という格言を考えたこともあります。

 子どもは、許して忘れる。あとは時の流れに任せて、あきらめる。その度量の深さが、
あなたという親の「愛」の深さを決めます。今こそ、正念場ですよ。スナック勤務を勧め
るわけではありませんが、職業に偏見は禁物です。

 あなたにすれば、「どうしてうちの子が!」ということになりますが、いまどき、この種
の問題は、珍しくも何ともありません。あなたの町のあなたの町内でも、あるいはあなた
の近所でも、日常茶飯事として起きていることです。

 二女は、ふつうの子ども以上に、常識豊かな子どもとなって、必ず、あなたのところに
戻ってきますよ。二女は二女なりに、今、自分さがしの旅に出たのだと思ってください。
忘れていけないのは、あなたが苦しんでいる以上に、あなたの二女もまた、苦しんでいる
ということ。加えて、親の束縛感、重圧感、(これらをまとめて自我群と言いますが)、そ
れにも苦しんでいます。

 あえて言うなら、そこまで自分のことを考えている子どもという点で、すばらしい子ど
もではありませんか。今、あなたたちは、たがいにキズつけあっているだけ。どうして愛
し合っていながら、そんなことをするのですか?

 くりかえしますが、あなたが二女を信じているかぎり、またその気持ちが二女に伝わっ
ているかぎり、二女は、今の段階で自分をもちなおし、時期がきたら、必ず、あなたのと
ころへもどってきます。

 だから今すぐ、あなたは二女にこう言ってあげなさい。「お母さんは、どんなことがあっ
ても、あなたを守ってあげるからね。いつでも、好きなときに、もどってきてね」と。

 『許して忘れる』について書いた原稿を添付します。私はこの原稿を書いているとき、
一行ごとに、大粒の涙を流しました。今でもそのときのことをよく覚えています。

++++++++++++++

親が子どもを許して忘れるとき

●苦労のない子育てはない

 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子
どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育
てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育てはそん
な甘いものではない。

親は子育てをしながら、それこそ幾多の山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真
の親」へと、いやおうなしに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてく
るような親は、確かに若くてきれいだが、どこかツンツンとしている。どこか軽い(失
礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつすらしない。しかしそん
な親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が実って頭をさげるよう
に、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。

●子どもは下からみる

 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなく
してから気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私には3人の息子がいるが、そのうちの2人を、あやうく海でなくすところだった。と
くに二男は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、し
かもほとんど人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。

あとで話を聞くと、国体の元水泳選手だったという。私たちはそのとき、湖上に舟を浮
かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊んでいるものとばかり思ってい
た。が、3歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいない!」と叫んだとき、見ると
上の2人の息子たちが流れにのまれるところだった。

私は海に飛び込み、何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。私
は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、
それもできなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水
泳選手という人が、海から二男を助け出すところだった。

●「こいつは生きているだけでいい」

 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思い
なおすことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰
り返したときも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きてい
るだけでいい」と思いなおすことで、乗り越えることができた。

私の母はいつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というの
は、上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということ
だが、子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下か
ら見る。「生きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決す
るから不思議である。

●子育ては許して忘れる 

 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んで
いると、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。

英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与
えるため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳
せる。しかし何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、
この言葉の意味をずっと考えていたように思う。が、ある日。その意味がわかった。

 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切
った。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子ども
ではないか。許して忘れてしまえ」と。つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに
愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。

そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親の愛の深さが決まる。
もちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということでは
ない。子どもの言いなりになるということでもない。許して忘れるということは、子ど
もを受け入れ、子どもをあるがままに認めるということ。子どもの苦しみや悲しみを自
分のものとして受け入れ、仮に問題があったとしても、その問題を自分のものとして認
めるということをいう。

 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生き
ている」という原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い
出してみてほしい。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。

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もう一作、似たような原稿ですが……。

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【子育てのすばらしさを教えられるとき】

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(3歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自
分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう
感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ている
と、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。

 先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこ
に死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感
じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思っ
て生きてきた。

しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れ
のようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育て
をしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流
れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても
いつも孤独がそこにいて、私をあざ笑う。

 すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。
しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものでき
の悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。

これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者
や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。が、私のような凡人
にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、
たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやし
てくれる。

●神や仏の使者
 
たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生き
ることにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、
その人の問題意識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、
それでよい。それでわかる。

 子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、
そして生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未
来永劫にわたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれ
る。子どもはそういう意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそ
れに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかと
いって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしいことはない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(6月7日)

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夜中に、ふとんをはいでしまっていた。
おかげで、今朝は、寝起きから風邪気味。
今日は、K小学校で講演をひかえている
というのに、何たる、ザマ!

少し原稿を書いてから、また床に入る
つもり。風邪薬は、のんだ。食欲は
ある。

あとはビタミンC(アスコルビン酸)を
たっぷりととって、1〜2時間眠る。

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●受験に失敗する?

 以前は、このあたりでは、高校入試が、(入試の関門)になっていた。今は、それが3年
早くなり、中学入試が、(入試の関門)になった。

 おかげで進学塾は、息を吹き返した。生徒が、実質、2倍になったことになる。が、そ
の分だけ、つまり受験年齢が低年齢化した分だけ、弊害も現れるようになった。わかりや
すく言えば、このあたりでも、小学3,4年生ごろから、子どもたちは、受験勉強の準備
にとりかかる。子どもたちというよりは、親たちが、準備にとりかかる。

 いろいろ書きたいことはあるが、この話は、ここまで。

 で、そういう子どもたちを見ていると、(成功組)と(失敗組)が、あらかじめ、ある程
度予想できる。(成功組)の子どもは、力に余裕があり、どっしりと落ち着いている。(失
敗組)は、背伸びをしながら、どこかバタバタした状態になる。

 たとえて言うなら、収入の範囲で、安定的な生活をしている組と、借金に借金を重ね、
毎日その借金取りに追いまくられて生活している組ということになる。

 が、この時期、一度、バタバタし始めると、もうあとがない。成績は確実に、さがる。
受験勉強など、どこかへ吹き飛んでしまう。あとは、この悪循環。しかし私の立場では、
何も言えない。言ったところで、親自身に、(聞く耳)がない。親自身も、バタバタした感
じになる。

 これについてもいろいろ書きたいことはあるが、ここまで。今朝は、どうも頭の中がす
っきりしない。やはり風邪のせいか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マガジン

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本来なら、今ごろは、7月9日
号の原稿を書いていなければ
ならない。

しかし実際には、6月20日号?

遅れること、約20日。

私の電子マガジンも、風前の灯火。

今月(6月)は、HTML版(カラー版)の
マガジンも休止している。

忙しいというよりは、やる気を
支えるだけで精いっぱい。

読者はふえない。協力してくれる
人も、ほとんどいない。

先日は、「電子(無料)マガジンを解約
できない。そちら(=私)のほうで
してくれ」と言ってきた女性がいた。

どうやら別のアドレスで購読を申し込んで、
それを忘れてしまったらしい。

こういうことがつづくと、電子マガジンを
発行するのもいやになる。

しかし1000号まで、あと少し。
がんばろう。がんばります。
がんばるしかない。

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 ときどき「私も電子マガジンを発行してみよう」という人に出会う。しかしそういうと
き私は、こう答えるようにしている。

 「何しろ、読者の顔の見えない世界のことですから、それなりの覚悟はしておいたほう
がいいですよ」と。

 「それなりの覚悟」というのは、一言で表現すれば、「ボランティア活動と思うこと」と
いう意味である。その精神がなければ、電子マガジンの発行は、やめたほうがよい。その
精神があるなら、あとは何も考えずに、ただひたすらマガジンを発行したらよい。

 だれのためでもない。自分のためである。たとえて言うなら、毎日のジョギングに似て
いる。書くことによって、脳みその健康を維持することができる。読者がいてもいなくて
も、つまり観客がいてもいなくても、そういうことは気にせず、自分の道を進む。

 もちろん大切なことは、1人でも2人でも、ひょっとしたら熱心に読んでくれている人
がいるかもしれないということを、忘れないこと。1人か2人でよい。そういう人たちは
夜空に光る星のようなもの。小さな希望かもしれないが、その希望が、書く者の気持ちを
支えてくれる。

 私のマガジンについていえば、近くの(わかば耳鼻咽喉科医院)のスタッフのみなさん
が、そうである。一度、「廃刊にしょうか」と迷ったとき、その医院のみなさんが、私を支
えてくれた。だから再び、こう心に決めた。「1000号までつづけよう」と。

 1000号まで、あと1年と、少し。

 やはり風邪気味のようだ。ここで一休止。おやすみなさい! +わかば耳鼻咽喉科のみ
なさん、いつも声援、ありがとうございます!!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●介護の限界

++++++++++++++

このところ、介護の限界を
強く感ずる。

事故もいくつか重なった……。

++++++++++++++

 家庭での介護には、限界がある。その限界を、このところ強く感ずる。事故もいくつか、
重なった。

 ある日、廊下からふと、母の部屋を見ると、母が、さかさまになったまま、ベッドの横
でもがいていた。見ると、ベッドから、体を落とし、頭が、ベッドと手すりの間にはさま
ってしまっていた。

 あわてて起こしたからよかったようなものの、発見が1時間でも遅れていたら、母は死
んでいたかもしれない。

 ワイフも同じような経験をしている。

 母が大声で叫んでいるので見に行ったら、母は、洋服掛けの向こうに倒れ、やはりさか
さまになっていた。頭はその向こうの箱の中に隠れていたという。たぶん、箱の中の自分
の服を取ろうとして、そのまま鉄棒の前回りのようになって、向こう側に落ちてしまった
らしい。このときも、発見が早かったから、よかった。

 ベッドの横の柵は、はずした。洋服の入った箱は、洋服掛けの手前に置いた。が、それ
だけではない。

 母は、窓を閉めるつもりで、別の窓をあけてしまう。だから夜中じゅう、窓があいた状
態になる。それで顔中、蚊に刺されてしまった。ケサ・センターの人はそれを見て、発疹
ではないかと、病院へ母を回してくれた。そして今朝も……。

 たまたま夜中に長男が、母の部屋の前の廊下を歩いていると、母の助けを呼ぶ声が聞こ
えた。見ると、母は、床の上で寝ていたという。ふとんは、反対側に落ちてしまっていた。
母は、落ちたふとんすら、もう、自分では拾えない。

 今朝も、たまたま長男が発見してくれたからよかったようなものの、もし長男が発見し
ていなければ、やはり……? ゾーッ!

 以前は、無線の呼び出しベルをそばに置いたが、夜中に何度も起こされたりしたことも
あり、それは片づけた。しかも肝心なときには、母は、そのベルのことは忘れてしまう。
まだらボケというのか、脳みそも、調子のよいときと、悪いときがある。

 こうしたことがつぎつぎと重なって、このところ、母の介護に限界を感ずるようになっ
た。ケア・マネージャーの方に相談すると、こう言った。「家庭での介護は、無理のようで
すね」と。

 が、特別養護老人ホームというところへは、簡単には入所できない。この2月ごろに相
談に行くと、「2、3年待ちです」とか、「3〜40人待ちです」とか言われた。新規にオ
ープンした老人ホームだと、申し込みと同時に入所できることもあるという。

 で、「2、3年待ちかア〜」ということで、先週、入所申し込みだけでもしておこうと考
えて、近くの特別養護老人ホームを訪ねてみた。母はすでに寝たきりに近い状態になって
いる。介護度は、「4」。「ほとんど5に近い、4」ということだった。

 ところがここで思わぬハプニング……というか、運(「運」という言葉は不適切だが……)
が向いてきた。たまたま相談に行った直前、一人の老人が退出することになった。部屋が
あくことになった。しかも応対してくれた人が、トップの人だった。

 「今なら、何とかできますが……」と。

 特別養護老人ホームにもいろいろある。その老人ホームは、この浜松市でも人気度ナン
バーワンと言われるほど、設備が整っている。個室にしても、15〜20畳間くらいの広
さがある。4人部屋でも、1人分、12畳間近くもある。広々しているのが、何よりもよ
い。

 私はウーンとためらったと、「お願いします」と言った。「入れるときに入っておかない
と、つぎはいつになるかわからないわよ」と、義理の姉も言っていた。もちろん入所する
といっても、無料ではない。その老人の収入と財産に応じて、入所費はちがう。その出費
は、当然、私の負担となる。

 ……こうして私の母は、特別養護老人ホームに入所することになった。「もう少し頑張れ
るかな……」という気持ちもないわけではないが、このところ母は、急速に体力を落とし
ている。今では一度床に座ると、そばに支えがあっても、自分で立ちあがることさえでき
ない。

 ワイフが、介護疲れから解放されるという喜びと、「母もいよいよその時期が来たのだな」
というさみしさ。それが交互に心の中にわいては消える。

 生まれたときは、みな、赤ん坊は同じような顔をしている。しかし臨終の迎え方は、千
差万別。人によって、みな、ちがう。恐ろしいほど、ちがう。センターから出るとき、ワ
イフとそんな話をしていた。


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●社会保険庁を解体せよ!

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社会保険庁のずさんな事務管理に
腹を立てている人は、少なくない。

報道によれば、何と5000万人
分の保険者の記録が、紛失してい
たという。

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 前からおかしいと思っていたが、しかしここまでおかしいとは、だれが予想していただ
ろうか? あろうことか5000万人分の記録が、紛失していたという。5000万人と
いえば、日本の人口の約半分ということになる!

 そこで政府は、被害者救済法案まで立法して、これら5000万人の人たちを救済する
ことにした(6月5日)。「年金時効撤廃特例法案」というのがそれだが、時効(5年)の
ため受け取れなかった過去の不足分を、一時金として支給する際に、所得税を課税しない
ようにするという。

 はっきり言おう。社会保険庁など、いらない。不要。廃止にしたらよい。

 たとえばドイツを見てみよう。ドイツでは、年金は完全に一元化している。その年齢に
なれば、過去にどんな仕事をしていても、またどこに住んでいても、同じ年金が支給され
る。

 金持ちも、貧乏人もない。公務員も、会社員も、個人商店主もない。みな、一律、平等
である。

 このわかりやすが、その一方で、小さな政府づくりに、手を貸している。で、先日、オ
ーストラリアへ行ったときのこと。オーストラリア人の友人と、年金の話をした。オース
トラリアの制度も、ドイツの制度と、よく似ている。

私「政府が出してくれる年金だけで、生活できるのか」
オ「最低限の生活だが、何とかできる」
私「老人になって、介護が必要になったらどうなのか」
オ「最低限の介護は受けられるようになっている」
私「では、多くの年金がほしい人や、よりよい介護を受けるためには、どうしたらいいの
か?」
オ「個人が、それぞれ、(民間の)保険会社と契約して、保険金をそこへ払っている」と。

 つまり政府は、最低限の年金だが、平等に支給する。それ以上の額については、あくま
でも個人の判断としている。

 わかりやすく言えば、国民年金だの、共済年金だの、厚生年金だのと、区別するほうが
おかしい。このほか、日本には、企業年金というものまである。

さらにその中身を見ると、「追加費用(公務員だけに適応された、支払全額免除制度)」、
公務員の共済制度の中における「職域加算」などがある。加えて最近では、「離婚時の年
金分割制度」まで生まれた。

つまり年金の種類が多ければ多いほど、また中身が複雑化すればするほど、それだけ事
務手続きは、煩雑(はんざつ)になる。そしてその分だけ、それを管理する、より多く
の人員(=公務員)が必要となる。

 今の日本の社会保険庁は、その(結果)と考えてよい。

 そこで登場したのが、年金の一元化。しかしこれとて、うまくいくはずがない。「官民格
差」は歴然としている。「官」が一度手にした利得を、そうは簡単に手放すわけがない。

 だったら、どうすればよいのか? 

方向性としては、ドイツやオーストラリアのように、わかりやすくすればよい。人間は
みな、平等。パートの仕事をした人も、フリーターも、みな、平等。その年齢になった
ら、みな、同じ、年金をもらえるようにすればよい。それで足りないと思う人は、自分
の能力と収入に応じて、若いときから保険に加入すればよい。

 だから……。社会保険庁なんて、いらない! 不要! 現在の年金制度を維持するため
に、どれだけ莫大な税金が、社会保険庁の人件費として、ムダに使われていることか! そ
れがわかったら、社会保険庁など廃止したらよい。

 「5000万人分の記録を紛失した」というが、しかしこの事件は、起こるべきして起
きた事件とも言える。中には、年に数回以上、職業を変える人だっている。失業、就職を
繰りかえす人だっている。そういう人たちが、引っ越しか何かで、転々と住所を変えるこ
とだってある。

 そういう人の動きを、すべて、「記録」によって、把握できると考えるほうが、おかしい。
だったら、ここに書いたように、年金を一元化すると同時に、一律化すればよい。今、す
ぐには無理としても、10年先、20年先にはそうなるようにすればよい。

 「あなたは満65歳になりましたから、今年から、年金を受給できます」と。たったそ
の一言だけで、すべてが片づく。片づくようにする。日本も、なぜ、そうしないのか? 言
い忘れたが、わかりやすい制度、簡単な制度、ついでに小さな政府。これはもう、世界の
常識。日本も、これから先、そういう国をめざしたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●「実感なき景気拡大」

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戦後の、いざなぎ景気(65〜)、
バブル景気(86〜)についで、
今は、「実感なき景気拡大」期
(02〜)という。

その名のとおり、まったく実感
がない。

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 戦後の、いざなぎ景気(65〜)、バブル景気(86〜)についで、今は、「実感なき景
気拡大」期(02〜)という。その名のとおり、景気は拡大しているとは言うものの、ま
ったく実感がない。

 経済成長率を比較しても、いざなぎ景気(11・5%)、バブル景気(5・4%)に対し
て、現在の「実感なき景気拡大」は、たったの2・4%。それもそのはず、この間、地価
は30%以上下落、給料も全体としてみると、1・2%も下落している。

 政府と日銀は、「ジャブジャブ」(某経済誌)にお金をバラまいている。しかしそういっ
たお金は、いったい、どこへ消えてしまったのか? 「まさに実感なき景気拡大」という
ことになる。

 ……という話は、書くだけ、ヤボ。ほとんどのお金は銀行へと消え、その銀行は、海外
投資を活発にしつづけている。わかりやすく言えば、日本中の銀行が、今、世界のサラ金
として機能している。そのおかげで、どこの銀行も、今、空前の高利益を手にしている。

 よいのかなア……? よくないのかなア……?

 私にはよくわからないが、現実としては、たしかに生活は苦しくなってきている。物価
が高くなったという印象はないが、何をするにも、お金がかかる。何をするにも、出費が
重なる。

 お金を使わないでいようと思えば、家の中で、ただじっとしているしかない。そういう
意味では、たしかに苦しくなってきている。

 しかしまあ、一度は崖っぷちに立たされた日本経済だが、よくもここまで立ちなおった
ものだと思う。政策がよかったというよりは、中国経済に支えられた。中国特需に支えら
れた。今となってみれば、「中国、様々」ということになる。

 もし中国の経済発展がなければ、今ごろは、本当に日本は、太平洋の海溝へと沈んでい
たことだろう。が、これで問題が解決したわけではない。依然として、日本は、1000
兆円近い借金をかかえている。この借金は、手つかずのまま。本来なら、今、矢継ぎ早に
行政改革(=官僚制度の是正)をしなければならないのだが、それはみなさんご存知のと
おり。遅々として進んでいない。

 むしろ逆に、多少景気がよくなった(?)のをよいことに、ますます「行政」は、肥大
化している。公務員の数にしても、減るどころか、かえって増えている!

 実感なき景気拡大……今しばらくはつづくとしても、先は、それほど明るくない。頼み
の中国にしても、このところ少しおかしくなってきた。おととい、上海B株は、約8%も
下落した。

 暗い話ばかりで恐縮だが、中国がコケれば、この景気拡大も終わる。さあ、どうする、
日本! その準備はできているのか?


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●やはり、おかしい?

+++++++++++++++

K国からの脱北者らしき4人の
乗った小舟が、青森県のある港に
漂着した。

それについて、その直後(6月3日)、
私は、「おかしい」と書いた。

新聞に寄稿した識者(?)は、みな、
「人道」を歌い、「手厚く保護すべき」と
主張していた。

しかしどこをどう考えても、おかしい。
おかしいものは、おかしい。

彼らは、本当に、脱北者なのか?

+++++++++++++++++

 K国からの脱北者とみられる、4人の男女が乗った小舟が、青森県のある港に漂着した。
そのニュースが報道された直後、つまり6月3日、私はそれを、「おかしい?」と書いた。
それについての原稿を、そのままここに再掲載する。

++++++++++

●本当かな?
 
 青森県のある漁村に、小さな舟がたどりついた。K国からの脱北者らしいという。しか
しあんな小舟で、800キロ(中日新聞報道)もの海を渡ることができるのだろうか。写
真で見るところ、幅こそやや広いが、浜名湖でよく見かける釣り船よりも小さい。

 報道によれば、6日間(実際には5日間)をかけて、K国の東海岸から、日本へやって
きたという。単純に計算すれば、800キロ÷(5x24時間)=6・7キロ、つまり時
速6・7キロで日本へやってきたことになる

 さっそく何人かの識者たちは、(人道)という言葉を使って、脱北者らしき人たちを保護
すべきと主張している。

 しかし本当に脱北者なのか? そう考えてよいのか? このところこの浜松でも強風が
吹き荒れていた。天候も不順で、変わりやすかった。現在、事情を調査しているというこ
となので、そのあたりも、当然調べていることと思う。しかしあんな小舟で、800キロ!?

 「北朝鮮には人権がないので出国を決めた。はじめは韓国へ行く予定だったが、軍事境
界線の警備が厳しいので、日本に向かった」(ヤフー・ニュース)と供述している点も、あ
やしい。

 人権があるかないかということは、K国を離れてはじめてわかること。K国から日本へ
やってきた直後に、(人権)という言葉を使うところがおかしい。

 どうも、私には、納得できない。いや、それ以上に、「?」と思うのは、いとも簡単に、
小舟であるにせよ、K国の船が、日本の港に着いてしまったこと。もしそれが武装船だっ
たら、どうするのか? 着いたところが青森の漁港ではなく、原子力発電所の近くだった
ら、どうするのか?

 日本の防衛は、だいじょうぶなのか? 私は、むしろ、そちらのほうを心配する。

 韓国では今、偽装脱北者が問題になっている。脱北者のフリをして、K国から韓国に渡
り、韓国内の脱北者をスパイするという脱北者である。(人道)も結構だが、ことは慎重に!

(付記)若いころ、私も浜名湖でよく釣り船に乗った。ある時期は毎週のように乗った。
そんな釣り船でも、湖が少しでも荒れると、航行不能になる。いわんや、日本海! 「脱
北者」と決めてかかる前に、少し、疑ってみたほうがよいのでは? K国という国は、あ
の手この手、ありとあらゆる手を使って、日本をだましてきた国である。それを忘れては
いけない。

+++++++++++++

 その後の調査で、いろいろなことがわかってきた。

(1)ディーゼルエンジンを2基も、積んでいたこと。
(2)200リットルの軽油を積んでいて、うち80リットルが残っていたこと。

 K国では、軽油1リットルといえば、平均的労働者の1か月分の給料に相当するという。
200リットルと言えば、200か月分!

 さらに仮にそうであったとしても、つまり軽油を手に入れることはできたとしても、木
造の小舟が、110リットル(200−90=110※)の軽油で、800〜900キロ
もの日本海を横切ることができるというのか。

 平坦な自動車道を車で走るときでも、リッターあたり、15〜20キロが限度。浜名湖
を船外機で走るときでさえ、10〜15リッターのガソリンで、1〜2時間程度、周遊す
るのが限度(浜名湖漁船店の主人の話)。リッターあたり、1〜3キロがやっとということ
になる。

 単純に計算すれば、彼ら4人は、軽油だけで200か月分の給料を注いで、日本へやっ
てきたことになる。しかも110リットルの軽油で、直線距離にして、800〜900キ
ロ!

 さらにおかしなことは、写真を見ると、喫水(きっすい・水面から船底面までの垂直距
離)が、あまりにも浅く、側板の高さも、見たところ40センチ前後しかない。加えて平
底の小舟。青森県のある漁師も、こう言っていた。「あんな舟で、よく日本海を渡れたもの
だ」(報道)と。

 波のうねりが1メートルもあり、そこへあんな小舟がつっこめば、舟はたちまち水をか
ぶる。木造船だから沈まないにしても、舟は、そのままバスタブのようになってしまうだ
ろう。

 常識で考えれば、あの小舟は、日本の近海まで別の船で運ばれ、そこから日本をめざし
たということになる。

 が、何と言ってもおかしいのは、漂着直後に、「K国には、人権がない」と発言している
ところ。これは私の経験から考えても、本当におかしい。

 話は、ぐんと過去にさかのぼるが、1970年の春、私は単身、オーストラリアに渡っ
た。そのときのこと。

 私は、それまで日本は自由の国だと思っていた。民主主義国家だと思っていた。が、オ
ーストラリアで見た自由、それに民主主義は、まったく異質のものだった。そしてやがて、
私は、……といっても、何か月もたってからのことだが、「日本には真の自由はない」「日
本の民主主義は、ニセモノだ」ということを知った。

 つまり「K国に人権がない」というのは、K国の外に住んでみてはじめてわかること。
またその上で、そう発言するなら、私にも納得する。しかしK国の外に出たこともない、
K国の脱北者(?)が、「K国には人権がない」とは? そう言えば、別の報道によれば、
「K国には、自由がない」と発言しているとも。

 K国で生まれ育ち、その国で教育を受けたとするなら、K国に人権がないとか、自由が
ないとかいうことは、わからないはず。そういった問題意識をもつことすらないはず。

 何からなにまで、考えれば考えるほどおかしな事件だが、ついでに一言。

 当日(6月3日)、2人の識者(?)が、この脱北者(?)について、新聞にコメントを
寄せていた(中日新聞)。

 2人とも、「人道」という言葉を最前面に出し、「手厚く保護すべし」と述べていた。

 今から思うと、実にオメデタイというか、ノー天気なコメントである。相手は、あのK
国である。今まで、さんざん日本をだましてきた、あのK国である。とくに大阪のK大学
のR教授の発言には、じゅうぶん、注意したらよい。トンチンカンを通り越して、いった
い、この人はどこの国の利益を第一に考えて発言しているのか、よくわからないときがあ
る。

 たとえば先の6か国協議の前には、K国を支持し、「核開発問題は、これで今年中(07
年度中)に解決する」などと発言していた。

 彼らは本当に脱北者なのか。それとも、偽装脱北者なのか。親子兄弟ということになっ
ているが、それが本当かどうかは、DNA鑑定をすれば、すぐわかるはず。そういった面
からも、徹底的に調査すべきである。

 で、もし偽装脱北者ということがはっきりすれば、韓国へではなく、中国経由で、K国
に送りかえせばよい。K国も、喜んで(?)、彼らを迎えてくれるはず。

(注)そう言えば、今回は、あのK国は沈黙を保ったまま。いつもなら、「脱北者を返せ」
と騒ぐはずなのに、どうして今回は、静かなのだろう。考えてみれば、これもおかしなこ
とだ。

(※補注)『K国東部の清津港を木製の船で出港し、今月2日に日本の青森県H町に漂着し
たところを保護された脱北者4人が、船に高価な燃料と予備エンジンを備えていただけで
なく、貧困層にとって入手が難しい腕時計を全員が持っていたことが分かり、論議を呼ん
でいる。共同通信が5日、伝えた。

 報道によると、4人は警察の取り調べに対し、「1日おきにパンを食べ延命した」などと
生活苦が北朝鮮脱出の動機だと主張しているが、高級品所持の発見で4人が中流以上の生
活をしていたのではないかとの見方が出ているという。

 4人が乗っていた木製の船には、予備用を含むディーゼルエンジン2基が搭載されてお
り、軽油200リットルのうち90リットルが残っていた。

 北朝鮮の生活に詳しい山梨学院大の宮塚利雄教授(朝鮮近現代経済史)は、共同通信の
取材に対し、軽油は1リットル当たりの値段が平均的な給与の1か月分で、「予備エンジン
を含め、かなりの資金が必要だったはず」と分析した。

 同教授はまた、「腕時計も北朝鮮では高価な物。普通の市民はまともに食べられるだけで
も窮乏しているとは考えない」とした上で、「タコ漁の収入だけで家計を支え、祖父母を養
ってきた」という供述にも懐疑的な見方を示した』(ヤフー・ニュースより)。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●金は天下の回りもの

自分から自分を、どんどんと取り除いて
いく。自分を飾っているものを、どんどんと
取り除いていく。名誉、地位、そして財産……。

最後に残るのは、自分の肉体と魂。
ふと、そういう自分を見ながら、今まで
こうして無事に生きてこられたことを、
感謝する。

だれに感謝するというのでもない。
自分の(命)に感謝する。(運)に
感謝する。

いろいろあった。いろいろやってきた。
どうということのない人生だったが、
「まあ、こんなもの」と、自分に
言って聞かせる。自分をなぐさめる。

ところでこの年齢になって気がついたが、
「金(マネー)」の世界から縁を切る
ことは、本当に、むずかしい。いくら
切ろうとしても、向こうからペタペタと
張りついてくる。

いまだに「金(マネー)」の毒気が、
身に深く、しみついている。わずかな
「金(マネー)」に執着して、悶々と
魂をわずらわす。

言い忘れたが、名誉や地位など、私には、
もとから関係ない。そういう世界とは、
20代のはじめに、縁を切った。

だからということでもないが、その分だけ、
私のエネルギーは、「金(マネー)」へと
向いた。それほど意識したわけではないが、
結果的にみると、そういうことになった。

が、加齢とともに、体力は衰え、気力も
衰える。当然のことながら、収入も減る。
とたん、またまた、あの毒気。何一つ
不自由はないはずなのに、その毒気が、
私を不安にする。不安定にする。

今、中国では、「金(マネー)」の亡者たちが、
狂ったように、株投資を繰りかえしていると
いう。ときどきテレビのニュースなどでも、
そういう様子が紹介される。

私たちはそれを笑って見るが、しかしどうして
それを笑うことができるだろうか。その姿は、
20年前、30年前の、私たちの姿、そのもの。

もちろん「金(マネー)」がなければ、人は
不幸になる。それはわかる。しかし幸福は、
「金(マネー)」では買えない。心の豊かさは
「金(マネー)」では買えない。さらに言えば、
命を「金(マネー)」では買うことはできない。

にもかかわらず、その毒気で、心をわずらわす。
どうしてか? 

この日本でも、「金(マネー)」が、一般社会で
流通しはじめたのは、江戸時代も中期になって
からだという。

それまでは、「金(マネー)」は、特殊な存在だ
った。私の印象では、今でいう、「債権」のよう
なものではなかったか。証券会社に預けた証券
のようなものではなかったか。

となると、それまでの人たちは、今の私たちと
は、かなりちがった生活をしていたはず。生きる
基準そのものがちがっていた。……となると、
その基準は、何だったのか。どこにあったのか。

そこで再び、今の中国に、思いをはせる。
私が見たニュースでは、人々が、狭い部屋で
ひしめきあって、株価を示す電光掲示板を
じっと見つめていた。ある証券会社の窓口での
光景だった。

それが彼らにとっては「仕事」かもしれないが、
しかしだれも、それを仕事とは思わない。また
そんなことをしても、仕事の実感を得ることは
できない。

つまり私たちは、そういう中国の人たちの延長
線上にいる。なりの果てと言ってもよい。

が、一度体にしみついた毒気を取り除くことは、
容易なことではない。体のシンの、そのまたシン
にまで、しみついている。

あああ……。この毒気を取り除くためには、
いったい、どうすればいいのだ。方法があると
すれば、、うんざりするほどの「金(マネー)」を
手にすること。100億円とか、1000億円
とか……。

しかしそれで本当に、魂は解放されるのか?
「金(マネー)」でけがされた心は解放されるのか?
かえって「金(マネー)」の奴隷になるだけでは
ないのか?

ここらが私の潮時かもしれない。人には、それ
ぞれ潮時というものがある。満ち潮になるときも
あれば、引き潮になるときもある。

つまりあるがままの自分を認め、それを受け入れる。
そして自分自身に感謝する。

今、ここに生きていることに感謝する。ともかくも、
体が動くことに感謝する。ものを考えることが
できることに感謝する。

すべてを、ここを基準にして、ものを考える。
それがこの私から、「金(マネー)」という毒気を
抜く唯一の方法だと、今の私は、そう思う。

【追記】

 昔、「信じられるのは、金(マネー)だけだ」と言った人がいた。かなりの実業家で、市
内に、資金運用のためだけの事務所さえもっていた。私はその事務所で、その人のために
本を代筆していた。

 当時は、その人がたいへん魅力的に見えた。電話1本だけで、10〜100万円単位の
お金を、右から左へと動かしていた。今で言う投資家の1人ではなかったか。市内で結婚
式場や、アパートを経営していた。

 そうそう当時話題になっていた、キュー・エイ・カンという人の書いた経営指南書の大
ファンで、私にもそれを読めと、何冊かくれたことがある。

 もちろん話すことといえば、金儲けのことばかり。顔をあわせれば、すぐお金の話にな
った。私の知らない世界の話だけに、私は、その人に話に夢中になった。プラス、小遣い
も、よくくれた。豪華な料理も、毎週のように食べさせてくれた。

 しかしその人は、そのあと、5、6年で、没落。一つの会社が不渡りを出したのをきっ
かけに、あとは連鎖的に、すべての会社を失ってしまった。聞くところによると、その人
はそのあと、精神病院に入院したという。私はその話を聞いて、「ありえる話だな」と思っ
た。その人は、それまで信仰してきたもの、すべてを失った。

 そのあと一度だけ会ったことがある。どこかのバス停からバスをおり、そのまま前に向
かって歩いていた。そのときは、まるで別人のようになってしまっていた。

 「金の亡者」……こういう言葉は好きではないが、(というのも、嫉妬心もないわけでは
ないので)、「金の亡者」と呼ばれる人は多い。そういう人というのは、うまくいっている
ときは、それなりに元気で、やり手に見える。しかしその「金(マネー)」を失うと、生気
そのものをなくす。

 (信仰)を抜くということは、そういうことをいう。

 昔からこう言うではないか。『金(マネー)は天下の回りもの』と。そんな不確かなもの
に、自分の命をかけてはいけない。またその価値はない。……と自分に言って聞かせて、
今日もがんばろう!


Hiroshi Hayashi++++++++June 07++++++++++はやし浩司

●毒気を抜く

どうせ死ねば、私どころか、
この宇宙もろとも、私から消える。

私が生まれる前の状態に、私はもどる。
「もどる」という言い方はおかしいが、
ともかくも、そういう状態になる。

そんな昔のことでなくてもよい。
私の近くにいた、叔父や叔母でもよい。
あるいは知りあいでもよい。

みな、生きているときには、
それなりにがんばって、生きた。
財産をためた人もいれば、
そうでない人もいる。
しかし財産をためた人にしても、
そういう人は、何を残したか?
今、何が残っているか?

みんな、煙のように消えてしまった。
わずかな財産にしがみついた人も、
そうでない人も、みんな煙のように
消えてしまった。

もちろんお金は必要だ。
生きていくためには、必要だ。
しかしいくらお金に執着しても、
お金のために生きてはいけない。

それがわからなければ、あの
「おしん」を見ればよい。

おしんは、ある時期までは、
生きるために、お金を稼いだ。
が、ある時期からは、お金を
稼ぐために、生きるようになった。

わかりやすく言えば、「金の亡者」
になった。

おしんの息子の代になって、
その息子は、年商数千億円という
規模の商売をするようになった。

それはそれで、この資本主義社会
においては、すごいことだと思う。

しかしその会社は、倒産した。
おしんが築きあげた世界は、
息子の代で、露と消えた。

だからといって、それが空しい
と言っているのではない。

ただそのとき、おしんのドラマを
見ながら涙した人も、その会社が
倒産したとき、涙する人はいなかった
ということ。

「金(マネー)」という毒気に染まると、
自分が見えなくなる。自分を見失って
しまうこともある。

どこかで一線を引きながら、
自分をしっかりと保たないと、
あっという間に、その毒気の餌食に
なってしまう。

それはそれで構わないが、つまり
人、それぞれだが、しかし同時に、
その人は、大切な自分の人生を
無駄にすることになる。無駄にしない
までも、無駄な道を大回りすることに
なる。

……ということで、ここまでは
私にもわかる。が、その毒気を抜くのは、
むずかしい。本当にむずかしい。

幸か不幸か、私という人間は、
そういう時代に生きてしまった。
「金(マネー)」がすべてという
時代に生きてしまった。

ところで昨日(6月4日)、中国の
上海株は、大暴落を記録した。

8%以上という大暴落である。
たった一日で、すべての財産を
なくした人も多いことだろう。
私には、彼らの悲鳴のようなものが、
聞こえてくる。

さあて、今日の日本の株価はどう
動くか? 注視しよう!

++++++++++++++

以前、その「おしん」について
書いたことがある。

++++++++++++++

●汝自身を知れ(キロン)

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか?」
と。

するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目の
かたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでし
まった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難
しさを思い知らされたからだ。

ところで哲学の究極の目的は、自分を知ることにある。スパルタの賢人のキロンは、「汝
自身を知れ」という有名な言葉を残している。フランスの哲学者のモンテーニュ(15
33〜1592)も「随想録」の中で、こう書いている。

「各人は自己の前を見る。私は自己の内部を見る。私は自己が相手なのだ。私はつねに
自己を考察し、検査し、吟味する」と。「自分を知る」ということは、一見簡単なことに
思えるが、その実、たいへん難しい。

で、このことをもう少し教育的に考えると、こうなる。つまり自分の中には自分であっ
て自分である部分と、自分であって自分でない部分がある。たとえば多動性児(ADH
D児)と呼ばれる子どもがいる。その多動児にしても、その多動性は、その子ども自身
を離れたところで起こる。子ども自身にはその意識すらない。だからその子どもをしか
っても意味がない。このことは親についても言える。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に
行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、そ
の相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分で
ない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがない
まま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、
もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」
と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」
のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、
ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。

自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。
それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこ
となく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗
を繰り返すことである。
(031025)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「おしん」と「マトリックス」

 昔、NHKドラマに「おしん」というのがあった。一人の女性が、小さな八百屋から身
を起こし、全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語であ
る。97年に約2000億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏
の母親のカツさんがモデルだとされている。

それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。泣いた。私の実家の母も、
おめでたいというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家の近くに系列の大
型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに受
けた。はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。

 人間は生きる。生きるために食べる。食べるために働く。「生きる」ことが主とするなら、
「働く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になっ
てしまった。それはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。

生きることが母体(マトリックス)なのに、働くという仮想現実の世界のほうが、母体
だと錯覚してしまう。

この日本でも、そして世界でも、生きるために働くのではなく、働くために生きている
人はいくらでもいる。しかし仮想現実は仮想現実。いくらその仮想現実で、地位や名誉、
肩書きを得たとしても、それはもともと仮想の世界でのこと。生きるということは、も
っと別のこと。生きる価値というのは、もっと別のことである。

あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要は
なかった。その息子のW氏にしても、全盛期には世界16カ国、グループで年商500
0億円もの売り上げを記録したというが、そんな必要はなかった。

私の父などは、自分で勝手にテリトリーを決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さん
の管轄だから自転車は売らない」などと言っていた。仮にその町内で自転車が売れたり
すると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。しかしそうした善意など、大型
スーパーの前ではひとたまりもなかった。

晩年の父は2、3日ごとに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実
の世界の人から見れば、W氏は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう価値
基準で人を判断することのほうが、まちがっている。

父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘れなかった。人間性というこ
とを考えるなら、私の父は生涯貧乏だったが、W氏にまさることはあっても、劣ること
は何もない。おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あ
たかも餓鬼のように富と財産を追い求め始めた。つまりその時点で、おしんは働くため
に生きるようになった。

 名誉や地位や肩書き。そんなものにどれほどの意味があるというのか。生きるためには
便利な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。自分を見失う。日
本では、あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。

しかしそのW氏のサクセス物語の裏で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣い
たことか。私の父もその一人だが、その証拠として、あのヤオハンジャパンが倒産した
とき、一部の関係者は別として、W氏に同情して涙をこぼした人はいなかった。

聞くところによると、W氏は再起をかけて全国で講演活動をしているという(夕刊フジ)。
これまたおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついてい
る。ふつうの人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。

(付記)
 実のところ子どもの世界も同じ。多くの親は、子育ての本分を忘れ、仮想現実の中で子
育てをしている。子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を育てる前に、受験だの進
学だの、有名高校だの有名大学だの、そんなことばかりにこだわっている。ある母親はこ
う言った。

「そうは言っても現実ですから……」と。

つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間性の教育などと言っているヒ
マはない、と。しかしそれこそまさに「マトリックス」の世界。仮想現実の世界に住み
ながら、そちらのほうを「現実」と錯覚してしまう。

が、それだけならまだしも、そういう仮想現実の世界にハマることによって、大切なも
のを大切でないと思い込み、大切でないものを大切と思い込んでしまう。そして結果と
して、親子関係を破戒し、子どもの人間性まで破壊してしまう。自分の人生をムダにし
てしまう。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「おしん」と「マトリックス」

+++++++++++++++

先に書いた原稿と一部ダブりますが
お許しください。

+++++++++++++++

●私の実家は閉店状態に……

 昔、NHKドラマに「おしん」というのがあった。一人の女性が、小さな八百屋から身
を起こし、全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語であ
る。97年に約2000億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏
の母親のカツさんがモデルだとされている。

それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。泣いた。私の実家の母も、
おめでたいというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家の近くに系列の大
型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影響をモロに受
けた。はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。

●生きるために働くが原点

 人間は生きる。生きるために食べる。食べるために働く。「生きる」ことが主とするなら、
「働く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になっ
てしまった。それはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。生きることが本来、
母体(マトリックス)であるはずなのに、働くという仮想現実の世界のほうを、母体だと
錯覚してしまう。

一つの例が単身赴任という制度だ。もう30年も前のことだが、メルボルン大学の法学
院で当時の副学部長だったブレナン教授が、私にこう聞いた。「日本には単身赴任(短期
出張)という制度があるそうだが、法的規制は何もないのか」と。そこで私が「ない」
と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラバラにされて何が仕事か!」と騒
いだ。教育の世界とて例外ではない。

●たまごっちというゲーム

あの「たまごっち」というわけのわからないゲームが全盛期のころのこと。あの電子の
生き物(?)が死んだだけでおお泣きする子どもはいくらでもいた。

私が「何も死んでいないのだよ」と説明しても、このタイプの子どもにはわからない。
一度私がそのゲームを貸してもらい、操作を誤ってそのたまごっちを殺して(?)しま
ったことがある。そのときもそうだ。そのときも子ども(小3女児)も、「先生が殺した!」
とやはり泣き出してしまった。

いや、子どもだけではない。当時東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。
ウソや冗談でしているのではない。マジメだ。中には北海道からかけつけて、涙ながら
に供養している女性(20歳くらい)もいた(NHK「電脳の果て」97年12月28
日放送)。

●たかがゲームと言えるか?

常識のある人は、こういう現象を笑う。中には「たかがゲームの世界のこと」と言う人
もいる。しかし本当にそうか? 

その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。
この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電
子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む
信者は、どこが違うのか。方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみてよい。あるい
はどこが違うというのか。仮想現実の世界にハマると、人はとんでもないことをし始め
る。

●仮想現実の世界

さてこの日本でも、そして世界でも、生きるために働くのではなく、働くために生きて
いる人はいくらでもいる。しかし仮想現実は仮想現実。いくらその仮想現実で、地位や
名誉、肩書きを得たとしても、それはもともと仮想の世界でのこと。生きるということ
は、もっと別のこと。生きる価値というのは、もっと別のこと。地位や名誉、肩書きは
あとからついてくるもの。ついてこなくてもかまわない。そういうものをまっ先に求め
たら、その人は見苦しくなる。

●そんな必要があったのか

あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要は
なかった。その息子のW氏にしても、全盛期には世界16カ国、グループで年商500
0億円もの売り上げを記録したという。が、そんな必要があったのだろうか。

私の父などは、自分で勝手にテリトリーを決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さん
の管轄だから自転車は売らない」などと言って、自分の商売にブレーキをかけていた。
仮にその町内で自転車が売れたりすると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。
相手の自転車屋に気をつかったためである。

しかしそうした誠意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。彼らのやり方
は、まさにめちゃめちゃ。それまでに祖父や父がつくりあげてきた因習や文化を、まる
でブルドーザーで地面を踏みならすようにぶち壊してしまった。

●私の父は負け組み?

晩年の父は2、3日ごとに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実
の世界の人から見れば、W氏は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう基準
で人を判断することのほうが、まちがっている。

父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘れなかった。人間性というこ
とを考えるなら、私の父は生涯、一片の肩書きもなく貧乏だったが、W氏にまさること
はあっても、劣ることは何もない。

おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓鬼の
ように富と財産を追い求め始めた。つまりその時点で、おしんは働くために生きるよう
になった。

●進学塾の商魂

 もちろん働くのがムダと言っているのではない。おしんはおしんだし、現代でいう成功
者というのは彼女のようなタイプの人間をいう。が、問題はその中身だ。これも一つの例
だが、2002年度から、このH市でも新しく一つの中高一貫校が誕生した。公立の学校
である。その説明会には、定員の約60倍もの親や子どもが集まった。そして入学試験は
約6倍という狭き門になった。親たちのフィーバーぶりは、ふつうではなかった。ヒステ
リー状態になる親も続出した。

で、その入試も何とか終わったが、その直後、今度は地元に本部を置くS進学塾が、そ
のための特別講座の説明会を開いた(2002年2月)。入試が終わってから1か月もた
っていなかった。商売熱心というべきか、私はその対応の早さに驚いた。私も進学塾の
世界はかいま見ているから、彼らがどういう発想で、またどういうしくみでそうした講
座を開くようになったかがよくわかる。わかるが、そのS進学塾のしていることはもう
「生きるために働く」というレベルを超えている。

あるいはそうまでして、彼らはお金がほしいのだろうか。現代でいうところの成功者と
いうのは、そういうことが平気でできる人のことを言うもだろうが、そうだとするなら
「成功」とは何かということになってしまう。あの「おしん」の中でも、おしんの店の
安売り攻勢にネをあげた周囲の商店街の人たちが、抗議に押しかけるというシーンがあ
った。

●自分を見失う人たち

 お金はともかくも、名誉や地位や肩書き。そんなものにどれほどの意味があるというの
か。生きるためには便利な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。
自分を見失う。日本では、あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。

しかしそのW氏のサクセス物語の裏で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣い
たことか。私の父もその一人だが、その証拠として、あのヤオハンジャパンが倒産した
とき、一部の関係者は別として、W氏に同情して涙をこぼした人はいなかった。

●仮想現実の世界にハマる人たち

 仮想現実の世界にハマると、ハマったことすらわからなくなる。たとえば政治家。ある
政治家が土建業者から1000万円のワイロをもらったとする。そのときそのワイロを贈
った業者は、その政治家という「人間」に贈ったのではない。政治家という肩書きに贈っ
たに過ぎない。

しかし政治家にはそれがわからない。自分という人間が、そうされるにふさわしい人間
だから贈ってもらったと思う。政治家だけではない。こうした例は身近にもある。

たとえばA氏が取り引き先の会社のB氏を接待したとする。A氏が接待するのは、B氏
という人に対してではなく、B氏の会社に対してである。が、B氏にはそれがわからな
い。B氏自身も仮想現実の世界に住んでいるから、その世界での評価イコール、自分の
評価と錯覚する。

しかし仮想現実は仮想現実。仮にB氏が会社をやめたら、B氏は接待などされるだろう
か。たぶんA氏はB氏など相手にしないだろう。こうした例は私たちの身の回りにはい
くらでもある。

●子育ての世界も同じ

 長い前置きになったが、実は子育てについても、同じことが言える。多くの親は、子育
ての本分を忘れ、仮想現実の中で子育てをしている。子どもの人間性を見る前に、あるい
は人間性を育てる前に、受験だの進学だの、有名高校だの有名大学だの、そんなことばか
りにこだわっている。ある母親はこう言った。

「そうは言っても現実ですから……」と。

つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間性の教育などと言っているヒ
マはない、と。しかしそれこそまさに映画「マトリックス」の世界。仮想現実の世界に
住みながら、そちらのほうを「現実」と錯覚してしまう。が、それだけならまだしも、
そういう仮想現実の世界にハマることによって、大切なものを大切でないと思い込み、
大切でないものを大切と思い込んでしまう。そして結果として、親子関係を破壊し、子
どもの人間性まで破壊してしまう。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

●人間的な感動の消えた世界

 先ほど私の祖父のことを少し書いたが、その祖父の前で英語の単語を読んで聞かせたと
きのこと。私が中学1年生のときだった。「おじいちゃん、これはバイシクルといって、自
転車という意味だよ」と。すると祖父はすっとんきょうな声をあげて、「おお、浩司が英語
を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでみせてくれた。

が、今、その感動が消えた。子どもがはじめて英語のテストを持ち帰ったりすると、親
はこう言う。「何よ、この点数は。平均点は何点だったの? クラスで何番くらいだった
の? これではA高校は無理ね」と。「あんたを子どものときから高い月謝を払って、英
語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親すらいる。

こういう親の教育観は、子どもからやる気を奪う。奪うだけならまだしも、親子の信頼
関係、さらには親のきずなまでこなごなに破壊する。

 仮想現実の世界に住むということはそういうことをいう。親にしてみれば、学歴社会が
あり、そのための受験競争がある世界が、「現実の世界」なのだ。もともと「生きるための
武器として子どもに与える教育」が、いつの間にか、「子どもから生きる力をうばう教育」
になってしまっている。本末転倒というか、マトリック(母体)と、仮想現実の世界が入
れ替わってしまっている!

●休息を求めて疲れる

 仮想現実の世界に生きると、生きることそのものが変質する。「今」という時を、いつも
未来のために犠牲にする生き方も、その一つだ。幼稚園は小学校入学のため。小学校は中
学校や高校の入学のため。さらに高校は大学入試のため、大学は就職のため、と。

こうした生き方、つまりいつも未来のために現在を犠牲にする生き方は、結局は自分の
人生をムダにすることになる。たとえばイギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』とい
うのがある。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言である。「楽になろう、楽になろ
うとがんばっているうちに、疲れてしまう」と。あるいは「やっと楽になったら、人生
も終わっていた」と。

●あなた自身はどうか 

 こうした生き方をしている人は、それが「ふつう」と思い込んでいるから、自分の生き
ざまを知ることはない。しかし客観的に自分を見る方法がないわけではない。

 たとえばあなた自身は、次の二つのうちのどちらだろうか。あなたが今、2週間という
休暇を与えられたとする。そのとき、(1)休暇は休暇として。そのときを楽しむことがで
きる。(2)休みが数日もつづくと、かえって落ち着かなくなる。休暇中も、休暇が終わっ
てからの仕事のことばかり考える。あるいはもしあなたが母親なら、つぎの二つのうちの
どちらだろうか。

あなたの子どもの学校が、三日間、休みになったとする。そのとき、(1)子どもは子ど
もで、休みは思う存分、遊べばよい。(2)子どもが休みに休むのは、その休みが終わっ
たあと、またしっかり勉強するためだ。

(1)のような生き方は、この日本では珍しくない。「仕事中毒」とも言われているが、
その本質は、「今を生きることができない」ところにある。いつも「今」を未来のために
犠牲にする。だから未来の見えない「今」は、不安でならない。だから「今」をとらえ
て生きることができない。

●日本人の結果主義

 もっともこうした日本人独特の生き方は、日本の歴史や風土と深く結びついている。た
とえば仏教という宗教にしても、常に結果主義である。「結果がよければそれでよい」と。
実際に、「死に際の様子で、その人の生涯がわかる」と教えている教団がある。

この結果主義もつきつめれば、「結果」という「未来」に視点を置いた考え方といっても
よい。日本人が仏教を取り入れたときから、日本人は「今」を生きることを放棄したと
考えてもおかしくない。

●なぜ今、しないのか?

 こうした生き方は一度それがパターンになると、それこそ死ぬまでつづく。そしてその
パターンに入ってしまうと、そのパターンに入っていることすら気づくことがなくなる。
脳のCPU(中央演算装置)が狂っているからである。たとえば私の知人にこんな人がい
る。

何でもその人はもうすぐ定年退職を迎えるというのだが、その人の夢は、ひとりで、四
国八八か所を巡礼して回ることだそうだ。私はその話を女房から聞いたとき、即座にこ
う思った。「ならば、なぜ、今しないのか」と。

●「未来」のために「今」を犠牲にする

 その人の命が、そのときまであるとは限らない。健康だって、あやしいものだ。あるい
はその人は退職しても、巡礼はしないのでは。退職と同時に、その気力が消える可能性の
ほうが大きい。私も学生時代、試験週間になるたびに、「試験が終わったら映画を見に行こ
う」とか、「旅行をしよう」と思った。思ったが、いざ試験が終わるとその気持ちは消えた。
抑圧された緊張感の中では、えてして夢だけがひとり歩き始める。

 したいことがあったら、「今」する。しかし仮想現実の世界にいる人には、その「今」と
いう感覚すらない。「今」はいつも「未来」という、これまた存在しない「時」のために犠
牲になって当然と考える。

●今を生きる

 こうした生き方とは正反対に、「今を生きる」という生き方がある。ロビン・ウィリアム
ズ主演の映画に同名のがあった。「今を偽らないように生きよう」と教える教師と、進学指
導中心の学校教育。そのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。

 あなたのまわりを見てほしい。あなたのまわりには、どこにも、過去も、未来もない。
あるのは、「今」という現実だけだ。過去があるとしても、それはあなたの脳にきざまれた
思い出に過ぎない。未来があるとしても、それはあなたの空想の世界でのことでしかない。

だったら大切なことは、過去や未来にとらわれることなく、思う存分「今」というこの
「時」を生きることではないのか。未来などというものは、あくまでもその結果として
やってくる。

●再起をかけるW氏

聞くところによると、W氏は再起をかけて全国で講演活動をしているという(夕刊フジ)。
これまたおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついてい
る。ふつうの人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。

いや、実際にはそれに気づかない人は多い。退職後も現役時代の肩書きを引きずって生
きている人はいくらでもいる。私のいとこの父親がそうだ。昔、会うといきなり私にこ
う言った。「君は幼稚園の教師をしているというが、どうせ学生運動か何かをしていて、
ロクな仕事につけなかったのだろう」と。

彼は退職前は県のある出先機関の「長」をしていた。が、仕事にロクな仕事も、ロクで
ない仕事もない。要は稼いだお金でどう生きるか、だ。が、この日本では、職業によっ
て、人を判断する。稼いだお金にも色をつける。が、こんな話もある。

●リチャード・マクドナルド

マクドナルドという、世界的に知られたハンバーガーチェーン店がある。あの創始者は、
リチャード・マクドナルドという人物だが、そのマクドナルド氏自身は、1955年に
レストランの権利を、レイ・クロウという人に、それほど高くない値段で売り渡してい
る。(リチャード・マクドナルド氏は、98年の7月に満89歳で他界。)

そのことについて、テレビのレポーターが、「(権利を)売り渡して損をしたと思いませ
んか」と聞いたときのこと。当のマクドナルド氏はこう答えている。

 「もしあのままレストランを経営していたら、私は今ごろはニューヨークかどこかのオ
フィスで、弁護士と会計士に囲まれていやな生活をしていることでしょう。こうして(農
業を営みながら)、のんびり暮らしているほうが、どれほど幸せなことか」と。マクドナル
ド氏は生きる本分を忘れなかった人ということになる。

●残る職業による身分制度

私が母に「幼稚園で働く」と言ったときのこと。母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、
あんたは道をまちがえたあ!」と言って、泣き崩れてしまった。当時の世相からすれば、
母が言ったことは、きわめて常識的な意見だった。しかし私は道をまちがえたわけでは
ない。私は自分のしたいこと、自分の本分とすることをした。

一方、これとは対照的に、この日本では、「大学の教授」というだけで、何でもかんでも
ありがたがる風潮がある。私のような人間を必要以上に卑下する一方、そういう人間を
必要以上にあがめる。

今でも一番えらいのが大学の教授。つぎに高校、中学の教師と続き、小学校の教師は最
下位。さらに幼稚園の教師は番外、と。

こうした序列は、何かの会議に出てみるとわかる。一度、ある出版社の主宰する座談会
に出たことがあるが、担当者の態度が、私と私の横に座った教授とでは、まるで違った
のには驚いた。私に向っては、なれなれしく「林さん……」と言いながら、振り向いた
その顔で、教授にはペコペコする。こうした風潮は、出版界や報道関係では、とくに強
い。

●マスコミの世界

実際この世界では、地位や肩書きがものを言う。少し前、私が愛知万博(EXPO・2
005)の懇談会のメンバーをしていると話したときもそうだ。「どうしてあなたが…
…?」と、思わず口をすべらせた新聞社の記者(40歳くらい)がいた。

私には、「どうしてあんたなんかが……」と聞こえた。つまりその記者自身も、すでに仮
想現実の世界に住んでいる。人間を見るという視点そのものがない。私のような地位や
しか見ていない。だからそう言った。

が、このタイプの人たちは、まさに働くために生きているようなもの。そういう形で自
分の人生をムダにしながら、ムダにしているとさえ気づかない。

●人間を見る教育を

 教育のシステムそのものが、実のところ人間を育てるしくみになっていない。手元には
関東地域の中高一貫校、約60校近くの入学案内書があるが、そのどれもが例外なく、卒
業後の進学大学校名を明記している。中には別紙の形で印刷した紙がはさんであるのもあ
るが、それが実に偽善ぽい。

それらの案内書をながめていると、まるでこれらの学校が、予備校か何かのようですら
ある。子どもを育てるというのではなく、教育そのものが子どもを仮想現実の世界に押
し込めようとしているような印象すら受ける。

●仮想現実の世界に気づく
 
ともかくも、私たちは今、何がマトリックス(母体)で、何が仮想現実なのか、もう一度
自分のまわりを静かに見てみる必要があるのではないだろうか。でないと、いらぬお節介
かもしれないが、結局は自分の人生をむだにすることになる。子どもの教育について言う
なら、子どもたちのためにも生きにくい世界を作ってしまう。しめくくりに、こんな話が
ある。

 先日、60歳になった姉と電話で話したときのこと。姉がこう言った。何でも最近、姉
の夫の友人たちがポツポツと死んでいくというのだ。それについて、「どの人も、仕事だけ
が人生のような人ばかりだった。あの人たちは何のために生きてきたのかねえ」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
生きる哲学 マトリックスの世界)

【注】

●まちがい(「汝自身を知れ」)

+++++++++++++++++

私は長い間、「汝自身を知れ」と言ったのは、
スパルタのキロンだと思っていた。

何度も、あちこちの原稿に、そう書いた。
しかしこれはまちがっていた。

「汝自身を知れ」と言ったのは、ギリシアの
7賢人の1人、ターレスの言葉だった。

その言葉が、アポロン神殿の門柱に書きこまれて
いたというが、それを見て、あのソクラテスが、
「無知の知」という言葉を導いた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●イランの核兵器開発問題

+++++++++++++++

イランにも、もう一人、国際的な
おバカさんがいる。

アハマディネジャド大統領という
大統領だが、その大統領が、こう
言った。

「イスラエル滅亡の秒読みが始ま
った」(ロイター)と。

+++++++++++++++

 K国の核開発問題も深刻な問題だが、それ以上に深刻なのが、イランの核開発問題。イ
ランのアハマディネジャド大統領はこう言った。

 「イスラエル滅亡の秒読みが始まった」(ロイター・最高指導者ホメイニ師の命日である
4日を前に演説)と。

 もっともこうした報道というのは、全体の一部にすぎない。どういう流れの中で、アハ
マディネジャド大統領がそう言ったか、それを知らないと、その真意を知ることはできな
い。できないが、しかしそれにしても、過激。イスラエルに対する宣戦布告ともとれる発
言である。

 で、その上で、アハマディネジャド大統領はこうつづけたという。「われわれは核(開発)
の権利をわずかなりとも手放すつもりはない」と。

 K国とちがい、イランには石油という資源がある。開発能力も高い。しかもイランは、
イスラエルとの戦争ということにでもなれば、(アラブ)という世界を、そのまま自分の味
方につけることができる。

 で、ことの発端は、イスラエルがレバノンに侵攻したときから始まる。イスラエルは、
昨年(06年)の7月、ヒズボラ(イスラム教シーア派民兵組織)への報復を目的として、
レバノンに侵攻した。ヒズボラは、もともとは、イランが創設した民兵組織と言われてい
る。

 その流れの中で、今回、アハマディネジャド大統領は、「イスラエル滅亡の秒読みが始ま
った」と。

 実はK国も、日本に対して、たびたび同じようなことを言っている。「日本は存在しては
ならない国」とか、あるいは「核兵器開発は日本向けのもの」とかなど。日本はこういう
国だから、K国など相手にしていない。しかしイスラエルはちがう。かねてからイランへ
の単独攻撃を示唆する発言を繰りかえしている。

 が、もし、イスラエルがイランを攻撃するようなことにでもなれば……。それこそ中東
地域は、一気に、不安定になる。日本とて無傷ですまない。90%近い原油の輸入を、こ
の地域に依存している。

 さらにやっかいなことに、そのイランは、水面下でK国と、深く結びついている。K国
はイランにミサイル技術を提供し、イランとK国は、恐らく、相互に核兵器開発技術を提
供しあっている。

 本来なら、アメリカ、ロシア、中国の超大国が結束して、こういう問題に対処しなけれ
ばならない。が、アメリカとロシアは、現在、最悪の状態。アメリカと中国の関係も、こ
のところ急速に悪化している。簡単に言えば、どこでどう戦争が始まっても、おかしくな
い。今はそういう状態ということになる。

 戦場は、イランか? 台湾か? それともK国か?

 アメリカもロシアも、そして中国も、それぞれの相手の国を、何十回も粉々にできるだ
けの核兵器を保有している。戦争のし方もちがってきた。当然のことながら、平和に対す
る考え方も変わってきた。

 以前は、「戦争がない状態」を、「平和」と呼んだ。しかし今は、「戦争状態にありながら、
戦争を自制した状態」を「平和」と呼ぶ。しかしその自制も、今は、まさに風前の燈(と
もしび)。

 日本にとってというより、世界にとって、もっとも好ましいシナリオは、イランについ
て言えば、アハマディネジャド大統領が倒れ、民主勢力がイランの実権をにぎること。K
国ついて言えば、金xx政権が自己崩壊し、K国が国連の管理下に入ること。

 日本は、そういう方向性を描きながら、これからの外交政策を展開していく。

【K国問題】

●アメリカの失敗

(失敗1)K国の核開発問題の解決を、中国に頼ったこと。中国にしてみれば、K国の核
兵器など、痛くもかゆくもない。何ともない。中国が何よりも恐れたのは、K国が自己崩
壊して、大量の難民が発生すること。中朝国境を越えて、中国になだれこむこと。

(失敗2)韓国の「太陽政策」(金大中)、つづく「融和政策」(N大統領)に、明確な異議
を唱えなかったこと。そのつど韓国の大統領の言葉巧みな説得に動かされて、K国に妥協
してしてしまったこと。韓国によるK国への資金援助を、容認してしまったこと。

(失敗3)ヒル氏という、あまりにも育ちのよい優等生を、6か国協議の当事者にあてて
しまったこと。K国は、そんな甘い国ではない。ヒル氏流の道理が通ずるような相手では
ない。はっきり言えば、ヒル氏の手に負えるような相手ではない。

(失敗4)ケリー氏やボルトン氏など、現実派の実務者を、ブッシュ大統領の周辺から排
除してしまったこと。「強硬派」と言う人もいるが、国際政治は、どこまでも現実的でなけ
ればならない。現実的であるということと、強硬ということは、まったく別のことである。

(失敗5)イラク政策の失敗で、ブッシュ大統領が弱気になってしまったこと。自信喪失
の状態といってもよい。ついで、日本を裏切って、米朝の2か国の間だけで、秘密交渉を
してしまったこと。これはライス国務長官の大失態と考えてよい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●メタボリック症候群

++++++++++++++

メタボリック症候群について、
ここで勉強してみたい。

私の年代のものにとっては、
深刻な問題である。

++++++++++++++

 メタボリック症候群……つまりひとつひとつの症状は、さほどでなくても、それが複合
的に合算されると、重大な病気につながるという。

 メタボリック症候群の概念としては、つぎの3つがあげられている。

(1)高血糖…空腹時の血糖値が110ミリグラム以上
(2)高血圧…血圧130以上、または最小が85以上
(3)血中脂質…HDLコレステロールが、40ミリグラム未満

 こうした症状に合わせて、腹囲が、男性で85センチ以上、女性で90センチ以上あれ
ば、「メタボリック症候群の疑いの強い人」、つまり有病者とみなされる。これらの人は、
脳卒中、心筋梗塞、糖尿病および糖尿合併症などの生活習慣病にかかる確率が、ぐんと高
くなる。

 ……ここまで書くと、ほとんどの人は、「そう言えば、あの人も」「この人も」と思うに
ちがいない。ひょっとしたら、あなた自身もそうかもしれない。厚生労働省の調査によれ
ば、40〜74歳の中高年で、メタボリック症候群の有病者は、940万人。予備軍まで
含めると、1690万人にもおよぶという(06年)。

 1690万人といえば、日本の人口のうち、約6分の1。子どもや若年層をのぞけば、
その年齢の男性のうち、2人に1人、女性のうち、5人に1人の割合ということになる(朝
日キーワード)。

 2人に1人だぞ!

 そこでどうすれば予防できるかということだが、厚生労働省は、具体的に、「週2日以上、
1回30分以上の運動」を提唱している。「その程度でいいのか?」と思いたいが、しかし
実際にその程度の運動でも、している人は、全体の30%程度にすぎないという(厚生労
働省の全国調査、04年)。

 週2回、30分以上の運動!

 私自身は、とてもその程度では足りないと思っている。もし今の私が、週2回、30分
程度の運動量にしたとするなら、数か月を待たずして、私は動けなくなるのではないかと
思う。10日前後、運動をサボっただけで、体はガタガタになる。当然、頭の働きも鈍く
なる。

 が、本当にこわいのは、内臓脂肪だそうだ。

 食事のとりすぎや、運動不足がつづくと、腸や肝臓を支えている腸間膜に脂肪がたまる。
これが内臓脂肪と呼ばれる脂肪である。

 この内臓脂肪がふえると、体内のホルモンのバランスが崩れ、善玉ホルモンが減り、血
糖値や血圧をあげるという(同、朝日キーワード)。そしてそれが生活習慣病を加速させる。

 では、運動量をふやせばそれでよいかというと、どうも、これまたそうでもないようだ。

 私の知人に、今年65歳になる人がいる。60歳で公社を定年退職してからというもの、
ほとんど毎日、ゴルフの素振り練習をしている。が、でっぱった腹は、そのまま。いっこ
うに体重が減る気配を見せていない。

 むずかしい話はさておき、要するに、細胞の中にまで脂肪が入り込んでしまっていて、
少しくらい運動をしたところで、どうにもならないということらしい。そういう人も多い。
つまりこの問題だけは、そうなってからでは、すでに遅いということになる。

 できれば40歳という、危険年齢を過ぎるあたりから、心して、予防しなければならな
い。もっと具体的に言えば、そのころから「運動」を、習慣として、自分の生活の中に定
着させる。50代や60代になって、あわてて運動を始めても、手遅れ。

 ……というようなことを、若い人たちに言っても、ピンとこないかもしれない。30代、
40代の人たちにしてみれば、50代、60代というのは、遠い未来のことかもしれない。
しかしこれだけは覚えておくとよい。

 そう思っているあなたにしても、あっという間に、50代はやってくる。60代はやっ
てくる。10年などという年月は、星がまばたきするその瞬間に、過ぎ去っていく。そし
てあいかわらず、そのときも、私がここにいて、あなたがそこにいる。

 メタボリック症候群……この聞きなれない病名が、ザワザワと耳の中に飛び込み始めた
のは、ここ数年のことである。しかし考えてみれば、そんなことは、昔から常識だった。
食べすぎる一方で、運動不足が重なれば、だれだって、体をこわす。要は、そういうこと
らしい。

 そう言えば、少し前、こんなことを言った文部大臣がいた。そのとき書いた原稿を、こ
こに再掲載する。

+++++++++++++++

●教育長の任命制度

 教育再生会議なる(会議)の動きに、みなさんも、注意したらよい。どうも、おかしい?
 どこか、ヘン? 各地で行われた公開討論会も、やらせだったという。しかも出てくる
答申が、どれも「?」。各県の教育長にしても、任命制度にするとか、しないとか。

 完全に、時代の流れに逆行している。(欧米では、教育は自由化の方向に向っているぞ!)

 どうして中央官僚たちは、こうまで日本人を管理したがるのか? むしろ逆で、文科相
を、選挙で選ぶようにしてはどうか。地方の市町村クラスの教育長が、選挙で選ぶ、とか。

 I文科相に失言には、うんざり。

 「大和民族がずっと日本の国を統治してきたことは、まちがいない」「日本はきわめて、
同質的な国」(長崎県N町での自民党支部大会・07年2月25日)と。

 その上で、こんな発言まで!

 「どんなに栄養があっても、毎日バターばかり食べていれば、メタボリック症候群にな
る。人権は大切だが、尊重しすぎたら、日本社会は、人権メタボリック症候群になる」と
も。

 とんでもない発言だが、そういうことを、文科相という、(知的世界のトップ)に立つ人
が口にするから、恐ろしい。そうでなくても、日本人がもつ人権意識は、低い。低いまま、
こういうことを堂々と言ってのける。文科相というより、政治家の知的レベルの低さに、
ただただあきれる。

+++++++++++++

「どんなに栄養があっても、毎日バターばかり食べていれば、メタボリック症候群にな
る」そうだ。

 みなさん、気をつけよう!

++++++++++++

3年前に書いた原稿を
手直してして、お届けします。

++++++++++++

● 悲しき束縛(?)

静岡県K町といえば、昔から、お茶の産地として知られたところである。そのK町にあ
る先生(小学校教師男性)が、こう言った。

 「このあたりでは三世代(同居家庭)が、ふつうです。そういうこともあって、いまだ
に長子相続の考え方が、根強く残っています。

 農家の長男だと、『君は、おとなになったら何になる?』と聞いたりすると、みな、『ぼ
くは、茶畑を継ぎます』などと答えるんですよ。まだ小学二年生の子どもが、ですよ。そ
れも直立不動の姿勢で、そういう言うのですよ」と。

 小さいうちから、祖父母から、「お前は、おとなになったら、この家の農業を継ぐことに
なる」と言われつづけているのだろう。それはしかたのないことかもしれないが、問題は、
女性。母親。嫁。嫁といっても、そのための嫁であることも多い。

 「子どもを産めないため、離婚させられた女性もいます」とも。

 同じようなことは、このH市周辺でも起きている。周辺の農村へ行くと、あと取りが、
そこの家庭でも深刻な問題になっている。代々つづいたミカン農家。しかしその一方で、
そのあとを継ぎたがらない息子たち。

 加えて、一昔前のように、老人たちがいばる時代は、もう去った。どこの家庭でも、嫁
と姑、嫁と舅(しゅうと)の問題をかかえている。一触即発という家庭も少なくない。あ
るいは、今では、同じ敷地内別居も、当たり前。

 が、それはさておき、こんなこともある。

 そのため祖父母たちが、息子や娘たちに、(学問をつけさせる)ことに反対しているとい
うのだ。

 「勉強なんかできると、かえって農家を継ぎたがらなくなってしまうから、勉強させて
ほしくない」と。

 2004年の今、信じられないような話だが、これは本当の話。だからその祖父母は、
その先生に、こう言ったという。「うちの孫は、K農業高校でじゅうぶん。それ以外の道は、
考えていない」と。

 それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。そしてそれぞれの親は、それぞれの思い
の中で、子育てをしている。

 しかし子どもの人権を考えるなら、日本はまだまだ後進国。甘やかしたり、好き勝手な
ことをさせることが、子どもの人権を守ることだと考えている人は多い。そのため「日本
は、子どもの人権を守っている」と、誤解している人は多い。

 子どもの人権を守るということは、子どもの意思や考え方、さらには、その生きザマを
尊重すること。……と考えて、私は、ここでハタと考えてしまった。

 子ども自身が、「ぼくは、農家を継ぎます」と言ったばあいは、どうなるのか、と。

 しかしこのばあいでも、子どもは自分で考えてそう言っているのではない。言わせられ
ているだけ。つまり子どもの人権を守るということは、こうした押しつけがあってもいけ
ないということになる。

 もしこのことがわからなければ、あのK国を見ればわかる。

 幼稚園児たちが、鉄砲のおもちゃをもって、「将軍様を死守します!」などと、合唱して
いる。何でもあのK国では、日本人を見ると、子どもはそれだけで、泣き出して逃げてい
くという(「週刊文春04年1月」)。

 そういう子どもの姿を見て、あなたは、子どもが本当に自分でそう考えて、そう言って
いると思うだろうか。答は「ノー」のはずである。

 これから先、しばらくこの「子どもの人権」について、考えてみたい。
(040123)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●他人の死を笑わない

 こんなことは、30代や40代のころは、思ってもみなかった。しかし50歳になるこ
ろから、おかしな感情が生まれるようになった。それには、いろいろいきさつがあるが、
それについては、あとから書くとして、こんな感情だ。

 「死」というものが、身近になったせいもあるのかもしれない。たとえばだれかが死ぬ
と、心のどこかがふと、軽くなったように感ずるようになることがある。とくに、どこか
うるさく感じていた人が死ぬと、そうだ。

 その死を喜ぶというわけではない。何というか、気が楽になるのである。

 たとえば近所に、口うるさい人がいたとする。あれこれ私の生活に干渉してきて、あれ
これ言ってきたとする。そういう人が死ぬと、心のどこかで「やれやれ」と思うのである。

 若いころは、そういうふうに、人の死を考えたことがない。「死」そのものが、無縁の世
界のできごとだった。しかし自分の「死」を考えるようになったとき、同時に、他人の「死」
をも考えるようになった。それまでは(ありえない死)だったのが、(ありえる死)になっ
てきた。と、同時に、「死」を、問題を解決するための方法の一つと考えるようになった。

 極端な言い方をすれば、「あいつは、もういい年だから、もうすぐ死ぬ」「早く死ねばい
い」と。そういうふうに思うかどうかは別として、ほうっておけば、それに近い思いにな
るのではないかと思えるような、思い方である。(回りくどい言い方で、すみません。)

 実は、今朝もそうだった。

 ワイフが、「最近、あのMさん、姿を見ないけど、どうしたのかね?」と言ったときのこ
と。Mさんというのは、何かと問題のある人だった。ガンコジジイというか、いじけてい
るというか、近所でも、嫌われ者として名が通っている人である。

 そのときふと、「そう言えば、先月、救急車が止まっていたけど、何かあったかもしれな
いね」と思った瞬間、「早く、あんな人は死んでしまえばいい」と、心のどこかで思った。
……思ってしまった。

 こうしたものの考え方は、概して言えば、老人特有の考え方といってもよい。子どもの
ころ、近所に、そういうことばかりを言っている老人(女性)がいた。

 「あの人は、ああいう人だから、決して、いい死に方はしないよ」
 「あの人が死ぬと、喜ぶ人も多いはず」
 「あの人が死んで、せいせいした」
 「憎まれっ子何とかと言うけど、ああいう人にかぎって長生きするもんだよ。いやな世
の中だね」と。

 私の耳に、そういう言葉が残っている。しかしそのときは、私は、「何て、不愉快な言い
方をするのだろう」と思った。子どもながらに、不愉快だった。「人の死を楽しんでいるみ
たいだ」と。

 しかしそれから40年以上。いつしか私も、同じように考え、同じように思い、そして
同じような言葉を口にするようになった。つまり私自身が、いつの間にか、その(いやな
言い方をする人)になりつつあるのを知った。

 この考え方は、たいへん危険な考え方である。

 他人の死を、楽しむということは、自分の死を、だれかに楽しまれることを意味する。
しかしここで「危険」というのは、そういうことではない。

 こんな老人がいた。

 その老人はことあるごとに、自分より先に死んでいく人を、「あわれなものだ」「ザマー
ミロ」と喜んでいた。葬式などでは、それらしく、しおらしい顔をしていた。が、家に帰
ってくると、「死んだ」「死んだ」「あいつは死んだ」と喜んでいた。

 が、今度は、自分の番になったときのこと。玄関先で倒れたのだが、最後の最後まで、「救
急車を呼ぶな」とがんばった。その老人は、自分が笑われると思った。……らしい。近所
の人は、「他人にそこまで気を使うのかね?」と言ったが、そうではなかった。

 他人の死を笑う者は、他人も、自分の死を笑うと思っている。(本当は、だれも笑ってい
ないのだが……。)そう、自分で、思いこむ。

 つまりこうして、他人の死を笑う人は、自分で自分を、窮屈で、暗い世界へと、追いこ
んでいく。

 聖書では、『憐れみ深い人は、幸いなれ』と教える。それだけ他人の憐れみをうけるから
である。

 この言葉を反対に解釈すると、『他人に冷たい人は、不幸である。冷たくした分だけ、い
つか自分も冷たくされる』ということになる。

 だから決して、他人の死を喜んだり、笑ったりしてはいけない。楽しみにしてはいけな
い。他人の死は、扱いようによっては、酒の肴(さかな)にすら、なる。だからこそ、他
人の死をもてあそんではいけない。

 ある知人は、私にこう言った。

 「林君、ぼくはね、新聞でも、毎日、死亡者欄だけは、欠かさず見ているよ」と。「どう
して?」と私が聞くと、「いえね、商売柄ね」と。

 つまり彼は、そういう形で、他人の死を楽しんでいた。「こいつは、56歳で死んだのか」
「この人は、90歳か。文句ないよな」と。で、その彼がどうかというと、実に醜悪な顔
つきをしていた。つまり、そうなる。

 ワイフが、そう言ったとき、私はふと、「Mさんは、もう長くないかもよ」と言いかけた
が、やめた。そして少しだけ、自分の本心をねじまげて、「何ともなければいいけど。あん
な人でもいなくなると、さみしくなるからね」と。

 つまりこういう形で、自分の中にひそむ、邪悪な気持ちと戦うしかない。私はもともと、
生まれも育ちもよくない。性格もゆがんでいる。このところ、グチばかり言っている。顔
つきも、ますます醜悪になってきた。

 しかし子どものころ見た、ああいう心の貧しい老人にはなりたくない。だから今から、
そうならないよう、戦うしかない。
(040123)

++++++++++

【付記】

この原稿を書いてから、3年と5か月になる。で、今、読み返してみると、幸いなこと
に、私の考え方が大きく変化したのに気づく。

 私はたしかにあのとき、「早く、あんな人は死んでしまえばいい」と、心のどこかで思っ
た。それはよく覚えている。

 しかし今、そう思った自分自身を、不愉快に思う。もし今、どこかのだれかが、こんな
文章を書いたら、「何てやつだ!」と思うかもしれない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6月2日(土曜日)

++++++++++++++++

数日前、IBM社製の「ホームビルダー」を
買ってきた。ホームページ作成用のソフト
である。

ついでに、2800円+税の解説書も。

しかし悪戦苦闘すること、丸2日!

++++++++++++++++

 わかりにくい話でごめん。

 新しいホームページを開くことにした。まず、ワイフのアドレスで、フリーのHPアド
レスを手に入れた。試しに……と、別のホームページ作成ソフト(=NINJA9)で、
簡単なホームページをつくり、そのアドレスに、転送(FTP送信)してみた。(しかし結
果的にみると、これがまずかった。)

 ここまでは、うまくできた。インターネットで新しいホームページを見ることができた。
で、いよいよホームページビルダーの使用開始!

 ホームページビルダーをたちあげ、新しいホームページを編集した。トップページにつ
づき、いくつかの新しいページを作り、リンクもはった。が、そのアドレスにいくら転送
(FTP送信)しても、画面は、もとのまま。本来なら、上書きされて、新しいホームペー
ジが、そこに現れなければならない。が、それが現れない。

 「????」。つまり、こうして悪戦苦闘すること、丸2日。

 原因は、今日になって、やっとわかった。

 最初に送信したホームページの、ファイル名は、「index.html」。ホームページビルダー
のほうで送信したホームページのファイル名は、「index.htm」。「html」と「htm」
のちがいだが、「html」のほうが、「htm」より、優先権をもつ。

 そこでファイル名を「html」に変更しようしたが、同じファイルを、試しに使った
ソフト(NINJA9)と共有しているため、何度変更しようとしても、拒絶されてしま
う。つまり試しに使ったホームページソフトが、じゃまをしていた。

 しかし久々に、頭の中が熱くなった。4〜5センチほどもある分厚い解説書を、何とか
読みこなした。そして何とか、問題を解決した。

 ……かなりわかりにくい話でごめん。素人の人が読んだら、さっぱり意味がわからない
だろう。私も、実は、原因が、さっぱりわからなかった。しかし途中であきらめたら、こ
の世界では、敗北を認めることになる。

 どうせ相手は、機械。人間が考えた機械。食いついて、食いついて、最後まで食いつく。
問題が解決するまで、食いつく。かならず解決する。その悪戦苦闘が、また、パソコンの
楽しさということにもなる。

 
●原稿書き

 いろいろあって、この4〜5日、ほとんど原稿を書いていない。書きたいテーマはたく
さんあるが、どれもつまらない。「つまらない」というのは、「どうでもいい」という意味。

 新しい時計を買ったとか、教室の子どもたちの失敗談とか、など。

 あえて言えば、K国問題がある。K国の核開発問題がある。私の予想が、100%、的
中した。あまりにもみごとに的中したので、かえって拍子ぬけ。私は、今の状況を、2、
3か月前に、ちゃんと予想していたぞ。

 ……だから今は、K国問題については、しばらく考えたくない。


●希望

 何度も書くが、衣食住に不足、不満があっても、「希望」さえあれば、人間は何とか生き
ていかれる。が、それだけではない。希望がないと、人間は、日々に小さくなる。小さく
なって、ささいなことに心を悩ませたりするようになる。

 が、その希望は、向こうからやってくるものではない。希望は、自分で作るもの。用意
するもの。「努力」という言葉がある。その努力にしても、「希望に向かって」というより
は、自ら「希望を作るため」にするもの。

 今の私には、その「希望」がないのが、気になる。希望がないから、目標がない。目標
がないから、日々を、ただ何となく過ごしているだけ。「これではいけない」と思っている
が、かと言って、どちらへ行ったらよいのか、それもわからない。旅にたとえるなら、単
調な景色の連続。道に迷った状態?

 こういうときは、どうするか。

 ただひたすら前に進むしかない。とにかく前に進むしかない。


●健康

 このところ、健康のありがたみをひしひしと感ずるようになった。何はともあれ、私は
健康に生きている。私のばあい、「健康」というのは、「病気ではない」という意味に加え
て、「死の恐怖を感じない」という意味が含まれる。

 私は心気症。ときにささいな症状を気にして、「大病ではないか?」と思い悩む。大騒ぎ
することもある。が、このところ、少し、考え方が変わってきた。「生きられるところまで
生きて、あとはいさぎよく死のう」と。

 そう言えば、私の母は、介護度こそ「4」だが、健康そのもの。やや便秘症かなという
ことはあるが、便秘症など、病気でも何でもない。そういう母を介護しながら、ときどき、
こう思う。「母は、死の恐怖を感じているのだろうか?」と。

 しかしもちろんそんなことは母には聞けない。また聞いたところで、意味のある言葉は
返ってこないだろう。思考力そのものが、ない。


●健康寿命

 平均寿命に対して、「健康寿命」という言葉がある。これは「実際に健康に生きられる年
齢」という意味である。

 加齢とともに、病気になる人は多い。おおざっぱに言えば、平均寿命から10年ほど引
いた年齢が、健康寿命ということになる。

経済協力開発機構(OECD)の「社会指標報告書」(2005年)によると、健康寿命
は、日本が75歳で一番高く、ついでフランス72歳、ドイツ71・8歳、イギリス7
0・6歳の順だそうだ。

 つまり私たちが健康で生きられる平均年齢は、75歳ということらしい。それ以後は、
がん、脳卒中、狭心症・心筋こうそく、糖尿、高血圧などの病気にかかる確率が高くなる。

 75歳といえば、あと15年。「あと15年か」と思ってみたり、「15年しかないのか」
と思ってみたりする。

 病気、病気の繰りかえしで、残りの10年を生きるのも、難儀なことだ。


●ある離婚

 私の友人夫婦が、最近、離婚した。40年近く、行ったり来たりしていた友人夫婦であ
る。その夫のほうに電話をするつもりで、電話をしたら、奥さんのほうが電話口に出た。

 夫である友人のほうが、家を出たらしい(?)。

 で、しばらく電話で話した。奥さんのほうは、明るく、サバサバした声だった。暗く沈
んでいた夫の声とは対照的だった。私はおかしな感覚にとらわれた。「私は、いったい、ど
ちらの味方をしたらよいのか?」と。

 もともとは、私は夫の友人である。その夫が、結婚した。そして離婚した。本来なら、
私も奥さん(=元妻)のほうと縁を切らねばならない。日本的に考えると、つまり友人で
ある夫に義理立てするなら、そうなる。しかしこの40年の間に、たがいの間に別の関係
ができてしまった。

 その夫婦が離婚したからといって、奥さんとの友人関係まで切れるわけではない。私も
そのうち奥さんと世間話を始めてしまった。いつもの世間話である。

 こういうケースでも、私たちは、けっして相手の内情に、干渉してはいけない。質問を
してもいけない。相手が言いだすまでは、こちらはだまっている。夫婦の関係ほど、複雑
なものはない。

 私たちができることと言えば、相手をそっとしておいてやること。相手が何か助けを求
めてきたら、それにはていねいに応じてやること。……と思いつつ、いつものように、「ま
た遊びにいくよ」「遊びに来てね」というカンジで電話を切った。

 しかししばらくは遊びに行くことはないだろう。何となく、行きにくくなってしまった。


●田崎清忠先生

++++++++++++++

私は中学生のとき、毎晩、
NHKの英会話講座で英語の
勉強をしていた。

そのときの講師の先生が、
田崎清忠という名前の先生だった。

で、ある日、私は、その先生に
手紙を書いた。するとすかさず、
先生から、返事が届いた。

私は天にも昇るような気持ちで、
それを喜んだ。そのハガキは、
今でも、当時のアルバムの中に
張ってある。

私はますます「英語」が好きに
なった。

田崎先生、ありがとうございます!

++++++++++++++

 そののち田崎先生は、どうなったか。インターネットの検索エンジンを使って調べてみ
た。こうあった。

『東京純心女子大学・田崎清忠(たざき・きよただ)学長。
東京高等師範学校(現筑波大学の前身)卒。フルブライト法によりミシガン大学英語研究
所留学。帰国後、NHKテレビ英語会話番組講師。応用言語学と視聴覚教育の手法を用い
て独自の語学番組を構築し、その功績により「放送文化基金賞」受賞。高円宮杯全日本中
学校英語弁論大会、およびホノルル市長杯全日本青少年英語弁論大会審査委員長。著書は
「アメリカ生活語彙辞典」(講談社)、「現代英語教授法総覧」(大修館)、「アメリカン・ラ
イフ辞典」(研究社)など多数。横浜国立大学名誉教授』と。

 そう言えば、田崎先生が、NHKの英会話講座の中で、ミシガン大学の応援歌を取りあ
げていたことを思い出した。「♪ヘイル・ツ・ザ・ビクロリー……」とか何とかいう歌であ
る。今になって、「ああ、あの先生は、ミシガン大学にいたのか」とわかった。

 私は毎夕、あの英語講座で英語を勉強しながら、まだ見ぬ、遠い国々に夢をふくらませ
ていた。


●考えるという習慣

 この4、5日の間、ほとんどものを書いていない。それは先にも書いた。で、おかしな
現象が起きている。

 昨日から少しずつ、またものを書き始めた。が、どうも、調子が悪い。カンが戻らない。
キーボードを打つ指も、どこか、のろい。考えがまとまらない。

 私にとっては、(考えること)イコール、(書くこと)。書いているときだけ、ものを考え
ることができる。

 つまりたった4、5日のことだが、その4、5日の間に、(考えるという習慣)が、かな
り鈍ったことになる。スポーツにたとえるなら、4、5日、運動をさぼったため、体が動
かなくなるのに似ている。

 そう言えば、そういうことはよく経験する。私はほとんど毎日自転車に乗っているが、
やはり4、5日さぼると、そのつぎには、自分の体をたいへん重く感ずる。仮に10日も
さぼれば、体そのものが、動かなくなる。

 精神も体も、毎日鍛えてこそ、健康を保つことができる。それを改めて、今回、実感し
た。


●時計

 月に2、3回、本物の懐中時計が付録についている雑誌が発売になる。その雑誌を買う
ようになって、もう1年近くになる。

 率直に言って、モノは、よくない。すぐ壊れる。値段も、安くない。が、どういうわけ
か、書店で見かけるたびに買ってしまう。今週も買ってしまった。

 今週のは、裏に、SL(蒸気機関車)の模様のついた時計である。やや大型の懐中時計
だが、そのクロームメッキが美しい。布でみがいているだけで、うっとりとした気分にな
る。これはどういう心理作用によるものなのか?

 手でいじっていると、快感につながるのは、指先からの刺激によって、脳内で、モルヒ
ネ様の物質(エンケファリン、エンドロフィン)が分泌されるからということがわかって
いる。

 たしかにこうしてモノをいじっているのは、気持ちよい。子どもでも、モノいじりをす
る子どもは多い。指しゃぶりもその一つ。子どもはそうすることによって、自分の精神を
安定させる。

 それにもう一つ。最近の研究によれば、こうしてモノをいじるのは、ボケ防止のために
もよいそうだ。


●本当かな?
 
 青森県のある漁村に、小さな舟がたどりついた。K国からの脱北者らしいという。しか
しあんな小舟で、800キロ(中日新聞報道)もの海を渡ることができるのだろうか。写
真で見るところ、幅こそやや広いが、浜名湖でよく見かける釣り船よりも小さい。

 報道によれば、6日間(実際には5日間)をかけて、K国の東海岸から、日本へやって
きたという。単純に計算すれば、800キロ÷(5x24時間)=6・7キロ、つまり時
速6・7キロで日本へやってきたことになる

 さっそく何人かの識者たちは、(人道)という言葉を使って、脱北者らしき人たちを保護
すべきと主張している。

 しかし本当に脱北者なのか? そう考えてよいのか? このところこの浜松でも強風が
吹き荒れていた。天候も不順で、変わりやすかった。現在、事情を調査しているというこ
となので、そのあたりも、当然調べていることと思う。しかしあんな小舟で、800キロ!?

 「北朝鮮には人権がないので出国を決めた。はじめは韓国へ行く予定だったが、軍事境
界線の警備が厳しいので、日本に向かった」(ヤフー・ニュース)と供述している点も、あ
やしい。

 人権があるかないかということは、K国を離れてはじめてわかること。K国から日本へ
やってきた直後に、(人権)という言葉を使うところがおかしい。

 どうも、私には、納得できない。いや、それ以上に、「?」と思うのは、いとも簡単に、
小舟であるにせよ、K国の船が、日本の港に着いてしまったこと。もしそれが武装船だっ
たら、どうするのか? 着いたところが青森の漁港ではなく、原子力発電所の近くだった
ら、どうするのか?

 日本の防衛は、だいじょうぶなのか? 私は、むしろ、そちらのほうを心配する。

 韓国では今、偽装脱北者が問題になっている。脱北者のフリをして、K国から韓国に渡
り、韓国内の脱北者をスパイするという脱北者である。(人道)も結構だが、ことは慎重に!

(付記)若いころ、私も浜名湖でよく釣り船に乗った。ある時期は毎週のように乗った。
そんな釣り船でも、湖が少しでも荒れると、航行不能になる。いわんや、日本海! 「脱
北者」と決めてかかる前に、少し、疑ってみたほうがよいのでは? K国という国は、あ
の手この手、ありとあらゆる手を使って、日本をだましてきた国である。それを忘れては
いけない。


●畑作

 前にも書いたが、このところ、畑をいじるのが、楽しくてならない。ヒマさえあれば、
畑のそばに立って、作物が大きくなるのを見ている。少しずつだが、収穫も始まった。

 どうしてだろう? 若いころには感じなかった新鮮さを感ずる。このことは、ワイフに
しても同じらしい。私が畑のそばで雑草を抜いていたりすると、ワイフもすぐやってきて、
手伝ってくれる。

 ひとつには、人間相手のつきあいに、このところ少し、疲れを感じているせいかもしれ
ない。いろいろあった。今も、ある。そういう意味では、野菜は、ウソをつかない。いつ
もそこに、あるがまま。文句も言わない。私が世話をしなければ、そのまま枯れてしまう。


●介護度4

 先日、近くのケア・センターへ行って、今後の母のことについて、いろいろ相談した。
日によってもちがうが、このところ、母は、寝たきりに近い状態になってきた。できるだ
け私の家で世話をしてやりたいが、このところ、ハッと思うような事故がつづいている。

 先日は、ベッドとパイプの間に、体ごとさかさまに落ち、その間に頭をはさんでしまっ
た。部屋中に、歩きやすいようにと、パイプを張り巡らしたのが、かえってまずかった。
たまたまワイフが、それを見つけたからよかったようなものの、あのまま、たとえば一晩
も放置しておいたら、母は、死んでいたかもしれない。

 このことを義理の兄に相談すると、義理の兄は、こう言った。「それは、あぶなかったね
エ〜。へたをすれば、あなたが過失致死罪で告訴されるところだったよオ〜」と。

 ほかにもある。

 今、母のベッドは、東側の窓にぴったりとくっつけて配置してある。朝日が、ベッドに
届くようにと考えて、そうした。

 そのため母は、自分で自由に窓を開け閉めできる。それはそれでよいのだが、夜中に、
まちがえて、窓をあけてしまうことがあるらしい。窓には、外から網戸、ガラス戸、それ
に障子戸(障子は張ってない)の三つの戸がはまっている。

 たとえば掛け布団をベッドの下に落としたりすると、母は、自分でその掛け布団を拾い
あげることができない。そういう状態のとき、窓があいたままで、急に外気が冷え込んだ
としたら、どうなるか? 実は、一度だが、そういう事故があった。

 幸いにもそのときは、軽い風邪程度の症状ですんだが、事故は事故。

さらに最近では、食事を母の部屋に、そのつど運んでいる。が、食べた物を、よくのど
に詰まらせるようになった。ガッ、ガッという咳払いの声がするたびに、私たちは母の
部屋にすっ飛んで行く。

 で、無線の呼び鈴を取り付けたが、これはうまくいかなかった。何でもないことで、私
たちを呼んだりした。日中ならまだしも、真夜中でも、それをした。そのため私たちは、
睡眠不足の日がつづくようになった。が、その一方で、肝心なときには、呼び鈴のことを
忘れてしまっていて、それを使わない、などなど。

 ともかくも、そういうことが重なったので、ケア・センターへ相談に行ってきた。

ケ「あとは、ベッドの横で添い寝をするしかありませんね。隣の部屋にでも、寝泊まりで
きませんか」
私「それはできないです……。隣の部屋といっても、事務機器のある物置部屋になってい
ますし……」
ケ「介護度4ともなると、自宅介護は、無理ですよ」
私「やはり、そうですかア」と。

 ……とは言っても、空き部屋がないかぎり、母は入居できない。センターの人の話では、
「早くて、数か月待ちです」とのこと。

 重〜イ気分になったところで、私をワイフは、ケア・センターをあとにした。


●ワイフのパソコン

 このところワイフのパソコンが、急に、調子が悪くなってきた。OSは、Me。そこで
調べてみると、メモリーが64MBしかない!

 ギョッ!

 「お前のパソコンは、メモリーが64MBしかないぞ。これではパソコンは、動かない」
と。

ワ「あなたのはいくつ?」
私「ぼくのは、3GB!、だぞ。わかりやすく言えば、ぼくのは、3000MB。お前の
は、64MB.3000と64のちがいだ。わかるか?」
ワ「それじゃア、無理ねエ……」と。

 ということで、今日(6月3日)の午後、ワイフと近くのパソコンショップへ行って、
メモリーを買ってきた。値段は、4000円と少し。

私「これで256MBになったから、とりあえずは、だいじょうぶ」
ワ「これで動くようになったの?」
私「まあね。しばらくは問題ないだろう」と。

 ついでに私がもっていた、ディスク掃除用のソフトと、メモリー掃除用のソフトの2つ
を組み込んでやった。この2つのソフトを組み込めば、それなりに快適に動くはず。

 で、そのあとワイフを見たら、どこかうれしそうだった。しんみりとした様子で、自分
のパソコンをながめていた。

わかる、わかる、その気持ち! ワイフもいつの間にか、パソコンおたくになりつつあ
るようだ。


●誠司と芽衣(孫)と、テレビ電話で話す

 ワイフと、それに犬のハナを連れて、今日は、中田島砂丘へ行ってきた。そこで弁当を
食べた。

 で、帰ってきてから、アメリカに住む二男夫婦に電話をした。「これからスカイプしよう」
と。

 スカイプというのは、無料で楽しめる、インターネット電話をいう。もちろん映像も送
れる。わかりやすく言えば、無料のテレビ電話。

 誠司(孫)は今、私が毎回送っている、『ディズニーランド』のおもちゃに夢中だという。
それを聞いて、うれしかった。ついでに誠司が、「♪小さな世界」の歌を歌ってくれた。口
笛も吹いてくれた。

 涙が出そうなほど、感激した。ホント!

 私も、すっかりジジバカになってしまったようだ。


●6月xx日

 もうすぐワイフの誕生日。

 「何か、お前の夫が喜ぶようなものを買ってあげようか」と声をかけると、「そんなもの、
いらない」だってエ!

 ハハハ。


●神様、仏様

+++++++++++++

私のように信仰をもたないものは、
いつも、孤独と同居しているような
もの。

何かの願いごとがあっても、
「神様……」「仏様……」と
祈ることさえできない。

まあ、祈ったところで、どうにも
ならないということはわかっている。

しかしそれでも、祈りたいときがある。

+++++++++++++

 人間というのは、本来的に弱い生き物なのか。それとも、私自身が弱いのか。それはよ
くわからないが、ときどき、(本当は、しょっちゅう)、神や仏に祈りたくなるとがある。

 しかし祈る前に、祈る対象がなくて、そこでやめてしまう。で、そのことをワイフに放
すと、こう言った。

 「祈りたければ、祈ればいいのよ。天に向かってだって、祈ることはできるわよ」と。

 ナルホド!

 そこで私は、こう祈った。「……(秘密)……、ナンマイダ、アーメン、アッラー」と。

 「何、それ?」とワイフが聞いたので、「仏様と神様、ついでにイスラムの神様にも祈っ
た」と。

 こういう私のことを、世間の人は、バチ当たりと呼ぶ。事実そのとおりだから、私は逆
らいようがない。

 これから先、もう一度、宗教についても、いろいろ考えてみたい。

(以上、2007年6月3日の日記でした。バカ話ばかりで、すみません!)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●デスノート

+++++++++++++++

このほど中国政府は、
『デスノート』を、本、DVDを含めて、
すべて発禁処分にした。

子どもたちの間では、大人気の
本である。

当然である。

ああした意味もない愚劣な小説やDVDが、
子どもの世界にはびこっていること自体、
バカげている。

異常と言ってもよい。

+++++++++++++++

 このほど中国政府は、日本で大人気の『デスノート』を、本、DVDを含めて、すべて
発禁処分にした。当然である。新華社通信は、つぎのように伝える。

 『中国政府は(5月)28日から、日本の人気漫画『デスノート』をはじめ、青少年に
悪影響を与える恐れがあるホラー作品を集中的に取り締まり、押収する方針だ。

 『デスノート』は中国の小・中・高校生の間でも広く読まれているが、当局は「子ども
の人格形成に重大な影響を及ぼす」と判断し、単行本やDVDなどをすべて押収することと
した。

 ノートに名前が書かれた人が死ぬという内容の『デスノート』は、日本では単行本だけ
で1500万部が売れ、昨年には映画化もされるなど、大ヒットを飛ばした。

 映画は中国ではまだ公開されていないが、海賊版のDVDが大量に出回っている。

 中国政府による取り締まりは、6月1日の「子どもの日」を挟んで、同月3日まで1週
間にわたり、学校周辺の書店やDVD店を中心に集中的に行われる予定」と。

 先日も小6の女の子が私にこう聞いた。「先生、デスノートって知ってる?」と。私は、
即座に「知らない」と答えた。本当はDVDショップでそれが、たくさん並んでいるのを
知っていた。手にとって、見たこともある。

 くだらない、本当にくだらないDVDである。

女「デスノートを知らないの?」
私「ああ……」
女「遅れてるウ〜」
私「じゃあ、聞くが、ドラッカーの『新しい社会』を知っているか? ヴォーボワールの
『第二の性』でもいい」
女「そんなの知らない……」
私「君たちと住む世界がちがうからというだけで、遅れているということにはならないよ」
と。

 少し前には、ビデオで映された画面から、化け物が出てくるという小説やビデオ映画が
ヒットした。実に意味のない、くだらない小説だったが、それもバカ売れした。そののち、
作家のSは、いっぱしの作家気取りで、あちこちに随筆を書くようになった。が、どうし
てエ〜?

 それにしても、1200万部とは! 子どもたちの世界は、いったい、どうなっている
のか? が、それだけではすまない。

 この時期、つまり子どもの内面化(心の形成)が進む時期に、こうした本に触れるのは、
たいへん危険なことと言ってもよい。言うなれば、カルト教団の信者予備軍を養成をして
いるようなもの。

 現に数日前も、バス旅行をしていた小学生の一団が、吐き気を訴えるなど、ヒステリー
状態になってしまったという事件が報道されていた。バスがトンネルへ入ったとき、だれ
かが「霊を見た」と言ったのがきっかけだった(新聞報道)。

 テレビでは、いまだに、どこかのオバチャンが、占星術だの何だのを口にして、言いた
い放題のことを言っている。それを聞いて、タレントたちは、涙を流して、感激している。

 どうしてこういうバカげた現象が、この日本ではつぎからつぎへと起こるのか? ……
という遠まわしな言い方はやめよう。

 簡単に言えば、日本人全体が、今、ノーブレイン(脳みそなし)の状態になっている。
考えることそのものを、放棄してしまっている。今、それがますます加速している。

 「これでいいのか、日本!」と叫んだところで、この話は、おしまい! 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝あれこれ(5月30日)

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とくに変わったことはない、平凡な朝。
朝風呂をあびて、パンを一個、かじる。

それからHPを少し更新して、いつもの
ルーティーン(日常行為)。

+++++++++++++++++

●したいことvsすべきこと

 (したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きなちがいがある。当然である。

 ほとんどのばあい、(すべきこと)には、苦痛や苦労がともなう。できるなら、しないで
すませたい。したいことだけをして、それですませたい。しかし、そんな人生に、どれほ
どの意味があるというのか。

 たとえばこんな老人がいたとする。

 その老人は、満55歳で定年退職をしてからというもの、一日とて、労働者として働い
たことがない。広い庭……というより、先祖譲りの、広い畑をもっている。その畑に、い
ろいろな種類の花木を植え、日々、庭いじり三昧(ざんまい)。

 これは極端なケースかもしれないが、しかしひょっとしたら、あなたの周辺にも、似た
ような老人がいるかもしれない。こうした老人は、毎日、自分のしたいことだけをして生
きているだけ。

 しかしもしその老人が、少しでも考える力をもち、「だから、それがどうなの?」「どう
したの?」と、自分に問うてみたら、その老人の住む世界は、一変するにちがいない。た
ぶん、自分の生活に疑問をもつだろう。自分のしていることのむなしさに、耐えられなく
なるかもしれない。

 つまりその老人は、(したいこと)をすることによって、(自分がすべきこと)について
は、目を閉じてしまっている。もっと言えば、自分をごまかしている。

 が、だれも、そんな老後が、豊かな老後だとは、思わない。またそうであってよいとは、
だれも思わない。

 そうそうこんな老人もいた。

 「老後はコンパクトに生きることこそ重要」と、身のまわりを、あえてコンパクトにし
てしまった老人である。持家を売り払い、小さなマンションに移り住んだ。世間とのつき
あいも縮小し、当然、活動のハバを狭(せ)めてしまった。

 一見合理的な生き方に見えるかもしれないが、その老人は、(生きる)ということを忘れ
てしまっている。もっとわかりやすく言えば、(死ぬための準備)が、老後のあり方だと思
いこんでしまっている。

 老後になったからといって、コンパクトに生きる必要はない。もちろん収入に合わせた
生活にする必要はある。しかしそれと、「コンパクトに生きる」ということは、別問題であ
る。むしろ逆で、残り短い人生であるがゆえに、私たちは、自分を完全燃焼させて生きて
いかねばならない。

 無駄にできる時間は、一瞬、一秒もない。

 そこで「私にとってすべきことは何か」と、自問してみる。もっとも老後になると、名
誉や地位、肩書きのむなしさがよくわかる。お金については、何も、あえて嫌う必要はな
い。お金では幸福は買えないが、お金がなければ、不幸になる。しかし収入だけを考えて
老後を送るのも、どうか?

 こうして考えてみると、結局は、(人とのつながり)の中に、その(すべきこと)がある
ように思う。あるいは、よく言われるように、「真・善・美」の追求こそが、人が人として、
すべきことかもしれない。

 しかしこれらにはどれも、先に書いたように、苦痛や苦労がともなう。その苦痛や苦労
なくして、すべきことをすることはできない。たとえば私のかつての恩師は、1冊の本を
書きあげるために、毎日、毎晩、目に目薬をさして文献を読みあさっていた。70数歳と
いう年齢で、この世を去ったが、その人はその人で、(すべきこと)をしっかりともってい
たことになる。

 私もあと半年足らずで、満60歳になる。自分では現役のつもりでいるが、まわりの人
たちは、年齢を私にあてはめて、私を見る。とてもいやな気分だ。加えて、いまだに、こ
こでいう(すべきこと)が見えてこない。(したいこと)は山ほどある。しかし何度も書く
が、(したいこと)イコール、(すべきこと)ではない。

 それは何か? 私がすべきことは、何か?

 本来なら、私は40歳前後から、自分のすべきことを考え始めるべきだった。しかし当
時の私は、忙しいだけ。自分を静かに見つめる時間すらなかった。ずるずると、今の年齢
になってしまった。

 ……ということで、目下、自分のすべきことを、懸命に模索している。残り時間は、あ
まりにも短い。あえて言うなら、断崖絶壁の縁(ふち)に立たされているような気分。ワ
イフは、「ボランティア活動でもしようか?」と言っているが、そんな取ってつけたような
ことをしたところで、どうせ身につかない。長つづきしない。いわんや、生きがいに結び
つくことようなことは、まず、ない。

 自分でも、それがよくわかっている。

 が、あえて一言。

 もし今、あなたが40歳前後の人なら、今から、(すべきこと)を模索したらよい。(し
たいこと)ではない。(すべきこと)である。

 それがあなたの老後を、心豊かに生きるためのコツということになる。余計な節介かも
しれないが……。

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●真・善・美について

++++++++++

2年前に書いた原稿を
そのまま紹介します。

++++++++++


●真・善・美

 教育に目標があるとするなら、未来に向かって、真・善・美を後退させないこと。その
基盤と方向性を、子どもたちの世界に、残しておくこと。

 今すぐは、無理である。無理であることは、自分の過去を知れば、わかる。若い人たち
は、真・善・美を、そこらにころがる小石か、さもなければ、空気のように思っている。
その価値がわからないどころか、その価値すら、否定する。

 しかしやがて、その、真・善・美に、気がつくときが、かならずやってくる。そしてそ
の価値にひれ伏し、それまでの自分の過去にわびるときがやってくる。

 そのとき、その子ども(子どもというよりは、人)が、その基盤と方向性をもっていれ
ばよし。そうでなければ、その子どもは、まさに路頭に迷うことになる。

 「私は何のために生きてきたのか?」と。

 そしてやがて、その人は、真・善・美を、自ら、追求し始める。そのときを予想しなが
ら、子どもの中に、その基盤と方向性を残しておくこと。それが教育の目標。

+++++++++++++++++++++++++++

【補記】

 真・善・美の追求について、私は、それに気づくのが、あまりにも遅すぎた。ものを書
き始めたのが、40歳前後。それまでは実用的な本ばかりを書いてきたが、「私」を書くよ
うになったのは、そのあとである。

 現在、私は57歳だが、本当に、遅すぎた。どうしてもっと早く、自分の愚かさに気づ
かなかったのか。どうしてもっと早く、真・善・美の追求を始めなかったのか。

 今となっては、ただただ悔やまれる。本当に悔やまれる。もっと早くスタートしていれ
ば、頭の働きだって、まだよかったはず。どこかボケかけたような状態で、そしてこれか
ら先、ますますボケていくような状態で、私に何が発見できるというのか。

 これは決して、おおげさに言っているのではない。本心から、そう思っている。

 だからもし、この文章を読んでいる人の中で、若い人がいるなら、どうかどうか、真・
善・美の追求を、今から始めてほしい。30代でも、20代でも、早すぎるということは
ない。

 今となっては、出てくるのは、ため息ばかり。どんな本に目を通しても、出てくるのは、
ため息ばかり。「こんなにも、私の知らないことがあったのか」とである。と、同時に、「後
悔」のもつ恐ろしさを、私は、今、いやと言うほど、思い知らされている。

★読者のみなさんへ、

 つまらないことや、くだらないことで、時間をムダにしてはいけませんよ。時間や健康、
それに脳ミソの働きには、かぎりがあります。余計なお節介かもしれませんが……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●幼児教育

 ロボットが、二足歩行で歩き、踊る時代になった。しかし驚くなかれ、私が、幼児教育
に接した、わずか、35年前には、ほとんどの人は、幼児が何であるかさえ、知らなかっ
た。

 幼児は、幼稚。よくて、おとなの卵。未完成で未熟な人間……そんな考え方が、支配的
だった。

 幼児教育の教材すら、ほとんど、なかった。35年前には、自閉症にしても、診断基準
すらなかったし、ADHD児にしても、騒がれ始めたのは、ここ10年である。(日本で、
厚生省が研究機関に依頼して、診断基準づくりを始めたのは、ほんの4年前。)

 私が「幼児教育をしています」と言ったら、「そんなのだれにでも、できるでしょう」と
返答した男がいた。(基本的には、こうした誤解は、変わっていないが……。)

 今でも、若い母親の大半は、そう考えている。それは会話などしなくても、雰囲気でわ
かる。だから私は、何も言わない。どうせ言っても、理解してもらえない。

 もし戦後の日本人が、モノづくりにかけるエネルギーの1000分の1でもよいから、
幼児、なかんずく、人間の研究に向けていたら、日本は、幼児教育の先進国になっていた
だろう。が、実情は、どうか。いろいろな問題をもった子どもが現れるたびに、その診断
基準すら、外国の文献に頼っている。日本人が自らつくりあげたものは、ほとんど、ない。
(まったく、ないのではないか……?)

 もう30年前になるが、ある雑誌で、文部省の技官と対談したとき、その技官は、こう
言った。

 「なぜ、幼稚園で、文字教育を解禁しないのですか」と聞いたときのこと。「ハネがある
でしょう。ハネは、幼児には無理です」と。つまりトメ、ハネ、ハライを、幼児に教える
には、無理だから、と。

 そこで私が「毛筆時代は、もう終わりに近づいています。どうしてハネを無視しないの
ですか」と聞くと、「日本語には、日本語の美しさがありますから」と。

 世界広しといえども、就学前の子どもで、文字教育を受けないのは、日本人くらいなも
の。(ついでに、発音教育も!)

 いまでも幼児教育というと、遊戯やお絵かき、年間行事を追いかけることだと思ってい
る人は多い。小学校へ入るための準備教育と考えている人もいる。しかしそれは誤解とい
うより、まちがい。幼児教育の奥深さは、パソコンにたとえるなら、OS(オペレーティ
ング・システム)のプログラミングほどの深さがある。

 それを理解してもらえない歯がゆさは、キーボードもまだ叩けないような人に、C++
言語の話をするときに感ずる、あの歯がゆさに似ている。そこで私のすべきことは、親を
飛びこし、子どもの中に、微妙な問題点をみつけ出し、臨機応変に、それに対処していく
こと。

 が、だからといって、親を責めているのではない。どんな親も、幼児教育には、まった
く無知なまま、子育てを始める。私もそうだったし、私のワイフも、そうだった。

 親が、自分を知り、さらに、自分の子どもを知るのは、子育ての最中ではない。そのと
きは、ただ忙しくて、毎日が夢中のまま、過ぎていく。親が、自分を知り、さらに、自分
の子どもを知るのは、子どもが親離れし、親が子離れし、ほっと、息をつくころ。

 少し前だが、こんな手紙をくれた母親がいた。

 「息子が高校受験に合格した夜、はじめて、息子の原点は、はやし先生が作ってくれた
のだと気づきました。ありがとうございました」と。

 私はその手紙を読んだとき、涙を流した。本当だぞ! 幼児教育というのは、そういう
ものである。
(050303)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++

【末那識(まなしき)】

●偽善

 他人のために、善行をほどこすことは、気持ちがよい。楽しい。そう感ずる人は、多い。
俗にいう、「世話好きな人」というのは、そういう人をいう。しかしそういう人が、本当に
他人のことを思いやって、そうしているかと言えば、それはどうか?

実は、自分のためにしているだけ……というケースも、少なくない。

このタイプの人は、いつも、心のどこかで、たいていは無意識のまま、計算しながら行
動する。「こうすれば、他人から、いい人に思われるだろう」「こうすれば、他人に感謝
されるだろう」と。さらには、「やってあげるのだから、いつか、そのお返しをしてもら
えるだろう」と。

心理学の世界でも、こういう心理的動作を、愛他的自己愛という。自分をよく見せるた
めに、他人を愛しているフリをしてみせることをいう。しかしフリは、フリ。中身がな
い。仏教の世界にも、末那識(まなしき)という言葉がある。無意識下のエゴイズムを
いう。わかりやすく言えば、偽善。

 人間には、表に現われたエゴイズム(自分勝手)と、自分では意識しない、隠されたエ
ゴイズムがある。表に現れたエゴイズムは、わかりやすい。自分でも、それを意識するこ
とができる。

 しかし、この自分では意識しない、隠されたエゴイズムは、そうでない。その人の心を、
裏から操る。そういう隠されたエゴイズムを、末那識というが、仏教の世界では、この末
那識を、強く戒める。

 で、日本では、「自己愛」というと、どこか「自分を大切にする人」と考えられがちであ
る。しかしそれは誤解。自己愛は、軽蔑すべきものであって、決して、ほめたたえるべき
ものではない。

 わかりやすく言えば、自己中心性が、極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」という。
どこまでも自分勝手でわがまま。「この世界は、私を中心にして回っている」と錯覚する。
「大切なのは、私だけ。あとは、野となれ、山となれ」と。

 その自己愛が基本にあって、自己愛者は、自分を飾るため、善人ぶることがある。繰り
かえしになるが、それが愛他的自己愛。つまり、偽善。

 こんな例がある。

●恩着せ

 そのときその男性は、24歳。その日の食費にも、ことかくような貧しい生活をしてい
た。

 その男性から、相談を受けたXさん(女性、40歳くらい)がいた。その男性と、たま
たま知りあいだった、そこでXさんは、その男性を、ある陶芸家に紹介した。町の中で、
クラブ制の窯(かま)をもっていた。教室を開いていた。その男性は、その陶芸家の助手
として働くようになった。

 が、それがその男性の登竜門になった。その男性は、思わぬ才能を発揮して、あれよ、
あれよと思う間に、賞という賞を総なめにするようになった。20年後には、陶芸家とし
て、全国に、名を知られるようになった。

 その男性について、Xさんは、会う人ごとに、こう言っている。

 「あの陶芸家は、私が育ててやった」「私が口をきいてやっていなければ、今でも、貧乏
なままのはず」「私が才能をみつけてやった」と。そして私にも、こう言った。

 「恩知らずとは、ああいう人のことを言うのね。あれだけの金持ちになっても、私には
1円もくれない。あいさつにもこない。盆暮れのつけ届けさえくれない」と。

 わかるだろうか?

 このXさんは、親切な人だった。そこでその男性を、知りあいの陶芸家に紹介した。が、
その親切は、ある意味で、計算されたものだった。本当に親切であったから、Xさんは、
その男性を、陶芸家に紹介したわけではなかった。それに一言、つけ加えるなら、その男
性が、著名な陶芸家になったのは、あくまでもその男性自身の才能と努力によるものだっ
た。

 ここに末那識(まなしき)がある。

●愛他的自己愛

 この末那識は、ちょっとしたことで、嫉妬、ねたみ、ひがみに変化しやすい。Xさんが、
「恩知らず」とその男性を、非難する背景には、それがある。そこで仏教の世界では、末
那識つまり、自分の心の奥底に潜んで、人間を裏から操(あやつ)るエゴイズムを、問題
にする。

 心理学の世界では、愛他的自己愛というが、いろいろな特徴がある。ここに書いたのは、
偽善者の特徴と言いかえてもよい。

(1)行動がどこか不自然で、ぎこちない。
(2)行動がおおげさで、演技ぽい。
(3)行動が、全体に、恩着せがましい。
(4)自分をよく見せようと、ことさら強調する。
(5)他人の目を、強く意識し、世間体を気にする。
(6)行動が、計算づく。損得計算をいつもしている。
(7)裏切られるとわかると(?)、逆襲しやすい。
(8)他人をねたみやすく、嫉妬しやすい。
(9)他人の不幸をことさら笑い、話の種にする。

 こんな例もある。同じ介護指導員をしている、私の姉から聞いた話である。

●Yさんの仮面

 Yさん(60歳、女性)は、老人介護の指導員として、近所の老人家庭を回っていた。
介護士の資格はもっていなかったから、そのため、無料のボランティア活動である。

 とくにひとり住まいの老人の家庭は、数日ごとに、見舞って、あれこれ世話を焼いてい
た。もともと世話好きな人ということもあった。

 やがてYさんは、町役場の担当の職員とも対等に話ができるほどまでの立場を、自分の
ものにした。そして市から、介護指導員として、表彰状を受けるまでになった。

 だからといって、Yさんが、偽善者というわけではない。またYさんを、非難している
わけでもない。仮に偽善者であっても、そのYさんに助けられ、励まされた人は、多い。
またYさんのような親切は、心のかわいたこの社会では、一輪の花のように、美しく見え
る。

 が、Yさんは、実は、そうした老人のために、指導員をしているのではなかった。また
それを生きがいにしていたわけでもない。Yさんは、「自分が、いい人間に思われることだ
け」を考えながら、介護の指導員として活動していた。

 みなから、「Yさんは、いい人だ」と言われるために、だ。Yさんにしてみれば、それほ
ど、心地よい世界は、なかった。

 しかしやがて、そのYさんの仮面が、はがれる日がやってきた。

 Yさんのところへ、ある日、夫が、夫の兄を連れてきた。Yさんの義兄ということにな
る。この義兄は、身寄りがなく、それに脳梗塞(こうそく)による軽い障害もあった。ト
イレや風呂くらいは、何とか自分で行けたが、それ以外は、寝たきりに近い状態だった。
年齢は、73歳。

 最初は、Yさんは、このときとばかり、介護を始めたが、それが1か月もたたないうち
に、今度は、義兄を虐待するようになった。風呂の中で、義兄が、大便をもらしたのがき
っかけだった。

 Yさんは、激怒して、義兄に、バスタブを自分で洗わせた。義兄に対する、執拗な虐待
が始まったのは、それからのことだった。

 食事を与えない。与えても、少量にする。同じものしか与えない。初夏の汗ばむような
日になりかけていたが、窓を、開けさせない。風呂に入らせない。義兄が腹痛や、頭痛を
訴えても、病院へ連れていかない、など。

 こうした事実から、介護指導員として活動していたときの、Yさんは、いわば仮面をか
ぶっていたことがわかったという。姉は、こう言った。

 「他人の世話をするのは、遊びでもできるけど、身内の世話となるいと、そうはいかな
いからね」と。

●子育ての世界でも

 親子の間でも、偽善がはびこることがある。無条件の愛とか、無償の愛とかはいうが、
しかしそこに打算が入ることは、少なくない。

 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」という、あの言い方
である。昔風の、親意識の強い人ほど、この言葉をよく使う。

 中には、子どもに、そのつど、恩を着せながら、その返礼を求めていく親がいる。子ど
もを1人の人間としてみるのではなく、「モノ」あるいは、「財産」、さらには、「ペット」
としてみる。またさらには、「奴隷」のように考えている親さえいる。

 息子(当時29歳)が、新築の家を購入したとき、その息子に向って、「親よりいい生活
をするのは、許せない」「親の家を、建てなおすのが先だろ」と、怒った母親さえいた。

 あるいは結婚して家を離れた娘(27歳)に、こう言った母親もいた。

 「親を捨てて、好きな男と結婚して、それでもお前は幸せになれると思うのか」「死んで
も墓の中から、お前を、のろい殺してやる」と。

 そうでない親には、信じがたい話かもしれないが、事実である。私たちは、ともすれば、
「親だから、まさかそこまではしないだろう」という幻想をもちやすい。しかしこうした
(ダカラ論)ほど、あてにならないものはない。

 親にもいろいろある。

 もっとも、こうしたケースは、稀(まれ)。しかしそれに近い、代償的過保護となると、
「あの人も……」「この人も……」というほど、多い。

●代償的過保護

 代償的過保護……。ふつう「過保護」というときは、その奥に、親の深い愛情がある。
愛情が基盤にあって、親は、子どもを過保護にする。

しかし代償的過保護というときは、その愛情が希薄。あるいはそれがない。「子どもを自
分の支配下において、自分の思いどおりにしたい」という過保護を、代償的過保護とい
う。

 見た目には、過保護も、代償的過保護も、よく似ている。しかし大きくちがう点は、代
償的過保護では、親が子どもを、自分の不安や心配を解消する道具として、利用すること。
子どもが、自分の支配圏の外に出るのを、許さない。よくある例は、子どもの受験勉強に
狂奔する母親たちである。

 「子どものため」を口にしながら、その実、子どものことなど、ほとんど考えていない。
人格さえ認めていないことが多い。自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに強要する
こともある。世間的な見得、メンツにこだわることもある。

 代償的過保護では、親が子どもの前に立つことはあっても、そのうしろにいるはずの、
子どもの姿が見えてこない。

 つまりこれも、広い意味での、末那識(まなしき)ということになる。子どもに対する
偽善といってもよい。勉強をいやがる息子に、こう言った母親がいた。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あなたは私に感謝する日がやってくる
わよ。SS中学に合格すれば、いいのよ。お母さんは、あなたのために、勉強を強いてい
るのよ。わかっているの?」と。

●教育の世界でも

 教育の世界には、偽善が多い。偽善だらけといってもよい。教育システムそのものが、
そうなっている。

 その元凶は「受験競争」ということになるが、それはさておき、子どもの教育を、教育
という原点から考えている親は、いったい、何%いるだろうか。教師は、いったい、何%
いるだろうか。

 教育そのものが、受験によって得る欲得の、その追求の場になっている。教育イコール、
進学。進学イコール、教育というわけである。

さらに私立中学や高校などにいたっては、「進学率」こそが、その学校の実績となってい
る。今でも夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が、そのまま生きている。数年前も、関東地
方を中心にした、私立中高校の入学案内書を見たが、どれも例外なく、その進学率を誇
っていた。

 SS大学……5人
 SA大学……12人
 AA大学……24人、と。

 中には、付録として、どこか遠慮がちに別紙に刷りこんでいる案内書もあったが、良心
的であるから、そうしているのではない。毎年、その別紙だけは、案内書とは分けて印刷
しているために、そうなっている。

 この傾向は、私が住む、地方都市のH市でも、同じ。どの私立中高校も、進学のための
特別クラスを編成して、親のニーズに答えようとしている。

 で、さらにその元凶はいえば、日本にはびこる、職業による身分差別意識と、それに不
公平感である。それらについては、すでにたびたび書いてきたのでここでは省略するが、
ともかくも、偽善だらけ。

 つまりこうした教育のあり方も、仏教でいう、末那識(まなしき)のなせるわざと考え
てよい。

●結論

 私たちには、たしかに表の顔と、裏の顔がある。文明という、つまりそれまでの人間が
経験しなかった、社会的変化が、人間をして、そうさせたとも考えられる。

 このことは、庭で遊ぶスズメたちを見ていると、わかる。スズメたちの世界は、実に単
純、わかりやすい。礼節も文化もない。スズメたちは、「生命」まるだしの世界で、生きて
いる。

 それがよいとか、はたまた、私たちが営む文明生活が悪いとか、そういうことを言って
いるのではない。

 私たち人間は、いつしか、自分の心の奥底に潜む本性を覆(おお)い隠しながら、他方
で、(人間らしさ)を追求してきた。偽善にせよ、愛他的自己愛にせよ、そして末那識にせ
よ、人間がそれをもつようになったのは、その結果とも言える。

 そこで大切なことは、まず、そういう私たち人間に、気づくこと。「私は私であるか」と
問うてみるのもよい。「私は本当に善人であるか」と問うてみるのもよい。あなたという親
について言うなら、「本当に、子どものことを考え、子どものために教育を考えているか」
と問うてみるのもよい。

 こうした作業は、結局は、あなた自身のためでもある。あなたが、本当のあなたを知り、
ついで、あなたが「私」を取りもどすためでもある。

 さらにつけたせば、文明は、いつも善ばかりとはかぎらない。悪もある。その悪が、ゴ
ミのように、文明にまとわりついている。それを払いのけて生きるのも、文明人の心構え
の一つということになる。
(はやし浩司 末那識 自己愛 偽善 愛他的自己愛 愛他的自己像 私論 はやし浩司,
幼児教育,子育て論,育児論,教育評論,評論家,育児評論,育児評論家,子育て評論,子育て問題,
育児問題,子育て)
(050304)

【補記】

●みんなで偽善者を排斥しよう。偽善者は、そこらの犯罪者やペテン師より、さらに始末
が悪い。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●生きがいとなる基盤

++++++++++++++

自分のことしかしない。
自分のしたいことしかしない。

若い人たちはそれでよいとしても、
人生の先輩である、私たちが
それでよいとは、だれも思わない。

が、この問題は、自分自身の問題
でもある。

そういう生き方をしていると、
結局は、さみしい思いをするのは、
自分自身ということになる?

++++++++++++++

 私は自分の母を介護しながら、多くのことを学んでいる。決して自慢できるような母で
はないが、(それにボケも加わっているが……)、それでも毎日、学ぶことは多い。

 母は、若いときから、自分勝手でわがまま。自分のことしかしなかった。たまに他人の
ために働くことはあったが、それは他人の目を意識して、そうしていただけ。だから他人
には、受けがよかった。

 母を責めているのではない。多かれ少なかれ、だれしも、母のような生き方をしている。
この私だって、そうだ。

 しかしそれが加齢とともに、顕著になってきた。私の家に寝泊まりするようになってか
らというもの、さらにそれがひどくなった。母は、いつも、自分のことしか考えていない。
私やワイフの都合や気持ちなど、まったく意に介さない。自分がしたいことだけをし、ま
たそれを私たちに要求してくる。

 最近では、「実家へ帰りたい」と言っては、私たちをよく困らす。実家というのは、自分
が生まれ育った実家をいう。

 「迎えの車をよこすように、電話をしてくれ」
 「迎えがきてくれると言ったが、どうして来てくれない?」
 「お前たちは、ウソつきや」と。

 適当にあしらうという方法もあるが、それは私たちのやり方ではない。私たちは、いつ
も、本当のことを言うことにしている。

 そういう母を見ていると、最初は、「自分たちはああは、なりたくないものだ」と思う。
つぎに、「どうして母は、ああなってしまったか」と考える。そしてさらに、「では、ああ
ならないためには、どうしたらいいか」と考える。

 もちろん母が、実家に帰りたい気持ちはよくわかる。そこで私は、母の実家の写真を、
A4サイズに拡大し、何枚か、ベッドのまわりに張りつけてやった。古いアルバムも、何
冊か、手元に置いてやった。それなりに効果はあったと思うが、しかし母は、そんなこと
では満足しない。「電話をかけてくれ」「電話をかけさせろ」と騒ぐ。

私「あのなあ、だれがお前のめんどうをみてくれるんだ?」
母「実家へ行っても、メシくらいは、食べさせてくれるはずや」
私「もう、代がかわった。あの家は、あんたのものじゃない」
母「わっち(=私)のもんや」と。

 こんな意味のない押し問答が、繰りかえしつづく。

 わかりやすく言えば、今の母は、感情のおもむくまま、ものを言う。理性によるコント
ロールは、もうほとんどない。それはしかたないとしても、つまり、老人になれば、みな
そうなるという点では、しかたないとしても、それでさみしい思いをするのは、母自身で
はないのか。

 今年91歳になるが、今の元気を保つことができれば、100歳まで生きられるかもし
れないという。ケアマネージャーの人は、そう言っている。つまり、残りの10年を、そ
んな思いで過ごして、よいものか?

 そこで(生きがい)の問題ということになる。が、自分のためだけに生きてきた人に、
今さら、「生きがいをもて」と言っても無理。生きがいとなる基盤そのものをもっていない。
またその基盤は、一朝一夕にできるものではない。10年単位、20年単位という長い年
月を経て、熟成されるもの。

 とても残念なことだが、私の母には、その(基盤)を感じない。どこまでも、どこまで
も、かわいそうな女性である。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(5月29日)、あれこれ

++++++++++++++++

先週は、4日間で、1冊の本の原稿を
まとめた。

新記録である。

で、今週は、その原稿を、5〜6社の
出版社に送る。

それでだめなら、さらに3〜4社の
出版社に送る。

++++++++++++++++

●ホームページ作成ソフト

 この6年以上、私は、ホームページ作成ソフトとして、「N」というソフトを使ってきた。
が、このところ、何かと不便なことがつづく。とくにビスタ(OS)にしてから、ときど
きおかしな暴走が起きる。

 「N」社に相談すると、最後にこう言った。「Nは、初級者向けに開発されたものです。
上級者用として、たとえばホームページビルダー(IBM社製)などがありますから、そ
ちらを検討してみたらどうですか」「今のところ、ビスタ対応版の発売は、考えていません」
と。

 この言葉で決まった。

 さっそく町中のパソコンショップで、ホームページビルダー(11)を購入。ガイドブ
ック付きで、7000円弱で購入できた。目下、半額セール中。

 ガイドブックにざっと目を通してみて、びっくり。「N」とは、各段の差があった。あえ
て言うなら、「N」は、小学生の使うソフト、ホームページビルダーのほうは、高校生の使
うソフトといった感じ。

 私はときどき、こういうヘマをする。つまり最初の選択をまちがえて、ズルズルとその
まま低位のソフトを使いつづけるというヘマである。あああ……今回も、それをしてしま
った。

 しかし今までの蓄積を考えると、ことは容易ではない。これから1〜2年をかけて、少
しずつ、「N」からホームページビルダーに乗り換えていかねばならない。ソフトを交換す
れば、それでよいという問題ではない。

 ……で、今日の日記は、ここまで。今日も忙しい。

【追記】

 ソフト「N」を使って、ビスタ上で作業をしているが、「保存」が、どうしてもうまくで
きない。

 要するに、「N」は、ビスタには、対応していないということ。しかしこういうことがつ
づくと、本当にやる気をなくす。

 いやだなア〜。


●本を書く

 久しぶりに本のための原稿を書いた。これからあちこちの出版社に声をかけるつもり。
何とか早く決まればよいが、……と願っている。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●自己の統合性

++++++++++++++

私は何をすべきか。
まず、それを考える。

つぎにその考えに応じて、
では、何をすべきか、
それを考える。

考えるだけでは足りない。
現実の自分を、それに
合わせて、つくりあげていく。

これを「統合性」という。

つまり(自分がすべきこと)と、
(現実に自分がしていること)を、
一致させる。

老後を心豊かに生きるための、
これが、必須条件ということに
なる。

+++++++++++++

●自分は何をすべきか

 定年退職をしたとたん、ほとんどの人は、それまでの(自分)を、幹ごと、ボキッ折られてしま
う。

 ある日突然、ボキッ、とだ。

 とたん、それまでの自分は何だったのか、と思い知らされる。金儲けだけを懸命にして
きた人も、そうだ。年をとれば、体力が衰える。気力も衰える。思うように金儲けができ
なくなったとたん、心は、宙ぶらりんの状態になってしまう。

 そこで「自己の統合性」ということになる。

 (自分がすべきこと)を、(現実にしている人)は、自己の統合性があるということにな
る。そうでない人は、そうでない。

 似たような言葉に、「自己の同一性」というのがある。こちらのほうは、(自分のしたい
こと)と、(現実にしていること)が一致した状態をいう。青年期には、ほとんどの人が、
この同一性の問題で悩む。苦しむ。

 「自分さがし」とか、「私さがし」とかいう言葉を使う人も多い。自分のしたいことは、
そこにあるのに、どうしても手が届かない。そういう状態になると、心はバラバラになっ
てしまう。何をしても、むなしい。自分が自分でないように感ずる。

 しかし統合性の問題は、同一性よりも、もっと深刻。いくら悩んだとしても、青年期に
は、(未来)がある。しかし老年期に入ると、それがない。たとえて言うなら、断崖絶壁に
立たされたような状態になる。先がない。

 そこで多くの人は、その段階で、「自分は何をすべきか」を考える。「何をしたいか」で
はない。この年齢になると、(したいことをする)ということのもつ無意味さが、よくわか
るようになる。

 高級車を買った……だから、それがどうなの?
 家を新築した……だから、それがどうなの?
 株で、お金を儲けた……だから、それがどうなの、と。

 モノやお金、名誉や地位では、心のすき間を埋めることはできない。成功(?)に酔い
しれて、自分を忘れることはできる。が、そこには限界がある。(酔い)は、(酔い)。一時
的に自分をごまかすことはできても、そこまで。その限界を感じたとき、人は、こう考え
る。

 「これからの余生を、どう生きるべきか」と。その(どう生きるべきか)という部分か
ら、「自分はどうあるべきか」という命題が生まれる。

 しかし大半の人は、そんなことを考えることもなく、老後を迎える。ある日、気がつい
てみたら、退職、と。冒頭に書いたように、ある日突然、ボキッと、幹ごと折られたよう
な状態になる。

 では、どうするか?

 多くの心理学者は、こうした作業は、40歳前後から始めなくてはいけないと説く。4
0歳という年齢を、「人生の正午」という言葉を使って説明する学者もいる。

50代に入ってからでは遅い。いわんや、定年退職をしたときには、遅い。働き盛りとい
われる40歳前後である。

 つまりそのころから、老後に向けて、自分の心を整えておく。準備をしておく。具体的
には、(自分を何をすべきか)という問題について、ある程度の道筋をつけておく。つまり
それをしないまま、いきなり老後を迎えると、ここでいうような、(ボキッと折られた状態)
になってしまう。

 繰りかえすが、(したいこと)を考えるのではない。(自分がすべきこと)を考える。こ
の両者の間には、大きな隔(へだ)たりがある。というのも、(自分がすべきこと)の多く
は、(したいこと)でないことが多い。(すべきこと)には、いつも苦労がともなう。

 たとえば以前、80歳をすぎて、乳幼児の医療費無料化運動に取り組んでいた女性がい
た。議会活動もしていた。賛同者を得るために、いくつかのボランティア活動もこなして
いた。その女性にしてみれば、乳幼児の医療費が無料になったところで、得になることは
何もない。が、その女性は、無料化運動に懸命に取り組んでいた。そこで私は、その女性
に、こう聞いた。

 「何が、あなたを、そうまで動かすのですか?」と。

 するとその女性は、こう言った。「私は生涯、保育士をしてきました。どうしてもこの問
題だけは、解決しておきたいのです」と。

 つまりその女性は、(自分がすべきこと)と、(現実に自分がしていること)を、一致さ
せていた。それがここでいう「自己の統合性」ということになる。

●退職後の混乱 

 しかし現実には、定年退職してはじめて、自分さがしを始める人のほうが、多い。大半
の人がそうではないのか。

 中には、退職前の名誉や地位にぶらさがって生きていく人もいる。あるいは「死ぬまで
金儲け」と、割り切って生きていく人もいる。さらに、孫の世話と庭いじりに生きがいを
見出す人も多い。存分な退職金を手にして、旅行三昧(ざんまい)の日々を送る人もいる。

 しかしこのタイプの人は、あえて(統合性の問題)から、目をそらしているだけ。先ほ
ど、(酔い)という言葉を使ったが、そうした自分に酔いしれているだけ。

 ……と書くと、「生意気なことを書くな」と激怒する人もいるかもしれない。事実、その
とおりで、私のような第三者が、他人の人生について、とやかく言うのは許されない。そ
の人がその人なりにハッピーであれば、それでよい。

 が、深刻なケースとなると、定年退職をしたとたん、精神状態そのものが宙ぶらりんに
なってしまうという人もいる。そのまま精神を病む人も少なくない。会社員であるにせよ、
公務員であるにせよ、仕事一筋に生きてきた人ほど、そうなりやすい。

 私の知人の中には、定年退職をしたとたん、うつ病になってしまった人がいる。私は個
人的には知らないが、ときどきそのまま自殺してしまう人もいるという。つまりこの問題
は、それほどまでに深刻な問題と考えてよい。

●では、どうするか?

 満40歳になったら、ここでいう自己の統合性を、人生のテーマとして考える。何度も
繰りかえすが、「私は何をしたいか」ではなく、「私は何をすべきか」という観点で考える。

 そのとき重要なことは、損得の計算を、勘定に入れないこと。無私、無欲でできること
を考える。仮にそれが何らかの利益につながるとしても、それはあくまでも、(結果)。名
誉や地位にしてもそうだ。

 ほとんどのばあい、(すべきこと)には、利益はない。あくまでも(心の問題)。という
のも、(すべきこと)を追求していくと、そこには絶えず、(自分との闘い)が、ある。そ
の(闘い)なくして、(すべきこと)の追求はできない。もっとわかりやすく言えば、この
問題は、(自分の命)の問題とからんでくる。追求すればするほど、さらに先に、目標が遠
のいてしまう。時に、そのため絶望感すら覚えることもある。

 損得を考えていたら、(自分との闘い)など、とうていできない。

たとえば恩師の田丸先生は、先日会ったとき、こう言っていた。「私がすべきことは、人を
残すことです」と。

 そこで私が、「先生は、名誉も、地位も、そして権力も、すべて手にいれた方です。そう
いう方でも、そう思うのですか」と聞くと、「そうです」と。高邁(こうまい)な人物とい
うのは、田丸先生のような人をいう。

 そこで……というより、「では私はどうなのか」という問題になる。私は、自分の老後は
どうあるべきと考えているのか。さらには、私は、何をなすべきなのか。

 実のところ、私自身、自分でも何をすべきなのか、よくわかっていない。あえて言うな
ら、真理の探究ということになる。私は、とにかく、この先に何があるか知りたい。が、
この世界は、本当に不思議な世界で、知れば知るほど、そのまた先に、別の世界が現れて
くる。ときどき、自分が無限の宇宙を前にしているかのように錯覚するときもある。

 すべきことはわかっているはずなのに、それがつかめない。つかみどころがない。だか
らよく迷う。「こんなことをしていて、何になるのだろう」「時間を無駄にしているだけで
はないのか」と。

 つまり、自己の統合性が、自分でもわかっていない。できていない。つまり私の理論に
よれば、私は、この先、みじめで暗い老後を送ることになる。

 だから……というわけでもないが、繰りかえす。

 40歳になったら、ここでいう「統合性」の問題を、真剣に考え始めたらよい。「まだ先」
とか、「まだ早い」と、もしあなたが考えているとしたら、それはとんでもないまちがいで
ある。子育てが終わったと思ったとたん、そこで待っているのは、老後。50代は、早足
でやってくる。60代は、さらに早足でやってくる。

 さあ、あなたは、自分の人生で、何をなすべきか? それを一度、ここで考えてみてほ
しい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
統合性 統合性の一致 統合性一致 自己統合性 自己の統合性 すべきこと 人生の目
標)

【付記】

 もうひとつの生き方は、何も考えないで生きるという方法。あるいはどこかのカルト教
団に身を寄せて、そこで生きがいを見出すという方法もある。

 しかし人間は、考えるから、人間なのである。もし、何も考えない人がいたとしたら、
その人は、そこらに住む動物と同じ。明日も今日と同じという日々を送りながら、やがて
そのまま静かに自分の人生を終える。

 そのことは、頭のボケた母を見ていると、わかる。母は、今、自分がどこに住んでいる
かさえ、ときどきわからなくなる。ワイフの顔を見て、別の人の名前で呼んだりする。し
かし食欲だけは、人一倍旺盛。食事の時間になると、血相を変えて、その場所にやってく
る。

 そういう私の母には、もう目標はない。何のために生きているのかという目的すら、な
い。何かにつけて、自己中心的で、もちろん、自分がすべきことなど、何も考えていない。
毎日、ものを食べるために生きているだけ。しかしそんな人生に、どれほどの意味がある
というのか。価値があるというのか。

 もちろん母は母で懸命には生きている。それはわかる。が、それでも、ただ、生きてい
るだけ。つまり考えないで生きるということは、今の母のような状態になることを意味す
る。母は、高齢だからしかたないとしても、私やあなたが、そうであってよいはずはない。

 私たちはこの世に生まれた以上、何かをなすべきである。その(なすべきこと)は、人、
それぞれ。みな、ちがう。しかしそれでも、何かをなすべきである。またそういう使命を
みな、負っている。

 要するに、ここで私が言いたいことは、老後になってから、その(なすべきこと)をさ
がそうとしても、遅いということ。老後といっても、長い。人によっては、30年近くも
ある。20歳から50歳までの年数に等しい。

統合性の問題は、いかにその期間を、有意義に過ごすかという問題ということになる。決
して、安易に老後を迎えてはいけない。それだけは、確かである。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今夜・あれこれ

++++++++++++++++

昨夜は、母を、ショートステイ
(一泊介護)に預けて、ワイフと
2人で、山荘に泊まってきた。

山荘に泊まるのは、今年、はじめて。

で、今日の天気に、点数をつけると
したら、100点。満点。

快晴、さわやか、申し分なし。
木々の新緑が、本当に美しかった。

++++++++++++++++

●山荘

 やむをえぬ事情ができたときには、母を、ショートステイ(一泊介護)に預けることに
している。約4500円前後の自己負担で、それができる。

 が、今日は、母をそのショートステイに預けて、私とワイフは、山荘に一泊してきた。
山荘に泊まるのは、母を介護するようになって、はじめて。このところ、何かとストレス
がたまることがつづいた。

 山荘に着いて、まず、山荘全体をおおっている、甘い香りにうっとり。ジャスミンの香
りに、バニラを少し混ぜたような匂い。野生のジャスミンが、山荘をすっぽりと包むよう
に咲いていた。その香りを楽しむことができるのは、5月の第3週目前後の、ほんの3〜
4日だけ。

 天気は快晴。さわやかな五月(さつき)晴れ。森の木々が、いっせいに新緑を輝かせて
いた。1年を通して、ベストシーズンは、この5月の3週目〜4週目。この2週間をのが
したら、何のための山荘か、……ということになる。

 おかげで、今日は、気分そう快。心も軽い。明日は、たまたま休みなので、義理の兄夫
婦を、山荘に招待する。みんなで食事を楽しむつもり。


●桜の木

 その山荘には、1本の桜の木がある。山荘を建てたとき、もう1人の義理の姉が、記念
にと、植えてくれた。

 その桜の木が、結構な大木になった。今年で13年目になる。が、一本の枝が、道路に
かぶさるように垂れてきた。トラックのような車だと、天井をこすってしまいそう。

 そこでその枝を切ることにした。が、昔から、「桜、切る馬鹿」という。「桜、伐(き)
る馬鹿」と書くときもある。桜の木を切ると、その切り口から細菌が侵入して、桜の木を
枯らしてしまう。だから、「桜、切る馬鹿」という。

 義理の姉が、せっかくくれた桜の木だから、枯らすわけにはいかない。そこで、インタ
ーネットを使っていろいろ調べてみた。が、「細菌の侵入を防ぐため、薬剤を塗ればいい」
というようなところまでは書いてあるが、肝心の薬剤の名前がわからない。

 どうしたらいいのか? 農作物用の殺菌剤があるので、明日、それを山荘にもっていく
つもり。切り口に、それを塗り、その切り口をサランラップか何かでおおってみる。私は、
タールのようなものを切り口に塗ればよいのではないかと思っているが、よくわからない。

 明日の朝いちばんに、浜松市のフラワーパークの事務所に電話を入れて、問い合わせて
みる。


●カラスの子ども

 数日前、庭の中に、カラスの子どもが落ちてきた。ハナ(=犬)が、けたたましく吠え
た。それで、それに気がついた。

 さっそく、保護。抱きあげて、手の中でやさしく体をさすってやっていると、そのまま
おとなしくなった。

 カラスという鳥は、たいへん頭のよい鳥である。それはそのとおりで、そんなばあいで
も、即座に、自分の置かれた状況を判断できるらしい。30分もそうしていると、私とい
う人間に、なれてしまった。名前は、「カラ公」。そういう名前にした。

 若いころから、一度はカラスを飼ってみたいと思っていた。じょうずに飼うと、人間の
言葉まで話すようになるという。しかし……。

 どこかでワイフの冷たい視線を感じて、断念。今は、母もいる。その介護だけで、たい
へん。……ということで、カラ公を再び、空に放すことにした。

 言い忘れたが、その間に、水をやったり、ソーセージやリンゴを与えたりした。

 庭に出て、手につかまらせると、しばらくは、そのままにしていた。「いつまでもこうし
ていたい」という気持ちと、「どこかへ飛んで行け」という気持ちが、交互に私の心の中に
浮かんでは消えた。私は鳥が大好き。高校生のときから、ずっと、手乗り文鳥を飼ってい
た。

 が、何かの動きにおびえたのか、突然、カラ公は、大きく羽をバタつかせると、そのま
まキーウィの棚を飛び越えて、空へ。しばらく大屋根に止まっていたが、さらに大きく羽
ばたいて、どこかへ飛んでいってしまった。

 「ぼくが30歳くらいだったら、あのまま飼っていたかもしれない」とワイフに言うと、
「やはり、今は無理ね」とワイフ。

 時間にすれば、2時間足らずのできごとだったが、カラ公のあのぬくもりを、今でも、
忘れない。

それにしても、カラスというのは、本当に頭のよい鳥である。改めて、それを再確認し
た。たとえば透明のガラス戸の前までくると、カラ公は、歩く足を止めて、じっとガラ
ス戸をにらんでいた。ほかの種類の鳥なら、ガラス戸に体をぶつけて、バタバタと暴れ
ただろう。


●畑

 畑といっても、家庭菜園だが、今年は、去年の2倍ほどの広さにした。庭の南端に、そ
れがある。

 ピーマン、シシトウ、トマト、ネギ、サヤエンドウ、キュウリ、ウリ、枝豆、二十日大
根、パセリなどなど。店で売っているような野菜の苗は、一応、全種類を植えた。

 朝、起きると、それを見るのが、このところの日課になっている。それがどういうわけ
だか、楽しい。本当に楽しい。少しずつだが、収穫も始まっている。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●いらぬお節介?

++++++++++++++++

この記事が目に留まったのは、
事件が事件であったからではない。

3回ほど注意深く読んでみたが、
意味がよくわからなかったからで
ある。

++++++++++++++++

 この記事を、まず読んでみてほしい。そのまま引用する。

+++++++++

 『東京のJR池袋駅で96年に起きたR教大生殺害事件の遺族が21日、英国人英会話
講師ホーカーさん(22)の死体遺棄事件で全国に指名手配されている市橋T容疑者(2
8)の父親あてに息子に自首を呼びかけるよう依頼する手紙を19日付で送ったことを明
らかにした(07年5月19日・時事通信)。

+++++++++

 だれが、いつ、どこで、何をした……という部分が、よくわからなかった。だからこの
記事を、私は3回も読みなおした。3回目は、一字一句、ていねいに読みなおした。

 私の読解力が低下したのか? それとも、この文章が、ヘタなのか? ともかくも、内
容は、こういうこと。

自分の子どもを殺された、ある遺族の父親(=小林Sさん)が、別の事件で指名手配さ
れている男(=市川T容疑者)の父親に対して、その父親の息子が自首するよう呼びか
けをしてほしいという手紙を出したということ。

 つづく記事は、つぎのようになっている。

『手紙を送ったのは96年4月にJR池袋駅ホームで男に突き飛ばされるなどして死亡
したR大4年小林Sさん=当時(21)=の父Sさん(61)=埼玉県K部市=。「どう
か親の責任を感じられているのであれば勇気を出してご子息に自首を呼びかけていただ
けないでしょうか」と記している。

 取材に対し、小林Sさんは手紙を送った理由について、「同じ未解決事件の遺族として(ホ
ーカーさんの家族の)心情を察した」などとし、「加害者の親に法的な責任はないが、倫
理的には必ずある。勇気をもって自首を呼びかけてほしい」と話した』と。

 手紙の内容からすると、ホーカーさんを殺した市川T容疑者の父親は、ダンマリ(?)
を決めこんでいるといった印象を受ける。それを見るにみかねた、R大生殺害事件の遺族の
父親の小林Sさんという人が、「それではいけない」と判断して、市川T容疑者の父親に手
紙を書いた(?)……ということらしい。

 「法的には責任はないが、倫理的には必ずある。勇気をもって、自首を呼びかけてほし
い」と。

 しかし……。私は市川T容疑者の父親がどういう人であるか、まったく、知らない。知
らないだけではない。その市川T容疑者の父親が、どのように今回の事件を見つめ、悩み、
苦しんでいるかもわからない。わからないから、私なら、こういう手紙は書かない。

 常識的に考えれば、市川T容疑者の父親は、毎日、毎晩、自分の息子のしたことで、苦
しんでいるにちがいない。そうであるかもしれない市川T容疑者の父親に対して、(あるい
はそうでないかもしれないが)、「勇気をもって」「自首を呼びかけてほしい」と。

 わざわざ「法的な責任はないが……」と書いているところが、気になる。息子が犯した
犯罪について、父親には法的な責任はない。ないことは、法治国家では常識である。にも
かかわらず、「法的な責任はないが……」と書きつつ、法的な責任をにおわせている(?)。
それが気になる。

 つぎに「倫理的な責任」とは、何か。これがよくわからない。倫理的な責任があるかど
うかは、その父親自身が判断することであって、他人ではない。他人である、小林Sさん
という人ではない。

 どんな事情があるにせよ、またないにせよ、こうした事件では、責めるべきは、犯人も
しくは容疑者本人であって、その周囲の人たちではない。もしこんな発想を拡大したら、
それこそ、日本は、江戸時代にまで逆行してしまう。

 「一族郎党、もろともに」という、あの江戸時代である。江戸時代には、家族のだれか
が重大事件を犯すと、親兄弟はもちろん、親族も含めて、一族郎党もろとも、処刑された。

 さらにそれぞれの家庭には、言うに言えない、複雑な事情がある。親子ともなれば、な
おさらで、その間には、複雑な(糸)が、からんでいる。そういう事情を一方的に無視し
て、自分だけの論理を振りかざして、こういう手紙を書くのも、どうかと思う。またそれ
で解決するような問題ではない。

 もちろんだからといって、私は市川T容疑者の擁護をしているわけではない。小林Sさ
んを責めているわけでもない。小林Sさんには、小林Sさんなりの、(思い)があったのだ
ろう。その心情は、よくわかる。

しかしその一方で、『憎むべきは犯罪であって、人ではない』という考え方もある。犯罪
を犯す人にしても、どこかで歯車が狂って、犯罪を犯すようになる。善人も悪人も、紙
一重。大きくちがうようで、それほど、ちがわない。

つまりこの考え方にのっとれば、父親に倫理的責任を求める行為は、まさに(いらぬお
節介)ということになる(?)。

 今は、捜査機関が、血眼(ちまなこ)で市川T容疑者の行方を追っているはず。だった
ら、今は、捜査機関にすべてを任せればよいのではないのか。おそらくその過程で、必要
であれば、捜査機関が、市川T容疑者の家族に、それなりの協力を求めるということはあ
るだろう。しかしそのばあいでも、そうした協力については、できるだけ隠密裏になされ
るのが前提である。

 小林Sさんが、どの程度のことまで市川T容疑者の親に求めているかは、この記事だけ
でけでは、よくわからない。その前に、こうした手紙の内容が、どうしてマスコミに流れ
たのかもわからない。手紙を書くにしても、小林Sさんは、市川T容疑者の父親に、個人
的に書けば、それですんだはずである。

 だから私の意見は、ここまで。全体の印象としては、それがだれであるにせよ、こうし
た手紙を書くこと自体、日本的な感じがする。あるいはみなさんは、どのような印象をも
っただろうか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(5月23日)

++++++++++++++++

昨日は、ワイフの姉夫婦と、山荘で
過ごした。

今ごろの季節は、最高! 本当に
すばらしい!

ちょうど梅の収穫期で、私も含めて、
合計で20キロ近く収穫した。

楽しかった。ワイフは、さっそく、
今朝から梅干しづくりにとりかか
っている。

++++++++++++++++

●ビスタの新機能

 ビスタには、自分で自分の脳みそ(CPU)の能力を測定する機能がついている。「パフ
ォーマンスの情報とツール」というのが、それ。その機能を使うと、コンピュータの性能
が点数化して表示される。

 ちなみに私のパソコンの性能は、

 プロセッサ      ……5・3
 メモリー       ……5・6
 グラフィックス    ……5・9
 ゲーム用グラフィックス……5・5
 ハードディスク    ……5.5、となっている。

 4・0〜以上あれば、ビスタは快適に動作するそうだ。

 この中でとくに私の興味をひいたのは、プロセッサの(5・3)という数字。コンピュ
ータは、自分で自分の能力を測定してということになる。しかしどうしてこんなことがで
きるのだろう?

 たとえて言うなら、子どもが、自分でテスト問題を作って、自分でテストするようなも
の。コンピュータは、自分の作ったテスト問題で、自分の能力を、(5・3)と判定してい
ることになる。

『賢い人からは、愚かな人がよくわかるが、愚かな人からは、賢い人がわからない』。これ
は私が考えた格言だが、もう一言、つけ足すと、こうなる。『愚かな人は、自分が愚かとい
うことさえわからない』。

 だからたとえば(4)の能力しかないプロセッサが、どうして自分が(4)と判定でき
るのかということになる。(3)なら(3)でもよい。何か、私の知らないしかけがどこか
にあるのだろう。

 それにしても、今度のビスタは、おもしろいことをしてくれる。


●梅取り

 山の中の生活は、こと「緑」に関しては、ダイナミック。そのことは、以前、自分で木
の苗を植えてみて、気がついた。

 そのとき私は緑花木センターというところで、10数本の苗木を買ってきた。梅の木も、
その中にあったと思う。結構、大きく育った苗木である。が、山で植えてみると、それが
どれも雑草のように小さく見えた。

 これには驚いた。「緑」の基準そのものが、ちがった。

 反対に、山の中ではふつうの木でも、そうでないということは、よくある。ここに書い
た梅の木もそうである。小さな木だと思って、収穫してみたら、20キロ近くもあった。
あるいはもっとあったかもしれない。

 小梅と中梅の2本だったが、その小梅にしても、中梅程度の大きさがある。兄夫婦は、「日
当たりがいいから、こんなに大きくなったんだ」と笑っていたが、そうかもしれない。そ
うでないかもしれない。

 その小梅にしても、家にもって帰ってみると、どれも、大梅のような大きさに見える。
これにも驚いた。

 山の中では、「緑」は、小さく見えても、大きい。「緑」の基準、そのものが、ちがう。


●八百長相撲

 「……?」と思ってながめているのが、相撲の八百長問題。昔から、相撲の世界では、
こうした八百長疑惑は、そのつど現れては消える。つまり、こうした疑惑は、絶えること
がない。

 大前提として頭に入れておかねばならないことは、相撲は、スポーツではないというこ
と。もっとわかりやすく言えば、金儲けのための「興行」。「国技」という言葉は、彼らが、
自分たちのための金儲けをごまかすために使う、口実にすぎない。

 相撲協会にしても、文科省認可の財団法人であるにもかかわらず、どうして1億円単位
の現金が、その間で、乱舞するのか。八百長問題にしても、以前から、弟子が数百万円単
位の現金をもって、相手方の部屋へ、それを届けるというような話は、よく聞いた。もち
ろん相手に、わざと負けてもらうために、である。

 ところで「八百長」というのは、昔、八百屋の長兵衛という人が、碁の勝負で、弱い相
手にわざと負けていたことから、そう言うようになったという(日本語大辞典)。私が相撲
を嫌いになったのは、こうした八百長疑惑が、そのつど現れては消えたからにほかならな
い。

 どこか、うさん臭い。うさん臭いというよりは、「うす汚い」? 金儲けを目的とした興
行なら興行でもよい。だったら、野球やサッカーのように、もっとわかりやすい世界にす
べきではないのか。

 私は、ますます相撲が嫌いになった。

 ……ということで、相撲ファンの方には、たいへん失礼なことを書いたかもしれない。
しかし今、子どもの世界でも、「相撲が好き」と答える子どもは、ほとんどいない。ゼロに
近いのではないか。少なくとも、私は聞いたことがない。


●いらぬお節介

 おととい、「いらぬお節介」というタイトルで、エッセーを書いた。BLOG上で、それ
を発表した。それなりの反響があった。

 私も、日常生活の中で、こうした(いらぬお節介)を、よく経験する。最近では、私の
母の介護について、あれこれ意見を言ってくる人がいる。しかし介護の問題だけは、介護
をしたものでなければ、わからない。

 それに介護老人といっても、まさに千差万別。一人とて、同じような例はない。それが
介護である。

 さらに加えて、それぞれの家庭には、それぞれの事情というものがある。その事情は、
他人はもちろんのこと、親類であっても、わからない。いや、その親類にしても、一方的
な話だけを聞いて、それで自分の意見を組み立ててしまう。

 その上での、(いらぬお節介)である。中には、薄っぺらい(孝行論)を前面に押し立て
て、あれこれ言ってくる人がいる。このタイプの人は、よく、『〜〜ベキ』を口にする。

 「長男だから、家を継ぐベキ」
 「男だから、金を出すベキ」
 「本家だから、墓を守るベキ」
 「産んでもらったのだから、親のめんどうをみるベキ」と。

 しかしこういう言葉が、いかにその人を苦しめるか、言う人は、それがわかっていない。
ばあいによっては、その人の心に、深いキズを残す。

 では、そういうときは、どうするか?

 私のばあい、相手にしないという方法で、対処している。はっきり言えば、無視。どう
せその程度の人たちである。その多くは、江戸時代の封建意識そのものを、踏襲している。
親絶対教の信者、もしくは極度のマザコンタイプ。もともと理性や道理の理解できる人た
ちではない。

 ……というのは言いすぎということは、自分でもわかっている。が、これだけは、私は、
いつも肝に銘じている。

 どんなばあいも、他人の家の事情については、(いらぬお節介)をしない。繰り返すが、
それぞれの家庭には、それぞれの、言うに言われない、深い事情というものがある。安易
な推察だけで、自分の意見を組み立てて、相手にものを言うのは、失敬というもの。

 昔から、こう言う。『口を出すくらいなら、金を出せ』と。少なくとも、お金(マネー)
も出さないで、口だけ出すのは、やめたほうがよい。口を出すことくらいなら、だれにだ
ってできる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの生きがいvs.老後の生きがい

++++++++++++++++++++

もうすぐ91歳になる母が、ふと、こんな
ことを漏らした。

「いつまで、(こんな生活が)、つづくのかねエ?」と。

母は、週に4日、デイサービスに通っている。
が、私の家にいる間は、ベッドから起きたり、
横になったり、あるいはソファに座っているだけ。

私が「あと10年はがんばれるよ」と声をかけると、
「そんなに長くかア……」と。

++++++++++++++++++++

 母を見ていると、母には今、(生きがい)となるような生きがいがないのがわかる。私の
家にいる間は、ベッドから起きたり、横になっているだけ。あるいはソファに座って、外
をぼんやりとながめているだけ。

 話し相手になってやりたいが、耳は、ほとんど聞こえない。補聴器はいやだといって、
耳にはめない。そんな母が、昨日、こう漏らした。「いつまで、(こんな生活が)、つづくの
かねエ?」と。

 そのときは、それほど気にしなかったが、あとでワイフとそのことについて話しあう。

私「何か、母の生きがいになるようなことを用意してやらなければならない」
ワ「……何が、あるかしら?」
私「そこなんだよな。そこが問題だ」
ワ「ケアセンターで、友だちでもできればいいんだけど」
私「あの母では、むずかしいだろうね」と。

 母は、人一倍、自意識が強い。周囲の人たちからチヤホヤされないと、落ちつかない。
そういうタイプの女性である。自分のほうからバカになって、相手の輪の中に飛び込んで
いくということができない。

私「いやね、母を見ていると、老後は、ああであってはいけないとよく思う。つまりね、
母を他山の石として、学ぶべきことはたくさんあるよ」
ワ「そうね。生きがいは他人から作ってもらうものではなく、自分で作るものだし……」
私「作るというよりはね、長い時間をかけて、用意するものだよ」と。

 老後になってから、あわてて生きがいを作ろうとしても、うまくいくはずがない。老後
になる前から、老後になってからの生きがいを用意する。

 で、その母だが、生きがいらしきものがないわけではない。

 若いころからいくつかのクラブに入り、毎日のように、出歩いていた。ちぎり絵クラブ、
詩吟クラブなど。寺の行事には、率先して参加していたし、町内の仕事もよくしていた。
が、今は、何もしない。ちぎり絵のセットを渡してみたことがあるが、「もう、飽きた」と
言って、見向きもしなかった。

 信仰もやめた。植木鉢に花を植えて、それを窓のそばに並べてみたが、最初の数日は興
味を示したが、そこまで。今は、ワイフがその花の世話をしている。

 何もせず、ぼんやりとしているだけ。「退屈だろうな」とは思うが、今の私には、できる
ことは、ほとんどない。まあ、あえて言うなら、母の生きがいは、食べることくらいなも
のか。私の家では、食事の量は控えめしているが、ケアセンターのほうでは、食べ放題、
食べているようだ。それにお茶も飲み放題、飲んでいる?

 毎日、センターでは、2度ほど、オムツを替えてもらっている。ズボンもぬらすらしい。
帰ってくるときは、いつも別のズボンをはいている。

 しかし食べることが生きがいでは、困る(?)。それこそ「何のために生きているのか」
ということになる。

 そうした母を観察していると、そのまま、今度は、子どもの生きがいと結びついてくる。
それぞれの子どもは、何かしらの生きがいをもって、毎日生活をしている。が、中には、
その生きがいがない子どももいる。生きがいと「夢」を同一視することはできないが、小
学の6年生でも、夢をもっていない子どもとなると、30%前後もいる。

 こういう子どもたちは、ただその日を過ごしているだけ。が、子どもにとって、これほ
ど、不幸なことはない。

 もっとも相手が子どものばあいは、生きがいを見つけ、育て、その生きがいをもたせる
のは、親の役目と考えてよい。私が説く、『一芸論』もその一つである。子どもはこの一芸
を柱として、自分の進むべき道を決める。

 が、母のような老人は、どうすればよいのか? それは介護をする私たちの役目なのか?

 何か予定を立てて、母に楽しみにさせるという方法もある。しかし今の母には、それを
理解する力はない。あちこちへ連れていっても、眠っているだけ。かえって母を疲れさせ
てしまう。

 言いかえると、死ぬまで自分を支えてくれる(生きがい)をもつには、どうしたらよい
かということにもなる。これは母の問題というよりは、私自身の問題でもある。「私は、ど
うすればいいのか?」と。今ですら、生きがいを保つのは、むずかしい。そんな私が、こ
のまま老人になったら、私はどうなるのか。

 今の母以上に、みじめな老後生活を送ることになる。

私「生きがいというのはね、結局は、(やるべきこと)ということになるよ」
ワ「死ぬまで、やるべきことをもつということ?」
私「そうじゃないかな。したいことをするというのは、生きがいではない。生きがいには
つながらない。ほとんどの人は、そう思っているけど……」
ワ「そうね」と。

 ますます生活態度がだらしなくなる母。便については、垂れ流しの状態になっている。
寝たきりになるのは、時間の問題。ワイフもこのところ、ときどき、弱音を吐くことが多
くなった。だいじょうぶかな?

 ……ということで、今朝は、老後の生きがいについて、考えてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●黄砂

++++++++++++++

昨日(5月26日)、ワイフと
近くのガーデンパークへ、弁当
を食べに行った。

途中、まわりの景色が春がすみのように
曇っていた。

黄砂(こうさ)である。

毎年今ごろになると、ゴビ砂漠や
タクラマカン砂漠、さらには中国の
高度地帯から、強風にあおられて、
この日本に黄砂がやってくる。

直接的な被害は、まだ出てないが、
黄砂によって、たとえば航空機の
エンジンなどに被害が出ることも
考えられている。

しかし問題は、この黄砂が、ここ
2000年以後、毎年、300〜
400回近くも、この日本でも
観測されるようになったこと。

つまりそれだけ、中国内陸部の
砂漠化が進んでいるということ。

++++++++++++++

 中国東北部の干ばつは、相当ひどいらしい。連日、その地域の町や村では、給水車や軍
が出動して、住民への給水を行っているという。

 そのせいか、ここ数日、この浜松市でも、中国からの黄砂が観測されている。しかも気
象庁の発表によると、その規模も年々大きくなっているという。頻度も多くなっていると
いう。200年以後は、毎年、300〜400回近くも観測され、06年には、9月末時
点で、計619回も観測されたという。

 原因は、地球温暖化によるものと考えてよい。毎年、3〜4月になると中国内陸部では、
強風が吹き荒れるようになる。そのとき、砂漠地帯が雪でおおわれていれば、砂塵、つま
り黄砂が吹きあげられることはことはない。つまりその「雪」がない。だから黄砂が日本
まで、やってくる。

 ところで干ばつと言えば、今年のオーストラリアも、ひどかった。オーストラリアでは、
穀物を冬から春にかけて収穫する。夏は暑すぎて、穀物の生育には向かない。穀物が大地
をおおっている間は、大地もそれなりに湿っている。が、穀物の収穫が終わると同時に、
大地は乾燥する。それがオーストラリアの干ばつに、拍車をかけた。

 友人のN君の報告によれば、今年の1月には、あのメルボルン市でも、45度Cという
猛烈な暑さを記録したそうだ。1970年ごろには、世界で、もっとも気候の温暖な地域
として知られていた、あのメルボルン市で、である。

 ……ということで、地球が温暖化しているということは、もうだれの目にも疑いようが
ない。が、問題は、ここで終わるわけではない。少し前、地球温暖化の問題に触れて、私
は、「不測の事態が不測の事態を招いて、さらに加速度的に温暖化が進むことも考えなけれ
ばいけない……」と書いた。

 実は、この黄砂についても、同じような問題が指摘されている。

 黄砂が砂塵となって舞いあがれば、当然、その分だけ、日光をさえぎることになる。こ
れについて、黄砂は、地球温暖化にブレーキをかけるのではないかという意見もあった。

 が、事実は、どうも逆のようだ。

 空中に舞いあがった黄砂は、そこでさらに太陽の熱を蓄積し、かえって大気を暖めてし
まうというのである。黄砂がそのまま大気圏外へでも飛んで行ってくれれば、話は別だが、
そういうことはありえない。飛行機などから見ると、黄砂は、はうようにして、地上を移
動する。

 そのためさらに加速度的に、地球の温暖化は進んでしまう(?)。つまり地球の気温につ
いては、いまだにわからないことだらけ。一部の砂漠では、住民やボランティア活動の人
たちが、やなぎの木を植えるなどして、砂漠化を食い止めようとしている。その熱意と努
力には頭がさがる。また何としても、砂漠の拡大だけは、食い止めなければならない。

 この問題だけは、(私たちの問題)というレベルでは、もうない。未来の子どもたちや、
さらに、あらゆる動植物を巻きこむことになる。そういう意味では、たいへん深刻な問題
である。

 ……しかし、この無力感はいったい、どこからくるのか? 前回も書いたが、台風1個、
もてあましている人間が、どうして地球規模の気候をコントロールできるというのか。か
といって、人間が人間をコントロールできるかというと、どうも、それもあやしい。

 何かをしなければならないという気持ちだけが、ザワザワと胸の中で騒ぐ。しかしどこ
からどう手をつけたらよいのか。無力感は、どうやらそのあたりから生じているようだ。

 自然というのは、壊すのは簡単。しかし再びつくるとなると、至難のワザ。現状を維持
するだけでも、たいへん! この先、人間はどうするのだろう……と思ったところで、こ
の話はおしまい。私は私ができる範囲で、私の努めを果たす。たいしたことはできないが、
いつか、今の自分を後悔するようなことだけはしたくない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   6月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【相談】

+++++++++++++++

いくつかの相談が、届いています。
それについて考えてみます。

+++++++++++++++

●Tさん(兵庫県在住)より、6歳の子どもについての相談

現在1年生の息子について、相談します。

年中児のときは、自分の席に座れなかったり、みんなと同じ事することを、嫌がったりし
ました。原因が分からないまま年長になりました。それから少しずつ良くなって、卒園の
ときは、普通の子どもになったように思います。

でも、たまに本人が嫌な事があるとき、教室を出ていってしまうことがあるようです。今
は小学校に入学して、1か月以上を経ちましたが、幼稚園のときよりも、もっとひどくな
ったような状態です。

昨日も、英語の授業中、英語が喋られないということで、学校に置いてある荷物をすべて
持って、家に帰ってきました。落ち着いてから、また学校に連れていきましたが、校門の
中に入るのが大変でした。

悩んでいるとき、ネットで先生のホームページを見、是非先生のご意見を聞かせていただ
きたく、メールを出しました。どうぞ宜しくお願いします。

+++++++++++++++

【はやし浩司よりTさんへ】

 メールだけでは、お子さんの様子がよくわかりません。こうして問題になさっておられ
るということから、症状が、かなり顕著に現れているという前提で話します。

 「自分の席に座れなかった」……こだわりの強い子どものように思いますが、しかしこ
の時期の子どもにしてみれば、珍しいことではありません。年中児でも、席につけない子
どもは、10人のうち、1人〜2人はいます。

 そういうときは無理をせず、母親(おうちの方)といっしょに、席に座るなどの方法で、
対処するのが、ふつうです。

 反対に、回避性障害のある子どもや対人恐怖症の子どもも、同じような症状を示すとき
もあります。こだわりが強く、かん黙症や自閉傾向を示す子どももいます。こだわりが弱
い状態を、(がんこ)といいます。

 がんこにしても、子どもにとっては、あまり好ましい症状とは言えません。なお(根性)
と(がんこ)は、理由のあるなしで区別します。かたくなになることについて、正当な理
由があるばあいを、(根性)といいます。理由がなく、一方的にかたくなになるのを、(が
んこ)といいます。

 思考の柔軟性がないとみます。原因はいろいろ考えられますが、年長期を過ぎていると
いうこと、つまりすでに少年期に入っていますので、いまさら、それを問題にしても、し
かたありません。「うちの子は、そういう子」と認めた上で、その子どもに合わせて、指導
します。「治そう」とか、「直そう」とは、考えないこと。無理をすれば、かえって症状が
こじれてしまいます。

 「教室を出ていってしまうことがあるようです」……対人関係をうまく調整できない子
どもとみます。しかしこういうケースでは、子どもを問題にする前に、家族のあり方をま
ず問題にします。

 「子どもは、家族の代表」とみます。つまり代表者として、いろいろな症状を示してい
ると考えます。ほとんどの親は、子どもに何か問題を発見すると、子どもをなおそうと考
えますが、そういう発想では、子どものもつ問題は、解決できないということです。

 いただいたメールだけでは、よく内容がわかりません。そのためにも、もう一度、家族
のあり方を、よく見つめなおしてみてください。たとえば私なら、家に帰ってきてしまっ
た子どもを、再び、学校へ連れ戻すなどということはしません。そうすることの上で、か
なりの(無理)があったと思います。つまりかなりはげしく子どもは、それに抵抗したは
ずです。Tさんが、「中に入るのがたいへんだった」というのは、そういう意味でしょうか?

 それから受ける衝撃は、かなりのものだったと思われます。むしろ私は、そちらのほう
を、心配します。Tさんは、お子さんを、1人の人間として、認めておられるでしょうか? 
もしそうなら、それでよいと思いますが、そうでなければ、子どものとらえ方そのものを
反省してみてください。

 「ときには、いやなこともあるわよね」と、むしろ子どもの側で考えてあげる。そうい
う姿勢がないように感じますが、いかがですか? あるいはTさんは、「学校とは、絶対に
行かなければならないところ」という神話を信じておられるのかもしれませんね。

 ともかくも、いただきましたメールだけでは、お子さんの様子がよくわかりません。こ
うした問題は、ひとりで悩まないで、まず最初に、学校の先生に相談なさってみてはどう
でしょうか。先生なら、直接、お子さんを見ておられますので、適切なアドバイスを得る
ことができるはずです。

 また(心の問題)を感じておられるようなら、一度、心療内科のドクターに相談なさっ
てみるという方法もあります。校長に相談すれば、専門医を紹介してもらえます。あるい
は各地区の児童相談所、保健所、もしくは保健センターに育児相談の窓口がありますから、
そこで相談なさるのもよいでしょう。

 しかしまあ、いろいろトラブルはあるが、何とか学校へ通っている……というような状
態であれば、あまり深刻に考えず、このまま進まれるのもよいかと思います。小学3年生
くらいになると、自己意識が育ち、自己管理能力も育ってきます。そうなれば、今のよう
な症状は、消えていきます。

 いただいた相談の内容につきましては、(よくある問題)で、それほど深刻に考えなくて
もよいのではと思います。私も、小学3年生のとき、学校を抜け出し、友だちと、木登り
をして遊んだことがあります。とても楽しかったです。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもをよい子にしたいとき 

+++++++++++++

子どもは、使えば使うほど、
よくなる。

忍耐力も、そこから生まれる。

+++++++++++++

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの
本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うこと
です。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼
は、こう教えてくれた。

「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけな
い。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」
などなど。

つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイ
をしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思
われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息
子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は
自分を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり
怒ったりする。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分
より先に行くものを許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまな
い。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、
目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、
目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活
習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が
強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割に
は、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立
つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に
従って行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しか
し一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方その
ものに原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って
子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言っ
て、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつく
ってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親
の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこ
からくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞
くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんが
いるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だ
ちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。

話を聞くと、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そ
ういう子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが2〜
4歳のときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉
強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは
言わない。好きなことをしているだけ。

幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所
の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂場の排
水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。
こんな子ども(年中女児)がいた。

その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのおばあさんのめんどうをみる
のが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、こう話してくれた。「お
ばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。
こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをする
にしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛
を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)
→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食
材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチン
の周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレ
ビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビ
キビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなた
の子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、そ
れでよし。しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあ
り方をかなり反省したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいく
らでもある。食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこ
で洗わせる。フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話
に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そう
いう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそう
いう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1)生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度
の苦労がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わな
ければ、家族のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。
(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。
(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。
(4)生活のルールを守らせる。
(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、
(6)バランスのとれた生活に心がける。

 ここでいう「バランスのとれた生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和し
た生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしま
うような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子ども
の接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言
えない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がか
たよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。


++++++++++++++++

●根性のある子ども

+++++++++++

今、根性のある子どもが
少なくなってきていますね。

どこかナヨナヨしているというか、
ハキがない……?

ときどき、「これでいいのかなあ?」と
思うことがあります。

+++++++++++

 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。「私は私」という強い意識を「自我」
という。この根性さえあれば、この世の中、何とかなる。反対にこの根性がないと、せっ
かくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人生観の中で、社会に埋もれてしま
う。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう1枚、ピザを食べる」と言い出した。そ
こで母親が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても1枚食べる」と。
母親はあきらめて、もう1枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたとい
う。あとで母親が、「おとなでも2枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰
りなさい!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、
その子どもは先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。

先生も、まさか本当に帰るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、
一時間はかかるのに」と笑っていた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考え
る。つまりもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にた
むろするスズメのようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードを
かすめ取っていく。そういうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年
もの長い年月を、生きのびることができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや
親の完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、
その設計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、
自我をそがれる。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがま
まを受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとは
っきり言えば、あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、
子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなな様
子になるのは、がんこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でな
いと、絶対に座らなかった。また別の男の子(年長児)は、2年間、ただの1度もお迎え
にくる先生に、あいさつをしなかった。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったの
に、どうしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あ
れ買って!」「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

ふつう幼児のばあい、わがままは無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、
誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫く。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
根性 がんこ がんこと根性 根性とがんこ 子どもの自我 子供の自我)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ

+++++++++++++++

K国は、K国で開発したミサイルを、
イランで実験していたという。

そのイランは、ウランの濃縮を加速
させているという。

K国とイラン。水面下で、深く、結
びついている。

+++++++++++++++

●貧者の論理

 貧者には、貧者の論理というものがある。(私はよく知っているぞ!)

 たとえばあなたが日々に生活に困り、今日の食べ物すらままならない生活をしていたと
する。子どもは腹をすかせて、泣いている。午後には、借金取りがやってくる。

 そういうとき、あなたの隣人は高級車を乗り回し、豪勢な買い物をしている。見ると車
の後部座席には、夕食の食材が、どっさり!

 そういう隣人を見て、あなたはうらやましいと思うだろうか。その隣人を、すばらしい
人と思うだろうか。が、実際には、そうではない。

 ここで貧者の論理が働く。貧者は、こう考える。「お前たちが富を独り占めにするから、
オレたちは貧しいのだ」と。

 が、そういう声は隣人には届かない。その隣人は、あなたに向かってこう言う。「あなた
も一生懸命、働きなさい。働けば、いい生活ができます」と。

 しかしあなたはそれに反発する。反発するだけではない。怒りすら覚える。隣人のアド
バイスは、こう言っているように聞こえる。「あなたが貧しいのは、あなたがなまけている
からだ」と。

 そうではない! この日本では、ほんのわずかでも、チャンスをつかんだ人だけが成功
する。そうでない人は、そうでない。それは個人の力というよりも、(流れ)の中で決まる。
あせればあせるほど、深みにはまり、ますます身動きが取れなくなってしまう。そういう
人は多い。

●富者の論理

 K国を理解するときは、この貧者の論理を念頭に置かねばならない。食糧はない。原油
もない。いろいろ経済政策を試みてはみるが、どれも、うまくいかない。失敗の連続。

 つまり相手の立場で、ものを見る。K国から見たら、この日本はどう見えるかというこ
と。このことは、日本に住んでいる、在日K国人と言われている人たちを見ればわかる。

 彼らは日本に住み、日本のことをたいへんよく知っている。同時に、K国のことも、た
いへんよく知っている。本来なら……というより、常識的に考えれば、K国の政治体制が
おかしいと、だれしも思うはず。しかし彼らは、そうは思っていない。日本の繁栄ぶりを
見ながらも、こう思っている。「この日本が繁栄しているのは、私たちが犠牲になったから
だ」「今も犠牲になっているからだ」と。

 貧者の論理がまちがっているというのではない。しかし富者の論理だけでものを考える
と、失敗する。そのよい例が、経済学である。

 ほとんどの近代経済学は、その富者の論理だけで成り立っている。国際政治にしても、
そうだ。大きく見れば、アメリカのイラク政策、イラン政策、さらにはK国政策も、アメ
リカという富者の論理ばかりが先行している。だからいつも限界にぶつかる。あるところ
までは正当性をもつが、それを乗り越えることができない。いつもそこで第三世界の反撃
をくらう。

●加工される貧者の論理

 だからといって、K国の核開発やミサイル開発を容認せよというわけではない。こうし
た貧者の論理を当てはめても、とうてい理解できないほど、K国の論理は、常軌を逸して
いる。むしろ貧者の論理を、逆手(さかて)に取って、自分たちを正当化している。

 そこで今度は、イランでのミサイル発射実験である。K国は、自国で開発した長距離ミ
サイルを、イランで実験していたという(5月16日)。

 日本にとっては、とんでもないニュースである。が、ここでもやはり貧者の論理が働く。
この日本でも、かつてこう言ったニュースキャスターがいた。当時は夜のニュース番組を
代表するキャスターだった。

 K国の核開発問題に触れながら、こう言った。「何、言っているんですか。アメリカだっ
て、核兵器をもっているではありませんか!」と。どこか吐き捨てるような言い方だった。
つまり、「核兵器を思う存分もっているアメリカが、K国の核兵器開発を問題にするのはお
かしい」と。

 しかし忘れてならないのは、K国の核兵器開発は、「日本向け」のもの。かねてから、K
国の政府高官たちは、そう繰り返し述べている。「韓国向け」ではない。もちろん「中国向
け」でもない。「アメリカ向け」という説もあるが、アメリカに対しては、「脅し」にすぎ
ない。

 私はこの発言にあきれて、即座にテレビ局に抗議の電話を入れた。あのA新聞社の系列
のA放送である。「拉致問題は、日本政府のデッチあげ」と主張してやまなかった、あのA
新聞社である。

 貧者の論理は貧者の論理でも、富者によって加工された貧者の論理である。

●経済制裁

 そういうK国に対して、経済制裁は、当然のことである。もっとわかりやすく言えば、
私たちは、目下、戦争状態にある。かつて「戦争は政治の延長である」と言った政治家が
いたが、戦争といっても、ある日、突然、始まるものではない。それまでの(くすぶり)
があって、ある日、ボッと火が燃えあがる。

 わかりやすく言えば、すでに戦争は始まっているということ。私たちがなすべきことは、
K国というよりも、K国の体制を崩壊させること。独裁政権であるがゆえに、ほかに方法
はない。

 が、この経済制裁を、つぎつぎと骨抜きにしているのが、ほかならぬK国の隣国の韓国
である。それについてはすでにたびたび書いてきたので、ここでは省略するが、今度は、
米中韓Kの、4か国首脳会議を画策している。南北首脳会談も画策している。もっとも4
か国首脳会議については、アメリカが異議を唱えたため、韓国政府は、「6か国協議の枠内
での4か国首脳会議」(5月16日)と、言いなおしている。

 どうであるにせよ、現在の韓国は、イコール、K国と考えてよい。つまりこの日本は、
韓国とも、すでに戦争状態にあるとみるべきである。

●東京に核兵器が!

 いろいろな意見がある。「原爆の1発や2発、(東京に落ちても)、どうということはない」
という意見もある。どこかの科学者が、ある雑誌で、堂々とそういう意見を披露していた。

 あるいは「K国には、核開発をする能力はない」と主張している学者も多い。

 しかしそのK国が、どうやら水面下で、イランと結びついているのがわかってきた。K
国はミサイル技術を提供し、イランは、核開発技術を提供する。……となると、今までの
図式が総崩れとなる。「K国、一国だけなら……」と考えていた人も多いかと思うが、それ
がグローバルな問題へと、ここで一気に拡大する。

 中東問題もからんでくる。米中、米ロ問題もからんでくる。もしそうなれば、(現実にそ
うなりつつあるが……)、それこそまさにK国の思うツボ。国際社会の混乱を引き寄せなが
ら、つぎに一気に、日本をおどしにかかってくるはず。

 そのとき、アメリカとの間に、相互不可侵条約のようなものであれば、仮にK国が日本
を攻撃しても、アメリカはK国に対して、手も足も出せない。日本は日本で、憲法9条に
制約されて、防衛に徹するしかない。

 たとえば仮に今、東京でK国の核兵器が爆発しても、日本は、それに対してK国に反撃
することもできない。もちろん今は、日本は、アメリカの核の傘のもとにあるから、一応、
アメリカがK国に反撃してくれることになっている。

 しかしそのアメリカにしても、自国を犠牲にしてまでも、日本を守ってくれるだろうか。
そんな疑問もないわけではない。

●ではどうするか?

 日本にとっての最良のシナリオは、K国が自己崩壊すること。これはK国の人たちのた
めでもある。あのFさん(韓国へ亡命したK国の元政府高官)や、韓国に脱北した人たち
も、みな、そう言っている。

 が、これに猛烈に反対しているのが、韓国政府であり、中国政府ということになる。と
くに韓国のN大統領の論理は、貧者の論理の上に成り立っている。

 「朝鮮半島が南北に分断されたのは、アメリカのせい」「しかも、こうした悲劇の基礎を
作ったのは日本」と。

 それが反米、反日運動の原点にもなっている。加えて、(1)「日本ごときに韓国が蹂躙
(じゅうりん)された」という憎しみ、(2)独立を自分たちの力でなしえなかったという
不完全燃焼感(以上、M氏談)もある。

 以上を考えていくと、私たち日本人がなすべきことは、ただひとつ。現在の日韓経済戦
争に勝利することである。わかりやすく言えば、韓国経済をたたきつぶす。

 ……こう書くと、かなり過激な意見に聞こえるかもしれないが、日本はそうでなくても、
向こう(=韓国)は、その気で、日本の常に挑戦をいどんできている。それがわからなけ
れば、韓国の中央N報、朝鮮N報、東亜N報の各紙を、ほんの少しでもよいから目を通し
てみることだ。

 「日本に勝った」「日本に負けた」の記事が、連日のように、トップ記事として並んでい
る。

 ……何はともあれ、東京とのど真ん中で、たった1発でも、核兵器が爆発してからでは、
遅いのである。それだけは忘れてはならない。
(07年5月17日記)


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(5月18日)

●地球温暖化

++++++++++++++

自然の力は、人知のおよぶところ
ではない。

たとえば今、問題になっている地球
温暖化にしても、不測の事態が、別の
不測の事態を引き起こしている。

たとえば20年前、地球温暖化の影響
で、シベリアのツンドラ地帯の凍土が
解けだすなどということを、
いったい、だれが予想しただろうか。

が、それだけではない。今朝の毎日
新聞には、こんな気になる記事が
載っていた。

何でも、南太平洋の海が、地球温暖化
の影響で、CO2の吸収能力を失って
しまったという。

++++++++++++++++++

 不測の事態が、また別の不測の事態を引き起こす。そしてまたその不測の事態が、これ
また別の不測の事態を引き起こす……。こうして加速度的に地球の温暖化は進み、やがて、
この地球には、人間はおろか、あらゆる生物が住めなくなる……。

 そんなことを考えさせる記事が、今朝(5月18日)の毎日新聞に載っていた。それを
そのまま紹介する。

『二酸化炭素(CO2)の吸収源と考えられてきた南大洋(南緯45度以南)が、最近
はほとんど吸収していないとみられることが、日本など8カ国の国際研究チームの分析
で分かった。

人間活動により強まった風が、地球規模で大気や海洋の循環を変化させ大気から海洋へ
のCO2吸収を妨げているという。大気中のCO2濃度は予想より高まる恐れがあり、
地球温暖化対策として、CO2排出削減策の強化が求められそうだ。18日付の米科学
誌サイエンス(電子版)で発表する。

米国などが1960年前後から実施した観測から、南大洋は海洋全体の約30%に当た
る年間約6億トンのCO2を吸収しているとされた。ところがコンピュータにより吸収
量がその半分程度と試算され、正確な評価が求められていた。

 国際研究チームは、81〜04年に南極・昭和基地など南大洋に囲まれた、11地点を
含む世界40地点で精密に測定された、大気中のCO2濃度を解析。その結果、南大洋
のCO2吸収力は、平均して年間約800万トンずつ弱まり、現在ではほとんど吸収し
ていないという。

 この現象は、(1)温暖化やオゾン層破壊による気温変化で南大洋での風が強まった。(2)
それによって海の循環が変化し、CO2濃度が高く、吸収する余力が乏しい深海の海水
が上昇、海表面付近に広がった……と想定すると、説明できるという。

 研究チームの中澤高清・東北大教授(気象学)は「南大洋が吸収から放出に転じる可能
性がある。海がCO2を吸収する前提で進められている温暖化対策を見直す必要が出て
くるのではないか」と話している』と。

 簡単に言えば、人間が排出するCO2を、海が吸収していた。が、その海が、吸収能力
を失いつつあるということになる。つまりその分だけ、CO2の濃度が高まることになる、
と。が、これで驚いてはいけない。へたをすれば、今度は、「南大洋が吸収から放出に転じ
る可能性がある」とも。

 その結果、この地球は、どうなるか?

 多くの学者は、地球の気温は、一次曲線的、もしくはゆるい二次曲線的に上昇すると考
えている。しかしそんな程度ではすまないと主張する学者も多い。ここに書いたように、
不測の事態が、別の不測の事態を引き起こすということも、考えの中に入れておかねばな
らない。

 つまり、この地球は、今、狂い始めている。そのうちやがて、コントロール不能の状態
に陥るかもしれない。もしそうなれば、あわてて排ガス規制などしても、手おくれ。……
ということになる。

 私たちはそれでよいとしても、未来を生きる子どもたちがかわいそう。かわいそうとい
うより、申し訳ない気持ちにすら、なる。悔やんでも悔やみきれないということは、こう
いうことをいうのか。私たち人間は、あまりにも好き勝手なことをし過ぎた。いろいろな
意見があるが、台風一個、コントロールできない人間が、地球規模の気象をコントロール
できるようになると考えるほうが、おかしい。

 それにしても、もし海が、CO2を放出するようになったら、それこそ、もう地球は、
おしまい。気温は、二次曲線的に上昇し、ここ100年足らずのうちに、それこそ400
度C近くにまで上昇するかもしれない。そういうことを主張する学者も、現にいる。

 今朝は、この記事を読んで、まず一番に、ぞっと、した。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●空気中の窒素の固定化について

+++++++++++++++++

先日、田丸謙二先生にお会いしたとき、
先生が、「豆」を例にとり、空気中の
窒素の固定化について、話をしてくれた。

その中で、先生は、ある物質名を口に
され、それが空気中の窒素を固定し、
たんぱく質をつくり、最終的には、
「豆」になるというような話をして
くれた。

が、その物質、つまりニトロゲナーゼ
という酵素は、分子の数が、20万〜
25万個もあるという。

つまり、人間の力では、とても合成
できない、と。

食事をしながらの話なので、ここに
書いたことは正確ではない。しかし
私は、その話を聞きながら、こう考えた。

+++++++++++++++++

 私は高校生の時、化学クラブに属していた。毎日、放課後、薄暗い実験室で、化学者の
まねごとのようなことをしていた。

 そのときのこと。簡単な例で言えば、水素と酸素を反応(燃焼)させれば、「水」ができ
る。学校の先生は、「水素と酸素がくっついて……」というような説明の仕方をする。しか
し私は、先生に、こう聞いた。

 「水素が酸素にくっつくのですか。それとも、酸素に水素がくっつくのですか。2個の
水素原子がくっつくにしても、順番はあるのですか」「どうしてそのとき、酸素だけが、う
まく水素にくっつくのですか。まちがってほかの原子がくっつくことはないのですか」と。

 先生の説明では、「同時に、まちがえることなく、瞬時にくっつく」ということだったよ
うに思う。しかし、これはおかしい。

 おかしいということを、今度、田丸先生の話を聞いているときにも、感じた。3個や4
個ではない。20万〜25万個もある物質である。わかりやすく説明しよう。

今、ある広場に、20万〜25万人の人を集めたとする。その人たちは、何の秩序もな
く、ゴチャゴチャに入り混じっている。ただここで20万〜25万人といっても、ニト
ロゲナーゼという酵素を作るために選ばれた人たちである。実際には、ニトロゲナーゼ
という酵素を作るのに、不必要な人たちも、混ざっている。数もバラバラ。だから実際
には、100万人とか200万人とか、あるいはもっと多いかもしれない。

 そういう人たちが、ピーッという笛の合図だけで、つまり瞬時に、ニトロゲナーゼを作
る人たちだけがうまく、中央に集まり、一部の狂いもなく、整然と並ぶことができるもの
だろうか。しかし、そんなことは、常識で考えても、ありえない。

 では、どう考えたらよいか。

 ここから先は、あくまでも、私の仮説である。

 高校の時の化学クラブの先生も、そして田丸先生も、「作られる」と考える。しかし実際
には、「作られる」のではなく、「並ぶ」のではないか。つまり一度に集合するのではなく、
一つの核となった分子が、まず、一番結びつきやすい分子とくっつく。すると、つぎに、
その2個の分子が、その時点で、再び、一番結びつきやすい分子とくっつく。今度は3個
の分子が、さらに一番結びつきやすい分子と、くっつく。

 あとはこれを順に繰り返していく。そして結果として、分子の数が、20万とか25万
とか言われる、ニトロゲナーゼという酵素を構成する。

 くっつきやすさを決めるのは、ひょっとしたら、磁場のようなものかもしれない。ある
いは何か、ほかにもあるのかもしれない。それはともかくも、先ほどの例で考えてみよう。

 広場に集まった人たちの中に、数人の人が、入ってきたとする。その人たちは、腕や体
を、少し奇異な格好で折り曲げている。するとそれを見た、周りの人たちの中で、その数
人の人にフィーリングが合う人が、体を合わせる。するとまた別の独特の雰囲気ができて、
また別の人が、それに体を合わせる。

 ……これを繰りかえしていくうちに、結果として、20万〜25万人が、うまく組み合
わさり、ニトロゲナーゼという酵素ができる。

 似たような現象は、自然界では、よく観察される。たとえば植物にしても、一見複雑に
見えるあの形も、実はシンプルな形の繰り返しにすぎないということが、わかっている。
さらにこんな例もある。

 ある種の昆虫は、障害にぶつかると、からなず、右に回り、つぎに障害にぶつかると、
左に回るということが知られている。この性質をうまく使うと、きわめて複雑な迷路から
でも、その虫は、外へ出ることができる。

 その昆虫のその性質を知らない人は、あたかもその昆虫が、(知恵)を使って、迷路から
出たように思い、驚く。しかしタネ明かしをすれば、何でもない。

 つまり分子の(核)となる物質はあるかもしれないが、あとは放っておけば、原子どう
しが勝手に並んでいく。原子が20万〜25万個もある分子となると、そういう方法でな
いと、どうして結合していくか、その説明がつかない(?)。

 そこでもう一つの仮説としては、この並んで行く過程の中で、それを決める何かの別の
作用が働くのではないかということ。それは先にも書いたように、私は磁場のようなもの
ではないかと思うが、もっとほかにあるのかもしれない。

 で、冒頭の話にもどる。

 たとえば水の分子(H2O)にしても、構造式だけをみると、1個の酸素原子(0)に、
2個の水素原子(H)がくっついたように見える。しかし実際には、2個の水素原子(H)
に、1個の酸素原子(0)がくっついたと考えるほうが正しいのでは(?)。となると、順
番は、どちらが正しいのかということになる。

 私の疑問は、そこから始まった。……というだけの話で、何か、根拠があるわけではな
い。また私というド素人のたわごとにすぎない。田丸先生なら、きっとそう思うだろう。
しかしメチャメチャな仮説かというと、そうでもない。

 実は、私には、こんな経験がある。

 1972年のはじめ、日本で初めて、中国での針麻酔術が紹介された。体の手足など、
別の部位に針を刺し、それに低周波の電流を流すと、体の別の部位で、痛覚が鈍磨すると
いう。それを応用したのが、針麻酔である。

 それに対して、私は、つぎのような仮説を立てた。

 脳みその中の痛覚を感じ取る部分は、ちょうど玉ねぎの皮のようになっていて、その一
部が刺激されると、そこでモルヒネ様の物質が放出される。そのモルヒネ様の物質が、玉
ねぎの皮のようになってその上下にある、別の痛覚にも、影響を与える、と。

 当時は、これはとんでもない仮設として、無視されてしまった。針麻酔でいうところの
「経絡(けいらく)」は、神経組織とはまったく別のものと考えられていた。経絡が神経組
織と関係があると認識されるようになったのは、それから10年近くもあとになってから
のことである。

 当時の私は、いろいろなドクター名で、こうした仮説を発表していた。つまりゴースト
ライターをしていた。

 つまり、意外と私の仮説は、当たっている! ……当たっていた!

 で、今回の仮説に名前をつけるとすると、「結合説」に対して、「連続説」ということに
なる。つまり分子というのは、ある一定の規則性をもって、(並ぶ)という習性がある。そ
う考えると、20万〜25万もある、ニトロゲナーゼという酵素が、なぜできあがるのか、
その説明がつく。

 そこで大切なことは、その(核)だけをつくり、それをここでいうような(広場)に投
げ出してやれば、あとは自然に分子どうしが勝手に並んで、酵素を完成させてくれるとい
うことにもなる。全部を(作る)必要はない。あくまでも(核)だけを作ればよい。

 化学から遠ざかって、すでに40年以上になる。だから語句の使い方に、いろいろまち
がいがあるかもしれない。が、今、もし私が化学者なら、このあたりから調べてみたい。「な
ぜ結合するか」ではなく、「なぜ分子が分子を選び、並んで行くか」という観点からである。

 もしこの説を正しいと証明したら、私も「賞」がもらえるかもしれない。ハハハ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●記憶

+++++++++++++++

パソコンを相手に仕事をしていると、
ときどき、自分がボケてしまったの
ではないかと思うときがある。

今朝もそうだ。

パソコンのあちこちをいじっているとき、
「ファイアウォールの解除」という
ページに出会った。

ファイアウォールというのは、外部からの
不正アクセスを防ぐ、「検問所」のような
もの。その検問所も、あらかじめ許可を
与えた相手に対しては、フリーパスで
通過することができる。

四角の中に、(レ)点を入れたものについて
は、フリーパスの状態になる。

いくつかの(レ)点を消したり、入れたり
してみた。遊びのつもりだった。

が、このあと、しばらくして、異変が起きた。
たいした異変ではなかったが、私はもう一度、
「ファイアウォールの解除」というページに
もどって、デフォルト値(元の状態)に
もどすことにした。

が、さあ、たいへん! そのもどり方が
わからない!

「ファイラウォールの解除」というところへ、
どうやってもどればよいのか?

それがわからなくなってしまった。言うなれば、
迷子になってしまった。

+++++++++++++++

 ……というようなことは、パソコンの世界ではよくある。どこかをいじっているうちに、
あるページにたどりつく。で、そのページで何らかの作業をする。が、そのあと、もう一
度、そのページにもどりたいと思っても、なかなか、そのページにもどることができない。

 こういうとき、自分の頭が、どうかなってしまったのではないかと思う。が、よくよく
考えてみれば、これは当たり前のこと。

 記憶というのは、(記銘)→(保持)→(想起)というプロセスを経て、記憶として脳み
その中に、蓄積される。

 しかしパソコンを相手にしているばあい、そのうちの(記銘)というプロセスが、ほと
んどないまま、(作業)に入ってしまうことが多い。たとえば今朝、私は「ファイアウォー
ルの解除」というページを開いた。が、それは偶然によるもの。あちこちのページを開い
ているうちに、ふと、そのページにたどりついた。

 つまり最初から、そのページにたどりつくことがわかっていて、そのページを開いたの
ではない。だから「どうやってそのページを開いたか」について、記憶として、どこにも
残っていない。

 だからしばらくしたあと、再び、そのページにもどろうとしても、もどれるわけがない。
ゆいいつの方法は、同じような作業を繰りかえして、再び、偶然、そのページにたどりつ
くというのがある。しかしそれには、恐ろしく時間がかかる。忍耐も必要。「たしか、こう
だった」「いや、ちがう。こうだった」と。それを何度も何度も繰りかえす。

 しかしボケを疑似体験するには、よい方法である。よくボケの初期症状は、もの忘れが
多くなることだという。しかし実際には、(記銘力)そのものが弱くなるとみてよい。最初
から、記憶しようとしない。脳みその中に、情報を刻もうとしない。だから記憶として、
残らない。結果として、(もの忘れがひどい)という状態になる。

 モニターの上では、一枚の紙のように見える画面だが、その向こうには、数万ページに
もおよぶ画面がある。それがパソコンの世界ということになる。今朝も、そのパソコンと
の格闘で、一日が始まった。

 みなさん、おはようございます!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●やさしい心

+++++++++++++++

ウルトラマンの胸には、小さな
ランプがついている。

そのランプが点滅するようになると、
エネルギーが、そろそろ切れることを
意味する。

いわば警告ランプのようなもの。

+++++++++++++++

 人を恨んだり、憎んだり、怒ったりすると、とたんに猛烈なエネルギーを消耗する。ば
あいによっては、1〜2時間でヘトヘトになる。

 人を恨んだり、憎んだり、怒ったりするということは、そういうこと。

 一方、人にやさしくしたり、親切にしたりすることについては、いくらそれをしても、
疲れない。愛というか、慈悲というか、そういうものには、限界がない。限界がないとい
うよりは、心の中から、無尽蔵にわいてくる。

 人にやさしくしたり、親切にしたりするということは、そういうこと。

 ところでウルトラマンの胸には、小さな赤いランプがついている。パワーがじゅうぶん
にあるときには、ランプは、ついたまま。しかしエネルギーが限界に近づいてくると、ラ
ンプが、点滅し始める。

 なぜか? ウルトラマンは、相手を恨んだり、憎んだり、怒ったりしているから……と
書くと、あまりにも見え透いたエッセーになってしまう。しかし私は、少し前、幼稚園児
たちとこんな会話をしたことがある。

私「どうして、ウルトラマンは、相手の怪獣を殺してしまうの?」
子「悪いヤツだからだよ」
私「どうして悪いの?」
子「町をこわしてしまうよ」
私「どうして?」

子「悪いヤツだからさ」
私「でも、何か理由があるはずだよ。その理由を聞くとか……あるいは話しあって解決す
るとか、そういう方法もあるよ」
子「そんなこと、できないよ」
私「あるいはね、つかまえて、動物園へ入れるとか……。そういうのは、どう?」

子「そんなこと、できないよ。動物園を破壊してしまうよ」
私「そんなことないよ。頑丈な動物園を作ればいい」
子「悪いヤツは、やっつけるんだヨ」
私「だからさア、何も、殺さなくてもいい。先生(=私)は、そう思うよ」
子「……」と。

 もしウルトラマンが、相手に、やさしくしたり、親切にしたりするというヒーローだっ
たら、どうなるか? たとえば怪獣が現れる。その怪獣に対して、いっしょに遊んであげ
たり、いっしょに食事をしたりするなど。あるいは「町をこわすことは、悪いことだ」と
教えてやるのもよい。

 もっとも、そんなウルトラマンだったら、番組を見る子どもはいなくなるだろう。しか
しもしそうなら、胸の赤いボタンが点滅するということは、ないはず。

 実は、今朝、こんなことがあった。

 母の部屋へ行くと、小便があたり一面に飛び散っていた。幸いにも、防水マットの上だ
ったから、トイレットペーパーで拭くだけですんだ。しかしそれに対して母は、私にこう
言った。「ほれ、そちらも汚れているから、そちらも拭いてくれ」と。

 母の悪いクセだ。母は、それを足の指先で指示する。

 私は濡れたおむつを取り換え、ついで、靴下を取り換えてやった。内心では、「コノヤロ
ー」と思った。しかし私は、思いきって、気分を変えた。変えて、一通り介護がすむと、
母を車椅子に乗せ、庭へ出てやった。庭のすみには、畑もある。

私「今年は、ネギをたくさん植えた」
母「そこにあるのは、エンドウ豆やら?」
私「そうや。もうすぐ収穫できる」と。

 人を恨んだり、憎んだり、怒ったりすれば、疲れるだけ。疲れれば、かえって損。だっ
たら、その気持ちを、あえて、やさしい気持ちや親切な気持で、置き換えてみる。とたん、
気分が晴れる。

 どうせ相手は、頭のボケた母。本気で相手にするほうが、おかしい。……ということで、
私は冒頭に書いた結論を得た。

 人を恨んだり、憎んだり、怒ったりすると、とたんに猛烈なエネルギーを消耗する。ば
あいによっては、1〜2時間でヘトヘトになる。

 人を恨んだり、憎んだり、怒ったりするということは、そういうこと。

 一方、人にやさしくしたり、親切にしたりすることについては、いくらそれをしても、
疲れない。愛というか、慈悲というか、そういうものには、限界がない。限界がないとい
うよりは、心の中から、無尽蔵にわいてくる。

++++++++++++++++

人にやさしくしたり、親切にしたり
すると、脳の中の辺縁系にある、扁桃体
から、モルヒネ様の脳内ホルモンが
分泌されることがわかってきた。

この脳内ホルモンが、その人に
心地よさを与える。

扁桃体について書いた原稿を集めてみる。

++++++++++++++++

●知識と思考

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短
期記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶とい
うのは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれ
に含まれる。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記
憶は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶
は「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日
本実業出版社)参考、新井康允氏)。

 さらにそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情
報だけでは、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが
問題によって、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんであ
ると認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが
近づいてくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当た
る。あぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。
しかしこの段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。

この危険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳と
いうことになる。人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などとい
う記憶を呼び起こしながら、それを脳の中で有機的に結びつける。(以上、「脳のしくみ」
(日本実業出版社)参考、新井康允氏)

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論と
して、思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。で、
最近の研究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということがわ
かってきた(伊藤正男氏)。

伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・新皮質」というところで思
考がなされるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃体(価値判断)な
ども総合的に作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」
は別のものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多い
から思考能力が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはな
らない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数
ができる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子ど
もということにはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここで
ひも解いてみた。


++++++++++++++++

●馬に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』
というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であっ
て、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、
つぎのように説明されている。

 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁という部分がある。それらを包み込んでいるのが、大
脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。

認知記憶をつかさどる海馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動
機づけを決める帯状回という組織があるという(伊藤正男氏)。つまり「やる気」のある
なしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明されている。(もともと
辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持などを維持するため
の機関と考えられていた。)

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新
皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずし
も的確ではない」(新井康允氏)ということになる。

脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。
いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十
分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』
のである。

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考え
るばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよけれ
ばさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状
回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によ
れば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、
そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気
がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
扁桃体 扁桃核 親切心 やさしい心)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【シャドウ論byユング】

●今日・あれこれ(5月15日)

+++++++++++++++

Aさん(女性)は、長い間、自分の
母親を嫌っていた。会うたびに、Aさん
は、Aさんの母親の悪口ばかり言って
いた。

ただ表面的には、よい母娘関係を装って
いた。が、それはあくまでも「表づら」。
仲は悪かった。

そのAさんの母親は、10年ほど前に、
88歳という年齢でなくなった。

で、しばらくぶりに私は、Aさんに会った。
驚いた。Aさんは、今年、80歳になる。

何と、Aさん自身が、なくなった
Aさんの母親そっくりの人に
なっていた!

++++++++++++++

Aさん(女性)は、長い間、自分の母親を嫌っていた。会うたびに、Aさんは、Aさん
の母親の悪口ばかり言っていた。

ただ表面的には、よい母娘関係を装っていた。が、それは表づら。本当は、仲が悪かっ
た。

そのAさんの母親は、10年ほど前に、88歳という年齢でなくなった。

で、しばらくぶりにAさんに会ってみて、私は驚いた。Aさんは、今年、80歳になる
という。

何と、Aさん自身が、なくなったAさんの母親そっくりの人になっていた!

 ……というようなケースは、たいへん多い。ある人を反面教師として長くつきあってい
ると、自分自身が、その反面教師そっくりの人間になってしまうというケースである。私
は若いころ、ある進学予備校で講師をしているときに、それを発見した。

 私は高校時代、英語教師の教え方が、大嫌いだった。一方的な詰め込み方式。「わかった
か? では、つぎ!」式の教え方だった。

 で、私はいつもこう思った。「もし英語の教師になっても、私はぜったいに、こういう教
え方をしないぞ」と。

 しかしその私が、講師になった。英語を教えた。と、同時に、私は、自分自身が、あの
英語教師そっくりの教え方をしているのを知った。ぞっとした。

 それもそのはず。私はその英語教師を反面教師としながらも、その英語教師しか知らな
かった。だから自分が英語を教える立場に立たされたとき、その英語教師を再現してしま
った。

 冒頭に書いた、Aさんという女性も、そうである。Aさんは、長い間、Aさんの母親を
反面教師としてきた。が、Aさんにしてみれば、親子であるという点で、密着度も高かっ
た。そのためAさんは、今、あれほどまでに嫌っていた、Aさんの母親そっくりの人間に
なってしまった。

 Aさんの母親は、小ずるくて、口がうまく、私と会ったときも、不平不満ばかり並べて
いた。そして今、Aさんも、小ずるくて、口がうまく、私と会うときはいつも、不平不満
ばかり並べている。

 ……ここに書いたAさんも、Aさんの母親も、実は、架空の人物である。ウソを書いた
のではない。こういう話は、何人かの人たちの話を、ひとつにまとめて書く。しかしこう
いう話は、いくらでもある。あなたの周囲でも、さがせばこういう例は、見つかるはず。

 そこで注意しなければならないことは、あなたの近くに反面教師がいるとしても、その
反面教師を批判したり、非難したりするだけでは、いけないということ。批判するにして
も、そのつど、あなた自身は、それ以上の自分をつくりあげていかなければならない。

 「あの人はくだらない人」と、非難することぐらいなら、だれにでもできる。しかしそ
れ以上のものを自分の中に用意するのは、簡単なことではない。その(簡単でないこと)
をしておかないと、やがてあなた自身も、その反面教師そっくりの人間になってしまう。
たとえば子どもの世界でも、それまではいじめらっ子だった子どもが、ふとしたきっかけ
で、今度は、いじめっ子になるというケースが、よく見られる。そして自分がいじめられ
たのと、まったく同じやり方で、今度はだれかをいじめたりする。

 もしその自信がなければ、つまりそれ以上の自分をつくるという自信がなければ、反面
教師と思う人とは、つきあわないこと。距離をおく。いつも客観的な目で、その人や自分
を見る。

 が、親子となると、そうはいかない。そういう問題もある。が、そのばあいでも、自分
は一歩退いて、親を客観的に見る。できれば、批判したり、非難したりすることもやめる。
さらにできれば、無視して、相手にしない。そういう視点を見失うと、やがてドロドロと
した人間関係に巻き込まれてしまう。そしてここに書いたように、今度は、あなた自身も、
その反面教師そっくりの人間になってしまう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
反面教師)


【付記】

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。いくら客に怒鳴られても、
にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに仮面とシャドウの問題が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらに出身高校へと結びついていった。街道筋の宿場町であったが
ために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウで話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』であ
る。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みごと
な演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャンで、それを仮面とするなら、息子の嫁と
不倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
た原動力になったとも言える。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまう。見抜くだけならまだし
も、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。
(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる
本」)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●親の気負いの陰にあるもの

 不幸にして不幸な家庭に生まれ育った親ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」
という気負いばかりが先行し、結果的に、よい家庭づくり、よい親子づくりに失敗しやす
い。

 それを心理学の世界では、「シャドウ」という言葉を使って説明している。

 つまり子どもたちは、親のそのうしろにあるシャドウ(影)を見ながら、自分たちの心
理を形成してしまう。

 ひとつの例として、こんな例を考えてみよう。(例として、正しいかどうかは、まだよく
わからないが……。)

 ある母親は、自分が、大学を出ていなかったことを、いつも、心のわだかまりとしてい
た。そこでその母親なりに、努力した。大学の公開セミナーなどがあると、積極的に参加
していた。資格もいくつか、取った。

 しかし心のわだかまりは消えなかった。学校の父母会の席などで、学歴が話題になった
りすると、その母親は、いつも小さくなっていた。

 そこでその母親は、子どもの勉強にのめりこむようになった。俗にいう、「教育ママ」に
なった。テストの点数が少しでも悪いと、子どもを叱った。そして睡眠時間を削ってでも、
そのテストのやりなおしを、させた。

 こういうケースのばあい、母親は、子どものためを思って、そうしているのではない。
自分自身の中にある、不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用しているだ
けである。

 だから、子どもは、やがてすぐ、そういう親の下心を見抜いてしまう。見抜くだけなら
まだしも、そのシャドウの部分だけを、引きついでしまう。

 で、たとえばその努力(?)のかいもなく、その子どもが、親の希望どころか、自分の
希望ともほど遠い、CC中学に入ったとしよう。ふつうなら、「どこの中学でも同じ」「ま
たがんばればいい」というような、合理的な割りきりをしながら、親や子どもは、それを
乗りこえていく。が、シャドウを引きついだ子どもは、そうではない。

 自分はダメな人間だというレッテルを、自らに張ってしまう。

 「どうせ、私はダメ人間だ」「失敗者だ」「失格者だ」と。さらにそういう思いが肥大化
して、自己否定にまで進んでしまうかもしれない。さらに自ら、自暴自棄になってしまい、
二番底、三番底へと落ちていくかもしれない。

 要するに、親が子どもにきびしい学習を強いたとしても、子どもがそれを、「自分のため
に、親は、がんばってくれている」と感ずれば、子どもは仮に失敗しても、そこを原点と
して、また前向きに歩きだす。

 しかしそのシャドウを子どもが感じたとき、(たいていのケースでは、親自身も、そのシ
ャドウに気づいていないことも多いが)、そのシャドウのもつ、邪悪な部分を、子どもは引
きついでしまう。

 先のケースでいうなら、学歴や肩書きだけで人を判断したり、反対に、それがない自分
を、異常なまでに、卑下したりするようになる。

 たしかに親の気負いが強ければ強いほど、その親は、よい家庭づくり、よい親子づくり
に失敗しやすい。それは、教育の世界でも常識である。しかしなぜ失敗しやすいのか。そ
の一つのヒントが、このシャドウにある。

 まだよくわからない点もあるので、ここに書いたことは、まちがっているかもしれない。
専門家の先生が読んだら、「おいおい、シャドウの意味がちがうよ」と言われるかもしれな
い。

 しかし一つのヒントの一口はつかんだように思う。これから先、このシャドウの問題を、
もう少し、掘りさげて考えてみたい。

 とっかかりとして、私やあなたには、どんなシャドウがあるか? それを考えてみると、
おもしろいのでは……。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●超自我の世界

 フロイトの理論によれば、(自我)の向こうに、その(自我)をコントロールする、もう
一つの自我、つまり(超自我)があるという。

 この超自我が、どうやら、シャドウの役目をするらしい(?)。

 たとえば(自我)の世界で、「店に飾ってあるバッグがほしい」と思ったとする。しかし
あいにくと、お金がない。それを手に入れるためには、盗むしかない。

 そこでその人は、そのバッグに手をかけようとするが、そのとき、その人を、もう1人
の自分が、「待った」をかける。「そんなことをすれば、警察につかまるぞ」「刑務所に入れ
られるぞ」と。そのブレーキをかける自我が、超自我ということになる。

 (ついでながら、自分の欲望のおもむくまま、犯罪的な行動を繰り返す人を、「エスの人」
という。)

 このことは、たとえばボケ老人を観察していると、わかる。ボケ方にもいろいろあるよ
うだが、ボケが進むと、この超自我による働きが鈍くなる。つまりその老人は、気が向く
まま、思いつくまま、行動するようになる。

 ほかにたとえば、子どもの教育に熱心な母親の例で考えてみよう。

 もしその母親にとって、「教育とは、子どもを、いい学校へ入れること」ということであ
れば、それが超自我となって、その母親に作用するようになる。母親は無意識のまま、そ
れがよいことだと信じて、子どもの勉強に、きびしくなる。

 そのとき、子どもは、教育熱心な母親を見ながら、そのまま従うというケースもないわ
けではない。が、たいていのばあい、その向こうにある母親のもつ超自我まで、見抜いて
しまう。そしてそれが親のエゴにすぎないと知ったとき、子どもの心は、その母親から、
離れていく。「何だ、お母さんは、ぼくを自分のメンツのために利用しているだけだ」と。

 だからよくあるケースとしては、教育熱心で、きびしいしつけをしている母親の子ども
が、かえって、学業面でひどい成績をとるようになったり、あるいは行動がかえって粗放
化したりすることなどがある。非行に走るケースも珍しくない。

 それは子ども自身が、親の下心を見抜いてしまうためと考えられる。が、それだけでは、
しかしではなぜ、子どもが非行化するかというところまでは、説明がつかない。

 そこで考えられるのが、超自我の引きつぎである。(このばあいは、「ニセ超自我」と言
うべきか?)

 子どもは親と生活をしながら、その密着性ゆえに、そのまま親のもつ超自我(=ニセ超
自我)を自分のものにしてしまう。もちろんそれが、道徳や倫理、さらには深い宗教観に
根ざしたものであれば問題はない。

 子どもは、親の超自我を引きつぎながら、すばらしい子どもになる。しかしたいていの
ばあい、この超自我の裏には、ドロドロとした醜い親のエゴがからんでいる。その醜い部
分だけを、子どもが引きついでしまう。

 それがシャドウということか。

 話がこみいってきたが、わかりやすく言えば、こういうこと。

つまり、私たち人間には、表の顔となる(私)のほか、その(私)をいつも裏で操って
いる、もう1人の(私)がいるということ。簡単に考えれば、そういうことになる。

 そしていくら親が仮面をかぶり、自分をごまかしたとしても、子どもには、それは通用
しない。つまりは親子もつ密着度は、それほどまでに濃密であるということ。

 そんなわけで、よく(子どものしつけ)が問題になるが、実はしつけるべきは、子ども
ではなく、親自身の(超自我)ということになる。昔から日本では、『子は親の背中を見て
育つ』というが、それをもじると、こうなる。

 『子は、親のシャドウをみながら、それを自分のものとする』と。親が自分をしつけな
いで、どうして子どもをしつけることができるのかということにもなる。

 話が脱線しようになってきたので、この問題は、もう少し、この先、掘りさげて考えて
みたい。

(私の書いていることは、まちがっているかもしれないが、まちがっていれば、そのつ
ど訂正することにして、今は、このまま原稿にしておく。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親の心を見ぬく、子どもたち

 『子は親の背中を見て育つ』とは言うが、同時に、子は、親の背中の奥まで、見ぬいて
しまう。これがこわい。

 たとえばあなたが子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言っ
たとする。そのとき、あなたは、子ども自身のためを思って、そう言っているだろうか。
それとも、自分のメンツや、見栄、世間体のためにそう言っているだろうか。それを子ど
もは、あっという間に、見ぬいてしまう。

 フロイトは、「超自我」という言葉を使って、それを説明した。子どもは、親をその背後
から操っている超自我を見ぬいてしまうと。日本語で言えば、「下心」ということになるが、
そんな簡単なものではない。奥は、もっと深い。親の人間性そのものまで、見ぬいてしま
う。

 見ぬくというよりは、感性として、それを判断するといったほうが正しいかもしれない。
親は無意識のまま、仮面(ペルソナ)をかぶる。その仮面を、子どもは、無意識のまま、
見ぬく。親は、「子どももには、そんなことはできない」と思っているかもしれないが、子
どもは、親が考えているより、はるかに敏感である。私の例で考えてみよう。

 私が高校生のときのこと。進路指導の個別面接があった。その教師は、あれこれと私の
成績をながめながら、「君なら、できる」「がんばれる」「やればできる」と励ましてくれた
が、どこかおかしい(?)。へん(?)。その教師は、本当に私のことを思って、そう言っ
ていたのではない。進学率を高めるためにそう言っていた。それに私はそのとき、気づい
た。と、同時に、その教師への信頼感は、こなごなに消えた。

 その教師にしてみれば、有名大学へ何人、生徒を送りこむかが重要であった。学校の「実
績」をあげるためである。そのため私のばあい、高校2年から3年にかけて、無理やり、
理科系から文科系へ、転向させられてしまった! 「君なら、K大の工学部は無理だが、
K大の文学部になら、入れる」と。今から思うと、私という一人の学生にしてみれば、悲
劇としか言いようがない。

 これは教師と私との話だが、親子の間では、関係が一度こじれると、ことは深刻。親子
であるがゆえに、問題は、底なしにこじれる。が、それだけではすまない。子ども自身が、
親のシャドウ(影)に苦しむことになる。

 具体的に、あれこれということではない。しかしもっと抽象的、観念的な生きザマまで、
親から子どもへと、すべてが伝わってしまう。「学習」というなまやさしいものではない。
子どもの心に、親の超自我が、そっくりそのまま、しみこんでしまう。

 たとえば善悪の感覚、判断能力、倫理観や道徳観など。親がたとえば、小ずるい人間で
あったとすると、子どもも、小ずるくなる。親を反面教師として、別の人格をつくりあげ
る例もないわけではない。しかしそのばあいでも、その子どもは、ほかの子どもたちより
も、何倍も苦労をしなければならない。たとえばほかの子どもなら、自然な形で身につけ
る善悪感についても、不要な葛藤を繰りかえすことになる。

 たとえば親が、駐車場でもないところに平気で車を止めたり、あるいは赤信号でも無視
して、車を走らせていたとする。そういった善悪感は、そっくりそのまま子どもに伝わっ
てしまう。

 そういう親をもった子どもは、不幸である。生活のあらゆる場面で、その小ずるさが顔
を出す。そのため、一事が万事。長い時間をかけて、その子どもは、善良な世界から、遠
ざかってしまう。気がついたときには、まわりは、悪人だらけということにも、なりかね
ない。

 そこでフロイトは、人間がもつ良識や良心は、その「超自我」の中で、つくられると考
えた。その中で作られた良識や良心が、その人の生きザマを基本的な部分で、決定づける、
と。

 このことは、自分の経験に照らしあわせてみると、よくわかる。

 たとえば道路に、1000円札が落ちていたとする。そのとき、「私」、つまり、「私とし
ての自我」は、そのお金をほしいと思う。「拾ってもっていこう」と思う。

 しかしそれにブレーキをかける「私」もいる。「お金がほしい」というのが、自然な「私」
であるとするなら、「もらってはだめ」とブレーキをかけるのは、「私」を超えた「私」と
いうことになる。

 その「私を超えた私」は、自分自身でつくっていくものというよりは、生まれ育った環
境の中で、つくられていくものということになる。もちろんそれをつくっていくのは、親
だけではない。しかし実際には、乳幼児期までには、その方向性が決まってしまう。その
ことを考えるなら、親の責任は、きわめて重大ということになる。

 よく誤解されるが、こうした倫理観や道徳観は、学校での勉強などによって、身につく
ものではない。道徳のテストで、すばらしい点数を取ったからといって、その子どもが、
善人というわけではない。

 こんなテスト問題があった。小学1年生の問題である。

Q……お母さんが、台所で料理をしていました。それを見たあなたは、どうしますか。

(1)手伝う。
(2)そのまま遊んでいる。
(3)どこかへ遊びに行く。

 正解は(1)ということになるが、実際に、料理を手伝うかどうかは、別問題である。
つまりこういうテストで、よい点をとったからといって、その子どもの人格がすぐれてい
るということにはならない。要領のよい子どもなら、よい点を取るため、(1)に丸をつけ
るだろう。

 こんな例もある。

 私の知人に、K氏という人がいる。当時、32歳。

 ある日、K氏のところに、K氏の母親から電話がかかってきた。「Z氏がもっている、山
林を買ってやってほしい」と。

 Z氏というのは、母親の実兄、つまりK氏の伯父である。値段を聞くと、800万円だ
という。さらに話を聞くと、「本当は、2000万円くらいの価値がある」と。

 K氏は、お金を集めて、その山林を、800万円で買った。しかし、その山林は、それ
から30年近くたった現在ですら、100万円にもならない山林だった。

 母親は、伯父と結託して、息子のK氏をだました。だまして、当時、80万円でもよい
値段の山林(地元の森林協同組合の職員)を、K氏に800万円で売りつけた。

 世の中には、親をだます子どもは、いくらでもういる。しかし子どもをだます親も、珍
しくない。しかもそのあとも、伯父なる人物は、毎年、K氏に、8〜10万円の管理費を
請求してきたという。

 K氏は、こう言う。「おそらく、母は、伯父から、いくらかのペイバック(謝礼)を受け
取っているはずです。母も、伯父も、昔から、そういう人間です」と。

 が、問題は、そのことではない。

 そういう母親をもったK氏自身も、母親から、そういう人間性を引きついでいた。K氏
はこう言う。

 「私の体質の中に、実は、母や伯父の体質がしみこんでいるのですね。私は、母と伯父
に800万円、だまし取られましたが、私も、ひょっとしたら、そういうことが平気でで
きる人間なのです。ときどき、そういう自分が、こわくなります」と。

 K氏は、今も、自分自身のシャドウ(影)に苦しんでいる。

以上、私は、超自我について書いてきた。シャドウについても書いてきた。その前には、
(私であって私でない部分)について書いてきた。さらに仏教で教える、末那識(自分
の奥底に潜んで、自分を操るエゴ)についても、書いてきた。もちろん心理学でいう、
潜在意識という考え方もある。

これらは結局は、すべて、(私)を知る手がかりということになる。

 「私のことは、私が一番よく知っている」と言う人は多い。しかし本当のところ、(私)
を知るのは、簡単なことではない。そのことだけでも、わかってもらえれば、うれしい。
(はやし浩司 超自我 末那識 シャドウ 仮面 ペルソナ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●N先生へ

先日、N先生という人と議論をした。
そのとき、N先生の意見を、私は
頭から否定してしまった。

後味が悪かった。N先生は、「美しい
日本語を守るためには、英語教育は
必要ない」という意見だった。

+++++++++++++++

今から、20年も前のこと。
私自身も、それまで15年近く、
幼児や小学生に英語を教えてきた
という経験があります。

それで雑誌を作ろうということに
なりました。

もっとも最初に企画を出したのは、
学研のO氏でした。たいへんすぐれた
編集者でした。

私の仕事は、それを具体化するという
ものでした。

で、生まれたのが、「ハローワールド」
という雑誌です。当時、毎月27〜8
万部も売れたと聞いています。

余談ですが、そのとき、O氏が横浜の
アメリカンハイスクールで見つけて
きた女の子が、西田ひかるさんでした。

私は、小学校でも英語教育は必要だと
感じていました。
同調する先生たちもたくさんいました。

で、その結果、今に見る、小学校における
英語教育が実践されるようになりました。
県によっては、積極的に取り入れている
ところもあります。

もちろん私のした努力など、何でもない
ことです。私自身も、それほど深い教育理念
があって、雑誌の企画を立てたわけでは
ありません。

しかしものをつくるのは、たいへんなこと
です。
とくに教育の世界では、新しい試みを
実践に移すのは、たいへんなことです。

しかしあるとき、突然、一台のブルドーザー
がやってきて、あとかたもなく、こうした
積み重ねを破壊してしまう……。

ご自身は、一度もそういった現場に
立ったこともない。子どもに英語を教えた
こともない。

そういう人が研究室の奥で本を書き、
「小学生に英語教育は必要ない」と。

私自身は、自分で子どもたちに英語を
教えてみて、「やはり必要だ」と感じた
からこそ、雑誌の創刊企画に参加しました。

「英語を勉強したから、日本語がへたに
なる」というのは、まっかなウソです。
(ただ0〜2歳期にバイリンガルにしよう
とすると、言語中枢が混乱するということは
指摘されています。)

つまりそういう憶測+復古主義だけで、
持説を繰り広げてしまう。
本が売れたことは、イコール、それだけ
支持者がいたということにもなりますが、
あの本に関して言えば、どこかで国策と
結びついたように思います。

当時、全国各地で、やらせによる、
公開討論会がさかんに行われていました。
1回の討論会で、2000万円近い、公費が
使われていたそうです。

単行本にすれば、2万冊分です。2000万円
もあれば、売れ行きに火をつけることができます。

N先生には、たいへん辛辣な意見を口に
してしまいましたが、そういう意味で、
私は、無念感というか、挫折感を覚えたのも
事実です。

もちろん個人的に、どうこう思っている
わけではありません。(個人的には、知りません
ので……。)

一言、私の気持ちをお伝えしたくて、
筆をとりました。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネット中毒

++++++++++++++

TBS−iニュースに、気になる
記事が載っていた。

題して、「インターネット中毒」。

これからの日本でも急増すると
思われる。早急な対策が必要では
ないか。

++++++++++++++

 インターネットの先進国(?)、お隣の韓国では、今、「インターネット中毒」なるもの
が、問題になっている(TBS−iニュース、5月12日)。

 いわく、「韓国情報文化振興院が今年発表した調査結果によれば、治療が必要な中毒者は
未成年者では14%、大人でも7%にのぼっている」と。

 若者で14%ということは、10人のうち、1〜2人ということになる。先日携帯電話
中毒について書いたが、インターネット中毒のほうは、割合こそ携帯電話中毒より少ない
かもしれないが、中身が深刻。

 TBS−いニュースは、つぎのように伝える。

 『……「とにかく自分がコントロールできなくなりました。キーボードと画面から目を
離すことができないのです。そして、長い間ゲームをしているうちに冷たい汗が流れるの
を感じました」(「インターネット中毒」になった大学生)

 この大学生は、中学生の頃からインターネットのオンラインゲームにのめり込むように
なった。学校にも行かず、1日中パソコンに向かう日々が続き、体調不良に悩まされてい
る。

 半年前、このままではいけないと思い立ち、始めたのがカウンセリング治療だった。今
でも1日12時間もインターネットを使っているが、これでも以前と比べれば、かなりま
しになったという。

 「カウンセリングの需要は増加しています。(インターネット中毒)は、今や全国的な問
題になっているので、全国規模での対応が必要です」(情報文化振興院「インターネット中
毒」担当責任者)。

 都市部から地方へと中毒が広がりを見せる中、韓国情報文化振興院は専門カウンセラー
の養成に力を入れ始めた。40時間の課程を修了した人をインターネット中毒専門カウン
セラーに認定するというこの講座、受講者には地方の行政機関などで働いている人が目立
つ。

 「主婦がチャットにはまったためその浮気相手が夫の職場に押しかけたケースもあり、
また、ゲームをやりすぎる子供に親が手を焼くケースは日常茶飯事です」(受講者=家庭問
題のカウンセラー)。

 この日の授業は「美術治療」と呼ばれるカウンセリング技術についてです。絵を描かせ、
その絵を説明させる過程でコミュニケーション能力を回復させ、自分を客観視させる効果
があると言う。

 「インターネットに夢中になっている子は、家族との対話が断絶しています。絵を通し
て子供の心を理解し、表現することが重要だと学びました」(受講者)

 韓国政府は、今年に入って、インターネット中毒のカウンセリングが受けられる施設を
全国でおよそ30カ所増やすとともに、今後、年間300人程度を目標に専門カウンセラ
ーを養成していくという』と。

 私も、(ゲーム中毒の子ども)をときどき経験している。7、8年前に書いた原稿だが、
それを紹介する。

++++++++++++++

●子どもがゲームづけになるとき

●ゲームづけの子どもたち 

 小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通
称、マジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学3年生で、約25%以上の男児がハマっ
ている(2000年11月、小3児53名中13名、浜松市内)。

ある日、1人の子ども(小3男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを3枚集めて、
融合させる。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティメットドラ
ゴンをフィールドに出せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が九〇〇〇になる」と。

子どもの言ったことをそのままここに書いたが、さっぱり意味がわからない。基本的に
はカードどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手のカード
を取る「カケ勝負」と、取らない「カケなし勝負」とがある。カードは、1パック5枚
入りで、150円か330円程度で販売されている。「アルティメット入りのパックは、
値段が高い」そうだ。

●ポケモンからマジギャザまで

 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学1、2年になった。そこで当時ハマった
子どもたち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。

M君(中2)いわく、「今はマジギャザだ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。カ
ード(15枚で500円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、5枚で200円)
は、1000枚近く集めたそうだ。

マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊び方をするゲームの
ことだと思えばよい。ただ内容は高度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、
正直言ってよくわからない。要するに、ポケモンカードから遊戯王、さらにその遊戯王
からマジギャザへと、子どもたちの遊びが移っているということ。カードを戦わせなが
ら遊ぶという点では、共通している。

●現実感を喪失する子どもたち

 話はそれるが、以前、「たまごっち」というゲームが全盛期のころのこと。あのわけのわ
からない生き物が死んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。東京には、死んだた
まごっちを供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではない。本気だ。

中には北海道からやってきて、涙をこぼしながら供養している20歳代の女性までいた
(NHK「電脳の果て」97年12月28日放送)。

そういうゲームにハマっている子どもに向かって、「これは生き物ではない。ただの電気
の信号だ」と話しても、彼らには理解できない。が、たかがゲームと笑ってはいけない。

その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。
この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電
子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む
その教団の信者は、方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみる。あるいはどこがど
う違うというのか。ゲームには、そういう危険な面も隠されている。

●思考回路はそのまま

 で、浜松市内の中学1年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊戯王
に、多かれ少なかれハマっているのがわかった。1人が平均約1000枚のカードを持っ
ている。中には1万枚も持っている子どももいる。

マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フ
ランスバージョン、さらに中国バージョンもある。カード数が多いのは、そのため。「フ
ランス語版は質がよくて、プレミヤのついたカードは、4万円。印刷ミスのも、4万円
の価値がある」と。

さらにこのカードをつかって、別のカケをしたり、大会で賞品集めをすることもあると
いう。「大会で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝するのは、
たいてい20歳以上のおとなばかりだよ」とも。

 わかりやすく言えばポケモン世代が、思考回路だけはそのままで、体だけが大きくなっ
たということ。いや、「思考回路」と言えばまだ聞こえはよいが、その中身は中毒。カード
中毒。この中毒性がこわい。だから一万枚もカードを集めたりする。一枚のカードに四万
円も払ったりする!

●子どもをダシに金儲け

 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。カードの販売だけで、年間1
00億円から200億円の市場になっているという(経済誌)。しかしこれはあくまでも表
の数字。闇から闇へと動いているお金はその数倍はあるとみてよい。

たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている(注)。子どもたちがそのカードを
手に入れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値がある分だけ、
値段も高い。

しかも、だ。子どもたちは自分の意思というよりは、おとなたちの醜い商魂に操られる
まま、そうしている。しかしこんなことが子どもの世界で、許されてよいのか。野放し
になってよいのか。

(注)この原稿を書いた2001年はじめには発売中止になっていたが、2001年の終
わりには再び発売されているとのこと。

++++++++++++++

●携帯電話を買う

 とうとう買った。携帯電話だ。ドコモの最新型。1・3メガのカメラつき。ソニーの製
品だ。

 きっかけは、オーストラリアの友人のB君が、携帯電話を買いたいと言ったこと。それ
で携帯電話ショップへいっしょに行き、あれこれ通訳しているうちに、自分でもほしくな
ってしまった。

 いろいろな機種があったが、どうせ買うなら最新型、ということで、それにした。長い
間、悶々としていた気分が、これで吹き飛んだ。手続きが終わるとワイフは、こう言った。
「あんたも、やっと一人前ね」と。そうだ。私もやっと、一人前!

 家に帰って、説明書を見る。ゾクッとするほど、分厚い。こうして機械をいじるのが、
何よりも楽しい。ショップの女の子に、「ぼくは、機械オンチでね。パソコンなど、いじっ
たこともありません……」と言ったら、本気にした。そしてあれこれ手取り、(本当に、手
取りだぞ!)、親切に教えてくれた。合計で、八回ほど、手を握ってもらった。きれいな人
だったから、うれしかった。ははは。

 しかしそれにしても、機能満載! 携帯電話がここまで進化しているとは、思ってもみ
なかった。カメラにしても、ズーム機能までついている。インターネットにメールを送る
こともできる。ほかに留守番電話だの、アイモードだの。ただこの機種(ソニー・SO5
05i)は、閉じた状態で、スイッチが外部に出るため、不用意にスイッチを入れてしま
う可能性がある。いいのかなあ……?

 さっそく、あちこちに電話してみる。うまくつながった。今度は反対に、携帯電話に電
話してみる。これもうまくつながった。しかし一番格安のコースでも、月々の基本料金が、
4000円近くになる。こうした料金でも、まさに「チリも積もれば……」。これから先、
老後に向けて、生活をコンパクトにしようと考えていたのだが……。

 しかしこうした電気製品は、いわばオモチャのようなもの。それにボケ防止になる。と
きどきこういう新製品を買って、頭を刺激する。しかし、私は、実のところ、こうした分
野では、天才的な能力がある。(ホント!)昔、ある医療研究所に、タタミ一枚分ほどもあ
る、大型の電子機器が置いてあった。だれもそれを操作できず、半年ほどそこに放置して
あった。それを私は、一時間ほどで動かしてしまった。あとで所長が、「君は、この機械の
ことを知っていたのかね?」と。(これは自慢!)

 それにしても楽しい。手の中でクルクルと携帯電話をいじっていると、無上の喜びを感
ずる。(これは私のビョーキのようなもの。)そのうち私も、携帯電話を手放せなくなるか
もしれない。今は、その、はじめの一歩? 中毒にならないように、注意しよう。
(030610)

++++++++++++++

 話を戻す。

 TBS−iニュースは、つぎのように締めくくっている。

 『韓国でインターネット中毒が深刻化した背景としては、学歴競争での挫折や人間関係
のストレスに苦しむ人たちが、現実社会からネットの世界へ逃げ込むという傾向が指摘さ
れていて、日本社会にとっても無縁とは思えない問題である』と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 ネット中毒 インターネット中毒 ゲーム中毒)

【付記】

 インターネット中毒に陥ること自体、依存うつと考えてよいのでは? さらに最近の研
究によれば、うつ病の「根」は、0歳から2、3歳までの、乳幼児期に作られるというこ
とがわかってきた。

 この時期の安定的な家庭環境(とくに母子関係)が、いかに重要であるかは、いまさら、
ここに書くまでもない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●田丸謙二先生に会う

+++++++++++++

ちょうど1年ぶりに、田丸謙二
先生に会った。浜北市のレスト
ランで、いっしょに食事をした。

今年83歳になられるという。
長いつきあいだ。1970年
以来だから、もう37年になる。

私にとっては、恩師でもあり、
友人でもある。

私は、田丸謙二先生に出会うこ
とができたことを、心から誇り
に思う。

+++++++++++++

 そのとき先生は、東大紛争で疲れたとかいうことで、メルボルン大学へ来ていた。人口
300万人(当時)のメルボルン市でも、日本人の留学生は、私1人だけだった。もちろ
んメルボルン大学には、私1人しかしなかった。

 その先生と、3か月もの間、寝食をともにできたことは、私にとっては、生涯の誇りで
ある。いや、そのときは、そんなことは、微塵(みじん)も思わなかった。恩師というよ
りは、「友」として、そのときの日々を過ごした。

 田丸先生を「師」として意識するようになったのは、日本へ帰ってきてからである。田
丸先生は、東大の安田講堂の右手奥にある、理学部に研究室を構えていた。静かな研究室
だった。ご自宅にもたびたび、おじゃました。先生のご自宅は、鎌倉の扇が谷というとこ
ろにある。

 当時の私は、バカだったのか、それともアホだったのか、よくわからないが、先生のこ
とよりも、先生のご自宅の前の南隣の家が、中村光男の家だったということのほうに、感
激した。戦後を代表する評論家であった。

 しかしやがて、私は田丸謙二先生の偉大さを、思い知るところとなった。先生は、30
代の若さで東大教授になり、そののち、文部行政の要職をつぎつぎと歴任。東大の副総長
(総長特別補佐)、日本化学会の会長、国際触媒学会の会長なども、歴任された。田丸謙二
先生の父親の、田丸節郎は、日本学士院の院長を歴任。田丸先生自身も2000年に、学
士院賞を受賞している。

 私は先生を乗り越える方法は、ただひとつしかないと知った。先生が先生なら、私は、
組織の世界とは無縁で、無肩書きで生きることでしかない、と。事実、私は、かなり若い
ころ、組織と肩書きの世界から、縁を切った。「私は、裸で生きてやろう」と思った。

 しかしそれはとんでもないまちがいだった(?)。今にして思うと、そう思う。敗北を認
めるようでつらいが、事実は事実。

 が、田丸謙二先生に会ったとたん、あの学生時代にそのままタイムスリップしてしまう。
先生が先生であることを忘れて、バカ話ばかりしてしまう。

 ところで、こんな重要な事実がある。私やあなたが、今、ここに生きていることができ
るのは、田丸節郎のおかげである。ここに書いた田丸節郎は、ドイツ留学中に、空気中の
窒素の固定化に成功したハーバー博士(アンモニアの合成で、ノーベル賞受賞者)の直弟
子としても活躍した。もしそのとき、ハーバー博士が、空気中の窒素の固定化に成功して
いなければ、人類は、じゅうぶんな食糧を生産することはできなかったはず。自然界にあ
る、石灰窒素には、限りがある。

 が、ハーバー博士の研究で、人類は、「空気から食糧をつくることができるようになった」
(田丸先生)。その結果、今の私たちが、ここにいる。

 そのハーバー博士は、日本へやってきたとき、鎌倉の田丸家を訪問している。そのとき
の写真が、田丸先生のHPに収録されている。興味のある人は、それを見てほしい。先生
は、誇らしげに、こう言った。「私は、ハーバー博士に会ったことがある」と。

私「だって、先生は、赤ちゃんだったんでしょ」
田「そうですね」
私「覚えているんですか、その日のことを?」
田「何も覚えていません。ハハハ」
私「それじゃあ、会ったということにはならない。ハハハ」と。

 先生は、その写真の中で、母親の腕の中に抱かれている。先生は、その写真を家宝のひ
とつとして、大切にしている。

 今でも、田丸先生は、2人のお嬢さんと、弟子たちを生甲斐として、現役で活躍されて
いる。「東大だけでも、8人の弟子が教授になりました。そんなに数が多いのは、私だけで
す」と。また06年の12月から07年の2月までに、1冊の本を翻訳なさったという。
私たちが見習うべきは、田丸先生のような人をいう。

 「大切なことは、人を残すことです」と、先生は、何度も言われた。

 5月12日に撮影したビデオなどは、私のHPのほうに掲載しておきます。興味のある
方は、ぜひ、ご覧になってください。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●小さな世界

+++++++++++++++

孫の誠司が、フロリダにあるディズ
ニーランドへ行ってきた。

そこから帰るとき、誠司は、かなり
ぐずったらしい。「ここはぼくのHOME
だから、帰らない」とまで言ったという。

その誠司は、「スモール・ワールド」が、
いちばん、気にいっていたという。

+++++++++++++++

 「小さな世界」……というときには、2つの意味がある。地球そのものを、宇宙的な規
模でながめたときに、この地球を、「小さな世界」という。ディズニーランドには、「スモ
ール・ワールド」という展示館がある。そこで流されている音楽の、「♪小さな世界」は、
それをいう。

 が、もうひとつの意味がある。

 個人がかぎりなく自分の住む世界を小さくし、その世界を、「世界」と思いこむときにも、
「小さな世界」という。

 以前、こんな話を聞いた。

 その家には、80歳を過ぎた女性(=母親)と、60歳をすぎた男性(=その母親の息
子)が住んでいた。

 ともに認知症一歩手前という状態だった。そこでその女性のもう1人の息子が、毎日、
その家に、弁当を届けることにした。1食800円で、2食で1600円。弁当は、ボラ
ンティア活動をしている人たちが、格安で提供していた。

 が、しばらくすると、その女性(=母親)と、男性(=母親の息子)は、その弁当を取
りあって、けんかするようになったという。「お前がワシの分まで、食べてしまった」「ぼ
くの食べる分がない」と。

 一応食器は、洗って返すことになっていたというが、その洗い方についても、けんかが
絶えなかったという。「ちゃんと洗え」「お前のほうが洗え」と。

 何ともあさましい、何ともなさけない話である。人間というのは、努力によって神のよ
うな人間にもなれるが、生き方をまちがえると、この2人のように、ケダモノに近い人間
にもなってしまう。

 そこで大切なことは、小さな世界で、小さく生きている人とは、付きあわないというこ
と。そういう人たちには、そういう人たち独特の魔力のようなものがある。油断すると、
その魔力の虜(とりこ)になってしまう。ドロドロとした人間関係のウズに巻きこまれる
と、そのまま小さな人間になってしまう。

 一方、つねに私たちは、自分の視点を、宇宙の外に置く。その視点から、地球を見、人
間を見る。見るだけでは足りない。今度は、宇宙の歴史の中で、今という(時間)を考え
る。

 私たちが今過ごしている時間は、たとえそれが100年であっても、この宇宙の歴史の
中では、瞬間のそのまま瞬間にすぎない。

 こうした心の操作をつねにしていかないと、私たちはすぐ、先に書いた、「小さな世界」
に引き戻されてしまう。ささいなことで、悩んだり、くよくよしたりする。しかしそれこ
そ、時間の無駄。人生の無駄。

 たとえば私の知り合いの中には、兄弟姉妹で、四つどもえになって、親の残した遺産を
取りあっている人がいる。遺産といっても、1000万円にもならない。(だからといって、
1000万円が小額だと言っているのではない。誤解のないように!)

 「お前は、親父の駐車場を、タダで使っていたではないか。その分を、分与額が差し引
け」「お前こそ、大学の学費を出してみらったではないか。その分を、分与額から差し引け」
と。

 金銭問題がからんでくると、兄弟姉妹でも、他人以上の他人になる。またこうした争い
は、いまどき、珍しくも何ともない。その兄弟姉妹にしても、たがいにこう言っている。「こ
の(遺産)問題が片づいたら、たがいに縁を切る」と。

 しかしこんなことも考えたらよい。

 本当の財産は、何か、と。あるいは、本当に大切にしなければならないものは、何か、
と。

 どちらにせよ、人生にはかぎりがある。50歳の人にしてみても、これから先、人生は、
30〜40年しかない。60歳の人にしてみても、20〜30年。しかもその20〜30
年が、健康なままということはない。

 人生をお金に換算すること自体、まちがっている。が、しかし今生きている(1年)に
は、無現の価値がある。かりに悪魔がやってきて、「1000万円やるから、お前の1年を
私によこそ」と言われたら、あなたはどうするだろうか。それに応ずるだろうか。

 私なら、「ノー」と答える。とんでもない話である。どうせ死ねば、自分の財産、名誉、
地位はおろか、この地球、さらには宇宙ごと、私とともに消える。大切なことは、心豊か
に、穏やかに生きること。1日でも多く、心豊かに、穏やかに生きること。

 そういう生き方をすることは難しいことかもしれないが、そのための努力を怠っては、
いけない。またその努力をするところに、人間の生きる美しさが光る。

 私なんかは、自分人生を振り返ってみても、損をすることはあっても、金銭的な意味で、
得をしたことは、何もなかった。1000万円単位で、損をしたことは何度かある。だか
らこう思う。

 「たかが1000万円ではないか。そんな額で、兄弟姉妹がけんかして、どうなる?」
と。あるいはそうして得たお金を、その人たちは、どうするつもりなのだろう。新車でも
買うつもりなのだろうか? 旅行にでも行くつもりなのだろうか?

 が、はたして、それで心豊かな人生を送ることができるというのだろうか? 私にはま
だよくわからないが、生きるということは、そういうことではないように思う。


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●名誉を残す、名を残す、そして人を残す

++++++++++++++++++

田丸先生が、こう言った。

名誉を残す。名を残す。しかしもっと
大切なことは、人を残すことだ、と。

++++++++++++++++++

 83歳になった田丸先生が、こう言った。「私の今の生きがいは、2人の娘と、弟子たち
です」と。

 東大だけでも8人の弟子たちが、教授職についたという。「8人」という数が、どれくら
いすごい数かということは、その世界の人たちにならわかるはず。

 その田丸先生が、さらにこう言った。「人生でいちばん大切なことは、人を残すことです」
と。先生のこの言葉は、私に大きな衝撃を与えた。

 私は今まで、自分の育児論の中で、「子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立さ
せることだ」と説いてきた。しかしいつも、心のどこかで、「それでは足りない」と感じて
きた。

 先生のこの言葉が、私の子育て論の欠陥を、補完した。「子育ての目標は、人を残すこと」。
もし世の親たちが、こういう視点で子育てを始めたら、子育てのあり方そのものが変わる。
当然、その結果として、この世界はすばらしい世界になる。

 人を残す! そうなんだ! そうだったのだ!

 もちろん、今は、そうわかっただけで、「ではどうすればいいのか」という部分について
は、ここでは書けない。ひとつの大きなテーマとして、これから先、じっくりと考えてみ
たい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
人を残す 田丸謙二)


●生きていること自体が、奇跡

+++++++++++++++++++

今夕、濃紺の空を見あげながら、家に
帰ってきた。澄んだ、どこまでも澄んだ、
宵やみの空に、1つの大きな美しい星が、
輝いていた。

それを見たとき、ふと、私は、こう思った。
「生きていること自体が、奇跡だ」と。

つぎの瞬間には、つまり星がまばたきする、
そのつぎの瞬間には、私は、この世から
消える。消えて、なくなる。

星がまばたきする、その瞬間、その私がこの
世界に生まれ、そしてこの世界で生きている。

それを「すばらしい」と言わずして、
何という。

+++++++++++++++++++

 今、あなたが健康なら、それを感謝したらよい。そしてその健康なときを、懸命に大切
にして、生きたらよい。今、あなたが若いなら、なおさらだ。

 何が奇跡かといって、この世界で生きていることを越える奇跡はない。生きていること
自体が、まさに奇跡。その奇跡の前では、名誉も地位も肩書きも、意味がない。もし今の
この「時」を、お金に換算するなら、一瞬一秒には、無限の価値がある。いや、お金に換
算すること自体、バカげている。

 なのに、どうしてみな、今、生きていることを、そんなにも粗末にするのか。名誉や地
位や肩書きにしがみつき、わずかなお金を取り合って、嘆き、悲しむ。時に、憎しみ合う。
奇跡を無駄にしながら、無駄にしているという自覚すらない。
 
 賢い人は、そのものの価値をなくす前に気がつく。愚かな人は、そのものの価値を、な
くしてから気がつく。

 足が動く、体が動く、宵やみの空が見える、冷たい初夏の冷気を、そこに感ずる。楽を
しようと思えば、いくらでもできる。しかし今、私は生きている。生きているという実感
を、肌で感ずる。自転車をこぐペダルに、思わず力が入る。

 濃紺の空には、1つの大きな星。あの星から見れば、この地球なぞ、ゴミにもならない
チリのようなもの。そんな地球にへばりついて、ああでもない、こうでもないと心を煩わ
す。その馬鹿らしさ。その愚かしさ。かつてだれかがこう言った。「人間社会にしても、地
球の表面をおおうカビのようなもの」と。

 イラクでは、スンニ派だかシーア派だか知らないが、外から見れば、骨肉の争いを繰り
かえしている。たがいにたがいを殺しあっている。そういう愚かさを見たとき、「私は彼ら
とはちがう」と言い切れる人は、この世界に、いったい、どれほどいるというのか。

 明日はない。ないと思って、今日を懸命に生きる。そしてその明日に、大病を言い渡さ
れても、悔いのない今日を、今日、過ごす。つまりそういう明日になるかもしれないが、
しかしともかくも、今日、私は生きている。「今」という、この瞬間を生きている。そのす
ばらしさ。尊さ。

 これを奇跡と呼ばずして、何という。

+++++++++++++++++++++

犠牲になることを、恐れてはいけない。
犠牲になっていることを、嘆いてはいけない。
犠牲になることを、避けてはいけない。
犠牲になっていることを、喜ぼう。
相手を安らかにしてやろう。
相手にいいようにしてやろう。
犠牲は、やがて、その数万倍のも光を
ともなって、あなたのところに返ってくる。

+++++++++++++++++++++

【生きる原点】

●黄金の小便

+++++++++++++++++

どんな病気だったか、知らない。
どんなふうに、苦しんだのかも
知らない。

しかしその人は、腎臓移植を受けた。
そして術後はじめて、病院のトイレ
で小便をした。

そのときのこと。窓から入り込む太陽の
光線をあびて、自分の小便が、黄金色に
輝いているのを知った。

その人は、こう書いている。

「その美しさに、驚き、思わず、
自分の小便を、手で受け止めた」と。

+++++++++++++++++

 あるものを忘れて、ないものを嘆く。そこにいる人を忘れて、その人をののしり、罵声
を浴びせかける。あるいは生きていることを忘れて、生きていることを粗末にする。

 悩む? 苦しむ? 迷う? 

 みんな、生きているからこそ、そうする。だから悩んだり、苦しんだり、迷ったりした
ら、ふと、立ち止まって自分を見つめなおしてみたらよい。私たちは生きているがゆえに、
悩んだり、苦しんだり、迷ったりする。すると、とたん、悩んだり、苦しんだり、迷った
りすることが、生きる喜びに変化する。

 あなたが今、満ち足りた充足感を覚え、健康なら、何も言うことはない。そこに家族が
いて、みな、健康なら、何も言うことはない。仮に、不幸であっても、病気であっても、
それで生きることが影響を受けるわけではない。

 もともと何もないという前提で生きれば、失うことすら、何でもない。大切なことは、
今というこの一瞬一秒を、心豊かに、満足して生きることではないのか。

 人生は長いようで短い。本当に短い。……といっても、こんなことを若い人に言っても
わからないだろう。若い人にとっては、時間は永遠。死すら、無縁。

 しかしその時間も一瞬のうちに消える。気がついてみたら、30代、40代。さらに気
がついてみたら、50代、60代。つぎの20年のうちには、大半の人はこの世界から消
えてなくなる。さらにつぎの20年のうちには、生きている人は、ほとんどいない。

 例外は、ない。私も、あなたも、だ。

 知りあいの中には、わずかな財産にしがみつき、きゅうきゅうとしている人がいる。兄
弟姉妹で、争奪戦を繰りかえしている人もいる。あわれで、どこまでも悲しい人たちだ。
そういう人たちは、そういうことで得たお金で、何をしようとしているのか。

 車を買うのか? 旅行をするのか? あるいは家を買うのか?

 仮にそれができたとしても、だから、どうなのか。それがどうしたというのか。

 私には、目が見える。音を聞くこともできる。初夏のさわやかな風を、肌で感ずること
もできる。その気になれば、庭を、自由に歩くこともできる。生きていくためには、働か
なければならない。いやな人とも、つきあわなければならない。苦労はつきものだが、そ
れとて(生きている)という事実の前では、何でもない。働けるということ自体が、財産
なのだ。価値なのだ。

 私は、今、原点から、自分を見つめなおしている。

 食事を作る。食事をする。お茶を飲む。食器を洗う。本を読む。パソコンのキーボード
をたたく。音楽を聞く。何でもないことの連続だが、しかしその何でもないことの中に、
お金では換算できない、無限の価値がある。

 もっとも、こうした状態が、いつまでもつづくとは思っていない。明日、私は、交通事
故か何かで倒れるかもしれない。あるいは、この命も、今日限りかもしれない。

 だからこそ、私は、今というこの一瞬、一秒をかみしめながら生きる。それが私の「生
きる原点」ということになる。
(はやし浩司 生きる原点 生きる喜び)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

++++++++++++++++

今日は、朝風呂。6時半に起きて、
母の世話。同時に、風呂に湯を張った。
そう言えば、昨日、母は、デイケア
センターで、入浴中、大便を漏らし
てしまった。連絡ノートには、
そう書いてあった。このところ、
大便のほうも、四六時中、垂れ流し
といった感じ。「お前、昨日、風呂
の中で、ウンチしたんだってなア?」
と声をかけると、「知らん」「覚えて
おらん」の一転張り。が、やがて、
こう言った。「だれがそんなこと言っ
た?」と。

少しは記憶が残っているようだ。

++++++++++++++++

 介護制度が、ここまでキメ細かく整備されているとは、私も知らなかった。わずか5、
6年足らずで、よくここまで、整備したものだ。感心する。

 介護制度のありがたさは、それがなくなったときにわかる。たとえばこの大型連休中、
母は、ずっと私の家にいた。それが5、6日もつづいた。とたん、家の中の雰囲気が、お
かしくなった。ワイフも、ストレスを感じ始めた。

私「毎日、シーツをかえなくてもいいよ。消臭スプレーをかけて、干しておけば、それで
いいよ」
ワ「そんなわけには、いかないわよ」
私「みんな、そうしているよ。あのSさん(知人、介護歴10年)も、そう言っているよ。
部屋中、ウンチまるけになっても、放っておけばいいって」と。

 私たちはまだ利用していないが、短期入所というのもある。1週間単位で、施設で介護
老人を預かってくれる。費用は、1日、2600円前後。私はともかくも、ワイフの様子
を見ながら、そのうち施設の世話になるつもり。母も大切だが、ワイフは、もっと大切。
母の介護で、ワイフがダウンするようなことは、あってはならない。

 その母だが、このところ、ワイフに、あれこれ命令することが多くなった。デイサービ
スから帰ってくると、「お茶!」と。先日は、デイサービスの車からおりるやいなや、「タ
クシー代を払っておけ」とも言った。

 そこで私は、母とワイフとの接触を、できるだけ少なくするようにしている。おかしな
ことだが、母という(女性)が、同じ女性であるワイフを、蔑視している。男尊女卑とい
う言葉があるが、それは何も男性だけの問題ではない。女性自身が、女性を蔑視している。
それを女性自身が受け入れてしまっている。そういうケースも少なくない。

 つまり私のワイフは、母にすれば、母の奴隷のようなもの。昔から、母は、異常なまで
に、親意識が強い。母にしてみれば、私は、母のロボット。だからワイフは、母にとって
も、奴隷のようなもの、となる。母は、まさに封建時代の遺物を、そのまま背負っている。

 愚かな意識だが、いまさら、どうこうなる問題ではない。適当に会話を合わせて、あと
は無視。やるべきことはやる。しかし、あとは無視。これは介護をする人にとっては、と
ても大切なことだと思う。

 しかし……。その母を観察していて、ときどき、ゾッとすることがある。あのまま私も
地元に残って、つまり母といっしょに生活をしていたら、今ごろは、母と同じような考え
方をしていたかもしれない。

 幸いにも私は、高校を卒業すると同時に、郷里を離れることができた。自分の郷里を、
距離をおいて、客観的に見ることができた。ついでに世界を見ることができた。だから今、
母と言うより、その母の向こうにある(愚かさ)が、よくわかる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●急速に変わる韓国人の意識

+++++++++++++++

このところ、韓国人の意識が、
急速に親北化している。

韓国の「Joins風向計」調査に
よれば、71%の韓国人が、
対北経済協力を持続すべきと
答えている。

「北を信頼する」と答えた人も、
50%近くにまで上昇している。

+++++++++++++++

 韓国の「Joins風向計」調査によれば、71%の韓国人が、対北経済協力を持続すべきと
考えていることがわかった。

 韓国中央N報は、つぎのように伝えている。

『昨年6月から調べた結果、「南北経済協力を続けるべきかどうか」については、3
3.8%→58%→71%へと着実に上昇しつづけており、K国関連政策への信頼度
も33.1%→36.7%へと上昇していることがわかった』と。

 わかりやすく言えば、この1年足らずの間に、「経済協力をすべき」と考えている韓
国人が、34%から71%へと、ほぼ倍増したということになる。

 これではいくら世界が、K国への経済制裁を決めても、意味はない。核兵器開発問題
にしても、韓国のN政権は、すでにそれを容認してしまっている。アメリカにしても、
自国が直接の脅威に立たされなければ、OKという立場に変化してしまった。ならば、
何のための6か国協議か、ということになる。

 そこで、もうここまできたら、日本は、韓国イコール、K国と考えたほうがよいのでは
ないか。もちろん日本は、軍事力を使うことは許されない。しかし経済戦争という方法が
ある。その経済戦争で、K国はもちろん、韓国をだまらせる以外、方法はない。

 何とも好戦的な意見に聞こえるかもしれないが、日本はそうでなくても、向こうはその
気でいる。忘れてならないのは、日本がバブル経済崩壊で、地面をのたうち回っていたこ
ろのこと、韓国政府は毎日、(毎日だぞ!)、閣議を開いて、日本の動向をうかがっていた。

 もちろん日本のことを心配して、そうしていたのではない。「日本を太平洋の向こうにた
たき落とすための、絶好の機会」と、それをとらえ、さらなる作戦を練っていた。どうし
てそういう国に、日本は遠慮しているのか。いい子ぶっているのか。少なくとも、日本の
ほうから、韓国を利するような行為だけは、やめたらよい。

 いろいろな意見はあるだろう。しかし今、K国の核ミサイルが、東京めがけて発射準備
段階にあるとしたら、あなたはそれをどう考えるだろうか。それでもあなたは、「友好が大
切」「平和が大切」と、のんきなことを言っておられるだろうか。

 今の日本は、ここを原点として、ものを考えなければならない。
(5月12日記)

【資料】

 北朝鮮のミサイル実験発射が行なわれる前の06年6月20日、ジョインス風向計が行な
った9回目の調査では、

「ミサイル問題と分離して南北経済協力を持続すべき」……33.8%
「ミサイル問題に結び付けて南北経済協力を制限すべき」……51.7%、であった。

それが、07年5月の調査では、

 「経済協力を持続すべき」……71%
「経済協力を中断すべき」……18.4%、となった。

 現政権のK国関連政策について「信頼できる」……36.7%
(とても……3.1%、ある程度……33.5%)で、
昨年の4回目の調査に比べて、3.6%上昇した。
(以上「Joins 風向計」より)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある離婚

+++++++++++++++++

身近な、本当に身近にいる、ある夫婦が、
今、離婚状態にある。離婚したという
わけではないが、離婚を前提とした、
別居状態にある。

年齢は、ともに、59歳。理由はよく
わからない。いろいろあったらしい。
どこかおかしいなとは感じていたが、
しかし夫婦のことは、夫婦しかわから
ない。

私も詳しくは、聞かなかった。

+++++++++++++++++

 身近な、本当に身近にいる、ある夫婦が、今、離婚状態にある。離婚したというわけで
はないが、離婚を前提とした、別居状態にある。

 数日前、そういう連絡を受けた。すぐ電話をしようと思ったが、つらくて、電話をする
ことができなかった。ただメールだけは打っておいた。夫と私は学生時代からの友人で、
もう40年近いつきあいになる。その夫婦と私たち夫婦と、いっしょに旅行したことも、
何度かある。

 そういう積み重ねがあるから、どちらの味方をするとか、そういうことは考えない。そ
っと静かにしておいてやることこそ、大切ではないか。流れとしては、奥さんのほうから
先に、離婚話がもち出されたようだ。

 いろいろ考える。考えるが、こうまで身近な人のこととなると、考えがまとまらない。
以前書いた原稿を、読みなおしてみる。

+++++++++++++

●さらけ出す

 オーストラリア人の家庭へ行ったときのこと。食後、ふと見ると、その家の奥さんが、
だんなさんのひざの上に、抱かれるようにして、もたれかかっていた。が、子どもたち(高
校生の女の子と、私の友人の大学生)は、平気な顔をして、私と、会話をつづけていた。

 今から35年ほど前に見た、光景である。その光景を見て、私がいかに驚いたかは、も
うここに書くまでもない。当時の日本の常識では、考えられない光景であった。今でも、
珍しい。当時ですら、向こうの大学生たちは、大学の構内を歩きながらでも、抱きあった
り、キスをしたりしていた。

 もっとも欧米人が、みな、こうした「さらけ出し」を、平気でしているわけではない。
そのためアメリカなどでは、離婚率の増加とともに、結婚カウンセラーの数が急増してい
るという。こうしたカウンセリングでは、主に夫婦の間の信頼関係の結び方の指導に重点
を置いているという。今、その信頼関係が結べない夫婦がふえている。もちろん、この日
本でも、ふえている。

 結婚したあと、夫婦の会話がない。セックスもない。夫は家事、育児をすべて妻に任せ、
自分は、知らぬ顔。妻は妻で、家庭に閉じ込められ、爆発寸前。夫にせよ、妻にせよ、そ
の原因は、乳幼児期の育てられ方にあるとみる。この時期、子どもは、絶対的に安心でき
る家庭環境の中で、自分をさらけ出すことを学ぶ。自分をさらけ出しても、だいじょうぶ
だという安心感を学ぶ。そしてそれが基本となって、信頼関係の結び方を学ぶ。

 自分をさらけ出すから、信頼関係が結べるということにはならないが、しかしさらけ出
さないことには、結べない。あるがままの自分を、相手にさらけ出す。それはたがいの信
頼関係を結ぶ、大前提ということになる。

 そういう意味では、私が見た、あのオーストラリア人夫婦の光景は、参考になる。反対
に、日本の夫婦だったら、どういう反応を示すかということを考えてみればよい。たとえ
ばあなたたち夫婦は、どうだろうか。

(1)デパートやスーパーでも、平気で手をつないで歩くことができる。
(2)子どもの前でも、平気で抱きあってみせることができる。
(3)客の前でも、平気で、抱きあったり、キスしてみせることができる。

 いろいろなレベルがあるだろうが、日本では、こうした行為を、「はしたない」と否定す
る。しかし「はしたない」とは何か? どうしてそれが悪いことなのか? 私たちも一度、
そういう原点に立ち返って、この問題を考えなおしてみる必要がある。

 なお私のこうした意見に対して、「アメリカのほうが離婚率が高いではないか」と反論す
る人がいる。「日本より、はるかにさらけ出しをしているアメリカ人のほうが、離婚率が高
い。つまり日本の夫婦のほうが、たがいの関係がしっかりしている」と。

 この反論が、いかに欺瞞(ぎまん)に満ちたものかは、あなたが妻の立場にいるなら、
すぐわかるはず。日本の夫婦の離婚率がまだ低いのは、夫婦の関係がそれだけしっかりし
ているからではない。とくに妻側が、がまんしているからにほかならない。いまだに、男
尊女卑の思想は、この日本に根強く残っている。もし日本の妻たちの意識が、アメリカ並
になったら、離婚率は、アメリカの離婚率を、はるかに超える。

 私たちは、夫婦の間だけでも、そして子どもの前でも、もっと自分をさらけ出してもよ
い。言いたいことを言い、したいことをする。夫意識など、くそ食らえ。妻意識など、く
そ食らえ。親の権威など、くそ食らえ。親意識など、くそ食らえ! まずあるがままをさ
らけ出す。他人のばあいは、そうはいかないが、夫婦や、親子の間では、かまわない。そ
れが家族の特権でもある。とくに、つぎのような人は、そうしたらよい。

(1)他人と接していると、気をつかい、精神疲労を起こしやすい。
(2)親だから(夫だから、妻だから)という意識が強く、何かにつけて気負ってしまう。
(3)夫婦の間でも、「それはいけないこと」というようなブレーキが働くことが多い。
(4)友人が少なく、さみしがり屋なのに、友人と良好な関係をつくるのが苦手。
(5)いつも自分をよく見せようと、心のどこかで緊張してしまう。あるいは自分を飾る。

 さあ、あなたも、たった一度しかない人生だから、思う存分、自分をさらけ出して生き
たらよい。あるがままの自分で、あるがままに生きたらよい。だれにも遠慮することはな
い。無理をすることはない。それで相手がダメだというのなら、こちらから相手を蹴飛ば
してやればよい。よい人ぶったりしてはいけない。自分を飾ったり、ごまかしてはいけな
い。

さあ、あなたもあなたの心を取り巻いている、無数のクサリを解き放ってみよう。たっ
た一度しかない人生だから、思う存分、自分の人生を生きてみよう! 英語国では、こ
う言う。「心を解き放て! 体はあとからついてくる!」と。よい言葉だ。
(030214)

●自由が新しい宗教であり、それが全世界に広がることは、まちがいない。(ハイネ「イ
ギリス断片」)
●人は生まれながらにして、自由かつ平等である。(フランス人権宣言)


+++++++++++++

【補足(1)】離婚率

 日本人の離婚率が、欧米より低いことについて、先に、「日本の女性が、それだけがまん
強いからだ」と書いた。それについて補足する前に、世界の離婚率を調べてみた。

離婚率 (人口1000人当たり) 日本   ……2・3人(2001年)
                 アメリカ ……4・1人(2000年)
                 イギリス ……2・6人(2000年)
                 韓国   ……2・5人(2000年)
                 ドイツ  ……2・3人(1999年)
                 フランス ……2・0人(1999年)
                 
                          (総務省統計局)

 この総務省の統計局の数字を見てわかることは、日本はアメリカよりも低いが、しかし
他の欧米諸国と比べてみると、それほど低くはないということ。ドイツと同じで、かつフ
ランスより高い。

 アメリカが高いのは、アメリカが多様な民族による移民国家であるためと考えられる。
たとえばテキサス州では、人口の約40%が、ヒスパニック系と言われている。

 日本の女性ががまん強いというのは、女性自身ががまん強いというよりは、社会制度の
不備、それに古い因習や慣習による拘束が、背景にあるためと考えられる。もしこうした
不備が改善され、日本の女性たちが古い因習や慣習から解放されたら、離婚率は、一挙に
上昇すると考えられる。日本の女性たちは、そういう拘束の中で、「離婚したくても、でき
ない」という事情に苦しんでいる。

 だからといって、離婚率が高くなればよいと私は言っているのではない。しかし無理を
して、結婚の体裁だけを整えている家族も多いのも事実。この日本では、女性が経済的に
自立するのは、むずかしい。とくに離婚した女性が、自立するのは、本当にむずかしい。
そういう事情の中で、多くの女性たちが、離婚したくてもできず、がまんしている。

【補足(2)】家庭は兵舎

 せっかくすぐれた才能をもちながら、「家庭」という「兵舎」に閉じ込められた女性が、
そののち、出産、育児を経験するうちに、その才能を鈍らせるというケースは、きわめて
多い。が、それだけではない。

 こうした才能にめざめた女性たちが感ずる、閉塞(へいそく)感は相当なもので、その
閉塞感が大きければ大きいほど、ストレスも増大する。「家庭が兵舎」という発想は、そう
いうところから生まれる。

 たとえばマンションを購入する。仕事をしている夫にとっては、「家庭」かもしれないが、
妻には、監獄に近い。しかし悲劇は、そういう事実を、夫が理解しないことにある。いく
ら見晴らしがよくても、密閉された箱の中のような世界では、一日を過ごすことはできな
い。精神や肉体に与える影響も大きい。

 たとえば、こんな調査結果がある。

妊婦の流産率は、六階以上では、24%、10階以上では、39%(1〜5階は5〜7%)。
流・死産率でも六階以上では、21%(全体8%)(東海大学医学部逢坂文夫氏)。マン
ションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建
ての居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。 

 マンションなど、高層住宅に住んでいる女性の流産率は、40%もあるという。マタニ
ティーブルーになる女性は、一戸建ての家に住む女性の四倍もあるという!

 実際、私の実践教室は、市の中心部のビルの3階にある。見晴らしは悪くはないが、あ
の閉塞感は、いかんともしがたい。窓の外へは一歩も出られないというだけで、閉じ込め
られた感じがする。そんなわけで、一時間でも休み時間があると、私は近くの書店で、本
を立ち読みして過ごす。設備はいろいろあるので、その気になれば泊まることもできるが、
過去において、一度だった泊まったことがない。

 そういうマンションに閉じ込められた女性にとっては、家庭はまさに、監獄に近いとい
うことになる。夫の発想では、「マンションも買った。……買ってやった。その家庭でのん
びりできるではないか。何が文句があるのか」ということになるが、それは女性たちが感
じる現実とは、かなり違うということ。仮に今の私が妻なら、そういう生活には、一日ど
ころか、半日も耐えられないだろう。

+++++++++++++++++++

 10年ほど前から、「父親の育児参加」が、声だかに叫ばれるようになった。つまりそれ
くらい、日本の父親たちは、育児に無関心。「仕事だけしていれば、一人前」と考える。し
かし育児は、義務ではない。権利である。父親というより、人間としての権利である。反
対に育児が満足できないような職場環境なら、権利侵害で訴えてもよい。

 が、この問題だけは、いくら父親を説得しても、意味はない。先にも書いたように、そ
れは脳のCPUにも関係する、意識の問題だからである。仮に頭で理解しても、いざそれ
をするとなると、父親にとっては、それは苦痛でしかない。かえってストレスがたまると
いうことにもなりかねない。無理に強制することは、できない。

 そこで意識改革ということになるが、先に書いた話に戻ってしまったので、このテーマ
は、また別の日に考えることにする。
(030621)

++++++++++++++++++++++
もう一つ、おまけに……
以前こんな原稿を書いた。中日新聞掲載済み
++++++++++++++++++++++

仕事で家族が犠牲になるとき

●ルービン報道官の退任 

2000年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約3年間、アメリカ国務
省のスポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけ
に、退任を決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。

 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪わ
れた」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(53歳)だ。いわく「東京
から名古屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざま
な苦痛を受けた」と。単身赴任は、6年間も続いた。

●家族がバラバラにされて、何が仕事か!

 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿
題がある」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのた
めにゆがめられた部分も多い。

今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫は、いくら
でもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。「日
本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、
周囲にいた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第2小法廷は、1999年の9月、次のような
判決を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えてい
ない」と。つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何
をか言わんや、である。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言
った。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに
答えてルービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

●落第を喜ぶ親たち

 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、ア
メリカでは学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜ん
で」だ。親はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽
い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに
積もって、それがルービン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本
が世界の標準にたどりつくまでには、まだまだ道は遠い。

++++++++++++++++++++++

みなさん、力をあわせて、日本人の意識改革を進めましょう!

++++++++++++++++++++++

●家庭は少女の監獄であり、婦人の矯正所。(バーナードショー「革命主義者のための格言」)

++++++++++++++++++++++

 夫婦が夫婦であるためには、絶対的な一体化が必要である。「絶対的な」というのは、「疑
いすらもたない」という意味である。

 しかしこの一体化は、一方的なものであってはいけない。よくあるのは、夫だけが、「私
たち夫婦は、一体化している」と思いこむケース。妻の心は、とっくの昔に夫から離れて
しまっている。が、夫は、それに気づいていない……。

 先日、「記憶の棘(いばら)」という映画(DVD)を見た。その映画の中では、夫婦の
心のすれちがいが、伏線として、ひとつのテーマになっていた。

 ……ジョギング中に、夫は、心臓発作か何かで倒れる。妻は、未亡人として、それから
10年近く、亡き夫をしのんで過ごす。映画はここから始まるが、しかしその夫には、心
臓発作か何かで死んだとき、別に、愛人がいた。その愛人とは、妻との離婚を話し合って
いた。知らなかったのは、妻だけだけ……という伏線である。

 「私たちはすばらしい夫婦だった」「私たちは愛し合っていた」と思いこんでいる妻。し
かし肝心の夫は、別のところで、すでに離婚話を進めていた。……というわけである。

 そこで、では、私たちは、どうなのかということ。「私たち」ではなく、「私」はどうな
のかということ。

 ワイフの心の中まで、私はのぞくことはできない。だからひょっとしたら、ワイフも同
じように思っているのかもしれない。今は、夫婦として、私に同調しているフリをしてい
るだけかもしれない。別のところで、離婚の準備をしているかもしれない。

 しかし私は、最近は、それでも構わないと思うようになっている。今まで、ワイフは、
私によくしてくれた。もう、じゅうぶんすぎるほど、じゅうぶんなことをしてくれた。だ
からワイフが、「これからはひとりで生きたい」と言えば、私としては、ワイフにそうさせ
てやりたい。私自身は、ひとりで生きていく自信はないが、それに応ずるしかない。

 だからときどき、私のほうからワイフに、こう言う。「ぼくと、離婚したくないか?」「離
婚したければ、離婚してもいいんだよ」と。

 そのつどワイフは笑いながら、「そんなこと、考えてないわよ」と言う。が、私は、そう
いうワイフを信じていない。本当はどうなのか、私にはわからない。私が反対の立場なら、
つまり私が私のワイフなら、私のような男とは、とっくの昔に離婚していただろう。

 それが自分でもよくわかっている。

 しかし今度ほど、「夫婦も、つきつめれば他人なんだなあ」と、考えさせられたことはな
い。身近な、本当に身近なところにいる夫婦の離婚話だけに、ショックも大きかった。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 離婚 離婚率 日本の離婚率)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(5月9日)

++++++++++++++++

今朝の私の精神状態は、
あまりよくない。

ささいなことで、すぐイラつく。
Ca、Mg不足か?

昨晩は、寝る前に、米はざしを
食べた。そのためだろう。夜中に
のどがカラカラに乾いた。

そのせいか?

ともかくも、こういうときは、
ひとり、静かにしているのがよい。

++++++++++++++++

 精神が緊張状態になると、ささいなことにピリピリと反応するようになる。そういう状
態の中に、不安や心配が入り込むと、その不安や心配を解消しようと、精神は、一気に不
安定になる。

 情緒不安のメカニズムはこうして説明される。

 ……今朝の私は、目をさましたときから、その緊張状態にある。Ca、Mg不足か? 昨
晩は寝る前に、米はざしでできた、ボールを食べた。3個も食べた。そのためだろう。夜
中に、のどがカラカラに乾いた。そのせいかもしれない。

 こういうときというのは、文を書いても、よい文は書けない。何を書いても、イラつく。
そのイラつきが、そのまま文になってしまう。だから本当は、文も書かないほうがよい。
読んでくれる人を、不愉快にするだけ。

 こういうときは、楽しいことを考えよう。


●リス

 家の前には、衛星写真でもはっきりとわかるほどの森がある。その森にリスが移り住む
ようになって、もう10年近くになる。最初のことは餌をまいたりしてやった。しかしリ
スというのは、たいへんな害獣である。

 リスのおかげで、小鳥たちが巣を作らなくなった。今のところ「害」といても、その程
度だが、リスというのは、シッポの大きなネズミと思えばよい。

 そのリスが、朝早くから、キュ、キュ、キュと小刻みに鳴く。今も鳴いている。そのリ
スについて、こんなエッセーを書いたことがある。日付をみると、02年の9月とある。
この原稿を書いてから、もう5年もなる!

+++++++++++++++

●カラスとリス

 私の家の庭は、不思議な庭で、浜松市内からそれほど遠くないところにあるのに、さま
ざまな動物が住んでいる。何種類かの野鳥のほか、イタチやリス、ハクビシンやタヌキな
ど。ときどき、サルやアライグマもやってくる。ホント! 

 その中のリス。リスが私の家の庭に住み始めたのは、ここ数年のこと。ワイフは最初、
それを喜んだ。リスがやってくるたびに、「リスよ、リスよ」と。こうした動物のほとんど
は、もともと人間に飼われていたのが、逃げたとか、捨てられたとか、そういうものらし
い。種類はわからないが、結構大型のリスで、体長は、体だけで(尾の長さは別として)、
30センチくらいはある。ときどき、つがいで来たり、子ども(?)だけで来たりした。
私たちは、いつしか、そのリスにエサを与えるようになっていた。

 一方、カラスもよく来る。家の前には、このあたりでも最大級のシイの木がある。もと
もと何百年もつづいた旧家の墓地があったところだ。が、このカラスはうるさい。ゴミの
収集日を覚えていて、その日の朝になると、まだ暗いうちから、5、6羽単位でやってき
て、カーカーと鳴く。それで私は、カラスが嫌いだった。が、カラスを嫌う、本当に理由
は、もうひとつある。

 私の庭には、いつも野鳥がいる。キジバト、ヒヨドリ、ツグミなど。ときどき、コジュ
ケイもやってくる。フクロウもやってくる。その季節になると、モズやメジロ、ほかに文
鳥によく似た鳥など。私自身も、庭に鳥小屋をつくり、多いときは、その中で、10羽以
上の小鳥やハトを飼ったことがある。が、ヘビやネコに襲われることが重なり、それで小
屋で飼うのをやめてしまった。で、そういう習慣が残っているのか、野鳥にエサを用意す
るのが、いつのまにか、私の日課のようになってしまった。カラスは、そういう野鳥の、
天敵である。

 が、あるときから、一羽のカラスが、私の庭に住みつくようになった。子どものカラス
かと思えるような、小さなカラスだった。鳴くこともなかったので、私はしばらく様子を
みることにした。いや、内心では、いつか追い出してやろうと思っていたが、それが1か
月、2か月となるうちに、そのカラスがいることには、慣れてしまった。いつ見ても、松
の木の小枝にとまっていて、ときおり庭へおりてきた。カラスのほうから、私たちに近づ
いてきたというのか、そのうち、私たちが庭にいても、すぐそばで平気でエサを食べたり
していた。ハトのためにまいたエサだった。

 一方、最初は歓迎したリスだが、そのリスが庭に住みつくようになると、野鳥の数がめ
っきりと減った。が、そのときはまだ、リスが野鳥の巣を荒らすということは知らなかっ
た。たしかにリスは、木登りがうまい。細い小枝でもスルスルと登って、そこからつぎの
木へ、ひょいと飛び移る。みごとなものだ。

しかし野鳥の巣を荒らすとわかってからは、それはずっとあとになってからのことだが、
見方が変わった。それまではかわいいと思っていたリスだが、どこか大きなネズミに思
えてきた。確かにリスは、尾のついたネズミと考えたほうがよい。畑を荒らすというこ
とも考えるなら、ネズミよりも、タチが悪いかもしれない。私たちはそのうち、エサを
出すのをやめた。

 どうこうしている間にも、カラス、……私たちは「ハグレガラス」という名前をつけて
いたが、そのカラスは、ますます私たちに近づいてきた。しかしそれまでの習慣というか、
先入観というか、私たちはどうしてもそのカラスが好きになれなかった。庭で視線があう
たびに、「シーシー」と追い払った。しかしあのカラスというのは、本当に頭がよい。私た
ちの攻撃の範囲外スレスレのところにいて、好き勝手なことをしていた。そしてその頭の
よい分だけ、ほかの野鳥にはない、「つながり」ができた。もし餌づけをしようと思えば、
いくらでもできただろう。私の手から直接、エサを食べることだって、したかもしれない。
が、私はどうしても、そのカラスが好きになれなかった。実のところ、そのときは、野鳥
の数が減ったのは、リスではなく、カラスのせいだと思っていた。

 そこである日のこと。暑くなり始めた初夏のころだと思う。近くのコンビニに行くと、
小さな袋に入ったロケット花火を売っていた。私は一袋、買った。カラスを追い払ってや
ろうと考えた。が、その日はなかなか、こなかった。集団でやってくるカラスと違い、そ
のハグレガラスは、静かなカラスだった。それに先にも書いたように、体が小さかった。
同情はしなかったが、職業がら、小さいカラスを攻撃するのは、気がひけた。が、ある日、
そのときはやってきた。

ヒヨドリのために置いたパン屑を、そのカラスが食べていたのだ。「道理でヒヨドリが来
なくなったはずだ」と思ったとたん、怒りが充満してきた。私はビンに花火を入れると、
ライターで、それに火をつけた。カラスは、私のほうを見ていたが、どこか親しげな目
つきだった。「やめようか」と思ったが、もう間にあわなかった。花火は勢いよく、ビン
を離れた。

 リスのほうはあい変わらず、私の庭へやってきていた。そして、いつの間にか、ワイフ
が植えた、ポポーやクルミの実を食べ始めた。フェイジョアや柿も全滅状態になった。「リ
スというのは、たいへんな害獣」と気がついたときには、遅かった。そのころには、すっ
かり庭の住人になっていた。「追い払うといっても、方法がないからね」と、ワイフが不平
を言うようになった。「そうだ、あいつは木登りをするネズミだ」と、私。花火を使うこと
も考えたが、そうすれば、野鳥も逃げてしまう。木の実だけではない。野鳥の巣を襲う!
 そのころやっと、テレビで報道されて、それを知るところとなった。

 花火はカラスめがけて、一直線に飛んでいった。そしてカラスを飛び越えたその先で、
パンと爆発した。カラスは、一瞬何がなんだかわからないといった様子を見せたが、どこ
かおもむろに、飛びあがった。私はカラスを追いかけた。カラスは、電線に止まった。と、
そのとき、また視線があった。私に背中を向けていたが、カラスは、じっとそのままの姿
勢で私を見つめた。私も見つめた。時間にすれば、10秒前後のことだったかもしれない
が、私には長い時間に思えた。カラスは、「どうして、そんなことをするのか?」という表
情を見せた。どこか、さみしそうな目つきだった。が、私が大きく手を振ると、そのカラ
スは再びおもむろに飛び去っていった。

 リスのほうは、食べるものがなくなり、エサも与えなくなってからは、姿を見ることが
ほとんどなくなった。「ドングリが落ちればまたくるわね」とワイフは笑っているが、それ
までにはまだ少し間がある。またカラスのほうは、つまりあのハグレガラスは、それから
は姿を見せなくなった。が、どういうわけだか、今、私はとんでもないまちがいをしたの
ではないかという気持ちに、さいなまれている。リスにエサをあげたのは、ともかくも、
その反対の立場で、あのハグレガラスに花火を放ったことを、だ。思い出してみると、実
に、親しげなカラスだった。この20年間で、庭にやってくる動物や野鳥の中で、唯一私
たちに心を許した動物だったかもしれない。私は、その「つながり」をみすみす、自分で
つぶしてしまった。

 今もときどき、庭を見る。見ながらあのカラスをさがす。いつもいたのは、松の木の上
だったが、それ以後、その枝にハグレガラスを見たことはない。ただ心の中では、「たとえ
やってきても、前のようには近くまではこないだろうな」と思う。あるいは「一度、破壊
された関係は、もう戻らないだろうな」と思う。そう思いながら、その松の木を見る。そ
してそのたびに、私という人間の、きわめて身勝手な気まぐれを、つくづくと思い知らさ
れる。
(02−9−28)

+++++++++++++++

このエッセーの中で、私は、「イタチやリス、ハクビシンやタヌキなど。ときどき、サル
やアライグマも来る」と書いた。たった5年前のことである。

 しかしここ数年、リス以外は、見かけなくなった。このあたりも、空き地がほとんどな
くなった。そのせいかもしれない。そのうちリスもいなくなるかもしれない。そう考える
と、何だかさみしい気もする。

+++++++++++++++

●気分

少し気分をもちなおしたところで、
改めて、今朝の雑感。

……このところ新しいパソコンの設定などに
追われて、ほとんど原稿を書いていない。
書きたいテーマはいくつかあるが、
どれも小さな問題ばかり。考えていても、
頭がいっこうに熱くならない。

「どうでもいいや」という投げやりな
気持ちも強い。こういうときはワイフと
散歩に行くのがよい。が、あいにくと今朝は、
そのワイフがいない。

クラブに出かけている。
私はこうして、ひとりで、パソコンに
向かっている。
Bista・Ultimate搭載の
ものすごいパソコンである。

たしかにすごい。以前のXpより、数段、
進歩した感じがする。使えば使うほど、
その思いを強くする。

で、まず補足しておきたいのが、韓国の「東海
(トンヘ)」問題。

韓国の新聞は、連日、この「東海」問題
をとりあげている。

彼らの言い分は、こうだ。

「日本海は、2000年も前から『東海』と
呼ばれていた。アジア大陸の東にあるから
そう呼ばれていた。だから日本海は、東海
であるべき」と。

何度も書くが、韓国にとっては東海かもしれ
ないが、日本にとっては、東海ではない。
北海である

さらに韓国では、東シナ海を「西海」と呼んで
いる。ならばどうして東シナ海も、「西海」と
呼ぶ運動を、いっしょに起こさないのか。
東シナ海は、東シナ海のままでよいのか。

だいたい2000年も前から……という話が、
あやしい。いくら韓国ではそうであっても、
それは日本の話ではない。「アジア大陸の東」と
いうが、アジア大陸の東にある海は、日本海では
なく、太平洋である。

だったら、太平洋を、東海と呼べばよい。

ともかくも、どこからどう考えても、
韓国側の言い分は、おかしい。

前にも書いたが、『坊主憎ければ、袈裟まで
憎い』ということか? 韓国の人の意見を
聞くときは、どこからどこまでが感情論かと
いうことを、慎重に見極める必要がある。
彼らと議論していると、その感情論が、
ウズのようになって、いたるところに
入り込んでくる。

教科書検定問題、首相のY神社参拝問題、
慰安婦問題などなど。今回の「東海」問題も、
そうした大きなウズの中にある。

ともかくも、韓国も日本、日本と、いつまでも
日本にこだわらないで、もう少し広い視野で世界を
見たらよい。

……とうことで、少しイライラが解消した。

皆さん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●モバイル人間

+++++++++++++++

携帯電話を手放せない人は多い。
そういう現象は、若い人たちだけの
ものかと思っていたら、結構、年配の
人でも、そういう人がいる。
それを知り、驚いた。

私が知っているのは、50歳近い女性だが、
携帯電話を家に忘れた日は、仕事をサボってでも、
それを取りに帰るという。

「携帯電話がないと、不安でならない」、
ということらしい。

+++++++++++++++

 携帯電話を中心に、携帯電話でつながる世界を、「モバイル空間」と呼ぶ。そしてそのモ
バイル空間で、いつも携帯電話を手放せない人を、モバイル人間と呼ぶ。いくつかの特徴
がある。その中でも、もっとも重要なのが、「今」の共有。

 携帯電話を手放せない人たちは、いつも、こういうやりとりをしている。「今、どこにい
る?」「今、何をしている?」「今、どう思っている?」と。過去や未来の話ではない。い
つも、「今」を話題にする。「今」の話をする。

 つまりそういう形で、「今」を共有する。と、同時に、自分の「今」を、相手に共有させ
る。こうして自分と相手の「今」を、つなぐ。

 ……という話は、常識で、ここでは、その先を考えてみたい。

 携帯電話が現れる前までは、通信手段と言えば、固定電話と手紙しかなかった。固定電
話というのは、家の中のどこかに固定してある電話機をいう。

 だから他人とコミュニケーションを取るといっても、今から思うと、恐ろしく時間がか
かった。お金もかかった。相手が外国に住んでいたりすると、手紙だと、航空便でも、往
復2週間。電話代も高かった。1970年当時、オーストラリアへ電話をすると、5〜1
0分話しただけで、1000〜2000円ほどかかったように記憶している。今の貨幣価
値に換算すると、5000前後くらいか?

 それが今では、瞬時、瞬時に、ことが進む。インターネットがそれに拍車をかけた。

 こうした時代の変化の中で、私たちがもつ意識も、確実に変わりつつある。思いつくま
まで恐縮だが、それを並べてみる。

(1)短絡性(深く、時間をかけて考えることができない。)
(2)大量性(一度にたくさんの友人と連絡を取りあう。)
(3)速効性(今の問題は、今、解決しようとする。)

 こうした意識の変化の中で、(4)言葉そのものが変質しつつある。モバイル用語という
のがあって、モバイル世界では、モバイルの世界でしか通用しない、独特の言い回しがあ
る。

 さらに(5)新種の孤独感、疎外感が生まれつつある。モバイル世界そのものが、ある
種の共同体を形成し、その共同体から疎外されることによって生まれる、孤独感や疎外感
である。

 携帯電話がない時代には、人間と人間の間には、(時間)というクッションがあった。そ
のクッションのおかげで、自分を見つめなおすことができた。反対に、相手との関係を調
整することもできた。

 が、今は、携帯電話を使って、人間が、(群れ)となって集団行動を繰り返している。言
うなれば、太古の昔、人間がまだ魚だったころの群れ意識を、(多分?)、携帯電話によっ
て、呼び覚まされたということになるのか。わかりやすく言えば、人間は携帯電話により、
再び「個」を喪失しつつある。

 「今」を共有できる人間どうしが集まって、群れをつくる。同じ行動をし、同じことを
考える。そして同時に、その群れに入らないものを、差別し、排斥する。が、同時に、自
分がその群れからはずれされることを恐れる。それがここでいう新種の孤独感と疎外感を
生み出す。

 私の知人の中には、携帯電話を家に忘れると、仕事をサボってまで、それを取りに帰る
女性がいる。20代や30代の若い人ではない。今年、その女性は、50歳くらいになる。
その女性も、こう言う。

「携帯電話がないと、不安でならない」と。

 理由を聞いても、それがよくわからない。「どうして?」と聞くと、「とにかく、不安に
なる」と。

 たかが通信手段ではないのか? 携帯電話がなければ、固定電話機をさがせばよい。あ
るいはその前に、それほどまでに緊急な用事というのは、そうはない。その通信手段が、
本来の通信手段というワクを超えて、人間の心理にも大きな影響を与えつつある。

 大切なことは、仮に携帯電話をもち歩くとしても、それがもつ弊害を理解しながら使う
ということ。決して、「群れ意識」の中で、自分を見失ってはいけない。自分という「個」
を見失ってはいけない。

 さらに言えば、表面的な情報に操られるまま、操られてはいけない。

 そこで、(6)として、つぎのことを書き足す。

 個の喪失と、思考の浅薄化、と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
モバイル世界 モバイル人間)


Hiroshi Hayashi++++++++May 07++++++++++はやし浩司

●作られる老人

+++++++++++++++

老人は、自ら老人になるのではなく、
周囲の人たちによって、老人に
仕立てられていく。

そのプロセスは、発達心理学でいう
役割形成にたいへんよく似ている。

たとえば男児は、いつの間にか
男児らしくになっていく。女児は、
いつの間にか女児らしくなっていく。

同じように、加齢とともに、
老人は、いつの間にか、老人らしく
なっていく。

ああ、いやだ!

+++++++++++++++

 いくら抵抗しても、それは打ち寄せる波のように、やってくる。やってきて、私を老人
に仕立てていく。

 最初は、それなりに抵抗する。「私は老人ではない!」と。しかし打ち寄せる波には勝て
ない。そのうち抵抗するのもめんどうになり、あきらめる。受け入れる。

 で、私は4、5年前から、自分の年齢をごまかすようになった。本当の年齢から、10
歳引いた年齢を、自分の年齢にしていた。が、世の人たちは、そういうごまかしを見過ご
してはくれない。私が「45歳です」とでも言おうものなら、すかさず、「そんなはずはな
いでしょう」と、言い返してくる。

 どうしてだろう? よほど寛大な人でも、他人の年齢には、うるさい。ウソを許してく
れない。つまりこうしてそのつど、私は、自分の年齢を思い知らされる。

 が、これは何も、他人だけの責任ではない。今朝、ワイフとこんな会話をした。ワイフ
がこう言った。「私の知っている人で、若いのに、脳梗塞になった人がいる」と。

私「いくつ?」
ワ「43歳だってエ」
私「43歳? ……そんな若さでエ?」と。

 わかるだろうか? 私自身が無意識のうちにも、43歳という年齢を、「若い」と表現し
ている。おそらく、20代、30代の人たちから見れば、43歳の人というのは、オジン、
あるいはオバンに見えるだろう。私も、20代、30代のころは、そう思っていた。

 しかし私は、43歳の人を若いと言う。言いながら、私は自分自身を、老人の世界に押
し込んでいる。「私は私」と思っていたが、その私が知らぬ間に、自分自身を老人に仕立て
ている。この現象は、子どもたちが見せる、「役割形成」という現象に、たいへんよく似て
いる。

 たとえば男児は、とくに何かを教えたというわけでもないのに、成長とともに、やがて
男児らしくなっていく。女児は、やがて女児らしくなっていく。その子どもを包む、周囲
の環境が、男児を男児らしくし、女児を女児らしくしていく。そして最終的には、男児は
男児としての役割をもち、女児は女児としての役割をもつようになる。

 これを「役割形成」という。

 同じように今、私は、自ら、老人らしくなりつつある。それにはいくつか理由がある。

 私の周囲の同年齢の人たちにしても、そのほとんどが、リストラや退職で、現役を退き
つつある。病気になったり、離婚した人も多い。すでに亡くなった人もいる。そういう人
たちの様子を見聞きしていると、「私だけはちがう」と思いたくても、思えなくなる。「明
日は我が身かな」となる。

 それはものすごいパワーと言ってもよい。たとえて言うなら、大きな海流の中で、ひと
り、泳ぐようなもの。情け容赦なく襲いかかってきては、私の中の(私)を押しつぶして
しまう。

私「じゃあ、どうしたらいいのかねエ?」
ワ「簡単よ」
私「……?」
ワ「あのね、そういうジジ臭い人たちとは、付きあわなければいいのよ」と。

 ナルホド!

私「しかしね、まわりの人たちは、みな、そういう目でぼくを見るよ」
ワ「どんな目?」
私「生徒たちですら、『先生は、もうすぐ定年退職するの?』と聞くよ」
ワ「いやア〜ネ〜」
私「本当にいやになるよ。きっと家の中では、親とそんな話ばかりしているんだろうね」
と。

 しかし、ここで負けるわけにはいかない。私は闘う。どこまでも闘う。私は、まだ老人
になるわけにはいかない。役割形成など、クソ食らえ! だれが老人らしくなんか、なっ
てやるかア!

 ……と力んだところで、この話はおしまい。今日も、それは打ち寄せる波のように、や
ってくる。やってきて、私を容赦なく、老人に仕立てていく。

【付記】老齢期の統合性

 何度も書いてきましたが、結局は、この問題に行き着きます。つまり「老齢期の統合性」
の問題です。

 いかにすれば私たちは、老齢期を迎えたとき、(自分のすべきこと)を自覚し、それに向
かって自分を一致させることができるか。(すべきこと)と(していること)が、統合して
いる人は、心豊かで、充実した老後を送ることができる。そうでない人は、そうでない。
つまり、統合性を確立しているかどうかで、自分の老齢期のあり方が決まります。

 その統合性がないと、それこそ本当につまらない老後を送ることになってしまいます。
することといえば、孫の世話と、庭いじりだけ……。そんな老後です。何としても、そう
いう老後だけは避けたいですね。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●荷おろし症候群

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目的の学校(中学、高校)に無事、
入学をはたしたとたん、勉強面で、
無気力になってしまう子どもは、
多い。

勉強面なら勉強面だけで無気力に
なるという点で、いわゆる燃え尽き症候群
(バーント・アウト)とは区別される。

称して、「荷おろし症候群」。

今、そういう子どもがふえている。
程度の差もあるが、たとえば中学
入学の段階で、約20%前後の子ども
がそうなる。

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 受験という緊張感から解放されたとたん、勉強面なら勉強面だけで、無気力になってし
まう子どもがいる。ほかの遊びや、クラブ活動のほうは、それなりにがんばる。しかし「勉
強」となっただけで、それから逃げてしまう。やる気を示さない。

 ちょうど荷物をおろしたような状態、つまりそのとたん、疲れがドッと出て、その場で
へたりこんでしまうような症状に似ているところから、「荷おろし症候群」と呼ぶ。特徴と
しては、つぎのようなものがある。

(1)虚脱感(目的を見失う。目的がもてない。)
(2)無気力感(やる気が起きない。)
(3)倦怠感(ぼんやりと、無益に時間をつぶす。)
(4)疲労感(何をしても、疲れる。)
(5)集中力欠如(集中力がつづかない。)
(6)現実逃避性(現実から逃避しようとする。)

 もともと勉強に対して、受動的だった子どもほど、そうなりやすい。親に言われて、勉
強した子どもや、受験塾などで、脅されながら勉強した子どもなど。程度の差もあるが、
全体的にみると、たとえば中学に入学した段階で、約20%前後の子どもが、そうなる。
あるいはもっと多いかもしれない。

 が、表面的には、それほど変わらない。それだけに、家族の人も、それに気がつくとい
うことがない。「うちの子はだいじょうぶ」と考えて、見過ごしてしまう。また先にも書い
たように、勉強面だけで無気力になるという点で、燃え尽き症候群(バーント・アウト)
とは、区別される。

 しかし決して、軽く考えてはいけない。荷おろし症候群にしても、脳の機能そのものが
変調して起こると考える。重いばあいには、そのまま燃え尽き症候群へと進んでしまうこ
ともある。

 ではどうするか……という問題よりも、ここでは、ではどうすれば、こうした子どもの
問題を防ぐことができるかということを考えてみたい。

 ほとんどの親は、(おそらく、あなた自身も)、「いい学校へ子どもを入学させるのは、子
どものため」と考えている。しかしこれがとんでもない誤解! そのことは、自己同一性
の視点から考えてもわかる。

 子どもが何かの(目的)をもって、その(目的)に向かって努力することは、大切なこ
とである。たとえば「ケーキ屋さんになりたい」と思って、お菓子作りの勉強をする、な
ど。

 このばあいは、(自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致している。

 しかし「いい学校へ入る」というのは、ここでいう(目的)ではない。私は「擬似目的」
と呼んでいる。言うなれば、魚を釣るときの、ルアー(擬餌)のようなもの。目的の学校
に入学したとたん、その目的を見失ってしまう。「入学したからどうなの?」という部分が、
ない。ないから、入学したとたん、目的を見失ってしまう。

 しかもたいていの子どもは、受験塾などで、受験勉強を繰りかえしている。そこは「成
績」という数字だけの世界。その数字に脅されて勉強を強いられる。もし反対に、そうい
う世界が楽しいと言う子どもがいたら、その子どもの人間性を疑ってみたほうがよい。

 まともな子どもほど、そういう世界になじまない。なじまないまま、受験競争を強いら
れる。そしてこういう状態が、1年とか2年もつづく。荷おろし症候群というのは、まさ
にその結果として起こる。

 ではどうするか?

 子どもには子どもの能力とリズムがある。その能力とリズムを、的確に見分け、知る。
すべてはここから始まる。それを無視して、「うちの子はやればできすはず」「うちの子は、
こんなはずはない」と、子どもをたきつけても、意味はない。

 以前、私は『伸びたバネは、縮む』という格言を考えた。子どもの能力というのは、ま
さにそうで、無理をして引っ張っても、力を抜いたとたん、もとに戻ってしまう。仮にそ
れで中学受験はうまくいったとしても、今度は、高校や大学受験でつまづく。その時点で、
ここでいう荷おろし症候群を示したり、ばあいによっては、燃え尽き症候群を示したりす
るようになる。

 子どもの能力を競馬にたとえるのは、不謹慎なことかもしれないが、それは、第1レー
スと第2レースで勝っても、第3レースで、あり金すべてを失ってしまうようなもの。要
するに、無理をしても意味はない。

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以前、何度もこのテーマについて
は書いてきました。

それらの原稿を添付します。

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●燃え尽き症候群と、荷おろし症候群

 ふと、今、燃え尽き症候群と、荷おろし症候群は、どこがどうちがうか、それを考えた。

 燃え尽き症候群の最大の特徴は、無気力感と脱力感。しかし荷おろし症候群の最大の特
徴は、目的の喪失である。症状としては、よく似ているが、(実際には、区別できないが…
…)、中身はちがう。

 たとえば(明日のジョー)は、がんばりすぎて、そのあと、燃え尽きてしまった。(明日
のジョー)は、燃え尽き症候群の典型例として、よく話題になる。

 しかし荷おろし症候群のばあいは、目的そのものをなくす。何かの目的を果たしたあと、
いわば、宙ぶらりんの状態になる。まったくの無気力状態になるわけではない。ただ、心
に大きなすき間ができるため、誘惑などにもろくなる。

 こうした現象は、大学生を見ていると、よくわかる。

 猛勉強に、猛勉強を重ね、有名一流大学に入学したあと、燃え尽きてしまう学生もいれ
ば、燃え尽きはしないが、何をしてよいかわからず、遊びまくる学生もいる。後者が、荷
おろし症候群の学生ということになる。

 こんな定義をしても、実際には、あまり役にたたないが、今、ふと、そんなことを考え
た。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●外発的動機づけ

 無理、強制、条件、比較は、確実に、子どもから、やる気を奪う。一時的には効果があ
っても、あくまでも一時的。

 このように、外部から、子どもを脅したり、条件をつけたりして、子どもにやる気を引
き出す方法を、外発的動機づけという。

 子どもに、本当にやる気を出せせるためには、子ども自身の中から、そのやる気を引き
出さねばならない。

 このように、子ども自身が、自分でやる気を起こすことを、内発的動機づけという。

 子どもからやる気を引き出すためには、子ども自身を、その気にさせねばならない。イ
ギリスの格言にも、『馬を水場につれて行くことはできても、水を飲ませることはできない』
というのがある。最終的に、やる・やらないと決めるのは、子ども自身ということになる。

 ……と、いろいろな説があるが、やる気の問題は、私たち自身の問題でもある。

 子育てをしていても、がんばれるときと、がんばれないときがある。たとえば子どもが、
何かのことで懸命になっている姿を見ると、親の私たちも、がんばろうという気持ちにな
る。

 しかし何もせず、ぐうたらしている子どもを見ると、やる気も、消える。「どうして、親
の私が、子どものためにがんばらなくては、いけないのか」と。

 こうした心理は、子どもも、同じ。そこで、どうすれば、子どものやる気を引き出すこ
とができるかということになる。

  大脳生理学の分野でも、子どものやる気は、大脳辺縁系の中の、帯状回がコントロー
ルしているという説もある(伊東正男氏、新井康允氏ほか)。この部分が、大脳からほどよ
い信号を受け取ると、やる気を引き起こすという。もう少し具体的には、帯状回が、モル
ヒネ様の物質を放出し、それが脳内に、心地よさを引き起こすということか。つまり、大
脳からのほどよい信号こそが、子どものやる気を決めるというわけである。

 この説に従えば、子どもからやる気を引き出すためには、子どもが何かをしたら、何ら
かの心地よさを、子ども自身が感じるようにすればよいということになる。

 その一つが、達成感ということになる。達成満足感と言いかえても、よい。「やったア!」
「できたア!」という喜びが、子どものやる気を引き出す。つまりは、そういう喜びを、
いつも子どもが感じるように指導する。

 方法として、つぎのことに注意したらよい。


●成功率(達成率)は50%

子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたの
では、子どもも楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、
その目安は、50%。その50%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そし
ていつも、何かのレッスンの終わりには、「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばらし
い」と言って、ほめて仕あげる。


●無理、強制

無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上
の効果はない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。
ばあいによっては、燃え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわ
けで、『伸びたバネは、必ず縮む』と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれば、
プラスマイナス・ゼロになるということ。


●条件、比較

「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」というの
が条件。「A君は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学校で
一番だったのよ」というのが、比較ということになる。条件や比較は、子どもからやる気
を奪うだけではなく、子どもの心を卑屈にする。日常化すれば、「私は私」という生き方す
らできなくなってしまう。子どもの問題というよりは、親自身の問題として、考えたらよ
い。(内発的動機づけ)


●方向性は図書館で

どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れ
ていき、一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってく
る。それがその子どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポ
ーツに強い関心をもっていることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、
子どもを指導し、伸ばす。(役割形成)


●神経症(心身症)に注意

心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるように
なる。「何か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知ら
れた例としては、チック、吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿などが
ある。日常的に、抑圧感や欲求不満を覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こうし
た症状が見られたら、(親は、子どもをなおそうとするが)、まず親自身の育児姿勢と、子
育てのあり方を猛省する。


●負担は、少しずつ減らす

子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、す
べて取り払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極端
な変化は、かえって症状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、1、
2か月をかけて減らすのがよい。そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そうする
ことによって、あとあと、子どもの立ちなおりが、用意になる。


●荷おろし症候群

何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や
大学に進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボー
ッとしているだけ。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、
10〜15%の子どもに、そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が少
なく、人に言われていやいや勉強した子どもに多い」(渋谷昌三氏)と。


●回復は1年単位

一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短いほ
うだが……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。そ
の無理が、かえって症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状はどう
か?」「去年とくらべて、症状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単位の変
化に、決して、一喜一憂しないこと。心の病気というのは、そういうもの。


●前向きの暗示を大切に

子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしくな
る」「来年は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものやる気
を引き起こす。ある家庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。そ
の秘訣は、母親にあった。母親はいつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あんたも、
お兄ちゃんの服が着られるようになったわね」と。「明日は、もっといいことがある」とい
う思いが、子どもを前にひっぱっていく。


●未来をおどさない

今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになること
に、ある種の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感
を覚えることもある。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切
そうにそれをもっているなど。話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未
来を脅さない。


●子どもを伸ばす、三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
外発的動機付け 外発的動機づけ 内発的動機付け 内発的動機づけ 荷おろし症候群 
荷下し症候群)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●損

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心が広いかどうかは、
「損」に対する、寛大さで決まる。

「損」に対して、寛大な人を、
心の広い人といい、そうでない人を、
心の狭い人という。

言いかえると、人は、損に損を重ねることで、
心を広くすることができる。

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 人生、最大の「損」は、言うまでもなく、「死」である。人は、その死によって、すべて
を奪われる。失う。名誉も地位も、そして財産も!

 ところでその人の心が広いかどうかは、「損」に対する寛大さで決まる。損に対して寛大
な人を、心の広い人といい、そうでない人を、心の狭い人という。

 いいかえると人は、損に損を重ねることで、自分の心を広くすることができる。そのこ
とは、反対に、そうでない人を見ればわかる。俗にいう「ケチな人」というのが、それで
ある。

が、ここで誤解してはいけないのは、「ケチな人」というときは、何も、お金(マネー)
だけの問題ではないということ。先日、介護の会に出たとき、こんな話をした女性(6
0歳くらい)がいた。その女性もまた、今年85歳になる母親の介護を、自宅でしてい
るという。

 その女性には、一人、妹がいるの。が、その妹は、母親の介護を、まったく分担しよう
としないという。費用分担はもちろんのこと、ときどき世話を頼むのだが、そのつどあれ
これ口実をつくっては、それから逃げてしまうという。

 「妹は、自分の時間が取られたり、自分の生活のリズムが崩されるのがいやみたいです」
と。

 ここでいうケチな人というのは、生活に対する姿勢が、防衛的な人のことをいう。もの
の考え方が、利己的で、かつ自己中心的。もちろん他人のためには、ほとんど何もしない。
いや、することはあるが、たいていは自分をよく見せるための仮面。たとえば町内で祭り
の世話などは、よくするが、それもどこか打算的。その女性は、そう言った。

 そこで「損」、ということになる。

 もちろん、だれしも損はしたくない。お金はもちろんのこと、時間にしてもそうだ。さ
らに苦労もしたくない。しかし損というのは、自動車のハンドルの(遊び)のようなもの。
(遊び)があるから、自動車を運転することができる。(遊び)がなかったら、運転するこ
とはできない。

 たとえばあなたの近くに、こんな人がいたとしよう。男でも、女でもよい。その人は、
一日中、家の中にいて、自分の好きなことをしている。庭いじりに、家庭菜園。人と会う
こともしないし、町内のつきあいもしない。もちろん訪れる人もいない。

 近所の子どもが庭へ入ってきただけで、それを不愉快に思う。だから、塀の外に、もう
一本、別の柵をつくる。が、それだけではない。

 その人は、道路に落ちているゴミひとつ、拾おうとしない。となりに空地があり、その
季節になると雑草が生い茂る。それについても、逐一(ちくいち)、市役所に苦情を申し立
てたりする。あるいは自分の家の前の道路に、だれかが自動車を駐車したりすると、すぐ
パトカーを呼ぶ、などなど。

 あなたの周囲にも、ひょっとしたら、そういう人がいるかもしれない。しかしそういう
人を、だれも心の広い人だとは、思わない。心の狭い人という。

 しかしそこの「死」を感ずるようになると、ものの見方が一変する。「生」というのは、
たとえて言うなら、光り輝く白い世界。が、その光り輝く白い世界だけに住んでいると、
その(輝き)がわからなくなる。

 その(輝き)は、(死)という暗黒の世界をうしろにおいたとき、それがわかる。闇の世
界があるからこそ、光の世界に輪郭(りんかく)ができる。闇の世界がなければ、影すら、
できない。冒頭に書いたように、人生、最大の「損」は、言うまでもなく、「死」である。
「損」という言い方に語弊があるなら、こう言いかえてもよい。

 やがて襲い来る「死」という「損」の前で、何が、「損」なのか、と。つまり私たちが生
きている間は、その生きていることにまさる価値はない。「損」、そのものが存在しない。

 だから「損」を考えるほうが、おかしい……ということになる。わかりやすく言えば、
あなたの身のまわりのものすべて、そして身近にいる人すべてが、あなたに何かを教える
ためにそこにあり、そこにいる。そこであなたがすべきことは、己(おのれ)の中の善の
心に耳を傾けて、それに従っていきるということ。

 あとのことは、あとに任せればよい。(生きている)ことを無限の価値とするなら、あな
たが「損」と考えるようなことは、その一部にもならない。ゴミのようなもの。そんなゴ
ミに左右されて、迷ったり、悩んだりするほうが、おかしい。気分をクシャクシャさせる
ほうが、おかしい。

 もちろん自ら損をすることはない。大切なことは、心のどこかで「損」を感じたら、そ
のときこそ、あなたはつぎのステップへの階段を昇るときだと思えばよい。つまりそのと
き、「いやだ」と思えば、あなたはいつまでも凡人のまま。しかし笑って過ごせれば、あな
たはすでにそのとき、つぎのステップに昇ったことを意味する。

 私も、過去において、とくに金銭的な意味では、損ばかりしてきた。取られることはあ
っても、もらったことは、ほとんど、ない。ワイフの父親が亡くなったとき、遺産(?)
として、現金10万円をもらった。あとにも先にも、人からお金をもらったのは、そのと
きだけ。

 しかし私はあるとき、こう考えた。

 「健康で今まで、生きてきた。それにまさる価値はない」と。とたん、気が晴れた。ス
ーッとした。大切なことは、いつまでも前向きに、光り輝く白い世界に向かって生きるこ
と。「損」だとか、「得」だとか、そんなことを考えるほうが、おかしい。そんなヒマがあ
ったら、とにかく足を前に一歩、踏み出すこと。

 繰りかえすが、あとのことはあとに任せればよい。

【付記】

 どうしても話は、介護のことになってしまう。たしかに家の中に、老人がいると、自分
の行動が制約される。私のばあいも、母と同居するようになって、1泊旅行というのが、
ほとんどできなくなった。

 もっとも、それができなくなったというわけではない。ケア・マネージャーの人に頼め
ば、あれこれと骨を折ってくれる。ケア・センターのほうで、母を預かってくれる。

 そんなとき、ふと、こう思う。「母のおかげで、好きなことができない」と。

 しかしものごとには、いつも両面がある。(何でも好き勝手なことができる)という前提
で、今の自分を見ると、たしかに不自由である。しかし(何もできない)という前提で、
今の自分を見ると、私は自由である。(何もできない)状態というのは、最終的には(死)
を意味する。

 つまり自由、不自由ということは、あくまでも相対的なこと。何をもって自由といい、
何をもって不自由というか。さらに言えば、自由といっても、行動の自由、肉体の自由、
それに精神の自由がある。

 こと精神の自由に関していえば、だれも、またいかなるばあいも、私の自由は、制約さ
れることはない。肉体の自由も、健康である間は、そうである。精神の自由、肉体の自由
の前では、行動の自由など、大きな問題ではない。

 たまの日曜日だが、母の介護があって、何かの会合に出られないからといって、不自由
になったとは言えない。が、ここでいう「ケチな人」には、それがわからない。「自由がな
い」「自由がない」と、ことさら大げさに騒ぐ。あるいは取り越し苦労ばかりしている。

 しかし最初から「損」を計算に入れておくと、ものの見方が一変する。「損」を前提とし
て、生きる。そのほうが、気も楽。どうあがいたところで、やがて「死」は確実に、私や
あなたのところにやってくる。どうせそのとき、私やあなたは、すべてを失う。その「死」
と比較したら、今、私やあなたが経験している「損」など、何でもない。

 大切なことは、一日でも多く、一時間でも多く、「損」のことは忘れて、心朗らかに生き
ること。私はそう思う。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●5月6日、雨

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今朝は、朝から大雨。雨戸をたたく
大粒の雨で、目がさめた。

時計を見ると、7時少し前。

あわてて起きる。起きて、家のあちこち
の窓を閉めなおす。

書斎も、窓の内側まで、ビッショリと
濡れていた。あぶなかった!

あと少しで、パソコンまで雨に濡れる
ところだった。

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●浜松祭り

 昨夜は、ワイフと2人で、浜松祭りを見に行ってきた。写真をたくさんとった。ビデオ
もとった。

 途中、何人かの知りあいに会った。あいさつをした。ついでに屋台で売っていた、焼き
そばを買った。食べた。結構、おいしかった。

 こと浜松祭りに関して言えば、浜松祭りは、(見て楽しむ祭り)というよりは、(参加し
て楽しむ祭り)。参加する人が主役で、それを見る人は、脇役でしかない。はっきり言えば、
観客など、どうでもよい。祭りをする人も、「見せてやろう」などという意識は、ほとんど、
ない。

 祭りをする人自身が楽しむ。それが浜松祭り。

もしみなさんも、参加する機会があれば、ぜひ、参加してみたらよい。おもしろさが、
数十倍になる。


●ビスタ

 昨日は、古いパソコンから、新しいパソコンへの引っ越しで、午前中がつぶれてしまっ
た。パソコンの引っ越しは、結構、たいへん。

 しかし今度のOSのビスタは、たしかにすごい。XPより、各段の進歩を遂げている。さ
きほど、OS付属のウィルススキャンをしてみたが、20〜30分ほどで終了した。XPの
ときは、市販のウィルス対策ソフトでスキャンしていた。そのときは、7〜8時間もかか
った。

 今のところ、新しいパソコンは、サクサクと、軽快に動いている。気持ちよい。


●今日で連休はおしまい

 私は、こうした連休中は、何も計画を立てないようにしている。旅行もひかえる。人に
会うのもひかえる。どこへ行っても、人また人。それに人と会うにしても、相手の人にも、
つごうがある。

 が、最終日に、この大雨……と思っていたら、今は、雨がやんでいる。シトシト雨に変
化した。先ほどワイフに、「あとで竹の子を見てくる」と言うと、「そうね」と。

 我が家の家の前は、大きな竹やぶになっている。毎年、連休中に、竹の子が出てくる。
雨後の竹の子というが、その雨が、今朝、降った。


●セカンド・ライフ

 今度、新しく、日本でも、「セカンド・ライフ」という、インターネット・サービスが始
まった。パソコン内部の、仮想現実の世界のことである。その世界の住民として登録する
と、その世界の住民として、生活(?)できるという。

 アメリカでは、たいへんなブームを呼んでいるという。実際、その世界で生活しながら、
お金を稼ぐこともできるという。大手の会社も、続々と進出してきている。

 今は雑誌でその情報を収集している段階だが、とてもおもしろそう。近々、私も、その
「セカンド・ライフ」に挑戦してみたい。つまりもう少し様子をみて、安全性が確実に確
認されたら、挑戦してみたい。


●仮想現実

 ここに(現実)がある。それに対して、パソコンの画面の現れる世界は、(仮想現実)の
世界である。一応、そういうことになっている。

 しかしこの(現実)にしても、それが本当に(現実)かどうかということになると、本
当のところ、確かではない。

 (ものが見える)ということにしても、本当は、脳みその後頭部にあるモニターに映っ
た像を、脳みそが「像」と判断しているだけにすぎない。音もそうだ。知覚という知覚、
すべてがそうだ。

 それに(私)と(他人)をへだてる(壁)にしても、その間には、酸素や窒素など、無
数の分子がぎっしりと詰まっている。たまたま(光)が、酸素や窒素を通過するため、こ
こに(私)がいて、そこに(他人)がいるにすぎない。

 この(私)にしても、どこからどこまでが本当の(私)であり、どこから先が、本当の
(私)でないか、よくわからない。よい例が、本能である。私たちのほとんどの行動は、
その本能によって支配されている。(私)ではなく、私でない(私)によって、だ。

 当然、精神も、その影響を受ける。影響を受けながら、「私は私」と思いこんでいる。よ
い例が、性欲。その性欲があるからこそ、男女は恋愛をし、結婚する。無数のドラマも、
そこから生まれる。どの人も、「私は私」と思って、そうしているかもしれないが、つまる
ところ、本能によって、動かされているだけ。

……ということで、本当のところ、(私)など、どこにもない。つまりこの(現実)のそ
のものが、仮想現実のようなもの。もっと端的に言えば、目の前の現実も、パソコンの
モニターに映る世界も、大きなちがいがあるようで、それほど、ない。


●K国は、なぜ預金を引き出さないのか?

 またまたBDAからの送金問題が、暗礁に乗りあげている。(預金の凍結解除問題)が、
いつの間にか、(送金問題)になってしまった。いつものことである。

 ひとつの問題が解決に向かうと、K国は、また別の新たな問題を提起してくる。日本語
では、そういうのを、「ゴネる」という。

 で、その送金先だが、K国は、当初は中国、つぎにベトナム、そしてそのつぎに、ロシ
アをイタリア、今は、アメリカを指定。一方、中国政府は、「あと、2、3日」「もう少し」
「来週中には解決」と、そんな言葉ばかりを繰りかえしている。

 しかし、こう考えてみてはどうだろうか。

 K国には、もうひとつ、BDA問題を解決できないというよりは、解決したくない理由
がある、と。

 もしBDA問題が解決したら、先の6か国協議で約束したように、Yビョンの核開発関
連施設を停止しなければならない。そのために、IAEAの査察官をYビヨンに招かなけ
ればならない。

 しかしこれはK国にとっては、まことにもって、ま・ず・い。

 なぜなら、Yビョンの核開発関連施設はすでに老朽化していて、使いものにならないか
らである。韓国に亡命したFさん(K国政府、元高官)も、そう言っている。「停止」をう
んぬんするような施設ではない。すでに使いものにならない状態になっている。つまりウ
ソがバレてしまう。

 だからあれこれ無理難題をもちかけては、BDA問題の解決を先延ばしにしている? 
しかしそう考えると、現在の、K国の不可解な動きを、すんなりと理解できる。

 なおYビョンの核開発関連施設の周辺では、偵察衛星などにより、いつもとはちがった
動きが報告されている。しかしそれは、「停止のための準備」ではなく、ここでいう「ウソ
がバレないため」と考えるほうが、正しいのでは? もしそうなら、中国政府の発表とは
裏腹に、BDA問題は、今しばらくは、まだ解決しない。


●思考力

 ここ数日、思考力がかなり低下している。自分でも、それがよくわかる。何かを考えて
も、それがそのまま脳の表層部を、上すべりしてしまう。上すべりしたまま、それが脳の
奥深くに入っていかない。

 それにこのところ、どういうわけか、夫婦仲も円満。この2か月ほど、ワイフと口論も
していない。私にとっては、珍しいことだ。むしろワイフのほうが心配して、「あなた、だ
いじょうぶ?」と聞く。

 いいのかなあ……? だいじょうぶなのかなあ……?

 夫婦というのは、(親子もそうだが……)、(安定期)→(倦怠期)→(緊張期)→(爆発
期)→(反省期)→(安定期)という周期で、離れたり、くっついたりする。(安定期)が
長すぎると、かえって心配になる。つづく(倦怠期)→(爆発期)で、その爆発がより大
きくなる。

 で、私が今、心がけていることがある。

(1)できるだけワイフの趣味に合わせて、行動している。
(2)できるだけワイフの苦情やグチに耳を傾けるようにしている。
(3)ワイフだけの時間を用意したり、反対に退屈そうなときには、できるだけ、いっし
ょにいるようにしている。
(4)ジョークを多くし、ワイフを笑わせている。
 
 そしてここがいちばん重要だが、(5)いつも何か、新しい刺激を用意するようにしてい
る。

 ワイフは、たいへん性格の安定した女性である。そういう女性と結婚できた私は、ほん
とうにラッキーだった。そのワイフの遺伝子を受け継いだのだろう。私の3人の息子たち
もまた、性格がたいへん安定している。

 ともかくも、今は、我が家は平凡すぎるほど、平凡。『賢人はふつうの価値を、それをな
くす前に気づき、愚人は、それをなくしてから気づく』というのは、私が考えた格言だが、
今、その(ふつうの価値)を、しみじみとかみしめている。


●Outlook Expressがない?

 BISTA(OS)パソコンを購入して、4日目。今のところ、メールの送受信は、(W
INDOW・メール)を使ってしている。しかしどういうわけか、アドレスの引っ越しが
うまくいかない。

 考えてみれば、BISTAパソコンに、Outlook Expressがないのは、
どうしたことか? 削除した記憶はないし……。

 今までの買ったパソコンには、すべてOutlook Expressがついていた。
だからそれを当り前のことと思っていた。しかしそれがない……?

 明日から、あちこちに電話をかけて、いろいろ聞かなければならないことがある。この
Outlook Expressもそうだが、ソフトによっては、うまく動作しないのも
ある。

 BistaはすぐれたOSだとは思うが、周辺機器のみならず、ソフトまで買い替えな
ければならないのもある。たとえば今まで使っていた、C社の複合機(Malti Pas
s C50)は、Bistaでは使えない。

Bistaが発売になって5か月になるが、それほど売れ行きが伸びていないのには、
そういう理由があるのかもしれない。みなさんもBistaパソコンを購入されるとき
には、じゅうぶん注意したほうがよい。

 機器のドライバーを、それぞれの会社からダウンロードしてインストールすればよいと
は言うが、それだって素人には、チンプンカンプンなことだと思う。

【付記】

 VISTAから、Outlook Expressは、「Windows メール」に変
わったそうです。知りませんでした!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●脅して、はぐらかす

++++++++++++++++

Bたけし氏と言えば、日本でも
人気ナンバーワン(?)のお笑い
タレントである。

そのBたけし氏の番組には、ある
ひとつの共通した特徴がある。

脅して、はぐらかすという特徴で
ある。

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 Bたけし氏と言えば、日本でも人気ナンバーワン(?)のお笑いタレントである。一応、
そういうことになっている。事実、Bたけし氏は、その世界では、カリスマ的な存在にな
っている。

 そのBたけし氏の番組には、あるひとつの共通した特徴がある。(1)脅して、(2)は
ぐらかすという特徴である。

 まず脅す。それによって、視聴者を不安にさせる。そのためには深刻なテーマを、取り
あげる。地球温暖化の問題、K国の核ミサイルの問題などなど。最近では、難病を取りあ
げることもある。昨日(5月8日)の某番組でも、難病のひとつを、取りあげていた。

 しかしその部分は、テレビ局側の編集で、かなりシリアスに仕上がっていた。私も見て
いたが、いくつか症状に、思い当たるところも重なり、最後まで見てしまった。

 が、それが終わると、いよいよBたけし氏の登場である。それまでの流れから一転して、
突然、(お笑い)となる。ケバケバしく飾られたスタジオ。居並ぶ、タレントたち。まずB
たけし氏が、いくつかのギャグを飛ばす。それを受けて、別のタレントが、こう言う。「オ
レなんかサア、みんな、(症状が)、当てはまるよ」と。つまり前兆としての症状に、みな、
当てはまる、と。

 とたんスタジオは笑いの渦に包まれる。ゲラゲラ、ハハハ、と。

 わかるかな? この番組制作の手法は、カルト教団が使う手法と同じ。カルト教団でも、
信者を勧誘するとき、同じ手法を使う。

 たとえばまず、「もうすぐ人類は滅ぶ」などと説く。つづいて、「しかしこの信仰を信じ
たものだけが、救われる」などと説く。人は、不安になると、そこに心のすき間ができる。
そのすき間をたくみについて、そこへ(希望)を注入する。

 Bたけし氏の番組でも、Bたけし氏の顔がアップになっただけで、視聴者は、ある種の
安ど感を覚える。つまり視聴者自身が、そういうふうに感ずるように、長い時間をかけて、
すでに洗脳されてしまっている。難病という深刻な問題も、Bたけし氏の口から語られる
と、ただのギャグでしかない。つまりそれこそが、こうした番組の(ねらい)と考えてよ
い。

 しかしこれはたいへん危険なことでもある。

 もちろんBたけし氏に問題があるのではない。そういう番組を編集し、(お笑い番組)と
してしまう、製作者側に問題がある。たとえば少し前も、同じような番組で、地球温暖化
の問題を取り上げていた。

 地球温暖化は、現在、人類が直面する、きわめて深刻な問題である。それはその通りで
ある。が、そういう問題でも、Bたけし氏が登場しただけで、(お笑い)になってしまう。
とたん、それを見た人は、安心感を覚えると同時に、それ以上に、自分で考えることをや
めてしまう。

 それは実に甘美な世界である。つまり視聴者は、その甘美な世界に浸(ひた)ることに
よって、心配や不安から解放される。と、同時に、Bたけし氏というタレントに、希望を
託してしまう。

 わかりやすく言えば、その時点で、Bたけし氏という人物が率いる(Bたけし氏教)の
信者になってしまう。

 こうした心理操作は、Bたけし氏が意図するものではないかもしれない。(結果)として
そうなるというだけのことで、(目的)ではないかもしれない。あるいは反対に、こうも考
えられる。深刻な問題を取り上げるからこそ、そのままで終わっては、視聴者をただ不安
にしてしまう。そこでしめくくりに、(お笑い)によって、視聴者に安心感を与える、と。

 映画で言えば、ハッピーエンドの手法である。

 が、だったら、最初から、深刻な問題を取り上げないことではないのか。昨夜見た、あ
る難病の問題にしても、どこかしら、その難病を、もてあそんでいるかのような雰囲気さ
え感じた。「本当にこの病気で苦しんでいる人が見たら、怒るだろうな」と思ったのは、は
たして私だけだっただろうか。

 つまり(まじめさ)がない。その(まじめさ)がないところが気になった。番組の中で
は、「これが恐ろしい病気の前兆とは……」「さらに前兆がつづく……」「そしていよいよ…
…」と。つまり難病の紹介というよりは、視聴者をハラハラさせるほうに、力点が置かれ
ていた(?)。

 言うまでもなく、ハラハラさせればさせるほど、その直後に登場するBたけし氏の存在
感が、ます。つまりそれこそが、番組制作者の目的ということになる(?)。

 ……ということで、今、何ともおかしなことが、テレビ番組の世界で起きている。それ
を疑問に思うか、思わないかは、それぞれの個人の問題かもしれない。が、あなたも一度
でよいから、私がここに書いたことを参考に、今度、Bたけし氏の番組を見てみたらよい。
何か、新しい発見をするかもしれない。

 何も考えず、ああした番組を、見てはいけない! そのまま受け入れてしまってはいけ
ない! 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
カルト カルトの手法)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(5月8日)

+++++++++++++++

今日は、朝からいそがしい。
朝食をとったら、すぐ行動開始。

天気予報では、「暑くなる」という
ことだったが、起きてみると、
秋を思わせる、冷気をおびた、
さわやかな風。

一年中、こうだといいのだが……。

+++++++++++++++

●グーグル・アース

 グーグル・アースでは、その場所の経度、緯度が、家単位ほどまで、正確に表示される。
つまりその家の経度、緯度がわかれば、その家を、グーグル・アースで検索することがで
きる。

 この方法で、私は今、いろいろな国の友人や知人の家を、グーグル・アースで検索して、
楽しんでいる。ただ地域によっては、解像度の低いところもあり、およその場所しかわか
らないところもある。

 しかしこの先、グーグル・アースを使った場所探しが、ポピュラーになるだろう。「あな
たの家は、どこ?」「私の家は、37.471746S,144.572911Eよ」と。

 ちなみに、この座標は、メルボルン大学のインターナショナル・ハウスのもの。興味の
ある方は、ぜひ、見てほしい。

 それにしても、すごいことができるようになったものだ。パソコンとつきあっていると、
毎日が、新しい驚きの連続。そこで予言。

学校教育においても、現在の、英語、数学、国語、社会、理科という教科分けが、近い
将来、コンピュータ操作、コンピュータ調査、コンピュータ応用などというように変わ
るかもしれない。(情報)や(知識)の価値がかぎりなく小さくなる。かわって、その(情
報)や(知識)をどのように(応用)していくか。それがこれからの教育の(柱)にな
る。

 わかりやすく言えば、(情報)はコンピュータで仕入れればよい。つまりこれからは、(も
知りの子ども)は、あまり意味がないということ。たとえば社会科の年号にしても、そん
なことは、そのつど、コンピュータで検索すればよい。つまり検索能力も、重要な能力の
ひとつということになる。だからたとえばあと10〜20年もすれば、社会科のテスト問
題も、つぎのように変わるかもしれない。

【問1】

 1561年、織田信長の脅威を感じた、あなた(=今川義元)は、桶挟間(おけはざま)
での戦いを前にして、だれに、どのような指示を出すか。その相手と、指示の内容を80
0字以内で書きなさい。コンピュータは自由に使ってよろしい。

 すでにノート型のパソコンも試作されているという。「ノート型」というのは、本当に紙
でできたノートのような形をしていて、厚さもノート程度。ノートのように丸めたりする
こともできるという。

 子どもたちは、そのつど必要な情報は、ノート型パソコンから手に入れる。それでじゅ
うぶん。大切なのは、(情報)ではなく、(与えられた情報を、自ら考えながら、加工する
力)。これからの教育は、そういう方向に向かって進む。


●ジェット・コースター事故

 この3、4日、新聞やテレビは、ジェット・コースター事故ばかり報道している。まる
で飛行機の墜落事故でもあったかのよう。どこかの遊園地で、コースターの車軸が折れ、
それが原因で事故になった。一人の人が、死んだ。

 それはそれとして、つまり不幸な事故であったことにはちがいないが、しかしたかが事
故ではないか。私も若いころは、好んで、この種の乗り物に乗った。「コースターがレール
からはずれて、地上へたたきつけられるかもしれない」という思いが、恐怖心を呼び、そ
れがまた楽しかった。

 (だからといって、こうした事故があってよいと言っているのではない。誤解のないよ
うに!)
 
 私が言いたいのは、こうした乗り物に乗るときは、それなりの自己責任で乗るというこ
と。「あぶない」と思えば、乗らなければよい。それを事故が起きるたびに、やれ「整備不
良だ」「点検不備だ」と騒ぐ。折れた車軸にしても、10数年以上も取り換えられていなか
ったという。

 しかしここでも問題がある。車軸などというものは、100年たっても折れないものも
あれば、1年で折れるものもある。私は、こんな事故を経験している。

 買って半年もたたない自転車に乗っていたときのこと。暗い夜道だった。いつものよう
にスピードをあげようと、ぐいとペダルに力を入れた、そのときのこと。突然、車体が傾
き、私はそのまま地面にたたきつけられてしまった。

 横にガードレールがあった。その向こう側は、用水路になっていた。幸いにも後続の車
がなかった。もしあったら、そのまま車にはねられていた。

 見ると、自転車の後輪の車軸が折れていた。……というような事故は、多い。つまりコ
ースターの事故は、その中のひとつにすぎない。もちろん整備不良についての責任は、追
及しなければならない。遺族やけがをした人への補償も、当然である。しかし事故は事故。
そのときだけの報道でじゅぶんではないのか。

 こうまで連日、連夜、コースター事故の報道ばかりがつづくと、率直に言って、うんざ
り。
 

●ニュースの選択

 そこでニュースの選択。私は、今、こんな経験をしている。

 インターネットのニュース・サイトの中には、動画と音声で、ニュースを配信してくれ
るところがある。私が好んで見ているのは、TBSのi−news。

 いつも50〜70項目のニュースが並んでいる。そこで私は見たいニュースのボックス
に(レ)を入れる。つまりニュースを選ぶのは、私というわけである。

 そのとき、ふと、こんなことを考える。

 おそらく、報道各社(テレビ局、新聞社)には、毎日、洪水のようにニュースが流れこ
んでくるにちがいない。そういうとき、報道各社は、どのような基準で、ニュースを選び、
それを配信しているかということ。

 ここで報道各社が、(あるいはそれを選ぶ編集局でもよいが)、自分のつごうのよいニュ
ースは配信し、そうでないニュースには目を閉じたら、どうなるか。ちょうど今の私が、
見たいニュースを選ぶように、である。

 いつの間にか、私たちは、彼らにとってつごうのよいニュースだけを見聞きし、やがて
彼らが意図しないまでも、彼らのよいように操られるようになるかもしれない。戦前のあ
の(大本営発表)に、その一例をみるまでもない。

 そこで報道各社の中立性の問題が出てくる。言うまでもなく、報道各社は、努めて、中
立的でなければならない。それは何も、ニュース番組だけにかぎらない。たとえば今の今
も、どこかのオバチャンが、夜の番組に出てきては、(占い)なるものを披露している。タ
レントたちを相手に、まさに言いたい放題のデタラメを言っている。

 娯楽番組といえば、それまでだが、子どもたちに与える影響となると、大きい。そうい
う番組を流すなら流すで、他方で、「そういうインチキにだまされてはいけない」というよ
うな番組も流すべきではないか。あるいは、それに疑問をもつ人たちを同席させる。いや、
その前に、どうしてそういうオバチャンを、テレビに出さなければならないのか。その必
要性はあるのか。

 ちょうど私たちがニュースを選ぶように、だれかがそういうタレントを選び、それを一
方的に報道する。考えてみれば、これはとてもこわいことである。

 ……ということで、最初の話にもどる。

 こうした事故を受けて、国土交通省(国土交通省だぞ!)まで、乗り出してきた。いわ
く、『H三国土交通相は8日の閣議後の記者会見で、部品の亀裂の有無を詳細に調べる「探
傷試験」を法令で義務付けるなど、遊戯施設の定期検査を強化する方針を明らかにした。

 社会資本整備審議会(国交相の諮問機関)の建築物等事故・災害対策部会を10日に開
き、具体策の検討を要請する』(ヤフー・ニュース)と。

 改めて言う。たかがジェット・コースターの事故ではないか!

 
●今度は、「韓国海」?

++++++++++++++

「東海」がだめだとわかると、
今度は、「韓国海(Sea of 
Korea)」?

韓国政府の考えていることが、
私には、よく理解できない。

要するに、「日本」という名前が
嫌いらしい?

++++++++++++++

 日本の南にある海を、「東シナ(中国)海」という。さらにそこから南につながる海を、
「フィリッピン海」という。しかしだれも、そんなことに、文句を言わない。

 が、韓国はちがう。世界中に特使まで派遣して、日本海を「東海」に改めようとしてい
る。当の韓国は、「アジア大陸の東にあるから、『東海』がふさわしい」と主張している。
が、こんなのは、ウソ。韓国では、東シナ海を、「西海」と呼んでいる。韓国の西にあるか
ら、「西海」。だから東に日本海は、「東海」。

 しかしだれも、そんな呼びかけに応ずる気配はない。そこで今度は、「日本海を、韓国海
にせよ」という主張が出てきた。聯合ニュース(5月7日)は、つぎのように伝える。

『国際水路機関(IHO)総会を控え、韓国と日本が東海表記問題をめぐり。対立するな
か、文化財庁のY庁長が東海を、「韓国海(シー・オブ・コリア)」と表記するよう主張
したことが6日に明らかになった』と。

 韓国人よ、少しは、頭を冷やせ! 日本が嫌いなのはわかる。「日本」という名前が嫌い
なのも、よくわかる。しかしもし韓国の言うような主張がまかり通るなら、これから先、
世界中は、毎年のように、海の名前を変えなければならない。たとえばインド洋は、「北オ
ーストラリア海」、メキシコ湾は、「南アメリカ湾」、南シナ海は、「東ベトナム海」と。

 日本海が日本海になったのは、世界の大きな歴史の流れの中で、そうなった。だれがみ
ても、そのほうが、わかりやすかったからである。そして今、「日本海」という名前は、世
界の地理として、定着している。

 「東海」が、「平和の海」(N大統領提案)になり、今度は、「韓国海」(Y文化財庁庁長)
になった。が、それもだめだとなると、今度は、何になるのか? 聯合ニュースは、「韓国
と日本が東海表記問題をめぐり、対立するなか……」と書いている。

 しかし日本が反対しているわけではない。世界の人が、常識として、あきれているだけ
である。どうしてそんなことが、韓国の人たちには、わからないのか。


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