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2007年 11月号 2007年 12月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 30日
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★★★HTML版★★★

お休みします

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学習の動機づけ

+++++++++++++

子どもに勉強をさせたかったら、
楽しませること。

これは幼児期の子どもの指導の、
大鉄則と考えてよい。

英語の格言にも、
HAPPY LEARNERS LEARN BEST.
(楽しく学ぶ子は、よく学ぶ)
というのがある。

私の教室のモットーにも
なっている。

ほかにも方法はあるが、これに
まさる方法はない。

+++++++++++++

●楽しませる

 子どもの「勉強」を考えたら、とにかく、楽しませる。「楽しい」「楽しかった」という
思いが、子どもを前向きに引っぱっていく。

心理学の世界では、こうした前向きに引っぱっていく力を、「好子(こうし)」という。
また大脳生理学の世界では、辺縁系の帯状回が、「やる気」をコントロールしていると、
説明する。それだけではない。

 子どもはこれから先、いろいろなカベにぶつかる。そのときそのカベを乗り越える原動
力になるのも、ここでいう「楽しさ」である。「私はできる」「できるはず」「私には、でき
ないことはない」という、前向きのストロークが、子どもを伸ばす。

 たとえば文字学習を考えてみよう。

 子どもは満四・五歳(四歳六か月)を境に、急速に文字に興味をもつようになる。それ
までは、いくら教えても、一見、効果がないように見える。そしてこの時期を境に、見よ
う、見まねで、文字らしき文字を書くようになる。

 このとき大切なことは、子どもがどんな文字を書いても、それをほめること。読んであ
げること。

 文字の使命は、言うまでもなく、意思の伝達である。意思の伝達に始まって、意思の伝
達に終わる。書き順、トメ、ハネ、ハライなどは、それを大切だと思う人に、任せておけ
ばよい。あるいは、どうして、そんなものが、大切なのか?

 そしてそれと平行して、「文字は楽しい」という思いを、子どもの心の中に焼きつけてお
く。具体的には、子どもを抱いて、本を読んであげる。暖かい息を吹きかけながら、本を
読んであげる。

 まずいのは、いきなり文字を教え、こまごまとした指導をすること。子どもは文字に恐
怖心すらもつようになる。しかし一度、この時期、そうなると、修復は不可能。いわんや、
「勉強」を、子どもの責め具に使ってはいけない。「毎日、三〇分、勉強しなさい!」と。

 ちなみに、年中児でも、文字に対して恐怖心をもっている子どもは、約半数はいる。中
には、「名前を書いてみようか」と声をかけただけで、体をこわばらせ、涙ぐむ子どもさえ
いる。こうなると、将来的に、文字嫌いのみならず、国語嫌い、本嫌い、さらには勉強嫌
いになるのは、明々白々。

 この日本には、無数の誤解がある。計算力があるから、算数ができるという誤解。よく
しゃべるから、頭がよいという誤解。ものをよく知っているから、勉強がよくできるとい
う誤解。そして、きれいな文字を書くから、国語力があるという誤解。こうした誤解が、
無数に集まって、日本人独特の、「勉強観」をつくりあげている。

 では、どうするか?

 子どもを楽しませる。いつもそれに始まって、それに終わる。英語にも、『楽しく学ぶ子
は、よく学ぶ』という格言がある。まさにポイントをついた格言である。

●今、一人気になっている子ども(小六男子)に、S君がいる。彼は幼いときから、書道
教室に通っている。だから彼が書く文字は、まさに一級。きれいである。しかし一方で、
作文がまったくと言ってよいほど、書けない。「作文は大嫌い」と、いつも逃げてしま
う。で、何とか書かせて、励ますのだが、正直に言えば、とても、読むに耐えない内容。
いつも的はずれで、トンチンカンな作文を書く。もちろん本は、大嫌い。ときどき、「こ
の本を読んでみたら」と単行本を貸すのだが、受け取ることさえ、拒絶する。どうした
らよいものか。親は、漢字のテストでよい点と取ることや、きれいな文字だけを見て、
「うちの子は、国語はだいじょうぶ」と思っている。

●以前、N君という小学生(当時二年生)がいた。彼もまた、きれいな文字を書いていた。
が、書くスピードが、遅かった。みなの二倍以上の時間がかかった。だからいつもひと
りだけ、黙々と文字を書いていた。しかしそのため、いつも、授業が中断してしまった。
で、ある日、私はこう言った。「ていねいに書くときは、書けばよい。しかし今は、黒
板の文字を書き写すこと。だからもっと速く、書きなさい」と。とたん、N君は、ふつ
うの(?)速さで書き始めた。が、私はN君の文字を見て、びっくりした。ひどいなん
てものではなかった。しかしそれが彼の、オリジナルの文字だった。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学習の動機づけ 勉強の動機づけ)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親の恩vs孝行論】

●不幸な子育て

 不幸にして不幸な環境で子育てを始めた人ほど、子育てそのものに恩を着せやすい。「産
んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と。そうでも思わなければ、やり
きれないからである。

 あなたの周囲にも、そういう人がいるはず。で、そういう人を静かに観察してみるとよ
い。まちがいなく、ここでいう(不幸な子育てをした人)だとわかるはず。

 実際、子育てをしながら、「私の時間が犠牲になる」「したいことができない」「子どもが
じゃま」と考える人ほど、その一方で、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出して
やった」という言葉を口にする。一見、犠牲的精神のある、すばらしい親に見えるが、そ
の実、そうでない。

 子育ては、楽しむもの。楽しめばよい。あとのことは考えない。見返りも求めない。た
だそのときを楽しめばよい。そしていつか子育てが終わったら、こう言う。

 「あなたのおかげで、私は人生を楽しむことができたわ。ありがとう」と。

 このタイプの人は、望んで結婚し、望んで子どもをもうけている。だから子育てがいつ
も前向き。子どもが巣立ったあとも、その満足感を楽しむことができる。

 そこであなた自身はどうだろうか。日々に子どもの成長を喜び、子どもから与えられる
生きる喜びを感じているだろうか。もし、そうなら、それでよし。

 それとも子育てを負担に思い、日々に不平、不満を感じ、子育てから解放されたいと願
っているだろうか。もしそうなら、いつかあなたの犠牲的精神(?)、献身的子育て(?)
が、あなたの子ども観をゆがめることになるので、注意する。昔は、こうした子育て観を
美徳と考えたが、今は、そういう時代ではない。また、そうであってはならない。

 英語国には、「無条件の愛」という言葉がある。子育ては無条件で始めて、無条件で終わ
る。それが子育ての、一貫した、大原則である。ある女性(I・Tさん、八五歳)は、私
に会うといつも、口ぐせのように、決まってこう言う。

 「林さん。子どもなんて、育てるもんじゃ、ないですよねえ。一人息子は、あれだけか
わいがってやったのに、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、さみしいもんです
わ」と。

 あなたなら、この女性の言っていることのおかしさが、理解できるはずである。
(030918)

【もし、あなたが……】

 もしあなたの子育てが、どこかうしろ向きなら、自分の中に潜むわだかまりをさぐって
みるとよい。自分自身の幼児期のわだかまり、結婚時のわだかまり、出産時のわだかまり、
など。

 この問題は、そのわだかまりが何であるかがわかっただけでも、その問題のほとんどが、
解決したとみる。いや、すぐには解決されないが、あとは、時間が解決してくれる。もし
今のあなたが、つぎのようであれば、一度、冷静に、自分の過去をのぞいてみるとよい。

●子育てをしていると、いつも重い負担感を覚える。
●思うようにならないと、すぐ子どもに八つ当たりをしてしまう。
●子どものおかげで、自分の人生が台なしになったように感ずることがある。
●子育てがわずらしくてならないときがある。
●親として、子どもに「してあげているという気分」が、いつもついて回る。
●親は、子どものために犠牲になるべき存在だと思う。
●子育てを何もしてくれない夫(妻)に、いつも不満を覚える。
●子どものささいな失敗が気になってしかたない。
●保育園(幼稚園)や学校へ、子どものために行くのが苦痛。
●心配先行型、不安先行型の子育てをしているよう。
●子どもに対する根強い、不信感がある。
(以上、I・Tさんと話していて、感じたことより)

++++++++++

つづいて、孝行論

++++++++++

●孝行は美徳か?

 日本では、親孝行を美徳と考えている人は多い。また孝行論を、教育論の柱にしている
人も多い。しかし、問題がないわけではない。

 「孝行」というのは、子ども側からの、一方的かつ、献身的な貢献を意味する。またそ
うであればあるほど、孝行と評価される。そしてその背景には、「親は絶対」という、親絶
対論がある。

 そこで最初の疑問。本当に、親は絶対なのか?

 江戸時代には、家督制度というのがあった。身分制度が、それを支えた。「家」は、絶対
的な存在であり、「家」を離れたら、身分制度そのものから、はじき飛ばされた。人間とし
ての価値すら、否定された。実際には、「無宿」とされ、逮捕されれば、そのまま、たとえ
ば、佐渡の金山へ送りこまれたりした。

(今のK国の社会制度と、よく似ていますね。あの国では、成分(身分)によって、すべ
てが決まるとか。そう言えば、金XXも、「将軍様」と呼ばれているそうで……。ハイ!)

 親絶対論は、こうした歴史的背景から生まれた。私が子どもころでさえ、「勘当(かんど
う)」という言葉が残っていた。また今でも、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て
行け!」という。そういう言い方が残っている。当時は、家から追いだされるということ
は、それ自体が恐怖だった。

 もちろん社会制度の不備もあった。今でいう福祉制度もなかった。もちろん「老人福祉」
という言葉すら、なかった。親たちは一方で子どもを、「家」でしばりながら、一方で、老
後は、子どもたちに依存しようとした。話せば長くなるが、結論を先に言えば、そういう
ことになる。

 こうした背景から、日本独得の、「孝行」という言葉が生まれた。

●孝行を強要する親たち

 本来、孝行というのは、子どもの側から自発的に始まるもの。しかしそれが長い間、伝
統として定着するうちに、親の側から子どもに求めるようになった。

 そして孝行な息子や、娘をもつことが、親としてあるべき姿ということになった。また
そういう子どもを育てることが、子育ての目標になった。だから今でも、息子や娘の孝行
ぶりを自慢する人は、いくらでもいる。

「Aさんの息子さんは、立派なもんじゃ。親を、あの九州のB温泉へつれていったそうな」
「いやいや、Bさんの娘さんは、もっと偉い。何でも二〇万円もする羽ぶとんを、親に買
ってあげたそうな」
「とんでもない。孝行息子といえば、Cさんの息子さんじゃよ。今度、親のために、床の
間つきの離れを新築したそうな」と。

 こういう話を代々伝えることで、子どもに孝行というものが、どういうものであるかを
教えていく。そしてそれが子どもとして、あるべき姿だと教えていく。

 私は、こうした孝行を否定するものではないが、しかし一方で、こうした親の呪縛に苦
しんでいる人も多い。親子という、一対一の関係ならともかくも、親戚ぐるみ、地域ぐる
みで縛られるということもある。K氏(四八歳、男性)もそうだ。

 「父は、人前ではいい父親を演じていますが、一対一になったようなとき、『親を粗末に
すると、地獄へ落ちるぞ』と、私をおどします。そういう父なんです。それでときどき盆
や、暮れに帰省することを避けているのですが、そうすると今度は、親戚の叔父から電話
がかかってきます。『どうして、お前は、父親を粗末にするか。正月のあいさつをしろ』と
です。父が、叔父たちに電話をさせているのですね」と。

●形にしばられない人間関係

 親子といえども、基本は、一対一の人間関係。もちろんその間には、親子であるがゆえ
の、特殊な感情や思惑が働く。たとえば母と子の関係というのは、母親にとっても、また
子どもにとっても、特殊な関係である。

 しかしそのことと、ここでいう「孝行論」は、別のことである。多くの誤解は、こうし
た特別な関係と、孝行論を結びつけるところから起こる。

 たとえばよく議論されるが、(親がいるから、子どもがいるのか)、それとも(子どもが
いるから、親がいるのか)という問題。さらに実存主義の世界では、つぎのように考える。

 私たちは生まれた。生まれてみたら、そこに親がいた、と。

 孝行論を説く人たちは、当然のことながら、「親がいたから、子どもがいる」と考える。
そしてその返す刀で、子どもに向かっては、「親のおかげで、お前がいる」と教える。産ん
でくれたのは、親ではないか。育ててくれたのも、親ではないか。「だから子どもが、親に
孝行するのは、当然のことだ」と。

 ここでいう「母と子に特殊な関係」については、人間対人間という関係をいう。絶対的
な信頼関係というのがそれだが、それについては、もうすでに何度も書いてきた。しかし
だからといって、そこから孝行論が生まれるというわけではない。むしろここでいう絶対
的な信頼関係と、孝行論は、相反するものである。

●「だれが、産んでくれと頼んだ!」

 親が「私は親だ」という親風を吹かせば吹かすほど、子どもは、親の前で仮面をかぶる
ようになる。いわゆる(わかりあえない親子)は、こうして生まれる。

 このとき、いくつかの悲劇も生まれる。その一つは、親自身が、独善の世界に入りやす
いということ。このタイプの親ほど、「私はすばらしい親だ」「私たちの親子関係は、うま
くいっている」と思いがちになる。

 このとき子どもも、親の価値観と一致すれば、それなりに親子関係はうまくいく。子ど
もは子どもで、親に絶対的に服従することで、親子関係をとりつくろう。しかし、このと
き、子どもが親に従わなかったとしたら……。

 ここで親子の間には、大きなキレツが入る。価値観の衝突というのは、そういうもの。
どこか宗教戦争に似ている。たがいに自分をかけて、衝突する。

親「親に向かって何だ! その言い方は!」
子「親だ、親だって、いばるな!」
親「何だ、その口のきき方は!」
子「口のきき方が、どうした!」
親「お前は、だれのおかげで、ここまで大きくなれたか、わかっているのか!」
子「うるさい!」
親「このバチ当りめ! 産んでもらった恩を忘れたか!」
子「だれが産んでくれと、お前に頼んだア!」と。

 昔なら親は、ここで伝家の宝刀を抜く。「貴様のような息子は、今日かぎり親子の縁を切
る。この家から出て行け!」と。

 しかし今は、そういう時代ではない。身分制度は、とっくの昔に廃止になった。「家だ」
「親の威厳だ」と言ったところで、子どもがそれに応じなければ、どうしようもない。

●ご先祖様 

 もちろん、人それぞれ。孝行論を説く人も、否定する人も、それぞれがぞれぞれの立場
でハッピーなら、それでよい。外部の人間が、とやかく言う必要はない。また言ってはな
らない。

 たとえば私の知人の中には、親絶対主義の人が、何人かいる。五〇歳以上の人は、ほと
んどが、そうではないか。A氏(五五歳、男性)もそうだ。他人が、死んだA氏の父親の
批判することすら、許さない。だれかが批判めいたことを言おうものなら、猛然と、それ
に反発してくる。

 Bさん(六〇歳、女性)もそうだ。ことあるごとに、「ご先祖様」という言葉を使う。「ご
先祖様あっての、私でございます」「ご先祖様がいたから、こういう生活ができるのです」
「ご先祖様が代々守ってくださった家風を守るのが、私たち子孫の務めでございます」と。

 しかしよくよく観察すると、親や先祖を大切にしろと教えることは、子どもに向かって
は、「自分を大切にしろ」と言っているようにも聞こえる。それがわかったのは、C氏(七
〇歳、男性)と話していたときのことだ。

 C氏は、このところ、「最近の若いものは、先祖を粗末にする」を、口ぐせにしている。
C氏がいうところの「先祖」というのは、自分のことではないか。まさか「自分を大切に
しろ」とは言えない。だから「先祖」という言葉を使う?

 このことは、たとえば寺の住職が、「仏様を供養してください」と言うのに、似ている。
似ているというより、同じ。寺の住職が「供養せよ」と言うのは、信徒に向かって、「金を
出せ」と言っているのと同じ。まさか「金を出せ」とは言えない。だから、「供養せよ」と
言う。それとも、仏様が、お金を、使うとでもいうのだろうか。

 要するに、親だ、先祖だと言う人は、その一方で、自分の立場を守ろうとしているだけ。
あるいは「家」を守ろうとしているだけ。……というのは言い過ぎかもしれないが、それ
ほど的をはずれていないと思う。

●孝行は子どもの問題

 孝行するかどうかということは、あくまでも子どもの問題。親は、それを子どもに期待
してはいけない。求めたり、強要してはいけない。親は、どこまでも無条件の愛をつらぬ
く。

 ……こう書くと、さみしい老後を心配する人もいるかもしれないが、現実は、逆。「孝行」
にあたる言葉すらない英語国のほうが、むしろ日本的な孝行息子、孝行娘が多い。

こんな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を
養う」と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低
下)しかいない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメ
リカでは、何と六三%である。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。
今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

 以上、そんなわけで私自身も、一〇年ほど前に、自分の考え方を、大きく変えた。……
というより、それまで日本や日本人が、全体としてかかえる問題に、気づかなかった。私
もそれまでは、ごく当たり前に、ごく自然なこととして、孝行論を唱えていたように思う。

 もちろん、だからといって、孝行論を否定しているわけではない。孝行している人を非
難しているわけでもない。親であれ、自分以外の人のために、我を忘れて献身的に尽くす
ことは、それ自体、すばらしいことである。

 ただ私がここで言いたいことは、だからといって、それに甘えて、今度は他人、とくに
子どもに向かって、それを求めたり、強要してはいけないということ。

孝行論を説く人も、それだけは、忘れてはいけない。
(030918)

++++++++++++++++++++++++++++++

以前書いた原稿を送ります。簡略版は、中日新聞で発表
させてもらいました。

++++++++++++++++++++++++++++++

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前
向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考え
なくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形
で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待す
るのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親
に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育てて
やった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」
と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌
手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手
一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」
と。はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。

しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくな
ってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで
追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のう
ちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかり
やすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく
当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』
である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着
せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、
それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引
用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あ
なたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけな
くなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べ
ながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にも
ときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」であ
る。そう書くべきである。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れでき
ない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中
二男子)がいた。

自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、
「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡
取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるには
いる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければな
らない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢
が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを
育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本
では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し
売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美
徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こ
んな調査結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」
と答えた日本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しか
いない。自由意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、
何と六三%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本
は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親の
ものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のため
でもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなけ
ればならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳
ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求め
た。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子
にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子
育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平
成六年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏
から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
孝行論 親の恩論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(10月23日)

++++++++++++++

今回で、原稿は、第2250作
を終了する。

が、「2250」という数字には、
ほとんど意味がない。あくまでも
便宜上の数字である。

次回からは、「2300〜」となる。
「2300かあ?」と思ってみたり、
「2300ねえ?」と思ってみたり
する。

当初は、「こんなことをしていて
何になるのだろう?」とか、
「何とかお金に換える方法はない
か?」とか、よく考えた。

今も、ないわけではない。ないが、
しかしもうほとんど、そういう
ことは考えなくなった。

つづいて、「自己満足のため?」と
思ったこともある。が、この思いは、
割と早く消えた。

今は、こうしてパソコンに向かって、
ものを考えているのが楽しい。
毎日、何かの新しい発見を
することができる。

昨日もした。今日もした。明日は、
もっと大きなものを発見するかも
しれない。それが楽しい。

ところでまったく話が脱線するが、
今度、日立が、パソコン部門から
撤退することを決めたそうだ(日経)。

これも時代の流れ?

日本のパソコンは、どれも、見た目は
美しく、おかしな機能はいっぱいついて
いる。が、中身が薄い。

その分だけ、値段も高い。直販の
パソコンとくらべても、2倍は高い。
中には、「高級自動車と同じ塗装」を
売り物にしているパソコンもある。

しかし、それがどうした?

これでは勝ち目はない。世界の
パソコン市場は、アメリカのデル、
HP、中国のレノボ・グループ、
台湾の宏碁(エイサー)の大手4社が、
合計で5割近くのシェアを握っている
という(日経)。

となると日本で生き残るのは、F社と、
N社だけ? 

そうそう今朝の朝刊には、デル社の
コマーシャルが載っていた。
ノートパソコンが、5万円台!
たったの5万円台、だぞ!

ワイフが「これ、だいじょうぶ?」と
聞いたので、中身を確かめてみた。

OSもCPUも、1〜2年古いもの
ばかりだが、家庭で使う分なら、
まったく問題、ない。

どうして日本のメーカーもそういう
パソコンを作らないのだろう?

最新の高価なOSやCPUばかりを
使っている。

値段をさげたくないから、無理ばかり
している。そういう無理が、客離れを
引き起こしている。

ウソだと思うなら、市内のパソコン
ショップへ行ってみることだ。
どこもガランとしている。

話をもどす。

「2250」といっても、実際には、
その10倍程度の内容がある。1作の
中に、ふつう、10〜15作の原稿を
書いている。だから全体では、2万作
以上ということになる。

が、おもしろいことに、その実感が
ほとんど、ない。原稿用紙とか、本に
なっていれば、それなりの実感が
あるかもしれない。座右に置いて、
それを確かめることができる。

しかしパソコンの世界では、それがない。
ハードディスクの中に、電子の信号と
なって入っている。それに2万作と
いっても、DVD1枚の中に軽々と
入ってしまう。

考えてみれば、恐ろしいことではないか。
たったの1枚だぞ! ギョーッ!
これから私が死ぬまで書きつづけたとしても、
1枚! 私の一生が、たったの1枚だぞ!

が、その一方で、こういうことも言える。

「これからは、こういう時代だ」と。

つまり私のような地方に住む、1庶民でも、
平気で2万作も書ける時代がやってきた。
昔なら、手書きで、原稿を書いた。が、
それだと能率がたいへん悪い。1日に
原稿用紙で10枚前後書くのが、精一杯。
(私は1日で、50枚くらい書いたことが
あるが……。)

それが今では、ものの10分足らずで、
10枚くらいなら書いてしまう。1時間も
あれば、50枚くらい、書いてしまう。

書くだけではない。推敲まで簡単にできる。
さらに活字にして、全世界に向けて、
発信することもできる。

BLOGにしても、毎日、計1000人
くらいの人たちが、私の原稿を読んで
いる。マガジンの読者も、計2500人
を超えた。毎月、延べにすれば、計6〜
10万人の読者ということになる。

「初版で3000部」「6000部」とか
言っていた時代は、いったい何だったのか?
だからといって、本の時代が終わったわけで
はない。しかし今、何かが、大きく変わろう
としている。何か、だ。

「2250」という数字を見ながら、
私はそう感じた。

私はみなさんに、情報を提供する。みなさんは、
私に生きがいをくれる。

これからも、ギブ・アンド・テイクで、
よろしく!

+++++++++++++++++

【今朝・あれこれ】(10月23日)

++++++++++++++

今回で、原稿は、第2250作
を終了する。

が、「2250」という数字には、
ほとんど意味がない。あくまでも
便宜上の数字である。

次回からは、「2300〜」となる。
「2300かあ?」と思ってみたり、
「2300ねえ?」と思ってみたり
する。

当初は、「こんなことをしていて
何になるのだろう?」とか、
「何とかお金に換える方法はない
か?」とか、よく考えた。

今も、ないわけではない。ないが、
しかしもうほとんど、そういう
ことは考えなくなった。

つづいて、「自己満足のため?」と
思ったこともある。が、この思いは、
割と早く消えた。

今は、こうしてパソコンに向かって、
ものを考えているのが楽しい。
毎日、何かの新しい発見を
することができる。

昨日もした。今日もした。明日は、
もっと大きなものを発見するかも
しれない。それが楽しい。

ところでまったく話が脱線するが、
今度、日立が、パソコン部門から
撤退することを決めたそうだ(日経)。

これも時代の流れ?

日本のパソコンは、どれも、見た目は
美しく、おかしな機能はいっぱいついて
いる。が、中身が薄い。

その分だけ、値段も高い。直販の
パソコンとくらべても、2倍は高い。
中には、「高級自動車と同じ塗装」を
売り物にしているパソコンもある。

しかし、それがどうした?

これでは勝ち目はない。世界の
パソコン市場は、アメリカのデル、
HP、中国のレノボ・グループ、
台湾の宏碁(エイサー)の大手4社が、
合計で5割近くのシェアを握っている
という(日経)。

となると日本で生き残るのは、F社と、
N社だけ? 

そうそう今朝の朝刊には、デル社の
コマーシャルが載っていた。
ノートパソコンが、5万円台!
たったの5万円台、だぞ!

ワイフが「これ、だいじょうぶ?」と
聞いたので、中身を確かめてみた。

OSもCPUも、1〜2年古いもの
ばかりだが、家庭で使う分なら、
まったく問題、ない。

どうして日本のメーカーもそういう
パソコンを作らないのだろう?

最新の高価なOSやCPUばかりを
使っている。

値段をさげたくないから、無理ばかり
している。そういう無理が、客離れを
引き起こしている。

ウソだと思うなら、市内のパソコン
ショップへ行ってみることだ。
どこもガランとしている。

話をもどす。

「2250」といっても、実際には、
その10倍程度の内容がある。1作の
中に、ふつう、10〜15作の原稿を
書いている。だから全体では、2万作
以上ということになる。

が、おもしろいことに、その実感が
ほとんど、ない。原稿用紙とか、本に
なっていれば、それなりの実感が
あるかもしれない。座右に置いて、
それを確かめることができる。

しかしパソコンの世界では、それがない。
ハードディスクの中に、電子の信号と
なって入っている。それに2万作と
いっても、DVD1枚の中に軽々と
入ってしまう。

考えてみれば、恐ろしいことではないか。
たったの1枚だぞ! ギョーッ!
これから私が死ぬまで書きつづけたとしても、
1枚! 私の一生が、たったの1枚だぞ!

が、その一方で、こういうことも言える。

「これからは、こういう時代だ」と。

つまり私のような地方に住む、1庶民でも、
平気で2万作も書ける時代がやってきた。
昔なら、手書きで、原稿を書いた。が、
それだと能率がたいへん悪い。1日に
原稿用紙で10枚前後書くのが、精一杯。
(私は1日で、50枚くらい書いたことが
あるが……。)

それが今では、ものの10分足らずで、
10枚くらいなら書いてしまう。1時間も
あれば、50枚くらい、書いてしまう。

書くだけではない。推敲まで簡単にできる。
さらに活字にして、全世界に向けて、
発信することもできる。

BLOGにしても、毎日、計1000人
くらいの人たちが、私の原稿を読んで
いる。マガジンの読者も、計2500人
を超えた。毎月、延べにすれば、計6〜
10万人の読者ということになる。

「初版で3000部」「6000部」とか
言っていた時代は、いったい何だったのか?
だからといって、本の時代が終わったわけで
はない。しかし今、何かが、大きく変わろう
としている。何か、だ。

「2250」という数字を見ながら、
私はそう感じた。

私はみなさんに、情報を提供する。みなさんは、
私に生きがいをくれる。

これからも、ギブ・アンド・テイクで、
よろしく!

+++++++++++++++++

●赤福餅

+++++++++++

伊勢のおかげ横町の中心部
に、赤福餅の本店がある。

つい先日、私とワイフは、
あの店で、赤福餅を食べた。

「おいしい」という実感は
あまりなかった。今では、
あの程度の菓子なら、どこに
でもある。

その赤福餅が、今、大きな
問題になっている。

製造年月日をごまかして
いたという。

う〜ん。

原稿の世界にも、製造年月日ならぬ、
制作年月日というのがある。

しかしこちらは、だいじょうぶ。
10年前のものであろうが、
20年前のものであろうが、
腐るということはない。

4年前に、こんな原稿を書いた。

題して、「運命論」。

自分で書いた原稿だが、私は
これを読んで、やはり、
う〜んとうなってしまった。

最近の私は、ひょっとしたら、
4年前より、退化しているかも
しれない。少なくとも、鋭さ
が消えた?

自分の原稿を読んで、そんな
印象をもった。

++++++++++++++

●運命論

 「私は孤独だ」と言えば、「それ、みろ。わかりきったことではないか」と言う人がいる
かもしれない。私のような、どこかゆがんだ性格をもった人間は、人に相手にされなくて、
当然。つまり、その分、孤独になる。

 だから私のような人間は、あえて最下層を、静かに生きるしかない。音も立てず、人知
れず、おだやかに……。

 しかし私には、どうしてもそれができない。何かあると、すぐワーッと声をあげてしま
う。そしてあちこちに、敵をつくってしまう。バカなのか。それとも、アホなのか。

 ほどほどのところで、ほどほどの人生を歩むほうが、よほど、楽。そう割り切って生き
ている人は、五万といる。いや、ほとんどの人が、そうではないか。またそういう人ほど、
友人も多く、家族のきずなも、太い。

 私がかかえている問題のほとんどは、他人からもたらされたものというよりは、自分で
もちこんだもの。それが一つずつ、よくわかるようになった。これも年の功。あるいは、
少しは自分に謙虚になったためか。

 たとえば一人の女性がいる。夫とは、結婚後半年で離婚。今は、四歳になっている一人
娘を育てている。

 その女性のホームページをのぞく。「いやし系ホームページ」と歌っているが、実は、は
げしい不平、不満の嵐。あっちに不平をぶつけ、こっちに不満をぶつけている。「あれが悪
い!」「これがなっていない!」と。

 その女性のホームページを読んでいると、何のことはない。私のしていることは、その
女性のしていることと同じ。あるいは、どこが違うのか。そのはげしさゆえに、私でも、
仮にその女性と結婚したとしたら、半年どころか、一か月で離婚するだろう。

 実のところ、ワイフもときどき、こう言う。「私だから、あんたと結婚できたのよ」と。
多分に恩着せがましい言い方だが、このところ、「うん、そうだな」と答えることが多くな
った。自分がわかればわかるほど、ワイフの言うことが正しいと思うようになった。

 運命というものはあるのか。それともないのか。それは私にもわからないが、しかしこ
れだけは言える。

 自分の進むべき道は、無数の要素(ファクター)が、無数に組みあわさって決まるとい
うこと。あとは確率の問題。もちろんその無数の要素の一つずつを知ることは、不可能。
だから結局は、成りゆきのなかで、進むべき道は決まっていく。

 先の女性にしても、こう書くのは、たいへん失礼なこととは思うが、しかし、なるべく
して、そうなったのではないのか? ただその女性は、まだ若いから、自分の中の自分に
気づいていない? だから世間を攻撃し、社会を攻撃している。はては、「女一人で生きて
いく、つらさや、きびしさが、そこらの人間にわかってたまるか!」(投稿コーナー)と書
いている。

 もちろんだからといって、私は、その女性を批判しているのではない。私も、若いとき
は、そうだった。自分の姿が見えなかった分だけ、世間を攻撃し、社会を攻撃した。しか
し、今は、そういう「甘え」は消えた。

 今の私が、今の私なのは、すべて私の責任である。すべて私の中の私が、今の私をつく
った。それは世間の責任でもないし、社会の責任でもない。それは近所のゴミ拾いとよく
似ている。

 近所の空き地には、いつも無数のゴミが散乱している。そういうゴミを見ると、「地主が
悪い」「市役所が悪い」と思うかもしれない。しかし、もしそういうゴミが気になったら、
自分で拾えばよい。つまり空き地にゴミが散乱しているのは、それを気にした、その人の
責任ということになる。

 それにかわって、このところ、ほんの少しずつだが、私は生きていることの美しさを感
ずるようになった。苦しみも、悲しみも、そういったものが、渾然(こんぜん)一体とな
って、「美しさ」をつくりあげている、と。もっと言えば、それぞれの人が、それぞれの立
場で、懸命に生きている。そういう無数のドラマが、全体として、「美しさ」をつくりあげ
ている、と。

 そういう視点で、自分自身を振りかえってみる。私も、不完全で、ボロボロの人間だ。「何
かをした」という充足感は、ほとんどない。毎日が、後悔の連続。決して居なおっている
わけではない。自分自身の限界がわかるようになった。そういう自分が、今、ここで懸命
に生きている。

 そういう自分に、「美しさ」の連帯感を覚えるようになった。「孤独?」……よいじゃな
いの、と。「失敗ばかり?」……よいじゃないの、と。「敵をつくる?」……よいじゃない
の、と。

 この先のことは、まだよくわからない。このまま世間や社会に押しつぶされてしまうか
もしれない。それとも、何かまた新しいことを発見するかもしれない。どうなるかわから
ないが、ともかくも、がんばって生きていくしかない。
(030919)

【約束】

マガジンの読者の方には、お約束します。もし何か、新しいこと発見したら、一番にお
知らせします。

It was previously a question of finding out whether or not life had to have a meaning 
to be lived. It now becomes clear, on the contrary, that it will be lived all the 
better if it has no meaning. ー Albert Camus
人生には生きる意味があるのか。それを疑問に思ってきた。しかし今、それとは対照的に、
つぎのことがはっきりとしてきた。つまり意味がなくても、まったく問題なく生きられる
ということが。(A・カムス)

Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts. ー Albert 
Einstein
自分の目でものを見ることができる人は、ほとんど、いない。自分の心で聞くことができ
る人も、ほとんど、いない。(A・アインシュタイン)

To be ignorant of one's ignorance is the malady of the ignorant. ー Amos Bronson Alcolt
自分の無知に無知なのは、無知な人の病気だ。(A・B・アルコット)

Another way in is the other way out; Never doubt where to exit; it is another entrance 
out. ー Andrew S. Pudliner
入り口は、出口。どこから出ようと思うな。それは入り口がもう一つの出口。(A・S・
パドライナー)

We are what we repeatedly do. ― Aristotle
我々というのは、我々が繰りかえすところのもの。(アリストテレス)

Happiness is something final and complete in itself, as being the aim and end of all 
practical activities whatever.... Happiness then we define as the active exercise 
of the mind in conformity with perfect goodness or virtue. ―Aristotle
幸福というのは、それ自体が、最終的かつ完ぺきなもの。そしてそれが何であれ、すべて
の活動の目的である。それゆえに、幸福を、私たちは、完ぺきな善と美徳と、心の調和と
定義する。(アリストテレス)

For example, justice is considered to mean equality, It does mean equalityー but 
equality for those who are equal, and not for all. ―Aristotle
たとえば正義は、平等を意味する。それはたしかに平等を意味するが、それは平等な人に
とっての、平等。すべての人には、そうではない。(アリストテレス)

It's like a finger, pointing at the moon. If you stare at the finger, you miss all 
the heavenly glory ー Bruce Lee "Enter The Dragon"
それは月を指さす、指のようなもの。もし指を見つめるなら、あなたは天の栄華を見逃す
ことになるだろう。(ブルース・リー「エンター・ザ・ドラゴン」)

Nothing is ever accomplished by a reasonable man. ー Bucy's Law
道理のわかる男によって完成されたものは、何もない。

You have two ears and only one mouth for a reason ー Buddhist Belief
あなたには二つの耳がある。しかし道理を語る口は、ただ一つ。(仏教)

To be is to do. ―Descartes
生きることは、行動することである。(デカルト)

I think therefore I am. ― Descartes
我、思う。ゆえに我、あり。(デカルト)

Learning how to stand up is easy. Learning how to stand up after you've fallen down, 
that is tough. ― Dican
立つことを学ぶことは、簡単なこと。ころんだあとに、立つことを学ぶのは、つらいこと
だ。(ダイカン)

You can never lose what you never had. ― Dican
もったことがないものを、なくすことはない。(ダイカン)

It is not the brains that matter most, but that which guides themーーーthe character, 
the heart, generous qualities, progressive ideas. ― Dostoyevsky
問題は、脳ではない。問題は、何が脳をガイドするか、だ。性格、心情、性質、思想など。
(ドストエフスキー)

I don't suffer from insanity but enjoy every minute of it ー Edgar Allan Poe
私は狂気に苦しまない。私はその瞬間、瞬間を楽しむだけ。(E・A・ポー)

Everything is but a dream within a dream." ー Edgar Allen Poe
すべてのものは、夢の中の夢。(E・A・ポー)

Growth for the sake of growth is the ideology of the cancer cell. ー Edward Abbey
成長のための成長というのは、ガン細胞のイデオロギーだ。(E・アビー)

There's a part of every living thing that wants to become itself: the tadpole into 
the frog, the chrysalis into the butterfly, a damaged human being into a whole one. 
That is spirituality ー Ellen Bass
その範囲で生きるのは、簡単なこと。おたまじゃくしは、カエルになる。毛虫は、蝶にな
る。そしてキズついた人は、完成される。それが精神だ。(E・バス)

In a real dark night of the soul, it is always three o'clock in the morning, day after 
day. ー F. Scott Fitzgerald
魂の真夜中。それはいつも朝の三時。来る日も、来る日も、(F・S・フィッツゲラルド)

If you want to have clean ideas, change them as often as you change your shirts. ー
Francis Picabia
きれいな考えをもとうとするなら、シャツを替えるように、しばしば考えを変えることだ。
(F・ピカビア)

Do be do be do. ー Frank Sinatra
生きて、すべきことをせよ(?)(フランク・シナトラ)

I no longer want to walk on worn soles ー Friedich Nietzsche
もう破れた靴底の靴で歩きたくない。(F・ニーチェ)

Live simply that other may simply live. ― Gandhi
ほかの人が簡単に生きられるように、簡単に生きろ。(ガンジー)

Nonviolence is the greatest force at the disposal of mankind. It is mightier than
 the mightiest weapon of destruction devised by the ingenuity of man. ― Gandhi
不服なとき、非暴力は、もっとも強い武器である。それは人間の英知によってつくられた
あらゆる武器よりも、強いものである。(ガンジー)

If I accept you as you are, I will make you worse; however, if I treat you as though 
you are what you are capable of becoming, I help you become that. ― Goethe
あるがままのあなたを受け入れれば、私はあなたをより悪くしていまうだろう。もし私が
あなたを、あなたがなれる人として扱うなら、私はあなたがそうなるのを助けることにな
る。(ゲーテ)

【注釈】
 フランク・シナトラの、「do be do be do」について、ヤフーで検索してみ
たら、こんな記事をヒットした。

Other than Brazilian music, though, Sinatra stayed away from developments in jazz 
beyond swing (unless one counts a quirk like his notorious "doーbeーdoーbeーdo"
 scatting at the close of "Strangers In the Night").

しかしブラジル音楽のほかに、シナトラは、ジャズ音楽をそれ以上、することはなかった。(「真
夜中のストレンジャー」で、歌われた、あの悪名高い「doーbeーdoーdo」のような、意味のな
い単語を並べた気まぐれな歌を、その数に数えないならの話だが……。)

つまり、「doーbeーdoーbeーdo」は、意味のない言葉だというのだ。私は「生きて、すべきこ
とをせよ」と訳すまでに、かなり考えた。時間をムダにした。

++++++++++++++++

世界の賢者たちの言葉を引用することに
ついて、その当時、「孫引きでは意味が
ない」と、私のBLOGに書いてきた
人がいた。

「孫引き」というのは、だれかがすでに
翻訳し、本などに発表したもの、という
意味である。

そんなわけで、それ以後は、私はきるだけ、
原文(英語)から直接、自分で翻訳して
こういう場で使うようにしている。

この原稿を読んで、改めて、「運命」に
ついて考える。

+++++++++++++++++

●運命論(補足)

 たしかに自分の運命は、自分だけで、決まるものではない。私には、無数の(糸)がか
らんでいる。その糸が、私の進むべき道を、勝手に決めてしまう。そういう場面に出くわ
すことは多い。

 健康、家族、仕事、収入、世間……などなど。国や環境、さらには世界まで、私に大き
く作用している。「私は自由だ」といくら叫んでも、その自由には、いつも限界がある。

 言いかえると、私は、(私たちはと書いてもよいが)、いつもその限界状況の中で、もが
いている。もがいていく過程の中で、自分の道が決まっていく。それを「運命」というの
なら、運命は、だれにでもある。

中には、「運命は不確定なもの」と主張する人がいる。しかし冷静に自分の周囲を見れば、
ある程度は、自分の運命を知ることができる。未来について、ある程度の予測はできる。
そのうち、自分の「死」すらも、計算で求められるようになるかもしれない。DNAや
細胞の組織を詳しく調べて、「あなたの寿命は、あと5年と7か月です」とか、何とか。

 もしそうなれば、それも一本の「糸」ということになる。

 が、その限界の中で、それを受け入れてしまってはいけない。私たちはたしかに、もが
く。もがくが、そこでふんばる。その(ふんばる)ところに、生きる意味がある。無数の
ドラマもそこから生まれる。

 世界の賢者たちの言葉の中で、私はやはり、デカルトの言葉が好きだ。『生きることは、
行動することである』『我、思う。故に我、あり』と説いた、デカルトの言葉である。

 運命がそこにあるからといって、あきらめてはいけない。のろってもいけない。自分で
はどうにもならないことについては、さっさとあきらめ、受け入れる。しかし戦うべき運
命とは、戦う。

 それが生きるということではないか。
(07年10月23日記)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●赤福餅

+++++++++++

伊勢のおかげ横町の中心部
に、赤福餅の本店がある。

つい先日、私とワイフは、
あの店で、赤福餅を食べた。

「おいしい」という実感は
あまりなかった。今では、
あの程度の菓子なら、どこに
でもある。

その赤福餅が、今、大きな
問題になっている。

製造年月日をごまかして
いたという。

う〜ん。

原稿の世界にも、製造年月日ならぬ、
制作年月日というのがある。

しかしこちらは、だいじょうぶ。
10年前のものであろうが、
20年前のものであろうが、
腐るということはない。

4年前に、こんな原稿を書いた。

題して、「運命論」。

自分で書いた原稿だが、私は
これを読んで、やはり、
う〜んとうなってしまった。

最近の私は、ひょっとしたら、
4年前より、退化しているかも
しれない。少なくとも、鋭さ
が消えた?

自分の原稿を読んで、そんな
印象をもった。

++++++++++++++

●運命論

 「私は孤独だ」と言えば、「それ、みろ。わかりきったことではないか」と言う人がいる
かもしれない。私のような、どこかゆがんだ性格をもった人間は、人に相手にされなくて、
当然。つまり、その分、孤独になる。

 だから私のような人間は、あえて最下層を、静かに生きるしかない。音も立てず、人知
れず、おだやかに……。

 しかし私には、どうしてもそれができない。何かあると、すぐワーッと声をあげてしま
う。そしてあちこちに、敵をつくってしまう。バカなのか。それとも、アホなのか。

 ほどほどのところで、ほどほどの人生を歩むほうが、よほど、楽。そう割り切って生き
ている人は、五万といる。いや、ほとんどの人が、そうではないか。またそういう人ほど、
友人も多く、家族のきずなも、太い。

 私がかかえている問題のほとんどは、他人からもたらされたものというよりは、自分で
もちこんだもの。それが一つずつ、よくわかるようになった。これも年の功。あるいは、
少しは自分に謙虚になったためか。

 たとえば一人の女性がいる。夫とは、結婚後半年で離婚。今は、四歳になっている一人
娘を育てている。

 その女性のホームページをのぞく。「いやし系ホームページ」と歌っているが、実は、は
げしい不平、不満の嵐。あっちに不平をぶつけ、こっちに不満をぶつけている。「あれが悪
い!」「これがなっていない!」と。

 その女性のホームページを読んでいると、何のことはない。私のしていることは、その
女性のしていることと同じ。あるいは、どこが違うのか。そのはげしさゆえに、私でも、
仮にその女性と結婚したとしたら、半年どころか、一か月で離婚するだろう。

 実のところ、ワイフもときどき、こう言う。「私だから、あんたと結婚できたのよ」と。
多分に恩着せがましい言い方だが、このところ、「うん、そうだな」と答えることが多くな
った。自分がわかればわかるほど、ワイフの言うことが正しいと思うようになった。

 運命というものはあるのか。それともないのか。それは私にもわからないが、しかしこ
れだけは言える。

 自分の進むべき道は、無数の要素(ファクター)が、無数に組みあわさって決まるとい
うこと。あとは確率の問題。もちろんその無数の要素の一つずつを知ることは、不可能。
だから結局は、成りゆきのなかで、進むべき道は決まっていく。

 先の女性にしても、こう書くのは、たいへん失礼なこととは思うが、しかし、なるべく
して、そうなったのではないのか? ただその女性は、まだ若いから、自分の中の自分に
気づいていない? だから世間を攻撃し、社会を攻撃している。はては、「女一人で生きて
いく、つらさや、きびしさが、そこらの人間にわかってたまるか!」(投稿コーナー)と書
いている。

 もちろんだからといって、私は、その女性を批判しているのではない。私も、若いとき
は、そうだった。自分の姿が見えなかった分だけ、世間を攻撃し、社会を攻撃した。しか
し、今は、そういう「甘え」は消えた。

 今の私が、今の私なのは、すべて私の責任である。すべて私の中の私が、今の私をつく
った。それは世間の責任でもないし、社会の責任でもない。それは近所のゴミ拾いとよく
似ている。

 近所の空き地には、いつも無数のゴミが散乱している。そういうゴミを見ると、「地主が
悪い」「市役所が悪い」と思うかもしれない。しかし、もしそういうゴミが気になったら、
自分で拾えばよい。つまり空き地にゴミが散乱しているのは、それを気にした、その人の
責任ということになる。

 それにかわって、このところ、ほんの少しずつだが、私は生きていることの美しさを感
ずるようになった。苦しみも、悲しみも、そういったものが、渾然(こんぜん)一体とな
って、「美しさ」をつくりあげている、と。もっと言えば、それぞれの人が、それぞれの立
場で、懸命に生きている。そういう無数のドラマが、全体として、「美しさ」をつくりあげ
ている、と。

 そういう視点で、自分自身を振りかえってみる。私も、不完全で、ボロボロの人間だ。「何
かをした」という充足感は、ほとんどない。毎日が、後悔の連続。決して居なおっている
わけではない。自分自身の限界がわかるようになった。そういう自分が、今、ここで懸命
に生きている。

 そういう自分に、「美しさ」の連帯感を覚えるようになった。「孤独?」……よいじゃな
いの、と。「失敗ばかり?」……よいじゃないの、と。「敵をつくる?」……よいじゃない
の、と。

 この先のことは、まだよくわからない。このまま世間や社会に押しつぶされてしまうか
もしれない。それとも、何かまた新しいことを発見するかもしれない。どうなるかわから
ないが、ともかくも、がんばって生きていくしかない。
(030919)

【約束】

マガジンの読者の方には、お約束します。もし何か、新しいこと発見したら、一番にお
知らせします。

It was previously a question of finding out whether or not life had to have a meaning 
to be lived. It now becomes clear, on the contrary, that it will be lived all the 
better if it has no meaning. ー Albert Camus
人生には生きる意味があるのか。それを疑問に思ってきた。しかし今、それとは対照的に、
つぎのことがはっきりとしてきた。つまり意味がなくても、まったく問題なく生きられる
ということが。(A・カムス)

Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts. ー Albert 
Einstein
自分の目でものを見ることができる人は、ほとんど、いない。自分の心で聞くことができ
る人も、ほとんど、いない。(A・アインシュタイン)

To be ignorant of one's ignorance is the malady of the ignorant. ー Amos Bronson Alcolt
自分の無知に無知なのは、無知な人の病気だ。(A・B・アルコット)

Another way in is the other way out; Never doubt where to exit; it is another entrance 
out. ー Andrew S. Pudliner
入り口は、出口。どこから出ようと思うな。それは入り口がもう一つの出口。(A・S・
パドライナー)

We are what we repeatedly do. ― Aristotle
我々というのは、我々が繰りかえすところのもの。(アリストテレス)

Happiness is something final and complete in itself, as being the aim and end of all 
practical activities whatever.... Happiness then we define as the active exercise 
of the mind in conformity with perfect goodness or virtue. ―Aristotle
幸福というのは、それ自体が、最終的かつ完ぺきなもの。そしてそれが何であれ、すべて
の活動の目的である。それゆえに、幸福を、私たちは、完ぺきな善と美徳と、心の調和と
定義する。(アリストテレス)

For example, justice is considered to mean equality, It does mean equalityー but 
equality for those who are equal, and not for all. ―Aristotle
たとえば正義は、平等を意味する。それはたしかに平等を意味するが、それは平等な人に
とっての、平等。すべての人には、そうではない。(アリストテレス)

It's like a finger, pointing at the moon. If you stare at the finger, you miss all 
the heavenly glory ー Bruce Lee "Enter The Dragon"
それは月を指さす、指のようなもの。もし指を見つめるなら、あなたは天の栄華を見逃す
ことになるだろう。(ブルース・リー「エンター・ザ・ドラゴン」)

Nothing is ever accomplished by a reasonable man. ー Bucy's Law
道理のわかる男によって完成されたものは、何もない。

You have two ears and only one mouth for a reason ー Buddhist Belief
あなたには二つの耳がある。しかし道理を語る口は、ただ一つ。(仏教)

To be is to do. ―Descartes
生きることは、行動することである。(デカルト)

I think therefore I am. ― Descartes
我、思う。ゆえに我、あり。(デカルト)

Learning how to stand up is easy. Learning how to stand up after you've fallen down, 
that is tough. ― Dican
立つことを学ぶことは、簡単なこと。ころんだあとに、立つことを学ぶのは、つらいこと
だ。(ダイカン)

You can never lose what you never had. ― Dican
もったことがないものを、なくすことはない。(ダイカン)

It is not the brains that matter most, but that which guides themーーーthe character,
 the heart, generous qualities, progressive ideas. ― Dostoyevsky
問題は、脳ではない。問題は、何が脳をガイドするか、だ。性格、心情、性質、思想など。
(ドストエフスキー)

I don't suffer from insanity but enjoy every minute of it ー Edgar Allan Poe
私は狂気に苦しまない。私はその瞬間、瞬間を楽しむだけ。(E・A・ポー)

Everything is but a dream within a dream." ー Edgar Allen Poe
すべてのものは、夢の中の夢。(E・A・ポー)

Growth for the sake of growth is the ideology of the cancer cell. ー Edward Abbey
成長のための成長というのは、ガン細胞のイデオロギーだ。(E・アビー)

There's a part of every living thing that wants to become itself: the tadpole into
 the frog, the chrysalis into the butterfly, a damaged human being into a whole one.
 That is spirituality ー Ellen Bass
その範囲で生きるのは、簡単なこと。おたまじゃくしは、カエルになる。毛虫は、蝶にな
る。そしてキズついた人は、完成される。それが精神だ。(E・バス)

In a real dark night of the soul, it is always three o'clock in the morning, day after 
day. ー F. Scott Fitzgerald
魂の真夜中。それはいつも朝の三時。来る日も、来る日も、(F・S・フィッツゲラルド)

If you want to have clean ideas, change them as often as you change your shirts. ー 
Francis Picabia
きれいな考えをもとうとするなら、シャツを替えるように、しばしば考えを変えることだ。
(F・ピカビア)

Do be do be do. ー Frank Sinatra
生きて、すべきことをせよ(?)(フランク・シナトラ)

I no longer want to walk on worn soles ー Friedich Nietzsche
もう破れた靴底の靴で歩きたくない。(F・ニーチェ)

Live simply that other may simply live. ― Gandhi
ほかの人が簡単に生きられるように、簡単に生きろ。(ガンジー)

Nonviolence is the greatest force at the disposal of mankind. It is mightier than 
the mightiest weapon of destruction devised by the ingenuity of man. ― Gandhi
不服なとき、非暴力は、もっとも強い武器である。それは人間の英知によってつくられた
あらゆる武器よりも、強いものである。(ガンジー)

If I accept you as you are, I will make you worse; however, if I treat you as though 
you are what you are capable of becoming, I help you become that. ― Goethe
あるがままのあなたを受け入れれば、私はあなたをより悪くしていまうだろう。もし私が
あなたを、あなたがなれる人として扱うなら、私はあなたがそうなるのを助けることにな
る。(ゲーテ)

【注釈】
 フランク・シナトラの、「do be do be do」について、ヤフーで検索してみ
たら、こんな記事をヒットした。

Other than Brazilian music, though, Sinatra stayed away from developments in jazz 
beyond swing (unless one counts a quirk like his notorious "doーbeーdoーbeーdo" 
scatting at the close of "Strangers In the Night").

しかしブラジル音楽のほかに、シナトラは、ジャズ音楽をそれ以上、することはなかった。(「真
夜中のストレンジャー」で、歌われた、あの悪名高い「doーbeーdoーdo」のような、意味のな
い単語を並べた気まぐれな歌を、その数に数えないならの話だが……。)

つまり、「doーbeーdoーbeーdo」は、意味のない言葉だというのだ。私は「生きて、すべきこ
とをせよ」と訳すまでに、かなり考えた。時間をムダにした。

++++++++++++++++

世界の賢者たちの言葉を引用することに
ついて、その当時、「孫引きでは意味が
ない」と、私のBLOGに書いてきた
人がいた。

「孫引き」というのは、だれかがすでに
翻訳し、本などに発表したもの、という
意味である。

そんなわけで、それ以後は、私はきるだけ、
原文(英語)から直接、自分で翻訳して
こういう場で使うようにしている。

この原稿を読んで、改めて、「運命」に
ついて考える。

+++++++++++++++++

●運命論(補足)

 たしかに自分の運命は、自分だけで、決まるものではない。私には、無数の(糸)がか
らんでいる。その糸が、私の進むべき道を、勝手に決めてしまう。そういう場面に出くわ
すことは多い。

 健康、家族、仕事、収入、世間……などなど。国や環境、さらには世界まで、私に大き
く作用している。「私は自由だ」といくら叫んでも、その自由には、いつも限界がある。

 言いかえると、私は、(私たちはと書いてもよいが)、いつもその限界状況の中で、もが
いている。もがいていく過程の中で、自分の道が決まっていく。それを「運命」というの
なら、運命は、だれにでもある。

中には、「運命は不確定なもの」と主張する人がいる。しかし冷静に自分の周囲を見れば、
ある程度は、自分の運命を知ることができる。未来について、ある程度の予測はできる。
そのうち、自分の「死」すらも、計算で求められるようになるかもしれない。DNAや
細胞の組織を詳しく調べて、「あなたの寿命は、あと5年と7か月です」とか、何とか。

 もしそうなれば、それも一本の「糸」ということになる。

 が、その限界の中で、それを受け入れてしまってはいけない。私たちはたしかに、もが
く。もがくが、そこでふんばる。その(ふんばる)ところに、生きる意味がある。無数の
ドラマもそこから生まれる。

 世界の賢者たちの言葉の中で、私はやはり、デカルトの言葉が好きだ。『生きることは、
行動することである』『我、思う。故に我、あり』と説いた、デカルトの言葉である。

 運命がそこにあるからといって、あきらめてはいけない。のろってもいけない。自分で
はどうにもならないことについては、さっさとあきらめ、受け入れる。しかし戦うべき運
命とは、戦う。

 それが生きるということではないか。
(07年10月23日記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室から】

++++++++++++++

BW教室では、毎回、まったく
新しいテーマで、子どもたちとの
学習を進めている。

1年を通して、1度として、同じ
レッスンをしない。

++++++++++++++

 今週のテーマは、手作業。わかりやすく言えば、脳の中でも、運動野に属する部分の学
習。(少し大げさかな?)

 たとえば(かかし)を、何十個も、描かせてみる。(大きさは、数センチ四方のワクの中
に描かれたかかし。)

 そのとき学習能力の高い子どもは、数個描いただけで、描き順を定型化し、能率よく描
きつづける。そうでない子どもは、いつまでもその描き順が乱れる。

 また全体をながめて、つぎのように判断する。

 筆圧や形、大きさが、ある一定のリズムで乱れるのは、むしろ正常なことと判断される。
しかしそれが不規則に乱れるようであれば、それだけ気分的なムラのはげしい子どもとみ
る。

 ……などなど。こうした判断については、その場で、参観している親に説明した。

 そのあと、みんなで、アイロンビーズで遊んだ。「お母さんにすてきなプレゼントを作っ
てあげようね」と。自分以外の人を喜ばすことを教える。言うまでもなく、やさしい人と
いうのは、それが自然な形でできる人のことをいう。

 アイロンがけは、もちろん私がした。で、子どもたちは基盤の上に並べたアイロンビー
ズをもってきたが、一人、私の不注意で、こわしてしまった子どもがいる。本当は怒って
泣き叫びたかったのだろうが、がまんした。気持ちは、よくわかった。私は何度もあやま
り、いっしょに、並べなおしてやった。

+++++++++++++++++++++

やさしい人について、以前、こんな原稿を
書いたので、転載します。
(中日新聞発表済み)

+++++++++++++++++++++

●指示は具体的に

 具体性のない指示には、意味がない。たとえば「友だちと仲よくするのですよ」「先生の
話をよく聞くのですよ」と言うのは、それを言う側の、気休め程度の意味しかない。「交通
事故に気をつけるのですよ」と言うのも、そうだ。そういうときは、こう言う。

友だちと仲よくしてほしかったら、「この○○を、A君にもっていってあげてね。きっと
A君は喜ぶわ」と。先生の話をよく聞いてほしかったら、「今日、学校から帰ってきたら、
先生がどんな話をしたか、あとで話してね」と言うなど。

交通事故については、一度、事故の様子を演技してみせるとよい。(自動車が走ってくる)
→(子どもが飛び出す)→(自動車が子どもをはねる)→(子どもがもがき苦しむ)と。
迫真の演技であればあるほど、よい。気の弱い子どもだと泣き出してしまうかもしれな
いが、子どもの命を守るためだと思い、決して手を抜かないこと。茶化さないこと。こ
んな子どもがいた。

 その子どもは、母親が何度注意しても、近くの小川で遊んでいた。そこである日母親が、
トイレの排水がどこをどう通って、その小川にどう流れていくかを、歩きながら順に追っ
て見せた。以後、その子どもは、その小川で遊ばなくなった。要するに子どもに与える指
示には、具体性をもたせろということ。この方法は、次のようにも応用できる。

 たとえば自尊心。「自分を大切にしなさい」と言っても、やはり意味がない。そういうと
きは、「名前を大切にしようね」と教える。さらに具体的には、新聞でも雑誌でも、子ども
の名前の出ているものは、最大限尊重する。切りぬいて、高いところに張りつけたり、ア
ルバムにしまったりする。皆の前で、ほめるのもよい。そしてそのつど、「あなたの名前は
いい名前だ」「すばらしい名前だ」と言う。子どもは自分の名前を大切にすることによって、
自分自身を大切にすることを学ぶ。それが自尊心につながる。

 たとえばやさしさ。「人に親切にしようね」と言っても、やはり意味がない。そういうと
きは、そのつど、「こうするとパパが喜ぶよね」「これを分けてあげると、○○(妹)が喜
ぶわね」と、相手を喜ばすことを教える。また結局はそれが自分にとっても、楽しいこと
であることを教える。やさしい人というのは、それが自然な形でできる人のことをいう。

 たとえば命の尊さ。「命を大切にしようね」と言っても、やはり意味がない。子どもに命
の尊さを教えようとするなら、どんな生きものであれ、その「死」をていねいに弔うこと。
子ども自身が、さみしさや悲しみを味わうようにしむける。

たとえばあなたのペットが死んだとする。そのときあなたがその死骸を、紙袋か何かに
包んで、ポイと捨てるようなことをすると、あなたの子どもは「命」というのは、そう
いうものだと思うようになる。そして命、さらには生きていることそのものを、粗末に
するようになる。どんな宗教でも、死をていねいに弔う。それは死を弔いながら、その
反射的効果として、生きていることを再確認するためではないか。

そういうことも考えながら、死はどこまでも厳粛に。なお死への恐怖心(地獄論やバチ
論など)をもたせて、命の尊さを教える人もいるが、これは教育の世界では邪道。幼児
や年少の子どもには、決してしてはならない。

+++++++++++++++++++++

もう一つ、以前、書いた原稿を
再掲載します。

+++++++++++++++++++++

●利己と利他

 自分への利益誘導を、「利己」という。他人への利益誘導を、「利他」という。一見、正
反対に見える人間の反応だが、方向性が、違うだけ。「根」は、同じ。利益誘導が自分に向
かえば、利己。他人に向かえば、利他。ここまでは常識だが、しかし、利己は利己のまま
だが、利他は、結局は、利己にかえってくる。

 子どもは、成長過程において、乳児期の段階では、利己的な行動パターンが中心。自分
への利益を求めて、泣いたり、ぐずったりする。しかしやがて幼児期に入ると、他人を喜
ばすことを覚え、そしてそれが結局は、自分にとっても、楽しいことであることを学ぶ。
たとえばよく、幼い子どもが、何か新しいことができるようになったとき、母親に向かっ
て、「見て、見て、お母さん、できるようになった!」と言ってくることがある。はじめて
自転車に乗れるようになったとき。はじめて文字が読めるようになったとき、など。

 これは(新しいことができる)→(母親が喜んでくれる)→(母親が喜んでくれれば、
自分もうれしい)という心理作用による。子どもは、母親を喜ばすこと(=利他)によっ
て、自分を満足させている(=利己)のが、わかる。しかしこの段階で、もし子どもにと
って、喜んでくれる人がいなければ、子どもは、利己を利他に結びつけることができない
ことになる。つまり利己の世界だけで、自分を満足させることになってしまう。

 ところで人間の美しさは、いかに利他的に生きるかで決まる。他人をいたわり、他人を
思いやり、他人に同情する。そういう自分を離れた行為のハバが広ければ広いほど、その
人の生き方も、充実してくる。神の世界でいう愛、仏の世界でいう慈悲も、その延長線上
にある。

 一方、利己的であればあるほど、その人の生きザマは見苦しくなる。どう見苦しいかは、
今さら、ここに書くまでもない。が、見苦しいだけではない。その人自身も、孤独の世界
で、悶絶することになる。自分を理解してくれる人がいない。自分を喜んでくれる人がい
ない。さらには自分を愛してくれる人がいない。それはまさに「無間地獄」そのものとい
うことになる。

 で、教育の世界では、子どもたちを、いかにして利他的にするかが、たいへん重要なテ
ーマとなる。当然のことながら、利他的な人がふえればふえるほど、私たちの住む、この
世界は、住みやすくなる。まわりの人だけではない。その人自身にとっても、住みやすく
なる。

 そこで最初の話にもどる。利他的な子どもにするには、どうしたらよいかだが、実は、
そのカギを握るのは、母親ということになる。子どもの側から見て、自分の成長を喜んで
くれる人がいてはじめて、子どもはそこで、利己を、利他に転換することができる。園や
学校の教師でも、母親の代用をすることはできるのだろうが、その時期、つまり子どもが
利己から利他への転換を学ぶ時期は、もっと早い段階である。おそらく〇歳〜一、二歳ま
での時期ではないか。その時期は、どうしても母親と子どもの関係が、主体となる。

 子どもがはじめて自分の足で立つ。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。ほめる。子ども
がはじめて、はう。そのとき、母親が(父親も)、喜ぶ。そういう母親の姿を見て、子ども
は、利己を利他に転換することができる。

 結論は、もうおわかりかと思う。子どもを、利他的な人間、つまり心のやさしい、人の
心の痛みのわかる子どもにしたかったら、方法は簡単。子どもの成長を、そのつど心底、
喜んでみせる。そういう母親側からの働きかけ(ストローク)があってはじめて、子ども
は、利己的な人間から抜け出て、利他的な人間になることができる。

【追記1】
 乳幼児期に、自分の成長を喜んでくれる人が、周囲にいないというのは、その子どもに
とっても、きわめて不幸なことである。利己を利他に転換できないまま、(あるいはその技
術を身につけないまま)、子どもは大きくなってしまう。

 そういう利己的な子どもがどうなるかは、ここに改めて書くまでもない。そこで今、私
たちが周囲の人たちを見回してみたとき、心の暖かい人もいれば、冷たい人もいる。ある
いは話していると、ほっとするような親しみを覚える人もいれば、表面的なつきあいしか
できない人もいる。

 で、そういう人が、どのような心理状態が基本になっているかを観察してみるとよい。
その一つの方法が、利己的か、利他的かということ。当然のことながら、利己的な人ほど、
年齢を重ねれば重ねるほど、他人とのつきあいが希薄になる。利他的な人ほど、濃厚にな
る。(仕事や商売などの、利害関係をともなう人間関係は、別。)

 さらにその人が、どのような乳幼児期をすごしたかを観察してみるとよい。親の愛情を
たっぷりと受けて、心豊かな環境で育った人は、当然のことながら、利他的になる。しか
し不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、利己的になる。さらに……。

 親自身が無意識のうちにも、子どもを利己的な人間にすることがある。たとえば子ども
がせっかく文字らしきものを書いたにもかかわらず、「何よ? この字は! もっとじょう
ずに書けないの! となりの○○君は、もうカタカナが書けるのよ!」と。親が子どもの
成長を喜ぶどころか、子どもの成長そのものを否定してしまう。そうなれば子どもの心が
冷たくなって、当然。こういうことは、乳幼児期には、絶対に、あってはならない。

【追記2】
 こうして考えていくと、この問題も、結局は、私たち自身の問題であることに気づく。「で
は私は、どうなのか?」と。

 私自身(はやし浩司)は、心の冷たい人間である。利己的であるか、利他的であるかと
いうことになれば、利己的な人間である。少なくとも、若いころは、ずっとそうだった。

 その原因は、やはり、私自身の乳幼児期にあるのだと思うが、記憶がないため、それは
よくわからない。ただそれほど冷たい人間ではなかったように思う。小学生五、六年生の
とき、『フランダースの犬』という本を読んだとき、読みながら、オイオイと泣いたのをよ
く覚えている。

 その私が、きわめて利己的な人間になったのは、あの受験勉強が原因だと思う。そのと
きはそれがわからなかったが、今、こうして自分の過去を振りかえってみると、それがよ
くわかる。私は高校生のころ、ライバルの仲間が病気か何かで学校を休んだりすると、心
のどこかで「よかった」と思ったのを覚えている。心のゆがんだ、何ともつまらない人間
であったことが、こういう事実からもわかる。

 さて、このエッセーを読んでいる、あなた自身は、どうか?
(030422)

●子どもの成長は、そのつど、心底喜んでみせてあげよう。あなたの子どもは、心暖かく、
やさしい子どもになる。
●子どもを、安易に、受験勉強や競争で追ってはいけない。あなたの子どもの心は、その
つど、少しずつ破壊される。

【補足】

●あなたは利己型人間? それとも利他型人間?

つぎの項目のうち、丸が多いほうが、あなたの「型」ということになる。

( )いつも心のどこかで、損得の計算をしているようなところがある。損になることは、
できるだけ避けようとする傾向が強い。
( )他人の失敗や苦労を耳にしても、「自分はだいじょうぶ」とか、「あの人はバカだか
ら」と、割り切って考えることができる。
( )人にしてあげることより、してもらうことのほうが多い。してあげるときも、心の
どこかでいつも見返りを期待する。それがないと、怒ったり、不愉快になったりする。
( )他人に心を許すということはしない。「渡る世間は鬼ばかり」というような考え方を
することが多い。見知らぬ人には、とくに警戒する。
( )孤独を感ずることが多い。ときどき自分が死んでも、だれも悲しんでくれないだろ
うと思うときがある。【以上、利己型人間】

( )近所とのつきあい、自治会やPTAの仕事など、損得を忘れて行動できる。奉仕精
神が旺盛で、見返りなど、最初から期待していない。
( )よく「お人好し」と評されることがある。頼まれれば、何でも引き受けてしまう。
そのため結局は、あれこれと、いらぬ苦労することが多い。
( )他人が喜ぶ顔を見ると、うれしい。他人でも、かわいそうな人がいると、何とかし
てあげたいと思うことが多い。
( )何でも信じやすいほうで、よく人にだまされる。が、だまされても、自分が悪いと
思って、あきらめることができる。
( )何かと、知人や友人から相談を受けることが多い。年齢とともに、仕事以外で知り
あった同年齢の友人が、ふえてきた。【以上、利他型人間】
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 利他
 利
己 利他型人間 利己型人間 子供のやさしさ 子どものやさしさ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間関係を築けない若者たち

+++++++++++++++++

人間関係は、絶対的な(さらけ出し)と、
絶対的な(受け入れ)で決まる。

「絶対的」というのは、「疑いすら
もたない」という意味である。

この絶対的な(さらけ出し)と、
絶対的な(受け入れ)があってはじめて、
基本的な信頼関係が築かれる。

4年前にあったある事件をテーマに、
この問題を考えてみたい。

+++++++++++++++++

●新潟県M市で、中学三年の少女を、若い男が誘拐するという事件があった。これについ
●て、当時、静岡県K市の母親から、「どう考えたらいいですか」という、質問をもらった。
●それを考える前に、事件の概要について引用しておく。

+++++++++++++++++++++

●新潟・少女連れ去り男の素顔に迫る 

 新潟県 M市で中学三年生の女子生徒が連れ去られた事件で、逮捕された26歳の男は、
紐で縛ったり、ナイフで脅すなどして連れ回していた。この26歳の男は、どのような人
物だったのか、その素顔に迫ってみた。

 未成年者略取の疑いで逮捕されたKJ容疑者(26歳)は、新潟県 佐渡にある中学校を
卒業。しかし、学校にはほとんど行っていなかったという。
 
Q.近藤容疑者について
 「内向的で消極的で、いじめられていた。成績は全く良くなくて、家にひきこもってい
て、たまに学校へ行く程度」(中学時代の同級生)
(TBS・news i、より)

+++++++++++++++++++++

●原因と考え方

新生児期から乳幼児期にかけて、とくに母子の関係で、基本的信頼関係を結ぶことに失
敗した子どもは、そののち、他人との人間関係をうまく結べなくなる。そのため、(密着)
と(離反)を繰りかえすようになる。それをうまく説明したのが、ショーペンハウエル
である。

●ショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」

 寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。しか
しくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、
体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、
ほどよいところで、体を温めあった。

 これがショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話である。しかしこれと同じよう
なことは、夫婦の間でも、そして親子の間でもある。

 男と女は、結婚する。電撃に打たれるような衝撃を受け、相思相愛で結婚したというケ
ースは別として、中には、孤独からのがれるために結婚する人も珍しくない。もともとは
他人への依存性が強い人で、心のスキ間を埋めるために結婚する。しかしこのタイプの人
は、一方で、人づきあいが苦手。結婚はしたものの、結婚生活そのものが、わずらわしく
てしかたない。だから、たがいにつかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで関
係を保つ。

 親子でも、似たようなケースがある。子どもがそばにいないと不安でならない。「ママ、
ママ」と甘えてくれる間は、うれしい。しかしそれが一定の限度を超え、子どもがずっと
そばにいると、うるさくてしかたない。「子どもを愛している」という自覚はどこかにはあ
るが、しかし一方で、「できるだけ早く、子育てから解放されたい」と願っている。そのた
め親子関係も、どこかつかず離れずの関係になる。

 奈良県のHYさん(母親)からの相談に、こんなのがあった。何でも夫がそばにいない
と、さみしく思うのだが、しかしたまの日曜日など、夫が一日中、家の中でゴロゴロして
いるのを見ると、わずらわしくてならないというのだ。いわく「ときどき私は、夫なんか
いてもいなくても、どちらでもよいと思うことがあります。しかしそのくせ夫が、そばに
いないとさみしくて、気がへんになってしまうのです」と。

 結論を先に言えば、このタイプの人は、乳幼児期の家庭環境に問題があったとみる。ふ
つう子ども(人)というのは、絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境の中で、心をはぐ
くむことができる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう環
境があってはじめて、子ども(人)は心の開き方を学び、そこから、たがいの信頼関係の
結び方を学ぶ。が、何らかの理由で、その「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」が
阻害されると、子ども(人)は心を開けなくなり、ついで人との信頼関係を、じょうずに
結べなくなる。

ここでいうHYさんは、まさにそのタイプの女性と考えてよい。HYさんは、夫や子ど
もにすら、心を開くことができない。つまり信頼関係を結ぶことができない。そしてそ
れが夫婦関係や、親子関係にまで影響を与えている。

 一般的に、心を開くことができない子ども(人)は、人と接するのが苦手。表面的には、
快活にふるまい、社交的になることはあるが、その分、精神疲労を起こしやすい。数時間、
町内の人といっしょに活動しただけで、ヘトヘトに疲れてしまったりする。しかしその一
方で、心を開くことができないため、孤独。さみしがり屋。ここにも書いたように、もと
もと他人への依存性も強い。近くにだれかがいないと、自分の心を保つことさえできない。
つまり、ここでショーペンハウエルの「二匹のヤマアラシ」の話にもどる。このタイプの
人は、孤独(寒さ)から逃れるために人(温もり)を求める。しかし人に近づきすぎると、
自分がキズつく。それを恐れるあまり、今度はそばには近寄れない。つまりつかず離れず
の関係になる。

●「密着」と「離反」

このタイプの子ども(人)の最大の特徴は、そのため人づきあいが、どこかぎこちなく
なること。ほどほどのところで、ほどよい人間関係を築くことができない。あるとき急
に接近してきたかと思うと、今度は、同じように急に離れていく。これを心理学の世界
では、「密着」「離反」という。

幼稚園の世界にも、『急速になれなれしてくる親には、要警戒』という言いまわしがある。
たとえばある日突然、幼稚園へやってきて、「ここの幼稚園が気に入りました。すばらし
い幼稚園です。来年からうちの息子をここへ入れます。下にももう一人、子どもがいま
すが、その子どももここに入れます」などとワーワーと騒ぐ。しかしそういう親ほど、
離れていくのも早い。

 つまりこのタイプの子ども(人)は、相手を自分の思わくだけで、引きずりまわしてし
まう。引きずりまわすほうは、それでかまわないが、引きずりまわされるほうは、たまら
ない。私も若いとき、こんな経験をしたことがある。

 ある会社の社内報の編集を手伝っていた。社長じきじきの依頼で、それなりに張り切っ
て仕事をしていた。が、その社長は、大の電話魔。真夜中であろうが、早朝であろうが、
電話をかけてきて、あれこれ私に指示してきた。それだけではない。そのつど怒涛(どと
う)のように、「君はすばらしい」「今度香港へ出張してほしい」「私がもっているアパート
を君に使ってもらいたい」「君の作る会報は一級だ。ついては予算を倍増したい」などと言
う。

 最初のうちはそれを真に受けて、ワイフと二人で喜びあったが、そのうちどうも様子が
おかしいのに気がついた。私がそれらの話を煮つめるため、社長の自宅へ行くと、今度は、
ああでもない、こうでもないと私の仕事にケチをつけて、「だから約束は守れない」と言い
出した。まさに私が遠ざかれば、近づいてきて、私が近づいていけば、遠ざかる……とい
う感じだった。

 その社長は、いわゆる心を許さないタイプの社長だった。俗な言い方をすれば、コロコ
ロと気分が変わる。私の立場からすると、つかみどころがない。その社長は、まさに密着
と離反を繰りかえしていたことになる。
 
●さらけ出す
 
 信頼関係を結ぶためには、自分をさらけ出す。さらけ出しても、平気である。そういう
自分への確信をもつ。本来ならこうした信頼関係の原型は、乳幼児期に形成される。それ
が先に書いた、「絶対的に安心できる、心豊かな家庭環境」ということになる。子ども(人)
は、そういう環境の中で、とくに親子関係の中で、自分をさらけ出すことを学ぶ。またさ
らけだしても、安心できることを学ぶ。

 が、それが阻害されることがある。原因はいろいろあるが、その原因はともかくも、子
ども(人)側からみて、自分をさらけ出せなくなってしまう。さらけ出すことに自信がな
くなるケースもあるが、さらけ出すことに恐怖感を覚えることもある。母親に向かって「バ
バア」と言ってみた。とたん、母親に殴られたとかなど。そういう無数の経験が積み重な
って、自分をさらけ出せなくなることもある。

 こういうことが重なると、子ども(人)は、仮面をかぶるようになる。自分を隠すよう
になる。たいていは「いい子」ぶりながら、無理をするようになる。よくある例は、幼児
期に、園の先生たちに「いい子だ」「いい子だ」とほめられるようなケース。このタイプの
子ども(人)は、いい子ぶることで、自分の身の保全をはかる。相手(親や教師)に取り
入るのがうまくなり、またその分、相手の期待にこたえようとする。この無理が無数に重
なって、やがて子どもの心をゆがめる。

 そういう意味では、幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で通った子どもほど、心
配ということになる。勉強もよくできる。言われたことは、ソツなくやりこなす。園でも
学校でも、いつもリーダー格で、問題を起こすということもない。もちろん本来的に「い
い子」というケースもないわけではないが、たいていは「無理をしている」と考えたほう
がよい。

 しかし問題は子ども(人)というより、あなた自身かもしれない。あなた自身は、夫(あ
るいは妻)や子どもの前で、自分をさらけ出すことができるかということ。わかりやすい
例では、あなたは夫(あるいは妻)の前でも、平気でプリプリっと、おならを出すことが
できるか。あるいは悲しいときやさみしいとき、自分の心を、すなおにそのまま表現でき
るか。それができればよし。しかしそれができないようであれば、当然のことながら、子
どももそれができなくなる。

 人というのは、自分がしていることには、寛容になる。していないことには、寛容にな
れない。常、日ごろから、自分をさらけ出すことになれている親は、子どもがそれをした
とき、それを自然な形で受け止めることができる。しかし自分をさらけ出すことができな
い親は、子どもがそれをするのを許さないばかりか、子どもが自分をさらけ出したりする
と、それを悪いことだと決めてかかってしまう。おさえてしまう。そしてその結果として、
親が、子どもに仮面をかぶるようにしむけてしまう。

●チェックテスト

 そこであなた自身をチェックテストしてみよう。

(1)あなたは夫(あるいは妻)の前で、したいことをし、言いたいことが言えるか。
(2)あなたは他人の中でも、それほど気をつかわず、自分をさらけ出すことができるか。
(3)あなたはあなたの親に対して、したいことをし、言いたいことをズケズケと言える
か。
(4)あなたは自分の子どもに対して、したいことをし、言いたいことを言えるか。
(5)あなたの子どもはあなたに対して、したいことをし、言いたいことを言っているか。

 このテストで、四〜五個、「YES」と答えたあなたは、いつもみなに、心を開いている
人ということになる。信頼関係の結び方もうまく、人間関係もスムーズ。そのため友人も
多いはず。

 しかしそうでなければ、まず「心を開く」ことから、始める。あなたの心を取り巻いて
いる無数のクサリを、一本ずつ解き放していく。根気のいる作業だが、しかし不可能では
ない。もしあなたがこのタイプの子ども(人)なら、夫(もしくは妻)の協力を得て、少
しずつ心を開く訓練をする。

方法としては、夫(あるいは妻)の前で、したいことをする。言いたいことを言う。自
分をさらけ出してみる。というのも、この問題だけは、決してあなただけの問題ではす
まない。そういう心の開けないあなたといっしょに住むことによって、さみしい思いを
しているのは、実はあなたの夫(妻)であることを忘れてはいけない。さらにあなたと
いう親が、そういう状態であるのに、どうして子どもに、「心を開け」と言えるだろうか。

 何でもないことのようだが、心を開くことができる人は、それをいとも簡単に、しかも
自然な形でできる。そうでない人には、そうでない。この問題は、その子ども(人)の乳
幼児期までさかのぼるほど、もともと「根」の深い問題である。

 夫婦にせよ、親子にせよ、その基本は、ゆるぎない信頼関係で決まる。その信頼関係を
結ぶためにも、まずあなたは、あなたの心を開き、その心を空に解き放ってみる。勇気を
出して、自分をさらけ出してみる。自分を飾ることはない。自分をつくることはない。気
負う必要もない。あなたはあなたのままでよい。そういう自分を、すなおにさらけ出して
みる。

 そこはすがすがしいほど、広い世界。青い空がどこまでも、どこまでもつづく、広い世
界。あなたも心を取り巻いているクサリを解き放ち、その広い世界を、思う存分、羽ばた
いてみよう! もし今、あなたが心の開けない人ならば……。

●攻撃型の子ども

他人との人間関係がうまく結べない子どもは、独特の症状を示すことが知られている。

大きく、(1)攻撃型、(2)服従型、(3)同情型、(4)依存型に分けられる。

攻撃型というのは、暴力や威圧をつかって、相手を自分の支配下におくというタイプ。
ツッパリ児が、その典型的な例ということになるが、この攻撃型にも、いろいろある。
ガリガリの猛勉強をする子どもも、この攻撃型の一つということになる。他人に対して
攻撃的になるか、自分に対して攻撃的になるかの違いと考えてよい。

 服従型というのは、服従する相手を決めて、その相手に徹底的に服従しようとする。親
分、子分の関係でいうなら、子分の立場ということになる。思考能力や判断力を、すべて
相手に渡す。集団非行を繰りかえす子どもの中に、このタイプの子どもが多いのは、その
ためと考えてよい。

 同情型というのは、弱い自分をわざと演じたり、人前でわざと病弱であることや、けが
を強調することで、自分の立場をつくる。相手が「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と声
をかけてくれるのを、待っている。このタイプの子どもは、たとえば先生の前でも仮面を
かぶり、よい子を演ずることが多い。

 依存型というのは、親や先生に、ベタベタ依存することで、自分の立場をつくる。俗に
いう甘えん坊ということになる。全体に人格の「核」形成が遅れ、見た感じ、その年齢に
比して、子どもっぽくなる。みなに、「かわいい子ね」と、あれこれ手をかけてもらうこと
を、無意識であるにせよ、求める。

 これら四つのタイプの子どもは、こうした環境を自分の周囲につくることによって、自
分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。だからたとえばツッパリ児に向って、「そ
んなことをすると、あなたはみんなに嫌われるよ」と説教しても、意味がない。このタイ
プの子どもは、わかりやすく言えば、みなに恐れられることによって、自分の立場を作っ
ている。

●冒頭の事件

 さて、未成年者略取の疑いで逮捕されたKJ容疑者(26歳)という男は、ここでいう
(1)攻撃型ということになる。

 KJ容疑者は、他人とうまく、人間関係が結べない。そのため攻撃的に、中学生を略取
した。そしてその原因は、ここにも書いたように、彼自身の幼児期にある。はからずもT
BSのnew・iは、こう報道している。

「Q.近藤容疑者について、内向的で消極的で、いじめられていた。成績は全く良くなく
て、家にひきこもっていて、たまに学校へ行く程度だった」(中学時代の同級生)と。

 この一文が、すべてを語っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 基本
的信
頼関係 さらけ出し 受け入れ)

【参考】

●子どもの引きこもり

+++++++++++++

イギリスのBBCが、日本の子どもたちの
「引きこもり」を特集して、報道した。
その資料が届いたので、翻訳してみる。
イギリス人のM・A氏が、イギリスから、
インターネットで送ってくれた。

+++++++++++++

Japan: The Missing Million
(日本、失われた100万人)

By Phil Rees
(日本特派員)

Teenage boys in Japan's cities are turning into modern hermits ー never 
leaving their rooms. Pressure from schools and an inability to talk to their 
families are suggested causes. Phil Rees visits the country to see what the 
"hikikomori" condition is all about. 

日本の都市部の10代の子どもたちが、今、世捨て人になりつつある。部屋から出ようともしな
い。学校
からの圧力と、家族と会話ができないことが、その原因と考えられる。フィル・リーズが、「引き
こもり」が
どのようなものか、現地で取材してみた。


I knew him only as the boy in the kitchen. 
私は息子を、台所で見かけるだけです。
His mother, Yoshiko, wouldn't tell me his name, fearful that neighbours in this Tokyo
 suburb might discover her secret. 
彼の母親の、ヨシコは、彼の名前すら呼ぼうとしない。近所の人たちに自分の秘密を知られる
のを、恐
れているためである。
Her son is 17 years old. Three years ago he was unhappy in school and began to play 
truant. 
彼女の17歳の息子は、3年前、学校でいやなことがあり、学校を怠けるようになった。
Then one day, he walked into the family's kitchen, shut the door and refused to leave. 
が、ある日、突然、彼は家の台所へやってきて、ドアを閉め、そこから出ることを拒んだ。

Families adjust 
家族の適応
Since then, he hasn't left the room or allowed anyone in. The family have since built 
a new kitchen ー at first they had to cook on a makeshift stove or eat take away food. 
それ以来、彼は台所から出ようとせず、だれも、その中に入れなくなった。
それで家族は新しい台所を作った。
で、最初のころは、ほかの家族たちは、移動用コンロを使い、テイクアウェイの料理を買ってき
て食べ
た。
His mother takes meals to his door three times a day. 
子どもの母親が、一日に三度、ドアのところまで、食事を運んだ。
The toilet is adjacent to the kitchen, but he only baths once every six months. 
トイレは、台所の中につくった。しかし彼は6か月に一度しか、風呂に入らなかった。
Yoshiko showed me pictures of her son before his retreat into isolation; he was a 
plump, cheerful young teenager, with no symptoms of mental illness. 
ヨシコは、息子のそれ以前の写真を見せてくれた。その写真では、彼は明るく、ふっくらとした
少年だっ
た。そうなる兆候は、まったく見られなかった。

Bullying tipped the balance 
いじめが、心のバランスを崩した
Then a classmate taunted him with anonymous hate letters and scrawled abusive
 graffiti about him in the schoolyard. 
そのとき彼のクラスメートが、匿名の手紙をわたし、彼をいじめた。そして学校の校庭で、彼を
誹謗する
落書きを書いた。
The boy in the kitchen suffers from a social disorder known in Japan as hikikomori, 
which means to withdraw from society. 
その台所の少年は、「引きこもり」として知られる、社会(適応)障害を起こすようになった。つま
り、社会
からの引きこもりを意味する。
One psychologist has described the condition as an "epidemic", which now claims
 more than a million sufferers in their late teens and twenties. 
一人の心理学者は、この状態を「流行」という言葉を使って説明している。そしてその流行によ
って、
今、
10代後半から20代にわたって、100万人の子どもたちが苦しんでいるという。
The trigger is usually an event at school, such as bullying, an exam failure or a broken 
romance. 
その引き金は、学校であったり、いじめであったり、試験の失敗や失恋であったりする。

Unique condition 
特殊な状態
Dr Henry Grubb, a psychologist from the University of Maryland in the United States, 
is preparing the first academic study to be published outside Japan. 
合衆国メリーランド大学の心理学者、ヘンリー・グラブ博士は、日本の外で、最初の学術的研
究を準備
している。
He says that young people the world over fear school or suffer agoraphobia, but 
hikikomori is a specific condition that doesn't exist elsewhere. 
彼はつぎのように言っている。若い人たちは、学校を恐れたり、「広場恐怖症」になりがちなも
のだが、
日本の「引きこもり」は、ほかの国には、ないものである。
"It's really hard to get a handle on this" he told me, "there's nothing like this in the 
West." 
「このタイプの子どもへの対処は、たいへんむずかしい。西洋社会には、こうした問題はない」
と彼は、
述べている。
Dr Grubb is also surprised by the passive, softly approach followed by parents and 
counselors in Japan. 
グラブ博士は、また日本の親や、カウンセラーの、受動的かつソフトな対応ぶりに驚いている。
"If my child was inside that door and I didn't see him, I'd knock the door down and 
walk in. Simple. But in Japan, everybody says give it time, it's a phase or he'll grow 
out of it." 
「もし私の子どもが、部屋の中に閉じこもり、もし彼を見なかったとしたら、私はドアをノックし、
中に入る
だろう。簡単なことだ。しかし日本では、時間をかけろ。段階がある。やがて子どもは出てくるだ
ろうと言
う」と。
If children refuse to attend school, social workers or the courts rarely get involved. 
子どもが不登校を起こしても、ソーシアルワーカーや、裁判所が、介入することは、めったにな
い。
Most consider hikikomori a problem within the family, rather than a psychological 
illness. 
日本では、ほとんどの人は、引きこもりは、心理学的な病気というよりは、家族内部の問題と
考えるよう
だ。
Historical origins 
歴史的な背景
Japan's leading hikikomori psychiatrist, Dr Tamaki Saito, believes the cause of the 
problem lies within Japanese history and society. 
日本の引きこもりの心理学者である、サイトー・タマキ博士は、その原因は、日本の歴史と社
会にある
と言う。
Traditional poetry and music often celebrate the nobility of solitude. 
伝統的な詩や音楽は、孤独の尊さをしばしば、めでる。
And until the midーnineteenth century, Japan had cut itself off from the outside world
 for 200 years. 
そして19世紀中ごろまでは、日本は、200年近くも、外の世界から遮断されていた。
More recently, Dr Saito points to the relationship between mothers and their sons. 
ごく最近、サイトー博士は、母と子どもの関係を指摘している。
Most hikikomori sufferers are male, often the eldest son. "In Japan, mothers and sons 
often have a symbiotic, coーdependent relationship. 
ほとんどの引きこもり児は、男の子である。とくに長男である。日本では、母と息子は、象徴的
な、つま
りは相互依存の関係にある。
Mothers will care for their sons until they become 30 or 40 years old." 
母親は、息子が30、40歳になるまで、息子のめんどうをみる。
After a period of time ー usually a matter of years ー some reーenter society. 
そのあとは、それは年数の問題だが、その中のある子どもは、社会復帰をする。

The mystery remains 
謎は残る
Increasingly, clinics are opening, offering a halfーway house for recovering sufferers. 
苦しんでいる人を治療するために、「半分ハウス」を提供するクリニックが、このところ、ふえて
いる。
Another sufferer, Tadashi, spent four years without leaving his home. 
タダシ君というもう一人の引きこもり児は。4年間、家から出なかった。
Two years ago, he sought help and now has a part time job making doughnuts. 
2年前、彼は助けを求め、今は、ドーナツをつくるパートタイムの仕事をしている。
Tadashi is slowly reーentering society. 
タダシ君は、少しずつ、社会復帰をしつつある。
He still fears meeting strangers and is petrified that neighbours will find out that he
 once suffered from the disorder. 
彼はまだ人に会うのを恐れている。そして彼は今、彼がその障害児であったことを、近所に知
られるの
ではないかと、恐れおののいている。
But what bothers him most is not understanding why he lost four years of his life. 
が、もっとも彼を当惑させているのは、なぜ彼が4年間を失ったかを理解できないところにあ
る。
"I want to know the reasons," he told me. "You could say it's related to Japanese 
traditions. 
「ぼくは、理由を知りたい。あなたはそれが日本の伝統に関係していると言うことができるかも
しれな
い」と、タダシ君は言う。
"I just don't know. I suppose people are still trying to find out what hikikomori is all 
about." 
「私は、ただわからないだけ。いったい引きこもりが何であるか、人々が、それを知ろうとしてい
るところ
だと思う」と。


【後記】
 
●引きこもりが、日本独特の現象であるとしても、日本の文化と関係があるというのは、
どうか? S・T博士は、「日本人は、孤独をめでる国民だから」と。ホント?

●引きこもる子どもで、長男が圧倒的に多いというのは、事実である。むしろ疑うべきは、
乳幼児期の母子の間で形成される、基本的信頼関係ではないのか。

●このレポートの中で、引きこもり児をもった親も、また引きこもり児自身も、世間体を
気にしているのがわかる。日本の文化で問題点があるとするなら、むしろこちらのほう
ではないのか。こうした障害児をもつことを、日本人は「恥」ととらえる。おかしな社
会風潮である。

●またグラブ博士は、「ドアをノックして、中に入る」と言うが、これはまったくの認識不
足。そんな問題ではないことは、一人でも引きこもり児を経験した研究者なら、すぐわ
かる。

●引きこもりは、対人障害の一つとして考えるべきである。その原因は、乳幼児期の母子
関係の不全にある。そしてそれを助長するものとして、息の抜けない家庭環境、家屋構
造、ゆがんだ受験社会、それから生まれる人間関係がある。さらにこうした心の病気に
対する、社会の認識の甘さもある。こうした問題が複合して、子どもの引きこもりが起
こる。


【子どもが引きこもったら……】

 あれこれするのは、かえって逆効果。引きこもりから立ちなおった子ども(青年)は、
みな、異口同音に、こう言う。「家族が無視してくれたときが、一番ありがたかった」と。

 「暖かい無視」という言葉がある。子どもの心の病気を暖かく包みながら、無視するの
が一番よい。

 なお、このBBCのレポートでは、親側の対処のまずさについては、一言も触れられて
いない。恐らく子どもが引きこもる過程において、はげしい親子騒動があったものと推察
される。その騒動が、症状を、こじらせる。

 親は、こうした自分自身の失敗を隠す傾向がある。あるいはその認識すらない。しかし
こうした子どもの心の病気では、当初の親の対処の失敗が、症状を重くする。たとえば学
校恐怖症(不登校)にしても、第二期のパニック期で、親が無理をすると、症状は一挙に
悪化する。

 引きこもりにしても、必ず、なおる。そのとき大切なのは、親がまず子どもを信ずるこ
と。親が不安になればなるほど、子どもは、その不安を敏感に察知して、立ちなおる機会
さえ、見失ってしまう。

 またこうした心の病気は、恥ずかしいことでも何でもない。世間体が大切か、子どもが
大切かと聞かれれば、子どもに決まっている。世間体など、クソ食らえ! 子どもや子ど
もの病気を隠す必要はまったく、ない。こうしたケースでは、親自身が、まずおとなにな
ること。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
引きこもり 子供の引きこもり)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思考の停止

+++++++++++

思考をしていてこわいのが、
思考のループ性。

思考がループし始めたら、
その人の思考は、停止状態に
あるとみてよい。

+++++++++++

 飼っているイヌを見ていると、いろいろなことを考えさせられる。

 二匹いる。一匹は、雑種。もう一匹は、ポインター種。利口なイヌだというが、たしか
に頭はよい。一度散歩に連れていけば、そのままその道を、覚えてしまう。で、そのイヌ
を見ながら、ふと、こんなことを思った。

 そのイヌは、ここにも書いたように、利口である。人間にはない能力をもっている。し
かし一方、人間とは違う。その違いというのが、「思考能力」。

 思考というのは、つぎのようなとき、停止状態になる。

(1)ループ状態……同じことを、繰りかえし考える。考えながら、いつも同じところに
もどってしまう状態をいう。そしてまた同じように考え始める。考えが堂々巡りしてしまう。

(2)固執……ひとつのことにこだわり、そればかりにとらわれる状態をいう。悶々と悩
むだけで、先に進まなくなる。袋小路に入ったときも、同じような状態になる。

(3)忘失……以前に考えたことを忘れてしまうこと。せっかく考えても、その考えた内
容を忘れてしまうから、また同じことを考える。年をとると、その傾向が、全体と
して強くなる。よくあるのは、一〇年とか、二〇年前に書いた原稿を読みなおして
みるようなとき。「何だ、一〇年前も同じことを書いていたのではないか」と、驚く
ことがある。

(4)狭小化……考えても、どんどんと小さな世界に入ってしまう状態をいう。重箱の底
をほじるような思考状態になることをいう。どうでもよいようなことばかり、考え
るようになる。

(5)パターン化……ものの考え方を定型化してしまう状態をいう。よくあるのは、「子ど
もは親のうしろ姿を見て育つ」などというように、ものの考え方を教条化してしま
うこと。一度パターン化すると、それから抜け出るのは、容易ではない。

(6)退化……部分的に、思考能力が退化するということがある。たとえば以前書いた原
稿のほうが、すぐれていると感ずることは、よくある。脳の老化とも関係があるの
かもしれない。

 イヌは利口だが、ものを考えても、恐らく、ループ状態に入ってしまうのではないかと
思われる。同じことだけを、毎日、同じように考えている。だから進歩しない。だからイ
ヌはいつまでも、イヌのまま?

 そこで私たち人間は、どうあるべきかということになる。この中で、とくにこわいのは、
ループ状態。人間は、ある程度まで思考すると、そこでループ状態に入る。同じことを、
同じように考え、またいつしか振り出しにもどる。そしてそこから考え始めて、また同じ
ことと、同じように考える。

 こうしたループ状態に入ると、どんどん思考能力が落ち、やがて、思考そのものが硬直
化してしまう。がんこになることもある。

 私はこのことを、ある知人と話していて気がついた。

 ほぼ二〇年ぶりに会ったときのこと。話しがはずんだが、私はあることに気づいた。彼
が話すことは、すべて以前、聞いたような内容ばかりなのである。もっともこういうこと
は、よくある。

 同じような状況で、同じ人に会うと、同じ話になる。それはあるが、私はその知人が、
二〇年前で、思考を停止しているのに気づいた。つまりその知人は、この二〇年間、思考
をただループさせていただけ?

 人間がなぜ、人間であるかといえば、思考するからである。もし思考しなかったら、イ
ヌと同じ(失礼!)ということになる。たいていの人は、「私はイヌとは違う」と思うかも
しれないが、思考が停止した状態では、ひょっとしたら、人間は、イヌ以下ということに
なってしまうかもしれない(失礼!)。

 そこで私たちは思考するとき、思考すると同時に、先の五つの状態を避けなければなら
ない。

 とくにこわいのが、思考のループである。同じようなことを、同じようなパターンで、
繰りかえし考える……。たとえば朝、起きる。日常生活が始まると、人間は、同じように
考え始める。内容ではない。そのパターンである。

 たとえば新聞を見ながら、「へえ、こんな事件が起きた!」と驚いてみせる。翌日も、同
じように、「へえ、こんなことがあった!」と驚いてみせる。そしてその翌日も、「これは
ひどい交通事故だ!」と驚いてみせる。

 驚く内容はさまざまでも、(新聞を見て驚く)という行為は、一定のパターンで繰りかえ
しているのがわかる。つまり思考が、ループ状態に入っていることを示す。

 このループ状態から抜け出るためには、自分自身を新しい環境に置くか、あるいは新し
い刺激を与えなければならない。恩師のT教授は、こう言った。「上の人と、もっとつきあ
いなさい」と。「上」というのは、(それなりに業績を残した人)という意味だそうだ。

 そういう人と接しているだけで、よい刺激になる、と。

 が、何よりも大切なのは、問題意識。そして考える習慣である。この二つがないと、い
くら刺激を与えても意味がない。私は、そのことを子どもたちを教えていて、気づいた。
たとえば同じテーマを与えても、それについて食いついてくる子どもと、そうでない子ど
もがいる。

 その違いはといえば、能力というよりも、(1)問題意識と、(2)考える習慣である。
いつも何かの問題意識をもっている子どもは、食いついてくる。そうでない子どもは、そ
うでない。そうした生活態度が、習慣として身についているかいなか、である。

 ただイヌにも、その問題意識と、考える習慣というのは、あるように思う。先のポイン
ター種のイヌは、いつも庭の中で、探検をしている。虫を追いかけたり、つかまえたりし
ている。そんなとき、瞬間だが、人間の哲学者のような表情を見せることもある。

 が、そうした思考を、言葉として論理化できない? だからその時点で、ループ状態に
入ってしまう? だからイヌは、いつまでもイヌのままということになる。

 こんな素人ぽい結論を出すと、その道の専門家の方に笑われそうだが、今は、一応、こ
うした結論を出しておく。つぎに私がすべきことは、図書館で、調べること。こうした問
題意識を、この程度もてば、図書館で本を読んでも、スーッと頭の中に入ってくるはずだ。
幸運にも、私には、その考える習慣が身についている。(……と、思う。)

【追記】
 人間の思考力をコントロールしているのが、脳の辺縁系の中にある、帯状回という組織
だそうだ(伊藤正男氏)。

 「同じ考えるにしても、乗り気で考えているときと、いやいや考えているときでは、お
のずと差が出てくる。結果がよければ、ますますやる気が出てくる。これをコントロール
しているのが、帯状回である」(新井康允氏「脳のしくみ」日本実業出版社)と。

 もちろん思考機能をもつのは、大脳皮質の連合野。しかもその中でも、新皮質が重要な
働きをしていると考えられている。しかし新皮質の働きだけでは、思考ができるわけでは
ない。それをコントロールしているのが、帯状回というわけである。

 人間では、この新・新皮質部が、ほかの動物にくらべて著しく進化している。またそれ
がほかの動物と人間を区別していると、考えられている。

 ついでに頭のよしあしは、脳のヒダ(大脳溝)で決まるという説もある。しかしヒダと
いうことになると、クジラやイルカのほうが、はるかに多い。そこでさらに調べてみると、
そのカギを握るのが、神経細胞の並び方であることがわかる。

 人間の大脳皮質の神経細胞は、整然と並んでいる。しかしクジラやイルカは、人間のそ
れとくらべて不規則で、整然としていない。どうやら、そのあたりに、人間の脳の特徴が
あるようである。

 ただだからといって、クジラやイルカの脳が、人間の脳より劣っていると考えるのは、
まちがいである。「クジラやイルカには、未知の力があるかもしれない」(新井康允氏)と
のこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思考
の停
止 思考の停止状態 思考のループ性)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●忠誠心

++++++++++++

今どき、忠誠心?、と
思う人も多いかと思う。

その忠誠心について……。

++++++++++++

 相手に合わせて、すぐ自分を作ってしまう。へつらう。媚(こび)を売る。迎合する。
歓心を買う。

 だから自分がどこにいるか、わからなくなる。が、それだけではない。このタイプの人
は、外の世界では、仮面をかぶる。よい人ぶる。善人ぶる。自分をさらけ出せない。だか
ら疲れる。

 ところで子どもの世界には、「愛想」という言葉がある。その愛想のよい子どもは、一見、
人なつこく、できのよい子どもに見える。しかし子ども自身にとって、それがよいことな
のかとなると、疑問が残る。

 ふつう、豊かな愛情に恵まれ、しっかりとした両親のもとで育てられた子どもは、どっ
しりとした安定感がある。態度も大きい。つまりその分だけ、愛想が悪い。何かを話しか
けても、「何だ!」というような態度をとる。

 そこで出てくる言葉が、忠誠心である。

 この忠誠心という言葉には、二つの意味がある。一つは、他人に対する忠誠心。もう一
つは、自分自身に対する忠誠心。

 約束を守る、規則を守る、信義を守るというのが、他人への忠誠心。これについては、
日本人なら、だれでも知っている。

 一方、自分に対する忠誠心というのがある。たとえばこんな状況を考えてみよう。

 仲間から、何か、悪の誘いを受けたとする。そのときあなたは、(仲間の中でよく思われ
たい)という思いと、(悪いことはしたくない)という思いの中で、迷うだろう。そのとき
自分の中に、自分があって、その自分に忠誠なら、そうした悪の誘いを、断る。

 しかし自分の中に自分がなく、その自分に忠誠する心がないと、その悪の誘いに、その
まま乗ってしまう。いわゆる誘惑に弱い状態になる。

 このばあい、自分に対する忠誠心は、いわば病気に対する抵抗力として働く。抵抗力の
ある人は、悪の誘惑から自分を守り、悪をはねのけてしまう。一方、そうでない人は、そ
うでない。

 そこで最初の話にもどる。

 相手に合わせて、すぐ自分を作ってしまう。へつらう。媚(こび)を売る。迎合する。
歓心を買うというのは、決して好ましい人間像ではない。とくに、子どもにおいては、そ
うである。

 だから……。幼児でも、ていねいに観察すると、将来、誘惑に強い子どもになるか、弱
い子どもになるか、それがわかる。もしあなたの子どもが、つぎのようであれば、(誘惑に
強い子ども)、あるいは、(誘惑に弱い子ども)ということになる。ポイントは、子ども自
身がもつ、忠誠心である。

(誘惑に強い子ども)
○どこか無愛想。相手の気持ちに、自分を合わせない。
○人に嫌われても、自分のしたいことをするといったふう。
○孤独に強い。ひとり遊びができる。何をするにもマイペース。
○正義感が強く、不正に対して、敏感に反応する。

(誘惑に弱い子ども)
●相手に合わせて、よい子ぶる。みんなに好かれようとする。
●集団でいるほうを好む。しかしそのくせ、集団の中では精神疲労を起こしやすい。
●善悪の見境なく、その場の雰囲気で、何でもしてしまうようなところがある。
●気が小さく、その場で、YES、NOが、はっきり言えない。

 こうした違いの原因はといえば、ここにも書いたように、乳幼児期の育て方にある。乳
幼児期に、母子の、相互アッタチメントがしっかりしているかどうかが、カギになる。も
う一歩、話を進めると、たがいの基本的信頼関係がしっかりしているかどうかということ。
それがしっかりとしていれば、ここでいう忠誠心の強い子どもになる。そうでなければ、
そうでない。

 これはその一例だが、不幸にして不幸な家庭に育ち、母子関係が不全なまま育った子ど
もがいる。生後まもなくから、施設に預けられたとか、保育園だけで育てられたとか。

 このタイプの子どもは、独特の症状を見せる。「施設児」と呼ばれるゆえんは、そんなと
ころにもあるが、その施設児の特徴の一つが、ここでいう「だれにでも愛想がよい」(長畑
氏ら)である。

 さて、あなたの子どもというより、あなた自身はどうだろうか。そういう視点で、一度
この問題を考えてみるとおもしろいのでは……?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 忠誠
心と
誘惑 抵抗力 心の抵抗力)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親子の信頼関係

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信頼関係は、たがいにどこまで
じぶんをさらけ出せるかによって、
決まる。

つまりどこまで自己開示できるか。
その度合いによって決まる。

親子とて例外ではない。

+++++++++++++

●親子のさらけ出し

 親子で、どこまでたがいに、さらけ出しができるか。その度合いによって、信頼関係が
決まる。

 子どもも、小学3年生くらいを境に、急速に親との間に距離を置くようになる。いわゆ
る「親離れ」が始まる。

 このとき親が、それなりの覚悟と、そして子離れの準備をしていればよいが、そうでな
いとき、いろいろな問題が起きる。子どもが幼児のころの親子関係にこだわり、その状態
に戻そうとあがく親も、少なくない。

 とくに溺愛ぎみの親や、子育てを生きがいにしている親ほど、その傾向が強い。このタ
イプの親にとっては、子離れそのものが、考えられない。中には、子どもが親離れを始め
たとたん、その絶望感(?)から、自己否定、自己嫌悪に陥(おちい)ってしまう親もい
る。

 親子でも、たがいのさらけ出しが、信頼関係の基本だが、しかしその信頼関係は、子ど
もの年齢とともに、質的に変化する。具体的に考えてみよう。

 以前、こんなことを相談してきた母親がいた。

 何でも最近、その母親の息子(小3)が、学校であったことを話してくれなくなったと
いうのだ。それまでは学校であったことを、あれこれ話してくれたが、それがなくなった。
「それで、どうしたらいいか?」と。

 この時期を境に、子どもは急速に交友関係を広める。同時に、親子の関係は、希薄にな
る。こうした関係の変化は、子どもの成長期には、よく見られる。が、それをもって、親
子の信頼関係が崩壊したと考えるのは、誤解である。

 この時期を境に、親子の関係は、「親子」から、「一対一」の人間関係に変化する。いつ
までも親が、親風を吹かし、上下意識をもつほうがおかしい。一方、子どもにしても、い
つまでも、「ママ、ママ……」「パパ、パパ……」と甘えるほうが、おかしい。

 そこで問題となるのが、自分の子どもであっても、いかにして、子どもを、一人の人間
として見ていくかということ。そして子どもではなく、一人の人間として、どこまで信頼
していくかということ。私が先に書いた、「質的な変化」というのは、そのことをいう。

 そこで自己診断。

【自己診断】

●信頼型ママ……いつも心のどこかで、「うちの子は、すばらしい」と思っている。「うち
の子ができなければ、ほかの子にできるはずはない」と思うこともある。子どもの失敗
や、生活態度の悪さは、ほとんど気にならない。

●不信型ママ……いつも心のどこかで、「うちの子は、何をしても心配だ」と思っている。
「何か失敗するのではないか」とか、「人に笑われるのではないか」と思うこともある。
ささいなことが気になって、それをよく叱る。

少し前も、「食事中、子どもがよく食べ物をこぼす。どうしたらいいか」と相談してきた
母親がいた。その母親は、子どものしつけを心配していたが、問題は、その「しつけ」
ではない。母親自身が、子どもに対して、大きな不信感をもっている。それが姿を変え
て、こうした相談になった。もし子どもを信頼していれば、子どもが食べ物をこぼして
も、「あら、だめよ」と、軽くすますことができるはずである。

 そこであなた自身はどうか、少し振りかえってみてほしい。あなたは子どもの前で、自
分をさらけ出しているだろうか。あなたはさらけ出しているとしても、子どもは、どうだ
ろうか。あなたの前で、言いたいことを言い、したいことをしているだろうか。

 このとき、たいていの親は、「うちの子は、私の前では、伸び伸びしています」と言う。
「言いたいことも言っています。態度も大きいです。したいことも、もちろんしています」
と。しかし本当にそうだろうか。あるいはひょっとしたら、あなたがそう思いこんでいる
だけではないだろうか。

 こういうケースでは、「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「私と子どもの
関係は、すばらしい」と思っている親ほど、あぶない。親が傲慢であればあるほど、子ど
もは、その心を閉ざす。

 一方、「どうもうちの子のことがわからない」「親子関係は、これでいいのか」と思って
いる親ほど、子どもに対して謙虚になる。その謙虚さが、子どもの心を開く。このことが
わからなければ、反対の立場で考えてみればわかる。もしあなたが、あなたの親に、つぎ
のように言われたら、あなたは、どのように反応するだろうか。

●「あなたはどう思う? 私は掃除したほうがいいと思うけど、ね。お客さんも来るし」
と、相談をもちかけられる。

●「掃除をしっかり、しなさい。お客さんが来るでしょ。こんなことではどうするの!」
と、命令される。

もしあなたの子どもが、あなたの前で、小さくなっていたり、よい子ぶっていたりした
ら、あなたの親子関係は、かなりあぶない状態にあるとみる。表面的にはうまくいって
いるように見えるかもしれないが、それはあくまでも「表面的」。たいていのばあい、あ
なたという親がそう思っているだけと考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親子
の信
頼関係 さらけ出し 自己開示)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

【今週の幼児教室から】

●おかしな話?

 聞きなれた話でも、よくよく考えると、「おかしい?」と思うような話は、多い。たまた
ま今日は、こんな話をした。

 私が、「うさぎさんと、カメさんが、かけっこをしました。で、うさぎさんは、猛スピー
ドで走って、はやくゴールに着きました。うさぎさんが勝ちました」と。

 すると子どもたちが、「その話は、おかしい」「カメさんが、勝つことになっている」「う
さぎさんは、途中で、居眠りをすることになっている」と。

 そこで私は、こう話しかけてみた。

私「どうしてうさぎさんが、途中で、居眠りなんか、するの?」
子「だって、カメさんが遅いから、それで木のそばで、一休みをするの!」
私「かけっこの途中で、居眠りするなんて、おかしいよ」
子「おかしくないよ。うさぎさんは、居眠りをするの。その間にカメさんが、うさぎさん
を追いぬいて、カメさんが、かけっこで、勝つの!」

私「それはおかしいよ。じゃあ、どうして、カメさんは、うさぎさんを、起こしてあげな
かったの?」
子「起こしたら、カメさんが、負けてしまうよ」
私「それなら、カメさんは、ずるいよ。やはり起こしてあげるべきだと思う。『うさぎさん、
眠っていてはだめだよ。起きなさい』と言うべきだったと思う」
子「きっと、うさぎさんは、起きなかったよ」
私「どうして?」

子「起こしたら、『うるさいなあ。寝させてよ』と、怒るかもしれない。それでカメさんは、
うさぎさんを起こさなかった……」
私「なるほど。そうか。しかし、ね。この話は、最初からおかしいよ」
子「どうして?」
私「足のはやいうさぎさんが、のろいカメさんとかけっこするところが、おかしい。はじ
めから、どっちが勝つか、決まっている」
子「どうして?」

私「うさぎさんが勝つに決まっているでしょう。ぼくがうさぎさんなら、カメさんと、か
けっこなんかしないよ。勝つに決まっているもの。ぼくがカメさんでも、かけっこなんか、
しないよ。負けるに決まっているもの」
子「……」
私「君たちだったら、お父さんと力くらべするかな?」
子「するよ。する、する」

私「お父さんに勝てなくても、するの?」
子「ううん、ぼくのほうが強いよ」
私「ああ、君のほうが強いの?」
子「そうだよ。パパのほうが、『降参、降参!』って、逃げていくよ」
私「なるほど、そういうことか」と。

 子どもたちがワイワイ言い始めたので、最後は、こう言ってしめくくった。

 「もしカメさんが、うさぎさんを起こしていたらね、どうなっていたと思う? うさぎ
さんは、きっと、カメさんに、こう言ったと思うよ。『カメさん、ありがとう。いっしょに、
歩いて行こうね』と、ね。つまりうさぎさんとカメさんは、仲よくゴールに着いたと思う
よ」と。

 もし私がうさぎさんで、カメさんに起こしてもらったなら、そこで競争はやめただろう
と思う。起こしてもらったことをよいことに、そこからまた猛スピードで走るようなこと
はしない。あるいはその時点で、負けを認める。さらに競争をつづけるにしても、そのあ
とは、カメさんの走るはやさで歩く。そして、多分、こんな会話をする。

う「やあ、カメさん、ぼくはうかつにも眠ってしまったよ」
カ「うさぎさん、それはまずいよ。本当は君が、勝った競争なんだから」
う「わかっているよ。だけど、起こしてくれてありがとう。起こしてくれなかったら、き
っと、ぼくは、君に、負けていたよ」
カ「ぼくだって、そんな方法で、勝ちたくないもんね」
う「そうだな。そうだよね。これからも仲よくしようね」
カ「うん」と。

 イソップ物語では、最初、うさぎさんが、カメさんを、「のろま!」とか呼んで、カメさ
んをバカにする。そしてこの競争は始まる。が、うさぎさんは、油断したため、最後には、
カメさんに負ける? もしそうなら、話の流れはわかるが……。

 ……こうした指導で大切なことは、(1)常識を押しつけないこと。(2)常識を疑わせ
ること。(3)自分で考えさせること。そして(4)自分なりの結論をもたせること。そし
て結果として、どんなことにでも、何らかの問題意識をもたせるように指導する。コツは、
子どもに意見を言わせ、それがどんな意見であっても、ほめるようにする。

 大切なのは、意見の内容ではない。その方向づけをすること。考えるクセをもたせるこ
と。そしてその時期は、早ければ早いほどよい。小学校へ入ってからだと、遅すぎる。

 で、レッスンが終わるとき、一人、「あとで、パパに聞いてみる」と言った子どもがいた。
「何を?」と言うと、「やっぱり、あの話はおかしい」と。そういう子どもが、一人でも現
れたということだけでも、喜ぶべきこと。今日のレッスンは、大成功だったということに
なる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 考え
る子
ども 子どもに考えさせる 子どもと思考)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●親の気負いvs子の気負い

+++++++++++++

どうせ生きるなら、無駄な
気負いは少なくしたい。

大切なことは、心を解き放つ
こと。

体は、あとからついてくる。

アメリカの格言である。

+++++++++++++

 「親だから……」と気負うのを、親の気負いという。それはよく知られているが、「子だ
から……」という気負いもある。これを子の気負いという。

 Sさん(長野市在住・女性)も、その「子の気負い」で苦しんでいる。両親と祖母の問
題。それに伯父、伯母の問題。こうした問題は、クモの巣のようにからんでいて、一筋縄
ではいかない。ときどき私は相談を受けるが、どこからどう手をつけてよいのか……? 

 そのSさん。今は、毎日、悶々と悩んでいる。祖母のボケが進んでいる。そのこともあ
って母親が沈んでいる。うつ病かもしれない。父親とうまくいっていない。実家へ帰って
も、父親と会話をするだけで、疲れてしまう。祖母の介護のことで、伯父が口を出して、
困る、などなど。

●相互依存性 

 こうした気負いは、相互的なもの。決して、一方的なものではない。親としての気負い
の強い人ほど、一方で、子としての気負いが強い。「よい親であろう」と思う反面、「よい
子どもであろう」とする。だからどちらを向いても、疲れる。

 こうした気負いの背景にあるのが、依存性。もう少しわかりやすい言葉でいうと、「甘え」。
親に対しては、しっかりと親離れできていない。一方、子どもに対しては、しっかりと子
離れできていない。結果として、どこかベタベタの人間関係になる。

 このベタベタの人間関係が、祖父母→親→自分→子へと、脈々とつながっている。だか
らふつう、その中にいる人は、それに気づかない。それがその人にとっては、ふつうの人
間関係であり、またたいていのばあい、それが「あるべき人間関係」と考える。

●Sさんのケース

 Sさんのケースでは、Sさんが、親のグチのはけ口になっている。とくにSさんの母親
は、何かにつけて、Sさんにグチをいう。「望まない結婚であった」「したいこともできな
かった」「夫(Sさんの父親)が何もしてくれない」と。

 こうした母親の不平、不満を聞きながら、Sさんは、ますます悶々と悩む。「両親たちは、
見た感じは、一見、仲のよい、理想的な夫婦に見えるのですが……」「友人がうらやましが
ることもありました」と。

 しかしそういうグチを、母親がSさんという子どもにぶつけること自体、おかしい。仮
にぶつけたとしても、子どもが悩むところまで、子どもを追いこんではいけない。Sさん
は、たいへん生真面目(きまじめ)な人なのだろう。そういう母親のグチを聞きながら、
適当にそれを聞き流すということができない。

●未熟な人間性

 依存型家庭につかっていると、依存性が強い分だけ、代々、子どもは精神的に自立でき
なくなる。自立できないまま、それがひとつの「生活習慣」として定着してしまう。

 たとえば日本には「かわいい」という言葉がある。「かわいい子ども」「子どもをかわい
がる」というような使い方をする。

 しかし日本語で「かわいい子ども」と言うときは、親にベタベタと甘える子どもを、か
わいい子どもという。自立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、かわいい子どもと
は、あまり言わない。

 また「子どもをかわいがる」というのは、子どもに楽をさせること。子どもによい思い
をさせることをいう。

 こういう子ども観を前提に、親は子どもを育てる。そしてその結果として、子どもは自
立できない、つまりは、人間的に未熟なまま、おとなになっていく。

●親の支配

 依存型家庭では、子どもが親に依存する一方、親は、子どもに依存する。その依存性も、
相互的なもの。自分自身の依存性が強いため、同時に子どもが自分に依存性をもつことに
甘くなる。その相互作用が、たがいの依存性を高める。

 しかし親が、子どもに依存するわけにはいかない。そこで親は、その依存性をカモフラ
ージュしようとする。つまり子どもに依存したいという思いを、別の「形」に変える。内
容としては、(1)命令、(2)同情、(3)権威、(4)脅迫、(5)服従がある。

(1)命令……支配意欲が強く、親のほうが優位な立場にいるときは、子どもに命令をし
ながら、親は子どもに依存する。「あんたは、この家の跡取りなんだから、しっかり勉強し
なさい!」と言うのが、それ。

(2)同情……支配意欲が強く、親のほうが劣位な立場にいるときは、子どもに同情さ
せながら、結果的に、子どもに依存する。「お母さんも、歳をとったからね……」と弱々
しい言い方で言うのが、それ。

(3)権威……封建的な親の権威をふりかざし、問答無用に、子どもを屈服させる。そ
して「親は絶対」という意識を子どもに植えつけることで、子どもに依存する。「親に
向かって、何てこと言うの!」と、子どもを罵倒(ばとう)するのが、それ。

(4)脅迫……脅迫するためによく使われるのが、宗教。「親にさからうものは、地獄へ
落ちる」「親不孝者は、不幸になる」などという。「あんたが不幸になるのを、墓場で笑
ってやる」と言った母親すら、いた。

(5)服従……子どもに隷属することで、子どもに依存する。親側が明らかに劣位な立
場にたち、それが長期化すると、親でも、子どもに服従的になる。「老いては子に従え
と言いますから……」と、ヘラヘラと笑って子どもに従うのが、それ。

●親であるという幻想

 人間の自己意識は、三〇歳くらいまでに完成すると言われている。言いかえると、少し
乱暴な言い方になるが、三〇歳をすぎると、人間としての進歩は、そこで停滞すると考え
てよい。そうでない人も多いが、たいていの人は、その年齢あたりで、ループ状態に入る。
それまでの過去を、繰りかえすようになる。

 たとえば三〇歳の母親と、五歳の子どもの「差」は、歴然としてあるが、六〇歳の母親
と、三五歳の子どもの「差」は、ほとんどない。しかし親も子どもも、それに気づかない。
この段階で、「親だから……」という幻想にしがみつく。

 つまり親は、「親だから……」という幻想にしがみつき、いつも子どもを「下」に見よう
とする。一方、子どもは子どもで、「親だから……」という幻想にしがみつき、親を必要以
上に美化したり、絶対化しようとする。

 しかし親も、子どもも、三〇歳をすぎたら、その「差」は、ほとんどないとみてよい。
中には、努力によって、それ以後、さらに高い境地に達する親もいる。しかし反対に、か
なり早い時期に、親よりはるかに高い境地に達する子どももいる。

 そういうことはあるが、親意識の強い親、あるいはそういう親に育てられた子どもほど、
この幻想をいだきやすい。この幻想にしばられればしばられるほど、「一人の人間としての
親」、「一人の人間としての子ども」として、相手をみることができなくなる。

●Sさんのケース

Sさんのケースの背景にあるのは、結局は、親離れできないSさん自身といってもよい。
Sさんは、実家の両親の問題に悩みながら、結局は、その実家にしがみついている。そ
ういうSさんにしたのは、Sさんの両親、さらにはSさんの祖父母ということになる。
つまり大きな流れの中で、Sさんは、Sさんになった。

 なぜ、Sさんは、「両親の問題は、両親の問題」と、割り切ることができないのか? 一
方、Sさんの両親は、「私たちの問題は、私たちの問題」と、割り切ることができないのか?
 Sさんは、両親の問題を分担することで、結局は両親に依存している。一方、Sさんの
両親は、自分の問題を娘のSさんに話すことで、Sさんに依存している。

 本来なら、Sさんは、両親の問題にまで、首をつっこむべきではない。一方、親は、自
分たちの問題で、娘を悩ませてはいけない。どこかで一線を引かないと、それこそ、人間
関係が、ドロドロになってしまう。

●批判

 こうした私の意見に対して、「林の意見は、ドライすぎる」と批判する人がいる。「親子
というのは、そういうものではない」と。「君の意見は、若い人向きだね。老人向きではな
い」と言ってきた人(七五歳男性)もいた。

少し話はそれるが、ここまで書いて、こんな問題を思い出した。親は子どものプライバ
シーの、どこまで介入してよいかという問題である。ある母親は、「子どものカバンの中
まで調べてよい」と言った。別の母親は、「たとえ自分の子どもでも、子ども部屋には勝
手に入ってはいけない」と言った。どちらが正しいかということについては、また別の
機会に考えるとして、私が言っていることは、本当にドライなのか? このことは、反
対の立場で考えてみればわかる。

 あなたは、いつかあなたの子どもが、あなたの問題で、今のSさんのように悩んだとす
る。そのときあなたは、それでよいと思うだろうか。それとも、それではいけないと思う
だろうか。Sさんは、メールで、こう書いてきた。

 「娘(中学一年)には、今の私のように、私の問題では悩んでほしくありません」と。

 私は、それが親としての、当然の気持ちではないかと思う。またそういう気持ちを、ド
ライとは、決して言わない。

●カルト抜き

 こうした生きザマの問題は、思想の根幹部分にまで、深く根をおろしている。ここでい
う依存性にしても、その人自身の生きザマと、密接にからんでいる。だからそれを改める
のは容易ではない。それから抜け出るのは、さらに容易ではない。

 しかも親子であるにせよ、そういう人間関係が、生活のパターンとして、定着している。
生きザマを変えるということは、そういう生活のあらゆる部分に影響がおよんでくる。

 これは一例だが、Y氏(五〇歳男性)は、子どものころ、母親に溺愛された。それは異
常な溺愛だったという。そこでY氏は、典型的なマザコンになってしまったが、それに気
づき、自分の中のマザコン性を自分の体質から消すのに、一〇年以上もかかったという。

 親子関係というのは、そういうもの。それを改めるにしても、口で言うほど、簡単なこ
とではない。それはいわばカルト教の信者から、カルトを抜くような苦痛と努力、それに
忍耐が必要である。時間もかかる。

●因縁を断つ

 そんなわけで、私たちが親としてせいぜいできるここといえば、そうした「カルト」を、
子どもの代には伝えないということ程度でしかない。少し古臭い言い方になるが、昔の人
は、それを「因縁を断つ」と言った。

 Sさんについていえば、仮にSさんがそうであっても、同じ苦痛や悩みを、子どもに伝
えてはいけない。つまりSさん自身は、親離れできない親、子離れできない子どもであっ
たとしても、子どもは、親離れさせ、ついでその子どもが親になったときには、子離れで
きる子どもにしなければならない。

 しかしこと、Sさんの子どもについて言えば、ここに書いたような問題があることに気
づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみてよい。このあと、多少、時間はかかるが、
それで問題は解決する。

 私はSさんに、こうメールを書いた。

 「勇気を出して、自分の心の中をのぞいてください。つらいかもしれませんが、これは
つぎの代で、あなたの子どもに同じような悩みや苦しみを与えないためです」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
気負い 気負い論 親の気負い 子の気負い 子どもの気負い 子育ての気負い)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの進学競争

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あちこちの学校で、オープンテスト
という名前の、模擬テストが行われて
いる。

なかなか……というか、よくこういう
名称を考えるものだと、感心する。

今までは、どこかの予備校や、私塾
連盟が、そういったテストをしていた。
が、今は、政府から補助金をたっぷり
ともらっている学校が、それをする。

オープンテスト……つまり、学校側の
金儲けにほかならない。
費用も、2000〜3000円。予備校や
私塾連盟がするテストの費用と同じ
である。

ふつうそうした費用のうち、60%程度
は、予備校や私塾の収入となる。

が、学校がそれをすれば、まるまる、
学校の利益となる。

500人の子どもが集まれば、それだけ
で、100万円。

学校そのものが、進学塾化している。

いいのかなあ……?

++++++++++++++++

●進学

 よい高校から、よい大学へ。そしてよい就職先へ。しかし人間というのは、そんな単純
なものなのか? 

 何も考えない。何も疑問に思わない。どこか単純な子どもには、そういうコースもある
のだろうが、しかしすべての子どもに、それを押しつけてはいけない。

 むしろ自分で考える子どもは、こうしたコースから自ら、はずれていく。それは子ども
自身に問題があるというよりは、そうした多様性に応ずることができない、システムのほ
うに問題があるとみる。

 二男の例を出して恐縮だが、二男は、この地元でも、A、B、C、D、E……ランクの
中でも、Eランクの高校を卒業している。それにはいろいろないきさつがあるが、このク
ラスの高校になると、国立大学へ進学する子どもどもは、数年に、一人いるかいないかと
いう程度になる。

 しかし二男の能力は、私は認めていた。だから二男がEランクの高校へ入学すると決め
たときも、すべて二男に任せた。

 が、この日本では、このあたりで人生のすべてが決まってしまう。事実、高校を卒業す
るときになって、二男には、進学できる大学がなかった。それでアメリカへ渡ったが、は
からずも、私はここで日本とアメリカの教育システムの違いを、思い知らされるところと
なった。

 アメリカでは、やる気と力があれば、人生のどの段階からも、そこを基盤として、前に
伸びることができる。二男は、私立大学で二年間学んだあと、今度は、州立大学へ移った。
そしてそこで学位を得て、卒業した。

 こういうことは、日本では、可能なのか? 答えは、「NO!」

 名もない小さな私立大学へ入った学生は、その段階で、いくら猛勉強しても、すべてそ
こまで。そのあと国立大学へ移籍するなどということは、常識で考えてもありえない。そ
の「ありえない」という部分に、日本の教育の最大の欠陥がある。

 二男は、幼いころから、自分で考えて行動する子どもだった。私も、意識して、それを
助けた。伸ばした。しかしこういう子どもは、この日本では、損をすることはあっても、
得をすることは何もない。従順に体制に従う子どもほど、この日本では得をする。またそ
ういう子どもほど、生きやすい環境が、すでにできあがっている。まさに官僚主義国家と
言われる理由は、こんなところにもある。

 今、その二男を思いやりながら、ときどき、こんなことを考える。もしあのまま二男が、
日本にいたら、二男はどうなっていたか、と。コンピュータについては、天才的な思考能
力をもっていたが、今ごろは、どこかのパソコンショップで、パソコンの販売をしている
のが、関の山ではないか、と。

 事実、二男は、小学三年生のときには、すでに自分でベーシック言語使って、ゲームを
作って遊んでいた。中学一年生のときには、C言語をマスターし、高校生のときには、ア
ンチウィルスのワクチンを自分で開発して、どこかのソフト会社に送っていた。

 日本には、そういう子どもを伸ばすシステムがない。同時に、勉強しかしない、勉強し
かできないような、どこか頭のおかしい子どもほど、得をする。スイスイと受験競争とい
う階段をのぼっていく。こういうシステムの中で、いかに多くの日本人が、社会の底辺に
うずもれたまま、損をしていることか。しかしそれは個人の「損失」というよりは、社会
そのものの「損失」と考えたほうがよい。

 教育を否定してはいけない。しかしそれと同じほど、教育を盲信してはいけない。盲信
して、学歴信仰や、学校神話に陥(おちい)ってはいけない。人間は、そんな単純なもの
ではない。また、単純であってはいけない。そしてそれを受け入れる教育システムは、も
っと大胆に、多様化すべきである。でないと、本当に日本の未来は、このまま、終わって
しまう。

 たとえばアメリカの小学校では、クラス名(ふつうはその教室を管理する教師名)はあ
っても、学年はない。中学校でも単位制度を導入している。学校へ行かないホームスクー
ラーも、二〇〇万人を超えたとされる(〇二年末)。また四、五年の飛び級を繰りかえし、
大学で学んでいる子どももいる。

 その大学にしても、入学後の転学、転籍は自由。学科、学部の、スクラップ&ビュルド
は、自由。そうそう公立小学校にしても、学校が独自にカリキュラムを組んで教えている。
ほかにチャータースクール、バウチャースクールなどもある。

 ドイツでは、大半の中学生は午前中だけで授業を終え、あとはクラブに通っている。ヨ
ーロッパ全域では、大学の単位は、ほぼ共通化された。今では、日本のように出身大学に
こだわる学生は、ほとんどいない。いないというより、こだわっても意味がない。

 世界は、そこまできているというのに、この日本は、いったい、何をしている? いま
だに地方新聞の中には、「我が母校」「母校の伝統」だとか何とか、意味のない記事を連載
しているのがある。江戸時代の身分制度が、あるいは家元制度が、母校意識に置きかえら
れただけ?

 ……というのは、少し言い過ぎだが、しかしこれだけは言える。

 生きザマには、コースなど、ない。人間よ、日本人よ、生きる原点にもう一度立ちかえ
って、教育システムを、見なおそうではないか。

【追記】
 静岡県でもナンバーワンと言われる進学高校でのこと。

 それくらいの進学高校になると、それぞれの部活にも、OB会というのがあって、総会
のたびに、壇上に、そのOBたちが、ズラリと並ぶ。そして言わなくてもいいのに、「私は
○○回の卒業生です」などと、自己紹介をする。

 かわいそうな人たちだ。あわれな人たちだ。自慢するものがないから、学歴をひけらか
して、生きている? 学歴にしがみつきながら、生きている? あるいは士農工商の身分
制度が、学歴制度に置きかわっただけ? いろいろ考えられるが、こうした封建時代の亡
霊はまだ、日本のあちこちに残っている。

+++++++++++++++++
これに関連して、以前、こんな原稿
(中日新聞掲載済み)を書きました。
ここに再掲載します。
+++++++++++++++++

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、
たいていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだ
ろう。しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにす
ぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を
疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希
望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不登校児のための制度と理解
している人が多いが、それは誤解。

アメリカだけでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎
年一五%前後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われて
いる。それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に
自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが
合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみ
せ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポー
トより)。

(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ド
イツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めるこ
とができる。そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブも
ある。

学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円
前後(二〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人
当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー(Child M
oney)」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで
支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育
には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、
親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクー
バー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、
まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がか
かってきます」と。

(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見
て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別
紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。

この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき
捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、
こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校が
カリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」
と。なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を
出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの
勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少な
くとも世界の常識ではない。

学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあ
なたにしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」
「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の
世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に
振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心の内と外

+++++++++++++

心には、内側と外側がある。
おかしな分類のし方だが、
心というのは、内側から作用
するばあいもあるし、反対に、
外側から作用するばあいも
ある。

つまり内側からの刺激で、
喜びを感じたり、怒りを感じたり
することもあれば、反対に、
外側からの刺激で、喜びを
感じたり、怒りを感じたりする
ことがあるということ。

+++++++++++++


●不愉快な気分

 たまたま私は、その日、2つの経験をした。

店で、3000円のものを買った。5000円札を出したので、おつりは2000円と
いうことになる。が、店の女性は、私におつりを、7000円もくれた。(こまかい数字
は、省略。)

 「あのう……」言いかけたが、その女性の手を見ると、1万円札がしっかりと握られて
いる。私は「?」と思った。思ったとたん、言葉がひっこんでしまった。5000円札を
渡したのに、どうして……と考えているうちに、わけがわからなくなってしまった。そう
いうとき、「今、渡したのは、5000円札です」と言うと、かえって話が、混乱してしま
う?

 店から出るとき、何とも言えない不快感が心の中に充満した。「どうして正直に言わなか
ったのだ」と、自分で自分を責めた。しかしその女性は、たしかに1万円札をもっていた。
私が5000円札だと思っていたのは、一万円札だったのか。それとも、途中で、その女
性は、別の札ともちかえたのか。私とて、すべてを見ていたわけではない。

 その不快感は、ずっと消えなかった。ふつうなら、「得をした」と喜んでよいはずだが、
そういう感覚は、なかった。「いいのかなあ?」と思っている間にも、足は、どんどんと、
その店から遠ざかってしまった。

 同じ日の夜。今度は、こんな経験をした。

 夜、帰るとき、車の列を横切って、向こう側の車線に出ようとしたときのこと。そのと
き、ワイフが車を運転していた。私たちは信号のない十字路にいた。が、半分ほど車を出
したところで、車が反対方向から、何台かやってきた。私たちは、車の列の中で、立ち往
生してしまった。

 とたん、横の車が、はげしくクラクションを鳴らした。「どけ!」という意味である。一
度や、二度ではない。何度も鳴らした。ワイフが頭をさげたが、それでも、クラクション
は、鳴りつづいた。助手席にいた私が体を乗りだしてその車を見ると、運転していたのは、
二七、八歳の若い女性だった。

 やがて車の流れが切れ、私たちは反対車線に出たが、私は、何とも言えない不快感に襲
われた。ワイフは、「しかたないわよねえ……」と笑っていたが、私は、車から飛び出し、
その女性を怒鳴りつけたかった。

 たまたまその日は、私の精神状態がよくなかったのかもしれない。どこかピリピリして
いた? が、そのままにしておくわけにはかない。夜、家に帰ると、ワイフにこう切り出
した。

私「今日、お前がぼくに渡してくれたお金はいくらだった?」
ワ「旅費とお弁当代で、1万9000円だったわ。バッグの一番外のポケットに入れてお
いたわ」と。

 そこで私は、おつりの話をした。するとワイフは、「じゃあ、いくら使ったか明細を言っ
てよ。それで計算できるわ」と。

 で、その結果、ワイフはこう言った。「やっぱり、あなたは、1万円札を渡したのよ。自
分で5000円札と思いこんでいただけよ。でなと、計算が合わないもん」と。

 「ああ、よかった」と思ったとたん、胸の中のしこりが消えた。そしてつづいて、あの
女性の話をした。

私「お前は、ああいう女性を、どう思う?」
ワ「ああ、あの人ね。せっかちな人ね」
私「それだけ?」
ワ「それだけよ」
私「ぼくは、車から出て行って、怒鳴りつけてやりたかった」
ワ「あんな人、相手にしなければいいのよ」
私「そのあと、気にならなかったか?」
ワ「すぐ忘れたわ」
私「ぼくには、それができない。いつまでも気になる」
ワ「そうね。あなたは、そういう人ね」と。

 なぜ人間は、不愉快になるか。自分で自分を不愉快にすることもある。反対に、他人が
自分を不愉快にすることもある。私はその日、同時に二つの経験をした。しかしこうした
不愉快は、心の健康にもよくない。

 では、どうするか。もっとも、その日は、疲れていた。それでささいなことが気になっ
た? 注意力も、欠けていた。それでそういうことになった。しかし、私が感じた不快感
は、まったく同質のものだった。何でもないようなことだが、考えてみれば、これはおか
しなことだ。

 一方は、自分で作りだした不快感。もう一方は、他人から与えられた不快感。その二つ
が同質? 意識の上では、別の不快感かもしれないが、脳の中へ入ると、同じものになっ
てしまう? あるいは、脳は、そこまでは区別できない? 

それはちょうど、たとえて言うなら、食べ物が胃袋に入るようなものか。フランス料理
と日本料理を別々に食べても、胃袋の中へ入れば、みな、同じ。もう区別できない?

私「人間の感情なんて、単純なものだね」
ワ「……何の話?」
私「いいの。どうせ、お前に話しても、お前には理解できないから……」
ワ「わけのわからないことを、言わないでよ」
私「ぼくと、お前とでは、脳ミソの質が違うということ」と。

 しかしその日は、よい経験をした。このつづきは、また別の日に考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●老後の統合性

++++++++++++++++++++++

老後をどうすれば有意義に生きることができるか。
それは、『自己の統合性』で決まる。

それがこの4年間で得た、私なりの結論である。

つまり(自分がすべきこと)と、(現実に今していること)
を一致させる。これが「統合性」である。

若いときは、(したいこと)と(していること)を一致させれば、
それでよかった。自己の同一性を確保できた。

今、その最中にいる若い人たちにはたいへんなことかも
しれないが、老後の統合性とくらべたら、何でもない。

というのも、(したいこと)と、(すべきこと)の間には、
大きな距離がある。

たとえば釣りが好きだからといって、毎日釣りをして
いても、その人の空虚感が、満たされることはない。

ふつう(すべきこと)は、自分のしたくないことのほうが、
多い。ある種の苦痛や苦労がともなう。

しかしその(すべきこと)の追求なくして、老後はない。

まず、4年前に書いた原稿を紹介する。このとき私は
まだ、自分の老後を、実感として、自分のものにする
ことができなかった。

++++++++++++++++++++++

【4年前の原稿より】(03年9月作)

●不安

 日本人の80%近くが、老後に不安を感じているという。少し前、何かの調査で、そん
なことがわかった。

 私も、実は、その中の一人。そのうちどこかの老人ホームに入るつもりでいるが、かな
りのお金が必要だという。ワイフは、「土地と家を売れば、何とかなるわ」と言っているが、
私の感じている不安は、そんなものではない。

 問題は、老後の生活ではない。問題は、どうやって老後の孤独、絶望、疎外、空虚と戦
うか、だ。死への恐怖もある。どう考えても、その方法がわからない。それまでに人生観
が確立できればよいが、今のままでは、それも無理だろう。
 
 とくに私のように、戦後の高度成長期を生きてきた人間は、豊かな生活と引きかえに、
もっと大切な「心」を、犠牲にした。すべてを「マネー」に結びつけて生きてきた。今さ
ら、「友だちの数こそ、真の財産」「我を捨てて、慈悲の心をもて」と言われても、どこで
どうすればよいのかさえ、わからない。

 そう、私たちの生活には、「だからどうなの?」という部分がない。豪華な車に乗って、
これまた豪華なレストランで、おいしいものを食べる。しかしそのとき、ふと、こう考え
る。「だからどうなの? それがどうしたの?」と。

オール電化の、便利な家を建てる。風呂の温度も、湯の量も、すべて自動化されている。
暑ければクーラーをつければよい。しかしそのときも、ふと、こう考える。「だからどう
なの? それがどうしたの?」と。

つまり私たちは、「だからどうなの?」という部分を、置き去りにしたまま、ただがむし
ゃらに生きてきた。たとえばそのことは、美術館で巨匠たちの描いた絵画を見たときに、
思い知らされる。「すばらしい絵だ」と思うのだが、「だからどうなの?」という部分で、
その絵を、自分と、どうしても結びつけることができない。そしてあろうことか、「この
絵は、一億円の価値がある」「二億円だ」と、そんなふうに考えてしまう。

私が感ずる老後の不安は、そんなところから生まれる。

 もし生きるだけなら、死ぬまで生きればよい。うまくいけば、ベッドの上で、寝たきり
でも何でも、数年間は生きられる。しかし、そんな人生に、どんな意味があるというのか。
もっと言えば、明日が今日と同じ。あるいは明日は、今日より、もっと悪くなるという人
生に、どんな意味があるというのか。ただ生き長らえているという人生に、どんな意味が
あるというのか。

 若いとか、年をとっているとか、そういうことは関係ない。肉体などというものは、た
だの入れ物。パックに入っていようが、グラスに入っていようが、ミルクはミルク。問題
は、そのミルクの味、中身、それに鮮度なのだ。

 今の私には、孤独、絶望、疎外、空虚と戦う自信は、まったく、ない。このまま行けば、
やがて孤独という無間地獄の中で、気が狂ってしまうかもしれない。その可能性は大きい。
そこで聖書をひもとき、仏教の経典を開き、「心」をさがす。しかし頭の中では理解できて
も、それが実践できない。実践しても、どうも身につかない。

 昨日も、ある親から、子育てについて、相談があった。二時間近く、電話で話した。こ
のところ毎日のように、電話がかかってくる。居留守をつかうという方法もあるが、ウソ
をつくのは、もっといやだ。だから電話に出る。

 で、こうした行為が、私の心に何かの「うるおい」をもたらすかというと、そういうこ
とは、まったく、ない。客観的に見れば、私は人助け(?)をした。よい思いをもって当
然なのに、それがない。相変わらず、孤独は孤独のまま。絶望感も、疎外感も、空虚感も
そのまま。

 私のどこが、どうまちがっているのだろう。おかしいのだろう。何かの見返りを求めて
いるのだろうか。ノー。感謝されることを願っているのだろうか。ノー。自分の優位性を
楽しんでいるのだろうか。ノー。

 一つ理由があるとすれば、私は、相手の立場になりきっていないということがある。口
では、「たいへんですね」と、同情したフリをするかもしれないが、それはあくまでもフリ。
私はいつも、そのフリだけで生きている。だからそういう相談に答えながらも、いわばハ
ウ・ツー的な知識を説明しているにすぎない。

 これではいけない。このままでは、さらにいけない。私の老後は、まちがいなく、悲惨
なものになる。……私が感ずる老後の不安は、そんなところから生まれる。

 さあ、時間がないぞ。私はどうしても急がねばならない。あと五年か。それとも10年
か。いや、とても10年は、もたないだろう。それまでに、何としても、自分を立てなお
さなければならない。
(030914)

+++++++++++++++++++++++

 この原稿を書いてから4年。私は『自己の統合性』という言葉を知って、自分の老後に、ある
種の
光がさし込んだのを知った。わかりやすくいえば、「おぼろげながらも、道が見えた」。

 もちろんこの言葉は、心理学では常識的な言葉で、私が考えたものではない。若い人につい

いえば、『自己の同一性(アイデンティティ)』という言葉がある。それと対比させて考えてみる
と、
わかりやすい。多くの若い人は、(自分のしたいこと)を模索しながら、やがてそれと自分を一
致さ
せていく。それが『自己の同一性』。

 が、「統合性」というのは、そんな生やさしいものではない。というのも、先にも書いたように、
(す
べきこと)には、ふつう、苦痛や苦労がともなう。できるなら、そういう苦痛や苦労は、避けた
い。統
合性を確立するためには、そういう苦痛や苦労を乗り越えなければならない。

 しかも、その統合性は、一朝一夕には確立できない。エリクソンという学者が言っているよう
に、
その時期は、「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後。そのころから、老後に向けて、準備す
る。
計算すると、老後を迎える、20〜30年前から、ということになる。

 「60歳になりました。これからはボランティア活動に精を出します」「ゴビの砂漠で、ヤナギの

でも植えてきます」というわけにはいかない。その下地がない人が、まねごとだけで、それらし
いこ
とをしても、意味はない。長続きしない。

 で、私にとって(すべきこ)とは何か? 言い忘れたが、(すべきこと)というのは、無私、無欲
が前
提である。功利、打算が入ったとたん、その(すべきこと)は、霧散する。つまり(すべきこと)と
いう
のは、「なぜ私たちは生きるか」「何のために生きているか」「何のために生きてきたのか」とい
う問
題と直結している。

 その(生きること)は、まさに(無)の世界。どこまでも純粋で、透明。濁った心が入り込んだと

ん、
(生きること)は、台なしになってしまう。

 ……しかしそこまで、無私、無欲になりきれるものなのか。が、これだけは言える。「人間は
死ぬ
ときは、無に還(かえ)る」ということ。死なないまでも、死がちかづけば近づくほど、無に近くな
る。
話はぐんと現実的になるが、そのことは、ケア・センターに通う老人たちを見ればわかる。

 あのケア・センターでは、老人たちが、20〜30歳前後の若い人の指導で、粘土細工をした
り、
折り紙をしたりして、時間をつぶしている。若いときには、みな、それぞれ、それなりの人たちだ

たはずである。

 私の母にしても、今では、8〜10畳間の部屋とベッドが、すべての財産。若いころは、勝ち気
で、
負けず嫌いだった。親戚の人たちと、遺産の取り合いまでしたことがある。しかし今、残ってい
るも
のは、何もない。

 だったら、それに早く気づけばよい。どうせ私たちは、みな、「無」に還る。遅かれ、早かれ、
そう
なる。無になることを恐れるのではなく、無を前提として生きる。そうすれば私利、私欲も消え、

の分だけ、より早く自分の統合性を確立することができる。

 この原稿を、また4年後に読み返してみたい。そのとき私は、何を発見しているだろうか。私
は、
どうなっているだろうか。
(07年10月23日、満60歳まで、あと少し!)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものスキンシップ

++++++++++++++

スキンシップには、魔法の
力がある。

++++++++++++++

 心の緊張感がとれない子どもが、ものに固執することがあるというのは、よく知られて
いる。たとえば毛布の切れ端、タオル、ボタン、金物、小物など。そういうものを、片と
きも離さず、手にもっていたりする。

 指先から得る快感で、緊張感を取ろうとする。もう少し専門的には、指先に刺激を与え
ると、その刺激は神経をとおして、脳に伝わる。そのとき脳の中で、エンドロフィン系の
麻薬様物質を放出される。その麻薬様の物質が、陶酔感を引き起こす。この陶酔感が、緊
張感をやわらげる。(このメカニズムは、針麻酔に似ている。)

 おとなでも、毎晩、眠る前にオナニー、もしくはマスターベーションする人は多い。私
のワイフの知人の夫は、毎晩、奥さんに、ペニスのマッサージをさせるそうだ。マッサー
ジといっても、奥さんが夫のペニスを握っているだけだそうだが……。(いいのかなあ、こ
んな秘密を暴露して! Xさん、ごめんなさい!)
 
 少し前、母親の乳房や乳首にさわりたがる子どもの話をした。これについて書いたら、
いろいろな人から、意見をもらった。

 乳房や乳首も多いが、ほかに母親のくちびる、耳たぶ、髪の毛などに触れたがる子ども
がいることがわかった。子どもによって、それぞれ部位が違うが、決して珍しいことでは
ない。(何となく、内容がポルノ風になってきた……。私は、こういう話は、あまり得意で
はない。)

 こうした快感は、つまりとくに性的快感は、人間が感ずる快感の中でも、特別な快感と
いってよい。その善悪論を説いても、意味はない。こうした快感は、人間に、「命」の一つ
として備わっている。またそれがあるから、人間はセックスをし、子孫を、次世代に残す
ことができる。

 で、こうした子どもの行為を、母親は、どこまで容認すべきか。それが問題である。

無理に拒否したり、否定したりすると、子どもは、そうした行為に罪悪感をもつばかり
ではなく、緊張感がほぐせなくなり、その結果として、情緒が不安定になる。

 これは子育ての基本だが、どんなささいな行為でも、子どもがそれを繰りかえすときに
は、それなりの原因や理由があると考える。親の考えだけで、それを判断してはいけない。
とくにこうしたクセ、これを「習慣性性癖」というが、同じ行為を繰りかえすときは、頭
ごなしに、それを否定してはいけない。よく知られた性癖としては、指しゃぶりなどがあ
る。

 コツは、子どもが求めてきたら、短時間でもよいから、ていねいにそれに応じてあげる。
「恥ずかしいこと」という意識をもたせないようにする。くすぐったかったら、くすぐっ
たいと正直に言えばよい。

 私も子どものころ、貝殻のボタンをいじるのが好きだった。指先でいじっていると、う
っとりとするような陶酔感を感じたのを、今でもよく覚えている。で、そのせいかどうか
は知らないが、(多分、そのせいだと思うが……)、パソコンを選ぶときも、指先から得る
感触を大切にしている。私のばあい、どこかツルツルして、丸みをおびたキーボードを、
好む。

 先のX氏の奥さんは、実にあっけらかんとした人だ。ケラケラと笑いながら、そういう
話を、ワイフにしたそうだ。私も、何度か、会ったことがあるが、女性も、四〇歳をすぎ
ると、羞恥心がなくなる? その奥さんは、こうも言ったそうだ。「ほとんど毎晩なのです
よ。夫は、神経をつかう仕事をしているので、しかたないと思っています。ただ握ってい
ればいいのですね。フニャフニャになったら、眠ったのだと思って、手をはなします」と。

 こういう話を書いていると、書いている私まで、おかしな気分になる。その奥さんは、
肌のきれいな人だ。へんな想像を、頭の中でしてしまう。(私だって、ふつうの男だぞ!)

 そう言えば、少し前、産婦人科医をしている、I氏がこんな話をしてくれた。「女性を診
察していて、感ずることはありませんか」と聞いたときのこと。I氏は、こう話してくれ
た。「そりゃあ、ありますよ。三〇歳の中ごろまでは、よくありました」と。

 私のばあい、心の緊張感をほぐすために……。この話は、ここまで。この先は、ワイフ
様の許可がないと書けない。どうぞ、ご自由に、想像を! 私とて、あなた、もしくはあ
なたの夫と、同じ。それほど違ったことをしているわけではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 スキ
ンシ
ップ スキン・シップ 子どものスキンシップ)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●買い物グセ

+++++++++++++

一度身についたクセは、
なかなかなおらない。
思考回路というのは、そう
いうもの。

買い物ぐせも、そのひとつ。

だから一時は、私の指導に
従ってくれた親も、しばらく
時がたつと、それを忘れて
しまう。

そして同じクセを繰りかえす。
同じ失敗を繰りかえす。

+++++++++++++

●甘い食品

甘い食品、リン酸食品など、そういうものを毎日多量に摂取している子どもは、見た目
にも、独特の症状を示す。詳しくは「過剰行動児」を参考にしてほしい。で、そういう
子どもをもつ母親に、それなりの指導をすると、たいていの母親は、「では……」と言っ
て、私のアドバイスに従ってくれる。

しかし長つづきはしない。理由は簡単。こうしたアドバイスは、一時的な効果しかない。
やがて母親は、もとの買い物習慣にもどってしまう。一、二か月もすると、スーパーな
どで、また同じものを買い始める。つまり元の木阿弥(もくあみ)。

では、どうするか。

私はあわせて、つぎのようにアドバイスしている。

「家の中にある、甘い食品(ジュース、アイスクリーム、ジャムなど)、それにリン酸食
品(かまぼこ、インスタントうどん、焼きそば、プリンなど)を、思い切って、袋に詰
めて捨てなさい。もったいないと思ったら、なおさら、そうしなさい。もったいないと
思う気持ちが、ショックとなって、あなたの買い物グセをなおします」と。

言うまでもなく、問題は子どもの食生活にあるのではなく、母親の買い物習慣にある。
その買い物習慣を改めないかぎり、子どもの食生活の問題はなおらない。子どもの小食
(好き嫌い、細い、遅い、少ないなど)に悩んだときも、同じように対処する。

●甘いものを食べて、低血糖?

甘い食品(白砂糖の多い食品)を食べると、低血糖になると話すと、多くの母親は、「?」
と思うらしい。しかしそれには、こんなメカニズムが働く。

一時的に、多量の白砂糖をとると、当然のことながら、急激に血糖値があがる。そのと
き同時に、その血糖値をさげようと、体内で、多量のインスリンが分泌される。で、そ
のインスリンが、血糖を分解する。それで血糖値はさがるが、しかしインスリンだけは
血中に残り、さらに血糖値をさげようとする。そして結果として、今度は、低血糖にす
る。

低血糖になると、脳の抑制命令がうまく働かなくなり、行動が、カミソリでスパスパと
切るように、鋭くなる。突発的にキーキー声をあげて、興奮しやすくなる。

行動するときは、(思考するときにも)、二つの命令が同時に、脳より発せられる。ひと
つは、行動命令。もう一つは抑制命令。この二つの命令が、バランスよく保たれたとき、
人間の行動や思考は、スムーズになる。なめらかになる。見た目にも、おだやかになる。

しかし血糖値があがると、脳間伝達物質である、セロトニンが、異常に分泌され、脳の
機能が乱される。こうして低血糖児特有の症状が現れる。

私が見聞きした低血糖児に、こんな子どもがいた。

ある病院で、小児糖尿病の患者を見舞ったときのこと。当然のことながら、小児糖尿病
の子どもは、人工的に砂糖断ちをしている。その結果、ここでいう低血糖児になる。話
には聞いていたが、その症状のはげしさには、驚いた。

昼の給食時だったが、突発的に暴れて、トレイごと床にたたきつけてしまった子どもも
いた。その暴れ方が、ふつうではない。まさに突発的。錯乱状態になって暴れた。

そんなわけで、もし、あなたの子どもに、つぎのような症状が現れたら、砂糖断ちをし、
合わせて、CA、MGの多い食生活にこころがけてみるとよい。具体的には、魚介類、
海産物を中心とした献立に切りかえてみる。

★突発的に、キーキー声(超音波に近い声)をあげて、興奮する。暴れる。
★小刻みにイライラしたり、言動に落ち着きがない。
★精神疲労を起こしやすく、興奮しやすい。感情の起伏がはげしい。

 イギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。それについては、すでに何度も書
いてきたので、ここでは省略するが、子どもの心で、「?」と感じたときには、まずCA、
MGの多い食生活にこころがけてみる。

●ダラダラとした姿勢も……
  
 ついでに、ダラダラとした姿勢も、CA,MGでなおすことができる。子どもの学習風
景をうしろから見ると、それが判断できる。

 子どもをうしろから見たとき、背骨がぐにゃぐにゃと曲がってしまい、姿勢が悪いよう
だったら、まずCA、MG不足を疑ってみる。子どもによっては、筋肉の緊張感が持続で
きず、机におおいかぶさってしまうこともある。

 言うまでもなく、筋肉の緊張感をつくるのは、CA、MGである。正確には、カルシウ
ムイオンということになる。これが不足すると、筋肉が緊張感を持続できず、ここでいう
ように、姿勢が悪くなる。

 よく私の教室でも、姿勢が悪い子どもを見つけると、あとで、「どうしてあなたは、ちゃ
んと座っておれないの!」と叱っている母親を見かける。しかしこの問題は、叱ってどう
にかなる問題ではない。原因は、かたよった食生活にあるとみる。

 なお、一週間ほど、CA,MGの多い食生活にこころがけ、かつリン酸食品を避け、砂
糖断ちをすると、子どもの姿勢は、劇的になおる。一度、ためしてみてほしい。

 (注)「砂糖断ち」といっても、完全に断つ必要はない。今ではありとあらゆる食品に砂
糖が含まれているので、意識しなくても、子どもはじゅうぶんすぎるほどの砂糖を摂取し
ていることになる。ちなみに幼児に必要な摂取量は、一日、一〇〜一五グラムと言われて
いる。意識して与える必要はない。

 またよくレストランなどで、子どもの顔よりも大きなソフトクリームを食べている子ど
もをよく見かける。それがいかに多い量かは、あなた自身が、自分の顔より大きなソフト
クリームを食べてみればわかる。

 体重一五キロの子どもが、ソフトクリーム一個を食べる量は、体重六〇キロのおとなが、
四個食べる量に等しい。それともあなたは、四個のソフトクリームを食べることができる
とでも言うのだろうか。それだけの量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子は、
小食なのでしょうか」は、ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 買い
物ぐ
せ 買い物癖 買い物グセ)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●自発的行動

 自ら進んでやるか。それとも、人に命令されてからやるか。その違いは、当然、大きい。

 たとえば勉強。自分がしたい勉強を、自分でする。学びたいから、学ぶ。その学びたい
という意思がしっかりしている。そういう形で、その人(子ども)の行動を強化すること
を、「正の強化」という。

 一方、親にガミガミと叱られながら、勉強する。勉強しなければ、殴られるかもしれな
い。だから勉強する。こわいから、自分の意思とは無関係に、する。いやいや、する。こ
ういうふうに、外からの圧力で、その人(子ども)の行動を強化することを、「負の強化」
という。

 子どもの行動を強化するためには、二つの方法がある。自発的にさせる方法と、強制的
にさせる方法の二つである。

 もっとも、こんなことは心理学で説明されなくても、常識。わかりきったこと。

 そこで「正の強化」を、育てるためには、一義的には、前向きな姿勢を育てる。ほめた
りして、自分に自信をもたせる。しかしこのとき、もっと大切なことは、子どもの夢を育
てること。そしてその夢を、未来につなげていく。

 今の私の心境を書く。

 もう五、六年前になるだろうか。私はある人から、本を代筆するように頼まれた。若い
ころ、よくした仕事である。そこでその人の仕事を、一度は引きうけた。が、である。い
ざ原稿を書こうとする段階になって、手が鉛のように重いのを知った。

 いろいろな思いが、胸をふさいだ。代筆、つまりゴーストライターの仕事というのは、
体を売る女性の仕事(?)に似ている。いわば魂を切り売りするようなもの。いくらその
人の気分になって書いても、どこかしこに、自分の思想が混入する。

 そこで「これはお金のためだ」と、何度も自分に言ってきかせた。が、当時は、それほ
どお金には困っていなかった。で、結果的に、その仕事は、断ることにした。

 一方、私は、今、こうして少しの時間でもあれば、原稿を書いている。まったくお金に
ならない。雑誌社や出版社から、頼まれたわけでもない。しかし、こうして書いていると、
楽しい。本当に楽しい。

 それは未開拓の原野を、ひとりで歩いているような楽しさである。私が知らないものが、
そこにあるような気がする。あるいは本当に、それまで私が知らなかったことを、発見す
ることもある。そういうときは、楽しくて、キーボードの上で、手先が、チョウのように
軽く舞う。

 この違いがどこからくるかといえば、自発的にそれをするかしないかの違いといっても
よい。ただ私のばあいは、もう負の強化には耐えられない。人に命令されてするのは、大
嫌い。実際には、命令されたら、絶対にしない。

 少し前のことだが、デパートで、エレベーターに乗ったときのこと。うしろのほうに立
っていた男が、「四階!」と叫んだ。「四階のボタンを押せ」という意味である。私は返答
するのもいやだったから、その言葉を無視した。すると、その男はこう言った。「あんたが
近くにいるのだから、押してくれてもいいだろ」と。私は、それに答えて、こう言った。「自
分のことは、自分でしたら」と。

 私は決して、不親切な人間ではない。しかしそういう言い方をされると、本能的な部分
で、抵抗する。ここでいう「負の強化」に耐える度量は、もうない。

 子どもを伸ばすことを考えたら、同時に、いかにしてその子どもの中に、自発的な向学
心を育てるかを考える。命令したり、脅したりして、子どもに勉強させるのは簡単なこと。
しかしそういう方法では、長つづきしない。あるいは子ども自身が、かえって反発してし
まう。

 そこであなたの子どもは、今、どのような状態か、自己診断してみてほしい。毎日、や
る気になって、がんばっているだろうか。それとも、逃げ腰になって、いやいや勉強して
いるだろうか。もし後者なら、ここでいう正の強化をいかにつくるかだけを考えて、子ど
もを指導する。勉強をする、しないは、つぎの問題と考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自発
的行
動)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●古い原稿

++++++++++++++

これは私の特権のようなものだが、
古い原稿を読みなおすことによって、
私はその(時)に、そのままタイム
スリップすることができる。

おおかたの人は、その(時)を、その
まま忘れてしまう。記憶というのは
そういうもので、歳を取れば取るほど、
そうである。

脳みその底に穴があく。その穴から
記憶がどんどんと下へ落ちていく。
知識や経験も、そのまま下へ落ちて
いく。

が、私のばあいは、少し、ちがう。
その(時)に書いた原稿を読むことで
そのまま、そのときの(自分)に戻る
ことができる。

今も、そうだ。4年前に愛知県岩倉市
へ講演に行ったときの原稿が出てきた。

もしその原稿がなければ、岩倉市という
名前すら思い出さなかっただろう。
講演の内容も、またそのとき私が
どんなことを考えたかも、思い出さなかった
だろう。

+++++++++++++++

●愛知県岩倉市にて

 今日は、愛知県岩倉市にやってきた。総合体育センターというところで、話をさせても
らう。

 名古屋駅から、名鉄犬山線に乗り換え、二〇分ほどのところ。このあたりには、まった
く土地勘がない。一〇時三〇分の予定だが、九時三〇分に着いてしまった。だからひとり、
こうしてロビーのすみで、パソコンを開く。

 空は、あやしげな厚い雲がおおっている。その向こうから、飛行機の轟音がする。きっ
と小牧空港に近いのだろう。ああ、道路が濡れているところを見ると、少し前に雨がふっ
たのかもしれない。

 今日の講演はそのセンターのホール。一〇人ほどの人が、何やら準備をしている姿が見
える。遅刻するのもいやだが、しかし早く来すぎて、みなさんに迷惑をかけるのもいやだ。
こうしてあまり意味のない文章を書きながら、時間をつぶす。

 おかしなことだが、長くのびすぎた髪の毛が気になる。床屋へ行こうと思いつつ、いつ
も限界まで、がんばってしまう。床屋は嫌いではないが、めんどう。本当のところは、時
間をつくるのが、めんどう。だからついつい(のびのび)になってしまう。

 のびのび……「時間が延び延び」という意味と、「髪の毛が、伸び伸び」という意味。お
もしろい掛け言葉だ。

 今朝は、五時に起きてしまった。おかげで、今、眠い。それに少し頭痛がする。朝食を
抜いているので、薬はのめない。こうした講演があるときは、朝食はとらない。頭がボー
ッとしてしまい、使いものにならなくなる。

 岩倉市は、もちろんはじめて。駅から五分も車で走ると、静かな田園風景になる。この
ロビーからも、周囲の畑が見える。センターそのものが、どこかポツンと、畑の中に建っ
ている感じ。「眠ろうか」と考えたが、パソコンをたたいているほうが、楽しい。今日は、
こうしてパソコンをもってきた。

 今日は、「子どもの心」について話す。

 ほとんどの人は、自分自身にも子ども時代があったということで、子どもの心について、
軽く考えがち。つまり「子どもの心はよく知っている」と。

 しかしこれは誤解。実は、私たちの心の中には、(私であって私である)部分と、(私で
あって私でない)部分が、共存している。このうち(私であって私でない)部分が、簡単
に言えば、子どもの心ということになる。

 たとえばあなた自身の心の中をのぞいてみてほしい。

 あなたの中にも、(私であって私でない)部分がたくさんある。いじけやすい、ひがみや
すい、嫉妬しやすい、ねたみやすい、くじけやすいなど。こうした部分は、実は、あなた
が子どものころ、あなたの中にできたものである。

 そのころできた心が、今もあなたの中にあって、あなたを裏から操っている。しかしこ
こで、つぎの問題が起きる。

 実はあなた自身が、そうした心に裏から操られながら、操られていることに気づかない
でいる。ひとつのわかりやすい例で考えてみよう。

 よく知られた子どもの心の変調に、「分離不安」というのがある。母子分離不安ともいう。
母親の姿が見えなくなっただけで、ギャーギャーと大声で泣き叫びならあとを追う(プラ
ス型)と、混乱状態になってオドオドする(マイナス型)がある。

 こうした分離不安は、成長とともに、表面的にはわからなくなる。子ども自身が、自己
意識で、コントロールするようになるからである。このコントロールする部分が、(私であ
って私である)部分ということになるが、それはさておき、分離不安という、妄想性をと
もなった突発的な錯乱性は、そのあとなくなるわけではない。その人の心の奥底にもぐる。

 まさに「もぐる」という言い方が適切である。消えるのではない。もぐる。

 ある女性(母親、四〇歳)は、こう言った。「今でも、夫の帰りが予定を一、二時間も過
ぎると、言いようのない不安にかられます」と。あるいは「夫を会社へ送り出すとき、あ
とを泣き叫んで追いかけたい衝動にかられます」と。

 こうした母親に、「子どものころ、分離不安はありませんでしたか?」と聞いても、あま
り意味はない。ほとんどのばあい、その人自身は、それを覚えていない。ただひとり、こ
んなことを言った男性(五〇歳)がいた。

 「ぼくは母親っ子でね。母がいないと、何もできなかった」と。

 覚えているとしても、その程度。つまり、ここに、(私であって私でない)部分がある。
そしてそれが(子どもの心)ということになる。

 今日はここを導入部にして、子どもの心について話す。私の得意分野だが、しかし聴衆
の受けは、あまりよくない。だから……。今日は、どうしようかと、今、迷っている。

 こうした講演では、直前まで、つまり舞台に立つまで、話の内容が決まらないことがあ
る。そして演壇に立ったとたん、話の内容を決めることがある。いいかげんなやり方に思
う人がいるかもしれないが、講演というのは、そういうもの。

 たとえばパッと見たとき、男性や年配の方が多いときは、そういう話に切りかえなけれ
ばならない。反対に、若い母親が多いときには、やはり、そういう話に切りかえなければ
ならない。

 ホールの玄関があわただしくなってきた。「おはようございます」という、かけ声が多く
なった。時計を見ると、一〇時少し前。

 この原稿は、ここまで。そろそろ支度(したく)をしなければならない。洗面所へ行き、
服装を整えよう。体の調子は、あまりよくないようだ。しかしいつものように、がんばろ
う。がんばるしかない。では……。

+++++++++++++++++++++++

●帰りの電車の中で、こんなことを考えた。

 「報われる」という言葉がある。報酬の「報」ということになる。どんな仕事にも、報
酬がともなう。報酬のない仕事はない。しかしその「報」に慣れきってしまうと、いつも
心の中で損得を考えて行動するようになる。

 以前、これについては、かなり詳しく調べたことがあるが、この日本でも、貨幣が一般
社会に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろだそうだ。貨幣そのものは、奈良時
代からあった。しかし今のような使われ方をするようになったのは、江戸時代の中ごろか
らだ、と。

 一方、私が子どものころには、戦後ということもあったが、まだ物々交換という風習が、
残っていた。(ホント!) 実際、私は、自転車の修理代とスイカ一個を交換している姿を
見かけたことがある。ここまで日本人が「報」、なかんずく「お金」に敏感になったのは、
ごく最近のことと考えてよい。

 もちろん「報」というときは、お金にかぎらない。有形、無形、いろいろな報酬がある。
そして私たちは、何をするにも、心のどこかで、その有形、無形の報酬を考えながら行動
している。無我の境地で、まったく報酬を考えないで何かをするということは、ほとんど、
ない。

 たとえば講演活動にしても、私はそれなりの講演料を受け取っている。こちらから金額
を口にすることはない。ないが、無料ということではない。それは、その講演のために、
それなりのお金がかかるということもある。交通費はもちろんのこと、それに日当などな
ど。

 そのとき大切なことは、そうした報酬だけに気を取られていると、何のための講演なの
か、わからなくなってしまうということ。本来、講演というのは、それを聞いてくれる人
のためにするもの。心や考え方を伝えるためにするもの。そういう精神が基本にあっては
じめて、講演は成りたつ。

 が、このところ、講演をするたびに、私はその「報」を考えるようになってしまった。
ときどき、「何の利益になるのだろうか」とさえ思う。私のばあい、講演料といっても、恐
らく最低の金額ではないか。たまたま今日の主催者のA氏は、前座で、こんなことを話し
ていた。

 「東京大学の学生による家庭教師は、月額三〇万円が相場です」と。

 週に二回程度の家庭教師なのか。それとも一回なのか。そこは聞き漏らしたが、それに
しても、三〇万円とは! しかしこんな話を聞くと、講演など、バカ臭くて、できなくな
る。

 しかし人間。損得だけで動くようになったら、おしまい。報われるにしても、報われな
いにしても、それはあくまでも結果。結果がどうであれ、そのときは、そのときで、やる
べきことを、懸命に、全力ですればよい。講演にしても、呼んでもらえるだけでも、あり
がたい。感謝すべきことなのだ。

 何ともさみしい結論だが、私は、帰りの電車の中でそんなことを考えた。

++++++++++++++++++++

【追記】

 さらに家に帰ってから、講演の前に書いた文章と、そして帰りの電車の中で書いた文章
を読みなおしてみた。そして私は、こんなことに気づいた。

「思い」というのは、そのときの精神状態に左右されるということ。

 帰りの電車の中では、私は疲れていた。疲れていたから、内容が、どこかグチっぽくな
った。

 前後が逆になったが、講演の前には、私は緊張状態にあった。だからものの考え方が、
どこか理屈っぽくなった。

 これは私にとっては、重要な発見だった。つまり一見、確かと思える「思い」も、その
ときどきの心の状態によって、変化しうるものだということ。だからたとえば、同じテー
マでも、心の状態によっては、まったく別の結論になるかもしれない?

 そういう意味では、「思い」というのは、流動的なもの? そうであってはいけないと言
う人もいるが、しかしそういう前提で、自分の思想や他人の思想を考えてみることも、と
きには、必要ではないのか。少なくとも、文章というのは、そういうもの。書くときの心
情で、どうにでもなる。あるいは書く人の技術で、どうにでもなる。

この先のことは、また別の機会に考えてみる。
(030913)

+++++++++++++++

日付は03年9月となっている。
自分で自分の書いた原稿を読みながら、
「そうだ!」「そうだった!」と、納得する。

そういう意味でも、これはものを書くとき
には当然のことだが、自分を偽っては
いけない。飾ってもいけない。もちろん
ウソを書いてはいけない。

あとで読み返したとき、そういう文章は
かえって自分を不愉快にする。あるいは
そういう文章というのは、価値がない。

ありのままを、ありのままに書く。が、
それには、大前提がある。

ありのままに書いてもだいじょうぶな
(自分)を、もたなければならない。
「あいつは憎いから、殺してやる」式の
文章では、困る。しかし一方、「私は
万人を愛します」式の文章でも困る。

4年前の私は、たしかにここに書いた
とおりの私だった。まだ講演料に、どこか
こだわっていた。

この原稿を読んで、そんな(過去)に、
私はタイムスリップすることができた。
(07年10月23日記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●シソの実

 今朝、ワイフと、シソの実を収穫した。瓶(びん)、2個分。1つは、漬物用の出汁(だし)漬け
に、も
う一つは、醤油漬けにした。明日から、少しずつ食べてみよう。楽しみ。

 そのあと、インターネットで株価を見る。今朝は、朝から600円近い、下げ。円も113円に急

昇。
指先にほんのりと残っているシソの香りとの落差に驚く。まるで別世界。……というより、別世
界。

 青い空の下、さんさんと輝く陽光を浴びながら、シソの実を取る。ワイフとあれこれと調理法を

える。一方、薄暗い部屋に入って、モニター上の数字をながめる。底値を見定めながら、ねら
った
株の、買い時をさぐる。

 ……といっても、誤解しないでほしい。私にとって、株というのは、ゲーム。その範囲のお金し
か、
投資していない。儲けるのも、損をするのも、10万円程度。パソコン関連の機器は、それで買
って
いる。

 いろいろな見方があるだろうが、私は、その(落差)が楽しい。どちらか一方だけでは、つまら

い。
家庭菜園も好き。パソコンも好き。

 そういえば、30年来の友人のH氏が、少し前、定年で退職した。自宅近くに畑を買った。老

は、
農業を営むという。もともと農大出身の人だから、そういうことが好きらしい。シソの実を取りな

ら、
ふと、そのH氏のことを思い出す。

 その株価。動きが、メチャメチャ。こういうときは、静観するにかぎる。私のような素人が、へ
たに
手を出すと、やけどする。何事も、あぶないことは、適当に!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●アメリカの大学生

+++++++++++

たいていの日本人は、
日本の大学生も、アメリカの大学生も、
それほど違わないと思っている。
また教育のレベルも、
それほど違わないと思っている。
しかしそれはウソ。

+++++++++++
 たいていの日本人は、日本の大学生も、アメリカの大学生も、それほど違わないと思っ
ている。また教育のレベルも、それほど違わないと思っている。しかしそれはウソ。恩師
の田丸先生(東大元教授)も、つぎのように書いている。

 「アメリカで教授の部屋の前に質問、討論する為に並んで待っている学生達を見ると、
質問がほとんどないわが国の大学生と比較して、これは単に風土の違いで済む話ではない
と、愕然とする」と。

 こうした違いをふまえて、さらに「ノーベル化学賞を受けられた野依良治教授が言われ
ている。『日米の学位取得者のレベルの違いは相撲で言えば、三役と十両の違いである』と」
とも(02年8月)。もちろん日本の学生が十両、アメリカの学生が三役ということになる。

 私の二男も01年の5月に、アメリカの州立大学を学位を取って卒業したが、その二男
がその少し前、日本に帰国してこう言った。

「日本の大学生はアルバイトばかりしているが、アメリカでは考えられない」と。アメ
リカの州立大学では、どこでも、毎週週末に、その週に学んだことの試験がある。そし
てそれが集合されてそのままその学生の成績となる。そういうしくみが確立されている。

そのため教える側の教官も必死なら、学ぶ側の学生も必死。学科どころか、学部のスク
ラップ・アンド・ビュルド(廃止と創設)は、日常茶飯事。教官にしても、へたな教え
方をしていれば、即、クビということになる。

 ここまで日本の大学教育がだらしなくなった原因については、田丸先生は、「教授の怠慢」
を第一にあげる。それについては私は門外漢なので、コメントできないが、結果としてみ
ると、驚きを超えて、あきれてしまう。

私の三男にしても、国立大学の工学部に進学したが、こう言っている。「勉強しているの
は、理科系の学部の学生だけ。文科系の学部の連中は、勉強の「ベ」の字もしていない。
とくにひどいのが、教育学部と経済学部」と。理由を聞くと、こう言った。「理科系の学
部は、多くても30〜40人が一クラスになっているが、文科系の学部では、300〜
400人が一クラスがふつう。ていねいな教育など、もとから期待するほうがおかしい」
と。

 日本の教育は、文部省(現在の文部科学省)による中央管制のもと、権利の王国の中で、
安閑としすぎた。競争原理はともかくも、まったく危機感のない状態で、言葉は悪いが、
のんべんだらりと生きのびてきた。

とくに大学教育では、教官たちは、「そこに人がいるから人事」(田丸先生)の中で、ま
さにトコロ天方式で、人事を順送りにしてきた※。何年かすれば、助手は講師になり、
講師は助教授になり、そして教授へ、と。それはちょうど、水槽の中にかわれた熱帯魚
のような世界と言ってもよい。温度は調整され、酸素もエサも自動的に与えられてきた。
田丸先生は、さらにこう書いている。

 「私の友人のノーベル賞候補者は、活発な研究の傍(かたわ)ら、講義前には3回はく
り返し練習をするそうである」と。

 日本に、そういう教授はいるだろうか。

 グチばかり言っていてはいけないが、いまだに文部科学省が、自分の権限と管轄にしが
みつき、その範囲で教育改革をしようといている。もうそろそろ日本人も、そのおかしさ
に気づくべきときにきているのではないのか。

明治の昔から、日本人は、そういうのが教育と思い込んでいる。あるいは思い込まされ
ている。その結果、日本は、日本の教育はどうなった? いまだに大本営発表しか聞か
されていないから、欧米の現状をほとんど知らないでいる。中には、いまだに日本の教
育は、世界でも最高水準にあると思い込んでいる人も多い。

 日本の教育は、今からでも遅くないから、自由化すべきである。具体的に、アメリカの
常識をここに書いておく。

(1)アメリカの大学には、入学金だの、施設費だの、寄付金はいっさいない。
(2)アメリカの大学生は、入学後、学科、学部の変更は自由である。
(3)アメリカの大学生は、より高度な教育を求めて、大学間の移動を自由にしている。
つまり大学の転籍は自由である。
(4)奨学金制度、借金制度が確立していて、アメリカの大学生は、自分で稼いで、自分
で勉強するという意識が徹底している。
(5)毎週週末に試験があり、それが集合されて、その学生の成績となる。
(6)魅力のない学科、学部はどんどん廃止され、そのためクビになる教官も多い。教え
る教官も必死である。教官の身分や地位は、保証されていない。
(7)成績が悪ければ、学生はどんどん落第させられる。

 日本もそういう大学を、30年前にはめざすべきだった。私もオーストラリアの大学で
それを知ったとき、(まだ当時は日本は高度成長期のまっただ中にいたから、だれも関心を
払わなかったが)、たいへんなショックを受けた。

ここに「今からでも遅くない」と一応、書いたが、正直に言えば、「遅すぎた」。今から
改革しても、その成果が出るのは、20年後? あるいは30年後? そのころ日本は
アジアの中でも、マイナーな国の一つとして、完全に埋もれてしまっていることだろう。

田丸先生は、ロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫氏のつぎのような言葉を引用している。

「人生で一番大切な人間のキャラクターと思想を形成するハイテイーンエイジを入試の
ための勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けて
いるのは議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自
分で考え自分で判断するという訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでな
い自己判断のできる人間を育てる教育をしなければ、2050年の日本は本当にだめに
なる」と。 

問題は、そのあと日本は再生するかどうかだが、私はそれも無理だと思う。悲観的なこ
とばかり書いたが、日本人は、そういう現状認識すらしていない。とても残念なことだ
が……。

(注※)「トコロテン方式」と書いたことについて、H大学の教授の1人から、猛烈な抗議のメー
ルを
もらった。そのメールを田丸先生に見せると、田丸先生は、こう返事を書いてきた。「教授の中
に、
外部から入ってきた教授が、何割いるか、それをみればわかるでしょう」と。つまり現状では、
「トコ
ロテン方式」と批判されても、文句は言えないはず、と。



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(10月20日)

+++++++++++++++

10月らしい朝だ。
乾いた空気、小寒い感触、どこか空は
重ぼったい。

昨夜。はじめてコタツに電源を入れた。
ほんのりとした暖かさを感じながら、
「秋だなあ」と、しみじみと思う。

+++++++++++++++

●子どものうつ病

 昨日、子どものうつ病についての原稿をまとめた。

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学2年生から6年生
まで
の1041人の子どもについて調べたところ、約13・3%に「うつ病とみなしてよいとの評点を、
得点
していた」(89年)という。もちろんこの中には、偽陽性者(症状としてうつ病に似た症状を訴え

も、
うつ病でない子ども)も含まれているので、13・3%の子どもがすべてがうつ病ということにはな

ない。

また長崎大学医学部の調査研究によれば、学童全体の約1・8%、思春期の学童の約4・7%
が、
うつ病ということになっている。

 さらに今回、北海道大学の研究チームが、つぎのような結果を出した。

 北海道内の小学4年から中学1年までの児童、計738人について、精神科医が各学校(小
学校
8校、中学校2校)に直接出向き、問診調査した結果、

 軽症のものも含め、うつ病と診断された児童……3・1%
             そううつ病と診断された児童……1・1%

 学年別では、小学4年生…… 1・6%
         小学6年生…… 4・2%
         中学1年生……10・7%

 研究チームの出した結果には、大きなバラつきがあるが、おおむね、中学生で、10%前後
の子
どもたちが、うつ、もしくはうつ病の状態にあると考えてよいようだ。約10人に1人ということに

る。

 このうつ、もしくはうつ病でこわいのは、外からの様子では、わかりにくいということ。明るく快
活だ
から、うつではないとも、また反対に、暗く沈んでいるから、うつであるとも言えない。うつ状態に

りながら、明るく快活な子どもはいくらでもいる。暗く沈んでいても、うつでない子どもも、いる。

 私なども、外の世界では、結構明るく振る舞っているが、慢性的なうつ状態にある。慢性的だ

ら、どこからどこまでがほんとうの私で、どこから先が、うつの私なのか、自分でもよくわからな
い。

 たとえばうつ病の特徴の一つに、「騒音が気になる」(東邦大学・自己診断)というのがある。
私の
ばあい、たしかにそうだ。しかし騒音が気にならない人というのは、よほど鈍感な人か、騒音が
あっ
てもかまわないような職業をしている人ではないか。

 だから騒音が気になるたびに、「これはうつによるものなのか、どうか」と、迷う。ほかにもあ
る。
つまり正常か、正常でないかという判断は、一応の基準はあっても、たいへんむずかしい。あ
えて
言うなら、この世界では、正常者はいないという前提で、ものを考えたほうが、わかりやすいの

は? だいたい、「正常者」というのは、どういう人を言うのだろう?

 うつ病にしても、よく(心の風邪)にたとえられる。風邪をひいているから、健康でないとも、反

に、風邪をひいていないから、健康であるとも言えない。「健康」という尺度は、もっと別のところ

ある。同じように、「正常者」という尺度も、もっと別のところにある。

 子どもにしても、そうだ。特異なケースは別として、「正常な子ども」というのは、いない。何か
をさ
がせば、必ず、何かがある。しかしその(何か)が、その子どもの個性となっているばあいも、
多い。

 ……とまあ、自分でも何を書いているか、よくわからないので、この話は、ここまで。

 どんな私であっても、またなくても、今日は今日で、がんばって生きていくしかない。みなさん、

はようございます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ドラ息子、ドラ娘】

●甘やかしと、きびしさ

+++++++++++++

甘やかしと、きびしさ。一貫性の
ない親の育児姿勢が、子どもを
ドラ息子、ドラ娘にする。

甘やかしで、規範そのものが
崩れる。一方、アンバランスな
きびしさが、子どもを反抗的に
する。

わがままで、自分勝手。
思うようにことが運ばないと、
キレる……。

+++++++++++++

 一方で甘やかす。しかしその甘やかしに手を焼き、ときとして、きびしく接する。はじめは、小
さな
すき間だが、それが繰りかえされるうち、やがてすき間が広がる。(甘やかす)→(ますますきび

く接する)→(甘やかす)の悪循環の中で、親の手に負えなくなる。一貫性のない親の育児姿勢
が、
子どもをして、ドラ息子、ドラ娘にする。 

 このタイプの親には、共通点がある。

(1)溺愛性(生活のすべてが、子ども中心)
(2)育児観の欠落(どういう子どもに育てたいのか、その教育観が希薄)
(3)飽食とぜいたく(どちらかというと、余裕のある裕福な家庭)
(4)視野が狭い(目先のことしか、考えていない)
(5)見栄っ張り(世間体や外見を重んじる)
(6)代償的過保護(子どもを自分の思いどおりにしたい)
(7)親自身も、ドラ息子、ドラ娘的(自分がドラ息子、ドラ娘的であることに気づかない)

 これらの特徴と併せて、(8)一貫性がない。そのときの気分で、子どもに甘く接したり、きびし
く接
したりする。A君(6歳、架空の子ども)を例にあげて、考えてみよう。

 A君の父親は、もの静かな人だった。一方、母親は派手好き。裕福な家庭で、生まれ育っ
た。ほ
しいものは、何でも買い与えられた。

 A君は、生まれたときから、両親の愛情に恵まれた。近くに祖父母もいて、A君の世話をし
た。A
君は、まさに「蝶よ、花よ」と育てられた。

 母親は、A君に楽をさせること、楽しい思いをさせることが、親の愛の証(あかし)と考えてい
た。
A君は、その年齢になっても、家の手伝いは、ほとんどしなかった。いや、するにはしたが、とて

手伝いとは言えないような手伝いをしただけで、みなが、おおげさに喜んでみせたり、ほめたり

た。「ほら、Aが、クツを並べた!」「ほら、Aが、花に水をやった」と。

 が、やがて、A君のわがままが目立つようになった。あと片づけをしない、ほしいものが手に
入ら
ないと、怒りを露骨に表現するなど。母親は、そのつど、A君をはげしく叱った。A君は、それに

いて抗議した。

 A君は、幼稚園へ入る前から、バイオリン教室、水泳教室、体操教室に通った。夫の収入だ
けで
は足りなかった。A君の母親は、実家の両親から、毎月、5〜8万円程度の援助を受けてい
た。夫
には内緒、ということだった。

 A君は、そこそこに伸びたが、しかしそれほど力のある子どもではなかった。そのためA君の

親は、ますますA君の教育にのめりこんでいった。そのころすでにA君は、オーバーヒート気味

ったが、母親は、それに気づかなかった。「やればできるはず」式に、A君に、いろいろさせた。

 A君がだれの目にもドラ息子とわかるようになったのは、年長児になったころである。好き嫌

がはげしく、先にも書いたように、自分勝手でわがまま。簡単なゲームをさせても、ルールを守

なかった。そのゲームで負けると、大泣きしたり、あるいはまわりの人に乱暴を繰りかえしたり

た。

 人格の完成度が遅れた。他人の心が理解できない。自己中心的。ほかの子どもたちとの協
調性
に欠けた。幼稚園の先生が何か仕事を頼んでも、A君は、機嫌のよいときはそれをしたが、そ
うで
ないときは、いろいろ口実を並べて、それをしなかった。

 小学2、3年生になるころには、母親でも、手に負えなくなった。そのころになると、母親にも
乱暴
を繰りかえすようになった。母親を蹴る、殴るは、日常茶飯事。ものを投げつけることも重なっ
た。
が、A君は、自分では、何もしようとしなかった。学校の宿題をするだけで、精一杯。その宿題

ら、
母親に、手伝ってしてもらっていた。

 ……という例は、多い。今では、10人のうち、何人かがそうであると言ってよいほど、多い。
が、
何よりも悲劇的なのは、そういう子どもでありながらも、母親が、それに気づくことがないという

と。
『溺愛は、親を盲目にする』。A君の母親は、ますます献身的に(?)、A君に仕えた。

 こういうとき母親がそれに気づき、私のようなものに相談でもあれば、私もそれなりに対処で

る。
アドバイスもできる。しかしそれに気づいていない親に向かって、「あなたのお子さんには、問
題が
あります」とは、現実には、言えない。言ったところで、そのリズム、つまり子育てのリズムを変
える
ことは、不可能。親にとっても、容易なことではない。そのリズムは、子どもを妊娠したときか
ら、は
じまっている。そんなわけで、わかっていても、知らぬフリをする。

 が、やがて行き着くところまで、行き着く。親自身が、袋小路に入り、にっちもさっちも行かなく

る。が、そのときでも、子どもに問題があると気づく親は少ない。「うちの子にかぎって……」「そ

なはずはない……」と、親は親で、がんばる。

 A君のドラ息子性は、さらにはげしくなった。小学5、6年になるころには、まさに王様。食事
も、ソ
ファに寝そべって食べるようになった。母親が、そこまで盆にのせて、A君に食事を届けた。母

は、A君のほしがるものを、一度は拒(こば)んではみせるものの、結局は、買い与えていた。
「機
嫌をそこねたら、塾へも行かなくなる」と。

 本来なら、こうした異常な母子関係を調整するのは、父親の役目ということになる。が、A君
の父
親は、静かで、やさしい人だった。家庭のことには、ほとんど関心を示さなかった。仕事から帰
って
くると、自分の部屋で、ひとりでビデオの編集をして時間をつぶしていた。
 
 ……というわけで、子どものドラ息子性、ドラ娘性の問題は、いかに早い段階で、親がそれに

づくか、それが大切。早ければ早いほど、よい。できれば3、4歳ごろには、気づく。(それでも
遅い
かもしれない。)

 というのも、この問題は、家庭がもつ(子育てのリズム)に、深く関係している。そのリズムを
変え
るのは、容易なことではない。1年や2年はかかる。あるいは、もっと、かかる。さらに親自身が

つ、
子育て観を変えるのは、ほぼ不可能とみてよい。それこそ行き着くところまで行き、絶望のどん

にたたき落とされないかぎり、親も、それに気づかない。

 ある母親は、自分の子ども(中3男子)が、万引き事件を起こしたとき、一晩で、事件そのも
のを、
もみ消してしまった。あちこちを回り、お金で解決してしまった。また別の子ども(高1男子)は、

免許で車を運転し、隣家の塀を壊してしまった。そのときも、母親が、一晩で、事件そのものを
もみ
消してしまった。

こういうことを繰りかえしながら、親はドン底にたたき落とされる。で、やっとそのころになると、
自分の(まちがい)に気づく。それまでは、気づかない。ひょっとしたら、この文章を読んでいる

なた自身も、その1人かもしれない。が、ほとんどの人は、こういう文章を読んでも、「私には関
係ない」と、無視する。これは子育てがもつ、宿命のようなもの。

 そこで教訓。

 あなたの子どもが、わがままで自分勝手なら、子どもを責めても意味はない。責めるべきは、

なた自身。反省すべきは、家庭環境そのもの。あなたの育児姿勢。家庭のリズム。あなたの人

観、それに子育て観。

 子どもだけを見て、子どもだけをなおそうと考えても、ぜったいになおらない。なおるはずもな
い。
この問題は、そういう問題である。

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ドラ息子、ドラ娘について書いた
原稿を、いくつか添付します。

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子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの
本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うこと
です。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこ
で私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こ
う教えてくれた。

「ときどきホームステイをさせてやるのだが、料理の手伝いはしない、食事のあと、食
器を洗わない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、
ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休
みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こう
では、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手
伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分
を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったり
する。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行く
ものを許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目
標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を
放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのも
のがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的
かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、
自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って
(5)行動することができない、など。


●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しか
し一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。

ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そ
のものに原因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭
のあり方を反省する前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内
政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまち
がえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親
の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこ
からくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞
くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。

あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんが
いるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だ
ちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞くと、「ト
イレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもに
しないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝
負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉
強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは
言わない。好きなことをしているだけ。

幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。たとえば台所
の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂場の排
水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。

こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。
そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どもの
お母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオル
で、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをする
にしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛
を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)
→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。
話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食
材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチン
の周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレ
ビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビ
キビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなた
の子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、そ
れでよし。

しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をか
なり反省したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでも
ある。食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗
わせる。フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話
に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そう
いう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそう
いう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。(1)
生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労
がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族
のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生
活を改める。(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。(4)生活のルールを
守らせる。(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。そしてここが
重要だが、(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した
生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまう
ような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの
接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言え
ない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかた
よったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの金銭感覚

 年長(6歳)から小学2年(8歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その
金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。子ど
もはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。そ
してそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、100倍して考えるとよい。たとえば子どもの100円は、
おとなの1万円に相当する。1000円は、10万円に相当する。

親は安易に子どもにものを買い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなにな
ってからの、1万円、10万円に相当する。「与えられること」に慣れた子どもや、「お
金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもが、将来どうなるか。もう、言べくも
ない。

さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、それでも「高価なも
のを買ってあげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。より高価なものを
買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。

あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。が、これはまったくの誤解。実
際には、逆効果。それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを
狂わす。ある子ども(小2男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売に
なるから、ママに買いに行ってもらう」と。そこで私が、「どんなものか、見てから買っ
てはどう?」と言うと、「それではおくれてしまう」と。その子どもは、「おくれる」と
言うのだ。

最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによ
って、自分のステイタス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。
変質している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーン
が出てきた。

援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「どうして
そういうことをするのか」という質問に対して、である。しかも金銭感覚そのものが、
マヒしている。もっているものが、10万円、20万円という、ブランド品ばかり!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろう
か。1000円のものだろうか。それとも1万円のものだろうか。お年玉には、いくら与
えるだろうか。与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金
をさせるだろうか。いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもに
させているだろうか。

どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。5、6歳の子どもに、1万、2万
円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、
あなたは100万円、200万円のものを買い与えなくてはならなくなる。

つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。あなたにそれだけの財
力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめたほうがよい。
やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。そうなれ
ばなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なのだ。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ドラ息子症候群

 英語の諺に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがある。
要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。こういう
例は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、
ない。あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハ
キハキしないのでしょうか」は、ない。もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子という
のがいる。M君(小3)は、そんなタイプの子どもだった。

 口グセはいつも同じ。「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。何でもよいのだ。
その場の自分の欲望を満たせば。しかもそれがうるさいほど、続く。そして自分の意にか
なわないと、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。約束は守れないし、ルールなど、彼に
とっては、あってないようなもの。他人は皆、自分のために動くべきと考えているような
ところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」
と。そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼ
くはならない。バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資
格などない」とか。こうも言った。

「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。M君の家は昔からの地主
で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。教えるこ
とそのものが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「も
っとほかに学ぶべきことがある」というところまで、考えてしまう。そうそうこんなこと
もあった。

受験を控えた中3のときのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されて
しまったのである。悪質な万引きだった。それを知ったM君の母親は、「内申書に影響す
るから」という理由で、猛烈な裏工作をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消
してしまった。そして彼が高校二2生になったある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそ
う呼んでいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。折ったら、ヒロシはどうする?」
と。

そこで私は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私
からその万年筆を取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった!
 とたん私は彼に飛びかかっていった。結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、
M君の母親は、私を狂ったように責めた。(私も全身に打撲を負った。念のため。)

「ああ、これで私の教師生命は断たれた」と、そのときは覚悟した。が、M君の父親が、
私を救ってくれた。うなだれて床に正座している私のところへきて、父親はこう言った。
「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝しています。本当にありがと
う」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子 
ドラ息子症候群 スポイルされる子どもたち)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●嫌われる老人たち

+++++++++++++++

「嫌われる老人たち」と書いたが、
これは、他人の話ではない。

私自身のことである。あなた自身の
ことである。

私もあなたも、いつか必ず、その老人に
なる。

+++++++++++++++

 今日、ドライブの途中で、ワイフとこんな話をした。題して、「嫌われる老人たち」。

 もっとも印象に残っている老人に、こんな老人がいた。年齢は、70歳くらい(当時)ではなか
った
か。何と、あろうことか、その老人は、スーパーの生鮮品売り場コーナーの前の通路で、痰(た
ん)
を、吐いていた。床に、(ゲー、ペッ)とだ。

 それには驚いた。で、そのあとどうするかと思って、遠巻きにして見ていたら、ポケットからテ
ィッ
シュ・ペーパーを取り出し、それを痰に上にかぶせた。足で、それを冷凍庫の下へ、押し込ん
だ。
とっさのことで、私は、声を失った。

私「あれは、ひどかったねエ」
ワ「本当! 私、信じられなかったわ」
私「ぼくも、声も出なかったよ」と。

 つぎにこんな老人も印象に残っている。その老人も、70歳くらいではなかったか。ショッピン
グセ
ンターの自転車置き場で、つぎつぎと自転車を、放り投げるようにして、倒していた。

 先にそれを見つけたほかの客たちが、あきれ顔で、笑っていた。笑っていたのは、ブラジル
人の
客だった。私が、うしろから、「どうして、そんなことをするのですか?」と声をかけると、その老

は、
怒った顔で、こう叫んだ。

 「オレの自転車が、出せねえだろオ!」と。

 その老人は自分の自転車が出せないことに怒って、他人の自転車を、投げ飛ばしていた!

 またこんなことも。

 同じくショッピングセンターで、ゆっくりとカートを押しながらワイフと歩いていると、突然、うしろ

ら大声。「早く、行け!」「じゃまだ!」と。

 振り返ると、65歳くらいの老人だった。大柄な老人で、私たちを見おろるように、そこに立っ
てい
た。(私はカートに身をかがめていた。)私とワイフは、その剣幕に驚いて、通路をあけた。しか
しそ
れにしても、威張った老人だった。

 ……とまあ、そんな話をしながら、話題は、数日前のバス旅行で出会った老人のことになっ
た。
うしろの席で、咳をしていた老人である。年齢は、70〜75歳くらいだったと思う。あたりかまわ
ず咳
をし、痰をティシュペーパーなどにペッ、ペッと吐いていた。

私「マナーも何も、あったものではない」
ワ「ああいう老人は、嫌われるわね」
私「そうだ。あんなことばかりしていると、ほんとうに、老人は、粗大ゴミになってしまう」
ワ「若い人たちが、いやがるわね」
私「そうだ。そのうちバス旅行も、60歳以上は、お断り……ということになるかもしれない。ある

は反対に、シルバー専用とか……」と。

 この先10年を待たずして、日本人の3分の1程度が、65歳以上の老人になるという。3人に
1人
だ! そうなったとき、私たち老人たちは、どのような扱いを受けるか、だ。スーパーの床に痰
を吐
いたり、自転車を放り投げるような老人は論外としても、それに近いことをする老人となると、ゴ

ンといる。

 そのゴマンが、やがてゴ十万、ゴ百万になる!

私「老人になる前に、それぞれの人が人間性を磨いておかないと、たいへんなことになるよ」
ワ「そうね」
私「若い人たちに尊敬されるような老人になる必要がある。知性を磨き、自身の文化性を高め
る。
ほら、あのバスの中にも、ヒワイな話を口にして、ゲラゲラ笑いこけていた女性たちがいただ
ろ。年
齢は、65〜70歳くらいだったと思う。ああいう老人には、なりたくないね」と。

 さあ、あなたもいつか老人になる。(私は、もうその玄関口に立っているが……。)いくら「私は

いじょうぶ」と思っていても、歳を取れば取るほど、ごまかしがきかなくなる。内に潜んでいた人

性が、外にモロに出てくる。

 それだけではない。

 脳みその底に穴があく。その穴から、記憶だけではなく、知性や理性が、容赦なく、外に漏れ

る。もしあなたが40歳で、「私は50歳になってもこのままだ」と思っていたら、それはとんでもな

まちがい。もしあなたが50歳で、「私は60歳になってもこのままだ」と思っていたら、それはと
んで
もないまちがい。

 それは健康と同じ。日々に鍛錬しなければ、その時点から、すべてが下り坂を下り始める。
認知
症が加われば、なおさら。これには例外はない。むしろ「私はだいじょうぶ」と思っている人ほ
ど、あ
ぶない。

 老人は老人として、存在感を示さなければならない。またそれなくして、私たちの老後はな
い。

(1)老人は、謙虚になろう。
(2)老人は、知性、理性を磨こう。
(3)老人は、若い人たちの見本になろう。
(4)老人は、紳士、淑女になろう。

 以上は、私とワイフの努力目標でもある。がんばります!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(10月21日)

+++++++++++++

この仕事も、そろそろ40年近く
になる。40年近くにもなるが、
いまだに、慣れないことがある。

ときどき、月末の最後のレッスン
が終わったとき、「今日でやめます」
と告げてくる親がいる。

子どもが小さなメモを渡すことも
ある。

「しょせん、私のしていることは、
この程度のこと」と、そのとき、
改めて、思い知らされる。

親や子どもにしてみれば、「退会」
ということになる。しかし私にとって
は、「首切り」以外の何ものでもない。

私と親の意識のズレを強く感ずる。

だから……。気持ちよく、お互いに
別れるために、私はひとつのルール
を作った。「作った」といっても、
どこの塾でも、常識的なルールだが……。

「退会届は、前月の3週目までに
お願いします」と。

しかしこうした規約を読んでいる親は、
少ない。だから今でも、ときどき、
そういう場面に出会う。

私はだまって、それに従う。

もともと私がしていることは、しょせん、
その程度のこと。私の仕事も、しょせん、
その程度のもの。

その瞬間、その親のことは忘れる。
その子どものことは、忘れる。

++++++++++++++

●意識のズレ

 日本では、盆暮れのその季節になると、石けんを贈ることがある。しかしアメリカでは、
石けんを贈る人はいない。アメリカでは、石けんを送るということは、「臭いから、これ
で洗え」を意味する。アメリカ人の嫁が、少し前、そんな話をしてくれた。

 同じように、そのアメリカ人の嫁に、5万円程度の小遣いを渡し、「これで服でも買い
なさい」と話したら、その嫁は、ポロポロと涙をこぼして泣き出してしまった。あとで息
子に話を聞くと、こう説明してくれた。

 「アメリカでは、お金を渡して服を買えということは、あんたの服はみすぼらしいから、
買い換えろという意味になる」と。

 意識のズレというのは、恐ろしい。たがいに自分がもっている意識こそが常識と考えや
すい。そのため相手がもっている常識を、理解できない。最近でも、こんなことがあった。

 私の郷里の岐阜のほうでは、「メシ(=飯)、食(く)ってかんけえ?」「今、食べて
きたところでの」が、あいさつ言葉になっている。(岐阜といっても、北部の飛騨地方を
さすが……。)

 このとき、「メシを食べていかんか?」と言うほうも、本気で食事に誘っているわけで
はない。またそれを言われたほうも、それをよく知っているから、たとえ腹が減っていて
も、「今、食べてきた」と答える。ウソといえばウソだが、本人は、ウソを言っていると
いう自覚はない。あいさつは、あいさつ。

 では、本気で食事に誘うときは、どうするか? これはワイフから、私への質問である。

 そういうときは、しつこく押し問答を繰りかえす。

A「メシ、食ってかんけえ?」
B「今、食べてきたところでの」
A「いいから、食べてけや」
B「今、食べてきたところでの」
A「まあまあ、いいから、あがれ、あがれ(=家の中に入れ)」と。

 こうした押し問答を数回繰りかえしたところで、相手は家の中に入ってくる。

 で、最近、岐阜から知人がやってきた。で、その知人と、こんな会話をした。

私「時間があれば、いっしょに、食事をしませんか」
知「結構ですよ。今、ここへ来る前に、食べてきたところですから」と。

 私も岐阜を離れて、40年以上になる。「?」とは思ったが、その言葉を、そのまま受
け取った。横にいたワイフも、同じように受け取った。だから食事の話は忘れた。しばら
く雑談をして、そのまま別れた。

 が、今になってみると、その知人は、岐阜流のウソを言ったことになる。本来なら、私
は、そこで押し問答をしなければならなかった。が、あっさりと、私のほうが引き下がっ
てしまった。「ああ、そうですか」と。しかしこれは岐阜の流儀に反する。恐らく、その
知人は知人なりに、不愉快な思いをしたにちがいない。

 一方、この浜松には、そういう習慣がない。商店でもどこでも、値切ったり、交渉する
ということもない。つまり、岐阜の人のように、本音と建て前、裏と表を使い分けるとい
うことをしない。

 これも意識のズレといえば、ズレということになる。

 で、こんな話も聞いた。

 ある小学校の校長が、こう言った。「南米から来た子どもは、ある日、突然学校へやっ
てきて、入学させてくれと言います。が、入学するといっても、いろいろと煩雑な手続き
があります。1週間ほど、その手続きにかかります。でもね、林先生、そういう子どもで
も、ある日、突然、やめるのですよ。来月やめるとか、来週やめるとかいう話なら、まだ
わかります。『今日で、バイバイ』 とか言ってやめるから、たまりません」と。

 この話を聞いて、みなさんは、その校長がそのつど感ずるショックを、どの程度、理解
できるだろうか。あるいは中には、「そんなことは、何でもないこと」と思う人がいるか
もしれない。しかしもしそうなら、あなたは、かなりジコチューな人と考えてよい。

 学校をやめるほうの人は、「やめるのは自分たちの勝手」と思うかもしれない。しかし
やめられるほうは、そうではない。そのあとの手続きもたいへんだが、それを心の中で整
理するのは、さらにたいへん。

 学校ならまだしも、私の塾のような小さな教室では、そのショックはさらに大きい。親
や子どもにしてみれば、「退会」かもしれないが、私にとっては、「首切り」以外の何も
のでもない。反対の立場で考えてみればよい。

 あなたのボスが、月末の最後の日になって、あなたに、「あなたは明日から会社に来な
くていい」と言ったら、あなたはどうするだろうか。どう感ずるだろうか。またそんなこ
とが許されるだろうか。

 この点、日本人は、甘い。ほんとうに、甘い。

 このほどアメリカのAT&T社は、「AT&T社を批判するような記事を書くばあい、
AT&T社を利用するインターネットを停止する」という条項をもうけた。AT&T社と
いえば、アメリカを代表する通信会社である。

 いわく、「New AT&T terms of service: We'll cut off your Internet connection for 
criticizing us
(新しく、AT&T社は、つぎのような条項を定める。我が社を批判するばあい、その人
のインターネット利用を、停止する。)」と。

 つまり「当社を批判するくらいなら、当社を利用するな」と。

 この記事を読むと、ほとんどの日本人は、こう思うにちがいない。「何と、心の狭いこ
とを!」と。しかしそれこそ、まさに意識のズレ。世界の常識は、そんなに甘くない。

 さらに意識のズレはつづく。

 月末の最後のレッスンの終わりに、私のところへやってきて、「今日でやめます」と言
うのは、まだよいほう。中には、「弟のほうは、今までどおり、お願いします」とか、「ま
た来年になったら、もどってきます」などと言う親もいる。(決して、親の悪口を書いて
いるのではない。私は意識のズレについて、書いている。)

 そういうとき、私は、何と答えればよいのか。この世界へ入って40年近くになるが、
いまだにこの種の意識のズレだけは、いかんともしがたい。中には、私を、神様か仏様か
のように思っている人もいるかもしれない。が、私はただの人間。生身の人間。

 だから……。私も最近、自分のHPに、こう書いた。

 「私に対して批判的な人は、このHPの利用を禁ずる!」と。考えてみれば、これは当
然のことではないか!

(付記)

 これは私のHPにかぎったことではないが、その人のHPを読んで、気になったからと
いって、陰でゴチャゴチャ言わないこと。そういうことを言うなら、最初から、その人の
HPを読まなければよい。

 もちろん実名を出して、あなたを批判したり、名誉を毀損しているばあいは、別。ある
いは盗作や、無断転載も、別。そうでなければ、ごちゃごちゃ言わないこと。文句がある
なら、堂々と、ペンで抗議をしてきたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●不気味なうねり

+++++++++++++++

G7、つまり7か国、財務省、中央総裁
会議が閉幕した(10月19日)。

「アメリカ住宅問題や原油高が、
世界の経済成長を減速させる」との
懸念を明記した共同声明を採択した。

その19日、アメリカのダウ工業株、30種
の平均が、366ドルも大幅に、さがって
いる。

円は、1ドル=114円(10月20日)前後。
原油は、1バレル=90ドル前後。

アメリカのバブル経済は崩壊しつつある、
……というより、よくここまでもった、という
のが、私の印象。

数年前から、「あぶない」「あぶない」と
言われてつづけていた。

で、明日からの世界経済。週明けの突破口
となる日本の株価がどう動くかだが、
頼みの綱は、中国。中国経済がこけるような
ことがあると、世界経済は、ほんとうに奈落の
底にたたき落とされることになる。

不気味なのは、中国の元が、ジリジリと
あがり始めているということ。

日本の株価も大切だが、中国の株価
(上海B株)の動向も、目が離せない。

そうそう、金(きん)の価格も、グラム
3000円を超えた(18日)。暴落した
ドルが、原油や金に向かい始めている。

今、世界中を、不気味なうねりが、
大波となって襲おうとしている。

注視!
(10月20日記)

+++++++++++++++

●風邪?

 せっかくの日曜日。しかし朝から熱っぽい。昼食後、ふとんの中に入ると、ドッと汗が出た。し
ばら
く眠ったようだ。自分の鼓動で目がさめた。

 起きるとワイフが、ビタミンCを溶かして、もってきてくれた。私のばあい、風邪には、ビタミン

が、
何よりも効く。あとは生ニンニクだが、明日から仕事なので、今日は食べられない。

 床につく前、『トリスタンとイゾルデ』というDVDを、少し見た。画面の美しさに、驚いた。1シー

ごとが、「絵」になっていた。が、そこでダウン。あとで聞くと、ワイフは、「いい映画だった」と言

た。

 よい映画かどうかは、1シーン、1カットと見ればわかる。私のばあい、最初の数分で、ある程

の結論を出す。よい映画は、作りそのものがちがう。俳優の動きも、なめらかで、自然。かいま

ただけなので、評価はむずかしいが、星は3つの、★★★。


●日本映画

 一方、日本映画は、つまらない。理由のひとつは、監督も俳優も、脚本家もみな、都会に住
んで
いることではないか。都会がもつ異常さは、都会に住んでいる人には、わからない。そういうと
ころ
で、どうしてよい映画ができるというのか?

 問題は、俳優にあると思う。その役を演ずるなら、その役にふさわしい(深み)がなければな
らな
い。ところが日本映画では、最初から、それが無視される。実にそれらしくない人が、無理にそ

役を演ずるから、話がおかしくなる。

 たとえば木下恵介監督の、『喜びも悲しみも幾年月』に出てくる、佐田啓二や高峰秀子を見た

よい。誠実さがにじみ出るような俳優が、誠実な灯台守夫婦を演ずるから、見る人の心をとら

る。
『寅さん』に出てくる、渥美清や笠智衆でもよい。

 こうした俳優は、まちがいなく日常生活のレベルから、誠実な人たちであった。その(誠実さ)

積み重なって、その人たちの人格を作った。そうした人格が、そのまま画面の上で表現され
る。昔
とちがって、画面の質もよくなった。私たちは、俳優の顔のシワの動きひとつひとつを見なが
ら、俳
優と俳優の役柄を判断する。

 一方、見るに耐えないのが、日本の刑事物映画。見るからに安っぽい俳優たちが、化粧に
化粧
を重ねて、場違いな正義感を振りかざしたりする。怒鳴ったり、力んで見せたりする。とたん、
興ざ
め。見るたびに……というより、私は、ほとんど見ないが、がっかり。

 で、話を戻す。

 もちろん都会にも、誠実な人は、いくらでもいる。誠実さが消えたわけではない。しかし映画
の世
界に入ると、どういうわけか、それが消えてしまう。生かされない。つまり映画の世界が、それ
だけ
(都会化)している。(特殊化)している。はっきり言えば、どこか薄汚い。ドロドロしている。

 だから皮肉なことに、日本映画といえば、薄汚く、ドロドロした映画は、得意? 外国で賞
(?)を
取る映画といえば、たいていはこの種の映画ばかり。しかしこれでは日本映画に未来は、な
い。な
いばかりか、日本人全体にとっても、悲しむべきことと言ってもよい。

 外国の人たちは、日本という国を、そういうイメージでしか見なくなる。ヤクザと暴力、金と女

…。
あああ。


●60歳まで、秒読み!

 あと少しで、私も満60歳。江戸時代なら、もうとっくの昔に死んでいてもおかしくない年齢であ
る。
よくもまあ、今まで、無事、生きてこられたものだと思う。病気らしい病気は、しなかった。病院
のベ
ッドの上に寝たことすら、ない。(診察や、点滴を受けたときは別だが……。その点滴も、生涯
で、
2度だけ。)

 病気で仕事を休んだのは、数回程度。その数回というのも、50代に入ってから。人は、「親
に感
謝しろ」というが、実は、私は2人の兄を病気で失っている。三番目の兄は、現在、病院にい
る。食
物は、管(くだ)を通して摂取している。

 そういう兄を思うと、自分だけが健康であることに、ある種の罪悪感を覚える。「親に感謝す
る」と
いう気持ちには、とてもなれない。

 ラッキーだったのは、仕事が楽しかったこと。プラス楽(らく)だったこと。無理をしないで、生き

きた。だれにも使われず、だれも使わず、ひとりで生きてきた。実際には、ワイフと2人で生き
てき
た。気楽な人生だった。収入はほどほどにあった。一方で、常に最低限の生活を心がけてき
た。今
も、そうだ。

 加えて、事故もなかった。ワイフも、ときどき、こう言う。「私たちほど、いい人生を歩んできた
きた
人も少ないのでは……」と。

 もちろんこれから先のことはわからない。明日のことだって、わからない。しかし現状維持。
努め
て、現状維持。いつまでつづくかわからないが、とにかく現状維持。

 明日からも運動が始まる。1日、2単位(40分x2の自転車運動)。風邪は、今夜中に治して
おこ
う。(症状は、かなり楽になったようだ……。ありがたい。)

 それにしても、この私が、満60歳ねえ……? その実感が、まるでない。昔は、還暦だのな
んの
といって祝ったというが、私は、ゴメン! そんなジジ臭い儀式など、だれがするかア!

 そんな中、ワイフがまたまた聞いた。「ねえ、あなた、プレゼントには何がほしいの?」と。

 今月は、誕生日にかこつけて、いろいろ買った。パソコン関連グッズのほか、懐中時計も買
った。
ほかにほしいものは、ない。あるとすれば、新しいデジタルカメラだが、それは明日の株価の動

を見て決める。株価があがれば、買う。さがれば、がまん。

 今日までの情報を総合すると、明日の株価は、大暴落するはず。様子を見て、底値を打った
ら、
少し買いを入れてみよう。

 では、これから夕食。10月20日、午後5時45分。あたりは、真っ暗。私はこういう雰囲気
が、大
好き。心が落ち着く。


●一枚の写真

 嫁の両親が、誕生日カードを送ってきてくれた。一枚の写真が、添えられていた。自宅の家
の前
で撮ったものらしい。背景は、見慣れた景色である。

 それを見て、しばし、考える。「現実に、こういうところに住んでいる人がいるのだな」と。農業
とい
っても、夫のJIMは、養鶏業の指導員をしている。妻のDIANNEは、修士号をもって、学校の
教師
をしている。

 同じ人間に生まれて、同じ地球に住んで、こうまで差があってよいものか。日本なども恵まれ

ほうだが、この写真に見る風景には、かなわない。


●風邪

 今朝(22日)になって、やっと風邪が抜けた。少し寒いが、爽快な朝だ。

 ところで、Eマガの配信が、おかしい。乱れている。今朝も、予約どおり配信されなかった。し
かた
ないので、手動で配信。Eマガ社にその旨、問い合わせるが、今のところ返事は、なし。

 どうしたのだろう……? 

 ということで、読者のみなさんにお願い。もしできれば、メルマ(無料版)を、どうか、申し込ん
でほ
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 19日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どものうつ病】

+++++++++++++++

小4〜中1で、「うつ」の子どもが、
4・2%もいるという。

このほど、北海道大学の研究
チームが、そんな調査結果を、
公表した。

+++++++++++++++

●子どものうつ病

 ものを書くときは、当然のことながら、(きっかけ)が、大切。きっかけがあってはじめて、もの
を書
くことができる。

 それまでは、ただぼんやりとした状態がつづく。頭の中は、からっぽ。率直に言えば、考える

も、
めんどう。が、突然、頭の中で、何かが、ひらめく。キラリとひらめく。その(ひらめき)を感じた
ら、そ
れに向かって、書き始める。

 今は、「子どものうつ病」。

 少し前、・・・といっても、たった10年前には、子どものうつ病はないということになっていた。
「お
かしいな?」と思いながら、当時、ある総合病院で、小児医科長をしていたドクターに、それに
つい
て聞いたことがある。が、答は、同じ。「子どもに、うつ病はありません」と。

 そんなはずはない。たとえば学校恐怖症にしても、怠学にしても、子どもは、うつ病に似た症

を示す。「うつ病」と診断しても、さしつかえないと思われる子どももいる。しかし、「子どもに、う

病はありません」とは? 

だからたとえば不登校児をもつ親に向かって、心の病気をにおわすようなことを口にするの
は、タ
ブー中のタブー。そんなことを言えば、親たちが、反発した。ふつうの反発ではない。「うちの子

学校へ行けないのは、いじめが原因です!」と。

 もちろん(いじめ)が原因で学校へ行けなくなった子どもも多い。が、それ以上に多いのが、
心の
病気で、学校へ行けなくなった子ども。うつ病もそのひとつ。学校恐怖症にしても、怠学にして
も、
うつ病と区別するのは、むずかしい。印象に残っている子どもに、Sさん(私立高校1年生、女
子)
という女の子がいた。

●Sさんのケース

 ある日、Sさんが、母親に連れられて、私の自宅にやってきた。幼児クラスで教えたことのあ
る子
どもだった。そのSさんが、学校でいじめにあっているという。そのため、学校へ行けなくなって
しま
った、と。

 母親とSさんは、ことこまかく、いじめの内容について、私に説明した。

 Sさんとは、そのあと1年半近く、なんだかんだと、つきあった。そのSさん、印象的だったの
は、
会うたびに、あれこれグチを並べたこと。それも一方的なグチ。時にそれが1時間以上もつづ

た。
グチの内容が、会うたびに変化した。

たとえば最初は、「Xさんがいじめる」と言った。話を聞いていると、Xさんの行状を、ことこまかく
説明した。

 で、母親と相談し、ついで、母親が、学校側と相談した。学校側は、クラス変更に応じてくれ
た。
が、しばらくすると、今度は、同じクラスのYさんの悪口を言い始めた。理由にもならない理由を

べて、Yさんを非難した。

 「泥のついたテニスボールで、私にスマッシュをかけてきた」
 「掃除のとき、廊下の真中だけを掃除して、端のほうには、ゴミが残っていた」
 「先生が近くにいるときだけ、あいさつをすると返事をしてくれる。先生がいないと、私を無視

る」とか、など。

 Yさんと同じグループにいたこともある。「Yさんが、私に仕事を押しつけて、家に帰ってしまう」
「そのため、宿題をやる時間がなくなってしまう」というようなことを、言ったこともある。

 つまりひとつの問題が起きると、とことん、その問題にこだわる。しかしその問題が解決する
と、
今度は、別の問題を持ちだす。が、その段階で、以前の問題は、ケロッと忘れてしまう。話題に

ならない。

あとは、この繰り返し。私はそのうち、Sさんが、本当の自分をごまかすために、そのつど、あ

これ、もっともらしい口実を並べているだけと気づいた。

 (本当の自分)・・・つまり、Sさんは、学校へ行きたくなかった。もっと言えば、心の内に潜む、
もっ
と大きな力によって、学校へ行くのをはばまれていた(行きたい)とか(行きたくない)というレベ

の話ではない。「行けない」のだ。しかし「行けない」という自分に心さえ、気づいていなかった。

●北海道大学の調査結果

 このほど、北海道大学の研究チームが、こんな調査結果を公表した。何と、子どもの世界に
も、
うつ病があるという! その調査結果で、何よりも驚いたのは、「子どものうつ病」という文字
が、前
面に出てきたこと。これには驚いた。この言葉を口にするのは、先にも書いたように、教育現
場で
は、タブーとされていた。

 が、みなが内心では、「ある」と感じていた。「?」と思っていた。しかしだれも、それを口に出し

言うことができなかった。私が驚いたのは、そのためである。

 子どもにも、うつ病はある。おとなに負けないほど(?)、立派なうつ病がある。こんなことは今

昔も常識で、うつ病に、おとなも子どももない。聞いたところでは、犬やネコにもあるそうだ。

 要するに抑圧された精神状態が、慢性的につづくと、心だって風邪をひくということ。原因は
いろ
いろある。

 北海道大学の調査チームによれば、つぎのようになっている(小学4年〜中学1年の児童、

徒、
738人について、医師が面接方式で診断)。

 有病率では、中学1年(総数122人)で、10・7%! (10人に1人だぞ!) 研究チームの
一員
である伝田准教授(北大・精神医学)ですら、「これほど高いとは驚きだ。これまでは子どものう

は見過ごされてきたが、自殺との関係も深く、対策を真剣に考えていく必要がある」(中日新
聞)と
いうコメントを寄せている。

 そのほかの数字は、つぎのようになっている。

 調査は、07年、4〜9月期に行われた。
 北海道内の小学4年から中学1年までの児童、計738人について、精神科医が各学校(小
学校
8校、中学校2校)に直接出向き、問診調査。

 その結果、

 軽症のものも含め、うつ病と診断された児童……3・1%
             そううつ病と診断された児童……1・1%

 学年別では、小学4年生…… 1・6%
         小学6年生…… 4・2%
         中学1年生……10・7%

●家庭が原因

 子どものうつ病の原因は、ほぼまちがいなく家庭にあるとみる。さらに最近の研究報告によ

ば、
5〜10歳までの離別体験が、うつ病の原因となりやすいという説もある(後述※)。つまりその
ころ
の家庭の(ひずみ)が、子どもの心に大きな影響を与えるという。

 が、問題はつづく。子どもがうつ病、もしくはうつ病に似た症状を示すと、親は一方的に、子ど

に向かって、問題を解決しようとする。

 しかし子どもは、あくまでも(代表)にすぎない。子どもに何か問題が起きたら、親は、まず、
親自
身、さらには家庭環境を疑ってみる。

 まだ、ある。

 かりに子どもがうつ病、もしくはうつ病に似た症状を示しても、家庭が家庭として機能していれ
ば、
症状をその段階で、食い止めることができる。言うまでもなく、家庭の第一の役割は、(心を休
め、
体を休める)こと。子どもは、(おとなもそうだが)、家庭で、心を休め、体を休めることによっ
て、心
の疲れを癒すことができる。

●うつの診断

 うつ病といっても、うつ病特有の症状が5つ以上当てはまり、それらの症状が2週間以上つづ
く、
「大うつ病(大うつ病性障害)」から、比較的症状の軽い、「小うつ(小うつ病性障害)」に区別さ

る。

 さらに軽症だが、症状が1年以上つづく、慢性の「気分変調性障害」もある(以上、中日新聞
記事
より)。

 そううつ病は、双極性障害とも呼ばれ、うつ病期とそう病期を繰りかえす。なお厚生労働省研

班の2004〜06年度の報告書によると、約2%が、過去1年に、大うつ病性障害を経験してい
ると
いう(約4100人の地域住民について調査)。

 (東邦大学式抑うつ尺度、SRQ−D)によれば、つぎのようになっている。

++++++東邦大学式・うつ病・自己診断(Self-Rating Questionnaire)+++++++

【質問】

1、体がだるく、疲れやすいですか。
2、騒音が気になりますか。
3、最近、気が沈んだり気が重くなることがありますか。
4、音楽をきいて、楽しいですか。
5、朝のうち、とくに無気力ですか。
6、議論に熱中できますか。
7、首筋や肩がこってしかたないですか。
8、頭痛もちですか。
9、眠れないで、朝早く目覚めることがありますか。
10、事故やけがをしやすいですか。
11、食事がすすまず味がないですか。
12、テレビを見て楽しいですか。
13、息がつまって胸苦しくなることがありますか。
14、のどの奧に物がつかえている感じがしますか。
15、自分の人生がつまらなく感じますか。
16、仕事の能率があがらず何をするのもおっくうですか。
17、以前にも現在と似た症状がありましたか。
18、本来は仕事熱心で几帳面ですか。

 以上の項目について、

(いいえ)     ……0点
(ときどき、はい)……1点
(しばしば、はい)……2点
(常に、はい)  ……3点で、自己診断する。

合計点数が、10点以下……問題なし
      11〜15点……ボーダーライン
      16点以上……軽いうつ病の疑い。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 この自己診断で、高得点だからといって、うつ病ということにはならない。自己診断というの
は、
そういう点では、主観(思いこみ)に左右されやすい。あると言えばあるし、ないと言えばない。

得点の人は、「一応、その疑いがある」というふうに考えたらよいのではないか。

 子どもについて言うなら、ここに書いてあるような症状が、日常的に見られるようであれば、う

病を疑ってみるということになる。

●家庭内暴力

 子どものうつ病にからんで問題となるのが、家庭内暴力である。それについて、02年に書い

原稿があるので、それをここに掲載する。

+++++++++++

家庭内暴力について

●思春期の不安

 思春期の不安感は、大きく分類すると、つぎのように分けられる。

抑うつ気分(気分が晴れない)、悲哀感(何を見ても聞いても悲しい)、絶望感、自信喪失、自

感(自分はダメな人間と思い込む)、罪責感(罪の意識を強くもつ)など。これらが高じると、集

に対する不適応症状(不登校、怠学)、厭世気分(生きていることが無意味と思う)感情の鈍
化、
感情のコントロール不能(激怒、キレる)などの症状が現れる。

 またその前の段階として、軽い不安症状にあわせて、心の緊張感がほぐれない、焦燥感(あ

り)などの症状にあわせて、ものごとに対して突発的に攻撃的になったり、イライラしたりするこ
とも
ある。(こうした攻撃性が、ときにキレる状態になり、凶暴的、かつ破滅的な行為に及ぶことも

る。)

●行為障害としての家庭内暴力

 こうした症状は、思春期の子どもなら、多かれ少なかれ共通してもつ症状といってもよい。
が、そ
の症状が一定レベルを超え、子ども自身の処理能力を超えたとき、さまざまな障害となって、

展的に現れる。それらを大きく分けると、思考障害、感情障害、行為障害、精神障害、身体的
障害
の五つになる。

 思考障害……ふつう思考障害というときは、思考の停止(考えが袋小路に入ってしまう)、混

(わけがわからなくなる)、集中力の減退(考え方が散漫になってしまう)、想像および創造力の

退(アイデアが思い浮かばない)、記憶力の低下(英語の単語が覚えられない)、決断力の不

(グズグズした感じになる)、反応力の衰退(話しかけても、反応が鈍い)などをいう。

 感情障害……感情障害の最大の特徴は、自分の感情を、理性でコントロールできないこと。
「自
分ではわかっているのだが……」という状態のまま、激怒したり、突発的に暴れたりする。こう
した
状態を、「そう状態における錯乱状態」と考える学者もいる。ただ私は、この「自分ではわかっ
てい
るのだが……」という点に着目し、精神の二重構造性を考える。コンピュータにたとえていうな
ら、
暴走するプログラムと、それを制御しようとするCPU(中央演算装置)が、同時に機能している

態ということになる。(実際には、コンピュータ上では、こういうことはありえないが……。)

この時期の子どもは、感情障害を起こしつつも、もう一人の自分が別にいて、それをコントロー
ルするという特徴がある。その一例として、家庭内暴力を起こす子どもは、(1)暴力行為の範

を家庭内でとどめていること。また(2)暴力行為も、(事件になるような特別なケースは別とし
て)、最終的な危害行為(それ以上したら、家庭そのものが破滅する行為のこと。

私はこれを「最終的危害行為」と呼んでいる)に及ぶ、その直前スレスレのところで抑制するこ

がある。家庭内暴力を起こす子どもが、はげしい暴力を起こしながらも、どこか自制的なの
は、
そのためと考える。

行為障害……軽度のばあいは、生活習慣の乱れ(起床時刻や就眠時刻が守れない)、生活
態度
の乱れ(服装がだらしなくなる)、義務感の喪失(やるべきことをしない)、怠惰、怠学(無気力に

り、無意味なサボり方をする)などの症状が現れる。が、それが高ずると、社会的機能が影響
を受
け、集団非行、万引き、さらには回避性障害(他人との接触を嫌い、部屋に引きこもる)、摂食
障害
(拒食症、過食症など)を引き起こすようになる。この段階で、家人は異変に気づくことが多い
が、
この状態を放置すると、厭世気分が高じて、自殺願望(「死にたい」と思う)、自殺企画(自殺方

を考える)、最終的には自殺行為に及ぶこともある。

精神障害……うつ状態が長期化すると、感情の鈍化(喜怒哀楽の情が消える)、無反応性(話

かけてもボーッとしている)が現れる。一見痴呆症状に似ているので、痴呆症と誤解するケース

多い。しかし実際には、ほとんどのケースでは、本人自身が、自分の症状を自覚していること
が多
い。これを「病識(自分で自分の症状を的確に把握している)」という。ある青年は、中学時代、

庭内暴力を起こしていたときのことについて、こう言った。「いつももう一人の自分がそこにい
て、そ
んなバカなことをするのをやめろと叫んでいたような気がする。しかしいったん怒り始めると、そ

にブレーキをかけることができなくなってしまった」と。

ほかにもう一つ、腹痛や頭痛などの身体的障害もあるが、一般的な病状と区別しにくいので、

こでは省略する。

●情緒不安

 よく誤解されるが、情緒が不安定な状態を、情緒不安というのではない。情緒不安というの
は、
心の緊張感がとれない状態をいう。「気を許さない」「気を抜かない」「気をゆるめない」という状

を考えればよい。

その緊張しているところに、不安要素が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に心の緊

感が高まる。このタイプの子どもは、どこか神経がピリピリしていて、心を許さない。そのことは
軽く抱いてみればわかる。心を許さない分だけ、体をこわばらせたり、がんこな様子で、それを
拒絶したりする。情緒が不安定になるのは、あくまでもその結果でしかない。

 家庭内暴力を繰り返す子どもは、基本的には、この情緒が不安定な状態にあると考えるとわ

りやすい。そのためたいていは(親側からみれば)ささいな親の言動で、子どもは突発的に凶
暴に
なり、攻撃的な暴力を繰り返す。ある女子(中2)は、母親がガラガラとガラス戸を閉めただけ
で、
母親を殴ったり、蹴ったりした。母親には理由がわからなかったが、その女子はあとになってこ
う言
った。「ガラス戸をしめられると、『もっと勉強しなさい』と、催促をされているような気がした」と。

その女子の家は大通りに面していて、ふだんから車の騒音が絶えなかった。それで子どものと
きから、母親はその女子に「勉強しなさい」と言ったあと、いつもそのガラス戸をガラガラとしめ
ていた。母親としては、その女子の部屋を静かにしてあげようと思ってそうしていたのだが、い
つの間にか、それがその女子には「もっと勉強しなさいという催促」と聞こえるようになった……
らしい。

●暴力行為

 家庭内暴力の「暴力」は、その家人にとってはまさに想像を絶するものである。またそれだけ

深刻な問題となる。その家庭内暴力に、私がはじめて接したケースに、こんなのがある。

 浜松市に移り住むようになってしばらくのこと。私は親類の女性に頼まれて、1人の中学3年
生男
子を私のアパートで、個人レッスンをすることになった。「夏休みの間だけ」という約束だった。
が、
教えて始めてすぐ、その中学生は、おとなしく従順だったが、まさに「何を考えているかわから
ない
タイプの子ども」ということがわかった。

勉強をしたいのか、したくないのか。勉強をしなければならないと思っているのか、思っていな
いのか。どの程度まで教えてほしいのか、教えてほしくないのか。それがまったくわからなかっ
た。心と表情が、完全に遊離していて、どんな性格なのかも、つかめなかった。

 が、その少年は、家庭の中で、激しい暴力行為を繰り返していた。その少年が暴力行為を繰
り返
すようになると、母親は仕事をやめ、父親も出張の多いそれまでの仕事をやめ、地元の電気
会社
に就職していた。そういう事実からだけでも、その少年の家庭内暴力がいかに激しかったかが

かる。

その少年を紹介してくれた親類の女性はこう言った。「毎晩、動物のうめき声にも似た少年の

叫が、道をへだてた私の家まで聞こえてきました。その子どもが暴れ始めると、父親も母親も、
廊下をはって歩かねばならなかったそうです」と。

私は具体的な話を聞きながら、最初から最後まで、自分の耳を疑った。私が知るその少年
は、
「わけのわからない子ども」ではあったが、家の中で、そのような暴力を働いているとは、とても
思えない子どもだったからである。

●心の病気

 こうした抑うつ感が、うつ病につながるということはよく知られている。一般には家庭内暴力を

こす子どもは、うつ病であると言われる。おとなでも、うつ病患者が突発的にはげしい暴力行為

繰り返すことは、よく知られている。が、家庭内暴力を起こす子どもがすべて、うつ病かという
と、そ
れは言えない。症状としては重なる部分もあるというだけかもしれない。

たとえば学校恐怖症というのがあるが、どこまでが恐怖症で、どこからがうつ病なのか、その

を引くのがむずかしい。少なくとも、教育の現場では、その線を引くことができない。同じよう
に、
家庭内暴力を起こす子どもと、うつ病との間に、線を引くことはむずかしい。そこで比較的研究
の進んでいる、うつ病についての資料を拾ってみる。(というのも、家庭内暴力という診断名は
なく、そのため、治療法もないということになっているので……。)

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学2年生から6年生
まで
の1041人の子どもについて調べたところ、約13・3%に「うつ病とみなしてよいとの評点を、
得点
していた」(89年)という。もちろんこの中には、偽陽性者(症状としてうつ病に似た症状を訴え

も、
うつ病でない子ども)も含まれているので、13・3%の子どもがすべてがうつ病ということにはな

ない。

最近の調査研究では、学童全体の約1・8%、思春期の学童の約4・7%が、うつ病ということ

なっている(長崎医大調査)。

が、この数字も、注意してみなければならない。「うつ病」と診断されるほどのうつ病でなくても、
それ以前の軽度、中度のうつ病も含めるとどうなるかという問題がある。さらに、うつ病もふく

て、こうした情緒障害には、周期性、反復性がある。数週間単位で、症状が軽減したり、重くな

たりすることもある。そういう子どもはどうするかという問題もある。が、それはさておき、ここで

う「4・7%」というのは、おおむね、「今という時点において、中学生の約20人に1人が、うつ病

ある」と考えてよい数字ということになる。

 で、この数字を多いとみるか、少ないとみるかは、別として、こうした子どもたちが、一方で不

校や引きこもり(マイナス型)を起こし、また一方で家庭内暴力を起こす(プラス型)、その予備
軍と
考えてよい。(あるいは実際、すでに起こしている子どもも含まれる。)

で、ここで問題は、二つに分かれる。(1)どうすれば、家庭内暴力も含めて、どうすれば子ども
のうつ病を避けることができるか。(2)今、家庭内暴力を起こしている子どもも含めて、どういう
子どもには、どう対処したらよいか。

●どうすれば防げるか 

 「すなおな子ども」というとき、私たちは昔風に、従順で、おとなの言うことをハイハイと聞く子
ども
を想像する。しかしこれは、誤解。

教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。一つは、心の状態と表

が一致していること。悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはうれしそうな顔をす
る、
など。が、それが一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」が始まる。不愉快に思っている
はずなのに、ニコニコと笑ったりするなど。

 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるなどの心の
ゆが
みがない子どもを、すなおな子どもという。心がいつもオープンになっていて、やさしくしてあげ

り、親切にしてあげると、それがそのままスーッと子どもの心の中にしみこんできくのがわか
る。
が、
心がゆがんでくると、どこかでそのやさしさや親切がねじまげられてしまう。私「このお菓子、食

る?」、子、「どうせ宿題をさせたいのでしょう」と。

 ついでに、子どもの心は風船玉のようなもの。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」で荒れ
る。
反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世界」で荒れることも

る。
問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆる仮面をかぶり、二重人格性をも
つこ
とだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、その裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰り返す、な
ど。
家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の世界では、信じられないほど、よい子を演ずることが

い。

●こわい遊離と仮面

 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。教える

から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな子ども」ということに

る。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだすこともある。

ともかくも心と表情が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横取りされても、笑みを浮
かべながら渡す。失敗して皆に笑われているようなときでも、表情を変えず平然としている、な
ど。「ふつうの子どもならこういうとき、こうするだろうな」という自然さが消える。が、問題はそれ
で終わらない。

 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ることが多
い。
作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマりこんでしまい、

実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、ゲームで覚えた呪文を、

に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはものの考え方が極端化し、先鋭化す
るこ
ともある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい情
緒不
安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、息を抜け
ない
環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よい子」になるが、
それ
はあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。こうした仮面は、家庭内暴力を繰り返す

どもに、共通して見られる。

 子どもの心を遊離させないためにも、子育ては、『まじめ8割、いいかげん2割』と覚えておく。

れは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」で、羽をのばし、自
分を
伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さないというより、妥協しない。外から
帰っ
てきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるなど。

このタイプの親は、何ごとにつけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そしてそれが子ど
もの心をゆがめる。が、悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚がない。ないばか

か、自分は理想的な親だと思い込んでしまう。中には父母会の席などで、堂々とそれを誇示す
る人もいる。

 なお子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日に行

てみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。もしあなたの
子ど
もが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし園や学校では、別人のよ

であれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそうなら、心の開放を、何よりも大切に

る。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。

●前兆症状に注意

 子どもの心の変化を、的確にとらえることによって、子どもの心の病気を未然に防ぐことがで

る。
私なりに、チェック項目を考えてみた。

○ときどきもの思いに沈み、ふきげんな表情を見せる(抑うつ感)
○意味もなく悲しんだり、感傷的になって悲嘆する(悲哀感)
○「さみしい」「ひとりぼっち」という言葉を、ときどきもらす(孤独感)
○体の調子が悪いとか、勉強が思い通りに進まないとこぼす(不調感)
○「どうせ自分はダメ」とか、「未来は暗い」などと考えているよう(悲観)
○何をするにも、自信がなく、自らダメ人間であると言う(劣等感)
○好きな番組やゲームのはずなのに、突然ポカンとそれをやめてしまう(感情の喪失)
○ちょっとしたことで、カッと激怒したり、人が変わったようになる(緊張感)
○イライラしたり、あせったりして、かえってものごとが手につかないよう(焦燥感)
○ときどき苦しそうな表情をし、ため息をもらうことが多くなった(苦悶)
○同じことを堂々巡りに考え、いつまでもクヨクヨしている(思考の渋滞)
○考えることをやめてしまい、何か話しかけても、ただボーッとしている(思考の停止)
○何かの行動をすることができず、決断することができない(優柔不断)
○ワークなど、問題集を見ているはずなのに、内容が理解できない(集中困難)
○「自分はダメだ」「悪い人間だ」と、自分を責める言動がこのところ目立つ(自責感)
○「生きていてもムダ」「どうせ死ぬ」と、「死」という言葉が多くなる(希死願望)
○行動力がなくなり、行動半径も小さくなる。友人も極端に少なくなる(活動力低下)
○動きが鈍くなり、とっさの行動ができなくなる。動作がノロノロする(緩慢行動)
○ブツブツと独り言をいうようになる。意味のないことを口にする(内閉性)
○行動半径が小さくなり、行動パターンも限られてくる(寡動)
○独りでいることを好み、家族の輪の中に入ろうとしない(孤立化)
○何をしても、時間ばかりかかり、前に進まない(作業能率の低下)
○具体的に死ぬ方法を考え出したり、死後の世界を頭の中で描くようになる(自殺企画)

こうした前兆症状を繰り返しながら、子どもの心は、本来あるべき状態から、ゆがんだ状態へ
と進
んでいく。

●家庭内暴力の特徴

 家庭内暴力といわれる暴力には、ほかには見られない特徴がいくつかある。

(1)区域限定的
 家庭内暴力は、その名称のとおり、「家庭内」のみにおいて、なされる。これは子どもの側か
らみ
て、自己の支配下のみで、かつ自己の抑制下でなされることを意味する。その暴力が、家庭を

れて、学校や社会、友人の世界で起こることはない。

(2)最終的危害行為にまでは及ばない
 子どもは、自分ができる、またできるギリギリのところまでの暴力を繰り返すが、その一線を
越え
ることはない。(たまに悲惨な事件がマスコミをにぎわすが、ああいったケースはむしろ例外
で、ほ
とんどのばあい、子ども自身が、暴力をどこかで抑制する。)どこか子ども自身が、「ここまでは

される」というような冷静な判断をもちつつ、暴力を繰り返す。

これを私は「精神の二重構造性」と呼んでいる。

言いかえると、これを反対にうまく利用して、子どもの心に訴えるという方法もある。私もよく、

ういう家庭の中に乗り込んでいって、子どもと対峙したことがある。そういうとき、もう一方の冷

な子どもがいることを想定して、つまりその子どもに話しかけるようにして、諭すという方法をと
る。「これは暴れる君ではない。もう一人の君だ。わかるかな。本当の君だよ。本当の君は、や

しくて、もう一人の君を嫌っているはずだ。そうだろ?」と。大切なことは、決して子どもを袋小

に追い込まないこと。励ましたり、脅したりするのは、タブー中のタブー。

(3)計算された恐怖
 
子どもが暴力を振るう目的は、親や兄弟に、恐怖を与えること。その恐怖を与えることによっ
て、
相手を自分の支配下に置こうとする。方法としては、暴力団の構成員が、恐怖心を相手に与え
て、自分の優位性を誇示しているのに似ている。そしてその恐怖は、計算されたもの。決して

発的、偶発的なものではない。

繰り返すが、ここが、子どもがほかで見せる暴力とは違うところ。妄想性を帯びることもある
が、
たとえば分裂病患者がもつような、非連続的な妄想や、了解不能な妄想をもつことはない。こ
のタイプの子どもは、どうすれば相手が自分の暴力に恐怖を覚え、自分に屈服するかを計算

ながら、行動する。そういう意味では、「依存」と「甘え」が混在した、アンビバレンツ(両価的)な
状態ということになる。

●家庭内暴力には、どう対処するか

 家庭内暴力に対処するには、いくつかの鉄則がある。

(1)できるだけ初期の段階で、それに気づく

家庭内暴力が家庭内暴力になるのは、初期の段階での不手際、家庭教育の失敗によるとこ

が大きい。子どもが荒れ始めると、親はこの段階で、説教、威圧、暴言、暴力を使って子ども

抑えようとする。体力的にもまだ親のほうが優勢で、一時はそれで収まる様子を見せることが
多い。しかしこうした無理や強制は、それがたとえ一時的なものであっても、子どもの心には取
り返しがつかないほどのキズを残す。このキズが、その後、家庭内暴力を、さらに凶暴なもの

する。

(2)「直そう」とか、「治そう」と思わないこと

一度、悪循環に入ると、「以前のほうが、まだ症状が軽かった」ということを繰り返しながら、あ

はドロ沼の悪循環におちいる。この悪循環の「輪」に入ると、あとは何をしても裏目、裏目と出
る。
子どもの心の問題というのは、そういうもので、たとえばこれは非行の例だが、「門限を過ぎて

帰ってきた、そこで親は強く叱る」→「外泊する。そこで親は強く叱る」→「家出を繰り返す、そこ
で親は強く叱る」→「年上の男性(女性)と、同棲生活を始める、そこで親は強く叱る」→「性病

なったり、妊娠したりする……」という段階を経て、状態は、どんどんと悪化する。

そこで大切なことは、一度、こうした空回り(悪循環と裏目)を感じたら、「今の状態をそれ以上

くしないこと」だけを考えて、親は子どもの指導から思い切って手を引く。「直そう」とか、「治そ
う」
と思ってはいけない。つまり子どもの側からみて、子どもを束縛していたものから子どもを解き
放つ。(親にはその自覚がないことが多い。)その時期は早ければ早いほどよい。また子ども

症状は、数か月、半年、あるいは一年単位で観察する。一時的な症状の悪化、改善に、一喜

憂しないのがコツ。

(3)愛情の糸は切らない

 家庭内暴力は、あくまでも「心の病気」。そういう視点で対処する。脳そのものが、インフルエ
ンザ
にかかったと思うこと。熱病で、苦しんでいる子どもに、勉強などさせない。ただ脳がインフルエ

ザにかかっても、外からその症状が見えない。だから親としては、子どもの病状がつかみにく

が、
しかし病気は病気。そういう視点で、いつも子どもをみる。無理をしてはいけない。無理を求め
ても
いけない。

この時点で重要なことは、「どんなことがあっても、私はあなたを捨てません」「あなたを守りま
す」という親の愛情を守り抜くこと。ここに書いたように、これはインフルエンザのようなもの。本
当のインフルエンザのように、数日から一週間で治るということはないが、しかし必ず、いつか
治る。(治らなかった例はない。症状がこじれて長期に渡った例や、副次的にいろいろな症状

併発した例はある。)必ず治るから、そのときに視点を置いて、「今」の状態をみる。この愛情さ
えしっかりしていれば、子どもの立ち直りも早いし、予後もよい。あとで笑い話になるケースすら
ある。

(4)心の緊張感をほぐす

 一般の情緒不安と同じに考え、心の緊張感をほぐすことに全力をおく。そのとき、何が、「核」

なっているかを、知ることが大切。多くは、将来への不安や心配が核になっていることが多い。

分自身がもつ学歴信仰や、「学校へは行かねばならないもの」という義務感が、子ども自らを
追い
込むこともある。よくあるケースとしては、子どもの心を軽減しようとして、「学校へは行かなくて

いい」と言ったりすると、かえって暴力がはげしくなることがある。子ども自身の葛藤に対して
は、
何ら解決にはならないからである。

 だいたい親自身も、それまで学歴信仰を強く信奉するケースが多い。子どもはそれを見習っ

いるだけなのだが、親にはその自覚がない。意識もない。子どもが家庭内暴力を起こした段階

も、「まともに学校へ行ってほしい」「高校くらいは出てほしい」と願う親は多い。が、それも限界

超えると、そのときはじめて親は、「学校なんかどうでもいい」と思うようになるが、子どもはそれ

ど器用に自分の考えを変えることができない。そこで葛藤することになる。「どんどん自分がダ

になる」という恐怖の中で、情緒は一挙に不安定になる。

 ただ症状が軽いばあいは、子どもが学校へ行きやすい環境を用意してあげることで、暴力行

が軽減することがある。A君は、夏休みの間、断続的に暴力行為を繰り返していたが、母親が

緒になって宿題を片づけてやったところ、その暴力行為は停止した。このケースでも、子ども自

が、自分を追い込んでいたことがわかる。

(5)食生活の改善

 家庭内暴力とはやや、内容を異にするが、「キレる子ども」というのがいる。そのキレる子ども

ついて、最近にわかにクローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。つまり脳間

達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令を狂わすとい

(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、「過剰行動児」として、もう20年以上も前から指摘されていることだが、もう少し

体的に言うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、イン
スリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因とな

という(岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス

とものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、カ
ッと
なり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しくない。

児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻
みに
震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム
分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよくし
たり、
鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムを
リン
酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士を

くる』という。日本でも戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われていた。

それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみ
る。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座って
いても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。

 これはここにも書いたように、キレる子どもへの対処法のひとつだが、家庭内暴力を繰り返
す子
どもにも有効である。

 最後に家庭内暴力を起こす子どもは、一方で親の溺愛、あるいは育児拒否などにより、情緒

未熟性が、その背景にあるとみる。親は突発的に変化したと言うが、本来子どもというのは、
その
年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐように、段階的に成長する。

その段階的な成長が、変質的な環境により、阻害されたためと考えられる。よくあるケースは、
幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で過ごしてしまうケース。こうした子どもが、それま
で脱げなかったカラを一挙に脱ごうとする。それが家庭内暴力の大きな要因となる。そういう意
味では、家庭内暴力というのは、もちろん心理的な分野からも考えられなければならないが、

時に、家庭教育の失敗、あるいは家庭教育のひずみの集大成のようなものとも考えられる。

どもだけを一方的に問題にしても意味はないし、また何ら解決策にはならない。

(以上、未完成ですが、また別の機会に補足します。)
(02−9−1)※

+++++++++++++++

●子どものうつには、休養

 子どもがうつ状態、もしくはうつ病的症状を見せたら、鉄則は、ただひとつ。休養、あるのみ。
しか
もそれには、半年〜1年単位の休養が必要である。が、これは子どもの問題というより、親の
問題
と考えてよい。

 たとえば学習面においても、1年単位の休養が必要である。しかしそれを親に納得させるの
は、
むずかしい。「それでは受験にまにあわない」「受験競争から脱落してしまう」と。そして結果的
に、
行き着くところまで、行く。またそこまで行かないと、親も気づかない。

 が、コツがないわけではない。子どもが過負担によるうつ症状を見せたら、『負担は、少しず
つ減
らす』(後述、参考)など 。急にすべてを減らすと、あとあと立ちなおりが、むずかしくなる。そ
れに
ついても、以前、いろいろな原稿を書いてきた。もしあなたの子どもが、うつ的な症状を見せた
ら、
ここに書いたことを参考に、子どもを包む家庭環境を、猛省してみてほしい。

+++++++++++++++++++++

子どもを無気力から回復させるための30の鉄則

+++++++++++++++++++++

●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと

る。
ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう何か
よい
ことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。子どもの

力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱ら
れたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これを弱
化の
原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになると、学習効

が、著しく落ちるようになる。


●内面化

子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達
を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自己管

能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、社会規

や、
善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、「しつけ」とい
う。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母

の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的過

るのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対して
は、
ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい無視を

りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる
気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き症候
群、
荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程度がんば
った
ところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標をもたせるよう

する。


●子どもの恐怖症

恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖症、
醜形
恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所恐怖症、閉

恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事恐怖症などがあ
る。
子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」式の強引な押しつけは、か
えっ
て症状を悪くするので注意。


●子どもの肥満度

児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。この計
算式
で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に見る方法としては、
手の
甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指のつけねに腱が現れるが、この

の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症状とみる。この方法は、満5歳児〜の
肥満
度をみるには、たいへん便利。


●チック

欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示す。た

えば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。こうした症状を
総称
して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、「おかしな行動をする」と感

たら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経質で、気が抜けない家庭環境にあると

て、
猛省する。
(はやし浩司 子供の肥満 肥満度 子どもの肥満)

 
●伸びたバネは、ちぢむ

受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓な
ど。
毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)は、一事的な

果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。『伸びたバネはちぢ
む』と
覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ま

ることはできない』というのがある。その格言の意味を、もう一度、考えてみてほしい。


●「利他」度でわかる、人格の完成度

あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「ママ、も
って
あげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲームなどに夢中になって

れば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの人格(おとなも!)、いかに

他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息子は、それだけ人格の完成度の低い
子ど
もとみる。勉強のできる、できないは、関係ない。


●見栄、体裁、世間体

私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子ども
の姿
はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「となりの人より、い

生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、私は不幸」と、相対
的な
ものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受ける。子どもの学歴について、ブランド
志向
の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。あなたは自分の人生を、自分のものとして、生

ているか、と。


●私を知る

子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが親から

習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかっているのですが、つ
いそ
の場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自身の中の「私」を知ること。一

簡単そうだが、これがむずかしい。ギリシアのターレスもこう言っている。『汝自身を、知れ』と。

学の究極の目標にも、なっている。


●成功率(達成率)は50%

子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたのでは、子ども

楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、その目安は、50%。そ
の5
0%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そしていつも、何かのレッスンの終わりに
は、
「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばらしい」と言って、ほめて仕あげる。


●無理、強制

無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上の効
果は
ない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。ばあいによって
は、燃
え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわけで、『伸びたバネは、必ず縮
む』
と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれば、プラスマイナス・ゼロになるということ。


●条件、比較

「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」というのが条件。
「A君
は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学校で一番だったのよ」という

が、比較ということになる。条件や比較は、子どもからやる気を奪うだけではなく、子どもの心
を卑
屈にする。日常化すれば、「私は私」という生き方すらできなくなってしまう。子どもの問題という

りは、親自身の問題として、考えたらよい。(内発的動機づけ)


●方向性は図書館で

どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れてい
き、
一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってくる。それがそ
の子
どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポーツに強い関心をもって

ることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、子どもを指導し、伸ばす。


●神経症(心身症)に注意

心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるようになる。
「何
か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知られた例としては、チ

ク、
吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿などがある。日常的に、抑圧感や欲求不
満を
覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こうした症状が見られたら、(親は、子どもをなおそ
うと
するが)、まず親自身の育児姿勢と、子育てのあり方を猛省する。


●負担は、少しずつ減らす

子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、すべて取

払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極端な変化は、かえって

状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、1、2か月をかけて減らすのが

い。
そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そうすることによって、あとあと、子どもの立ちな
おり
が、用意になる。

●荷おろし症候群

何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や大学

進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボーッとしている

け。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、10〜15%の子ども
に、
そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が少なく、人に言われていやいや勉強

た子どもに多い」(渋谷昌三氏)と。


●回復は1年単位

一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短いほうだ

……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。その無理が、
かえ
って症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状はどうか?」「去年とくらべ
て、症
状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単位の変化に、決して、一喜一憂しないこ
と。
心の病気というのは、そういうもの。


●前向きの暗示を大切に

子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしくなる」「来

は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものやる気を引き起こす。あ
る家
庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。その秘訣は、母親にあった。母
親は
いつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あんたも、お兄ちゃんの服が着られるようになっ
たわ
ね」と。「明日は、もっといいことがある」という思いが、子どもを前にひっぱっていく。


●未来をおどさない

今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになることに、ある

の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感を覚えることも

る。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切そうにそれをもっているな
ど。
話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未来を脅さない。


●子どもを伸ばす、三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学
生だ
と、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終え

子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3226人

対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心得る。

 
●受験は淡々と

子ども(幼児)の受験は、淡々と。合格することを考えて準備するのではなく、不合格になったと

のことを考えて、準備する。この時期、一度、それをトラウマにすると、子どもは生涯にわたっ
て、
自ら「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。そうなれば、大失敗というもの。だから受験は、不
合格
のときを考えながら、準備する。


●比較しない

情報交換はある程度までは必要だが、しかしそれ以上の、深い親どうしの交際は、避ける。で
きれ
ば、必要な情報だけを集めて、交際するとしても、子どもの受験とは関係ない人とする。「受
験」の
魔力には、想像以上のものがある。一度、この魔力にとりつかれると、かなり精神的にタフな
人で
も、自分で自分を見失ってしまう。気がついたときには、狂乱状態に……ということにも、なりか

ない。


●「入試」「合格・不合格」は、禁句

子どもの前では、「受験」「入試」「合格」「不合格」「落ちる」「すべる」などの用語を口にするの
は、
タブーと思うこと。入試に向かうとしても、子どもに楽しませるようなお膳立ては、必要である。
「今
度、お母さんがお弁当つくってあげるから、いっしょに行きましょうね」とか。またそういう雰囲気

ほうが、子どもも伸び伸びとできる。また結果も、よい。


●入試内容に迎合しない

たまに難しい問題が出ると、親は、それにすぐ迎合しようとする。たとえば前年度で、球根の名

を聞かれるような問題が出たとする。するとすぐ、親は、「では……」と。しかし大切なことは、物

りな子どもにすることではなく、深く考える子どもにすることである。わからなかったら、すなおに
「わかりません」と言えばよい。試験官にしても、そういうすなおさを、試しているのである。


●子どもらしい子ども

子どもは子どもらしい子どもにする。すなおで、明るく、伸びやかで、好奇心が旺盛で、生活力

あって……。すなおというのは、心の状態と、表情が一致している子どもをいう。ねたむ、いじ

る、
すねる、ひねくれるなどの症状のない子どもをいう。そういう子どもを目指し、それでダメだとい

のなら、そんな学校は、こちらから蹴とばせばよい。それくらいの気構えは、親には必要であ
る。


●デマにご用心

受験期になると、とんでもないデマが飛びかう。「今年は、受験者数が多い」「教員と親しくなっ

おかねば不利」「裏金が必要」などなど。親たちの不安心理が、さらにそうしたデマを増幅させ
る。
さらに口から口へと伝わっていく間に、デマ自身も大きくなる。こういうのを心理学の世界でも、
「記
憶錯誤」という。子どもよりも、おとなのほうが、しかも不安状態であればあるほど、その錯誤が

きくなることが知られている。


●上下意識は、もたない

兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人からこの意
識を
抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれている。今でも、長子相

を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的なものの考え方をしているよう

ら、
まず、それを改める。


●子どもの名前で、子どもを呼ぶ

「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子どもを呼ぶ。た
とえ
ば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに名前で呼びあう兄弟(姉
妹)
は、仲がよいと言われている。


●差別しない

長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置かれ
る。親
は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なのである。そういう
前提
で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、不平等に対して、きわめて敏

に反応しやすい。


●嫉妬はタブー

兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬は、確
実に
子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。この嫉妬がゆ
がむ
と、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、たがいに嫉妬させないように
する。


●たがいを喜ばせる

兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買い物に連れ

いったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわね」というような買い与

方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがいの思いやりの心を育てるために
も、
重要である。


●決して批判しない

子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば兄に何か
問題
があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口した段階で、あなた
と兄
の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、あなたは聞くだけ。決して相

ちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけない。


●得意面をさらに伸ばす

子どもを伸ばすコツは、得意面をさらに伸ばし、不得意面については、目を閉じること。たとえ
ば受
験生でも、得意な英語を伸ばしていると、不得意だった数学も、つられるように伸び始めるとい
うこ
とがよくある。「うちの子は、運動が苦手だから、体操教室へ……」という発想は、そもそも、そ
の発
想からしてまちがっている。子どもは(いやがる)→(ますます不得意になる)の悪循環を繰りか

すようになる。


●悪循環を感じたら、手を引く

子育てをしていて、どこかで悪循環を感じたら、すかさず、その問題から、手を引く。あきらめ
て、
忘れる。あるいはほかの面に、関心を移す。「まだ、何とかなる」「そんなハズはない」と親がが

ばればがんばるほど、話が、おかしくなる。深みにはまる。が、それだけではない。一度、この
悪循
環に入ると。それまで得意であった分野にまで、悪影響をおよぼすようになる。自信喪失から、

己否定に走ることもある。


●子どもは、ほめて伸ばす

『叱るときは、陰で。ほめるときは、みなの前で』は、幼児教育の大鉄則。もっとはっきり言え
ば、子
どもは、ほめて伸ばす。仮にたどたどしい、読みにくい文字を書いたとしても、「ほほう、字がじ
ょう
ずになったね」と。こうした前向きの強化が、子どもを伸ばす。この時期、子どもは、ややうぬぼ

気味のほうが、あとあと、よく伸びる。「ぼくはできる」「私はすばらしい」という自信が、子どもを

ばす原動力になる。


●孤立感と劣等感に注意

家族からの孤立、友だちからの孤立など。子どもが孤立する様子を見せたら、要注意。「ぼく
はダ
メだ」式の劣等感を見せたときも、要注意。この二つがからむと、子どものものの考え方は、急

に暗く、ゆがんでくる。外から見ると、「何を考えているかわからない」というようになれば、子ど

の心は、かなり危険な状態に入ったとみてよい。家庭教育のあり方を、猛省する。


●すなおな子ども

従順で、親の言うことをハイハイと聞く子どもを、すなおな子どもというのではない。幼児教育の

界で、「すなおな子ども」というときは、心(情意)と、表情が一致している子どもをいう。感情表

がすなおにできる。うれしいときは、顔満面にその喜びをたたえるなど。反対にその子どもにや

しくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中に、しみこんでいく感じがする。そう
いう
子どもを、すなおな子どもという。


●自己意識を育てる
乳幼児期に、何らかの問題があったとする。しかしそうした問題に直面したとき、大切なこと
は、そ
うした問題にどう対処するかではなく、どうしたら、こじらせないか、である。たとえばADHD児
にし
ても、その症状が現れてくると、たいていの親は、混乱状態になる。しかし子どもの自己意識が

ってくると、子どもは、自らをコントロールするようになる。そして見た目には、症状はわからなく

る。無理をすれば、症状はこじれる。そして一度、こじれると、その分だけ、立ちなおりが遅れ
る。


●まず自分を疑う

子どもに問題があるとわかると、親は、子どもをなおそうとする。しかしそういう視点では、子ど

は、
なおらない。たとえばよくある例は、親の過干渉、過関心で、子どもが萎縮してしまったようなば

い。親は「どうしてうちの子は、ハキハキしないのでしょう」と言う。そして子どもに向かっては、
「ど
うしてあなたは、大きな声で返事ができないの!」と叱る。しかし原因は、親自身にある。それ
に気
づかないかぎり、子どもは、なおらない。


●「やればできるはず」は禁句

たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思う。しかしそう思ったら、すかさず、「や
って
ここまで」と思いなおす。何がそうかといって、親の過関心、過負担、過剰期待ほど、子どもを
苦し
めるものはない。それだけではない。かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。そこで子ども

は、こう言う。「あなたは、よくがんばっているわよ。TAKE IT EASY!(気を楽にしてね)」
と。


●「子はかすがい」論
たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずなも、そ
れで
太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係がこわれかかって
いる
か、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさに「足かせ」でしかない。日本

は『子は三界の足かせ』という格言もある。


●「親のうしろ姿」論

生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では『子は親のうしろ姿を見て

つ』というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親のうしろ姿は見せろ」
と説く
評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見せたくなくても、子どもは見てしまう

もしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだ
い式
の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとする。


●「親の威厳」論

「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、居心地

よい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だけ、上のものの
前で
は仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、百害あって一利なし。
心を
たがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権威」などというのは、封建時代の
遺物
と考えてよい。


●「育自」論は?

よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがってはいないが、
子育
てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越えている間
に、
いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん人間として、外の世界に大

く伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係のないこと。子育てにかこつ
ける
必要はない。


●「親孝行」論

安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子どもに

めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子どもの問題。子ども

勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たがいにやさしい、思いや
りの
ある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲になるのも、子どもが親のため
に犠
牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくまでも「尊敬する」「尊敬される」という関係を

ざす。

●「産んでいただきました」論

よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただきました」

言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思わせてしまったその人の

囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せがましい子育てをしながら、無意

のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる依存型子育てというのが、それ。


●「水戸黄門」論に注意

日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって、身
分制
度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷりとつかりな
がら、
正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義
的な
ものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸
黄門
は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。

注意!


●「釣りバカ日誌」論

男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は

事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界

非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同

が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをす

ば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみ
る。


●「MSのおふくろさん」論

夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、そうはい

い。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘に

れ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン

の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。


●「かあさんの歌」論

窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきになって

る。
「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前

がんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せが

しく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手
袋を
売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。
新聞
にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。


●「内助の功」論

封建時代の出世主義社会では、『内助の功』という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉

ど、
女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題は、女
性自
身がそれを受け入れているケースが多いということ。約23%の女性が、「それでいい」と答えて

る※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と

う考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。


 ●子育ては、考えてするものではない

だれしも、「頭の中では、わかっているのですが、ついその場になると……」と言う。子育てとい
うの
は、もともと、そういうもの。そこでいつも同じようなパターンで、同じような失敗をするときは、
(1)
あなた自身の過去を冷静に見つめてみる。(2)何か(わだかまり)や(こだわり)があれば、ま
ず、
それに気づく。あとは時間が解決してくれる。


●子育ては、世代連鎖する

子育ては、世代を超えて、親から子へと、よいことも、悪いことも、そのまま連鎖する。またそう
いう
部分が、ほとんどだと考えてよい。そういう意味で、「子育ては本能ではなく、学習によるもの」
と考
える。つまり親は子育てをしながら、実は、自分が受けた子育てを、無意識のうちに繰りかえし

いるだけだということになる。そこで重要なことは、悪い子育ては、つぎの世代に、残さないとい

こと。これを昔の人、『因を断つ』と言った。


●子育ての見本を見せる

子育ての重要な点は、子どもを育てるのではなく、子育てのし方の見本を、子どもに見せると
いう
こと。見せるだけでは、足りない。子どもを包む。幸福な家庭というのは、こういうものだ。夫婦
とい
うのは、こういうものだ。家族というのは、こういうものだ、と。そういう(学習)があって、子ども
は、
親になったとき、はじめて、自分で子育てが自然な形でできるようになる。


●子どもには負ける

子どもに、勝とうと思わないこと。つまり親の優位性を見せつけないこと。どうせ相手にしてもし

たないし、本気で相手にしてはいけない。ときに親は、わざと負けて見せたり、バカなフリをし
て、
子どもに自信をもたせる。適当なところで、親のほうが、手を引く。「こんなバカな親など、アテ
にな
らないぞ」「頼りにならない」と子どもが思うようになったら、しめたもの。


●子育ては重労働

子育ては、もともと重労働。そういう前提で、考える。自分だけが苦しんでいるとか、おかしいと
か、
子どもに問題があるなどと、考えてはいけない。しかしここが重要だがが、そういう(苦しみ)を
とお
して、親は、ただの親から、真の親へと成長する。そのことは、子育てが終わってみると、よく
わか
る。子育ての苦労が、それまで見えなかった、新しい世界を親に見せてくれる。子育ての終わ
りに
は、それがやってくる。どうか、お楽しみに!


●自分の生きザマを!

子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立する。「あなたはあなたで、勝手に生

なさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすればギクシャクとしが

な、親子関係に、風を通す。子どもだけを見て、子どもだけが視野にしか入らないというのは、

れだけその人の生きザマが、小さいということになる。あなたはあなたで、したいことを、する。
そう
いう姿が、子どもを伸ばす。


●問題のない子育てはない

子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。それ
は岸
辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない子育

は、
ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろいろな問題に、そのつど、直
面す
る。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てというのは、もともとそういうもの。そういう前

で、子育てを考える。


●解決プロセスを用意する

英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子育てで

かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つくっておく。兄弟や

類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに属するのもよい。自分の
身に
まわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、自分の子どもより、2、3歳年上
の子
どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうでしたよ」というアドバイスをもらって、たいていの

題は、その場で解決する。


●動揺しない
株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちがいは、プ

は、
株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマは、大損をする」と。
子育
ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、それだけ動揺しやすい。子ども
を、
月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、動揺し、あわてふためく。この親の動揺
が、
子どもの問題を、こじらせる。


●自分なら……

賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親は親意識

けが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子どもをみる。そして自分の

想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か問題が起きたら、「私ならどう
する
か?」「私はどうだったか?」という視点で考える。たとえば子どもに向かって「ウソをついては

メ」と言ったら、「私ならどうか?」と。


●時間を置く

葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子どもなら、な
おさ
らである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。また言ったからと
いっ
て、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべきことは、淡々と言いながらも、

とは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを叱ったりするが、子どもはこわいから、
おと
なしくしているだけ。反省などしていない。


●叱られじょうずな子どもにしない

親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せる子ど

がいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。こわいからそ
うし
ているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。中には、親に叱られなが
ら、心
の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をまた繰りかえす。


●叱っても、人権を踏みにじらない

先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる(叱ら
れじ
ょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そういう形で、自分に降
りか
かってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱ることもあるだろうが、しかしどんなば
あい
も、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。「あなたはダメな子」式の、人格の「核」攻撃
は、
してはいけない。


●子どもは、親のマネをする

たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわかった。
母親
自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、大鉄則がある。そう
いう
親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教師の悪口を言い出す。子どもに
誠実
になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日常生活の中で見せておく。


●一事が万事論

あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし赤信号

も、
平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子どもも、あなたに劣らず、小

ルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきながら、子どもに向かって、「約束を
守り
なさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。ルールには従う。そういう親の姿勢を見なが
ら、
子どもは、(まじめさ)を身につける。


●代償的過保護に注意
「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、愛が何で
ある
か、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、深いもの。中には、
子ど
もを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えている親もいる。これを代償的
過保
護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情がない。つまりは、愛もどきの愛を、愛と

覚しているだけ。


●子どもどうしのトラブルは、子どもに任す

子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小限に。
そう
いうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけていく。親としては

らいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そのあとでよい。もちろん子ども
のほ
うから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相談にのってやる。ほどよい親であること
が、よ
い親の条件。


●許して忘れ、あとはあきらめる

子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」「そんな

ずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々はやってこない。そこ

「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見ることができる。子どもの心にも風
が通
るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、親は、袋小路に入る。子どもも苦しむ。


 ●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと

る。
ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう何か
よい
ことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。子どもの

力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱ら
れたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これを弱
化の
原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになると、学習効

は、著しく落ちるようになる。


●内面化
子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達
を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自己管

能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、社会規

や、
善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、「しつけ」とい
う。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母

の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的過

るのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対して
は、
ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい無視を

りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる
気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き症候
群、
荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程度がんば
った
ところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標をもたせるよう

する。

(補足)

●負担は少しずつ減らす

+++++++++++++++

子どもに課負担による症状が
見られると、親は、あわてて
負担を減らそうとする。

そのときのコツが、これ。

『負担は、少しずつ、減らす』。

+++++++++++++++

 ときに子どもは、オーバーヒートする。子どもはまだ後先のことがわからないから、そのときど

で、あまり考えないで、「やる」とか、「やりたい」とか言う。しかしあまりそういう言葉は信じない
ほう
がよい。子どもが、音楽教室などへ行くのをしぶったりすると、「あんたが行くと言ったからでし
ょ。
約束を守りなさい」と叱っている親を、よく見かける。が、それは酷というもの。

 で、慢性的な過負担がつづくと、やがて子どもの心はゆがむ。ひどいばあいには、バーントア
ウト
する。症状としては、気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられない、自責の念が強
くな
る、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようにな
るな
どが、ある。もっともこれは重症なケースだが、子どもは、そのときどきにおいて、ここに書いた
よう
な症状を薄めたような様子を見せることがある。そういうときのコツがこれ、『負担は、少しずつ

らす』。

 たとえば今、2つ、3つ程度なら、おけいこ塾をかけもちしている子どもは、いくらでもいる。音

教室に体操教室、英会話などなど。が、体の調子が悪かったりして、1つのリズムがおかしくな

と、
それが影響して、生活全体のリズムを狂わせてしまうことがある。そういうとき親は、あわてて
すべ
てを、一度にやめさせてしまったりする。A君(小二)がそうだった。

 A君は、もともと軽いチックがあったが、それがひどいものもらいになってしまった。そこで眼
科へ
連れていくと、ドクターが、「過負担が原因です。塾をやめさせなさい」と。そこで親は、それまで

っていた塾を、すべてやめさせてしまった。とたん、A君には、無気力症状が出てきた。学校か

帰ってきても、ボーッとしているだけ。反応そのものが鈍くなってしまった。

子どものばあい、突然、負担を大きくするのもよくないが、突然、少なくするのもよくない。こうい

ケースでは、少しずつ負担を減らすのがよい。おけいこごとのようなものについても、様子をみ

がら、少しずつふやす。ひとつのおけいこが、うまく定着したのを見届けてから、つぎのおけい
こを
ふやすというように、である。そして減らすときも、同じように数か月をかけて、徐々に減らす。
でな
いと、たいていのばあい、立ちなおりができなくなってしまう。

 A君のケースでは、そのあと、無気力症状が、1年近くもつづいてしまった。もし負担を徐々に

らしていれば、もっと回復は早かったかもしれない。さらにしばらくして、こんなこともあった。

以前のような子どもらしい活発さをA君が取り戻したとき、親が、「もう一度……」と、音楽教室

入れようとしたことがある。が、それについては、今度はA君は狂人のようになって暴れ、それ

抵抗したという。もちろんそのため、A君は、勉強全体から遠ざかってしまった。今も、もう、そ
れか
ら数年になるが、遠ざかったままである。

 子どもというのは、一見タフに見えるが、その心は、ガラス玉のようにデリケート。そしてこわ
れる
ときは、簡単にこわれる。もしそれがわからなければ、あなた自身はどうなのか。あるいはどう
だっ
たかを頭の中に思い浮かべてみるとよい。あるいはあなたならできるか、でもよい。たいていそ

答は、「ノー」である。


(注※、子どもの離別体験)

●子どものうつ病

+++++++++++++++++

うつ病の素因(遠因)は、満5歳から
10歳ごろまでに、つくられるという。

しかもその主なる原因は、離別体験だ
という。

つまり幼少期に親と離別体験を経験した
子どもほど、のちにおとなになって
から、うつ病(抑うつ状態)に
なりやすいということがわかって
いる。

もし今、あなたがうつ病、もしくは
うつ病的な傾向があるなら、まず、
自分の過去をのぞいてみよう。

それがあなたの心を守る第一歩となる。

++++++++++++++++

●幼少期の離別体験

 児童期の喪失体験が、子どもの抑うつ状態と、深く関係しているという(社会精神医学、7;1
14
―118)。

 いわく「10歳以前の両親のいずれかと死別体験、もしくは、分離体験という喪失体験が、正
常対
象群(9%)に対して、患者群(39%)に有意の差をもって多く認められた。

 しかし抑うつ状態の診断下位群、抑うつ状態の臨床結果とは特異な所見を得られなかった。

 さらに5〜10歳までが、喪失体験が抑うつ状態の素因を形成するための臨界期であろうと
推察
した」と。

 わかりやすく言うと、こうなる。

10歳以前に、両親のいずれかと死別、もしくは分離体験をした子どもほど、のちにおとのなに
なっ
てから、抑うつ状態になりやすいということ。

 同じような報告は、イギリスのバーミンガム病院でも、報告されている(精神医学、28;387
〜3
93、1986)。

 精神障害のある39人の患者について調べたところ、「15歳以前で、12か月以上の離別体
験を
もった人」は、そうでない人よりも、明らかに関連性があることがわかったという。

 しかもこの報告で、興味深いのは、異性の親(男児であれば、母親、女児であれば、父親)と

離別体験をもった人ほど、「有意な差」が見られたという。

 さらに報告書は、こう書いている。

 「死別体験は家族歴の有無と、有意の関連を呈さなかったが、離別体験は家族歴の有無と
有意
(exact probability test, p=0.026)の関連をもち、この傾向は、離別の対象が異性の親である
際に
強いものであった。

 異性親からの離別を体験したものは、家族歴を有する20人のうち、7名(35%)であるのに
対し
て、家族歴を有さないもの19名では、皆無(0%)であった。

 このことから、うつ病発症に関与していると考えられる幼少期の離別体験は、一部には、家
族員
の精神疾患から発生したものである可能性が示された」(北村俊則)と。

 以上を、わかりやすくまとめると、こうなる。

(1)10歳以前に親との死別体験や離別体験をもった人ほど、うつ病になりやすい。
(2)異性の親との死別体験や離別体験をもった人ほど、うつ病になりやすい。
(3)家族のだれかに精神疾患があった人ほど、うつ病になりやすい。

 かなり乱暴なまとめ方なので、誤解を招く心配もないわけではないが、おおざっぱに言えば、

ういうことになる。そしてこうした調査報告を、裏から読むと、こうなる。


(1)10歳以前に、子どもに、離別体験を経験させるのは、避けたほうがよい、と。

 しかし実際には、たとえば親の離婚問題を例にあげて考えてみると、離婚(離別)そのものが

どもに影響を与えるというよりは、それにいたる家庭内騒動が、子どもに影響を与えるとみる
べき
である。バーミンガム病院での報告書にも、「死別体験は家族歴の有無と、有意の関連を呈さ

かった」とある。

 解釈のしかたにも、いろいろあるが、死別のばあいは、離婚騒動で起きるような家庭内騒動
は、
起きない。

 だから離婚するにしても、(それぞれの人たちは、やむにやまれない理由があって離婚する

で)、子どもとは無縁の世界で、話を進めるのがよいということになる。子どもの目の前で、は
げし
い夫婦げんかをするなどという行為は、タブーと考えてよい。

 また、この調査結果は、もうひとつ重要なことを私たちに教えている。

 もし今、あなたがうつ病、もしくはうつ病的な傾向を示しているなら、その原因は、ひょっとした
ら、
あなた自身の幼少期に起因しているかもしれないということ。(うつ病の原因が、すべて幼少期

あると言っているのではない。誤解のないように!)

 そこであなたは、自分の過去を、冷静に、かつ客観的に見つめなおしてみる。

 しかし問題は、あなた自身が、そういう過去を経験したということではなく、そういう過去があ
るこ
とに気がつかないまま、そういう過去の虜(とりこ)となって、その過去に操られることである。

 そこでまず、自分の過去を知る。

 もしそのとき、あなたが心豊かで恵まれた環境の中で、育てられたというのであれば、それは

れとして結構なことである。が、反対に、ここでいうような不幸な体験(親との死別体験や離別

験)を経験しているなら、あなたの心は、何らかの形で、かなりキズついているとみてよい。

 しかしそれがこの問題を克服する第一歩である。

 自分の過去を知り、自分の心のキズに気がつけば、あとは、時間が解決してくれる。5年とか
10
年とか、あるいはもっと時間がかかるかもしれない。が、あとは、時間に任せればよい。少なく

も、
自分の(心の敵)がわかれば、恐れることはない。不必要に悩んだり、苦しんだりすることもな
い。

 うつ病にかぎらず、心の問題というのは、そういうものである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの
うつ病 鬱病 子供のうつ病 子供の鬱病 離別体験 心の風邪)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます
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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 16日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page009.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●道徳完成論
 
+++++++++++++

子どもにとって、道徳とは何か。
子どもの道徳の完成度は、つぎ
の5つで決まる。

称して、はやし浩司の「道徳
完成論」。

(1)公正性
(2)普遍性
(3)一貫性
(4)正義性
(5)視野の広大性

+++++++++++++

(1)公正性

 たとえばあなたの親類の1人が、万引きしていたとする。そのときあなたは、その親類に対し
て、
どう行動をとるだろうか。見て見ぬフリをするだろうか。あるいは、悪いことは悪いこととして、そ

親類を注意するだろうか。さらに店の人に通報するだろうか。相手がだれであれ、ものごとを
公正
に判断できる人を、道徳の完成度の高い人という。

(2)普遍性

 ものの価値観が、世界的標準で、常識的であること。だれが聞いても、納得できる人生観、
哲学
をもっている。おかしな思想に染まり、かたよったものの考え方をする人は、それだけで道徳の

成度の低い人とみる。

(3)一貫性

 言っていることに、いつも一貫性があること。反対に、会うたびに言うことが変わったり、様子

変わったりする人は、それだけで道徳の完成度の低い人ということになる。誘惑にも弱く、悪事

染まりやすい。一方、一貫性のある人は、言動と行動が一致している。

(4)正義性

 視点がいつも弱者の側にあり、他人に対しても、また自分に対しても誠実であること。自分に

して誠実ということは、心を偽らないこと。いつもありのままの自分を、外に出すことをいう。ま
た他
人に対して誠実であるというには、ウソをつかない。約束を守る。この2つが、日常生活の中
で、自
然な形で実行できることをいう。

(5)視野の広大性

 ものの考え方が、人間、生物、地球、宇宙・・・と、広いことを、「視野の広大性」という。一方、

近な問題に右往左往し、私利私欲にかられたり、利己的なものの考え方をする人は、視野が
狭い
ということになる。

 教育の場で、(家庭教育においても、そうだが……)、「道徳」を考えたら、この5つの柱を参
考に
してみてほしい。何かの役に立つはず。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 道徳
 道
徳の完成 道徳の完成度 道徳完成度 子どもの道徳 子供のの道徳 道徳教育)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(10月17日)

++++++++++++++

昨日は、地元のバス会社が運営する
Bツアーというのを利用して、福井県は
東尋坊まで行ってきた。

いつものガイドの意味のないおしゃべりには、
ただただ、うんざり!

まさにひとりしゃべり。くだらない情報の羅列。
たとえば、こう。

秋ですね……。今年は暑かったですね。
秋は遅いでしょうか。山のほうへ行けば、
紅葉が見られるかもしれませんねえ。

渋滞してますねえ。走るのが遅いとイライラ
しませんかあ。

私のこと、みんなが、太っていると言います。
先日は、横断歩道を歩いているとき、
自転車に乗った老人から、「太っているね」って
言われました。

いやですねえ……。見知らぬ人にああいうこと
言われるのは……。

おみやげは買いました。O型の人は、たくさん
買うんですって。ねばって買うんですって……と。

まさにひとりしゃべり。そういうおしゃべりを、
何と、計6時間以上!

言葉遣いも、おかしい?

「私のお仕事のことで、お話し合いをしました
が……」と。

改めて言おう。あんなガイドなら、不要。
何のためのガイドか、ということになる。

++++++++++++++

 昨日、地元のバス会社が運営するBツアーというのを利用して、福井県の東尋坊まで行って

た。最初に驚いたのが、私たち夫婦より若い人は、1人だけ。あとはみな、見るからに私たちよ
り年
配の人たちばかり。

 その1人というのは、老いた両親のつきそい(?)。ガイドにもよるが、昨日は、運が悪かっ
た。う
るさいのなんのといって、最前列に座った、7〜8人の人と、マイクを使って、会話をしているだ
け。
(だったら、マイクなど使わなければいいのにと、私たちは思った。)言い遅れたが、「私たち」と
いう
のは、私とワイフ。

 8〜9月は、3回ほど、Bツアーを利用させてもらったが、うち1回は、よかった。箱根へ行った
とき
のガイドは、ノートを見ながら、専門用語を使って、ガイドしてくれた。あるいはこちらが疲れた
よう
なときには、それを察して、「しばらく静かに、お休みください」「のんびりと景色をお楽しみくださ
い」
と。

 が、昨日のガイドは、よくしゃべった。ペチャペチャ、ペチャペチャ、と。しかも声の間に、キン
キン
とハイオクターブの歓声を入れる。眠ろうとしても、その声で目が覚めてしまう!

 『沈黙の価値のわらかぬものは、しゃべるな』、というのは、西洋の格言である。

 その上、不運がつづいた。直後のうしろに座った男性(75歳くらい)が、バスに乗ったときか
ら、
咳の連続。「ゴホン、ゴホン、ゲーッ、パッ!」と。私たちは、そのたびに生きた心地がしなかっ
た。
で、どこかのサービスエリアでトイレ休憩をしたとき、その男性の妻に、話しかけた。顔はにこ
やか
に、声もおだやかに。

私「こんにちは!」
妻「……はあ」
私「ご主人の咳がひどいようですが、どこかお体でも悪いのでは?」
妻「……悪くない」
私「ずっと、咳をしておられますが……。お風邪でも? それとも喘息?」
妻「……悪くない。タバコ、タバコ!」

 妻は、そのまま不機嫌な顔をして、私たちから遠ざかろうとした。私は、くいさがった。私たち
の健
康問題と直結する。「そうですか?」で、引き下がるわけにはいかない。

私「風邪だったら、私たちだって、困ります」
妻「風邪じゃ、ない!」
私「しかし咳の内容がわからなければ、私たちも困ります」
妻「気管支が細い」
私「まさか、結核ということでは……?」
妻「どこも悪くない!」と。

 まったく会話がかみあわなかった。妻のほうが、やや認知症? そんな印象をもった。おかげ

私たちは、サービスエリアに着くたびに、うがい。あとは天井の通気穴を全開。少し寒かった
が、新
鮮な空気を、座席に落とすしかなかった。

 このタイプの老人のマナーは、ほんとうに悪い。ときどき痰が、座席のうしろに飛び散るの
か、そ
れを紙で、スースーと拭く音まで聞こえた。あるいは床をクツでこする音まで聞こえた。

私「これじゃ、まるで、ケア・センターにいる老人たちの親睦旅行みたいだ」
ワ「今度は、若い人たちが行くところにしたら?」
私「ホント。東尋坊では、若い人は行かないね」と。

 ……とまあ、悲劇的な旅行だった。これでBツアーとも、しばらくお別れ。こりごり!

 そうそうもうひとつ。

 帰りのバスの中では、定番のビデオ。例によって例のごとく、「釣りバカ、日誌」。第17作。舞

は、石川県の能登。意味のない安っぽい、映画。最後は、スーさんが、旅館の女将と、白いオ
ープ
ンカーでデートにでかけるシーンで終わり。「今夜はここ(=金沢)で一泊していくよ」と。

私「堂々と不倫シーンで終わる映画も、少ないね」
ワ「社長なら、何をしても許されるという発想ね」
私「そう、そういうところが、実に日本的」と。

 夫は、釣り三昧(ざんまい)プラス浮気三昧、妻は、芝居見物三昧。2人は、金持ちであること

いいことに、したい放題。おそらく能登の観光協会と結託しているのだろう。意味のないプロパ
ガン
ダが、それとなく、しかし意図見え見えに、織り交ぜてある。

 どうしてあんな映画が、日本では、国民的映画なのだろう?


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●情報、過剰社会

++++++++++++++

いつも音を聞いていないと、
落ち着かない……とまあ、
そんな人は多いですね。

何かの雑誌に書いてあったので
すが、日本では、エレベーターの
中、バス停でも、音声ガイダンス
が流れますね。それについて、ある
外人が驚いていたそうです。

日本人には、静かな環境で、静かにものを
考えるという習慣そのものがない?

あるいは、日本人は、静かに
ものを考えるという習慣そのものを
放棄してしまったのかもしれません。

情報、また情報。情報の洪水の中で、
情報が途切れたとたん、不安になって
しまう?

よい例が、バスガイドのガイドです。
聞いてもすぐ忘れるような情報を、
つぎからつぎへと流す。

またそれをもって、サービス?、と
考える。どこかおかしいですね。

++++++++++++++

●情報の洪水

 先日、パソコンで、メモリー診断をしようと思いついた。VISTAには、メモリー自己診断ツール

標準でついている。以前には、何度か使ったことがある。

 が、である。その何度か使ったはずのツールがどこにあるかわからない。あちこちをさがして
みた
が、結局は、見つからなかった。その説明をしてある雑誌をさがしてみたが、その雑紙もどこか

なくしてしまった。

 たった数か月前にできたことが、できない? 私は改めて、脳みその底にできた(穴)に驚い
た。
私たちは情報の洪水の中で生きている。それはわかる。が、一方で、その情報は、容赦なく、
脳み
その底にできた(穴)から、外へ流れ出てしまう。

 情報の洪水は、つぎつぎとやってきて、またどこかへ消えていく。脳みその中に残る情報とい

のは、ほんとうに少ない。その少ない情報も、時間とともに、どこかへ消えていく……。

●情報中毒

 いつも情報にさらされていないと落ち着かないという人は、多い。情報の流入が途切れたとた
ん、
不安になるらいい。少し前まで、私の母がそうだった。

 実家に行くたびに、テレビはガンガンとかけっぱなしだった。私がそれを止めようとすると、母
は、
がんこに抵抗した。「見ていないのだからいいだろ?」と言っても、母は納得しなかった。母は、

レビの音が聞こえていないと、落ち着かなかったのだ。

 こういうのを、「情報中毒」という。意味のある情報とか、ない情報とか、そういうことは、考え

い。
選択することもない。料理番組、健康番組、ニュース……まさに、何でもござれ。そういう情報
を、
つぎつぎと脳みその中に入れ、また出していく。

 何かの雑紙に書いてあったが、日本へ来た外人が、こんなことに驚いていた。日本では、エ
レベ
ーターの中、バス停にすら、音声ガイダンスがある、と。その記事を最初に読んだときには、
「どう
して?」と私は、思った。「どうして、そんな程度のことで、驚いたのか?」と。

 少し前、観光バスで、オーストラリアの友人夫妻を長野県のほうへ連れていってやったのだ
が、
そのときも、そうだった。オーストラリアの友人夫妻は、情報の洪水に驚いていた。バスガイド
が、
間断なくしゃべりつづけていたからだ。それにどこの観光地へ行っても、ガイド、ガイド、またガ

ド。
「右に見えますのが〜〜山、左に見えますのが、〜〜湖」と。

 一度、情報中毒にかかると、情報なしでは、落ち着かない。つまり音が聞こえていないと落ち

かない。

●情報と思考

 何度も書くが、(情報)と(思考)は、まったく別のもの。情報量が多いからといって、その人に
思考
力があるとはかぎらない。たとえていうなら、幼稚園児が、かけ算の九九を暗記して口にするよ

なもの。それができたからといって、「算数ができる子ども」ということにはならない。

 しかしほとんどの人は、幼児が、かけ算の九九を口にしただけで、「算数のできる子ども」と
思い
込んでしまう。しかしそれは誤解。まったくの誤解。

 同じように、バスガイドが、観光地にまつわる歴史的な話をしても、だれも、そのガイドが、歴

のプロだとは思わない。(思う人もいるかもしれないが……。)どうせどこかのガイドブックに出
てい
たような内容を、丸暗記しているだけ(失礼!)。

 先日も、紀伊半島のほうへ行ったときも、織田信長ゆかりの地を、あちこち回った。そのつ
ど、ガ
イドは、もの知り顔に、あれこれ説明してくれた。が、どれも、まちがいだらけ。しかしそういう話

聞いて、質問する人は、いない。かけ算の九九を暗記している幼児に向かって、その意味を問

ただしても意味はない。それと同じ。

●考えるという習慣

 考えるという習慣のない人に、(考える)ことの重要性を説いても意味はない。(考える)という

味すら、理解できない。できないばかりか、情報の量をもって、つまりもの知りであることをもっ
て、
「私は頭がいい」と思いこんでいる。

 しかし重要なのは、(考えること)。さらに言えば、(考えるという習慣)である。

 たとえば健康を維持するため、毎朝、ジョギングしている人がいる。毎日の運動が、健康にと

ていかに大切であるかを、そういう人たちは知っている。運動をした日と、しない日とでは、体
の調
子はまるでちがう。運動したあとには、体の細胞のひとつひとつが、ピチピチとはじける音す
ら、感
ずる。

 しかしそういう習慣のない人に、運動の大切さを説いても意味はない。ないばかりか、たとえ
ばテ
レビの健康番組に流されるまま、「酢がいい」と聞けば、酢を買い、「ニンニクの焼酎漬けがい
い」
と聞けば、自分でそれを作ってみたりする。無駄とは思わないが、そのつど情報に振り回され
てい
るだけ。

 同じように、重要なのは、(情報)ではなく、(それを選択し、加工するという習慣)である。

●考えさせない社会

 日本の社会は、騒々しい。ほんとうに騒々しい。どこへ行っても、騒音、また騒音。情報の洪
水、
また洪水。

 また観光バスの話にもどるが、うるさいのはガイドだけではない。静かな人も多いるが、その

方で、おしゃべりな人も多い。バスに乗っている間中、となりの人と、ペチャペチャと間断なくし

べっている。概してみれば、女性に多いが、男性にもいる。

 話している内容といえば、たわいもない世間話。あるいはその繰りかえし。私はそういう人た
ちを
見ながら、「こういう人たちは、どこでものを考えているのだろう」と思う。「あるいは、どこでそう
いう
時間をもっているのだろう」とも。

 もっと言えば、日本の社会構造そのものが、そうなっている。つまり、人が静かにものを考え
ると
いう社会構造になっていない。さらにもっと言えば、教育の段階で、ものを考える子どもを育て

いない。

●情報の選択

 だからといって、情報が無駄であると言っているのではない。良質で、適確な情報は、思考の

盤となる。その情報に上に、私たちは自分の思考を組み立てることができる。

 そこで私たちがすべきことは、情報の選択。洪水なら洪水でもよい。しかしその中から、情報
を選
択していく。たとえて言うなら、無数の絵画の中から、名画と、そうでないものを選ぶのに似てい
る。
これはそれほどむずかしいことではない。ほんの少し訓練すれば、だれにでもできるようにな
る。

 私自身は、つぎのようにして選択している。

(1)その人自身の言葉であるか、どうか。
(2)その人自身が、どういう思想的背景をもっているか。
(3)その人自身が、どういう経験をしているか。
(4)その人自身が、どういう経緯で、その情報を手に入れたか。
(5)普遍性はあるのか。視野の広さはどうか、公正であるか、など。

 つまりその人自身の言葉でないと、意味がないということ。その人自身を見て、判断するとい

こと。

 当然のことながら、苦労に苦労を重ねた人の言葉は、重い。意味がある。そうでない人の言

は、
そうでない。人生も永遠なものであれば、無駄な情報も、それなりに生きることを楽しくしてくれ

かもしれない。しかし今は、もうそうではない。今さらパチンコの攻略本を読んで、それを応用し

みようなどという気持ちには、とてもなれない。

●生きるということは、考えること

 人は、考えるから、人である。考えない人は、人というより、サル。だからといって、サルが人
より
劣っているというのではない。サルのほうが、ひょっとしたら、人間より考えているかもしれな
い。幼
児だって、そうだ。

 私たちは、幼児イコール、幼稚と考えやすいが、これはとんでもない誤解。幼児は幼児なり
に、
懸命に考えている。そういう幼児に出会うと、心底、感動を覚える。ずいぶんと前のことだが、
こん
なことがあった。

 ある日、幼稚園へ行くと、1人の子ども(年長男児)が、地面を掘っていた。「何をしている
の?」と
聞くと、その子どもは、こう言った。「石の赤ちゃんをさがしている」と。

 その子どもは、石は、土の中で生まれるものと思っていた。だから地面を掘れば、石の赤ち
ゃん
がそこにあると思っていた。その幼児は、その幼児なりに、懸命にそう考えて、穴を掘ってい
た。

 レベルの問題ではない。たしかに私たちおとなから見れば、幼稚(?)な行動かもしれない
が、そ
こに、私は、生きる価値を見た。もしそれを否定するとなると、つまり私たち自身も、否定される

とになる。

 人間にしても、まだ進化の過程にある。1000年後、あるいは1万年後の人たちが、現在の
私た
ちを見て、幼稚だと思うかもしれない。しかしだからといって、それを批評することは、許されな
い。
それを許すということは、とりもなおさず、私たちが、私たち自身を否定することになる。

私たちは私たちで、懸命に生きている。考えている。内容は幼稚かもしれないが、そこに人が

きる価値がある。それがわからなければ、ここに書いた幼児を頭の中で、もう一度、想像して

てほしい。

●考えることのすばらしさ

 ところで考えることは、宝さがしに似ている。ひとり荒野の中を歩いている。そこで小さな宝石

見つけるのに似ている。小さな宝石かもしれないが、キラリと輝く。それを見つけたときは、うれ

い。ほんとうに、うれしい。

ようなもの。考えることには、苦痛や苦労がともなう。しかもその問題は、必ずしも、解けるとは

ぎらない。解答用紙もない。

 だからできるなら、考えないですませたいと思う。もっとも手っ取り早い方法は、宗教なら宗教

身を寄せること。思想をだれかに注入してもらうこと。しかしそれは同時に、その人の「死」を意

する。

 パスカルの言葉を借りるまでもなく、たとえか弱く、細いアシであっても、人は、自らの足で立

上がる。そこに人が生きる意味があるし、気高さも、そこから生まれる。しかし、その価値はあ
る。

 考える人からは、考えない人がどういうものか、よくわかる。反対に考えない人からは、考え
る人
がどういうものか、わからないだろう。だからいって、私がその考える人というわけではない。つ
まり
は相対的な立場でしかない。

 私よりものをよく考える人は、いくらでもいる。そういう人たちから見れば、私など、何も考えな

部類の人間でしかない。しかし一度、考える習慣を身につけると、それまで見ていた世界が一

する。

 それは山登りに似ている。下から見ると低く見える山でも、登ってみると、意外と視野が広い
のに
は驚く。そのすばらしさは、山に登ったことがある人でないとわからない。

 同じように、考えることによって、だれでも、思考の山に登ることができる。そしてその視野の
広さ
に驚くことができる。

 さあ、あなたも勇気を出して、考えてみよう。あなたも、きっとそのすばらしさを、実感するは
ず。
……という結論で、この話は、おしまい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私の聖地

++++++++++++++++

私の聖地は、オ−ストラリアの
メルボルン。

そこは私の人生の出発点。と、同時に
私の人生のゴール。

ずっと心の中で、大切にしてきた。
そのメルボルンへ、今度、ワイフと
いっしょに、行く。行くというより、
私の聖地を、ワイフに見せてあげたい。

最愛なる、私のワイフ。今まで、いろいろと
ありがとう! お前のおかげで、ぼくは、
自分の人生を、今まで、かろうじてだが、
足を踏み外さす、送ることができた。

ありがとう! いちばん大切な人に、
私のいちばん大切な聖地を、
見せてあげよう。

2008年X月X日、出発。
航空券は、息子が、手配してくれるはず。

(X月X日)

浜松から、名古屋セントレア空港から、
アデレードへ。(機中泊)

(X月X日+1)

アデレード着。
午後、アデレードから列車で
メルボルンへ。(車中泊)

(X月X日+2)

メルボルン着。大学のカレッジの
ゲストルーム泊。市内観光。

(X月X日+3)

トラム(電車)で、市内散策。
大学で昼食。友人訪問は、予定なし。
(今回は、水入らずで、散策を楽し
みたい。)

ビクトリア・マーケット、
ボタニック・ガーデン、
市内各所、美術館などなど。
ゲストルーム泊。

(X月X日+4)

列車とバスで、ジーロンからローンへ。
ローンのホテルで一泊。

(X月X日+5)

ローンから、メルボルンへ。
市内、最高級のホテルで一泊。

(X月X日+6)

メルボルンから、シンガポール経由で、名古屋
セントレア空港へ。(機中泊)

(X月X日+7)

名古屋セントレア空港着。浜松へ。

短い旅行だが、今の私には、これが精一杯。まだまだ現役。欧米人のように、1か月単位のバ
カン
スというのは、無理。それに今のところ、退職の予定はなし。私にとっての退職というのは、イコ

ル、人生の終わり、イコール、死ぬとき。その覚悟はできている。つまり死ぬまで、働く。どうせ
倒れ
るなら、教室の中か、パソコンの前。延命処置は、無用。

 これとて私の業績は。平凡な、どこまでも平凡な人生だった。しかし家族がみな、今までこうし

無事に過ごせたことを感謝している。とくに私のワイフには、世話になった。私がワイフなら、私

ような男とは、とっくの昔に離婚している。数か月どころか、数週間ももたなかっただろう。

 夢はいくつかあった。その第一、山荘をもつこと。これは実現できた。土地づくりに、6年もか
かっ
た。私とワイフで、毎週ユンボを借りてきて、土地を造った。石垣も、地元の業者と、いっしょ
に、組
んだ。水道も自分たちで引いた。排水管も、自分たちで敷いた。楽しかった。おもしろかった。

ほかに世の中を動かすようなことをしてみたかった。が、残念ながら、それはできなかった。こ
れからも、できそうもない。

 しかし、だ。私の人生は、満60歳から。60歳から70歳まで、燃えに燃えてやる。そのとき健
康な
ら、75歳まで。さらにそのとき健康なら、80歳まで。何が還暦だ! バカヤロー! ・・・とま
あ、弱
気になったり、強気になったり・・・。こうして迷ったり、不安定になったりするのも、歳のせい?

 晃子へ、本当に長い間、いろいろとありがとう。愛しているよ! オーストラリアへいっしょに
行こ
うね! 


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●懐中時計の販売会

 駅南にあるショッピングセンターで、懐中時計の展示販売会があるという。新聞にチラシが入

ていた。明日までの3日間だけの販売会とか。今日にでも行ってみるつもり。楽しみ。

 ところで私が懐中時計を使うのには、理由がある。理由の第一。腕時計が嫌い。重くて、(息
苦し
い?)。私は若いころから、自分の体をしめつけるものが、大嫌い。夜寝るときも、本当は、パ
ンツ
もパジャマも脱ぎたい。あのゴムの締め付け感が、いや。

 しかしそれでは、ワイフがいやがる。だからゴムは、できるだけユルユルにしてもらっている。

 が、懐中時計は、好き。手でいじっている感触が、好き。そう、私は、懐中時計は、その感触
で選
ぶ。私は子どものころから、手先で何かをいじっているのが好き。ADHD児や、自閉症児に
も、同
じような傾向が見られることがある。情緒が不安定な子どもは、モノをいじることによって、自分

精神状態を静めようとする。

 私も、その一人?

 しかし悪いことばかりではない。おかげで手先が、今でも、器用。老人特有の震えは、まだな
い。
こまかい作業も、難なく、できる。それに指先に刺激を与えることによって、脳みその老化を予

することができるという。手先には、無数の神経が集まっている。その神経が、脳みそに直結し

いるという。


●メガネを3個!

 昨日、近くのメガネ屋で、売り出しをしていた。レンズ付で、1個7000円〜1万円という。

 レストランで昼食をとったあと、その店に寄ってみた。このところ老眼鏡の焦点が、やや合わ
なく
なった。老眼鏡というのは、距離が10〜20センチちがっても、見えにくい。

 で、店へ入ると、店員さんが、あれこれとていねいに説明してくれた。メガネ1個だと、1万円
〜2
万円。3個だと、1個につき、7000円〜1万円、ということだった。

 それにしても安い。さっそく、3個、買うことにした。2個が外出用(近視用)。1個がパソコン用
(老
眼用)。ついでにワイフも、1個。計、4個。しめて、計3万5000円!

 安い! それにしても、安い! この世界でも、価格破壊が起きている?

 で、そのあとレンズの話になった。店員さんは、「標準のレンズでは……」「UV(紫外線)カット

ではどうですか……」と、しきりに値段の高いレンズを勧めた。意図は見え見え。しかしそれは

算外。「標準のレンズでいいです」と言って、その場を逃げた。(ゴメン!)


●スキヤキ

 ワイフにも得意料理と、そうでないのがある。ワイフが作る料理で、最高なのが、スキヤキ。

品。
それにサバの味噌煮。

 昨夜は、そのスキヤキだった。おいしかった。「お前のつくるスキヤキは最高だよ」と言うと、う

しそうに笑った。今も肉の甘さが、ほんのりと口の中に残っている。

 ワイフに「昨夜のスキヤキが残っているなら、朝食はそれでいい」と言うと、「野菜を少し入れ

ばいいよ」と言ってくれた。そんなわけで、今日は、朝食から、またまたスキヤキ!

 脳梗塞が少し心配になってきた!


●価格破壊

 自転車の世界でも、価格破壊が起きている。今では、1万円の自転車など、珍しくも何ともな
い。
私が子どものころでさえ、(今から50年も前のことだが)、1万円の自転車は、なかった。ときど

売り出しか何かで、1万円の自転車を店に並べたことはある。そういう自転車は、飛ぶように、
売れ
た。

 が、1万円! 中には、7000円前後のものまである。結構な作りで、そこそこ乗って走るに
は、
問題はなさそう。それにしても、1万円とは!

 自転車という商品は、より広い売り場面積を必要とする。値段をさげればさげるほど、(多売)

勝負するしかない。つまり商品の回転を速くする。売れ行きがとどこおったとたん、赤字。

 そのためには、人が集まるところ、広い売り場面積が確保できるところに、店を構えるのがよ
い。
つまり大型ショッピングセンターの中、もしくは近くがよい。昔は、大きな学校の近くとか、市の
中心
部で店を構えるとよいと言われた。

が、今は、自転車の性能も、ぐんとよくなった。道もよくなった。自転車といえば、パンク、それ

タイヤ交換ということになるが、最近の自転車は、めったにパンクしない。タイヤが擦り切れる

で同じ自転車に乗る人は少ない。

 私はもともと自転車屋の息子だから、今でも自転車には、たいへん興味がある。時間に余裕

あれば、自転車屋をやってみたいという気持ちは、ずっともってきた。今でもその気持ちは残っ

いる。

 が、今、とても残念なことだが、市中から、(町の自転車屋さん)が、どんどんと姿を消してい
る。
経営者の高齢化も進んでいる。しかしこれも時代の流れか?


●ヘアースタイル

 昨日、ワイフとこんなことを話し合った。「満60歳になったら、ヘアースタイルを変えようか」
と。
「ついでに、ヒゲも剃ろうか」と。

 私の顔は、まじめすぎる。ぜんぜん、面白みがない。平凡。魅力がない。自分でも、それがよ
くわ
かっている。

ワ「どんなスタイル?」
私「長髪にして、うしろで結ぶ」
ワ「いいわね」
私「ついでにヒゲも剃ろうか?」
ワ「どうして?」
私「記念に……。そうすれば、写真を見ただけで、60歳前のものか、60歳後のものか、すぐ
わか
る」
ワ「なるほど」と。

 まだ本決まりではないが、いろいろと考えている。ヒゲはともかくも、長髪については、ほぼ決
定。
一度、長髪にしてみよう。


●義理の伯父の死

++++++++++++++

10月16日に、ワイフの母の兄、
つまり義理の伯父が、亡くなった。
昨日、その葬儀があった。

おとといは、通夜。出棺は、昨日の
9時。そのまま火葬場へ。

火葬がすむまで、私たちは、
控え室でそれを待った。
時間は、1時間20分。

アナウンスで、火葬場へ行ってみると、
伯父は、白い遺骨に変わっていた、

雪のように白く、美しかった。
私たちは、与えられた箸で、遺骨を
骨壺に収めた。静かな葬儀だった。

++++++++++++++

 ワイフの伯父との思い出は、多い。私が浜松へ来てからのつきあいということになる。ミカン
農家
を経営していたが、柔道は黒帯、バイオリンをたしなみ、ほかに趣味は多芸多才。農家のお百
姓さ
んというイメージは、まったくなかった。気品のある紳士だった。

 そのためか、私が本を出すたびに、伯父に届けると、伯父は、そのつど書評をくれた。私も
伯父
を尊敬していたし、伯父も、私に敬意を表してくれていた。ことあるごとに、「晃子(=私のワイ
フ)の
ダンナは、教育者」と、私を自慢してくれた。

 そんな伯父だったが、結局は、山荘へは、一度も来てくれなかった。何度も誘ってはみたが、

のつど、「家から出たくない」と断られてしまった。晩年の伯父は、家にずっと引きこもってばか
りい
た。ときどき訪れたことがあるが、昼間から、雨戸が閉まっていることが多かった。

 認知症も、あった。ふつうの会話はできたが、つぎの瞬間には、その内容を忘れてしまってい
た。
「電話がかかってきても、かかってきたことを忘れてしまうのよ」と、その家を預かる次女のKさ

が言っていた。

 私はその雪のように白い遺骨を見ながら、脳裏に、伯父との思い出が、つぎつぎと重なって
いく
のを感じた。一度は、伯父の家の数軒隣に家を買うことまで考えた。伯父の家は、浜名湖の海

面したところにあった。ボートハウスもある。が、伯父は、こう言った。

 「ここは、よそ者のあんたたちが住めるような場所ではない。よしなさい」と。

 古いしきたりが山のようにある部落である。伯父は、それを言った。しかし柔道が黒帯で、バ
イオ
リンをたしなんでいたという話は、知らなかった。実は、昨日の葬儀の席で、それをはじめて知

た。
「道理で……」と、何度も、そのとき納得した。書き加えると、温厚で、知的な人だった。その
上、も
の静かな人だった。遊びに行くたびに、ミカンや野菜を分けてくれた。

 ワイフは、子どものころ、毎年夏は、その伯父の家で過ごしたという。「死んだ人は、静かだ
ね」と
ワイフに言うと、ワイフは、「うん」と。

 静かな、どこまでも静かな、葬儀だった。


●HPを充実

+++++++++++++++

この1か月をかけて、HPを充実させた。

(タイプ別、子どもの問題)コーナーと、
(子育てQ&A)コーナーを新設した。

興味のある人は、HPのトップページから
来てみてほしい。

また現在、ヤフーで、「はやし浩司」を
検索すると、18万件近くヒットするように
なった。

インチキで、検索数をふやす方法は
いくらでもある。もっとも手っ取り早い
方法は、有料の検索エンジンに登録
を依頼する方法である。

しかしそれには費用が、安いところでも
3万円。ふつう7〜8万円程度、かかる。

あとはヤフーやグーグルに有料の
コマーシャルを載せるという方法もある。

しかし私は、そういうのを使わない。
そんな費用はない。必要もない。
だから18万件という件数は、そのまま
18万件ということ。

もっとも、みながみな、好意的に、
「はやし浩司」を取りあげてくれている
わけではない。悪口や中傷も多い。

そうそう電子マガジンの読者も、
2500人を軽く超えた。こちらのほうは、
すなおな気持ちで、喜んでいる。

これも読者の方たちの応援と声援が
あったからにほかならない。

私の生きがい。それはものを書くこと。
考えること。私は、それを読者のみなさんに
提供する。読者のみなさんは、私に
生きがいをくれる。

これもギブ&テイク!

これからもどうか、よろしく! 

++++++++++++++++

●再び、「釣りバカ日誌」論

 「釣りバカ日誌」という映画がある。いつごろから始まったかは知らない。しかし10年前と、現
在と
では、見方が、大きく変化した。

 10年ほど前に書いた原稿を添付する(中日新聞発表済み)。

+++++++++++

●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーンだが、欧
米で
はああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごす

いうことは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解できる。し
かし
問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするのか」
と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」という
こと
になる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危害を加えられ

わけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あた

も英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の庶
民た
ちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君を美化し

ドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、伝統
的に
学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的なことを教えるの
が、
教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につけるた
め。
欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリカ(特

ユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質

する生徒がよい生徒ということになっている。日本では「教え育てる」が教育の基本になってい

が、欧米では、educe(エデュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、など

ど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの
開き
がある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明した
ら、
友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこで「では、オーストラリアでは
どう
いう学校がよい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太子も学ん

ことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュラムを学校が組
んで
くれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。そういう学校をよい学
校と
いう」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもらいた
かっ
たら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

++++++++++++++

 この中で、「釣りバカ日誌」の中の世界は、世界的に見れば、非常識な世界だと書いた。しか
し今
は、少し見方が変わった。

 私自身が、その年齢になったこともある。その年齢というのは、自分の人生を考える年齢と
いうこ
とか。私たちの年齢になると、(したいことをする)ことに、ある種の空しさを覚えるようになる。
「だ
から、それがどうしたの?」と。

 そのかわり、「私は残りの人生の中で、何をすべきか」を、強く考えるようになる。心理学の世

でも、それを「統合性」と呼んでいる。

 若いときは、よい。(したいこと)をすれば、それで自己の同一性を確立することができた。し
かし
今は、ちがう。(すべきこと)をする。それを「自己の統合性」という。

 この自己の統合性にくらべたら、自己の同一性など、何でもない。そのことが、この年齢にな

と、
よくわかる。

 そこで「釣りバカ日誌」。私は、先日、はからずも、つまり見たくはなかったが、見てしまった。
「釣
りバカ日誌・17」。はっきり言おう。実に愚劣で安っぽい、映画だった。星など、つけようもな
い。

 無責任で無頓着。釣り三昧の人生に、どんな意味があるというのか。またそれが人生の晩年

迎えた男たちの、あるべき姿なのか。まさに(釣りバカ)。人間も、あそこまでバカになりきれ
ば、た
いしたもの。が、それ以上の意味はない。

 映画の中で、浜ちゃんは、若い女性を頼まれて、沖に魚釣りに行く。(毎度のことだが……。)

かし実際に、そんなことが許されるのだろうか。現実の生活の中で、考えてみればよい。もしあ

たが妻なら、どうだろう。夫が、どこかの若い女性と一日、一対一で、魚釣りに行ったようなケ
ース
を考えてみればよい。

 前にも書いたが、最後のシーンにも、驚いた。スーさん(社長)は、切符をキャンセルして、旅

の女将とデートにでかける。白いオープンカーで! 「ここ(=金沢)で、一泊するよ」という言葉

残して……。ややあきれ顔の浜ちゃんの様子も映し出されていた。が、しかし私の頭の中で
は、脳
みそがバチバチとショートするのを感じた。

 一片の誠意すら、ない。ワイフは、「スーさんの奥さんは、知っているんじゃないの」と言ってい

が、行く先々に、愛人がいるというということ自体、おかしい。異常。(これは愛人をもてない、
私の
ひがみではないぞ!)

 私たちは、その年齢になったら、すべきことをする。統合性を確立する。それは私たち自身
の老
後を有意義にするためだけではない。それはこの世を生きてきた者の、義務と考えてよい。あ
とに
残された人たちが、よりよく生きるための、義務と考えてよい。残りの人生を、けっして、自分た

のためだけに使ってはいけない。

 再度、問う。どうしたあんな映画が、この日本では、国民的映画なのか?


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.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 14日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室の、みなさんへ、お願い】(立ち話について)

いつもお世話になっています。ありがとうございます。
今日は、いくつかお願いがありましたので、こうした
メールをさしあげることにしました。

どうか不愉快に思われないで、ご協力くださいますよう、
お願いします。お子さんの安全のためと、またBW教室を
気持ちよく運営するため、です。

実は、今日も近所の方から、苦情が届きました。声は
おだやかでしたが、かなり怒っておられるといった
様子でした。

お帰りになるとき、路上に車をとめたまま、あるいは
道路上や、駐車場で、おうちの方どうしが、話をされるこ
とについて、

(1)交通のさまたげになる、
(2)そばいにいる子どもたちが、あぶない、
(3)お声が大きく、近所に迷惑、ということです。

で、ときどき、こういうお願いをしているのですが、
1〜2年ごとに、繰りかえしになってしまいます。

で、お願いというのは、

(1)お子さんが、階下へおりてこられましたら、
すみやかに、車に乗って、お帰りくだされば、
うれしく思います。

(2)おうちの方どうしの、路上、もしくは、駐車場、階下
での、立ち話などは、かたくお断り申し上げます。
よろしくお願いします。

 以上、たいへん失礼なお願いかと思いますが、
くれぐれも、よろしくお願いします。

 なお、このマガジンは、登録してくださった方のみに
送信していますが、半数以上の方は、未登録の状態です。
ですからこの連絡をお読みになったかたは、お読みに
なっていない方に、くれぐれも、よろしくお伝えくださいます
よう、お願いします。

++++++++++++++++++++

【年長児クラスのみなさんへ】(退会について)

 幼児教室という性格上、受験とともに、1月いっぱいで
おやめになる方も、いらっしゃいますが、BW教室は、
1年単位で、運営しています。

 ですからご事情がお許しになるかぎり、できるだけ、
3月いっぱいまで、おいでくださいますよう、お願い
します。

 2〜3月は、数の学習を中心に、小学校へ入ってから、
必ず、お役にたてる知識を身につけていただくよう、
努力いたします。

 また規約にありますように、退会届は、前月の3週目
までにお願いします。(1月末退会の方は、12月の
3週目までに退会届けをお願いします。)

 その時期を超えたばあいには、翌月の月謝をいただく
ことになりますので、よろしくご協力くださいますよう、
お願いします。

 勝手なお願いに聞こえるかもしれませんが、おたがいに
気持ちよくお別れするために、これは大切なことかと
思っています。

+++++++++++++++++++++

【駐車について】

 BW教室の駐車場は1台分しかありません。しかも
あまり大きくありません。

 大型車でおいでになる方は、たいへん申し訳あり
ませんが、近くの駐車場へ駐車してください。

 ちょうど、1階の方のお住まいの勝手ドアのところに
あるため、大型の車が駐車されますと、その方が、
ドアを開くことができなくなります。

 そのおうちの方が、たいへん困っておられます。また
ドアがあいたとき、あなた様の車に、キズがつくことに
もなりかねません。

 くれぐれも、よろしくお願いします。

 また駐車は、できるだけ、交代で、みなさんで
譲り合って駐車していただければ、うれしいです。


++++++++++++++++++++

【参観について】

 2年目に入られた方は、特別な問題がないかぎり、
参観は、ときどきということで、ご調整ください。

 教室も狭いので、よろしくご協力ください。


++++++++++++++++++++

 以上、まとめて、いくつかのお願いをしました。

 不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
冒頭に書きましたように、お子さんのためでもあります。

 よろしくお願いします。

 インターネットをなさっておられない方に、以上の内容を
お伝えくだされば、うれしく思います。

 よろしく、よろしく、お願いします。

BW教室     はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のキズ

+++++++++++++++++

07年度のノーベル生理医学賞に、
アメリカ、ユタ大学のマリオ・カペチ教授が
選ばれた。

遺伝子疾患の世界的な権威者である。その
カペチ教授は、「あなたの生い立ちは、あなたの
成功にどのような影響を与えたか」と質問
を受けるたびに、こう答えたという
(韓国・東亜N報)。

「人間は人為的に統制し操作できない存在だ」と。

この言葉のもつ意味は、重い。深い。

++++++++++++++++++

●「人間は人為的に統制できない存在」

 07年度のノーベル生理医学賞に、アメリカ、ユタ大学のマリオ・カペチ教授が選ばれた。遺
伝子
疾患の世界的な権威者である。そのカペチ教授は、「あなたの生い立ちは、あなたの成功にど

ような影響を与えたか」という質問を受けるたびに、こう答えたという。

 『人間は人為的に統制し操作できない存在だ』と。

 この言葉の意味を知るためには、カペチ教授の過去を知らねばならない。東亜N報は、つぎ
のよ
うに伝える。

 「……カペチ教授は、1937年にイタリアのベローナで生まれた。母親は20世紀初めに芸術

の夢を抱き、欧州に渡ってきた米国女性だった。ナチとファシズムに抵抗したボヘミアン芸術
家た
ちと交流していた母親は、イタリアの空軍将校に会って、カペチ教授を生んだ。 

しかし、2人は結婚しなかった。まもなく第2次世界大戦が勃発し、父親は戦闘の中で死亡。母

は政治犯収容所に連行された。 

ゲシュタポに連れて行かれることを予感した母親はすべての財産を売り、田舎で農業を営む友

にお金を渡し、息子の面倒を見てくれと頼んだ。カペチ教授が4歳の時のことだった。が、ある
日、
母親の友人は残ったお金がないといって、彼を追い出した。
 
この時から4年半の間、幼い少年は浮浪児として過ごさざるをえなかった。街で寝るか、ゴミ箱

あさって食事を済ませた。飢え死にしかけたこともあったという。
 
3年半ほど、路頭をさ迷った彼は、栄養失調にかかった浮浪児を収容する施設に監禁された。

げることができないように、1年中裸のまま過ごすようにする施設だった。毎日小さなパン一切

とコーヒーが出た。 

ナチの敗北で収容所から出た母親は1年間、彼を探し回った末に、9歳の誕生日に息子を捜
し出
した。母子は直ちに米国のペンシルバニア州に住む、母方のおじを訪れるために大西洋を渡

た。 

米国での生活は全く違っていた。クエーカー教徒の共同体を率いていた叔父の助けで、クエー

ー学校に入った。彼は英語が一言もできなかったが、思う存分絵を描き、粘土をいじらせてく
れる
教師の配慮で、学びの楽しみに気づいた。
 
幼い時に経験した生存闘争の影響だろうか。カペチ教授は特別な粘りと忍耐心をもっていた。

れを研究に生かした。

DNAの二重ラセン構造を明かしたジェイムズ・ワトソンの指導の下、1967年にハーバード大
学で
博士の学位を取得した彼は、1980年「遺伝子ターゲット」(gene targeting、
細胞の核にDNAを組み込み特定遺伝子の変形を起こす技術)という新しい
研究プロジェクトを出し、米国立保健院(NIH)に支援を申し込んだ。しかし、
NIHは「役に立たない研究」とし、それを拒んだ。
 
しかし、カペチ教授はこれに屈せず、研究を続け、4年後にNIHは「私たちの話を受け入れな
かっ
たことに大変感謝する」と謝罪の手紙を送り、彼の研究を支援し始めた。現在、遺伝子ターゲ
ット
技術は、医学史に一線を画する業績と評価されている」(以上、部分的に日本語を改変)。

 この記事によれば、カペチ教授の幼少時代は、相当、悲惨なものであったことがわかる。

 4歳のとき母親と別れ、9歳のとき母親に見つけだされるまで、浮浪者と収容所生活を経験し

いたことになる。心にどんなキズ(=PTSD)を負ったか、容易に察しがつく。

 そのカペチ教授は、「あなたの生い立ちは、あなたの成功にどのような影響を与えたか」とい
う質
問を受けるたびに、こう答えたという。

 『人間は人為的に統制し操作できない存在だ』と。

 この言葉のもつ意味は重い。深い。いろいろに解釈できるだろう。が、私は、カペチ教授が、
「心
のキズというのは、そういうものだ」と言ったように、感じた。あるいは「遺伝子疾患というのは、
そう
いうものだ」という意味で、そう言ったようにも解釈できる。しかしやはり、カペチ教授は、こう言
った
のだ。

 「私は心のキズと、ずっと闘ってきた。今も闘っている。私という人間の力では、どうにもなら
ない
問題だ」と。

 カペチ教授の話は別として、心のキズというのは、そういうもの。ちょうど顔についたキズのよ

に、生涯にわたって、消えることはない。それについては、私は今まで、何度も書いてきた。心

奥深くに居座り、生涯にわたって、その人を裏から操(あやつ)る。

 現に今、私自身がそうで、60歳にもなろうというのに、幼児期の暗い思い出が、いまだに時
折、
顔を出し、私を苦しめる。

 が、このキズと闘う方法は、ないわけではない。

(1)心のキズの正体を知る。

 心のキズはだれにでもある。しかし問題は、キズがあるということではなく、そのキズがあるこ

に気づかず、そのキズに振り回されること。

(2)心のキズには、触れない。

 心のキズといっても、いろいろある。日常生活の中で、そのつど思い出されるキズもあれば、
そう
でないものもある。たとえば私のばあい、酒臭い人に出会ったりすると、むっとした不快感を覚

る。
私は子どものころ、父の酒乱におびえた。だから、私は、酒が嫌いだし、酒臭い人は、もっと嫌
いで
ある。だから私のばあい、酒臭い人には、できるだけ近寄らないようにしている。酒というより、

度胃の中に入った酒が放つ、あの独特の異臭をかぐと、精神状態そのものが、おかしくなる。

 だからもしあなたに心のキズがあるなら、そういうキズを思い出させるような場面には、できる

け近寄らないようにする。

(3)心のキズとは、仲よくつきあう。

 ここにも書いたように、心のキズはだれにでもある。ない人は、いない。そういう前提で、あと
は、
仲よくつきあう。キズを消そうとか、忘れようとか、さらにそれでもって自分を責めても、意味は

い。「私は、私。それがどうした?」と居直る。

 酒が嫌いでもよいではないか。酒臭い人が嫌いでもよいではないか。そういう人を避けてもよ

ではないか、と。どうしてそれが悪いことなのか。

 話をもどす。

 カペチ教授が、そのとき、心のキズを意味したかどうかは、ほんとうのところは、この私にも、
よく
わからない。ただ私はこの記事を読んで、私はカペチ教授の言葉に、強い衝撃を受けた。「ひ
ょっ
としたら、カペチ教授は、子どものころついたキズと、今でも闘っているのではないか」と。「しか

それは壮絶な闘いではないか」と。

 ……あくまでも、これは私の勝手な推理によるものだが……。みなさんは、この東亜N報の
記事
を読んで、どう感じただろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 心の
キズ 
カペチ教授 PTSD)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●意識の差

+++++++++++++

昨夜、ワシントン・ポスト紙の
ダイジェスト版を読んだ。
(Japan Clipping、講談社版)

それを読んで感じたのが、
(意識の差)。

私たちは、拉致問題で、K国を
避難するが、では、この日本は
どうなのか? どうだったのか?

こうした問題を考えるときは、
いつも(意識の差)を、念頭に
置かなければならない。

+++++++++++++

 日本は、1941年12月7日、真珠湾を奇襲攻撃した。日本では、「奇襲」という言葉を使う
が、英
語では、「surprise attack」。その奇襲攻撃を、当時のアメリカの大統領は、こう表現した。「も
っと
も恥ずべき日として、永久に記憶に残る日(a date whichwill live in infamy, "December 7, 
1941)」
と。つづけてワシントン・ポスト紙は、「真珠湾のキズ(The Scars of Pearl Harbor)と題して、こう

いている。

 「しかし日本の子どもたちは、その日を覚えておくよう奨励されていない(…is not a date 
Japanese school children are encouraged to remember…)」と。

 「太平洋戦争では、日本は何もまちがったことをしていないと思っているたくさんの子どもたち

いる。が、アメリカ人にとっては、真珠湾というのは、裏切りと二枚舌(dupulicity and 
treachery)の
同義語(synonymous)だ」と。

 さらにこうも書いてある。

 「日本の歴史書には、奇襲に対する深い悔悟の色はみられない。が、もっとも深刻な不一致
は、
真珠湾攻撃を引き起こす事態をめぐる解釈にある。

 西側の見解では、(アメリカは日本を西側とは見ていないことに注目)、日本は市場と原材料

獲得するために、中国や他のアジア諸国の植民地化をもくろむ、盲目的に侵略を企てる軍国
主義
者と拡張主義者の手に落ちたのだ。

 それに対して、現在の日本のほとんどの教科書は、戦争は失敗だったと認めるものの、それ
は、
合衆国や他の国々による石油と経済の制裁によって強いられたとする」(1976年12月7日)
と。

 歴史認識問題というと、日本と中国や韓国の間だけの問題ではない。日本とアメリカの間に
も、
ある。とくに真珠湾攻撃に対する解釈には、大きな隔たりがある。

 「真珠湾攻撃はしかたなかった」と主張する日本。「卑怯だ」とするアメリカ。「真珠湾攻撃をす

よう仕組まれた」と主張する日本。「裏切った」と主張するアメリカ。

 さらに最近では、「近代的防衛戦(?)」なる奇語を使って、日本の軍国主義全体を擁護する
人た
ちまで現れた。「先に戦争をしかけていかなかったら、日本がどこかの国の植民地になってい
た」
とか、「アメリカはドイツとの開戦をもくろんでいた。しかしその口実が見つからなかった。真珠

は、
その口実になった」とも。

 こうした意見というか、意識の相違について、おおかたの日本人は、「日本は日本、アメリカ
はア
メリカ」と考えている。が、もしそうなら、つぎのことだけは、覚えておいたほうがよい。

 いつか、(そんなに遠い将来ではないと思うが)、日本が、他国に同じことをされても、日本
よ、日
本人よ、文句を言うな! 現に今年に入ってから、アメリカの各紙は、日本を名指しして、「裏
切ら
れた」という言葉を、頻繁に使っている。従軍慰安婦問題で、日本政府が、「静観する(=無視

る)」という声明を発表してからである。

 日本の政府というか、それを裏で操る官僚たちの動きは、どこかゆがんでいる。沖縄の集団

決問題にしても、10万人の抗議集会が開かれ、あわてて教科書の修正に乗り出している。

 ……と書いて、私は何も、日本がどうなってもよいと思っているのではない。日本のことを心
底、
心配しているから、そう書いている。とくに安倍内閣になってから、日本は、大きく右へ、舵を切

た。「天皇を元首に」「天皇がY神社を参詣するのがいちばん」(A前外務大臣ほか)という言葉
が、
政府の間からも、ポンポンと聞かれるようになった。

 (一方、ノー天気な若者たちは、そういうA氏を、「太郎ちゃん」「太郎ちゃん」とラブコール。先

総裁選挙での1コマである。)

 拉致問題についても、最近の国際世論は、「日本よ、何を偉そうなことを言うか」という風潮に

化しつつある。つまり日本に同情して、日本のために動いてくれる国は、ない。アメリカにさえ、

捨てられた。

 思考力を失ってしまった日本。政治そのものが、ギャグ化している。こういう日本に、いった
い、
未来は、あるのか? どこに未来を求めたら、よいのか? あの江戸時代という封建主義時代

すら、日本は、ただの一度も反省していない。反省していないばかりか、最近ではそれを反対

「国家の品格」と称して、美化する人まで現れた。おかしな復古主義が、それに拍車をかけた。

 ここに紹介したワシントン・ポストの記事は、日付を見ると、1976年となっている。つまり今
から、
31年前。

 この31年間で、日本は、何が変わったのか? また何が変わらなかったのか? それがわ
から
なければ、拉致問題の政府の取り組み方を見ればよい。どうして被害者のこの日本が、頭を
ペコ
ペコさげ、「調査させてください」と、K国に頼まなければならないのか。乞われもしないのに、救

物資という、みやげまでつけて……。

 この(おかしさ)の中に、日本の政治の(おかしさ)がすべて、集約されている。……ということ
を、
ワイントン・ポスト紙を読んで、私は感じた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●謎解き

+++++++++++++

ヤフー・ニュースを見ていたら、
こんな記事があった。(下に紹介。)

私はこの記事を読んだ。数回、読んだ。
しかし、どうにもこうにも、理解できない。

私がボケたのか?
それとも理解力が低下したのか?

大阪のあるところで、詐欺事件が
起きた。それはわかるが、その
詳しい手口が、理解できない。

ああああ!

+++++++++++++

 ヤフーのニュースに、こんな記事があった。まず、それをそのまま紹介する。この記事の中で

意してほしい点は、いったい、その男(=詐欺犯)は、いったい、どういう手口で、窃盗を重ねて

たかということ。一読して理解できた人は、かなりの読解力がある人とみてよい?

+++++++++

 万引きしたカミソリの替え刃を購入したように装って返品し、ホームセンターから金をだまし取

たとして、住所不定、無職HS被告(58)が、大阪府警富田林署に逮捕、詐欺罪などで起訴さ
れて
いたことがわかった。

 実際に替え刃を買い、レシートを渡さずに返品して金を受け取った後、後日、別の店で盗ん
だ替
え刃に、残しておいたレシートを添え、購入店に持ち込んで返金させる手口。(10月13日付)

+++++++++

 たった今、4、5回目を読み終えた。で、やっとこの私にも理解できた!

 こういうことらしい。

 そのHSという男は、まずどこかの店で、カミソリの替え刃を買う。そしてその替え刃を返品す
る。
お金は、再び、その男の手元に戻る。そのとき、レシートを店に渡さないでおく。「レシートはなく

た」とか何とか、言えばよい。

 つぎに今度は、別の店で万引きしてきた同じ替え刃を、先にとっておいたレシートを添えて、

品する。「これはお宅の店で買ったものだ」とか何とか、言えばよい。

 ふ〜ん。

 で、こうして詐欺に詐欺を重ねて、得たお金は、10数万円とか。ヤフー・ニュースは、つぎの
よう
につづける。

 「府内のホームセンターばかりを狙い、今年6月までの半年間に店を変えては、約30件(被
害1
0数万円)の詐取を繰り返していたという」と。

 しかし万引きしてきたものを、店で返金させるとは! セコイというか、小ズルイというか。男
の年
齢は、58歳。私より1歳、年下。この男は、過去58年間、何を学んできたというのだろうか。
残りの
人生は、短い。こんなことで、自分の人生を汚して、この先、どうやって生きていくというのだろ

か。

 無職ということだから、お金に困って、そういう犯行を重ねたのだろう。その点には同情する。
が、
しかしそれにしても……。

 ……ということで、最初の問題。あなたはこの文を一読して、その男の手口を理解できただろ

か。残念ながら、私には、理解できなかった。

 ……そうだ、この問題を、今度、中学生たちに解かせてみよう。「このニュースを読んで、そ
の男
の手口を詳しく説明せよ」とか何とか、そんな問題にすればよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●帝国海軍vs米国海軍

++++++++++++++++

今朝の朝刊(10・10)を見たら、
下段、雑誌紹介コーナーに、文藝S秋
11月号の広告が載っていた。

「帝国海軍vs米国海軍……日本はなぜ
アメリカに勝てないのか」という、大見出し
が、目に飛び込んできた。

「大反響・一挙46頁掲載」とある。

弁士は、6人。どの人も日本を代表する
評論家たちである。

いわく、
★ルーズベルト家の策略
★山本五十六vsキング、ニミッツ
★戦艦大和、ゼロ戦vsヨークタウン、B29
★ミッドウェーと海軍乙事件
★東郷平八郎vsファラガット
★ニッポン型現場主義vs米国型独裁トップ、と。

しかし、何かがおかしい?
何かが、欠けている?

+++++++++++++++++

 1945年の8月、広島、長崎に原爆が投下された。日本はその直後、米英を中心とする連合

に、
無条件降伏をした。が、その直後のこと。アメリカの調査団が、原爆が投下された広島を訪れ
てい
る。同じ、8月の下旬のことだった。

 アメリカの調査団たちは、かなり緊張していたにちがいない。いつどこで闇討ちにあったり、
暴徒
に襲われてもおかしくない状態だった。

 が、意外にも意外。アメリカの調査団たちは、行く先々で大歓待を受ける。旅館に泊まって
も、一
級の部屋をあてがわれ、大接待を受ける。

 そのたった数週間前まで、アメリカ軍、イギリス軍を、「米英鬼畜」と呼び、日本はその連合軍

戦争をしていた。が、敗戦と同時に、コロッと、ほんとうにコロッと、それまでの主義主張をねじ
曲げ
てしまった。「私なら……」という言い方は、あまりしたくない。ないが、私なら、ゲリラ戦でも何で

しかけて、アメリカ軍と戦ったであろう。原爆を落としたアメリカ軍なら、なおさらである。原爆が

とされた広島でなら、なおさらである。

 つまりそこで登場するのが、「正義」の問題である。

 当時のアメリカには、正義があった。世界の自由と平和、それに民主主義を守るという正義
であ
る。一方、日本には、それがなかった。わかりやすく言えば、軍の上層部はともかくも、それ以
下の
一般民衆は、戦争に対して、辟易(へきえき)としていた。つまり、いやいや、命令に従っていた

け。

 その一例が、アメリカの調査団に対する、当時の民衆の姿勢である。

 それがわからなければ、あのベトナムを見ればよい。現在のイラクやアフガニスタンを見れ
ばよ
い。あれほどまで強大かつ先端兵器を駆使しながらも、アメリカ軍は、ゲリラ戦で手を焼いてい
る。
焼いているばかりか、勝ち目のない戦いの中で、消耗戦を強いられている。

 わかるかな?

 ベトナムには、「共産主義」という正義があった。イラクやアフガニスタンには、「イスラム教」と

う正義がある。一方、アメリカはその正義を見失ってしまった。戦うべき、目的を見失ってしまっ
た。

 文藝S秋・11月号は、「帝国海軍vs米国海軍」という大特集を組んでいる。今日、仕事の帰
りに
でも、さっそく1冊、私も購入してこうようと思っている。しかし新聞の広告を見ただけで、内容の

0%までわかってしまった。日本を代表する評論家たちだが、表面的な、もっと言えば、枝葉末

ばかりを論じている? 私には、そんな感じがした。

 日本が戦争にまけたのは、ヒトやモノではない。作戦でもない。「正義」だ。その正義がなかっ
た。
もし正義があったなら、日本は、……というより日本人は、たとえ上層部が敗戦宣言をしても、
その
まま戦いつづけていたにちがいない。

 そこで、ここでは、もう一歩、踏み込んでみる。「今の、この日本には、正義はあるやいな
や?」
と。

 答は、NO!、である。何のために生きているのかという、その目的すら、はっきりしていな
い。何
をすべきかという、その目的すら、はっきりしていない。自由? 平等? 博愛? 平和? そ
れと
も民主主義?

 どれもこれも、中途半端。あえて言うなら、マネー、マネーの一辺倒。つまりこれでは、政府
が、
いくら愛国心を説いても、だれもついていかない。「何、それ?」となってしまう。

 たとえばK国の核兵器問題についても、いちばんその脅威を受けているのが、この日本。し
かし
その日本は、拉致問題しか口にすることができない。拉致問題だけを前に押し出し、6か国協
議に
臨んでいる。

しかもその拉致問題にしても、戦前に日本がしてきたことに対しての(うしろめたさ)があるの
か、
空に向かって大声で叫ぶことすらできない。「お前ら、おかしいぞ!」と。そんな簡単なことす
ら、
口に出して言うことができない。さらに、政府は、一方的にK国を責めるが、そういう犯罪を、み
すみす許してしまった当時の日本政府の責任はどうなるのか。だらしないというか、みっともな
いというか……。

 当時の警察、自衛隊、海上保安庁は、いったい、何をしていたのだ!

 なぜ、帝国海軍が、米国海軍に負けたかって? 答は、簡単。日本には、正義がなかった。
こん
なわかりきったことをさておいて、あれこれ論じても意味はない。だから、私は、どこかおかしい

思った。何かが欠けていると、思った。あくまでも広告を見た範囲での感想だが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●HDのコピー

 ハードディスクのコピーができなくて、苦しんだ。悪戦苦闘した。万が一のときのために、私
は、メ
インで使っているパソコンのHDの、クローン(完全コピーHD)を作成しようとした。

 使ったソフトは、コピーコマンダー9。VISTA対応版である。が、何度やっても、うまくできな
い。

 メーカーに問い合わせると、「ファイル・チェックをしましたか?」と。

 ナヌ……?

 ファイル・チェックなど、してもしなくても、どちらでもよいものだと思っていた。「どうせ、完全コ

ーをするのだから」と。

 これがまちがっていた。つまりこれが、コピーできない原因だった。ア〜ア!

 で、昨夜遅く、ファイル・チェック。そして今朝、コピー。今度はうまくできた。

 パソコンというのは、そういうもの。ときとして、きわめて初歩的なミスで、失敗を繰り返す。コ

セントがゆるんでいたとか、電源を入れたまま、機器を接続したとか、そして今回のように、基

的な手順を踏まないまま、作業に移ったとか……。

 ともかくも、今朝、解決。クローンHDをそのまま本体に取り付けた。一方、本体にあったHD
は、
戸棚の奥にしまった。それで完了。ああ、楽しかった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●エクセル2007のバグ

++++++++++++++

息子のBLOGより

++++++++

計算ソフトのバグ、と聞いて一体何を思い浮かべるだろうか?

使用中にクラッシュ?
保存したファイルが開かない?
グラフの狂い?
などなど・・。

しかし世の中、表計算ソフトが絶対に起こしてはいけないバグがある・・・。

計算ミス。

もし運悪くOffice 2007なるものを会社で使わされている人がいたら、夜遅くに、一人こっそりと

の計算をエクセルにさせてみよう。

=77.1*850

ちなみに正解は65535。

++++++++++++

 こわいね。あのエクセルに、こんなバグがあるなんて? つまりエクセルで、77・1x850を計

してみると、65535になるのではなく、10万になるという。

 こんなバグが悪用されたら、たいへん。単位が、1万ドルだったら、どうするのだろう? たと
えば
2つの会社がエクセル2007を使っていて、77・1万ドルの商品を、850個仕入れたとしたら
……。

 息子からの今朝のメールによれば、「エクセル2007は、やめたほうがいいよ」「できたら、O
pen
Officeを使ったほうがいいよ」とのこと。

 あなたももしエクセル2007を使っていたら、上の計算をしてみるとよい。エクセル2007へ
の信
頼感が、ふっとんでしまうはず。

 あなたがどこかの経理の担当者なら、みなにこのことを話して、警告したほうがよい。なお息

の話では、「エクセルのシリアライザー(コンピュータ言語を、人間にも読める数値に変換する
プロ
グラム)が、いかれているのではないか」とのこと。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●頭痛専門医

+++++++++++

私は、自称、「頭痛専門医」。
頭痛の症状を聞いただけで、
それがどういう原因によるものか、
どんな薬をのんだら治るのか、
それがわかる。

私も若いころ、偏頭痛に苦しんだ。
飲めないくせに、酒を飲んで、
二日酔いならぬ、三日酔いに
なったこともしばしば。
最近では、仮面うつによる頭痛
まで起きるようになった。

ほかにもいろいろある。で、頭痛
が起きるたびに、……というより、
頭痛が起きると、その微妙な
ちがいがわかるようになった。

薬といっても、市販のものだが、
どれを、どうのめばよいかまで、
わかるようになった。

詳しくは立場上書けないが、そういう
こと。だから、私は、自称、「頭痛
専門医」。家族の頭痛は、いつも
私が治している。

で、今は、少し頭が重い。これは
風邪の初期症状の軽い頭痛。
こういうときは、「葛根湯」がよい。

あとで朝食の前に、飲むつもり。

+++++++++++++++

●ビョーキ

私が現在、メインで使っているのが、
M社の最新パソコン。このパソコン。
もちろん搭載OSは、ビスタ。

その横にもう1台。こちらもすごいが、
OSは、Xp。同じくM社製。

どちらも整備は完ぺき。

ところでご存知の方も多いと思うが、
ビスタは、自分の性能を、自己診断
ができるようになっている。
エクスペリエンス・インデックス
というのが、それ。

ゲーム用グラフィックの速度こそ、やや
点が低いが、あとは、5・7〜5・9。

つまりほぼ最高点。

パソコンという機械は、ほどよく動く
ときは、そのままの状態を守った
ほうがよい。

あちこちをいじると、それが原因で、
故障する。

わかっているが、それでもいじって
みたいのが、人の情。「もっと、何か
ができるのでは?」と考えてしまう。

……どこか、子育てに似ている?

それはともかくも、何かをしてみたい。
平凡は、つまらない。しかしやることが
ない。

こういうのを、この世界では、
ビョーキと言うらしい。

+++++++++++++++

 ホームページの編集用には、M社のパソコンを使っている。OSは、Xp。メモリーは、2GB。

のパソコンだが、それまではHPのファイル保存に、12時間近くもかかっていた。が、今度、H
Dを
取りかえてみた。

 とたん、その時間が、3分の1に短縮。4時間ですむようになった。HDを取り替えただけで!

 一方、文書作成などには、このパソコンをつかっている。OSはビスタ。メモリーは3GB。プラ
ス、
レディブースト用に、4GBのUSBメモリー。こちらも昨日、HDを取り替えた。とたん、エクスペリ

ンス・インデックス(自己評価)が、5・5から5・9に! (6・0が最高点と聞いているから、ほぼ

点。)

 この程度の性能になると、2万枚の原稿用紙を並べて、同時に画像処理のソフトを起動して
も、
ビクともしない。実に軽快に仕事をこなしてくれる。それが気持ちよい。

 この「気持ちよい」という感覚は、性能の悪いパソコンを使って苦労した人でないと、わからな
い。
突然パソコンがフリーズしてしまい、何十枚もの原稿を、パーにしてしまったとか……。

 気のせいか、HDを取り替えてから、またまたこのパソコンの性能がよくなったように思う。とく

ワイフのパソコンと比べてみると、それがよくわかる。ワイフのパソコンは、たいした仕事もして
いな
いのに、よくフリーズする。

 さあ、今日も、このパソコン相手に、原稿を書くぞ!


●マザーボード

 パソコンのマザーボードをながめながら、私は、しばし、考え込んでしまった。マザーボードと
いう
のは、いろいろな基本電子部品を搭載した、プリント基板のことをいう。パソコンの側面パネル

開くと、30センチ四方大に、そこに広がっているのがわかる。

 マザーボードとはいうが、そこはまさに、(都市)! 中央のCPU(中央演算装置)を中心に、
数ミ
リ単位の部品が、何百個と整然と並んでいる。それを見て、まず感心するのが、「よくもまあ、
こん
なものを作ったものだ」ということ。その1個1個に、人間がもつ英知と技術が集約されている。

 無駄なものは、ひとつもない。仮に小さな部品1個が欠落しても、そのマザーボードは、その
まま
廃品に。そういう世界である。

 つまりパソコンという機械を、キーボード側から見るときと、本体内部側から見るときとでは、

の姿は、まるでちがう。私たちは、たとえば何かの拍子に、モニターがブルー画面になったりす

と、
それだけを見て、ドキッとする。(ブルー画面は、こわいね!)

 しかしそれはキーボード側から見た世界。しかし本体内部側から見ると、ものの考え方が、一

する。わかりやすく言えば、マザーボード全体が、ひとつの(都市)として機能している。まともに

くこと自体、奇跡のようなもの。(まともに動いてもらわなければ、困るが……。)

 ……ということは、私たち人間の体についても、言える。脳みそから肉体まで。すべてがそう
だ。
とくに脳みそは、(都市)以上の(都市)。一説によると、脳みそは、高性能のパソコン数千台〜

万台、あるいはそれ以上の能力をもっているという。

 まともに動くこと自体、奇跡。いつ何時、変調したり、狂ったりしても、おかしくない。考えてみ

ば、
これもまた、すごい。その脳みそがこうして機能して、文章を、モニター上にたたき出してい
る!

 ……とまあ、マザーボードをながめながら、そんな意味のないことを考えた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●『量より、質』論

++++++++++++++

この年齢になると、すべてが先細り
になる。実際にはそうでなくても、
先細り感は、いつもついて回る。

健康面、精神面、収入面など。

どれをとっても、不可逆的に、悪化し、
低下する。

そんな中、つまりそうした先細り感と
どう、私たちは対処していったら、
よいのか。

それが、『量より、質』論である。

++++++++++++++

 安物ばかりだが、懐中時計ばかり、30〜40個も買い集めた。懐中時計を付録にした雑誌
が発
売になったこともある。それが私の収集癖に、さらに拍車をかけた。

 が、しょせん、安物。つぎつぎと故障した。落として壊したのもある。「どうせ安物だから」と。
で、
今は、そういう懐中時計が飾り棚に、何十個もぶらさがっている。私は、それを見ながら、「人

も、
これに似ている」と思った。私たちは時として、無駄なことを繰りかえしてしまう。たとえば安物
の時
計ばかりを買い、並べ、いっぱしの収集家になったような気分になったりするのが、それ。

 しかし今日、私は、時計屋で、1個の懐中時計を見つけた。最近では、懐中時計を並べてい
る時
計屋は少ない。時計屋そのものが、少なくなった。そのガラスケースの中に、金色と銀色の懐

時計が2個だけ並んでいた。私は電撃に打たれるようなショックを覚えた。

 RP社製の手巻き式懐中時計である。値段は、X万円。私がもっている懐中時計すべてを合

せても、その1個分の価値には及ばない。とたん、家にある懐中時計が、すべて、ただのガラ
クタ
に思えてきた。

 店で見せてもらう。手に取って、握らせてもらう。ズシリとした重量感。金属の厚み。文字盤の

巧さ。下のほうに小さな小窓があって、そこから内部のムーブメント(機械部)がのぞける。私
は迷
わず、その懐中時計を買った。金色のほうである。

 ところで話を戻すが、この年齢になると、すべてが先細りになる。実際にはそうでなくても、先

り感がついて回る。健康面、精神面、収入面など。

どれをとっても、不可逆的に、悪化し、低下する。ときどきワイフと、「あと何年生きられるだろう
ね」と話す。できるだけそういう会話は避けようとは思っているが、何かのことで弱気なったよう
なとき、ふと、そういう言葉が口から出てきてしまう。

そんな中、つまりそうした先細り感とどう、私たちは対処していったら、よいのか。その問題を解
くカギが、『量より、質』論である。

 つまり、これから先、自分の人生をよりよく生きるためには、量より質を大切にする。懐中時
計に
たとえるなら、安物の懐中時計など、何個集めても、意味はない。またそういうものを集めるた

に、時間を無駄にしてはいけない。

 若いときは、それでもよい。10時間という時間をかけて、10個の懐中時計を買えばよい。し
かし
人生に先細り感を覚えるようになったら、そうはいかない。1時間という時間の中で、10個分の

中時計を買わなければならない。それがここでいう『量より、質』論ということになる。また『量よ
り、
質』にこだわれば、これからの人生を、今までの何倍も、濃く生きることができる。ひょっとした
ら、
先細り感を、そのまま吹き飛ばすことができる。

 仕事、しかり。
 遊び、しかり。
 そして人間関係も、またしかり。

 たとえば人間関係。中には、「広く、できるだけ多くの友人や知人と交際するのがよい」と説く
人も
いる。しかしEQ論(=人格の完成論)にせよ、道徳の完成論にせよ、それを説く学者たちは、
そう
は言っていない。むしろ少数の人と、より深く交際することのほうが大切と教えている。

 もちろんそれには、相手を選ばなければならない。……が、実際には、「選ぶ」と言うより、自

で生きざまを追求していくと、そこに一つの輪ができてくる。その輪の中で、人間どうしの交際
が始
まる。と、同時に、その輪にふさわしい人たちが、その輪の中に残る。その輪にふさわしくない
人た
ちは、その輪から去っていく。

 懐中時計は、1個でよい。1個あればよい。その1個を大切にする。それがここでいう『量よ
り、
質』論ということになる。

(追記)

●「質」の追求

 「質」の追求の第一条件は、時間を無駄にしないということ。「財産」という言葉を耳にすると、

れしも、「金銭的な財産」を思い浮かべる。しかしそれ以上に大切なのは、「健康という財産」、
それ
に「時間という財産」である。

 お金や健康を無駄にする人はいない。いないわけではないが、少ない。しかしどういうわけ
か、
人間は、時間の無駄については、寛大。寛大というより、鈍感。(失礼!)ソファに寝そべり、バ

番組を見ても、時間を無駄にしたと思う人は少ない。子どもについて言うなら、意味もないPC
ゲー
ムをしても、時間を無駄にしたと思う子どもは少ない。

 与えられた時間は同じでも、どうそれを使うかで、その人の生きざまが変わってくる。その人
の価
値が決まってくる。もっとも、この分野でも、「賢い人からは、愚かな人はよくわかる。しかし愚
かな
人からは、賢い人はわからない」。

 わかりやすく言えば、時間を大切に使っている人からは、時間を無駄にしている人がよくわか
る。
しかし時間を無駄にしている人からは、時間を大切に使っている人がわからない。自分が時間

無駄にしていることさえ、気づかない。

また時間を大切に使っている人にすれば、それがその人にとっては当たり前のことであり、だ

らといって、その実感があるわけではない。

 むしろ実際には逆で、時間を大切に使っている人ほど、日々に、時間を無駄にしたことを悩
む。
後悔する。時間を大切に使っていると実感することなど、まず、ない。

 「質」の追求……、それはまず時間を無駄にしないこと。すべては、そこから始まる。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●信用するほうが、どうかしている!

+++++++++++++

一度破壊された人格が、
そののち、修復されたという話は、
聞いたことがない。

ある年齢を超えればなおさら、
である。

頭のおかしな独裁者が、晩年になって、
(まとも)になったという話は、
古今東西、聞いたことがない。

今日のニューヨーク・タイムズ紙は、
つぎのように伝える(10月13日)。

『アメリカ政府当局者らの話として、
イスラエル軍機が9月に行ったシリア
への空爆は、建設中のK国型
原子炉を標的としたものだったもようだ
と報じた。

原子炉は、K国が核兵器用の
プルトニウム生産に利用した黒鉛
減速炉と同型とみられる」と。

あんな独裁者を信用するほうが、
どうかしている。韓国へ亡命した
F氏(K国の元高官。主体思想の
総責任者)も、繰りかえし、そう述べて
いる。

++++++++++++++

●6か国協議

 有名無実化してしまった6か国協議。実際には、米朝協議が、会議の柱になってしまった。も
ちろ
ん日本は、カヤの外。K国自身が、「老朽化した」と述べている核開発関連施設。それを、停止

ると言っただけで、各国は、K国支援を始めてしまった。

 が、そのK国。こうした会議を一方でしながら、他方で、シリアの核兵器開発を援助していた
(?)。
まさにとんでもない裏切り行為である。

アメリカのニューヨーク・タイムズ(電子版)は、つぎのように伝える。

「13日、アメリカ政府当局者らの話として、イスラエル軍機が9月に行ったシリアへの空爆は、
建設中のK国型原子炉を標的としたものだったもようだと報じた。原子炉は、K国が核兵器用

プルトニウム生産に利用した、黒鉛減速炉と同型とみられる」と。
 
 このニュースを読むとき、2つのポイントに注意しなければならない。

(1)一度破壊された人格が、まともにもどるということはありえるのか。
(2)ヒル氏のような、あまりにも(まともな人物)に、そうでない人が理解できるのか。

 善人のフリをすることくらいなら、だれにだって、できる。私にだって、できる。それらしい顔を

て、
それらしいことを口にすればよい。

 しかし自分の体に一度しみついた悪を、自分から取り除くのは、容易なことではない。『善と

は、
神の左手と右手である』とは、よく言うが、そういう点では、善と悪は、けっして平等ではない。

 で、あの独裁者。独裁者の独裁性が強ければ強いほど、その独裁者の人間性が、そのまま
国際
政治の場に反映される。国中の人たちが、オール・イエス・マンなのだから、当然と言えば、当
然。
で、その人間性だが、拉致問題ひとつ見てもわかるように、メチャメチャ。一説によると、K国
国内
だけで、約20万人以上の政治犯(?)と言われる人たちが、闇から闇へと処刑されているとい
う。

 一昼夜で、国家の方針が180度変わることも、ザラ。一貫性がないというのが、あの独裁者
の一
貫性。そういう独裁者をまともな人物と評価し、まともにやりあうところに、そもそもの無理があ
る。

 そこで最初の問題。一度破壊された人格が、その後、(まとも)にもどるということは、ありえる

か。

 答は、NO!、と考えてよい。若い人ならともかくも、ある一定の年齢を超えた人のばあい、そ

はまず不可能と考えてよい。「一定の年齢」というのは、満40歳とか50歳とかいう年齢をいう。

のころになると、脳みそそのものが、融通性を喪失する。いわんやあの独裁者のように、60歳

超えた人が、ある日突然、まともになるということはありえない。

 思考回路というのは、そういうもので、若い人でも、一度それができると、それを変更するの
は、
容易なことではない。ふつうは、不可能。

 が、このところ6か国協議をながめていると、どこか、(まとも)? まともすぎる? そのまとも

ぎるところが、不気味。つまりその分だけ、独裁者の独裁性が弱まっていると考えてよい。もっ
とは
っきり言えば、独裁者に代わって、側近の者たちが政治を遂行し始めている?

 理由はいろいろ考えられる。その第一が、健康問題。「だいじょうぶだ」「問題はない」という、
K国
の大本営発表が繰りかえされれば繰りかえされるほど、おかしい。一説によると、認知症がす
でに
始まり、昨年(06年)の春ごろから、国政の運営にも影響が出始めているとのこと。

 そういう独裁者を信用して、まともな交渉など、できるはずもない。その一端が、はからずも、
シリ
アで証明された。冒頭に書いた、「K国型原子炉」の問題である。

 もしこれが事実だとするなら、(100%、事実とみてよいが……)、では今までの6か国協議
は、
何だったのかということになる。ヒル氏をはじめ、世界各国の代表は、あの独裁者に弄(もてあ
そ)
ばれただけということになる。

 が、ヒル氏には、それが理解できない? ヒル氏は、あまりにも育ちがよすぎる。育ちがよす

て、
人間の心の裏というか、闇の部分が、理解できない。しかもアメリカ流合理主義者? オープ
ンな
場所で、契約さえしっかりと結べば、それで問題は解決すると信じている?

 しかしそういうアメリカ流合理主義は、この極東アジアでは通用しない。とくに、あの独裁者に

通用しない。結局は、一連の6か国協議を通して、他の5か国は、K国に、核兵器開発のため
の時
間を与えただけ。

 では、日本は、どうすべきか。一度は袋小路に入り、四面楚歌を経験した日本だが、一筋の
光明
がさしこんできた。

 日本には、これだけは絶対にさせてはならないという死守目標がある。それは核兵器を温存
した
まま、南北統一朝鮮という、最悪の反日国家を誕生させてはならないということ。現在の韓国
のN
大統領が就任した直後、側近の1人が、こんな言葉を漏らしている。

 「K国の核兵器は、南北統一後の朝鮮にとっては、かえって有利になる」と。この発言は、あ
わて
て取り消されたが、記録には残っている。しかしそれは、韓国の偽らざる本音と考えてよい。

 しかし、だ。日本は、それを絶対に、容認してはいけない。K国の核放棄には、当然、既存の

兵器も含まれる。また含まれなければならない。既存の核兵器をさておいて、何が、6か国協
議か
ということになる。

 ……私の意見を過激と思う人もいるかもしれない。しかしこれから先、この日本は、K国の核

器におびえながら、単独でそのK国と対峙していかねばならない。すでに数年前、K国は、中国

介して、40兆円という、とんでもない金額の戦後賠償金を打診してきている。(40兆円だぞ!)

かもその金額ですむという保証は、どこにもない。

 日本がこの先、平和と安全を確保したいと願うなら、K国を自己崩壊させるしかない。そのあ
と、
K国に韓国が入ろうが、中国が入ろうが、それは日本の知ったことではない。日本は、何をさて

いても、日本の平和と安全を確保するためにも、K国の核開発関連施設だけではなく、既存の

兵器も、廃棄させなければならない。

 これは日本にとっては、絶対に譲ることのできない、死守目標である。

 が、つい先週まで、6か国協議の流れは、日本の思惑からはどんどんと離れるばかり。気が
つい
てみたら、日本だけが、カヤの外。つまはじき。盟友と思われていたアメリカにさえ、見放され
てし
まった。どうやら既存の核兵器については、うやむやのまますまされる公算が大きくなった。そ

ばかりか、何とも情けないことに、日本政府は、拉致問題について、「調査させてください」と、K

に頭をさげる始末。しかも援助という、(みやげ)までつけて!

 が、ここにきて、シリアのK国型原子炉問題。日本政府としては、「ほら、見ろ!」と言いたい
ので
はないか。とくにこの言葉は、ヒル氏、韓国のN大統領に、ぶつけたい。「あなたたちは、この
問題
に、どう責任を取るつもりなのか」と。

 繰りかえす。

 「戦争はいやだ」と逃げ回るのは、決して平和主義でも何でもない。「相手が攻めてきても、私

戦いません。殺されても構いません」というのも、平和主義でも何でもない。そういうのは、「卑
怯」
という。「いざとなれば、平和を守るために武器をもって戦う」というのが、平和主義である。もし

れもダメだというのなら、あなたの妻や子どもが目の前で殺されても、文句は言わないこと。

 日本は現在、戦後、最大に危機を迎えつつある。この先、どうなるかということについては、
私に
も、よくわからない。恐らく今ごろは、ブッシュ大統領をはさんで、ライス=ヒル氏(K国容認派)
と、
チェイニー副大統領(K国否定派)が、激論を交わしているにちがいない。その結果は、ここ数

中にわかるはず。その結果しだいで、日本の命運は決まる。

 注目、注目、ただひたすら注目!
(2007年10月14日記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●効果的な学習法

++++++++++++

子どもに何かを学習させるとき、
そこにはいくつかのコツがある。

その中でもとくに重要なのが、
(1)動機づけと、(2)強化の
原理である。

ほかにもいろいろある。

(1)接近の原理
(2)効果の原理
(3)練習の原理
(4)集中・分散の原理
(5)分習・全習の原理など。
(参考:「心理学の基礎」・春木豊・
有斐閣より)

++++++++++++

 入り口のところで、子どもに、何をどう興味をもたせるか。興味をもてば、そのあとの学習が、

ムーズに進む。そうでなければそうでない。その入り口での興味づけを、動機づけという。

 たとえばいきなりいくつかの形を見せ、「どの角が、いちばん小さいですか?」と聞いても、子
ども
たちは、まったくといってよいほど、反応を示さない。

 そこでいろいろな角(=形)を見せ、「刺したとき、いちばん痛いのはどのれかな?」などと問
いか
けてみる。とたん、子どもたちは、「Aの角が痛い」「Bの角の方が痛い」などと言い出す。その
反応
を見ながら、つぎの学習へとつなげていく。

 つぎに重要なのが、強化の原理。「できた」「ほめられた」「楽しい」という思いが重なると、子
ども
は前向きに、自分で伸びていく。

 基本的には、この2つを大切にする。が、ほかにもいろいろある。

(1)接近の原理
(2)効果の原理
(3)練習の原理
(4)集中・分散の原理
(5)分習・全習の原理など。

(1)接近の原理

子どもが何かよいことをしたら、あるいはそれができたら、すかさず、それを評価し、ほめ
る。その間隔は狭ければ狭いほどよい。間が延びると、あるいは間をおくと、その効果は、
半減する。


(2)効果の原理

子どもが何かをしたら、それを何かの成果(=効果)に結びつけていく。「できた」→「効果
があった」という思いが重なると、それが条件づけになり、さらに子どもを伸ばす。

(3)練習の原理

ものごとは練習によって上達する。それは常識だが、単なる反応作業では、子どもも疲れ
る。春木氏は「(練習したあと)、それが正しかったかどうか、満足をもたらすものであった
かどうかを確かめることが本質」(P112)と説明している。

(4)集中・分散の原理

集中的にしたほうが効果的なのか、それとも、休み休みしたほうが効果的なのかについて
は、「分散したほうが効果的」とある。「回転盤作業で、1日15回、10日間練習したのだ
が、
50秒の作業の間に5〜10秒の休みしか入れなかった場合(=集中型)と、65〜70秒(の
休みを)入れた場合(=分散型)とでは、はっきりと差が表れている」(P113)と。


(5)分習・全習の原理

子どもに何かを学習させるとき、内容をいくつかに分けて学習させるばあい(=分習)と、
全体を1つの学習として学習させるばあい(=全習)については、「どちらのほうが有利と
は言えず、条件によって左右される傾向がある」(同)と。

 私はほかに、こんな経験をしている。

 学習の前に、5〜10分程度、子どもたちに遊ばせたばあいと、いきなり学習に入ったばあい
を比
較してみる。遊ばせたほうが、そのあと、はるかに集中的に子どもたちが学習してくれる。

 遊ばせると、時間的には、5〜10分のロスにはなるが、そのあと子どもたちは集中的に学習
に取
りくんでくれる。全体としてみると、学習量は、明らかに違う。たとえば、遊びを入れないばあい
は、
プリント学習で、5枚とすると、遊びを入れたばあいには、それが7〜10枚といったふうにな
る。とく
に、勉強嫌いの子どもには、この方法は、効果的である。

 そこで私の実験教室では、学習の前に遊びを入れ、それを毎週、あるいは2〜3週ごとに、
内容
を入れ替えるようにしている。たまたまこの原稿を書いている今週は、広いテーブルの上で、ド
ミノ
倒しをしている。

 これは遊ぶことにより、子どもの中に、(ものごとに前向きに取り組む)という姿勢が生まれる
ため
と考えてよい。「楽しい」という思いは、そのまま「楽しみ」につながる。また遊びといっても、紙

作、
チェス、ゲームなど、できるだけ学習的に意味のある遊びにするよう心がけている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 効果
的な
学習法 接近の原理 効果の原理 連取の原理 集中 分散の原理 分習 全習の原理)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分を知る

++++++++++++

ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。

しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。

よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。

精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。

同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。

「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。

さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。

精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。

つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。

……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

+++++++++++++

 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれば、そ

が流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。

 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとする。そうい

女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味はない。その女性は

の女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。

 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。

 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」と。

 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその命令
は、
種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)という異性をを
意識
しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識はない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということになる。「私
は正
常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうではない。あらわになった

や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、その意識はなくても、男性は、そう

る。

 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。

 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちがいであ
る。
動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)ということになる。
ファ
ッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができるよう
にな
ったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく変わるかもしれな
い。
それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。

 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいている。実際

は楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとうに楽しい。毎日、

か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。哲学の世界
でい
う、「私自身を、知る」という世界ということになる。

 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という読者
を意
識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどんでいるのかもし

ない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子のユングは、「生的エネルギ
ー」
という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって支配され

いるということになる。

 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つまりは、メ

認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)

 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。

 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置かれ

と、
子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出ることが知られて

る。

 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つっぱ

も、
その一部として理解されている。

 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう行動を
繰り
かえす。

 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした心理学
者で
もむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかってはじめて、「無
知の
知」という言葉を導いた。

 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。

 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で華々

い成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手に取るよう
に、
よくわかるようになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 メタ認
知 
認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。ワイフは、たいへん興味深そうに、

の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することをいう。

が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ〜ん」と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコントロー
ルす
るのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからである。
その
(生)を確認するために、文を書いている。それはまさしく、(生との闘い)と言ってもよい。そうい

プロセスを知ることが、メタ認知ということになる。それを話しているとき、若い男が運転する、
ラン
ドクルーザーとすれちがった。横には、若い女性が、乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。しかし実際には、自
分の
力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。ランクルに乗っているだけで、大

になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく説明し

も、
あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)のほう
に、
強く操られていたかもしれない。常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、600〜800万円

するような高級車に乗れることのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのまま私た
ち自
身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。行動の内容や、考えの内容
は、
どうでもよい。問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。それがメタ認知ということに

る。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で自分の

気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言ってがんば
る。
つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。すると、
精神
的に不安定になる。人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりするようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、どうだろ

か。
「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。それが自分でわかる。そうすれば、
自分
の感情を、その時点でコントロールすることができるようになる。

 で、そのときも、そうだった。私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しようか」と声
をか
けた。ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム

+++++++++++++

昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。

「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。

そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。

朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。

それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

+++++++++++++

 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるということ

わかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食べたい」という
作用
が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起きてくる。順に考えてみよう。

 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、そ

センサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。

 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。

 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそう

が)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部の生理的環
境を
一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。

 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的バラン
スを
一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につながる。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部のセ

サーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。

 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のままのは
ず。
あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。その可能性は、

る。
あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。

 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によって、
決ま
るという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、摂食行動が

発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊氏「心理学の基
礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起き
なく
なり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し始めるという
(同)。

 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反した

能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう一度、まとめる
と、
こうなる。

(1)視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2)視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一部を

壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じことが起きると考

るのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一方、
過食
症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き方で、ごめ
ん!)

 で、私のばあいは、どうか?

 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べたこ
と。つ
まり短時間で食べた。

 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=時間

なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌されたらしい。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづけた。
その
ため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセンサーが感知

た。
そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。

 私は猛烈な空腹感に襲われた。

 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、それ
ほど
つらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせることができる。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。結果と

て、朝起きたとき、空腹感は消えていた。

 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」という。人
間が
もつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=メタ認知)ができたか
らと
いって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、「メタ認知ができるようになれば、さ

に自分がよくわかる。自分で自分をコントロールできるようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 空腹
のメ
カニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹内側核)

(付記)

ホメオスタシス……「平衡状態」「定常状態」の意。生物が環境のさまざまな変化に対応し、生

体内の形態的、生理的状態を安定な範囲に保ち、生存を維持する性質。アメリカの生理学者
のキ
ャノンが提唱(国語大辞典)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(10月8日)

++++++++++++

たった今、ものすごい雨が
降った。大屋根の雨樋(どい)から
雨があふれ出るほどだった。

それを見てワイフが、「樋が
詰まっているのね。今度晴れたら、
ゴミを取り除くわ」と。

私は階下から棒をもってきて、
それを下からつついてみた。

そのつど、ザザー、ザザーと、
雨がこぼれた。

++++++++++++

●HDのコピー

 昨日、再々度、HD(ハードディスク)のコピーを試みた。使ったソフトは、「コピーコマンダー
9」。
ビスタ対応版となっていたが、実際には、うまくできなかった。

 悪戦苦闘すること、3時間。途中で、メーカーのHPをのぞくと、UPDATE情報があることを知

た。それをダウンロードして、さらに挑戦してみた。が、やっぱり、だめだった。

 ワイフが途中でお茶をもってきて、「(5000円が)無駄になったわね」と言った。

 コピーコマンダーのUPDATE版は、4850円だった。ワイフはそれを言った。

私「ちがうよ。5000円で、3時間も楽しめれば、じゅうぶん」
ワ「でも、HDのコピーは、できなかったのでしょ?」
私「でも、楽しかった。それでじゅうぶん」と。

 パソコン相手に何か作業をしていると、何とも言えない緊張感を覚える。その緊張感が楽し
い。
もちろん、備えはじゅうぶん。重要なファイルは、別の外付けHDや、DVDに保存してある。さら

インターディスク(インターネット上の仮想HD)にも、保存してある。万が一、パソコンがクラッシ

しても、被害はない。

 その上で、パソコンをいじる。それが楽しい。「5000円で、3時間も楽しめれば、安い」という

は、
そういう意味。が、もちろんあきらめたわけではない。これからメーカーにメールを送信するつ

り。

+++++++++++++

(株)Lボード、E−mailサポート御中
 
前略、失礼します。

2年ほど前に、貴社のコピーコマンダー8を購入しました。製品番号は(PC801xxxxxx)です。
当時、XP搭載のパソコンのHD交換時に、使用させていただきました。

で、今回、VISTA搭載パソコンに乗り換え、予備のため、「ハードディスク・コピー」を試みまし

が、初期設定のところで、作業が中断してしまいました。

そこで……。

(1)コピーコマンダー8のUPDATE版の、コピーコマンダー9を、昨日(10月7日)に購入して
きま
した。製品番号は、(PC912xxxxxxxx)です。ユーザー登録は、コピーコマンダー8をイン
ストールするとき、すんでいるはずです。

で、作業を開始しました。が、何度しても、「パーティション試用中のため、操作を完了できま
せん」(コピーコマンダー9・小冊子P42)と表示されてしまいます。

(2)そこで指示に従って、(再起動して実行する)をクリックすると、再起動をして、ブルースクリ

ンモードになり、途中までは、作業が進みます。が、そこでまたストップ。実際には「スクリプト
実行」までは終わりますが、その先の、サブ操作の進行までは進みません。

(3)貴社のHPをのぞいてみると、コピーコマンダー・VISTA対応のUPDATE情報があること

知り、指示どおりに、一度、コピーコマンダー9を削除したあと、UPDATE情報を、ダウ
ンロードして、インストールしなおしてみました。現在は、そのダウンロード版が、パソコン上に
載っています。

(4)が、結果は、同じ。スクリプト実行が終わると、「OSが、使用中のため、……修正してくださ
い」
というような表示が出て、そこで作業がSTOPしてしまいます。


 そこで質問は、

(1)作業中断の原因は、どこにあるかということ。
(2)この問題を解決するためには、どうすればよいかということ。
(3)「OSが、使用中のため……修正してください」というのは、どういう意味かということ。
(4)どこをどのように修正すればよいかということ。

 目的は、ハードディスク(C)のコピー版を、万が一のために、残すことです。現在のハードディ

クがクラッシュしたら、それと取り替えるためです。

以上です。どうか、よろしくお教えください。

 
Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●カクテルパーティ効果

+++++++++++++

人間の耳というのは、騒音の
中でも、自分にとって必要な
音だけを選り分け、それを聞く
ことができるという。

たとえばカクテルパーティの
ような騒々しい席でも、その
ほかの人たちの声を無視して、
相手と会話をつづけることが
できる。

これを、「カクテルパーティ効果」
という。

しかし……。

+++++++++++++

 私の左耳は、まったくといってよいほど、聴力を失っている。30代のある日、突発性何とかと
いう
病気になった。焼けるような痛みを、1〜2日間覚えたあと、聴力を失った。たぶん、耳と脳を
つな
ぐ神経が、それで焼き切れてしまったのだろう。

 以来、右耳とは、じょうずにつきあっている。が、いろいろと問題がある。

 子どもの声が聞こえたとする。しかし私のような人間には、その方向がわからない。どちらか
らそ
の声が聞こえてくるのか、それがわからない。そういうときは、口が動いている子どものほうを

る。
そしてその子どもが、話をしているのを知る。

 が、さらに深刻な問題がある。

 音は一方向からしか聞こえてこない。だから、耳の中で、音を区別することができない。たと
えば
何かの講演会場で、子どもたちが騒いだとする。すると、ふつうの人なら、子どもたちの騒いで

る音は脳の中に入る前に、シャットアウトすることができる。これを「カクテルパーティ効果」とい
う。
が、私には、それができない。講演者の声も、騒音も、同じように耳の中に入ってくる。

 だから私の教室でも、参観の親たちが何かを話していると、それが気になってしかたない。子

もの声と親の声が混ざったまま、私の耳の中に入ってくる。だから教室では、親たちの私語は

対、
禁止。……というふうにしている。

 で、クテルパーティ効果は、しかし、何も、耳だけの話ではない。視覚にもある。さらに、思考
の世
界にもある。

 人間は、自分にとって心地よい響きのあるものだけを、無意識のうちにも選択しながら、見た
り聞
いたりしている。考えたりしている。

 たとえば今、私は、K国問題、朝鮮半島問題について、あまり考えたくない。この問題は、私
が少
しくらいものを書いてどうかなるというレベルを、すでに超えてしまっている。少し前、「打つ手な
し」
と書いたが、そのとおり。考えれば考えるほど、敗北感のみが、心をふさぐ。

 ますます強硬になるアメリカ。今朝の新聞でも、「米軍基地に、もっと金を出せ」という内容の

事が載っていた。本来なら、その数字をあげ、その正当性をここで考えなければならない。しか
し、
今は、その気力も、消えかかっている。

 アメリカは、この先、さらに無理難題を、日本にふっかけてくるだろう。大臣や庁官たちの失
言に
つづく、失言。アメリカは「日本に裏切られた」と騒いでいる。が、日本人には、その意識はな
い。ア
メリカがなぜそう言うのか、それさえ理解できない。意識のちがいというのは、恐ろしい。

 日米関係は、2007年の春を境にして、大きく変わった。あとはなるようにしか、ならない。

 つまり今の私は、無意識のうちにも、考えるテーマを選んでいる。これもカクテルパーティ効
果の
一つといえば、その一つということになる。(あるいは「逆カクテルパーティ効果」?)


●人工衛星『かぐや』

 ところで楽しい話。

 今、日本が打ち上げた月探査機が、月への軌道に乗り、月に向かっている。アポロ以来、最
大の
月探査プロジェクトだという。

 しかしこの計画は、ぜったいに、失敗する(?)。なぜなら、月の住人たちが、それを許さない
から
……。ハハハ。

 ……という話を、昨夜、ワイフとした。

私「あのね、月に住む宇宙人たちが、今度の計画を妨害すると思うよ」
ワ「そうね。自分たちの世界が知られると、困るからね」
私「そうさ。あるいはアメリカあたりから、妨害が入るかもしれない」
ワ「それも考えられるわね」と。

 あの月は、ただの月ではない。何かが住んでいる。人間とは別の、知的生命体(ET)が住ん
でい
る。それを宇宙人というのなら、宇宙人と呼んでもよい。

 私は、そう思っている。

 もし今回の探査計画が、すんなりとうまく行けば、その宇宙人はいないということになる。しか
し、
そんなはずはない。衛星『かぐや』から送られてくる映像を見ながら、地上の科学者は、一秒ご

に、度肝を抜かれるにちがいない。

 楽しみだ。

 日本は何もアメリカに遠慮する必要はない。月での(事実=写真)は、どんどんと公表してほ

い。

さあ、宇宙人でも何でも、ござれ!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ギャグ文化

++++++++++++++

今の若い人たちは、ほんとうに
バカになってしまった。(ごめん!)

知識はある。知恵もある。しかし
自分で考える力をもっていない。
その習慣もない。

バカならバカでいい。しかしものごと
を、まじめに考えようとすらしない。

脳みその表層部に飛来する信号が
命ずるまま、行動する。ものを
しゃべる。政治の話をしようとしても、
そのまま、はねのけてしまう。

「ダサイ!」と。

まさに今は、ギャグ文化、全盛期。

++++++++++++++

 少し前、……といっても、もう5、6年前になるが、携帯電話の占いコーナーへのアクセス数
が、1
日、100万件を超えた。それが話題になった。が、そのときは、(占い)といっても、まだ日陰的

存在だった。が、現在は、それが日向(ひなた)に出てきた。公認された。ある時期は、毎晩の
よう
に、それらしいオバチャンが、テレビに出てきた。(今も、出てきているが……。)

 「あんたの背中には、ヘビがついている。毎朝、3回、シャワーを浴びなさい」「あなたは、3年

内に結婚しなさい。それを過ぎると、天運が切れて、地獄に堕ちる」とか、など。ウソ、インチ
キ、デ
タラメ。私はそれを聞いて、「よくもまあ、こういうアホなことが言えるものだ」と、むしろ、そちら
のほ
うに感心(?)した。

 で、一方、言われた方の若い人たちは、中には涙までこぼして、「わかりました」「そうします」
と。
演技ではない。ほんとうに体を震わせ、涙をこぼす。つまりそんな程度のウソ、インチキ、デタ
ラメ
すら、見抜く力をもっていない。肉体はおとなでも、中身は、幼児以下。(幼児でも、そんな話は

じないぞ!)

 日本人は、ほんとうにものを考えなくなった。考える力を失ってしまった。考えるという習慣も

い。が、それは、日本の将来を考えるなら、たいへん危険なことでもある。実はその兆候が、す

に見え始めている。「ギャグ」という兆候である。

 今や、ギャグ文化、全盛期! 

 ある小学校の校長が、こう話してくれた。

 「昔、どこかの番組で、こんな歌が歌われましたね。『♪からす、なぜ鳴くの? からすの勝手
でし
ょ……』と。あれも一種のギャグですが、今では、あの歌を、まじめに歌う子どもはいません。あ

歌そのものが、死んでしまいました。が、それだけではありません。この『からすの勝手でしょ』
とい
う部分だけが、ひとり歩きを始めています。

 私どもが『子どもの茶髪は、やめてください』と注意を促すと、親の方が、『そんなのは、私た
ちの
勝手でしょ。だれにも迷惑をかけるわけではないから』と。そう言いかえされます」(静岡県K町

K小学校校長談)と。

 その校長は、「学校が、最後の砦(とりで)になりつつあります」と、何度も繰りかえした。つま

「ギャグ文化を食い止める、最後の砦」と。

 が、もうこの流れを止めることは、だれにもできない。大きなうねりとなって、日本中を洪水の
よう
に襲いつつある。とても残念なことだが、私や、この文を呼んだあなたくらいが、それに抵抗し

も、
川の中に打ち込んだ杭(くい)程度の効果しかない。

 それがわからなければ、子どもたちに作文を書かせてみればよい。「地球温暖化が進んでい

す。あなたはどう思いますか」というテーマでよい。

 半分近くの子どもたち(小4〜6)は、それなりにまともな意見を書く。しかし残りの半分近くの
子ど
もたちは、「冬でも泳げるからいい」とか、「アメリカが何とかしてくれる」とか、「ぼくは宇宙へ逃
げる
からいい」などとか、書く。以前には、考えられなかった現象である。

 たった今も、森有正(1911〜76)という人が書いた、「いかに生きるか」(講談社現代新書)
を読
んだ。その中で、森有正は、「日本は民主主義国家になったとは言っているが、その底流を流
れる
日本人の体質は、変わっていない」というようなことを書いている。

 同感である。そして私がいちばん恐れている部分は、ここである。

 日本中がギャグ化するなら、するで、それはもうしかたない。しかたないというか、構わない。
が、
そのあとこの日本は、どうなる? それを考えると、空恐ろしさすら覚える。たぶんというより、
まち
がいなく、現在の官僚たちが政治の実験を握ることになる。この日本で、政治的に(?)組織化

れた集団は、官僚組織をおいてほかにない。

 すでに天皇を、再び(元首)にしょうという動きすらある。(元首、だぞ!)もしそうなれば、日本
は、
王政復古から、一気に、ファシズムの道を歩むことになる。

 もちろん日本が、そうなってよいというのではない。そうなってはいけない。だから私は、こうし

ものを書きつづける。犬の遠吠えかもしれないが、しかし書かざるをえない。

 で、こうした流れを止める唯一の方法は、一部の人たちだけではなく、私のように名もない、
力も
ない、一般の庶民たちがみな、考えることである。考えて、賢くなることである。おかしいもの
は、
「おかしい」と声をあげていう。たったそれだけのことでも、みなですれば、この流れをくい止め
るこ
とができる。

 先の自民党総裁選挙のときには、A前外務大臣が行くところどこでも、「太郎ちゃん」「太郎ち

ん」の大合唱が聞こえたという。A前外務大臣のBLOGでかりたてられた、若者軍団である。こ

いう現象を、ギャグと言わずして、何という? そのA前外務大臣は、総裁選挙に敗れるやいな
や、
こう言った。「読みかけのコミック本が山になっているから、これから家に帰って読む」と。こうい
う現
象を、ギャグと言わずして、何という?

 もし日本人が、今の民主主義を、血と涙と汗で勝ち取ったものであるとするなら、民主主義に

いて、そういう使い方はしない。もう少し、畏敬(いけい)の念をもって、接するはず。大切にする

ず。しかし悲しいかな、日本にはその歴史はない。だから民主主義を、ギャグにしても、だれも

問に思わない。おかしいとも思わない。

 しかしなぜ、日本人は、こうまで考えなくなってしまったのか? もう8年前になるが、こんな原
稿
を書いたことがある(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++

●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それだけで
軽蔑の対象になる。非難されることも多い。

だから「あなたは無関心な人だ」と言われたりすると、その人はそれをたい
へん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)ということ

なっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さない。関心もない。

覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セイジ
……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分がどのようにダ

イのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よく理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、そ

結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

●文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、3通の文部省通達である(たった3通!)。文部省が1960

に出した「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初等中

局長通達」(12月24日)※。

 この3通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活動
から、
政治色は一掃された。

さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、禁止された。当時は、安保闘争のま

最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があったが、それから45年。日本の
学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その結果が、「ダサ〜イ」というこ

になる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に入る
と、
どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、それである。構
造改
革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう20年以上になるが、結局は、ほとんど何も改革されて
いな
い。

このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日本は、現在、に

ちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態
である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった3通の、次官、局長クラスの通達で、日本の教

の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、どうか理解してほし
い。
日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままに、あやつられている。

(付記)

 どうしてこうまで、子どもたちは、政治に関心をもたなくなってしまったのか? 数日前も、中
学生
たちに、「K国が、日本にミサイルを打ちこんでくるかもしれないよ」と話すと、こう言った。

 「どうして?」
 「アメリカがいるから、だいじょうぶだよ」と。

 議論そのものが、かみあわないというより、議論そのものが、できない。まったく、話にならな
い。

 こうした愚民化政策というのは、為政者にとってはつごうがよいかもしれないが、日本の将来

考えるときには、マイナスにこそなれ、プラスになることは何もない。

 子どもたちでさえ、目先の利益や話題ばかりを、追いかけている。しかも、ここが重要な点だ
が、
親も、ときどき、「子どもに政治の話はやめてほしい」と、クギを刺してくる。

 私は共産主義者でも社会主義者でもない。民主主義者である。まちがいなく、民主主義者で

る。それに、子どもたちを指導して、政治活動をしようなどという意図は、もとからない。

 だから私も、政治の話はしない。子どもたちのほうから質問があったときは、「おうちの人に
聞い
てごらん」と言って逃げる。

つまりそういう日本全体の風潮が、政治的に無関心な子どもたちを作ったといえる。フランスの
高校生のデモのニュースを聞いたとき、内容はともかくも、その行動力のちがいに、私は、大き
なショックを受けた。
(注※) 「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、それに「初等中
等局
長通達」)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●死後のこと

+++++++++++++++

今朝(10月10日)、朝食のとき、
法事のことが話題になった。
それについて、私はこう言った。

「ぼくも、20年後か、30年後でいい、
息子たちが、ぼくの書いたものを
読んでくれたら、うれしい」と。

自分が死んだあと、あとかたもなく
消えてしまうというのは、想像する
だけでも、ゾッとする。さみしい。

何か、残したい。この世に生きたという
証(あかし)を、何か、残したい。

そう願うのは私だけではないと思う。
それが、(法事)という行事につながって
いった。

「私が死んだあとも、私のことを
思い出してほしい」と。それが転じて、
生きている人たちが、法事をするように
なった。

中に、「供養をすれば、ご先祖様が、
喜ばれますよ」と言う人が、いる。

しかしこれはまったくの、ウソ。

死んで、この世にいない人、つまり
主体のない人が、喜んだり、悲しんだり
はしない。

「喜ぶ」というのは、あくまでもその
人自身の空想でしかない。空想的願望と
言ってもよい。

自分がそうしてほしいから、今、
自分でそうしているだけ。つまりは
自己満足のため。

ただ、だからといって、法事が無意味だとか
そういうことを言っているのではない。

愛する人が死んだら、その死を悲しを
癒すため、その人との思い出に浸(ひた)り
たいと思うこともあるだろう。

しかし何も、法事にかこつけることはない。

ある男性(当時60歳くらい)は、妻が
死んだあと、新婚旅行で行った地を、
ひとりで回ったという。しかも数か月も
かけて!

死者を悼む方法は、何もひとつではない。
それに型があるわけではない。

中に、「供養をしなければ、成仏できない」と
説く人もいる。

が、これもおかしい。

もしそんなバカげた制度が、あの世に
あるなら、私は、死んだら、まっさきに
それに抗議する。釈迦の前で、座り込みでも、
断食でも、何でもやってやる!

私たちがなぜ法事をするかといえば、
一義的には死者を悼むということに
なるが、「死」をていねいに弔(とむら)う
ことによって、生きている私たちの「生」
を大切にするためである。再確認するため
と言ってもよい。

たとえばペットの小鳥が死んだとする。
そのとき、その小鳥を、紙か何かに
包んで、ゴミ箱に捨てたとする。

そういう姿を、あなたの子どもが見たら、
あなたの子どもは、どう思うだろうか。
ひょっとしたら、「命」というのは、
そういうものだと思ってしまうかもしれない。

ついで「生きる」ということは、そういう
ものだと思ってしまうかもしれない。しかし
それこそ、悲しむべきことである。

言いかえると、「死」をていねいに
弔うということは、とりもなおさず、「生」
を大切にすることを意味する。

が、だからといって、法事を、そのまま
肯定するわけにはいかない。

先にも書いたように、その人の死の
弔い方には、定型はない。あくまでも、
その人個人の問題ということ。

また日本で法事というと、どうしてもそこに
「家」意識がからんでくる。死者を悼む
といっても、それは口実。わかりやすく
言えば、ただの儀式。

だから私はワイフにこう言った。

「いつかぼくが死んだあと、だれかが
ぼくの書いた文章を読んでくれれば、
うれしい。……だれも読んでくれない
かもしれない。だからといって、ぼくは、
だれも、うらまない」と。

こと私の息子たちについて言えば、
私が死んだあと、法事など、ぜったいに
しないだろう。そういう行事とは、まったく
無縁の世界で、育ててきた。

私もしてほしいとは、思わない。が、
だからといって、「生」を粗末にしている
わけではない。

生きるということは、「今」を生きること。
「今」を生きて生きて、生きまくること。
完全燃焼させること。あとに未練や後悔
を残さないこと。

私は私なりの方法で、「生」を大切に
している。息子たちにも、そう教えて
きた。

私の死を悼む人がいるかどうかは、
そんなことは、私の知ったことではない。
そんなことは、それこそ、あとの人たちの
勝手。あとの人たちに任せればよい。

私はそんな人物ではないし、これから
先も、そんな人物になれるとは思って
いない。

要するに、法事などというものは、
やりたい人がすればよい。
それが慣習的な(つきあい)であれば、
あまり深い意味など考えず、適当に
すればよい。

あれこれ逆らえば、角が立つ。まあ、
この世の中、すべてが完ぺきというわけ
ではない。どこもかしこも、不完全。不完全
だらけ。しかしその不完全さこそが、
これまたおもしろい。

……というような話を、ワイフとした。

一応、記録のために……。

++++++++++++++++


●謎の株価

++++++++++++++

日本の株価の低迷を尻目に、
韓国の株価は、この1か月、
猛烈な勢いで上昇している。

何かが、おかしい。へん。

外資は逃げる。ウォン高は
つづく。

日系の銀行は、韓国内で
貸し出しを渋り始めている。

にもかかわらず、株価だけが
どんどんと上昇している。

なぜか?

+++++++++++++

 現在、1ドルは、914ウォン。ここ数週間、ジリジリと値をあげている。少し前には、「950ウォ
ンが
防衛ライン」と言われていた。それをあっさりと割り込んで、今や914ウォン(10月8日)。韓国
の輸
出企業に与える影響は、はかり知れない。

 一方、日系の銀行は、韓国内での貸し出しを渋り始めている。東亜N報は、こんな記事を紹
介し
ている。

 「……A銀行東京支店長のBさんは最近、生きた心地がしないという。10月末に満期が来る

貨借り入れ、1億4000万ドル(約1300億ウォン=約161億3000万円)の返済資金を、新
たに借
り入れなくてはならず、頭を抱えているのだ。B支店長は、「日系銀行と接触しているが、"われ

れもどうなるか分からず、貸し出しを引き締めている"という返事があるだけ」と話した」と。

 が、株価だけは、目下、上昇中。先月、記録的な大暴落を経験したあと、日本の株価低迷を

目に、韓国の株価だけは、急上昇。つい先日は、2000ポイントを超えたと、国をあげて、大騒
ぎし
ていた。

 が、それには、こんなカラクリがあった。私の恣意(しい)を加えないためにも、そのまま紹介
する
(東亜N報・07・10月8日)。

 「……今年に入って、信用供与が急増したのは、株価が上昇し、融資を受けてでも株に投資
しよ
うとする個人が大幅に増えたためだ。 

とりわけ、株式投資を行う際、購入株式を担保に投資資金を借りる信用融資の金額は、9月

現在、4兆3000億ウォンと、03年3月末の7倍レベルに増加した。 

株式を担保に資金を借りる預託証券担保貸出しも、04年末、初めて1兆ウォンを超えた後、

加の一途をたどり、今年9月末には4兆8000億ウォンへに増えている。 

証券市場の専門家たちは、信用融資を受ける人の相当数が、短期差益をねらって、実績が検
証されていない企業の株式を購入しているため、株価が下落すれば、融資金返済のための投
げ売り現象も起こりかねないと懸念している。 

陳議員は、「各証券会社のアグレッシブな営業で、株式の後払い取引が大幅に増えていること
を受け、株価下落の際は、大損の口座の発生で、投資家の被害が増大しかねない」とした上
で、
「当局の適切な対策が必要だ」と指摘した」。 

 わかるかな?

 韓国では個人投資家が急増し、その投資家たちが、借金に借金を重ねて、そのお金を、株
の投
資に回しているというのだ。

 この日本では、「未払い取り引き」や、「あと払い取り引き」は、禁止されている。が、韓国で
は、そ
れが堂々となされている。

そのため、「信用供与金額は、△04年末=1兆3440億ウォン、△05年末=4兆10億ウォ
ン、
△06年末=4兆8388億ウォン、△07年6月末=12兆2434億ウォンなど、毎年、増加して

たが、最近、金監院の信用融資規制のため、やや減少した」(同)とある。

 つまり「未払い取り引き」や、「あと払い取り引き」は、規制したが、株証券を担保にした(信用
融資)は、そのままつづいている、と。形こそ、ややちがうが、「未払い取り引き」や、「あと払い

り引き」と、どこもちがわない。

 もう少し詳しく説明しよう。

 あなたが証券会社で株を買うときは、(ネット取り引きでもよいが)、現金が必要である。個人

ら、
なおさらである。

 「未払い取り引き」とか、「あと払い取り引き」というのは、その現金なしで、株を購入すること
をい
う。つまり先に証券会社で借金をし、その借金で株を買う。

 株価があがれば、そのままもうけになるが、さがれば、投資家というより、その被害は、証券
会社
がかぶることになる。

 そこで韓国政府は、それを規制した。が、抜け道はある。

 一般(個人)投資家たちは、買った株証券を担保に、金を借りる。その金で、また株を買う。
まさ
にレバレッジである。

 韓国の株価が上昇しつづける理由が、これでわかった。気になるのは、「実績が検証されて
いな
い企業の株式を購入しているため……」(同)という部分。つまり、狂っている! 信用供与額
にし
ても、04年の1兆3000ウォンから、07年の6月末の、12兆2000億ウォン(=年間に換算
する
と、
24兆4000億ウォン)と、何と、20倍近くにまで、ふくれあがっている。

 20倍だぞ! これを「狂乱」と言わずして、何という。

 私がここに書いたことがまちがっていると思う人は、もう一度、東亜N報の記事を、じっくりと
呼ん
でみてほしい。あなたも背筋が、ゾッとするはず。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●眠られぬ夜

+++++++++++++

今日、夕方、1〜2時間ほど、
仮眠を取ったのが、まずかった。

いつもの時刻に床に入ったのだが、
どうしても眠られない。

しかたないので、起きあがって、
また書斎に。時刻は、午前1時!

手元にある本をながめたり、
雑誌に目を通したり……。

あくびはひっきりなしに出る……。

今日、ワイフとこんなバカ話をした。

私が、アメリカの男子トイレには、
マスターベーション用の、小型便器が
置いてあると話すと、ワイフは、
「そんな話は、聞いたことがない」と。

私は、真顔で、「知らなかったの?」と。

で、あれこれもっともらしいウソを並べて、
小型便器の話をしてやった。

「今じゃ、常識だよ」
「男って、そんなことしてるの?」
「そう……」
「知らなかった……」
「だって、常識だよ」と。

+++++++++++++

●男の性欲

 男の性欲というのは、やっかいなものだ。ムラムラと、突然やってくる。その直後から、頭の

は、
「女」でいっぱいになる。

 一度、そういう状態になると、知性も理性も、どこかへ吹っ飛んでしまう。考えることは、「女」
のこ
とばかり。年齢には関係ない。老いも若きも、ない。ただ歳をとると、回数がぐんと少なくなる。

やかになる。衝動性も少なくなる。若いときは、「突然」だが、歳をとると、じわじわとした感じ
で、や
ってくる。

 が、射精すると、その直後から、周囲の世界が一変する。食欲と似ているが、食欲より、変化

はげしい。スッキリする。とたん、「女」が頭の中から消える。

 だからムラムラとやってきたら、できるだけ早く、射精したほうがよい。セックスをするのがい
ちば
んよいが、それには相手が必要。で、相手がそばにいないときは、どうするか?

 それがマスターベーションということになる。私がワイフに話した、小型便器というのは、その

めのもの。そういものがあれば、男は、その場で性欲を解消することができる。

 「射精」とおおげさに構えるから、話がおかしくなる。射精も、排尿も、同じ。排便と同じ。快感
のあ
るなしを問題にする人もいるかもしれない。しかし排尿にも排便にも、それなりの快感をともな
う。

 トイレの中に、マスターベーション用の小型便器があっても、おかしくない。ワイフはこう言っ
た。

 「どうして、小型なの?」と。

私「小便のように、飛び散らないから」
ワ「横にいる人に、恥ずかしくないの?」
私「アメリカ人は、平気みたい。みんな並んで、シコシコとやっているよ」
ワ「ふ〜ん」
私「それに、その便器は、同じトイレの中でも、端のほう。みんなから見えない位置にある」
ワ「今までだれも、そんな話をしてくれなかった……」と。

 ワイフをだますのは、簡単。しかしこんなウソを真に受けるとは? 私のワイフも少し、ボケて
きた
のかもしれない。

……そろそろ眠い。では、今夜は、これで。みなさん、おやすみなさい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児教育とは】

●レディネス

+++++++++++

子どもに何かを学習させるとき、
そこに、「適切な時期」がある
ことがわかる。

その適切な時期のことを、
発達心理学の世界では、
「レディネス」という。

たとえば文字。

満4・5歳(4歳6か月)を境と
して、子どもは、急速に文字
への関心を深める。文字が書ける
ようになる。

それまでは文字になっていないような
文字、たとえばグニャグニャの
線を書いて、「字を書いた」などと
いう。

が、4・5歳を過ぎると、突然、
その線が、意味をもった文字へ
と変化する。

そのころ文字の読み書きを教える
と、子どもは、無理なく、文字を
学習する。

こうした時期を、レディネスと
いう。

「レディネス」は、「readiness」
とつづる。「準備、OK」という
意味である。

++++++++++++

●早期教育

 幼児教育というと、「早期教育」と誤解している人は多い。中には、「先取り教育」と誤解して
いる人さえいる。小学1年生で学ぶことを、幼児の段階で教えるのが、幼児教育である、と。

 しかし、これはとんでもない、誤解! まちがい! 

 たとえば文字学習を例にあげて考えてみよう。

 子どもが文字を読み書きできるようになるのは、満4・5歳(4歳6か月)である。それ以前は
というと、形の弁別すらむずかしい。たとえば三角形を、描き写させても、グニャグニャの形を
描いたりする。

 が、この時期に近づくにつれて、急速に形の弁別ができるようになる。三角形は、三角形ら
しくなる。四角形は、四角形らしくなる。そうした時期を、「フォスタリング(=準備期間)」という
なら、そのフォスタリングが熟成したときが、「レディネス」ということになる。

 言いかえると、この満4・5歳以前に、文字を教えようとしても、子どもはなかなか文字を覚え
ない。しかし満4・5歳前後に文字を教えると、それが子どもの頭の中に、スーッと子どもの頭
の中に入っていくのがわかる。スーッと、だ。

●「差」はない。

 たとえばこんなことがある。

 ある母親は、文字を学習させようと、満3歳くらいから、子どもに文字の読み書きを教えた。
で、1年ほどして、やっとひらがなを読み書きできるようになった。その母親は、「効果があっ
た」「成果があった」と、それを喜んだ。

 一方、子どもは、満4・5歳を過ぎると、急速に文字への関心を深め、自分でそれらしきもの
を書いて遊ぶようになる。自分で書いて、親の所へもってきて、「見て!」「見て!」と言ったり
する。

 それを見て、親は喜び、感心して見せる。子どもをほめたりする。「すごいわね!」と。

 やがてその子どもも、ひらがなを読み書きできるようになる。先の子どもよりは、やや時期は
遅れるが、満5歳ごろになると、その(差)は、まったくわからなくなる。

 むしろ無理に学習させられた先の子どものほうが、文字に対する嫌悪感を覚えるようになる
ことが多い。その危険性は高い。文字を見ただけで、そのうしろに、親のガミガミ、イライラした
姿を思い浮かべるようになるかもしれない。

●フォスタリング(準備期間)

 だからといって、満4・5歳以前に、何もしなくてよいというわけではない。文字の読み書きの
学習をせる前に、親としてしておかねばならないことは、山のようにある。

(1)文字への関心を深める。……たとえば親が子どもを抱いて、本を読んでやる、など。子ど
もが文字を見たとき、その向こうに(親のぬくもり)を感じさせるようにするのが、コツ。その
(ぬくもり)が、子どもを伸ばす原動力となる。

(2)形の弁別を教える……文字は複雑な図形である。いくつかの直線や円が組み合わさっ
てできている。たとえば「み」は、「フ」「○」「十」の組み合わせでできている。簡単な形の
弁別については、遊びを通して、学習させておく。

(3)運筆能力を高める……手の動きを見てほしい。横線を書くときは、手の動きは単純であ
る。一方縦線を書くときは、手は複雑な動きをするのがわかる。幼児にとって難しいの
は、
曲線である。(幼児の運筆能力を知るためには、円を描かせてみればわかる。運筆能あ
る子どもは、きれいな円を描く。そうでない子どもは、そうでない。)運筆能力の訓練とし
すぐれているのが、ぬり絵。ぬり絵に慣れてくると、こまかいところを、曲線、直線を織り交
ぜながら、きれいにぬることができるようになる。

 こうした積み重ねが、(基礎)となって、つぎの(レディネス)を迎える。

●強化の原理

 今さら言うまでもないが、子どもが文字らしきものを書いて、「見て!」「見て!」と言ってきた
ら、親は、それを心底、喜んでみせる。ほめる。その様子に励まされて、さらに子どもは文字
への関心を深める。

 これを「内発的動機づけ」と呼ぶ。(これに対して、賞罰などを与えて、子どもに動機づけを
することを、「外発的動機づけ」と呼ぶ。)言葉はともかくも、それが子ども自身を伸ばす、(強
化の原理)として働く。わかりやすく言えば、子どもの中に、前向きな姿勢が生まれる。

この段階で大切なことは、子どもに「文字を書く喜び」を教えること。形ではなく、中身を大
切にすること。

 文字を覚えたての子どもは、文字を下から上に向かって書いたりする。文そのものを、下か
ら上に書く子どももいる。逆さ文字、鏡文字は、この時期、当たり前。もちろん書き順は、めち
ゃめちゃ。 

さらに、たとえば年長児に、「昨日」と書かせると、「きのお」「きお」「きの」とか書く。「きのう」
と正しく(?)書ける子どもは、30%前後である(筆者経験)。が、だからといって、「きのお」
をまちがっていると指摘する必要はない。

 文字を読んで、それで意味が通ずればよしとする。こうしたおおらかさが、子どもの文字へ
の関心を、さらに加速させる。

●型にこだわる日本人

 が、こうした自然発生的な学習能力に対して、異論を唱える人も多い。「書き順は、最初から
しっかりと教えた方がいい」「まちがって覚えると、あとで直すのがたいへん」と。

 そういう話を聞くたびに、私は、「どうして日本人は、こうまで型にこだわるのか?」と思う。言
うまでもなく、文字の使命は、こちらの意思や考えを相手に伝えること。それに始まって、それ
に終わる。アメリカでも、オーストラリアでも、つづりのまちがいについては、実におおらかであ
る。文法にしても、そうである。書き順などといったものすら、ない。

 それをトメだの、ハネだの、ハライだの……。さらに画数だの、書き順だの……。復古主義者
の人たちは、こういうとき必ず、こう言う。「日本語の美しさを守るため」と。

 が、そんなことばかりしているから、子どもはやる気をなくす。文字に嫌悪感を覚えるように
なる。ついでに、作文嫌いになる。ものごとには、「ほどほど」というものがある。少なくとも、ト
メ、ハネ、ハライくらいは、もう廃止にしたらよい。毛筆時代は、とっくの昔に終わった!

 が、「それでも……?」という人がいたら、こう覚えておけばよい。

 「テーマはひとつ」と。文字の形や書き順や気になったら、それはそれとして、また別の機会
に教えればよい、と。子どもの機嫌がよさそうなときを見はからって、「この字は、こう書くとい
いよ」などと言って、教える。

●内発的動機づけ

 幼児教育とは何かと聞かれたら、答はひとつ。つまり、「方向性をつくること」。

 文字学習を例にあげるなら、「文字は楽しい」「おもしろい」「文字が書けると、本が読めるよ
うになる」「文字で、相手を動かすことができるようになる」という喜びを、子どもの中で、目覚
めさせること。

 子ども自身の内部で起きる動機づけという意味で、「内発的動機づけ」という。こうした無数
の動機づけを重ねることによって、やがて子どもは子ども自身がもつ力で、前向きに伸びてい
く。あとは、子ども自身に任せればよい。

 子どもが「見て!」「見て!」と言ってきたら、すかさず、それを喜び、「あら、じょうずに書ける
ようになったわね」とほめて見せる。喜んでみせる。

 私も、子どもたちが字を書いたら、その懸命さをほめるという意味をこめて、こう言うようにし
ている。「おや、じょうずだねえ」「この前より、またじょうずに書けるようになったね」と。たとえ
グニャグニャの文字であっても、そう言う。

 余談だが、中には、それを喜ばない親、とくに祖父母がいる。ときどき、今でも電話で、こう
言って抗議してくる。「先生は、どうしてああいういいかげんな丸をつけるのですか?」と。「林
(=私)の教え方は、おおざっぱ」という批評が、父母の間でも、定着している。

 文字学習というと、トメ、ハネ、ハライをきちんと教え、ついでに書き順を教えるものだと思っ
ている。

●才能

 子どもには、その段階ごとに、「適切な時期」というものがある。その時期の前に、あれこれ
無理をしても、あまり意味はない。一方、その時期を過ぎてしまうと、学習の機会を失うという
ことも、これまた、よくある。

 よく例に出されるのは、たとえばピアノやバイオリンのレッスンである。

 その時期がくれば、だれでも、ピアノやバイオリンを弾けるようになるわけではない。その時
期については、いろいろな説があるが、かなり早い時期から、少しずつ教えたほうがよいと主
張する人もいる。興味づけや、動機づけについては、0歳からでもよいと説く人もいる。

 しかしその時期を過ぎてしまうと、学習そのものが、不可能になる。不可能ではなくても、学
習するのに、たいへんな努力とエネルギーを必要とするようになる。ことピアノやバイオリンの
レスンということになると、小学校へ入学したあとからでは、遅い。

 さらに子ども自身の(才能)の問題もある。たとえばあのベートベンは、息子を作曲家にしよ
うと、かなりの努力する。しかし息子自身は、音楽に対してほとんど才能を示すことはなかっ
た。反対に、音楽に対して拒否反応すら示すようになってしまった。

 子ども自身がもつ方向性、(それについても遺伝的要素があると説く学者もいるが)、それを
見誤ると、「労多くして、効少なし」ということになりかねない。

●方向づけ

 幼児教育は、早期教育のことをいうのではない。先取り教育のことでもない。さらに言えば、
小学校へ入るための、準備教育でもない。

 幼児は、幼児期にしておかねばならないことが、山のようにある。(その多くは、親の側で、し
ておかねばならないことだが……。)それが幼児教育ということになる。

 愚かな人は、(親が教えるのは構わないが……)、かけ算の九九を、幼児に暗記させてい
る。
泣いていやがる子どもを正座させて、書道の練習をさせている。さらに小学校の入試問題を
解かせたりしている。

 今、年中児で、「文字を書いてみようね」と声をかけただけで、涙ぐむ子どもは、10人のう
ち、
2〜3人はいる。体がこわばってしまう子どもとなると、4〜5人はいる。家庭での、(あるいは
外部のおけいこ塾での)、無理な学習が、子どもをして、そういう症状を示させる。

 そういう子どもが、そのあとどうなるか? 今さら、ここに書くまでもない。

 つまり、その反対のことをするのが、幼児教育ということになる。わかりやすく言えば、子ども
自身の中に、(方向づけ)をつくる。それが幼児教育ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 幼児
教育論 レディネス 動機づけ 外発的動機づけ 内発的動機づけ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(10月6日)

++++++++++++

昨夜は、やや風邪気味?
しかし床についたのが、11時ごろ。

そのせいか、今朝は起きてからも、
あくびの連続。

淡い水色の空。厚ぼったい雲が
動きを止めて静かに、空に
浮かんでいる。

カーテンのすき間から見る今日の
天気は、晴。

++++++++++++

●論理

 論理とは何か? 簡単に言えば、証明された事実だけを組みあげて、ものごとに一定の結
論を与えることをいう。日本語大辞典(講談社)には、つぎのようにある。

 「(1)思考や議論の道筋。(2)法則的にものごとが、関連していること。(3)推論の運び方」
と。

 その論理は、思考力によって成り立つ。が、では、その思考力とは何かというと、これがま
た、
よくわからない。あるいは反対に、その人の思考力は、何によって決まるのか?

 たとえば……。

 今朝、こんな夢を見た。インドのどこかを、旅行している夢だった。枯れた大地が、広がって
いた。遠くに丘が見えて、岩山をくりぬいた寺院が、そこにあった。私たちは汽車か何かに乗
っていた。

 だれかが言った。「こんなところで、のんびりと暮らしてみたい」と。すると、べつのだれかが
言った。「こんなところに住んでも、しかたないよ」と。私はそんな会話を、ぼんやりと聞いてい
た。

 列車はやがて、長野県か群馬県へと入ってきた。今度は、緑の山々が、眼下に見えてき
た。
ところどころに、澄んだ水が流れる川が見えた。窓の少ない列車で、後部、半分ほどが倉庫の
ようになっていた。客は、私たちだけだった。つまり5〜6人の、ツアー客だけだった。

 先ほどまでいっしょにいた外人の客たちは、川で泳ぐため、みな列車をおりた。私たちは、そ
のまま旅をつづけた。列車は、飛行機のように高いところを走っていた。が、やがて、小さな
駅に着いた。

 時刻表を見ると、1時間に1本くらいしか、発着がない。1日を通しても、5、6本。見ると駅前
には、小さな店がいっぱい並んでいた。駅の名前は、「浜松」。私はそれを見て、「ああ、昔
は、
浜松駅も小さかったんだな」と思った。

 ……という、何とも意味のわからない夢だった。が、夢を見ているときというのは、(論理)が
機能しない。そのつど、その直前のことを忘れている。夢の内容そのものが、記憶されていか
ないため、そうなるらしい。いや、記憶(=記銘)はされているのだろうが、(現に、今、こうして
夢の内容を覚えているのだから……)、想起されないまま、つぎのシーンへと移る。

 だから矛盾を、矛盾と判断することもできない。インドから突然、長野県へ。そして突然、現
在から過去へ……。夢の途中で、「おかしいぞ、たった今、インドにいたはずだ」「列車に乗っ
ているはずなのに、どうして空を飛んでいるのか?」「いつの間にか、過去にタイプスリップし
てしまったぞ」などというようなことは、考えない。

 そこで思考力。私が今朝見た夢を例にあげると、思考力というのは、そのつど(今)から(過
去)(未来)へと、脳に飛来した信号を、照合する力ということになる。その時点で、矛盾を覚え
れば、修正、訂正する。つまりそれが思考力ということになる。

 夢の中では、その(照合する力)が機能しない。だから矛盾だらけの夢を見ながらも、それを
矛盾と感じない。つまり思考力、ゼロ。

 反対に、その照合する範囲の広い人を、思考力のある人ということになる。ここで「範囲」と
いう言葉を使ったが、照合する力は、その「範囲」で決まる。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。

 こんな話を、幼児(年長児)クラスでしてみる。

 「おばあさんが、杖をついて、歩いていました。右手には、カバンをもち、左手には、日傘をも
っていました」と。

 この話をしたとき、すかさず、「おかしい!」と叫ぶ子どもがいる。そうでない子どももいる。
「おかしい!」と叫ぶ子どもは、その話の最初から最後まで、つまり広い範囲で、私の話を聞
いていたことになる。

 一方、そうでない子どもは、私の話を聞きながらも、そのつど、その部分(=狭い範囲)でし
かものを聞いていない。だからこういう話を聞いても、矛盾を感じない。

 で、その範囲は、人それぞれ。範囲の広い人もいれば、そうでない人もいる。さらにいくら思
考力のある人でも、そこには限界がある。もちろん今の私にも、ある。こうして思考力について
書きながらも、今の私がわかるのは、ここまで。

 このあたりまでくると、その先が、薄いモヤに包まれているのがわかる。

 「思考力と論理を、同じに考えていいのか?」「では思考力というのは、記憶力によって決ま
るのか?」「どうすれば範囲を広げることができるのか?」「論理というテーマで書いているの
に、いつの間にか、思考力の話になってしまった。これでは、インドから長野県へ列車が飛ん
だ、夢の内容と同じではないか?」「論理と思考力は、どうちがうのか?」と。

 ただ、こういうことは言える。

 大切なのは、問題意識である。かりにここに書いたことがまちがっているとしても、気にする
ことはない。あとで訂正すればよい。大切なことは、「問いつづけること」(アインシュタイン)。
その姿勢だけは、大切に。

 それがその人の「範囲」を広くする。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●糸の切れた凧(たこ)

+++++++++++++

ただ勉強さえできれば、それで
いいと考えている親は、多い。

若い親たちは、ほとんどが、みな、
そうではないか。

しかし指針のない教育ほど、
恐ろしいものはない。それは
たとえて言うなら、糸の切れた
凧のようなもの。

風が吹くのに任せて、右往左往する
だけ。

やがて子どもは、ダメ人間に……。
親は親で、深い、絶望の谷底に
……。

+++++++++++++

 もう20年以上も前のこと。あるとき1人の母親が私のところへきて、こう相談した。「うちの息
子(5歳男児)が通っている英語教室の先生は、アイルランド人です。アイルランドなまりの、
へんな発音が身につくのではないかと、心配です」「だからどうしたらいいでしょうか」と。

 この話は、ほんとうにあった話である。あちこちの本や雑誌にも、紹介させてもらった。

 たしかにアイルランド人は、やや独特の英語を話す。「W」の発音を、「ウォ〜」と延ばしたり
する。オーストラリアやアメリカには、アイルランド系の移住者も多い。

 しかしネイティブは別として、日本人で、アイルランド英語を、ほかの英語と区別できる人
は、
いったい、どれだけいるだろうか? 私はその相談を受けたとき、「そんな問題ではないのだ
がなア」と思った。

 その子どもには、多動性に併せて、多弁性も見られた。きびしいしつけが日常化し、それが
原因と思われるチックと吃音(どもり)も見られた。幼児期はともかくも、小学校へ入学したあ
と、
伸び悩むことは、明白だった。が、その母親は、英語教室の先生の、なまりを気にしていた!

 ……というような例は、多い。子育てイコール、(子どもが勉強ができるようにすること)と考
えている。もっとはっきり言えば、進学競争のため。ほとんどの親は、「うちの子は、やればで
きるはず」「うちの子にかぎって、今より悪くなるはずはない」と信じている。つまり、前しか見
ない。上しか見ない。

 が、子どもの世界には、うしろもある。下もある。幼児期の、あの穏やかさ、すなおさが、いつ
までもつづくと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。やがてつぎつぎと問題が起こり、そ
れが怒濤のように親を襲う。

 それには、理由がある。

 親の欲望には、際限がない。少し子どもができるようになると、「もっと」「もっと」と言って、子
どもを追いまくる。が、子どもとて、1人の人間。やがてその限界にやってくる。よく家庭内暴力
が問題になるが、子どもが暴力をふるうのは、何も、家庭だけではない。学校という場で、教
師に向かって暴力をふるう子どもが、近年、急速にふえている。

 いつだったか、私は『子どもの心は風船玉』という格言を考えた。学校でしめつけられた子ど
もは、家庭で荒れる。反対に、家庭でしめつけられた子どもは、学校で荒れる。

 ふつうの荒れ方ではない。「テメエ、この野郎!」と言って、本気で足蹴りを入れてくる。本気
だ。しかも高校生や中学生ではない。まだあどけなさの残る、小学生。それも、小学3、4年
生。
たいていは、女児である。

 が、親というのは、悲しい。子どもがそういう状態になっても、気がつかない。気がつかない
フリをする。私がそれとなく指摘しても、「まさか……」「そんなはずは……」と、それを否定し
てしまう。ことの深刻さが、理解できていない。

 この時点で、子どもの心は、粉々に破壊されている。やさしい心は消え、心は、とげとげしく
なる。ささいなことでキレやすくなり、暴れる。「勉強どころの話ではないのだが……」と私は思
うのだが、親は親で、拍車をかけて、子どもの受験競争に狂奔する。症状も、この程度ですめ
ば、まだよいほう。さらに心をゆがめれば、行き着く先は、不登校、家庭内暴力、陰湿ないじ
めなどなど。

 ……というような、その親子の未来像が、私には、手に取るようにわかる。40年近くも幼児
を見ていると、それがわかるようになる。が、それを口に出すことは、タブー。わかっていて
も、
今度は、私の方が知らぬフリをする。冷酷なようだが、その人の子育てには、その人すべての
哲学や人生観が集約されている。さらに、その人自身の過去が集約されている。

 仮に問題があったとしても、親自身がそれに気がつくのは、むずかしい。心理学の世界に
も、
「メタ認知」という言葉がある。自分自身の思考プロセスを、意識化することをいう。人間がも
つ意識の中でも、最高度の意識といってもよい。

 「なぜ私は、子どもの受験競争に狂奔するのか」と。それが自分でわかる親は、まずいな
い。
どの親も、もっと深い部分からの命令によって、動かされているだけ。それを認知する力が、
「メタ認知」ということになる。

 私はその母親と別れるとき、「道は遠いだろうな」と思った。その母親が、自分の愚かさ(失
礼!)に気がつくことはあるのだろうかとさえ、思った。と、同時に、そのときほど、やる気をなく
したことはない。おかしな無力感だけが、いつまでも残ったのだけは、今でもよく覚えている。

 学生時代、私のガールフレンドは、そのアイルランド移民だった。若くして白血病でなくなっ
てしまった。今でもアイルランド英語を耳にするたびに、切ない思いにかられる。これは余談
だが……。

(補記)【メタ認知】

 医学の世界にも、「病識」という言葉がある。精神疾患を病んだような人が、「自分はおかし
い」と認識することを、病識という。

 この病識がある、なしで、精神疾患の重大さを判断することができるという。「私はおかしい」
「私は狂っている」と、認識できる病人は、まだ症状が軽いという。

 しかし病状が進むと、それすら、わからなくなる。「私はどこもおかしくない」「私の精神状態
は健康だ」とがんばる病人ほど、症状が重いという。

 自分で自分の(おかしさ)に気づくことは、それほどまでに、むずかしい。同じように、自分の
思考プロセスを、意識化することは、むずかしい。たとえばDV(家庭内暴力)がある。たいて
いは夫が妻に暴力をふるうケースだが、なぜ暴力をふるうのか。その思考プロセスを、夫自
身が気がつくのは、むずかしい。

 とくに心のキズというのは、そういうもの。無意識の世界から、その人を操(あやつ)り人形の
ように、操る。夫自身も、幼少時代、親に虐待されていたかもしれない。

 わかりやすく言えば、哲学の世界で、「今の自分を知る」ということが、心理学の世界では、
「メタ認知」ということになる。

 まず手始めに、「なぜ、私はこうまで、子どもの受験競争にカリカリするのか」と、自問してみ
るとよい。そこからメタ認知は、始まる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 メタ
認知 思考過程 思考プロセス 無意識下の意識)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●論理(再考)

●思考の範囲(2)

++++++++++++++++++++++

少し前、「論理」というテーマで、エッセーを
書いた。

その中で、論理的に照合する幅の広い人を、
思考力のある人という、反対に、その
幅の狭い人を、思考力のない人という、
……と書いた。

まちがってはいないと思うが、もう少し
視点を変えて、考えてみたい。

たとえばこんな話はどうだろう。

A:目の見えない人が、新しい眼がねを買い
ました。その眼がねをかけて、新聞を読みました。

この話を聞けば、ほとんどの人は、「おかしい」と
思う。「目の見えない人」という部分と、
「眼がねをかけて、新聞を読んだ」という
部分が、矛盾するからである。

が、つぎの話はどうだろう。何かのトンチの本に
出ていた話である。子どもたちから聞いた。

B:ナポレオンがある日、部下の兵士たちに
命令した。部下の兵士たちは、ナポレオンの
声がよく聞こえるところにいた。
が、いくらナポレオンが、「進め!」「進め!」と
命令をしても、部下たちは、ポカンとしている
だけで、だれもナポレオンの命令には従わなかった。
なぜだろう。

この話を聞いた人は、いろいろに考える。
「部下たちは耳が聞こえなかった」
「部下たちは、どこかに閉じ込められていて、
前に進むことができなかった」など。

正解は(?)、「だれも、『進め』という日本語を
理解できなかったから」だ、そうだ。部下に命令する
なら、フランス語で言わなければならない。

つまりAの話を聞いたときには、狭い(範囲)で、
論理的にその矛盾を知ることができる。が、Bの
話を聞いたときには、(範囲)をより広くしなければ
論理的にその矛盾を知ることができない。

同じように「私」を包む問題を考えてみよう。

自分のことしか考えない人を、自己愛者という。
そこを原点とするなら、その範囲を広げることで、
人は、より利他的になることができる。

さらにその範囲が広くなると、人生全体、
人類全体、生命全体、さらには地球全体へと、
その範囲を広げていくことができる。

「人は、何のために生きているのか」
「命とは何か」
「地球環境を守るためには、どうしたらいいか」と。

が、考えれば考えるほど、そこに壁(かべ)
があることを知る。

つまり(範囲)が、広がれば広がるほど、
そこに(限界)があることを知る。

もちろんその(限界)には、個人差がある。
「太陽は神だ」というレベルで、思考を停止して
しまう人がいる。その一方で、話を広げて、
宇宙論にまで思考を拡大する人もいる。

同じように、「老後は楽隠居」というレベルで、思考を
停止してしまう人がいる。その一方で、人生のあり方を、
死ぬまで追求する人もいる。

そこで重要なことは、その(限界)を、自らの努力
によって、より高次なものに、引きあげなければ
ならないということ。

つまりそれを決めるのが、思考力ということになる。

話がこみいったが、(限界を知る)→(思考によって
限界を破る)→(新しい限界を知る)を繰りかえす
ところに、思考する意味がある。

もう一度、数日前に書いたエッセーを読みなおし
てみる。

++++++++++++++++++

●論理

 論理とは何か? 簡単に言えば、証明された事実だけを組みあげて、ものごとに一定の結
論を与えることをいう。日本語大辞典(講談社)には、つぎのようにある。

 「(1)思考や議論の道筋。(2)法則的にものごとが、関連していること。(3)推論の運び方」
と。

 その論理は、思考力によって成り立つ。が、では、その思考力とは何かというと、これまた、
よくわからない。あるいは反対に、その人の思考力は、何によって決まるのか?

 たとえば……。

 今朝、こんな夢を見た。インドのどこかを、旅行している夢だった。枯れた大地が、広がって
いた。遠くに丘が見えて、岩山をくりぬいた寺院が、そこにあった。私たちは汽車か何かに乗
っていた。

 だれかが言った。「こんなところで、のんびりと暮らしてみたい」と。すると、べつのだれかが
言った。「こんなところに住んでも、しかたないよ」と。私はそんな会話を、ぼんやりと聞いてい
た。

 列車はやがて、長野県か群馬県へと入ってきた。今度は、緑の山々が、眼下に見えてき
た。
ところどころに、澄んだ水が流れる川が見えた。窓の少ない列車で、後部、半分ほどが倉庫の
ようになっていた。客は、私たちだけだった。つまり5〜6人の、ツアー客だけだった。

 先ほどまでいっしょにいた外人の客たちは、川で泳ぐため、みな列車をおりた。私たちは、そ
のまま旅をつづけた。列車は、飛行機のように高いところを走っていた。が、やがて、小さな
駅に着いた。

 時刻表を見ると、1時間に1本くらいしか、発着がない。1日を通しても、5、6本。見ると駅前
には、小さな店がいっぱい並んでいた。駅の名前は、「浜松」。私はそれを見て、「ああ、昔
は、
浜松駅も小さかったんだな」と思った。

 ……という、何とも意味のわからない夢だった。が、夢を見ているときというのは、(論理)が
機能しない。そのつど、その直前のことを忘れている。夢の内容そのものが、記憶されていか
ないため、そうなるらしい。いや、記憶(=記銘)はされているのだろうが、(現に、今、こうして
夢の内容を覚えているのだから……)、想起されないまま、つぎのシーンへと移る。

 だから矛盾を、矛盾と判断することもできない。インドから突然、長野県へ。そして突然、現
在から過去へ……。夢の途中で、「おかしいぞ、たった今、インドにいたはずだ」「列車に乗っ
ているはずなのに、どうして空を飛んでいるのか?」「いつの間にか、過去にタイプスリップし
てしまったぞ」などというようなことは、考えない。

 そこで思考力。私が今朝見た夢を例にあげると、思考力というのは、そのつど(今)から(過
去)(未来)へと、脳に飛来した信号を、照合する力ということになる。その時点で、矛盾を覚え
れば、修正、訂正する。つまりそれが思考力ということになる。

 夢の中では、その(照合する力)が機能しない。だから矛盾だらけの夢を見ながらも、それを
矛盾と感じない。つまり思考力、ゼロ。

 反対に、その照合する範囲の広い人を、思考力のある人ということになる。ここで「範囲」と
いう言葉を使ったが、照合する力は、その「範囲」で決まる。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。

 こんな話を、幼児(年長児)クラスでしてみる。

 「おばあさんが、杖をついて、歩いていました。右手には、カバンをもち、左手には、日傘をも
っていました」と。

 この話をしたとき、すかさず、「おかしい!」と叫ぶ子どもがいる。そうでない子どももいる。
「おかしい!」と叫ぶ子どもは、その話の最初から最後まで、つまり広い範囲で、私の話を聞
いていたことになる。

 一方、そうでない子どもは、私の話を聞きながらも、そのつど、その部分(=狭い範囲)でし
かものを聞いていない。だからこういう話を聞いても、矛盾を感じない。

 で、その範囲は、人それぞれ。範囲の広い人もいれば、そうでない人もいる。さらにいくら思
考力のある人でも、そこには限界がある。もちろん今の私にも、ある。こうして思考力について
書きながらも、今の私がわかるのは、ここまで。

 このあたりまでくると、その先が、薄いモヤに包まれているのがわかる。

 「思考力と論理を、同じに考えていいのか?」「では思考力というのは、記憶力によって決ま
るのか?」「どうすれば範囲を広げることができるのか?」「論理というテーマで書いているの
に、いつの間にか、思考力の話になってしまった。これでは、インドから長野県へ列車が飛ん
だ、夢の内容と同じではないか?」「論理と思考力は、どうちがうのか?」と。

 ただ、こういうことは言える。

 大切なのは、問題意識である。かりにここに書いたことがまちがっているとしても、気にする
ことはない。あとで訂正すればよい。大切なことは、「問いつづけること」(アインシュタイン)。
その姿勢だけは、大切に。

 それがその人の「範囲」を広くする。

++++++++++++++++++

話をもどす。

思考によって、思考の限界を知るということは、
恐らく人間がもつ認知力の中でも、最高度の
ものではないか。

人間というより、その人個人の問題と考えてもよい。
このことも子どもたちの世界を見れば、わかる。

ある男の子(小5)が、数日前、私にこう言った。
「先生(=私)は、ぼくたちの言うことを、何でも
頭から否定する」と。

そこで私が、「たとえばどんなことで?」と聞くと、
「血液型でも、先生は否定した」と。

少し前、「血液型による性格判断は、インチキだ」と
言った。それに対して、子どもたちは、「インチ
キではない」「当たっている」と、反論した。

子どもたちには、子どもたちの(限界)がある。
子どもたちは、「血液型と性格は関係がある」と
信じている。また信じるに足りる根拠(?)を
もっている。

が、そこまで。私がそれを否定したから、子ども
たちは、その(範囲)で、右往左往し始めた。中に、
「先生の言っていることは、まちがっている」と
言った子どもさえ、いた。

しかしそんな子どもたちに、血液型の話をしても
理解できないだろう。性格の話をしても理解でき
ないだろう。第一、性格というのが、どういうもの
かさえわかっていない。

子どもたちは、自分の限界すら知らない。それに
気づいてもいない。どこに限界があるかさえも、
知らないのだ。

が、それはそっくりそのまま、私自身についても
言える。

私は、「正しい」と思っていることを、こうして
文にしている。が、その私が、どこに限界がるかを
知っているかと問われれば、答は、NO!

レベルこそちがえ、私のしていることは、子どもた
ちがしていることと、それほど、ちがわない。

が、もしほんの少しでも、子どもたちに思考力が
あったら、どうだろう。子どもたちは、少しは
私の話に、謙虚に耳を傾けたかもしれない。そして
私の話を参考に、血液型による性格判定がもつ
矛盾に気がついたかもしれない。

つまりこの私にしても、さらなる思考力があれば、
自分の限界を知り、それを打ち破ることができる。

ずいぶんと混みいった話になってしまったが、
要するに、(1)自分の限界を知ることは、
むずかしい。(2)その限界を超えることを、
思考という。(3)また思考によってのみ、
その限界を超えることができる、(4)また
それができる人を、思考力のある人ということ。

(補記)

たとえば数学の問題でも、定理と公式を使って、
(解ける問題)を解くのは、それほど難しいこと
ではない。訓練を重ねれば、かなりのところまで、
だれにでもできるようになる。

しかし自分で定理や公式を発見しながら、(解ける
か解けないかわからない問題)を、解けないと
証明するのは、むずかしい。(もちろん解ければ、
それはそれでよし。)

解けない世界があることを知ることが、(限界)という
ことになる。

(補記2)

思考こそが、人間を高める唯一の方法である。
また思考するからこそ、人間は人間なのである。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日、あれこれ(10月6日)

++++++++++++++++++++

今日も、1日、終わった。時刻は、午後9時20分。
階下の台所で、ワイフが最後の洗い物を
している。その音が、時折、聞こえてくる。

だらしない1日だった。午前中は、母が入居して
いる養護施設で、祭りがあった。2時間ほど、
顔を出した。その帰り道、パソコンショップ
へ寄った。あとは、庭で、ラジコンのヘリを
飛ばした。それだけ。

本も読まなかった。原稿も、午前中、1作書いた
だけ。

夕食前、DVDを見た。『パフューム(香水)』と
いうタイトルの映画だった。星は、2つの★★。

++++++++++++++++++++

●ハードディスクの取り替え

 今日、パソコンのハードディスクを取り替えてやろうと思った。しかし失敗。数度、試みたが、
だめだった。

 使ったソフトは、「コピー・コマンダー・8」。あとでメーカーのHPをのぞいてみたら、「VISTA
には対応していない」とのこと。ナーンダ!

 パソコンショップへ行ったついでに、「ホームページ・ビルダー・11」(VISTA対応版)を買っ
てきた。ホームページ制作用のソフトである。3か月ほど前に、同じのを買った。VISTAには
対応していなかった。それでまた新しく、購入。さっそく、インストール。いろいろなことができ
る分だけ、複雑? 私は分厚いマニュアルを手にすると、快感を覚える。ゾクゾクする。これは
若いころからの、私のビョーキ(?)。


●夕食

 DVDを見たあと、夕食は、簡単にすませた。料理といっても、インスタントの焼きそばに、あ
と2、3品。しかし消化は、あまりよくない。今もなんだか、腹の上の方が、腫れぼったい。あと
で消化薬でも、のもう。


●梨

 高知県のIさんという方が、見たこともないような大きな梨を2個、送ってくれた。長い間、私
のマガジンの読者だという。手紙には、そう書いてあった。うれしかった。読んだあと、手紙を
たたむと、家族の手紙を入れる棚の中にしまった。私にとっては、宝物。永久保存。

 Iさん、ありがとうございました! 山荘で、ゆっくりと返事を書きますね。


●今、したいこと

 新しいHPを開設してみたい。今度は、IBM社の(ホームページビルダー)というソフトを使っ
て、作ってみたい。今までのソフトではできなかったことが、これでできる。たとえばチェックテ
ストなど。

 質問に答えながら、順に(レ)点を入れていくと、自動的に、たとえば母親診断ができたりす
る。ほかにパスワードの設定も、できる。

 苦労して、何かをやり終えたときの快感がたまらない。「ヤッター!」と叫び声をあげるとき
ほど、気持ちよいものはない。


●金

 金(きん)の価格が、昨日、グラム、2950円前後になった。若いころ、ときどき、金を買った。
買ったといっても、xxグラム単位。その金が、一時、6000円ほどになったこともあったとい
う。
そのときは、知らなかった。が、あとは、1000〜2000円の範囲をウロウロ。

 金のことは忘れた。思い出したくもなかった。が、ここにきて、金の価格がジワジワと上昇し
つづけている。

 中国、インドでの需要が旺盛だとか。それにアメリカ人も、国内で金を買い始めているとか。
加えて、原油価格の上昇。1バレルが、80ドル前後!

 もう少し、様子をみてみよう。3500円あたりまでは、行くのではないか。あるいは、そのう
ち、
ドスンとさがるかも? 


●アメリカは本気だぞ!

++++++++++++++

民主党の主張もよくわかる。
しかしアメリカは本気だぞ!

ここでインド洋上での補給活動を
やめたら、アメリカは、日本を
切り捨てる覚悟でいる。

日米安保条約そのものを、
アメリカ側から破棄するつもり
でいる。

アメリカ側からの報道を読んでいる
と、それがよくわかる。

「アメリカも、そこまでしない
だろう」と思っていたら、大間違い!

わかるか、日本よ、日本人!

甘えるのもいいかげんにして
おけ。……というのが、アメリカの
本音。

その覚悟があるなら、民主党よ、
最後の最後まで、給油反対を
唱えつづければよい。

あとになって、「給油活動を再開
します」では、遅すぎる。

+++++++++++++

 日本は、今、重大な岐路に立たされている。6か国協議の流れを見るまでもない。日本は、
今、たった1人の友人すら、失ってしまった。が、さらに、それに拍車をかけようとしている。

 アメリカは本気だぞ。おどしではない。本気だぞ。

 ワシントン発、ヤフー・ニュースも、つぎのように伝える。

 「……同盟国との関係に立脚した対テロ戦争の継続は、ブッシュ政権にとどまらず、来年11
月の大統領選に臨む与野党の有力候補も表明している。海上自衛隊による補給活動が中断
すれば、東アジア安保の基盤となってきた日米同盟への疑念を、現政権にとどまらず米指導
部に植え付ける結果を招く懸念が強い」と。

 日本政府、もしくは民主党は、「しばらく中断しても、やがて給油活動を再開するつもり」と思
っているかもしれない。が、(中断)イコール、(同盟国からの離脱)を意味する。少なくとも、ア
メリカは、そうとらえている。

 もしそうなれば、それを一番喜ぶのは、K国であり、韓国であり、中国ということになる。つま
り日本は、丸裸!

 民主党のO代表は、「国連決議があれば……」と、それだけを繰りかえしているが、その国
連が、K国の核開発問題を解決してくれるのか? 国際政治は、(現実)に始まり、(現実)に
終わる。理想主義をかかげていたら、その前に、日本が破滅してしまう。

 アメリカは本気だぞ。

 どうしてこんな簡単なことが、わからないのか! 
(平成19年10月5日(金)記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【満60歳の誕生日に】

●もうすぐ60歳!

+++++++++++++++

私も、もうすぐ満60歳!
その満60歳に際して、ここで
自分自身を特集してみたい。

題して、「満60歳の私」。

どこかくすぐったい感じがしないでも
ない。が、年齢だけは、みな平等に、取る。

「ああ、いやだ!」といくら叫んでも、
その時はやってくる。やってきた。

誕生日は、10月2x日。1947年
生まれ!

+++++++++++++++

●時間性

 ワイフが言う。「いやだったら、気にしなくていいのに」と。しかし気になる。世間では、「還暦」
とか何とか言う。気になる。が、何、それ?

 ところで、その人がもつ時間性というのは、個人によって、みなちがう。世の中には、1年を1
日のようにして過ごす人もいれば、1日を、1年のようにして過ごす人もいる。そのことがわか
らなければ、台所のテーブルに止まる、ハエを見ればよい。せわしなく手足を動かし、あっと
いう間にやってきて、あっという間に去っていく。

 もしあれと同じ行動を人間にしろと言われたら、1時間、かかるかもしれない。あるいはこん
なことも。

 一匹の蚊がやってきた。その蚊が、私の足の先から頭のところまで、スーッとあがってきた。
人間の高さに換算すると、約500メートル。(それを疑う人は、自分で計算してみたらよい。)
つまり蚊は、人間にすれば500メートルの高さの山を、数秒のうちに、あがったり、さがったり
している。

 もし人間が同じことをしようとしたら、ヘリコプターを使っても、5〜10分はかかる。歩いて、
登ったりおりたりすれば、1日かかるかもしれない。

 つまり人間のもつ時間性は、蚊のもつ時間性の、数百分の1ということになる。蚊にすれば
人間は、恐ろしく動きが鈍く見えることだろう。

 これは人間と蚊の話だが、同じ人間どうしでも、時間性は、みな、ちがう。わかりやすく言え
ば、時間性は、その密度で決まる。時間性の濃い人もいれば、そうでない人もいる。

●濃密な人生

 限られた人生なら、時間性は濃ければ濃いほど、得ということになる。平均的な人が10日
かかってすることを、1日で、できる。単純に計算すれば、自分の人生を、10倍にすることが
できる。

ここでいう「得」という実感を得るのは、なかなかむずかしい。他人より10倍分濃い人生を送っ
たからといって、その10倍を実感するのは、むずかしい。が、反対に、時間を無駄にしたとき
に、それがわかる。くだらないテレビ番組などを、つい見るとはなしに見てしまったようなばあ
いである。そういうとき、私のばあい、「しまった!」と思う。

だからその人に与えられた時間の長さは同じでも、それをどう使うかは、それぞれ個人の問題
ということになる。ダラダラと、だらしない時間の過ごし方をすれば、時間だけが無益に過ぎて
いく。

 それはたとえて言うなら、貯金のようなもの。「時間」という貯金である。時間イコール、「命」
と置き換えてもよい。その貯金にはかぎりがある。浪費すれば、あっという間になくなってしま
う。有効に使えば、それなりに長く使うことができる。

●脳みその穴

 が、ここでひとつの問題が起きる。

 年を取ればとるほど、脳みその底に穴があくということ。多くの人は、一度頭の中に入った情
報や知識は、そのままの状態でいつまでも脳みその中に残ると考える。しかしこれは誤解。あ
る年齢を超えると、あたかも脳みその底に穴があいたかのように、情報や知識は、どんどんと
下へこぼれ落ちていく。

 私も、パソコンを使って数か月前にできたことが、できなくなることが、しばしばある。たとえ
ばソフトの使い方、など。英語の単語にしても、50歳を過ぎて覚えた単語というには、数える
ほどしかない。

 さらに思考そのものが、ループ状態になることもある。毎日、同じことを考えているだけ。毎
週、同じことを考えているだけ。さらに毎年、同じことを考えているだけ、と。

 一度、こういう状態になると、進歩など、望むべくもない。そういう状態のときに、脳みその底
に穴があくと、今度は、一気に、脳みその働きは鈍くなる。

 が、さらに悲劇はつづく。そういう状態になりながらも、その人自身が、それに気づくというこ
とはない。脳みそのCPU(中央演算装置)そのものが鈍くなる。コンピュータにたとえるなら、
CPUのクロック数そのものが少なくなるため、全体に脳の働きそのものが全体として、遅くな
る。だから自分では、気づかない。

 ひとつの例だが、脳のCPUが鈍くなると、話し方そのものが、遅くなる。同時に、早口で話す
人の言葉が理解できなくなる。

●精進

 そこで釈迦は、「精進(しょうじん)」という言葉を考えた。「死ぬまで、精進あるのみ」と。

 脳みその底に穴があくなら、それはしかたのないこと。だれでも、そうなる。体の筋肉が衰え
るように、脳みその機能も衰える。そこで重要なことは、漏れ出る以上のものを、上から補うと
いうこと。

 10の情報が漏れ出たら、20の情報を補う。100の情報が漏れ出たら、200の情報を補う。

 つぎに思考のループ性。同じことを、毎日、同じように考える。そういうループ性をどこかで
感じたら、そのループ性から抜け出ること。が、実際には、これがむずかしい。そこで人は常
に、
新しい世界に興味をもち、それに挑戦していく。その結果として、ループ性から抜け出る。

 新しい思想に接する。新しい分野に挑戦する。新しい人に出会う。

 もっともこんなことは、私が書くまでもなく、常識と考えてよい。つまり新しい世界を知ること
により、その反射的効果として、自分のループ性に気がつくことができる。ループ性から、抜け
出ることができる。

●生きるということは、考えること
 
 さて、虫の話に戻る。

 虫がもつ時間性が、かりに人間のもつ時間性の10倍であるとする。(「10倍」でも、ひかえ
めな数字だが・・・。)もし虫が時計を考えたとしたら、時針、分針、秒針のほかに、もうひとつ、
1秒で1周する、細い針を考えるかもしれない。虫の動きは、人間の動きとくらべても、明らか
に10倍は、速い。

 が、その虫が、では人間とどこがちがうかといえば、答はひとつ。虫には、思考能力がないと
いうこと。与えられた情報をもとに、それを加工し、利用していく能力はあるかもしれないが、
思考能力はない。

 思考能力というのは、分析力、そして論理力で構成される。だからいくら脳のCPUのクロック
数が速いからといっても、それがそのまま、虫の脳みその性能につながるとは、考えられな
い。
たとえて言うなら、ソフトのインストールされていない、パソコンのようなもの。

 思考能力というのは、それほどまでに高度なもの。かつ、思考するには、時間がかかる。こ
れもパソコンにたとえていうなら、パソコン自らがプログラムを組んでいくようなものかもしれ
ない。虫の目からすると、思考している人間は、まるで眠っているかのように見えるかもしれ
ない。

 しかし、だからといって、その分だけ、虫の人生が、人間のそれより密度が濃く、その分だけ
長いというかというと、そういうことはない。虫は虫として、(思考といえるようなものがあるかど
うかは、わからないが)、思考をループさせているだけ。

 そういう点では、虫は、「息(いき)ている」かもしれないが、「生(いき)ている」ことにはならな
い。ただこういうことは言える。

 人間から見れば、虫の一生は、数週間から数か月かもしれないが、虫自身は、それを短い
などとは思っていないということ。活動の量ということになると、かりにここに書いたように、10
倍とするなら、虫にとっての1年は、人間の10年分ということになる。

が、それでも虫は、「息ているだけ」。言い換えると、「息ているだけ」では、虫と同じ。人間がな
ぜ虫とはちがうかといえば、(考える)ところにある。その(考える)という部分が、人間と虫を分
ける。また考えるからこそ、人間は人間としての価値を維持することができる。

●長く生きる 

 平均寿命という言葉がある。それに対して、健康寿命という言葉もある。健康寿命というの
は、健康でいられる寿命をいう。ふつう(平均寿命)−10が、(健康寿命)と言われる。たとえ
ば平均寿命が84歳なら、84−10=74歳が、健康寿命ということになる。

 残りの10年は、不健康年齢ということになる。病気を繰り返したり、頭がボケたりする。つま
りそれまでが勝負。

 この計算式に従えば、私の健康寿命は、残り、10数年しかないということになる。(たったの
10数年だぞ!)「60歳」という年齢を気にするとすれば、むしろそちらの方である。「還暦(か
んれき)」とか何とか、そんなくだらない言葉に、振り回される必要はない。「残り、10数年しか
ない」という視点で、自分に緊張感を奮(ふる)い立たせる。

●これからの人生

 ではどうすれば、私は、残りの10数年を、有意義に過ごすことができるのか。人間として、
「生きる」ことができるのか。ただこのばあいも、「10」とか、「20」とかいう数字に、まどわされ
てはいけない。冒頭に書いたように、世の中には、1年を1日のようにして過ごす人もいれば、
1日を、1年のようにして過ごす人もいる。

 もし1年を10年にして生きることができれば、私の人生は、10倍の10年に延びることにな
る。

 そのひとつの方法が、「考える」ということになる。私のばあい、「真」の追求ということにな
る。
ほかにも、「善」の追求をする人もいるだろう。「美」の追求をする人もいるだろう。人は、人そ
れぞれだが、してはいけないことだけは、はっきりとしている。

 明日も今日と同じ。来月も今月と同じ。来年も今年と同じ・・・という人生には、意味はない。
そんな人生の送り方だけは、してはいけない。それこそ、10年を1年にして生きるだけ、という
ことになる。もっと言えば、ただ死を待つだけの人生ということになる。

●人間は中身
 
 60歳になったからといって、60歳らしく生きなければならないということはない。またそんな
ことを、考える必要もない。中には、「コンパクトな人生論」を説く人もいる。生活のレベルをさ
げ、範囲を狭くする。しかしどうしてコンパクトでなければ、ならないのか。

 どうせ死ねば、私もろとも、この宇宙すべてが消えてなくなる。だったら、それまでの人生。
それまで生きて、生きて、生き抜く。未練の痕跡を残さないほどまでに、燃やし尽くす。私はひ
とり。そのたったひとりの私が、どうして他人に遠慮しなければならないのか。自分という人間
に遠慮しなければならないのか。

 バカめ!

 恩師の田丸謙二先生は、先日、私にメールをくれた。その中で、先生は、「老いと戦うすばら
しさ。感謝、感謝」と書いていた。

 人は老いることにより失うものも多い。それは事実だし、避ける方法もない。しかし同時に得
るものも多い。その第一。人は老いてはじめて、生きることのすばらしさを知る。生きることの
価値を知る。あのアインシュタインは、かつて、こう言った。『生きていること自体が奇跡』と。
それが実感としてわかるようになる。

 私にしても、今の命が、あと何年つづくかわからない。ひょっとしたら、あと数か月かもしれな
い。が、それまで燃えて燃えて、燃やし尽くす。明日、死の宣告をされても、ジタバタしないよ
うに、今日を懸命に生きる。来年、死の宣告をされても、ジタバタしないように、今年を懸命に
生きる。10年後に死の宣告をされても、ジタバタしないように、この10年間を懸命に生きる。

 私の人生は、満60歳から、始まる! さあ、ここはしっかりと、はちまきを締めなおしてがん
ばろう!

【団塊の世代へ】

 私たちが満75歳までがんばれば、つまり何らかの形で現役として働けば、少子化の問題は
解決する。元気で働ける人だけでよい。それで少子化の問題は、解決する。仮に団塊の世代
と呼ばれる人の中の30%の人が、75歳まで働いたとすると、日本の労働人口は、私の試算
では、2015年から、労働者人口は、増加に転ずる※。

 だから元気で働けるうちは、元気で働こう。それは義務というより、特権である。元気で働け
る者の特権である。元気で働ける者が働けば、そうでない人たちの分まで、カバーする。

 不運にも、50代、60代で、大病をわずらう人もいるかもしれない。認知症になる人もいるか
もしれない。そういう人たちのためにも、元気で働ける人が働けば、回りまわって、結局は、そ
ういう人たちのためになる。

 元気で働ける人が、庭いじりや、孫の世話などで、時間をつぶしてはいけない。年金をアテ
にして、遊んで暮らしてはいけない。生活の合間にするのは、それはそれでかまわない。しか
しそれが決して、あるべき老後の姿ではない。またそういう生活を、理想の老後と思ってはい
けない。

注※

 乱暴な計算だが、団塊の世代(昭和22年〜26年生まれ)、200万人x5年分x0・3=600
万人。つまり30%の人たちが働きつづければ、600万人の労働人口を、団塊の世代だけで、
カバーすることができる。これらの人たちが、満70歳〜75歳の間も働けば、2015年以後、
少子化で減少する労働人口、約500万人分をカバーすることができる。

 さらに私たちのあとにつづく者たちが、同じように75歳まで働けば、少子化の問題は、その
まま霧散する。

 私たち団塊の世代は、戦争を経験することもなく、豊かな繁栄の時代を生きることができ
た。
それなりにきびしい時代ではあった。が、世界的に見れば、私たちはたいへん恵まれた時代
を生きたと言える。そこで私たちに残された責務は、ただひとつ。次の世代の人たちに、その
豊かさを、遺産として残すことである。還元することである。

 繰り返すが、元気で働ける者が、元気で働けるというのは、まさに特権である。その特権を、
おおいに楽しもう。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

【老齢期の統合性】

●生きる価値

 賢い人は、失う前に、その価値を知り、愚かな人は、失ってから、あわてて、その価値を知
る。

 わかりやすい例では、健康がある。健康のときは、健康の価値というのがなかなかわからな
い。病気になったり、けがをしたりしたときに、その価値がわかる。

 同じように、仕事がある。仕事をしているときは、仕事をしていることに価値というのが、なか
なかわからない。「早く休みになればいい」とか、「できるだけ楽をしたい」とか、考える。

 しかしその仕事がなくなると、とたんに心の中に、ポッカリと穴があいたような状態になる。
それがわからなければ、その反対の状態を想像してみればよい。もしあなたがこう言われた
としたら、あなたは、どう思うだろうか。

 「あなたはもう、何もしなくていい。あなたの役目は終わった。あなたには用はない」と。

 あなたはそれを喜ぶことができるだろうか。「長い休暇を手にした」と、喜ぶことができるだろ
うか。答は、NO!、のはず。

 人間の価値は、他者とのかかわりの中で、決まる。同時に、生きる価値も、他者とのかかわ
りの中で、決まる。いわんや、死を待つだけの人生に、いくら健康であっても、あなたは、それ
に耐えることができるだろうか。

 私の知人にこんな老人がいる。55歳で定年退職してからというもの、優雅な(?)年金生
活。
一日とて、働いたことがない。間に、数年ほど、地区の補導委員のようなことはしたことがあ
る。が、それだけ。近所のゴミ拾いすら、したことがない。


 家の裏に70〜80坪ほどの畑をもっているが、まさに庭いじり三昧(ざんまい)。健康なとき
は、朝から夕まで、その庭で遊んでいた。

 が、このところ健康が、思わしくなくなってきた。年齢は85歳を超えているのではないか。肥
満も重なった。歩くのもままならない。ときどき、妻に支えられて、庭の中を行ったり来たりして
いる。

 つまりその老人は、定年退職と同時に、死んだも同然という状態になった。一見、うらやまし
いような老後生活に見えるが、しかしそんな生活を、だれも、理想的とは思わない。その老人
は、30年という年月を、1年、あるいは1か月にして過ごしただけ。

 (少し、言いすぎかな?)

 私も、ある時期、教材づくりに没頭したことがある。それなりに楽しかった。お金にもなった。
しかし今、振り返ってみると、そこに何もないことを知る。反対に、だれかに利用されただけと
いう思いだけが、今になって、後悔の念ばかりが、胸をふさぐ。

 つまり仕事といっても、中身の問題もある。そういうことはあるが、「時間を無駄にした」という
思いは、年齢とともに、ボディブロウのように、ジワジワと体に響く。

●我ら、ヤング・オールド・マン!

 さあ、私は心に決めた。もうすぐ満60歳になるが、その日を、私の満30歳の誕生日とする。
その日を境に、私はもう一度、がむしゃらに働く。その日からではない。今日、今のこの瞬間か
ら、がむしゃらに働く。

 どうしてこの私が、老人臭く生きなければならないのか。老人臭くならなければならないの
か。
老人らしく生きなければならないのか。

 私は自分がすべきことをやる。(とりあえずは、書きたいことを書く。)だれのためでもない。
私のためだ。私自身の命のためだ。

 「統合性」という言葉がある。私のエッセーでも、たびたび取りあげてきた。その統合性という
のは、(自分のすべきこと)と、(自分のしていること)を一致させることをいう。(自分のすべき
こと)というのは、ほとんどのばあい、(自分のしたいこと)ではない。それはたとえて言うなら、
寒い夜に、ジョギングにでかけるようなもの。

 だれだって、コタツの中にうずくまっていたい。楽をしたい。しかしそれでは、自分の健康を
維持することはできない。

 統合性についても、同じ。「したくないから、しない」というのでは、もとから統合性など、望む
べくもない。

 そうの統合性の確立させる。それが老後を心豊かに生きる、秘訣ということになる。

 ただしそれには条件がある。

 統合性を確立するためには、無私無欲でなければならないということ。打算や功利が混ざり
込んだとたん、統合性は、そのまま霧散する。(結果として、それが利益につがったとしても、
それはあくまでも、結果。目的であってはいけない。)

 それにこの統合性は、一朝一夕に確立できるようなものではない。「人生の正午」と呼ばれ
る、満40歳前後から、その準備に入らなければならない。「定年退職をした。さあ、統合性を
確立しよう!」と考えても、遅いということ。よい例がボランティア活動。その基礎づくりは、40
歳でも遅すぎる。30歳でも遅すぎる。10代、20代のころからはじめて、その人の基礎にな
る。

【統合性、チェック・テスト】

(1)毎朝、起きると、すぐ、すべきことが、あるか?
(2)毎朝、起きると、すぐ、何かをし始めるか?
(3)毎日、したいこと、すべきことが、はっきりとしているか?
(4)毎晩、眠る前に、その日の充実感を覚えるか?
(5)毎晩、眠る前に、明日の計画が、思い浮かぶか?

 これらのテストで、5項目とも当てはまれば、統合性の確立した人ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 統合
性 老齢期の統合性 老齢期の生きがい 統合性 チェックテスト チェック・テスト)

(このマガジンが配信されているときには、私は満60歳になっています。感謝!)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・あれこれ】

●暑い

 9月28日、土曜日。室内の気温計を見たら、30度。暑い。白く透き通った太陽の光。まぶし
いばかりに部屋の中を貫く。扇風機をかける。どっと汗が噴(ふ)きだす。9月ももう終わるとい
うのに、何だ、この暑さ!

 先ほど、コンピュータがメーカーから戻ってきた。修理費は、x万円。簡単なOSの故障(=フ
ァイルの破損)かと思っていたら、マザーボードが破損していたという。前もって電話であれこ
れ相談しながら操作していたときには、電話口の向こうの人も、そう言っていた。「OSが破損
していますね」と。それがマザーボードの故障とは!

 私のまわりには、パソコンが、10台以上。しかし私は、どれも、完璧な状態で動かないと気
がすまない。故障があれば、すぐなおす。これはビョーキか? 実は、本当は、なおすのが楽
しい。パソコン相手に、悪戦苦闘しているときが、何よりも楽しい。

 ところでパソコンというのは、暑さに弱いそうだ。とくにハードディスクが弱い。しかしめったに
壊れない。この10年で、ハードディスクを取り替えたのは、2回くらいかな。実際には、3〜4
年も使うと、故障する前に、新しいのと取り替えている。


●書斎の模様替え

 今日(10月1日)、急きょ、書斎を模様替えすることにした。先日、ある新聞社の女性が、取
材に来た。そのとき「書斎を見せてほしい」と言った。案内すると、その人自身も、驚いてい
た。
あまりの散らかりように、びっくりしていた。

 もっとも、パソコンが並ぶ部屋など、写真に撮らせるほうが、どうかしている。壁には、パスワ
ードや銀行のクレジット番号などが、ベタベタと張ってある。それに読んでいる本の種類ま
で、
わかってしまう。私は、「こんな部屋ですから・・・」と言うと、その人は、苦笑いしていた。

 だから、今日、模様替えした。ワイフに手伝ってもらって、2〜3時間ですんだ。スッキリした。

 「これなら、だれが来てもだいじょうぶだね」と言うと、ワイフもそれにうなずいてくれた。


●お宅族

 私のような人間を、「お宅族」と言うらしい。しかし、待ったア!

 もし私がお宅族なら、もの書きと呼ばれる作家たちは、どうなのか? 研究者と呼ばれる学
者たちは、どうなのか? 絵描きでもよい。工芸家でもよい。みんな、部屋に引きこもって、仕
事をしている。

 パソコンを相手にしているというだけで、お宅族と、決めつけないでほしい。

 パソコンはパソコンだが、それは窓のようなもの。その窓の向こうには、無限の世界が広が
っている。


●本物の虫

 今度、A社という出版社から、「本物の虫、コレクション」という雑誌が発売になった。初刊
は、
190円。本物の虫が、透明樹脂の中に塗り固められている。それが付録でついている。初刊
は、サソリ。

 さっそく、50冊ほど、買った。虫の好きな子どもにあげようと考えた。

 ところが、である。気味悪がって、いらないと言う子どもがいるかと思っていたら、ほとんど全
員が、「ほしい!」と。中には、「かわいい」と、そんな言葉を口にする子ども(小2女児)もい
た。
これには、驚いた。

私「サソリだぞ」
子「かわいい」
私「かわいいって、サソリだぞ。毒をもっているよ。刺されたら、死ぬよ」
子「知っている。だから、かわいい」と。

 一人、こんなことを聞いた子どもがいた。「ガラス(樹脂)を割って、サソリを取り出したら、生
き返るか」と。私は、「生き返らない」と答えた。しかし、毒はどうなのだろう。毒はそのままのは
ず。

 サソリを取り出して、針を手か何かに刺したら、毒がきくかもしれない。どうなっているんだ
ろ? だいじょうぶかな?

(あとで聞いた話だが、母親に、「どうしてこんなものを、もらってくるの!」と叱られた子どもも
いたそうだ。)


●カメラの色

 小型のデジカメは、カラフルになった。しかしその上のクラスのカメラは、みな、同じ。とくに
一眼レフカメラは、みな、同じ。黒色か、銀色。どうしてだろ?

 一眼レフカメラも、カラフルにすればよい。濃紺や、ワインレッドの一眼レフカメラがあって
も、
おかしくない。一度できあがったイメージは、なかなか崩せない。そういうことか。


●裏切り

 その人だけに話した話が、回りまわって、こちらに伝わってくることがある。その人が裏切っ
たにちがいない。イヤーだね、そういうことは!

 そういうとき、私は、ひとつの選択に迫られる。その人と絶交すべきか、それとも、知らぬフリ
をして、交際をつづけるべきか、と。

 若いときなら、知らぬフリをしてつきあうということもできた。が、そういうことをするのも、疲
れた。神経を使うのも、いや。なるように任せて、あとは無視。人生は、そうでなくても、短い。
無駄な人と交際して、時間を無駄にするヒマは、もう、ない。

 さようなら、Uさん!


●認知症、疑似体験

 書斎の模様替えをした。そのとき、パソコンを2台、左右、置き換えた。ともにM社のデスクト
ップ。OSは、XPとVISTAだが、外観は同じ。モニターも、19インチのワイドで、同じ。

 しかしこれが失敗のもとだった。

 一度できあがった思考回路は、簡単には変更できない。ファイルの保存、外付けディスクな
ど、2つのパソコンで使い分けていた。そのうち何がなんだか、わからなくなってしまった。・・・
ということで、今日は、認知症の模擬体験をした。

 しかし脳みそには、いつも刺激を与えたほうがよい。とくに50歳をすぎたら、そうだ。それを
怠ると、すぐ硬直してしまう。融通がきかなくなる。臨機応変に対処できなくなる。わかりやす
く言えば、バカになる! 

 とくに脳みその硬直化には、気をつけたほうがよい。規則正しい生活が大切だと説く人もい
るが、それ以上に大切なのは、変化のある生活だ。その変化が、脳みそに、よい刺激を与え
る。

 パソコンを左右、置き換えるだけでも、よい刺激になる。・・・なった。


●水橋晋氏という詩人

 少し前、水橋晋氏という詩人がなくなった。学研という出版社の、その幼児局にいた人であ
る。たいへん世話になった。いっしょに、伊豆の温泉へ遊びに行ったこともある。

 その水橋晋氏が送ってくれた詩集に、『きみとぼく』(沖積舎)というのがある。原作者は、ポ
ール・ジェラルディという人だ。

 その一節を紹介する。

「きみは言ったね。《わたしって、一日じゅうあなたを思っているの》と。
 でも、きみの思っているのは、ぼくというより
 むしろ恋なのだ。
 きみは言ったね、《あなたを忘れることができなくて
 涙で目がかすみ、
 床についても眠られないまま
 ずっとおきているの》と。
 でも、きみの心は酔っているというより
 楽しんでいるんだ。
 恋を囁く口のことより
 キスのことを考えているのだ。
 きみはちっとも苦しんでいない。」

 タイトルは、(うたぐり)である。

 どういうわけか、この詩を読んで、いろいろ考えさせられた。その一。水橋晋氏は、もうこの
世にいない。そのさみしさが、ぐっと胸をしめつけた。

 その二。この詩を読んで淡く、切ない思いが私の心に充満した。こういう詩を読むと、可憐
で、
どこか幼さの残った、若くて美しい女性を想像してしまう。これは男の身勝手か。

 そういう女性が、「涙で目がかすみ・・・」と言えば、男たるもの、素直にそれを慰めてやれば
よい。・・・と、私は考えてしまう。

 たしかに若い男女の会話ほど、あてにならないものはない。はっきり言えば、いいかげん。
それはわかるが、その(いいかげんさ)こそが、若さの特権でもある。キズつけ、キズつけられ
ながら、男も、女も、成長する。

 が、それから起きる切なさが、そのあとの人生を心豊かにする。詩集のあとがきに、「ジェラ
ルディは、1920代の恋を自分の色で染めあげた」とある。そして水橋晋氏は、「とりわけ」と、
わざわざ断りながら、つぎの一節を紹介している。

 『心と心で話すのは影なのか
  影のなかのほうが目がよく見える 
  もののかたちが はっきり見えないときのほうが。』(P173)

 なおこの『きみとぼく』は、豆本、小型本、絵入り本などを含めて、全世界で、数百万部も売
れたという。私も、詩を書いてみる。

 
●自由

 一度、籠から外に出た鳥は、
 二度と、籠にはもどらない。
 もどれない。

 一度、自由を知った鳥は、
 二度と、不自由な世界には、もどらない。
 もどれない。

 自由を知った鳥には、
 不自由というものがわかる。
 よくわかる。

 しかし籠の中にいる鳥には、
 それがわからない。
 不自由な生活をしながら、
 それを不自由とも、思わない。

 籠の中から外を飛ぶ鳥を見ながら、
 きっとこう思うだろう。
「あいつら、なんてバカなんだろう」と。

 自由に生きるということは、
 孤独。さみしい。それにたいへん。
 できるなら、安楽をしたい。
 いつも心のどこかでそう願う。

 でも、自由か、安楽かと聞かれれば、
 私は迷わず、自由を選ぶ。
 一度、籠から外に出た鳥は、
 二度と、籠の中には、もどらない。
 もどれない。


●今日のこと(10月3日)

 10月に入って、この3日間、5単位も運動をした。(1単位=40分の自転車運動。)おかげ
で、
足腰が、どこかだるい。とくに太ももが、だるい。

 しかし運動は欠かせない。これを欠かしたら、私はあっという間に、半病人になってしまうだ
ろう。自分でも、それがよくわかっている。若いときは、10日くらいなら、運動をしなくても、健
康を維持することができた。が、今は、ちがう。1週間もしないでいたら、足そのものが、動か
なくなる。

 こわいのは、生活不活発病。生活が不活発になったとたん、それまでの持病がどっと表に
出てくる。

 私の持病は、偏頭痛? それにささいなことで、精神的に落ち込んでしまう。へたをすれば、
そのままうつに。若いころは、偏頭痛に苦しんだ。今も、ときどきあるが、仲よくつきあってい
る。


●誕生日プレゼント

 ワイフが、「誕生日に、カメラはどう?」と聞いた。・・・前もって書いておきたい。

 私の家では、お金の管理は、すべてワイフがしている。同棲していたときから、収入は、すべ
てそのままワイフに渡している。国によっては、夫と妻と、家計をしっかりと分けているところも
ある。そういう話を耳にすると、「ヘエ〜?」と感心するほど、私の家では、そういうことは、あり
えない。

 最初から捨て身というか、こと収入に関しては、「私の・・・」という意識はない。まったく、な
い。
だから、私がほしいものがあるときは、ワイフから、「お金をもらう」。私だけではない。息子たち
も、何かのことでお金が必要になると、この私ではなく、ワイフにもらいにいく。私には、一応、
一円も財産がないことになっている。

 だから誕生日プレゼントにしても、「買ってもらう」ということになる。ワイフの立場からする
と、
「買ってあげる」ということになる。考えてみればおかしな関係だが、30〜40年もそうしてき
た。
私の家では、当たり前のことになってしまった。

ワ「カメラにしたら?」
私「2台、もっている」
ワ「新しいの、ほしいのでしょ?」
私「うん・・・」と。

 そこで今日の午後、2人でパソコンショップへ行ってきた。が、どれも、イマイチ。

 デザイン的には、キャノン製が気に入っている。性能的には、パナソニック。サイズ的には、
ソニー。迷っていると、隣のコーナーで、ラジコンのヘリコプターを売っていた。

私「あれがいい」
ワ「ゲリコプター?」
私「そう」と。

 それでヘリコプターを買った。

・・・その帰り道。私は、ワイフにこう聞いた。「お前さあ、ぼくのためにいつもパソコンショップへ
行ってくれるけど、お前は楽しいのか?」と。するとワイフはこう言った。

 「別に・・・。でも、あなたが楽しければ、それでいいの」と。

 家に帰ると、長男がたまたま庭に出ていた。私はヘリコプターをそのまま、長男にやった。


●裏切り(2)

 アメリカの議会で、従軍慰安婦問題について、「日本は謝罪しろ」という決議が採択された
(07年)。

 これに対して、日本政府は、「静観する」と官房長談話を発表した。「静観する」は、英語で
は、
「無視する」を意味する。

 その官房長談話に対して、アメリカの各紙は、「裏切り行為」と、日本政府の対応を非難し
た。

 問題は、ここである。みなさんは、どうしてそれが(裏切り行為)なのか、理解できるだろう
か。
「裏切り」とは? ・・・実は、ここに意識の問題がある。

 アメリカ人の多くは、そしてとくに現在のブッシュ大統領は、「日本を民主主義国家に導いた
のは、アメリカである」という強い自負心をもっている。ブッシュ大統領自身も、いろいろな演
説で、よく日本を例にあげて、そう言う。

 わかりやすく言えば、日本は、戦後、ずっとできのよい生徒だった。生徒といっても、最優等
生。ことあるごとに、アメリカは、日本を誇りに思ってきた。その日本が、戦時中にしたことを何
も、反省していない。反省していないばかりか、「静観する」と、アメリカ議会での議決を無視し
た。

 それはアメリカにとっては、裏切り行為そのもの。「今まで、お前たちを育ててやったのは、
オレたちではないか」「そのオレたちを無視するとは、何ごとか!」となる。

 戦争を擁護するということは、即、アメリカの行為を否定することになる。

 意識のズレというのは、恐ろしい。ときにそれが国の命運を左右することもある。現に今が、
そうだ。

 いくら日本政府が、「拉致問題の解決なくして・・・」と訴えても、今のアメリカ政府には、その
声は届かない。反対に、「日本を犠牲にしない」と言ってもらい、それに一喜一憂する。

 6か国協議の流れを見るまでもなく、日本は、アメリカという友人すら、失ってしまった。バカ
な大臣たちが、公(おおやけ)の席で、つぎつぎとアメリカ批判をしたのだから、たまらない。安
倍前総理にしても、おかしな民族主義に毒され、舵を大きく右(=右派)に切ってしまった。ア
メリカ詣でをしたのは、何と、就任8か月後!

 私はこれほどまでに、愚かな国際外交を、見たことがない。これから先、日本はますます孤
立するだろう。『覆水、盆にかえらず』である。

 話をもどす。

 日本の官房長官が、アメリカ議会での議決を、「静観する」と発表したとき、アメリカの各紙
は、「裏切り行為」と、日本を非難した。

 なぜか? その理由は、もうみなさん、おわかりのことと思う。


●思考力の低下

 このところ、ときどき思考力の低下を感ずる。ときに、頭の中が、からっぽになる。パソコンに
向かっても、何を書いてよいのか、わからない。アイデアすら浮かんでこない。

 ・・・以前はというと、つぎからつぎへと、書きたいことが頭の中に浮かんできた。ときに収拾
がつかなくなったこともある。しかし今は、閑散としている。しかしこれはボケの初期症状か?

 それに今は、アイデアは浮かんできても、それが長つづきしない。たった今も、「裏切り(2)」
という題で、日本とアメリカについて書いた。本来なら、資料を添えて、もう少し詳しく書くべき
だが、その意欲がわいてこない。

 日本非難の決議を採択したのは、上院か、下院か? いつのことか? 内容はどうだったの
か? 資料はもっているが、それを調べる気も起きてこない。とくにこの問題については、そう
だ。

 政治をギャグ・ショーか何かのように思っている人には理解できないだろう。お笑いタレント
を知事に選んでも、みじんも恥じない人には、理解できないだろう。しかしこと国際政治につい
て言えば、そこにあるのは、どこまでも研(と)ぎ澄まされた(現実)、あるのみ。

 正直なところ、私は、日本に、そして日本人そのものに、失望し始めている。ときどき「どうに
でもなれ」「なるようになれ」と思うことがある。大宅荘一は、「一億、総ハクチ化」という言葉を
使った。今の日本は、それがさらに進んで、「一億、総ギャグ化」となった。まじめにものを考
えることすら、放棄してしまった。

 この先、この日本は、どうなるか? 私の予想では、一度、大混乱したあと、再び、ファシズ
ムが台頭する。『独裁国家も悪くない』(07年9月)という番組が、堂々と放送される国である。
そうなってほしいというのではない。しかしその可能性は、高い。


●宇宙人

 「二種類の知的生命体は共存できない」(ホーキング博士)というのは、この宇宙の大原則
のようである。だから、「宇宙人と、コンタクトを試みてはならない」(同、博士)と。

 それははじめてアメリカ大陸を発見した、ヨーロッパ人のようなものかもしれない。つまりヨー
ロッパ人が宇宙人、アメリカにいた原住民が人間ということになる。

 しかしこのばあいは、同じ人間ということで、長い時間はかかったが、たがいに同化すること
ができた。が、相手が宇宙人では、そうはいかない。民族同士の戦争も悲惨なものになるが、
(種)が異なると、さらに悲惨になる。たがいに容赦しない。相手を完全に抹消するところま
で、
やる。やってやって、やりまくる。

 だから「宇宙人とコンタクトを試みてはならない」と。人間は人間だけの世界で、そっと、静か
に生きるのがよい。宇宙人に会って、知識や知恵をもらおうなどとは、考えてはいけない。

 おそらく宇宙人にしても、それをいちばん恐れている。人間のような邪悪な生物に、知識や
知恵を与えたら、どうなるか? 同種どうしでも、戦争ばかり繰り返している。それを知ってい
るから、彼らのほうが、コンタクトを拒否している(?)。少なくとも、私が宇宙人なら、人間な
ど、
相手にしない。相手にしたとたん、たいへんなことになる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 7日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の常識を疑おう!】

●前代未聞のHP

++++++++++++++++

ウソや冗談ではない。
本気らしい。

あのAT&A社(アメリカを代表する、電話会社
=日本のNTT)が、こんな条件を提示した。

「我が社を批判することがあれば、その人の
インターネット利用を、停止する」と。

++++++++++++++++

まずは、その記事から。

New AT&T terms of service: We'll cut off your Internet connection for criticizing us
(新しく、AT&T社は、つぎのような条項を定める。我が社を批判するばあい、その人のイン
ターネット利用を、停止する。)

AT&T has brought down new Terms of Service for its network customers. From now on, 
AT&T can terminate your connection for conduct that "tends to damage the name or 
reputation of AT&T, or its parents, affiliates and subsidiaries." So AT&T customers aren't 
allowed to write/podcast/vlog critical things about AT&T, its billing-practices, or its 
cooperation with illegal NSA wiretapping, on pain of having their connections disconnected.

AT&T社は、つぎのような新しい条項を定める。今後、AT&T社の評価、名前などにダメー
ジを与えるような行為があれば、我が社は、その人のインターネット利用を停止する。従っ
て、
AT&T社の利用者は、AT&T社について、決済方法、違法なNSAによる盗聴、電話切断
などについて、批判的なことを書いたり、報道したりすることを許さない。

詳しくは、
http://www.boingboing.net/2007/09/29/new-att-terms-of-ser.html

 たとえて言うなら、学校の生徒が、その学校の批判記事を、外の世界で公表したら、その生
徒は退学処分になるということ。それにしても、日本的に言えば、肝っ玉が小さい! わかり
やすく言えば、「我が社を批判するようなら、我が社のサービスを利用するな」ということ。

 あのAT&T社が、だぞ!

 しかしこれがアメリカ。日本の大臣たちが、アメリカのイラク政策を批判しただけで、アメリカ
は対日政策を180度、変更してしまった。そういうことがありえる国……ということが、このAT
&T社の記事を読んでもわかる。

 アメリカ人には、日本的な甘えは通用しない。

 しかし私も言いたい。

 私のHPに書いた記事について、あれこれ批判するような人は、HPへのアクセスを遠慮して
ほしい。私も、同じくらい、肝っ玉が小さい!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●内助の功?

+++++++++++++

「夫は仕事、妻は家庭」という
おかしな男尊女卑思想が、音を
たてて崩れはじめている。

よいことだ。

+++++++++++++

 このほど内閣府のした調査結果によれば、つぎのようだったという(産経新聞・9・29、07)。

++++++++

 「夫は仕事、妻は家庭」との日本の伝統的な家庭観に対する「反対派」が、この質問が始ま
った昭和54年以来、初めて5割を超えたことが29日、内閣府の「男女共同参画社会に関す
る世論調査」でわかった。 

「(女性は)子供ができても職業を続ける方がよい」……43・4%(過去最高)

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか」……「賛成」「どちらかといえば賛成」……44・8%。
(平成16年の前回調査から0・4ポイント減った)

「反対」「どちらかといえば反対」……52・1%だった。

「子供を持つ必要はない」「離婚容認」……男性は賛成50・7%、反対46・2%。女性は賛成3
9・9%、反対56・9%。

「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」……反対は59・4%(8・1ポイント増)、36・
8%(4・6ポイント減)。

「相手に満足できないときは離婚すればよい」……反対が47・5%(7・4ポイント増)、46・
5%。

調査は、今年7〜8月、全国の成人男女5000人を対象に実施した。回収率は62・4%。

内閣府は「夫や妻が、当事者同士だけではなく子供や家族を重視するようになっているので
はないか」と話している。(かっこ)内は、平成16年、前回調査結果との比較。
 
+++++++++

この記事に関して、
以前書いた原稿を
添付。

+++++++++

日本の常識、世界の非常識(2)

●「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がま
ちがっているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分
制度(=巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おか
しさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけ
て、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水
戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ一九歳の舞妓を、「仕
事のこやし」と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

●「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になって
いる。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は
関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の
同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫た
ちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一
主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。


●「森Sのおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣
く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすば
らしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした
美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化するこ
とで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)
は、
かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪
おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待っ
てるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を
書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っ
ておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村の
みんなと温泉に行ってくるよ」だ。

●「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで
用いられた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう
論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いというこ
と。約二三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないよ
うだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省九八)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべき
だ」という考えに反対した人が、二三・三%もいることがわかった。

+++++++++++

●おふくろさん論

 森Sが歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし…
…。

日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日本
人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たち
は、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果とし
て、
日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一
方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護
意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中
男児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもち
ろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室
に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこ
ともできない。できないというより、じっと待っているだけ。

多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするの
だが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオル
をそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭
では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考
え方が徹底している。こんなことがあった。

一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいたのだ
が、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話に耳を
傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないでね」と。

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させ
ること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもは
どうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というの
が、
それである。

たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だか
ら何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。も
う少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」
子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」
子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。

実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。
 
さて森Sの歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ…
…」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後に
は、
日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(10月3日)

+++++++++++++++

たった今、世界のニュースに目を
通した。

何と言っても、韓国のN大統領と、
K国の金xxの、首脳会談。

2人も、実に不気味な顔をしている。
2人とも、まるでゾンビのよう。

私の知ったことではないが、こう
いう2人に先導される朝鮮半島の
人たちこそ、あわれ。

脳みそのほうは、だいじょうぶか?

+++++++++++++++

●人を信ずる 

 人を信ずることは難しい。信じよう、信じたいという気持ちはある。が、何かのことがあると、
すぐ疑ってしまう。「やっぱり……」とか、「あの人も……」と思ってしまう。

 では、どうしたらよいのか。

 大切なことは、気負わないこと。「信じよう」などと、自分に負担をかけないこと。もっと言え
ば、
その人を乗り越えてしまう。つまり相手にしない。

 私は私で、自分の道を、勝手に進む。その姿勢さえしっかりともっていれば、相手に対して、
「どうぞ、ご勝手に」となる。あとは忘れる。

 要するに、「信じよう」「信じたい」と思うのは、その人の(甘え)にすぎないということ。そういう
人にかぎって、何かあると、「裏切られた」とか、「失望した」とか言って、大騒ぎする。(今の私
のように。)

 ……実は、この話には、重要な伏線がある。人も60歳をすぎると、脳みその働きが、悪くな
る。悪くなるだけならまだしも、どこか変調してくる。言動そのものが、おかしくなる。つまり私
のまわりにも、そういう人がふえてくる。

 だから本気で相手にしていると、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまう。わかりやすく
言えば、認知症か何かになり始めた人を相手にして、信じようとか、信じたいとか言っても、土
台、無理な話ということ。

 まず、相手の脳みその状態を観察する。その人を信ずる、信じないは、そのつぎの話という
ことになる。


●クール

 英語(=アメリカ)で「クール(Cool)」というと、最上級のほめ言葉ということになる。
日本流に言えば、「冷たい」=「好ましくない性格」ということになる。

 私が学生のころには、「グルービー」という単語もあった。「かっこいい」という意味である。た
とえばあのビートルズは、「キング・グルーバー」と呼ばれていた。

 もっともこの種の単語は、年代ごとに、また国ごとによって、変化する。最近では、その「クー
ル」にしても、「とてもいい」程度の意味しかもたなくなったように感ずる。かわって、「スーパ
ー」という単語を、よく耳にする。

 で、たった今、アメリカの友人に、「It's a cool season now.
(涼しい季節だね)」と書いた。が、書いたところで、ふと迷った。
「では、ほんとうに(涼しい)と言いたいときは、どう言えばいいのか?」と。


●離婚

 友人夫婦が、離婚して、もう3か月になる。何度かメールを出しているが、返事がない。一
度、
会いに行こうかと思っているが、それもどうか? こういうときは、そっとしておいてやるのが、
いちばん。ワイフは、「そのうち、返事がくるわよ」と言っている。

 この日本では、(常識的なコース)からはずれることを、(恥)と考える。(失敗)と考える。自
分に(ダメ人間)のレッテルを張ってしまうこともある。たとえば会社をクビになったような人
は、
自己否定されたかのように思ってしまう。離婚もそうだ。

 その友人夫婦のケースでは、明らかに熟年離婚。奥さんのほうが、かなり以前から、離婚を
計画していたらしい。娘の結婚の直後に、奥さんのほうから、離婚を申し出た。友人の夫のほ
うは、雰囲気的にそれはわかっていたという。が、「まさか!」という状態だったらしい。

 一度、電話をすると、奥さんのほうが、最初に出た。生き生きと、明るい声だった。一方、友
人の夫の方は、暗く沈んでいた。その様子が、あまりにも対照的だったので、私はどう対応し
たらよいのか、わからなくなってしまった。

 私にすれば、2人も、私のよき友人である。

 が、あえて一言。クビにしても、離婚にしても、人生の1コマにすぎない。クビになったからと
いって、また離婚したからといって、(負け組)と思うことはない。大切なことは、運命は運命と
して受け入れ、そこを原点に、また前に向かって進むこと。

 『我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと』(スティーブンソン)
なのだア!


●昇華

 結婚という形態そのものが、「性動機」(フロイト)のひとつということになる。あのフロイトは、
「行動は、すべて性動機と攻撃動機に還元できる」と説いた。

 しかし性動機にしても、攻撃動機にしても、野放しにしたら、たいへんなことになる。いくら
「見たい」と思っても、手鏡で、女子高校生のスカートの中をのぞいたら、犯罪になる。

 そこでこうした性動機や攻撃動機は、心の中で無意識化される。つまり脳みその中で、加
工、
変形される。

 わかりやすく言えば、そうしたエネルギーを、それ以外の分野に向けるようになる。たとえば
スポーツや芸術、学問の世界に向けるようになる。こうした一連の心的過程を、心理学では
「昇華」と呼んでいる。

 ……ということを、自分自身に当てはめてみると、現在の私の心理状態が、よくわかる。

 私はもともとスケベな男だった。(今も、そうだが……。)それに攻撃的な性格は、この年齢
になっても、収まらない。しかし、今の自分をそのまま表に出すことはできない。出したら、そ
れこそ、「犯罪!」ということになってしまう。

 (ただ私には、手鏡で、スカートの下をのぞいてみたいとか、そういう趣味はない。割と、明る
くさわやかな性意識をもっている。)

 そこで私は、性動機と攻撃動機を無意識化し、それを今、こうして文として、パソコンの画面
にたたき出している。自分の中でモヤモヤする欲求不満を、こうした形で、解消している? 
わかりやすく言えば、そういうことになる。

 これぞ、まさしく「昇華」。ハハハ。

 ついでに、一言。若いときは、スケベなことを、やってやって、やりまくればよい。ただし、恋
人や配偶者を相手にして……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 昇華
 
性動機 攻撃動機)


●動機

 食欲と性欲は、あらゆる動物が共通してもつ、2大本能である。生きていく基本となる、原動
力と考えるとよい。そのことは、たとえば老人介護施設を訪れてみると、よくわかる。脳みその
機能がほとんど停止してしまったような老人ですら、この2つだけは、しっかりとしている。

 が、そのままでは、人間は、社会生活を営むことができない。そこでこうした本能を、無意識
化する。変形し、加工する。そしてそれを、さまざまな方面で、形を変えて表現しようとする。
つまり、それが、その人の生きる動機となる。それを「社会的動機」という。

 H・A・マレーという学者は、社会的動機を、つぎのように分類した(「心理学の基礎」・春木
豊・有斐閣)。

 服従
 達成
 親和
 攻撃
 自立
 中和
 防衛
 恭順
 支配
 顕示
 障害回避
 屈辱回避
 養護
 秩序
 遊戯
 拒絶
 感性
 性
 救援
 理解

 ……要するに、社会的動機は、それぞれ人によってちがうということ。たとえば冒頭にあげ
た、服従について。

 「服従……外的な力に服従し、罰を受け入れること」(同書)とある。

 そのことは、現在のK国を見ればわかる。K国の人たちは、まるでマスゲームでもしている
かのように、N大統領に向かって、紅白の花を振っていた。韓国の新聞報道によれば、こうし
た歓迎行事のばあい、住んでいる地区ごとに、どこでどのように花を振るか、決められている
そうだ※。

 彼らは彼らで、生きていくために、そうしている。一見、居心地の悪い世界に見えるかもしれ
ないが、当の本人たちには、そうではない。

 だれかに服従して生きるというのは、その分だけ、気が楽。身分も保証されている。生きる
のも楽。自分で考えて行動する必要もない。そのわずらわしさから、解放される。そこは、まさ
に(保護)と(依存)の世界。

 が、それは同時に(罰)の世界でもある。命令にさからえば、きびしい罰則が待っている。そ
ういうことはあるが、それさえ受け入れてしまえば、あとは楽。天国。

 つまりK国の人たちは、自らの(生きる力)を、(服従)という形に置き換えてしまっている。し
かしそれも立派な、動機。ここでいう社会的動機ということになる。

 ……ということを、今朝のニュースを読みながら、考えた。

 いや〜だね、あんな国! 不気味! ホント! あんなふうに歓迎されても、私なら歓迎さ
れた気分には、なれない。みんな、ゾンビみたい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 社会
的動機)

注※(東A日報・10・3)……『このような歓迎行事に動員される住民は、通例朝早くから定め
られた区間へ行って、参加者名簿と身分証で身元の確認を受けた後、沿道に立つ。また、行
事が終わった後は組職別に集まり、評価会を行って出席をチェックした後、解散する。 
金総書記が登場する行事は、警備問題のため、周辺のアパートまで徹底的に統制し、窓から
眺めて摘発されれば、平壌から追放されることもある』と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●P・トンプソン(Tompson)のおもしろい実験

++++++++++++

人間は、見慣れたものを、より
心地よく受け入れる。

目から入ってくる情報を、
キーにたとえるなら、
脳みその中に蓄えられた情報は、
カギということになる。

キーとカギがうまく合えば、
心地よく感じ、そうでないときは
そうでない。

ときに、理解できないときもある。

よい例が、日本地図。
日本地図を逆さまにして子ども
に見せてみるとよい。

ほとんどの子どもは、それが
日本地図であることにさえ、
気づかない。

P・トンプソンという学者は、
図形を逆さまにすると、ちがい
がわかりにくくなるという。

私も、それを実験してみた。
(参考:心理学の基礎、有斐閣)

++++++++++++

●P・トンプソンの実験

 A

 私の顔のイラストを2枚並べてみた(上、A)。左のイラストが、いつも使っているイラストであ
る。こうして並べてみると、そのちがいがよくわからない。両方とも、私の顔のように見える。

 そこでこの2枚の絵を、そのまま180度、回転させてみる(下、B)。するとどうだろう、顔のち
がいが、よくわかる。よくわかるというより、まったく別人のように見える。

 B

 P・トンプソンという学者は、ものは、さかさまにすると、そのちがいがよくわからなくなると説
く。ときに理解できないときもある。よい例が、日本地図。日本地図をさかさまにして、子ども
たち(小3〜4児)に聞く。「これはどこの国の地図かな?」と。

 ほとんどの子どもは、「知らない」「わからない」と答える。で、その地図を、180度回転して
見せる。とたん、「な〜んだ、日本の地図か」と、なる。

●キーとカギ 

 外から入ってくる情報をキーにたとえるなら、それを受け入れる脳みそのほうは、カギという
ことになる。キーとカギが、うまくかみ合えば、人間はそれを、それと理解できる。そうでなけ
れば、そうでない。ときに不愉快に感ずる。あるいは理解できないこともある。

 目で見た情報だけにかぎらない。耳から入ってくる情報についても、同じことが言える。たと
えば音楽にしても、はじめて耳にしたような曲は、最初、ザワザワとした感じを受ける。が、し
ばらくすると、あるいは2〜3回、繰りかえし聞いていると、脳みそになじんでいく曲と、そうで
ない曲があるのがわかる。

 脳みそになじんでいく曲は、脳みそのカギに合った曲ということになる。が、これには、当然、
個人差がある。Xさんには、すばらしい曲でも、Yさんには、そうでないということもある。さら
にどんなにすばらしい名曲でも、同時に2曲聞いたら、騒音でしかない。

 さらにこんなこともある。

 日ごろから、不愉快な印象をもっていた人がいたとする。その人が、あるとき、あるところで、
すばらしい意見を述べたとする。が、いくらすばらしい意見でも、(すばらしければすばらしい
ほど)、脳みその中に入っていかない。脳みそそのものが、拒絶反応を示すこともある。

 ……と考えてみると、脳みそというのも、ずいぶんといいかげんなものということがわかる。
「いいかげん」ということは、いいかげん。

●アクセルとブレーキ

 そこで大切なことは、脳みそというのは、いつも疑ってかかるということ。「そうだ」と思って
も、
「そうではないのではないか」と。反対に、「ちがう」と思っても、「そうではないのではないか」
と。

 こうした作業は、ものを書くとき、とくに大切である。神経の世界にも、交感神経と副交感神
経があることが知られている。交感神経をアクセルにたとえるなら、副交感神経は、ブレーキ
ということになる。

 この2つがあるから、体の動きや運動は、なめらかになる。

 同じように、思考の世界にも、交感神経と副交感神経がある(?)。「書きたい」と思う心をア
クセルにたとえるなら、「書いてはダメ」と思う心は、ブレーキということになる。この2つがいつ
も同時に脳みその中で、機能する。

 そのブレーキのひとつ。それが「疑う」ということになる。

 「私は正しいことを書いているか」
 「私はまちがったことを書いてないか」
 「私の意見は、偏(かたよ)っていないか」など。

 ……と思いながらも、中には、(あるいはほとんどの人は)、「はやし浩司の意見は、偏ってい
る」と思っているかもしれない。私は、ものを書きながら、それをもっとも、恐れる。

●錯視

 青木豊氏著の「心理学の基礎」には、ほかにも、いろいろなことが書いてある。「錯視」もその
ひとつ。

 ツェルナー図形、エビングハウス図形、垂直水平図形、ヴント図形、ミュラー・リヤー図形、
ボンゾ図形などが紹介されている。どれも一度は、どこかでお目にかかったことがある図形で
ある。

 たとえば同じ円でも、大きな円に囲まれた円は、より小さく見える。反対に、小さな円で囲ま
れた円は、より大きく見える(エビングハウス図形)。

 思考の世界でも、同じような経験をする。

 たとえば死刑について考えているときも、実際に、凶悪犯罪に巻き込まれ、深い悲しみのど
ん底にいる人の話を耳にしたりすると、「死刑も仕方ないのではないか」と、思ったりする。

 反対に、死刑の執行におびえ、日々に懺悔(ざんげ)している死刑囚の話を耳にしたりする
と、「死刑はやはりいけない」と、思ったりする。つまりそのつど、思考そのものが、ゆらぐ。

 また平行線でも、斜線に包まれると、ゆがんだ直線に見えるようになる(ヴント図形)。

 同じように、自分では正しいことを書いているつもりでも、日々の生活に追われたりしたりし
ていると、それがゆがむことがある。だれかに媚(こび)を売ったり、反対に、不必要に批判的
になったりする。

 ……などなど。P・トンプソンの実験を見ながら、そんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 P・ト
ンプソン 錯視)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●コンフリクト

+++++++++++++

私たちは何をするにも、心の
中で葛藤(=コンフリクト)する。
葛藤の連続と言ってもよい。

多くのばあい、二律相反した作用が、
同時に心の中で起きる。

「運動はしたくない」「しかし
運動をしなければ、健康が
維持できない」と。

こうした心の葛藤を類型化した
のが、レヴィン(K・Lewin)と
いう学者である。

彼は、コンフリクトを、内容別に

(1)接近―接近型
(2)回避―回避型
(3)接近―回避型
(4)二重の接近―回避型
(春木豊・「心理学の基礎」)

の4つに分類した。

++++++++++++++

 たとえば、お金はたっぷりある。そのお金で、昼食を食べることにした。町へ出ると、2つの店
が並んでいた。フランス料理店と中華料理店である。どちらも食べたい。さあ、どうするか…
…と悩むのが、(1)の接近―接近型ということになる。できれば、両方とも食べたい。

 わかりやすく言えば、YES−YES型ということになる。

 つぎにたとえば、「働くのはいやだ」と仕事サボる。しかし仕事をしなければ、借金が返せな
いという状況を考えてみよう。

 このばあい、「働くのもいやだが、借金取りに追いかけ回されるのもいや」という状況に追い
込まれる。さあ、どうするか……と悩むのが、(2)の回避―回避型ということになる。できれば
両方とも避けたい。

 わかりやすく言えば、NO−NO型ということになる。

 またこんな状況はどうだろう。火の中に、栗が落ちている。おいしそうな栗だ。取って食べた
い。が、へたをすれば、やけどをするかもしれない。さあ、どうするか……と悩むのが、(3)の
接近―回避型ということになる。何かをしたいのだが、その何かを、負の要因が取り囲んでい
る。

 わかりやすく言えば、YES−NO型ということになる。

 さらに、こうしたYES−NOが、2つ以上、複雑にからんでいるばあいを、(4)の二重の接近
―回避型という。

 春木豊氏著の「心理学の基礎」では、こんな興味ある事例をあげて、回避―回避型を考え
ている。

 「学校へ行きたくない。しかし学校へ行かなければ、親に叱られる」と。

 このばあい、「学校へ行きたくない」という思いと、「親に叱られるのもいや」という思いが、同
時に心の中で作用する。そしてそのどちらが強いかによって、子どもの行動は決まるという。

 最終的に、「学校へ行きたくない」という思いの方が、「親に叱られるのがいや」という思いよ
りも強くなったとき、子どもは、学校へ行かなくなる。「親に叱られた方が、楽」と。

 そのバランスを、ミラーという学者は、「接近勾配と回避勾配」(同書)で表現した。経済でい
うところの、損益分岐線に似ている。値段をあげれば、利益幅は大きくなるが、売れなくなる。
値段をさげれば、売れるが、利益幅は小さくなる。二本の直線は、あるところで、交差する。

 同じように、接近と回避を直線で表示すると、その直線は、あるところで、交差する。そして
その作用の強い方に向かって、行動が開始される。

 「学校へは行きたくないが、親にガミガミ言われるのは、もっといや」ということであれば、そ
の子どもは、学校へ行く。

 「学校へ行きたくない。親にガミガミ言われる方が、マシ」ということであれば、その子ども
は、
学校へ行かない。

 なるほどと思う理論なので、ここに書きとめておく。

 ……と考えていくと、冒頭に書いたように、私たちの行動には、つねにこのコンフリクトがつ
いて回る。私が最近、経験したケースでは、こんなことがある。これは(4)の二重の接近―回
避型ということになる。

 母を介護しているときのこと。

 たて続けに数回、事故が起きた。母は夜中に、ベッドの周囲を動き回る。そのとき、さかさま
にベッドと柵の間に頭をつっこんだりした。偶然にも、私たちが発見したからよかったようなも
の、もし発見が遅れていたら、母は死んでいたかもしれない。

 ケア・マネ(ケア・マネージャー)に相談すると、「添い寝をするしかありませんね」と。

 しかしそんなことをすれば、今度は私たちが不眠症になってしまう。ここでコンフリクトが始ま
る。

 「母の世話をしなければならない」「しかし添い寝はできない」と。

 さらに問題はつづく。そこで私たちは、介護施設に入居させることにした。が、費用は、ばか
にならない。兄も、現在、グループホームに入居している。

 「費用はだいじょうぶか」「しかし費用は負担しなければならない」と。

 が、最大の問題は、「子」として、「親」を施設に入れることには、大きな抵抗感を覚えたこと。
「できるなら自宅で、めんどうをみてやりたい」「しかし事故が起きてからでは、遅い」と。

 このようにいくつかのコンフリクトが同時多発的に起きた。まさにレヴィンの説くところの、
(4)二重の回避―接近型ということになる。

 で、義理の兄夫婦に相談すると、一も二もなく、「入居させなさい」だった。「そんなことしてい
たら、あなたたちの健康にさしさわりが出てくる」と。「それに事故でも起きたら、警察ざたにな
る」とも。

 で、老人介護施設に入居届けだけは出しておこうと思って足を運ぶと、たまたまそこの所長
さんが、応対に出てくれた。そして運よく(?)、「ちょうど明日、空きができますが、どうです
か?」とのこと。あとで知ったが、こんな例は、稀(まれ)だそうだ。ふつう半年待ち、長い人に
なると、1、2年待ち。

 そこでまたまたコンフリクト。「もう少し自宅で、めんどうをみていてやりたい」という思いと、
「この機会をのがしたら、1、2年先になる」という思い。その2つがはげしく心の中で対立した。

 まさにコンフリクトの連続!、……ということになった。

 しかし大切なことは、コンフリクトはいつも起きるものだとしても、バランスをよく考えて判断
するということ。その判断がじょうずにできる人を、良識のある人ということになる。そうでない
人を、そうでないという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 コン
フリクト 接近 回避 レヴィン Lewin)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●ソニーよ、だいじょうぶか?

 ソニーは、次世代液晶テレビとして、有機ELを開発した。何でもすばらしい発明らしい。この
ところ毎日のように、そのニュースが、流されている。

 ところが、である。

 同じソニーは、韓国のサムスンとの合弁事業を、さらに推進しようとしている。今朝の日経新
聞には、つぎのようにある。

 「ソニーのデジタル家電部門を統括するI副社長は3日、日本経済新聞記者に対し、2008年
3月期に1000万台をめざす液晶テレビの販売計画について「達成できる」との見通しを示し
た。また「液晶パネル需要のひっ迫を受け能力増強を急ぐ」と述べ、韓国サムスン電子との合
弁会社で増産を検討していることを明らかにした」と。

 つまりこうして日本の技術は、垂れ流し的に、韓国へ流れていく。日本政府が、いくら、自国
技術の保護を訴えても、企業は、利潤優先の論理で動く。業績が悪くなると、なりふり構わ
ず、
自国技術を外国に売り、生き残ろうとする。造船も、自動車も、電子産業も、そして液晶産業
も、こうして韓国へと流れていった。

 同じ今日、韓国は、K国の核兵器(現存する核兵器)は不問のまま、K国との南北経済協力
を宣言した。これがどういうことか、ソニーの副社長にも、わからぬはずはないだろう。

 だいじょうぶか、ソニー? 


●教科書検定

 文科省(文部省)は、ことあるごとに、「教科書検定は、国定ではない。政府は教科書検定に
関与していない」と、ウソを並べてきた。

 検定も、国定も、同じ。時事通信は、つぎのように伝える。

 「高校日本史の教科書検定で、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述が
削除された問題で、沖縄県のN知事らは3日、閣僚ら関係先への要請後に都内で記者会見
し、
「県民の声は届いたと思う。どういう形で答えが返ってくるか待っている」と述べ、記述復活に
期待感を示した。

 N知事は、渡海紀三朗文部科学相の反応については、「評価するしないの段階に至らない」
としつつも、教科用図書検定調査審議会再開の可能性が浮上したことなどについて、「官邸
や文科省も敏感に反応されて、急速な動きが出てきた点がこれまでと違う」と評価。その上
で、
「県民の反応をよく受け取っていただいて、県民大会の結果がいい結果になるよう願ってい
る」と話した」(時事通信・10月5日)と。

 「政府は検定に関与しない」というのなら、沖縄県のN知事が何を言っても、門前払いにすれ
ばよい。が、「官邸や文科省も敏感に反応されて、急速な動きが出てきた」とは! これはい
ったい、どういうことなのか?

 表では、「関与しない」と言いながら、裏では、「しっかりと関与している」と言っていることに
なる。こういう口先だけのごまかしばかりしているから、だれにも相手にされなくなる。

 教科書の検定(国定でもよい)をしている国は、欧米先進国の中では、この日本だけ。中国
や、K国のような国ならいざ知らず、どうしてこの日本に、教科書検定制度が残っているの
か? あるいは政府は、いったい、何を恐れているのか?

 オーストラリアにも検定制度はある。しかしまったくの民間団体。しかも検定項目は、暴力と
セックスだけ。「歴史については検定してはいけない」という制約が、ちゃんとつけられてい
る。

 もちろんアメリカにもない。学校ごとに、自由にテキストを選んで使用している。(「テキスト」
はテキスト。私たちがイメージとしてもつ「教科書」とは、まったく異質のものである。)

 はからずも今回の事件で、政府は、「教科書検定には、国が関与している」ということを、間
接的に認めたことになる。

●教科書改革

 日本の子どもたちが使う教科書は、アメリカの高校生が使う教科書の、3分の1程度でみて
よい。つまり、薄い。

 私が調べた、プレンティス版の中学校用の数学のテキストにしても、日本の百科事典程度
の大きさと分量がある。

 アメリカでは、教科書は、学校の備品ということになっている。日本のように使い捨てではな
い。また当然のことながら、アメリカおよび欧米各国には、教科書検定制度は、ない。

 日本の文科省は、「教科書の検定制度は、世界の常識」などという、大ウソをついているが、
現在、検定制度を実施している国は、近くでは、韓国、K国、中国などの、全体主義国家の色
彩が強い国だけである。

 これについても、文科省は、「日本のそれは、外郭団体の検定であって、韓国や中国でいう
国定ではない」と、大ウソを言っている。検定も国定も、どこもちがわない。

 さらに一言。

 (教科書制作販売会社)→(政府)→(検定制度)は、巨大利益を間に、相互に、ふかく結び
ついている。それも忘れてはいけない。




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 11月 2日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●多文化共生

++++++++++++++

外国人労働者がふえている。
当然、その子どもたちも、
ふえている。

日本が、この先、国際社会の中で
生き延びていくためには、外国人
労働者の存在を、否定することは
できない。

少子高齢化でできる穴を、こうした
外国人労働者たちが、埋めてくれる。
が、問題は、ないわけではない。

++++++++++++++

 先日(07年9月)、静岡県K町にある小学校で、講演をさせてもらった。昔からお茶の産地と
して知られる、田園風景の美しい街である。その席で、校長が、こんな数字を教えてくれた。
校長が話してくれたことをメモにしただけなので、数字的には、不正確かもしれない。

 校長は、こう言った。「私はこの地域で生まれ育ちましたが、この40年間で、学校の様子も、
すっかり変わりました」と。その上で、「ご存知ないかもしれませんが、実は、このK町が、外国
人比率では、静岡県、ナンバー・1です」と。

私「このK町がですか?」
校「そうなんですよ。そんなわけで、この学校にも、外国人の子どもたちが、たくさん来ていま
すよ」
私「どれくらいの割合ですか?」
校「全校生徒数452人のうち、外国人の子どもは、39人です」
私「39人も、ですか!」と。

 外国人というのは、ブラジルを中心とする、南米からの労働者の子どもをいう。452人中、3
9人といえば、約8・6%ということになる。おおざっぱに言えば、10人のうち、1人弱ということ
になる。

校「が、そのうち、つまり39人のうち、21人がほとんど日本語を理解できません。つまり日本
語指導が必要な子どもたちです」
私「学級を別にしているのですか?」
校「そうできればいいのですが、それができないから困っているのです」と。

 同じような問題を、浜松市の西にある、K市もかかえている。自動車部品を作る企業が、数
多く並んでいる。そのK市の中心部に、K小学校という、全校児童800人ほどのマンモス校が
ある。そうしたマンモス校では、こうした外国人の子どもたちのために、特別の予算がつけら
れている。ポルトガル語のできる指導員も配属されている。私が見学させてもらったクラスで
は、3〜4人の子どもに、1人の教師がついて、マンツーマンの指導をしていた。

 つまり、こうした指導には、お金がかかる。

 が、たとえばブラジル人の子どもたちにかぎって言えば、ブラジル人学校がないわけではな
い。先のK町の子どもたちにしても、通えなくはない。しかし学費が高い。

 一般公立小学校のばあい、月1万円弱程度の学費で、通学できる。一方、ブラジル人学校
のばあい、学費は、月、6万円前後。中には、子どもを2〜4人、連れて日本へやってくる夫婦
もいる。そのため「どうしても学費の安い公立小学校で……」となるらしい。

 もちろん、問題もある。

 ほとんどの親たちは、子どもを学校へ連れてきて、こう言うという。「日本語を教えてほしい」
と。

 しかし現在の学校には、そういうカリキュラムは用意されていない。「しかたないので、ふつう
の学級で、日本の子どもたちといっしょに、学習させています」(K小学校談)とのこと。

 が、さらに問題はつづく。

 つぎの話は、私の地元で市議会議員をしている男性(40歳くらい)から聞いたものである。
その男性は、こう言った。ある市営団地(集合住宅)のほとんどが、外国人労働者たちによっ
て、支配されてしまったという。そういう話の中で、こう教えてくれた。

 「文化の破壊が進んでいます」と。

 たとえば南米からの労働者たちは、夜中でも、パーティを開く。大騒ぎする。信号無視は、当
たり前。交通ルールも守らない。黄色車線でも、平気で追い抜きをかけてくる。

学校教育についても、ブラジル人の子どもたちは、雨が降れば学校を休む。行事があって
も、土曜日には、学校へは来ない。ある日突然入学したかと思うと、またある日、突然、学
校をやめてどこかへ行ってしまう、など。

 だからといって、ブラジル人の子どもたちを責めているのではない。ブラジルにはブラジル
の伝統や、習慣というものがある。「彼らはそっくりそのまま、この日本に持ちこんでくるのです
ね」(市議会議員の男性談)と。

 それがさらに、このところ過激に(?)なってきた。以前はというと、南米からの労働者といっ
ても、少数派。目立たなかった。日本の社会の同化しようという意識も、まだあった。

 それがこのところ、先にも書いたように、全体の10%〜とか、地域によっては、それ以上に、
なってきた。しかも経済的に余裕のある外国人労働者がふえてきた。この浜松市でも、ここ数
年、外国人労働者の運転する車が、目立って多くなった。

 つまりその分、「ますます態度が大きくなってきた」(市議会議員の男性談)とのこと。そして
それがそのまま学校教育という場に、反映されるようになった。

 冒頭に書いたK町の小学校の校長は、こう言った。「他文化共生も結構ですが、今、現場で
は、学校教育を守るのに必死です。このままでは、学校教育そのものが、崩壊してしまいま
す」と。

 ことは深刻である。ゆいいつの解決策は、公立のブラジル人学校を開設することだが、それ
にもこれまた多くの問題がある。が、不可能ではない。

 カナダでは、学校の設立そのものが、自由化されている。しかも内部で教える言語は、自
由。
日本も今すぐ……というわけには、いかないかもしれないが、日本がこの先、国際社会の中
で生き残っていくためには、教育の自由化、教育の国際化も、避けられないのでは?

 私はその小学校の校長の話を聞きながら、そんなことを考えていた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【謎の扁桃体(核)】(思考と心のメカニズム)

++++++++++++

脳の中心部に、辺縁系という
組織がある。その中に扁桃体
という組織がある。「扁桃核」と
呼ぶ人もいる。

この扁桃体が、実は、人間が
人間らしくあるための、カギを
にぎっている(?)ということが、
最近の研究でわかってきた。

今までに、それについて書いた
原稿を集めてみた。

一部、重複する部分があるかも
しれないが、許してほしい。

+++++++++++++

●思考のメカニズム

 古来中国では、人間の思考作用をつぎのように分けて考える(はやし浩司著「目で見る漢方
診断」「霊枢本神篇」飛鳥新社)。

 意……「何かをしたい」という意欲
 志……その意欲に方向性をもたせる力
 思……思考作用、考える力
 慮……深く考え、あれこれと配慮する力
 智……考えをまとめ、思想にする力

 最近の大脳生理学でも、つぎのようなことがわかってきた。人間の大脳は、さまざまな部分
がそれぞれ仕事を分担し、有機的に機能しあいながら人間の精神活動を構成しているという
のだ(伊藤正男氏)。たとえば……。

 大脳連合野の新・新皮質……思考をつかさどる
 扁桃体……思考の結果に対して、満足、不満足の価値判断をする
 帯状回……思考の動機づけをつかさどる
 海馬……新・新皮質で考え出したアイディアをバックアップして記憶する

 これら扁桃体、帯状回、海馬は、大脳の中でも「辺縁系」と呼ばれる、新皮質とは区別される
古いシステムと考えられてきた。しかし実際には、これら古いシステムが、人間の思考作用を
コントロールしているというのだ。まだ研究が始まったばかりなので、この段階で結論を出す
のは危険だが、しかしこの発想は、先の漢方で考える思考作用と共通している。あえて結び
つけると、つぎのようになる。

 大脳皮質では、言語機能、情報の分析と順序推理(以上、左脳)、空間認知、図形認知、情
報の総合的、感覚的処理(以上、右脳)などの活動をつかさどる(新井康允氏)。これは漢方
でいう、「思」「慮」にあたる。で、この「思」「慮」と並行しながら、それを満足に思ったり、不満
足に思ったりしながら、人間の思考をコントロールするのが扁桃体ということになる。

もちろんいくら頭がよくても、やる気がなければどうしようもない。その動機づけを決めるの
が、帯状回ということになる。これは漢方でいうところの「意」「志」にあたる。日本語でも「思
慮深い人」というときは、ただ単に知恵や知識が豊富な人というよりは、ものごとを深く考え
る人のことをいう。が、考えろといっても、考えられるものではないし、考えるといっても、方
向性が大切である。それぞれが扁桃体・帯状回・海馬の働きによって、やがて「智」へとつ
ながっていくというわけである。 

 どこかこじつけのような感じがしないでもないが、要するに人間の精神活動も、肉体活動の
一部としてみる点では、漢方も、最近の大脳生理学も一致している。人間の精神活動(漢方
では「神」)を理解するための一つの参考的意見になればうれしい。
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(375)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●考えることを放棄する子どもたち

 「考える力」は、能力ではなく、習慣である。もちろん「考える深さ」は、その人の能力によると
ころが大きい。が、しかし能力があるから考える力があるとか、能力がないから考える力がな
いということにはならない。もちろん年齢にも関係ない。子どもでも、考える力のある子どもは
いる。おとなでも考える力のないおとなはいる。

 こんなことがあった。幼児クラスで、私が「リンゴが三個と、二個でいくつかな?」と聞いたと
きのこと。子どもたち(年中児)は、「五個!」と答えた。そこで私が電卓をもってきて、「ええ
と、
三個と二個で……。ええと……」と計算してみせたら、一人女の子が、私をじっとにらんでこう
言った。「あんた、それでも先生?」と。私はその女の子の目の中に、まさに「考える力」を見
た。

 一方、夜の番組をにぎわすバラエティ番組がある。実に軽薄そうなタレントが、これまた軽
薄なことをペラペラと口にしては、ギュアーギャアーと騒いでいる。一見考えてものをしゃべっ
ているかのように見えるが、その実、彼らは何も考えていない。脳の、きわめて表層部分に飛
来する情報を、そのつど適当に加工して、それを口にしているだけ。

まれに気のきいたことを言うこともあるが、それはたまたま暗記しているだけ。あるいは他
人の言ったことを受け売りしているだけ。そういうときその人が考えているかどうかは、目つ
きをみればわかる。目つきそのものが、興奮状態になって、どこかフワフワした感じになる。
(だからといって、そういうタレントたちが軽薄だというのではない。そういう番組がつまらな
いと言っているのでもない。)

 そこで子どもの問題。この日本では、「考える教育」というのが、いままであまりにもなおざり
にされてきた。あるいはほとんど、してこなかった? 日本では伝統的に、「できるようにする
こと」に、教育の主眼が置かれてきた。学校の先生も、「わかったか?」「ではつぎ!」と授業を
進める。(アメリカでは、「君はどう思う?」「それはいい考えだ」と言って、授業を進める。)親
は親で、子どもを学校に送りだすとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言う。(アメリカでは、
「先生によく質問するのですよ」と言う。)(田丸謙二先生、指摘)

その結果、もの知りで、先生が教えたことを教えたとおりにできる子どもを、「よくできる子」
と評価する。そしてそういう子どもほど、受験体制の中をスイスイと泳いでいく。しかしこん
なのは教育ではない。指導だ。つまり日本の教育の最大の悲劇は、こうした指導を教育と
思い込んでしまったところにある。

 大切なことは、考えること。子どもに考える習慣を身につけさせること。そして「考える子ど
も」を、正しく評価すること。そういうしくみをつくること。それがこれからの教育ということにな
る。
またそうでなければならない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●知識と思考

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短期
記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶という
のは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれに含まれ
る。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記憶
は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶は
「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日本実業
出版社)参考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だけで
は、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題によっ
て、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんであると
認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが近づい
てくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。これらが瞬時に相互に機能しあ
って、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当たる。あぶないから手で受け止めろ」
ということになって、人は手でそれを受け止める。

しかしこの段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。この危
険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳ということ
になる。人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記憶を呼び起
こしながら、それを脳の中で有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論として、
思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。で、最近の研
究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということがわかってきた
(伊藤正男氏)。

伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・新皮質」というところで思考がな
されるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃体(価値判断)なども総合的に
作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」は別の
ものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多いから思考能力
が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはならない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数がで
きる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子どもということ
にはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここでひも解いてみた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●馬に水を飲ますことはできない

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』とい
うのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の
問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのよう
に説明されている。

 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁という部分がある。それらを包み込んでいるのが、大脳
辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬もこの中
にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組織がある
という(伊藤正男氏)。

つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明さ
れている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持な
どを維持するための機関と考えられていた。)

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確
ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を
分担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が
起こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水
を飲ませることはできない』のである。

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考えるば
あいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよければさらに乗
り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状回なのです」(日
本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味
で、
やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな
い」。それだけのことかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心のメカニズム

*****************

少し不謹慎な話で恐縮だが、セックス
をすると、言いようのない快感が、脳
全体をおおうのがわかる。これはセッ
クスという行為によって刺激され、脳
にモルヒネ様の物質が放出されるため
である。しかしこういう快感があるか
ら人は、セックスをする。つまり、種
族を私たちは維持できる。同じように、
よいことをしても、脳の中で、同様の
変化が起きる? それについて考えて
みた。

*****************

 まず、数か月前に私が書いたエッセーを読んでみてほしい。この中で、私は「気持ちよさ」と
か、「ここちよさ」という言葉を使って、「正直に生きることの大切さ」について書いてみた。

●常識の心地よさ 

 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思えば、
美しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そういう自分
に静かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にとって不愉快かが
わかるようになる。無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人は
いない。排気ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知って
いる。それが「常識」だ。

 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直になって
みるのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まちがえて五〇
円、余計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私がその五〇円を
返すと、店員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそうに笑った。そのここちよ
さは、みんなが知っている。

 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそうでな
くても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実のところ、私は
若いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついている。自分では「いけないこと
だ」と思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることができない。私の中には、私
であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つっぱったり……。

先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車に飛び乗った。「家にな
んか帰るものか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町のT市のホテルに泊まるつもり
でいた。が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみた。「私は本当に、ホテルに泊ま
りたいのか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、自分のふとんの中で、女房の横で寝
たかった。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。

 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私であっ
て、
私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。いつ、なぜ
そういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そういう私であって私でな
い部分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。

 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」を知る。
いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、それなりに戦わね
ばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」をみがくこと、そのも
のと言ってもよい。

●なぜ気持ちよいのか

 少し話が専門的になるが、大脳の中心部(大脳半球の内側面)に、辺縁系(大脳辺縁系)と
呼ばれる組織がある。「辺縁系」というのは、このあたりが、間脳や脳梁(のうりょう)を、ちょう
ど包むようにフチどっていることから、そう名づけられた。

 その辺縁系の中には、認知記憶をつかさどる海馬(かいば)や、動機づけをする帯状回(た
いじょうかい)、さらに価値判断をする扁桃体(へんとうたい・扁桃核ともいう)がある。その扁
桃体が、どうやら、人間の善悪の感覚をつかさどっているらしいことが、最近の研究でわかっ
てきた。

もう少しわかりやすく言うと、大脳(新皮質部)でのさまざまな活動が、扁桃体に信号を送
り、
それを受けて、扁桃体が、麻薬様の物質を放出する。その結果、脳全体が快感に包まれる
というのだ。ここに書いたケースで言えば、私が店員さんに五〇円のお金を渡したことが、
扁桃体に信号を送り、その扁桃体が、私の脳の中で、麻薬様の物質を放出したことにな
る。

 もっとも脳の中でも麻薬様の物質が作られているということは、前から知られていた。そのひ
とつに、たとえばハリ麻酔がある。体のある特定の部位に刺激を与えると、その刺激が神経を
経て、脳に伝えられる。すると脳の中で、その麻薬様物質が放出され、痛みが緩和される。私
は二三、四歳のころからこのハリ麻酔に興味をもち、一時は、ある研究所(社団法人)から、
「教授」という肩書きをもらったこともある。

 それはそれとして、麻薬様物質としては、現在数十種類ほど発見されている。その麻薬様物
質は、大きく分けて、エンドルフィン類と、エンケファリン類の二つに分類される。これらの物
質は、いわば脳の中で生産される自家製のモルヒネと思えばよい。こうした物質が放出され
ることで、その人はここちよい陶酔感を覚えることができる。

 つまりよいことをすると、ここちよい感じがするのは、大脳(新皮質部)が、思考としてそう感
ずるのではなく、辺縁系の中にある扁桃体が、大脳からの信号を得て、麻薬様の物質を放出
するためと考えられる。少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、心の働きというのも、こう
して、ある程度は、大脳生理学の分野で説明できるようになった。

 で、その辺縁系は、もともとは動物が生きていくための機能をもった原始的な脳と考えられ
ていた。私が学生時代には、だれかからは忘れたが、この部分は意味のない脳だと教えられ
たこともある。しかしその後の研究で、この辺縁系は、ここにも書いたように、生命維持と種族
維持だけではなく、もろもろの心の活動とも、深いかかわりをもっていることがわかってきた。

そうなると人間は、「心」を、かなりはやい段階、たとえばきわめて原始的な生物のときから
もっていたということになる。ということは、同属である、犬やネコにも「心」があると考えてよ
い。実際、こんなことがある。

 私は飼い犬のポインター犬を連れて、よく散歩に行く。あの犬というのは、知的なレベルは
別としても、情動活動(心の働き)は、人間に劣らずともあると言ってよい。喜怒哀楽の情はも
ちろんのこと、嫉妬もするし、それにどうやら自尊心もあるらしい。

たとえば散歩をしていても、どこかの飼い犬がそれを見つけて、ワンワンとほえたりすると、
突然、背筋をピンとのばしたりする。人間風に言えば、「かっこづける」ということになる。そ
して何か、よいことをしたようなとき、頭をなでてやり、それをほめたりすると、実にうれしそ
うに、そして誇らしそうな様子を見せる。恐らく、……というより、ほぼまちがいなく、犬の脳
の中でも、人間の脳の中の活動と同じことが起きていると考えてよい。つまり大脳(新皮質
部)から送られた信号が、辺縁系の扁桃体に送られ、そこで麻薬様の物質が放出されてい
る!

●心の反応を決めるもの

 こう考えていくと、善悪の判断にも、扁桃体が深くかかわっているのではないかということに
なる。それを裏づける、こんなおもしろい実験がある。

 アメリカのある科学者(ラリー・カーヒル)は、扁桃体を何らかの事情で失ってしまった男性
に、
つぎのようなナレーションつきのスライドを見せた。そのスライドというのは、ある少年が母親
といっしょに歩いているとき、その少年が交通事故にあい、重症を負って、もがき苦しむという
内容のものであった。

 そしてラリー・カーヒルは、そのスライドを見せたあと、ちょうど一週間後に再び、その人に病
院へ来てもらい、どんなことを覚えているかを質問してみた。

 ふつう健康な人は、それがショッキングであればあるほど、その内容をよく覚えているもの。
が、その扁桃体を失ってしまった男性は、スライドを見た直後は、そのショッキングな内容を
ふつうの人のように覚えていたが、一週間後には、そのショッキングな部分について、ふつう
の人のように、とくに覚えているということはなかったというのだ。

 これらの実験から、山元大輔氏は『脳と記憶の謎』(講談社現代新書)の中でつぎのように書
いている。

(1)(扁桃体のない男性でも)できごとの記憶、陳述記憶はちゃんと保たれている。
(2)扁桃体がなくても、情動反応はまだ起こる。これはたぶん、大脳皮質がある程度、その働
きを、「代行」するためではないか。
(3)しかし情動記憶の保持は、致命的なほど、失われてしまう。

 わかりやすく言えば、ショッキングな場面を見て、ショックを受けるという、私たちが「心の反
応」と呼んでいる部分は、扁桃体がつかさどっているということになる。

●心の反応を阻害(そがい)するもの

 こうした事実を、子育ての場で考えると、つぎのように応用できる。つまり子どもの「心」とい
うのも、大脳生理学の分野で説明できるし、それが説明できるということは、「心」は、教育に
よって、はぐくむことができるということになる。

 そこで少し話がそれるが、こうした脳の機能を阻害するものに、「ストレス」がある。たとえば
ニューロンの死を引き起こす最大の原因は、アルツハイマー型などの病気は別として、ストレ
スだと言われている。何かの精神的圧迫感が加わると、副腎皮質から、グルココルチコイドと
いう物質が分泌される。そしてその物質が、ストレッサーから身を守るため、さまざまな反応
を体の中で引き起こすことが知られている。

 このストレスが、一時的なものなら問題はないが、それが、長期間にわたって持続的につづ
くと、グルココルチコイドの濃度があがりっぱなしになって、ニューロンに致命的なダメージを
与える。そしてその影響をもっとも強く受けるのが、辺縁系の中の海馬だという(山元大輔
氏)。

 もちろんこれだけで、ストレスが、子どもの心をむしばむ結論づけることはできない。あくま
でも「それた話」ということになる。しかし子育ての現場では、経験的に、長期間何らかのスト
レスにさらされた子どもが、心の冷たい子どもになることはよく知られている。イギリスにも、
『抑圧は悪魔を生む』という格言がある。この先は、もう一度、いつか機会があれば煮つめて
みるが、そういう意味でも、子どもは、心豊かな、かつ穏やかな環境で育てるのがよい。そし
てそれが、子どもの心を育てる、「王道」ということになる。

 ついでに、昨年書いたエッセーを、ここに転載しておく。ここまでに書いたことと、少し内容が
重複するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの心が破壊されるとき

 A小学校のA先生(小一担当女性)が、こんな話をしてくれた。「一年生のT君が、トカゲをつ
かまえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタをつかまえてき
て、トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にもこんな
経験がある。もう二〇年ほど前のことだが、一人の子ども(年長男児)の上着のポケットを見る
と、きれいに玉が並んでいた。

私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、その直後、背筋が凍りつくのを覚えた。よく見る
と、それは虫の頭だった。その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを口で
かませる。かんだところで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の
頭だった。また別の日。

小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さなトカゲだっ
た。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その子どもはトカゲを足
で踏んで、そのままつぶしてしまった!

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情不
足)、
過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの側からみて息
が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環境や、権威主義的
(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)な子育てが、原因となる
こともある。

要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあるとみ
る。
さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破壊するこ
ともある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、もの
の考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバランス感覚を
なくすのが知られている。「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断
する能力のことをいう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするように
なる。昔、こう言った高校生がいた。

「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減らせばいい。そうすれば、
ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をするが、言いかえると、愛情豊か
な家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような温もりのある子どもになる。心も
やさしくなる。

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたのでもな
い。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう言った。「そう
いう残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、無感動
(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく誤解される
が、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」があるからではない。
非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままスーッと仲間に
入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができない。だか
ら結果的に、「悪」に染まってしまう。

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみてほし
い。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷なゲームや、
銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家庭教育のあり方
をかなり反省したらよい。子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを
渡すと、心の中が読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れて
いる子どもは、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復する
としても、四、五歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(02−11−23)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数十万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、魚
そっくりのときもあるそうだ。

 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰り返
す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせる場面に、
よく出会う。たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつ
れて、さまざまな感情をもつようになる。

よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがある。眠っている赤子が、何を思うのか、
ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の発達を段階的に繰り返しながら、子どもは成長す
る。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、扁
桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。確かに知的活動(大脳連合野の新新皮
質部)と、情動活動は、違う。たとえば一人の幼児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児
は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮かべる。その表情を観察してみると、それは知的な判
断がそうさせているというよりは、もっと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしている
ことがわかる。が、それだけではない。

 幼児、なかんずく四〜六歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であるこ
とがわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、生まれな
がらにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなったと考えるのが正
しい。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもに
はならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)

 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよくわか
る。

 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺しても、
それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚えるとか。
新生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早くミルクをよこしや
がれ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間はとっくの昔に、絶滅して
いたはずである。つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善
人であるという証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、この一、
二年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、場合に
よっては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣の中の幼虫
を地面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば一〇分もたたないうちに、無数の小さな
アリが集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。

 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかかって
いるのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあるハチ
の幼虫が、動き出したのである!

 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従ってい
るだけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうもそれだけで
はないように感じた。

たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる排泄行
為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考える。そして相手
が楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。

同じように、私はアリたちにも、同じような作用が働いているのではないかと思った。つまり
アリたちは、ただ単に行動本能に従っているだけではなく、「皆と力を合わせて行動する喜
び」を感じているのではないか、と。またその喜びがあるからこそ、そういった重労働をする
ことができる、と。

 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔に絶滅し
ていたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜びを感じている
に違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しかも過酷な肉体労働をす
ることができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それとも悪
なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存在」なのである。
私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠である。繰り返すが、もし
私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔に、恐らくアメーバのような生物
にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じてよい。
自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それに従って
行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02−8−3)

参考文献……『脳と記憶の謎』山元大輔(講談社現代新書)
      『脳のしくみ』新井康允(日本実業出版社)ほか
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 扁桃
体 扁桃核 善悪 性善説 性悪説 心のメカニズム)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私は、もう知らない!

++++++++++++++

6か国協議は、すべて韓国と
K国の思惑通りに、ことが
運んでしまった。

「アメリカの脅威」という、ありも
しないK国の妄想の上に組み立
てられた、6か国協議。

「だから我々が核兵器開発する
のは、当然」と。

それを妄想と、百も承知の上で、
他の5か国は、いいように手玉に
取られてしまった。

これから先、日本は、単独で、
K国と対峙していかねばならない。

K国が提示してきた戦後補償費なる
賠償金は、40兆円とも、あるいは、
それ以上とも言われている。
(日本の国家予算にも匹敵する、
40兆円だぞ。しかもそれですむと
いう保証はどこにもない。)

K国に残された核兵器は不問の
まま。日本はその影におびえ、この先、
長い長い、日朝交渉を繰りかえして
いかねばならない。

その覚悟はあるのか?

今さら、「対米追従外交反対論は
まちがっていました」とは、口が
避けても言えまい。

そういえば、昨年、対米追従外交
反対論を唱えていた、あの威勢の
よかった評論家たちは、今は、
どこに姿を消した?

おかげでアメリカは、日本を完全に、
切り捨ててしまった。

しかし……ここにきて、K国の態度が、
急激に(まとも)になってきた?

その(まともさ)が、かえって不気味。

さて、日本はここで、韓国、K国という、
最悪の反日国家の誕生を許す
ことになる。

地上軍だけで、計160万。
彼らがまともに戦争をしかけてきたら、
日本の自衛隊など、数日ももたない。

私は、もう知らない。

++++++++++++++

 政治までもが、ギャグ化してしまった、この日本。昨日も、ビート・T氏司会で、「独裁国家も
悪くない」という番組が流されていた。内容は、「独裁国家でも、それなりにいいところはある。
たとえばキューバ。医療費は、すべて無料!」と。

 腹がふくれれば、それでいいのか? それなりにいい生活ができれば、それでいいのか?
バカめ!

 人間にとってもっとも大切なもの。それが思想の自由であり、言論の自由。それなくして、何
が国家だ。人権だ。自由だ。人間が人間である証(あかし)は、思考にある。思想にある。人間
は、自ら考えるから、人間なのだ。

 あの番組を見た、若者たちは、きっとこう思ったことだろう。「独裁国家も、なかなかいいじゃ
ん。めんどくさくなくて……」と。

 思想がないから、正義もない。正義がないから、国際社会の中で、右往左往するだけ。その
結果が、今度の6か国協議。拉致問題にかこつけて、会議の隅で小さくなっているだけ。だか
ら、だれにも支持されない。相手にされない。

 私は、もう知らない。どうぞ、ご勝手に! 今となっては、この日本に、打つ手なし!
2007年9月30日記


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●今日・あれこれ(9月30日)

●パソコンがなおった!

 いろいろあった。あったが、なおった。とうとう、なおった。今は、そのなおったパソコンを相手
に、こうして好きな文を書いている。楽しんでいる。気持ちよい。

 結局のところ、今回の故障は、OSファイルの破損と、マザーボードの故障ということになっ
た。ついでに、ハードディスクの不調。いろいろ重なった。今までの故障の中でも、いちばんの
重傷だった。

 しかし、なおった!


●ファイルの保存

 みなさんも、データファイルの保存だけは、大切に。そのつど、こまめに、保存しておくのが
よい。私は、つぎのような方法で、データファイルを保存している。

(1)外づけハードディスクに、データファイルを保存。(これは常時)
(2)有料のインターディスクに、データファイルを保存。(これは週に、2、3度)
(3)ときどきDVDにデータファイルを、焼いて保存。(これは月に、1、2度)
(4)ほかに、原稿は、あちこちのBLOGに書き込むことで、保存。

 大きな故障だったが、今回も、そんなわけで、あわてずにすんだ。いつなんどき、パソコンと
いう怪物は、へそを曲げて故障するか、わかったものではない。

 そうそう言い忘れたが、IDやパスワードなどは、そのつど、ノートもしくは、フロッピーディスク
に書きこんでおくとよい。これだけは、こまめにしておいたほうがよい。今回も、それで助かっ
た。


●誕生日プレゼント

 誕生日が近いというのに、まだプレゼントが決まらない。ワイフが毎日のように、聞く。「何が
ほしいの?」と。

 それで今日、Nというパソコンショップへ行って、工J舎の超小型パソコンを見てきた。が、見
たとたん、「これはダメ!」と。文字が小さすぎて、私には読めない。若いときならまだしも、今
の私には、読めない。それにキーボードが小さすぎる!

 結局、今日は、接続用のコードを一本買って帰ってきた。「これでいいよ」と、私が言うと、わ
いふは、「?」と。

 何にしようか……? 今の私には、とくにない。今日の私は、パソコンがなおっただけで、大
満足。


●今回から11月号

 この原稿から、マガジン11月号用になる。マガジンも、11月2日で、957号になる。あと43
号で、1000号。その1000号まで、あと3か月と少し。

 よくがんばった……と自分でも、そう思っている。ここまで書いて、何が変わったのか? い
ろいろ考えてみるが、結局は、何も変わっていない。変わっていないが、しかし、楽しかった。

 朝、目を覚ますと、一番に書斎に入る。朝、目を覚ましたとき、することが決まっているの
は、
楽しい。そこからその日が始まる。あるいはヒマなとき、「パソコンであれをしよう」「これをしよ
う」と考えているのも、楽しい。

 1000号を過ぎたら、アフィリエイトを本格的にしてみようかな? セカンドライフも、まだ手
づかずのまま。やってみたいことは、山のようにある。

 読者のみなさん、今まで、あれこれ声援、ありがとう! たぶん、1000号を過ぎても、この
まま書きつづけていくと思う。


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マガジン2007−12


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 12月 31日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★

http://bwhayashi2.fc2web.com/page028.html

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●気になる記事

+++++++++++++++++

HBCラジオ(函館)のBLOGに、
こんな書き込みがあった。それをまず、
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++++++++

+++++以下、BLOG、書き込み記事より

私には男の子が3人います。上の子が3歳、下の双子は1歳の時です。やんちゃ盛りで目
が離せず、外出もままならず世間から隔離されたような生活の日々。毎日の子育てに疲れ
て「何で私ばっかり・・・」と卑屈になって、でもそんな自分もまた嫌で落ち込んでいた
頃でした。

ある朝、まだ主人と子どもたちも寝ている時、何気なくテレビをつけると某テレビ番組で
講師の方が子育てについて話をされていました。

その講師の方は「子育ては許して忘れることです」と言いました。「許して忘れる。英語で
言うと"許す"は"forgive"、"忘れる"は"forget;。これを直訳すると"forgi
ve"は"与えるため"、"forget"は"得るため"です。では何を与えて何を得るためなの
か・・・。それは愛です。愛を与えるために許し、愛を与えるために忘れるのです。

しかも子どもたちは、そんな知識がなくても既に実行しているんです。お母さんに叱られ
ても5分か10分もするとケロッと忘れて、またすぐお母さんお母さんと言って寄って来
ます。子どもの方はとっくに"許して忘れる"を実行してるんですねぇ。」

この言葉は、いつもイライラしていた私の心にスーッと染み渡りました。叱ってばかりで
子どもが悪くなくても、自分の感情でつい子どもに当たったこともありました。でもどん
なに怒っても、やっぱり子どもたちは少しすると、お母さんお母さんと言って擦り寄って
来るのです。テレビを見ながら涙が後から、後から溢れ出て止まりませんでした。

今、子供たちは小学校へ通っています。その時の言葉は今も私の中で生きていて、優しい
気持ちでいさせてくれる言葉です。

++++++++以上、書き込み記事より、日付は、7月7日(水)とのみ、ある。

 「朝早く」ということだから、「テレビ寺子屋」? もしそうなら、その講師というのは、
この「私」ということになる。「許して忘れる」は、私の子育て論の根幹をなす育児哲学で
ある。

 しかし気になるのは、後半の部分。こう、ある。

 「しかも子どもたちは、そんな知識がなくても既に実行しているんです。お母さんに叱
られても5分か10分もするとケロッと忘れて、またすぐお母さんお母さんと言って寄っ
て来ます。子どもの方はとっくに"許して忘れる"を実行してるんですねぇ。」と。

 私は、こんなことを、話した覚えはない。話したとすれば、「私たちは、親として、無意
識のうちにも、この許して忘れるを、実行している」ということ。

 この女性は、どこでどのようにして、まただれから、この言葉を聞いたのだろう。その
講師というのは、だれだろう。

 もしこの「私」でないとしたら、その講師は、100%、私の持論をパクったことにな
る。

 一度、詳しく調べてみたい。なお、「許して忘れる」は、私の本などでは、1990年の
中ごろには、あちこちで発表している。また「愛を与えるために許し、愛を得るために忘
れる」というのは、100%、私のオリジナルの解釈である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
許して忘れる 許して、忘れる forgive & forget FORGIVE & FORGET for・give & 
for・get FOR・GIVE & FOR・GET 許して忘れるの育児論 許して忘れるの子育
て論 許して忘れるの教育論 愛を与えるために許す 愛を得るために許す by はや
し浩司)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【大晦日・雑感】

【2008年を展望する】

++++++++++++++++

2008年は、どんな年になるのだろう?

いろいろ考えてみる。

今朝のニュースを読むと、こんな記事
が載っていた。

「ローレンス・サマーズ元米財務長官は、
11月26日、ファイネンシャル・
タイムズ(FT)に投稿したコラムで、
『今年9月のサブプライム問題が起きたときは、
その余波が金融市場にだけ限られたが、
今は、米国経済の低迷のみならず、
世界経済の成長にも悪影響を及ぼすものとみられる」
と警告した。国際通貨基金(IMF)も最近、
来年の米国や欧州連合、日本などの経済成長率は、
今年より下がるだろうと展望した」(東亜N報)と。

何か、いやな感じ……。2008年の景気は、
今年より、悪くなるということらしい。

同じ記事の中には、「大恐慌以来の、衝撃」
という言葉もあった。

しかしあの時代と、現代は、さまざまな点で
ちがう。あの時代は、アメリカ一極にすべてが
集中していた。が、現代は、分散している。

日本がある。EUがある。中国やインドがある。
むしろ今回の、サブプライム・ローン問題は、
「アメリカの終わりの始まり」(経済各誌)
と説く論調が目立つ。 

そのことは、アメリカへ直接行ってみると、
わかる。

ホテルに泊まっても、電気器具は、中国、
台湾製。テレビは、東南アジア製などなど。
かろうじてアメリカ製と言えるのは、家具
くらいなもの。

しかもその家具といっても、見た目には
豪華でも、裏から見ると、板をパンパンと
貼り付けただけの、簡単なもの。

「これでは輸出はできないね」とワイフに
話すと、ワイフもあっさりと、同意して
くれた。

アメリカの産業と言えば、農業、電子産業、
軍事産業、それに映画産業。自動車産業
もあったが、今は、勢いが衰えてきた。

「終わりの始まり」という言葉が、現実味を
帯びてきた。

2008年の世界の動向は、すべてここを
起点とする。またここを起点として、
考える。

+++++++++++++++++

●今朝・あれこれ(11月29日)

 このところ、(寒さ)があまり気にならなくなった。冬の冷気を、むしろ心地よく感ずる
こともある。夏に体を鍛えたせいではないか。今年の夏も、クーラーなしでがんばった。
運動も欠かさなかった。生きざまも、少し、変わった。

 満60歳を迎える前までは、こんなふうに考えていた。たとえばモノを買うときも、「あ
と、10年もてばいい」とか、「どうせ使っても、10年」と。何でも、ものごとを、小さ
く、小さく、考えるようになっていた。しかし今は、ちがう。

 どうしてこの私が、この世界に遠慮して生きなければならないのか。年齢を気にして、
生きなければならないのか。昨夜も、中学生の女の子が、「先生は、いくつ?」と聞いた。
それに答えて、すかさず、私は、こう答えた。

 「あのね、人間は、年齢ではなく、中身だよ」と。

 いくつか数学の問題を相手にして、中学生たちと競争した。私は本気だった。本気で、
問題を解いてやった。今までは、わざと手を抜いたが、もう手を抜かない。抜く必要はな
い。ボケたフリをする必要もない。結果、どの問題も、1、2分で、解いてやった。中学
生たちは、みな、だれも、解けなかった。内心、「ザマーミロ!」と思った。

 国際情勢はどうであれ、私は、これからもずっと、現役のままがんばる。で、ワイフに、
こう言った。「ぼくはね、75歳まで、現役でいくよ」と。ワイフはうれしそうに笑った。

 そうそう、昨夜は、小雨がパラついていた。ワイフが教室まで迎えに来てくれた。しか
し私は自転車で帰った。かなり無理をして走った。そのせいか、今朝は、足が、少し痛い。
痛いと言っても、心地よい痛さだが……。


●失業率が3%

 今月のはじめ、韓国政府は、「韓国の失業率は、3%」と発表した。私はその数字を読ん
で、笑った。どうしてあの国は、ウソばかり並べるのか?

 経済記事に関して、割と正直なのが、韓国の東亜N報。中央N報や、朝鮮N報の記事な
どは、アテにならない。信用してはいけない。その東亜N報に、こんな記事が載っていた。

 「6世帯のうち、1世帯が、無職世帯」(11月26日付)と。もう少し詳しく内容を読
んでみよう。

 「世帯主がこれといった職業を持っていない、無職世帯の割合が韓国の全国世帯の16%
近くあることがわかった。 

28日、統計庁によると、今年第3四半期(7〜9月)、全国世帯の中で世帯主が無職で
ある世帯の割合は15.57%で、昨年同期(14.69%)比0.88%上昇した」
と。

 わかるかな?

 世帯主が無職である世帯が、16%もあるという。簡単に言えば、5軒に1軒。私の家
族にあてはめてみる。

 私という世帯主が無職。考えようによっては、失業率より、この「16%」という数字
は、深刻。息子や娘に仕事があっても、世帯主に仕事がない? あるいは息子や娘にも、
仕事がない可能性も高い。大卒の就職率にしても、20%前後をウロウロしている。

 韓国での統計方法によれば、1か月に、1時間でも働いたら、失業者とみなされない。
そういうことも考えると、「失業率は3%」というのは、まっかなウソと考えてよい。反対
に、どうして「3%」という数字が出てくるのか、不思議でならない。

 東亜N報の記事は、こうしめくくっている。

 「実際に、今年10月の雇用率は60・4%で、前年同月とほぼ同じ水準を維持するの
にとどまったが、非経済活動人口は同期間に、1462万1000人から、1480万8
000人に、18万7000人(1・3%)増加した」と。

 ウソと虚飾で塗り固めた、韓国の経済指標。みなさんも、くれぐれも、ご用心!


●「選挙」というインチキ

 選挙をしているから、民主主義国家ということにはならない。むしろ、選挙という方法
が、民主主義のあり方を、ゆがめているのでは? 今の、日本の政治体制が、そうである。

 政治家たちは、「選挙に勝った」というだけで、したい放題のことをしている。しかし実
際に、実権をにぎっているのは、官僚と、その下で巨大なピラミッドを形成する、役人た
ち。

 政治家にしても、「国民から選ばれた」と、どうして言えるのか? 選ばれたのではなく
て、「自分から選んでくれ」と勝手に立候補して、選挙競争に勝っただけのこと。勝っただ
けで、「選ばれた」と言い出す。巨億の富と権力を、手にする。

 どこかおかしいぞ、日本の民主主義。

 たとえば権力にしても、財力にしても、「一個人」というワクを超えて、強大になりすぎ
ている。私たちが民主主義というときは、まさに、こうした権力や財力を、一個人に集中
させない制度をいう。またそれができてこそ、民主主義という。

 一方、40年前、私がオーストラリアで見た民主主義は、同じ民主主義といいながら、
日本のそれとは、まったく異質のものだった。首相にしても、自宅から自転車通勤をして
いるような感じ。こんな事件も、あった。

 当時の首相だったが、岸壁で、魚釣りをしていて、サメに足をかみ切られるという事件
が起きた。そういう事件が、ユーモラスに、かつそれでいて、どこにでもある事件のひと
つとして語られていた。

 一方、ちょうどその少し前、私が金沢で学生だったときのこと。石川県選出の国会議員
が、防衛庁長官に就任した。その少しあとのことだと思うが、たまたま金沢駅の前を通り
かかると、ものすごい数の車の列に出くわした。

 先頭車から、最後尾車まで、ずらりと、100〜200台。兵隊を乗せた自衛隊のトラ
ックも、何台かつらなっていた。大名行列ならぬ、長官の凱旋(がいせん)行列。こうい
うことが平気でできるのが、日本。そういう光景を見ても、何も疑問に感じないのが、日
本。今の今も、政治は、その流れから、一歩も、外に出ていない。

 さて、選挙。

 よく悪事に悪事を働いた政治家が、失脚するという事件が起きる。そういう政治家でも、
再び選挙に勝って、政治家に返り咲くということがある。当の本人は、「みそぎがすんだ」
などという。「みそぎ」というのは、神道でいう、水による祓(はら)いをいう。

 政治家にしてみれば、それが選挙、ということになる。またそれが民主主義ということ
になる。が、実際に、実権を握っているのは、官僚。これはおかしい。

 もちろん選挙なくして、民主主義はありえない。しかし反対に選挙を利用して、民主主
義を歪曲(わいきょく)することも、許されない。いわんや選挙を利用して、富や権力が、
1個人に集中するような制度を許してはいけない。選挙というのは、民主主義を維持する
ための一手段にすぎない。けっして、それがすべてと考えてはいけない。

 何か、おかしい。何か、へん。今回の一連の防衛省を舞台とした疑獄事件をながめてい
ると、私には、そんな感じがしてならない。

●民主主義(追記)

(付記)

 そもそも民主主義というのは、一定個人、集団への権力の集中を防ぐためのもの。それ
を許してしまえば、行き着く先は、「独裁」。あのK国でさえ、国名の中に、「xx民主主義
人民xx国」と歌っている。

 「民主主義」とは、聞いてあきれる。あきれるが、この日本が、それを笑うことはでき
ない。

 そこで「選挙」ということになるが、選挙そのものが形骸化している。どこの県でも、
県知事はみな、元中央官僚。副知事も、元中央官僚。大都市の市長も、元中央官僚。つま
り選挙という手段が、権力者たちが権力を維持するための(お墨付き)としてしか機能し
ていない。官僚世界でいう、「審議会」のようなもの。適当に有識者を集め、答申を出させ
る。たいていは、あらかじめ用意したシナリオに沿った答申である。

 あとはその答申をよいことに、官僚たちは、したい放題。

 民主主義とは何か? 選挙とは何か? だれしも民主主義イコール、選挙と考えやすい
が、民主主義発祥の地、アテネのポリス(都市国家)には、選挙など、なかった。役人は、
1年ごとにくじ引きで決めていた。

 あくまでも、「民(たみ)」。民あっての代表。その代表は、民のために動く。それが民主
主義。

 しかしこの問題は、選挙というより、結局は、私たち1人ひとりの意識の問題というこ
とになる。その意識を変えないかぎり、この日本に民主主義が定着することはない。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●ケチ、一考

++++++++++++++++

ケチはケチでも、時間や健康に、
ケチな人は少ない。しかし時間や
健康に、もっとケチになろう。

お金にケチな人は多い。それはわかる。
しかし時間や健康は、お金よりも
はるかに大切な財産。

その時間や健康を、平気で、ムダに
している人は多い。

++++++++++++++++

 ふつう「ケチ」というときは、お金やモノに対することをいう。それはわかる。しかし
お金やモノよりも、もっと大切なものがある。時間と健康である。

 しかし時間や健康に、ケチな人は少ない。くだらない低俗番組を見て、「しまった!」と
思う人は、少ない。おかしなものを食べたり、飲んだりして、「しまった!」と思う人は、
少ない。

興味深いのは、タバコ。タバコを吸えば、健康に悪い。悪いことを百も承知で、タバコ
を吸う。もし健康がひとつの(価値)と考えるなら、タバコを吸うことは、それ自体が、
「損」。

 なぜだろう。なぜ、お金にはみな、ケチになるが、時間や健康には、ケチにならないの
だろう。

たとえば浜松市の郊外に、食べ放題の店がある。昼食時だと、1400円前後で、好き
なだけ、ものを食べることができる。料理の質も、悪くない。私も一度だけ、家族と入
ったことがあるが、「食べなければ、損」という、何ともあさましい誘惑に襲われ、最後
まで、料理を楽しむことができなかった。

 このばあい、食べなければ損と考えるのは、ほんとうに、正しいのか。ほんとうに、損
なのか。必要以上にものを食べれば、かえって体に悪い。健康を害する。

 健康を第一に考えるなら、粗食であればあるほうが、よい。大食より、小食のほうがよ
い。しかし粗食をたしなむ人や、小食にしている人を、ふつう、ケチとは言わない。

 そこで提案。

 お金やモノにケチになるのは、それはそれとして、時間や健康に、もっと、ケチになろ
う。

 つまらないことで時間をムダにしたり、健康を害するようなことをしたら、はっきりと、
「損をした」と思うようにしよう。

・・・これは、私自身の努力目標ということにもなる。

【補記】

 たまの日曜日。一度、コタツに足を入れたら最後。そこは天国。空は曇天。葉を落とし
た庭の木は、冬のかわいた風の中で、揺れている。

 ぼんやりと庭を見ながら、時間をつぶすのもよし。手元にある雑誌に目を通すのもよし。
しかし時間は、刻々と過ぎていく。

 こういうとき、私は、よくこう思う。私の頭は、たとえて言うなら、会社の社長。体は、
たとえて言うなら、会社そのもの。会社の中では、無数のスタッフが、それぞれの仕事を
もって、働いている。社長である私は、会社のスタッフに命令をくだす。

 「体を動かして、働け!」と。具体的に指示を出すときもある。「足よ、立て」「手を、
動かせ」「外に出ろ」「自転車に乗れ」と。

 しぶしぶながら、スタッフたちが、私の命令に従う。動き出す。ときどき、不平、不満
を口にするのもいるが、それは無視。私はさらに命令をくだす。「早くしろ」と。

 人間の脳みそというのは、本来、怠け者と考えてよい。常に楽な道を選ぼうとする。い
やなことは、避けようとする。だから脳みその言いなりになっていたら、体そのものも、
怠け者になる。が、それでは健康は、維持できない。

 言い換えると、脳みその言うがままにしていたら、人間は、長生きはできない。つまり
これも自然の淘汰(とうた)のひとつと考えることはできないか。

 もう少しわかりやすく説明しよう。

 「生きたい」という強い意思のある人だけが、この世界では、生き残ることができる。
強い意思をもつ人イコール、強い人間。つまり優秀な種族と考えてよい。一方、その意思
の弱い人は、自滅プログラムが働いて、やがて健康を害し、死ぬ。たとえばコタツの中に
入り、それでよいと思っている人は、(それだけでは決まらないが)、その分だけ、健康を
害することになる。害した分だけ、長生きできない。

 そこで思い切って、自分の体に命令を下す。「動け」「動いて、自転車に乗れ」と。つま
りそれがここでいう(強い意思)ということになる。

 で、動き出すときは、たしかに、つらい。体も、思うように動かない。しかし自転車に
またがり、冬の冷気を頬に感じたとたん、足に力が入る。こぐ。前に進む。とたん、その
つらさが、快感に変わる。

 体が命令どおり動くということ自体が、喜びに変わる。さらに言えば、それが(生きて
いる)という喜びに変わる。

 自分の体を、(私の体)と考えてはいけない。「私の体」と思うのは、その人の勝手かも
しれないが、実は、(私の体)の中で、(私)が、作ったものは、何ひとつ、ない。指一本、
生命の流れの中でできた、つまりDNAの構成物に過ぎない。

 お金がなければ、不幸になる。それはわかる。しかし時間や健康は、お金では買えない。
幸福も生きがいも、お金では買えない。時間や健康には、限りがある。だったら、……同
じことを繰りかえすが、時間やお金に、もっとケチになろう!

(追記)

 昨日、近所の男性が、1人、なくなった。回ってきた回覧板を見ると、満60歳だった
という。

 私は、同年齢の人がなくなるたびに、ズシン、ズシンと、それが胸に響く。どういうわ
けだか、それが胸に響く。

 あとでワイフや息子に聞くと、「心疾患だった」という。息子の同級生の父親だったとい
う。

私「どうして心疾患とわかった?」
ワ「あら、新聞には、そう書いてあったわ」
私「新聞には、そんなことも書いてあるのか」
ワ「そうよ」
私「息子の友人の父親か?」
ワ「そうみたい。私も、名前だけ、どこかで聞いたような感じがするわ」と。

 心疾患……おそらく心筋梗塞のような突然死ではなかったか。団塊の世代が、またこう
して1人、減った。懸命に戦後の時代を駆け抜けてきて、そして心疾患。私の世代には、
会社人間、仕事一筋という人が多い。何かを信じ、何かを求めて懸命に生きてきた。

 回覧板を見ると、2x日に通夜。翌日の昨日、葬儀とある。

私「葬儀は、昨日、終わったみたいだよ」
ワ「早いわね」
私「回覧板が、遅いよ。これでは、回覧板にならない」と。

 ついでながら、私は、新聞の志望者欄は、見ないことにしている。見始めると、クセに
なる。気になる。仕事がら、そういう欄を毎日見ている人もいるようだが、私は、見ない。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(11月30日)

●時刻表的生活

++++++++++++++

昨日は、佐鳴湖のそばにある、
カレー・レストランで、カレー
ライスを食べた。

おいしかった。

で、仕事が終わったのが、午後
8時半ごろ。ワイフが、車で
迎えにきてくれた。

この12月1日に封切りになる、
「マリア」のチケットを買うため。

私とワイフは、そのまま映画館に
向かった。

チケットは、買えた。やや後方の
中央席。ラッキー!

ついでに電光の案内板を見ると、
「マイティ・ウーマン」が始まる
ところだった。

「見ていこうか?」と声をかけると、
「ウン」とワイフ。

それでその映画を見てきた。

ブラッド・ピット監督映画だった
というが、騒がしいだけの映画。

星は1つの、★。しかし昼に
食べたカレーライスの味が
胃袋に残っていて、星は、2個。

「1日で、パキスタンを旅行した
ような気分になった」と私。
「パキスタンは行きたくないわ」と、
ワイフ。

+++++++++++++++

 「時刻表的生活」というのがある。毎日、時刻表通りの生活をすることをいう。そうい
う生活をしている人は、少なくない。概して言えば、高齢者に多い。

が、私たち夫婦は、常に、「非時刻表的生活」。仕事そのものは、分刻みで、しなければ
ならない。3時00分から3時50分……と。その反動からか、私は、それ以外の世界
で、時刻に縛られるのが、いや。結婚当初、さらには子どものころから、時刻や時間を
気にせず、自由、気ままに生きてきた。

 私もワイフも、もとを正せば、不良。ハハハ。これはほんとう! 今でこそ、まじめそ
うな顔をしているが、中身は、不良!

 結婚当初は、ほんとうに自由だった。自由というより、メチャメチャ。午前中は幼稚園
で仕事をし、午後からは、そのまま香港や、台湾、シンガポールへ。夕方から夜にかけて
商談をすまし、夜行便で羽田へ。そしてまた幼稚園へ。

 夜中の1時、2時に、ワイフとドライブにでかけるのも、日課のようになっていた。帰
ってくるのは、いつも明け方。映画もよく見た。ラブホテルへもよく行った。その基本は、
今も変わっていない。

 ただ子育てをしている間は、少し、まじめ(?)になった。が、子育ても終わった今、
私たちを束縛するものは、何もない。

私「若いころに、もどったみたいだね」
ワ「そう……」と。

 ということで、昨夜も、深夜劇場へ。観客は、私たちを含めて、たったの5人! ワイ
フは、「貸し切りよ」と、子どものように喜んでいた。(映画館の人には、申し訳ないが…
…。)

 「♪……いくら足が長くても、前の席を蹴らない……」という注意に合わせて、私は、
前の椅子を、足で、ポンポンと蹴ってやった。ハハハ!

 ところで昨夜見た、「マイティ・ハート」は、アカデミー賞の受賞候補になっていたとい
う。今朝、ワイフがそう言った。

私「アメリカ人の傲慢さだけが目立つ、イヤな映画だった」
ワ「そうね。アメリカ人は、世界中、どこでも大切にされるべきって、そんな雰囲気ね」
私「そう。もしあれが、日本人や、インド人なら、パキスタン政府は、ああまで動かなか
っただろうね。それにアメリカ人ほど、強く、パキスタン政府に出なかったと思うよ」と。

 しかしやはり星は1つの、★。ほとんど印象に残らない映画だった。最初から最後まで、
ドタバタの連続。つまり、新手のドタバタ映画。(ごめん!)ハッピーエンドだったら、ま
だよかったが、それもなかった。

 帰ってきたのは、12時、少し前。そのままふとんにもぐって、眠った。


●時刻表的生活

 朝、5時に起床。朝5時半に、雨戸をあけて、カーテンを開ける。7時に洗濯をすまし、
朝食はきっかり、午前7時半……。夏も冬もない。晴の日も雨の日もない。

 そういう生活を、「時刻表的生活」という。東洋医学でも、そういう生活は、健康のため
の第一条件と教える。しかしものごとには、程度というものがある。ある程度の規則性は
大切だが、それが5分刻み、さらには1分刻みになったら、「?」。へん。おかしい。異常。

 つい先日亡くなったが、A氏(享年86歳)という男性がそうだった。毎日の生活のみ
ならず、1週間単位、さらには1か月単位でも、「時刻表的生活」を繰りかえしていた。晩
年になると、家から一歩も外に出ず、1分単位で、規則正しい生活を繰りかえしていた。

 そのため近所の人には、「時計」というニックネームで呼ばれていた。その人の行動を見
れば、時刻がわかったからである。

 で、ある種の認知症にかかると、生活習慣が、時刻表的になることはよく知られている。
つまり脳みそが硬直化し、がんこになる。私の兄も、そうだった。グループホームへ入る
前は、誤差にして、プラスマイナス10分前後の生活をしていた。

 夏でも冬でも、午後6時ごろになると、カーテンをしめ、ドアにカギをかけた。7時に
なると、夕食をせがんだ。「?」と思っている間に、認知症がどんどんと進んでしまった。
そういうケースもあるから、時刻表的生活というのは、けっして、好ましいものではない。

 ある程度は、フレキシブルに生きる。その(変化)が、脳みそに、よい刺激を与える。
それに時刻表的生活というのは、おもしろくない。本人はともかくも、まわりの人には、
おもしろくない。

 反対に考えると、生活が、どこか時刻表的になってきたら、要注意ということになる。
子どもの世界でも、(がんこ)は、クセモノ。自閉傾向(「自閉症」ではない)が、進むと、
がんこな様子を見せるようになる。

 毎日、同じ青いズボンでないと幼稚園へ行かないとか、幼稚園でも、毎日、同じ席でな
いと座らないとか、など。ひとつの(殻=から)の中にこもってしまう。こもると、本人
自身も、身動きが取れなくなってしまう。それが典型的な形で現れるのが、かん黙児とい
うことになる。家の中などでは、ふつうに会話ができるが、外の世界では、貝殻を閉ざし
たかのように、黙ってしまう。

 子どものばあいは、(情緒)の問題ということになる。高齢者のばあいは、(脳みそ)の
問題ということになる。

 ではどうすれば、時刻表的生活を、私たちは、避けることができるか?

 一般論からすれば、子どもの頭のよし悪しは、思考の柔軟性で決まる。臨機応変に、そ
の場であれこれ対処できる子どもは、頭がよい。伸びつづける。

 同じように考えると、高齢を迎えて、思考性から柔軟さが消えたら、それだけ、脳の老
化が進んだと見てよい。言いかえると、高齢になってからも、新しい分野に挑戦していく。
興味をもつ。そういう前向きな姿勢が、脳の硬直化を防ぐ。

 さて、私のこと。兄は兄だが、今のところ、私は、だいじょうぶなようだ。ワイフも、
だいじょうぶなようだ。そのつど、臨機応変に、行動している。変化のある生活を楽しん
でいる。

 ついでに、子どもの(がんこ)について書いた原稿を、さがしてみた。

++++++++++++++++

●伸びる子、伸びない子
                     
 伸びる子どもには、いくつかの特徴がある。

(1)思考が柔軟で、
(2)好奇心が旺盛、それに
(3)生活力(忍耐力)がある。

思考が柔軟ということは、たとえばおとなの冗談が通ずる。反対に頭のかたい子どもは、
おとなの冗談が通じない。こんな会話をする。

私「今日はいい天気だね」
子「雲があるから、いい天気じゃない」
私「雲があってもいい天気だよ」
子「雲があるから、いい天気じゃ、ない!」と。

 好奇心が旺盛ということは、一人で遊ばせておいても、身のまわりから次々と、新しい
遊びを発見したりすることをいう。そうでない子どもは、「退屈だア」とか、「早くおうち
へ帰ろうヨ〜」などと言ったりする。また好奇心の旺盛な子どもは、新しいことを見せる
と、「やる! やる!」と食いついてくる。趣味も多く、多芸多才。友だちも多い。

 そして忍耐力。子どもの忍耐力は、「いやなことをがまんしてする力」のことをいう。た
とえば台所の生ゴミを手で始末できる。寒い夜、回覧板を隣へ届けることができる、など。
忍耐力のない子どもは、「いやだア」と言って、逃げる。よく「うちの子どもは、サッカー
だと一日中しています。そういう力を勉強のほうに向けたい」と言う親がいるが、その子
どもは好きなことをしているだけ。サッカーを一日中しているからといって、忍耐力があ
る子どもということにはならない。

 反対に子どもを伸ばすには、この三つのことに心がける。たとえば頭をやわらかくする
ためには、いつも子どもの周囲に何らかの変化を用意する。

ある母親は、娘のために一日とて同じ弁当を作らなかった。そういう姿勢が、その子を
伸ばした。その娘はやがて女流作家になり、ある都市の教育委員長にまでなった。要す
るに、生活のハバを広くせよということ。その一例というわけではないが、昔から転勤
族の子どもは頭がよいという。つまり転勤という大きな環境的変化が、子どもによい影
響を与えると考えられる。

 好奇心を旺盛にするためには、親自身が自分の世界を広めるつもりで努力する。そして
子どもにいつも、それを体験させる。子どもがある特定のものに執着したり、固執したり
するのは、あまり好ましいことではない。たとえば虫なら虫ばかりに興味をもつとか、あ
るいは特定のズボンでないと、幼稚園へは行かないとがんばる、など。

 最後に生活力(忍耐力)をつけさせるためには、子どもを使って使って、使いまくる。
もう少し具体的には、家庭の緊張感の中に子どもを巻き込むようにする。「あなたがこれを
しなければ、家族の皆が困るのだ」というような雰囲気を、家庭の中に作る。親がソファ
の上に寝そべりながら、子どもに向かって、「新聞を持ってきなさい」は、ない。

 伸びる子どもは、ほかの子どもたちが伸びを止めるようなときでも、そのまま伸び続け
る。そしていやなことや困難なことがあっても、それを乗り越えていく。そして結果とし
て、ほかの子どもより伸びる。

ただしここでいう「伸びる」というのは、学習面で伸びるということではない。勉強が
できるできないは、あくまでも、その結果でしかない。


+++++++++++++++

●がんこな子ども

 「がんこな子ども」というときは、ふつう、つぎの二つのタイプを考える。(1)自分の
カラにこもり、かたくなな態度や様子を示す。ある男の子(年長児)は、幼稚園で、いつ
も同じ席でないと座ろうとしなかった。また別の男の子(年長児)は、毎朝、いつも同じ
ズボンでないと、幼稚園へ行かなかった。ほかに二年間、毎朝迎えにきてくれる幼稚園の
先生に、一度もあいさつをしなかった子どももいた。

 もうひとつは、(2)「自分が絶対正しい」と、かたくなになることをいう。このタイプ
の子どもは、その返す刀で、「相手は絶対にまちがっている」と主張する。そして結果とし
て、自分の思いどおりにならないと気がすまない。あるいは自分の思いどおりにしてしま
う。教える側からみると、ともに何を考えているかわからないタイプの子どもということ
になる。ふつう心と表情が遊離するため、柔和な表情や、穏やかそうな顔つきになること
が多い。

 こうした「がんこさ」は、子どもにとっては好ましくない。子どもの心に何か変調が起
きると、子どもはがんこになる。で、その対照的な位置にある子どもが、「すなおな子ども」
ということになる。

心と表情が一致している子ども、心のゆがみのない子どもを、すなおな子どもという。
うれしいときは心底、うれしそうな表情をする。悲しいときは、心底悲しそうな表情を
する。親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、その親切ややさしさが、そのまま
スーッと子どもの心の奥にしみこんでいくのがわかる。なおここでいう「心にゆがみの
ある子ども」というのは、ひねくれたり、つっぱったり、いじけたりしやすい子どもを
いう。
 
 子どもにこうしたがんこな様子が見られたら、子どもをなおそうと考えるのではなく、
家庭環境、とくに親子関係を反省する。もちろん生来の問題もあるが、コツは、今の状態
をより悪くしないことだけを考えて、一年単位で様子をみる。

私はこのタイプの子どもを預かったときには、とにかく大声で笑わせることだけを考え
て指導する。実際、その「大声で笑う」という行為には、不思議な力がある。もしあな
たの子どもが、ここでいうような「がんこさ」を見せたら、どんな方法でもよいから、
大声で笑わせることに心がけたらよい。大声で声を出させるのもよい。
(02−9−25)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
がんこな子ども 子どものがんこ 子供のがんこ がんこな子供)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

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さて、今日で、2007年度のマガジンは、おしまい。
次回は、1月1日、火曜日ということになる。

正月休暇のまっただ中だから、読んでくれる人も
少ないと思うが、私は、マイペースで、発行していきたい。

今までも、ずっと、そうしてきた。

で、2008年は、どういう年になるのか?

期待と、不安。プラス心配。私のばあい、現状を維持する
だけで精一杯。またそれができれば、御の字。

ただ新しいことには、どんどんと挑戦していきたい。
2007年は、毎月、4〜6万円分の本や雑誌を買った。
ボケ防止のためと考えれば、安い。

2008年度も、本や雑誌にだけは、惜しみなく、
お金を使いたい。私の知らないことは、目の前に、まだ、
山のようにある。

マガジンは、2月のはじめに1000号を迎える。
1000号だぞ! やっと目標の1000号だぞ!

自分でも、よくがんばったと思う。この4年間だけでも、
原稿用紙(40字x36行)で、2万1000ページもの
原稿を書いた。

2万1000ページといっても、ピンとこない。こないが、
500枚単位で売られている用紙に換算すると、42冊分。
1冊分が4〜5センチの厚さだから、2メートルくらいの高さに
なる。

もしだれかが、それらすべてをプリントアウトしてくれたら、
厚さ2メートル分にもなるということ。

そんな人はいない。いても、読む人は、いない。
不可能。読むだけでも、半年から1年はかかる。

……ということで、2007年度は、おしまい。

みなさん、ここまで読んでくれて、ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。また来年も、がんばります。

浜松市    はやし浩司

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【お願い】

 1年以上、マガジンを読んでくださり、これからも読んでくださる
方は、どうか、どうか、まぐプレ(マガジン有料版、月額300円)の
購読をお願いします。

 よろしく、よろしくお願いします。

 申し込みは、

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html

 で、していただけます。

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2007年】

+++++++++++++++++

この原稿は、マガジン、12月31日
号用。つまり大晦日(おおみそか)。

先ほど、12月28日号の送信予約を、
入れた。で、ここからは、12月31
日号用。

その2007年を振り返ってみる。

いろいろあった。あったが、こういう
ときは、楽しかったことだけを、書き
たい。いやなことは、忘れる。2008年
まで持ち越さない。

+++++++++++++++++

●あいさつ

 何はさておき、読者のみなさんへ、

 今年、1年、マガジンをお読みくださり、ありがとうございました。読者のみなさんあ
っての、マガジンです。毎回、少しずつですが、読者の方がふえていくのを知るのは、ほ
んとうに励みになりました。

 ちかくの(わかば耳鼻咽喉科医院)のスタッフの方は、待合室に、私のマガジンの購読
申込書まで置いてくれています。それを知って、ほんとうに励まされました。この場を借
りて、厚く、お礼申し上げます。

 (本当なら、「置いてくれています」ではなく、「置いてくださっています」と書くべき
なのですね。が、私は、へりくだり語を使うのを、極力避けています。相手が、首相でも、
天皇でも、へりくだり語を使いません。どうか、お許しください。)

 今年も、今日でおしまいですね。来年、2008年も、みなさんにとっても、すばらし
い年となることを、心から念願しています。

 私もがんばります。ですから、どうか、みなさんも、がんばってください。ともに、す
ばらしい新年を迎えましょう。


●楽しかったこと

 楽しかったことは、たくさん、ありました。その一は、何と言っても、三男が無事、大
学を卒業したこと。3年間は、横浜の大学に。つぎの1年間は、オーストラリアに。そし
てつぎの2年間は、航空大学に。そして無事、J社に入社しました。

 現在は成田国際空港で訓練を受け、このマガジンが発行されるころは、羽田空港で。そ
して2008年のはじめからは、カルフォルニアで訓練を受けることになっています。

 とにかく「空」が好きな息子です。「会社も、給料も、どうでもいい。空を飛べれば」な
どと、言っています。

 つぎにワイフと、あちこち、旅行をしたこと。毎月のように、遠出をしました。毎週の
ように、ドライブをしました。「明日、しよう」と考えたら、できるだけ、今日、すること
にしています。「来週、しよう」と考えたら、できるだけ、今週、することにしています。

 母の介護で忙しかったときは、一時、中断しましたが、毎週曜日を決めて、街中の映画
館で映画を見ることにしています。50歳以上は、1人、1000円で見られます。6回見
ると、7回目は、ただです。

 年末にかけて、見たい映画が、毎週のように封切られます。すべてを見るつもりでいま
す。

 が、何と言っても、毎朝、起きるのが楽しかった。私は、起きるとまっさきに、書斎へ
入り、パソコンに電源を入れます。あちこちのニュースに目を通したあと、おもむろに原
稿を書き始める……。

 それが楽しかった。

 私にとって、「生きることは、考えること」。その考えることができる時間は、私にとっ
ては、たいへん貴重な時間です。

 たいてい、朝の5時、6時には、起きます。早いときは、4時に起きます。それから朝
食までの9時までが、私の時間です。

 その間に、マガジン用の原稿を書いたり、HPをいじったりします。マガジンの1日分
を書くのに、だいたい、4〜6時間、かかります。平均して、2日で、1日分のマガジン
を完成します。そして配信予約を入れる。

 朝、目を覚ましたとき、(やりたいこと)が、どっと押し寄せてくるのは、よいことです
ね。これからも、このリズムは大切にしたいと思っています。

 私はみなさんに情報を提供します。どうかこれからも、末永く、私のマガジンを、お読
みください。2008年の2月のはじめ、そのマガジンが、とうとう1000号を迎えま
す。

 つぎにめざすは、2000号です! どうか、また力を貸してください。

 そうそう、できれば、まぐプレ(有料版、月額300円)を、どうか、ご購読ください。
よろしくお願いします。


●2008年の抱負

 2008年の抱負は、HPのほうに書いておきました。とくに「抱負」というのは、あ
りませんが、「何があっても、乗り越えていく」ということだけを目標に、がんばっていき
ます。できるとか、できないとか、自信があるとか、ないとか、そういうことはあまり考
えないようにします。とにかく、やるしか、ないのです。

 2008年は、ワイフとオーストラリアへ行ってきます。ワイフにとっては、はじめて
のオーストラリアです。前から行きたいと言っていましたが、安易な気持ちでは、連れて
いきたくはなかったです。

 オーストラリアは、私にとっては、聖地です。だれにも汚されたくない、聖地です。私
の人生は、あのオーストラリアで始まり、今も、オーストラリアでのあの時代とともに生
きています。死ぬときも、(たぶん?)、あの時代を思い出しながら死ぬと思います。

 メルボルン大学のインターナショナルハウスは、グーグル・アースの、(下記座標)で見
ていただけます。今でも、このあたりを見ると、ときに、目が涙でうるみます。

37°47'17.46"S
144°57'29.11"E

ハウスへは、グーグル・アースを開いたら、(編集)→(プロパティ)へと進み、上記の
座標を、そのままコピーして貼り付けたあと、(OK)をクリックしてみてください。

 中央の赤茶色の屋根の建物が、食堂です。東西、広い公園にはさまれています。メルボ
ルン大学は、ハウスから、南東の方角にあります。中央に総合大学。周辺は、カレッジで
す。

 このハウスにワイフと2泊するつもりです。


●脳みそを使う
 
 ストレスはよくありませんね。しかし使うだけなら、脳みそは、使えば使うほど、効率
がよくなります。シナプスも発達します。ですから、脳みそは、使うにかぎる……。

 ということで、2008年も、脳みその健康も大切にしながら、原稿を書きつづけます。
みなさんとともに、「生きる」ことについて、考えていきたいと思います。

 たった一度しかない人生ですから、思う存分、有意義な人生にしたいですね。


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よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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.みなさん、来年、2008年に、またお会いしましょう!
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. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  /
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 28日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●すばらしい秋

+++++++++++++

今日は、日曜日。
長男と、佐鳴湖を自転車で
一周した。

私は、ずっと、空を見あげながら、
一周した。

気持ちよかった。
青い空に、紅葉が、輝きながら
揺れていた。

+++++++++++++

生きていることは、すばらしい。
少し大げさな言い方に聞こえるかも
しれないが、その(すばらしさ)の
前では、どんな問題も、取るに
足りない、小さな問題。

歩く、走る、息を吸う。はき出す。
それができる人には、当たり前の
ことかもしれないが、そうでない
人には、そうでない。

その(すばらしさ)に、賢い人は、
それをなくす前に気づく。
そうでない人は、それをなくして
から気づく。

つまり生きることは、その愚かさとの
戦いということになる。

ささいな問題にとらわれ、悶々と、
心をこがす。同時に、その(すばらしさ)
を忘れる。

今朝は、こんなエッセーを書いた。

++++++++++++++++++

●体が動く!

++++++++++++++++++

だからといって、運悪く、そういう
状態になった人が、どうこうというわけではない。

そういう状態になりながらも、懸命に生きている
人は、いくらでもいる。家族の暖かい愛情に
包まれ、幸福な人は、いくらでもいる。

たとえば脳梗塞。「血栓性の脳疾患」ともいう。

たまたま私が脳梗塞になっていないのは、
ラッキーだったからにほかならない。

こうした病気は、運と確率の問題。
注意していても、なる人は、なる。
ならない人は、ならない。

今日はだいじょうぶだからといって、だれにも、
明日のことはわからない。来年のことは、
わからない。

5年後、10年後のことは、さらにわからない。

しかし現に今、同年齢の人たちの中でも
その脳梗塞で倒れていく人は、少なくない。

そのまま亡くなってしまう人もいる。
が、一命はとりとめても、さまざまな
後遺症に苦しむ。この病気のこわいところは、
その後遺症にある。

精神状態すら、変わってしまう人もいる。

そういう人たちを見かけるたびに、「明日は
わが身」と思う。胸の中に、ツンとした
緊張感が走る。

率直に言って、つらい。「私なら耐えられるだろうか」
とも思う。

若いころは、そんなことを考えもしなかった。
しかし今は、ちがう。こうした病気は、遠い未来の
話ではない。今という現実の、話である。

++++++++++++++++++++++

 あなたは体が動く喜びを、知っているか? 手や足が、思い通りに動く喜びを、知って
いるか? ふつうに会話ができて、ふつうに食事ができる喜びを、知っているか? 

 私は、知っている。知っているから、今日も、感じた。

 冬の冷気を全身で感じながら、自転車のペダルをこぐ。ブルッと体が震える。足のこわ
ばりを感ずる。しかしそれにかまわず、体を立てて、足に力を入れる。首をすぼめる。前
方をにらむ。腕をぐいと、内側に引く。

 私の体は動く。目が見える。音が聞こえる。風が肌をこするのが、わかる。私はそのと
き、私が生きていることを知る。

 この(生きていること)を原点に考えれば、ありとあらゆる問題が、空中を舞うホコリ
のようになる。とたん、それまで私を押しつぶしていた、わずらわしい人間関係が、煙の
ように消える。

 今日も、町の中にある教室へ来るまでに、何人かの人を見た。一人は車椅子に乗ってい
た。もう一人は、ガラス戸をあけて、どこかの店に入っていくところだった。半身が付随
なのがよくわかった。とくに、ガラス戸をあけて、どこかの店に入っていった人は、半身
が付随なのにあわせて、もう一方の半身もままならないといったふうだった。

 少し前の私なら、「ああ、よかった」「私でなくて、よかった」と思ったかもしれない。
しかし今は、そんな失礼な気持ちは消えた。「私が、こうして自転車に乗っていられるのは、
たまたま運がよかったからだけ」と。

 その人が私で、私がその人であっても、何もおかしくない。

 で、私は、先日、こう考えた。たいへん不謹慎な話に聞こえるかもしれないが、考えた
ことをそのまま書く。

 そのときも自転車をこいでいた。どこかの農道を、ハナ(犬)を引きながら、走ってい
たときのことだった。

 「私は脳梗塞になった」「私は、何年間も、寝たきりに近い状態だった」「が、その私が、
奇跡的に、助かった」「助かって、体が動くようになった」「自転車に乗ることができるよ
うになった」と。

 とたん自転車をこぐという、今まで何でもなかったことが、すばらしく価値があるよう
に思えてきた。

 似たような話だが、こんな手記を読んだことがある。その男性は、長い間、腎臓病を患
っていた。そして最後の手段として、腎移植手術を受けた。そのあとのこと。その男性は、
自分でトイレに立った。そのとき窓から日の光が入ってきて、その男性がする小便を照ら
した。その男性は、自分の小便が、黄金色に輝いているのを知った。

 その男性は、こう書いていた。「あまりの美しさで、思わず、自分の小便を、両手で受け
止めそうになった」と。(実際に、受け止めたと、それには書いてあったような気もする。)

 総じて言えば、「生きる」ということは、そういうことではないのか。つまりものが見え
る。耳が聞こえる。手が動く。足が動く。そしてものを考え、それを文章にすることがで
きる。それらすべてが、実は(喜び)に包まれている。小便をすることだって、大便をす
ることだって、ありとあらゆることが、実は、(喜び)に包まれている! つまりそれが(生
きる)ということ。

 賢い人は、そのもの価値を、失う前に気づき、愚かな人は、そのもの価値を、失ってか
ら、気づく。そのものの価値とは、第一には、「健康」をいう。つぎに「生きること」をい
う。

 そこで最大の問題は、どうすれば、私たちは、その(賢い人)になれるかということ。
もっと言えば、(生きていること)の中に隠されている(喜び)を、どうすれば知ることが
できるかということ。

 その(喜び)さえ知ってしまえば、もうこわいものはない。どんな問題も、その(喜び)
を引き立てる装飾品にすぎない。

 こういう言い方を、このエッセーの終わりにもってくるのは、よくないかもしれない。
しかし事実は、事実。

 どうせ死ねば、この世もろとも、私は消えてなくなる。それまでの人生。たった一度し
かない人生だから、生きて、生きて、生き抜く。全身で生きる喜びを受け止めながら、生
きて、生きて、生き抜く。

+++++++++++

(補記)

 実はこのエッセーを書き始める前、私はある人との人間関係に苦しんでいた。仏教にも、
「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉があるが、会いたくない人と会い、話をしたくな
い人と話をするのは、人間に与えられた、最大の苦しみのひとつという意味である。

 相手がそれなりにレベルの高い人であれば、それなりの対処の仕方もあるが、そうでな
いときは、自分自身の魂まで、汚される。それと戦うだけでも、精一杯。こちら側は相手
にしたくないのだが、相手のほうが、ペタペタと、容赦なく、私にくっついてくる。それ
が原因で起こる不快感は、相当なものである。

 先日も、私が「私は、あなたが思っているほど、バカではないとは思うのですが・・・」
というと、その人もこう言った。「私も、バカではありません!」と。

 そのとき私はこう思った。「バカにつける薬はないナ」と。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●脳の老齢化

++++++++++++++++

脳みそも、加齢とともに、老化する。
そのことがわからなければ、特別擁護
老人センターにいる老人たちを見れば
よい。

そこにいる老人たちにしても、ある日、
突然、ああなるのではない。少しずつ、
ほんとうに、少しずつ、長い年月をかけて、
ああなっていく。

言いかえると、現在の私や、あなたも、
少しずつだが、その「道」をたどりつつ
ある。

例外はない。むしろ「私はだいじょうぶ」と
高をくくっている人ほど、あぶない。

「私も心配」と、それなりの努力をして
人は、まだ救われる。

++++++++++++++++++

●老化の実感

 パソコンをいじっていると、ときどき、脳みその老化を実感する。つい先日までできた
何かの操作が、できなくなるときがある。そういうとき、「私の頭は、いったい、どうなっ
てしまったのか?」とさえ思う。心配になる。

 一方、私の知人の中には、こんな人がいる。今年、65歳くらいになるのではないか。
つきあうようになって、もう30年近くになる。親しくはないが、年に、1、2度、会っ
て、いっしょに食事をしたりしている。

 その知人だが、このところ、知性がその人から消えていくのを感ずる。ものの考え方が、
直感的で、短絡的。話の内容も、どんどんと浅くなっていく。話を聞くと、「この1年、本
や雑誌など、読んだことがない」と。「映画は?」と聞くと、「ああいうものは、頭が痛く
なるから、見ない」と。「外国映画(DVD)も見たことがない」とも言った。彼の家には、
DVDプレーヤーすら、ない。

 読むのは新聞だけ。しかもスポーツ欄だけ。そしてこうも言った。「私は、ものごとを深
く考えないタチでね」「考えても、どうもならない」「考えないで、気楽に生きたい」と。

 私は何度も「そういうものではないのだがなア」と思った。思ったが、年上の人に、そ
の生き様について反論するのも、気が引ける。

 しかし若いときはそれほどの差を感じなかったが、このところ、その差を、大きく感ず
るようになった。それは絶望感に近い(差)と言ってもよい。その人が、私の手の届かな
い、はるか遠くへ行ってしまったかのように感じた。

 そう言えば、介護施設で会う母にしてもそうだ。簡単な会話くらいなら今でもできるが、
その会話にしても、つぎの瞬間には、内容をすべて忘れてしまっている。「今日は寒いな」
「今日は暖かいな」という程度の会話で、終わってしまう。

 母ほどはひどくないにしても、それに近い。
 
●脳みその老化

 ただはっきりしていることは、脳みそも、肉体と同じように、老化するということ。肉
体の老化は、自分でも、客観的に判断することができるが、脳みそのばあいは、そうでは
ない。脳のCPU(中央演算装置)そのものが老化するから、それに気づくのは、たいへ
んむずかしい。

 再び介護施設の老人たちの話になるが、「私はバカになった」と自覚している老人は、ま
だよいほう。「私はまともだ」「バカでない」とがんばる老人ほど、問題。ピック病(認知
症のひとつ)の老人などは、言うことだけはまとも。だからかえって、扱いにくい。・・・
というような話も、聞いたことがある。

 そこで重要なことは、(1)まず自分自身の脳の老化を自覚すること。特別な訓練をつづ
けないかぎり、脳みそは、確実に老化する。そういう前提で、自分の脳みそを考える。

 つぎに(2)知識や知恵が漏れ出ることはしかたないとして、大切なことは、それ以上
の知識や知恵を、補充していくということ。10の知識が漏れたら、100の知識を注入
する。100の知識が漏れたら、1000の知識を注入する。

 脳の老化と戦うということは、そういうこと。

 さらに(3)、脳みそというのは、タマネギの皮がかがれるように、老化していく。そし
て最後は、中心部の「芯(しん)」だけが残るようになる。そのため、古い記憶だけが表に
出てくるようになる。本人も、それだけが記憶だと思うようになる。

 しかしそうなったら、脳の老化は、かなり進んだと見てよい。わかりやすく言えば、過
去をなつかしんだり、過去の思い出に浸るようになったら、人間も、おしまいということ。
「死の待合室」に、一歩、足を踏み入れたことになる。


●高橋さんと話す

 昨日、高橋さんと電話で話す。実名である。つきあうようになって、もう35年になる。
私と同年齢で、来年、3月、役所を退職する。

 高橋さんのすごいところは、山小屋を、自分で建ててしまったこと。10年近い年月を
かけて、愛知県との県境に近い、Aという部落の中に、建てた。川のすぐそばで、「夏は使
い物にならないよ」とは言っていた。私もたびたび、遊びに行った。泊めてもらったこと
も、何度か、ある。

 (夏場は、川のそばの別荘は、蒸し暑く、それに虫の襲来がひどくて、使い物にならな
いという意味。別荘を建てるなら、丘の上の、風通しのよいところがよい。これは余談。)

 昨日、電話があった。「林さんのBLOGを読んでいたら、ぼくの名前が載っていたから」
と。うれしそうだった。だから今日も、高橋さんの名前は、こうして実名で書くことにす
る。

 その高橋さん、退職後は、本気で、「百姓」(高橋さんの言葉)をするという。広大な農
地も手に入れたという。今度の日曜日に、ワイフと草刈りの手伝いに行くつもり。(奥さん
に農業資格があって、それで農地を手に入れることができたという。これも余談。)

 その高橋さんが、電話でこう言った。

 「ぼくは、これから先もね、前向きに生きていくよ」と。

 大賛成! 中には、うしろばかり振り返って生きている人がいる。私も、一時、そうな
りかけたときがある。しかし先日、満60歳の誕生日を過ぎてから、人生観が一変した。
それまで行く手をさえぎっていた(年齢制限)を、撤廃することができた。とたん、気が
軽くなった。

 「どうせ、失敗しても、もともと」と。これからは思う存分、自分の人生を、生きる。

 昨日も、こういうことがあった。

 ワイフが、夕食を届けてくれた。30分ほど、休み時間があった。近くの公園の紅葉(も
もじ)の話をすると、ワイフが、「見たい」と言った。今が、紅葉、まっさかり! そこで
私はワイフを連れて、公園まで行った。

私「あのな、今夜、仕事が終わったら、映画を見に行かないか?」
ワ「今夜?」
私「そう、深夜劇場だ。今から、チケットだけ、買いに行こう」
ワ「紅葉はどうするの?」
私「もちろん、見る。映画も見る。両方、見る」と。

 というわけで、公園で紅葉も見た。仕事が終わってから、映画も見た。『ボーン・アルリ
メイト』とか何とかいう映画だった。目まぐるしいだけの、中身のない映画だった。星は
1個の、★。しかし楽しかった。ワイフと、ポップコーンを食べながら、見たのが楽しか
った。

 高橋さんと話をしていると、楽しい。前向きに生きている人と話をしていると、そのエ
ネルギーが、ビンビンと、こちらに伝わってくる。私の波長と一致する。

 そうそう、その高橋さん。もとはと言えば、オーストラリアの友人のK君の紹介で、知
り合った。そのK君が、2月に日本へ来る。それを話してやると、心底、うれしそうだっ
た。1月には、南オーストラリア州に住む、R君が来る。来年は、早々から、忙しくなり
そう!


●デニーズのこと

 二男の嫁が、デニーズ。私は、嫁でありながらも、そのデニーズを尊敬している。その
第一、英語がうまい。これは当然であるとしても、アメリカ人だから、みな、英語がうま
いと思うのは、誤解。

 それがわからなければ、日本人を見ればよい。日本人だから、日本語がうまいというこ
とにはならない。彼女の書く英文は、どんな英文でも、超一級。それくらいの読解力は、
私にもある。

 が、それ以上に、私は、デニーズほど、誠実な女性を知らない。どんなささいな約束で
も、きちんと守る。先日は、こんな記事が、二男のBLOGに載っていた。

+++++++++++++

6年目 

この前結婚したばかりのような気がしていたのだけど、今月でもう結婚生活6年目になる。

僕は結婚して2人のすばらしい子供にも恵まれ、文句の付け所のない幸せな暮らしをして
いる、と思う。僕は子供の頃、自分の将来に全くと言っていいほど何も期待していなかっ
た。20歳まで生きられればこんな人生沢山だ、とも思っていた。そんな僕でも、理想と
する家族の姿だけは毎日思い描きながら生きていたのだけど、そんな家族が今僕にはある
ような気がして、もう他に欲しいものなどない。

今日友達の家族が行っているモルモン教の教会で、「トラック・オア・トリーティング」っ
ていう、教会の駐車場でお菓子を配るイベントがあったので家族を連れて行ってきた。今
年の誠司はカウボーイ、芽衣は数年前誠司が嫌がって着てくれなかったスーパーマンの衣
装を「スーパーガール」ということにして、無理やり着せて行くことにした。(明日のトリ
ック・オア・トリーティングでもこの衣装にする予定。)早めに行ったのだけど、もうすで
にキャンディーがなくなりかけているトラックがあった。それを見てディニースが、「キャ
ンディーは誠司だけもらうことにして、芽衣のはいらないわ。他の子供達がキャンディー
をもらえなくなってしまうから」と言った。

僕はこういう妻が誇りに思えてならない。他人のことをまず先に思いやり、どんなにくだ
らない約束でも必ずそれを守る。道徳とか、誠実さとか、そういうのはいくら本を読んで
考えても、誰かから話を聞いても、簡単に身に付けられるような物ではないと聞く。しか
し彼女の日ごろの何気ない行動にはいつも色々教えられてばかりだ。これからも彼女と一
緒に生きていきたい。

+++++++++++++

 さらに、その向学心には、頭がさがる。子育ても一段落しそうなので、今度、奨学金を
得て、大学院へ進むという。誠司は、まだ5歳。芽依は、まだ1歳。が、すでにデニーズ
は、自分の将来を考えている。

 これをすばらしいと言わずして、何という? こういう女性をすばらしい女性と言わず
して、何という?

 かつて二男は、こう言った。「デニーズは、日本の女性より、謙虚深い」と。どういう思
いをもって二男がそう言ったのかはしらないが、今どき、謙虚な日本女性は、いない。さ
がしても、いない。

 親として(こういう言い方は、あまりしたくないが……)、ほんとうに、よかったと思う。


●読者のみなさん、ありがとう!

 このところ、私のHPへのアクセス数が、急速にふえ始めている。今まで、カウントは、
トップページしかとっていなかったが、今度、新しいサービスを導入した。それによって、
各ページへのアクセス数(=実際には、そのページへの件数と、ダウンロードサイズ)を
知ることができる。

 それを見て、驚いた!

 トップページを通さないで、直接、そろぞれのページにアクセスしてくる人が、こんな
にもいるとは、知らなかった。私のHPは、数百ページ以上あるが、どのページにも、平
均して、40〜60人。ダウンロードサイズも、各ページ、1〜10MB!

 単純に計算しても、1日、1〜2万人! (本当は、同じ人があちこちを見てくれると
いうこともあるので、1〜2万件と書くのが、正確。)それにしても、1〜2万人とは! 実
際には、もっと、多い。

 こうなると、やる気満々! さっそく、昨日、「ママ100賢」を、充実させた。新しく、
100ページ、追加した。(読んでくれる人は、「はやし浩司のHP」より、どうぞ!)

 「生きがい」というのは、こうして生まれるものか? 私は、情報を提供する。それに
対して、読者の人が、私に(生きがい)をくれる。自分ひとりだけの世界に閉じこもって
いたのでは、生きがいは、生まれない。今朝も、朝、起きるのが、楽しかった。

 読者のみなさん、ありがとう! おはよう!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私の中学時代】(1)

●OK君

 「中学時代」という言葉を口にして、最初に思い浮かぶのは、OK君のことだ。ザワザ
ワとした記憶の雑踏の中から、まっさきに、彼の顔が飛び出した。色白の、都会的な顔立
ちをしていた。1年生のころは、飛び抜けて成績がよく、私は、OK君には、いつも一目、
置いていた。

 家は、高校の敷地内の職員宿舎にあった。父親が、高校の教師をしていた。町をはさん
で、OK君の家と、中学校は、正反対の位置にあった。私の家は、町の中心部にあった。

 OK君の家には、よく遊びにいった。ついでに高校のプールで泳いだりもした。今で言
う、転勤族で、私の知らないことを、たくさん知っていた。

 が、記憶というのは、残酷なものだ。懸命にOK君のことを思い出そうとするのだが、
あの顔立ちだけで、それ以上のものがつづかない。私のことを、「林君」「林君」と、慕っ
てくれた。腕力は、私のほうがあった。

 名前すらも、忘れてしまった。たしか「博士」の「博」という字があったように思う。
そのOK君は、中学2年生になると同時に、どこかへ引っ越していった。

 私の印象では、その後、OK君は、どこかの大学の教授になったかもしれない。中学時
代のOK君には、すでにその雰囲気が備わっていた。

●クラブ

 私は中学時代、コーラス部と、天文部に属していた。運動部には、入っていなかった。
そのかわりというわけではないが、市内の柔道の道場に、週2、3回、通っていた。

 コーラス部といえば、まっさきに思い出すのが、ST君のこと。彼の弟は、その後、野
口五郎というタレント名で、日本でも有名な歌手になった。ST君は、私より2年、下だ
った。美しい声の持ち主だった。「ボーイソプラノ」を担当していた。

 天文部では、太陽の黒点観測が、いちばんのテーマだった。ほかに反射望遠鏡を作るた
め、毎日、放課後にガラス磨きをした。直径が20センチほどのガラス板を磨いて、レン
ズを作った。

 そのあとそのレンズがどうなったかは、知らない。たしか、大きな反射望遠鏡になった
ような気がする。みんなで、披露会のようなものを開いたのを、記憶のどこかで覚えてい
る。よくは覚えていない。

 柔道は、けっこう、いい線までいった。よく対抗試合にでかけていった。私の得意技は、
大外刈り「おおそとがり」と読む。相手の体を少し回し、バランスを崩させる。そのとた
ん、自分の足裏で相手の足を止め、腕をぐいと引いて倒す。そのバランスを崩させるのが、
天才的に(?)、うまかった。当時は、白帯の上が、茶色帯で、私は、その茶色帯を腰に巻
いていた。黒帯は、高校生以上のものだった。

 が、中学3年の終わりごろ、鎖骨を2度つづけて折って、それで引退。ちょうど受験期
に重なったこともある。

 そんなわけで、今でも、合唱は好き。望遠鏡も好き。それに柔道も、大好き。

●小学時代

 私は小学時代には、わんぱく少年で、通った。いつも「お山の大将」だった。学校から
帰るときも、まっすぐ家に向かって帰ったことは、ほとんど、ない。毎日、道草の、その
また道草を食いながら、家に帰った。

 私は今から思うと、帰宅拒否児ではなかったかと思う。家は嫌いだった。自分の居場所
すら、なかった。

 だから、近くの山の中に、「小屋」とか、「陣地」とかいう名前の、自分だけの住み処(す
みか)をよく作った。少し穴を堀り込んで、その上に棒などをわたして、家をつくった。
屋根は、草や葉を使った。

 当時の私は、杉の木でも、平気で登って遊んでいた。身が軽かった。山の下は墓地にな
っていたが、墓から墓へと、ひょいひょいと、跳んで渡ったのを、よく覚えている。

●繁田晴伸先生

 1年のときの担任が、繁田晴伸先生だった。定年間際の先生で、当時の私から見ると、
おじいさん先生だった。

 きびしい先生で、その上、がんこだった。私はこの先生に出会って、始めて、中学校を
知った。こんな話は自慢にならないが、私が、繁田先生に叱られた、第一号だった。たし
か、外へ出るとき、下駄箱の横にあったスリッパを蹴散らしたのが理由ではないかと思う。
そのとき、叱られた。

 あとになって、「お前は、ぼくが叱った、第一号だ」と、先生に、よくからかわれた。

 やせた、小さな先生で、歯が大きく、外へ飛び出していた。私が先生の似顔絵を描くと、
「ぼくによく似ているなあ」と、よくほめてくれた。タバコが好きで、教室でも、職員室
でも、タバコばかり吸っていた。渡り廊下を歩いているときも、タバコを吸っていた。

 繁田晴伸先生というと、タバコ。タバコ、またタバコ。ほかに思い出すことは、あまり
ない。私は、繁田先生の家に、よく遊びに行った。いや、遊びに行ったのは、先生が退職
してからで、私が高校生のときのことではなかったか。大学生になってからも、ときどき、
行った。それで繁田晴伸先生のことは、印象に強く残っている。

 言い忘れたが、すばらしい先生だった! 大好きだった。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
繁田晴伸 先生)


●戸谷成好先生

 中学2年と3年のときの担任が、戸谷成好先生だった。当時、私の中学は、11クラス
まであって、どのクラスも、1クラス、53〜55人だった。

 ときどきサッカーをしたが、22人で、1チームを編成した。だから私は、ずっとあと
になるまで、サッカーというのは、1チーム、22人で、プレーするものだとばかり思っ
ていた。

 だからというわけでもないが、その分だけ、先生と私たちとの関係は、希薄だった。先
生の思い出はいろいろあるが、それは私という(生徒)からの一方的な思い出でしかない。

 品格のある、ひょうひょうとした先生だった。性格は温厚で、私は戸谷成好先生が、自
分を取り乱して、怒鳴ったり、怒ったりしたのを見たことがない。何かを質問すると、ニ
コニコと笑いながら、いつまでもていねいに、教えてくれた。

 当時、まだ若い先生だったから、今でも健在なはず。ただインターネットでいくら検索
しても、先生の名前は出てこなかった。かわりに、戸谷○○という人の名前が出てきた。
東京で、ドクターをしているという。出身地を調べると、戸谷成好先生と同じ郷里になっ
ているので、戸谷成好先生の息子氏ではないかと思っている。(つづく)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・雑感(11月24日)

++++++++++++++++++++++

昨日、やっと寒さがゆるんだ。それでも
早朝の気温は、11度前後。12月下旬
並みの寒さだったという。

その昨日、いくつかの仕事をした。

まずHPに、『子育て格言、ママ100賢』の
第201〜250を、収録した。

この本は、山手書房新社というところから
出版したものだが、現在は、絶版になって
いる。だからこうして無料で、公開しても
問題はない。

で、どこの出版社もそうだが、「HP上で
公開していいか?」と問い合わせると、
返事は、たいてい、「NO!」。ほとんど
絶版状態にある本についても、そうである。

著者には、著作権というものがある。
出版社には、版権というものがある。
いくら自分の書いた本でも、出版社の版権を
侵すことはできない。

ところで、先日、こんなメールをもらった。
その人には悪意はないと思うが、また悪い
人だとは、思っていないが、こういう
内容のものだった。(G県のOさんより。)

何でも私の原稿をもとに、自分の原稿を
書いている。ついては、具体的な例を、
それぞれあげてほしい、と。

読者の皆さんが、私のエッセーを読んで、
家庭という場で、それをどう活用するかは、
その人の勝手。私は、関知しない。自由に
それをしていただいて、構わない。

しかし原稿の流用は別。いわんや、どこかで
発表するために、私の原稿を流用するなどという
ことをしてもらっては、困る。たいへん困る。

もの書きには、もの書きの世界の常識という
ものがある。その人からのメールは、その
常識から、完全にはずれていた。

(ちょっと言い過ぎかもしれませんが、
Oさん、お許しください。)

+++++++++++++++++++++

●「フレックス・レイ」って、何?

 どこかのニュースを拾い読みしていたら、「フレックス・レイ」という言葉が目にとまっ
た。

 「フレックス・レイって、何?」

 そこでヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、NECのHPには、こうあった。

 「NECエレクトロニクス(社長:TZ、本社:神奈川県川崎市)はこのたび、新たに車内
用LANのプロトコルである、FlexRayの推進団体である、「FlexRay Consortium」に加
入いたしました。NECエレクトロニクスはかねてより、車内LAN制御機能の製品展開
をマイクロコンピュータを中心としたシステムLSIで取り組んで参りました。今回のコ
ンソーシアム加入は、当社の車内LAN分野でのシステムLSI事業を更に強化するもので
あります」と。

 要するに、車の中のLANに関する、新しい制御装置のことらしい。近年、車自体が、
全体として、パソコン化している。いろいろな装置が、有機的につながっている。エンジ
ンの指導、ドアの開閉、スピード制御などなど。それを一体的に制御するのが、「フレック
ス・レイ」ということらしい。(まちがっていたら、ごめん!)

 私は、この記事を読んで、「フ〜ン」と感心したり、驚いたり。毎日のように、こうした
新語が生まれる。またそれを知らないと、時代の流れについていけない。それにしても、「フ
レックス・レイ」……ネエ。

 あなたは知っていたか? 私のばあい、こういう新語に出会うと、どうしてもその意味
が知りたくなる。知らないまま、すますことができない。知らないまま、記事を読んでい
ると、イライラする。

 ここまで書いて思い出したが、「シャワー方式」。以前、「シャワー方式」という英語教育
法があった。英語をシャワーのように子どもに浴びせかけながら、英語を教えるという方
法である。英語だけを、ガンガンと子どもに聞かせる。日本語はなし。日本語の解説も、
なし。

 どこかの大学の教授が、どこかでそういう論文を読んだらしい。そこでその方式に沿っ
た、子供向けの英会話教材が開発された。私にも、相談があった。が、私は、即座に、反
対した。

 それがわからなけば、ドイツ語のラジオ放送を、30分だけでも聞いてみることだ。(ド
イツ語のわかる人は別だが……)。たいてい5〜10分もすると、イライラしてくるはず。
あるいは毎日、ドイツ語の放送を、1時間聞いたとしても、ドイツ語を話せるようになる
とは、思わない。……思わないと言うより、そういうことはありえない。

 相手が子どもなら、なおさらである。

 言葉というのは、そういうもの。「フレックス・レイ」という言葉を見たとき、別の心で、
そんなことを考えた。

 ついでに「プロトルコ」って、何?

 「パソコン用語事典」(秀和システム)によれば、「コンピュータ同士で通信する際に必
要な規則」とある。

 コンピュータ同士で、データをやりとりするときには、情報の形式が統一されていなけ
ればならない。通信速度や通信方式、エラーチェックの方法など。そういった約束事項を
統一したものを、プロトルコというらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ケア・センターの女性

 母が入居しているケア・センターに、1人の女性がいる。年齢は、93歳だという。母
に会いにいくたびに、大広間にあるソファに座っている。

 「若いときは、さぞかし美しい人だったのだろうな」と思わせるほど、目鼻立ちが整っ
ている。背も高い。いや、実際の背の高さはわからないが、いつ見ても、背筋が、ピンと
伸びている。

 その女性が、5〜10分ごとに、部屋中に響き渡るような大声をあげる。金きり声に近
い。

 「オーイ、メシはまだかア!」
 「わっち(=私)にも、センベー、くれエ!」
 「オーイ、昼飯を食べておらんぞオ!」と。

 間脳(=視床下部)の命ずるがまま、声を発している。それをコントロールする前頭前
葉の活動は、あまりよくないらしい。しかし私はその女性を見るたびに、こう思う。

 「人間も、年をとると、こうなるのか」と。

 しかしここで重要なことは、どんな人もそうなのだろうが、ある日、突然、そうなるわ
けではない。徐々に、徐々に、少しずつ、そうなる。年齢のことはよくわからないが、早
ければ、50歳前後から、そういう傾向が現れてくるのではないか。

 (知的な緊張感が持続できなくなる)→(その人の「地」が、表に出てくる)→(本能
の命ずるがまま、行動するようになる)、と。

 ここでいう「知的緊張感」を司(つかさど)るのが、前頭前葉ということになる。わか
りやすく言えば、この部分が、「理性の司令塔」として機能する。この部分の働きが鈍くな
れば、人間の行動は、より動物的になる。より本能的になる。あるいは、幼稚っぽくなる。

 交通事故か何かで、前頭前葉に損傷を受けた人が、話し方まで、幼くなることは、よく
知られている。

 で、その女性を見ながら、「あの人は、若いころ、どんなだったのだろう」と、よく考え
る。今から、60〜70年前には、さっそうとしたイデタチで、街の通りを闊歩(かっぽ)
していたにちがいない。様子からして、恋愛もし、結婚もし、子どもももうけたにちがい
ない。

 そんな女性が、今、「オーイ、メシはまだかア!」と。今は、まさに、「恍惚の人」(有吉
佐和子)ということになる。

 が、これはけっして、他人の話ではない。私の近未来像であり、あなたの近未来像でも
ある。有吉佐和子は、「恍惚の人」の中で、「長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老
もうが待ち受けているとしたら、人間は何のために生きたことになるのだろう」と書いて
いる。

 有吉佐和子の心情が、ひしひしとよくわかる。


●絶版本のHPへの収録

 先ほど、絶版となった本を、私のHPに収録したと書いた。今回は、50作分、100
ページ分を収録した。

 それが結構、たいへん。

 ます1ページごと、スキャナーでパソコン内に、取り込む。つぎにそれを、FLICK
R(=無料、画像登録サイト)に、登録する。HPの編集ソフトをたちあげ、ひとつずつ、
HTMLタグをはりつけていく。

 50作分を収録し、HTML送信が終了するまで、休みなく作業を繰りかえして、約2
時間半もかかった。私は、子どものころから、こういう単純、反復作業が苦手。しかしこ
うしてHPに収録することによって、一度は絶版となった本が、そのまま蘇(よみがえ)
る。

 めんどうな作業だったが、それをし終えたとき、ほっとした安堵感を覚えたのは、その
ためか?


●同窓会

 1月に、中学の同窓会がある。ほぼ30年ぶりではないか。当初は、出席を迷ったが、
今となっては、出席したいという気持ちのほうが、強い。

 過去は過去だが、私の人生の一部であることには、ちがいない。みんなどんふうに変わ
ったのかということよりも、どんなふうにこれからの人生を送ろうとしているのか、それ
を知りたい。

 恐らく、同窓会といっても、その場で会って、その場で別れて、それでおしまい。旧交
を温め、それをこれからの未来に生かしていくということは、ないだろう。で、今、いく
つか心に決めていることがある。

 すでに亡くなった人も多いかと思うが、務めてそういう人たちの話はしない。今、みな
が、どんな生活をしているか、そうした安易な詮索もしない。病気の話は、しない。話を
するとしても、中学時代の思い出にかぎる。

 中学時代の私には、(浮いた話)は、何もない。ガールフレンドもいなかった。好意を寄
せた女の子は、何人かいたが、そういう女の子に、私の気持ちを、相手に伝えたことはな
い。

 ラブレターをもらったことはあるが、どの人も、1〜2歳、年下の女の子ばかりだった。
だから今回の同窓会では、とくに気になる女性というのは、いない。が、考えてみれば、
これはとてもさみしいことだ。「異性は、同窓会の花」とも言う。(私が勝手にそう言って
いるだけだが……。)その「花」がない。

 ただ恩師の消息は、知りたい。

 とくに世話になったのが、繁田晴伸先生。「しげた・はるのぶ」と読む。社会科の先生だ
った。1年生のときの担任。当時すでに定年間際だったから、もし元気なら、今年、10
0歳前後になっているはず。

 つぎに戸谷成好先生。2年、3年のときの担任。インターネットで検索してみたが、見
当たらなかった。同姓のドクターが、現在、東京で活躍していることは、わかった。私は
そのドクターは、出身地からして、戸谷先生の息子氏ではないかと思っている。

 ほかに成戸先生。数学の先生だった。Sという先生にも世話になった。音楽の先生だっ
たが、女生徒に手を出し、教職を棒に振っている。私には、いい先生だった。……などな
ど。

 地元に残った友人たちは、こうした話をよく知っているにちがいない。

 友人では、何といっても、砂場君、西部君、須山君、金子君、三輪君に会いたい。みな、
45年ぶりの再会となる。もし同窓会に来てくれれば、の話だが……。


●生涯、現役!

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。着いたときには、すでに午後11時近くになってい
た。

 床の間の掃除をした。正月から2月にかけて、オーストラリアの友人たちが、3週間単
位で、泊まっていっていく。うれしい、楽しみ、プラス、うらやましい!

 日本人は、私も含めて、いつも時間に追いかけ回されている。ピーター・パンに出てく
る、フック船長のようなもの。時計を飲み込んだワニに、いつもビクビクしている。チク
タク、チクタク……と、

定年退職の年齢になったとはいえ、私には、1週間以上の休暇は、まだ、無理。また、
私は、それでよいと納得している。

 内閣府の調査によれば、75歳で、現役で仕事をしている人は、10%程度だという。
私は、その10%をめざして、がんばる。80歳をすぎても、現役でがんばる。80歳に
なったとき、「1週間以上の休暇は無理です」と言えたら、いいな。

 そのための健康づくりだけは、大切に。「健康づくり」というよりは、「健康の維持」。今
ある健康を、大切にしたい。


●韓国の株価

 つい先月までは、韓国のウォン高が問題になっていた。先月は、1ドル=900〜90
5円前後を、ウロウロしていた。が、今は、1ドル=930〜40ウォン。つまりウォン
安。

 韓国を包む経済情勢が、一変した。世界的なドル安。「アメリカの終わりの始まり」とい
うコラムも、どこかで読んだ。

 その影響を受けて、世界の通貨は、ドルに対して、ジリジリとあがり始めている。日本
円も、1ドル=110円前後から、昨日現在は、1ドル=108円まで上昇した。が、韓
国のウォンだけは、ウォン安!

 わかりやすく言えば、韓国そのものが、売りに出されている。原油価格の上昇と重ね合
わせてみると、今、韓国国内がどういう状況になっているかは、容易に察しがつく。

 それに加えて、株価(KOSPI)の大暴落。先月には、2050ポイント前後もあっ
た株価が、現在は、300ポイント近くも、さがっている。韓国のバブル経済が、今、ま
さに、はじけつつある。

 日本は、そのとき不良債権を、銀行が抱えた。韓国は、今、個人がかかえている。その
額、日本円に換算して、90兆円。(90兆円だぞ!)日本の人口規模に換算すると、約3
倍して、270兆円! アメリカのサブプライム・ローンによる焦げ付きが、40兆円前
後と言われている。それと比べただけでも、90兆円という額が、いかにデタラメな額か
が、わかる。

 日本人の私の知ったことではないが、私は同情しない。あれだけ反日感情をむき出しに
されると、同情のしようがない。

 そこで韓国の銀行は、短期外債という名前の借金を重ねに重ねてきた(※1)。韓国の国
民は、そのお金を銀行から借り、株の投資に、血眼(ちまなこ)になった。もしここで株
価が低迷するようなことにでもなれば、(すでに低迷を通り越して、暴落し始めているが…
…)、韓国経済に、明日はない。

 (韓国では、こうした短期外債の借り入れまで、「その他の収支」として、資本収支の中
に、黒字として、計上している。粉飾も、ここまでくると、あきれるというより、笑えて
くる。簡単に言えば、つぎのような手段を、とる。

ウォン高を是正するためには、ドル買い、ウォン売りをしなければならない。しかしそ
れには元手がいる。そこで短期外債という形で、外国から借金をする。その借金で、ド
ルを買う。韓国政府は、ドルをかかえこむことになる。タンスに入れておいても、意味
がない。そこでそのドルで、アメリカの国債などを買う。その国債などを、外貨準備高
に算入する。借金をすればするほど、外貨準備高がふえるという、魔法のような手口は、
こうして説明される。)

 ウォン高から、一転して、行き過ぎたウォン安。原油が1バレル=100ドル近い現在、
韓国は、どうやって、やっていくつもりなのか。すでにガソリンは、韓国では、1リット
ルあたり、日本円で200円を超えている。

 皮肉な言い方をすれば、現在のN大統領には、あと5年、韓国の大統領をしてもらいた
い。韓国経済は、さらに、メチャメチャになる※。

 かつてあの小泉元総理は、公の場所で、こう言った。「後悔するのは、韓国のほうだ」と。
韓国のN大統領が、反日発言を繰り返していたときのことである。

注:私は拉致問題について、抗議の念をこめて、K国の金xxは、「金xx」と表記してい
る。そしてその金xxを援助してやまない、韓国のN大統領を、「N大統領」と表記してい
る。)


+++++++++++++

(注※1、東亜N報、11月24日付記事より)

●外国からの資金調達も困難

韓国政府が海外で発行した外国為替平衡基金債権(外平債)の加算金利が、急騰(外平債
の価格は急落)するなど、金融への不安心理が広がっている。 

23日、ソウル証券市場ではグローバル金融市場への不安に、未来(ミレ)アセット資産
運用の先行売買のうわさまで加わり、コスピ指数は前日より26・14ポイント(1・4
5%)下がった1772・88で取引を終えた。 

株価が7日連続下落したのは、04年10月7〜15日以来、3年1か月ぶりのことだ。
コスピ指数は今月15日の1972・58から下落し始め、23日まで199・7ポイン
トも下がった。 

また、国際金融市場では安全な資産を好む傾向が目立ち、韓国政府が発行した14年満期
の外平債は21日現在、米国の国債金利より1・03ポイント(103bp)高い水準で
取引され、同債権が04年発行されて以来、加算金利は最高値を記録した。 

25年満期の外平債の加算金利も1.3%まで上がり、同じく発行以来最高値を記録して
いる。 

外平債の加算金利が上がれば、国内の各銀行や企業が海外で発行する債券の加算金利が

もに上がり、海外からの資金調達が難しくなる。 

一方、市中金利の上昇の勢いが続き、変動金利付住宅ローンの基準金利である91日満期
の譲渡性預金証書(CD)金利は年5・50%で、前日より0・01%上がり(CD価格
は下落)、01年7月以降、6年4か月ぶりに、再び、年5・50%台に進入した。 

これを受け、銀行から融資を受けて住宅を購入した人たちの利息への負担はさらに増大す
るものと懸念される。

+++++++++++++++

 韓国でいう「外国為替平衡基金債権(外平債)」というのは、外国で発行する、国債のよ
うなもの。その国債が売れないときは、金利を高くする(=おいしいエサをつける)。その
金利が、04年以来、最高値を記録しているという。

 韓国では、こうして集めたお金で、ドルを買い、ウォンを売っている。当然のことなが
ら、こんなことを繰りかえしていたら、韓国内は、ウォンでジャブジャブになってしまう。
そこで韓国銀行は、そのウォンを吸収するために、別枠で、「通貨安定証券」なるものを発
行している。(韓国政府ではなく、韓国銀行が、だぞ!)

 事情を知らない韓国の新聞各社は、「外貨準備高が、世界で〜〜位になった」とはしゃい
でいるが、言うなれば、借金で、外貨を買っているようなもの(※2)。日本では考えられ
ない、もう、メチャメチャな経済政策と言ってよい。


+++++++++++++++++++++

(注※2)

「韓国銀行によると今年6月末現在、満期1年未満の短期外債の規模は、1378億90
00万ドルと、韓国の外債全体の44・3%に達する。この比率は、通貨危機当時(97
年末)の36・6%よりも7.7ポイント高い」(東亜N報、11月)

 わかるかな? 韓国の外債の内、44%あまりが、短期外債(=借金)によってつくら
れた外債ということ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(11月25日版)

++++++++++++++++++++++

昨日、「韓国銀行によると、今年6月末
現在、満期1年未満の短期外債の規模は、
1378億9000万ドルと、韓国の外
債全体の44・3%に達する。この比率
は、通貨危機当時(97年末)の36・6%
よりも7・7ポイント高い」(東亜N報、
11月)と書いた。

「短期外債」というのは、1年以内に返済
しなければならない、(外国からの借金)を
いう。その借金が、44%にもなったという。
わかりやすく言えば、その割合が大きければ
大きいほど、その国の財政状況は、悪化して
いるということを意味する。

韓国は、その短期外債をつぎつぎと借り入れ
ながら、今まさに、財政の自転車操業を
繰りかえしていることになる。

+++++++++++++++++++++

「韓国政府が海外で発行した外国為替平衡基金債権(外平債)の加算金利が、急騰(外
平債の価格は急落)するなど、金融への不安心理が広がっている」(東亜N報)と。 

「外国為替平衡基金債権(外平債)」というのは、日本でいう「国債」のこと。つまり政
府の借金。東亜N報の記事によれば、現在、韓国では、その借金が、ままならなくなっ
てきたということらしい。

 その額、06年9月時点で、18兆ウォンと言われている。直近の為替相場で換算する
と、日本円で、約2・1兆円。

 「2・1兆円」と聞いて、「ナーンダ、たったの2兆円ではないか」と思う人がいるかも
しれない。しかしそこは韓国。ちゃんと、その裏には、カラクリがある。「通貨安定証券」
という、カラクリである。

 国債、つまり「外平債」は、韓国政府という「国」が発行する。この「外平債」とは別
に、韓国では、韓国銀行(=日本の日銀に相当)が、独自に発行する、「通貨安定証券」な
るものがある。中身は、国債とまったく同じ。金利を払いながら、市中から、ウォンを吸
い上げている。

 その通貨安定証券の残高が、約200兆ウォンほどあるとされる。日本円で、23兆円!
 これにほかの国家債務を加えると、約400兆ウォン以上。日本円で、46兆円以上!

 日本政府も、多額の借金をかかえているが、いわば(身内の借金)。しかし韓国政府は、
外国に向かって借金を繰りかえしている。

 もしここで、日本の円が、少しでも円高に振れたら、(すでに円高に振れてしまったが)、
韓国経済は、たいへんなことになる。借金の大半が、日本からのものだとすると、そのと
たん、その分だけ、借金の額が肥大化することになる。

 わかりやすく説明しよう。

 あなたは日本の銀行から、1億円、借りた。1円=8ウォンで計算すると、あなたは8
億ウォンを手にすることができる。あなたはそのお金で、株を買ったり、マンションに投
資をすることができる。

 が、円高になり、1円=10ウォンになったとする。そうなるとあなたは、1億円を返
すために、10億ウォンを用意しなければならない。つまり借金が、2億ウォンふえるこ
とになる。

 そこへさらに、ウォン安が加わったら、どうなるか? 実質の借金額は、さらにふえる
ことになる。(すでにウォン安に振れてしまったが……。)

 が、その借金の返済が、ままならなくなってきた。そこであなたは、さらに借金に借金
を重ねる。それが、「韓国銀行によると、今年6月末現在、満期1年未満の短期外債の規
模は、1378億9000万ドルと、韓国の外債全体の44・3%に達する。この比率は、
通貨危機当時(97年末)の36・6%よりも7・7ポイント高い」(東亜N報、11月)
という部分に集約されている。

 この中で、とくに、「この比率は、通貨危機当時(97年末)の36・6%よりも7・
7ポイント高い」という部分に注目してほしい。これだけでも、韓国経済が、今、いかに
危機的な状況にあるかが、わかる。

 なお韓国政府は、ここに書いた、「通貨安定証券なるものは、韓国銀行の発行しているも
のだから、韓国政府、つまり国の借金ではない」という煙幕を張っている。つまり国の借
金から、除外している。これが韓国一流の、カラクリである。

 さて今日の朝鮮N報によると、こうある(11月25日)。

 「こうした状況を物語るかのごとく、04年まで国内証券市場の42%を占めていた外
国人の割合(時価総額基準)が、最近では31%にまで急減した」と。

 外資が、雪崩を打って、韓国から逃避し始めていることを示す。

同じく、朝鮮N報は、「これまで外国人投資家が左右していた国内証券市場が、自然に機
関投資家らに代替されたのは、国内証券市場がそれだけ成熟し、世界的な経済変数から
独立性を確保した証拠だと見ていい。ちなみに台湾の証券市場も外国人の割合が32%
で、韓国と同水準だ」と書いている。

 「台湾と同じ水準だから、だいじょうぶ」と。

 31%なら、31%でよい。その水準で安定していれば、それでよい。問題は、「42%
から31%まで減った」ということ。さらに、そこで止まるという保証は、どこにもない。
それが韓国が現在かかえる、時限爆弾ということになる。

 日韓経済戦争といいながら、実は、韓国は、何も、日本が手をくださなくても、今、自
滅に向かって、まっしぐらに進んでいる。

 なお韓国政府は、今、この時期に、強制連行された韓国人に対して、日本円で、1人当
たり、200〜250万円の補償金を与えると発表した。日本へのアテこすりのようにも
聞こえる。

 しかし戦後、日本政府は韓国に、莫大な額の戦後補償金を支払っている。当時の韓国政
府は、そのお金を、すべて、国家の再建に使ってしまった。「漢江の奇跡」というのも、そ
れで起きた。日本政府も、そのお金がどう使われるか、不問にしたこともある。

 それを今になって、「被害者に補償しなかった」と、日本政府を非難している! それが
ここでいう「アテこすり」という意味である。

 これは余談。


●庭の枯れ葉

 外がだいぶ、明るくなってきた。窓をあけてみると、枯れ葉の山。これから服を着がえ、
枯れ葉を集めて、焚き火。

 今、ワイフが台所で、朝食の用意を始めたところ。それを食べたら、作業にとりかかる。

 そうそう昨夜、ワイフと長男は、「ゾーディアック」というDVDを見た。私は、見なか
った。私は、その間、コタツの中で、居眠り。終わってから、「どんな映画だった?」と聞
くと、「まあ、星は、2つの、★★ね」と言った。「2つも、無理かもしれない」とも。

 私は、見ないことにした。

 ところでおととい見た、ブラッドピット主演の『バベル』だが、日本側のシーンに出て
きた女優は、撮影当時、24、5歳だったという。映画の中では、女子高校生を演じてい
た。全裸シーンも、何か所かあった。

 どこか暗さをたたえる高校生として描かれていたが、アカデミー賞で、何かの賞を取り
損ねたという話を耳にしたことがある。「外人って、ああいう女性が好みなのかなあ」と思
ったりする。

 ところで、一言。

 世界の映画ファンたちよ、ああいう映画を見て、「あれが日本」と、どうか、思わないで
ほしい。よくアメリカ人の友人たちは、こう言う。「ヒロシ、ハリウッド映画だけを見て、
これがアメリカと思わないでくれ」と。それと同じ。

 くれぐれも、よろしく。



●冒頭に書いた、読者の方へ(G県のOさんへ)

 けっして悪意があって、そういうメールをくれたのではないと思う。それはよくわかっ
ている。返事に、私は、「非常識なメールに、憤慨しています」と書いたが、その気持ちは
今も、変わっていない。が、この言葉は、あなたには大きなショックを与えたかもしれな
い。それはそれとして、あなたのこれからの執筆活動の勉強になればと願っている。



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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「今」を知らない子どもたち

+++++++++++++

「今」を生きるということは、
今を懸命に生きること。

結果は、あとからついてくる!

+++++++++++++

 私の知人がこう言った。「退職したら、Tさんと二人で、車で日本一周をするつもりです」
と。しかし私はその話を聞いたとき、「ではなぜ、今しないのか?」と思った。

 日本人は仏教というよりチベット密教の影響を強く受けているから、「結果」を重要視す
る。「死に顔でその人の生涯が決まる」と教えている日本最大の宗教教団すらある。

しかし大切なのは、結果ではなく、「今」だ。が、それだけではない。こうした結果を大
切にする考え方は、日本人の生き方そのものにも大きな影響を与えている。その一つが、
「未来」のためにいつも「今」を犠牲にするという生き方。

たとえば幼稚園は小学校入学のため、小学校は中学校や高校の入学のため、さらに高校
は大学入試のため、大学は就職するためと考える親は多い。そう考えるのは親の勝手だ
としても、子どももまた、そういう生き方を身につけてしまう。そしていつまでたって
も「今」がつかめなくなる。しかしそれは愚かな生き方そのもの。イギリスには、『休息
を求めて疲れる』という格言がある。「いつか楽になろうなろうと思ってがんばっている
うちに、疲れてしまい何もできなくなる」という意味である。

 一度こういう生き方のパターンができてしまうと、それを変えるのは容易ではない。そ
のまま一生つづくと言ってもよい。その一例として、休暇の過ごし方がある。

たとえば今、10日間の休暇が与えられたとする。そういうとき欧米の人なら、その「時」
をそのまま楽しむ。……楽しむことができる。しかし日本人は、休暇中は今度は、休暇
が終わってからの仕事を考える。子どももそうだ。

子どもが学校から3日間の休日を与えられたとする。そして子どもが家でブラブラして
いたとする。すると親はそれを見て不安に思ったりする。「こんなことでいいの!」と。
つまり日本人は休みを休みとして楽しむことすらできない。別の友人はこう言った。「1
0日も休みをもらっても、過ごし方がわらない」と。こうした生き方は、よく「仕事中
毒」という言葉で説明されるが、そんな簡単なことではない。根は深い。

 さて冒頭の話だが、私はその知人は、退職後、日本一周の旅には出ないと思う。しても
旅から帰ったあとの老後の話ばかりすると思う。それはちょうど試験週間の学生のような
ものだ。試験中というのは、ほとんどの学生は「試験が終わったら映画を見にいこう」と
か、「旅行しよう」とか考えるが、いざ試験が終わると、何もしたくなくなる。

あなたにもそういう経験があると思うが、抑圧された環境の中では夢だけがひとり歩き
する。しかしその抑圧から解放されると、同時に夢も消える。いや、その前に健康がそ
れまで続くかどうかさえわからない。命だってあぶない。そんなあやふやな「未来」に
夢を託してはいけない。夢があるなら、条件をつけないで、「今」始めることだ。繰り返
すが、結果は必ずあとからついてくる。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●過関心は心をつぶす

+++++++++++++++

親の4悪に、過保護、溺愛、
過干渉、それに過関心がある。

+++++++++++++++

 親が自分の子どもに関心をもつのは当然のことだが、それが度を超すと、過関心になる。
その過関心、とくに神経質な過関心は、子どもの心をつぶす。

 私は私の授業を例外なく、公開している。そういう中でも、ときに親の視線が強すぎて
授業そのものがやりにくく感ずることがある。「強い」というより、「刺すような」視線で
ある。それがピリピリと伝わってくる。

そこでそれとなくその親の方をみるのだが、表情を見る限り、とくに緊張している様子
はない。柔和な笑顔を浮かべていることさえある。しかし視線だけが、異常に強い……!

 親の過関心が日常的につづくと、子どもの心は内閉したり、さらにそれが進むと萎縮し
たりする。(反対に粗放化する子どももいる。このタイプの子どもは、親の過関心をはね返
した子どもとみる。)子どもらしいハツラツとした表情が消え、顔もどんよりと曇ってくる。
また自分で考えて行動することができなくなるため、外の世界では、常識ハズレな行動を
しやすい。

バスの窓から体を乗り出してみせた子ども(小4男児)や、先生のコップに、殺虫剤を
入れた子ども(中1男子)がいた。が、そういう事件を起こしても、親にはその自覚が
ない。ないばかりか、かえって子どもを激しく叱ったりする。この悪循環が、子どもを
ますます悪い方向に追い込む。

 実際、神経質な親は多い。子どもの持ち物は言うにおよばず、机の中や携帯電話の中ま
で、こっそり調べたりする。子ども部屋に監視カメラをつけている親だっている。こうし
た親は、口では「私は子どもを愛しています」と言うが、その実、子どもを愛していない。
自分の心のすき間を埋めるために、子どもを利用しているだけ(失礼!)。

さらにその原因は何かと言えば、子どもを信じられないという不信感がある。「うちの子
は何をしても心配だ」という思いが転じて、過関心になる。もちろん親自身の情緒的欠
陥が原因となることもある。このタイプの親は、うつ型タイプの人が多く、一度こまか
いことを気にし始めると、そのことばかり気にするようになる。そしてささいなことを
問題にしては、おおげさに騒ぐ……。

 子どものことで、こまかいことが気になり始めたら、過関心を疑ってみる。そしてもし
そうなら、一度思い切って、子どものことは忘れ、子育てそのものから離れてみる。方法
はいくらでもある。サークルでも、ボランティアでも何でもすればよい。自分のまわりに、
子育てとは関係のない世界をもつ。そしてその結果として、子育てそのものから遠ざかる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
親の過関心 過関心)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●仮想現実の世界

+++++++++++

生きるために稼ぐのか、
稼ぐために生きるのか?

すべての疑問は、その
1点に集約される。

+++++++++++

●生きるのがマトリックス(母体)

 生きるためにお金を稼ぐ。稼ぐために働く。働くために仕事をする。あくまでも生きる
ことがマトリックス(母体)。それが今、逆転している。仕事が生きることより優先され、
仕事のために生きている人はいくらでもいる。たとえば休暇。

 私たちは「休みになったら、○○をしよう」と考えて仕事をする。それは問題ないが、
休みになったら、休みなったで、今度は仕事のことばかり考える。よく日本人は休暇の過
ごし方を知らないと言われるが、その理由の一つはこんなところにもある。子どもの教育
とて例外ではない。土日が休みになって、子どもが家でゴロゴロと横になって休んでいた
とする。そういうとき親は、「勉強はしなくていいの?」とか、「もうすぐテストでしょ」
とか言って、子どもを追い立てる。

 生きることがマトリックス(母体)とするなら、仕事の世界はまさに仮想現実の世界。
この世界にハマると、本来大切でないものまで大切と思い込むようになる。学歴だの出世
だの、地位だの肩書きだの、そんなことばかりを気にするようになる。それだけならまだ
しも、その一方で、本来大切にすべきものを、粗末にするようになる。よい例が、単身赴
任だ。昔、私のオーストラリアの友人たちがこう言った。「家族がバラバラにされて何が仕
事か!」と。

 もちろん仕事をするのが悪いと言っているのではない。しかし本分を忘れてはいけない。
この本分を忘れると、自分の人生そのものまで犠牲にすることになる。やっと楽になった
と思ったら、人生も終わっていた……、と。

 子どもをなぜ教育するかといえば、それは子どもたちに心豊かで、幸せな人生を歩んで
ほしいからだ。教育に目的があるとするなら、私たちの知識や経験を武器として、子ども
に与えることだ。

つまりそれが教育のマトリックス(母体)。たしかにこの日本には学歴社会があり、それ
にまつわる受験競争もある。しかしその本分は忘れてはいけない。これを忘れると、子
ども自身もまた、今のあなたと同じように、いつまでたっても自分の人生をつかめなく
なる。いや、その前に、あなたと子どもの関係は、まちがいなく崩壊する。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●愛情は落差の問題

++++++++++++++

愛情の量は、落差の問題。

多い、少ないではなく、
ふえたか、減ったで、
考える。

よい例が、赤ちゃん返り。

++++++++++++++

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。
(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのを
プラス型ということができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、
叱ったり説教しても意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやる
ので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがってい
ます。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィ
フティ(50%50%)だから文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、
その「50%」というのが不満なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、100%だ
った親の愛情が、五〇%に減ったことが問題なのだ。

もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」ではなく「落
差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよ
い。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあな
たに言ったとしたら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させない
ように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれ
てくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生ま
れてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいの
はいきなり下の子どもが生まれたというような印象を、上の子どもに与えること。そうい
う状態になると、子どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争
心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があまりひどいよう
であれば、以前と同じように、もう一度100%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を
減らしていく。(2)症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(50%5
0%)を貫き、そのつど、上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカル
シウム、マグネシウムの多い食生活にこころがける。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
赤ちゃん返り 愛情問題 愛情 落差 落差の問題)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●仮面治癒に注意!

++++++++++++++++

子どもの心の問題に対処するときは、
1年単位の根気が必要。

1年でも早いほうかもしれない。

数年単位で、様子を比較する。

++++++++++++++++

 子どもの心の問題をあつかっていると、ときどき不思議な現象にであう。私が最初にあ
る子どもに出会ったとき、「この子の心の問題がなおるには、数年かかるだろうな」と思っ
たとする。

で、それなりの対処をしているのだが、数か月もたたないうちに、「なおった?」ような
状態になることがある。たとえばF君(年中児・5歳)がそうだった。

最初母親も、「三歳のとき、病院で自閉症と診断されました」と話していた。(たしかに
自閉傾向はあったが、私がみたところ自閉症ではなかった。母親が聞きまちがえたのだ
ろうとそのときはそう思った。)自分勝手な行動が目立ち、私の言うことなどほとんど聞
かなかった。

が、指導を始めて数か月後のこと。ふと気づくと、F君が別人のようにおとなしく、し
おらしい様子で、私の指示に従っているではないか! 驚いてうしろで参観していた母
親のほうを見ると、母親はそれを見て喜んでいたが、どうもおかしい。そこで母親から
あれこれ話を聞くと、F君はある訓練教室で訓練を受けているということがわかった。
はげしい暴力的な訓練で有名な訓練教室である。

 こうしたケースは極端なケースだが、大前提として、子どもの心の問題は、簡単にはな
おらない。無理をすれば一見、なおったかのように見えることがある。私はこれを仮面治
癒と呼んでいるが、仮面は仮面。なおったのではない。症状はさらに奥の深いところにも
ぐったと考える。

心の問題は、決しておさえてなおるものではない。むしろ反対に、不登校にせよ、引き
こもりにせよ、もろもろの情緒障害にせよ、心の問題は、外へ解放させることによって
なおす。1年単位の恐ろしく時間のかかる作業だが、これが大原則である。こうした問
題で、たとえば別の形で強度の恐怖心を与えたりすると、子どもは退避的に、自己をコ
ントロールするようになる。

F君がその教室で受けた訓練は、そういうものだったが、しかしそれは風邪をひいて熱
を出している子どもに、頭から水をかけるようなものである。熱はさがるかもしれない
が、それですむわけがない。事実そのあと数か月もすると、F君に妙な現象が出てきた。
絵を描いているときでも、何を思ったのかひとりでニヤニヤ笑ってみせたり、突発的に
大声を張りあげて、泣き叫んだりするなど。

 子どもに心の問題を感じたら、親のほうが一歩も二歩も引きさがる。今の状態をそれ以
上悪くしないことだけを考えて、無理をしない。無理をすればするほど逆効果。さらに無
理をすれば、ここでいう仮面治癒を引き起こすことがある。

こうなると、「教育」という場で対処できる問題ではなくなってしまう。その訓練教室で
は、「なおった、なおった」とさかんに宣伝しているが、本当に「なおった」とみてよい
のか。私がいう仮面治癒に、皆さんもじゅうぶん注意してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●しつけは普遍

++++++++++++++

子どもにとって、しつけとは?

++++++++++++++

 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、そ
の人の人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。たとえばTさん(70歳女
性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様子がおかしくなってきた。

近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまう
のだ。人はそれを、Tさんが老人になったせいだと話していたが、実のところTさんの
盗みグセは、Tさんが2。30歳のときからあった。

ただ若いときは巧妙というか、そういう自分をごまかすだけの気力があった。しかし7
0歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それと反比例
するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。
むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、
そういうことで決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。

子どもが中学生になるころには、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方
向性に沿っておとなになるだけ。途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、
ありえない。たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指
導すれば、一度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強
く叱っても、その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、
人の見ていないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、
話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというの
は、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけて
みれば、それでわかる。してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。

しかししてはいけないことをしたときには、どこか不快感が心に充満する。そういう常
識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということ
になる。そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味
で私は、「しつけは普遍」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
しつけ 子どものしつけ)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

【子どもとゲーム】

++++++++++++++++++++

07年12月12日、東京大学にて、
東京大学大学院情報学環歴史情報論研究室と
IGDA東京が運営する「東京大学ゲーム研究
プロジェクト」の、第1回公開講座が開催
された。

講師は社会心理学が専門の、阪元章氏。その
報告が、ヤフーに載っていた。

++++++++++++++++++++

●ゲームは、危険か?

 テレビゲームが子どもたちにどのような影響を与えるか。それについて、今までにも、
さまざまな機会で、論じられてきている。

 今度(07年12月12日)、東京大学にて、東京大学大学院情報学環歴史情報論研究室
とIGDA東京が運営する「東京大学ゲーム研究プロジェクト」の、第1回公開講座が開
催された。

 講師は社会心理学が専門の、阪元章氏。その氏の報告によれば、おおむね、つぎのよう
な内容だったという。結論だけを、ヤフー・ニュースから、いくつかを、かいつまんで列
挙してみる。

★『……続いて、ゲームによって暴力的な傾向が強まるかについて。これは結論から言っ
てしまえば、暴力的なゲームをプレイした場合に、子どもが暴力的な傾向を持つことが認
められる方向の研究結果がある。ちなみにこれは、テレビ映像についても同様とのこと。
暴力シーンによって欲求不満が解消されるという説もあったが、現在はこの説は否定され
ているという』

★『この理由について坂元氏は「ゲームが暴力を学習させる」ことが大きな理由であると
説明。暴力を学習するというのは、暴力によってヒーローが問題を解決したりすることで、
暴力がよい解決手段だと認められてしまうことが挙げられる。特にゲームにおいては自分
自身を反映したキャラクターが相手を倒すことで、ストーリー展開や未知の映像などを含
めた報奨を得る構造になっているため、テレビよりも影響力が強いのではないか、という
説もある。

 また、ゲームの中で暴力を振るうことで、実際に暴力を振るうことにも慣れてしまう。
例えば現実に怒りを感じた場合、我慢する、逃避するなどさまざまな選択肢があるが、暴
力への回路が開かれやすい状態になるというのだ。

 その他、技術が進歩することによって、ゲームがより現実に近づいている点が触れられ
た。そのため、学習された暴力が現実世界でも出てしまう傾向が強まっているという』

★『ゲームによって学力低下が引き起こされるかという点については、明確な関係は今の
ところはっきりしていない。研究も少なく、悪影響の可能性があるのではないか、という
レベルなのだそうだ。ただし、ゲームが図形把握能力など視覚的能力を向上させるという
ことは明らかにされており、先日米サイエンス誌でもこの点に関する研究結果が掲載され
たという』

★『また、日本大学の森教授の著書「ゲーム脳の恐怖」が、発表当時に一大センセーショ
ンを巻き起こしたことは記憶に新しい。これは、ゲームプレイによって繰り返し前頭前野
の活動が低下することで、ゲームから離れても、前頭前野が機能しなくなってしまうとい
う説を述べた本だ。

 この「ゲーム脳の恐怖」の調査内容に関しては、Webサイトや書評によって調査方法の
不備などが指摘されている。また、ゲーム中に前頭前野の活動が低下することは10年以
上前から研究結果として報告されていることでもある

 ただし、脳医学の領域において発達に対する影響がどうなのか、という調査結果は今の
ところない。ゲームによって前頭前野の活動が低下するという経験を繰り返すことで、ゲ
ームから離れても前頭前野が活動しなくなるかどうかということは明らかにされていな
い』(以上、「ヤフー・ニュース・レポートより」07年11月21日)


+++++++++++++++++

 このレポートを読んで、まず気になるのが、(1)直観的なゲーム論には、意味がないと
いう趣旨の内容が目立つこと。(2)レポーター自身が、たいへんな権威迎合主義者で、(た
ぶん?)、教授が言うことはすべて正しいという前提で、ものを書いている点である。

 『子どものことは、子どもに聞く』。それが大鉄則であり、大原則。ゲームにハマってい
る子どもが、どこかおかしくなるという印象は、直接、子どもと何日も、接してみてわか
ること。その変化については、何年も接してみてわかること。しかも多人数の子どもたち
と比較してみて、はじめて、わかること。

 直感が不完全で、信頼性がないというのなら、(レポートの中では、「直観」となってい
るが)、ならば「教育とは何か?」ということになってしまう。

 私はこうしたレポートを読むたびに、「この研究者は、どの程度、子どもに接しているだ
ろうか」という視点で、内容を判断する。阪元氏が、そうではないと言っているのではな
い。しかしレポートを通して知るかぎり、子どもの臭いが、どこにもない。ないのが、気
になる。

 暴力番組の影響で、子どもが暴力的になることは、幼稚園の現場では、すでに30〜4
0年も前から指摘されていることである。当時、それまでにはなかった遊びが、大流行し
た。いわゆる「キック」である。

 K・ライダーの動きにまねて、相手の子どもや先生に、キックを繰りかえす子どもが続
出した。相手が子どもでも、まともにキックされると、大のおとなでも、うずくまってし
まう。それほどまでのパンチ力がある。子どもの足でも、おとなの男の腕ほどの太さがあ
る。

 ゲーム漬けによって、子どもが暴力的になるかどうかという見方は、それ自体が、きわ
めて一面的でもある。

 むしろ心配されるのは、「心の破壊」であろう。

 私の調査では、大きなぬいぐるみなどを、子どもたちが通る玄関先に置いてみたばあい、
「かわいい」と言って、ぬいぐるみに好意的な反応を示す子どもが、約80%。反応を示
さない子どもが、20%。そのうち何割かは、否定的な反応を示し、ぬいぐるみに対して、
キックをしたり、ぬいぐるみを、投げ飛ばしたりする。

 これが私たちの「直観」である。

 もちろんこうした子どもの心が、すべてゲームの影響によって決まるとは思わない。「心」
というのは、たいへん複合的なもので、それこそDNAのように、複雑にからみあってい
る。その結果として、「暴力的であるか、ないか」が、決まる。

 ゲームが子どもの心に影響を与えているかどうかということについては、「ある」と考え
るのが、当然である。ゲームが暴力的であれば、あるほど、そうである。しかしゲームだ
けで、暴力的になるとも考えられない。

 その子ども自身のもつ「質」の問題も、からんでくる。「家庭環境」の問題もからんでく
る。親の冷淡、無視、不適切な育児姿勢があれば、なおさらである。

 こうした論議を重ねる前に、まだどこかに幼児性を残す子どもが、無表情のまま、「殺せ」
「やっつけろ」「やったア!」と、声を出しながらゲームを繰りかえすことの異常さを、ま
ず知るべきである。

 否定的なことばかりを書いたが、阪元氏らの研究が、ムダであるとか、そういうことを
書いているのではない。森氏の書いた、『ゲーム脳の恐怖』については、おおいに参考にな
った。これからもこうした分野での研究は進むと思われる。また進めてほしい。

 私の「直観」によれば、この『ゲーム脳の恐怖』に書かれていることは、現場の子ども
たちの現象を、うまく説明している。レポートは、『この「ゲーム脳の恐怖」の調査内容に
関しては、Webサイトや書評によって調査方法の不備などが指摘されている。また、ゲー
ム中に前頭前野の活動が低下することは、10年以上前から研究結果として報告されてい
ることでもある』と、どこか否定的な見解を述べている。

 この部分を読んで、まず思い出したのが、「タバコ無害キャンペーン」。若い人は知らな
いかも知れないが、私が20〜25歳のころは、どこの駅前でも、旗を立てた一群が、「タ
バコ無害キャンペーン」なるキャンペーンを展開していた。

 「タバコが有害であるということは、科学的に実証されていません」と。

 子どもの世界では、『疑わしきは、罰する』。それが原則。危険確認まで待っていたら、
その間に、子どもの世界は、どこかへ行ってしまう。ゲームについても、しかり。もし私
が言っていることに疑問をもつなら、あなたも、一度でよいから、ゾンビを相手に、刀で
切りまくるゲームをしてみることだ。

 そのあと気分が爽快になり、すがすがしくなる人は、ぜったいに、いない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子どもとゲーム ゲーム 子供とゲーム)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・雑談・11月23日】

++++++++++++++

昨夜、ブラッドピット主演の
『バベル』を見た。

短い作品かな……?、と思って
見始めたが、終わってみると、
3時間!

そんなわけで床に入ったのが、
午前0時半過ぎ。

起きたのが、少し前。午前8時。

今日は、仕事も休み。肌寒さを
感ずる冬の冷気が、心地よい。

おはようございます。

++++++++++++++

●DVD『バベル』

 ブラッドピット主演の『バベル』。過去→現在→過去と、話が飛ぶから、見るときは、注
意が必要。最初は、モロッコ、東京、サンディアゴの3か所で、同時進行の形で、交互に
カメラが回る。サンディアゴ、メキシコのプエルトリコには、20代のころ、行ったこと
がある。

 「?」と思っていると、だんだんとストーリーがつながっていく。あまり詳しくは書け
ないので、内容は、ここまで。

 星は、2つの★★。少しきびしいかな? 東京という都市が、退廃的な都市として、描
かれていた。「すべてのものがありながら、何もない空間」。そんな印象をもった。私はこ
のDVDを見ながら、学生時代に、金沢で、ガイドのアルバイトをしていた自分を思い出
していた。

 当時のアメリカ人は、傲慢(ごうまん)だった。『バベル』の中のブラッドピットも、そ
のタイプの男性として描かれている。気になったシーンをいくつか、あげてみる。

(1)村にひとつしかない電話をかけながら、相手が自分の意にかなわない返事をしたと
き、その受話器を、壁にたたきつけていた。

(2)妻が、尿意をもよおしたとき、ガイド役の男性に、「鍋はないか?」と聞き、その鍋
をもってこさせた。妻に、鍋の中に、小便をさせていた。

 ほかにもあるが、電話機にしても、鍋にしても、モロッコの人たちにとっては、たいへ
んな貴重品。「アメリカ人なら、何をしてもよい」という傲慢さが、ガイドをしていた自分
の記憶と重なった。

 前にも書いたことがあるが、ガイドといっても、実際には、奴隷のようなもの。もちろ
ん中には、親切なアメリカ人もいた。反対に、あれこれ教えてくれた人もいた。が、そう
いうアメリカ人は、少なかった。記憶をたどってみる。

(1)小松空港へ迎えに行き、そこからタクシーで、金沢まで同行したときのこと。「タク
シー代は、予定外だ。私は了解していない。お前が払え」と言われた。

(2)そのアメリカ人は、金沢の町の中で、「ここはどこだ?」と、地図を地面に広げた。
私は、地面にはいつくばって、そのときの現在位置を教えた。そのアメリカ人は、
上から私を見おろしていた。

(3)夜遅く、郊外の温泉宿まで案内した。しかし帰りのバスも、タクシー代もなく、私
は徹夜で、金沢の町まで、歩いて帰った。

(4)忍者寺へ行ったときのこと。その男性と妻の靴を、脱がせたり、履かせたりさせら
れた、などなど。

 当時の日本は、まだそのレベルだった。アメリカ人もまた、そういうレベルで、日本や
日本人を見ていた。印象に残っているのは、カナダから来た家族だった。高校生ぐらいの
女の子が、タンクトップを身につけていた。日本人の私には、あまりにも刺激的だった。

 私はそれを見て、何度も、歩けなくなってしまったのを覚えている。当時の日本で、タ
ンクトップを身につけている女性はいなかった。(これは余談。)

 残念ながら、私は『バベル』を見ながら、当時の、あのタチの悪いアメリカ人を、思い
出していた。ブラッドピットも、小さな部落で、ワーワーとわめき散らしていた。「外国に
いる」という謙虚さが、まるで感じられなかった。それで星は、2つ。時間に余裕のある
人は、見たらよい。

 もう一言。

 東京という都市が、退廃的な都市として描かれていたということは、先にも書いた。か
なり誇張されていた。それはそれとして、このDVDを見ていて、「豊かさとは何か」、そ
れを改めて考えさせられた。

 見終わったあと、「モロッコのほうが、人間的ね」と、ワイフは言った。私も、まったく
同感だった。

……しかし東京というと、どうしていつも、ああまで薄汚い街として、描かれるのか?
 私も東京は好きではないが、しかしあそこまでひどいとは、思わない。東京の人たち
よ、もっと、怒れ!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

【三つ子の魂、百まで】

●乳児の善悪判断

+++++++++++++

乳児にも善悪判断ができると
いう。

そんなおもしろい研究結果が、
ヤフー・ニュースに載って
いた。そのまま紹介させて
もらう。

+++++++++++++

(時事通信・11・23)

生後6か月の赤ちゃんも善悪を区別し、道徳的な判断もできる……。22日付の英紙デ
ーリー・テレグラフによると、アメリカ・エール大学のカイリー・ハムリン氏らの研究
チームがこうした実験結果を明らかにした。

3つ子ならぬ「6か月児の魂も、100まで」ということになる。

 同紙によると、実験では12人の6か月の赤ちゃんに、

(1)丸いおもちゃ「クライマー」が丘を上ろうとするが、失敗する。
(2)三角のおもちゃ「ヘルパー」が、クライマーを丘の上まで押し上げる。
(3)四角のおもちゃがクライマーを、丘の下まで押し戻す……という3つの映像を見
せた。

その後、赤ちゃんにおもちゃを選ばせると、全員が三角に「好意」を示したという。

+++++++++++

 この中で、「三つ子の魂、百まで」を読んだとき、30年前に、私が書いた記事のことを
思い出した。

 当時、『幼児のがくしゅう』(学研)という雑誌があった。その雑誌の付録に小冊子があ
って、それにコラムを書かせてもらっていた。

 その中で、私は、この『三つ子の魂、百まで』について書いた。内容はともかくも、こ
の『三つ子の魂、百まで』という格言が、「差別にあたる」というのだ。雑誌が発行された
あと、ある団体から、猛烈な抗議を受け取ったのを覚えている。

 いわく、「三つ子までに性格が決まるというなら、3歳まで、不幸にして不幸な乳幼児期
を過ごした子どもは、その後、立ちなおることはできないというのか。その後の努力で、
立派に更生した人も多い」と。

 抗議の内容はよく覚えていないが、当時は、まだそういう時代だった。雑誌といっても、
姉妹紙の『なかよしがくしゅう』と合わせて、月に、40〜50万部も売れていた。影響
力も大きかった。

 で、しばらく……というより、40代に入って自分の本を書くまで、私は、意識的に、
この格言を避けてきた。が、今では、ここで見るまでもなく、同じ格言が、堂々と使われ
ている。

 ……となると、あのときのあの抗議は、いったい、何だったのかということになる。一
部の団体の、一部の人たちの過剰反応だったのか?

 この『三つ子の魂、百まで』について書いた原稿を、ここに添付する。

+++++++++++++

●飼い犬考察(「自分」発見のために)

 私は二匹の犬を飼っている。一匹は保健所で処分される寸前のものを、もらってきた犬。
これをA犬とする。もう一匹は、親の愛をたっぷり受け、愛情豊かな家庭で生まれた犬。
これをB犬とする。これらA犬とB犬は、まったく性格が違う。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、
一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛
想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、
すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならな
い。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らんぷりして、そ
のまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。
おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその
割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入っ
てこようものなら、けたたましく吠える。

 人間も犬と同じと言ったらいいのか、あるいは犬も人間と同じと言ったらいいのか、同
じようなことが人間の子どもにも観察される。いろいろ誤解を生ずるので、ここでは詳し
く書けないが、性格というのは、一度できあがると、その後、なかなか変わらないという
こと。

A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、冷淡を経験した犬だ。心に大きなキズ
を負っている。一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った。一見、愛想は悪いが、
人間に心を許している。だから、そういうことができる。つまり人間を信頼している。
幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。

 人間も成長とともに、自分のことがよくわかってくると、自分という人間が、遠い昔に
できあがったということがわかる。高校生や中学生のときではない。もっと前だ。小学生
のときでもない。しかし四、五歳を境に急激に記憶が薄れていく。ちょうどモヤのかかっ
た闇に吸い込まれていくように、記憶が薄れていく。

つまりそれから以前は、はっきりしない。「自分」という人間は、どうやらそのあたりで
完成したようだ、と。「だから幼児教育は重要だ」と、ここで書けば、私が犬の話を持ち
だした意図が、見え見えになってしまう。事実、その通りだと思うが、しかしあまりに
もはっきりとそう書くと、この世の中、反発を買う。「三つ子の魂、百まで」と書くだけ
でも、抗議が殺到する。だからどう書いたらいいのか、わからないが、そういうことだ。

 ただ人間の場合、経験や知識で、自分の姿を客観的に見ることができる。そして自分の
努力で、自分自身を変えることができる。私はそういう可能性まで、否定しているのでは
ない。どんな人も幼児期の暗い思い出の一つや二つは背負っている。完ぺきな家庭で愛情
豊かに育った人のほうが、少ない。そういうことも考えながら、あなた自分自身の心の中
を旅してみてほしい。きっと新しい「あなた」を発見ができると思う。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●スパルタ方式への疑問

 スパルタ(古代ギリシアのポリスのひとつ)では、労働はへロットと呼ばれた国有奴隷
に任せ、男子は集団生活を営みながら、もっぱら軍事教練、肉体鍛錬にはげんでいた。そ
のきびしい兵営的な教育はよく知られ、それを「スパルタ教育」という。

 そこで最近、この日本でも、このスパルタ教育を見なおす機運が高まってきた。自己中
心的で、利己的な子どもがふえてきたのが、その理由。「甘やかして育てたのが原因」と主
張する評論家もいる。しかしきびしく育てれば、それだけ「子どもは鍛えられる」と考え
るのは、あまりにも短絡的。あまりにも子どもの心理を知らない人の暴論と考えてよい。
やり方をまちがえると、かえって子どもの心にとりかえしのつかないキズをつける。

 むしろこうした子どもがふえたのは、家庭教育の欠陥と考える。(失敗ではない。)その
欠陥のひとつは、仕事第一主義のもと、家庭の機能をあまりにも軽視したことによる。た
とえばこの日本では、「仕事がある」と言えば、男たちはすべてが免除される。子どもでも、
「宿題がある」「勉強する」と言えば、家での手伝いのすべてが免除される。

こうした日本がもつ特異性は、外国の子育てと比較してみると、よくわかる。ニュージ
ラーンドやオーストラリアでは、子どもたちは学校が終わり家に帰ったあとは、夕食が
すむまで家事を手伝うのが日課になっている。

こういう国々では、学校の宿題よりも、家事のほうが優先される。が、この日本では、
何かにつけて、仕事優先。勉強優先。そしてその一方で、生活は便利になったが、その
分、子どものできる仕事が減った。私が「もっと家事を手伝わせなさい」と言ったとき
のこと、ある母親は、こう言った。「何をさせればいいのですか」と。聞くと、「掃除は
掃除機でものの一〇分ですんでしまう。料理も、電子レンジですんでしまう。洗濯は、
全自動。さらに食材は、食材屋さんが届けてくれます」と。

こういうスキをついて、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。で、ここからが問題だが、
ではそういう形でドラ息子、ドラ娘になった子どもを、「なおす」ことができるか、であ
る。

 が、ここ登場するのが、「三つ子の魂、一〇〇まで」論である。実際、一度ドラ息子、ド
ラ娘になった子どもをなおすのは、容易ではない。不可能に近いとさえ言ってもよい。そ
れはちょうど一度野性化した鳥を、もう一度、カゴに戻すようなものである。戻せば戻し
たで、子どもはたいへんなストレスをかかえこむ。

本来なら失敗する前に、その失敗に気づかねばならない。が、乳幼児期に、さんざん、
目いっぱいのことを子どもにしておき、ある程度大きくなってから、「あなたをなおしま
す」というのは、あまりにも親の身勝手というもの。子どもの問題というより、日本人
が全体としてかかえる問題と考えたほうがよい。だから私は「欠陥」という。いわんや
スパルタ教育というのは! もしその教育をしたかったら、親は自分自身にしてみるこ
とだ。子どもにすべき教育ではない。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●三つ子の魂、百まで

 『三つ子の魂、百まで』というのは、その人の基本的な性格や方向性は、三歳ごろまで
に決まるので、それまでの子育てを大切にしろという意味。しかし教育的には、つぎの四
つの意味をもつ。

(1)この時期の子どもをていねいに見れば、その後、子どもがどんなふうになっていく
かについて、おおよその見当がつくということ。
(2)この時期までに、何か心にキズをつけてしまうと、そのキズは、一生つづくから注
意しろという意味。
(3)この時期をすぎたら、その子どもはそういう子どもだと認めたうえで、子どもの性
格や方向性はいじってはいけないということ。
(4)そしてもう一つは、子どもが大きくなってから、いろいろな問題が起きたときには、
この三歳までの育て方に原因を求めろということ。

 ただ念のために申し添えるなら、この格言は、公式の場(公の雑誌や新聞など)では、
使えないことになっている。「差別につながる」ということだそうだ。私も一度、G社から
出している雑誌に、この格言を引用して、抗議の電話をもらったことがある。いわく、「三
歳までに不幸だった子どもは、おとなになってからも不幸になるということか」と。

 しかしそういった抗議はともかくも、この格言は、たしかに真実を含んでいる。「三歳」
と切ることはないが、幼児期の子どものあり方は、その子どもの基礎になることは、もう
だれの目にも明らかである。

 さて本題。よく親は、子どもの性格は、変えられるものと思っている。しかし実際には、
そうは簡単ではない。子どもの性格は、乳児から幼児期にかけての時期。私は性格形成第
一期と呼んでいる。そして幼児期から少年少女期にかけての時期。私は性格形成第二期と
呼んでいる。これら二度の時期を経て、形成される。

とくに大切なのは、幼児期から少年少女期(満四・五歳〜五・五歳)の時期である。こ
の時期を経るとき、子どもに、人格の「核」ができる。教える側からすると、「この子は
こういう子だ」というつかみどころができてくる。それ以前の子どもは、どこか軟弱で、
それがはっきりしない。が、この時期をすぎると、急にその形がはっきりとしてくる。
言いかえると、この満四・五歳から五・五歳の時期の、幼児教育が、とくに大切という
こと。冒頭にも書いたように、この時期にできる基本的な性格は、その子どもの一生を
方向づける。

 またこの時期というのは、自意識がそれほど発達していないので、子ども自身が、自分
を飾ったり、ごまかしたりできない。その分、その子どもの本来の姿を、正確に判断する
ことができる。「この時期の子どもをていねいに見れば、その後、子どもがどんなふうにな
っていくかについて、おおよその見当がつく」というのは、そういう意味である。

 が、何よりも大切なことは、この時期をとおして、子どもは、子育てのし方そのものを、
親から学ぶ。子育ては本能でできるようになるのではない。学習によってできるようにな
る。しかし学習だけでは足りない。子どもは自分が親に育てられたという経験があって、
もっと言えばそういう体験が体の中にしみこんでいてはじめて、自分が親になったとき、
今度は、自分で子育てができるようになる。そういう意味でも、この時期は、心豊かな親
の愛情や、心静かで穏やかな家庭環境を大切にする。またそれにまさる家庭教育はない。
(02−11−7)

●三歳までの家庭環境を、大切にしよう。
●幼児期をすぎたら、性格をいじってはいけない。あるがままを認め、受け入れてしまお
う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++
この原稿に関連して書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞にて発表済み)
++++++++++++++++++++++++++++++++++

教育を通して自分を発見するとき 

●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、
私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらって
きた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か
月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、
一二年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛
想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、
すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならな
い。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、
そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。
おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその
割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入っ
てこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言
ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤
解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ
以後、なかなか変わらないということ。A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、
親の冷淡を経験した犬。心に大きなキズを負っている。

一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪いが、人間に心を
許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそうな様子でそうする。
つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A犬は不幸な犬だし、
B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子ど
もをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られてい
る。感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりな
どのクセがつきやすい(長畑正道氏)など。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよく
なるということ。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうかが
って行動する、など。一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さ
ない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。その
ため精神的に疲れやすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われる
が、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶよう
に、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほう
から離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだ
ったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もな
い時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析し
ていくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして今のような私にな
ったか、それがわかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を
考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家
庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが
問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかな
いことだ。たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回さ
れてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたか
ら、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世
代へと伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、
ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールするこ
とができるようになった。「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をして
いるぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考
える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおも
しろさがある。あなたも一度自分の心の中を旅してみるとよい。
(02−11−7)

●いつも同じパターンで、同じような失敗を繰り返すというのであれば、勇気を出して、
自分の過去をのぞいてみよう。何かがあるはずである。問題はそういう過去があるとい
うことではなく、そういう過去があることに気づかないまま、それに引き回されること
である。またこの問題は、それに気づくだけでも、問題のほとんどは解決したとみる。
あとは時間の問題。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
三つ子の魂、百まで 3つ子の魂 3つ子の魂、100まで)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

++++++++++++++

時刻は、午前6時。たった今、
あちこちのニュース記事を読み
終えたところ。

気になるのは、経済ニュース。
当初、「日本には大きな影響は
ない」と目されていた、アメリカ
のサブプライム・ローン問題。

しかしそのサブプライム・ローン
問題が、ただの台風から、超大型
台風へと発達し始めている。

まさに底なし。日本経済という
大木さえ、大きく揺れ始めた。

経済協力開発機構(OECD)は、
21日にまとめた金融市場動向に
関する定期リポートの中で、
サブプライム・ローン問題に触れ、
金融機関や機関投資家が抱える損失額が
最大3000億ドル(約33兆円)に
膨らむとの見通しを述べた。

その上で、「アメリカの住宅ローンの
市況はこの先一段と悪化する公算が大きい」
とも(日経新聞)。

その影響か、今日(21日)のニューヨーク
市場では、またまた株価をさげている。

終値はまだ報告されていないが、一時は
180ドル以上の値下げ場面もあったという。

++++++++++++++

●万事休すの韓国経済

 韓国の株価の下落が、はげしい。今日までに5日、連続で、株価をさげている。205
0ポイント台から、1800ポイント、ギリギリまで暴落している。つい先月には、「韓国
の株価は、2000ポイント台で安定」(新聞)と、大見得を切っていたが、その夢は、ツ
ユと消えた。

 で、私が驚いたのは、サブプライム・ローン問題が明るみになったとき、韓国の各紙は、
「(アメリカの問題だから)韓国経済には関係ない」と言い切っていたこと。しかしどうし
てそんな、のんきなことが言えるのか。

 現在、韓国の銀行は、ウリ銀行をのぞいて、そのほとんどが、アメリカ系銀行の資本支
配下にある。

韓美銀行……99・9%、アメリカ・シティ銀行グループ
国民銀行……85・7%、バンク・オブ・ニューヨーク
外換銀行……74・2%、ローンスター
ハナ銀行……72・3%、ゴールドマン・サックスなどなど。(%は、外資比率を示す。)

第一銀行にいたっては、100%、アメリカの資本である(スタンダード・チャーター
ド)。ウリ銀行という国策銀行にしても、外資比率は、11・1%である。アメリカの銀
行が風邪をひけば、韓国の銀行は、そのまま肺炎になる。

 その韓国では、現在、猛烈な勢いで、外資が逃避し始めている。株安のほか、ウォン安、
債券安の、俗にいう「トリプル安」。わかりやすく言えば、韓国そのものが、売られている。

 が、時限爆弾は、それだけではない。ここにきて、マンション不況が、深刻な様相を帯
び始めてきている。昨今の韓国の各紙によれば、売れ残りマンションだけでも、9万戸。
しかし実際には、その2倍の18万戸以上も、あると言われている(東亜N報)。

 加えて原油高。短期外債(=外国からの借金)の急増。個人負債の増加。……とくに個
人負債の増加が、すさまじい。今年(07年)に入ってから、日本円で70兆円と言われ
ていたが、80兆円を突破。現在は、90兆円に向かっている。(90兆円だぞ!)

 個人が借金に借金を重ねて、株取り引きに夢中になっている。それが現在の韓国の状況
と考えてよい。

 そんな中、N政権は、今月に入って、「韓国の失業率は、3%」と発表した。私はその数
字を聞いて、思わず、笑った。大卒でも、就職率が、25%(4人に1人)という国であ
る。どうしてそんな国で、3%なのか! 統計の取り方も、日本とは、まるでちがう。韓
国では、1か月に、1時間でも働いたら、失業者とみなされない。

 こうしたウソと虚飾で塗り固められた、韓国経済。すでに崩壊の音が、きしみ始めてい
る。つまり2回目のデフォルト(=債務不履行、国家破綻)は、時間の問題。「時間」とい
うより、秒読みの段階。

 そこで日本。日本は、どう対峙すべきか。

 小泉政権のとき、日本と韓国は、どちらかがデフォルトしたら、相互に100億ドルず
つ、援助するという取り決めをした。実に、巧みな取り決めである。つまりこの取り決め
によって、日本政府は、「100億ドルしか、援助しませんよ」と宣言したに等しい。

 たったの100億ドル! 日本円で、1兆円! 個人負債額だけでも、90兆円である。

 前回、97年の第一回デフォルトのときは、日本政府は、頼まれもしないのに、かつア
メリカの反対を押し切って、総額500億ドルもの現金をそろえて、韓国を援助した。

 しかし韓国には、そうした日本の行動に対して、一片の敬意も示さなかった。示さなか
ったばかりか、「韓国経済を救済したのは、韓国民自身」と、うそぶいている。当時、たし
かに国をあげての、貴金属の国家寄付運動、海外に住む韓国人同胞からの投資運動はある
にはあった。しかしそんな額など、知れたもの。

 最近にいたっては、「(日本などから借りた)お金は、全額、返した」と、居直っている。

 その韓国が、この10年、何をしたか? 金大中、N大統領は、何をしたか? 造船、
鉄鋼、電子、自動車など、日本の基幹産業の(お株)を、つぎつぎと奪いながら、なおか
つ、「日本をたたきつぶせ」の大合唱。その反日感情というか、敵意は、サッカーの日韓戦
を見るまでもない。

 ……で、こうした私の意見に対して、「林は、過激すぎる」という意見もあるかもしれな
い。しかし国際政治は、どこまでも現実的でなければならない。むしろ私は、甘すぎるほ
ど、甘い、日本人がもつ国際政治感覚に、驚く。あきれる。

 今、まさに、日本の直近で、巨大な反日国家が誕生しようとしている。そういう動きを、
日本は、「友好はいいこと」と、ただ指をくわえて見ているだけでよいのか。何度も書くが、
これはサッカーの試合とは、訳がちがう。勝つか、負けるか。引き分けは、ない。もちろ
ん日本が敗れれば、日本は、太平洋の海溝へ、ほんとうにたたき落とされることになる。

 もちろん日本とて、無傷ですむはずはない。製造機械を中心とした輸出産業は、大きな
打撃をこうむる。だからこそ、今から、そうした輸出産業に対しては、救済策を、講じて
おく。

 また韓国が第2回目のデフォルト(国家破綻)に陥ったときには、日本政府は、前回の
ような「愚」を繰りかえしてはいけない。救済に入るにしても、韓国には、しっかりと頭
をさげさせること。またその言質は、取っておくこと。ギブ&テイクの、「テイク」の部分
を、明確にしておくこと。

 拉致問題にしても、韓国政府は、いっさい、日本側に協力しなかった。日本側の要請を
のらりくらりとかわしながら、「詳しい内容は覚えていない」(N大統領、先の南北首脳会
談の内容について)と。そしてつい先日は、国連でのK国非難決議には、棄権までしてい
る。

 あと数時間で、今日(22日)もまた、日本、韓国の株式市場が開く。どちらが、より
株価をさげるか? その動きを見れば、明日の韓国がわかる。

(付記)

 日韓経済戦争は、(下げ率)でみる、消耗戦の段階に入っている。しかし日本の強みは、
いくつかある。

(1)日本は、外国には、借金をしていない。日本政府は、巨額の負債(=赤字国債)を
かかえてはいるが、言うなれば、一家のおやじが、息子や娘たちに借金をしている
ようなもの。日本政府(=一家のおやじ)には、1000兆円近い、資産がある。

これに対して、韓国は、ばくだいな額を、外国の借金に頼っている。韓国銀行によ
ると今年6月末現在、満期1年未満の短期外債の規模は、1378億9000万ド
ルと、韓国の外債全体の44.3%に達する。この比率は、通貨危機当時(97年
末)の36.6%よりも7.7ポイント高い。

(2)日本の基幹産業は、トヨタ、ホンダを例にあげるまでもなく、しっかりとしている
こと。韓国なしでも日本は生きて行かれるが、韓国は、日本なしでは、生きていか
れない。韓国の一大産業である携帯電話の分野にしても、製造機械は日本から輸入
し、大半の部品も、日本から輸入している。

(3)日本は、バブル経済の崩壊をすでに経験し、そのノウハウを身につけている。産業
構造そのものが、それに適応できるようになっている。

 心配するな、日本の若者たちよ、子どもたちよ! 日本は、まだまだ大国だぞ!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子の未来より、自分の老後

+++++++++++++++++

正確な数字を見てみよう。

2012年……高齢者人口は、
3000万人に達するという。

その後、2014年まで、高齢者は、
毎年100万人ずつふえるという
(高齢者白書)。

2018年……75歳以上の
後期老齢者の数が、65〜74歳の
前期高齢者の数を上回り、その
ほとんどが、年金収入だけの生活を
するようになる。

現在においても、75歳以上で
職についている人は、10%に
満たない(内閣府調査)。

「私には年金があるから……」と
言っている人でも、安心するのは、
早い。

介護が必要になったとき、そのまま
特別養護老人ホーム(特養)へ、
入居できるとはかぎらない。

全国に特養は、約5500施設、
38万床ある。が、今の今でも、待機者
は、40万人にのぼっていると
いう(「日本の論点08」)。

毎年100万人ずつ高齢者がふえた
としたら、38万床など、まさに
焼け石に水。

さあ、どうするか?、……と
考えたところで、自分の懐(ふところ)
の中を見てほしい。

あなたはそれでも、「子どもの教育
がいちばん」と、胸を張って言える
だろうか。

++++++++++++++++

 私のワイフは、いつもこう言う。「死ぬまでに、私たちが稼いだ財産は、私たちで、全部、
使い切りましょうよ」と。

 家も、土地も、すべて、そのときがきたら、売ればよい、と。私もワイフのこの考え方
に、基本的には、賛成である。私もワイフも、親としてやるべきことは、すべてした。息
子たちは息子たちで、あとは、勝手に生きていけばよい。

 しかしそれで私たちの老後が、安泰というわけではない。今、ちまたでは、「嫌老〜〜」
という本が、話題になっている。どういう内容の本かは知らないが、「嫌われない老人にな
るためには……」という趣旨の本と願いたい。そうでなくとも、このところ、何かにつけ
て、肩身が狭くなっていくのを感ずる。

 つまり「どう生きるか」ということと同時に、「どう迷惑をかけないで生きるか」(田丸
先生弁)ということも、考えなくてはいけない。……というふうに考えていくと、今、子
育てのまっ最中にある人も、まず、自分の老後を最優先にしたらよいということになる。
中には、「老後は、息子や娘たちの世話になる」と考えている人もいるかもしれない。が、
現在のあなたと同じように、あなたの息子や娘たちも、自分の生活を支えるだけで、精一
杯。

 息子や娘たちに、負担をかけることはできない。

 ……しかしそれにしても、2012年までに、65歳以上の高齢者が、私も含めて、3
000万人とは! どうするのだろう? どうなるのだろう? 考えれば考えるほど、不
安になる。そこで私なりの一案。

 今朝も寒い。曇り空。こういうときは、老後のために、体を鍛えるのが、いちばんよい。
イギリスのある科学者の試算によると、タバコを1本数と、寿命が8分間、縮むそうだ。
同じように考えて、ここで1時間、運動をして汗をかくと、寿命が、1日分、延びると考
えては、どうだろうか。週に2日、計2時間ほど運動すれば、成人病を防げるという話も、
ある。

 成人病さえ防げれば、何とか、長生きできる。つまり、これからの高齢社会を生き延び
るためには、健康寿命を、1日でも長く延ばした方がよい。……ということで、今日も、
私は、2単位、運動をこなす。

 団塊世代のみなさん、いっしょに、がんばろう! 


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●二重人格性

++++++++++++++

「二重人格性」という言葉を
使ってよいかどうかは、わからない。
適切かどうかも、わからない。

しかし男というのは、(女もそうだと思うが…)、
射S前と射S後では、「女」について、
まったく別の考え方をする。

射S前には、あれほどまでに狂おしく
見えた女性の体でも、射S後には、
ただの(肉のかたまり)に見える。

当然、ものの考え方も変わる。
感じ方も変わる。価値観(?)も、変わる。

その上、それが、瞬間的に、入れ替わる。

そういう「私」自身を観察してみると、
「これもひょっとしたら、二重人格性
のひとつと考えてよいのでは」と、
思ってしまう。

射Sと同時に、脳内で、別のホルモンが
瞬時に放出されるためか?

もしそうなら、もろもろの場面で
私たちが見せる二重人格性といった
ものは、脳内ホルモンの作用に
よるものということになる。

かなり乱暴な意見に聞こえるかも
しれないが、今朝、ふと、そんな
ことを考えた。

+++++++++++++++

●性YOKUのメカニズム

 まず、はじめに。私はほぼ毎日、「R天」というところで、日記を書いている。このR天
には、ひとつの制約がある。たとえば、何かのヒワイ語を使うと、「禁止用語が使われてい
ます」とか何とか、警告文が赤字で表示される。そしてそこで作業は、中断される。

 たとえば、「SXX」も、ダメらしい。「チXチX」も、ダメらしい。たぶん、「女性の体」
とか、「射S」程度の言葉なら、だいじょうぶだと思う。(あとで試してみるが……。)だか
らここでは、この類の言葉は、すべて「X」で表示する。「X」の部分には、適当に文字を
当てはめて、読んでほしい。

 さて、本論。

 冒頭にも書いたように、「二重人格性」という言葉を使ってよいかどうかは、わからない。
適切かどうかも、わからない。しかし男というのは、(女もそうだと思うが…)、射S前と
射S後では、「女」について、まったく別の考え方をする。

 男のばあい、それが、自分でもおもしろいほど、急速に入れ替わる。ときに、射S後に、
「どうしてああまで、女の体を求めたのだろう」と思うことさえある。メカニズム的には、
射S後、脳内である種の脳内ホルモンが分泌され、そのためフィードバック現象が起こる
ためと考えてよいのではないか。

 フィードバック現象(ふつうは単に「フィードバック」と呼ぶ)というのは、脳内でた
とえばAという脳内ホルモンが分泌されると、それを打ち消すための、まったく正反対の
働きをする、別の(−A)という脳内ホルモンが分泌されることをいう。こうして脳は、
自分の脳内を、いつも空(から=ゼロ)の状態に保とうとする。

 で、この話を進める前に、もう一度、性YOKUのメカニズムについて、勉強してみた
い。

 脳の中心部に、間脳と呼ばれる部分がある。その中の視床下部と呼ばれる部分が、性行
動の司令塔と考えてよい。

 たとえば女性のヌード写真を見たとする。すると、視床下部は、「女性を抱いてみたい」
という信号を発する。が、そのとき、「ここで性的に興奮してはまずい」というブレーキが
働く。そのブレーキの役割をするのが、大脳辺縁系ということになる。さらに、「これは写
真にすぎない。いろいろ加工して、わざと情欲をそそるように編集してある」と判断する
のが、前頭前頭野ということになる。

 視床下部は、いわば、原始脳。動物的なものの考え方をする。かたや前頭前野は、人間
の理性を司る。

 で、おおざっぱに言えば、(視床下部)→(辺縁系)→(前頭葉)を経て、性YOKUは
生まれ、コントロールされる。ついでに性YOKUのみならず、食欲、睡眠、血圧なども、
この視床下部によって、基本的にはコントロールされるという(「心の健康辞典」町田静夫
著)。

 では、何が、視床下部に刺激を与えるか、である。

 先にも書いたように、射S前と射S後では、「女」に対する印象は、まるでちがう。つま
り睾丸で作られた精液の量が、性YOKUと深く関わっているのが、これでわかる。ここ
から先は、あくまでも私という素人の仮説だが、それは(血糖値)と(空腹感)の関係に
似ているのではないか。そういう物質が発見されたという話はまだ聞いていないが、睾丸
に精液がたまると、(ある物質)が血液中に放出される。それが視床下部を刺激するのかも
しれない。

 こうして男の頭の中は、「女」でいっぱいになる。ペXXが、勃Xするのは、そのあとの
ことである。(勃Xのメカニズムについては、省略する。)

 ここでいう「ある物質」こそが、性YOKUのメカニズムを解くカギということになる。
つまりそれが脳内に充満したとき、性YOKUが起き、反対にそれを打ち消すために、フ
ィードバック現象が起きたとき、性YOKUは今度は、急速に減退する。

●二重人格性

 しかしここで書きたいことは、性YOKUのことではない。ここで書きたいのは、原因
が脳内ホルモンであるにせよ、ないにせよ、外部的な刺激と、それに反応する自分の肉体
の間で、精神状態も、大きく変化するということ。「変化」というよりは、まるで別人のよ
うになる。

 ここでわざわざ「性YOKU」を取りあげたのは、フロイト流に考えれば、その性YO
KUが、人間のリピドー(=生命力の根源)になっているからである。

 ほかに私のばあい、ワイフと喧嘩しているときと、していないときとでは、ワイフに対
して、感じ方が、まるでちがう。感じ方がちがうから、考え方まで、ちがう。

 喧嘩しているときは、「こんなヤツ、どこかでのたれ死にすればいい」とさえ思う。が、
そうでないときは、「ぼくがいつ死んでもかまわないように、財産だけは、きちんとしてお
いてやろう」と考える。

 これも考えてみれば、二重人格性ということになる。つまり私たちは、日常生活の中で、
無意識であるにせよ、二重人格性を経験しているということ。「二重人格」という言葉に問
題があるなら、「多重構造性」と言いかえてもよい。少なくとも、単一ではない。

 が、この多重構造性がはげしければはげしいほど、自分というものが、わからなくなる。
ときに、自分を見失うこともある。手鏡で、女性のスカートの下をのぞいていた大学教授
を思い浮かべてみればよい。ふだんは立派な(?)学者である。しかしある種の脳内ホル
モンに毒されると、理性のコントロールがきかなくなってしまう。(たぶん?)

 そこで、こういうことは言える。

 よきにつけ、悪しきにつけ、単一性が強い人のことを、「一貫性のある人」という。反対
に多重構造性が強い人のことを、「人格の完成度の低い人」と。

 この先のことは、私にもわからない。これから先、科学が進歩して、この分野も、やが
て詳細に解明される日がやってくるだろう。で、ここでひとつのテーマ。

 もしこの文章を読んでいるあなたが、男性なら、セッXXの途中でもよいから、射S前
の自分と射S後の自分を、冷静に比較してみるとよい。その変化を、観察してみるのもよ
い。私のばあい、気のせいかもしれないが、射S後、脳の中に、ジワーッと、脳内ホルモ
ンらしきものが充満してくるのを感ずる。

 女性のことは、実のところ、いまだに、よくわからない。 

注:S=精のこと
注:結局、この原稿は、楽天日記のほうには、掲載できなかった。
  どの文字が、禁止用語なのか、私には、わからない。きびしい!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 24日
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メリー・クリスマス!!!!!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

メリークリスマス!

●今朝・あれこれ(11月19日)

++++++++++++++

昨夜、どこか風邪っぽかった。
が、外食。大きな店だったが、
暖房があまりきいていなかった。

肉料理を久しぶりに食べたが、
家に帰ると、悪寒。薬をのんで、
そのまま就寝。

ところで、この土日に、2本の
DVDを見た。

『敬愛なるベートーベン』と、
『ドレスデン』。ともに、すばらしい
映画だった。

学生のころは、毎年、第九交響曲を
歌っていた。映画を見ながら、
いっしょに合唱。涙、ポロポロ。
『敬愛なるベートーベン』は、
星は4つの、★★★★。

もう1本の『ドレスデン』も、
星は4つの、★★★★。2時間半もの
大作なので、じっくりと構えて見るの
がよい。

ドイツも、このところ、すばらしい
映画を制作するようになった。
CGも、ハリウッド映画に追いついた
という感じ。

よかった! 感動した!

ほんとうは、どれも星は5つかも
しれない。乱発すると価値が
さがるので、あえて、星は、
4つにした。

++++++++++++++

●ヨセフ

 今度、キリストの父親のヨセフをテーマにした映画が、劇場で公開されるという。公開
されしだい、ワイフと見に行くつもり。ワイフは、たいへん楽しみにしている。

 チラシには、こうある。

 「あの日、ヨセフがマリアを信じなければ、あの時、ふたりが大王による虐殺から逃れ
えなければ、キリストは誕生しなかっった」と。

 キリスト教会の中には、「聖ヨセフ教会」というのもあるが、全体としてみると、父、ヨ
セフの影は薄い。マリア像をかかげる教会は多いが、ヨセフ像をかかげる教会は、ほとん
ど、ない。

私は、若いころから、教会へ行くたびに、それを疑問に感じていた。そういう疑問をベ
ースに、以前、いくつかの原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++

●育児に参加しない父親

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にのしかか

てきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうで
はない。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だっ
たかもしれない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。

ある女の子(小5)は母親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっ
といい男の人と結婚すればよかったのに!」と。理屈で考えれば、母親が別の男性と結
婚していたら、その子どもは存在していなかったことになるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方を
する。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親
のヨセフは、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、
その一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約30%の夫は、家事をほとん
どしていない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親に
してもらう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」
と。決して男尊女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親
なら、私はその反対のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬
しあうことをいう。まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とく
に子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、
母親の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女
性(32歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑
していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父
親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親
を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?

 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過
渡期にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約30%の若い夫は、育児はもちろ
ん、炊事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を
張っている。あせらず、じっくりと構えること。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母親の役目

 子どもにとって、自分と母親の関係は、絶対的なものだが、しかし自分と父親の関係は、
絶対的なものではない。「母親から生まれた」という実感はあるが、「父親から生まれた」
という実感は、もちにくい。だからたいていの子どもは、自意識(だいたい10歳前後か
ら)が発達してくると、父親との間に、一定の距離を置くようになる。「ひょっとしたら、
自分は父親の子どもではないかもしれない」と思う子どもも少なくない。

ある男の子(小5)は、こう言った。「ママが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、
ぼくは、もっと幸福になれた」と。

 こういうケースでは、「パパが、もっとお金持ちの人と結婚していれば、ぼくは、もっと
幸福になれた」とは、言わない。中には母親に向かって、「どうしてあんなパパと結婚した
の!」と、迫る子どもさえいる。理屈で考えれば、もし母親が別の男性と結婚していたら、
その子どもは、絶対に生まれていなかったことになるのだが……。

 このことは、子どもと母親の結びつきを理解するには、たいへん重要なポイントとなる。
わかりやすく言えば、子どもと母親のつながりは、父親のそれよりも太いということ。も
ちろん中には、そうでないケースもあるが、少なくとも、子どもの側からみると、太い。
だから父親と母親が、けんかをすると、特別の事情がないかぎり、子どもは、母親の味方
をする。歌にしても、母親をたたえる歌は多いが、父親をたたえる歌は少ない。

 たとえば窪田聡氏が作詞した、『かあさんの歌』にしても、森進一氏が歌う、『おふくろ
さん』にしても、母親をたたえる歌である。「♪母さんは、夜なべをして……」とは、歌う
が、同じように苦労をしている父親に対して、「♪父さんは、夜なべをして……」とは、歌
わない。

最近、演歌歌手のK氏が、父親をたたえる歌を歌いだしたが、そういう歌は例外と考え
てよい。つまり母親というのは、どこかたたえやすいが、父親というのは、どこかたた
えにくい?

 このことと関連しているのかもしれないが、たとえばキリスト教でも、聖母マリアをた
たえる信者は多いが、父親ヨセフをたたえる信者は少ない。実のところ、これがこのエッ
セーを書き始めたヒントになっている。昨夜ワイフが、ふと、「どうしてヨセフは影が薄い
のかしら?」と言ったのが、きっかけになった。

 話が脱線したが、つまり子どもの側からみたとき、父親と母親は、決して対等ではない。
子どもにとって母親は、父親以上に、特別な存在である。幼児でも、「お母さんがいないと、
どんなことで困りますか?」と質問すると、つぎつぎと答がかえってくる。しかし「お父
さんがいないと、どんなことで困りますか?」と質問すると、とたんに、答が少なくなる。

 そこで母親は、このアンバランスを、子育ての場で、調整しなければならない。そして
結果として、子どもの側から見たとき、父親と母親が、等距離にいるようにしなければな
らない。この仕事は、父親ではできない。それをするのは、母親自身ということになる。

方法としては、母親の立場をよいことに、母親だけが親であるというような押しつけは
しないこと。もっと言えば、家庭教育の場で、父親の存在を、いつも子どもに感じさせ
るようにする。「これは大切な問題だから、お父さんに判断してもらいましょうね」「お
父さんががんばってくれるから、みんなが安心して生活ができるのよ」とか。

 決して男尊女卑的なことを言っているのではない。賢い母親なら、そうする。たがいに
高い次元に置き、尊敬しあうことを、「平等」という。もちろんこの文章を読んでいるのが
父親なら、その反対のことをすればよい。

 しかし、なぜ私がこのエッセーを書いているかについては、もう一つの理由がある。そ
れは今、父親の存在感が、ますます薄くなってきているということ。これに対して、「父親
の威厳を回復せよ」という意見もあるが、今は、もうそういう時代ではない。「威厳論」を
もちだしても、子ども自身が従わない。そこでここでいうように、「たがいに高めあう」と
いう意味での、平等論ということになる。

 またまた話が脱線したが、家庭教育においては、いかにして子どもと父親のパイプを太
くするかが、重要なテーマと考えてよい。またその努力を怠ると、家族そのものが、バラ
バラになってしまう。話せば長くなるが、問題行動を起こす子どもの家庭ほど、父親の存
在感が薄いことが知られている。

もっとはっきり言えば、母親だけでは、子育てはできないということ。できなくはない
が、失敗する確率は、ぐんと高くなる。そのためにも、子どもと父親のパイプは、今か
ら太くしておく。そしてそれをするのは、母親の役目ということになる。
(03−1−5)

【追記】
 よく父親の教育参加が話題になるが、それはここにも書いたように、そんな単純な問題
ではない。父親が、「では、私も子育てに参加してみるか」と思うころは、すでに手遅れ。
問題の「根」は、もっと深い。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父親、ヨセフ

●存在感の薄い、ヨセフ

 イエス・キリストの父親は、ヨセフである。しかし母親のマリアは、処女懐胎している。
一説によると、そのときヨセフは、マリアと婚約関係にはあったが、マリアとは性的関係
はなかったとされる。また一説によると、処女懐胎のことは、マリアには、天使が知らせ
たが、ヨセフには、知らせなかったという。さらにヨセフは、イエス・キリストが、神の
子としての活動を始める前に、死んでいる。ここでキリスト教、最大の謎にぶつかる。父
親ヨセフは、では、いったい、何であったのか、と。

 この議論は、キリスト教の世界では、すでにし尽くされているほど、し尽くされている。
私のような門外漢が、いまさら、論じても意味はない。そこでここでは、もう一歩、話を
先に進めてみたい。

●母親は絶対

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それは母親が、出産、授乳という直接的
な方法で、子どもの「命」そのものにかかわるからと考えてよい。一方、父親と子どもの
関係は、母親とくらべると、もろく不安定なもの。わかりやすく言えば、「精液一しずく」
の関係にすぎない。このちがいは、そのあとの親子関係にも、色濃く反映される。

 たとえば夫婦でけんかをしたとする。そのとき子どもは、たいてい母親の側にたつ。そ
ればかりか、子どもは、自意識が発達してくると、「自分は父親の子どもではないのでは」
という疑いをもつようになる。「私の本当の父親は、もっと高貴な人物で、私もそれにふさ
わしい人物にちがいない」と。これをフロイトは、「血統空想」と呼んだ。

 実際、男というのは、排泄が目的だけのためのセックスをすることができる。その気に
さえなれば、行きずりの女性と、数時間だけの性的関係をもつことだって可能である。一
方、女には、妊娠、出産、育児という責務がその時点から課せられる。

もし男も女も、同等の快感であったとするなら、女はセックスなどしないだろう。その
あと予想される「重荷」を考えたら、とても割にあわない。たとえば男というのは、そ
のセックスの途中であっても、冷静に、女の反応を楽しむことができる。しかし女はそ
うではない。無我夢中というか、我を忘れてセックスの快感に酔いしびれる。

またクライマックスの長さも深さも、男のそれとは比較ならないほど、長く、深い。恐
らく長い間の進化の過程でそうなったのだろう。つまり女にとっての快感は、そのあと
予想される「重荷」を忘れさせるほど、すばらしいものであるらしい。またそれがある
から、女も、あと先のことを考えることなく、セックスに没頭することができる?

 となると、太古の昔の男女関係がどういうものであったかについて、こう推理すること
はできる。

●親は、母親だけ?

 人間が、下等な哺乳動物の時代においては、あるいはそれよりもずっと先の時代におい
ては、男というのは、ただの「精液供給者」にすぎなかったのでは、と。結婚という形が
できたのは、ずっとあとのことで、それ以前はというと、子どもにとって親というのは、
母親でしかなかったのでは、と。その原始的な関係が、イエス・キリスとマリアの関係に、
如実に示されていると考えられなくもない。

 で、インターネットで検索してみると、父親のヨセフをたたえる教会も、少なからず存
在することがわかった。こうした教会では、父親のヨセフの苦悩や悲しみ、さらにはそれ
を克服した崇高さを、ことさら美化している。

しかしその視点そのものが、結婚観が確立し、父親像、母親像が確立した、「現代」から
見た視点にすぎない。つまり現代という視点から見れば、どう考えても矛盾する。おか
しい。おかしいから、どうしても父親のヨセフを、たたえる必要性が生まれた?

 しかし当時といえば、社会秩序そのものが確立されていなかった。だから当然のことな
がら、家族という概念も、まだ確立されていなかった。少なくとも、現在、私たちが考え
る家族観、……つまり、父親がいて、母親がいて、そして子どもがいるという家族観とは、
異質のものであったと考えるのが正しい。この日本でも、「家」中心の家族観から、「個」
中心の家族観に改められたのは、戦後のことである。

●母親と父親は平等ではない?

 こう考えていくと、母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して平等でも、
同一のものでもないことがわかる。このことは、母親の子どもに対する意識と、父親の子
どもに対する意識の違いとなっても現れる。自分の子どもを見ながら、「この子どもは私の
子どもではない」と疑う母親は、絶対にいない。しかし同じように自分の子どもを見なが
ら、「ひょっとしたら、この子どもは、私の子どもではない」と疑う父親はいくらでもいる。
そしてそれがちょうどカガミに映されるかのように、子どもの心となる。

 つまり子どもにとって、親は、母親であったということは、一方で、「父親」という概念
は、ずっとあとになって、生まれたと考えるのが正しい。少なくとも社会秩序が確立し、
一夫一妻制度が確立したあとに、その輪郭を明確にした。それ以前はというと、父親は、
まさに「精液一しずく」。

 そこで家庭では、まず父親の存在と、母親の存在は、平等ではないという前提で、考え
る。父親の母親化、あるいは反対に母親の父親化ということは、ある程度はありえるが、
子どもの意識まで変えることはできない。いくら父親が母親らしくしても、父親の乳首を
吸う子どもはいない。

●母親は父親を立てる

 で、ここから先は、母親の出番ということになる。母親は絶対的な立場を利用して、父
親と子どもの関係を、より強固にするという義務がある。具体的には、家庭では、(1)子
どもが父親との関係を疑わないようにする。子どもが「血統空想」(フロイト)をもつこと
自体、すでに、父親と子どもの関係は、ゆらぎ始めているということ。

 つぎに(2)母親は、父親を自分より上位に置くことにより、父親の家庭における存在
を高める。こう書くと、男尊女卑論だと騒ぐ人がいるが、そうではない。「平等」というの
は、互いに相手を高い次元においてはじめて、平等という。「父親を立てる」ということ。
「大切な判断は、お父さんにしてもらおう」「この話は、お父さんにも聞いてもらおう」と。
そういう姿勢を通して、子どもは、父親像を学ぶ。身につける。

●父親ヨセフの苦悩

 こうして考えてみると、イエス・キリストの父親である「神」は、イエス・キリストを
もうけるためにマリアを選んだが、ヨセフは、選ぶという対象そのものにはなっていなか
ったのではということになる。はっきり言えば、マリアとイエス・キリストのめんどうを
みるなら、だれでもよかった? ……こう書くと、猛反発を受けそうだが、しかし事実を
冷静に積み重ねていくと、そうなる。あるいは、あなたがヨセフならどうだったかという
視点で考えてみるとよい。

 妻が、ある日突然、妊娠した。自分には性交したという記憶がない。そこで妻を問いつ
めると、「神の子だ」という。半信半疑だったが、しかしやがて子どもは生まれてしまった。
そういう状況に置かれたら、あなたはどう考えるだろうか。

ヨセフをたたえる教会では、「そうした苦悩を乗り越えたところに、父親ヨセフの偉大さ
がある」というような論陣を張るが、それはあくまでも結果論。結果的に、イエス・キ
リストが、偉大な人物になったから言えることであって、そうでなかったら、そうでな
かったであろう。

 いやそれ以上に、イエス・キリストはどうであったのか。ヨセフを父としながらも、お
そらく母親のマリアからは、「あんたの父は、ヨセフではない。天にいる『主』である」と
聞かされていた。イエス・キリストは、そういう話を、どこでどう納得したのか。矛盾を
感じなかったのか。あるいはそれこそ、フロイトがいう、「血統空想」そのものではなかっ
たのか? 

 「どうしてキリスト教では、父親のヨセフの影が薄いのか」、また「どうしてキリスト教
会では、マリア像を飾るが、ヨセフとマリアを並べて飾らないのか」という、何気ない疑
問をもったのがきかっけで、このエッセーを書いてみた。このつづきは、また今度、どこ
かの教会へ行ったときにでも、じっくりと考えてみる。
(03−1−15)

++++++++++++++

 「マリア」のチラシの裏面には、こうある。

 「本作は、神学、歴史、政治、社会、文化などのあらゆる専門家の協力を得て、マリア
とヨセフ、そしてキリスト誕生までの物語を、忠実に再現。突然、神からの啓示を受けた
若いふたりがどのように困難を乗り越え、お互いの親愛を築いていったのか? そしてク
リスマスの本当の意味とは……」とある。

 映画が楽しみだ。

 そうそう、ほかに、ニコラス・ケイジ主演の、「ナショナル・トレジャー」と、アンジェ
リーナ・ジョリー主演の、「マイティ・ハート」も封切りになる。ワイフは「みんな見に行
く」とがんばっているので、つきあうつもりでいる。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●子どもは甘えるもの

++++++++++++++

「甘え」と依存性は、
まったく別のもの。

まずそういう視点で、
「子どもの甘え」を
考える。

++++++++++++++

 スキンシップの重要性は言うまでもない。そのスキンシップと同じレベルで考えてよい
のが、「甘える」という行為である。

一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え
方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、
人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、その
やさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、
育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分
だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。

他人が悲しんだり、苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくな
る。ものの考え方が、全体にひねくれる。私「今日はいい天気だね」、子「いい天気では
ない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、
子「雲があるから、いい天気ではない」と。

こんなショッキングな報告もある(2000年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、
四分の一もいるというのだ。「全国各地の保育士が、預かった0歳児を抱っこする際、以
前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の
1に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」
(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」
が33%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応
が二割前後見られ、調査した6項目の平均で25%に達したという。

また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、
平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんを
もつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「ど
うして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また抱かれない子ども
を調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っている
ケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)
二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシ
ップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話
している。

 果たしてあなたの子どもはだいじょうぶだろうか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
甘え 甘える子ども)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生きる本分

++++++++++++++

生きる本分を忘れると、
何のために生きているか、
それがわからなくなって
しまう。

しかし、これほど、恐ろしい
ことはない。

++++++++++++++

 リチャード・マクドナルドという人がいた。数年前に89歳でなくなったが、あのハン
バーガーチェーンの「マクドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている。が、当の
マクドナルド氏自身は、早い時期にレストランの権利を別の人物に売り渡している。

それについて生前、テレビのレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときの
こと。マクドナルド氏はこう答えている。「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろは
ニューヨークのオフィスで、弁護士や会計士に囲まれてつまらない生活をしていること
でしょう。(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほうが、ずっと幸せです」と。
 
 話は大きくそれるが、私には3人の息子がいるが、そのうちの2人をあやうく海でなく
しかけたことがある。とくに二男は助かったのが奇跡としか言いようがない。そんなこと
もあって、私は二男に何か問題があるたびに、「こいつは生きていてくれるだけでいい」と
思いなおすことで、それらの問題を乗り越えることができた。生きることを原点にしても
のを考えるということは、そういうことをいう。

 私はマクドナルド氏の話を聞いて、大きな衝撃を受けた。日本人には信じられないよう
な生き方だが、アメリカやオーストラリアでは珍しくない。私の友人のP君も、宝石加工
会社をおこし、40数歳の若さで、「輸出高ナンバーワン」で、オーストラリア政府から表
彰されている。

しかしそののちまもなく権利を売り渡し、今はシドニー郊外で悠悠自適の隠居生活を楽
しんでいる。ほかにもこういう例は多い。よく知られた人物としては、ジェームズ・ル
ービン報道官がいる。彼は妻の出産を理由に、ホワイトハウスの報道官を退任。今はロ
ンドン郊外で「主夫業」(報道)をしている。

 ものの考え方というのは相対的なものである。日本人が「あれっ!」と思うということ
があれば、ちょうどその反対のことで、彼らもまた同じように、「あれっ」と思うもの。ア
メリカ人やオーストラリア人にしてみれば、日本人の生き方のほうが奇異に見えることだ
って多い。

……いや、だからといって日本人の生き方がまちがっているというのではない。日本人
は日本人で、今、精一杯がんばっている。こういう生き方しかできないといえば、それ
はし方ないことだ。しかし心の基本が、どこにあるかで生き方そのものも変わってくる。
ものの考え方も変わってくる。もちろん子育てのし方も変わってくる。仕事は大切だ。
名誉も地位も肩書きも大切だ。しかしそれは決して世界の常識ではない。世界の常識は、
もう少し違った位置にある。

 要は、生きる本分を忘れないということ。忘れると、世界から日本はいつも奇異な目で
見られる。個人について言えば、結局は自分の人生をムダにすることになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●日本史

++++++++++++++

日本史も、アジア史の一部でしか
ない。

日本の歴史教育の中で、何が
まちがっているかといって、
日本史を、世界史と完全に
切り離してしまっていること。

「日本だけは特別」と思いたい
気持ちも、わからないわけでは
ない。しかしこうした歴史観は、
日本の進むべき道を、かえって
見誤らせることになる。

++++++++++++++

 テレビの討論番組で、「ぼくたちはアジア人ではない! 日本人だ!」と叫んだ小学生た
ち(5、6年生くらい)がいた。それに対して、アフリカ人の留学生が、「君たちの肌は黄
色いではないか」とたたみかけると、その小学生はさらに、こう叫んだ。「黄色ではない。
肌色だ!」と(2000年)。

 そこで私も小学校の高学年児を対象に、独自に調べてみた。結果、「日本人はアジア人」
と思っている小学生は1人もいないことがわかった(2001年、小学生約20人につい
て調査)。「欧米人とアジア人の中間」「欧米人に近いアジア人」、あるいは中には「ぼくた
ちは欧米人」と答えた子どももいた。

 日本人はまちがいなく、アジア人である。しかしこの日本で教育を受けていると、そう
いう意識が消える……らしい。また、そういう教育をしていない。

30年前のことだが、私がオーストラリアという国から日本を見ても、日本人の目は欧
米には向いていたが、アジアにはまったくといってよいほど向いていなかった。そうい
う日本人をさして、「黄色い白人」というニックネームすらつけられたが、日本人はそれ
をむしろ「誇り」に思ったようなところがある。(実際には、日本人はバカにされたのだ
が……。)

 問題はなぜ、こういうゆがんだ民族意識をもってしまったかということ。その理由の一
つが、日本史を東洋史と切り離してしまったところにある。しかしこれは世界の常識では
ない。

たとえばフランスの大学では、日本語学部や日本語学科は、朝鮮学部や朝鮮語学科の中
に組み入れられている。また欧米の大学では東洋学部というときは、中国研究を意味し、
日本学科はその一部でしかない。

……いや、こう書くと、「君は日本人としての誇りを捨てるのか」という人が必ずといっ
てよいほど現れる。しかし私は何も日本人を否定しているのではない。日本人はアジア
人であり、その先では人間だ。日本人が人間であるとか、アジア人であると言ったとこ
ろで、日本人を否定したことにはならない。むしろ短絡的な民族主義は、えてして国粋
主義に姿を変える。それがこわい。

「日本人はすばらしい」と思うのはその人の勝手だが、だからといって、その返す刀で、
「他の民族は劣っている」と考えるのは、まちがいだということ。

 これからの日本が、世界の中で生きていくためには、日本人自身が、もっと広い目で自
分を見なければならない。でないと、結局は、日本はいつまでたっても東洋の島国から抜
け出ることができないままになってしまう。私はそれを心配する。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(11月21日)

+++++++++++++++

毎年、秋になると、岐阜に住む
友人が、柿を送ってくれる。

実家が、柿農家だという。自分で
もいで、ふくろをかけたという。

「今年は肥料のやり過ぎで、少し
実がかたい」と、電話の向こうで、
笑っていた。

私は、岐阜弁が嫌いではない。
子どものころは、その岐阜弁に
あこがれさえ抱いた。

郷里のM町に生まれ育った私には、
岐阜弁が、洗練された都会の言葉に
聞こえた。

ありがとう、Nさん!

+++++++++++++++

●ニュー・リッチ

 子どもの学費で悲鳴をあげている人たちがいる一方で、稼いだお金をどう使おうかと、
苦労している人たちがいる。50代や60代の人たちの話ではない。20代、30代の若
い人たちの話である。

 いわゆる「ニュー・リッチ」と呼ばれる人たちである。

 野村総合研究所の推計によれば、金融資産が1億円以上の世帯は、日本に87万世帯あ
るという。しかもその総世帯数の2%に満たない層が、総額213兆円もの資産を占めて
いる。これは日本の個人金融資産の10%以上に相当するという(文藝春秋「日本の論点、
'08」)。

 もちろんこの中には、昔からいう資産家や、医師や弁護士など、特殊な職業の人たちも
含まれる。が、その構図が今、大きく変わろうとしている。

 ゼロ金利政策と、それにつづく超低金利政策。今、日本は、日本国内はもちろんのこと、
世界中に、日本の円が、「ジャブジャブに」(某経済誌)バラまかれている。日本という国
全体が、巨大なサラ金国家になっていると考えると、わかりやすい。

 こうしてバラまかれたお金は、当然のことながら、だれかのところに集まる。私の知人
の中には、いわゆるストックオクションだけで、毎年、1〜2億円の利益をあげている人
がいる。「すごいね」と話しかけると、「ぼくなんか、まだ少ない方だよ」と笑っていた。
その知人は、今年40歳になったばかりである。

 こうした格差をながめていると、それは「格差」というより、「情報の差」ということに
なる。もっと言えば、「交流の差」ということになる。いかにして「質の高い人」とつきあ
うか。その差が、情報の差となり、格差となる。恩師の田丸先生も、会うたびに、私にこ
う言う。「質の高い人たちと、もっと交流しなさい」と。

 もちろん田丸先生は、金儲けのことで、そう言ったのではない。しかしそれは事実で、
その世界でもトップクラスの人には、その人独特の雰囲気というものがある。会った瞬間
に、オーラのようなものさえ感ずる。(私は、「オーラ」なるものは信じていないが……。)
そうしたオーラは、本や雑誌を通しては、ぜったいに感ずることができないものである。

 ニュー・リッチと呼ばれる人たちは、こうした人脈を巧みにたどりながら、それを自分
の利益につなげていく。

 では、どうすれば、その「質の高い人」と交流できるかだが、その第一の条件は、「今、
住んでいる世界から、飛び出す」こと。飛び出して他流試合を重ねていくこと。するとそ
こにひとつの輪ができる。その輪の中に入ってしまえば、しめたもの。……といっても、
その「輪」は、あとになってわかるもの。そのときは無我夢中で、その「輪」に気づくこ
とはない。

 私のばあいも、20代のころは、たしかにその「輪」の中にいた。今でこそ留学といっ
ても、珍しくも、何ともない。だれでもできる時代になった。しかし私の時代には、そう
ではなかった。あの人口300万人(当時)と言われるメルボルン市ですら、日本人の留
学生は、私、1人だけだった。

 私の世話人になってくれたのが、現在の皇后陛下の父親の正田氏だった。(当時は、世話
人がいないと、日本人は、正規の留学が認められなかった。)その正田氏とも、東京へ行く
たびに、電話1本で、会うことができた。

 そんな中、札幌オリンピックのつぎの企画の仕事が、仲間のA氏のもとにころがりこん
できた。A氏は、第一回日豪経済委員会給費留学生。私が、第二回日豪経済委員会給費留
学生だった。メルボルン大学時代の私の友人のP氏も、仲間に加わった。

 私は、三井物産という会社をやめ、その仲間に加わった。当時、財界の大物であった、
今里氏という人物が、スポンサーになってくれた。……とまあ、今から思っても、とんで
もない世界に、私はいたと思う。

 その余録というわけでもないが、浜松に移り住み、ちょうどワイフが長男を妊娠したこ
ろのこと。アメリカからリン氏という、中国系アメリカ人が、私を何度か訪ねてきた。話
を聞くと、何でも、今度、東京に遊園地(彼は「プレイ・グラウンド」という言葉を使っ
た)を作ることになった。ついては、私に、その遊園地の副園長になってくれないか、と
いうものだった。

 名前を聞くと、「ディズニーランドだ」という。が、私は、その世界のことをまったく知
らなかった。私は浜松市の郊外にある、「P」という名前の遊園地を想像していた。だから、
断った。「東京には、2度と戻りたくない」という思いも強かった。

 今のニュー・リッチの人たちにはかなわないが、当時の私は私で、結構、稼いだと思う。
毎週のように外国へでかけ、いろいろな人に出会った。ビジネスもした。が、そのあとい
ろいろと心境の変化もあって、ビジネスの世界からは遠ざかったが、だからといって、何
も、負け惜しみを書いているのではない。

 先に書いたA氏は、外資系企業の社長を歴任している。P氏にしても、オーストラリア
へ帰ってから起業に成功し、40歳そこそこの若さで、自分の会社を、オーストラリアで
も、利益ナンバー・ワンの会社に育てあげている。

 ここで私がここで言う「自分の世界から飛び出す」「輪」というのは、そういう意味であ
る。

 しかし、では、そういう世界が「幸福な世界」「私たちが求める世界」かというと、私は、
そうではないと思う。お金を湯水のごとく使っても、変えられないものがある。変わらな
いものも、ある。それについては、また別の機会に書くことにして、ともかくも、ニュー・
リッチをめざすなら、そういう「輪」の中に入る、ということになる。

 ただ、残念に思うのは、私が若いころには、格差といっても、知れたもの。が、今は、
それがケタ外れになってきている。狂ってきている。冒頭であげた、「日本の論点'08」
には、こんな話が紹介されている。

 「高級外車の国内販売代理店に、1人の若い女性がフェラーリを買いたいと、現れた。
現金で、2700万円をもってきたという。ところが店員は、すぐには売れないと答えた。
フェラーリは注文が殺到し、3年待ちの状態だったからだ。そんなに待てないと、女性が
別の業者に相談したところ、あと1000万円プラスしてくれれば、翌週に手配できると
のこと。彼女はためらうことなく、すぐに全額を支払った……」(P56)と。

 先日もテレビで、掃除機を1回ずつ、使い捨てにしているという女性を紹介していた。(掃
除機そのものを、だぞ!)「ゴミ袋を取り替えることができないから」という理由で、そう
しているのだという。

 フ〜ンとうなっただけで、私は、そこで言葉を失った。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●インターネットの世界

+++++++++++++

インターネットの発明は、
第二の産業革命に匹敵する
ほど、この世界を変えつつ
ある。

(「第二の産業革命」になるか
どうかは、もう少し歴史の中で
熟成させてみないとわからな
いが……。)

一時は、ウィルスなどの出現で、
インターネット限界論も、
強く叫ばれた。が、今は、その声も
弱くなった。

インターネットには、それ以上の
パワーがある。

+++++++++++++

●恐ろしいほどの高速性

 私が何よりも驚いているのが、その高速性である。昔は、こうだった。

 まず雑誌社から1本の電話が入る。「今度の雑誌の付録の原稿を書いてほしい」と。その
とき、同時に、おおまかな内容や字数が、告げられる。

 私はその原稿を書き、それを速達で送る。真夜中に郵便局へ走るのが、当時の日課のよ
うにもなっていた。

 しばらくすると、原稿のゲラ刷りが送られてくる。私は、それにチェックを入れる。あ
るいは電話で返事をする。私が30歳くらいのとき、すでにFAXなるものはあるにはあ
ったが、大きな機械で、ドラムを回しながら、送信するというものだった。

 が、今では、そうした作業が、瞬時にできる。書きあげる原稿の量にしても、比較にな
らない。現在の私でも、単行本の分量にして、(1600字詰め原稿用紙x100〜120
枚分程度)、月に、2〜3冊分は書いている。

 しかもBLOG上で原稿を書くと、その1〜2日後には、検索エンジンで検索できるよ
うになる。

 BLOGだけでも、毎日、数百人以上、HPだけでも、毎日、数百人以上、さらに電子
マガジンについては、毎号3000人以上もの人たちが、私の原稿を読んでくれているこ
とになる。

 (現在BLOGは4誌、HPは6誌、マガジンは3誌、発行している。)

 これに検索エンジンを使って、HPの各ページなどにアクセスしてくれている人を含め
ると、その数は、膨大なものになる。おおざっぱな計算だが、月に、数万から、ばあいに
よっては、十数万人になるかもしれない。

 そういう作業が、たったひとりでできる。この8畳間という小さな部屋の中だけで、で
きる。

●質とマネー

 が、問題がないわけではない。多くの人は、「インターネットで流れる情報には、信頼性
がない」と考えている。

 しかしこれについては、私は、過渡的なものではないかと思っている。インターネット
の世界では、(私の原稿も含めてでの話だが……)、とても原稿にならないような原稿も、
同時に、流されている。そういう原稿が、インターネットの質を落としているのも事実。

 が、このところ、つまりこの数年の間だけでさえ、質が変わってきた。あるパソコン雑
誌(「週刊・アスキー」)の中で、こんなような記事を書いている人がいた。

 テレビができたころ、映画の制作にかかわる人たちは、「テレビは映画には勝ち目はない。
画面がザラついていて、使い物にならない」と言っていたという。

 が、そのテレビも今では、格段の進歩を遂げた。つまり昔のテレビと映画の関係、そし
て今のインターネットと新聞、書籍の関係は、どこか似ている?

 「今の状態」だけを見て、インターネットを判断してはいけない。

 またつぎに、マネーの問題がある。

 昔は、つまりインターネットの世界に入る前は、どんな本を書いても、出版と同時に、
最低でも、30〜60万円の現金収入があった。しかし今は、ほとんどゼロに近い。多く
の人は、「インターネットで得る情報は、タダ」と思っている。

 私にしても、書店での書籍の購入に、月、数万円以上も使っている。が、インターネッ
ト上での支払いには、何かしら、大きな抵抗感を覚える。できるだけタダですまそうとい
う心理が、強く働く。

 これはどういう心理によるものか、私にもよくわからない。ときどき本を買ったあと、「こ
んな程度の情報なら、インターネットでいくらでも、タダで手に入るのに」と思うことが
ある。

 つまりインターネットでは、どうやって情報をマネーにつなげていくか、それが問題と
いうことになる。(これも、私の個人的な問題なのかもしれないが……。)

 しかし全体としてみると、インターネットがもつ影響力には、ものすごいものがある。
たとえて言うなら、野原を自由に走り回るブルドーザーのようなもの。今は、その過渡期
だから、あちこちに不完全な部分があるかもしれない。が、やがてそれも解消されるだろ
う。

 私自身は、インターネットの未来を信じている。

(付記)●地域性について

 若いころ、私を知る人は、みな、こう言った。「君がしているような仕事は、東京でない
とだめだ」「東京へ出てこい」と。

 私も、地方に住むことの限界を強く感じていた。そんなある日のこと。私が27〜8歳
くらいのときのことではなかったか。実名を出して恐縮だが、北海道の札幌にある、ハド
ソンという会社が、今で言う「エクセル」に似た、表計算のソフトを発売した。名前を「カ
ルク」と言った。

 私はそれにとびついた。当時、私は、すでに何台かのパソコンをもっていた。が、何よ
りも驚いたのは、その会社が、札幌にある会社だったということ。「地方の会社でも、こん
なことができるのだ!」と。

 しかし今から思うと、それがインターネットの始まりだったように思う。もちろん当時、
インターネットはなかった。その前身である、(パソコン通信)なるものが、NEC系で始
まったのは、私が35、6歳くらいのときのことではなかったか。

 最初は、カタカナ通信だけ。やがてひらがな通信、さらに漢字通信ができるようになっ
た。私はそのつどパソコン販売店へ足を運び、パソコンを買い換えた。

 話が脱線したが、今では、こうして地方に住む私が、何らハンディなく、世界に向かっ
て情報を発信できる。つまりインターネットが、社会構造そのものがもつ地域性を、完全
に破壊してしまった。「破壊」というより、「垣根」の概念そのものをなくしてしまった。

 これもインターネットがもつ特性のひとつとして、頭に入れておかねばならない。
 

Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●メリークリスマス!

++++++++++++++++++

この原稿がマガジンに載るのは、12月
24日ということになる。

メリークリスマス!

が、今日は、11月20日。火曜日。

朝、起きて、あちこちのニュースを読む。

今日(アメリカ:19日)も、アメリカの株価は、
暴落したようだ。200ドル以上もの、棒下げ。

日本への影響は、必至。
さあ、どうなる、日本!

サブプライム問題は、予想以上に
根が深く、大きいようだ。そればかりか、
サブプライム問題が、あちこちの産業に、
飛び火をし始めている。

今は、そんな感じ。

しかしアメリカのドルは、強い!
ほかの国なら、とっくの昔に、破綻。
が、そこは、ドル。
現在、原油は、イランなど、いくつかの国を
のぞいて、そのドルでしか、購入できない。

アメリカにしてみれば、「金に困れば、
ドル紙幣を、どんどん印刷すればいい」
ということになる。

もちろん、そうなれば、インフレ。
ハイパーインフレ。

原油価格にしても、1バレル=100ドル
から、さらに上昇して、200ドルになる
かもしれないという(経済各誌)。

200ドルになれば、原油価格は、
この1年間で、約5倍以上になる
ことになる。

つまりドルの価値が、5分の1に低下
することを意味する。

私のような素人がうんぬんする問題では
ないかもしれないが、日本経済に与える
影響は、はかり知れない。

もちろん私やあなたの生活をも、直撃
する。

明日は、クリスマスというのに、
暗い話で、ごめん!

ともかくも、メリークリスマス!

++++++++++++++++++

●オーパーツ

 昨日、書店でいくつかの雑紙と、オーパーツについて書いた本を買ってきた。

 オーパーツ……「Out of Place Artifacts(場違いな加工品)」
のことをいう。

 世の中には、常識では理解できない、不思議なものがある。本当かウソかは、わからな
いが、その中のいくつかを、ここに列挙してみる(「超古代オーパーツFile」(学研)
より抜粋。)

★超古代核戦争の痕跡(リビア砂漠のガラスなど)
★メカニック・オーパーツ(アンティキティラの歯車など)
★クリスタル&石像物(ヘッジスの水晶ドクロ)
★電気・金属オーパーツ(秦時代のクロムメッキ剣)
★大洪水説の痕跡(アトラス山のノアの箱船)
★巨大遺跡の謎と真実(秦始皇帝時代の地下宮殿)、などなど

 この中でも、私は、最後の「巨大遺跡の謎と真実」の中にある、中国のピラミッドにつ
いて、関心をもった。……というより、このうわさは、かなり若いころから、耳にしてい
た。

 「超古代オーパーツFile」には、つぎのようにある。

 「1945年、中国はシーアン(西安)の南西部の山岳地帯上空を飛行していた、アメ
リカ空軍パイロット、J・ガウスマンが、眼下に出現した、巨大ピラミッドを撮影した。

 彼が後に、ニューヨーク・タイムズ紙上で語ったところでは、ピラミッドは、太陽光を
反射し、白く光っていた。それはまるで、表面に金属板か白いタイルのようなものを施し
たと思われる荘厳な光景だったという。

それを補足するかたちで、つづいて1946年3月、トランスワールド航空のM・シー
ハン元大佐も、シーアンの南、約120キロの地点にある、チンリン山脈のふもとで、
高さ900メートル、基底部が約1・5キロあるピラミッドを目撃したのだ」(P142)
と。

 高さ900メートル! エジプトのギザのピラミッドは、大きいといっても、高さは、
136メートル、基底部は、230メートルにすぎない。

以前、私はそのピラミッドの写真を、何かの本で見たことがある。が、それはただの影
のようになっていて、不鮮明なものだった。この本の中では、それよりもやや鮮明な写
真が紹介されている。それを見ると、そのピラミッドは、はっきりと角がわかる、四角
錐台の形をしているのがわかる。頂上部には、水平になった広場らしきものまである。

 この形を見て、「自然にできたもの」と思う人は、まず、いない。表面こそ、風化か何か
(?)で、でこぼこしているようだが、全体としては、しっかりとした四角錐台の形を整
えている。

 こういうとき役立つのが、グーグル・アース。さっそくシーアン(西安)あたりを、検
索してみる。

 位置としては、

 33°10'58・17"N、108°53'01・81"E、

 あたりだと思う。(シーアンの真南、120キロで検索。)

が、一辺が1・5キロもあれば、それらしき正方形が見えるはずだが、私が見たところ、
それはなかった。また本に載っている写真を見ると、平地の中にそのピラミッドがある
ように見える。しかしシーアンの南、120キロあたりは、チンリン山脈のまっただ中。
本当に、シーアンの南、120キロなのだろうか?

 「?」ということになる。

 しかし何とも、ロマンをかきたてる話ではないか? 平地に高さ900メートルものピ
ラミッドを建設するなどということは、ギザのピラミッドと対比するまでもなく、人間に
は、不可能。あるいはもともと四角錐台に近かった山を削ったのかもしれない。しかし、
だれが、何のために?

 昨日も、自然に目が閉じるまで、私はふとんの中で、その本を読んでいた。そしてその
まま眠ってしまった。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無知、無理解、無学

子育てで、何がこわいかと言って、無知(=親にその知識がない)、無理解(=子どもの
症状について、理解しようとしない)、無学(=親に学ぶ姿勢がない)の3つほど、こわ
いものはない。

 私はドクターではないから、診断名をくだすことはできない。しかしその子どもに、ど
んな障害があるかは、会ったその瞬間に、ある程度わかる。が、それを口に出すことはで
きない。わかっていても、知らぬフリをする。そんなときは、そのため、それとなく、親
に、さぐりを入れる。

 が、そういう親にかぎって、無知、無理解、無学。(失礼!)「できるだけ、避けて通り
たい」という親の気持ちも、理解できないわけではない。「たとえその疑いはあっても、信
じたくない」という親の気持ちも、理解できないわけではない。親としても、つらい。悲
しい。それはよくわかる。

たとえば7、8年前になるが、1人の女の子(小2)がいた。Hさんという名前の女の子
だった。場面かん黙児だった。最初、父親に連れられて私の教室にやってきた。が、父
親は、自分の娘のことを、何も気づいていなかった。

 その日は、何とか、やり過ごした。が、つぎのときには、今度は母親に連れられてやっ
てきた。私は、それとなくさぐりを入れた。(さぐり)というのは、親がどの程度まで、自
分の子どもの問題点を理解しているか、それを知ることをいう。が、何を聞いても、即座
に返ってくるのは、反論ばかり。

私「静かなお子さんですね」
母「家では、ふつうにしゃべります」
私「学校では、どうですか?」
母「友だちとなら、会話できます。しかし、おとなが苦手です」
私「学校の教室では、どんな様子ですか?」
母「しゃべりません。とくに先生との相性が悪いようです」

私「幼児期に、どこかへ相談なさったことがありますか」
母「問題は、ありません。生まれつき、外では、静かな子どもです」
私「外で静かだということにお気づきになったのは、いつですか?」
母「言葉の発達が遅れたからです」
私「遅れたというのは……?」
母「今は、問題、ありません」と。

 その女の子には、かん黙児特有の、(遊離)が見られた。顔の表情と、心の状態(情意)
が不一致した状態をいう。いつもニンマリというか、ニコニコというか、意味のわからな
い笑みを浮かべていた。いやがっているはずのときも、怒っているはずのときも、意味の
わからない笑みを浮かべていた。同じかん黙児でも、こうした遊離が見られたら、(程度に
もよるが……)、症状は重いとみる。あるいは、すでに症状がこじれてしまっているとみる。

 もっと早い段階、たとえば3、4歳ごろにそれに気づき、適切な対処をしていれば、あ
る程度、遊離を防げたかもしれない。軽くすますことができたかもしれない。しかしそれ
は(過去)の話。教育の世界では、(今、そこにある現実)を原点に、ものを考える。親の
過去を責めても、意味はない。

 私はさらにさぐりを入れた。入れながら、親の口から、「かん黙」という言葉が出てくる
のを待った。しかし最後まで、その言葉は出てこなかった。ほんとうに無知なのか? そ
れとも隠しているのか? 私には判断できなかった。

 で、このタイプの子どもの指導のむずかしい点は、(1)集団に溶け込まないこと。(2)
心を開かないから、心の交流ができないこと。(3)ストレスを、内へ内へとためやすいた
め、予期せぬ問題が、発生しやすいこと。そのときすでに、その女の子には、家庭内暴力
的な様子が、始まっていた。母親は、こう言った。

 「学校から帰ってくると、私に向かってはげしい暴力を振るうことがあります」と。

 つまり教える側からすると、腫れ物に触れるかのような、細心で、デリケートな指導が
必要となる。何を考えているか、わからない。それがつかめない。そのため教えるといっ
ても、まさに手さぐりの神経戦。ピンと張り詰めたような神経戦。それが一瞬、一秒とい
う単位でつづく。突然、キレて、暴れ出すこともある。若いときなら、神経戦もできるが、
当時すでに私は50歳を超えていた。神経戦は、つらい。

 が、何よりも大きな問題は、そういう問題がありながらも、親自身が、それに気がつい
ていないこと。気がついていれば、話もできる。指導もできる。が、そこにある問題から、
親が目をそらしてしまっているばあい、指導そのものができない。

またこのタイプの親は、やめるのも、早い。少しやってみて効果がないとわかると、(そ
んなに簡単に効果が現れるということはないのだが……)、「この教室はだめだ」という
ような判断をくだして、子どもの手を引っ張って、そのままやめてしまう。

 その女の子のばあいも、私は、こう言った。「簡単には、いきませんよ。1年とか、2年
とか、あるいはもっとかかるかもしれません」と。しかし母親は、こう反論した。「うちの
子は、慣れれば、だれとでも話をします。話をしないのは、慣れていないだけです」と。「と
にかく、教室へ置いてくれれば、それでいい」とも、言った。

 事実、その女の子は、そのあと数か月程度で、私の教室を去っていった。

 かん黙児……。その中でもとくに指導がむずかしいのは、場面かん黙児。親は、「家では
ふつうです」と、がんばる。子ども自身に問題があるとは、思っていない。だから、その
問題点に気づくこともない。

 だから私は、当時、こう書いた。「親の、無知、無理解、無学ほど、こわいものはない」
と。

(付記)

 かん黙児にかぎらず、情緒そのものに障害がある子どもは、けっして、無理をしてはい
けない。「直そう」とか、「治そう」と考えてはいけない。そういう子どもであることを認
めた上で、その子どもに合った指導をするのがよい。(親にそれを認めさせるまでが、たい
へんだが……。)あとは、時期を待つ。子ども自身がもつ自律能力を待つ。

かん黙児にしても、その年齢がくれば、何ごともなかったかのように、終わる。小3〜
4年生を境に、症状は急速に改善する。(症状をこじらせれば、その時期は、ぐんと遅く
なる。あるいは、別の問題を引き起こす。)

 無知、無理解、無学が原因で、たいていの親は、無理をする。この無理が、こわい。「そ
んなはずはない」「うちの子に限って」と、子どもをはげしく叱ったりする。そのため症状
を、かえってこじらせてしまう。子ども自身が自分で立ちなおるのを、遅らせてしまう。

 そこで学校教育の場では、それとなく親に、学校医もしくは専門医の紹介をしたりする。
「一度、専門医に相談してみてはどうですか?」と。

 こうした働きかけがあったら、親は、すなおにそれに応ずるのも、大切なことではない
だろうか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●道徳完成論
 
+++++++++++++

子どもにとって、道徳とは何か。
子どもの道徳の完成度は、つぎ
の5つで決まる。

称して、はやし浩司の「道徳
完成論」。

(1)公正性
(2)普遍性
(3)一貫性
(4)正義性
(5)視野の広大性

+++++++++++++

(1)公正性

 たとえばあなたの親類の1人が、万引きしていたとする。そのときあなたは、その親類に対し
て、
どう行動をとるだろうか。見て見ぬフリをするだろうか。あるいは、悪いことは悪いこととして、
その
親類を注意するだろうか。さらに店の人に通報するだろうか。相手がだれであれ、ものごとを


に判断できる人を、道徳の完成度の高い人という。

(2)普遍性

 ものの価値観が、世界的標準で、常識的であること。だれが聞いても、納得できる人生観、


をもっている。おかしな思想に染まり、かたよったものの考え方をする人は、それだけで道徳の

成度の低い人とみる。

(3)一貫性

 言っていることに、いつも一貫性があること。反対に、会うたびに言うことが変わったり、様
子が
変わったりする人は、それだけで道徳の完成度の低い人ということになる。誘惑にも弱く、悪事

染まりやすい。一方、一貫性のある人は、言動と行動が一致している。

(4)正義性

 視点がいつも弱者の側にあり、他人に対しても、また自分に対しても誠実であること。自分に

して誠実ということは、心を偽らないこと。いつもありのままの自分を、外に出すことをいう。
また他
人に対して誠実であるというには、ウソをつかない。約束を守る。この2つが、日常生活の中
で、

然な形で実行できることをいう。

(5)視野の広大性

 ものの考え方が、人間、生物、地球、宇宙・・・と、広いことを、「視野の広大性」という。
一方、卑
近な問題に右往左往し、私利私欲にかられたり、利己的なものの考え方をする人は、視野が
狭い
ということになる。

 教育の場で、(家庭教育においても、そうだが……)、「道徳」を考えたら、この5つの柱を参
考に
してみてほしい。何かの役に立つはず。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 道徳
 

徳の完成 道徳の完成度 道徳完成度 子どもの道徳 子供の道徳 道徳教育)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●善と悪

●神の右手と左手
 昔から、だれが言い出したのかは知らないが、善と悪は、神の右手と左手であると、言
われている。善があるから悪がある。悪があるから善がある。どちらか一方だけでは、存
在しえないということらしい。

 そこで善と悪について調べてみると、これまた昔から、多くの人がそれについて書いて
いるのがわかる。よく知られているのが、ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反
キリスト」)

 要するに、自分を高めようとするものすべてが、善であり、自分の弱さから生ずるもの
すべてが、悪であるというわけである。

●悪と戦う
 私などは、もともと精神的にボロボロの人間だから、いつ悪人になってもおかしくない。
それを必死でこらえ、自分自身を抑えこんでいる。トルストイが、「善をなすには、努力が
必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」(『読書の輪』)と書いた理
由が、よくわかる。もっと言えば、善人のフリをするのは簡単だが、しかし悪人であるこ
とをやめようとするのは、至難のワザということになる。もともと善と悪は、対等ではな
い。しかしこのことは、子どもの道徳を考える上で、たいへん重要な意味をもつ。

 子どもに、「〜〜しなさい」と、よい行いを教えるのは簡単だ。「道路のゴミを拾いなさ
い」「クツを並べなさい」「あいさつをしなさい」と。しかしそれは本来の道徳ではない。
人が見ているとか、見ていないとかということには関係なく、その人個人が、いかにして
自分の中の邪悪さと戦うか。その「力」となる自己規範を、道徳という。

 たとえばどこか会館の通路に、一〇〇〇円札が落ちていたとする。そのとき、まわりに
はだれもいない。拾って、自分のものにしてしまおうと思えば、それもできる。そういう
とき、自分の中の邪悪さと、どうやって戦うか。それが問題なのだ。またその戦う力こそ
が道徳なのだ。

●近づかない、相手にしない、無視する
 
が、私には、その力がない。ないことはないが、弱い。だから私のばあい、つぎのよう
に自分の行動パターンを決めている。たとえば日常的なささいなことについては、「考える
だけムダ」とか、「時間のムダ」と思い、できるだけ神経を使わないようにしている。社会
には、無数のルールがある。そういったルールには、ほとんど神経を使わない。すなおに
それに従う。駐車場では、駐車場所に車をとめる。駐車場所があいてないときは、あくま
で待つ。交差点へきたら、信号を守る。黄色になったら、止まり、青になったら、動き出
す。何でもないことかもしれないが、そういうとき、いちいち、あれこれ神経を使わない。
もともと考えなければならないような問題ではない。

 あるいは、身の回りに潜む、邪悪さについては、近づかない。相手にしない。無視する。
ときとして、こちらが望まなくても、相手がからんでくるときがある。そういうときでも、
結局は、近づかない。相手にしない。無視するという方法で、対処する。それは自分の時
間を大切にするという意味で、重要なことである。考えるエネルギーにしても、決して無
限にあるわけではない。かぎりがある。そこでどうせそのエネルギーを使うなら、もっと
前向きなことで使いたい。だから、近づかない。相手にしない。無視する。

 こうした方法をとるからといって、しかし、私が「(自分の)意思を高揚させた」(ニー
チェ)ことにはならない。これはいわば、「逃げ」の手法。つまり私は自分の弱さを知り、
それから逃げているだけにすぎない。本来の弱点が克服されたのでも、また自分が強くな
ったのでもない。そこで改めて考えてみる。はたして私には、邪悪と戦う「力」はあるの
か。あるいはまたその「力」を得るには、どうすればよいのか。子どもたちの世界に、そ
の謎(なぞ)を解くカギがあるように思う。

●子どもの世界

 子どもによって、自己規範がしっかりしている子どもと、そうでない子どもがいる。こ
こに書いたが、よいことをするからよい子ども(善人)というわけではない。たとえば子
どものばあい、悪への誘惑を、におわしてみると、それがわかる。印象に残っている女の
子(小三)に、こんな子どもがいた。

 ある日、バス停でバスを待っていると、その子どもがいた。私の教え子である。そこで
私が、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その子どもはこう言った。「い
いです。私、これから家に帰って夕食を食べますから」と。「ジュースを飲んだら、夕食が
食べられない」とも言った。

 この女の子のばあい、何が、その子どもの自己規範となったかである。生まれつきのも
のだろうか。ノー! 教育だろうか。ノー! しつけだろうか。ノー! それとも頭がか
たいからだろうか。ノー! では、何か?

●考える力

 そこで登場するのが、「自ら考える力」である。その女の子は、私が「缶ジュースを買っ
てあげようか」と声をかけたとき、自分であれこれ考えた。考えて、それらを総合的に判
断して、「飲んではだめ」という結論を出した。それは「意思の力」と考えるかもしれない
が、こうしたケースでは、意思の力だけでは、説明がつかない。「飲みたい」という意思な
らわかるが、「飲みたくない」とか、「飲んだらだめ」という意思は、そのときはなかった
はずである。あるとすれば、自分の判断に従って行動しようとする意思ということになる。

 となると、邪悪と戦う「力」というのは、「自ら考える力」ということになる。この「自
ら考える力」こそが、人間を善なる方向に導く力ということになる。釈迦も『精進』とい
う言葉を使って、それを説明した。言いかえると、自ら考える力のな人は、そもそも善人
にはなりえない。よく誤解されるが、よいことをするから善人というわけではない。悪い
ことをしないから善人というわけでもない。人は、自分の中に潜む邪悪と戦ってこそはじ
めて、善人になれる。

 が、ここで「考える力」といっても、二つに分かれることがわかる。一つは、「考え」そ
のものを、だれかに注入してもらう方法。それが宗教であり、倫理ということになる。子
どものばあい、しつけも、それに含まれる。もう一つは、自分で考えるという方法。前者
は、いわば、手っ取り早く、考える人間になる方法。一方、後者は、それなりにいつも苦
痛がともなう方法、ということになる。どちらを選ぶかは、その人自身の問題ということ
になるが、実は、ここに「生きる」という問題がからんでくる。それについては、また別
のところで書くとして、こうして考えていくと、人間が人間であるのは、その「考える力」
があるからということになる。

 とくに私のように、もともとボロボロの人間は、いつも考えるしかない。それで正しく
行動できるというわけではないが、もし考えなかったら、無軌道のまま暴走し、自分でも
収拾できなくなってしまうだろう。もっと言えば、私がたまたま悪人にならなかったのは、
その考える力、あるいは考えるという習慣があったからにほかならない。つまり「考える
力」こそが、善と悪を分ける、「神の力」ということになる。
(02−10−25)※

++++++++++++++++++++

●補足

 善人論は、むずかしい。古今東西の哲学者が繰り返し論じている。これはあくまでも個
人的な意見だが、私はこう考える。

 今、ここに、平凡で、何ごともなく暮らしている人がいる。おだやかで、だれとも争わ
ず、ただひたすらまじめに生きている。人に迷惑をかけることもないが、それ以上のこと
も、何もしない。小さな世界にとじこもって、自分のことだけしかしない。日本ではこう
いう人を善人というが、本当にそういう人は、善人なのか。善人といえるのか。

 私は収賄罪で逮捕される政治家を見ると、ときどきこう考えるときがある。その政治家
は悪い人だと言うのは簡単なことだ。しかし、では自分が同じ立場に置かれたら、どうな
のか、と。目の前に大金を積まれたら、はたしてそれを断る勇気があるのか、と。刑法上
の罪に問われるとか、問われないとかいうことではない。自分で自分をそこまで律する力
があるのか、と。

 本当の善人というのは、そのつど、いろいろな場面で、自分の中の邪悪な部分と戦う人
をいう。つまりその戦う場面をもたない人は、もともと善人ではありえない。小さな世界
で、そこそこに小さく生きることなら、ひょっとしたら、だれにだってできる(失礼!)。
しかしその人は、ただ「生きているだけ」(失礼!)。が、それでは善人ということにはな
らない。繰り返すが、人は、自分の中の邪悪さと戦ってこそ、はじめて善人になる。

 いつかこの問題については、改めて考えてみたい。以前書いた原稿(中日新聞掲載済み)
をここに転載する。

++++++++++++++++++++

四割の善と、四割の悪
(以前、掲載したのと同じ原稿です。お許しください。)

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四
割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさな
いで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカ
ナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす
る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマ
りやすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもそ
の生徒を、プールの中に放り投げていた。その教師はその教師の信念をもってそうして
いたのだろうが、では自分自身に対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできび
しいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強
しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動
物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな
ってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の
世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書
についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしま
ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこと
もするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約
聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ
がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になった
が、それが問題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身に
ある。そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んで
いることについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校
生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際
をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘
は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せ
るか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こうい
うおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それが問
題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。

(参考)
 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

振り回される親たち

 少し前、赤ちゃんがおしゃぶりを使うと、指しゃぶりが残りやすいという説があった。
そこで一時期、おしゃぶりが、子どもの世界から姿を消した。しかし今度は、無理におし
ゃぶりをやめさせると、子どもの情緒が不安定になるという説が出た。すると親たちは、
再び、おしゃぶりを子どもに与えるようになった。が、再び、おしゃぶりが、よくないと
いう説がまた出てきた。理由はあれこれあるらしいが、もっともらしい説が、つぎつぎと
育児雑誌をにぎわした。

 そのつど、親たちは、ささいな情報に振り回される。新説が出るたびに、ああでもない、
こうでもないと振り回される。が、またまたまおしゃぶり論争。こんどは、おしゃぶりは、
必要という説。それに火をつけたのが、子どもたちによく見られる、口呼吸。「最近の子ど
もは口呼吸をする。それは母乳で、じゅうぶん育てられなかったからだ」と。あるドクタ
ーが、テレビ番組の中でしゃべったのがきっかけだった。つまり赤ちゃんは、母親の乳首
を吸っている間、鼻呼吸をする。その乳首を吸う回数が少ないと、口呼吸になりやすいと
いうのだ。そして鼻には、バイ菌などを遮断する機能があるので、鼻呼吸する子どもは健
康に、一方、口呼吸する子どもは、病気になりやすい、と。つまりおしゃぶりは、その鼻
呼吸を子どもにさせるには、効果的であるということらしい。とたん、また、おしゃぶり
が、復活した……!

 こういう論争を耳にすると、(私は乳児については、まったくの門外漢ということもある
が)、「?」と思ってしまう。「どうしてもっと基本的なことを論じないのか」と。

 仮に百歩譲って、口呼吸より鼻呼吸が健康によいということにしよう。しかしそれでも、
この問題は、無数にある問題のひとつにすぎない。「無数」だ。こうした情報というのは、
夜のバラエティ番組に出てくるクイズのようなもの。アフリカの一民族が使うような料理
用の道具を持ち出し、「これは何でしょうか?」と。自称、知識人やタレントたちが、さも
したり顔で、それを討論したり、ときには、ギャーギャーと騒いだり……。しかしそれが
わかったところで、どうということはないし、わからないからといって、これまたどうと
いうことはない。少なくとも、テレビというマスメディアを通して、全国の人たちに知ら
せなければならないような問題ではない。

 たしかに口呼吸と鼻呼吸はちがうが、子どもが口呼吸したらしたで、それはそのとき考
えればよい。赤ん坊のときから、神経を使わねばならないような問題ではない。どうして
親たちは、こういう重箱の底をほじくりかえすような、ささいな問題で、そのつど振り回
されるのか? 私にはむしろ、そちらのほうを問題としたい。

 では、どう考えるべきか。 

この口呼吸と鼻呼吸の問題にしても、子育てを自然体でしていれば、何も問題はないは
ず。人類は、そうして何十万年も生き延びてきた。つまりこれからも自然体で子育てを
すれば、何十万年も生きられる。そうした視点に立ちかえれば、一挙に、無数の問題を
解決することができる。口呼吸と鼻呼吸の問題も、それに含まれる。

「口」はものを食べるため。「鼻」は呼吸をするため。そんなことは、自然の中では、常
識ではないか。こうした「自然体」というか、「自然にかえれ」ということを、なぜ、も
っとみんなが声を大きくして言わないのか。言いかえると、もしあなたが子育てをして
いて、何かのことで迷ったり、わからなくなったら、自然にかえればよい。それで結論
は出る。すべてが解決する。私はこうした情報が出るたびに、それに振り回されている
親をみると、「はたして情報とは何か」と、そこまで考えてしまう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(11月16日)

++++++++++++++

今日の一日は、朝風呂で始まった。
起きると同時に、入浴。
まるで温泉気分。

この寒さも、11月らしくて、
心地よい。

そうそう、昨日、ワイフが、
「浜北(=浜松市の北部)では、
紅葉が見ごろよ」と言ったので、
その浜北へ行ってみた。

浜北には、森林公園という、
すばらしい公園がある。

が、どの木も、まだ、青々と
していた。

かろうじてイチョウの木だけが、
黄金色に輝き、秋の風情を
かもしだしていた。

残念!

「12月を楽しみにしよう」という
ことで、昨日のショート・ドライブは、
おしまい。

おはようございます!

+++++++++++++++

●人間の弱さ

++++++++++++++

よきにつけ、悪しきにつけ、
その人には、その人なりの
一貫性がある。

まじめな人は、あらゆる場面で、
まじめ。

小ずるい人は、あらゆる場面で、
小ずるい。

人間の心というのは、それほど、
器用にはできていない。場面に
応じて、まじめさと、小ずるさを
使い分けるということは、
できない。

++++++++++++++

 防衛省を舞台とした汚職事件が、連日、新聞のトップ記事を飾っている。主役は、もち
ろん、あのM政務次官。どこか得体の知れない人物。「政務次官」というのは、「防衛省の
トップ」をいう。防衛大臣につぐ要職。

 そのM政務次官が、(現在は、前政務次官だが……)、退職金の7000万円を国に返上
すると言い出した。「私には、受け取る資格がない」と。どうせ没収される退職金である。
それを知っているから、前もって、返上すると言ってみせた。

 小ずるい人は、あらゆる場面で小ずるい。そういう意味でも、人間の心には、一貫性が
ある。今まで小ずるいことを、さんざんしてきておきながら、この場に及んで、「私には、
受け取る資格がない」とは!

 しかしこのことは、重要な教訓を、私たちに与えてくれている。

 その人の人格というのは、日々の、まさに、ささいな事実の積み重ねで、できあがる。
ウソをつかない。約束(ルール)を守る。その積み重ねが、週となり、月となり、年とな
り、その年が積み重なって、やがて人格となっていく。

 昔から西欧では、『善と悪は、神の左手と右手である』と説く。しかしその善と悪は、け
っして平等ではない。とくに善には、熟成が必要である。その熟成なくして、善はありえ
ない。

 たとえばこんな例を考えてみよう。

 あなたは強大な権限をもった政務次官である。毎年、数千億円以上もの予算を、自分の
力で取り仕切ることができる。しかも毎日、巨額の現金が、目の前を、ベルトコンベヤー
よろしく、右から左へと流れている。

 あなたはほんの少し目をつぶれば、その一部が自分のものになる。しかもどうせ、やが
て煙と消えるお金である。

 そういうとき、だれかがあなたの部屋にやってきて、数千万円の札束を積みあげたとす
る。「ちょっと目をつぶってくだされば、このお金は、あなたのものです」と。

 そのときのこと。あなたがもしその政務次官だったら、それを断る勇気をもっているだ
ろうか。

 数千万円でなくてもよい。たとえば夜、コンビニの前を歩いていたら、サイフが落ちて
いた。あたりは暗くて、だれもいない。で、サイフの中を見ると、10万円近い現金が入
っていた。

 そういうとき、あなたはそのサイフをどうするだろうか。

 ここであなたは、自分自身の中の、善と悪が試される。さらに言えば、善人ぶることぐ
らいなら、だれにでもできる。それらしい顔をして、それらしいことを言えばよい。それ
らしい振る舞いをすればよい。

 しかし自分の中に潜む悪と闘い、善をより強固なものにするためには、時間が必要であ
る。積み重ねが必要である。それが私がここでいう「熟成」という意味である。

 M政務次官。ああいう人間を、本物の「悪」というのだろうが、では、「私ならどうか?」
と考えていくと、ものの考え方が、一変する。あるいは、あなたなら、どうだろうか? つ
まりその(不確かさ)の中に、人間がもつ、根源的な(弱さ)が隠されている。

 だからあのニーチェは、こう言った。

 『ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反
キリスト」)と。

 とくに後半の、『悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』という部分に注目してほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●恐ろしい、新手の詐欺、称して「遺産詐欺」

++++++++++++++++

いろいろな詐欺事件を見聞きしてきたが、
私は、これほどまでに恐ろしい詐欺を
知らない。

まさに新手の詐欺。「よく、ここまで
法の盲点をついたものだ!」と感心するほど、
巧妙な詐欺である。

みなさんも、この手の詐欺には、じゅうぶん、
注意されたい。これから先、この手の詐欺が、
急増する可能性がある。

++++++++++++++++

 たいていは、ことの発端は、一通の手紙。手紙というより、書類。それで始まる。

 その書類には、こうある。

 「あなた様の遠い親戚にあたる、○○県○○市の○○氏が、このほど、逝去されました。
ついて、その○○氏が残した遺産が、現金として、300万円ほどあります。法的な手続
きをしてくだされば、そのお金は、あなたのものになります」と。

 ふつう遺産というのは、遺産相続権者である遺産相続人に、引き渡される。死亡したの
が親であれば、配偶者や子に。配偶者や子がいないときは、親の親、親の兄弟、さらには、
親の兄弟の子に。しかしその故人に、こうした遺産相続人がいないときは、さらに回りま
わって、(遠い親戚)に、その遺産が引き渡されることがある。直接の遺産相続権者が、遺
産相続を拒否するばあいも、それに含まれる。

 その書類を受け取った(あなた)は、喜ぶ。思ってもいなかった現金が、遺産として、
舞い込むからである。

 あなたはその(遠い親戚)にあたるその故人をしのびながら、こう思う。「ああ、あの人
が、私に遺産くれた」「あの人は、そう言えば、いい人だった」と。

 そこであなたは、種類に書いてある指示に従って、遺産を相続する。たいては、1、2
枚の書類。住所と名前、それに振込先の銀行名を記入する。印鑑証明を取り寄せ、実印を、
1、2箇所押す。それでおしまい。

 で、1、2週間もすると、銀行から、入金の連絡が入る。あなたはその連絡を受けて、
大喜びする。「遺産が、入ったア!」と。何といっても、300万円! 新車だって、買え
る。あなたは「とりあえず……」ということで、数万円の現金を引き出して、使う。

が、ここからが、恐ろしい! 地獄の始まり!

 しばらくすると、今度は、ナ、何と、2億円の債務確認書が届く。(1億円かもしれない。
5000万円かもしれない。あるいは10億円かもしれない。)

 「故人の○○氏は、私どもに、2億円の借金をして、逝去されました。ついては、遺産
相続人である、あなた様に、その債務を肩代わりしていただきます。XX金融株式会社」と。

 あるいは、「故人の○○氏は、ZZ氏の連帯保証人になっていました。ついては、ZZ氏
の負債を、相続人である、あなたに支払ってもらいます」と。

 この段階で、「私たちは、相続人ではない」と主張しても、あとの祭り。遅い。あなたは、
遺産相続人として、実際の権利を行使してしまっている。しかも実際に、相続したお金に
手をつけてしまっている!

 遺産相続人は、遺産を相続すると同時に、その故人が残した債務についても、相続する
ことになる。(これを「負の遺産相続」と呼ぶ。)一方で、遺産を相続しておきながら、債
務については、「NO!」とは、言えない。つまりあなたは、2億円の債務を、その時点で背
負うことになる。

 (わかるかな? 300万円を手にして、2億円の借金だぞ!)

 で、この時点で、はじめてあなたは、どうして自分のところに回りまわって、遺産がこ
ろがりこんできたかを知る。その故人の直接の遺産相続権者たちは、債務を肩代わりする
のがいやで、遺産相続権の放棄をしていたのだ。だから事情を知らない、あなたのところ
に、回りまわって、それがやってきた。

 ……ということで、あなたは2億円の借金を抱えることになる。あとのことは、推して
はかるべし。あなたはすべての財産を失い、自己破産。

 これがここでいう新手の詐欺である。今、この手の詐欺が、深く、静かに、しかしジワ
ジワとあなたのところにも迫っている。やがて社会問題化するだろう。が、今のところ、
表には出てきていない。

 で、私の印象では、現在、こうした詐欺を、組織的かつ計画的に行っている団体、もし
くはグループがあるように思う。組織的かつ計画的でなければ、またこういう詐欺は、不
可能である。

しかも恐ろしいことに、この手の詐欺は、詐欺といいながら、法的には、どこにも問題
がない。まさに法の盲点をついた詐欺、ということになる。繰り返しになるが、現金に
手をつけた段階、もしくは、書類に実印をついた段階で、あなたは、その遺産(=債務)
相続人になっている。そのあと、「私は相続人ではない」と主張しても、すでに遅い。

 名前をつけるとしたら、「遺産詐欺」ということか。改めて言う。ともかくも、おいしい
話には、くれぐれも、ご用心! 
(はやし浩司 遺産詐欺)


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●怒りのない世界

+++++++++++++++

私は、満60歳の誕生日を境に、
「怒り」と決別できたように思う。

以後、一度も、感情的な「怒り」を
覚えたことがない。

しかし(怒り)のない世界が、こうまで
すばらしいものだとは、思っても
いなかった。

私の心の中から、最後まで残って
いた邪悪な感情が消えたように思う。

(まだ結論を出すのは、早いかな?)

+++++++++++++++++

 「怒(いか)り」といっても、大きく分けて2種類、ある。「感情的な怒り」と、「静か
な怒り」である。ものを書くときは、いつもそのうちの「静かな怒り」に支配される。こ
れがなくては、ものは、書けない。

 しかし「感情的な怒り」は、それがある分だけ、その人を見苦しくする。で、その怒り
が試される日が、やってきた。

 この話は先日も書いたが、3週間ほど前のこと。私はどこか頭のおかしい男に、からま
れた。その男は、突然、私に、怒鳴りかけてきた。「お前は、この町を不法占拠している」
と。とんでもない、言いがかりである。

 そのときのこと。私は最初から最後まで、心臓の鼓動を1回とて速めることもなく、冷
静に、その男と対峙することができた。若いときなら、「バカヤロー!」と怒鳴り返して、
喧嘩を始めていたかもしれない。

 が、そのあと、私は不思議な満足感に包まれた。うれしかった。楽しかった。同時に、
怒りのない世界のすばらしさを、実感した。

 ただ私のばあい、「怒り」そのものが消えたわけではない。そうした「怒り」は、こうい
う形で、文に叩きつけることで、解消している。またそういう手段をもっている。つまり
そういう手段が、私の中で、定着した?

 ……ということで、満60歳の誕生日から、3週間あまり。一度だけ、フラットしたこ
とはあるが、今のところ、「感情的な怒り」とは、無縁の世界にいる。あとは、この状態を、
静かに保つだけ。できるだけ長く、もたせるだけ。

 何かと不完全で、問題のある私だが、こうして少しずつ、前向きに自分を引っ張ってい
きたい。

(付記)

 しかし怒りを感じないで過ごすのも、むずかしい。数日前には、こんなことがあった。

 車で交差点を右折しようとしたら、左側のアウトコース(=直進レーン)から、突然、
大回りに右折してきた車があった。その車は、私たちの車の左側を、追い抜いていった。
私たちの車が、あと少しスピードを出していたら、衝突していたかもしれない。もう、メ
チャメチャな運転と言ってよい。

 私は自分の頭に、カッと血がのぼるのを感じた。見ると、60歳くらいの男性だった。
となりには、やはり60歳くらいの女性が乗っていた。ワイフがクラクションを1回鳴ら
した。その車はそのまま走り去ってしまった。

 そして昨夜も!

 夕食を終えたころのこと。突然、FAXが送られてきた。私の家のFAXは、送られて
きたデータを一度、内部に保存してから、打ち出す仕組みになっている。ある程度時間が
過ぎたあとだと、印刷を途中で停止することができない。

 見ると、不動産屋からのもの。マンションやアパートの紹介と家賃がズラズラと書いて
ある。そういうFAXが、5枚も。6枚目の途中のところで、やっと停止できた。

 私は即座に、その不動産屋に電話を入れた。が、応対に出た女性は、明るい声で、「アー
ラ、すみません」と。

私「アーラ、すみませんで、すむ話ではないだろ」
女「番号をまちがえました」
私「何番にかけているの?」
女「448−xxxx、です」
私「それは、私の家の番号でしょう」
女「お客さんが、まちがえて書いたと思います。この番号になっています」

私「それは、お宅の事情かもしれないが、こちらは、迷惑している」
女「ごめんなさい」
私「おたがい、気をつけましょう」と。

 が、である。電話機を置いてしばらくすると、再び、電話。受話器を取ると、またFA
Xが送られてきた。すかさず「停止」のボタンを押す。今度は、1枚目の途中で、FAX
を止めることができた。

 私は再び、不動産屋に電話。同じ女性が出た。

私「あなたたち、いやがらせで、こういうことをしているのですか」
女「そんなつもりは、ありません。電話番号を調べたら、448ではなく、488という
ことがわかりました」
私「……とにかく、あなたでは、話にならない」
女「社長を呼んできます」
私「……」と。

 が、である。今度は、待たされること、数分以上。私は受話器を、おろした。その間、
私は488−xxxxへ、電話してみた。が、「現在、その番号は使われていません」との
こと。その女性は、出まかせを言ったらしい。が、また、電話!

 受話器を取ったとたん、「伊Xさんのお宅ですか?」と。

私「私は、林です」
女「あら、すみません。うちの社員が、電話番号をまちがえたようです。伊Xという方が
書いたとおりの電話番号に、電話したのです」
私「2度もFAXが、送られてきました」
女「……今、調べてみましたが、送信が途中で切れたため、FAXが自動的に、再送信し
たみたいです」
私「そういうときは、一度、コンセントから電源をはずすといい」
女「そうします」
私「とにかく、こういうことは困ります」と。

 あとでワイフに電話の内容を伝えると、ワイフは、「あなた、怒っていたわよ」と。

私「しかし、ああいうケースで、笑ってすますというのは、むずかしい」
ワ「まちがいは、まちがいだから……」
私「事務所の電話機にも、つぎからつぎへと、FAXが送られてくることがある。金融会
社や文具店からのものが、多い。インターネットのスパムメールが、その瞬間、頭の中で、
ダブる。とたん、頭に、カッと血がのぼる」
ワ「止めることはできないの?」
私「自動応答が終わったあとだと、できない。それもね、1枚とか2枚ならいいけど、と
きには、それが5枚とか6枚も、送られてくる。インクリボン代だって、バカにならない
よ」と。

 怒りのない世界とはいうが、この現実の世界で、怒りを覚えないで生活することは、た
いへんむずかしい。

 ……ということで、先に書いた、『今のところ、「感情的な怒り」とは、無縁の世界にい
る』という部分は、こう訂正する。

 『怒りを覚えても、その瞬間だけで、すますことができるようになった』と。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●迷う

+++++++++++++++

数日前、市内でも、NO.2ほどに
大きな、パソコンショップへ、足を
運んでみた。

ねらうは、携帯ワンセグ付きポータブル・
プレーヤー。

この世界では、T社の、ギガビートが、
先行している。値段は、5〜6万円。

が、そこでのこと。携帯電話なるものが、恐ろしく
進化しているのを知る。近く、ワンセグ
搭載の携帯電話が、この冬、あちこちで発売に
なるという。

わかりやすく言えば、携帯電話で、テレビ
が見られるようになるということ。ポータブル
プレーヤーについては、今では、常識。

付属のカメラについても、専用のデジタル・カメラ
程度の性能をもちはじめている。フルキーボード付きの
携帯電話も、すでに、つぎつぎと発売になっている。

称して、「スマート・フォン」! 「頭のキレる
電話機」という意味?

突然、私の志向が、そちらに向かう。

店の人に相談すると、「携帯電話を
買い換えたらどうですか?」とのこと。

フーン、ナルホド! そういうことだったのか。
……とまあ、ひとりで感心する。

++++++++++++++++++

 電子製品は、私にとっては、おもちゃのようなもの。またそういうふうに位置づけて、
買っている。遊んでいる。

 どんなものでも、最先端をいく新製品が好き。またそういうものでないと、満足できな
い。これは私の、昔からのビョーキ。自分でも、それがよくわかっている。

 ポータブル・プレーヤーについても、私は、左耳の聴力を完全に失っている。そんな私に
は、それほど意味はない。ここ20年、「ステレオ」とは、無縁の世界に住んでいる。それ
にテレビにしても、ニュースや報道番組以外、ほとんど見ない。

 その私が、T社のギガビートなる、ポータブルプレーヤーをほしがるというのも、おかし
な話だ。たいてい一通り使ったあとは、息子たちに、払いさげ。そういう流れが、我が家
には、できている。

 しかしそれにしても、携帯電話がここまで進化するとは、思ってもみなかった。付属の
カメラにしても、手ぶれ防止付き、ズーム付きの携帯電話まで、ある。私が現在使ってい
る携帯電話には、フルキーボードがついていて、ワードやエクセルが使えるようになって
いる。またそこで文章を打ち込むと、そのまま自分のパソコンに転送できるようになって
いる。

 実際、そういうふうにして使ったのは、回数にしても、数えるほどしかないが……。

 しかし、おもしろい! 楽しい! ワイフに、「夢ができた」と話すと、ワイフは、「ど
んな夢?」と。

 「今度、携帯電話を変えるよ」と。

 ねらうは、すべての機能をもった、最新型の携帯電話。この冬が、ぐんと楽しみになっ
た。しかしそれにしても、この世界、目まぐるしく動く。あまりにも目まぐるしいので、
ついていくだけでたいへん。お金も、たいへん!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●精神的なゆとり

++++++++++++++++++

働き盛りの40代男性と、
子育て期の30代女性は時間的、
経済的、精神的にゆとりがない
人が多いという(産経新聞)。

++++++++++++++++++

 内閣府が、こんな調査結果を公表した(07年11月17日)。時事通信の記事をそのま
ま紹介させてもらう。

 『内閣府は17日、今年創設した「家族の日」(18日)に合わせて、「少子化対策と家
族・地域のきずなに関する意識調査」の結果を発表した。同居家族とのつながりが「強い
方だ」と考える人は87・8%で、「弱い方だ」の6%を大きく上回った。一方、地域との
つながりは「弱い方だ」が52・5%で、「強い方だ」(45・7%)より多かった』と。

 数字だけを、もう一度、整理してみる。

 同居家族とのつながりが、強い方と考える人……87・8%
 地域とのつながりは弱い方と考える人   ……52・5%

 ほかに、

時間的ゆとりについて「ある」      ……47・2%
時間的なゆとりについて「ない」     ……27・6%

経済的ゆとりが「ある」         ……22・3%
経済的なゆとり「ない」         ……34・5%

とくに子供の教育費など出費がかさむ40〜50代男性や、30〜40代女性は、「ある」
の回答が、おおむね15%にとどまったという。

精神的ゆとりが「ある」         ……38・2%、
精神的なゆとり「ない」         ……22・2%

管理職などにつく40〜50代男性と、子育てや仕事に忙しい30〜40代女性が、「あ
る」と答えた割合は、25〜30%で、平均を大きく下回ったという。

家族の話し合いは「十分している」    ……43%
家族との話し合いは、あまりしていない  ……12%

調査は今年1〜2月、全国の18歳以上の男女4000人を対象に、面接方式で実施し、
2409人から回答を得たものだという。

 今回の調査では、(ゆとり)がテーマになっているらしい。時間的なゆとり、精神的なゆ
とり、それに経済的なゆとりという言葉が使われている。しかし(ゆとり9とは何か。こ
れら3つは、それぞれに関連しあっている。

 経済的なゆとりのある人は、時間的なゆとりができ、ついで、精神的なゆとりができる。
そうでない人は、そうでない。一般論としては、そうなる。もちろん、経済的なゆとりは
なくても、時間的なゆとりや、精神的なゆとりのある人は、いる。そういう人も少なくな
い。が、私は、ここでハタと考えこんでしまった。

 経済的なゆとりについては、よくわかる。しかし「精神的なゆとりとは何か?」「時間的
なゆとりとは何か?」と。とくにわからないのが、精神的なゆとり。あるいは、あなたな
ら、もしだれかに「精神的なゆとりがありますか?」と聞かれたら、何と答えるだろうか。
あえて言えば、こういうことになる。

 日々の生活に追われ、身のまわりのささいなことに心を奪われ、広く自分を離れてもの
を考えることができない人を、精神的なゆとりがない人という、と。

 反対に、日々の生活は、日々の生活として、天下国家を論じ、心豊かにものを考えるこ
とができる人を、精神的なゆとりがある人という、と。

 そこで改めて、経済的なゆとりについて考えてみる。というのも、経済的なゆとりとい
うのは、あくまでも相対的なものでしかない。毎月、500万円の生活をしている人から
みれば、毎月、50万円の生活など、考えられないだろう。毎月、50万円といっても、
かなりリッチな生活である。もちろん、その反対も、言える。

 同じように、精神的なゆとりも、相対的なものなのか? 答は、「NO!」である。時間
的なゆとりについても、同じ。こんな私でも、時として、時間が惜しくて、睡眠時間を削
ることがある。そういう私を見て、「時間的にゆとりがない人」と思ってほしくない。

 恐らく内閣府が意図した、精神的なゆとりというのは、「心の余裕」を意味するのだろう
が、それでもよくわからない。

 ……とまあ、つっかかるのは、このくらいにしておいて、「精神的なゆとりがある人」が、
38%、「ない人」が、22%というのは、どういうふうに解釈してよいのか、よくわから
ない。(また、つっかかっている!)

 「そういうものかなあ」と思ったところで、この話は、おしまい。

(心のゆとり論)

 運命を前向きに受け入れてしまえば、心に大きな余裕ができる。へたに逆らうから、心
に余裕がなくなってしまう。

 たとえば現在、老人介護に四苦八苦している人は多い。そういう人たちをながめてみる
と、大きく分けて2つのタイプがあることがわかる。

 運命を前向きに受け入れて、出すべきお金は、出す、すべきことはすると、割り切って、
介護している人がいる。「どうせ相手は、老人ではないか」と。ものごとをおおらかに考え
る。

 一方、「お金を出すのもいや」「時間をつぶされるのもいや」と、毎日、不平不満、グチ、
取り越し苦労に、ヌカ喜びを繰りかえしている人がいる。ささいなことを、おおげさにと
らえて、ギャーギャーと騒ぐ。

 当然のことながら、前者のタイプの人には、「精神的なゆとりがある」ということになる。
後者のタイプの人には、「ない」ということになる。

 つまり、「精神的なゆとり」というのは、(生きざまの問題)であって、内閣府のアンケ
ート調査で、調べられるような問題ではないということ。(あああ、またつっかかってしま
った! 今日の私は、精神的なゆとりが、あまりないようだ。気をつけよう!)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 19日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【伸びる子、伸びない子、こんな簡単なテスト法】

+++++++++++++

あなたの子どもが、この先、
伸びるか、伸びないか?

こんな簡単なテスト法があるので
紹介する。

用意するもの。

下のイラストを、印刷して、
子どもに見せる。

+++++++++++++

 最近、「数学マジック辞典」(上野登美夫著、東京堂出版)という本を買ってきた。現在、
その中のいくつかを、私の生徒たちに見せ、楽しんでいる。で、たいへん興味深い事実に
気がついた。

 たとえば、つぎのイラストを子どもに見せたときのこと。(無断で、転載して申し訳ない。
このイラスト自体の著作権は、当の昔に消滅していると思われるので、許してほしい。ま
たイラスト自体を転載するのが目的ではないので、許してほしい。マガジンでは、HTM
L版のほうで、紹介。)

 (同書、P88より)

 上の図を線に沿って、3つに分割し、下のように並び替える。すると、人が6人から5
人に減る。同時に四角い板(私は、「チョコレートだよ」と話しているが……)は、4枚か
ら、5枚にふえる。

 この手品というか、マジックを子どもたちの前でしてみせる。そのとき……。

(1)鋭い反応を示し、「どうして?」と真剣に考え込む子ども。
(2)「どうせインチキ」とか何とか言って、まったく興味を示さない子ども。

 もちろんその中間もある。程度の差もある。子どもたちの反応は、さまざま。しかし大
きく分けると、上の(1)と(2)に分かれるのがわかる。

 全体に大きく評価してみると、学習面で伸びつづける子どもは、おおむね(1)のよう
な反応を示す。それだけ問題意識も深く、日ごろから、考える習慣を身につけている。

 が、伸び悩み、何かを教えても、ちょうどザルで水をすくうような感触しかない子ども
がいる。このタイプの子どもは、おおむね(2)のような反応を示す。問題意識も浅く、
好奇心も弱い。日ごろから、生活態度も享楽的。どこか、いいかげん。

 で、こうした子どもの反応は、母親の影響によるところが多い。子どもたちに同行して
きた母親たちにも見せてみたが、母親たちの反応も、大きく分けると、上の(1)と(2)
に分かれるのがわかった。

 さらに母親たちが示す反応と、その子どもたちの示す反応が、ほぼ一致するのがわかっ
た! つまり(考える習慣)=(伸びる子どもの重要な要素)は、母親の影響によるとこ
ろが、たいへん大きいということ。

 そこであなたの子どもはどうか? あなたという親自身は、どうか?

 こういう原稿を読んでいるあなたという親は、(読んでいる)ということ自体、(1)の
タイプの親ということになる。問題意識の浅い親は、こういう原稿を読まない。関心もも
たない。

 だからあなたの子どもは、まちがいなく伸びるタイプの子どもということになるが、そ
れでも……ということなら、一度、このテストを子どもの前でしてみせるとよい。

 「あら、こうすると、6人よね。でもカードを並び替えると、5人になるわね」と。

 対象は、小学2年生前後から、5、6年生まで。それ以下だと、マジックの意味が理解
できない。またそれ以上だと、似たような手品を、学校でもしているので、簡単にしかけ
を見抜いてしまう。

 もし、あなたの子どもが(1)のような反応を示せば、それでよし。もし(2)のよう
な反応しか示さないなら、この先、あなたの子どもは、かなり伸び悩むことを、今から覚
悟しておいたらよい。(失礼!)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
伸びる子 伸びない子 伸び悩む子ども)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親が子育てで行きづまるとき

++++++++++++++++

毎年、新しい親は、同じ失敗を
繰りかえす。

それは海辺に打ち寄せる波のよう。

毎回、どれひとつとして、同じ
「水」はない。

しかしそれが繰りかえし、繰りかえし、
海辺に打ち寄せる。

どうして親たちよ、先人の愚を、
自分の知恵に生かさないのか?

もしあなたが「私だけはちがう」と
思っていたとしたら、それは
とんでもない誤解。まちがい。

……だから私は、再び、同じ
原稿を、ここに掲載する。

+++++++++++++++

●私の子育ては、何だったの?

 ある月刊雑誌の読者投稿コーナーに、こんな投書が載っていた。ショックだった。考え
させられた。この手記を書いた人を、笑っているのでも、非難しているのでもない。私た
ち自身の問題として、本当の考えさせられた。そういう意味で、紹介させてもらう。

 「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、
大切にするということを、体験を通して教えようと、犬、ウサギ、小鳥、魚を飼育してき
ました。

庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向か
い、読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつく
って、食卓も部屋も飾ってきました。

なのに、どうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力
もせず、マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の
子どもたちは地理が苦手。息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費
ばかり。

二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反
して、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらい
いの? 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したら
いいの?」(月刊M誌・K県・五〇歳の女性)と。

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こん
な相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。

「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしています
が、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進
もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。

もう少し深刻な例だと、こんなのがある。これは不登校児をもつ、ある母親からのもの
だが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室
へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいで
しょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、
今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮に
これらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚や
らせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもが
C中学に合格できそうとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに
親のエゴには際限がないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく
振り回される……。

+++++++++++++++++++++

●親が子育てでいきづまるとき(2)

 前回の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も
一瞬ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエ
ゴではなかったのか。もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ?

(どうか、この記事を書いた、お母さん、怒らないでください。あなたがなさっている
ような経験は、多かれ少なかれ、すべての親たちが経験していることです。決して、K
さんを笑っているのでも、批判しているのでもありません。あなたが経験なさったこと
は、すべての親が共通してかかえる問題。つまり落とし穴のような気がします。)

そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目
立つ。「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、ウサギ、
小鳥、魚を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子ど
もたちは地理が苦手。息子は出不精」と。

この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違い
はしない。あるいはどこが違うというのか。

 一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。その中でも最大のパ
ターンは、(1)「子どもの心に耳を傾けない」。「子どものことは私が一番よく知っている」
というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決めてしまう。

そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。「こうすれば子ども
は喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。そのつど子どもの心を確かめ
るということをしない。ときどき子どもの側から、「NO!」のサインを出しても、その
サインを無視する。あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはねのけてしまう。

このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほとんど耳を傾
けないから、それがわかる。

私「明日の休みはどう過ごしますか?」
母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れて行こうと思い
ます」
私「緑花木センター……ですか?」
母「息子はああいう子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから
……」と。あとでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と
言う。息子は、「おもしろくなかった」と言う。娘でさえ、「疲れただけ」と言う。

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。この母親はすばらしいガイドであり、保
護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。とくに気に
なるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。

この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大
きなギャップを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよ
い「我が家」であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んで
いたのかどうか。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエ
ゴに気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしが
みついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表してい
る。

+++++++++++++++++++++++

 子どもは、小学3年生ごろを境に、親離れを始める。しかし親が、それに気づき、子離
れを始めるのは、子どもが、中学生から高校生にかけてのこと。

 この時間的ギャップが、多くの悲喜劇を生む。掲示板に書きこんでくれたFさんの悩み
も、その一つ。

【Fさんへ】

 Fさんの育て方に原因があるわけではありません。またそういうふうに、自分を責める
のは、正しくありません。

 あなたは親ですが、子どもという(人間)に対して、全責任があるわけではありません。
子どもは、子どもで、すでに自分の道を歩み始めています。(たしかに、あなたが、理想と
する子ども像からは、かけ離れているように見えるかもしれませんが……。)

 理由や原因は、わかりませんが、あなたの子どもは、相当、キズついています。学校で、
いろいろあるのでしょう。うまくいかないこともあるのでしょう。つらいことや、狂うこ
とも……。

一見、つっぱって見せたり、強がってみせたりするのは、自己表現が、うまくできない
からです。そのもどかしさを、本人自身が一番、強く感じているはずです。

 ですから、「どうして勉強しないの!」「学校へ行かないの!」ではなく、子どもの立場
で、もっというなら、あなたが昔、学生だったころ、友人に語りかけるように、語りかけ
てみることです。

 親風は禁物です。親風を吹かせば、あなたの子どもは、ますます、心を閉ざしてしまう
でしょう。言うとしたら、「あなたはがんばっているわ」とか、「つらいこともあるよね」
とか、「お母さんも、学校へ行きたくなくて、つらいときもあった」です。

 幸いなことに、たいへん幸いなことに、部活だけは、がんばって行っているようですか
ら、それを一芸として、伸ばすことを考えてください。その一芸がある間は、あなたの子
どもは、自分の道を踏みはずすことはないでしょう。またその一芸が、やがてあなたの子
どもを、側面から支えることになります。

 残念ながら、すでにあなたの子どもは、親離れしています。つまり親として、あなたが
子どもになすべきこと、できることは、ほとんどありません。また、何かをしようとか、
そういうふうに、考えないことです。

 子どもというのは、親の思いどおりにならないものです。ならないばかりか、親が行っ
てはほしくない方向に自ら進んでいくこともあります。

 では、どうするか?

 最終的には、「子どもを信ずる」しか、ありません。(といっても、あなたとあなたの子
どもの間の不信感は、相当なものと、推察されます。もし、あなたの子育てでどこに問題
があったかと聞かれれば、私は、その点をあげます。つまり親子の信頼関係の構築に失敗
したという点です。)

 あなた自身が、不幸にして不幸な家庭に育った可能性もありますし、男子という異性と
いうことで、子育てにとまどいがあったのかもしれません。気負い先行型、心配先行型の
子育てをしてきた可能性があります。

 どちらにせよ、今、親子関係がうまくいっている家庭など、10に、1つ、あるいはよ
くて、2つとか3つくらいしかないのも事実ですから、「まあ、こんなもの」と納得してく
ださい。(みんな、外から見ると、うまくいっているように見えますが、ね。本当は、みん
な、問題だらけですよ。外からは、それが見えないだけ。)

 あなたは自分の子どもの姿を見ながら、子どもの心配をしているというより、あなたの
不安や心配を子どもにぶつけているだけかもしれませんね。あなたの子どもは、それを敏
感に感じ取って、「ウルセー!」となるわけです。

 こういう問題には、今のFさんには、わからないかもしれませんが、まだ二番底、三番
底があります。対処のし方をまちがえると、さらに、あなたの子どもは、あなたの手の届
かない遠くに行ってしまうこともありえるということです。

 だから今は、「これ以上、状態を悪化させないことだけ」を考えて、子どもの横をいっし
ょに、歩いてみてください。方法としては、(1)友になり、(2)暖かい無視を繰りかえ
し、(3)ほどよい親であることです。

 やりすぎず、しかし子どもが助けを求めてきたら、ていねいに応じてあげる、です。

 あなたは何とか、勉強をさせようとしていますが、子どもが、それを望まなければ、そ
れまでということです。イギリスの格言にも、『馬を、水場に連れて行くことはできても、
水を飲ませることはできない』というのが、あります。

 あとの選択は、子どもに任せましょう。幸いなことに、あなたの子どもは、(部活)で、
自分を光らせています。それを伸ばすようにしてみたら、どうでしょうか。これからは、
一芸が、子どもを伸ばす時代です。

 そして大切なことは、もう子どものことには、かまわないで、あなたはあなたで、自分
のしたいことをすればよいのです。1人の人間として、です。

 そういう姿を見て、あなたの子どもは、あなたから、何かを学ぶはずです。またそれに
まさる、不安や心配の解消法はありません。あなたの子どもにとって、です。たくましく、
前向きに生きている親の姿ほど、子どもに安心感を与えるものは、ありません。

 「親をなめきったような態度を許せない」ということですが、Fさん、あなたは、かな
り親意識の強い方ですね。あなた自身がそういう家庭環境の中で、生まれ育ち、そういう
意識をつくりあげられてしまったと考えるほうが正しいかもしれません。親は、なめられ
るもの。子どもは、親を踏み台にして、さらに先へ行くものです。

 子どもなんかと、張りあわないこと。もともと張りあうような相手では、ないのです。

 くだらないから、そんな親意識は、捨てなさい!

 子どもがそういう態度をとったら、「ああ、そうですか」と言って、無視すればよいので
す。それが親の、つまりは人間としての度量ということになります。

 あとは『許して、忘れる』。相手にしないこと、です。

 この問題は、一見、あなたの子どもの問題に見えますが、実は、子離れできない、もっ
と言えば、子どもへの依存性を断ち切ることができない、あなた自身の問題だということ
です。あなたの子どもは、それに敏感に反応しているだけ、です。

 「月に1回ぐらい学校を休む」程度なら、許してあげなさい。「疲れているのね。まあ、
そういうときは、休みなさい」と。

 ズル休み(怠学)ができる子どもというのは、それなりに、大物になりますよ。そうい
うときは、「いっしょに、旅行でもしようか」と声をかけてみてください。(多分、いやが
るでしょうが……。)あなた自身も、大物になるのです。大物になって、子どもを包むので
す。

 Fさんのように、親意識の強い人には、ハイハイと親の言うことを従順に聞いて、「ママ、
ママ」と甘えてくれる子どものほうが、よい子なのかもしれません。勉強も、まじめ(?)
にやって、よい成績をとって、人に好かれる子どもです。

 しかしそんな子ども、どこか気味が悪いと思いませんか? 私はそう思います。

 ……とまあ、勝手なことばかり書きましたが、いろいろな問題がある中でも、Fさんの
かかえている問題は、何でもない問題のように、思います。形こそ、ややギクシャクして
いますが、あなたの子どもは、今、たくましく、あなたから巣立ちしようとしているので
す。そういう目で、見てあげてください。
(はやし浩司 子どもの反抗 子供の反抗 反抗期 対処 対処法)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝の雑談(11月14日)

+++++++++++++

内線電話がかかってくる。
朝食の用意ができたという。
ワイフからの連絡。

こういうとき、ワイフは、
たいてい5から10分のサバを
読む。

あわてて行く必要はない。

あれこれ仕事をすませて台所へ。
ワイフがこう言った。

「味噌汁が、冷めてしまったわ」と。

私「今朝は、サバを読まなかったの?」
ワ「できあがってから、電話をかけた
のに……」と。

「サバ」というのは、魚の「鯖」の
こと。

「利益を得るために、数をごまかすこと」
(日本語大辞典)とある。

ナルホド!

+++++++++++++++

●がんになる確率

++++++++++++++++

40〜44歳で、28%
45〜49歳で、34%
50〜54歳で、41%
55〜59歳で、45%
60〜64歳で、47%
65〜69歳で、46%。

がんになる確率だそうだ。
(厚生労働省・05年・人口
動態統計より)

++++++++++++++++

 厚生労働省が発表した人口動態統計を見て、ゾッとした。それによると、50代で、4
1〜45%の人が、がんになる。60代で、47〜46%の人が、がんになる。簡単な数
字になおすと、50歳を超えると、50代の10年間だけでも、約半数の人が、がんにな
るということ。

 ほかに心疾患、脳血管疾患を含めると、50代で、62〜66%、60代で、69%の
人が、これら「三大成人病」になるという。これも簡単な数字になおすと、50代の10
年間だけでも、約70%の人が、がん、心疾患、脳血管疾患になるということ。

 私について言えば、今後、5年間のうちに、がん、心疾患、脳血管疾患になる確率は、
69%ということになる。(約70%!、だぞ。)

 ふつう、確率の世界で、「70%」と言えば、「ほぼ100%」とみる。もっとも、だか
らといって、「死ぬ」ということではない。今では医療も進歩している。がんイコール、死
ではない。心疾患イコール、死ではない。脳血管疾患イコール、死ではない。

 しかし、重篤(じゅうとく)な病気であることには、ちがいない。心疾患といえば、心
筋梗塞。脳血管疾患といえば、脳梗塞を意味する。(ほかにも、あるが・・・。)

 どれも後遺症が残る。私の義兄も数年前、心筋梗塞を経験している。そのため仕事はや
め、以後、1年近く、闘病生活を送っている。現在は、バイパス手術もうまくいって、軽
い農作業くらいならできるようになった。が、それでも、はげしい動きのある運動は、で
きない。いつも、静かにしている。

 しかしそれにしても、すごい数字である。私はこの数字を見たとき、「死」がすぐそこま
で来ているように感じた。「私だけ、例外でありたい」という気持ちはないわけではない。
しかし過去において、私には、その例外的なことは、何もなかった。

 インフルエンザが流行すれば、インフルエンザになった。持病も、いくつか、ある。左
の耳が、聴力をなくして、もう20年近くになる。あるいは私のこの文章を読んで、「林は、
ラッキーだな」と思う人もいるかもしれない。実際、私自身も、そう思っている。今まで、
こうしてまあまあ健康でこられたこと自体、奇跡としか言いようがない。この先のことは
わからない。わからないが、今のところ、だれに対してということではないが、感謝して
いる。

 ただ願わくは、死ぬときは、ポックリと死にたい。ポックリ、とだ。がんは、いや。心
脳血管疾患も、いや。心疾患も、いやだが、ポックリ死ぬには、心疾患が、いちばんよい
かもしれない。

 ・・・で、こうして考えてみると、まず思い浮かぶことは、「人生も、あっけないものだ
なあ」ということ。つぎに思い浮かぶことは、「この先、人は、死ぬまでが人生」というこ
と。

 そしてさらに思い浮かぶことは、「とにかく今日も、懸命に生きてみよう」ということ。

 ……しかし、今、ふと思ったが、この厚生労働省の統計は、どこかおかしい? 私は最
初、40〜44歳で、28%の人ががんになるが、つづく、45〜49歳で、さらに残り
の34%の人が、がんになると読んだ。

 仮に40代でがんになる人が、30%とする。(実際には、28%、34%。)これらの
人のうち、何割かの人は死に、何割かの人は、治癒する。よく「5年生存率」という言葉
が使われるが、そのあと5年以上、生き延びる人も少なくない。

 となると、この厚生労働省の統計は、「新しくがんにはる人」というふうに理解できる。
「がんになる確率」というのは、そういう意味である。「その年齢で、現在、がんになって
いる人」という意味ではない。

 となると、おかしなことになる。

 40代でがんになる人が、30%とすると、50代でがんになる人は、その30%をの
ぞいた、70%の人のうちの、45%ということになる。わかりやすい数字で考えてみよ
う。がんによる死亡率を、50%として計算してみた。

 あなたの町内に、満40歳の住民が、100人いたとする。するとその人たちは、40
代のうちに、30人が、がんになることになる。がんにならなかった人は、70人。がん
になった人のうち、15人が死に、15人が生き残ったとする。その10年後には、満5
0歳の住民は、85人になる。

 50代で新しくがんになる人は、厚生労働省の統計によれば、45%だから、70人x
0・45で、32人ということになる。40代でがんになった人を加えると、30+32
で、62人がそのときまでにがんになったということになる。同じように、16人が死に、
16人が生き残ったとする。その10年後の満60歳の住民は、85−16で、69人に
なる。

 同じように考えて、69人から、すでに40代、50代で、がんになった人を引くと、
69−(30+32)で、がんにならなかった人は、残り、たったの7人になってしまう! 
つまり満60歳を前にして、100人のうち、93人が、がんなるということになる? し
かしそんなことはありえない。

 ……ということは、この統計は、どこか、おかしい! まちがっている! あえて言う
なら、「年代を超えて、約45%前後の人が、一生の間に、がんになる」というふうに解釈
するのがよい。「年代別……」というのが、そもそも、おかしい。

 ハハハ。だからこんな数字を気にするほうが、おかしい。無視するのもよくないが、こ
んな数字を見て、ゾッとすることもない。

 とにかく、今は、私は健康だ。がんではない。がん細胞は、無数にあるのかもしれない
が、今のところ、表には出てきていない。「60代で、がんになる確率は、47%」と聞く
と、ゾッとするが、「死ぬまでに、がんになる確率は、47%」というのであれば、「まあ、
そういうものだろうな」と納得できる。

 だからこの統計は、こう書き改めるべきである。

40〜44歳で、28%
45〜49歳で、プラス6%
50〜54歳で、プラス7%
55〜59歳で、プラス4%
60〜64歳で、プラス2%
65〜69歳で、マイナス1%
……
死ぬまでに、約47%の人が、がんになる、と。

つまり現在満60歳の人は、「60代にがんになる確率は、2―1の1%」と考えればよ
い。100人に1人なら、それほど気にすることはない。(ずいぶんと、勝手な解釈だと
は、思うが……。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●NEETの心理

+++++++++++++++

NEETと呼ばれる若者たちの心理。
それは、絶え間ない、悶々とした
被害妄想。

何をしても、先をみてしまうという、
虚無主義。

それに、自分を包む、自信喪失。
やる気のなさ。

G県のある母親から、NEETについて
の相談が寄せられた。メールは、転載
不許可ということなので、ここでは
紹介できない。

NEETについて考えてみる。

+++++++++++++++

 NEET(ニート)と呼ばれる若者たちがいる。「教育も受けない、仕事もしない」とい
う若者たちである。

 このNEETにも、レベル(?)がある。しかしその期間が長くなり、「まじめに働くこ
とさえバカにし始めたら、NEETから逃れるのは、容易ではない」そうだ(「プレジデン
ト・フィフティ・プラス」(07・12・12号))。

NEETということもあって、同時に、健康管理も、おろそかになる。生活態度もだら
しなくなる。あとはその悪循環。年齢とともに、救済が、ますますむずかしくなる。

 最初は、小さな(つまずき)で、始まる。が、この段階で、その予備軍の若者たちは、
それを乗り越えるだけの(忍耐力)を、もちあわせていない。子どもの世界で、忍耐力と
いうのは、(いやなことをする力)をいう。もっと言えば、(苦難に耐える力)ということ
になる。その(力)がない。

 概して言えば、幼児期から、甘やかされて育っている。規範のない生活、一貫性のない
親の育児姿勢、きびしさと甘さが同居する家庭環境、などなど。

 だからこのタイプの子どもは、何かあると、自分の失敗をすぐ、他人に責任転嫁しやす
い。ものの考え方が、常に、他責的。「あいつが悪いから、こうなった」「学校の先生が悪
いから、こうなった」と。

 不平不満も、多くなる。と、同時に、悶々とした被害妄想をもつようになる。が、それ
を表に出すことはない。このタイプの子どもは、心の中に鬱積した不満を、内へ内へとた
めこんでしまう。外に向かって発散するということはない。それがますます妄想を、加速
させる。

 が、それでいて自意識だけは、やたらと高い。何かの仕事を始めても、「つまらない」「こ
んな仕事をしていて何になる」というような考え方をする。そして「自分が満足な仕事が
できないのは、周囲がまちがっているから」「社会がおかしいから」というような考え方を
する。自分の努力のなさや、才能のなさは、棚にあげてしまう。さらに責任を追及される
と、「こういう自分にしたのは、父親だ」「母親だ」と考える。

 だからNEETと呼ばれる若者たちに、「あなたが仕事をしなければ、あなたの家族が困
るんだよ」と諭(さと)しても、意味はない。家族が迷惑をするということ自体が、NE
ETと呼ばれる若者にしてみれば、「当然の帰結」ということになる。

 では、どうするか。

 経済誌「プレジデント・フィフティ・プラス」は、「心を鬼にして、必要な教育は与えた。
これからはひとりで食べていけと、子どもをたたき出すことも必要かもしれない」(P40)
と書いている。

 しかし実際には、NEETと呼ばれる若者たちの多くは、同時に心の病気をかかえてい
ることが多い。NEETになったから、心の病気になったのか、心の病気があったから、
NEETになったのか、それはよくわからないが、それはともかくも、そういうケースが
多い。回避性障害、対人恐怖症、さらにうつ病などがベースにあることもある。

 さらにそれまでの家庭のリズムを変えるのは、容易なことではない。「心を鬼にして」と
いうことになるが、それができれば簡単、ということになる。

 では、NEETと呼ばれる若者たちが、何も考えていないのかというと、そうでもない。
NEETと呼ばれる若者たちは、彼らなりに悩んでいる。一見、だらしない生活態度を繰
りかえしてはいるが、心の中はいつも緊張状態。相談してきた母親は、こう書いている。「一
触即発の状態です。こわくて、何も言えません」と。

 NEETと呼ばれる若者の心は、かさぶたの上に、さらにかさぶたが張りついたような
状態になっている。その心を溶かすのは、容易なことではない。それこそ5年単位、10
年単位の根気が必要である。

 方法としては、(1)暖かい無視、(2)ほどよい世話に心がける。ただひとつ忘れてな
らないのは、NEETと呼ばれる若者にしても、あなたという(家族)が悩んでいる以上
に、悩んでいるということ。苦しんでいるということ。一見すると、怠け病(?)に見え
るかもしれないが、先にも書いたように、そういうわけで、心の中は、いつも緊張状態に
ある。

 その緊張状態を、じょうずに、前向きに生かしていくことができない。発散させていく
ことができない。それがNEETと呼ばれる若者たちの心理と考えてよい。

【はやし浩司より】

 心の病気をベースに考え、一度、心療内科の門をくぐってみるとよいですよ。多くの心
療内科は、そうした若者たちが、サークル的に集まって活動している団体と直結していて、
その子どもにふさわしい団体を紹介してくれます。費用も、1日、数百円から高くて10
00円止まりです。

 サークルでは、「自活できるようになること」を目的に、みなで食事を作ったりしていま
す。不登校中の高校生から、40〜50歳くらいまでの人たちが集まっています。

 一度NEETになってしまうと、そういうサークルへ行くこと自体を拒否するかもしれ
ません。しかしそこはあせらず、じっくりと構えてください。先に書いたように、心の病
気(回避性障害や対人恐怖症)がベースにあると、かなりの時間(=年月)がかかると覚
悟してください。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
NEET ニート 引きこもる若者たち 引きこもり)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●底なしの防衛省疑惑

 連日、新聞のトップは、防衛省疑惑。出るわ、出るわ……という感じ。それを読んでワ
イフがこう言った。

 「あなたはいつも、『4割の善と、4割の悪』と言うけれど、今の日本は、『2割の善と、
6割の悪』ね」と。

 ひょっとしたら、善は、2割もないのかもしれない。つづいてワイフはこうも言った。「こ
んな世界で、子どもたちにだけ善を求めても、しかたないわね」と。

 その通り。

 愛国心教育が必要なのは、防衛省の役人。愛国心教育は、まずそこから始めたらよい。
こういう巨悪を一方で野放しにしておきながら、何が、愛国心教育だ!、ということにな
る。

私「あの世界は、消耗品の世界だろ。ドン、ドンと、爆弾を爆発させれば、1発、100
万円から1000万円が、煙と消える。金銭感覚が、一般社会とは、ズレている」
ワ「消耗した武器や弾薬は、そのまま国から補充してもらうというわけね」
私「そう。お金がまるでベルト・コンベヤーのように、右から左へと流れていく。その途
中で、つまみ食いする人がいても、おかしくない。今度の事件も、そういう流れの中で発
生した」と。


●道路整備に68兆円!

 国土交通省が、11月13日に、「道路整備中期計画」の素案を発表した。それによると、
事業費が、ナ、何と、68兆円!

 もうメチャメチャな金額と言ってよい。日本の国家税収は、年間、45兆円前後。公務
員の人件費だけでも、年間、38兆円前後。(人件費だけだぞ!)ほかにもいろいろあるが、
その上での、68兆円!

 国土交通省は、「揮発油税などの道路特定財源を道路整備で使い切る」という。わかりや
すく言えば、私たちが支払っているガソリン税などをすべて、道路整備に使う、と言うの
だ。

 「もう、道路はいい」というのが、私の意見。「ないよりはあったほうがいい」という論
理だけで、お金を使っていれば、この先、日本は、たいへんなことになる。(すでにたいへ
んなことになっているが……。)

 一方、その68兆円をアテにして、(地方)が動き出している。つまり国がバラばく道路
整備費を、餅まきの餅よろしく、拾うためである。自民党の族議員たちは、「地方活性化の
ために必要」(中日新聞)などと説く。

 ところで小泉内閣のとき、公共事業費は削減された。その削減された分だけ、道路特定
財源に余裕ができた。そこで06年12月、その余裕でできた財源を、道路整備以外にも
使用できるという(方針)が決定された。

 国土交通省が言うところの、「使い切る」という中には、そうした財源も含む。

 しかしそれにしても、バカげている! 道路整備に、68兆円だぞ! 人口を1億人に
して計算すると、国民1人あたり、68万円! 3人家族で、204万円! 5人家族で、
340万円! 

 中日新聞は、こう報道している。

 「参院選の与党惨敗を受け、地方活性化が緊急課題に浮上。活性化は道路でと、勢いづ
く自民党道路族議員や、自治体の動きは、国交省への追い風となった」と(11月14日)。

私「地方の活性化は必要かもしれない。が、何も、道路だけに頼る必要はない」
ワ「どうして道路なのかしら?」
私「土木事業は、それだけ裾野が広いということ。低所得の人たちの職場として機能して
いる……」
ワ「田中角栄の列島改造論の亡霊が、いまだに尾を引いているのね」
私「しかしね、本当のところは、だれも低所得の人たちの心配など、していない。口実に
しているだけ。もっと言えば、低所得の人たちを、利用しているだけ。お前は、ああいう
政治家たちが、ほんとうに、そういう人たちのために働いているように見えるか」
ワ「……見えないわね」
私「だろ……」と。


●月面写真

 日本が打ち上げた月探査機、「かぐや」から、鮮明な写真が送られてきている。今朝の新
聞には、月面を下に、そこに浮かび上がる地球の写真が載っていた。

ワ「地球は、きれいね」
私「ぼくは、地球より、月面のほうに興味がある」
ワ「……」
私「UFOが写っているかもしれない。あるいはもうすでに修正されているかもしれない」
ワ「この黒い帯は何かしら……?」
私「それは単なる影だと思う」と。

 UFOは、確実に存在する。私たち夫婦が目撃しているのだから、これはまちがいない。
あとは、それをどうやって証明するか、だ。

 12月中旬から、「本格的に写真が送られてくる」(報道)ということらしい。楽しみに
しているが、同時に、不安もある。ほんとうにすべてを公開してくれるかという不安。そ
れにもしUFOらしきものが写っていたとしたら、どう考えたらよいのかという不安。

 地球人(=私たち)と、宇宙人は、もしDNAの配列がちがうなら、ぜったいに共存は、
できない。あのホーキング博士も、そう言っている。もし中に、「そんなことはない」「仲
良くできるはず」と思っている人がいたら、甘い。

 同じ人間どうしでも、戦争ばかりしている。そういう地球人が、宇宙人と仲良くできる
はずがない。

私「それにね、戦争といっても、たがいに最終兵器を使うだろうから、悲惨なものになる
だろうよ。相手は、地球をそのものを、こなごなに破壊してしまうかもしれない」
ワ「宇宙人がいるとするなら、宇宙人も、そのあたりをいちばん、心配しているはずよ」
私「そう。地球人は、あまりにも好戦的。気性が荒い。ぼくが宇宙人なら、地球人とは、
仲良くしないね。へたに技術や知識を与えると、それをすべて武器の開発か、そういうも
のに使ってしまう」
ワ「そうね」と。


●保険料は、7万3600円!

 75歳以上の人を対象にした「後期高齢者医療制度」によると、平均的な単身の厚生年
金受給者(年間208万円)のばあい、今度から、保険料は、月額6133円、年額7万
3600円になるという(静岡県・県後期高齢者医療広域連合)。

 (ただし基礎年金=国民年金のみの受給者のばあいは、7割削減した、年額1万080
0円になる。医療機関で、受診・入院した際の自己負担額は、従来どおり、原則1割。治
療費がかさんだばあいの負担を軽減する「高額療養費支給」も従来どおり。)

私「死ぬまで、お金がかかるということ」
ワ「つまりその分、子どもたちの負担ということになるのね」
私「そう。収入のない老人に、お金を払えといっても、無理な話。あるいは、その分、前
もって、貯金をしておくしかない」
ワ「実質的な、年金減らしね」
私「そう。これからも、どんどんと、そうなっていくよ」と。

 医療保険制度がパンクしかけたとき、介護保険制度が生まれた。医療保険制度を救済す
るためである。その介護保険制度も、パンクするのは、もはや時間の問題。そこで厚生労
働省の役人たちは、あれやこれやと知恵をしぼっている。「つぎは、どこから、どうやって、
金を取る?」と。

 この先、こうした動きは加速することはあっても、減速することはない。この日本は、
老人たち、とくに私たち団塊の世代にとっては、ますます住みにくい国になる。で、再び、
道路整備費の話。

私「道路整備費に68兆円ねえ……?」
ワ「おかしいわねエ……?」
私「そのうちの10兆円だけでも、老人介護費用に回せば、要介護4と5の人が現在、3
0万人として、1人あたり、約3300万円の介護を受けられることになる。3300万
円だぞ!」
ワ「日本の財政運営は、デタラメね」
私「簡単に言えば、そういうこと」と。

 現在、要介護4の老人は16万人、要介護5の老人は14万人(厚生労働省・介護保険
事業状況報告・03年調べ)。

 寒かった朝も朝食が終わるころには、ゆるんだ。庭では、白い陽光がまばゆいまでに、
輝いていた。空には、雲、ひとつない。快晴!

 今日も、がんばるぞ! 


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●携帯からBLOGへ

 携帯電話から直接、BLOGへ記事を書き込むことができるという。前から知ってはい
たが、今朝、はじめて、それに挑戦してみた。

 アドレスは、
 post-xvjjxxxxx@tcup.net

 しかし携帯電話に、文字を打ち込むのが、めんどう。私の携帯電話には、一応、フルキ
ーボ−ドがついている。が、それでも、めんどう。機種は、ウイルコムのWS004SH。

 この方法を使えば、出先からも、緊急のばあい、(あるいはヒマなとき)、BLOGへ直
接、記事を書き込むことができる。もっともその緊急性を感じたことは、かつて一度もな
いが……。

 そのBLOGは、つぎのアドレスで開くことができる。興味のある人は、どうぞ!

http://yellow.ap.teacup.com/bwhayashi/

 たった今、記事を確認! 送信、成功!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自動更新というインチキ

+++++++++++++

ある日突然、「契約を自動更新
しました」という通知が届く。

よく読むと、「ウィルス対策ソフト
を自動更新しました。12月12日
からも、弊社の製品を、安心して
お使いいただけます」とある。

今日は、まだ11月13日!

つまり1か月も先に、自動更新をし、
現金が、クレジットカードから、
引き落とされる!

+++++++++++++

 1台、8年前に買ったパソコンがある。現在は、ほとんど使っていない。開くとしても、
数か月に、1、2度。

 そのパソコンに、買った当時、M社のウィルス対策ソフトを導入した。たぶん、そのと
きに、あまり深く考えないで、(契約自動更新)に(レ)マークを入れたのだと思う。以後、
毎年、11月になると、こうして自動更新されることになった。

 実は、昨年も同じようなことが起きた。で、そのときも自動更新を解除しようとあれこ
れやってみたが、画面上には、その方法が、どこにも書いてない。ガイドブックにも、電
話番号らしきものは、どこにもない。あれやこれやしているうちに、12月12日が過ぎ
てしまった。

 しかたないので、私はあきらめた。が、今年も、また!

 しかし昨年とは、事情が変わった。最近、私のパソコンには、1日、数百通ものスパム
メールが入る。そのため一度、すべてのメールは、(ゴミ箱)に入れ、必要なメールだけを
選んで読むようにしている。

 それにまぎれて、(契約更新手続き完了)の知らせ! あやうく、見落とすところだった。

 つまり放っておけば、こうして毎年契約が更新され、そのつど、現金が、クレジットカ
ードから引き落とされることになる。実に、狡猾(こうかつ)なやり方と言ってよい。

 私は、M社に電話をした。抗議をした。確認のメールには、電話番号が記載してあった。

 「引き落とすなら引き落とすで、一度、更新確認のメールをよこすべきではないか」と。
ほかの会社は、みな、そういう連絡をしてくれる。更新確認の連絡もないまま、現金を引
き落とすのは、信義則に反する。

 が、応対に出た女性は、こう言った。「だからこうして1か月前(=つまり今日)から、
連絡しているではありませんか」と。

 私は反論した。「すでに引き落としてから、連絡も何も、ないだろ!」と。

私「1か月前に、引き落とすということは、10万人なら、4億円。20万人なら、40
億円になる。利息だけでも、たいへんな額になる。引き落としは、12月12日の期限切
れの日にすべきでしょう」
女「解約の手続きをなさるということですね」
私「だから、あなたがたのやり方は、狡猾だと言っているんです。つまりズルイ」
女「解約の手続きをしておきます。連絡は、メールでいたします」
私「ちゃんと、更新の確認をしてから、そのあと、現金を引き落とすべきでしょう」
女「林様のアドレスは、xxxxx@xxxxxxですね」と。

 みなさん、あえて忠告する。

 M社のウィルス対策ソフトの、「自動更新」には、じゅうぶん、注意したほうがよい。「自
動更新にすると、割引価格になる」とか何とか書いてある。が、ああいうものにつられて、
へたに(レ)マークを入れると、以後、永遠に、現金が引き落とされることになる。

 M社のような世界的企業が、まさか……?、なんて信じていると、損をする。ご注意! 


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ベッドタイムゲーム
 
 子どもは床についてから眠るまで、毎晩、同じことを繰り返す習性がある。これを英語
では「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。このベッドタイムゲーム
のしつけが悪いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりでなく、ばあいによっては情
緒そのものが不安定になることもある。もしあなたの子どもが寝る前になると決まって、
ぐずったり(マイナス型)、暴れたりするようであれば(プラス型)、このしつけの失敗を
疑ってみる。

方法としては、(1)毎晩同じことを繰り返すようにする。(2)心安らかな状態を大切
にし、就寝前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。(3)ベ
ッドのまわりにぬいぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。
毎晩本を読んであげるとか、静かな音楽を聞かせるというのもよい。まずいのは子ども
を子ども部屋に閉じ込め、強引に電気を消してしまうような行為。こうした乱暴な行為
が繰り返されると、子どもは眠ることそのものに恐怖心を抱くようになる。

ところで今、年長児(満六歳児)でも、五人のうち三人が、「ほとんど毎朝、こわい夢を
みる」ことがわかっている(二〇〇一年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに
追いかけられる夢」「暗い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世
界がどこか不安定になっていると考えてよい。

ちなみに年中児で睡眠時間(眠ってから起きるまでのネット時間)は一〇時間一五分、
年長児で一〇時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなるが、
それでも最低九時間半を確保する。睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデータ
はないが、しかし睡眠不足が続くと集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮すること
はあっても、すぐ潮が引くようにぼんやりとしてしまう。園や学校などでの学習面で影
響が出てくる。なお年中児になっても「昼寝グセ」が残っているようなら、その時間ガ
ムをかかせるという方法でなおす。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●じゅうぶんな睡眠時間を

 目をさましてから起きあがるまでの時間には、特別の意味がある。この時間、人間の心
はもっとも静かな「時」を迎える。雑念や俗念、不安や心配、さらには恐怖や妄想から解
放される。つまりこの時間、自分の「原点」をそこで見つめることができる。もっと言え
ば、その人がもっともその人らしくなる……。

 パスカルは『思考が人間の偉大さをなす』(パンセ)と書いている。つまり考えるから人
間は人間である、と。言いかえると、考えるかどうかで、その人の「質」が決まる。知識
や知恵ではない。技術や肩書きでもない。反対に考えない人間がどうなるか。その例とい
うわけではないが、深夜のバラエティ番組に出てくる若者たちを見ればそれがわかる。実
に「軽い」。軽すぎて、「これが同じ人間か」とさえ思うときがある。自ら考える習慣のな
い人間は、そうなる。

 子どもに考えさせる習慣を身につけさせるもっともよい方法は、子どもがひとり、静か
に自分の時を過ごせるような時間と場所を用意することである。総じてみれば日本人は、
集団教育のし過ぎ(……され過ぎ)。一人で静かに考えるという習慣そのものもないし、そ
の価値を認めない。子どもが机に向かってひとりぼんやりしていたとすると、親や先生は、
「何、しているんだ!」と、それを叱る。しかし大切なことは、「自分で考えること」だ。
子どもがあれこれ自分で考える様子を見せたら、そっとしておいてあげる。

 で、その一つの方法というわけではないが、子どもが目をさましてから、起きあがるま
での時間を大切にする。そういう意味でも、静かな目覚めを大切にする。またそのために
も、睡眠時間はたっぷりととる。まずいのは、「もう起きなさい!」と、まだ眠気まなこの
子どもを、床の中から引きずり出すような行為。子どもが静かにものを考えることができ
る、せっかくの時間そのものを奪ってしまう。

 前回と今回は、子どもの睡眠について考えてみたが、もう少し子どもの睡眠には、親は
慎重であってもよいのではないか。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●子どもを自立させる

 子育ての目標は、子どもを自立させること。その「自立」には二つの意味がある。子ど
も自身の自立と、親の自立である。依存心というのは相互的なもので、子どもに依存心を
もたせることに無頓着な親は、一方で、自分自身もだれかに依存したいという潜在的な願
望をもっていると考えてよい。つまり子どもを自立させたいと思ったら、親もまた自立し
なければならない。こんな親(六〇歳女性)がいた。

 会うと私にこう言った。「先生、息子なんて、育てるもんじゃないですね。息子は横浜の
嫁に取られてしまいました」と。そしてさらに顔をしかめて、「親なんてさみしいもんです
わ」と。その親は、息子が結婚して、横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。

 こうした親は、親意識が強く、その強い分だけ、子どもを「モノ」と見る傾向が強い。
そして自分にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とし、親に反発す
る独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。こうした親の意識の背景にあるのが、
依存心ということになる。もう少しわかりやすい言葉でいうなら、「甘え」ということにな
る。

 子育ての目標は、子どもを自立させること。「あなたの人生だから、思う存分、あなたの
人生を生きなさい。たった一度しかない人生だから、思いっきり大空を飛びなさい。親孝
行……? そんなこと考えなくてもいい」と、一度は子どもの背中をたたいてあげる。そ
れでこそ親は親としての義務を果たしたことになる。もちろんそのあと子どもが自分で考
えて、親のめんどうをみるというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

 日本人は、国際的にみても、互いの依存心が強い国民である。長く続いた封建時代とい
う時代が、こういう民族性をつくったとも言える。どこかの国に移住しても、すぐ日本人
どうしが集まり、そこにリトル東京(日本人街)をつくったりする。親子関係もそうで、
互いに甘え、甘えられる親子ほど、よい親子と評価する。しかし依存心が強ければ強いほ
ど、その人から「私」を奪う。しかしこれは、これからの日本人の生き方ではない。少な
くとも、こうした生き方は、世界ではもう通用しない。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 子どもにより高価なものを買ってあげるのが、親の愛だと錯覚している人がいる。ある
いは「高価なものを買ってあげたから、子どもとのきずなは強くなった」と考える人がい
る。親は子どもはそれで感謝するだろうと思ってそうする。あるいはそれで子どもの心を
つかんだと考える。しかしこれは誤解。あるいはかえって逆効果。

先日も一人の祖母が、孫(小四女児)のために、数万円もするような服を買ってあげて
いるところがテレビで紹介されていた。レポーターが、「(そんな高価なもの)、いいんで
すか?」と聞くと、その女性は、「いいんです、いいんです。かわいい孫のことですから」
と言っていた。

が、こんな愚かなこと(失礼!)をするから、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。金銭
感覚そのものがマヒする。たとえ一時的に感謝することはあっても、その感謝は決して
長続きしない。

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動
車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思
い出が親子のきずなを太くする。

 日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、
そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリア
へ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友
情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼ら
がもっているモノ意識は、基本的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映さ
れる。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿を振り返っ
てみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●先生の悪口は言わない

 教育もつきつめれば人間関係で決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教育の
基本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。「子どもの前では、先生の
悪口は言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生の悪口を言ったときも、それ
に相槌(づち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今度は、「あなたが言った言葉」と
して、それは先生の耳に入る。必ず、入る。

子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠しごとができない。親よりも、
園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この種の会話には敏感に
反応する。

 一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、
そういうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生
とてこの文を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。

もしあなたが教師で、生徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが
言っていたよ」と。そのときあなたはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あん
たの教え方ヘタだから、今度校長先生に言って、先生をかえてもらうとママが言ってい
た」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそういう言葉に耐えられるだろうか。

 教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと
思うえば、いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、
冒頭にあげた「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身では
なく、この人間関係である。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、
それだけではすまない。

 あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従
わなくなる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きでは
ないが……)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、
子どもの耳に入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、
「あなたが悪いからでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●まじめな子ども

 言われたことをきちんと、しかも従順にする子どものことを、まじめな子どもと考えて
いる人がいる。しかしこれは誤解。その子どもがまじめかどうかは、その子どもがどれだ
け自己規範(自分で考え、その判断に従って行動すること)を守れるかどうかで決まる。
こんな子どもがいた。

 ある日、バス停で一人の女の子(小三)に会った。以前の生徒だったので、「ジュースを
買ってあげようか」と声をかけると、その子はこう言った。「いいです。これから家に帰っ
て、夕ご飯を食べますから。ジュースを飲んだら、夕ご飯が食べられなくなります」と。
こういう子どもをまじめな子どもという。

 子どものまじめさは、家庭環境で決まる。しかも〇歳からの乳幼児期にかけて決まる…
…? そのことを、私は二匹の犬を飼ってみて知った。

 私の家には二匹の犬がいる。一匹は、保健所で処分される寸前にもらってきた犬(これ
をA犬とする)。もう一匹は、愛犬家のもとで手厚く育てられた犬(これをB犬とする)。
この二匹の犬は、我が家へ来てからずっと、性格は幼犬のときのまま。A犬は、もう一五
才にもなるが、忠誠心も弱く、裏の木戸があいていようものなら、すぐ遊びに出て行って
しまう。だれにでもシッポを振るから、番犬にはならない。

一方B犬のほうは、態度も大きいが、忠誠心も強い。見知らぬ人が来たりすると、けた
たましくほえる。実のところ人間も犬と同じ。生後まもなくから、親の手を離れて育っ
た子どもや、育児拒否、家庭騒動、虐待を経験した子どもは、A犬のような性格をもつ。
一方、心穏やかな環境で、親の愛をたっぷりと受けて育ったような子どもは、B犬のよ
うな性格をもつ。

これ以上のことは、あれこれ誤解を招くので。ここでは書けないが、子どもをここでいう
「まじめな子ども」にしたかったら(当然だが……)、B犬が育ったような環境で、子ども
を育てる。もっと言えば、子どもの側からみて、絶対的な安心感のある家庭で、子どもを
育てる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう家庭があって
はじめて子どもは、善悪を静かに判断して、それに従って行動できるようになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●マトリックス(母体)の世界

 少し前、キアヌ・リーブズ主演の、『マトリックス』という映画があった。おもしろい映
画だった。仮想現実の世界を母体(マトリックス)と思い込んだ人たち(?)が、本当の
母体を知るという映画だったが、しかしそれは映画の世界だけの話ではない。

 子どもを育てるということは、人間を育てることをいう。教育というのがあるとするな
ら、それは子どもに生きるために必要な知識や経験を、武器として与えることをいう。し
かしそれが今、逆転している。教育のために、子どもを育てるのが、この日本では子育て
の基本になっている。そら進学だ、そら受験だ、と。

人間を育てる世界を母体(マトリックス)とするなら、教育の世界は、いわば仮想現実
の世界ということになる。が、ほとんどの親はその仮想現実の世界にハマりながら、そ
れが仮想現実の世界だとすら気づかないでいる……! こんなことがあった。

 K君(中一)という、本当にまじめな子どもがいた。ただ能力的には、あまり恵まれて
いなかった。私のところへ来ても、ただひたすらコツコツと勉強をしていたが、そんなわ
けで学校での成績は思わしくなかった。で、最初の期末試験が終わったときのこと。K君
の母親から電話がかかってきた。いわく、「成績が悪かった。もっと息子をしぼってほしい」
と。しかし私はこう言った。

「K君には、よくがんばったねと言うことはできても、これ以上がんばれとは、私には
言えない」と。すると今度は父親から電話がかかってきて、「うちの息子はどうしても、
S高(静岡県でも最難関の進学高校)へ入ってもらわねばならない。S高へ入れてもら
えるか」と。そこで私が、「うちは進学塾ではありません」と言うと、「君はうちの子で
はS高は無理と言っているのか。失敬ではないか!」と、怒り出してしまった。

 この両親のばあいも、人間を育てるという本来の母体(マトリックス)を忘れてしまい、
仮想現実の世界で子どもを育てていた。本末転倒という言葉があるが、まさにその本末が
転倒していた。

 映画「マトリックス」は、もちろんSF(空想科学)映画だが、しかしSFとばかり言
えない面がある。一度仮想現実の世界にハマってしまうと、それが現実の世界だと思い込
んでしまう。さて、あなたも一度、あなたの仮想現実の世界を疑ってみたらどうだろうか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●老後問題

+++++++++++++++

老後も、たいへん!

満60歳というが、この先、まだ、
25年近く、生きていかねばならない。

(運がよければ、という話だが……。)

25年といっても、健康寿命は、
残り、せいぜい、10年あまり。

つまり健康で生きられるのは、
よくて10年あまりということ。

(これも運がよければ、という話だが……。)

団塊世代を意識してか、このところ、
経済誌各誌は、どれも、老後問題を
特集している。

いくつかを読んでみたが、どれも
ぞっとするような話ばかり。

生きるのもたいへんだが、どう死ぬかも
たいへん。

そんな感想をもった。

+++++++++++++++

●独居老人問題

 この先、独居老人が、ふえるそうだ。統計的な数字など、この際、意味はない。私やあ
なたが、その独居老人になる可能性は、きわめて高い。今、この時点で、「私はだいじょう
ぶ」と断言できる人は、いったい、どれだけいるだろうか?

 孤独と空虚の中で、悶絶死! 他人に発見されたときには、ミイラ! そんな現実が、
今、そこまで迫っている!

 で、国の介護保険制度はどうかというと、これがまったく、アテにならない。今の今で
すら、介護保険制度は、パンク状態。それもそのはず。老人1人分の介護費用だけでも、
30〜35万円もかかる。それだけの費用を、現在は、国と個人(=家族)が分けて負担
している。老人の割合が少なければ、まだよい。しかしこの先、すぐ、3人に1人とか、
4人に1人とかが、満65歳以上の老人になる。

 私たちが介護を必要とするころには、老人は、みな、粗大ゴミ。手厚い介護など、もと
から望むべくもない。


●スラム化するマンション問題

 毎月の管理費をきちんと徴収し、管理人を置いているマンションは、まだ、よい。それ
なりの財産価値がある。しかしその手前の、中小のマンションは、この先、スラム化する
という。つまり財産価値が、ゼロになるという(某・経済誌)。

 これはあくまでも、私の推算だが、仮に住民の10〜20%が、管理費を払えなくなっ
たとすると、とたんに、そのマンションの改修、修理がままならなくなる。老人世帯がふ
えればふえるほど、その可能性は高くなる。

 ある経済誌は、こう警告している。「マンションをもっていれば、葬儀費用くらいにはな
ると考えている人もいるかもしれないが、それは甘い」と。現在、葬儀費用にしても、平
均、200〜250万円(+戒名代)かかるそうだ。


●治療費

 病気にもなれない。がんにでもなれば、200〜300万円程度の治療費が必要だとい
う。特殊な治療を受ければ、それこそ1000万円単位の治療費が請求されるという。

 要するに、それだけの治療費がまかなえない人は、早く死ねということらしい。いわん
や、粗大ゴミとなった私たちに、それだけの治療費をかけて、どうする? いや、一般社
会が、そういう目で、私たちを見るようになる。

 そうなったとき、私たち老人に、もはや居場所は、ない。


●では、どうするか?

 私が読んだのは経済誌だから、(経済的な観点)で、老人問題を考えていた。しかし経済
だけが、すべてではない。また経済だけで、ものごとを考えてはいけない。

 それ以上に重要なのは、(生きがい)である。もっと言えば、夢、希望、それに目的。こ
の3つがあれば、かりに大病になっても、私たちは前向きに生きることができる。前向き
に生きることができれば、それこそ『夕べに死すも、可なり』(=夕方に死ぬことになって
も、悔いはない)ということになる。

 もっと言えば、野で、のたれ死に、そのまま骨となっても、悔いはないということにな
る。治療費だの、葬儀費用だの、そんなことを問題にするほうが、おかしい。天命は天命、
じたばたしたところで、どうしようもない。

 ……とまあ、口で言うのは簡単なことかもしれない。いざ、その場に自分が立たされた
ら、(現実に今、立たされ始めているが……)、そうはかっこよくいくものか? そこでや
はり、(生きがい)ということになる。心理学の用語を使うなら、『統合性の確立』という
ことになる。

 それをどう確立していくか?

 少し前に書いた自分の原稿を読みなおしてみる。

+++++++++++++++++

●自己の統合性

++++++++++++++

私は何をすべきか。
まず、それを考える。

つぎにその考えに応じて、
では、何をすべきか、
それを考える。

考えるだけでは足りない。
現実の自分を、それに
合わせて、つくりあげていく。

これを「統合性」という。

つまり(自分がすべきこと)と、
(現実に自分がしていること)を、
一致させる。

老後を心豊かに生きるための、
これが、必須条件ということに
なる。

+++++++++++++

●自分は何をすべきか

 定年退職をしたとたん、ほとんどの人は、それまでの(自分)を、幹ごと、ボキッ折ら
れてしまう。

 ある日突然、ボキッ、とだ。

 とたん、それまでの自分は何だったのか、と思い知らされる。金儲けだけを懸命にして
きた人も、そうだ。年をとれば、体力が衰える。気力も衰える。思うように金儲けができ
なくなったとたん、心は、宙ぶらりんの状態になってしまう。

 そこで「自己の統合性」ということになる。

 (自分がすべきこと)を、(現実にしている人)は、自己の統合性があるということにな
る。そうでない人は、そうでない。

 似たような言葉に、「自己の同一性」というのがある。こちらのほうは、(自分のしたい
こと)と、(現実にしていること)が一致した状態をいう。青年期には、ほとんどの人が、
この同一性の問題で悩む。苦しむ。

 「自分さがし」とか、「私さがし」とかいう言葉を使う人も多い。自分のしたいことは、
そこにあるのに、どうしても手が届かない。そういう状態になると、心はバラバラになっ
てしまう。何をしても、むなしい。自分が自分でないように感ずる。

 しかし統合性の問題は、同一性よりも、もっと深刻。いくら悩んだとしても、青年期に
は、(未来)がある。しかし老年期に入ると、それがない。たとえて言うなら、断崖絶壁に
立たされたような状態になる。先がない。

 そこで多くの人は、その段階で、「自分は何をすべきか」を考える。「何をしたいか」で
はない。この年齢になると、(したいことをする)ということのもつ無意味さが、よくわか
るようになる。

 高級車を買った……だから、それがどうなの?
 家を新築した……だから、それがどうなの?
 株で、お金を儲けた……だから、それがどうなの、と。

 モノやお金、名誉や地位では、心のすき間を埋めることはできない。成功(?)に酔い
しれて、自分を忘れることはできる。が、そこには限界がある。(酔い)は、(酔い)。一時
的に自分をごまかすことはできても、そこまで。その限界を感じたとき、人は、こう考え
る。

 「これからの余生を、どう生きるべきか」と。その(どう生きるべきか)という部分か
ら、「自分はどうあるべきか」という命題が生まれる。

 しかし大半の人は、そんなことを考えることもなく、老後を迎える。ある日、気がつい
てみたら、退職、と。冒頭に書いたように、ある日突然、ボキッと、幹ごと折られたよう
な状態になる。

 では、どうするか?

 多くの心理学者は、こうした作業は、40歳前後から始めなくてはいけないと説く。4
0歳という年齢を、「人生の正午」という言葉を使って説明する学者もいる。

50代に入ってからでは遅い。いわんや、定年退職をしたときには、遅い。働き盛りとい
われる40歳前後である。

 つまりそのころから、老後に向けて、自分の心を整えておく。準備をしておく。具体的
には、(自分を何をすべきか)という問題について、ある程度の道筋をつけておく。つまり
それをしないまま、いきなり老後を迎えると、ここでいうような、(ボキッと折られた状態)
になってしまう。

 繰りかえすが、(したいこと)を考えるのではない。(自分がすべきこと)を考える。こ
の両者の間には、大きな隔(へだ)たりがある。というのも、(自分がすべきこと)の多く
は、(したいこと)でないことが多い。(すべきこと)には、いつも苦労がともなう。

 たとえば以前、80歳をすぎて、乳幼児の医療費無料化運動に取り組んでいた女性がい
た。議会活動もしていた。賛同者を得るために、いくつかのボランティア活動もこなして
いた。その女性にしてみれば、乳幼児の医療費が無料になったところで、得になることは
何もない。が、その女性は、無料化運動に懸命に取り組んでいた。そこで私は、その女性
に、こう聞いた。

 「何が、あなたを、そうまで動かすのですか?」と。

 するとその女性は、こう言った。「私は生涯、保育士をしてきました。どうしてもこの問
題だけは、解決しておきたいのです」と。

 つまりその女性は、(自分がすべきこと)と、(現実に自分がしていること)を、一致さ
せていた。それがここでいう「自己の統合性」ということになる。

●退職後の混乱 

 しかし現実には、定年退職してはじめて、自分さがしを始める人のほうが、多い。大半
の人がそうではないのか。

 中には、退職前の名誉や地位にぶらさがって生きていく人もいる。あるいは「死ぬまで
金儲け」と、割り切って生きていく人もいる。さらに、孫の世話と庭いじりに生きがいを
見出す人も多い。存分な退職金を手にして、旅行三昧(ざんまい)の日々を送る人もいる。

 しかしこのタイプの人は、あえて(統合性の問題)から、目をそらしているだけ。先ほ
ど、(酔い)という言葉を使ったが、そうした自分に酔いしれているだけ。

 ……と書くと、「生意気なことを書くな」と激怒する人もいるかもしれない。事実、その
とおりで、私のような第三者が、他人の人生について、とやかく言うのは許されない。そ
の人がその人なりにハッピーであれば、それでよい。

 が、深刻なケースとなると、定年退職をしたとたん、精神状態そのものが宙ぶらりんに
なってしまうという人もいる。そのまま精神を病む人も少なくない。会社員であるにせよ、
公務員であるにせよ、仕事一筋に生きてきた人ほど、そうなりやすい。

 私の知人の中には、定年退職をしたとたん、うつ病になってしまった人がいる。私は個
人的には知らないが、ときどきそのまま自殺してしまう人もいるという。つまりこの問題
は、それほどまでに深刻な問題と考えてよい。

●では、どうするか?

 満40歳になったら、ここでいう自己の統合性を、人生のテーマとして考える。何度も
繰りかえすが、「私は何をしたいか」ではなく、「私は何をすべきか」という観点で考える。

 そのとき重要なことは、損得の計算を、勘定に入れないこと。無私、無欲でできること
を考える。仮にそれが何らかの利益につながるとしても、それはあくまでも、(結果)。名
誉や地位にしてもそうだ。

 ほとんどのばあい、(すべきこと)には、利益はない。あくまでも(心の問題)。という
のも、(すべきこと)を追求していくと、そこには絶えず、(自分との闘い)が、ある。そ
の(闘い)なくして、(すべきこと)の追求はできない。もっとわかりやすく言えば、この
問題は、(自分の命)の問題とからんでくる。追求すればするほど、さらに先に、目標が遠
のいてしまう。時に、そのため絶望感すら覚えることもある。

 損得を考えていたら、(自分との闘い)など、とうていできない。

たとえば恩師の田丸先生は、先日会ったとき、こう言っていた。「私がすべきことは、人を
残すことです」と。

 そこで私が、「先生は、名誉も、地位も、そして権力も、すべて手にいれた方です。そう
いう方でも、そう思うのですか」と聞くと、「そうです」と。高邁(こうまい)な人物とい
うのは、田丸先生のような人をいう。

 そこで……というより、「では私はどうなのか」という問題になる。私は、自分の老後は
どうあるべきと考えているのか。さらには、私は、何をなすべきなのか。

 実のところ、私自身、自分でも何をすべきなのか、よくわかっていない。あえて言うな
ら、真理の探究ということになる。私は、とにかく、この先に何があるか知りたい。が、
この世界は、本当に不思議な世界で、知れば知るほど、そのまた先に、別の世界が現れて
くる。ときどき、自分が無限の宇宙を前にしているかのように錯覚するときもある。

 すべきことはわかっているはずなのに、それがつかめない。つかみどころがない。だか
らよく迷う。「こんなことをしていて、何になるのだろう」「時間を無駄にしているだけで
はないのか」と。

 つまり、自己の統合性が、自分でもわかっていない。できていない。つまり私の理論に
よれば、私は、この先、みじめで暗い老後を送ることになる。

 だから……というわけでもないが、繰りかえす。

 40歳になったら、ここでいう「統合性」の問題を、真剣に考え始めたらよい。「まだ先」
とか、「まだ早い」と、もしあなたが考えているとしたら、それはとんでもないまちがいで
ある。子育てが終わったと思ったとたん、そこで待っているのは、老後。50代は、早足
でやってくる。60代は、さらに早足でやってくる。

 さあ、あなたは、自分の人生で、何をなすべきか? それを一度、ここで考えてみてほ
しい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 統合性 統合性の一致 統合性一致 自己統合性 自己の統合性 すべきこと 人生の
目標)

【付記】

 もうひとつの生き方は、何も考えないで生きるという方法。あるいはどこかのカルト教
団に身を寄せて、そこで生きがいを見出すという方法もある。

 しかし人間は、考えるから、人間なのである。もし、何も考えない人がいたとしたら、
その人は、そこらに住む動物と同じ。明日も今日と同じという日々を送りながら、やがて
そのまま静かに自分の人生を終える。

 そのことは、頭のボケた母を見ていると、わかる。母は、今、自分がどこに住んでいる
かさえ、ときどきわからなくなる。ワイフの顔を見て、別の人の名前で呼んだりする。し
かし食欲だけは、人一倍旺盛。食事の時間になると、血相を変えて、その場所にやってく
る。

 そういう私の母には、もう目標はない。何のために生きているのかという目的すら、な
い。何かにつけて、自己中心的で、もちろん、自分がすべきことなど、何も考えていない。
毎日、ものを食べるために生きているだけ。しかしそんな人生に、どれほどの意味がある
というのか。価値があるというのか。

 もちろん母は母で懸命には生きている。それはわかる。が、それでも、ただ、生きてい
るだけ。つまり考えないで生きるということは、今の母のような状態になることを意味す
る。母は、高齢だからしかたないとしても、私やあなたが、そうであってよいはずはない。

 私たちはこの世に生まれた以上、何かをなすべきである。その(なすべきこと)は、人、
それぞれ。みな、ちがう。しかしそれでも、何かをなすべきである。またそういう使命を
みな、負っている。

 要するに、ここで私が言いたいことは、老後になってから、その(なすべきこと)をさ
がそうとしても、遅いということ。老後といっても、長い。人によっては、30年近くも
ある。20歳から50歳までの年数に等しい。

統合性の問題は、いかにその期間を、有意義に過ごすかという問題ということになる。決
して、安易に老後を迎えてはいけない。それだけは、確かである。


+++++++++++++++++

もう1作、「同一性」について書いた
原稿を、掲載します。

+++++++++++++++++

●心理学でいうアイデンティティとは、

(1)「自分は他者とはちがう」という、独自性の追求、
(2)「私にはさまざまな欲求があり、多様性をもった人間である」という、統合性の容認、
(3)「私の思想や心情は、いつも同じである」という、一貫性の維持、をいう(エリクソ
ン)。

++++++++++++++++++++

 エリクソンは、アイデンティティの確立(自己同一性の確立)について、つぎの3つの
ものをあげる。

(1)「自分は他者とはちがう」という、独自性の追求、
(2)「私にはさまざまな欲求があり、多様性をもった人間である」という、統合性の容認、
(3)「私の思想や心情は、いつも同じである」という、一貫性の維持、である。

(1)独自性の追求

 「老人はこうあるべきだ」という目に見えない、圧力。それを加齢とともに、強く感ず
るようになった。どうしてか?

 たとえば私はあと1年で、「還暦(かんれき)」と呼ばれる年齢になる。「60にして、還
暦」の「還暦」である。十干と十二支の組みあわせでは、満60歳(数え年では、61歳)
のときに、干支(えと)に戻るので、「還暦」という。「暦(こよみ)が、還(かえ)る」
という意味である。

 で、ときどき人に、こう言われる。「林さんも、来年は還暦ですね」と。つまり私は、そ
ういうふうにして、まわりの人たちから、自分の年齢を作られていく。

ところで子どもの世界には、「役割形成」という言葉がある。男の子は、いつの間にか男
の子らしくなっていく。女の子は、いつの間にか女の子らしくなっていく。遺伝子の作
用によるものだという説もあるが、遺伝子の作用だけでは、すべてを説明できない。

 まわりの人たちが、いつの間にか、男の子を男の子らしくしていく。女の子を女の子ら
しくしていく。子ども自身も、意識の外の世界で、自ら、男の子らしくなり、女の子らし
くなっていく。

 それと同じような現象が、現在進行形の形で、私の身のまわりで起こりつつある。私は、
今、老人にされつつある。だから、こう叫ぶ。

 「何が、還暦だ!」「くだらないこと言うな!」と。

 しかしその声には力がない。いくら叫んでも、その声は、そのままカスミの向こうに消
えてしまう。

 となると、「独自性とは何か」ということになる。いや、それを考える前に、いったい、
私には、独自性と言えるようものがあるのかということになる。服装だとか、髪型とか、
そういうものは、どうでもよい。大切なのは、中身だ。精神だ。その中身や精神の部分で、
独自性と言えるようなものがあるのか、と。

 どこかに(私らしさ)はあるにはあるが、いつも道に迷ってばかりいる。「これは!」と
思うような部分でも、相手やその周囲の人たちに、すぐ迎合してしまう。

 今の今も、そうで、生活自体が、加齢とともに、しぼんでいくのが、自分でもわかる。
体力も落ちた、収入も減った、正義感も薄れた、集中力もつづかない。そういう現実を前
にして、「では、どうすればいいのか」と考えることが多くなった。それが自分を、どんど
んと、老人臭くしていく。

 しかし私は、あえて、抵抗してやる。だれが老人臭くなっていくものか!

(2)統合性の容認

 いつの間にか、私は「教育評論家」ということになってしまった。しかしこの言葉は、
あまり好きではない。私は、したいことをしているだけ。書きたいことを書いているだけ。

 私は、ごくふつうの人間だし、ごくふつうの生き方をしている。聖人でもないし、君子
でもない。

 だから「教育評論家のくせに……」と言われることくらい、不愉快なことはない。とき
どき、そう言われる。とくにみなの前で、バカ話をしたようなときに、そうだ。しかもそ
れなりの人に、そう言われるならまだしも、そこらのオジサンにそう言われるから、たま
らない。

 「林さん、あんた、教育評論家だろ。その教育評論家がそういうことを言っちゃア、い
かんよ」とか、など。

 酒やタバコ、それに女遊びこそしないが、しかし性欲だってふつうにある。美しい女性
を見れば、抱きたくなる。裸を想像する。チャンスがあれば、浮気だってしたいと思って
いる。

 どうしてそういう私を、私自らが、否定しなければならないのか。つまり、それを否定
してしまうと、私は、私でなくなってしまう。エリクソンが説くところの、統合性がなく
なってしまう。

 仮面をかぶってはいけない。自分を偽ってはいけない。私は私である前に、人間なのだ。
その人間であることを、そのまま認めて生きる。スケベな話、大好き! どうしてそれが
悪いことなのか!

(3)一貫性の維持

 一貫性のあるなしは、一貫性のない人を見れば、それがよくわかる。これは極端な例だ
が、認知症か何かになった人を、見てみればよい。

 数日前に、何か仕事を頼んだときには、「いいですよ」「心配ないですよ」と言っておき
ながら、いざ、当日になると、不機嫌な顔をして、文句ばかり言う。こういう人は、つき
あいにくい。その人がどういう人なのか、それさえわからない。

 子どもの世界でも、似たようなことを観察する。

 年長児(満6歳児)ともなると、その子どもらしさ、つまり人格の輪郭(りんかく)が、
明確になってくる。人格の核(コア・アイデンティティ)が確立してくるからである。教
える側からすると、「この子は、こういう子だ」という、(つかみどころ)ができてくる。

 が、不幸にして不幸な家庭環境、たとえば、育児放棄、無視、冷淡、虐待、家庭崩壊、
愛情飢餓を経験したような子どもは、この核形成が、遅れる。軟弱で、つかみどころのな
い子どもになる。ときに、何を考えているかさえ、わからなくなる。

 このことを、ここでいう一貫性にあてはめてみると、一貫性というのは、他人から見た
(つかみどころ)ということになる。その(つかみどころ)のある人を、一貫性のある人
といい、そうでない人を、そうでないという。

 わかりやすく言うと、自分がもつ一貫性などというものは、まったくアテにならない。「私
は一貫性がある」と思っている人でも、一貫性のない人はいくらでもいる。自分で、そう
思いこんでいるだけ。

 そこでこの一貫性を知るためには、一度、視点を、自分の外に置いてみなければならな
い。視点を外に置き、そこから自分を見つめなおしてみる。その時点で、自分には一貫性
があるかどうかを、判断する。

 あなたは、他人から見たとき、わかりやすい人間だろうか。あるいはあなたの子どもは、
あなたという親から見たとき、わかりやすい子どもだろうか。

 以上、こうして、「私らしさ」を求めていく。その私らしさができたとき、つまり(自己
概念)と(現実自己)が一致したとき、自己の同一性(アイデンティティ)が、確立され
たとみる。

 自己の同一性が確立した子どもは、どっしりとしている。落ちついている。多少の誘惑
ぐらいでは、ビクともしない。夢と希望をもち、自分で目標に向かって進んでいく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アイデンティティ 独自性 統合性 一貫性 エリクソン 自己の同一性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●殺意の認定

+++++++++++++++

少し前、A県で、1人の娘(児童)が、
母親によって、(殺された?)。

検察側、弁護側、双方が認定した
事実によると、あらましは、こうだ。

その母親は、夕方、薄暗くなってから、
「魚が見たい」という娘の希望を
かなえるため、近くの川に行き、娘を
橋の欄干(らんかん)の上に立たせた。

事件(事故?)は、そのあと起きた。

娘は、橋から転落。そのまま死亡して
しまった。

+++++++++++++++

 現在、当裁判は、係争中なので、ここでは事件なのか、事故なのかについてのコメント
は、さしひかえたい。現在、争点になっているのは、「殺意」。母親に、殺意はあったのか、
それともなかったのか。

 刑法でいう殺人罪を適応するためには、殺意の認定は、欠かせない。構成要件のひとつ
になっている。「殺意」がなければ、殺人罪そのものが、成立しない。

 しかし人の心の中を、のぞくことは、だれにもできない。そこで検察側、弁護側双方と
もに、そのときの状況証拠を積み重ねながら、殺意の認定、もしくは、否定を主張する。

もっともこの段階で、母親が、「私は殺すつもりで、娘を、橋の下に突き落としました」
とでも言えば、話は簡単。改めて、殺意の認定を争う必要はない。現実に、娘は死亡し
ているのだから、刑法でいう殺人罪の構成要件を満たすことになる。つまり、殺人罪が
適応される。

 私は、この報道記事を読みながら、ふと、こう思った。「こんなばあいにも、殺意の認定
は必要なのかなあ?」と。というのも、(殺意)などというものは、いつでも、どこでも、
ふとしたきっかけで、だれにでも、起こる。自動車を乱暴に運転する人を見たとき。巨額
のワイロを手にしながら平然としている政治家を見たとき。日本人を拉致しておきながら、
「解決済み」と居直る相手側の政治家を見たとき。

 私のワイフにすら、ときとして、私は殺意を感じることもある。

 しかしいくら殺意を感じても、それを実行するというのは、まったく別問題。その間、
つまり(思い)と(行動)の間には、遠い距離があり、大きな壁がある。

 つまり同じ殺意といっても、空想に近い殺意から、実行行為に近い殺意まで、いろいろ
ある。そういうのを、ひとまとめにして、(殺意)を論じても意味はない。冒頭にあげたケ
ースでも、その母親は娘を橋の欄干の上に立たせ、そこから突き落としたという(検察側
主張)。

 このばあい殺意は、きわめて実行行為に近い殺意ということになる。まわりくどい言い
方になってしまったが、要するに、改めて殺意の認定などする必要など、ない。あるいは
弁護側は、こんなわかりきったケースでも、過失致死罪か何かで、もっていこうとしてい
るのか? さらに言えば、「罪名」に、どうしてそうまでこだわるのか?

こんなことで、重箱の隅をほじくるような議論を重ねていても、意味はない。時間の無
駄。よい例が、あの地下鉄サリン事件である。裁判長の再三、再四の注意にもかかわら
ず、弁護側は、ああでもないこうでもないと、ささいなことにこだわり、裁判を長引か
せた。

 あえて言うなら、これこそがまさに、日本の裁判制度の欠陥と言ってもよい。だからふ
つうの裁判でも、5年とか、10年。ばあいによっては、15年とか、20年もかかる。

 その間に、事件そのものが風化してしまう。被害者の救済も、どこかへ霧散してしまう。
判決がおりるころには、「そんな事件もあったっけ?」となってしまう。しかしこれは悲し
むべきことと言ってよい。

 事件そのものを、過去の教訓として、未来に生かすことができなくなってしまう。

 裁判は迅速に。そのために、はじめからわかりきったことについては、無駄な議論はし
ない。・・・ということで、この話は、おしまい。あの母親には、本当は殺意はなかったの
かもしれない。娘が魚を見たいと言ったので、欄干の上に立たせたのかもしれない。その
とき誤って娘が、川の中に落ちてしまったのかもしれない。

その可能性はないわけではないが、そう考えるには、かなりの無理がある。もしそうな
ら、つまり私がその母親なら、その直後から、大声で叫びながら、娘の捜索を始めただ
ろう。私自身も川の中に飛び込んだかもしれない。

 が、その母親は、どういうわけか、そのまま家に帰り、かなりの時間を経てから、別の
方法で捜索願いを出している。つまり不自然。

 この事件を、端的に言えば、弁護側の主張する(無理)と、検察側の主張する(不自然
さ)との闘いということになる。

(補記、07年11月12日の第8回公判記録より)(秋田「さきがけon the Web」)

 検察側は、自ら「極刑を望む」としたH被告に「あなたにとって死刑以外では不満か」
と質問。H被告は「不満かどうか分かりませんが、主張していることを認められるなら、
私はそれで構わない」と淡々と語った。

 一方、弁護側は大沢橋の欄干に座る長女Aちゃん=当時(9つ)=がH被告に抱きつこ
うとし、振り払ったとする当時の心境をあらためて確認。「(欄干に乗った)Aが初めて自
分の目線より高くなり、高い所から覆いかぶさってくるようになったので。怖いと思った」
と話した。

 
●指手話(ゆび・しゅわ)

 先日、電車で、横に乗った人たちが、指手話というのを始めた。左右の手、3本ずつの
指を使って、会話をするというものだった。珍しそうにながめていると、そのうちの一人
が、私に指手話の説明をしてくれた。

 私はまず、「あ・い・う・え・お」を覚えた。その人は、その指手話を使って、もう一人
別のところに座っている男性と、会話をしていた。

 指手話というのは、耳と目の両方とも不自由な人が使うのだそうだ。私に指手話を教え
てくれた人は、その男性の付き添いの人だった。「無料ではないが、ボランティア活動とし
て、している」ということだった。言い忘れたが、年齢は、45歳くらいの女性だった。

 その風景をながめていて、まず驚いたのは、みな、とても楽しそうだったということ。
その女性が指を折り曲げながら何か男性に話をすると、その男性は、顔中の筋肉をゆるま
せて笑っていた。

 私は、その男性の年齢を聞いた。おそらくその女性はその男性の年齢を知っていたのだ
ろうが、あえて指手話を使って聞いてみてくれた。男性は、はにかみながら、「54」と、
空に数字を書いた。

 それを見て、その女性は笑った。横にいたワイフも笑った。のどかな光景だった。で、
会話も一段落したとき、私は、その女性にこう聞いた。

 「まだお若いようですが・・・」と。54歳で、耳と目が不自由になったという。音も
ほとんど聞こえない。目もほとんど見えない。

 「この人は、まず耳が聞こえなくなったそうです。しばらくすると、今度は、目も見え
なくなったそうです」と。

 そこまで聞くのが、精一杯だった、それ以上は、とても私には聞けなかった。内心、「そ
ういう病気もあるんだな」と、それだけを思った。

 そのグループは、浜松駅のいくつか手前でおりた。手を振ろうとしたが、そのまま雑踏
の中に、姿を消した。

私「54歳でね……。ぼくは、この6年間、何をしてきたんだろ?」
ワ「そうねエ……」
私「ぼくは54歳のころ、毎日、原稿ばかり、書いていた」
ワ「目が見える、音が聞こえるということだけでも、すばらしいことなのね」
私「うん……。そんなこと、考えもしなかった」と。

 しかしそれにしても、さわやかな人たちだった。そういうグループにありがちな(暗さ)
というものが、どこにもなかった。むしろ小学生の子どもたちが、ピクニックか何かにで
かけたような雰囲気だった。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「NO!」をはっきり言う練習

 こうした詐欺商法から身を守るためには、「NO!」を、日ごろからはっきり言う練習を
しておくとよい。だれか、たとえば夫か妻に相手になってもらい、その会話練習をする。
心理学の世界でも、この方法は、きわめて有効であることが実証されている。夫が相手の
ばあいは……。

夫「奥さん、いい薬がありますよ。いかかですか?」
妻「いりません!」「お帰りください!」
夫「金に投資してみませんか?」
妻「興味ありません」「電話を切ります!」
夫「ちょっと遊んでいきませんか?」
妻「お断りします」「さようなら!」と。

 できるだけ大きな声で、はっきりと言うようにする。この訓練を、1、2週間おきくら
いに数度、繰りかえす。

 BW教室でも、私はこの訓練をときどきする。

私「ちょっと遊びに行かない?」
子「NO!」
私「車に乗ってよ?」
子「NO!」
私「お菓子を買ってあげるからさ」
子「NO!」と。

 こうした誘いに対して、反射神経的に「NO!」と言えるようにしておく。これは子ど
もたちの身を守るための、知恵ということになる。

 なお国民生活センターは、HP上で、つぎのように警告している。

 「昨年(06年)の秋頃から「ロコ・ロンドン貴金属取引」「ロコ・ロンドン保証金取引」
といった名称の取引(以下、ロコ・ロンドン金取引)について、「契約したが、大丈夫か」
「取引をしたところ損をした」などの相談が、国民生活センターや全国の消費生活センタ
ー等に寄せられはじめている。 

 相談事例をみると、70歳代〜80歳代の高齢者が取引の仕組みを理解できないまま、
100万円以上の高額なお金を投資し、トラブルに巻き込まれているケースが多くみられ
る。なかには、「投資したお金のほとんどが戻らなかった」という深刻な被害もある」と。

 みなさんも、くれぐれも、ご用心!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ゴミ情報vs良質な情報
 
 入ってくる情報は、常に選択する。まさに世は、情報だらけ。選択しなければ、そのま
まその人は、情報の洪水の中で、溺れてしまう。

 そこで問題は、どうやってその中から、良質な情報を選択していくかということ。その
ためには、まず、身のまわりから、ゴミ情報を削っていく。

 たとえばこれはあくまでも私のばあいだが、バラエティ番組は、見ない。ゴシップ週刊
誌は、読まない、など。そうでなくとも、脳みそは、いつも満杯状態。ゴミ情報を格納す
るだけの余裕は、ほとんど、ない。それに時間も、ない。

が、しかしそれ以上に大切なことは、常に自分で考えること。情報を得ても、自分で判
断し、取捨選択すること。さらにそのためには、できるだけ自分のまわりに、静かな時
間を用意すること。

 この問題は、脳みそ自体がもつ欠陥と、直結している。脳みそ自体がもつ欠陥を、箇条
書きにしてみる。

(1)情報の整理ができない。

いまだに記憶のメカニズムは、はっきりしていない。つまり脳に届いた情報は、そ
れぞれの質と内容に応じて、脳の中の別々の場所に、格納される。わかりやすく言
えば、バラバラの状態であちこちに格納される。

そこで本棚の中の本を整理するように、情報を整理できればよいのだが、それがで
きない。だからときに、たとえば何か問題が起きたようなとき、参考となる情報を
適確に引き出せないまま、ムダにしてしまうことが多い。

(2)過去、現在の記憶が、時系列的に格納できない。

社会科の年表のように脳の中に入った情報が、過去から現在に至るまで、順に並
んでいれば、わかりやすい。あるいは、地層のようでもよい。過去の情報の上に、
新しい情報が塗り固められていくとか。

しかし実際には、脳の中にある記憶には、距離感がない。50年前の記憶も、1
週間前の記憶も、(想起)する段階では、等距離にある。距離感がないから、とき
に、古いキズがそのまま、あたかもつい昨日のようにことのように顔を出したり
する。私たちが「トラウマ」と呼んでいるのも、そのひとつ。

(3)情報の重大性を客観的に判断できない。

そのため、たとえば、身のまわりで、ささいな問題が起きたとすると、そのささ
いなことに振り回されてしまう。そのすぐ外では、環境問題、地球温暖化問題と、
それにつづく食糧危機問題が起きている。ことの重大性という視点からは、かり
に考えるとしても、ささいな問題は、マイナーな問題。が、脳みそは、その判断
ができない。

(4)情報と思考で得た知識を区別できない。

ほとんどの人は、情報の多さをもって、思考力があると錯覚している。しかしもの
知りイコール、賢いという意味ではない。一方、思考することには、ある種の苦痛
が伴う。難解な数学の問題を前にして、四苦八苦している自分を想像してみればよ
い。

そのためほとんどの人は、できるなら思考を、しないですませようとする。数学の
問題でいうなら、解答を丸写しにして、すませようとする。が、脳みそ自身は、情
報で得た知識と、思考で得た知識を区別できない。できないまま、数学の解答を丸
写しにしながら、自分は、賢くなったと錯覚する。

(5)情報、知識の漏出

せっかく得た情報や知識にしても、内容にもよるが、時間の経過とともに、薄れて
いく。消えていく。よい例が、学生時代学んだ英語の単語。そののち、使っている
かどうかによってもちがうが、ほとんどの人は、学生時代に知っていた単語すら、
10年、20年とたつうちに、忘れていく。

この私も、高校生を教えなくなったとたん、頭の中の単語の数が、ぐんと少なくな
ったように感ずる。この傾向が、加齢とともに、加速する。脳みその底に、まるで
穴があいたような状態になる。

 つまりこうして、人は、情報のゴミの中で、ゴミ人間になっていく。先に「ゴミ情報で
いっぱいになった人を、ゴミ人間という」と書いたが、ゴミ情報ばかりに包まれていれば、
ものの考え方そのものが、ゴミ化するということは、じゅうぶん考えられる。冒頭に書い
た、インチキは、その一例ということになる。

 が、現在、思考の前提となる、(静かな時間)そのものが、ない。(静かに考える時間)
といってもよい。しかもその時間というのは、1日のうちで、1時間や2時間では足りな
い。できれば、3時間とか4時間。長ければ長いほど、よい。それはちょうど健康論に似
ている。

 週に1、2時間程度の運動では、健康は維持できない。できれば3、4時間はほしい。
長ければ長いほど、よい。

 賢くなる……つまりは考える人間になるということだが、賢い人からは、そうでない人
がよくわかる。が、だからといって、何も、私が賢い人間というわけではない。賢いかそ
うでないかということは、あくまでも相対的な問題でしかない。より賢い人から見れば、
私は、そうでない人ということになる。

 それはたとえて言うと、山登りのようなもの。低いと思って登った山でも、意外と遠く
まで見えるもの。その山の高さには、限界がない。1000メートルの山の向こうには、
2000メートルの山がある。さらにその先には、3000メートルの山もある。

 さらに悲劇的なことに、賢い人からは、そうでない人がよくわかる。しかしそうでない
人からは、賢い人がわからない。わからないから、えてしてそうでない人は、その段階で、
「私は賢い」と錯覚してしまう。進歩するのを、やめてしまう。

 いろいろ脱線したが、要するに、自ら考えるということ。それがこうしたゴミ情報から、
自分を守るための、ゆいいつの方法ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ゴミ情報 ゴミ知識 思考と情報 情報と思考)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある読者の方からのメール

+++++++++++++++

WINDOWメールを整理していたら、
1通のメールがそこに残っていた。

ずいぶん前に受け取ったものだが、
こういうメールは、削除できない。
つまりそのまま残った。

そのまま紹介させてもらう。このメール
をもらったころ、マガジンの廃刊を、
本気で考えていた。

+++++++++++++++

こんばんは。林様。

このメールに返信して届くのかよくわかりませんが
お頼りすることにしました。
母親歴10年になる(九州の)M町在住のものです。
この号に、もしかして休刊?、ということが書いてあったので
ちゃんと読んでますよ、ということをお伝えしたかったのです。

私も昨年まで6年間、ネット業界にいましたので
相手からの反応が体感しにくいので、モチベーションがあがりにくい
というネットの現状を知っているつもりです。
そのことをふっと思い出して、ちゃんと読んでますよ!とお伝えしたくなった次第で
す。

次号も楽しみにしていますので頑張ってください。
こちらの希望としては、もうすこし記事が少ないほうが読みやすいです。
盛りだくさんなので。読めずにたまることもあります。
今の半分の量でも十分だと思います。

日本の教育については本当に同感する部分が多いです。
地元公立小学校に子供が通っていますが、正直がっかりさせられることが
多いです。(私立がいいという意味ではありません。)

介護日記も楽しみにしています。
明日は我が身。。。

好き勝手書きましたが、一読者の感想でした。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「ロコ・ロンドンxx」という詐欺商法

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またまた新手の詐欺商法!

今度は、「ロコ・ロンドンxx」という名前の
詐欺商法である。

「金の価格が暴騰していますよ」「今、
金に投資すれば儲かりますよ」という
語り口で、近づいてくる。

被害が急増している。東京都だけで、
すでに200件以上の会社(?)が、
活動しているという。被害者の数は、
かなりの数になるはず。全国に、被害者
救済

金の先物取引というと、あの豊田通商事件
を思い出すが、「ロコ・ロンドンxx」は、
先物取引ではない。現物取引を歌っている。

しかしもちろん、(現物=金の延べ板)が、
手に入るわけではない。

みなさんもくれぐれも、ご用心!

なお「ロコ」というのは、固有名詞ではない。
英語の「@=at」にあたる言葉。だから
「ロコ・ロンドン」というのは、もちろん
会社名ではない。「ロンドンにて」という
意味にすぎない。

この部分だけが、たとえば「ロコ・ニューヨーク
xx」というように変えられる。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●幼児性心理(H法務大臣の軽率発言)

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 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に
分けている。

(1)口唇期……口の中にいろいろなものを入れて快感を覚える。
(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。
(3)男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をもつよ
うになる。

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本題に入る前に、まず一般論から。少し前、こんな相談があった。

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Q うちの子は、口が悪くて困ります。私に向かっても、平気で「クソババー!」とか言
います。(小二男2

A 子どもの口が悪いのは当たり前。それを許せというわけではないが、それが言えない
ほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。もう少し専門的に言うと、こうなる。

 乳幼児の心理は、口唇期(口を使って口愛行動をする)、肛門期、男根期を経て発達する
(フロイト)。肛門期というのは、体内にたまった不要物を、外に排出する快感を覚える時
期と考えるとわかりやすい。(これに対して、男根期は、いわゆる小児性欲のこと。おとな
の性器性欲の基礎になる。)

 たとえばおとなでも、重大な秘密を知ると、それをだれかに話したいという衝動にから
れる。が、それを話せないとなると、悶々とした状態になる。そこで思いきって、だれか
に話す。そのとき感ずる快感が、ここでいう肛門期の快感と思えばよい。

 つまり子どもは、思ったことをズケズケと言うことで、自分の心の中にたまったゴミを
外に吐き出そうとする。それは快感であると同時に、子どもにとっては、精神のバランス
をとるためには、必要なことでもある。

 むしろそれを抑えつけてしまうことによる弊害のほうが、大きい。イギリスの格言にも、
『抑圧は悪魔をつくる』というのがある。心の抑圧状態が長くつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることを言ったものだが、子どものばあい、それがとくに顕著に現れる。

 N君(小5)という、静かでおとなしい子どもがいた。従順で、これといって問題はな
かった。しかし私はある日、彼のノートを見て、びっくりした。そこには、首のない人間
や、血だらけになってもがき苦しむ顔、ドクロなどが描かれていた。原因は、父親の神経
質な過関心だった。

 言いたいことを言う。思ったことを言う。それができるから、家庭という。あの『クレ
ヨンしんちゃん』の中にも、母親のみさえが、義理の父親に向かって、こう怒鳴るシーン
がある(V16)。「ひからびた、ゆで玉子頭」と。そういうことが自由に言いあえる家庭
というのは、それだけでも、すばらしい家庭(?)ということになる。

 私も、よく生徒に、「クソじじい」と言われる。そこである日、こう教えてやった。

私「もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて、教えて」
私「でも、お父さんや、校長先生に言ってはだめだよ。約束するか?」
子「するする…」
私「ビ・ダ・ン・シ(美男子)」と。

 それからというもの、私のニックネームは、美男子になった。生徒たちは私を見ると、
うれしそうに、「美男子! 美男子!」と。私は一応、怒ったフリをするが、内心では笑っ
ている。
 
+++++++++++

 以上は、子どもの世界の話だが、今日、こんなニュースが伝わってきた。またまたあの
H法務大臣の失言問題である。

H法務大臣が11月3日、地元選挙区の福岡県で「日本にはテロリストがいることを知
っている」と発言したという。

 「本当のことを、事実を言うと、みんながびっくりしてマスコミが騒ぐ。とにかく、こ
の国をテロから守る。テロリストの怖いのが平気でこの国をうろうろしている。私はそ
の事実を知っているから申し上げている」(ヤフー・news・11月3日)と。

 H大臣は、この10月、「友人の友人がアルカイダ」などと発言、官房長官から「軽率だ」
と注意を受け、謝罪したばかりである。いったい、このH法務大臣の頭の中は、どうな
っているのか。実は、その謎を解くカギが、「肛門期」である。

 先に書いたことを、もう一度、おさらいしてみよう。

 「……重大な秘密を知ると、それをだれかに話したいという衝動にかられる。が、それ
を話せないとなると、悶々とした状態になる。そこで思いきって、だれかに話す。そのと
き感ずる快感が、ここでいう肛門期の快感と思えばよい」、である。

 つまりことの真偽は別として、H法務大臣は、まさに幼児の肛門期を地でいくような発
言を繰りかえしているのがわかる。しかしH法務大臣は、幼児ではない。立派なおとなで
ある。しかもふつうのおとなではない。法務大臣という一国家の要職にある人物である。

 わかりやすく言うと、H法務大臣は、幼児性を残したまま、つまり精神的未発達のまま、
おとなになった人物ということになる。地位や肩書きにだまされてはいけない。仮にそう
であるとしても、法務大臣という立場上、証拠に基づかないようなことを軽々に口にすべ
きではない。もし証拠があるならあるで、法務大臣という立場で、法的に処理すべきであ
る。

 恐らくH法務大臣は、要職についたことをよいことに、大物ぶるために、そういう発言
を繰りかえしているのだろう。「私はこれこれしかじかのことを知っている」「だから私は
大物だ」と。そこらの週刊誌のレポーターが、タレントの裏話を得意げに話すのと同じで
ある。

 しかし大物ぶるということは、それだけ小物ということ。中身に一本、スジが通ってい
ないから、こういう軽率な発言を繰りかえす。

 それにしても、いったい、この国の政治家たちは、どうなっているのか? レベルが低
い。……というより、低すぎる。そういう人物が、堂々と、法務大臣という肩書きをぶら
さげている。世の中には、口にしてよいことと、そうでないことがある。その区別すらで
きない? 仮に知っていても、……というより、法務大臣なら、もう少しマシな演説がで
きないものか? 伝わってきている演説内容は一部だが、その一部だけをみても、レベル
の低さがわかる。

 もう一度、H法務大臣の発言を、よく読んでみてほしい。そこには、こうある。

「本当のことを、事実を言うと、みんながびっくりして、マスコミが騒ぐ。とにかく、こ
の国をテロから守る。テロリストの怖いのが平気でこの国をうろうろしている。私はその
事実を知っているから申し上げている」と。

 全体として、「文章」になっていないのがわかる。中学生でも、こんな作文を書いたら、
私なら、容赦なく、「C」をつける。


●今日・あれこれ(11月5日)

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昨日、今日、ほとんど原稿を書かなかった。

講演会のレジュメの作成とか、いろいろ
仕事が重なった。

で、今、やっとヒマになった。
11月5日、午後11時。ワイフは、先ほど
床に入った。

私は書斎に入り、パソコンに電源を入れる。
いつものようにメールを開く。何人かの人たちに、
返事を書く。

雑紙に目を通す。このところ毎日のように
雑紙を買ってくる。昨日も、経済誌を1冊、
買ってきた。『週刊エコノミスト』(11・6)。

雑紙代だけでも、月に2〜3万円になる。
バカにならない。しかしこれもボケ防止のため?
そう思えば、安い。

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●インチキ、またインチキ

 中国人というのは、本をほとんど読まないそうだ。読んでも新聞。が、夕刊まで読む人
は少ないとか。また本といっても、ハウツー本がほとんど。

「北京、上海などの大都市の平均的家庭が1年間に支出する文化的消費は、(テレビ・ラ
ジオ・新聞)の購読のみである。少しましな家庭は、夕刊紙も購読している。読書する
人は、非常に少ないし、読むとしても、金儲けや説得術、ナントカ速成術など、ノウハ
ウものが圧倒的に多い」と。西安生まれの周勍(しゅうけい)氏という、中国人のコラ
ムニストがそう書いているから、まちがいない。

 こうして得た情報を、周勍氏は、「ゴミ情報」と断罪する。中国そのものが、ゴミ情報に
埋もれてしまっている!

 私はこの「ゴミ」という言葉に、新鮮な驚きを覚えた。ナルホド! この言葉を応用す
ると、「ゴミ知識」「ゴミ伝統」「ゴミ文化」というふうにも使える。これらゴミ情報に埋も
れて生きている人は、ゴミ人間(失礼!)?

 その中国だが、7歳半ですでに月経があり、乳房がピンポン玉大になるような、性的早
熟児がふえているという。原因は、言わずと知れた、成長促進剤。従来なら2〜3年かけ
て大きくなるスッポンが、成長促進剤を使うと、わずか数か月で、同じ大きさになるとい
う。

 中国の農民たちは、「養魚池の底に、抗生物質や避妊薬を敷き詰めると同時に、魚のエサ
に大量のホルモンを混ぜる。それは伝染病を予防すると同時に、魚の成長を早める効果が
ある」と。

 スッポンやうなぎだけではない。中国の養鰻業者たちは、こう言っているそうだ。「自分
で育てた魚は、食べない」(同氏)と。

 その記事を読んでいたとき、背筋がゾーッとするのを覚えた。詳しくは、週刊「エコノ
ミスト」(11・9・中国人ジャーナリストの警告)に書いてあるから、興味のある人は、
そちらを読んでみたらよい。

 で、なぜこういうデタラメが中国では平気でなされているかということ。そのコラムニ
ストが言うには、「金銭と権力が癒着し、暴利が権力者の懐にころがりこんでいるため」(要
約)ということらしい。中国ではへたに正義感を燃やすと、かえって社会そのものから、
排斥されてしまう。つまり国中が、デタラメということ。(あるいは国そのものが、デタラ
メ?)

 ときどき日本に漏れ伝わってくる情報は、氷山の一角の、そのまた一角ということにな
る。

 しかし……。日本とて、偉そうなことは、言えない。雪印、ミートホープにつづいて、
赤福餅などなど。ここ1週間だけでも、香川県丸亀市の学校給食材料の産地偽装事のほか、
鹿児島産たくあんが、実は中国産であったり(鹿児島漬け物)、国内産と売っていた三輪そ
うめんも、これまた中国製であったという事件が発覚している(ライスGT社)。さらに愛
知県の地鶏の、名古屋コーチンにも、疑いがかけられている。

また宮崎県の業者が、台湾から輸入したうなぎを、国内産と偽っていたケース。「コシヒ
カリ100%」「山田錦100%」と歌ってる米を、DNA鑑定を使って調べてみたら、
どうもそうでないという結果が出た(通産省)、というようなケースも報道されている。

 食物だけにはかぎらない。Tゴム工業は、断熱パネルの材料に水酸化アルミニウムを混
ぜて燃えにくくした上で不燃性試験を受けて、国土交通大臣認定を不正に得ていたという。
さらに建材大手Nアスが、」耐火性能を偽った住宅建材を販売していたという(日経07・
11・5)。

 あえて言うなら、これもまた、氷山の一角。日本中が、偽装だらけ。本質的には、中国
人も、日本人も、それほど、変わらない。つまりは、ゴミ情報だけで生きる、ゴミ人間?
(失礼! ただし「ゴミ」といっても、価値のない人とか、そういう意味ではない。ゴミ
情報で頭の中が、いっぱいという意味で、「ゴミ人間」という。誤解のないように!)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●ある自己愛者

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この世界には、「常識」という
ものがある。

その「常識」があれば、当然、
「常識ハズレ」というのも、ある。

しかしそれだけではない。

「常識ハズレ」の、そのまた
「常識ハズレ」というのもある。
「常識ハズレの番外」という
べきか。

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●常識ハズレ・番外編

 私の知人が、市内で美容院を経営している。従業員は、2人。結構、繁盛している。そ
んなある日、……というか、その少し前、数軒おいた隣に、レストランができた。うわさ
によれば、キッチンの改修費だけでも、数百万円をかけたという。

 が、開店当初から、客は、ほとんどゼロ。理由はいろいろあるが、それはともかくも、
事件は、そのあと、起きた。

 そのレストランの経営者(女性、当時40歳くらい)が、突然、知人の美容院へやって
きた。そのとき客が、4、5人いたという。床には、切った髪の毛が散乱していた。

 そのレストランの経営者が、さめざめと泣きながら、こう言ったという。「お宅には、こ
うして客がたくさん来ている。その客を、うち(=レストラン)へ少し回してくれ」と。

 美容院を経営している知人が、「それはできません」と断ると、そのレストランの経営者
は、その場で土下座。髪の毛の散らかった頭を床にこすりつけて、「お願いします」と何度
も言ったという。

 これには美容院の知人が驚いた。従業員たちも驚いた。もちろん客たちも、驚いた。

 この世界には、「常識」というものがある。その常識があれば、当然、「常識ハズレ」と
いうのもある。が、そのレストランの経営者がしたことは、常識ハズレの、さらにその外
にある。つまり番外!

 が、問題は、それで終わったわけではない。ここからが本番。

 申し出を断られたレストランの経営者は、それ以後、その美容院に対して、猛烈ないや
がらせを繰りかえし始めたという。美容院を経営している知人は、こう言った。

 「証拠がないから、だれが犯人とは言えませんが、車にキズをつけられる。シャッター
にペンキをかけられる。犬の糞が、玄関先に並べられる。さらには、生ゴミが、美容院の
駐車場にばらまかれる。看板に、石をぶつけられる……というようなことがつづきました」
と。

 それからしばらくの間、その美容院の知人は、店のシャッターを半分閉じて、営業をつ
づけたという。「相手が相手ですから、何をされるかわからなくて、こわかったです」と。

●拒否されると、敵 

 自己中心性が極端にまで肥大化した状態を、自己愛という。自己中心性が強ければ強い
ほど、相手の心の動きがわからなくなる。

 そのレストランの女性の心の中に、視点を置いてものを考えてみよう。

 そのレストランの女性は、こう考えた。「近所で開店したのだから、少しくらい、客を回
してくれてもよいはず」→「頭をさげて、頼みに行った」→「土下座までして、頼んだ」
→「しかし断られた」→「そのためレストランの経営が、ますますきびしくなった」と。
そこでそのレストランの女性は、「自分のレストランに客が入らないのは、美容院の経営者
のせい」と考えるようになった。

 そのあといろいろないやがらせ事件がつづくが、もちろん犯人はわからない。しかし常
識を働かせて考えれば、犯人は、だれか、容易に察しがつく。

 常識ハズレの人は、常識ハズレの行為に出る。常識ハズレという点で、一貫性がある。
同じような例を、私も経験している。

 もう30年も前の話だが、当時の私は、それなりにモテた。そんなある日、あるところ
で、こんな事件が起きた。

 何かの仕事でその人を手伝っているとき、横にいた女性(当時、30歳くらい)が、私
の手の上に、自分の手をのせて、こう言った。「今度、ヒマなとき、英会話を教えてくださ
らない?」と。

 どこかなまめかしい声だった。が、私は、ゆっくりと手を放し、「忙しいから……」とい
うような言い方で、それを断った。

 その女性が、である。それから1年以上にわたって、私の悪口を言い始めた。「あの林は、
幼児教室を開いているというが、母親に、手を出した」「生徒がやめると、罰金を請求して
くる」「生徒がやめたら、その妹までやめさせられた」「今、女性問題で、妻とは離婚状態
にある」などなど。

 その前後には、毎晩深夜に、無言電話までかかってくるようになった。

 私は、レストランの女性の話を聞きながら、自分の経験を思い出していた。このタイプ
の女性は、自分の思い通りにならないと、一転、今度は、徹底的に、敵に回る。つまりこ
れも自己愛者特有の症状のひとつということになる。

●自己愛者は孤独

 考えてみれば、かわいそうな女性たちである。美容院で土下座をした女性もかわいそう
なら、私の悪口を言いふらした女性も、かわいそう。(自分)というものが、どこにもない。
そのつど、欲望の命令ずるまま、常識ハズレな行動を繰りかえす。

 もちろんものの考え方も、自分勝手。わがまま。そのため他人が、どんどんと離れてい
く。が、本人は、それでも「自分さえよければ」と考える。自分の自己中心性に気づくこ
とさえない。

 だから、孤独。だから、さみしい。

 だから……と、さらにこの先を書くのは、危険なことかもしれない。しかしこういうこ
とも言える。

 もしあなたが日々の生活の中で、孤独を感じ、さみしく思っているなら、まず疑ってみ
るべきは、自己愛者ではないかということ。自己愛者でなくても、自己中心的な人ほど、
そうである。が、問題がないわけではない。

 仮にあなたが自己中心性の強い人であるとする。その自己中心性に気がついたとする。
そしてその自己中心性を打破するために、何かの活動を始めたとする。が、もしこの段階
で、それ自体が、「自分のため……」「自分の孤独感を癒すため」と考えているようであれ
ば、結局は、元の木阿弥。自己中心性を打破することはできない。

 というのも、その人の自己中心性というのは、脳みその奧の奧まで、イレズミのシミの
ように、しみこんでいる。表面的に化粧した程度では、取れない。消えない。

 自分の脳みその奧の奧までしみこんだシミと戦うためには、それこそ10年単位、20
年単位の努力が必要である。多くのばあい、死ぬまで消えない。あるいは加齢とともに、
ますますひどくなる。

 といっても、この世界は、すべてその自己中心性を基盤として、成り立っている。子ど
もの受験競争から始まり、もろもろの経済活動、さらには政治活動などなど。この世界か
ら自己中心性を取り除いたら、社会そのものが崩壊する。

 そこで重要なことは、家庭だけでも、あるいは学校だけでも、(そうでない世界)にする
こと。「学校が最後の砦(とりで)です」と言った校長(K町K小学校)がいた。親子にし
ても、教師と父母、子どもの関係にまで、自己中心性が入ったら、人は、どこでどのよう
に、自分の孤独やさみしさを癒せばよいかということになる。

 親子は、無私、無欲。無私、無欲であるからこそ、親子という。「損をした」とか、「得
をした」とか、そういうふうに考えること自体、おかしい。「産んでやった」「育ててやっ
た」、さらには「大学まで出してやった」とか言うこと自体、おかしい。もしあなたがそう
いうふうに考えているとしたら、それはそれで構わないが、その代償として、あなたは孤
独や、さみしさと、日々に戦わねばならなくなる。

●レストラン

 話が脱線したが、自己愛者は、自分のことしか考えない。自分の姿しか見えない。だか
らその言動は、どうしても、常識ハズレになりやすい。冒頭にあげた、レストランの女性
が、その一例である。

 で、その女性のレストランだが、皮肉なことに、現在は、その美容院がそこに移転し、
美容院になっている。レストランを経営していた女性は、そののち、H市の郊外へ引っ越
し、今は、どこで何をしているかわからない。

 その美容院の知人は当時を思い出しながら、こう言った。

 「何もかも我流で、常識ハズレでしたね。大理石づくりの椅子を並べたのですが、おし
りが冷たくて、座ることもできませんでした。それに客として行くと、そばにずっと立っ
ていて、『味はどうだ?』『これはおいしいでしょう』と話しかけてくる。うるさくて、た
まりませんでした」と。

 そのレストランに客が入らなかったのは、その女性経営者自身に問題があったからとい
うことになる。自己愛者は、自分の立場でしか、ものを考えることができない。つまりそ
のレストランが失敗するのは、最初からわかりきっていたことということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己愛 自己愛者)

【付記】

 この原稿を書くきっかけとなったのは、こんな事件があったから。

 1時間ほど休み時間があったので、その間、私は近くの書店で、時間をつぶした。その
帰り道でのこと。突然、1人の男(50歳くらい)が、私に怒鳴りかけてきた。

 「貴様、貴様を不法占拠で、訴えてやる。警察を呼んでやる!」と。気が狂った犬のよ
うな叫び方だった。

 私はとっさの反応として、まわりを見た。が、そこには私しか、いなかった。私は、自
分で自分を指さし、「私のこと?」と。

 するとその男は、ますますいきり立って、「貴様だア!」と。

 ちょうど夕暮れ時で、その男は、私を、別のだれかと見まちがえたらしい。それはわか
るが、しかしそれにしても……???

 あとでこの話をワイフにすると、ワイフはこう言った。「世の中には、おかしな人が多い
わね。でも、そこまで常識からハズレている人は知らない」と。

 そこで私は美容院を経営している知人から聞いた話を思い出した。それをワイフに話し
た。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マンション建設反対

++++++++++++++++++++

私が住む団地の一角に、マンションが建設される
ことになった。もとはといえば病院のあったところ
である。

そのマンション建設に対して、近くの住民の人たちが、
「マンション建設反対運動」を起こした。
「運動」といっても、私は、直接は知らない。
そのあたりを通ると、「建設反対」の大きな看板が、
いくつか並んでいる。

今のところ自治体が動いているという話は聞いていない。
この団地には、すでに、ざっと数えても、4階建ての
マンションが、数棟、2階建てのアパートとなると、
30〜40棟はある。

++++++++++++++++++++

 大きなマンションが建つことによって、当然、その周辺の人たちは、影響を受ける。日
本のばあい、とくに北側に住む人たちが、大きな影響を受ける。日本の家屋は、南側を意
識して建てられることが多い。

 一方、土地をもち、その上にマンションを建てる人には、建てる側の論理がある。経済
という論理である。簡単に言えば、建設許可さえあれば、問題はないはずと考える。この
あたりは、第二種住宅地域。法に定められた基準さえクリアすれば、マンションの建設は、
割と簡単に許可される。たとえ国でもそれを差し止めることはできない。

 そこで住民の人たちに残された方法は、裁判闘争ということになるが、権利の侵害が明
白でないばあいには、それもむずかしい。

 が、だからといって、つまり建設許可がおりたからといって、問題はないはずと考える
のは、おかしい。当然、マンションを建設する人は、その周辺の人たちへの迷惑を考えな
がら、建設すべきである。それに力関係が、まるでちがう。住民は、財力という点でも、
弱者。弁護士に相談することすら、ままならない。

・・・ということで、つまりこの問題は、私の住む地域の人に関することなので、ここ
まで。心情的には、住民の人たちの側に立ちたい。しかしそれでは公正性に欠ける。こ
の種の問題は、では私ならどうするかという立場で考えるのがよい。あなたならどうす
るかという立場で考えるのがよい。もし私やあなたの家の前に、大きなマンションが建
設されることになったとしたら・・・、と。

ところで私は、原稿を書くとき、いくつかの原則を守っている。

 その第一。私の近辺の人たちのことについては、書かない。書くとしても、いくつかの
話を混ぜたり、あるいは架空の話として仕あげる。あるいは人から聞いた話として書く。
どこか遠くで起きた話として書く。私自身の話として書くこともある。近隣に住む人が読
んでも、ぜったいにその人の話だとわからないようにする。話の内容を変える。

 親や子どもの話については、とくに気をつかう。親や子どもの話では、現在、私が関係
している人の話は、どういう形であるにせよ、書かない。(その子どもをほめたり、私の失
敗談として書くことはあるが・・・。)

だからといって、ウソを書いているというわけではない。こうした改変は、この世界で
は常識。またそれをしないと、私の文章が、思わぬところで、その人をキズつけてしま
うこともありえる。この世界には、「炎上」という言葉がある。自分の書いた文章が原因
で、とんでもないトラブルに巻き込まれることをいう。そのためHPを廃止した人もい
る。マガジンを廃刊に追い込まれた人もいる。さらに名誉毀損で訴えられた人もいる。

 だからあくまでも一般論として、ここでは私の意見を書いてみたい。

「マンション建設問題」は、要するに、私的利益と公的利益の(かねあいの問題)とい
うことになる。私的利益を保護し過ぎれば、公的利益がそこなわれる。一方、公的利益
を保護し過ぎれば、私的利益がそこなわれる。

 今回のマンション建設反対運動にしても、その北側に住む人は、(間に、8メートル道路
をはさんでいるが)、大きな影響を受ける。日照時間も減る。が、何よりも、プライバシー
が侵される。マンションからは、庭のすみずみまで見わたせる。マンションの建設に反対
する人の理由も、そのあたりにあるのだろう。

しかしこういうふうに問題がこじれる前に、何とか、ならなかったものか? 話し合い
を重ね、たがいに納得してから建設工事にかかるとか、そういうことはできなかったも
のか? 反対運動をする人にしても、反対運動をすること自体、不愉快。ふつうの人な
ら、それだけで神経が参ってしまう。が、私には事情がまったくわからないので、やは
りこの話は、ここまで。

 ただ一言。マンションを建設する人は、それで迷惑をこうむる人の気持ちをもっと、大
切にしてほしい。「法を守っているから」という理由だけで、好き勝手なことをしてもらっ
ては困る。先にも書いたように、「財力」という点では、まるでちがう。一方、建設する側
には、それだけの財力がある。弁護士も、最初からついているだろう。つまり最初から、「力」
という点では、住民の人たちには、勝ち目はない。

言うまでもなく、「法」というのは、その人が守るべき、最低の規範をいう。繰り返すが、
「許可がおりたから」という理由だけで、財力にものを言わせて、好き勝手なことをし
てもらっては、困る。


●パソコン

 少し前、「これからの人は、パソコンを通信販売で買うようになるだろう」「販売店では、
パソコンは買わなくなるだろう」と書いた。それに対して、BLOGのほうに、いくつか
の反論が届いている。

 いわく、「今の今でも、パソコンがかたまってしまい、真っ青になっている人がいる。そ
ういうとき、一番の助けになるのは、パソコンショップだ。これからもパソコンショップ
は、パソコン病院として、りっぱに機能していくだろう」と。

 さらに「家庭内LANの設定など、身近にプロがいないとできない作業もある。通信販
売で買ったパソコンでは、そこまでケアしてくれない」と。

 私が書いたことは、浅薄だった。私は私の知っている範囲で、また私の仕事の範囲で、
ものを書いた。これがまちがいのもとだった。率直に、反省している。

 たしかにそのとおりで、パソコンがフリーズしてしまったようなばあい、それを自分で
直せる人は、まだまだ少ない。真っ青どころか、心臓が止まる思いをした人も、多いはず。

 そういうとき私は、すかさずメーカーに電話を入れる。が、その電話がなかなかつなが
らない。メーカーによっては、30〜50分、待たされることも珍しくない。しかも中に
は、有料のところもある。「20秒ごとに、8・5円かかります」(M社)とか、なんとか。

 やはり助けになるのは、パソコンショップということになる。

 また家庭内LANの設定などは、そのつど、プロの人と相談しながらしたほうがよい。
ケーブルにしても、2種類ある。まちがえると、インターネットの接続すら、できなくな
る。

・・・ということで、ものを書くときのむずかしさを、改めて、思い知らされた。いく
ら想像力を働かせても、そこには、限界というものがある。私は、こうだと思って書い
ても、それは(私の知っている範囲)でのことでしかない。つまりまちがいだらけ。

 これからは、気をつけます! ごめんなさい!


●中学の同窓会

 この正月に、中学時代の同窓会がある。「中学の同窓会」と書くべきか。どちらにせよ、
今のところ、出席するつもりでいる。ハガキの下に、14、5人の旧友の名前が連ねてあ
った。知るも知らぬもない。みな、幼稚園、小学校時代からの仲間である。

 いろいろ考える。いろいろ思い出す。私にとっては、20年ぶりの同窓会である。正確
には、25年ぶり?

 同窓会といっても、郷里を離れて42年。その間、毎年年賀状を交換する程度の友人は
いるが、とくに親しくしている友人はいない。「話すことは、あまりないだろうな」と思い
つつ、一応、「出席」に丸をつけた。(まだ投函していないが・・・。)

 みなの様子を見たい。元気だろうか? どんなふうに変わっただろうか? 楽しみとい
うより、どこかこわい感じがする。相手も、私を、そんな目で見るにちがいない。


●山荘

 今度、山荘の化粧直しをすることにした。外壁の塗装をすることにした。建築当時、「1
0年はもちます」ということだったが、今年で12年目。地元でも、最優良という折り紙
つきの建築会社に頼んだので、家そのものは、しっかりとしている。

 塗装屋さんと相談しながら、ふとこんなことを考える。「近く売りに出すことになるだろ
うな」と。

 土地の造成に、6年。建築してから、丸12年。あしかけ、19年ということになる。
早いものだ。気がついたら、私も60代。そのうちワイフも車を運転できなくなるだろう。
そうなれば、山荘へ来ることも、できなくなる。

私「ぼくたちが元気なうちに、売ろうか?」
ワ「そうね」と。

 もし山荘を買ってもよいと思っている人がいたら、連絡してほしい。今すぐ・・・とい
うわけではないが、手放す時期は、近い。

 東名西インターからは、車で20〜25分。今度できる第二東名からは、車で、5分前
後のところにある。

 土地は、南向きのひな壇。うしろに家の高さの小山を背負っているから、北風は、ほと
んど当たらない。


●考える子どもvs考えない子ども

 簡単なパズルを出す。小2レベルであれば、「足しても、掛けても、同じ数になるのは、
何と何?」でもよい。

 そのとき、子どもが示す反応を、よく観察してみてほしい。即座に考えるしぐさを見せ、
ぐいと食いついてくる子どもがいる。そういう子どもは、それだけ(思考するクセ)が身
についている子どもということになる。が、そうでない子どもも、多い。「どうでもいいや」
とか、「関係ない」といった様子を示す。おおざっぱにみると、(思考するクセ)のある子
どもが、60%。そうでない子どもは、40%とみる。

 もちろん程度の差もある。同じ(思考するクセ)のある子どもでも、鋭い集中力を示す
子どもは、全体の、20%とみる。

 このタイプの子どもは、学習面でも、秀(ひい)でた能力を示す。そういう意味では、
頭のよしあしは、思考力、さらに言えば、(思考するクセ)で決まる。もちろん生来的な能
力、遺伝的な能力も大きく影響するが、反対に、せっかくすぐれた能力をもちながらも、(思
考するクセ)がないため、能力を生かせないままで終わってしまう子どもも、少なくない。

 思考することによって、脳細胞からシナプスが、伸びる。シナプスどうしがからみあい、
さらに複雑な思考をすることができる。これが良循環となって、その子どもの頭は、ます
ますよくなる。

 あとは時間。時間をかけて、思考するクセのある子どもは、学習面でも、飛躍的に伸び
る。社会人となってからも、伸びる。そうでない子どもは、残念ながら、そうでない。

 では、どうするか?

 つまりその方向づけをするのが、幼児教育ということになる。


●歩く

 昨日につづけて、今日も、8キロの道のりを歩いた。大またで、力を入れて歩いた。明
日は、F市の会館で、講演をすることになっている。地区の先生たち、1000人近くが
集まってくれる。体調を整える。体力を養う。

 今週は、前半、だらけた。後半、毎日2単位の運動をこなした。今夜も、1時間ほど、
自転車で近くを走るつもり。(雨が心配だが・・・。)

 「講演で、あがりませんか?」と聞く人がいる。しかし実際には、睡魔との戦い。私の
昼寝タイムと重なることが多い。話している途中に、ときどき、眠くなる。だから講演の
前は、食事抜き。

 で、終わったあとも、しばらくは、食欲はほとんど、ない。緊張していないようで、緊
張している。その緊張感が、食欲を減退させる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(11月9日)

+++++++++++++++

11月とはいえ、暖かい朝だ。
で、こういう朝を迎えるたびに、
「これでいいのかなあ?」と
思ってしまう。

地球温暖化は、もう、だれの目に
も疑いようがない。

たった30年前のことだが、11月
といえば、この浜松でも、ときに
身を切るような冷気にさらされたもの。

自転車に乗ったとき、手袋を忘れて、
自転車をこぐことができなかった
ことすらある。

過ごしやすいことはよいことだが、
しかしやはり、こう思ってしまう。

「これでいいのかなあ?」と。

+++++++++++++++

●友人の来訪

 来年早々、メルボルンに住むK君が、娘を連れて、日本へやってくる。つづいて、アデ
レードに住む、B君も、やってくる。突然、私の家が、ポッと花が咲いたような雰囲気に
なった。K君が日本へ来るのは、20年ぶり?

 その話をすると、ワイフはこう言った。「みんな、そういう年齢になったのね」と。

 「いろいろめんどうをかけるけど、ごめんね」と言うと、「いいのよ」と。ワイフも、ど
こか楽しみにしているよう。それを感じて、私はうれしかった。

 みんな、2〜3週間の予定で滞在してくれる。向こうの友人たちはみな陽気。ワイワイ
と騒いでいるだけで、気が晴れる!


●株価の大暴落

 ここ数日、株価が暴落につづく、暴落。去年(06年)の8月にも暴落して、1万50
00円台になったことがある。で、昨日(11月8日)の終値は、1万5771円! そこ
で今朝のニューヨーク市場の動きを見ると、またまた暴落。終わりにかけて、ややもちな
おしたというが、それでも前日に比べて、33ドル安。

 たぶん、今日の東京市場も、下落?、……と思って、開場前の値動きをさぐってみた。
いつも午前8時ごろから、株価の動きが表示される。……が、ナ、何と、私のもっている
株(M電工)が、昨日の値段より、70〜80円高でもみあっているではないか! (「高」
だぞ!)

 「こういうこともあるのかなア……?」と思いつつ、前場が開くのを、待つしかない。
この世界では、あまり欲張らないこと。ほどほどのところで、小遣い稼ぎができたら、さ
っさと売る。私はいつも、そうしている。

 心配なのは、円高。今朝は、1ドル=112円! 円高になればなるほど、手持ちの債
券価格(=国際証券の価値)が、さがる。つまり、「損」。こちらのほうは、もう少し長い
スパンでものを考えるしかない。

 
●中学の同窓会

 同窓会の案内をもらったときには、出席するつもりでいた。しかし今回は、やめ。理由
は、オーストラリアの友人たちが来ること。

 「同窓会はやめるよ」とワイフに告げると、「しかたないわね」と。つぎに会えるのは、
10年後? あるいは私のほうが先に、あの世行き?

 ところで、もう一度、株価の動きを見てみると、今度は、ナ、何と、20円安。(「安」
だぞ!)。もみあっているうちに、さがってしまった!

 「こういうこともあるのかなア……?」と、今度は、ため息。今日の株価は、波乱ぶく
み。1ドル=112円まで円高になると、輸出関連株は、軒並み、暴落する。私の予想で
は、前場だけでも、400〜600円の大暴落になるのでは? その程度ですめば、まだ
よいほうかも?

 そうそう朝食のとき、ワイフがこう言った。

 「韓国は、だいじょうぶ?」と。

 韓国も必死。韓国政府は、1ドル=900ウォンを死守ラインとして、猛烈なドル買い、
ウォン売りをつづけている(報道)。しかしそれも時間の問題。昨日、日本の株価は、32
0円程度(2%)の暴落で住んだが、韓国の株価は、60ポイント以上(3・2%)も値
をさげている。

 「まるでエレベーターみたい」と私が言うと、「ほんとうにそうね」とワイフ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(11月11日版)

++++++++++++++

日韓経済戦争どころか、日本と
韓国の外で、猛烈な台風が吹き
始めた。

アメリカのドル暴落という、台風
である。

現在、1ドル=110円!

たとえて言うなら、日韓経済戦争は、
暴風雨の中での(サッカーの試合)の
ようなもの。

が、暴風雨だからといって、試合を
中断するわけにはいかない。

最初に、ギブアップしたほうが、
負け!

++++++++++++++

●外貨準備高

 韓国は、相変わらず、何とかのひとつ覚えのように、「外貨準備高がふえた」とはしゃい
でいる。

 しかし外貨というのは多ければ多いほどよいというわけでもない。外貨というのは、い
わば、タンス預金のようなもの。海外で運用してはじめて、意味をもつ。東亜N報(11
月10日は、つぎのように伝える。

「10年前、外国為替市場への介入などで底をつく寸前までいった韓国の外貨準備高は、
今、世界5位の規模に拡大した。急落した株価も内外の好材料を追い風に、KOSPI
指数で、2000前後で推移している」

「通貨危機の引き金なった外貨準備高は1997年12月に39億ドルまで減少したが、
その後徐々に増加し、先月末現在で2596億ドルに達している。中国、日本、ロシア、
台湾に次ぐ世界5位の規模だ」と。

 外貨準備高がふえたことで、あたかも韓国が力をもったと言わんばかりの論調である。
しかし先にも書いたように、外貨などというものは、海外で運用してはじめて、意味をも
つ。それがふえたからといって、国力がましたと考えるのは、あまりにも早計。無知。

 外貨というのは、為替変動の調整金として、各国が蓄えるもの。たとえば海外への支払
いのため、急にドルが必要になったようなとき、その外貨を使う。つまりある一定の適正
水準以上に外貨をもっていても、意味はない。ないばかりか、管理に、莫大なコストがか
かる。さらに現在のようにドル安になればなるほど、価値は目減りする。

 それになぜ、韓国の外貨準備高がふえたかといえば、つまりそれだけ、ウォンを売って、
ドルを買い支えたからにほかならない。輸出入で稼いだお金というよりは、ウォン高を防
ぐために、ドルを買いつづけた。韓国政府は、1ドル=900ウォンを死守ラインと設定
している。

 1ドル=900ウォンを割るようなことになると、つまり800ウォン台に入るような
ことになると、韓国の輸出産業は、それこそ壊滅的な打撃を受ける。

 で、韓国は、そのお金を、つまりドルを買い支えるお金を、外国からの借金でまかなっ
ている。同じく東亜N報は、つぎのように伝える。

 「韓国銀行によると今年6月末現在、満期1年未満の短期外債の規模は、1378億9
000万ドルと、韓国の外債全体の44.3%に達する。この比率は、通貨危機当時(9
7年末)の36.6%よりも7.7ポイント高い」と。 

 わかるかな? 「短期外債」というのは、簡単に言えば、「外国からの借金」のこと。
つまりその借金が、1379億ドル。日本円に換算すると、およそ15兆1000億円!
 つまりそれだけのお金を外国から借りて、資本収支に「黒字?」として組み込んだ上、
ドルを買い支えている。

 韓国経済の(恐ろしさ)は、すべて、この1点に集約される。ふつうの国なら、外国か
らの借金は、資本収支に黒字(=外国からの投資)としては組み込まない。「投資」と「借
金」は、まったく異質のものである。

 しかも肝心の経常収支(貿易収支+資本収支)はどうかというと、このところ、どんど
んと悪化している。数字を並べてみよう。

05年に12億4840万ドルの黒字
06年に5億770万ドルの黒字
07年は9月現在で、3億2430万ドル(東亜N報) 

 04年には23億4780万ドルの黒字だったから、たいへんな減りようということに
なる。今年(07年)後半には、原油高も加わり、赤字に転落するだろうと予想されてい
る。つまりこれだけ、ごまかしにごまかしを重ねても、この数字。

 ところでこんな笑い話。

 韓国の失業率が、3%にさがったという。(3%だぞ!)

 インチキもインチキ。大卒の就職率が、25%前後という韓国にあって、どうして3%
なのか!? あまりこういう言葉は使いたくないが、「バカも休み休み、言え」。日本で
は大卒の就職率は、ほぼ100%。その日本ですら、失業率は、5〜6%前後。

 韓国政府が発表する経済指標は、ことごとく疑ってかかってみたほうがよい。

 さて1ドル=110円! 円を一度ドルに交換して借金している韓国にとっては、これ
はたいへん深刻な問題と考えてよい。

 わかりやすく説明しよう。

 1ドル=120円で、あなたが120万円、借りたとしよう。あなたは日本から、ドル
に交換して、1万ドル借りたことになる。(これが円キャリートレード。)が、ここで1
ドル=110円になったとする。あなたは120万円の借金を返すために、約1万100
0ドルを用意しなければならない。(これが円キャリートレードの解消。)

 つまり借金が、1000ドル、ふえることになる。

 もちろん日本とて、無傷ですむわけはない。何せ、暴風雨の中での、サッカーの試合で
ある。つまりこの試合は、最初に、ギブアップした方が、負け。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本!

 ついでに一言。

 韓国という国は、前にも書いたが、国をあげて受験競争をしているような国である。毎
日のように、「世界〜位」「世界〜位」という数字が、新聞の紙面を飾る。「外貨準備高
は、今、世界5位の規模に拡大した」というのも、そのひとつ。

 こういうウソの数字に踊らされている韓国の人たちは、あわれとしか言いようがない。
ホント!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 12日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの3大情動

++++++++++++++

恐れ、怒り、愛情の3つを、
人間の「3大情動」(ワトソン)
という。

これら3つの3大情動は、生後
人間が、生まれながらにして
もっている(感情)と考えられ
ている。

(そうでないと主張する学者
もいるが……。)

この3大情動の反対側にあるのが、
安らぎ、喜び、憎しみということに
なる。

たとえば乳児は、慈愛に満ちた
母親の腕の中では、安らいだ
表情をしてみせる。あやしたり
抱っこしてやると、喜ぶ。一方、
育児拒否、冷淡、無視が日常化
すると、心がゆがむ。憎しみも
そのひとつ。

+++++++++++++++

 人間は、ほかの動物たちと、多くの共通点をもつ。この共通している部分が、人間が生
まれながらにもつ部分と考えてよいのではないか。たとえばワトソンという学者は、人間
の3大情動として、(1)恐れ、(2)怒り、(3)愛情の3つをあげた。

 これらの情動について、人間が生まれながらにもっているものなのか、それとも生まれ
たあと、経験的に身につけるものなのかについては、さまざまな議論がなされている。(私
自身は、そういう議論のワクの外で生きている立場なので、直接は知らない。)

 しかしむずかしい議論などしなくても、犬を見ればわかる。ネコや小鳥を見ればわかる。
人間を含めて、すべての高等動物は、これら3つの情動を、共通してもっている。共通し
てもっているということは、「生まれながら」、つまり生来的と考えてよい。

 これら3つの情動の反対側にあるのが、(1)安らぎ、(2)喜び、(3)憎しみというこ
とになる。

 ところで話はぐんと東洋的になるが、漢方医学では、人間の感情を、5つ、もしくは7
つに分けて考える。

 (怒)(喜)(思)(悲)(恐)の5つである。これを「五情」という。そしてそれぞれの
情動は、「相生(そうじょう)」「相克(そうこく)」の関係で、関連し合っていると、漢方
では考える(素問・陰陽応象大論)。「相生」というのは、(怒)(喜)(思)(悲)(恐)の情
動が、順に、「喜は怒から生まれる……」「思は喜から生まれる……」というように、その
生成順位を言ったもの。

 「相克」というのは、たとえば「怒と思」「喜と悲」は、それぞれ対立関係にあることを
いったもの。たとえば「悲しみにふけっている人には、喜びを与えて、(病気の)治療をす
る」などと応用する。

 この東洋医学の考え方を応用してみると、ワトソンの3大情動は、(恐)と対立関係にあ
るのは、(喜)、(怒)と対立関係にあるのは、(思)ということになる。(詳しくは、「はや
し浩司のHP」→「目で見る漢方診断」(P147))

 話を戻す。要するに、こうした情動は、子どもが生まれながらにもっていて、それが経
験的に、それが外に引き出されるようになると考えるとわかりやすい。たとえばよく知ら
れた例に、「微笑み(ほほえみ)」がある。

 乳児は、生後1、2か月ごろから心を許した母親や父親に抱かれたりすると、微笑みを
見せるようになる。(「天使の微笑」というときは、眠っているようなとき、微笑むことを
いう。)こうした微笑みは、親の愛に包まれたという経験がもとで、外に引き出されると考
えられる。

 怒りについても、同じように考えられる。(ただ乳児のばあい、怒りといっても、顔を赤
くしたり、のどをうならせたりして表現する。)「愛情」、つまり「愛着表現」「愛着行動」
については、すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。

 こうした現象をもう少し客観的にみると、人間がもつ豊かな情動というのは、そのつど
引き出され、育てられていくものだということがわかる。その反対の例としてよく取りあ
げられるのが、野生児である。

 生後、何らかの理由で、野生の世界で育てられた子どもを、野生児という。この野生児
に共通して見られる症状が、いわゆる感情の鈍麻である。喜怒哀楽の情動のうち、怒をの
ぞいた感情の発達が、阻害される。1920年に前後して発見された、インドのオオカミ
少女(姉妹)、フランスのアベロンのビクトール少年などの例を、あげるまでもない。

 さらに言いかえると、人間がもつ豊かな感情表現は、それ自体が、人間が人間であると
いう証(あかし)ということになる。もっと言えば、人間がもつ、心の財産と考えてよい。
中には、「何だ、ただの感情のことか」と思う人も多いかと思うが、今、その感情のない子
ども、あるいは感情表現の乏しい子どもがふえている。これらの子どもは、年中児の段階
で、約20%前後はいるとみてよい。

 子どもの情動を考えるひとつのヒントになれば、うれしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 情動 情動行為 感情 子供の感情表現)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●リタリン

+++++++++++++++

向精神薬の子どもへの投与は、
慎重であるべき。

私は今まで、何度も、そう
書いてきた。

一時的には効果があっても、
その反作用がひどい。

それに脳にはフィードバック
機能というのがある。

向精神薬を用いると、その効果
を打ち消そうとする機能が
働く。

そのため向精神薬の投与を
やめたとたん、症状が一気に
悪化する。

私はそういう事例を、子どもの
世界で、何十例も、見てきている。

で、あのリタリン。

AD・HD児にリタリンが投与され
ているという話は、今では、どこの
学校でも、半ば、常識化している。

しかし同時に、アメリカでは、
リタリンの副作用も問題になっていた。

私はその資料を、すでに5年前から
手に入れ、マガジンなどで報告
してきた。

が、今になって、つまり(常識化した
今)になって、「危険である」と。

こんなバカげた話があるだろうか。
こんなバカげたことが、子どもの世界で
許されてよいものだろうか。

その前に、向精神薬の投与には慎重で
あるべきという、あの常識は、今、
どこへ消えてしまったのか?

おとなとちがい、子どもには、その
成長過程において、自立的に脳を
正常化するという機能が働く。

AD・HDにしても、その時期が
くれば、見た目の症状は、そのまま
消失していく。

幼児期や小学校の低学年児のときに
そうであるからといって、無理を
することはない。無理をしても
いけない。はげしい指導で、
症状をこじらせてもいけない。

リタリンを教訓に、私たち、親や
教育者は、もっと賢くなったらよい。

+++++++++++++++

(リタリンについては、

http://hiroshihayashid.ninja-web.net/

に収録しておきました。参考にしてください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●60歳+3日

60歳になった。
60歳になっても、
私は生きている。
バンザーイ!

体も動く。
目も見える。
耳も聞こえる。
話もできる。
考えることもできる。
バンザーイ!

仕事もある。
やるべきこともある。
したいこともある。
したいことができる。
私には、夢がある。
バンザーイ!

妻がいる。
家族がいる。
家庭がある。
みな、健康だ。
私も健康だ。
バンザーイ!

体が動く喜び。
仕事ができる喜び。
書きたいことが書ける喜び。
新しい発見ができる喜び。
感謝、感謝、また感謝。
バンザーイ!

満60歳になった。
満60歳になっても、
私は、今、こうして、
今までどおり、生きている。
ものを書いている。
バンザーイ!

+++++++++++++

●生きる

 今日も、自転車に乗って仕事場に向かうとき、1人の男を見た。70歳くらいの男だっ
た。自転車を苦しそうに、押して歩いていた。歩き方が小刻みで、おぼつかなかった。脳
梗塞を起こした人らしかった。

 「大丈夫ですか?」と声をかけたが、返事はなかった。私のほうを見ることもなかった。

 私もやがてすぐ、ああなる。可能性の問題ではない。確実性の問題である。そうでなけ
れば、別の病気で、同じように、そうなる。運がよければ、20年後かもしれない。しか
し運が悪ければ、明日かもしれない。

 が、ともかくも、今は、健康だ。これといった病気もない。大切なことは、今日一日を、
思う存分、生きること。生きて生きて、生きまくること。明日は、今日の結果として、や
ってくる。来年は、今年の結果として、やってくる。

 私の未来がどうであれ、私はその日まで生きる。生きて、生きて、生き抜いてやる。

●運命論

 脳梗塞といっても、今は、処置さえ早ければ、そのあとの症状も軽くすむそうだ。画期
的な新薬も開発された。脳梗塞を起こしてから3時間以内に、その薬を投与すれば、脳の
血管に詰まった血栓を溶かすことができる。

 が、すべての医療機関で、その処置ができるわけではない。副作用も強いことから、処
置の前には、慎重な検査が求められる。が、ある男性(60歳くらい)は、運が悪く、そ
の処置が受けられなかった。そのためその処置を受けたのは、ギリギリの3時間後。遅か
った。そのため脳梗塞の症状が、残ってしまった。左半身が、不随になってしまった。

 レポーターのインタビューに答えてあれこれ話していたが、最後のところで、こう言っ
た。「こんな思いは、私だけで、たくさんです」と。ハラハラと涙をこぼした(NHK・0
7年10月)。

 「こんな思い」というのは、処置を早く受けられなかったことへの無念さを表現したも
のだった。

 こういう報道番組を見ると、胸が詰まる。が、その一方で、その男性の話を聞きながら、
こうも思った。(運命)というものが、避けられないものであるとするなら、そのつど、運
命を受け入れて生きていくことも大切なことではないか、と。

 何度も繰りかえすが、私たちには無数の(糸)がからんでいる。社会の糸、家族の糸、
健康の糸などなど。その(糸)の中で、私たちの運命は決まっていく。つまりその男性が、
半身不随になったのは、適切な処置を、早く受けられなかったことではなく、それ以前か
ら、そうなる(糸)が無数にからんでいたためではなかったからではないか、と。

 たいへん辛辣(しんらつ)な言い方であることは、自分でもよくわかっている。あるい
は脳梗塞という病気は、それほどまでに重いのかもしれない。その男性は、タクシーの運
転手をしていたという。その病気で職も、失った。

 しかし見方を変えれば、現に今、その男性は生きている。完ぺきな処置ではなかったか
もしれないが、20年、30年前なら、命まで落としていたかもしれない。「生きている」
という原点に身を置けば、ハラハラと涙をこぼすことはなかった?

 運命というのは不思議なもので、それに逆らえば、キバを向いて、私たちに襲いかかっ
てくる。しかしそれを受け入れてしまえば、何でもない。運命のほうから、シッポを巻い
て、逃げていく。「これはいやだ」「あれはいやだ」ともがいているときというのは、一日
とて、心の安まる日はない。

 しかし受け入れてしまえば、その日から、その人は前向きに生きていくことができる。
……と書いても、その男性もそうであるべきなどという、失礼なことを言っているのでは
ない。先にも書いたように、脳梗塞というのは、それ以上に重篤(じゅうとく)な病気で
ある。運命として受け入れるのは、あまりにも過酷すぎる。

 それに私とて、今は健康だから、こうして偉そうなことを書ける。しかし私もそうなっ
たら……。本当のところ、自信はない。その男性以上に、無念の涙をハラハラとこぼすか
もしれない。しかし、これだけは言える。

 たとえば私のワイフが、脳梗塞になっても、私は最後の最後まで、ワイフの世話をする。
便の始末だって、する。私はけっして、ワイフをひとりぼっちにはしない。その自信はあ
る。覚悟もできている。私はそのときはそのときで、運命を前向きに受け入れていく。そ
の自信は、ある。

 まあ、ここはあまり深刻に考えないで、今日もがんばって生きていこう!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(11月1日)

++++++++++++++

無事、10月が終わった。
ほっとした。

満60歳が近づくにつれて、
ぐいぐいと、自分が、瓶(びん)
の中にでも、押し込められていく
かのような圧迫感を覚えた。

不快な重圧感だった。

が、それを通り抜けたとたん、
気が晴れた。気が楽になった。

何も変わらなかった。私は私。
いつもの私だった。

だれだ、「還暦」などという、
バカげた言葉を考えたヤツは!

還暦というのは、数え年で、
61歳のことをいう。

十干と十二支の組み合わせで、
数え年で、61歳のときに、
それを祝うことをいう。

12x5=60、となる。

いや、「還暦」というよりも、
還暦に、定年退職という言葉を
結びつけたヤツが悪い。

定年退職というと、「用なし」
「お払い箱」というニュアンスが
ともなう。

それが悪い。

しかしその重圧感というのは、
悪いばかりではない。

それは収縮と爆発を繰りかえす、
宇宙論と似ている?

60歳を過ぎたとたん、私は
爆発した。中身まで、変わった。

私は私の中で、巣くっていた
邪悪な自分と、決別することが
できた。

ワイフに、「ぼくは生まれ変わった
みたい」と話したが、それを今、
たしかなものとして、実感できる。

ともかくも、年齢という(数字)に、
自分をあてはめて考えること自体、
バカげている。

……とはいっても、世間的な常識と
戦うのは、容易なことではない。

いくら「自分は、そうは考えない」と
思っても、周囲の者たちが、それを
許さない。

ジワジワと、私に迫ってくる。
小学生の子どもですら、「先生、
定年で退職するの?」と聞いてくる。

そこでどうだろう。もう定年退職など
という言葉は、廃語にしたら?

働けるかどうかは、その人自身が
決める。その周囲の人たちが決める。

年齢という数字ではない。あくまでも
本人しだい。本人を見て、決める。

「60歳だから……」という「ダカラ論」
だけで、その人を区別するのは、立派な
差別である。

さらに、多くの人は誤解しているかも
しれないが、仕事ができるというのは、
その人の特権である。権利である。

「年金で、悠々自適の老後生活」などと
言っている人は、自らその権利を放棄
していることになる。そんな老後生活に、
どれほどの意味があるというのか?

ともかくも、満60歳を無事、通過!

この先、もう気になる年齢は、ない。
あとは、その日が来るまで、生きる。
ハハハ。このすがすがしさ。それを、
あなたにわかってもらえるだろうか。

ハハハ!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●平凡という罪悪(60歳+4日)

++++++++++++++++

平凡は、それ自体、美徳だが、
その平凡からは、何も生まれない。

あのW・サマーセット・モームも、
『人間の絆』の中で、「幸福に
身を委ねることは、敗北の承認
である」というようなことを
書いている。

その渦中にいる人には、つらい
ことかもしれない。実際、モームは、
若いころ、波瀾万丈の人生の中で、
もがき、苦しむ。が、結局、彼が
得た結論は、こうだ。

「結婚し、子どもをもうけ、
死んでいく」というような、つまり
平凡な人生は、「立派な敗北」である
と。

わかりやすく言えば、人がなぜ
生きるかといえば、そのドラマに
こそ、価値があるということ。

子育ても、またしかり。

何も問題のない子どもをもち、
何ごともなく過ぎていくのも、
ひとつの人生かもしれない。が、
そういった子育てからは、何も
生まれない。何も学ばない。
つまり親自身も、成長しない。

だからといって、苦労するのが
よいというわけではない。だれだって
苦労は避けたい。その一方で、楽を
したい。

それはわかるが、大切なのは、「懸命さ」。
ひたむきな懸命さである。

その懸命さこそが、無数のドラマを産み、
そのドラマが、人生を、心豊かな、
潤いのあるものにする。

++++++++++++++++

 『人間の絆』は、W・サマーセット・モーム(1874〜1965)自身の自叙伝とも
言われている。正直な作家で、ある本(『彩られたベール』)では、実名で書いたため、名
誉毀損で訴えられたりしている。

 もちろん小説だから、細部については、それなりに改変してある。しかし『人間の絆』
の中の主人公、フィリップ・ケアリは、彼自身のことである。

 そのフィリップ・ケアリは、子どものころから、そして最終的にサリという女性に出会
うまで、ふつうでない苦労に苦労を重ねる。とくにフィリップを悩ましつづけるのが、ミ
ルドレッドという女性である。もともとはレストランのウェートレスをしていた女性であ
る。日本的に言えば、そのミルドレッドとの腐れ縁で、フィリップの生活はメチャメチャ
に破壊される。『人間の絆』は、フィリップとミルドレッドの物語と言っても過言ではない。
が、やがてその生活もミルドレッドの悲劇的な終末で、終止符が打たれる。

サリと知り合ったのは、そのあとのことである。が、モームは、冒頭に書いたような結
論に達する。「幸福に身を委ねるということは、それ自体が、立派な敗北である」と。

 それはその通りで、平凡な人の平凡な生活からは、小説になるようなおもしろいネタは
生まれない。その人自身は「私は幸福だ」と思うかもしれないが、その幸福感は、薄っぺ
らく、中身のないものである。それがわからなければ、時には新聞に載る投稿記事を読ん
でみたらよい。

 「庭に、秋の訪れを感ずるススキの穂が咲きました。風に揺れるススキの穂を見ている
と、今は亡き父といっしょに過ごした、楽しかった子どものころを思いだします」と。

 私自身は、ああした歯が浮いたような投稿記事を読むと、時にぞっとすることがある。
それはたとえて言うなら、どこかの役所で、仕事らしい仕事もしないで、のんべんだらり
と時間をつぶしている、公務員を見たときに感ずるような怒りに似ている。「お前ら、それ
でも生きていると言えるのか!」と。

 私は若いころ、モームの書いた『東洋航路』が好きだった。あの本を読んで、……とい
うより同時進行の形で、私は外国へ飛び出した。またそれがきっかけで、モームの本を、
何冊か読んだ。ほかに『月と六ペンス』がある。英文のほうは、大学でも読んだが、やた
らと難解で、翻訳本を横に置きながら講義を受けたのを覚えている。

 が、やはり何と言っても、W・サマーセット・モームと言えば、この『人間の絆』に行
き着く。

 今調べてみたら、1915年発表とあるから、モームが40歳前後の作品ということに
なる。モームは、この本の中に、それまでの自分をすべてぶつけた。

 もっともその後のモームは、超有名作家として、イギリスで富と名声を自分のものにし、
優雅な(たぶん?)、生活を送っている。皮肉なことに、『人間の絆』の中では、上流階級
の夫人たちを随所で嫌っているが、モーム自身は、やがてその上流階級の世界に埋没して
いく。『東洋航路』にしても、当時としては、特別な階級の人のみに許された旅行記であっ
た。

 ……とここまで書いて、さて、私の番。

 これからの10年。私は、どう生きるべきか……? たとえば今まで私は、「はやし浩司」
として生きてきたが、実は、「はやし浩司」だけではない。ペンネームでいろいろな世界で、
いろいろな本を書いてきた。「はやし浩司」に影響があるといけないからという理由で、そ
うしてきた。

 しかしそろそろそうした遠慮とも、おさらばしたい。敵もできるだろう。不愉快に思う
人もいるだろう。しかしこれからは、私は私で生きたい。平凡なんて、クソ食らえ!

 久しぶりにW・サマーセット・モームの『人間の絆』を紐(ひも)解いてみて、今朝は、
そんなことを強く感じた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ヘミングウェイ

+++++++++++++++++

W・サマーセット・モームについて書いたら、
もう1人、どうしても書かねばならない作家
がいる。

E・ヘミングウェイである。
映画を見たこともある。それで私は、
『誰(た)がために、鐘は鳴る』を、英文で
読破した。(英文で、だぞ!)

冒頭の詩は、何度も読んで、暗記
した。

「Anymen's death
deminishes me...
(誰の死なれど……)」という、あの詩である。

幸いなことに(?)、ヘミングウェイ
の書いた英語は、平易で、学生の私にも
ほとんど辞書なしで読めた。

(最初に自信をつけてくれたのが、
『老人と海』だった。それまでは、
英語の本を手にしただけで、おじけついて
しまって、読めなかったのを覚えている。
が、ヘミングウェイに出会ってからは、
一変した。それ以後は、英文の本を、
つぎつぎと読破できるようになった。

ほかに好きだったのは、バートランド・
ラッセルや、オー・ヘンリーの短編小説など。)

このヘミングウェイで特筆すべき点は、
61、2歳の若さで、猟銃自殺を図った
ということ。

記録を見ると、1899年7月21日
生まれ、1961年7月2日、アイダホ
州ケチャムの山荘で猟銃自殺とある。

正確に年齢を計算すると、満61歳で
この世を去ったことになる。今の私と
ほぼ同年齢である。

+++++++++++++++++

 ヘミングウェイに最初に出会ったのは、高校時代だったが、『誰がために鐘は鳴る』に出
会ったのは、映画のほうが先だったと思う。そのあと英語の原書を買ってきて、自分で読
んだ。

 で、当時の自分を振り返ってみて、こう思ったのを覚えている。「どうして鐘が鳴るの
か?」と。

 その答は、原書のほうにあった。「toll(=鐘がなる)」という単語は、「弔いの鐘が鳴
る」という意味である。「ring(=鐘が鳴る)」というときの「鳴る」とは、意味がち
がう。

 この詩を引用して書いたエッセーが、つぎのものである(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++++++

●脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘
病生活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使
えるか」と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここ
から出してほしい」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの
近代的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を
折らせたときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあ
った。皆でワイワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。

しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々
に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持
ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病
気を悪くしてしまったかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何に
なりたいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカ
ーもできるし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができな
くなる』と言いました」と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」
と言うのだ。その話を聞いて、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、
人の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は
一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じ
た。

この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが
多くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっ
と言う間に終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がため
に(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を
読んでいる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、
一磨君の両親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。

しかもあなたがこの文を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれ
ない。しかし心がつながったとき、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨
君も、皆さんの心の中で生きることができる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そ
して仕事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言い
ながら、その瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここ
で、私たちは生きていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。

++++++++++++++++++

 その一磨君が、私に1枚の絵を描いて残してくれた。その絵は、BW教室に、今の今も
飾ってある。一風変わった線画である。それに何日もかけて、色を塗ってくれた。一磨君
が亡くなる半年くらい前のことだった。その絵は、私の宝であり、同時に私自身の命でも
ある。

 で、当時暗記した英文を、そのままここに書く。(ひょっとしたら、部分的にまちがって
いるかもしれない……。)

 Anymen's death diminishes me,
 Because I'm involved in human−beings.
 Therefore never send to know
 For whom the bell tolls.
 It tolls for thee.

誰の死なれど、我が胸痛む。
我も人の子にありせば、それ故に
問うことなかれ。
「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや」と。
汝がために鳴るなり。

 この詩はヘミングウェイの書いたものではない。小説『誰がために鐘は鳴る』の冒頭を
飾っている詩である。つまりこの詩を書いた人は、どこかで弔いの鐘が鳴るのを聞いた。
それを聞いて、「あの鐘が鳴るのは、だれのためでもない。自分のためだ」と感じた。「な
ぜなら、いつか、自分も死ぬのだから……」と。

 ヘミングウェイは、この詩に感動した。だから自分の小説の冒頭を、この詩で飾った。
同時に、その詩は、ヘミングウェイ自身、さらにはその小説を読んだすべての人に、こう
伝えた。

 「生きることを大切にしろよ」と。

 しかし……。ヘミングウェイ自身は、猟銃自殺を図っている。すべての富と名声を手に
入れながらも、彼の心は満たされることはなかった? 私にはよくわからないが……、と
いうより、私のような者が自殺するというのであれば、まだ話もわかる。「はやし浩司が、
失意と失望、孤独の中で自殺した」と。

 若いころ、ヘミングウェイが自殺していたと聞いたとき、そして彼が61歳だったと聞
いたとき、「あのおじいさんが……」と思ったのをよく覚えている。ヘミングウェイは、風
貌からしてジジ臭かった。

 しかし今、自分がその年齢になってみて、その考え方は、大きく変わった。「ヘミングウ
ェイも若くして死んだのだなあ」と。

 ところで、私は自殺なんか、しないぞ。富も名声もない。だったら命くらいは大切にし
なくちゃあ。ハハハ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ヘミングウェイ サマーセット・モーム)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●60歳+5日

+++++++++++++++

昨夜は、雨だった。自転車に
乗れなかったので、速歩で、
歩いて家に帰った。

歩いているときから、足がつる
感じがした。おかげで夜中に
脚痛!

無理をしてはいけない。しかし
私は楽しかった。うれしかった。

「私は歩けるんだ」という喜びが、
足の痛さを忘れさせた。

そう、思わず、トトロの歌を
歌いながら、歩いた。

「♪歩こ、歩こ、私は元気……」と。

みなさん、おはようございます。

+++++++++++++++

 満60歳のその日が近づくにつれて、あたかも万力機で体を押しつぶされていくような、
圧迫感を覚えた。

 万力機……ものをはさんで、レバーをクルクル回すと、そのものに、ものすごい力が働
く機械をいう。「まんりきき」という。昔は、どこの自転車屋にも、それが置いてあった。

 いくら「私は私」と叫んでも、意識というのは、そういうもの。昔からの意識が残って
いる。周囲の人たちの意識もある。そうした諸々の意識が、私の意識に作用して、私の意
識を形づくる。

 が、満60歳になったとたん、その圧迫感から解放された! あたかもカゴの中から、
外に放たれた鳥になったような気分だった。スーッと、軽い風が、心の中をかけぬけた。

 60歳+1日目。私は、私が何も変わっていないことを知った。
 60歳+2日目。私を取り巻く環境が、何も変わっていないことを知った。
 60歳+3日目。私は生きている歓びを感じた。
 60歳+4日目。私は、前向きに生き始めた。年齢なんて、クソ食らえ!

 そして今日。私の前に、「年齢」がないことを知った。「年齢」という壁が消えたのを知
った。70歳になろうが、80歳になろうが、生きられるところまで生きる。それが自信
となって、私の心の中に充満し始めた。


●愚かな人を憐れむ

 私の家の隣は、空き地になっている。竹ヤブの雑木林になっている。そこはかっこうの、
ごみ捨て場。それはわかる。

 しかし近所の人の中には、その竹ヤブが、私の私有地と思っている人がいるらしい。私
がいつもゴミ拾いをしているからかもしれない。それはそれで構わない。

 ところが、である。その竹ヤブの中のゴミを、わざわざ私の家の庭先に、放り投げてい
く人がいる。少し前には、古い家具を、私の家の駐車場に投げ込んでいった人がいた。そ
れまでは、竹やぶに捨ててあった家具である。たぶん、「お前の空き地だから、清掃くらい
しろ」という意味で、そうしているのだろう。

 愚かな人だ。そういう行為すること自体、バカげている。それに気づいていない。が、
このタイプの愚かな人は、いくらでもいる。ここにも、そこにも、あそこにもいる。

 しかし自分が一歩、「上」に出てみると、そういう人たちが、哀れで、かわいそうな人に
見えてくるから不思議である。心の病が原因で、そうしている人もいる。私の知人の隣に
は、ことあるごとにパトカーを呼びつけている人がいる。工事の車が止まっても、「駐車違
反(?)」で、パトカーを呼びつけている。

 退職前は、そういう関係の職場で、「長」をしていた人だという。年齢も80歳を超えて
いる。

 この世界、……というより、人間の世界は、動物の世界と同じ。もっと言えば、人間も
動物と同じ。大きくちがうようで、どこもちがわない。むしろ人間のほうが、へたに知恵
がある分だけ、扱いにくい。やっかい。

 では、その(差)はどこにあるかというと、言うまでもなく、(思考力)ということにな
る。思考力があるから、人間は人間。思考力がなくなれば、人間は、動物の世界へと、逆
戻りする。動物そのものに、なる。

 要するに、こうした愚かな行為が平気でできる人というのは、(自分ではそうは思ってい
ないだろうが)、思考力のない人イコール、動物と同じということ。

 とたん、つまりそれがわかったとたん、不思議なことに、そういう人たちに対して、同
情心が生まれる。「憐れみ」とも言う。もちろん私自身が、不愉快に思うことはない。怒り
の気持ちは、さらにない。

 だまって放り投げられたゴミを片づける。犬のハナの糞と同じ。心の糞だ。そんなもの
に、腹をたててもしかたない。

(補記)

 こういう愚かな行為を平気でできる人というのは、たいてい、何かの心の病をかかえて
いると思ってよい。今、その心の病をかかえている人は、多い。また人も、高齢になれば
なるほど、心そのものが変調してくる。おかしな行動を繰りかえすようになる。

 肉体の健康は、外からでもよくわかるが、精神の健康は、外からではわかりにくい。そ
のためなおざりになりがちだが、肉体の健康を考えたら、精神の健康も考える。これは老
後を心豊かに生きるためのコツではないだろうか。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●ジョディ・フォスター主演の「ブレイブ・ワン」

++++++++++++++++++

昨夜、仕事が終わってから、ワイフと、
ジョディ・フォスター主演の「ブレイブ・ワン」
を見た。

簡単に言えば、「復讐映画」だが、ジョディ・
フォスター演ずる、エリカの心の葛藤が
見物。それを演ずるジョディ・フォスター
の名演技が見物。

「許せますか、彼女の"選択"」と、副題に
あるが、選択できないまま、復讐の世界へ
と入っていくエリカ。その(心の葛藤描写)が、
すばらしい。

++++++++++++++++++

 映画『ブレイブ・ワン』については、いろいろ論じられている。ヤフーの検索エンジン
を使って、『ブレイブ・ワン』を検索してみたら、17万件あまりもヒットした。

 そこで私は、少しちがった角度から、この映画を考えてみたい。

 ジョディ・フォスターは、白人である。婚約者とデートしているところを、ギャング(=
暴徒)に襲われる。ジョディ・フォスターは瀕死の重傷。婚約者は、殺害される。3週間
目にジョディ・フォスターが昏睡状態から覚めると、婚約者はすでに埋葬されたあと。映
画は、ここから始まる。

 が、ここからが問題。ジョディ・フォスターと婚約者を襲ったギャングは、有色系。プ
エルトリコ系アメリカ人? もしここで婚約者が白人だったとしたら、この映画は、白人
対有色系の対立映画となってしまう。

 そこで脚本家は、婚約者を、有色系にした。インド系?……配慮(1)

 つぎに刑事。マーサー刑事を演ずるテレンス・ハワードは、有色系。アフリカ系アメリ
カ人。もしこの刑事を白人にしたら、同じくこの映画は、白人対有色系の対立映画となっ
てしまう。

 そこで脚本家は、刑事を、有色系にした。……配慮(2)

 ジョディ・フォスターは、銃砲店へ銃を買いに行く。そこで1人の男から銃を買う。こ
の男は、アジア系アメリカ人。白人でもアフリカ系アメリカ人でもないところが、ニクイ。

 ともかくも銃をジョディ・フォスターに売ったのは、やはり有色系。……配慮(3)

 ドラマは、ここから展開していく。ジョディ・フォスターは、いくつかの(やむをえな
い場面?)を経て、つぎつぎとギャングを殺していく。相手は、すべて有色系。しかしこ
れでは、やはり白人対有色系の対立映画となってしまう。

 そこで伏線として、白人の悪党を登場させる。この男はギャングとちがって、本物の悪
党。ジョディ・フォスターは、この悪党を殺害する。……配慮(4)

 つまりこの映画は、(人種)のバランスをみごとにクリアしながら制作された映画という
ことになる。白人が見ても、有色系の人が見ても、それなりに納得し、見られる映画とい
うことになる。映画のストーリーもさることながら、脚本家は、人種のバランスをどう取
るかで、腐心したにちがいない。その腐心のあとが、ありありとわかる(?)映画だった。

 映画の評価は、どうか? 金曜日の深夜劇場だったが、観客は、私たち夫婦を含めて、
6〜7人前後。ガラガラ以上のガラガラだった。見終わったとき、ワイフは、こう言った。
「(今度見る予定の)スターダストが、楽しみね」と。

 そんなわけで、星は3つの、★★★。ジョディ・フォスターという女優は、しかし、も
のすごい女優だね。すばらしい!

 町の中の劇場を出たあと、夜の町の写真を、何枚か撮った。今度のカメラ(パナソニッ
ク社製のFX33)は、超高感度設定にすると、深夜でも、昼間のように写真を撮ること
ができる。ISO・6400! このカメラは、ほんとうにすごい! これは余談!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

●T氏のこと

++++++++++++++

T氏とのつきあいは、今年で、
もう30年になる。

若いころは、よく行き来した。
市外で、医院を経営していて、
氏自身は、眼科医として、周辺の
人たちからも、尊敬の念を集めて
いた。

知りあったのは、ある小学校で講演を
させてもらったのが、きっかけだった。

T氏も、文を書くのが好きだった。

そのT氏も、今は、アルツハイマー
型の認知症になり、「手に負えない」
ということで、今度、ケア・センター
から老人病院の方へ転院した。

徘徊がひどく、ときに洗面台の上に
乗って、暴れることもあったそうだ。

あのT氏が……と思うと、「つぎは
我が身」と、強く、思う。

+++++++++++++++

 もう10年近く前になるが、T氏が、還暦を記念して、一冊の本を私にくれた。そのと
き書いたエッセーがつぎのものである。このエッセーを読むと、胸が痛い。

+++++++++

●T氏

 今度、T氏が、自費出版で、短歌集を出した。たまたま昨日、T氏の家に遊びにいった
ら、T氏が、うれしそうに、その中の一冊を私にくれた。私は、しばし、その短歌集に見
入った。

 そういうときのT氏の気持ちは、本を出したものでないと、わからない。自分の子ども
以上の子ども。本というのは、そういうもの。自分の命、そのものと言ってもよい。

 死んだあとも、何かしらの足跡を、この世に残したいという思いは、T氏も私も、同じ
ようにもっている。

 もちろん本にもいろいろある。

 一番、くだらないのが、代筆で書いた本。つぎに教材などの実用本、指導書など。こう
いった本は、本ではない。商品。ただの印刷物。

 つぎに評論や随筆など。これらには、ある程度、「私」が残る。しかしどこかで読者の目
を意識した本は、やはり私の本ではない。

 皮肉なことに、自費出版で出した本にこそ、その「私」が残る。自分のお金で出版する
わけだから、だれにも遠慮する必要がない。ありのままの自分を、そのまま書くことがで
きる。

 しかし大きな問題が、一つ、残る。

 読者あっての、本である。だれも読みたがらないような本を出しても、意味がない。た
だのひとり言になってしまう。だからどうしても、そこで読者とのかけ引きが始まる。

 「読んでください」と頭をさげつつ、その中に、自分の読んでもらいたいことを、織り
こむ。いつだったか、「M」という子育て雑誌の編集長をしていた知人が、私にこう話して
くれた。

 「林さん、まず読者を喜ばすことです。読者が喜びそうな記事を、90%、書きます。
残りの10%のうち、5%だけ、自分の意見を書きます。それでじゅうぶんです」と。

 具体的には、「あなたは、すばらしい。いい人だ」と、90%の部分を使って書き、5%
で、「でも、こうすればもっと、すばらしい人になりますよ」と書く。

 雑誌と本は、立場も目的もちがう。だからこの意見が、そのまま本にも当てはまるとは
思わないが、一理ある。

 私はそうして自費出版できるT氏を、うらやましいと思った。私などは、どうしてもど
こかで読者の目を意識してしまう。またそういう自分になってしまった。

 今夜は、少し時間があるので、そのT氏の短歌集を、じっくりと読むつもり。自費出版
にありがちな、独善的なところがない。すべてを、ありのままにさらけ出しているといっ
た感じ。読みごたえのある本である。

 Tさん、ありがとうございました。


****************************

T氏の「還暦のうた」を読む

****************************

 還暦(60歳)の記念出版ということもあって、T氏の新刊には、友や知人の死を悼む
短歌が多い。

 その短歌、それぞれに寄せられた注釈を見ると、改めてT氏の人脈の広さというか、太
さを、思い知らされる。人脈というか、心のパイプの太さといったほうがよいかもしれな
い。

 T氏の父母への思いをつづった短歌につづいて、小学3年生で、T氏と知り合った、鈴
木D君という子どもについて詠んだ短歌もあった。もちろん自分自身の闘病記についても
……。

 その中でも、つぎの短歌には、はっとさせられた。

 ●こと更に病気のことにふれぬげにわれをきづかふ妻はかなしも

 記述をみると、平成5年から7年にかけてと、ある。無頓着というか、鈍感というか、
そのころ、T氏が入院していたとは、知らなかった。何という不覚!

 T氏の短歌は、つづく。

 ●気がつけば我が病室に一輪の椿さしあり手術日の朝

 ●あなうれし芭蕉もきけり馬のしと音たてて出る我がいばりかな

 このあとの短歌には、「手術後尿の出て喜ぶ」と注が書き添えてある。

 ワイフは、さきほどから居間のソファに座って、T氏の短歌集を読んでいる。ワイフも、
一冊もらって、うれしそうだった。

++++++++++++++

 何度も見舞いに行きたかったが、T氏の妻が、「よしてほしい」と言う。見舞いに行くと、
そのあとT氏は興奮状態になってしまうという。「だから、そっとしておいてほしい」と。

 よく無神経な人は、そのほとんどは単なる好奇心から、こうした老人を見舞ったりする。
「好奇心から」だ。

 今回、私も母を介護するようになって、それがよくわかった。見舞いといっても、義理
で来る人もいる。何のために来るのか、それがわからない人もいる。

 家族の私としては、そっとしておいてほしい。そう願う。母にしても、ぶざまな姿など、
そう、人に見せたくもないだろう。

 反対に言うと、もしあなたの近くに、ケア・センターかどこかに入所した老人がいたと
しても、見舞いすべきかどうかについては、その家族の意向をよく聞いてから判断したら
よい。ふつうは、行かない方がよい。

 「見舞いに行けば、喜ぶだろう」と考えるのは、その人の勝手だが、T氏のように、そ
のあと興奮状態になってしまう老人も多い。困るのは施設の人であり、家族の人というこ
とになる。

 もし見舞うとしても、(老人の様態は千差万別で、老人にもよるが)、そっと静かに来て、
そっと静かに帰るのがよい。ワーワーと大げさに騒いだり、手を握って涙をこぼすなどと
いうようなことはしてはいけない。

 在宅介護を受けている老人であれば、なおさらである。私のばあいも、そうした見舞い
は、すべて断った。在宅で介護していると、家庭全体が、ある種の緊張感に包まれる。そ
ういうとき介護の苦労も知らない人がやってきて、もっともらしいことを言ったりすると、
かえって腹が立つ。

 さらには、「これでお母さんも、幸せですね。実の息子さんに世話をしてもらって」とか、
「あなたは親孝行の息子さんですね」などと言う人がいる。

 しかし本音の本音を言えば、こちらは何もしたくてしているわけではない。「親孝行」な
どという軽い言葉で、介護を茶化してほしくはない。それがわからなければ、小便を顔に
かけられながら、下痢で汚れた親の尻を拭くときの苦労を、少しでも頭の中で想像してみ
ることだ。それが毎日、つづく。

 介護は、きれいごとではできない! 現実だ。そこにある現実だ。それが介護だ!

 ……ということで、T氏の奥さんとは、毎週のように連絡を取りあっている。

私「うちの母は、徘徊ということがないだけ、助かります」
妻「へたに元気というのも、困りますね」
私「病院に任すところは任せて、忘れることがいちばんですね」
妻「私も、そう思います」と。

 ところで、先日、T氏の息子氏(45歳)と、通りで出会った。私が、「Tさんは元気で
すか?」と声をかけると、意外と明るい声で、こう言った。「1回しか、見舞いに行ってい
ませんから……」「だから、わかりません」と。

 この半年ほどで、1回? ……T氏の息子氏を責めているのではない。そういう息子氏
を、私は、内心ではうらやましく思った。

 正直に、スラスラとそういうことが口にできるということ。また「1回だけ」というこ
とで、自分を責めている様子でもないこと。そのあと、私なら、何と答えただろうかと考
えた。

 たぶん私なら、世間的な常識に毒されて、「元気ですよ。先日も見舞いに行ってきたばか
りですから」などと、ウソを言ったかもしれない。私は子どものころから、そういう家庭
環境に生まれ育った。一度体にしみこんだシミを、心から消すのは、容易なことではない。
いつもどこかで、世間的な評価を気にしている。体裁を構う。

 だから私は笑って、その息子氏と別れた。ハハハ、と。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 10日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ハレンチ事件

++++++++++++++

たとえば若い男が、美しい
女性のヌードを見たとする。

そのとき、その男は、ムラムラと、
性欲が身体の中でわき起きてくる
のを知る。

一種の条件反射だが、そのとき
脳内では、ドーパミンが放出
されるという。

もう少し詳しくいうと、
脳の中でも、報酬と行動欲求に
関する部分と言われる(線条体)
で、ドーパミンが急増するという。

この変化は、(生存に関する)もの
だけに、「この刺激は強力で、
意志の力だけでこの衝動を克服
するのは、非常に難しい」(アメリカの
国立薬物乱用研究所、N・D・
ボルコフ)とのこと。

私はこの論文(日経・サイエンス、07
年12月号)を読んだとき、内心
ほっとした。「そうだったのか」と、
である。

+++++++++++++++

●ドーパミンという脳間伝達物質

 ほぼ毎日のように、教職者や教育関係者によるハレンチ事件が報道される。学校の校長
や教頭のみならず、大学の教授級の人までも、この種の事件を引き起こしている。教師の
セクハラ事件となると、今どき、珍しくも何ともない。

 なぜか?

 その謎を解くカギが、ドーパミンにあった。ドーパミンというのは、脳間伝達物質のひ
とつで、少なすぎても困る。しかし多すぎても困るという物質である。少なすぎると、た
とえば立ち上がろうとしても足がすくんでしまったり、どう行動したらよいかわからなく
なったりするという。パーキンソン病も、そのひとつ。

 反対に多すぎると、今度は、「幻覚やパラノイア(統合失調症の陽性症状)が起こったり、
発話や運動をコントロールできなくなって、変な恥ずかしいことを思わずやったり、口走
ったりし、不必要とわかっていながら同じ行動を反復する強迫神経症になったりする」(東
京都老人総合研究所・HPより)とのこと。

 このドーパミンが、脳の中でも、(人間の生存)に関する部分に深く関与しているという
ことがわかっている。実際には、そこにはたいへん複雑なメカニズムが働くわけだが、簡
単に言えば、そういうことになる。

 で、その作用は、麻薬によるものと、たいへんよく似ているという。東京都老人総合研
究所の青崎俊彦氏も、つぎのように書いている。

「麻薬そのものがドーパミンと深く関わっていると言いましたが、実際麻薬とドーパミ
ンは切っても切れない仲にあり、パーキンソン病研究を飛躍的に発展させたのも、ある
意味で麻薬中毒患者たちの功績と言ってもいいくらいです」(同HP)と。

 どこか回りくどい言い方になってしまったが、人間の脳みそが勝手に反応する部分だけ
に、「この刺激は強力で、意志の力だけでこの衝動を克服するのは、非常に難しい」(アメ
リカの国立薬物乱用研究所、N・D・ボルコフ)ということになる。

 が、だからといって、教職者や教育関係者によるハレンチ事件を擁護するつもりは、な
い。まったくない。「非常に難しい」が、「不可能」ということではない。ただ私に関して
言うなら、こういうことが言える。

 私にしても(ふつうの男)。だから、(ふつう程度の性欲)はある。しかしそういうもの
を(悪)と決めてかかってもらっては困る。(教育)に関係しているから、そういう(こと)
と無縁であるべきだとか、無縁だとか、そういうふうにも考えてほしくない。

 私がたまたま足を踏み外さないでいるのは、(たまたま)、そうであるからにほかならな
い。相手もいないし、チャンスもない。風貌にも、恵まれなかった。

 そこで重要なのは、教師や教育関係者によるハレンチ事件というのは、その人個人の問
題というよりは、(制度)の問題ということ。こうした事件が起きるたびに、文科省や教育
委員会あたりの人たちは、上意下達式に、綱紀粛正を伝達する。しかし文科省や教育委員
会の人たちがみな、いわゆる(聖人)かというと、そういうことは、ない。ぜったいに、
ありえない。

 男であれば、夜な夜なその種のビデオを見ながら、それをテイッシュ・ペーパーで包ん
で、自分をなぐさめている。当然、頭の中は、ヒワイなことでいっぱい。若い女性の裸体
を思い浮かべることもあるだろう。言い方をかえるなら、『誰が、石もて、打てる
か』ということになる。

 そこで(制度)ということになる。(法の整備)と考えてもよい。すでに欧米では、この
種のハレンチ事件に対しては、厳罰主義が常識化している。アメリカでは、理由や内容の
いかんを問わず、教師が生徒と性交渉をもったら、問答無用式に、即、懲役刑が科せられ
る。

 が、この日本では、信じられないくらい、甘い。ハレンチ事件はともかくも、軽いセク
ハラ事件ともなると、ほとんどの事件は、学校レベルでもみ消されてしまう。教育委員会
レベルでもみ消されてしまう。事件となって報道されるのは、氷山のほんの一角。仮に起
訴、有罪となっても、たいていは執行猶予がついて、そのまま無罪(?)放免。

 さらに(制度)についても、教師は、教室内での教育だけに専念し、またそれ以外の場
所での生徒との接触をいっさい、禁止する。あるいはそういう方向に、もっていく。現在
の日本のように、学校の教師が、生徒の教育はもちろん、生活指導、はては、しつけや家
庭問題にまで首をつっこむほうが、異常なのである。つまり、スキだらけ!

 こういうスキを一方で放置しておきながら、教育者や教育関係者だけを一方的に責めて
も、意味はない。しかたない。

 ……ということで、私はこの論文(日経・サイエンス、07年12月号)を読んだとき、
内心ほっとした。「そうだったのか」と。

 まあ、あえて言うなら、教育者も教育関係者も、自然体で生きればよい。居直ればよい。
「私も、男だ」「ふつうの男だ」と。無理に自分をねじまげるから、コソコソと隠れた場所
で、ハレンチ事件を繰りかえすことになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
教育者のハレンチ事件)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●バウチャー制度

+++++++++++++++++

まず6年前に書いた、新聞記事
をそのまま紹介する。

この中で、私はアメリカのバウチャー
制度について、少し触れた。

+++++++++++++++++

●教育の自由化

アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、そ
の「楽しさ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような錯覚を覚える。

写真は、アメリカ中南部にある公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイ
ザ・E・ペリット小学校。生徒数三百七十名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、
遊具があったりする。

 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。まずカリキュラムだが、州政
府のガイダンスに従って、学校独自が、親と相談して決めることができる。オクイン校長
に「ガイダンスはきびしいものですか」と聞くと「たいへんゆるやかなものです」と笑っ
た。

もちろん日本でいう教科書はない。検定制度もない。

たとえばこの小学校は、年長児と小学一年生だけを教える。そのほか、プレ・キンダガ
ーテンというクラスがある。四歳児(年中児)を教えるクラスである。費用は朝食代と
昼食代などで、週六十ドルかかるが、その分、学校券(バウチャ)などによって、親は
補助されている。驚いたのは四歳児から、コンピューターの授業をしていること。また
欧米では、図書館での教育を重要視している。この学校でも、図書館には専門の司書を
置いて、子供の読書指導にあたっていた。

 授業は一クラス十六名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学
から派遣されたインターンの学生の三人で当たっている。アメリカというと、とかく荒
れた学校だけが日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよ
い。周辺の学校もいくつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねい
な指導をしていた。

 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科
書の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、
それは民間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴
史的事実については検定してはならない」(南豪州)ということになっている。

アメリカには、家庭で教えるホームスクール、親たちが教師を雇って開くチャータース
クール、さらには学校券で運営するバウチャースクールなどがある。行き過ぎた自由化
が、問題になっている部分もあるが、こうした「自由さ」が、アメリカの教育をダイナ
ミックなものにしている。

+++++++++++++

バウチャー券というのは、学校
教育に対してだけしか利用できない、
クーポン券のことと思えばよい。
「商品券」でもよい。

たとえば年間、10万円のバウチャー
券を支給されれば、親は、それを
「学費」として使用することが
できる。

わかりやすく言えば、それにより、
親が国から直接、援助を受ける
ことになる。

「では現金でそれをすればよい」
というふうに考える人もいるかもしれ
ない。

しかし現金だと、それが何に使われるか
わからない。親によっては、遊興費に
流用してしまうかもしれない。

そこでバウチャー券ということに
なる。少し前までは、「クーポン券」
(東京都など)と呼ぶ政治家もいた。

(バウチャー=voucher……
証票、証明書、引換書、商品券のこと
(IMIDAS))

++++++++++++++

 日経ニュースサイトは、つぎのように伝える。

 『政府の教育再生会議(N座長)が検討している「教育バウチャー(利用券)」制度の素
案が、10月27日、明らかになった。保護者が利用券で子供の通う学校を選ぶ仕組みを
まず特区を使って地域限定で導入。小中学校だけでなく高校、幼稚園にも拡大する。公立、
私立から幅広く学校を選択したり、低所得者世帯の私学就学を援助したりする案も検討す
る。

 同会議は教育バウチャー制度について年末にまとめる第3次報告に盛り込む方針。政府
は早ければ来年度にも導入したい考えだが、詰めるべき点も多く想定通り実現するかどう
かは微妙だ』と。

 このバウチャー制度は、日本の教育にとって、画期的な制度となる。この制度により、
従来の国や自治体による補助金制度が、根本的な部分で、ひっくり返ることになる。

 従来の補助金制度では、(国や自治体)は、(学校や幼稚園などの学校法人)という(法
人組織)に、補助金を交付してきた。けっしてハンパな額ではない。だから学校や幼稚園
は、上から落ちてくる補助金だけを見ていればよかった。

 それがバウチャー制度により、国や自治体の補助金が、一度(子どもをもつ父母)を経
由することになる。そのバウチャー券を手にした父母は、学校や幼稚園に対して、バウチ
ャー券という商品券で、学費を支払うことになる。

 つまり親のほうが、学校法人を選択、管理するようになる。当然のことながら、今まで
は、(上)だけを見ていればよかった学校や幼稚園は、バウチャー制度によって、今度は(下)
も見なければならなくなる。それだけきびしい環境に置かれることになる。

 だいたいにおいて、今までの補助金制度そのものが、おかしい。国や自治体は、(法人)
は助けるが、(個人)は助けない。これは欧米の常識とは、逆。欧米では、(個人)は助け
るが、(法人)は助けない。

 バウチャー制度は、そうした日本的な常識を、打ち壊す威力をもっている。あるいはそ
の第一歩となるかもしれない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
バウチャー バウチャー券 boucher)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●小・中9年制

+++++++++++++++

欧米では、教育の自由化は、予想
以上に進んでいる。

学校で教えるカリキュラムすら、
それぞれの学校が独自で決めている。

アメリカでは、公立学校であっても、
入学年度を、自由に決めている。

PTAの権限も、日本のそれとは比較に
ならないほど強い。教師の任命権
すら、もっている。つまりPTAが、
「あの教師は不適格」と判断すれば、
その教師はクビになる。

大学教育にしても、単位の共通化は、
今では、常識。EU(ヨーロッパ)
では、完全に共通化されている。

つまりどこの大学で、どのように勉強
しようが、単位さえ集めれば、それで
大学の卒業資格が与えられる。

こうした流れをみると、日本の教育
改革は、50年は遅れた。

けっして大げさなことを言っている
のではない。

私が学生だった1970年のオーストラリア
においてですら、単位の共通化は、
常識だった。

たとえば、メルボルン大学で、1年、2年を
過ごし、そのあと北京大学で1年勉強すれば、
帰国後は、4年生になれた。

アメリカでは、公立、私立を問わず、
転籍、転学は自由。日本でたとえれば、
1年と2年は早稲田大学で過ごし、3年目
からは静岡大学へ転籍できる。そういうことが
平気でできる。

もちろん学部の変更も自由。法学部で入学
し、そのあと、工学部へ転学するというよう
なこともできる。

教育再生会議は、今度、「小・中9年制」
の検討を答申したが、「今ごろねえ……」という
のが、私の実感。

こうした諮問会議で注意しなければならないのは、
たいてい座長と呼ばれる人は、それなりの権威者。

つづくメンバーは、「どうしてそういう人が
選ばれたかもわからない」(T教授)という、
文科省寄りのYESマンばかり。

議案も進行も、すべて役人のお膳立てによって
進められる。

諮問機関そのものが、お役人の(お墨付き機関)
として機能することが多い。

お役人は諮問機関で出された答申をもとに、
あとは「控えおろう」「下に……!」と、
あとは自分たちのしたい放題。

教育再生会議がそうだとは思わないが、そういう
疑いの目は、じゅうぶんもって見たほうがよい。

そういう中で生まれた、「小・中9年制」である。

つまり「地域の実情に応じて、4・3・2などと、
学年のまとまりを設ける」(日経)と。

この「地域の実情」という部分が、クセモノ。
おかしい。何かヘン。何かを隠している?

それについてはまた別の機会に考えるとして、
数字的な制度だけをいじっても、意味はない。

ほんとうに日本の教育を再生させようとするなら、
たとえばPTAの権限を強化するとか、そういう
内部部分の改革を目指さなければならない。
教師の任命権、解雇権まで踏み込む。

それに日本のような(格差社会)で、いくら
教育改革を唱えても、無駄。親たちは日常的な
生活を通して、その(格差)をいやというほど、
思い知らされている。

この(格差)があるかぎり、たとえば進学競争
はなくならないだろう。つまり、教育改革を
いくら唱えても、親たちは、進学率だけを見て、
学校の優劣を決めてしまう。また進学率が
あがるような制度を求めてしまう。

現に今、中高一貫校は、そういう流れの中で
動いている。

福田首相は会議の冒頭、「注目を集める会議と認識している。
国民全員が関心を持っている話題であり、
建設的な議論をしていただきたい」と求めたという(同)。

ほんとうかな?

子どもをもつ親たちが注目しているのは、
どうすれば自分の子どもが、進学競争に
有利になるかということ。

ついでに、教育再生会議では、大学への
飛び級入学についても議論されているという。

これについても、一言。

たとえばアメリカでは、原則として、
小中学校でも、無学年制。どこの学校へ
行っても、学年という「数字」はない。

教室の前にあるのは、そのクラスの責任者
である、教師の名前だけ。

飛び級を自由化するためには、同時に、
「落第」に対する意識を変えなければならない。

アメリカでは、先生が、「お宅の子を、
もう一度、ヒロシ教室で教えます(=落第
させます)」と言うと、親たちは、喜んで
それに従う。

落第ということが、日常茶飯事になされている。
飛び級というのは、その反射的効果として
浮かび上がってくるもの。

「飛び級」という片輪だけを論じても意味は
ない。

+++++++++++++++

以前、書いた私の原稿(中日新聞
発表済み)を載せる。

+++++++++++++++

家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言う
と、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子ども
の学力が落ちているとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多
い。

アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日本ではそ
うはいかない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。
先日もある母親から電話でこんな相談があった。

何でも学校の先生から、その母親の娘(小二)が、養護学級をすすめられているという
のだ。その母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れていたが、なぜか? なぜ日
本ではそうなのか? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリ
カでは、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリア
でもそうだ。カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにさ
れてきた。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも
「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 二〇〇〇年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、九割
近くを妻が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは一〇%程度。夫が
担当しているケースは、わずか一%でしかなかったという。

子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、三%
(たったの三%!)前後にとどまった。その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域
参加をもっと求める必要がある」と考えていることもわかったという。

内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。「今の二〇代の男性は比較的
家事に参加しているようだが、四〇代、五〇代には、リンゴの皮すらむいたことがない
人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後に困らないため
にも、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、
それを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐
れる。それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。言いかえると、こ
の日本では、家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。たいてい
の日本人は家族を平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』とい
うのがある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向
こうにあるという「幸福」を求めて冒険するという物話である。あの物語を通して、ドロ
シーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。アメリカを代表する
物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あ
の映画では家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオッ
ト」を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パト
リオータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語に由来する。)「家族のため
なら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。家族を大切に
するということには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわって、彼らのい
う愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきている
のではないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観
すべきことばかりではない。

九九年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、四〇%の日
本人が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが四五%
になった。たった一年足らずの間に、五ポイントもふえたことになる。これはまさに、
日本人にとっては革命とも言えるべき大変化である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよ
う」「家族は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言
が、あなたの子育てを変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育
委員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だ
という(二〇〇一年一一月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」
という意味である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり
日本人が考える愛国心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質な
ものであることに注意してほしい。


++++++++++++++++++++

(資料)(日経ニュースより)

●教育再生会議が福田政権で初会合、「小・中9年制」検討で一致

 教育再生会議(野依良治座長)は10月23日、首相官邸で福田政権発足後初めての総
会を開き、論議を再開した。柔軟な教育カリキュラムを編成できるようにするため、現行
の小中学校の「6・3」制を見直し、9年制の義務教育学校の創設などを検討することで
一致した。

 教育再生は安倍晋三前首相が憲法改正などと並んで掲げた重要政策の一つ。安倍氏の辞
任で論議が中断していたが、福田首相は冒頭「注目を集める会議と認識している。国民全
員が関心を持っている話題であり、建設的な議論をしていただきたい」と求めた。

 学校制度の見直しは小中一貫の9年制学校をつくり、地域の実情に応じて「4・3・2」
などの学年のまとまりを設ける案を軸に検討する方向。大学への飛び級入学を促進するた
め一段の要件緩和を進める必要があるとの意見も相次いだ。

一方、年末を予定していた三次報告のとりまとめ時期を巡っては「もっと時間をかける
べきだ」との異論も出た。

Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●ゆとり教育

+++++++++++++

ときとして外国から日本を
ながめたほうが、日本のことが
よくわかる。

日本の(ゆとり教育)が始まった
とき、それをまっさきに喜んだ
のが、隣の韓国。

そして今回、その(ゆとり教育)が
見直されることになった。

それにもっとも危機感を抱いて
いるのも、隣の韓国という
ことになる。

++++++++++++++

●東亜N報の記事より

 まず、韓国の東亜N報が、書いている記事をそのまま紹介する。日本の実情を、かなり
客観的にながめている。興味深い。参考になる。

+++++東亜N報(10・29日より)++++++++

日本の中央教育審議会(中教審)は、中間報告書で、ゆとり教育が難関にぶつかった原因を
分析
し、「授業時間を大幅に削減したため、基礎知識を十分に習得できなくなり、思考力と表現力も

てることができなかった」などの反省項目を列挙する予定だ。 

中教審は96年から、思考力や表現力、思いやりなど、「生きていく力」を育成することを公教
育の
目標として提唱してきた。 

02年から施行された現行の学習指導要領は、詰め込み主義教育を改善するという名分によ
って、
小中学校の学習内容を以前より約30%削減し、授業時間も約10%減らした。 

中間報告書の反省項目には、授業時間の削減のほかにも、△「生きていく力」の概念と必要
性を
教師と父兄に十分に説明できなかった、△子どもの自主性を尊重したことで、学生指導をため
らう
教師が増えた、△家庭と地域の教育能力が低下している事実を十分に把握できていなかった
とい
う内容などが含まれるもようだ。 

中教審は、ゆとり教育が難関にぶつかった原因の一つとして、「ゆとり」を強調しすぎたため、
教師
が、基礎知識を教えることまで詰め込み主義教育と誤って理解した点を挙げた。 

文科省が提出し、中教審が現在審議中の学習指導要領改正案は、英語、国語、数学などの
主要
科目の授業時間を10%増やし、選択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる。 

文科省は、このように事実上ゆとり教育を廃棄する方向に政策を旋回しながらも、公式的には
「ゆ
とり教育の理念は間違っておらず、運用上の問題にすぎない」と主張している。 

にもかかわらず、諮問機構である中教審が「反省文」を発表するのは、誤った点を具体的に説

しなければ、一線の学校が教育政策を転換する理由を十分に理解できないと判断したため
だ。

+++++++++以上、東亜N報記事より+++++++++++

 ゆとり教育が始まったとき、おおむね、教科内容は、1年レベルがさがった(小学校)。
楽といえば、楽。教えるのが、ほんとうに楽になった。

 しかしそれも、2年はつづかなかった。3年目に入ると、それが(当たり前)になり、
教える側からすると、その(楽)が消えた。

 が、私の教室では、今でも、ゆとり教育の始まる前のカリキュラムで教えている。たと
えばかけ算にしても、小2の夏休み前から、教えている。が、ゆとり教育では、10月か
ら教えることになっている。小2の算数だけを見ても、3〜4か月、後回しになったとい
うことになる。

 で、その(ゆとり教育)が見直されることになった。当然である。日本を包む国際環境
がきびしさをます中、それに逆行する形での(ゆとり教育)である。当時の韓国は、「これ
で日本を追い抜かせる」と喜んでいた。

 が、それでほんとうに子どもたちに(ゆとり)ができたかというと、それは疑わしい。
たとえば私立中・高学校では、文科省の示すカリキュラムを無視した授業が始まるように
なった。

 現にこのあたりの私立中学校では、英語にしても、公立中学校よりも、6か月から1年、
先取りの教育を展開している。数学にしても、そうだ。(中学1年生で、関係代名詞の勉強
をしているところもあるぞ!)

 それまではというと、私立中・高校は、公立中・高校の受け皿的な存在だった。が、今
は、完全に逆転している。公立中・高校が、私立中・高校の受け皿的な存在になってしま
った。つまりその分、受験競争がはげしくなった。子どもたちは、小学4、5年制から、
進学受験予備校に通うようになった。

 文科省のおかしな制度いじりが、(東京という中央では、それなりにうまく機能していた
のだろうが)、地方の教育を、今、こうして混乱させている。まずもって、文科省は、それ
に気づくべき。反省すべき。

 さらに学校の教師にしても、忙しさのあまり、悲鳴をあげている。それについて書いた
原稿が、つぎのもの。

++++++++++++++

●忙しくなる、教師の世界

 私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たい
てい、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。

 その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価した
り、教材を用意したりしていた。

 しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。

 このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間にな
ってしまったという(某、小学校校長談)。

 だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見るこ
とは、めったにない、

 「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、
習熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラス
を、2人の先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったた
めです」と。

 この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だ
けを追い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。

 余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が
続出している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりま
え。さらにこのところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革な
どで、自宅へ帰るのは、毎晩、7時、8時だという。

 何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここ
まで追いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たっ
た1〜2人の自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生
に押しつけて、「何とかしろ!」はない。

 さらに一言。

 1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ
2000年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進
学競争が、激化する様相さえ見せ始めている。

 私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。
さて、みなさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学
熱 進学指導 詰め込み教育)

++++++++++++++++

 バネというのは、ゆるめるのは簡単。しかし一度ゆるんだバネは、もとには戻らない。
あるいは戻すのに、何倍もの時間と努力が必要。「主要科目の授業時間を10%増やし、選
択科目を大幅に縮小する内容を盛り込んでいる」というが、そうは、うまくいくものか?

 教育というのは、20年先、30年先を見ながら組み立てる。今、改革しても、その効
果が現れるのは、20年後、30年後。

 文科省の改革(?)は、どれも後手後手という感じがしないでもないのだが、そう思う
のは、はたして私だけだろうか。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●手巻き式の懐中時計vsデジタルカメラ

++++++++++++++

懐中時計とデジタルカメラ。

まったく正反対のモノであるにも
かかわらず、この両者は、私の心を
とらえて放さない。

++++++++++++++

先週、手巻き式の懐中時計を買った。「手巻き式」。約30時間ごとにネジを巻く。巻かな
いと、そこで止まる。その上、ネジが上下に、よく動く。簡単に動く。懐中時計では、ネ
ジを上に引くと、時刻合わせモードになる。そのとき、時刻が狂う。

 時刻が狂う……。そのたびに時刻を合わせる。ほぼ、毎回、この繰り返し。ワイフは、「た
いへんね」と言うが、実は、それが楽しい。実にヒューマン温もりを覚える。

 一方、数日前、新しいデジタルカメラを買った。P社の、FX33。ここ数年、デジタル
カメラは、P社製と決めている。今まで使っていたのは、P社製の、TZ−1。そのカメラ
もよかったが、液晶画面に、ヒビが入ってしまった。修理に出そうと思ったが、修理費は、
最低でも1万5000円とか。(1万円は、店の手間賃。5000円は、メーカーの検査料
ということらしい。)部品を取り替えれば、その分が、さらに加算される。

 「直すより買ったほうが得です」と、店の男に言われた。それでそのカメラを買った。

 そのFX33は、P社のカタログの中でも先頭に紹介されているだけあって、たしかに、
すごい。「トリプル・ブレ防止」なるブレ防止はもちろん、逆光補正、露出補正などなど。
顔を選び出し、その顔にピントを合わせてくれる機能もついている。顔が動いても、追跡
してくれる。すべて自動でしてくれる。すごい! ほかにも新しい機能がある。

 感度は、ISO・6400。(6400だぞ!)かなり暗いところでも、写真が撮れる。
しばらくいじってみたが、そのたびに「すごい!」の連発。ここ1年で、デジタルカメラ
は、格段の進歩と遂げた。そこで私は、実感した。「これでフィルムカメラの時代は、終わ
った」と。

 「終わった」というより、決定的な差がついた。(逆に、フィルムカメラのほうが、デジ
タルカメラ化するということは、ありえるが・・・。)

 考えてみれば、今度買った懐中時計と、デジタルカメラは、正反対の位置にある。

 今どき手巻き式の懐中時計をもっている人は少ない。動力は、もちろん、ゼンマイ。旧
式といえば旧式。文字表示も、アナログ式。

一方、デジタルカメラのほうには、最先端の技術が濃縮されている。私は同時にその2つ
を手の中でいじりながら、どちらも同じ輝きをもって、私の心をとらえているのを知る。
優劣は、つけがたい。

 これはどうしたことか? 時代を超えて、人の心をとらえるものは、同じ、ということ
か? 懐中時計をいじっているのも、楽しい。デジタルカメラをいじっているのも、これ
また楽しい。私はこのところ毎日のように、交互をポケットから取り出して、遊んでいる。

 ……ということは、この先、たとえば100年後でも、200年後でもよいが、そのと
きどきにおいて、そのときの(モノ)が、そのときの人の心をとらえるということになる。
つまりモノの中身ではない。モノそのものが、人の心をとらえる。

 そこでさらに考える。「では、モノとは、いったい、何なのか?」と。

 私のばあい、視覚的な魅力というよりは、モノ自体がもつ機能というか、働きに興味が
ある。だから陶器とか絵画には、あまり興味がない。さらに言えば、手でもつ感触を楽し
む。パソコンにしても、キーボードの感触が大切。とくにノートパソコンは、その感触で
選ぶ。

 人によって、こまかい(ちがい)はあるだろうが、モノの魅力は、どうやら脳みそと直
結していると考えてよい。もっと言えば、脳みそ自体が、自己の欠陥を補うために、モノ
を求めている?

 そのことは、たとえばモノいじりを繰りかえす子どもを見ればよい。たとえば毛布の切
れ端を手放さない子どもがいる。その様子を観察してみると、子ども自身が、陶酔感を味
わっているのがわかる。反対に、取りあげると、とたんに子どもの情緒が不安定になる。

 ……しかしこの私の論理は、どこかおかしい? モノいじりをする子どもは、指先の刺
激を脳みそに伝えることによって、快感を覚える。モノをいしることで、脳内で、モルヒ
ネ様の物質が放出されることが知られている。エンケファリンやエンドロフィンなどであ
る。

 子どもがもつ毛布と、デジタルカメラや、懐中時計を、同じに考えることはできない。
……と思ったが、やはり関係があるのかもしれない。私のばあい、モノの感触を楽しんで
いる。指先でそれをいじっていると、たしかに気持ちがよい。

 ……いろいろ考えるが、どうも、考えがまとまらない。まとまらないから、この話は、
ここまで。つづきは、明日の朝、起きたら、また考えてみる。……ということで、今夜は、
ここまで。明日から11月。おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi++++++++Nov 07++++++++++はやし浩司

【ハード・クラッシュに備えよう!】

●絶壁に立った韓国経済

 とうとう1ドルが、900ウォンに近づいた。10月31日現在、1ドル=901ウォ
ン! 韓国の経常収支は、実質、赤字! (韓国は、外国からの借金まで、資本収支に、「黒
字」として計上している。)外資は、逃避、また逃避。にもかかわらず、ウォン高、株高、
個人負債は、90兆円(日本円で)!

 危機ラインを突破! 韓国のバブル経済崩壊は、目前。来月(11月)、起きても、おか
しくない。今週、起きても、おかしくない。韓国は2回目のデフォルト(債務不履行=国
家破綻)を迎える。

 日本よ、日本の製造業よ、心して韓国のデフォルトに備えよう!

 韓国がデフォルトに陥れば、韓国への輸出で潤っている日本の製造業は、大きな被害を
被(こうむ)る。その覚悟はできているか。この9月期、朝鮮N報によれば、設備投資は、
マイナスを記録した。

 いわく、「設備投資は今年上期には2けた台の伸びを見せたが、7〜8月に1%台へと落ち
込み、ついに9月期にマイナスに転落した」と。

 韓国がデフォルトに陥ったら、日本政府は、すぐさま日本の製造業、とくに工作機械メ
ーカーなどの救済をめざすべき。また今から、その準備をしておくべし。韓国の救済は、
つぎのつぎでよい。彼らが頭をさげて頼みに来るまで、ぜったいに、救済の手をさしのべ
てはいけない。

 97年のデフォルトのときは、日本政府は、頼まれもしないのに、500億ドルという
現金を用意して、韓国を救済した。今度は、そんな愚かなことをしてはいけない。

 1ドルが900ウォンを切った、その日があぶない!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++++はやし浩司

●Yビヨンの核開発施設は、ガラクタの山!

++++++++++++++++

K国にあるYビヨンの核開発関連
施設は、やはりガラクタの山
だった!

ワシントン発、聯合ニュースは、
「『悪の帝国の核神経センター』という
よりは、1950年代で時間が止まった
ままのジャンクヤードに近い」と
報じている(10月30日)。

++++++++++++++++

 ワシントン発、聯合ニュースはつぎのように伝える(ヤフー・ニュースより転載。)この
ニュースの中で、とくに、末尾にあるつぎの文言に注意してほしい。いわく……。

「水と電気も数時間しか供給されず、光輝くレーザーや最新コンピュータ装備もなく、『悪
の帝国の核神経センター』というよりは、1950年代で時間が止まったままのジャンク・
ヤードに近い」と。

「Yビヨンの核施設はジェームズ・ボンドの映画に出てくる先端技術団地とは距離があり、
放射能に汚染され、崩れたセメント構造物の集合にすぎない」……。北朝鮮が来月1日か
ら核施設の無能力化措置を開始すると明らかにした中、米国の核専門家である戦略国際問
題研究所(CSIS)のジョン・ウォルフスタール国際安保担当専任研究員は、このほど
CSISのホームページに掲載した文章を通じ、Yビヨンの核施設の実態と水準について評価
した。

 ウォルフスタール研究員は米エネルギー省の出身で、1994年の米朝枠組み合意を受
け90年代末からYビヨン核施設の凍結監視団として現地に滞在し、Yビヨンの核施設を
見て回った数少ない専門家だ。

ウォルフスタール研究員は、「水と電気も数時間しか供給されず、光輝くレーザーや最新コ
ンピュータ装備もなく、『悪の帝国の核神経センター』というよりは、1950年代で時間
が止まったままのジャンクヤードに近い」と、Yビヨン核施設の実態を明らかにした」(聯
合・07年10月30日)と。

 「ジャンク・ヤード」というのは、「ガラクタ置き場」を意味する。「junk」……「廃
物、がらくた」とある(日本語大辞典)。

 わかるか?

 6か国協議では、他の5か国は、そんなガラクタと交換に、毎月5万トンもの原油を提
供した! 私は何度も、Yビヨンの核開発関連施設は、「老朽化して使い物のならない」と
書いてきた。K国から亡命してきた、F氏(K国元高官)も、繰り返し、そう言っている。

 毎月5万トンも提供するなら、現物を見てからにすればよかった。ものを買うとき、一
度品物を見定めてから買うのは、資本主義社会の常識でもある。はっきり言えば、アメリ
カのヒル氏は担(かつ)がれた!

 これについても、私は何度も書いてきた。あんな国をまともに信じて交渉する方が、お
かしい。まちがっている。ヒル氏のような、育ちのよい(=育ちがよすぎる)国務次官補
に、K国のもつ(したたかさ)など、理解できるわけがない。

 K国は、もっと別のところで、核兵器の開発を今の今も、つづけている。それを明るみ
にするための5万トンということなら、まだ話もわかる。(恐らくヒル氏は、そう言い訳を
するだろうが……。)

 しかしK国の金xxは、さらにその上をいく、「悪玉」である。そんなことは、今までの
流れを見ればわかるはず。甘いというか、愚かというか、はたまた、バカというか。私の
書いていることが過激だと思う人は、もう一度、先の報告書を読んでみたらよい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●砂糖は白い麻薬

++++++++++++

甘い食品になれた子どもから、
甘い食品を取りあげると、
禁断症状に似た症状が観察される。

私はこのことを、すでに30年前
に発見した。雑紙にも、そう書いた。

それが最近、科学的に、証明され
つつある。

++++++++++++

●禁断症状

 アメリカの国立薬物乱用研究所の、N・D・ボルコフ(女性研究者)は、つぎのような
論文を発表している。

 「……過食症ラットのばあい、砂糖を多く含むエサを与えたあとに、ナロキソンという
オピオイド拮抗剤(脳内快楽物質の働きを妨げる薬)を投与すると、禁断症状が起こる。

 モルヒネを注射したあとに、ナロキソンを投与したのと同じく、禁断症状が生ずるのだ。
この結果から、糖分の多いエサを食べつづけることによって、身体的な依存が生じていた
ことがわかる。人間でも同じ反応が起こるなら、禁断症状を緩和する処置が、ダイエット
に役立つかもしれない」(日経・サイエンス・07・12月号・P55)と。

 これはラットについての実験だから、そのまま人間に当てはまるとはかぎらない。しか
し一歩、近づいた! つまり白砂糖でも、麻薬に似た禁断症状が起こる!

 その30年前に書いた原稿をさがしてみたが、見あたらなかった。そのかわり、当時の
原稿をもとに、書き直した原稿が見つかった。中日新聞に、8年前に発表した原稿である。
この中に書いた、U君というのは、今でもよく覚えている。

++++++++++++++

●砂糖は白い麻薬

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考
えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)
だそうだ(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大
量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、
それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったとき
のことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょ
う?」と。

U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強くみ
られた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう
言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残
したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計
算してみるとU君は1日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。
かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからが
たいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビ
スケットをくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断った
ときに出る禁断症状のようなものがあらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「そのまま砂糖断ちをつづけるように」と私は指示し
た。が、その1週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボ
ーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったのだ。

何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見
つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでし
ょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のな
いものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、
子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラ
ム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいは
キーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カ
ルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効
果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間
程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食
品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出
してしまう。

とは言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、
ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとし
た粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(や
わらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味を
つけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末
飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以
上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはでき
ない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食
物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどという
ことは、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食
品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジ
ャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコ
ール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように
愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多
く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂
糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫
をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しや
すく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、
機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。

+++++++++++++

 30年前の当時、『白砂糖は麻薬』と、私は書いた。U君の禁断症状(ほんとうは、麻薬
による禁断症状というのは、知らなかったが)、その禁断症状を目(ま)の当たりに見せつ
けられて、私は、そう書いた。

 U君は、幼稚園から帰るとすぐ、冷蔵庫を足で蹴りながら、「ビスケット!」「ビスケッ
ト!」と叫んだという。そのあまりの異常な様子に母親があわてて、私に相談してきた。

 が、当時、『白砂糖が麻薬』と考える人は、だれもいなかった。私の意見は無視された。
おかしなことに、当時は、「砂糖は、滋養要素」と考えられ、「甘いものを断つと、かえっ
て子どもの情緒は不安定になる」と主張する学者さえいた。

 私はN・D・ボルコフ(女性研究者)の論文を読んだとき、「やはりそうだった」と、確
信を得た。まだラットでの実験段階だから、先にも書いたように、人間にそのまま当ては
めて考えることはできない。先に、「あと、一歩!」と書いた私の気持ちを理解してもらえ
れば、うれしい。

●お母さんたちへ

 ショッピングセンターなどの飲食コーナーなどへ行くと、よく、子どもの頭よりも大き
なソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでいる子どもを見かけますね。

 それがいかに危険なものであるかを知るためには、あなた自身が、一度、自分の頭より
大きなソフトクリームや、ジュースを、食べたり、飲んでみることです。

 量は、体重で計算します。体重、15キロの子どもが、ソフトクリーム1個を食べると
いうことは、体重60キロのおとなが、4個食べる量に等しいということです。

 いくらおとなでも、4個は食べられませんね。食べたら、気分(=頭)がおかしくなり
ます。それだけではありません。一時的な血糖値の急上昇が、その直後に、低血糖を引き
起こすことも、よく知られています。「甘いものを食べて、どうして低血糖?」と思われる
人もいるかもしれません。理由は簡単です。血中に大量のインシュリンだけが残り、必要
以上に血糖値をさげてしまうからです。

 突発的に衝動的な行動に移る子どもは、この低血糖を疑ってみます。わかりやすく言え
ば、突発的に、キーッとか、キャッキャッと、甲高い声を張り上げて、(たいていは耳をつ
んざくような金きり声で)、騒ぐようでしたら、まずこの低血糖を疑ってみます。

 『砂糖は、白い麻薬』です。もしどうしても、甘い食品……ということでしたら、精製
していない、黒砂糖をお勧めします。黒砂糖には、CA、MG、Kなどの天然のミネラル
分がバランスよく含まれていますから、ここでいうような(突発的な行動)は起こりませ
ん。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ボルコフ 過食症ラット 禁断症状)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●科学の勉強

+++++++++++++

台風が近づいているという。
そのため、今日は、雨。

そこで昨日、科学雑誌を
買ってきた。

『日経・サイエンス』誌、
2007年12月号。

午前中は、この雑紙を、
じっくりと読んでみる。

+++++++++++++

 日経・サイエンス(12月号)は、「肥満と食糧危機」が、テーマ。

 が、最初に目についたのが、「宇宙論」(P16〜17)。

 従来のビッグバン説によると、「宇宙は無限のエネルギーと密度をもつ(点)から生まれ
た」(同誌)ということになっている。

 この(点)のことを「特異点」と呼ぶ。この特異点では、私たちがもっている物理学的
な常識は、すべて当てはまらないという。時間もなければ、もちろん空間もない。

 その特異点が、きわめて短時間に、光速をはるかに上回るスピードで急膨張して、今の、
この宇宙ができたという。その急膨張を、「インフレーション」と呼ぶ。

 「(宇宙は)インフレーションを引き起こし、ほぼ均一に平たく引き伸ばされた。そう考
えると、多くの謎が解ける。たとえば時空が平坦で、光がほぼ曲がらず直進するのは、イ
ンフレーションによって、初期宇宙の曲率が平らにならされたためだ」(同誌)と。

 現時点では、この「インフレーション説」が、学会でも有力説になっているが、これに
対して、宇宙の前には宇宙があったという説も、脚光を浴びるようになってきたらしい。

 「ビッグバン以前に、宇宙は収縮し、特異点を作った。その特異点から、再び、現在の
宇宙が生まれた」(要約)と。2001年に発表された、「エピキロティック説」が、その
ひとつ。

 これは宇宙を破滅、再生させるエピキローシスという、古代ギリシアのストア学派の概
念から生まれた言葉だという。

 理由はいろいろ書いてある。それなりに根拠があるからこそ、こうした説が生まれる。
が、それを読んで、いろいろ考える。

 この宇宙がかつて、「点」であったことについては、私も疑問を感じていた。点といって
も、想像を絶するほど固い点であったはず。その固い点が、ある日、突然、爆発した(?)。
ビッグ・バン(=巨大爆発)である。

 プリンストン大学の、P・スタインハート(研究者)も、「そんなことはありえない」と
述べているという(同誌)。そこでこの説を補正するかたで生まれたのが、「ひも理論」。「宇
宙は、かつて点ではなく、ひものようであった」と。つまり「(この宇宙は)、高温高密度
の(ひも)のガスから誕生した」(カナダ・マギル大学・ブランデンバーガー)と。

 しかしこの説については、「まともに相手にしている学者はいない」(同誌)とのこと。

 フ〜ンとうなってみたり、しばし、考え込んでしまったり。読みながら、将棋をさして
いるようなおもしろさを覚えた。

 私たちが現在住んでいるこの宇宙は、その前が何であったにせよ、ビッグバンという大
爆発によって生まれた。今の今も、その爆発はつづいていて、この宇宙は、膨張をつづけ
ている。太陽や地球どころの話ではない。

 この銀河系だけでも、砂丘の砂粒の数ほどの星があるという。(地球は、星ではない。太
陽は、その星の1つにすぎない。念のため。)そういう銀河系が、これまた、砂丘の砂粒の
数ほどもあるという。(望遠鏡などで観測される銀河系や星は、ほんの一部でしかない。こ
れも念のため。)

 こういう記事を読んでいると、気が遠くなる。しかも、だ。この(時間)にしても、(平
坦)なのは、「(宇宙が)ほぼ均一に平たく引き伸ばされた」ためだという(同誌)。

 では、均一に平たく引き伸ばされなかったとしたら、どうだったのか? 私の想像力を
かぎりなく刺激する。たしかに今、時間は、コチコチと、過去から現在、そして未来へと、
(平坦に)流れている。まるで平面を、波が伝わっていくように、だ。

 しかしもし、時間が流れる(平面)が、平面でないとするなら……? いったい、どう
いうことになるのだろう? たとえば時空のゆがみが、あちこちで生まれる。隣の家では、
未来から過去に向かって時間が流れ、その向こうの家では、時間が止まったままになると
いうことも考えられる。さらに、A国では、時間が、速く過ぎ、B国では、時間が、のん
びりと過ぎるということも考えられる。

 あるいはそれが、刻々と変化する……。想像するだけでも、おもしろい。楽しい。

 どうであれ、この銀河系にしても、当初は、小さな点(もしくはひも)であったという
のは、おもしろい。もっとも、「小さい」といっても、大小の概念すら当てはまらない世界
である。何をもって、「大きい」と言い、何をもって、「小さい」というのか。

 さらに、である。これはあのホーキング博士が言っていることだが、そうした宇宙が、
これまた無数にあるという。ここにも、そこにも、あそこにも! わかるか? この大宇
宙のような宇宙が、私たちの知らないところにも、無数にあるという。まるであわ(バブ
ル)のように!

 ……今も、曇天の空をながめてみた。「この空の向こうがねえ……」と。私たちはこの宇
宙の瞬間の、そのまた瞬間を、生きているに過ぎない。小さな、小さな、どこまでも小さ
な、宇宙から見れば、チリのような惑星の上で。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●液体ズームレンズ

 カメラには、レンズがある。(当然である。)そのレンズは、ふつう7〜10枚程度のレ
ンズが組み合わさって、できている。このレンズを、前後に動かすことによって、焦点を
合わせたり、望遠にしたりする。

 ところが、今度、レンズそのものを、人間の目のように、ふくらませたり、しぼませた
りする方法が、発明されたという(アメリカのベンチャー企業・ホロチップ社)。称して「適
応ズームレンズ」。この方法が実用化されれば、理論的には、レンズは、1枚ですむことに
なる。しかも、だ。「レンズの口径を1ミリ前後にできる」(同誌)という。

 日経・サイエンス誌によれば、「数年以内に商品化できる」ということらしい。楽しみだ。


●言葉の爆発(統語的ブートストラッピング)

 「幼児は1歳から2歳の間に、たどたどしい片言から、嵐のようにしゃべりまくるよう
に急変する」(同誌)とある。

 それはよく知られた事実だが、日経・サイエンス誌によれば、「幼児はこの時期に、統語
的ブートストラッピング(新しい言語の意味を、前後関係から決定する能力)など、言葉
の大爆発をもたらす特別な機能を獲得すると考えられている」とある。

 このことは、経験的にも、わかっている。たとえば子どもに、「うさぎさんは、ころんで
ヒロヒリと痛い思いをしました」という文を読んで聞かせたとしよう。

 このとき子どもは、(ころぶ)→(痛い)という言葉の間で、(ヒリヒリ)の意味を知る。
自分がころんで痛い思いをしたときの経験を、そこに重ね合わせる。

 ところが、である。今度は、こんな文を読んで聞かせたとしよう。

 「マグパイは、ガムツリーの上で、大胆な声で、泣きました」と。

 マグパイというのは、オーストラリアに住む鳥の名前。ガムツリーというのは、ユーカ
リの木の別名。子どもは、未知の言葉の間にはさまってしまい、(大胆)という言葉の意味
を知ることはできない。

 乳幼児であればあるほど、知っている言葉の数は少ない。そのため未知の言葉の間には
さまってしまうことが、しばしば起きると考えられる。そこで重要なことは、体験と言葉
を、状況に応じて一致させていくこと。

 たとえば子どもがころんで痛そうなとき、「ヒリヒリと痛い?」と聞くなど。そうするこ
とによって、(ころぶ)という行為と、(痛い)という現象の中で、子どもは、(ヒリヒリ)
の意味を知ることができる。つまり文章を読んできかせただけでは、子どもは、言葉の意
味を知ることはない。(記憶のどこかに、格納しておくという点では、無駄ではないが……。)

 ともかくも、こうした能力を、「統語的ブートストラッピング」という。(私は、知らな
かった!)

 「ブート」というのは、「救済」「援助」という意味。「ストラッピング」というのは、「(ひ
もで)結びつける」という意味。ナルホド! 前後の言葉の援助を受けて、ひもで結ぶよ
うにして、言葉を統合的に理解するから、「統語的ブートストラッピング」。「統語的ブート
ストラッピング」ねえ?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
統語的ブートストラッピング 統語的ブート・ストラッピング)


●肥満

++++++++++++++++++++++++

肥満は、つぎの式で求められる(BMI)。

BMI=(体重、Kg)/(身長、m)の二乗

私のばあいは、64キロ、1・66メートルだから、
BMI=64÷(1・66x1・66)=23・1
となる。

BMI値が、25以上を、肥満(WHO)もしくは、
肥満度1(日本)としている。

25を超えると、肥満関連疾患が、急激に増える
という(日経・サイエンス、07年12月号)。

++++++++++++++++++++++++
 
 約8億人の人が、飢餓で苦しんでいる一方、この地球では、肥満関連疾患に苦しんでい
る人も多い。最近の傾向としては、発展途上国でも肥満が増え、肥満への認識が甘いため、
かえって深刻な社会問題を引き起こしているという(同誌、要約)。

 いくつか気になる事実を拾ってみよう。

●350mlで、速歩で、25分、ジョギングで10分 

 何かの健康雑誌に、「おにぎり1個分のカロリーを消費するためには、1万歩、歩かねば
ならない」と書いてあったのを記憶している。

 つまり1万歩、歩かないと、おにぎり1個分のエネルギーを消費できないということ。
同じような内容だが、「サイエンス」誌によれば、

 「体重60キログラムの人が、100Kカロリー消費するためには、速歩で約25分、
ジョギングなら、10分走らなければならない。350ml入りの清涼飲料水のカロリー
を消費するためには、3キロメートル近く歩かねばならない」と。

 が、実際には、先進国では、1人あたりのカロリー摂取量が、どんどんとふえている。
アメリカでは、1日あたり、3200Kカロリー(1980年)だったものが、3900
Kカロリー(2000年)へとふえている。

 みなさんもご存知かと思うが、アメリカに行って、まず驚くのが、太った人。「多い」と
いうよりは、日本人の基準でみると、ほとんどがそうではないかと思えるほど、多い。太
っているといっても、ふつうの太り方ではない。ビア樽(だる)を、さらに一回り太くし
たような太り方をいう。そういう人が、やたらと目につく。

 3200Kカロリーから、3900Kカロリーへ、つまり700Kカロリー増えると、
どうなるか? その結果が、今のアメリカの現状ということになる。

 では、運動をしてやせればよいと、だれしも考える。が、一度摂取したカロリーを燃焼
させるのは、容易なことではない。1万歩、歩いて、やっとおにぎり1個分のカロリーを
燃焼させることができるという。が、実際に、毎日、1万歩、歩いている人は、いったい、
どれだけいるだろうか。

 サイエンス誌は、健康法として、結論として、つぎのように書いている。

(1)太らないこと。すでに太っているばあいは、体重を減らす。
(2)飽和脂肪(牛肉、豚肉類、乳製品)の摂取を減らす。
(3)固形脂より、植物脂を使用するようにする。
(4)主に野菜、果物、無脂乳製品を食べるようにする。
(5)塩と砂糖(精製糖)は、控えめにする。
(6)薬品や、凝った料理法によらない食事法が望ましい。
(7)たくさん運動し、野外のレクリエーションを楽しむ、と。

 1959年、キーズ夫妻という人が提唱した健康法だそうだ。この方法は「今でも生き
ている」(同誌)と。

●リバウンドを防ぐためには、運動しかない

 アメリカには、よく知られたダイエット法として、(1)アトキンズ・ダイエット法、(2)
ゾーン・ダイエット法、(3)低脂肪食ダイエット法、(4)オーニッシュ・ダイエット法
などがあるそうだ。

 いちばん効果的だったのが、(1)のアトキンズ・ダイエット法だったという。が、しか
し「この方法では、減らした体重を維持するのはむずかしい」(心理学者で、減量法の権威、
J・Hill)とのこと。つまりリバウンドが起こりやすい。

 せっかく減量に成功しても、それからは毎日、空腹感と闘わねばならないということに
なる。

 で、サイエンス誌の出した結論は、こうだ。

 「体重維持のカギは、運動」と。肥満の程度にもよるが、毎日1時間程度の運動が好ま
しい、と。しかし実際には、「毎日1時間以上の運動を生活に組み込むのは、難しい」。そ
こで重要なのが、予防ということになる。「予防こそ、大切」と。

 予防のためなら、1日、15分〜20分程度の運動で、だいじょうぶ、ということらし
い。つまり肥満になってから、運動するよりも、肥満になる前に運動するほうが、効果的
ということになる。それに楽。

 ……そのあたりのことは、私にも、よくわかっているのだが……。

 ほかにもいろいろ書いてある。私のように、(太る)→(減量する)→(また太る)とい
うように、「ヨーヨーのように、体重がふえたり、減ったりするダイエットは、不健康」と
いうことらしい。

 私のばあいは、体重が67キロを超えると、あわててダイエットを始め、64キロ前後
まで落ち着くと、また食べ始める。いつも、この繰りかえし。周期をみると、だいたい、
1〜2か月ごとに、それを繰りかえしている。

 運動はしているが、サイエンス誌を読んだところでは、私の運動量では、どうも不足と
いうことらしい。しかしこれ以上運動量ふやせといっても、どこでどうふやせばよいのか?
 それに体力がつづくかどうか?

 とりあえずできることは、食事の量を控えめにするということ。もうすぐ夕食だが、今
夜は、いつも3分の2程度ですませよう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●トイレ掃除

 私は、今日、トイレ掃除をした。昨日から用具を買いそろえ、今日、それを実行した。
作業の前に、「これからはトイレの中でも、食事ができるようにする」と告げると、ワイフ
は笑った。

 ……まず掃除機をかける。2、3回、繰りかえす。床、壁、便器の周辺を、雑巾で、て
いねいに拭く。ランプを、40Wから50Wに換える。便器は、消毒薬などを使って、磨
く。ピカピカに磨く。バラの造花で飾る。香水の入った瓶を2つ置く。

 そうそう床の上に、新しいマットを敷いた。こまかい汚れは、手袋をして、サンド・ペ
ーパーで磨いた。壁のシミは、ひとつひとつ、白い修正ペイントで塗りつぶした。

 「これなら食事ができる」と実感したところで、トイレ掃除は、終わり。楽しかった。


●マガジン11月号

 マガジン11月号のHTML版(カラー写真版)は、休むつもりでいた。一度は、10
月号の最後で、「11月号は休みます」と書いた。

 しかし取り消し!

 今日、11月号のHTML版を完成させた。新しいカメラを買ったこともある。それに
(休む)ということには、どこか敗北感が漂う。それで取り消した。

 どうか、HTML版のほうも、ときどきのぞいてみてください。がんばっています!


●ホームページ

 今度、N社という会社が、HPの無料サービスを始めた。100MBまで、無料。しか
もアップロード・ファイルサイズについては、3MBまで、OK。(少し前、ファイルサイ
ズ制限なしと書いたが、これはまちがい。)

3MBというと、原稿用紙(40字x36行)にして、500〜700枚程度。さらに
1人で、いくつでも、HPを開設することができる。

 すごいサービスである。有料版にしても、月額、たったの95円!

 さっそく、6つほど、新しいサイトを開設してみた。1つ、2つ目は、それなりに手こ
ずったが、3つ目くらいからは、2〜3分で開設できるようになった。

 ただし「3か月間、アクセス件数がゼロのときは、廃止される」とのこと。

 私は今、動画については、TUBE、静止画(写真)については、Flickrを、そ
れぞれ利用させてもらっている。これから先、HPのほうは、N社のサービスを利用させ
てもらう。

 私のHPのトップページにある、「子育て・あいうえお」、「子育てQ&A」などは、この
N社のサービスを使ったもの。興味のある方は、どうか、のぞいてみてほしい。

 NINJAのHPサービスは、以下のアドレスからどうぞ。

http://www.ninja.co.jp/hp/


●1000号まで、あと30号!

 マガジンは、12月3日で、970号になる。1000号まで、あと30号! 100
0号以後は、どうするか? いろいろ考えるが、何も変わらないだろう。今までどおり、
書きつづける。

 「1000号になったら、2人で、お祝いしようね」と言うと、ワイフは、「うん」と言
ってくれた。どこかでおいしいものを食べて、それでおしまい。もの足りない感じがしな
いでもないが、現実は、こんなもの。

 もし読者のみなさん中で、1001号〜からは、マグプレ(有料版・月額300円)を
読んでもよいと思ってくださる方がいらっしゃれば、よろしく! この1年以上、読者数
は、25人前後のまま。しかし有料ということで、私は、このマグプレを、もっとも大切
にしている。


●あと20分で、10月29日

 このところEマガの配信が、乱れている。予約どおりに、配信されないまま、配信トレ
イに残ったままになる。

 何度か、Eマガ社に問い合わせているが、返事は、なし。しかたないので、毎度、朝に
なってから、手動で、再配信。この2週間ほど、そんな作業がつづいている。

 どうしてだろう? それを確かめるため、つまり、ちゃんと配信されるかどうか、それ
を確かめるため、今夜は、12時(午前0時)まで、起きていることにした。12時に、
10月29日号が、配信されるはず。

 あと17分。

【読者のみなさんへ】

 Eマガは、現在、こんな調子です。できれば、MELMA(無料版)への乗り換えをお
願いします。乗り換えは、私のHPのほうからできます。

 (乗り換え→)http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html

 ボックスに、メールアドレスを書き込むだけです。よろしくお願いします。

 ……以上、意味のない雑談ばかりで、ごめんなさい。たった今(午前12時)、メールボ
ックスを調べてみました。やはりEマガは、予約どおり、配信されていないようです。

 そんなわけで、10月29日も、手動で、配信しました。

 では、みなさん、おやすみなさい!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(10月29日号)

+++++++++++++

し烈さを増す、日韓経済戦争。

勝つか、負けるか?

が、今、韓国では、実に妙な
ことが起きている。

外資は逃げる。個人負債はふえる。
しかし株価だけは、上昇する。

なぜか?

+++++++++++++

●ウォン高

 今日(10・29)現在、1ドル=908円(12PM)。「900円を割ったら、韓国
の輸出産業は、壊滅的な打撃を受ける」と言われている。が、その900円まで、あと8
円!

 しかし韓国の大本営発表ほど、いいかげんなものはない。そのつど、言っている内容が、
コロコロと変わる。しかし1ドル=908ウォンというのは、たしかに行きすぎ。それほ
どまでに、ウォンは強いのか? 魅力的な通貨なのか?

●逃げる外資

 ここ2年間で、約83億ドルの外国人投資資金が、韓国から逃げている(東亜N報、1
0−29)。いわく、「KOTRAが28日、国会の産業資源委員会に提出した国政監査資
料によると、国内に投資した外国人投資額のうち、撤収金額は05年に32億8000万
ドル、昨年50億6000万ドルで、2年間の合計は83億4000万ドル(約7兆58
85億ウォン)であるという調査結果となった」と。

 理由は、いろいろある。その中でも、最大の理由が、「労使関係」。韓国の労働組合の強
さは、日本の比ではない。過去、日系企業も数多く、韓国に進出したが、そのほとんどが、
今では撤退している。そうでなくても、反日感情の強い国である。

 が、これだけ外資が逃げるから、その分だけ、韓国経済が打撃を受けているかというと、
そうでもない。当局(KOTRA)は、つぎのように説明している。

 「外国人投資家が国内の事業場を清算し、出資金をすべて回収する事例は少なく、撤収
しても韓国人に持ち分売却を行う場合がほとんどなので、国内経済に及ぼす影響は大きく
ない」(東亜N報)と。

 わかるか? このハゲタカのようなやりかた。

 外国企業が撤退するときも、(その外国企業が)出資金をすべて回収することは、「少な
い」と。わかりやすく言えば、こういうこと。

まず外国人(ほとんどは日本人、当時)に、工場などを建てさせる。つぎに労使紛争を激
化させ、操業を停止させる。嫌気がさした、外国企業は撤退する。その撤退する外国企業
を安く買いたたいて、自分たちのものにする。だから「国内経済に及ぼす影響は大きくな
い」と。

●ふえる個人負債

 目下、韓国人1人あたりの個人負債は、うなぎのぼりというか、天文学的数字にまで、
ふくれあがっている。その額、軽く日本円で、70兆円を超え、90兆円に迫っている。

 90兆円だぞ! 日本の人口規模に換算すると、3〜4倍して、約300兆円!

 そのため、銀行の貸し倒れが、急増中。この1〜6月期の貸し倒れ(貸出債権損失処理
金額)だけでも、2兆6700億ウォンあまり(東亜N報。10−25)。03年以後、銀
行圏だけでも、総額28兆7000億ウォンにもなっている(同)。

 しかもその借金は、ふえつづけている。中央N報の記事いわく、

 「個人負債が国内総生産(GDP)の80%を超えた。22日、韓国銀行の国政監査資
料によると、個人の負債残額は(今年の6月末基準)、699兆1000億ウォン(約87
兆円)で、物価上昇率を考慮しない名目GDP871兆8000億ウォンの80・2%に
達した。2004年末69・6%から昨年末79・1%に急騰したのに続き、80%台も
超えたのだ」(10−23)と。

 個人負債が、GDPの80%を超えたということがどういうことか、あなたにはわかる
か? 簡単に言えばおやじが稼ぐ給料とほぼ同額の金額を、妻がどこからから借りている。
つまり国民のほとんどが、借金漬けということ。借金に借金を重ねて、その金を、何かに
使っている。

 その「何か」とは、何か? 言うまでもなく、「投資」である。「株投資」である。東亜
N報は、こんな例をあげている。

 「ハナ銀行の家計向け融資担当者は「今年、証券市場が好況を享受していることから、
株式やファンドに投資するために信用融資を受ける顧客が多い」と話し、「担保や保証なし
に1億2000万ウォンを借りて株式に投資した事例があるとも聞いている」と説明した」
と。

●借りた金で、株投資

 韓国では、レバレッジ、つまり借りた金で株を購入、その株を担保にまた金を借りる。
その金でまた株を購入。さらにその株を担保にまた金を借りる……が、当たり前のように
なされている。

 その結果が、株価の大暴落と、大暴騰。その繰りかえし。

 私も毎日のように韓国の株価をのぞいているが、もうメチャメチャ。1800ポイント
台に急落したかと思うと、今度は、2000ポイント台に急上昇。そういう変化を、この
数か月、週単位で繰りかえしている。

 今日現在(10―29、午後1時)は、2062ポイント。

 韓国では、法定利息は、年利66%だった。それが最近、49%に引き下げられた。し
かしヤミ金融の世界では、100〜200%が当たり前。

 どうなるか……?、というより、こんなメチャメチャな経済運営をしている国を、私は、
ほかに知らない。一部の、ごく一部の国策企業だけは、毎日のように華々しいアドバルー
ンをあげている。しかしそれは一部。

 もしここでほんの少しでも、株価が低落したり、景気が低迷したら、どうなるか? さ
らに原油高という問題もある。私たち日本人の知ったことではないが、しかし何も、日本
が、韓国のことを心配する必要はない。つい先日も、韓国は、アジアでも最大級の揚陸艦
(兵士上陸用の特殊船)を完成させた。名前はズバリ、「独島」。日本名は、「竹島」。まさ
にやりたい放題。日本が竹島を占拠(?)したら、韓国はその揚陸艦を出動させるつもり
らしい。

 (もし日本が反対の立場で、同じものを建造したら、韓国はどのように反応するだろう
か?)

 ここは静観して、韓国経済の成り行きを見ていようではないか。
(以上、10月29日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今日・あれこれ(10月30日)

+++++++++++++

満60歳+2日!

何も変わらない。いつもどおり。
しかし運動量は、ふやした。

昨日は、小雨模様の中、2単位。
今日も、2単位(予定)。

その前日は、1時間ほど、歩いた。

体の調子は、悪くない。
(よくもないが……。)

この分なら、60代も、無事通過
できるかもしれない。まだ2日目
だが……。

うしろ向きに生きるのは、やめた。
これからは、どんどんと前向きに
生きる。

私は、ヤング・オールド・マンなのだ!

++++++++++++++

●私は生きている

60歳と、プラス2日。
体は、動く。仕事も、そのまま。
頭の働きも、まあまあ。

何も変わらない。変わらないが、
あの押し詰まったような緊張感は、
いったい、何だったのか?

60歳が近づくにつれて、
気分がふさいだ。あれこれ考えた。

しかしその60歳を過ぎてみると、
目の前が、パッと明るくなった。
気分が楽になった。軽くなった。
たとえて言うなら、暗いトンネルを
抜けたような感じ。

私はたしかに生きている。
その実感。自転車をこぐ足にも、
力が入る。仕事も楽しい。
食事もおいしい。

そうそう昨夜、居間にいたとき、
こんなことがあった。

座椅子から立ち上がろうとすると、
たまたまそばにいたワイフが
手を貸してくれた。

私は立ち上がったあと、また
座椅子に座り直した。

今度は、自分で立ち上がった。
ワイフは、「何も、座り直すことは
ないわよ」と言って笑った。

私は、「いやだね。まだまだ自分で
立ち上がれる」と。

私は生きている。たしかに生きている。
その実感が、楽しい。うれしい。

還暦なんて、クソ食らえ!
バカヤロー!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●やるせない虚脱感

++++++++++++++

多くの教師たちが今、ある種の
虚脱感に襲われている。

何かがおかしい。何かがへん。
しかしそれを声に出して言うこと
すら、許されない。

そんな虚脱感である。

++++++++++++++

 少し前、ある小学校で、一人の子どもが、学校で飼っていたうさぎを、二階のベランダ
から落として殺すという事件があった。この事件は、新聞にも報道された。そのため、教
育者のみならず、親たちにも、大きな衝撃を与えるところとなった。

 こういう事件が起きると、現場の教師たちは、最初は、はげしい怒りに襲われる。しか
しつぎの瞬間、今度は、一転して、同じくはげしい無力感に襲われる。「やるせなさ」と言
ったらよいかもしれない。その事件を直接見聞きた、ある先生も、そう言っていた。

 怒り……それは当然だ。問題は、無力感。私にも、何度か、経験がある。

 もう三〇年ほど前になるだろうか。こんな事件があった。そのとき、私はある予備校で、
講師のアルバイトをしていた。そこでのこと。控え室へ戻って、飲みかけたお茶を飲もう
と思って、席に座った。気がつくと、三、四人の中学生が、ニヤニヤ笑いながら、私を見
つめているではないか。「どうしたの?」と聞いても、ただ笑っているだけ。

 で、一気に、お茶をぐいと飲んだ。おかしな臭(にお)いはしたが、私は、割とそうい
うことには無頓着。で、飲んでしまって、茶碗を下に置くと、一人の中学生が、こう言っ
た。

 「先生、へんな味はしなかった?」と。

 とたん、ピンときた。「君たち、ぼくのお茶の中に……」と。そこまで言いかけて、もう
一人の中学生の手を見ると、彼は殺虫剤のスプレー缶をにぎっていた。私は、カーッとな
って、こう叫んだ。

 「バカヤロー。冗談でしていいことと悪いことがある。お前たちには、それを判断する
能力もないのか。出て行け!」と。

 あとでマネージャーになだめられたが、私の腹のムシは収まらなかった。「即刻、退塾さ
せてほしい」と私は迫ったが、「それは待ってほしい」と。

で、そのあとである。私を、はげしい無力感が襲った。それは虚脱感と言ってもよかっ
た。そういうバカ(脳ミソのできふできを言うのではない。常識に欠ける行為をする人
間を、バカという)を相手に、知恵をつけなければならない虚(むな)しさ。相手にし
なければならない虚しさ。教えなければならない虚しさ。そういうものが、どっと私を
襲った。

 恐らく、その虚しさは、この世界の外にいる人には、理解できないものだろう。「教育を
否定されたかのような虚しさではありませんか?」とわかったようなことを言う人もいる
が、そんなものではない。それは自分のしていることを、のろいたくなるような虚しさで
ある。

 で、それでこの種の事件は終わったわけではない。それからも、つぎつぎと起きた。最
近でも起きた。それもその回数が、以前より、多くなった? 子どもたちの「質」が、明
らかに変化している。ものの考え方が、ギャグ化し、言動が、ゲーム化している? うさ
ぎを二階のベランダから落として殺したというのも、その一つにすぎない? まじめに考
えることを、今の子どもたちは、「ダサイ」と言う。そういう子どもたちに、いちいち腹を
たてていたら、仕事そのものが成りたたない。

 で、なぜ、こういう非常識な子どもが、ふえつつあるか、である。常識がないというか、
道理がわかっていない。自分で考える力さえ、ない。そのときの気分と、はずみで、メチ
ャメチャなことをしてしまう。頭のよし、あしには、関係ない。勉強ができる、できない
にも、関係ない。

 えてして親は、教師は、そして世間一般は、勉強がよくできる子どもイコール、人格者
と考える。学歴のある人イコール、人格者と考える。しかしこれはまったくの誤解。ウソ。
デタラメ。はっきり言えば、幻想。むしろ頭がよい分だけ、タチ(性質)が悪い。有名進
学高校ほど、陰湿ないじめが多いというのは、そういう理由による。

 最近の子どもたちは、何かを見落としたまま、知識や知恵を身につけている。親たちも、
その知識や知恵だけをみて、子どもを判断しようとする。こうしたイビツな教育観が、お
かしな子どもを、どんどんと生産している。

 で、私のばあい、腹を立てることは、少なくなったが、虚しさだけは、どんどんとふく
らんでいる。それはたとえて言うなら、小さな苗を植えたところから、巨大なブルドーザ
ーで、踏み荒らされるような虚しさである。ときどき、この世界から足を洗いたくなるこ
ともある。私一人の力では、どうにもならない。いや、もし私に、それなりの退職金と年
金が入るなら、明日にでも足を洗うかもしれない。

 こうした現象を防ぐために、子どもには、静かに考える場所と、時間を提供すること。
一日、一時間や二時間では足りない。数時間単位で、ひとりで考えられるようにすること。
そのためには、テレビ、ゲームなどは避ける。少なくとも夕食後は、ひかえる。そしてあ
とは、自分で行動させ、自分で責任をとらせる。こうした積み重ねが、子どもを常識豊か
な子どもにする。

 そう、今、その常識豊かな子どもが、減ってきている。それは事実だ。
(030923)

【ギャグ化現象】

 日本語でも、昔から、「茶化す」「はぐらかす」「おちょくる」「からかう」「とぼける」「ご
まかす」などという表現がある。要するに、ものの本質から逃げて、相手を煙に巻くこと
をいう。

●逃避……たとえば「環境汚染が進んで、空気が汚染されたらどうする?」と問いかける
と、「パソコンで、青い空をつくればいい」と答えるのが、それ。
●仰天……相手の言っていることに対して、突飛もないことを言って、その場を、はぐら
かす。「地震がやってくるかもしれないね」と言ったことに対して、「巨大隕石が落ちて
くると、地球はこなごなになる」と言うのが、それ。
●飛来……思いついたことだけを、ペラペラと言う。「ラーメン、食べたい」「Xメンだ」
「からし明太子(めんたいこ)」と。前後の脈絡がない話を、つぎつぎとつなげていく。
●奇声……「どひゃー」「ウエウエ」「ドギドギ」というような、意味のわからない言葉で、
その場をごまかしてしまう。「明日の遠足のしたくはできているの?」と聞くと、「ジャ
ジャ〜ン」と答えるなど。

 こうしたギャク化現象は、三〇年前には、なかった。こうしたギャクを口にすれば、そ
れだけで軽薄な人間と思われた。英語にも似たような現象はあるが、質が違う。オースト
ラリアの友人に、このことを話すと、その友人は、こう言った。

 「オーストラリア人は、ジョークを言うのが好きだ。しかし日本人は、ジョークを言わ
ない。その分だけ、ギャク化するのではないか」と。この問題は、また別の機会にほりさ
げて、考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
虚脱感 教師の虚脱感5105)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【溺愛】

●母親の溺愛

 溺愛する親にせよ、ストーカー行為を繰りかえす人にせよ、それは「愛」によるもので
はない。「代償的愛」による。代償的愛というのは、いわば、愛もどきの愛。身勝手で、自
分本位の愛。自分の心のすき間を埋めるための愛。子どもや、その相手を、そのために利
用しているにすぎない。

 この代償的愛は、共通のものと考えてよい。私はこのことを、一人の母親に出会って、
知った。

 その母親(五五歳くらい)は、娘(現在、二八歳)を、溺愛した。それは恐ろしいほど
の溺愛だった。娘が幼稚園児のときは、遠足先まで、見え隠れしながら、自分で車を運転
して、ついてきたという。

 が、その娘は、あるときから、そういう母親の溺愛をうるさく思うようになった。そし
て事件は起きた。

 娘が母親の反対を押し切って、一人の男と結婚して、家を出てしまった。母親は、娘夫
婦といっしょに暮らすことを考えていた。が、その夢は、こなごなに、こわれた。とたん、
その母親は、ストーカーに変身した。

 その話を、その女性(娘)から聞いたままを、ドキュメンタリー風に、書いてみる。あ
まりにも生々しい話なので、事実だけを、そのまま書く。

+++++++++++++++++

●娘をストーカーする母親

 ある夕方、H(女性、二八歳)が、食事のしたくをしていると、そこへ電話がかかって
きた。そこに住むようになって、数日目のことだった。受話器を取ると、母親からだった。
母親は、こう言った。

 「あんた、今日はダサイ服を着てたわね。何よ、あの赤いスカート!」と。驚いてHが、
「どうして知ってるの?」と聞くと、「スーパーで見かけたからよ」と。

 しかしその娘が行くスーパーには、母親は行かないはず。それに実家からは、距離も離
れている。母親は、ネチネチとした言い方で、あれこれ話し始めた。

 「あんた、インスタント食品ばかり買ってたでしょ。それにスパゲッティに、ウーロン
茶? いったい、どういう取り合わせをしてるの? 体によくないわよね。それとも、あ
んたのダンナを早く、殺したいの? ちゃんと、料理してあげなさいよ」と。

 Hは、母が自分のことを怒っていることを知っていた。母の反対を押し切って、結婚し
た。実際には、結婚式は、できなかった。今の夫とは、駈け落ちするかのようにして、家
を出た。あとで父に聞くと、その夜、母は、狂乱状態になって暴れたという。そんな負い
目があった。Hは、母親の話をだまって聞くしかなかった。

 が、それは、それからつづく、いやがらせの、ほんのはじめに過ぎなかった。

 電話は、翌日もかかってきた。そして今度は、こう言った。

 「この親不孝者め。親を捨てて家を出るということが、どういうことなのか、あんたに
はわかっているの。あのね、親を捨てる者は、地獄へ落ちるのよ。そう、あんたなんか、
地獄へ落ちればいいのよ」と。

 それは前日と同じように、ネチネチした言い方だった。Hは、電話にとまどいながらも、
反発することすらできなかった。相手は親だ。しかも自分は、その親に、かわいがっても
らった。ほしいものは、たいてい何でも買ってもらった。

 大学は家から通ったが、家では、一番日当たりのよい、二階の三部屋を自由に使うこと
ができた。学費のほか、毎月一〇万円の小づかいをもらっていたが、そのほとんどは遊興
費に使うことができた。しかし親は、何も文句は言わなかった。

H「お母さん、ごめんなさい。親不孝者だということは、自分でもわかっているわ」
母「そうよ。あんたなんか、地獄へ落ちるのよ。私が先に死ぬからね。あの世で、あんた
が地獄へ落ちるのを、楽しみに見ていてあげるからね」
H「でも、そんなつもりはないの」
母「そんなつもりって、何だい? 親を捨てたことかい?」
H「捨ててなんか、いないわ。いつもお母さんのことを、大切に思っているわ」
母「ああ、私はね、足が痛いんだよ。年齢も年齢だからね。だれが、病院へ連れていって
くれるのかね」と。

 こうした電話が、ほとんど、毎日、かかってきた。ときには、朝早い時刻に。ときには、
真夜中に。Hは、電話のベルが鳴るたびに、不安感を覚えるようになった。「心の底をえぐ
られるような不安感」と、Hは言った。

 しかしHは、母からの電話については、夫には言わなかった。ときどき夫が電話に出る
ことはあったが、母は、夫には、別人のように、やさしくていねいな言い方をした。夫は、
いつも、Hに、「おまえの母さんは、いい母さんだな」と言っていた。

 そう、母親は、近所では、「仏様」というニックネームをつけられていた。穏やかな顔立
ち、それに低い、物腰。何かと小うるさい女性ではあったが、嫌われるということは、な
かった。しかし娘のHには、違った。

 その日は、夫がいない夜に、電話がかかってきた。母は、夫が泊りがけの出張で、家に
いないことを知っていた。

母「あんたの手料理が食べたいよオ〜」
H「何を?」
母「昨日は、ダンナと、スキヤキを食べたんだろ?」
H「どうして、それを知っているの?」
母「母さんは、何でも知ってるんだよ」

H「どうしてスキヤキって、知っているの? 見てたの? どこで?」
母「そんなのは、私の勝手だろ。私はね、あんたが家を出てからというもの、毎晩、泣い
て過ごしているんだよ」
H「そんな……」
母「あんたも、もうすぐ母親になるんだろ。子どもが生まれるんだろ。だったら、そんな
狭いアパートなんかにいないでさ、うちへ戻っておいでよ。あんな風采のあがらないダン
ナなんかとは、別れなさいよ」

H[それは、できないわ]
母「どうしてだい。親よりも、ダンナのほうが大切だと言うのかい?」
H「そうではないけど、私には、私の生活があるのよ」
母「じゃあ聞くけど、私の人生は何だったのよ。私の人生を返してよ。あんたには、いく
らお金をかけたか、わからない。あんたがピアノをひけるようになったのも、私が毎週、
毎週、高い月謝を払って、ピアノ教室へ連れていってあげたからでしょ。その恩を忘れた
の?」
H「忘れてはいないわ。でも、私は私の生活をしたいの」
母「この親不孝者めが!」(ガチャン)と。

 Hによると、電話での母の声の調子は、毎日のように変わるという。はげしく罵声した
かと思うと、その翌日には、ネコなで声で、甘えるような言い方をするなど。あるいは、
怒った言い方をした翌日は、今度は一転、弱々しい言い方をするときもあるという。一度
は、今にも死にそうな声で、「助けてくれ」と電話がかかってきたこともある。

 あわててHが実家へ戻ってみると、母は台所で、ピンピンしていたという。そしてこう
言ったという。「お帰りなさい。あんたが帰ってくると思ったから、おいしいごちそうを用
意しておいたからね」と。

 Hは夫に、あれこれ口実をつくって、アパートをかえることにした。夫は、それに従っ
てくれた。Hは、もちろん母に内緒で、今度は、市内でも、実家からは反対側にある、E
町に住居を移した。が、電話線を引いたその翌日には、母から電話がかかってきた。

母「引っ越したんだってね。どんなところだい。家賃は、一二万円というじゃないかい。
豪勢な生活だね」
H「……」
母「私に内緒で引っ越しても、ムダだよ。親と神様は、すべてをお見通しだよ」

H「お願いだから、私のことは私に任せて」
母「任せて? よくもまあ、そんな生意気な口がきけたもののね。あんたは、だれのおか
げで、言葉が話せるようになったか、それがわかっているの? 親の私よ。どこに、子ど
もに言葉を教えない親がいるもんかね」

 そこでHは、ふりしぼるような声で、こう言った。

H「お母さん……、私に、どうかお願いだから、もう構わないで……」と。

 「構わないで」という言い方は、Hが母親に対して、はじめて使った言葉である。Hが、
使いたくても使えなかった言葉。いつものどまで出かかっていたが、そこで止まっていた
言葉。予想どおり、その言葉は、母を激怒させた。母は、ヒステリックな金きり声をあげ
て、こう叫んだ。

「何てこと言うの! 親に向かって! この恩知らずめ!」(ガチャン)と。

 この話は、現在進行形である。私も、最初、この話を聞いたときには、自分の耳を疑っ
た。しかし、ここに書いたことは、事実。こうした(常識にはずれた話)を書くときは、
私はできるだけ聞いたとおりを、忠実に書く。

 で、この話とは別に、私は一つの事実に気づいた。それが冒頭に書いた、子どもを溺愛
する親が感ずる「愛もどきの愛」と、ストーカーする人が口にする、「愛もどきの愛」とは、
同質のものである、と。もともと親の身勝手な愛という点で、共通している。

+++++++++++++++++++

●溺愛

 溺愛ママには、いくつかの特徴があります。
それについては、以前にも、いくつかの原稿
を書いてきました。その一つ(子育ての最前
線にいるあなたへ」(中日新聞社・掲載済み)
を、ここに転載します。

+++++++++++++++++++

●溺愛ママの溺愛児

 「先生、私、異常でしょうか」と、その母親は言った。「娘(年中児)が、病気で休んで
くれると、私、うれしいのです。私のそばにいてくれると思うだけで、うれしいのです。
主人なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします」と。私はそれに答え
て、こう言った。「異常です」と。

 今、子どもを溺愛する親は、珍しくない。親と子どもの間に、距離感がない。ある母親
は自分の子ども(年長男児)が、泊り保育に行った夜、さみしさに耐え切れず、一晩中、
泣き明かしたという。また別の母親はこう言った。「息子(中学生)の汚した服や下着を見
ると、いとおしくて、ほおずりしたくなります」と。

 親が子どもを溺愛する背景には、親自身の精神的な未熟さや、情緒的な欠陥があるとみ
る。そういう問題が基本にあって、夫婦仲が悪い、生活苦に追われる、やっとのことで子
どもに恵まれたなどという事実が引き金となって、親は、溺愛に走るようになる。肉親の
死や事故がきっかけで、子どもを溺愛するようになるケースも少なくない。そして本来、
夫や家庭、他人や社会に向けるべき愛まで、すべて子どもに注いでしまう。その溺愛ママ
の典型的な会話。

先生、子どもに向かって、「A君は、おとなになったら、何になるのかな?」
母親、会話に割り込みながら、「Aは、どこへも行かないわよね。ずっと、ママのそばにい
るわよねエ。そうよねエ〜」と。

 親が子どもを溺愛すると、子どもは、いわゆる溺愛児になる。柔和でおとなしく、覇気
がない。幼児性の持続(いつまでも赤ちゃんぽい)や退行性(約束やルールが守れない、
生活習慣がだらしなくなる)が見られることが多い。満足げにおっとりしているが、人格
の核形成が遅れる。ここでいう「核」というのは、つかみどころをいう。輪郭といっても
よい。

子どもは年長児の中ごろから、少年少女期へと移行するが、溺愛児には、そのときにな
っても、「この子はこういう子だ」という輪郭が見えてこない。乳幼児のまま、大きくな
る。ちょうどひざに抱かれたペットのようだから、私は「ペット児」と呼んでいる。

 このタイプの子どもは、やがて次のような経路をたどる。一つはそのままおとなになる
ケース。以前『冬彦さん』というドラマがあったが、そうなる。結婚してからも、「ママ、
ママ」と言って、母親のふとんの中へ入って寝たりする。これが全体の約三〇%。もう一
つは、その反動からか、やがて親に猛烈に反発するようになるケース。

ふつうの反発ではない。はげしい家庭内暴力をともなうことが多い。乳幼児期から少年
少女期への移行期に、しっかりとそのカラを脱いでおかなかったために、そうなる。だ
からたいていの親はこう言って、うろたえる。「小さいころは、いい子だったんです。ど
うして、こんな子どもになってしまったのでしょうか」と。これが残りの約七〇%。

 子どもがかわいいのは、当たり前。本能がそう思わせる。だから親は子どもを育てる。
しかしそれはあくまでも本能。性欲や食欲と同じ、本能。その本能に溺れてよいことは、
何もない。

++++++++++++++++++++++++

同じような内容ですが、「マザコン人間」(失礼!)に
ついて書いた原稿を転載します。

++++++++++++++++++++++++

●マザコン人間

 マザコンタイプの男性や女性は、少なくない。昔、冬彦さん(「テレビドラマ『ずっとあ
なたが好きだった』の主人公」)という男性のような例は、極端な例だが、しかしそれに似
た話はいくらでもある。総じてみれば、日本人は、マザコン型民族。よい例が、森進一が
歌う、『おふくろさん』。世界広しといえども、大のおとなが夜空を見あげながら、「ママー、
ママー」と涙をこぼす民族は、そうはいない。

 そのマザコンタイプの人を調べていくと、おもしろいことに気づく。その母親自身は、
マザコンタイプの息子や娘を、「親思いの、いい息子、いい娘」と思い込んでいる。一方、
マザコンタイプの息子や娘は、自分を、「親思いの、いい息子、いい娘」と思い込んでいる。
その双方が互いにそう思い込んでいるから、自分たちのおかしさに気づくことは、まずな
い。

意識のズレというのはそういうものだが、もっとも互いにそれでよいというのなら、私
やあなたのような他人がとやかく言う必要はない。しかし問題は、そういう男性や女性
の周囲にいる人たちである。男性の妻とか、女性の夫とかなど。ある女性は、結婚直後
から自分の夫がマザコンであることに気づいた。ほとんど数日おきに、夫が実家の母親
と連絡を取りあっているというのだ。何かあると、ときには妻であるその女性に話す前
に、実家の母親に報告することもあるという。

しかし彼女の夫自身は、自分がマザコンだとは思っていない。それとなくその女性が夫
に抗議すると、「親を大切にするのは子の努め」とか、「親子の縁は切れるものではない」
と言って、まったく取りあおうとしないという。

 いわゆる依存型社会では、「依存性」が、さまざまな形にその姿をかえる。ここにあげた
「マザコン」もその一つ。で、最近気がついたが、マザコンというと、母親と息子の関係
だけを想像しがちだが、母親と娘、あるいは父親と娘でも、同じような関係になることが
ある。そして息子と同じように、マザコン的であることが、「いい娘」の証(あかし)であ
ると思い込む女性は少なくない。

このタイプの女性の特徴は、「あばたもエクボ」というか、何があっても、「母はすばら
しい」と決めつけてしまう。ほかの兄弟たちが親を批判しようものなら、「親の悪口は聞
きたくない!」と、それをはげしくはねのけてしまう。ものの考え方が権威主義的で、
親を必要以上に美化する一方、その返す刀で、自分の息子や娘に、それを求める。

つぎの問題は、このとき起きる。息子や娘がそれを受け入れればそれでよいが、そうで
ないときには、互いがはげしく衝突する。実際には、息子や娘がそれを受け入れる例は
少なくない。こうした基本的な価値観の衝突は、「キレツ」程度ではすまない。たいてい
はその段階で、「断絶」する。

 マザコン的であることは、決して親孝行ではない。このタイプの男性や女性は、自らの
マザコン性を、孝行論でごまかすことが多い。じゅうぶん注意されたい。

【追記】ことさらおおげさに、親孝行論を唱えたり、親を絶対視する人は、まず、その人
の中に潜む、ここでいう「マザコン性」を疑ってみるとよい。このタイプの人は、自らの
マザコン性を正当化するために、親を絶対視する傾向が強い。

 親子といえども、そこは純然たる人間関係で、その「質」が決まる。少なくとも親は、「親
である」という、「である」論に甘えてはいけない。親は親で、どこまでも気高く、前向き
に生きていく。それが親としての、真のやさしさではないだろうか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
溺愛 子どもを溺愛する母親 溺愛ママ でき愛ママ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(10月25日)

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風邪が、はやっているという。
インフルエンザも、はやっていると
いう。

浜松市内の中学校でも、学級閉鎖に
なったところが、チラホラでてきた。

気をつけよう。

+++++++++++++++

●歩く

 久しぶりに、7キロを歩いた。家から教室までの、7キロ。このところ運動不足。体が
老化し始めたのかもしれない。ひざの動きが悪くなった。

 最初の10〜20分ほど、地面の硬さが、直接、ひざに響いた。そのたびにひざが、ガ
クガクした。自分でもそれがよくわかった。自転車には乗っているが、歩く機会が、ぐん
と減った。そのせいだろう。が、しばらくすると、今度は、軽い腰痛。

 体の重心が前に移ると、その分だけ背骨への負担がます。腰痛が始まる。つまり肥満?
 このところ腹が少し出てきた。気をつけよう。

 で、7キロを無事、歩いた。最後に、コンビニで水を買った。歩きながら、飲み干した。
おいしかった。


●ルールが守れない子ども

 ルールが守れない子どもというのは、たしかにいる。何かのゲームをしていても、ゲー
ムそのものを破壊してしまう。一人でもそういう子どもがいると、必ず扇動者(アジテー
ター)が現れる。その同調者を巻き込んで、騒ぎ出す。

 このタイプの子どもは、強く叱るしかない。「君は、このゲームをしてはだめだ。向こう
で待っていなさい」と。しかしそういう指示そのものに、なじまない。さらにはげしく騒
ぎ出す。

 ルールが守れないというのは、ドラ息子症候群のひとつと考えてよい。自分勝手で、わ
がまま。自制心、自律心に欠ける。ルールそのものを、自分で作ってしまう。あるいは自
分の意にそわないと、怒ったり、泣き出したりする。

 年長期から小学1年にかけて、この傾向が、はっきりしてくる。が、このころ気づいて
も、もう遅い。手遅れ。家庭のリズムそのものが、そうなっている。子どもを直すのは、
むずかしい。家庭のリズムを直すのは、さらに、さらに、むずかしい。

 だからこのタイプの子どもは、結局は、行き着くとことまで、行く。行くしかない。そ
こまで行かないと、親も気づかない。

 たとえば今日も、歩いているとき、携帯電話をもったまま運転している人を、何人か見
かけた。その中には、若い母親らしき人もいた。そういう母親は、家庭で、いったいどの
ようにして子どもをしつけているのだろうか。きっとそういう人にかぎって、家では、ガ
ミガミと言っているにちがいない。「約束を守りなさい!」と。

 この問題は、そこまで行き着く。母親が一方で、ルールをさんざん破っておきながら、
子どもに向かって、「約束を守りなさい」は、ない。いや、たかが携帯電話などとは、思っ
ていけない。この世界は、『一事が万事』。車を運転しながら平気で携帯電話をかける人と
いうのは、ほかのところでも、まんべんなく、ルールを破っている。

 人間の脳みそというのは、それほど器用にできてはいない。ある部分ではまじめで、あ
る部分ではそうでない・・・ということは、できない。つまり携帯電話をもったまま運転
する人というのは、あらゆる面で、ずるい。そのずるさを、子どもは、日常的に見る。・・・
見ている。そしてその子どもは、その子どもになる。

 だから、結局は、行き着くところまで行く。行くしかない。行かないと気づかない。中
には、行き着くところまで行っても、気がつかない人もいる。自分を知るということは、
それほどまでに、むずかしい。

 子どもがルールを破ったら、子どもを責めても意味はない。子どもは、あくまでも、「家
族の代表者」。反省すべきは、まず自分自身。さらには家庭環境ということになる。


●悪よりもこわい、小ずるさ。

 悪は悪。その悪を擁護するつもりは、まったくない。しかしその悪より、さらにタチが
悪いのが、小ずるさ。悪は、まだ、わかりやすい。その分だけ、目立つ。たたかれる。

 しかし小ずるさは、ジワジワと、その人の精神を蝕(むしば)む。長い時間をかけて、
その人の人格そのものを崩す。まさに『一事が万事』。ひとつのことで小ずるい人は、あら
ゆる面で、小ずるい。

 たとえば不倫。私は愛人をもっているような男は、信用しない。命がけの恋愛は別とし
て、自分の妻ですらも、平気で裏切るような男である。友を裏切るようなことは、何でも
ない。いくら「友」と呼ばれても、私は信用しない。

 その私だが、私は小ずるい男だった。すべてをあの時代の責任にすることはできないが、
あの時代というのは、そういう時代だった。何もかもが、インチキ臭かった。またインチ
キをしないと、生きていかれなかった。

 そのころ体についたシミは、今でも残っている。一度体にしみついたシミは、消えない。
ふと油断したようなとき、そのシミが顔を出す。

 ところで今、伊勢神宮のおかげ横丁にある「赤福」が、世間を騒がせている。少し前の
雪印事件もあった、それにミート・ホープ事件もあった。悪質と言えば悪質だが、あの時
代には、みな、同じようなことをしていた。ただ幸いなことに、その時代は意外と早く終
わった。私が小学生に入るころには、朝鮮動乱、学生になるころにはベトナム戦争、それ
ぞれの特需景気で、日本経済は、息を吹き返した。

 が、この小ずるさは、世界では通用しない。よい例が、現在の中国。ダンボール紙入り
の肉まん事件などは、まだ軽い。最近では、下水にたまった廃油から、食用油を作ってい
た業者がいたそうだ。(下水だぞ! わかるか! うんちや小便の流れる下水だぞ!)

 そういうのと比べたら、赤福事件など、何でもない。・・・と言いたいが、世界の人は、
「日本も中国も同じだな」と思うにちがいない。残念といえば、これほど残念なことはな
い。私も、つい先日、あの店で、赤福餅を食べた。「あの赤福餅も・・・?」と、今、思っ
ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●母

静かな時だった。
ちょうど昼食が終わったところだった。
ヘルパーさんたちは、控え室にもどった。

広い居間には、私とワイフ、それに母だけ。
少し離れたところにもう1人、女性。
時折、獣(けもの)のような声を張り上げる。

私は何も話さなかった。
ワイフも何も話さなかった。
母も何も話さなかった。

時だけが、そのまま流れる。
テレビは、つけたまま。
湿った秋の冷気が、窓から入る。
やさしくカーテンを揺らす。

時計は、午後2時少し前を示していた。
大きな掛け時計で、その下には、
「10月25日、木曜日」と、書いてあった。

そのとき、母が言った。
「ここは、耕(たがや)すものがない」と。
耕す……つまり、野菜を育てる畑がないことを言った。

私「畑がしたいのか?」
母「家の前に、畑があった」
私「そうやな。畑があればいいな」と。

いつもそうだが、私は聞き役。
そこに座っているだけ。

話すこともない。話しても、会話が
かみあわない。

母「ここは退屈や……」
私「退屈か?」
母「ここは退屈や……」と。

いろいろ試してみたが、母の注意を引く
ものはなかった。
どれも長続きしなかった。

母「ここは、いやや……」
子「いややなあ……。こんなところ」
母「はよ(早く)、退院したいな」
私「そうやな、はよ、退院できればいいな」と。

以前より元気にはなった。
が、足は、すっかり使えなくなった。
一日中、車いすか、ベッドの上にいる。

……いろいろ考える。
母を実家へ連れて行くこと。実家の写真を撮って
母に見せること。郷里のM町に連れて帰ること。

私「だれか、会いたい人はいるか?」
母「おらんな。だれにも、会いたくない」
私「だれに会いたい?」
母「ははは、お前や。浩司、お前に会いたい」と。

10分が過ぎ、20分が過ぎた。
私とワイフは、だまって時計だけを見る。

私「じゃあ、帰る」
母「昼飯は食ったか?」
私「ああ、食べた、食べた」
母「じゃあ、食べておんさい(=食べてきなさい)」と。

私とワイフは、椅子を片づける。
通りがかったヘルパーさんに、頭をさげる。

振り返ると、母が手を振った。
ワイフがそれに答えた。
私はだまって、階段をおりた。

++++++++++++++++

 老人といっても、様子は、さまざま。今度新しく入居してきた老人(女性)は、時折、
動物のような奇声を張り上げる。声というより、奇声。

 見ると、ひとりで大きなソファを占領して、そこでヘルパーさんに、何か怒鳴りつけて
いる。が、ヘルパーさんたちは、みな、無視。だからますます大声で、怒鳴る。

 ワイフはそれを見て、「きっと、家ではたいへんだったのね」とポツリ。

 ほかに、一日中、眠っている老人もいる。詩吟のような歌を歌っている老人もいる。歌
うというよりは、「うなる」といったふう。ウ〜ウ〜、と。あるいはだれを見ても、恐ろし
い目つきでにらんでいる老人もいる。

 「私なら、こんなところ、1時間ももたない」と思った。しかしつぎの瞬間、「ほかに方
法はあるのか?」と思った。

 こうした介護施設では、24時間、世話をしてもらえる。食事や入浴の心配もない。何
もかも整っている。恵まれた環境である。

 「在宅介護」という方法もあるが、しかしここにも書いたように、老人といっても、様
子は、さまざま。Oさんの義父は、慢性の腎臓病を患っていた上、夜中中、大声を出して、
家人を呼びつけていたという。

 在宅で介護できる老人もいれば、そうでない老人もいる。家庭の事情も、それぞれ、み
な、ちがう。親子関係も、みな、ちがう。

 母を見舞うたびに襲われる無力感。「あんたの気持ちはよくわかる。でも、どうしようも
ないんだよ」と。

私「正月には、うちへ連れてくるしかないね」
ワ「そうね……」
私「でも、もう、しも(=便)の始末は、したくない」
ワ「……」と。

 介護は、「便」との闘いといっても過言ではない。それが今、拒絶反応となって、私の心
をふさぐ。

私「追いつめられれば、できるかもしれない。でも、もういやだ」と。

 私の母にしても、相手の立場でものを考えるということが、できない。若いときから、
自己中心的な女性だった。老後を迎えて、それがさらにはげしくなった。わがままで、自
分勝手。私の家にいたときも、数日ごとに、「家(=母の生まれ故郷の実家)に帰る」と言
って騒いだ。私たちを困らせた。今も、「ここは地獄や」と、言う。

 が、母というより、介護施設で見る老人たちの姿は、私たちの近未来の姿でもある。実
際には、今のような手厚い介護は、望めない。昨日の新聞報道によれば、医療、介護保険
制度は、すでに破綻状態にあるという。

 自分たちの老後を考えると、ますます気が重くなる。

 ……ということで、昨夜は、仕事が終わると、ワイフと2人で、映画を見てきた。ニコ
ール・キッドマン主演の、『インベェージョン』。「今のうちにしたいことをしておこう」と
私が言うと、ワイフは、快(こころ)よく、それに応じてくれた。

 映画は、星2つの、★★。テーマが陳腐。主演がニコール・キッドマンだったから、何
とか、見られた。そんな感じの映画だった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●新しいデジカメを買う

 M電工の株を、1237円で買った。1000株。それが2日前。「底値」と判断した。
こういうときは、同族会社の株価も、参考にする。

 親会社のM電気の株が、やや上昇に転じた。つられてM電工の株価も動き出した。それ
で「底値」と判断した。

 そのM電工の株価が、きのうの午前中だけで、30〜40円、値上がりした。すかさず、
売った。それで3〜4万円、ゲット。そのお金で、同じくM電気の、LUMIX―FX3
3を購入。

 すばらしく頭のよいカメラである。新機能、満載! またまた進化した。ためしに街の
夜景を撮ってみた。昼間の写真のように気楽に撮れる。もちろんブレない!

 家に帰って、株価を見ると、M電工株は、終値で、何と、昨日、1日だけで、100円
近い暴騰。つまり夕方までもっていれば、10万円ゲットできた。惜しかった。しかし人
間の欲には、キリがない。

 ほどほどに儲けたら、それで満足する。これは株売買の世界では、常識。


●P社FX33

 形はシンプル。女性向き。被写体に応じて、人工知能(?)が作動し、それぞれの場面
に最適の補正をしてくれる。もちろん顔認識装置付き。トリプル方式のブレ防止付き。

 感度は、ISO・6400! ふつうのカメラで、1600程度だから、これはものす
ごい数字と考えてよい。ためしに走る車の中から、何枚か夜景を撮ってみた。

 側の風景は、光が帯(おび)のように流れるが、(昼間でもそうだが)、前方の風景は、
まったく問題なく撮れた。すごい!

 顔認識にしても、10人前後まで、ピントを合わせてくれる。すごい! その顔に応じ
て、露出まで決めてくれる。すごい!

 何でも「世界最薄」とか。「こんな小さなカメラがねえ……」と、手でいじりながら、何
度もため息をつく。値段は、Y電気で、3万4000円だった。

 最初は、シンプルなデザインで、どこか物足りない感じ。しかし今は、しっくりと手先
になじんでいる。ひとつ難点を言えば、P社のカメラは、液晶画面の保護が弱い。圧力を
加えると、液晶が簡単に割れる。注意! できれば固(かた)めのケースに入れて、持ち
運ぶのがよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●満60歳!

満、60歳。その実感は、ない。まったく、ない。
皆で、鍋料理を食べた。ケーキを食べた。

「(市販の)ショートケーキでいいよ」と私が言うと、
「作るからいい」と、ワイフは言った。

静かな時が流れた。安らいだ時が流れた。
私はパソコンを前にして、眠った。いくつかの夢を見た。

見ると、ワイフが横にいた。「眠ったみたい」と、私。
「もうすぐ、準備ができるから」と、ワイフ。

いつもの夕方。いつもの夕食。そしていつもの誕生日。

長男とワイフが、私の声に合わせて歌ってくれた。

「♪ハッピーバースディ、ツー、ユー」と。

夕食後、みなで、『ロッキー・ザ・ファイナル』を見た。
よい映画だった。なつかしかった。涙があふれた。
60歳の誕生日に、ふさわしい映画だった。

私「あと10年、がんばるよ」
ワ「いつものペースでいいのよ」
私「そうだね」と。

私はここで誓う。

もう1人の邪悪な私とは、決別する。いじけやすく、
ひがみやすく、くじけやすい。そんな私だ。

それにもうひとつ。この先、その10年に、
私の命を賭ける。私の命を燃焼する。燃焼しつくす。

残りの人生は、私のものではない。
私の息子たちのもの。私のワイフのもの。
そして……。

おおげさなことは言えない。書けない。
しかし私の命を、この地球に、宇宙に、
返したい。みなに、捧げたい。

「どんな気分?」と、ワイフは言った。
満60歳になった気分をワイフは聞いた。私は、
「別に……」と答えた。

何も変わらない。その自覚もない。
「60」という数字などに、意味はない。
私は私。どこまでいっても、私は私。

ただこの闘志は何か? 「やるぞ!」という闘志。
今までになかったもの。何かにつけ、負け戦(いくさ)。
あきらめること、引きさがること、そればかりを
考えていた。が、そんな私の中で、何かが燃えだした。

よい映画だった。『ロッキー・ザ・ファイナル』は、
よい映画だった。こんな私にも、生きる勇気を
与えてくれた。希望を与えてくれた。

私にあるのは、過去ではない。未来だ。
その未来に向かって、私は進む。

「どんなに打ちのめされても、前に進み続ける……。
決してあきらめずに。NEVER GIVE UP!」
「自分を信じなきゃ、人生じゃない」と。

見ていて涙がポロポロとこぼれたのは、そのためか。
35年前の、あの感動、つまりあの当時の感動が、
よみがえってきた。

あの時代、私は、無我夢中で生きていた。毎日、
がむしゃらに働いた。その感動が、よみがえってきた。

これからも、私は、無我夢中で、生きていきたい。
生きていく。私、はやし浩司は、まだまだ現役だ。

その日が来るまで……。

はやし浩司、満60歳の誕生日に。

(付記)

 『ロッキー・ザ・ファイナル』の中の、シルヴェスター・スタローンの肉体を見てほし
い。彼はこの映画を完成させるために、自分の肉体を鍛えた。そのプロ根性が、スクリー
ンを通して、私たちに伝わってきた。それが、私たちを感動させた。

シルヴェスター・スタローンは、役者としてではなく、映画を通して、自分の生きざま
を、私たちに示してくれた。

 ウソやインチキでは、あの映画はできない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 12月 3日(No970)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【いじめ】

+++++++++++++

いじめについての相談は、多い。
昨日も、1件、入った。

メールの内容について、「転載不許可」
とあるので、ここでは紹介できない。

以前に書いた原稿を、もう一度、
手直ししながら、改めて
いじめについて、考え直して
みる。

+++++++++++++

●いじめに苦しむ中学生
 
ある母親(静岡県K市在住、STさん)から、相談のメールが入った。内容は、中学二
年生にある娘が、学校でいじめにあっているという。何をしても無視される。仲間はず
れにされる。のけものにされる。そしてそのたびに、娘はつらい思いをしている。だか
ら「娘の心に、キズはつかないか?」と。

 こうした相談をもらうたびに、私は大きな無力感を覚える。その母親は、私に救いを求
めてきている。しかし私には、その母親はもちろん、娘を救う力など、どこにもない。私
がせいぜいできることと言えば、その母親や娘の立場になって、話を聞いてやることでし
かない。

 実は、私も、中学時代のある時期、そして高校時代のある時期、同じような経験をして
いる。こんなことがあった。高校一年の終わりか、二年のときのことだったと思う。

 遠足のバスの、その席決めをするときのこと。クラスに一人、リーダー格の男がいて、
その男が、バスの一番うしろに陣取ってしまった。あとはその仲間と取り巻きが、うしろ
から順に席をとった。担任の教師が、「話しあって、自分たちで決めろ」と言った。それで
そうなった。

 私は、前から二番目の席に座ることになった。となりは、学校ではまったく目立たない、
B君だった。授業中でも居眠りすると、口や鼻から、ダラダラと唾液をこぼす男だった。
そのため、とくに、女子からは嫌われていた。

 私は、だれも座りたがらない、そのB君の横に座った。親しくはなかったが、家が近か
った。それでよく遊びに行ったりは、していた。

 ほかにもいろいろあった。で、そういうときの自分の心理を、思いだしてみると、今で
も何とも言えない重苦しさを覚える。心が空回りしているというか、自分であって、自分
でなかったような……。

 毎日が、そういういじめと、それに対する、虚勢の張りあいの繰りかえしだった。当時
の私は、弱音を吐いたら、負けと思っていた。だからいくらいじめにあっても、それを気
にしないフリをしていた。反対に、ときには、相手に向かって、殴りあいのけんかをしか
けていったこともある。

 私は、そういう点では、決してヤワな男ではなかった。そんな私でも、毎日、学校へ向
かうのが苦痛だった。いつもひとりぼっちだったし、心を許せる友だちはいなかった。私
は、みなから、孤立していた。

 今から考えると、その原因のほとんどは、担任のT教師にあったように思う。高校の入
学当時、私はズバ抜けて成績がよかった。だからT教師はいつも、「林に追いつけ」「林を
追い越せ」と、みなにハッパをかけていた。一方、追われる立場の私には、テストごとに、
「お前は、この科目では、XXに負けそうだ」「YYに追いつかれるぞ」と、脅した。

 そんなわけで私は、高校一年の夏休みには、すでに転校を考えていた。が、母がそれを
許さなかった。母は、あの手、この手を使って、私の転校を阻止しようとした。私はやが
て、八方ふさがりの状態に追いこまれていった。

 私に対する「いじめ」は、そのころから始まった。みなが私には、口をきいてくれなく
なった。もちろんあいさつもない。そのつど、いろいろなスポーツ大会があったが、私は
それからも仲間はずれにされた。

 ゆいいつ、私ができたことは、逆に、彼らを無視することだった。本当は無視などでき
なかったが、気にしていないフリをした。「どうぞ、ご勝手に」と。

●私の経験から

 こうしてあの悪夢のような三年間は終わったが、その結果、私はどうなったか? 孤独
に強くなったというか、そういう生きザマが、身についてしまった。今でも、そのころの
生きザマが、基本になっている。他人に相手にされなくても、かまわないという生きザマ。
結局は、生きていくのもひとり、死ぬのもひとりという生きザマ。ときどきそんな自分を、
「風来坊」とか、「無頼(ぶらい)」とか思うことがある。そういう生きザマを身につけて
しまった。

 いじめによる「キズ」は、たしかにある。ないとは言わない。しかし私のばあい、もう
一つ大きな問題があった。

 私が四、五歳のころから、父は酒におぼれるようになり、数日おきに酒を飲んでは暴れ
た。私には、まさに地獄のような毎日だった。そのため、当然のことながら、心もゆがん
だ。精神もキズついた。今でも、当時のキズが、私を苦しめることがある。

 だから打たれ強いというか、免疫性ができていたというか、学校でのいじめは、あくま
でも私にとっては、マイナーな問題でしかなかった。学校にいるのも地獄なら、家の中に
いるのは、さらに地獄だった。

 こうした私の経験が、その相談の人に役だつかどうかは知らないが、こういうことは言
える。

 質問にもあるように、「キズつくかどうか」ということだが、キズはつく。まちがいなく、
キズはつき、そのキズは一生残る。やわらぐことはあるが、決して消えることはない。今
の私がそうだが、私はいつごろからか、もう消そうとは思わなくなった。そのかわり、キ
ズと、うまくつきあうことだけを考えるようになった。あきらめたというか、居なおった
というか……。

 ただ、誤解しないでほしいのは、キズのない人はいないし、また人は、キズまるけにな
って成長するものだということ。キズをつくような経験は、だれでもいやだ。しかし人は、
キズまるけになって成長する。

 こんなことを書くと、その渦中にいる人に、叱られるかもしれない。以前、私に、「あん
たはいじめの本質がわかっていない。教育評論家として失格だ。筆を折れ。大馬鹿野郎!」
と、手紙を書いてきた女性がいた。私が、「いじめによって、子どもが、キズつくことを恐
れてはいけない」と、何かのコラムに書いたときのことである。その女性は、私の文をし
っかりと読まないまま、「いじめを容認する発言で、許せない」と怒っていた。私は、そん
なことは一言もいないのだが……。

 私は何も、いじめを肯定しているのでも、容認しているのでもない。しかし人は、キズ
つくことで、そうでない人にはわからない、心のポケットをつくる。そしてそのポケット
が多くなり、それぞれのポケットが深くなればなるほど、その人はやさしくなる。人格は
重くなる。

 いじめた人は、そのときは、ある種の優越感にひたることができるかもしれないが、長
い間の人生では、確実に損をする。人生の真理から遠ざかった分だけ、時間をムダにする。

 しかし一方、いじめられた人は、そのときは、深い悲しみや苦しみに襲われるかもしれ
ないが、長い人生の中で、一直線に、真理に向かうことができる。ほかの人が見ることが
できない世界を見、そしてその世界が、どんな世界かを、知ることができる。

 私も、もうずぐ五六歳になる。だから今まで、だれにも話さなかったことを告白しよう。

●クビ切りは、立ち話だった

 三年間勤めた進学塾の講師だったが、クビを切られるときは、立ち話だった。ある日、
教室で資料の整理をしていると、交代したばかりの塾長がやってきて、私にこう言った。「林
君、君は、来月からは、もう来なくていいから」と。

 そのとき私が受けた衝撃がどんなものであったか。それはともかくも、私はそれから数
日間、夜は一睡もできなかった。体中が熱をおび、息苦しさが、私を繰り返し襲った。ワ
イフが一晩中、私を、介抱(かいほう)してくれた。

 で、その結果だが、私は、そのときの悔しさを、バネとすることができた。「いつかあい
つをたたきのめしてやる」と、燃えるような敵意さえ覚えた。もっとも、そのあと私が選
んだ道は、決して楽なものではなかったが、ともかくも、そのときを境に、私の幼児教育
に対する姿勢は、大きく変わった。

 今から思うと、そのときの反骨精神もまた、あの高校時代につかんだ生きザマからきて
いるのかもしれない。怒りを、生きるエネルギーにする。悔しさを、生きるバネにする。
そして苦しみや悲しみ乗り越えながら、ますます強くなっていく。そういう反骨精神であ
る。

 こういう経験から、いろいろなことが言える。

●いじめる側の意識

 私のばあい、高校時代、そうしたいじめにあっているとき、それをだれにも言わなかっ
た。父はもちろんのこと、母にも、そして担任の教師にも言わなかった。これは余談だが、
最近になって、高校の同窓生のY君にその話をすると、Y君は、こう言った。

 「林がいじめにあっていたなんて、信じられない。お前は、いつも明るく楽しそうだっ
た。それにお前は、T(担任教師)に、かわいがられていたと思っていたよ」と。

 さらにこんなこともあった。ちょうど三〇歳になったころ。高校の同窓会があった。で、
その中の一人に、私はこう聞いた。X君といって、そのグループのナンバー2にいた男だ
った。「君は、高校時代、かなりぼくに敵意を感じていたようだが、どうしてか?」と。

 するとその男は、けげんそうな顔をして、「ぼくがア……?」と。

 まったく覚えていないというか、記憶にないというような様子だった。私は、彼の態度
に驚いた。「私をいじめていたことを覚えていない?」と。

 しかしもしそのとき、そのとき彼が、「ああ、そうだったな」とでも言えば、私はその場
でその男を、殴り飛ばしていたかもしれない。その覚悟をもって、私はそう聞いた。が、
その彼が、「ぼくがア……?」と。

 最初、私は、彼がとぼけていると思った。しかしどうもそうでなかったようだ。どこか
狐につままれたような気分だった。そしてつぎの瞬間、私は「では、あのいじめはいった
い、何だったのか」と思った。私の思い過ごし? 誤解? それとも被害妄想? わけが
わからなくなってしまった。

 で、あの状況の中で、つまり私が高校という場でキズまるけになっていたとき、だれか
が私を救うことができたかというと、それはできなかったと思う。父や母の出る幕はなか
ったし、担任の教師の問題ではなかった。いじめるほうはともかくも、いじめられるほう
にとっては、いじめの問題は、どこまでも個人的な問題である。

 本当に助ける力があるなら、相手の子どもを排除するか、さもなければ、私を別の世界
へ運び出す。そこまでしてはじめて、そういうときの私を救うことができる。へたな励ま
しや、へたな指導など、何の意味もない。あれこれ外部の人が口を出すと、かえって事情
は複雑になる。たとえそれが親や教師でも、だ。

 こうして考えてみると、最初に感じた無力感は、そのまま親の限界ということにもなる。
つまり親にできることにも、限界があるということ。親はいつも、その限界状況の中で、
子育てをする。

 親がせいぜいできることと言えば、その限界状況の内側から、子どもの成長を、そっと
静かに見守ることでしかない。それは、とくにこうした問題をかかえた親には、つらくて
きびしい経験かもしれないが、どうしようもない。

 ゆいいつできることと言えば、家庭という場を通して、子どもの心と体をいやす程度で
しかない。そしてどこまでも子ども立場で、子どもの心を理解することでしかない。「がん
ばれ」ではなく、「あなたはよくがんばっているわ」と。

 少し話題を変えてみたい。

 ひとり、印象に残っている高校生に、ヒロシ君という子どもがいた。私は今でも、その
子どもを、尊敬の念をこめて、「ヒロシ君」と、「君」づけで呼ぶ。そのヒロシ君について
書いた原稿を、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++

●ヒロシ君

 ヒロシ君(中二)は、心のやさしい子どもだった。そういうこともあって、いつも皆に、
いじめられていた。が、彼は決して、友だちを責めなかった。背中にチョークで、いっぱ
い落書きをされても、「ううん、いいんだよ、先生。何でもないよ。皆でふざけて遊んでい
ただけだよ」と言っていた。 

 そのヒロシ君は、事情があって、祖父母の手で育てられていた。が、その祖父が脳梗塞
で倒れた。倒れて伊豆にあるリハビリセンターへ入院した。これから先は、ヒロシ君の祖
母から聞いた話だ。

 祖父はヒロシ君が毎週、見舞いに来てくれるのを待って、ひげを剃らなかった。ヒロシ
君がひげを剃ってくれるのを、何よりも楽しみにしていたそうだ。そしてそれが終わると、
祖父とヒロシ君は、センターの北にある神社へ、お参りに行くことになっていたという。

そこでのこと。帰る道すがら、祖父が、「お前はどんなことを祈ったか」と聞くと、ヒロ
シ君は、「高校に合格しますようにと祈った」と。それを聞いた祖父が怒って、「どうし
てお前は、わしの病気が治るように祈らなかったか」と。そこでヒロシ君はあわてて神
社へ戻り、もう一度、祈りなおしたという。

 この話を聞いて以来、私は彼を、尊敬の念をこめて、「ヒロシ君(実名)」で呼ぶように
なった。とても呼び捨てにはできなかった。いろいろな子どもがいるが、実際には、ヒロ
シ君のような子どももいる。

 今、いじめが問題になっている。しかしいじめられる子どもは、幸いである。心に大き
な財産を蓄えることができる。一方、いじめる子どもは、大きく自分の心を削る。そして
いつか、そのことで後悔するときがくる。世の中の人はバカばかりではない。しっかりと
人を見る人がいる。そういう人が、しかっりと判断する。ヒロシ君にしても、学校の先生
には好かれ、浜松市内のK高校を卒業したあと、東京のK大学へと進んでいる。ヒロシ君
は、見るからに人格が違っていた。

 自分の子どもが、学校でいじめられているのを見るのは、つらいことだ。しかし問題は、
いつどこで親が手を出し、いつどこで教師が手を出すかだ。いじめのない世界はないし、
人はいじめられながら成長し、そしてたくましくなる。つらいが、親も教師も、耐えると
ころでは耐える。そうでないと、子どもがひ弱になってしまう。

今はこういう時代だから、ちょっとした悪ふざけでも、「そら、いじめだ!」と、親は騒
ぐ。が、こういう姿勢は、かえって子どもから自立心を奪う。もちろん陰湿ないじめや、
限度を超えたいじめは別である。

しかしそれ以前の範囲なら、一に様子を見て、二にがまん。三、四がなくて、五に相談。
親や教師ができることといえば、せいぜい、子どもの肩に手をかけ、「お前はがんばって
いるんだよ」と励ましてあげることでしか、ない。それは親や教師にとっては、とても
つらいことだが、親や教師にも、できることには限度がある。その限度の中で、じっと
耐えるのも、親や教師の務めではないかと、私は思う。

++++++++++++++++++++++

●いじめの背後にあるもの

繰りかえすが、だからといって、もちろんいじめを、私は肯定しているわけではない。
容認しているわけでもない。しかしこの問題は、親たちが考えているより、はるかに根
が深い。

 今のような、つまり、日本のような競争主義の世界では、強者、弱者は必然的に生まれ
る。「勉強しなさい」という、親たちが何気なく使う言葉が、一方で、子どもたちの世界で、
軋轢(あつれき)を生み出す。

 さらに人間という生物そのものが、本来的にかかえる問題もある。弱者を踏みにじりな
がら、あるいは弱者を排斥しながら、人間は進化を重ねてきた。理性を超えた、本能の部
分で、いじめが起こることもある。

 本来なら、社会のリーダーたちが、その弱者の立場で、政治を考え、社会を考えなけれ
ばならない。しかしこの日本では、皮肉なことに、はげしい受験構想を勝ちぬいた、つま
りは、勉強しかしない。勉強しかできないような、いわゆる強者でないと、そのリーダー
になれない。もともと弱者の視点そのものがない。

 文化の完成度は、弱者にいかにやさしい社会かで、決まる。そのやさしさがある社会を、
完成された社会と呼び、そうでない社会を、不完全な社会と呼ぶ。豪華な劇場や、豪華な
道路ではない。あくまでも、「心の中身」で決まる。

 こうした社会や、人間性の欠陥を補うため、制度として、いじめに苦しんでいる子ども
を救う方法も考えなければならない。たとえばこの日本では、子どもたちには、いつもひ
とつのコースしかない。考えてみれば、これほど、おかしな制度もない。いまだにこの日
本は、明治時代の富国強兵策から生まれた学校制度を、かたくなに守っている。

 融通のきかない制度。多様性を認めない制度。実はそういう硬直した世界で、子どもた
ち自身が、窒息している。親たちも、窒息している。いじめに限らず、学校教育がかかえ
るほとんどの問題は、こうした硬直した制度から生まれる。受験競争しかり。荒廃しかり。
校内暴力しかり。

 いじめの問題を、本当に解決しようと考えたら、こうした部分にまでメスを入れなけれ
ばならない。しかし、それは今の日本では、可能なのか?

●どう接したらよいか?

 そこで、こう考えては、どうだろうか。これは私の経験をもとに、「こうあってほしかっ
た」という視点から考えた方法である。

(1)徹底して、家庭を、憩いとやすらぎの場にする。……家庭を、子どもが外の世界で
疲れた心と体を休める場所にする。そのために「暖かい無視」を大切にする。子ど
もの世界を、親の暖かい愛情で包み、一方、子ども自身が親の目をほとんど感じな
いほどまでに、無視する。こうしたケースで、子どものほうから、何か救いを求め
てこない間は、親のほうから、あれこれ、口を出すのは、かえって逆効果。

(2)あくまでも子どもの立場で考える。……こうしたケースで、「がんばれ」式の励まし。
「こんなことでは」式の脅しは、タブー。それについては、もう書いた。大切なこ
とは、子どもの苦しみを共有すること。「あなたはダメになってしまう」式に、不安
や心配を子どもにぶつけてはいけない。さらに「学校が悪い」「友だちが悪い」式に、
怒りやうらみを、他人にぶつけてはいけない。愚かな人間たちを、あわれんでやる。
そういう姿勢が、子どもの心を溶かし、そして豊かにする。

(3)コースは一つではない。……幸せになる道は、決して一つではない。近道もないし、
回り道もない。子どもの世界について言うなら、「学校」だけが、コースではない。
だからといって、学校教育を否定しているのではない。ないが、その学校教育には、
限界がある。「学校」を絶対視してはいけない。大切なのは、そうした幻想から、自
らを解き放つこと。親が、その幻想にとりつかれている間は、子どももまた、その
幻想から解き放たれることはない。集団に属さないから、落ちこぼれという考え方
は、まちがっている。完全にまちがっている。もしまちがっているというのなら、
では、いったい、この私はどうなのか。私は二〇代のはじめから、集団には、まっ
たく属していない。

(4)高い文化をめざそう。……先にも書いたように、文化の高さは、社会的弱者にいか
にやさしいかで、決まる。そういう「やさしい社会」を、みんなでめざそう。こう
した教育のまつわる最大の欠陥は、実は、親たち自身にある。親たちは、自分の子
どもがその渦中にいるときは、あれこれ大きく問題にする。しかし子どもが、卒業
し、「学校」から離れると、その問題から遠ざかってしまう。逃げてしまう。私が何
か、助言を求めても、「私たちは、もう終わりましたから」と。こうした親の気持ち
が、理解できないわけではない。しかしこうした親の「割り切り?」が、問題を順
に先送りしてしまう。むずかしいことではない。ごく日常的な、ほんの身のまわり
から、「やさしさ」を見つけ、それを育てていく。そういう小さな努力が、この日本
を変える。

 注意すべきこともある。こうしたいじめを経験した子どもは、そのあと、大きく、二つ
のタイプに分かれる。

 ひとつは、いじめの邪悪性に気づき、人間的に自らを昇華していくタイプ。もうひとつ
は、その邪悪さに、染まっていくタイプ。後者の子どもは、いじめられた経験をもとに、
今度は反対に、いじめる側に回ることが多い。

 このいじめとは関係ないが、私は、このことを、自分がドン底に落とされたとき、発見
した。そのことについて書いたのが、つぎの原稿である。話が少しわき道にそれるが、許
してほしい。

++++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。そういう
意味で善人も悪人も紙一重。大きく違うようで、それほど違わない。私のばあいも、幼稚
園で講師になったとき、すべてをなくした。母にさえ、「あんたは道を誤ったア〜」と泣き
つかれるしまつ。私は毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分
に言ってきかせねばならなかった。ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしい
と思うほど、クソまじめな生き方をするようになった。酒もタバコもやめた。女遊びもや
めた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。しかしその運命は、いかに自分と正
直に立ち向かうかで決まる。さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命では
ない。自分自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。だから今、そういった自分を振りか
えってみると、自分にはたしかに運命はあった。しかしその運命というのは、あらかじめ
決められたものではなく、そのつど運命は、私自身で決めてきた。自分で決めながら、自
分の運命をつくってきた。が、しかし本当にそう言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今も
その運命の中に自分はいることになる。多分私のことだから、かなりの悪人になっていた
だろう。自分ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事に悪
事を重ねているに違いない。が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれな
い。「そのつど私は私の運命を、自分で決めてきた」と。……となると、またわからなくな
る。果たして今の私は、本当に私なのか、と。

 今も、世間をにぎわしている偉人もいれば、悪人もいる。しかしそういう人とて、自分
で偉人になったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の大きな力に動かさ
れるまま、偉人は偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。しかしそれとて考え
てみれば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないのか。ふと油断
すれば、そのままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにいる。
つまりそういう運命に吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きなが
ら、自分と戦う。……戦っている。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。どこかどう違うのかさえわからなくなる。
みな、ちょっとした運命のいたずらで、善人は善人になり、悪人は悪人になる。今、善人
ぶっているあなただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、あなたも
その悪人になっているかもしれない。そういうのを運命というのなら、たしかに運命とい
うのはある。何ともわかりにくい話をしたが、「?」と思う人は、どうかこのエッセイは無
視してほしい。このつづきは、別のところで考えてみることにする。

+++++++++++++++++++++++

【STさんへ】

 相談のメール、どうもありがとうございました。ここでは、「いじめ」について、少し別
の角度から考えてみました。参考になったかどうかは、わかりませんが、今、私が思って
いることを、そのまま書いてみました。

 お嬢さんが苦しんでおられる様子は、メールの内容から、よくわかります。またよく理
解できます。しかしこの問題がかかえる、最大の問題は、その怒りや悲しみを、ぶつける
先がないということです。だれに、どう訴えたらよいのかわからないまま、袋小路に入っ
てしまいます。

 本来なら、「そんなに苦しいのなら、学校なんて、行かなくてもいいのよ」と言ってあげ
たいですね。しかしそれが自然な形で言えるようになるには、親自身、さらには社会全体
がもっている意識を変えなければなりません。

 大切なことは、お嬢さんの「心」を守るということです。いえ、キズつくことから守る
というのではありません。こうしたキズには、必ず、二面性があります。キズを、自分の
心のポケットにする子どももいれば、さらに邪悪な心に転化してしまう子どももいるとい
うことです。

 その分かれ道は、「やさしさ」で決まります。今こそ、あなたという親のやさしさの、そ
の真価が試されるときだと思ってください。あなたの愛情と、それから生まれ出るやさし
さがあれば、あなたのお嬢さんの心がゆがむということは、ありえません。どうか、それ
を信じて、前向きに進んでください。

 悲しいことに、いじめる側は、ほとんど無意識のまま、半ば「遊び」の連続として、そ
れをします。本人たちに、いじめているという意識そのものがないのが、ふつうです。言
いかえると、こちら側が、まじめに考えるのが、アホらしくなるほどです。だったら、無
視すればよいのです。といっても、それは口で言うほど、簡単なことではないですが……。

 そこでどうでしょう。こう考えては……。

 親は、子どもを産んで親になりますが、真の親になる道は、遠い、です。野を越え、山
を越え、嵐の中をくぐり抜けながら、前に進む。そしてその結果として、親は、子どもに
よって、真の親へと育てられる。

 STさんがかかえておられる問題が、決して簡単な問題だと言っているのではありませ
ん。しかしこの問題も、前向きにとらえることによって、あなたはあなたとして、それを
自分を成長させるための道具とすることができるということです。

 そうです。これは深刻な問題です。先にも書いたように、社会全体、あるいは人間が本
性としてかかえる問題です。だったら、みんなで、この問題を考えていこうではありませ
んか。……つまり、私がここでいう「前向き」というのは、そういう姿勢をいいます。

 本当に、無力で、ごめんなさい。しかしね、STさん。こうした無力感は、今、始まっ
たばかりですよ。これから先、STさんも、親として、無数の無力感を覚えるはずです。
どうしようもないカベにぶつかりながら、そのつど、「許して忘れる」。子育ては、まさに
その連続です。

 一つ、視点を外に向ければ、格差、貧困、不公平社会。さらに外に向ければ、争い、飢
餓、戦争。いやおうなしに、子どもたちは、そういう世界に巻きこまれていきます。

 たとえば、こんなこともあります。私の息子の一人も、タバコを吸っています。それま
でははげしく禁煙運動をしていた私ですが、以後、禁煙運動はやめました。無力感という
か、大きな挫折感を覚えたからです。

 しかし今、そういう息子を振りかえりながら、息子には息子の、タバコを吸いたくなる
ような、心の状態があったことが理解できます。そして一方に、エイズだの、麻薬だの、
そういう問題があります。今では、「タバコなど、何でもないなあ」と思うようになってし
まいました。

 こうした無力感を感ずるうちに、これは私のばあいですが、その怒りを、外に向けるよ
うになりました。今、こうして評論活動をつづけているのも、その一つです。で、私たち
が、親としてせいぜいできることと言えば、キズついて帰ってくる息子や娘たちが、心や
体を休める場所を、静かに提供することぐらいでしか、ありません。「いつでも、疲れたら、
もどっておいで」とです。とてもつらいことですが、そっと暖かく、見守ることでしかな
いということです。

 何の力にもなれません。たいへん、申し訳なく思っています。ただそれがどんな形であ
れ、あなたのお嬢さんは、今、懸命に、戦いながら生きています。いじめの問題はさてお
き、私はそういう姿の中に、懸命に生きる人間の尊さというか、美しさを感じます。どう
かそういう視点で、あなたのお嬢さんの成長を、見守ってあげてください。約束します。
あなたのお嬢さんが、この問題を乗り切ったとき、あなたのお嬢さんは、まちがいなくす
ばらしい人間に成長します。そしてあなた自身も、すばらしい人間に成長します。

 どうかそれを信じて、前向きに、ただひたすら前向きに、進んでみてください。

 いっしょに、弱い人をいじめる、アホな連中を、あわれんでやろうでは、ありませんか。
 いっしょに、弱い人をいじめる、バカな連中を、あわれんでやろうでは、ありませんか。
 そんな気持を忘れずに。それが、私たちの、やさしさなのです。
(030922)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スズメの放し飼い

+++++++++++++

子育ての最終目標は、
子どもをよき家庭人として、
自立させること。

たとえばスズメを例に
あげて考えてみよう。

+++++++++++++

 拾ってきたスズメの子を育てる。ここまではよくある話である。しかしそのあと、その
スズメを放し飼いにする人は少ない。

 しかしこんな人がいる。

 その人は、スズメを拾ってきて、育てた。ある程度、大きくなったところで、外に放し
た。そのほうが、スズメにとってはよいと考えた。が、そのあとそのスズメは、毎日、エ
サを食べるために、その人の家に戻ってくるという(Y新聞、投書)。

 ……この話を聞いて、私は、新鮮な驚きを感じた。

 私も、私の友人も、よく子どものころ、スズメの子を拾ってきて、育てた。しかしその
とき、外の世界へ放してしまう、というところまでは考えなかった。「放し飼い」といって
も、人間によく慣れさせたあと、ぜいぜい部屋の中で放し飼いにする程度である。

 しかしこの違いは、基本的な子育て観の違いといってもよい。

 スズメの子を拾ってきて育てる。そのとき、スズメの子を育てながらも、その自由には
制限をつける。無意識のうちに、そうする。「育ててやる。しかし逃げていくことは許さな
い」と。

 こうした子育て観は、日本人独特のものと考えてよい。そしてそれが、たとえば子ども
の育て方にも現れてくる。

 今、親たちは、子どもを育てている。しかし外の世界にまで「放し飼い」を許す親は少
ない。大半の親たちは、反対に、外の世界へ逃げてゆかないようにする。意識的な行為と
いうよりは、無意識のうちに、そうする。長い間の伝統の中で、日本人は、そうしてきた。
そういう子育てを、ほとんど考えることなしに、繰りかえしてきた。

 たとえば「子どもをかわいがる」という言い方がある。このとき親は、自分の子どもを、
「かわいい子ども」に育てることを、目標にする。そして親にベタベタ甘える子どもイコ
ール、かわいい子イコール、よい子とする。

 反対に親を親とも思わない子どもを、生意気な子とする。そういう子どものことを、私
が生まれ育った岐阜のほうでは、「きつい子」、あるいは「鬼の子」とも言う。こんな例が
ある。

 K君は、岐阜市から車で、一時間半ほどの距離の田舎町に住んでいた。が、中学を卒業
すると、岐阜市内の高校に通うことを希望した。学力もあった。そういうK君に喜びなが
らも、それに猛反対したのが、実はK君の母親だった。K君の母親は、あの手、この手を
つかって、K君が自分の手元を離れることを阻止しようとした。

 母親はまず、中学の先生のところに話しにいった。そして何とか、岐阜へ行くのを思い
とどまるよう説得してほしいと頼んだ。つぎに、K君の通っていた塾の先生にも、それを
頼んだ。岐阜市にいる叔父(母親の兄)にも、それを頼んだ。しかしK君の前では、何も
言わなかった。母親は、K君に嫌われるのを避けたかったようだ。

 今でこそ、こういう例は少なくなった。が、ないとは言えない。子どもは育てる。しか
し最終的には、自分のもとを離れることを許さない、と。

 この違いが、冒頭のスズメの話である。

 これはあくまでも仮定の話だが、あなたはどちらのタイプに近いだろうか。あなたがス
ズメの子を拾ってきて、育て始めたときのことを想定してみてほしい。(もちろんあなたが
小鳥が好きという前提での話である。)

(依存型ママ)拾ってきたスズメを育ててやる。しかし育ててやるのは、私。自分が「か
わいい」と思う間は、外に放してやらない。あくまでも部屋の中で、あるいはカゴの中で
育てる。そのほうがスズメにとっても、安全と考える。勝手に逃げていくことを許さない。

(非依存型ママ)「かわいい」と思っても、やはり野生のスズメは、外の世界に放してやる
のが一番。さみしいと思うが、外に放してやる。育ててやったというような、恩は着せな
い。スズメにとっては、きびしい世界かもしれないが、それが本来、あるべき姿だと思う。

 私も子どものころ、こんな経験がある。

 何かの映画だったと思うが、野生のライオンの子を育てた人の映画だった。その人はそ
のライオンがある程度大きくなったところで、そのライオンを野生に帰すための努力を始
める。その映画を見ていたときのこと。私は、こう思った。

 「もったいない」と。「せっかく育ててやったのだから、自分でペットとして飼えばいい」
とも。

 実のところ、そう思ったということは、私自身が依存型の子育てを、無意識のうちにも、
容認していたことになる。しかしそれは、私自身がそう思ったというよりは、日本がもつ
大きな流れの中で、そういう意識をつくられたといったほうが正しい。私の父も母も、親
戚の人たちも、そして地域の人たちも、みな、そういう考え方をしていた。……今も、し
ている?

 だから私はその投書を読んだとき、新鮮な驚きを感じた。

私「育てたスズメを、外の世界に放してやるという発想は、ぼくの子ども時代には、なか
った」
ワイフ「私は、小鳥を飼わなかったから……」
私「手なづけて、ペットとして飼うということは、考えた」
ワ「あくまでもペットね」
私「そう。日本人は、子どもを育てながら、どこかでペットを育てるようなところがある。
一人の人間として自立させるというよりは、自分のそばに置いて、かわいがるというよう
にね」
ワ「あくまでも自分のためね」
私「そう。子どものためではない。自分のため。ここに日本人が全体としてかかえる、精
神的未熟性がある」と。
 
(030920)

【追記】

いつか子どもは、あなたから去っていく。そのとき、あなたはどこまで無我の境地にな
れるだろうか。ある父親は、息子にむかって、ことあるごとに、こう言うという。「お前
には、三〇〇〇万円も、かけたからな」と。つまり「学費など、三〇〇〇万円もかかっ
た」と。

 その父親は息子にそう言いながら、「だから何とかせよ」と迫っている。その息子氏は、
私にこう言った。「あれくらい、いやな言葉はない。それを言われるたびに、かえって親へ
の感謝の気持ちが、吹っ飛んでしまう」と。

 しかし父親がそう言うということは、そもそも父親の息子に対する愛情を疑ってみたほ
うがよい。何か、大きなわだかまりがあるのかもしれない。

親が子どもに対して犠牲的になるのはしかたないとしても、それを子どもに押しつけて
はいけない。いわんや恩の押し売りをしてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子どもの巣立ち 依存型子育て)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●脳の老化

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脳みそも、使っている部分は
発達する。しかし使っていない
部分は、老化する。

同じ脳みそなのに、仕事に応じて、
分業している?

最近、英語を翻訳していて、
そんなことを感じた。

+++++++++++++

 このところ英文を訳していると、ほかでは感じない疲れを覚えるようになった。脳ミソ
の中でも、英語を訳す部分は、使う部分が違うらしい。

 こうした現象は、ほかでも経験する。たとえば私は、単純な反復作業が苦手。すぐイラ
イラしてしまう。あるいはさがしものをしているときも、そうだ。

 脳ミソというのは、部分によって、それぞれが別の働きをもっているようだ。言いかえ
ると、そのつどいろいろな部分を鍛えておかないと、やがて使いものにならなくなるとい
うこと。部分的には、活発に動いていても、ほかの部分がダメになるということは、理論
的には考えられる。

 そこでまた、あえて英文を訳してみる。訳しながら、あれこれ考えてみる。テーマは、「人
生論」。

●人生論

As long as a man stands in his own way, everything seems to be in his way: 
government, society, and even the sun, moon and stars. ー Henry David Thoreau
人が、その本文を忘れないかぎり、すべてのものは、うまくいく。政府にせよ、社
会にせよ、太陽や月や星にせよ。(ソロー)

Disobedience is the true foundation of liberty. The obedient must be slaves. 
ー Henry David Thoreau
不服従は、自由の源泉である。服従的な人は、奴隷でしかない。(ソロー)

If I have got false teeth, I trust that I have not got a false conscience. It 
is safer to employ the dentist than the priest to repair the deficiencies of 
nature. ー Henry David Thoreau
もし私が入れ歯をしたとしても、私は、ニセの意識をもったとは思わない。自然の
欠陥をなおすために牧師を雇うよりも、歯医者を雇ったほうが、安全だ。(ソロー)

Obstacles are those frightful things we see when we take our eyes off our goal. 
ー Henry Ford
障害なんてものはね、目標から目をそらしたときに見る、恐ろしいもののことだよ。
(=目標から、目をそらすまで、障害はない。)(ヘンリー・フォード)

Don't do anything by half. If you love someone, love them with all your soul. 
When you go to work, work your ass off. When you hate someone, hate them until 
it hurts. ー Henry Rollins
何でも中途半端なことをするな。だれかを愛するなら、心底、徹底的に愛せよ。仕
事をするなら、ケツの穴が抜けるほど仕事をせよ。だれかを憎むなら、それで自分
の心が痛むまで、徹底的に憎め。(ヘンリー・ロリンズ)

Never let your sense of morals keep you from doing what is right. ー Isaac 
Asimov
正しいことをするために、あなたの道徳を眠らせてはいけない。

For every problem, there exists a simple and elegant solution which is 
absolutely wrong. ー J. Wagoner, U.C.B. Mathematics
どんな問題にも、それを快活するためにの、完ぺきにまちがっているところの、簡
単で、魅惑的な方法がある。

If something is boring after two minutes, try it for four. If still boring, 
then eight. Then sixteen. Then thirtyーtwo. Eventually one discovers that it 
is not boring at all. ー John Cage
二分間してみて、退屈に感じたら、四分間してみろ。それでだめなら八分間してみ
ろ。さらに一六分間してみろ。つぎに三二分間だ。そうすれば結果的に、あなたは
それが退屈でないと、知るだろう。(J・ケイジ)

Man will often act and live as though he were apart from his body, as if improving 
it from the outside. ー Karl Marx
男というのは、しばしば彼の肉体を離れているかのように行動し、生きるもの。あ
たかも肉体を外から改善するかにように。(カール・マルクス)

When you are content to be simply yourself and don't compare or compete, 
everybody will respect you ー LaoーTzu
ただ自分に満足すればよい。戦うために比較するな。そうすれば皆があなたを尊敬
するようになるだろう。(ラオ・ツ)

The real question of life after death isn't whether or not it exists, but even 
if it does, what problems this really solves. ー Ludwig Wittgenstein
死後の世界があるかどうかは、問題ではない。仮に存在したとしても、それがどん
な問題を解決するというのか。(L・ウィッチンゲンスタイン)

If the brain were so simple we could understand it, we would be so simple we 
couldn't. ー Lyall Watson
脳ミソがそんなにも単純なもので、それを理解したとしても、我々は、そんなふう
に理解できるほど、単純ではない。(L・ワットソン)

First they ignore you, then they laugh at you, then they fight you, then you 
win. ー Mahatma Ghandi
最初は彼らがあなたを無視する。つぎに、あざ笑い、それからあなたに戦いをいど
んでくる。そのとき、あなたは勝つ。(マハトマ・ガンジー)

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of 
our friends. ー Martin Luther King Jr.
最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう。(マ
ーティンルーサー・キング・Jr)

If a man hasn't discovered something that he will die for, he isn't fit to live.
 ー Martin Luther King Jr.
死ぬための何かを発見することに失敗した人は、生きるのに適していないというこ
と。(マーティンルーサー・キング・Jr)

●広い世界

 要するに、いかにして自分の住む世界を広くするかということ。脳ミソのレベルでいう
なら、いろいろな部分を刺激しつづけること。決して、かたよってはいけない。そう言え
ば、昔、こんな人がいた。

 その人は、数学の世界では、かなり名の知られた人だった。小学校の算数教育の世界で
は、とくに有名だった。しかしその人は、五〇歳をすぎるころから、今でいうアルツハイ
マー型痴呆症にかかっていたと思う。

 言うことなすこと、メチャメチャで、トンチンカンだったが、数学の問題だけは、難解
な問題でも、スラスラと解いていた。つまり彼のばあい、脳ミソのほかの部分は、おかし
くなったが、数学の問題を解く部分だけは、そうでなかったということ。もっとも、その
部分も、やがてあとを追いかけるように、おかしくなったが、そういうことはある。

 脳ミソ全体を活性化するためには、いろいろな方面に興味をもち、そのつどチャレンジ
していかねばならない。たとえば、いわゆる専門バカになるのは、たいへん危険なことで
ある。その部分は活性化するかもしれないが、ほかの部分が、ダメになってしまう。

 ……と書いて、「では、私はだいじょうぶか?」と、今、思った。冒頭に書いたように、
英文を翻訳していると、昔は感じなかった、疲れを覚えるようになった。これはどういう
現象によるものか。

 一説によると、言語野は左脳にあるという。しかし英語の意味を直感的に考える部分は、
右脳にあるという。となると、私が感ずる疲れは、左脳と右脳が情報をやり取りする部分、
つまり脳梁(のうりょう)に原因があるのではないか、ということになる。(あくまでも素
人判断だが……。)

 そう言えば、このところ絵を描かなくなった。作曲もしなくなった。少なくとも、この
一〇年、ほとんど、していない。そういう点では、右脳がつかさどっているとされる、ク
リエイティブな力が落ちてきたかもしれない。

 いかにして、脳ミソ全体を使っていくか。脳ミソに新しい刺激を与えていくか。ひとつ
の実験として、ポルノ小説を書いてみる。(あくまでも、創作小説だぞ!) あなたの脳ミ
ソを活性化するのにも、少しは役だつかもしれない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 脳の老化 分業)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct 07++++++++はやし浩司5081

●自己の統合性

+++++++++++++++

どうすれば、(自分のすべきこと)と、
(していること)を一致させることが
できるか。

それが統合性の問題ということになる。

が、それを一言で言い表した人がいた。

マルチン・ルーサー・キングである。

+++++++++++++++

 マルチン・ルーサー・キング・Jrは、こう述べた。

If a man hasn't discovered something that he will die for, he isn't fit to live. 
ー Martin Luther King Jr.
死ぬための何かを発見することに失敗した人は、生きるのに適していないというこ
と。(マーティン・ルーサー・キング・Jr)

 そこで自問してみる。私には今、命がけでしなければならないようなことがあるか、と。
併せて、私は今、命がけでしていることがあるか、と。

 老後の問題とは、まさに、その(命がけ)の問題と言いかえてもよい。のんべんだらり
と、毎日、釣りばかりをしている人生など、とんでもない人生で、そういった人生からは、
何も生まれない。残らない。ハイデッガーの言葉を借りるなら、そういう人は、「ただの人」。
ハイデッガーは、軽蔑の念をこめて、そう言った。「DAS MANN(ただの人)」と。(わ
かったか、『釣りバカ日誌』の浜ちゃん!)

 しかし老後の統合性というのは、実は、たいへんな問題と考えてよい。何度も書くが、
一朝一夕に確立できるような代物(しろもの)ではない。それこそ10年単位、20年単
位の熟成期間が必要である。その熟成期間を経て、始めて、そこに根をおろす。芽を出す。
花を咲かせるかどうかは、これまた別問題。

 命がけでしても、花を咲かせないまま終える人となると、ゴマンといる。いや、たいは
んが、そうではないか?

 「私はただの凡人」と居直る前に、みなさんも、ぜひ、自分に一度、問うてみてほしい。
「私には、命がけでしなければならない仕事があるか」と。

 ここまで書いて、昔見た映画、『生きる』を思い出した。第7回毎日映画コンクール(日
本映画大賞)受賞した作品である。毎日映画コンクールのblogより、内容を抜粋して、
そのままここに紹介させてもらう。

「……市役所の市民課長である渡邊勘治(志村喬)は30年間、無欠勤だったが、その
日、初めて欠勤した。病院で胃ガンと診察され、あと4か月の命だと宣告されたからで
ある。勘治は親を思わない息子・光男(金子信雄)夫婦にも絶望し、預金を下ろして街
に出る。

 勘治は屋台の飲み屋で知り合った小説家(伊藤雄之助)と意気投合、小説家は、勘治に
最期の快楽を味わってもらおうとパチンコ屋、キャバレー、ストリップと渡り歩く。だ
が、勘治の心は満たされない。朝帰りした勘治は、市民課の女事務員小田切とよ(小田
切みき)と出会う。彼女は退職届を出すところだった。

 「あんな退屈なところでは死んでしまう」との、とよの言葉に、勘治は事なかれ主義の
自分の仕事を反省。目の色を変えて仕事を再開する。その勘治の目に止まったのが、下
町の悪疫の原因となっていた陳述書だった……」と。

 この映画は、黒澤明監督の傑作として、1953年、ベルリン映画祭で、銀熊賞を受賞
している。

そのあと渡邊勘治は、残された人生を、町の人のためと、小さな公園作りに、生きがい
を求める。最後に、公園のブランコに乗りながら、「生きることの意味を悟って死んでい
く」(「きれい塾hp」)と。

 今でもあの歌、「ゴンドラの歌」が、私の耳に、しみじみと残っている。

+++++++++++

●ゴンドラの歌(吉井勇作詞、中山晋平作曲)

1 いのち短し 恋せよ乙女
  朱き唇 褪せぬ間に
  熱き血潮の 冷えぬ間に
  明日の月日は ないものを


2 いのち短し 恋せよ乙女
  いざ手をとりて 彼(か)の舟に
  いざ燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 来ぬものを


3 いのち短し 恋せよ乙女
  黒髪の色 褪せぬ間に
  心のほのお 消えぬ間に
  今日はふたたび 来ぬものを

++++++++++++

 私も、そろそろ、そういう年齢になりつつある。がんばります!


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