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2008年 1月号 2008年 2月号
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Essay……●

(奇数月用1―13号)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 30日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもとテレビ

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ているという。この時間
は、アメリカ小児科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。
平均的な子どもは、学校で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を
過ごすという(以上、アメリカ・OHIO・Arkon子ども病院HPより)。

 そのアメリカでは、主に3つの問題点が指摘されている。(1)子どもの肥満、(2)番
組による悪影響、それに(3)コマーシャルの影響である。

(1)肥満
 一日4時間以上、テレビを見ている子どもには、明らかに肥満傾向が見られるという。
一方、2時間以下に抑えたばあい、肥満は、改善する傾向が見られるという(AAP)。

(2)番組による悪影響
 テレビの悪影響として、第一に考えられるのが、暴力シーンである。平均的な子どもは、
18歳までに、20万もの、暴力シーンを見るという(Arkon子ども病院)。善人が暴
力でもって悪人を撃退するというシーンにしても、それによって、子どもは、暴力によっ
てものごとを解決するのも許されると考え方をもつようになることが指摘されている。

 この時期の子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化しやすい。たとえば2〜7歳
の子どもは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかない。「これは作り物だ」と説明し
ても、意味はない。

また8〜12歳の子どもは、現実に起きたことではあっても、ニュース、自然災害、子
どもが犠牲になる事件を見聞きするだけで、自分の将来について、(おびえ)を覚えるよ
うになる(AAP)。

(3)コマーシャルの影響
 8歳以下の子どもは、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解
できない。6歳以下の子どもは、番組とコマーシャルの区別さえできない。とくに子ども
たちが好きなキャラクターが、販売促進に手を貸しているようなばあいには、コマーシャ
ルの意味を、ていねいに教えてやる必要がある(Arkon)。

 でないと、スナック菓子など、不健康な食品を、食べるべきものとして理解するように
なる。

 その解決策として、アメリカでは、子どもに見せる番組を制限する方法として、Vチッ
プス(Vは、「バイオレンス」の意。特殊な部品をテレビに組み込んで、暴力番組を見せな
いようにする方法))の導入や、番組のクラス分け(TV−Y……TV−MAまでの7段階)
などを試みている。しかしこうした試みは、ほとんど失敗しているとみてよい。

そこでAAPは、つぎのような方法を、具体的に提唱している。

●子どもには、コマーシャルがない公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。
●見てもよい番組を、あらかじめ選択する。

 さらに家庭の中における視聴時間を制限するために、つぎの6つを提唱している。

●テレビのある部屋に、本や、子ども雑誌、おもちゃ、パズル、ボードゲームなどを、た
くさん置く。
●子ども部屋にはテレビを置かない。
●食事中はテレビを消す。
●学習中はテレビを消す。
●テレビを見るのは、特権と意識させる。たとえば雑事や宿題をしたあとに、ほうびとし
てテレビを見せる。

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ているという。この時間
は、アメリカ小児科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。
平均的な子どもは、学校で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を
過ごすという(以上、アメリカ・OHIO・Arkon子ども病院HPより)。
 そのアメリカでは、主に3つの問題点が指摘されている。(1)子どもの肥満、(2)番
組による悪影響、それに(3)コマーシャルの影響である。

(1)肥満
 一日4時間以上、テレビを見ている子どもには、明らかに肥満傾向が見られるという。
一方、2時間以下に抑えたばあい、肥満は、改善する傾向が見られるという(AAP)。

(2)番組による悪影響
 テレビの悪影響として、第一に考えられるのが、暴力シーンである。平均的な子どもは、
18歳までに、20万もの、暴力シーンを見るという(Arkon子ども病院)。善人が暴
力でもって悪人を撃退するというシーンにしても、それによって、子どもは、暴力によっ
てものごとを解決するのも許されると考え方をもつようになることが指摘されている。

 この時期の子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化しやすい。たとえば2〜7歳
の子どもは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかない。「これは作り物だ」と説明し
ても、意味はない。

また8〜12歳の子どもは、現実に起きたことではあっても、ニュース、自然災害、子
どもが犠牲になる事件を見聞きするだけで、自分の将来について、(おびえ)を覚えるよ
うになる(AAP)。

(3)コマーシャルの影響
 8歳以下の子どもは、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解
できない。6歳以下の子どもは、番組とコマーシャルの区別さえできない。とくに子ども
たちが好きなキャラクターが、販売促進に手を貸しているようなばあいには、コマーシャ
ルの意味を、ていねいに教えてやる必要がある(Arkon)。
 でないと、スナック菓子など、不健康な食品を、食べるべきものとして理解するように
なる。

 その解決策として、アメリカでは、子どもに見せる番組を制限する方法として、Vチッ
プス(Vは、「バイオレンス」の意。特殊な部品をテレビに組み込んで、暴力番組を見せな
いようにする方法))の導入や、番組のクラス分け(TV−Y……TV−MAまでの7段階)
などを試みている。しかしこうした試みは、ほとんど失敗しているとみてよい。

そこでAAPは、つぎのような方法を、具体的に提唱している。

●子どもには、コマーシャルがない公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。

 さらに家庭の中における視聴時間を制限するために、つぎの6つを提唱している。
●テレビのある部屋に、本や、子ども雑誌、おもちゃ、パズル、ボードゲームなどを、た
くさん置く。
●子ども部屋にはテレビを置かない。
●食事中はテレビを消す。
●学習中はテレビを消す。
●テレビを見るのは、特権と意識させる。たとえば雑事や宿題をしたあとに、ほうびとし
てテレビを見せる。

 が、何よりも重要なのは、「問いかけ」である。子どもとテレビを見ながら、「こんなこ
とは、ありえないよな?」「お前はどう思う?」「ほかに解決方法はないのかな?」と。こ
うした問いかけが、子どもの批判力を育て、その批判力が、子どもの心を守る。


(参考文献:Akron Children's Hospital, Ohio, USA 2005, the American Academy of 
Pediatrics (AAP))

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子どもとテレビ テレビの
影響 子供 テレビ 悪影響)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもとテレビ】(アメリカ。OHIO州、ARKON 子ども病院・HPより)

 アメリカの子どもたちは、平均して1日、4時間、テレビを見ている。この時間は、ア
メリカ小児科医学会(AAP)が提唱している、最大時間の2時間の2倍である。平均的
な子どもは、学校で900時間を過ごすが、一方、テレビの前で、1023時間を過ごし
ている。
Most children plug into the world of television long before they enter school: 70% 
of child-care centers use TV during a typical day. In a year, the average child 
spends 900 hours in school and nearly 1,023 hours in front of a TV.

AAPによれば、合衆国の子どもたちは、1日平均、4時間のテレビを見ている。AAPの示した
ガイ
ドラインによれば、質のよいテレビ番組にしても、1〜2時間ということになっている。
According to the American Academy of Pediatrics (AAP), kids in the United States 
watch about 4 hours of TV a day - even though the AAP guidelines say children 
older than 2 should watch no more than 1 to 2 hours a day of quality 
programming.

同じガイドラインによれば、2歳以下の子どもは、TV、DVD、ビデオ、コンピュータ、ビデオゲー

も含めて、「画面時間(Screen time)」をもつべきではないとなっている。最初の2年間というの
は、
脳の発育に関して、たいへん重要な時期なのだが、テレビは、探索したり、学んだり、両親と交

したり遊んだりすることにじゃまになる。こうしたことを通して、認識力や、体力、社会性、情緒
を発
達させる。
And, according to the guidelines, children under age 2 should have no "screen 
time" (TV, DVDs or videotapes, computers, or video games) at all. During the first 
2 years, a critical time for brain development, TV can get in the way of exploring, 
learning, and spending time interacting and playing with parents and others, 
which helps young children develop the skills they need to grow cognitively, 
physically, socially, and emotionally.

もちろんテレビは、適度であれば、よいものである。就学前の子どもたちは、公共のテレビを通
して、
学ぶ助けを得る。あるいは就学後は、自然番組を通して、野生生活を学ぶことができる。ある
いは
親たちは、夕方のニュースで最近のできごとを知ることができる。テレビは、疑いもなく、すばら

い教育者であり、娯楽者である。
Of course, television, in moderation, can be a good thing: Preschoolers can get 
help learning the alphabet on public television, grade schoolers can learn about 
wildlife on nature shows, and parents can keep up with current events on the 
evening news. No doubt about it - TV can be an excellent educator and 
entertainer.

これらの利点にもかかわらず、テレビの見過ぎは、有害である。
But despite its advantages, too much television can be detrimental:

●たとえば常に1日4時間以上テレビを見ている子どもは、肥満傾向が見られる。
●誘拐番組や殺人などの暴力番組を見ている子どもは、世界とは恐ろしいところであり、何か

いことが起きるのではないかと考える傾向が強くなる。
●テレビは、ジェンダー(性差別)や人種偏見を助長する。

"Research has shown that children who consistently spend more than 4 
hours per day watching TV are more likely to be overweight. 
"Kids who view violent events, such as a kidnapping or murder, are also 
more likely to believe that the world is scary and that something bad will 
happen to them. 
"Research also indicates that TV consistently reinforces gender-role and 
racial stereotypes. 

こうした中、子どもの保護者たちは、解決策を求めて、二分される。もっと教育的な番組をふや

と考える人がいる一方で、テレビがないのが、いちばんよいと考える人もいる。また両親がテレ

をコントロールして、子どもにテレビとは、娯楽のためのものであり、現実逃避のためのもので
はな
いと教えるのがよいと言う人もいる。
Children's advocates are divided when it comes to solutions. Although many urge 
for more hours per week of educational programming, others assert that no TV is 
the best solution. And some say it's better for parents to control the use of TV and 
to teach children that it's for occasional entertainment, not for constant escapism.

それ故に、あなたが(親として)、子どもが見ているテレビ番組をモニターし、視聴時間を制限
し、そ
のことによって、ほかの子どもとの活動や遊び、運動や読書に過ごされるべき時間を、テレビ
を見
ることによって過ごさせないようにすることが重要である。
That's why it's so important for you to monitor the content of TV programming 
and set viewing limits to ensure that your child doesn't spend time watching TV 
that should be spent on other activities, such as playing with friends, exercising, 
and reading.

Violence(暴力)

アメリカの子どもたちが、どれだけ暴力番組を見ているかについてだが、平均的なアメリカの
子ど
もたちは、18歳までに、テレビで、20万の暴力シーンを見るだろうということ。テレビの暴力
は、と
きとして、子どもたちによって模倣される。なぜなら、そうしたシーンは、しばしば、おもしろく、か

あなたがしたいことをするための効果的な方法として示されるからである。
To give you perspective on just how much violence kids see on TV, consider this: 
The average American child will witness 200,000 violent acts on television by age 
18. TV violence sometimes begs for imitation because violence is often 
demonstrated and promoted as a fun and effective way to get what you want.

AAPが指摘するように、多くの暴力行為は、「善人」によって、なされるということ。そのため、
子ど
もはそれを競うように教えられる。いくら親が、他人を殴る権利はないと教えても、テレビは、あ

たが善人なら、かみついたり、殴ったり、蹴ったりしてもOKと教える。「悪人」は、そうされてもし

たないと教えられる。
And as the AAP points out, many violent acts are perpetrated by the "good guys," 
whom children have been taught to emulate. Even though children are taught by 
their parents that it's not right to hit, television says it's OK to bite, hit, or kick if 
you're the good guy. And even the "bad guys" on TV aren't always held 
responsible or punished for their actions.

子どもたちが吸収するイメージは、トラウマ化され、心のキズとなる。研究によれば、2〜7歳の

どもは、グロテスクなこわく見えるものに対して、とくにおぼえるということがわかっている。この

齢の子どもに、「これは作り物である」と教えても、なぐさめにはならない。なぜなら、この時期
の子
どもは、(現実)と(ファンタジー)の区別がつかないからである。
The images children absorb can also leave them traumatized and vulnerable. 
According to research, children ages 2 to 7 are particularly frightened by 
scary-looking things like grotesque monsters. Simply telling children that those 
images aren't real won't console them, because they can't yet distinguish 
between fantasy and reality.

8〜12歳の子どもは、それがフィクションであれ、ニュースであれ、現実に起きたことであれ、
暴力、
自然災害、子どもが犠牲になる事件によって、おびえる。この年齢の子どもには、理由づけが

切である。つまり、子どもたちのおそれをやわらげるため、再検討してみたり、正直な情報を与

ることが大切である。が、あなたは、子どもたちがおびえるような番組を見るのを避けたいと願
って
いるかもしれない。
Kids ages 8 to 12 are frightened by the threat of violence, natural disasters, and 
the victimization of children, whether those images appear on fictional shows, the 
news, or reality-based shows. Reasoning with children this age will help them, so 
it's important to provide reassuring and honest information to help ease your 
child's fears. However, you may want to avoid letting your child view programs 
that he or she may find frightening.

Risky Behaviors(危険な行為)

テレビには、セックスや薬物乱用などのような危険な行為を、楽しく、エキサイティングなものと

写する番組やコマーシャルが満ちている。そしてアルコールを飲むことの結果、薬物やタバコ
を使
用することの結果、あるいは婚前セックスの結果について、議論がなされない。
TV is chock full of programs and commercials that often depict risky behaviors 
such as sex and substance abuse as cool, fun, and exciting. And often, there's no 
discussion about the consequences of drinking alcohol, doing drugs, smoking 
cigarettes, and having premarital sex.

たとえば、性的な番組をたくさん見ている10代の子どもたちは、そうした番組を見ない子ども
たち
よりも、性交を主導し、他の性的行為に参加する傾向が見られる。
For example, studies have shown that teens who watch lots of sexual content on 
TV are more likely to initiate intercourse or participate in other sexual activities 
earlier than peers who don't watch sexually explicit shows.

テレビでのアルコールの宣伝は、過去数年間、増えつづけ、未成年の子どもたちは、それらに
より、
さらされている。the Center on Alcohol Marketing and Youth (CAMY=アルコール・マーケ
ティングと若者センター・ジョージタウン大学)の調査によれば、10代の子どもたちが見る番組

上位15の番組は、アルコールのコマーシャルを流していた(2003年)。
Alcohol ads on TV have actually increased over the last few years and more 
underage children are being exposed to them than ever. A recent study conducted 
by the Center on Alcohol Marketing and Youth (CAMY) at Georgetown University 
found that the top 15 teen-oriented programs in 2003 had alcohol ads.

テレビでのタバコの宣伝は禁止されているが、子どもや10代の子どもたちは、テレビで流され

映画番組の中で、たくさんの人たちがタバコを吸っているシーンを見ている。こうした番組を見
るこ
とによって、子どもたちは、タバコを吸ったり、アルコールを飲むことは、許される行為だと知
る。事
実、1日に5時間以上テレビを見る子どもは、推奨される2時間以下しかテレビを見ない子ども

ちより、ずっとタバコを吸う傾向が強いことがわかっている。
And although they've banned cigarette ads on television, kids and teens can still 
see plenty of people smoking on programs and movies airing on TV. This kind of 
"product placement" makes behaviors like smoking and drinking alcohol seem 
acceptable. In fact, kids who watch 5 or more hours of TV per day are far more 
likely to begin smoking cigarettes than those who watch less than the 
recommended 2 hours a day.

Obesity(肥満)

専門家たちは、テレビの見過ぎと肥満の関係を指摘している。これが今日、もっとも重要な健
康上
の問題である。テレビを見ている間、子どもたちは不活発になり、その間、スナック類を食べ
る。そ
してその間、たとえばポテトチップスや、スナックを求めるようなソフトドリンクなどのような不健

な食品を食べるようにしむける、宣伝メッセージを爆弾のように見せられる。
Health experts have long linked excessive TV-watching to obesity - a significant 
health problem today. While watching TV, children are inactive and tend to snack. 
They're also bombarded with advertising messages that encourage them to eat 
unhealthy foods such as potato chips and empty-calorie soft drinks that often 
become preferred snack foods.

多くの教育的な番組ですら、子どもの健康に、間接的な影響を与える。1日に、質のよいテレビ

組を4時間、見ている子どもにしても、その間、そういう子どもたちは、運動もせず、社会活動
もせ
ず、かつ野外活動もしない。
Too much educational TV has the same indirect effect on children's health. Even if 
children are watching 4 hours of quality educational television, that still means 
they're not exercising, reading, socializing, or spending time outside.

研究によれば、テレビを見る時間を減らすことによって、体重を減らし、BMI値を低くすること
がわ
かっている。
But studies have shown that decreasing the amount of TV children watched led to 
less weight gain and lower body mass index (BMI - a measurement derived from 
someone's weight and height).

Commercials(コマーシャル)

AAPによれば、子どもたちは、1年間に4万ものコマーシャルを見ている。土曜日の朝のマン
ガの
中の、ジャンクフードからおもちゃのコマーシャルにはじまって、小麦食品の宣伝まで、あらゆ
る年
齢の子どもたちを、宣伝が子どもたちを水漬けにする。そして子どもたちにとっては、それを食

なければならないかのようなものとして、そうしたものをとらえる。それらはすべて、それが実際

うであるよりも、ずっと、魅力的なものであるというふうに、聞こえる。
According to the AAP, children in the United States see 40,000 commercials each 
year. From the junk food and toy advertisements during Saturday morning 
cartoons to the appealing promos on the backs of cereal boxes, marketing 
messages inundate kids of all ages. And to them, everything looks ideal - like 
something they simply have to have. It all sounds so appealing - often, so much 
better than it really is.

8歳以下の子どもにとっては、コマーシャルが、ものを売るための方法であるということが理解
でき
ない。6歳以下の子どもたちは、番組と、コマーシャルの区別すらできない。とくに子どもたちが

きなキャラクターが、その製品の販売促進をしているようなときは、そうである。それ以上の年
齢の
子どもにしても、宣伝の意味を教える必要がある。
Under the age of 8 years, most children don't understand that commercials are for 
selling a product. Children 6 years and under are unable to distinguish program 
content from commercials, especially if their favorite character is promoting the 
product. Even older children may need to be reminded of the purpose of 
advertising.

こうしたコマーシャルを、子どもの前から消すのは、不可能である。子どもがそれを見る間、テ
レビ
を消すことはできる。しかしチャンネルをかえるたびに、子どもたちは、それを見たり聞いたり
する。
Of course, it's nearly impossible to eliminate all exposure to marketing messages. 
You can certainly turn off the TV or at least limit kids' watching time, but they'll 
still see and hear advertisements for the latest gizmos and must-haves at every 
turn.

あなたができることは、子どもがテレビを見ている間、子どもたちがそれについてどう思い、考
えて
いるかについて、教えることはできる。「あれをあなたはどう思うか」「あの宣伝ほど、あれはほ
んと
うによいものだと思うか」「あれは健康によいものだと思うか」とかなど、考えることを刺激するこ

はできる。
But what you can do is teach your child to be a savvy consumer by talking about 
what he or she thinks about the products being advertised as you're watching TV 
together. Ask thought-provoking questions like, "What do you like about that?," 
"Do you think it's really as good as it looks in that ad?," and "Do you think that's 
a healthy choice?"

子どもがその宣伝されたものについて質問をしたときには、人々がかならずしも必要としないも

をほしがらせるようにするものだということを、子どもに説明する。そしてこうしたコマーシャル
が、
こうしたものが、私たちを幸福に思わせるように作られているということを説明する。現実には
どう
であるかを子どもたちに説明することは、子どもに、それがそういうものであることを教えるの
に役
立つ。
Explain, when your child asks for products he or she sees advertised, that 
commercials and other ads are designed to make people want things they don't 
necessarily need. And these ads are often meant to make us think that these 
products will make us happier somehow. Talking to kids about what things are like 
in reality can help put things into perspective.

子どもたちの世界から、テレビコマーシャルを制限するため、AAPは、つぎのように推奨する。
To limit your child's exposure to TV commercials, the AAP recommends that you:

●子どもには、コマーシャルがほとんどない、公共放送を見せる。
●コマーシャルのない、テープ番組を見せる。
●子ども向けのビデオやDVDを見せる。
"Have your kids watch public television stations (some programs are 
"sponsored - or "brought to you" - by various companies, although the 
products they sell are rarely shown). 
"Tape programs - without the commercials. 
"Buy or rent children's videos or DVDs. 

Understanding TV Ratings and the V-Chip(テレビ評価と、V−チップス)

Two ways you can help monitor what your child watches are:

TV Parental Guidelines. (テレビのガイドライン)。Modeled after the movie rating 
system, this is an age-group rating system developed for TV programs. These 
ratings are listed in television guides, TV listings in your local newspaper, and on 
the screen in your cable program guide. They also appear in the upper left-hand 
corner of the screen during the first 15 seconds of TV programs. But not all 
channels offer the rating system. For those that do, the ratings are:
"TV-Y: suitable for all children 
"TV-Y7: directed toward kids 7 years and older (children who are able to 
distinguish between make-believe and reality); may contain "mild fantasy 
violence or comedic violence" that may scare younger kids 
"TV-Y7-FV: fantasy violence may be more intense in these programs than 
others in the TV-Y7 rating 
"TVG: suitable for a general audience; not directed specifically toward 
children, but contains little to no violence, sexual dialogue or content, or 
strong language 
"TV-PG: parental guidance suggested; may contain an inappropriate theme 
for younger children and contains one or more of the following: moderate 
violence (V), some sexual situations (S), occasional strong language (L), 
and some suggestive dialogue (D) 
"TV-14: parents strongly cautioned - suitable for only children over the age 
of 14; contains one or more of the following: intense violence (V), intense 
sexual situations (S), strong language (L), and intensely suggestive 
dialogue 
"TV-MA: designed for adults and may be unsuitable for kids under 17; 
contains one or more of the following: graphic violence (V), strong sexual 
activity (S), and/and crude language (L) 

V-chip (V is for "violence"). This technology was designed to enable you to 
block television programs and movies you don't want your child to see. All new TV 
sets that have screens of 13" or more now have internal V-chips, but set-top 
boxes are available for TVs made before 2000. So how exactly does the V-chip 
work? It allows you to program your TV to display only the appropriately-rated 
shows - blocking out any other, more mature shows.
The Federal Communications Commission (FCC) requires that V-chips in new TVs 
recognize the TV Parental Guidelines and the age-group rating system and block 
those programs that don't adhere to these standards.
For many, the rating system and V-chip may be valuable tools. But there is some 
concern that the system may be worse than no system at all. For example, 
research shows that preteen and teen boys are more likely to want to see a 
program if it's rated MA (mature audience) than if it's PG (parental guidance 
suggested). And parents may rely too heavily on these tools and stop monitoring 
what their children are watching.

Also, broadcast news, sports, and commercials aren't rated, although they often 
present depictions of violence and sexuality. The rating system also doesn't 
satisfy some family advocates who complain that they fail to give enough 
information about a program's content to allow parents to make informed 
decisions about whether a show is appropriate for their child.
So even if you've used the V-chip to program your TV or a show features the 
age-group ratings, it's still important to preview shows to determine whether 
they're appropriate for your child and turn off the TV if the content becomes 
inappropriate for your child.

Teaching Your Child Good TV Habits(子どもに、よいテレビ習慣を教える)

家庭で応用できる、よいテレビの見せ方
Here are some practical ways you can make TV-viewing more productive in your 
home:

"Limit the number of TV-watching hours: (時間制限)

○テレビのある部屋に、テレビ以外のたくさんのものを置く。(本、子ども雑誌、おもちゃ、パズ
ル、
ボードゲームなど。)テレビを見ること以外に、子どもができることを、多く用意する。

○子どものベッドルームからテレビを除く。

○食事中は、テレビを消す。

○宿題をしているときは、テレビを消す。

○テレビを見るのは、何かの作業をしたあとの特権であるというように扱う。たとえば、雑用や
宿
題をしたあとにだけ見られるようにする。

oStock the room in which you have your TV with plenty of other 
non-screen entertainment (books, kids' magazines, toys, puzzles, 
board games, etc.) to encourage your child to do something other 
than watch the tube. 
oKeep TVs out of your child's bedroom. 
oTurn the TV off during meals. 
oDon't allow your child to watch TV while doing homework. 
oTreat TV as a privilege that your child needs to earn - not a right to 
which he or she is entitled. Tell your child that TV-viewing is allowed 
only after chores and homework are completed. 

"Try a weekday ban. (終日の禁止)Schoolwork, sports activities, and job 
responsibilities make it tough to find extra family time during the week. 
Record weekday shows or save TV time for weekends, and you'll have 
more family togetherness time to spend on meals, games, physical activity, 
and reading during the week. 

"Set a good example by limiting your own television viewing. 


"Check the TV listings and program reviews ahead of time(あらかじめ、
"テレビ番組をチェックする)for programs your family can watch together (i.e., 
"developmentally appropriate and nonviolent programs that reinforce your 
"family's values). Choose shows, says the AAP, that foster interest and 
"learning in hobbies and education (reading, science, etc.). 

"Preview programs (番組を前もって見る)before your child watches them. 


"Come up with a family TV schedule(見てよい番組を、あらかじめ選ぶ) that 
you all agree upon each week. Then, post the schedule in a visible area 
(i.e., on the refrigerator) somewhere around the house so that everyone 
knows which programs are OK to watch and when. And make sure to turn 
off the TV when the "scheduled" program is over, instead of channel 
surfing until something gets your or your child's interest. 

"Watch TV with your child. (子どもといっしょにテレビを見る)If you can't sit 
through the whole program, at least watch the first few minutes to assess 
the tone and appropriateness, then check in throughout the show. 


"Talk to your child about what he or she sees (子どもが見ている番組につ
いて、話しかける)on TV and share your own beliefs and values. If something 
you don't approve of appears on the screen, you can turn off the TV, then 
use the opportunity to ask your child thought-provoking questions such as, 
"Do you think it was OK when those men got in that fight? What else could 
they have done? What would you have done?" Or, "What do you think 
about how those teenagers were acting at that party? Do you think what 
they were doing was wrong?" If certain people or characters are mistreated 
or discriminated against, talk about why it's important to treat everyone 
equal, despite their differences. You can use TV to explain confusing 
situations and express your feelings about difficult topics (sex, love, drugs, 
alcohol, smoking, work, behavior, family life). Teach your child to question 
and learn from what he or she views on TV. 

"Talk to other parents, your child's doctor, and your child's teachers
(子どもの医師や先生に、話す)about their TV-watching policies and 
kid-friendly programs they'd recommend. 


"Offer fun alternatives to television.(テレビ以外の楽しみを提供する)If your 
child wants to watch TV, but you want him or her to turn off the tube, 
suggest that you and your child play a board game, start a game of hide 
and seek, play outside, read, work on crafts or hobbies, or listen and dance 
to music. The possibilities for fun without the tube are endless - so turn off 
the TV and enjoy the quality time you'll have to spend with your child. 


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Although news gleaned from television, radio, or the Internet can be a positive 
educational experience for kids, problems can arise when the images presented 
are violent or news stories touch on disturbing topics. Recent news about 
Hurricane Katrina and the earthquake in South Asia could potentially make a child 
worry that a natural disaster is going to hit home, or be fearful of a part of daily 
life - like rain and thunderstorms - that he or she never even thought about 
before.
Reports on subjects such as natural disasters, child abductions, homicides, 
terrorist attacks, school violence, or a politician's sex life can teach kids to view 
the world as a confusing, threatening, or unfriendly place.
How can you deal with these disturbing stories and images? Talking to your child 
about what he or she watches or hears will help your child put frightening 
information into a more balanced and reasonable context.
How Kids Perceive the News(子どもは、ニュースをどうとらえるか)
Unlike movies or entertainment programs, news is real. But depending on your 
child's age or maturity level, he or she may not yet understand the distinctions 
between fact and fantasy. By the time a child reaches 7 or 8, however, what he or 
she watches on TV can seem all too real. For some youngsters, the vividness of a 
sensational news story can be internalized and transformed into something that 
might happen to them. A child watching a news story about a bombing on a bus or 
a subway might worry, "Could I be next? Could that happen to me?"
Natural disasters or stories of other types of devastation can be personalized in 
the same manner. A child in Massachusetts who sees a house being swallowed by 
floods from a hurricane in Louisiana may spend a sleepless night worrying about 
whether his home will be OK in a rainstorm. A child in Chicago, seeing news about 
an attack on subways in London, may get scared about using public 
transportation around town. TV has the effect of shrinking the world and bringing 
it into your own living room.
By concentrating on violent stories, television news can also promote a 
"mean-world" syndrome, which can give children a misrepresentation of what the 
world and society are actually like.

Talking About the News(ニュースについて話す)
To calm children's fears about the news, parents should be prepared to deliver 
what psychologists call "calm, unequivocal, but limited information." This means 
delivering the truth, but only as much truth as the child needs to know. The key is 
to be as truthful, yet as inexplicit as you can be. There's no need to go into more 
details than your child is interested in.
Although it's true that some things - like a natural disaster - can't be controlled, 
parents should still give children space to share their fears. Encourage your child 
to talk openly about what scares him or her.
Older children are less likely to accept an explanation at face value. Their budding 
skepticism about the news and how it's produced and sold might mask anxieties 
they have about the stories it covers. If an older child is bothered about a story, 
help him or her cope with these fears. An adult's willingness to listen will send a 
powerful message.
Teens also can be encouraged to consider why a frightening or disturbing story 
was on the air: Was it to increase the program's ratings because of its sensational 
value or because it was truly newsworthy? In this way, a scary story can be turned 
into a worthwhile discussion about the role and mission of the news.

Tips for Parents
Keeping an eye on your child's TV news habits can go a long way toward 
monitoring the content of what he or she hears and sees. Here are some 
additional tips:

"Recognize that news doesn't have to be driven by disturbing pictures. 
Public television programs, newspapers, or newsmagazines specifically 
designed for children can be less sensational - and less upsetting - ways of 
getting information to children. 
"Discuss current events with your child on a regular basis. It's important to 
help kids think through stories they hear about. Ask questions: What do 
you think about these events? How do you think these things happen? 
These questions can encourage conversation about non-news topics as 
well. 
"Put news stories in proper context. Showing that certain events are 
isolated or explaining how one event relates to another helps a child make 
better sense of what he or she hears. Broaden the discussion from a 
disturbing news item to a larger conversation: Use the story of a natural 
disaster as an opportunity to talk about philanthropy, cooperation, and the 
ability of people to cope with overwhelming hardship. 
"Watch the news with your child to filter stories as he or she watches them. 
"Anticipate when guidance will be necessary and avoid shows that aren't 
appropriate for your child's age or level of development. 
"If you're uncomfortable with the content of the news or if it's inappropriate 
for your child's age, turn off the TV or radio. 
"Talk about what you can do to help. In the case of a news event like a 
natural disaster, your child may gain a sense of control, and feel more 
secure if you find out about donations you can make or other ways that you 
can help those who you have heard about are in need. 
Reviewed by: Mary L. Gavin, MD
Date reviewed: September 2005
Originally reviewed by: Steven Dowshen, MD, and Jennifer Shroff Pendley, PhD
はやし浩司,幼児教育,子育て論,育児論,教育評論,評論家,育児評論,育児評論家,子育て評論,
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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子のフリーソフトが、ウォールストリート・ジャーナルで紹介される

+++++++++++++++

息子が彼の妻のために作成した
家計簿ソフトが、ウォールストリート
ジャーナルで、紹介されました。

全世界の通貨に対応しているという
ことなので、みなさんの中で、
家計簿ソフトをと考えている人が
いたら、ぜひ、使用を検討してみて
ください。

もちろん無料で、ダウンロードでき
ます。

+++++++++++++++

(ウォールストリート・ジャーナル記事より)
Programmer Soichi Hayashi created SimpleD Budget for his wife, Denise. It runs in 
Windows and has colorful charts and visual aids to help people who need more than raw 
numbers. (Download at Web site 
dsbudget.sourceforge.net.
(April 29 2007)

プログラマー、ハヤシ・ソウイチが彼の妻のために作った家計簿ソフト。ウィンドウズ上
で作動。カラフルで、視覚的なわかりやすい。

当日の記事は、

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「Soichi Hayashi」へ

++++++++++++++++

【林宗市から一言】

SimpleD Budget 

2、3年前に作りっぱなしになっていた僕の家計簿ソフトが、このごろあちこちのサイト
で取り上げられている。去年ウォールストリートジャーナルで紹介されたり、先日もまた
$10募金してくれる人がいたりと、このソフトを気に入ってくれている人は地味に多いよう
だ。

今日はオーストラリアでSuburbView.comという不動産関係のサイトを経営している人か
ら、ブログ書いたよーという内容のメールが届いた。こちらがその記事。こういう使いか
たもできるんだなあ、と勉強になった。

世界中の貨幣に対応しているので、もし興味があれば試してみてください。(無料です)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2409)

●昨日の原稿(An article I wrote yesterday)

Yesterday I wrote about the religion. It was a kind of which I don't know I am writing. 
Then I hereby rewrite it again with some comments. In short we love people for the case 
we need it someday. "Loneliness" is the worst hell we experience, where we have none to 
love and we have none who love us. 

++++++++++++++

昨日、宗教について原稿を書いた。
それが気になっている。

支離滅裂というか、自分の考えて
いることを、書ききれなかった。

そこで今朝、もう一度、書きなおして
みることにした。

++++++++++++++

【まず、昨日(1月4日)に書いた原稿】

●宗教とは何か(What is the religion?)(Original article)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから
学べ」と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then 
you learn how to fly."

 人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめられ
なければ、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえってあ
せってしまい、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうである。大
切なことは、その緊張感を忘れないことか。

 しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まとも
にものを考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追われ
たりすると、そうなる。

 が、こちらが望まなくとも、絶壁に立たされることがある。しかも想像を絶するほど過
酷な絶壁に、である。そういうときは、どうしたらよいのか。

 そこで宗教の登場ということになる。

 宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由がわ
からないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほか。
そっとしておいてやることこそ、思いやりというもの。

 ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たとえ
ば「合格祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよいか
どうかは、わからないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、こ
う言った。「そんなことに力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。
棒か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ。

 そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、
もがいても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そ
ういう人は、どこに救いを求めればいいのか」と。

 ひとつの例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。「四苦八
苦」のひとつである。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみは、それを経験したものでないとわからない。
いくら渦中の栗は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。どうやって
その孤独と戦えばよいのか。「挫折」というより、それは「絶望」に近い。

 私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、そ
れがあるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかでそ
の氷が割れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えばよいのか。はたして、自分の力だけで、それと
戦うことはできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、
飛ぶことさえあきらめてしまうかもしれない。

 そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の世
界では、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考え
てよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、「私」という自分
を救済する。このことは、その逆の人を想像してみれば、わかる。

 昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○○
万円儲けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買っ
た」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は
大きく、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それが
どうしたの?」と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。し
かしそんな自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、
聞く方は、そうではない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかっ
た。あの自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った。

 ……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えること
はできないだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような不安感を覚
えるかといえば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。
つまり自分の範囲の中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を
超えることはできない。つまり孤独と戦うことはできない。

 そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」
「どこかにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてや
りたいが、しかしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分け
もってやる。それならできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛
び降りる前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、
そう言った。私は、同意した。

(注)支離滅裂な文章で、すみません。またいつか、読みなおし、書き改めてみます。今
日は、このままマガジンに掲載します。


【書き改め】(Rewritten article)

●宗教とは何か(What is the religion?)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから
学べ」と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then 
you learn how to fly."

 義兄との会話は、そんな内容で始まった。つまり生ぬるい生き方をしていたのでは、真
理に到達することはできない。真理に到達するためには、絶壁から飛び降りるような覚悟
と緊張感が必要だ、と。

 が、これに義兄がすかさず、反論した。

 『浩司君、君はそう言うけど、懸命に生きても、もがいているだけで、どうにもならな
い人もいるんだよ。そういう人は、どうする?』と。

 そこで(救い)という話になった。たとえば不治の病というのがある。今では、がんと
いっても、たいていのがんなら、治る。が、それでも、がんは、がん。こわい病気である。
「もし、君はがんだ。余命は、あと数か月と言われたら、どうする?」と。

 その人は絶壁に立たされたことになる。絶壁から飛び降りるのも結構なことだが、「それ
で救われるのか?」と。仮に今、私がそういう状況になったとしたら、どうだろう。私は
そういう状況に耐えられるだろうか。ひとりで、自分を支えることができるだろうか。そ
こで私は、昨日、こう書いた。
 
『人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめら
れなければ、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえっ
てあせってしまい、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうであ
る。大切なことは、その緊張感を忘れないことか』と。

 不治の病はともかくも、私たちの生活は、こうした不安とは無縁ではいられない。常に、
無数の不安が、打ち寄せる波のように襲ってくる。平和なときがあるとすれば、その波と
波の間の、つかの間でしかない。だから……。

『しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まと
もにものを考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追
われたりすると、そうなる』と。

 絶壁に立たされたとき、どこに、どう救いを求めたらよいのか。『こちらが望まなくとも、
絶壁に立たされることがある。しかも想像を絶するほど過酷な絶壁に、である。そういう
ときは、どうしたらよいのか……』ということで、少し話題がそれたが、宗教の話になっ
た。

 『宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由が
わからないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほ
か。そっとしておいてやることこそ、思いやりというもの』と。

 これは私が今まで書いてきたことだが、宗教があるから、信者がいるのではない。それ
を求める信者がいるから、宗教がある。Y市でキリスト教会の牧師の助手をしている友人
が、こう話してくれたことがある。

 「教会へ来るような人は、みな、何らかの問題をかかえている」と。

 で、やがて「宗教にもいろいろありますからねえ」という話になった。

 『ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たと
えば「合格祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよい
かどうかは、わからないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、
こう言った。「そんなことに力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。
棒か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ』と。

 しかしこれは私という(強者)の論理でしかない。私は、今のところ、まだ健康だ。ほ
どほどの幸福感に包まれている。が、強者の論理だけでものを考えてはいけない。それを
義兄は指摘した。

 『そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、
もがいても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そ
ういう人は、どこに救いを求めればいいのか」と。

 ひとつの例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。「四苦八
苦」のひとつである。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみは、それを経験したものでないとわからない。
いくら渦中の栗は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。どうやって
その孤独と戦えばよいのか。「挫折」というより、それは「絶望」に近い』と。

 同じ紙を見ても、表から見た紙と、裏から見た紙が、まるでちがうということは、よく
ある。何かの印刷がしてあれば、なおさらである。「絶壁」といっても、強者にとっての絶
壁と、弱者にとっての絶壁は、まるでちがう。強者は、そのまま飛び降りればよい。が、
弱者は、そんなことをすることはできない。その(力)さえない。

 私は強者の論理だけで、ものを考えていた。で、こう書いた。

 『私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、
それがあるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかで
その氷が割れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えば、よいのか。はたして、自分の力だけで、それ
と戦うことはできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、
飛ぶことさえあきらめてしまうかもしれない』と。

 ……しかし、このあたりから、自分の考えが、まとまらなくなってきた。将棋にたとえ
るなら、つぎの一手がわからなくなってきた。文章が支離滅裂になったのは、そのためか
もしれない。

 が、こんなことは言える。

 絶壁に立たされる前に、その準備をしておくことは可能である。いきなり絶壁に立たさ
れれば、だれだってとまどう。たとえばある日突然、がんの宣告を受けたら、だれだって、
狼狽(ろうばい)する。その心の準備をするために、「愛」があり、「慈悲」があり、「仁」
がある。

 『そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の
世界では、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考
えてよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、
「私」という自分を救済する。このことは、その逆の人を想像してみれば、
わかる』と。

 愛にせよ慈悲にせよ、さらに仁にせよ、それは与えられるものではなく、与えるもので
ある。その一例として、1人の男の話を書いた。

 『昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○
○万円儲けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買
った」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は
大きく、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それが
どうした?」と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。し
かしそんな自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、
聞く方は、そうではない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかっ
た。あの自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った』
と。

 わかりやすい例として、ここでは(お金)をあげた。しかし(お金)と、愛や慈悲、仁
とは、ちがう。お金では幸福は買えないが、しかしお金がなければ、不幸になる。不幸に
なるとはかぎらないかもしれないが、いろいろと問題が起きてくる。そこでこう書いた。

 『……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えるこ
とはできないだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような気分になる
かといえば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。つま
り自分の範囲の中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を超え
ることはできない。つまり孤独と戦うことはできない』と。

 私は、人間がかかえる最大の問題は、「孤独」であると考える。あのマザーテレサも、イ
エスキリストのことを語りながら、そう書いている。「イエス・キリストも、乾き(=孤独)
に苦しんだ」と。

 で、その孤独とは何かと言えば、「だれにも愛されず、だれも愛さない」という状態をい
う。もしそういう状況、それはまさに絶壁というにふさわしいものだが、そういう状況に
置かれたら、どうしたらよいのか。そこで宗教の話に、もどった。

 『そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」
「どこかにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてや
りたいが、しかしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分け
もってやる。それならできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛
び降りる前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、
そう言った。私は、同意した』と。

 もともとは「絶壁からとびおりる」というのは、「それだけの覚悟がなければ、真の力を
発揮できない」という意味である。

 その「絶壁」から話が飛んで、「宗教」の話になった。たぶんに弁解がましいが、それが
支離滅裂になった理由ということになる。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(Jan.4th 2008)

+++++++++++++++++

今朝は、何と、午前9時半起き。
8時ごろか……と思って起きたら、午前
9時半だった。

10時間も(?)、眠ったことになる。
ホントかな?

おかげで夢ばかり、見ていた。

今、覚えているのは、こんな夢だ。

どこかの会場で、だれかの講演を聞いている。
会場は、パーティ会場のようにザワザワし
ている。

私はいちばん窓側の席に座って、外を
ながめている。

通りの向こうには、古ぼけた商家があって、
何かを壺に入れて売っている。
私はそれをデジタルカメラを使って、撮る。

講演が終わったらしい。

同じくザワザワとした感じで、皆が部屋を出る。
私もそれにつられて外に出る。

外はゆるい下り坂になっていた。
その先に、バスが止まっていた。

つぎの瞬間、私はバスの中にいた。
息子が、外人となにやら話していた。
私はいちばんうしろの席に座った……。

まったく意味のない夢。
古い商家は、滋賀県の長浜で見た商家に
似ていた。

講演会の会場は、先日あった同窓会の
会場に似ていた。

バスは、子どものころに乗った、ボンネット
バスのような感じのバスだった。

講演会の話の内容は、覚えていない。
息子がどんな会話をしたのかも、
覚えていない。

ずいぶんといいかげんな夢だ。

+++++++++++++++++

【1月4日】

●株価暴落

 ニュース欄に目を通す。まっさきに飛び込んできたのが、「株価、500円安で始まる」
(ヤフー)。一方、「金と原油は、最高価格を更新」と。さっそくN証券のウェブサイトを
のぞく。

 午前10時半現在、約600円安。株価は急斜面をころげ落ちるかのように、下げつづけてい
る。

 私は、今回の暴落が始まる直前、手持ちの株をうまく売り逃げた(12月23日ごろ)。
ワイフが、「どこか、温泉へ行きたい」と言ったので、正月の資金づくりのために、そうし
た。「よかった」と思いたいが、ここまで下げると、日本の経済のことが心配になる。

 が、同時に、こういうときというのは、買い時でもある。

 底値を打ったところで、少し買いを入れる。今は、じっくりとその(見定め)のとき。
 

●パキスタン

 ブット女史が暗殺されてから、パキスタンは、ますます混迷の度を深めている。軍事政
権と宗教政治。この2つが、ゴチャゴチャになっている。

カシミール地方の領有権(水資源確保)の問題で、長い間、インドと対立してきた。軍
事政権がつづいているのは、そのため。一方、モスリムの原理主義者たちが、勢力を保
っている。タリバンもそのひとつ。この構図は、この30年間、何も変わっていない。

 ただし、一言。日本では「原理主義」と訳すが、わかりやすく言えば、「反英」が、「反
米」に転じた、国粋主義のこと。以前、それについて書いた原稿を添付する。日付を見る
と、06年の2月となっている。ほぼ2年前に書いた原稿ということになる。

+++++++++++++++

●イスラム原理主義

What is Islam? Here is what I think about it.

+++++++++++++++++

どうもよくわからないのが、イスラム教
の世界、そしてイラン。

イスラム原理主義って、いったい、
何なのか? イランはどこに向かって
進んでいるのか?

+++++++++++++++++

 このところ、毎日のように書店へ立ち寄っては、イスラム教の本を読む。興味がある。
もっと知りたい。私にとっては、決して、無縁の世界ではない。留学時代の友人の何割か
は、そのイスラム教徒であった。イランについて言えば、原油との関係において、日本人
にとっては、決して、無縁の国ではない。

 イスラム教の世界にも、近代化の波が押し寄せたことがある。その筆頭にあげられるの
が、トルコ。

 トルコは、第一次大戦に敗北し、オスマントルコが解体されたあと、近代化の道を歩ん
だ。それまでの政教一致の国家体制から、政教分離の国家体制へと、大変革した。

 こうしてアラブの世界にも、つぎつぎと、近代国家が生まれていった。アルジェリア、
シリア、エジプト、それにイラクもそうだ。

 が、これに対抗する勢力も生まれてきた。それが、ハサン・アル・バンナー(1906
〜49)率いる、『イスラム同胞団』である。イスラム同胞団は、イスラム教に基づく、国
家建設こそが、アラーの教えに従ったものだと、民衆に向かって説いた。

 私たちが今、「イスラム原理主義」と呼んでいるのは、それをいうが、そのイスラム同胞
団は、そののち反英闘争と結びつき、さらに最近では、反米闘争へと結びついていった。

 つまり歴史が長い。長いから、ここらあたりで、ちょっと日本がでかけて行って……と
いうようなやり方で、理解できるような問題でもないし、解決できるような問題でもない。
今回のイランの核開発問題にしても、そうだ。

 アメリカは、単独でも、イランの核開発施設を攻撃する構えを見せているが、言うなれ
ば、これはアメリカ型合理主義と、イスラム型原理主義の対立と考えてよい。そのイラン
は、1979年のホメイニ革命によって、政教一致の国家体制を築いている。

 しかしここで注意しなければならないのは、私たちがイスラム教に対してもっている、
偏見と誤解である。ものの考え方が、どうも西欧的というか、西欧の立場でしか、イスラ
ム教の世界をみない。たとえばここでいうイスラム同胞団にしても、「原理主義はおかしい」
というふうに、すぐ考えてしまう。またそういう前提で、ものを考えてしまう。

 しかしもとを正せば、イスラム同胞団にしても、イギリスの植民地政策への反発から生
まれたものである。事実、イギリスは、イスラム同胞団を、徹底的に弾圧したこともある。
そういう歴史があることも忘れて、今ここで、「イスラム原理主義は……」と論ずることは、
危険なことでもある。

 が、しかし皮肉なことに、こうした原理主義は、国家の近代化の足かせとなるだけでは
なく、ばあいによっては、国家そのものの近代化を後退させる原因ともなりかねない。イ
ランについて言えば、国家が目ざした工業などの近代化は、ことごとく失敗。原油を売る
だけの国になってしまった。わかりやすく言えば、西欧との差をますます広げている。

 そこで今回のイランの核兵器開発問題について言えば、そうした(あせり)が、イラン
をして、核開発に向かわせたとも考えられなくはない。このままでは、イランは、アラブ
社会の中でも、「顔のない国」になってしまう。イランは、それを恐れた(?)。

 ところでイランの核兵器開発問題は、決して日本とは無縁の問題ではない。もし国連の
安保理で、経済制裁ということにでもなれば、日本は、この地域から、最大の油田開発の
1つを失うことになる。アザデガン油田が、それである。日本に与える影響は、甚大であ
る。

 今日も、これから近くの書店へ行って、あれこれ本をあさってくるつもり。

【補記】

 現実の数字。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 中東の政治的安定は、日本にとっても、死活問題なのである。こうした現実を無視して、
「イラン問題は、日本には関係ない」と、どうして言うことができるのか。

 04年2月、日本とイランが開発に合意した、「アザデガン油田」は、推定埋蔵量260
億バレルで、世界第二の大油田ともくされている。

 もし、イランの核疑惑問題がこじれるようなことがあると、日本は、この油田の利権す
らも失うことになる。すでに日本は、4年前、アラビア石油のカフジ油田の利権の半分を、
失っている。

 悲しいかな、ここは、中東最大の宗主国であるアメリカに、日本は、泣きつくしかない
のである。アメリカの機嫌をそこねたら、アザデガン油田はもちろんのこと、日本は、中
東から原油を輸入することすら、ままならなくなる。

 さあ、どうする、日本!

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 わかりやすく言えば、まず宗教が政治に口をはさまないこと。つぎに軍事政権から民主
政権に移動すること。この2つを成し遂げないうちは、パキスタンには、明日はない。

 ついでに、前回、総裁選挙で敗れたA氏について。

 A氏は、このところさかんに全国行脚をつづけ、次期総理大臣の席をねらっているとい
う。若者たちによる支持もふえているという。

 しかし私は、あえて言う。

 若者たちよ、だまされるな!

 同じころ(2006年2月)に書いた原稿が見つかった。それを添付する。

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●A外務大臣・続報(The rightist, Mr. A) 

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アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、
日本のA外務大臣の発言に対して、

「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうか
がえない」と、批判した。

当然である。

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アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝などを
めぐるA外相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢明さも
うかがえない」と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」
と述べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言
を取りあげ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。
(以上、毎日新聞)

 A外務大臣の発言に対しては、私も、まったく同じ印象をもった。それについて書いた
原稿を、そのまま、もう一度、ここに掲載する。

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●A外務大臣

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A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・06年・1・29)

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 A外務大臣は、こう述べたという。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と
言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、そ
れが一番」「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇
の意思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういった
プロセスを、何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑
近な例で考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、
菅原道真(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言った
ら、あなたは、どう答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも
出されているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)
が、そういう発言をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、
外の世界の私たちには、届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」
という発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民
党政権としては、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、
おしまい……というのが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の
場で、堂々と口にしてしまった。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろ
う? 軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さ
ん!」とか言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵
隊は、少なかったという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった、日本兵がいなかったわ
けではないだろうと思う。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今
までやってきた。もしそれが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に
向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の
完成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なく
なる。『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸
うな』と言われると、かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような
凡人ではない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理
能力のなさを、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、
A外務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに
等しい。このごう慢さ。この高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになる
だろう。私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近
隣諸国との関係を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低
いとは、思ってもみなかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲ
リラ戦でも、何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわか
りやすい方法である。先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもそ
の大半は、アメリカ軍を中心とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。
「英霊」ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。
もっとわかりやすく言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、
そしてその犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自
分たちの責任を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、
「戦争を起こしたのは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり責任
を国民に、押しつけた!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あの
とき戦争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ
連の進攻を食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQ
によって、完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私
はまた同じことを言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたら
よいのではないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなく
なってくる。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠
巻きに議論している。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もか
も、その負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの
人間」という部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、
天皇や天皇家の人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな
問題も隠されている。(06年2月記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●雑感・あれこれ

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正月も4日目になって、やっと
2008年という実感がわいてきた。

「2008年かア」と思ってみたり、
「もう、2008年ねエ」と思って
みたりする。

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●6か国協議(Wake up, Mr. Bush! Wake up, Mr. Hill!)

North Korea is not a sort of a country which we can trust. They gave us back false ashes 
of Megumi-san, saying "this is hers". North Korea will not give up their plan to develop 
nuclear weapons. Mr. Bush and Mr. Hill took a wrong choice about North Korea. They 
will know it more this year. Then is it really a wise way to keep assisting North Korea? 
South Korea is now planning to assist North Korea giving 40 billion US dollars to raise 
up their standard of living. 40 billion dollars! North Korea will come to depend other 
countries all the more.

 結局、K国は、約束を守らなかった。いつもの、あの難グセをつけて……。要するに、
K国の言い分は、「アメリカがテロ支援指定国を解除しないから、オレたちも、核開発リス
トを提出しない」ということらしい。

 これに対して、アメリカは、「疑念」という言葉を使い、対K国政策の変更をにおわせた。
つまり「どうも、K国は、信用できない」(08年1月)と。

 もとから、あんな国を信用するほうが、どうかしている。めぐみさんの遺骨として、平
気で他人の遺骨を送り届けてくるような国である。

 が、韓国の大統領引き継ぎ委員会は、こうした動きを無視するような形で、またまた援
助の話を持ちだしている。いわく、「非核・開放3000構想を下支えするために400億
ドル規模の国際協力基金の造成に乗り出すことで、意見をまとめた。非核・開放3000
は、北朝鮮が核を放棄することを前提に、北朝鮮の1人当たり所得が10年以内に300
0ドルを達成できるよう支援する」(08年1月4日・YONHAP・NEWS)と。

 簡単に言えば、400億ドル、つまり、日本円にして、4兆円以上もの援助をする、と。

 しかしこうした援助をつづければつづけるほど、K国は、依存心をもつだけ。それが回
り回って、K国の核放棄を遅らせるだけ。K国にしてみれば、核兵器あっての、K国。援
助ということになる。

 あのK教授(在日韓国人、東大大学院教授)は、昨年から、おかしなことを言っている。
いわく、「K国を援助しなければ、日本が国際的に孤立するだけ」(07年10月1日・Y
ONHAP)と。

 孤立?
 
 どうして日本が、孤立するのか? 孤立して、どうして悪いのか? だいたい、孤立と
は何か?

 おおいに孤立、結構。日本は日本で、日本の正義を貫けばよい。


●日本から逃げる外資

 今日、1月4日、日本の株価は、戦後最大とも言える、大暴落を経験した。終値で61
6円安。それについて、東証のS社長は、欧米やアジアの主要株式相場に比べて日本株が
出遅れていることに触れ、「(日本株の低迷は東京市場が)投資したい場所としての魅力を
失いつつあることを示唆しているようにも映る」と危機感を募らせたという(日本経済新
聞)。

 この記事を読んで、数年前に書いた原稿を思い出した。つぎのが、それである。日付は、
2002年になっている。

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【みんなで考えよう、日本の教育改革】(Open the door and liberate the market)

More and more foreign enterprises are going out of Japan. In 1990, there used to be 125 
enterprises in Tokyo Exchange Market but in 2002 there were only 36 enterprises. The 
number of enterprises are decreasing. The reason is very simple. It costs a lot of money 
for translation from their languages to Japanese. We should open the door to the world 
and liberate the market. Or more and more foreign enterprises will go out of Japan. 
Here is my article which I wrote 6 years ago in 2002.

●遅れた教育改革

 2002年1月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの36社。こ
の数はピーク時の約3分の1(90年は125社)。さらに2003年に入って、マクドナ
ルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、
コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用
しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)に
よる情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとす
れば。今どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ
二を争うしまつ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試
験で、日本人の成績は、165か国中、150位・99年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や
理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レ
ベルの問題で、正解率は59%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそ
うだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、1000
近い分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。し
かし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には1人もいない。ちなみにアメ
リカだけでも、250人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たい
へんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の
参観日(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まる
でプロレスの授業でした」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立
高校の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを
言った。いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。
すると別の教師が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているの
がいる」と。そこで私が「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「み
んな、自動車の教習本を読んでいる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう15年以上も前のこと。
日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本のばあい、
疲弊している! つまり何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を
支えている。

もしこの日本から受験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも
崩壊する。確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内
閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、26%もいる(2
000年)。98年の調査よりも8%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌク
と生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比では
ない。護送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、20年先、30年先を見越して、「形」
を作らねばならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに
10年以上も前から、小学3年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市に
ある、ほとんどのグラマースクールでは、中学1年で、中国語、フランス語、ドイツ語、
インドネシア語、日本語の中から、1科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、
コンピュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さ
らに環境保護の科目もある。

もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問い合わせると、それも必須科
目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマースクール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減
しているという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教え
てくれた。「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを
閉鎖した学校もあります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っている
のだろうか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。も
っとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方
に任す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの文部官僚たちが、日本の教育を支配するほうがおかし
い。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人が多い。が、
それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本の教育界をの
さばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良
な会社人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会
社のために命を落とせ」という教育に置きかわった。企業戦士は、そういう教育の中から
生まれた。が、これからはそういう時代ではない。

日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのよ
うな教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「ま
だ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英
語教育は、ムダ、と。しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく
旅行していないのに、外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、
火星に探査機を送るのはムダ」と。

私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかり
とした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校
では、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。たとえば
ルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、4歳児か
ら子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。

近くのヘンダーソン州立大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教
えてくれた。「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを
育てるのが、教育の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べてい
る。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者
協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達し
ていて、子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こ
ういう時代に、「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体
系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立たない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはも
っとかわいそうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使
って、いかにして自分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、3人称単
数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いにな
る。ちなみに中学1年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、
一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つ
というのか。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生
活を営む上で必要な基礎学力だ」と。もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それが
どう必要なのか」、それを説明してほしい。「なぜ中学1年で一次方程式を学び、3年で
二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか」と、それを説明してほしい。その
説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなけ
ればいけないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーション・「第
3回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がな
い。こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから
英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子ど
もがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人が
いる。早くから教える必要はないという人もいる。

大切なことはは、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生
がやる気をなくしてしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから
家庭教育まで押しつけられて、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。

ある教師(小学5年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所です」
と。「子どもの生きるの死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨て
た教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそ
れができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもあ
りき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。
教師は学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたない
という制度が徹底している。教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えな
い。

だからたとえば親がその教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。す
るとしばらくすると、教師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいの
か悪いのかについては、議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほ
うが多いことも忘れてはいけない。

+++++++++++++++

 6年前に書いた原稿だが、この6年の間に、日本の教育も大きく変わった。しかし、そ
れでは不十分。

 同じように、日本の経済構造も、旧態依然のまま。東証のS社長の言葉が、それを如実
に表している。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●義兄(My brother-in-law)

Last night we talked a lot with each other, me and my brother-in-law. We discussed 
about the religion mainly. He is a very gentleman and polite always to me. I respect him 
very much.

+++++++++++++++

昨夜、義兄が訪ねてきてくれた。
3時間ほど、話し込んだ。主に
宗教の話をした。楽しかった。
私は、義兄を心から尊敬している。

+++++++++++++++

●宗教とは何か(What is the religion?)

 英語では、こういう言い方をする。「絶壁に立て。突き落とされよ。飛び方は、それから
学べ」と。

In English-speaking world they say, "Stand on the cliff. You jump from the cliff. Then 
you learn how to fly."

 人は、追いつめられてはじめて、自分の力を発揮することができる。また追いつめられ
なければ、自分の力を発揮することはできない。中には、追いつめられると、かえってあ
せってしまい、何もできなくなってしまう人がいる。たとえばこの私が、そうである。大
切なことは、その緊張感を忘れないことか。

 しかし緊張感に耐えることは、容易なことではない。頭の中が混乱してしまい、まとも
にものを考えることすら、できなくなる。たとえば受験勉強に追われたり、借金に追われ
たりすると、そうなる。

 そこで宗教の登場ということになる。

 宗教に身を寄せる人は、それぞれ、それなりの理由があって、そうする。その理由がわ
からないまま、その人を責めても意味はない。批判するなどということは、もってのほか。
そっとしておいてやることこそ、思いやりというもの。

 ところで世の中には、「?」と思われるような宗教(?)も、ないわけではない。たとえ
ば「合格祈願」や「商売繁盛」を、売り物にする宗教である。それを宗教と言ってよいか
どうかは、わからないが、この日本では、「宗教法人」として登録されている。義兄は、こ
う言った。「そんなことに力を貸すような神様はいない」と。私も、同感である。

 火の中に栗があり、それがほしかったら、自分で取る。火が熱かったら、知恵を働かす。
棒か何かで、取る。祈っても、念じても、ムダ。

 そんな話をすると、義兄がこう言った。「強い人は、それでいい」「しかし世の中には、
もがいても、もがいても、どうにもならない人がいる」「毎日が、挫折の繰りかえし」「そ
ういう人は、どこに救いを求めればいいのか」と。

 よい例が、「孤独」である。仏教の世界にも、「愛離別苦」というのがある。四苦八苦の
ひとつである。

 愛する人に先立たれた人の苦しみや悲しみには、想像を絶するものがある。いくら渦中
の栗は、自分で取れと言われても、どうやって取ったらよいのか。「挫折」というより、そ
れは「絶望」に近い。

 私はまだそれほどまでの挫折を味わったことはない。ないが、薄い氷のすぐ下には、そ
れがあるのを、知っている。毎日、その薄い氷の上を歩いているようなもの。どこかでそ
の氷が割れれば、私も、そのままその下に落ちていく。

 こうした不安感とは、どうやって戦えば、よいのか。はたして、自分の力だけで、それ
と戦うことはできるのか。絶壁というには、あまりにも過酷。飛び方を覚えろとは言うが、
飛ぶことさえあきらめてしまうかもしれない。

 そこで自分を支えるために、キリスト教の世界では、「愛」という言葉を使う。仏教の世
界では、「慈悲」という言葉を使う。儒教の世界でいう、「仁」も、似たような意味と考え
てよい。

 そこで自分を超えたところに、自分をつないでいく。その結果として、「私」という自分
を救済する。このことは、その逆の人を想像してみれば、わかる。

 昔、私の近くに、こんな人がいた。ことあるごとに私の家にやってきては、「私は、○○
万円儲けた」「私はこの地域でも、最高額の納税をしている」「今度、○○に、土地を買っ
た」と。

 その人は、「だから私は偉い」というようなことを言いたかったのかもしれない。態度は
大きく、横柄だった。しかし私は子どもながらに、こう思った。「だからといって、それが
どうした?」と。

 その人が、いくらかでも、私たちにお金を分けてくれたというのであれば、話は別。し
かしそんな自慢話など、腸から出るガスのようなもの。言う方は楽しいかもしれないが、
聞く方は、そうではない。私たちには無意味。

 やがてその人は、事業に失敗。破産寸前まで、追い込まれた。が、だれも、助けなかっ
た。あの自慢話を聞かされた人ほど、そうで、そういう人たちは、その人を陰で笑った。

 ……というのは、お金の話だが、私たちの(孤独)についても、同じように考えること
はできないだろうか。

 私たちが……というより、この私がなぜ、毎日、氷の上を歩いているような気分になる
かといえば、「取る」ことばかり考えて、「与える」ことを考えないからではないか。つま
り自分の範囲の中だけで、「私」を考える。しかしこれではいつまでたっても、自分を超え
ることはできない。つまり孤独と戦うことはできない。

 そこで最初の話にもどる。「宗教とは何か」と。

 義兄はこう言った。「どこかに合格したいと願っている人がいるなら、合格させてあげる」
「どこかにお金がほしいという人がいるなら、お金を分けてあげる」「できればそうしてや
りたいが、しかしそれはできない。が、常日ごろから、その人の悲しみや苦しみを、分け
もってやる。それならできる」「それが自分を超えることだ」と。

 つまりそれを教えるのが、「宗教」ということになる。わかりやすく言えば、絶壁から飛
び降りる前に、自分の体に羽をつける。飛び方を覚える。それが「宗教だ」、と。義兄は、
そう言った。私は、同意した。

(注)支離滅裂な文章で、すみません。またいつか、読みなおし、書き改めてみます。今
日は、このままマガジンに掲載します。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(12月30日)

●ニセ学歴(Misrepresentation of Educational Background)

I receive letters occasionally from unknown universities which 'sells' the educational 
background of the false. People buy them and decorate themselves with the false career 
as authorizes in their fields. Why do these people try to deceive us with the false career? 
The reason is quite simple. Japanese as well as Koreans are poor at the authority. We 
call this, 'Authoritarianism'. And we call these people, 'Authoritarian'.

++++++++++++++++

韓国で始まった、ニセ学歴詐称事件が、
この日本にも飛び火してきた。

かなり著名な栄養学の権威(?)まで、
ニセ学歴を詐称していたという。

ほかに、文科省が調べたところ、約40
〜50人の大学教授らが、ニセ学歴を
購入(?)。それを自分の経歴に使って
いたことがわかったという。

(しかしこれは、氷山の一角。一般社会
では、もっと多いはず。)

ニセ学歴といっても、いろいろある。
韓国では、他人がもっている卒業証明書
を偽造し、それを使っていた教授もいた。

が、ふつうニセ学歴というのは、その種の
インチキ大学から、学歴を購入することを
いう。

先方も、ある程度、人選らしきものをするらしい。
つまりターゲットをしぼって、接近してくる。

中には、「通信講座で、学位が取れる」を
売り物にしている、ニセ大学もある。
一応、「通信講座」としているところが、
ニクイ!

大学名にしても、実に、それらしい名前
をつけている。韓国では、「ロシア音楽協会」
とか、「ハミルトン大学」とかいう名前が
あがっている。

私のところにも、この種の勧誘がよく、
届く。数年前まで、1年に、2〜3通、
届いていた。最近では、インターネット
でも購入できるという。(ヘエ〜!)

博士号で、50〜100万円というのが、
相場らしい。

で、半年ほど前に、「?」と思う人物に
ついて書いた。テレビなどにも、とき
どき顔を出す。紹介テロップに、「○○
大学卒」とか、また別のテロップには、
「教育学博士」とか、書いてあった。

(最近は体調を崩したとかで、テレビには
出てこなくなったが……。)

「博士」というから、それなりの専門
用語が口から出てくるかと思っていたが、
それがまったくなかった。それで「?」と
思った。

○○大学を検索してみたら、それらしい
ビルの写真は載っていた。教授名とか、
講師名は、ズラリと並んでいた。が、学生
らしきものは、まったく紹介されていな
かった。

それでピンときた。

ニセ博士号である。この日本でも、そう
いうものが、堂々と、使われている。

日本人や韓国人は、権威に弱いから、
この種の詐欺のカモになりやすい。

が、みなさんも、くれぐれも、ご注意!
つまり、そういう肩書きをもった人に、
だまされないように!

++++++++++++++++

●ニセ学歴(False Career)

 日本では、学歴を詐称していた教授名は、今のところ公表されていない。現在も、調査
中ということらしい。

 で、韓国での実態について、報告してみる。韓国では、06年3月に、金を支払ってロ
シアの音楽大学でニセの修士と博士の学位を取得したということで、120人が検察に 摘
発されている。(120人だぞ!)

 平均取得価格は、2000万ウォン(約270万円)。

 が、実際にロシアを訪問したのは、わずか1週間だったという。彼らの中には大学講師
はもちろん教授まで含まれており、 自分たちどうしで、「ロシア音楽協会」なる団体まで
結成し、活動していたというから驚きである。

 が、特筆すべきは、2002年までテレビ番組にレギュラー出演していた、F・I氏で
ある。彼のばあいは、ソウル大学経済学科を卒業後、CNN記者、マゼランファンドのフ
ァンドマネージャーなど華麗な経歴を誇る有名人として、幅広く活動していた。しかしフ
ァン氏の経歴はすべてが捏造(ねつぞう)されたものだったという。 

実際には、大卒検定試験の一部科目に合格したに過ぎず、米国留学や職務経歴もすべて
が虚偽だったという。 

 ほかにも、非認可の米国の大学で取得した博士学位を本物のように 見せかけ、学術振興
財団に報告していた光州教育大学教授もいたという(以上、朝鮮N報)。

●日本とて無縁ではない!(In Japan, too)

 今でも、簡単な外国ツアーを組み、帰国後、「フランス・XXアカデミィー、研修修了書」
なるものを発行する団体が、無数にある。理髪店や美容院などで、この種の(修了書)を、
よく見かける。

 最初から、研修など、「形」だけ。実態は、観光旅行。しかし修了書だけは、やたらと豪
華。金ピカピカの装丁で、もっともらしい横文字がズラリと並んでいる。つまりは、客だ
ましの7つ道具ということになる。

 が、その上を行くのが、医師の世界。私は20代のころ、通訳として、国際会議なるも
のに、何度か同行したことがある。

 ちゃんとした国際会議である。その国際会議には、日本からも、東大とか京大とか、一
級の学者が参加する。それはそれとして、その教授に、随行する団体ができる。医師だけ
を専門にする、ツアー企画会社がある。そういった会社が、それを企画する。

 「自分の恩師が国際会議で、研究報告をする」ということで、その弟子たちが集まる。
弟子の弟子たちが集まる。しかし実態は、やはり観光旅行。国際会議といっても、たいて
い2〜3日で終了する。しかもお目当ての(恩師)の研究発表は、1〜2時間程度。

 あとは資料だけを、ドッサリともって帰る。それでおしまい。

 が、そういった旅行には、ちゃんと目的がある。「国際会議に出た」というだけで、経歴
として生きるのである。事実、そのあと、自分の著書に、「○○年○月、XXXX国際会議
に出席」と書いていた人を知っている。さらに、「XX国より、招聘される」と書いていた
人も知っている。

 私は当時、「招聘」の意味を知らなかった。読み方も知らなかった。「しょうへい」と読
む。「(国が、国として)、礼を尽くして、招待する」という意味である。

 今から30年以上も前の話なので、現在は、どうなっているか、知らない。しかし、こ
うしたインチキが、そのあと、なくなったという話も、聞いていない。その旅行社にして
も、たった今、インターネットで検索してみたが、今も(健在?)のようである。

●くだらない権威主義(Authoritarianism)

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。その官僚がなぜ政治ができるかといえば、(天
皇)という最高権威を、頂点にいだくからである。その権威が、上から下の下まで、そし
て骨のズイの奧の奧まで、しみこんでいる。水戸黄門の葵の紋章に、その例をみるまでも
ない。

 どうして葵の紋章ごときに、みなは、頭をさげなければならないのか? 頭をさげるの
か? またそういうドラマの1シーンを見て、日本人は、どうしてそれを「痛快!」と思
うのか?

 それが権威主義である。

 その権威主義が、姿を変えて、こうした学歴詐欺事件につながっている。実際、この日
本は、肩書きのある人には、たいへん住みやすくできている。仕事は、向こうから、やっ
てくる。が、そうでない人には、そうでない。その肩書きを支えるのが、学歴ということ
になる。

 大切なのは、中身。その人の中身。こんなわかりきったことが、この日本では、通用し
ない。その通用しないカベになっているのが、権威主義ということになる。

 ……ここまで書いて、以前に書いた原稿のことを思い出した。

+++++++++++++++

●権威主義者(Authoritarians)

 その人が権威主義的なものの考え方をする人かどうかは、電話のかけ方をみればわかる。

権威主義的なものの考え方をする人は、無意識のうちにも、人間の上下関係を心の中で
つくる。先輩、後輩意識も強い。それが電話の応対のし方に表れる。目上の人や、地位、
肩書きのある人には必要以上にペコペコし、そうでない人にはいばってみせる。

私の知人の1人がそうで、相手によって電話のかけ方が、まるで別人のように変わるか
らおもしろい。(政治家の中にも、そういう人がいる。選挙のときは、米つきバッタのよ
うにペコペコし、当選し、大臣になったとたん、ふんぞり返って歩くなど。その歩き方
が、まさに絵に描いたような偉ぶった歩き方なので、おもしろい。)

 そのほかにたとえば、あなた自身の(心の中)をさぐってみればわかる。あなたが、ど
ういう人を立派と思っているか、それをさぐってみればわかる。印象として、それなりの
肩書きがあり、どこか堂々としている人を、「立派」と感ずる人は、かなり権威主義的なも
のの考え方をする人とみてよい。

このタイプの人は、日ごろから世間的な見栄を大切にする。あるいは外から見た自分に
注意を払う。そのため他人には、立派に見える。(「立派」という言い方そのものが、封
建時代からの亡霊である。)

 この権威主義が、家庭へ入ると、子育てそのものをゆがめる。

 親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前では仮面をかぶるようになる。そし
てその分だけ、子どもの心は親から離れる。仮にうまくいっている家庭があるとしても、
それは子ども自身がきわめて従順か、あるいは子ども自身も権威主義的なものの考え方を
受け入れてしまっているかのどちらかにすぎない。たいてい親子関係はぎくしゃくしてく
る。キレツから断絶へと進むことも多い。

 ……と決めてかかるいのは、危険な面もあるが、もうこれからは親が親の権威で子育て
をする時代ではない。江戸時代や明治の昔ならいざ知らず、葵の紋章だけで、相手にひれ
ふしたり、相手をひれ伏させるような時代ではない。またそういう時代であってはいけな
い。

私もいろいろな、その世界では第一級の人たちに会ってきたが、そういう人ほど、腰が
低く、どこか頼りない。相手がだれでも、様子が変わるということはない。つまりそれ
だけ自分自身を知っている人ということになるのか。

生きザマのひとつの参考にはなる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ゴーストライター(Ghost Writer)

 11月も入って、まもないころ、1人のドクターから、ハガキが届いた。読むと、「この
ところ体調をくずして、年始の年賀状を失礼させていただきます」とあった。よほど体の
具合が悪いのだろう。追伸の欄には、「お手紙をいただきましても、返事を書く気力もない
と思いますので、どうかお許しください」とあった。私とワイフは、そのハガキを見て、
しばし言葉をつまらせた。

 私は20代のころ、いろいろな出版社で、ゴーストライターをしていた。そうして書い
た本は、15冊前後はあると思う。「思う」というのは、こうして生まれる本は、いろいろ
な人の手を経て出版されるからだ。

私があらかじめ原稿を書き、あとで著者が手なおしするというケースもあった。あるい
は著者が、まず自分の声をテープレコーダーに吹き込み、それを聞きながらリライトす
るというケースもあった。だから実際のところ、何冊書いたかと聞かれても、わからな
い。

 が、どういうわけか、私が書いた本は、どれも売れた。その中の一冊に、「xxx」とい
う本がある。あるホームドクターの日常的なできごとを書いたものだが、これはあとで、
テレビのドラマにもなり、そののち、10年以上も売れつづけた。が、私はいわば、請け
負い業者。原稿ができた段階で、いくらかのお金を受け取って、それでおしまい。ふつう、
相手の方が私を忘れる。……忘れたがる。

 ゴーストライターには、一応、守秘義務というのがある。原稿を売った段階で、著作権
も渡す。と、同時に、以後、その原稿にまつわるいっさいの権利を放棄する。あとになっ
て、「あの本は私の書いたものです」とは、言わない。言えない。言ってはならない。

 が、その本が、そこまで売れるとは思ってもみなかった。出版後、ちょう1年で、12
万部も売れた。定価が1800円。そのドクターへの印税は、12%だったから、それだ
けで約2600万円近くになった。なんとか賞という、賞まで取った。

私はそのニュースを出版社からの電話で聞いたが、そのドクターは、さぞかし居心地の
悪い思いをしたことだろうと思った。とてもいっしょに、喜ぶ気にはなれなかった。
 
 が、ふつうなら、著者(?)と私の関係は、私が出版社へ原稿を売り渡したときに終わ
る。しかしどういうわけだか、そのドクターとは、それから30年近くも、関係がつづい
た。そのドクターは、ことあるごとに、私に気をつかってくれた。最初のころは、盆や正
月には、それなりのものを、届けてくれた。

その気持ちは、よくわかった。あるいはあとになって、私が彼の名誉をひっくり返すよ
うなことをするとでも思っていたのだろうか。しかし私はそんなタイプの人間でない。

 そのドクターからは、そのあとも、年賀状だけは、毎年届いた。ときどき数年、私のほ
うが出さなかったことはあるが、それでも、毎年届いた。が、そのうち何というか、私は
親近感を覚えるようになった。実のところゴーストライターとして書いた本など、見たく
もない。思い出したくもない。その著者(?)の名前を聞くだけで、不愉快になる。いつ
か私は、ゴーストライターは、娼婦のような商売だと思ったことがある。娼婦は体を売る
が、ゴーストライターは、魂を売る、と。それに私が書いた本が売れたという話を聞くの
は、気持ちのよいものではない。何だか損をしたという気持ちになる。

 マスコミの世界は、本当に不可解な世界だ。中身など、ほとんど評価されない。そのド
クターは、先にも書いたように、なんとか賞という賞を受賞している。が、その賞は、本
来、私がもらうべきものだ。しかしなぜ彼がその賞を取ったかといえば、その本が売れた
からにほかならない。そしてなぜ売れたかというと、中身ではない。そのドクターのもっ
ていた、知名度だ。彼の父親は、xxxの世界ではよく知られた有名人だった。

 実際には、私はそのドクターとは、一度しか会っていない。最初、出版社の編集長が、
私を彼に紹介したときだ。あとは私のほうで勝手に原稿を書き、そのまま出版社に渡した。
ここにも書いたように、この種の本は、いろいろな方法で出版される。

しかしその本は、私があちこちの病院を取材し、ほぼ100%、私が書きあげた。ただ
「本」というと、特別の思いをもつ人も多いが、私にとっては、ただの商品。それを書
くのは、私のビジネスだった。だからそういうインチキなことをしながらも、私自身に
は罪の意識はなかった。

が、それが10年、20年とたつと、変わってきた。その後、私が自分の名前で出した
本は、どういうわけだか、売れなかったこともある。「やはり、この世界、知名度が大切」
ということを思い知らされるたびに、自分のしてきたことを後悔するようになった。

 そのドクターから、ハガキが届いた。文面からすると、冒頭にも書いたように、病状は
かなり重いらしい。読み返せば読み返すほど、病状の重さが、ひしひしと伝わってきた。
心のどこかで、憎んだこともある。心のどこかで、軽蔑したこともある。心のどこかで、
ねたんだこともある。そのドクターが、重病だという。

もう少し若ければ、知人の死として、距離を置くことができただろうが、「自分の時代は
終わった」という思いが、私の心をふさいだ。仮にそのドクターが死ねば、ゴーストラ
イターをしていたころの自分も死ぬことになる。あのときのあの本が私の本だと、それ
を証明する人がいなくなる。

 「しかしこのドクターも、根はいい人だったんだね」と私が言うと、ワイフも、「そうね」
と。「最後の最後まで、ぼくのことが気になったのだろう。いや、ぼくなら気になる。降っ
てわいたような企画に、名前を貸しただけで、数千万円の印税を手にした。その上、賞ま
でもらい、ちょっとした有名人にもなった。そのもととなる本が、ゴーストライターによ
るものだとなるとね」と。

 「あなたがいつか名乗り出るとでも思ったのかしら?」
 「ははは、ぼくはそんなことはしない。しかし、だよ。そのドクターは、その前にも、
そしてそのあとにも、1冊も本を書いてない。きっと書けなかったのだろうね」
 「でも、何だかかわいそう」
 「そうだね。結局は自分の人生を汚してしまった。でも、あの賞の授賞式のとき、『この
本は、林というゴーストライターが書いたものです』と言いたかったのかもしれないね」
 「でも、できなかった……」
 「そうだね。彼としては、この話は墓場までもっていくつもりだよ」

 私はそのハガキをもう一度ゆっくりと読みなおすと、壁につりさげた状さしの中にしま
った。そしていつものように外へ出て、自転車にまたがった。
(0x−11−5)

(追伸)このエッセーは、そのドクターのために書いた本の文調と体裁をまねて書いてみ
た。この文調と体裁こそが、その本が私の本であるという証拠ということになる。

+++++++++++++++++

 この世界には、こうしたインチキは、そこにも、ここにも、どこにでもある。

 私は、それを言いたかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 学歴詐称 学歴詐欺 権威
主義)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●USTREAM 放送局

I have just finished registering myself at the USTREAM TV station, and my code name 
is "BW-Hamamatsu". Please enjoy it from this coming January.

++++++++++++++++++

USTREAMというサービスを使うと、
LIVEで、超ミニ放送局を、開局する
ことができる。

(もちろん自分の映像を、写真のように
保存しておくこともできる。これは、
YOU TUBEに似ている。)

早速、登録してみた。あとはWEBカメラを
取り付ければ、OK。

現在は、あちこちのミニ放送局をのぞいて
いるところ。けっこう、それが楽しい。

チャット方式で、こちらからメールを
送ることもできる。

メールは、そのまま相手方の画面に表示さ
れる。その瞬間、「ハママツのBWさん、
USAへ、ようこそ!」と、画面上の
相手から、反応が返る。

+++++++++++++++++++

USTREAMの登録は、

http://www.usream.tv/

で、する。

「Sign Up」で、必要事項を書き込めば、
それで登録は終了。ついでに自分のチャンネルを
つくり、放送局も開局!

2008年1月以後は、
「BW−Hamamatsu」で、
検索できるはず。

「search」のボックスに、「BW−Hamamatsu」
と書き込んで、クリックすれば、私の放送局を、見て
もらえるはず。

しばらく、このUSTREAMにハマりそう。
「ヘエ〜、こんなこともできるようになったの
だなあ」と、今は、感心している。

++++++++++++++++++

なおマガジンのHTML版(カラー版)のほうでは、
画面をそのまま紹介するつもり。

時間を決めて放送するつもり。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【2008年1月1日】Jan. 1st, 208

Happy new year!

++++++++++++++++++++

時刻は、午後7時15分。
やっと自分の時間になった。

ここ数日、原稿は、ほとんど書いていない。
「F雑誌」からの原稿依頼があったが、
その仕事は、数時間ですんでしまった。

で、今日は、1月1日。
2008年。

2008だア!

++++++++++++++++++++

The time is now 7:15pm.
Now is my own time.

I have not written anything these few days.
I was asked to write an article for "F" magazine.
But I finished writing it in a few hours.

Today is Jan. 1st. The year is 2008.
Yep, 2008!

++++++++++++++++++++

●南オーストラリアで、45度!

 南オーストラリアに住むB君から、電話があった。気温は、45度だという。「信じられ
ない」と言ったら、すかさずメールで、オーストラリア気象局のデータを送ってきてくれ
た。近くにある、(近くといっても、50キロほど離れているが)、Keith(キース)
の町でも、40度もあったという(12月30日、31日の両日)。

 A friend of mine who lives in South Australia let me know it was about 45 c degrees. I 
said, "I can't believe it". Then he sent me an official report of weather observation, 
issued by Australian government (Bureau of Meteorology). It has been 40c degrees in 
Keith, which is near to the friend's home on Dec 30th and31th.

 「どうやって過ごしているのか?」と聞くと、「部屋の中で、クーラーをつけっぱなしに
している」とか。風呂でも、42度を超えたら、熱くて入れない。電話の中で、クィーン
ズランド州のほうでは、洪水が発生しているところもあると話してくれた。熱波に洪水、
そして干ばつ。私が学生時代のころには、世界でも、もっとも住みやすい都市として知ら
れていたメルボルン市にしても、昨年(2007年)は、熱波に襲われ、連日、40度近
い日々がつづいたという。

 オーストラリアの気候は、いったいどうなってしまったのか。

 When I was in Australia in 1970, Melbourne was knows as one of the most comfortable 
cities in the world to live. But last year(2007), they say they had had hot days over 40c 
degrees. How can we understand the weather there?

●同窓会

 明日、中学時代の同窓会が、郷里の町である。「とくに会いたい人もないし……」と、私
がこぼすと、ワイフがこう言った。「気になる女性はいないの?」と。

 答は、残念ながら、「NO!(いない)」。

私「つきあった女性もいないし……」
ワ「好きだった人は?」
私「いたけど、片思いだった」
ワ「その人に会いたくないの?」
私「高校も、同じだったから……。高校に入ってからは、その人への思いは消えた」と。

 「男女の縁は、同窓会の花」という。(私が勝手に、そう言っているだけだが……。)頭
の中をあれこれさがしてみるが、どんな女の子がいたのか、名前すら、よく思い出せない。
明日は、早めに退散してこよう。

 いや、帰りに、大学時代の先輩の家まで、歩いてみたい。距離は、10キロ近くある。
よい運動になる。

 Tomorrow I have a class-reunion party in my home-town. When I murmured that I 
haven't anyone especially whom I want to see, then my wife asked if I have someone 
who annoys my mind. But the answer is "No". Men and women create many love stories 
which shine this sort of parties, but I am hardly able to recalls even the names of girl 
friends. I think I'd better leave the party earlier and I want to try to walk to my friend's 
home which is abt. 10 km from there. It would be a good exercise.

●初夢

 日本では、正月早々に見る夢を、「初夢」という。そしてその夢の中で見たことは、「正
夢」になるという。「正夢」というのは、その年に、実現する夢ということらしい。

 しかし私のばあい、正月にも夢はよく見るが、当たったためしがない。今朝の夢は、か
なりヒワイな夢だった。どこかの温泉に入っていると、若い女性たちが、ドヤドヤとその
中に入ってきた。

 しかし私は、あわてて湯の中にもぐって、体を隠した。これも、初夢か。こんな夢、実
現しても、しかたない。ア〜ア!

 In Japan they say that the dream we have for the first time of the year will come true 
during the year. So the dream is called "Real Dream" in Japan. As for me I have often 
dreams when I am sleeping. This morning I had, too. It was a pretty sexy one in which I 
was having a bath with young girls. Is this also a kind of "Real Dream"? I feel myself 
rather miserable.

●年賀状

 今年は、だれにも、年賀状を出さなかった。気持ちよかった。スーッとした。やっとあ
の呪縛感から解放された。気が楽になった。私たちの世代は、本能に近い部分にまで、「年
賀状は出すべきもの」という意識が、刷り込まれている。徹底的に、そう教育されている。

 で、今日は、午後は、その返事書きに忙殺された。

 やはり年賀状をくれた人には、申し訳ない。私にとって大切な人も多い。

 In Japan we exchange new year's greeting cards every year. But our generation was 
educated or imprinted deep into our brains that we should do this. But this year I did 
not send any cards to anyone. Then I feel liberated from the burden. I feel relaxed and 
free. So this afternoon I was very busy replying to each cards. Many of them are the 
ones from very important people. I can't ignore them.  


●正月3日(New Year's Greeting Card、Jan.3rd, 2008))

 早くも、今日は、1月3日。この3日間、まったく原稿を書かなかったことになる。(ゾ
ーッ!)こうして私の生活はだらしなくなっていく。緊張が薄れていく。

 さてまたまた年賀状の話。

 年賀状をくれた人には、返事を書いた。そのとき、改めて、こんなことに気づいた。

 その第一。

 私が知らない遠い昔の話だが、年賀状ができた当時は、たいへんな衝撃だっただろうと
いうこと。今のインターネットに匹敵するほどの衝撃ではなかったのか。

 何しろ、新年のあいさつが、(郵便)という手段でできるようになった。当時の人たちは、
こぞって年賀状を出しあった(?)。

 フタバ株式会社のHPには、つぎのようにある。

 「明治20年前後になると、「年賀状を出す」ということが、国民の間に年中行事のひと
つとして定着します。その結果、毎年末から年始にかけて、郵便局には多くの人々が出し
た年賀状が集中し、郵便取扱量が何十倍にも跳ね上がりました」と。

 明治3年(1870年)に、現在の郵便制度ができ、年賀状が、国民の間で定着し始め
たのは、明治20年前後ということらしい。明治32年に、「年賀郵便物特別取り扱い開始」
(同サイト)とある。

 それ以前はというと、飛脚が、今でいう郵便物を届けていた。ただしこの飛脚は、私が
子どものころ(昭和20年代)も、まだ残っていた。飛脚の歴史は、長い。

 で、返事を書いているとき、1人、住所が読みづらいのがあった。それで昨年の年賀状
を取り出して、そちらのほうを見ながら、住所を書くことにしたのだが、驚いたことに、
文面、体裁が、まったく同じ!

 日付だけ、変えてあった。それを見て、ワイフが、「あら、この人ったら、去年と同じ年
賀状よ」と。

私「あのなあ、うちだって偉そうなことは言えないよ。しめ飾りだって、去年のを使って
いるよ」
ワ「だって、それは、内輪の話でしょ。外の人には、関係ないでしょ」
私「……だったら鏡餅は、どうだ? 冷凍庫に入れておいて、また翌年、使うというのは?」
ワ「そうねえ……。今度からプラスチックか何かでできた鏡餅にすればいいのよ」
私「それも、アイデアだな……。今度から、そうしようか……。しかしそんな鏡餅、売っ
ているかな?」と。

 しかし私のばあい、年賀状だけは、同じものを出したことがない。毎年、かならず、内
容を変えるようにしている。

 まあ、この問題は、人、それぞれ。

 同じしめ飾りを使うのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。同じ
年賀状を出すのは、不謹慎と思う人もいれば、そうでないと思う人もいる。

 私のばあい、去年は、年賀状は、すべて手書きで書いた。絵も手書きで描いた。しかし
この方法だと、50〜100枚が限度。

 で、今年は、とうとう、こうなった。つまり1月1日に、年賀状をくれた人だけに、返
事を書くことにした。

来年は、もっとだらしなくなりそう。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●USTREAM

 再び、USTREAM(ユーストリーム)の話。このUSTREAMを使えば、声を直
接、HPに載せることができる。で、昨夜も、2作(2編というべきか)ほど、UPLO
ADしてみた。

 これが楽しい。おもしろい。

 このUSTREAMに、YOU TUBEを合体させると、声と音楽を同時に送信でき
る。今までの文字だけのHPを、(本)の世界とするなら、声を音楽を載せたHPは、(テ
レビ)の世界ということになる。

 さらにUSTREAMのすごいところは、その場で、チャットができるということ。そ
れを見ている人が、画面の向こうにいる人に向かって、情報を伝達することができる。つ
まり双方性があるということ。

 この先、この世界は、ますます進化するにちがいない。いったい、どこまで進化するの
だろう。楽しみというより、恐ろしい。恐ろしいというより、不安。

 今、私がしていることにしても、あっという間に、陳腐になってしまうかもしれない。
そしてやがてすぐ、情報のゴミとして処分されてしまうかもしれない。電子マガジンにし
ても、HP(ホームページ)にしても、すでにその時代は終わったと言う人もいる。

 そう言えば、息子も、先ほど、こう言った。

 「USTREAMは、おととし(06年)、アメリカでもはやったけど、今は、あまりし
ていない」と。

 何と、USTREAMすら、時代遅れだというのだ。私は「フ〜ン」と答えるだけで、
精一杯だった。


●同窓会

 「還暦の同窓会」ということで、もう少し皆が集まるかと思っていたが、約600人中、
集まったのは、100人と、意外と少なかった。

 主催したM君が、さかんに、「集まりが悪くてごめん」と言っていたが、これはM君の責
任ではない。

 帰り際、こんな話をした。「ぼくらの年代は、約3分の1が、何らかの大きな病気をかか
えているから……」「それに奥さんとか、夫が病気をかかえているケースも多い」と。

 同窓会に、元気な顔を出せる人は、それだけでも、幸福と思わなければならない。

 で、バスに乗ってから、こんな問題を自分に出してみた。

 60歳で、約3分の1の人が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると、夫
婦ともども、元気な家庭は、全体の何分の1か、と。

 このばあい、つぎのようにして計算する。

 3分の1が、何らかの大きな病気をかかえているとする。すると残りの3分の2が、ほ
どほどに健康ということになる。

 そこで夫婦ともども、ほどほどに健康な人は、3分の2(掛ける)3分の2で、9分の
4ということになる。

 つまり1(ひく)9分の4で、残りの9分の5の夫婦が、どちらか一方、もしくは、両
方が、大きな病気をかかえていることになる。

 9分の5といえば、約半分程度ということになる。しかも3分の1(掛ける)3分の1
で、9分の1の夫婦は、ともに大きな病気をかかえていることになる。

 こういう数字を見ただけでも、健康であることに、私たちは感謝しなければならない。
……というような話を、家に帰ってから、ワイフにした。

 これには、あのヒネクレ者のワイフも、素直に同意してくれた。

 しかしこの問題は、(時間の問題)。今、健康でも、明日はわからない。来年は、わから
ない。大切なのは、やはり、「今」ということになる。明日は、「今日」の結果として、か
ならず、やってくる。


●気になる友人

 同窓会で、M君の話が出た。高校のとき、3学年、同じ教室で学んだ。そのM君が、今、
精神病院に入院しているという。「かぎのついた部屋でね」と、その友人は、言った。その
友人は、ときどき、見舞いに行っているらしい。

 M君は、10年ほど前まで、ときどき、私の家にも遊びに来てくれた。そのたびに、泊
まっていってくれた。どこか変だなという印象はもったが、私は、それを個性と思ってい
た。子どものことならよくわかるが、おとなのことになると、ほとんどと言ってよいほど、
わからない。

 そのうち年賀状もこなくなり、そのまま、疎遠になっていった。

 私はそのM君の話を聞きながら、「私も同じようなもの」と、何度も思った。つまり(精
神的に正常な人)というのは、いない。最近の精神医学では、それを前提として考えるの
だそうだ。そんな話を、何かの本で読んだことがある。

 だからどういう人を、正常といい、またどういう人を、そうでないというのか、その基
準はないということになる。今は、たまたまM君が、精神病院に入っている。私だって、
明日、入るかもしれない。

 それがわからなければ、あの老人ホームをのぞいてみることだ。認知症が進むと、みな、
おかしくなる。母が住んでいるホームにしても、ときおり、大声で叫ぶ女性がいる。そう
いう女性と、M君はどうちがうのか。恐らく、専門家にも、それはわからないだろう。

 M君の奥さんとは面識はないが、電話では、よく話した。一度、そのうち、見舞いに行
こうとは思っているが、M君というより、M君の家族は、それを望んでいないかもしれな
い。どうしようか?


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●情報の洪水の中で

 またまた霊感商法が、あちこちではやり始めた。被害者もふえている。それに反比例す
るような形で、子どもたちの理科離れが進んでいる。こうした現象のすべてが、テレビの
影響によるものだとは思わないが、そうでないとは、さらに思わない。

テレビの弊害をあげたら、キリがない。インチキがインチキとも判断されないまま、た
れ流される。最近でも、マイナスイオン説(マイナスイオンは体によいという説)、納豆
ダイエット説(納豆を食べるとやせられるという説)、さらには、「水からの伝言」説(「あ
りがとう」という紙を張って水を凍らせると、美しい結晶ができるという説))もある。

これらは科学的に実証性がなく、そのため英語でも、ニセ科学と呼ばれている(左巻健
男氏・IMIDAS)。さらに、その上を行くのが、血液型による性格判断や、星座によ
る運勢占いということになる。驚いたことに、「スピリチュアル子育て法」とかいう本ま
で、書店にズラリと並んでいる。「スピリチュアル」というのは、「霊感」という意味で
ある。

先日かいま見たテレビの中では、「あなたの背中にヘビがとりついている。シャワーで、
毎日、5回、背中を洗いなさい」と言われた、大のおとながいた。そのおとなは、そう
言われて、涙まで流して喜んでいた(某テレビ番組)。

●こわいのは、情報に対する依存性

 私は若いころ、「11PM」(日テレ)とか、「アフターヌーンショー」(NET)とかい
う番組の企画を書いていた。しかしああした企画ほど、いいかげんなものはない。いいか
げんというより、インチキ。書いていた私がそう言うのだから、まちがいない。

 が、そういうインチキでも、電波に乗ったとたん、(事実)になってしまう。そういう恐
ろしさを、私は、いやというほど見てきた。基本的には、テレビで言っていることは、信
じてはいけない。またそういう前提で、見る。見るというより、一歩しりぞいて、ながめ
る。子どもには、いつも、「あれ、そうかな?」と話しかける。こわいのは、一方的に、情
報を受け入れてしまうこと。

●大切なのは批判力と思考力

情報を一方的に受け入れてばかりいると、そこに依存性が生まれる。この依存性がこわ
い。「情報中毒になる」と言いかえてもよい。つまりあなたという視聴者が、ロボット化
する。その意識もないまま、操られる。さらにあなた自身も、自分につごうがよい情報
だけを選んで見るようになる。知識や考え方が極端化する。ささいな情報を誇大視化す
ることもある。
 こうした極端化や誇大視化は、カルトと呼ばれる過激な宗教団体の特徴でもある。つま
り私たちは、子どもに無批判にテレビを見せることによって、知らず知らずのうちに、子
どもを洗脳していることになる。

で、あなたの子どもが、ある日突然、あなたにこう言うようになるかもしれない。「うち
の先祖は、ヘビを殺した。そのたたりが、今、現れている」と。実際、そう言われて「鑑
定料」として、700万円も出した人がいる(報道・07年12月)。

はたして、あなたは、そういう人、つまり被害者を笑うことができるだろうか?


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●音楽と私

I have started to insert motion pictures and its related music onto my website, which 
has widen my world of internet. Motion pictures with music are downloaded from 'You 
Tube' and they are very exciting.

+++++++++++++++++

新しい試みとして、HPやマガジンの
ほうで、エッセーと音楽をシンクロナイズ(同調)
させることをしている。

音楽は、YOU TUBEのほうで公開されて
いるものを使う。著作権法上の問題はないはず。

で、これが、実に楽しい。おもしろい。

今は、テスト段階だが、やがて動画で、自分のHPや
マガジンを飾ることもできる。
今までを、「静止画」の世界とするなら、これからは
「動画+音楽」の世界ということになる。

世界が、ぐんと広がった。そんな感じがする。

+++++++++++++++++

●享楽的(きょうらくてき)

We often use the word "Kyo-raku-teki", or "to live on enjoyment" when we criticize boys 
and girls who have been spoiled. These kids are called in Japan, "Dora-musuko" or 
"Dora-musume", or ""Spoiled male cat" or "Spoiled female cat". Because these cats are 
so lazy fellows that they don't work at all or are just living on pleasure. Here I would
 like to think about it from the deeper point of view.

 よく子どもを評するとき、「享楽的」という言葉を使う。ドラ息子、ドラ娘特有の症状と
いうことになる。しかし「享楽的」というのは、どういう意味か。「目先の快楽に生きるさ
ま。官能的快楽に傾くさま」(国語大辞典)とある。

 こう考えてみたらよい。

 享楽的な子どもは、より強い刺激を求める傾向が強い。ありきたりの刺激では、満足し
ない。また刺激がとぼしくなると、「つまらない」「おもしろくない」を連発する。そして
ひとたび刺激を受けると、一瞬のうちに興奮状態になる。ワイワイと騒いだり、動き回っ
たりする。

 その(こと)を楽しむというよりは、見ていると、興奮しながら、刺激に支配されるま
ま、自分勝手な行動を繰り返しているといったふうになる。冷静な判断力を失い、静かに
考えて行動するということができなくなる。

 たとえば部屋の中で、ボール(手のひら大のソフトボール)を見つけたとする。とたん、
それを手にして、あたりに向かって、投げる。そのボールが、壁に当たって、近くの人形
に当たったとする。すると、「当たった」「当たった」と、声を出してはしゃぐ。

 が、それで止まるわけではない。今度は、そのボールを、ほかの子どもに向かって投げ
る。同調者が現れて、そのボールを受け取ったりすると、今度は、その子どもと、キャッ
チボールを始める。投げる、当てる、騒ぐ・・・。

 こうしてますます興奮状態に入っていく。

 強く制すれば、その瞬間だけ、それをやめる。あるいは、シュンとした表情にもどる。
一応の制止がきく。(ADHD児は、制止がきかないという点で、このタイプの子どもと区
別される。)

 万事に、興奮性が強いため、突発的な行動に出ること多い。予測ができない。先にも書
いたように、つねにより強い刺激を求めて、自分の欲望を満足させようとする。欲望・・・
つまり、(〜〜したい)と思うことだけを増幅させる。

 さらによく観察すると、本来なら行動を抑制するはずのブレーキが働いていないのがわ
かる。言うまでもなく、人間の行動は、(行動命令)と(抑制命令)のはざまで、決定され
る。そのバランスが崩れる。わかりやすく言えば、抑制命令がきかず、行動命令だけが過
剰に働く。

 行動から、(なめらかさ)が消えるのは、そのためと考えてよい。

 で、この段階で、前頭前野の理性によるコントロールが働けば、まだ救われる。が、理
性による管理能力そのものが、鈍くなる。水の入った花瓶が近くにあっても、平気でボー
ルを投げて遊ぶ。

 では、どうするか?

 子どもの享楽性は、先にも書いたように、ドラ息子、ドラ娘症状のひとつと考えてよい。
自分勝手でわがまま。享楽性は、その一部ということになる。で、このタイプの子どもは、
幼いときから、日常的に(刺激的な環境)に育っていることが多い。親のほうが、子ども
が望む前に、つぎつぎと刺激を与えている。またそうした刺激を与えることが、子どもの
ためと誤解している。「ほら、○○遊園地へ行こう」「ほら、○○ゲームをしよう」と。

 あとは、この悪循環。

 何度も書くが、子どもは、質素に育てるのがよい。ぜいたくをするにしても、子どもに
は、見せない。聞かせない。コツは、(楽しみ)の前には、必ず(苦労)があることを、わ
からせるようにすること。あるいは(楽しみ)のあとでもよい。

 ボール遊びをしたら、きちんとボールを片づけさせる。後始末をさせる。ものを壊した
ら、なおさらである。

 ついでながら、このところ、ドラ息子、ドラ娘を見ると、ものを教える気持ちが、消え
うせてしまう。ときに、「こんな子どもに、知恵をつけたくない」とまで思うことがある。
これも年(とし)のせいか?


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある母親からの相談

+++++++++++++++

広島県のEさんから、こんな
相談が届いています。

掲載許可をいただけましたので、
みなさんと、いっしょに、
Kさんの問題を考えてみたいと
思います。

どうか、力、ご意見を、お寄せく
ださい。

+++++++++++++++

(家族関係)

Eさんの実の両親は、現在、80歳を過ぎて、別居状態。
夫の父親は、すでに他界。夫の母親は、現在、ひとり暮らし。

Eさんには、2人の息子がいる。
長男は、はげしい家庭内暴力を繰りかえしている。
そのため、夫は、次男を連れて、家出。

次男は、3年間、不登校を繰りかえし、現在は転校し、その中学校に通っている。

まわりの人たちは、2人の子どもが、今のような状態になったのは、Eさんのせいだと、
Eさんを責めている。

+++++++++++++++

【Eさんより、はやし浩司へ】

次男は3年間の不登校をつづけ、今年の4月から、転校して登校しはじめました。 
現在、次男は、中学3年生です。

次男の住民票を、私の実家に移し、それで転校できました。
 
住民票は実家に移しましたが、実際は、自宅から中学校へ通っています。学校までは、車
で10分くらいの距離ですが、バスを使うと30分以上かかります。 

はじめはバスで通学していました。学校では、私の実家に住んでいるということにしてい
ます。中学校の友だちには、そう言ってます。

学校から帰るときは、一度、実家に寄ることにしています。そこへ友達も遊びにくるよう
になったからです。で、そういうこともあり、結局、この6月ごろから、私が車で、実家
にいる次男を迎えにいくことになりました。 

現在、私は父親と絶縁しております。 
その実家には、母親しか住んでいません。 

去年、父は家裁に離婚調停を起こし、母と現在別居しています。 
父も、母も、現在、80歳を過ぎています。
調停員は、80歳をすぎた老夫婦の離婚調停は、はじめてだと言いました。 

父の職業は、大工でした。
 
父の少年時代は戦時中で、兄弟も多く、生活も苦しく、長男の父は高校をやめて、大工の
修行をしたそうです。 

現在の母と結婚して、自分で工務店をはじめました。 

母はバリバリの男気のある女性で、お金の工面や銀行関係一切を、とりしきっていました。 
父はひたすらトラックに乗り、家を建てるという分業でやっていました。 

当然、私は、かなり、放ったらかしで育てらました。親たちも、仕事が忙しく、とても子
育てどころでは、なかったようです。

ちょうど時代は高度成長期のころです。田中角栄が日本列島改造論を唄い、イケイケドン
ドンという時代です。その勢いを小学校低学年の私も、肌で感じるほどでした。 

建売住宅が全盛期で、土地を買い、小さな一戸建てを何件も並んで建てる、そして売り出
し、それに買い手がつくというやり方で、当時の家業は、結構成功していたようでした。 

やくざに騙されて、ドカーンと大損をすることもありました。
 
父は全くの無知で、人はいいので騙されやすく、常識知らないところがあります。全くの
職人です。 母が経理をしていなかったら、借金まみれの状態で、一家離散していたかもし
れません。 

母は横暴な女性で、そういう父をこき使っていました。私は当時の父を知っていますから、
それを思い出すと、父のことを、かわいそうに思うことがあります。

そういうわけで、そのころのままだったら、今でも、アパートや貸し店舗の家賃収入で、
老後はのんびり暮らせるはずだったのです。 

が、しかし・・・私の次男が不登校になり、その1年後には長男が非行に走り、私の家庭
の雰囲気が一変してしまいました。

父は、私の夫を尊敬していました。 
夫が、どちらかというと、父を尊敬させていたようです。

無知で非常識なあの父を尊敬させるようにすることは、簡単です。 
父は私の夫の言うことは何でも聞き入れました。近所にある夫の実家にも顔を出し、ボロ
家の修繕をやったりしていました。 

主人の父親は他界し、現在、母(姑)一人で、そこに住んでいます。同じ町内です。
 
父は、孫のことで、姑や夫と、私には内緒で話をすることが多くなり、姑と夫は、子供が
こうなったのは、私の育て方が悪かったからだと、陰では言っています。ときどき父はそ
のことで、私を責めたりします。

私は、「子どもたちの問題は、今日明日になおることじゃないから、黙って見守ってくれ」
と何度も頼みました。が、長男がどこへ行くか、そのあとをつけたり、引きこもった次男
を無理やり連れ出そうとしたりしました。

私から見れば、いらぬ節介で、余計に症状が、こじれることばかりしています。 

姑は、私に責任があるとか、私が悪いとか、一点張りです。夫も責任逃れのためか、そう
いうことにしておきたいらしく、夫婦の仲も、今は破綻状態です。
 
そのうち長男の家庭内暴力も始まり、夫は次男を連れて、隣町のマンションへ引っ越して
いきました。 

父はそのうち、姑に恋心を抱くようになり、毎晩、姑のところに通うようになっていまし
た。 

そして私が悪いとか、私を産んだ母が悪いとか、と、3人で私を責めます。さらに挙句の
果てには、私の夫は、私の父に、「あなたは奴隷のような夫だ。そんな夫婦なのだから財産
を分けて、離婚したらいい」と、勧めました。 

私の夫は、父に、調停を起こすことなどの知恵をつけ、結局別居ということになりました。
父はアパートを借り、実家を出て行きました。
居所は、私たちには、絶対に教えませんでした。 

でも、夫のマンション近くに住んでいることを、私は知りました。 
そのころの私は、恨みや憎しみで、心は満タン状態でした。 

長男の暴力にも逃げることもできず、「早く殺してほしい」と、死を願うだけの毎日がつづ
きました。

実家の母は、父から調停を起こされ、別居することにしました。夫や姑へのうらみもある
ようですが、今は、ひとりで、気ままにやっています。 

そんなわけで、今、いちばん惨めなのは、私の父です。 

結局、毎月生活費を、母のほうから振り込んでもらっています。財産もありません。夫や
姑からも疎遠にされ、よぼよぼと、たまに実家に立ち寄ることもあるそうです。 
今まで通院していた病院に行くためです。 

保険証が母と同じになっているため、その保険証を取りに、実家へ戻ってくるのです。 
そんな父の姿を見ると、私のせいだな・・・全部私のせいなんだと、果てしない海のよう
な自己否定で、身動きができなくなってしまいます。 

こんな状態になっているにもかかわらず、なぜ引き起こした夫となぜ離婚しないのかと思
われるかもしれません。

私は離婚するつもりでいます。
子供が自立するまでです。 自立したら、離婚します。

それに今の私には、離婚するだけのパワーやらエネルギーはありません。 
今はもう、くたくたなんです。 

自分の精神が病まないように、自分を責めないようにと、精一杯、心を操るだけで、精一
杯です。
 
いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています。そうでもしない
と、今の私は、ボロボロになってしまいます。
 
息子も息子の人生ではないか、父も自分が蒔いた種ではないか、姑の葬式にだって出ない、
恨みが湧き出るあいだは、恨み倒してやると、そんなことばかりを、毎日、考えています。
夫よ、あんたの働いた金で、老後は、のんびり生活する、と。

そういう過激な反発をばねにしながら、時が過ぎて、今の状態が、過去になり、記憶から
薄れていくであろう自分を待つ状態です。 

それから、息子2人がこうなったのは、私のせい・・これは否定しません。 
その責任は、感じます。

過干渉で負担をかけ、心をゆがめてしまったのでしょう。 
やり方がまずかった。それはおおいに反省しています。 
だから、今は夫婦や姑、父との問題にはフタをして、息子達の立なおりを、見守りたいの
です。 

父は、私や母をまだ憎んでいるようで、先日も夫に、長男の携帯の電話番号を聞き、長男
に、「私と母に家を追い出され、惨めな暮らしをしている」と泣きごとを言ったようです。
 
そのため長男から、「何でそんなことするんだ」と、私を責めたメールが届きます。 
でもやっぱり、もうこれ以上、波風は立てたくないから、私の事情を長男に話すことはで
きません。 
だから、長男が何か言うたびに、「ごめん、ごめん」と謝っています。 

父よ、あなたは、もう元の父には戻らないよね。
認知症も進んでいるしね。 
病気のせいだと思っておくよ。 
今の私には、あなたに、優しい言葉もかけられないよ。 
私たちは、困った親子になったもんだね。 

なんだか、支離滅裂な文章で思いついたまま書いてしまいました。意味不明なところは、
適当に読んでください。

この宙ぶらりんな私の立場が、自分でも、なんとも情けなく、落ちこんでいます。 

で、相談というのは、長男はこのままほっとくつもりですが、バイトもせずに、親のすね
ばかりかじっています。

しばらくは放っておいて、いいのでしょうか・・。
さほど、無駄使いをするというふうでも、ありません。

今までの悪仲間とは縁を切ったようです。
今は一人ぼっちで孤独そうですが、これも試練だと思っています。
精神的に不安定で、ぐらついているので、また悪い仲間を作らないかと心配しています。

何かやらせる事、本人に伝えた方がいいことなどがあれば、教えてください。
次男は高校生になったら、私といっしょに住ませたいのですが、どうでしょうか。

夫は私との関係もあって、それについては、乗り気ではないようです。
長くて申し訳ありません。
よろしく御願いします。
(広島県、Eさんより)

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、Eさんへ】

 Eさんは、いわゆる家族自我群による、「幻惑」に苦しんでいます。わかりやすく言えば、
家族であるが故の絆(きずな)による、重圧感、束縛感に苦しんでいるということです。
ふつうの重圧感、束縛感ではありません。

 悶々と、いつ晴れるともわからない重圧感、束縛感です。本能に近い部分にまで、それ
が刷り込まれているため、それと闘うのも、容易なことではなりません。

 家族というのは、助け合い、守り合い、教え合い、支え合う存在ですが、そのリズムが
一度狂うと、今度は、その家族が、家族どうしを苦しめる責具となってしまいます。Eさ
んは、こう書いています。

 「いいかげんで、無責任で、冷酷人間になれるように、がんばっています」と。つまり
Eさんは、今、そこまで追い込まれています。私はここまで読んだとき、涙で目がうるん
で、その先が読めなくなりました。

 そう思うEさんを、だれが責めることができるでしょうか。

 無責任になればよいのです。冷酷な人間であることを、恥じることはありません。Eさ
んが、今、いちばんしたいこと。それはこうした(幻惑)から解放され、ひとりで大空を
飛び回ることです。

 が、それができない。実の両親とのからみ、2人の子どもたちとのからみ、夫の母親や
夫とのからみ。そういったものが、がんじがらめに、Eさんの体を縛りつけています。本
来なら、いちばん近くにいて、Eさんを助けなければならない夫までが、責任をEさんに
押しつけて、逃げてしまっている!

 Eさんは、孤独です。孤立無援の状態で、長男の家庭内暴力にも耐えている。しかも実
の両親は、80歳を過ぎて、離婚! そんな両親でも、「親は親」という世俗的な常識にし
ばられて、見放すこともできない。

 どうして私たちは、親に、「産んでやった」「育ててやった」と言われなければならない
のでしょうか。どうして私たちは、子どもに向かって、「私は親として、もうじゅうぶんな
ことをしてやった」「出ていけ」ということが言えないのでしょうか。

 親の呪縛からも解かれ、子どもが自ら巣立ってしまえば、こんな楽なことはありません。
しかしそれができない……。Eさんの苦しみの原因は、すべてこの一点に集約されます。

 が、ここが正念場。

 私が、今のEさんに言えることは、(1)まず、運命を受け入れてしまいなさい、という
ことです。

 運命というのはおかしなもので、それを嫌えば嫌うほど、悪魔となって、あなたに襲い
かかってくる。しかしそれを受け入れてしまえば、向こうのほうから、シッポを巻いて、
逃げていく。

 今の状況で言えば、両親のことは両親に任せてしまう。「死んだら、葬式くらいには、出
てやる」と考える。

 夫については、離婚あるのみ。Eさんが言っているように、子どもたちが自立すれば、
離婚。あとは、ケセラセラ(なるようになれ)。親孝行など、くそ食らえ、です。夫のこと
は、忘れなさい。

 ただ2人の子どもについては、(2)裏切られても、裏切られても、ただひたすら信じ、
「許して、忘れる」です。その度量の深さが、あなたの(愛)の深さということになりま
す。またそれがこの先、どういう結末になろうとも、Eさんの人生を、うるおい豊かで、
美しいものにします。

 もし、その(愛)すらも、Eさんが切ってしまったら、Eさんは、何のために、今、生
きているのかということになってしまいます。また何のために、生まれてきたのかという
ことになってしまいます。

 Eさんは、まだ気がついていないのかもしれませんが、Eさん以上に、家族自我群によ
る(幻惑)で苦しんでいるのが、実は、Eさんの長男なのです。安らぎを得たくても、得
ることができない。「お母さん、ぼくは楽になりたい」と願っても、その思いが、届かない。
その(根)は深いと思います。「仕事もしたい」「一人前になりたい」、しかしそれができな
い。どういうわけか、できない。

 それが家庭内暴力へつながっていると考えてください。わかりますか? 今、あなた以
上に苦しんでいるのが、長男なのです。

 ただそういう自分をコントロールすることができない。悶々とつづく被害妄想の中で、
自分を見失ってしまっている。「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Eさんを責めつづけ
ている。

 愛するものどうしが、たがいにキズつけあっている。これを悲劇と言わずして、何と言
うのでしょうか。

 繰りかえしますが、今、ここで2人の子どもを見放してしまえば、今度は、今、Eさん
がかかえている(運命)を、2人の子どもが、引き継ぐだけです。いつか、同じような立
場に立たされ、子どもたちが、もがき、苦しむのです。

 何があっても、「許して、忘れる」。この言葉だけを、どうか心の中で念じてみてくださ
い。この言葉を繰りかえしていると、ときに、あふれ出る涙を、どうすることもできなく
なるときがくるかもしれません。そのときはそのときで、思いっきり、泣けばよいのです。

 そう、相手が子どもであれ、人を愛することは、それほどまでに、切なく、悲しく、そ
して美しいものです。自分の子どもを、どうかしようと考えるのではなくて、あなたが惜
しみなく、愛を与えていくのです。裏切られても、行き詰まっても、殴られても、蹴られ
ても、愛を与えていくのです。

 「どうなるか?」と心配するのではなく、「明日は、かならずよくなる」と信じて、愛を
与えていきます。この世界では、取り越し苦労と、ぬか喜びは、禁物です。あなたはあな
たで、マイペースで、子どもを信じ、愛するのです。許して、忘れるのです。そしてあな
たは、あなたで、したいことをすればよいのです。

 いまどき、非行など、何でもない問題です。不登校にいたっては、さらに何でもない問
題です。

 大切なことは、今、あなたが、ここに生きているということ。息をしているということ。
体を動かし、見て、聞いて、ものを話しているということ。

 大切なことは、今、あなたの子どもがここにいて、息をしているということ。体を動か
し、見て、聞いて、ものを話しているということ。

 その(価値)に比べたら、非行など、何でもない問題です。不登校など、さらに、何で
もない問題です。

 いいですか、私たちは、今、ここに生きているのです。それを忘れてはいけません。大
切なことは、その(価値)を実感することです。

 Eさんの年齢はわかりませんが、私よりずっと若い方です。ですから今の私のように考
えろというほうが、無理かもしれません。しかしこの年齢になると、時の流れが、まるで
砂時計の砂のように思えてきます。

 サラサラと時が流れていく。その切なさ。いとおしさ……。

 運命を受け入れ、それを楽しむのです。運命から逃げないで、それを楽しむのです。「あ
なたたちは、あなたたちで、したいように生きなさい」「私は私で、がんばるから」と。

 とたん、心の荷物が軽くなるはずです。悪魔は、向こうから退散していきます。

 あとは、成り行きに任せなさい。水が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、
雲が自然と、流れる場所を求めて流れていくように、今の問題は、やがて解決していきま
す。バカでアホな、両親や夫のことは忘れなさい。

 私も、実の母親とはいろいろありましたが、その母は、今は、ボケてしまって、アホに
なってしまいました。そんな姿を見るにつけ、本気で相手にしていた、自分のほうが、ア
ホだったことを知ります。

 いいですか、Eさん。あなたが今、かかえているような問題は、みながかかえています
よ。表からではわかりませんが、例外はありません。ですから、「私だけが……」とか、「ど
うしてうちの子だけが……」とかは、思わないこと。また、自分を責めないこと。

 まだまだ、あなたには未来があります。子どもたちには、もっと大きな未来があります。
それを信じて、恐れず、前に進んでください。

 相手が子どもであれ、人を愛することは、すばらしいことですよ。人生は、美しいです
よ。

 今度、私のHPに、「音楽と私」というコーナーをもうけました。一度、おいでになって
みてください。楽しいですよ。

 では、今日は、これで失礼します。

 この返事をEさんに送ったあと、BLOGのほうにも、載せておきます。どうか、お許
しください。多くの人たちに、Eさんの経験が、おおきな励みになると思います。みんな、
同じような問題をかかえていますから……ね。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2007年から2008年へ

The year of 2007 has started with the care of my old mother. It might have been a hard 
job but as for me it wasn't. It's rather taught me something very important or essential 
to my life. Parents see their own past by raising up children but parents see their future 
by caring their old fathers and mothers. It widens the views of our sights of lives. This is 
the story about it.

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●介護

今年、1年間を総括してみる。

まず1月〜6月までは、母の介護を通して、「人が老いるということは、どういうことか」、
それを学んだ。

介護をするにあたって、いくつかのことを心に誓った。

まず、ワイフには、負担をかけないこと。とくに便の世話は、私がする。
つぎに、グチを言わない。運命は運命として、前向きに、受け入れていく。

で、母の介護は始まったが、あまりにも楽(?)で、かえって拍子抜けしてしまった。
ときどき便の始末は、ワイフにしてもらったが、グチについては、だれにも、一度も言わ
なかった。

親の介護をしている人で、よくグチをこぼす人がいる。

こぼすだけならまだしも、あちこちに電話をかけまくっている人がいる。
「時間が取られる」「お金がかかる」「部屋が臭くなった」と。

愚かで、浅はかな人だ。

で、私は「介護というのは、知恵比べ」と考えるようになった。
そのつどいろいろな問題が起きる。
これはしかたのないこと。

そこで知恵を使う。働かす。工夫する。
この世界には、無数の「先輩」がいる。
そういう人たちに相談するのも、よい。
ともかくも、孤立しないこと。
そうすると、おのずと、先に道が見えてくる。

もちろん大切なのは、(愛情)。
おむつを替えているとき、手や腕に、小便をかけられることがある。
ときに、顔のほうまで、ツユが飛んでくることもある。

しかし相手は、老人。
幼児以下の幼児。
そんなことを気にしていたら、介護など、できない。

が、いくつか事故が重なった。
そこでマネケアの人に相談すると、「添い寝するしかありませんね」とのこと。
そこで老人ホームへの入居申請のために、近くのホームへ足を運んだ。

この世界では、「1年待ち」「2年待ち」というのは、常識。
が、運がよいことに、即日、入居が決まった。
たまたまその日、退所する人がいた。
相談した相手が、所長だった。
母の介護度が、5に近い4だった。
それでそうなった。

迷いはあったが、介護の会で講師をしている義姉に相談すると、「チャンスを逃すと、1年
先になるわよ」とのこと。
で、その日の遅く、入居を決定する。

介護が重労働だったということは、母が入居してから、知った。
母が入居したあと感じた、あの解放感は、忘れない。
心のどこかに大きな(うしろめたさ)を感じながらも、私たちは、その解放感を楽しんだ。
旅行にも行った。
それまでやめていた、映画も、見に行くようになった。

おかしな幻惑(=家族自我群による束縛感、重圧感)にとらわれて、「親を、そういうとこ
ろへ入れるものではない」と考える人も多い。
老人ホームを、(おば捨て場)のように考えている人も多い。

私も、かつては、そういうふうに考えたときもあった。
しかしこれは誤解。

老人ホームを見てみるとわかるが、老い方は、人、さまざま、それぞれ。
時折、怒鳴り声をあげる人。
威張り散らす人。
いつも歌を歌っている人。

加えて、私の母のばあい、いくつかの事故が重なった。

母が自分で歩けるようにと、部屋中に、パイプを張り巡らせたのが悪かった。
ある夜気がついてみると、母は、ベッドとパイプの間に首をはさんで、もがいていた。
また、別の夜、これまた気がついてみると、床の上に、ペタリと座り込んでしまい、起き
あがれなくなっていた。
寒い夜だった、などなど。

幸い発見するのが早かったから、よかった。
あと1、2時間も、発見が遅れていたら、母は、死んでいたかもしれない。

またそういうときほど、あの無線の呼び出しベルが役にたたない。
「どうしてベルを押さなかったのか」と聞いても、聞くだけ、むだ。
母には、そういう判断力すら、もうなかった。

しかし……。その姿は、10年後、20年後の、私自身の姿。
ワイフ自身の姿。
これには例外はない。
私も、そしてこの文章を読んでいるあなたも、確実にそうなる。

親は、子育てをしながら、自分の過去を見る。
親の介護をしながら、自分の未来を見る。

私は、言うなれば(過去)ばかり見て、生きてきた。
しかし介護をするようになって、(未来)を見ることを知った。

今も、基本的には、その介護はつづいている。
しかし介護をすることによって、自分がもつ(時の流れ)が、過去から未来へとつながっ
たのを知る。

言うなれば、(負=マイナス)の世界を知ったということか。
子どもたちは、中学生になると、(負の数)を学ぶ。
同じように、人は、介護をするようになって、負の世界を知る。
とたん、数の世界が、2倍に広がる。
これは私にとって、すばらしい体験だった。

母の介護をするようになって、人生観そのものが、大きく影響を受けた。
悪いことばかりではない。
大切なことは、「運命は、前向きに受け入れていく」ということ。

運命は、それを恐れたとき、向こうからキバをむいて、私たちに襲いかかってくる。
しかし笑えば、向こうから、シッポを巻いて、逃げていく。

まあ、介護にかぎらず、2008年も、いろいろなことがあるだろう。
問題が起きたら、そのつど、それを乗り越えて生きていく。
それは(波)のようなもの。

よく人生を航海にたとえる人がいる。
波があるから、航海も楽しい。
人生も、楽しい。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●生きがい

2007年を振り返ってみたとき、おかしなことに、何かをしてきたはずなのに、その(し
てきた)という実感が、あまりない。

が、これは記憶のメカニズムの欠陥によるもので、(私)のせいではない。

記憶というのは、そのつど、脳みそのどこかに入り込んでしまう。
どこに何があるか、わからなくなってしまう。

よくテレビなどで、「ゴミの家」が紹介される。
玄関先から、部屋の奥の奧まで、ゴミでいっぱいになった家である。

脳みその中の記憶も、それと同じに考えてよい。
脳みその中は、記憶の断片で、ゴチャゴチャ。
しかもなおタチの悪いことに、自分で整理することができない。
番号をつけて順番を変えたり、重要度に応じてマークをつけることもできない。

反対に、(意識としての脳みそ)は、自ら、いつも、自分の頭の中をカラッポにしておこう
とする。
だから、「してきたという実感がない」というのは、当たり前と言えば、当たり前。
実感がないからといって、何もしてこなかったというわけではない。

……とまあ、そう言って、自分をなぐさめる。

ただ、私のばあい、毎朝、目が覚めると同時に、書斎へ飛び込む。
電灯をつけ、パソコンに電源を入れる。
書きたいこと、したいことが、そのとたん、どっと私を襲う。

それが毎日の、私の生きがいということになる。
その生きがいだけは、何とか、維持することができた。

で、今、ふと、こう考える。
もし現在の私から、インターネットを奪ったら、何が残るか、と。

マガジン、BLOG、HPなどを含めて、現在、1か月あたり、約10万件のアクセスが
ある。
HPにしても、500回目、1000回目というリピーターの人がいる。
10万件イコール、10万人ということでない。
それはわかっている。

しかし、これはものすごいことだと思う。

私は心のどこかで、その(数)を感じながら、生きている。
生かされている。

今、ここに書いている文章にしても、数万人の人たちの目にとまる。
そう思ったとたん、身が引き締まる。
緊張する。
この緊張感が、楽しい。

2007年を振り返ってみたとき、私は、その緊張感とともに、生きてきたような感じが
する。

マガジンにしても、週3回の発行は、一度たりとも、欠かしたことがない。
毎回、原稿用紙にして、20枚以上を、守った。
だれに頼まれたわけでもない。
自分で、そう決めて、そうしてきた。

2008年も、このまま前に向かって進みたい。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

*Romeo and Juliet

++++++++++++++++++

(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
a rose will bloom.... ばらは咲き、 
It then will fade:  そして色あせる。
so does a youth,  若さも、また同じ。
so does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。

朝食のために居間へおりていくと、ワイフが「♪ロメオとジュリエット」の歌を聴いてい
た。
途中までは、何とか、私でも歌えるが、そこから先、歌詞が混乱する。

「あとで、DVDショップへ行って、いろいろなCDを借りてこよう」と私が言うと、「わ
かった」と、ワイフは、言った。

で、朝食のあと、その歌詞を、ネットでさがしてみた。
歌詞の一部を検索窓に書き込んで、検索する。
意外と簡単に、それが出てきた。

で、ワイフのために、訳をつけてみた。
訳というより、単語を並べてみた。
もともとはイタリア人作詞家の作詞らしい。
シェークスピアの原文から、キーワードを抜き出して作詞した。

そのため、「胆汁」とか「ケーパー」とか、日本人の詩人なら、ぜったいに使わない言葉が
並ぶ。

やはりこの歌は、英語で歌うほうがよい。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●何か、おかしいぞ、教育再生会議!(The regenerated consultative conference of the 
education)

*The Liberalization of the Education

The Japanese government has been trying to control our minds all the time since the 
end of the WW2. There they have two main consultative organs, conducted by the 
government. How can they choose the members of the organs under what kind of 
standard they choose with? The Japanese government is heading toward conservatism 
or the way to the right-wing like way of thinking. We need more freedom! Or do they 
want the Restoration of the Imperial Rules?

+++++++++++++++++

「空理空論」という言葉がある。
「まず、国家統制ありき」という姿勢もある。

この両者がからんで、「教育再生会議」
となった。

世界の流れは、「教育の自由化」。

それに向かって、まっしぐらに
進んでいる。

なにゆえに、日本の政府は、そして文科省は、
こうまで教育の自由化を恐れるのか?

国民を、どう統制しようとしている
のか?

とくに気になるのが、道徳教育(?)。

「道徳を(徳育)として教科化する」
という。

これに対して、日本教育再生機構の
Y理事長は、「実現すれば道徳の時間
に、おかしな平和や人権などを教える
ことができなくなる」と、さっそく歓迎
の意思表示。

「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化
している。教科書があれば何を教える
のかのコンセンサスが得られ、教育内容
の水準が確保できる」とコメントを寄せて
いる。

しかし政府は、いったい、どういう
基準で、諮問機関のメンバーを選んで
いるのか?

自分たちにとって都合のよい、YESマン
ばかり集めて、あらかじめ用意したお膳立て
に従って、結論を出す。

あとはそれをもとに、「控えおろう!」と。

日本というより、日本政府は、またまた
右寄りの路線に向かって、舵を切ろう
としている。

いいのか、日本! このままで!

++++++++++++++++

 「自由化」イコール、「バラバラ」という意味ではない。またそうであってはいけない。
しかしそんなことは、常識。明治の昔なら、いざ知らず、国民は、そんなバカではない。
アホではない。

 教科書の国定(検定も同じ)にしても、それをしているのは、先進国の中では、この日
本だけ。

 「まず、国家統制ありき」……それがこうした諮問機関の大前提。そのおかしさに、私
たち日本人が、まずそれに気づくべきではないのか。

 無数の試行錯誤の中で、失敗もあるだろう。挫折、頓挫もあるだろう。ときには、はげ
しい衝突もあるだろう。しかしそういう山坂を越えて、日本人も、「自由」の意味を知る。
「自由」を手に入れることができる。

 いくら政府や文科省が、日本人を統制しようとしても、日本人の心は、もう別の方向を
求めて、歩き出している。それがわからなければ、尾崎豊の「卒業」を、一度でもよいか
ら、聴いてみることだ。

 何が、徳育教育だ! 

教科書ができれば、「実現すれば道徳の時間に、おかしな平和や人権などを教えることが
できなくなる」(?)。

 「おかしな平和や人権」とは何か? それを「おかしい」と言うほうが、おかしい。「平
和」や「人権」は、守って守って、守り抜いてこそ、平和であり、人権なのである。戦時
中は、「平和」とか、「人権」という言葉を口にしただけで、「非国民」と呼ばれ、問答無用
に、逮捕、投獄された。多くの人は、拷問まで受けた。

 そういう歴史を、日本よ、日本人よ、忘れたか! またそういう反省もなく、「おかしい」
とは、何ごとか! 恥を知れ!

 「道徳」についても、世界の心理学者たちは、もっと科学的な視点から、考え始めてい
る。もしそうなら、それはそれでよし。しかし「孔子」だの、「論語」という言葉が出てく
るところが、恐ろしい。さらに「武士道こそが、日本が世界に誇るべき、精神的バックボ
ーン(背骨)」と説く人までいる。またそうした本が、売れに売れまくっている。

 さらにさらに、天皇を「象徴」から、「元首」にという動きもある。憲法改正は、おおむ
ね、その方向に向かって進みつつある。どうして21世紀の現在、「王政復古」なのか? し
かもこの日本で!

 だいたい「再生」とは何か? 何からの「再生」なのか? まさか戦前の状態にもどる
ことを言っているのではないだろう。このところ、私は、この言葉に、不気味さを覚える
ようになっている。


【参考:以下、ヤフー・ニュース・07年12月26日版より】

 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)は25日、首相官邸で開い
た総会で第3次報告を正式に決定し、福田康夫首相に提出した。社会人教員の増員や校長
の権限強化、現在の学制「6・3・3・4制」の弾力化などの項目の実現を掲げ、6月の
2次報告でも提言した徳育の教科化を再び盛り込んだ。

 安倍前内閣時代の昨年10月に発足した再生会議は一通りの検討作業を終え、来年1月
にも総括的な最終報告をとりまとめる。

 首相は総会後、記者団に対し、「よくまとめてくださった。3次報告でまとまった基本的
な考え方を、中央教育審議会(中教審)で具体化することになる」と述べた。

 「社会総がかりで教育再生を」をテーマにした3次報告には、「学力の向上に徹底的に取
り組む」などの7つの柱が掲げられた。

 小中一貫校の制度化検討や小学校からの英語教育実施なども提言されたが、当初目玉と
なっていた、児童・生徒が自由に学校を選択し、その数に応じて学校に予算配分する「教
育バウチャー(利用券)制」は、モデル事業としての実施を検討することにとどまった。

 第3次報告は、採用者の2割以上を教員免許を持たない社会人とする▽徳育の教科化▽
大学の授業の3割以上を英語で行う−などを求めているが、専門家からは賛否の声が上が
った。

 教員免許を持たない社会人を教員に採用することについて、日本教育大学院大学の河上
亮一教授は、「実現すれば教育現場の意識改革になるのではないか」とみている。教育学部
を卒業した教員が多い現状よりも多様な人材が教壇に立つ方が活性化するとの考えからだ。

 文部科学省によると、全国の小中学校の教職員は70万人おり、再生会議の報告通りに
するなら総数で14万人の社会人を迎え入れなければならないが、河上氏とは対照的にあ
る県の教育委員会幹部は「民間は善、公務員は悪という発想による提言だ。待遇面で教員
は決して恵まれていない。優秀な人材が多数集まるとは思えない」と批判する。

 道徳を「徳育」として教科化することについて、日本教育再生機構の八木秀次理事長は
「実現すれば道徳の時間におかしな平和や人権などを教えることができなくなる」と歓迎。
「教科書がないから道徳は形骸(けいがい)化している。教科書があれば何を教えるのか
のコンセンサスが得られ、教育内容の水準が確保できる」としている。

 一方で河上氏は「徳育を教科にするのなら、自分のためだけでなく、人のために尽くす
ことは大切だということを社会の共通認識にする努力が必要だが、現実的には難しい」と
教科化には懐疑的だ。

 大学の授業の3割を英語で行うことは可能か。

 福島県立会津大学はコンピュータ理工学部の単科大学で、教員の4割が外国人。授業の
多くは英語で行われ、卒業論文も英文だ。第2外国語をなくし、英語の時間を増やしてい
る。同大は「コンピューターは米国で発展したもの。プログラムを理解するために英語に
習熟することは不可欠な対応」と英語での授業の必要性を説く。

 一方で、横浜国立大学の鈴木邦雄副学長は「3割の授業を行うのは大学院なら可能だろ
うが、学部で行うのは難しいのではないか。英語の授業を用意しても、学生が履修しなか
ったら意味がない」と話している。

 再生会議の委員の一人、中嶋嶺雄氏が学長を務める国際教養大学(秋田県)は、すべて
英語で行う。しかし、英語に関心の高い学生が多く入学する一方で、授業についていけな
い学生もいるという。(櫛田寿宏)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育再生会議 第3次報
告)


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. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 21日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page011.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●原稿と音楽(新しい試みとして……)

++++++++++++++++++++

最近では、私の書いた原稿と、
音楽を、直接シンクロナイズさせることが
できるようになった。

今までに書いた原稿の中から、いくつかを
選んで、音楽とシンクロナイズさせてみる。

音楽を聴きながら、原稿を読んでもらえれば、
うれしい。

(HTML版のほうでは、音楽を聴きながら、
原稿を読んでいただけるようにしてあります。)

++++++++++++++++++++

●And I love her

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=x8fNDfdjXd8

【ビートルズの歌で終わった青春時代(白血病だったジル)】

(世にも不思議な留学記より)

●行くも最後という時代だった

 行くのも最後、帰るのも最後という時代だった。往復の旅費だけで、40万円以上。ま
だまだ日本は貧しかった。メルボルンを飛び立つときは、本当にさびしかった。そしてそ
のさびしさは、フィリッピンのマニラに到着してからも消えなかった。

夜、リザ−ル公園を歩いていると、6、7人の学生がギタ−を弾いていた。私がぼんや
りと見ていると、「何か、曲を弾いてあげようか」と声をかけてくれた。私は「ビ−トル
ズのアンド・アイ・ラブ・ハ−を」と頼んだ。私はその曲を聞きながら、あふれる涙を
どうすることもできなかった。

 私には一人のガ−ルフレンドがいた。ジリアン・マックグレゴーという名前の女の子だ
ったが、「嘘つきジル」というあだ名で呼ばれていた。が、私にはいつも誠実だった。映画
「トラトラトラ」を二人で見に行ったときも、彼女だけが日本の味方をしてくれた。映画
館の中で、アメリカの飛行機が落ちるたびに、拍手喝采をしてくれた。

あの国では、静かに映画を見ている観客などいない。そのジルに私が帰国を告げたとき、
彼女はこう言った。「ヒロシ! 私は白血病よ。その私を置いていくの!」と。私はそれ
が嘘だと思った。……思ってしまった。だから私は天井に、飲みかけていたコ−ヒ−の
カップを投げつけ、「嘘つき! どうして君は、ぼくにまで嘘をつくんだ!」と叫んだ。

 夜、ハウスの友だちの部屋にいると、デニスという、今でも無二の親友だが、その彼が
私を迎えにきてくれた。そのデニス君とジルは幼なじみで、互いの両親も懇意にしていた。
デニスに、ジルの病気の話をすると、彼はこう言った。「それは本当だよ。だからぼくは君
に言っただろ。ジルとはつきあってはダメだ。後悔することになる、と。しかしね、ジル
が君にその話をしたということは、ジルは君を愛しているんだよ」と。

彼女の病気は、彼女と彼らの両親だけが知っている秘密だった。私はジ−ロンという、
メルボルンの南にある町まで行く途中、星空を見ながら泣いた。オーストラリアの星空
は、日本のそれよりも何倍も広い。地平線からすぐ星が輝いている。私はただただ、そ
れに圧倒されて泣いた。

●こうして私の青春時代は終った……

 こうして私の留学時代は終わった。同時に、私の青春時代も終わった。そしてその時代
を駆け抜けたとき、私の人生観も一八〇度変わっていた。私はあの国で、「自由」を見たし、
それが今でも私の生活の基本になっている。私がその後、M物産という会社をやめて、幼
稚園教師になったとき、どの人も私を笑った。気が狂ったとうわさする人もいた。

母に相談すると、母まで「あんたは道を誤った」と、電話口のむこうで泣き崩れてしま
った。ただデニス君だけは、「すばらしい選択だ」と喜んでくれた。以後、幼児教育をし
て、二八年になる。はたしてその選択が正しかったのかどうか……?

 そうそう、ジルについて一言。私が帰国してから数カ月後。ジルは、西ドイツにいる兄
をたよってドイツへ渡り、そこでギリシャ人と結婚し、アテネ近郊の町で消息を断った。

また同じハウスにいた、あの皇太子や王族の息子たちは、今はその国の元首級の人物と
なって活躍している。テレビにも時々顔を出す。デニスは、小学校の教員をしたあと、
国防省に入り、今はモナーシュ大学の図書館で司書をしている。本が好きな男で、いつ
も「ぼくは本に囲まれて幸せだ」と言っている。私だけは相変わらず、あの「自転車屋
の息子」のままだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ロメオとジュリエット

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=89BwSqKfpQU

●マダム・バタフライ

(音楽↓、クリック)
http://jp.youtube.com/watch?v=7Z3-yBlDckY

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。遠い昔、長崎からきた女性
に恋をしたことがあるからか。色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。その
人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。その人はいつも、春の陽光
をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治
にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。そこで海軍士官のピンカートンと知
り合い、結婚。そして男児を出産。が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。先の歌は、そ
のピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。今さら説明など必要ないかもしれ
ない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」も
すばらしい。少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリ
エットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかか
った山の頂上で、つま先で立っている」と。本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、
見ると山の頂上にモヤにかかっている。モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけ
だが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエッ
ト」はすばらしい。私はあの映画を何度も見た。ビデオももっている。サウンドトラッ
ク版のCDももっている。その映画の中で、若い男が、こう歌う。ロメオとジュリエッ
トがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前。「息子が恋をするとき」というエッセ
ーを書いたので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画
の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。いつか電撃に
打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。かなわぬ夢だが、
しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。いつか……。
(02−10−5)※

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●息子が恋をするとき

息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今まで
の人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あ
の子がねえ」と笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際している
と、相手の女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。「うちの娘は、お宅
のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、交際をやめ
させほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転
車屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしな
かった。が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつ
まづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く…
…」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の
中で、若い男がそう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲
が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではない
のか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が1億円も2億円
もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせ
る。一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金
を涙ながらに訴える。暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都や
F国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受
け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つ
かむことができる、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間ら
しくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがってい
ることになる。しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見
る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他
人の恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に
広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこ
う続く。「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」
と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて
寝ていた。6月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こ
なごなになってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感
と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれ
が今、たまらなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎
えてやろうね」と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●マジソン郡の橋

(音楽↓、クリック)
http://jp.youtube.com/watch?v=Ye8G8cqu27U
http://jp.youtube.com/watch?v=dFl0Jvo3jAw

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。今、そんな女性がふえている。

Hさん(32歳)もそうだ。結婚したのは24歳のとき。どこか不本意な結婚だった。
いや、20歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局
は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何
となく結婚した。

●マディソン郡の橋
 
R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田
舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れ
ていた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受
性の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もま
た、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の
中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということ
だった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だ
った。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。

子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、そ
れが終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、
アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでま
た風は吹き始める。人生は動き始める。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●レット・イット・ビー

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=4oZYqAeIdYk&feature=related

●レット・イット・ビー

 夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その
夫と妻が愛し合い、信頼し合っているというケースは、さがさなければならないほど、少
ない。どの夫婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。

そう、『子はかすがい』とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になっ
て家族を守ろうとしている夫婦も多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそうい
うものではないのか。もともと他人の人間が、一つ屋根の下で、10年も20年も、新
婚当時の気持ちのままでいることのほうがおかしい。私の女房なども、「お前は、オレの
こと好きか?」と聞くと、「考えたことないから、わからない」と答える。

 …こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな
夫婦もいる。先日もある女性(40歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。
「バンザーイ、やったわ!」と。

聞くと、夫が単身赴任で北海道へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身赴任を
悲しむはずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(33歳)は、夫婦で
も別々の寝室で寝ているという。性生活も年に一度あるかないかという程度らしい。し
かし「ともに、人生を楽しんでいるわ。それでいいんじゃあ、ない?」と。明るく屈託
がない。

要は夫婦に標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、
人それぞれだし、それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてと
やかく言う必要はないし、また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう
思おうが、そんなことは気にしてはいけない。

 問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中に描く。それ自体は悪い
ことではない。が、その「像」に縛られるのはよくない。それに縛られれば縛られるほ
ど、「こうでなければならない」とか、「こんなはずはない」とかいう気負いをもつ。こ
の気負いが親を疲れさせる。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に育
った人ほど、この気負いが強いから注意する。「よい親子関係を築こう」というあせりが、
結局は親子関係をぎくしゃくさせてしまう。そして失敗する。

 そこでどうだろう。こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ
自体が「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、
もうけもの。一部でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから…」「親子だか
ら…」と考えると、あなたも疲れるが、家族も疲れる。

大切なことは、今あるものを、あるがままに受け入れてしまうということ。「愛を感じな
いから結婚もおしまい」とか「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗した」とか、そ
ういうふうに大げさに考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子どもに、
あまり期待しないこと。ほどほどのところで、あきらめる。

そういうニヒリズムがあなたの心に風穴をあける。そしてそれが、夫婦や家族、親子関
係を正常にする。ビートルズもかつて、こう歌ったではないか。「♪レット・イット・ビ
ー(あるがままに…)」と。それはまさに「智恵の言葉」だ。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●青年の樹(き)

(音楽↓、クリック)
http://www.youtube.com/watch?v=Bpbuqh12oj4&feature=related

雲が流れる 丘の上
花の乱れる 叢(くさむら)に
共に植える ひともとの
ひともとの
若き希望と 夢の苗
空に伸びろ 青年の樹よ


嵐すさぶ 日もあらん
憂いに暗い 夜もなお
腕組み合わせ 立ち行かん
立ち行かん
熱き心と 意気地もて
森に育て 青年の樹よ


多感の友よ 思わずや
祖国の姿 今如何に
明日の夜明けを 告げるもの
告げるもの
我等をおきて 誰かある
国を興(おこ)せ 青年の樹よ

(作詞、東京都知事・石原慎太郎氏)

 私は学生時代、悲しいことやつらいことがあると、決まってこの歌を口ずさみ、自分を
なぐさめた。今でも、ときどき、この歌が、口から出てくる。

 で、この歌には、こんなエピソードがある。

 私がオーストラリアのカレッジで、この歌を歌っていると、一人の友人(オーストラリ
ア人)が、「それは何の歌か?」と。そこで私が、「これはすばらしい歌だ。訳してあげよ
う」と言って、訳してやった。

「雲が、丘の上に流れて、みんなで青年の木という木を植えた。その木よ、伸びろという
歌だと教える」と、その友人は、顔をかしげて、「何だ、そんな歌か」というような顔をし
た。

 で、私が「いい歌詞だろ」とたたみかけると、「ヒロシ、雲が丘の上にあるって、そんな
ことは何でもないではないか」と。彼らには、日本的なデリカシーが理解できないようだ。

 しかし、これと反対のことがある。

 ずいぶんと昔だが、一人の高校生(男子)が、興奮したおももちで私のところにやって
きて、こう言った。「先生、すばらしい歌がある。翻訳してほしい」と。

 それがロッド・スチュアートの「セーリング」だった。が、訳してみると、何でもない
歌詞。

 「ぼくは、航海している。ぼくは航海していると、何でもないよ。海を横切って、あな
たのところへ帰るって、ね」と。

 その高校生は、がっかりした様子だったが、それからしばらくしたあとのこと。私はそ
の曲を聞いて、たいへんなまちがいをしたことを思い知らされた。「セーリング(sail
ing)」は、すばらしい曲だった。

 あとで、その高校生にあやまったことは、言うまでもない。

●Sailing

               
I am sailing, I am sailing,
home again 'cross the sea.
I am sailing, stormy waters,
to be near you, to be free.


I am flying, I am flying,
like a bird 'cross the sky.
I am flying, passing high clouds,
to be with you, to be free.


Can you hear me, can you hear me
thro' the dark night, far away,
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


Can you hear me, can you hear me,
thro' the dark night far away.
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


We are sailing, we are sailing,
home again 'cross the sea.
We are sailing stormy waters,
to be near you, to be free.


Oh Lord, to be near you, to be free.
Oh Lord, to be near you, to be free,
Oh Lord.

(Written by Rod Stewart)

 若いお父さん、お母さんは、「青年の樹」も、「セーリング」も知らないかもしれない。
不思議なものだ。しかしこういった歌を口ずさむと、そのときの光景のみならず、友の顔、
雰囲気、心の様子まで心の中によみがえってくる。歌というのは、そういうものか。

 そしてもう一つ。そういう歌が出てくるときというのは、そのときの心情と共通すると
き。「青年の樹」が出てくるということは、今がそのさみしいとき、つらいときかもしれな
い。がんばろう!
(030831)

●ロッド・スチュアートは、最後にこう歌う。
「♪オー、主よ。あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ、あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ」と。

 こういう歌を堂々と歌える人が、うらやましい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】12月25日(Dec.25th、2007)

I have a slight headache this morning. I suppose the reason is that I had eaten so much 
cakes last night. As for me taking too much sweet cakes cause a headache. By the way I 
bought a Sony's walkman (A918), which is good. It has got noise-reduction ear-phones 
and it can reduce noise around me. It is super!

+++++++++++++++++

この2日間、ほとんど、原稿を書かなかった。
忙しかった。

で、今朝は、やや頭が重い。
昨日食べたケーキ類が、影響しているのでは……?
私のばあい、甘いものをたくさん食べると、頭重が
起きる。

ところで、おととい、ソニーのウォークマン(A918)
を買った。
衝動買い。
ワンセグ付きで、テレビも見られる。

音楽を聴きながら、サイクリングするのは、久しぶり。
が、このウォークマンには、ノイズ・リダクション付き
のイヤホンが付属している。

イヤホンだけでも、7000円もするとか。

そのイヤホンをつけていると、至近距離で、だれかが
話しかけてきても、その人の声が聞こえない。
車がうしろから近づいてきても、それがわからない。

逆相の周波数をかぶせて、音声を消してしまうためである。

音はすばらしいが、歩きながら使うのは、少し、危険かも? 

ともかくも、昨日は、そんなこともあって、3単位(40分x3)も、
サイクリングをした。

ジョン・デンバーの曲を聴きながら、サイクリングを
していると、気分は、最高!

+++++++++++++++++

●メリークリスマス、晃子!

Merry Christmas, Akiko! I love you, no matter what you are, what you say. The other 
day you say, "They use the word 'LOVE' so easily and therefore the word has lost its 
meaning." But I'd like to say, on this Christmas Day, "I love you." Let take the plane, of 
which Eiichi has the handle and also let's go to Little Rock to meet Denise when she 
becomes a lawyer. 

+++++++++++++++++++

「愛ほど、実感しにくい言葉はないわ」と、
お前は、言う。

「愛していると言われても、私は、うれしく
ないわ」と、お前は、言う。

そのとおりかもしれない。
そのとおりでないかもしれない。

ただぼくは、今、率直に、そして心から、
こう言うよ。「愛しているよ」とね。

今のぼくは、お前への愛を実感している。
お前が喜ぶかどうかは、別にして、
ぼくは、お前を愛している。

お前が、「うれしくない」と言っても、
ぼくは、かまわない。

世界で、いちばん、すばらしい女性に、
世界で、いちばん、美しい女性に、
ぼくは、この言葉を、ささげたい。

お前を愛しているよ。

それに、ぼくは、お前といるときが、いちばん楽しい。
ぼくは、お前といるときが、いちばん心が安らぐ。

今年、ぼくは、ちょうど、60歳になったけど、
いろいろあったね。

お前は、よく「私たちは、ほかの人たちの
人生の、何倍も生きたような気がする」と、言う。

それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?

ぼくにはわからないけど、ぼくは、夢中で生きてきた。
それはたしかだと思う。

お前がそばにいてくれたからこそ、ぼくは、
それができた。
何もこわいものがなかった。

ありがとう。
そしてメリークリスマス!

英市が、パイロットになったら、2人で、
英市の操縦する飛行機に乗ろうね。
デニーズが弁護士になったら、お祝いに
リトルロックへ行こうね。

ほかに・・・。来年は、オーストラリアへ
行こうね。
ぼくが、今まで大切にしてきたものを、
お前に見せてあげたい。

愛しているよ。
心から愛しているよ。

そして、もう一度。
メリークリスマス!

そうそう言い忘れたけど、今、1時間あまり
街をブラついて、やっとクリスマス
プレゼントが、決まった。

周市には、タバコパイプ。
そしてお前には、メルボルン市内のガイドブック。
喜んでくれるかな?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ロー・スクール(Law School)

Denise has passed the examination of a law school in Little Rock, AR. It is a greatest 
news and my wife and I have talked about it these few days. She is a great lady. The 
news reminds me of M. Fuziwara, a son-in-law of Prof. K. Tamaru, M. Fiziwara wrote a 
book last year, "The Dignity of a Nation", which was sold more than 2 million copies.
 Both of us have great daughter-in-law and a son-in-law.

 ここ数日、ワイフと、デニーズが、ロースクールに合格した話ばかりしている。学費は
全額、奨学金でまかなうという。

 デニーズもすごいが、そういうシステムができているアメリカは、もっと、すごい。や
る気がある人なら、女性でも、家庭の主婦でも、弁護士になれる。

 しかしここでふと、おかしな気分にとらわれる。デニーズは、たしかに私の息子の嫁だ
が、私の実の娘ではない。しかしその一方で、私の実の孫たちの母親でもある。もしデニ
ーズが実の私の娘なら、文句なしにうれしいのだが、心のどこかで、ふとブレーキがかか
ってしまう。

 どうしてだろう?

 昨年(06年)、藤原M氏の書いた、「国家の品格」という本が売れ始めたときのこと。
田丸先生が、数日おきに、そのことをメールで書いてきてくれた。「娘の旦那の本が、バカ
売れしてましてね」と。

 デニーズのことを考えながら、あのとき田丸先生も、同じような気分ではなかったのか
と思う。そのときも、祝電でも……ということになったが、心のどこかで、ふとブレーキ
がかかってしまったのを覚えている。

 藤原M氏は、田丸先生の自宅で、2、3度、見かけたことがある。いつもあいさつ程度
の会話しか、しなかった。田丸先生に、祝電を打つのもおかしい。で、祝電はとりやめた。

 が、デニーズは、まっさきに、そのニュースを私たちに知らせてくれた。デニーズはデ
ニーズなりに、一生懸命、私たちの家族の一員になろうとしている。私たちのほうが、薄
情なのかもしれない。

一方、息子は息子で、カルフォルニアのグーグル社への転職をあきらめ、現在住んでい
るコンウェイから、リトルロックへ移るという。息子には息子の夢があっただろうに…
…。優先順位が変わってしまったらしい。

 ワイフは、「お嫁さんが弁護士になれば、Sも心強いわね」と、まあ、どこか、のんきな
ことを言っている。私について言えば、孫の誠司ですら、自分の孫と思えるようになるま
でに、かなりの時間がかかった。なにしろ、私にまったく似ていない。(二番目の芽依は、
息子によく似ている。つまり私の面影が、強く残っている。)

 いつか、息子のSは、こう言っていた。

 「パパ、デニーズは、日本の女性よりも、はるかに日本の女性みたいだよ」と。

 私と息子のSとの関係がおかしくなったときも何度かあったが、そのつどデニーズは、
懸命に間をとりもってくれた。そんな(やさしさ)が、私の心を暖かくしてくれる。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●時の流れは、砂時計のようなもの(The flow of the time is like sands in a sandglass.)

Sometimes I feel that the flow of the time is like sands in a sandglass. Each moment of 
my time is like a sand in the sandglass. Each of the moment is dropping downward like 
a sand. Life is wonderful. I am here, breathing, listening and seeing. I am alive! My 
sister-in-law said two days ago, "Life itself is a miracle and we have to thank for it." I 
agree with her. Her sweet words soaked into my heart like water into the soil.

+++++++++++++++

おととい、義姉(ワイフの姉)の
家で、夜遅くまで話しこんだ。

義姉が、別れぎわ、こう言った。

「生きているだけでも、すばらしい
ことよ。感謝しなくちゃあ」と。

ワイフは、幼いころ、母親をなくしている。
そのためその義姉が、ワイフにとっては、
母親のようなもの。

ワイフに似て、穏やかな性格の女性で、
今でも、あれこれ世話になっている。

息子たちの身元引き受け保証人にも
なってもらった。
私の母の介護のときは、一式、介護
用具を提供してくれた。

私は何を言われても、義姉だけには、
頭があがらない。

+++++++++++++++

●生きていることは、すばらしい!(Life is wonderful!)

「命」が、砂時計の「砂」のように思えるときがある。
上に残った砂が、サラサラと下へ、流れ落ちていく。
そのいとおしさ。

ワイフもときどき、こう言う。「毎日、食事がおいしいわ。それだけでも、私は、すばらし
いことだと思う」と。 

私は、今、ここにいて、息をしている。
音を聞いている。
フォーレ(Faure)のレクイエム(Requiem)を聞いている。
まわりには、朝の淡い光。
薄い雲に包まれた、冬の太陽。
12月25日。

たった今、アメリカに住む二男から、電話があった。
船便で送ったクリスマス・プレゼントが今日、届いたという。
ギリギリ、セーフ!
向こうは、今日が、12月24日。

誠司が、おかしな英語で、ペラペラとしゃべった。
ついでに、おかしな日本語で、日本の歌を歌った。
芽依が、ハローと言った。
私とワイフは、受話器を奪いあいながら、それを聞いた。

孫たちも、みな、元気らしい。

静かな時。
穏やかな時。
暖かい時。

その無数のこまかい「時」が、砂のように、下に落ちていく。
サラサラと……。

義姉は言った。
「生きているだけでも、すばらしいことよ」と。
その言葉が、私の心の奥の奧まで、やさしくしみこんだ。

ありがとう、姉さん!


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●UFO

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o'clock. 
We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or 
3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks 
me if I believe in UFO's, I would say, "Yes". These days at the Parliament House of 
Japan, some congressmen discuss about UFO's in the public. Does this have something 
to do with "Kaguya", a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the 
moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about 
the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for 
the aliens. Do you think so too? 

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさん
と輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者
の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあっ
た。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、
そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、
全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消え
た」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるよう
に着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2〜3
キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が
話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20〜30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私た
ち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUF
Oにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上で
も公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいの
は、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうか
ウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビ
ューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的
に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような
形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、
ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確
認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだった
のではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部
長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一
時的に着陸していたのではという推測もされたそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニー
ル橋)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アメリカの教育システム(The Education System in USA)

My daughter-in law has passed the examination to be a lawyer and she intends to 
attend a law school from next year. She used to be a student of USA literature. This is 
USA!

++++++++++++++++

これは驚くべきことだと思う。
アメリカ文学を専攻した女子学生が、
卒業。そのあと結婚。

2児の母親になったあと、奨学金
試験に合格。

今度は、法曹(弁護士)をめざすという。

こういうことが平気で(?)、できる
ところが、すばらしい。

嫁のデニースから、こんなメールが
届いた。

++++++++++++++++

I'm sorry it has been so long since I have contacted you. I have been 
spending all of my free time these past few months getting ready for law 
school. I had to take a big test a few weeks ago and I only had 2 
months to study for it--most people get 6 months. I received the test 
results last night and I passed just fine, so I will be able to enroll 
next year.

長い間、連絡をしなくてすみませんでした。私は過去3か月、ずっと、ロースクール(法
曹学校)の準備に費やしてきました。2、3週間前に大きな試験を受け、そのために、ほ
とんどの人が6か月かけてする準備ですが、2か月しかありませんでした。昨夜、その結
果が届きました。合格しました。ですから来年から入学できます。

わかるかな? アメリカでは、教育の自由化は、ここまで進んでいる! 日本で文学部を
卒業した学生が、主婦になったあと、ロースクール(法曹大学)に入学できるなどという
ことが考えられるか。ふつうは大学の法学部で4年ほどかけて単位を取ったあと、ロース
クールへと進学していく。

しかも奨学金制度が充実している。

……I know that you worry 
about us, especially financially, but please don't be concerned at all.  
If I attend the law school in Little Rock, Arkansas, I should be able to 
receive a full scholarship (or at least a half-tuition scholarship) so 
we won't have to pay for the classes.

あなたが私たちのことを心配しているということはわかっています。しかしどうか、ご心
配なさらないように。リトル・ロックのロースクールに通うことになれば、全額奨学金で
まかなえます。(少なくとも、半額奨学金はもらえます。)ですから、私たちは、お金を払
わなくてもよいのです。

私はつぎのような返事を書いた。

Congratulations!
Great news!
You are great!
Incredible!
 
I never hesitate to invest money to my sons and daughter.
Please tell me anytime in case you need my help.
 
Great! So great!
And Merry Christmas!
Your news is the most wonderful present to me!
 
How come did you choose such Soichi, who is not at all suitable for you?
Soichi should be very proud of you.
I am very proud of you.
 
Hiroshi
 
+++++++++++++++

おめでとう。
たいへんなニュースです。
あなたはすばらしい。
信じられません。

私は息子や娘にお金を投資することを、ためらいません。
必要なときはいつでも言ってください。

すごいことです。
そしてメリークリスマス!
あなたのニュースは、私には最高の贈り物です。

あなたが、宗市のような、あなたにふさわしくない人を、どうして選んだのか。
宗市は、あなたを誇りに思うべきです。
私も、あなたをたいへん誇りに思います。

浩司


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●テレビ局よ、少しは責任を感じろ!(Inspiration Swindle)

More and more victims are deceived by so-called "Inspiration Swindle" in Japan. In 
Japan now "inspiration" or "spiritual" boom is on and almost every night this kind of TV 
programs are being broadcasted. This is one of the main reasons why it is so now! Be 
ashamed, TV men! It is your responsibility that produces these victims. According to 
today's newspaper, in only 4 hours, they received 59 telephone calls from these victims, 
ant the amount of which is more than 130 million US dollars! This also affects children 
in Japan. About 50% of school kids believe in spiritual power or inspiration magic. This 
is the story about it.

++++++++++++++++

霊感商法が、またまた増殖しているという(中日新聞・07・12・20)。

いわく、「悪質な霊感商法が、再び増えている背景には、(前世)(生まれ変わり)などの言
葉がメディアをにぎわせ、(ヒーリング)(スピリチュアル)といったブームがあるようだ」
(同紙)と。

わかるか?

アホな番組を一方で、無分別に垂れ流すから、それを真に受けた純朴な人たちが、だまさ
れる。

全国霊感商法対策弁護士連絡会で活動している、WH弁護士は、つぎのように語っている。

「有名人がスピリチュアルについて語るなど、ブームにより警戒心が薄れ、霊感商法への
敷居が低くなった。被害にあいやすくなっている」(同紙)と。

たとえば……、
「死んだお父さんが、助けを待っている」
「(あなたは)昔、祖父が殺したヘビの生まれかわりだ」(同紙)などといって、祈祷料を
取られたり、物品を買わされたりする、と。

「今月4日(=12月4日)に行われた電話相談で、寄せられた電話はわずか4時間ほど
の間に、59件、被害金額では計1億3300万円にのぼった。2000万円もの被害を
訴えた人もいたという」(同紙)ともある。

中には、「スピリチュアルな子育て法」などという、これまた「?」な育児本まである。書
店へ行くと、この種の本が、ズラリと並んでいる。

「前世」だの、「来世」だの、バカなことを口にするのは、もうやめよう。釈迦ですら、そ
んなことは一言も言っていない。ウソだと思うなら、『法句経』を、ハシからハシまで読ん
でみることだ。そんなアホな思想が混在するようになったのは、釈迦滅後、数百年もして
からのこと。ヒンズー教の輪廻転生論がそこに入り込んだ。

いわんや、占星術? ばか! アホ! インチキ!

あのね、占星術は、立派なカルト。そういうものを、天下の公器をつかって、全国に垂れ
流す。そのおかしさに、まず、私たちが気づかねばならない。私がたまたま見たテレビ番
組の中では、どこかのオバチャンが、こう言っていた。

「あなたの背中には、ヘビがとりついている。毎朝、20回、シャワーで洗いなさい」と。

もう、うんざり! 反論するのも、いや! ばか臭い!

が、問題は、子どもたち。

10年ほど前だが、私が調査したところでも、約半数の子どもたち(小学生、3〜6年生)
が、占い、まじないを信じていた。今は、もっと多いのでは……? そしてそれが日本の子
どもたちの理科離れの一因になっているとも考えられる。

子どもたちに与える影響を、少しは考えろ。
あるいは自分の頭で、少しは考えて、番組を作れ!
それとも君たちは、どこかのカルト教団と結託しているのか?

年末にかけて、この種の番組が、ますますふえている。
思考力をなくしたテレビ局。思考力をなくしたプロデューサー。そして視聴者たち。
日本人は、ますますバカになっていく。私には、そんな気がしてならないのだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 霊感商法 inspiration 
commercial spiritual commercial スピリチュアル inspiration swindle)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●旗についていく(To live, following a flag, is very easy.)

To live, following a flag in the front, is very easy. On the contrary to live, walking in the 
front with a flag above, is not easy. To live, depending on other people, is very easy. On 
the contrary to live independently from others is not easy. As to the children, it is not 
the education to lead them, walking before them with a flag above. Education is the 
education which educes their ability from them and make them think and act 
independently.

++++++++++++++++++

同じ旅行でも、旗についていく旅行ほど、
楽なものはない。

一方、旗を立てて歩く人は、たいへん。
神経を使う。気を使う。気を配る。
旅行を楽しむ余裕など、どこにもない。

つまりそれが指導者と、被指導者のちがい
ということになる。

旗を立てて、前を歩く人が指導者。
その旗のあとを、ぞろぞろと歩いていく
人が、被指導者ということになる。

被依存者は、それでよいとしても、
こわいのは、依存性。
その依存性がつきすぎると、自分で
歩くどころか、立ちあがることさえ
できなくなる。

++++++++++++++++++

 旅行にかぎらない。なにごとでも、他人が敷いてくれたレールの上を歩いていくのは、
簡単なこと。こんな話がある。

 合成ゴムを世界でいちばん早く完成させたのは、フランスのデュポン社の研究者たちだ
ったという。多くの研究者たちが、何年も苦労に苦労を重ねたのち、やっとのことで合成
ゴムの製造に成功した。

 が、そのあと、同じものを学生に作らせてみたところ、学生たちは何と数か月で、合成
ゴムを作ってみせたという。恩師の田丸先生から、聞いた話である。

 ものを考える世界でも、そうである。

 自分で考え、自分でその考えをまとめ、さらにそれらの考えをひとつにし、思想らしき
ものにするのは、たいへん。その苦労は、たとえて言うなら、何千キロもの荒野を、ひと
りで歩くようなもの(?)。私には経験がないので、よくわからないが、私はそう思う。

 が、他人の思想を知り、それを自分のものにするのは、簡単!

 「私は考えている」と言う人にしても、ほんとうに自分で考えているかどうかは、疑わ
しい。たいていは他人の思想の上に、自分の(思い)を重ねているだけ。あるいは他人の
思想を変形させているだけ。他人から得た思想を、「自分の思想」と思い込んでいるだけ。

 中には、(情報)を、(思考)と誤解している人がいる。ものごとをよく知っているから
といって、その人に思考力があるということにはならない。幼稚園児が掛け算の九九をペ
ラペラと口にしたからといって、算数の力があるということにはならない。

 最近、こんな人に出会った。ある宗教団体の熱心な信者で、この地区の幹部をしている。
その人があれこれと私に、その教団の教えを説明しながら、こう言った。

 「私は、この仏法に、命をかけている」「A先生は、私の師だ」「△△経(経文のこと)
を、そしるものは、たとえ親兄弟でも許さない」と。

 そこで私が「許さない」というのは、どういうことかと聞くと、その人は、こう答えた。

 「許さないということは、許さないということ。縁を切る。ばあいによっては、親兄弟
でも、殺す」と。

 同じ旗についていく人でも、それが宗教となると、人は、そこまで思い込むようになる。
私はその話を聞きながら、「だれも、△△経をそしるようなことは、しない」「その人が信
仰をして、それで幸福なら、それはそれでいいこと」「そしるとか、そんな失敬なことはし
ない」と思った。つまりそれはその人の、被害妄想ということになる。

 それはともかくも、何ごとも先を歩くということは、たいへん。またその(たいへんさ)
を克服しないかぎり、人の前を歩くことはできない。

 一方、だれかが持った旗についていくのは、楽。何も考えなくてもよい。しかし他人の
持った旗について歩いてばかりいると、今度は、自分で歩けなくなる。さらにそれを繰り
返していると、歩くどころか、自分で立つことすらできなくなる。そうなれば、ますます
依存性ばかりが強くなる。

 もうおわかりのことと思うが、子どもの世界には、「パラサイト」という言葉がある。パ
ラサイトというのは、寄生虫をいう。そういう生き方をしている人を、「パラサイト・シン
グル」という。(ふつう「パラサイト・シングル」いうときは、親のスネをかじって生き
る若者をいう。)

 子どもの世界でも、気をつけないと、子どもに依存性ばかりもたせて、その子どもを自
立できなくしてしまうことがある。よい例が、受験勉強。旗をもった人が、どんどんと子
どもを先導する。課題を与える。子どもは言われるまま、それについていく。自分で考え
て行動するということは、まず、ない。

 一見、教育に見えるが、これは教育ではない。指導でもない。ただの訓練。しかもその
訓練というのは、子どもに依存性をつけさせるだけ。長い目で見れば、かえって弊害ばか
りが目立つようになる。

 今、高校生でも、自分の能力に合った参考書や、問題集を買うことができない子どもが
ふえている。大学生でも、生活感がまったくない子どもも多い。勉強はできるが、料理と
いえば、できるのは卵焼きだけ、とか、など。部屋の掃除すら、しない。・・・しないとい
うより、できない。

 旗のあとをついて歩いてばかりいると、子どもでも、そうなる。それなりの成果(?)
はあるかもしれないが、そこまで。

(付記)

 同年齢ということもあって、このところ、退職をした人たちのあとを知る機会が多くな
った。で、そういう人たちを見ていると、大きく、つぎの2つのタイプに分けることがで
きるのを知る。

 ひとつは、再就職することばかりを考えているタイプ。このタイプの人は、「お金は、貰
うもの」という意識が強い。「いい仕事が見つかった」「給料がいい」とか言う。

 もうひとつは、自分でしたいことを見つけて、それに向かって前に進んでいくタイプ。
このタイプの人は、「お金は自分で稼ぐもの」という意識が強い。「人に使われるのはいや」
「人を使うのもいや」とか言う。

 もうひとつ、年金だけを頼りに、これといった仕事もしないで、日々を過ごすタイプの
人もいる。庭いじりと孫の世話。あとは旅行三昧に趣味三昧。が、これは論外。

 つまり退職してからも、旗を立てて、前を歩く人と、旗に従って、そのあとをついて行
く人に分かれるということ。しかもこの年齢になると、それまでの生き様を変えることは、
容易なことではない。・・・というより、不可能。

 やはり子どものころからの育て方、教育のし方こそ、重要ということになる。

(追記)

 ところで本文の中に書いた、「ある宗教団体の熱心な信者」のことだが、その信者という
のは、ほんとうは女性だった。(本文の中では、男性のように書いたが、実際は、女性だっ
た。その女性は、こう言った。「夫がこの信仰に反対したら、離婚するのもやむをえません」
と。)

 その女性だが、さも私はできた人間です・・・というような表情で、私と話している間
中、穏やかな笑みを消さなかった。

 しかし私には、それが不気味だった。仮面型人間の特徴というか、表情に、自然ぽさが
なかった。熱心に信仰しているという人にときどき見られる現象である。しかしいくら自
分は高邁(こうまい)な人間と思っても、人間らしさまで失ってはいけない。

【仮面型(ペルソナ)人間の特徴】

(1)表情に、自然ぽさがない。
(2)何を考えているか、つかみにくい。
(3)穏やかで、できた人という印象を与える。
(4)それらしいことを口にするが、こちらの心にしみこんでこない。
(5)ときに不気味な印象を与える。
(6)見た目には、いつも静かに落ち着きはらっている。

 だれしもときとばあいによっては、仮面をかぶる。(まったく仮面をかぶれないというの
も、問題である。社会適応性を失う。)大切なことは、仮面は仮面と知り、自分の世界にも
どったら、仮面を脱ぐこと。仮面を脱ぎ忘れると、ここでいう仮面型人間になってしまう。
宗教家や教師、牧師に、このタイプの人が多い。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生まれながらの悪人はいるのか?(Are there born-bad men?)

Mr. U used to be a "Special Policeman", or "Gestapo" in German, during the ex-war. 
People were very much afraid of him. In those days in case when you say the name of 
Emperor of Japan without the title of honor, you were arrested and put into the Jail 
without any questioning and answering. These sort of things were done by these 
policemen called "Special Policeman". But as far as I know him, he was a very kind and 
gentle man and sometimes he invited me to his house for dinner. I couldn't believe what 
other people said about him. There is a saying in Japan, "Uniforms makes the Man." I 
mean there are not born-bad man nor born-good man. People are made to be a good man 
or a bad man in his or her environment where he or she has been raised up. It is quite 
so, 
too, about young boys and girls. I remember a boy whose name was G. Here I write 
about him. By the way Mr. U died quite recently, so did I hear.

++++++++++++++++

U氏……先日、そのU氏が亡くなったという話を聞いた。
私がU氏を知ったのは、私がこの浜松へ来て、まもなくのころのことだった。
U氏はそのころ、すでに50歳に近かった。
戦時中は、「Uさんの顔を見ただけで、みな、顔が青ざめました」と。
「特高」と呼ばれる警察官で、情け容赦ない、冷酷な人として知られていたという。
そんな話を、しばらくしてから、別の男性(当時、60歳くらい)から、聞いた。

「特高」……ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)は、大日本帝国憲法下の日本で、共産主義
のほか、すべての反政府的言論・思想・運動を弾圧した秘密警察。通称は「特高警察」(と
っこうけいさつ)・「特高」(とっこう)。自らの公務の残虐性に疑問を持たない、異常体質
を有していた」と。

この中にも、「異常体質」という言葉が見られる。
戦時中は、「特高」という言葉を聞いただけで、みな、震えあがったという。
「天皇」と呼び捨てにしただけで、逮捕、投獄された。
そんな話を、私も、子どものころ、よく聞いた。

が、そのU氏は、私が知っている範囲では、おだやかで、やさしい人だった。
何度か、自宅に招かれ、食事をごちそうになったこともある。

『人は、制服によって作られる』と、よく言われる。
制服を着たとたん、その人はその人でなくなり、反対に、制服をぬいだとたん、もとの人
に戻る。

U氏も、そんな人ではなかったか。
つまり根っからの悪人はいないし、同時に、根っからの善人もいない。

言いかえると、人の善悪を決めるのは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスでしかな
い。
神性がより強ければ、善人になり、悪魔性がより強ければ、悪人になる。
その神性や悪魔性を引き出すのは、「環境」ということになる。
U氏のばあいは、「制服」だったということになる。
あるいは「戦争」という異常な環境だったかもしれない。

このことは、子どもの世界を見ていると、わかる。

少し話がそれる。
この40年近いという長い年月、私は幼稚園の年中児から高校3年生まで、教えてきた。
年中児から、高校3年生までの、18年間、である。

ほとんどの生徒は、そのまま(まっとうな道)を進んだが、しかし数は少ないが、犯罪者
の道を歩むようになったのもいる。
印象に残っている子ども(男児)に、G君(小2)という子どもがいた。

学校でも、どうしようもないほどの暴れ者で、ほかの子どもや先生にまで、よくけがをさ
せた。
そのため、クラスどころか、学校でも嫌われた。
小4になるとき、「よりきめのこまかい指導ができるように」という、理由にもならないよ
うな理由をつけられ、隣の大規模校へ転校させられた。

G君は、その学校でも、暴れた。つっぱった。みなに、嫌われた。
が、母親には、その認識がなかった。
ないばかりか、いつも「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちが悪い」と言っていた。

そう言いながら、その一方で、母親は、はげしい体罰をG君に繰りかえしていた。
父親はいたが、週に、1、2度しか、家に帰ってこなかった。

こうしてG君は6年生になったが、そのころになると、体格は、母親より大きくなり、母
親の手に負えなくなった。
G君は、ますます学校で暴れた。

授業中にバスケットボールを、壁に当てて遊ぶ。
友だちの机をつぎつぎと、ひっくり返して逃げる。
授業中に、自分だけうしろの通路にすわって、マンガの本を読む、などなど。

しかし家では、つまり母親の前では、母親が言うには、「ふつうの子ども」だった。
また父親の前では、借りてきたネコの子のように、おとなしかったという。

G君は、私の教室には、中学2年まで来た。
私はG君のために、2人だけのクラスを用意して、対峙した。
が、毎回、とっくみあいのレスリングばかりしていた。
ほかにも、いろいろなことはしたのだろうが、記憶の中では、それしか残っていない。

こんなことがあった。

いつものように母親が、G君の前で、G君の悪口を言い始めた。
私は、それを聞いて、こう言った。
「G君は、今は、そういう状態かもしれませんが、かならず大物になりますよ。あのバイ
タリティは、かならず、いい方向に向かいますよ」「大切なことは、G君を信ずることです」
「お母さんが、見放したら、G君は、どこへ行けばいいのですか」と。

その翌週のこと。教室の掃除をしていると、そこにG君が立っていた。
「何だ?」と声をかけると、G君は、こう言った。

「先生、オレ、肩もみ、うまいんだ。先生の肩、もんでやるよ」と。
私はだまって、G君に肩をもんでもらった。

それからもG君は、ワルはワルのままだった。
教室でのレスリングも、それで終わったわけではない。
ただ、残念なことに、その直後、学校で大きな傷害事件を起こしてしまった。
同時に、私のところを去った。

そのG君のうわさを聞いたのは、それから10年もしてからだ。
どこかの飲み屋で傷害事件を起こして、警察に逮捕されたという。
今にして思えば、起こすべきして、G君は、そういう事件を起こしたようにも、思える。
が、同時に、G君は、環境の中で、もがきつづけるうちに、そうなったようにも、思える。

どこかで歯車が狂った。
最初は、ほんの小さな狂いだった。
その狂いが、時間とともに増幅され、やがて悪循環の鎖の中に入っていった。
(乱暴をする)→(嫌われる)→(ますます乱暴をする)と。
その悪循環に悪循環を重ねて、おとなになった。

G君をワルと決めてかかる環境。
無責任で、無知な、父親。
感情的で、現実を直視しようとしない、わがままな母親。
そうそう言い忘れたが、何でもG君の言いなりになってしまう、甘い、祖父母。

そんなG君だったから、G君は、いつも嫌われた。
孤独だった。
自分の顔すら、もてなかった。
だから攻撃的に出た。
その攻撃性が、悪循環に悪循環を重ね、ますますG君は、社会のスミへと追いやられてい
った。

冒頭のU氏の話に、もどる。

U氏は環境の中で、U氏になっていった。
そして戦争が終わると、U氏は、またもとのU氏に戻った。

同じことが、G君についても、言えないだろうか。
G君は環境の中で、G君になっていった。
ほんとうのG君は、もっと別のところにいた。
ただ環境が変わるということは、G君のばあいには、なかった。
それでG君は、G君のまま、おとなになってしまった。

繰りかえすが、根っからの悪人は、いない。
同じように、根っからの善人は、いない。
悪人か、善人かは、その人内部の、神性と悪魔性のバランスによって決まる。
あるいは、今、「私は善人」を自称している人の中で、「ほんとうに私は善人である」と自
信をもって言える人は、何人いるだろうか。

私はいないと思う。

もちろん精神的に病んでいる人も、悪人(?)になることがある。
新聞をにぎわす凶悪事件のほとんどは、こうした人たちによって、引き起こされる。
しかしそれは精神的に病んだからそうなっただけで、根っからの悪人というわけではない。
それにもしそうなら、その人が悪いのではなく、それは病気が悪いということになる。

だから……。

冒頭のタイトルに話が、さらに戻る。

この世の中に、生まれながらの悪人はいるのか?、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 悪人論 神性 悪魔性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(12月19日)(Dec. 19th, 2007)

It is my habit to change my hobbies or things I am interested in periodically. For 
instance I was interested in "You Tube" for some weeks and I was absorbed in it very 
eagerly. But after some while I lost an interest in it and then I tried to seek around 
things that interested me. Now I am interested in "Second World" and "USTREAM". 
With "USTREAM" I can have my own TV broad casting office. It may be very 
interesting. I would like to make another challenge for it this coming Sunday.

+++++++++++++++++

私には、昔から、おもしろい性癖がある。
ひとつのことを一通りすると、そこであきてしまう。
あきると、また別のものを求めて、さまよい歩く。

この性癖は、インターネット時代になってからも、変わらない。

たとえば「YOU TUBE」(動画配信サービス)に興味をもつと、ある時期、そればか
りに没頭する。
ビデオカメラまで、買いそろえる。
しかし1、2か月もすると、それにあきる。
あきると、今度は、別のものに手を出す。

「FLASH」(HP上の動画)もそうだったし、「音声変換」(声で文章を作る)もそうだ
った。家庭内LANもそうだったし、BLOGもそうだった。BLOGは勢いにのって、
7〜8つも同時に出した。

今は、「セカンド・ワールド」と、「USTREAM」(動画中継)に興味がある。
「セカンド・ワールド」はともかくも、「USTREAM」は、今すぐにもできそう。

「USTREAM」を使うと、ミニ放送局ができるという。

おもしろそうだ。
今度の日曜日にでも、挑戦してみるつもり。

「こちらは、BW放送局です」
「これからワールド・ニュースの解説をしてみます」とか、何とか。
ハハハ。

+++++++++++++++++

●ハズレ!

 年末に、MELMAの人気投票に応募してみた。昨日、結果が公表された。が、ハズレ! 
残念! 投票数が、足りなかったらしい。中には、投票してくれた人もいたと思うが、そ
ういう人には、心から感謝! つぎの機会に、またお願いします。


●頭痛

 このところ私とワイフの間で、交互に風邪をひいている。最初は、私。治ったと思った
ら、ワイフ。そのワイフが治ったと思ったら、今朝は、また私。今朝は、頭痛で目がさめ
た。

 これから朝食をとり、それがすんだら、風邪薬をのんで、また寝るつもり。インフルエ
ンザの予防注射を受けてから、どうも調子が悪い。これはどうしたことか?


●迷惑メール

 VISTAのウィンドウ・メールには、「迷惑メール」という、便利な機能がついている。
(今まで使ったことがなかった!)それを使えば、スパム・メール類は、自動的に処理さ
れる。

 しかし大切なメールまで、処理されてしまうことはないのか。

 そこで私は、反対に、メッセージ・ルールを使って、大切なメールについては、フィル
ターをかけて、別のところに収納することにした。

 今のところ、これがうまくいっている。しばらくテストしてみて、これでよければ、迷
惑メールは、そのまま削除するようにする。これも自動的にできる。

 しかし……。私のばあい、スパム・メールだけでも、1日に、300〜500通も届く。
もっと多いかもしれない。

 そんなわけで、私あての私信は、どうか、フォームを使ってほしい。フォームは、私の
HPのトップページから送れるようになっている。

 フォームで届いたメールは、フィルターをかけてあるので、別のフォルダーに収納され
る。つまり誤って、削除するということは、ない。

 少し頭痛がひどくなってきたので、今朝は、ここまで。

 みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●働けど、働けど……(Working Poor people)

One third of the Japanese belongs to so-called "Working Poor", who works less than 1.9 
~5.4 million yen per year. As to the young me aged from 15~24 years old), abt. 50% of 
them are not-employed workers. The number of not-employed workers has increased 
abt. 4.9 million in these ten years. Not-employed workers work with less payment 
without any sufficient insurance. This means that Japanese traditional working system 
has collapsed where workers could work in their whole lives in one single company. To 
solve this problem, I insist, deregulation of the society is more and more important. 
Otherwise there would be more and more working-poor people, especially 
working-poor young men.

+++++++++++++++++

働けど、働けど……、一向に、生活が楽にならない。
そんな人がふえている。

G市に住む従兄弟(いとこ)と、電話で話す。
夫は、運送会社に勤め、妻は、銀行でコンピュータ管理の仕事をしている。
3人の子どもがいる。

夫は正規社員だが、妻は、非正規社員。
妻の身分は、10年以上、そのままだという。

従兄弟のケースは、まだ恵まれているほうだが、それでも、生活は、毎月ギリギリだとい
う。
夫も妻も、朝から、夜遅くまで働いている。

総務省統計局の調査によれば、この97年から02年までに、いわゆるワーキングプア世
帯(非勤労世帯を含む全世帯)は、16・3から22・3%に、ふえたという。

ワーキングプア世帯というのは、「働く貧困層」をいう。

ここでいう「貧困基準」というのは、

1人世帯……年収190万円以下
2人世帯……年収300万円以下
3人世帯……年収394万円以下
4人世帯……年収463万円以下
5人世帯……年収548万円以下(2002年度)の人たちをいう。

現在、日本では、約3分の1の世帯が、そのワーキングプア層に該当するという。

が、ここで注意しなければならないことは、たとえば妻が専業主婦で、子どもが2人いる
ばあい、4人世帯となるということ。
年収が、463万円以下だと、ワーキングプア層に入ってしまう。
つまり、子どもが多ければ多いほど、生活が苦しくなる。

しかし実際、1人の男性(夫)が、500万円の年収をあげることは、容易なことではな
い。
正規社員はともかくも、非正規社員だと、なおさらである。年収で、約30%〜前後の開
きがあると聞いている(浜松地域)。

その正規社員は減り、非正規社員はふえている。同じく総務省統計局の調査によれば、こ
の10年間で、正規社員は約450万人減り、非正規社員は約490万人ふえているとい
う(IMIDAS)。

わかりやすく言えば、企業は、正規社員を減らし、その穴埋めを、給料が安くてすむ非正
規社員で補っているということ。

しかしこんなことをつづけていれば、勝ち組と負け組の2極化がますます進む。
が、それだけではすまない。
社会そのものが、不安定化する。
子どもの世界について言うなら、ますます受験競争がはげしくなる。
ついでに言えば、それがストレスとなって、子どもたちの世界を、ますますゆがめる。

いじめもふえるだろう。
子どもの自殺もふえるだろう。
不登校児もふえるだろう。

中に、「能力のある人がいい生活をして、そうでない人が、いい生活ができないのは、しか
たのないこと」と説く人がいる。

しかしそれには、大前提がある。

雇用の機会が、だれにも、平等に、かつ均等に与えられなければならない。
しかしこの日本では、人生の入り口で、運よくその世界へ入った人は、生涯にわたって、
安楽な生活をすることができる。
またそういう人たちが、自分が得た権益を、手放そうとしない。
公務員の天下りに、その例を見るまでもない。

何か、おかしい?
何か、へん?

総務省統計局の調査を見ると、1996年から99年あたりから、この日本は、大きく変
化し始めた。
この時期というのは、ちょうど団塊の世代以下が、リストラにつぐリストラで、職場を追
われ始めた時期にあたる。

では、どうするか?
どう考えたらよいか?
私たちの世代は、それでしかたないとして、これからこの日本を支える、これからの若者
たちのためには、どうしたらよいか?

今のように、若者(15〜24歳)の非正規雇用が、50%前後(男子44%、女子52%、
06年)にもなったら、雇用社会そのものが崩壊したと考えたほうがよいのではないか。
わかりやすく言えば、フリーターであることのほうが、今では、当たり前。

であるなら、若者たちがフリーターとして生きていくために、生きやすい環境を、用意す
る。
つまりそのためには、規制緩和、あるのみ。ただひたすら、規制緩和あるのみ。

たとえばオーストラリアでは、電話1本と、車1台があれば、若者たちは、それで仕事が
始められる。
日本で言うような、資格だの、許可だの、認可だの、そういったものは、ほとんど必要な
い。

日本は世界的に見ても、管理の上に、「超」が、10個ぐらいつく、超管理国家である。
官僚主義国家の弊害と言えば、それまでだが、一方でこうして若者たちの世界を、がんじ
がらめに縛りつけている。

簡単に言えば、一方でフリーターをつくりながら、他方で、フリーターには、生きにくい
社会にしている。(そう言えば、数年前、『フリーター撲滅論』を唱えた、どこかのバカ校
長がいた。「撲滅」だと!)

これを矛盾と言わずして、何と言う。

私はそのフリーターを、40年近くしてきた。
浜松に来たころには、市の商工会議所に登録している翻訳家は1人しかいなくて、私が2
人目だった。
私は工業団地の電柱に張り紙をして、仕事を取ってきた。
資格も認可も、いらなかった。

今、そういう「自由」がどこにある?
またそういう自由があるからこそ、社会に、ダイナミズムが生まれ、そのダイナミズムが、
社会を発展させる。

働けど……、働けど……。
そんなわけで結局は、働くしかない。

ということで、言いたいこと、書きたいことは、山ほどある。あるが、ここは、「バカヤロ
ー」と叫んだところで、おしまい。バカヤロー!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ワーキングプア ワーキン
グ・プア working poor working-poor)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(12月20日)

Last night I sat up late watching news from South Korea about the Presidential 
Election. Mr. I. Myonbaku, who belongs to a conservative party won the election. The N 
President of now is so much anti-Japan, which causes vice-versa emotion against South 
Korea as well as North Korea. According to the Chosun-N (a leading Korean 
Newspaper), it says this morning, "USA takes it carefully, Japan welcomes it and China 
reports it dispassionately". What makes me surprised is that it says that USA takes it 
carefully. Why not does USA welcome the new President? Or is USA now for North 
Korea so much like this? Most of the Japanese think as far as I know that, what Ms. 
Rice and Mr. Hill is doing with the North Korea problem is un-understandable. Which 
one of us do they choose between Japan and North Korea? I don't know about the case 
of Ms. Rice, but in USA, they say, white people dislike black people. But moreover black 
people dislike yellow people. I hope Ms. Rice is not such a lady.

+++++++++++++++

昨夜は、遅くまで、韓国の大統領
選挙関連ニュースを見ていた。

結果は、すでにみなさん、ご存知の
とおり。

よかった。ほっとした。

こうした私の印象を代弁するかの
ように、朝鮮N報は、各国の反応と
題して、つぎのように伝えている。

「アメリカは「慎重」、日本は「歓迎」、
中国は「淡々」…。19日に行われた
韓国大統領選挙でハンナラ党の李明博
(イ・ミョンバク)候補が勝利したとの
一報に、各国が見せた大方の反応だ」と。

+++++++++++++++

●韓国の大統領選挙

 朝鮮N報は、今回の韓国大統領選挙について、つぎのように伝えている。

「アメリカは「慎重」、日本は「歓迎」、中国は「淡々」…。19日に行われた韓国大統領選
挙でハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補が勝利したとの一報に、各国が見せた大
方の反応だ」(07年12月20日)と。

 日本が「歓迎」というのは、よくわかる。あのN大統領は、日本にとっては、最悪の大
統領だった。ことあるごとに、反日、反日の大合唱。ああまで「日本が悪い」と言われる
と、日本としても、行き場をなくす。「嫌韓」になる。

 小泉首相がY神社を参拝したときには、N大統領は、「いい気になるな」(韓国語の表現
で)とまで、言い切った。口の汚い大統領だった。

 が、意外だったのは、アメリカの反応。「アメリカは慎重」とある。つまりアメリカは、
そこまでK国寄りになっていたのか? 保守派大統領が誕生したのだから、本来なら、歓
迎すべきではないのか。ライス国務長官、ヒル国務次官補の一連の動きを見ていると、ま
るで金xxの毒気にのまれてしまったかのよう。この日本を切ってまで、K国に、すり寄
っている。

 しかし安心するのは、まだ早い。李明博(イ・ミョンバク)大統領が、どのような対日
政策を打ち出してくるかは、今のところ、まったくわかっていない。へたをすれば、N大
統領以上に、敵意むき出しの、対日経済戦争をいどんでくるかもしれない。

 いや、その前に、現在、韓国経済は、疲弊している。崩壊寸前。日本円にして80兆円
近い個人負債、貿易赤字、原油高、短期外債(=外国からの借金)の急増。その短期外債
は、外債全体の約50%を占めるまでになっている。さらにここ1、2週間の報道による
と、銀行の貸し出し資金が枯渇しているという。

 貸し出し資金が涸渇しているということは、銀行業務がマヒ状態にあることを意味する。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領は、どうやって韓国の経済を、立て直すつもりでいる
のだろう。

 さらに日本にとっては、拉致問題もある。N大統領のように、「知らぬ」「関係ない」と
までは言わないだろうが、安心はできない。李明博(イ・ミョンバク)大統領が、日本の
拉致問題に対してどのような反応を示すか。それで、これからの日韓関係のおおまかな方
向が予測できる。

 ともあれ、今しばらくは、静観。今後、どのような政策を打ち出してくるか、それを見
届けてから、つぎの意見を書いてみたい。

(付記)

 ライス国務長官がそうであるというのではない。ないが、一般論として、アメリカでは、
白人は黒人を、蔑視する傾向が強い。が、それ以上に強いのが、黒人によるアジア人蔑視
意識。自分たちが蔑視された分だけ、今度は、それをアジア人、つまり私たち黄色人種に
向ける。

 よく、いじめられっ子が、別の場面で、過激なほどまでに、いじめっ子になることがあ
る。そういった心理と、どこか共通している(?)。

 ライス国務長官の深層心理を理解するためには、そんな知識も、心のどこかにとどめて
おくとよいのでは……(?)。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 16日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●グランドレベル、マイナス3(スリー)(Ground Level -3)

When coping a child's mental problem, we'd better think that he or she has another 
level of mind under the mind. I call this "Ground Level -2". In most cases parents tend 
to think that their son or daughter is in the worst level, when he or she has a kind of 
mental problem. But there is another level under the level. I mean if parents mistake 
the way of coping, the child would go to the another level under the level, called
 "Ground Level -3". 

+++++++++++++++++

子どもの「底」には、ふつう、もうひとつの「底」がある。
これを二番底という。
が、その二番底の下には、さらにもうひとつの「底」がある。
これを三番底という。
上から数えると、(ふつうの状態)を、「地面」とするなら、この三番底は、「グランドレベ
ル、マイナス3(スリー)」ということになる。

+++++++++++++++++

 ある母親から、こんな相談があった。

 昨年、その人の娘が大阪の大学に入学したのだが、いわゆる不登校状態だという。土日
ごとに、三重県の実家に帰ってくる。退学を考えているが、父親がそれを許さない。

 「だから、どうしたらいいか?」と。

 こういうケースのばあい、つぎの4つのレベルを考える。

(グランド・ゼロ)・・・何も問題がなく、学校や大学へ通う状態。
(グランド・マイナス1)・・・学校や大学へ通うのが、一苦労といった感じ。
(グランド・マイナス2)・・・不登校状態になる。
(グランド・マイナス3)・・・精神的な問題をかかえる。

 ここで大切なことは、親から見ると、その子どもは、(グランド・マイナス1)の状態と
いうことになる。しかしその子どもは、その子どもなりに努力している。がんばっている。
だから実際のレベルは、(グランド・マイナス2)ということになる。

 ほんとうは(グランド・マイナス2)なのだが、表に出ている症状は、(グランド・マイ
ナス1)というわけである。

 こういうケースのばあい、親は、(グランド・マイナス1)の状態を現在の状態、イコー
ル、最悪の状態と考えやすい。またそこをベースとして、子どもの問題を考え、「何とかな
る」「うちの子にかぎって、そんなはずはない」と考える。

 しかしこれでは、子どもの心をしっかりとつかめないばかりか、かえってさらに子ども
を悪い状態に追い込んでしまう。病気にたとえるなら、肺炎の症状を風邪とまちがえるよ
うなもの。診断名をまちがえたような状態になる。

 では、どうするか。

 こういうケースでは、親のほうが、一度、(グランド・マイナス3)のレベルまで、子ど
もに対する見方をさげる。そこをベースとして、子どもの心を考える。つまり子どもの心
は、心の奥からみる。けっして表面的な様子にだまされてはいけない。

 そのあと母親とは、電話で、こんな会話をした。

私「娘さんは、がんばっていると思います。ほんとうはマイナス2の状態かもしれません
が、あなたに心配をかけたくないと、マイナス1のレベルで、がんばっていると考えてあ
げてください」
母「そうですね。でも、父親ががんこな人で、そんなのは、わがままだとか、怠け病だと
か言います」
私「あとで、今日のことを原稿にしておきますから、それをご主人に見せなさい」
母「では、どうすればいいのですか?」

私「あきらめて、親のほうが引き下がるのです。お嬢さんが、大学を変えたいというのな
ら、それも一策です」
母「娘は、地元の専門学校に通いたいと言っています」
私「しかし本当は、そうでないのかもしれません。ほんとうは、その専門学校にも行きた
くないのかもしれません」
母「無理をしているということですか?」
私「そう考えて対処したほうがいいでしょう。何もしたくないと言えば、お父さんにます
ます叱られますから」
母「そうですね」と。

 こうしたケースでは、そのレベルを「最悪」と考えて無理をすると、子どもはさらにそ
の下の「底」へと落ちていく。これを私は「二番底」と呼んでいる。が、そこでとどまる
わけではない。へたをすれば、さらに「三番底」「四番底」へと落ちていく。

 子どもの心の奥は深い。それを忘れてはいけない。

 なお、最近、ある本で、ある育児評論家が、「二番底」という言葉を使っているのを知っ
た。これらの言葉は、私のオリジナルである。(株の世界には、「二番底」という言葉は、
昔からあるが……。)そこでここでは、「グランド・レベル」という言葉を使うことにした。
これも私のオリジナルである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生と死のはざまで……(Between the life and the death)

++++++++++++++++

「生と死のはざま」というと、何も健康だけの問題ではない。
生き方の問題でもある。
しかも濃いか薄いかのちがいはあるが、すべての人たちの問題でもある。
老いも若きもない。
例外はない。

It is not a problem only about our health, when we say "between the life and the death." 
It is a problem of how we live. Everyone has the problem though there is a small 
difference between someone's is serious or some other one's is not. There is no difference 
between the young and the old. There's no exception.

生きていても、意味はない。
かと言って、死ぬこともできない。
そんなはざまで、ただぼんやりと日々を過ごしている人がいる。
それは私かもしれない。
それはあなたかもしれない。

No matter how much we realize it is a meaningless life to live but we can't die either. 
There are some people who live just vacantly between the life and the death. It may be 
me. It maybe you.

私はこのことを、特別養護老人ホームの老人たちを見ていて、知った。
そこにいる老人たちは、毎日、何かをするでもない。
何もしないでもない。
ぼんやりと、うつろな目で空を見つめながら、その日、その日を、生きている。

I knew it when I was in the Care Center for oldest people. The oldest people there live 
without doing anything or with doing nothing. They are staring at the air above just 
meaninglessly day after day.

生きているというよりは、「息(いき)」ている。

They just breathe rather than they live.

最初は、それはこうしたところにいる老人たちだけの問題かと思った。
老人たちの人生は、短い。
一方、私の人生は、老人たちよりは、長い。
それはわかる。

At the beginning I thought it was a problem only for the oldest people. Their lives are
short but our lives seem to be much longer. I know it.

しかし長い、短いということは、あくまでも相対的なもの。
老人たちの5年は短く、私の20年は長いと、どうして言えるのか。

密度にしても、そうだ。
あくまでも相対的なもの。
老人たちはぼんやりしていて、私はぼんやりしていないと、どうして言えるのか。

But what is the difference? We say "short" or "long", but we can just say so. There is no 
short life nor long life. How come can we say that 5 years is short, and 20 years is long? 
As to the density itself is the same. How come can we say that our lives is full of life and 
their lives is not. How come can we say oldest people there live vacantly and we are not.
 
老人たちにしても、それを見る私にしても、生と死のはざまで生きている。
しかしそれは、恐ろしく、孤独な世界でもある。

The oldest people there live between the life and the death. So do I who see them in the 
Care Center.

まさにそこは、生きることもできない。
しかしさりとて、死ぬこともできない。
そんな世界。
私たちは、死がやってくるのを、じっと待つ。
あるときは、楽しいフリをしながら。
またあるときは、生きているフリをしながら。
しかしいつもそこに死があることを、忘れることはできない。

It is a kind of world where people cannot live or cannot die. We are just waiting for the 
day to come when we die. In some moments we pretend to be happy in another moments 
we pretend that we are living. But we never be able to forget that the death is there.

もしこの世に地獄があるとするなら、そのはざまこそが、地獄。
それほどまでに恐ろしい世界はない。
そして「孤独」とは何かと問われれば、それはそのはざまで、もがき苦しむことをいう。

If the hell is in this world, the world between the life and the death is it, "The Hell". 
Nothing is more fearful than this in this world. And when we are asked what the 
solitude is, I would say it is the world between the life and the death, where we suffer 
from agony and despair.

私を求める人は、だれもいない。
あなたを求める人は、だれもいない
私に心を開く人は、だれもいない。
私が心を開ける相手は、だれもいない。

There is no one who wants me. There is no one who wants you. There is no one who 
opens his or her mind to you. There is no one to whom you can open your mind.

生きる目的も、夢も、希望もない。
他人に生きる喜びや、夢や、希望を与えることもない。
私は、ただそこにいるだけ。
あなたは、ただそこにいるだけ。

There is no purpose to live for, no dream nor hope. You never give other people the 
purpose to live for, no dream nor hope. I am just here and you are just there.

生きているだけ。
ただ生きているだけ。

We are just breathing. Only just breathing.

唯一の救いは、バカになること。
ノーブレインになること。

Only one way to save up from this hell is just to become senile or to become one with 
no-brain to think.

「ボケ」は、差別用語だと、人は言う。
ボケることは、悪いことだと、人は言う。
しかしボケることで、人は、この孤独から遠ざかることができる。

"Stupidity" is a bad word to use, they say, but to become stupid is not always bad. People 
can separate themselves from this hell by becoming stupid. To become senile is one of 
them.
 
もしあの老人たちに、ほんの少しでも考える力があったら、どうなるか。
おそらくあの老人たちは、その孤独の中で、もがき、苦しむにちがいない。
自分の境涯を、のろい、うらむにちがいない。
生きていること自体が、そこでうごめく人たちにとっては、地獄。
さりとて、死ぬこともできない。

If the oldest people have a bit of brain to think by themselves, what would become of 
them? The oldest people would suffer from the solitude under the agony and despair. 
They curse themselves and their lives. To live is so harsh for them but they can not die.

しかしそれは私の、今の姿。
あなたたの、今の姿。

But there is no difference between the oldest people and us. It is you as well as you.

「生と死のはざま」というと、健康だけの問題ではない。
生き方の問題でもある。
しかも濃いか薄いかのちがいはあるが、すべての人の問題でもある。
例外はない。

It is not a problem only about our health, when we say "between the life and the death." 
It is a problem of how we live. Everyone has the problem though there is a small 
difference between someone's is serious or some other one's is not. There is no difference 
between the young and the old. There's no exception.

そこで今、私は自分に問う。
あなたはあなた自身に問う。

Then we ask ourselves if we are really living to live? And also you ask yourselves if you 
are living to live?

「私は生きているか」と。

"Am I living to live?"

もしそうであれば、それでよし。
そうでなければ、私は、そしてあなたは、すでに、あの老人たちの仲間になっていること
を意味する。

If the answer is "Yes", it is all right but if not, it is not. This means you are belonging to 
the oldest people in the Care Center.

長いか、短いか、それは問題ではない。
濃いか、薄いか、それも問題ではない。

Long or short? That doesn't make any sense nor differnece. Much or litter? That doesn't 
make any sense nor difference.


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(Dec. 15, 2007)

●風邪(Catching a cold)

My wife caught a cold last night. She had a bad coughing. We had not good medicine 
here at the mountain house. I dissolved medicine on the market in the hot water. Her 
coughing became more and more severe when it got later. It was around 2 or 3 o'clock in 
the morning when I got a sleep.

++++++++++++++

昨夜、ワイフが風邪をひいた。
夜、遅くまでテレビをみていたのが、たたった。
最初は、咳。
その咳がだんだんとひどくなった。

よい薬がなかった。
市販の感冒薬をお湯に溶かして、飲ませた。
咳はますますひどくなり、ワイフは、そのたびに、顔をゆがめた。
体を丸めた。

夜中の2、3時ごろまで、咳はつづいた。
そのころ、私は、眠った。

目をさますと、時計は、午前7時を少し回ったところだった。
ワイフは、安らかな寝息をたてていた。
私は、ほっとした。
再び、まぶたを閉じた。

つぎに目を覚ますと、時計は、午前9時半を示していた。
居間へ行く。
温度計を見る。
気温は、5度。
山荘の冬は、寒い。

私は朝食の用意をする。
自宅からもってきた白いご飯に、漬け物をのせ、お茶をかける。
それに頭痛薬をお茶に溶かして、ワイフに届ける。

「どう?」と聞くと、「熱はさがったみたい」と。

私は、再び居間に戻って、パソコンに電源を入れた。

++++++++++++++

 よく私は、「ワイフが死んだらどうしよう?」と考える。ワイフはワイフで同じことを、
考えるらしい。昨夜、ふとんの中で、互いに、そんな話をした。

私「お前が病気になると、ぼくは、不安になる」
ワ「あなたが病気になると、私だって、不安になるわ」
私「そうかア? 気がつかなかった……」
ワ「だいじょうぶかしらって、ね」
私「そうだなア……」と。

 私がしているような仕事は、体が資本。私が倒れたら、万事休す。おしまい。毎日が、
運試(だめ)しのようなもの。ワイフが感ずる不安は、私が感ずる不安より、大きい。

私「これからは、できるだけ、お前に心配をかけないようにするよ」
ワ「いいのよ、あなたはあなたで……」
私「でもさア、ぼくが倒れたら、どうなるんだろう……」
ワ「そうねエ……。何とかなるわよ」
私「ぼくも気をつけるから、お前も気をつけろよ」
ワ「うん……」と。

 ワイフの頭を腕の中で抱いてやった。薄暗い明かりの中で、ワイフの顔が、よけいに歳
をとったように見えた。「バアさんみたいになったなア」と思ったが、それは言わなかった。
ワイフは、相変わらず、苦しそうに咳をしていた。一度、「あなた移るわ」と言った。私は、
「もともとはぼくの咳だから……」と答えた。

 2、3度、睡魔が襲ったが、そのつど、ワイフの咳で目が覚めた。と、同時に、眠気が
どこかへ消えた。枕元の時計を見ると、午前2時を示していた。が、おかしなことに、そ
れを最後に、記憶がとだえた。そのころ、私も眠ってしまったらしい。

 そんなわけで、今朝は、せっかくの日曜日だが、とても、GOOD MORNING!と
言う気分にはなれない。

 そうそう言い忘れたが、たった今、ワイフが床から起きてきた。「だいじょうぶ?」と声
をかけると、「頭痛はなくなった」と。よかった!

 2007年12月16日、午前10時。みなさん、改めて、おはようございます!


●ニセ科学(pseudo science)

In Japan very strangely most of the young people believe that each man's personal 
character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely 
spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、そ
の店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。

私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。

血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

 「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左
巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオ
ン。

(1)マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科
学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、
負イオンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空
気を浄化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピ
ーや高血圧症にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」
(フジテレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で
驚くべき効能がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エ
アコン、冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範
囲の商品が市場に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行く
と、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだ
わっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発
掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、
数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないこと
に注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見
を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である
左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。

 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2)容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書
いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」
の水は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が
話題になった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。

 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。し
かし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が
広まったという。

 理由は、「人間の体の6〜7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した
教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道
徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し
前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持
たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、
自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを
思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。い
わく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化させ
るということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もきれ
いになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が変
われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの伝
言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。
その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術
にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!

 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。け
っして、軽く考えてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●プライドの放棄(Giving up your Pride)

When we live in this real world, very often we are forced to cast away or give up our 
pride in ourselves, especially when we get old. A master of a kindergarten of my friend 
said to me one day like this, "nowadays there are few mothers who ask us if her child 
can enter the kindergarten or not. They think that we have no choice but let them enter 
our kindergarten. So some mothers with her kids come and see everything in the 
kindergarten and at the end of the tour, they say, 'What is your main policy of your 
kindergarten to teach?'".As to the master, he said, "In most cases we shall not let this 
type of mothers enter our kindergarten. We are not working only for money." But this is 
not my case. As for me I have to cast away or give up my own pride for money, otherwise 
it is rather impossible to live on. I need money to live on. Therefore I here say, when we 
get old, we have to cast away the pride of the past. In this world where old men live, our 
pride means nothing in most cases.

+++++++++++++++++++

「誇り」、つまり「生きるプライド」をもつことは、大切なことである。
それはわかる。
しかし同時に、そのプライドにこだわっていたのでは、生きていかれない。
とくに、老後を迎えてからは、そうである。

こんな話を聞いた。

ちょうど1年ほど前、一人の母親が子ども(3歳児)を連れて、ある幼稚園へ見学に来た。
朝から昼過ぎまで、一通りの授業がすんだあと、その母親は、こう言ったという。「お宅の
幼稚園の教育方針は何ですか」「何か文書にしたものがあれば、それをください」と。

こういう母親のばあい、「入れていただけますか?」と、幼稚園側の意向を聞いてくるケー
スは、まずないそうだ。

「入園できるのは、当然」という考え方をする。
そういう前提で、話をしてくる。
少子化が進んで、どこの幼稚園も経営がきびしい。
それはそうだが、そのため、この世界も、完全に買い手市場化している。

別の、ある幼稚園(私立幼稚園)の園長も、こう言っていた。
「3回も、4回も見学に来て、給食まで試食したにもかかわらず、そのまま何も連絡もし
てこない親がふえています」と。

こういうとき幼稚園側は、大きな選択に迫られる。
「それでも入園させるべきか、それとも、入園を断るべきか」と。

その園長は、そういう母親の子どもの入園は断ることにしているという。そのあと電話な
どで入園の申し込みがあっても、「定員になりました」と言うようにしているのだそうだ。
言い忘れたが、その園長も、今年60歳になった。

「この歳になると、お金だけで、生きたくない」と。

しかし私の仕事のようなばあいは、そうはいかない。

その園長は、10億円以上の金融資産を蓄えた。
少子化の時代といいながら、毎年、断らねばならないほど、園児が集まる。
が、私のばあいは、ちがう。
死ぬまで生活費を稼がねばならない。
身分がちがう。

プライドをズタズタにされても、頭をさげる。
さげなければ、仕事そのものができない。

・・・ということで、またまた団塊ブルース。

退職したといっても、その道を懸命に歩いてきた。
知恵も経験もある。
ないのは体力と気力だけ。

そういう人たちが、自分をぐいと殺して、頭をさげる。
それにともなう屈辱(くつじょく)感には、相当なものがある。
内心で、「バカにするな!」といくら叫んでも、それを口に出すことは許されない。

そこで冒頭の話にもどる。
プライドにこだわっていたのでは、生きていかれない。
「自分はバカだ」「用なしだ」と、自分に言って聞かせる。
さらには、「お金をもらえるだけでも、ありがたいこと」、またさらには、「生きていかれる
だけも、ありがたいこと」と、思いなおす。

言いかえると、老後に入ったら、プライドは捨てる。
過去の肩書きもあるだろう。
地位もあるだろう。
しかし、それでも捨てる。
捨てた上で、そこから生きる。

それができなければ、反対に、社会そのものから、はじき飛ばされてしまう。
つまりこれは老後を生き抜くための、前提条件と考えてよい。

さあ、今日も私は、プライドを捨てた。
昨日も捨てた。
明日も、捨てる。

あとは、家に帰って、ワイフと慰めあうだけ。
抱きあって、眠るだけ。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●"I am Legend"

My wife and I went to the theater to see the film,"I am Legend", acted by Will Smith last 
night. No so good or not so bad, I mean, I can't take it or leave it. How come do 
Americans like zombies so much like this? How come does my wife movies so much 
like that? "I am Legend" itself is a kind of "Male Biohazard 3" and nothing is new more 
than "Biohazard 3". Will Smith acted very well. Then I can give this movie three stars.

++++++++++++++

昨夜、ウィル・スミス主演の
「アイ・アム・レジェンド」を、
見てきた。

星は、3つの★★★?

「バイオ・ハザード」の男性版
といった感じで、どこか陳腐。

アメリカ人って、どうして
ああも、ゾンビが好きなのか?

ワイフは、どうしてこうも、
映画が好きなのか?

またまたゾンビ映画!

ウィル・スミスの熱演で、星は
3つ。

「今度は、〜〜を見たい」と、
ワイフは、言っている。

しかしもうゾンビ映画は、あきた!

++++++++++++++

●会話(Conversation with my wife)

 実名を出して恐縮なのだが、今度、山荘の近くの町に、「バロー」というショッピングセ
ンターができることになった。

 「バーロウ」と言えば、「バカヤロー」とも聞こえる。実に個性的なネーミングである。
それについてワイフが、そう聞いたので、「たぶん、ハローを濁音にして、バローにしたん
じゃなア〜イ」と私は、答えた。よくわからないが……。

 しかしそこにバローができることには、大賛成! ぐんと、便利になる。バローさん、
よろしく!

 で、途中、ドラグストアに寄ったら、もう鏡餅を売っていた。それを見て、またワイフ
がこう言った。「もう、鏡餅を売っているわ」と。私は、「うちじゃあ、去年、買ったよ」
と答えた。

 実は、2年前(05年末)に買い、06年1月に使った鏡餅を、冷凍しておいたら、今
年の正月(07年1月)も使えた。それでそう言った。

ワ「今年は、ちゃんと、買うわよ」
私「正月が終わったら、冷凍しておけばいい。また来年、使える」と。

 我が家の正月は、毎年、こんなもの。どこか緊張感に欠ける。やるべきことはやるのだ
が、どこか、いいかげん。こうして今年(08年)も、もうすぐ終わる。


●2008年の極東アジア・拉致問題(North Korea's Abduction Problem)

The only one to solve the North Korea's Nuclear-weapon development problem is to let 
the country collapse by itself, though South Korea as well as China doesn't want it. But 
this is not our problem. USA government seems to have already abandoned or given up 
the problem, since the North Korean's nuclear weapons are not a threat to USA. 
Moreover it is important to keep justice. Justice, named "Democracy". The year 2008 
would be the year when our justice is on judge. If South Korea will continue assisting 
North Korea, we have to make South Korea collapse too.

 簡単に言えば、アメリカにしてみれば、K国の核兵器開発問題など、もう、どうでもよ
いということ。アメリカに与える脅威は、ほとんど、ない。(ただし、核拡散は別。アメリ
カのブッシュ大統領も、そう言っている。)

 一方、K国は、核兵器開発を放棄しない。あの国から核兵器開発を取り除いたら、何も、
残らない。それこそ世界の、最貧国。金xxも、それをよく知っている。

 2008年も、K国は、ああでもない、こうでもないと、ささいなことにこだわり、6
か国協議をノラリクラリと、かわしていくだろう。その間に、援助だけをしっかりと受け
取る。その裏で、核兵器の開発を進める。

 日本の拉致問題は、その間、棚上げ(?)。この問題は、K国が崩壊でもしないかぎり、
解決しない。だったら、K国を崩壊させるしかない。が、中国や韓国は、それを望まない。
つまりこのあたりで、6か国の、つばぜり合いがつづく。

 中に、「拉致問題は切り離して、K国を援助すべき」と唱える学者もいる。東京大学環教
授のKS氏など。「拉致問題解決を前提条件とせず、日朝正常化交渉の中で、現実的な解決
をすべし」(日本の論点2008)と。

 バカめ!

 「救う会・全国協議会」(拉致被害者家族会)の人たちの気持ちが、まったくわかってい
ない。KS氏は、こう説く。いわく、「……以上のように考えれば、日本政府は何よりもま
ず、K国の核放棄を進めていく多国間協議のプロセスを推し進めていくことに積極的に関
与し、第二段階のK国に対する重油供給でも応分の役割を果たすべきである。日本は、明
らかに、非核化の受益者でもあるからだ」(同書・P194)と。

 この「受益者」という言葉を読んだとき、私は、体が震えた! 怒りで、体が震えた!

 KS氏は、日本人名ではない。それはわかるが、どこからこういう発想がわいてくるの
か? 悪党が、悪事をやめるのは、当然のこと。やめてくれたからといって、どうして「あ
りがとう」と言わなければ、ならないのか。相手に、プレゼントを渡さなければ、ならな
いのか。いわんや、この私たちが、「受益者」とは!

 私も当初から拉致問題と、制裁問題をからめることには、反対だった。何度も、そう書
いてきた。しかし国会という場で、それが決まってしまった以上、日本は、日本としての
正義を貫く。貫かねばならない。それが民主主義の大原則ではないのか。

 私も以前、息子が乗った飛行機が日本へ着かなかったとき、たった一晩だったが、眠ら
れぬ夜を過ごしたことがある。あのとき感じた、不安感、焦燥感は、言葉では言い表せな
い。それを表す、適切な日本語すら、ない。が、あえて言うなら、身を粉々に切り刻まれ
るような絶望感。それに近いものだった。

 拉致被害者家族会の人たちは、毎日、一日とて気が晴れることもなく、そういう気持ち
のまま過ごしている。それを忘れてはいけない。しかも、あのK国は、それまで、「知らぬ」
「存ぜぬ」とウソばかりついていた。ときには、会議の席で、激怒までしてみせた。「あり
もしない拉致問題を、テーマにするな!」とか、何とか。

 その上、遺骨と称して渡してきたものは、偽物。さらに最近では、「日本側が、偽物とウ
ソをついている」とまで言っている。

 私はいつしか、K国は、崩壊させるしかないと考えるようになった。恐らく、このエッ
セーを読んでいる読者のみなさんも、同感だろう。

 しかし崩壊しそうになると、韓国が出てきて、あれやこれやとK国を助ける。今では、
韓国イコール、K国。そう考えてもよいような状態になっている(07年12月、N政権
下の韓国)。私が「日韓経済戦争」を書くようになったのは、そのためである。

 拉致問題が解決するまで、K国はK国。金xxは、金xx。抗議の念をこめて、「xx」。
そうする。
 
 ……またまた頭が熱くなってしまった。が、こと6か国協議について言えば、日本のほ
うから先に抜けたところで、いまや、おかしくない状態になっている。しかしそうするな
らそうするで、日本も核武装するしかない。6か国の中で、核兵器をもっていない国は、
この日本だけということになる。

 が、こんな愚かなレースに加わってはいけない。日本は、核武装など、してはいけない。
だったら、またまた結論は、同じ。K国を崩壊させるしかない。韓国がK国を助けるとい
うのなら、韓国も、また同罪。韓国も、同時に、崩壊させるしかない。日本は日本で、ノ
ラリクラリと、6か国協議に顔だけ出しておけばよい。もともとK国など、本気で相手に
しなければならないような国ではない。国力にしても、山陰地方にある、S県というひと
つの県程度でしかない。

 拉致問題といいながら、この問題には、日本の正義のみならず、日本の命運がかかって
いる。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本! 拉致被害者家族会のみなさん、がんばれ!
(以上、07年12月15日記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●環境と遺伝(Environment and heredity)

Children's intellectual faculty is decided by the environment and by the heredity.

++++++++++++++

子どもの知的能力の発達は、(1)環境的要因と、
(2)遺伝的要因の、2つの相互作用によって、
決定される。

環境の影響によるものが大きいのは、
好奇心、探求心、創造性、論理性、
思考能力など。一般に技術的能力の
取得が必要な能力(たとえば、楽器
演奏、音感)は、環境による影響が
大きいとされている(シュテルン)。
こうした環境が総合されて、子ども
の方向性が決まる。

遺伝の影響のよるものが大きいのは、
集中力、記憶力など、基本的な知的
能力がある。

++++++++++++++

●子どもの知的能力

 子どもの知的能力は、(1)環境的要因と、(2)遺伝的要因の、2つの相互作用によっ
て、決定される。いくら環境がすぐれていても、遺伝的能力が伴わないばあい、あるいは
反対に、いくら遺伝的能力がすぐれていても、環境が伴わないばあい、子どもの知的能力
は、じゅうぶんな発達を遂げることはできない。

 対照的な2つの能力、つまり言語表現力と、音感を例にあげて考えてみる。

●言語能力

 先日、1年間で300冊近い読書をしている女児(小4)のことを書いた。その子ども
のばあい、家庭での読書時間を、むしろ反対に、1時間に制限されているという。で、最
近は、中学1、2年の子どもたちがする国語のテストを、いっしょにさせている。ときど
き難しい漢字の読み方を教えることはあるが、言語能力は、平均的な中学生以上にある。

 ここでいう言語能力とは、つぎのような能力をいう。

(1)適切な言葉づかい(あいまいな表現をしない)
(2)言葉の理解力の深さ(おとなとの会話が理解できる)
(3)すぐれた会話能力(ポンポンと、軽快な返事が返ってくる)
(4)思考力の深さ(何か話すと、じっと考える様子を見せる)
(5)微妙な表現力(デリケートな問題について、巧みな言い方で、それを表現する)
(6)読書力(速さ、流ちょうさを含む。自然な抑揚をつけて本を読むなど)

 その言語能力の中で、私はとくに(5)の微妙な表現力に注目している。それには、こ
んな事情がある。

●衰える言語能力

 満50歳を過ぎるころから、会話能力が極端に劣ってくる人がいる。多弁であるとか、
ないとか、そういうことではない。使う語彙(ごい)の数が少なくなり、会話そのものが、
ぶっきらぼうになる。全体に、ズケズケというか、ガサツな感じがする。

 私の印象では、脳の言語中枢が、退化するか、あるいは、飲酒や喫煙、微細脳梗塞など
により、脳そのものが、ダメージを受けるためではないかと思っている。たとえばこんな
話し方をする。

「アウー、エートだねエ〜。人間は、親孝行がイチバンだヨ〜。親孝行オ〜、しないよう
なヤツはア〜、アウ〜、エ〜トだねエ〜、人間のクズ。クズだヨ〜」と。

 ただ誤解してはいけないのは、ペラペラと、脳に飛来する情報を間断なく話す(=多弁)
というのは、言語能力ではない。あえて言えば、発声能力ということになる。

一般的には、おしゃべりの人は、女性に多いと言われている。最近の研究によれば、女
性のばあい、右脳側にも言語中枢らしきものがあるということがわかってきた。そのた
め、女性ほど、おしゃべりが多いということになるが、もちろん男性にも多い。

 その見分け方は、ここでいう「微妙な表現力」ということになる。仮に静かで落ち着い
た会話であっても、微妙な言い回しのできる人は、それだけ言語能力のすぐれた人とみる。
繰りかえすが、ペラペラとしゃべるから、それでよいというわけではない。

 こうした言語能力の基本となる、論理力、分析力は、読書と思考力によって決まる。そ
の思考力は、(ものを考えて書く)という習慣によって養われる。

●音感

 他方、音感の発達については、環境が重大な影響を与えるが、しかし環境がすぐれてい
るからといって、音感が発達するわけではない。ある音楽教室の先生が、昔、こんな話を
してくれた。

 「音感にすぐれた能力があるかどうかは、教え始めて、数か月でわかる。『この子は、天
才的な才能をもっている』とわかる子どももいれば、『そこそこにはピアノを弾けるように
はなるだろうが、そこまで』とわかる子どももいる」と。

 その(差)はどこからくるかと言えば、遺伝ということになる。

 たとえば学習指導という面においても、学習障害児(LD児)は別として、鋭い切り込
みを見せる子どももいれば、そうでない子どももいる。ひとつのことを教えると、発展的
に、四方八方へと知識を広めていく子どももいれば、反対に、教えても教えても、ザルで
水をすくうような感触しかない子どももいる。

 その(差)は何かということになれば、やはり遺伝的要素ということになる。

●見極め

 そこで重要なことは、見極め(みきわめ)ということになる。しかしこれは子どもの問
題というより、親の問題ということになる。もちろん教師の問題でもない。教師というの
は、そこにいる子どものために全力を尽くすという義務を負う。その子どもに、その能力
があるとかないとか、そういうことには、関知しない。

 だから親の問題ということになる。えてして親は、その能力のない子どもに、その能力
を強いたりする。その方向性のない子どもを、その方向に向かわせたりする。この(無理)
が、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。そういう例は多い。

 しかしこの問題は、日本の教育そのものがもつ問題ともからんでくる。日本の教育は、
子どもの多様性を認めるしくみには、なっていない。いろいろと改善はされてきているが、
それでも不十分。いまだに受験競争が、家庭教育の(柱)になっていることをみれば、そ
れがわかる。

 親たちの選択肢は、それほど、広くない。だから無理をする。「いやだ」「やりたくない」
と泣き叫んで抵抗する子どもを、勉強机に座らせたりする。自分では1冊も本を読んだこ
とがない親が、子どもに向かっては、「本を読みなさい」「漢字を覚えなさい」と言う。

●環境と遺伝

 子どもの能力の発達には、「環境的要因」と、「遺伝的要因」がある(シュテルン)。基本
的には、子どもを良好な環境で包む。良好な環境で包めば、自然と、その中で、子どもは、
自分の進むべき方向性を見つける。

 その先、さらに伸びるかどうかということについては、遺伝的要因が大きくからんでく
る。が、それは子ども自身が、取捨選択しながら、考えて判断すること。水が、やがて流
れるべき場所を求めて流れていくように、子どもも、その場所に落ち着く。

 その(流れ)を知るひとつの方法が、ここでいう「環境的要因」と「遺伝的要因」とい
うことになる。

 あなたの子どもには、その環境があるか? あなたの子どもには、その遺伝があるか? 
一度そういう視点で、子どもの能力を考えてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 環境的要因 遺伝的要因 
遺伝的素質 言語能力 環境と遺伝 environment and heredity child' intellectual 
faculty )


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●団塊ブルース(Young Old men's Blues)

We, those who were born just after the War are now retiring from our jobs. We have 
been the people who worked for the companies or organizations, in most cases 
sacrificing ourselves. Before the War young people were educated to be obedient soldiers 
but after the War we were educated to be also obedient workers who work for the 
companies and organizations.

Meanwhile we could experience this dynamic change of our country, from the bottom of 
poverty to one of the countries of highest standard. But at the same time we have many 
thing that we have lost. Some people say that "What was my life?", when they are fired 
and retire from the companies.

This is the story about this;

++++++++++++++++

戦前の「国のため」が、戦後は、「会社のため」となった。
それもそのはず。敗戦で日本は大きく変わったが、
ときの文部省だけは、変わらなかった。敗戦と
同時に、クビになった官僚は、ひとりもいない。
制度も、そっくりそのまま残された。

私たちは、戦前とそれほどちがわない教育を、そのまま
受けた。もっと言えば、明治以来の、富国強兵をめざした、
あの教育をそのまま受けた。

結果として、私たちは、当時の私たちになった。
私たち団塊の世代、それにつづく戦後派の人たちは、
何らためらうことなく、企業戦士となっていった。

それは恐ろしいほどの忠誠心であった。
たとえば私が勤めたことがある、M物産という
会社では、当時は、6か月以内の海外出張は、
「短期出張」と呼ばれ、単身赴任が原則だった。

今のようにリッチな時代ではなかった。一度海外に
赴任すれば、最低でも、6か月は、日本に帰って
来られなかった。

が、その単身赴任には、単身赴任のハシゴというの
があった。任地先から、さらに別のところに単身赴任
するということも珍しくなった。中には、こうした
単身赴任のハシゴで、2年近くも、日本を離れて
いた人もいた。私の直接の上司だった、K氏もそうである。

その団塊の世代、それにつづく戦後派の人たちが、
今、つぎつぎと職場を離れている。民間会社だと、
50歳を過ぎるころから、肩たたきが始まる。子会社へ
移動できる人は、まだラッキーなほう。たいていは、
そのまま会社の外へ、放り出された。

で、そのとき、ほとんどの人は、こう気がつく。
「今までの私の人生は、何だったのか?」と。

会社人間の悲しさ。会社を離れれば、存在価値
そのものがない。その世界ではエキスパート
だったかもしれないが、それは社会全体からみると、
小さな、どこまでも小さな特殊分野でしかない。

つぶしがきくとか、応用がきくということは、
まず、ない。

それまで頭をさげていた人まで、顔をそむけるように
なる。それもそのはず。まわりの人たちは、その人
に、頭をさげていたのではない。その人が
もつ肩書き、あるいはその背後にある会社という
組織に頭をさげていた。

退職と同時に、それに気がつく。と、同時に、深い後悔と、
反省の念に包まれる。

「これからオレは、何をすればいいのか?」と。

+++++++++++++++++++++++

●1クラス、55人

 私たちの時代には、1クラス55人が、当たり前だった(中学時代)。「すし詰め教育」
とよく呼ばれた。が、すしでも、あそこまでは詰めない。しかしそうした教育に疑問をい
だく子どもは、いなかった。疑問をいだく親も、いなかった。

 で、あの時代を振り返ってみて、そうした過密教育の弊害は何だったのかと問われると、
それがよくわからない。私は私であり、私たちは、私たちであった。しかしたしかに弊害
はあった。あったはずである。その結果が、今である。

 私たちは社会人になると、何も疑わず、サラリーマンの道を選んだ。今でこそ、「ベンチ
ャー企業」などという言葉があるが、当時、ベンチャー企業のようなものを考える学生は、
まずいなかった。サラリーマンになること。それが第一。しかも都会の大企業ほど、「出世
組」と考えられていた。

●作られた意識

 つまり弊害の第一は、ここにある。こうした意識こそが、あの時代の、あの流れの中で
つくられた意識でしかなかった。しかしそれは「今」という、あとになってわかったこと。
当時の私たちの中で、それに気づいていた人は、いったい、どれだけいただろうか。

 そして結果として、私たちは、会社に貢献し、日本という国の繁栄に貢献した。「貢献し
た」という意識は、ほとんどないかもしれないが、今に見るこの繁栄は、その結果である
ことには、まちがいない。

 もちろん悪い面ばかりではない。日本のみならず、世界の歴史の中でも、生涯にわたっ
て戦争を経験しなかった世代というのは、そうはない。日本だけを見ても、明治以来、日
本は、常に他国との戦争を繰り返してきた。

 それに戦後直後はともかくも、私たちの世代ほど、ダイナミックな変化を経験した世代
もない。日本は、どん底の貧乏国にから、世界でもトップクラスの先進国へと躍り出た。
そんな日本を直接、経験することができた。

●一(社)懸命

 が、同時に、失ったものも多い。「私の人生」というときの、「私」を失った。たいした
冒険もせず、たいした夢も果たせず、たいした結果も出せず、家と会社を往復した。「仕事
のため」と、家族を犠牲にした人も多い。犠牲にしているという意識もないまま、犠牲に
した。家庭を預かる妻にしても、自分が犠牲になっているなどとは思わなかった。

 M物産に話にもどるが、夫が単身赴任で外地へ赴くとき、家族は、みな、あの伊丹空港
(大阪)で夫を見送った。私も、数度、そういう現場に立たされたことがある。そのとき
のこと。「がんばってくるからなあ。あとのことは頼むぞ」と言って夫は、飛行機に乗り込
んだ。「がんばってきてね。うちのことは、心配しないでね」と言って、妻はそれに手を振
った。中に、「お国のため」という言葉を使った人もいたように思う。「会社のため」とい
う言葉だったかもしれない。

 その姿は、まさに、戦前のあの様子を想像させるものだった。戦地におもむく夫。それ
を送る妻。「国」と「会社」のちがいこそあったが、中身は、そのまま。つまり私たちの意
識は、何も変わらなかった。

 それがあの時代の、「弊害」だったということになる。

 が、これについても、それに気づいた人は、少ない。私たちは、それがあるべき道と信
じて、その流れに従った。

 しかし、だ。改めて、問う。私たちの人生は、何だったのか、と。

●自由に生きる

 実際、こんな人がいる。私の友人のT氏・・・「T氏」と書いたのでは、ウソと思われる。
だから、実名を書く。高橋Y氏である。その高橋Y氏の義兄(妻の兄)は、50歳前後で
退職。そのあと単身、マレーシアに渡り、そこでヨットを購入。そのヨットで世界を数周
した。

 以前、その男性について、「今ごろは、フランス人の女性と、インド洋を航海中」と書い
た。高橋Y氏から聞いた話を、そのまま書いた。

 で、今は、タイに向かっているという。タイには、以前買った土地があるそうだ。そこ
にそのまま永住するつもりらしい。この話は、つい先日の、07年12月9日に聞いた話
である。興味がある人がいたら、その男性を紹介してもよい。

 つまり世の中には、そういう人生を、あたかも自由に空を舞う鳥のように送っている人
がいる。そういう人生と比べると、「私の人生は、何だったのか」となる。「まじめ」と言
えば、聞こえはよいが、中身は、ただの「歯車」。
 
 そういう「歯車」に仕立てられながら、仕立てられたという意識すら、ない。ないから、
その弊害に気づくこともない。カルトにハマっている信者が、自分をおかしいと思わない
のと同じ理由で、そういう自分がおかしいとは、思わない。

●「これからは自分のしたいことをするよ」

 先日も、学生時代からの友人のZ君は、こう言った。つい先月、定年で、会社を退職し
た。いわく、「これからは自分のしたいことをするよ」と。

 その言葉の中に、私たち団塊の世代、そしてそれにつづく戦後生まれの人たちの悲しみ、
わびしさ、むなしさが、集約されている。心理学的に言えば、(自己概念)と(現実自己)
を一致させることもできず、悶々とした気持ちで、一生を終えた。自己の同一性の確立さ
えままならなかった。

 その不完全燃焼感には、相当なものがある。割と自由に生きてきた私ですら、その不完
全燃焼感とは、無縁ではない。「何かができたはず」「何かやりのこした」「何かをしたかっ
た」と、ふと我にかえったとき、そう思う。

 が、「これでいいのか?」と叫んだところで、この話は、おしまい。いまさら、どうしよ
うもない。いくら後悔しても、また反省しても、人生は、もどってこない。ただこれから
は、ちがう。これからは、そうであってはいけない。残りの人生がそこにあるなら、それ
に自分をかける。燃やせるものがあれば、それを燃やす。

 ・・・しかし、実のところ、私たちは、そのキバさえ抜かれてしまっている。あのすし
詰め教育の中で、もの言わぬ従順な民に、育てられてしまっている。いまさらキバをむけ
と言われても、そのむきかたすら、わからない。結局は、死ぬまで、まじめ(?)に生き
ていくしかないのか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 団塊世代ブルース ブルー
ス)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(Dec. 12th、2007)

+++++++++++++++++

Yesterday we received a package of crabs, which my son sent to us from Kushiro, 
Hokkaido. They are so big crabs that three of us couldn't eat even one of them. My wife 
looked so happy, which made me happy too.

(昨日、息子が、釧路からカニを送ってくれた。大きなカニで、3人でも、1匹食べただ
けで、おなかがいっぱいになった。ワイフは、とてもうれしそうだった。それで私もうれ
しくなった。)

+++++++++++++++++

●消える、日本!(Japane loses the leverage in the world.)

Herald Tribune is reporting 48 columns about business on Dec. 12. But only three of 
them are about Japan. Japan is losing the economical leverage with the world rapidly.

One of them about Japan is that Sony has produced a new TV, saying "Sony Chief 
Executive Howard Stringer talked proudly Tuesday about Sony's latest TV technology."

This may be why Sony sells its technologies to other countries including South Korea, I 
guess. The chief executive may not be not a Japanese. 

++++++++++++++

ヘラルド・トリビューン紙の
経済 (Business) 欄を読む。日本に関する
記事をさがす。

しかし大見出し13、小見出し
35の中で、日本に関する記事は、
3つだけ。

シャープが液晶技術の特許侵害で、
韓国のサムスンを訴えたという記事。

原油価格の高騰が、日本の会社を
圧迫し始めているという記事。

それにソニーが新製品を発表した
という記事。

現在、ソニーの頂点に立つ代表取締役は、
Howard Stringer氏。名前からして
日本人ではない。

道理で、ソニーは、惜しげもなく、
日本の技術を、韓国に、どんどんと
売りさばいていた(?)。今度は、
有機液晶テレビ技術まで(?)。

いいのか、ソニー? いいのか、日本?

それはともかくも、48項目中、3つ
だけというのは、さみしい。それに
かわって、中国関連の記事が目立つ
(07年12月12日版)。

++++++++++++++

 英語の勉強のため、記事の一部を、日本語に翻訳してみる。(経済記事というのは、翻訳
するのが、むずかしいぞ!)

「A spike in oil prices lifted Japanese wholesale inflation to its highest level in more 
than a year, but that hardly helped the central bank's case for a rate increase as rising 
costs threaten to strain profits at Japanese companies.

 原油価格のトゲは、卸売り価格のインフレを、1年そこそこのうちに、もっとも高いレ
ベルまであげた。(金利)コスト上昇が、日本企業の利益を減らすということもあり、中央
銀行が、金利をあげるということは、ほとんど考えられない。

The price data suggests that consumer prices, too, will likely rise in coming months as 
firms pass on part of their rising costs, after a long period of tame advances.
But most economists said consumer prices are unlikely to accelerate sharply in view of 
limited wage growth.

 物価動向をみると、長い間、停滞していたが、つぎの数か月の間、消費者価格も、上昇
する傾向を見せている。しかしほとんどのエコノミストたちは、賃金上昇もかぎられてい
るため、消費者価格が、急速にあがるということはないだろうと言った。

"The uptrend in wholesale price inflation is strengthening," said Takehito Sato, an 
economist at Morgan Stanley. "That could worsen terms of trade of Japanese firms, 
especially at small and midsized ones."

「卸売価格の上昇圧力は、強化されつつある」と、モーガン・スタンレーのエコノミスト
のサトー・タケヒト氏は言う。「それは日本企業貿易条件を悪化させるだろう。とくに中小
企業において」と。

The corporate goods price index, which tracks wholesale prices, rose 2.3 percent in 
November from a year earlier, the sharpest annual jump since September 2006.

物価は、卸売価格に連動するが、11月に、今年のはじめから、2・3%上昇した。これ
は2006年以来の、1年としては、急上昇(ジャンプ)である。

+++++++++++++++

 日本の物価が、2・3%も上昇していたとは! 知らなかった! 1000万円のタン
ス預金をしていた人は、それだけで、23万円分、失ったことを意味する。これから先、
外国にバラまかれた日本の(円)が、日本に環流してくるとなると、さらにインフレ=物
価の上昇は進むだろう。

 話をもとにもどす。

 これから先、日本は、その影響力を失う分だけ、世界の経済に動向に振り回されること
になる。アメリカを見て、中国を見て、EUを見て、そしてインドやブラジルを見てから
……、となる。

 世界第2の経済大国の地位を失うまで、あと数年。それを前提で、これからの日本の経
済を考える。その一端が、ヘラルド・トリビューン紙にも、現れ始めた(?)。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●仮面(ペルソナ)

Each man has its own mask, or "persona", in our daily life. Doctors have their own 
masks, priests have their own mask, and teachers have their own masks. Important 
thing, however, is that we wear masks depending on time and occasions, but not to 
forget to take off the masks when apart from the jobs. Otherwise we often lose ourselves 
and we get lost to know where we are.

++++++++++++++

だれしも、そのときどきに応じて、仮面をかぶる。
かぶりながら、その仕事をする。

医師は医師の仮面。
牧師は牧師の仮面。
教師は教師の仮面。

仮面をかぶることは、悪いことではない。
仮面をかぶることによって、人は、自分の仕事をスムーズに、こなすことができる。

仮面は、いわば、人と人をつなぐ、潤滑油のようなもの。飛行機に乗り込むとき、客室乗
務員のあのやさしい笑顔を見たとたん、心がなごむ。

反対に、仮面をかぶれない人というのもいる。
世辞を言ったり、じょうずを言ったり、あるいは、冗談を言ったりすることができない。

このタイプの人は、しばしば他人との関係で、不適応症状を起こしやすい。

たとえば引きこもりの子どもがいる。
このタイプの子どもは、仮面をかぶることができない。
万事に、ぎこちない。
まじめすぎるというか、何ごとにつけ、YES・NOを、はっきりさせたがる。
そのぎこちなさから生まれるストレスが、その子どもの心をゆがめる。

しかし仮面は、仮面。それを忘れてはいけない。

仮面をかぶるのは、しかたないとしても、大切なことは、どこかでは仮面を脱ぐこと。
仮面をぬいで、自分にもどること。

が、中には、仮面を仮面と気がつかないまま、仮面を脱ぎ忘れてしまう人がいる。

このタイプの人は、常に(ほんとうの自分)と、(ニセの自分)の間のギャップに苦しむ。
さらにひどくなると、どれがほんとうの自分で、どれがニセの自分か、わからなくなる。

実は、この私が、あぶなかった。

ちょうど30歳になる前のこと。私は、数週間ごとに、はげしい偏頭痛に悩んだ。
当時は、まだ偏頭痛に対する理解もない時代だった。
頭痛薬をのんでも、かえってゲーゲーとそれを吐き出してしまうだけで、意味がなかった。

そのころの私は、親たちの前に立っただけで、ものすごい疲労感を覚えた。
自分では「母親恐怖症」などと言っていたが、相手を「お母さん」と呼んだだけで、心の
どこかで、ゾッとしたのを覚えている。

しかしあるとき、気がついた。
親たちを前にした私と、家に帰ったあとの私は、まったくの別人間だった。
だれでもある程度の(差)があるものだが、私のばあいは、ちがった。

まったくの別人間だった。

そこである日から、私は、反対に、親たちの前で仮面をかぶるのをやめた。
ありのままの自分を、さらけ出すことにした。

つい昨日も、子どもたち(小学低学年児)が、私にこう聞いた。
「先生は、おっぱいをのんでいるか?」と。
それに答えて、「ときどきのんでいるよ」と答えてやった。

といっても、それができるようになるまでに、それから何年もかかった。
で、今はどうかというと、ほとんど、ありのまま。
ありのままの自分で、親たちと接することができるようになった。

話はそのころに戻るが、自分らしさを取り戻したとき、あの偏頭痛が、うそのように軽く
なった。
今にして思えば、私は仮面をかぶりながら仕事をし、その仮面の下にある自分に苦しんだ
ということになる。

で、先にも書いたように、仮面をはずし忘れると、ほんとうの自分がわからなくなってし
まう。
ときどき、そういう人に出会う。
表面的には、欠点のつけようがないほど、善人なのだが、何を考えているかわからない。
不気味。
不可解。
会うたびに、おだやかな口調でこう言う。

「奥様はお元気ですか?」「お兄様は、いかがですか?」と。
いつも意味のわからない笑みを浮かべている。
ニンマリというか、ニタニタというか……。

ほんとうにこちらのことを思って、そう聞くのではない。
それがその人のあいさつ言葉になっている。
仮面を飾るための、道具になっている。
中身が、まるでない。
心に伝わるものが、何もない。

仮面をはずし忘れると、人も、そうなる。
人間らしさが消え、人形のようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 仮面 persona ペルソナ 
仮面型人間 ペルソナ人間)


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●高理と世俗(High Ideology and Common Way of Living)

We are always between the high ideology and the common way of living. We sometimes 
swing to the high ideology and in other times we swing to the common way of living. To 
live with the high ideology is not easy but it is more important for us not to get harmed 
by the common of living. What shall we do if we wish to live unharmed by the common 
way of living. My teacher Kenzi Tamaru teaches me, the other day, "Just appreciate 
that we are here and we are living." Yes! We are here and living, seeing, hearing, acting, 
and thinking. From this point of view, everything around us looks tiny things, which 
brings us up to the higher ideology.
 
++++++++++++++++++

高い理念を、「高理」という。
私が勝手に、そう名づけた。

その正反対の位置にあるのが、「世俗」

人は、この高理と世俗の中間あたりで、いつも、どちらかに行ったり来たりする。
引っ張られる。
それは綱引きの綱のようなもの。
高理に揺れたり、世俗に揺れたりする。
わかりやすい例で、説明しよう。

たとえば寒い朝、仕事に向かう。
そのとき、自動車の乗って行くという方法がある。
そのほうが楽だし、冬の冷気を避けることができる。

しかし一方、健康のためなら、自転車で行くほうがよい。
青い空、白い雲、そういうものを見ながら、思いっきりペダルをこぐ。
その瞬間、生きている喜びを覚える。
ものが見える。ものが聞こえる。体が動く。
それが喜びとなって、はね返ってくる。

世俗的な視点からみれば、大型車をゆうゆうと運転していくほうが、かっこよい。
反対に、自転車で、道路の隅を、ユラユラと走るには、かっこ悪い。

しかし健康、もう少し大げさな言い方をすれば、生きているという視点からものを見ると、
自転車に乗って行くほうが、意味がある。
プラス、すばらしい。

私のばあいだが、どちらかひとつを選べと言われたら、このところ、自転車に乗って行く
ほうを、選ぶ。
実は、今日も、そうだった。
朝、家族で、サイクリングをした。 
ちょうど、40分。
1単位の運動をこなしたことになる。

それを知っているから、ワイフがこう言った。
「今日は、車で、送っていくわ」と。
しかし私は断った。
自転車に乗って行くほうが、ずっと、楽しい。
気持ちよい。

そういう私だから、大型の高級車に乗っている人が、うらやましいと思ったことはない。
ほんとうに、ない。

むしろうらやましいと思うときは、こんなときだ。

先日も、ある小学校で講演をさせてもらった。
その学校でのこと。

その小学校の校長が、精悍(せいかん)な顔つきをしていた。
引き締まった顔立ち、体格。ピンと伸びた背筋。
キビキビと、校長室と職員室を行ったり来たりしていた。

年齢は、私より、たった数歳、若いだけ。
だから私は、思わず、こう聞いた。
「何か、運動をなさっているのですか?」と。

するとその校長は、こう言った。
「私は、体育系ですから」
「毎朝、子どもたちと、30分、運動場を走っています」と。

その校長を見たとき、「うらやましい」と思った。
校長の全身から飛び散るような健康さを感じた。
それを「うらやましい」と思った。

長い話になってしまったが、大型の高級車をうらやましいと思うのは、「世俗」、健康な肉
体をうらやましいと思うのは、「高理」ということになる。

健康や、時間の使い方、文化や伝統に関する考え方は、わかりやすい。
ボランティア活動を生きがいにしている人は、多い。
真・善・美の追求に、情熱を燃やしている人も多い。
しかしこと、お金の問題となると、世俗に毒されている人は、多い。
多いと言うより、ほとんどが、そうではないか。

たとえば親の遺産をめぐって、言い争っている人は、多い。
分配をめぐって、たがいに不愉快な思いをしている人は、さらに多い。

お金(=マネー)そのものが、(世俗)の象徴と考えてよい。
実際、この世界は、そのお金で成り立っている。
お金で幸福は買えないが、お金がなければ、不幸になる。
そのため人は、ますます世俗に毒されるようになる。

少し前のことだが、ある知人の家に遊びに行ったとき、こんなことがあった。
10数年ぶりに会ったのだが、話すことと言えば、お金のことばかり。
「あの男は、自分の家を、x千万円で、改築した」
「あの男は、投信で、x千万円、もうけた」と。

この程度の話はしかたないとしても、帰り際、私が、「タクシーを呼んでいただけますか」
と聞くと、こう言った。
「タクシー代を、オレに払ってもらえないか。駅まで送っていく」と。

私は、そのあさましさに、心底、驚いた。
がっかりした。
人も、お金に窮すると、そこまで言うようになる。
世俗に毒されると、そこまで言うようになる。

と、同時に、私との人間関係は、それで消えた。

しかし貧しいから、世俗に毒されるとか、反対に、金持ちだから、高理になるというわけ
ではない。
貧しくても、高理の人はいくらでもいる。
金持ちでも、世俗に毒されている人も、これまたいくらでもいる。

遺産の話になるが、世の中には、数億の金融財産をもちながら、わずか数百万の遺産問題
で、兄弟たちと、はげしく言い争っている人もいる。
大切なのは、生きざまということになる。
心のもち方ということになる。

では、高理に生きるためには、どうすればよいのか。

先月、恩師の田丸謙二先生が、こんなメールをくれた。
「お元気ですか?」と書いた、メールへの返信だった。
「老いと戦うすばらしさ。感謝、感謝」と。

私は、この言葉に感動した。
「感謝」という言葉に、感動した。

目が見える、ものが聞こえる、体を動かすことができる。
生きていること自体が、すばらしい。
アインシュタインは、それを「奇跡」と呼んだが、まさに奇跡。

この世界で生きている以上、世俗から自分を切り離すことはできない。
しかし高理に生きることによって、世俗との間に、一線を引くことは、できる。
その一線を引けば、世俗に毒されることを、防ぐことができる。

人は、この高理と世俗の中間あたりで、いつも、どちらかに行ったり来たりする。
引っ張られる。
それは綱引きの綱のようなもの。
高理に揺れたり、世俗に揺れたりする。

それはしかたのないことかもしれないが、そのつど、自分がどこにいるか、それを知るこ
とは、とても大切なこと。
今朝は、それを発見した。
07年12月15日

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 世俗 高理 世俗的な生き
方)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●日韓関係(Japan and Korea)

Even in the small column in a newspaper we can feel their hostility against Japan. 
According to the Chuo-N, the leading Korean Newspaper, Japanese companies have 
united together to fight agaist Korea but all of them is false, written with persecution 
mania. You will know what it is if you read this:

 この原稿がマガジンで配信されるころには、韓国では、新大統領が誕生しているはず。
現在の予想では、ハンナラ党の、I氏が最有力候補だが、何が起こるかわからないのが韓
国。先の金大中前大統領も、現在のN大統領も、ハプニング的に、大統領になった。

 が、ハンナラ党のI氏だから、日韓関係が改善すると考えるのは、早計である。韓国人
の対日感情には、常に、2面性がある。(あこがれ)と(憎しみ)、この2つが同時にウズ
を巻いている。そのつど、このどちらかが、表に顔を出す。

 たとえばつぎのコラムを読んでみてほしい。これは韓国の中央N報(12月11日版)
に載った記事である。経済記事だが、中央N報という、韓国第一の新聞社でも、こうした
記事を堂々と掲載している。

++++++++++以下、転載

日本経済産業新聞は、最近、日本の半導体メーカーのある幹部の発言を引用、「機密費波紋
でS星が"経営空白"危機に陥った」と報道した。この新聞はまた、他の半導体市場分析家の
話を引用し「新製品の買い替え時期が早い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろ
ん、国際競争から追い出される原因となる」と分析した。 

  同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死回生するチャンスに期待して
いると報道した。日本の半導体メーカーのある関係者は「(S星を除いた)主要半導体会社
が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的
に支障を来たし、価格上昇の要因となることがある」と述べた。 

  S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私の幸
せ」という本音を表したのだ。 

  米国調査会社であるアイサプライによるとDRAMはS星電子が今年の7〜9月、世界市
場シェア27・7%で1位となった。現在DRAMは供給過剰状態で、一部主力製品は1
個当たり0・8〜0・9ドルで6年ぶりに1ドルを下回っている。 

  日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは「S星
が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十
分ありそうだ。」と報道した。

  産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると「安物というイメージ
から脱することができなかった」と報道している。 

S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益の8
7・2%をあげ、国外は12・8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く売りなが
ら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容を記している。

++++++++++以上、転載

 私は、この記事を読んだあと、「日本経済産業新聞」の中で、ほんとうにそんなことを書
いているのか、たしかめてみた。

 まず、「日本経済産業新聞」というのは、「日経産業新聞」のことであることがわかった。
しかしここ数日分の記事にざっと目を通してみたが、私が読んだ範囲では、その記事は、
見あたらなかった。

 それはそれとして、この記事を、もう一度、整理してみよう。

(1)「機密費波紋でS星が"経営空白"危機に陥った」と報道した。
(2)この新聞はまた、他の半導体市場分析家の話を引用し「新製品の買い替え時期が早
い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろん、国際競争から追い出される原
因となる」と分析した。

 朝鮮N報という大新聞社が、S星という一会社の、そのまた一商品について、ここまで
肩入れした記事を書くということのおかしさ、最初に、それに気づいてほしい。

 その上で、この記事を読みなおしてみる。が、この日本側の記事は、当然のことを、客
観的に書いただけで、どこにも反韓的なニュアンスは、ない。

 が、つづくつぎの部分では、「同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死
回生するチャンスに期待していると報道した」とある。やや反韓的かな思えなくもないが、
「決死回生」は、オーバー。ここ数年、シェアこそ、韓国製、台湾製に押されているが、
死んでいるわけではない。

 むしろ、(3)。「(S星を除いた)主要半導体会社が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星
の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的に支障を来たし、価格上昇の要因とな
ることがある」と、つまり価格上昇を心配していると、韓国側にむしろ好意的な意見を述
べている。さらに言えば、日本側は、価格の高騰を心配しているのであって、それを喜ん
でいるのではない。

 が、ここから先、例によって例のごとく、韓国独特の(ひがみ節)が始まる。ウソと被
害妄想、それらがごちゃまぜになる。

(3)S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私
の幸せ」という本音を表したのだ、と。

 「相手の不幸は、私の幸せ」とは、日本側は、だれも言っていない。(そう思う人はいる
かもしれないが……。)ここでいう「本音」というのは、そのまま、彼ら自身の「妄想」と
考えてよい。

 そしてその妄想を、「S星叩き」と結びつける。いわく、

(5) 日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは
「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価
値は十分ありそうだ。」と報道した。

 「ohmynews」の記事を読んでも、みなさんもわかるように、どこにも、「S星叩
き」のニュアンスはない。どうしてこの記事が、S星叩きになるのか? 「ohmyne
ws」は、ただ「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも
注目してみる価値は十分ありそうだ」と書いているだけである。

 が、さらに、こうつづける。

(7)産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると、「安物というイ
メージから脱することができなかった」と報道している。 

 この部分については、私はこの記事を読んだ記憶がある。しかしこれについても、何も
日本の消費者が、韓国製品を閉め出したというわけではない。この記事で気になるのは、「一
部撤収すると」という部分。勝手に、「一部」という文言を、加筆している。

 私が読んだ記事では、「家電製品市場から全面撤退」とあった。それが「一部撤収すると」
となる。この記事を読んだ韓国の一般市民たちは、あたかも日本人が、撤収したのを喜ん
でいるかのような印象を受けるだろう。つまり、それこそが、朝鮮N報のねらいというこ
とになる。

 が、最大のウソは、つぎの部分。

(7) S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカー

 自意識も、ここまで過剰になると、「?」。とてもついていけない。日本が、「 S星追い討
ちのための連合戦線を形成した」だと!

 悲しいかな、韓国の製造器機のほとんどは、(一説によれば、携帯電話にしても、80%)、
日本製である。つまり韓国は、この日本から製造器機を輸入し、それでもって、いろいろ
な製品を製造している。輸出している。半導体にしても、日本は、現在は、台湾やマレー
シアに生産拠点を移し、そこで生産している。

 いつ日本は、「 S星追い討ちのための連合戦線を形成した」のか? 記事の根拠は、どこ
にあるのか。それこそまさに、カルテル。事実なら、大事件!

仮にそうであっても、そんなことを口にする人はいない。被害妄想も、ここにきわまれ
りといった感じすらもつ。繰りかえすが、韓国の一会社の、一製品を、追い討ちするた
めに、連合戦線を形成しなければならないほど、日本の企業連合は、まだ落ちぶれてい
ない。さらに、まだある。

(8)S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益
の87.2%をあげ、国外は12.8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く
売りながら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容
を記している。

 この「87・2%」「12・8%」という数字は、朝鮮N報(05年、5月18日付)に
出ていた数字で、ウソでも何でもない。「事実とは正反対に歪曲した内容を記している」と
いうくらいなら、朝鮮N報のほうへ、抗議でも何でもしたらよい。

 つまり韓国の国策企業は、韓国内で高く売り、利益をあげている。一方、外国では安く
売り、シェアを伸ばしている。

 たとえば自動車にしても、現在、韓国製の自動車は、アメリカなどでは、ダンピング価
格で売られている。一方、韓国国内では、ここにあげた数字程度の利益幅を見込んで売ら
れている。たとえば韓国の「グレンジャー」(現代自動車)は、韓国内では、480万円前
後で売られている。同じ車が、アメリカでは、300万円前後。価格差は、全体的に、1
00〜150万円程度となっている。

 こういう記事を分析してみると、韓国の人たちが日本人の私たちのもつ憎悪の念には、
相当なものがあるということがわかる。この憎悪の念は、私が韓国に渡った1967年以
来、ほとんど変わっていない。

 だから仮にハンナラ党のI氏が大統領になったところで、彼らの反日姿勢がすぐに変化
するとは、とても思われない。現在のN大統領ほどではないにしても、日本人の私たちと
しては、警戒したらよい。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本! しばらく新大統領が、どのような行動に出るか、
様子を見て、このつづきを書いてみたい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て・ONE POINT】

++++++++++++++

教育の自由化を家庭で考えるとき、
参考になるのではないかと思いますので、
いくつか、そのポイントをあげてみます。

++++++++++++++

●自意識を育てる
 
小学三、四年生をさかいとして、自意識が急速に発達してくる。「自意識」というのは、
わかりやすく言えば、自分で自分をコントロールしようとする意識である。この自意識
をうまく利用すれば、それまで問題のあった子どもでも、それ以後、症状が収まってし
まう。

 たとえばADHD児にしても、そのころをさかいにして、症状が急速に収まってくる。「そ
ういうことをすれば、みんなに迷惑がかかる」「そういうことをすれば、仲間はずれにされ
る」という思い(自意識)が働いて、無意識の世界からわき起こる行動パターンを抑制し
ようとするためである。

 ほかにたとえば吃音(どもり)や、発語障害にしても、それ以前の子どもには、まだそ
の自意識がじゅうぶん発達していないため、指導が、たいへんむずかしい。しかしこの時
期をすぎると、自分の姿や問題点を客観的にとらえることができるようになるので、指導
ができるようになる。

 そこで大切なことは、この時期までに、何か問題があるとしても、症状をこじらせない
こと。ADHD児にしても、無節制な多動性があることが問題ではない。問題は、それま
での強引な指導や、威圧的な指導が、症状のみならず、子どもの心までゆがめてしまうと
いうこと。つまりそれまでの不適切な指導が、かえって自意識による改善を、はばんでし
まうことがある。

 子どもの問題は、子ども自身の意識でどうにかなる問題と、そうでない問題がある。そ
の意識でどうにかなる問題でも、ここに書いたように、それができるようになるのは、小
学三、四年生をすぎてから。その時期までは、とにかくていねいに。とにかく根気よく。
子どもの自意識をつぶさないように指導する。

●幸福な家庭環境で包む

 「子育ては本能ではなく、学習である」と。つまり、子育てというのは、本能的にでき
るのではなく、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、自分も親になったと
き、子育てができる。しかし実のところ、それだけでは足りない。「子育ては学習だけでは
足りない。経験である」と。

 つまり子どもは、「家庭」というものを肌で経験しなければならない。家族がやすらぎ、
いたわりあう家庭である。そういう経験があってはじめて、今度は、自分が親になったと
き、自然な形で、その家庭を再現することができる。そうでなければ、そうでない。イギ
リスの格言に、『子どもを幸福にするのが、最高の教育』というのが、ある。「幸福」の中
身も大切だが、しかしこの格言は正しい。

 まず、子どもの豊かな心は、絶対的な安心感のある家庭で、はぐくまれる。「絶対的」と
いうのは、「不安や心配をいだかない」という意味。この安心感がゆらいだとき、子どもの
心もゆらぐ。そういう意味で、絶対的な安心感のある家庭は、子育ての基盤ということに
なる。


●親の心は、子の心

 親子の密着度が高ければ高いほど、親の心は、子の心。以心伝心という言葉があるが、
親子のばあいは、それ以上。子どもは親の話し方はもちろんのこと、しぐさ、ものの考え
方、感じ方、価値観すべてを受けつぐ。以前、こんな相談があった。

 「自分の娘(年長児)がこわくてなりません」と、その母親は言った。「娘は、私は思っ
ていることを、そのまま口にしてしまいます。私が義理の親のことを、『汚い』と思ってい
ると、親に向かって、娘が『あんたは汚い』と言う。ふいの客に、『迷惑だ』と思っている
と、その客に向かって、娘が『あんたは迷惑』と言うなど。どうしたらいいでしょうか」
と。

 私は「そういう関係を利用して、あなたの子どもをすばらしい子どもにすることもでき
ます」と言った。「あなたがすばらしい親になれば、いいのです」とも。

 こういう例は少ないにしても、親子には、そういう面がいつもついてまわる。あなたと
いう人にしても、あなたの親の影響を大きく受けている。「私は私」と思っている人でも、
そうだ。特別の経験がないかぎり、あなたも一生、あなたの親の呪縛(じゅばく)から逃
れることはできない。

言いかえると、あなたの責任は、大きい。あなたは親の代から受け継いだもののうち、
よいものと悪いものをまず、より分ける。そしてよいものだけを、子どもの代に伝えな
がら、一方で、自分自身も、新しく、よいものをつくりあげる。そしてそれを子どもに
伝えていく。……というより、あえて伝える必要はない。

あなたの生きザマはそのまま、放っておいても、あなたの子どもの生きザマになる。親
子というのは、そういうもの。だから子育てというのは、まさに自分との戦いと

いうことになる。


●家庭の緊張感を大切に

 ほどよい緊張感が、子どもを伸ばす。反対に、のんべんだらりとした、だらしない生活
は、子どもを育てる環境としては、決して好ましいものではない。親は親で、自分のすべ
きことをキビキビとする。子どもは子どもで、自分のすべきことをキビキビとする。何を
どの程度すればよいとか、させればよいという話ではない。そういう緊張感の中に、子ど
もを巻きこんでいく。子どもの目線で言うなら、「ぼくが、これをしなければ、家族のみん
なが困るのだ」という雰囲気を大切にする。

 しかしこれは言うはやすし、なすはかたし。緊張感というのは、強すぎてもいけない。
そのへんのかねあいも、家族によってちがう。どの程度あればよいという問題ではない。
これは家族全体が、みんなで考える、大きなテーマということになる。


●温もりのある園を

 保育園や幼稚園を選ぶときは、「温もり」があるかないかで判断する。きれいにピカピカ
にみがかれた園は、それなりに快適に見えるが、幼児の居場所としては、好ましくない。

 まず子どもの目線で見てみる。温もりのある園は、どこかしこに、園児の生活がしみこ
んでいる。小さな落書きがあったり、いたずらがあったりする。あるいは先生が子どもを
喜ばすために、何らかの工夫や、しかけがあったりする。が、そうでない園には、それが
ない。園児が汚すといけないからという理由で、壁にもワックスをかけているような園が
ある。そういう園には、子どもをやらないほうがよい。

●園は、先生を見て選ぶ

 保育園や幼稚園は、先生を見て選ぶ。よい園は、先生が生き生きとしている。そうでな
い園は、そうでない。休み時間などでも、園児が楽しそうに先生のまわりに集まって、ふ
ざけあっているような園なら、よい。明るい声で、「○○先生!」「ハーイ!」と、かけ声
が飛びかっているような園なら、よい。しかしどこかツンツンとしていて、先生と園児が、
別々のことをしているというような園は、さける。

 園児集めのために、派手な行事ばかりを並べている園もある。しかし幼児にとって、重
要なのは、やはり先生。とくに園長が運動服などを着て、いつも園児の中にいるような園
を選ぶと、よい。


●男児は男児
 
男の子が男の子らしくなるのは、アンドロゲンというホルモンの作用による。そのため
男の子は、より攻撃的になり、対抗的なスポーツを好むようになる。サルの観察では、
オスの子ザルのほうが、「社会的攻撃性があり、威嚇(いかく)行動のまねをしたり、け
んか遊びをしたり。取っ組みあいのレスリングのような遊びをしたりする回数が、多い」
こと(新井康允氏)がわかっている。

 とくに母親が家庭で子どもをみるときは、この性差に注意する。母親という女性がそう
でないかたといって、それを男である男の子に押しつけてはいけない。男の子の乱暴な
行為を悪いことと決めてかかってはいけない。


●負けるが勝ち

 子どもをはさんだ、親どうしのトラブルは、負けるが勝ち。園や学校の先生から、あな
たの子どものことで、何か苦情なり小言(こごと)が届いたら、負けるが勝ち。まず最初
にこちらから、「すみませんでした」「至らぬ子どもで」と、頭をさげる。さげて謝る。た
とえ相手に非があるように見えるときも、あるいは言い分があっても、負ける。

 理由はいろいろある。あなたの子どもは、あなたの子どもであっても、あなたの知らな
い面のほうが多い。子どもというのは、そういうもの。つぎに、相手が苦情を言ってくる
というのは、それなりに深刻なケースと考えてよい。

さらにそういう姿勢が、結局は、子どもの世界を守る。ほかの世界でのことなら、とも
かくも、あなたがカリカリしても、よいことは何もない。あなたの子どもにとって、す
みやすい世界を、何よりも優先する。だから、『負けるが勝ち』。


●我流に注意

 子育てで一番こわいのは、我流。「私が正しい」「子どものことは、私が一番よく知って
いる」「他人の育児論は役にたたない」と。

 子育てというのは、自分で失敗してみてはじめて、それが失敗だったと気づく。それま
では気づかない。「私の子にかぎって……」「うちの子はだいじょうぶ……」「私はだいじょ
うぶ……」と思っているうちに、失敗の悪循環に入っていく。「まだ何とかなる……」「こ
んなハズはない……」と。親が何かをすればするほど、裏目、裏目に出る。

 子育てじょうずな親というのは、いつも新しい情報を吸収しようとする。見聞を広め、
知識を求める。交際範囲も広く、多様性がある。だからいつも子どもをより広い視野でと
らえようとする。

その広さがあればあるほど、親の許容範囲も広くなり、子どももその分、伸びやかにな
る。


●二番底、三番底に注意

 子どもに何か問題が起きると、親はその状態を最悪と思う。そしてそれ以上悪くはなら
ないと考える。そこまで思いが届かない。で、その状態を何とか、抜け出ようとする。し
かし子どもの世界には、二番底、三番底がある。子どもというのは、悪くなるときは、ち
ょうど坂をころげ落ちるように、二番底、三番底へと落ちていく。「前のほうがまだ症状が
軽かった……」ということを繰りかえしながら、さらに悪い状態になる。

 子どもの不登校にせよ、心の病気にせよ、さらに非行にせよ、親がまだ知らない二番底、
三番底がある。では、どうするか?

 そういうときは、「なおそう」と考えるのではなく、「今の状態をより悪くしないことだ
け」を考えて、様子をみる。時間をかける。コツは、なおそうと思わないこと。この段階
で無理をすればするほど、子どもはつぎの底をめがけて落ちていく。


●信仰に注意

 よく誤解されるが、宗教教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者が
いるから、宗教教団がある。人はそれぞれ何かの教えや救いを求めて、宗教教団に身を寄
せる。

 ……と書いても、できるなら、(あくまでもそういう言い方しかできないが)、入信する
にも、夫婦ともに入信する。今、たとえばある日突然、妻だけが入信し、そのため家族そ
のものが崩壊状態になっている家庭が、あまりにも多い。……多すぎる。信仰というのは、
その人の生きザマの根幹部分に関するだけに、一度対立すると、たがいに容赦しなくなる。
妥協しなくなる。で、行きつく先は、激突、別離、離婚、家庭崩壊。

 とくに今、こうした不安な時代を背景に、カルト教団(情報の遮断性、信者の隔離、徹
底した上意下達方式、布教や献金の強制、独善性、神秘性、功徳論とバチ論、信仰の権威
づけ、集団行為などが特徴)が、勢力を伸ばしている。周囲の人たちが反対すると、「悪魔
が反対し始めた。だから私の信仰が正しいことが証明された」などと、わけのわからない
ことを言いだしたりする。

 信仰するにも、できれば、夫婦でよく話しあってからにする。これはあなたの子どもを
守るための、大原則。


●機嫌を取らない

 親が親である「威厳」(この言葉は好きではないが……)は、親は親として、毅然(きぜ
んとした態度で生きること。その毅然さが、結局は、親の威厳になる。(権威の押しつけは、
よくないことは、言うまでもない。)

 そのためにも、子どもには、へつらわない。歓心を買わない。そして機嫌を取らない。
もし今、あなたが子どもにへつらったり、歓心を買ったり、機嫌を取っているようなら、
すでにあなたの親子関係は、かなり危険な状態にあるとみてよい。とくに依存心の強い親
ほど、注意する。「子どもには嫌われたくない」と、あなたが考えているなら、あなたは今
すぐ、そういうまちがった育児観は、捨てたほうがよい。

 あなたはあなた。子どもは子ども。嫌われても、気にしない。「あなたはあなたで勝手に
生きなさい」という姿勢が、子どもを自立させる。そして皮肉なことに、そのほうが、結
局は、あなたと子どものパイプを太くする。


●いつも我が身をみる

 子育てで迷ったら、我が身をみる。「自分が、同じ年齢のときはどうだったか」「自分が、
今、子どもの立場なら、どうなのか」「私なら、できるか」と。

 身勝手な親は、こう言う。「先生、私は学歴がなくて苦労しました。だから息子には、同
じような苦労をさせたくありません」と。あるいは「私は勉強が嫌いでしたが、子どもに
は好きになってほしいです」と。

 要するに、あなたができないこと。あなたがしたくないこと。さらにあなたができなか
ったことを、子どもに求めてはいけないということ。そのためにも、いつも我が身をみる。
これは子育てをするときの、コツ。


●本物を与える

 子どもに与えたり、見せたり、聞かせたりするものは、できるだけ本物にする。「できる
だけ」というのは、今、その本物そのものが、なかなか見つからないことによる。しかし
「できるだけそうする」。

 たとえば食事。たとえば絵画。たとえば音楽。今、ほとんどの子どもたちは、母親の手
料理よりも、ファーストフードの食事のほうが、おいしいと思っている。美術館に並ぶ絵
よりも、テレビのアニメのイラストのほうが、美しいと思っている。音楽家がかなでる音
楽よりも、音がズレたようなジャリ歌手の歌う歌のほうが、すばらしいと思っている。

こうした低俗、軽薄文化が、今、この日本では主流になりつつある。問題は、それでよ
いかということ。このままでよいかということ。あなたがそれではよくないと思ってい
るなら、機会があれば、子どもには、できるだけ本物を与えたり、見せたり、聞かせた
りする。


●親が生きがいをもつ
 
子どもを伸ばそうと考えたら、まず親自身が伸びて見せる。それにまさる子どもの伸ば
し方はない。ただし押しつけは、禁物。「私はこれだけがんばっているから、お前もがん
ばれ」と。

 伸びてみせるかどうかは、あくまでも親の問題。キビキビとした緊張感を家庭の中に用
意するのがコツ。そしてその緊張感の中に、子どもを巻き込むようにする。しかしそれ
でも、それは結果。それを見て、子どもが伸びるかどうかは、あくまでも子どもの問題。
しかしこれだけは言える。

 退廃、退屈、マンネリ、単調、家庭崩壊、家庭不和、親の拒否的態度ほど、子どもに悪
影響を与えるものはないということ。その悪影響を避けるために、親は生きがいをもつ。
前に進む。

それは家の中を流れる風のようなもの。風が止まると、子どもの心は、とたんにうしろ向
きになる。


●仮面に注意

 心の状態と、外から見る表情に、くい違いが出ることを、「遊離」という。怒っているは
ずなのに、ニンマリ笑う。あるいは悲しいはずなのに、無表情でいる、など。子どもに、
この遊離が見られたら、子どもの心はかなり危険な状態にあるとみてよい。

 遊離ほどではないにしても、心を隠すことを、「仮面をかぶる」という。俗にいう、「い
い子ぶる」ことをいう。このタイプの子どもは、外の世界で無理をする分だけ、心をゆが
めやすい。ストレスをためやすい。

 一般的に「すなおな子ども」というのは、心の状態と、外から見る表情が一致している
子どものことをいう。あるいはヒネクレ、イジケ、ツッパリなどの、「ゆがみ」のない子ど
もをいう。

 あなたの子どもが、うれしいときには、顔満面に笑みを浮かべて、うれしそうな表情を
するなら、それだけでも、あなたの子どもは、まっすぐ伸びているということになる。


●聞き上手になる

 子育てが上手な親には、一つの大きな特徴がある。いつも謙虚な姿勢で、聞き上手。そ
して他人の話を聞きながら、いつも頭の中で、「自分はどうだろう」「私ならどうするだろ
う」と、シミュレーションする。そうでない親は、そうでない。

 親と話していて、(教える立場で)、何がいやかといって、すぐカリカリすること。

私「最近、元気がありませんが……」
 親「うちでは元気があります」
 私「何か、問題がありませんか?」
 親「いえ、水泳教室では問題はありません。いつもと変わりません」と。

 子どものことを話しているのに、親が、つぎつぎと反論してくる。こういう状態になる
と、話したいことも、話せなくなってしまう。もちろんそうなれば、結局は、損をする
のは、親自身ということになる。


●親の悪口は言わない

 あなたが母親なら、決して、父親(夫)の悪口を言ってはいけない。あなたは子どもを
味方にしたいがため、ときには、父親を悪く言いたくなるときもあるだろう。が、それで
も、言ってはいけない。あなたがそれを言えば言うほど、あなたの子どもの心は、あなた
から離れる。そして結果として、あなたにも、そして父親にも従わなくなる。

 父親と母親の気持ちが一枚岩でもむずかしいのが、最近の子育て。父親と母親の心がバ
ラバラで、どうして子育てができるというのか。子どもが父親の悪口を言っても、相づち
を打ってはいけない。「あなたのお父さんは、すばらしい人だよ」と言って、すます。そう
いう姿勢が、家族の絆(きずな)を守る。これは家庭教育の、大原則。


●無菌状態に注意

 子どもを親の監督下におき、子どもを無菌状態のまま育てる人がいる。先日も、「うちの
子は、いつも子分です。どうしたらいいでしょうか」という相談があった。親としては、
心配であり、つらいことかもしれないが、しかし子どもというのは、子分になることによ
り、親分の心構えを学ぶ。子分になったことがない子どもは、親分にはなれない。私も小
学一年生くらいまでは、いつも子分だった。しかしそれ以後は、親分になって、グループ
を指揮していた。

 子どもの世界は、まさに動物の世界。野獣の世界。しかしそういう世界で、もまれるこ
とにより、子どもは、精神的な抵抗力を身につける。いじめられたり、いじめたりしなが
ら、社会性も身につける。これも親としてはつらいことかもしれないが、そこはじっとが
まん。無菌状態のまま、子どもを育てることは、かえって危険なことである。


●子どもは削って伸ばす

 『悪事は実験』ともいう。子どもは、よいことも、悪いことも、ひと通りしながら、成
長する。たとえば盗み、万引きなど。そういうことを奨励せよというわけではないが、し
かしそういうことがまったくできないほどまでに、子どもを押さえつけたり、頭から悪い
と決めてかかってはいけない。

たとえばここでいう盗みについては、ほとんどの子どもが経験する。母親のサイフからお
金を盗んで使う、など。高校生ともなると、親の貯金通帳からお金を勝手に引き出して使
う子どももいる。

 問題は、そういう悪事をするということではなく、そういう悪事をしたあと、どのよう
にして、子どもから、それを削るかということ。要は叱り方ということになるが、コツは、
子ども自身が自分で考えて判断するようにしむけること。頭から叱ったり、威圧したり、
さらには暴力を加えたり、おどしたりしてはいけない。一時的な効果はあるかもしれない
が、さらに大きな悪事をするようになる。

 子どもにはまず、何でもさせてみる。そしてよい面を伸ばし、悪い面を削りながら、子
どもの「形」を整える。『子どもは削って伸ばす』というのは、そういう意味である。


●「偉い」を廃語に

 日本では、いまだに「偉い」とか、「偉い人」とかいう言葉をつかう人がいる。何年か前
のことだが、当時のM総理大臣は、どこかの幼稚園の園児たちに向かって、「私、日本で一
番、偉い人。わかるかな?」と言っていた。

 しかし英語では、日本人が「偉い人」と言いそうなとき、「尊敬される人(respected man)
という言い方をする。しかし「偉い人」と、「尊敬される人」の間には、越えがたいほど、
大きなミゾがある。この日本では、地位や肩書きのある人を、偉い人という。地位や肩書
きのない人は、あまり偉い人とは言わない。反対に英語国で、「尊敬される人」というとき
は、地位や肩書きなど、ほとんど問題にならない。

 この「偉い」という言葉が、教育の世界に入ると、それはそのまま日本型の出世主義に
利用される。そしてそれが日本の教育をゆがめ、子どもたちの心をゆがめる。

そこでどうだろう。もう「偉い」という言葉を廃語にしたら。具体的には、子どもたち
に向かっては、「偉い人になりなさい」ではなく、「尊敬される人になりなさい」と言う。
何でもないことのようだが、こうした小さな変化が積み重なれば、日本の社会は変わる。
日本の社会を変えることができる。


●訓練(指導)と教育は別

 この日本では、訓練と教育が、よく混同される。もともと「学ぶ」という言葉は、「マネ
ブ」、つまり、「マネをする」という言葉から生まれたと主張する学者もいる。しかしマネ
をするというのは、教育ではない。

 訓練というのは、親がある一定の目的や目標をもって、子どもがそれをできるように指
導することをいう。大きくみれば、受験勉強というのも、それに属する。そういう訓練を、
教育と思い込んでしまっているところ、あるいはそれが教育の柱になってしまっていると
ころに、日本の教育の最大の悲劇がある。

 一方、教育というのは、あくまでも人間性の問題である。その人間性を、自ら養うよう
にしむけるのが、教育である。知性や理性、道徳や倫理は、そういう人間性から生まれる。
少なくとも訓練で、どうにかなるものではない。訓練したから、人間性が深く、広くなる
ということなど、ありえない。たとえば一日中、冷たい滝に打たれたからとか、燃えさか
る火の上を歩いたから、すばらしい人になるとか、そういうことはありえない。

 教育というのは、その子ども自身にすでに宿っている、「常識」を静かに引き出すことで
ある。

私たちの体の中には、すでにそういう常識が宿っている。だからこそ、私たちは「心の進
化」を繰り返し、過去数十万年という長い年月を、生き延びることができた。
むずかしい話はさておき、訓練と教育は、もともとまったく異質のものである。訓練と教
育を、混同してはいけない。


●アルバムは見せよう

 子どものいつも手や目が届くところに、アルバムを置いておく。アルバムというのは、
楽しい思い出がつまった、宝石箱。子どもはそのアルバムを見て、心をいやす。それだけ
ではない。おとなは、過去をなつかしんでアルバムを見るが、子どもは、未来を知るため
にアルバムを見る。ある子どもは、父親の子ども時代の写真を見て、「これはお兄ちゃんだ」
と言い張った。自分が成長していく、喜びを、その中に見る。

 アルバムには、不思議な力がある。どう不思議かは、あなた自身が発見してみればよい。


●ベッドタイムゲームを大切に

 子どもは毎晩寝る前に、同じ習慣を繰りかえして眠りにつくという習性がある。これを
英語では、「ベッドタイムゲーム」という。このベッドタイムゲームのしつけが悪いと、子
どもは眠ることに恐怖心をいだいたりする。ばあいによっては、情緒不安の原因ともなる。

 コツは、毎晩、同じことを繰りかえすようにする。本を読んであげたり、軽く添い寝を
してあげたりするなど。まずいのは、いきなり子どもをベッドに押し込め、電気を消すよ
うな乱暴な行為。

子どもは眠ることそのものに、恐怖心をもつようになる。


●冷蔵庫をカラにする

 子どもの小食で悩んでいる親は多い。食が少ない、遅い、好き嫌いがはげしいなど。そ
ういうときは、まず冷蔵庫をカラにする。身の回りから食料を片づける。徹底して、それ
をする。とくに菓子類、甘い食品など、俗に言うジャンクフードなどは、思い切って捨て
る。「もったいない」と思ったら、なおさらそうする。その「思い」が、つぎからのまちが
った買い物習慣を改める。

 そして母親が料理で作ったもの以外、食べるものがないという状態にする。これを数か
月〜半年、つづける。たいていの小食は、それでなおる。


●カルシウムを大切に

 子どもの食生活では、カルシウム分、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。要
するに、海産物を中心とした献立にする。

 とくに子どもの情緒が不安定になったら、まずカルシウム分の多い食生活にする。ちょ
っとしたことでピリピリしたり、怒ったり、反対にわけもわからないままぐずったりする
ようなとき、効果がある。戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていたと
いう。


●歩かせる

 子どもは、何かにつけて、歩かせる。歩くことが、体力をつける基本と考える。

 昔、オーストラリアの友人が、こう教えてくれた。「旅は、歩け」と。つまり歩くことに
より、もちろん健康になるが、それだけ印象も深くなる。まわりの景色や状況が、より鮮
明に記憶に残る。

ウソだと思うなら、あなた自身の記憶の中をさぐってみればよい。あなたの記憶の中には、
無数の思い出があるが、その中でも、そういうときの思い出が、より印象強く残っている
かを、知ればよい。歩くことにより、五感(見る、聞く、感ずる、かぐ、考える)全体が、
より強く刺激されるためである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子育てONE POINT 一
口メモ ワンポイント)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教育の自由化】(Liberalization of Education in Japan)

The liberalization of the education is the tide of the world. On the contrary education in
Japan is at least 30 or 50 years behind the world tide. Still now we have the government 
screening of textbooks and whole schools are governed by the central government. In 
Japan we have much less freedom in education.

OECDが発表した、全世界の子どもの学力調査の結果を、もう一度、見てほしい。それ
がつぎの表である(06年)。

Please have a look at the table underbelow, surveyed by OECD 2006,and just pay an 
attention to the name of Finland. 

【世界の子どもたちの学力(learning Ability of the youth of the wrorld)】

(読解力)(Reading Ability)

1位  韓国(Korea)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
15位 日本(Japan)

(数学的応用力)(Math Application)

1位  台湾(Twaiwan)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
10位 日本

(科学的応用力)(Science Application)

1位  フィンランド(Finland)
2位  香港(Hong-Kong)
3位  カナダ(Canada)
……
6位  日本(Japan)

++++++++++++++

 この表を見て驚くのは、フィンランドが、どの分野でも、上位1〜2位に入っていると
いうこと。

 以下、「imidas」(special版、集英社)の記事を、箇条書きに、まとめさせてもらう。

 フィンランドでは、

(1)経済不況の中で、行政改革法を迫られ、規制緩和の方法を選んだ。
(2)中央政府の権限を小さくした。
(3)ほぼすべての権限を現場に渡すことにした。
(4)こうすることで中間管理のコストをさげた。
(5)教科書検定を廃止した。
(6)学校査察も中止した。
(7)政府は教育水準を維持するための情報を提供した。
(8)学校と地方自治体が、カリキュラムを決め、個々の教師が教育方法を決めている。
(9)16歳までは、他人と比較するテストは、行われていない。
(10)教師の仕事は、正解を教えることではなく、学びを支援することである。
(11)フィンランドの教師たちは授業以外に、ほとんど負担がない。
(12)学級定員は、20人程度。(小学校は16人程度)
(13)社会が勉学条件の格差を埋め、ひとりも落ちこぼれをつくらないという
教育体制をとっている。(以上、要約)


Accorinig to the IMIDAS published by Shuiei-sha Japan, it explains as follows:

(1)Finland chose the way of "deregulartion " in the field of education.
(2)The authority of the central government was eased.
(3)The authority was given to each teacher who teaches children at schools.
(4)Then the Finland government succeeded in reducing the budget.
(5)The government stopped screening the textbooks they use at schools.
(6)The government abolished schoo; inspections.
(7)The government give necessary informations.
(8)Schools and local governments decide what they teach children at schools.
(9)They don't have any examinations on children until the age of 16.
(10)The job of teachers is not teach but to educe how to learn from children.
(11)Teachers have no other jobs but teaching at schools.
(12)They limit the capacity of school is abt 20. (16 kidas at elementary schools.)
(13)They avoid the gap between the poor and the rich and they are trying to make 
no drop-outs.

 つづくつぎの段落には、こうある。そのまま抜粋させてもらう(P147)。

「フィンランドの学習理論は、社会構成主義であると説明されている。子どもが置かれた
状況に応じ、自ら意欲をもち、知り得たことや考えで整理したものが知識であるとみなす。
したがって、教育の仕事は、子どもたちが知識を編成していく方法(メタ知識)を育てる
ことだとみなされている」と。

+++++++++++++

 教育の自由化については、今まで、何度も、かつ繰りかえし書いてきた。たとえばスペ
インでは、社会科の授業にしても、教科書のようなものはない。中学校レベルでも、それ
ぞれの子どもに、テーマが与えられる。「あなたはフランス革命について調べなさい」「あ
なたはトラファルガーの海戦について調べなさい」と。

 子どもたちは、1年をかけて、それを勉強し、1年の終わりに、みなの前で発表する。

 またカナダでは、教師は教室内でのことについてはすべての責任を負うが、子どもが教
室を一歩でも離れたら、いっさい、責任をもたなくてもよいしくみが、すでにできている。
学校の設立も、自由化されている。教える言語についても、不問。(アメリカは、言語は英
語にかぎられている。)

 アメリカでは、大学生の学部変更、転籍、転学は、自由である。小学校教育については、
学校ごとに、カリキュラムを編成できるようになっている。公立学校であっても、州政府
からの、おおまかなガイダンスがあるのみ。もちろん日本でいうような「教科書」はない。
当然のことながら、「教科書検定」もない。

 これが世界の流れであるということを、私は、何度も書いてきた。訴えてきた。どうし
て日本人よ、目を覚まさないのか! 明治以来、富国強兵策の中で作られてきた、「もの言
わぬ従順な民づくり」が、教育ではない! またそれを教育と思ってはいけない!

 こうしたおかしさを、フィンランドの教育が、すべて語っている。今までに書いてきた
原稿の中から、いくつかを選んでみる。まず。スペイン在住の、Iさん(日本人)からの
メールを紹介する。このメールでは、それぞれの子どもがテーマを与えられ、それについ
て学習している点に、注目してほしい。

+++++++++++

【スペイン在住のIさんより】

+++++++++++++++++++++

スペイン在住のIさんより、こんなメールが届きました。

転載許可をいただけましたので、紹介し
ます。

++++++++++++++++++++++

皆様 お元気ですか。

久しくご無沙汰しています。筆不精で、最近、メールを出していないので、

近況報告方々、メールを書いています。

Y子(娘)はYear 8(中学2年レベル)がもうすぐ終わりで、

期末試験の勉強に追われています。

科目別ですと、historyではフランス革命を勉強しています。日本語でも

難しいテーマを、英語で勉強するのですから、本人も大変です。

Englishはシェークスピアと日本でも話題になったHoles(日本名:穴)

が教科書で、毎日、宿題が結構出るので、日本の通信教育のワークまでなかなか手が回

らないので、日本に戻った時、苦労しそうです。

Y子は最近、コンピューターのマイクロソフトのメッセンジャーで友達と毎日、

チャット(英語、スペイン語、その略語が氾濫していて、

ちょっと大人には解読不能)をするのが日課でかなり、はまっています。

私は友達になったスペイン語の先生と油絵を描きながら、スペイン語を

習っています。

最近(2週間前)、ポール・マッカートニーのコンサートが近くのサッカー場で

あり、家族3人で行ってきました。久しぶりのロック・コンサートで、

盛りあがりました。幸代には初めてのロック・コンサートでしたが、クラスの友達も

大勢、見に来ていました。

ウィングス時代のJetで始まり、半分くらいはビートルズ時代の歌で、

Long and winding road や Hey.Judeなど、感激しました。

コンサートはいわゆるスペイン時間で、始まったのが夜の10時15分で終わったの

は夜中の1時過ぎでした。これはスペインでは普通です。

スペインはとにかく、日本に比べ、2〜3時間くらいすべて遅いのです。

今では我が家の夕飯もいつも9時から9時30分くらいです。

郷に入れば、郷に従えです。

早いもので、スペインに来て、もうすぐ3年になります。

6月末で幸代の学校が夏休みに入りますので、私と幸代は7月の中旬に日本に

一時帰国する予定です。

いろいろ予定があるので、会えるかどうか、わかりませんが、

時間があれば、お会いしましょう。

皆様の近況も、メールで教えてくださいね。

ではまた。


+++++++++++++++++

つぎの原稿は、日本人がもつ常識、
とくに教育にもつ常識について
批判的に書いたものです。

+++++++++++++++++

【常識が偏見になるとき】 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、た
いていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。
しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のとき
にもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑っ
てみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。
親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望す
れば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだ
けでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前
後の割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教
育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研
修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界
で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラ
ブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出る。ドイ
ツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決める
ことができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習
クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後
(二〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当た
り、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、
学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の
教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、
親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクー
バー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。「そういうときは、
まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がか
かってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそれを見て驚
いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙
として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオー
ストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこ
で私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してく
れた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校
がカリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるよ
うに。木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校
という」と。なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親
は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つ
まり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているような
ことでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで
一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学
校とは何か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもの
で、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校
神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはま
さに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮
想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母
さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となく
そうした。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れな
い。「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒
させた人ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放
つことができる。

※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を
決めることができる。

●「自由に学ぶ」

「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On 
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもの
でしかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の
心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育
が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始ま
るということを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体
の犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考
えるのは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、
警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、
もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。
中学生では、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四
〇〇〇人多い。
 
++++++++++++++++

 制度を変えるためには、意識を変えなければならない。ところが教育というのは、なか
んずく教育観というのは、親から子へと、代々と引き継がれるという要素が強い。そこで
その意識を変えるためには、その意識を見直すという作業が必要となる。

 そのもっとも簡単な方法は、日本という国を、一度、外からながめてみること。すると、
そのおかしさが、よくわかる。

 フィンランドの教育法にも、いろいろな問題点があると聞いている。しかし教育の自由
かは、もう世界の流れ。この(流れ)を止めることは、だれにもできない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教育の自由化 自由化 自
由な教育 フィンランド 教育自由化論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ダカラ論』(Because-theory)

In Japan we sometimes hear someone say, "Because you are a man", or "Because you are 
a female". I name this way of saying, "because -theory". It looks like a theory but it is 
not. For example we use this theory like this. "You should do that, because you are a 
man.",or "You should look after your father because you are the eldest brother." Those 
who use this kind of expression in their conversation often are the people with 
no-brains. 
They say so because they don't have a power or knowledge to think things by them 
selves. It is much easier to say so than to think by themselves. Most of this 
"because-theory" is based on the traditional thought way of Japan. Man is superior to 
Woman. Husband is superior to Wife, etc. But this is quite nonsense. Here I'd like to 
write about its stupidity.

+++++++++++++++++

『ダカラ論』ほど、便利で、使いやすい
論理(?)は、ない。

「夫だから……」「妻だから……」「男だから……」
「女だから……」「長男だから……」「親だから……」と。

こうした言い方を日常的に用いる人は、それだけ
ノー・ブレイン(=思考力なし)の人とみてよい。

ここで私は「論理」と書いたが、『ダカラ論』は、
論理でも何でもない。ただの(こじつけ)。

つまりこうした言い方を頻繁に用いる人というのは、
ある一定の(形)を、頭の中につくる。つくるというよりは、
過去を踏襲する。自分で考える力がないから、世俗的な
常識を、そのまま引きずる。

その上で、『ダカラ論』を使って、相手をしばる。

最近でも私に、「浩司君は、男だから……」と言った人が
いた。私にはその意味が、よくわからなかった。
ついで、「だから、それがどうしたの?」と思ったが、それは
言わなかった。

『ダカラ論』をよく用いる人と議論をしても、意味は
ない。時間の無駄。彼らは世俗的な常識を背中に負っている。

だから、強い。だから、がんこ。だから、曲げない。

BLOGのコメントのほうに、こんな書き込みがあった。
ある男性からのものだった。いわく、

「姉たちの身勝手には、うんざりしています。
今まで、『あなたは長男だから……』と言って、
実家の世話など、金銭的な支出は、すべて私に負担
させてきました。

ところが最近、父親がなくなりました。とたん、
今度は、『私も子どもだから……』と、遺産分けを
要求してきました。

先生が言われる『ダカラ論』を、そのつど、巧みに
使い分けるのですね。卑怯だと思います」と。

さらに『ダカラ論』が進むと、「本家(ほんや)だから……」
「新家(あらや)だから……」となる。

『ダカラ論』を振り回す人は、あなたの周辺にも、1人
や2人は、いるはず。そういう人たちを観察してみるとよい。
たいていは、頭の中は、カラッポ。思想と言えるようなものは
何もない。

一方、『ダカラ論』を言われるほうも、これまた不愉快。真綿で
クビを絞(し)められるような圧迫感を覚えることもある。

自分自身の中にも、先に書いた世俗的な常識がしみこんで
いるためと考えてよい。知性や理性が、その世俗的な常識と
頭の中で衝突する。

つまり私たちは、『ダカラ論』を言われるたびに、自分自身
の内部に潜む、世俗的な常識と闘わねばならない。
「浩司君、君は男だから……」と言われたときも、そうだ。

一方で、「それがどうしたの?」と思いながらも、「たしかに
そうだな」と思ってしまう。この自己矛盾が、私の心を
圧迫する。

たとえば男女平等を唱え、その活動をしてきた女性に向かって、
「あなたは女だから……」と言ったら、どうなるだろうか。

さらに「女のくせに……」とか、「女は女らしくせよ」とか、
言ったら、どうなるだろうか。

たぶん、その女性は、猛烈にそれに反発するにちがいない。
私が感じた自己矛盾も、それに近かった。

人間に男も、女もない。夫も、妻もない。『ダカラ論』の
多くは、差別、偏見、権威主義、意味のない風習や伝統に結びついている。
『ダカラ論』をよく用いる人は、まず、それに気づくべきである。
つぎに『ダカラ論』を口にしたら、自らに、ブレーキをかけてみる。

子育ての場でも、同じことが言える。

よく自分の子どもに向かって、「あなたはお兄ちゃんだから……」
とか、「あなたはお姉ちゃんだから……」と話している親を
見かける。子どもに、年長者としての自覚をもたせるために、
そう言う。

しかしこういう言葉が、いかに、その子ども自身を追いつめて
いるか、親はそれに気づいていない。その重圧感は、相当な
もので、ときに親子関係を破壊することもある。兄弟、姉妹
の関係すら破壊することもある。

ついでながら、兄弟、姉妹でも、「兄」「姉」ではなく、名前
で呼び合っている兄弟、姉妹ほど、仲がよいということが
わかっている。上下意識がないため、(つまり平等意識がある
ため)、その分だけ、「友」として、仲がよくなる。

『ダカラ論』……まさに極東の島国独特の言い方と考えて
よい。少なくとも、英語国には、こうした言い方というより、
発想、そのものがない。

そんなことも頭に入れながら、日本人も、そろそろこの『ダカラ論』
と決別する時期に来ているのではないだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 『ダカラ論』 だから論 ダカラ
論)


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. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 9日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●がんばる("Ganbaru", bear to fight)

++++++++++++++++++++

私の英語力のなさを暴露するようで、
心恥ずかしいが、「がんばる」というのは、
英語で、何と書くか?

What do they say to mean "Ganbaru" in English?
With the knowledge of my poor English, I suppose
"bear to fight" would be the most adequate one.

「Bear to Fight(戦うために耐える)」という
言葉が、まっさきに頭に浮かんだ。

辞書などをひくと、「Do one's Best(最善を尽くす)」
とかあるのだろう。が、それでは、ニュアンスが
合わない。

When you refer to (Jaoanese-English dictionary), you may find words, "do one's best".
But it doesn't fit what I am now. I have been bearing to fight agaist my age.
I like these words and 

少なくとも、今の私の心境には、合わない。
やはり、「Bear to Fight」がよい。私は、今日も
がんばった。

昨日も、2時間、歩いた。今朝は、自転車で佐鳴湖を
1周。距離にすれば、6〜7キロくらいか?

そして街へ行くときも、途中でバスをおり、30分
ほど、歩いた。

I bear to fight against my age!
(年齢と戦うため、私は耐える!)

+++++++++++++++++++++

 健康というのは、ガラス箱のようなもの。壊れるときは、簡単に、壊れる。友人のK君
(満55歳)は、ほとんど毎朝、ジョギングをしていた。が、先日会ったときに聞くと、
糖尿病を患っているとか。健康に注意している人でも、そうなる。

 子育てが終わると、そこにあるのは、老後。老後が、ドカッとやってくる。平均寿命か
らすると、私はまだ、あと25、6年は生きなければならない。若い人にたとえるなら、
満20歳から、満45、6歳前後までということになる。長い!

 しかしこのところ、健康に自信がなくなってきた。疲れやすい。疲れが取れない。風邪
が長引く、などなど。集中力や気力も、衰えてきた。ときどき、「こんなことで、80歳ま
で生きられるだろうか」と心配になる。

 「健康寿命」という言葉がある。平均寿命から10年ほどを引いた年齢をいう。つまり
最後の10年は、病気との闘いということになる。そして死ぬ。

 だから戦うために耐える。つまり、がんばる。

 2008年の1月からは、週3回、佐鳴湖の周囲を走る。すでにプログラムに組み込ん
だ。実行に移しつつある。

 しかしほんとうの問題は、どう長生きするかではなく、なぜ生きるか、だ。「だからそれ
がどうしたの?」という解答のないまま、長生きしても、意味はない。

 それについては、また別の機会に考えてみたい。

 Let's bear to fight!


●子育て論

I have not written much about education at home these days.
I have written so much about them in the past and I feel dull or have been boring to
Write about it.

I have some themes about which I'd like to write but I feel less confidence in me.
So may be the readers、too!

+++++++++++++++++++

このところ、子育て論をほとんど、書いていない。
「飽きた」というより、「書き尽くした」。

書きたいテーマは、いくつかあるが、どうも
うまく、まとまらない。自信がない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●国旗と民族主義(National Flag and Nationalism)

日本の国旗は、白地に赤丸。赤い太陽を表す。しかし国旗とは何か? たとえば日本の中
で見る日の丸と、外国で見る日の丸は、たしかに、ちがう。日本の中で見る日の丸は、い
わば空気のようなもの。そこにあって、当たり前。しかし外国で見る日の丸は、たしかに
美しい。それを見たとき、ほっとするような、やすらぎを覚えることも多い。

その国旗について、ヘラルド・トリビューン紙に、こんな記事が載っていた。改めて、国
旗について、考えさせられた。

Our national flag is the Red Sun on the White background, but what is the national 
flag? The impression we have about the flag is apparently different, the impression 
when I see it inside Japan is a kind of "air" and the impression when I see it outside 
Japan is another thing. The flag I see outside Japan often makes me comfortable or
 some kind of warmness.

I found a small article in Herald Tribune, regarding the flag, the article which reminds 
me of the siginificance of the National Flag. 

「When Kosovo recently held a contest to design a flag, the organizers insisted that it 
reflect the multi-ethnic population, shunning the nationalist symbols of the past.

But dozens of artists chose to ignore that edict. They submitted variations of the red and 
black Albanian flag, whose two-headed eagle has for decades been proudly displayed at
 weddings and on the battlefield, while being equally reviled by many Serbs, who make 
up a minority in this breakaway province of Serbia.」(Herald Tribune,Dec. 9th 2007)

「コソボは、国旗をデザインするにあたって、過去のナショナリスト(民族主義者)のシ
ンボルを廃して、多民族国家を反映したものでなければならないと主張した。

しかし何十人もの芸術家たちは、それを無視した。彼らは、双頭のワシのある赤と黒のア
ルバニアンの旗を基調としたものを採用した。それは、長年にわたり、結婚式や戦場で、
誇らしくもかかげられた旗である。しかしそれは同時に、セリビア人たちによっては、の
のしられてきた旗でもある」(ヘラルド・トリビューン紙)。

コソボは、今、新しい国家を作ろうとしている。その象徴として、新しい国旗をかかげよ
うとしている。コソボの中には、少数派だが、セルビア人もいる。このままコソボの、セ
ルビアからの分離独立がすんなりといくとは思わないが、その旗に寄せるコソボの人たち
の思いが、この記事からも伝わってくる。

(付記)

 人間には、本能的の一部として、集団帰属性があるのかもしれない。私は、はからずも、
先日、こんな経験をした。

 どこかの通りを歩いているときのこと。ある食品店の前に、行列ができていた。たまた
まそこを通りがかったこともあるが、私とワイフは、思わず、その行列に加わってしまっ
た。みなが、何を買おうとしているのか、それもわからずに、だ。

 集団の中にいれば、安心感を覚え、そうでなければ、不安になる。そういった心理は、「依
存性」という言葉で説明される。日本人というのは、国際的にみても、その依存性の強い
民族である。

 またこれとは別に、集団の中に埋没することによって、身の安全を図ろうとする心理も、
人間にはある。たとえば特定の宗教団体の人たちは、同じようなユニフォーム(?)を着
ることが多い。「体は異なっても、心はひとつ」というわけだが、そうすることによって、
自分の「力」が、何倍も大きくなったように感ずる。

 それはたいへん居心地のよい世界でもある。孤独そのものが、癒される。が、何も、宗
教の世界だけにかぎらない。スポーツの世界でも、よく見られる。選手と観客が、同じ色
のユニフォームを着たりする。

 こうして「個」は、「集団」を求めて、やがてそこに帰属していく。こうした一連の流れ
を、「一体化」と呼ぶ。

 国旗は、あくまでも、「国」の象徴でしかない。が、しかしここでいう集団帰属性と結び
つけて考えることも、できなくはない。「同じ、旗印のもとに……」というわけである。

 しかし基本的には、本能に根ざす部分であるだけに、こうした集団帰属性は、そのもの
が、原始的であると考えてよい。「個」の確立が進めば進むほど、人間は、また別の考え方
をするようになる。

 私の印象に残っているできごとに、こんなことがあった。

 学生時代に、メルボルンにいたときのこと。日本の海上自衛隊の艦船が、3隻、メルボ
ルン港へやってきた。領事からの連絡で、私も含めてメルボルンに住む日本人が、その歓
迎のために、かり出された。

 私たちは、日本の国旗をもって、メルボルン港の埠頭に立った。私や、私といっしょに
ついてきてくれたオーストラリア人の学生にとっては、祭りのようなものだった。ワーワ
ーと声を出して騒いだ。が、ふと周囲を見ると、直立不動のまま、敬礼をしている人もい
た。中には、バンザーイを繰りかえし、涙まで流している人もいた。

 その日の日記を読むと、私のように、祭り騒ぎになる日本人が、3分の1。直立不動の
まま敬礼を繰りかえす人が、3分の1とある。残りの3分の1は、そのどちらでもない人
ということか。

 1970年のことだから、今は、日本人の意識もだいぶ変わったと思う。当時は、まだ
そういう時代だった。

 実は、私もオーストラリアへ渡った当初は、自分が日本人であることを、たいへん強く
意識していた。つまりそれだけ集団帰属性が強かったと思う。しかしあるときから、それ
が薄れ、やがて消えた。海上自衛隊の艦船がメルボルン港へやってきたのは、その消えた
ころのことだった。

 理由を話せば長くなるが、そのころの私は、「私はアジア人」と言うようになっていた。
今から思うと、私という「個」が、日本を離れ、より広い、「アジア」という集団に帰属し
ていたことになる。

 言いかえると、こうした集団帰属性は、そのつど、拡大することもできるし、ばあいに
よっては、縮小することもできるということ。「拡大」というのは、「ワクを広げる」とい
う意味。「日本」から「アジア」へ。その「アジア」から「世界」へ、そして「地球全体」
へと。

 一方、「縮小」というのは、「ワクをせばめる」という意味。「日本」から「地域」へ。そ
の「地域」から「家」へ、そして「家族」へと。

 拡大するのがよいとか、縮小するのが悪いとか言っているのではない。人間には、双方
向性があるということ。またそのバランスを保つことが大切ということ。どちらか一方だ
けを極端化するのは、好ましくない。

 たとえば国旗についても、それがすべてと、国粋主義者的に考えるのもどうかと思うし、
国旗など意味がないと、燃やしてしまうのも、どうかと思う。

 ヘラルド・トリビューン紙の記事は、つぎのように、しめくくっている。

「"How we create a Kosovar identity is a critical question," said Migjen Kelmendi, a 
former rock star who is now a linguist and editor. Kelmendi is leading the effort to 
fashion a new self-image for Kosovo. The Albanian Muslims who form the large majority 
of Kosovo, he said, "think of themselves in terms of their Albanian ethnicity - and they 
think that questioning that makes them a traitor."

「コソボのアイデンテティをいかに作るかということは、深刻な問題である」と、元ロッ
ク・スターであり、現在は言語学者でもあり、編集者でもある、Migjen Kelm
endiは、言う。彼は、コソボの新しいイメージを創作するために、先頭に立って努力
している。彼、いわく、「コソボで大多数を占めるアルバニア系イスラム教徒たちは、自分
たちを、アルバニア民族という観点でとらえている。そしてそれに疑問をもつことについ
て、裏切り行為であると考えている」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 民族主義 国旗 National 
Flag of Japan Nationalizm Nationalism)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝のニュースから(Herald Tribune紙より、12月8日・Dec 8
th)

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ヘラルド・トリビューン紙の中の、2つの記事が
目にとまった。

ひとつは、香港に寄港しようとした、アメリカ空母の
キティフォークが、寄港を拒否され、そのままUターン
して、佐世保に向かったこと。

もうひとつは、コソボの独立に関する外交が、
「行きづまってしまった」(CRICE次官)こと。

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●キティフォーク問題

 アメリカのキティフォークを中心とする艦隊が、香港に入港しようとしていた。香港に
は、先に、その家族たちが行っていた。ともに感謝祭の休暇を過ごすつもりでいた。

 しかし寄港、数時間前に、中国政府は、突然、寄港を不許可とした。キティフォークを
中心とする艦隊は、そのままUターン。日本の佐世保港に向かった。

 そのときアメリカの艦隊は、台湾海峡を通過した。中国側は、台湾海峡は、かねてより、
自国の領海であると主張している。アメリカ側は、国際海峡であると主張している。

 が、アメリカの艦隊がUターンして日本に向かっているとき、突然、中国政府は、「人道
的な観点から、香港への寄港を許可する」と発表。しかし2度目のUターンは、なかった。

(以上、ヘラルド・トリビューン紙より。)

Ships are not supposed to turn on a dime, especially American aircraft carriers that 
travel in large convoys.

But that's exactly what happened with the USS Kitty Hawk as it approached Hong 
Kong for a long-scheduled Thanksgiving visit.

Hours before the ship was to dock, with the families of many of the crew members 
having flown to Hong Kong for reunions, the Chinese authorities notified the U.S. Navy 
that permission to dock had been revoked.

Surprised by the measure but eager to salvage something of the holiday, the Kitty Hawk 
made a quick U-turn and steamed toward Japan, saving time and returning China's 
slight by sailing through the narrow Taiwan Strait, which the United States regards as 
international waters but China claims as its own.

Before the battle group had reached that point, though, the Chinese authorities radioed 
again announcing a change of mind: for "humanitarian reasons," the Kitty Hawk would 
be welcome after all.(Herald Tribune)

●危険な台湾海峡

「一触即発」という状況ではないにしても、台湾海峡がアジアの火薬庫と言われるゆえ
んは、そこにある。多くの評論家は、朝鮮半島問題よりも、台湾海峡問題のほうが、深
刻であるという。

 朝鮮半島で戦争が起きても、アメリカと中国が直接対決するということはない。しかし
台湾海峡で戦争が起きれば、そのままアメリカと中国が直接、対決することになる。当然
のことながら、日本も、そのままその戦争に巻き込まれる。

 中国の軍事力が増強される中、中国は、今までのようにおとなしくはしていないだろう。
それが今回の、キティフォーク問題に集約されている。

"One touch to explode" is our saying. But similar accident would be occurred between 
USA and China, especially Taiwan Strait. So the Strait is called "Powder Magazine"in 
Asia.

Even still in the worst critical situation, USA would not fight agaist China directly in 
Korea Peninsula but things are different in the Taiwan Strait. Once they have started a 
war, the war would invole Japan as well as USA and China.

China
Would not be a calm Panda anymore, for its military presence has been forced very 
rapidly these years.


●コソボ問題

ライス国務長官は、金曜日、コソボの未来に関する、国際的な外交交渉は、行き詰まった
(a dead end)と確信した。コソボの新しい首相は、コソボは、来年はじめま
で、セルビアからの独立を求めないということらしい。

NATOの外務大臣たちと会ったあと、ライス長官は、外交は消耗し、ワシントンは、つ
ぎのステップに進む用意があると示唆した。(ヘラルド・トリビューン紙より)

Secretary of State Condoleezza Rice affirmed Friday that international negotiations 
over the future of Kosovo had reached a dead end, even as its likely new prime minister 
said that Kosovo would not seek independence from Serbia until early next year.
After a meeting of NATO foreign ministers here, Rice indicated that diplomacy had been 
exhausted and that Washington was ready to move to the next phase.

●不安定化するヨーロッパ

 同じ記事には、「コソボは、NATOの裏庭(Back Yard)」とある。NATO
は、コソボ問題には、無関心ではいられないという意味らしい。

 そのコソボ問題が、行き詰まった、と。

 もちろんその背景には、ロシアとEUの対立がある。さらに言えば、ロシアとUSAの
対立がある。

 ライス長官は、「つぎのステップに進む」と示唆しているが、それが何であるかは、この
記事からはわからない。

 これは私の印象だが、ライス長官という人は、アメリカ型合理主義者で、またそれが世
界の標準であると信じているような人ではないか。YES・NOを、いつも相手に明確に
求めようとする。どこか狂信的ですら、ある。自分が正しいと決めたら、一歩も譲歩しな
い。

 それはそれで結構なことだが、しかしそれは世界の標準ではない。とくに、このアジア
では、通用しない。

In other part of the article, it says, "Kosovo is the backyard of EU", which means EU can 
not remain indifferent from the problems of Kosovo.

But Secretary of State Condoleezza Rice affirmed Friday that international negotiations 
over the future of Kosovo had reached a dead end.

Behind this dead end, there is a strong influence of Russia against EU including USA. 
Then Rice indicated the USA will move to the next phase. We don't know what the next 
phase is.

This is my very personal impression about Rice, but I think Rice is too much USA-type 
rationalist and she believes herself it is the justice as well as it is the standard of the 
world. She is always fond of making things clear, YES or NO. There is no "between" for 
her. Sometimes she seems to be fanatical to her belief.

But as far as I just guess about the affairs around the world especially in Asia, it is NOT 
the standard, which she may not be able to understand.


●住みやすくなった東京(Tokyo's peace behind the gli
tter)

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東京へ来た外人は、地下鉄の静けさに驚き、
平和な住宅街の通りに驚く。

+++++++++++++++++

These days, years of low inflation and a healthy exchange rate mean that Tokyo is far 
cheaper than it used to be and often astonishingly good value. The streets are safe, the 
restaurants consistently excellent and the transport system the most efficient of any 
major city. The service is outstanding, as is the attention to detail - whether it's in the 
presentation of food or gift wrapping in shops. Even the most critical travellers are
 likely to be charmed by the courtesy they encounter.

近年、低いインフレ率、健全な為替レートにより、以前より、物価がずっと安くなった。
通りは安全で、レストランの料理はよく、交通手段も効率的で、すぐれている。とくに包
装などにみる、サービスはきわだっている。もっとも批判的な旅行者ですら、彼らが出会
うもてなしに、魅惑づけられる。

Leaving Japan is like emerging from a cosy cocoon into a harsh, brusque world. 
Well-heeled foreign residents, frankly, have the best of all worlds: the low crime, the 
good food and service and the high standard of living, without the social and family 
obligations that the Japanese often wish to escape from.

日本を離れてみると、居心地のよい繭(まゆ)から、乱暴な世界へ飛び出したかのようで
ある。金持ちの外国人たちは、日本では、世界で最高のもの(生活)をしている。犯罪発
生率は低く、食べ物やサービス、生活水準は、高い。日本人がしばしば逃げたがっている、
社会的、家族的義務も、ない。

There are certain irritations - limited green space being one - but overall they are a 
small price to pay to live in this unique city. The Tokyo region is vast, with a population
of 12.5 million people, or 10 per cent of Japan's total population. 

緑が少ないという不満はあるが、全体としてみると、この都市に住むのは、安価である。
東京には1億2500万人の人口のうちの10%が、住んでいる。

It is a 2,187-square-kilometre prefecture of its own, comprising 23 special wards, 26 
cities, five towns and eight villages. Tokyo proper (the central district of 23 wards) is a 
mystery in some ways. Just how has an industrialized city of 8.5 million people, with 
the highest population density in Japan, come to where it is today without suffering all 
the usual social ills, the crime and inefficiency, of urban living? Long may it remain so.

広さは、2187平方キロメートル。その中に、23の区と、26の都市、5つの町と、
8つの村がある。23区についていえば、神秘的ですらある。高密度の850万人もの人
がどうして、社会的な病気に苦しむこともなく、犯罪や非効率に苦しむこともなく、都市
生活を営むことができるのか。長く、そうであればよいことを願う。(以上、ヘラルド・ト
リビューン紙より)

●日本のよさ(good aspect of Japan)

 日本に住んでいると、ときどき、息苦しく感ずることがある。管理と規則。制約と資格。
そういうもので、私たちはがんじがらめになっている。

 しかしそういうものは、外人の目には、とまらない。ある意味で表面的な部分だけを見
て、日本を判断する。そして「日本は、いい国だ」と言う。

 このことは、田舎に住んでみるとわかる。見た目には、農村地域の人たちは、おだやか
で、都会から来た人を、いつでも歓迎してくれるように見える。しかし実際には、そうで
はない。そうではないことは、日本人なら、みな、知っている。

 都会から来た人が、農村地域に住むのは、不可能と考えてよい。たいていは、そのまま、
はじき飛ばされてしまう。「見るのと、住むのは、別問題」ということになる。

 外人が外人として、外人の世界に住んでいるかぎりは、日本は、よい国だろうと思う。
……というようなことを、この記事を読みながら、感じた。

I feel often to be choked because of too much rules and restrictions in Japan. 
Numberless threads tie us up too tight to move.

But foreigners living in Japan, especially temporary visitors to Japan can not see the 
things inside Japan. And most possibly they would say "Japan is a nice country".

Let's me take an example, saying, country people looks generous to urban people when 
urban people come into country side. But "Seeing and living are quite different things". 
For urban people it is almost impossible to live in together with country people or they 
are rejected to live in.

I have an impression after reading this article, that, Japan may be a good country for 
those who come to Japan as visitors or who live in Japan as foreigners. But it is not 
everything.


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●それぞれの退職(everyone's retirement)

I talked with my friend, Mr. O over the phone this morning. It has been almost 20 years 
since the last talking. He has retired from his job this November. He sounded all right 
and he said," I shall do what I have wanted to do."

Like me who have lived after the war have been always bearing something in 
somewhere in our mind. We have been good workers like soldiers in the camp. So I could 
understand him well enough to agree with him, simply answering, "let's do so."

Tomorrow something will be changed or tomorrow I will have something good. This is 
the hope. We live for the hope, which I believe in.

+++++++++++++++++

今朝、大阪に住む、O君と電話で話をした。
20数年ぶりの電話である。

O君も、この11月に、会社を退職した。
元気そうな声だった。「これからは、
したいことをするよ」と言った。

「今まで、できなかったことを、する」とも。

そう、私たちの年代は、いつもじっと、
何かに耐えて生きてきた。いつも心のどこかで、
したいこともしないで、がまんしてきた。

自分の中の(まじめさ)が、そうさせたのかも
しれない。その(まじめさ)で、体を
自らしばり、今まで生きてきた。

O君の気持ちが、よくわかった。

「そうだね、これからはしたいことをしなくては」と、
私は、答えた。

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 退職の仕方は、人、それぞれ。ワイフの友人たちの夫の中にも、今年、退職を迎えた人
が、何人かいる。「これからは、寝て暮らす」と宣言した人もいるそうだ。「世界中を旅行
をする」と宣言した人もいるそうだ。もちろん、すでにつぎの仕事を始めた人もいる。

 少し前だが、「四国八十八か所を回る」と宣言した人もいた。そのときは、「何と、ジジ
臭いことを考えるんだろう」と思った。が、自分がその年齢になってみると、「それもいい
なア」と思うようになった。

 退職する直前に病気になる人もいる。10数年前だが、がんになった人がいた。その人
は、それから自動車の運転免許証を手に入れ、1年間で、10万キロもあちこちを走った
という。(土日だけで、1年間に、10万キロだぞ!)

 もっともじゅうぶんな退職金を手にし、企業年金も加算される人は、幸福な人だ。私の
ように退職金もなく、年金も、国民年金だけという人も少なくない。私のような人間は、
死ぬまで働くしかない。老後生活とはいうものの、老「後」、そのものがない。

 ……これはグチかな?

 だから前向きに生きていくしかない。死ぬまで現役。過去を振り返らない。過去を引き
ずらない。そこに何があるかわからないが、何かがあると思って、生きていく。希望がな
いわけではない。ワイフに、「そのうちいいこともあるよね」と言うと、ワイフはこう言っ
た。「私は楽しかったわ」と。

 それを聞いて、うれしかった。

 退職の仕方は、人、それぞれ。1000人いれば、1000通りの退職の仕方がある。
老い方がある。仕事をつづける人にしても、それまでの仕事とは、まったくちがった仕事
に就く人もいる。友人のT氏は、来年3月に役所を退職するが、「百姓をする」と、がんば
っている。

 それも人生。あれも人生。そして人は、人、私は、私。

 ……たった今、横にいたワイフに、私は、こう言った。「ぼくは、どうするのかなア?」
と。

 しかしいつ答は、同じ。「今のまま、がんばるしかない」と。まあ、あえて言えば、今の
私の生きがいは、ホームページをいじったり、電子マガジンを発行することか。あるいは
こうして何か、文を書くこと。

 今日も、どこか、風邪気味。気が弱くなっている。庭の落ち葉を見ているだけで、気が
滅入る。


●パソコンの修理

My wife's computer is out of order and I tried to fix it up this morning. This was a pretty 
hard job, since I brought up my old computer and took out its mother-board and 
hard-disk and I replaced them with wife's ones. I spent whole morning today to kill my 
Sunday half.

+++++++++++++++++

簡単に言えば、ワイフのパソコンが
こわれた。

そこで私の古いパソコンをもちだし、
使える部品(ハードディスクとマザーボード)
を、ワイフのパソコンのそれと交換する
ことにした。

1+1=1、というわけ。

が、これが結構、めんどうな作業だった。
一方は、N製。もう一方は、F社製。
相性があまりよくない。

(N社製のほうに、F社製のハードディスクを
つけかえたら、分解色数が16色のみになって
しまったりした。)

そこであれこれ悪戦苦闘。せっかくの日曜日
なのに、午前中は、それでつぶれてしまった。

が、こうして私は、またひとつ、賢くなった。
プラス、楽しかった!

+++++++++++++++++++++

 パソコンという怪物も、中身は、CPUを積んだマザーボードの性能で、決まる。あと
のハードディスクとか、DVD何とかとか、メモリーなどといったものは、いわば飾りの
ようなもの。

 それがわかれば、あとはこわくない。中には、パソコンというと、得体の知れぬものと
いう印象をもっている人がいる。(そういう人は、多い。)実際、そういう面がある。突然、
パソコンが動かなくなったりすると、何をどうしてよいかわからなくなる。しかし基本的
には、先に書いたとおり。

 だからN社製のパソコンも、F社製のパソコンも、中身は、同じ。マザーボード以外は、
相互に交換しても、どうということはない。もちろんそのつど、再セットアップ(リカバ
リーともいう)は、しなければならない。

 で、午後からは、高橋さんの農園へ。帰りに、パソコンショップへ寄って、ウィルス対
策ソフトを購入。ほかにもいろいろすることがあったので、作業が終了したのが、午後6
時ごろ。

 今日は、ワイフが風邪気味だったので、夕食の料理、洗い物は、私がした。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●信仰(Belieifs)

In Japan, we have different types of Gods. Some worship foxes and others worship 
snakes. The other day I happened to see a news program on TV, in which they reported 
"Daikoku-sama". It is the God of money.

My mother used to be a very earnest believer in several Gods. She, however, has stopped 
believing in them anymore. So one day I asked her the reason why, but she only said, 
"no more for something" or "I have nothing to say".

By the way when we depart from someone, there are roughly four stages.

(1)speaking ill of each other
(2)quarrelling or arguing
(3)ignoring or indifferent to each other
(4)rejection

When we say something like this, "I have nothing to say anymore", it means they are on 
the (4) stage. This theory can be applied to a couple, friends, relatives and families.

She was on the (4) stage and she stopped in believing in her Gods.

My wife and I have talked about my mother a lot.

"There's a big difference between religion and beliefs.", said I.
"Religion has its own philosophy, but beliefs don't.",said my wife.
"What my mother did is just to believe in Gods who brings her profits"
"Most of the Gods in Japan are like that, I think."

"Then what shall we do with the new year's first visit to shrine?"
"I hate the crowdies of people."
"So what shall we do? Shall we go to a shrine before the new year's days?"
"That is one of the ideas." 

 「信仰」と言えるものなのか、どうか、わからない。わからないが、年末になると、全
国のあちこちで、「・・・祭」というものが、開かれる。数日前は、大黒様を祭った、「大
黒様祭」というのが、どこかであった。テレビのニュース番組の中で、紹介されていた。

 で、話はそれるが、私の母の話になるが、実は、私の母は、たいへん信心深い人だった。
(「信仰」というよりは、「信心」。「信心」というよりは、「迷信」?)店先には、神棚と稲
荷様がまつってあった。通路の奥には、大黒様がまつってあった。もちろん、仏壇もあっ
た。

 毎年、毎月、母は、同じことを繰り返した。祖父母、親類の人たちの命日には、毎月(毎
年ではないぞ。毎月だぞ!)、墓参りもしていた。

 その母が、今は、まったく信仰していない。信仰のカケラも、感じさせない。現在の特
別擁護老人ホームへ入る前、私の家に6か月、寝泊りしたが、その気配すら、なかった。
そんな母を見ながら、私とワイフは、よく「あの母が・・・」と、顔を見合わせた。

 で、ときどき、私は、母に聞いた。「仏様に参らなくてもいいのか?」と。すると母は、
決まって、こう言った。「いまさら、もうええ」「拝んでも、無駄や」と。

 母には母なりの思いがあって、そう言ったのだろう。

 ところで(別れ話)には、段階がある。

(第一段階)・・・グチ、悪口(グチをこぼす)
(第二段階)・・・喧嘩、口論(言い争う)
(第三段階)・・・無口、無視(たがいの間から会話が消える)
(第四段階)・・・拒絶、拒否(関係を拒否する)

 第一段階から、第三段階までの間なら、まだ元(もと)に戻る可能性がある。夫婦でも、
親子でも、また職場での人間関係も、みな、同じ。

 しかし第四段階へ進むと、もう、あと戻りできない。修復、不能。夫婦なら、離婚。親
子なら、絶縁。会社なら、退職となる。「もう何を話しても無駄」という状態が、第四段階
ということになる。

 母が信仰をしなくなったのは、母なりに、この第四段階にまで進んでしまったためでは
ないか。「神様や仏様と話しても、無駄」と。

 が、信仰というのは、心でするもの。もとを正せば、「心の問題」。信仰をやめるという
ことは、(自分自身との決別)、もしくは、(自分自身の否定)ということになる(?) 「今
まで熱心にしてきたことが、無駄であった」と知らされることは、自己否定そのものにつ
ながる。

 となると、母のしてきたことは、信仰ではなく、信心。もっと言えば、「迷信」というこ
とになる。

 今でも大黒様はもちろん、稲荷様を信じている人は多い。私には、それらがどういうも
のかはわからない。わからないが、信仰というのは、(教え)に従ってするもの。利益や、
損得を考えてするものではない。「これを拝めば、願いがかなう」「お金がもうかる」とい
うのは、信仰ではない。その多くは、迷信と考えてよい。

 そんなことに(力)を貸す神様や仏様など、いるはずがない。

 ・・・というようなことを、私は、すでに子どものころ、考えていた。「Aさんの家が、
信仰によって繁盛するなら、その分だけ、同業者のBさんが、衰退するだけではないか」「も
し、そうなら、その神様(仏様でもよいが)は、まちがっている」と。

 ずいぶんと回りくどい言い方になってしまったが、その一方で、神様や仏様に頼らず生
きていくというのも、たいへんなこと。毎日、断崖絶壁の淵(ふち)を、恐る恐る、歩い
ているようなもの。そういった不安感が、いつも、闘わねばならない。

 このところワイフとこんな会話がつづく。

「初詣は、どうする?」
「どこに、しようか?」
「正月は混雑するから、今年も、年末に、どこかへ行こうか」
「そうねえ。どこにしようか?」と。

 しかしこういうのは、信仰とは言わない。自分でも、それがよくわかっている。つまり
は、気分転換? それとも、気休め? ただの行事? 

(付記)

 夫婦でも、親子でも、社員でも、「もう、何も話すことはない」「話し合っても、無駄」
という状態になったら、おしまい。どこかの離婚相談員の女性も、以前、そんなようなこ
とを書いていた。たがいの心が修復不能なほどまで離れてしまうと、人は、そうなる。

 つまりある一線を越えると、人は、自分の心を、どこかへ投げやってしまう。そしてそ
の世界で、固い殻(から)をつくり、その中に閉じこもってしまう。長い時間をかけて、
そうなる。10年とか、20年とか、そういう時間をかけて、そうなる。その殻を溶かす
のは、容易なことではない。ふつうは、不可能。

 が、世の中には、節介焼きの人がいる。他人の人間関係の間に、ズカズカと入り込んで
きて、説教したりする。「夫婦だから……」「夫だから……」「男だから……」と、安っぽい、
『ダカラ論』をぶつけてくる。「何とかなるでしょう」「子どもがいるでしょう」「離婚して
も、何も残らないわよ」とか、何とか。

 私も似たような経験を、何度かしたことがある。で、私のばあい、そういう人たちとは、
絶縁することにしている。それなりの人ならまだしも、またこちらの事情をよく知ってい
る人ならまだしも、そうでないなら、そのまま絶縁することにしている。

 つまり「話しても、無駄」。もっと言えば、「時間の無駄」。だから絶縁することにしてい
る。(ちょっと、冷たいかな?)

(付記2)

 他人の家庭問題について、頼まれもしないのに、ズカズカと入り込んでいって、何かの
説教をするというのは、よほどのバカかアホのすること。ふつうは、しない。しては、な
らない。

 その家には、その家の、その家族には、その家族の事情というものがある。それを一方
の側だけの意見を聞き、これまた一方的に、自分の意見を組み立てる。そしてあとは、こ
こにも書いたように、安っぽい、『ダカラ論』で、自分の意見を補強する。

 以前、こんなことがあった。

 ある女性(当時、60歳くらい)からの相談だった。「息子夫婦が、離婚することになっ
た。ついては、ひどい嫁だったから、財産分けをしたくない。どうすればいいか」と。そ
の女性は、嫁の悪口を、あれこれと、1時間以上も話した。

 しかしこの相談は、基本的な部分で、おかしい。離婚する、しないは、当人どうしの問
題。親が割って入るような問題ではない。つぎに「財産分けをしたくない」というのも、
おかしい。いくら気に入らない嫁であっても、それとこれは、別問題。それに私が聞いて
いるのは、その女性からの一方的な意見にすぎない。そういう一方的な意見を聞いて、自
分の意見を組み立てることはできない。

 私は、その女性からの申し出を断った。「私ではなく、一度、家庭裁判所のほうで、話し
合ってみたらどうでしょうか」と。

(注)「belief」というと、日本語でいう「信念」という意味になってしまう。「信念」とい
うのは、ここでいう「信心」とは、少し意味がちがう。やはりここは、「faith」とすべきか?


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2345)

【今朝・あれこれ】(Dec. 10)

●映画「日本沈没」(Sinking of Japan)

++++++++++++

「日本沈没」という映画を
見た。日本映画にしては(ごめん!)、
なかなかよくできた映画だった。

I saw a film, "Sinking of Japan". It was not so bad for the Japanese movies.

しかし構成が、陳腐。日本が沈没
するのを防ぐために、若い1人の男性が、
自ら犠牲となって、海の底に
沈んでいく。愛する女性に、別れを
告げながら…、と。

But the story itself is not so impressive. A young Japanese man became a sacrifice, 
and died.

が、これは映画の世界の話。
今、現実に、国全体が沈没しつつ
ある国がある。
オーストラリアとハワイのちょうど
中間あたりに、ツバルという国
がある。

This is the movie, but there a small country, called "Tuvalu" just between Hawaii and 
Australia, with a population of only 11thousands. This island is sinking because of the 
global warming. Many houses are flooded at the time of the high tide. Then the Tuvalu 
government asked Australia and New Zealand to accept immigrants from its country. 
But both of these countries are refusing them. As to Australia, the country is also 
suffering from the lack of water and drought of these years. 

面積は26平方キロメートル。
人口は、1万1000人にすぎない、
小さな環礁島である。

環礁島というのは、サンゴ礁でできた
島ということ。

何しろ、平均標高が2メートルしか
ない。このところの地球温暖化現象と、
それにともなう海面上昇で、満潮時に
は、多くの家々が、冠水する事態に
なっている。

そこでツバル政府は、「環境変化に
より生活基盤をなくしつつある難民」
であるとして、オーストラリアや
ニュージーランドに、自国民の受け入れを
要請した。

「環境難民」という言葉も、そこから
生まれた。

が、オーストラリアもニュージーランド
も、それを拒否。「環境難民」という
概念そのものを認めていない。

私は、映画「日本沈没」を見ながら、
ツバルのことを思い浮かべていた。
「日本沈没」の中でも、多くの日本人が、
外国へ移住していく様子が、繰りかえし
出てくる。

In the movie, many Japanese were escaping to other countries by boat and by plane. 
"But is this possible?" Will they accept so many Japanese as so-called "ecological 
refugee"? I am afraid that the answer may be "No".

「たった1万人でもむずかしい。1億人
もいる日本人は、どうするのだろう」と。

一方、ニュージーランドのことは、
よくわからないが※、オーストラリアには、
オーストラリアの事情がある。

オーストラリアというと、広大な国と
いうことになっているが、実際には、
人の住める場所は、かぎられている。

最大の問題は、水、である。ここ数年の
あいつぐ干ばつを見るまでもなく、
オーストラリアはオーストラリアで、
水不足に苦しんでいる。

地球温暖化が進めば、この問題は、
さらに深刻さを、ます。

で、ふと今、考えたのだが、では
この日本では、だめなのか?

Then an idea occurs to my head. In the near future we will be losing 1 million 
population each year, which will cause a serious problem of the lack of workers. Then 
why don't we think about accepting more ecological refugee from these isilands? I don't 
think it to be a so much difficult problem. In this city, Hamamatsu, now more than 30 
thousands of foreign workers mainly from South America are working. We have had 
already some knowledge to do well with these people.

この先、日本の人口は、毎年100
万人ずつ減っていく。つまりその
分だけ、労働力が不足していく。
1万人程度の受け入れなら、それほど
難しくはないのではないか、と。

現に今、この浜松市だけでも、約3
万人近い外国労働者を受け入れている。
いろいろと問題はあるようだが、今の
ところ、何とか、うまくやっている。
少しずつでも、このワクを広げて
いけばよい。

+++++++++++++++++

(注※)ニュージーランド政府は、2002年度から、ツバルから毎年75人程度の移民
を認めている。ただし18歳から45歳までという、年齢制限などがある。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学力低下(Learning Ability of Japanese students)

+++++++++++++++

OECD(経済協力開発機構)が、06年度に、
15か国、15歳、約40万人を対象にした、
「生徒の学習到達度調査」結果が、このほど、
公表された。

それによると、日本の高校1年生(15歳)は、
前回2003年度にくらべ、読解力が、14位から、
15位。数学応用力が、6位から10位になった。

科学応用力も、2位から6位に後退した。

実施3分野すべてで、順位が低下。前回につづき、
高校生の学力低下傾向が、数字で示された形と
なった。(中日新聞07−12−5、要約)

The result of "student's ability of learning", which made 15 countries, 15 years old and 
about 400thousand students done by OECD is announced on Dec. 5th 2007.
According to the result, Japanese the 1st grade (15 years old) in the high school was 
compared with 2003 last time, and reading comprehension ability was downed from the 
15th from the 14th.

The mathematical application ability was the 10th from the sixth prize.
The science application ability was downed in the sixth from the second prize, too.
All decreases in the execution in 3 fields .
It became clearer that the learning abiluity of Japanese students have been downed in 
three fields.

++++++++++++++

●世界の子どもたちの学力(learning Ability of the youth of the wrorld)

(読解力)(Reading Ability)

1位  韓国(Korea)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
15位 日本(Japan)

(数学的応用力)(Math Application)

1位  台湾(Twaiwan)
2位  フィンランド(Finland)
3位  香港(Hong-Kong)
……
10位 日本

(科学的応用力)(Science Application)

1位  フィンランド(Finland)
2位  香港(Hong-Kong)
3位  カナダ(Canada)
……
6位  日本(Japan)

++++++++++++++

 この結果を、小学5年生の子どもたち(6人)に話してみた。子どもたちは、読書につ
いて話し始めた。

I talked about this result to some six kids of Grade 5th of school. They started talking 
about themselves.

 驚いたことに、その中の2人が、1年に、300冊近くも本を読んでいることを知った。
300冊といえば、1日に、ほぼ1冊ということになる。

With my surprise I know two of them are reading 300 books per year. Almost one book a 
day!

 「どうしてそんなにたくさん読むの?」と聞いたら、「学校で、読書競争があるから」と。
中に1人、親から、読書時間を制限されている子どもがいることもわかった。その子ども
は、1日に、1時間までと決められているそうだ。

I asked them why you read so many books a year and one of them told me that there is a 
class-competition of reading. Moreover I was surprised to know that one of them is 
limitied to read books less than an hour a day!

 読書は、あらゆる学力の基本である。社会科にしても、理科にしても、読書が基本。と
くに小学生のばあい、社会科は、社会科的な国語、理科は、理科的な国語と理解するとよ
い。

Reading is essential and we say in Japanese "reading is the pillar of education". As for 
socioloy and scienace, they are only parts of reading.

 が、それだけではない。

But it is not all.

 読書を日常的にしている子どもには、ある種、独特の(深み)がある。沈思黙考タイプ
というか、目つきが、いつも静かに落ち着いている。理知的というか、じっと周囲の様子
を観察しているといった雰囲気がある。

Those kids who read books in their daily life look different from those who do not. Those 
kids who read more books have a kind of a very special mood and they give us an 
impression of deep-thinking. They are more logical and even when we do our 
conversation, they always try to observe things around them.

 読書がいかに大切かは、今さら言うまでもない。欧米では、読書(reading)を、教育の
柱にしている。学校教育は、読書に始まり、読書に終わると言っても過言ではない。

It is no use to say that reading is so important. In western world, reading is one of the 
most important subject to learn. School education starts from reading and it is 
everything.

 一方、読書をまったくと言ってよいほど、しない子どももいる。このタイプの子どもは、
どこか、軽い。中身がない。バラエティ番組の中のタレント風といった感じ。ものの考え
方が、表面的。直感的。よくしゃべる。小学5、6年生になると、その差がはっきりとし
てくる。

On the contrary there are some who do not read books at all. This type of kids also have 
a kind of special mood. They are "light" in thinking and we feel no deepness in their 
thoughts just like TV talents of cheap varaiety programs. They talk a lot. The difference 
comes clear when they are about the age of thre grade 5th.

 さらに日常的に作文をしている子どもは、ものの考え方が論理的。言葉の使い方そのも
のが、ちがう。読書、作文は、子どもの教育の(要=かなめ)と考える。

And also there are some who write things in their daily life. They are more logical and 
when they talk they use more proper words to express themselves. Reading and writing 
are the "pillar" of education, I am quite sure.
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist reading writing learning 
ability of the Japanese students)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●英語で考える(Thinking in English)

I am facing a very funny phenomenon in me, that I am thinking in English even while I 
am wrting things in Japaese, which I mean that I am translating what I am writing into 
English at the same time. This may be the reason why my essays I write in Japanese 
seems to be like ones which school kids write at schools. I am trying unconsciousnessly 
to avoid difficult words and expressions in Japanese. I hope this may be a kind of a 
phenomenon everybody experience on the way. I shall keep doing this and then I will 
know the answer.

++++++++++++++

またまたおかしな現象に
直面している。

12月に入ってから、英語でも
BLOGを書き始めた。

そのせいだろうが、日本語を
書きながらも、別の頭で、すでに
英文を考えながら書くようになった。

そのため自分の書いている日本語が、
まるで小学生の書く作文のように
なってしまった。

できるだけ難解な言葉を避けようと
している。内容も、簡単になってきた。

そんな感じがする。

これも一過性のものか。

今しばらく、このままの状態を
つづけてみたい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●民主主義の原点(The Principle of the democracy?)

++++++++++++++

国あっての民なのか、民あっての
国なのか。

(Should the people be existed before the government?
Or should the government be existed before the people?)

日本では、国あっての民と考える。
しかしそれは民主主義の原点では
ない。

In Japan we think people are existed because the government is existed.
But this is not a common sense of the world.

トーマス・ペインの有名な文章を
紹介する。

Here I introduce Thomas Paine's artcle about the Democracy.

++++++++++++++

Thomas Paine said it best.

"It has been thought," he wrote in The Rights of Man in 1791, "…that government is a 
compact between those who govern and those who are governed; but this cannot be 
true, because it is putting the effect before the cause; for as man must have existed 
before governments existed, there necessarily was a time when governments did not 
exist, and consequently there could originally exist no governors to form such a 
compact with. The fact therefore must be, that the individuals themselves, each in his 
own personal and sovereign right, entered into a compact with each other to produce 
a government: and this is the only mode in which governments have a right to arise, 
and the only principle on which they have a right to exist."

1791年にトーマス・ペインは、「人間憲章」の中で、つぎのように書いている。

「政府(=国)は、統治するものと、統治されるものの協約であると考えられてきた。し
かしこれは事実のはずはない。なぜなら因果関係が、逆だからである。人間は、政府が存
在する前にすでに存在していた。政府が存在しなかった時代が、必然的にあった。このよ
うな協約のある統治者はもともといなかった。それゆえに、それぞれが不可侵の権利をも
った個人そのものが存在し、それがそれぞれに協約を結び、政府を生み出した。そしてこ
のようなムードの中で、政府は立ち上がる権利を擁し、またそれだけが政府が存在する権
利をもつところの原則である」と。

しかしいまだに、「国にあっての民」と考えている人は多い。さらに引き下がって、「家あ
っての、家族」と考えている人も多い。ついでに言えば、「親あっての、子」と考えている
人も多い。よい例が、一家心中である。

(In Japan, even still now many people think that we can exist because the government 
existes before people. Similarly at the same time families can exist because the "House" 
exists before the families. And also children can exist because Parents exist before the 
children. Take up "Family Suiside".)

死にたければ親だけが死ねばよい。子どもを巻き添えにするとは、卑怯だ! 子どもには
子どもの人生がある。命がある。

(Why should children be involved in the Family Suicide in Japan? If you want to kill 
yourself, you only kill yourself. Don't get children be involved in the Family Suicide in
 any case, since children themselves have right to live and life and the right to exisit?)

家族にしても、そうだ。江戸時代という封建時代ならいざ知らず、今どき、「家」のために
家族が犠牲になるなんて、バカげている。さらに言えば、民あっての、国である。それが
民主主義の原点である。

(Also as the the "House", we are not living in the world of feudal age called "Edo-Period" 
and therefore it may be stupid for each member of the families sacrifice for the house. 
Moreover the government can exist because we, the people, exist before the government. 
This is the principle of the democracy.)

それとも日本は、今、この場に及んで、王政復古を成し遂げようとしているのか? 「武
士道こそ、日本が誇るべき、精神的根幹である」と説く人がいる。そういった内容の本が、
100万部単位で売れている。

(Or are we about to repeat again the Restoration? It is very sad thing to know that 
more people worship the Knight-ship (Samurai soldiers) and their spitits, saying "This 
is Japan",. Millions of books on this are being sold in Japan.)

それはそれで結構なことだが、封建時代の負の側面、負の遺産に目をくれることなく、一
方的に武士道なるものを礼賛するのも、どうか? こうした動きは、むしろ、民主主義の
後退を招くだけ。

(We should pay attention also together on the dark side of the feudal age and its spitits 
at the same time when we worship them. Or it would slow down the pace of Democracy.)

改めて、トーマス・ペインの「人間憲章」を読みなおしてみたい。

(Here again we would like to make sure what Thomas Paine writes in the "The Rights of 
Man".
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Democracy in Japan the 
principle of the democracy Samurai Spirits samurai soldiers)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「国」とは何か?(What is "Kuni"?)

What is "Kuni" in Japanese?
In English "Kuni" is translated into "country", but it doesn't mean "Kuni". It means 
"Land". Also when they say "Patriotism", it means "to love our Father's Land". How 
about "Nation"? When they say "Nationalism", it is not at all praised or rather despised 
because in most cases nationalism causes unwanted and cruel wars.

In the orienatal world, "Kuni" means "My land with my people for the Leader". It is one 
of the most difficult word for the western people to understand.

Here again I would like to quote Thomas Paine's "the Rights of Man" to think about the 
democracy.

By the way when I searched my name with Yahoo's search Engine, I found some blogs in 
which they say, "Hiroshi Hayashi is a communist" or, in another blog, "Hiroshi Hayashi 
did a sexual abuse to two girls while he was researching his studies at K. University in 
Hyogo pref." Of course these are lies! I am not a communist or I have never been to K. 
University before for my study.

Why are the people criticized like this in Japan, when we talk about the democracy? Do 
we really want "the Restoration" again? The government can exist because we exisit 
as Thomas Paine said like this "for as man must have existed before governments 
existed".

Which will you take, "the Government for People" or "People for the Gopvernment"?

We say "Japan is a country of Democracy". But the democracy we know is quite different 
one from the democracy they say in the western world. This is the point.

++++++++++++++++++

英語で、「国」というときは、「Country」と
いう言葉を使う。

しかし「Country」というときは、「領土」を
意味する。

また英語で、「愛国心」というときは、
「Patriotism」という。

しかし「Patriotism」という単語は、「父なる
大地を愛する」というラテン語に由来する。

さらに英語には、日本語で言う「国」に近い
単語として、「Nation」がある。しかしこの
「Nation」に、「Nationalism」と、「-ism」が
つくと、狭小な民族主義を意味するようになる。

「Nationalism」というのは、軽蔑されるべき
ものであって、決して賞賛されるべきものでは
ない。

では、日本を含めて、東洋でいうときの「国」
とは何か。

そこで昨日、トーマス・ペインの「人間憲章」
(The Rights of Man)を取りあげてみた。

「国あっての民なのか」「民あっての国」なのか。

同じ民主主義と言いながら、西洋でいう
民主主義と、東洋(日本を含む)でいう
民主主義には、大きなちがいがある。
日本では、「国あっての民」と、ほとんどの
人たちが考えている。

なおこの「人間憲章」が、1791年という年に
なされていることに注目してほしい。今から、
ほぼ200年以上も前のことである。

+++++++++++++++++++

 驚いたことに、ほんとうに驚いたことに、昨日、「幼児教育家」で検索してみたら、この
私が、共産党員(?)と書いてあるBLOGを発見した。いわく「共産党員とは確認され
ていないが……その疑いは、濃厚である」と。

 さらに驚いたことに、この私が、「K大学で、幼児研究をしている際、2人の女児にわい
せつ行為を働いた」※というのもあった。

 これらのBLOGには、コメント欄があったので、私は、即刻、削除するよう書いてお
いた。

 念のため申し添えるが、私は共産党員ではない。選挙のたびに支持政党が変わるので、
自分では、「浮動票の王様」と呼んでいる。自民党にも、公明党にも、民主党にも票を入れ
る。率直に言って、共産党に票を入れることは、めったに、ない。

 K大学での研究中に、2人の女児にわいせつ行為を働いたというのは、事実無根もよい
ところ。だいたいK大学(兵庫県、国立大学)には、一度も行っていない。15年ほど前、
その大学から、講師にならないかという話はあったが、それは、断った。

 その上で、もう一度、考えてみたい。

 どうしてこの日本では、民主主義を訴えると、共産党員ということになるのか? 封建
主義を否定し、王政復古に反対すると、どうして共産党員ということになるのか? 何か、
まずいことでもあるのか? 

 「民あっての国(Governmnet=政府)」などということは、何も、トーマス・ペインの
言葉を引用するまでもなく、当たり前のことではないか。

 日本でいう民主主義は、西洋でいう民主主義とは、まったく異質のものと考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist democracy nationalism 
patriotism)

(注※)私のHPのいちばん下、(Hiroshi Hayashi)で検索すると、数ページ目に、この問
題のBLOGがある。興味のある人は、読んでみたらよい。プラス、笑ってほしい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

*Dec. 6th、2007

●風邪?(Catching a cold?)

++++++++++++++

ここ数日、風邪をひいたような
状態がつづいた。

月曜日に、小雨の中を自転車で
走ったのが、まずかった。

最後まで走りきってしまえば、
まだよかったのかもしれない。

途中で、橋の下で雨宿りをして
してしまった。そのとき、体を
急に冷やしてしまった。

おかげで昨日(水曜日)は、自分の
体をささえるだけで、精一杯。

頭の中も、からっぽ。ほとんど
一日中、ぼんやりとして、過ごした。

I may have caught a cold and feel dull these few days. I went out for cycling on the last 
Monday when it was raining a bit. I stopped over unde a bridge to have a wait which 
was bad for me. It might suddenly cooled my body. I should have come back without 
stopping on the way. 


●知人(A man whom I know)

ところで昨日、近くのショッピングセンターへ行ってみた。そこで、1人の男性に出会っ
た。明らかに認知症、といった感じだった。よく知っている男性だった。近くの郵便局で、
長い間、郵便局長をしていた男性である。お世話になった。

声をかけようと思ったが、それができなかった。ショックだった。頭もキレて、テキパキ
と仕事をしていた人だった。

「私も10〜15年先にはああなるのか?」と思った。そう思ったので、声をかけること
ができなかった。

By the way I went to a near-by shopping center with my wife where I met a man. He 
used to be working as a Post master in a post office. He seemed to have senility and was 
wandering around there. I tried to say hello to him, but I couldn't. I thought in about 
10 or 15 years or so, I would be like him. This is why I couldn't talk to him. I was 
shocked, since he was such a type of man who was sharp in thinking and quick in his 
business.


●健康(Tough Body)

++++++++++++++

健康は、つくるものではなく、
維持するもの。

今、健康なら、その健康を維持する。

そのためには運動ということになるが、
運動そのものよりも、大切なのは、
運動するという習慣。

その習慣が、その人の健康を維持する。

++++++++++++++

Tough body is not the one we can make, but it is the one which we can maintain. If you 
have a tough body now, just think about it to maintain. Physical exercises is essential to 
keep your tough body but it is more important to have a habbit to do some exercises 
daily in your life, rather than exercises itself.


●外国から見る日本「In Japan, rural economies wane as cities thrive」

+++++++++++++++

英語でBLOGを書くようになった
せいか、このところ、あちこちの
英語サイトをのぞくようになった。

今は、外国人が、日本をどのように
見ているか、それにたいへん興味が
ある。

ヘラルド・トリビューン紙を読んで
みた。

題して、「In Japan, rural economies wane as cities thrive」
(日本では、都市の経済は栄え、地方の経済は衰退する)。

The only outward sign of conflict here is the red flags of protest, but this small logging city 
on 
Japan's remote northern coast is seething. A proliferation of national chain stores outside 
town has already forced the closing of about half of the city's once teeming central 
shopping 
district. Now, many in this normally restrained rural community see the megamall being built 
nearby, by a company based near Tokyo, as the final nail in the coffin of their economy.

ヘラルド・トリビューン紙(12月5日付)は、ある地方都市の空き地を写真で紹介し
ている。かつては商店街として栄えたところである。

「抗議のための赤い旗」と、記事にはある。全国的なチェーン店や大型店が進出してき
て、地方の商店街は、壊滅的な打撃を受けている。そういう事実をいくつかあげながら、
「日本では、都会を中心とする勝ち組と、地方の負け組が、はっきりしてきた」と。
 
 私が住むこの地域でも、50年近くも昔からあった商店街は、ほぼ壊滅状態。全滅とい
ってもよい。それにかわって、東海イチとも言われる大型ショッピングセンターができ、
それが夜中でも、こうこうと不夜城のように輝いている。

Almost all shops and stores on the streets around my area where I live are being closed, 
shops and stores which are here over 50 years or more. Huge shopping centers or 
chain-stores have replaced them witheir own ones.

 こうした大型ショッピングセンターは、外国から安い商品を大量に仕入れて、薄利多売
というよりは、暴利多売で、私たちにものを売りつける。そういう事実を知ってか知らず
か、地元の人たちは、みな、そういう店に向かう。自分で自分のクビをしめながら、その
しめているという意識すらない。

These shopping ceters and stores import cheap goods in bulk from overseas and they 
sell us (not with small profits) but with big profits in large scale. Town people around 
me go to these shopping centers and chain stores with or without knowing these facts.

 わかりやすく言えば、地方は今、都会の植民地となってしまった。

This means that local towns have been colonaized by urban big cities.

 モノだけではない。文化にしてもそうだ。都会から地方へ、一方的にたれ流されるだけ。
だいたい地方にいる人たちが、地方の価値を認めていない。地方の人材を認めていない。
都会人のマネをしただけで、自分も都会人になったつもりでいる。このおかしさ、バカ臭
さ。いつになったら、私たちは、それに気づくのか。

Not only goods but also culture itself comes to the local towns like floods on one-way. 
Moreover town people do not value our own culture and people. They wear clothes 
which come from Tokyo and think and behave themselves as if they were also urban 
people. When shall we recognize such a stupitidy?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Japan from outside)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●サビた英語を使う(I use my rustred English.)

++++++++++++++

恩師の田丸先生は、50歳を
過ぎてから中国語を勉強し、
中国化学会で、中国語で
記念講演までしてみせた。

My teacher, Prof. K. Tamaru started learning Chinese after he was 50 years old and 
finally he made a speech in Chinese at China Chemistry Academy.

すごい人だ。

He is a great man!

私も負けじと(?)、60歳を
過ぎてから、英語でBLOGを
書くことにした。

Now I am trying to write my blog in English to challenge myself as well as Prof. K. 
Tamaru when I just became over 60 years old.

何しろ私の英語は、すでに
サビついている。

My English ability has been, frankly, rusted already.

が、それを始めて、5日目。
すでに大きな変化が現われた。

But I feel something very different in these 5 days since I started writing things in 
English.


今までは、外国のサイトも、
日本語版をさがして読んでいたが、
英語版を読むようになった。

I had been reading overseas' websites written in Japanese by that time but now I am 
reading English ones directly.

これはすごいことだ。しかも
昔の私のように、理解できる!

It is a big change! I can follow and understand the websites written in English.

パソコンショップをうろうろ
しながら、翻訳ソフトをさがして
いた自分が、バカみたい。

I was wandering to seek a translation soft in computer shops but I know myself I was 
stupid. 

今、頭の中で、まるで夏の夜の
花火大会のように、火花が
飛び散っている。

In my brain many sparks are shining like fire-works of summer nights.

これはとてもおもしろい現象だ。

This is a wonderful phenomenon.

+++++++++++++++

Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2341)

●今日・あれこれ

●戦国自衛隊(Japanese Soldiers who made a time-slip to the feudal war time)

++++++++++++++++++

「戦国自衛隊」(2005年版)を、少し
見る。鈴木K香さんの映画ということで、
かなり期待していたが、星はつけようが
ないほど、(?)。

I just had a time to see a Japanese film named "Japanese soldiers in feudal war time", 
about soldiers who made a time-slip to the feudal war time in fifteenth century.

見るのもついらいというか、それでも1時間
ほど、見てしまった。

The movie was a kind of one that I couldn't bear to see. Or I felt as if I had lost one 
hour in vain for the movie. 

内容は、2年前にタイムスリップした仲間の
自衛隊員のために、再び、別の自衛隊員たちが
救出に向かうというもの。

The story is; another team of Japanese army soldiers are sent to the past again to 
rescure the former soldiers who went to the past first by accident.

しかしその2年間で、戦国時代の状況は
大きく変わっていた。

During these two years the former soldiers who went to the past first, had killed 
Nobunaga and changed the history.

先にタイムスリップした自衛隊員たちは、
信長を殺し、斎藤道三の家来になっていた。

そしてその2年間で、核兵器なみの兵器を
開発していた! いわく、「日本を強大な
国にして、日本をつくりなおす」とか、何とか。

Also the former soldiers had developed weapons which is as powerful as nuclear ones 
and the leader said, "we would make Japan much stronger and reconstruct Japan."

日本の俳優たちは、みな、力(りき)みすぎ。
自然ぽさが、ない。見ていて、肩がこる。

One thing that I don't like about Japanese films is that Japanese actors and actresses 
act as they acted Kabuki plays. Too much exaggerations with meaningless explanations
 in their talking, which make me dull.

それに無駄なセリフが多すぎる。俗な言い方を
すれば、ゴタクばかり並べて、中身がない。

ついでにもう1本、日本映画を借りてきた。
「日本沈没」。こちらの映画は、韓国では、
評判がよかったらしい。

わかる、わかる、その気持ち。

I borrowed another film named "Japan-Sinking", which is about the huge earthquake 
that attacks Japan. The earthquake destroys whole Japan.

その映画を見た韓国の小学生たちは、「いつ
日本は沈没するのか」と、おとなたちに
聞いていたという(韓国紙報道)。

According to the Korean newspapers, this film was well-reputed in Korea and some 
children asked their parents when Japan would sink down into the sea.

今夜、時間があったら、少し見るつもり。
日本人の私たちにとっては、あまり楽しい
映画ではなさそうだが・・・。

It is not at all a funny film for us, Japanese, but I will try to see it a bit.

へたくそな英語で、すみません。そのうちじょうずに書けるようになると思います。いま
しばらく、暖かく、見守ってください。しかし私が書く日本語は、第一級の日本語です。
どうか、お忘れなく!

I feel sorry about my poor English. My ability in English has become worse every year 
since I seldom have chances to use it. But I will keep writing in English, wishing some 
day I can write it in better way. Until then please be generous. (Or I am writing poor 
English to make you laugh and be happy. So please laugh if you wish. I don't care. But 
please keep it in your mind that my Japanese I write is the first-class one. You may 
trust me.)

+++++++++++++++++++

●涙、ホロリ(Drops of tears)

++++++++++++++++++

昼ご飯を食べた。そのあと、コタツの I had my lunch. After that I slipped into 
中で、横になった。寒気を感じた。 A Kotatsu. I felt a shivering.
寝室へ行き、ふとんにもぐった。 I went to the bedroom and lay down.
そのときのこと。涙が、ホロリとこぼれた。Then some drops of tears came to my eyes.

このところ何かにつけて、自信がない。 I sometimes lose confidence in some way these 
days.
風邪がつづいて、気力が落ちている。 I have had a cold and am weak in mind.
「この先、だいじょうぶだろうか?」と I just happened to think "Am I all right?"
思ったとたん、涙が、ホロリとこぼれた。No sooner had I thought so, than some drops of
  tears did come down.
体を丸めて、目を閉じた。涙は止まったが、I held my body like a sleeping cat
さみしかった。 I closed my eyes and tears were stopped. I felt 
lonely.

腰が痛かった。足が冷えた。軽い頭痛。 I had a aching around the waist, cold feet and  
しばらくすると、夢を見た。 A slight headache. Then I started having a 
  dream.
うれしかった。眠ったのだと、自分で、I felt relaxed. I could make sure that I could
わかった。 Sleep.


時計を見ると、午後2時。 I saw a watch. It showed "2 o'clock".
仕事のしたくをした。 I made myself ready for my work.

そのまま外に出た。歩いた。街まで歩いた。I went out. I walked. I walked to the city.
距離は7キロ。 7 kilometers to the city.

まだまだ負けたくない。 I don't like to give up.
まだまだ現役でいたい。 I want to be as I have been.

軽い汗をかく。体がほてる。 I had a slight sweat. I felt hot.
ウィンドウに映った自分の姿が、どこか Me on the show-windows looked like an old man, 
ジジ臭い。 A miserable old man.

背筋を伸ばす。足をまっすぐ前にのばす。I stretched my body up. I walked with more
力を入れて歩く。 Power on my steps.

あの涙は、何だったのか? What were the tears I saw on the bed?

歩きながら、ふと、そんなことを考えた。I just thought about it on the way.


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●愚かな人たち(People of No-brains)

Recently I have mails from such and such people of such and such sects or cults, like 
this below;

"The God is ready to be witnessed by us in 2008."

Many times such prophecies are predicted in the past but none of them became real. 
And each time after that they say Arumageddon is avoided by our faith."

We call these people, "People with no-brains."

What would become of us, if the God come down to the earth? Then what? 

++++++++++++++++++++++++

このところ、つぎのような書き込みがつづいている。
差出人は、「マリア」とある。

反論するのもバカらしい。今までこうした降臨説で
当たったためしがない。

そのつど、ハズレ! しかし悪びれることもなく、
彼らは、こうつづける。

「私たちの信仰で、アルマゲドン(=終末)は、
回避されました」と。

++++++++++++++++++++++++

(掲示板の投稿より)(マリア)

「終末の前兆は2007年ですべて完了しました 来年か

ら世の終わりが始まります まもなく わたしたち

は キリストの降臨を見上げるでしょう」と。

++++++++++++++

こうした説を流布しているのは、あの団体である。日本でもよく知られた、あの団体で
ある。そのつど終末論を唱え、そのつど降臨説を唱える。しかし未だかって、彼らの言
う予言なるものが、当たったためしがない。まったく、ない。

 そして今日も、また、ここに書いたような投稿があった。

 この投稿を読んで、まず感じたこと。「だからどうなの?」と。「それがどうしたの?」
と。「だからといって、あなたがたとどういう関係があるの?」と。「なぜ、あなたがたが、
それを私たちに知らせなければならないの?」と。「だからといって、あなたがたが正しい
ということにはならないのではないの?」と。

 こういう投稿は、ストーカーにつけ回されているような感じで、不愉快。どういうわけ
か、気分が悪い。そう、まさに文章による、ストーカー行為そのものと言ってよい。

 どんな宗教を信ずるにせよ、それはその人の勝手。「自分は正しい」と思うのも、その人
の勝手。しかし、返す刀で、「あなたはまちがっている」と言ってはならない。

 だいたいこの種のデマを流布しながら、未だかって、それについて責任を取った人が、
ひとりもいないというのは、おかしい。あの1999年の7月のときも、そうだった。も
ともと頭のおかしな人が書いた予言書なるものを本気で信じて、本を書いた人が、2ダー
スはいた。中には、その種の本を、計、数百万部も売った人もいる。

 しかしすべて、ハズレ! アルマゲドンは起きなかった。神の降臨とやらもなかった。

 2008年。何があるか、私にもわからない。アルマゲドンと呼ぶにふさわしいことが
起きるかもしれない。しかしだからといって、彼らの予言が当たったということにはなら
ない。事故と災難は、そのつど、繰りかえし、やってくる。

 あなたたちはあなたたちで、勝手に幸福になればよい。……ということで、この種の書
き込みは、そのまま削除。ついでに、一言。少しは知性を磨いたら、どうか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Japanese cult sect)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●一瞬(A blink of light)

+++++++++++++++++++

遅々として進まなく見える人生も、
一瞬のできごとで、すべてが変わる。

そのとき平和は、途切れ、安穏は、消える。

平凡は美徳だが、その平凡からは
何も生まれない。しかしその平凡の価値は、
それを失って、はじめて、わかる。

何でもないこと。その何でもないことの中に、
私たちが、求める真理が隠されている。

目が見える。耳が聞こえる。話ができる。
歩ける。走れる。電車に乗れる。人と
会うことができる。

それが、一瞬で変わる。ほんの一瞬だ。

D氏が、交通事故で倒れた。ほんの
一瞬のできごとだった。そのD氏の
奥さんが、「一瞬」という言葉を使って、
その交通事故を、知らせてくれた。

人は、ときにその一瞬おののき、恐れる。

Sometimes life itself seems to go very slowly, as if it did not move.
But sometimes life itself changes all at once. Then peaceful life puts an end mark and 
happiness turns to be the deepest sad.

Life with nothing is a virtue but such life will bring us nothing.
But people would know the value of such life when they lose it.

Life with nothing. The truth is hidden in such a life.

I can hear. I can see. I can talk. I can walk. I can run. I can ride a bike. I can meet with 
people.

But such a life sometimes changes all at once.

Mr. D met an traffic accident. It was an accident. But the accident occurs within a blink 
of light.
Mr. D's wife wrote to me, using a word " a blink of light". Sometimes a blink of light is so 
harsh and severe that people can't bear it.


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●異常な個人負債(critical personal debt of South Koreans) 

The total debt which South Koreans is now estimated abt.611000 million US dollars, 
which seems to be critical for South Korean national economy. 

Can they pay back the debt? If not, South Korean national economy would collapse from 
the botoom.

+++++++++++++++++

韓国の個人負債額が、とうとう
610兆ウォンを超え、611兆ウォン
弱になった※。

1世帯あたり、3820万ウォン。

日本円に換算すると、個人負債は、
0・102をかけて、73兆円!
1世帯あたり、460万円という
ことになる。

アメリカドルに換算すると、
個人負債は、6110億ドル、
1世帯あたり、4万6000ドルという
ことになる。(対米ドルレートで、0・001
をかける。)

日本のバブル経済期には、銀行が、
不良債権をかぶった。

韓国では、個人が、負債(まだ不良
負債というわけではないが……)を、
かぶっていることになる。

しかし個人が破産すれば、当然、その
ツケは、銀行に回る。銀行が、巨額の
不良債権をかぶることになる。

+++++++++++++++++++

(注※、東亜N報、12月4日)

銀行の家計貸出しが信用貸出しを中心に拡大し、韓国の国民の、家計の全体債務が初めて
600兆ウォンを超えた。 

12月3日(07年)、韓国銀行によれば、9月末の「家計信用」残額は6月比、14兆2
031億ウォン増えた、610兆6438億ウォンに集計された。家計信用は、一般家庭
が銀行など金融機関から借りたお金(家計貸出し)と、クレジットカードで物品を購入し
た債務(販売信用)を全部含めたものだ。 

統計庁の06年推計世帯数(1598万8599世帯)を基準にすれば、1世帯当たりの
負債規模は平均3819万ウォンに達する。 

+++++++++++++++++++

 先ごろ、60%以上もあった法定利息制限が、少しさげられた。が、韓国では、依然と
して、年率、100〜200%の高利貸し業が、今の今でも、堂々と営業している。仮に
60%として、460万円の借金で計算しても、利息だけでも、年276万円。月額にし
て、23万円! 全世帯の4分の3の人たちは、月収、15〜20万円の生活を強いられ
ているという。貧富の差は、日本の比ではない。

People in South Korea borrow money from banks and other non-banks with interest of 
60% or 100~200% per year. The average household has abt 46000 US dollars for debt, 
which means each household has to pay 2090 US dollars for interest  every month. 
Abt one-fouth of people are spending a life with income of less than 1800 US dollars. 
What do you reckon about these data? I just wonder what would become of South Korea.

 この数字を見ただけでも、韓国が、今、異常な状態にあることがわかる。

 どうなるか、韓国! 


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(To English Readers)

●へたくそな英語でも……(It doesn't matter whether my English is poor or not.)

+++++++++++++++++

2008年……これからは、私の
意見を、世界に向かって発信して
いきたい。

From the year of 2008, I shall write articles in English to the open world.

いろいろな翻訳ソフトを試してみたが、
どれも、イマイチ!

I have tried some translation softwares which translate Japanese into English, most of 
which works insufficiently with funny English. So I give up using them. I write things 
with my own ability of English.

へたくそでも何でも、書いていれば、
そのうち、うまくなるだろう。

I believe my ability in English would be improved some day if I keep writing.

要は、言いたいことが、相手に伝われば
よいのだ。

What is important is to just convey my thoughts to people who live outside Japan, not 
Englsih itself.

この日本では、「東京発」でなければ、
意味がないという、おかしな偏見がある。

There is a funny prejudice in Japan that if not it is an information from Tokyo, it is 
meaningless or worthless, but it is a prejudice.

しかし世界の人たちは、ちがう。
日本人がもっているような中央集権意識
そのものがない。

But I know people in the world are more broadly-minded in this sense. I am sure they 
don't care if it is from Tokyo or not, or it is from Hamamatsu, a local city in Japan.

「浜松発」でも、受け入れてもらえるはず。

They will accept me, I am sure.

10年後には、まともな英語が書けるように
なることを願いながら、ともかくも、
一歩を踏み出した。

In about 10 years later I suppose I can write better English and for that purpose I just 
now step forward to the future.

がんばろう。がんばります。

I shall do my best and I am doing the best for this.

++++++++++++++++++

●鈍感力(Less-sensitiveness)

++++++++++++++++++

人も批判されつづけると、批判に対して
鈍感になる。

The more we are criticized, the more we become less sensitiveness.

この世界を生きぬくためには、その鈍感力も
必要。……ということで、渡辺淳一氏が書いた
「鈍感力」(集英社)というエッセー集が、
ベストセラーになった。

To live in such a complicated society, we often need to be more "less-sensitiveness" about 
things around us. A book "Less Sensitiveness" written by Junichiro Watanabe is one of 
the best sellers in Japan.

++++++++++++++++++

 私も当初、自分が書いた記事について、批判されたり、批評されたりすると、かなり、
それを気にした。頭に、カチンときた。しかしそれも一巡すると、「どうぞ、ご勝手に!」
という心境になり、今では、まったくと言ってよいほど、気にしなくなった。

When I was to start writing in my blogs about me, I was very sensitive and nervous 
about what other people say and think about me. But soon afterwards I became to care 
about them less and less and now I really don't care about them.

 たとえばヤフーの検索エンジンか何かを使って、「はやし浩司」を検索してみればよい。
中には、私のことを、ボロクサに書いている人もいる。カルト教団に属する、どこかの頭
のおかしい連中である。私は、もとから、そういう連中を相手にしていない。

Just refer to Yahoo's Search Engine to look up about me, then you will know that some 
people are writing about me very badly. They belong to a Sect or Cult and I am sure that 
they are not "normal" in brain-system.

 また私は毎日、ありのままを書いている。本当のことは書かないこともあるが、しかし
ウソは書かない。そういう私をみなさんは、どう思うか。ちなみに、「はやし浩司」は実名
である。「林浩司」と書く。「はやし・ひろし」と読む。たいへんありふれた名前で、この
浜松市だけでも、「はやし・ひろし」という名前の人は、12〜5人もいる。全国では、約
200倍して、3000人前後ということになる。

I am writing about me as I am with my real name, Hiroshi Hayashi. My name is very 
common in japan and it's estimated about 3000 people in Japan have the same names as 
mine. Therefore I write my name half in Hirakana and half in Chinese Characters.

 だから「はやし浩司」というペンネームにした。幼児を相手に、「はやし」といつも書い
ていたから、いつの間にか、「はやし浩司」となった。

Also I have been writing HAYASHI in hirakana when teaching very young kids. This is 
the reason why I use hirakana to write my name.

 そんなわけで、私はこうして自分を、いつもさらけ出している。当初は、勇気が必要だ
った。(さらけ出す)ということは、その分だけ、(敵をつくる)ことを意味する。だから
ほとんどの人は、BLOGを発行するにしても、ペンネームとか、ハンドルネームを使う。
偽名を使う人もいれば、性別や年齢を隠す人もいる。

At the beginning, I needed some kind of courage to write about me as I am. To write 
about me as I am often means to make enemies around me, enemies who dislike me to
 write about them.

 しかしそこは鈍感力。

Then I needed "less-sensitiveness".

 こういうことを長くつづけていると、だんだん、鈍感になってくる。まわりの人たちの
ことを気にしなくなってくる。陰でいろいろ言っている人はいるのだろうが、そういう人
たちさえ、視界から消える。私は「現実逃避の一形態」と理解しているが、それもときと
ばあいによっては、必要なのかもしれない。

The more I write about me, the more I become "less-sensitiveness". I have become less 
sensitive about people around me whatever they say and how they criticize about me. It 
may be a kind of "Escape from real world", but sometimes we need it to live in this
 world.

 ただごく最近まで、親類のだれかは、気になった。中に、お節介焼きのバカがいて(失
礼!)、私の書いた記事について、「これはあなたのことを書いたものだ」とか何とか、告
げ口をして回っていた。告げ口をされた相手は、当然、それを不愉快に思ったり、時に、怒った
りした。

I care, however, until recently about those relatives and people whom I know well. Some 
of them read my articles and they let other people know what I am writing, saying, 
"Hiroshi is writing about you" or something like this. This may make other people 
uncomfortabale or sometimes may offend them.

 この世界には、「炎上」という言葉がある。その炎上を避けるため、他人の話を自分の話
にしたり、他人の親類の話を、自分の親類の話に仕立てたりすることがある。いくつかの
話を混ぜることもある。もちろん実名を使って、その人を批判するのは、相手が公人でな
いかぎり、タブー。そんなことは、常識。「親戚の話」と書いたところで、それは親戚の人
の話とはかぎらない。

It is a taboo to write about them with real names or criticize them with real names for 
their dignity. Then I write things, changing names and situations. This is a common 
sense which we should put into our mind when we write something. Otherwise it would 
cause some unexopected troubles, which I should avoid.

 しかしそれも一巡すると、どうでもよくなってしまった。やはり、「どうぞ、ご勝手に」
となった。いちいち弁解するのも疲れる。……と同時に、そういう相手とは、縁を切る。

But still then the more we are criticized, the more we become "less-sensitiveness".

 そう言えば、江戸時代の終わりに、「ええじゃないか」という奇妙な踊りがはやったとい
う。あれも、鈍感力のひとつだったかもしれない。

This article just has reminded me of the strange dancings which we did at the end of 
Edo period. I collect hereby the article I wrote about the strange dancing.

 その「ええじゃないか」について書いた原稿をさがしてみた。

+++++++++++++++++

●ええじゃないか(Don't care dancing)

 慶応八年(1867)というから、まさに幕末のころ。名古屋市周辺で、奇妙な踊りが
流行した。

In 1867, toward the end of Edo Period of japan, there occurred a strange and funny 
danncings in Nagoya and places around Nagoya, called "E-jyanaika", which literally 
means "we don't care."

きっかけは伊勢神宮の御札が天から降ってきたためと言われているが、もちろんそれは
言い伝えに過ぎない。

Then beginning of the dancing started when shrine-papers came down from the sky but
 it was a kind of rumour.

人々は狂ったように踊りだした。「ええじゃないか、ええじゃないか」と。

People started dancing crazily, shouting, "E-janaika""E-jyanaika".

「言い伝えによると、女は男装、男は女装し、太鼓や三味線をならし、踊り狂ったとい
う。群集が地主である庄屋や金持ちの商人の家へ土足で入り込む。で、なぜか押し込ま
れたほうは、酒や肴(さかな)を際限なく振る舞った。押し入った人々は金品をまき散
らし、これくれてもええじゃないかともち去る。

People raushed into wealthy houses and took out money and food as they like and the 
wealthy people gave money and food as they wanted. Women wore men's clothes and 
vice versa.

で、取られたほうは、それやってもええじゃないかとやってしまう。役人が止めようと
しても、まったく聞き入れない。踊りくたびれると、だれの家でもかまわず寝てしまい、
目が覚めると、またええじゃないかと踊りだす。このええじゃないかはウワサはウワサ
を呼び、東海道筋から東に江戸、横浜、静岡。西は京都、大阪、西宮にまで及んだ(マ
スダ組「歴史概論」)という。

This funny dancing spread from Nagoya to other places such as Tokyo(Edo) 
Yokohama,Shizuoka, Kyoto and Nisino-miya. They slept in other people's houses as 
they like and when they woke up they started dancing again.

 この「ええじゃないか」について、「この大騒動をカモフラージュして、倒幕派は着々と
江戸幕府打倒の動きを進めていた」(同「歴史概論」)という説もあるが、私はそういう政
治的背景は、当時の日本にはなかったと思う。

Some historian explains this dancing as a kind of anti-government movement but I 
don't agree to this. In those days people were too obedient to think about the political 
regime.

結果として、倒幕運動に利用したという動きはあったかもしれないが、そうした高度な
政治意識というのは、近年になって生まれたもの。江戸幕府があった東京で起きたとか、
薩摩、長州の息がかかった京都で起きたというのなら話もわかる。しかしこのええじゃ
ないかは、名古屋市周辺で起きているということを忘れてはならない。

This dancing worked partially as a movement in accordance with the movement of 
anti-government movement. But just think that this dancing occurred in Nagoya, not in 
Kyoto and Tokyo.

それはともかくも、その根底に、鬱積した民衆の不平や不満があったことは事実だ。し
かし当時の日本は、いくら幕末とはいえ、それを訴える自由もなければ方法もなかった。
300年も続いた封建体制の中で、民衆は骨のズイまで「魂」を抜かれていた。「自由」
が何であるかさえわからない状態で、この運動は起きた。

People might have a lot of complainmets agaist the Government but they did not know 
how to solve the problem with no knowledge. As I write here they were so obedient that 
they have no idea but to dance crazily.

が、私はこの運動こそが、まさに現世逃避の象徴ではなかったかと思う。「この世はどう
なってもええじゃないか。あの世があるではないか」と。それはまさに前世、来世論で
組み立てられた日本の仏教の教えを、そのまま象徴していたともとれる。 

What I think about this funny as well as crazy dancing is that they started it to
Escape from the real world of living or desperately, thinking, "we don't care about this 
world but we hane another one after we die."

 このええじゃないかが、幕末の話でないことは、映画化もされ、また日本各地で、イベ
ントとして再現されていることでもわかる。「これこそ日本人のやさしさ」と美化する動き
さえある。しかし本当にそうか? そうあってよいのか? 「今」という現実を直視する
のが苦手な日本人が、現実逃避の新たなる手段として利用しているとも考えられるのだが、
皆さんはどう考えるだろうか。

This dancing was filmed as a movie and some people take this dancing as a symbol of 
the gentleness of the Japanese people, but I don't think so. At least this is not a 
beautiful story we can praise. They just wanted to escape from the real world into a 
fantasy.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ええじゃないか)

(付記)英語に翻訳するということは、ほんとうに、疲れますね!


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●妻と夫(Japanese Wife & Husband)

Meiji Insureance Company has revealed its recent researched date about wives and 
husbands as follows:

*What husbands want their housewives:

(1)Clean-ups of rooms and houses
(2)Not easy-cooking
(3)Body-shaping
(4)Early rising in the morning
(5)More sensitiveness

*What wives want their husbands:

(1)Non-smoking
(2)Clean-ups
(3)Not too much drinking
(4)Not wasting money
(5)More sensitiveness

And also it is revealed that about half of wives and husbands have less than 30 minutes 
for their daily conversation and one third of them feel lack of love to each other.

Japan has modernized very quickly, however, leaving some more important problems 
behind. This is one the results of our modernization.

+++++++++++++++++

日経新聞に、こんな興味ある調査結果が
載っていた(日経新聞、12−4日号)。

夫が妻に感ずる不満、妻が夫に感ずる
不満についての調査である。
(明治安田生命保険が夫婦を対象に実施。)

それによれば……

●夫が妻に望むこと

(1)整理整頓ができない(25・6%)
(2)料理の手抜き(14・8%)
(3)体型が変わってきたところ(13・4%)
(4)朝寝坊(11・2%)
(5)気が利かない(9・7%)

●妻が夫に望むこと

(1)たばこ(22・9%)
(2)整理整頓(22・9%)
(3)お酒の飲み過ぎ(18・2%)
(4)浪費癖(16・9%)
(5)気が利かない(16・7%)

●夫婦の会話時間

男性40代……1日あたり、30分以下……50%
女性40代……1日あたり、30分以下……56・8%

そのほか、「30分以下の比率は男女とも40代が突出して高い。次は男女とも50代。男
性は42・1%、女性は43・8%が30分以下と答えている。30分〜1時間も50代
男性の37・2%、同女性は22・5%を占めた。ほぼ3分の2が1時間以下しか夫婦の
語らいの時間を持っていないという結果は、「あうんの呼吸」「以心伝心」と見るべきか、
夫婦仲の冷え込み、相互無関心と見るべきか」(産経)とある。

 とくに気になるのは、つぎの数字。

●配偶者に愛情を感じているか

愛情を感じていない……33・4%
会話時間が30分以下の女性で、愛情を感じていない……41・1%

 この調査結果をみるかぎり、40代の夫婦のうち、約半数が、1日あたり30分以下の
会話しかなく、全体の3分の1の夫婦が、愛情の冷え込みを感じているということ。とく
に会話時間が30分以下という夫婦があぶないらしい(?)。

 しかしこの数字には、2つの見方がある。

 愛情が冷え込んだから会話が少なくなったとも考えられるし、会話が少なくなったから、
愛情が冷え込んだとも考えられる。

 さらに「30分」といっても、中には、まったく会話をしない夫婦もいるだろう。して
も朝と夕のあいさつ程度とか、など。そういえば、私の知人の中にも、そういう夫婦がい
る。夫は、いつもこう言っている。「ぼくたちは、形だけの夫婦ですよ」と。

 しかしこういう夫婦を、夫婦と言ってよいのだろうか。たまたまおととい、山荘の近く
でミカン農園を営んでいるK氏を訪ねてみた。ちょうどみかんの収穫期で、Kさん夫婦(祖
父母)、若夫婦、それに孫2人が、総出でミカンの収穫をしていた。

 夫婦というより、家族というのは、そういうものではないのか。日本は、近代化の下準
備をすることもなく、近代化に向かって、いわば盲目的につき進んでしまった。それから
生まれる弊害が、こうした数字に表れているのではないか。

 ちなみに、私たち夫婦のばあい、会話時間は、平均して、1日あたり、4〜5時間。夜
中でも、ふとんの中で、ペチャペチャと1時間ほど、おしゃべりをしている。が、それで
も、ときどき夫婦の危機を感ずる。30分以下というのは、異常と考えてよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●英語で、BLOGを書く。

++++++++++++++++

翻訳ソフトを使うと、私は、日本語の
エッセーを、英語に翻訳することが
できる。

ただし元となる日本文が、翻訳しやすい
日本文でなければならない。

そのため日本文が、少し、ぎこちなく
なることもある。

(まず、ここまで、翻訳ソフトを使って
翻訳してみる。さあ、どうなるか?)

When translation software is used, I can translate a Japanese essay into English.
But, the Japanese which is the base is necessary with the Japanese which is easy to 
translate. Therefore a Japanese sometimes becomes a little awkward. (First, it tries to 
translate by using translation software here. Well, what happens?

 使ったソフトは、シャープ社製の(E/Jマネージャー)。おかしな英語だが、意味はわ
かる。

 では、アメリカに向けて、私の意見を、いざ、発信! 日本語のが少しおかしいのは、
許してほしい。

+++++++++++++++++++++

アメリカに住む、読者のみなさんへ、

私は日本に住む、日本人です。現在、日本人の対米感情が、急速に悪化しています。今朝
の新聞によれば、約20%の日本人が、アメリカを信用できないと思い始めています。理
由は、アメリカの拉致問題に対する、認識の甘さです。とくにヒル国務次官補の、北朝鮮
寄りの外交政策に対して、多くの日本人は、不満に感じています。ヒル国務次官補は、日
本よりも韓国、北朝鮮のほうが、信頼できる国と考えているようです。日本人の多くは、
そういう印象をもち始めています。

To everyone of the reader who lives in America. 

I am the Japanese who lives in Japan.  At present, a Japanese pair US emotion 
becomes worse rapidly. According to the newspaper of this morning, about 20% of the 
Japanese begin not to think America to be trustworthy.  A reason is vagueness of the 
recognition for American kidnapping problem. Many Japanese are specially impressed 
with discontent against the foreign policy toward North Korea of Hill state affairs 
Assistant Secretary. Hill state affairs Assistant Secretary seems to think with the 
country which can trust South Korea and North Korea from Japan. Japanese most 
begins to have such impression.

+++++++++++++++++++++

 どうも、おかしい? やはり英文であるにせよ、自分の力で書いたほうが、よさそう。
トンチンカンな英文より、幼稚でも、意味のわかる英文のほうが、よい。今、そういう結
論に達しつつある。

 インターネットのすばらしい点は、言うまでもなく、日本国内はもとより、世界に向け
て、自分の意見が発信できること。そうなれば、読者対象は、一気に、50倍になる。考
えてみれば、これは、すごいことだ。挑戦してみる価値はある。

 方法としては、まず日本語で、書く。つづいてその翻訳文を載せる。しかし問題がある。
私の英語力は、すでにサビついている。恐らく脳梁(左脳と右脳をつなぐ太い電線)の機
能が悪くなっているようだ。英語で考えるときは、右脳を使う。日本語を使うときは、左
脳を使う。

 とりあえずタイトルと、要略の部分は、英文で書くことにする。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2333)

●南京、大虐殺(Mass Murder in Nankin, China)

+++++++++++++++

日本人は、南京で、多くの
人たちを殺した。これは動かしがたい
事実である。

The Japanese army killed many people in Nan-kin in China. This is the fact which no 
one can deny.

それを「30万人ではない。せいぜい
3万人だ」とか、「大虐殺は、中国側の
プロパガンダだ」と説く人たちがいる。

It is a very sad thing to know that there are some people who say "We killed at most 3 
thousand people, not 30 thousands people", or therefore it is a kind of hostile 
propaganda of China to disgrace Japan".

3万人でも問題ではないか。3000人
でも問題ではないか。

What is the difference between 3 thousand and 30 thousands? 

どうしてそのとき、日本軍が、中国に
いたのか?

Why and what for were the Japanese army in Nan-kin in China? 

それについても、「近代的防衛戦だったから
しかたなかった」とか、「日本が植民地に
しなければ、欧米が植民地にしていた」、
さらには、「日本が大陸に進出していなかったら、
日本が植民地になっていた」と説く人たちが
いる。

As for this simple question, they say "it was a kind of defence war against European 
countries", "if we didn't have done so, European countries would have put these Chine 
and Korea under their power and colonaized them."or, "Japan might have been 
colonized by European countries."

ならば、問う。

OK. If so then I would like to ask these people who say so;

だからといって、なぜ、日本がそれをしなけ
ればならなかったのか、と。

Why shoud Japan have done so? Did we have the right to do so? Or who asked us to do 
so? 

中国や朝鮮が欧米の植民地になりかけたら、
そのとき、日本は、それを阻止すれば
よかった。それが正義というものである。

We should have freed these countries such as China and Korea , in case these countries 
might have been colonized. We could stop European countries to do so. This is the 
justice.

が、それでも、日本は正しかったというのなら、
日本よ、日本人よ、これだけは、覚えて
おくとよい。

Even then if you insist that "we were right and we did a right thing in the war", you 
should remember that this fact.

いつか将来、中国や朝鮮が日本に対して
同じことをしても、日本よ、日本人よ、
文句を言うな。

Don't complain in case China and Korea would do the same thing as we did to them in 
the next time.

つまりその覚悟ができているのか。
その覚悟があるなら、近代的防衛戦
という言葉でも何でも使って、自分を
正当化すればよい。

Are you ready? If so, you may say anything and you may say "We were right. We did a 
new kind of Defence war."

++++++++++++++++++

●あなたは金xxを信頼できるか?(Can you simply trust Kim Jon Il of North Korea?)

+++++++++++++++++

6か国協議が、また始まる。

Six countries will gather together to disucuss about the North Korea's Nuclear weapon 
development issue soon in China.

北朝鮮の核兵器開発問題が焦点になっている。
しかし本当の問題は、金xxが、信頼するに
足る人物であるかどうかということ。

The main theme of the conference is about its development of the nuclear weapons but 
moreover we shoul pay attention to whether Kim, the leader of North Korea is the 
person who is enough to be trust wrothy.

その視点をはずして、北朝鮮の核開発問題を
論じても意味はない。

Without this point of view, the conferece will produce nothing but in vain.

無駄な会議をつづければつづけるほど、
北朝鮮は、時間を稼ぎ、その間に核兵器の
開発を進める。

During the meanwhile North Korea will gain the time to develop them more.

10月の終わりごろ、ヒル国務次官補は、
「1、2週間以内に、北朝鮮は、核開発の
リストを提出するはず」と言っていた。

At the end of this October Mr. Hill, vice-secrertary of US government said "North Korea 
would produce the list of the development schedule", but now when it has been passed 
almost one month, the list is not yet produced.

しかし1か月以上たった今も、そのリストは、
提出されていない。

アメリカよ、ブッシュよ、ヒルよ、
いいかげんに、目を覚ませ!

USA! Mr, Bush and Mr Hill, wake up and open your eyes to see the fact!


++++++++++++++++++

●リンカーン・コンチオネンタル(Lincoln Continental)

++++++++++++++++++

私のワイフも、このマガジンの熱心な読者である。
だから、ウソは書かない。書けない。

My wife is also one of my earnest readers of my E-magazines and therefore I can't write 
false things or tell lies in here.

ときどき本当のことは言わないことはある。しかし
ウソは書かない。書けない。

Sometimes I happen not to tell her the truth but I have never told her lies as far as it 
may concern about me and my life.

ウソを書けば、その時点で、私は、ワイフの信用を
失う。

If I wrote a lie, it simply destroy her trust on me and cause a doubt about me, which I 
should avoid in any case.

……という前置きで、こんなことがあった。

Then I hereby write about one fact.

今度、私の従兄弟(いとこ)が、BMWを買った。
それに奥さんを乗せて、浜松まで、遊びに来てくれた。

One of my cousins came to see me with his car, BMW, with his wife the other day.

うれしそうだった。私もうれしかった。

He looked happy and so was I.

しかしその車を見ながら、ふと、こう漏らした。

But I just said to him when I saw his brand new car;

「N君、ぼくね、君は信じないかもしれないけど、
20代の終わりころ、リンカーン・コンチネンタル
という車に乗っていたんだよ。運転手付きでね。
それで毎週のように、東京と浜松を往復していた」と。

"Mr N, you may not believe in me but it is true that when I was on 20's I was driving a 
car called "Lincoln Continental" with a shoffer. I drove back and to between Tokyo and 
Hamamatsu almost every week."

リンカーン・コンチネンタルという車は、長さだけでも
バスほどもある。純白の車で、後ろには、大型のタイヤを
収納する丸形の箱もついていた。

Lincoln Continental is a car which is long as long as a bus. It was a pure white car and a 
round tire-case on the back.

当時、日本テレビの「11PM」とか、川崎敬三という
人が司会をしていた、「アフターヌーンショー」という
番組の企画も手がけていた。

I was writing TV plans for "11PM" of Nihon TV and "Afternoon Show" of NET.

その関係で、よくタレントさんを、途中まで、乗せて
やったことがある。向こうは覚えていないかもしれ
ないが、その後、(つまり今)、その名を知らない
テレビタレントになった人もいる。

Sometimes I sent some TV talents on the way back to Hamamamstu, and some of them 
became very well-known afterwards.

「それに君は信じないかもしれないが、美智子皇后陛下
のお父さんの、正田氏とも、いつも電話、一本で
会うことができた。当時のぼくは、そんな生活をして
いた」とも。

"You may not believe in me, but it is true I can meet Mr. Hidesaburo Shoda when I 
wanted to see him anytime. My life used to be such a life."

その私が、大きく変化したのは、あの飛行機事故が
きっかけだったと思う。今にしてみると、それが
よくわかる。

My life, however, has changed a lot since I met an air-craft accident when I was about 
29 years old at Haneda.

その直後、イタリアへ行く仕事と、ブラジルへ行く仕事を
2つかかえていた。ともに、ドタキャンした。

Just a week afterward I had a business to fly to Italy and Brazil, but I cancelled them 
all at sudden.

以後、私は浜松という地方にひっこみ、東京へは、
出版社だけを目当てにでかけるようになった。私が
29歳のときのことである。

After that I stopped working as a businessman and stayed in Hamamatasu quietly. My 
life has changed a lot since then.

その私が、今は、TOYOTAのビッツにに乗っている。
リンカーン・コンチネンタルから、ビッツに!

Now I am driving a Toyota's Vits, a smallest compact car. From Lincoln Continental to 
Toyota Vits!

しかし私には、落ちぶれたという感覚は、まったくない。
むしろ、あの時代の、あの浮いたような生活のほうが、
異常だったと思う。うまく言えないが、「空」と「虚」。

Then you may ask me if I am a loser. But the answer is "No". I am not. The life of my 
20's used to be crazy. It was nothing with nothing. It means nothing. Whatever big car 
you are driving, it means nothing to me.

ただこういうことは言える。

But I can say now.

それ以後、私の近辺で、リンカーン・コンチネンタルに
乗っている人を見かけたことがない。(ときどき、町の
中を走っているのは、見かけるが……。)

Since then I have never met anyone who drives Lincoln Continental nearby me. 
(Sometimes I happen to see the car running on the roads in this city.)

だからどこのだれが、最高級車と呼ばれる車に乗って
いるのを見ても、うらやましいとか、すごいとか、
そういうふうには、思わない。

I have never envied them or never envied anyone who have big cars.

が、従兄弟がBMWに乗ってきたときは、うれしかった。
人生の終わりになって、BMWに乗れる人は、少ない。
従兄弟は従兄弟なりに、自分の人生を、完投した。
それがうれしかった。

But my cousin's car is one of the exceptions. I was happy when I saw his happy smile. 
There are few who can drive a BMW at the end of his life, which means he has spent his 
successful life. The car is the result of his life.


+++++++++++++++++++++

●友人の農園(Takahashi-san's Farm)

 昨日(12月2日)、友人の農園へ行ってみた。が、そのあたりをうろうろするだけで、
とうとう見つからなかった。あとで電話をすると、M中学校の校舎のはずれを、右折しろ
と言ったのを、「左折」とまちがえた。

 来週、再び、行くつもり。

I went to Takahashi-san's farm yesterday. But I could not find his place, driving aroud 
in vain. I called up him later when I got home, I knew that we turned left instead of 
turning to the right from the road. This was our mistake. Next week we will try to come 
to his place again, so did we promise to each other.

●新しい自転車

昨夜遅く、近くのショッピングセンターで、新しい自転車を買った。マウンテンバイク仕
様で、たったの1万6000円! 「何年くらいもちますかね?」と聞くと、「2年は、だ
いじょうぶでしょう」とのこと。

これで家族みんなで、サイクリングすることができるようになった。ところで昨日、いろ
いろあって、計10キロ近く歩いた。今朝は、ふとももが痛い。

Last night we went to a near-by shopping center, where I bought a new mountain bike. 
The price is only 16000 yen (abt 180 US dollars). I was surprised at the price. So cheap! 
Then I asked the merchant if I can ride it for a long time, then he said "Well if you use it 
properly, you can ride around two years". Now our families can enjoy cycling together 
from now on.

By the way I happened to walk abt 20 kilometers yesterday for some reason. I feel my 
legs aching a bit this morning.


●8〜10%が、外国人の子ども(Foreign Workers in Japan)

 先日、静岡県のK町にある小学校で、講演をさせてもらった。そこで聞いた話だが、そ
の小学校では、8〜10%の子どもが、外国人という。

The school master of the school, where I made a speech, told me that 8~10% of its school 
children are foreigners.

 現在、この日本には、80万人(04年、厚生労働省)の外国人がいるという。これ以
外に、相当数の、不法入国者がいると言われている。が、こうした労働者を、責めること
はできない。

Now we have 800 thousand foreign workers in Japan according to the government 
statistics, and more we have so-called illegal immigrants.

 2020年には、日本の労働者は、12%前後、減少すると言われている(OECD)。
日本の産業構造そのものが、大きく変化する。つまり日本は、こうした外国からの労働者
を必要とする。またそういう前提で、外国労働者を考えなければならない。

By the year of 2020, we would have lost 12% workers and suffer from the lack of 
workers, which might cause a serious social problem. We need foreign workers and we 
have no choice but welcome them for us.

 が、問題がないわけではない。

But there are some problems.

 多くは「研修生」の名目で日本へやってくるが、実際には、さらに安い賃金で、働かさ
れている。検定試験に合格すれば、今度は「実習生」となるが、その段階で、会社をクビ
になるというケースもある。

In most cases the come to Japan as "trainees students" but as a matter of fact they are 
forced to work as a labor with less (in most cases, half) payment. After one year course 
of training, they meet a test and if the can pass it, they are admitted as a "Worker", but 
some of them are fired and forced to go back to their countries.

 彼らの間では、「日本人はずるい」と、言われている。ちなみに、「人身売買報告書」(ア
メリカ国務省発行、07年度版)によれば、日本だけが先進国の中で、上から2番目の「T
iel2」になっているそうだ(「日本の論点08」)。外国人に対する法整備や対策が、そ
れだけ遅れているということ。

They say "Japanese are sneaky". According to the Tiel Standard, issued by USA 
government, Japan is ranked as a second. Japan is only one country among leading 
countries of the world because of the lack of legal services and etc.

 一方、学校教育という現場での対応も、後手後手に回っている。外国人専用の指導者を
置いている学校は、大規模校にかぎられている。そのほかは、特別なカリキュラムすら用
意していない。

Also at schools there are few schools which prepares them with special teaching 
programs for those children. (Only some big schools with a big number of children have 
special trainers for those children.)

 講演をさせてもらったK町の小学校にしても、「何ら対策をとっていません」とのことだ
った。つまり日本語を話せない外国人を、そのまま普通学級に編入させている。外国人の
子どもにしても不幸なことだが、同時に、教育レベルの低下は、避けられない。

As to the school where I made a speech last time, there is no such a program for those 
children. Foreign childrens who have no knowledge of the Japanese language are also 
being taught as a normal children at usual classes. This may cause a kind of teaching 
troubles as well as to cause to lower the level of education.

 これから先、日本の少子高齢化は加速する。それが是か非かと、論じているヒマはない。
私たちは、外国人労働者を必要とする。また外国人労働者がいなければ、日本そのものの
存在が、おびやかされる。

We would have more and more aged people together with less and less young people in 
the near future. We need therefore more and more foreign workers soom and without 
them Japan would meet the crisis of collapse.

 2020年まで、あと12年。間に合うか、日本!

We have only 12 years before the year of 2020. Are we ready?


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●嫌韓感情

++++++++++++++

この原稿がマガジンに載るころには、
韓国の大統領選挙の結果も、出ている
ことと思う。

そのつどハプニング的な国民感情に動か
されて、金大中政権、それにつづく
N政権が誕生した。ともに支持率は、
任期中、10〜20%に前後にすぎな
かった。

これら大統領がもっている反日感情には、
一理ないわけではない。しかし行きすぎた
反日感情は、同時に、日本人の嫌韓感情
を生み出す基礎となる。

サッカーの試合にたとえてみるとよい。
スポーツはスポーツ。勝ち負けは別として、
ともに真剣に闘うという範囲では、終わった
あと、たがいに親睦を深めることもできる。

しかしもし相手が、一方的に憎しみというか、
敵意をむき出しにしてきたら、どうだろうか。

スポーツがスポーツでなくなってしまう。
勝っても負けても、後味の悪いものに
なってしまう。

今までの日韓関係を総合評価すれば、その
後味の悪さだけが、残る。かつて福沢諭吉は、
こう言った。

「我は心に於て、亜細亜東方の悪友と謝絶
するものなり」(脱亜論)と。亜細亜(アジア)
東方の国というのは、現在の韓国とK国のこと
をさす。

福沢諭吉のようなリベラリストですら、
そう結論づけている。なぜか? 

韓国人にしてみれば、日本ごときが、
アジアでナンバー・ワンであることが、
気に入らないのだ。わかりやすく言えば、
逆差別意識。つまりそれがあるかぎり、
日韓関係は、好転しない。

しかしこれは日本人の問題というよりは、
韓国人の問題である。そのつど教科書問題
を取りあげ、従軍慰安婦問題を取りあげる
のは、(それ自体、日本側も反省すべき点は
多いが)、こうした逆差別意識があるからに
ほかならない。

「日本ごときの国に、(植民地という形で)、
蹂躙(じゅうりん)された」
「独立を、自分たちの手でなしえなかった」
(M氏談)と。

その不完全燃焼感が、現在の韓国の反日
感情の原点にある。言いかえると、それが
なくならないかぎり、日韓関係が好転する
ということは、ありえない。

仮にハンナラ党政権が誕生しても、この
事情は、変わらないだろう。

+++++++++++++++

 かつては、私も、韓国大好き人間だった。UNESCOの交換学生として、韓国に渡っ
たこともある。

 その私が、韓国を嫌いだしたのは、日本のバブル経済が崩壊したころからである。当時
の韓国の新聞各紙は、「日本は、これでおしまい」「韓国の時代がやってきた」と、連日、
小躍りして、それを喜んでいた。

 金大中政権になってからは、毎朝、(毎朝だぞ!)、日本攻略のための閣議がもたれたと
いう。よく知られた話である。そして少しでも弱体化した日本企業を見つけると、買収、
合併、提携という形で、韓国内へ取り込んでいった。そのためのお金が、政府によって、
惜しみなく注ぎ込まれた。

 こうして、造船、鉄鋼、自動車、電子、液晶の各産業が、つぎつぎと韓国へ移植されて
いった。彼らには、「共同」とか、「共存」という理念はない。たとえばつぎの記事を読ん
でみてほしい。

 少し前、米韓FTA交渉が妥結した。(あまりにも不公平な妥結内容なため、現在、アメ
リカ議会では、批准をペンディングしている状態。)それについても、こう報道している。

「●米韓FTA妥結:「米国製日本車」が韓国襲来か(朝鮮N報)

 韓米自由貿易協定(FTA)が締結されたことで、米国で生産された自動車が韓国国内
に輸入される場合、関税(8%)対象から除かれるため、米国製の日本車までもが安く輸
入されるようになる見通しだ」(07年8月)と。

 自分たちは、世界中に、無関税で自動車を輸出しておきながら、外国からの輸入には、
高い関税をかける。自国の産業保護のためである。それはわかる。が、しかし内容が、す
さまじい。

 「アメリカ製の日本車が、襲来する」と。「襲来」という言葉を平気で使う。どうして米
韓FTA交渉の話の中に、「日本車の襲来」という言葉が出てくるのか?

 これを私は、「行きすぎた反日感情」と呼んでいる。

 「隣国だから、仲よくしたい」という気持ちは、私にもある。しかし彼らの鉄のように
固まってしまった心を溶かすのは、容易なことではない。それは何も、日本の統治時代か
ら始まっているわけではない。福沢諭吉、さらには、驚くなかれ、秀吉の時代から始まっ
ている。

 国際政治は、どこまでも現実的でなければならない。はっきり言えば、「仲よくしましょ
う」とのんきなことを言っている間に、それこそ日本は、「太平洋の海溝の向こうに」たた
き落とされてしまう。時代のテンポと、政治のテンポはちがう。さらに経済のテンポとな
ると、もっと速い。

 日本にはその気はなくても、向こうは、ちがう。その(ちがい)を忘れて、日韓関係を
論じても、意味はない。だから2008年も、私は、こう叫びつづける。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本!、と。

 さて2008年、私の嫌韓感情が、少しでもやわらげばと、願っている。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●ベンチャー企業

++++++++++++++++++

オーストラリアへ行ってみて、
まず驚くのが、個人企業が多いこと。

「電話1本と、車1台あれば、仕事ができる」
というのが、オーストラリアの現状である。

「排水口のつまりをなおします」
「庭の芝生を刈ります」
「屋根の修理をします」と。

そういう看板を描いた車を、1ブロック
走るごとに、1〜2台は、かならず見かける。

問題もないわけではない。

「そのため組織的な大企業が育たない」(M大
某教授)とも。

一方、この日本では、事情が逆転する。

集団依存性が強く、個人企業を、むしろ
嫌う傾向が強い。「嫌う」というより、
「忌み嫌う」。「軽蔑する」。

少し前、ある女性(S新聞社記者)が、
私にこう言った。

「林さん、あなたのような人が成功する
のは、困るのですよ。あなたのような
人が成功すると、会社にいる人たちは、みな、
自己否定しなければなりませんから」と。

つまり組織にいる人たちは、私のような
立場の人間がそのつど失敗するのを
見届けながら、「やはり、俺たちの
選択は正しかったと思いなおすのだ」と
いう。

だから……。「日本では、ベンチャー企業は
育たない」という。

個人が個人でプレーするのを許さない。そればかりか、
そういう個人を、みなで、寄ってたかって、
たたきつぶそうとする。

ひょっとしたら、あなたにもそういう意識が
あるかもしれない。

「企業に属している人間は、信用できる」
「個人プレーで仕事している人間は、
信用できない」と。

しかしそれこそまさに、明治以来、国策として
作られた意識。けっして、世界の常識ではない。

++++++++++++++++++

 映画『ロッキー・ザ・ファイナル』の中に、こんなシーンがある。息子が働く会社を、
ロッキーが訪れる。そのときのこと。会話の内容は忘れたが、ロッキーは、息子にこんな
ようなことを言う。

 「こんな世界に埋もれるな」と。

 超近代的なオフィスビルで働く、自分の息子に、である。日本的に考えれば、まさに「出
世組」(この言葉は、ほんとうに、いやな言葉だが)ということになる。

 一方、ロッキーは、レストランの経営をしながら、チャンピオン・ボクサーとの対決を
画策する。

 ……と書くと、「それは映画の中の話」と思う人も多いかと思う。しかし日本を離れた世
界では、ロッキーのような生き方、考え方のほうが標準と思ってよい。日本的な会社人間
など、どこをさがしても、まず、い・な・い。

 つい先日も、こんなことがあった。

 私のオーストラリアの友人の娘が、相手の男との婚約を破棄した。相手の男というのは、
資源開発会社に勤める男性である。いわば、オーストラリアでは珍しい、大企業の社員と
いうことになる。

 その理由が、おもしろい。いわく、「週に3、4日は、現地へ行っている。土日には、フ
ットボールばかりしているから」と。つまり「私との時間を作ってくれないから」と。

 日本の女性なら、より大きな企業に勤める男性を、結婚相手に選ぶだろう。またそのほ
うが、安心と考える。が、こうした意識は、オーストラリアでは理解されない。その理由
を書き始めたら、キリがなくなるので、この話は、ここまでにしておく。が、これだけは
言える。

 失敗しても、(失敗する確率のほうが高いが)、自分の人生は、自分で生きる。そのほう
が、「生きた」という実感が、ともなう。「やりとげた」という達成感を、自分のものにす
ることができる。

 ……と書きながらも、ここにも書いたように、「この日本では、失敗する確率のほうが高
い」。しかしこういう日本のほうが、おかしい。まちがっている。日本人の私たちがまず、
それに気づき、これから先、それを是正していかねばならない。

 話をもとにもどすが、「日本ではベンチャー企業が育たない」とは、よく言われる。その
原因は、日本人の意識そのものにあると考えてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●マネーゲーム(Money Game)

Do you know the new type of money
investiment system called "FX trade"?

Nowadays more and more ordinary
housewives are involved and some
get huge amount of profits and others
lose it.

+++++++++++++++

FX取り引きという、投資運用法がある。
「外国為替証拠金」を略して、「FX」
取り引きという。「Foreign Exchange」
の略か?

一定金額の証拠金を、取り引き会社へ
差し入れることによって、為替変動で
生ずる差益の、数10倍から、数100倍の
利益を生み出すことができる。

株の信用取り引きに似ているが、FX
取り引きは、株ではなく、外貨に投資
する。

たとえば1ドルを、100円で買って、
110円になったときに売れば、利益は、
1ドルあたり、10円ということになる。

10万ドル分買い付ければ、利益は、100
万円ということになる。

その1例として、F証券のHPには、こうある。

「取引金額が10万ドルなので、総差益10万円。
手数料分0円を差し引き、それにスワップ
金利10日分16000円が加算され、総利益は
11万6000円となります」と。

FX取り引きというのは、たとえば証拠金を
はじめに、取り引き会社(多くは証券会社)に
100万円分、預けておく。

100万円分まで損をしてもよいというお金
である。

このお金で、100万ドル分の外貨を
購入する。仮に、ドルが1ドル=100円から、
110円になれば、それだけで利益は、
1000万円になる。大もうけである。

反対に、1ドルが100円から、99円になれば、
為替差損は、100万円。その時点で、取り引きは
終了する。

この方法を大量に繰りかえせば、円売り、ドル買い
がつづき、自動的に円安になる。つまりさらに
利益幅は大きくなる。

こうしたFX取り引きで、ふつうの主婦や、個人
投資家たちが、巨億の利益をあげている。

初回入金額ゼロ、証拠金1万円から、という外国為替
証券会社もある。

たとえば人気度ナンバー3に入っている、W証券の
ばあい、6万円の証拠金があれば、10万ドル分の
取り引きができるという。W証券のHPには、「レバレッジ
効果200倍、118円からの自動ロスカット、
117・12円……」などとある。

つまり6万円で、10万ドル分の取り引きができる。
仮に10円、円安になれば、それだけで、100万円
の利益!

昨今、巨額の利益をあげながら、脱税であげられた
事件が、たてつづけに報道されている。中には、
数億円から数10億円も稼いだ人がいるという。

しかも、ごくふつうの、家庭の主婦が、である。

が、うまい話には、かならず、ウラがある。

ここにも書いたように、円安に進んでいる間は、
巨額の利益を生むが、反対に、円高になったとたん、
取り引き会社は、強制的に決算をする。つまり証拠金は、
没収される。これをこの世界では、「ロスカット」と
いう。

今回の円高(07年11月末期)では、一時、1ドルが
107円まで進んだ。122〜3円であったときと
比較すると、約12〜3%の円高である。

5円、円高になると、FX市場全体では、3000億円
程度の損失が出ると言われている。この計算でいくと、
どこかのだれかたちは、今回の円高で、1兆円近い
損失をかぶったことになる。

「儲かった」「儲かった」と喜んでいた人たちも、
今回の円高で、すべてを失い、がっくりして
いるにちがいない。

……しかし、こういうことで、お金が動いて
よいものか? まさにそこはマネーゲームの
世界。

ちなみに、F証券会社のHPには、つぎのようにある。

「外国為替保証金取引は1998年の外為法改正や
インターネット技術の普及を受け生まれた、
比較的新しい取引です。 07年7月からは、
金融先物取引法の改正により、同法の適用を受ける
取引となり、取引業者の登録制や様々な業者規制が課され、
お客様の保護が図られるとともに、より公正で透明性
の高い取引となりました。 

この取引では、一定の保証金を預けることで、
その数倍から十数倍の外貨の取引を行うことが
できます(レバレッジ効果)。 この、外国為替保証金
取引は異なる2国間の通貨を取引しますが、通常、
資産運用・投資には、まずまとまった資金が必要
となりますが、レバレッジを使うことにより、
小額の資金からはじめられる点が魅力となっています」と。

この世界も、どんどんと変化している。
新しい用語を覚えるだけで、たいへん。

ほとんどどこの証券会社も、24時間態勢で
客に対応しているので、今ごろも、刻々と変化
する為替相場を見ながら、眠られない夜を
過ごしている人も、多いはず。

……こういう記事を書いていると、なんだか、
まじめに働いている自分が、バカに思えてくる。

+++++++++++++++++++

●少子化問題(Decrease of Birthrate of Japan)

From now on Japan will lose one million of people every year, about which many 
economists worry that Japan will lose its power and will have serious population 
problems in the near future. But is this correct?

Almost all countries except USA have, more or less, similar problems. China and Korea 
are too. As to China the bad effect of "Only one kid policy" will appear and it will 
slowdown its economy power too. Also as to Korea, even after two Koreas are united, 
North Koreans workers would not be fit to modern society or would be rather a burdon 
upon South Korean's economy.

The problem so-called "decrease of birthrate of Japan" would not be so serious if we 
welcome more foreign workers and more aged people work a bit longer.

The Japanese will keep the No 1 in the world still longer!

+++++++++++++++

この先、日本は、毎年、約100
万人ずつ、人口が減っていく。

これは予測でもなんでもない。すでに
既定の事実である。

では、その日本が、この先、没落
していくかというと、そうとも
言えないのではないか。

この種の問題は、どこの国も
かかえている。深刻か、そうでないかの
ちがいはある。

その深刻さでみるかぎり、日本のケース
は、まだよいほう。

たとえば韓国にしても、中国にしても、
少子化問題をかかえている。とくに
中国は、「一人っ子政策」で、今後、
その影響が大きく出てくる。

韓国も、日本以上に、少子化問題を
かかえている。南北統一によって、
人口が、6〜7000万人になると
言われている。が、労働者としての「質」
の問題もある。

現時点では、北朝鮮の労働者は、労働者
としては、使い物にならないと言われている。

ゆいいつの例外は、アメリカで、
アメリカだけは、理想の人口ピラミッド
を維持したまま、経済発展をつづけていく。
もちろんほかにも、アメリカ型の
人口ピラミッドを形成している国は
あるが、基礎的な知的財産そのものが
ちがう。

(たとえばアフリカ諸国が、いくら、
理想的な人口ピラミッドを形成しているといっても、
日本の経済的優位をおびやかす存在とは
なりえない。)

日本は、この知的財産をうまく利用
し、労働力の不足を、外国人労働者
で補っていけば、少子化問題は、克服
できる。

プラス、団塊の世代の私たちが、あと
10〜15年、現役でがんばれば、
高齢化の問題も、霧散する。

「日本の将来は暗い」という話は、
信じないほうが、よい。

まだまだ日本は、アジアの先進国だ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   08年 1月 2日
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1月2日、マガジンは、983号になりました。1000号まで、あと17号!
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●今日から、2008年

新年、あけまして、おめでとうございます!
本年も、よろしくお願いします。

HP年賀状は、下記アドレスをクリックしてくだされば、
読んでいただけます。どうか、おいでください。

http://bwhayashi2.fc2web.com/page032.html

いろいろ書いてあります。

++++++++++++++++++++

この原稿は、マガジンの、2008年
1月2日号用。

(この原稿を書いている今日は、12月
1日だが……。)

1月2日でも、ひょっとしたら読んでくれる
人がいるかもしれない。そんな思いをこめて、
この原稿を書いている。
 
正月には、南オーストラリア州に
住むR君が、来日の予定。2月には、K君が
娘さんを連れてやってくる。

K君とは、京都へ行くつもり。
何かと、いそがしくなりそう!

++++++++++++++++++++

●BW教室の案内

 1〜3月期は、BW教室の生徒さんの募集をしています。お子さん、お孫さん、ご近所
でお知り合いの方がいらっしゃれば、よろしくお伝えください。

 BWの案内は、

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

 のほうで、しています。マガジン読者の方の紹介であれば、自由に見学していただける
ようにします。遠慮なく、お申し付けください。


●それぞれの定年退職

 私の友人、知人たちが、今年、満60歳を迎え、定年退職しています。みな、それぞれ
ですが、T氏は、今年、役所を退職し、「百姓」(T氏自身の言葉)に変身。もう10年以
上前から、計画していたとのこと。

 畑も、購入済み。広いミカン畑もついています。明日、草刈り機をもって、T氏を応援
に行ってきます。「草を刈ってやるよ」と言いましたら、「林さんが、草刈りをするの?」
と驚いていました。

 ところが、どっこい。私も、お百姓さんがする仕事なら、たいていのことはできます。
まさに100の姓(かばね)。以前は、耕耘機(こううんき)まで自前でもっていました。
(ホント!)

 読者の方の中には、若い方も多いと思いますが、40歳を過ぎたら、定年退職後の下準
備だけはしておいたほうがよいですよ。何か目標を決めて、それに向かって用意する。そ
れをしておかないと、定年退職をしたとき、あわてふためくだけで、何もできなくなって
しまいますよ。

 「60歳になったら……」と考えるのではなく、今から、考えるのです。(いらぬ節介か
もしれませんが、これも老後を豊かに生きるためのコツかもしれません。)

 「まだ先……」と考えている方も多いかと思いますが、あっという間に、その時がやっ
てきます。あえてアドバイスするなら、こういうことです。

(1)モノを目標にしない。心を目標にする。
(2)過去にぶらさがらない。いつも前だけを見て進む。
(3)したいことがあったら、今から、する。
(4)無私、無欲でできるものを、さがす。
(5)仕事は、お金のためと割り切り、何も期待しない。
(6)過去の肩書き、地位は、忘れる。捨てる。
 
 そして定年退職したら、

(1)ものごとは、即、実行。やりたいことは、すべて前倒しでやる。
(2)年齢制限はなし。小さく生きなければならない理由は、どこにもない。
(3)時間にケチになる。健康にケチになる。
(4)孫の世話、庭いじりを、理想の老後生活などと考えてはいけない。
(5)いつも新しいことに挑戦する。言いたいことを言い、したいことをする。
(6)健康、第一。そのために運動、第一。脳みその健康を大切に!

 これは私の努力目標でもあります。みなさん、いっしょに、がんばりましょう。


****************************

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本人の職業観

+++++++++++

日本人の職業観と、
欧米人の職業観は、
当然、ちがう。

それについて……

+++++++++++

 高校生が使う英語の教科書に、「POLESTAR2」(数研出版)がある。その中に、「仕
事を選ぶ」(Choosing a career、プログラム8)というのがある。高校生のために書いた、
いわば仕事を選ぶためのガイドブックといったものだが、その中に、こんなことが書いて
あった。

 「……仕事を選ぶとき、たとえば生物学のような仕事を選べば、(いつも家から離れて仕
事をするので)、家族生活が犠牲になることを考えなければならない。もしとくにしたいこ
とがなければ、そのときできる仕事しごとをすればよい。しかしあなたに才能(タレント)
があるなら、あなたはどこでもその才能を生かした仕事ができるだろう」と。

 一読すると、何でもないことが書いてあるように思うかもしれないが、これらすべてが、
日本人にはない発想だけに、おもしろい。それを説明する前に、日本人がもつ職業観につ
いて書いておく。

 この教科書を説明しているとき、私は何人かの高校生に、こう聞いてみた。「君たちの先
生は、『仕事』と言うとき、コンビニや工場でするようなことを、仕事と考えていると思う
か」と。すると、全員、「ううん」と答えた。はっきりとは言わなかったが、「そういうの
は、仕事ではない」と。実は、ここに日本人独特の、ゆがんだ職業観がある。そこでさら
に私は聞いてみた。「君たちにとって、仕事とは何か」と。すると、それぞれが、「弁護士
とか医者とか、まあそんなところかな」「みんなができないことをするのが仕事。だれでも
できるようなのは、仕事ではない」「設計士とか、建築家は仕事。科学者も仕事かな」と。

 こうした職業観は、親たちももっている。目が「上」ばかり、向いている。そしてこう
した職業観が、結局は、学歴信仰の基礎になり、それがまわりまわって、日本の教育をゆ
がめている。そこで改めて、先ほどの教科書の内容を読んでみる。そこには、こうある。

(1)「家族生活が犠牲になる」……ひところ昔よりは目立たなくなったが、単身赴任とい
う制度は、今でもしっかりと日本の社会の中で生きている。何かにつけて、仕事が優先さ
れる。私たち日本人は、仕事を考えるとき、「家族の犠牲」という言葉はあまり使わない。
最近、単身赴任は、かえって仕事の効率を悪くするという意見があちこちから聞こえるよ
うになったが、それとて、「仕事の効率」という視点からの意見である。

(2)「とくにしたいことがなければ……」……この日本では、それが大半の人にとっては
そうであるにもかかわらず、こうしたものの考え方を認めない。少し前には、「フリーター
撲滅論」を唱える、高校の校長すらいた。仮に進路指導の先生が、「とくにやりたいという
仕事がなければ、店員でも工員でも、何でもいいではないか」などと言ったら、それだけ
でも問題になるのでは? この日本には、「よい仕事」と、「そうでない仕事」がある。江
戸時代の身分制度のなごりと言ってもよい。職業には格づけがあり、その職業によって、
人間の価値が決まる。しかもほとんどの日本人は、無意識のまま、それをする。 

(3)「才能(タレント)があれば……」……これを説明するためには、大学制度の違いに
ついて書かねばならない。今、アメリカでは、大学へ入学したあとでも、学部の変更はも
ちろん、ほかの大学への転籍さえも、自由になっている。公立、私立の区別はない。ヨー
ロッパでは、大学は完全に、共通化されている。しかしこの日本では、何かの席で自己紹
介するときは、必ずといってよいほど、「○○大学を卒業後……」という言葉が出てくる。
アメリカでは、最終的にどこの大学で学位を認定されたかということは、重要だが、そう
いうわけで、いわゆる学歴(ブランド)は、ほとんど意味をもたない。博士号などにいた
っては、その大学で一度も勉強したことがなくても、論文審査だけで認められる。(だから
博士号を乱発する安っぽい大学も、一方にあるにはある。)「才能(タレント)があれば…
…」という発想は、そういう大学制度を背景にして生まれる。つまり欧米の大学生にとっ
て大切なのは、学歴(ブランド)ではなく、中身ということになる。

 私の予想では、あと五〇年ほどで、日本人の考え方も、これに近くなると思う。すでに
今、日本人の意識そのものが大きく変わり始めている。それはそれとして、しかしまだ距
離は遠い。たとえば学校の先生が、あなたの子どもにこう言ったとする。そのとき、あな
たはその先生の言うことに納得するだろうか。

 「仕事というのは、何でもいいのだよ。自分のできることをすれば。コンビニの店員で
も、工場の部品工でも、すばらしい仕事だよ。仕事に上下はない。大切なのは、一生懸命
することだよ。忘れていけないのは、仕事をする目的は、それで得たお金で、豊かな家庭
生活を送ることだよ。そのために仕事をするのだからね」と。

 日本人がこうした考え方を、当然のこととして、そして自然な形で、そうだと思えるよ
うになるのに、「あと五〇年ほど」かかる。……と私は思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
職業観 子供の職業観 子どもの職業観)


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●若者たちの活字離れ

+++++++++++++++++++

ネット・サーフィンをしていたら、こんなコラム
が目についた。

「テレビ、携帯電話、インターネットは、若者
たちから、考える力を奪う」「何としても、これらを
子どもに近づけてはならない」※と。

「活字離れ現象は、文化の崩壊を予言するもの」とも。

これを読んだとき、私は、「どうしてインターネットが?」と、
思ってしまった。

「ギャグ番組や携帯電話は、若者たちから・・・」
というのであれば、そのとおり。私納得する。

+++++++++++++++++++

 何度も書くが、(情報)と(思考)は、まったく別のもの。情報が多いからといって、賢
いということにはならない。たとえば幼稚園児が、掛け算の九九をペラペラと口にしたか
らといって、その子どもに、算数の力があるということにはならない。

 その人の賢さは、(考える力)によって、決まる。そこでこのコラム。こうある。

 「テレビ、携帯電話、インターネットは、若者たちから、考える力を奪う」「何としても、
これらを子どもに近づけてはならない」と。

 テレビといっても、内容はさまざま。携帯電話については、私も、同感。ただインター
ネットについては、一概に、そうも言えないのではないか。親たちの中には、(インターネ
ット嫌悪性)というのがあって、インターネット、イコール、「悪」と考えている人も少な
くない。「子どもには、ぜったい、インターネットをさせない」とがんばっている親もいる。

 しかしこと、「悪」ということになれば、悪は、さまざまなルートを通して、子どもの世
界に入ってくる。インターネットだけを遮断しても、ほとんど、意味はない。

 少し話がそれたが、「考える力」はどうか? ……私は、これも使い方の問題だと思う。
BLOGにしても、読みごたえのあるのも、多くなった。他人の意見を読み、それに自分
の意見を加えていく。その過程で、考える力が、養われる。

 もし「インターネットが、若者たちから考える力を奪う」というのであれば、それは一
過性のものではないか。たとえて言うなら、インターネットの世界は、すでに世界の大河
になっている。その大河の中に、棒を1本や2本立てたくらいで、水の流れを止めること
はできない。要は、使い方の問題ということ。

 さらに「活字離れ」についても、一言。

 この問題は、そのまま国語教育に直結する。日本でも最近、図書館教育に力を入れるよ
うになってきている。が、アメリカなどには、「ライブラリー」という時間がある。たいて
い週1時間の授業だが、先生が、それぞれの子どもに合った本を選び、貸し与えている。

 この指導にあたるのは、修士号以上の資格をもった教師に限られている。つまりそれく
らい、ライブラリーの授業には、力を入れているということ。

 むしろ現場で「活字離れ」を感ずるとしたら、コミックがあげられる。休み時間ともな
ると、子どもたちは、どこからもってきたのか、それぞれが無言のまま、コミックをよみ
ふける。活字の本を読んでいる子どもは、まず、いない。

 だからといって、コミックを否定してはいけないが、この問題は、もっと根が深いとい
うこと。

 少し気になる記事だったので、コメントしてみた。

(注※)日本最大手の学術出版社・岩波書店に40年間勤務し、うち6年間は社長を務め
たベテラン編集者・OT氏(68)が来韓した。OT氏は03年に社長を退いた後、新聞
社・出版社関係者と活字文化推進委員会を設立、児童・生徒の朝読書や子ども読書奨励運
動に携わっている。

 OT氏は「"考える力を抹殺するテレビやインターネットは何としてでも子どもに近付け
てはならない"というノンフィクション作家・柳田邦男氏の主張に全面的に共感する」と
語った。

 「携帯電話・インターネット・テレビに取りつかれた日本の若者の活字離れ現象は、文
化の崩壊を予言するもの。このような没落の道を韓国が辿らないことを望んでいる」 
(朝鮮N報、07年11月)

(付記)

 上のエッセーを、S社の翻訳ソフトを使って、翻訳してみた。

 結果は、以下のとおり。

+++++++++++++++

The type detached building of the ● young men

+++++++++++++++++++
If net, surfing is being done, such a column
It was attached in the eyes.
A 「 television, a cellular phone and the Internet are young men.
From たち, 」「 whatever that the power to think about is taken by force is taken, 
these
With 」※ which must not be drawn to the child near.
"A type detached building phenomenon predicts the collapse of the culture." too.
When this was read, as for me, 「, why, Internet?
With 」.
It thought.
"As for the gag program and the cellular phone, from the young men"
The same way that it says.
I understand it.
+++++++++++++++++++
Though it is written many times, as for (the information) (thinking) is really special.
Just because there is much information, it doesn't become smart.
It doesn't become a thing with the arithmetical power that child just because for 
example a kindergartener moved the multiplication table of the multiplication to ペ
ラペラ and the mouth.
That person's cleverness depends on (the power to think about).
So, this column.
It is here like this.
With "A television, a cellular phone and the Internet rob young men of the power to 
think about." "Whatever is taken, you must not draw these to the child near."
Contents vary even if a television is said.
As for the cellular phone, I am agreement, too.
As for the Internet, can't generally you only say so, either?
There is a thing which says (Internet hatred) in the parents, and there are not a 
few people thinking with the Internet, the equal, "the evil", either.
There are "A child is never made to have the Internet." and parents doing the best, 
too.
But, evil goes into the child's world through the various routes if it becomes the 
thing of the thing, "the evil".
Even if only the Internet is interrupted, meaning doesn't almost have it.
Though a story strayed a little, as for "the power to think about", please?
…… I think that this is a matter of the way of using, too.
Though BLOG was taken, it increased that there were reading ごたえ, too.
Others' opinion is read, and the opinion is added.
The power to think about is developed in that process.
That that if it says "The Internet takes the power to think about from the young men 
by force." is a transient thing.
If it is compared and it says, the world of the Internet is already the large river 
of the world.
The flow of water can't be stopped in that large river as much as to stand two sticks, 
one.
In short, the thing of a matter of the way of using.
More, as for "the type detached building" as well, word.
This problem is connected with language education directly as it is.
It has been coming to put the power in the library education recently.
But, there is time of "the library" in America and so on.
Though it is usually a class for one hour in a week, the book that a teacher was suitable 
for each child is chosen, and lent, and it is being given to it.
The matter that it hits this guidance is limited to the teacher who has a qualification 
beyond the master issue.
In other words, the thing that at least that puts the power in the class in the library.
Comics are given to it if "a type detached building" is rather made 感ずる in the 
spot.
Comics are read, and children are absorbed with something bringing it or each being 
silence 【 when a rest time is 】.
There is no child reading the book of the type first.
Therefore, this problem is more intimate a root though it says and you must not deny 
comics.
It tried to comment because it was the article which it was a little anxious about.
It worked in learning publishing company, Iwanami Shoten, Publishers of the (note 
※) Japanese extreme big enterprises for 40 years, and Mr. expert editor, OT (68) 
that the inside served as the president for 6 years 韓する 来.
Mr. OT establishes a type cultural promotion committee with the persons concerned 
in a newspaper company, publishing company, and he is concerned with reading and the 
child reading encouragement movement in the morning of the child, student after he 
retires from the president in 03.
Mr. OT told "It sympathizes with the assertion of Mr. nonfiction writer, Yanagida 
邦男 of "As for anything, you must not draw the television which erases the power 
to think about, and the Internet to the child near." completely."
The type detached building phenomenon of the young Japanese man where a 「 cellular 
phone, Internet, television clung predicts the collapse of the culture.
」 South Korea is being wished not to follow the way of such ruin
(A Korean N report, November, 07)

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 このままでは、????。使い物にならないので、修正してみる。

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●Few young men read books
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I happened to read such a column about the young men in Japan who reads less and less 
books.

It says"televisions, a cellular phone and the Internet are young men have been 
depriving "Thinking Ability" from Japanese young men.

Therefore these things should be avoided and you are suggested not to give them to 
young men, especially children.

"These things would collapse of the culture." too.

When I read this, I just question myself, "why, Internet?"

It thought.

"As for the gag program and the cellular phone, what he says is right. "
I understand it.

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As I have written written many times, (the information) (thinking) is really different
 things.
Just because he or she has much information, it doesn't mean he or she is wise.
 
It doesn't become a child has arithmetical power if that child can recite just the 
multiplication table.

A person's cleverness depends on (the power to think ).

So, this column should be like this:

With "A gag television program, a cellular phone and may rob young men of the power 
to think." "Whatever is taken, you must not draw these to the child near."

As for television programs, it depends on its content. As for the cellular phone, 
I am agreement, too.

As for the Internet, the problem is how to use it.

Many young mothers and fathers think "Internet is bad for kids and therefore theay 
are not be used by them." But who can stop this big flow of water with some sticks 
o out into the water?

Evil goes into the child's world through the various routes if it becomes the thing 
of the thing, "the evil".

Even if only the Internet is stopped,the probles can not be solved.

Though a story strayed a little, as for "the power to think about", please?
…… I think that this is a matter of the way of using, too.
Though BLOG was taken, it increased that there were reading ごたえ, too.
Others' opinion is read, and the opinion is added.

The power to think about is developed in that process.
That that if it says "The Internet takes the power to think about from the young men 
by force." is a transient thing.
If it is compared and it says, the world of the Internet is already the large river 
of the world.
The flow of water can't be stopped in that large river as much as to stand two sticks, 
one.

This problem is connected with language education directly as it is.
Many schools have started "library lessons" and this is one of the solution.

In USA, almost all schools have "library" lesson in most cases once a week. A very 
expert with MD degree is teaching children.
 
But as a mater of fact, comics are more read, and children are absorbed with something 
bringing it or each being silence at schools.

There is few child reading books of the type.

Therefore, this problem is more intimate a root though it says and you must not deny 
comics.

I tried to comment because it was the article which I was a little anxious about.

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2008年度からは、英文のBLOGに力を入れてみたい。
この12月期は、その準備期間としたい。
へたくそでも何でも、まず英語で書いてみること。まず、そこから始めたい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●正直な人、不正直な人

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介護センターへ行くと、そのつど、
いろいろな人に出会う。

そこでのこと。先日は、こんな
ことがあった。

人間の心理を知るのに、たいへん
おもしろい事実なので、そのまま
ここに書きとめる。

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 介護センターへ行くと、そのつど、いろいろな人に出会う。先日も出会った。こんなこ
とがあった。仮に、その2人の人を、Aさん(女性、50歳くらい)と、B氏(60歳く
らい)としておく。

 Aさんと、こんな会話をした。

私「(施設にいる)お母さんのインフルエンザの予防注射は、どうしますか?」
A「私は、受けませんが……」
私「老人には、よくないのでしょうか?」
A「受けたところで、効果があるとはかぎりませんし……」
私「はあ……。で、お母さんは、どうなさいますか?」
A「母は、毎年、受けていません……」と。

 一方、B氏とは、こんな会話をした。

私「よくここ(=介護センター)へおいでになるのですか?」
B「忙しいから来ません。……4か月に1回くらいかな」と。

 AさんとB氏の会話の(ちがい)が、あなたには、わかるだろうか。Aさんは、私が、
介護施設にいるAさんの親の予防注射はどうしますか、と聞いたのに対して、「私は、受け
ません」と、答えている。まず、自分のことを話している。つまり「私も受けていないか
ら、母も受けない」と。

 何か、やましいことでもあるのだろうか?

 一方、B氏は、ありのままを、すなおに話している。4か月に1回というのは、回数と
しては、少ない。少ないが、悪びれた様子もない。ありのままを、そのまま話している。

 何でもない会話だが、そんな会話の中にも、その人の正直さが、そのまま表れる。Aさ
んは、たいへん不正直な人とみてよい。いつも自分の心を偽り、飾っている。一方、B氏
は、正直。事実を、そのまま話している。

 この話を家に帰ってからワイフに話すと、ワイフは、興味深そうに、私の話を聞いてく
れた。

 「きっとそのAさんね、予防注射を受けさせていないことを、どこかでうしろめたく思
っているのよ。それをあなたに指摘されたものだから、被害妄想のようなものが先に立っ
て、そう言ったのだと思うわ」と。

 ワイフの言ったことは、ズバリ、核心をついている。私は、何も、Aさんを責めるつも
りで、そう言ったのではない。が、Aさんは、自分が責められていると誤解した。だから、
返事を、オブラートで包んだ。

ついでながら言っておくが、老人のばあい、予防注射といっても、1000円前後の費
用でしてもらえる。たいした金額ではない。

私「ぼくはね、少なくとも、この10年以上、正直に生きてきたよ。努めて、そうしてき
た」
ワ「そうね」
私「だから、そういうふうに、心を偽る人を見ると、心底、不愉快になる。一方、正直な
人を見ると、心が洗われるかのようなすがすがしさを覚える」と。

 子どものころの私は、ここでいう不正直な子どもだった。だから今、よけいに、不正直
な人を見ると、不愉快になるのかもしれない。子どものころの自分を、見せつけられるよ
うに思うのかもしれない。

私「あのAさんにしても、お金がもったいないから、受けませんとで言えば、正直な人と
いうことになる。でも、そういうことは言わないだろうね」
ワ「自分をよく見せるために、ね」
私「反対に、B氏が不正直な人だったら、どうだろう?」
ワ「きっと、こう言うと思うわ。……『できるだけ、時間を見つけて来るようにしていま
す。母もさみしがるでしょうから』と、ね。4か月に1回という話は、ぜったいにしない
と思うわ」と。

 ……ということもあって、私は、改めて、心に誓う。自分に言って聞かせる。「私は、正
直に生きるぞ」と。

 ありのままの自分を、そのままさらけ出しながら生きる。そういう私を、人がどう思お
うと、私の知ったことではない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「マリア」「Maria」

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今日の午後、市内の劇場で、
「マリア」を見てくる。

その前に、当時の状況を学習
してみたい。

This afternoon my wife and I am to see the movie "Maria" and here I would like to study 
about its historical background of the movie.

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 「マリア」の公式紹介サイトには、つぎのように、ある。そのまま引用させてもらう。

 「イエス・キリスト誕生の裏に秘められた、母マリアとその夫ヨセフの愛の物語を映画
化。監督は『ロード・オブ・ドッグタウン』のキャサリン・ハードウィック。ヨセフとの
婚約中に身ごもってしまい、村人たちからさげずまれるマリアを、『クジラの島の少女』の
ケイシャ・キャッスル=ヒューズが演じる。『砂と霧の家』のショーレ・アグダシュルーら
も出演。神学、歴史、政治など、あらゆる専門家の協力を得て、忠実に描かれた作品世界
に注目」と。

 「神学、歴史、政治など、あらゆる専門家の協力を得て、忠実に描かれた作品世界に注
目」という部分が、気に入った。

 This is the movie which is produced precisely based on studies of Maria and her 
husband Joseph.

 シネマ・トディには、さらに、つぎのようにある。

 「ヘロデ大王の圧政に苦しむナザレで、家族とともにつましい暮らしを送るマリア。愛
してもいないヨセフとの婚約話が整ったことを両親から知らされた彼女は、心を落ち着け
るために逃げ込んだ林で、天使ガブリエルから、「あなたは神の子を身ごもる」と告げられ
る」と。

People are suffering from the pressure of the King Herod( Herod the Great).
Maria is forced to get marry with a man whom she does not love. Then she runs out of 
the village to a forest where she is told she gets pregnant by angel Gabriel.

 つまり、マリアは、今でいう見合い結婚をさせられたということか。それで森の中に、
逃げ込んだ。私は、マリアとヨセフは、たがいに愛し合って結婚したものだとばかり思っ
ていた。

Acoording to this brief guidance, Maria is arranged to get married by her parents. I did 
not know this. I though they got married loving to each other and then they had a baby. 
This may have been wrong.

となると、ヨセフの苦痛は、さらに倍加する。自分を愛していない女性と、しかもすで
に身ごもってしまっている女性と結婚することになる。私がヨセフなら、マリアとは結
婚しない。こういう問題は、現実の私に当てはめてみると、理解できる。あなたは、そ
れでもマリアを愛することができるか。

It means that Jpseph marries to a girl who does not love him and the girl who is 
pregnant already. If I were Joseph I would not marry to such a girl. I can understand 
how much Joseph suffers from the pain, which is more understandable when you 
yourself is put into the situation. Can you still love Maria? 

 ついでにヘロデ王について。歴史の勉強にもなるので、ウィキペディア百科事典から、
そのまま引用させてもらう。

+++++以下、ウィキペディア百科事典より++++Herod the Great

古代ユダヤにおいて再び独立を獲得したハスモン朝の末期の王アレクサンドロス・ヤンナ
イオスの息子ヒルカノス2世の側近に、イドマヤ(エドムのギリシャ語読み)出身のアン
ティパトロスという武将がいた(イドマヤはハスモン朝によってユダヤ教化させられた土
地であり、ユダヤ人からは軽視されていた、と書かれている)。ヘロデはこのアンティパト
ロスの息子である。父アンティパトロスはローマ軍の軍事行動を積極的に援助することで
ユリウス・カエサルの信用を勝ち取ることに成功した。

ヘロデはカエサル死後の混乱したローマの政治情勢を読みきって、ローマとの友好関係を
維持することに成功。ガリラヤ地方の知事として統治した。父アンティパトロスがマリコ
スというユダヤ人に毒殺されると、即座に彼を捕らえて処刑しているが、ヘロデの専制的
なやり方はユダヤ人最高法院の反感を招くものであった。

ヘロデのチャンスは人生最大の危機によって訪れた。政教一致政権であるハスモン朝にお
いて大祭司でもあった、ヒルカノスの甥アンティゴノスがパルティアの援助を受けて伯父
に叛旗を翻したのである。エルサレムにいたヘロデの兄パサエロスも捕らえられて、命を
落とした。ヘロデはマリアンネ1世を妻として、ハスモン朝との関係を作っていたが親ロ
ーマであったため身に危険がおよび、ガリラヤから当時クレオパトラのもとにいたマルク
ス・アントニウスの援助を求めて、アレクサンドリアへ逃れ、そこからローマに渡った。

ヘロデはローマにおいて元老院にアピール、父の代から続くローマへの忠誠を評価されて、
ローマの軍勢を貸与され、エルサレムへ向かった。エルサレムはローマ軍の精鋭の前にあ
えなく陥落。紀元前37年、ヘロデはついにローマ公認のユダヤ王となることができた。

アントニウスがオクタウィアヌスに敗北すると、ヘロデはすかさず勝利者へ乗り換えた。
ヘロデはローマの指導層との友好関係こそが自らの政権の唯一の基盤であることを熟知し
ていたのである。王位についたヘロデが徹底したことは、前政権ハスモン朝の血をひくも
のをすべて抹殺することであった。アンティゴノスはローマ人によって処刑された。ヘロ
デは、妻マリアンネとその間に生まれた自分の二人の息子すら手をかけ、マリアムネの弟
アリストブロス、マリアムネの母アレクサンドラも殺害した。また自分に対して敵対的で
あったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なメンバーたちを、迷わず処刑している。これ
以降最高法院の影響力は弱まり、宗教的な問題のみを裁くようになる。

ヘロデは建築が趣味であった。人工港湾都市カイサリア、歴史に名を残す大要塞マサダ、
アウグストゥスの名前を冠した新都市セバステ(サマリア)、エルサレムのアントニア要塞、
要塞都市ヘロディオン、マカイロスなどはすべてヘロデの時代につくられた。それだけで
なくヘレニズム君主としてパレスティナや、小アジアのユダヤ人が住む多くの都市に多く
の公共施設を提供している。この行為はギリシャ系住民の間でヘロデの名声を高めたが、
ユダヤ系住民にはかえって反感を買うことになった。

しかし、なんといってもヘロデの名を不朽のものとしたのは、ソロモン王を超える規模で
行ったエルサレム神殿の大改築であった。神殿はローマ帝国を含む当時の世界でも評判と
なり、このヘロデの時代にディアスポラのユダヤ人や、非ユダヤ教徒までが神殿に参拝し
ようとエルサレムをさかんに訪れるようになった。

ヘロデ大王の最晩年は後継者問題が彼の頭を悩ませた。また、エルサレム神殿に金の鷲を
すえようとしたため、ユダヤ教指導層と対立することになった。紀元前4年、死去。

新約聖書のマタイによる福音書では、新たな王(救世主)の誕生を恐れたヘロデ大王が、
二歳以下の幼児を虐殺(幼児虐殺)させたため、イエスと両親がエジプトに避難したとい
う記事があるが、歴史的な裏づけはない。ただし、この描写が福音書記者の時代のヘロデ
に対する、一般的な認識を反映している可能性はある。

ヘロデの死後、遺言に従って息子のアルケラオスとヘロデ・アンティパス、フィリポスと
三人の兄弟たちが後を継いだ。ユダヤ人たちはローマに使者を派遣して、ヘロデ王家の支
配を廃してくれるよう要請したが、聞き入れられなかった。しかし、アルケラオが王を名
乗ることは許されなかった。後にアルケラオは失政を重ねたため、住民によってローマに
訴えられ、解任されて、ガリアへ追放された。

その後のユダヤはローマ帝国の直轄領となった。他の兄弟たちも父のように王を名乗るこ
とはゆるされなかったが、分封領主としてユダヤの周辺地域をおさめることを認められた。

+++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++

 ヘロデ王の別名は、「狂王」。それもそのはず。権力保持のため、妻や実の子ども2人を
も殺している。さらに救世主の出現を恐れたヘロデ王は、2歳以下の子どもたちをみな殺
しにしようとしたともある。ゾーッ!

 そこで、マリアとヨセフは、エジプトに避難した。

 今度の映画でも、そういうシーンが出てくるだろう。

 「オーメン」にせよ、その種の映画では、悪魔が生まれ、それを阻止しようとする善なる
人たちの闘いが、テーマになっていた。しかし今度は、キリスト誕生の映画である。どこ
かで「クリスマスの本当の意味が、これでわかる」というような解説文を目にしたことが
ある。

 またバチカンでの上映会では、最後の10分間は、みな、涙を流していたという。「マリ
ア」という映画は、どうやら、そういう映画らしい。ワイフは、映画に行くのを、たいへ
ん、楽しみにしている。もちろん、私も……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●父親、ヨセフ

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以前書いた原稿の中から、ヨセフに
ついて書いたものをさがしてみた。

さらに1作、見つかった。

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●存在感の薄い、ヨセフ

 イエス・キリストの父親は、ヨセフである。しかし母親のマリアは、処女懐胎している。
一説によると、ヨセフは、マリアと婚姻関係にはあったが、マリアとは性的関係はなかっ
たとされる。また一説によると、処女懐胎のことは、マリアには、天使が知らせたが、ヨ
セフには、知らせなかったという。

さらにヨセフは、イエス・キリストが、神の子としての活動を始める前に、死んでいる。
ここでキリスト教、最大の謎にぶつかる。父親ヨセフは、では、いったい、何であった
のか、と。

 この議論は、キリスト教の世界では、すでにし尽くされているほど、し尽くされている。
私のような門外漢が、いまさら、論じても意味はない。そこでここでは、もう一歩、話を
先に進めてみたい。

●母親は絶対

 母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それは母親が、出産、授乳という直接的
な方法で、子どもの「命」そのものにかかわるからと考えてよい。一方、父親と子どもの
関係は、母親とくらべると、もろく不安定なもの。わかりやすく言えば、「精液一しずく」
の関係にすぎない。このちがいは、そのあとの親子関係にも、色濃く反映される。

 たとえば夫婦でけんかをしたとする。そのとき子どもは、たいてい母親の側にたつ。そ
ればかりか、子どもは、自意識が発達してくると、「自分は父親の子どもではないのでは」
という疑いをもつようになる。「私の本当の父親は、もっと高貴な人物で、私もそれにふさ
わしい人物にちがいない」と。これをフロイトは、「血統空想」と呼んだ。

 実際、男というのは、排泄が目的だけのためのセックスをすることができる。その気に
さえなれば、行きずりの女性と、数時間だけの性的関係をもつことだって可能である。一
方、女には、妊娠、出産、育児という責務がその時点から課せられる。もし男も女も、同
等の快感であったとするなら、女はセックスなどしないだろう。そのあと予想される「重
荷」を考えたら、とても割にあわない。

たとえば男というのは、そのセックスの途中であっても、冷静に、女の反応を楽しむこ
とができる。しかし女はそうではない。無我夢中というか、我を忘れてセックスの快感
に酔いしびれる。またクライマックスの長さも深さも、男のそれとは比較ならないほど、
長く、深い。恐らく長い間の進化の過程でそうなったのだろう。

つまり女にとっての快感は、そのあと予想される「重荷」を忘れさせるほど、すばらし
いものであるらしい。またそれがあるから、女も、あと先のことを考えることなく、セ
ックスに没頭することができる?

 となると、太古の昔の男女関係がどういうものであったかについて、こう推理すること
はできる。

●親は、母親だけ?

 人間が、下等な哺乳動物の時代においては、あるいはそれよりもずっと先の時代におい
ては、男というのは、ただの「精液供給者」にすぎなかったのでは、と。結婚という形が
できたのは、ずっとあとのことで、それ以前はというと、子どもにとって親というのは、
母親でしかなかったのでは、と。その原始的な関係が、イエス・キリスとマリアの関係に、
如実に示されていると考えられなくもない。

 で、インターネットで検索してみると、父親のヨセフをたたえる教会も、少なからず存
在することがわかった。こうした教会では、父親のヨセフの苦悩や悲しみ、さらにはそれ
を克服した崇高さを、ことさら美化している。しかしその視点そのものが、結婚観が確立
し、父親像、母親像が確立した、「現代」から見た視点にすぎない。つまり現代という視点
から見れば、どう考えても矛盾する。おかしい。おかしいから、どうしても父親のヨセフ
を、たたえる必要性が生まれた?

 しかし当時といえば、社会秩序そのものが確立されていなかった。だから当然のことな
がら、家族という概念も、まだ確立されていなかった。少なくとも、現在、私たちが考え
る家族観、……つまり、父親がいて、母親がいて、そして子どもがいるという家族観とは、
異質のものであったと考えるのが正しい。この日本でも、「家」中心の家族観から、「個」
中心の家族観に改められたのは、戦後のことである。

●母親と父親は平等ではない?

 こう考えていくと、母親と子どもの関係と、父親と子どもの関係は、決して平等でも、
同一のものでもないことがわかる。このことは、母親の子どもに対する意識と、父親の子
どもに対する意識の違いとなっても現れる。自分の子どもを見ながら、「この子どもは私の
子どもではない」と疑う母親は、絶対にいない。しかし同じように自分の子どもを見なが
ら、「ひょっとしたら、この子どもは、私の子どもではない」と疑う父親はいくらでもいる。
そしてそれがちょうどカガミに映されるかのように、子どもの心となる。

 つまり子どもにとって、親は、母親であったということは、一方で、「父親」という概念
は、ずっとあとになって、生まれたと考えるのが正しい。少なくとも社会秩序が確立し、
一夫一妻制度が確立したあとに、その輪郭を明確にした。それ以前はというと、父親は、
まさに「精液一しずく」。

 そこで家庭では、まず父親の存在と、母親の存在は、平等ではないという前提で、考え
る。父親の母親化、あるいは反対に母親の父親化ということは、ある程度はありえるが、
子どもの意識まで変えることはできない。いくら父親が母親らしくしても、父親の乳首を
吸う子どもはいない。

●母親は父親を立てる

 で、ここから先は、母親の出番ということになる。母親は絶対的な立場を利用して、父
親と子どもの関係を、より強固にするという義務がある。具体的には、家庭では、(1)子
どもが父親との関係を疑わないようにする。子どもが「血統空想」(フロイト)をもつこと
自体、すでに、父親と子どもの関係は、ゆらぎ始めているということ。

 つぎに(2)母親は、父親を自分より上位に置くことにより、父親の家庭における存在
を高める。こう書くと、男尊女卑論だと騒ぐ人がいるが、そうではない。「平等」というの
は、互いに相手を高い次元においてはじめて、平等という。「父親を立てる」ということ。
「大切な判断は、お父さんにしてもらおう」「この話は、お父さんにも聞いてもらおう」と。
そういう姿勢を通して、子どもは、父親像を学ぶ。身につける。

●父親ヨセフの苦悩

 こうして考えてみると、イエス・キリストの父親である「神」は、イエス・キリストを
もうけるためにマリアを選んだが、ヨセフは、選ぶという対象そのものにはなっていなか
ったのではということになる。はっきり言えば、マリアとイエス・キリストのめんどうを
みるなら、だれでもよかった? ……こう書くと、猛反発を受けそうだが、しかし事実を
冷静に積み重ねていくと、そうなる。あるいは、あなたがヨセフならどうだったかという
視点で考えてみるとよい。

 妻が、ある日突然、妊娠した。自分には性交したという記憶がない。そこで妻を問いつ
めると、「神の子だ」という。半信半疑だったが、しかしやがて子どもは生まれてしまった。
そういう状況に置かれたら、あなたはどう考えるだろうか。ヨセフをたたえる教会では、「そ
うした苦悩を乗り越えたところに、父親ヨセフの偉大さがある」というような論陣を張る
が、それはあくまでも結果論。結果的に、イエス・キリストが、偉大な人物になったから
言えることであって、そうでなかったら、そうでなかったであろう。

 いやそれ以上に、イエス・キリストはどうであったのか。ヨセフを父としながらも、お
そらく母親のマリアからは、「あんたの父は、ヨセフではない。天にいる『主』である」と
聞かされていた。イエス・キリストは、そういう話を、どこでどう納得したのか。矛盾を
感じなかったのか。あるいはそれこそ、フロイトがいう、「血統空想」そのものではなかっ
たのか? 

 「どうしてキリスト教では、父親のヨセフの影が薄いのか」、また「どうしてキリスト教
会では、マリア像を飾るが、ヨセフとマリアを並べて飾らないのか」という、何気ない疑
問をもったのがきかっけで、このエッセーを書いてみた。このつづきは、また今度、どこ
かの教会へ行ったときにでも、じっくりと考えてみる。
(03−1−15)

++++++++++++++

 それにしても、「マリア」の中のヨセフは、むずかしい役がらだと思う。こうした愛と苦
悩を、どう描くか。たいへん見物である。こうした映画は、「演技」ではできない。体の奧
の奧、心底からわき出るような(誠実さ)がなければ、観客に見抜かれてしまう。つまり
俳優自身が、マリアになり、ヨセフになる。なりきる。なりきるだけでは、足りない。そ
れを支える、知性や理性がなければならない。

 ありのままをさらけ出しながら、それでいて、マリアはマリアでなければならない。ヨ
セフはヨセフでなければならない。ありのままをさらけ出すと言うことは、恐ろしいこと
でもある。並大抵の俳優では、できない。

 ますます、楽しみになってきた。このつづきは、「マリア」を見てきてから、書く。

(付記)

 「マリア」を見てきた。静かな映画だった。見たあと、何とも言われない、暖かい気持
ちに包まれた。映画としては、ふつうの(失礼!)映画だと思うが、私には、恐れ多くて、
評価できない。最後に、「♪清し、この夜」の曲が静かに流れていた。サントラ版のCDは、
発売され次第、買うつもり。全体に、心休まる音楽がすばらしかった。

 土曜日だったが、観客は、意外と少なかった。全体でも、10〜20%前後ではなかっ
たか? 40人前後だった。どの人も、クリスチャンの方のように見えた。


Hiroshi Hayashi++++++++DEC 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(12月1日版)

●奇妙なできごと

+++++++++++++++

今朝(12月1日)、実に奇妙な
ことが起きた。

中央N報だったか、朝鮮N報だったか、
日ごろから、韓国政府発表の大本営発表
の経済記事しか載せていない新聞社が、
「サブプライム・ローンの影響」と
題して、韓国経済への影響を特集記事と
して載せていた。

私は、この目で、しっかりとそれを読んだ。
午前8時ごろのことだった。

が、である。昼ごろ(午前11時30分)に
再び、その記事をさがしてみたが、
それは消されていた。

なぜか?

特集記事の内容は、「国債が売り戻され、
国債の金利が上昇」「外貨不足が発生」
「銀行の外貨保有が不足し、外貨取引に
支障が出始めている」という内容のもの
だった。

まさにデフォルト(=債務不履行)。これを
デフォルトと言わずして、何という。韓国の
銀行が、ドルで決済したくとも、そのドル
がないというのだ。

そういう内容の記事だった。が、その記事が
消えた! ……消された?

++++++++++++++++

 今朝(12月1日)、実に奇妙なことが起きた。その奇妙なこととは、ここに書いた通り
である。

 で、私は先ほど、その記事を引用しながら、日韓経済戦争(12月1日版)を書きたい
と思った。思って、その記事をさがした。が、見つからなかった。

 朝鮮N報だったか、中央N報だったかは、忘れた。(そのどちらかであることには、まち
がいない。)東亜N報でなかったことだけは、確かである。

 内容は、「銀行が外貨不足に陥り、決済がままならない状態になっている」というものだ
った。まさに、デフォルト(=債務不履行、国家破綻)を意味する内容のものであった。

 その一方で、短期外債(=銀行が、外国から短期で借り入れる借金)が、急増。その金
を借りて、投資家たちは、株取引に投資。韓国経済が、まさにマネーゲーム化している、
と。

 そういう内容の記事だったが、その記事が消えた。たった半日で、消えた。これはどう
したことだろう? つまりこのあたりに、現在の韓国経済の深刻さが、うかがわれる。こ
の記事は、韓国政府にとっては、まことにもって、ま・ず・い。

 が、それにかわって、韓国の中央N報の経済トップ・ニュースは、これ。

 「日本トヨタ、燃料パイプ問題でレクサスなど大規模リコール

  日本トヨタ自動車が29日、燃料パイプの不良問題で高級レクサスブランドをはじめ計2
6万4000台のリコールを実施すると明らかにした。 

  リコール対象車は「クラウン」「マークX」と高級車ブランド「レクサス」で、2005
年に輸出用として販売された高級セダン「GS350」「IS250」も含まれている。 

  トヨタ側は、燃料パイプの設計ミスで亀裂が入り燃料漏れにつながる可能性があると説明
したが、これによる事故は報告されていない」(12月1日)と。

 日本の車がリコールされたニュースが、どうして韓国では、トップ記事になるのか? メ
チャメチャな不公平関税で、日本の高級車は、ほとんど韓国には入っていない。そのため
韓国に与える被害は、微々たるもの。しかしこうしたニュースは、いつも、トップ!

 いやな国。ほんとうに、いやな国。(日本が、逆のことをしたら、韓国は、どう反応する
のか? 韓国の車など、相手にしていないが……。)

 さらにシャープが、今度S市に、世界最大の液晶パネル工場を建てることになった。そ
れについても、韓国では、「シャープ、打倒サムスンの旗印のもと、新工場建設」(東亜N
報)などと報道される。

 日本の新聞で、「打倒」などいう言葉を使っているところは、どこにもない。ないが、韓
国へ同じニュースが入ると、そこに「打倒」という言葉が付け加えられる。

 つまりこうして日常的に、反日感情を、育成している。……としか、私には思えない。

 が、私は、あえて言う。私は公人でも何でもない。だから、あえて言う。

 打倒、韓国! 思い知ったか、韓国!

 負けるな日本! がんばれ、日本!

【付記】

●証拠が残っていた!

 先の記事は、消されていたが、朝鮮N報ON−LINEのうほうに、その記事は残って
いた。

「……◆ドル資金不足にあえぐ市場(朝鮮N報、ON−LINE、11月30日版)

 ……しかし、最近になってサブプライム問題による世界的金融不安が広がり、状況が変
わり始めた。信用不安で資金調達が困難になるや、外資系銀行は韓国国債を売り、資金回
収に乗り出した。このため、債券価格が急落し、金利は上昇した。国内外の債券投資家か
らは損切りの売り物も出て、金利上昇に拍車を掛けた。

 ……債券市場では韓国銀行に対し、外貨準備を取り崩してでもドル資金不足を解消して
ほしいとの声が上がっている。しかし、韓国銀行は、分別なく外貨を借り入れ、マネーゲ
ームを楽しんできた投機筋を助ける「モラルハザード」に陥るとして、ドル資金の供給に
難色を示している。

 これまで市中銀行は、対外債務は輸出企業の将来的なドル収入に基づくもので問題はな
いと主張してきたが、世界的な信用不安が広がり、ドル資金を容易に調達できない状況に
陥った格好だ」と。

(補記)

 「記事が消された」と書いたが、ひょっとしたら、最初に、朝鮮N報ON−LINE版
を読んだのかもしれない。つまり「消された」のではなく、私の記憶ちがいかもしれない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 2月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある老人の苦悩】

An agony of an old couple who has still been looking after their son who is now45 years 
old. Their son does not work at all but he sometimes steals the couple's money from the 
safe. Until when shoud parents have their responsibility to look after their sons and 
daughters?

●ドラ息子

 その老人(八二歳)には、二人の息子がいた。長男は、今、四五歳。二男は、今、四〇
歳。長男は、市内で、小さなレストランを開いている。二男は、隣のM県の県立病院で、
ドクターをしている。

 その老人は、長男と同居している。もともと何かと問題のある長男で、高校を卒業した
あとは、仕事をするでもなし、しないでもなし、十年近く、ブラブラしていた。老人は、
元国鉄職員。毎月の年金は、約三二万円。そこそこの生活をするのには、困らないはずだ
ったが、長男は、その老人のスネをかじりつづけた。が、それだけではなかった。

 長男は、金庫から、老人の貯金通帳を盗み、そこから勝手にお金を引き出し、遊興費に
使ったりしていた。車を買ったり、趣味のモデルガンを買ったりなど。が、やがて老人の
妻が倒れ、死んだ。老人が、七五歳のときのことだった。

 が、相変わらず、長男は遊びつづけた。ときどきアルバイトらしいことはしていたが、
生活費は、一円も入れなかった。まったくのドラ息子。とんでもないドラ息子。しかしそ
んな息子でも、他人には、やさしかった。おだやかな男だった。とくに女性には、親切だ
った。結婚こそしなかったが、そんなわけで、老人の家には、いつも若い女が出入りして
いた。

 老人の財産は、自宅の土地(一〇〇坪)と家。それに遺産で相続した、畑が六〇〇坪あ
まりあった。長男は、この財産に目をつけた。ああでもないこうでもないと理由をつけて
は、その土地を担保に、借金を重ねた。そのとき老人は、どこか頭の働きが鈍くなり始め
ていて、こまかい計算ができなくなっていた。が、気がついたときには、その畑は、宅地
に転用され、さらに人手に渡っていた。

 二男はドクターをしていたが、ほとんど実家には帰ってこなかった。長男が二男を避け
た。何かにつけてできの悪い長男、何かにつけてできのよい二男。そういう関係で、良好
な兄弟関係など、育つはずがない。そういう長男だったが、ある日、その老人は私にこう
言った。「昔から、できの悪い子どもほど、かわいいと言いますね。そのとおりですよ。S
(二男)は、どこへいっても、ひとりで、しっかりやっていく子どもです。心配していま
せん。しかしY(長男)は、そうではありません。だからよけいにかわいいです」と。

 今でも長男は、その老人の目を盗んでは、サイフからお金を抜き取っているという。小
さな金庫もあるが、長男は、合いかぎをもっているらしい。しかしそれを知りつつ、その
老人は、「まあ、いいじゃないですか……」と。「どうせ、すべて長男のものになるのです
から」と。

●リズムでできる人間関係

 親に依存する子ども。子どもに依存する親。こうした依存関係は、一度できると、一方
的なものになる。……なりやすい。尽くす側と、尽くされる側の立場が、はっきりしてく
る。

 ある女性(七六歳)は、生活費のすべてを、息子(四九歳)に依存していた。息子は見
るにみかねて、そうしていたが、今では、それが当たり前になってしまっている。息子は
こう言う。「母にお金を渡すと、決まってこう言います。『大切に、つかわさせてもらうか
らね』と。まるで私がお金を出すのが当然というような言い方をします」と。

 一方、ここに書いたようなドラ息子がいる。ただ親からむしりと取るというだけの子ど
もである。それなりに社会性もあり、責任感もある子どもなのだが、親に対してだけは、
そうでない。「してもらうのが当然」と考える。このケースでは、親が子どもに尽くしてい
ることになる。

 問題は、なぜ、そうした依存関係が、「尽くす側」と、「尽くされる側」に、分かれるか
ということ。そこで調べてみると、最初は、ごくささいなことで始まるのがわかる。たと
えば、「教える世界」でも、こんなことがある。

 定規を忘れる子どもがいる。そこで私は、いくつか定規を買いそろえておく。忘れた子
どもに、貸してやるためである。しかしそういうことをすると、とたんに、定規を忘れる
子どもがふえる。一度、こういう関係ができると、それを改めるのは、容易ではない。あ
る日突然、「もう定規は貸してやらない」などと言おうものなら、大混騒動になってしまう。

 さらに定規を用意しておくと、そのままもって帰ってしまう子どもが出てくる。「盗む」
という意識からではない。無意識のまま、自分のケースに入れて、もって帰る。そこで毎
月のように新しい定規を買い足して、補充することになる。が、ここで終わるわけではな
い。子どもは定規を粗末に扱うようになる。あちこちで使うたびに、定規をなくすように
なる。そしてそのたびに、私のところから定規をもって帰る……。

 こうして定規について、「尽くす側」と、「尽くされる側」の立場ができる。もっともこ
れは定規という、教育の中の、ほんの一部の「部分」にすぎない。しかしこうした関係が
無数に積み重なって、やがてそれが人間関係をつくる。子育てのリズムというのはそうい
うもので、一事が万事。最初は小さな流れが、無数に集まって、やがて大きな流れになる。
で、一度そうなると、その流れを変えるのは、もう、容易なことではない。

●小さな流れのときに……

 大切なことは、「尽くす側」にしても、「尽くされる側」にしても、そういう流れをつく
らないこと。わかりやすく言えば、サービス過剰も、またサービス不足も、子育てでは、
決して好ましいものではないということ。とくに親としては、サービス過剰に注意する。
サービス過剰は、決して子どものためにならないばかりか、結局は、そのツケは、親に戻
ってくる。苦労するのは、親自身ということ。

 家庭では、こんなことに注意するとよい。

(1)一〇%のニヒリズムを大切に……全幅に子どもを愛するということと、全幅に子ど
もに尽くすということは、まったくの別問題。いつも心のどこかで、「子どもは子ど
もで、勝手に生きればいい」と、冷たい心をもつ。割合としては、一〇%くらいか。
これを「一〇%のニヒリズム」という。

(2)必要なことと、そうでないことを分ける……子どもに何かをしてあげるときは、「子
どもにとって、それが必要なことか、そうでないか」を、まず頭の中で考えるよう
にする。これはちょっとしたコツで、それを覚えると、できるようになる。そして
「不必要」と感じたら、ぐんと自分をおさえる。あるいはしない。

(3)自分自身の中の依存性を知る……依存性というのは、体にしみついたシミのような
ものだから、それを正したり、消すのは容易ではない。しかしそれに気づくだけで
も、方向を変えることはできる。もし今のあなたが、親になっても、あなたの両親
に対して、どこかベタベタしているようなら、あなたは無意識のうちにも、同じよ
うに、子どもにベタベタの関係を求めていることが多い。そしてその分、子どもは
子どもで、あなたに対して依存心をもちやすくなっていると思ってよい。

(4)「必要な訓練(トレーニング)はするが、その限度をわきまえている親のみが、真
の家族の喜びを与えられる」(バートランド・ラッセル)の言葉を、かみしめる。子
育ては、いつもこの「限度」との戦いである。溺愛も、過保護も、過干渉も、過関
心も、その限度を忘れたときに、問題になる。

●イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一
八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子ど
もたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知って
いる、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●恐怖のしりとり

++++++++++++++++

風船に蚊取り線香を、セロテープで
つける。

その風船を順に回しながら、しりとり
遊びをする。

やがて蚊取り線香の火が風船に届き、
そこで風船が爆発。

「恐怖のしりとり遊び」である。

アイディアは私が出したが、子どもたち
(小5)が、どうしても、それをしたい、と
言った。

そこで2度ほどしてみたが、最後まで
する子どもはいなかった。

みな、終わりごろになると、「こわい」
「こわい」と言って、机の下に
もぐってしまった。

そしてドカ〜ン!
かなり大きな音である。

が、ここで事故。
吹き飛んだ蚊取り線香が、見あたらない。
さがすと、2度とも、じゅうたんを
焦がしたり、ふとんを焦がしたりしていた。
そこに1センチ大の穴を作った。

子どもたちは、「記念ができた!」と
喜んでいた。
蚊取り線香でできた穴が、記念、と。
私には理解しがたい、子どもの心理である。

家ではまねをしないように!

火事になるかも?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●サービス業

よく「教育はサービス業」という。
「教育」とは名ばかり。その中身は、
サービス。さらにかみくだけば、「接客業」。
接客業であることが悪いと言っているのではない。
今では、生徒は、(お客様)。

たとえばある幼稚園の園長が、こう教えてくれた。
「今では給食といっても、レストラン形式で、
給食を出さないと、親たちは満足しません」と。

「園児にさせないのですか?」と、私が聞くと、
「とんでもありません」「もしそれで、火傷(やけど)
でもされたら、たいへんです」と。

さらにこのあたりの小中学校でも、教師が
生徒に何かしてほしいときは、「〜〜してはどうでしょうか」
(提案型)、「〜〜してくれませんか」(依頼型)という
ような言い方に変わってきている。

昔のように、「おい、〜〜しろ!」式の言い方を
したら、それこそ、たいへん。もちろん体罰など
もってのほか。プリントを丸めて、児童の頭を
たたいただけで、親たちは、大騒ぎする。

「教え育てる」と言っても、何を教え、育てるのか。

学校といっても、その中身は、受験塾、もしくは
予備校。わかりやすく言えば、指導。受験指導。
今では、学校が、進学塾の講師を呼んで授業(?)を
するようになった。

教育そのものが、大きく変質しつつある。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新聞の投書から……

I read an article on a newspaper in which her families were suddenly dropped into a 
sorrow, since their eldest daughter announced that she would get married soon. But 
why? In this case of the announcement, families would be glad and receive the news 
with a joy. But in this column her father was deeply depressed with the news.

 少し前、M新聞の朝刊にこんな投書が載っていた。今では、新聞記事でも、そのまま転
載することはできない。著作権の問題がからむ。で、少し内容を変えて、ここに紹介する。

 「私にとって、記憶に残る大切な日。それは、姉と結婚したいと言って、一人の男性が、
私の家にたずねてきた日。だれも姉の結婚に反対したわけではないが、父は、そのあと一
日中、押し黙ったまま、背中を丸めて、テレビを見ていた。母も、台所で洗いものをしな
がら、ハンカチで顔を押さえて泣いていた。それから一週間ほど、私の家は、重苦しい雰
囲気に包まれた。冷ややかなムードになり、母はふて寝を繰りかえし、口数も少なくなっ
た。私も怒ったり、泣いたりした。姉がいなくなるという、さみしさに、家族それぞれが、
それぞれの方法で耐えていた」と。

 長女の結婚について、家族の狼狽(ろうばい)ぶりが、よくわかる。しかし私は、この
投書を読んだとき、「どうして?」という気持ちが、先にきてしまった。「どうして、家族
は、長女の結婚を、そのようにとらえたのか?」と。

 結婚の申しこみが、あまりにも急なことだったので、心の準備ができていなかったのか。
長女が、まだ若くて、結婚を考える年齢ではなかったのか。長女が、一家の中では、大切
な存在だったので、それがつらかったのか。いろいろ考えられる。その家族には、その家
族しかわからない、心の事情というものがある。

が、私が「どうして?」と思ったのは、そのとき、家族のだれか一人でも、結婚の申し
こみを、喜ぶことはできなかったのかということ。投書を出した二女まで、「おとなげな
い態度を、姉にしてしまった」と書いている。どうして? まさか長女にとって、不本
意な結婚というわけでもなかったと思う。投書の終わりは、こうなっている。「今では元
気な三児の母。これからも幸せを願わずにはいられない」と。

 まず考えられるのは、日本人は昔から、娘の結婚を、「取られる」ととらえること。今で
も、「娘を、嫁にくくれてやる」とか、「嫁をもらう」とか言う人がいる。いわゆる娘に対
して、モノ意識をもっているとも考えられる。

しかし、どうもそれだけではないようだ。私はこの投書を読んだとき、たがいの間に流
れる、ベタベタの人間関係を感じた。子離れできない親、兄弟離れできない妹、そして
それをつなぐ、相互の依存関係。それが悪いと言っているのではない。(悪いと言ってい
るようなものだが……。)それが日本の家族であり、その家族には、外国にはない、温も
りがある。

 たとえば、私の母は、いくら「いらない」と言っても、朝ごはんを用意してくれる。「急
いで帰るから、朝食は食べない」と言っても、だ。実家の土間で靴をはきかけていると、
母はこう言う。「いいから、食べていけ」と。

 一方、アメリカでは、こうはいかない。「〜〜してくれ」「〜〜してほしい」と、いちい
ち言わなければ、何もしてくれない。へたに、「朝食はいい」などと言おうものなら、本当
に、何もしてくれない。日本人の私からみると、アッケラカンとしすぎていて、どこかも
の足りない。

 こうした違いが積もりに積もって、たがいの国民性をつくる。そしてそれが家族のあり
方、さらに家族の関係にまで影響をおよぼす。

 もしこの段階で、つまり「一人の男性が、私の家にたずねてきた日」に、もう少し、親
は親で自立していたら、親の見方は変わったのではないだろうか。二女は二女で自立して
いたら、二女の見方は変わったのではないだろうか。

全体として、もう少し、長女の結婚を前向きに喜び、前向きに祝うことができたのでは
ないだろうか。「おめでとう! よかったね! 幸せになってね!」と。私には、「そう
あるべきだ」とまで書く勇気はないが、しかし私がもっている感覚とは、ずいぶんと違
うように思う。もっとも、私には娘がいない。だから娘をもった親の気持ちはわからな
い。だから軽率なことは書けないが、どう頭の中でシミュレーションしてみても、その
ときのその父親のような心境にはならない……と思う。

 さて、みなさんは、どうだろうか。親の立場というよりも、自分自身を娘の立場に置い
て、考えてみてほしい。あなたに恋人がいた。結婚を考えるようになった。そこで相手の
男が、自分の両親に会いにきた。そして承諾を求めた。とたん、一転して家庭の中が暗く
なってしまった! 険悪なムードが流れ、たがいにピリピリし始めた。しかしだれも結婚
に反対しているわけではない。が、そういうムードになってしまった!

 この先は、その投書の人に失礼になるので、書けない。しかしこれだけは言える。日本
には日本の、これから克服していかねばならない問題は、山のようにある。この投書の中
には、それを考えさせる、ひとつのヒントが隠されている。もう一度、みなさんも、この
投書を、じっくりと読んでみてほしい。

女……それは男の活動にとっては、大きな(つまづき)の石となる。女を恋しながら、何
かをすることは、むずかしい。しかし、ここに恋が妨げにならない唯一の方法がある。そ
れは恋する女と結婚することである。(トルストイ「アンナ・カレーニア」)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(1月30日)

Temporary tax rate of gas would be maintained and we have to keep paying abt 25 yen 
per litter above the fixed tax of 25 yen still from now on. The ruling party of Japan 
insists to maintain the tax and the opposition party is agaist it. Whatever it is, a huge 
amount of money is being spent on waste, ex., 50 million yen for each car of a parking 
lot. (50 million yen for each car!) What a waste it is! Another tiopic I write here is about 
a new governor of Osaka-Fu. The new governor has been a TV talent as well as a 
lawyer.
I feel the value of democracy of Japan is still falling down.

+++++++++++++++

数日つづいた雨だが、今朝は
やんだ。

先週より、暖かくなった感じがする。
よかった!

運動不足で、体が、ナマっている。
今日から、運動、再開!

+++++++++++++++

●暫定(ざんてい)税率

 ガソリンの値段があがった。しかし暫定(ざんてい)税率はそのまま。

 わかりやすく言うと、こうなる。

 現在、ガソリン1リットルあたり、50円弱の税金が含まれている。本来は、25円弱
であったものが、暫定税率という名目で、それが約2倍に引きあげられた(1993年1
2月)(注※)。

 その暫定税率の期限が、今年(2008年)の3月31日にやってくる。

 与党は、「暫定税率を据え置く」と主張している。野党は、「それはおかしい」と主張し
ている。

 官僚たちは、小ズルイことばかりしている。贅沢な資金をよいことに、好き勝手なこと
ばかりしている。だから、こういうとき信用されない。国民の怒りは、むしろそちらに向
かっている。

 おとといの報道番組(1月28日)によれば、その資金を使って、「特例」という名のも
と、駐車場まで作っているという。あるところでは、「車、1台分の駐車場を建設する費用
に、5000万円もかけている」とか! (1台分の駐車場を作るのに、5000万円の
費用だぞ!)

 当然、そうした駐車場管理団体は、U省に勤める役人たちの天下り先となっている。

 「暫定」ということで決められた税率なら、暫定期間を経た今、廃止すべきではないの
か。「暫定」というのは、「しばらく、仮に」(国語大辞典)という意味である。英語辞書で
も、「temporary」となっている。

 私個人としては、ガソリンの値段は、ギリギリまであげればよいと思っている。その分
だけ、ガソリンの消費量が減る。地球温暖化を阻止するためにもよい。しかしそうして得
た税収を、道路工事のためだけに使うというのは、おかしい。どう考えても、おかしい。「国
防費よりも多い」(民主党)というのは、さらにおかしい。

 これから先、官僚たちが、「暫定」という言葉を使っても、みなさん、信用するな! 彼
らが言うところの「暫定」というのは、「永久に」という意味である。つまりこれもその場
しのぎの、官僚用語! ごまかし用語!

+++++++++++++++++

(東京新聞の記事より)

「ガソリン税(揮発油税など)に上乗せされている暫定税率(1リットルあたり約25
円)を、継続するのか廃止するのか。その行方が通常国会の大きな争点になっている。
暫定税率継続はなぜ必要なのか、廃止を目ざす狙いは何なのか。自民、民主両党の担当
者に、主張を戦わせてもらった」(東京新聞・1月27日)。

 わかりやすく言えば、「道路を整備したい」と主張する、与党側。「5兆4000億円も
の巨額の資金が、道路整備だけに使われるのは、おかしい」と主張する、野党側。

 最近、また、私の町内で側溝工事が始まった。前からあった側溝を、作りなおすという
工事である。しかしまあ、何というか、見るからにムダな工事。まるで工事のための工事。
こういうムダな工事が、今の今も、全国津々浦々でなされている。それを思うと、ゾッと
する。

(注※)……揮発油税の税率は揮発油税法上、1キロリットルあたり2万4300円となっ
ているが、租税特別措置法(昭和32年3月31日法律26号)第89条第2項の規定に
より、1993年(平成5年)12月1日から2008年(平成20年)3月31日まで
の間、倍額の4万8600円が適用される(ウィキペディア百科事典より)。


●大阪府で、またまたタレント府知事

 大阪府で、新しい府知事が誕生した。天下り官僚のつぎは、タレント弁護士。タレント
が悪いわけではない。弁護士が悪いわけではない。しかし民主主義という(主義)が、ま
すます軽くなっていくように感ずる。

 大阪府といえば、あの横山N氏が、しばらく府知事を務めたところである。「パンパカパ
〜ン」でよく知られていた、あの横山N氏である。

 だれがなっても、それを選ぶのは、府民の責任。ただ、こういう府知事の誕生で、いち
ばん喜んでいるのが、その(下)で働く、役人たちではないのか。府知事を、どのように
でも料理できる。


●2月29日号(Magazine for Feb. 29th edition)

I will issue nr. 1011st magazine on Feb. 29th, which is this. I issued nr. 1000th on the last 
Feb. 4th but it is funny that I don't feel anything special in my mind that I have done 
something. Why not? I am stepping forward again to another goal of nr. 2000th, but I 
shall follow my nose. I just keep writing, which is everything for me.

+++++++++++++++++

この原稿は、2月29日号ということ
になる。

去る2月4日(月)に、電子マガジンは、
1000号になった。

だからこの2月29日号は、1011号という
ことになる。

つぎの1000号をめざして、また、
長い戦いが始まった。

しかし2000号は、目ざさない。
成り行きに任せる。

あとは行けるとこまで行く。
ただとても残念なことに、1000号
を超えたというのに、「何かをなし遂げた」という
実感は、ほとんど、ない。

どうしてだろう?

++++++++++++++++++

●雑感・あれこれ

今日は、1月30日。
このところ、何かにつけて、忙しい。
たとえば、こうだ。

私のしたいことと、ワイフのしたいことが
同時にあったとする。

そういうときは、両方とも、する。

あるいは、1時間でもヒマができたら、
その1時間で、したいことをする。

けっして、あと回しにしない。

もちろん私の仕事もある。

+++++++++++++++++

●まじめに生きる

ときどき、まじめに生きるのが、バカらしくなる。
ほんとうは、そうであってはいけない。
それはわかっている。
しかしそのバカらしさと戦うのも、たいへん。
言うなれば、これは(内なる敵)との戦いということか。

ワイフも、ときどき、こう言う。
「あなたは、ラマンチャの男(=ドンキホーテ)みたい」と。


++++++++++++++++++

原稿をさがしてみた。
何と、6年前にも同じことを考えていた。

++++++++++++++++++

●私はドンキホーテ

 セルバンテス(ミゲル・デーサーアベドラ・セルバンテス・1547〜1616・スペ
インの小説家)の書いた本に、『ドンキホーテ』がある。『ラマンチャの男』とも呼ばれて
いる。夢想家というか、妄想家というか、ドンキホーテという男が、自らを騎士と思いこ
み、数々の冒険をするという物語である。

 この物語のおもしろいところは、ひとえにドンキホーテのおめでたさにある。自らを騎
士と思いこみ、自分ひとりだけが正義の使者であり、それこそ世界をしょって立っている
と思いこんでしまう。そして少し頭のにぶい、農夫のサンチョを従者にし、老いぼれたロ
バのロシナンテに乗って、旅に出る……。

 こうした「おめでたさ」は、ひょっとしたら、だれにでもある。実のところ、この私に
もある。よくワイフは私にこう言う。「あんたは、日本の教育を、すべてひとりで背負って
いるみたいなことを言うね」と。最近では、「あなたは日本の外務大臣みたい」とも。私が
あれこれ国際情勢を心配するからだ。

 が、考えてみれば、私一人くらいが、教育論を説いたところで、また国際問題を心配し
たところで、日本や世界は、ビクともしない。もともと、だれも私など、相手にしていな
い。それはいやというほどわかっているが、しかし、私はそうではない。「そうではない」
というのは、相手にされていると誤解しているというのではない。私は、だれにも相手に
されなくても、自分の心にブレーキをかけることができない。そういう意味で、ドンキホ
ーテと私は、どこも違わない。あるいはどこがどう違うのか。

 よく、私塾を経営している人たちと、教育論を戦わすことがある。私塾の経営者といっ
ても、経営だけを考えている経営者もいるが、中には、高邁(こうまい)な思想をもって
いる経営者も、少ないが、いる。私が議論を交わすのは、後者のタイプの経営者だが、と
きどき、そういう経営者と議論しながら、ふと、こう思う。「こんな議論をしたところで、
何になるのか?」と。

 私たちはよく、「日本の教育は……」と話し始める。しかし、いくら議論しても、まった
く無意味。それはちょうど、街中の店のオヤジが、「日本の経済は……」と論じるのに、よ
く似ている。あるいはそれ以下かもしれない。論じたところで、マスターベーションにも
ならない。

しかしそれでも、私たちは議論をつづける。まあ、そうなると、趣味のようなものかも
しれない。あるいは頭の体操? 自己満足? いや、やはりマスターベーションだ。だ
れにも相手にされず、ただひたすら、自分で自分をなぐさめる……。

 その姿が、いつか、私は、ドンキホーテに似ていることを知った。ジプシーたちの芝居
を、現実の世界と思い込んで大暴れするドンキホーテ。風車を怪物と思い込み、ヤリで突
っ込んでいくドンキホーテ。それはまさに、「小さな教室」を、「教育」と思い込んでいる
私たちの姿、そのものと言ってもよい。

 さて私は、今、こうしてパソコンに向かい、教育論や子育て論を書いている。「役にたっ
ている」と言ってくれる人もいるが、しかし本当のところは、わからない。読んでもらっ
ているかどうかさえ、わからない。しかしそれでも、私は書いている。考えてみれば小さ
な世界だが、しかし私の頭の中にある相手は、日本であり、世界だ。心意気だけは、日本
の総理大臣より高い? 国連の事務総長より高い? ……勝手にそう思い込んでいるだけ
だが、それゆえに、私はこう思う。「私は、まさに、おめでたいドンキホーテ」と。

 これからも私というドンキホーテは、ものを書きつづける。だれにも相手にされなくて
も、書きつづける。おめでたい男は、いつまでもおめでたい。しかしこのおめでたさこそ
が、まさに私なのだ。だから書きつづける。
(02−12−21)

●毎日ものを書いていると、こんなことに気づく。それは頭の回転というのは、そのとき
のコンディションによって違うということ。毎日、微妙に変化する。で、調子のよいと
きは、それでよいのだが、悪いときは、「ああ、私はこのままダメになってしまうのでは
……」という恐怖心にかられる。そういう意味では、毎日、こうして書いていないと、
回転を維持できない。こわいのは、アルツハイマーなどの脳の病気だが、こうして毎日、
ものを書いていれば、それを予防できるのでは……という期待もある。

●ただ脳の老化は、脳のCPU(中央演算装置)そのものの老化を意味するから、仮に老
化したとしても、自分でそれに気づくことはないと思う。「自分ではふつうだ」と思い込
んでいる間に、どんどんとボケていく……。そういう変化がわかるのは、私の文を連続
して読んでくれる読者しかいないのでは。あるいはすでに、それに気づいている読者も
いるかもしれない。「林の書いている文は、このところ駄作ばかり」と。……実は、私自
身もこのところそう思うようになってきた。ああ、どうしよう!!

●太陽が照っている間に、干草をつくれ。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●命のあるかぎり、希望はある。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けね

●ばならない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

●裸で私はこの世にきた。だから私は裸でこの世から出て行かねばならない。(セルバンテ
ス「ドン・キホーテ」

●真の勇気とは、極端な臆病と、向こう見ずの中間にいる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●Kさん夫婦(A couple named Mr. and Mrs. K)

*What should a couple be like? Is it a normal style of a couple whose husband works in 
offices in day-time and whose wife does quite adifferent thing at home? Here is an 
article about it.

 Kさんは、今では珍しい、専業農家を営んでいる。
「珍しい」というのは、このあたりでは、専業農家の人は、ほとんどいないということ。
数年前までは、もっぱらミカンを栽培していた。
が、高齢になったこともあって、今は花木に主流を移している。
その分、ミカンは少なくなった。

 そのKさんは、いつも奥さんと二人で仕事をしている。
何をするにも、二人といった感じ。
そういうKさん夫婦を見ていると、「ああ、これが夫婦の、もともとの、あるべき姿なんだ
なあ」と思う。
言いかえると、夫は会社勤め、妻はもっぱら家事、あるいは共働きというのは、もともと
あるべき姿ではないということになる。
このことは、外国の夫婦と、くらべてみても、わかる。

 たとえば同じサラリーマンにしても、夫婦の密着度は、国によって違う。
オーストラリアの友人も、長い間、サラリーマンをしているが、若いころは昼食を食べる
ためにも、家に帰っていた。
あるいは奥さんが、夫の会社の近くまでやってきて、いっしょに昼食を食べていた。
「今は?」と聞くと、「今は、(たがいに歳をとり)、めんどうになった。(I can't
 be bothered so much.)」と。
その違いがきわまったものが、単身赴任ということになるが、オーストラリアでは、今も、
昔も、日本型の担任赴任など、考えられない。

 こう考えていくと、夫婦とは何かという問題にまで、発展してしまう。いくら「夫婦に
は形はない」とは言うものの、「ではなぜ、男と女は結婚するのか」ということまで考えて
いくと、夫婦にも、ある程度の「形」があるのではないかということになる。
もちろんその形にこだわるのも、よくない。反対に今、いわゆる「形だけの夫婦」が、多
い。
多すぎる。

 そこでKさん夫婦を見てみると、たがいに夫婦というよりは、仲のよい友だちといった
感じがする。
たがいに仕事をしているときでも、助けあうとか、いたわりあうとか、そういう意識はな
いように思う。
ただ淡々と自分のことをしているだけといったふう。若い夫婦のように、「愛している」と
か、「愛されている」とか、そういうイチャイチャしたムードはもちろんない。
あえて言うなら、たがいに空気のような存在? が、それでいて、二人の呼吸がピタリと
あっている。

 ……となると、夫婦というのは、その「呼吸」ということになる。呼吸があっていれば、
夫婦。呼吸があっていなければ、夫婦ではない? 
形があるとするなら、それが夫婦の、あるべき形ということになる。
外見ではなく、あくまでも中身。
中身さえあれば、それを包む形には、それほど意味はない。

 これからの日本は、夫婦がこうした中身のある夫婦になれるよう、少しずつでも、その
しくみを変えていかねばならない。
たとえば夫が同僚と飲み食いするときでも、妻が同席するとか、あるいは夫の仕事を手伝
うために、たまには妻も会社へいき、アルバイトをする、とか。
住居と職場を近づけるとか、あるいは在宅ワークを、もっとポピューラーにするとか。方
法はいくらでもある。
少なくとも、今までのように、夫の仕事のために、妻のみならず、家族全体が犠牲になる
ような、あるいはそれを当然とするような社会のあり方は、お・か・し・い。

 Kさんの家で、ミカンを数箱分けてもらいながら、私はそんなことを考えていた。

●結婚、つまり両性の結合は、それ自体はもっとも小さな社会の一つだとしても、もっと
も大規模な政府の存在そのものとなる源泉である。(ベンジャミン・フランクリン)

●強い家族をもてば、米国はより強くなる。(クリントン元大統領)

●すべての幸福な家庭は、たがいによく似ているが、不幸な家庭は、それもが、それぞれ
の流儀で、不幸である。(トルストイ「アンナ・カレーニア」)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●コロラドの月(Moonlight On The Colorado)

 夜、犬が騒いだので、庭へ出てみた。美しい夜だった。つんと冷たい風。澄み切った星
空。

 中学生のとき、コーラス部で、「コロラドの月」という歌を歌った。簡単な曲だった。し
かしあのころの私は、まだ見ぬ外国に、限りないロマンをいだいていた。いや、まだ知ら
ぬ恋に、限りないロマンをいだいていたと言うべきか。「♪……君よ、こよ、うるわしき…
…」と。

 そのせいか知らないが、昔、飛行機の上からはじめてコロラド川を見たときには、本当
に感激した。「ああ、あのときの川だ」と。……そんなことはどうでもよいが、こういう静
かな夜は、どういうわけか、「コロラドの月」が、自然と鼻歌となって出てくる。

 あのときの、あの仲間はどうしているかな……とふと、思う。先生は、どうしているか
なと、ふと、思う。

 男子の部員は、四〜五人しかいなかった。あとは全員、女子。その中に佐藤君という後
輩がいた。歌手になった野口五郎という人の、兄だった。今はどこかで作曲の仕事をして
いるということだが、そのまま疎遠になってしまった。

 こういう夜は、無性に、人が恋しくなる。それは過ぎ去りし日々への郷愁か。それとも、
人生の終盤にやってきた自分への悔恨か。若いころの思い出が、ツユと消えたように、私
もまた、つぎの瞬間には、ツユと消えるのか。そんなはがゆさが、こうしてあのころの思
い出を、輝かせる。

 そう、今、脳裏に飛来したのは、コンクールに行くときの私たちだ。みんなでゾロゾロ
と、どこかの会場に向かっている。並んでいるわけではないが、前のほうに、女子が、歩
いている。コーラス部には、美しい人が集まっていた。Iさん、Tさん、Yさんなど。そ
の女子たちが、明るく、声を張りあげて、何やらはしゃいでいる。初夏の陽光を、まばゆ
いばかりに浴びながら……。

 遠い昔のような気もするし、つい先日のことだったような気もする。時間でみれば、ち
ょうど四〇年も前のことだが、その実感が、まったくない。ただ私だけが、いつの間にか、
歳をとったような感じがする。記憶はそのままなのに、肌からはハリが消え、シワもふえ
た。頭は、もう白髪だらけだ。そんな私が、気分だけは中学生のままで、コロラドの月を
口ずさむ……。

♪コロラドの月(Moonlight On The Colorado)
キング作曲(近藤玲二訳詞)

コロラドの月の夜 一人ゆく岸辺に
思い出を運びくる はるかなる流れよ
若き日いまは去りて 君はいずこに
コロラドの月の夜 はかなく夢はかえる
 
コロラドの山の端に 涙ぐむ星かげ
今もなお忘れられぬ うるわしき瞳よ
夜空に君の幸を 遠く祈れば
コロラドの山の端に はかなく夢はかえる

 部屋にもどって、コタツのふとんを肩までかぶせた。体はシンまで冷えているはずなの
に、どこか心の中だけは、ポカポカしている。私はさらにふとんを深く、顔までかぶせる
と、そのまま眠ってしまった。甘い夢に包まれて……。 
(02−12−23)

●少し前、アメリカに行ったとき、二男が、「パパ、コロラド州はいいところだよ。いっし
ょに来て住まないか」と言ってくれた。私がもう少し若くて、それにアメリカに人種偏
見がなければ、そうしただろう。が、今の私には、もうその気力はない。今ある世界の
中で、今ある自分を大切にして生きたい。「冒険」ということになれば、私は、若いころ、
さんざんしてきた。思い残すことは、ほとんどない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●新しい挑戦

+++++++++++++++++

「YOU TUBE」というサービスが
ある。わかりやすく言えば、ビデオの配信
サービスのこと。

この1か月近く、私は、そのYOU TUBE
にハマっている。

私のワイフも、日に何度かは、「音楽と
私」(はやし浩司のHPのトップ画面)
から、このYOU TUBEをのぞいて
いる。

ワイフの好きな音楽を集めたコーナーも
用意した。ついでに「団塊の世代、ご用達」
というコーナーも、用意した。

団塊世代にとって、「これは!」という
音楽や歌を集めてみた。

興味のある人は、ぜひ、一度、「音楽と
私」をのぞいてみてほしい。

で、それに刺激されて、私も、今朝、2本
ほど、ビデオと写真を、YOU TUBE
にアップロードしてみた。

1本は、浜松駅周辺の様子。もう1本は、
教室の近くにある五社(ごしゃ)神社の様子。

五社神社というのは、徳川家康にもゆかりの
ある、このあたりでは、よく知られた、かつ、
由緒ある神社である。

ともに観光案内のビデオのようなもの。

で、私は決めた。

浜松市内をくまなく、YOU TUBEを
使って紹介してみよう、と。

数を口にすると、それに束縛されるので、
この際、数は、問題にしたくない。50本に
なるかもしれないし、100本になるかも
しれない。

外国の人が、この浜松を知りたいとき、
何かの手がかりになればうれしい。

・・・ということで、どんなに小さくてもよい。
何か、目標をもつということは、よいことだ。

またまた忙しくなりそう・・・!


++++++++++++++++++++

●USTREAM

YOU TUBEについて書いたので、USTREAM
についても書かねばならない。

USTREAMのほうは、同じビデオでも、時間制限は
ない。一応、12時間まで、ということになっている。
が、12時間も使う人はいない。一方、YOU TUBE
は、最長10分程度までとなっている(※)。

私はこのサービスを使って、現在、子育て論を展開して
いる。これも、私のHPのトップ・ページ
から、見ていただけるようにしておいた。

「こちらBW放送局」というのが、それ。こちらも、
どうか、よろしく!

(注※)・・・YOU TUBEのばあい、ソフトを
ダウンロードすれば、10分以上のビデオも
アップロードできる。


+++++++++++++++++++++++

●「日本」

私が知るかぎり、「日本」という言葉の出てくる歌は、
ほとんどない。ほとんどないが、中には、ある。そのひとつが、
これ。「♪遠い世界に」(西岡たかし作詞)である。

団塊の世代なら、みな、この歌を知っている。みな、歌った。
私も歌った。

再び、何十年ぶりかに聞いてみた。今でも、「赤い風船」は、
健在のようだ。

+++++++++++++++

遠い世界に

遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って
雲の上を歩いてみようか
太陽の光で にじをつくった
お空の風を もらって帰って
暗い霧を 吹き飛ばしたい。

ボクらの住んでいる この街にも
明るい太陽 顔を見せても
心の中は いつも悲しい
力を合わせて 生きることさえ
今ではみんな 忘れてしまった
だけどぼくたち 若者がいる。

雲にかくれた 小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を 体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが
一つの道を 力のかぎり
明日の世界を さがしに行こう
明日の世界を さがしに行こう

++++++++++++++++

うれしかった。と、同時に、あのころの私を思い出した。
何か不安だった。しかしその不安の中に、何か光る希望を
感じていた。前に進んでいけば、何かがある。そんな
思いで、私たちは、がむしゃらに未来に向かって、突っ走った。

この曲も、「音楽と私」に収録しておいたので、興味
のある人は、聞いてほしい。世代を超えて、今の若い人
たちにも、何か訴えるものがあるはずである。


++++++++++++++++++++++++

●寒い夜

寒い夜。何が楽しいかといって、ワイフと抱きあって
寝ることくらい、楽しいことはない。
暖かい。気持ちよい。ときどきワイフは、「温泉に入って
いるみたい」という。
たしかにそんな気分になることもある。

ときどき、2人で、ふとんの中で、合唱することも
ある。あるいはそのまま1〜2時間、ペチャペチャと
話しつづけることもある。

そう言えば、知人のSGさんは、ネコを抱いて寝るそうだ。
「ネコは暖かいから、コタツがわりになる」と。

そんな私だが、このところ、ふと、こんなことを
思うことがある。
「こんな時は、いつまでつづくだろうか?」と。

私たちは結婚以来、35年以上、床をいっしょに
してきた。今ではどんなに夫婦喧嘩をしても、
寝るときまでには、仲なおりする。
ひとりで寝るのは、つらい。寒い夜は、なお、つらい。

たぶん、ワイフは私なしでも寝られるが、私は、
ワイフなしでは、寝られない。
ときどきひとりで寝るときもあるが、そういうときは
恐ろしい夢を見る。

「13日の金曜日」に出てくる、ジェイソン級の
恐ろしい夢である。

母子分離不安というのがあるが、私のは、「夫婦分離
不安」ということになる。

あと、10年か? それとも20年か?
すっかりババ臭くなったワイフだが、それでもそんな
ワイフがいとおしい。

一日、一日と、人生そのものが、削られていくように
思うこともある。

つらいこともあった。悲しいこともあった。しかし総じて
みれば、私たちの(私の?)人生は、それなりに
楽しかった。おもしろかった。

あとはそれをできるだけ長く、つづけるだけ。
息子たちには、迷惑をかけたくない。
最後の最後まで、私たちは私たちで、生きていく。

だからやはり、いっしょに寝るのがよい。
今のうちに、しっかりと2人で寝るのがよい。
「今」というときを、しっかりとかみしめながら・・・。


++++++++++++++++++++++

●我が家のギョーザ

ワイフはギョーザを焼くのが苦手。
食べるときは、ナイフとフォークが必要。
フライパンの上で、いつも一枚の、お好み焼きのように
なってしまう。
だから食べるときは、ギョーザとは思わないこと。
お好み焼きと思うこと。

・・・ということで、先日、ラーメン屋でギョーザを注文した。
どれも、パリパリに焼けていた。

私「おい、ここのギョーザ、バラバラになるぞ」
ワ「・・・!」と。

ワイフは、他責型人間。わかりやすく言えば、意地っぱり。
めったに自分の失敗を認めない。
何があっても、相手が悪いと、言い逃れる。

ギョーザのときも、「このギョーザ、へんね」
「作り方が甘いのよ」となる。
(ほんとうは、腕がまずいくせに!)

一方、私は、自責型人間。何があっても、「ぼくが悪い」と、
先にあやまってしまう。あやまらなくてもよいときまで、
あやまってしまう。

だから夫婦でいられる。両方とも凸でも困る。
凹でも困る。

長い間、いっしょにいると、夫婦もそうなるらしい。
たがいに欠点を補いあいながら、それでいて、
たがいの欠点は欠点として、増幅される。
たがいに削りあいながら、丸くなるということはない。

そんなわけで、あとはたがいに、「許して、忘れる」。
その繰りかえし。その連続。

いろいろな夫婦がいる。
いろいろな夫婦がいるが、夫婦、それぞれ。
標準もないし、基準もない。

「私は私」と居なおって生きるように、夫婦もまた、
居なおって生きるしかない。「夫婦分離不安」でも、
何でもよい。それが私の形なら、それでよい。
だれかに合わせて、自分たちを作りかえる必要はない。

ギョーザの話から夫婦論になってしまった。

ところで、私はギョーザが大好き。
ギョーザと白い、ホカホカの白いご飯さえあれば、
それで満足。いつもそうやって、食べている。

この浜松は、ギョーザの町として、知られている。
おいしいギョーザを食べたかったら、浜松へどうぞ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●民主主義vs資本主義(Democracy vs Capitalism)

Capitalism often invades democracy and more often it brings democracy into crisis. 
What is needed is how we can control the capitalism with the power of democracy. 
Otherwise democracy itself would be collapsed. Here I take an example and discuss 
about it. 

++++++++++++++++

ロバート・ライシュという人が
書いた、「新資本主義」(Taming Super-
Capitalism)という本が話題になっている。

オーストラリアに住む友人が、読んで
みたらよいと勧めてくれた。

概略を言えば、資本主義と民主主義の
対立について書いた本ということになる。

資本主義は、金儲け主義が前提となって
いる。商品のリサクルにしても、企業は、
何も、社会的正義感があって、それを
しているのではない。
よりコストをさげるために、それをする。

社会的責任や、社会的道徳があるから、
それをしているのではない。

すべてが(金儲け)につながっている。

一方、民主主義は、常にこうした資本主義に
振り回されるという宿命を負っている。

私なりに、ひとつの例をあげて考えてみたい。

たとえば日本には進学塾というものがある。
アメリカにも、学外教育組織として、
ラーニング・センター(Learning Centers)の
ようなものはある。

しかし内容は、まったく、ちがう。

日本の進学塾は、どうカモフラージュ
しようとも、(企業)である。金儲けを
目的とした、企業である。

もちろん進学塾とて、需要と供給の
バランスの上に成り立っている。
需要があるから、存在する。
「悪」と決めてかかっては、いけない。

では、なぜ、親たちが、子どもを進学塾
へ通わせるかと言えば、理由は、簡単。

親たちは、自分の生活を通して、社会の
不公平を、毎日、いやというほど、見せつけ
られている。

それから生まれる不公平感が、親たちを
して、子どもを進学塾へ走らせる。

しかしその一方で、進学塾がもたらす弊害も
少なくない。数えたら、キリがない。
が、何よりも最大の弊害は、進学塾が、
こうした公平感、もっと端的に言えば、
社会的格差を拡大させているということ。

ある大蔵官僚(当時)は、テレビのレポーター
の質問に答えて、こう言っていた(テレビ報道・
1999年)。

レポーターが、「天下りをどう思いますか?」
と聞いたときのこと。私ら、学生時代勉強で
苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事
ばかりしているから、退職後の仕事をさがす
ヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、
当然だ)」と。

中には、進学塾の世話にならず、官僚になった
人もいるかもしれない。しかしそういう人は、
例外。大半は、その進学塾の世話になっている。

こんな話もある。

都内の公立高校の学力低下がはげしかったころ
のこと。いろいろと話題になったが、文部省の
役人の子弟で、公立高校へ通っている子どもは、
ほとんどいなかった。
(私は、「ゼロ」と聞いていた。)

つまりこうして社会的格差は広がり、
不公平感が一般社会に蔓延することになる。
そしてそれが直接的に、民主主義の危機へと
つながる。

もっともだからといって、進学塾だけを
やり玉にあげることは正しくない。

進学塾も、その他、あまたある(企業)の
ひとつに過ぎない。
そこで働く講師にしても、その範囲で、
懸命に仕事をしている。

だがどこかで、だれかが進学宿をコント
ロールしないと、たいへんなことになる。

もっと端的に言えば、どこかで、だれかが、
資本主義をコントロールしないと、それこそ
民主主義の危機どころか、地球温暖化の例を
見るまでもなく、全生物を絶滅にまで、
追い込んでしまう。

つまりこれが冒頭に書いた、資本主義と
民主主義の対立ということになる。

もっともこのテーマは、何も、今に始まった
ことではない。
10年前にも、20年前にもあった。
そこでたぶん、ロバート・ライシュという
人は、その打開策として、「新資本主義」
という本を書いたにちがいない。

翻訳本も出ているということだから、
あとで書店でさがしてみるつもり。

+++++++++++++++++++

8年前の2000年に書いた原稿を
添付します。
(中日新聞、発表済み)

+++++++++++++++++++

日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答
えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われる
まま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、
ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょ
うど四〇年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もが
ギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例
外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金
はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオー
ト三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買っ
て、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近く
の小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、
今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私の
ところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」
私「君は何ができる?」
学「翻訳ぐらいなら、何とか」
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いて
くれば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」
私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若
者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごく
ふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は
中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今
では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも
日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを
払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。
私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでよ
うとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対
象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになっ
た。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」
としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニ
ューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は
希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達した
が、日本は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満
足」と答えたが、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本
が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランス
は弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を
楽しむ」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円
満な家庭」(三二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だ
ったのに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、
米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類
全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精
神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の
夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの
傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

+++++++++++++++

民主主義は、積極的に守ってこそ、守れる。
また守らねばならない。

ついでながら一言。

社会の完成度は、いかに弱者にやさしい
かで、測定される。

弱者にやさしい社会を、完成度の
高い社会という。そうでない社会を、
低い社会という。

弱者を平気でふみにじるような社会は、
そも、私たちが求める社会ではない。
またそういう社会を、許してはいけない。

民主主義が何のためにあるかといえば、
私たちの高い理念を、そこに具現化する
ためである。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 民主主義 超資本主義
 supercapitalism 資本主義の限界)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(Jan. 24th  2008)

●「同胞」という名の独裁者(A Tyarant named "Commrade")

South Korea has supported a tyrant named "Kin xx", not the people of North Korea 
themselves. Now South Korea is beginning to notice her own mistakes she made in the 
past.

+++++++++++++++++

わかりやすく言えば、金大中、それにつづく
ノムヒョン大統領が支えてきたのは、Kxx
という独裁者。K国の国民ではない。

金大中もノムヒョンも、その区別もできな
かった。「同胞」「同胞」と叫びながら、その
同胞というのは、ほかならぬ、あの独裁者
だった。

おかしな左翼主義に毒され、方向音痴に
なってしまった。

このたびロンドンで、「第8回北朝鮮人権・
難民国際会議」が開催された(08年1月22日)。

その席で、元K国軍人であった、P氏は、
つぎのように発言している(朝鮮N報)。

+++++++++++++++++++++++

「10年以上韓国と世界から、北朝鮮の深刻な状況を改善するために、多くの支援を受け
たが、住民の生活はほとんど変わっていない。コメを送っても最初に軍に送られるよう制
度化されている」「北朝鮮住民は北朝鮮の体制が崩壊することを望みながら、涙を流して生
活しているが、韓国政府が何も考えずに、北朝鮮当局にコメを送り住民を助けていると宣
伝しているのを見ると、間違ったことをしているのではないかという思いがわく」と。

金大中もノムヒョンも、実におかしな
対北政策を繰りかえしてきた。どれも首を
かしげたくなるようなものばかり。
そしてその一方で、これまたおかしな
……というより、時代錯誤的な反日・反米
政策を繰りかえしてきた。

「南北戦争(朝鮮動乱)は、アメリカの
責任。さらに言えば、その元をつくったのは
日本」「だから、K国には責任はない」
「韓国やK国は、その犠牲者にすぎない」と。

日本と韓国が仲なおりすれば、これほど
すばらしいことはない。再び、日・米・韓
の絆(きずな)が太くなれば、さらにすば
らしい。

自由主義貿易圏のワクの中に自らを置きながら、
反日、反米を唱える異常さ。その異常さに、
韓国の人たちが、一日も早く気がつくことを
願う。

……ということもあって、私の「日韓
経済戦争」の記事は、しばらく休んでいる。
もう少し、様子をみてから、また書こう。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●息子より

My son is coming to Napa, the Jal training center from this March. He is now at 
Haneda, receiving final schooling before that. He has been trainen for the last three 
years but another half a year he needs. It is a very long way to be a pilot.

++++++++++++++++++++++++

昨日、J社に入社した、息子からFAXが届いた。
1月からは、羽田で、座学を受けているという。
「座学」というのは、いわゆるスクーリングをいう。
それが終わると、3月から、アメリカのNで、大型機の
操縦訓練を受けることになっている。

パイロットの世界では、無数の資格試験に合格しなければ
ならない。その上、飛行機の機種ごとの免許証も必要。
すでに3年間も訓練を受けている。が、それが、さらにあと
1年半もつづく。

ワイフが、「アメリカのNって、どこ?」と聞いた。
私も知らない。

ヤフーで検索してみると、サンフランシスコ湾のすぐ北
ということがわかった。

緑に囲まれた静かな町らしい。ワインの産地としても
知られているらしい。イチローのホームベースのすぐ近く
といったほうが、わかりやすいかもしれない。

ところで、その息子が、今度、J社で、「社長表彰」なるものを
受けることになった。直接、社長から表彰されるという。
新入社員で社長表彰を受けるのは、J社、はじまって
以来のことだという。

またまた何かを、しでかしたらしい。

……いろいろつらいことはあるが、そんなわけで、昨夜
は、ワイフと2人で、息子の話に酔いしれた。

オーストラリアで息子の世話をしてくれたB君に、さっそく、
礼の手紙を書く。

毎週、息子を飛行場まで連れていってくれた。何でもはじめて
グライダーに乗った日には、「もう飛行機はやめた!」と、
息子が叫んでいたという。よほど目を回したらしい。

その日は、運悪く、天候の悪い日だったらしい。

Dear Bob,

I again thank you very much for your having done for my son, Eiichi. He joined JAL, a 
leading Japanese air-way company and he shifted from Narita to Haneda and he is 
being received the last schooling before he leaves for Pana, Cal, USA , this coming 
March. By the way here is a good news. He is given the "Prize of Boss" directly from the 
boss and he will meet with the boss of the company soon. He was happy over the phone 
last night. He has been always the top through the hard trainings over past three years. 
You know why? Because you helped him while he was with you, for which Akiko and I 
thank you very much. When he rode a glider for the first time in your place, he had a 
very bad air-sick and he said, "I shall not be a piliot anymore." Now he is finding his 
own way for happiness. I am sure he will be NO1 pilot in the near future.Here in Japan 
it is cold and it is blowing hard. In Tokyo and other places they had snow-falling, but not 
here in Hamamatsu. Last week I had a speech in Fuji-city where I could see beautiful 
Mt. Fuji. It is a pity that you were not there.  

Hiroshi Hayashi

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 アメリカのNへ、行ってきた人がいるという。現在、外資系企業で働く人が書いた、旅
行記である。

(掲載許可がいただけなかったので、紹介できません。ごめん!)

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J社・ナパ運航乗員訓練所

自宅から車で遠出するのは、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
XXXXXX、楽しい一日を過ごしホテルへと向かった。

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●「凧」で進む船(Wind Power ship)

A German ship building company this time has constructed a kind of a wind power ship, 
with which fuel is saved 35~40%. The ship flys a giant kite in front of the ship. It is a 
very good idea, isn't it?

++++++++++++++

ドイツの貨物船が、巨大な凧(たこ)を
前方に付け、それでもって推力を得ている
という。

ドイツのベルーガ船舶会社が健造した船
(1万トン級)が、それ。

凧の大きさは、160平方メートル。
これによって、「風の状態によっては、
35〜40%の燃料を節約できる」(東亜N
報、08・1・24)という。

35〜40%といえば、大きい!

++++++++++++++

 帆船とまではいかなくても、風力を利用した船は、いろいろ考えられる。半・帆船でも
よい。追い風のときは、帆を広げて、それでもって、推力を得る。

 が、これほどまでに効果があったとは!

 今度、ドイツの船舶会社が作った船は、船の前部で、凧をあげる。その凧の大きさは、
160平方メートル。(写真で見たところ、縦横40メートル、1600平方メートルのま
ちがいではないかと思うが……。しかし1600平方メートルも、ない?)

 凧であれば、帆船のように重心をさげる必要もない。帆船のばあい、ヨットもそうだが、
重心をさげるために、船底に重しを置く。

 ナルホド! コロンブスの卵である。

 そこで私のアイディア。

 船の前方で、傘を広げるように、帆を張る。左右に張るとよい。まっすぐうしろからの
追い風のときは、左右の帆の大きさを同じにする。風がななめうしろからくるときは、コ
ンピュータじかけで、左右の帆の張り方を調整すればよい。

 そうすれば、もっと、燃料費を節約できるのではないか。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●鎌倉へ

++++++++++++++++++

TM先生が、フィンランドの教育事情に
ついての記事を送ってくれた。

雑誌「化学と教育」に載っていた記事で
ある。

そのお礼にと、電話をすると、弱々しい声。
「どうしたの、先生?」と聞くと、「ひざ
が痛い」「夜も眠れない」「胃が痛い」と。

胃の中のものが、食道のほうへ逆流する
という。「そのため、2時間おきに、目が
さめます」とも。

「元気?」と聞くと、「そうでもないです」と。

そこで急きょ、1月27日(日曜日)、鎌倉
の先生の自宅へ行くことにした。

「明後日(あさって)まで、ちゃんと、生きて
いてよ」と言うと、「たぶん、生きています」
「どこかでおいしい夕食を食べましょう」と。

TM先生が教えてくれたものは、多い。
多すぎて、ここには、書ききれない。

田「何時ごろ、来ますか?」
私「できるだけ、早く行きますから・・・」
田「来る前に電話を、ちょうだい」
私「だから、今、してるじゃ、ありませんか」
田「そうですね、ははは」

私「ところで先日、T薬科大学の元学長の
水N先生が亡くなりました。年齢が77歳
とありました。先生の友人の水N先生ですか?」
田「ちがいます。水N先生は、今年、87歳
になるのではないかな」
私「ああ、よかった。その方は、何でも、がん
で亡くなったそうです」
田「ハハハ、それは困りますね」と。

この話には、ウラがある。

TM先生の友人に、水N先生という人がいる。
鎌倉で、同じテニス仲間だという。
東大の元薬学部長で、R研では、主任研究員を
していた。その水N先生が、がんの特効薬というか、
予防薬を発見した。

その成分が、漢方薬の半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)
の中に含まれているという。

毎晩、寝る前に、耳かき一杯程度を、口の中で
溶かしてのむとよいという。耳かき、一杯程度の
ごく少量でよいという。

そこでその水N先生を中心に、「半夏厚朴湯信者」が
できた。TM先生も、そのひとり。

で、今から、9年ほど前に、TM先生が私の家に
来たとき、「林君ものんでみたら?」と言って
くれた。

以来、9年間、私とワイフは、その半夏厚朴湯を
寝る前にのんでいる。一晩も、欠かしたことがない。

が、先日亡くなった水N先生は、がんだったという。
私とワイフは、少なからず、ショックを受けた。

「私たちは、がんにはならないはず」と。そういう
信仰(?)が、もろくも、崩れた。

それについてTM先生は、「あの水N先生では
ないから、心配しなくてもいいですよ」と。

この話を信ずるか、信じないかは、読者のみなさんの
判断に任せる。

TM先生自身も、(信者)という言葉を使っている。
つまり「半夏厚朴湯・信者」と。

だからそれを信ずる人は、その薬をのんでみたらよい。
漢方薬の中でも、女性のイライラや、胃の薬として
知られている、何でもない薬である。値段も安い。

TM先生は、こう言った。「おかげで、私のテニス
仲間には、がんで死んだ人はいません。ただし、
頭のボケには効かないようです」とも。

肝心の水N先生は、認知症か何かになって、いまでは、
人の顔もよく判断できなくなってしまったそうだ。

私「水N先生が、がんで亡くなったら、半夏厚朴湯
信者は、霧散してしまいますよね」
田「ははは」と。

ジョークが通ずるということは、TM先生の脳みそは、
まだだいじょうぶということ。安心した。

しばらくしてから、東京の羽田にいる息子に電話をした。
「TM先生に会いたいなら、27日に、鎌倉へ来るように」と。

息子がいた、横浜K大学にも、先生の弟子が、10人以上も
いるという。

一度、何かの記念講演のとき、息子は、そこでTM先生に
会っている。わざわざ声をかけてもらったと、はしゃいで
いた。

私の人生を、大きく変えた人。
それがTM先生だった。
私はTM先生に会って、「肩書きとは無縁の世界を生きて
やろう」と心に誓った。

そう誓うまでのいきさつは、いろいろある。あるが、
そう誓った。

「自由人として、どこまでできるか」「どこまで生きられるか」、
それはとりもなおさず、私の人生への挑戦状だった。

今でもその気持ちに、いささかの狂いもない。

が、そのTM先生も、会うたびに、元気がなくなっていく。
先ほども、そうだ。もともと温和な声の持ち主だが、
その声が、ますますか細くなったように感ずる。

ワイフに、「明後日、鎌倉へ行ってくるよ」と声を
かえると、ワイフもうれしそうだった。

「ビデオをたくさん撮ってくるよ」とも。

(注、半夏厚朴湯については、各自の判断と
責任で服用してください。服用に関して、私、
はやし浩司は、いっさい、責任を負いません。)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2422)

【スリ?】(Pick-Pocket)

My wife and I went to Hneda to meet my son. My son was there to meet with us at 
Shin-Yokohama. Then we took a bus to Haneda airport where he has been trained since 
early this month. This is a story about a pick-pocket I met on the way back home. 

++++++++++++++++++

●新横浜駅で

場所は、新横浜駅。
東横線の改札口を出て、新幹線の乗り場に向かっていた。
エスカレーターをおりた。そこでのこと。
背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

日曜日の夕刻で、周辺は、かなり混雑していた。

エスカレーターをおりたところで、横にいたワイフが、こう言った。
「(バッグの)チャックがあいているわよ」と。

バッグを横腹のほうへ回してみると、チャックが、15〜20センチほど、あいていた。
私は「?」と思いながら、チャックを閉めなおした。

このところ、何かと自分を信じられないことがつづく。
「たしかに閉めたのに……」と心の中で思った。

私は改札口の右横にある自動販売機で、切符を買った。

●カードがない!

「中華料理店で見たときには、チャックは閉まっていた」と私。
「おかしいわね」とワイフ。

一度、同じような経験を、以前、ディズニーランドでもしている。
何かの乗り物に乗ったあと、自分のバッグを見ると、バッグの口が大きく開いていた。

幸いにもそのときには、お金など、大切なものは、入れてなかった。
「スリだろう」と思ったが、しかし私には、そのときの覚えがまったくなかった。
しかし今度は、背中で、ゴソゴソとした動きを感じた。

「きっとスリだよ」
「そうね」と。

新幹線に乗ったあと、私は、バッグを大きく開けると、中身を確かめた。
カード類が入っている、小さなサイフがあるはずである。
が、どこをさがしても、それがない!

とたん、胸騒ぎ。ハラハラとした胸騒ぎ。

「VISAのカードと、N証券のカードがない……」と。
座席の上にバッグを置き、中身を、すべて出してみた。

が、カード類が入っている、小さなサイフがない!

●冷静に

当初、不安と心配が、ドカッと私を襲った。
がん検診か何かを受けて、要精密検査の知らせを受けたときの気分に似ていた。
私は、そう感じた。

が、それも一巡すると、冷静な判断力が働き始めた。

VISAカードは、1日の使用限度額が、10万円以内に設定してある。
N証券のカードは、N証券会社内の機械でしか、使えない。
それにN証券のカードには、暗証番号が必要である。
「明日の9時に連絡すればいい」と。


「VISAカードで買い物でもされたら、困るね」と私。

心のすみに不安感を押しやりながら、ワイフにそう言った。

「家に帰ったら、カード会社に連絡しよう」
「どこかに置き忘れたのじゃ、ない?」
「そうかもしれない……」
「でもね、あなたのバッグは、パンパンにものが入っているでしょ。
スリでも、手が入らないわよ」と。

バッグの中には、パソコン雑誌が入っていた。
それがバッグの上の方を、おおっていた。

●合理化

こういうとき心理学でいう、合理化が、心の中で始まる。
「使われるとしても、10万円まで」
「どこかの旅館で一泊したと思えばいい」
「株か何かで、10万円、損をしたと思えばいい」
「明日、その分を、株か何かで、もうければいい」と。

さらに、「命があるだけでも、もうけもの」
「がんの精密検査とは、ちがう」
「10万円で健康が買えれば、安いもの」
「元気で、横浜で遊んできたのだから、文句を言うな」とも。

こうしてスリにあったことを、自分の中で、解消しようとする。

再びワイフが口をきいた。

「サイフを、家のどこかに置き忘れたのかもしれないわよ」と。

たしかにその可能性はあった。
ときどきそのサイフを外に取り出すことがある。
台所のXXに置くこともある。

「記憶のどこかで、そんなようなことをしたのを覚えている……」と。
しかしその自信はなかった。

●恐怖

最近、ときどき、自分を信じられなくなるときがある。
ものの置き忘れも、多い。
置き忘れというより、どこに置いたか忘れてしまう。

それは「恐怖」と言ってもよい。
たとえば洗面所で顔を洗うために、手袋をはずす。
が、顔を洗ったあと、その手袋をどこに置いたか、わからなくなる。

で、さがしてみると、洗面台のすぐ横に、それがあったりする。
最初見たときは、そこにはなかったはず……、と。

脳細胞が、老化しているためか?
それとも認知症の始まりか?

何であるにせよ、自分を信じられなくなるというのは、恐怖そのものである。

そこで最近、私は、小さなボイスレコーダーをぶらさげて歩くようになった。

そのつど、私の声を録音しておくためである。
わかりやすく言えば、メモがわり。
しかし手袋のようなものは、いちいち録音しない。
「手袋は、洗面台の横に置きました。これから顔を洗います」と。

●あきらめ

こうした心理的な緊張感は、それほど、長つづきしない。
心の緊張感を持続するためには、相当なエネルギーを消耗する。
やがて疲れてくる。
それにつられて、緊張感も薄れてくる。
とくに昨日は、横浜から羽田へ、そして羽田から蒲田(かまた)へと、歩いた。
ふつうなら、新幹線に乗ったとたん、眠り始めるところ。

事実、「何とかなる」と思ったとたん、スーッと睡魔が襲ってきた。
見ると、ワイフは、すでに眠っていた。
「のんきな人だな」と思った。
と、同時に、私もウトウト、し始めた。

が、私という人間は、いまだかって、一度たりとも、寝過ごしたことはない。
DNAで構成された体内時計の性能が、よいせいではないか。
いくら眠っても、別の脳みそが、カチカチと時を刻んでいる。
そのときもそうだった。
掛川駅を出て、あと10分で浜松、というところで、目がさめた。
同時に、雑誌を、床にドサッと落とした。
その音で、ワイフも目を覚ました。

●羽田

私「今日は、楽しかったね。いつもの何倍も長かったように感ずる」
ワ「そうね。朝も、早かったから」と。

本当は、その日は、恩師のT先生を見舞うつもりだった。
しかし前日の遅くになって、先生から、断りの電話が入った。
かなり体調を崩されたらしい。
「このところ胃が痛くて眠られない日がつづいています」と、メールにあった。

そこで羽田にいる息子を訪ねることにした。
息子は、現在、羽田で研修を受けている。

朝、7時に家を出た。
新横浜駅で、息子と待ち合わせた。
そこからバスで羽田へ。

第2ターミナルから、息子の研修所のある、XXへ。
そこへはモノレールで行った。
あとは先にも書いたように、一度、蒲田へ出て、そこで昼食。

家に帰ったのは、午後7時ごろ。
途中、義兄に横浜のみやげを届けた。

●サイフ

家に帰って、まっさきに、台所のXXをさがした。
が、サイフはそこにはなかった。

つづいて自分の書斎の中をさがした。
しかしそこにもサイフはなかった。

で、念のためにと、先日、G温泉へもっていったときのバッグをさがしてみた。
「まさか……」と思いながら。

いや、その前に、VISAの盗難届用の電話番号を、ネットでさがした。
それはすぐ見つかった。
「VISA 盗難 届け」で検索できた。
盗難届けは、24時間、受けつけてくれるらしい。

が、である!
何と、そのサイフが、あった!
G温泉へもっていったバッグの中に、それがあった!

「こんなところにあったよ!」とワイフに声をかけると、「よかったわね」と。
しかし軽い喜びが収まると、またまたあの不信感。
「自分を信じられない」という、あの不信感。

「こんな大切なものを、バッグの中に入れ忘れるなんて!」
「いったい、ぼくの脳みそは、どうなってしまったのだ!」と。

それについて、ワイフは、こう解説した。

「大切なものだから、バッグの奧の奧にしまったのね。
それでそこに入れ忘れたのよ」と。

ナルホド!、ということで、自分を納得させた。

それにしても、よかった。

そのあと、ホ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ、という長〜イ、ため息をついた。

(2008年1月28日、月曜日、記)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●日本人よ、もっと怒れ!

(Abt. 40 years ago, a most stupid decision was made by the government, to construct our 
international airport in Narita, which is so far away from Tokyo. It takes about 1 hour 
and half by express train. How come did they construct the airport in such a remoted
 area? Then internationalization of Tokyo has been far behind. Now at Haneda airport a 
new international terminal building is being under construction, but why now? Too late.

+++++++++++++++

羽田空港では、現在、国際線ターミナルの建設が始まっている。
(一部の国際線は、すでに離発着しているが……。)

しかし今ごろ、国際線? 国際線ターミナル?
日本の経済力がまだあるころならまだしも、ここまで弱体化した今、なぜ?

おかしな政治的エゴのために、国際線が、それまでの羽田空港から
現在の成田空港に移された。

日本の運輸行政で、もっともバカげた決断だった。
おかげで、日本の国際化は、10年は遅れた。20年は遅れた。
遅れるのみならず、羽田空港のハブ化は、ツユと消えた。

現在、韓国、香港、シンガポールなどに、
その(力)が分散してしまった。

もしあのとき、羽田空港を拡張することによって国際線化を
推し進めていたら、今ごろ羽田空港(=東京)は、
押しも押されぬ、一大、国際ハブ空港になっていただろう。

無理に無理を重ねるから、成田の地元では、住民たちの
猛反発まで買っている。
そのため成田空港の国際化まで、遅れてしまった。

あのね、あんな不便なところに空港を作って、どうするの?
開港当初は、外国からやってきた乗り継ぎの旅行客たちは、成田で
一度飛行機をおりて、わざわざ数時間もかけて、羽田まで
来なければならなかった。

その時間的ロスは、たいへんなもの!

今でも、千葉県側は、国際空港を、成田から羽田へ移すことに
反対しているという。

もう、やめよう!
こんなバカげた反対のための反対は!
日本全体の利益を考えて、もっとものごとは、合理的に考えよう。
そして、日本人よ、もっと声をあげて、怒ろう!

だれだ、あんなバカげたところに、国際空港を作ったのは!
東京から、特急で、1時間半もかかる、ヘンピなところに!

新幹線だってそうだ。

岐阜県の当時の有力政治家が、新幹線の線路を、大きく、岐阜寄りに曲げてしまった。
ウソだと思うなら、一度でよいから、新幹線の線路を見てみることだ。
名古屋を出たあと、新幹線は、不自然なまでに、大きく岐阜よりに迂回している。

もし名古屋から京都(あるいは米原)へ直行するルートを選んでいたら、
東京→大阪間は、今より、10〜15分は、短縮されたはず。

田舎の、田んぼの中の駅を通るために、以後、40年以上、
無駄な電力を日本は使いつづけている。
利用客は、ムダな料金を払いつづけている。
ヒマな人は、一度、そのロス計算をしてみたらよい。

みなが怒れば、これから先、こういうバカげたことは少なくなる。
怒らないから、そのまま放置される。
そして同じバカげたことが、繰りかえされる。

今度、羽田空港の国際線ターミナル建設を見ながら、
私は、そんなことを考えた!
(1月29日、記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●The Child is Father of the Man

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My heart leaps up when I behold
 A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man,
So be it when I shall grow old
Or let me die !
The Child is Father of the Man :
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

+++++++++++++++++++++++++++++

●子どもは、人の父

イギリスの詩人ワーズワース(1770〜1850)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The
 Child is Father of the Man. 」となっている。

この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。

ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩
の流れからすると、「その人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子
ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。

一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。もう一つは、
人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。

誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だ
が、決して、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、
純粋で、豊かである。しかも美しい。

人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経験という雑
音の中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな
事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、と
てもていねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ご
くろうさん」と書き添えた。

が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。私はて
っきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうして泣
くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、
ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。も
し人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、
子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。

「子どもは人の父」と。

私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているよ
うに思う。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板の投稿相談より

(As to School refusal of pre-school children)
++++++++++++++

保育園へ行きたがらない……。
そんなとき、親は、どう構えた
らよいのか?

++++++++++++++

こんにちは。いつもマガジンを読んでいます。
3歳9ヶ月の長男について相談させてください。
1歳6ヶ月の弟と二人兄弟で、父親とは生まれた時から別居中、私の両親、妹と同居して
います。

今年の4月に年少組に入園しました。クラスは17人(男8人女9人)です。

同じクラスにいるA君がかなりやんちゃというか乱暴な子で、ことばもきつく、叩いたり、
つねったりということもよくあるようです。

特に私の長男にだけ、ということではないようですが、本人は「A君はどうしてすぐに怒る
んだろう」などと言って、保育園に行きたがりません。

少人数なので、他の子と遊んでいればいいという問題でもないような気がします。
いっそ、転園をしたほうがいいのだろうかとも思います。それとも行きたくない間は、家
で私が一緒に過ごしていればいいのでしょうか?

今日も、朝、「お母さんがいい」といって園の入り口で泣いてしまったのですが、先生に抱
っこされて無理やり連れて行かれてしまいました。

そういう姿を見るのも本当に辛いです。なぜ、そんな風にしてまで保育園に行かせるのだ
ろう、と。

なかなか朝、出発しようとしない長男をみて、私の両親は、「甘やかしてる」と思っている
ようです。

でも、本人が「行こう」と思えないのに無理に連れて行くのは、どうしてもかわいそうで
できません。

もうすぐ夏休みの希望保育がはじまるので、8月は半分以上お休みです。そういう話をし
ながら、「今日は行ってこようか」と気持ちを奮い立たせているような毎日です。

できるだけ、彼が不安定にならないように、スキンシップも心がけているつもりですが、
足りていないのかもしれません。

私の気持ちが不安定なことが、悪い影響を与えているかもしれません。

正直なところ、どうしていいのか分りません。

保育園など、行かなくてもいいという気持ちがあるのですが、
やはり同年代の子ども達と遊んだり、ケンカしたりすることも大切なことだと思うのです
が。
(和歌山県T市 AEより)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの心の問題は、消去法で……

 「保育園(幼稚園)へ行きたがらない……」という子どもをみるときは、まず、(1)理
由が、はっきりしているばあい。(2)理由が、はっきりしていないばあいに分けて、考え
ます。

 つぎに、同時に、もっとも心配なケースから、消去法で、一つずつ削りながら、子ども
の心をさぐっていきます。これは病院のドクターが、その人の病気を診断する手法と似て
います。つまり一番、心配なケースから順に、「これでなければ、これ」「これでなければ
これ」……と、考えていきます。

 AEさんのケースでは、いろいろな理由が考えられます。心配な(1)ノケースから、
順に並べてみると、つぎのようになります。

(1)不登校に準じた、恐怖症
(2)対人(集団)恐怖症
(3)怠学に準じた、不登園
(4)神経症
(5)母子分離不安
(6)軽い情緒不安
(7)怠け
(8)わがまま

 AEさんが疑問にもっておられるように、「毎日、行かせなければならない」と考えるほ
うが、おかしいのです。同感です。オーストラリアなどでは、子どもが少しずつ集団生活
に慣れるように、たとえば、月水金だけ、あるいか火木土だけ通うというように、週3日
制の幼稚園も珍しくありません。

 どうして日本だけ、いきなり、週5日も行かねばならないのでしょうか? 最初は、週
1日だけ。2年目からは、週3日だけ。3年目からは、週5日……という方法も、とられ
てもよいのではないでしょうか。

 また、よく子どもが幼稚園などを休むと、先生から電話がかかってきて、「後(おく)ま
すから……」と言われますね。いやな言葉です。本当に、いやな言葉です。

 で、AEさんのばあいは、(1)〜(8)から順に様子を判断していきます。(1)〜(4)
の状態ですと、ほかにも、心身症(神経症)による症状が、出ているはずです。夜尿、腹
痛、潔癖症などなど。もしそういう症状も見られるなら、心の安静を大切にしてください。
(私のHPのあちこちに書いてありますので、参考にしてください。)

 こういうケースでは、「A君がいやだ……」というのは、口実(ターゲット)にすぎませ
んから、あまりその言葉に振り回されないように! A君を排除すると、今度は、B君に
なります。

 私は、AEさんの家庭の状況から考えて、下の子どもが生まれたことが引き金となって、
赤ちゃんがえりから情緒が不安定になり、そのあと、(5)の母子分離不安が起きたのでは
ないかと疑います。(母親から離れてしまい、そのあと、何ごともなく過ごすようであれば、
母子分離不安と考えてよいのではないでしょうか。)もしそうであれば、言うまでもなく、
スキンシップを濃厚にして、安定的な愛情を大切にします。

 対処のし方としては、『求めてきたときが与え時』と考えて、「ママ〜」と甘えてきたら、
すかさず、抱いてあげるとか、ぐいと手をつないであげるとかしてあげます。すかさずす
るのが、コツです。「待っていてね」とか、「今は、ダメ」式の応じ方をしてはいけません。

 転園を考える前に、まず、「適当に行く」ということを考えてください。週3日行けば、
上(じょう)できと考えるようにします。残りの日は、いっしょにハイキングでもして、
すごします。無理をしないこと。(私なら、そうします。また実際、そうしました。)

 保育園へ行かなくてもよい状態かもしれませんが、しかし母子だけで親子のパイプを作
ってしまうのも、好ましくありません。母子関係を調整する人がいればいいですが、そう
でないと、濃密になりすぎてしまいます。

 母親側としては、それでよいかもしれませんが、子どものほうに、いろいろと問題が起
きてきます。幸いにも、ご両親と同居ということですから、そのあたりの調整をうまくし
てください。

 年齢的にも微妙なときですから、無理をせず、様子を見られてはどうでしょうか。もう
すぐ夏休みですし、これから半年くらいの間に、子どもも、どんどんと変わっていきます。
とくに4・5歳〜からは、いよいよ少年期への移行期に入ります。

 今のうちに、よく使い、よく手伝いをさせ、社会性を身につけさせてあげてください。
5歳をすぎると、それができなくなります。今は、(しつけ)の適齢期とみてください。

 いつも、励ましのメール、ありがとうございます。AEさんの相談には、いつも最優先
で、返事を書きます。(これは恩着せ!+お礼!)

【追記】

 A君のことは、まず、先生に相談してみてください。先生との連絡を密にすることが、
重要です。

 あとは、子ども自身の解決法に任せます。これから先、この種の問題は、モグラたたき
のモグラのように起きてきます。

 大切なことは、問題そのものよりも、問題を解決するための、プロセスを子どもの中に
作っておくことです。技法といってもよいかもしれません。

 親としてはつらいところですが、がまん、がまん。そして先生に、相談、です。AEさ
んと、お子さんの会話は、すばらしいです。今のやり方を支持します。

 A君を叱るのではなく、何か、A君の好きそうなものを、お子さんにもたせ、A君に与
えてみてはどうでしょうか。あるいは、家へ招待してあげるとか。A君には、悪いことを
しているという意識はありません。ですからA君を責めても、この時期、意味はありませ
ん。

 押してだめなら、引いてみます。これは幼児指導の鉄則の一つです。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(1月23日)

Jan 23rd 2008

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今朝は、小雨。シトシトと、冷たい
雨が降っている。

カーテンが閉まっているので、外の
様子はわからない。もうすぐ7時だ
というのに、まだ薄暗い感じ。

この雨が終わると、暖かくなるのか。
それとも、またまた寒くなるのか。

ここ数日、寒い日がつづいている。

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●画像編集(Graphic Design)

 起きたら、まずメールを読む。つぎにニュースを読む。今朝は、メインのHPの写真を
入れ替えた。この前の日曜日に、画像編集ソフトを買ってきた。今は、それにハマってい
る。

 「ぼくにもできるかなあ……?」という不安はあったが、やりだしてみると、意外と簡
単。あちこちの写真を集めて、切り抜いて張りつける。ボカを入れたり、油絵風にしてみ
る。写真そのものを立体化する。

 これが結構、楽しい。昨夜も風呂から出て、1時間ほど、没頭した。おかげで、今朝は、
どこか風邪気味。軽い頭痛。


●株価暴落(Stock Depression)

 この1週間、株価は暴落につづく、暴落。今朝のニュースを読むと、アメリカは、0・
75%の利下げを発表した。簡単に言えば、お金をバラまくということ。数日前、16兆
円規模の、日本で言う、緊急の経済対策を講じた。しかし常識で考えても、そんなのは、
焼け石に水。

 日本のバブル経済が崩壊したときには、日本政府は、30兆円以上もの緊急の経済対策
を講じた。毎日新聞は、つぎのように伝える(1月18日版)。

「米政府が18日に発表した緊急経済対策は、米国の国内総生産(GDP)の1%にあ
たる1500億ドル(約16兆円)という大規模なものだったが、実施時期や内容に具
体性が欠けていたことなどから、市場に失望感を与えた」と。

 今、経済の世界では、たいへんなことが起きているようだ。地震で言えば、震度7とか、
8とかの激震が起きた。その上、余震につづく余震。今はまだ、みな、あたふたとしてい
るときだから、その被害の実態は見えてこない。しかしそのうち、それが見えてくるはず。

 停滞とか、沈滞とか、その程度ですめば、まだよいほう。へたをすれば、会社の連鎖倒
産という形で、私やあなたの生活を直撃するかもしれない。いや、すでに株投資、外債投
資で、財産を失った人も多いはず。

 「バクチ(=株取引)は、小遣いの範囲ですること」……というのが、私のモットー。
実は、私も、かなりの損をしている。ハハハ。さがった株は、しばらく塩漬け。こういう
のを、私は、「冬眠」と呼んでいる。今が、そのとき。

 
●ニューズウィーク誌・正月Special版を読む

(Reading "Newsweek Jan2/9")
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今ごろ、正月号?、と思う人も
いるかもしれない。

しかし、今、やっと、私のところに
戻ってきた。

買ったのは年末だったが、そのあと、
ワイフに取られてしまった。

で、今。

ニューズウィーク誌、1月2/9日号。

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 研究者にとって、何を研究するかは、大きなカケ。メルボルン大学にいたころ、田丸謙
二先生は、こう言った。

 「触媒の力で、水を酸素と水素に分離できれば、無尽蔵のエネルギーを人間は、手に入
れることができます」と。

 田丸先生は、その研究をしていた。

 が、それから10年ほどたって、田丸先生の自宅を訪ねると、田丸先生は、こう言った。
「コンピュータと遺伝子工学が、こうまで進むとは思ってもみませんでした」と。どこか、
残念そうだった。

 しかし、だ。今、その触媒(正確には、「触媒工学」という)が、脚光を浴びている。昨
年会ったとき、田丸先生に、「その後、触媒による水と酸素の分離はどうなりましたか?」
と聞くと、田丸先生は、こう言った。

 「R研でも、20人ほどのチームを作って、結構いいところまできていますよ」と。言
い忘れたが、田丸先生は、国際触媒学会の前会長でもある。

 で、その遺伝子工学。さらに先へと進もうとしている。ニューズウィーク誌は、「ポスト・
ゲノム最先端を行く」(P34)と題して、それを報じている。

 ケンブリッジにあるサンガー研究所では、昨年の夏、30億対もあるとされる塩基配列
のうち、1%に当たる、3万対の配列の機能解明に成功したという。

 素人にはわかりにくい話だが、つまりは、人間の設計図を手に入れつつあるということ。
その設計図さえ手に入れば、どんな病気も、その設計図を作りかえることで、治すことが
できる。「糖尿病やアルツハイマー病、さらにはがんまで」と。

 ついでに、ニューズウィーク誌には書いてないが、寿命さえも、いじることができるよ
うになるかもしれない。

 考えてみれば、これは恐ろしいことでもある。(いいのかなあ?) この記事を読んでい
て、興味深かったのは、つぎの点である。

 「ジャンク(ガラクタ)と呼ばれ、存在意義が軽視されてきた数多くのDNAが、実は
重要な役割を担ってきているらしいこともわかってきた」と。

 私は以前、似たような記事を読んだことがある。

 脳の中には、「辺縁系」と呼ばれる部分がある。その辺縁系について、私たちは学生のこ
ろ、「辺縁系は、原始脳で、今は働きはありません」などと教わった。しかし、だ。これが
とんでもないまちがいであった。

 人間の記憶(海馬)や、やる気(帯状回)、それに感情判断(扁桃核)などは、この辺縁
系が担っている。原始脳どころか、(人間)が(人間)である、中枢部分が、ここにあるこ
とがわかってきた。

 DNAの中にも、無駄なものはない、ということらしい。

 で、研究するにも、時代の流れというものがある。その(流れ)を読みまちがえると、
無駄な研究で終わってしまう。

 そうそうその田丸先生だが、6年前に、「フェムト秒」の話をしてくれた。今では、フェ
ムト秒単位での、化学反応を、実際に観察できるようになったそうだ。そのとき書いた原
稿を添付する。この世界は、ほんとうに、おもしろい。なおこの中で、「ある科学者」とい
うのは、田丸先生をいう。

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●フェムト秒(Femt Second)

 ある科学の研究者から、こんなメールが届いた(02年9月)。いわく……

「今週は、(今日ですと先週と言うのでしょうか)、葉山の山の上にある国際村センターで、
日独のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライ
ズを受けたノーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいまし
た。 今は固体表面に吸着した分子1個1個を直接見ながら、それにエネルギーを加え
て反応を起こさせたり、フェムト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時
間)で、その挙動を追っかけたり、大変な技術が発達してきました」(TK先生)と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フ
ェムト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚い
た。

ただ、(1)の分子を見ることについては、もう20年前から技術的に可能という話は聞
いていたので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」と
いうのには驚いた。

わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、10の15乗倍し
て、やっと1秒になるという時間である。反対に言えば、1000兆分の1秒というこ
とになる。さらに反対に言えば、1000兆秒というのは、この地球上の3100万年
分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなるが、1フェムト秒というのは、
そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間
が観察できる時間ではない。

しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か?」という問題を、考えざるをえなく
なってしまう。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして生きることができたら、その
たったの1秒で、3100万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

++++++++++++++

 このフェムト秒の考えには、私に大きな影響を与えた。時間の観念そのものを変えてし
まった。

 たとえば私たちが「1秒」という時間にしても、それは人間である私たちが使う時間に
過ぎない。その1秒を、ひょっとしたら、3100万年にして生きている生物というか、
宇宙が、どこかにあるかもしれない。

 「宇宙」といっても、私たちが住む、この大宇宙ではない。ホーキング博士がいうとこ
ろの、別宇宙をいう。そこにも、ここにもある、バブルのような宇宙をいう。

 (反対に、人間がいうところの3100万年を、1秒にして生きている生物というか、
宇宙が、どこかにあるかもしれない。)

 つまり1秒といっても、生き方によって、1年分にもなるし、10年分にもなるという
こと。ダラダラと長生きをすれば、それでよいということでもない。大切なのは、時間の
中身ということになる。

 田丸先生、ありがとう!


●山荘の化粧直し(Reparing my mountain house)

+++++++++++++++

山荘の化粧直しが、今日、終わる。
この前の日曜日に作業を見てきたが、
あの山荘が、新築同様に、ピカピカに
なっていた。

うれしかった。と、同時に、ムラムラと
また、あの愛着がわいてきた。

土地作りに、6年。建築以外のほとんどの
作業は、私とワイフが、した。

毎週、ユンボを借りてきて、土地を
ならした。ダンプも借りてきて、ジャリを
敷いた。石組みも、した。道路も、舗装した。

水道管、排水管工事も、自分たちでした。

が、13年目。

実は、そろそろ、あきてきた。
使うとしても、週に1回程度。

で、今回の化粧直し。
外壁全体に、フェルト状のペンキを塗り、
その上に、シリコン樹脂を塗ってもらった。

「新築のときのようになった」と、ワイフは
大喜び。それを見て、私の顔もゆるんだ。

とたん、先に書いた、あの愛着。

「だれかに売ろうという話は、しばらく、
お預け」と、私。

「そうね。もっと使わなくちゃ」と、ワイフ。

そう、このところ、山荘を売ることばかり
考えていた。

まだまだ人生は、ナガ〜イ。

+++++++++++++++

●今してみたいこと(What I want to do now)

 パソコンで作曲を楽しんでいたのは、今から、もう15年ほど前のこと。当時、Y社か
ら、「ミュージック君」とか、「ミュージ郎」とかいうソフトが売りに出された。音源機器
などが一式ついて、当時のお金で、30万円ほどした。それを買ってきた。

 が、そのあとしばらくすると、それらは、すべて息子たちに取られてしまった。

 そして今、またまた作曲をしてみたくなった。おととい、街中のパソコンショップへ行
くと、その種のソフトが、数種類並んでいた。今では鼻歌で歌うと、自動的に音符にかえ
てくれるソフトまである。もちろん、そのまま、いろいろな楽器で演奏できる。

 それが、ほしくなった。もう一度、作曲をしてみたくなった。実は、これには理由があ
る。

 先週、YOU TUBEで、「金沢大学」を検索してみた。私の母校である。校歌か寮歌
をさがすつもりで、そうした。が、それはなかった。かわりに同窓会などの様子を収めた
ビデオなどが、出てきた。

 「これではいけない」と、私は思った。(私にも、愛校精神というものがあるぞ!)

 で、そんなとき近くのショッピングセンターへ行くと、たまたまCDの安売りをしてい
た。見ると、その中に、「四校寮歌・北の都」があった。Dというグループシンガーが歌う
寮歌だった。

 私はそれを買った。買ったあと、自分で、寮歌をYOU TUBEに収めた。背景の写
真には、大学の卒業アルバムの載っているのを使った。

 しかしどこか、へん。歌い方がちがう。節回しもちがう。Dは、楽譜を見ながら、それ
を音声にかえているだけ。何かの唱歌を歌っている。そんな感じがした。つまりだれかが
寮歌を聞きながら、それを採譜した。その採譜したものを、Dが、歌っていた。

 「それなら……」ということで、私がそれをしたくなった。

 まず、楽譜を作る。編曲する。演奏する。それに自分の声を何重にも合わせていく。理
論的には、男声合唱団が歌っているようにみせかけることも可能である。

 Dが歌う寮歌より、はるかにすばらしいものができるはず。CDの寮歌は、ピアノ演奏
だけ。しかしソフトをうまく使えば、それをオーケストラ演奏にすることもできる。

 ……ということで、またまた目標ができた。春になって、ヒマができたらしてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●ホームレスの男(A Home-less Man)

There are some home-less people around my house. They live near Sanaru Lake and 
sometimes come to the streets. It is my habbit to give them some money when I happen 
to see them on the streets. But don't give it without exchanging some conversations. In 
my case it is also my habbit to talk to them like this; "Hi, did you have your dinner?" or 
"It's very cold, isn't it?". When they talk back to us, then I say, "Have a eat with this 
money" or "Have something warm with this money". They have their own diginity with 
pride. Don't have a kind of superiority in ourselves. They are the same people as we are. 
Nothing is different from us.

++++++++++++++++++

佐鳴湖の周辺には、10人前後のホームレスの男
たちが住んでいる。その中の1人。

年齢は、70歳くらいか。
やせて、細い顔をしている。
風呂にも、長い間、入っていないにちがいない。
差し出す手は、いつも、すすけたように黒い。

ワイフは、こう聞いた。
「どうして、お金をあげるの?」と。
私は、すかさず、こう答えた。

「あの男、ほら、ぼくのおやじに、
似ているだろ……」と。

こういうホームレスの人たちに、小遣いを
渡すときには、ひとつのコツがある。

けっして、いきなり、お金を渡してはいけない。
まず、話しかける。

「おじさん、メシは食べたのか?」とか、
「寒いと、たいへんだね」とか、など。

相手が、「食べていない」とか、「寒い」とか
答えたら、お金を差し出す。差し出しながら、
こう言う。「これで何かを食べなよ」とか、
「暖かいものを食べなよ」とか。

それにもうひとつ、コツがある。
(「コツ」というのも、失礼だが……。)

けっして、見返りを期待しない。
相手が喜んでいるだろうとも思わない。
お金を渡したら、その人のことは、
サッと忘れる。

が、何よりも大切なことは、けっして
優越感をもたないということ。つまり、
「いいことをした」などとは、
ぜったいに、思ってはいけないということ。

理由が、ある。

そういう人はそういう人なりに、自尊心を
もっている。
そういう人はそういう人なりに、心が
キズついている。

(それに、そういうことをしたからといって、
いいことをしたということにはならない。)

たまたま今夜も、その男に会った。
小雨を避けながら、DVDショップの前で、
小さく体を丸めて、座っていた。

いつものように、「これで何かを食べなよ」と言って、
1000円札を差し出すと、「ありがと」と
言って、手の中で、それを握った。

私「こういう言い方は好きではないが、
勝者も敗者も、紙一重。どこもちがわない。
ほんの少しリズムが狂っただけで、勝者は、
敗者になる。ぼくたちだって、明日のことは
わからない」
ワ「そうね……」
私「地球全体がおかしくなって、すべての
生物が死滅するかもしれないというときに、
勝者も敗者もないだろ……」
ワ「そうね……」と。

私は、先日、「EARTH(アース)」という
映画を見た。そのときから、少し人生観が変
わったように思う。

私はその映画を見ながら、それまでに経験
したことのない涙をこぼした。
美しい、どこまでも美しい自然の景色を
見ながら、涙をこぼした。

それは静かな涙だった。

ワ「ああいう人は、病気になったら、どう
なるのかしら?」
私「それでおしまいだろうね」
ワ「かわいそうね……」
私「かわいそう? ……とんでもない。
今のぼくたちよりは、しっかりと真実を
つかんでいるのかもしれない」

ワ「……」
私「ダラダラと長生きするからといって、
幸福とはかぎらない。またそんな人生に、
あまり意味はない。まあ、できれば、お金を
あげるよりは、食べ物をあげるほうがいいけ
どね」と。

そしてこれまたいつものように、その男の
ことは、すぐ忘れた。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●写真の加工に挑戦

 今日は、写真の加工に挑戦してみた。使ったソフトは、S社から発売されている、「Pa
intgraphic―2」。「draw」とセットで、3000円弱だった。

 前から、一度はしてみたいと考えていた。2枚の写真を合成したり、あるいは背景だけ、
油絵風にしてみたり、とか。

 が、やってみると、意外と簡単にできた。さっそく、その写真で、私のHPのトップペ
ージを飾ってみた。(興味のある人は、ぜひ、見てほしい。私の処女作ということなる。)

 写真を加工することによって、平らべったい写真に、奥行きができる。しばし自分の作
品(?)に見とれる。うれしかった。楽しかった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ホームレスの男(2)(A home-less Man -2)

In Japan we have memorial parties periodically after someone's death, spending a lot of 
money for foods and drinks as well as money for the temple priest. But what is that for? 
The more important thing is that we are here and we are alive here. The man is, too. He 
is there and he is alive. Both of us are equally fighting against "loneliness". Nothing is 
different between us.

+++++++++++++++

昨夜(1月20日)、ホームレスの
男について書いた。そのあと、ワイフと
こんな会話をした。

「ほら、日本では、供養というと、死んだ
人に対してするだろ。ぼくは、今、生きている
人を、もっと大切にしたらいいと思う。

みんなで飲み食いして、お寺にお金を出すくらい
なら、今、ああして寒空で震えている人を
助けてやったらいい。

そのほうが、よっぽど、供養になる。

あの男、ぼくの死んだおやじにそっくりだろ。
年齢も同じくらいだ。

ぼくのおやじは、お金にも、健康にも
恵まれなかった。死んだときは、家族の
だれにも愛されていなかった。

酒を飲んで、無茶ばかりしていたからね。

でも悪かったのは、おやじではない。
酒だよ。さらにその先を言えば、戦争だよ。

おやじだって、戦争の犠牲者だった。
酒に溺れるようになったのは、今で言う
PTSDだったと思う。

その結果、家族の心は、バラバラになってしまった。
そんなこともあって、死んだときのおやじは、
孤独だったと思う。

今になってみると、それがよくわかる。
あの男を見ていると、死んだ、おやじが
思い浮かぶ。

みんな、必死になって、孤独と戦っている。
ぼくのおやじも、戦った。今のぼくもね。

ぼくは、ああいう男を見ると、放っておけないよ」

それに答えてワイフがこう言った。

「私たちは、どうせ死ねば、この世から消えるのよね」

「そう、これから先、30年生きる人も、10年生きる
人も、同じ。長い、短いといっても、この宇宙の
大きさと比べたら、誤差のようなもの。

大切なことは、今、ここに生きているという実感を
大切にしながら、懸命に生きること」

「じゃあ、あの男の人は、どうなの?」

「ぼくたちと、どこもちがわないよ。ただ、ほんの
少しだけ、歯車が狂った。狂ったまま、あの男は、
今のような男になった。

ぼくたちだって、明日のことはわからない。
ぼくから見れば、あの男は、明日のぼくという
ことになる。

あの男から見れば、ぼくたちは、明日のオレという
ことになる。

大切なのは、ぼくたちはみな、同じ人間ということ。
その一体感だと思う。

この一体感をなくしたら、人間の心はバラバラに
なってしまう。

もしそうなったら、そのときこそ、ほんとうに、
人間はおしまい」と。

+++++++++++++++++

●日本の未来(The future of Japan)

The center of the economy is being put together in New York, London and Hong-Kong, 
but not in Tokyo. Too much regulations and ristrictions obstructed the development of 
Japan. But don't worry. 

かつて私たちは、インドや中国の貧しさに驚いた。
同じころ、アメリカ人たちは、日本の貧しさに
驚いていたにちがいない。

しかし今、その立場が、逆転しようとしている。

今すぐというわけではないだろうが、アメリカの
崩壊は、ますます現実味を帯びてきている。
日本も、やがて、インドや中国の経済圏にのみ込まれて
いくだろう。

現在、世界の経済の中心地は、ニューヨーク、ロンドン、
そして香港に集約されつつある。東京ではない。

もし東京に可能性があるとしても、シンガポールのつぎ。
たいした規制緩和(行政改革)もせず、モタモタして
いるうちに、こうなってしまった。

はっきり言えば、東京に、未来は、もうない。
つまり日本の繁栄も、ここまで。

この話をすると、ワイフがこう言った。

「私たちはいいけど、これからの子どもたちが、かわい
そうね」と。

しかし心配は無用。

これからは日本人も、「日本人」というワクにこだわら
ないで、世界へ出て行けばよい。

なぜ、ニューヨークやロンドン、それに香港が、
世界の経済の中心地になりつつあるかといえば、
理由は、簡単。

多民族が入り混ざり、外国人にも住みやすい環境を
用意しているから。すでに多くの日本人も、これらの
都市で、活躍している。

経済のグローバル化はますます進む。と、同時に、
「国」という垣根は、ますます低くなる。

相手の国の貧しさを見ながら、「勝った」「負けた」
と言いあう時代は、あと30〜50年のうちには、
終わる。

東京がだめなら、香港がある。ニューヨークがある。
ロンドンがある。

すでにそういう時代が、そこまで来ている。

タイム誌(1月17日)は、つぎのように書いて
いる。

「19世紀と20世紀が、それぞれ帝国主義と
戦争の時代だとすれば、21世紀は金融の時代
とし、これら3都市が世界的な金融網を構築し、
世界経済に活力を吹き入れている。 

それぞれ米国、欧州、アジアにある3都市は、
いずれも港であり、貿易が発達し、主要産業が
製造業から、サービス業にすでに転換されている。

とくに、世界各地から集まってきた移民が多い
という共通点ももっている。06年現在、
ニューヨークとロンドンの移民はそれぞれ
34%、31%に達し、香港は外国籍の中国人、
すなわち華僑が最も多い都市だ」。 

「交通が便利で通信が発達しており、開放的で
自由な経済文化を持っているという点が、
これら3都市をグローバル化の模範、
金融都市としての成長を可能にした」と。

「3都市は、毎週数10〜数100便の相互直航便と、
よく発達したインターネット通信網で結ばれている。
 
3都市はまた、HSBCシティーグループ、
ゴールドマン・サックス、JPモルガンなど
国際的金融機関の本社や地域本部を誘致し、
年間400億〜540億ドルの企業公開(IPO)
を誘致している」(東亜N報紙より抜粋)とも。 

ついでながら一言。この1、2年、日本からの
外資の逃避がつづいている。

「あと50年で、日本の円は、世界市場から
消えるだろう」という予測も、なされ始めて
いる。


++++++++++++++++++++++++++

●建前論(Principle Argument)

In Japan principles are more important than the real life. Sometimes it sounds 
ridiculous.

 香港出身の国際的俳優のJが、こんなことをどこかのパソコン雑誌に書いていた。何で
も東京の歌舞伎町で、ロケをしようとしたときのこと。地域の警察の許可がもらえず、結
局は、撮影を断念したというのだ。

 Jは、こんなふうに述べている。

 「通り沿いの歓楽街では、売春が堂々となされているのに、路上での撮影は許可されな
い」と。

 つまり「日本の建前論には、あきれた!」と。

 同じことが、YOU TUBEについても、言える。

 現在私は、HP上で、「音楽と私」というコーナーをもうけている。今、はやりの(YO
U TUBE 共有サイト)のひとつである。

 YOU TUBEで公開されている、音楽や映像を、私好みで一覧できるようにした。
ところが、である。

 日本の歌や映像は、しばらくすると、どんどんと削除されていく。テレビ映像を撮影し
たものは、ダメ。歌も、ダメ。音楽も、ダメ……ということらしい。とくにNHKで放送
されたようなものは、あっという間に削除されていく。「利用規約に違反しているため、こ
の動画は削除されました」という文字とともに……。

 日本のどこかで、だれかが監視しているためらしい。そのつど、YOU TUBEに抗
議しているためらしい。最近では、吉永さゆりの「寒い朝」(NHK版)まで削除された。
少し前は、「喜びも悲しみも、幾年月」まで削除された。どれも古い映像で、ざらざらした
感じのものだった。(商品価値はないと思うのだが……。)

 おかげで私は、毎週のように、「音楽と私」コーナーを、更新しつづけている。が、これ
にも、うんざり。このところ、日本の歌や映像は、できるだけ避けるようにしている。

 しかしその一方で、国際的な歌手やグループの、歌や音楽は、そのまま。映画の映像も、
そのまま。ビートルズの曲などは、ほぼ全曲、自由に楽しむことができる。映画「タイタ
ニック」の名場面も、自由に楽しむことができる。音声も、クリア。もちろん映像つき!

 もちろん著作権の問題もあるだろう。映像所有権の問題もあるだろう。しかし建前論ば
かり口にしていても、それが国際的な標準とかけ離れていたら、意味はない。ないばかり
か、かえって日本だけが、のけものにされてしまう。

 悪いことばかりではない。

 YOU TUBEで聞いたあと、その歌手のCDを買い求めるということもある。(私は、
いつもYOU TUBEを見てから、CDを買いに行くぞ!) 過去をなつかしむという
こともある。テレビ局の奧の奧で、死蔵されるままになるくらいなら、思い切って公開し
たらよいのではないか。公開が無理なら、もう少し、大目に見てもよいのではないのか。

 YOU TUBEといっても、映像もそれほどよくない。音声もモノラル。この先のこ
とはわからないが、今のところ、限界がある。有償で、かつ営利を目的としたものでなけ
れば、それほどカリカリすることでもないのではないか。……と、私は思うのだが。

 ホント! 私という日本人ですら、日本の「建前論」には、あきれる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 22日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て、Q and A・特集】(4)

(ホームページの読者の方より)

Q:2歳2ヶ月の男の子のことで相談です。

妊娠中から私はつわりがひどく、妊娠悪阻にかかり入院するほどで、精神的にも不安定で
10ヶ月間ほとんどねたきりでした。
子供は欲しかったのですが、あまりのしんどさに、なんどかおろす事も考えましたが、主
人の励ましでなんとか無事健康な男の子を出産することが、出来ました。

産まれてから母乳をうまく吸えないようで、何度かチャレンジはしたのですが、1ヶ月ほ
どでミルクに切り替えました。
うちの子は夜はよく寝てくれたのですが、とにかくよく泣く子で、2歳になったいまでも
私が少しでも離れると、泣きついてついてきます。
だから、起きている間は何も出来ません。それは仕方がないと最近では思い、できるだけ
いっしょに遊んでます。

心配なのは、ぜんぜん同じ世代の子供と遊んでくれません。というより逃げてしまうか、
私にあっちとばかり他の誰もいないところにいきます。児童館に行ったりしてもそうで、
マンションのお友達のところでも1人違うところに行ってしまうか、私から離れません。
実は気になることがあり、産まれて1ヶ月のころからいっしょのマンションのお友達と仲
良くなりよく遊んでいたのですが、その子とは誕生日も同じ、血液型も同じという男の子
で、とても乱暴な子でいつもうちの子は、おもちゃをとられたり、叩かれたりで泣いてば
かりいました。今思うと私は、そのおかあさんのてまえばかり考え、自分の子供をかばっ
てやれなっかたと反省しています。

そこのおかあさんは、怒らないで育てるという考え方の人で、人のものとろうが、叩こう
が、突き飛ばそうが、あかんやんぐらいの軽い言い方でもちろんとったおもちゃなんか返
しなさいなんて言わないひとで、だんだん私もストレスになりあまりつきあわなくなった
のですが、毎日電話がかかってきて、今日は外出るとか、買い物一緒にいこうとか、とに
かく家の中まで入ってくる人で、主人からは付き合うなと、さんざんいわれてきました。
子供も歩くようになったころには、その子を見ると逃げるようになり、いつからか、他の
子とも遊ばなくなっていました。

今そのことだけが原因ではないのですが、引越ししました。私や主人とならすごく楽しそ
うに遊ぶのですが、やっぱりあまりよその子とは遊んでくれません。
私の妊娠中のことが、それともその子(よくいじめられた子)のことがトラウマに、それ
とも私の育て方に何か問題があるのでしょうか?
神経質とはよくいわれます。確かに今も手がかかっているので、イライラすると怒鳴って
しまうこともあります。主人の言うことは聞くのに私の言うことは、あまりきいてくれま
せん。主人に言わすと、信頼関係が築かれてないと、指摘されました。確かに思い当たる
ところはあるように思います。周りのことばかりに気を使いすぎたり、子供につらい思い
をさせてきたかもしれません。

悪循環で私の言うことを聞いてくれない、そしたらイライラする、怒ってしまうといった
具合です。

子供は自分の思うようにならない、そしてしてはいけないとは、わかっているつもりだっ
たのですが、そうなっていたのでしょうか?今一番気になることは、他の子と遊んでくれ
ない、怖がっているのか、いやなのか逃げてしまうということです。保育園など考えてい
るのですが、入れていいものか悩んでいます。言葉もまだあまり出てないので先生に伝え
られないのではーなど。幼稚園はいるころには、直るのでしょうか?私はどういうふうに
子育てをしていいか悩んでいます。子供がそんなに楽しそうにしていなくても、児童館や
お友達と遊ばしたほうがいいのかーでも逆に無理して行っても私のほうが、なぜうちの子
だけ遊ばないんだろうと、落ち込んでしまいます。話が前後したり分かりにくいこともあ
ったかと思いますが、何かいいアドバイスお願いします。群馬県・YRより)

A:Rさんへ、メール、ありがとうございました。しかしながら私は乳幼児の中でも、乳児お
よび就園前のお子さんについては、まったくの門外漢であり、指導経験もほとんどありま
とができません。この点をお含みおきの上、どうかお許しください。

(1)お子さんの泣き方の様子が詳しく書かれていないので、それがどういうものである
か、私に
は把握しかねています。興奮して、ギャーギャーと泣くようであれば、まずかんしゃく発
作を疑ってみます。かんしゃく発作については、ヤフーで、「はやし浩司 かんしゃく発作」
で検索してくだされば、いくつかヒットすると思います。

(2)泣き方が不安定で、親からみて「わけのわからないもの」であれば、情緒不安が疑
われます。お子さんの心は、外からはわかりませんが、いつも緊張状態にあると思います。
その不安定さが、たとえば対人恐怖症となってあらわれているのではないかと思います。
「恐怖症」についても、このサイトのどこかに書いておきましたので、参考にしてくださ
い。トラウマなどというおおげさなものではなく、子どもはふとしたきっかけでこの恐怖
症になります。またなったからといって、それほどおおげさに考える必要はありません。
まだ二歳ですから、無理をしないで、ときどこかで少しずつ心を慣らすという程度でいい
のではないかと思います。早く園へやればそれでよいというものでもありませんので。

(3)一つ心配なのは、あなたがお子さんを妊娠したときから、心配先行型、不安先行型
のリズムをつくってしまったことです。「中絶しようか」と考えたということ自体、大きな
わだかまりになっているはずです。本気で、つまり心の底から望んで生まれた子どもでは
ない……というわだかまりが、今のあなたとお子さんの人間関係をつくっています。「子育
てリズム論」は、私のサイトの目次から、「親が変われば」のコーナーをお読みください。
あなたの心の状態によくあてはまると思います。子供というのは、長い時間をかけて、あ
なたの心をカガミのようにそのまま映し出します。すでにそういう状態とみてよいでしょ
う。あなたのわだかまり、心配や不安が、基本的にあるため、「何をしても心配だ」という
ような見方で、あなたはお子さんを見てしまうのです。

(4)どこかの調査でも、70〜80%の母親が育児でイライラしているということがわかっ
ています。ですからあなただけではありません。子育てというのは、そういうものです。
つまりそういうものであるという前提で、つきあえばいいのです。気負うことはありませ
ん。あなたはあなただし、どうか自分を責めないでください。

(5)さて本題。お子さんが対人恐怖症になっているとしたら、無理をしないこと。無理
をしても、かえって症状は悪化します。これは心が熱病にかかったようなものです。それ
ともあなたは風邪で熱を出して寝ている子どもに、水をかけるとでもいうのでしょうか。
あなたの考えで、また外見から見た様子だけで、お子さんを判断してはいけません。私も
閉所恐怖症、高所恐怖症などがあります。一度屋根にテレビのアンテナをつけにあがった
のですが、おりられなくなってしまったことがあります。人は「気のせいだ」と言います
が、決して気のせいなどという簡単なものではありません。そういうことをまずわかって
あげなさい。お子さんは本当にこわいのです。また恐怖症は誰でもなるものであり、珍し
くも何ともありません。

(6)ではどうするか。順に話していきましょう。まず情緒が不安定になったら、幼児は、
とにかくスキンシップを濃厚にします。抱き癖がつくとかつかないとか、それは横に置い
ておきましょう。いつも抱いてあげる。強く抱いてあげる。手をつないであげる。添い寝
をしてあげるなど。そもそも日本人はスキンシップが少ない民族です。ブッシュ大統領な
んか、奥さんとベタベタと手をつないで歩いていましたね。あれが国際的な標準です。親
子もそうで、先日もヒューストンの空港で、親子連れをみかけましたが、皆、親子がベタ
ベタとしていましたよ。ですからあなたも遠慮せず、スキンシップを濃厚にしてみてくだ
さい。あとは白砂糖を断ちます。これだけで、つまり徹底してやれば、一週間程度で、症
状がおさまってくるはずです。ダメもとと思い、一度、ためしてみてください。(できれば
CA,MGの多い食生活も一方でこころがけてください。)

(7)「幼稚園へ入るころにはなおるか」ということですが、分離不安などの情緒的な問題
にからんでいるときは、そんなに簡単にはなおりません。また「なおそう」とか、そうい
う発想で考えないことです。(なおるものなら、私の閉所恐怖症をなおしてほしいもので
す。)あなたのお子さんにも、よい点や悪い点、さらには得意なことや苦手なことができ始
めているのです。人とつきあうのが苦手なら、苦手でもよいではないですか。そういう子
どもを迎えてあげるのも、親の努めですよ。「お母さんも、うるさいところはいやだわ」と
言ってあげるほどの包容力をもってください。実のところ、子どもの心の問題で、親は安
易に「なおす」とか言いますが、そういう発想はどうしても好きになれません。なおすの
ではなく、受け入れるのですよ。またこの問題だけは、あせってなおそうと思うと、かえ
って症状を悪化させますから、くれぐれもご注意ください。

(8)保育園へも無理しないこと。たった30年前には2年保育があたりまえでした。幼
稚園へ通わない子どもも5%はいました。が、今では2歳から……? 人間の質が変わっ
たとでもいうのでしょうか。いいですか。子どもは親が育てる。親のぬくもりで包みなが
ら育てる。それが子育ての原則です。家庭が許すなら、保育園はできるだけ遅くしなさい。
集団に慣れるというだけの目的なら、ほかにも方法はあると思います。かなり神経質で、
過敏傾向の強いお子さんのようなので、ここはとくに慎重にかまえてくださいね。

(9)「落ち込む?」……とんでもないことです。あなたは風邪をひいて熱を出して寝てい
る子どもを見て、落ち込むのですか? 親の愛には三種類あります。本能的な愛と代償的
な愛。それに真の愛です。あなたはやっと代償的な愛(親のエゴにもとづいた身勝手な愛)
にたどりついた段階です。お子さんが苦しんでいるのに、落ち込む親がどこにいますか! 
自分の思い通りにならないからといって、落ち込むのは真の愛ではない。代償的な愛です。
あなたは自分の心のすき間をうめるために、子どもを利用しているだけ。あるいはそれが
「親の愛」と誤解しているだけ。きびしいことを書きましたが、これはあなたのためです。
あなたがすばらしい母親になるためです。わかってくださいね。

(10)言葉の問題なでおについては、メールだけではお答えしかねます。

(11)最後に大切なことは、まずあなたの「わだかまり」が何であるかを知り、つぎに
お子さんをあなたの心の中に迎え入れることです。(あなたはお子さんをまだ迎え入れては
いない。)できがわるくても、「あなたを愛しています」「あなたが苦しいときは、お母さん
も一緒に苦しんであげます」「無理することはないのよ」「あなたはいい子ですよ」「あなた
はすばらしい子になりますよ」「いやな人とは無理してつきあわなくてもいいのよ。お母さ
んだって、いっしょのマンションの友だちと仲よくなれなかったのだから、偉そうなこと
は言えないのよ」と、言います。こうした言葉を自然に言えるようになったとき、あなた
のお子さんのもろもろの問題点は、ウソのように消えています。どうかこの言葉を信じて
ください。そのときになると、(今でも問題はありませんが……)、今あなたが悩んでいる
問題など、どこかへ消えてなくなってしまいます。

 子育てははじまったばかりですね。これからつらいことや苦しいことが山のようにあり
ますよ。それはちょうど小さなヨットに乗って、大洋へ乗り出すようなものです。しかし
それがあるから人生もまた楽しいのです。つらいときがあったら、私のサイト(トップペ
ージ)から「心のオアシス」をのぞいてみてください。また何かあればメールをください。
今日はこれで失礼します。(2002−
2−24)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 色々な育児のホームページやテレビ(キレる子どもやサイレントベビーなど)を
見て日々感じていた事、思っていた事がありますが、はやし先生のホームページ
や今回お送り下さいましたメールを拝見し、なんとなくホッと致しました。お互
いの育った環境に準じた子育てをしたいと思う気持ちから、主人と意見が違いま
して、いつも考えておりました。

 下に私の子育てを書きますので、(書き終わりまして、見直しましたら、とて
も長くなっていました。)はやし先生のお時間のよい時で構いませんので、ご意
見を聞かせて頂けたらうれしく思います。

よろしくお願い致します。

 私の子育ての方針(と言いましても、はじめての子どもで手さぐりですが……)は、
「子どもに不安を与えない」ようにするということです。だから、3ヵ月半の子どもがミ
ルクでもなく、オムツでもなく、眠たくもなく、遊んで欲しくもなく泣いている
時は、できるだけ抱いてあげる。抱けない時は、声をかけたり、側にいたり、お
んぶするようにしています。反対に、子どもが機嫌がいい時や一人で遊んでいる時は、
ほおっておいていますが……とにかく、子どもが安心できる環境を作るようにし
ています。たとえば、我が子は暗いのが嫌いなのですが、「暗いのが怖い」と言う
不安な気持ちを植え付けたくないので、部屋を明るくしたり、寝る前だと少し明
るくして声をかけて子どもの目の届く場所にいたり、添い寝して体をなでてやった
りしています。私は、今「暗いのは怖くない」と安心を与えてやれば、そのうち
怖がらなくなるだろうし、遅くても物心がつき親の言うことが理解できるように
なれば怖がらなくなると思っています。(余談ですが、主人は今我慢させておか
ないと、大きくなっても「暗いのが怖い」と泣くようになると言います。)

★多くの人は、「子どもの心を大切にする」ということと、「甘やかし」を
混同しています。子どもの心を大切にするということは、甘やかしでは
ありません。特にこのケースのように、暗闇恐怖症(軽度ですが……。重度の
恐怖症の子どものばあい、「こわい」という気持ちすら表現できないまま、
おびえます)の子どもは、子どもの心が安定するまで、無理をしないのが、大原則
です。無理をすればするほど、また強引に親の判断を押しつければつけるほど、
子どもの心に大きなキズをつけることになります。

★「安心できる家庭」は、子どもの心をはぐくむための絶対条件です。「安心
できる」ということは、「疑いを抱かない」という意味です。本来、親側も
そういうことをあまり意識しないで、つまり「安心できる家庭をつくろう」という
気負いがないまま、安心できる家庭をつくれるとよいのですが……。少し
気負いが感じられるのは、お母さん自身も、どこかで「安心できない家庭」を
経験しているのかもしれません。気負いはえてして、子どもの側から見て、
「押しつけ」になることがありますから、この点は注意してください。

 私の私見ですが、「『抱き癖』がつく」と言う親は「『自立心』をつける」と
子どもの為と主張しますが、自分(親)が「早く子育てから解放されたい」と言う
心の言い訳(やむをえず仕事をしている人は仕方ありませんが)のような気がし
てなりません。私も「解放されたい」と思う事は多くありますが、他の動物と違っ
て人間の赤ちゃんは抱いて育てられるように産まれてきているのだと思っ
ているので、子どもを産んだ以上側にいて抱いてあげるのは当たり前だと思っています。
そして、幼い頃の不安は大人になっても心のどこかに残っているのだから、「心」
で与えられる安心は惜しみなく与え、欲求は満たしてあげようとも思っています。

★「抱き癖」については、多くの人が論じていますが、元来日本人はスキンシップの
少ない国民であるという大前提で考える必要があります。アメリカへ行くたびに、
親子でも、夫婦でも、恋人どうしでも、実に平気にスキンシップを繰り返して
いるのには驚かされます。(日本でいう抱き癖は、たとえば親側のほうから
一方的に抱くイコール、溺愛的な抱き癖をいいます。またもともと情緒が不安定な子ども
は、自分の情緒を安定させるためにスキンシップを求めてくることもあります。)
「抱き癖」と、一言では処理できない問題を含んでいます。

★「抱き癖」がついたから自立心がないとか、そういうことにはなりません。
子どもの自立は、もっと別の角度から考え、また論じなければなりません。
それはちょうど、風邪をひいて寝ている子どもに向かって、「あなたは寝ている
から、なまけもの」というぐらい、私には乱暴な意見に聞こえます。

★子どもが求める限り、スキンシップには応じてあげる。また子どもの
情緒が不安定になっているのを感じたら、積極的に抱いたり、手をつないだり
してあげることは、満4・5歳前後まではとても重要なことです。むしろ今、
親に抱かれない子ども、スキンシップを受けつけない子どもが問題になって
います。心に何らかの大きなキズをもった子どもですが、そういう子どもは
今度は自分が親になったとき、「子どもを育てられない親」になる心配があり
ます。

★子ども自身に何らかの情緒障害があるときは、たとえば自閉症、かん黙症など、
特定の人(親など)には抱かれますが、それ以外の人には心を許さない分だけ、
人には抱かれません。保育園や幼稚園の先生が抱こうとしても、体をこわばらせて
しまいます。心が緊張状態にあるためとみます。(表情にだまされてはいけません。)

★「惜しみなく愛を与える」「惜しみなく抱く」というのが、親側の一方的な、つま
り、恩着せがましい押しつけにならないように注意してください。親の欲望を満たす
ために、一方的に「してあげる」というのは、子どもの側からみて、「いらぬおせっかい」
となりやすいですから注意してください。

 主人はそれが「『甘やかし』であり、『自立心』のない子どもになる」と言いま
す。勿論、お判りでしょうが欲しいものを全て買い与えると言う意味ではないし、
「我慢」が出来る頃になれば、色々な意味で「我慢」をさせなければいけないと
も思っています。それは「我慢」を無理に押し付けるのではなく、その時々で時
間がかかるかもしれませんが、どうして我慢をしなければならないかを教えてい
けば、ダダをこねるだけのわがままを言ったり、甘えん坊にはならないと思って
います。そして「我慢」する事から「自立心」が生まれるのではないかとも思う
のです。

★おっしゃる通りです。この点については、あなたのご主人の意見は、正しく
ありません。先ほども書きましたが、「自立」というのは、子どもに考えさえ、
行動させ、そして責任をとらせることです。同じ「甘い」と言っても、それは
「甘い(だらしない)生活規範」をいいます。そうでなければ心配はいりません。

★子どもに「がまん」させるのではなく、もしたくましく自立した子どもにしたければ、
家の中で、どんどん使うことです。家事を積極的に手伝わせます。子どもにとって
忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいいます。台所の生ゴミを
手で始末するとか、そういうことです。もちろんほしいものをどんどん買い与える
というのは、ここでいう「甘い生活規範」になりますから、それは避けます。

 主人は子どもが一人でいい子にして遊んでいる時に、中途半端に遊んで自分の都
合で寝かせ、子どもがもっと遊んで欲しいと泣き、私が相手をしようとすると子ども
に「泣くな」と言い、私に「ほってほけ」「我慢させろ」と言います。子どもにし
てみれば自分が悪くないのに怒られている訳で、それなら最初から一人で遊んで
いる子どもに構って欲しくないし、「泣くな」でなく「お父さんは○○しないとい
けないから、いい子にして待っててね」と言って欲しいのです。

★こうしたケースでは、いろいろと不満がたまるかもしれませんが、100点満点を
夫に期待しないことです。「まあ、そこそこ適当に……」と考えることこそ、うまく
いくコツです。先ほども書きましたが、全体としてあなたは「よい母親であろう」とか
「よい家庭を築こう」という気負いが強過ぎるような気がします。それ自体は悪く
ないのですが、こうした気負いは、夫にしても、またあなたの子どもにしても、
かえって窮屈なものになりがちですから注意します。『子育てはまじめ七割、いいかげんさ
三割』と覚えておきます。やがて子どもは「パパはいいかげんな人だ」と思うように
なるかもしれませんが、さらにやがて、今度は子どものほうが親の操縦法を身につけ
ますから、それほどキリキリすることもないのです。子どもも、成長するということ
です。むしろ夫が子どもをあやしていたら、あなたのほうがそれを評価し、応援する
ようにしてみたらいかがですか。

 さらに、抱っこしても泣き止まない子どもに「こら!泣くな」と(主人は怒って
ないと言うのですが)怒ります。その前に、なぜ泣くかを考えてその原因を取り
除いてやって欲しいと思うのです。

★わかります。あなたは心のやさしい人で、子どもの心を理解しようとしています。
一方的に自分の考えを押しつけることを、「親意識」といいます。日本人は、
この親意識が強い民族です。長く続いた封建制度が、こうした親意識を生み出し
ました。今はその過渡期かもしれません。あなたの夫にも、「私は親だ」「父親は
権威だ」と意識がまだ残っているのかもしれません。あなたは妻として、そういう
夫をよく観察してみてください。あなたの夫の中に、「日本文化論」を発見できる
かもしれませんよ。(もっともこの問題は、そうは簡単には解決しません。あなたが
夫をさとしたところで、夫自身があなたのほうがかえってまちがっていると言うのが
オチです。)

 主人はそれらを何度言っても「自立心が養われない」「甘やかしすぎだ」「今
のうちから(物欲ではなく、不安感や安らぎを)我慢をさせろ」「将来わがまま
になる」と言います。私は、子どもがわがままになるのは、心の欲求を満たさず物
欲ばかり満たした結果、子どもが心の欲求を満たしたいが為に起こす行動ではない
のかと思ってるのですが、先生はどう思われますか? 主人の言うことも間違って
いないのでしょうか?

★あなたの夫には悪いですが、あなたの夫の考え方はあまりにも短絡的で、どう
反論してよいかわからないでいます。子どもの心を大切にするということは、
甘やかすということとは別問題です。まったく別問題です。またわがままになると
ということは、「ものの考え方が退行的、享楽的、自己中心的になること」を言います。
今回の問題はまったく別です。子どもの心にしっかりと耳を傾けながら、それが
わがままなものであれば、その時点で、毅然とした態度で、突っぱねればよい
のです。わがままな子どもについては、私のサイトのあちこちで書いていますので
また参考にしてください。

 私のしている子育ては、私の両親の子育て法であり、主人の言っていることは、
主人の両親の子育て方法でもあります。主人に聞いたのですが、自身は「自立心」
「我慢」と言って心も物欲も充分に満たされる事無く、押さえつけられて育てら
れた傾向にあると私は感じました。(勿論、子どもに良かれと思った結果なのでしょ
うが……)だからとは言い切れませんが、主人はわがままで物欲が強く我慢がで
きず、どちらかと言えば依存心が強いのです。(まぁ、いい所もあるので結婚し
たのですが。)

私も全ての欲求を満たされて成長したのではなく、厳しく(時にはひどく叩かれ
ましたが、私が悪い事をした時なので虐待とは思っていません。)育てられまし
たが「だめだからだめ」ではなく、「どうしてだめか」をいつも教えられていた
ように記憶しています。私の両親の子育てにも問題のあった所も、私の短所も自
負しているつもりです。
 だからこそ、子育てについてこれらの考えにたどり着きました。

★すばらしい発見をなさいましたね。私が同じことに気づいたのは、かなり
子育てが終わってからです。あなたはたぶんまだ若いと思いますが、ここまで
自分で発見なさったということは、あなたはすばらしい母親になれる資格があり
ます。(これは本気でそう思っています。)自分の過去を知る。そして今、あなたの
子どもが、「子どもの過去」を作りつつあるということ。それに気づけば、子育て
の真髄がわかったようなものです。(私の講演を聞きにおいでになったことが
ある方でしょうか?)実際、あなたのメールを読んで、私はいろいろ教えられました
し、感動しました。特にこの部分に、です。ここまで自分に気づく親は、本当に
少ないです。たいていの親は、自分の過去に引きずられていることすら気づかない
まま、同じ失敗を繰り返すのです。

 長くなりましたが、私は「甘やかし」や「わがまま」でではなく、自分の考え
を持ち、それを実践できるように「のびのび」と育てたいと思っています。

★まさに正解です。親は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。親は子どもの
うしろを歩く。子どもの保護者として。親は子どもの横を歩く。子そもの友として。
あえて言うなら、「よい親であろう」という気負いは少なめにして、「友」として
自分を自覚してみたらいかがでしょうか。今のままだと、子どものほうが
窒息して、明るい笑顔が消えるかもしれません。どうかご注意ください。
(ひょっとしたら、あなたは夫にも、「完ぺきな夫」をあてはめ、それを
求め過ぎているのではありませんか? 子どもがまだ小さいから神経質に
なっているのは、理解できますが、あまり神経質にならないように。子ども
自身の伸びる力を信ずることです。)

 最後になりましたが、主人子育てについてのすれ違いに心苦しくなる時もあり
ますが、子どものことに無関心ではなく、色々と考えてくれるという事に違いはな
いので、それはとても嬉しい事とも思ってもいるのです。

★前だけを見て、前に進みなさい。あなたの夫はすばらしい人です。そういう
前提で前に進みなさい。すべてを受け入れて、すべてを許して前に進みなさい。
いいですか、ニ度と「まぁ、いい所もあるので結婚したのですが……」などとは
言ってはいけませんよ。そういう迷いは、やがて大きなわだかまりになりやすい
ので注意してください。あなたはあなたの夫を心底愛して結婚したのです。そして
あなたは今の子どもを心底望んで産んだのです。あなたの「現実」をすなおに受け
入れることです。わだかまりがあるなら、子どもが小さいうちに解決しておいて
ください。これから先、何度もそのわだかまりが、顔を出し、あなたの子育てを
狂わせます。今の「現実」を前提にして、これからの結婚生活を考えます。

長くなりましたが、ここまで読んでくださいましてありがとうございました。
新しい年まで後少しですが、寒くなってまいりましたので、
お体に気をつけ、よい年をお迎え下さい。
それでは、よろしくお願い致します。
(2001年12月26日付け)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●Hさんよりの返信

早速、ご意見を頂きまして、色々と考えさせられました。

 ★「惜しみなく愛を与える」「惜しみなく抱く」というのが、親側の一方的
な、つまり、恩着せがましい押しつけにならないように注意してください。

ご助言ありがとうございます。ハッとしました。
先ほどは書きませんでしたが、私は母に母の愛を「押し付け」られているように
感じている時期があり、とても苦しい時がありました。
(今はとても仲がよく、お互いに何でも話し合える母子です。)
「子供の為に」と気負わないように自然体で、子供に接しようと思いました。

 あなたの夫にも、「私は親だ」「父親は権威だ」と意識がまだ残っているのかもしれません。

主人自身そういう家庭で育ったのだから、そうなのだと思います。
この点は、おっしゃる通り今すぐにどうこうなるものではないので、
その時に出来る事を、苦痛でない範囲で手伝ってもらうようにしています。
そして、私は感謝の意をこめて「ありがとう」と言うように心がけています。

 あなたの夫には悪いですが、あなたの夫の考え方はあまりにも短絡的で、どう
 反論してよいかわからないでいます。子どもの心を大切にするということは、
 甘やかすということとは別問題です。まったく別問題です。

だから、私は先生に「押し付けでは?」と感じさせるぐらい、
「しなければ」と言う意識が強くなるのかもしれません。

(ひょっとしたら、あなたは夫にも、「完ぺきな夫」をあてはめ、それを
 求め過ぎているのではありませんか? 子どもがまだ小さいから神経質に
 なっているのは、理解できますが、あまり神経質にならないように。子ども
 自身の伸びる力を信ずることです。)

子供が生まれてすぐは、確かに私の理想「こうでなければならない」
「そうであって欲しい」を押し付けており、また主人はそれに
反発ばかりしていました。母の助言もあり私は押し付ける事
(反発された事に反発していました。)をやめました。
もしかしたら、主人が一歩引いてくれていたのかもしれませんが・・
今までの反発がなくなり、協力的になってくれました。

 「まぁ、いい所もあるので結婚したのですが……」

書き方が悪かったですね。すみません。
「悪いところばかりではない」→「いい所も沢山ある」という事を
伝えたかったのです。夫婦間のわだかまりと言うのはありません。
子育てのこともそうですが、私たちは何でも話し、また多くの意見交換をします。
だから、今回のようなすぐには解決の出来ない意見の違いも
多くあるのだと思います。
 そしてなにより、たまに言う親の無理や不愉快さから子供が主人を
嫌いにならないかと心配だったのです。
(いつもの楽しいことよりもたまにある嫌なことの方を
よく覚えていたりするので)

 主人の言っている事、している事は前回にも書いた通りですが、
それはいつもいつもではないんです。
彼は自分の思い通り(例えば、早く寝て欲しいのに寝てくれない。
子供が泣くので食事の準備が進まない、ゆっくり食事が出来ないなど)に
ならなかったりすると、自分より子供を相手にする私にムッとし、
その時に、色々なことを言うのです。
本気で言っているのかどうかは私には判りません。
(主人はしばしば思ってもないことを言ったと反省してますが、
私は心の中にない言葉は、口から出てくる事は口をついて出てこないだろう
と思っているからです。)そうは言っていても、私がどうしても
手が離せない時など抱く事ができない時は頼まなくても
主人が飛んでいって相手をしてくれています。
 そして、私が子供の相手をする事にその時は怒っていますが、
無理に止めさせたり、次の日に同じ事で怒ると言ったことはあまりないのです。
その都度冷静になった時に、反省をしているのかもしれません。

 前回、この事を書かなかったのは、主人の言っている事の中にもしかしたら
正しいことがあるのではないか?また、主人に「それは違うよ。」と
説明するときに、私の考えを押し付けて(主人には「押し付け」に感じる
だろうと言う意味です。)いいのかと疑問に思ったからで、
気になる事だけを書かせてもらいました。

 子供と一緒に遊び、嬉しそうに笑っている父子を見ると、
たまに無茶を言い、子供のような主人は、少しずつですが「父親」に
なっているのだと私はしみじみと思い、幸せを感じています。

 私の考え、主人の考えをお互いの父母からでなく、
第3者からの意見を聞いてみたいと常々考えている中、
時間がある時にインターネットで育児サイトを覗き、
皆さんがどういう考えで、子供とどう接しているかを見ていました。
 それと同時に専門家の方はどういう事をおっしゃっているのか、
知りたくもあり、たまたま覗いたメールマガジン発行サイトで
先生の事を知り、是非ご意見を頂きたいと思った次第です。
 そして、色々なご指摘やご助言を頂きまして、ありがとうございます。
心の中の疑問や迷いでモヤモヤしていた部分がスッと晴れたような気分です。
これからも、よろしくお願い致します。

追伸:また長々と書いてしまいました。
   (文章が下手なので恥ずかしいですが・・・)
   こんな私の考えでよければ掲載して下さい。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:娘夫婦には3歳になる女の子がいますが、借金や主人の浮気問題を抱えているため、家
庭が不和で、孫娘が保育所や家で危険メッセージを発するようになりました。極端に食事
を嫌がったり、保育所の先生を独占して団体行動がとれなくなったり、迎えにきた母親の
事や、帰宅を拒否します。保育所は大好きです。私は職業上(心理カウンセラー)娘にア
ドバイスを様々な形でしてはいますが、根本的に大きな問題があります。それは、孫娘が
ダウン症で、言語発育が不全なのです。情緒面や理解力や知的レベルは健常児に近く(簡
単な会話は手話で出来るので)苦労は少ないのですが、ストレスがたまると暴れだす時も
あります。こういう場合にカウンセリング的関わりがどの程度有効なのか全く見当がつき
ません。解決のためのアドバイスを頂きたいのですが。(徳島県Sより)

A:どうにかなる問題と、どうにもならない問題にはっきりと、二つに分けてみましょう。
娘さん夫婦の問題は、そのどちらですか。借金や浮気を乗り越えて、「夫婦」が成り立つ状
態でしょうか。それとももう危機的な状況でしょうか。しかしこの問題は、娘さんが結論
を出し、親はそれを信頼し支持するしかないでしようね。今は、そういう形の離婚も多い
し、離婚そのものが、問題という時代ではありません。この問題は、娘さんの結論を、し
んぼう強く待つしかないでしょうね。親としては苦しいでしょうが、ここは待つしかない
でしょうね。あれこれ指示を出すのは、この種の問題ではタブーかもしれません。
 
お孫さんの情緒の乱れは、家庭環境(騒動?)が原因だとするなら、そういう騒動から切
り離すことは一つの選択肢でしょうね。しかし多かれ少なかれ、皆さん、同じような問題
をかかえていますので、「うちだけが……」とは、思わないでくださいね。
 
ダウン症のお孫さんについては、まったく問題はないわけですから、問題としないことで
す。もうすでに受け入れておられるご様子ですので、気にしないで、前向きに考えられれ
ばいいのではないでしょうか。その話とは別に、ストレスがたまると暴れるのは、かんし
ゃく発作をまず疑ってみます。私のHPのどこかにかんしゃく発作について書いたところ
があります。またよろしかったら、ご覧になってください。(ほかに特に呼んでいただきた
いのが、トップページから、「心のオアシス」です。)
 
私もにっちもさっちもいかない問題をかかえたとき、一人の友人が、こう助けてくれまし
た。「何でもありのままを隠さず話す友人をつくれ。ぼくがその友人になってあげる」と。
私はその友人にすべてを話すことで、かなり助かりました。そしてそれまで問題だと思っ
ていたことが、実は何でもないささいなことだと知らされました。
 
娘さんとの信頼関係は、じゅうぶんありますか? もしあるなら、今、Sさんがかかえてお
られる問題は何でもない問題ですよ。しかし娘さんとの間に、亀裂や断絶があると、結局
は苦しむのは、Sさんご自身かもしれませんね。娘さんは、やさしい言葉を、かけてくれま
すか。私はそう望んでいます。そういう人間関係があれば、どんな苦労も乗り越えられま
すよね。
 
お孫さんの話に戻りますが、帰宅拒否、嫌悪症、摂食障害など、いろいろな神経症を表
しているので、全体として、愛情不足を疑って、濃厚な愛情、安心できる人間関係を用
意するしかないでしょう。その役をSさん自身がすることができませんか。6歳になる
まで(中間反抗期を終え、少女期へ入るまで)のことですから、それほど長くなくても
いいのです。あと2〜3年ですから。6歳を過ぎると精神的にも落ち着いてきますので、
それからはどうこうなるということは、心配しなくてもいいでしょう。私も父が酒乱で、
祖父が父親がわりをしてくれました。(まがりなりにも、まあまあの人間になれました?
が……) 
 
今、娘さんは、Sさんの理解と心の支えを、一番求めているでしょうね。「おまえが結論を
出せ。どんな結論であるにせよ、私たちは最後までおまえを信じ、おまえを支える」と
言ってあげたらどうでしょうか。「こうしろ、ああしろ」とは言わないように。またどん
な結論でも、それについて批判したりしないように。こういうとき親がすべきことは、「許
して忘れる」ですね。私はそうしてきました。あとはあきらめ、前向きに進みましょう。
「谷があるから山がある」とか、「どんな雲にも、銀色の縁取りがある」とか、おなぐさ
めする言葉はたくさんありますが、しかしこれらの言葉は、娘さんのご家庭の問題に対
してではなく、Sさんご自身への言葉だと思ってください。晴れない心。ふさいだ心。ゆ
ううつな心。何をしても泣きたくなるような心。夜も眠られない。朝起きたとき、一瞬
静かな静寂を感じ、「ああ、こんな心もあったのか」と驚く……。私もそうでした。多分、
Sさんもそうではないでしょうか。あるいは私のようにうつ病でなければ幸いです。(私
はうつ病になってしまいましたよ。)もし心労が続くようでしたら、どうかSさんご自身
の健康を大切になさ
ってください。しかしね、私も自分で、そういう経験をして、はじめて他人の苦しみを理
解できるようになりました。今、Sさんのお気持ちがよく理解できるのは、そのためです。
心理カウンセラーだということですので、こう考えてはどうでようか。「今、私は娘に教
えられている」と。私は息子たちが問題をもちこむたびに、そう思って試練を乗り越え
ました。(私の場合は、ものを書くことで、自分の悲しみを燃焼させることができました。)
 
Sさんも、この問題を乗り越えられたとき、私など足元にもおよばないほど、すばらしいカ
ウンセラーになっておられることと思います。いっしょに、乗り越えましょう。すでにS
さんがお気づきのように、今、娘さん夫婦がかかえておられる問題など、なんでもない
のです。何が問題だというのですか。離婚するのもよし。お孫さんを預かるのもよし。
世の中ではいくらでもある話ですしね。結婚に「形」などないし、「人生」に形などない
のです。
 
一つ心配なのは、娘さんとSさんとの関係です。良好であれば、問題はないのですが……。
第一に修復すべきは、娘さんとの人間関係でしょうね。決して娘さんを責めたり、追い
詰めたりしないように。しても無駄ですが、こういうケースでは、そういうことをする
と、関係を決定的に破壊しますし、破壊されると、その後、Sさんの苦労が、数万倍にな
ってしまいます。心労がSさんを押しつぶしてしまいます。しかし娘さんが、Sさんを
信頼し、Sさんが娘さんを信頼していれば、苦労が苦労でなくなってしまうはずです。「楽
しく、この困難なときを乗り越えようね」とです。私が一番気がかりなのはこの点です。
できの悪い子どもほどかわいいと、昔から言いますが、そんなできの悪い子どもでも、「お
父さん!」と言って胸に飛び込んできてくれれば、親の苦労など吹き飛んでしまうとい
うことです。そのためにも、もし私にアドバイスできることがあるとすれば、問題はこ
の一点です。「どうかお嬢さんを大切に。お嬢さんの心を大切に。お嬢さんを信じ、支え
てあげてください」です。ほかの問題は、すべて何でもない、よくある問題です。あと
は自然に解決する問題ばかりです。深刻に考えないように。すてきなお孫さんの笑顔が
想像できます。その笑顔を大切に。
 
とても私のような弱輩がアドバイスできるような方ではないように、お見受けしました。
失礼が多々あると思いますが、どうかお許しください。私でよければ、また何でも話し
てください。あなたの友になります。喜んで……。
 
では。ツクツクボーシが目の前の栗の木の中でなき始めました。今日は浜北市で講演をし
てきて、ほどよい疲れが気持ちいいです。では……。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:人前で叱るなと、はやしは言うが……

A:子どもを叱るときは、人のいないところで……は、大原則です。それは子どもの自尊
心を守るためです。しかしその自尊心をキズつける心配のないときは、人前でも構わない
ことは言うまでもありません。たとえば散らかしなどは、皆の前で叱っても、子どもの自
尊心をキズつけるということはありません。

 子どもの自尊心をキズつけるときというのは、たとえば、子ども自身が、誇りに思って
いることや、あるいは子どもの人格そのものを攻撃するようなときです。これを私は「格
攻撃」と言っています。たとえば「あなたはやっぱりダメな子ね」式の叱り方がそれに当
たります。こういう格攻撃はしてはいけません。これは子どもを指導するときの、大原則
です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 学校の先生から呼び出しを受け、うちの子(小4女子)が、ほかのお子さんをいじめ
ているとのこと。あわててしまいました。

A: こういうケースでは、こちら側の正当性を主張しても意味はありません。いじめる側
(加害者側)といじめを訴える側(被害者側)の意識の差はたいへん大きく、あくまでも
相手のお子さんの立場になって考えてあげることこそ、重要です。おとなの世界ならとも
かくも、子どもの世界では、「親は、負けるが勝ち」です。先生の話をしっかりと聞き、相
手のお子さんの立場で考え、低姿勢で対処します。そして自分の子どもに向かっては、頭
から叱ったりせず、言い分にはじゅうぶん耳を傾けながらも、親として言うべきことは繰
り返し言います。「いじめ」と言っても、いじめる側にはその意識がないのが、ほとんでで
す。おもしろ半分に言ったり、したことが、相手をキズつけているケースがほとんどと言
ってよいでしょう。あなたにとって重要なことは、子どもたちが、「学校」という世界で、
互いに仲良く楽しく過ごせるような環境を用意してあげることです。そのため、親の主張
はひかえます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 子どもをたくましい子どもにしたいが、どうすればいいですか。

A: フロイトは自我論の中で、「たくましさ」について、説明しています。それを子ども
にあてはめて考えてみると、こうなります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
               自我が強い子ども      自我が弱い子ども
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  
行動能力       ものごとに攻撃的        ものごとに防衛的
             「やる」「したい」と言う      「いや」「つまらない」
と言う
現実感覚       現実感が強い          空想の世界に逃げることが多

             頼れるのは自分と考える    神秘的なものにあこがれる
趣味の方向性    将来に向かって展望をもつ  その場だけのせつな的な喜びを求め

             創造的              逃避的
衝動的行為      自己制御ができる       がまんができない
             自制心が強い          自制心が弱い
             善悪にしたがって行動する  善悪の判断が甘く、悪に流さ
れやすい
 原稿の一部は、中日新聞のコラムに書いておきましたので、参考にしてください。
                    


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

一つの離婚

 最近、知人夫婦が、離婚した。前から家の中はメチャメチャだと聞いていたが、(そう言
っていたのは、ワイフだが)、現実にそうなると、「どうして?」と思ってしまう。夫は、
開業医。妻は、東京の有名私大を出た、才女。実家の父親も、神奈川県で開業医をしてい
るという。私たち夫婦からすれば、雲の上の人たちということになる。

 離婚した理由はわからないが、ワイフはこう言った。「奥さんは、熱心なK教団の信者よ」
と。私は瞬間、壮絶な家庭内宗教戦争を想像した。が、宗教戦争が離婚をもたらしたと考
えるのは正しくない。こういうケースでは、何かほかに原因があって、妻が、信仰の世界
に身を寄せたと考えるほうが正しい。人は不幸になると、それがどんなタイプの不幸であ
れ、心に透き間ができる。その透き間を埋めるために、人は信仰に走る。……のめりこむ。
こう決めてかかるのは、信仰をしている人たちには失礼な言い方になるかもしれないが、
心の透き間というのは、そういうもの。私は「心のエアーポケット」と呼んでいる。この
エアーポケットは、だれにでもある。しかしふだんは、その人の理性や知性で、窓を閉じ
ているが、ふとしたきっかけで開くことがある。

 いや、信仰が悪いと言うのではない。それぞれの道を極めるために、信仰の世界に入る
人も多い。しかし個人信仰と、組織信仰とは区別しなければならない。本来、信仰という
のは、どこまでも心の問題。心の問題だから、その人個人の問題ということになる。が、
時として、その信仰が、組織に組み込まれ、その組織に利用されることがある。そしてい
つの間にか、反社会的な行動をしながら、その反社会性にすら、気づかなくなるときがあ
る。そのため日本以外の先進国では、宗教団体による政治活動はもちろんのこと、営利活
動すら法律によって禁止しているところが多い。

 その組織信仰かどうかは、簡単な方法で見分けられる。その組織や組織の指導者を批判
してみればよい。組織信仰をしている人は、組織あっての信者と徹底的に洗脳されれてい
るから、それに猛烈に反発する。そうでない信者は、組織そのものをもっていない。たと
えば私の実家は、真言宗大谷派だが、私の母も、家族も、現在の「長」がだれであるです
ら知らない。法事のときは、所属する寺の僧侶の悪口を言いあって楽しんでいる。

 さて先の知人に話をもどす。その知人の家庭には、何か大きな問題が起きたらしい。そ
こでその妻は、必死になって、つまり彼女なりのやり方で、家族をたてなおそうとした。
K教団に救いを求めたとしたら、それはあくまでも、その結果でしかない。が、夫婦で違
う宗教を信ずるのは、決定的にまずい。とくにK教団にように、ほかのあらゆる思想を否
定するような急進的な教団は、まずい。妻がその信仰にのめり込めばのめり込むほど、夫
の思想だけではなく、人格をも否定するようになる。そうなると、もう行きつく先は見え
ている。

 私はよく考える。宗教は心を救うか、と。いや、もちろん私にも信仰心は、ある。最初
にそれを自覚したのは、昔、学生時代、満天の星空を見たときだ。私はその美しさに圧倒
されて、ただただ涙をこぼした。それ以前にも、何かにつけて、自分の信ずる神や仏に祈
ったことはある。しかしそうした自分なりの祈り方が、決定的に変わったのは、「サダコ」
(原爆の少女「偵子」、広島の平和記念公園の銅像になったモデル)という本を読んだとき
のことだ。英訳本だったが、私は一ページ読むごとに目が涙であふれ、ときにはもうそれ
以上、読むことができなくなってしまった。「こんなにも熱心に、神に祈った人がいる」「こ
んなにも強く、神の力を必要とした人がいる」と。そう思ったとたん、もう自分のために、
祈ることができなくなってしまった。

 いや、今でもときどき、ふと油断をすると、自分のために何かを祈ろうとするときがあ
る。しかし別の心が、それを止める。「お前より、もっと神や仏の力を必要としている人が
いる。お前はそれ以上、何を望むのか」と。あるいは「神や仏に、スーパーパワーがある
とするならば、そのパワーは、私のためではなく、もっとその力を必要とする人のために
使ってほしい」と。

 私は凡人だから、他人のために祈るというようなことまでは、まだできない。しかし少
なくとも、その「サダコ」を読んでからというもの、自分のために祈ることはやめた。仮
に明日、死を宣告されても、私は祈らない。私は今まで、じゅうぶん健康だったし、すば
らしい家族に恵まれたし、人生も半世紀を生きることができた。貧乏は貧乏のままだった
が、しかし経済的に苦労したことはない。山荘をもつという夢も実現した。私はそれ以上、
人として、何を望むのか。

 知人夫婦は、ともかくも離婚した。男の子(高三)と女の子(中三)の二人の子どもが
いたが、男の子は父親が引き取り、女の子は母親が引き取った。聞くところによると、妻
は神奈川県の実家に帰り、ますます熱心なK教団の信者となり、毎日、毎晩、不況活動に
専念しているという。夫のほうには、もう再婚話がもちあがっているという。相手は、そ
の医院に勤めていた看護婦だという。ワイフから話を聞くたびに、私は、「なるほど……」
と、へんに納得させられている。
(02−8−14)※


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:小学2年生、7歳の子供に国語や感想文の宿題を教えていますが、その子は集中力がなく
2分と前を向いて座っていられません。とにかくよそ見が多くて家庭教師の方も教えるのを
断念して断るらしいのですが、集中力をつけさせるいい方法はありませんか?いろいろな
方に聞きましたがこれほど集中力のない子はいなかったらしく参考になりませんでした。
その子にどうにかして覚えたり学んだりする楽しみをわかってほしいのでいい方法があり
ましたらお教え下さい。

A:いくつかの方法があります。

(1)図書館の児童読書コーナーへつれていき、まず好きなことをさせます。1〜2時間
も好きにさせていると、自分で好きな本をもってきます。つまりそれで子どもの方向性を
知ります。

(2)その方向性について、親や教師の望まないものであっても、何も言ってはいけませ
ん。「こんな本はだめ」とか「こちらの本にしなさい」とかは言わないことです。

(3)このタイプのお子さんを預かるコツは、要するにがまんくらべと思うことです。短
気を起こしたら負け。

(4)方向性(たとえば機関車とかサッカーとか)がわかったら、「国語」とか「勉強」と
かを意識しないで、その方向性にあった本なり読書を通して、「文字」のおもしろさを教え
ます。(子どもによっては、ゲームの攻略本なら読むという子どももいます。)親にそのあ
たりを理解してもらいます。まともな本(?)を読むのは3〜6ヶ月先ですと告げます。
あせらないこと。(最初から児童文学書的な本を読ませようと思うと、失敗します。)

(5)図書館でだめなら、(図書館でも落ち着かないようであれば……)本屋へ連れていき、
「好きな本を一冊なら買ってあげるよ。どんな本でもよいから選んでごらん」と話します。
同じように子どもがどんな本をもってきても、「おもしろそうだね」と言って、それをほめ
てあげます。

(6)方向性がわかれば、それに準じた本を与えるようにします。要するに教える側が、
子どもの世界に入るということです。

私の場合、もう15年ほど前ですが、毎週日曜日に、「読書クラブ」をつくり、毎週7〜8
人の子どもを連れて図書館通いをしました。しかしこの方法は、親には理解されず、「遊ぶ
に行く」と思われ、評判はよくありませんでした。(実際、皆遊んでいましたが……。私も
自分の好きな本を読んでいました。)で、そのうち、一人二人と減り、結局1年半くらいで
やめてしました。しかし本好きにするには、これがベストの方法です。アメリカでも図書
館のおける読書指導にたいへん力を入れています。

さて集中力の問題ですが、疑ってみるべきは、「多動性児」の問題ですね。サイトのhttp://
www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/の「スクラップ」と、「中日新聞コラム」
(http://www.chunichi-tokai.
co.jp/education/child_world/で読んでいただけます。

もし多動性児であれば、指導は、

(1)まずカルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけ、精神面での沈静化を
ねらいます。カルシウムを、リン酸化する、リン酸食品をひかえます。

(2)勉強時間を、きわめて短時間に集中させます。2分もたないなら、2分だけと決め
てかかります。そして間に、遊びをいれ、気が向いたらまた2分だけ学習をねらいます。
その間は毅然とした態度で臨み、それを繰り返します。

(3)本来なら、勉強はあきらめ、その分のエネルギーを運動面やほかの面に向けさせて、
エネルギーを消耗させたほうが、結局は子どもにとってもよい結果が出るようです。英語
にも、「打ち寄せる波は止めることはできない」ということわざがあります。無理をすれば、
免疫性や抵抗力をつけ、さらには勉強嫌いにしてしまいますから、注意してください。7
歳の子ども(生徒さん?)ということですので、もうそろそろ落ち着いてくると思います。
この1〜2年が勝負です。

集中力と知能は表裏一体の関係にあります。知的能力の高い子どもは、人を寄せ付けない
集中力を見せます。言い換えると、知的能力を高める方法がないのと同じように、集中力
をつける方法はなく、結局は子どもの方向性を見極めながら、その方向性にそった指導を
するしかないようです。そしてそこから徐々に、好奇心を利用して、集中力を引き出して
いく……。M君という男の子がいました。小学3年生でした。ゲームの攻略本なら読むの
で、「ソルダックの防御力を2倍にするには、どうすればいいか」「金バージョンと銀バー
ジョンはどう違うか」という作文を書かせたら、喜んで書いていました。

あまり参考にならないかもしれませんが、私の経験がお役にたてればうれしいです。では、
失礼します。



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て、Q and A・特集】(3)

初めてメールさせて頂きます。
友人から先生のHPを教えてもらいました。

長男のことでご相談します。

今年入学した6歳になる長男です。下に2歳の弟がいます。3月生まれなので6歳に
なったばかりです。

赤ちゃんの頃からどちらかといえば神経質で、人見知りもあり、入園のときも母親か
離れられない子供でした。
それでもこの子なりのペースで成長してきたと思っていたのですが、入学して2週
間、懸念していたことが現実となり、少々悩んでおります。

几帳面でまじめすぎるところがあり、例えば忘れ物をしたり、人と違ったりすること
に過敏で、誰が責めるでもないのに泣けてきてしまいます。このところ、絵を描く機
会も多いのですが、「何でも自分の好きなものを描きなさい」と云われるとパニック
になるのか涙が出て手が進みません。

今日も学校でたまたま給食エプロンを間違えて使ってしまったらしく、それを先生は
責めたわけではないのに泣いてしまう、それを見ていた周りの子供たちが集まってき
たことでまた泣けてしまう・・・といった具合です。先生に質問したことを、先生が
聞き取れなくて聞き返すと、それだけでまた涙が出てきてしまうということもあった
ようです。

今に始まった事ではなく、保育園時代もその傾向はあり、結局は本人が乗り越えてい
くしかないと思っていたのですが、やはり何度か重なると、親としてどういう風に向
き合えばいいのか分からなくなり、ご相談した次第です。

強く言い聞かせた方がいいのか、本人が恥ずかしくなりこらえることが出来るように
なるまで、泣きたいだけ泣かせたほうがいいのか・・・。

何かアドバイス頂けるとありがたいです。(福岡県・TYより)


**************************************
メール、ありがとうございました。

私からの質問です。ご都合のよいときに
教えてくだされば、もっと的確にアドバイスできます。

(1)パニックになる症状は何歳から始まりましたか。
年中児になるころあたりから始まったはずですが、
思い当たることはありませんか?

(2)赤ちゃんのときから、親に
甘えるということを自然な形でしていましたか?
それともそうではありませんでしたか?

(3)下の子どもが生まれたあと、赤ちゃんがえりは
ありませんでしたか。下の子いじめはしませんでしたか。

今の症状は、いわゆる緊張性の情緒不安です。
(心はいつも緊張状態にあり、その緊張状態に
不安が入り込むと、一挙に情緒が不安定になります。
言い換えると、情緒不安というのは、心の緊張状態
がとれないことを言います。)

相手に心を許さない分だけ、緊張感がとれないのです。
原因の多くは、乳幼児期の神経質な子育てに求められます。
子どもが安心して甘えることができなかったとか。
スキンシップが不足していたかもしれません。

(4)赤ちゃんのとき、親に甘えましたか。
それを許しましたか。

(5)不安先行型の子育てをしていませんでしたか。
あるいは心配過剰?

(6)スキンシップは濃厚でしたか。あるいは早くから
親の手を離れて、保育園へ入れるようなことは
ありませんでしたか?

対人恐怖症と考えられますが、分離不安の可能性もあります。
その中でも、攻撃型(プラス型)と内閉型(マイナス型)
があります。パニックになるのは、マイナス型と考えて
よいでしょう。(プラス型はギャーと叫んで親のあとを
追いかけたりします。)症状は正反対ですが、
一番考えられるのは、下の子どもが生まれて、
赤ちゃんがえりを起こしたことです。

(6−2)分離不安の症状もあったようですが、何か思い当たる
事件はありませんか。無理に引き離したとか、迷子に
なったとか、あるいは親戚に預けられたとか、など。

(7)お子さんのリズムで生活していますか。それとも
手をぐいぐいと引きながら子育てをしてきたような
感じですか。

(8)お子さんを日常的に「あなたはおにいちゃんでしょ」式に
突き放していませんか。望まれて生まれてきたお子さんですか?
愛情をたっぷりと注いできましたか。


以上、TYさんからの返事をいただいた上で、
またお答えします。対処法などはそのとき返事
いたします。ご質問、ありがとうございました。
情緒が不安定になっているイコール、心の緊張感
がとれないでいるので、無理をしてはいけませんよ。
こじれると、結構やっかいなことになります。

今回はこれで失礼します。

**************************************
>
早速の返信、ありがとうございます。
記憶に不確かなところも多々ありますが、できるだけ思い出して書き出してみます。

いつも返信いただき、ありがとうございます。
今回の先生のお話に、少しほっとしつつも、改めて子育ての難しさを痛感しておりま
す。

先生のご質問に対し、改めて返答させて頂きます。

(1)パニックになる症状は何歳から始まりましたか。
> 年中児になるころあたりから始まったはずですが、
> 思い当たることはありませんか?
年長の半ばくらいからだったと思います。何かをきっかけにしてというような思い当
たることはないのですが。

> (2)赤ちゃんのときから、親に
> 甘えるということを自然な形でしていましたか?
> それともそうではありませんでしたか?
特に違和感は感じなかったと思います。甘えん坊の子でしたが、特にそれを厳しく突
き放すようなことはしなかったと思います。

> (3)下の子どもが生まれたあと、赤ちゃんがえりは
> ありませんでしたか。下の子いじめはしませんでしたか。
赤ちゃんがえりを心配しましたが、特にありませんでした。ただ、生まれたときに4
歳だったので、我慢して感情を表に出せなくなることが心配だったので、私としては
生まれてしばらくは何かにつけ、上の子を優先しました。

> 今の症状は、いわゆる緊張性の情緒不安です。
> (心はいつも緊張状態にあり、その緊張状態に
> 不安が入り込むと、一挙に情緒が不安定になります。
> 言い換えると、情緒不安というのは、心の緊張状態
> がとれないことを言います。)
>
> 相手に心を許さない分だけ、緊張感がとれないのです。
> 原因の多くは、乳幼児期の神経質な子育てに求められます。
> 子どもが安心して甘えることができなかったとか。
> スキンシップが不足していたかもしれません。
>
> (4)赤ちゃんのとき、親に甘えましたか。
> それを許しましたか。
甘えてきたと思いますし、拒絶もしなかったつもりです。

> (5)不安先行型の子育てをしていませんでしたか。
> あるいは心配過剰?
どちらかといえば不安先行型かもしれません。引っ込み思案の子だったので、特に集
団生活や協調面に関して、心配の種はつきませんでした。

> (6)スキンシップは濃厚でしたか。あるいは早くから
> 親の手を離れて、保育園へ入れるようなことは
> ありませんでしたか?
当時フルタイムで働いていたので、1歳から保育園に行っていました。ただ、その
分、スキンシップに関しては常に意識して、子供とは接してきたつもりなのですが。
> 対人恐怖症と考えられますが、分離不安の可能性もあります。
> その中でも、攻撃型(プラス型)と内閉型(マイナス型)
> があります。パニックになるのは、マイナス型と考えて
> よいでしょう。(プラス型はギャーと叫んで親のあとを
> 追いかけたりします。)症状は正反対ですが、
> 一番考えられるのは、下の子どもが生まれて、
> 赤ちゃんがえりを起こしたことです。
>
> (6−2)分離不安の症状もあったようですが、何か思い当たる
> 事件はありませんか。無理に引き離したとか、迷子に
> なったとか、あるいは親戚に預けられたとか、など。
事件として、特に思い当たることはないように思います。

> (7)お子さんのリズムで生活していますか。それとも
> 手をぐいぐいと引きながら子育てをしてきたような
> 感じですか。
ぐいぐい引っ張りたくなる気持ちになることも事実ですが、出来るだけセーブしてき
たつもりです。2歳までは延長のある保育園に 通っていましたが、3歳の時(年少
に上がる時)、学区の保育園に行った方がその後の小学校への入学にもストレスが少
ないかと思い、それまでの仕事を辞め、延長のない学区の保育園を選び、夕方からの
子供との時間を濃密にしてきました。

> (8)お子さんを日常的に「あなたはおにいちゃんでしょ」式に
> 突き放していませんか。望まれて生まれてきたお子さんですか?
> 愛情をたっぷりと注いできましたか。
「あなたはおにいちゃんでしょ」ということは、少なくとも父親、母親は言いませ
ん。お兄ちゃんというのはほめる時に使うぐらいです。私たちなりに愛情を注いでき
たつもりです。皆から祝福されて生まれ、かけがえない子だという気持ちに嘘はあり
ません。

今は私自身どう対処していいかわからないので、このことに関して子供に何も云って
いません。
もしまだ分かりにくいことがありましたら、またご連絡しますのでどうぞよろしくお
願いします。

私たちは取り返しのつかない育児をしてしまったのでしょうか?いつも子供たちのこ
とは1番に考えてきたつもりなのですが。

**************************************

ご返事、ありがとうございました。
いただいたメールから判断すると、
情緒が不安定というより、未熟性が原因ではないかと
思っています。感受性が強く、その感じたことをうまく
コントロールできないという状態です。もしそうなら、
やがて集団生活になれ、何かのことで自信をもてば
症状としては、自然に消えていく種類のものです。

外の世界(学校や友人関係)では、かなり神経を
使っていますので、家庭では、思いっきり手綱を
ゆるめるようにします。多少乱暴なことを言ったり、
生活習慣がだらしなくなりますが、大目に見てあげ
てください。あとは濃厚なスキンシップと、とりあえず
はCa,Mgの多い食生活にこころがけます。これら
はいわば精神安定剤として作用します。

対人恐怖症はどこかであったと思われます。親が
気づかないところで、です。「絵を描いてごらん」と
言われて涙ぐむということですが、そのあたりに
キーワードがあったように思います。多分幼稚園か
どこかで、一度いやな思いをしたのかもしれません。

問題は、こうした緊張感が、部分的なものなのか、
それとも、今、お子さんの生活全体に及んでいるも
のなのかという点です。※ふだんは何ともないが、
ふとしたことで、ときどきそうなるというのであれば
問題はないでしょう。しかしいつもどこか気を抜かない、
気を許さない、ピリピリしているというのであれば、
それが転じて、ほかの症状に結びつく(神経症、
恐怖症、不登校など)心配があります。そのあたり
はいかがですか。

もし部分的であるなら、先にあげた対処法で
じゅうぶんですが、いつも緊張状態にあるという
のであれば、「今の症状をより悪くしないこと」だけ
を考えて、さらに手綱を緩めます。どこかで自分を
発散できればいいのですが、そういう場所はあり
ますか。※

年齢的にみて、つまり発症(?)した時期からみて、
赤ちゃんがえりの変形とみてよいと思います。
原稿をはりつけておきます。本能的な嫉妬心が
いろいろ姿を変えて子どもの情緒に影響を与えた
ということです。「やさしすぎる」ということですが、
どこか気になります。無理をしているのではないか、と
です。あるいは仮面をかぶっていることも考えられます
が……?※いかがですか?

上記※部について、またくわしくわかれば教えてください。

では、また。

はやし浩司

*************************************
いつも返信いただき、ありがとうございます。
今回の先生のお話に、少しほっとしつつも、改めて子育ての難しさを痛感しておりま
す。

先生のご質問に対し、改めて返答させて頂きます。

**************************************

> 問題は、こうした緊張感が、部分的なものなのか、
> それとも、今、お子さんの生活全体に及んでいるも
> のなのかという点です。※ふだんは何ともないが、
> ふとしたことで、ときどきそうなるというのであれば
> 問題はないでしょう。しかしいつもどこか気を抜かない、
> 気を許さない、ピリピリしているというのであれば、
> それが転じて、ほかの症状に結びつく(神経症、
> 恐怖症、不登校など)心配があります。そのあたり
> はいかがですか。

息子は、この年代の男の子としてはおとなしい方だとは思いますが、普段、私が接し
ている時の様子は明るく、時にはおしりを出したりして笑わせる、元気な子だと思い
ます。家でもちょっと強く叱ると、涙ぐんだりはしますが、以外に立ち直りも早く、
ピリピリすることもないように思います。
手綱を緩めるというのは、少々のことは大目に見ていくということなのでしょうか?
長男は小さい頃から食が細く、同じ年頃の子に比べると、半分か、へたをするとそれ
以下かもしれません。故に食事を食べなかったりすると、どうしても私の口調がきつ
くなり、涙ぐみながら食べることも間々あります。後からいつも反省するのですが・
・・。体重も90パーセンタイルの下ぎりぎりなので、なんとか食べさせたい気持ち
と、この子の食は細いことを認めなければという気持ちがいつも私の中で入れ代わり
立ち代わり揺れています。こういうこともきっと影響しているような気がします。

> 年齢的にみて、つまり発症(?)した時期からみて、
> 赤ちゃんがえりの変形とみてよいと思います。
> 原稿をはりつけておきます。本能的な嫉妬心が
> いろいろ姿を変えて子どもの情緒に影響を与えた
> ということです。「やさしすぎる」ということですが、
> どこか気になります。無理をしているのではないか、と
> です。あるいは仮面をかぶっていることも考えられます
> が……?※いかがですか?

次男が生まれる時、長男は丁度4歳になる頃だったので、感情が表に出せなくなるこ
とだけは避けてやりたいと思い、赤ちゃんがえりしても受け止めるつもりでいたので
すが、以外に表立ったやきもちもなく、彼なりに赤ちゃんの存在を受け入れてくれた
ように見えました。今でも自分が遊んでいるものを弟が欲しがると、割とすぐに譲っ
てやり、突き飛ばしたり、たたいたりということも全くしません。それはそれでなん
となく心配で、無理をしているのではないかと思うこともあるのですが、それっぽい
様子もあまり感じ取ることは出来なく、かわいがってくれています。もっと奥深いと
ころに感情が押し込められているのでしょうか?
私のスタンスは、次男が怒って泣き出さない限り、長男が甘えてひざに乗ってきた
り、抱っこしてと云ってきた時は、受け入れるようにしています。これはこのままで
いいのでしょうか?

学校で泣いてしまったことを担任の先生から聞いた後日、先生の連絡帳に、号令を頼
んだらとても元気な声でできたこと、図工の粘土工作ではとても上手に動物園を造っ
ていたことが書いてありました。
友達作りは決して上手ではありませんが、気の合う子はそれなりにいるようです。保
育園の卒園文集では、仲良しのお友達の名前を書くところがあったのですが、ほとん
どの男の子が息子の名前を書いてくれていました。

思い返すと、男の子なんだからこれくらいは、とか、せめてこうなって欲しい、と
いった親の思いを押し付けるようなことをしてきたような気がします。

何かアドバイスがありましたらよろしくお願いします。

***************************************


こういうケースでは、最悪なものから順に消去法的に消して
いくという方法で、子どもの問題を考えます。で、結論になる
と思いますが、大きな情緒的障害、精神的な問題は考えなく
てもよいのではないかということです。考えられるのは情緒的
未熟性(何らかの原因でよくあることです)ですが、これはこ
の時期の子どもの、20%(推計)に多かれ少なかれみられ
る症状で、これから先、年齢が大きくなれば、急速に改善
するものと思われます。要するにこじらせないことだけを
考えれば、よいでしょう。今のところ、深刻な神経症なども
ないようですから、それほど心配はなさらなくrてもよいの
ではないでしょうか。

手綱をゆるめるというのは、家庭をしつけの場からいやしの
場にできるだけ早く転換するということです。学校ではかな
り神経をつかっているようなので、生活習慣が多少だらし
なくなっても、「うちの子は外でがんばっているから、しかた
ないわ」と思うようにするということです。家ではもうガミガミ
言わないことです。

子どもの小食については、何らかの形で約30%の母親が
悩んでいます。食が細い、遅い、好き嫌いがはげしい、など。
まずしてみることは、冷蔵庫をカラにして、間食できるような
ものを一掃すること。甘味料の多い食生活を一掃して、CA
MGの多い食生活に切りかえること、です。私は「冷蔵庫を
カラにせよ」という指導をしています。小食児の家庭には、
それなりに、つまり無意識のうちにも、間食できるものが
ゴロゴロしているからです。もちろん甘いジュース類は周囲
から消します。アイス、クリーム、ケーキなども厳禁!

ご指摘のように、私も「どこか無理をしているな」とは感じて
います。「弟なんか嫌いだ」とすなおに言えるほうが自然で
はないかと思います。どこかで親の期待にこたえながら
「いい子」を演出しているような感じがします。ですからお尻
を見せたりしてふざけているようなら、そういう面をすなおに
外に出せるように、つまり子どもの側からみて、心を開ける
ような場を大切になさってください。このタイプの子どもは、
「これだけは人に負けない」というような一芸をもたせるこ
とをお勧めします。一芸論はあちこちに書いておきました
ので、またサイトをご覧になってください。メールの中で
気になったのは、「今でも自分が遊んでいるものを弟が
欲しがると、割とすぐに譲っ てやり、……」という部分です
が、長男としては、たいへん珍しいことです。つまりどこか
不自然に感じました。

スキンシップの与え方は、この際、今のままでよいと思い
ます。小学3〜4年までつづきますが、TYさんのケース
では、小学4〜5年までつづくかもしれません。ベタベタの
スキンシップではなく、質の高いスキンシップをこころがけ
てください。子どもの側からみて安心感の得られるような
スキンシップをです。(スキンシップが多いから依存性が
強くなると言うのは、ウソです。まったく別物です。)依存性
は親側の姿勢の問題です。

「男の子だから」「お兄ちゃんだから」というのは、もうや
めましょう。ひょっとしたら、TYさん自身が、「男の子」を
知らないか、「父親の形」を知らないのかもしれません。
それで勝手に「男像」をつくりあげ、その形に子どもを
当てはめようとしている感じがします。お父さんが割りと
権威主義的な、昔的な方だったかもしれませんね。

これからはもっと感情を表に出せるように、ゆるめてみ
ます。学校から帰ってきたときあなたの前で、だらしない
格好でもよいから好き勝手なことができるように。そういう
おおらかさで子どもを包んであげてみてください。少し
ずつですが心を開いてくれると思います。(1年単位で)

ときどき学校へ行くのをいやがったり、ぐすったりする
ようなことがあれば、適当に休みながら、心を調整して
あげてください。外の世界では無理をしているようです
から。それと涙もろい、すぐ泣くということは、最初のメ
ールに書いたとおりですから、心の緊張感をほぐすこと
を考え、一方で、あまりおおげさに考えないように。子ども
によっては、涙は汗のようなもののときがあります。涙
を出すことで、緊張感をほぐすときもあります。泣きたい
だけ泣かしながら、温かく見守ってあげます。(泣くことに
よって、子どもは心のバランスをとる、イコール、ストレス
を発散させるのですね。)

あとは学校の先生と連絡を密にしてください。直接子ども
をみている先生が、ほめてくれたということですから、私
はそれでよいと思います。この時期はほめながら、少し
うぬぼれぎみでも構わないから、前向きな姿勢を大切に
して伸ばすのがコツです。これから先、親離れを始める
小学3〜4年生ごろ、ややむずかしくなる時期がありま
すが、どうかうまく乗り越えてください。

では、これで失礼します。あまりよい回答になっていなくて
すみません。また何かあれば、連絡ください。あまり心配
せず、つまりあなた自身が自分の子育てに自信をもって
前向きに進んでください。メールで拝見したところ、とても
じょうずに子育てをなさっておられるようです。母親として
ほぼ満点をさしあげたいくらいです。(生意気なことを言って
すみません。)あなたはすばらしい母親です。メールの内容
にしても、たいへん理知的で、的確です。自信をもってく
ださい。あなたのような母親からはゆがんだ子どもは
生まれません。では……。

はやし浩司

Q:小学4年生の長女ですが、いつからかどもるようになってしまい、普通に話をしてても
言いたい事がなかなか伝わらずかわいそうなぐらいです。特にカ行とタ行がひどいです。
本人も気にしていて上手に話せれないからと授業中に発表することをいやがります。なお
す方法を教えてください。 

A:吃音(きつおん)についてですが、本人がセルフコントロールできる年齢かどうか微妙
なところです。つまり自意識の範囲で、指導になじむかどうかということです。小学4年
生というのは、微妙です。

(1)自意識でコントロールできないとき(幼児〜小1,2)の場合吃音指導はしないの
が原則です。発音練習は、別にします。

(2)自意識でコントロールできるとき(小学高学年以上)の場合
それでも吃音指導を子どもにあまり意識させないで、たとえば発音練習をしながら、結果
として吃音をなおすようにします。発音指導は、口をゆっくりと動かし、息をたくさん出
させ、子どもに発音のリズムをつかまさせます。苦手な音の言葉だけを、何度もゆっくり
と話させるようにします。たとえば「刀(かたな)で皮(かわ)を切る」という文章だけ
を、練習します。子どもに吃音指
導と思わせないようにするのがコツです。どこかで大声を出して、声を出してくれるとい
いのですが……。吃音そのものは、脳の機能的な変調が原因で、声帯がけいれんを起こし
て引き起こされるというのが、一般的な考え方です。つまり脳の変調を起こす原因(神経
質な家庭環境、神経症などの変調要因)があればそれを除去します。神経質な過干渉、過
関心、過負担、過剰期待など。しかしこれらの要因を除去したからといって、吃音はすぐ
にはなおりません。こうした変調(神経症とみる学者は多い)は一度現われると、数年単
位で続くことが多く、その間に、子ども自身が自信をなくしたり、失語症になったりしま
す。要するに周囲が無視すればいいのですが、これが子どもの世界では難しいようです。(そ
れをからかう子どもがいたりするからです。)私の場合は、ときどき子どもたち全員に大声
をださせ、それにまぎれてなおすという方法をとっています。ほかの子どもたちのいる前
では、指導しない。問題としない。なおそうとしないが原則です。家庭では、次のように
してみてください。苦手な音をふくむ言葉について、まずゆっくりと話す練習をします。
リズミカルに息を大きく吐き出しながら、音にあわせて口を動かすようにします。ここで
大切なことは、ゆっくりと話す練習をさせることです。「吃音をなおしましょうね」とか、
練習が吃音をなおすためとかいうようなことを子どもにわからせることは、子どもの前で
は避けます。(小学高学年以上であれば、ある程度、吃音をなおすということを意識させま
すが、あまり意識させると、かえって自信をなくさせたり、萎縮させたりしてしまいます。)
率直に言えば、無視して、皆が、だれも問題にしないような環境があれば、いいのですが
……。たいてい指導を始めると、子どもは小声になってしまいます。それがかえって指導
を難しくします。

 そこでどうでしょう。あまりなおそうとか、それが悪いことだと決めてかからないで、
もう少しおおらかに考えてみたら。おねしょと同じで、吃音そのものは、本人にとっては、
それほど不愉快なものではないのです。(私も子どものころ、軽度の吃音があり、今でも、
カ行音でどもることがあります。)

自意識がじゅうぶん育ってくると、苦手な音を出す前に、一呼吸おくようになり、ゆっく
りとしゃべるようになります。そうなれば、自然になおります。そういうことも考えなが
ら、子どもに吃音が悪いことだと思わせないようにします。(罪悪感をもたせると、まずい
ですね。ですから努めて無視するのが最良の方法で、それとは別のところで、発音指導は
します。どうもまとまりのない文になってしまいましたが、わかっていただけましたか?)
 
 私は正直に言いますが、吃音指導そのものは、ひとりの子ども(一対一の関係では)に
対してはしたことがありません。無視した形で、別のところで、子どもどうしにワーワー
しゃべらせ、それでなおすという方法をとっています。それが吃音指導の難しい点である
と同時に、コツです。対面式で指導すると、かえって失敗するのでは……? 吃音も含め
て発語障害は、こういう方法をとるのがベストです。(順に言わせてなおすという方法でも、
子ども自身が敏感になっていることが多く、たいていその段階で、気づかれてしまいます。
子どもが気づくと、その時点で指導ができなくなります。)

Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/

のコラムの中に、発語障害を書いておきましたので、ご覧になってください。HPの中にも、
どこかで詳しく書いておきました。では。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

*****************************************************************************

●子供の愛着行為

はやし先生へ、
おはようございます、埼玉県T市に住むマガジン読者です。

ところで、E-メールマガジンで、たびたびテーマを募集していますが、前々から、『アメリ
カでは、生まれたての赤ちゃんでも、夜寝る時には、夫婦の寝室とは別で、子供部屋で寝
る』と言われているし、アメリカのファミリードラマやアニメでも、かなり小さい子供で
も、ちゃんと自分の部屋を持ち、ベッドで寝ていますが、「ほんとうかしら?」と、疑問を
もっています。

現在三男は一才を過ぎていますが、おっぱいを飲みながら寝るので、私と同じ布団で寝て
いますし、もっと月齢が小さい時などは、二時間おきの授乳だったので、いちいち起きて、
ベビーベッドで寝ている子を抱き上げて授乳することすら苦痛でした。

先生の御二男の方はベビーはどのような環境で、寝ているのでしょうか? すごく興味が
あります。それとまじえて、子供と親が別々の部屋で寝始める頃の見極めと注意点なども
アドバイスして頂きたいです。

友人の子は、寝室を別にしたとたん、首が曲がったまま元に戻らなくなり、整体等、通っ
たのですが、なかなか治らず、寝室をまた親と同じにしたら、ピタリと治ったそうです。

+++++++++++++++++++++

●アメリカの子育て

 アメリカといっても、アジア全域ほど広く、また移民国家であるため、アメリカ人とい
っても、どういう人をアメリカ人というのか、必ずしも明確ではありません。もちろんア
ジア系アメリカ人も多く、その中の一部には、日系アメリカ人もいます。さらに同じ白人
でも、父親がフランス人、母親がウクライナ人、祖父がスコットランド人で、祖母がイタ
リア人という家庭は、いくらでもありま
す。

 で、その中でも、アングロサクソン系のアメリカ人にかぎっているなら、ご指摘のよう
に、赤ん坊のときから、寝室を分けるのが、ふつうのようです。アングロサクソン系とい
うのは、いわゆるイギリス系のアメリカ人です。ふつう私たちがアメリカ人というとき、
もっともポピュラーに想像する、白人のアメリカ人です。

 二男の嫁も、そのアングロサクソン系のアメリカ人で、代々、アメリカの中南部で暮ら
してきた家族です。ただ私の二男のばあいは、大きな二部屋だけのアパートで、別々の部
屋ということはありませんでした。大きなベビーバッグの中に赤ん坊を寝させていました。
しかし夜泣きがひどいので、私のワイフのアドバイスで、夫婦のベッドの間で、川の字の
ようにして寝させました。そうしたら夜泣きが収まったそうです。

 ご質問の件について、私は専門ではないので、よくわかりませんが、今までに私が書い
た原稿をあちこちから集めてみましたので、参考にしてください。

++++++++++++++++++++++++++++

●子どもの愛着行動

 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく
知られた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」がある
ことがわかってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用
が、新生児の発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、
精神的欠陥が現れる。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を
示す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばん
だり、拒否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それ
が何らの理由で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基本
的には、母子間の分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが置き
去り、迷子、育児拒否的な行為(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけによっ
て起こると考えられる。

●スキンシップは魔法の力 
 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二
〇年ほど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施
設の先生の講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、と
にかく『抱く』という方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前
も先生の名前も忘れた。が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、
たびたびある。言いかえると、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問
題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さな
い。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、
何かしら丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱
く側にしっくりと身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じにな
る。心臓の脈動まで同じになることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一
人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているとき
は、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙
に言い当てている。

●大切な「甘える」という行為
 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論
として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然
である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘え
る。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさが
そのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、
育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分
だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、
苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、
全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲が
ある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。

●先手を打って自分を守る

 このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。誰かに
親切にされても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。ものの考え方がいじ
け、すなおさが消える。「あの人が私に親切なのは、私が持っている本がほしいからよ」と。
自分からその人を遠ざけてしまうこともある。あるいは自分に関心のある人に対してわざ
と意地悪をする。心の防御作用と言えるもので、その人に裏切られて自分の心がキズつく
のを恐れるため、先手を打って、自分の心を防衛しようとする。そのためどうしても自分
のカラにこもりやすい。異常な自尊心や嫉妬心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかの
きっかけで、ふつうでないケチになることもある。こだわりが強くなり、お金や物に執着
したりする。完ぺき主義から、拒食症になった女の子(中三)もいた、などなど。

 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育て
のし方のどこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないかもしれないが、やが
て深刻な問題になる。その危険性は高い。

●行きづまりを感じたら、抱く
 ……と、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、
何か行きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねた
りするようなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、
やさしく抱いてみる。しばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。
と、同時に、子どもの情緒(心)も安定する。

(参考)
●抱かれない子どもが急増!

こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、四
分の一もいるというのだ。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育
研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」
が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が
二割前後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感と
して、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃん
から報告されたという。

さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から
解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわか
ったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行してい
る「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)
二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシ
ップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話
している。

++++++++++++++++++++++++

●スキンシップ

 よく「抱きぐせ」が問題になる。しかしその問題も、オーストラリアやアメリカへ行く
と、吹っ飛んでしまう。オーストラリアやアメリカ、さらに中南米では、親子と言わず、
夫婦でも、いつもベタベタしている。恋人どうしともなると、寸陰を惜しんで(?)、ベタ
ベタしている。あのアメリカのブッシュ大統領ですら、いつも婦人と手をつないで歩いて
いるではないか。
 
一方、日本人は、「抱きぐせ」を問題にするほど、スキンシシップを嫌う。避ける。「抱き
ぐせがつくと、子どもに依存心がつく」という、誤解と偏見も根強い。(依存心については、
もっと別の角度から、もっと別の視点から考えるべき問題。「抱きぐせがつくと、依存心が
つく」とか、「抱きぐせがないから、自立心が旺盛」とかいうのは、誤解。そういうことを
言う人もいるが、まったく根拠がない。)仮にあなたが、平均的な日本人より、数倍、子ど
もとベタベタしたとしても、恐らく平均的なオーストラリア人やアメリカ人の、数分の一
程度のスキンシップでしかないだろう。この日本で、抱きぐせを問題にすること自体、お
かしい。もちろんスキンシップと溺愛は分けて考えなければならない。えてして溺愛は、
濃密なスキンシップをともなう。それがスキンシップへの誤解と偏見となることが多い。

 むしろ問題なのは、そのスキンシップが不足したばあい。サイレントベビーの名づけ親
である、小児科医の柳沢さとし氏は、つぎのように語っている。「母親たちは、添い寝やお
んぶをあまりしなくなった。抱きぐせがつくから、抱っこはよくないという誤解も根強い。
(泣かない赤ちゃんの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。

 もう少し専門的な研究としては、つぎのようなものがある。

 アメリカのマイアミ大学のT・フィールド博士らの研究によると、生後一〜六か月の乳
児を対象に、肌をさするタッチケアをつづけたところ、ストレスが多いと増えるホルモン
の量が減ったという。反対にスキンシップが足りないと、ストレスがたまり、赤ちゃんに
さまざまな異変が起きることも推察できる、とも。先の柳沢氏は、「心と体の健やかな成長
には、抱っこなどのスキンシップがたっぷり必要だが、まだまだじゅうぶんではないよう
だ」と語っている。ちなみに「一〇〇人に三人程度の割合で、サイレントベビーが観察さ
れる」(聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院・堀内たけし氏)そうだ。

 母親、父親のみなさん。遠慮しないで、もっと、ベタベタしなさい!

+++++++++++++++++++++

 あちこちから原稿を集めたため、内容がバラバラになってしまいましたが、こうして改
めて考えてなおしてみると、スキンシップは、必要であるかないかということになれば、
必要であるに決まっているということになります。

 で、ご質問の「量」ですが、それはあくまでも子どもをみて、判断するしかないのでは
ないでしょうか。とくに子どもの情緒の安定度をみながら、判断します。つぎの原稿は、
子どもの欲求不満について書いたものです。この中でも、少し、スキンシップについて触
れてみました。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:はやし先生はじめまして。 私は掛川市内に住むYと申します。2歳3ヶ月になる息子が
います。
 
先生の中日新聞でのコラムを毎回興味深く拝読しております。本も買わせていただきまし
た。先生のご意見を伺うにつけ「こういう考え方があったんだ!」と目からウロコをハラ
ハラとさせて喜んだり、反省したりしています。育児の壁にぶち当たると、こういうとき
はやし先生は何ておっしゃるのかな?」と思ったりもしています。
 
実は今も息子のことで気に病んでいることがあり眠れずに悶々とネットサーフィンしてい
たところ先生のHPを拝見し、ご迷惑とは思いつつ「どうぞ遠慮なく・・・」とある先生
のお言葉に甘えて、うしてメールを送らせていただきます。
 
相談についてですが内容は息子の性格についてです。ちなみに私は専業主婦で天気が良け
れば 毎日近所の公園で母子ともども顔見知りになった友達親子と遊んでいます。
 
息子は赤ちゃんの頃はまったく人見知りしない子供だったのですが1歳半ぐらいから家族
以外の人に話し掛けられると固まるようになってしまいました。
 
知らない人の集団に入っても泣いたりすることはなく楽しく遊びます。 相手が大人でも子
供でも自分から話かけることも あります。「けんちゃん(自分のこと)○○行ったきたの。」
とか 「今何してるの?」とか。 早いうちから単語が出て言葉は決して遅くはないと思い
ますが外にいる時よりは家の中の方が口数が増え楽しそうにしゃべります。
 
でも初めて会う人にはもちろん、毎日のように遊んでいる子供たちや親御さんに挨拶され、
面と向かって話し掛けられると ちょっと笑いながらだったり、時には下を向いて 黙って
しまいます。 でもその人たちと一緒に居ることは大好きで「公園に行く」「○○ちゃんと
遊びたい」と訴えてきますし楽しそうに一緒に遊んでいます。 公園で遊ぶ同じ月齢やそれ
以下の子供たちはほとんど「おはよう」ばいばい」「ありがとう」など息子に対して言って
くれます。自分から言えない子も親に促されれば言えます。私もせめて話しかけられたら
お返事できるようになって欲しいと思うのですが息子は全く言えません。
  
家の中で挨拶の絵本を読んだり、ゲーム感覚で例えば「朝起きた時の挨拶は?」などと聞
くと 「おはよう!」と正しい返事があるので どんな場面で何て挨拶するのかは理解して
いるようです。 主人を玄関で見送る時は「ばいばい!」などと自分からしています。家族
には「ありがとう」も言います。昨日は主人に「公園で○○ちゃんママにお菓子もらった。
でもアリガトウって言えなかった。」と自分で言っていました。
 
他人と比べてはいけないと思いつつ「どうして家の子は言えないんだろう」という思いが
募っています。周りの友達も「いつかは言えるから」と 言ってくれますがそのお子さん達
は上手にご挨拶ができるので情けないのですが何だか素直に聞き入れることができません。
 
これは単に照れていると思っていいのでしょうか?息子の変わりに私が返事したり挨拶し
ているのですが それでいいのでしょうか?親が言っていればいつかは言うようになると 
言われますが本当でしょうか?最近カンモク症をいう症状を知り息子もそれに近い状態な
のかと不安です。 
 
また性格はどちらかというとおっとりしており公園などでおもちゃを取られたり転ばされ
てもワーッと怒ることがなく涙をためてじっとしています。痛い時はもちろん泣きますが 
イライラとして癇癪を起こすようなこともありません。遊具なども順番に使うことを教え
たら それを守りますが強引な子に横取りされくやしいようですが小声で「ダメ」と言うだ
けです。
 
「お菓子がもっと食べたい」などと家族に自分の気持ちを主張して 泣くこともありますが
「ご飯前だから」とか「食べ過ぎだから」と 理由を何度か説明するとそれ以上は訴えてき
ません。おもちゃなども使う意志がなくなると自分で片付け始めます。
 
今まで私も取りたてて大声でガーッと怒ったことがなく、 家族からも友達からも息子は
「育てやすくおっとりした話せばわかる子」という目で見られています。
 
こういう息子は育てやすい物分かりのいい子供と喜ぶべきなのでしょうか? いいかえれ
ば自己主張が足らない、気が弱い子ということではないですか?私は今の息子の状態がと
っても不安です。もっと子供らしくイヤだったら もっと泣いて訴えればくれればいいと思
うし、手をだされたらやり返すくらいのくやしさを表現したらいいのにと親の私が歯がゆ
く思ってしまいます。 息子にも2歳児なりのストレスが溜まっているのでは、と心配する
のですが それは親馬鹿な思いでしょうか?
 
そこで私はついつい息子に教えるつもりもあって、他の子供とのやり取りに口を出してし
まいます。おもちゃを取られそうになると、「いま健ちゃん(息子の名前です)が使ってる
から待っててね。」とかたたかれたら 「痛いからやめてね。」とか。やっと息子もここ2、
3週間前から取られそうになると「今、健ちゃんが使ってるから!」と 言葉で抵抗したり
おもちゃをギュと強く抱え込むようになりました。自分で言えない時は相手の子のところ
まで私の手を引っ張っておかあさんが(言って)!」と言うようになりました。私が口を
出すことで真似するようになった、とうれしく思っていました。 
 
でも今日初めて公園でその様子を見た主人に指摘されたんです。「過保護すぎる。赤ちゃん
じゃないもう子供なんだから子供同士で 好きにさせるべき。特に男なんだし取られたら取
られたで ほっておけばいい。自分で解決する」と。 なんだか頭を殴られた気分でした。
そういうものなのかと。 たしかに私は息子のためではなく自分の気が済まないから 口出
ししていたのかも。
 
挨拶の時でも取り合いの時でも、自己主張が苦手な部分をフォローしてやりたい気持ちと 
それも個性と認め、できなくでもいいじゃないと受け入れてやりたい気持ちが 私の態度を
混乱させています。
  
息子にとってどうすることがいいのでしょうか。他人とのコミュニケーションが苦手な息
子に親としてこれからどのように接すれば良いのでしょうか。
 
私は母に言葉による暴力を受けて育ちました。 母は思い通りに行かないイライラやつらさ
を子供に当たり散らす人でした。私は小学生の時からうちに帰りたくないと悩み、中学生
の時は必要以上に母と会話をしませんでした。 常に母親の顔色を見て過ごしてきました。
大学生になり親元を離れることで関係は修復し今も時々子供を連れて帰ると喜んでくれま
す。でも未だに母の前に行くと緊張し、素直に自分の気持ちを話すことができません。母
に触れる時も体がこわばります。母に認めてもらいたい一心で色々と自分に無理なことも
してきました。でも受け入れてもらったと思うことは ありません。今でさえ親子ごっこの
ように息子と3人で出かけたりしますが母を心の底からは信頼していません。母は今でも
33歳になった私に「あんたはやればできる子だったのに」と愚痴をいうような人です。 
 
独身の頃から「絶対こんな親にはなりたくない!」と自分の心に言い聞かせてきました。 息
子が生まれてからできるだけ息子の気持ちを理解してやりたいと思ってきました。でもそ
う思うことで常に「私の育児が間違っていないか、息子を苦しめていないか」が気になっ
てしまうのです。 育児の正解が何なのかわかりませんし これで良かったなんて死ぬ間際
しかわからないと思いながら、です。もっと肝っ玉母さんのようにどーーーん!としてい
たいのに そうできません。2人目3人目と経験を重ねていく上で 「こんなことで悩んで
いた」と笑える日が来るのでしょうか。 こんなに細かいことで悩んでいたら、息子のため
にと理由をつけながら、いつか母と同じように 「あの子ができてなんであんたが出来ない
の」と言う親になってしまいそうで自分が情けない気持ちでいっぱいです。
 
なんだか愚痴のような相談で、しかもとんでもない長文になってしまいお忙しいところお
手をわずらわせて申し訳ございません。 厳しいお言葉、お叱りで結構ですので先生のお考
えやアドバイスなど頂けましたら 大変うれしいです。
 
季節の変わり目ですのでお体にお気をつけください。 これからもご活躍楽しみにしており
ます。 講演会にもぜひ一度伺いたいと思っております。 稚拙な文章で失礼の多々、お許
しください。 メール、ありがとうございました。(掛川市・Yより)
 
A:まず第一に、Yさん自身の中に、「母親像」がないことが気になります。母親像が混乱し
ていると言ってよいかもしれません。あなたのお母さんに対する態度、姿勢に、あなたの
母親像の乱れをみるわけです。もっと言えばあなたのお母さん自身も、何らかの理由で、
あなたという娘を心底、愛することができなかった……? それが、因果応報のように(こ
れを世代伝播という)、あなたへと伝わっているとみます。あなたの子育てがどこかぎこち
ないのは、そのためです。つまりあなた自身が、「親像」を定めることができないでいるわ
けです。
 
しかしこの問題は、ほぼ解決しつつあるとみます。今、あなたが「修復」という言葉を使
えるのが、その理由ですが、それ以上に、あなた自身が、自分のそういう「面」に気がつ
いている。あなたはそういう意味で、すばらしい母親です。(たいていの親はそれに気づか
ないまま、日常生活の中で振り回されています。)この問題だけは、自分自身の中の「わだ
かまり」に気づくだけで、少し時間はかかりますが、やがて解決します。(気づかないとい
つまでも振り回されることになります。)
 
あなたは対母親との関係の中で、心のキズをもっています。いえ、だからと言って、あな
たのお母さんを責めてはいけません。だれだって、一つや二つ、そんなキズはもっている
ものです。恐らく、あなたのお母さんも、戦後の混乱期の中で、落ち着いた家庭生活をも
てなかったのかもしれません。一度、娘の立場で、あなたの両親の関係、あるいは昔の生
活環境を観察してみるとよいでしょう。「なぜ、お母さんはそういう人になったのか」と。
そうすることによって、さらに自分の姿が見えてきます。つまりそれが「わだかまり」と
戦う方法の一つだということです。
 
こうしてあなた自身の「親像」を、根底から修復します。(今の修復方法はいわば対症療法
のようなもので、基本的な解決方法にはなりません。あなた自身が、親像をもてないため、
あるいは脳の中にインプットされていないため、ご自身の子育てで混乱するのです。昔、
こんなことを言う父親がいました。「子どもの抱き方がわからない」と。その父親は、母子
家庭で育てられた人でした。つまりその人には、「父親像」が入っていなかったのです。親
は、自分が育てられたという経験があって、はじめて自分の子育てができます。そうでな
ければ、頭の中だけで子育てをしようとしますから、どこかぎこちなくなるわけです。前
提として、今のあなたの子育ては、そういうものだと考えてください。繰り返しますが、
そういうふうに自分を正直にながめることが、この問題の最良の解決策だということです。
つまり、「何だ、私には親像がないのだ」「だから親像をつくればいいのだ」「無理をするこ
とはないのだ」と居直るのです。
 
あなたは今、「よい親になろう」「よい親であるためにはどうすればいいのだ」というよう
に、心のどこかで無理を重ねている。そういう無理が、回りまわって、あなたの子育ての
不安へと姿を変えているのです。無理をしてはいけません。先に書いたように、心豊かで、
親の愛情をたっぷりと受けて、何一つ不自由なく育った人のほうが少ないのですから……。
居直るのです。「私は私」と。そういう居直りがあなたの心に風穴をあけ、子育てを気楽な
ものにします。「よい母親」を演じないことです。もっとわkかりやすく言えば、「親では
なく、友として、あなたの子どもに接すること」です。
 
あなたのようなタイプの親を、気負いママと言います。「よい親であろう」という気負いま
かりが強くて、疲れてしまうのです。つまりあなた自身が、自分の心の緊張から解き放つ
ことができないのです。心理学的には、情緒不安定ということになります。(もともと情緒
不安定というのは、この緊張感から解放されないことをいいます。心はいつも緊張してま
すから、何ごとにつけ、不安発作に襲われるのです。これは私の意見ではなく、心理学の
世界では常識です。)
 
いいですか、だれだってそうなのです。あなただけが特別ではないし、あなただけが不幸
でもないのです。みんなそうなのです。みんな、外から見るとうまくいっているように見
えますが、それは「見せかけ」。日本人はもともと、親像をもつのがへたな国民です。権威
主義で、まあ、世界的にみても、へたなんですね。封建時代の後遺症というか、いまだに
封建時代の遺物を引きずっているというか……。あなたもその一人に過ぎないということ
です。「私は子育てはへた。親が親だからしかたないでしょ。だからあんた(あなたの子ど
ものこと)も、すばらしい母親を求めないでね。期待しても無理よ」と、まあ、居直れば
いいのです。あなた自身が言うように、優等生を自分に求めないこと。
 
ではどうするか?

あなたの子どもを「友」として受け入れます。これには時間がかかりますが、というのも、
あなた自身の「親意識」が強すぎるので(自然な形での親像がないのが、そのまた原因)、
その親意識との戦いになるから、しかし努力してみてください。あなたはあなたの子ども
のことを心配しているようで、結局は、自分の子どもを自分の思い通りにしたいだけです。
(これもよくある例で、これを代償的愛、あるいは代償的過保護といいます。)もっと言え
ば、あなたは自分の子どもを、受け入れていない。あるいはまだまだ、「子どもを愛する」
ということがわかっていない。失礼なことを言いますが、愛することは、苦しいことであ
り、まさに「許して忘れる」の連続です。それはというのも、不幸にして、あなた自身が、
そういうをあなたの母親から受けていないからです。(はっきり言い過ぎるかもしれません
が、許してくださいね。あなたにはたいへんショックなことばかり書きますが、あなたに
すばらしい母親になってほしいからです。)
 
あなたは子どもを育てているのではない。将来のすばらしい友を育てているのです。そう
いう視点で、あなたのお子さんを一度見てみてください。そうすると、あなたのお子さん
の苦しみや悲しみがもっと見えてきます。あなたのお子さんはお子さんなりに、懸命に「い
い子であろう」としているのです。それをあなたが、「ふつうでない」「もっと……」と思
えば、結局は、あなたがあなたの母親との間で感じた苦しみを、あなたの子どもに与える
ことになるのです。あなたは今、無意識のうちにも、自分が感じた苦しみ(あなたは「言
葉の暴力」と言いましたが)を、再び繰り返しているだけです。わかりますか? あなた
の子どももいつか、おとなになったとき、今のあなたと同じことを言いますよ。「ぼくの母
は、ぼくを信じてくれなかった。いつも、世間の目を気にしていた。ぼくはいい子でいる
ことばかり考えていた」と、です。これが世代伝播です。わかりますか?
 
あなたのお母さんは、あなたに対してぎこちない子育てをした。今もしている。そして今
度は、あなたも今、ぎこちない子育てをしている。そしてさらに、あなたの子どももおと
なになり、親になったとき、またぎこちない子育てをする。あなたの子どももいつかあな
たという人に接するとき、今のあなたのように緊張する……。ああ、もうこういう因縁は、
ここで断ち切らねばなりません。ではどうするか?簡単です。ウソでもいいから、たった
今から、あなたの子どもに向っては、「あなたいい子」「すばらしい子」「自慢の息子」と、
言えばいいのです。あなたはお子さんのマイナスな面ばかりを気にしていませんか。もし
そうなら、そうではなく、よい面だけを見るようにするのです。(あなたのお母さんはきっ
と、あなたのマイナスな面ばかりを見ていたのではありませんか?)いつか(3ヶ月後と
か、半年後に)あなたが自然な形で、「あなたはいい子ね」と言えるようになったとき、あ
なたのお子さんも、そのいい子になっていますよ。つまりこうして子どもをなおすのでは
なく、あなた自身の心を修復するのです。(たいていの親は、子どもに問題があると子ども
をなおそうとします。しかしなおすべきは、自分自身なのです。)
 
さて本論。

お子さんの問題ですが、緘黙症というのは確かにあります。そうであるかないかは、今回
のメールだけでは判断しかねます。が、同じような症状は、がんこな子どもや、かんしゃ
く発作(ふてくされ、無視)の子ども、敏感児、過敏児、対人恐怖症の子どもにも見られ
ます。また緘黙症というのは、まさに「貝殻を閉ざしたように固まります」ので、症状が
極端な形ででてきます。詳しくはサイトの「子どもの見方」で書いておきましたので、参
考にしてください。もしそうであるなら、これ以上、症状を悪化させないことだけを考え
て、無理をしないことです。(心を許した人なら、抱かれますが、緘黙症の子どもは、他人
に心を許しません。許さない分だけ、まず他人に抱かれません。あいさつをするとかしな
とかいうような簡単な問題ではありません。かん黙児の子どもは、まずあいさつすらしま
せん。)

いただいたメールの範囲では、私は対人恐怖症ではないかと思いますが、はっきりしたこ
とは言えません。緊張性の恐怖症です。(私も実のところそうでして、たとえば今は飛行機
恐怖症です。一度、飛行機事故に遭遇していますし、今度のNYのテロ事件でそれがまた
また倍化してしまいました。)そういう恐怖症は理屈では処理できないものです。あくまで
もお子さんの立場で、お子さんの視点で考えるようにしてください。無理をしてもなおる
ものではありません。かん黙児は、ふつう家の中では、ワーワーともっと無防備に自己主
張しますが……。メールによれば、あなたの前でもどこか内閉しているような印象を受け
ます。かん黙児というのは、1000人に2〜3人の出現率ですから、私は考えないほう
がよいと思いますが……。もし心配なら、もう少し大きくなったら、保健所の窓口か、児
童相談所で相談なさるといいでしょう。私でも診断はできませんが、「そうでない」という
判断はできます。(立場上、かん黙児ですという診断はできませんが、かん黙児ではないと
いう診断ならできるということです。4歳ぐらいになったら、一度また連絡をとってみて
ください。まず、その心配はないと思いますし、仮にそうであってもなおす方法はいくら
でもありますから。夜尿症と同じ脳の機能障害ですから、おおげさに考えることもないの
です。もともとは……。)
 
なお1歳半のとき、「固まる」ということでしたが、これは固まるのではなく、むしろ正常
な反応です。ちょうどそのころは、「人見知り」する時期にあたります。むしろそれがない
子ども(ホスピタリズム)のほうが心配なのです。で、今は2歳半ということでですが、
この時期の対処のしかたが、今の対人恐怖症の原因になっているのではないでしょうか。
これもよくあるケースで、珍しくありませんので、深刻に考えないでくださいね。もしど
うしても心配なら、もう一度、4・5歳から5・5歳にかけて、修復する時期があります
ので、そのときの対処方法をいつかお教えします。
(子どもが乳幼児から、少年期へと移行する中間反抗期の時期です。)
 
順に考えていきます。
 
「知らない人の集団に入っても泣いたりすることはなく楽しく遊びます。 相手が大人でも
子供でも自分から話かけることも あります。「けんちゃん(自分のこと)○○行ったきた
の。」とか 「今何してるの?」とか。 早いうちから単語が出て言葉は決して遅くはないと
思いますが外にいる時よりは家の中の方が口数が増え楽しそうにしゃべります。」
 
やはりかん黙児の心配はないですね。かん黙児は安易にはおとなには
決して話しかけませんから……。
 
「でも初めて会う人にはもちろん、毎日のように遊んでいる子供たちや親御さんに挨拶さ
れたり面と向かって話し掛けられると ちょっと笑いながらだったり、時には下を向いて 
黙ってしまいます。 でもその人たちと一緒に居ることは大好きで「公園に行く」「○○ち

んと遊びたい」と訴えてきますし楽しそうに一緒に遊んでいます。 公園で遊ぶ同じ月齢や
それ以下の子供たちはほとんど「おはよう」ばいばい」「ありがとう」など息子に対して言
ってくれます。自分から言えない子も親に促されれば言えます。私もせめて話し掛けられ
たらお返事できるようになって欲しいと思うのですが息子は全く言えません。」
 
あなたがあなたの母親に接したとき緊張するように、
あなたの子どももあなたに接すると緊張するのです。
わかりますか? そのときのあなたの子どもの心理は
実はあなた自身が、一番よく知っているはずです。
  
家の中で挨拶の絵本を読んだり、ゲーム感覚で例えば「朝起きた時の挨拶は?」などと
聞くと 「おはよう!」と正しい返事があるので どんな場面で何て挨拶するのかは理解し
ているようです。 主人を玄関で見送る時は「ばいばい!」などと自分からしています。家
族には「ありがとう」も言います。昨日は主人に「公園で○○ちゃんママにお菓子もらっ
た。でもアリガトウって言えなかった。」と自分で言っていました。
 
もう少し肩の力を抜いたらどうでしょうか。
あいさつなんてものは、したければすればいい。したくなければ
しなくてもいい。目と目だけでもあいさつはできますよね。
アメリカのように「ほほえむだけであいさつ」を交わす国もありますよ。
 
他人と比べてはいけないと思いつつ「どうして家の子は言えないんだろう」という思いが
募っています。周りの友達も「いつかは言えるから」と 言ってくれますがそのお子さん達
は上手にご挨拶ができるので情けないのですが何だか素直に聞き入れることができま
せん。
 
比較は一度クセになると、ずっと子育ての基本になりますから
しないように。あなたのお子さんの心も、あなたから離れます。
ご注意!
 
これは単に照れていると思っていいのでしょうか?息子のかわりに私が返事したり挨拶
しているのですが それでいいのでしょうか?親が言っていればいつかは言うようになる
と 言われますが本当でしょうか?最近カンモク症をいう症状を知り息子もそれに近い状
態なのかと不安です。 
 
まず、緘黙症ではないと思います。基本的には、不安先行型の
子育てをなさっているように思います。なぜ、あなたは自分の
子どもを信じられないのですか。ひょっとしたら、あなたとあなたの
夫の間にも、何らかのわだかまりがあるのでは……? あなたは
電撃に打たれるような恋をして、相思相愛で結婚し、まちこがれて
今のお子さんをもうけましたか? そうであるなら、わだかまりは
ないはずですが……?
 
また性格はどちらかというとおっとりしており公園などでおもちゃを取られたり転ばされ
てもワーッと怒ることがなく涙をためてじっとしています。痛い時はもちろん泣きますが、 
イライラとして癇癪を起こすようなこともありません。遊具なども順番に使うことを教え
たら それを守りますが強引な子に横取りされくやしいようですが小声で「ダメ」と言うだ
けです。
 
かなりお子さんは無理をしています。乳児期からあなたと一対一の
狭い世界で子育てをしたのが原因です。今ではふつうのことですから、
ここは居直りなさい。「うちの子は、こんなもんだ」とです。
オールマイティな子どもは求めないこと。子どもというのは、
得意な分野を伸ばし、不得意な分野には目をつむるようにして
育てます。要するにあきらめることはあきらめる。もうその時期に
きていますよ。
 
「お菓子がもっと食べたい」などと家族に自分の気持ちを主張して 泣くこともありますが
「ご飯前だから」とか「食べ過ぎだから」と 理由を何度か説明するとそれ以上は訴えてき
ません。おもちゃなども使う意志がなくなると自分で片付け始めます。
 
やはりいい子ぶっています。ご注意。
 
今まで私も取りたてて大声でガーッと怒ったことがなく、 家族からも友達からも息子は
「育てやすくおっとりした話せばわかる子」という目で見られています。
 
育てやすいのではなく、あなたの過関心が、お子さんをしてそう演じさせて
いるだけでは……?
一度、サイトの「ママ診断」を受けてみてください。多分「過干渉ママ」と
診断されるはずです。
 
こういう息子は育てやすい物分かりのいい子供と喜ぶべきなのでしょうか? いいかえれ
ば自己主張が足らない、気が弱い子ということではないですか?私は今の息子の状態
がとっても不安です。もっと子供らしくイヤだったら もっと泣いて訴えればくれればいい
と思うし、手をだされたらやり返すくらいのくやしさを表現したらいいのにと親の私が歯
がゆく思ってしまいます。 息子にも2歳児なりのストレスが溜まっているのでは、と心配
するのですが それは親馬鹿な思いでしょうか?
 
上と同じ。
 
そこで私はついつい息子に教えるつもりもあって、他の子供とのやり取りに口を出してし
まいます。おもちゃを取られそうになると「いま健ちゃん(息子の名前です)が使ってる
から待っててね。」とかたたかれたら 「痛いからやめてね。」とか。やっと息子もここ2,
3週間前から取られそうになると「今、けんちゃんが使ってるから!」と 言葉で抵抗した
りおもちゃをギュと強く抱え込むようになりました。自分で言えない時は相手の子のとこ
ろまで私の手を引っ張って「おかあさんが(言って)!」と言うようになりました。私が
口を出すことで真似するようになった、とうれしく思っていました。
 
上と同じ。 
 
でも今日初めて公園でその様子を見た主人に指摘されたんです。「過保護すぎる。赤ち
ゃんじゃないもう子供なんだから子供同士で 好きにさせるべき。特に男なんだし取られ
たら取られたで ほっておけばいい。自分で解決する」と。 なんだか頭を殴られた気分で
した。そういうものなのかと。 たしかに私は息子のためではなく自分の気が済まないか
ら 口出ししていたのかも。
 
ご主人の意見に同感です。
 
挨拶の時でも取り合いの時でも、自己主張が苦手な部分をフォローしてやりたい気持ち
と それも個性と認め、できなくでもいいじゃないと受け入れてやりたい気持ちが 私の態
度を混乱させています。
 
これも過干渉ママの典型です。
  
息子にとってどうすることがいいのでしょうか。他人とのコミュニケーションが苦手な息

に親としてこれからどのように接すれば良いのでしょうか。
 
子どものリズムで考えます。あなたはいつも子どもの前に立って、子どもの手を引いてい
る。
それではいけない。
 
「私は子どもの前を歩く。子どものガイドとして。
 私は子どもうしろを歩く。子どもの保護者として。
 私は子どもの横を歩く。子どもの友として。」
 
あなたはすばらしい母親ですが、三番目の「友」の意識がないのが気になります。どうか
あなたのお子さんのよき友になってあげてください。子どもの横に立つのですよ。あなた
のお子さんは、まちがいなくすばらしい子どもになります。こうしてあなたが考え、そし
て私も含めて、いろいろな意見を学ぼうとしている。そういう姿勢のある母親からは、決
してゆがんだ子どもは生まれません。こうしてメールを私にくださったということが、あ
なたがすばらしい母親だという証拠です。
 
これからもいろいろな山や谷があるでしょうが、こうして考え、悩み、苦しむからあなた
はすばらしい母親になるのです。今は、その第一歩。自分をもっと信じて前向きに進んで
ください。あなたが「心配だ」「不安だ」と思っていると、それがそのままあなたのお子さ
んの心となります。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが相手のことを思うように、あ
なたのことを思う」というのがあります。その意味は、あなた自身がお考えください。
 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て、Q and A・特集】(2)

Q:学校の先生に問題があるが……

A:学校の先生の悪口、批判は、絶対に子どもの前ではしてはいけません。これは家庭教
育の大原則です。子どもが先生の悪口を言ったときも、「そうね」とか、「ママもそう思う
わ」などと、絶対に言ってはいけません。相槌を打てば打ったで、子どもは先生の指導に
従わなくなるばかりか、あなたの言葉は確実に先生に届きます。そうなればなったで、信
頼関係は崩壊します。もし問題があるなら、子どもとはまったく関係のない世界で処理し
ます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:中学校での期末試験が終わって、がっくりしました。ミスだらけです。どうしてでし
ょうか?

A:昔、私がはじめて英語を勉強したときのこと。家に帰って「バイシクル」という英語
を読んでみせたら、祖父は、「浩司が英語を読んだ」と、心底喜んでくれました。しかし今、
そういう感激が消えました。テストの点数が悪かったりすると、親は「何だ、この点数は!」
と子どもを叱ったりします。あるいは「幼稚園のときから英会話教室へ行ったのに、ムダ
だった」と嘆いたりします。しかしどうしてそんな残酷なことを、子どもに言うのですか。
がんばったとは言えないまでも、子どもは子どもで精一杯、やったのです。それにテスト
といっても、日本のテストは、「皆が一〇〇点だと困る。差がつかないから。しかし皆が〇
点だともっと困る。差がわからないから」が基本です。仮に皆がよい点を取るようになっ
たら、問題が難しくなるだけです。

 さて本論。「ミスだらけ」ということですが、それも「力」(?)のうちです。力という
のは、どうしようもない力という意味です。恐らく本人も、どうしてそんなにミスが多い
かわからないでいるはずです。言いかえると、そういう力を責めても意味はないというこ
とです。仮に責めたところで、ミスがなくなるということでもないのです。

 こういうケースでは、そのミスを一番悔しがっているのは、子ども自身ではないでしょ
うか。だったら、ミスを責めるのではなく、また「どうして?」と悩むのではなく、子ど
もの立場で、「あなたはあなたなりによくがんばったのよ。今度はミスにもう少し気をつけ
よう」と言うべきではないでしょうか。こうした暖かい前向きな理解が、子どもを伸ばし
ます。親子のきずなを深めます。 


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:学校で落ち着きがないと、先生によく注意されます。

A:「落ち着きがない」原因は、いろいろ考えられます。心配なのは、多動性児ですが、ほ
かにも、家庭崩壊で心の秩序をなくした子ども、活発型の遅進性が見られる子どもなどが
います。
最近気になるのは、「イメージが乱舞する子ども」です。映像文化の影響と私は考えていま
すが、詳しくは、中日新聞東海本社のコラムに書いておきましたので、お読みになってく
ださい。トップページからアクセスできるようにしておきました。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:成績はまあまあですが、何ごとにつけ、そそっかしくて困ります。ミスが多いのが気
になります。

A:子どものもつエネルギーというか、バイタリティを大切にします。多少のミスよりも、
子ども自身が、達成感、満足感を味わうようにしむけます。こまかいことを言いつづける
と、かえって自信をなくしたり、萎縮したりします。ワークブックにしても、半分はお絵
描きになってもよい。そんなおおらかさが、子どもを伸ばします。子どもを萎縮させるも
のに、完ぺき主義、スパルタ主義、極端主義があります。「極端主義」というのは、私が考
えたものですが、ものの考え方が極端になる主義をいいます。たとえば「やる」と決めた
ら、あれもこれも、やり、「やめる」と決めたら、すべてをやめてしまうという育て方をい
います。子どもの成長は大きな川の流れのようなものです。変化を与えるとしても、少し
ずつ、ていねいに与えます。急に変えようと無理をすればするほど、子ども自身のよさも
奪ってしまいます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:漢字の学習をやりたがらないので困っている。(小4男児をおもちのお母さん)

A: そもそも勉強というのは、いやなものです。私も女房がある会の役を務め、そのため
書記的な仕事を手伝っています。名簿を作成したり、会報を作ったり。で、そういう仕事
というのは、しばらくほうっておくと、すぐ山のようにたまります。で、私が自分のパソ
コンを使って、それを作るのですが、これが結構めんどうですね。女房は「まだやってく
れないの!」と怒りますが、自分の時間をみつけるのがたいへんです。いや、結構ヒマな
のですが、ヒマになればなったで、自分のために楽しみたい……。
 
子どもは学校で、約8時間の重労働を学校でしてきます。その上、家での宿題です。やり
たがらないのが、正常です。むしろ黙々と、従順に漢字の学習を続ける子どものほうが、
心理的に何らかの問題がある子どもとみます。小4でしたら、まだ勉強の必要性を理解で
きる年齢ではありませんから、本人の自覚をまつしかないと思います。ただできれば、子
どもに勉強を強いるのではなく、おうちの方が一緒に座ってあげて、学習を楽しむという
のはどうでしょうか。30分間一緒にすわってあげて、まあ10分、勉強らしきものをす
れば、この時期、上出来です。

 メールによれば、「事務的なことが苦手な子ども」ということですが、実のところ私もそ
うで、お子さんの気持ちがよ〜くわかります。

 まずいのは、学習を強制して、文字嫌いから国語嫌いや、作文嫌いにしてしまうことで
すね。そうなれば、大失敗というもの。メールによれば、能力的、性格的には問題のない
お子さんということですから、今しばらく、このままのドラマを続けられたらよいと思い
ます。将来的には、漢字など、いつでも取り返せますから。よそのお子さんは、皆、しっ
かりと学習していると思っておられるようですが、そんなことはありません。小4で、家
で積極的に学習している子どもというのは、10人に一人もいないと思ってください。「隣
の芝生はよく見えるもの」です。

 このコーナーの「格言集」も、また参考にしてください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:早期教育は必要ですか。小学校入学までに、どんなことをすればいいですか。

A:小学校でする勉強を、先取りするのが早期教育ではありません。幼児期には幼児期にす
べきことが山のようにあります。早期教育というのは、将来に向かって、その基礎をつく
る教育のことをいいます。たとえば「文字を教える」のではなく、「文字を好きにさせる」
というのが、早期教育です。これをまちがえると、かえって子どもの伸びる芽をつんでし
まいますから、注意してください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:習い事はどこまですればいいでしょうか。

A:習い事が問題ではなく、子どもの意思を確かめているかどうかが、問題です。子どもの
意思を聞きながら、決めます。ただ子どもは、お調子者ですから、先のことをあまり考え
ず、「やりたい」とか、「する」とか言いますが、オーバーヒートさせないように、させる
のがコツです。なお習い事は一度に急にふやさないこと。またやめるときも、一度に急に
やめないのがコツです。いつか機会があれば、私の本を読んでみてください。そのあたり
を詳しく書いておきました。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:離婚を考えているが、子どもに与える影響は……?

A:離婚そのものが子どもに与える影響は少ないです。離婚が問題となるのは、その離婚に
至る過程で、騒動が起きるからです。この騒動が子どもに深刻な影響を与えます。子ども
に見せる騒動は最小限に。なお子どもは、自分が愛されているというきずなさえ大切にす
れば、荒れるということはありません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:はじめまして

About the troubles between children, this mother sent me an E-mail, saying what she 
should do in sunc and such case.

長女8歳(小2)と長男6歳(年長)の二人の子をもつ母です。子供の友達関係の事
でメールしました。

長女は一人では遊ぶのが苦手で友達と遊ぶのが大好きな子なんですけど、7月頃から
友達と遊ぶ事がなくなりました。最初は一人でいたい時もあるのかなと思い気にして
なかったんですが、夏休み明けに偶然、公園で長女の同級生の何人かに会った時のこ
とです。同級生の子の一人がお菓子を持っていたのでみんなに配っていたのですが
「○○ちゃん(長女)にはあげない」と言ってくれませんでした。長女は悲しそうな
顔をするだけで何も言いません。そして次の日に他の同級生にあった時、長女は友達
と遊びたくて走って駆け寄ったら、みんな逃げて行ってしまったのです。その日から
そうゆう光景を何度か目にしています。それ以降気をつけて学校の様子を聞くと「放
課後は一人で本を読んでいるか、友達が遊んだりゲームをしているのを見ている」と言
います。仲間に加わる事はないみたいです。心配なので先生に上記の出来事を伝え、
様子を聞いたのですが「特に仲間ハズレにされている所はみかけません。」と言われ
ました。親の私からみると長女は気が弱いところがあったり少々難点はあるけれど、
特に問題のある性格だとは思ってなかったのですが、現状は友達と遊びたくても上手
くいってません。友達との事については話したがらないのであまり聞く事ができませ
ん。女の子は高学年になると派閥ができたり影でいじめがあったりすると聞き心配で
す。長女の学年は1クラスなので仲間ハズレにされたら小学校の間中ひとりでいるこ
とになりそうで怖いです。長女の友達に長女の事をどう思っている?と言う事も聞き
にくいので、どうしていいのかわかりません。

長男のことですが、お調子者で融通がきかない性格をしています。幼稚園で男の子同
士の争いも多いようで、長男は口が達者ではないし喧嘩でも負けることが多くてよく
拗ねたりごねたりします。友達から見下されていてリーダー格の子の気分で仲間ハズ
レにされることも少なくないようです。年少の頃から登園拒否をすることが何度もあ
りました。それでも今年の春までは男の子達のグループと遊んでいました。最近は仲
間に入れてもらいたいと言っているのですが、クラスの男の子の誰とも遊んでもらえ
ないのでしかたなく女の子と遊ぶ日が続いています。明るく振舞っているので先生に
分かってもらおうと長男の気持ち(男の子の仲間に入りたくても入れてもらえない。
一緒に遊ぼうと言っても無駄だからいじめられないように近寄らないようにしている
事)を伝えたのですが先生の態度は今までと変わっていませし、園での様子を聞いて
もあまり話してもらえません。長男の友達の一人が言うことには長男はよく怒ってい
るそうです。

来年は小学校に入りもっと親の目がいき届かなくなるので今のうちに状態を良くした
いと思うのですがどうすればいいのかわかりません。小学校は一クラスしかなく、今
の友達がみんな同じ学校に入るのでこれから先が不安です。どうしたら今の状態から
抜け出すことができるのでしょうか?

ところで先生にお聞きしたい事があるのですが、いじめはいじめる子だけに問題があ
ると思われますか?いじめられる子にもなにか原因があるのでしょうか?

一回のメールでずうずうしく二人分の相談事をしてしまいましたが同時に悩んでいま
す。私の育て方に問題があるのでしょうか?アドバイスをよろしくお願いします。

【はやし浩司より】

A:メ−ルありがとうございました。

親の心配は尽きないものです。特に子どもの人間関係には
気を使います。子どもが仲間とうまくつきあってくれればそれでよし。
そうでなければ、これまた頭痛のタネです。心配もそこから生まれます。
しかし子どもは、外の世界で、そのつどつらい思いをしながら、人間的に
成長していきます。この「つらさ」を、どこでどの程度与えるか。いいかえると
親は子どもが感ずるであろう「つらさ」にどこまで寛容であるかということに
なります。

一つのポイントは、(1)子どもが、そのつらさに耐えられる範囲であれば、
親としては苦しいことかもしれませんが、がまんするしかないということです。
口を出したり、介入すればするほど、結局は子どもが社会性のない子どもに
なってしまいます。問題を先送りするだけになってしまうということです。
(2)しかし親の目から見て、子どもに何らかの情緒的、精神的変化が見られたら
そのときは、積極的に介入していきます。(神経症、情緒不安症状、何らかの
精神障害的な症状などが見られたら、ということです。
神経症などについては、私のサイトに書いておきましたので、参考に
してください。)

メールの内容ですと、お嬢さんの先生も、弟さんの先生も、それほど積極的に
(つまり深刻に)考えておられないということは、一応プロの目から見て、
「あまり問題ない」とみておられるのではないかということです。
つまり「よくある、日常的な問題」という範囲ではないかということです。
先生には、問題をすでに話しておられるということですので、学校や幼稚園での
問題は、先生と子どもに任すしかないと思います。

そこで家庭ではどうするかということですが、(1)外の世界でかなり神経を
するへらしているようであれば、(実際、そうでしょうが……)、家の中では
子どもの生活をゆるめます。家庭の役割を、「しつけ」から、「やすらぎの場」へと
変化させます。多少、親に向かって生意気なことや、乱暴なことを言っても
許します。「ああ、うちの子は、外でつらい思いをしているから、家の中で
荒れるのだ」とです。そうして暖かい、濃厚なスキンシップのある家庭に
します。(日本人は本当にスキンシップのない国民です。少なすぎます!)

二人のお子さんに社会性(問題解決の技法として、人間関係をうまく調整
できないこと)は、多分に、お母さんの育て方に問題があったようです。
あなたはお子さんが小さいとき、親子だけの、マンツーマンの世界だけで
子育てをしませんでしたか? お子さんが「ものわかりのよい人」だけの
世界で育てられると、いわゆる社会性のない子どもになります。
今でもそうですが、お母さんの心配過剰な子育てが、(イコール過保護が)
今の状態を作り出していると考えてもよいのではないでしょうか。

もっとも過去のことを持ち出しても、いまさらどうにもなりませんが、
要するに、(1)もうこれから社会性のある子どもにするのは、たいへん……
というより、あきらめます。その上で、(2)「うちの子どもは、こんなものだ」
「人間関係が苦手なのだ」とわかってあげることです。オールマイティな
子どもを望まないこと。そういう子どもを求めないこと。約30%の子どもは
あなたのお子さんのようですし、集団行動を嫌います。(子どもだから
遠足や運動会が好きなはずと考えるのは、まちがいです。)
年長児になったら、子どもの「核」が見えてきますので、その核にあわせた
子育てを考えます。得意な面、苦手な面がはっきりしてくるということです。

少し問題を感ずるのは、お姉さんのほうです。

外の世界で、仮面をかぶっていませんか。いい子ぶったり、心の
状態を隠したりするとか。あなたというお母さんの前ではどうですか?
もしそうなら、過干渉、過関心を疑ってみてください。うれしかったら、
うれしそうな顔をし、そうでなかったら、そうでな顔をする。そうであれば、
問題はありません。心がつかみにくいと感ずるようであれば、少し
様子をみてください。あなたの前でおおいに甘え、おおいに言いたいことを
行っているようであれば、問題はありません。

弟さんは、女の子と遊ぶのが好きということですが、
これはお母さんの影響力が強すぎた(父親の影が薄い?)ということです。
今、そういう子どもは(男の子)は珍しくありません。
(実のところ、私も、母親との交際が主体なため、女性が集まる講演会は
得意ですが、父親が集まる講演会は苦手です。そういうものです。)
これも過去の育て方の問題に踏み込んでしまいますので、
いまさら問題にしても意味がありませんね。まあ、そういう状態なら
そういう状態でいいのではないでしょうか。やはり男児でも、実際
約30%(推定)は、女の子と遊ぶのが好きなどと言っています。
(実際のところ、小学校の低学年児でみるなら、最近では、
いじめるのは女の子、いじめられるのは男の子という図式がもう
20年ほど前からできています。男の子がやさしく、その一方で
昔的なたくましさをさくしているのは事実です。家庭環境、教育環境、
さらには環境ホルモン説までありますが、ともかくも事実はそんな
ところです。)

いじめについてですが、内容はきわめて複雑です。単なるいじわるから、
嫉妬がからんだ陰湿なものまで、いろいろあります。
本能的な闘争心に根ざすいじめもあれば、いじめられる前に
別の子どもをいじめるという防衛的ないじめもあれば、また
ストレスを発散するためのいじめもあります。で、それぞれの
ケースで、いじめられる側の問題も変わってきます。ですから
ご質問の件には、「あります」とも、「ない」とも答えられません。
(いじめを論じたら、それだけで膨大な量になってしまいます。
近くサイトにまとめておきますので、またサイトをご覧になってください。)

あなた様のケースでは、まだ「いじめられている」という段階ではないように
思います。年齢も小さいですし、本格的な「いじめ」は、そんなものではないです
よ。
熾(し)烈というか、陰湿というか、もっともっと激しいものです。
もしそうであれば、それはそれとして問題にしますが、メールの範囲内で
あれば、「よくある通常の悪戯」と考えていいのではないでしょうか。

で、問題が一つあるとすれば、あなた自身のことです。
過関心? 不安神経症? 過保護? ……などが疑われます。
お子さんが自分で外の世界でがんばっているようであれば、子どもの
世界のことは子どもに任せて、あなたは少し、親業から離れて、
つまり子育てを忘れて、外の世界を見たらいいのではないでしょうか。
そうでないと、あなた自身が、精神的にまいってしまいますよ。
お子さんがリーダー格の子どもの「下」に入るのは、親としても
どこかなさけない気持ちになるものですが、この段階では、どうにも
なりません。もし心配なら、お子さんの「一芸」を伸ばすようにします。
私のサイトから「一芸論」を検索して、どうか参考にしてください。
ヤフーで、「はやし浩司 一芸論」を検索すると、読んでいただけると
思います。要するに、「下」に入ったからといって、それがずっと続くものでは
ないし、リーダー格だから、それがずっと続くというものではないということです。
「下」にいる子どもでも、下を学ぶことによって、やがてべつのところで
リーダーになったり、あるいは同時に別のところで子分になったりしながら、
複雑な人間関係を展開するようになります。ここは静観したらよいと思います。
(親として、すべきことはないので……。)

いただく相談はもっともっと深刻なものが多いですよ。それにくらべたら、
二人とも、問題なく、いいお子さんのようですから、お母さんは
もっと自信をもって前向きに進んでください。親としてすべきことがあるなら、
キズついて、疲れて学校や幼稚園から帰ってくるお子さんを、暖かく
迎えてあげることぐらいしかもうありません。「よくがんばっているわね」と
お子さんの心を理解してあげてください。そういうねぎらいが、お子さんの
心をいやし、疲れを取ります。今のところ、初期症状としての神経症は
出ていないようなので、この点はうまくいっていると判断されます。

お母さんはお母さんで、そろそろ子離れの準備をします。子どもは小学
3年生くらいから親離れを始めますよ。お母さんはお母さんで子育てを
忘れられるような環境を自分の周囲に用意します。

何か神経症的な、心の問題が出てきたときには、また相談してください。力に
なれます。では……。

Q:はじめまして・・・。高3と中3の娘をもつ母親です。次女のことで、「ず〜〜っと」悩
んでおります。(涙)。
もっと早くに、このページにめぐりあっていれば・・・と後悔しきりです。中日新聞の「子
育て論」は読んでいましたし、一度、講演を聞かせていただいたこともあります。次女は
中2の頃から、目だって悪くなった様です。生活態度、言葉づかい等・・・昨年暮れ頃か
ら、一つ年上の「彼氏」ができ、すぐに、心配な交際(あえてそう言わせていただきます)
の仕方となり、「最後の一線」までは、どうか・・・親としては、それだけは守っていてほ
しい!と思うのですが、定かではありません・・・このような心配は、私がたまたま耳に
した、二人の電話でのやりとりや、手紙の内容(いけない事とと承知で見てしまった)か
ら、生じました。かなり衝撃的な内容で、(とても口ではいえない様な・・・性的表現)非
常にショックを受けました。・・・いつからこんな子に・・・!?と・・・。携帯電話も、
親に内緒で勝手にプリペイド式のを購入し、もう何回か、カードを買い換えています。彼
氏やクラスの男子と、くだらないエッチメールを交換しているようです。(あまりにも、強
烈な・・・)。今どき?と思われるかもしれませんが、うちは特にお小遣いはあげてなく、
時々おばあちゃん(私の実家の母)からいただくお小遣いから、カードなどは買っていて、
その他服など、入用に応じて、お金を与えています。(しぶしぶ)。

先生はよく、「勉強」のことは言ってはならないとおっしゃっていますが、「受験生」真っ
只中の娘は、本当に勉強からはほど遠い生活態度なんです。今、この場に及んでも、机の
上には、分厚いプリクラ帳と、マニキュア、毛抜き、鏡が置いてあって、いわゆる勉強道
具はどこへやら・・・という状態です。明日も、塾の模試があるらしいのですが、全く勉
強に手がつかず、鱈腹食べては、(静かだと思うと)寝ている、という状態・・・今月ある
英検(準2級)も自分から受けるといって、受験料を支払ったものの、これまたどういう
つもりなのか、マッタク勉強していません。私も、たまりかねて、「受ける限りは、合格で
きるように努力したら?」とか、いってはみるのですが、うん・・・と一応答えるだけ。
なんだか、自分で勉強できなくなってしまっている、仕方がわからない?(今さらなが
ら・・・)という感じがします。いったい、どういうつもりなのか・・・本人は、「どっか、
公立には入ってやるさぁー」みたいな言い方しますが、本心はちゃんと入りたい高校があ
るのです。(それは、彼氏のいる高校なのですが)。でも、このままでは・・・。この時期
皆それぞれにガンバッテいることですし、こんなに勉強しないでいたら、実力なんてつき
っこないし、・・・私自信がかなり不安でいっぱいです。(←先生は、こんな言い方をする
と、お笑いになるかもしれませんが(^−^;)やはり、失敗はこわいです。本人だって、
絶対そのはずです!誰だって、希望がかなって、幸せな気分で、笑って卒業式を迎えたい
と思います。・・・まだまだと思っていたこの時期もあっという間に訪れてしまい、日々は、
どんどん過ぎてゆくのです・・・!こうしていると、わたしはどうにかなりそうでー不安
と焦りーのんき(本当はそうじゃないのかもしれませんが)に寝ている娘が、憎らしいよ
うな、はがゆいような、なんともいえない嫌な気分です!!

それから、いったいこれはどういう「心理」かしら?と思うのですが・・・とにかく目立
ちたがり屋で、(本人も言っています)後期学級委員に立候補したり、「卒業式のとき、み
んなの前で何か言いたい」←(そんな次第があるか知りませんが)と言ったり、やたら声
が大きかったり・・・ちょっと、あれっ?って思ってしまうような言動なのですが、これ
はどうなんでしょうか?なんか、心理的に欠陥があるのでは?などと心配になります。

長くいろいろと書いてしまいましたが、私の悩み、心配はつきません・・・一刻でも早く、
こんな状態から開放されたい・・・っていうか、娘自信をなんとか良い方向へ(言い方悪
いですが)向かわせたい!!という一心です。先生、お時間がなかなか足りないのでしょ
うが、どうか、こんな「母」の悩みにお答えを頂戴したいと思います!勝手なお願いです
が、できる限り早くに・・・(すみません・・・)

このQコーナーを知って、藁をもすがる思いです。。。
どうか、よろしくお願い致します。     ☆とっても悩める母より☆


A:メールをいただきました。

まず前もって、お話しますが、「悩める母」様(以後Nさん)の悩みは、多かれ少なかれ、
ほとんどの親がもつ共通の悩みですよ。男女の性交渉にしても、もう関東地域では、
約70%弱の女子高校生が、卒業までに性体験をしています。また高校進学については
今、この静岡県では、約60%が、内申書による推薦入学という現状になっています。
私たちの時代とは、ものの考え方が違うし、社会も変わってきています。受験制度その
ものも変わってきています。
 
そういう前提で、Nさんのケースですが、お嬢さんのようなケースも、これまた多くはな
くても珍しくありません。まず第一に、「うちの子だけが……、なぜ?」というような悩み
方はしないでくださいね。子どもは親離れをし、そして巣立っていきますが、それはいつ
も必ずしも、美しいものばかりとは限りません。中には、壮絶な親子戦争を繰り返して巣
立っていく子どももいます。そしてここが大切なことですが、どんな巣立ちであるにせよ、
Nさんの愛情がしっかりしていれば、必ず子どもはあなたのところに戻ってくるというこ
とです。

単調直入に言いましょう。今、あなたがかかえている問題は、どれもいつか「笑い話」に
なるような問題ばかりです。いつかあなたは二女の方にこう話すのです。「あんたは、中学
生のとき、たいへんだったのよ。お母さん、心配したのよ」と。するとあなたのお嬢さん
は、こういうのです。「まあね、いろいろ心配かけて、ごめん」と。
 
順に話していきます。
 
(1)この問題は、「今の状態より、より悪くなって、はじめて今の状態が軽かった」と気
づくことを繰り返して、あなたから見れば(本当はそうではないのですが)、どんどんお嬢
さんは悪く(?)なっていきます。今はまだ塾へも通っている、立候補もするという状態
ですが、それも今の状態では風前のともしびかもしれませんね。今ここで大切なことは、
今の状態をこれ以上、悪くしないことだけを考えて、お子さんと接することです。今はま
だ進学のことを本人も多少は心配しているようですが、しかしここで追い込んでしまうと、
その進学すら放棄してしまうかもしれません。そのとき、あなたは、今の状態が、まだよ
かったと気づくのです。
 
(2)セックスの問題は、これは熱病のようなものです。私も教える側から見ると、性体
験している女子中学生は、その様子からすぐわかります。「男」を見るめつきが、なまめか
しくなるからです。しかしそういう女子中学生を無数に見てきましたが、高校生になると、
これまたふつうの高校生になっていくから不思議です。(ふつうにするかしないかは、Nさ
んが、お子さんとのきずなを切るかきらないかの違いです。このあとに、10月号にファ
ミリスに書いた原稿を添付しておきます。参考にしてください。)つまり熱病のようなもの
ですから、抑えても抑えきれないでしょう。どうしようもないのです。私も、かつてはそ
ういう中高校生を懸命に指導した経験もありますが、結論は、「もう関せず」です。Nさん
にはNさんの、性教育観があるのでしょうが、今の若い人たちは、別の観点で動いていま
す。ショックを与えるようなことを言いますが、恐らく、年上の男の子に誘惑されたとい
うよりは、お嬢さんのほうが多分積極的だと思います。(今は、もう、男の子が遊ばれる時
代なのです。)

ですから、今は、避妊と性病だけに心配し、その指導を家庭でするしかないです。とにか
く、今の状況を悪くしないことだけを考えてください。本人たちに罪悪感などないのです
から、いくら説教してもムダですよ。
 
(3)受験についてですが、二女の方は、あなたが思っている以上に、学校で苦しみ、キ
ズついています。ただ誤解ですが、私は「勉強については言ってはならない」とは、書い
たことはありません。受験勉強は子どもの心に大きな影響を与えるとはあちこちで書いて
います。「言う」についても、注意しなさいという意味です。追い込むと子どもの心をゆが
めます。Nさんのあせる気持ちはわかりますが、子育てはまさに許して忘れるの連続。そ
してここが重要ですが、「あきらめは悟りの境地」です。先ほども書きましたよに、今はも
う受験制度もちがいますし、学校の指導も変わってきています。それ以上に子どもたちの
意識も変わってきています。昔は勉強がよくできる子どもは、それだけで尊敬されたもの
ですが、今はむしろ「へんなヤツ」と見られたりします。それにあわせて社会の構造も変
わってきています。これからの日本は、学歴ではなく、欧米型のプロ型社会がやってきま
す。どんなことでもいいのです。プロが生き残る時代が、もうすぐそこまできているので
す。意識改革をすべきは、まさに私たち自身のほうだということです。
 
(4)不安なNさんへ、

こう書いてもなぐさめにしかなりませんが、みんな不安ですよ。子どものテスト週間にな
ると、病院通いしたり、おかゆしかのどをとおらないという人は、いくらでもいます。息
子が受験に失敗したあと、自殺をはかった母親すらいます。決してあなただけではないの
です。それもこれも、もとを正せば、明治以来(あるいは平安の昔から)続いた学歴信仰
が原因なのです。私たちは、みな、学歴信仰というカルト教団の信者なのです。もっと言
えば、あなたの不安は、「つくられた不安」ということです。もっと言えばあなた自身のエ
ゴにもとづいた不安です。あなたがお嬢さんをあなたの思い通りにしたいだけ。思い通り
にならないから不安に思っているだけです。あなたのお嬢さんは何も不安に思っていない
のですから……。今、中学生で、家でまともに勉強している子どもは、約10〜15%と
みてよいでしょう。そんなものです。あなたはガリガリと机に向かって受験勉強をするお
嬢さんを理想の娘と思っているかもしれませんが、そんな子どもは、もういないというこ
と。
 
(5)思うようにならないのが子育て。しかしそれでも子どもは育っていく。親は夢や希
望を一枚ずつはがされながら、自分の子育てを終えていくのです。あなただけではないし、
あなたのかかえている問題は、まだまだ軽い! もっと深刻なケースで苦しんでいる人は
いくらでもいるし、みんな外面をよくしているだけ。近所のSさんなんかは、二人の息子
とも、高校へ入ってすぐ中退。下の子どもは、そのまま名古屋にある人形劇団に入団。今
は遊園地などでぬいぐるみを着て踊っています。当時のSさんは死ぬほど苦しんだのです
が、今は息子さんが楽しそうに踊っている姿を見ながら、笑い話にしていますよ。そして
こう言っています。「人間、何でも、じぶんの好きなことをすればいいのよね」とです。N
さんも、あと一歩でそういう境地に達することができるようになりますよ。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 ●最初は小さな亀裂

Very often the relationship between parents and their children collapse. This is an 
article about it.

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限っ
て……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音はや
がて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。
 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のように
なりたくない」と思っている中高校生は79%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、こ
の程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目を
そむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、子どもは
やり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの大げんか!
……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに
感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察して
みてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にし
ないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみて
よい。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、
どこかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生
の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに
(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は
親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」「子どもは親に
従うべき」という親ほど、あぶない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前
では、仮面をかぶる。いい子ぶる。が、その分だけ、子どもの心は離れる。親は親で、子
どもの心を見失う。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ば
す。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。
人間の心は、鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているよう
に、あなたのことを思う」というのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい
子」と思っていると、あなたの子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。
そういう相互作用が、親子の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ
目にリズム。あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。
そのときあなたは子どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよ
し。しかしあなたが子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとす
るなら、あなたと子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。おけいこ塾で
も何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。今もそうだ。こ
れからもそうだ。そしてあなたは、やがて子どもと、こんな会話をするようになる。親「あ
んたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さん
が高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そ
んなこと、お前に頼んだア!」と。
 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日か
らでも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは親子で
も、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼくに何をしてほしい?」と聞きあってい
る。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

 (2)子どもが非行に走るとき

●こぼれた水は戻らない

 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトント
ンとのぼるように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とか
しようと親があせる)→(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪
くなる。その一つが、非行。暴力、暴行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非
行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮がちに、しかも隠れて悪いことしていた子
どもでも、(叱られる)→(居直る)→(さらに叱られる)の悪循環を繰り返すうちに、
ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきことは、「それ以上、症状を悪化
させないこと」だが、親にはそれが理解できない「なおそう」とか、「元に戻そう」とす
る。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に無理を重
ねる……。

●独特の症状

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのも
のが、変調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリ
カでは、非行少年に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも、その
特徴としては、(1)拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「ウ
ッセー」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、(2)
破滅的態度(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消
える。無感動、無関心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意して
も、それが理解できない)、(3)自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観
を先鋭化する。「死」「命」「悪霊」などという言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族
が迷惑すれば、結局はあなたも損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが
理解できない。親のサイフからお金を抜き取って、それを使い込むなど)、(4)野獣的
態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭くなり、肩をいからせて歩くようにな
る。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、ぶっ殺せ」式の、短絡した
ものの考え方をするようになる)などがある。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しな
ければならない。しかしこれがむずかしい。このタイプの親に限って、その自覚がない
ばかりか、さらに強制的に子どもをなおそうとする。はげしく叱ったり、暴力を加えた
りする。これがますます子どもの非行を悪化させる。こじらせる。

●最後の「糸」を切らない

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手
前で、自分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子ど
もが「切れた(捨てられた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子
どもの心がゆがみ始めたら(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんな
ことがあっても、私はあなたを愛していますからね」という姿勢を、徹底的に貫く。子
どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そ
ういう性質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおらせる。そのためにも最後の「糸」
は切ってはいけない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧ように、子どもは行き場
をなくしてしまう。そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なおそう」とは思
わないこと。現在の症状を今より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様子を
みる。一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが…
…)で、その推移を見守る。こじらせればこじらせるほど、その分、子どもの立ちなお
りは遅れる。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【子どもどうしのトラブル】

Q:我が家には小学校1年生の男の子(6歳)と幼稚園年少の女の子(4歳)の子供がいま
す。

今日は、下の子についての相談です。以前から近所に住んでいる3人兄妹の家と母親同士
も仲が良いということもありよく行き来をしています。前から気にはなっていたのですが、
その家の長女(2年生)が娘と良く遊んではくれるのですが、かなり強引なところがあり
娘に「嫌だ」という間さえも与えずにいろいろな面で突っ走っていきます。先日、その家
族とキャンプに行った時にもその子が「Kちゃん(娘の名)、私と一緒に寝たいって。だか
らそうするね」と行ってきました。私が娘に確認すると「寝るって言ったもんねぇ」とそ
の子が答える始末。「あのね、おばちゃんはいまKに聞いてるの」と言ったものの娘はその
子の強引さに押されてしまったようで小さく「うん…」とうなずきました、がいざ二人で
テントに入ると娘の号泣が。「ママと寝たかったのに、ママとが良かったのに」と。キャン
プの間4日間そんなことの連続でした。帰ってきて、娘の髪の毛を結わこうと分け目をつ
けている時に2箇所の円形脱毛を発見しました。ショックでした。原因は、そのことしか
考えられません。その子と娘とは年も離れているのですが、我が家の長男とその子の弟と
が同級のためにいつもセットでやって来るのです。その子の母親にもある程度のことは伝
えてあるのですが、なかなか……今では娘のその子が来るのを恐怖に感じています。いつ
も、そんな様子を見ている長男も「琴を虐めるから来て欲しくない」と。私としては、そ
の弟君と長男とは遊ばせてあげたいのですが、お姉さんのほうはちょっと……今後、どの
ように接していけばよいでしょう。

A:子どもどうしの交際には、ある一定の許容範囲と程度(深さ)があります。ある程度の
トラブルは、覚悟して子どもたちに任せます。こうしたトラブルを経験して、子どもは社
会性と問題解決の技法を身につけます。しかしその許容範囲を超える場合は、別です。ご
相談の件ですが、円形脱毛症の原因がその小2の女の子にあるとしたら、明らかに許容範
囲を超えています。どこかで瞬間的な恐怖心を経験したのが原因です。年齢も年少と小2
ですから、この時期には離れすぎています。さらにその子どもに対して、恐怖心を感じて
いるなら、当然、遠ざけます。ふつうめんどうみのよい、1〜2歳年上の子どもは、すば
らしい先生になるのですが、このケースでは、かえって子どもをマイナスに引っ張ってし
まいます。対人恐怖、自信喪失、神経症の原因ともなりかねません。小2の女の子が、お
嬢さんに対して、自分の欲求不満のはけ口にしているようならなおさら、遠ざけます。そ
してできるだけ同年齢の子どもと遊ばせるようにします。具体的な方法については、家の
様子、友人関係などがわかりませんので、お答えできませんが、その女の子がきたら、お
母さんがお嬢さんを外へ連れてでたり、間にこまめに入ったりすればいいのではないかと
思います。数回繰り返すと、その女の子は来なくなるのでは……。長男には、相手の子に
「お前の姉を連れてくるな」と言うようにしむけたらどうでしょうか。要するにこういう
ケースでは、相手の女の子を遠ざけるのが賢明です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【子どもに、セックスを見られてしまった】

Q:7歳の息子に、性生活そのものを見られてしまいました。その場は適当にごまかしまし
たが、心にキズがついたのではないかと心配です。どうしたらいいでしょうか?

A:まったくありません。子どもがキズつくのは、親の不正義、不誠実、非倫理、不道徳的
行為です。たとえば不倫現場を見られる、など。これはまずいです。が、夫婦が愛し合い、
いたわり合す姿は、どんどん見せます。(セックスまで見せろということではありません。) 
国によっても違いますが、ラテン系の国へ行くと、目のやり場のないほど、若い人たちは
人の目もはばからず、抱き合ったり、愛撫しあったり、キスしたりしています。若い夫婦
もそうです。アメリカでもそうです。オーストラリアは、もう少し謙虚です。しかし恐ろ
しいほど何もしないのが、日本人です。

 7歳ですから、やがてすぐ親たちが何をしていたかを知る時期にくるでしょうが、「へへ
へ」で終わります。そういうものです。こうした例はたいへん多く、教室でも、ときどき、
「きのうの夜、パパとママが、裸でプロレスをしていた!」と言う子どももときどきいま
す。そういうときは、私は、「ふうん。どこで?」ととぼけて聞くことにしています。する
と子どもは「ふとんの上で……」と言ったりします。その程度でおさめておきます。子ど
もは、ときどきおとなの世界をかいまみながら、情報を蓄積していきます。そしておとな
になっていきます。

 要は、性にうしろめたさをもたせいないこと。スウェーデンでは、もう30年も前から、
大学の講義で、「セックスの仕方」そのものを教えています。教官が、「そこのA君、そこ
のBさん、前でセックスしてみなさい」などと、まあ、実にあっけらかんです。日本人の
ように、「性」にうしろめたさをもたないことによるものです。親が悪いことをしたと思っ
ていると、子どもに罪悪感をもたせてしまいます。それは避けます。親が子どもに、「セッ
クスは楽しいものよ」「愛し合う人どうしがするものよ」と、その年齢の子どもに言えるよ
うになったとき、性の解放は達成されるのです。「秘め事」ではないのです。また秘め事と
考える必要もないのです。昔、スウェーデンのベッテルグレン女史という、性教育協会の
会長の通訳として全国を回ったことがあります。その女史からこれは私が学んだことです。

 アングロサクソン系の夫婦は、ベッドの中ではいつも真っ裸です。子どもはいつもそう
いう夫婦像を見ていますが、それで「子どもの心がゆがんだ」という話は聞いたことがあ
りません。もうその話には触れないで、知らぬ顔をして、子どもの成長を見守ればいいで
しょう。(あえて文字をピンクにしました! ははは)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:あと片づけをしない

A:「あと片づけ」と「あと始末」は違います。子どもが外の世界をもつようになったら、
あと片づけは大目に見ます。しかしあと始末は別です。どんなことでも、あと始末をしっ
かりとさせるようします。たとえば食後、食器をシンクにもってこさせるとか、など。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:よい友だちと遊ばせたいが、どうしたらよいか。

A:実際に、子どもの友人を選ぶのは親ですね。よい友だちというのは、1〜2年、年上で、
たっぷりと親の愛情を受けた、めんどうみのよい子どもをいいます。そういう友だちをも
つと、あなたの子どもは飛躍的に伸びます。そういう子どもは、誕生会に呼んであげたり、
夕食をごちそうしてあげたり、親ぐるみのつきあいをしたりします。ただしこの方法は、
小学3〜4年生ぐらいまでしか通用しません。それ以後は、子どもの友だちは、子どもに
任すしかありません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:どうもよくない友だちと、つきあいはじめたようです……

A:そういうときは、「友を責めるな、行為を責めよ」(イギリスの教育格言)です。相手
の子どもの行為だけを責めて、決して友だちを責めてはいけません。「タバコを吸うことは、
体に悪い」と

かなど。コツは、決して、相手の友だちの名前を出さないようにすることです。以下に、
私が書

いた原稿(新聞コラムより)を、添付しておきます。

「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」・友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはど
うするだろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。
こういうときの鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリ
スの格言だが、こういうことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子
どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあな
たを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ること
になる。友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろ
というのは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほ
ど、あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たい
へんまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜
ふかしすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」
とか、など。コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断
させるようにしむける。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一
歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。
 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そうい
う子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子
はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。この
プレゼントをもっていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必
ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえよ
うと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あ
なたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。
ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親
がいる。しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑
ってみること。祭で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣い
て弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケース
は、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因
は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でもない格
言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q:一人っ子の育て方の注意点を……

A:第一に考えなければならないのは、社会性の欠落です。ですから幼いときから、同年齢
の子どもたちと遊ぶ機会を多くしてください。この点さえ気をつければ、大きな問題は起
きません。

ただどうしても一人っ子だと、過干渉、過関心、溺愛、過保護になりやすいですから、親
は親として、別の生きがいを見出すようにしてください。子どもの問題というより、親の
問題のほうが大きいです。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 兄(8歳)と弟(6歳)の兄弟喧嘩が激しく手に負えません。

A: 兄弟喧嘩は、それが一定のワクの範囲なら、一に静観、二に静観。互いの言い分は聞
いても、ジャッジはしない、です。ここでいう一定の「ワク」というのは、いわゆる「仲
のよい兄弟の範囲内で」という意味です。しかしそのワクを越えて、本当に憎しみあうと
か、暴力行為が過激になるというのであれば、もっと別の原因をさぐってみます。頭から
押さえても、意味がないばかりか、かえって喧嘩を激しくさせてしまいます。別の原因と
して考えられるのは、上の子どもの側の嫉妬、欲求不満など。さらには外の世界で受ける
ストレスの発散など。情緒不安も考えられます。それぞれのケースに応じて、考え、対処
します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 夫と子どもの教育のことでよく対立します。どうしたらよいでしょうか。

A: 子どもの前では意見の対立をしない……これが大鉄則です。子どもの前では、「お父
さんがそう言っているから、そうしなさい」とだけ言います。そして夫婦の意見の対立は、
子どものい
ないところでします。賢い母親なら、そうします。昔から「船頭が二人では舟は進まない
と言います。夫婦の意見が一致していても難しいのが子育て。こういうときは、夫に船頭
になってもらい、夫に子育てをリードしてもらいます。……こう書くと、封建的なことを
言っていると思われるかもしれませんが、相談者が父親なら、私は逆のことを言います。
つまり互いに高い次元において、子どもを教育します。子育てでタブー中のタブーは、互
いの悪口を子どもに言うことです。「お父さんの給料が少ないから、お母さんは苦労してい
るのよ」式のグチもタブーです。母親は子どもを自分の味方につけたいため、そう言いま
すが、かえって子どもの心は親から離れます。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

Q: 子どもをどう叱ったらよいのですか。

A: 子どもを叱るときは、子どもにその子ども(あなたから見れば孫)の叱り方を教え
るつもりで叱ります。「あなたが親になったら、こういうふうに叱るのですよ」と、です。
そういう心づもりをどこかでもちながら子どもを叱ると、あなたと子どもの間にワンクッ
ション置くことができ、ギクシャクした関係を和らげることができます。あなたは親の見
本なのです。そういうつもりで叱ってみてください。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 15日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て、Q and A・特集】(1)
(今回から4回に分けて、QandA特集をします)

Here are questions from parents and my answers to them.

Q:祖父母と、子どもの教育問題で対立することが多いが、どうしたらよいか。祖父母は何
ごとにつけ、子どもの教育に対して口をはさむ。

(Grand parents interfere our life and our way we raise up our children.)

A:もう20年近く前ですが、調査をしてみました。その結果わかったことは、つぎのよう
なことです。

まず祖父母と同居するなら、結婚当初、もしくは子どもが生まれる前にします。こうい
うケースでは、ほとんどの母親(嫁)は、「祖父母と同居してよかった」と答えています。
問題は、途中からの同居です。特に子どもがある程度大きくなってからの同居は、何か
と問題が起きるようです。その中でも一番多いのが(母親からの回答)、祖父母が子ども
の教育に口を出して困る、というもの。子ども(祖父母からみれば孫)を取り合って、
壮絶な家庭内戦争を繰り返す人はいくらでもいます。

 相談の方のケースはどちらかわかりませんが、多分、途中からの同居ではないかと思い
ます。夫婦として、親子として、ある程度「形」ができたところに、祖父母が入ってく
るため、どうしてもそこで摩擦が生じます。この摩擦が、家庭内騒動の原因というわけ
です。実際、この種の騒動は、母親も妥協しないため、深刻になるケースがほとんどで
す。最終的には、別居か、さもなくば離婚というところまで発展してしまいます。

 そこでこう考えます。(1)別居か離婚かという段階まで進んでいないようだったら、祖
父母に子どもの教育を分担してもらいます。その分、母親は自分で好き勝手なことをす
ればよいのです。こうした割り切りが、家庭に風を通します。祖父母には、「おじいちゃ
ん、おばあちゃんがいてくださるから、私は助かります」と言えばいいのです。

よく「祖父母の甘やかし」を心配する母親がいますが、全体としてみれば、マイナーな
問題です。(あなたのご主人よりは、あなたの子どもはよい子どもになるはずです。)ま
ずいのは、祖父母と父母の教育姿勢がちぐはぐになるときです。子どもが船頭をなくし
た状態になりますので、ご注意ください。

 (2)別居か、離婚かというレベルなら、あとはあなたがご判断ください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●夫との違い

(I have different views of raising up children from my husband. My husband is 
short-tempered and rough to our children.)

1 夫の怒りかたが荒っぽくて困っている。できれば話して(言葉で)わからせたいのに、
夫は怒鳴ったり、手をあげることも・・・。

★『夫婦は一枚岩』というのが、子育ての鉄則です。夫婦で意見の衝突があっても、子ど
もの前では見せないようにします。また『船頭は一人』という鉄則もあります。こういう
ケースでは、母親は、まず父親を立てる。決して男尊女卑的なことを言っているのではあ
りません。たがいに高度な次元で尊敬しあってこそ、それを「平等」といいます。

子どもの前では、「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と、あくまでも父親
の側に立ちます。納得がいかないことがあれば、子どもが寝静まったあとにでも、「私は
こう思うけど……」と、意見の調整をします。

★そうでなくても、むずかしいのが子育て。これから先、夫婦の心がバラバラで、どうし
て子育てができるというのでしょうか。なおこういうケースでは、夫が怒鳴ったり、手
をあげたりしそうであれば、その前に、夫の言いたそうなことを前もって、言うように
します。いわゆる夫の機先を制するということです。「そんなことをすると、お父さんに
叱られますよ!」と。夫に抵抗すればするほど、夫の心は、あなたや子どもから離れて
いきます。これは子どもの問題というより、夫婦の問題かもしれません。どこか夫婦の
間に、すきま風が吹いていませんか。私には、そちらのほうが気になります。

★なお、親子の信頼感は、「一貫性」で決まります。E・H・エリクソンという心理学者も、
「親(とくに母親)の安定的態度が、基本的信頼関係を結ぶ基礎である」というような
ことを言っています。要するに親の心がグラグラしていては、親子の間で、信頼関係を
結ぶことができないだけではなく、つづいて、子どもは、園や学校の先生、さらには友
人との信頼関係を結べなくなります。よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一本スジの通
った子育てをします。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 食事中のマナーについて。夫はテレビを見ながら食べている。でも、子どもには、ご
はんを食べるときはテレビを消しなさい」と言ってあるので、子どもの教育上、夫には
テレビを消して、協力して欲しい。

(My husband does not care watching TV while we are having dinners. I always ask to 
stop TV but he does not follow me.)

★子育ての世界には、メジャーな問題と、マイナーな問題があります。家庭の役目は、家
族が外の世界で疲れた心と体をいやすことです。そのために「家庭はどうあるべきか」を
考えるのは、メジャーな問題。「家庭でのこまごまとした、ルール」は、マイナーな問題と
いうことになります。マイナーな問題に引き回されていると、メジャーな問題を見失うこ
とがあります。そこでこうしたマイナーな問題は、言うべきことは言いながらも、あとは
適当に! その時と、場所になればできればよいと考えて、おおらかに構えます。

★また子どもの世界には、『まじめ八割、いいかげん二割』という鉄則があります。「歯を
みがきなさい」と言いながらも、心のどこかで、「虫歯になったら、歯医者へ行けばいい」
と思うようにします。虫歯の痛さを知って、子どもは歯をみがくことの大切さを学びます。
それだけではありません。

子どもは、そのいいかげんな部分で、羽を伸ばします。子育てでまずいのは、神経質な
完ぺき主義。家庭が家庭としての機能を果たさなくなるばかりか、子どもの心をつぶし
てしまいます。さらに子どものことで、こまごまとしたことが気になり始めたら、あな
た自身の育児ノイローゼを疑ってみます。

★「しつけ」と「ルール」は違います。「しつけ」は、自律規範のことをいいます。この自
律規範は、初期のころは、親から与えられますが、やがて子どもは、自分で考え、自分
で判断し、自分で行動するようになります。子どもをしつけるということは、いかにし
て子どもを自律させるかということ。一方、ルールは、あくまでもルール。むしろ『ル
ールがないから家庭』と言います。またイギリスの教育格言にも、『無能な教師ほど、ル
ールを好む』というのもあります。これを言いかえると、『無能な母親ほど、ルールを好
む』(失礼!)となります。

★ルールは、つくるとしても、家庭では最小限に。夫の立場で言うなら、「家に帰ってきて
からは、のんびりとテレビでも見ながら、食事をしたい」ということではないでしょう
か。私なら妻から、そんなこまごまとしたルールを言われたら、気がヘンになります。
なお、「食事中はテレビを見ない」というのは、マナーでも何でもありません。「マナー」
というのは、「他人の心を害さないこと」を言います。

そういうマナーは大切ですが、「テレビを見ながら、食事をしてはいけない」というのは、
マナーではありません。いわんや「教育上……」と、おおげさに構えなければならない
ような、問題ではありません。もしどうしても気になるようだったら、テレビを置く場
所をかえるとか、向きをかえてみてはどうでしょうか。ちなみに、私は、毎日、テレビ
を見ながら、夕食を食べています。

★要するに子育てをするときは、いつもメジャーな視点を忘れないこと。いつも、「より大
切なことは何か」と考えながら、します。そういう視点が、あなたを親として、大きな
人間にします。こまかいルールで、がんじがらめになっている家庭からは、大きな子ど
もは生まれません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 子どもの習い事など。園のお友だちなどを見ると、習い事をさせる人もけっこういま
す。子どももやりたがっていることだし、私としては何かやらせてもいいのでは? とお
もっているけど、夫は「まだ早い。子どもはのびのび遊んでいればいい」と。この感覚の
違いって、これからももめごとの原因になりそうで・・・。

(Many children go to learning schools or piano lessons etc, children of my neighbours. I 
feel nervous about it.)

★親には、三つの役目があります。子どもの前を歩く。子どものガイドとして。子どもの
うしろを歩く。子どもの保護者として。そして子どもの横を歩く。子どもの友として。日
本の親は、子どもの前やうしろを歩くことは得意ですが、子どもの横を歩くのが苦手。そ
ういう発想そのものがありません。

こういう相談のケースでも、「(子どもに)やらせる」という発想そのものが、気になり
ます。大切なことは、子どもの方向性を見極めながら、「あなたはどう思うの?」と、そ
のつど、子どもの心を確かめながら、行動することです。習い事をするしないかは、あ
くまでもその結果です。

★で、習い事をするにしても、この時期は、「楽しませること」を考えてします。(できる、
できない)ではなく、(楽しんだかどうか)をみます。そういう前向きな姿勢が、子ども
を伸ばす原動力となります。もう少し専門的には、「プラスのストローク(働きかけ)」
を大切にするということです。

★この時期は、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあとよい結果を生みます。ですからその
つど、「あなたはよくできる」「あなたはもっとできるようになる」と、プラスの暗示を
かけていきます。ほかに『一芸論』(子どもに一芸をもたせる。一芸を伸ばす)や、『才
能は作るものではなく、見つけるもの』という鉄則もあります。参考にしてください。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●ママ友だちとの違い

1 何かトラブルがあると「うちの子にかぎって、そんなことはしない!」と、決まって
言う母親がいる。自分の子が原因になっていても、よその子から疑うなんて。「他人は他
人」と思っていても、やっぱり頭にきちゃう!

(I have some troubles with young mothers.)

★反面教師という言葉があります。あなたのまわりに「親バカ的な人」(失礼!)がいたら、
いつも「自分はどうか?」と自問してみます。そういう親を非難するのではなく、自分自
身が伸びるための反面教師にします。このケースでも、「頭にきちゃう」ではなく、「親と
いうのはそういうもの。ならば自分はどうなのか?」という視点でみるようにします。そ
うすれば、少しは怒りがおさまるはずです。

★このケースで気になるのは、むしろ相手側の親子です。「うちの子にかぎって」と思って
いる親ほど、子どもの心がわかっていない。それだけではない。ひょっとしたら、その子
どもは、親の前で、いい子ぶっているだけ? こういうのを「仮面」といいます。さらに
ひどくなると、心(情意)と、表情や言動が遊離するようになります。不愉快に思ってい
るはずなのに、ニコニコ笑うなど。こうなると、親の側から見ても、自分の子どもが何を
考えているかわからなくなります。親子断絶の初期症状と考えて、警戒します。

★信頼関係を築くためには、(さらけ出し)→(心を開く)というプロセスを踏みます。「ど
んな恥ずかしいことでも、たがいに言いあえる」「何をしても、何を言っても、たがいに許
しあえる」という関係があってはじめて、信頼関係を築くことができます。親子とて、例
外ではありません。しかし今、信頼関係どころか、親子でも、心を開けないケースが、ふ
えています。先日も、私に、「うちの子(小二男児)がこわいです。私のほうから、あれこ
れ言うことができないので、先生のほうから言ってください」と言ってきた、母親がいま
した。

★一方、心を開けない子どもは、開けない分だけ、心をゆがめます。いじける、ひがむ、
つっぱる、ひねくれるなど。それを防ぐためにも、子どもには、まず言いたいことを言わ
せ、したいことをさせます。その上で、よい面を伸ばし、悪い面を削るようにします。相
手側の親子には、そういう姿勢が感じられません。ひょっとしたら溺愛ママ? 自分の心
のすき間を埋めるために、子どもを利用しているだけ? そういう視点で見てあげると、
さらに怒りがおさまるかもしれません。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 育児論に自信があり、「私の子育ては正しくて間違いはない!」と言ってはばからない
ママが園にいる。みんなそれぞれなのに、人の子育てにも口を出してくる始末。もう、ほ
っといてほしいのに。

(So-called expert mothers interfere my own child. It is nothing to do with them. Please 
leave me alone!)

★ほかの親とのつきあいは、『如水淡交』が原則。「淡く水のように」という意味です。中
に、自己中心的で、押しつけ的なことを言ってくる親もいますが、そういう親とは、サラ
サラと水のように交際するのが、コツです。

この世界、その底流では、親たちのドロドロの、それこそ血みどろの戦いがウズを巻い
ています。それに巻き込まれると、かなり神経の太い人でも、参ってしまいます。だか
ら交際するとしても、園や学校の行事の範囲だけにとどめます。決して深入りしてはい
けません。間に子どもがいるため、一度、こじれると、この種の問題は、とことんこじ
れます。もしどうしても、ということなら、あなたの子どもが通っている園や学校とは、
直接関係ない世界に住んでいる親と交際するようにします。

★ただ子育てで注意しなければならないのは、カプセル化です。カプセル化というのは、
親子だけの狭い世界でマンツーマンの生活をすることいいます。そしてその世界だけで、
独自の価値観を熟成してしまう……。家族が、ちょうど小さなカプセルに閉じ込められ
るようになるので、カプセル化といいます。

一度カプセル化すると、同じ過干渉でも、極端な過干渉、あるいは同じ溺愛でも、極端
な溺愛になりますから、注意します。それを防ぐためにも、自分のまわりは、いつも風
通しをよくしておきます。つまりたがいの情報を交換することは悪いことではありませ
んので、「ほっといて!」ではなく、「また教えてね!」というような、つきあい方に切
りかえてみてはどうでしょうか。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 うちによく遊びに来る子が、まったくしつけされていない。人の家の冷蔵庫を勝手に
あけたり、寝室(入ってはダメと言ってある所)に入ったり・・・。しかも、それを見て
も、本人の親は何も注意しない!「おたくのしつけ、どうなってるの!」って感じ。「もう
こないで!」と言いたいが、子ども同士は仲がいいので、言えない。

(Some of the kids who come to my house and play with my son are not well-educated. 
They are rough. What shall I do?)

★こういうときの鉄則は、ただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』です。相手の子ども
の行動のどこか、どのように悪いかを、子どもに話しても、決して相手の子どもの名前を
出してはいけないということです。「よそのうちの冷蔵庫を勝手にあけるのはよくないね」
「そのおうちの人が入ってはいけないという部屋に入ってはいけないね」と、です。

こういうケースで、「○○君とは遊んではダメ」と、子どもに言うことは、子どもに、「親
を取るか、子どもを取るか」の択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取れ
ばよし。そうでなければ、あなたとあなたの子どもの間に大きなキレツを入れることに
なりますから、注意してください。なおこの鉄則は、これから先、あなたの子どもがお
となになるまで、有効です。

★で、あえて言うなら、あなたの子どもは、その子どもといっしょにいることが、楽しい
のです。子どもというのは、無意識のうちにも、居心地のよい仲間とつきあいます。つ
まり『類は友を呼ぶ』です。そこで大切なことは、あなたの子どもにとって、どこがど
う居心地がよいかを知ることです。ひょっとしたら、あなたのほうが、ガミガミとこま
かいしつけをし過ぎていませんか。……そうではないと思いますが、そんなことも疑っ
てみることも、ときには大切です。

★これから先、あなたの子どもは、無数の人間関係を、いろいろな場所で結びながら、そ
の間でのやりくり、つまり社会性を身につけていきます。そういう意味では、悪友もま
た、必要なのです。社会に対する免疫性も、そこから生まれます。だからといって悪い
ことを容認せよというわけではありませんが、一般論として、非行などのサブカルチャ
(下位文化)を経験した子どもほど、社会人になってから常識豊かな人になることも、
よく知られています。「悪いからダメ」式に、子どもを押さえつけるのではなく、むしろ
逆に、「あの子はおもしろい子ね」式に、相手の子どものよさを発見してみてはどうでし
ょうか。


+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●義父母・父母との違い

1 子どものほしがるものは何でも与えてしまう姑。特に、お菓子やおもちゃは、わが
家なりのルールを決めて、守らせたいのに。今まで一生懸命に言い聞かせてきたのが無
駄になる!

(My grand parents are such people who are too sweet to my son and daughter. They are 
to spoil them in a sense.)

★昔の人は、「子どもにいい思いをさせるのが、親の愛の証(あかし)」「いい思いをさせれ
ば、子どもは親に感謝し、それで絆(きずな)は太くなるはず」と考えて、子育てをしま
した。今でも、日本は、その流れの中にあります。だから今でも、誕生日やクリスマスな
どに、より高価なプレゼントであればあるほど、あるいは子どものほしがるものを与えれ
ば与えるほど、子どもの心をとらえるはずと考える人は少なくありません。しかしこれは
誤解。むしろ、逆効果。

イギリスの格言に、『子どもには、釣竿を買ってあげるより、いっしょに釣りに行け』と
いうのがあります。つまり子どもの心をつかみたかったら、モノより、思い出というわ
けです。しかし戦後のひもじい時代を生きた人ほど、モノにこだわる傾向があります。「何
でも買い与える」という姑の姿勢の中に、その亡霊を見ることができます。

★また昔の人は、「親(祖父母)にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、
いい子」と考える傾向があります。そして独立心が旺盛で、親を親とも思わない子ども
を、「鬼の子」として嫌いました。今でも、そういう目で子どもを見る人は少なくありま
せん。あなたの姑がそうだとは言いませんが、つまりこうした問題は、子育ての根幹に
かかわる問題なので、簡単にはなおらないということです。あなたの姑も、子ども(孫)
の歓心を買うことにより、「いいおばあちゃん」でいたいのかもしれません。

そこでどうでしょうか。この私の答を、一度、姑さんに読んでもらっては? しかし子
育てには、その人の全人格が集約されていますから、ここにも書いたように、簡単には
なおりません。時間をかけて、ゆっくりと説得するという姿勢が大切です。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

2 嫁と舅・姑の違いって必ずあるし、それはしかたないことと割り切っています。でも、
我慢して「ノー」と言えないのでは、ストレスもたまるいっぽう。同居するとますます
増えそうなこのモヤモヤ。がまんにも限度があると思うから、それを越えてしまったと
きがこわい!

(I can't bear living together with my parents-in-law.)

★もう、同居している? それともしていない? 祖父母との同居問題は、最終的に、「別
居か、もしくは離婚か」というところまで覚悟できないなら、あきらめて、受け入れるし
かありません。たしかに問題もありますが、メリットとデメリットを天秤(てんびん)に
かけてみると、メリットのほうが多いはず。私の調査でも、子どもの出産前から同居して
いるケースでは、ほぼ、一〇〇%の母親が、「同居してよかった」と認めています。

★問題は途中同居(つまり子どもがある程度大きくなってからの同居)ですが、このばあ
いも、祖父母との同居を前向きに生かして、あなたはあなたで、好きなことをすればよい
のです。仕事でも、趣味でも、スポーツでも。「おじいちゃんやおばあちゃんが、いっしょ
にいてくださるので、助かります」とか何とか言って、です。祖父母の甘やかしが理由で、
子どもに影響が出ることもありますが、全体からみれば、マイナーな問題です。子ども自
身の自己意識が育ってくれば、克服できる問題ですので、あまり深刻に考えないようにし
てください。

★なお、「嫌われるおじいちゃん、おばあちゃん」について、私は以前、その理由を調査し
てみたことがあります。その結果わかったことは、理由の第一は、健康問題。つぎに「子
どもの教育に口を出す」でした。今、日本の子育ては、大きな過渡期にあります。(孫の教
育に口を出す祖父母の時代)から、(祖父母は祖父母で、自分の人生を生きる時代)へと、
変化しつつあります。そこで今は今で、そのストレスをしっかりと実感しておき、今度は、
あなたが祖父母になったとき、(その時代は、あっという間にやってきますが……)、そう
いうストレスを、つぎの若い夫婦に与えないようにします。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

3 何かあると自分の子育て論で迫る母。「昔は8か月でオムツが取れた」とか「昔は○○
だったのに」など、自分の時代にことを持ち出して、いい加減なことばかり。時代は進ん
でいるの! 今のやり方をもっと認めて!

(My mother always compare me with older people like my mother. It is her common way 
of saying that older time is better than now.)

★『若い人は、老人をアホだと思うが、老人は、若い人をアホだと思う』と言ったのは、
アメリカの詩人のチャップマンです。「時代は進んでいる」と思うのは、若い人だけ(失礼!)。
数十万年もつづいた子育てが、一世代くらいの時間で変わるはずもないのです。いえ、私
は、このことを、古い世代にも、若い世代にも言いたいのです。子育てに「今のやり方」
も、「昔のやり方」もないのです。もしそう見えるなら、疑うべきは、あなた自身の視野の
狭さです(失礼!)。

★もっともだからといって、あなたの姑の子育て観を容認しているのではありません。子
離れどころか、孫離れさえできていない? いや、それ以上に、すでに姑とあなたの関係
は、危険な状態に入っているかもしれません。やはりイギリスの格言に、『相手は、あなた
が相手を思うように、あなたを思う』というのがあります。これを心理学では、「好意の返
報性」と呼んでいます。つまりあなたが、姑を「昔風の子育てを押しつけて、いやな人」
と思っているということは、まったく反対の立場で、姑も、あなたのことを、「今風、今風
って、何よ。いやな嫁」と思っているということです。

★実のところ子育てでまずいのは、個々の問題ではなく、こうしたギクシャクした人間関
係です。つまりこうした不協和音が、子育て全体をゆがめることにもなりかねません。そ
こでどうでしょうか。こういうケースでは、姑を、「お母さんは、すばらしいですね。なる
ほど、そうですか!」ともちあげてみるのです。

最初は、ウソでもかまいません。それをつづけていると、やがて姑も、「よくできた、い
い嫁だ」となります。そしてそういう関係が、子育てのみならず、家庭そのものを明る
くします。どうせ同居しなければならないのなら、割り切って、そうします。こんな小
さな地球の、こんな狭い日本の、そのまたちっぽけな家庭の中で、いがみあっていても、
し方ないでしょう!


+++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子育て観の違い

 子育てにかぎらず、ものの考え方や価値観のちがいは、あらゆる場所で、ごく日常的に
起きます。ここにあげたもののほか、園や学校の先生との衝突やズレ、もっと大きくは、
国の教育との衝突やズレなど。

 しかしこうした考え方や価値観のちがいを感じたときの鉄則は、それと戦うのではなく、
それを乗り越えるということです。夫との対立、ママ友だちとの対立、さらには、祖父
母との対立にしても、それと争っても意味はありません。「対立する」ということは、相
手と同レベルであるということを意味します。相手はまちがっていると思えば、相手も、
あなたをまちがっていると思うもの。そういう状態では、争えば争うほど、袋小路に入
ってしまいます。では、どうするか?

 相手が納得するような、さらに高次元なものの考え方や価値観を、こちら側が追求しま
す。そして結果として、相手のものの考え方や価値観を乗り越えます。相手が、それに
気づいたとき、対立は、ごく自然な形で、消滅します。たとえば……。

●山には登る

 遠くから見ると、低く見える山でも、登ってみると、意外と視野が広く見えるもの。子
育ても、その山登りに似ています。つまり高い山に登れば登るほど、それまでの自分が
いかに小さな世界で、右往左往していたかがわかります。

 そこでもし、相手がだれであるにせよ、その相手と子育ての見方、考え方で衝突したら、
自分の視野を高めることだけを考えます。相手の人が、つまらないと思えるなら、なお
さらです。衝突するということは、自分も相手と同じレベルだと認めるようなもの。し
かしあなたが一歩、先に出れば、相手が、小さく、とるに足りない相手とわかるはずで
す。たとえば私は、幼児や、暴走族の若者たちに、「バカ!」と言われても、気にしませ
ん。もとから相手にしていないからです。要するに、相手の子育て観を気にしないほど
までに、自分の子育て観を高めるということ。その一つのヒントとして、「許して、忘れ
る」があります。

●子育ては、「許して、忘れる」の連続

 子どもへの愛情の深さは、どこまで子どもを許し、忘れるかで決まります。つまりどの
度量の広さこそが、親の愛の深さということになります。その「許して、忘れる」、英語
では、「フォ・ギブ&フォ・ゲッツ」と言います。「フォ・ギブ」という単語をよく見る
と、「与える・ため」とも訳せます。また「フォ・ゲッツ」は、「得る・ため」と訳せま
す。つまり「許して、忘れる」は、「子どもに愛を与えるため、許し、子どもから愛を得
るため、忘れる」ということになります。

 もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではありません。
ここでいう「許して、忘れる」は、子どもにどんな問題があっても、また何か問題が起
きても、子どもは、ありのまま受け入れ、認め、そして許すということです。そういう
視点で、もう一度、あなたの身のまわりで起きている問題をながめてみてください。あ
らゆる問題が、ささいな問題に見えてくるはずです。

●さらに自分を高めるために……

 子育てをしていて、道に迷ったら、つぎの四つの方向から、子どもをみます。まず未来
をみる。あなたは子どもを育てているのではない。あなたは、子どもに子どもの育て方
を教える。それが子育てだ、とです。「あなたが親になったら、こういうふうに子ども(あ
なたからみれば孫)を育てるのですよ。お母さんは、今、その見本を見せてあげるから、
よく見ておくのですよ」と。そして同時に、「幸せな家庭というのは、こういうものです
よ」「家族というのは、こういうふうに助けあうのですよ」と。

 つぎに子育てをしながら、自分の過去をみます。もしあなたが、恵まれた環境で、何不
自由なく、両親の温かい愛に包まれて育てられたのなら、それでよし。そうでないなら
(大半の人が、そうですが……)、心のどこかがゆがんでいないかを冷静に判断します。
ゆがんでいることが、問題ではありません。そのゆがみに気づかないまま、同じ失敗を
繰りかえすことが、問題です。しかしこの問題は、そういう過去があったということに
気づくだけでも、そのほとんどが解決したとみます。

 三つ目に、自分の子育てを「上」からみます。その視点は高ければ高いほど、よいとい
うことになります。まず近くの人の子育てをのぞいてもます。つぎに親戚や友人など。
さらに世界の子育てなど。子育てをしていて一番、こわいのは、「うちの子のことは、私
が、一番よく知っている」という過信と誤解。そして独断と偏見の世界に入ることです。
子どもはたしかにあなたから生まれますが、生まれたときから、別の人格をもった、一
人の人間です。もっと言えば、世の中にいる無数の人たちの一人、ということです。つ
まり子どものもつ可能性にせよ、人間性にせよ、あなたには、わかっている部分より、
わかっていない部分のほうが、はるかに多いということです。そういう一歩退いた、謙
虚な見方が、子どもを伸びやかな子どもにします。

 最後に、自分の心の中をのぞいてみます。ある母親は、自分の子ども(二歳男児)が、
生死の境をさまようような病気になったとき、「私の命は、どうなってもよい。私の命と
交換してでもよいから、あの子の命を救ってほしい」と、願ったといいます。こうした
「自分の命すらも、おしくない」という至上の愛は、まさに人は、子どもをもってはじ
めて知ります。子どもは、ただの子どもではない。あなたに、もっと大切なことを教え
るために、今、あなたのそばにいる……。つまりあなたが子どもを育てるのではない。
子どもが、あなたを育てます。これから先、あなたは幾多の山を越え、谷を越える。平
凡は美徳ですが、平凡から何も生まれません。子育ては重労働です。ある心理学者は、「母
親にとっての家庭は兵舎と同じ」というようなことを書いていますが、楽な子育てとい
うのはありません。しかしそういう苦労が、無数のドラマをつくり、あなたの人生を、
心豊かなものにします。立ちはだかる困難を恐れないこと。今、あなたのまわりで起き
つつある、さまざまな問題は、その第一歩ということになります。逃げるのではなく、
勇気を出して、そうした問題と取りくんでみてください。応援します。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

【はやし浩司先生へ】

In Japan we used to have two systems to care pre-school children, one is Hoikun-en 
(Nursery Cebter) and anotherone is Yochi-en (Kindargaten). This mother who sent me 
an E-mail is worrying about which is better for her child.

●保育園VS幼稚園

娘のKは、生後六か月の頃から保育園に通っています。

今から考えれば笑い話なのですが、初めての育児でどうしたらよいかわからず
一人で悩んでどうにかなりそうだったので、六か月で育児休暇を切り上げ、
保育園に入れ、仕事に復帰したのです。

保育園の先生方は、私の悩みを聞いてくれたり、色々なアドバイスをしてくれました。

娘のKは、人見知りしない子だったので(今もですが)どの先生にでも抱っこされて、
大変かわいがってもらいました。(今もです)。

娘のKも、異年齢のお友達と遊びながら、時にはお姉ちゃん、時には妹となり、楽しく遊
んでいます。保育園に入れて良かったと感じています。

ところが、最近、一部のお母さん方に「Kちゃんは、どこの幼稚園に行くの?」と聞かれ
るのです。

小学校まで今の保育園のままだと答えると、「えー!」と驚かれます。

「SSの幼稚園はひらがなを教える」とか「AA幼稚園は算数を教える」と言うのです。

更に「保育園出身では授業中じっと座っていられない」と・・・。
私達(夫婦)は、今の保育園で十分満足していますし、ひらがなや簡単な算数なら
普段の生活の中で少しずつ覚えていくと考えています。
(実際、ひらがなは自然と覚えていきましたし、数字にも興味津々です。)

幼稚園出身児に比べ、保育園出身児は授業中じっと座っていられないのでしょうか?
小学校でじっと座っていられるように、今から訓練(?)させるなんて、おかしいような
気がする
のですが・・・。
それとも私達がおかしい・・・?

先生のお時間がある時にご意見を聞かせて頂ければ嬉しいです。
長々とすみませんでした。
(佐賀県U市、TEより)

+++++++++++++++

【はやし浩司より、TEさんへ】

 保育園児だからとか、幼稚園児だからという区別は、まったくナンセンスです。最近で
は、教育カリキュラムにしても、保育園の幼稚園化が進み、区別できなくなっているのが、
現状です。

保育園は旧厚生省管轄、幼稚園は旧文部省管轄という点だけをのぞけば、外から見たとこ
ろでは、区別できません。保育園と幼稚園の一本化が叫ばれる理由は、こんなところにも
あります。(保育時間などの違いは、ありますが……。)

 さらに保育園児だから、じっと座っていることができないとか、幼稚園児だから、座っ
ていることができるとか、そういう区別も、ナンセンスです。問題の「根」は、もっと別
のところにあります。まったく関係ないと断言できます。

 で、先取り教育と幼児教育、さらに早期教育は区別して考えます。小学校で勉強するこ
とを、先に教えるのが、先取り教育。今、私の住む地方でも、掛け算の九九を教えている
幼稚園があります。典型的な先取り教育です。
 
 幼児教育は、幼児期にしておくべきことを教える教育です。それについては、私の専門
ですから、またマガジンを参考にしてください。

 で、早期教育ですが、これには、いろいろな意味が含まれます。(こういうふうに、区別
して考えるのは、正しくないかもしれませんが……。)たとえば音感やある種のスポーツな
どは、かなり早い時期から訓練を開始したほうがよいと言われています。たとえばピアノ
演奏の練習などは、満一〇歳を過ぎてから始めても、遅いと言われています。だから早い
時期から、教育を始める……。これが早期教育です。

 文字、数の学習については、私のサイトのあちこちに書いていますので、どうか参考に
してください。大切なのは、この時期、できる、できないではなく、前向きな姿勢が育っ
ているかどうか、です。文字や数を見たとき、逃げ腰になっているようであれば、失敗と
いうことです。そのためにも、この時期は、「楽しい」ということだけを教え、あとは子ど
も自身がもつ力に任せます。

これが幼児教育です。

 あまりよい回答になっていないかもしれませんが、私は、TEさんの今のやり方で、よ
いと思います。もちろんすぐれた教育を実践している幼稚園も多いので、一度、見学な
どをなさってみられたらいかがでしょうか。あくまでも「先生」「園」「園長」を見て、
判断なさることだと思います。

園の選び方などは、たまたま一月七日号のマガジンに、簡単に書いておきました。どう
か、参考にしてください。

 なおいただきましたメールを、マガジンに転載しますが、よろしくご了解ください。ご
都合の悪い部分があれば、改めます。

                                はやし浩司

******************************************************************************

Q:2週間程前に、長女と次女の事で相談のメールを送りました三重県のTTです。

 その後、今までは、主人の両親が車で3分のところに住んでいますので、次女は主人の
義母に預けて、義母が都合が悪い日は義父に見てもらっていたのですが、二人ともボラン
ティアや町内会の仕事などで忙しく、また幼稚園を休むようになってからは次女を一日中
見てもらわなくてはならなくて、それで疲れている様子も見られたので、先週から私の母
が月曜から金曜まで泊まりで来てくれています。1週間はそれで喜んでいた次女もやはり
そろそろ「ママがいい!」と言い始めています。それは、もうしょうがないことなんだと
思っています。

 最近私は、長女の「学校へ行く」「行かない」の言葉に家族や祖父母までが振り回されて
しまっている、ということを思うようになりました。
 
 確かに学校へは行って欲しいですし、私が付いていくことで行けるのであればそれを続
けたいと、思っていました。また、そうしているうちに一人で行けるようになるなら、そ
れまではと思っていました。そして、私が教室にいなくても大丈夫になっているのだし、
もう少し。。。と。  

でも、その為に妹や祖父母を巻き込んでしまってもいいのか?と思い始めました。長女
が「学校へ行く」「行かない」は本人の問題としてうけとめ、本人が決める事で、その事
に私が振り回されず、次女もいるので私は家にいた方がいいのではないか。 それで、
今は行けている学校へ行かなくなってしまっても、それはそれとして受け止めるしかな
いのではないのでは、と思うようになりました。 でも、主人はそこまでは思えないよ
うで、やはり学校で学び続けることを望んでいます。 それも解るのですが・・・はや
しさんはどう思われますか?ぜひ、ご意見をお聞かせ下さい。よろしくお願いします。

三重県TTより


A:拝復
メール、ありがとうございました。

この種の問題を考えるときは、
(1)どうにかなる問題と、
(2)どうにもならない問題の二つに分けて
考えます。
まず(2)のどうにもならない問題は何かということを
選り分けて、それについては、あきらめ、受け入れます。
それをまずはっきりと納得してください。

TTさんのばあい、協力的な義父母、それに母親が
いらっしゃるようなので、まずもって、たいへん
恵まれた環境にあることを忘れないでください。
多少ぎくしゃくすることがあるでしょうが、しかし
恵まれていることは事実です。

次に私のところへ寄せられる相談の中でもTTさんの
ケースは、軽いです。たいへん軽いケースです。
ですから、その程度の問題は多かれ少なかれ
どの家庭にもあると思ってください。外から見ると
どの家庭もうまく言っているように見えますが、
問題のない家庭はありませんよ。

さて本論ですが、不登校の問題は、とにかく
こじらせないこと。わかりやすく言えば無理をしない
こと。どこかに親や子どもを怒鳴りつけて不登校を
なおす(?)女性がいるそうですが、ああいった
やり方は邪道中の邪道です。今の状態をより悪く
しないことだけを考えて、とにかく心静かに対処します。
私のサイトの中に「不登校」がありますので、
どうかお読みください。
(実のところ、先週、私のパソコンにウィルスが入り、
鈴木さんのメールも含めて、すべて削除してしまい
鈴木さんの前回のメールをなくしてしまいました。
ですからもう一度、前回のメールを送って
ほしいと思っているような次第です。)

メールから察するに、あなたと義父母との関係は
どこかぎくしゃくしているように思います。
ひょっとしたら、あなたがあまり他人に心を
許さないタイプなのかもしれません。もう少し
心を許してみたらどうでしょうか。
巻き込んでしまってよいものかどうかという問題ではなく、
今は協力してもらうしかないと思います。
頭をさげて、あなた自身がすなおに助けを
請えばよいのです。「お父さん、お母さん
助けてください」とです。どこかであなたがへんに
がんばればがんばるほど、あなたも疲れますが
義父母も疲れますよ。

あなたのお母さんについても、そうですが、
「ママがいい」とのこと。そのあたりは、
だからといって、次女に問題がないようであれば、
受け入れてもらうしかないだろうと思います。
しっかりと説得すべきことは説得しながら、
事情を受け入れてもらうのです。もう
それが理解できる年齢にはなっていると
思います。

「長女が「学校へ行く」「行かない」は本人の問題としてうけとめ、本人が決める事で、そ
の事に私が振り回されず、次女もいるので私は家にいた方がいいのではないか。それで、
今は行けている学校へ行かなくなってしまっても、それはそれとして受け止めるしかな
いのではないのでは、と思うようになりました。」とのこと。

……私もそう思います。本人がいちばん緊張状態にあることを
わかってあげましょう。この問題は、もう少し長い時間的経過をみながら
考えます。親は「3か月くらい」と思うかもしれませんが、私は一年単位
とみています。一年単位で気長に見るしかないのです。
サイトの「ポイント」(トップページより)のどこかに書いておきましたので
一度、お読みになっていただけませんか。

どちらにせよ、前回のメールをなくしてしまいましたので、
詳しくはお答えできません。ごめんなさい。
今日はこれで失礼します。





【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自由とは……(What is the Freedom?)

Freedom means to liberate yourself from physical as well as mental burdons which bind 
you to the ground. But then what is Freedom? To be free means to live knowing yourself. 
I am here. I am living my life. I know what I am.

++++++++++++++++

「自由」というのは、「自らに由る」という
意味である。
しかし自由というのは、それだけではない。

私は私でありたい。
私は私らしく生きたい。
私はここにいると、それを実感したい。
私は、自分の人生を生きたという実感をもちたい。

それを「自由」という。

しかしその「自由」には、限界がある。
「死」という限界である。

その限界を、どう乗り越えるか。
私たちは、死ぬことで、すべてを奪われる。
すべてを失う。
いくら「私は自由だ」と叫んだところで、
その限界を乗り越えることができない。

それが実は、自由との戦いということになる。

++++++++++++++++++

●親の悪口(To criticize our own parents)

In Japan it is rather a kind of taboo to criricise or sometimes deny our own parents. 
They openly say parents should be respected withour any reasons. But it is true that 
under this social common sense some people are suffering from the burdons, so-called 
social burdons. I used to be one of them.

この日本では、親を批判したり、悪口は
ともかくも、中傷したり、さらに否定したり
することは、タブー視されている。

親をたたえる歌は多いが、その分だけ、
そうでない親をもった子どもの苦悩も
また大きい。

その苦悩の中で、悶絶している人も少なくない。
心理学的に言えば、家族自我群の中で、
幻惑に苦しむということになる。

とくに親子の関係は、本能に近い部分にまで
刷り込みがなされている。
その幻惑から逃れることは、容易なことではない。

では、私はどうか?

父親は、2、3日おきに酒を飲んできては、
家の中で暴れた。

母親にしても、長男が誕生した日に、私の
家にやってきて、あり金すべてもって、
帰っていった。

当時のお金で、24万円だった。

「家」といっても、そのとき、私たち夫婦は、
4畳と6畳の2部屋だけのアパートに住んで
いた。

しかしだからといって、今、私は、父親を
うらんだり、母親をうらんだりしているわけ
ではない。

私の父は、台湾で、貫通銃創といって、アメリカ軍の
銃弾を2発受けている。
今で言うPTSDではなかったか。

母にしても、戦後のあの時代を懸命に生きた。
収入がとぼしい中、懸命に、「家」を支えた。
まだあの時代は、そういう時代だった。

今になって、そういう父や母が、理解できる
ようになった。

しかし同時に、私に残した後遺症は大きい。
私にしても、いまだに、その後遺症に苦しんで
いる。

それについては、また別の機会に書くことにするが、
ともかくも、私たちは、もっともっと自由に
生きてもよいのではないのか。

正直に、声を出して、言いたいことは言えばよい。
言うことによって、自分の心を解放させることが
できる。

親についても、同じ。

しかし同時に、これだけは覚えておくとよい。
もしあなたが、子どもの批判に耐えうるような
親であれば、それはそれでよし。

そうでなければ、結局は、さみしい思いをするのは、
あなた自身ということになる。

こわいぞ〜、親であるということは!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「EARTH(アース)」を見る(Whaling should be prohibited)

I saw the film "Earth" with my wife on the day it was released. I spilled tears slightly 
three times during I saw the film. I spilled tears not because I felt sad. I spilled tears 
because I felt human's stupidity is displayed against me. That was my first time I 
spilled my tears for the reason. Whaling should be prohibited right now. Or is there 
any reason why we should keep doing it under then name "Research"? It sounds so 
ridicurous. We should be ashamed more! I hereby strongly protest against our 
government!

++++++++++++++++++

封切り日に、ワイフと2人で、「earth」
を見る。

イギリスのBBCが主体となって、5年
ほどかけて制作された映画だという。

私は、その映画を見ながら、3度ほど、
うっすらと涙をこぼした。

悲しくて泣いたというよりは、人間の
愚かさを見せつけられて泣いた。

そんな涙は、生まれてはじめての経験
だった。

++++++++++++++++++

 「Earth」によれば、2030年までに、北極の白くまは、絶滅するだろうという
ことだ。あと、22年。それだけではないが、私はその映画を見ながら、3度ほど、うっ
すらと涙をこぼした。悲しくて泣いたというよりは、人間の愚かさを見せつけられて、泣
いた。そんな涙は、私にとっては、生まれてはじめての経験だった。

 たとえば……。

 日本は、いまだに、「調査捕鯨」という名前のもとで、捕鯨を繰り返している。「調査」
だと?

 こんなインチキはもうやめて、捕鯨など、すぐやめればよい。世界中から避難されなが
ら、どうして捕鯨をつづけなければならないのか? それがわからなければ、「Earth」
を見たらよい。人間だけが、生き物でもあるまい。今の今も、日本の捕鯨船団は、南氷洋
で捕鯨をつづけている。それに対して、オーストラリア政府は、海軍まで出動させて、そ
れを阻止しようとしている。

 どうして今、「調査」なのか? 「捕鯨」なのか? 「調査」というのなら、どこの大学
のどの教授が、しているのか? 世界のどこのだれが、この日本に、「調査してほしい」と
頼んでいるのか? 日本を遠く離れたところに住む、クジラを! 結局は、食用のためで
はないか? 

 日本人は、もっと自らを恥じたらよい。改めて、捕鯨に、強く反対したい!
(2008年1月16日)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●インチキ博士号(pseudo doctor)

Doctor degrees are being sold in Japan. In most cases you receive a letter one day from 
an unknown university, in which it says that you are qualified to be nominated as a 
doctor of our university. This may be apparently pseudo. The reason is quite simple. It 
also says you need to pay abt. 500 thousand yen ~ 1 million yen for the degree. I have 
received some of them in the past. Then one day I rang up to the telephone number and 
ask someone in charge about it. The man in charge answered me that the money would 
be used as scholarship for students. But do we have to pay money before the doctor 
degree is admitted? One of the most well-known professor of Waseda University is the 
one who has the title given by the university. I mean it is pseudo, for as far as I have 
checked it through internet, the university has no students. The professor said in the 
TV program, that, he did not know the university is pseudo. But this is funny or 
ridiculous.  

++++++++++++++++++

日本でも、インチキ博士号が、問題に
なっている。

早稲田大学の、あの吉M教授も、その1人。
昨夜(1月13日)の報道番組の中で、吉M教授は、
「私は、ちゃんと論文を出して認められた」
「博士号のオッファーがあったので、応募した」
などというようなことを言っていた。
(記憶によるものなので、細部では、正確では
ないかもしれない。)

しかしこの吉M教授の話は、ウソと考えてよい。
吉M教授ともあろう、偉い(?)、お方が、
インチキかどうか、見抜けなかったというのは、
どう考えても、おかしい。

この私ですら、見抜けた。理由がある。

まず、寄付金の告示があったこと。博士号資格で、
50〜100万円。額は、大学によって異なる。
一度、電話で問い合わせると、こうした寄付金は、
学生の奨学金として使用されるということだった。

そこでインターネットを使って調べてみると、
大学といっても、校舎だけ。学生の臭いが
ほとんどしなかった。

すでに当時、こうしたインチキ博士号は、世界では
常識。そういう世界を知っていた吉M教授が、
それを知らなかったはずはない。

「当時」というのは、10年以上も前のこと。
私のところへ、そうした勧誘が届き始めたのも、
そのころである。

一事が万事。

うっすらと笑みまで浮かべて、テレビのレポータの
質問に答えていた吉M教授は、何か隠していると
いったふう。
インチキ認定書の横に、分厚い、論文集(?)
なるものを、これ見よがしに置いていた。

(そういうものを、わざわざ置くところが、
あやしい?)

テレビの報道によれば、吉M教授は、そのインチキ
大学のために、講演会まで開いていたという。
つまり新たな被害者をさがすための、手助けまでして
いた疑いがかけられている(テレビ報道)。

責任は、重大である。
「知らなかった」では、すまされない。

++++++++++++++++++++

●過去の肩書き(Are you a respected man?)

Are you a respected man? If so, you are good enough. But when you retire from the job, 
you had better forget about your past and be free from the career. Otherwise you would 
be kicked out of the society you belong to. But some remains the same after he retire 
from his job, thinking himself that he is a respected man. A reader living in 
H-prefecture gave me a mail in which she worries about her brother who still cling to 
his career before he retired long time ago.

++++++++++++++++

「私は偉い」「私は尊敬されるべき」と、
思うのは、その人の勝手。しかしときには、
自問してみることも、大切。

こんなメールが届いた。S県にお住まいの
Aさん(女性、60歳)からのものである。
私のエッセーを読んで、同じように感じた
とのこと。

転載許可は、いただけなかったので、概略
のみ、紹介させてもらう。

++++++++++++++++

【Aさんより、はやし浩司へ】

私の兄は、現在、65歳です。5年前まで、国家公務員をしていました。その出先機関の
長にもなりました。しかしいまだに過去と、決別できずにいます。ことあるごとに過去の
学歴と肩書きをひけらかしています。

私の息子(32歳)が、フリーターをしていることについても、「そういうのは、人間のク
ズだ」とか、「まともな仕事でないから、結婚相手も紹介できん」とか、言いました。

その兄が、去年(07年)のはじめ、がんになりました。大腸がんです。そのときのこと
です。兄は、親戚中にそのことを連絡していました。実際には、私に、あちこちへ電話を
かけさせました。私は、そういう話は、内々ですませたほうがよいと考えていました。

で、兄は、術後1か月ほど入院しました。現在も、週2回、通院治療をつづけています。
が、見舞いに来たのは、この1年間で、親戚の中では、いとこの男性、1人だけです。私
の息子も、「ぜったいに見舞いに、行かない」と、がんばっています。それについて兄は、
「冷たい」とか、「水臭い」とか言って、怒っています。

まるで自分のことがわかっていない。そんな兄が、あわれです。私は高卒で、そういうこ
ともあって、いまだに私を、子分か何かのように使います。私の家が、兄の家(=私の実
家)と近いこともあって、私を車の運転手くらいにしか考えていないようです。どうした
ら、よいですか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この問題は、私たちの年代のものにとっては、深刻な問題のひとつです。よく「定年退
職したら、過去の経歴をすべて捨てよ」と言います。それはそのとおりで、それを引きず
っていたら、再就職もままなりません。

 しかし経歴を捨てることができない人が多いのも、事実です。とくに有名大学を出たあ
と、高い役職についた人ほど、そうです。みなにチヤホヤされるうち、自分を見失ってし
まうのですね。それこそ80歳とか90歳とか、死ぬまで、過去の経歴を引きずって生き
ていきます。

 こういうケースでは、過去の経歴を否定するということは、お兄さんに自己否定を迫る
ようなものです。わかりやすく言えば、お兄さんの(生きがい)をすべて、奪ってしまう
ようなことにもなりかねません。あなたの立場で、お兄さんにそれをわからせようとして
も、不可能と考えてください。

 では、どうするか?

 結局は、この問題は、その人自身の問題ということになります。だれからも相手にされ
ていないのに、それにすら気づかない。つまりは、心のさみしい人ということになります。

 少しあなたのお兄さんとは違いますが、私の実家の近くにも、似たような人がいました。
ことあるごとに、私の家にやってきては、自慢話ばかりするのです。「今月は、○○万円も
うけた」「来月は、○○万円もうける」「この町内で、私がいちばんの高額納税者だ」とか、
なんとか。
 
 そのころすでに私の実家の稼業は、斜陽の一途をたどっていました。そんな話を聞かさ
れても、楽しくありません。その人が帰るたびに、私の母などは、玄関先に、塩をまいて
いました。

 が、その人は、やがて多額の借金をかかえて、どこかへ夜逃げをしていきました。うわ
さによれば、株の信用取引で、多額の損を出したということです。もちろんその人に同情
する人は、私の家族も含めて、だれもいませんでした。

 いつかあなたのお兄さんも、そのさみしさに気がつくときがやってくるのでしょうか。
あるいは今、それに気がつきつつあるのかもしれませんね。が、それを認めることは、先
にも書いたように、自己否定につながってしまいます。だから余計に認めるわけには、い
かない。

 あなたのお兄さんの病気には同情しますが、それについても、あなたとしてできること
は、もうほとんど、ありません。今は今で、そしてこの先も、淡々と、今までどおりの人
間関係をつづけていくしかないように思います。あなたの立場で、お兄さんにあれこれわ
からせようとか、意見を言うのは、こういうケースでは、タブーと考えてください。

 というのも、それがどういうものであれ、お兄さんはお兄さんで、懸命に生きてきた。
今も懸命に生きている。そういう(懸命さ)を感じたら、私たちは静かに引きさがるしか
ないのです。「かわいそうだな」と思いながらも、お兄さんの話を、そっと聞いてやる。そ
れでしませます。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1000号、後遺症

++++++++++++++++

2008年の2月4日、私の電子
マガジンが、第1000号を迎える。

それはそれとしてうれしいが、しかし
今、原稿を書く気が、ほとんど
わいてこない。

どうしてだろう?

気が抜けてしまった感じ。
誤解を与えるとまずいが、もう少し
率直に言えば、どうでもよくなって
しまった感じ。

もう少しがんばってみるが、それで
だめなら、またそのとき、考えよう。
(少し、弱気かな?)

「1000号になれば、何かが変わる
かもしれない」と思っていた。

しかし結局のところ、何も変わらなかった。
「このままこんなことをつづけていて、
何になるのか?」と、今、そんな迷いが
急速にふくらみつつある。

「文句があるなら、さっさと、やめろ!」と、
だれかが言った。

「今まで読んでやっただけでも、ありがたく思え」と、
また、だれかが言った。
そんな声も、聞こえてきそうな気がする。

本来なら、今ごろは、2月15日号用の原稿を
書いていなければならない。

しかし2月4日号すら、書いていない。
「どうしようか?」
「どうなるんだろう?」

ワイフは、「自然体でやれば」と言ってくれる。
自然体かア・・・?
そう、ここは、自然体でやるしかない。

+++++++++++++++++++

●前立腺がん

 知人が、最近、前立腺がんの手術を受けた。5ミリ前後の小さながんだったという。先
日見舞うと、表面的には、以前と変わらなかった。元気だった。しかしこう言った。

 「手術を受けたあと、こんなに不便になるとは、思っていなかった」と。

 そのときすでに術後、1か月以上になっていた。自宅で療養していた。が、かなりの痛
みがあるらしい。「尿がパイプの外に漏れるため」と、知人は言った。パイプの外に漏れた
尿が、痛みを引き起こすらしい。それに、尿が、四六時中、外にたれ流しの状態という。
紙おむつはつけたまま。はずせるようになるのに、半年くらいかかるとのこと。

 前立腺がんには、ホルモン療法というのもある。ほかに、ラジオ・アイソトープを埋め
込んで治すという方法もある。放射線で焼くという方法は、腸に穴があくため、現在はあ
まり用いられていないらしい。

 がんには、切除という方法が、もっとも効果的ということになる。しかし切除したとた
ん、がん細胞が、全身に散るという危険性もある。(このあたりは、私という素人の意見な
ので、適当に、読み流してほしい。)

 そんなこともあって、高齢の人は、がんをそのまま温存しながら、「共存」という方法を
とることが多い。前立腺がんにしても、75歳以上の人は、手術をしないそうだ(知人の
話)。

 なお前立腺がんではないが、前立腺肥大というのであれば、50代で50%、60代で
60%、70代で70%の人がなるという説もある。小便の出が細くなったり、悪くなっ
たら、前立腺肥大を疑ってみたらよい。少し前、そう教えてくれた人がいた。(このあたり
の数字は、あくまでも伝聞なので、その範囲で、理解してほしい。)

 小便が、小便として出るだけでも、ありがたいこと。家に帰って、トイレに入った。改
めて、自分の小便をしみじみと見つめた。

(補記)(群馬大学医学部HPより)

前立腺がんには、「手術療法」、「放射線療法」、「内分泌療法(ホルモン療法)」など、さま
ざまな治療法があります。これらの治療を単独あるいは組み合わせて行います。

治療法は、がんの進行度(広がり)や悪性度、また、患者さんの全身状態、年齢などを考
えて、最適な方法を選択することになります。

主治医とよく相談の上、納得のいく治療法を選択するようにしましょう。

(補記2)(YOMIURI ONLINEより)

 前立腺がんは、高齢者に多い男性のがん。前立腺は、膀胱(ぼうこう)の下方にあり、
前立腺液を分泌するなど男性機能を支える。欧米人に多いが、日本でも高齢化や食生活の
洋風化などを背景に増えている。

 年間死者数は、8400人余り(2003年)。10年前2万人足らずだった新規患者は、
2020年には7万8000人に達するとの予測もあり、男性では胃がんを抜き、肺がん
に次いで2位になると見られる。

 読売新聞では、泌尿器手術の国の施設基準などを参考に、全国426医療機関に対し、
2004年の前立腺の治療実績をアンケートし、333施設から回答を得た(回収率7
8%)。紙面の制約から、患者数の多い約200病院を一覧にした。表は、患者数のほか、
転移のないがんについて、主たる治療が「手術」、「放射線治療」、「ホルモン単独治療」の
数を掲載した。

●血液検査で早期発見

 前立腺がんは、自覚症状が出にくく、かつては進行して骨などに転移して見つかる患者
が4割を占めた。しかし血液で調べるPSA(前立腺特異抗原)検診の普及によって、早
期で見つかるケースが急増した。早期なら10年後の生存率は90%以上とされ、手術で
も放射線治療でも良好な治療成績をあげている。

 手術は開腹のほかに、腹部に開けた数か所の穴からカメラなどを差し込んで行う腹腔(ふ
っくう)鏡手術もある。放射線では、通常の照射のほか、前立腺に針を刺して放射線を出
すカプセルを埋め込む小線源治療が一昨年から始まった。さらに、重粒子線や陽子線とい
った特殊な放射線治療や、超音波の熱を用いた試験的な治療も一部で行われている。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●「国歌」に異論あり(Objection against the common sense of Anthem)

+++++++++++++++

英語で、「国歌」というのは、
「Anthem」という。

これは常識だが、その「Anthem」
はラテン語の、「antifoma」、また
ギリシア語の「antiphoma」に
由来する。

もともとは、「賛歌」「祝歌」(小学館
ランダムハウス大辞典)という意味である。

つまり、「祝宴で歌う、祝い歌」のこと。

が、この日本では、「国歌」と訳し、
そこに「国」という文字を入れる。

日本はそれでよいとしても、しかし、
これには、問題がある。

たとえば外国で、「これから日本の
anthemを歌います」と言って、
「君が代」を歌えば、つまりその
時点で、好むと好まざるとにかかわらず、
「天皇、もしくは天皇家を祝う歌」を
歌うことになる。

もっとわかりやすく言えば、「Japan
を祝う歌ではなく、天皇を祝う歌」を歌う
ことになるということ。

外国の人は、そう解釈する。そして
同時に、外国の人は、「日本人が、天皇
を祝っている」と、とらえる。

「君が代」の「君」については、いろいろ解釈
する人がいるようだが、「天皇」のこと
である。

また、よく「国歌は、国をたたえる歌であり、
世界の常識」と言う人がいる。

それならそれで問題は、ない。しかし
ここで、すり替えをしてはいけない。

英語でいう「Anthem」は、
「祝歌」のこと。しかも何を祝うかといえば、
「郷土」である。

「愛国心」を意味する、「Patriatism」
は、もともとは「父なる大地を愛する」という
意味である(同辞典)。

そこで異論。

どうして郷土を愛する歌に、天皇を祝う
歌を歌うのか。世界の人は、「Anthem」
というときは、郷土を愛する歌として、
それを歌う。

何も、私は、「君が代」に反対しているのでは
ない。「天皇の国、日本」と考えて、天皇家の
人たちが、「君が代」を歌うなら、まだよい。
(イギリスでは、「イギリスは、女王陛下の国」
と考えて、「God saves the Queen」を歌って
いるが……。しかし先進国の中では、例外。)

しかしこの民主主義の時代にあって、
どうして「National Anthem 
of Japan」が、「君が代」なのか。

一度、国際的な常識で、日本の国歌を
考えなおしてみることも、大切だと私は思う。
少なくとも、日本の常識は、世界の常識と、
少し、ズレている。

そのヒントとして、ここで「Anthem」という
単語を取りあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist anthem 国歌 日本の国歌 
National Anthem of Japan)


++++++++++++++++++++++

最前線の子育て論byはやし浩司(2415)

●家康文化圏vs秀吉文化圏(Yeyasu Sphere vs Hideyoshi Sphere)

Japan is roughly devided into two big cultural spheres, one is "Yeyasu Sphere" and 
another one is "Hideyosi Sphere". For example in this Hamamatsu-city which belongs to 
Yeyasu Sphere, we never deal the prices or we buy and sell at the fixed prices. But in 
Gifu, which is away from Hamamatsu-city only two-hour-drive by car, they always deal 
the prices. This difference occurs depending on which Sphere we belong to. This simply 
means Yeyasu must have been a very honest man and on the contrary Hideyosi was not. 

+++++++++++++++

私が浜松へ来て、いちばん驚いたこと。
それは、浜松の人たちが、モノを買うとき、
値段を、値切らないこと。

すべて定価どおり。これを私が生まれ育った
岐阜のほうでは、「正札(しょうふだ)どおり」
という。

私は、当初、この(ばか正直さ)(失礼!)に
驚いた。

ワイフともよく口論した。「どうして値切らないのか?」と。

一方、岐阜のほうでは、値切るのが当たり前。
1000円のモノを、1000円で買う人はいない。
「800円でどう?」とか、ばあいによっては、
「いくらになる?」(=いくら、安くしてもらえるか)
とか聞く。

あるいは駆け引きをする。

1個1000円であれば、「2個で、1500円でどう?」と
声をかける。
売り手がしぶっていたら、すかさず、「じゃあ、3個で、2000円」
と、切り返す。

同じ日本でありながら、しかも、距離は、それほど離れていない。
今では、車で、2時間足らずで行き来できる。

なぜか? どうしてこうまで、ちがうのか?

私はこれを、「家康文化圏」と、「秀吉文化圏」のちがいと、
判断している。

家康という人は、実直な人だったらしい。
一方、秀吉という人は、小ズルイ人だったらしい。

その逆と考えてもよい。

つまり家康は、こういう風土の中で生まれ育ったので、
実直な人になった。

一方、秀吉という人は、ああいう風土の中で生まれ育ったので、
ああいう人になった。
「ああいう人」というのは、ああいう人をいう。

(これ以上書くと、関西の人たちに袋田叩きにあうので、
ここでは書けない。)

岐阜という地方は、名古屋文化圏の中にありながら、
実際には、大阪文化圏に属する。

一方、この浜松という地方は、名古屋文化圏のほうが
近いにもかかわらず、東京文化圏に属する。

では、織田信長が生まれた名古屋文化圏は、どうか。

しかし織田信長という人は、信長文化圏という
文化圏をつくるほどの力はなかった。
やることなすこと、どこかメチャメチャ。
「文化圏」を作るには、それなりの人物でなければ
ならない。

はっきり言えば、織田信長には、その力はなかった。
信長は、パツと咲いて、パッと散った。
だから、どこか、中途半端。

家康文化圏でもないし、秀吉文化圏でもない。
最近でこそ、TOYOTAの力で、勢いを増しているが、
それ以前はというと、「文化のない町」、それが
名古屋だった。

……というような、あまり意味のないことを、
今朝は考えている。

社会学的には興味深いが、しかしこの程度のことなら、
もうどこかのだれかが調べているにちがいない。

だからこの話は、ここまで。

+++++++++++++++++++

●世界恐慌(World Economic Depression)

Stock prices have been falling down these few days. Is this the beginning of the end of 
USA? Whenever I go to USA, I am surprised to see big houses, or so-called mansions 
which we can seldom see in Japan. I just wondered why American can enjoy such a high 
standard of life though the evarage working hours are much less than those of 
Japanese. 
Sub-prime issue, which is now the biggest economic problems, is the result.
 
+++++++++++++

世界恐慌が、ますます現実味を帯びてきた。
株価は、連日、棒下げに近い状態になっている。
しかしこうなることは、わかっていた。

私は、すでに2000年ごろ、こう書いていた。
「アメリカ経済があぶない」と。

そしてアメリカへ行くたびに、ワイフに
こう言った。

「こんなバカな生活ができるほうが、
おかしい」「毎月30万円しか稼げない人が、
60万円の生活をしている」と。

アメリカ人の労働時間は、日本人のそれより
はるかに短い。その短いアメリカ人たちが、
日本人には考えられないほど、大きく、
立派な家に住んでいる。

日本ではめったに見ない大豪邸が、
場所によっては、ズラズラと並んでいる。

しかも、だ。どの部屋も、煌々(こうこう)と、
明かりがついている。家、丸ごとの冷暖房にしても、
アメリカでは常識。

(日本人のようにチマチマとした冷暖房など、
していないぞ!)

「どうしてあんな生活ができるのか?」、
……という疑問が、こんどのサブプライム問題と
直結している。

つまりその分だけ、この問題の根は深く、大きい。

で、アメリカ政府は、3兆円(日本円で換算)とか、
10兆円とかいう、日本で言う「財政緊急投融資」
(=お金のバラマキ)を始めた。

しかしこんな額ですむような話ではない。

日本のばあい、バブル崩壊直後ですら、30兆円規模の、
緊急投融資をしている。

で、昨日(1月16日)の経済紙を読むと、アメリカの
シティ銀行が、1兆円〜の損失があったとか、なかったとか。

しかしこれも、そんな額ですむはずがない。

日本のばあい、あの債券信用銀行だけですら、4兆円もの
穴があいた。

これらは、すべて税金で穴埋めされたが、アメリカ政府の
動きは、どうも鈍い。言いかえると、アメリカ政府ですら、
身動きが取れない状態と考えてよい。

つまり首が回らなくなった。

ゆいいつの頼みの綱は、中国であり、インドであり、
EUということになる。

日本の経済は、中国特需によって救われた。
今回も、そうなりそうだが、これを機会に、
従来のアメリカ一国主義が、世界全体に分散する
ことになる。

とは言っても、日本も、相当の被害を被ることになる。

覚悟しておこう!


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 08++++++++++はやし浩司

●メガ・チューズディー(Mega Tuesday)

Feb. 5th is coming soon when which one of them would de decided to be the next 
President of USA, between Barack Obama and Hilary R. Clinton. 

++++++++++++++++

アメリカ史上初の、黒人大統領が生まれるか。
それとも、アメリカ史上初の、女性大統領が
生まれるか。

その結果が、まもなくわかる。

2月5日、火曜日!

この日、アメリカの20州以上の予備選挙
が集中する。
このマガジンが発行されるころには、
その勝敗が決していることと思う。

もし、Barack Obama氏が勝てば、
アメリカ史上初の、黒人大統領誕生と
いうことになる。

もし、Hillary R. Clinton氏が勝てば、
アメリカ史上初の、女性大統領誕生と
いうことになる。

では、ブッシュ現大統領が率いる共和党
はどうかというと、今回の大統領選挙では、
お呼びではない。

ブッシュ大統領の支持率は、20%台。
06年11月の予備選挙では、民主党が
圧勝。上院、下院ともに、民主党が多数党
となっている。

この流れは、もう変わらない。つまり
Obama氏が勝つか、Clinton氏が勝つか、
それで次期大統領が決まる。

が、Clinton氏についてはよく知っているが、
Obama氏についての情報は、ほとんどない。

父親はケニア人。母親は白人。1961年
生まれ。弁護士。2004年、上院議員に当選。

報道によれば、今のところ、互角だという。

こういう言い方は不適切かもしれないが、
日本にとっては、Obama氏のほうが、好ましい
かもしれない。

若い分だけ、思考に柔軟性がある。
一方、Clinton氏は、NK問題についても、
かねてより、「米朝平和条約を結ぶ」と公言して
いる。

もしそうなれば、日本は、アメリカという後ろ盾
を失うことになる。(すでに、失ったも同然の
状態だが……。)

悲しいかな、今の日本には、NK国や、韓国、
それに中国と、対等に渡り合えるような外交能力はない。
拉致問題ひとつみても、それがわかる。

たぶんObama氏も、同じような路線を打ち出して
くるだろうが……。

しかし現在のライス国務長官をみてもわかるように、
黒人だから、黄色人種の私たちに好意的と考えるのは、
早計である。

人種問題、その底流を支える人種意識は、私たちが
考えているほど、単純なものではない。


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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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02−9−10号(106)
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by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時〜12時
        主催  尾張旭市教育委員会
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  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
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(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
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(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
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Hiroshi Hayashi, Japan■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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メニュー
今日のテーマ、「分離不安」(Seperation Anxiety)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【3】分離不安ほか(Seperation Anxiety) 
【4】随筆(Essays)
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        ◯    / /⊃)
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(⊂\\  ◯◯◯   γ \
 (θθ)┏━━━┓ (   σ
/ γ  ┗┓◯┏┛  ζ ζ
δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
++++++++++++++++++++++++++++++++++
三つほめて、二つ叱ってよき人となせ

名言から学ぶ子育て

かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ。(二宮尊徳)

1787ー1856、江戸時代後期の農政家。農村復興の指導者。通称、二宮金次郎の名
で知られる。

++++++++++++++++++++

 子どもの価値観にまで干渉するお母さんがいます。その典型的な過干渉型ママの会話。
本屋さんで、子どもと絵本を選んでいた時のことです。お母さんは子どもが持ってくる本
を、次々と本棚へ戻しながら…。

「この本はよくないわ。あのあたりの本にしなさい。わかった!あそこから選ぶのよ。…
そうじゃないのよ。その本よ。ちがうわ、ちゃんと自分で選んでごらん。そうそう、その
本よ、それよ。それを選んでごらん」と。

 あるいは先生が子どもに、「夏休みはどこへ行ってきたのかな」と声をかけると、横に
立っていたお母さんが、「おばあちゃんの家へ行ってきたのよね。だったら、そう言って
ごらん。黙っていたらわからないでしょ。楽しかったわね。だったら楽しかったと言って
ごらん」と。

 お母さんが過干渉になる背景には、子どもへの根強い不信感があります。さらにその原
因は何かというと、子育てに対する不安感です。(うちの子は何をしても心配だ)という
不安感が、お母さんを過干渉型ママにします。長男、長女に、過干渉児が多いのはそのた
めです。もしそうであれば、お母さんはお母さん自身の心をつくり変えます。でないと、
(不安)→(過干渉)→(不安)の悪循環の中で、子どもはますます覇気のない子どもに
なってしまいます。ひどい場合には、子どもの性格そのものが萎縮することもあります。

 なおす方法は簡単です。子どもをまずほめること。最初は嘘でもかまいません。子ども
が何をしても、ほめるようにします。欠点を見つけたら、なおさらほめるようにします。
たとえば鉄棒が思うようにできないようであれば、「あなたはこの前よりじょうずにでき
るようになったわね」と。こうした前向きな姿勢が、やがてお母さんの心をつくりかえ、
結果として子どもを伸ばします。

 子育ての要は、二宮尊徳が言うように、ほめ方と、叱り方にあります。そしてそのバラ
ンスはと言えば、二宮尊徳が言うように、三つほめ、二つ叱るぐらいがよいのです。具体
的には、『ほめて、叱って、ほめて仕上げる』です。特に幼児は叱りっぱなしにしてはい
けません。叱ったら、必ずその後で、「ほら、あなたはちゃんとできるじゃない。あなた
はいい子だから」と、ほめて仕上げます。叱りっぱなしにすれば、子どもは自信をなくし、
自らを悪い方向へ追いやってしまいます。さらに、「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、
人格攻撃は、タブー中のタブーです。

 ただしほめるといっても、子どもの努力や、やさしさにとどめます。頭のよさについて
は、ほめてよい場合とそうでない場合がありますから、慎重にします。子どもの顔やスタ
イルについては、ほめないこと。後々、そちらばかりに関心が移ってしまうということに、
なりかねません。

   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ  ♪
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの子育てを診断します。
+++++++++++++++++++++

友情

Q あなたの子どもがまだ、ヨチヨチ歩きをしていたころのことを、思い出してみてくだ
さい。あなたはあなたの子どもと、どのように歩いていましたか。

(1)いつも子どもの前を、ぐいぐいと手を引きながら歩いていたように思う。
(2)いつも子どものうしろを歩いていたように思う。
(3)いつも子どもの横を、子どもの歩調にあわせて歩いていたように思う。

A 昔、オーストラリアの友人がこう言った。「親には三つの役目がある。親は、ガイド
として子どもの前を歩く。保護者として子どものうしろを歩く。そして友として子どもの
横を歩く」と。日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意だが、友として横を歩くの
がヘタ。「私は親だ」という親意識が強い人ほど、子どもの前をぐいぐいと手を引きなが
ら歩く。おけいこごとでも、勉強でも、何でも親が先に決め、子どもに従わせる。また保
護意識が悪いわけではないが、その意識が強すぎると、過保護になり、子どもをひ弱で自
立できない子どもにしてしまう。

 大切なことは、子どもの友として、子どもといっしょに歩くこと。英語国では、親子で
も、「パパはぼくに何をしてほしい?」「お前は、パパに何をしてほしい?」と聞きあっ
ている。そういう謙虚さが、親子の絆を太くする。

 ついでながらイギリスには、こんな格言がある。『子どもには釣竿を買ってあげるより、
いっしょに釣りにいけ』と。子どもの心をつかみたかったら、子どもの友になる。モノや
お金ではない。日本人は、より高価なものを子どもに買い与えることで、子どもの心をつ
かんだハズと考えやすいが、これはまったくの誤解。あるいは逆効果。モノやお金で、子
どもの心をつかむことはできない。(正解(3))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


親意識

Q 子どもと言い争いになったとき、あなたの子どもが、あなたに向かって、やや本気で、
「バカヤロー!」と言ったとします。そのとき、あなたは……

(1)日常的に口が悪いことはわかっているので、まったく気にしない。
(2)一応たしなめながらも、気にせず、子どもと冷静に言い争うことができる。
(3)親に向かって暴言を吐くというのは、自分の子どもでも許せない。

A 「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでや
った」「育ててやった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さ
えいる。ある女性(六〇歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。
息子は横浜の嫁に取られてしまいました」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、
その女性は「取られた」というのだ。日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダ
ントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした日本人独特の親意識を育てたとも考えら
れる。

 この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それ
だけではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、
心を隠す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツ
を入れることになる。

昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそ
ういう時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。この
テストで(3)を選んだ人は、あなたというより、あなたが育った環境に原因があるとみ
てよい。あなた自身も、その権威主義的な家庭環境で育てられているはずである。(正解
(2))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ ♪♪
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し
     _>−−<
    /†_____†ヽ//   食欲の秋です!
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て随筆byはやし浩司
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子育て随筆byはやし浩司

ダイエット

 少し油断すると、体重があっという間に七〇キロ近くにまでなってしまう。で、気がつ
くたびに、今度はダイエット。こんなことを数年おきに繰り返して、もう一五年になる。
 私のダイエット法は、食事を減らすという単純な方法。しかしそのまま減らすと、抵抗
力が落ちるのか、結膜炎など、皮膚病にかかりやすくなる。そこで栄養だけは、別の方法
で補給する。私がよく口にするのは、カロリーメイト(大塚製薬株式会社製)と、アミノ
バイタル(味の素株式会社製)。あとは、栄養ドリンク剤とビタミン剤など。食事はライ
スを減らし、サラダを多くする。この方法を続けると、一か月ほどで、適正体重の六五キ
ロ前後にまでもどる。

 が、問題がないわけではない。私はもともと血圧が低いので、ダイエットをし始めると、
血圧がさがってしまう。上が一〇〇以下、下が六〇前後になることもある。そうなると今
度は、頭が働かなくなる。どこかボンヤリとしてしまう。そこでダイエット中は、水分を
多量に補給する。昼間だけで、二リットル入りのウーロン茶を、二本ほど飲むこともある
(計四リットル!)。夏場はとくに飲む。飲んでいないと、頭がすぐボーッとしてしまう。

 今、この原稿を書いている日(九月二日)は、体重が六四・五キロ。すこぶる調子はよ
い。軽い感じがする。自転車に乗っていても、全身で体をくねらせながら、ペダルをこぐ
ような感じ。だからますます調子がよくなる。そういう今の状態からみると、体重が七〇
キロ(最高で七二・五キロ)前後だったころの自分が、何とムダなことをしていたかと思
う。食べては寝るだけ。体が重いから、運動もしない。そしてまた食べる……。その繰り
かえし。

 もっとも本当のところは、今の体重でも、ギリギリ適正体重というところ。計算すると、
もう二、三キロやせなくてはならない。年齢を考えると、もう四、五キロというところか。
あまり急激にやせると、みなが心配するので、しばらくはこのままの体重をキープして、
しばらくしてから、つぎのダイエットに移るつもり。
(02−9−2)

参考++++++++++++++++++++++++

(適正体重計算……BM標準体重計算法)

   BM=(体重)÷(身長)÷(身長)   

     40以上   ……肥満(4度)
     35〜40  ……肥満(3度)
     30〜35  ……肥満(2度)
     25〜30  ……肥満(1度)
     18・5〜25……正常値
     〜18・5以下……やせ

 (注、身長はメートル単位。私は166センチだから、1・66となる。)
この計算式でいくと、私は24ということになり、一応、適正体重ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、
こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙
な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かっ
て走ってくるように感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転
車からおりた。こわかった……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖
症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校
へ行きたくない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があが
ったことがある。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくな
い」という子どもが続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面
に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して
恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境
に、
ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎ
みの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着
で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその
警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔
が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学
校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会
えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベー

ーに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これは
ある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソ
メソし始めるという。親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校
へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。その子どもは閉所
恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかっ
た。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入った
りすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

(3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けを

わがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をか
ぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人
はいる(年中児)。ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたもので
あり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。また症状も、そのと
き出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のことだが、私は三〇
歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、ひどい飛
行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地
ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症
の原因になる。また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろい
ろな症状となって表れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳
の中にそういう回路(パターン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケー
スでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症
となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱
っても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場
で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無
理をすればするほど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば
心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、
神経症と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前
後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていて
も、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピー
ドに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することがで
きた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になって
しまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そ
ういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは
区別する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考え
る学者もいる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考
えるとわかりやすい。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

子どもの分離不安を考える法

子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?    
 
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られた
コラムニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れて
いったときのこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、
親子の絆の深さに感動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、
「親子の絆の深さ」に感動したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書
かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」で
は、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。
大声をあげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオド
するタイプ(マイナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動
ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。
四〜六歳児についていうなら、一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子ども
の見える範囲内にいるうちは、静かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとた
ん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そ
のきっかけとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。
母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももい
る。さらには育児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金とな
った例もある。子どもの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離
不安の原因と考えるとわかりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても
意味がない。表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがま
ま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際
には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが
多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた
心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表
れる。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくてい
ねいに説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、
そういう親子を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、
怒ったりしているのがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」
と。こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想
をもつようになる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いた
ように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、
夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や
形を変えて、おとなになってからも症状が表れることがある。

(付記)

●分離不安は小児うつ病?

子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つな
がりを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始
まる。そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時
期に、母子の間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こす
と考えられている(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこ
じれると、慢性的な発熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

   /⌒⌒^ヽ ♪♪♪
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
  | | ・ ・||( どうせ子育てするなら、楽しみましょう!       )
  | |"   )||(____________________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川
【4】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

分離不安について、考えてみました
+++++++++++++++++
分離不安(Seperation Anxiety)

ある母親から

「明日9月1日から2学期がはじまるのですが、
うちの子(年少児)は親から離れられず困っています。
1学期も離れると大泣きして離れられませんでした。
どうしたらできるようになるのでしょうか?」
(東京板橋区・UYより)

++++++++++++++++++++++++++

 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく
知られた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」がある
ことがわかってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作
用が、新生児の発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒
的、精神的欠陥が現れる。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を
示す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばん
だり、拒否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それ
が何らの理由で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基
本的には、母子間の分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが
置き去り、迷子、育児拒否的な行為(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけに
よって起こると考えられる。

 分離不安は、私の経験でも、年中児(満五歳児)、年長児(満六歳児)で、一五〜二〇
人に一人程度の割合で起こることがわかっている。症状にも軽重があり、また発症する場
所などもそれぞれで、この数字は、あくまでも推計である。親の顔や姿が見えなくなった
だけで、ギャーッとものすごい形相で追いかける子どももいれば、待ち合い場所に母親が
現れなかったときなどに混乱状態になる子どももいる。

 症状は、(1)突発的に興奮状態になり、攻撃的に親のあとを追いかけるプラス型、(2)
混乱状態になり、オドオドとしたり、サメザメと泣くマイナス型に分けて考える。全体に
半々と私は見ている。

 対処方法は、子どもの恐怖症に準じて、対処する。無理をしても意味がない。無理をす
れば、かえって恐怖心を増長させ、症状をこじらせる。そのこじらせた分だけ、立ちなお
りが遅れる。また強い指示を与えて、子どもにきびしく接すると、一時的に症状が消えた
ように見えることがある(仮面治癒)。しかし症状が消えても、治ったわけではない。症
状が、子どもの心の奥にもぐったとみる。恐怖症と同じように、簡単には治らない。ばあ
いによっては、数年単位で経過と様子をみる。自意識が発達し、セルフコントロールでき
るようになると、分離不安による表面的な症状は、急速に消失する。その時期は満六歳以
後とみる。

 恐怖症もそうだが、この分離不安による発作的症状は、おとなになってからも残ること
が多い。ある女性(四〇歳)はこう言った。「今でも夫の帰りが、少し遅くなっただけで、
言いようのない不安感に襲われます」と。分離不安というのは、そういうもの。
(02−9−1)※

+++++++
追記

分離不安になったら、治そうという考えは捨て、できるだけ子どもと行動をともにする。
家庭では絶対的な安心感(疑いをいだかない安心感)を与えることに注意する。Ca、Mgの
多い食生活にこころがけるだけでも、興奮状態はかなり軽減されるので、食生活を改善す
ることも忘れてはならない。

親が子育てで失敗しておきながら、子どもを治すという発想は、親の身勝手でしかない。
そういう視点で、この問題はみること。泣き叫んで幼稚園へ行くのを拒否するようであれ
ば、行かなければよい。「行かねばならない」という、発想を修正する。が、どうしても
行かせたいなら、一緒に幼稚園へ行けばよい。幼稚園の先生によっては、「集団に慣れさ
せます」とか言って、無理に引き離し、無理に子どもたちの中に入れようとする先生もい
る。そういうときは事情をていねいに話し、ほかの子ども以上に、心温かいケアを頼むよ
うにする。とにかく無理をしないが、原則である。繰り返すが、一度キズついた心はそん
なに簡単には治らない。またそのキズは、何らかの形で、一生残る。決して安易に考えて
はいけない。

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡♪♪♪♪
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄読書の秋です! はやし浩司の本を読みましょう!
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄
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【講演会のお知らせ】
各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
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1・19  ……浜松市医療センター
11・29 ……砂丘小学校
11・21 ……北浜南小学校
11・14 ……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ(10時〜12時)
10・30 ……五島小学校
10・17 ……島田市立第四保育園
10・10 ……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26  ……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11  ……蜆塚幼稚園
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●Hello, my friends overseas!
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  以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
           ツ  <<
      >> / \  <
    >>  /   \ <<
  >>>   |____|
 >>>  ツ  \∴∵∴/  <<<  また次号をよろしくお願いします!
 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
>>> /   \ <<<
>>>|____| <<<
 >> \∴∵∴/ <<<
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)


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メニュー
今日のテーマ、子どもの居場所(Can you feel your kids close to you?)

【1】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【2】子どもの居場所(Can you feel your kids close to you?)
【3】子育て随筆() 
【4】随筆(Essays)
   / ̄\ ⊂⌒⌒⊃ 
⊂⌒⌒⊃  |  ⊂〜⊃
 ⊂⊃\_/       _ _
        ◯    / /⊃)
 __    ◯◯  (∂∂)
(⊂\\  ◯◯◯   γ \
 (θθ)┏━━━┓ (   σ
/ γ  ┗┓◯┏┛  ζ ζ
δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの子育てをチェックしてみませんか?
++++++++++++++++++++++
愛情

Q 今度の誕生日に、子どもへのプレゼントとして、小さな石にペインティングしたもの
を渡してみてください。そのときあなたの子どもは……

(1)いつものように、あなたの子どもはそれを喜んでくれ、ありがとうと言う。
(2)あまり関心を示さず、「何、これ?」というような態度で、それを粗末にあつかう。
(3)いつもそのようなプレゼントを渡すのが我が家の習慣になっている。

+++++++++++++++++++++++++

A 外国では、「家族どうしのプレゼントは、買ったものはダメ」というハウス・ルール
を守っている家庭が多い。「人の心はお金やモノでは買えない」という精神が、そこにあ
る。私もときどきオーストラリアの友人宅にとめてもらうが、帰りに渡されるプレゼント
は質素なものばかりである。粘土で作ったトカゲの置物、ドライフラワーで作った壁かけ、
ガラスに絵をかいたかざりものなど。先日、アメリカ人の友人がアメリカに帰っていった
が、そのときもらったのも、石にペインティングしたものだった。実のところ、最初のこ
ろは、そういうものをもらうと、内心、「何だ、こんなもの!」と思った。しかしそう思
った私のほうが、まちがっていた!

 より高価なプレゼントであればあるほど、子どもは喜ぶハズとか、子どもは親に感謝す
るハズと考えるのは、誤解。日本人は戦後の高度成長期の中で、心の奥までお金に毒され
ているから、そのおかしさすら気づかないでいる(失礼!)。実際には逆効果で、子ども
自身はますます金銭的な物欲の世界におぼれることになる。

 ほかにも私の友人の家では、『家族はたがいをジャッジ(判断)しない』、『家族の悪
口は言わない』、『家族のプライバシーは守る』、『家族にはウソは言わない』、『家族
どうしは命令や、禁止命令はしない』などの、ハウス・ルールがあるという。参考までに。
(正解(1)(3))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ ♪♪
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (   高価なものを買ってあげれば、子どもは喜ぶハズと
    )人 v  )し   考えるのは、誤解。むしろ逆効果ですね。
     _>−−<      子どもの心をつかむということは、もっと
    /†_____†ヽ//     別のこと。
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あなたの家には
子どもの臭いが
ありますか?
子どもの居場所
がありますか?
園や学校は、ど
うですか?
++++++++++++++++++

子どもの臭い

 子どもは、あらゆるいたずらが好き。そのいたずらは、いわば心のユーモア。そのユー
モアが子どもを伸ばす。
そのひとつが落書き。子どもはあらゆる場所に落書きをする。私は、その子どもの落書き
には、さんざん手を焼いた。注意しても、しかっても一向に減らない。そこで方針を変え
た。

 落書きコーナーをあちこちに作った。教室で渡す私製のノートにも、落書きコーナーを
作った。ほかに机とデスクパッドの間にも、それぞれ画用紙をはさみ込み、それにも落書
きコーナーを作った。とくに効果的だったのは、ここでいう画用紙だった。一応表向きは
落書きをしてはいけないとは言っていたが、それは表向き。子どもたちは、その画用紙に
自由に落書きをした。おかげで、ほかの場所への落書きは、まったくといってよいほど、
なくなった。

 これは子どもを指導するときのコツだが、押してダメなら、思いきって引いてみる。(あ
るいはその反対でもよい。)そこで私は考えた。「〜〜をしてはダメ」と禁止命令ばかり
出していると、子どもの心は萎縮する。そこでさらに私は考えた。「子どもの臭い」。

 ずいぶん前だが、私は、不登校で悩んでいる親の家を訪れて、「おかしい」と思ったこ
とがある。大きな家で、大きな居間があったが、その居間のどこにも、子どもの臭いがし
なかった。すべてがきれいに片づいていた。が、それ以上に「アレッ」と思ったのは、子
どものものがどこにもなかったこと。ふつう子どものいる家庭では、あちこちに子どもの
ものがゴロゴロしているもの。しかしそれがない? そのときはそれで終わってしまった
が、今から思い出すと、あの家の中には、子どもの居場所がなかったのではないか。もち
ろんそれが不登校の原因とは言わないが、何らかの形で、関連していたことは、じゅうぶ
ん考えられる。

 同じように、保育園でも幼稚園でも、よい園では、子どもの臭いがプンプンする。あち
こちに子どもの残したシミのようなものがあって、それが全体として、温もりのあるもの
にする。しかし中には、まるで、どこかの病棟のように、まったく子どもの臭いのしない
園もある。すべてがピカピカに磨かれていて、落書きどころか、シミ一つ、ない。一見、
清潔で、過ごしやすく見えるかもしれないが、それは本来あるべき子どもの世界ではない。
またそういう園へ子どもをやれば……? この先は立場上、書けないが、私なら、そうい
う園へは子どもをやらない。短い期間ならともかくも、一年も二年も通わせれば、子ども
の心は、まちがいなく萎縮する。
(02−9−19)

【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
子育て随筆byはやし浩司
+++++++++++++
子育て随筆byはやし浩司(110)

子どもが好き?

 幼児教育をしているから、幼児が好きということにはならない。そこで私は、正直に書
く。私はある時期は、毎日、数百人の幼児に接していたことがある。今でも、いろいろな
場面で、毎日幼児と接している。そういう立場でいうと、仕事がオフのときには、幼児の
顔はできるだけ見ないようにしている。たとえば電車で旅に出たようなとき、前の席に幼
児が座ると、私は席をかえる。幼児を、ある意味で、どうしても専門的な目で見てしまう
からだ。気になってしかたない。落ちつかない。
 
 私のそういう気持ちは、たとえて言うなら、うな丼屋のオヤジのようなものではないか
と思う。浜松でも一、二を争ううな丼屋のオヤジが昔、こう言った。「私はうな丼はまっ
たく食べません」と。こんな話もある。

 浜松の郊外に、大きな医療病院がある。その病院で、外科部長をしているドクターの息
子(高校生)に英語を教えていたときのこと。私はある日、ふとその高校生にこう聞いた。
「君のお父さんは、担当の患者さんが急変したら、夜中でも病院へとんでいくのか?」と。
私は「たいへんな仕事だろうな」という気持ちで、そう聞いた。するとその高校生は、「い
いや」と。驚いて、「じゃあ、どうするのか?」と聞くと、「たいてい居留守をつかう」
と。「昼だったら、学会へ行っているとか何とか、ウソをつくこともある」とも。さらに
驚いていると、その高校生はこう言った。「もし夜中に病院へ行くようなことをしていれ
ば、翌日の手術にさしさわりがでる。手術では失敗は許されない」と。私はそこまで聞い
て、「さすが、プロだなあ」と、今度は一転、感心した。

 子ども、とくに幼児というのは、そもそも好きになる存在ではない。うるさいし、騒々
しい。私は幼児教育をして、もう三〇年以上になるが、その幼児教育でいちばんつまらな
いのは、人間関係ができないこと。その点、高校の先生や大学の先生は、うらやましい。
いわゆるおとな対おとなの関係をつくることができる。しかし幼児教育には、それがない。
ないから、教えるとしても、いつも一方的なもの。人間関係も、いつも一方的なもの。こ
の一方性が、幼児教育をつまらないものにしている。いかにその子どもで苦労をしても、
離れるときが、別れるとき。親に感謝されることはあっても、子どもの側からはない。

 さて、ここで暴露する。私も無数の幼稚園の教師や園長に会ってきたが、どの人もみな、
「私は幼児が好きです」と言う。そう言わなければ、仕事が成りたたないからだ。しかし
ここにも書いたように、「好き」ということは、ありえない。あえて言えば、「嫌いでは
ない」ということか。それなら話がわかる。幼児の世話をしながらも、それが苦にならな
い。幼児と接していると、気が晴れる。幼児に教えていると、笑いが絶えない。だから嫌
いではない、と。実のところ私もそうだ。好きではないが、嫌いでもない。だから幼児教
育ができる?

 ただしこういうことはある。何らかの理由で、一〜二週間も幼児から離れていると、無
性に幼児に会いたくなる。あるいは久しぶりに幼児の声を聞いたりすると、ほっとする。
(02−9−19)※

(追記)
 私が幼児教育の世界にスンナリと入ることができたのは、自分自身の子ども時代と大き
く関係していると思う。私は小学校の四、五年生まで、お山の大将として、子どもたちの
世界に君臨していた。いつも近くの山の中を歩くときは、年少の子どもたちを子分にして
歩いていた。年齢的には五、六歳から小学三、四年生くらいの子どもたちだった。今でも
幼児に接していると、ときどき、そういう親分的な感覚が、ふと戻ってくるときがある。

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子育て随筆byはやし浩司(108)

加害者と被害者

●私の被害妄想?

 私は高校時代、あるグループの連中から、いじめを受けた。何をするにも、仲間ハズレ
にされた。無視された。

 しかしそれから一〇年あまり後。同窓会があった。私はその同窓会で、それとなくその
グループの男たちと、当時の話をした。しかしだれも、私をいじめた話など、覚えていな
かった。……いじめられたというのは、私の被害妄想だったのか?

 こうした話は、子どもたちの世界ではよく経験する。いじめられる側は、「いじめられ
た」「いじめられた」と騒ぐが、一方、いじめる側には、その意識は薄い。薄いというよ
り、ほとんどのケースでは、ない。いじめる側は、そのときの気分で、おもしろ半分に、
いじめる。深い意識があって、相手をいじめるわけではない。ここに、いじめる側の意識
と、いじめられる側の意識の、違いがある。その違いが、ズレが生ずる。

 ふつう加害者は、自分が悪いことをしたことをできるだけ早く、忘れようとする。しか
し被害者はそうではない。体や心のキズを背負いながら、そのキズとともに生きる。被害
者にしてみれば、忘れるどころか、月日がたてばたつほど、その被害意識が強くなること
だってある。よい例が、先の戦争である。

●ユネスコの交換学生として

 私は日韓の間に、まだ国交がない時代に、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。
いろいろあったが、私はその韓国で、「日本の教科書はウソは書いてないが、しかしすべ
てを書いてない」と実感した。日本から見る、日韓併合時代と、韓国から見る、日本帝国
主義植民地時代は、まったく、本当にまったく異質のものだった。たとえば当時、韓国人
が三人集まって韓国語を離せば、それだけで投獄された。日本式神社への参拝を強要され、
日本の伝統や文化、それに歴史すらも、押しつけられた。こうした日本の、ある意味でデ
タラメな植民地政策に抵抗し、闇から闇へと葬られた人は、数知れない。

 ここで意識のズレが生ずる。日本人は、いわば加害者。韓国の人は、いわば被害者。敗
戦とともに、日本人は、あのいまわしい歴史を自分から遠ざけ、そしてそれを忘れた。忘
れようとした。「悪いことした」という意識も、ない。が、韓国の人たちは、そうではな
い。日本人がした蛮行を記憶にとどめるために、各地に記念館をつくり、子どもたちにそ
れを教えた。私が韓国にいたころは、そうした記念館はなかったように思うが、それでも
行く先々で、日本攻撃の矢面に立たされた。ソウルのミョンドンを歩いていたときには、
暴漢に囲まれ、命の危険すら感じたこともある。こうした韓国の人たちの気持ちがわから
なければ、反対の立場で考えてみればよい。

●もし北朝鮮が日本を植民地にしたら……

 あの強大な軍事力をもった北朝鮮が、ある日、金正日の命令のもと、日本に攻め入って
きたとする。日本を植民地化するためである。そして彼らがいうところの、主体思想を押
しつけ、朝鮮語を強要した。また日本人は、亡き金日成ゆかりの記念碑への参拝を強制さ
れ、ついで北朝鮮の工場で働くため、数十万人、もしくは百万人単位で、北朝鮮へ連行さ
れた! こういう状態になったとしたら、あなたはそれをどう思うだろうか。それでもあ
なたは、「朝鮮半島の歴史や文化のほうが、すぐれている。北朝鮮はすばらしい国だ。北
朝鮮に従おう」と思うだろうか。

 たしかに今の北朝鮮には、問題がある。読売新聞の社説は、はっきりと「軍事独裁国家」
(〇二年九月一八日)と書いている。彼らは日本がした悪行を、自分たちのしている悪行
の隠れミノにしている面は、確かにある。しかし彼らの意識を理解するためには、その前
に、こうした意識のズレを理解しないと、理解できない。たとえば、今回、つまり「北朝
鮮による日本人拉致(らち)問題」が、日本中をひっくり返すほど、大きな問題になって
いる。たしかにこれは大きな問題だ。しかも拉致された人のうち、六割の人が、若くして
死んでいる。新潟県の海岸から誘拐され、拉致されたM・Yさんにいたっては、当時中学
二年生ということもあって、その衝撃は大きかった。私もそのニュースを知ったときには、
体が一瞬宙を舞うのではないかと思えるほど、怒りが体中を走った。しかし考えてみれば、
これは日本人が戦後はじめて受けた、「被害」ではないのか。事実、今回も、日本人は、
「拉致」「拉致」と騒いでいるが、肝心の韓国では、それほど大きな問題にはなっていな
い。「何を偉そうに」「植民地時代に日本へ強制連行された韓国人はどうなのか」という
声もあると聞く。韓国人も数百人前後、拉致されているということもある。事実、この拉
致問題に感じては、終始一貫して、韓国人の反応は鈍かった。今も鈍い。

 おそらく北朝鮮は、今回の会談を契機に、拉致問題は解決したと、あとはその事件その
ものを、一挙に忘れるだろう。しかし日本人はそうではない。おそらくこれからも、その
問題を忘れることなく、北朝鮮に、説明と補償を求めていくだろう。これはまさに加害者
と被害者の立場の違いである。これはまさに加加害者の意識と被害者の意識の違いである。

●加害者は加害意識を……

 そこで問題は、つぎの段階へと進む。いかに加害者は加害者であったことを心にとめ、
被害者はその被害を、加害者に訴えていくかである。が、ここでまたまた大きな問題にぶ
つかってしまう。日本人ははたして、加害者であったことを、心にとめてきたかという問
題である。戦後五五年になろうとする今ですら、毎年のように、中国や韓国から、「日本
人の歴史認識はまちがっている」という批判が届く。これに対して、「どうして日本が日
本の歴史の悪口を、(教科書に)書かねばならないのか」と反論している人も、この日本
には多い。しかし、もしこの日本人の論理が、大手を振ってまかりとおるとしたら、今回
の拉致問題についても、仮に北朝鮮の人たちがそれをすぐ忘れても、文句は言えないとい
うことになる。さらに、あの日韓併合時代が日本人にとって、やむをえない、まちがって
いなかったと言うなら、逆に今、韓国や北朝鮮に反対のことをされても、文句は言えない
ということになる。

●子どものいじめと、国際問題

 子どものいじめの問題と、国際問題は、一見何ら関係がないように見えるかもしれない
が、その底流で深くつながっている。それはまさに加害者と被害者の構図といってもよい。
たしかに今回の拉致問題は、きわめて深刻であり、きわめて衝撃的な事件である。この事
件は決して風化させてはならない。許してはならない。それは当然だが、同時にそのため
にも、私たちがすべきことは、同時に、被害者の立場がどういうものであるかを知り、同
時に日本人がした数々の加害行為を静かに反省すべきである。それをしないで、一方的に
北朝鮮を責めても、北朝鮮の人たちにその心が届かないばかりか、世界から同情を得るこ
ともできない。

 さて冒頭のいじめの問題。もっとも私は、いじめられていじけるような、そんなヤワな
男ではなかった。露骨に無視した相手には、とびかかっていって、相手を床にたたきのめ
したこともある。相手のもっていたギターを取りあげ、それを叩き壊したこともある。が、
今になってみると、私のそうした行為は、まちがっていた。相手は本当に、私をいじめよ
うとしていたのかという疑問があるからである。ただ単に、私をイヤなヤツと思っていた
だけかもしれない。好かれるか嫌われるかといえば、私はみなに、嫌われてもおかしくな
い男だった。(実際、嫌われていたと思う。)いじめられていると感じたのは、やはり被
害妄想だったのか? どちらにせよ、あの時代は、私にとっては、イヤな時代だった。
(02−9−19)

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子育て随筆byはやし浩司(109)

日本の教育をゆがめる元凶

 「頭がよい」ということと、「勉強ができる」ということは、別。概して言えば、「勉
強ができる子どもは、頭がいい」。しかし勉強ができる子どもでも、頭が悪い子どもはい
くらでもいる。頭がよくても、勉強ができない子どもは、もっといくらでもいる。

 しかしこの日本では、人生の入り口では、勉強ができたほうが、絶対に得! 一度出世
のエスカレーターに乗れば、あとは自動的に楽な道を歩むことができる。この不公平感が、
結局は、受験競争の温床になり、教育をゆがめている。

 自分の二男のことをここに書くのは少し気が引けるが、しかし正直に書く。私の二男は
一級の頭脳をもっていた。超一級といってもよい。親バカとしてではなく、一人の教育家
として、私はそう見ていた。しかし中学二年のとき、受験勉強そのものを放棄してしまっ
た。「パパ、くだらないよ」と。ほとんど勉強らしい勉強などしたことがなかったが、そ
れでも県内のトップ高校(こういう言い方自体、不愉快だが……)へ入る力をもっていた。
その二男が、受験勉強を放棄したいきさつはいろいろあった。それはそれとして、結果的
にそうなった。私は、迷いはあったが、二男を支持した。「お前がそう判断するなら、そ
れはそうだ」と。私は二男の力が、受験勉強をはるかに超えていることを知っていた。

 で、彼は近くの高校を選んだ。市内でも、A、B、C、Dのランクで言えば、Dランク
の高校である。ワイフは「何もそこまで落とさなくても……」と絶句したが、二男はそう
いう子どもだった。「そのときになったら、勉強するよ。どこの高校でも同じだから……」
と。私はそうは思わなかったが、二男のその言葉を信ずるしかなかった。

 が、入学直後から、二男にとっては失望の連続だったらしい。進学校と教科書そのもの
が違っていた。二男はそれにショックを受けた。そしてしばらく通ううち、レベルの低さ
もさることながら、勉強するという雰囲気そのものがないことを知った。二男だけがひと
り、仲間から浮いてしまった。と、同時に、二男も勉強しなくなってしまった。

 高校時代の二男は、まあ、俗な言葉で言えば、遊びほけた。好き勝手なことをして過ご
した。バンドを組んだり、文化祭の実行委員長をしたり。ワンゲル部で、全国の山々を歩
いたりした。高校三年生のときは、たったひとりで、北海道を一周したりもした。が、い
よいよ進学というときになったときのこと。もちろん成績は、その程度。「どこか国立を
……」と私は願ったが、何とか入れそうな国立大学は、I県のI大学しかなかった。もと
もと、国立大学へ進学する子どもは、数年に一人いるかいないかというような高校である。
しかも入れそうなのは、「哲学科」? 私が認める二男の能力は、数理的な能力である。
その二男が哲学科? 模擬試験の偏差値で判断すると、そういうことになった。

 そこで私は二男に、アメリカ留学をすすめた。アメリカ人の知人が、勧めてくれたこと
もある。で、私は二男をアメリカへ送ることにした。彼も行く気になっていた。が、私は
内心、「どうせ、一、二年で帰ってくるだろう」と思っていた。高校からアメリカの大学
へ行ったところで、まず言葉のカベがある。ふつうのアメリカの高校生でも、学位をとっ
てアメリカの大学を卒業することはむすかしい。いわんや、日本の高校生を、や。まあ、
私としては、二男のやりたいようにさせてやるのが一番というような、軽い気持ちだった。

 が、アメリカへ行ってからの二男は、変わった。当時の二男を直接知るわけではないが、
二男が言うには、「狂ったように勉強した」とのこと。で、三年目に、私立大学から、よ
り高度な勉強を求めて、州立大学に転籍。四年間で、その州立大学で学位を取って卒業し
た。それもアメリカでもむずかしいとされる、コンピュータ科学の学位。〇一年の五月の
ことである。

 私はその二男を今、頭の中で思い浮かべながら、日本の教育システムの欠陥を、改めて
思い知らされている。ときどき「もし二男が、あのまま日本のどこかの専門学校か、私立
大学へ入っていたら、今ごろ二男はどうなっていたか」と。おそらくもてる才能を伸ばす
機会もなく、またその才能を発揮することもなく、そこそこの人間になっていただろう、
と。少なくとも日本の教育システムの中では、大学入試までで、その人の人生の道筋(コ
ース)は決まってしまう。それ以後、多少がんばったところで、その道筋を変えることは
できない。いくら能力と才能があっても、だ。しかしこういうしくみの中で、それほど苦
労しないでも、のんきな生活ができる人が生まれる一方、そのしくみの中で、苦労に苦労
を重ねても、きびしい生活を強いられる人も生まれるということだ。しかしこういうしく
みこそが、日本の教育をゆがめる元凶になっている。

 二男が「アメリカで仕事をしたい」と言ったとき、私はもうそれに返す言葉がなかった。
そのとき、二男は、日本そのものに失望していたと思う。今でもときどきこう言う。「日
本の教育制度はおかしい」と。 
(02−9−19)※

二男のホームページ……はやし浩司のサイトのトップページから、どうぞ!

   /⌒⌒^ヽ ♪♪♪
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
  | | ・ ・||( みんなで、力をあわせて、子どもの世界を変えましょう!)
  | |"   )||(____________________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川

【4】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

ホームページに動画!

 今、ほしいもの。デジタルビデオカメラ。
今、したいこと。そのカメラでビデオをとり、私のホームページに動画を載せること。し
かしいくつか、越えなければならないハードルがある。

(1)まず私の入っているプロバイダーは、10メガバイトまでは、無料だが、その1
0メガバイトを超えると、10メガバイトごとに年間、一万円の費用がかかる。
今のところ、20メガバイトまで加入しているが、できるならその範囲でおさめ
たい。

(2)動画を載せると、あっという間に、20メガバイトを超えてしまう。以前、声を
載せたが、一言二言載せただけで、1〜2メガバイトも消費してしまった。音声
というの
は、意外と、容量をくう。ほかにも苦い経験がいくつかある。

 そこで私が選んだ方法は、インターネットディスク(インターネットストーレッジとも
いうらしい)に、自分のディスクスペースをつくり、そこへ動画を保存しておくという方
法。そしてホームページのほうから、アクセスする。こうすれば、ホームページのほうに、
動画を載せる必要はない。そこで選んだのが、「I・D500」(J社)。このインター
ネットディスクには、その名前のとおり、500メガバイトまで、自分のデータを保存し
ておくことができる。500メガバイトもあれば、じゅうぶんだ。
 
 そこでいくつか実験を始めた。まずインターネットディスクに、自分の画像のファイル
を保存してみた。これはスンナリとできた。

 つぎにそのファイルを「公開」に設定してみた。これもスンナリとできた。が、そのつ
ぎの段階で、問題が発生。「公開」に設定すると、アドレスが割り当てられるが、そのア
ドレスが長すぎて、コピーすると、コピー先で、勝手に改行されてしまう。アドレスを暗
号化しているためだという。アドレスが正しく表示されないようでは、読者がインターネ
ットディスクにアクセスすることは不可能。で、何度もチャレンジしてみたが、ダメ。そ
こで「I・D500」のメーカーのJ社に電話するが、不親切なこときわまりない。ほん
の数分間、話しただけだが、「そういう(簡単な)ことは、メールに書いて送ってくださ
い」(大阪支社)と、そのまま電話を切られてしまった。

 しかたないので私は別の方法を試した。アドレスを一度、テキスト形式で保存し、それ
をコピーして使うという方法である。で、この方法はうまくいった。少しめんどうだが、
一度アドレスを登録しておけば、あとはディスクの内容を変えるだけでよい。この方法で、
しばらくしてみることにした。

 こうして実験は成功。私のサイトのトップページに、「動画」をいう項目を、何とか載
せることができた。興味のある人は、ぜひ見てほしい。(ただしダウンロードに時間がか
かるので、まだブロードバンドにしていない人には、勧めない。)まだ思考錯誤の段階だ
から、お粗末な映像だが(カメラがお粗末)、これはあくまでも「はじめの一歩」。これ
から先、どんどんよくする。そうそう、デジタルビデオは、今度の誕生日に買うことにし
た。昨日やっとワイフが、OKサインを出してくれた。ハイ。
(02−9−18)※

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡♪♪♪♪
      ∞((((( )∞
      │6 6 b   このところ、はやし浩司のマガジンは、
      (" 。 "人       どこか、いじけてる?
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ       もっと気楽に生きればいいのの……
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【文化性】(The "Culture" that each man has)

What is the "Culture" that each man has? I understand "Culture" is a sort of thing 
that supports us in case we face a crisis. Man with high culture is able to stand against 
the crisis without losing himself, but man without is not so. Therefore I understand the 
"Culture" that each man has is a kind of a "Pillar". This reminds me of a student I met 
in Argentine, Buenos Aires, who was waiting for the door open in front of a museum.

++++++++++++++++++++

その人の文化性は、その人が
危機に陥(おちい)ったときに、
試される。

危機に陥ったとき、泰然自若(たいぜんじじゃく)
として、動じない人もいれば、
あたふたと狼狽(ろうばい)し、
自分を見失ってしまう人もいる。

つまりその人の文化性は、いわば心の
貯金のようなもの。「心の柱」と言ってもよい。

++++++++++++++++++++

●その人の文化性

 本は読もう。音楽は聴こう。美術は鑑賞しよう。日々に高邁(こうまい)な思想に触れ、
感動し、ものを考えよう。こうした日々の研鑽(けんさん)が、その人の文化性を高める。
そうでなければ、そうでない。そうでないばかりか、油断すると、通俗的価値に毒されて、
その人のもつ文化性は、どんどんと低下する。

 こんな人がいた。

 趣味は、掛け軸を集めることだという。一度だけだが、私は、その掛け軸を見せてもら
ったことがある。それは2間ほどの壁に、びっしりと、積まれていた。が、その人が口に
するのは、その価値(?)だけ。値段だけ。

 「この掛け軸は、○○万円の価値がある」
 「この掛け軸は、江戸時代の、あの○○が、描いたもの」
 「この掛け軸と同じものが、ヤフオクで、○○万円で、売れた」と。

 こんな話までした。

 「これは伯母から買った掛け軸でね。伯母は、価値がわからないから、相場の10分の
1の値段で売ってくれましたよ」と。つまり「伯母をだまして、安く買いたたいた」と。

 こういう話を聞くと、ぞっとする。そういうことが平気でできる人というのは、そうは
いない。またそれを自慢話にする人というのは、そうはいない。

 が、それ以上に私は、(掛け軸を集める)という高邁(こうまい)な文化性と、その人が
口にする言葉とのギャップに驚いた。わかりやすく言えば、その人にとって掛け軸という
のは、ただのモノにすぎなかったということになる。

 さらにこんな人も。

 これは友人から聞いた話だが、その友人の近くに、1人の女性が住んでいた。当時、年
齢は、70歳くらいだった。

 その女性は、近所を散歩しながら、軒先に植木鉢が並べてあったりすると、それをその
まま家に持ち帰ってきてしまうという。

 この話を聞いたときも、驚いた。70歳近い女性が、盗みをしているということについ
てではない。(花を楽しむ)という高邁な文化性と、(盗みをするというその女性の行為)
が、私は頭の中で、結びつかなかったからである。

 その女性について書いた原稿がある。日付はわからないが、もう7、8年前に書いた原
稿だと思う。少し話が脱線するが、許してほしい。

+++++++++++++

●しつけは普遍

 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、そ
の人の人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。

たとえばTさん(70歳女性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様
子がおかしくなってきた。近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢
や小物を盗んできてしまうのだ。

人はそれを、Tさんが老人になったせいだと話していたが、実のところTさんの盗みグ
セは、Tさんが2、30歳のときからあった。ただ若いときは巧妙というか、そういう
自分をごまかすだけの気力があった。

しかし70歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それ
と反比例するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。
むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、
そういうことで決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中
学生になるころには、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿って
おとなになるだけ。途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一
度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、
その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見てい
ないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、
話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。

人間がもつしつけなどというのは、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくて
も、静かに自分の心に問いかけてみれば、それでわかる。してよいことをしたときには、
心は穏やかなままである。しかししてはいけないことをしたときには、どこか不快感が
心に充満する。そういう常識に従って生きることを教えればよい。そしてそれを教える
のが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「し
つけは普遍」という。

+++++++++++++

●試される文化性

 その人のもつ文化性は、危機的状況になったときに、試される。高い文化性をもった人
は、その文化性を維持したまま、泰然自若と、それを構えて受けることができる。が、そ
うでない人は、そうでない。

 そういう意味で、その人がもつ文化性というのは、「心の貯金」のようなものと考えてよ
い。あるいは、「心の柱」と言いかえてもよい。つまり文化性というのは、それを身に貯金
しているときは、その価値がわからない。「柱」と意識することもない。

 が、けっして、無駄ではない。しかもその時期というのは、小学時代とか、中学時代に
決まる。少なくとも大学生になったころには、ある程度の方向づけが、決まる。アルゼン
チンのブエノスアイレスに行ったときのこと。こんなことがあった。

 ホテルの反対側に、大きな美術館があった。道路をはさんだ、向かい側だった。朝早く
散歩をしながら、その美術館の前に行くと、1人の女子学生が、石の階段に腰をかけてす
わっていた。「何をしているのか?」と聞くと、「美術館が開くのを待っている」と。


その女子学生は、そこにいた。大きな絵画を一枚ずつ、身動きすらしないで、じっとなが
めていた。そのあまりの迫力に圧倒されて、私は、声もかけられなかった。

 今にして思うと、あのような若い女性でも、方向づけができていたことになる。コンサ
ートやスポーツの世界では、開館を待ってそこに並ぶということはあるが、美術の世界で
は、珍しい。今ごろ、あの女性は、アルゼンチンでも、すばらしい女性になっているにち
がいない。

●反対に……

 反対に、こんな人もいた。

(……とここまで書いて、私はその先を書くのが、いやになった。愚劣な人たちの、愚劣
な話など、書きたくない。世の中には、サルのような人というか、サル同然の人もいる。
ささいな問題で、ギャーギャーとわめき散らす。

 そういう人たちの話を書きたいと思ったが、どういうわけか、指先が止まってしまった。
はっきり言えば、私は、もうそういう人たちを相手にしたくない。だから、この話は、こ
こまで!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 文化性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【マガジン・過去版(3)】

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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
02−9−8号(105)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●11月14日(木)……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ
午前10時〜12時、主催 尾張旭市教育委員会
            
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi

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【今日のテーマ】「家族チェックテスト(2)」(Let's check out your parenting)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids at home)
【3】失敗危険度(Are you all right?) 
【4】随筆(Essays)
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   / ̄\ ⊂⌒⌒⊃ 
⊂⌒⌒⊃  |  ⊂〜⊃
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        ◯    / /⊃)
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(⊂\\  ◯◯◯   γ \
 (θθ)┏━━━┓ (   σ
/ γ  ┗┓◯┏┛  ζ ζ
δ   )  ┃ ┃
  η η   ┗⌒┛
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【1】
世界の子育て格言
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
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目の見える人は、その幸福がわからない

名言から学ぶ子育て

目の見える人間は、見えているという幸運を知らずにいる。(A.ジイド)
Those who can see do not know the happiness that he can see.

1869ー1951、フランスの小説家。個性の束縛と闘った、20世紀を代表する作家。
ノーベル文学賞を受賞。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 お母さんの子育て相談を聞いていると、際限がないのがわかります。子どもができない
ならできないなりに、お母さんは悩み、できるならできるなりに、お母さんは悩みます。
子どもを伸ばそうという気持ちは大切ですが、それが度を越すと、過剰期待となり、かえ
って子どもをマイナス方向へ追いやってしまいます。

 こんなお母さんがいました。「子どもの教育で失敗しました」と言うのです。話を聞く
と、足し算は何とか理解できるようになったものの、引き算が理解できず、ほんの数問を
解くのに、半時間もかかってしまう、と。市販のワークを見せると、それを見ただけで拒
絶反応を示し、ワーッと泣きだしてしまうというのです。そして「どうしたらよいか」と。

 私にはこんな苦い経験があります。三人の子どもたちを、近くの湖へ連れていった時の
ことです。私と女房は浅瀬だとばかり思って船の上で寝ていたのですが、三男が突然、「お
兄ちゃんがいない!」と叫んだ時には、上の二人ははるか沖合まで流されてしまっていま
した。長男は何とか助けたものの、まだ泳げない次男(年長児)は、すでに頭が半分、水
の中に潜っていました。私は必死で船を出そうとしましたが、錨(いかり)が遠くまで延
びていて、それをたぐることもできませんでした。

 しかし奇跡が起きました。その近くで、元国体選手という人が魚を釣っていたのです。
私が振り返った時、ちょうどその人が次男を助け出してくれるところでした。以来、私は
次男のできの悪さを見せつけられながらも、「生きていてくれるだけでよい」と思いなお
すようにしています。

 懸命な人は、何でもなくす前に、その価値に気づき、そうでない人は、なくしてからそ
の価値に気づくのかもしれません。青春しかり、健康しかり。そして子どものよさも、ま
たしかり。ジイドは、『目が見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる』と言いま
す。同じように、子どもをもっている親は、子どもをもつという幸福を、知らずにいると
いうことになります。そういう観点で見ると、この世の中に、子どもとともに生きている
ということだけでも、すばらしいことだとわかるはずです。と、同時に、子育てのあらゆ
る問題が解決するはずです。

 子育ての悩みというのは、すべて、親の未来にわたる我欲が原因で起こります。「もう
少し何とかならないものか…」という思いが、あらゆる子育ての問題の基本にあります。
だったらそう思うのをやめればよいのです。そうすればすべての問題は、解決するはずで
す。そして自分の子どもだけを見据えて、子育てをする……。

 これはいわば「居直りの論理」ですが、もっと言えば、生きている、そのことだけをす
べての前提に置いて、子育てを考えます。またそうすることによって、子どもも幸福に、
そしてかつ伸びやかに成長します。
(1408)
   ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【2】
あなたの子育てを診断します。あなたの子育てだいじょうぶですか?
(この原稿に対する、ご意見、ご批評を歓迎します。今度O書店から出版の
話をすすめている原稿の一部です。たいへん実用的な本にしたいと思ってい
ます。みなさんのご感想をどうかお聞かせください。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++

忍耐

Q あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてください。そのと
きあなたの子どもは、どのような反応を示すでしょうか。

(1)さっと走りよってきて、「ママ、手伝ってあげる」と荷物をいっしょに運んでく
れる。
(2)見て見ぬフリをしたり、知らぬフリをして、ゲームなどに夢中になっている。
(3)「手伝ってちょうだい」と言うまで、重い腰をあげようとしない。

A (2)のようであれば、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘とみてよい。今
は体も小さく、あなたの前でおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの手に負
えなくなる……。

 以前、幼稚園で、母親たちの何かの集会があったときのこと。やってくる母親たちにス
リッパを出してあげていた子ども(年長男児)がいた。だれかに頼まれて、そうしていた
わけではない。で、その子どもは集会が始まると、今度は、炊事室へ行き、炊事室のおば
さんに、お茶を出すからお茶をつくってほしいとまで言った。たまたま彼の母親がその場
にいたが、その母親は笑いながら、こう言った。「うちの子はよく気がつくのですよ。先
日は何かのセールスの人にまで、お茶を出していました」と。

 このタイプの子どもは、学習面でも伸びる。もともと「勉強」には、ある種の苦痛がと
もなう。その苦痛を乗り越える力が、ここでいう「忍耐力」だからである。たとえば子ど
もにこう言ってみてほしい。「台所の生ゴミを始末して!」と。あるいは風呂場の排水口
にたまった毛玉でもよい。そのとき「ハーイ」と言って、手で始末できれば、あなたの子
どもはかなり忍耐力のある子どもとみる。その忍耐力のある子どもにするには、子どもは
使う。「子どもは使えば使うほどいい子になる」と覚えておくとよい。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


情緒

Q 「情緒不安」という言葉があります。その言葉を聞いたとき、あなたは次のどのタイ
プの子どもを想像しますか。

(1)ちょっとしたことで、すぐカッとなったり、反対にぐずったりする子ども。
(2)いつも周囲に気をつかい、心が緊張状態にあって、その緊張感が抜けない子ども。
(3)心の状態がつかみにくく、何を考えているかわからない子ども。

A 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四
歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を
許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。そ
の緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、
情緒が不安定になる。
症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナ
ス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表
情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。
このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッ
スンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)
がいた。さらに症状が進むと、集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の
不調を訴えることもある。子どもの情緒が不安定になったら、心の緊張感をほぐすことだ
けを考える。静かで穏やかな家庭環境を大切にし、子どもの側からみて、のんびりとくつ
ろげるようにする。(正解(1)(2)(3))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


言葉

Q 子どもが園、もしくは学校へでかけるとき、あなたはいつも、どのような話し方をし
ていますか。

(1) 「ハンカチをもっていますか。ティッシュペーパーは、もっていますか」と言う。
(2) 「ほら、ハンカチ、ハンカチ! ほら、ティシュ、ティシュ!」と言う。
(3) 「ハンカチ、もってるの? ティッシュペーパーは?」と言う。

A  子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決ま
る。毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というよう
な話し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういう
ケースでは、たとえめんどうでも、「あなたはハンカチを持っていますか。ティッシュペ
ーパーは、もっていますか」と言ってあげねばならない。

以前私は、国語力が基本的に劣っていると思われる小中学生たちに集まってもらい、その
子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うかを調べたことがある。結果、つぎの
三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない(「ぼく、アイス、食べる」というような言い方をする)、
(2)使う言葉の数が少ない(使う語彙数そのものが少ない)、(3)正しい言葉で話せ
ない(話させようとすると、照れてしまう)。原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎
えにきていた母親がいたので、その母親にそのことを告げると、その母親はこう言った。
「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因
は母親だった!

 たいていの親は、国語力は、学校の国語の勉強で身につくものだと思っている。しかし
これは誤解。しかもその国語力の基本は、幼児期に決まる。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++




Q あなたが座ってテレビを見ているとき、あなたの子どもが近くにやってきました。そ
のときあなたが子どもに手をさしだすと……

(1)ごく自然な感じで、あなたに抱かれ、あなたに身をすりよせてくる。
(2)抱かれようとせず、あなたのしぐさに無関心で、それを無視する。
(3)子どもを引き寄せ、抱こうとすると、それをいやがる。抱いても体をこわばらせ
る。

A 一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘
え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情
で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そ
のやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、
育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分
だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、
苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、
全体にひねくれることもある。ところでこんなショッキングな報告もある。抱こうとして
も抱かれない子どもが、四分の一もいるというのだ(二〇〇〇年)。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保
育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

 何でもないことのようだが、親に抱かれるというだけでも、あなたの子どもの心は、ま
っすぐに育っているということになる。(正解(1))

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


信頼

Q 久しぶりに高校時代の友人と会いました。その友人が、あなたの子どもをじっと見つ
めたあと、「(年齢は)いくつ?」と聞いたとします。そのときあなたは……

(1)いやなことを聞く人だと思う。子どもの年齢など、聞くものではないと思う。
(2)何も考えないで、すなおな気持ちで、「○歳よ」と答えることができる。
(3)よいことを聞いてくれたと思う。「まだ○歳よ」と誇らしげに答えることができる。

A 子どもの心はカガミのようなもの。あなたが「うちの子はすばらしい」と思っている
と、子どもは、そのすばらしい子になる。表情も明るく、ハツラツとしている。そうでな
ければそうでない。

 もしあなたがここでいう(1)のようであれば、まずあなたの心を作り変える。たとえ
ばひとつの方法として、「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはす
ばらしい人になる」を口グセにするというのがある。子どもが幼児であればあるほど、そ
う言う。あなたが「うちの子は、だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。最初
はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。子どもというのは、自分を信じて
くれる人の前では、よい面を見せようとする。そういう性質を利用して、子どもを伸ばす。
あなたが自然にそれを言えるようになったとき、あなたの子どもは、そのよい子になって
いる。それだけではない。

 英語の格言に、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたのことを思う』というの
がある。あなたがあなたの子どもを、よい子どもと思っていると、あなたの子どももあな
たのことを、よい親と思うようになる。そういう相乗効果が、あなたの親子関係をより濃
密にする。(正解(3))

     /⌒⌒^\
     (λハハλ ヽ
     ))∂ ∂)) )
    (|^ c  ( (
    )人 v  )し
     _>−−<
    /†_____†ヽ//   食欲の秋です!
    ( ('    ξヽ
  ┏ ||   o//\) )(
 --□---`○_oOO%__------凵---
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【3】
子育て失敗危険度
+++++++++++++
ほら、カバン、カバン!
国語力を豊かにするために(失敗危険度★)

●会話環境と言葉

 「ほら、カバン、カバン! ハンカチは! バス、バス……、ほら、帽子!」と、こん
な話し方をしていて、子どもに国語力が育つはずがない。こういうときは、たとえめんど
うでも、「あなたはカバンをもちます。ハンカチはもっていますか。もうすぐバスが来ま
すから、急いでしたくをしなさい。帽子を忘れないでください」と。こうした会話環境が
あってはじめて、子どもは国語力を身につけることができる。が、こんな方法もある。

●バツグンの表現力

 一人、バツグンの国語力のある子ども(年長女児)がいた。作文力をみたら、小学四〜
五年生程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつ
くってみせた。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。

 母親の趣味はドライブ。そこでほとんど毎日、それもその子どもが乳幼児のときからド
ライブに連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞
かせつづけたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向け
のものまで、いろいろあったという。

 確かにこの方法は効果的である。別の母親は、芥川竜之介の難解な小説(「高瀬舟」)
を吹き込んだカセットテープをその子ども(小一)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月も
すると、その子どもはその物語をソラで言えるようになったという。

●読み聞かせのコツ

 この方法にはいくつかのコツがある。テープに録音するにしても、やはり一番よいのは、
母親の声。物語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、二〜四年レベルの高いもので
も構わない。大きな書店へ行くと、いろいろな学校の教科書を売っている。そういうとこ
ろで、教科書を手に入れるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。また国語
にかぎらず、社会や理科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっているこ
となら一番よいが、あまりこだわる必要はない。

 さて冒頭の話だが、子どもの国語力の基本は、あくまでも親、なかんずく母親の国語力
による。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。

***************************************


交通事故に気をつけてね
寸劇指導法(失敗危険度★)

●指示は具体的に

 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくする
のですよ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、
言う親の気休め程度の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもって
いってあげてね。○○君は喜ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で
先生が何と言ったか、あとでママに話してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるの
ですよ」というのもそうだ。

●下水溝で遊んでいた子ども

 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、
下水溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果が
なかった。そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説
明した。近所の家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。
子どもは相当ショックを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばな
くなった。

●迫真の演技で

 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの
寸劇をしてみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみ
せるのである。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。
子どもが苦しみながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」
と泣き出すかもしれないが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけな
い。迫真の演技であればあるほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、
以後道路へは飛び出さなくなる。

 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、
この寸劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで
納得する。
(1315)
   /⌒⌒^ヽ
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒       )
  | | ・ ・||( 子どもへの指示は具体的にね! )
  | |"   )||(_________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【4】
子育て随筆byはやし浩司
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 
子どもに教えられる

 著名な教育者でも、現場を離れたとたん、偏屈な、がんこオヤジになることはよくある。
そういう教育者の書いた文章を読んだりすると、その教育者が教育者であったのは、結局
は子どものおかげだったということが、よくわかる。たとえばよく知られた人に、Tとい
う人がいた。元小学校の教員だったとかで、たしかに現役時代の彼の書いた文章は、おも
しろかった。役にたった。しかし現役を退いてからの彼の書いた文章は、どれも美辞麗句
ばかり。まるで夢の中で書いたような文章ばかりだった。

 そこで私自身のことを静かに観察してみる。たとえばこんなことがある。ときどき仕事
にでかける前、ワイフと口論することがある。そういうとき気分はたしかに悪い。ムシャ
クシャしている。が、教室へ入って、子どもたちが、「やあ、林先生!」とか言って声を
かけてくれたとたん、その気分が吹き飛んでしまう。

 つまり教師というのは、いつも子どもたちに心を洗われていることになる。何でもない
ことのようだが、これにはすばらしい価値が隠されている。いや、反対にこんなことがあ
る。生徒の一人に、父親が大病院の腎臓センターのドクターをしている息子(中二)がい
る。私は腎臓センターに世話になったことがないので、よく知らないが、聞くところによ
ると、そのセンターにやってくるのは、重症の患者ばかりだという。中にはやってきて数
週間から数か月で亡くなる人もいるという。

私は頭の中でそういう職場を想像しながら、何と憂うつな職場だろうと思った。仮に気分
よく職場へ入っても、患者の顔を見たとたん、その気分が悪くなってしまうかもしれない。
つまり私の職場を、「朝日が輝く朝の職場」とするなら、腎臓センターは、「とっぷりと
日の暮れた闇の職場」(失礼!)ということになる。そこである日、その中学生にこう聞
いてみた。「君のお父さんは、どうやって気分を調整しているのだ」と。するとその中学
生は、「ううん、何も……」と。そういう仕事ができるというだけでも、そのドクターは、
崇高な人にちがいない。仮に私がそのセンターのドクターなら、私は数日働いただけで気
が滅入ってしまうかもしれない。それにこんなこともあった。

 もう一〇年ほど前のことだが、ある出版社から、老人ホームの老人向けの教材を考えて
ほしいという依頼をもらった。幼児と老人は、何となくどこかでつながっている。で、私
は一時は、その気になってそのための取材を始めた。いくつかのホームを回り、どんな指
導をしているかを見学して回った。が、そのうち、幼児向けの教材と、老人向けの教材は、
まったく異質のものであることき気づいた。幼児向けの教材は、発展的に知恵を伸ばすも
の。一方、老人向けの教材は、その知恵をのがさないためのもの。結局この仕事は、私の
ほうが断ったが、そのときも、同じように思った。「同じ教材作りでも、老人向けはつま
らないな」と。

 そこで私は考えた。私は毎日のように、幼児や小学生と接している。それは私が「教え
るという立場」にいるからだ。が、しかしその実、ひょっとしたら、私はその幼児や子ど
もたちを教えているのではなく、教えられているのではないか、と。あるいは心を洗われ
ているといってもよい。さらにそれを裏づけるかのように、こんなこともある。

 私はもともとうつ型タイプの人間で、ものの考え方がゆがんでいる。いじけやすいし、
ひがみやすい。そういう私がかろうじて、まとも(?)でいられるのは、子どもたちのお
かげである。たとえば子どもの世界では、ささいなウソやインチキですら、通用しない。
仮にそういうことがあると、子どもたちは猛烈にそれに反発する。その反発を受けている
と、いつの間にか、ゆがんだ心や考え方が、やはり吹き飛んでしまう。

 で、最初の話にもどる。実のところ、教育者と呼ばれる人は、どこか世間知らずの人が
多い。子どもという人間を、上ばかりから見ているから、下の世界がわからない。昔、職
業安定所の人もそう言っていた。「一番、ツブシのきかない人が教師です」と。私もその
一人だが、そのツブシのきかない教師が現場を離れると、とたんに教育的なカンが消えて
しまう。これも私の経験だが、たとえば休みが一〇日とか二週間とかつづいたりすると、
原稿そのものが書けなくなってしまうことがある。さらに休みがつづくと、ツブシがきか
ない分だけ、常識ハズレになり、偏屈な世界へと入ってしまう。冒頭にあげた、Tという
教育者がそうだった。

 そこで再び私のこと。最近、ときどきワイフとこんな話をする。私はものを書くのが仕
事だが、しかしその仕事をつづけるためには、どこかで子どもたちとの接点をもっていな
ければならないと。わかりやすく言えば、ものを書きつづける間、現場から離れることは
できない、と。離れたとたん、カンが消え、子育て論が書けなくなる。言いかえると、私
にものを書かせ、生きがいを与えてくれているのは、ほかならない、私の生徒ということ
になる。

 ごく最近、私はそれに気がついた。
(02−8−30)

      ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄読書の秋です! はやし浩司の本を読みましょう!
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

講演会のお知らせ

各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/→「ニュース」です。

2・20……内野小学校
1・19……浜松市医療センター
11・29……砂丘小学校
11・21……北浜南小学校
11・14……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ(10時〜12時)
10・30……五島小学校
10・17……島田市立第四保育園
10・10……富士市、田子浦小学校(中学校)
9・26……愛知県豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
9・11……蜆塚幼稚園
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静岡県教育委員会発行雑誌「ファミリス」での連載が、2002年度も続くことに
なりました。どうか、ご購読くださいますよう、心からお願いします。全力をあげて
この原稿に取り組んでいます。お申し込みは、学校の先生まで(静岡県内の方)、あるい


(株)静岡教育出版社 054−281−8870(ファミリス販売部)までお申し込み
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〒422−8006 静岡市曲金5−5−38、静岡教育出版社
       一冊 300円プラス送料76円……現金書留にてお申し込みください。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
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  in your home country. Hiroshi
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  以上、コマーシャルばかりで、すみません! よろしくお願いします!
           ツ  <<
      >> / \  <
    >>  /   \ <<
  >>>   |____|
 >>>  ツ  \∴∵∴/  <<<  また次号をよろしくお願いします!
 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
>>> /   \ <<<
>>>|____| <<<
 >> \∴∵∴/ <<<
☆===================☆================
==(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●インチキ博士号(pseudo doctor)

Doctor degrees are being sold in Japan. In most cases you receive a letter one day from 
an unknown university, in which it says that you are qualified to be nominated as a 
doctor of our university. This may be apparently pseudo. The reason is quite simple. It 
also says you need to pay abt. 500 thousand yen ~ 1 million yen for the degree. I have 
received some of them in the past. Then one day I rang up to the telephone number and 
ask someone in charge about it. The man in charge answered me that the money would 
be used as scholarship for students. But do we have to pay money before the doctor 
degree is admitted? One of the most well-known professor of Waseda University is the 
one who has the title given by the university. I mean it is pseudo, for as far as I have 
checked it through internet, the university has no students. The professor said in the 
TV program, that, he did not know the university is pseudo. But this is funny or 
ridiculous.  

++++++++++++++++++

日本でも、インチキ博士号が、問題に
なっている。

早稲田大学の、あの吉M教授も、その1人。
昨夜(1月13日)の報道番組の中で、吉M教授は、
「私は、ちゃんと論文を出して認められた」
「博士号のオッファーがあったので、応募した」
などというようなことを言っていた。
(記憶によるものなので、細部では、正確では
ないかもしれない。)

しかしこの吉M教授の話は、ウソと考えてよい。
吉M教授ともあろう、偉い(?)、お方が、
インチキかどうか、見抜けなかったというのは、
どう考えても、おかしい。

この私ですら、見抜けた。理由がある。

まず、寄付金の告示があったこと。博士号資格で、
50〜100万円。額は、大学によって異なる。
一度、電話で問い合わせると、こうした寄付金は、
学生の奨学金として使用するということだった。

そこでインターネットを使って調べてみると、
大学といっても、校舎だけ。学生の臭いが
ほとんどしなかった。

すでに当時、こうしたインチキ博士号は、世界では
常識。そういう世界を知っていた吉M教授が、
それを知らなかったはずはない。

「当時」というのは、10年以上も前のこと。
私のところへ、そうした勧誘が届き始めたのも、
そのころである。

一事が万事。

うっすらと笑みまで浮かべて、テレビのレポータの
質問に答えていた吉M教授は、何か隠していると
いったふう。
インチキ認定書の横に、分厚い、論文集(?)
なるものを、これ見よがしに置いていた。

(そういうものを、わざわざ置くところが、
あやしい?)

テレビの報道によれば、吉M教授は、そのインチキ
大学のために、講演会まで開いていたという。
つまり新たな被害者をさがすための、手助けまでして
いた疑いがかけられている(テレビ報道)。

責任は、重大である。
「知らなかった」では、すまされない。

++++++++++++++++++++

●過去の肩書き(Are you a respected man?)

Are you a respected man? If so, you are good enough. But when you retire from the job, 
you had better forget about your past and be free from the career. Otherwise you would 
be kicked out of the society you belong to. But some remains the same after he retire 
from his job, thinking himself that he is a respected man. A reader living in 
H-prefecture gave me a mail in which she worries about her brother who still cling to 
his career before he retired long time ago.

++++++++++++++++

「私は偉い」「私は尊敬されるべき」と、
思うのは、その人の勝手。しかしときには、
自問してみることも、大切。

こんなメールが届いた。S県にお住まいの
Aさん(女性、60歳)からのものである。
私のエッセーを読んで、同じように感じた
とのこと。

転載許可は、いただけなかったので、概略
のみ、紹介させてもらう。

++++++++++++++++

【Aさんより、はやし浩司へ】

私の兄は、現在、65歳です。5年前まで、国家公務員をしていました。その出先機関の
長にもなりました。しかしいまだに過去と、決別できずにいます。ことあるごとに過去の
学歴と肩書きをひけらかしています。

私の息子(32歳)が、フリーターをしていることについても、「そういうのは、人間のク
ズだ」とか、「まともな仕事でないから、結婚相手も紹介できん」とか、言いました。

その兄が、去年(07年)のはじめ、がんになりました。大腸がんです。そのときのこと
です。兄は、親戚中にそのことを連絡していました。実際には、私に、あちこちへ電話を
かけさせました。私は、そういう話は、内々ですませたほうがよいと考えていました。

で、兄は、術後1か月ほど入院しました。現在も、週2回、通院治療をつづけています。
が、見舞いに来たのは、この1年間で、親戚の中では、いとこの男性、1人だけです。私
の息子も、「ぜったいに見舞いに、行かない」と、がんばっています。それについて兄は、
「冷たい」とか、「水臭い」とか言って、怒っています。

まるで自分のことがわかっていない。そんな兄が、あわれです。私は高卒で、そういうこ
ともあって、いまだに私を、子分か何かのように使います。私の家が、兄の家(=私の実
家)と近いこともあって、私を車の運転手くらいにしか考えていないようです。どうした
ら、よいですか?

【はやし浩司より、Aさんへ】

 この問題は、私たちの年代のものにとっては、深刻な問題のひとつです。よく「定年退
職したら、過去の経歴をすべて捨てよ」と言います。それはそのとおりで、それを引きず
っていたら、再就職もままなりません。

 しかし経歴を捨てることができない人が多いのも、事実です。とくに有名大学を出たあ
と、高い役職についた人ほど、そうです。みなにチヤホヤされるうち、自分を見失ってし
まうのですね。それこそ80歳とか90歳とか、死ぬまで、過去の経歴を引きずって生き
ていきます。

 こういうケースでは、過去の経歴を否定するということは、お兄さんに自己否定を迫る
ようなものです。わかりやすく言えば、お兄さんの(生きがい)をすべて、奪ってしまう
ようなことにもなりかねません。あなたの立場で、お兄さんにそれをわからせようとして
も、不可能と考えてください。

 では、どうするか?

 結局は、この問題は、その人自身の問題ということになります。だれからも相手にされ
ていないのに、それにすら気づかない。つまりは、心のさみしい人ということになります。

 少しあなたのお兄さんとは違いますが、私の実家の近くにも、似たような人がいました。
ことあるごとに、私の家にやってきては、自慢話ばかりするのです。「今月は、○○万円も
うけた」「来月は、○○万円もうける」「この町内で、私がいちばんの高額納税者だ」とか、
なんとか。
 
 そのころすでに私の実家の稼業は、斜陽の一途をたどっていました。そんな話を聞かさ
れても、楽しくありません。その人が帰るたびに、私の母などは、玄関先に、塩をまいて
いました。

 が、その人は、やがて多額の借金をかかえて、どこかへ夜逃げをしていきました。うわ
さによれば、株の信用取引で、多額の損を出したということです。もちろんその人に同情
する人は、私の家族も含めて、だれもいませんでした。

 いつかあなたのお兄さんも、そのさみしさに気がつくときがやってくるのでしょうか。
あるいは今、それに気がつきつつあるのかもしれませんね。が、それを認めることは、先
にも書いたように、自己否定につながってしまいます。だから余計に認めるわけには、い
かない。

 あなたのお兄さんの病気には同情しますが、それについても、あなたとしてできること
は、もうほとんど、ありません。今は今で、そしてこの先も、淡々と、今までどおりの人
間関係をつづけていくしかないように思います。あなたの立場で、お兄さんにあれこれわ
からせようとか、意見を言うのは、こういうケースでは、タブーと考えてください。

 というのも、それがどういうものであれ、お兄さんはお兄さんで、懸命に生きてきた。
今も懸命に生きている。そういう(懸命さ)を感じたら、私たちは静かに引きさがるしか
ないのです。「かわいそうだな」と思いながらも、お兄さんの話を、そっと聞いてやる。そ
れでしませます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(1月12日)

++++++++++++++++

寒い朝だ。冬の冷気が、ツンと身に
しみる。

生ぬるいウーロン茶を飲みながら、
ニュースに目を通す。

ペルシャ湾情勢、日韓関係、それに
あとは経済情報。

++++++++++++++++

●月面上のUFO

 日本の「かぐや」が、月の鮮明な写真を送りつづけてきている。数日前、その番組をワ
イフが見た。私は「UFOでも写っていたら、呼んで」と言って、書斎にこもった。

 YOU・TUBEで、「UFO on the Moon」を検索してみるとよい。(私のHPのトップ
ページから、「音楽と私」→(UFO)で、見ることができる。)その種の動画が、ズラリと
出てくる。月面上の構造物の動画もある。少し見慣れてくると、インチキかそうでないか
が、わかるようになる。だからといって私の目が正しいというわけではないが、中には、
無数のUFOが飛び交う動画まである。興味のある人は、そちらを見たらよい。

 で、アメリカは、2020年までに、有人月探査に復帰するという。現在のスペースシ
ャトルは、2010年までに引退。かわって新たに「オリオン」と命名されたカプセル型
宇宙船CEV(Crew Exploration Vehicle)を開発するという(以上、「IMIDAS」)。

 先の番組を見たワイフが、こう言った。「月にも、太陽の光線が当たらないところある。
そこには、氷のかたまりがあるかもしれない」と。

 月の南極のクレーターの内部には、そういうところがあるらしい。アメリカが月面基地
として選んだのも、そういう場所。シャックルトン・クレーターと呼ばれるところである。
そのクレーターの縁に、太陽光発電機を設置すれば、途切れることなく、太陽光を受ける
ことができるという。

 人間も、頭がよい。しかし月に宇宙人が住んでいるとするなら、同じことを考えている
はず。だいじょうぶかな?

 日本も、新たに、月・惑星探査推進グループというセクションを、JAXA内に設けた
そうだ。「このように組織改革が行われたのは、まず第一に、アメリカが打ち出した、国際
協力による有人月探査に対応する必要があるため」(「IMIDAS」)とのこと。

 見方を変えれば、たがいに協力しあって、月の謎を隠蔽(いんぺい)しあうともとれる。
アメリカのNASAが発表している月の写真は、その多くが、どういう理由かは知らない
が、修正されている。

 「月には、何かがある」「何かが、住んでいる」と考えているのは、けっして、私だけで
はない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「歓びを歌にのせて」(as it is in heaven)(フランス映画)

And yet it's the way that I chose そしてそれが私が選んだ道
My trust was far beyond words 私の信頼は、言葉では言い表せない
That has shown me a little bit それは少しだけ、私に示してくれた
Of the heaven I've never found 私が知らない天国を
I want to feel I'm alive 私は生きていることを感じたい
All my living days 私が生きている日々を、
I will live as I desire 私が思うように生きたい
I want to feel I'm alive 私は生きていることを実感したい
Knowing I was good enough 私にその価値があることを知りながら

I have never lost who I was 私は私を見失ったことはない。
I have only left it sleeping 私はただそれを眠らせていただけ
Maybe I never had a choice たぶん、私は、もう迷わない
Just the will to stay alive ただ意思の生かすまま
All I want is to be happy 私は幸せになりたいだけ
Being who I am 私はあるがままに生きるだけ
To be strong and to be free 強く、自由になるために
To see day arise from night 夜が明け、日が昇るのを見るために
I am here 私はここに生きている
And my life is only mine そして私の人生は、私だけのもの
And the heaven I thought was there そしてそこにあると思っていた天国を
I'll discover it there somewhere そのどこかに発見するでしょう

I want to feel 私は、感じたいだけ
That I've lived my life 私は私の人生を生きたということを。

+++++++++++++++++

 スウェーデン映画『歓びを歌にのせて』(As It Is In Heaven、2004年作品)を見た。
いや、見たのは、2、3年前のことだが、久しぶりに、その主題歌を聴いた。よかった。
感動した。

 さっそく歌詞(英語訳)をさがしてみた。ここに書いたのがそれである。

 物語は、世界的な指揮者のダニエルが、すべてを捨てて、自分の生まれ故郷に戻ってく
るところから始まる。そしてそこでダニエルは、はからずも、小さな教会のコーラスを指
揮することになる。

 最初は、発声練習だけ。その間にいろいろなドラマが生まれる。が、ダニエルは、こう
説く。「歌は心で歌うもの」「聴衆といったいで歌うもの」と。

 ……。
 
 ダニエルのその思いは、最後のシーンでかなう。コーラスと聴衆が一体になったとき、
ダニエルはひとり、そのコーラスを聴きながら、別の部屋で静かに息を引き取る。もちろ
ん星は5つの★★★★★。アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされている。

 この映画と並んで、すばらしかったのが、『コーラス』(Les Choristes)。2004年、フ
ランス映画。

 こちらも世界的指揮者として知られる、ひとりの男性の物語。その男性、つまりピエー
ルは、別の男性の訪問を受け、その男性から1冊のノートを渡される。そのノートには音
楽教師マチューと、寄宿舎の子どもたちとの交流が記されていた……。

 星は5つの★★★★★。

 少し古いが、『耳に残るは君の歌声』『天使にラブ・ソングを』もよかった。

 あまりよく知られていないが、ついでに『シャーロット・グレイ』も思い出した。すば
らしかった。

 【シャーロット・グレイ】

 (読み方で、シャルロットにもなるし、シャーロットにもなる。)ユニバーサル映画だが、
この映画は、まさに★★★★★(五つ星)!

 思いっきり感動してみたい人には、お勧め。とにかくよい映画だった。最後のシーンで
は、思わず、涙がポロポロ。(ボロボロかな?)「私はあなたに伝えたいことがある……」
と。このつづきは、どうかビデオのほうを、見てほしい。映画『タイタニック』に、まさ
るとも劣らない映画……と、私は思う。

 そう、映画のオープニングは、マリー・ローランサンの絵画を思わせる、夢のように美
しいシーンから始まる。(私は一時期、ローランサンが好きで、リトグラフを、何枚か買い
集めたことがある。)それでよけいに釘づけになってしまった。……やはりここから先は、
ビデオのほうを見てほしい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【マガジン・過去版(2)】

前半部
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) 428人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line 
★★★★★★★★★★★★★
02−9−4号(103)
★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。おいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●11月14日(木)……愛知県尾張旭市教育委員会・スカイワードアサヒ
午前10時〜12時)にて、講演会をもちます。
お近くの人は、よろしかったら、おいでください。
●「静岡県ホームページグランプリ」に、私のサイトを、応募作品として、出し
てみました。
これは皆さんの投票で、静岡県で発行しているホームページをコンテスト形式
で、審査しようというものです。皆さんの清き一票を、どうか私のサイトに投
票していただけませんか。
【投票方法】
☆私のサイト(ホームページ)を開いてください。
     下のアドレスをクリックすれば、私のサイトを開くことができます。
      http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆サイトのトップページ、最上段に、「グランプリ」応募タグがはりつけて
あります。そのタグをクリックするだけで、一票が投票できます。
「はやし浩司のホームページは、よい」と思ってくださる方は、どうか
清き一票をお願いします。結果は、そのつど、報告されます。
よろしくお願いします。
投票ができるのは、8月5日からです。一人で何票でも、投票できます。
    (少しいいかげんですが、もともとお祭り(イベント)ですから……。)
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●また、よりアカデミックな(?)マガジンをご希望の方は、「はやし浩司の世界」を
どうかあわせて、ご愛読ください。お申し込みは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより、「マガジン購読」コーナーへ、お進みください。
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published periodically by Hiroshi Hayashi, for which I thank you very much.
Please go to the "Magazine Corner" from the Top Page of my Website to 
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
I appreciate your kindness to pay a visit to my second 
son's website in USA, for which I thank you very much.
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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●ホームページのほうで、「タイプ別、子ども相談」を充実しました。
トップページから、「タイプ別」へお進みください。お待ちしています。
●マガジンのバックナンバーは、サイトの「トップページ」から、「マガジン購読
コーナー」へ。そのページからお読みいただけます。
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
 子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
   こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
   申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
   (郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
    本当に申し訳ありませんでした。
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(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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今日のテーマ、「見方を変える」(Change your view-point)

【1】世界の子育て格言(Words of Wisdom) 
【2】あなたの子育てだいじょうぶ?(How to cope with Kids)
【3】あるお母さんからのメール(An E-mail from a mother in Hiroshima)
【4】放課後補修制度について(On Classes after School)
【5】随筆(Essays)
   _(⌒⌒ヽ
  /((丶〜〜@)
 (_ |〇-〇ρ彡 )
   Ч ι |彡ノ|~~~~~~~~~~~~|
   ヽー 丿  <  今日のテーマです!|
(( 川 ) (   |____________|
  凵 ̄Y  ̄ヽ
  ││ d ∈∋ヽ
  ││ d │ │ヽ

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【1】
(よいこのくに(学研)付録、母のくにの巻頭言用に書いた原稿より、転載)
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ビロードのクッションより

名言から学ぶ子育て

ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうが、よい。
(ソロー)
It is better to sit on a pumpkin in the field rather than be spoiled by the soft velvet 
cushion in the palace.

1812ー1862、アメリカの随筆家、思想家。ロマン主義的思想家。『日記』など。


 子どもに、「後片づけしなさい」という言葉ほど、空しい言葉はありません。子どもに
はその必然性がないからです。子どもにしてみれば、何でも手の届くところにあるほうが、
むしろ便利なのです。

 世界中あちこちの家庭を見て回りましたが、日本人ほど後片づけにうるさい国はないの
ではないかというのが、私の実感です。世界の親は日本の親より、もう少しおおらかです。
日本の住宅事情が悪いこともあるのかもしれません。あるいは日本人特有の感覚なのかも
しれません。とにかく子育て相談会などをすると、決まってこの後片づけの問題が、話題
になります。

 しかし再度子どもの立場で言うと、こうなります。子どもにとって大切な場所は、きれ
いに片づいている場所ではなく、気が休まる場所だということです。そのためには、ソロ
ーが言うように、『ビロードのクッションより、カボチャの上』ということになります。
そのカボチャは、次のようにして発見します。

 まず子どもが外から帰ってきた時、最初にどこに座るかを観察します。あるいは疲れて
帰ってきた時、どこで体を休めるかを観察します。子どもにとっては、そこがカボチャの
上ということになります。

 このカボチャは大切にします。いわば子どもの聖域のようなものです。親が不用意に足
を踏み入れたり、あるいはかき乱してはいけません。そして一度子どもがそのカボチャの
上に座ったら、静かにそっとしておいてあげます。子どもはそのカボチャの上に座り、心
をいやします。どんな動物にも、最後の逃げ場というものがあります。もし親がこの逃げ
場を踏みにじるようなことがあると、子どもの情緒は確実に不安定になります。最悪の場
合には、帰宅拒否、あるいは家出ということになりかねません。

 そこで教訓。後片づけも大切ですが、一部子どもの聖域については、子どものしたいよ
うにさせます。どんな形であれ、子どもは子どもなりのやり方で、自分の聖域をつくりま
す。おもちゃが散乱していても、それが子どもにとって居心地のよいものであれば、しか
たのないことです。もし気になるようだったら、ある特定の場所だけは子どもの好きなよ
うにさせます。そのほかのところでは、たとえば『おもちゃは一つ』を、守らせます。こ
のしつけを最初に徹底しておけば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもち
ゃを片づけるようになります。

 後片づけができないからといって、人間がルーズになることはありません。むしろ幼い
ころより手をかけすぎ、それこそ掃除のしかた一つ知らない子どもほど、後々、後片づけ
ができなくなります。また後片づけというと大きな問題に思う人が多いですが、幼児教育
の世界では、何でもない問題の一つです。子どもにはカボチャのほうが、ずっと重要だと
いうことです。
(1405)

    ハ ハ   ((⌒⌒〃ヽ
   (  ⌒ヽ  ((( ( 人 )
   γ ρρ   │σ σ ρ )
   γ   ⌒ρ 人 ▽ 〃ノ )
   人   υ ( `) (  )
    ┗━┛   /⌒V ⌒ヽ)
   ノ  ミ   / (^^^) ヽ
  (   m m ○/ ̄ ̄ ̄ヽ○
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【2】
おとなになりたくない!
すばらしいと言え、親の仕事(失敗危険度★)
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●どうしたらいいか

 こんなことがあった。その息子(高一)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをい
やがって困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。

 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きて
いる。自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも
拒否するようになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうに
もちあるいたりする。一人の小学生(小六男児)が、ボロボロになったマンガの本をかば
んの中に入れていたので、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「ど
うちぇ、読んではダメだと言うんでチョ、言うんでチョ」と。この子どものケースでは、
父親に原因があった。父親はことあるごとに、「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ」「毎
日五、六時間は勉強しなければならないぞ」と、その子どもをおどしていた。こうしたお
どしが、子どもの心をゆがめていた。

●「ペコペコする仕事なんか、いやだ」

 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこ
う言った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも
『疲れた、疲れた』と言っている」と。

 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すば
らしいと言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私の
アドバイスはそれなりに効果があったのかもしれない。

●未来に希望を!

 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あ
なたの未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、
『学校の怪談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子ども
が続出した。理由を聞くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽し
いよ」「友だちがいっぱいできるよ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばなら
ない。そして……。

 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りない
かもしれない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。
そういう姿勢が子どもを伸ばす。
(1311)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「うちの子は、何をしてもダメ」と思っている、あなたへ、
見方を変えれば、何でもないかも?
++++++++++++++++++++++++++++++
見方を変える

 中高年の自殺がふえているという。私もその予備軍のようなものだ。ときどき生きてい
ることそのものが無意味に思えることがある。「死んだら、どんなに楽になるだろう」と。
しかしそのたびに、つまりそのあとになって、私がまちがっていたことを知る。

 名前は忘れたが、少し前ビデオで見た映画(※)の中に、こんなジョークがあった。

 ある男が病院へ来てこう言った。「ドクター、私は頭を押さえても頭が痛い。腹を押さ
せても腹が痛い。足を押さえても足が痛い。体中、どこを押させても痛い。私は何の病気
でしょうか」と。するとそのドクターは、こう言った。「あなたはどこも悪くない。ただ
あなたの指が折れているだけだよ」と。

 ほんの少しだけ見方を変えると、ものの考え方も一八〇度変わるということだが、「何
もかもダメだ」と思うときも、見方を変えると一変する。ダメなのは、私自身ではなく、
ものの考え方なのだ。子どもにしてもしかり。勉強はしない。夜な夜なコンビニの前に座
り、酒を飲む。タバコを吸う。叱るどころか、こわくて話をすることもできない。「生き
ていてくれるだけでもいい」と思うのは、まだよいほうだ。親も追いつめられるところま
で追いつめられると、「よそ様に迷惑さえかけなければ……」と願うようになる。親子で
も、どこかで歯車が狂うと、そうなる。そしてそういうとき親は、深い絶望感にさいなま
れる。その子どもを産んだことを後悔する親さえいる。が、そういうときでも、ダメなの
は子ども自身ではなく、子どもを見る、あなたの見方なのだ。

 今、あなたは生きている。子どもは子どもで生きている。この数一〇億年という歴史の、
その瞬間に、同じく数一〇億人という人間の、その中で、親として、そして子どもとして、
互いに同じ時代で、同じ場所で、しかももっとも近い人間として生きている! そのすば
らしさの前では、どんな問題もささいな問題でしかない。繰り返すが、ダメなのは、あな
たの子どもではなく、あなた自身の見方なのだ。子どもがダメだと思ったら、あなたの見
方を変えればよい。それですべての問題は解決する。

 ……もっともこういう極端な例は別としても、最後の砦(とりで)の一つとして、こう
したものの考え方を心の中に用意しておくことは、大切なことだ。私もふと死にたくなる
ときがある。女房は「初老成のうつ病よ」と笑うが、そうかもしれない。あるいはそうで
ないかもしれない。しかし私は一方で、こう思う。どうせ一度しかない人生だから、とこ
とん最後まで見てやろうと。そして最後の最後になったら、この宇宙もろとも、消えれば
よい、と。何とも深刻な話になってしまったが、あなたの見方を変える一つのヒントにな
ればうれしい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
※……イラン映画「桜桃の味」
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【3】
子育て随筆byはやし浩司
+++++++++++++
かん黙児ではないかという、相談がありました。
それについて考えてみました。転載許可をいた
だけましたので、メールを転載します。
**************************************

はやし浩司先生へ

5歳の女の子ですが、かん黙ではないかと思われます。
ただの内弁慶ではないんじゃないかとずっと気になっていたので、
先生の本を読んでかん黙という言葉をはじめて知り、少しほっとした自分がいました。
先生がされているという治療というのはどういう治療なのでしょうか。
私自身が変わるということが一番の治療だということは重々わかっているのですが
やはりどこか誰かに助けを求めてしまいます。
母親の私の育て方のせいであって、私自身がどうにかしなくてはと思い悩んでいたので
正直いって、脳の機能障害ということで誰かに頼れる……と思う卑怯な自分がいます。
その他を除けば全く普通なのですから、ありがたく育てていこうと思うのですが、
なんだかちょっとどうにかすれば変わるのではないかと思ってしまうので
その方法というか育て方を求めて、ついあせってしまいます。
いままであまり気にしないようにしていましたが、幼稚園に入ってからは
まわりの影響がありすぎて、親子ともにこのままではよくないのでは
……と思ってしまいます。
きちんと治療のようなことをした方がいいのでしょうか。
このまま様子をみた方がいいのでしょうか。
この時期大事な時期でするべきことをきちんとしておかないとこの先もっとひどく
なるのでしょうか。
くわしいことは書きませんでしたが、よろしくお願いします。
(広島県佐伯郡・KSより)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

KS様へ

緘黙児については、サイト→タイプ別→緘黙に
書いておきました。ただ頭から緘黙児と決めて
かからないこと。こうした誤解、早合点はこの
世界にはよくあることです。私も立場上、診断、
治療という言葉は使えません。また使いません。

指導方法といっても、少しずつ、集団に
慣れさせるしかありません。たいへん根気の
いる指導が必要です。少しよくなりかけると、
親がすぐ無理をするからです。この指導は
一年単位でかかります。万が一、かん黙症と
いうことなら、です。(あくまでも万が一、緘黙児
ならという話です。)

薬物で治療するとか、そういうことではありま
せん。

お子さんの心は外から見たところ、わかりま
せんが、たいへんな緊張状態にあります。た
めしに、だれかに抱いてもらってみてください。
恐らく心を許さないはずです。万が一、緘黙児
なら、です。体をこわばらせ、パニック状態に
なります。

私はこの時期は無理をしないほうがよいと思い
ますが、たいていの親は、「どうしても」と無理を
して、保育園や幼稚園へ押し込んだりします。
こうした無理がかえって症状を悪化させます。
というのも、万が一緘黙児でも、症状をこじら
せなければ、小学3〜4年を境に、症状が急速
に消失するからです。自意識で自分の心を
コントロールできるようになるためと考えて
ください。それまでとにかく無理をしないことです。

家の中では心を許しているはずですから、学習面
などの指導は家で、あとは少しずつ心を外の
世界にならすという方法で対処します。
無理をなさらないこと。私も毎年、このタイプの
お子さんを教えさせていただいていますが、
とにかく時期を待つしかありません。しかし時期
がくれば、治ってしまいます。それまでとにかく
あせって、症状を悪化させないことです。わかり
ますか。

子どもというのは、それぞれがいろいろな問題
をかかえています。問題のない子どものほうが
少ないくらいです。そういう視点で、「ようし、一つ
くらい荷物を背負ってやる」という気構えで、お子さんの
心を理解し、守ってあげてください。お母さんさえ
これを守れば、あとあと必ず笑い話になります。
親子のきずなも、ふつうの親子より太くなります。
お母さんの愛情がためされていると思ってくださ
い。いいですか、無理をしてはいけません。

私も若いころは、急いでなおしてやろうと考え、
あれこれ無理をしましたが、結局、時期のカベが
あって、そのカベを乗り越えることはできませんでした。
とにかく時期をまつのです。それまでにしなければ
ならないことをし、してはならないことをしては
いけません。わかりますか? お子さんの立場に
なって、「お母さんも、みんなの前にくると、緊張
するのよ」「お母さんも、苦手よ」「だれだって苦手
なことはあるのよ」と、お子さんの心を救ってあげる
ことだけを考えてください。

もともと感受性の強いお子さんですから、お母さん
の心の動きを敏感に感じ取っているはずです。
ですから余計に、ここは慎重に。そしてていねいに!

治療という言葉はあまり使わないこと。ある意味で
何でもない問題ですから。私なら幼稚園は、適当に
行って、適当に休みますが……。そういうことは
できませんか。

そうそう緘黙は、(もしそうなら)、症状としては今ごろ
がピークで、これ以上、悪くなることはありません。
ただし無理をすると、それが別の神経症を誘発し、
それがこじれて何らかの精神障害などに発展する
ことはあります。ですから無理をしないように!
心の問題は、半年、一年単位で気長に考えるの
がコツです。

繰り返しますが、時期がくると、ウソのように症状
が消えますから、無理をしないこと。本人が望むなら
お母さんがいつも付き添ってあげればいいのです。
付き添いがないとパニック状態になるなら、そういう
ところへは無理には行かないことです。

なお、濃厚なスキンシップがたいへん有効ですから
スキンシップを大切に。私のばあいは、授業中も
親に子どもの手を握ってもらっているようにして
います。「どんなことをしても、私は守られている」という
安心感が、子どもの心の立ち直りを早めます。
根気ですよ。まさに根気! 

だれだって風邪をひくように、たまたま集団におびえ
ているだけ。
心が風邪をひいたようなものです。ですから一見
深刻な問題に見えますが、深刻に考えないこと。
先ほど、小学3〜4年生で症状が消えると書きましたが
早い子どもで年長児の終わりから小学1年くらいで
消えます。それを信じて、つまりあくまでも一過性の
症状ですから、気にしないでください。お母さんの
おおらかさが伝わったとき。子どもは安心し、そのとき
いつの間にか症状が消えます。ウソだと思ったら、
このメールはコピーして、数年後に読み返してみて
ください。そのときまだ症状がこじれているようでしたら、
私は責任をちゃんととります。いつでもあなたの力に
なりますから、また困ったこと、わからないことがあれば、
メールをください。力になります。

では、
あくまでも万が一、緘黙児という前提で書きましたが、
本当にただの内弁慶だけなのかもしれませんよ。
おおげさに考えないでくださいね。

おやすみなさい。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

はやし浩司先生へ

長い、ご丁寧なお返事ありがとうございました。
なんだかとても元気がでてきました。
かんもく児をみてくださる病院があって、行ってみようかと思っていましたが、
娘は自分のそういう話を他人にしているのがわかると敏感に感じとって、耳を指でふ
さぎ、ものすごくいやがりますし、私自身が前向きに変わっていくことで治してみせ
ようと思
います。
また状況がよくなってきましたら、ご報告させてください。

掲載の件ですが、ドンドン載せてください。
同じ症状の方の相談内容を見て私も救われましたので。

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   /⌒⌒^ヽ
  / 八))))ハ
  | | ー ー||(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒       )
  | | ・ ・||( 子育てで、いろいろ教えられるわ)
  | |"   )||(_________       )
  | |  o 丿|。o
  |川|`ー-イ川


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q 0―0 MMMMM  ∩ ∩ MM m  皆さん、お元気ですか!
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M ″ v ゛)/ ̄)    このマガジンを購読してくださり、
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)……読者数(Nr. of Readers) XXX人
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最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)  ……読者数(Nr. of Readers)  XX人
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
☆===================☆==================

★★★★★★★★★★★★★★
02−9−26号(115)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
キーワードは、C,X,I(シー・エクス・アイ)Private Cornerへのキーワードです!
Key Words to Private Room in my Website are, C-X-I
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●愛知県豊田町にて講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   9月26日(木) 豊田産業文化センター 午前9:30〜12:00
        主催  豊田市立幼稚園PTA連絡協議会
●愛知県尾張旭市にて、講演会をもちます。よろしかったらおいでください。
   11月14日(木)スカイワードアサヒ 午前10時〜12時
        主催  尾張旭市教育委員会
●静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時〜12時
        主催  静岡市文化振興課  
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みなさんへ、
●「子育てワンポイント」の、1〜600作を、
  一枚のCD(MS・ワード版)に収めました。
  ご希望の方に、1枚1000円でお分けします。(郵送料込み)です。
  詳しくは、このマガジンの末尾をご覧ください。

     匚二コ/
     彡彡ミ ♪♪♪ 
    ⊂OJO⊃
     \▽丿
≡    /く\
    (─〈\◯⊃
≡  ==\\==○
  / ̄\//\/ ̄\
≡ 〈《◎》∨二〈《◎》〉
  \_/   \_/自転車で、今日も健康!
        皆で乗ろう、自転車!  はやし浩司
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【お詫び】
子育てワンポイントをお申し込みくださった方へ
こちらの不手際で、ご住所とお名前を紛失してしまいました。
申し訳ありませんが、もう一度、お申し込みいただけないでしょうか。
(郵便番号)(ご住所)(お名前)をお知らせくださればうれしいです。
本当に申し訳ありませんでした。
     bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp
(8月15日以後、お申し込みくださった方は、結構です。)
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
  From this edition on, my magazine is translated into English
  for your convenience. I hope you may enjoy this magazine 
  in your home country. Hiroshi
Hiroshi Hayashi, Japan
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

魂の解放(To liberate our soul)

Japanese are more concerned about their appearance in the public, about which we 
know when we compare ourselves with Australians. Australians seldom care about the 
appearance in the public. They seem to live showing themselves as they are. This means 
that we have still drag the bad aspect of feudal age of more than 100 years ago. I, 
however, don't mean which is good and which is bad. From our point of view Australians 
are too much rational or "dry" we say, and from their point of view we are not or "wet". 
This is a story I heard from my son: One day my son and his friends were driving to 
Florida and went into the sand dune where their car was in the dead end. Then there 
appeared some American students, saying, "If you need our help to get your car out of 
the sand, pay us 20 dollars". Is this sort of thing to be happened in Japan? This is "dry", 
we say in Japanese. But still I say our Japanese traditional way of living, for example, 
to care about the appearance in the public is rather stupid. Whatever I am, I am "Me". I 
still find it difficult for me to live as I am. This is an article about this.

+++++++++++++++++

世俗的な見栄、体裁、世間体に
引きずられて、自分を見失う人は多い。
このタイプの人は、おかしなところで、
おかしな気を遣(つか)う。

ときには、それが滑稽(こっけい)なほど、
不自然に見えることがある。

が、それは何も、他人の姿ではない。
私たち自身も、いつもその見栄、体裁、
世間体を気にしている。

程度の差こそあれ、みな、そうである。

+++++++++++++++++

 オーストラリア人たちとつきあっていて、第一に感ずること。彼らは、日本で言う、世
俗的な見栄、体裁、世間体というものを、まったくと言ってよいほど、気にしない。恐ろ
しく、サバサバしている。あまりにもサバサバしているので、いまだに、こちらのほうが
面食らうほどである。

 このちがいは、どこから生まれるのか?

 日本人は、いまだに農村社会の、あの「邑(むら)意識」を、引きずっている。封建時
代が残した、最悪の負の遺産と言ってもよい。「私は私」と考える前に、つねにそこに他人
の目を意識する。それが転じて、見栄になり、体裁になり、世間体になる。

 一方、オーストラリアという国は、それ自体が、移民国家。無数の他民族が、複雑に入
り混ざっている。日本人の私たちとは逆で、「私は私」と、それを前面に出していかないと、
生きていくことすら、むずかしい。

 どちらがよいとか悪いとか、そういうことを議論しても意味はない。それぞれに一長一
短がある。あるオーストラリア人は、こう言った。「日本は、すばらしい国だ」と。話を聞
くと、どこかで道に迷ったとき、そこで出会った日本人が、ていねいに道案内をしてくれ
たという。

 「オーストラリアではどうか?」と聞くと、「道を聞こうとすると、みな、逃げていく」
と。

 さらにこんな話も……。これはアメリカでの話。

 息子たちが、アメリカのフロリダをめざしてドライブをしていたときのこと。海辺の砂
浜が美しかったので、そこへ車を乗り入れた。とたん、車は砂浜の砂に車輪を取られて、
身動きが取れなくなってしまった。

 が、そこへどこからともなく、4〜5人のアメリカ人が現れ、こう言ったという。「車を
出してほしかったら、20ドル払え」と。

 そのアメリカ人たちは、学生だった。そこで息子たちが、「ぼくたちも学生だ」と答える
と、「じゃあ、10ドルでいい」と。

 こうした生き方を、私たち日本人は、「ドライ」と表現する。言いかえると、日本人は、
その分だけ、「ウェット」ということになる。このウェットな部分が、人間関係を濃密にす
る。私が冒頭にあげた、世俗的な見栄、体裁、世間体というのは、それから生まれる。

 しかし……。それにも程度というものがある。あるいは相対的なものか? 見栄、体裁、
世間体を気にしない人から見れば、それを気にする人がよくわかる。ときに滑稽(こっけ
い)なほど、よくわかる。

 しかし見栄、体裁、世間体を気にする人にすれば、気にしない人が、かえって変わり者
に見えるかもしれない。実際、この私は、その「変わり者」ということになっている。さ
らに私のワイフにいたっては、見栄、体裁、世間体を、気にしない。まったくと言ってよ
いほど、気にしない。同窓会でも、TOYOTAのビッツに乗って、普段着のまま出かけ
ていく。

いや、全体として見ても、ここ浜松の人たちは、郷里の岐阜の人たちほど、見栄、体裁、
世間体を気にしない。浜松という町が、古来、街道筋の宿場町として発展したためでは
ないか。

 ともかくも、見栄、体裁、世間体を気にすればするほど、「私」を見失う。自分がどこに
いるかさえ、わからなくなってしまう。「私は私」、どこまでいっても、「私は私」。

 が、こう書くからといって、私は、何も日本人がもつ、民族的な(温もり)まで否定し
ているわけではない。密着する部分は、密着すればよい。道に迷ったり、砂浜で身動きと
れない車を見つけたら、助けてやればよい。それは、それ。しかしいつもどこかで、「私」
をキープする。

 その操作を誤ると、繰りかえすが、私を見失ってしまう。つまり時間を無駄にする。人
生を無駄にする。命を無駄にする。そういう意味では、世俗的な見栄、体裁、世間体は、
戦うべきものではあっても、擁護しなければならないものでは、けっして、ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 世俗的な見栄 体裁 世間
体)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2月 4日 1000号達成!
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今回をもちまして、マガジンが、1000号を達成しました!

みなさんの今までの暖かい、励まし、応援に心から感謝しています。

ありがとうございました!

1000号********************************

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【1000号・記念】(No. 1000th Commemoration)

I have published internet magazines which count on today, No. 1000th commemoration. 
It has taken me about 6 years and 6 months onto Today! I fight unbeatable foe, I bear 
unbearable sorrow and I reach unreachable star. But nothing has happened and 
nothing has changed. I am still here and I keep writing. I am writing forward to reach 
unreachable star. Here I'd like to express my greatest thanks to Akiko, my wife、 as well 
as my readers of the magazines. Thank you very much!

++++++++++++++++

やったぞ、1000号! ハハハ!
これが、その第1000号!

だれに頼まれたわけではない。
自分で、勝手に目標を決めただけ。
「1000号までがんばるぞ」とね。

まさしくそれは、ラマンチャの男。
ドンキホーテの心境。

耐えられない苦しみに耐え、
戦えない敵と戦い、
届かぬ星に届く。

まあ、それほどおおげさではないに
しても、とうとう1000号!

晃子、ありがとう!
お前のおかげで、こうして自分の
道楽をつづけることができた。
読者のみなさん、ありがとう!
みなさんのおかげで、今日まで、
こうしてがんばることができた。

+++++++++++++++++

●老後の統合性(How to establish our own integration)

We, young old men, should establish our own integration for the rested life. Otherwise 
our life would be a miserable one. But what is the integration? Then how can we 
establish our own integration? When we were young we were seeking ourselves, 
thinking what we are, and where we should go. But now we think what we should do for 
other people. In most cases what we should do would be accompanied with some kind of 
pain or troubles. Therefore most people would try to avoid such and such pain and 
trouble. But without this pain and troubles, we would not be able to establish the 
integration. Our life becomes shorter and shorter. Then I have to hurry up to do 
something. By the way I went to Gero-hot spring spa, Gifu pref., a few days ago where I 
met my cousin. Then I brought some souvenir to my brother-in-law. Also I talked with 
him and his wife for a couple of hours. During these conversations with them, I was 
thinking of my own integration. This is a kind of very serious problem. How can we 
establish our own integration? How can we integrate ourselves with what we should do?

 おととい、岐阜県の下呂温泉に泊まった。街中にある水M館という旅館だった。よい旅
館だった。1階にひとつ、3階にひとつ、それに9階にもうひとつ、温泉があった。温泉
につかると、ヌメッとした感じが、肌を包む。が、湯からあがると、それが消え、サッパ
リとした感じになる。さすが、天下の名泉!、と思わせるような温泉だった。

 風呂からあがると、いとこのY君が来てくれた。1階の喫茶室で、数時間、話す。子ど
ものときからの、ワルガキ仲間である。元気そうだった。言い忘れたが、Y君は、下呂市
内で、理髪店を経営している。かなり繁盛しているらしく、羽振りもよかった。

 そのY君。今は町内会長をしているから忙しくて行けないが、4月からは、また登山を
再開するという。Y君の最大の趣味は、登山。そのため足腰を、毎日、鍛えているという。
そんな話をしながら、私は、こう言った。

 「ぼくたちのように、老後のカベがなく、現役から老後へと連続性のある人間は、ラッ
キーだね」と。

 つまり私たちには、サラリーマンの人たちのような(定年)がない。だから現役のまま、
老後を迎えることができる。しかしそうでない人は、そうでない。定年と同時に、そこで
プツリと糸を切られる。人によっては、それは恐ろしいほどの衝撃となって、その人を襲
う。そのまま心を病んでしまう人も多い。

 が、私たちにも統合性の問題はある。老後になったら、(やるべきこと)と、(やってい
ること)を一致させていかなければならない。これを、心理学の世界では、「統合性の一致」
という。

 この統合性に失敗すると、私も含めて、人は、そのまま(死の待合室)に放り込まれる。
つまり死を待つだけの人生になってしまう。孫の世話だとか、庭いじりだとか、そういう
ものでいくらごまかしても、ごまかしきれない。日々に、むなしさとの戦いということに
なる。

 その統合性は、実は40歳前後から、準備しなければならないという。「定年になりまし
た。明日からボランティア活動を始めます」と言ったところで、うまくいくはずがない。

 で、Y君のばあい、それが「登山」ということになる。話題は、登山になった。そうい
うときのY君の表情は、明るく輝く。実に楽しそうだった。

 そして昨日、その下呂のみやげをもって、義兄を訪ねた。前立腺がんの手術をして、退
院したところだった。術後の不都合がいろいろあるらしいが、それを除けば、元気そうだ
った。義兄とも、数時間、話し込んだ。

 ……つまり、私は、こうした人たちと話しながら、今、懸命に自分さがしをしている。「統
合性」という言葉を使うなら、「私は何をすべきか」、それを懸命に模索している。よく誤
解されるが、(したいこと)と、(すべきこと)は、まったく別のものである。(したいこと)
には、楽しさがともなう。しかし(すべきこと)には、ふつう(苦しみ)が伴う。その苦
しみを乗り越えないかぎり、統合性を確立することはできない。

 いとこの話を聞きながら、私は、「私にとって統合性とは何か」、義兄の話を聞きながら、
「私も急がなければ」と、それぞれ考えた。

 ……ということで、私は、これから自分の統合性の追求をしてみたい。ものを書くにし
ても、意味のないことは書かない。つまらないことも書かない。常に前向きに、ものを書
いていきたい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【1000号特集・過去版より(1)】

+++++++++++++++

これから4回に渡って、マガジン
過去版をお届けします。

まだ読者の方が、400〜500人
前後のとき発行していたマガジンで
す。

その中から、今でも、役にたつと
思われる原稿を選んで、お届けし
ます。

+++++++++++++++

★★★★★★★★★★★★★★
02−9−2号(臨時増刊号)
★★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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Hiroshi Hayashi, Japan■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
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臨時増刊号
家庭内暴力について、考えてみました。何かの参考にしていただければ、うれしいです。

テーマ「家庭内暴力」
***************************************

家庭内暴力

●千葉県市原市のESより、はやし浩司へ

 はじめてメールいたします。
ここ一年、加速するようにドラ化する現中一の息子への対応に
悪戦苦闘している四五歳の母親です。
「不登校」「家庭内暴力」「奇声」というキーワードで検索して
いくつかたぐっていましたが、どれも琴線に響くものもなく、
溜息混じりに見つけたのが貴方の直言でした。
長い文筆にかかわらず、一気にスクロールしてしまうほどの
まさに迷う私にとって目からうろこの言葉の数珠繋ぎだったのです。

私は大学の同級生の夫と高一の長女、中二の長男の四人家族ですが、
主人は京都に単身赴任して三年になります。
思えば夫の赴任に伴って、悪化した長男の心身生活態度でしたが、
夫もマメに帰省してくれ、その度に息子と心通わす時間を持ってくれており、
「単身赴任だから」という理由付けで息子の変化を語るには悔しすぎます。

ただ、今の息子は達成感がなく、何事にもやる気のない、目標意識のない、何かにつけて
マイナス思考で、やり場のないストレスを家族にぶつけている状態です。
もちろん、何事も長続きせず、成績は下降の一途です。
時には恐ろしいくらい(明日新聞に載るのではないか?という気さえします)乱暴になり、
その刃は留守宅の私に集中して向けられ、夫が帰るとウソのようにいい子になります。
彼の状態を家族として夫に報告することが、息子にはタブーで半ば脅されたような
状態で、我慢しています。知らぬは主人ばかりなり。一体いつまで続くのか、
学校も中学になって一学期のうち約二〇日欠席してしまい、果ては「学校なんて辞めたい」。
小学校のころから、問題を起こしては責任転嫁をするので、学友からは浮き上がってしま
い、
本人も自覚するものの、引っ込みがつかなくなって自己矛盾に陥って悪循環。
見ていて痛々しくなってしまいます。

そのくせ、今も私のそばを離れず、注意を引くような、私が困るような行動をとるので、
今は、彼が何を探しあぐねて、彼がどう自分のことを考えてるのか、
様子を見ながら、笑顔をつくっている始末。乱暴時には怖くても何もできませんが、
息子と自分たちを信じて負けるまいと考えています。
ただ、時にどうしようもなく、逃げ込みたくなることもあり、死んでしまいたいとすら
思うほど落ち込んでしまいます。
恐らく何千の相談メールのなかで、こんなグダグダなど、取るに足らぬ甘いものだと
察しますが、ほんの少しでも、心を支える言葉を見つけられればと思い、
メール致しました。夫以外誰にもここまで話せません。
陥りやすい母親のパターンなのかもしれませんが、気長に構えるファイトが欲しくてなり
ません。ながながとすみませんが、よろしくお願いいたします。
(千葉県市原市・ESより)

+++++++++++++++++++

●はやし浩司より、ESさんへ
はやし浩司より、
メール、拝見いたしました。
 
息子さんを、R君としておきます。
 
R君は、思春期にありがちな、典型的な情緒不安と
思われます。みんなそうですから、あまり深刻にな
らないのが、賢明です。(情緒不安というのは、いわ
ゆる心の緊張感がとれない状態と考えてください。)
その緊張している状態に、不安が入り込むと、一挙に
暴走するわけです。暴力に向うプラス型と、引きこもり
などに向うマイナス型に分けて考えます。R君は
プラス型です。精神科で診断されると、青年期の
うつ病というような診断名をつけるかもしれません。
この名前を出してショックを受けられるかもしれませんが、
多かれ少なかれどの子どもも、そういった傾向を示しますので、
「うちの子だけが……」とは、思わないでくださいね。
 
言いかえると、この時期さえうまくくぐりぬけると、
症状は急速に回復しますので、あまり不安にならないように。
将来に対する不安を感じているのは、むしろ
R君自身と思ってあげてください。
成績がさがる、勉強がうまくはかどらない、しかし
みんなの中で目立ちたいなど、思春期の中で、
心の中がいつも緊張状態にあるのです。そのため
情緒そのものがたいへん不安定になっているのです。
まあ、いわば、心の風邪のようなもの。少し症状が
重いので、インフルエンザくらいだと思ってください。
いえ、決してなぐさめているのではありません。
ここにも書いたように、ケースとしては、たいへん
多く、またマイナス型(ひきこもり)と比べると
予後もよく、回復し始めると、あっという間に
症状が消えていきます。ですからここは「心がインフルエンザ
にかかっている」と思い、一歩退いた見方で、R君を
みるようにします。
 
で、いくつかコツがあります。
 
(1)今こそ、あなたの親としての愛情が試されている
ときと思うこと。今までのあなたは、いわば本能的愛、
あるいは代償的愛に翻弄されていただけです。しかし
今、あなたのR君に対する愛がためされているのです。
言いかえると、あなたがこの問題を、R君に対する
おしみない愛情で乗り越えたとき、あなたはさらに
深い親の愛を知ることになります。ですから決して
投げ出したり、投げやりになったりしてはいけませんよ。
「私はあなたにどれだけ裏切られても、あなたを
愛していますからね」という態度を貫きます。
いつかR君はそういうあなたに気づき、あなたのところ
に戻ってきます。そのときのために、決してドアを
閉じてはいけません。いつもドアを開いていてください。
そのためにも、「許して忘れる」です。
 
この「許して忘れる」については、私のサイトの
「心のオアシス」の中に書いておきましたから
トップページから開いて、ぜひ読んでみてくださいね。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
 
(2)この症状は、「治そう」とは思わないこと。
「今の状態をより悪くしないことだけを考える」こと。
ここが大切です。この段階で、治そうと思うと、悪循環の
世界に入ってしまい、それこそ「以前のほうが症状が
軽かった……」ということを繰り返しながら、症状は
どんどん悪化(本当は悪化ではなく、親の過干渉、
溺愛からの解放をめざしているのです)します。
ですから、数か月単位で、R君をみるようにし、
そして今の状態をこれ以上悪くしないことだけを
考えて、様子をみます。私の経験では、これから
一通り、R君はおとなになる準備をし、落ち着き始めるのは
一六、七歳ころだと思います。あせってはいけません。
気長に考えるのです。
 
(3)冷蔵庫から甘い食品を一掃してみてください。
思い切って捨てるのです。そしてCA、MGの多い食生活
にこころがけます。子どもの場合、食生活を変える
だけで、みちがえるほど、静かに落ち着いてきます。
詳しくは、サイトのあちこちに「過剰行動児」という
項目で書いておきました。ヤフーの検索で、
「はやし浩司 過剰行動」で検索するとヒットできるはずです。
 
(1)R君は恐らく幼児期はいい子のまま、仮面をかぶっていた
はずです。お父さんに対する態度が違うところがそうです。
(お父さんはかなり権威主義者ですね。)そういう仮面の
重圧感に苦しんできたのですよ。わかりますか?
それを今、懸命に調整しようとしている。そういう意味でも
ごくありふれた、先ほども書きましたように、多かれ
少なかれ、どの子どももかかる、心のインフルエンザの
ようなものです。ただ外から症状が見えないから
どうしても安易に考えてしまう。そういうものです。
 
(5)進学ということよりも、R君がしたいこと、R君に
向いている面で、将来の設計図を一緒に考えてあげるのが
いいでしょうが、ただ今の状態では、まだ時期が早いかもしれ
ません。今、あれこれ動いても、R君自身をかえって追い込んで
しまうからです。心のリハビリを考え、
 
●何もしない、何も世話をやかない、何も言わない、何も
かまわない……という状況の中で、つまりR君から見て、まったく
親の存在を感じないほどまでに、気が楽になるようにしむけます。
こういうケースでは、扱い方をまちがえたり、子どもを追い込むと
たとえば集団非行、家出ということを
繰り返しながら、どんどん悪循環の輪の中に入ってしまい
ます。ですから、子どもの側から見て、安心できる家庭づくり、
ほっとする家庭づくりに心がけてください。(家出をしたら、
またまた何かとやっかいになります。)家にいるだけでも、
ありがたいと思いつつR君に「やすらぎ」を用意します。
つまり根競べです。本当に根競べです。
 
この問題は、今のあなたには深刻な問題ですが、
必ず笑い話になりますよ。巣立ちにはいろいろな
形がありますが、これもその一つです。ですから親の
あなたが一歩退いて、つまり子どもを飲み込んだ世界から
見るのです。決して対等になってはいけません。
 
あのね、R君は、あなたが不安そうな表情、心配そうな
表情を見ながら、自分の心の中の不安を増幅させて
いるのですよ。そういう心理を理解するにはむずかしい
かもしれませんが、一度それがわかると、「何だ、
やっぱり子どもだな」と思えるようになります。ためして
みてください。
 
私の知人(女性)の長男も、高一のとき、無免許でバイクに乗り、
事故を起こし、逮捕、退学。いろいろありましたが、今は
笑い話にしています。(その分、その知人はみちがえるほど
気高い母親になりましたがね……。)いろいろみんな
あるのです。決して、自分だけが……とは思わないこと。
追い込まないこと。わかりますか? 
 
私のサイトの中に、「タイプ別子育て」という
コーナーがありますから、その中から非行なども
読んでみてください。参考になると思います。
 
子どもというのは不思議なもので、親が心配したところで
どうにかなる存在ではないし、しかし放っておいても
自分で育っていくものです。そろそろ子離れを始めてください。
(子どものほうはとっくの昔に親離れしているのですよ。)
 
子育てはまさに航海。「ようし、荒波の一つや二つ、
越えてやる」「十字架の一つや二つ、背負ってやる」
「さあ、こい」と怒鳴ったとき、不幸(本当は不幸でも
何でもないのです。あなたも子どものころ、品行方正の
女の子でしたか? ちがうでしょ!)は、向こうから
退散していきます。
 
R君は、今、自分の将来に大きな不安をもっています。
うまく口ではそれを表現できないだけですよ。だから
態度や行動でそれを示している。繰り返しますが、心の風邪
です。だれでもかかる、思春期の熱病です。(外の世界で
暴れれば問題ですが、いわゆる家庭内暴力というのです。)
本当にありふれた症状です。だからあまり深刻に、(いえ
今は深刻ですが……。決して深刻でないとは思って
いません。)そういうふうに一歩退いてみるのですよ。
決して、R君を追い込まないこと。「がんばれ」とか、
「こんなことでは、高校へ行けなくなる」とか、そういう
ふうに追い込んではいけません。(多分、あなたの
夫は仕事人間で、そういう姿を彼は見て、よけいに
不安になるのかもしれませんね。)
 
あまりよい回答になっていないかもしれませんが、
何か不安なことがあれば、またそのとき、メールを
ください。力になります。いつか必ず笑い話になり、
そしてそのときあなたは「子育てをやり遂げた」「子どもを
信じた」「子どもを愛しぬいた」という満足感を得られます。
そういうときが必ずきますから、どうか、どうか、その日を
信じてください。みんなそうなりましたから。私が経験した
同じようなケースは、みな、そうなっています。だから
私の言っていることを信じて、前向きに生きてください。
 
そうそうあなた自身の学歴信仰とか、学校神話の
価値観を変えることも忘れないでください。そのために
いろいろなコラムを書いていますから、また読んでください。
マガジンも発行しています。
 
みんながあなたを応援します。私も応援します。
R君は、本当はやさしい男の子です。ただ少し
気が小さいだけです。あなたもそう思っているでしょ。
 
では、おやすみなさい。
 
はやし浩司

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家庭内暴力について

●思春期の不安

 思春期の不安感は、大きく分類すると、つぎのように分けられる。
抑うつ気分(気分が晴れない)、悲哀感(何を見ても聞いても悲しい)、絶望感、自信喪
失、自責感(自分はダメな人間と思い込む)、罪責感(罪の意識を強くもつ)など。これ
らが高じると、集団に対する不適応症状(不登校、怠学)、厭世気分(生きていることが
無意味と思う)感情の鈍化、感情のコントロール不能(激怒、キレる)などの症状が現れ
る。

 またその前の段階として、軽い不安症状にあわせて、心の緊張感がほぐれない、焦燥感
(あせり)などの症状にあわせて、ものごとに対して突発的に攻撃的になったり、イライ
ラしたりすることもある。(こうした攻撃性が、ときにキレる状態になり、凶暴的、かつ
破滅的な行為に及ぶこともある。)

●行為障害としての家庭内暴力

 こうした症状は、思春期の子どもなら、多かれ少なかれ共通してもつ症状といってもよ
い。が、その症状が一定レベルを超え、子ども自身の処理能力を超えたとき、さまざまな
障害となって、発展的に現れる。それらを大きく分けると、思考障害、感情障害、行為障
害、精神障害、身体的障害の五つになる。

 思考障害……ふつう思考障害というときは、思考の停止(考えが袋小路に入ってしまう)、
混乱(わけがわからなくなる)、集中力の減退(考え方が散漫になってしまう)、想像お
よび創造力の減退(アイデアが思い浮かばない)、記憶力の低下(英語の単語が覚えられ
ない)、決断力の不足(グズグズした感じになる)、反応力の衰退(話しかけても、反応
が鈍い)などをいう。

 感情障害……感情障害の最大の特徴は、自分の感情を、理性でコントロールできないこ
と。「自分ではわかっているのだが……」という状態のまま、激怒したり、突発的に暴れ
たりする。こうした状態を、「そう状態における錯乱状態」と考える学者もいる。ただ私
は、この「自分ではわかっているのだが……」という点に着目し、精神の二重構造性を考
える。コンピュータにたとえていうなら、暴走するプログラムと、それを制御しようとす
るCPU(中央演算装置)が、同時に機能している状態ということになる。(実際には、
コンピュータ上では、こういうことはありえないが……。)

この時期の子どもは、感情障害を起こしつつも、もう一人の自分が別にいて、それをコン
トロールするという特徴がある。その一例として、家庭内暴力を起こす子どもは、(1)
暴力行為の範囲を家庭内でとどめていること。また(2)暴力行為も、(事件になるよう
な特別なケースは別として)、最終的な危害行為(それ以上したら、家庭そのものが破滅
する行為のこと。私はこれを「最終的危害行為」と呼んでいる)に及ぶ、その直前スレス
レのところで抑制することがある。家庭内暴力を起こす子どもが、はげしい暴力を起こし
ながらも、どこか自制的なのは、そのためと考える。

行為障害……軽度のばあいは、生活習慣の乱れ(起床時刻や就眠時刻が守れない)、生活
態度の乱れ(服装がだらしなくなる)、義務感の喪失(やるべきことをしない)、怠惰、
怠学(無気力になり、無意味なサボり方をする)などの症状が現れる。が、それが高ずる
と、社会的機能が影響を受け、集団非行、万引き、さらには回避性障害(他人との接触を
嫌い、部屋に引きこもる)、摂食障害(拒食症、過食症など)を引き起こすようになる。
この段階で、家人は異変に気づくことが多いが、この状態を放置すると、厭世気分が高じ
て、自殺願望(「死にたい」と思う)、自殺企画(自殺方法を考える)、最終的には自殺
行為に及ぶこともある。

精神障害……うつ状態が長期化すると、感情の鈍化(喜怒哀楽の情が消える)、無反応性
(話しかけてもボーッとしている)が現れる。一見痴呆症状に似ているので、痴呆症と誤
解するケースも多い。しかし実際には、ほとんどのケースでは、本人自身が、自分の症状
を自覚していることが多い。これを「病識(自分で自分の症状を的確に把握している)」
という。ある青年は、中学時代、家庭内暴力を起こしていたときのことについて、こう言
った。「いつももう一人の自分がそこにいて、そんなバカなことをするのをやめろと叫ん
でいたような気がする。しかしいったん怒り始めると、それにブレーキをかけることがで
きなくなってしまった」と。

ほかにもう一つ、腹痛や頭痛などの身体的障害もあるが、一般的な病状と区別しにくいの
で、ここでは省略する。

●情緒不安

 よく誤解されるが、情緒が不安定な状態を、情緒不安というのではない。情緒不安とい
うのは、心の緊張感がとれない状態をいう。「気を許さない」「気を抜かない」「気をゆ
るめない」という状態を考えればよい。その緊張しているところに、不安要素が入り込む
と、その不安を解消しようと、一挙に心の緊張感が高まる。このタイプの子どもは、どこ
か神経がピリピリしていて、心を許さない。そのことは軽く抱いてみればわかる。心を許
さない分だけ、体をこわばらせたり、がんこな様子で、それを拒絶したりする。情緒が不
安定になるのは、あくまでもその結果でしかない。

 家庭内暴力を繰り返す子どもは、基本的には、この情緒が不安定な状態にあると考える
とわかりやすい。そのためたいていは(親側からみれば)ささいな親の言動で、子どもは
突発的に凶暴になり、攻撃的な暴力を繰り返す。ある女子(中二)は、母親がガラガラと
ガラス戸を閉めただけで、母親を殴ったり、蹴ったりした。母親には理由がわからなかっ
たが、その女子はあとになってこう言った。「ガラス戸をしめられると、『もっと勉強し
なさい』と、催促をされているような気がした」と。

その女子の家は大通りに面していて、ふだんから車の騒音が絶えなかった。それで子ども
のときから、母親はその女子に「勉強しなさい」と言ったあと、いつもそのガラス戸をガ
ラガラとしめていた。母親としては、その女子の部屋を静かにしてあげようと思ってそう
していたのだが、いつの間にか、それがその女子には「もっと勉強しなさいという催促」
と聞こえるようになった……らしい。

●暴力行為

 家庭内暴力の「暴力」は、その家人にとってはまさに想像を絶するものである。またそ
れだけに深刻な問題となる。その家庭内暴力に、私がはじめて接したケースに、こんなの
がある。

 浜松市に移り住むようになってしばらくのこと。私は親類の女性に頼まれて、一人の中
学三年生男子を私のアパートで、個人レッスンをすることになった。「夏休みの間だけ」
という約束だった。が、教えて始めてすぐ、その中学生は、おとなしく従順だったが、ま
さに「何を考えているかわからないタイプの子ども」ということがわかった。勉強をした
いのか、したくないのか。勉強をしなければならないと思っているのか、思っていないの
か。どの程度まで教えてほしいのか、教えてほしくないのか。それがまったくわからなか
った。心と表情が、完全に遊離していて、どんな性格なのかも、つかめなかった。

 が、その少年は、家庭の中で、激しい暴力行為を繰り返していた。その少年が暴力行為
を繰り返すようになると、母親は仕事をやめ、父親も出張の多いそれまでの仕事をやめ、
地元の電気会社に就職していた。そういう事実からだけでも、その少年の家庭内暴力がい
かに激しかったかがわかる。

その少年を紹介してくれた親類の女性はこう言った。「毎晩、動物のうめき声にも似た少
年の絶叫が、道をへだてた私の家まで聞こえてきました。その子どもが暴れ始めると、父
親も母親も、廊下をはって歩かねばならなかったそうです」と。
私は具体的な話を聞きながら、最初から最後まで、自分の耳を疑った。私が知るその少年
は、「わけのわからない子ども」ではあったが、家の中で、そのような暴力を働いている
とは、とても思えない子どもだったからである。

●心の病気

 こうした抑うつ感が、うつ病につながるということはよく知られている。一般には家庭
内暴力を起こす子どもは、うつ病であると言われる。おとなでも、うつ病患者が突発的に
はげしい暴力行為を繰り返すことは、よく知られている。が、家庭内暴力を起こす子ども
がすべて、うつ病かというと、それは言えない。症状としては重なる部分もあるというだ
けかもしれない。

たとえば学校恐怖症というのがあるが、どこまでが恐怖症で、どこからがうつ病なのか、
その線を引くのがむずかしい。少なくとも、教育の現場では、その線を引くことができな
い。同じように、家庭内暴力を起こす子どもと、うつ病との間に、線を引くことはむずか
しい。そこで比較的研究の進んでいる、うつ病についての資料を拾ってみる。(というの
も、家庭内暴力という診断名はなく、そのため、治療法もないということになっているの
で……。)

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学二年生から
六年生までの一〇四一人の子どもについて調べたところ、約一三・三%に「うつ病とみな
してよいとの評点を、得点していた」(八九年)という。もちろんこの中には、偽陽性者
(症状としてうつ病に似た症状を訴えても、うつ病でない子ども)も含まれているので、
一三・三%の子どもがすべてがうつ病ということにはならない。

最近の調査研究では、学童全体の約一・八%、思春期の学童の約四・七%が、うつ病とい
うことになっている(長崎医大調査)。が、この数字も、注意してみなければならない。
「うつ病」と診断されるほどのうつ病でなくても、それ以前の軽度、中度のうつ病も含め
るとどうなるかという問題がある。さらに、うつ病もふくめて、こうした情緒障害には、
周期性、反復性がある。数週間単位で、症状が軽減したり、重くなったりすることもある。
そういう子どもはどうするかという問題もある。が、それはさておき、ここでいう「四・
七%」というのは、おおむね、「今という時点において、中学生の約二〇人に一人が、う
つ病である」と考えてよい数字ということになる。

 で、この数字を多いとみるか、少ないとみるかは、別として、こうした子どもたちが、
一方で不登校や引きこもり(マイナス型)を起こし、また一方で家庭内暴力を起こす(プ
ラス型)、その予備軍と考えてよい。(あるいは実際、すでに起こしている子どもも含ま
れる。)で、ここで問題は、二つに分かれる。(1)どうすれば、家庭内暴力も含めて、
どうすれば子どものうつ病を避けることができるか。(2)今、家庭内暴力を起こしてい
る子どもも含めて、どういう子どもには、どう対処したらよいか。

●どうすれば防げるか 

 「すなおな子ども」というとき、私たちは昔風に、従順で、おとなの言うことをハイハ
イと聞く子どもを想像する。しかしこれは、誤解。

教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。一つは、心の状
態と表情が一致していること。悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはう
れしそうな顔をする、など。が、それが一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」
が始まる。不愉快に思っているはずなのに、ニコニコと笑ったりするなど。

 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるな
どの心のゆがみがない子どもを、すなおな子どもという。心がいつもオープンになってい
て、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、それがそのままスーッと子どもの心の
中にしみこんできくのがわかる。が、心がゆがんでくると、どこかでそのやさしさや親切
がねじまげられてしまう。私「このお菓子、食べる?」、子、「どうせ宿題をさせたいの
でしょう」と。

 ついでに、子どもの心は風船玉のようなもの。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」
で荒れる。反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世
界」で荒れることもある。問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆ
る仮面をかぶり、二重人格性をもつことだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、そ
の裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰り返す、など。家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の
世界では、信じられないほど、よい子を演ずることが多い。

●こわい遊離と仮面

 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。
教える側から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな
子ども」ということになる。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだす
こともある。ともかくも心と表情が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横
取りされても、笑みを浮かべながら渡す。失敗して皆に笑われているようなときでも、表
情を変えず平然としている、など。「ふつうの子どもならこういうとき、こうするだろう
な」という自然さが消える。が、問題はそれで終わらない。

 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ること
が多い。作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマ
りこんでしまい、現実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、
ゲームで覚えた呪文を、空に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはも
のの考え方が極端化し、先鋭化することもある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい
情緒不安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、
息を抜けない環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よ
い子」になるが、それはあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。こうした仮
面は、家庭内暴力を繰り返す子どもに、共通して見られる。

 子どもの心を遊離させないためにも、子育ては、『まじめ八割、いいかげん二割』と覚
えておく。これは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」
で、羽をのばし、自分を伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さない
というより、妥協しない。外から帰ってきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるな
ど。このタイプの親は、何ごとにつけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そして
それが子どもの心をゆがめる。が、悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚
がない。ないばかりか、自分は理想的な親だと思い込んでしまう。中には父母会の席など
で、堂々とそれを誇示する人もいる。

 なお子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日
に行ってみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。
もしあなたの子どもが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし
園や学校では、別人のようであれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそう
なら、心の開放を、何よりも大切にする。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。

●前兆症状に注意
 子どもの心の変化を、的確にとらえることによって、子どもの心の病気を未然に防ぐこ
とができる。チェック項目を考えてみた。

○ときどきもの思いに沈み、ふきげんな表情を見せる(抑うつ感)
○意味もなく悲しんだり、感傷的になって悲嘆する(悲哀感)
○「さみしい」「ひとりぼっち」という言葉を、ときどきもらす(孤独感)
○体の調子が悪いとか、勉強が思い通りに進まないとこぼす(不調感)
○「どうせ自分はダメ」とか、「未来は暗い」などと考えているよう(悲観)
○何をするにも、自信がなく、自らダメ人間であると言う(劣等感)
○好きな番組やゲームのはずなのに、突然ポカンとそれをやめてしまう(感情の喪
失)
○ちょっとしたことで、カッと激怒したり、人が変わったようになる(緊張感)
○イライラしたり、あせったりして、かえってものごとが手につかないよう(焦燥
感)
○ときどき苦しそうな表情をし、ため息をもらうことが多くなった(苦悶)
○同じことを堂々巡りに考え、いつまでもクヨクヨしている(思考の渋滞)
○考えることをやめてしまい、何か話しかけても、ただボーッとしている(思考の
停止)
○何かの行動をすることができず、決断することができない(優柔不断)
○ワークなど、問題集を見ているはずなのに、内容が理解できない(集中困難)
○「自分はダメだ」「悪い人間だ」と、自分を責める言動がこのところ目立つ(自
責感)
○「生きていてもムダ」「どうせ死ぬ」と、「死」という言葉が多くなる(希死願
望)
○行動力がなくなり、行動半径も小さくなる。友人も極端に少なくなる(活動力低
下)
○動きが鈍くなり、とっさの行動ができなくなる。動作がノロノロする(緩慢行動)
○ブツブツと独り言をいうようになる。意味のないことを口にする(内閉性)
○行動半径が小さくなり、行動パターンも限られてくる(寡動)
○独りでいることを好み、家族の輪の中に入ろうとしない(孤立化)
○何をしても、時間ばかりかかり、前に進まない(作業能率の低下)
○具体的に死ぬ方法を考え出したり、死後の世界を頭の中で描くようになる(自殺
企画)

こうした前兆症状を繰り返しながら、子どもの心は、本来あるべき状態から、ゆがんだ状
態へと進んでいく。

●家庭内暴力の特徴
 家庭内暴力といわれる暴力には、ほかには見られない特徴がいくつかある。

(1)区域限定的

 家庭内暴力は、その名称のとおり、「家庭内」のみにおいて、なされる。これは子ども
の側からみて、自己の支配下のみで、かつ自己の抑制下でなされることを意味する。その
暴力が、家庭を離れて、学校や社会、友人の世界で起こることはない。

(2)最終的危害行為にまでは及ばない

 子どもは、自分ができる、またできるギリギリのところまでの暴力を繰り返すが、その
一線を越えることはない。(たまに悲惨な事件がマスコミをにぎわすが、ああいったケー
スはむしろ例外で、ほとんどのばあい、子ども自身が、暴力をどこかで抑制する。)どこ
か子ども自身が、「ここまでは許される」というような冷静な判断をもちつつ、暴力を繰
り返す。これを私は「精神の二重構造性」と呼んでいる。言いかえると、これを反対にう
まく利用して、子どもの心に訴えるという方法もある。私もよく、そういう家庭の中に乗
り込んでいって、子どもと対峙したことがある。そういうとき、もう一方の冷静な子ども
がいることを想定して、つまりその子どもに話しかけるようにして、諭すという方法をと
る。「これは暴れる君ではない。もう一人の君だ。わかるかな。本当の君だよ。本当の君
は、やさしくて、もう一人の君を嫌っているはずだ。そうだろ?」と。大切なことは、決
して子どもを袋小路に追い込まないこと。励ましたり、脅したりするのは、タブー中のタ
ブー。

(3)計算された恐怖

 子どもが暴力を振るう目的は、親や兄弟に、恐怖を与えること。その恐怖を与えること
によって、相手を自分の支配下に置こうとする。方法としては、暴力団の構成員が、恐怖
心を相手に与えて、自分の優位性を誇示しているのに似ている。そしてその恐怖は、計算
されたもの。決して突発的、偶発的なものではない。繰り返すが、ここが、子どもがほか
で見せる暴力とは違うところ。妄想性を帯びることもあるが、たとえば分裂病患者がもつ
ような、非連続的な妄想や、了解不能な妄想をもつことはない。このタイプの子どもは、
どうすれば相手が自分の暴力に恐怖を覚え、自分に屈服するかを計算しながら、行動する。
そういう意味では、「依存」と「甘え」が混在した、アンビバレンツ(両価的)な状態と
いうことになる。

●家庭内暴力には、どう対処するか
 家庭内暴力に対処するには、いくつかの鉄則がある。

(1)できるだけ初期の段階で、それに気づく

家庭内暴力が家庭内暴力になるのは、初期の段階での不手際、家庭教育の失敗によるとこ
ろが大きい。子どもが荒れ始めると、親はこの段階で、説教、威圧、暴言、暴力を使って
子どもを抑えようとする。体力的にもまだ親のほうが優勢で、一時はそれで収まる様子を
見せることが多い。しかしこうした無理や強制は、それがたとえ一時的なものであっても、
子どもの心には取り返しがつかないほどのキズを残す。このキズが、その後、家庭内暴力
を、さらに凶暴なものにする。

(2)「直そう」とか、「治そう」と思わないこと

一度、悪循環に入ると、「以前のほうが、まだ症状が軽かった」ということを繰り返しな
がら、あとはドロ沼の悪循環におちいる。この悪循環の「輪」に入ると、あとは何をして
も裏目、裏目と出る。子どもの心の問題というのは、そういうもので、たとえばこれは非
行の例だが、「門限を過ぎても帰ってきた、そこで親は強く叱る」→「外泊する。そこで
親は強く叱る」→「家出を繰り返す、そこで親は強く叱る」→「年上の男性(女性)と、
同棲生活を始める、そこで親は強く叱る」→「性病になったり、妊娠したりする……」と
いう段階を経て、状態は、どんどんと悪化する。

そこで大切なことは、一度、こうした空回り(悪循環と裏目)を感じたら、「今の状態を
それ以上悪くしないこと」だけを考えて、親は子どもの指導から思い切って手を引く。「直
そう」とか、「治そう」と思ってはいけない。つまり子どもの側からみて、子どもを束縛
していたものから子どもを解き放つ。(親にはその自覚がないことが多い。)その時期は
早ければ早いほどよい。また子どもの症状は、数か月、半年、あるいは一年単位で観察す
る。一時的な症状の悪化、改善に、一喜一憂しないのがコツ。

(2)愛情の糸は切らない

 家庭内暴力は、あくまでも「心の病気」。そういう視点で対処する。脳そのものが、イ
ンフルエンザにかかったと思うこと。熱病で、苦しんでいる子どもに、勉強などさせない。
ただ脳がインフルエンザにかかっても、外からその症状が見えない。だから親としては、
子どもの病状がつかみにくいが、しかし病気は病気。そういう視点で、いつも子どもをみ
る。無理をしてはいけない。無理を求めてもいけない。この時点で重要なことは、「どん
なことがあっても、私はあなたを捨てません」「あなたを守ります」という親の愛情を守
り抜くこと。ここに書いたように、これはインフルエンザのようなもの。本当のインフル
エンザのように、数日から一週間で治るということはないが、しかし必ず、いつか治る。
(治らなかった例はない。症状がこじれて長期に渡った例や、副次的にいろいろな症状を
併発した例はある。)必ず治るから、そのときに視点を置いて、「今」の状態をみる。こ
の愛情さえしっかりしていれば、子どもの立ち直りも早いし、予後もよい。あとで笑い話
になるケースすらある。

(3)心の緊張感をほぐす

 一般の情緒不安と同じに考え、心の緊張感をほぐすことに全力をおく。そのとき、何が、
「核」になっているかを、知ることが大切。多くは、将来への不安や心配が核になってい
ることが多い。自分自身がもつ学歴信仰や、「学校へは行かねばならないもの」という義
務感が、子ども自らを追い込むこともある。よくあるケースとしては、子どもの心を軽減
しようとして、「学校へは行かなくてもいい」と言ったりすると、かえって暴力がはげし
くなることがある。子ども自身の葛藤に対しては、何ら解決にはならないからである。

 だいたい親自身も、それまで学歴信仰を強く信奉するケースが多い。子どもはそれを見
習っているだけなのだが、親にはその自覚がない。意識もない。子どもが家庭内暴力を起
こした段階でも、「まともに学校へ行ってほしい」「高校くらいは出てほしい」と願う親
は多い。が、それも限界を超えると、そのときはじめて親は、「学校なんかどうでもいい」
と思うようになるが、子どもはそれほど器用に自分の考えを変えることができない。そこ
で葛藤することになる。「どんどん自分がダメになる」という恐怖の中で、情緒は一挙に
不安定になる。

 ただ症状が軽いばあいは、子どもが学校へ行きやすい環境を用意してあげることで、暴
力行為が軽減することがある。A君は、夏休みの間、断続的に暴力行為を繰り返していた
が、母親が一緒になって宿題を片づけてやったところ、その暴力行為は停止した。このケ
ースでも、子ども自身が、自分を追い込んでいたことがわかる。

(4)食生活の改善

 家庭内暴力とはやや、内容を異にするが、「キレる子ども」というのがいる。そのキレ
る子どもについて、最近にわかにクローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」
である。つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、
脳の抑制命令を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。アメリカでは、「過剰行動
児」として、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うと
こうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリン
が多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となる
という(岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃
でスパスパとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていっ
たん怒りだすと、カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと
金切り声を出すことも珍しくない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いた
り、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、
カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は
日もちをよくしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せ
っかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔
からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カルシ
ウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが
消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが
不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャクニャとくねらせ
たり、ダラダラさせたりする。

 これはここにも書いたように、キレる子どもへの対処法のひとつだが、家庭内暴力を繰
り返す子どもにも有効である。

 最後に家庭内暴力を起こす子どもは、一方で親の溺愛、あるいは育児拒否などにより、
情緒的未熟性が、その背景にあるとみる。親は突発的に変化したと言うが、本来子どもと
いうのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐように、段階的に成長する。その
段階的な成長が、変質的な環境により、阻害されたためと考えられる。よくあるケースは、
幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で過ごしてしまうケース。こうした子どもが、
それまで脱げなかったカラを一挙に脱ごうとする。それが家庭内暴力の大きな要因となる。
そういう意味では、家庭内暴力というのは、もちろん心理的な分野からも考えられなけれ
ばならないが、同時に、家庭教育の失敗、あるいは家庭教育のひずみの集大成のようなも
のとも考えられる。子どもだけを一方的に問題にしても意味はないし、また何ら解決策に
はならない。

(以上、未完成ですが、また別の機会に補足します。)
(02−9−1)

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 >>> / \   ̄ ̄ ̄  <<<     See you again in the next magazine!
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(イラストは、パナソニックパソコン付録のフリーソフトを転用しました。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●North Korea seen reluctant to divulge nuclear plans(NK国は、核開発暴露に、消極
的)

I don't think that C. Hill is such a person that is so tolerant and generous, but he has no 
choice to follow what North Korea says and does. C. Hill is so much pro-South Korea 
and his son is driving a Korean-made car back in USA. He is believed to support 
so-called "the sun and the north wind Policy" of South Korea. But is it OK? Wake up, Mr 
Hill! North Korea is not such a nation which we think she is. 

+++++++++++++++++

NK国の核兵器開発は、いったい
どうなっているのか?

今朝(1月9日)の朝鮮N報を読むと、
今月中(08年1月)に、6か国協議が
開かれるという。

情報が交錯している。

アメリカのABCニュースから、関連記事を
さがしてみた。

+++++++++++++++++

 この中でとくに注目しなければならないのは、ヒル氏の発言ということになる。ヒル氏
は、こう述べている。

"They have not wanted to list certain programs that we know about and they know that 
we know about,"

「彼らは、我々が知っているあるプログラムをリスト化したくないと望んでいる。そして
彼らは、我々が知っていることを知っていると、それをリスト化したくないと望んでいる」

"The DPRK (North Korea) is not often automatically inclined to be transparent."

「NK国は、しばしば自動的に、透明性をもたない傾向がある」(=自ら進んで、透明性を
高めようとはしない。)

"I don't think there is any reason to panic, no reason to get upset or turn this into a 
crisis,"

「(期限が過ぎたことについて)、パニックになる必要はないし、動揺する必要もないし、
危機にする必要もない」

 ヒル氏は、要するに、「NK国は、そういう国だから、そういう国だと知った上で、もう
少し忍耐強く交渉するしかない」と言っている。

 韓国の「太陽政策」とやらに、まんまと乗せられてしまったヒル氏。大の韓国びいき。
息子氏は、韓国製の自動車を運転している。今さら、「私の方策はまちがっていました」と
は、とても言えない。苦しい胸中はよくわかる。

参考:アメリカABCニュース(08年1月8日)
SEOUL (Reuters) - North Korea's refusal to divulge details of its nuclear weapons 
program caused it to miss a deadline in a disarmament-for-aid deal it struck with 
regional powers, a U.S. nuclear envoy said on Tuesday. 

North Korea missed an end-of-2007 deadline to provide a full listing of its nuclear arms 
program and answer U.S. suspicions of having a clandestine program to enrich uranium 
for weapons.

"They have not wanted to list certain programs that we know about and they know that 
we know about," U.S. Assistant Secretary of State Christopher Hill said after arriving 
in Seoul.

"The DPRK (North Korea) is not often automatically inclined to be transparent."
Reclusive North Korea has a history of missing deadlines and dragging its feet in its 
limited international dealings. It often uses brinkmanship to extract maximum 
concessions.

Hill, who is traveling to Northeast Asia and Russia, urged patience and said the United 
States was looking for a full declaration from North Korea.

"I don't think there is any reason to panic, no reason to get upset or turn this into a 
crisis," he said.

North Korea has been cooperating in another part of the nuclear deal in taking apart its 
ageing facility that generates arms-grade plutonium, he added.

Under the deal, energy-starved North Korea can receive up to 1 million tons of heavy 
fuel oil or equivalent aid and removal from a U.S. terrorism blacklist if it makes the 
nuclear declaration and disables its nuclear plant.
(Reporting by Jon Herskovitz; Editing by Alex Richardson)

 ここで単語を拾ってみよう。これは英語の勉強のため。

divulge……暴露する

a disarmament-for-aid deal……軍縮―援助取り引き

U.S. Assistant Secretary of State Christopher Hill……国務次官補、クリストファー・ヒ


a U.S. terrorism blacklist……合衆国テロブラックリスト

six-party nuclear negotiations……6か国核兵器交渉


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   0年 2月 1日  999号
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2月1日現在、999号です!

★★HTML版・カラー・写真版★★★

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。

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電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
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********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【マガジン・復刻版】

Feb 4th 2008, I will issue the 1000th celebrated magazine with my honor. I started this 
magazine on June 6th 2001 and since then I have published my magazines twice and 
three times (later) per week. It has been a long way to come up here. I just remember 
one day I thought while I was writing articles like this: "Shall I be on this world when I 
issu the 1000th magazine?" Yes, I am still alive! I can see, I can think, I can hear and I 
am alive. What else can I ask the world more? Here on this occasion I would like to 
express my greatest thanks to all of these readers and people who have supported me in 
the past. Thank you very much! Here I would like to introduce some of my magazines 
which I issued more than 6 years ago.

+++++++++++++++++

2008年の2月1日、私の電子
マガジンは、999号を迎えます。

次回、2月4日、1000号を迎えます。

遠い道のりでした。

いつだったか、1000号の発行日を
計算しながら、「それまで生きているだろうか」
と考えたことがあります。

しかし私は、生きています。
こうして元気に生きています。

目も見える。
音も聞こえる。
体も動く。

健康です!

みなさん、ありがとうございました。

第1号〜は、Eマガの過去版のほうに
収録されています。興味をもってくださる
人がいれば、どうか、また目を通して
みてください。

今回は、その復刻版を改めて読みなおし
ながら、自分なりのコメントを書き添えて
みたいと思います。

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http://www.emaga.com/bn/list.cgi?code=hhayashi2

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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2001年6月6日号
         by はやし浩司(ひろし)

トピックス

● はじめまして! 
●育児診断ができるぞ
●子育て定期検診ができるぞ
●はやし浩司、ってどんな人?
●どんなことを考えている……?


●はじめまして!

今回から、E-マガジン、初登場です。よろしくお願いします。
子育ての最前線でがんばっている、お母さん、お父さんのためのマ
ガジンです。

この日本、エラーイ先生も、私のようなエラークない先生もいます。
どこが違う……かって?

エラーイ先生には、実戦経験がない。しかし私はいつも子育ての最
前線で、お母さんたちと戦ってきた。いわば、最前線の現場指揮官
というわけです。経験は豊富です。たいていの問題には、答えられ
ます。お助けできます。そんな私が皆さんのお役に、少しでもたて
ればと思い、このマガジンを発行することにしました。

                    はやし浩司


●育児診断ができるぞ!
あなたは過保護ママ? 過干渉ママ? それとも溺愛ママ?
 
診断方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「過保護ママ?」を開いてみてください。
30項目の質問に答えるだけ(少したいへんかな?)。でも一度は診
断してみてください。わかっているようで、意外とわかっていないの
が、自分の子育てです。


●子育て定期検診もできます!

あなたのお子さんは、園や学校から帰ってきたら、どこで疲れた心
と体を休めていますか。
あなたのいる前で、心と体を休めていればよし。しかし……。そん
な日常的な様子から、あなたの子育てを定期検診します。

検診方法 …… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
   の「子育て診断」→「定期検診」を開いてみてください。


●はやし浩司って、どんな男?

現在、中日新聞で、子育て論を連載しています。2001年6月
で、もう丸4年になります(東海版、毎週土曜日朝刊)。
Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
を開いてみてください。最近のコラム50作が、紹介されていま
す。決してあやしい男(あやしいかな?)ではありません。意外
とオーソドックス、正統派です。

☆ただいま、会員募集中!(無料です!)

ただいまE-マガジンの会員を募集しています。毎回定期的に、み
なさんのところに、E-マガジンセンターから、このようなマガジ
ンが送られてきます。どうか、ご登録ください。

無料です。一切、負担はありません。かつ、E-マガジンのもろもろ
の子育て情報を、無料で手に入れることができます。

会員登録のしかた ……  
(1)下をクリックする
http://www.emaga.com/
(2)E-マガジンの画面が出てくる。
(3)右上の「検索」で、「最前線」と記入して、検索をクリック!
(4)私のE-マガジンが紹介されていますから、そこで購読を登録!

では、皆さんのご来訪をお待ちしています!


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以上が、第1号です。このときは、読者はゼロでした。
つづいて、第4号。このとき読者は、7人になって
いました。

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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2001年7月6日号(004号)
         by はやし浩司(ひろし)

★★★★★★★★
01−7−6号
★★★★★★★★

*************************

★静岡県教育委員会発行の、「ファミリス」に、9月号から
連載記事が載ります。どうかご覧になってください。
「教育委員会」というと、コワ〜イイメージをもって
おられる方も多いと思いますが、私の記事は、きわめて
実用的です。楽しみにしておいてください。

★「別冊PHP」9月号(7・23発売)に特集記事が載ります。
どうかご覧になってください。

★「浜松百撰」で、子育て対談をします。7月24日予定ですので、
記事はそれ以後載ると思います。ご注目ください。

**************************

あなたの子育てをチェックしてみませんか?

お子さんのちょっとした、しぐさの中に、
実は重大な警告が隠されている……というようなことが
よくあります。

たとえば……

(机とお子さんの相性)

●お子さんが好きそうな食べ物や、おもちゃをそっと
机の上に置いてみてあげてください。
そのときお子さんが

(1)そのまま机に座って、食べ物を食べたり、おもちゃ
で遊んだりすれば、だいじょうぶ。

(2)しかしその食べ物やおもちゃを、別の場所に移動して
食べたり、遊んだりするようであれば、お子さんと
机の相性はよくないとみます。

長い間、相性の悪い机を使っていると、勉強嫌い……
ということにもなりかねませんので、ご注意ください。

●同じように、たとえば親子の断絶なども、ちょっとした様子
から、その初期症状を知ることができます。

 それをまとめたのが、「子育て診断」です。わかりやすい15項目に
 してみましたので、どうかご活用ください。

詳しくは……
  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
  の中、

  (育児診断)→(子育て危険度早期診断)をご覧になってください。
  7月10日に、新居町教育委員会のほうで、講演をします。その席を
  借りて、結果の集計をし、その結果は、また私のホームページのほうに
  掲載しておきますので、11日以後、結果をお知りになりたい方は、どう
  かまたご覧になってください。

**************************************

親子の断絶が始まるとき

●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「まさか……」「ま
だ何とかなる……」と思っているうちに、やがて互いの間の不協和音は大きくなる。そし
てそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようにな
りたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(「青少年白書」平成十年)。が、この
程度ならまだよいほうだ。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、目と目を
そむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、子どもは「ウッセー!」と。
そこで親は親で、「親に向かって、何だ、その態度は!」となる。あとはいつもの大げんか!

 ……こう書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに
感謝されているはず」と思っている親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。
あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察してみ
てほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気にしな
いで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好とみてよ
い。しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、ど
こかへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中高校生
の多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに
(3)ふとんの中だそうだ(「学外研」九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。権威主義、相互不信、それにリズムの乱れ。「私は
親だ」というのが権威主義。「子どものことは、私が一番よく知っている」という親ほど、
あぶない。

この権威主義が強ければ強いほど、子どもは親の前では、仮面をかぶる。いい子ぶる。
その分だけ、子どもの心は離れる。次に相互不信。「うちの子はすばらしい」という自信
が、子どもを伸ばす。しかし親が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま
子どもの心となる。人間の心は、鏡のようなもの。

イギリスの格言にも、「相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う」とい
うのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなた
の子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子
の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。三つ目にリズム。あなたの子
どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころを思い出してみてほしい。そのときあなたは子
どもの横か、うしろを歩いていただろうか。そうであれば、それでよし。しかしあなた
が子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていたとするなら、あなた
と子どものリズムは、そのときから狂い始めていたとみる。

おけいこ塾でも何でも、あなたは子どもの意思を無視して、勝手に決めていたはずだ。
やがてあなたは子どもと、こんな会話をするようになるかもしれない。親「あんたは誰
のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お母さんが高い
月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」子「いつ誰が、そんな
こと、あんたに頼んだ!」と。

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日から
でも遅くないから、子どものうしろを歩く。決して前を歩かない。アメリカでは、親子で
も、「お前はパパに何をしてほしい」とか、「ママはぼくに何をしてほしい」と聞き合って
いる。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子の断絶を防ぐ。
 
************************************
これからも、よろしくご購読ください。
             はやし浩司
*************************************

(以下、003号です。)

まだの方はどうかお読みください。

朝晩は気持ちのよい日になりました。お元気ですか?

「はやし浩司のホームページ」が、またまた充実しました。
また、ぜひ、ご覧になってください。
                 はやし浩司(ひろし)

*********************************
ホームページに、またまた新しいコーナーが、新登場!

●お子さん向けの、「読んでね」コーナー
●「子どもチェックシート」

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(近況ニュース)

★6月29日(金曜日)午前10時〜より、静岡県教育委員会主催の
「教育講演会」で、基調講演をいたします。
    場所:可美総合センターにて
(午後からは、パネルディスカッションを予定しています)
       お申し込みは …… 053−458−7304です。

★「別冊PHP」9月号 (7月23日発売)増刊号にて、
      「子どもをほめるコツ・しかるコツ」の特集記事を書かせてもらいました。
          ぜひ、書店で、お買い求めください。

************************************

中日新聞(東海版)では、

    「乱舞するイメージ」を書きました。

          Http://www.chunichi-tokai.co.jp/education/child_world/
               を、ご覧ください。

       右脳教育への疑問を、この記事の中に織り込みました。

   なお新聞のほうは、「人間は考えるアシ」を掲載してもらいました。
   インターネットでは、6月22日以後、紹介されます。よろしく!

*********************************


「読んでね」コーナーは、直接お子さんに呼びかけるコーナーです。
お子さんが、読んでくださることを願っています。
対象年齢は、小4〜中学生を考えて、書きました。



賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。

++++++++++++++++++++

バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文章を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。

+++++++++++++++++++

相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?

++++++++++++++++++++

家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。

(ほか、30項目)続きはホームページで
        http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/


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 この1〜4号のころは、まさに手探りの状態でした。(当然ですが……。)「書いても、は
たして読んでくれる人がいるだろうか」と、そんな不安ばかり、先に立ったのを覚えてい
ます。

 もっとも、そのころは、(遊び)のつもりでした。本気で書くようになったのは、ずっと
あとになってからのことです。1000号を意識するようになったのは、さらにあとにな
ってからのことです。

 毎号、1〜2人と読者がふえていくのは、ほんとうに励みになりました。その新しく読
者になってくれた人をがっかりさせたくないという思いが、私の書く原動力になりました。
そんな思いが、この1〜4号を読むと、6年6か月という年月を超えて、私の心の中によ
みがえってきます。

 文もどこかいいかげんで、自己宣伝ばかり。あのころの私は、それでもインターネット
の未来を信じて、電子マガジンの発行を始めました。「本を書くより、インターネットだ」
とです。

 2003年以後は、一冊も、本を書いていないのは、そのためです。

 結果として、それがよかったのか、悪かったのか、まだよくわかりません。この間、も
ちろん収入は、ほとんどありませんでした。またマガジンを出したからといって、世間的
に注目されるということもありませんでした。

 インターネットの世界は、まあ、こんなものですね。

 しかし現在、マガジン、HP、BLOGなどを含めますと、月に約10万件のアクセス
があります。10万件ですよ!

 重複している人も多いかと思いますが、それでも、月に10万人の人たちが、「はやし浩
司の文章」に触れてくれています。世間的な評価は別として、これはものすごいことです。
書籍ではとても、まねのできないことです。

 が、その(ものすごさ)にしても、肌で実感するということはありません。そこは電子
の世界ですね。数字だけが、勝手にひとり歩きしているといった感じです。一方、原稿を
書いている私は、丘の上から、空に向かって話しているようなものです。そこに読者の方
がいるとしても、その姿はまったく見えません。本のように、モノとして残るということ
もありません。

 そういう意味では、おかしな、ほんとうにおかしな世界です。

 2月4日、ささやかですが、今までのよき協力者であり、理解者であったワイフと2人
で、どこかのレストランで祝杯をあげます。

 何がうれしいかといって、今、現実に、こうして元気でものを考え、ものを書けること
くらい、うれしいことはありません。

 1000号までつづけてくることができたのは、賛助会のみなさん、まぐプレの読者の
みなさん、それに、わかば医院のみなさんの暖かい励ましがあったからです。この場で、
厚くお礼を申し上げます。

 なお1001号からは、さらに、(1)英文をふやして外国に向けて、自分の意見を発表
していく、(2)USTREAMなどのサービスを利用して、動画と音声を多用していく…
…などとうことを考えています。

 以上ですが、これからも、よろしくお願いします。

 長い間のご購読、ありがとうございました。

       2008年1月8日記                はやし浩司


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以下、読者が100人を超えたときの
号です。

日付を見ると、11月23日になって
います。

第1号から、5か月もかかりました。


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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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    子育て最前線の育児論
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01−11−23号(15)
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ウィルス対策について……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「トップページ」より、「ウィルス対策」をご覧ください。
どうか安心して、このサイトをお楽しみください。
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文字化けして、お読みになりにくい点がありましたら、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、(マガジン読者)のコーナーへおいでください。少しだけ読みやすくしてあります。
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今回も、マガジンをご愛読くださり、感謝しています。ありがとうございます!
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メニュー

(1)よい幼稚園の選び方
(2)よい先生の見分け方(子どもとの相性を知る)
(3)教育者の美談にだまされない法
(4)子どもを本好きにする法(子どもの方向性を知る)

********************************
来春、リヨン社から新しい本を出します。よろしくお願いします。
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あなたは、目上の人でも、目下の人でも、同じような電話をかけていますか?
権威主義的なものの考え方をする人、つまり無意識のうちにも、人間の上下関係を
つくる人は、目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで違います。
そんなことを書いたのが、「親子の関係がぎくしゃくするとき」です。どうか
お読みください。

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●よい幼稚園を選ぶ法(先生を見て選べ!)

親が幼稚園を選ぶとき 

●「どこの幼稚園がいいですか?」

 「どこの幼稚園がいいですか」という問い合わせが、ときどきある。私のばあい、立場
上、具体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイン
トはある。

その一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園は
すばらしい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がか
けられる。反面、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して教育
の中に飛び込んでくるような幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。

 次に、幼稚園は子どもの視点で見る。たとえばピカピカにみがかれた、汚れ一つない幼
稚園は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、
園舎のあちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残って
いたりする。そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。

そして三つ目のポイントは、哲学があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園とい
うのがある。その幼稚園では、独自に玄米食の給食をしている。給食の時間になると、
子どもたちが「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を歌いながら、玄米を懸命にかみな
がら食べている。大阪市のI幼稚園の園長は、ものを大切にするという意図から、いつ
もヨレヨレのスーツを着ている。浜松市のK幼稚園では、無数の動物を飼っている。私
が見に行ったときも、アヒルの子どもが生まれて、子どもたちはワイワイと喜んでいた。
そういう幼稚園は、すばらしい。

●幼稚園は先生を見て選ぶ

 が、何といっても最大のポイントは、現場の先生だ。先生が生き生きと活動している幼
稚園は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声
が飛び交っている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲
んでいたときのこと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハ
イ、できてるわよ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。

「先生」というには、「先に生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、
しかし先生と言うのは、そうでなくてはいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き
込まれていく。あるいは先生が庭にいたりすると、子どもたちが、先生のまわりに集ま
ってくる。先生に飛びついたりして、楽しそうにはしゃいでいる。そういう幼稚園はす
ばらしい。子どもと先生の関係を、外から観察してみるとそれがわかる。

もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じたら、
子どもをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本
スジが通っていない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここ
に書いたすばらしい幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。

●メリハリのある授業がよい授業

 また先生のよしあしは、メリハリのある授業ができるかどうかでみる。発言のときにな
ると、子どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりか
える。しっかりとした口調で、テキパキと指導を進める。

そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポイントは、子ども好きの先生か
どうかということ。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子どもが何かを失敗し
たときの様子をみれば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子ども好きの先
生だとどこかなごやかな雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気にな
る。

 ……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、許してほしい。園長や現場の先生なら、
私のような人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」
「運動着など着られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一
応ここでは、私は常識的なことを書いた。あくまでも一つの参考になればよい。

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●子どもと先生の相性を見分ける法(休み時間を観察せよ!)

子どもがよい先生を見分けるとき

●よい先生VS悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教
える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに
毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子ど
もたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする
人がいる。しかし私のばあい、職場そのものが、ストレス解消の場となっている。

●「子ども的」ということ

 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし
誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに
知識は乏しく、未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれ
て、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。

「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。特に私のばあい、若い
ときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻
訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務を手伝ったり、医学の世界をか
いま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人
は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。

●目線が子どもと同じ高さ?

 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高
さにいる先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプ
の先生は妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」
を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはち
ょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなもの
だ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問
題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、
子どもから明るさが消える。

 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子ども
に紙とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのと
き子どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子ど
もが暗い表情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よ
くないとみる。もしそうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相
談して、子どもと先生の関係を調整したほうがよい。

(参考)
●教師の外部評価制

 教師の指導力を、地域住民がチェックするという「外部評価制」が、二〇〇二年度より
東京都品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末
に公表し、学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導
入するのはたいへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革
を促す試みとして、今注目されている。

 品川区には現在、公立小中学校は五八校あるが、各学校ごとに保護者と地域の住人数一
〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校
の様子を評価してもらおうというもの。具体的には、(1)教員の指導が行き届いているか、
(2)いじめなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、(3)学校の方針は妥当かなど、
約二〇項目についてA〜Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、
区が新入生に配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、
各学校に改善計画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。

●私の経験から……

 「古い体質をなかなか変えようとしない学校教育を改善するには効果的」(若月秀夫教育
長)ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対す
る評価を調査したことがある。しかしその結果、(1)評価は、複数の学校を相互に比較し
てはじめて可能。(2)客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あま
り意味がない」という結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あ
なたの学校をどう思いますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。

そこで県外からの転校生や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取
り調査をしてみたが、今度はサンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまで
に集計できなかった。さらに親の評価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい
先生とする親もいれば、悪いとする親もいる。また同じ先生でも、比較的勉強がよくで
きる子どもの親はよい先生と評価し、勉強ができない子どもの親は悪い先生と評価する
ということもわかった。品川区のお手並みを拝見したい。

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●教育者の美談にだまされない法(美談にだまされるな!)

教育者が美談を口にするとき

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こ
んな話がある。

 あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところ
にやってきて、「あなたのもっているペンをくれ」と頼んだという。理由を聞くと、「ぼく
はそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」と。そのタレントは、感
きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(二〇〇〇年夏、H市での教育
講演)。しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神をもって
いる子どもが、「ペンをくれ」などと、物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れても、
インクの補充はどうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝せよ」
ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然である。
こんな事実もある。

 一五年ほど前のこと。K県の私塾連盟の有志が、トラック一杯の学用品を、インド洋に
あるS国に送ったことがある。で、その二年後、その文房具がどう使われているか、二人
の教師が見に行った。が、それらの文房具はほとんど手つかずのまま、倉庫に眠っていた
という。理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の一日の給料よりも高価なノ
ートや鉛筆を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすい
です」とも。そういう話ならわかるが、「立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの
話もおかしい。貧しい親子が、一杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。
国会でも取りあげられ、その後、映画にもなった。しかし私がその場にいた親なら、かけ
そばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけで食べろ」と言って、週刊誌でも読
んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。その誇りを捨てたら、私はおしまい。
親としての私もおしまい。またこんな話も……。

●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから一〇〇メートル走というときのこと。横に並んだB君(小二)
が、A君にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママ
に叱られる」と。そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえっ
てB君のためにならない思い、途中から本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。
ある著名な教育家が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものが
おかしい。その教育者は、二人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教え
たことのある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、小学二年生には、まだな
い。仮にあったとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたというのだろ
うか。さらに、こんな話も……。

●こんな美談も……

 ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学一年生の生徒たちが、
「先生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をして
いた。原因は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま
顔に出ていた。そこでその教師は、三〇分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を
取りなおし、そして再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は
子どもたちの前に立つときは心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。
その三〇分間だが、子どもたちはどこで何をしていたというのだろうか。その教師の話だ
と、子どもたちは教室に残されたままだったということになるのだが……?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注
意したらよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、
こうした美しい話で自分の説話を飾りたがる。

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●子どもを本好きにする法(方向性は図書館で知れ!)

子どもの方向性を知るとき 

●図書館でわかる子どもの方向性
 
子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。数時間、図書館の中で自由に
遊ばせてみればよい。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみ
る。サッカーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の
本を読む。そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。その方向性
にすなおに従えば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理をす
れば子どもの伸びる「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかの
コツがある。

●無理をしない

 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、一〜二年、レベルをさげる。親というのは、
どうしても無理をする傾向がある。六歳の子どもには、七歳用の本を与えようとする。七
歳の子どもには、八歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざ
ける。そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきって
レベルをさげる。本の選択は、子どもに任す。こういう親がいた。本屋で子どもに、「好き
な本を一冊買ってあげる」と言っておきながら、子どもが何か本をもってくると、「こんな
本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本から遠ざけ
る。

●動機づけを大切に

 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子
どもの前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。子ども
に何かものを与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のば
あいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるとよい。この動機
づけがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動
機づけのよしあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。まずいのは、
買ってきた本を袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子どもは読む意欲その
ものをなくしてしまう。無理や強制がよくないことは、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?

 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国
語力があるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解
していない。親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」、子「……わかんない」、親「うさ
ぎさんは誰に会ったのかな?」、子「……わかんない」と。もしそうであれば子どもが本を
読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎさんは、どこへ行きましたか」「う
さぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読み終えたら、その内容について絵を
かかせるとよい。読解力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるよ
うな絵をかく。そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。なお読解力の
ある子どもは、一ページを読むごとに深く考える様子をみせたり、そのつど挿し絵を見な
がら読む。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。

●文字の使命は心を伝えること

 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこ
と。誤字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが
子どもを文字好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそ
うだが、文法もそうだ。接続詞という言葉こそ使わないが、小学二年生から、その接続詞
の使い方を学ぶ。こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。
小学校の高学年児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子
どもは、五人に三人はいる。

(付記)
●私の記事への反論

 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげ
るときには、途中で、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というの
は言葉の流れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子
どもたちに本の読み聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人
も多い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気
で並べる。たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほ
とりで、 ひとりの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まど
ろんでいた」と。この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川
辺」「釣り人」「うつら」「釣り糸」「まどろむ」と続く。

こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決してその本の「よさ」
をそこなうものではない。が、それだけではない。意味のわからない言葉から受けるス
トレスは相当なものだ。パソコンを相手にしていると、そういう場面によく出あう。「T
IFFファイル(インターネットファックスファイル)を、EASYFAXPRO20
01EXのファックスビューワーに関連付けますか」などという表示が突然出てきたり
すると、パソコン歴三〇年以上の私ですら、いまだにドキッとする。あくまでも子ども
の立場で考えたらよい。
(以上、マガジン第1号、第15号より)

+++++++++++++++++

 こうして過去版を読み返してみると、当時の自分が、そのまま、そこにいるのを知る。「日
記」でもそれができなくはないが、日記で、自分の奥底をえぐり出すのは、むずかしい。
へたをすれば、毎日、「〜〜した」「〜〜した」で終わってしまう。

 その点、エッセーは、ちがう。そのつど、心の奥底をのぞく。日記を書くにしても、心
の奥底をえぐり出すことが大切ということになる。読み返すことで、そのままその過去に、
タイムスリップすることができる。

 さて、2008年は、こうして始まった。つぎの目標は、2000号ということになる。
が、迷いがないわけではない。「こんなことをしていて何になるだろうか」という迷いであ
る。

 「1000号になれば、何か変わるはず」という思いは、いつもあった。しかし何も変
わらなかった。相変わらず、外は、冬の景色。どんよりとした鉛色の空。「真・善・美の追
求」とは言うが、そのどれも、中途半端なまま。むしろ脳みそ自体は、後退しているのか
もしれない。

 ゆいいつの楽しみは、HP上で、いろいろ、新しい分野に挑戦していくこと。最近は、
USTREAMに凝(こ)っている。しかしこれにしても、息子に言わせると、「2年前に
ははやったけど……」ということらしい。

 映像をのせながら、自分の声で、子育てを語る。しかもテレビのように時間制限はなし。
編集も、カットもなし。今のところ見てくれる人は、1日に、1〜2人という状況だが、
おもしろい。しばらくは、これに没頭してみる。

 ともかくも、今の私にとって、生きがいは、これしかない。これにしがみつくしかない。
あまり気負わないで、つぎは、2000号に向けてがんばる。週3回、発行しても、20
00号になるのは、6・4年後! 2014年の夏ごろ。

 それまで私は生きているだろうか? そのとき、私の周囲で、何か、変わるだろうか?
 あるいは日本は、どうなっているだろうか?
(2008年1月9日記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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よろしくお願いします。              はやし浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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