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2007年 2月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

マガジン2007−2

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 28日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●行きづまったら抱け!

子どもの心がつかめなくなったとき

+++++++++++++++

スキンシップには、魔法の力がある。

まさに、魔法。子どもの心を溶かす、
そんな力である。

+++++++++++++++

●スキンシップは魔法の力 

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう3
0年ほど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。

アメリカのある自閉症児専門施設の先生の講演だが、そのときその講師の先生は、こう
言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』という方法で、すばらしい治療成績を
あげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。が、その後、私はいろいろ
な場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえると、スキンシップを
受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。

 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さな
い。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、
何かしら丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱
く側にしっくりと身を寄せる。

さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じにな
ることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子
どもも女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちが
よいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。

●大切な「甘える」という行為

 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論
として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然
である。

「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。
甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそ
のまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、
育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分
だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、
苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、
全体にひねくれる。

私「今日はいい天気だね」
子「いい天気ではない」
私「どうして?」
子「あそこに雲がある」
私「雲があっても、いい天気だよ」
子「雲があるから、いい天気ではない」と。

●先手を打って自分を守る

 このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。誰かに
親切にされても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。ものの考え方がいじ
け、すなおさが消える。「あの人が私に親切なのは、私が持っている本がほしいからよ」と。
自分からその人を遠ざけてしまうこともある。

あるいは自分に関心のある人に対してわざと意地悪をする。心の防御作用と言えるもの
で、その人に裏切られて自分の心がキズつくのを恐れるため、先手を打って、自分の心
を防衛しようとする。そのためどうしても自分のカラにこもりやすい。異常な自尊心や
嫉妬心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチになる
こともある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食
症になった女の子(中3)もいた、などなど。

 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育て
のし方のどこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないかもしれないが、やが
て深刻な問題になる。その危険性は高い。

●行きづまりを感じたら、抱く

 ……と、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、
何か行きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねた
りするようなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、
やさしく抱いてみる。しばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。
と、同時に、子どもの情緒(心)も安定する。

(参考)

●抱かれない子どもが急増!

こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、
四分の一もいるというのだ。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった
『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・
保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」
が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応
が二割前後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実
感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤
ちゃんから報告されたという。

さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児か
ら解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことが
わかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行
している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)
二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシ
ップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話
している。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置
け!)

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

+++++++++++++++

あなたはアルバムがもつ、
不思議な力を知っているか?

+++++++++++++++

●成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見なが
ら、成長していく喜びを知る。それだけではない。子どもはアルバムを通して、過去と、
そして未来を学ぶ。

ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お
兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらに
して父親なのだ。一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い
張った子ども(年長男児)もいた。

ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まずいな
い。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、
たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境に
して、子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨
日」であり、「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」
という概念は、年長児にならないとわからない。が、一度それがわかるようになると、
あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理解するのに役立つのが、アルバ
ムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバム
を見ていた。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを
見ていた。

つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらい
ときを、写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、
まさに宝の本。が、それだけではない。冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見な
がら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や母親の子ども時代を知るようになると、
そこに自分自身をのせて見るようになる。

それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だ
が、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の
写真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生
ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあ
った。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んで
いた。それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。

最初は、恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、
アルバムを見入っているのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッ
フッと笑っていることもあった。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、
息子たちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は気がついた。

そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよい。あな
たもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニュー
ズウィーク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えら
れていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられてい
る」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達
なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長
期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかし
メルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけ
ということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行っ
た場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよく
ある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起き
る現象と考えるとわかりやすい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

子どもの心を変える法(信じて伸ばせ!)

親の口グセが子どもを伸ばすとき

+++++++++++++++

子どもは、あなたの口ぐせどおりの
子どもになる。

長い時間をかけて、そうなる。

だから日ごろの口ぐせを大切に!

+++++++++++++++

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そうい
う性質を利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だ
ちを泣かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カ
バンを投げつけたりしていた。どの先生も手を焼いていた。が、ある日、ふと見ると、そ
の子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。私はすかさずその子どもを
ほめた。「君は、やさしい子だね」と。

数日後もまた目が合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それから
もその子どもはワルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、
パッとそのワルをやめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりし
た。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなた
はよい子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸
び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがっ
て幼稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「い
やな子ども」と思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わ
ってしまっていた。人間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのが
ある。つまりあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思
うようになる。いやな人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うように
なる。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か
月となると、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間を
かけて、必ず相手に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年
もつきあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職
場を楽しくするためにも、必要だった。

もっともそれが自然な形でできるようになったのは、三〇歳も過ぎてからだったが、そ
れからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほど明るくなっていったのを覚えてい
る。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」
を口グセにする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、
だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。最初はウソでもよい。そうしてまず自
分の心を作りかえる。

人間関係というのは、不思議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心
がそういう方向に向いていくからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの
期待に答えようとする。相手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを
伸ばす。こんなことがあった。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボ
ンや服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくる
のだ。ふつう下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意
外だった。そこで調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。

母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ち
ゃんのものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んで
みせていた。そこでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュ
ースがあるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろう
か。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほう
がよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

子どもの心を守る法(自分の過去を見ろ!)

親が過去を再現するとき

+++++++++++++++

子育てをしながら、親は
自分の過去を再現する。

無意識のうちにも、再現する。

それが子育てというもの。

+++++++++++++++

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。

受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子
どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言っ
た。「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇
人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかして
ほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻
みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされ
た。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからな
い。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できない
ものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代では
ない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親
で、「すべては子どものため」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中
学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかい
なかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答
えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。
つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、
それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績
だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉
強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行
こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。
……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中
学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。
あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。

これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親
子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、
冷静に見つめてみるとよい。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子の初フライト】

+++++++++++++++++

今日(29日)は、息子が、はじめて
名古屋空港(小牧)にやってくる日。
ワイフが、朝早く、小牧まで、でかけて
いった。

私は、ひとりで、留守番。

見たかった。私も、飛行機、大好き。
飛ぶのが、大好き。「飛ぶ」というより、
飛ぶものが、大好き。

小学生のころ、板で翼(つばさ)をつくり、
それを両腕に結んで、1階の屋根から
飛び降りたこともある。

+++++++++++++++++

 今日(1月29日)は、息子が、はじめて名古屋空港(小牧)にやってくる日。ワイフ
がそれを迎えるため、朝早く、小牧まででかけていった。

 が、私は、ひとりで留守番。見たかった。私も飛行機、大好き。飛ぶのが大好き。「飛ぶ」
というより、飛ぶものが大好き。ラジコンはもちろん、ロケット、紙飛行機にいたるまで、
ありとあらゆるものが、大好き。ついでに鳥も、大好き。

 こんな思い出がある。

 小学生のころ、板で翼(つばさ)をつくり、それを両腕に結んで、1階の屋根から飛び
降りたことがある。板には、大きな紙を張りつけた。私はそれで空を滑空するつもりだっ
た。

 結果は、みなさん、予想のとおり。ドスンと地面にたたきつけられて、それでおしまい。
体が軽かったこともあり、たいしたけがもしないですんだ。私が、小学3年生くらいのこ
とではなかったか。年齢はよく覚えていない。

 以来、私は、飛行機人間になった。パイロットになるのが、夢になった。が、中学生に
なると近眼が進んだ。当時は、近眼の人は、パイロットにはなれなかった。みなが、そう
言った。だからあきらめた。

 そこで今回は、息子のBLOG特集。今までに息子が書いた記事を集めてみる。

 言い忘れたが、今日は、仙台→名古屋→宮崎、明日(30日)は、宮崎→高知→仙台と
いうルートで飛ぶという。明日(30日)は、正午ごろ、浜松の自衛隊基地上空を通過す
るとのこと。高度は、1500フィート、約4500メートル。

 双発のジェット小型機。もしその時刻に空を見あげることができる人がいたら、ぜひ、
見てほしい。「私」が飛んでいる!

********************

【ようこそハナブサ航大日記へ】

 航空大学校は、国が設置した唯一の民間パイロットの養成学校で、宮崎に本校が置かれ
ています。入学するとまずこの宮崎本校で半年間座学を行い、その後帯広分校に移って初
めて自分の手で飛行機を操縦します。

半年後、自家用レベルまで成長した訓練生たちは再び宮崎に戻り、宮崎フライト過程へ
と進みます。ここでは事業用レベル、つまりプロになるための訓練を行います。半年後、
宮崎を卒業し、最終過程が行われる仙台分校へ移動、より大きな飛行機への移行訓練、
及び計器飛行証明という資格を取るための訓練に入ります。

同時にエアラインへの就職活動も始まり、卒業後はJAL,ANA,ANK,JTAなどの会社へパ
イロットとして就職します。仙台過程も半年間行われます。

 在学期間は計2ヵ年。その間、航大生(航空大学校生)は校舎に併設された寮で、同期
や先輩・後輩たちと過ごします。部屋はすべて2人部屋。宮崎過程では先輩、後輩の組
み合わせで、それ以外は同期同士の組み合わせで寝食を共にします。校舎は空港に隣接
されており、宮崎、帯広、仙台とも、滑走路から「航空大学校」と書かれた倉庫が見え
るはずです。同期は18人。毎年72人の募集があり、4期に分かれて4月、7月、1
0月、1月にそれぞれ入学します。

 ハナブサ航大日記では、ここ航大での生活を写真を通して紹介しています。僕にとって
は初めての寮生活、同期や先輩・後輩や教官のこと、訓練の様子、空からの眺め、フラ
イト中に思ったこと、などなど。訓練は厳しく、付いていくのがやっとですが、同期と
助け合い、試験に見事合格したときの喜びは何にも替えがたいものがあります。

またどんなに訓練が大変でも、それを忘れさせてくれる美しさが空の上にはあります。
それを伝えたい。また、何でもない一人の人間がどのようにして一人前のパイロットに
なっていくのか、何を考え、どう変わっていくのか。その過程を楽しんでいただければ
幸いです。ときどき関係のないことも書きますが、ご容赦ください。どうぞ、楽しんで
いってください。

 ちなみに自分は1981年生まれの今年25歳。航大へは去年の4月に入学し、現在仙
台フライト過程です。卒業まで、あと少し!


++++++++++++++++++++++++

●2005年3月・入学

 航大に入学して今日で3日目。同期は口をそろえ、まだ3日しかいないのに、もう何週
間もここにいる気がすると言う。自分もそう感じる。ここ航空大学校は、本当に厳しく、
本当にすごいところだ。

 入寮した日、先輩方から手厚い歓迎を受けた。その歓迎方法は、残念ながらある理由に
よりここで書くことはできないが、「けじめ」と「親しみ」を同時にしっかり学ぶことがで
きる、伝統的なすばらしい儀式だった。同期たちとは時間が進むにつれ、どんどん深くな
って行っている。こんなに人と深くなれるのは、後にも先にもこれだけだと思う。みんな
ほんとにいい人たちばかりで、今までの自分、人間関係っていったい何だったんだと疑問
に思うくらいだ。

 はっきり言って感動しているのだろうか。今のこの心境を語るには、もう少し時間が必
要だ。明日から授業が始まるので、今夜はもう寝よう。

+++++++++++++++++++++++

●2005年4月

 制服も来たので、同期全員でハンガーに行って写真を撮ろうということになった。ホー
ムページ用のプロフィール写真もそろそろ撮り始めたかったので、個人撮影も兼ねて一同
ばっちり決めていった。初めてのハンガー&エプロンは、まじやばくて、みんな大興奮。
やっぱみんな飛行機好きなんだね。滑走路がもう目と鼻の先で、MDやB3の離陸、着陸
にみんな釘付けになっていた。近くで見るボナンザは思った以上に大きくて、そして美し
くかっこいい。乗れるのはまだまだ先だけど、今は座学を一生懸命頑張って、「生きた知識」
をたくさん帯広に持っていこう。

++++++++++++++++++++

●2005年6月

航空機システムの時間に、聞きなれない飛行機の音。休み時間に外に出てみると、宮崎
空港に航空局のYS−11が来ていた。かっこいい。既に先輩が退寮されていたので、
教官にお願いして滑走路が見える側の教室に移動して授業をやってもらった。99.9
99%授業に集中して、残りの0.001%でYS−11を横目でちらちら。プロペラ
が回り始め、地上滑走、そして離陸・・・。ロールスロイスの音は気品があって、何か
いい。

++++++++++++++++++++

●2005年7月

 本日昼頃、宮崎空港に政府専用機が来た。政府専用機といえば、アメリカで言ったらエ
アフォース・ワン。政府要人を乗せるための専用機なのだが、今回は首相などは乗ってい
ない。訓練のため、宮崎空港でタッチアンドゴーをし、フルストップし、そして帰ってい
った。B4のタッチアンドゴーなんて、なかなか見られるものではない。

訓練とはいえ、あの飛行機のコクピットには、日本一のパイロットが乗っていたに違い
ない。自分たちはあの飛行機を運転する機会はないだろうが(絶対とは言い切れないが)、
民間機パイロットとして、政府専用機のパイロットと同じくらい「すごい」パイロット
にはなれるはず。頑張ろう!

 ちなみにコールサインは、シグナス(?)・ワンだった。中はいったいどうなっているの
だろうか。

++++++++++++++++++++

●2005年7月

最近、毎週のようにテストがあって、なかなかやりたいことができない。今やりたいこ
と(1)ラジコンを飛ばしたい、(2)カラオケに行きたい、(3)映画を見たい(見た
い映画が5個くらいある)、(4)山に登りたい、(5)一日中同期とHALOやりたい、
(6)本を読みたい、など。HALOというのは、ネット対戦型ゲームで、広めてから
3ヶ月くらい経つが、未だに健在。熱しやすく冷めやすい1-4にしては珍しいことだ。

 いよいよ一週間を切った事業用の試験の勉強もままならず、ATCの試験やら、実験の
レポートやらが山積み。ワッペンやTシャツのデザインも考えなくちゃ。お盆休みに帰
る用の航空券も、帰りの便がまだ取れていないし、事業用が終わってもレポート、試験
が3つくらい、そして何より、プロシージャーという恐ろしい課題が首を長くして待っ
ている。いったい、我々に休みというものは存在するのだろうか。

・・・いや、何を甘ったれたことを言っている。同年代の人たちはもう社会に出て働い
・ているというのに、まだ社会の「しゃ」の字も知らないものが「辛い」などという言
・葉を口にするなんて、おこがましい。

 クーラーのあたりすぎか、今日は一日風邪っぽかった。鼻水が止まらない。休憩時
・間に寮にもどって仮眠してたら、授業に遅刻してしまった。そういえば関東には台風
・が来ているらしい。こないだ大きな地震もあったし、心配だ。

 夏休みに入って、宮崎空港には777が来るようになった。11時15分くらいに
・来て、12時過ぎに飛び立っていく。こないだは777に代わって-400が来てい
・た。空港に不釣合いなほどでかかった。エンジンが滑走路からはみ出ていて、普段は
・ジェットの後流を受けないところの地面の噴煙を巻き上げながら離陸していく姿は
・圧巻だった。改めて、「ジャンボ」というものはすごいと感じた。

 こないだの週末にはCップの彼女さんが宮崎に遊びに来ていた。日曜の夜にみんな
・で飲んで、花火をやった。

++++++++++++++++++++

●2005年7月

 2003年7月11日、航空大学校のビーチクラフトA36(JA4133)が、エン
ジントラブルで宮崎市内の水田に墜落した。

 搭乗していた4名は3名死亡、1名重症の事故となった。

 今日は、校内の慰霊碑「飛翔魂」に前で、慰霊祭が執り行われた。学生は全員参列し、
事故が発生した午後4時2分、1分間の黙祷を捧げたのち、献花した。

 エンジンが停止してから、墜落までの5分間、機内は壮絶としていたそうだ。眼下に猛
烈な勢いでせまってくる地面を、どんな思いで見ていたんだろう。今日の天気は曇り、風
はやや強く、蒸し暑い日だった。いろんなことを考えたが、思いを言葉にするよりも、今
日のこの空気の感じ、風の匂いを忘れないようにしようと思った。

 亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

+++++++++++++++++++++

●2005年12月

目安の高度よりも若干低めでファイナルターンを開始する。滑走路と計器を交互にクロ
スチェックしながら、パスが高いか低いか判断する。高度が低かったせいで、旋回開始
前からPAPIは2RED。スロットルをちょっと足して、ピッチを指一本分くらい上げる。
滑走路が目の前に来て、ロールアウト。気温が低く、エンジン出力が増加するため、目
安の出力ではスピードが出すぎてしまう。90ノットを維持できずに、速度計は95ノ
ット近辺をフラフラ。気をとられてるうちに、エイミングがずれる。

 「エイミング!」

 右席から激が飛ぶ。あわててピッチとパワーを修正する。

 「何か忘れてるものはないか!?」

 ラダーだ。教官がこういう言い方をするのは、ラダーのことを言うときだ。僕はいつも
ラダーを忘れてしまう。ボールを見ると、大きく右に飛んでいる。右足にほんの少し力
を入れて、機軸をまっすぐに直す・・・。

 教官と、最後の着陸。いつもとなんら変わりのない着陸。最後だから、今までで一番う
まい着陸を見せたかった。でもやっぱりいつもと同じことを言われてしまう。そんな自
分が歯がゆくて、悔しくて、情けなくて、でもそういう感情を押し殺して、冷静に、「落
ち着け」と何度も唱えながら、僕は教官を滑走路まで連れて行く。スレショールドまで、
あと900m。

+++++++++++++++++++++

●2005年12月

 今週は午後フライト。乗るはずだったJA4215が突然スタンバイに。原因は一本のボ
ールペン。午前にこの機体で訓練していた学生が、ボールペンを機内に落として紛失した。
そのペンが見つかるまで、僕たちはこの機体を使うことはできない。JAMCO(整備)さんが
いくら探しても見つからないので、結局飛行機の床を剥がすことに。最終的に見つかった
のかどうかはさだかではないが、とりあえず4216が空いていたので、訓練はそっちで
行った。 

 なぜたかがボールペン一本にここまで執着するのだろうか。それにはちゃんと理由があ
る。もしそのボールペンがラダーペダルの隙間にはまり込んでいたらどうなるか。ラダー
が利かなくなる。それ以外にも、思わぬところに入り込んで安全運航に支障をきたしかね
ない。ボールペン一本くらいいいや、という甘えが、命取りになりかねないのだ。ちなみ
に、何かがはまりこんでラダーが利かなくなった事件は、実際航大の訓練機で過去に起こ
っている。

+++++++++++++++++

●2006年2月

 Y教官が班会を開いてくれた。Y教官は帯広分校の中で、1,2を争う厳しい教官だ。で
もその厳しさの裏側には、愛がある。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く再
確認できた、すばらしい班会であった。

Y教官は防衛庁出身で、当時の訓練の話などをたくさん聞くことができた。教官の時代か
ら航空界は大きく変わってきたが、その中でも変わらないものを教官の中に見つけるこ
とができた。パイロットの世界を言葉で表現するにはまだ経験が浅く難しいが、独特の
世界感が確かに存在する。職人の世界であり、それでいてチームワークの世界でもあ
り・・・。教官は3人の娘さんがいるが息子さんはいない。だから僕たちのことを息子
のようだ、と言ってくれた。僕もこのパイロットの世界の一員なんだなぁと実感し、嬉
しくなった。

 町のK居酒屋はパイロットがよく集まるお店だ。航大の教官もよく訪れると言う。実は
この店の主人も飛行機好きで、仕事の傍ら、近くの飛行場で免許のいらないウルトララ
イトプレーンという種類の飛行機を飛ばしているんだそうだ。Y教官もよく乗りに行って、
その主人に「フレアが足りない」などと指導されてしまうんだそうだ(Y教官の飛行時間
は1万時間を超えている)。

+++++++++++++++++++

●2006年2月

 空を飛ばない人にとって、飛行機は「ただの騒音」以外何物でもない。周辺の人が一人
も不満を持っていない空港なんて、世の中にはない。飛行機が大好きな僕たちでさえ、と
きどき五月蝿く感じることがあるのだから、地上で静かな生活を送りたいと思っている人
たちにとっては、大変な被害となっているに違いない。ハエのように、手で払いのけたり、
殺虫剤を使うわけにもいかない。ストレスも溜まるだろう。

 地上の人が知っているかどうか知らないが(気づかれないようにする配慮なので、知ら
ないはずか)、僕たちはできるだけ地上の人に迷惑がかからないような飛び方に心がけてい
る。プロペラ機は回転数を落とすと音が静かになるので、対地1500ft以下ではプロ
ップをしぼる。その分、当然出力は落ちる。また、低空飛行訓練は人家のほとんどないエ
リアを選んで、そこから出ないようにしながら行っているし、もっとも、町の上は飛ばな
いようにしている。十勝管内には既に騒音注意地域が数箇所あり、その上空は通過しない
ようにしている。機長は、乗っている人のことだけを考えればいいというわけではないの
だ。

 それでも、苦情は届けられる。航法を行うためのスタート地点によく指定される町があ
って、そこの上空でぶんぶん発動(スタート)しまくっていたら、付近の牧場から牛に悪
影響が出たと苦情が入った。急遽、その町上空の低高度通過などが禁止された。

++++++++++++++++++++++

●2006年4月

 何にもない帯広にいた頃のほうが、毎週末何か見つけて出かけていたような気がする。
帯広に比べたら何でもあるこっち(宮崎)では、金曜の夜はそれなりにでかけるものの、
土日は部屋でだらだらして、夕方くらいに後悔が始まって、焦ってイオンに行ったりする。
何かないかなぁ。暇・・・。

 宮崎はほんと天気が悪くって、先週は5日間あるうちの1日しか飛べなかった。海に近
いせいか、風の強い日が多い。おとといは45kt(時速83km以上)の風が吹き荒れ
ていた。風に向かって対気速度一定で飛んでいくと、対地速度は風の分だけ遅くなる(飛
行機は対気速度が重要)。だから、風の強い日のライン機の離陸はおもしろい。でっかい鉄
の塊が、びっくりするくらいゆっくりゆっくり上昇していく。

 飛行機の操縦を何かにたとえるとすると、何になるのだろうか。車で高速道路を一定の
速さで走りながら、誰かと重要な話を電話でしつつ、クロスワードパズルを順番に解いて
いくようなものだろうか。僕たちが上空でしていることを列挙していくと、まず諸元の維
持(スピード、高度、進路、姿勢を変わらないように止めておくこと;上昇や降下、増速・
減速のときは別)、ATC(管制機関との交信)、機位(現在地)の確認、見張り・周りの状況
把握(他の飛行機はどこを飛んでいるのかとか、空港は今どんな状況なのかとか)、運航(経
済性、効率性、安全性、快適性、定時性)、乗客への配慮、あとは教官に怒られること、な
ど。もちろん、これらを同時にこなすことなんて不可能だから、優先順位をつけて、一つ
ずつ消化していく。何か、パズルみたいでしょ。

 こんなことを考えている間に、外はもう日が傾き始めてる。やばい、イオンにでも行か
なくちゃ!写真はFTD(シミュレーター:通称ゲーセン)。前方のスクリーンに景色が映し
出され、様々な状況(エンジンが止まったとか、ギアが出ないとか)を模擬的に作り出し
て体験することができる。

++++++++++++++++++++++

●2006年7月

 6月が終わる。今月の飛行回数、わずか5回。時間にすると6時間ジャスト。梅雨だけ
のせいではない。

 6月最後の今日の天気は曇り。梅雨前線は北上し、九州の北半分は朝から絶望的。午後
には南側にも前線の影響が出始めるという予報だったが、今日は何が何でも飛ぶ!とSぺ
ーと固く誓い合い、種子島へのログ(飛行計画)を組む。午前10時。

 午前11時30分。ブリーフィングの準備開始。種子島空港に電話して、スポット(駐
機場)の予約を入れる。何でも、自衛隊が14時20分までスポットを占有しているらし
く、それ以降でないと駐機できないとのこと。しかたなく14時40分からスポットを予
約。出発を遅らせるしかない。こっちが到着するころに、自衛隊機が一斉に飛び立ってい
くのが見られるかもしれない。

 正午過ぎ、整備のJAMCOさんがシップの尾翼のあたりを脚立を使ってなにやら調べ
ているのが気になる。ブリーフィングの準備は整い、教官が来るまでのわずかな間に、も
う一度イメージトレーニング。ランウェイは09。高度は8500ft。あの雲を超えら
れるかな・・・観天望気のため外に出て、空を見上げる。行けそうだ。行こう。飛ぼう。

 午後12時半、帯広で尾翼のVORアンテナが脱落したという報告が入る。宮崎のシッ
プもチェックしてみたら、アンテナにひびが入っていたものが3機ほど見つかる。他のシ
ップにもチェックが入るため、僕らのシップは試験を目前に控えた先輩に回されてしまう。

 完璧に準備されたブリーフィング卓の前で呆然とする3人。教官が入ってきて、「何かシ
ップないみたいよ〜」と。拍子抜け。5〜6分、立ちブリーフィング。あまり飛びたくな
いときに飛ばされて、ほんとうに飛びたいときに飛べない。その気持ちの切り替えが、パ
イロットに課せられた課題の一つなのだ。こういうこともある・・・。

 先週は別の故障でシップが2〜3機足りず、キャンセルになっていたこともあった。シ
リンダーにクラックが見つかったとか、バードストライク(鳥と衝突)したとか。どうな
るんだろう、この学校・・・。でも、もうすぐ死ぬほど飛べる日々がやって来るんだろな。
地上気温、30度。8500ft上空、気温13度。とりあえずプール行こう。

++++++++++++++++++++++

●2006年9月

前段。それは飛行機を、最初に空へ上げる人。誰よりも早く飛行機に乗り込む人。

 透き通った青い空のもとに置かれたピカピカの飛行機へ足早に向かう。目に映るのはボ
ナンザと、その向こうに広がる誘導路と滑走路、そしてそこを疾走してゆく大型旅客機だ
け。心地よい向かい風を肩で感じながら、次第に時間がゆっくりになっていくのを確かめ
る。一瞬一瞬が輝き始める。集中力が僕に呼びかける。そうだ、今日も飛ぶんだよ、と。

 どこから見ても本当に美しい機体。その表面を撫でて何かを確かめる。包み込まれるよ
うに優しく乗り込んで操縦桿を握ると、僕が飛行機の一部なのか、飛行機が僕の一部なの
かわからなくなる。そこから見える景色は、いつもと同じ景色でもあり、まったく違う景
色でもある。これは現実なのか、夢なのか。考えている間に手がひとりでに動き出す。流
れるようなプロシージャー。それはまさに音楽。飛行機が生まれ変わってゆく。

++++++++++++++++++++

●2006年9月

C'Kの1週間くらい前から、左目の目じりがずっと痙攣している。C'Kが終わった今でも、
それは続いていて、秋雨前線の雲に覆われたこのところの空のように、気分はどうもすっ
きりしない。

 C'K当日の朝も、空ははっきりしない雲に覆われていた。C'Kを実施するにはあまり好ま
しくない天気だが、とにかくこの日にC'Kを終わらせたかったので、最後の最後まで悩ん
だ挙句、行く決断をした。試験官との相性というものがあって、自分はI教官にぜひ見て
もらいたかった。この日以降、I教官は休みに入ってしまう予定だった。

 出題されたコースは、南回りで鹿児島。鹿児島は苦手意識が強く、できれば行きたくな
かった空港だ。C'Kの神様は本当によく見ている。大島、枕崎、鹿児島city、鹿児島空港、
坊ノ岬、都井岬、白浜。

 上がってみると、案の定コース上は雲だらけ。計画をどんどん変更し、上がっては下が
り、右に避けては左に戻り、視程の悪い中、必死に目標を探す。岬だの、駅だの、石油コ
ンビナートだの。鹿屋空港上空を通過後、エンジンフェイル(シミュレート)。『鹿屋空港
に緊急着陸します!』でケースクローズ(課題終了)。枕崎変針後、雲は一段と低く、多く
なってきて、鹿児島cityまでに2000ft、スパイラルで降下(螺旋降下)。鹿児島離
陸後は雲の袋小路に入り込み、管制圏すれすれを迷走。帰りの鹿屋上空で大雨。もうめち
ゃくちゃだった。泣きそうだった。何度ももう止めたいと思った。

 でも、頑張った。

 天気の悪い日は出来る限り飛ばないほうがいい。でも、得るものが多いのも、自信がつ
くのも、天気の悪い日だ。最後のVFRナビゲーションで今までで1、2を争う天気の悪さ
の中を飛んで、無事合格して、大きな大きな自信が身についた気がする。できればもう一
度、飛びたいと思った。

 学歴は高卒、これといった資格のなかった僕が、事業用操縦士になった。つまり、飛行
機を操縦することによりお金を稼ぐことができるようになったということだ。総飛行時間
145時間、総着陸回数324回。短いようで、長い長い1年間だった。

 今の僕は、JISマーク付きのイスみたいなものだ。一定の安全基準を上回っただけの操縦
士。ちょっと行儀の悪い子供が座ったり、ゴツゴツしたところに設置されたりすると、ボ
キっといってしまう、まだひ弱なイスだ。『ミニマムのプロ』。I教官の講評。そう。ここが、
新しいスタートだ。

 協力してくれた同期のみんな、応援してくれたみんな、どうもありがとう。Finalも頑張
ります。

+++++++++++++++++++++++

●2006年11月

 仙台課程では、取得しなければならない資格が2つあり、それに加えエアラインへの就
職活動も並行して行われる。これが、仙台課程が大変だといわれる所以である。

 航大生だからといって、卒業後、自動的に各エアラインに就職できるわけではない。航
大のためだけの特別なスケジュールは確保されるものの、他の一般就活者と同じように、
まず4社に履歴書を送り、会社説明会に参加し、SPIや心理適性検査、そして身体検査
を受け、一般面接、役員面接を経て、ようやく内定という手はずを踏まなくてはいけない
のだ。第一志望の会社に受かる者もいれば、当然、どの会社にも縁をいただけない者もい
る。後者は、卒業後、他の航空会社に独自にアプローチをかけていかねばならない。

 つい先日、僕らの一つ上の先輩の一次内定者の発表があった。いくらパイロットの大量
退職という追い風があったとしても、やはりまだまだ思うようにいかないのが現実である
ようだ。それにしても、エアラインがいったいどういう人材を欲しているのか、いまいち
掴みにくいのが僕らの悩みどころである。

 航大の場合、最終内定前に就職がうまくいっていることを確認できる段階が、3つほど
ある。

 就職活動はまず履歴書を書くことから始まる。その後身体検査と面接が行われ、しばら
くすると何人かに再検査の通知が来る。身体検査にはお金がかかるので、再検査が来ると
いうことは、面接では合格したものと見込んでいいのだそうだ。

もちろん、身体にまったく異常がなければ、来ない場合あるが。とにかく、これが第一
段階。第二段階は、オブザーブだ。オブザーブというのは、会社が学生を何人か指名し、
その学生のフライトを、その会社の機長が後席から観察するというもの。当然、会社が
見たいと思う学生はほしいと思っている学生なので、オブザーブが来るということは期
待していい証拠なのだそうだ。しかし、これはかなり緊張するらしい。

 第三段階は一次発表。これはほぼ内定と見込んでもいいらしい。その後大手2社以外の
身体検査、及び役員面接を経て、最終内定の発表となる。

 先輩を見ていて、少しずつ希望が輝いていく人と、翳っていく人がいる。その表情の違
いに、果たして3ヵ月後、自分はこのプレッシャーに耐えられるだろうかという緊張感
を覚える。夢が現実になる瞬間が近づいている。

 僕らはというと、既に履歴書は提出済み。来週はいよいよ、一週間かけての会社訪問&
身体検査に臨む。大鳥居のホテルに8連泊。航大至上初の、一人部屋である。身体検査
に向け、各自様々な取り組みをしているようだが、僕も仙台に来て約2ヶ月間、ずっと
運動を続け、結果減量に成功した。目標まで、あと少し!

++++++++++++++++++++++

●2007年1月

 再検査、と聞くと、何だかあまりいい印象を受けないと思うが、ここ航大の就職活動に
おいては、比較的縁起のいいものとして扱われている。なぜなら、見込みのない学生に、
お金のかかる再検査をわざわざやらないだろう、というのが定説だからだ。身体検査→面
接→再検査という順番を考えれば、再検査が来たということは、少なくとも面接ではOKだ
ったんだなと思っても、大きな間違いではないだろう。

もちろん、身体検査が一発で受かっていれば、そもそも再検査など来ないのだけれども。
幸い、と言うべきか、僕はJ社、A社の両方から再検査の通知が来た。

 J社では心エコー検査というものを受けた。心臓にエコー(音波)を照射して、反射して
きたものを映像化する装置で、いろんな角度からぐりぐり見られた。自分の心臓を見た
のは生まれて初めてだったので、興味津々で画面を見つめていた。どこかで勉強した通
り、心室や心房、またその間の弁まではっきり見えて、僕も同じ人間なんだなぁと当た
り前のことをしみじみ感じていた。

しばらく無言で作業を続けるドクター。心配したが、最後に『うん、いい心臓だ』と言
ってくれたので安心した。『まぁ大丈夫でしょう』と。って、そんなこと言っていいんで
すか先生。身体検査は通常、結果は本人に知らされない決まりになっている。

 それ以外にも、J社では検尿、A社では腹部エコーと採血の検査があり、これらについて
は結果は知らされなかったので、どうなっているか不安だ。でも今は、そんなことを心
配するよりもフライトに集中しなくては。2日間で両社回ったのだが、滞在時間はそれ
ぞれ15分くらい。それ以外はほぼホテルでくねくねしていただけなので、ゆっくり休
むことができた。今週末も金曜・土曜と連続ALL DAY。頑張るぞ!

+++++++++++++++++++++++++

興味のある方は、どうか、息子のBLOGをつづけて読んでください。

http://yaplog.jp/8723cacdiary/monthly/200701/

です。

では、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●航空大学校

++++++++++++++++++

日本には、ひとつだけだが、国立の航空大学校が
ある。今は、独立行政法人になっているが……。

テレビのトレンディドラマの影響もあって、
入試倍率は、毎年、60倍前後。

これに合格すると、2年間の合宿生活を通して、
パイロットとしての訓練を受ける。衣食住を
ともにするわけである。

が、訓練のきびしさは、ふつうではない。

そのつど技能試験、ペーパーテストがあって、
それに不合格になると、そのまま退学。留年と
いうのはない。

パイロットといっても、単発機の免許、
双発機の免許、計器飛行の免許、事業用の
免許などなどほか、飛行機ごとに免許の種類が
ちがう。

ライン機ともなると、飛行機ごとに免許の
種類がちがう。もっとも、JALやANAの
ようなライン機のパイロットになれるのは、
その中でも、10〜15人に、1人とか。

健康診断でも、脳みその奥の奥まで、徹底的に
チェックされる。

で、あるとき「きびしい大学だな」と私が
言うと、息子は、こう言って笑った。

「燃料費だけでも、30分あたり、
5万円もかかるから、しかたないよ」と。
10時間も飛べば、それだけで100万円!
 
チェック試験に合格できず、退学になった
仲間もいたそうだ。ほんの少し、飛行機の
中でふざけただけで、それで退学になった仲間も
いたそうだ。

無数のドラマを残して、息子が、もうすぐ
その大学を卒業する。今は、就職試験のときだ
そうだが、どうなることやら?

結果はともあれ、息子よ、よくがんばった。
空が好きで好きで、たまらないらしい。

++++++++++++++++++++


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●光

++++++++++++++++

市内のS自動車工業で、設計をしている
知人の、M氏が、こう話してくれた。

欧米人と日本人は、明らかに異なった
色彩感覚をもっている。それはよく
知られているが、「光」についても、
そうだ、と。

++++++++++++++++

 私も、学生時代、友人の自宅に招待されて、一番先に驚いたのが、その(薄暗さ)。部屋
の明かりにしても、間接照明が標準で、しかも壁をボーッと薄暗く照らしているだけ。友
人というのは、イギリス系オーストラリア人だった。

 幻想的な雰囲気だった。

 で、それから37年。市内のS自動車工業で、設計を担当している知人のM氏が、こう
言った。「欧米人と日本人は、明らかに異なった色彩感覚をもっている。日本人が好きな色
を、欧米人に押しつけても、車は売れない」と。そしてこう言った。サングラスの話にな
ったときのことである。

 「欧米人は、強い光に弱い」と。「だからサングラスをかける」と。

 この話についてだが、私はいつだったか、孫の誠司の顔を見ていて、ふとこんなことを
思ったことがある。誠司は、まぶたを閉じたり開いたりするとき、映画『E・T』の中に
出てくる宇宙人そっくりのしかたで、それをする。まぶたを開くときも、日本人よりも何
倍も時間をかけて、それをする。(時間といっても、瞬間的なものだが……。)

 そしてつぎにこんなことに気がついた。目が大きいだけではなく、瞳(ひとみ)も大き
い、と。

 つまり、光学的に考えるなら、誠司は、日本人よりも、何倍もの多くの光線を、目の中
に取り入れていることになる。

 一方、日本人の目は、細い。中には、糸のような目をした人もいる。カメラにたとえる
なら、レンズカバーを半分かけたまま写真を撮るようなもの(?)。

 私はこうしたちがいが、光に対する感受性のちがいとなって表れているのではないかと
思う。そしてそれがたとえば、部屋の照明にも、影響を与えている、と。

 そこでためしに、やや薄暗いと感ずる部屋で、大きく目を開いてみる。実は私も、ここ
でいう糸のような細い目をしている。するとどうだろう。視野が広くなると同時に、見て
いるもの全体が、明るくなったように感ずる。

 つまり欧米人は、目が大きい分だけ、薄暗いところでも平気(?)ということになるら
しい。そしてその結果、強い光に弱い(?)。

 そして私たちの出した結論は、こうだった。

 「アジア人は、赤道近くの、明るい太陽の光線のもとで進化した。だから目が細くなっ
た。一方、欧米人は、北欧の、比較的薄暗いところで進化した。だから目が大きくなった、
と。

 暑さ、寒さに対する感受性も、同じように考えてよい。

【付記】

 太陽の光線が、60度低くなると、単位面積あたりの光の強さは、約2分の1になる。
さらに緯度の高いところに住んでいる地域では、さらに光の強さは、弱くなる。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ

+++++++++++++++++

日韓経済戦争、それは
今の今も、つづいている。

勝つか、負けるか。
この戦争には、日本の未来が
かかっている。

+++++++++++++++++

●日韓経済戦争

 昨年(06年)11月に、底を打った日本の株価は、その後は、安定的に上昇している
(日経平均)。とくに今年(07年)に入ってからは、1月10日前後まで下降気味だった
ものの、その後は、それも挽回して、1万7200円(年初)と比べて、1万7400円
前後を推移している(1月末)。

 日本の株価の値上がり率は、それほどでもないが、半面、韓国の株価は、昨年は、上げ
幅で世界でも最低水準(朝鮮N報)を記録したあと、今年に入ってからも、4・40%も
下落している(韓国KOSPI・総合株価指数)。韓国の越すダック指数も、3・79%も
下落している。

 原因は、外資の逃避と、株式への流入資金が大幅に減ったためである。しかしさらにそ
の原因はといえば、韓国の景気低迷にある。とくに昨年(06)、10〜12月期の業績低
迷が、大きな影響を与えた。

 そんな中、朝鮮N報は、こんな記事を載せている(1月29日)。「日本さえいなければ、
韓国は、黒字になった」と。

いわく「昨年初めて韓国の対日貿易赤字が、対日貿易を除く貿易黒字額を上回った。ま
た、韓国がここ3年間で計上した貿易黒字の大半は、結局、対日貿易赤字を埋め合わせ
るにすぎなかったことがわかった。 

 LG経済研究院は28日、ウォン高・円安で拡散する日流」と題する報告書で、このよ
うに書き、『もし、日本との貿易が、赤字ではなく均衡を維持していたとすれば、韓国の
貿易収支の黒字額は、2倍に跳ね上がっていただろう』と明らかにした。

(中略)

LG経済研究院のP研究員は、『世界との貿易で懸命に稼いできた資金を、素材、部品、
技術などを持ち込むための代価として、そっくりそのまま日本に引き渡さなければなら
ないとすれば、結局、韓国は努力するばかりで得をするのは日本だけということになっ
てしまう。このような構造から一刻も早く抜け出さなければならない』と締めくくった」
(朝鮮N報)と。

 つまりせっかく稼いだお金は、ぜんぶ、日本にもっていかれる、と。

 韓国にすれば、坊主憎ければ……ということになるのかもしれない。(日本に儲けさせる
こと)イコール、(韓国の損)ということになる。おかしな論理だが、こういうのを、逆民
族差別主義という。その底流には、「日本人ごときに負けるはずはない」という、韓国人独
特の民族主義がある。

 その頂点に立つのが、現在の、N大統領である。日本の政策には、ことごとく異を唱え
ながら、その一方で、頼まれたわけでもないのに、あのK国に、アジア・太平洋議員フォ
ーラム(APPF)のオブザーバー資格を与えることを提案している(1月27日)。

 もちろんこれに対しては、日本は、「NO!」。日本にしてみれば、とんでもない話であ
る。

 そういう中、日本の反撃はつづいている。韓国の国策企業をねらい撃ちする形で、液晶
パネル(LCD=液晶表示装置)、携帯電話分野への猛烈な投資が、それである。

 現在、この2つの分野は、韓国のいわばお家芸(?)。が、先は長くない。液晶の分野で
は、台湾の猛追、携帯電話の分野では、ソニーとエリクソン(スェーデン)の連合体が、
それぞれ猛追をつづけている。

液晶の分野では、相変わらず、サムスン電子が昨年(06年)、業界5年連続世界トップ
(売上高基準)を占めたものの、携帯電話の分野では、1月29日、市場調査機関のス
トラテジー・アナリティックス(SA)によると、サムスン電子の世界市場シェアは、
05年の12・6%から06年には11・6%と、1%下がったことが分かった。また、
LG電子は6・7%から6・3%に低下した。

 こういう中、仁川市(韓国)が主導して進めてきた、丹東(中国)工業団地計画が破綻
し、丹東団地開発にかけた、53億ウォンが、「水泡に帰した」(朝鮮N報)という。韓国
は丹東の工業団地開発をテコに、中国への本格的な進出をもくろんでいた。それが失敗し
たというわけである。

 暗いニュースばかりがつづく、韓国。

 日本経済新聞社の日本経済研究センターは、韓国の潜在競争力を、19位と評価した(1
月29日)。1位は香港、2位はシンガポール。日本は、昨年の15位から12位へと、ア
ップ。

 この経済戦争に、日本は負けるわけにはいかない。もしそれがわからなければ、日本が
負けたばあいのことを考えてみればよい。

 それ以後、日本は、韓国とK国の連合軍のもと、彼らの影におびえながら生きていかね
ばならない。軍事力だけでも、この2つの国を合わせたら、150万人以上になる。その
連合軍が日本を襲ったら、日本は、ひとたまりもない。

 現在の日本が、かろうじて日本でいられるのは、経済力があるからである。その経済力
に裏打ちされた、軍事力があるからである。「隣人とは仲よくしろ」とはよく言うが、日本
にはその気はなくても、向こうは、そうではない。彼らは子どものときから、反日思想を
徹底的に叩きこまれている。それを忘れてはならない。

 負けるな日本! がんばれ日本!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【受験の魔力】(特集)

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子どもの受験が、なぜ、そしてかくも、
世の親たちを狂わすのか?

これは極端な例かもしれないが、
息子(中3)が、受験に失敗した夜、
自殺を図った母親すらいた。

これはウソでは、ない。
私自身が身近で見聞きした、本当の
話である。

子どもの受験の失敗がきっかけとなって、
離婚騒動が起きたケースとなると、
それこそゴマンとある。

+++++++++++++++

 子どもの受験が、なぜ、そしてかくも、世の親たちを狂わすのか? これは極端な例か
もしれないが、息子(中3)が、高校受験に失敗した夜、自殺を図った母親すらいた。そ
の母親は「交通事故で……」と言っていたが、自殺に失敗し、そのあと、1週間ほど、病
院に入院した。

 もっとも、(子どもの受験の失敗)と、(母親の自殺未遂)を、短絡的に結びつけて考え
るのは、正しくない。育児ノイローゼが高じて、受験ノイローゼになるケースは少なくな
い。ほとんどのばあい、その背景には、母親自身の心の問題がある。

 さらに子どもの受験が失敗したことがきっかけとなって、夫婦の間がおかしくなるケー
スとなると、これまた多い。離婚騒動に発展したり、本当に、そのまま離婚してしまうケ
ースも少なくない。なぜか?

 「子育て」とはいうものの、そこには、それぞれの人生観、哲学、生き様が、すべて集
約される。親自身が生まれ育った環境も、大きく影響する。そういったものが、子どもの
受験勉強に対する考え方のちがいとなって、えぐり出される。

母「あなたは、子どもは伸びやかにとは言うけど、それでは、子どもは生きていかれない
のよ」
父「そんなことはない! 健康であれば、それでいい!」
母「あなたは、世間のきびしさが、わかっていないのよ!」と。

 そして私のような者に対しては、こう言う。

母「うちの夫は、学歴がないため、苦労をしています。だから息子には、そんなみじめな
思いをさせたくありません」と。

 何か、おかしい。どこか、おかしい。しかしほとんどの親たちは、そう思いながらも、
子どもの受験に振り回されてしまう。が、本当の被害者は、子ども自身。それを忘れては
いけない。

 自分がもつ不安や心配を、子どもにぶつけるのは、親の勝手。自分が果たしえなかった
夢や希望を、子どもに求めるのも、親の勝手。そして子どもとの間では、日夜、はげしい
親子戦争を繰りかえす。「勉強しなさい!」「うるさい!」と。

 つい先日には、勉強(?)が原因で、10歳の少女が、父親に殺されるという事件が、
起きている。

 亡くなったのは、宮城県K市に住む、10歳の少女。TBS・Newsによれば、「勉強
すると言ったのに、しなかったので、父親に手足をロープで縛り上げられた上、自宅の庭
の小屋の梁につながれ、およそ25分間放置されたという。

 少女がぐったりとしたため、病院に運ばれ、治療を受けたが、4日後に死亡したという
(1月26日)。

 何とも痛ましい事件だが、だれがこういう父親を笑うことができるだろうか。責めるこ
とができるだろうか。程度の差こそあれ、世の親たちはみな、似たようなことをしている。
しながら、「私は問題ない」「うちの子にかぎって」と思いこんでいる。

++++++++++++++++

今までに書いた原稿を
ここに掲載します。

++++++++++++++++

●教育カルト

+++++++++++++++

学歴信仰は、立派なカルトである。

+++++++++++++++

教育者が教育カルトにハマるとき  
●教育カルト  
 教育の世界にもカルトがある。学歴信仰、学校神話というのもそれだが、一つの教育法
を信奉するあまり、ほかの教育法を認めないというのも、それ。教育カルトともいう。こ
の教育カルトにハマった教育者(?)は、「右脳教育」と言いだしたら、明けても暮れても
「右脳教育」と言いだす。「S方式」と言いだしたら、「S方式」と言いだす。
  親や子どもを黙らすもっとも手っ取り早い方法は、権威をもちだすこと。水戸黄門の葵
の紋章を思い浮かべればよい。「控えおろう!」と一喝すれば、皆が頭をさげる。

「○×式教育法」などという教育法を口にする人は、たいてい自分を権威づけるために、
そうする。宗教だってそうだ。あやしげな新興宗教ほど、釈迦やキリストの名前をもち
だす。

 教育には哲学が必要だが、しかし宗教であってはいけない。子どもが皆違うように、そ
の教育法もまた皆違う。教育はもっと流動的なものだ。が、このタイプの教育者にはそれ
がわからない。わからないまま、自分の教育法が絶対正しいと盲信する。そしてそれを皆
に押しつけようとする。これがこわい。

●自分勝手な教育法 
 教育カルトがカルトであるゆえんは、いくつかある。冒頭にあげた排他性や絶対性のほ
か、小さな世界に閉じこもりながら、それに気づかない自閉性、欠点すらも自己正当化す
る盲信性など。

これがさらに進むと、その教育法を批判する人を、猛烈に排斥するという攻撃性も出て
くる。自分が正しいと思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、相手に向って、「あ
なたはまちがっている」と言う。

はたから見れば自分勝手な教育法だが、さらに常識はずれなことをしながら、それにす
ら気づかなくなってしまうこともある。ある教育団体のパンフには、こうあった。「皆さ
んも、○×教育法で学んだ子どもたちの、すばらしい演奏に感動なさったことと思いま
す」「この方式が日本の教育を変えます」と。あるいはこんなのもあった。「私たちの方
式で学んだ子どもたちが、やがて続々と東大の赤門をくぐることになるでしょう」(ある
右脳教育団体のパンフレット)と。

自分の教育法だったら、おこがましくて、ここまでは書けない。が、本人はわからない。
この盲目性こそがまさに教育カルトの特徴と言ってもよい。

●脳のCPUが狂う?

私たちはいつもどこかで、何らかの形で、そのカルトを信じている。また信ずることに
よって、「考えること」を省略しようとする。教育についても、「いい高校論」「いい大学
論」は、わかりやすい。それを信じていれば、子どもを指導しやすい。進学校や進学塾
は、この方法を使う。

それはそれとして、一度そのカルトに染まると、それから抜け出ることは容易なことで
はない。脳のCPU(中央演算装置)そのものが狂う。が、問題は、先にも書いた攻撃
性だ。

一つの価値観が崩壊するということは、心の中に空白ができることを意味する。その空
白ができると、たいていの人は混乱状態になる。狂乱状態になる人もいる。だからよけ
いに抵抗する。ためしに教育カルトを信奉している教育者に、その教育法を批判してみ
るとよい。「S方式の教育法に疑問をもっている評論家もいますよ」と。その教育者は、
あなたの意見に反論するというよりは、狂ったようにそれに抵抗するはずだ。

 結論から言えば、教育カルトをどこかで感じたら、その教育法には近づかないほうがよ
い。こうした教育カルトは、虎視たんたんと、あなたの心のすき間をねらっている!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●進学塾が金儲けに走るとき

++++++++++++++

ズバリ言えば、金儲け。ビジネス。
そこには、教育の「キ」の字の理念もない。

それがわかっていても、親は、子どもを
進学中に託す。

++++++++++++++

●学費を「ガクヒ」で落とす進学塾 C

 進学塾の月謝は、平均して2万〜2万5000円(月刊「私塾界」99年)。しかしこの
額では、決してすまない。すまないことは、入塾してみると、わかる。

入会金、教材費、光熱費、模擬テスト代、特訓講座費、補講費などが、「万」単位で、次々
とのしかかってくる。しかも支払いは、銀行振り込み。大半の進学塾は、そういう支払
いをカモフラージュするために、「ガクヒ」という名目で引き落とす。親が通帳を見ても、
学校の「学費」なのか、塾の「学費」なのかわからないしくみになっている。まだ、あ
る。

どこの進学塾も、夏休みや冬休みの特訓を、定例コースにしている。そういう連絡は前
もって、目立たない方法で生徒にしておき、お金は自動的に引き落とす。親が、「特訓授
業を申し込んだつもりはない」と抗議しても、あとの祭り。「今からではキャンセルでき
ません」と言われる。

●結局は金儲け

 こうした進学塾のやり方は、ほぼどこの塾も同じ。はっきり言えば、親や子どもの不安
を逆手にとって、金儲けをする。たとえばたまたま今日、この原稿を書いている日に、こ
の地域の進学塾のチラシが新聞折込で入っていた。

この静岡県では、高校入学が人間選別の節目になっているが、その入学も、このところ
約60%の合格者が学校の推薦で決まる。それについて、そのチラシにはこうある。そ
のまま書く。

「中3、冬期講習。内申点だけで合格できるほど、入試は甘くない。実力伯仲の入試で
は、トップ高校はもちろん、各高校、それぞれの受験生の間で、ほんの一題、わずか一
点をかけた熾烈な争いが繰り広げられている」と。

「甘い」とか「甘くない」とか、そこらの進学塾に判断してもらっては困る。それこそ、
いらぬお節介!

 ……とまあ、こう書くと、進学塾のあくどさばかりが目立つが、もともと進学競争の底
流では、人間のどす黒い欲望が渦巻いている。「他人を蹴落としてでも……」、あるいは「他
人に蹴落とされる前に……」と親は考えて、子どもを進学塾にやる。進学塾はそういう親
の心理を、たくみに利用して、それを金儲けにつなげる。

現在ある進学塾の現状は、親と進学塾の、醜い闘いの結果ともいえる。塾の経営者に言
わせれば、「親は信用できない」ということになるし、親に言わせれば、「塾は必要悪」
ということになる。もともと良好な人間関係が育つ土壌など、どこにも、ない。

●塾のもつ矛盾と錯覚

 一方、塾には塾の存在意義があると説く人たちもいる。塾こそ、自由教育の砦であると
説く人たちである。事実、すばらしい教育を実践している塾もあるにはある。しかしそう
いう塾でも、「教育」と「受験指導」のジレンマの中で、もがき苦しんでいる。藤沢市在住
の塾教師のI氏は、「塾教育は、矛盾と錯覚の上に成り立っている」と結論づけている。

矛盾というのは、今言った、ジレンマをさす。錯覚というのは、「大切でないものを、あ
たかも大切なものであると思いこんで、教えることだ」そうだ。具体的には、受験教育
そのものをさす。

●「この時期だけだから」

 この進学塾業界も、かつてない不況に見舞われている。少子化に不況、それにエリート
の凋落に見られる価値観の変化。それに中高一貫教育に見られる、制度の改変。これらが
今、急ピッチで進んでいる。そういう中、したたかな進学塾は、対象学年をより低年齢化
させ、週2日の学習を、週3日や4日にふやしたりしている。金集めを、さらに巧妙化さ
せている。

親たちは、そういう事実を知りながら、「この時期だけだから」とあきらめる。進学塾は、
さらにそれを逆手にとる。もうそこには、「教育」という概念は、どこにもない。商売、
だ。I氏はこうつなげる。「この世界では、経験など、一片の価値もありません。親に教
育論を説いてもムダです。そもそもそういうものを塾に期待していない。

生徒集めのチラシにしても、4色を使ったカラフルで豪華なものでないと、生徒は集ま
りません。親は親で、子どもをお客様感覚で迎えてあげないと、文句を言う。そういう
目でしか、教育をながめていないのですから」と。

●塾の偽善、合格発表

 毎年その時期になると、新聞の一面を借り切って、高校の合格者の名前が発表される。「S
高校、230名合格。A高校、153名合格。B高校、八九名合格!」と

その下には、小さい字でこう書いてある。「これらの合格者数の中には、夏期講座、冬期
講座および模擬試験だけの参加者の人数は含まれていません」と。

進学塾としては、精一杯の誠意を演出したつもりなのだろうが、こういうのを偽善とい
う。少し前までは、講座や模擬試験に参加した生徒まで合格者に加えていた。それをマ
スコミがたたいたから、こういうことを書くようになった。事実、こうした合格者の陰
で、いかに多くの、それ以上の数の子どもたちが不合格で泣いていることか! もしこ
うした進学塾の経営者に、良心のひとかけらもあるなら、こんな宣伝は、不合格した子
どもやその親に申し訳なくてできないはずだ。進学塾も少しは自分に恥じたらよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生意気な子どもたち

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はげしい進学競争の陰で、
心をゆがめる子どもも少なくない。

+++++++++++++++

 子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃん
と、金、もらっているんだろオ!」と。
そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学3年生だ。もの知りで、勉強
だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、1年、飛び級をしているという。しかしおと
なをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、ふえている。

問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中の怒りをお
さえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どうするだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子ど
もは先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。
彼が幼稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこ
う言った。「あなたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけ
いなことは言うな」と。

母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある会社の経営者だった。
ほかにも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。
取っておきナ」と。彼は市内でも1番という進学校に通う、高校1年生だった。あるいは
面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃネ、おとな
になったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども(小6女児)
もいた。やはりクラスでは、1、2を争うほど、勉強がよくできる子どもだった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごし
が低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとん
どといってよいほど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。
言いかえると、親も勉強しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。
子ども自身も、「自分は優秀だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本
でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行に
も、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した
(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまされてはいけない。

いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだませない。彼らは頭がよいから、い
かにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることができるか、それだけを毎日、
研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体
の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●発作的に暴れる子ども

+++++++++++++++

子どもの心は、一見タフに見えるが、
こわれるときには、こわれる。

まるでガラスの箱のようなもの。

そして一度こわれた心は、
もとには戻らない。

+++++++++++++++

 ある日の午後。一人の母親がやってきて、青ざめた顔で、こう言った。「娘(年中児)が、
包丁を投げつけます! どうしたらよいでしょうか」と。

話を聞くと、どうやら「ピアノのレッスン」というのが、キーワードになっているよう
だった。母親がその言葉を口にしただけで、子どもは激変した。「その直前までは、ふだ
んと変わりないのですが、私が『ピアノのレッスンをしようね』と言ったとたん、別人
のようになって暴れるのです」と。

 典型的なかんしゃく発作による家庭内暴力である。このタイプの子どもは、幼稚園や保
育園などの「外」の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずることが多い。柔和で
おとなしく、静かで、その上、従順だ。しかもたいてい繊細な感覚をもっていて、頭も悪
くない。

ほとんどの先生は、「ものわかりがよく、すなおなよい子」という評価をくだす。しかし
この「よい子」というのが、クセ者である。子どもはその「よい子」を演じながら、そ
の分、大きなストレスを自分の中にため込む。そしてそのストレスが心をゆがめる。つ
まり表情とは裏腹に、心はいつも緊張状態にあって、それが何らかの形で刺激されたと
き、暴発する。ふつうの激怒と違うのは、子ども自身の人格が変わってしまったかのよ
うになること。瞬間的にそうなる。表情も、冷たく、すごみのある顔つきになる。

 ついでながら子どもの、そしておとなの人格というのは、さまざまな経験や体験、それ
に苦労を通して完成される。つまり生まれながらにして、人格者というのはいないし、い
わんや幼児では、さらにいない。もしあなたが、どこかの幼児を見て、「よくできた子」と
いう印象を受けたら、それは仮面と思って、まずまちがいない。つまり表面的な様子には、
だまされないこと。

 ふつう情緒の安定している子どもは、外の世界でも、また家の中の世界でも、同じよう
な様子を見せる。言いかえると、もし外の世界と家の中の世界と、子どもが別人のようで
あると感じたら、その子どもの情緒には、どこか問題があると思ってよい。あるいは子ど
もの情緒は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときを見て、判断する。運動会のあ
とでも、いつもと変わりないというのであれば、情緒の安定した子どもとみる。不安定な
子どもはそういうとき、ぐずったり、神経質になったりする。

 なお私はその母親には、こうアドバイスした。「カルシウムやマグネシウム分の多い食生
活にこころがけながら、スキンシップを大切にすること。次に、これ以上、症状をこじら
せないように、家ではおさえつけないこと。暴れたら、『ああ、この子は外の世界では、が
んばっているのだ』と思いなおして、温かく包んであげること。叱ったり、怒ったりしな
いで、言うべきことは冷静に言いながらも、その範囲にとどめること。このタイプの子ど
もは、スレスレのところまではしますが、しかし一線をこえて、あなたに危害を加えるよ
うなことはしません。暴れたからといって、あわてないこと。ピアノのレッスンについて
は、もちろん、もう何も言ってはいけません」と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●頭のよい子ども

++++++++++++++++++

その一方で、頭のよい子どもがいる。
本当に頭がよい。

そういう子どもを見ると、反対に、
受験勉強とは何か、考えさせられてしまう。

++++++++++++++++++

 人間の能力は平等ではない。平等でないことは、しばらく子どもたちに接してみるとわ
かる。たとえば頭。頭のよい子どもは、本当に頭がよい。そうでない子どもは、そうでな
い。遺伝子そのものが違うのではないかとさえ思うときがある。

数年前に、東京のS中学に入ったD君(小6)も、そしてそのあと同じようにS中学へ
入ったN君(小6)も、そうだった。

小学4年を過ぎるころには、中学レベルの勉強をしていた。小五のときは、英語も勉強
していたが、進学塾では中学2年生と一緒に勉強していた。しかもその進学塾でも、ト
ップクラス。

このタイプの子どもは、教科書と参考書だけを与えておけば、自分で学習してしまう。「わ
からないところがあったら、聞きにきなさい」という指導だけで、じゅうぶんである。
20年ほど前に教えたことのあるMさん(年長児)も、そして15年ほど前に教えたこ
とがあるH君(年長児)も、そうだった。

幼稚園児や保育園児で、箱の立体図(見取り図)をほぼ正確に模写できる子どもは、ま
ずいない。40人、あるいは50人に1人、それらしい箱を描く子どもはいるが、あく
までも「それらしい箱」である。しかしMさんもH君も、その箱を描いた! もしあな
たの子ども(園児)が、箱の立体図を正確に描くことができたら、数百人、あるいはそ
れ以上の中の一人と、喜んでよい。

 こういう恵まれた子どもの特徴は、目がいつも輝いていて、それでいて目つきが静かに
落ち着いているということ。ジロリと見つめられると、威圧感すら覚える。このタイプの
子どもは、子どもだからといって安易に扱ってはいけない。実際には、扱えない。接して
いると、子どもであることをつい忘れてしまう。O君(小3)という少年もそうだった。

彼は中学一年生の教科書すら自分で理解してしまった。あるとき私がふと、「二つの辺の
長さとその間の角度がわかれば、その三角形の面積は計算できるよ」と独り言を言った
ら、やさしい声でこう言った。「先生、ぼくにそのやり方、教えて……」と。

 こういう頭のよい子どもに出会うと、その子ども自身が、人類の財産のように思ってし
まう。実際私のところを巣立っていくときは、私はこう言うようにしている。「君の頭は、
君のものであって、君のものではない。みんなのために使ったらいい」と。

が、残念ながらこの日本では、こういう子どもを伸ばす機関がない。理解もない。この
タイプの子どもにとっては、ふつうの学校へ行くことは、まったく勉強ができない子ど
もが学校へ行くのと同じくらい、苦痛なのだ。先にあげたD君もそうだった。幼稚園児
のとき遊戯などをさせると、ブ然としていた。私も最初の数週間は、何か問題のある子
どもだと誤解していた。が、彼にしてみれば、そういうことをすること自体、耐えられ
なかったのだ。

 日本でこのタイプの子どもが唯一生きる道があるとすれば、都会の進学校と言われる学
校へ入ることでしかない。しかし結果からみると、結局は日本の受験勉強に巻き込まれ、
受験という方法でしか、力を伸ばせない。そしていつか日本の部品として、社会の中に組
み込まれてしまう。これはたとえて言うなら、絹の布で鼻をかんで、そのまま捨てるよう
なものだ。日本の教育には、こういう矛盾もある。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもを信ずる

++++++++++++++++

あなたを、そして子どもを、受験競争の
魔力から守る方法は、ただひとつ。

子どもを信ずる。

それしかない。

++++++++++++++++

 子どもを信ずることは難しい。「信じたい」という思いと、「もしかしたら……」という
思いの中で、親は絶えず迷う。子育てはまさに、その迷いとの闘い。

が、その迷いにも、一定のパターンがあるのがわかる。そこでテスト。あなたの子ども
(小学生)が、寝る直前になって、「学校の宿題がやってない」と言ったとする。そのと
き、あなたは……。(1)「明日、学校で先生に叱られてきなさい」と言って、そのまま
寝させる。(2)子どもと一緒に、宿題を片づけてあげる。睡眠時間が多少短くなること
は、やむをえないと思う。

 そのパターンは、子どもが生まれたとき、あるいは子どもを妊娠したときから始まる。
たとえば子どもに四時間おきにミルクを与えることになっていたとする。そのとき、子ど
もが泣いてほしがるまで、ミルクを与えない親もいれば、時間がきたら、ほしがらなくて
もミルクを与える親もいる。子どもがもう少し大きくなると、こんなこともある。

子どもが「したい」と言うまで、動かない親もいる。反対に何でもかんでも、子どもが
望む前に、親のほうから用意してあげる親もいる。「ほら英語教室よ」「ほら体操教室よ」
と。

 一度こういうパターンができると、あとは一事が万事。それ自体が生活のリズムになっ
てしまう。こんなこともあった。ある母親からの相談だが、いわく、「うちの子(小3男児)
に、夏休みの間、洋上スクールを体験させようと思うのですが、どうでしょうか」と。

そこで私が、「本人は行きたがっているのですか」と聞くと、「それが、行きたがらない
ので困っているのです」と。またこんなことも。やはりある母親からのものだが、その
母親の息子(高3)が、受験期だというのに、ビデオを借りてきて見ているというのだ。
母親は「心配でならない」と言っていたが、心配するほうがおかしい。おかしいが、一
度そのパターンにハマってしまうと、それがわからなくなる。

 さて冒頭のテスト。(1)を選んだ人は、子ども信頼型の親ということになる。「うちの
子は立派だ」「うちの子はすぐれている」という思いが、親をしてそういう親にする。一方、
(2)を選んだ人は、心配先行型の親ということになる。「何をしても、うちの子は心配だ」
という思いが、親をしてそういう親にする。当然、その影響は子どもに出てくる。

信頼型の親の子どもは、伸び伸びとしている。表情もハツラツとしている。行動力も好
奇心も旺盛で、何かにつけて積極的だ。しかし心配先行型の親の子どもは、それにふさ
わしい子どもになる。長い時間をかけてそうなる。親は、「生まれつきそうだ」と言うが、
生まれつきそういう目で見ていたのは、親自身なのだ。それに気がついていない。では、
どうするか。

 もし心配先行型の親なら、あなた自身の心を作り変える。一つの方法として、「あなたは
よい子」を口ぐせにする。子どもの顔を見たら、そう言う。そしてそれを数か月、あるい
はそれ以上の間、続ける。最初はどこかぎこちない感じがするかもしれないが、あなたが
それを自然に言えるようになったとき、同時に、あなたの子どもは、その「よい子」にな
っている。子どもを「よい子」にしたかったら、まず子どもを信ずる。たいへん難しいこ
とだが、それをしないで、あなたはあなたの子どもを伸ばすことはできない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●動機づけの四悪

+++++++++++++++

子どもの学習は、動機づけに始まり、
動機づけに終わる。

勉強を好きにさせる方法は
難しいが、嫌いにさせる方法なら、
いくらでもある。

+++++++++++++++

 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)無理、(2)強制、(3)条件、(4)比較の四
つがある。これを、『動機づけの四悪』という。

 まず(1)無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意
欲をなくして当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子ど
もの学習意欲をそいでしまうケース。

子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようであれば、そ
れでよし。……そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力よ
り一ランクさげたレベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きに
なってもよい。答が合っているかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」
という達成感を大切にする。

 (2)強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌
いになる。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。「うちの子
は、プリントを二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。
どうしたらいいでしょうか」と。

私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの母親は、仮に子ど
もが三枚するようになればなったで、「今度は四枚しなさい」と言うに違いない。子ども
もそれを知っている。

 (3)条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「一〇〇点を取ったら、お
小づかいを一〇〇円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こうい
う条件は、子どもから「勉強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりで
はない。子どもが小さいうちは、一〇〇円、二〇〇円ですむが、やがてエスカレートして、
手に負えなくなる。「(学費の安い)公立高校へ入ってやったから、バイクを買ってくれ」
と、親に請求した子ども(高一男子)がいた。そうなる。

 最後に(4)比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数
が得意なのに、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にす
るようになるから、注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが
子どもから、「私は私。人は人」というものの考え方を奪う。

 イギリスでは、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない』
と言う。

子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界がある
ということ。ではどうするか。もう一つイギリスには、『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』
という格言もある。つまり子どもに勉強をさせたかったら、勉強は楽しいということだ
けを教えて、あとは子どもに任す。たとえば文字。いきなり文字を教えるのではなく、
いつも子どもをひざに抱いて、本を読んであげるなど。

そういう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに思わ
せるようになる。そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子ども
の勉強をみるときは、「何をどの程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度
楽しんだか」をみるようにする。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●すさまじい学歴信仰

++++++++++++++++

古典的教育ママ。
その代表格がEさんだった。

私のワイフの知人でもあった。

私が20代のころ知った女性だが、
その女性は、私に強烈な印象を
与えて、つい先日、この世を
去っていった。

+++++++++++++++

 すさまじいほどのエネルギーで、子どもの教育に没頭する人がいる。私の記憶の中でも、
そのナンバーワンは、Eさん(母親)だった。

Eさんは、息子(小三)のテストで、先生の採点がまちがっていたりすると、学校へ行
き、それを訂正させていた。成績がさがったときも、そうだ。「成績のつけ方がおかしい」
と、先生にどこまでも食いさがった。

そのEさん、口グセはいつも同じ。「学歴は人生のパスポート」「二人のダ作を作るより、
子どもは一人」「幼児期からしっかりと教育すれば、子どもはどんな大学でも入れる」な
ど。具体的にはEさんは、「東大」という名前を口にした。そのEさんと私は、昔、同じ
町内に住んでいた。Eさんは、私の家に遊びにきては、よく息子の自慢話をした。

 息子が小学五年生になると、Eさんは息子を市内の進学塾に入れた。それまでEさんは
車の免許証をもっていなかったが、塾の送り迎え用にと免許を取り、そして軽自動車を購
入した。さらに中古だったがコピー機まで購入し、塾の勉強に備えた。

この程度のことならよくあることだが、ここからがEさんらしいところ。息子が風邪な
どで塾を休んだりすると、Eさんは代わりに塾へ行き、授業を受けた。そして教材やプ
リント類を家へもって帰った。ふつうならそういうことは人には言わないものだが、E
さんにとっては、それも自慢話だった。

私にはこう言った。「塾の教材で、私が個人レッスンをしています」と。息子のできがよ
かったことが、Eさんの教育熱に拍車をかけた。それほど裕福な家庭ではなかったが、
毎年のように、国外でのサマーキャンプやホームステイに参加させていた。一式三〇万
円もする英会話教材を購入したこともある。

 息子が高校一年になったときのこと。私はたまたま駅でEさん夫婦と会った。Eさんは、
満面に笑顔を浮かべてこう言った。「はやしさん、息子がA高校に入りました。猛勉強のお
かげです」と。

開口一番、息子の進学先を口にする親というのは、そうはいない。私は「はあ」と答え
るのが精一杯だった。ふと見ると、Eさんの夫は、元気のない顔で、私から視線をはず
した。Eさんと夫が、あまりにも対照的だったのが心に残った。

 Eさんを見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。あるいはEさんの人生と
は何か、そこまで考えてしまう。信仰しながらも、自分を保ちながら信仰する人もいれば、
それにのめり込んでしまう人もいる。Eさんは、まさに学歴信仰の盲信者。が、それだけ
ではない。

人は一つのことを盲信すればするほど、その返す刀で、相手に向かって、「あなたはまち
がっている」と言う。あるいはそういう態度をとる。自分の尺度だけでものを考え、「あ
なたもそうであるべきだ」と言う。それが周囲の者を、不愉快にする。

 学歴信仰が無駄だとは言わない。現にその学歴のおかげで、のんびりと優雅な生活をし
ている人はいくらでもいる。あやしげな宗教よりは、ご利益は大きい。その上、確実。そ
ういう現実がある以上、子どもの受験勉強にのめり込む親がいても不思議ではない。しか
しこれだけは覚えておくとよい。Eさんのようにうまくいくケースは、一〇に一つもない。
残りの九は失敗する。しかもたいてい悲惨な結果を招く。学歴信仰とはそういうもの。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●徳化する学習産業

++++++++++++++

法外な教材を売りつける
教材会社は少なくない。

そういう会社が、あなたの
弱みを、虎視眈々とねらっている。

++++++++++++++

 ある教材会社の主催する説明会。予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板に
は、「一〇時から」と書いてある。しばらく待っていると、席についた母親(?)の間から
ヒソヒソと会話が聞こえてくる。

「お宅のお子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はどこですか」と。
サクラである。主催者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受験
の話を始める。母親は受験や学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。しかし
それこそが、その教材会社のねらいなのだ。

 また別の進学塾の説明会。豪華なホテルの集会ルーム。深々としたジュータン。漂うコ
ーヒーの香り。そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉
強している子ども)→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不
合格で泣き崩れる母子の姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間
近くも続く! ビデオを見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、
その進学塾のねらいなのだ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。どこのどの団体だとは書けないが、
あやしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者から金品を巻きあげる。この
カルト教団が、同じような手法を使う。まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がお
りてくる」などと言って信者を不安にする。「あなたはやがて大病になる」と脅すこともあ
る。そしてそのあと、「ここで信仰をすれば救われます」などと教えたりする。人間は不安
になると、正常な判断力をなくす。そしてあとは教団の言いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進
学塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとって
いた。特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。知人から「教育研修会に来ないか」
という誘いを受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父母を対象にした説明会だった。
しかも私たちのために来賓席まで用意してあった。私は会の途中で、「用事があるから」と
言って席を立ったが、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消えない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、
それは「不安」ではないか。「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっ
ていけるかしら」「人並みの生活ができるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学
歴によって判断される」など。こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方
親は、年間一二〇万円の教材費を払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。しかしこう
いう親にしても日本の教育そのものがもつ矛盾の、その犠牲者にすぎない。一体、だれが
そういう親を笑うことができるだろうか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでし
かない。こうした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくら
でもある。それだけのことだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●あきらめは悟りの境地

+++++++++++++++

どうすれば、私たちは、私たちの、
そして子どもの心を守ることが
できるのか?

+++++++++++++++

 子育てをしていると、「もうダメだ」と、絶望するときがしばしばある。あって当たり前。
子育てというのは、そういうもの。親はそうい絶望感をそのつど味わいながら、つまり一
つずつ山を乗り越えながら、次の親になっていく。

そういう意味で、日常的なトラブルなど、何でもない。進学問題や不登校、引きこもり
にしても、その山を乗り越えてみると、何でもない。重い神経症や情緒障害にしても、
やはり何でもない。山というのはそういうもの。要は、どのようにして、その山を乗り
越えるかということ。

 少し話はそれるが、子どもが山をころげ落ちるとき(?)というのは、次々と悪いこと
が重なって落ちる。自閉傾向のある子ども(年中女児)がいた。その症状がやっとよくな
りかけたときのこと。その子どもはヘルニアの手術を受けることになった。

医師が無理に親から引き離したため、それが大きなショックとなってしまった。その子
どもは目的もなく、徘徊するようになってしまった。が、その直後、今度は同居してい
た祖母が急死。葬儀のドタバタで、症状がまた悪化。その母親はこう言った。「もう何が
なんだか、わけがわからなくなってしまいました」と。

 山を乗り越えるときは、誰しも、一度は極度の緊張状態になる。それも恐ろしいほどの
重圧感である。混乱状態といってもよい。冒頭にあげた絶望感というのがそれだが、そう
いう状態が一巡すると、……と言うより、限界状況を越えると、親はあきらめの境地に達
する。

それは不思議なほど、おおらかで、広い世界。すべてを受け入れ、すべてを許す世界。
その世界へ入ると、それまでの問題が、「何だ、こんなことだったのか」と思えてくる。
ほとんどの人が経験する、子どもの進学問題でそれを考えてみよう。

 多かれ少なかれ日本人は皆、学歴信仰の信者。だからどの人も、子どもの進学問題には
かなり神経質になる。江戸時代以来の職業による身分意識も、残っている。人間や仕事に
上下などあるはずもないのに、その呪縛から逃れることができない。

だから自分の子どもが下位層(?)へ入っていくというのは、あるいは入っていくかも
しれないというのは、親にとっては恐怖以外の何ものでもない。だからたいていの親は、
子どもの進学問題に狂奔する。

「進学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、足元からすくわれるような不安感を覚
えます」と言った母親がいた。

「息子(中三)のテスト週間になると、お粥しかのどを通りません」と言った母親もい
た。私の知っている人の中には、息子が高校受験に失敗したあと、自殺を図った母親だ
っている!

 が、それもやがて終わる。具体的には、入試も終わり、子どもの「形」が決まったとこ
ろで終わる。終わったところで、親はしばらくすると、ものすごく静かな世界を迎える。
それはまさに「悟りの境地」。つまり親は、山を越え、さらに高い境地に達したことを意味
する。

そしてその境地から過去を振り返ると、それまでの自分がいかに小さく、狭い世界で右
往左往していたかがわかる。あとはこの繰り返し。苦しんでは山を登り、また苦しんで
は山を登る。それを繰り返しながら、親は、真の親になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
受験 子どもの受験競争 受験勉強)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●古典的な教育ママ

++++++++++++++++++

21世紀になって、7年目。
中国のS市から一時帰国した女性(日本人)が
こんな話をしてくれた。

「中国の母親たちを見ていると、30〜40年前の
日本を思い出させます」と。

++++++++++++++++++

 30〜40年前。その当時の日本には、こんな教育ママがいた。幼稚園児に掛け算の九
九を暗記させ、それでもって、「うちの子は算数ができる」と喜んでいた。そんな教育ママ
である。

 当時の日本といえば、「勉強さえできればいい」と考えている親は、少なくなかった。勉
強、第一。成績、第一。すべてが勉強にはじまって、勉強に終わる。

 学校の先生に対する評価にしても、「宿題をたくさん出してくれる先生は、いい先生」「び
しびしとしぼってくれる先生は、いい先生」と。

 こんな事件もあった。

 ある小学校のある教室の先生が、ときどき、生徒を連れて、となりの公園へ子どもたち
を連れていった。野外授業である。その先生は、「昆虫博士」と呼ばれるほど、虫のことに
詳しかった。

 が、それに「待った」をかけたのが、ほかならぬ母親たちである。「そんなことをしてい
たら、勉強にさしさわりがある」と。(現在、こうした野外活動は、校長に承認されたもの
以外は、禁止になっている。)

 またほんの10年前のことだが、このS県の小学校で、こんなこともあった。その小学
校に、身体に障害のある子どもが入学することになったときのこと。親たちが連合して、
その入学を阻止しようとした。やはり「そういう子どもが入ると、子どもたちの勉強にさ
しさわりが出る」と。

 この話は、事実である。当時、地元のテレビでも、大きく報道された。

 まさに古典的な教育ママということになる。そういう古典的な教育ママが、中国には、
ゴロゴロしているという。それをさして、その女性は、「中国の母親たちを見ていると、3
0〜40年前の日本を思い出させます」と。

 しかしこの日本で、ここでいう古典的教育ママが、いなくなったわけではない。無学、
無知、無教養が、こうした古典的教育ママの共通点といってもよいが、それに加えて、恵
まれない結婚生活が拍車をかける。「子どもこそすべて」という思いが、子どもにすべてを
託す。果たせなかった自分の夢、希望、目的などなど。中には、「子どもの将来など、教育
によって、どうにでもなる」と錯覚している親もいる。

 で、そのあとのことは、推してはかるべし。多くの悲喜劇は、こうして生まれるが、そ
の悲喜劇を繰りかえしながら、日本人も少しずつだが、賢くなっていく。その道は、まだ
まだ遠い。

+++++++++++++++

以下は、5年前に書いた原稿
(中日新聞発表済み)です。

+++++++++++++++

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることがで
きる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっか
りもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼ
られるということ。明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

そしてその半面、子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関
心になったりする。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味で
は、限られた範囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受
験」に対して、過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1〜2時間過ごしていた
母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意して
いた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこうい
うエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつか
の話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを
書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭では
なかったが、三〇万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、
車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をま
ちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。ワイフが「そこまで
しなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子どものために、不正は
許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、
いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、
東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させ
た。いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノ
イローゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものでき
が、親の望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような
症状のうち、五個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。あなた
のためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあなたの
子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身の受験
体験にメスを入れてみてほしい。

○子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライ
ラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

○子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくよ
うで、心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。

○子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのま
まダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。

○同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどん
なことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。

○子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あ
れこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。

○子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもが
したりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。

○テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、
子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

○明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、
家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

○「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっ
とできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。 

○子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使
えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。(以上、試作)
(02−9−30)

Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●虐待と過干渉(子どもの受験競争の宿命)

+++++++++++++++

虐待には、強烈な過干渉がともなう。
反対に、強烈な過干渉は、虐待と
考えてよい。

つまり多かれ少なかれ、過干渉には
虐待がともなう。もちろん程度の差は
あるが……。

+++++++++++++++

 小学1〜2にかけて、ツッパリ始めた男児がいた。言動が粗暴になった。「ウッセー」「テ
メエ」と。

 しかしその子どもが、数年もたつと、今度は、キバを抜かれたように、おとなしく、穏
やかになった。「?」と思っていると、原因は、母親にあることがわかった。母親は、ふつ
うの母親ではなかった。

 一度怒り出すと、それこそ手元にあるフライパンを投げつけるような女性だった。大声
で暴れ、怒鳴り散らした。数軒おいた近所にも聞こえるような怒鳴り声である。その子ど
もは母親に反発することもできず、萎縮した。結果、ここでいう、おとなしく、穏やかな
子どもになった。

 しかしこれは仮面。放置すれば、つぎのステップへと進む。やがて精神を病み、もっと
深刻な問題をかかえるようになる。が、母親にはそれがわからない。少しでも成績がさが
ったりすると、容赦なく、子どもを叱った。叱ったというより、怒鳴りつけた。

 塾も、半年単位で、頻繁に変えた。そのたびに、その子どもは、従順にそれに従った。
そんなある日、私のところへやってきた。母親が、そばについていた。母親は、「来年は、
(中学)受験だから、何とかめんどうをみてほしい」と言った。うわさとはちがい、穏や
かな言い方だった。

 こういうばあい、母親という女性は、みごとなほどまでに、仮面をかぶる。もし知らな
い人が見たら、できのよい、やさしい母親と思ったかもしれない。が、どうも様子がおか
しい。子どもの表情も、どこか不自然。

 そこで母親に退席してもらい、私は一対一で、その子どもと話しあうことにした。

私「苦しいのか……」
子「……」
私「あのね、ここへくるのがいやだったら、いやと言えばいいよ」
子「……」
私「今、この教室は、満員だからとか、何とか言って、断ってやるよ」
子「……」
私「また、君がその気になったら、来ればいいから」と。

 とたん、その子どもの目から、大粒の涙が、ポロポロとこぼれた。しかしそのとき、ド
アを蹴るようにして、母親が教室に入ってきた。そして子どもの顔を見るやいなや、大声
で、怒鳴った。

 「どうして、泣くの!」「泣くことないでしょ!」と。

 私は、子どもの顔だけを見ながら、こう言った。「また、縁があったら、おいでよ。その
ときは、いつでも待っているよ」と。

 虐待には、強烈な過干渉がともなう。反対に、強烈な過干渉は、虐待と考えてよい。つ
まり多かれ少なかれ、過干渉には虐待がともなう。もちろん程度の差はあるが……。

 多分、その母親は、こう思っているにちがいない。「私は、だれよりも、息子を愛してい
る。こうして子どもの将来を心配するのは、子どもを愛しているという証拠」と。

 しかし子どもを受験で追いこみ、点数や順位だけを見て、子どもを怒鳴ったり、脅した
りするのは、過干渉というより、虐待。「こんなことでは、A中学校にはいれない」「あん
たの将来はない」と脅すのは、立派な虐待である。

 その虐待を繰りかえしながら、虐待をしているという意識すらない。

 結果、どうなるか。成績がさがることなど、まだよいほう。やがて精神を病み、不登校
を繰りかえすようになる。家の中に引きこもるようになる。この子どものばあい、あのま
ま、つまり小学1、2年生のときのように、ツッパッてしまったほうが、まだよかったの
かもしれない。が、それ以上に、母親の過干渉のほうが強かった。

 先は見えている。こうした仕事を40年近くもしていると、子どもの近未来が、手に取
るようにわかるようになる。予言とか、予測とか、そういうあいまいなものではない。わ
かるものはわかるのであって、どうしようもない。

 しかしこういうケースでは、私のような立場のものが、あれこれアドバイスしても、意
味はない。母親自身が、聞く耳をもっていない。「私が正しい」「私のすることは、ぜった
いに正しい」という確信のもと、私の言葉を、そのまま払いのけてしまう。中には、反対
にかみついてくる母親だっている。

 「他人の子どもだと思って、よくもまあ、言いたいことを言うものだ」と言った、母親
すらいた。私が、「受験は、あきらめたほうがいい」とアドバイスしたときのことである。

 つまりこうして母親たちは、そして親たちは、失敗する。「失敗」という言い方は適切で
ないかもしれないが、ともかくも、そういった状態になる。が、ここで問題が終わるわけ
ではない。その時点になっても、自分で自分のことに気づく親は、まずいない。

 たいていは、「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちのいじめが原因だ」と騒ぐ。私には、
そこまでわかる。わかるから、そういう母親とは、かかわらないようにしている。かかわ
したくない。行き着くところまで行って、親は、自分で気がつくしかない。

 これは子育てというより、子どもの受験競争がもつ宿命のようなものである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【病識と自己認識】

++++++++++++++++++++++

脳のCPU、つまり中央演算装置が狂うと、
「自分は病気である」という意識は、当然、
なくなる。

「私は正常だ」と思いながら、おかしな行動を
繰りかえす。おかしな行動を、おかしいとも
思わない。

CPUが狂うということは、そういうことを
いう。

++++++++++++++++++++++

●病識

 アルコール依存症か何かになり、大声で怒鳴ったり、暴れている人に向かって、「あなた
は、おかしい」と言っても、意味はない。そういう人ほど、ますます、いきりたつ。「おか
しいとは、何だ! このヤロー!」と。

 同じ精神疾患でも、病識があるかないかで、軽重が決まるという。「私は今、病気である」
と認識することを、「病識」という。病識のある人は、まだ軽いとみる。

 数日前、近くのケアセンターへ行ったときのこと。ヘルパーさんに頼んで、しばらくそ
の部屋の老人たちの様子を観察させてもらった。老人といっても、千差万別。それを「個
性」といってよいかどうかはわからないが、それぞれの老人は、強烈な個性を放っていた。
頭のボケ方は、けっして一様ではない。

 が、その中でも、タチがわるいのが、病識のない人たちだそうだ。ヘルパーさんが、そ
う言っていた。自分では、「私は正常」と思いこんでいるから、他人の説得には、耳を傾け
ない。自分で自分をコントロールしようともしない。自分勝手な行動を繰りかえす。

 そこで私は、ハタと気がついた。話が少し脱線するが、こういうことだ。

●自己認識力

 ADHDの子どもがいたとする。そういう子どもに向かって、「みなが、迷惑するから、
静かにしていてください」と注意しても、意味はない。自分を客観的に判断する能力その
ものがない。これを教育の世界では、自己認識力という。「自己意識」というときもある。

 が、そんな子どもでも、小学3〜4年生を境に、急速に、その自己認識力が育ってくる。
つまり自分を客観的に見る目が育ってくる。「こんなことをすれば、みなに嫌われる」「ど
うすれば、みなとうまくやっていくことができるか」と。

 そしてやがて、自己管理能力が育ってくる。自分で自分をコントロールするようになる。

 が、それ以前の子どもには、それがない。つまり自分で自分をコントロールする前に、
自分がどういう人間であるか、それを知ることすらできない。

 この「自分がどういう人間であるか知ることができない」というのは、どこか、先に書
いた、「病識」と似ていないか?

 さらにこんな話もある。

●2つの脳みそ

 これは私がどこかで講演をしているときに気がついたことだが、こんなことである。

 講演をしているときというのは、2つの脳みそが、同時進行の形で、働く。ひとつは、
講演内容について考えている脳みそ。これを脳みそAとする。もうひとつは、その自分を、
別のどこかでコントロールしている脳みそ。これを脳みそBとする。

 脳みそAは、講演をしながら、話の内容を考える。が、それだけでは、講演はできない。
そこでもうひとつの脳みそBが、別のところから私を管理する。「残り時間は、あと20分」
「そろそろ結論に話をつなげろ」「この話は、省略しろ」「聴衆の反応がよくないから、お
もしろい話を入れろ」と。

 ここでいう脳みそBが、私を客観的に判断する能力、つまり自己管理能力ということに
なる。これがないと、講演そのものが、バラバラになってしまう。支離滅裂になってしま
う。実際、数度だが、そういう経験もしている。風邪か何かをひいていて、脳みその活動
が鈍っていたときのことである。そのときは、講演をしながら、自分でも、何を話してい
るかわからなくなってしまった。

 そこで最初の話に、もどる。

●自己管理能力

 たとえばカッとなって、激怒したばあいを考えてみよう。そういうとき、自己管理能力
のすぐれている人は、その場で、自分をコントロールしようとする。怒りを自分でしずめ、
してよいことと、してはいけないことを、的確に判断する。そうでない人を、自己管理能
力の弱い人という。

 EQ論(=人格完成論)でも、自己管理能力を、人格の完成度をみるための、ひとつの
重要なバロメータ(尺度)にしている。自己管理能力のある人を、人格の完成度の高い人
といい、そうでない人を、そうでないという。それはさておき、自己管理能力ができるた
めには、まず、自分が今、どういう状態なのかを知らなければならない。

 これが自己認識ということになる。精神疾患について言えば、病識ということになる。
つまり、教育の世界でいう「自己認識」と、精神疾患でいう「病識」とは、同一のものと
いうことになる。その「認識」があってはじめて、人は、自分で自分を管理できるように
なる。

 ずいぶんと乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、反対に、その「認識」のない子ども
や、「病識」のない精神疾患患者に、あれこれ説教しても意味はない。意味がないばかりか、
かえって逆効果になることが多い。

●自分を知る

 そこで問題は、どうすれば、(そのとき)、自分のことを客観的に知ることができるかと
いうこと。たとえばカッと激怒したようなとき。あるいは、アルコール依存症の人が、泥
酔状態になったようなとき。それは、可能なのか。それとも、不可能なのか。

 たとえば私にしても、たしかに、私の中には、もう一人の私がいる。何かの拍子に出て
きて、私の脳みそを、優勢的に支配する。

 そのときのことだが、そのとき私は、もう一人の私のほうが、正しいと思う。それまで
の私は、仮の私であって、本物の私ではないと思う。ときにどちらの私が本当の私なのか、
わからなくなるときもある。

 ただ幸いなことは、どちらの私になっても、たがいの記憶はしっかりと残っているとい
うこと。さらにもう一人の私になっても、本来の私、つまり99%の時間を支配する私が、
部分的に残っていること。その本来の私が、もう一人の私を、コントロールしようとする。

 おかげでというか、かろうじて、私は、(ふつうの生活)を営むことができる。ふつうの
夫、あるいはふつうの父親として、家族をまとめることができる。もしそのとき、ふだん
の私の記憶をなくしてしまったり、あるいは、完全に別人になってしまったとするなら、
私は、多重人格者=人格障害者ということになってしまう。

 で、そういう自分を振りかえってみると、もう一人の自分になったときというのは、た
しかに、ここでいう病識がない。たしかに「私は正しい」と思いこんでいる。思いこんだ
まま、あれこれと判断をくだそうとする。

●だれにもある現象?

 たしかに、そういうときの私は、おかしい。再び冷静になったときに、それがわかる。
はっきり言えば、そういうときの私は、病気なのだ。……というような現象は、実は、最
近、だれにでもあるということを知った。程度の差はあるものの、だれにでもある。精神
的にはきわめて安定していると思われる、私のワイフにもある。

 たとえば口論したようとき、ワイフは、別人のようにがんこになる。私が「逆らうな!」
と言うと、「何も、逆らっていないわよ」と言って、私に逆らう。つまりその時点で、ワイ
フはワイフで、もう一人の自分になっている。ふだんは、やさしくて、すなおな女性なの
だが……。

 自分を知るということは、本当にむずかしい。そのことは、病識のない何かの精神疾患
をかかえた人を見ればわかる。認知症になった老人を見ればわかる。

 ついでに一言。

●カルト

 カルトにハマっている信者を見ると、明らかに脳のCPUが、いかれているのがわかる。
とんでもないことを口にしながら、それがとんでもないことであるという認識すらない。
反対に、まともなことを言う人を、とんでもないと位置づけてしまう。たとえば私が書い
た、『ポケモンカルト』(三一書房)という本は、その世界の人たちによって、「トンデモ本」
と評価されている。(おかげで、その本は売れたが……。)

 さらに最近では、テレビで堂々と、とんでもない意見を述べているオバチャンがいる。「あ
なたの背中には、ヘビがついている。毎日、シャワーで、20回、背中をこすりなさい」
と。

 そういうバカげた説教をするほうもするほうだが、聞くほうも聞くほうだ。若い女性(タ
レント)などは、涙を流してまで、それを喜ぶ。

 こうした現象も、ここでいう「病識」がないことによって起こる。

【付記】

 たまたま今、母を、ケアセンターに送り出したところ。母は、今年、90歳になる。そ
の母に、「(センターで)友だちができたか?」と話しかけると、母は、こう言った。「でき
ん。みんな、年寄りばかりや」と。

 自分が最高年齢者であることを、すっかりと忘れてしまっている。あるいは、それがわ
からない。

 それを聞いて、ワイフが笑った。迎えに来ていた、センターの人も笑った。母は、まる
で自分のことがわかっていない。自分だけは、まだ小娘のつもりでいるらしい。ハハハ。
本当に、ハハハ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●団塊世代よ、ボランティアへ!、だってエ!!

++++++++++++++++++++++

今度、浜松市の社会福祉協議会が、団塊の世代を
対象にした、『ボランティア登録制度』を創設した。

しかし、最初に、一言!

何がボランティアだア!

バカにするな!

ボランティアと言えば、聞こえはよいが、
中身は、「ただ働き」。要するに、「団塊世代よ、
ヒマがあったら、ただ働きせよ!」ということ!

私たちが求めているのは、職場だ。きちんと給料の
もらえる職場だ。

バカにするにも、ほどがある。どうせ公務員の若造
たちが創設した制度なのだろう。
が、創設すべきは、職場だ。わかるか? 
職場だ!

自分たちは、満額の退職金と、年金、それに天下り先を
しっかりと確保しておきながら、私たちに向かっては、
「ただで働け!」と。

久々に、私は怒ったぞ!

++++++++++++++++++++++

 新聞記事には、「団塊世代よ、ボランティアへ!」という見出しのあと、こうある(中日
新聞)。

 「団塊の世代、待っています。2007年度から、大幅に定年退職を迎える団塊世代。
彼らの能力や技術を生かしてもらおうと、浜松市社会福祉協議会(市社協)は、シニア世
代に的をしぼった、ボランティア登録制度を開設した。

 福祉施設や特定非営利法人(NPO法人)などの需要を掘り起こし、登録者としての橋
渡しをする。

(中略)

 登録時には各自の得意分野を記録する。市社協の担当者は、『たとえばおもちゃの修理や
福祉施設の庭木手入れ、NPO法人の事務などに、これまでのスキルを生かしてほしい』
という。障害者の手がける農場の手伝いなど、活躍の場は豊富にあると考える。

 市民活動を支援している県西部地域交流プラザPは、『パソコン関連から、会計、労務、
運転手、介助、お年寄りの話し相手まで、NPO法人などの活動を手伝う人材は、慢性的
に不足している』と話す」と。

 何が、おもちゃの修理だ!
 何が、福祉施設の庭木の手入れだ!
 何が、農場の手伝いだ!
 何が、お年寄りの話し相手だ!

 バカにするにも、ほどがある。

 もしすべきことがあるとするなら、自分たちが独占している天下り先を、民間に平等に
分配すべきだ。わかるか? たとえば図書館の館長なら館長でもよい。そういう人材は、
公募で、みなで決めればよい。

 団塊の世代だから、ただで働けだと! いいか、私の周辺にも、元公務員という人たち
が、たくさん住んでいる。中には、地域の活動のために、忙しく働いている人もいる。し
かしそういう人は、少数派。

 たいはんは、道路わきのゴミひとつ拾ったことがない。高額な年金を手にして、悠々自
適な老後生活。もし「ただで働け」というのなら、まず、そういう人たちが、率先して、
見本を見せてくれたらよい。

 団塊の世代、とくに私のように、国民年金しかアテにできない人間は、死ぬまで働くし
かない。ボランティア活動などという優雅な道楽をしているヒマはない。もし市の役人が
用意してくれるというのなら、職場だ。きちんとした給料のもらえる職場だ。

 わかるか?

 わからないだろうな?

 30代、40代の若造から見れば、60歳の人間は、どうせ役立たずのジジイに見える
かもしれない。が、それはまちがい。かつてあのバーナード・ショーは、こう言った。『若
者から老人をみると、老人はみな、バカに見えるかもしれない。しかし老人から若者をみ
ると、若者はみな、バカにみえる』と。

 どうせ公務員の若造たちが、額をこすりあわせて創設した制度なのだろうが、これほど、
人をバカにした話もない。久々に、私は、怒ったぞ!

 私は、昭和22年生まれ。団塊の世代、第1号だ!

 わかったかア!


【付記】

 この記事に対して、Bさんという方より、反論のコメントが届いた。それをそのまま紹
介する。

++++++++++++++++++++++++

【Bさんより、はやし浩司へ】

先生、こんばんは♪

きょう、団塊世代にボランティアを と言う記事が載っていたという日記を見て、
メールしています。

話の争点が違うところに行ってしまうかと思いますが、
いくつか私のボランティアの経験をお話させてください。

もとをただせば ボランティアをしたいと思い始めたきっかけは、
私が学生時代に、ブリスベンのあるお宅にホームステイしていたことから始まります。
んもうぅっ…ほんっとうに素敵なご夫婦で、
私の人生観は21歳にして 衝撃的な変化を遂げました。(おおげさかな?ちょっと。)

とにかく彼らのホスピタリティーと言えば、
何を持ってお返しができるのか 全く想像がつかぬほど、
私を娘として 今も愛し続けてくれています。

私はいつか 自分もホストマザーになりたいと思うようになりました。
けれど今はまだ時期が早い。提供できるお部屋もご用意できない。
何か別の手段で この感謝の気持ちを pay forward したかったのです。

ずっとそんな思いを抱き続けていた頃 新聞に静岡県主催の語学ボランティアの
募集の記事を見つけ、思い切って面接を受け、合格し、無事登録の運びとなりました。
当時の私は IT関連の仕事をしていたので 英語を話す行為から少し遠ざかっていたこ
ともあり、

私でお役に立てるのであれば ぜひ 私のホストペアレンツへの お礼の気持ちの形とし
て、何かできることからスタートしたかった。

そして外国人学生のための浜松市内の観光地ガイドの翻訳や、
市内で開かれる外国人の集まる大規模な会議などのアテンド、
静岡市で開かれるお茶に関する資料の翻訳 など、
ときには締め切りに追われながら、それでも受けたことは責任をもってと、
真面目に取り組んできたつもりです。

日本でのボランティアは 無給という考え方がごく一般的で、
でも私は お金をもらうかどうかということよりも、
そんなイベントにほんの少しでも関わって、
私の訳した文章を読んでくださり理解を深めてくださった方、
私のご案内で楽しい時間を過ごしていただいた方、
勿論その場に応じて日本人の方にも対応はしますが、
いずれにせよ、自分のできることが社会で微々なれども役に立っていることの
充実感で、満たされていました。

それに ボランティアスタッフとして出会った方々との交流も
とても楽しく、もう10年近くのお付き合いをさせていただいて
本当に感謝でいっぱいの気持ちです

5年前に行われたエコパスタジアムでの日韓共催FIFAワールドカップ2002の
ボランティアスタッフとしても活動することできました。

県の語学ボランティアの募集のターゲットとして、
ワールドカップへの人材確保ということも大きく取り上げられてはいました。
しかし私は お恥ずかしながら、サッカーに関する知識は非常に乏しく、
国内リーグの選手の方のお名前も数名しか知らないほどでした。

それがサッカーであれ、オペラであれ、緑茶に関する討論会であれ、
私のできることが 海外から日本:浜松に来てくださる方への御礼になれば
それでいいという ただそれだけの気持ちです。

ワールドカップでは これまた予想外にもVIPシートのお客様の通訳、ご案内を
担当することになりました。日本人でよくテレビに映ってるスポーツ選手、解説員など
わずかな方々なら、名前とお顔が一致はしましたが、
国外の王室の方々や、選手のご家族や、国内リーグの監督や、まったくわからない。

失礼なことかもしれませんが、VIPにどんなお客様がみえるかという詳しい情報は、
私たちボランティアには知らされていませんでした。仮に教えていただいたとして、
私にはわからない...。 どの方も皆さん 海外から日本へ訪問してくれた方たち。
楽しいひと時のお手伝いができればそれでいいという気持ちで取り組んでいました。

実際活動はとても楽しかったです。

この活動も他に漏れず無給の活動でした。

でも この活動で出会った仲間たちとはいまでも
静岡スタジアムエコパで催される様々なイベントでボランティアをしよう、という
団体を作っていて 私も時間が許されれば参加しています。
年齢は様々。 私のような主婦層はちょうど真ん中くらいで
大学生もいれば 私の父(65)ほどの年齢の方、
この方々を団塊の世代と言うのでしょうか?
そういう方も、大勢いらっしゃいます。

ボランティアで必ずしも英語が役に立つ場面ばかりとは言えません。
でもまれに、「誰か英語の話せる方〜〜」と呼ばれて、お役に立てたとき、
その外国人の方の安心したお顔、Thanks a lot のお言葉と握手。
それだけで私は じゅうぶん幸福な気持ちを味わうことができます。

いうまでもありませんが 勿論日本人のお客様のお手伝いができたときも
嬉しく思っています。

無給で働かされて...というpoint of view では 味わうことのできない、
かけがえのない感謝の気持ちを味わうことができます。

もし私のしていることを、たとえば仕事としてやってください
という依頼がきたとしても
それはとてもありがたいことですが、今までのような純粋に恩返しをしていきたいという
気持ちとは 少し離れてしまうように思います。

先生もご存知の通り、残念ながら、私の家庭は決して裕福ではありません。
けれど一つ一つの活動やworkを終えた後の達成感は、仕事で味わうものとは、
全く異なるものだと思います。

確かに仕事内容を把握できていない職員の方から、いい加減な説明をされたときは
私も厳しく追及して、ボランティアだからと言っていい加減な応対をするつもりはないと
はっきりお伝えして、活動自体を辞退したこともありました。

主催者側が、「応対しているのはボランティアなのです。無給なのです。」といえば、
ちょっとした美談と責任逃れをすることができるのも否定できないことかもしれません。

けれど私はボランティアを続けます。
私が受ける心の恩恵と充実感があまりにも大きいからです。
ただそれだけのことです。

いつか私がホストマザーになったとき、私のホストペアレンツへ報告したら
きっときっと喜んでくれるに違いありません。
息子(年長児)も ちょっと違った体験ができて いいことなんじゃないかな? と
思っています。

いつもながら長文失礼いたしました
このような駄文でも ご参考になることがあれば掲載していただくことがあれば勿論かま
いません。

【Bさんへ、はやし浩司より】

こんばんは!

うむむむ……。

なるほどっていう感じです。

でも、私はボランティア活動を否定しているのでは
ありません。

団塊の世代=無料で利用できる世代という発想に
反発しているのです。

どうか、どうか、誤解のないように!!!

人は無給で働いてこそ、つまり損得の計算を忘れて
働いてこそ、仕事の醍醐味を味わうことができます。

よくわかっています。

それと、この問題は、別ですね。

誤解のないように!

日本では、役人たちが、日本をリードしていると
思い上がっています。それが気に入らないのです。

官僚制度そのものに腹がたつのです。どういうわけか……。

メール、ありがとうございました。

プライベートな部分を割愛させていただき、
マガジンに掲載させてください。

字句は、マガジン用に統一させていただきますが、それは
お許しくださいね。

では、

おやすみなさい!

はやし浩司


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●他人の不幸話

++++++++++++++++++++

「他人の不幸話ほど、おもしろいものはない」と言った
哲学者がいた。が、それはそのままその人の非人間性を
表す。レベルの低さを表す。

そういう人間とは、容赦なく、縁を切るのがよい。

では、どうやって、それを見分けるか?

++++++++++++++++++++

 私が学生時代のころのこと。稼業は自転車屋だったが、家計など、あってないようなも
のだった。母は毎月の生活費を、頼母子講(たのもしこう)という、お金の融通制度を使
って工面していた。

 そういうとき、必ず決まって、しかも定期的に私の家にやってきて、私の家の家庭事情
をうかがっていく人がいた。さも同情するようなフリをし、あれこれ私の家の中の様子を
さぐっていった。

 そしていつも、話すことといえば、自分の自慢話。「あの土地を売って、○○万円、もう
けた」「株で、○○万円もうけた」と。

 金の亡者のような男だった。が、学生だったが、私はやがてその男の下心を見抜いた。
その男は、そういう形で私の家をのぞきながら、それを楽しんでいたのだ。

 そこであなた自身のこと。

 あなたにも、不幸なときがあったかもしれない。今、不幸かもしれない。そういうとき、
こちらが望みもしないのに、さも同情するフリをして近づいてくる人には、警戒したほう
がよい。家計の負担を担ってくれるとか、金銭的援助をしてくれるというのであれば、そ
れは本物かもしれない。しかしそういう人は、ぜったいに、そういうことはしない。

 で、今、私は母の介護している。少し前は、頭のボケた兄を介護した。私はそういう母
や兄のことを、自分のBLOGに書いている。多分、その(人)は、私の家の内情を知り
たいのだろう。3〜4日ごとに、アクセスしてきては、私のBLOGをのぞいている。

 私のほうは、そうした動きを、逆に探知することができる。(xxxx@aaaaaa)
のアドレスの人が、いつ、何時に、私のBLOGをのぞいたかが、それがわかるしくみに
なっている。

 なぜだろう? その人の子育ては、もうとっくの昔に終わったはず。私のBLOGなど
読んでも、何の役にも立たないはず。

 ……つまり、その人は、私の不幸話を知りたいのだ。その人は、昔から、そういう人だ
った。会うと、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言い方で、お上手を並べるが、それはうわ
べ。少なくとも、私には、通用しない。

 他人の不幸話がおもしろいと感じたら、それはそのまま私やあなたの人間性の低さを表
すものと考えてよい。すでに低劣な世界に、身を置いてしまっている可能性が高い。よい
例が、バラエティ番組で流される、離婚話や、愛憎劇などがある。ああいうものを見てお
もしろいと思うなら、まずあなた自身の人間性を疑ってみたほうがよい。

 他人の不幸は、それを笑った分だけ、今度は、自分で苦しむことになる。大切なことは、
私は私、あなたはあなたと、サバサバと生きること。もちろん相手から助けを求めてきた
ときは、話は別。それはそのときだが、少なくとも、こちらから介入してはいけない。と
きには、そっとしておいてやることこそ、親切というもの。

 今回も、母を介護するようになって、あれこれと言ってくる人がいる。しかし私とワイ
フの本心と言えば、「そっとしておいてほしい」ということ。私たちは私たちで、がんばっ
ている。だから、そう思う。それに母の介護など、私にとっては、不幸話でもなんでもな
い。そのおかげか、ここへきてからというもの、90歳の母が、日に日に、元気になって
いく。明るくなっていく。

 それを見るのは、私たち夫婦にとっては、喜びでしかない。

 ここでいう、3〜4日ごとに私のBLOGをのぞいている、あなた。私には、あなたが
だれだか、わかっている。もしそれに恥じるなら、どうか、私たちのことにはかまわない
でほしい。ご自身の老後の心配をしたらよい。ご自身の仕事の心配をしたらよい。少なく
とも、私たちは、あなたには、興味はない。まったく、ない。

これからも、つきあうつもりは、まったくない。
 

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 21日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アメリカの小学校

++++++++++++++++

アメリカの小学校を訪問してみたとき、
まず気がつくのは、窓がないということ。

あるにはあるが、窓というよりは、
換気のための窓といった感じ。

それだけではない。

子どもたちの机の配置にしても、
黒板、もしくは、教師のほうに
向いていない。

教師は、そのつど、生徒に話しかける。
あるいはそのつど、自分のまわりに
生徒を集める。

教育の理念そのものが、基本的な
部分で、ちがう。

++++++++++++++++

 日本の学校については、今さら、ここに書くまでもない。黒板と教壇が前にあって、生
徒の机と椅子は、それに向かって配置される。

 しかしそれはあくまでも日本の学校。決して、世界の標準でもなければ、常識でもない。

 たとえばアメリカでは、生徒の机や椅子は、教師のほうを向いていない。教師は教師で、
子どものまわりを歩きながら、そのつど、生徒に話しかける。あるいは必要に応じて、生
徒を、自分のまわりに集める。

 が、私が最初にアメリカの小学校を見たとき、何よりも驚いたのは、窓がないこと。ど
の教室も、どこか薄暗い。

 これについては、欧米人と日本人とでは、光に対する感受性がちがうという説がある。
欧米人は、明るいところが苦手、というわけである。

 さらにもうひとつ。アメリカの小学校には、日本でいうような運動場がないということ。
これにも驚いた。森の中に、そのまま小学校があったりする。では、どこで運動するか?

 私も最初、それが気になって、その小学校の校長に質問した。結果、アメリカでは、小
さな体育館のようなところで、運動することがわかった。あるいは都市部では、運動場と
いっても、バスケットコートがせいぜい1、2面ある程度。

 (オーストラリアの小学校には、日本でいうような運動場がある。しかしほとんどの小
学校では、運動場(?)を、芝生で覆っている。)

 こうしたちがいは、いったいどこからくるのか?

 日本では、「わかりかしたか?」「ではつぎ!」の一斉授業が、常識になっている。しか
しアメリカには、それがない。アメリカでは、「君はどう思う?」「それはすばらしい考え
方だ」の問いかけ授業が、常識になっている。つまり教育理念そのものが、基本的な部分
でちがう。

 「教え、育てる」のが、日本の教育。「引き出す(educe)」のがアメリカの教育。
以前は、日本の教育をさして、「詰め込み教育」と呼んだ。

 結果、日本の子どもたちは、相対的に画一的になり、アメリカの子どもたちは、相対的
に、個性的になる。以前にも書いたが、日本では、従順で、集団の中で協調性のある子ど
もを、(いい子)と評価し、アメリカでは、ワーワーと自己主張をする子どもを、(いい子)
と評価する。

 その1例というわけではないが、たとえば「shy(シャイ)」という言葉がある。日本
語では、「恥ずかしがり屋」と訳す。あるアメリカの小学校の校長が、私にこう言った。「ア
メリカでは、シャイな子どもは、問題児として扱われます」と。驚いて、私が、「日本では、
シャイというのは美徳ということになっている」と言い返すと、その校長は、私が驚いた
以上に、私の言葉に驚いた。

 日本の常識は、決して、世界の常識ではない。教室のあり方ひとつ見ても、それがわか
る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アメリカの小学校 アメリカの学校 アメリカの教室 アメリカの教育)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●学校の個性とは

+++++++++++++++++++++

実名を出して恐縮だが、日本を代表する商社と
いえば、三井物産という会社と、三菱商事と
いう会社ということになる。

しかしこの2つの商社は、同じ商社でありながら、
社風は、まったくちがう。

+++++++++++++++++++++

 実名を出して恐縮だが、日本を代表する商社といえば、三井物産という会社と、三菱商
事という会社ということになる。

 しかしこの2つの商社は、同じ商社でありながら、社風は、まったくちがう。

 「個性の三井」「組織の三菱」ともいう。「縦割りの三井」「横割りの三菱」ともいう。し
かしそれは雰囲気のことを言うのではない。組織の形態、そのものがちがう。

 たとえば三井物産では、それぞれの「課」が、単独で、事業を行う。同じ課の中でも、
それぞれの社員が、単独で事業を推進する。

 たとえば私のばあいだが、私は、「ニット部輸出課」というところに配属された。私が配
属された課では、愛知県の一宮市以西のニット製品を取り扱っていたが、社員ごとに、担
当地域が割り当てられる。「君は、オーストラリアと南アフリカを担当しろ」と。

 そこで私は、その担当地域にある海外支店に、見本を送り、商談をまとめ、それをハタ
ヤと呼ばれる織物会社に回す。ハタヤは、製品をつくり、それを三井物産指定の倉庫に納
める。私はその製品を船に載せ、目的地へ輸出する。決済をする。「縦割りの三井」という
のは、そういう意味である。

 こうした一連の作業を、ひとりで、こなす。

 一方、三菱商事では、それが横割りになっている。見本を送る課、商談をまとめる課、
発注する課などなど。そういった課が、それぞれ、全世界を相手に、仕事をまとめてする。
たとえば見本を送る課の社員は、毎日、世界中に見本を送る。ただひたすら、見本を送る。
商談をまとめる課は、あがってきた注文に応じて、ただひたすら、商談をまとめる。「横割
りの三菱」というのは、そういう意味である。

 こうしたちがいが生まれた理由は、もともと三井系は、呉服屋という「商店」が中心と
なって発展した組織、という背景がある。三井系の中では、三井物産という会社が、その
(柱)になっていた。三井銀行も、もとはといえば、三井物産の子会社に過ぎなかった。

 一方、三菱系は、両替商、つまり「銀行」が中心となって発展した組織、という背景が
ある。つまり三菱商事は、あくまでも三菱銀行の子会社にすぎなかった。

 こうした(ちがい)が、三井物産という会社と、三菱商事という会社の(ちがい)をつ
くった。だから全体をざっとみると、三井物産の社員には、個性的な人物が多い。一方、
三菱商事の社員は、三井物産の社員とくらべると、どこか銀行マン的。個性的な人物が少
ない。……ということになる。

 だから、三井物産では、その個人が、どれだけ活躍したかが、ひとつの大きな評価の材
料になる。わかりやすく言えば、それだけ純利益をあげたかによって、その社員は、評価
される。「課」についても、同様である。一方、三菱商事では、組織内における協調性、チ
ームワークが、ひとつの大きな評価の材料になる。

 これはあくまでも私の印象だが、三井物産と三菱商事を比較してみると、つぎのように
なる。

●三井物産……個人プレイが評価されるため、個人で利益をあげられないときは、その個
人は、容赦なく、切り捨てられる。課にしても、数年ごとに、利益のあがらない課は閉鎖
され、反対に、利益をあげられそうな課が誕生する。バリマリと仕事をこなす猛烈社員が、
高く評価される。

●三菱商事……会社への忠誠心が何よりも重視され、たがいの協調性が大切にされる。「課」
どうしの連携プレーが重んじられ、そのため会社としての安定感があるが、機動力に弱い。
……ということになる。

 しかしこれは何も、商社の話ではない。教育の世界においても、まさにこれと同じこと
が言える。つまり、「その学校では、何を大切にするか」によって、子どもの評価のし方が
決まり、ついで、子どものあり方まで決まる。

 たとえば個性を重んじる学校では、協調性が犠牲になる半面、個人としての活躍が評価
の対象となる。一方、協調性を重んじる学校では、個性が犠牲になる半面、チームあるい
は、団体としての活躍が評価の対象となる。

 日本国内では、そういったちがいは、よくわからないかもしれないが、たとえば日本の
学校とアメリカの学校という視点で比較すると、それがよくわかる。

 「同じ学校ではないか」と多くの人は考えるかもしれないが、学校の方針そのものよっ
て、子どものあり方まで決まる。その一例として、ここで三井物産という会社と、三菱商
事という会社を例にあげて考えてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学校の個性 教育 三井物産 三菱商事)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●合格発表

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昨日、市内のN高校中等部の
入試の合否発表があった。

しかし生涯において、これほどまでに
肝をつぶした合否発表はなかった。

++++++++++++++++

 ジリジリと時間だけが過ぎる。
 コチコチと、時計の刻む音。
 しかし電話はない。
 パソコンを何度も開くが、
 そのメールも、ない。

 ……

 昼過ぎになっても、ない。
 なんとも言えない、絶望感。
 閉塞感。
 「やっぱりダメだったのか」という思い。
 それがだんだんと重く心にのしかかる。

 合否通知は、とっくに届いているはず。
 まっさきに、それを私に知らせて
 くれるはず。

 しかし、……ない。

 自分の子どもだったら、まだ、あきらめもつく。
 しかしKさんは、ちがう。

 落ちるはずのない子ども。
 落ちてはならないはずの子ども。

 そんな思いで教室へ着くと、
 留守番電話にそれが入っていた。

 Kさんの親からのもので、
 「合格しました!」と。

 とたん、体中から、力が抜けた。
 ヘナヘナとその場に、体を沈めた。

 「よかった」と思った。
 心底、そう思った。

 そしてそのまま、折り返し、Kさんに電話。

 「おめでとう!」と。

++++++++++++++++++

 子どもの受験競争で、失敗する親というのは、たいていパターンが決まっている。子ど
もがもっている勉強のリズムを、破壊してしまう。平気で、破壊してしまう。

 はっきり言おう。子どもに、勉強のリズムをつくるのは、たいへん。時間がかかる。根
気も必要。それこそ半年単位の時間がかかる。

 しかし破壊するのは簡単。が、親には、それがわからない。「5年生になったから、進学
塾へ移ります」とか何とか言って、私の教室を去っていく。子どもの意思など、まるで無
視。とたん、そのリズムは、破壊される。

 子どもには、それぞれ、子どもの能力というものがある。決して平等ではない。その能
力を見極めたら、それにすなおに、従う。「やればできるはず」と思うのではなく、「やっ
てここまで」と思う。その余裕が、子どもを伸ばす。

 Kさんは、夏休みの間、どこかの進学塾の夏期講習を受けた。そのとき、Kさんは、母
親にこう言ったという。「私は私のやり方をする。林先生(=私)のところだけでじゅうぶ
ん」と。

 つまりKさんは、その時点で、背水の陣を敷いたことになる。私は私で、Kさんの母親
に、こう言った。「任せてください」と。

 Kさんは、人格的にも、人間的にも、すぐれた子どもである。子どもというより、おと
なに近い。私をさして、「林先生は、いやし系」と言ったこともある。私は、それをよい意
味にとらえた。私はそれに答えて、Kさんのために、3人だけのクラスを用意した。能力
的に恵まれた子どもだけを集めて、たがいに刺激しあう雰囲気を用意した。

 それが私のやり方だった。

 だから、Kさんには、何としても合格してほしかった。それは私自身の「力」が試され
る場所でもあった。Kさんは、学校だけの勉強で、何とか、それを乗り切った。もちろん、
入試内容に合わせて準備をした。それは私の仕事である。どことどこを縫い合わせればよ
いか、それだけを考えて私は指導した。

 はっきり言おう。子どもを点数でおどしたり、勉強で追いまくって指導するのは、簡単
なこと。そこらの大学生にだって、できる。しかしその子どものもつ自立性を大切にし、
その子どもが自らの意思で学習するようにしむけるのは、至難のわざ。Kさんの両親にし
ても、大きな賭けだったにちがいない。

 いや、反対に、あちこちの塾にひっかき回されるうちに、ダメになっていく子どもは多
い。世の親たちはそれを知らない。親があたふたとするから、子どもも、それにつられて、
あたふたとしてしまう。それはたとえて言うなら、多重債務に追われて仕事をするような
もの。仕事そのものが、手につかなくなる。

 しかし一度、こうなると、結果は、明白。ズルズルと成績だけが、さがってしまう。お
となの世界とちがって、やりなおしがきかない。1年は、あっという間に、過ぎてしまう。
親が気がついたときには、子どもの受験勉強そのものが終わっている。それだけに、親は、
慎重の上に、慎重であったほうがよい。

 今年も、「6年生になったから、進学塾へも通うようにしました」「家庭教師をつけるこ
とにしました」という子どもがいる。しかしそういう親に対して、私は無力でしかない。「ど
うぞ、ご勝手に」とまでは思わないが、遠まわしな言い方で、「どうか慎重に」とだけ伝え
る。子どもの受験勉強で、親が先頭に立って、それで成功したという例は、ほとんどない。
私はそういう失敗例を、うんざりするほど、経験してきている。

 つまり、親は、「もっと……」「さらに……」と無理をする。この無理が、かえって子ど
もをつぶしてしまう。リズムを破壊してしまう。成績がさがるだけならまだしも、心まで
つぶしてしまう。親子の人間関係まで、破壊してしまう。

 ともかくも、Kさん、おめでとう!

 よかった! 本当によかった! プラス、ありがとう!

+++++++++++++++

同じような原稿を以前、書いた
ことがある。

4年前に書いた原稿である。

+++++++++++++++

子どもの受験勉強

●C氏の言葉

 進学塾では、(できる子ども)を求める。そういう子どものほうが、教えるのも楽だし、
それに経営的にも、メリットがある。

 一方、(できない子ども)は、教えるのもたいへん。それにそういう子どもが多ければ多
いほど、塾の評判はさがる。が、それだけではない。(できない子ども)ほど、動きがはげ
しい。少し成績があがれば、すぐどこかへ移ってしまう。あがらなければあがらないで、
すぐまたやめてしまう。

 たとえば小学校の高学年や中学生で、すでに(できない)状態になっている子どもは、
その段階で、すでにかなり、キズついている。こじれている。学習態度も悪い。たいてい
は無気力になっている。自信をなくしていることも多い。

 さらにどこかでつまづいているから、それを補充しようとすると、このタイプの子ども
ほど、それをバツととらえる。だからますます勉強が、できなくなる。

 さらに問題は、つづく。(できない子ども)が、多少できるようになっても、親は、「効
果があった」とは言わない。「当たり前」とか、「やはりうちの子は、やればできるはず」
と思う。そう思って、無理を重ねる。効果がなければないで、ある日、突然、フイと塾を
やめていく。

 ……ここまでの話は15年近く、進学塾の講師をしたことのある、C氏(43歳)が、
私に話してくれたことである。C氏は、今、まったく別の仕事をしているが、私にこう言
った。「進学指導なんて、もうコリゴリです」と。わかる、その気持ち!

●子どもの心

 少し前、残り勉強が話題になった。ときの文部省が、音頭を取った。学力の足りない子
どもは、学校で残り勉強をさせるというものだった。しかしこうした試みは、確実に失敗
する。理由は、明白。子どもは残り勉強を、自分のためとは、とらえない。ここでいう「バ
ツ」ととらえる。

 またこの段階で、残り勉強を教えてくれる先生には、絶対に感謝などしない。「自分のた
め」という自覚すら、ない。

 残り勉強が、「自分のため」と理解するためには、その前提として、子ども自身が、「も
っとできるようになりたい」という意欲がなければならない。その意欲も、また希望もな
い子どもに、「あなたには、残り勉強が必要だ」と言っても、理解など、できるはずもない。
喜んで勉強など、するはずもない。

 これは進学塾についても、同じ。「うちの子は、塾に通う必要がある」と思うのは、親の
勝手だが、子ども自身は、そうは思っていない。そういう状態で、子どもを進学塾に通わ
せても、効果がない。ないばかりか、かえって、親子のパイプを、破壊してしまう。

 ある母親が、高校生になった娘に、「あんたはだれのおかげで、ピアノを弾けるようにな
ったと思っているの? ママが、毎週、高い月謝を払って、あんたをピアノ教室へ連れて
いってあげたからよ!」と言ったときのこと。その娘は、こう叫んだという。「いつ、だれ
が、あんたにそうしてくれと頼んだア!」と。

 こうした意識のズレは、とくに子どもの受験勉強では、起こりやすい。親は、「子どもの
ため」と考えるかもしれないが、子どもは、そうは思わない。「いらぬおせっかい」と、と
らえる。

●誤解と幻想

 この世界には、誤解と幻想がある。

 その第一。「やればできるはず」という幻想。たとえば親が、本屋へ行き、中学入試問題
集を手にしたとする。そのとき自分の子どもが、小学6年生だとすると、「うちの子に、で
きないはずはない。うちの子だって、小学6年生だ」と考える。

 そこでその問題集を、買う。家で、子どもにやらせる。しかし子どもは、できない。と
たん、親は、大きな不安感に包まれる。しかしこのとき、「問題集がおかしい」とか、「自
分の子どもにその能力がない」とか思う親は、まずいない。ほとんどの親は、「うちの子が
できないのは、やらないからだ」「小さいときから、勉強をしていないからだ」「やればで
きるはず」と思う。

 だから親は、進学塾の門をたたくとき、弁解がましく、必ず、こう言う。「今まで、あま
り勉強させませんでしたから……」「伸び伸びと遊ばせてきましたから……」と。

 そして家では、お決まりの親子げんか。「勉強しなさい!」「うるさい!」と。

 第二に、進学塾へ行けば、安心という幻想。勉強というのは、リズムの問題。そのリズ
ムがあるかないかで、できる、できないが決まる。が、親には、それがわからない。進学
塾だけで足りないと思うと、今度は、家庭教師をつける。さらにそれでも足りないと思う
と、また別の塾にも通わせる。

 こういうことを安易に繰りかえせば、その子どものリズムは、決定的なほどまでに、破
壊される。しかしその深刻さに、気づく親は、少ない。それはたとえて言うなら、多重債
務をかかえ、いくつかのサラ金業者に追いまくられるようなもの。あたふたしている間に、
何がなんだか、わけがわからなくなってしまう。

●では、どうするか?

 進学塾を利用するにしても、その内容やレベルよりも、「リズム」を大切にする。よい進
学塾には、そのリズムがある。そしてそのリズムに子どもが乗ったら、そのリズムを大切
にする。

 たとえば週2回のレッスンがあれば、それを。定期的な試験があれば、それを、ひとつ
のリズムにする。こういうリズムの中で、子どもの勉強グセを作っていく。

 一方、そうでない進学塾は、リズムがバラバラ。突然思い立ったようにテストをしてみ
たり、思い立ったように、むずかしいワークブックを渡したりする。あるいはやらなくて
もよいようなときに、特別レッスンをしてみたり、それほど用もないのに、親を呼びつけ
たりする。

 講師の言っていることも、メチャメチャ。どこかおかしい。チグハグ。ささいなことを、
ことさら大げさに問題にしてみたり、トンチンカンなことを言ったりする。ある研究会に
顔を出したときのこと。1人の塾教師(幼児教室の講師)は、さも自信たっぷりに、こう
言った。

 「幼児の心を知りたかったら、自分でオムツをしてみればいいです。老人用のオムツが
ありますから、それをしてみればいいです。それで幼児の心がわかります」と。

 とんでもない意見だが、その人は、すごく真剣だった。

 つぎにもちろん、子どもの能力とレベルをわきまえること。よく進学塾では、「今年はX
X人、SS高校に入学しました」などと発表する。しかし同時に、それ以上の数の子ども
が、受験に失敗している。そういった事実を、客観的に見る。

 進学塾へ入って、成績を伸ばす子どももいるが、かえってさげてしまう子どももいる。
むしろ、さげる子どものほうが多い。それもそのはず。進学を目的にした塾では、できる
子どもに合わせて授業を進める。できる子ども方が、冒頭に書いたように、経営的に大切。
だから、それは当然のことではないか。

 無理をしても意味がないばかりか、かえって逆効果だということ。……こう書くと、「で
はあきらめろということか?」と言う人がいるかもしれない。それには、私は明確に答え
る。「そう、あきらめなさい」と。

 勉強にかぎらず、こうした子どもの問題には、必ず、二番底、三番底がある。「今が最低」
と親は思うかもしれないが、無理をすると、さらに二番底、三番底へと、子どもは落ちて
いく。だから「あきらめる」。

 子どもというのは、不思議なもので、親があきらめると、その時点から伸び始める。反
対に、「まだ何とかなる」「こんなはずはない」と親が、がんばればがんばるほど、子ども
の成績はさがる。最後に、10年ほど前に私が経験した、M君(中3男子)のケースを書
く。

●M君のケース

 M君が、私の教室にきたのは、小学6年生になってからだった。このM君のばあいは、
教えることよりも、リズムをつくるのがたいへんだった。私がやっとのことで、リズムを
つくっても、親が介入してきて、それをことごとく破壊してしまった。

 たとえば簡単なワークブックを1日、1枚すると決めたとする。で、そういうリズムが
軌道にのるまでには、最低でも数か月はかかる。(数か月だ!)が、そのリズムができる前
に、親がやってきて、「このワークブックもやらせてほしい」「今度、D中学校を受験する
ことにしたので、その入試問題もやらせてほしい」と言ってきた。

 中学へ入ってからも、この状態は変わらなかった。私はカセットテープを聞きながら、
毎日英語を書かせるという指導を始めた。この学習とて、やはり数か月単位の、根気のい
る作業が必要である。

 が、それについても、「今度、K塾にも入ったから」とか、「ときどき親類のお兄ちゃん
に勉強をみてもらっているから」と、破壊していく。

 結局M君は、最後まで、自分のリズムをつかむことができなかった。中学3年生になる
ころには、私の教室へきても、ただ眠っているだけ。そんなとき、私を心底、失望させる
事件が起きた。

 ある日母親がやってきて、こう言った。「今度、S塾にも行かせることにした。ついては
先生のところと時間が合わないので、今、週2回きているが、週1回にしてほしい」と。
私が何と答えてよいかわからないでいると、突然会話をはぐらかし、「アーラ、先生、セン
スのよいシャツを着てらっしゃいますのねエ」と。

 私が、やっとの思いで、「もしそうなら、今日で、私の教室をやめてほしいのですが」と
言うと、その母親は、かなり驚いて様子で、こう言った。「うちの子は、楽しんできていま
す。あなたにうちの子をやめさせる権利はないでしょう」と。

 M君は、親にひきずり回されているだけだった。もちろん自分のリズムなど、もってい
ない。言われるまま、親に従っていた。そののち、M君が、どうなったか。今さら、ここ
に書くまでもない。しかしこうした失敗は、実に多い。何割かがそうであると言ってもよ
い。

 あなたも一度、あなたの子どもがどんなリズムをもっているか。あるいはもっていない
か、それを冷静にみてみたらよい。
(030830)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++++++

寒い朝だった。久々に、つんとした
冷気を感じた。

昨夜は、どこか風邪ぽかったので、
薬をのんで、早く、床についた。

++++++++++++++++++

●インチキ番組

 「あるある2」がしたインチキ番組への怒りは、相当なものだ。子どもたちは、みな、
こう言った。「パパは、怒っていた」「うちのママも、怒っていた」と。

 前にも書いたが、すべてインチキとヤラセだったというから、恐ろしい。「納豆は、ダイ
エット効果がある」という番組だった。そのため、その翌日には、全国で、納豆が売り切
れる店が続出したという。

 私も、たまたまその番組を見た。翌日、朝食のとき、ワイフに、「納豆って、すごいダイ
エット効果があるんだってエ」というような話をした。

 テレビが、娯楽と現実逃避のための道具になって久しい。しかしテレビがもつ影響力は、
今回の番組を例にあげるまでもない。テレビで有名になったというだけで、知事にもなれ
るご時世である。私たち自身が、どこかで一線を引かないと、それこそ、私たちはテレビ
に操られるまま、操られることになる。テレビは、こわいゾ〜。


●おかしな老人

 昨日、ワイフと2人で、母がいるケアセンターへ行ってきた。書類を届けるためである。
そのとき、いつも世話になっている看護士さんが、館内を案内してくれた。

 そこで1人の老人を見かけた。年齢は、70歳を少し過ぎたくらい。いかめしい顔つき
をしていた。

 と、そのとき、ヘルパーさんらしき女性が、その男性に、何かを話しかけた。が、その
男性は顔色ひとつ変えず、かなり威張った態度で、「わかっとる」「うるさい」と。世話を
してくれているヘルパーさんに向かって、怒鳴り散らしていた。

 私が「変わった人ですね」と看護士さんに話しかけると、「あの人は、東京の慶応大学を
出て、留学経験のある人なんですよ」と話してくれた。私の素人判断だが、ピック病か何
かになっているような感じだった。脳の一部が破壊され、人格そのものが、ゆがんでいる。

私「それにしても、絵に描いたような威張り方ですね。昔の武士のような……」
看「そうなんですよ。ほかの人の輪にも入らず、いつもああして部屋のすみで、威張って
います」
私「頭はいいのですか?」
看「ある部分はそうですが、そのため、かえって、扱いにくいですね」と。

 ピック病……認知症のひとつだが、ウィキペディア百科事典には、こうある。

 「前頭葉機能の障害による反社会的行動(不作為の法規違反など)、常同行動(同じ行動
を繰りかえす)、時刻表的生活、食嗜好の変化などがみられる」と。

 アルツハイマー病とちがうところは、人格障害による人格変化が著しいということ。発
症率はアルツハイマー病の1/3〜1/10だそうだ(インターネット医科大学)。見当識
はそのまま残ることが多く、そのため、一応言うことだけは、まとも、といった風になる。

「すなわち、自制力低下(粗暴、短絡、相手の話は聞かずに一方的にしゃべる)、感情鈍
麻、異常行動(浪費、過食・異食、何でも口に入れる、収集、窃盗、徘徊、他人の家に
勝手にあがる)などがあり、人格は変わり(無欲・無関心)、感情の荒廃が高度で、特に
対人的態度が特異である。

たとえば、人を無視した態度、診察に対して非協力、不真面目な態度、ひねくれた態度、
人を馬鹿にした態度などで、病識はない。その他、会話中に同じ内容の言葉を繰り返す、
滞続言語(滞続言語とは、特有な反復言語で、質問の内容とは無関係に、何を聞いても
同じ話を繰り返すもので、他動的に誘発され、持続的で制止不能である)も特有である」
(同)とある。

 この中でとくに注意したいのが、「病識がない」という点。「病識」というのは、「自分が
病気であるという自覚」をいう。それがない。だから扱いにくい。家族の人たちが「病院
へ行こう」と誘っても、「私は病気ではない」とがんばる。

 アルツハイマー病と並んで、近年、クローズアップされてきた痴呆症のひとつである。

(1)威張った態度
(2)時刻表どおりの生活
(3)他人との接触をこばむ
(4)反社会的行動
(5)日常的に反復行動をする、というのであれば、ピック病を疑ってみる。……という
ことらしい。

 こういう言い方は、たいへん不謹慎かもしれないが、(確かに不謹慎だが)、自分の未来
を知りたかったら、ケアセンターのようなところを訪問してみるとよい。あなたも、そし
て私も、何10%かの確率で、あそこにいるような老人になる。

 ……しかし病識がないというのは困る。仮に私がそのピック病になったとしたら、自分
ではそれがわからないということになる。ただし、40〜50代に発症のピークを迎える
という。それを過ぎれば、だいじょうぶということか。ホッ!


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●やせ過ぎの女性

+++++++++++++++++

ガリガリに、しかも痛々しいほどまでに
やせすぎの若い女性が目立つ。
肌は灰色、カサカサ……。

そのほうが、美しいと錯覚している
女性も多いようだが、美しいこと
イコール、決して、セクシーという
ことではない。

このたび、やせ過ぎ女性の国際比較が、
WHOより、公表された。

+++++++++++++++++

 このたび、やせ過ぎ女性の国際比較が、WHOより、公表された。その資料をそのまま
紹介する。


「……ここで、やせ過ぎ(痩せすぎ)は、BMI(体重Kg÷身長の二乗平方メートル)
が、18・5未満と定義されている。

 一般には、食料事情もあって、所得(1人当たりGDP)の低い貧困国ではやせ過ぎ女
性が多いという傾向がある。

 とくに、パキスタン、バングラデシュといったイスラム国で、やせ過ぎ女性が多いこと
が目立っている。これはこうした国の女性の平均寿命の対男性比が、相対的低いことと
も関わりがあると思われる。

 日本は、12・24%と39か国中、10位であるが、所得の高い国としては、異例の
高さとなっている点が目立っている。国民全体、あるいは女性平均の体型が世界の中で
スリムである点では、日本と共通の韓国でもやせ過ぎ女性の比率は、5・6%とそれほ
ど高くない」と。

 まとめて言うと、日本人の中には、やせ過ぎの女性が多いということ。数字でみると、
10人に1人以上ということになる。

 実は、私も、かねてから、それを強く感じていた。と、同時に、日本の女性たちは、何
かを誤解しているのではないかと思っていた。中には、痛いいたしいほどまでにやせ過ぎ
の女性がいる。筋肉がこけ、間接部の骨だけが丸く飛び出た感じになった女性も多い。気
持ちは理解できなくもないが、こうしたスリム願望が、拒食症と結びつくことも多い。が、
それだけではすまない。

 無理なダイエットが原因で、女性としての機能を失ってしまう女性も、ふえているとい
うこと。もしそうなれば、何のためのダイエットかということになる。

 そこでこうした弊害を避けるために、つまり無理なダイエットで、体を壊す女性を防ぐ
ために、たとえばスペインのマドリード市では、「モデルのボディーマス指数(BMI=体
重を身長の2乗で割った比率)は、最低18以上」と規定し、それ未満のやせ過ぎたモデ
ルのショー出場を禁ずることにしたという(毎日新聞)。

 日本も、こうした動きに、しっかりと追従したらよい。……しかし、それにしても、1
2・24%とは! 先進国の中でも、ダントツに高いこの数字を、私たちは、どう考えた
らよいのか。

 ちなみに、

 日本    ……12・24%
 中国     ……8・50
 韓国     ……5・60
 アメリカ   ……3・26
 イギリス   ……3・00
 オーストラリア……1・48
 アイルランド ……1・10、だそうだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
BMI やせ過ぎ)

【付記】

 これは私の個人的な好みなのかもしれないが、女性の美しさは、健康的な美しさに、理
知的な美しさが加味されて決まる。ハツラツとしていて、肌が輝いている女性をいう。体
型でいえば、ムチッとした、女性としての肉体的特徴をもった女性をいう。細ければよい
というものでは、決して、ない。

 子どもの体型について論ずるのは、教育の世界ではタブー視されている。であるなら、
なおさら、おとなの世界に蔓延する誤解を、しっかりと問いただしていかねばならない。
結局は、それが私やあなたの子どもの健康を守るということにつながっていく。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●時刻表的生活

+++++++++++++++

毎日、時刻表のように規則正しい
生活をしている人がいる。

毎朝、6時半起床。
毎朝、6時40分に、カーテンをあける。
毎朝、7時から朝食の準備を始める……、と。

規則正しい生活は、健康の要(かなめ)とは
いうが、私のように、非時刻表的な
生活をしている者からみると、それは
異常としか、思えない。

+++++++++++++++

 私の知人に、毎日、同じ時刻に同じ生活を繰り返している人がいる。毎朝、6時半に起
床。夏も、冬も、だ。その誤差は、大きくても、プラスマイナス数分以内。

 起きると、まず、部屋ごとのカーテンを開ける。その開ける順番まで、決まっている。
開け方まで決まっている。

 そういう生活を、「時刻表的生活」という。ピック病という、認知症患者の典型的な症状
のひとつとされる。……ということを最近知って、実は、私は、ほっとした。

 私は、何を隠そう、日常的に、非時刻表的な生活をしている。起床時刻など、あってな
いようなもの。就寝時刻も、毎晩、ちがう。だいたい、9時半から12時ごろまでという
だけで、決まった時刻がない。そのときの気分と、様子によって、早く床についたり、し
なかったりする。

 で、規則正しい生活は、健康の要(かなめ)という。それはわかっているが、私はその
規則正しい生活が、苦手。日々に、何らかの変化を感じないと、それだけで退屈してしま
う。だいたい、仕事以外のことで、時間にしばられるのが、いや。嫌い。自由気ままに生
きたい。

 だから、その知人の話を聞いたときには、最初は、「おかしい?」と思う前に、尊敬の念
すら抱いてしまった。「すごい人だな」と。

 で、その知人が、ピック病なのかどうかは知らない。が、あちこちから情報を寄せ集め
ると、どうやら、その疑いがあることがわかってきた。詳しいことは、ここには書けない
が、その人については、「?」という印象をもち始めている。

 規則正しいといっても、限度というものがある。毎日、数分以内の誤差で、同じ生活を
繰り返すというのは、どう考えても、おかしい。ピック病は、前頭前葉の機能がそこなわ
れることが原因でそうなるとされる。脳の病気を疑っても、何らおかしくない。

 ……ということで、改めて、宣言!

 今までどおり、私は、不規則を旨(むね)とする生活をつづけるぞ! ハハハ。私の前
頭前葉は、正常なのだ!


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●6か国協議

 またまた6か国協議だ、そうだ。

 アメリカは、完全にサジを投げてしまった。今は、そんな感じがする。つまり、アメリ
カは、アメリカの国益だけを最優先。あとのことは、知ったことか、と。

 アメリカの国益……K国の核兵器問題だけ片づけば、それでよい。日本や韓国のことは、
知ったことではない、と。わかりやすく言えば、日本にとっては、最悪のシナリオに向か
って、ことが動き始めている。

 ブッシュ大統領が、中間選挙で敗北したこともある。イラク問題で、アメリカが四苦八
苦していることもある。アメリカにしてみれば、「どうして日本や韓国の平和と安全に責任
をもたねばならないのか」、ということになる。

 「反米を唱えているのは、韓国であって、日本でない」と、いくら日本が叫んでも、あ
のブッシュ大統領には、その声は届かない。アメリカのワシントンから日本を見ると、日
本は、ヨーロッパの向こうの、イラクより、さらに向こうの、極東のはずれにある。地図
の上で、日本と韓国がどこにあるかさえ知らない人も多い。いわんや、区別など、つくは
ずがない。

 が、これでK国の核開発問題が解決すると考えるのは、早計。いわば振り出しにもどる
だけ。K国はひとつずつ譲歩する姿勢を見せながら、つぎつぎと無理難題をふっかけてく
るはず。あるいは法外な補償を求めてくるはず。そのたびに、日本は、それに翻弄(ほん
ろう)されるだけ。

 もちろん拉致問題など、どこかへ吹き飛んでしまう。

 では、どうするか?

 ……と書いても、今の日本に、打つ手はない。あるとすれば、表向きは6か国協議の再
開を喜んでいるフリをしながら、中国をできるだけ日本の陣営に引きこむことくらいなも
の。私の予想では、K国は、核開発の凍結までは約束するだろうが、廃棄まではいかない。
つまりそのあたりで話しあいがごちゃごちゃになり、もの別れになる。

 注目すべきは、中国やロシアではなく、韓国の動きである。中国とロシアは、すでにK
国をどう分割、管理しようかという話しあいをすでに進めている。K国がもつ地下資源を、
虎視眈々(こしたんたん)とねらっている。

 それに遅れまいと韓国が乗り出してくるはず。K国のしかけたワナに、まんまとひかか
るはず。日本はそれを見届けたあと、ゆっくりとつぎの手を考えるしかない。
(07年1月24日)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争・最終局面

++++++++++++++

日韓経済戦争が、いよいよ最終局面を
迎えつつある。

日銀の反対を押し切って、金利引き上げを
見送った日本政府。

かたや韓国は、ウオン高に悩みつつも、
IT産業への巨大融資をつづけている。

++++++++++++++

 韓国のS電子が、半導体メモリーの生産ラインに、総額で1兆8000億ウォン(約2
353億円)程度の投資すると、1月22日に発表した。その一環として、メモリーライ
ンに8000億ウォン(約1060億円)を投じる計画という。

 目立たないニュースだが、日韓経済戦争は、いよいよ最終局面を迎えつつあるとみてよ
い。日本が勝つか。それとも韓国が生き残るか。

 その韓国だが、2007年に入って、外資の逃避がますます進行している。わかりやす
く言えば、外人投資家たちが韓国を見放し始めているということ。この10日間だけでも、
韓国の株価は、それによって下落しつづけている。正確な数字を追ってみよう。

韓国の資本収支をみると、昨年1〜11月期、外国人投資家の国内直接投資は、18億
ドル(約2180億円)と、11年ぶりの最低値を記録している。このため国際直接投
資収支は41億ドル(約4970億円)の赤字となった。また、外国人の株式・債券投
資金も韓国離れが進み、間接(ポートフォリオ)投資も、214億ドル(約2596億
円)の赤字だった。

 そういう最中、日銀は、日本政府の反対に押されて、金利の引き上げを見送った。その
結果、ウォンに対する円安が進み、現在、100円=775ウォンにまで急落している。

 少し前まで、100円=800ウォンが、防衛ラインと言われていたから、それよりも
25ウォンも、ウォン高(円安)になったということになる。

 こうなると、海外で「韓国製は安い」という評価は、もう成りたたなくなる。韓国の国
内では華々しく報道されているL電子(液晶テレビメーカー)だが、そのL電子にしても、
内情はよくない。昨年10月〜12月期には、テレビ事業の不振で年末に大規模な在庫処
理を断行し、400億ウォン(約52億円)を超える営業赤字を記録している。

 かたや日本の企業は、投資につづく、投資。今回のS電子の投資は、それに危機感を抱
いた韓国政府の後押しによるものだということは、今さら、ここに書くまでもない。G自
動車、それにS電子。もしこれら2つの国策企業が傾くようなことがあれば、韓国はその
まま、自らの経済基盤を失うことになる。

 が、結果は、見えている。いや、すでに見え始めている。

 朝鮮N報は、つぎのように伝えている。

++++++++++

●財政赤字

政府財政赤字はますます膨れ上がっている。昨年の管理対象収支(統合財政収支―社会保
障性基金+公的資金償還金)の赤字額は10兆ウォン(約1兆3000億円)にのぼり(財
政経済部推定)、今年の赤字幅はさらに増える見通し。 

●家計

家計の収支も急速に赤字に向かっている。昨年の家計負債が国内総生産(GDP)に占め
る割合は、クレジットカード乱用が問題となった2002年の水準(64%)を超えた。昨
年第4四半期の統計が出れば、昨年のこの割合は70%近くになるものと推定される。 

さらに所得は増えていないのに借金だけ増えたため、昨年の家計貯金率は3%台前半となり、
1997年通貨危機前の6分の1程度まで落ち込んだ。 

●企業収益も悪化 

その一方で、ウォン高や金利上昇により、企業の収益性も悪化している。営業利益で利子
も払えない企業の割合は2005年第3四半期の30・2%から、昨年の第2四半期には
34・6%に増え、今年はさらに悪化するものと各民間研究所ではみている。

++++++++++

 少し前まで、「我々も、先進国首脳会議のメンバーになる資格がある」と騒いでいた韓国。
しかし今は、その声も聞かれなくなった。

 私たち日本人も、現在のN政権時代になって、日本にとって韓国がどういう国か、それ
がよくわかったはず。あのバブル経済がはじけ、日本がドン底をはっていたとき、それを
連日のように、おもしろおかしく書きたてていた韓国。そして今は、反日、反日の大合唱。

 日韓経済戦争とはいうが、日本は、この戦争にだけは、ぜったいに、敗れてはいけない。
この戦争には、日本の将来そのものがかかっている。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

子どもたちへ

すねたり
いじけたり
つっぱったりしないでさ、
自分の心に静かに
耳を傾けてみようよ
そしてね、
その心にすなおに
したがってみようよ

つまらないよ
自分の心をごまかしてもね
そんなことをすればね
自分をキズつけ
相手をキズつけ
みんなをキズつけるだけ

むずかしいことではないよ
今、何をしたいか、
どうしたいか、
それを静かに
考えればいいのだよ

仲よくしたかったら、
仲よくすればいい
頭をさげて
ごめんねと言うことは
決してまけることでは
ないのだよ
ウソだと思ったら
一度、そうしてみてごらん
今より、ずっとずっと
心が軽くなるよ


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●好かれる子ども

++++++++++++++++

アメリカのある学者が、大学生を
対象として調べたところ、

好ましい性格、つまり人に好かれる
性格は、

(1)誠実であること、
(2)正直であること、
(3)理解力があること、だそうだ。

(アンダーソン:「性格心理学」・ナツメ社)

++++++++++++++++

 アメリカのある学者が、大学生を対象として調べたところ、好ましい性格、つまり人に
好かれる性格は、

(1)誠実であること、
(2)正直であること、
(3)理解力があること、
(4)忠実であること、
(5)信用できること、だそうだ(アンダーソン:「性格心理学」・ナツメ社)。

 これは大学生を対象としてなされた調査だが、小中学生の間でも、ほぼ、同じとみてよ
い。(もちろん、おとなの世界でも、である。)

 古い原稿だが、以前書いた原稿を、そのまま紹介する。

++++++++++++++++++

●生きる哲学

+++++++++++++++++++++++

誠実に生きる。
……それが自然な形で、できるようになったとき、
その人を、善人と、人は呼ぶ。

+++++++++++++++++++++++

 生きる哲学にせよ、倫理にせよ、そんなむずかしいものではない。もっともっと簡単な
ことだ。人にウソをつかないとか、人がいやがることをしないとか、自分に誠実であると
か、そういうことだ。

もっと言えば、自分の心に静かに耳を傾けてみる。そのとき、ここちよい響きがすれば、
それが「善」。不愉快な響きがすれば、それが「悪」。あとはその善悪の判断に従って行
動すればよい。

人間には生まれながらにして、そういう力がすでに備わっている。それを「常識」とい
うが、決してむずかしいことではない。もしあなたが何かのことで迷ったら、あなた自
身のその「常識」に問いかけてみればよい。

 人間は過去数一〇万年ものあいだ、この常識にしたがって生きてきた。むずかしい哲学
や倫理が先にあって生きてきたわけではない。宗教が先にあって生きてきたわけでもない。
たとえば鳥は水の中にはもぐらない。魚は陸にあがらない。そんなことをすれば死んでし
まうこと、みんな知っている。そういうのを常識という。

この常識があるから、人間は過去数一〇万もの間、生きるのびることができた。またこ
の常識にしたがえば、これからもずっとみんな、仲よく生きていくことができる。

 そこで大切なことは、いかにして自分自身の中の常識をみがくかということ。あるいは
いかにして自分自身の中の常識に耳を傾けるかということ。たいていの人は、自分自身の
中にそういう常識があることにすら気づかない。気づいても、それを無視する。粗末にす
る。そして常識に反したことをしながら、それが「正しい道」と思い込む。あえて不愉快
なことしながら、自分をごまかし、相手をキズつける。そして結果として、自分の人生そ
のものをムダにする。

 人生の真理などというものは、そんなに遠くにあるのではない。あなたのすぐそばにあ
って、あなたに見つけてもらうのを、息をひそめて静かに待っている。遠いと思うから遠
いだけ。

しかもその真理というのは、みんなが平等にもっている。賢い人もそうでない人も、老
人も若い人も、学問のある人もない人も、みんなが平等にもっている。子どもだって、
幼児だってもっている。赤子だってもっている。あとはそれを自らが発見するだけ。方
法は簡単。何かあったら、静かに、静かに、自分の心に問いかけてみればよい。答はい
つもそこにある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
誠実論 誠実)

 
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●常識をみがく

+++++++++++++++++

音楽を聴いて、美しいものを見て、
よき人たちと交際して、
自分にすなおに生きる。

それから生まれる心地よさこそが、
私たちがもつ、「常識」ということに
なる。

+++++++++++++++++

 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思
えば、美しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そ
ういう自分に静かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にと
って不愉快かがわかるようになる。

無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人はいない。排
気ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知っている。
それが「常識」だ。

 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直に
なってみるのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まち
がえて50円、余計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私
がその50円を返すと、店員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそう
に笑った。そのここちよさは、みんなが知っている。

 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそ
うでなくても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実の
ところ、私は若いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついていた。自分
では「いけないことだ」と思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることが
できなかった。

私の中には、私であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つ
っぱったり……。先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車
に飛び乗った。「家になんか帰るか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町の豊橋
のホテルに泊まるつもりでいた。

が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみた。「私は本当に、ホテルに泊まりたい
のか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、自分のふとんの中で、女房の横で寝
たかった。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。

 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私で
あって、私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。
いつ、なぜそういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そうい
う私であって私でない部分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。

 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」
を知る。いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、そ
れなりに戦わねばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」
をみがくことと言ってもよい。

 「常識」はすべての哲学、倫理、そして宗教をも超える力をもっている。

++++++++++++++++++

【すばらしい人たち・2人の知人】

+++++++++++++++++

「すばらしい」と思える人に出会うのは、
それだけでもラッキーなことと考えてよい。

めったにあることではない。

+++++++++++++++++

●二人の知人

 石川県金沢市の県庁に、S君という同級生がいる。埼玉県所沢市のリハビリセンターに、
K氏という盲目の人がいる。親しく交際しているわけではないが、もし私が、この世界で、
もっともすばらしい人を2人あげろと言われたら、私は迷わず、この2人をあげる。

この2人ほどすばらしい人を、私は知らない。この2人を頭の中で思い浮かべるたびに、
どうすれば人は、そういう人になれるのか。またそういう人になるためには、私はどう
すればよいのか、それを考えさせられる。

 この2人にはいくつかの特徴がある。誠実さが全身からにじみ出ていることもさること
ながら、だれに対しても、心を開いている。ウラがないと言えば、まったくウラがない。
その人たちの言っていることが、そのままその人たち。

楽しい話をすれば、心底、それを楽しんでくれる。悲しい話をすれば、心底、それを悲
しんでくれる。子どもの世界の言葉で言えば、「すなおな」人たちということになる。

●自分をさらけ出すということ

 こういう人になるためには、まず自分自身を作り変えなければならない。自分をそのま
まさらけ出すということは、何でもないようなことだが、実はたいへんむずかしい。たい
ていの人は、心の中に無数のわだかまりと、しがらみをもっている。しかもそのほとんど
は、他人には知られたくない、醜いものばかり。

つまり人は、そういうものをごまかしながら、もっとわかりやすく言えば、自分をだま
しながら生きている。そういう人は、自分をさらけ出すということはできない。

 ためしにタレントの世界で生きている人たちを見てみよう。先日もある週刊誌で、日本
の4タヌキというタイトルで、4人の女性が紹介されていた。元野球監督の妻(脱税で逮
捕)、元某国大統領の第2夫人(脱税で告発)、元外務大臣の女性(公費流用疑惑で議員辞
職)、演劇俳優の女性の4人である。(「タヌキ」という言葉は、私が使ったのではない。週
刊誌にそう書いてあった。)

4番目の演劇俳優の女性は別としても、残る3人は、たしかにタヌキと言うにふさわし
い。昔風の言い方をするなら、「ツラの皮が、厚い」ということか。こういう人たちは、
多分、毎日、いかにして他人の目をあざむくか、そればかりを考えて生きている。まさ
にそういう感じの人たちである。仮にあるがままの自分をさらけ出せば、それだけで人
は去っていく。だれも相手にしなくなる。つまり化けの皮がはがれるということになる。

●さて、自分のこと

 さて、そこで自分のこと。私はかなりひねた男である。心がゆがんでいると言ったほう
がよいかもしれない。ちょっとしたことで、ひねくれたり、いじけたり、つっぱったりす
る。自分という人間がいつ、どのようにしてそうなったかについては、また別のところで
考えることにして、そんなわけで、私は自分をどうしてもさらけ出すことができない。

ときどき、あるがままに生きたら、どんなに気が楽になるだろうと思う。が、そう思っ
ていても、それができない。どうしても他人の目を意識し、それを意識したとたん、自
分を作ってしまう。

 ……ここまで考えると、その先に、道がふたつに分かれているのがわかる。ひとつは居
なおって生きていく道。もうひとつは、さらけ出しても恥ずかしくない自分に作り変えて
いく道。いや、一見この二つの道は、別々の道に見えるかもしれないが、本当は一本の道
なのかもしれない。もしそうなら、もう迷うことはない。二つの道を同時に進めばよい。

●あるがままに生きる

 話は少しもどるが、自分をごまかして生きていくというのは、たいへん苦しいことでも
ある。疲れる。ストレスになるかどうかということになれば、これほど巨大なストレスは
ない。あるいは反対に、もしごまかすことをやめれば、あらゆるストレスから解放される
ことになる。人はなぜ、ときとして生きるのが苦痛になるかと言えば、結局は本当の自分
と、ニセの自分が遊離するからだ。そのよい例が私の講演。

 最初のころ、それはもう20年近くも前のことになるが、講演に行ったりすると、私は
ヘトヘトに疲れた。本当に疲れた。家に帰るやいなや、「もう2度としないぞ!」と宣言し
たことも何度かある。

もともとあがり症だったこともある。私は神経質で、気が小さい。しかしそれ以上に、
私を疲れさせたのは、講演でいつも、自分をごまかしていたからだ。

 「講師」という肩書き。「はやし浩司」と書かれた大きな垂れ幕。それを見たとたん、ツ
ンとした緊張感が走る。それはそれで大切なことだが、しかしそのとたん、自分が自分で
なくなってしまう。精一杯、背伸びして、精一杯、虚勢を張り、精一杯、自分を飾る。と
きどき講演をしながら、その最中に、「ああ、これは本当の私ではないのだ」と思うことさ
えあった。

 そこであるときから、私は、あるがままを見せ、あるがままを話すようにした。しかし
それは言葉で言うほど、簡単なことではなかった。もし私があるがままの自分をさらけ出
したら、それだけで聴衆はあきれて会場から去ってしまうかもしれない。そんな不安がい
つもつきまとった。そのときだ。私は自分でこう悟った。「あるがままをさらけ出しても、
恥ずかしくないような自分になろう」と。が、今度は、その方法で行きづまってしまった。

●自然な生活の中で……

 ところで善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り
口が違っただけ。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。もし善人が善人になり、悪人が
悪人になるとしたら、その分かれ道は、日々のささいな生活の中にある。

人にウソをつかないとか、ゴミを捨てないとか、約束を守るとか、そういうことで決ま
る。つまり日々の生活が、その人の月々の生活となり、月々の生活が年々の生活となり、
やがてその人の人格をつくる。日々の積み重ねで善人は善人になり、悪人は悪人になる。

しかし原点は、あくまでもその人の日々の生活だ。日々の生活による。むずかしいこと
ではない。中には滝に打たれて身を清めるとか、座禅を組んで瞑想(めいそう)にふけ
るとか、そういうことをする人もいる。私はそれがムダとは思わないが、しかしそんな
ことまでする必要はない。あくまでも日々の生活。もっと言えば、その瞬間、瞬間の生
きザマなのだ。

 ひとりソファに座って音楽を聴く。電話がかかってくれば、その人と話す。チャイムが
鳴れば玄関に出て、人と応対する。さらに時間があれば、雑誌や週刊誌に目を通す。パソ
コンに向かって、メールを書く。

その瞬間、瞬間において、自分に誠実であればよい。人間は、もともと善良なる生き物
なのである。だからこそ人間は、数十万年という気が遠くなる時代を生き延びることが
できた。

もし人間がもともと邪悪な生物であったとするなら、人間はとっくの昔に滅び去ってい
たはずである。肉体も進化したが、同じように心も進化した。そうした進化の荒波を越
えてきたということは、とりもなおさず、私たち人間が、善良な生物であったという証
拠にほかならない。私たちはまずそれを信じて、自分の中にある善なる心に従う。

 そのことは、つまり人間が善良なる生き物であることは、空を飛ぶ鳥を見ればわかる。
水の中を泳ぐ魚を見ればわかる。彼らはみな、自然の中で、あるがままに生きている。

無理をしない。無理をしていない。仲間どうし殺しあったりしない。時に争うこともあ
るが、決して深追いをしない。

その限度をしっかりとわきまえている。そういうやさしさがあったからこそ、こうした
生き物は今の今まで、生き延びることができた。もちろん人間とて例外ではない。

●生物学的な「ヒト」から……

 で、私は背伸びをすることも、虚勢を張ることも、自分を飾ることもやめた。……と言
っても、それには何年もかかったが、ともかくもそうした。……そうしようとした。いや、
今でも油断をすると、背伸びをしたり、虚勢を張ったり、自分を飾ったりすることがある。
これは人間が本能としてもつ本性のようなものだから、それから決別することは簡単では
ない(※1)。それは性欲や食欲のようなものかもしれない。

本能の問題になると、どこからどこまでが自分で、そこから先が自分かわからなくなる。
が、人間は、油断をすれば本能におぼれてしまうこともあるが、しかし一方、努力によ
って、その本能からのがれることもできる。大切なことは、その本能から、自分を遠ざ
けること。遠ざけてはじめて、人間は、生物学的なヒトから、道徳的な価値観をもった
人間になることができる。またならねばならない。

●ワイフの意見

 ここまで書いて、今、ワイフとこんなことを話しあった。ワイフはこう言った。「あるが
ままに生きろというけど、あるがままをさらけ出したら、相手がキズつくときもあるわ。
そういうときはどうすればいいの?」と。こうも言った。「あるがままの自分を出したら、
ひょっとしたら、みんな去っていくわ」とも。

 しかしそれはない。もし私たちが心底、誠実で、そしてその誠実さでもって相手に接し
たら、その誠実さは、相手をも感化してしまう。人間が本来的にもつ善なる心には、そう
いう力がある。そのことを教えてくれたのが、冒頭にあげた、二人の知人たちである。た
がいに話しこめば話しこむほど、私の心が洗われ、そしてそのまま邪悪な心が私から消え
ていくのがわかった。別れぎわ、私が「あなたはすばらしい人ですね」と言うと、S君も、
K氏も、こぼれんばかりの笑顔で、それに答えてくれた。

 私は生涯において、そしてこれから人生の晩年期の入り口というそのときに、こうした
2人の知人に出会えたということは、本当にラッキーだった。その2人の知人にはたいへ
ん失礼な言い方になるかもしれないが、もし1人だけなら、私はその尊さに気づかなかっ
ただろう。しかし2人目に、所沢市のK氏に出会ったとき、先の金沢氏のS氏と、あまり
にもよく似ているのに驚いた。そしてそれがきっかけとなって、私はこう考えるようにな
った。

「なぜ、二人はこうも共通点が多いのだろう」と。そしてさらにあれこれ考えているう
ちに、その共通点から、ここに書いたようなことを知った。

 S君、Kさん、ありがとう。いつまでもお元気で。

●みなさんへ、

あるがままに生きよう!
そのために、まず自分を作ろう!
むずかしいことではない。
人に迷惑をかけない。
社会のルールを守る。
人にウソをつかない。
ゴミをすてない。
自分に誠実に生きる。
そんな簡単なことを、
そのときどきに心がければよい。
あとはあなたの中に潜む
善なる心があなたを導いてくれる。
さあ、あなたもそれを信じて、
勇気を出して、前に進もう!
いや、それとてむずかしいことではない。
音楽を聴いて、本を読んで、
町の中や野や山を歩いて、
ごく自然に生きればよい。
空を飛ぶ鳥のように、
水の中を泳ぐ魚のように、
無理をすることはない。
無理をしてはいけない。
あなたはあなただ。
どこまでいっても、
あなたはあなただ。
そういう自分に気づいたとき、
あなたはまったく別のあなたになっている。
さあ、あなたもそれを信じて、
勇気を出して、前に進もう!
心豊かで、満ち足りたあなたの未来のために!
(02−8−17)※

(追記)

※1……自尊心

 犬にも、自尊心というものがあるらしい。

 私はよく犬と散歩に行く。散歩といっても、歩くのではない。私は自転車で、犬の横を
伴走する。私の犬は、ポインター。純種。まさに走るために生まれてきたような犬。人間
が歩く程度では、散歩にならない。

 そんな犬でも、半時間も走ると、ヘトヘトになる。ハーハーと息を切らせる。そんなと
きでも、だ。通りのどこかで飼われている別の犬が、私の犬を見つけて、ワワワンとほえ
たりすると、私の犬は、とたんにピンと背筋を伸ばし、スタスタと走り始める。それが、
私が見ても、「ああ、かっこうをつけているな」とわかるほど、おかしい。おもしろい。

 こうした自尊心は、どこかで本能に結びついているのかもしれない。私の犬を見ればそ
れがわかる。私の犬は、生後まもなくから、私の家にいて、外の世界をほとんど知らない。
しかし自尊心はもっている? もちろん自尊心が悪いというのではない。その自尊心があ
るから、人は前向きな努力をする。

私の犬について言えば、疲れた体にムチ打って、背筋をのばす。しかしその程度が超え
ると、いろいろやっかいな問題を引き起こす。それがここでいう「背伸びをしたり、虚
勢を張ったり、自分を飾ったりする」ことになる。言いかえると、どこまでが本能で、
どこからが自分の意思なのか、その境目を知ることは本当にむずかしい。卑近な例だが、
若い男が恋人に懸命にラブレターを書いたとする。そのばあいも、どこかからどこまで
が本能で、どこから先がその男の意思なのかは、本当のところ、よくわからない。

 自尊心もそういう視点で考えてみると、おもしろい。


++++++++++++++++++

最後に、もう1作。
日付を見ると、(03年)とある。

4年前の原稿ということになる。

++++++++++++++++++

●誠実論

 どこかの学校に講演に行ったら、その校長室に、「誠実に生きる」という、校訓がかかげ
てあった。私はその校訓を見ながら、しばし、考え込んでしまった。

 「誠実」には、ふたつの方向性がある。他人に対する誠実と、自分に対する誠実である。
他人に対する誠実は、わかりやすい。ウソをつかない。約束を守る。たいていこの二つで、
こと足りる。

 問題は、自分に対する誠実である。わかりやすく言えば、自分の心を偽らないというこ
と。となると、ここに大きな問題が、立ちはだかる。自分に誠実であるためには、その大
前提として、自分自身が、それにふさわしい誠実な人間でなければならない。

 たとえば、道路に、サイフが落ちていたとする。だれも見ていない。で、サイフの中を
見ると、10万円。そのときだ。そのお金を手にしたとき、あなたは、どう考えるか。ど
う思うか。

 だれだって、お金はほしい。少なくとも、お金が嫌いな人はいない。私だって、嫌いで
はない。そこである人が、その心に誠実(?)に従い、そのお金を自分のものにしたとす
る。そのときだ。その人は、本当に誠実な人と言えるのか。

 ここで登場するのが、道徳ということになる。「お金を落として、困っている人がいる」
ということがわかると、その人の気持ちになって、ブレーキが働く。「そのまま自分のもの
にするのは、悪いことだ」と。

 この段階で、2つの心が、自分の中で、葛藤(かっとう)する。「ほしいから、もらって
しまおう」という気持ちと、「自分のものにしてはだめだ」という気持ちである。こういう
とき、自分は、どちらの自分に誠実であったらよいのか。

 ……これは落ちていたサイフの話だが、実は、私たちは日常茶飯事的に、こういう場面
によく立たされる。自分に誠実に生きようと思うのだが、どれが本当の自分かわからなく
なってしまうことがある。あるいは相反した自分が、2つも3つもあって、どれに誠実で
あったらよいのか、わからなくなってしまうこともある。

 そこで世界の賢者たちは、どう考えたか、耳を傾けてみよう。

 まず目についたのが、論語。そこにはこうある。いわく『君子は、本(もと)を努む。
本立ちて道生ず』と。「賢者というのは、まず根本的な道徳を求める。その道徳があってこ
そ、進むべき道が決まる」と。論語によれば、誠実であるかどうかということを問題にす
る前に、まず基本的な道徳を確立しなければならないということになる。道徳あっての、
誠実ということか。

 論語の解釈は、たいへんむずかしい。むずかしいというより、専門に研究している学者
が多く、安易な解釈を加えると、それだけで轟々(ごうごう)の非難を受ける。もっとも
私など、もともと相手にされていないから、そういうことはめったにないが、それでも慎
重でなければならない。ここで私は、「道徳あっての誠実」と説いたが、そんなわけで、本
当のところ自信はない。

 しかし論語がどう説いているにせよ、「道徳あっての誠実」という考え方は、正しいと思
う。今のところ「思う」としか書きようがないが、このあたりが私の限界かもしれない。
つまり自分に誠実であることは、とても大切なことだが、その前に、自分自身の道徳を確
立しなければならない。

もし私たちが、意のおもむくまま、好き勝手なことをしていたら、それこそたいへんな
ことになってしまう。みんなが、拾ったサイフを、自分のものにし、それで満足してし
まっていたら、この世は、まさに闇(やみ)? 言いかえると、道徳のない人には、誠
実な人間はいないということになるのか?

 何だか、話が複雑になってきたが、私のばあい、こうしている。

 たとえばサイフにせよ、お金にせよ、そういうものを拾ったら、迷わず、一番近くの、
関係のありそうな人に届けることにしている。コンビニの前であれば、コンビニの店長に。
駅の構内であれば、駅員に。迷うのもいやだし、葛藤するのは、もっといやだ。何も考え
ないようにしている。どこかの店で、つり銭を多く出されたときもそうだ。迷わず、返す
ようにしている。

本当の私は、もう少しずるいが、そういうずるさと戦うのも、疲れた。だから、教条的
に、そう決めている。それはもちろん道徳ではない。ただ論語で説くような、高邁(こ
うまい)な境地に達するには、まだまだ時間もかかるだろう。一生、到達することはで
きないかもしれない。だから、そうしている。

 子どもたちに向かって、「誠実に生きろ」と言うのは簡単なこと。しかしその中身は、深
い。それがわかってもらえれば、うれしい。
(03−1−11)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++

浜松のよいところ。
気候が温暖なこと。おまけに
冬場は、毎日、快晴つづき。
朝起きて、カーテンを開けたとき、
真っ青な空が、目の中に
飛び込んでくる!

そういうとき、心底、こう思う。

浜松に住んでよかった!、と。

++++++++++++++

●宮崎県のS新知事

 宮崎県で、新知事が誕生した。お笑いタレントのS氏が、その新知事になった。お笑い
タレントと、2人の中央官僚との戦いとなった。結果、S氏が、新知事に!

 いったい、この国の民主主義は、どうなっているのか? もともと血と涙と汗で勝ち取
った民主主義ではない。簡単に言えば、戦後、アメリカから移植されたもの。だからその
価値がわからない。

 いまだにあの封建時代を美化してやまない国である。NHKの今度の大河ドラマは、『風
林火山』だそうだ。ちょうど37年前に、同じ題名の映画が作られた。私は、その映画を、
オーストラリアで、みた。領事館主催の映画会でのことだった。となると、日本は、この
37年間に、いったい、何を学んできたのかということになる。

 ある日、突然、中央から、有名人がやってくる。それまでの政治実績はゼロ。地元で、
何かの活動をしたという実績もゼロ。そういう有名人が、さまざまな手を使って、地元民
であることをアピールする。パフォーマンスをしてみせる。方言を使って演説してみせた
り、畑にクワを入れてみせたりする。

 地元民は、それですっかり有頂天。

 これを民主主義への冒涜(ぼうとく)と言わずして、何と言う。民主主義に対する、一
片の畏敬(いけい)の念すらない。政治家にもなければ、選挙民にもない。


●都会コンプレックス

 この浜松にも、都会コンプレックスというのがある。「東京から来た」というだけで、何
でもありがたがる。そんな風潮が、今でも色濃く残っている。文化というのは、すべて、
東京という中央から、地方へ流れてくるものと考えている人も少なくない。

 それもそのはず。日本は、奈良時代の昔から、中央集権国家。その中央集権意識が、骨
のズイのズイまでしみこんでいる。それはそれでしかたないとしても、その一方で、地元
の価値を認めない。身近にすぐれた文化や人物がいたとしても、それを認めない。認めよ
うともしない。

 一方、中央は中央で、「中央で名を売って、地方で稼げ」が、合言葉になっている。地方
など、彼らの視点からすれば、ただのドブ(=下水溝)。タレントの世界では、地方で稼ぐ
ことを、「ドブさらい」と言う。

 たとえばNHKでは、有名人でも、まったくの無名人でも、出演料は定額のx千円(3
0分単位)と決まっている。そういうNHKに、タレントたちは、ときに、数百万円もか
けて、出演する。つまり、それだけの価値があると判断するから、そうする。

 端的に言えば、中央で投資した分は、地方で回収する。それが彼らの論理でもある。

 で、この都会コンプレックスは、民主主義とは、反比例の関係にある。(中央)と(民)
の力関係と言ってもよい。「国あっての民」なのか。それとも、「民あっての国」なのか。

 民主主義国家では、当然、「民あっての国」と考える。「地方あっての国」と考えてもよ
い。民衆の力が、上へ、上へと凝集していき、その結果として、「国」が生まれる。

 しかし中央集権国家では、これが逆になる。「国あっての地方」「国にあっての民」とな
る。そして悲しいかな、民そのものが、「それでいい」と、それを受けいれてしまう。その
結果のひとつが、ここでいう都会コンプレックスということになる。

 つまり民主主義への意識が弱くなればなるほど、都会コンプレックスは、強くなる。

 むずかしい話はさておき、あなたは本当に東京文化がすぐれていると思うか? 大阪文
化でもよい。そのあたりから、もう一度、私たちの身のまわりを見つめなおしてみようで
はないか。


●母の介護録

 今日、ビデオショップで、2本のビデオを借りてきた。『東京物語』と『二十四の瞳』。
ともに1950年代の作品である。

 そのビデオを母に見せてやった。ベッドの横に台を置き、その上に、テレビを載せた。
が、私は、そこで仕事に。

 あとで、ワイフに、「(母は)見ていたか?」と聞くと、「1時間くらいは見ていたかな」
とのこと。そのあとは、ベッドに入って、寝てしまったという。

 夜、母の部屋に行き、「ビデオを見たか?」と聞くと、「見なかった」と。

私「東京物語という映画を見ただろ?」
母「見ていない」
私「活動映画だぞ」
母「覚えておらん」
私「あのなあ、昼間にテレビを見せてやっただろ。東京物語という映画を見せてやっただ
ろ」
母「見とらん」と。

 少しは喜ぶかと思ったが、これは失敗。ムダだったとは思わないが、しかしそれに近い。

 考えてみれば、喜ぶはずがない。たとえば私が90歳になったとする。そのとき、息子
のだれかが、私に、石原裕次郎や美空ひばりの映画を見せてくれたとしても、私は喜ばな
いだろう。『ベン・ハー』や、『サウンド・オブ・ミュージック』だったら、ひょっとした
ら喜ぶかもしれないが……。つまり、母にすればいらぬお節介だったかもしれない。

 今度は、『君の名は』をどこかで借りてきて、見せてやろう。それでだめなら、ビデオは
あきらめる。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1749)

【母の介護】

++++++++++++++++++

私の母は、何をしてやっても、またどんなばあいでも、
「ありがと」と言う。

食事を運んでやると、「ありがと」、
テーブルをセットしてやると、「ありがと」、
毛布をひざにかけてやると、「ありがと」と。

++++++++++++++++++

●卑屈な心

 もともと私の母は、きわめて依存性の強い女性である。生涯にわたって、一度とて、店
に立って、仕事をしたことがない。稼業は自転車屋だったが、一度とて、ドライバーを握
ったことがない。

それが女性として、あるべき姿と信じていた。「内助の功」という言葉があるが、まさにそ
の言葉に徹して生きてきたような人である。

 しかし人生観という人生観を、まったく感じさせない人でもあった。生まれ育った土地
柄もあるのだろう。親意識だけがやたらと強く、ついで世間体意識も強かった。見栄っ張
りで、虚栄心も強かった。強いというより、世間体の中だけで生きてきたような人だった。

 その母が、今は、「ありがと」「ありがと」だけを繰りかえす。つまり、「ありがとう」「あ
りがとう」と。しかしそれで本当に感謝の念をもっているかというと、それはそうではな
い。口ぐせのようなもの。あるいは、それを口にすることによって、最低限の人間関係を
保とうとしている。

私「あのなあ、ありがと、ありがとって、そんなお上手は、この家では言わなくていい」
母「ありがと」と。

 私は母に靴下をはかせながら、ふと、「母のもつこの卑屈さは、どこから生まれたものだ
ろう」と考えた。心を開いているようで、その実、心は閉じたまま。息子の私にすら、少
なくとも、この40年間、心を開いたことがない。

 私や、ワイフを、まるで他人のように思っている。その他人をうまく動かすために、「あ
りがと」という言葉を、連発する。

●私と母

 私と母の間には、いろいろあった。どこの親子にも、それなりの過去はあるのかもしれ
ない。が、ともかくも、いろいろあった。この30年間、あるいは、40年間、私にとっ
て、心休まる瞬間は、1日とてなかった。40代のころは、郷里に近づくにつれて言いよ
うのない不安感に襲われた。お経を唱えながら、郷里に入ったこともある。そういう毎日
だった。

 が、すべてを受けいれた。許した。そして過去を忘れた。私はそこにある現実を、自分
のものとした。

 人にはそれぞれ無数の糸がからんでいる。そしてその糸が、その人の進むべき方向を決
める。それを人は、「運命」という。その運命を感じたら、すなおに身を任すのがよい。運
命をのろえば、運命は悪魔へと変身して、あなたを襲う。しかし反対に笑えば、運命は、
シッポを巻いて、あなたから逃げていく。

 私は、母の卑屈さを笑った。どうであれ、つまり現在の母が、そこにいる母。うらみも、
つらみも、忘れた。心から消した。

 その母は、今、私に何を教えようとしているのか。

 昨日も、つまらないことだが、ケアセンターの職員の人と契約をかわしているとき、こ
んなことを考えた。

●母に教ええられること

 人は子どもを育てながら、自分の過去をみる。しかし人は、親を介護しながら、自分の
未来をみる、と。

つまり親の介護をしながら、いつか自分が介護される立場になったとき、介護する側の者
の気持ちを、今、学習しているのだ、と。

 ケアセンターの人との契約書には、万が一の事故について、ことこまかく、記(しる)
されていた。(人の命)がかかわる問題であるだけに、それは当然のことだろう。しかし私
はこう言った。

 「決して、愛情がないわけではありませんが、年齢も年齢ですから、何かあっても、そ
れなりの覚悟はしています」と。

 つまりそうした思いは、私が反対に介護を受ける側の立場になったとき、私を介護する
者たちの思いと考えてよい。母の(命)といっても、それはそのまま、自分の(命)を意
味する。ある年齢がきたら、私は、毎日、死を覚悟しながら生きるようになるだろう。そ
れが事故であっても、あるいは、だれかの不注意であっても、しかたのないこと。それま
では懸命に生きる。

そうそう私の母も、もう少し若いころは、いつもこう言っていた。「私も、便をもらすよう
になったら、おしまい。それまでに、いさぎよく死ぬ」と。しかしそんな母でも、母は母
なりに、今、懸命に生きている。

 話をもとにもどす。

●ワイフとの会話

 今の母が、母らしさをかろうじて保っているのは、母の気位の高さではないか。いまだ
に、自分のことを、姫様か何かのように思っている。少し前までは、それが、私にとって
は不愉快だったが、今になってみると、子どもじみていて、かわいい。どうせ相手は、相
手にしても意味のない、老人である。やりたいようにさせておけばよい。言いたいように
言わせておけばよい。

 デイサービスの人たちが母を迎えにくるまで、遅い朝食を、食べた。私は、ワイフとい
つもの、会話をした。

私「母は、母なりに、孤独と絶望の毎日を送ったのだろうね。それがあの『ありがと』と
いう言葉になったのだと思う」
ワ「卑屈な心を、昇華できなかったということ?」
私「簡単に言えば、卑屈な心が、姿を変えた。ぼくには、そう見える。『ありがと』だけ、
口にしていれば、最低限の生活は、保障される。母は、無意識のうちにも、それを口にす
ることによって、自分の(命)を守ろうとしている」

ワ「かわいそうな人ね。でも、そういう人を、私たちは、どうすればいいのかしら」
私「そう、かわいそうな女性だ。だから、ぼくたちは、母を憐(あわ)れんでやればいい。
『憐れみ』の『憐れみ』だ。『哀れみ』ではない。マタイ伝の中にも、『人を憐れむ人は幸
いなれ。なぜなら、あなたは人から憐れみを受けるだろう』とある」
ワ「それをあなたのお母さんは、あなたに教えているというわけ?」

私「そう。ぼくは、そう思う。どんな人でも、ぼくたちのまわりの人たちは、ぼくたちに
何かを教えようとして、そこにいる。体に無駄な器官など、ひとつもないように、ぼくた
ちのまわりには、無駄な人は、一人もいない」
ワ「でも、私は、あなたのお母さんのように、卑屈な人には、なりたくないわ」
私「そう。それで釈迦は、『精進(しょうじん)』という言葉を使った。日々の精神の鍛錬
こそが、大切だとね」

ワ「考えるということ?」
私「そうだけど、考えるだけでは足りない。ぼくは、方向性が大切だと思う。仏教にも、『輪
廻彷徨(りんね・ほうこう)』という言葉がある。考え方をまちがえると、同じところをグ
ルグルと回っているだけ、ということになりかねない」
ワ「それはいやね」
私「そう、それはまさに時間の無駄。人生の無駄。そうなる。だから、そこはだれか、指
導者に導いてもらわなければならない。神とか、仏とか……。しかしぼくたちは、信じて
いない。自分に頼るしかない。だから考える。考えながら、一つずつ、自分の上に自分を
塗り重ねていく。それしかない」

ワ「できるかしら?」
私「やってみるしかない。……それにね、もし、本当に神や仏がいるとするなら、ぼくた
ちが望まなくても、向こうから導いてくれると思うよ。ぼくの勝手な思いかもしれないけ
ど……」と。

 今、まさに、私は、母というより、母の向こうに立つ(人間)に、いろいろと教えられ
ている。毎日が、その連続。それは新鮮な驚きと言ってもよい。母を批判しているのでは
ない。そんなチッポケな心は、もうとっくの昔に捨てた。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●カルトの洗脳

++++++++++++++++

カルトに洗脳された人たちは、
それこそ、とんでもないことを
言い出す。とんでもないことをする。
その前に、とんでもない
ことを信ずる。

以前、死んでミイラ化した人を、
「まだ生きている」とがんばった
教団がいた。

洗脳のこわさは、そこにある。
カルトのこわさは、そこにある。

++++++++++++++++

 「洗脳」といっても、何も「脳を洗う」わけではない。ふつう、洗脳というのは、つぎ
のような方法を使って、なされる。

 私たちは、日常生活の中で、無数の(思い込み)をもっている。それを(ビリーフ)と
いう。たとえば、「納豆は体によい」「誠実であることこそが、他人とうまくつきあう方法
である」「兄弟は仲よくしたほうが、よい」などなど。

 これらのビリーフを分類していくと、たとえば(1)生活に関するもの、(2)健康に関
するもの、(3)行動に関するもの、(4)生き方に関するものなどに分けられる。(ほかに
もいろいろあるが、それは問題ではない。)

 そこで洗脳する側、つまりカルト教団は、だれかをつかまえると、周辺の、どうでもよ
い分野から、このビリーフを、自分たちにとって、都合のよいビリーフに置き換えるとこ
ろから始める。簡単に言えば、あたりさわりのない部分から、その人のビリーフを、つぶ
すところから始める。

 「納豆といっても、遺伝子操作でできた納豆は、まだ安全が確認されていません」
 「ときに、正しい生き方をすると、他人と、摩擦を引き起こすこともありますよ」
 「兄弟といっても、他人の始まりですから……」と。

 本人自身も、それほど深く考えたことがない。そういう分野から、その人のビリーフを
つぶしていく。本人が、不安ごとや心配ごとをかかえているときは、さらに効果的である。
その分野を、集中的に攻撃する。

 「夫婦の仲がうまくいかないのは、あなただけの問題ではありません。あなたがた夫婦
には、夫婦になる前からの問題があったのです」
 「あなたがずっとお金で苦労しているのは、あなたのせいではありません。人には、そ
れぞれ、運、不運というものがあります」と。

 さらにほとんどのカルト教団では、本人をノーブレインの状態にするため、同じ題目や
念仏を何度も繰りかえさせる。簡単な歌を歌わせるところもある。つまりこうした状態を
20〜30分も繰りかえしていると、その人の思考は停止状態になる。

 それは心地よくも、甘美な世界である。こうした状態を、「ラポール」と呼ぶ。

 本人がそういう状態になったとき、周囲の者たちが、いっせいに、その人に向かってこ
う言う。

 「A先生は、仏様です」
 「A先生は、釈迦の生まれ変わりです」
 「あなたは、選ばれた、すばらしい人です」と。

 まさに催眠状態でそう叩きこまれるから、本人は、それを信じてしまう。最初はそれに
抵抗しようとするが、しかしそれにも限度がある。やがて周囲の人たちの言っていること
を、受けいれてしまう。

 この段階で、「あなたはキツネだ」と吹きこまれると、本当にキツネのようにピョンピョ
ンと座ったまま踊り出す人もいる。それとくらべたら、「A先生は仏様です」ということを
信ずることなど、何でもない。

 こうしてカルト教団は、無数のビリーフを、自分たちにとって都合のよいビリーフに置
きかえたあと、その人の根幹部分、つまり生きザマの分野のビリーフまで、自分たちにと
って都合のよいビリーフに置きかえてしまう。

 これが洗脳である。

 人にもよるが、ここにも書いたように、何か大きな不安ごとや心配ごとをかかえた人ほ
ど、短時間に洗脳される。それだけ心に大きな穴があいているからである。

 今の今も、この洗脳は、日本中のいたるところでなされている。そして今の今も、無数
のカルトが、人知れず、闇の世界で活動し、勢力を伸ばしている。あなたやあなたの子ど
もが、いつその犠牲者になってもおかしくない。今は、そういう状況である。

 こうしたカルトに対抗するゆいいつの手段は、私たち自身が、賢くなることでしかない。
常に考え、自分の常識とくらべて、おかしいものは、おかしいと声をあげる。その勇気で
しかない。

 ますます巧妙になるカルト。「洗脳」というものがどういうものであるかを知ってほしか
ったから、ここで思いつくまま、洗脳について書いてみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
洗脳 カルト)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●考えること

+++++++++++++++

「考える」ことの重要性。

それこそが、人間が人間であるという
証(あかし9といってもよい。

+++++++++++++++

 子どもに限らず、人を指導するには、簡単に言えば、ふたつの方法がある。ひとつは、(1)
脅(おど)す方法。もう一つは、(2)自分で考えさせる方法。

 ほとんどの宗教は、(1)の「脅す方法」を使う。バチ論や地獄論がそれ。あるいは反対
に、「この教えに従ったら、幸福になれる」とか、「天国へ行ける」というのもそれ。(「従
わなければ天国へ行けない」イコール、「地獄へ落ちる」というのは、立派な脅しである。)

 カルトになると、さらにそれがはっきりする。「この信仰をやめたら、地獄へ落ちる」と
教える宗教教団もある。常識で考えれば、とんでもない教えなのだが、人はそれにハマる
と、冷静な判断力すらなくす。

 もうひとつの方法は、(2)の「自分で考えさせる方法」。倫理とか道徳、さらには哲学
というのが、それにあたる。ものの道理や善悪を教えながら、子どもや人を指導する。こ
の方法こそが、まさに「教育」ということになるが、むずかしいところは、「考える」とい
う習慣をどう養うか、である。

たいていの人は、「考える」という習慣がないまま、自分では考えていると思っている。
あるいは、そう思い込んでいる。たとえば夜のバラエティ番組の司会者を見てほしい。
実に軽いことを、即興でペラペラとしゃべっている。一見、何かを考えているように見
えるかもしれないが、実のところ、彼らは何も考えていない。脳の表層部分に飛来する
情報を、そのつど適当に加工して言葉にしているだけ。

「考える」ということには、ある種の苦痛がともなう。「苦痛」そのものと言ってもよい。
だからたいていの人は、自ら考えることを避けようとする。考えることそのものを放棄
している人も、少なくない。子どもや学生とて、同じ。東大の元副総長だった田丸謙二
先生も、「日本の教育の欠陥は、考える子どもを育てないこと」と書いている。

 前にも書いたが、「人間は考えるから人間である」。パスカルも『パンセ』の中で、「思考
こそが、人間の偉大さをなす」と書いている。

私は宗教を否定するものではないが、しかし人間の英知は、その宗教すらも超える力を
もっている。まだほんの入り口に立ったばかりだが、しかし自らの足で立つところにこ
そ、人間が人間であるすばらしさがある。

 問題は何を基準にするかだ。つまり人間は何を基準にして、ものを考えればよいかだ。
私は、その基準として「常識」をあげる。いつも自分の心に、その常識を問いかけながら、
考えている。「何が、おかしいか」「何が、おかしくないか」と。そしてあとはその常識に
従って、自分の方向性を定める。ものを考え、それを文章にする。それを繰り返す。

言うまでもなく、私たちの体には、数一〇万年という長い年月を生きてきたという「常
識」がしみついている。その常識に耳を傾ければ、おのずと道が見えてくる。その常識
に従えば、人間はやがて真理にたどりつくことができる。少なくとも私は、それを信じ
ている。あくまでもひとつの参考意見にすぎないが……。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【限界論】

●興味ある少女

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カンボジア北東部のラタナキリ州で、18年前に
消息を絶っていた女性(27)が、19日までに
保護されたという。

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カンボジア北東部のラタナキリ州というところで、18年前に消息を絶っていた女性(2
7)が、19日までに保護されたという。

ジャングルでの生活が長く言葉はほとんど話せず、全裸で動物のように、4本足で歩く
など、(野生化)していたという。

女性は1989年、水牛の世話で外出したまま行方不明となっていたが、今月1月13
日(07年)、同州の村で米を盗もうとしているところを発見された。腕の古傷の位置が
一致することなどから、女性は地元の警察官(45)の娘とみられているという。

 9歳で行方不明となった少女は、18年後、野生化した「獣人」(ヤフーニュース)にな
っていたというわけである。

 保護されたのは、ロチョム・プチエンさんという女性。長いジャングル生活で、人間の
言葉もほとんど話せなくなっていた。自分の腹をたたいて空腹を伝えたり、衣服を着せ
てもビリビリと引き裂いてしまう始末。起きているときは、ただ座って左右をキョロキ
ョロ見回し、家族のすきを見ては、衣服を脱ぎ捨て、ジャングルに戻ろうとするという。

 ロチョムさんは89年、ラタナキリ州で家畜の水牛の群れを世話するために外出したま
ま消息を絶った。同州周辺では当時、子供たちが行方不明になる事件が多発。ポル・ポ
ト派の残党が関与しているともうわさされていたという。(以上、ヤフーニュースより)。

 この話に似た話に、「野生児」がいる。生後まもなくから、人間の手を離れ、人間以外の
動物などによって育てられた子どもをいう。よく知られた例に、インドで見つかった、オ
オカミ少女、それにフランスで見つかった、ビクトールという名前の少年がいる。

 今回、カンボジアで見つかった女性の例を、これららの野生児と並べて考えてみると、
人間は、人間によって育てられてはじめて、人間になるということ。それがよくわかる。
もし人間が人間によって育てられなかったとしたら、人間は、動物と同じか、動物のまま
で終わってしまうということ。

 さらに今回見つかった女性のばあい、(本当のその女性が、9歳で行方不明になったとす
るなら)、9歳までにつくられた(人間)そのものが、そのあとの生活で、消えてなくなっ
てしまったということになる。9歳といえば、小学3年生である。本当に、言葉まで、ほ
とんど忘れてしまったというのだろうか。

 もしこの話が事実であるとするなら、人間は、そのつど、絶え間なく人間と接し、人間
どうしの感化を受けなければ、人間を維持できないということになる。これは極端な例か
もしれないが、ひとり山の奥にこもって仙人のような生活をしていたのでは、人間は人間
であることを維持できないということにもなる。

 たとえば人格の完成度をみるときは、(他者との良好な人間関係)(EQ論)が、ひつと
の重要なポイントとなる。

 人間は、他者と良好な人間関係を保つことによって、人間として立場を維持することが
できる。そうでなければ、そうでない。結論を先に言えば、そういうことになる。

 が、それだけではない。

 人間といっても、そこには、(限界)がある。「私は、イノシシやタヌキのような動物と
はちがう」と思っている人でも、神のようになった人から見れば、動物たちと、それほど、
ちがわない。また、そう見えるだろう。

 たとえば、夜のバラエティ番組をにぎわす、お笑いタレントたちがいる。演技でそうし
ているのか、それとも、本当にそうであるのかは私にはわからない。わからないが、ああ
いうタレントたちを見ていると、「あれが同じ人間か」と思う前に、自分が同じ人間である
ことが、情けなくなる。

 仮にああいう世界だけで、人間が育ったとするなら、人間も、そのレベルで、成長が止
まってしまうにちがいない。それがここでいう(限界)である。つまり「私は私」と思っ
ている人でも、その(限界)の中で右往左往しているにすぎない。

 これもまたひとつの例だが、ケアセンターで、何かの作業をしている老人たちを考えて
みよう。

 若いときには、それなりの人たちであったかもしれない。そういう老人たちが、指導員
の指導に従って、粘土細工をしたり、切り紙をしたりしている。私が見たときには、粘土
細工で、イノシシを作っていた。

 当然と言えば、当然かもしれないが、そういうところには、本を読んだり、パソコンを
叩いたりしている老人はいない。しかし考えてみれば、たいへん、おかしなことである。
人間が、自ら、自分の(限界)をさげてしまっている。わかりやすく言えば、9歳前後(?)。
カンボジアで見つかった女性が行方不明になった年齢レベルまで、自分たちをさげてしま
っている。

 では、どうしたらよいのか? ……というより、これは私たちの年代の者にとっては、
切実な問題である。

 私自身は、私がもつ(限界)のレベルをあげたいと願っている。しかし私の周囲の人た
ちがみな、その(限界)の中で生きているとするなら、私ひとりだけが、その(限界)を
超えるのは、容易ではない。(限界)を超えようとすると、周囲の人間たちが、あたかもジ
ャングルのようになって、私の道をふさぐ。

 たとえばいつか私もケアセンターに入ったとき、「私は、イノシシ細工などしたくない」
「私は、パソコンを叩きたい」などと言ったら、どうなるのだろうか。みなは、それを許
してくれるだろうか。いや、その前に、それだけの集中力と能力を維持できるだろうか。

 私たちは、カンボジアで見つかった女性を想像しながら、「私たちは、その女性とはちが
う」と思う。しかし、実のところ、それほどちがわないのではないのか。その女性は、「自
分の腹をたたいて空腹を伝えたり、衣服を着せてもビリビリと引き裂いてしまう始末。起
きているときは、ただ座って左右をキョロキョロ見回し、家族のすきを見ては、衣服を脱
ぎ捨て、ジャングルに戻ろうとする」(報道)という。

 様子はちがうとしても、頭のボケた私の兄なども、レベルとしては、同じようなことを
している。自分の思いどおりにならなかったりすると、立ったまま便を漏らしてみせたり、
腹が減ると、自分だけさっさと食事をすませてしまう、など。私の家にいたときも、何か
の拍子に家を飛び出し、2メートルもある高い塀を飛び降りたりした。

 話がこみいってきたが、私たちはいつも、(限界)の中で生きているということ。ただ、
みながみなそうであるから、その(限界)に気づかないでいるということ。カンボジアで
見つかった女性についての記事を読んだとき、私はそんなことを考えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
獣人 野生児 限界 限界論)

【付記】

 大切なことは、良好な人間関係を保ちつつ、よりレベルの高い人たちと、交際していく
ということ。つまり自分がもつ(限界)のレベルをあげるということ。

 このことは、反対の経験をすると、よくわかる。

 先日も、ある女性(70歳くらい)が、私に何かを説教しようとした。見るからにレベ
ルの低そうな人だった。しかしよく知っている人なので、それなりに話には耳を傾けたが、
あのとき感じた不快感は、いったい、何だったのか。

 その女性は、「神や仏に悪人はいない」という論理(?)のもとで、ありとあらゆる新興
宗教に手を染めていた。それはそれでおもしろい考え方かもしれないが、その愚かさ(失
礼!)が、私には、手にとるようにわかった。

 安っぽい論理に、薄っぺらな人生観。無知、無学、無教養。そういう女性に、「ご先祖様
あっての、あなたでしょ」と言われたりすると、「ハア〜」と言っただけで、つぎの言葉が
出てこない。

 つまりその女性は、自分ではそうは思っていないかもしれないが、すでに身を、半分、
ケアセンターに置いているようなもの。そういう女性が、この私を、無理やり、そういう
世界に、閉じ込めようとする。私が感じた不快感は、そういうところから生まれたのかも
しれない。
 
 だから……。これからはさらに、さらに、自分をみがいていかねばならない。それがと
りもなおさず、自分がもつ(限界)を、上のレベルにもっていくということになる。

(追記)

 なおその女性は、最近、私について、こんなことを言っているそうだ。数年前、年賀状
をくれたのだが、私は、返事を書かなかった。それについて、「(年配者である)私に、返
事をくれないのは、失礼だ。教育について論じている者にしては、あるまじき行為」と。

 私は、ただ、そういう女性を相手にしたくないだけ。ハハハ。
 

Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司 

最前線の子育て論byはやし浩司(1746)

●内政不干渉の大原則

+++++++++++++++

他人の子育てには干渉しない。
それぞれの家には、それぞれの
家の、人に言えない事情がある。

その事情を無視して、あれこれ
干渉するのは、失礼というより、
タブー。

+++++++++++++++
                
 他人の子育てには干渉しない。

この世界には、内政不干渉の大原則というのがある。つまりこの世界ほど、『言うは易く、
行うは難し』という世界は、ない。こんなことがあった。

 私の義姉の長男が、小学校入学を前に、急性のネフローゼ(腎機能障害)になり、その
ため市内の総合病院に緊急入院することになった。姉は、隣町に住んでいたから、毎日電
車でこの町へやってきて、そこからバスで病院へ通った。週に数度しかこなかった義兄で
すら、そのため体重が四〜五キロ減ったというから、それがいかにたいへんだったかがわ
かる。長男は絶対安静のまま、数か月入院した。

 で、やっとのことで、本当にやっとのことで、姉は退院を入学式に間に合わせた。「何と
しても入学式までに」という思いが、天に通じた。が、はじめての参観日でのこと。担任
の先生が姉を呼びとめて、こう言った。「お宅の子は左利きです。親がちゃんと指導しなか
ったから、こうなってしまったのです」と。

学校から帰る道すがら、姉は、「左利きぐらいが、何だ!」と、泣けて泣けてしかたなか
ったという。

 他人の子育てに干渉して、「しつけがなっていない」とか言うのは、たいてい子育ての経
験のない人だ。自分で子育てをしてみると、そのたいへんさがよくわかる。そしてそれが
わかればわかるほど、口が重くなる。だいたいにおいて、思うようにならないのが子育て。
あの『クレヨンしんちゃん』の中にも、こんなシーンがある(V7巻冒頭)。

 母親のみさえが庭掃除をしていると、二人の男子高校生が通りかかる。それを見て、み
さえが、「何よ、あのかっこう。だらしないわね。親の顔を見てみたい」と。すると今度は
その高校生たちが、こう叫ぶ。「な、何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」と。みさえ
がその方向を見ると、しんのすけが、チンチン丸出しで歩いてくる……。

 少し話が脱線したが、人はそれぞれの思いの中で自分の子育てをする。それが正しくて
も正しくなくても、その人はその人で、子どもを懸命に育てている。その懸命さを少しで
も感じたら、その人の子育てを批判してはならない。

私たちがせいぜいできることと言えば、その親の身になって、その心を軽くするような
ことを言ったり、アドバイスすることでしかない。この私とて、この三〇年間貫いてい
る主義が、一つ、ある。それはいかにその子どもに問題があったとしても、親の方から
聞いてくるまでは、それを指摘しないということ。

仮に相手が、「最近、うちの子、どうでしょう」と話しかけてきても、すかさず、「おう
ちではどうですか」と聞き返すことにしている。つまりそうすることで、親が何をどの
程度まで知りたがっているか、さぐりを入れるようにしている。一見、冷たい指導法に
見えるかもしれないが、それは子育てをしている親に対する、私の敬意の表れでもある。

 子育てには、その人の全人格が凝縮されている。ものの考え方、価値観、思想など、す
べてがそこに集中する。だから相手の子育てを批判するということは、その人自身を批判
することに等しい。だから、内政不干渉。この言葉のもつ意味の重さを理解していただけ
れば、幸いである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
左利き 利き手 左きき)

Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●因果応報

+++++++++++++++++

子育ては、子どもを育てることではない。
子どもに、子どもの育て方を教える。
それが子育て。

+++++++++++++++++

 仏教では、こう教える。『因果応報』と。ものごとには原因と結果があるという意味だが、
これを教育の世界では、「世代伝播」という。

たとえば暴力に慣れた子どもは、親になると、やはり暴力的な親になりやすい。育児拒
否や家庭崩壊を経験した子どもは、親になると、家庭作りに失敗しやすい、など。

反対に、頭のよい親の子どもは、概して頭がよい。いや、これは伝播というより、遺伝
によるものか。つまり子育てというのは、よきにつけ悪しきにつけ、世代から世代へと、
伝播しやすいということ。いろいろな例がある。

 ある父親は自分の娘を抱きながら、「これでいいのか」「どの程度、抱けばいいのか」「抱
きグセがつくのではないか」と悩んでいた。自分自身が、いろいろと事情があって、親に
抱かれた経験がなかった。あるいは別の親は、子どものささいな失敗を大げさにとらえて
は、子どもを殴り飛ばしていた。

私が「何も、そこまでしなくても」と言うと、その父親は、「ワシは、まちがったことが
大嫌いだ。たとえ我が子でも、許さない」と。その父親も、不幸にして不幸な家庭に育
っていた。

 もしあなたが子育てをしていて、どこかにぎこちなさや、不自然さを感じたら、あなた
自身の「親像」を疑ってみる。多分、あなたの中に、しっかりとした親像が入っていない。
もっと言えば、あなたは「親」というものが、どういうものであるか知らないまま、今、
子育てをしている。子育ては、自分の中に、「育てられた」という経験があって、はじめて
できる。もう少し端的に言えば、子育ては本能ではなく、体験によってできるようになる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいると
いう。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会
話をするわけだが、そのチンパンジーが、一九九八年の夏、妊娠した。

が、飼育係の人が心配したのは、そのことではない。「はたしてこのチンパンジーに、子
育てができるかどうか」(中日新聞)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子
育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子
どもを見て、逃げ回る親もいるという。いわんや、人間をや。

 さて本論。それぞれの人には、それぞれの過去がある。それはそれだが、その前提とし
て、完ぺきな過去をもった人は少ない。言いかえれば、どんな人でも、何らかの重荷を背
負って生きている。子育てについて言えば、心やさしい両親の愛に包まれて、何の不自由
もなく育った人のほうが、稀だ。つまり、どんな人でも、それぞれの問題をかかえている。
しっかりとした親像がないからといって、自分の過去をのろってはいけない。

 そこであなた自身を振り返ってみてほしい。あなたはどんな子育てを受けただろうか。
つまりどんな親像が入っているだろうか。もしあなたの過去に「暗い部分」があったら、
それはあなたの代で断ち切る。子どもに伝えてはいけない。それを昔の人は、「因果を断つ」
と言ったが、方法は簡単。その暗い部分に気づくだけでよい。それだけで、この問題の大
半は解決する。一度、じっくりと、自分を観察してみてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 親像 因果 因果応報)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●気になる新築の家のキズ

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自分の子どものことで
神経質になる母親たち。

しかしそれも度を越すと……

++++++++++++++

 新築の家のキズは、気になる。私も少し前、ノートパソコンを通販で買ったが、そのパ
ソコンには、最初から一本のすりキズがついていた。それがそのとき、私は気になってし
かたがなかった。

子育てもそうだ。子どもが年少であればあるほど、親は子育てに神経質になる。「英語教
室の先生はアメリカ人だが、日系二世だ。ヘンな発音が身についてしまうのでは」「こっ
そりと参観に行ったら、一人で砂場で遊んでいた。いじめにあっているのでは」「授業中、
隣の子と話をしていた。集中力がないのでは」など。

それはわかるが、度を超すと、先生と親の信頼関係そのものを破壊する。いろいろなケ
ースがある。

 ある幼稚園の若い先生は、電話のベルが鳴るたびに、心臓が止まる思いをしていた。ま
た別のある幼稚園の園長は、一人の親からの小型の封筒の手紙が届くたびに、手を震わせ
ていた。こうした症状がこうじて、長期休暇をとっている先生や、精神科の医師の世話に
なっている先生は多い。どこの幼稚園にも一人や二人は、必ずいる。

 親から見れば、子どもを介しての一対一の関係かもしれないが、先生から見ると、三〇
名の生徒がいれば、一対三〇。一人や二人の苦情には対処できても、それが四人、五人と
もなると、そうはいかない。

しかも親の欲望には際限がない。できない子どもが、ふつうになったとしても、親は文
句を言う。自分自身に完ぺきさを求めるならまだしも、先生や教育に、完ぺきさを求め
る。そしてささいなことを大げさにしては、執拗に、先生を責めたてる。

ふだんは常識豊かな人でも、こと子どものこととなると、非常識になる人は多い。私も
いろいろな経験をした。私が五月の連休中、授業を休んだことについて、「よそのクラス
は月四回の指導を受けている。私のクラスは三回だ。補講せよ」と言ってきた父親(医
師)がいた。私がそれを断わると、その親は、「お前を詐欺罪で訴えてやる。ワシは顔が
広い。お前の仕事をつぶすことぐらい、朝飯前だ」と。

また別の日。たまたま参観にきていた父親に、授業を手伝ってもらったことがある。し
かしあとで母親(妻)から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「よくもうちの主人に恥
をかかせてくれたわね! どうしてくれるの!」と。

ふつうの電話ではない。毎日、毎晩、しかもそれぞれの電話が、ネチネチと一時間以上
も続いた。この電話には、さすがに私の女房もネをあげた。電話のベルの音がするたび
に、女房はワナワナと体を震わせた。

 あなたが園や学校の先生に、あれこれ苦情を言いたい気持ちはよくわかる。不平や不満
もあるだろう。しかし新築の家のキズはキズとして、あきらめることはサッとあきらめる。
忘れることはサッと忘れる。子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、神経質な
過関心は、思い出を見苦しくする。あなた自身や子どもの健康にも、よくない。

よけいなことかもしれないが、子どもはキズだらけになってはじめて、たくましくなる。
キズつくことを恐れてはいけない。私のパソコンも、今ではキズだらけ。最初のころは
毎日、そのつどカバーをかけてしまっていたが、今では机の上に出しっぱなし。しかし
使い勝手はぐんとよくなった。子育ても、それと同じ。今、つくづくとそう思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
神経質になる親たち 神経質な親)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●己こそ、己のよるべ

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自由とは、「自らに由る」ということ。
つまりは、自分のことは、自分でする。

勝手気ままに、好き勝手なことを
するのを、自由とは言わない。

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 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分
こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分
のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親
は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あ
なたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで
子育てをするなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」と
いうタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自由論 自由 己に由る)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●帰宅拒否をする子ども

+++++++++++++

不登校と同じくらい深刻な問題。

それが帰宅拒否。

今、その帰宅拒否の子どもが、
ふえている!

+++++++++++++

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子ども
がふえている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になる
と、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、こ
れからは迎えにきてほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、
園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがす
のですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。

私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言
えば、家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼
児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれ
て、当然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。

子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つま
り家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。が、母親にはそれがわからない。S君
の母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭
でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』というのがある。つまり
人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほう
が、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭
のようでなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めるこ
とができるだろうか。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみ
てほしい。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめ
てよい人間関係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの
姿を見ると、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態に
あると判断してよい。もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、とい
うことになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不
自然に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いという
ことであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。

家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、
いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おも
しろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言うと、
毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あな
たの家庭はすばらしい家庭ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
帰宅拒否 帰宅を拒否する子ども 寄り道 子供の寄り道)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある母親からのメール

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小学校の雰囲気が、変わりつつある。
そんな変化を、I市(浜松市近郊の町)に住む、
Sさんという方(母親)が伝えてくれた。

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本日のメルマガで、書き順についてのトピックスがありましたので
似たような話をさせて下さい。 

昨年の12月に、息子のM男の就学前検診がございました。
母親達は子供たちと離れ総合ルームにて、入学前の色々な説明を受けたのですが、
その中で、小学校の校長先生のお話がございました。

校長先生から母親達に 入学までのお願い事項が2点。

一点は鉛筆を正しく持てるようにしてくること。
これは、持ち方が悪いと書いた字が見えず、それを見ようとする結果
将来にわたって姿勢が悪くなる為とのことです。ふむふむと納得。

二点目は、少し意外でした。

それは、左利きの子供は右利きに改めるように・・とのこと。
それを強要する結果 精神的負担が大きいようなら、左利きでも良いが、
そうでなければ、改める事が子供の為であるとのご意見でした。
なぜなら、日本語は右で書くように出来ているから・・らしく・・

私は書道を目指す人だけそうであればよいと思っていますし、
もっと他に大切なことはないんですか?、と
入学前から不信感を抱いてしまったわけです。

また、I市の小学校は、どこも異様です。

体育館で話を始めるとき、どの先生もが掲げられた国旗に
向き直って、敬礼します。話し終わって向き直って、敬礼します。

私は東北育ちですが、東北ではこのような習慣はありませんし、
国旗は体育館に掲げていません。

君が代・日の丸は東京だけの問題かと思っておりましたが、
私の娘にもふりかかってきたかという感じです。

幸い子供にそれを強要することはないとのことですが。

6年間、その姿を見せられる、子供たちの心にどうつるのか・・、
平和教育はどのようになされるのか・・・、

幼稚園に帰って、うちの幼稚園のA先生にぐちをこぼしてしまいました。

今の幼稚園はとてもよいです。
派手な行事などは全くありませんが、園児の心の教育をとても大事にして
下さっていて、いつも穏やかに保育時間が過ぎ、子供たちは安定しています。

一方、その時々で世間で起こっている出来事を、
子供のレベルに合わせて教えてくれたり、世界を考える機会を与えてくれます。
ですから、子供たちは子供たちなりに戦争について考え・飢えについて考え、
自殺について考え・死・愛・家族・世界の人々について考え、
家に帰ってくるとそのことを話してくれます。

素敵な幼稚園に行っているからこそ、
この小学校に心の教育を大切にしている雰囲気を
感じ取れなかったのが不満なのかもしれません。

小学校にそんなことを求める私が、お馬鹿なのかもしれません。
こんな印象を最初に持ってしまって、この先、6年間、もやもやしそうです。


【はやし浩司よりSさんへ】

 この浜松市でも、似たような話を耳にしています。

 学校の先生というのは、校長にかぎらず、世の大勢がそうであると感じたときには、そ
の大勢に従わざるをえないという側面があります。つまり多数決の原理が、何よりも優先
されるわけです。

 「君が代・日の丸」問題もそのひとつです。

 少数派になって、大勢と摩擦を起こすことを避け、多数派に身を置き、保全を求めよう
とします。しかしこうした迎合主義は、危険な側面をもっています。戦前の全体主義を例
にあげるまでもありません。

 ただし子どもの前では、学校や先生の批判は、タブーと考えてください。子ども自身が、
「もやもや」しては困ります。先生の指導に従わくなります。私も、みなさんのお子さん
を教えさせていただきながら、学校や先生の批判、批評は、タブーと心得ています。

 子どもが何か、学校の先生について、批判めいたことを口にしたときには、すかさず、「そ
れは君たちが悪いからだ」と、学校側の立場にたって、諭(さと)すようにしています。
どうか、ご注意ください。

 このばあいも、「校長先生がそう言ったから、あなたも、右で字を書こうね」と、家庭で
は、そう指導してください。そしてどうしても、それが無理なら、直接、担任の先生に、
そっとそう言うのがよいと思います。

 「君が代・日の丸」については、私たち1人ひとりが、賢くなることで、対処しましょ
う。政治的無関心は、恥ずべきことですよね。がんばりましょう!

 また、何かお気づきのことがあったら、メールをください。


++++++++++++++++++++++++++

●利き手の問題

++++++++++++++++++

利き手については、すでに何度も
原稿を書いてきた。

もう一度、それをここに再掲載したい。

++++++++++++++++++

●教育が型にはまるとき
●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メ
チャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつ
けて返したときのことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そうい
うときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がち
がっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」
と。

私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注
意された。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほ
しい」と懇願すると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできて
いるから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転
した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。文字に対して恐怖心ま
でもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。
壁に張られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞く
と、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。「シェークスピアの時代から、正しいス
ペルなんてものはないのです。発音が違えば、スペルも違う。イギリスのスペルが正しい
というわけではない。言葉は、ルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が一〇年ほど前、この浜松市であった。
その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してく
れた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じよ
うにMとWは四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもない
ような書き順が、この日本にあるとは! 

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがあ
る。今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の
教育はおもしろくない。つまらない。たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽
しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。日本のアニメやコミックは、
世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜ん
でばかりはおられない。

だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまで
かたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対
の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。
子どもはやる気をなくす。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、
それでよし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみ
を覚える。

オーストラリアでは、すでに一〇年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚
園で、コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、
フロッピーディスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きか
わった。先生と生徒が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでに
もう来ているのに、何がトメだ、ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきにな
ったとしても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。そ
れについては、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、
どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺
伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左
利きが多く、三〜四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪いというのは、あく
までも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできているが、し
かしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが
一生懸命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子
どもを伸ばす。これは幼児教育の大原則。

昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、
エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)を、
そいでしまう。

(付記)
●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその
一つ。それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教
えておかないと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、
ハライが美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、
そういう「美」を、勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字
の役目は、意思を相手に伝えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的
がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよ
く思い出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆を
はさんで文字を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し
訳ないことをしたと思っている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを
織り込んだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

【左利きについて】

●何でも握らせる
 
 人類の約5%が、左利きといわれている(日本人は3〜4%)。原因は、どちらか一方の
大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣に
よって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四
歳までに決まるとされる。
 
 それはともかくも、幼児を観察してみると、何か新しいものをさしだしたとき、すぐ手
でさわりたがる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。さわるから知的好奇心が
刺激されるのか、あるいは知的好奇心が旺盛だから、さわりたがるのかはわからないが、
概して言えば、さわりたがる子どもは、それだけ知的な意味ですぐれている。これについ
て、こんな話を聞いた。

 先日、タイを旅したときのこと。夜店を見ながら歩いていたら、中国製だったが、石で
できた球を売っていた。2個ずつ箱に入っていた。そこで私が「これは何?」と聞くと、「老
人が使う、ボケ防止の球だ」と。それを手のひらの中で器用にクルクルと回しながら使う
のだそうだ。そしてそれが「ボケ防止になる」と。指先に刺激を与えるということは、脳
に刺激を与え、それが知的な意味でもよい方向に作用するということは前から知られてい
る。

 もしあなたの子どもが乳幼児なら、何でも手の中に握らせるとよい。手のマッサージも
効果的。生活習慣説によれば、左利きも防げる。(左利きが悪いというのではないが……。)
そして「何でもさわってみる」という習慣が、ここにも書いたように好奇心を刺激し、「握
る」「遊ぶ」「作る」「調べる」「こわす」「ハサミなどの道具を使う」という習慣へと発達す
る。もちろん指先も器用になる。

(補足)子どもの器用さを調べるためには、紙を指でちぎらせてみるとよい。器用な子ど
もは、線にそって、紙をうまくちぎることができる。そうでない子どもは、ちぎることが
できない。
(はやし浩司 右利き 左利き 利き手 きき手)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●今朝・あれこれ(1月21日)

+++++++++++++++++++

今朝は、どんよりとした曇り空。
風は弱く、冬なのに、どこか生暖かい。

水槽の流れる水の音だけが、シンシンと
居間にひびく。

+++++++++++++++++++

●インチキ放送

 大阪にあるKテレビ放送局が、またまたインチキ番組を流した。「糸引き納豆は、ダイエ
ット効果がある」(「あるある大辞典2」)という番組だった。

 たまたま私も、その番組を見た。しかしその番組は、すべてインチキだったというから、
すごい! ……と同時に、静かな怒りが私の心の中に充満した。「また、やられた!」と。

 たしか番組の中では、毎日納豆を食べた人と、食べなかった人の体重を、比較していた
と思う。ともに3人ずつ出演したと思う(私の記憶)。

 結果、毎日食べた人は、3キロ前後の減量に成功。そうでない人は、変化なし、と。

 しかしこれらすべてが、やらせだったとは!

 新聞報道によれば、

(1)中性脂肪が正常値になった……実際には、測定などしていなかった。
(2)納豆を食べた人と、食べなかった人の血液比較……架空のデータ。
(3)アメリカの大学教授の意見……別の研究者の論文を発表。
(4)出演者の写真……まったく無関係の人たちの写真を発表、だそうだ(中日新聞)。

 とくに注意をひくのは、「日本の方々にも身近な食材で……」と、あたかも、その教授が
述べたかのようなコメントを、日本語訳で流したこと。「アメリカに住む教授だから、アメ
リカまで、耳に届くことはないだろう」という、制作者の思惑が、よく見てとれる。

 私もだまされたという点で、このインチキ番組を見過ごすことができない。しかもそれ
がインチキと発覚したのは、何かの偶然によるという。つまりこうしたインチキは、氷山
の一角と考えてよい。

 中日新聞は、「納豆ダイエット、ねつ造」「データ測定なし」と見出しにかかげている。
しかしそれにしても、悪質! だからといって、これからも納豆を食べるのをやめるわけ
ではないが、しかしそれを食べている自分が、アホに見えてきた。

 その番組のあと、納豆を食べながら、「納豆って、ダイエット効果があるんだよ」とワイ
フに話した私。そんな私に対して、だれが、どう責任を取ってくれるというのか。

(付記)

 日本人は、小ズルイね。ホント。正義なんて、子どものころから、教えていないもの。
へたに正義感を燃やしたら、受験競争そのものから、はじき飛ばされてしまう。そんな体
質が、こうした事件に集約されている。


●32インチ、液晶テレビ

 「10万円を切ったら買おう」と心に決めていた。それが、昨日、9万4000円にな
った。だから、買った。32インチ、液晶テレビ。

 とうとう我が家も、液晶テレビ時代! 

 日本のI社製だが、箱には、「Made in Taiwan」とあった。私も台湾、大
好き。日本の新幹線を走らせてくれた。台湾の人たちも、日本びいき。液晶テレビを買っ
て、何となく、日台友好に、一役買った感じ。(韓国製など、ぜったいに、買わないぞ!)

 さっそくDVDで、映画をみる。『未知との遭遇』。手元には、それしかなかった。

 で、今日は日曜日。これからビデオショップへ行って、何かよい映画を借りてくるつも
り。ワイフは、「うちが映画館になったみたい」と、ひとり、はしゃいでいる。

 
●介護

 今日は車椅子に乗せて、母を散歩に連れていくつもりだった。しかしあいにくの曇天。
それに先ほど様子を見に行ったら、ソファに座ったまま、眠っていた。

 症状は、一進一退。

 数日前は、ベッドからひとりで起きあがり、排便ができた。おむつを濡らさなかった。
しかしそれが今日はできない。ベッドから体を起こすこともできない。

 昨日、担当の療法士の先生に相談すると、「脳の中に問題があるようです」と。つまり三
半規管に何か、故障が起きているらしい。

 今のところ、大きな問題はない。日々、平穏、無事。こと母だけを見ていると、のんび
りと、時間が流れている。

 そうそう昨晩は、夜中の3時に、ベルがなった。ワイフと見にいくと、足が、パイプに
ひかかって、抜けなくなっていた。それで母は、ベルを鳴らした。

 で、今朝、そのことを母に話すと、「覚えておらん」と。ボケてはいないが、記銘力は確
実に衰退しているようである。

 今年、90歳。少し前、「100歳までは、だいじょうぶだね」と母に言ったが、100
歳までは無理かもしれない。私の思いも、そのつど、一進一退する。
(1月21日)

(付記)

 そうそう今日の夕方、母のおむつを替えているときのこと、こんなことがあった。

 母は、少しでもおむつが濡れると、それをいやがり、それを外にひっぱり出してしまう。
おかげで、パンツまで便で汚れてしまう。コストのことを話すと、おむつは、1枚40円
前後。パンツは、1枚、100円前後。合計で、140円前後。

私「あのなあ、お前、1回ごとにパンツとおむつを替えていたら、1日に、それだけでも
1000円になってしまうぞ。少しくらい便がもれても、そのままにしておけ」
母「ありがと」
私「ありがとうなんて、言わなくてもいい。わかったか?」と。

 そこでまた同じおむつをはめようとすると、片方の手で、それをひっぱって、抜こうと
する。

私「抜くんじゃない。このままにしておけ」
母「ありがと」
私「うるさいなあ。そんなお上手は、言わなくていい」と。

 と、そのとき、私が母のしりのほうからおむつをあてようとしたら、プッと、母がおな
らを出した。

私「バカ! 息子の顔に、おならをかける親が、どこにいる。少しはがまんしろ」
母「ありがと」
私「だからさあ、ありがとうは、もういい。黙ってろ」と。

 毎日が、こんな調子。居間にもどると、長男とワイフがそこにいた。

私「あのなあ、ぼくね、母におならをぶっかけられた。ハハハ」
ワ「あら、それはとんだ災難ね」
私「そうだよ。おむつを、すぐ取り替えようとする。あれじゃ、いくつおむつがあっても、
足りないよ」
ワ「そうね」
私「それでさあ、ぼくね、母の尻に、消臭スプレーをブシュッとかけてやった。そしたら
母ったらね、ヒャーッて声を出した。ハハハ」と。

 それを聞いて、長男が笑った。ワイフも笑った。

 今夜から、しばらくパソコンと連動した監視カメラを設置することにした。夜中に、ど
んな行動をしているか、それを知りたかったからである。つまり、私たちの見ているとこ
ろでは、母は、ベッドから起きあがることさえできない(?)。しかし夜中だと、自分で起
きて、用を足して、そしてまたベッドに戻ることができる。

 どうしてだろう? 昔から母は、他人の目を、鋭く意識する。他人がそこにいるだけで、
態度がガラリと変わる。そういう母を、私はよく知っている。母の行動は、いろいろと謎
に包まれている。

 我が家は、何かにつけて、ハイテクなのだ! 介護は、まさに知恵比べ。母を知るため
には、まずその行動を観察する必要がある。

 私「動きを感知すると、自動的に録画が始まるようにしておいた。それを見れば、母が
夜中にどんな行動をしているか、わかる」と。

 それにしても、母のおならは、臭かった! ホント!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児と動機づけ

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幼児に、学習の動機づけをする最大のコツは、
幼児を楽しませること。

たとえば文字にしても、数にしても、
文字を教えたり、算数的なことを教えるのが、
目的ではない。

大切なことは、「文字は楽しい」「数は楽しい」という、
(思い)を、子どもの心の中につくること。

その(思い)が、動機づけとなって、子どもを
前向きに伸ばす。

++++++++++++++++++++

 幼児教育といっても、いろいろある。が、その中でも、学習への動機づけについて。

 幼児教育というと、文字、数を教えるのが幼児教育と考えている、若い母親は多い。ま
ちがってはいないが、それがすべてではない。それは幼児教育の、ほんの一部。

 数日前も、ある母親から電話がかかってきた。「タウンページで見ましたが、お宅(BW)
では、文字や数を教えてもらえますか?」と。

 が、私はこう答えた。「文字や数は、楽しいということは、教えますが、文字や数そのも
のは、教えません」と。

 その母親は、私の返答を理解できなかったのかもしれない。自分の名前も告げずに、電
話を切ってしまった。

 しかし実際に、私は、そうしている。

 文字や数の楽しさは教えるが、文字の書き方や、算数的なことは教えない。大切なこと
は、幼児の心の中に、「文字は楽しい」「数は楽しい」という(思い)をつくること。その
(思い)が、動機づけとなって、子どもを伸ばす。たとえば私の教室(BW)から、家に
帰って、母親に、「ママ、カタカナを教えて!」と言えば、それでよし。それこそが、私の
教室の目的ということになる。

 では、どうするか?

 方法は簡単。子どもを笑わせればよい。イギリスの格言にも、『楽しく学ぶ子どもは、よ
く学ぶ』というのがある。「楽しい」という前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。

 たとえば昨日(1月16日)も、数字を使って私の顔を描いてみせた。「2」で目を描き、
「6」で鼻を描いたりした。それを見て、子どもたちは、ゲラゲラと笑った。その(笑う)
という行為を通して、子どもたちは、「数は楽しい」ということを学ぶ。

 あとは、こうした遊びを、子どもたちの頭が冷えない程度に、繰りかえす。「冷えない程
度」というのは、退屈させないようにという意味。実際には、間髪を要れず、つぎつぎと、
レッスンを展開していく。

 子どもによっては、10人のうち、4〜6人だが、頭が、高熱を発したように熱くなる。
これは子どもの頭を手でさすってみればわかる。

 つまり脳みその活動が、フルパワーになる。が、こうなればしめたもの。「頭がよくなる」
とは書けないが、それに近い状態になる。子どもの脳みそを刺激することができる。

 そのあとのことは、子どもに任せればよい。子ども自身が、自分の力で伸びていく。

 ところで、よく、「BWは、週1回のレッスンしかしないが、それで効果があるか?」と
聞かれる。で、そういうとき、私はいつも、こう断言する。「あります」と。

 たとえ週1回でも、子どもたちは、私の教室を中心に、1週間の過ごし方をきめる。毎
日、BWの話を、家でするようになる。これはウソではない。この原稿は、BWへ子ども
を通わせている親たちも読んでいる。ウソは書けない。

 ダラダラと、意味のない学習を、1週間するより、瞬間的でも、濃密なレッスンを週1
回するほうが、はるかに効果的である。だから週1回でも、効果がある。

 あとは、子どもに自信をもたせる。子どもが何をしても、また何を言っても、「よくでき
たね」「すばらしい」と言って、レッスンをしめくくる。繰りかえすが、そのあとのことは、
子ども自身がもつ(力)に任せればよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

【スカイプ・英会話】

(はじめての生徒さんが、はじめてのレッスンを受けました!)

+++++++++++++++++++

スカイプ英会話教室より

はじめての生徒さんが、はじめてのレッスンを
受けました。

そのはじめての感想が、届きました。

うれしかったです。本当にうれしかったです。

+++++++++++++++++++

はやし先生、こんにちは。金曜日にBWでお世話になっておりますDIです。
おかげさまで、昨日初めてのスカイプ英会話のレッスンを受けさせて頂きまし
た。

ディニース先生の温かい雰囲気に、H男(小1)も緊張することなく、楽しく
レッスンできた様です。

英語だけで20分間会話するというのは、多分H男にとって始めての経験ですが、
集中して英語を聞くことによって耳が慣れてくるのか、
最後の方には自力で、ディニース先生の質問に答えていたのには驚きました。

パソコンの画面に出てくる教材もすばらしく、H男も驚いて見ていました。
自宅にいながらこんなに楽しく、内容の濃いレッスンを受けることが出来て、本
当にありがたく思っています。

H男も「たのしかったー!」と喜んでいました。

無事にレッスンを開始できました御報告とお礼をと思い、メールさせて頂きまし
た。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

+++++++++++++++++++

バンザーイ!

私も、ほっとしました。

DIさん、メール、ありがとうございました!

+++++++++++++++++++

スカイプ英会話は、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より、どうぞ!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●舞台から飛び出す

++++++++++++++++++++++

私たちの日常生活というのは、舞台の上で
毎日、同じ踊りを演じているようなもの。

やることも、考えることも、みな、同じ。
繰りかえし。へたをすれば、10年一律のごとく、
同じことを繰りかえしている。

しかしこうなると、進歩など、もう、望むべくも
ない。

++++++++++++++++++++++

 加齢とともに、思考のループ性は、ますます強くなる。思考そのものが、ループ状態に
なる。同じところをクルクルと回るようになる。自分では、進歩しているつもりでいても、
5年単位、10年単位でみると、またもとに戻ってしまう。

 わかりやすく言うと、私たちの日常生活というのは、舞台の上で、毎日、同じ踊りを演
じているようなもの。やることも考えることも、みな、同じ。繰りかえし。へたをすれば、
10年1律のごとく、同じことを繰りかえしてしまう。

しかしこうなると、進歩など、もう、望むべくもない。最近でも、私は、こんな経験をし
た。

 ある知人と、20年ぶりに会った。会って話をしたが、その途中で、ふと「この話は、
20年前にも聞いたことがあるぞ」と思った。つまりその知人は、20年前に私にした話
と同じ話を私にした。

 しかしそれは私自身のことでもある。私だって、ふと油断すると、5年前、あるいは1
0年前にしたのと同じを話をすることがある。原稿だってそうだ。新しいテーマについて
書いているつもりでも、古い原稿の焼きなおしにすぎない……ということは、しばしば経
験する。つまりその間、私は、ほとんど進歩しなかったということになる。

 そこで大切なことは、自分が舞台で踊っているのに気がついたら、思い切って、その舞
台から飛び降りてみること。が、それがむずかしい。そのためには、自分が、どんな舞台
の上にいるかを、まず知らなければならない。

 が、手がかりがないわけではない。それを知るためのひとつの手がかりとして、こんな
話がある。

 浜松市には、あちこちに「介護の会」というのがある。老人介護で苦労している人が集
まって、情報を交換する会である。老人介護だけではない。若くして痴呆症になってしま
った人がいる。そういう人の介護も、これまたたいへんである。

 私の義理の姉が、その介護の会で、講師をしている。義理の姉も、義母の介護で、たい
へんな苦労をした。その介護の会から帰ってきたワイフが、こう言った。

 「あなた、あなたのお母さんの介護なんか、何でもないほうよ」と。

 話を聞くと、上には上がいるもの。自分のした大便を、たんすの中にしまっている老人
がいるという。さらに大便を、畳の隙間に、埋め込んでいる老人もいるという。そういう
老人と比べると、パンツやシーツを汚す程度の私の母などは、何でもない、と。

 これが、ここでいう「舞台の外に出てみる」ということである。その舞台の上にいると、
その舞台のことしかわからない。わからないから、そこが全世界と思って、あれこれ悩ん
だり迷ったりする。

 私も母の介護をするようになって、新しい発見を繰りかえしている。少しおおげさな言
い方に聞こえるかもしれないが、「生きる」ということがどういうことか、それを学びつつ
ある。もし母を介護することがなかったら、絶対に知ることがなかった世界といってもよ
い。

 だから自分の舞台を知るためには、思い切って、それまでに経験したことがない世界に
飛びこんでみるとよい。温室の中で、ぬるま湯につかっていたのでは、自分の舞台を知る
ことはできない。

 言い忘れたが、思考がループ状態になるということは、その分だけ、自分の人生をムダ
にしているということ。加齢とともに、人は、どうしてもこのループ状態に陥りやすくな
る。「明日は今日と同じ」「来年は今年と同じ」という人生に、どれほどの意味があるとい
うのか。……というのは、少し言い過ぎかもしれないが、そういう人生を避けるためにも、
私たちは一度、自分がどんな舞台で踊っているかを知らねばならない。

【付記】

 老人は、ある日突然、老人になるのではない。老人は、少しずつ、徐々に老人になって
いく。

 そこで我が身を振りかえってみる。私は、今は「私」だが、やがて少しずつ、その老人
になっていく。その境目は、どこにあるのか。どこからどこまでが、老人でなく、どこか
ら先が、老人なのか。

 昨日も、ある老人ケアセンターで、30分ほど、老人たちの様子を参観させてもらった。
が、中には、見るからに元気で、現在の私と、それほどちがわない老人もいることを知っ
た。歩くときも、スタスタと歩き、隣の人の作業に、手を貸したりしている。

 「私とそれほどちがわない」と思うということは、私自身が、その老人になりつつある
ことを意味する。

 そこでもし、この私が現在、老人になりつつあるということになるのなら、今は、「若い」
と思っている、若い人たちだって、実は、老人になりつつあるということになる。実際、
それを思わせる若い人は、少なくない。

 事実、私より、5歳も若いA氏は、ピック病になってしまった。脳みそが部分的に、欠
けてしまう病気と考えるとわかりやすい。本人は、「オレは、正常だ」とがんばっていると
いう。

 またやはり私より3歳も若いB氏は、腎臓病がこじれて、今は、2日おきに、人工透析
を受けている。

 こういう人たちは、介護なくしては、もう生きてはいかれない。……となると、老人と
は何か、介護とは何か、それがわからなくなってしまう。つまり気がついてみたら、いつ
の間にか、介護を受ける立場になっていた……。そういうふうになって、老人は、老人に
なっていく。

 しかし暗い話ばかりではない。

 ここ数日のことだが、私の母は、ここへ来たときより、はるかにしっかりとしてきた。
おむつも、ほとんど濡らさなくなった。来た当初は、下痢気味で、おむつを取り替えるた
びに、大便を漏らしていた。が、それもなくなった。

 ベッドからポータブルトイレ、ポータブルトイレからソファへと、部屋中に、手製の手
すりをつけてやったのがよかった。母は、それを頼りに、自分でベッドから起きあがり、
自分でトイレを使うようになった。

 老人も、それなりの環境さえ整えてやれば、自立する。必ずしも、老人イコール、介護
というわけでもない。老人になるかならないかは、あくまでも、私たちの心構えひとつと
いうことになる。

 そんなわけで一言!

 私は決して、老人にはならないぞ。90歳になっても、100歳になっても、老人には
ならないぞ!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(1月15日)

+++++++++++++++++

寒い朝だ。昨夜は、寝る直前まで
パソコンと格闘。おかげで、床に
ついてから、1時間ほど、眠れな
かった。

+++++++++++++++++

●お年玉つき年賀状の当選発表

 今朝、インターネットのニュース欄をのぞいていたら、お年玉つき年賀状の当選発表が
あった。さっそく別紙に、番号を書きとめる。

 が、どうも、居心地がよくない。ここ数年、年賀状の枚数をぐんと減らしている。それ
に合わせて、受け取る年賀状の枚数も減っている。「悪いな……」と思いつつ、返事を書か
ないですませた人も多い。そのせいか、今は、年賀状を見ると、何かしら、会いたくない
知人に、会うような気分。だから居心地が悪い。

 あとでワイフに番号を書きとめた紙を渡すつもり。それでおしまい。1等はハワイ旅行
とか……。当たっても、行きたくない。どうせ当たらないが……。だいたい、今どき、「ハ
ワイ旅行」という発想が、チンプ。こんなことを繰りかえしているから、年賀状も、ソッ
ポを向かれる。


+++++++++++++++

●ビスタがほしい!

+++++++++++++++

とうとう予約販売が始まった。
ビスタ搭載のパソコン!

しかし今月は、長男、三男の
学費納入で、夢は、ツユと消えた。

「あわてて買うと、失敗する」と
ワイフに負け惜しみを言いながら、
今日も、カタログをながめる。

+++++++++++++++

 現在、2か所の有料版のHPサービスで、HPを配信している。一方は、約60MB弱。
もう一方は、約70MB弱。編集、FTP送信までは、何とかスムーズにできるが、その
あと、ファイルを保存するのに、それぞれ、約6時間、12時間もかかる。2048MB
もメモリーを積んでいて、このザマである。

 ハードディスク上の仮想メモリーと、ハードディスクの間で、スワップするためである。
わかりやすく言えば、2048MBでもメモリー不足になるということ。

 しかしビスタには、USBメモリーを、仮想メモリーとして使う機能があるそうだ。U
SBメモリーを仮想メモリーとして使えば、理論上は、保存も、ぐんと速くなるはず。(ま
ちがっていたら、ごめん!)

 それに今では、CPU(中央演算装置)を、4つもくっつけたようなパソコンもある。「デ
ュアル・コア2」とかいうのだそうだ。「脳みそが4つ?」「どんなのだろう?」と、想像
するだけで楽しい。

 先日、仙台市のパソコンショップで、ビスタ・ベータ版を見たが、画面が楽しい。今ま
でのXPとは、明らかにちがう。昔の「95」と現在の「XP」ほどの落差を感じた。

 この世界は、いったい、どこまで進むのだろう。とりあえず近未来的には、ハードディ
スクはなくなるはず。現在、2MB程度のメモリーが、約7000〜8000円で売られ
ている。それを20個あわせれば、40MBのハードディスクと、同じ働きをさせること
ができる。値段は、14〜16万円ということになるが、それが、3〜4万円程度までさ
がれば、ハードディスクは、この世から消えてなくなる。

 さらに、メモリーの価格がさがれば、そのうち、400MBとか、800MBのメモリ
ーを搭載したパソコンが売りに出されるようになるだろう。そうなれば、私も、もっとす
ごいHPを開設することができるようになる。10年とか、20年先の話ではない。私の
予想では、5年。その5年以内に可能になると思う。

 それまでのビスタ。それはわかっているが、あ〜あ、ほしい。……が、今月は、息子た
ちの学費納入で、その夢もツユと消えた。今は。じっとがまんのとき。この、つまりジリ
ジリとがまんしているときが、楽しい。手に入れたときの喜びが倍加する。

 そんなわけで、今日もカタログをながめて、おしまい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●母の介護

 ベッドからおりるだけでも、10分近くの時間がかかる。私たちが近くにいると、「手を
貸してくれ」と言う。が、私は手を貸さない。その運動もやめたら、それこそ母は、その
まま寝たきりになってしまう。

 で、これはちょうど2年前、兄の介護のとき気がついたことだが、こうした介護をする
とき、重要なコツがひとつ、ある。

 それは決して、自分たちの生活パターンを変えないということ。兄の介護のときは、兄
の介護で、それまでの生活パターンが完全に崩れてしまった。それはそのまま、ものすご
いストレスとなって、はね返ってきた。

 だから、今回は、最初から、「私たちは私たち」と、心に決めた。仕事も遊びも、そのま
ま。その中に母の介護を組み込むようにした。

 今のところ、それはうまくいっている。昨日は、母を後部座席に乗せて、山荘へ行って
きた。「母のため」というよりは、「私たちのため」。家にひとりで残しておくよりは、その
ほうが安心。それでそうした。

 朝、起きたら、まずポータブルトイレの始末。清掃。それから母に便をさせ、おむつを
取り替える。それがすんだら、食事を、部屋に運ぶ。ころあいを見はからって、あと片づ
け。消毒。

 今日は、デイサービスがない。母は母で、自分なりのやり方で、時間をつぶすはず。あ
とは廊下を通るたびに、私とワイフが、交互に母の部屋をのぞく。声をかける。3〜4時
間ごとに、おむつを取り替える。

 今のところ、下半身はともかくも、上半身がしっかりしているから、自分で体を起こす
ことができる。たったそれだけのことだが、それだけのことでも、本当に助かる。

 ほかにも、いくつかのコツがある。

★決して叱ってはいけない

 老人は、幼児以上に、決して叱ってはいけない。床を汚しても、ベッドを汚しても、叱
ってはいけない。下着を汚すのは、当たり前と心得ること。

★ワイフにすべてをさせてはいけない

 ワイフの生活パターンを守るのは、夫の役目と心得ること。掃除、洗濯、炊事は、ワイ
フの役目としても、その先は、夫がすること。たとえば食事にしても、母の分を用意する
のはワイフに頼むとしても、それを母の部屋に届けるのは、夫の役目。

★介護は、知恵比べ

 介護をしていくと、そのつど、問題が起きてくる。が、ここで重要なことは、決してあ
わてて、パニック状態になってはいけないということ。そういう意味では、介護は、まさ
に知恵比べ。

たとえば汚物は、それまでは、横のゴミ箱に入れていた。が、これだと臭気が部屋の中
に充満してしまう。そこで私たちは、密閉式のゴミ箱を買ってきて、それに汚物を入れ
るようにした。が、それで、問題が解決したわけではない。それでも、臭気が漏れる。
だから、さらに、今度は、消臭剤を買ってきて、その中に入れた。

 そのつど、「ああしよう」「こうしよう」と考えることは、それなりに楽しい。昨日も、
近くのショッピングセンターで、ワイフといろいろな介護用品を買い込んできた。うまく
いくかどうかはわからないが、何でも試してみる価値はある。

 どうせ生きるなら、楽しく、明るく生きなければ、損。運命というのは、そういうもの。


+++++++++++++++

●嫁の英会話教室

 嫁が、スカイプを使った英会話教室を始めた。スカイプというのは、無料の、テレビ電
話のこと。

 ……ということで、今回、はじめて、嫁の学歴を公表することにした。嫁は、ヘンダー
ソン州立大学の英文法学部(日本で言う文学部)を、主席で卒業している。千数百人いる
学生の中でも、トップの賞を受賞している。(嫁の学歴は、以下のページより。)

http://bwhayashi.fc2web.com/page010.html

 私も、嫁からのメールを読むたびに、そのすごさに驚いている。私にだって、その人が
書いた英語が、じょうずかへたかくらいは、わかる。

 はからずも……というか、息子と結婚して、子どもができてしまったため、キャリアの
道からはずれてしまった。が、「英語を教えてみたい」という情熱まで、消えてしまったわ
けではない。

 もしみなさんの中に、「うちの子に英語を……」と考えている人がいたら、ぜひ、嫁の英
会話教室を考えてみてほしい。よろしく、よろしく、本当に、よろしく!

 うちの嫁は、そこらのインチキ外人講師とは、ちがうぞ!


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●おけげで、今年も、順調!

++++++++++++++++++

休みがあけて、毎日、2時間、自転車を
こいでいる。

ほかに、ハナとの散歩。昨日は、ワイフと、
30分ほど、山の中を歩いた。

体は順調。仕事も順調。

2007年は、始まった!

++++++++++++++++++

 人間というのは、やはり働いていなければ、いけない。中国では、『流水は腐らず』とい
う。まさに、そのとおり。

 心の健康は、肉体の健康があってはじめて、維持される。肉体が腐ると、心も、腐る。
だから、まず、肉体。その健康に、心がける。

 ただ、今は、やや太り気味。食事の量を減らしてはいるが、どうもうまくいかない。ど
うしてだろう? ワイフは、「あなたは、体ががっしりしているからよ」と言う。つまり筋
肉質だ、と。

 そうかもしれない。そうでないかもしれない。たしかに太ももの太さだけは、ほかの男
性よりも、2倍近くもある。20代のころから、自転車通勤をつづけている。

 あとは仕事だが、まだ現役。私に命令できる人間はいない。(命令できる相手もいないが
……。)私は自由だし、これからも、ずっと、自由。この自由だけは、大切にしたい。

 が、何よりも大切なのは、家族の明るさ。ワイフが、生き生きと仕事をしているのを見
ると、「ああ、これでいいのだ」と思う。つまり夫は、妻の前では、バカなフリをする。バ
カなフリをして、妻に優越感をもたせる。アメリカでは、『夫は、頭。妻は、首』という。
「ものごとを決めるのは夫の役目だが、夫をどちらに向かせるかは、妻の役目」と。

 ナルホド!

 私の家族の間では、上下意識は、まったく、ない。ないものはないのであって、どうし
ようもない。「夫が上で、妻が下」とか、「親が上で、子が下」とか、そんなことは、考え
たこともない。「兄が上で、弟が下」というのも、ない。息子たちは、みな、それぞれに平
等に育てた。息子たちも、たがいに、そう思っている。

が、世の中には、いまだに、江戸時代の亡霊を引きずっている人は、多い。家父長意識
というのも、それ。「上」にいる者にとっては、居心地のよい世界かもしれないが、「下」
の者にとってはそうでない。そうでないばかりか、「上」の者は、「下」の者の心を見失
う。見失っていることにさえ気づかないまま、見失う。

かわいそうで、あわれな人というのは、そういう人たちのことをいう。自分で「偉い」
と思っているだけ。まわりの人たちは、「バカ」と思っている(失礼!)。

 話がそれたが、他人は、ときどき私たち夫婦を見て、「あなたたち、姉さん女房?」と聞
く。ワイフのほうが、年上に見えるから。しかし実際には、ワイフのほうが、私よりx歳
年下。私のほうがバカな夫のフリをしているだけ。ハハハ。

 そんなわけで、ひとつだけ不安なことがある。ワイフは、私なしでも、多分生きていか
れると思うが、私は、ワイフなしでは、生きていかれない。それが自分でも、よくわかっ
ている。だから、私は、ワイフを大切にする。ワイフの健康に気をつかう。

 「健康に、心がける」と言っても、自分ひとりの健康だけでは、どうしようもない。夫
婦は、夫婦。2人1組で、1人の人間。

 愛しているよ、晃子! いつまでも、健康でいてくれよ! (←ワイフも、いつも、私
の楽天日記を読んでいるので、一言。オノロケですみません。!)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司


●16万人!

+++++++++++++++++

楽天日記の読者が、もうすぐ16万人
になる。

16万人!

すごいことだと思う。

多い日には、1日、300〜400人
もの人たちが、目を通してくれる。

+++++++++++++++++

 楽天日記の読者が、もうすぐ16万人になる。16万人!、だぞ。改めてインターネッ
トのもつすごさに驚く。が、それだけではない。

 読者のみなさんへ、いらぬご忠告。

 楽天日記にかぎらず、HPにしても、開設者のほうに、ある程度、アドレスがわかるし
くみになっている。さらにどこのだれが、いつ、どのようにしてHPにアクセスしたか、
その追跡調査を、無料でしてくれるサービスもある。そのサービスを使うと、だれが、ど
のページをのぞいたかはもちろんのこと、どんなOSのパソコンを使っているかまで、わ
かるしくみになっている。

 さらに、あなたが住んでいる県名、地域名までわかる。今までに、何回アクセスしたか
まで、わかる。

 私の楽天日記にせよ、HPにせよ、だからといって、どうこうということはないが、「開
設者にはわからないはず」と思って、他人の楽天日記をのぞいたり、HPをのぞいたりし
ていると、ときには、開設者に、あなたの心の中までのぞかれてしまう。

 インターネットのすごいところは、こんなところにも、ある。

 実は、数日前も、こんなことがあった。

 私の掲示板に不良書き込みがあった。近所の知人を装った書き込みである。いわく、「あ
なたの子育て診断など、役に立たない」「あなたごときに、子育て診断などしてもらわなく
て、結構」と。

 そこで私のHPの閲覧記録を調べてみた。その書き込みがあった直前に、同じアドレス
で、私のHPをのぞいた人がいた。掲示板へたどりつくためには、一度、私のHPを経由
しなければならない。

 私のHPは、先に書いたような追跡サービスができるようになっている。で、それを使
って、プロバイダー(サーバー)の住所を調べてみると、横浜近郊、三浦半島に住む女性
ということまでわかった。名前は、S・Y。(S・Yさん、あなたですぞ!)

 だからその書き込みは、そのまま削除。「近所のものです」などというウソなど、いっぺ
んにバレてしまった。

 さらに名前がある程度特定できると、今度は、グーグルなどの検索機能を使って、その
人が、あちこちに投稿している記事まで、拾い出すことができる。どこでどのような活動
をしているかまで、わかる。こうした不良投稿を繰り返す人というのは、無意識のうちに
も、類似した名前で、類似した書き込みをするものらしい。

 だから、こうした不良書き込みはしないこと。しても意味はない。インターネットのす
ごいところは、こんなところにもある。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【キレる子ども】(第3回)(荒れる子どもたち)

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。

まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひ
ょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そ
してそのまま
の姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目
が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。

小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの
子どもが、1クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えれ
ばこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、
「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を
出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。

ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの
攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの
授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に
出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなっ
た」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の
差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が
難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と
続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり
感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこ
に恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。

そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイ
プの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづ
けになっていたのがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしてい
るときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のア
ニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマ
ーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわか
りやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなく
なる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに
聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」
とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一
見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳
である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今
まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていること
はじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということ
になる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。

「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や
東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされ
た」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学1年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在
籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年2
10人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は3
55人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、9
6年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171
人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、う
つ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者な
どの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラ
スを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策を
とっている(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。

具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香
川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引き
さげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、も
う1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部
の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の4教科に、教科担任制を試験的に導入
している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施して
いる(01年度調べ)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
キレる子供 キレる子供 突発的に暴れる子供 暴れる子ども 子供の暴力 暴力行為 
衝動的 衝動性)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの相談

++++++++++++++++

数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。

そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。

++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとな
が、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔
よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困
っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの
子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげよ
うとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったイン
スリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状
態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状
態になって大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切
るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」とし
て、20年ほど前に話題になったことがある。

日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの
子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダ
メもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげし
い」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩
んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、
思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。
そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親とい
うのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、
間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつう
の家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康
なら、小食(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。

小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。

真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方につ
いては、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。

心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。

また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。

泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしています
が、私が折れる事はありません。

その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中さ
せて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはターレスだが、自分を知ることは難しい。
こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のか
たきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまっ
た。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを
思い知らされたからだ。

ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行
くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その
相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でな
い部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、
それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、も
っと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思
いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のこと
を、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねく
れる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこう
したゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこと
なく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰
り返すことである。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学3、4年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣
く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がしま
す。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いてい
る態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ない
ようです。
●そのせいか、話し言葉も5歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満5歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落
ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言った
ところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけ
でも、いろいろあります。

されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲
求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによ
ると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配
先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数
かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なお
そう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく
見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視す
ることによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」
「これがダメ」と
いう指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、
マイナス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおして
やろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのです
ね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおってい
く。

UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学3、4年生を境に、
症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロー
ルするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑
をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中にな
っているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最
近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意
識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」とい
う部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学1年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめま
す。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情
の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。

それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴
れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいま
す。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛
情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり
神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学3、4年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そ
のときわかってくださると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろあるで
しょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってくだ
さい。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニメ
は、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考え

考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物
的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物
的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。
この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静
岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)
食生活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切り
かえてみてください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、あ
りとあらゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム
前後でじゅうぶんです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかが
でしょうか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、
慎重にしますが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避
けます。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原
稿なので、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分に
ついては、先に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフの
殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあげら
れたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授
らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいで
しょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱し
ていて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親
が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動
き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくよ
うな金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態に
なると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断
した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。
仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たとえ
ば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階で止
める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向かって、
「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。教師として
すべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開始する
ことである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」
という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてイン
スリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとる
と、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子ど
もを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)
疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという(朝
日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子ど
もにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院
に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。し
かし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパ
とものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震えると
いうよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制命令が阻
害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく怒りが増幅
される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体
内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性
化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやす
い。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)
脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をし
やすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)とい
う。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、
また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシ
ウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざ
まな子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、
食品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに
入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということ
で、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進
言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げりにし
ながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。母親は「麻
薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから数日後。今度
はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、ちょうど一
週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応がま
るでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせまし
ょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをど
こかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多
い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という
短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを
投与するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果がなくて
も、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの子は小食
で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与えるというこ
とは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを四本は飲めな
いし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
過剰行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 
原因 キレる子ども 原因 原因物質)


【キレる子供・補足】

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言
を行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・J
APAN)なものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけでは
なく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会
的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。
つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、
脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙
な行動を引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。
人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」
というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシ
リー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、
環境ホルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、
胎児の脳に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発
達を損傷する」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。
しかしながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないまま
キレる子どもの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。
(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、
考えられる。こうした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。

ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜいた
くの中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、それを過負
担と感じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。親の期待にせ
よ、学歴社会にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度は容認されるべき
ものであり、こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできない。これらを
整理すると、次のようになる。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

●終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、その分野
に応じて考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問題を正面か
らとらえることができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜんと、もっと言
えば感傷的にとらえ、それを論ずることである。こうした問題のとらえ方は、問題の本質
を見誤るばかりか、かえって教育現場を混乱させることになりかねない。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【砂糖は白い麻薬】

++++++++++++++++++

子どもの突発的な凶暴性は、
低血糖によると考えられている。

しかし、だからといって、
甘味料(白砂糖)の多い食品を
子どもに与えろということでは
ない。

誤解のないようにしたい。

+++++++++++++++++

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考え
るとわかりやすい。

そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ小
児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量
に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロ
トニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったときの
ことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょう?」
と。U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動性が強く
みられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと母親はこう
言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残
したらも
ったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計算してみ
るとU君は一日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。かなりの
量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからがたいへん
だった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビ
スケットをくれ!」と叫ぶようになったという。

急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状のようなものがあらわれるこ
とがある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづける
ように」と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て驚いた。

U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまったの
だ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を
見つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでし
ょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のない
ものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、子
どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラム。
この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいはキ
ーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カルシ
ウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効果がな
くてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間程度でみ
ちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食品
を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出して
しまう。

と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソー
セージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした粘り
気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(やわらか
くした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味をつけ、色
を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末飲料(お湯
や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以上、川島四
郎氏)。

かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンク・フード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物
を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということ
は、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食品
(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジャ
ンク・フードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコー
ル処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように
愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多
く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂糖
はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫をお
こす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しやすく、
回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、機能が
低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの食生活 子供の食生活 ジャンクフード ジャンク・フード 低血糖児 砂糖 
白い麻薬)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【キレる子ども】(第2回)(かんしゃく発作)

【はやし浩司より】

 乳児期から幼児期に見られる、かんしゃく発作というのは、一般的には、家庭教育の失
敗とみます。「失敗」というのは、私の言葉ではなく、心理学の用語辞典などに出てくる言
葉です。

 一方、「キレる」というのは、瞬間的な精神錯乱状態をいいます。前回、私が書いたのは、
それについて、です。

 また、自閉症の子どもや、アスペルガー障害の子どもが、やはり突発的に錯乱状態にな
ることは、よく知られています。

 そこで重要なのは、同じ「キレる」という症状であっても、その中身は、まったく違う
ということです。「キレるから、アスペルガー」というのは、「熱があるから風邪」という
のと同じくらい、まちがっています。どうか、誤解のないようにお願いします。

 で、高機能広汎性発達障害、つまり自閉症、あるいはアスペルガー障害についてですが、
私が経験したZ君、(彼は、医療機関で、「広汎性発達障害児」と診断された)について、
症状を、記憶をたどりながら、ここに書いてみたいと思います。

(1)良好な人間関係ができない

 そのときZ君は、24歳くらいになっていましたが、友人と呼べる友人は、いませんで
した。中学校を出ると、家事を手伝うようになりましたが、それがかえってまずかったの
かもしれません。

 親が無知、無学、無教養で、子どもの心理というものを、まるで理解しようともしませ
んでした。「気はもちよう」と、あれこれ無理をしたのが、症状をこじらせてしまったよう
です。

 医療機関で、「発達障害」という名前を告げられたときも、「病気がどんどんと、発達的
に進行していく病気」と、親は考えていたようです。「心の発達段階で障害があった」とい
う意味なのですが……。

(2)異常なこだわり

 Z君は、音楽のCDを集めていました。小遣いが手に入ると、そのほとんどを、CDの
購入にあてていました。そのため、部屋の中は、CDでびっしりといった状態でした。し
かも、それらが、1ミリの狂いもなく、書庫に納められていたといいます。

 1人、妹がいたのですが、その妹が、こっそりと1、2枚のCDを動かしただけでも、
Z君にはそれがわかり、そのあと、Z君は、パニック状態になってしまったそうです。そ
のため「だれも、ZのCDにはさわることができなかった」(母親の言葉)とのこと。

 ところがある日。何かのことで激怒した父親が、そのCDを、ダンボール箱に詰め替え
てしまったことがありました。常識では考えられない行為ですが、残念ながら先にも書い
たように、父親には、それを理解するだけの教養がありませんでした。

 直後から、Z君は、精神に異常をきたし、たとえば玄関先で小便をしたり、家の中の紙
やカーテンにライターで火をつけたりするようになったそうです。

(3)変化に対する攻撃性

 Z君の家は、広い大通りに面していて、その前には歩道がありました。ときどき、この
歩道に、車を駐車する人がいました。

 Z君は、それがたいへん気になったようです。車が駐車されるたびに、そのクルマに、
マジックで落書きをしたり、ナンバーを、手でひっぱって、ゆがめてしまったそうです。

 で、それを母親が強く叱ったりすると、ときにそのまま家を飛び出してしまい、数時間
から半日あまり、近所をブラブラしていたそうです。母親は「ライターでどこかの家に火
をつけては困る」と、そのたびに、あちこちをさがしました。

 自分の部屋の中のものについてはなおさらで、ペン1本、紙1枚が動いていても、Z君
は不機嫌になったそうです。

 が、それでも思うようにならなかったりすると、突発的に暴れて、テレビを壊したり、
ステレオセットを投げつけたりしたこともありました。

(4)自傷行為

 1〜2メートルの高いところから、両手を広げたまま、飛び降りたり、走っている車の
前で、突然倒れてみせるなどの行為も目立ちました。

 あるいは意味もなく、前頭を壁にガンガンとぶつけて血を流したこともあります。その
瞬間になると、Z君は、何をするかわからないといった状態になるのだそうです。

 ただ心のどこかでは一線を引いているようで、そういう行為をしながらも、「死ぬ」とい
うところまでは考えていなかったようです。

 で、このZ君のケースで悲劇的なことは、先にも書いたように、両親に、それを理解す
るだけの知性がなかったことです。何度か私は、インターネット上から拾った記事をプリ
ントアウトして、両親に渡したことがあります。が、両親は、それに目を通すこともしま
せんでした。

 両親は、Z君の症状に、一方的におびえるだけ。私のところに相談があったときも、Z
君を預ける施設がないかというものでした。「とても、うちでは、めんどうをみきれないか
ら」と。Z君に対する愛情そのものが、すでに消えてしまっていたようです。そんな印象
をもちました。そうそう、こんなことも言いました。「うちに置いておくと、恥ずかしいか
ら、先生のところで預かってくれないか」と。

 つまりこうした無知と無理解が、Z君の症状を、より悪化させたと考えられます。もし
両親に、その知識があり、初期の段階で適切に対処していれば、症状はもっと軽くてすん
だはずです。

 父親がCDをダンボール箱につめるという事件が起きたときも、私が父親に、「それはま
ずかった」と言うと、父親は、平然とこう答えました。

 「CDといっても、聞くのは、せいぜい、100枚くらい。ほかのは飾ってあるだけだ
から、私がしまって、どうして悪い!」と。

 こうして考えると、広汎性発達障害にかぎらず、子どもの障害は、子どもの問題という
よりは、親の問題ということになります。少なくとも、私は、いつもそう考えて、子ども
を指導していました。

 以上ですが、本当にたいへん参考になる意見をいただき、感謝しています。より多くの
方に、参考にしてもらえると思います。ありがとうございました。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 広汎性発達障害 アスペルガー 自閉症)

++++++++++++++++

ついでながら、キレる子どもの問題
について書いた原稿を、ここに再掲載
しておきます。

キレる子どもと、広汎性発達障害の
子どもとは、まったく別の視点から
考えるのが正しいようです。

++++++++++++++++

【特集・キレる子ども】

●キレる子ども 

++++++++++++++++++

キレる子どもについては、たびたび、
取りあげてきた。

その「キレる」という行為だが、通常の
「激怒」とは、いくつかの点で、異なる。

++++++++++++++++++

 子どもでも怒る。激怒することはある。しかし「キレる」という行為とは、明確に、区
別される。
「キレる」という行為には、つぎのような特徴がある。

(1)突発的に錯乱状態になる。
(2)暴力行為に、見境がなくなる。
(3)脳の抑制命令が、欠落する。
(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。
(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 順に考えてみる。

(1)突発的に錯乱状態になる。

 キレる子どもの特徴は、突発的に錯乱状態になること。その少し前から、ピリピリとし
た緊張状態がつづくことがあるが、暴れ出すときは、突発的である。瞬間、人格の変化を
感じたと思ったとたん、「コノヤロー」と金切り声をあげて、相手に飛びかかっていったり
する。

(2)暴力行為に、見境がなくなる。

 キレる子どものする暴力には、見境がない。ふつうの暴力には、(手かげん)というもの
がある。しかしキレる子どものする暴力には、その(手かげん)がない。全力をこめて、
相手を殴ったり、蹴ったりする。

(3)脳の抑制命令が、欠落する。

 言動が、まるでカミソリでものをスパスパと切ったようになる。動きが直線的になり、
なめらかさが消える。脳の抑制命令が欠落したような状態になる。当然、言葉もはげしい
ものになる。

(4)瞬間、別人のような鋭い目つきになる。

 その瞬間、子どもの顔を観察すると、顔色は青ざめ、目つきが別人のように鋭く、冷め
たものになっているのがわかる。憎しみや怒りを表現しながら相手に殴りかかるというよ
りは、無表情のまま。ときに、そのあまりにもすごんだ顔を見て、ゾッとすることさえあ
る。

(5)キレる理由そのものが、明確ではない。

 キレるとき、その理由が、よくわからない。A君(小3男児)は、順番を待って並んで
いるとき、突然、キレて暴れ出した。近くにあった机や椅子を、ギャーッという叫び声と
ともに、手当たり次第、足で蹴って倒した。

 B子さん(小5女児)は、私が「こんにちは」と声をかけて肩をたたいたその瞬間、突
然、キレた。私に向かって、「このヘンタイ野郎!」と言って、私の腹に足蹴りを入れてき
た。ものすごい足蹴りである。私は、その場で、息もできなくなり、しばらくうずくまっ
てしまった。

 C君(小4男児)は、問題を解いているとき、私がそれを手助けしてやろうと声をかけ
たとたん、キレた。「テメエ、ウッセー!」と叫んで、そばにあったワークブックで、私の
頭を、つづけざまに、狂ったように叩きつづけた。

 こういうケースのばあい、私ができることと言えば、男児のばあいは、抱きかかえ、子
どもを抑えることでしかない。しかし相手が女児のばあいだと、それもできない。両手で
まるく、自分の頭をおおうことでしかない。子どもの世界では、おとなの私のほうが、や
り返すなどというのは、タブー。(当然だが……。)

 こうした子どもを観察してみると、先にも書いたように、脳の抑制命令そのものが、欠
落したような状態になっていることがわかる。脳の機能そのものが、異常に亢進し、狂っ
たような状態になる。

 原因のほとんどは、慢性的なストレス、日常的な緊張感、抑圧感の蓄積と考えてよい。
それが脳間伝達物質の過剰分泌を促し、瞬間的に脳の機能が異常に亢進するためと考えら
れる。

 さらにその原因はといえば、脳の微細障害説などもあるが、家庭環境も、大きく作用し
ていることは否定できない。

 子どもがこういう症状を示したら、親は、家庭環境を猛省しなければならない。が、こ
ういう子どもにかぎって、親の前では、むしろ静かでいい子ぶっていることが多い。つま
りそのはけ口を、弱い人や、やさしい人に向ける。

 だからたいていのばあい、私がそれを指摘しても、親は、その深刻さを理解しようとす
る前に、子どもを叱ったり、さらに子どもを抑えつけようとしたりする。これがますます
症状をこじらる。あとは、この悪循環。最後は、行き着くところまで行く。それまで気が
つかない。

 対処法としては、過剰行動児に準ずる。

++++++++++++++++++++++++

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかに
クローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制
命令を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう20年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言う
とこうだ。

たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に
分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩
手大学の大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃
でスパスパとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていっ
たん怒りだすと、カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと
金切り声を出すことも珍しくない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いた
り、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、
カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は
日もちをよくしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出し
てしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦
前までは、カルシウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから
静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあ
い、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャ
クニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。

 ここに書いたのはあくまでも1つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が
見られたら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子
どもに缶ジュースを1本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重15キロの子どもに缶ジュースを1本与えるということは、体重60キロのおとなが、
同じ缶ジュースを4本飲むのに等しい。おとなでも4本は飲めないし、飲めば飲んだで、
腹の中がガボガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということであれば、
精製されていない黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランスよく配合され
ているため、ここでいうような弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。
しかしそういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子
どもたちがウソのように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわ
かった。

その地方ではどこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子どもたち
は水代わりに牛乳を飲んでいた。


Hiroshi Hayashi+++++++++Dec 06+++++++++++はやし浩司

【補足】

++++++++++++

キレる子どもについて、
私の経験から……

++++++++++++

 突発的に、きわめて衝動的に暴力を振るう子どもというのは、たしかにいる。私は、大
きく、つぎの3つのタイプに分けて考えている。

(1)ピリピリ型(いつも神経がピリピリしているタイプ、頭のキレる子どもに多い)
(2)むっつり型(何を考えているかわからないタイプ。ふだんは静かで、穏やか)
(3)ゲーム型(目的もわからないまま、ゲーム感覚で、とんでもないことをする。)

 ピリピリ型というのは、ふだんから、神経が過敏状態になっていて、静かな落ち着きが
見られないタイプをいう。頭の回転が速く、その分、学習面で、優秀な成績を示す。ささ
いなことで、突発的に衝動的な行動に出る。

【Kさん(小6女児)】

 私が、いつもKさんが座る席でお茶を飲んでいたときのこと。休み時間でのことである。
突然、Kさんがうしろからやってきて、笑い声で、「やあ、先生!」と声をかけてきた。私
が、「ああ」と答えたその瞬間、もっていたバッグで、思いっきり、頭を側面から叩いてき
た。

 メガネはふっとび、私は、イスからころげ落ちた。

【Tさん(小5女児)】

 私が別の子ども(小5女児)と、何かのことでふざけて冗談を言いあっていたときのこ
と。Tさんが、私に何かを話しかけてきた。無視したわけではないのだが、そのまま別の
子を、笑いあっていた、そのとき。もっていた大型のワークブックで、私の頭を上からバ
シッと叩いてきた。衝撃で、メガネは下に落ち、鼻の横を1センチほど、切った。

 むっつり型というのは、ふだんは、何を考えているかわからないタイプの子どもをいう。
印象に残っている子どもに、R子(小6)がいた。4年前に書いた原稿だが、それをその
まま紹介する。

++++++++++++++++

●不自然さは要注意

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらに
はしぐさなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによっては、
そうでない反応を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

【S子の例】

教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ちて
いませんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでその女
の子(小5)は、あたりをさがし始めた。

しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を忘れました」と。そこで私が、「忘れたら忘れた
で、最初からそう言えばいいのに」とたしなめると、さらに大きな声で、「そんなことはあ
りません!」と。そして授業中も、どうも納得できないというような様子で、ときおり、
あたりをさがすマネをしてみせる。私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、「いえ、
たしかにここに置きました!」と。

【A君の例】

A君(小3男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小三男児)
にそれを渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあげて!」
と叫んだ。

が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけたあと、ノソノソと歩き
出した。それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」と促すと、こちらを
うらめしそうな顔をして見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消えた。

【R子の例】

R子(小6)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにちは」
と言ったときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。「この、
ヘンタイ野郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。私はしばら
く息もできない状態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔を見ると、ぞ
っとするような冷たい目をしていた。

こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐっ
てみる。
何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、子どもを叱
ったり、注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だからそれをさぐ
る。

たとえばシャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心を
ゆがめていた。B君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子ども
によく見られる症状である。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ両親は離婚、母親
には、愛人と再婚話をしている最中だった、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言
い方のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いてい
るから、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スーッと
子どもの心にしみていくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。

「おいで」と手を広げてあげると、そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであなた
の子どもを観察してみてほしい。何人か子どもが集まっているようなところで観察すると
わかりやすい。もしあなたの子どもの行動や言動が自然であればよい。しかしどこか不自
然であれば、あなたの子育てのし方そのものを反省してみる。子どもではない。あなた自
身の、だ。
(02−10−20)

++++++++++++++++

 この中に書いたR子については、そのとき受けた暴力がふつうではなかったため、とく
に印象に残っている。へたをすれば内臓が破裂していたかもしれない。それほど強烈な蹴
りであった。

 このR子については、そのあと母親とゆっくり話す機会があったので、そのことを報告
すると、母親はこう言った。

 当時R子の両親は離婚を前提とした別居状態であった。父親には愛人がいて、家に帰ら
ない日も多かったという。母親は「それが原因ではないでしょうか」と言った。

 もう1人印象に残っている子どもに、T君(小3・男児)がいた。

 ある日、子どもたちの解いた問題を順に採点しているときのこと。あと1、2人でT君
というときになったそのとき、突然、T君が、「ギャーッ」と動物的な声を張りあげて、暴
れ出した。

 あまりにも突発的で、制止する間はなかった。近くにあった机をもちあげると、それを、
となりの机に向かって投げた。私はT君にとびかかって、T君を床に押し倒し、上から自
分の体重で、T君を押さえた。

 あとで見たら、T君の解答用紙は、ほとんど白紙だった。

 また3番目のゲーム型についても、印象に残っている子どもに、F君(小4・男児)が
いた。つぎの原稿に出てくる、(2)の、(バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子
ども)というのが、その子どもである。

 この原稿は、「乱暴な子ども」というテーマで書いたもので、話が少し脱線するかもしれ
ないが、許してほしい。

+++++++++++++++++

●乱暴な子ども

乱暴な子どもといっても、一様ではない。いろいろなタイプがある。かなりおおざっぱな
分け方で、正確ではないが、思いついたままあげてみると……。

(1)家庭不和など、愛情問題が原因で荒れる子ども……いわゆる欲求不満型で、乱暴の
し方が、陰湿で、相手に対して容赦しないのが特徴。先生に叱られても、口をきっ
と結んだまま、涙を見せないなど。どこかに心のゆがみを感ずることが多い。自ら乱暴を
しながら、相手の心を確かめるようなこともする。ふつう嫉妬がからむと、乱暴のし方が、
陰湿かつ長期化する。

(2)バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子ども……このタイプの子どもは、と
きとして、常識をはずれた乱暴をする。たとえば先生のコップに、殺虫剤を入れたり、イ
スの上に、シャープペンシルを立てたりする、など。(知らないで座ったら、おおけがをす
る。)相手の子どもがイスに座ろうとしたとき、さっとイスを引き、相手の子どもにおおけ
がをさせた子どももいた。してよいことと、悪いことの判断ができないために、そうなる。
もともと遅進傾向がある子どもに、よく見られる。

(3)小心タイプの子ども……よく観察すると、乱暴される前に、自ら乱暴するという傾
向がみられる。しかったりすると、おおげさに泣いたり、あやまったりする。ひとりでは
乱暴できず、だれかの尻馬に乗って、乱暴する。乱暴することを、楽しんでいるような雰
囲気になる。どこか小ずるい感じがするのが特徴。

(4)情緒不安定型の子ども……突発的に、大声を出し、我を忘れて乱暴する。まさにキ
レる状態になる。すごんだ目つき、鋭い目つきになるのが特徴。一度興奮状態になると、
手がつかられなくなる。ふだんは、どちらかというと、おとなしく、目立たない。

このタイプの子どもは、その直前に、異様な興奮状態になることが多い。直前といっても、
ほんの瞬間的で、おさえるとしても、そのときしかない。心の緊張感がとれないため、ふ
だんからどこかピリピリとした印象を与えることが多い。

(5)乱暴であることが、日常化している子ども……日ごろから、キックやパンチをしな
がら、遊んでいる。あいさつがわりに乱暴したりする。そのためほかの子どもには、こわ
がられ、嫌われる。

 乱暴な子どもについて考えてみたが、たいていは複合的に現れるため、どのタイプの子
どもであるかを特定するのはむずかしい。また特定してもあまり意味はない。そのときど
きに、「乱暴は悪いこと」「乱暴してはいけない」ことを、子どもによく言って聞かせるし
かない。力でおさえようとしても、たいてい失敗する。とくに突発的に錯乱(さくらん)
状態になって暴れる子どものばあいは、しかっても意味はない。私のばあいは、相手が年
少であれば、抱き込むようにしてそれをおさえる。しばらくその状態を保つと、やがて静
かになる。

【S君、小2のケース】

 ささいなことでキレやすく、一度キレると、手や足のほうが、先に出てくるというタイ
プ。能力的には、とくに問題はないが、どこかかたよっている感じはする。算数は得意だ
が、漢字がまったく書けない、など。

 そのS君は、学校でも、何かにつけて問題を起こした。突発的に暴れて、イスを友だち
に投げつけたこともある。あるいはキックをして、友だちの前歯を折ってしまったことも
ある。ときに自虐的に、机をひどくたたいて、自分で手にけがをすることもあった。私も
何度か、S君がキレる様子を見たことがあるが、目つきが異常にすごむのがわかった。無
表情になり、顔つきそのものが変わった。

 そういうS君を、乳幼児のときから、母親は、ひどくしかった。しばしば体罰を加える
こともあったという。しかしそのため、しかられることに免疫性ができてしまい、先生が
ふつうにしかったくらいでは効果がなかった。そこで先生がさらに語気を荒げて、強くし
かると、そのときだけは、それなりにしおらしく、「ごめん」と言ったりした。

 今、S君のように、原因や理由がわからないまま、突発的に錯乱状態になって暴れる子
どもがふえている。脳の微細障害が原因だとする研究者もいる。「まだ生まれる前に、母親
から胎盤をとおして、胎児の体の中に侵入した微量の化学物質が脳の発達に変化をもたら
し、その人の生涯の性格や行動を決めてしまうのではないか」(福島章氏「子どもの脳が危
ない」PHP新書)と。

じゅうぶん考えなければならない説である。

++++++++++++++++++++

 さらに私も、一度、こんな経験をしている。記録によれば、03年とあるから、もうそ
れから3年になる。しかしそのとき受けたキズは、今でも、目の上に、しっかりと残って
いる。私は、あやうく失明するところだった。

 そのとき書いた原稿をそのまま紹介する。

++++++++++++++++++++

●メガネ

 このところ朝起きると、どこかモノがかすんで見える。白内障か?、と思ったが、原因
は、メガネの汚れだった。もうこのメガネも、買って10年になる。硬質ガラスでできて
いるというが、表面は、すり傷だらけ。そろそろ買い替えの時期がきたようだ。

 私がメガネをかけるようになったのは、中学1、2年のころではなかったか。周囲にメ
ガネをかけている人が多く、私のばあい、メガネをかけるのに、それほど抵抗はなかった。
以来、40年以上、メガネをかけている。

 メガネを嫌う人も多いが、もしメガネをかけていなければ、私は、3度、失明していた
だろうと思う。1度は、山の中へタラの芽を取りに入ったときのこと。バシッとタラの木
が、私のメガネをたたいた。タラの芽を取ろうと、木を引き寄せたときのことだった。あ
とで見ると、メガネの上と下に、大きな切り傷ができていた。

 もう1度は、バイクで運転していたときのこと。S湖のまわりを猛スピードで走ってい
たら、これまたバシッと、メガネに何か当たった。見ると、コガネ虫だった。コガネ虫が
メガネに当たり、メガネの上で飛び散っていた。

 さらにもう1度は、こんな事件だった。中学2年生のM君と対峙して、数学を教えてい
たときのこと。私が目を閉じたまま、うつらうつらと、M君の話を聞いていた。そのとき
だ。何を考えたか、M君が、シャープペンシルを、私の顔と机の間に立てた。私はそれを
知らず、そのまま頭を下へ振った。とたん激痛!

 シャープペンシルの先はメガネのおかげで目をそれ、眉間の下に突き刺さった。とたん、
大量の鮮血が顔面に飛び散った。もしそのときメガネをかけていなければ、シャープペン
シルの先は、まともの眼球に突き刺さっていた。そういう位置関係にあった。

 だからメガネに、私は3度、目を守られたことになる。いろいろ不便はあるが、これか
らもずっとかけつづけるつもり。

 そのメガネについての余談だが、私は、いわゆるメガネ族だから、どういうわけか、メ
ガネをかけている人に親しみを覚える。女性でも、メガネをかけている人のほうに魅力を
感ずる。これはどういう心理によるものかわからないが、本当の話。

 もう一つ余談だが、あのシャープペンシルをつき立てたM君は、いわゆるお宅族と呼ば
れる子どもで、幼いときからテレビゲームばかりしていた。そのためか、ものの考え方が、
どこか現実離れしていた。恐らくシャープペンシルをつき立てたときも、ゲーム感覚では
なかったか? このタイプの子どもは、何かにつけて常識ハズレになりやすい。
(030216)※

++++++++++++++++++

 キレるといっても、内容はさまざま。それに応じて、原因もいろいろ考えられる。で、
私のばあい、こうした例が、あまりにも多いため、「子どもというのは、そういうもの」と
いう前提で、対処している。

 さらにここに書いた、(ピリピリ型の子ども)にしても、親に報告しても、ほとんど意味
がない。
親(とくに母親自身)も、ピリピリした感じの人が多い。私の頭を側面からバッグでたた
いてきたKさん(小6・女児)にしても、一度、母親にそのことを報告しなければと思い
つつ、結局は、その機会がないまま終わってしまった。

 母親に話したら、今度はその母親がキレて、娘のKさんに暴力を振るっていたかもしれ
ない。

 以下、参考までに、今まで書いた原稿のうち、いくつかをここに収録しておく。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【かんしゃく発作】

++++++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩
きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、
至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかります
が、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいい
か分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反
抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長
に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシ
ップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わが
まま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのか
なぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと
手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱い
でしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合
ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だ
からどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげる
ようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏
ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し
借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもち
ゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重な
ると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃく
を起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分の
おもちゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠
たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとする
から、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激
しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまい
ます。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせて
あげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれ
て、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつ
までたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘し
なきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るとい
うのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配
されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる
子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激し
いと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪い
と思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いの
で、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないもの
をきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたい
な笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってく
れます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、
反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばし
てあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろ
しくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこね
る、がんこになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮
性と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロト
ニン悪玉説
です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態に
なり、過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。
つまりたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種
すると、インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖を
さげます。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●母の介護記(1月13日)

+++++++++++++++

心も、表から見るのと、裏から見るのとでは、
まるでちがう。

心は、いつも、表から見る。それが人生を
楽しく生きるコツ。今日、母は、それを
教えてくれた。

+++++++++++++++

 夕方、犬の散歩から帰って、母の部屋に入る。すると母がいきなり、こう言った。「どこ
へ行っていた?」「みんな、どこかへ行ってしまったと思って、心配していた」と。

 かなりきつい言い方である。それを聞いて、私は、若いころの母を思い出した。

 思い出しながら、私は、「ごめん、ごめん、悪かった。ハナ(犬)を、散歩に連れていっ
てやっていたから」と言った。ベッドの下におりていた母を、そのまま立たせた。その母
は、手すりにつかまりながら、再び、「心配していた……」と、こぼした。

 この4、5日、母のこともあり、ハナを散歩に連れて行くことが少なくなった。ハナは
ハナで、いじけ始めていた。声をかけても、小屋から出てこなくなった。そこで今日は、
ハナを、遠州浜まで、連れていってやった。往復も含めて、1時間半以上も、かかった。

 私は、母のおむつを取りかえながら、「さみしかったのか?」と聞いた。母は何も言わな
かった。

 で、そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「わがままが言えるようになっ
ただけ、私たちになじんできたのね」と。

 そう、心というのは、表から見るのと、裏から見るのとでは、まるでちがう。母は、た
しかにきつい言い方で、私を叱った。そのとき、もし私が、「叱られた」と思えば、私は、
そのまま不愉快になる。「やはり、私の母は、きつい人」ということになる。

 しかしそのとき、「母は心細かったのだ」と思えば、母に対するものの見方が、180度
変わる。「さみしかったから、それがきつい言葉になったのだ」と。母の立場で考えれば、
当然のことかもしれない。思うように、歩けない。フトンがずれても、自分でなおすこと
さえできない。

 またきつい言い方をしたことについても、それを(わがまま)ととらえれば、腹も立つ。
しかしワイフが言うように、「それだけ自分たちになじんできた」と考えれば、腹も立たな
い。どうせ相手は、老人である。まともに相手にするほうが、おかしい。言いたいように、
言わせておけばよい。やりたいように、やらせておけばよい。

私「だからア、何か用事だったら、このボタンを押しなよ。晃子(ワイフ)が来てくれる
から」
母「わかった、わかった」と。

 人の心をみるときは、どちらが表で、どちらが裏でもよいが、ともかくも、相手の立場
でみる。表面的な部分だけをみて、判断してはいけない。が、相手の立場で、相手の心を
みると、ものの見方が一変する。怒りがそのまま、笑いになる。きゅうくつな世界に、ポ
ッカリと穴があく。

私「あのなあ、何も心配しなくていい。あんたをひとりにして、どこかへ行ってしまうこ
とはないから」
母「ありがと」と。

 老人だから、孤独に強いということは、ない。頭が少しボケてきたから、孤独を感じな
くなるということは、ない。そんなことは、自分自身をみればわかる。私にしても、30
代のころより、精神力が強くなったとは、思わない。むしろ、50代になってからのほう
が、孤独を強く感ずるようになった。90歳の老人なら、なおさらかもしれない。

 ……つまり、これはそのまま老人を介護するときの、ひとつのコツと考えてよい。ちょ
うど私たちが、幼児に、「バカ!」と言われても気にしないように、老人に、「バカ!」と
言われても、気にしてはいけない。カリカリするほうが、おかしい。先にも書いたように、
もともと、相手にならない。もし老人の言うことが気になるようだったら、それだけその
人の料簡(りょうけん)は、狭いということになる。

 あとは、老人の言うようにしてやる。「カーテンを閉めろ」と言ったら、閉めてやる。「甘
いものが食べたい」と言ったら、甘いものを届けてやる。めんどうとか、めんどうでない
とか、そんなこともいちいち考えない。ハイハイと言って、それに従う。あとは忘れる。

 大切なことは、安心感を与えること。その安心感が、老人の心をおだやかにする。事実、
そのあと、母は、そのまま安らかに目を閉じて眠ってしまった。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    2月 7日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【一口アドバイス】

●子育ては工夫

 子育ては工夫に始まって、工夫に終わる。わかりやすく言えば、知恵比べ。この知恵比
べによって、子どもは、伸びる。が、それだけではない。何か問題が起きたときも、同じ。
家庭環境は千差万別。状態も状況も、みなちがう。子どもについて言うなら、性格も性質
も、みなちがう。能力もちがう。そんなわけで、「子育ては知恵くらべ」と心得る。この知
恵比べが、前向きにできる人を、賢い親という。


●内政不干渉

 たとえ親類でも、兄弟でも、内政については、干渉しない。相手が相談をもちかけてき
たときは別として、こちらからあれこれアドバイスしたり、口を出したりしてはいけない。
相手を説教するなどということは、タブー中のタブー。ばあいによっては、それだけで、
人間関係は、破壊される。それぞれの家庭には、人には言うに言われぬ事情というものが
ある。その事情も知らないで、つまり自分の頭の中だけで考えてものを言うのは、たいへ
ん危険なことである。


●受験についての話は、タブー

 「受験家族は、病人家族」と心得るべし。受験生をもつ親に向かって、「どこを受験する
の?」「合格したの?」と聞くことは、病人に向かって、「病名は何?」「寿命はどれくらい?」
と聞くのと同じくらい、失礼なこと。相手のほうから話題にするばあいは、べつとして、
そうでなければ、それについて触れるのは、タブー。出身校、学歴についても、同じ。



Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

【BWきょうしつより】

●子どもたちの悩み

+++++++++++

正月の、ある教室。
欠席者も、多い。
そんなわけで、
何となく、雑談会に
なってしまった。

+++++++++++

 Aさん(小5・女児)が、こう聞いた。「今度、(学校の)クラブをやめたくなった。そ
ういうときは、(学校の)先生に何と言えばいい?」と。

 私は、すかさず、こう答えた。

私「正直に、自分の気持ちを話せばいい」
A「正直に言ったら、(学校の)先生は怒る」
私「怒っても、しかたないよ。でも、こういうときは、ウソは言ってはいけない」
A「先生が、怒っても?」
私「そうだよ。人と人の関係は、正直に。それが最善だよ」

A「……」
私「いつか、君だって、この教室(BW)をやめるときがくる。そういうときでもね、ぼ
くは、正直に言ってほしい。そのほうが、ぼくは、うれしい。いちばんつらいのはね、ウ
ソを言われることだ。本当か、ウソかは、すぐわかるものだよ」
A「自分勝手な理由でも、正直に言うの?」
私「そうだよ。それでいい」と。

 ついで、恋愛の話もした。「相手の人が好きになったら、好きと言えばいい。嫌いになっ
たら、嫌いになったと言えばいい。ほかに好きな人ができたら、ほかに好きな人ができた
と言えばいい。そのとき、相手はそれでキズつくかもしれないけど、ウソはいけない。ウ
ソは、相手を、もっと深くキズつけるよ」と。

 それを聞いて、まわりの子どもたちは、みな笑った。「かわいそう〜」「悲劇だ!」と。
が、一度、笑いグセがつくと、止まらない。子どもたちの世界というのは、そういうもの。

 ついで、こんな話になった。

私「いつか、ぼくが介護老人になって、病院へ入ったとする。そのとき、君は、医者にな
っていて、ぼくを見たとする。君は、ぼくを見て、きっと、こう言うよ。『あなたは、あの
林浩司? 私は、あなたのおかげで……』」と。

 そこで言葉がつまった。するとすかさず、横にいた、B君(小4男児)が、こう言った。

B「ヤブ医者になってしまった!」と。

 それを聞いて、全員が爆笑した。ゲラゲラと笑った、。私も笑った。大声で笑った。言わ
れたAさんも、笑った。

 Aさんは、ドクターになりたいと言っている。きっとすばらしいドクターになることだ
ろう。受験生にありがちな、トゲトゲしさが、まるでない。

 さあ、今年も始まった! がんばろう!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【キレる子ども】(1回目)

●キレる子ども(読者の方より)

++++++++++++++++++++

キレる子どもについて、読者の方より
コメントが、掲示板のほうに、届けられました。

それをそのまま、紹介させていただきます。

コメント、ありがとうございました。

++++++++++++++++++++

今回、はやし先生のメルマガに切れる子どもについてのお話が出ましたので、その事に関
して、少し書かせて頂きたいと思いました。

一口に切れる子どもと言っても原因は1つではないと思います。勿論、そういう意味でメ
ルマガを書いたのではないかもしれませんし、切れる子の一因として書かれたのかもしれ
ませんが、そういう風に読み取れる部分がなかったので、付け加えさせて頂きたいと思い
ます。

また、はやし先生の書かれている砂糖が原因説は、実際うちの息子がそうで、息子に関し
ては砂糖を断ってから、癇癪などの数はぐっと減りました。砂糖に関する詳しい説明は知
りませんでしたが、色々試すうちに出た結論です。

しかし主人の義姉などはそんな話は馬鹿げていると鼻で笑っていて、実は英語で書かれた
説明があったら欲しいと思っています。もしありましたら教えて頂きたいと思います。

私は家の息子に関してのみしか書けませんが、高機能自閉症やアスペルガー症候群(AS)
で癇癪になる場合、うちの息子もそうなのですが、その理由はかなり明確です。

私自身もその理由が始めからわかっていたわけではなく、彼が小一の終わり頃にインター
ネットの検索で見つけて症状が似ていたので、今も確定診断は受けていませんが、ほぼそ
うだと思っています。

自閉症という日本語訳がおかしいので、ひきこもりのようなイメージを持つ方も多いので
すが、実際には人がとても恋しい子どもです。しかしそれに必要な社会性が育っていませ
ん。育っていないというか、全く別の物の捉え方をするのです。

そういう意味では定型の人から見たら異星人と言ってもいいくらいです。北欧の方では同
じ発達障害の子ども達を集めた学校に入れる場所もあると聞きました。それは感じ方が同
じ方が摩擦が少ないからだと思います。

癇癪の理由が明確であるとは言え、癇癪が起こってしまうとそれを止める事はかなり難し
く、はやし先生の書かれているような症状で切れてしまいます。

しかし、物を壊す、人に危害を加えるのは絶対に許してはいけない行為です。それは教師
に対しても同じです。癇癪の最中に解決しようとしても実際にはその言葉が引き金になっ
て癇癪がひどくなる場合もあります。

一番良いのは癇癪が静まるまでは別の場所(壊す物や自傷行為の出来ない場所、外などで
も良い)で、癇癪のスイッチがオフになるまでいてもらう事です。そして話は気持が落ち
着いてから聞くようにします。

言っても駄目と思われるかもしれませんが、息子は小3の時ゲームでずるしたと言われて
切れて、友達の顔に大きな傷を与えまし。その時、ガイダンスの先生にも呼ばれ、アシス
タント・プリンシパルにも呼ばれ、暴力や傷害は禁止されているから、怒ってもそのよう
な場合は退学になると説明されました。それ以来切れても学校では抑えて暴力はしません。
(息子は自分の気持を表現出来ないので友達に言われた事でレッテルを貼られたような気
持ちになるようです)

数年前ですが、アスペルガーと警視庁で、犯行後に診断された子で、高速バスでバスジャ
ックをして塾講師を殺した子がいました。そして長崎で4歳の子を誘拐して、鋏で下腹部
を傷つけ、泣かれたからと駐車場から突き落とした子がいました。

後者の方は学校で成績が良いという以外の情報はありませんが、前者の方は母親が看護師
で、癇癪がひどいので何度も精神科に入院させており、子どもはそれを恨みに思っていた
ということです。精神科でも正しい診断はなされなかったのです。親が一番気が付くべき
位置にいますが、実際現状では気づかない場合も多いのではないでしょうか。それは普通
の切れる子と同じに考えると不公平だと思います。

ASの場合、原因がはっきりわかるので、子どもが冷静になったら話しを聞くと、気持の整
理が出来ていればその理由を話してくれます。ASのお子さんは、突然の変化に対応するの
が大変に難しいのです。だから毎日同じパターンで進めばいいのですが、運動会、公園で
大勢と一緒に遊ぶ場合も説明がなければ、どう動いていいかもわからず、いつも不安で一
杯なのです。

普通の子が気にもせずに適当に出来てしまう事が適当に出来ません。勉強を自分の力でや
りたいと思っていたのに突然許可なしに手伝われても癇癪になったりします。彼に関して
は全て「今手伝ってもいい?」などと、疑問形で聞かなければなりません。

時間に関しても「ご飯は何時だからその時には呼ぶからね。でも数分ずれる事もあるから
ぴったりじゃないからね」と話し、言葉を文字通り受け取るので、「This report is killing 
me」と学校の友達が言った、嘘つきだ、と帰りの車で泣いて怒ったりもします。

そしてSpectrumというだけあって症状は一律ではありません。1から100の症状のどの部
分が現れるかは人によって違います。ただ共通して言えるのは、他人の気持を察したり、
共感する気持ちを持つのが非常に困難で、しかし自分の気持ちには非常に敏感。言葉のニ
ュアンスをつかむ事が苦手で言葉通りに受け取る傾向があります。パターンが崩れたりす
ると癇癪になったりもします。

長くなるのでこれ以上書きませんが、子どもは一人ひとり違います。性格も違います。AS
だけでなく、もっと個性という意味でも大きな意味で子どもの心を捉えていきたいと、私
も日々勉強中です。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
キレる子ども 切れる子供 かんしゃく 癇癪 癇癪発作)

Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●キレる子ども(補足)
 
++++++++++++++++++

少し前、キレる子どもについて、
掲示板のほうに、書き込みがあった。

たいへん貴重な意見で、参考になった。

私なりの意見もまじえながら、
もう一度、いただいた意見を、
考えなおしてみたい。

++++++++++++++++++++

 以前、アスペルガー障害について書いた
ことがある。

 その原稿を、もう一度、ここに掲載する。

+++++++++++++++++++++

【アスペルガー障害】

++++++++++++++++++++

症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)として
おきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からす
ると、T君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタ
イプと考えてよいのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導
で、症状がこじれてしまっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。

+++++++++++++

●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」
と呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れ
なかったり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独
創性を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱され
たりすることに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝
の要素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には
最新の注意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、
行動療法などの治療法がある。


【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持してい
るといわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特
定のものに対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、
こだわり、興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。


【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情を
すれば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうし
た他人の感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イ
ントネーションの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガ
ー症候群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解し
にくいことをいう。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生
まれつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。


【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど
男児のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や
容貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが
多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以
上と推定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。ま
た、多くの全体的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断
基準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶ
ん社会に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療に
おいても、社会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、
それぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

++++++++++++++++ 

●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているか
どうかということです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切
な対処法で、子どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話し
ません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母
親が、かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、
じゅうぶん、考えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところか
ら発生したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察
記録といった感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、
「うちの子は、生まれつきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容で
すね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知
られていないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの
小児科医のアスペルガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ
始めたのは、90年代に入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられません
でした。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、
結局は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、
軽い回避性障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからで
す。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平
均児より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、
メチャメチャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通していま
す。こまかい作業が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になるこ
ともあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありまし
た。(軽いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問
題などで、まちがいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、
など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、
それを塗りつぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、
自己閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。
ですからそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、
当時は、「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しまし
た。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関
することは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、
「半年、あるいは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」
とか、「直そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少
しよくなれば、すぐ無理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしてい
る。あとは、その繰りかえし。そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」とい
う言葉がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子
どもを指導してきました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいという
ことです。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、
それを利用し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせると
いうことはできます。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気
な態度のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを
指摘しただけで、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざ
いな態度で、「ウルセー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、そ
の態度は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう
意味です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が
書いてありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読む
と、担任の教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、
ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつ
うの態度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりませ
ん。親というのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そうい
う母親がよく使う言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、
親を責めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているか
らです。懸命にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、不登校
児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親は
パニック状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。
この無理が、症状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が
悪ければ、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほ
ど長期化しなくてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験
してきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちす
ぎるのではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単
位で、症状の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単
位、月単位の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したと
ころで、これまた意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があり
ます。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに
納得し、(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、
給食におおきなわだかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしま
うのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状
態にしてしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれ
てしまっていると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親が
それに納得し、指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった
記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。し
かし、これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだ
してもらい、そうであると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。
私が指導してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、
「知らぬフリ」をして、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、
診断名をくだすということは、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別で
す。そのときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。し
かしそれまでは、知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと
心配してきた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういう
ことは、しばしばあります。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。し
かしこれも、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞い
てみたのですが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知
り、がく然としたことがあります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。アスペルガ
ー障害であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュラーになっ
たのは、ここ5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、
考えられます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会が
あれば、そっと遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の
微細障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」
な子どもがふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。
ありがとうございました。


敬具


                                はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガーの子ども)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●母の介護記

+++++++++++++++

母の介護をするようになって、
もう5日目になる。

昨日は、近くのデイ・サービス・センターへ
体験入会に連れていってみた。

みなは、粘土でイノシシを作って
いたが、母だけは、ぬり絵。

ただひとり、ボーッとした様子で
座っていた。

+++++++++++++++

 母の介護をするようになって、もう5日目になる。しかし介護が、こんなにも楽だとは
思っていなかった。姉から聞いていた話とは、大違い! 初日は、何かと忙しかったが、
2日目には、母は、そのまま私たちの生活の中に溶け込んでしまった。

 もちろん世話はかかる。しかしそれとて、子どもの世話よりは、はるかに楽。

 で、昨日は、デイ・サービスの体験をさせるため、近くのセンターへ連れていってみた。
ひとりで家の中にポツンと置いておくのは、よくない。母は、もともと社交的な女性であ
る。元気なときは、ほとんど毎日、クラブだの何なのと、出歩いていた。

 半時間ほどしてから、様子を見るために、ワイフと2人で、センターまで、でかけてみ
た。ほかの老人たちはみな、粘土細工をしていたが、母だけは、ぬり絵をしていた。しか
し鉛筆をもつでもなく、ただぼんやりとした。「こんなバカなことができるか」といった、
雰囲気だった。

 母は、最近まで、気丈夫だった。もう少し若いころは、気が強く、プライドも高かった。
近所では、「お姫様」と呼ばれていた時期もある。

 母の気持ちがよくわかった。その前の夜、ワイフに、ふとこう漏らしたという。「私は、
ここで死ぬのかね?」と。母は、母なりに、何かを覚悟したらしい。

 で、そのあと、つまり、センターを出たあと、私たちは近くのDIYショップへ出かけ
ていき、いろいろな材料を買い込んできた。手すりを作るためである。私の家へ来るまで、
歩行練習をほとんどしていなかったらしい。

 介護用品の中には、既製の手すりもあるが、サイズが合わない。豪華なのはよいが、日
本の住宅には、合わない。手すりも、老人の特性に合わせて、きめこまかく作るのがよい。
たとえば私の母のばあいは、腕を押す力は弱いが、腕を引く力は強い。だから手すりも、
やや高い位置につけてやると、自分で起きあがることができる。

 その母は、予定より、1時間も早く帰ってきた。初日ということもあって、疲れてしま
ったらしい。私はできたばかりの手すりを母に見せた。「これで歩く練習をするといい」「歩
けるようになったら、海を見に連れていってやるから」と。母は、手すりを、じっと見て
いた。

 ところで、この10年で、母は大きく変わった。10年前には、私に向かってでさえ、
平気で、怒鳴りつけていた。気が強いというか、負けず嫌い。「子どもが親のめんどうをみ
るのは、あたりまえ」というような考え方をしていた。「産んでやった」「育ててやった」「大
学まで出してやった」が、母の口ぐせだった。

 その母が、昨日、こんなことを言った。よごれたおむつを替え、おしりを拭いてやって
いたときのこと。私が、「お前は、ぼくが子どものころ、ぼくのおむつを替えてくれたから
な」と言うと、「当たり前のことをしただけや」と。

 母の口から、そんな言葉が出てくるとは、夢にも思わなかった。「親として、当然のこと
をしたまで」と。10年前の母なら、ぜったいにそんなことを言わなかっただろう。

 で、その夜のこと。定時のおむつ替えのために母の部屋に入ると、母は、ひとりで、黙々
と、歩行訓練をしていた。私が作った手すりに手をかけながら、右へ足を運んだり、左へ
足を運んだりしていた。

 「母ちゃん、ちゃんと、歩けるようになったじゃないか!」と声をかけると、母は、だ
まってそれにうなずいた。

 「練習すれば、もっと歩けるようになる」「歩けるようになったら、海を見に行こう」と。

 そこへワイフもやってきて、母が手すりの片方の端に手が届くたびに、パチパチと手を
叩いてみせた。私も叩いた。

 「介護」という名前にだまされてはいけない。「介護」というと、「一方的な世話」とい
う意味で終わってしまう。が、それではいけない。

母は、そこにいる。1人の人間として、そこにいる。この私に何かを教えるために、そ
こにいる。それが何であるかは、まだ、私にはわからない。わからないが、母は、この
私に何かを教えるために、そこにいる。

90歳をすぎても、なおかつ、まだ生きたいという、ものすごい情念。その情念は、い
ったい、母のどこから、どのようにして生まれるてくるのか。私は母のうしろ姿を見な
がら、しばらくそれを考えていた。(つづく)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある相談から

+++++++++++++++++

掲示板に、つぎのような相談があった。

相談してきた人(女性・母親)は、3人の子どもを連れて、
現在、離婚中。実家で、実の両親と6人で暮らしている。

そういう生活の中で、お金が盗まれるといいう事件が
つづいている。相談してきた人は、そのため、親子の
信頼関係に強い不安感を覚えている。

この先、両親と別居しようか、それとも、
子どもたちだけ、独立させようか……。

++++++++++++++++

【MTさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、はじめまして。偶然こちらのHPに出会い、まさに今直面していることを相
談したく、こうして書き込みさせていただきました。

私は8年前に3人の息子を連れ離婚し、現在私の両親と6人で暮らしています。
長男はもうすぐ22歳になり、朝はやくから夜遅くまで、よく働く真面目な子です。
自分の夢をかなえるために、現在アルバイトをしています。

次男はもうすぐ20歳で、昼から夜中まで、水商売のような仕事に就いています。
が、私や両親が時々昼の仕事につくように言うのがうっとおしいのか、帰ってこない夜も
あります。

ただ、最近は私がほっておくほうになり、とりあえずちゃんと家には帰ってきます。

三男は中学1年から2年間不登校の末、現在は高校2年生で学校に通っています。
私は、離婚前からずっと正社員で、別れた夫とは、現在は、ほとんど連絡はない状態です。

問題がおこったのは今年の春くらいからです。両親や私の財布や封筒にいれておいた現金
が何度かなくなることがありました。お金の管理をしっかりする一方で、息子たちにその
事実を伝え、もし誰かが取っているならちゃんと言ってほしい、困ったことがあったら相
談にのると話しました。けれど結局だれかがわからず、その後も、盗みは、続きました。

ある時、ちょっとしたスキにお金を取られた父を、母が怒っているのを見て、これはいけ
ない。これ以上両親に迷惑をかけたくないと思い、私が子供をつれて家をでることに決め
ました。

ところが長男は、弟たちを信じ、大人たちの勘違いだと思っていて、それなら子供3人で
家を借りて暮らすからと言い出しました。

祖父母とは、生活の時間帯などが違うことなども、いろいろ考えてのことだと思います。
家賃などは長男次男が負担し、三男には自分で自分のことはするようにさせるといい、
私には年老いた両親の傍にいるようにと言いました。

三男はアルバイトもせず、私の傍にいる限り自立できないから、兄二人はそれが一番いい
と思っているようで、三男もそれを了承しました。

私も、子供たちだけで一度やらせてみて、見守るという形でしばらく様子をみようと決め
ました。

それが、昨日、長男のお金がなくなるということが起きたのです。長男はとてもショックを受けた
ようです。

全ての気力をなくしてしまったようで、長男は、疑いながら一緒に暮らせないといいだし
ました。

移り住む家のほうは、長男がいろいろ探し、そろそろ決めようかと思っていた矢先のでき
ごとでした。

長男は三男がしたと思っているようで、ただ、私と両親は、お金を盗んでいるのが、次男
か三男かわかりません。

私は、長男には、現実を受けいれる(弟が取ったということ)しかない。けれど、
何より長男がしたいようにしていいから、長男だからと引き受けようとしなくていいから、
一人で暮らしたいならそれでいいからと伝えました。

が、長男は、どうしていいかわからないと、相当参っているようです。

次男ももうすぐ20歳になり、一人で生きていけるはずだとわかっているのですが、
私は、お金を取っているのは次男では??と思うときもあり、賭けマージャンなどで
負けが込んでいるのでは?、とか、誰かにいいように利用されてお金が必要なのでは?、
と考えたりします。

何分仕事がら、二男に対しては、私がいろいろ妄想を膨らませては心配してしまいます。
そんな自分がまた情けないです。

一時は、ほんとうに盗癖が直らず、人様のものに手をつけるようになったらなったで、
その時の覚悟をしようと思ったこともあります。
けれど証拠がない上に、「出て行け」とも言えない私がいます。
また、それだけの経済力は、今の次男にはありません。

そして、三男はまだ未成年であり、私が三男と別の家で暮らそうかとも思ったり、
私自身、どうすることが一番いいのか、考えあぐねています。

なくなったお金はすでに総額で20万くらいにはなっていると思います。

先生が以前書かれていたように、「許して忘れる」ことがいいのでしょうか。
けれど、その渦に両親を巻き込みたくはありません。

また、三男だけは、別れた夫と連絡を時々とっていて、家を出る話になった時、
父親に一緒にくらしてもいいか?、と聞き、父親のほうからOKをもらいましたが、結局
は、父親を選びませんでした。

夫は定職にはついていず、その日暮らしのような生活をしています。一度少しだけ暮らし
て、嫌な目にあった次男が反対したという経緯もあります。

こうなってしまった原因は私にもあることは、重々承知ですが、これから先、
どうすることが息子たちにとって一番よいのか…。

ご助言をいただけたら有難いです。よろしくお願いします。

【はやし浩司より、MTさんへ】

 こうした家族の問題は、(流れ)を見極め、その(流れ)がわかったら、静かに、その(流
れ)に身を任すのが、最善です。

 その途中で、あれこれ、悩んだり苦しんだりしますが、その(流れ)を無理に変えよう
と思えば思うほど、悩みや苦しみが倍加します。

 水が低いところを求めて自然に流れていくように、こうした問題は、やがて落ち着くと
ころに落ち着きます。そのときになれば、あたかも何ごともなかったかのように、自然に
解決します。

 で、(盗み)の問題ですが、これは若者、とくに、思春期前後の子どもにとっては、流行
性の熱病のようなものです。行為障害としての盗癖もありますが、そういうケースは、ま
れです。率直に告白しますが、私の息子たちも、しました。

 で、問題は、盗んだお金を何に使っているか、です。そのあたりを、もう少し詳しく観
察してみる必要があります。自分の蒐集癖のためであれば、神経症を疑います。小児うつ
病の子どもが、ある特定のものに異常にこだわることは、よく知られています。もしそう
であれば、心療内科のドクターに、一度、相談してみるのも、ひとつの方法かもしれませ
ん。頭ごなしに、「悪いこと」と決めつけ、子どもをしかっても意味は、ありません。心の
病気だからです。

 ともかくも、今、あなたの家族は、長男を中心に、大きく動き出そうとしています。私
があなたなら、長男を全幅に信頼して、相談して、これから進むべき道を決めます。あな
たの元夫でもなく、両親でもなく、あなたの長男です。

 掲示板の記事を読むかぎり、あなたの長男は、すばらしい青年です。自信をもってくだ
さい。自慢にしてください。

 で、この問題は、『許して忘れる』などというほど、大げさな問題ではありません。これ
から先、もっともっと大きな問題にぶつかったときに、思い出してほしい言葉です。今の
あなたにはまだわからないかもしれませんが、今、あなたがかかえている問題は、何でも
ない問題です。どこの家庭も、現在、みな、同じような問題をかかえています。

 外からは、わからないだけです。

 むしろ、家族がみな、それぞれ、家族のことを考え、思いやり、そして道に迷いながら
も、ひとつになろうとしている。そのすばらしさを、あなた自身が、実感することです。
私の印象では、すでにあなたの家族がかかえる問題は、長いトンネルを抜け、あと一歩で、
出口というところのような感じがします。

 ですから、ここは今しばらく、静かに、時の(流れ)の中に、身を置いてみては、どう
でしょうか。今日、やるべきことは、やる。懸命にやる。しかしそこまで。明日はかなら
ずやってきます。その明日は、今日より、確実によい日になっています。

 けっして、あせらないこと。今こそ、母親としての存在感を、あなたが示すべきときで
す。「なるようになるわよ」「何も心配しなくていいのよ」と、あなたが子どもたちに安心
感を示します。その安心感が、子どもたちの心をまっすぐ伸ばします。

 今どき、「水商売」などという言葉を使うと、笑われますよ。偏見です。立派な職業です。
あなたが言うべきことは、こうです。「あなたがどんな仕事をしても、私は、あなたを信じ
ていますからね。堂々と自分の道を進みなさい」です。そういう世界(サブカルチャ)を
かいま見た人のほうが、後々、ずっと常識的で、良識豊かな人になりますよ。

 今、ここで親子の信頼関係を切ってしまうと、二男は、本当に、糸の切れた凧のように
なってしまうでしょう。ここが正念場です。

 あなたの子どもたちは、とくに長男、二男は、すでに立派な青年です。あなたより、ひ
ょっとしたら、おとなです。それを信じて、あとは(流れ)に身を任せなさい。子どもた
ちが、あなたの両手を引っ張りながら、あなたを導いてくれるでしょう。すばらしい子ど
もたちですよ!!!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ワイフとの雑談(1月2日)

++++++++++++++++++

「今夜は、お前との雑談を、そのまま、
原稿にしてみようと思う」と、私は言った。

それを聞いて、ワイフは、「フ〜ン」と
言った。

テーブルの上のせんべいをポリポリと口に入れながら、
つづけて、「まだ、夕飯を食べてないわ」と、答えた。

++++++++++++++++++

●高尚な話

 「どうせ原稿にするのだから、高尚な話にしなければいけない」とクギを刺した。する
と、ふだんはおしゃべりのワイフが黙った。「何でも書いてしまうからね」と、私。

 ワイフの趣味は、ビデオ鑑賞。今も、横で、袋の中から何本ものビデオを取り出して、
箱の表装をながめている。近くのビデオショップで、1本、100円で買ってきたもの。

ワ「夜、見るのは、こわいのはだめ」
私「そうだね。……そう言えば、ポンプの回数が少なくなったみたいだ」
ワ「そうね」と。

 水道ポンプが、ときおり、勝手に音をたててうなる。どこかで水圧が漏れているためら
しい。おととい長男と2人で修理した。いくつかボルトがゆるんでいたので、それを締め
なおした。回数は減ったが、しかしまったくなくなったわけではない。

 ワイフが、『イワン雷帝』というロシア映画を取り出した。古いビデオである。1944
年の作品だという。骨董的価値がありそうなビデオである。前巻と後巻の2部作。テレビ
に映してみると、白黒。画面も、小刻みに動く。どこか見にくい。

私「ロシア語ではね、NとかRが左右反対のカガミ文字になっているんだよ」
ワ「どうして?」
私「一説によると、ヨーロッパで文字を学んだロシア人が、途中で、雨か何かで、紙を濡
らしてしまったそうだ。それで文字を裏から書き写して、左右が逆になった……」
ワ「うそみたい……」
私「うそだと思うよ。ロシア人をバカにした話だ。イギリス人が好きそうな話だね」と。

 『イワン雷帝』は、イワンが帝王に即位するシーンから始まる。私はそれをチラチラと
見ながら、キーボードをたたく。

 時の権力者たちは、みな、同じようなことを口にする。

 「……この帝王は、ロシアを永遠に、輝かす。……永遠につづく。神のご加護とともに。
幾年も、幾年も……」と。

 おごそかな儀式と、荘厳な合唱。「イワン帝王、バンザイ」「皇后陛下、バンザイ」と。

 それに応えて、イワン雷帝は、貴族政治を廃止し、専制政治を宣言する。

●権力

 権力には、恐ろしいほどの魔力がある。……らしい。私は権力とは無縁の人間だが、権
力者がもつ権力というものがどういうものであるかは、よく知っている。何度か、かいま
見たことがある。そこでは、まわりの人たちは、みな、ロボットのように働く。

 加えて日本には、いまだに、儒教文化に影響された上下意識が強く残っている。私も若
いころは、その世界の「長」と名がつく人に出会ったりすると、よく、足がすくんでしま
った。相手は相手で、そういう私たちの心理を、逆によく知っている。

 つまり権力者は、いつも、どうすれば自分がそれらしく見えるか、それを気にしている。
またそのように見えるように、自分をつくる。大物らしく振舞ったり、さも人間味豊かな
人物のフリをしたりする。しかし人間の中身というのは、それほど、ちがわない。

 権力者たちは、それを見抜かれるのを、何よりも、恐れる。そして自分に従順なものに
対しては、ことさら寛大に振る舞い、自分を否定するものに対しては、容赦なく攻撃的に
出たりする。

 私はもともと、こういったタイプの映画は、好きではない。楽しむ前に、バカ臭さを覚
えてしまう。「生まれた穴がちがうだけ」(「フィガロの結婚」)で、帝王は帝王になり、庶
民は庶民になる。未熟な政治体制のもとでは、国をまとめるためには、帝王のもつ絶対的
権力が必要かもしれない。専制であれ、独裁であれ、それがないと国がバラバラになって
しまう。

 しかし庶民、つまり民が利口になれば、それに反比例して、絶対的権力は、色を失う。
イワン雷帝は、こう叫ぶ。「馬を走らせるには、手綱が必要」「黄帝の威光がなければ、国
を治めることはできない」と。それが「外国から独立する、方法である」と。

 一理あるが、全理ではない。

●イワン雷帝

ワ「ヘタクソな演技ね」
私「当時としては、すばらしい作品だったはずだよ」
ワ「わざとらしく、舞台で見る時代劇みたい」「化粧も、おおげさ。自然さがないわ」
私「白黒映画だから、しかたないよ。フィルムの性能もよくなかったみたいだね」
ワ「ミュージカルなのかしら?」
私「そんな感じのビデオだね」と。

 イワン雷帝は、帝王に即位すると同時に、カザンという国との戦争を宣言する。歴史は
繰り返すというが、いつの世も、戦争だけは、絶えない。権力はそのままパワーを意味す
る。パワーは、つまるところ、「戦い」を意味する。そのパワーが国の外に向かったとき、
戦争になる。

 勝手にやりたければやるがよい。しかし犠牲になるのは、いつも民衆である。名もない
民衆である。

 むずかしい話になってしまったが、要するに(権力)などというものは、人間が作りあ
げた幻想でしかない。子どもたちがするカードゲームと、同じ。どこもちがわない。強い
カードをもった子どもは、それだけで自分が強くなったように思う。

 同じように人は、権力を手にしたとたん、自分が強くなったように感ずる。中には、自
分を、神か仏の生まれ変わりと錯覚する人もいる。

 そういう意味では、子どもの世界と、おとなの世界は、1本のヒモでつながっている。
実際には、その境目は、ない。そのことは、幼児から、高校3年生まで、連続して教えて
みると、わかる。

 眠くなるようなビデオ。「ほかのにしようか?」とワイフに声をかけると、ワイフは、す
なおに「うん」と言って、それに従った。

●私の貧乏性

 ところで、こうした休暇になるといつもそうなのだが、私は、どんどんと自信をなくし
ていく。「このまま私は、ダメになってしまうのではないか」とさえ思うこともある。以前
は「貧乏性」と呼ばれたが、正確には、「基底不安」という。世間では、「不安神経症」と
もいう。原因は、私の幼児期にある。それがそのまま私の心の中に居座ってしまった。

 他人を信じられないならまだしも、自分自身をも信じられない。ワイフは、「いつものあ
なたの性癖よ」と笑う。たしかに、そうだ。そういう意味では、私は、働いていたほうが、
気が楽。そのほうが、自分を忘れられる。

 しかしいつになったら、安楽な心を取り戻すことができるのか。自分だけなら、まだ何
とかなる。しかし子どもや、さらに孫のことまで考えると、気が休まらない。

 いつまでも健康で、今の仕事がつづけられたらと思う。しかしこのところ、それについ
ても自信がなくなってきた。自分でも、今、健康なのか、どうか、よくわからないときが
ある。どこといって悪いところはないのだが、かろうじて、健康……というにすぎない。

 そのため運動だけは、しっかりとしている。しかし運動が好きだから、そうしているの
ではない。病気になるのが、こわいからそうしているだけ。

 ワイフが、『100万回のウィンク』というビデオにかえた。1998年の作品だから、
まあ、新しいほうかもしれない。これも100円で買ってきたもの。主演は、ドリー・バ
リモアという女性だが、私は知らない。ワイフは、『E・T』に出ていた女の子ではないか
と言った。

●合法的な殺人

 今日は、何と、焼肉を食べた。めったに食べないメニューである。本当は、ラーメンを
食べようと思って出かけたが、満員だった。それでその近くの焼肉店に入った。が、今日
は正月2日ということで、ランチメニューはなし。

 たいした料理ではなかったが、それでも、あとで見たら、2人分で、2500円も請求
された。

 ……で、ビデオの話。

 ビデオは、妻と、息子たちが結託して、父親を殺すというところから、始まる。息子た
ちは軍用ヘリで父親を追いかけまわす。そのため父親は心臓発作を起こして、そのまま死
ぬ。夫を失った妻は、悲しい未亡人を演ずる。

 喜劇とも悲劇とも、わけのわからないビデオ……。

 ……という話は、多い。「長年つれそった夫婦だから、仲がいい」とは、かぎらない。中
には、憎しみあっている夫婦もいる。最近、ワイフが、そんな話を、友人から仕入れてき
た。こんな話だ。

 その家には、今年80歳になる舅(しゅうと・義理の父親)がいる。が、その舅。この
ところ認知症も加わり、わがままの言い放題。したい放題。自分で便をもらしながら、そ
の友人(主婦、45歳)に、あと始末をさせるという。「そこも、拭け」「ここも臭いから、
拭け」と。

 しかもそれを足を使って、指示するという。

 そこでその友人は、最近は、舅の欲しがる食べものを、何でも買い与えているという。「と
くに好物なのが、肉。だから、毎日、肉を食べさせている」と。そしてワイフにこう言っ
たという。

 「少し前までは、食べ物に、あれこれ気をつかってやったけど、今はもう、やめた。ど
うでもいいといった感じ。心筋梗塞でも何でもいいから、早くそういう病気で、死んでく
れればいい」と。

 少し話の内容を変えた。ワイフの友人に迷惑がかかってはいけない。しかしこれに似た
話は、多い。「それって、殺人じゃないの?」と言うと、ワイフは、ケラケラと笑った。が、
笑い話ですませない。どこか少し、アブナイ話である。(女性は、こわいぞ!)

 そう言えば、私のワイフも、食後には、かならずといってよいほど、甘いデザートを出
す。ひょっとしたら、内心では、私に早く死んでほしいと願っているのかもしれない。ゾ
ーッ!

ワ「介護って、それくらいたいへんなのね」
私「わかっている」
ワ「年老いた親が死んだりすると、遺族は、それなりにさみしそうな顔をしてみせるけど、
本当はそれを喜んでいる遺族も多いはずよ」
私「そうかもね。介護疲れが理由で、自殺を考える人もいるくらいだから」と。

●粗大ゴミ

 私の友人に、Mさん(女性・40歳)がいた。そのMさんも、義理の父親の介護で苦し
んだ。軽い認知症のほか、重い腎臓病をわずらっていた。そのため、脳性の混濁症状が出
ていた。夜中でも、大声で、Mさんを呼びつけ、介護させていたという。

 その上、夫の兄弟姉妹たちがそのつどやってきては、「ちゃんとめんどうをみてほしい」
と苦言を並べたという。Mさんは、1年で数キロずつやせていった。老人の介護というの
は、それくらい、たいへんなこと。

 もちろん死ぬまで、良好な親子関係をつづけている人も多い。たとえば私には、オース
トラリア人の友人が何人かいる。が、どの友人も、良好な親子関係を保っている。親や親
で、子は子で、それぞれがたがいに干渉しないように、うまくやっている。その中の1人
は、現在、アルツハイマー病をかかえた父親をもっている。

 オーストラリアでは、養護施設そのものが充実している。費用もほとんどかからない。
親自身も、子どもたちには迷惑をかけたくないという、強い意思をもっている。子どもた
ちも、そうした親の意思をよく知っている。知っているというより、親から子へと、その
意思が、代々、遺伝のように伝わっている。

 その年齢になると、親自身が、自ら老人施設に入る。子どもは子どもで、それを静かに
見守る。そういう意味では、日本は、遅れている。介護制度も、やっと今、始まったばか
り。意識が変わるまでには、まだまだ長い時間がかかる。

 が、この問題は、そのまま私たちの近未来の問題ということになる。人は例外なく歳を
とる。老いる。

私「このままでは、老人たちは、粗大ゴミになってしまうね」
ワ「うん」
私「日本に、それだけの国力があればいいけど、その力も弱くなってきた」
ワ「うん」
私「老人は、早く死んでくれという時代が、もうそこまで来ているような気がする」
ワ「そうね」と。

 定年を65歳まで延ばした会社もあるというが、私は、働けるなら、70歳でもよいの
ではないかと思っている。働ける人が、みな、70歳まで働けば、今、問題になっている
少子化の問題も解決する。そうすれば、若い世代の人たちに、粗大ゴミと言われなくてす
む。

●まあ、こんなもの

 しばらくビデオを見て、時間をつぶす。ほんの少し前、それが終わった。ワイフは、台
所へ洗い物を運んでいる。私は、再び、パソコンに向かう。このところめったに使わなく
なったパソコンだが、P社製の、レッツ・ノートである。キータッチの感触が、たまらな
く気持ちよい。たとえて言うなら、やわらかい女性の肌のよう。パチパチと文字を打って
いるだけで、気持ちよくなる。

 しかしこのパソコンとのつきあいも、8年目に入る。私はどんな電気製品でも、買った
ときの日付を、どこかに書き残すことにしている。それを見ると、1999年12月20
日とある。性能はあまりよくないが、ワープロとして使うには、じゅうぶんである。これ
からも、ずっと使うつもり。

 ワイフに、先に休むように言ったが、「もう少し起きている……」と。時計を見ると、午
後11時10分。私は昼寝をした。正月の2日だというのに、今日もさえない1日だった。

 そうそう、その昼寝をしたとき、初夢を見た。おかしな初夢だった。扇風機が空を飛ん
でいく夢だった。そしてその扇風機が、木造の船の底をつきやぶり、その船が沈没すると
いう夢だった。

 扇風機が空を飛ぶはずがない。頭の中で、ヘリコプターと、扇風機が、ごちゃごちゃに
なった。それで、そういう夢を見たらしい。その夢のことを話すと、ワイフは笑った。も
う少し、何か意味のある夢だったら、よかったのに。

 あとは、電子マガジンの編集を少しした。それから庭掃除。

 そんなことをぼんやりと思い出しながら、「今年は、何をしたい?」とワイフに聞く。ワ
イフは、けげんそうな顔をして、「今年?」と。

 私は、もう自分のためにしたいことは、あまりない。やりたいことは、みんなやってき
た。自分の人生に悔いはない。きびしい人生だったが、もともと人生というのは、そうい
うもの。原始の時代から、あらゆる動物は、こうしたきびしい環境の中で、生きてきた。
それを前提とするなら、つまりきびしいのが当たり前と考えるなら、今の生活は、楽すぎ
るほど、楽。ぜいたくは言えない。

私「まあ、みんな、こんな感じで人生を終わるんじゃないかな」
ワ「まあね、そう大差ないもんね」
私「成功者も、失敗者も、紙一重。本当は、どこもちがわない。ちがうように見えるだけ」
ワ「それに相対的なものだし……」
私「江戸時代には、寿命は45歳くらいだったそうだ。それを思えば、ぼくらはとっくの
昔に死んでいてもおかしくない」
ワ「ふ〜ん」と。

●2007年

 ともかくも、今年も始まった。2007年。とくに抱負はないが、今までどおり、がん
ばって生きていくしかない。やれることは、みんなやる。明日に回さない。今日できるこ
とは、今日、する。

 あれこれ悩んでも、しかたない。何も解決しない。どんな問題でも、そのときがくれば、
なるように、なる。こちらの事情も知らず、私のことを悪く言っている人もいるにはいる。
しかしそういう人たちは、相手にしない。

 イギリスの格言にも、『2人の人には、いい顔はできない』というのがある。どうであれ、
人生の折り返し点は、とっくの昔に過ぎた。今さら、ジタバタしても、始まらない。健康
がつづくかぎり、それをありがたいことと思い、その命を、みなに返していけばよい。だ
れがどう思おうが、私の知ったことではない。私が死ねば、この宇宙もろとも、私は消え
てなくなる。どうせ、それまでの人生。

私「ぼくたちを守ってくれる神様も仏様もいないからね」
ワ「そうね。今ごろから信じても、相手にされないでしょうしね」
私「神様に向かって、……仏様でもいいけど、今まで信じていなくて、すみませんでした
と謝っても、ダメだろうか」
ワ「そんなに甘くないわよ」
私「そうだろうね。……わかっている」と。

 ……ということで、今夜は、これでおしまい。友人の奥さんが、昨年の暮れに亡くなっ
た。それを聞いて以来、この数日、気分が落ち込んでしまった。今も、その状態がつづい
ている。専門家がこの文を読んだら、「はやし浩司は、うつ病だな」と思うかもしれない。
が、ありのままの自分を、こうして記録しておくことにする。うつ病だろうがなんだろう
が、これが今の私なのだから……。

 では、おやすみ! ワイフは、コタツの横で、あごに手をかけて、眠っている。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(1月10日)

++++++++++++++++++

寒い朝だ。起きるとすぐ、ストーブに
電源を入れる。

それから着替え。

つづいて母の部屋に入り、カーテンを
あけ、電気をつける。ストーブに電源を
入れる。

部屋がじゅうぶん暖まったら、母の
おむつ替え。ポータブルトイレの清掃。

そのころになると、朝食の用意ができているので、
それを母の部屋に運ぶ。

老人の介護といっても、なんでもない。
あまりにも、なんでもないので、
かえって拍子抜け。今は、そんな感じ……。

この先のことは、わからないが……。

+++++++++++++++++++

 老人の介護が、たいへんか、たいへんでないかは、心の持ち方による。いやいや介護す
れば、それから受ける重圧感は、何十倍にもなる。が、気楽にやれば、なんでもない。本
当になんでもない。

 今日は、ワイフがテニスに出かける日。私は、こう言った。「母がいるからといって、
生活のパターンを変える必要はない。そんなことをしてはいけない。お前は、いつもどお
り、テニスに行けばいい」と。

 で、私は、発見した。

 介護が負担になるかどうかは、披介護者の態度と姿勢で決まる、と。もっと言えば、た
がいに心が通いあえば、介護も、なんでもない。むしろ楽しい。「今度は、山へ連れてい
ってやろう」とか、「海へ連れていってやろう」とか、そんなふうに考える。

 介護を必要とする老人というのは、いわば、体の大きな赤ん坊のようなもの。問題は、
便のしまつ。しかしこれも、1、2日も世話をすれば、なれる。私だって、(あなただっ
て)、便をもらして、下着を汚すことはある。それと同じに考えればよい。いや、いちい
ち考える必要もない。淡々と、ノーブレインの状態で、やればよい。

 私のばあいは、定時ごとに、母をベッドの横に立たせ、うむを言わせず、おむつを取り
替えるようにしている。「ハイ、立って」「ここにつかまって」「足をあげて」と。

 そのときコツがある。便をもらしたことを、決して、責めたり、叱ったりしてはいけな
い。おむつを取り替えたら、「ほら、気持ちよくなっただろ」と言って、それですます。

 いろいろ、改良点を考える。

(1)ポータブルトイレにも、簡単なシャワーをつけるとよい。
(2)ポータブルトイレには、ひじかけがついているが、たての棒がとりつけられると
よい。(老人のばあい、体を立たせるとき、腕を伸ばして立つよりも、高いところにつか
まって、腕を縮めるほうが、楽なようである。)
(3)介護用製品にしても、足腰が弱った老人用、上半身が弱った老人用などなどと、
きめこまかく、機能を分けたものを開発するとよい。
(4)介護用ポータブルトイレは、もっと重量感のあるものにするとよい。老人のばあ
い、軽すぎると、動いたり、ひっくり返ったりしてしまう。(定位置から移動するもので
はないし、軽ければそれでよいというものでもない。)

 最大のケアは、老人を孤独にしないこと。老人といっても、(私もその仲間だが)、ま
ったくふつうの人間。頭の活動が弱くなったというだけで、20代〜50代の人と、どこ
もちがわない。

 私のばあいは、母が来るのに先立って、部屋の様子を、実家の母の部屋そっくりに、つ
くりかえた。実家にあった写真や置き物を、そのまま並べた。アルバムも5、6冊もって
きて、枕もとに置いた。

 時期的に寒いころでもあり、暖房には気をつかった。老人というのは、寒さに弱い。体
の新陳代謝がそれだけ衰えているからである。……などなど。

 これから先、私自身の老後も考えて、介護制度について、どんどんと評論を書いていき
たい。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●読者がふえた!

++++++++++++++++++

この10日間、原稿をほとんど、
書かなかった。

書く意欲が、それ以前の、5〜10%
以下にまで、低下してしまった。

書斎に座るのもおっくうになってしまった。
だから今は、こうして居間のコタツに座って、
原稿を書いている。

電子マガジンを、どうしようか?
……やめようか?
……つづけようか?

……と思い悩んでいたら、今朝、読者が4人も
ふえた(Eマガ)。

とたん、申し訳ない気持ちが、心の中に
充満した。新しく会員になってくれた人は、
それなりに期待しているにちがいない。

で、この原稿を書き始めた。

何とか、2月2日(金)号のマガジンは
出せそうである。

とりあえず、2月2日号を出すことにした。

それにしても、正直に告白するが、
少し、疲れた! 1000号までの道は、
まだ、遠い! ああああ!


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●大晦日(おおみそか)

++++++++++++++++

今日は、12月31日。大晦日。
2006年も、今日で、おしまい。

昨日は、何かと忙しかった。一日中、
バタバタしていた感じ。ただ、
風が強かったので、焚き火はできな
かった。

そのため、庭には、枯れ葉が山の
ようになっている。

何とか今日中に、それを片づけたい。

++++++++++++++++

●「親絶対教」をまとめる

 今まで書いてきた原稿の中から、「親絶対教」に関するものを、抜き出す。「親は絶対」
という考え方を、親絶対教という。カルトそのものだから、「親絶対教」という。私がつけ
た名前である。

 10作ほどを抜き出してみたが、それだけでも、A4原稿用紙(3500字)で、13
0枚近くにもなった。単行本にするには、じゅうぶんな量である。この4〜5年、電子マ
ガジン1本でがんばってきたが、07年は、再び、出版のほうでがんばってみようと思う。

 恩師の田丸先生の娘婿の藤原氏が、『国家の品格』という本で、大当たりを当てた。ジャ
ンボ宝くじを、20本くらい、つづけて当てたようなもの。私には、とてもまねできない
が、本のおもしろさは、そこにある。

 「親絶対教」……21世紀の今も、家族がもつ自我群(呪縛感)の中で、もがき苦しん
でいる人は多い。「親である……」「子である……」という立場だけで、子をしばり、親を
しばる。自らをしばる。

 親子関係も良好であれば、たがいにそれなりに救われる。しかし親子関係も、つきつめ
れば、1対1の人間関係。壊れるときには、壊れる。世の中には、親をだます子もいるが、
子をだます親もいる。が、(親子)という関係だけは、残る。その(関係)が、たがいを苦
しめる。

 が、それはふつうの(苦しみ)ではない。それはまさに魂を引き裂くような苦しみとい
ってもよい。だから心理学の世界でも、それを「幻惑」という。「実体のない苦しみ」とい
う意味で、「幻惑」という。が、問題は、なぜそこまで親子(とくに子ども)は、苦しむの
か。その理由のひとつとして、最近の研究によれば、人間にも、鳥類に似た(刷りこみ)
があることがわかってきた。

 つまり親子の関係は、本能に近い部分にまで、深く刷りこまれている。だからそれから
自分を解き放つことは容易なことではない。ある男性(当時45歳)は、実母の葬式に出
なかったことを、いまだに悔やんでいる。その人にはその人なりの、人には言えない、深
い事情があって、そうした。が、今でも、自らを「ダメ人間」と思いこんでいる。「私は失
格人間」と言ったこともある。

 一方、まわりの人たちは、自らがもつ親絶対教に気づくこともなく、その男性を責める。
「恥知らず」「恩知らず」と。その男性は、親戚のみならず、近隣に人たちの間ですら、「親
捨て」と呼ばれ、村八分の状態にあるという。実際には、以来20年近くになるが、郷里
のM県M市には、一度も帰っていないという。

 「そんなに気にしなくてもいいのに」と、私が言うと、その男性は、こう言った。「それ
は事情を知らない人たちの言うことです」と。

 親は、親風を吹かす。「産んでやった」「育ててやった」と、子どもに恩を着せる。子ど
もは子どもで、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、恩を着せられる。
つまりこうして日本独特の、依存関係が生まれる。ベタベタの人間関係が生まれる。

 言いかえると、親絶対教から決別するということは、とりもなおさず、人間としてのひ
とり立ちを意味する。それはけわしくも、きびしい道のりである。ある男性は、自分の中
から(親)を抜くため、10か月近くも、はげしく悶絶した。毎晩、床につくころになる
と、体がほてって眠られなかったという。それについては詳しく私の本の中で書くつもり
でいる。

 「親絶対教」は、まさにカルトである。地方によっては、その地域全体が、そのカルト
教団のかたまりのようなところさえある。そういうところで、親絶対教を否定したら、ど
うなるか。へたをすれば、それはそのまま自己否定へとつながってしまう。先に書いた男
性の例をあげるまでもない。

 私はそれについて、自分の意見を、世に発表してみたい。「乞う、ご期待!」と書きたい
ところだが、出版界は、今、たいへんきびしい状況にある。出版までの道は、遠い。しか
しここで立ち止まっているわけにはいかない。とにかくやってみよう。やってみるしかな
い。

 がんばります! よろしくお願いします!
(06年12月31日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●懸命に生きる

 うらみつらみも、あるだろう。憎く思ったり、嫌うこともあるだろう。
 しかしそれ以上に、人生は、短い。今のこのときさえも、つかの間。
 やがてすぐ、闇に消えてなくなる。あなたは死に、そしてこの世から消える。

 その短い人生を、自分で汚しながら生きてよいものか。失ったものを、 
 嘆き悲しみながら生きてよいものか。

 もしあなたに財産があるとするなら、それはあなたが、今ここにいて、
 懸命に生きているということ。それにまさる財産は、ない。どこにもない。
 だからある賢人は、こう言った。『生きていること自体が、奇跡だ』と。

 今夜も、ワイフとこんな会話をした。「懸命に生きれば、それでいい」と。

 仕事が行きづまったら、そのときは、そのとき。今もっている財産を売ればよい。
 それは敗北でも、何でもない。恥ずかしく思わなければならないことでもない。
 そんなあなたを、他人が、「負け犬」と笑ったら、笑わせておけばいい。
 この世界には、勝ち組も、負け組もいない。もっと言えば、善人も悪人もいない。

 勝ち組と負け組は、紙一重。善人と悪人も紙一重。ほんのわずかな違いが、進む道を
 へだてる。勝ち組はあっという間に負け組になり、善人も悪に染まれば、そのまま
 悪人になる。

 大切なことは、今というこの時を、懸命に生きること。その生きるところから、
 ドラマが生まれる。そのドラマに価値がある。人間の生活を、うるおい豊かなもの
 にする。
 
 さあ、あなたも、勇気を出して、ありとあらゆるものを、許してしまおう。
 この世界には、『負けるが勝ち』という言葉さえ、ある。
つっぱたり、気を張ることはない。肩の力を抜いて、負けを認めればよい。

 安穏の世界は、そこにある。そしてそれこそが、私たちの求める世界。
 私たちが目指してやまない、人生の目的地。

そう、私たちが求める真理などというものは、そんな遠くにあるものではない。
あなたのすぐそばにあって、あなたに見つけてもらうのを、ただひたすら
静かに、息をひそめて待っている。

さあ、あなたも、今日を懸命に生きてみよう。それでよい。それがすべて。
結果なんか、気にすることはない。どんな結果であれ、そのときはそのとき。
またそのときから、懸命にいきればよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●抱負(2)

+++++++++++++++

2007年になって、もう9日目。
しかし書いた原稿は、20枚足らず。

マガジン1号分にも、なっていない。
本来なら、今ごろは、2月9日号用の
原稿を書いていなければならない。

「2月号は、休もうか……」と、ふと、
思う。しかし有料版のマガジン(まぐプレ)は、
そういうわけには、いかない。

書くしかない。つづけるしかない。

ここでへこたれたら、私はおしまい。

がんばろう。がんばるぞ!

+++++++++++++++

 2007年になって、いくつか心に決めたことがある。その1。他人を悪く言うのは、
やめた。ねたむのも、やめた。失敗を他人のせいにするのも、やめた。人をうらんだり、
憎んだりするのもやめた。

 自信はないが、ともかくも、そう心に決めた。

 どうせみな、50年もすれば、この世から消えてなくなる。100年もすれば、この世
から消えてなくなる。そんな他人が、私をどう思おうが、私の知ったことではない。また
そんな他人など、相手にしてもしかたない。

 私は私で、最後の最後まで懸命に生きる。生きられるところまで、生きる。そのあとの
ことは、知らない。わからない。今がすべての始まり。今がすべての終わり。

 10年か。それとも20年か。運がよければ、30年か。

 私に残された時間は、あまりにも短い。少ない。そんな時間を、くだらないことで、無
駄にすることはできない。人生に道があるなら、私はただひたすら、まっすぐな道だけを
歩く。回り道をしているヒマなど、もうない。

 ズルイことを考えるのは、もうやめた。悪いことを考えるのも、やめた。喧嘩もしない。
争いもしない。不愉快に思うこと自体、私にとっては、回り道でしかない。しかし回り道
をすればするほど、時間の浪費。人生の浪費。

 若いころは、『時は金なり』と言った。しかし今は、『時そのものが、金(ゴールド)』。

 だれに感謝すべきなのか、私はわからない。が、私が今、こうして健康でいられるだけ
でも、ありがたい。生きていられるだけでも、ありがたい。コタツに入って、パソコンの
キーボードを叩けるだけでも、ありがたい。

 そばには、新聞を読んでいる長男がいる。鼻歌を歌っているワイフがいる。のどかな時
間。おだやかな時間。こうした時間にまさる幸福が、どこにあるというのだろうか。今、
私がすべきことは、こうした瞬間を、そのつどかみしめながら、自分のものにすること。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 2月 2日(No839 )
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

1000号まで、あと、161号!

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ

+++++++++++++++++

Kさんより、メールが入った。
ときどき、マガジンのほうに、原稿を
転載させてもらっている。

正月休みに、グアムへ行って
こられたとか。

グアムへ行かれる前、お子さん(R男君)に
「グアムでは、ガムを食べるんだよ」と、
冗談を言ってしまいました。

+++++++++++++++++

【Kさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、こんにちは!

グアム、楽しかったです。
ガムはかまなかったけれど、海とプールで、親子そろって、日焼けしました。
オーストラリア、ハワイしか行ったことのない私は、
グアムのような、いかにも南の島という島にあこがれていました。
おかげで、満喫できました。

意外と日本語が通じないということに、驚きました。
せっかくアメリカに行くというのに、英語を話せないジャン!、と思っていたのですが、
あちこちで、特にクレームは、英語が通じて嬉しかったです。

私は日ごろから、怒りの感情をあらわにするということは少ない人間と、
自分では思っていますが、
タクシーに関することであまりにも怒ってしまいました。
頂点に達すると人はこんなにも能力を発揮するのかとおもうほど、
ドライバーの方に、苦言を呈しました。

同席していた日本人の方が驚いて 私が日本人であることを疑い、
「あなたは本当に日本人か?」と、
何度も聞かれたことが面白かったです。 アハハ!
でも タクシーでは危ない目に会うと怖いので、ほどほどにしておきました。

こんな明るい話題から入ってしまったけれど、
心にひっかかっていることがあります。

LUCYさんのこと わたしもご冥福をお祈りさせてください。
先生がどんな思いでいらっしゃるだろうかと、私も泣きながら、
Lucy Good bye の動画を見せていただきました。

アンドレギャニオンの『巡り合い』は、いいですね とても好きな曲です。
3月のお嬢さんのweddingには、BW教室はオヤスミでいいですから、
たっぷりお祝いをお伝えしていらしてください。

私の義理の母に、いつだったか、「悲しいときはどうして乗り越えるの」
と、聞いたことがあります。すると、義理の母は、
「C'est la vie(それが人生よ)」と教えてくれました。

今は、私が天国に言ったら会おうね、そうして一緒に過ごした。
時間よりも、もっとたくさんの時間を、一緒におしゃべりしてすごしましょうね、
という気持ちでいます。

グアムから、年賀状を出す用意をしたつもりでしたが、
ちっ!、ご住所を書き写したものを忘れてしまいました。
何て凡ミス! ばかめ!

R男は小学生になっても、BWを続けることを楽しみにしています。
彼が習い事にこんなに熱心になったのは、初めてです。
ほんとうにありがとうございます。

私は、これからも20日30日の5%off のお店に、足しげく通って、
あらゆる割引手段やスタンプ、ポイントを利用し、
節約ママに徹し、
つかいたいときには どっっっっか〜〜〜〜ん、と、
使えるように、enjoyしながらがんばります。

今年の目標は
もっともっと勉強して、
もっと英語の能力を高くすること。
できれば、数年前あきらめてしまった、手話にも再トライしたいなぁ。

R男の今年の目標は、
鉄棒がもっと上手にできるようになること
だそうです。^m^

こんな親子ですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2006年、はやし浩司先生にお会いできたことに、
心からの感謝の気持ちをこめて。

Kより。

【はやし浩司より、Kさんへ】

 前回、「メールは、無断で転載していい」ということでしたので、転載させていただきま
す。ありがとうございます。

 私は、若いころから、休みになると、何もしなくなってしまうタイプの人間です。学生
時代も、テスト期間中は、「試験が終わったら、映画を見よう」「旅行に行こう」と、そん
なことばかり、考えていました。が、試験が終わったとたん、意欲は消滅し、ぼんやりと、
休みを過ごしたのを覚えています。

 この正月休みも、そうでした。したのは、大掃除くらいかな?

 ストレスにも2種類あるのだそうです。善玉ストレスと悪玉ストレスです。善玉ストレ
スは、生きるパワーを生み出します。そういう意味では、やはり仕事をしているときの自
分のほうが、楽しいです。緊張感があるからです。緊張感が抜けると、今のような状態に、
なってしまいます。

 ただ無益に時間をつぶすだけ、という状態です。

 だから早く、子どもたち(生徒たち)の顔が見たいです。仕事がしたいです。子どもた
ちといっしょに、ワイワイと騒ぎたいです。おかしな話に聞こえるかもしれませんが、私
にとっては、職場そのものが、ストレス解消の場になっています。

 ……といっても、休みも、明日1日だけ。少しさみしい気もしますが、しなければなら
ないことは、山のようにあります。明日も朝から、てんてこ舞いです。

 いつもメールを、ありがとうございます。楽しいです。子どもたちのエネルギーにも驚
かされますが、若いお母さんたちのエネルギーにも、驚かされます。Kさんは、とくに、
少し不謹慎な言葉かもしれませんが、ピチピチママといった感じですね。

 今度会ったら、そのエネルギーを、少し分けてもらいますよ。私は、見た目には、ジジ
イですが、心意気だけは、結構、若いです。まだまだKさんにも、負けませんよ! 私は、
ヤング・オールドマンです。

 で、3月にメルボルンへ行ってきます。チケットは取れました。カンタス、キャッセイ、
シンガポール航空の中から、シンガポール航空を選びました。中部国際空港→シンガポー
ル→メルボルンへと飛びます。

 向こうでは2泊するだけの、まさにトンボ帰りの旅行です。またおみやげ話をたくさん、
もって帰りますね。どうか、お楽しみに!

 ルーシーさんのビデオを見てくださったとか、ありがとうございました。これからもよ
ろしくお願いします。

 そうそう私は、子どものころ、鉄棒だけが、苦手でした。逆上がりができなくて、苦労
しました。小学3年生になって、やっとできたという状態でした。なかなかコツがつかめ
ませんでした。

 ともかくも、2007年も始まりました。これからもよろしくお願いします。エネルギ
ーを分けてください。

 では、少し遅れましたが、Happy New Year!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【母の介護】

++++++++++++++++++

本当のところ、まだ、自信はない。
それは今日、始まったばかり。

しかし、やるしかない。
やらなければならない。

++++++++++++++++++

●美濃の町

 美濃の町は、すっかり変わっていた。私が子どものころの町というよりは、明治、大正
生まれの人たちが、「私が子どものころの町のよう」と言うような町に、変わっていた。

 通りからは電柱が消え、それにかわって、それぞれの軒先には、行灯(あんどん)がつ
りさげられていた。ちょうど夕方を過ぎたころで、それに淡い橙色の灯がともっていた。

 私は雪で足を取られないよう、注意しながら、ワイフと美濃の町の中へと向かった。宿
泊していた、川沿いの緑風荘という旅館を出ると、井掘り沿いの道を歩いた。トンネルを
抜け、しばらく進むと、昔、市役所があったところに出た。今は、文化センターと名前を
変えていた。

 成人式を済ませたばかりの男女が1組、何やら深刻な顔をして、土台の上に座っていた。
近くにパトカーが2台、止まっていた。

●独特の文化

 美濃の町は、独特の文化をもった町である。昔は、和紙の産地として知られた町である。
「美濃和紙」という言葉は、この町から生まれた。

 全体的には名古屋の経済圏にありながら、大阪商人の経済圏に入っていた。方言は名古
屋よりだが、商売の仕方は、大阪的。このあたりでは、値段など、あってないようなもの。
正札(しょうふだ)通りの値段でものを買う人はいない。……いなかった。少なくとも私
が子どものころは、そうだった。

 町のあちこちに、美濃和紙を使った行灯(あんどん)が飾られていた。和紙のもつ、独
特の美しさ。やさしさ。和紙というよりは、薄い、木々の皮膚といった感じのほうが正確
かもしれない。人間の手でつくられながらも、その心は、人間というよりは、自然のほう
に、はるかに近い。

●散歩

 私たちは、そこから、南へと、ゆるい坂をのぼり、そして左に折れた。このあたりの土
地は、路地の路地まで、よく知っている。私が通った小学校は、南東に。そして私の住ん
でいた家は、北西にあった。私は毎日、この町を縦断しながら、学校へ通った。

 が、行きはともかくも、学校からの帰り道で、道草を食わない日はなかった。毎日、遠
回りをして変えるのが、日課と言うよりは、当たり前になっていた。ワイフに、「この道は
……」と、そのつど、路地の説明をした。人がやっと1人歩けるかどうかというような細
い路地である。

 私はそういう路地をのぞきながら、子どものころ、そこを歩いた記憶を懸命にたどった。

 で、私たちは、町を遠巻きにするように、常盤町(ときわちょう)と呼ばれる町内のほ
うへと向かった。伯父の住んでいた家があったところである。その伯父の住んでいた家と、
歌手の野口五郎氏の生家とは、10メートルも離れていない。

 今はだれも住んでいないらしい。2階の窓枠が、半分壊れたまま、外にはみ出していた。

 「ここが野口五郎さんの家だよ」とワイフに言うと、ワイフは、感慨深そうに、その家
をじっと見つめていた。

●故郷

 美濃の町は、都会の町とちがって、動きがほとんどない。家々の表札を見ても、名字だ
けは、昔のまま。昔、鷲見(すみ)君という友人の住んでいた家には、「鷲見」という表札
がかかっていた。平田君という友人の住んでいた家には、「平田」という表札がかかってい
た。古川君という友人の住んでいた家には、「古川」という表札がかかっていた。

 このあたりでは、新しい人たちが外から移り住んでくるということは、めったにない。
私が子どものころには、美濃和紙の産地としてまだ栄えていた。そのころには、岐阜や名
古屋からやってきた商人たちが、新しい店を開いたこともある。しかし今は、ない。

 どこの町でもそうだが、基幹となる産業がすたれてくると、それまでの蓄積を生かして、
観光の町として、生き残りをはかる。美濃の町とて、例外ではない。しかし観光の町にし
ては、やや力不足?

 格式というか、気位の高い家が多く、若者に向かって頭をさげるような器用さがない。
中に、つまりまばらに、和紙で作った民芸品を売っている店もあるが、観光客を呼び込む
ためには、イマイチといった感じ。一角でもよいから、それが凝集していなければならな
い。博物館でもよい。が、観光化が中途半端な分だけ、みごとなほどまでに、明治、大正
時代の面影を、色濃く残している。

 中年を過ぎた人たちにとっては、たまらないほどの魅力を感じさせる町といってもよい。
静かに、散策するには、もってこいの町である。

●私の母

 私と私の母の間には、いろいろあった。いろいろありすぎて、ここには書ききれない。
その結果、私と私の母の間には、大きなキレツが入ってしまった。とくに、この10年は、
会話といっても、会話にならなかった。私は母をうらみ、そういう私を、母はうらんだ。
たがいに、まるで他人行儀。うわっつらな挨拶(あいさつ)に、うわっつらなきれいごと。
しかしもう、そんなことはどうでもよい。

 母は、母で、自分の人生を生きた。懸命に生きた。私の時代の生き方とは、大きくちが
った生き方だったかもしれないが、ともかくも懸命に生きた。もう、それでじゅうぶん。
もう、たくさん。

 そこに年老いた母がいる。歩くことも、ままならない。だれかが介護をしなければ、生
きていくことができない。それが私の目の前にある、現実。私がすべきことは、その現実
を受けいれること。過去ではない。

私「もう、これ以上、怨念を引きずって生きるのも疲れた」
ワ「あなたは、じゅうぶん、苦しんだわ。ほかの人ができないことをしたのよ」
私「うん、でももう、たくさん。この苦しみから、解放されたい」
ワ「そうね……。あなたはほかの人ができなかったことを、したのよ」
私「……ありがとう」と。

 私の横にいて、私の苦しみを、ワイフは、すべて見てきた。私の悲しみは、そのままワ
イフの悲しみでもあった。そのワイフの悲しみにも、私は、決着をつけなければならない。
そのときが、やってきた。

●雪

 その朝から降った雪は、5〜6センチほど、積もっていた。私とワイフは、たがいに手
をとりあいながら、慎重に歩いた。雪道で足をすべらすと、後頭部からステンところぶ。
私は、金沢で学生時代を過ごしたこともあり、そのこわさをよく知っている。ワイフは、
それを知らない。

 「ここが海部(かいふ)元首相の奥さんの生家だ」と言って、小さな薬局を指差した。
奥さんと姉が友だちだったということもあった。私は、その弟とよく遊んだ。と言っても、
私が小学生のころの話。今となっては、顔さえよく思い出せない。

 で、そこからまた緑風荘に向かって、Uサーン。あたりはすっかり暗くなっていた。私
のデジタルカメラでも、写真が取れなくなっていた。

 「帰ろうか」
 「うん」と。

 靴の中にまで、雪水がしみ込んでいるのが、よくわかった。

●義理の兄

 明日は、90歳をすぎた母を浜松へ連れてくる。母はいやがるだろが、姉の介護も限界
にきている。義理の兄が、はじめて、弱音を吐いた。「もう、無理だ……」と。

 私は、こういうとき、まず情報を集める。近くのグループホーム、ケアセンター、さら
に精神病院、養護施設と、近くの施設をいくつか回った。ついでに、同じく老母の介護で
苦労をした、義理の兄の家も回った。

 が、最大の助けになったのは、義理の兄だった。その義理の兄が、介護用具一式を、私
たちに貸してくれた。介護用ベッド、無線式の呼び鈴、それにポータブルトイレなど。そ
ればかりか、介護の会などの紹介までしてくれた。昨年、義理の兄の母はなくなったが、
そのあとも、介護の会では、指導者として活躍している。

 そういう話を聞くうちに、「これなら私にもできる」という自信をもった。

 やさしい人は、かならず、いる。そしてこの道は、だれしも通る道。多くの先人たちが、
みな、経験している。私ひとりが、決して、その道を経験するわけではない。加えて、私
自身も、やがて、その老人になる。

●母の部屋

 母を迎えるため、私たちは、自分の寝室をあけた。かわりに、三男の使っていた部屋を、
私たちの寝室にした。その掃除を、昨日、した。ゴミというか、雑貨が、ダンボールに、
15、6箱も出てきた。それまでは三男の物置部屋になっていた。

 母の部屋になるところには、介護用のベッドを置き、ポータブルトイレを用意した。仏
壇を置き、その前には、ソファーを置いた。母は、たいへん信心深い。信心というよりは、
迷信深い。

 できるだけ、部屋の様子を、実家の居間の様子に近づけた。

 幸いというか、私の家は、郊外にある。庭も、じゅうぶん、広い。介護での最大の問題
は、便の始末だという。2方が窓になっている。うち一方は、掃きだしの窓になっている。
汚れ物は、そのまま庭へ出せばよい。そこでは、イヌのハナが放し飼いになっている。わ
かりやすく言えば、庭中が、イヌのハナのトイレ。その上に、人間のクソが重なったとこ
ろで、どうということはない。

 私の家というのは、そういう家である。もちろん、便の始末は、日課になっているが…
…。

●覚悟

 翌8日も、朝から雲っていた。私は食事をしながら、もう一度、覚悟を決めた。と、そ
のとき、子どものころの自分を思い出した。

 私は、売られた喧嘩は、かならず買った。相手が多人数でも、私より年上でも、さらに
私より強くても、買った。それが私のやり方だった。

 心の中で、ジクジクと思い悩むのが苦手。ビクビクするのは、もっといや。そんな状態
が、何日もつづいたりすると、気がヘンになる。だから、自分のほうから、体当たりして
いく。

 その体当たりするときに、覚悟を決める。「よし、やる!」と。あとは、それにしたがっ
て、前に向かって足を一歩、踏み出す。

 が、それを知ってか知らずか、ワイフは、朝食をとりながら、旅館の仲居さんと雑談。「毎
年、こんなふうに雪が降るのですか」「いいえ、珍しいです」と。私には、それがつまらな
い雑音に聞こえた。

 私は、ワイフに注意を与えた。「こういうとき、そういうどうでもいいような会話はしな
いでほしい」と。それを聞いて、ワイフは、悲しそうな顔をした。

●緑風荘

 話は前後するが、私は、朝風呂を浴びた。大浴場には、ほかに2人の男たちがいた。同
窓会で、緑風荘に泊まっているのだという。男の1人が、私に聞いた。「どこから?」と。

 私は、「浜松からです」と答えた。すかさず、男が、「ほう、浜松ですか」と言った。私
は、「まずい」と思った。ウソをつくつもりはなかったが、相手の話だけが、どんどんと先
に進んでいってしまう。

男「同窓会でね」
私「そうですか」
男「浜松とは、また遠いところからおいでになりましたね」
私「はあ……。K村に住む、姉に会うためにやってきました」
男「ああ、K村ですか? ここから車で、15分くらいかな……」と。

 美濃町には、美濃町弁という独特の方言がある。たとえば「そうですか?」というとき
は、「そうかなも?」と言う。そういう方言が、一言でも混じれば、私がこの町の出身とい
うことがバレてしまう。

 相手の男たちは、私がよそ者という前提で、あれこれと美濃の町についての説明をして
くれた。「この川が長良川です」「昔は、ここでも鵜飼がなされていました」と。すべて私
が知っている話しばかりである。が、私は、「はあ……」「そうですか……」とだけしか、
言えなかった。

●姉の家

 朝食を終えると、K村に向かって、車を走らせた。道の両側には、かき寄せられた雪が、
小さな土手のようになって、連なっていた。途中、何枚かの写真をとった。寒々とした、
冬景色だった。

私「こういうところに住みたいか?」
ワ「私は、いやだわ」
私「そうだろうね。ぼくも、いやだ」
ワ「どこも、かしこも、暗いわね」
私「こんな日でも、浜松は、快晴ということだ」と。

 姉の家は、小さな路地を入ったところにあった。車を止めると、呼び鈴を押した。姉が
玄関へやってきた。「こんなに早く来るとは、思っていなかった」と。

 つづいて私は、母のいる部屋に入った。4畳半の部屋だった。ベッドを中心に、あれこ
れと物が、ぎっしりと入っていた。

 姉は、早口で、母の世話のし方を、私に教えた。それを横で聞いていて、母は、何度も、
「今日は、行かない」と言った。私たちは、それを無視した。

●浜松へ

 私は、母の未練が残らないようにと、母を車に乗せると、姉の家を離れた。その村から
逃げるように、そうした。
 
 うらみ、つらみは、もう忘れた。すべてを許し、すべてを受けいれた。うしろの座席に
座った母を見ると、窓の外をしっかりと見ていた。母にとっては、これは見納めになるか
もしれない。私以上に、母はそれをよく知っていたはず。私は、自分の心を閉じた。

 静かなドライブだった。連休中というのに、すれちがう車もほとんどなく、予定より、
1、2時間、早く浜松に着いた。

 私は家に車を寄せると、長男を呼んだ。それを聞いて、長男が、荷物の運び出しを手伝
ってくれた。

 私は、母を抱いて、昨日作ったばかりのベッドの上に、母を置いた。母は、そのまま体
から力を抜いた。

 「疲れたか?」と私。「少しな……」と母。

 姉も言っていたが、頭は、少しもボケていない。名前もわかる。簡単な計算もできる。
冗談もわかる。

 仏壇の中央に、実家から持ち帰った布袋様(ほていさま)の人形を置くと、それを見て
母は、笑いながら、こう言った。

 「だれが、あんなワルをした?」と。

 私は、「布袋様が、勝手にここに来た」と言って、笑った。

●おむつ 

 車で帰るとき、サービスエリアのトイレで、母のおむつを替えた。小便と大便がまざっ
ていた。はじめは目を閉じて替えようとした。しかしすぐ、目を開いて、それをした。

 ワイフが、「私がしようか」と言ったが、私は、断った。そのかわり、おむつの反対側を、
ワイフにもってもらった。

 家に着いて、もう一度、食事のあとに、おむつを替えた。姉は、1日に、5回から7回、
おむつを替えてやってほしいと私に言った。私は頭の中で、2〜3時間ごとに替えればよ
いと、計算した。

 そのつどワイフが、「私がする」と言ったが、私のほうが、先に席を立った。「これは私
の仕事」と思った。

 母は、私が子どものころ、私の便のしまつをしてくれた。今度は、私が、それをする番
だ。

 臭い? ……当然、臭い。いや? ……当然、いや。しかしそれも通り過ぎると、便も、
ただのドロ。土。もともとは、店に並んでいた、野菜や肉。どうして汚いのか? 何度も
そう言って、自分に言い聞かせる。

●その夜

 「おむつを替えてやろうか?」と声をかけると、母は、「濡れていないから、いい」と答
えた。「本当か?」と聞きなおすと、「本当や」と。

 しばらく、横に立って、母を見る。母は、弱々しい声でこう言った。「いっしょに、寝て
くれるか?」と。私は、一瞬、ためらった。が、「まだ、眠くない」と答えた。答えながら、
母に、ふとんをかけてやった。

私「寒くないか?」
母「寒くない」と。

 電気ストーブは、つけたままにした。天井の電気を消すと、私は、部屋を出た。

 居間には、ワイフがいた。ひとりでビデオを見ていた。黙ってワイフの横に座ると、ワ
イフが、「どうだった?」と。私は、母が言ったことを、ワイフに話した。

 ワイフは、「いっしょに、寝てあげたら」と。

 私はそれを聞いて、また母の部屋にもどった。そして母の眠るベッドの横に、体を置い
た。

私「いっしょに、寝てやるよ」
母「お前が子どものころは、よくいっしょに、寝たな」
私「うん」と。

 私は、母の白髪をやさしくさすった。母は、そのとき、はじめて、目を閉じた。

母「孫は、何人になった?」
私「2人になった」
母「SHの子か?」
私「SOの子や」
母「かわいい子やな」
私「うん……」

母「ここからは、海は近いか」
私「うん、近い」
母「海が見たいな」
私「うん。元気になったら、ぼくが海へ連れていってやるよ。それまでに、ちゃんと、歩
けるようにするんだよ」
母「ああ」と。

私「さみしいか?」
母「さみしくないよ。……もう、お前も寝るのか」
私「ううん、まだだよ」
母「いい奥さんだな。奥さんのところへ、もどってやれ」
私「いいのか?」
母「もう、いい。ありがと」と。

 入れ歯が、口に合わないらしい。言葉がもつれる。しかしそれは私が子どものころ、毎
晩耳にした、母の声。私はそのまま、母の白髪を、何度もさする。母は眠ったように、動
かない。

 静かな時。穏やかな時。安らいだ時。

「ぼくが、母さんのおむつを取り替えてやるからね。もう何も心配しなくてもいいよ」
と。

 「もう、ぼくは、母さんを見放さないよ。死ぬまで見放さないよ。だから安心していい
よ。わかった? ぼくが、そばについててあげるよ」と。

 しかし母は、何も答えなかった。眠ったフリをしているのか、それとも本当に眠ってし
まったのか。私には、わからなかった。

 私は、ゆっくりと体を離すと、ベッドから、体を起こした。そして母の寝室から、足音
を残さないように、廊下に出た。熱い涙が、幾筋も、頬を伝って、下に落ちた。
 
(07年1月8日)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●運命

 運命を感じたら、つっぱらないで、それを受けいれよう。
 悪魔は、それを恐れたとき、キバをむいて、あなたに向かってくる。
 しかし同じ悪魔でも、あなたがそれを笑えば、悪魔はしっぽをまいて、
 あなたから、逃げていく。

 気を楽に、心を開いて、あなたは、すなおな気持ちで、友に語りかけよう。
 「愛しているよ」と。「好きだよ」と。「いっしょにいたいよ」と。

 憎んだり、いがみあったり、ののしりあったり、そんなことは、もうやめよう。
 大切なことは、つかの間の人生を、私のものとして、生きること。
 私が私であれば、それでいい。それ以上、人は何を望むことができるのだろうか。

 許して、忘れよう。いやなことは、そのまま水に流そう。だれが善人で、
 だれが悪人なのか、そんなことは考えるのは、もうやめよう。

 どんな人でも、それぞれの重荷を背負って、懸命に生きている。
 苦しみや、悲しみにじっと耐えながら、生きている。
 でも、もうがんばらなくてもいい。気を張らなくてもいい。

 あなたがすべきことは、肩の荷をおろし、心を開いて、
そこにあるものを受けいれること。そして明るく笑うこと。

だれにも、無数の糸がからんでいる。がんじがらめに、あなたを包んでいる。
それを「運命」というのなら、運命は、だれにもある。
が、もがけばもがくほど、運命は、あなたを苦しめる。痛めつける。

だったら、運命は、前向きに受けいれよう。そこにある私の人生を、
あるがままに受けいれよう。たいしたことはできなくても、
そんなことは気にすることはない。

あなたはあなたの人生を、懸命に生きる。結果など、気にしてはいけない。
今いるあなたが、すべてのはじまりであり、そして終わり。
それに結果などというものは、かならずあとからついてくるもの。
しかしそれがどんな結果であれ、それが私の人生なら、それでいい。

「これが私の人生」と実感できれば、それでいい。
あるいはそれ以上に、私たちは、何を望むことができるというのか。


Hiroshi Hayashi+++++++++JAN.07+++++++++++はやし浩司

●人のやさしさ

 人は、他人のやさしさに触れて、善人になるものか。
 無私の愛ともいう。無条件の愛ともいう。
 人を許し、人に許される。そこは、損得のない世界。

 もともと生きることに、損も得も、あるはずがない。
 時の流れは、みな、平等。つかの間の、このかぎりある
 人生の中で、何を得だといい、何を損だというのか。

 何もよいことのない人生だったけれど、今まで健康で、
 家族みんな、仲よく暮らせたこと。それにまさる幸福が、
 いったい、どこにあるというのだろうか。

 願わくば、この健康が、今年1年もつづかんことを。
 願わくば、この平和が、今年1年もつづかんことを。
 願わくば、この心のぬくもりが、今年1年もつづかんことを。

 そう願いながら、ゆっくりと、しかし慎重に、足を一歩、
前に踏み出す。今年も始まった。その下は、薄い氷のようなものだが、
みんなで力をあわせれば、何とかなる。渡って歩ける。

 人の悪口を言うのは、もうやめよう。人をねたむのも、もうやめよう。
 私が進むべき道は、まっすぐ前だけを見て、まっすぐ前に進むこと。
 心、豊かに、心をほがらかに、まっすぐ前に進むこと。

 それが新しき年、2007年の、私の抱負。


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