新規ページ016
はやし浩司のメインHP 電子マガジン総合INDEX
2007年 8月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

マガジン2007−8

***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 31日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

8月31日号のHTML版は、休みます。

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●古い写真

+++++++++++++

BW教室の子どもたちの、古い
写真が出てきた。

昭和51年8月8日という日付が
あるので、1976年、私が満
28歳のときの写真である。

そこには、70〜80人近い生徒
たちが写っている。
みんな、なつかしい子どもたちで
ある。

そのほとんどが、そのあと、5〜
10年近く、私の教室に通って
くれた。

そういうこともあって、私は、その
生徒たちの名前を、1、2人を
のぞいて、すべて知っている。

そののち、どうなったかという
消息も、知っている。

私には、貴重な写真の一枚である。

「なつかしい」というより、そこに
私自身の「命」の一部を見る。

あのころの私は無鉄砲で、自信家。
日本の教育を、私ひとりで変えて
やろうと、そんなことまで考えて
いた。

+++++++++++++++++

 若いころは、生徒たちをつれて、よくあちこちに出かけた。当時、「サマーイン」と呼
んでいた宿泊学習も、そのひとつ。親たちも、よく協力してくれた。そんな写真が、1枚、
出てきた。

 日付を見ると、昭和51年とある。1976年。私が満28歳のときのものである。そ
の写真で、いちばん左端に、メガフォンをもって立っているのが、私。「私」というより、
別人の私を見ているよう。顔などは、今とは、まったくちがう。

 で、その写真を見ながら、こう思った。「よくもまあ、今まで、無事に、こうして仕事
ができたものだ」と。

 写真には、「BW教室・第1回サマーイン」とある。BW教室という名前にしてから、
1回目の宿泊学習ということになる。それまでは、「林才能教室」と呼んでいた。つまり
その年に、当時、主婦と生活社で編集長をしていた井上清氏のアドバイスを受けて、「B
W教室」とした。井上氏は、こう言った。「林教室ではつまんないねエ。もっと、らしい
名前にしないと」と。それで知恵をしぼって、「BW教室」とした。

 「Brain Work」の頭文字をとって、「BW教室」とした。

 その前後も含めると、37年もの間、今の仕事をしてきたことになる。病気らしい病気
は、ほとんどしなかった。この10年は別として、それまでは、教室を休んだことがない。
台風の日だって、休んだことがない。まじめと言えば、まじめ。まじめというより、クソ
まじめ。

 で、その私も、今年、満60歳になる。まあ、いろいろあった。あったが、無事、今ま
で今の仕事をつづけることができたというだけで、ありがたい。これから先のことはわか
らない。このままあと10年? それとも5年? それまで元気で、今の仕事がつづけら
れれば、うれしい。

 そう思いながら、今も、しみじみと、その写真をみつめている。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●スケベ力、バンザ〜イ!

++++++++++++++++++++

スケベであることは、悪いことではない。
スケベを、「悪」と決めてかかってはいけない。

何もフロイト学説をもち出すまでもなく、
スケベ力は、人間のあらゆる行動の、
エネルギー源となっている。

もしスケベ力を否定する人がいたら、
その時点で、その人は、人類の絶滅を宣言
するようなもの。

大切なことは、スケベ力を、どう使うか
ということ。あるいは、どういう方向に
向かって、発散させるかということ。

++++++++++++++++++++

 幼稚園児(年長児)に聞いた。「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と。するとみ
な、照れくさそうな顔をして、「嫌いだよオ〜」と。

 そこで私は、怒鳴りつけてやった。「ウソをつくな!」「好きだったら、好きだと言え!」
と。

 すると子どもたちは私の迫力に負けて、「……好きだよ……」と答えた。 

 スケベ力を「悪」と決めてかかってはいけない。スケベ力は、人間のあらゆる行動のエ
ネルギー源になっている。そればかりか、このスケベ力が、さまざまなドラマを生み出し、
人間の生活を潤い豊かなものにしている。

 あの映画『タイタニック』にしても、もしジャックとローズがいなかったら、ただの沈
没映画。記録映画で終わってしまっていただろう。

 そこで大切なことは、いかにすれば、スケベ力を、明るい日なたに向けることができる
かということ。高校生でも日常的にコンドームを持ち歩く時代である。進学校と呼ばれる
高校でも、放課後の教室は、どこもラブホテルのようになっている。それがここ数年、さ
らに低年齢化する傾向をみせはじめている。

 浜松市の中心部にあるC中学校(全校生徒250人)でも、「毎年、中絶手術をする女
子が、1〜3人はいます」(某教師談)とのこと。しかしこれはほんの氷山の一角。実際
には、中絶手術をしている子どもは、その数倍はいるとみてよい。

 この問題だけは、抑えつければおさえつけるほど、陰湿化する。また抑えつけても、意
味はない。それがわからなければ、自分自身の過去を反省してみるとよい。「私は品行方
正でした」と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろうか。もしいたと
したら、その人は、ふつうでないという前提で考えたほうがよい。

 では、親である私たちは、どう対処したらよいのか?

 そこで登場するのが、「夢・希望・目的論」である。

 夢と希望、さらにそれから生まれる目的をもった子どもは、強い。多少の誘惑くらいに
なら、ビクともしない。よく誤解されるが、「いい高校論」「いい大学論」は、けっして、
子どもの(目的)には、つながらない。そんなことは、エリクソンの『自我同一性論』を
もちださなくても、わかること。

 もちろんそれなりに(いい中学?)から(いい高校?)へと進み、さらに(いい大学?)
から(いい職業?)につく子どももいる。しかしその過程で、進学に失敗し(?)、コー
スからはずれていく子どもは、ゴマンといる。

 成功する可能性より、失敗する可能性のほうが、はるかに高い。その失敗(?)したと
き、子どもの心は、いわゆる無防備状態になること。そのままスーッと、誘惑に負けて、
「悪?」の世界に入ってしまう。

 ……とまあ、話が脱線したが、だからといって、私はそうした子どもが、ダメになって
いくとか、そんなことを言っているのではない。だから「失敗」という言葉のうしろに、
(?)マークをつけた。

 だから私は、もう10年前から、提唱している。子どもたちにも、正しいセックスのし
方を教える時期に来ているのではないか、と。もちろん全員の教える必要はない。希望者
だけでよい。

教師「君たちは、セックスが好きか?」
生徒たち「YES!」と。

 そんな会話が自然とできるようになったとき、私たちはスケベ力を、明るい日なたに引
きずり出したことになる。いや、その前に、親たち自身が、意識改革をする。

 子どもに向かって、「セックスって、楽しいよ」「パパとママは、毎晩しているよ」と
言う。そういう前向きな姿勢が、子どもたちのスケベ力を、明るく、楽しいものにする。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●Kさんのお母さんへ

+++++++++++++++++

Kさん(中2・女子)は、人格の
完成度も高く、きわめて聡明な
子どもである。その上、正義感も
強く、自分の意思を明確に表現する。

母親に似て、美しく、顔立ちもよい。
仲間には、「モデル系」と言われて
いる。

そんなKさんについて、母親は、
いつも不平をこぼす。「あれが
ダメ」「これが悪い」と。

それで私が、ある日、Kさんの
母親に、反発した。「お母さんは、
いったい、Kさんのどこが気に入ら
ないのですか!」と。

++++++++++++++++

 どんな親も、それぞれの基準をもっていて、その基準で、自分の子どもをみる。それも
そのはず。ほとんどの親は、自分の子どもしか知らない。自分の子どもだけを見て、それ
が(基準)と思いこんでしまう。

 Kさんという女の子(中2・女子)がいる。人格の完成度も高く、きわめて聡明な子ど
もである。非の打ちどころがない子どもというのは、Kさんのような子どもをいう。

 その上、正義感も強く、自分の意思を明確に表現する。母親に似て、美しく、顔立ちも
よい。仲間には、「モデル系」と言われている。

 そんなKさんだが、Kさんの母親は、私と会うたびに、こう言う。「あれがダメ」「こ
れが悪い」と。そこである日、私のほうがキレた。Kさんの母親に反発した。

私「あのね、お母さん、いったいあなたは、Kさんのどこを見ているのですか?」
母「いろいろ問題がありましてね……」
私「だから、たとえばどんな問題ですか?」
母「学校でもね、いじめられっ子の味方ばかりして、それで友だちと衝突ばかりしていま
す」
私「ハア〜。それはすばらしいことではないですか!」

母「でもねエ、先生、ああいう性格の子でしょ。もう少し穏やかにしていてほしいと思い
ます」
私「それは、無理でしょ。今さらそういった性格は、変えることはできません」
母「だから、衝突するのです。何もいじめられっ子の側に立つことはないと思います」
私「それが、Kさんのいいところでしょ。Kさんは、人一倍、正義感の強い子ですから。
まちがったことが許せないのです」と。

 ほかにもKさんの母親は、Kさんの悪口を並べた。「学校から帰ってくると、寝てばか
りいる」「勉強をほとんどしない」「弟を、からかってばかりいる」などなど。

 言い忘れたが、Kさんには、6歳年下の弟がいる。Kさんにとっては、ペットのような
存在らしい。そういうKさんを、母親は、いかにももてあましているといったふう。おか
しなことだが、Kさんの母親は、子育てに、どこか疲れ切ったというような表情さえして
みせた。

私「どうして、あんなすばらしい子どもを、お母さんは、すなおにすばらしいと思わない
のですか?」
母「すばらしい? 私には、そうは思えません」
私「私があなたなら、毎日、自分の娘を自慢して歩きますよ」
母「そうですかア?」
私「そうですよ。私にも息子がいますが、息子が、Kさんのようなガールフレンドを連れ
てきたらいいのになと思うことが、しばしばあります」と。

 が、そのうち、私はあることに気づいた。Kさんの母親は、Kさんの欠点を指摘してい
るのではない。Kさんの母親は、自分自身の中の欠点を、Kさんに投影し、それを問題に
しているだけだ、と。

 こういうケースは、多い。

 たとえばケチな人(A)がいたとする。その人はケチでいながら、自分がケチだという
ことを、よく知っていた。だから努めて他人の前では、気前のよいフリをしていた。

 で、ある日、その人(A)が、自分と同じような、別のケチな人(B)と会ったとする。
すると、そのケチな人(A)は、ことさら別のケチな人(B)を嫌ったりする。あれこれ
と悪口を言ったりする。「あのBさんは、ケチでいやな人だ」「ああいうケチな人は、大
嫌い」と。

 つまりAさんは、自分の心の中をBさんに投影し、それを嫌っていたことになる。

私「お母さんは、Kさんを嫌っているのではない。自分のいやな面を嫌っているだけです」
母「どういうことですか?」
私「それを知るためには、あなた自身の子ども時代にもどらなければなりません。たぶん、
あなたは子どものころ、言いたいことも言えず、親の前では、借りてきたネコの子のよう
におとなしかったはずです。つまりいつも仮面をかぶって、いい子ぶっていた」
母「エエッ、どうしてそんなことが先生にはわかるんですか?」

私「タネを明かせば簡単なことですよ。つまりね、あなたはそういう自分が、ずっといや
だった」
母「でも、うちの子は、私の子どものころとは、正反対ですよ。言いたいことを言い、し
たいことをしています」
私「そこなんですよ。いいですか、あなたは、子どものころ、そういうことができなかっ
た。一方、平気でできる友だちかだれかを、うらやましいと思いつつ、心底、嫌っていた。
嫌っていたというよりは、うらんでいた。またそういう友だちかだれかを、いつも『でき
の悪い子』と思っていた」

母「そうかもしれません」
私「つまりね、あなたはKさんを嫌っているのではない。自分の中の自分を嫌っているの
です。しかし自分を嫌うことはできない。それでKさんを嫌っているのです。わかりやす
く言うとですね、自己嫌悪をどうすることもできず、Kさんに向かって、八つ当たりして
いるだけです」
母「八つ当たりですか?」
子「そうです。八つ当たりです。あなたの子どもは、すばらしい子どもです。まず、それ
をすなおに認めることです。それで問題のすべては解決します。いや、その前に、あなた
自身も、私はすばらしい人間と思いなおすことです」

 そこで私は先日来、教室の子どもたちにしているテストを、Kさんの母親にぶつけてみ
た。

私「こんなテスト法があります。いいですか、もしあなたが、友だちのだれかに、こう言
われたとします。『昨日、あなたが遊びにきたから、私は、今日のテストができなかった』
と。そう友だちに言われたら、あなたは、何と言いますか?」
母「……、そうですねエ……?」
私「あまり考えないで答えてください」
母「ごめんなさい。……私が悪かった……ごめんなさい、ですか?」

私「そうでしょ。あなたはすぐ自分を責める。そこなんですよ」
母「どういうことですか?」
私「何があっても、まず、最初に、自分が悪いという前提で考えてしまう。つまり欲求不
満の原因は、あなた自身の中にあるのです。その不満を、子どものKさんに向けているだ
けです」と。

 こういうケースは、多い。親子であるがゆえに、密着度も高い。自分に対する欲求不満
を、そのまま、自分の子どもにぶつけてしまう。Kさんの母親のばあいは、こうだ。

 Kさんの母親は、子どものころ、本当の自分を、いつも心のどこかで押しつぶしていた。
一方、親や人の前では、明るくふるまい、いい子ぶることで、自分の立場をとりつくろっ
ていた。しかしKさんの母親は、それが「私」と思いこんでいた。

 が、Kさんは、ちがった。自由奔放で、言いたいことを言い、したいことをしている。
そういうKさんの姿を見ながら、Kさんの母親は、無意識のうちにも、Kさんを否定する
ようになった。

 もしKさんを認めてしまうと、それはそのまま自己否定につながってしまう。「今まで
の私は、何だったのか?」と。わかりやすく言えば、抑圧された(自分)が、無意識のう
ちにも、(抵抗)を繰りかえしていることになる。その(抵抗)が、Kさんの悪口となっ
て、具体化した。「あれがダメ」「これが悪い」と。

母「では、どうすればいいのですか?」
私「簡単なことです」
母「簡単?」
私「この瞬間から、Kさんのことを、いい子と思うのです。思って、Kさんに向かって、
『あなたはすばらしい子です』を繰りかえせばいいのです」
母「……そんなこと、できません」
私「するのです。最初は苦しいかもしれません。しかしするのです。最初は、ウソでもか
まいません。つまりね、こうして自分の心を、だますのです」

母「だますのですか?」
私「だますのです。それを3か月とか、半年もつづけると、自然とそれを口に出して言う
ことができるようになります。ほら、日本語でも、『魚心あれば、水心』と言うでしょ。
子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、いい面を見せようとするでしょ。そ
れをうまく利用するのです」
母「私に、できるでしょうか?」
私「それはね、あなた自身との戦いでもあるのです。あなた自身の中に潜む、(わだかま
り)も、それで消すことができるのです」と。

 何度か、「私にできるでしょうか?」「できますよ」の、押し問答がつづいた。しかし
この問題は、Kさんの母親とKさんの間の問題に見えるかもしれないが、実際には、Kさ
んの母親自身の問題である。Kさんの母親自身が、自分を解放しないかぎり、この問題は、
解決しない。

私「もっと肩の力を抜いて、子育てを楽しむのです」
母「楽しむ、ですか?」
私「私はすばらしい娘をもっている。バンザ〜イ、とです」
母「本当に、そうですか?」
私「わかっていないですね。Kさんは、まれに見るすばらしい子どもですよ。そんな子ど
もをもって、喜ばない手は、ない。すなおに喜べばいいのです。そして子どもといっしょ
に、人生を楽しめばいい。私なら、そうします」と。

 ……ということで、あなたも、もし、自分の子どものことで、何か問題をかかえたら、
一度、それはあなた自身の問題でないかということを疑ってみたらよい。もっとわかりや
すい例では、学歴コンプレックスがある。

 日ごろ学歴コンプレックスをもっている人ほど、無意識のうちにも、自分の子どもに受
験勉強を強いたりする。子どもが家の中でゴロゴロしていたりすると、それだけで言いよ
うのない不安を覚えたりする。そしてこう悩む。ノイローゼになる人も多い。

 「うちの子は、勉強しない」「このままでは、たいへんなことになる」と。Kさの母親
についても、同じ。そこで大切なことは、まず、自分の中の(わだかまり)に気づくこと。
気づけばよい。

 あとは時間が解決してくれる。Kさんの母親についても、同じ。Kさんの母親は、今、
自分を知るために、一歩、前に踏み出したことになる。

 がんばれ、Kさんのお母さん! あなたの子どもは、すばらしい子どもですよ!!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【意識論】

++++++++++++++

自分がもっている(意識)ほど、
アテにならないものはない。

「私は私」と思っていても、
そのほとんどは、(作られたもの)。
本当の「私」など、どこにもない?

++++++++++++++

●日本の商社マンは、軽蔑されている?

 今から、40年も前のこと。日本には、まだ綿棒もなかった。バンドエイドもなかった。
乾燥機もなかった。ほとんどの家では、まだボットン便所を使っていた。

 そんなとき、私は、オーストラリアのメルボルン市へと渡った。人口300万人(当時)
のメルボルン市ですら、日本人の留学生は、私1人だけだった。そんなある日のこと。あ
る友人(顔は覚えているが、名前をどうしても思い出せない)が、私にこう言った。

 「ヒロシ、日本の商社マン(ビジネスマン)は、オーストラリアでは、軽蔑されている」
と。「軽蔑(despise)」という言葉を、はっきりと使った。

 その少し前にも、仲のよかったD君もそう言った。それで気になって、その友人に、私
はこう聞いた。

 「いったい、君は、日本の商社マンのどこを見て、そう思うのか?」と。すると、その
友人は、こう話してくれた。

 その友人の父親も何かのビジネスをしていたらしい。そしてあるとき、日本の商社マン
と知りあいになった。その商社マンを、食事に招待した。向こうの人たちは、少し親しく
なると、自宅へ食事に招待する習慣がある。

 で、いっしょに食事をしているときのこと。日本の商社マンは、家の中をあちこち見ま
わしながら、目ざとく日本製を見つけ、「これは日本製」「あれも日本製」と言いだした。
日本の商社マンにしてみれば、親近感をもってもらいために、そう言ったのかもしれない。
が、オーストラリア人であるその父親にしてみれば、不愉快だった。

 しかしそれで終わったわけではない。食事がすむと日本の商社マンは、大きなバッグか
ら、何かの繊維見本を見せて、「これを買わないか?」ともちかけたという。その父親は、
取り扱い分野がちがうからという理由で、それを断った。するとすかさず、今度は、何か
別の商品を取り出し、「これはどうだ?」と迫ったという。

 ……つまり、そういう経験から、その友人の父親は、日本の商社マンを軽蔑するように
なったという。それでその友人は、そう言った。

●しかし……

 しかし当時の私は、その話を聞いて、日本の商社マンのそうした行為が、どうして「軽
蔑」につながるのか、それが理解できなかった。私自身も、日本の商社への入社が内定し
ていたこともある。その上、当時の日本の経済は、高度成長期へと突入しつつあった。日
本中が、「マネー」「マネー」の大合唱に揺れていた。

 それに羽田―シドニー間の航空運賃(往復)だけでも、42、3万円の時代である。大
卒の初任給が、やっと5万円を超えた時代である。しかもオーストラリアドルは、1ドル
が、400円に固定されていた。

 オーストラリアでの生活費は、日本での生活費の、10倍、もしくはそれ以上だった。
オーストラリアへやってきた商社マンたちも、それゆえ、必死だった。

 今でこそ、日本は豊かになった。しかし当時の日本人のだれが、日本がここまで豊かに
なると予想しただろうか。私はあるとき日記に、こう書いたのを覚えている。「日本が、
オーストラリアに追いつくためには、50年かかる。あるいは、100年でも不可能かも
しれない」と。

 ほとんどの学生は、車をもっていた。学生の親たちは、別荘をもっていた。農場を経営
していたT君(南オーストラリア州)の父親の年収は、1400〜1500万円(当時)
もあった。ごくふつうの、平均的な農場主である。

 「1400〜1500万円」と聞くと驚く人もいるかもしれないが、1ドルを400円
で計算すると、そうなった。とくにリッチな生活をしていたわけではないのだが……。

●作られる意識

 一方、私たちはどうかというと、みな、就職といえば、迷わず、銀行、証券会社、商社
の道を選んだ。またそれが学生が進むべき道として、正しい方向と信じていた。

 私も三井物産という会社と、伊藤忠商事という会社の2社の入社試験に合格した。しか
し「大きいほうがいい」ということで、三井物産という会社にした。

 日本でいえば「商社マン」だが、オーストラリアでは、「ビジネスマン」。その商社マ
ンが、軽蔑されていると知って、心底、驚いた。私は、商社マンは尊敬されることはあっ
ても、軽蔑される存在などとは、考えたこともなかった。

 が、こうした意識も、同じように外国からやってきた留学生たちの意識とくらべてみる
と、作られたものだということがわかった。たとえばフィリッピンからやってきた留学生
は、こう言った。

 「ヒロシ、君は、どうして日本の軍隊に入らないのか?」と。

 当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること、イコール、出世コースとい
うことになっていた。(今も、基本的にはそうだが……。)彼らがもっていた、軍事とし
てのエリート意識には、相当なものがあった。

 一方、私は私で、ほかに自慢できるものがなかったこともあり、ことあるごとに、私は、
「日本へ帰ったら、ミツイ&カンパニーの商社マンになる」と、言っていた。が、先の友
人は、こう言った。

 「ヒロシ、そんなことを言うのは、もうよせ。君は知らないかもしれないが、日本の商
社マンは、ここオーストラリアでは、軽蔑されている」と。

●それから40年

 それから40年。私ももうすぐ60歳になる。三井物産という会社は、どうにもこうに
も肌に合わなくて、入社後半年を待たずして、やめた。

 理由はいろいろある。が、その前に、私の意識そのものが変わってしまった。その話は
ともかくも、今度は、反対の立場で、似たような経験をすることになった。

 いきさつはともかくも、ある女性から、ある日、電話がかかってきた。「どうしても会
いたいので、会ってほしい」「お伝えしたいことがある」と。

 二男が高校生のとき世話になった友人の母親からのものである。私はその申し出をてい
ねいに受けた。そして食事に招待することにした。

 私はその母親と会うことについて、かなり緊張した。そのとき二男はすでにアメリカに
渡っていた。内心では、二男が何かトラブルでも起こしたのではないかと心配していた。

 が、食事は始終、よい雰囲気のままだった。私はほっとした。が、そのあとのこと。私
がおもむろに、「で、大切な話というのは何ですか?」と切り出した。

 とたんその母親の表情が、さらに緩(ゆる)んだ。その母親は、こう言った。

 「林さん、こういう健康食品がありますが、興味ありません?」と。

 その母親は、ズラズラと、テーブルの上に健康食品を並べた。とたん、私はむっとする
ような不快感を覚えた。「私に会いたいというから会ったが、こんな話で会いたかったの
か!」と。

 利用されたという不快感。金儲けに利用されたという不快感。そういう商品を売りつけ
られるという不快感。そうした不快感は、その女性が、「漢方」という名前を出したとき
に、頂点に達した。

 漢方(東洋医学)の「カ」の字も知らない女性が、私に漢方の説明をし始めた。そして
こうも言った。

 「林さんは、お顔も広いようですから、ほかに買ってくださる方を紹介してくださった
ら、1個につき、xx%のマージンをさしあげます」と。

 私は、そのときは、はっきりとこう言った。その少し前にも同じような経験をしたこと
もあった。「お帰りください。あなたが話があると言ったから、こういう場を用意しまし
た。しかしモノを売りつけるために、こんな場を利用するなんて、失敬でしょ!」と。

 私は、その瞬間、40年前の、あのオーストラリアの友人の言った言葉を思い出した。

●意識

 私たちがもっている(意識)ほど、アテにならないものはない。40年前のその少しあ
と、私は、三井物産という会社をやめ、そのあとしばらくして、幼稚園の講師になった。
それについても、当時の私を知る人たちは、みな、こう言った。

 「あの林は、頭がおかしくなった」と。

 たしかに私の頭はおかしい。今も、おかしい。それはわかる。しかしそうした私を支え
てくれたのは、実は、オーストラリアの友人たちだった。私が幼稚園で働いていると手紙
に書くと、みな、こう言った。

 「ヒロシ、すばらしい選択だ」と。

 今でこそ、私のような生き方をする人がふえてきた。だから商社マンをやめて、幼稚園
の講師になった人がいたとしても、それほど目立たない。しかし当時は、ちがった。私の
母ですら、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」
と。

 けっして母を責めているのではない。母は、母で、当時の常識をもとにして、そう言っ
た。「常識」というよりは、「意識」と言ったほうがよいかもしれない。

 で、この話の結論。

 私たちは、無数の意識をもっている。しかしその意識にも、2種類ある。意識的に意識
する意識と、無意識のまま意識しない意識である。

 脳みその活動をもとにすると、私たちが意識できる(意識)というのは、脳みそ全体の
数10万分の1にもならないという。あるいは、もっと少ないかもしれない。

 つまり人間の脳みその中には、無意識のまま意識しない意識のほうが、絶対的に多いと
いうこと。ほとんどがそうであるとみてよい。

 この無意識のまま意識しない意識が、実は、私たちの意識を、ウラから操る。が、その
操られる私たちは、それに気づかない。操られていると知ることもなく、操られている。
実は、ここに、(意識)のおもしろさというか、恐ろしさがある。

 ……ということで、この話は、おしまい。今までに「意識」について書いた原稿を、こ
こに添付する。

+++++++++++++

●指で鼻をさす(教育のダークサイド)

 子どもたち(小学生)は、「自分」を表すとき、指で鼻先を押さえる。欧米では、親指
で自分の胸を押さえる。そこで私はいつごろから、子どもたちが自分の鼻を押さえるよう
になるかを調べてみた。「調べた」というのもおおげさだが、授業の途中で、子どもたち
にどうするかを聞いてみた。

結果、年長児ではほぼ全員。年中児でも、ほぼ全員。年少児になると、何割かは鼻先を
押さえるが、ウロウロと迷う子どもが多いということがわかった。そんなことで、こう
いう習慣は、四歳から五歳ぐらいにかけてできるということがわかった。つまりこの時
期、子どもたちは誰に教えてもらうわけでもなく、いつの間にか、そういう習慣に染ま
っていく。

 私は何も、ここでジェスチャについて書くつもりはない。私が言いたいのは、教育には、
常に「教えずして教える」という、ダークサイドの部分があるということだ。これはジェ
スチャという、どうでもいいようなことだが、ものの考え方や道筋、思考回路などといっ
たものも、実はこのダークサイドの部分でできる。

しかもその影響は、当然のことながら、幼児期ほど、大きい。この時期に論理的なもの
の考え方を見つけた子どもは、ずっと論理的なものの考え方ができるいようになるし、
そうでない子どもは、そうでない。そればかりではない。

この時期に、人生観や価値観の基本までできる。異性観や夫婦像といったものまで、こ
の時期に完成される。少なくとも、それ以後、大きく変化するということはない。その
ことはあなた自身を静かに観察してみれば、わかる。

 たとえば私は、今、いろいろなことを考え、こうして文を書いているが、基本的なもの
の考え方が、幼児期以後、変わったという記憶がない。途中で大きく変化したということ
は、ないのだ。今の私は、幼児期の私であり、その幼児期の私が、今の私になっている。
それはちょうど金太郎飴のようなもので、私の人生は、どこで切っても、「私」にほかな
らない。幼児期に桃太郎だった私が、途中で金太郎になるなどということは、ありえない。

 もうわかっていただけると思うが、幼児教育の重要性は、実はここにある。この時期に
作られる「私」は、一生、「私」の基本になる。あるはその時期にできた方向性に従うだ
けである。中には幼児教育イコール、幼稚教育と考えている人がいるが、それはとんでも
ない誤解である。

 ……と書いたところで、今、ふと、別のことが頭の中を横切った。実は今、ある男の子
(小二)のことが気になっている。彼は男の子なのだが、言い方、ものごしが、女の子っ
ぽいというより、その女の子を通り越して、同性愛者ぽい。まちがいを指摘したりすると、
「イヤーン」と甘ったるい声を出したりする。いくら注意してもなおらない。

で、私が悩んでいることは、このことではなく、それを親に言うべきかどうかというこ
とだ。もうこの傾向は、ここ1年以上続いている。
なおそうとしてもなおるものではないし、さりとて放置しておくわけにもいかない。放置
しておけば、彼はひょっとしたら、一生、そのままになるだろう。近く、結論を出すつ
もりでいる。(以上、01年記「子育て雑談」)

(付記)

 教えずして教えてしまうこと。実は、これがこわい。ユングも、「シャドウ」という言
葉を使って、それを説明した。

 たとえばあなたが、本当は邪悪な人間であったとする。その邪悪さをおおいかくして、
善人ぶっていたとする。そのときその邪悪さが、その人のシャドウとなる。子どもは、あ
なたの近くにいるため、そのシャドウをそのまま引き継いでしまう。

 要するに、ウソやインチキ、ごまかしや仮面で、いくら善人ぶっても、子どもはだませ
ないということ。子どもは、あなたのすべてを見ている。

 そういう意味で、子育ては怖いぞ〜オ!

++++++++++++++

内容が少しダブりますが、
こんな原稿を書いたこともあり
ます。
(中日新聞、掲載済み)

++++++++++++++

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう30年も前のことだが、私がメルボルン大学
に留学していたときのこと。当時、あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、
正規の日本人留学生は私1人だけ。(もう1人、Mという女子学生がいたが、彼女は、も
ともとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、1通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、
「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。

私が喜んで、「外交官ではないか! おめでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、
その手紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、
行きたくない」と。考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識
が、日本人のそれとはまったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日
本へ帰ったら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本
では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊に
なぜ入らないのか」と、やんやの非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コース
ということになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼ
くは日本へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っ
ていた。が、ある日、1番仲のよかったデニス君が、こう言った。「ヒロシ、もうそんな
ことを言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。彼は「ディ
スパイズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社
マンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかな
かった。この友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなた
の夫はどのような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこ
れだけは言える。

こうした職業観、つまり常識というのは、決して絶対的なものではないということ。時
代によって、それぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるとい
うこと。大切なことは、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必
要があるということ。

私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと
泣き崩れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常
識にそってそう言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでも
ない。

しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これから
は、もうそういう時代ではない。あってはならない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ブツブツ、ひとり言

++++++++++++++++++

暑い一日だった。高知では、38度を
記録したという。

私はそんな暑い中、1単位だけ、
自転車をこいだ。

このところ運動を、サボっている。
体が思うように、動かない。

「負けるかア!」の心意気。

しかし、本当のところ、もう負けそう。
だいたい、暑いと、頭が働かない。
パソコンに向かうのも、おっくう。

++++++++++++++++++

●『ソーラー・ストライク』を見る

 「新作」という言葉にだまされた。パッケージの写真にだまされた。DVDショップで、
『ソーラー・ストライク』というDVDを借りてきた。見た。居間で、ワイフと寝転んで
見た。星は、1個もむずかしい、ダ作。超ダ作。

 何度も「時間のムダ」「見るのをやめよう」と思ったが、どこかで地球温暖化の問題と
ダブった。「地球温暖化が進むと、こうなるのかな?」と。しかし内容は、矛盾だらけ。
映画の設定も、チャチ。

映画は、1個の隕石が地球に接近するところから始まる。その隕石を、10メガトンの核
兵器を使って、破壊する。そんな操作を、1人、2人の科学者が、自分たちだけで決定し
て、する。しかし、そんなことは、ありえない。

 が、その隕石は3個に分裂。うち一個が、地球をかすめる。その影響で、地球の軌道が
変わり、太陽に接近する。結果、地球の気温が、一気に、10%(?)も、上昇する。映
画の中では、65度になったというシーンもあった。

 私は、その映画を見ながら、こんなリドル(クイズ)を考えた。

 「北海道の気温が、今日、昨日の気温の100倍になりました。しかしだれも死にませ
んでした。みんな今日も、元気で仕事をしています。なぜでしょう?」と。

 つまり「気温が10%上昇した」という表現のし方そのものが、おかしい。気温が、1
0倍になるとか、10%上昇するなどいうことはありえない。(絶対気温を基準にすれば、
話は別だが……。しかし絶対気温などというものは、存在しない。)

 で、なぜ北海道の人は、気温が100倍になっても、だれも死ななかったのか。理由は、
簡単。昨日の気温は、0(ゼロ)度だったから。だから0x100=0、つまり、今日も、
0度。

 この映画の脚本を書いた人は、科学的知識がほとんどゼロの人と見てよい。私は科学者
ではないが、しかしそれでも、「よくもまあ、こんなアホな映画を作ったものだ」と思っ
た。人間は、50度以上の気温には、耐えられないはず。風呂でも、43度を超えたら、
足を入れることすらできない。

で、主人公たちは、北極への脱出を試みる。その過程で、いろいろなドラマを展開する。
が、そのドラマもチャチ。見るに耐えないほど、チャチ。お金も、ほとんどかけていない。

 ……が、最後まで、見てしまった。先にも書いたように、地球温暖化の問題と、ダブっ
たから。「この地球も、やがてああなるのかなア?」と。

 気温が仮に、45度以上になったとする。すると脳細胞は正常な機能を停止する。確た
る数字は知らないが、経験的に、私はそう思う。35度でも、むずかしい。つまりその時
点で、人間のモラルは、崩壊する。

 地球温暖化の問題で、いちばん、深刻なのが、この点である。人間が絶滅するとしても、
それはまさに自業自得。しかしその前の段階で、人間は、地獄絵図の世界そのものを経験
する。それが怖い。

 映画の最後は、地球が、ほかの惑星の引力の補正作用を受けて、もとの軌道にもどる(?)
というところで終わる。つまり、ハッピーエンド。ハハハ。


++++++++++++++++++++

●株価暴落

 ニューヨーク市場の平均株価が、先週末、2日つづきで暴落。計500ドル近くさがっ
た。

 それを受けて東京市場でも、金曜日(27日)、400円近くもさがった。が、その一
方で、急激な円高。現在(7月28日、午後5時現在)、1ドルが118円前後になって
いる。

 多くの輸出企業は、1ドル=115円程度を採算ラインとしている。仮に115円以上
になったりすると、輸出すればするほど、赤字ということになる。

 問題は、週明けの7月30日(月曜日)、世界で最初にマーケットが開く東京市場が、
どう反応するか、だ。ニューヨーク市場の流れを受けて、またまた暴落ということにでも
なれば、それこそそれが世界同時株安のきっかけになってしまうかもしれない。

 ところで株取引の世界には、こんな言い伝えがある。「子どもを背負ったオバチャンが、
証券会社の窓口に並ぶようになったら、大暴落のきざしとみてよい」と。その言い伝えを
引用しながら、つい数日前の韓国の東亜N報は、こう書いていた。

 「そういうジンクスはあるが、韓国だけは、だいじょうぶ。株価も2000ポイントを
超えた」と。つまり「健在だ」と。

 その韓国は、金曜日だけで、80ポイント近くもさげている。日経平均株価は、2・3
6%のさげだったのに対して、韓国のKOSPIは、4・09%のさげである。26日分
のさげも含めると、約120ポイントのさげ。2日間のさげは、約6%ということになる。

 が、ここでとんでもないことが起きた。朝鮮N報は、つぎのように伝える。

『この日(=26日)の株式市場は戦いの場となった。外国人投資家が8400億ウォン
(約1080億円)の過去最大の売り越しに出ると、個人投資家は7100億ウォン(約
913億円)という過去最大の買い越しに出た。シュレーダー投信運用のチャン・ドゥク
ス専務は、「到底説明しがたいことが市場で起きている」と語った』と。

 わかりやすく言えば、外人投資家が逃げたのに対して、韓国の個人投資家たちが、その分
だけ、いっせいに買いに出たというのだ。いわゆる(オバチャン軍団)の出場とみてよい。 

 「株価上昇」という(甘いエサ)につられて、いっせいに、株取引の知識がほとんどな
い一般市民までもが、証券市場になだれこんできた。外人が売った株を、「安い」と思い
こんで、それに群がった。が、それは同時に、株価大暴落の予兆とみてよい。

 こうした人たちは、わずかな損金が出ただけで、サイフのヒモをかたく締めてしまう。
あるいは自己破産する人も出てくる。それが悪循環となって、株式市場は、一気に奈落の
底へと落ちていく。

 週明けからそうなるとはかぎらないが、しかし目が離せない。そのカギをにぎるのが、
30日の東京市場ということになる。さあ、どう出るか?

 ただこういうときというのは、私のようなド素人の直感のほうがよく当たる。ふつうな
ら、株価暴落のあとは、(買い)のチャンスとみる。が、今度だけは、そういう触手が動
かない。

 私なら、様子をみる。つまりここは慎重に動いたほうがよい。マクロな見方をすれば、
それだけ一般投資家たちも、萎縮しているとみてよい。つまり株価は、さらにさがる。さ
がるというより、暴落する。ここ2日の動きは、その前兆にすぎない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================












***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 29日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********



http://bwhayashi2.fc2web.com/page028.html



●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親離れ、子離れ

++++++++++++++

子どもの親離れを、じょうずに
導く。

それが賢い親ということになる。

けっして依存心をもたせてはいけ
ない。

++++++++++++++

 子どもは小学3、4年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。
気づかないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解す
る。つまり子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。

あの芥川龍之介も、「人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる」(侏
儒の言葉)と書いている。

 息子が中学1年生になっても、「うちの子は、早生まれ(3月生まれ)ですから」と言
っていた母親がいた。

娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を心配していた父
親もいた。

自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤツ、大学なんか、やる
んじゃなかった」とこぼしていた父親もいた。あるいは息子(中2)に、「クソババア!
 オレをこんなオレにしたのは、テメエだ」と怒鳴られながら、「ごめんなさい。お母
さんが悪かった」と、泣いてあやまっていた母親もいた。

しかし親子の間に、細くとも一本の糸があれば、まだ救われる。親はその1本の糸に、
親子の希望を託す。しかしその糸が切れると、親には、また別の悲劇が始まる。親は「親
らしくしたい」という気持ちと、「親らしくできない」という気持ちのはざ間で、葛藤
する。これは親にとっては、身をひきちぎられるようなものだ。

ある父親はこう言った。「息子(19歳)が暴走族の1人になったとき、『あいつのこ
とは、もう構いたくない』という思いと、『何とかしなければ』という思いの中で、心
がバラバラになっていくのを感じた」と。

もう少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。
が、きまじめな親ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。

 子どもというのは、親の期待を1枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の1
枚まではぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸
せな人だ。しかしそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。

大半の親は、年ごとにますます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心
を引きずって歩く。「そんな子どもにしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもあ
る。しかしそれとてもとをただせば、子離れできない親に、問題がある。

あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(18巻)。タンポポの種が、
タンポポの母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親は懸命
に説得する。しかし一度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポ
の種が、どこでどのような花を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。し
かし母親はこう言って、子どもを送り出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにで
きることがどうしてできないの」と。

 子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもう
あなた自身の力が及ばない世界のこと。

言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかない。たとえあなたの息子が、あなたの
夢や希望、名誉や財産、それを食いつぶしたとしても、それに耐えるしかない。外から
見ると、どこの親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこそまさに
仮面。子育てに失敗しているのは、あなただけではない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【非行から犯罪へ】

+++++++++++++++

子どもの問題には、
かならずといってよいほど、
2番底、3番底がある。

今、見せている子どもの状態を、
「最悪」と思ってはいけない。
最悪の下には、さらに最悪、
さらにその下には、また
別の最悪がある。

最終的には、子どもは、
(犯罪の世界)にまで、
落ちる。落ちるときには、落ちる。

しかし親にはそれがわからない。
子どもが何か問題を起こすと、
そこが「最悪」と思い、子どもに
向かって、無理をする。

この無理が、子どもを、2番底、
3番底に落す。

が、子どもは、家族の(代表)に
すぎない。家族というより、
それまでの生い立ちの(結果)
にすぎない。

親が、子どもを包む環境を
猛省せずして、子どもを
正すことはできない。

+++++++++++++++

●2番底、3番底

 前にも書いたが、子どもが門限を破ったとする。すると親は、子どもをはげしく叱る。
「門限を守れ!」と。

 しかしそのとき対処のし方をまちがえると、つぎに子どもは、外泊をするようになる。
「家に帰って、ガミガミ言われるくらいなら、外泊したほうがいい」と。

 再び、親は、外泊から帰った子どもをはげしく叱る。「どうして約束を守れないのか!」
と。

 あとは、この繰りかえし。悪循環。(親は、ますますはげしく子どもを叱る)→(連泊
する)→(子どもを探し回る。探して、ますますはげしく叱る)→(家出)→(ますます
はげしく叱る)、と。

 が、この段階ですめば、まだよいほう。この段階でさらに対処のし方をまちがえると、
非行のレベルを超えて、犯罪の世界へと入ってしまう。

 しかしその1歩手前で、2つのタイプの子どもに分かれる。

 非行を重ねながらも、最後の一線を、しっかりと守るタイプ。もうひとつは、非行を繰
りかえす段階というより、そのずっと前の段階で、モラルの崩れてしまうタイプ。非行に
走るようになるのは、あくまでも結果。当然のことながら、後者のタイプは、それだけ犯
罪の世界へと入りやすくなる。

 ただ犯罪といっても、援助交際(=売春)のレベルから、窃盗、傷害、暴行のレベルま
で、いろいろある。犯罪でありながら、たとえば援助交際をしている子どもなどは、犯罪
を犯しているという意識そのものがない。万引きにしても、そうだ。

 さらに「反社会的行為」といっても、何が社会的行為で、何がそうでないかを的確に判
断できない子どももいる。

●N君の例

 N君(小4男児)という子どもがいた。かなり問題のある子どもだった。しかし小4な
ら、まだ抑えられる。体格もそれほど大きくない。威圧すれば、それなりに静かになる。

 が、ある日、騒いだ。それで私はN君の横に座った。座ったとき、こう言った。「今度
騒いだら、君の手にチューする。先生(=私)は、注意(チューイ)しない。チューだ」
と。

 するとN君が突然、キレた。表情が変わった。そしてたまたま使っていた大型の三角定
規の先を、私に向かって突き出した。「テメエ、ヤルゾ!」と。

 すさんだ声だった。三角定規といっても、30センチまでの目盛りがついている。先は
刃物のようにとがっている。

 こういうとき、教える側、つまり私は、ぜったいにひるんではいけない。恐れたり、慌
てたりすると、それが引き金になることが多い。私は前を向いたまま、それを無視した。
つまりN君にしてみれば、スキだらけのポーズをとったことになる。三角定規で私を刺す
気なら、いつでも刺せる。首でも、横腹でも。

 瞬間だったが、ピンとした緊張感が走った。私はゆっくりとN君のほうへ首を回し、こ
う言った。「そんなもので人を刺したら、その人は死ぬかもしれないよ」と。N君は、ゆ
っくりと三角定規を下に置いた。

 そのN君だが、4年生から5年生になるとき、学校を転校した。それまでの小規模校か
ら、そうした子どもを指導できる、大規模校へと、である。恐らく学校も、N君の指導を
もてあましていたにちがいない。それでそうなった。

 そのN君について。

(1)まじめな会話ができない。……こちらが真剣な表情で話しかけても、茶化すとい
うより、すりぬけてしまう。

(2)おとなの心を読むのが早い……相手が自分にとってやさしいと判断すると、すか
さず、そのスキを攻めてくる。

(3)キレやすく、乱暴……自分勝手で、わがままな行動を繰りかえしながらも、心は
いつも緊張状態にあって、ささいなことでカッとなりやすい。

(4)享楽的……その場だけ楽しめば、それでよいたいった行動を繰りかえす。したい
ことはするが、したくないことは、いっさい、しない。

(5)行動の粗放化……わざと目立った行動をする。教室の壁に、ボールを投げて、キ
ャッチボールをするなど。 

 家庭環境について言えば、そのときの父親は、再婚相手であったこと。母親は、短気で
乱暴。N君に対して、日常的に体罰を加えていた。私がN君について何かを話そうと思っ
たときでも、私の話を最後まで聞かないうちに、「今日から、しっかりとしつけてみます」
「私のしつけが足りなくてすみません」などと言ったりした。

 が、何よりも残念だったのは、そういう母親でありながら、N君の言い分だけを一方的
に、鵜のみにしていたこと。N君は、家に帰ると、学校の悪口や担任の先生の悪口を言っ
た。だから私に対しても、「うちのNは悪くありません」「ウソをつくような子ではあり
ません」「先生に問題があります」と。

 こうした母親の盲目性が、ますます指導をむずかしくした。実際には、私の教室ですら、
蹴飛ばすようにしてやめていった。たぶんN君は、私の悪口も、同じように話していたに
ちがいない。あるいは母親自身が、子育てをすることについて、(心の余裕)を、喪失し
ていたのかもしれない。

 そののちN君は、お決まりの非行コースをたどり、何とか高校へは入学したものの、1
年のときに無免許でバイクに乗り、道路脇の山に激突。幸いけがは軽くてすんだが、うし
ろに同乗していた女の子は顔に、大きな傷あとを残してしまった。

 もちろんそのまま高校は退学。しばらく家でぶらぶらしたあと、東京方面に家出。消息
が取れない状態になっている。少年院に入ったという、うわさを耳にしたこともある。

 ただここで誤解してほしくないことは、だからといって、このままN君が、(ダメ)に
なってしまうということではない。そういう状況から脱け出て、そののち、社会人として
自立していく子どもは多い。むしろこの時期、N君のようにサブカルチャ(=下位文化)
を経験し、それからうまく脱した子どもほど、あとあと常識豊かな子どもになるというこ
とは、よく知られている。

 しかし……。できれば子どもには、子ども時代には、心豊かな生活を経験させてやりた
い。美しい経験というか、純粋な感動に満ちあふれた生活である。そういう生活が理想と
言うのではない。ただ子ども自身にとって、振りかえりやすい子ども時代を用意してやる
のは、親やその周囲の人たちの義務ではないのか。

 子ども時代というのは、その子どもにとっては、(心の基盤)となる。それがよいもの
であれば、それでよし。しかしそうでなければ、その子どもは生涯にわたって、重い鎖を
引きずって歩くことになる。

 それぞれの家庭には、それぞれ、言うに言われない事情というものがある。それはわか
る。わかるが、できればそういう経験、つまり重い鎖を引きずって歩くような経験だけは、
させないですませたい。

(補記)

 「二番底論」「三番底論」は、用語も含めて、はやし浩司のオリジナルの子育て論です。
最近、これらの用語を流用して書いた本を見つけました。私は、だれにも流用、転用を許
可した覚えはありません。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
二番底 二番底論 三番底 三番底論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●釈迦が説いた、自由論

++++++++++++++++

釈迦はクシナガラの郊外、シャーラ
(沙羅)樹の林の中で、最後の教え
を説いたという(仏教聖典)。

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、
自らを灯火(ともしび)とし、
自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはいけない。

この"法"を灯火とし、よりどころと
せよ。他の教えをよりどころとしては
いけない。

++++++++++++++++

●自由

 「自由」という言葉がある。この言葉は、もともとは、「自(みずか)ラニ由(よ)ル」、
あるいは「自ラニ由ラセル」という意味である。

 つまり、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)ことを、「自由」
という。

 釈迦は、仏教聖典(仏教伝道協会発行)によれば、最後に、まさにその「自由」につい
て説いたことになる。

 ついでながら、私が知るかぎり、釈迦が、「前世」とか「来世」とか、そんなことを説
いた形跡は、どこにもない。あるとすれば、釈迦滅後、数百年を経て書かれた経典の中だ
けである。そうした経典は、ヒンズー教の影響を、モロに受けている。

 それはともかくも、釈迦は、つぎのようにつづける。

『わが身をみては、その汚れを思って、
貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみも、
ともに苦しみの因(もと)であると思って、
ふけらず、わが心を観(み)ては、その
中に「我」はないと思い、それらに
迷ってはならない。そうすれば、すべての
苦しみを断つことができる。
わたしがこの世を去った後も、このように
教えを守るならば、これこそわたしの
まことの弟子である』と。

●煩悩(ぼんのう)

 釈迦によれば、私たちの心というのは、基本的には、「汚れている」ということになる。
だから、その汚れた心のまま、「貪ってはならない」と。つまり貪欲になってはいけない、
と。もっとわかりやすく言えば、情欲の命ずるまま、貪欲になってはいけない、と。

 そしてそれを受けて、『苦しみも楽しみも、ともに苦しみの因であると思って、それに
ふけってはいけない』と。

 同じようなことが、東洋医学のバイブルとも言われる、(黄帝内経・素問・上古天真論
篇)の中にも書いてある。「(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨と
し、自足を事とする」と。

 つまり「楽しいから」といって、享楽的に、それにふけってはいけないということ。そ
れはそのとおりで、1人の人の(楽しみ)は、どこか別のところで、別の人の(苦しみ)
の上に成り立っていることが多い。あるいは享楽的に生きれば生きるほど、その反動は、
かならず、自分自身にやってくる。

またつぎの『わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷っては
ならない』の部分は、フロイトのリピドー論を重ねてみると、意味がよくわかる。

 私たちを根源的な部分で動かしているのは、リピドー、つまり性的エネルギーである。
さらにつっこんで言えば、「子孫存続本能」ということになる。もちろん私たちはそれだ
けで生きているわけではないが、しかし私たちの日常的な行動すべては、どこかでその本
能と結びついている。

 それがわからなければ、ほかの動物や植物をみればよい。私たち人間も、その一部でし
かない。

●どこまでが「私」?

 釈迦は、「私たちの中には、『私』という部分は、本当はないのだ」と説いている。つ
まり「私は私」と思っている部分にしても、そう思っているだけで、実際には、私ではな
い、と。

 たとえば若い女性が、化粧をする。その女性は、「私は自分の意思で化粧をしている」
と思っているかもしれないが、その意思とて、作られたものにすぎない。結婚前の女性で
あれば、まさに「子孫存続」のための、その準備行動をしているにすぎない。

 実際、私の中の「私」をみつめてみると、どこからどこまでが、「私」で、どこからど
こまでが「私」でないか、それがよくわからないときがある。たとえばもうすぐ60歳と
いう、この年齢になっても、性欲は残っている。ときどきエロビデオを見たいという欲求
もわいてくる。

 しかしそう思うのは、ここでいう(私であって私でない部分)ということになる。だか
らつづく行動、たとえばエロビデオ店へ行って、見たいエロビデオを選んだり、買ったり
するのも、(私であって私でない部分)ということになる。

 しかしこんなことをおおっぴらに言えば、(すでにおおっぴらに言っているが)、「教
育評論家と呼ばれている男が、何を言うか!」と、非難される。だから私は、こういうこ
とは隠そうとする。「私は、そういうエロビデオは見ていません」というフリをする。

 「私」がかろうじてあるとすれば、その(隠そうという)部分、もしくは(フリをして
いる)部分にでしかない。

●苦しみは煩悩から

要するに、私たちが日常生活でいうところの(苦しみ)などというものは、総じてみれ
ば、(私であって私でない部分)から生じている。だから釈迦はこう言う。『私の中に、
「我」はないと思い、それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つ
ことができる』と。

 もう一歩先を言えば、「私は私」と思うから、そこから苦しみが生まれる。「私の財産」
「私の名誉」「私の地位」と。ならば、最初から、運命を受け入れ、それに従えばよい。
へたに「私」にこだわるから、人は苦しむ。悩む。釈迦もこう言っている。

 『……いたずらに悲しむことはやめて、
 この無常の道理に気がつき、人の世の
 真実のすがたに眼をさまさなければ
 ならない。

 変わるものを変わらせまいとするのは、
 無理な願いである。

 煩悩(ぼんのう)の賊(ぞく)は、
 常におまえたちのすきをうかがって、
 倒そうとしている。

 もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んで
 いるのなら、その毒蛇を追い出さない
 かぎり、落ちついてその部屋で、
 眠ることはできないであろう。

 煩悩の賊は追わなければならない。
 煩悩の蛇(へび)は、出さなければ
 ならない。

 おまえたちは慎(つつし)んで、
その心を守るのがよい』(同書)

 あとは、その瞬間、瞬間を、懸命に生きること。ただひたすら懸命に生きること。それ
がどんな結果で終ろうとも、それも運命。そのときはそのときで、その運命を、静かに受
け入れれば、それでよい。

 釈迦が説いた「自由」とは、まさに「私」を求める戦いであったということになる。わ
かりやすく言えば、「私」を、「私の中の私でない部分から解放させる」。それが真の自
由につながる、と。釈迦は、それを説いた。

++++++++++++++++

黄帝内経・素問・上古天真論篇
について書いた原稿を、添付
します。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

●子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわか
らない。そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、
こうある。これは健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適
応させ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なること
なく、みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に
陥ることもなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古
天真論篇)と。難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、スパ
ルタ主義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的に
させ、「やめる」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。

よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、子どもの趣味を
奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。スパルタ主義というの
は、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、子どもの心を深
くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを求める
育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私
は私」「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。

あなたの子どものできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親は
そのつど、見え、メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえる
と、この三つから解放されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけ
ない。「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくて
もいけない。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」
と。実際どんな子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを
引き出す。子育てを一言で言えば、そういうことになる。

さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、
それに背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろ
しい文章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そ
うでなければ、そうでない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目
的として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は
害せられる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せら
れる。栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。

子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じが
しないでもないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月24日)

+++++++++++++++

今朝の私の精神状態は、
よくないようだ。

今朝は、悪夢で目が覚めた。

映画の見すぎかもしれない。
どこかの国。瓦礫(がれき)の山。
核戦争で、そうなったのだという。

ぼうぜんと立ち尽くす人々。
壊れたビルから、這い出てくる
人々。

いやな夢だった。
私は床から体を起こし、
枕元にあった水を飲んだ。

で、そのまま本当に
目が覚めてしまった。

時刻は午前4時。

++++++++++++++

●核戦争

 K国だけではない。世界中の国々が、核兵器をもとうとしている。インド、パキスタン
につづいて、アルゼンチン、イランなどなど。アルゼンチンがもてば、当然、ブラジルも、
ということになる。イランの核兵器開発は、アラブ地域でも、すでに連鎖反応を起こし始
めている。

 こうした武器が、テロリストたちに渡ったら、どうなるか? それこそ想像するだけで
も、ぞっとするような地獄絵図が、そこで繰り広げられることになる。

 そこで1957年、原子力の平和利用を推進するため、(同時に、核兵器開発を監視す
るため)、国際原子力機関(IAEA)が誕生した。

 IAEAは、原子力の平和利用を推進するほか、核物質の軍事転用を防止するため、各
国の原子力開発機関への査察を行っている。

 現在、140か国前後の国々が、IAEAに加盟している。が、そのIAEAそのもの
が、K国に例をみるまでもなく、有名無実化しようとしている。たとえば韓国にしても、
本気でK国の核兵器開発を阻止しようと考えているかといえば、それは疑わしい。「失わ
れた13年」とも言われているが、この13年間、韓国は、結果的にみれば、K国の核兵
器開発を黙認し、援助してきたことになる。

 「K国が核兵器をもつことは、統一後の南北朝鮮にとっては、有利」と説く政治家も多
い。現在のN大統領も、その1人と考えてよい。

 もしそうなら、日本も……、ということになる。東京都知事のI氏も、そう主張してい
る。しかしそれこそ、まさに核のドミノ倒し。だれかが、どこかで、そのドミノ倒しを食
い止めなければならない。

 ゆいいつの被爆国ということでもないが、それが日本であっても、私は反対しない。仮
に韓国や、台湾が核兵器をもったとしても、日本は、もたない。もたないで、すます。い
つか自分のエッセーに、こう書いたことがある。

 「他国の立場で、他国の視点から見て、平和を保障してこそ、真の平和を守ることがで
きる」と。

 わかりやすく言えば、他国に脅威を与えない。それこそが、日本という国の真の平和に
つながる。

 それにしても、いやな夢だった。ああいう夢は、2度と見たくない。


●トランスフォーマー

++++++++++++++

悪夢の原因は、今度封切りになる
「トランスフォーマー」という
映画かもしれない。

数日前、その予告編を、インターネット
で見た。

夢の中の光景が、どこかよく似ている。

そのトランスフォーマーについて……。

++++++++++++++

 私はインターネットで配信されている程度の予告編しか見ていない。そういう前提で、
この原稿を書く。

 つまり、映画を見る前に、それがどういうストーリーかを想像する。どういう結末で終
わるかを、想像する。それがけっこう、楽しい。称して、「トランスフォーマーを10倍、
楽しむ法」。

 トランスフォーマーというのは、宇宙からやってきた生物のこと。その生物が、地球上
の無機物を生命体に変えて、人類を攻撃する。それが映画の柱になっている。

 しかし人類が滅んでしまったのでは、映画にならない。そこで何らかの形で、人類は、
そのトランスフォーマーを退治するということになる。しかし、その方法は?

 このあたりで、恐らく制作者も、いちばん頭を悩ましたにちがいない。ありきたりの方
法では、観客は満足しない。それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「きっと勇気のある人が、トランスフォーマーの核心部分に、爆弾か何かをもって、入
っていくのよ」と。

 しかしそれでは、『インディペンデス・デイ』と同じ。

 また細菌、もしくはコンピュータ・ウィルスを使って滅ぼすというのは、『宇宙大戦争』
と同じ。

 そこで私なりの想像力を働かす。私は学生時代、SF小説の大ファンだった。その種の
本を、片っぱしから、読みあさった。当時、早川なんとかいう出版社があった。(今でも、
あるかな?)その出版社が、そういう本や雑誌を、専門に出していた。

 で、はやし浩司風、『トランスフォーマー』。

●どうやって、トランスフォーマーを退治するか?

 人間がもつ最大の武器は、(感情)。相手が機械だとするなら、(感情)で対抗するし
かない。

 つまり感情をもった人間が、トランスフォーマーの中に、そのまま入る。トランスフォ
ーマーたちを内部からコントロールしながら、再び、宇宙に果てに送り出す。

 しかしこの方法も、いつか見た映画にあった。宇宙探査機のボイジャーが、宇宙を航行
している間に進化して、再び地球へやってくるという映画である。

 となると、やはり、コンピュータ・ウィルスかな? それを使って、退治する? しか
しこの方法は、先にも書いたように、陳腐。

 「霊」を登場させるのも、おかしい。で、考えられるのは、トランスフォーマーたちを、
仮想現実の世界に誘いこむという方法。『マトリックス』のような仮想現実の中に誘いこ
み、そこへ閉じ込めてしまう。

 そのヒント、つまりトランスフォーマーを退治するヒントとなったのが、子どもがもっ
ていたゲーム機器。一匹のトランスフォーマーが、子どものもっていたゲーム機器に入り
こむ。とたん、そのゲームの中の主人公となって、画面上で暴れ始める。

 それを知ったコンピュータ技師たちが、巨大なゲーム機器をつくり、そこへトランスフ
ォーマーたちを誘いこむ。トランスフォーマーたちは、自分たちがゲーム機器の中に入っ
たということも気づかず、そこを現実の世界と思いこむ。好き勝手に暴れ出す。しかしも
ちろん、人間には実害はない。

 そのゲーム機器を、最終的には、ロケットか何かに載せて、太陽に向けて放出する。映
画は、そこで、おしまい。

 ……さあ、どうだろう? 私の空想は当たるだろうか? 楽しみだ。封切りは8月5日。

(追記)

 この話を、BW教室(小5)の子どもたちにすると、1人の子ども(男児)がこう言っ
た。

 「でもさあ、どうして人間を攻撃するのさア? 人間が何か悪いことでもいたという
の?」と。

 そうだ、それについても考えておかねばならない。

 人間を攻撃する以上、何か、理由がなければならない。彼らがそれだけ怒るには、それ
なりの理由がなくてはいけない。その理由づけは、どうするのだろう。

 で、たとえば、こんなストーリーはどうだろう。

 ある日、トランスフォーマーの家族が、地球へ遊びにきた。それぞれが勝手気ままに遊
んでいた。しかし彼らの子どもの一人が、ふとまちがえて、人間の子どものもっていたゲ
ーム機器の中に入ってしまった。

 そこでトランスフォーマーの家族たちが、必死になって、自分たちの子どもをさがし始
める。人間が、自分たちの子どもを誘拐(ゆうかい)したと思って、人間に攻撃をしかけ
る。

 ……しかしこの話は、どこか、幼稚。

 ところで先日、トランスフォーマーのチケットを買いに行ったら、「2日前からでしか、
予約できません」とのことだった。8月5日に封切られるから、チケットは、8月3日か
ら販売になるということらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●三男が帰省

++++++++++++

今日、三男が会社から、
休暇をもらって
家に帰ってきた。

ワイフは、古い恋人にでも
会ったかのように、
はしゃいでいる。

私もうれしい。三男から
飛行機の話を聞くのが、
何よりも楽しい。

+++++++++++

 親子の(質)は、思い出の数で決まる。もちろん楽しい思い出である。最初に断ってお
くが、子どもを受験勉強で追いまくったような思い出というのは、その(質)をさげるだ
け。

 一方、(子どもを信じた)という思い出は、時の流れの中で、時間ととともに、輝きを
ます。そのときは苦しくても、その苦しさを共有したという思い出が、親子のきずなを太
くする。

 だからといって、私と三男のきずなが太いというわけではない。そんなうぬぼれは、み
じんもない。どこの家でもそうだろうが、子どもに好かれる父親というのは、まずいない。
あのフロイトですら、「血統空想」という言葉を使って、それを説明している。母子の関
係と父子の関係は、けっして、平等ではない。

 ただ三男のばあいは、私自身も三男であったこと。それに三男のときは、「これで私も、
父親として、最後の子育て」という意識を、いつももっていた。だから三男とは、休みが
あれば、惜しまず、旅行に出かけたりした。

 三男が小学校を卒業したとき、私は、はっきりとこう意識したのを覚えている。「私の
三男ほど、遊びまくった小学生はいない」と。

 つまりそれくらい三男は、よく遊んだ。遊びに、遊んだ。
 
……ということで、今でも、気が合う。話がはずむ。

 それに、生まれたときは、小さな赤ん坊だった。平均的な赤ん坊より、はるかに小さか
った。私はその三男を、いつも、ひざの上に置いて、あやしていた。ひざといっても、三
男の頭を私のひざの位置に置くと、両足が、私の腹の上に乗った。

 そんな三男が、キャッキャッと喜んだ。つまり三男というと、そんな思い出が、何より
も先に思い出される。そんな三男もいつしか、私の身長を超えた。今は、180センチも
ある。

 ……三男が、コンビニから帰ってきた。だからこの話は、ここまで。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●参議院議員選挙

+++++++++++++++

週刊文春の今日の新聞広告によれば、
あの片山さつき氏が、相変わらず、
「土下座行脚(あんぎゃ)」を
つづけているという。

私の選挙区から出た衆議院議員である。
その片山さつき氏は、東京へ帰ったあと、
こう言ったという。

「私が土下座なんてしたら、
この辺の田舎者は、イチコロよ」と。

「この辺の田舎者」というのは、
まさに、この私たちのことをいう。

++++++++++++++

 まず、昨年6月に書いた
エッセーをそのまま紹介する。

++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。
同じ自民党の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。
城内実氏は、郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客
ということになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県
7区から立候補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、たいへん気になる記事を書
いている。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が
土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)
と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者
は、イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、
倉田真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという
話は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座な
んてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかっ
た。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにし
た発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではない
かとは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に
帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞い
てみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、落下傘のように、天下り官僚がやってくる。それまで名前の
ナの字も知らない。もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、
うまく選挙だけをくぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそ
ういう人が、地元の代表なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話
題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元
の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知
らない。

+++++++++++++++

 その片山さつき氏が、愛も変わらず、土下座行脚(あんぎゃ)を繰りかえしているとい
う(週刊文春・本日発売号・7月26日)。

 土下座という、実に日本的な、しかもインギンブレイ、かつ、卑屈な謝罪方法は、ない。
それを選挙運動に使うというのであれば、徹底的に相手、つまり選挙民を、「下」に見な
ければできないはず。でなければ、自分の自尊心を守ることはできない。言いかえると、
多少でも自尊心があり、多少でも選挙民に敬意をもっているなら、とても土下座などでき
るものではない。

 土下座をするという行為そのものが、選挙民をバカにした行為ということになる。

 それにしても、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」とは!
いったい自分は何さまのつもりでいるのか?

 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


















***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  /
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++

何か問題が起きると、すぐ「あいつが
悪い」「こいつが悪い」と訴える人がいる。

このタイプの人を、他責型人間という。

一方、何か問題が起きると、すかさず、
「ごめんなさい」「すみません」と、
謝る人がいる。

このタイプの人を、自責型人間という。

「他責型人間」「自責型人間」というのは、
私がつけた名前である。

+++++++++++++++++

 先日、「P−Fスタディと呼ばれるテスト法」について、原稿を書いた。投影法の一種
で、心の中の欲求不満がどこにあるかを調べるための、テスト法である。

 私の教室でも、30〜40人の子どもについて、それを調べてみた。結果、おもしろい
ことがわかった。

【テスト法】

 「昨日はキミが遊びに来たから、今日のテストはできなかった」と友だちが言ったこと
に対して、あなたなら何と答えるかを質問。回答を、口頭で言わせたり、作文させたりす
る。

 このテストで、

(1)他責型人間は、どこまでも相手が悪いと主張し、自分への責任を回避する。
(2)自責型人間は、自分の非をすなおに認めて、自分に責任があるとして謝罪する。

 その間にあって、だれの責任でもないとあいまいにしてすませてしまうタイプを、無責
任型人間というが、ここでは考えない。

 このテストは、別名「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著)とも呼ば
れている。つまり心の奥底に潜む、欲求不満の原因が、どこにあるかを、このテストを通
して、知ることができる。

 たとえば悶々と、いつ晴れるともわからない気分でいたとする。何かわからないが、モ
ヤモヤしている。不平、不満も多い。すっきりしない。そういうとき、このテストをして
みるとよい。その原因がどこにあるかを知ることができる。

 欲求不満の原因が他人にあるときは、他人に向かって責任を求める。たとえばこのテス
トでは、こう書く。

 「あなたが遊びに来いと言ったから、来た。それをどうして私のせいにするの。そんな
のはあなたの勝手よ」と。

 一方、欲求不満の原因が自分にあるときは、自分に向かって責任を求める。たとえばこ
のテストでは、こう書く。

 「ごめんなさい。テストがあるって、私は知らなかった。言ってくれれば、じゃましな
かった。気がつかなくて、ごめん」と。

 このテストをしてみて、とくに私の注意をひいたのは、双子の兄弟(男児と女児、小3)
である。見た感じででは、性格は対照的なほど、大きくちがう。

 男児をA君とする。女児をBさんとする。

 A君は活発で、行動派。わんぱく盛りといった子どもである。自己主張もはげしく、ど
こかわがまま。いつもどこか、ガサガサしているといったふう。

 それに対してBさんは、慎重派。理知的で、繊細な感覚をもっている。人格の完成度も
高い。聡明。いつも静かに落ち着いている。

 A君は、このテストでは、あきらかに自責型人間と出た。一方、Bさんは、そのB君と
は対照的に、あきらかに他責型人間と出た。私は当初、この結果にとまどった。しかしや
がてすぐ、その背景が理解できた。

 当然のことながら、A君とBさんは、いつも行動をともにしている。通っている学校も
同じ。クラスも同じ。きわめて接近した関係にある。

 そういう関係の中で、何かにつけて、A君はBさんに、やりこめられている。勉強とい
う面では、いつも負けている。

 一方、Bさんは、A君という兄弟をもちながら、いつも手を焼いている。内心では、「あ
まり自慢できない弟(兄)」と思っているのかもしれない。A君を、やんちゃな弟とする
なら、Bさんは、できのよい姉ということになる。(実際には、双子だが……。)

 こういう関係の中で、A君は、自分に対する評価(=自己評価)をさげていった。一方、
Bさんは、自分に対する評価をあげていった。結果、A君は、自責型人間になり、Bさん
は、他責型人間になった。

 わかりやすく言えば、2人の間で何か問題が起きるたびに、A君は、「どうせ、ぼくが
悪い」「ぼくの責任」と思うようになった。一方Bさんは、「何でも、あなたが悪い」「あ
なたの責任」と思うようになった。そのちがいが、このテストで、顕著に現れた。

 が、問題がないわけではない。

 他責型人間は、欲求不満の原因を、いつも他人のせいにする。それゆえに、自分の非を
認めない。タイプとしては、姉御(あねご)タイプ。あるいは親分タイプということにな
る。

 一方自責型人間は、欲求不満の原因を、いつも自分のせいにする。それゆえに、ときと
して自分を必要以上に、過小評価してしまう。子分タイプ。あるいは隷属タイプというこ
とになる。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。このテストは、あくまでも、心の奥底
をのぞくためのもの。だからといって、A君に、こうしなさいとか、Bさんに、こうしな
さいとかいう類(たぐい)のものではない。

 しかしこのテストを通して、私は、たいへん興味深いことを発見した。見かけでは、A
君は他責型人間、Bさんは、自責型人間に思っていたからである。つまり心の奥底という
のは、その見かけでは、わからないということ。

 あなたも一度、このテストをして、自分の心の奥底をのぞいてみたらよい。

 ところで、私は自責型人間。私のワイフは他責型人間である。先のA君とBさんの関係
と、たいへんよく似ている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ぜいたくに育つ子ども

++++++++++++++++

ずいぶんと昔の話だが、レッスン中、
突然、「タクシーを呼んで!」と
叫んだ、女の子(中6)がいた。

理由はわからなかったが、あまりの
あわてように驚いて、私は、言われる
ままタクシーを呼んでやった。

で、あとで、話を聞くと、母親は
こう言った。

「うちの子は、よそのトイレを使う
ことができないのです」と。

ナルホド!

++++++++++++++++

 ここ数年、とくにふえてきたのが、(ぜいたくな子)。ぜいたくであることが当たり前
になっていて、おかしなセレブ意識をもっている。それで私は、そういう子どもを、「セ
レブ娘」と呼んでいる。概して、女児に多い。

 机が汚れていると言って、不快な顔をする。「掃除をしたか?」と言って、怒る。
 貸し出しの教科書に、ほこりがついているといって、怒る。
暑くて勉強できないと言って小言を言う。クーラーをつけろと言う。
 蚊を退治するため、スプレーをかけると、服が臭くなると言って怒る。
 蚊取り線香をたくと、髪の毛が臭くなると言って怒る。

 身につけているものはといえば、言わずと知れた、ブランド品。ブランド品ばかり。友
人どうしで、それを競いあっている。たまに、(自分より下?)と思っている子どもが、
同じブランドの服を着ていたりすると、露骨に不快な表情をしてみせる、などなど。

 冒頭に書いた、よそのトイレは使えないという女の子にしても、そうだ。生活に対する
耐性が、極端に弱い。で、なぜ子どもが、そういう子どもになるかと言えば、今さら、理
由など、ここに書くまでもない。

 しかし一度、子どもでもそういうセレブ意識をもってしまうと、(かえって、子どもの
ほうがタチが悪いが)、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。社会人
になってからも、それだけの生活が維持できればよいが、そうでないとき、その子ども自
身が、社会から、はじき飛ばされてしまう。社会そのものに、同化できなくなってしまう。

 さらに悲劇的なことに、そういう子どもにしながら、親自身にその自覚がないというこ
と。親自身も、セレブ意識が強く、たとえば娘に、つぎつぎとブランド品を買い与えなが
ら、それが親として、当然である(?)と考えている。

 で、先にも書いたように、この数年、このタイプの子どもが、急速にふえている。あの
バブル経済期にも、同じような現象が見られたが、最近は、さらにそれに磨き(?)がか
かった。一見何でもなく見えるTシャツだが、一着、数万円というシャツを着ていたりす
る。ジーパンにしても、そうだ。靴にしても、そうだ。

 が、私は、あえて言う。

 「子どもは、質素に育てたほうがよい」と。以前『質素を旨(むね)とすべし』という
格言を考えたこともある。今から15年も前に書いた本の中で、である。そのときの原稿
を、そのまま転載する。

+++++++++++++

●ガツガツした子どもは生き残る

 ガツガツすることに抵抗を感ずる人は多い。しかし日本はそのガツガツすることによっ
て、ここまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっ
という間に、世界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねら
っている国はいくらでもある。

 しかし日本の子どもたちを見る限り、日本の将来はお先真っ暗。このままでは日本はア
ジアでもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の故
森嶋氏も、「2050年には本当に日本はダメになってしまう」と警告している。

 ……というのはマクロ的な見方だが、個人というミクロ単位でみても、同じことがいえ
る。これからの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもであ
る。ぬるま湯にどっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。言い
かえると、どうすればそのガツガツした子どもを育てられるかということ。それがこれか
らの子どもをどう育てるかのヒントになる。そこで……。

(1)子どもにはぜいたくをさせない……子育ては質素を旨とする。与えるもの、着せ
るもの、食べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い
与えることが、親の愛のあかし」と考えている人がいるが、これはとんでもない
誤解である。

(2)子どもの言いなりにならない……結局は子どもの言いなりになってしまうという
甘い環境が、子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを
中心に置かない。いつも脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親
中心の生活を組み立てればよい。

(3)子どもは使う……「子どもは使えば使うほどいい子になる」と心得る。使えば使
うほど、子どもは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせるこ
とが親の愛のあかし」というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようにな
り、その分だけ、子どもはやさしく思いやりのある子どもになる。

 ガツガツする子どもを嫌う人も多いが、本来子どもというのは、ガツガツしているもの。
またそれが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、
従順で、満足げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそ
ういう子どもは、これからの世界で生き残ることはできない。

●叱るときは恐怖感を与えない

 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子ども
の耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反
省しているから、そうしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを
日常的に叱れば叱るほど、子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、い
かにも反省しているといった様子を見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果
は、ない。叱るときは、次のことを守る。

●叱るときの鉄則

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は
耳から遠い」と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。

(3)相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与え
ないため)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、
しっかりと親の両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、
体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」
と決めておく。

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(5)叱ったことについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」
と、ほめてしあげる。ちなみに私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約50%の母
親が何らかの体罰を加えているのがわかった(浜松市にて調査)。

げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グリグリ(げんこつ
で頭の両側をグルグリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所
のすみで正座、仏壇の前で正座というものもあった。「どうして仏壇の前で正座
なのか?」と聞いたら、その子ども(中一男子)はこう話してくれた。「お父さ
んが数年前に死んだから」と。何でもとても恐ろしいことだそうだ。体罰ではな
いが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。

●ほめるときは、おおげさに

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおや
けに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。
そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返し
ほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。
が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心
が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、
化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そう
でないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケー
スは、いくらでもある。

●励まし方

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにし
て、励ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくな
った」など。またすでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かっ
て、「がんばれ!」はタブー。意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い
込んでしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。
結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら、「あなたはよくがんばった」
式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。

+++++++++++++

ついでにもう1作。

+++++++++++++

子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんた
の本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使う
ことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、
彼は、こう教えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、
食器を洗わない。片づけない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きて
も、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。

反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いてい
た。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけは
しっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがあ
る。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分
を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったり
する。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行く
ものを許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(1)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目
標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を
放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのも
のがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽
的かつ消費的な行動が多くなる。

(2)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、
自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(3)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従っ
て行動することができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しか
し一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。
ドラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方その
ものに原因があるからである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って
子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言
って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつ
くってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、
親の愛だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水は
どこからくるか」と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」
と聞くと、「どこかのおじさんが捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、
どんなことで困りますか」と聞くと、「お父さんがいるから、いい」と答えたりする。生
活への耐性そのものがなくなることもある。

友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞く
と、「トイレが汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう
子どもにしないためにも、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが2〜4歳の
ときが勝負で、それ以後になると、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉
強に向けてくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは
言わない。好きなことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなこと
をする力」のことをいう。

たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。
風呂場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐
力という。こんな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあ
さんがいた。そのおばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。
その子どものお母さんは、こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出す
と、娘がタオルで、口をぬぐってくれるのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸
びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをする
にしても、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛
を乗り越える力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)
→(しない)→(できない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」
と。話を聞くと、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といって
も、食材は、食材屋さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キ
ッチンの周囲でうろうろされると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがい
い」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレ
ビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキ
ビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば…
…。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなた
の子どもが見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、そ
れでよし。しかし知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあ
り方をかなり反省したほうがよい。やらせることがないのではない。その気になればいく
らでもある。食事が終わったら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこ
で洗わせる。フキンで拭かせる。さらに食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。
たとえば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話
に出る。庭の草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そう
いう雰囲気で包むことをいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそう
いう子どもにすること。それが、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1)生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度
の苦労がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わな
ければ、家族のみんなが困るのだ」という意識をもたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

(4)生活のルールを守らせる。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した
生活をいう。ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまう
ような甘い生活。あるいは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの
接し方でチグハグになっている生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言え
ない。チグハグになればなるほど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかた
よったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。
それを忘れてはならない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ドラ息子、ドラ娘 質素 セレブ娘 子供とぜいたく ドラ息子症候群 子どもの耐性 
子供の耐性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月23日)

+++++++++++++++

●初乗りが、1000円!

++++++++++++++

円安がつづいている。
そのため、フランスのパリで
電車に乗ると、
初乗りが、日本円に換算すると、
何と、約1000円!

このあたりでは、バスの初乗りは、
100円。1000円は、
その10倍ということになる。

いつまでつづく、円安。
どうなる、日本経済。

++++++++++++++

 円安であることについては、悪いことばかりではない。円安になればなるほど、輸出産
業が息を吹き返す。(これに対して、隣の韓国は、ウォン高で、今、輸出産業は、青息吐
息。)

 しかしそれにしても、初乗りが1000円とは!

 現在1ユーロは、168円(7月23日)。初乗りを日本並みの200円にするには、
その5分の1の、1ユーロ、30〜40円でもよいはず。言いかえると、それだけ、日本
の円が、ジャブジャブに、世界にばらまかれているということになる。

 今は、まだよい。何とか、がんばっている。しかしその円が、日本へ逆流してきたら、
この日本は、どうなる? 日本中が円の札束で埋まってしまう。もしそうなれば、日本は、
ハイパーインフレに見舞われることになる。物価が、一気に、10倍とか20倍になる。
あるいはもっといくかもしれない。

 だいたい、ゼロ金利政策などという、政策がおかしい。日本の経済をよく病人にたとえ
る人がいる。ゼロ金利政策というのは、臨終を迎えた病人に、カンフル液(=強心剤)を
どんどんと注射するようなもの。まともな経済政策ではない。

 しかし、今の日本には、それしか選択肢がない。ないから、ゼロ金利政策をつづけるし
かない。ということで、初乗りが、とうとう1000円になってしまった!

 実は私も、数年前、ユーロ建ての国際債券を、xx万円、購入した。当初はボヤボヤし
ていたが、途中から、まさにウナギ上り。先日、買ったときの値段の約2倍で、売りぬけ
ることができた。

 もう一つ、ある国の国債を、xx万円で購入した。こちらも現在、時価評価額が、1・
5倍近くにまで上昇している。加えて数か月おきに、xx万円の利息。満期は、来年(0
8年)だが、これも、そろそろ売りどき。

 つまりこうして世界にばらまかれた円が、日本に逆流し始めている。一時的には「得を
した」ということにはなっても、長い目で見れば、日本沈没の第一歩ということになる。

 そのターニングポイントは、この秋にも予想されている、利上げ。無担保コール翌日物、
つまり短期市場における政策金利の利上げが、どの程度なされるかが、ポイント。この舵
取りをあやまると、日本経済はそのまま奈落の底へと転落していく。

 このままでも、日本経済は沈没。さりとて、金利をあげることも、ままならない。今ご
ろ日銀の総裁たちは、世界中から流れてくる数字を見つめながら、冷汗をタラタラと流し
ているはず。一日とて、気の休まる日はない。

 ……ところで、その秋にも予想されている利上げを予想してか、この1週間、ジリジリ
と円高が進みつつある。直接の引き金は、アメリカの株価の下落だが、不気味といえば、
不気味。

 私の予想では、(あくまでもド素人の予想だが)、一時的に円高になったあと、つまり
日本の輸出産業が壊滅的打撃を受けたあと、猛烈な勢いで再び、円安に進むはず。その流
れをしっかりと見きわめないと、大損をするハメに。

 みなさんも、くれぐれも、ご注意のほどを!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ダンボール紙入りの肉まん事件(続報)

++++++++++++++++

北京テレビが報道した、「ダンボール
紙入りの肉まん事件」は、テレビ局の
ヤラセであったという。

一応、そういう形で、決着(ケリ)が
ついたが、その「決着」そのものが、
これまたヤラセであったのではないか
という疑惑が、浮上している。

実際、そのあたりで問題の肉まんを
口にした市民は多い。

それについて、朝鮮N報は、つぎの
ように報じている(7月23日)。

++++++++++++++++

 『客たちがこの肉まんを口にすると、たまに何か固い段ボールが歯に当たるため、「こ
れは何だ」と問い合わせると、店の主人は「肉のくん製だ。良い肉だ」と強弁していたと
いう。ある新聞は、「放送後に区が取り締まりに乗り出したが、露天商はすでに現場をあ
とにし、当局は後になって無許可の餃子店を貸し出していた建物の所有主を立件して調査
している」と報じた』と。

 こうしたニセ食品に対して、朝鮮N報(同日)は、ほかにも、つぎのような事実をあげ
ている。

(1)04年4月には安徽省でニセの粉ミルクを飲んだ赤ん坊13人が死亡するという事
件が発生した。

(2)昨年11月には卵に赤みをつけて新鮮に見せるため、生きた鴨に発がん物質の入っ

(3)た染料を食べさせるという事件が発覚した。

(4)さらに今年(07年)に入って輸出用の動物飼料や歯磨き粉などから、人体に有害
な化学物質が検出され、中国産食品と薬品に対する不振は国の内外にさらに大きく広まっ
た。

(5)コメは数年前の古米にツヤをつけて高く売るケースがほとんどだ。コメの表面にツ
ヤを出させるには工業用光沢剤やワックスで加工処理しなければならない。工業製品の製
造に用いられる光沢剤は食品の製造に使うことはできず、人体に入ると消化器系や神経系
に悪影響を及ぼす。ひどい場合には命を落とすこともある。

(6)小麦粉は滑石を混ぜたものやグルテンが除去されたものが、一般の小麦粉と混ぜた
状態で流通している。グルテンとは麦などの穀類に含まれる不溶性たんぱく質で、表面積
を増加させ、パンなどをよく膨らませる性質がある。

(7)小麦粉を白くするために過酸化水素などの漂白剤を使用する。この薬品は皮膚や粘
膜に炎症を引き起こし、長期間摂取し続けると肝臓や脳神経に致命的な障害を引き起こす
可能性がある。

(8)またサツマイモのでん粉、はすの根の粉、もち米の粉などにも異物が混ざった不良
食品が市場で堂々と売られている。この小麦粉で麺類を作ると、細くすることがで
きない

(9)コメや小麦粉などで加工されたパン、麺類、菓子などにもニセモノが氾濫している。
粗悪な小麦粉を使用した麺類はもちろん、酸敗して食べることのできない麺類を細
かくして、正常な小麦と混ぜて作った麺類もある。

(10)ケーキを作る時も食用ではない色素や糖分が混ざっていたり、賞味期限
が過ぎてカビの生えたケーキを粉末にし、再び菓子として焼き上げるケースもある。

(11)牛乳、粉ミルク、豆腐、卵、魚にもニセモノが多い。正常な牛乳から脂肪分を抽
出し、そこから粉ミルクを作って販売する。また一般の粉ミルクに何の栄養もない粉末を
混ぜた粗悪粉ミルクも製造されている。

(11)中国では数年前にニセ卵が流通し、問題になったこともある。コメの粉や小麦粉
などに色素を混ぜて作ったニセの卵は、本物のように白身と黄身でできているため、だま
されやすい。

(12)ニセ豆腐もあって、不良豆腐は石灰を混ぜることにより普通の豆腐よりも固くな
っている。

(13)05年末に香港では中国から輸入したニセの鮎が摘発された。硫化ゴムで作られ
たこのニセ鮎を見た消費者が、内臓がないのをおかしく思い当局に通報したことにより明
らかになった。 

(14)それ以外にも「中國吃網」によると、中国人が毎日食べる食品の中にもニセモノ
や不良食品が多いという。洗剤が混ざった揚げ物菓子、豆の油が混ざったごま油、粗悪塩
の入った調味料、水の混ざったビールや酒、赤い色素や糖分を注射したスイカなど、すべ
てを書き出すこともできない。

以上(4)〜(14)は、「中國吃網」(中国の食べ物)より。

 まさにあるは、あるはの、ニセモノ世界だが、それにしても、ニセ卵に、ニセ鮎とは! 
ニセ鮎にいたっては、何と、硫化ゴムで作られていたという。

 そういう中国だから、ダンボール紙入りの、ニセの肉まんがあったところで、おかしく
ない。……ということで、「報道は、北京テレビのヤラセであった」とする当局の発表そ
のものが、ヤラセではなかったのかという疑惑が生じている。つまりダンボール紙入りの
ニセの肉まん事件は、本当にあった?

 が、中国ばかりを非難していてはいけない。

 この日本でも、たとえばミカンなどを着色するため、その時期になると、特殊な肥料を
ミカンの木の周辺にまくことは、よく知られている。あるいはツヤをよくするため、表面
にワックスをかけている業者もいるという話を聞いたこともある。

 そう言えば、最近のスイカは、どれも甘い? 以前は、当たりはずれがあって、甘いス
イカもあれば、そうでないスイカもあった。しかしこのところ、そういったハズレが、ほ
とんどない。やはりその時期になると、特殊な肥料を与えて、糖度をあげるのだそうだが、
これにも(?・マーク)を、1個つけたい。

 また米にワックスをかけるという話も、一度、考査してみる必要がある。私たちも、店
頭で米を選ぶとき、ツヤを見て選ぶ。だから中には、米にワックスをかける業者がいたと
しても、おかしくない。

 中国人と日本人。基本的には、小ズルサという点では、そうはちがわない。こういう事
件を知ると、日本人は大騒ぎするが、しかしこの日本でも、つい最近、牛肉の中に、古い
ブタ肉やニワトリの肉を混ぜて売っていた業者が問題になった。その前には、ニセ食品で
はないが、K国産のアサリを、日本産アサリと偽って売っていた業者が摘発された。そう
いう意味では、日本の業者のほうが、より巧妙になっているとも考えられる。

 「食」は、健康の「要(かなめ)」である。多少、見栄えは悪くても、本物をつくり、
本物を売るという姿勢が、何よりも重要だと思う。一度、このあたりで、日本も、私たち
の食生活全般を、洗いなおしてみる必要があるのではないか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●おかしいぞ、日本の福祉政策!

++++++++++++++

母子家庭の子どもが、194万人、
父子家庭の子どもが、27万人
(03年度)。

政府は「福祉よりも雇用」と、母親の
就労支援事業を進めているというが、
常用雇用に結びついているのは、
「ほんの一部」(中日新聞)にすぎ
ないとか。

02年度から公的支援制度が変わり、
公的手当は、実質、減額されることに
なった。

さらに08年4月から、受給開始から
5年後の減額も決定。

母子家庭の母親たちは、ますます
きびしい状況に置かれることに
なる。

++++++++++++++

 日本の福祉政策は、どこか、おかしい。たとえば私の住んでいる地域は、旧国鉄村と呼
ばれるほど、旧国鉄の退職者たちが多く住んでいる。みな、満55歳で退職した人たちで
ある。

 そういう人たちが、月額33〜35万円前後の年金を受け取っている。その額は、旧三
公社五現業の中でも、最高である。話を聞くと、旧国鉄職員だけは、退職日を、3月31
日ではなく、4月1日にずらしている。つまりたった1日ずらすことによって、1年分、
就労年月を長くしている。

 (だからといって、旧国鉄職員の人を責めているのではない。私は制度がおかしいと言
っている。誤解のないように!)

 で、最近、近所の男性が亡くなった。85歳でなくなったが、55歳で定年退職してか
らというもの、働いたのはただの1日だけ。1日だけ勤めて、そのままその仕事をやめて
しまった。つまりこの30年間、何もしなかったことになる。

 で、それで年金の支給が終わったわけではない。残された妻には、「転籍特権」という
特権がある。夫が亡くなっても、妻がいれば、その妻に、連続的に年金が支払われる。

 まさに至れり尽くせりの、年金制度である。

 その一方で、母子家庭への支援制度は、削減につづく削減。(全国母子世帯等調査)に
よれば、母子家庭の平均年収は、212万円だそうだ。

 内訳は、就労収入、162万円。それに児童手当、養育費、仕送りなどで、50万円、
つまり計212万円! たったの212万円だぞ。

 旧国鉄職員のばあい、月額37万円も年金を受け取っている人もいるという(某郵便局
長の話)。年収でみると、444万円ということになる。

 このおかしさこそが、日本の福祉政策の矛盾ということになる。

 3年前に書いた原稿を、そのまま掲載する。

++++++++++++++++++

●年金、この不公平!

 官民の年金の不公平さについては、いまさら、言うまでもない。しかし、金額だけの問
題ではない。こんな事実も指摘されている(「文藝春秋」04・5月号・伊藤惇夫氏)。

 公務員には、「転籍特権」という、特権がある。

 たとえば公務員のばあい、それを受給していた夫が死亡したようなとき、その遺族が、
ひきつづき、その年金の4分の3程度を、「遺族年金」として受給することができる。妻
が亡くなっても、その遺族年金の権利は子供(18歳迄)や父母にも引き継がれる※。

 わかりやすく言えば、夫が死んだあとも、遺族年金を受け取ることができるということ。
が、それだけではない。さらに妻が死んでも、子どもが18歳未満のときは、今度はその
子ども、もしくは、父母が、その遺族年金を受け取ることができる。

 そんなわけで、「官民格差は、死んでからも、生きている」(伊藤惇夫氏)と。

 もちろん、一般企業のサラリーマンや、自営業者には、こんな転籍特権はない。本人が
死んだら、それでおしまい! ゼロ! 遺族は、1円も、もらえない。

 だれでもおかしいと思う。おかしいと思うが、何もできない。日本には、そういうしく
みが、できあがってしまっている。官僚主義国家という「しくみ」である。

 こうしたしくみの中で、もっとも、「?」なのは、あの「審議会」という「会」。

 ほとんどの審議会は、担当の役人が、開く。方法は簡単。まず、イエスマンや、その道
のド素人だけを集める。人選に関する基準など、どこにもない。その指針もない。座長に
は、たいてい著名人を起用する。

 審議会はたいてい数回程度で終わる。重要案件でさえも、10回を超えることは、まず
ない。

 シナリオは、最初から、役人によって用意されている。たいていは、「資料」という形
で、委員に配布される。あとは、それに添って、審議していくだけ。一応、議論という形
をとるということもあるが、ほとんどのばあい、一人の委員の発言は、一回、5〜10分
程度。ふつうは議論になる前に、審議打ち切り。

 (議論になりそうな案件については、委員の数を多くする。こうして各自の発言時間を
少なくする。)

 こうした審議会に多く参加してきたことのある、M東大元教授ですら、こう言っている。
「テレビタレントやスポーツ選手ばかりを集めて、何が、審議会だ」と。もともと議論ら
しい議論ができる雰囲気ではない。

 で、こうした審議会から出される「答申」は、抽象的であればあるほど、よい。わけの
わからないものであれば、あるほど、役人にとっては、よい。自分たちのつごうのよいに、
どのようにでも解釈できる。

 で、あとは、役人たちは、その答申に従って、やりたい放題。まさにやりたい放題。

 ……これが、日本の官僚主義の基本になっている。そしてその結果が、今の日本である。
年金の官民不公平などは、氷山の一角の、そのまた一角にすぎない。

私「まさに、日本は、官僚主義国家。最終的には、『天皇』という最高権威をもちだすこ
とで、民を従わせる。この図式は、奈良時代の昔から、まったく変わっていない」
ワイフ「じゃあ、この日本を変えるには、どうしたらいいの?」
私「無理だろうね。与党の党首も、野党の党首も、皆、元中央官僚。主だった県の県知事
も、副知事も、皆、元中央官僚。大都市の市長も、皆、元中央官僚。そんな日本を変える
となると、それこそフランス革命のような革命でも起こさないかぎり、無理」

ワイフ「役人の権限を小さくするとか、そういうことはできないの?」
私「それこそ、絶対に無理。国家公務員や地方公務員だけでも、今の今でさえ、ふえつづ
けている。その数、450万人。日本には、このほか、準公務員と呼ばれる人たちが、そ
の数倍は、いる」
ワイフ「給料はどうなっているの?」

私「いまだかって、地方自治体ですら、その手当て額を公表したことがない。しかし予算
から逆算すると、公務員は、一人あたり、800〜1000万円の年収(伊藤惇夫氏)と
いうことになるそうだ」
ワイフ「すごい、高額ね」
私「そうだよ。大企業でさえ、平均して、650万円程度だからね」

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなたも、公務員かもしれない。あなたの家族
の中に、1、2人に公務員がいるかもしれない。私は、何も、そういう一人一人の公務員
が悪いと言っているのではない。

 ただ、こんなバカな政治をつづけていたら、遅かれ早かれ、日本は、本当にダメになっ
てしまうということ。今の「あなた」は、それでとりあえずは、よいとしても、あなたの
子どもは、どうする? あなたの孫はどうする? そういう視点で、日本の未来を考えて
みてほしい。

ワイフ「公務員の人たちって、死んでからも、年金がもらえるなんて、知らなかった……」
私「そうだね。ぼくも、驚いた。そういうような、つまり、自分たちにとって、どこかつ
ごうの悪い情報は、絶対に公表しないからね……」
ワイフ「でも、ずるいわ。議会は何をしているのかしら? 日本は民主主義国家なんでし
ょ」
私「一応ね。しかし議会の議員は、もっと手厚く保護されている。いろいろな恩恵にもあ
やかっている。だから、官僚主義社会を批判できない。批判したとたん、その世界から、
はじき飛ばされてしまう」と。

 私の親しい知人のS市(50歳)は、ある都市で、ある役職のある仕事をしている。そ
のS氏が、こう言った。

 「林さん、市議会の議員たちね、自分で作文できる人は、まずいないよ。議会での質問
書も、それに対する答弁書も、みんな、ぼくたちが書いてやっているんだよ。ぼくたちに
嫌われたら、議場に立つことすらできないよ」と。

 日本のみなさんは、こういう現実を、いったい、どこまで知っているのだろうか。
(040417)

++++++++++++++

 ものを言うことすらできない、母子家庭の母親たち。組織もない。知識もない。力もな
い。しかもだ、これからの日本を支える子どもたちを支援するために、たったの、1〜4万
円(月額)とは!!

 (母1人、子ども1人のばあいの手当て支給額、07年実績、中日新聞7月22日)

   所得           手当の額(月額)
   57万円         41720円
  130万円         28270円
  220万円         11690円

 その一方で、リストラも、首切りも、転勤もない世界で、仕事をしてきた人たちが、満
額の退職金を手にしたあと、毎月33〜35万円の年金とは!!

 しばらくこの怒りは、収まりそうもない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
母子家庭 支援制度 児童扶養手当 福祉制度 転籍特権)

(注※、「国民新聞」より)

通常、夫が亡くなった時、厚生年金の場合は、妻に夫の老齢年金の報酬比例部分の4分
の3相当が遺族厚生年金として支払われる。その妻が亡くなればその時点で終了する。

 ところが公務員は違う。妻が亡くなっても、その遺族年金の権利は子ども(18歳まで)
や父母にも引き継がれる。民間に比べ、公務員は死んだ後まで手厚く保護されている。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●おかしいものは、おかしい!

++++++++++++++++

 おかしいものは、おかしい。
 勇気をもって、それを口に出す。
 その勇気が、社会を変え、日本を変える。

 さてさて今度の日曜日は、
 参議院議員選挙。

 私は浮動票の王様。
 自分ではそう思っている。
 私が1票を入れた人は、いつも、
 大量得票で当選する。
 1票を入れた政党は、いつも、
 大躍進する。

 方法は簡単。
 おかしいものは、おかしい。
 勇気をもって、それを口に出す。
 その勇気が、社会を変え、日本を変える。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================














***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 24日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【不安の構造】

+++++++++++++

どうして親たちは、不安に
なるのか。

ざわざわとした得体の知れない
不安。

親たちは、今、それをいつも
心のどこかで感じている。

+++++++++++++

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。

受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば
子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学1年生をもつ父母が、2人、私の自宅にやってきた。そしてこう言っ
た。「1学期の期末試験で、数学が21点だった。英語は25点だった。クラスでも4
0人中、20番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかし
てほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小
刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分
に気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされ
た。たいていはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと
思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動か
ない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代で
はない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は
親で、「すべては子どものため」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(2001年)によれば、中
学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、39・1%しか
いなかった。

これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、
78・4%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親
が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それでは
すまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先
生に話す」はもっと少なく、たったの6・8%! 本来なら子どものそばにいて、よき
相談相手でなければならない先生が、たったの6・8%とは! 

先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親
子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れて
いく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆
と、違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のん
びり行こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるように
なった。……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかな
い。気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそう
だ。それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子ども
が中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。
あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。(中
日新聞にて発表済み)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月22日)

++++++++++++++++

昨夜、N先生と電話で、1時間
近く話す。

蝶の観察に、北海道まで行って
きたとか。しかしあいにくの雨。
結局、蝶のハシクレすらも
見ることができなかったとか。

そのころ台風4号が、北海道
近辺を北上していた。

それもあって、このところ毎日
のように、天気がめまぐるしく
変わる。

昨日は、一日中、雨。が、今日は、
一転、ほどよい晴れ。

昨夜寝る前、ワイフが、「明日は
どこかへ行こう」と言ったので、
今日は、そのつもり。

そうそう8月5日に、スティーブン・
スピルバーグ監督の、
『トランスフォーマー』(Transformers)
が、封切りになる。

今日、その予約チケットを、
購入してくる。

楽しみ! 私がああいう映画が
大好き。ワイフも長男も、大好き。

N先生は、蝶。
私は、トランスフォーマー。

人、それぞれ。

+++++++++++++++

●ホルネイ

 アメリカにK・ホルネイという学者がいた。1885年生まれ、1952年に他界して
いる。1952年といえば、私が5歳のとき。

 私はその学者は、ずっと、男性だと思っていた。しかし実は、女性だった! もともと
はドイツからの移民。精神分析医として活躍した人物である。

 ホルネイについては、たびたび書いてきた。彼女は、(これからは「彼女」と書く)、
「普遍的な正常者はいない」という前提で、心理学を考えていた。つまり正常かどうかは、
そのときの社会的背景や文化が決めるものだ、と。

 よい例が、不登校児。

 少し前まで、「不登校は悪」「だから不登校児は問題児」という前提で、学校側も、そ
して親側も考える傾向が強かった。だから自分の子どもが、学校へ行かなくなったりする
と、親は錯乱状態になったりした。学校側は学校側で、それこそ、首に縄でもつけるかの
ようにして、その子どもを、学校へ引っ張り出したりしていた。

 しかし事情が変わった。「事情」というより、「意識」が変わった。

 不登校を悪として考えるのではなく、学校へ行くか行かないかは、「選択」の問題にす
ぎないと考えるようになった。不登校児についても、問題児と決めつけて考えるのではな
く、不登校児自身の立場になって、ものを考えるようになった。

 わかりやすく言えば、学校へ通う子どもは正常で、そうでない子どもはそうでないとい
う(常識)が、ここで崩れた。むしろ逆に、今のような狂乱した教育事情に、あえて背を
向ける子どものほうが正常ではないかと考える人たちも、ふえてきている。

 何も学校だけが、(コース)というわけではない。そのコースからはずれたからといっ
て、問題児と決めつけて考えるほうが、おかしい。

 話がそれたが、ものの見方をほんの少し変えるだけで、それまで(正常だったもの)が、
そうでなく、反対に、それまで(正常でなかったもの)が、正常になったりする。だから
「普遍的な正常者はいない」となる。

 ナルホド!

 さらにホルネイは、こう説いた。「社会不安が増大すれば、親たちも育児に不安をもつ
ようになる」(「現代の神経症的性格」)と。つまり社会情勢がそのまま、親たちに心理
的影響を与える、と。

 これについても、思い当たる事実が、いくつかある。

 1995年ごろから、減少傾向がつづいていた、塾数、塾の講師数が、2000年に入
ってからは、増大する傾向を見せ始めている(通産省調べ)。2000年といえば、ちょ
うど貧富の格差が広がり始めた時期でもある。

 親たちは、何か得体の知れないザワザワとした不安感を覚え始めている。そしてそれが、
再び、子どもたちをして、受験勉強に向かわせ始めている。それが「今」ということにな
る。

 で、こうした社会不安が増大すれば、ホルネイの説にしたがえば、神経症的性格をもっ
た親がふえ、ついで、神経症的性格をもった子どもが増大するということになる。

 ともかくも、この世界、何が正常で、何がそうでないか、よくわからなくなってきた。
この私とて、一見、正常者に見えるかもしれないが、私は自分では、そうは思っていない。
一方、正常でないという人たちを見ていると、そういう人たちのほうが、実は正常ではな
いかと思うようなことも多い。

 話をもどすが、たとえば不登校児の子どもと話していると、むしろ不登校を起こす子ど
ものほうが正常ではないかと思うことが、しばしばある。若いときに書いた原稿なので、
少し過激な部分もあるかもしれないが、以前、こんなことを書いたことがある。(教材新
聞、中日新聞、掲載済み)

+++++++++++

●人間選別の手段?(皆が一〇〇点でも困る)
 
「浩司が英語を読めるぞ」と、私の祖父は心底喜んでみせてくれた。私がはじめて「バ
イシクル(自転車)」という英語の文字を読んでみせたときのことである。

しかし、今、こういう感動が、ない。喜んでみせる前に、「点は何点だった?」と聞く。
そして点が悪いと、「何だ、この点は!」と子どもを叱る。親自身が、勉強は子どもが、
子ども自身のためにするということを認めていない。もっと言えば、勉強が、人間選別
の手段になってしまっている。諸悪の根源は、すべてここにある。

 皆が100点だと困る。差がわからないから。しかし皆が0点だと、もっと困る。差が
わからないから。これが日本の教育の柱になっている。

そうでないというのなら、なぜ中学1年で1次方程式を学ぶのか。また学ばねばならな
いのか。なぜ中学3年で2次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか。それをき
ちんと説明できる人はいるだろうか。

私など文科系の大学を出たこともあり、社会人になってからこのかた、2次方程式はお
ろか、1次方程式すら、日常生活で使ったことは、ただの1度もない。こういう知識を、
人間の成長に不可欠な知識と信じ込まされ、日夜苦しんでいる子どもたちの姿を見ると、
あわれにすらなる。

たとえばオーストラリアでは、中学1年レベルで、2桁かける2桁のかけ算を学習して
いる。日本ではそれを小学3年生のときに学ぶ。こういう一部の比較をもとに、「日本
の教育は進んでいる」と言う人がいる。しかしそれは正しくない。

オーストラリアでは、科目数そのものが多い。中学1年レベルで、外国語にしても、ド
イツ語、フランス語、インドネシア語、中国語それに日本語の中から1科目を選択でき
る。美術にしても、音楽、絵画、演劇、写真などが、それぞれ独立した科目になってい
る。キャンプも必須科目だ。環境保護や宗教の科目もある。

南オーストラリア州では、もう10年以上も前から、しかも小学3年生から、コンピュ
ータの授業をしている。オーストラリアで教授をしている友人はこう言った。「子ども
たちが学校を卒業したとき、多様な社会に適応できるようにするのが教育」と。

わかりやすく言えば、子どもたちにとって、将来、役にたつ知識を教えるのが教育だ、
と。

しかし日本にはそういう視点がない。教育者自身にもない。高校2年で、微分と三角関
数を学ぶ。高校3年で、その三角関数の微分まで学ぶ。一体こんな知識が、何の役にた
つというのか。教えている私のほうが、バカバカしくなる。

しかも大学の入試問題ときたら、それをさらに二つも三つもひねったような問題ばかり。
仮に平均点があがれば、問題はもっと難しくなるだけ。さがれば簡単になるだけ。

 日本は江戸時代の身分制度の亡霊を、いまだに引きずっている。仕事によい仕事もない。
悪い仕事もない。上下もない。あるはずがない。人間にも、そして学校にも、あるはずが
ない。

にもかかわらず、日本人はそれを意識している。そしてそれを基準に、人間を選別して
いる。勉強は、まさにその選別の手段というわけである。が、しかしもう、こんな愚か
なことはやめよう。あなたや私は、今の受験制度の中で苦しんだ。それでもう十分。ど
うしてこんな制度を、次の世代に残さなければならないのか。(1999年記)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●新学力観という、観点(役に立つ教育)

++++++++++++++

役に立つ教育が、どうして
悪いのか?

「基礎学力」という言葉に
だまされてはいけない。

++++++++++++++

 「地面に立てたポールを利用して、太陽の高度を調べるにはどうしたらよいか。図解し
て説明せよ」という問題がある。

文部省が実施した「新学力テスト問題」の一つだが、中学一年生での正解率は、たった
の10・4%(99年)。

しかしこんなことは、教育が始まる以前から、人間には常識だった。昔の人間は、皆、
太陽の位置や影の長さで時刻を知った。今の子どもたちは、そんなことも知らないのか
ということにもなるし、裏を返せば、今の教育は一体、何を教えているのかということ
にもなる。

 教育の基本は、「将来、子どもたちが生きていく上で、役にたつ知識や経験を、分け伝
えること」ではないのか。そういう視点がないと、受験教育に代表されるように、教育が
ただ単なる点数稼ぎのための道具にされてしまう。

もっと言えば、教育が人間選別の道具にされてしまう。

ちなみに中学生にこう聞いてみればよい。「君たちは、なぜ勉強するか」と。大半の子
どもたちは、こう答える。「高校へ入るため」「大学へ入るため」と。親にしてもしか
り。勉強をしない子どもを叱るとき、「そんなことでは、いい大学へ入れないぞ」と叱
ることはある。

しかし「将来、必要な知識が身につかないぞ」とは言わない。こうした教育がさらにい
びつになると、幼稚園でかけ算の九九を暗記させたり、漢字の読み書きを教えたりする
ようになる。

 一方、これは当然のことだが、子どもたちはその必要性を感じたとき、実に生き生きと
学習し始める。私はときどき、「お金儲けごっこ」をするが、そのときもそうだ。それは
こうして遊ぶ。

 まず子どもたち(年長児)に、紙で作ったお金を渡す。そしてそれで折り紙を買わせる。
大小さまざまな大きさの折り紙があって、それぞれ値段が違う。子どもたちはその買った
折り紙で、いろいろなものを作る。絵を描く子どももいる。で、それができたら、今度は
こちら側(教師)が、そのできたものを買いあげてあげる。じょうずにできたのは、高い
値段で。そうでないのは、安い値段で。あとはこれを繰り返す。

ときどき、ほかの子どもが作ったものを、別の子どもに売ってあげることもある。20
円で買いあげたものを、40円で売りつけたりすると、子どもたちは「ずるい、ずるい」
と言うが、「これが資本主義の原理だ」などと、わざと難しい言葉で言ってやると、た
いてい静かになる。さらに慣れてくると、子どもたちどうしで、ものの売買をし始める
ようになる。

 こうした動機づけがあると、あとは放っておいても、子どもたちは自ら、足し算や引き
算をするようになる。多い、少ないの判断も、そして損得の判断もできるようになる。さ
らに「労働することの喜び」もわかるようになる。

 文部省の新学力観では、「知識の獲得量ではなく、自分で考え、表現する力を重視する」
となっている。私はこれには大賛成だが、ただし一言。こういう指導が全国一律になされ
るところにも、問題がある。中央官僚の一声で、全国の先生たちが、同じように行動する。
それこそまさに全体主義ではないのか。私はむしろそちらのほうを心配する。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●鳥獣戯画

+++++++++++++++++++++

鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)の
作として知られる、「日本最古の漫画」(ウィキ
ペディア百科事典)が、「鳥獣戯画」と呼ばれる、
絵巻物である。

制作年代は、12世紀〜13世紀(平安時代末期〜
鎌倉時代初期)と言われている(同)。

作者がだれか、またいつの時代のものかは
別として、鳥獣戯画を通して、その作者は、当時の
世相を、痛烈に風刺した。

実は、私も、このところ、バカな人(頭ではない。
バカなことをする人を、バカという)を見ると、
どこか動物に思えてくる。と、同時に、あの
鳥獣戯画を、頭の中で思い浮かべる。

+++++++++++++++++++++

 映画『フォレスト・ガンプ』の中で、フォレストの母は、フォレストに、こう言う。「バ
カなことをする人を、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。

 そのバカな人は、多い。どういう人がそうであるかは、ここには書けない。書けないが、
あなたの周囲にも、何人かはいるはず。

 そういう人を見ると、このところ、そういう人が、ウサギか、サルか、カエルに見えて
くる。まさに鳥獣戯画の世界である。またそう思うことで、私はその人のことを忘れるよ
うにしている。

 が、それには条件がある。

 私自身が、その人よりも、数段、「上」にならなければならないということ。「上」と
いうのは、知識や経験はもちろんのこと、人間的にも……という意味である。そうすると、
相手が、自然と、そのウサギか、サルか、カエルに見えてくる。

 総じて言えば、人は、何か特別の努力でもしないかぎり、満35〜40歳を境に、知力
は急速に衰えてくる。ほとんどの人は、高齢になればなるほど、人間的な完成度が高まる
と考えている。が、それはまったくの誤解。ウソ。幻想。

 自分がその(年齢)になってみて、それがよくわかった。むしろ事実は逆で、満35〜
40歳を境に、人は、保守的になり、がんこになり、ついでに、バカになる。人によって
は、脳みその底に、穴があいたような状態になる。

 だから年配者をみるときは、いつも、その人が、どういう努力を、その裏でしているか
を見るとよい。その努力を感ずる人には、敬意を払う。しかしそうでなければ、無視。あ
るいは相手にしない。適当につきあって、それでおしまいにする。

 ……というのは、言いすぎだということは、私にもわかっている。しかし人は生きてい
く過程で、いろいろなトラブルに巻き込まれる。これは生きていくことにまつわる宿命の
ようなもので、それを避けることはできない。

 仕事上の関係。近隣者との関係。親類との関係。友人との関係などなど。

 そういうトラブルに巻き込まれたら、ここに私が書いたようにするとよい。それなりの
人なら、相手にすればよい。そうでなければ、無視。あるいは相手にしない。適当につき
あって、それでおしまいにする。

 と、同時に、相手を、ウサギか、サルか、カエルだと思えばよい。それは実に楽しいこ
とでもある。少し訓練すると、それが簡単にできるようになる。……というようなことを、
あの鳥羽僧正は考えながら、鳥獣戯画を描いたのではないか。「風刺画」というのは、そ
ういう意味である。

 
Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●私の家の居間

++++++++++++++

白い日差しがまぶしい、
久々のよい天気。

今日は日曜日。貴重な日曜日。

どこか体はだるいが、それも
気持ちよい。

++++++++++++++

私の家では、居間と台所が、ひとつの部屋でつながっている。全体で、ちょうど20畳の
広さがある。建てたときは、ずいぶんと広い部屋に思えた。建ててくれた大工も、そう言
った。しかし今では、この程度の広さは、標準的という。

 その居間の南側には、1間半のハバのある掃き出しのガラス戸が2つある。だから居間
の私の席にすわると、そのまま庭が一望できる。私はそこから見る景色が好き。心が落ち
着く。何もしないときは、その席から体を倒し、横になって休む。

 その庭には、大きな栗の木が1本、ある。友人の結婚式から帰った日に植えたので、そ
の日のことはよく覚えている。私がちょうど30歳のときのことである。

 私の親指ほどの太さしかなかった木だが、今では、直径が、軽く30センチは超えた。
大木で、一度は、大屋根を越える高さにまでなった。そのあと、4、5年おきくらいに、
切っているので、今は、大屋根にやっと届くか届かないかという高さで、止まっている。

 夏はこうして涼しい日陰を与えてくれる。冬は葉を落とすので、そのまま暖かい日差し
を投げ入れてくれる。何度か切り倒そうと思ったことはあるが、そのつどワイフが反対し
たので、やめた。

 3人の息子たちは、よくこの栗の木の下で、こんな歌を歌った。「♪大きな栗の木の下
で……。私とあなた……」と。そんな思い出が、この木には、無数にしみこんでいる。

 で、その向こうは、キーウィの棚。これも30年近く、そこにある。多いときは、ダン
ボールで数箱分のキーウィが収穫できた。今は老木だが、それでも毎年、食べきれないほ
どの実をつけてくれる。

 あとは小さな畑と、数本の木をのぞいて何もない。ただの広場になっている。ときどき
雑草が伸びるが、それは除草剤で始末している。

 そうそう庭にやってくる小鳥たちのことを忘れていた。私は子どものころから、鳥が好
き。鳥というより、飛ぶものは、何でも好き。飛行機、風船、しゃぼん玉、凧など。もし
生まれ変わることができたら、私はつぎには、鳥に生まれ変わりたい。たいした鳥でなく
てもよい。スズメでもよい。山鳩でもよい。できればトビか、カモメになりたい。

 そんなわけで、こうして小鳥たちがやってくるのを、ぼんやりと見つめているのも好き。
ときどき、……というか、餌の少ない季節には、庭に、餌をまいてやる。毎年、2月から
4月にかけての時期である。それから親鳥が子どもを連れてくるようなときにも、まいて
やる。今が、その時期である。

 その私は、今、こうしてパソコンのキーボードをたたいている。たった今、古いノート
パソコンの修理をしたところ。ワードで文書を書いていると、CDトレイが勝手に作動し
始め、止まらなくなってしまう。調べてみると、システムファイルの中に、破損ファイル
が見つかった。それを修復した。つまり、これは試し打ちというわけ。今のところ、サク
サクと気持ちよく動いている。

 パソコンの裏を見ると、「2000年9月19日購入」とある。もう7年も使っている
ことになる。P社製のレッツ・ノートという機種である。キーボードの感触がやわらかく、
指で触れているだけで、気持ちよい。やわらかい女性の肌のような感じがする。

 このパソコンは、ほぼ世界を一周している。外国へ行くときは、いつもこのパソコンを
持ち歩いている。もう一台、T社製のダイナブックという小型ノートをもっている。が、
これは国内旅行用。電車の中でも文字を打つことができる。

 ワイフは、先ほどから、「どこかへ行く?」と私に聞いている。でかけたい気分もある
し、このままのんびりと過ごしたい気分もある。半々というところか。見たところ、白い
光線がまぶしく、外は暑そう!

 居間の中では、扇風機一台で、心地よく過ごせる。実のところ、このままうたた寝をし
たい。しかしワイフが、多分、それを許してくれないだろう。私のまわりで、うろうろし
ている。「行こうか?」と声をかけると、すぐさま、行動に移すだろう。そういう雰囲気
が、よくわかる。だから、私はあえて、だまっている。

 久しぶりに晴れわたった、日曜日の午後。やや強い風が、庭の端にあるクルミの木の葉
を大きく揺らしている。スズメのさえずる声。ときおりブーンと音をたてる冷蔵庫の音。
ワイフは、あきらめたのか、私の横で新聞を読み始めた。

 いろいろ考えるが、煙のようで、まとまらない。書きたいこともあるが、それもまとま
らない。ここで指を休めたら、私はそのまま眠ってしまうかもしれない。そんな日曜日。
日曜日の朝。時刻は、午前10時を少し回ったところ。

 「パソコンの調子、よくなった……」と声をかけると、「よくなった? 掃除をしたか
ら?」とワイフが言った。

 「どこかへ行こうか?」「うん」と。

 そんなわけで、このエッセーは、ここまで。みなさんも、よい日曜日を!

+++++++++++++++

 近く、息子のEが帰省する。何でも今日から休暇とかで、成田から沖縄へ向かうらしい。
その帰りに、浜松へ寄ってくれる。「早く、会いたいね」とワイフに言うと、ワイフは、
「うん」と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●無私、無欲の老後生活

++++++++++++++++

老後を、いかに美しく生きるか?
そのヒントとなるのが、統合性の
問題である。

死の限界を感じたら、(すべきこと)を
(現実にする)。この両者を一致させる。

そういうひたむきな姿から、老後の
美しさが生まれる。もちろん、その
人自身の生きがいも、そこから生まれる。

ヒントは、無私、無欲。功利、打算が
入ったとたん、統合性は、霧散する。

++++++++++++++++

●ある男性

 たとえばここに1人の男性がいる。年齢は80歳。55歳で、官職を退任してからとい
うもの、ほとんど毎日、庭いじり三昧(ざんまい)。1人、娘がいるが、東北のある都市
に嫁いでからというもの、数年に1度、あるいは、5、6年に1度くらいしか、帰ってこ
ない。帰ってきても、子ども(その男性にとっては孫)もつれてこない。その男性とは、
会話らしい会話もしない。

 妻はいるが、数年前に腰を痛めてからというもの、籍を、近くの老人養護施設に移して
いる。ときどき男性のもとに帰ってきて、洗濯や部屋の掃除をする。しかしやはり妻も、
その男性との間では、会話らしい会話をしない。

 ここに書いた男性というのは、架空の男性である。ひとつの例として、私が考えた。

●軽蔑すべき自己愛者たち

 自己中心性が強いということは、EQ論(人格完成論)に従えば、それだけ人格の完成
度が低いということになる。その自己中心性が肥大化した状態を、「自己愛」という。

 自己愛というのは、軽蔑されるべきものであって、けっして、賞賛されるべきものでは
ない。その男性について言うなら、その男性は、自分のしたいことをしているだけ。一見、
優雅な老後生活に見えるが、心の中は、からっぽ。乾いた秋の風が、その中でカラカラと
吹いている。

 そういう男性のことを「自己愛者」という。

 そこで統合性の問題。このところ、この問題についてばかり書いているので、うんざり
している人も多いかと思う。そこでここでは、さらにその先について考えてみたい。

●心豊かな老後生活

 統合性の問題は、いかにして老後を、心豊かに生きるべきかという問題と直結している。
統合性を確立した人は、老後になっても、前向きに生き生きと、自分の人生を過ごすこと
ができる。ただしそれには、条件がある。

 無私、無欲。

 ほとんどのばあい、(自分がすべきこと)には、苦労や苦痛がともなう。(できればし
たくないこと)のほうが、多い。ボランティア活動を例にあげるまでもない。

 ボランティア活動にしても、そこに功利、打算が入ったとたん、ボランティア活動は、
ボランティア活動としての意味を失う。無私、無欲でするから、ボランティア活動なので
ある。

 では、趣味は、どうか?

 先の男性は、毎日、庭いじり三昧の生活をしている。自宅の裏には、100坪程度の畑
ももっている。しかし先にも書いたような人だから、訪れる人もいない。その季節になる
と、庭中に、美しい花が咲き誇る。が、それを愛(め)でる人もいない。近所の人でさえ、
その男性の家には、近寄らない。遠回りをして歩く。視線を合わせるのが、いやだからで
ある。

 先にも書いたように、ここに書いた男性というのは、架空の男性である。話の内容をわ
かりやすくするため、人物像を極端化してみた。しかしこういうタイプの老人は、少なく
ない。ひょっとしたら、あなたの周囲にも、1人や2人、いるかもしれない。要するに、
自分の老後を、自分のためだけに生きているような老人である。自己満足のためだけに生
きているような老人である。

 つまり趣味に生きるというのは、あるべき老後の姿ではないということが、これでわか
る。またそういう老後を送っているからといって、その老人が充実した毎日を送っている
と考えるのは、正しくない。

 そればかりか、そういう生活からは何も生まれない。もっと言えば、1年を1日にして
生きているだけ。10年を1年にして生きているだけ。さらにもっと言えば、「ただ生き
ているだけ」。

●一方、こんな女性も

 一方、私の近所には、こんな女性がいた。「いた」というのは、現在、体をこわし、も
う1年近く入院したままの生活を送っているからである。実在の女性である。年齢は、今
年、98歳になると聞いている。

 その女性の近くに中学校がある。その女性は、毎日、ハサミをもって、中学校のまわり
の草を刈っていた。(あの小さなハサミで、だぞ!)もちろんゴミも拾っていた。そのた
めその中学校のまわりは、いつも清潔だった。雑草、1本、生えていなかった。

 そういう女性を見かけると、自然と頭がさがる。実際、私はその女性だけには、あいさ
つを欠かしたことがない。エンジン付の草刈り機を使えば、半日ですむかもしれない。し
かしその女性は、毎日、少しずつ、ハサミで雑草を刈っていた!

 つまり統合性を確立した人の生き様は、それだけで、それを見る人に感動を与える。そ
の感動が、人からまた別の人へと伝わっていく。そしてその「輪」が広がるたびに、それ
ぞれの人に、生きる喜びを与える。

 けっしておおげさなことを言っているのではない。その喜びがまた、その女性の生きが
いとなって、はねかえってくる。統合性の問題には、そういう意味も含まれる。つまり統
合性の問題は、個人の問題ではないということ。個人というワクを超えて、他人を感化す
る力をもっている。

●私なりの結論

 さて自分の老後を、どう組み立てるべきか。長い間、私は、この問題について考えてき
たが、ここに書いたことが、そろそろ、その結論ということになる。

 私たちは、40歳を過ぎたら、(私は何をすべきか)を考える。(したいこと)ではな
い。(すべきこと)を考える。そしてその基礎を作り始める。こうした基礎は、一朝一夕
にはできない。10年単位の熟成期間が必要である。

 そして老後を迎えたとき、その基礎があってはじめて、私たちは、その上に、統合性を
確立することができる。何度も繰りかえすが、(すべきこと)には、苦労や苦痛がともな
う。しかも無私、無欲でなければならない。

 それが心豊かな老後生活を送るための、必要条件ということになる。もちろん基礎とな
るテーマは、みな、ちがう。ちがって当然。それぞれがそれぞれの道で、自分の統合性を
確立すればよい。

 ある女性は、80歳を過ぎてから、乳幼児の医療費無料化の問題に取り組んでいた。
 べつの女性は、今、スイスに住み着いて、着物の着付けの普及活動に取り組んでいる。
 さらに別の女性は、大通りに、手作りの店を開いている。身体障害者の人たちが作った
作品などを、積極的に並べ、販売に協力している。

 ……この問題を考えるようになって、もう1年近くになる。とくに年老いた母が私の家
にやってきてからは、真剣に考えるようになった。母を介護しながら、私は、毎日、そん
なことばかりを考えていた。

 あとは、自分の定めた目標に向かって進だけ。道は見えた! がんばろう。


はやし浩司++++++++++July 07+++++++++Hiroshi Hayashi

●K国問題

+++++++++++++++++

6か国協議を終えた、K国の代表が
こう言った。

「われわれは、重油を飲む寄生虫では
ない」※と。

よくわかっていらっしゃる!

すばらしい。だれもそんなことを
言っていない。が、自分から、そう
言った。

心の貧しさというか、人というのは、
貧しくなると、そこまで言うように
なる(07年7月)。

+++++++++++++++++

 その6か国協議。老朽化して使い物にならない、Yビョンの核開発関連施設について、K
国は、作動を停止した。(停止しただけだぞ!)IAEAの査察官も、入った。とたん、
今度は、「(解体してほしかったら)、軽水炉をよこせ」と。

 言っていることが、もう、メチャメチャ。常軌を逸している。が、問題は、なぜ、そこ
まで常軌を逸しているかということ。

 実は、そこに(貧しさ)の問題が隠されている。

 (貧しさ)というよりは、その(貧しさ)から生まれる、ねたみ、嫉妬、羨望、ひがみ、
劣等感が、心をゆがめる。心そのものを、貧しくする。前にも書いたが、一度、そういう
状態になると、「オレたちが貧しいのは、お前たちが悪いからだ」という論理(?)を振
りかざすようになる。

 心の貧しい人たちは、独特の論理(?)をもっている。自分の努力不足や、才能不足を
棚にあげ、責任を、他人に転嫁する。たとえばこんな例で考えてみよう。

 あなたはその日の生活費にも困るほど、貧しい。自分の子どもたちに食べさせるものす
ら、じゅうぶんに買うことができない。そんなとき、ふと、隣の家の中をのぞくと、そこ
には、山のように積まれた食べ物がある。話を聞くと、夏休みには、家族でオーストラリ
アで休暇を過ごすという。

 そういうときあなたは、そういう隣人を見て、どう思うだろうか。「うらやましい」と
思うのは当然としても、自分たちの努力不足を反省し、それを明日へのエネルギーへと昇
華することができるだろうか。

 そういう人もいるが、貧困が長くつづいた人ほど、ものの考え方が卑屈になる。そして
こう言う。「お前たちが、オレたちの分まで横取りするから、オレたちは貧しいのだ」と。

 ……こう書くからといって、何も、あのK国を擁護しているのではない。ただ日本の論
理だけでものを考えても、彼らの心の奥底を読むことはできないということ。K国は、あ
まりにも貧しい。アジアどころか、世界の中でも、1、2を争う最貧国である。

 K国ウォンは、対外的には、紙くず同然。平均的労働者の1か月の収入は、1、2米ド
ルにもならない。今月(7月)に入ってから、北部地域では、餓死者が出ているという報
告も届いている。

 貧しいといっても、貧しさのレベルがちがう。

 だから……。私たちは、K国を笑う前に、なぜそうなのかを、一歩抜き出て、考えなけ
ればならない。つまりそうすることによって、私たちは、彼らの前を歩くことができる。
わかりやすく言えば、あんな国を、本気で相手にしてはいけない。またその価値もない。

 不遜な笑みを浮かべて、偉そうに、実に偉そうにふんぞり返って歩く、K国の代表たち。
私たちは、そこに、人間がもつ、本来的な愚かさをみる。

 では、どうするか?

 遅かれ早かれ、K国は崩壊する。金xxの健康状態も、かなり悪化している。韓国やK
国の政府が、あせっているのは、そのためと考えてよい。

 だから日本は、静観していればよい。またそれ以外、今のところ、日本が取るべき選択
肢はない。今度も、K国が軽水炉問題を取りあげた。これで少しはヒル氏も、(現実)を
見るようになるだろう。

 それにしても、「われわれは原油を飲む、寄生虫ではない」とは! もしそんな言葉を、
他の国のどこかが口に出したとしたら、それだけで戦争になったかもしれない。さすが、
K国の代表。

 自分のことが、たいへん、よくわかっていらっしゃる! ホント!

(注※)……、「核問題の解決のために重要なのは、重油ではなく、(米国が)政策を変
えること。われわれは重油だけを食って生きる寄生虫ではない」と話した(朝鮮N報・7
月22日)。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================











***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 22日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●造話テスト法(子どもの心理)

 
(図は、HTML版のほうで……)
(日本文芸社・「臨床心理学」(稲富正治著)より転載)

 BW教室でも、造話テストをよくする。子どもの作文力を訓練するには、たいへんすぐ
れた方法である。

 それを心理学のレベルまで高めたのが、P−Fスタディと呼ばれるテスト法である。「投
影法の1種で、(絵画欲求不満テスト)とも呼ばれています」(「臨床心理学」・稲富正
治著)とある。

 そのテストを、そのまま、私の教室でも実施してみた。結果、たいへん興味深い事実が
わかった(07年7月)。

 まず、子どもたちが書いた回答を、紹介する(原文のまま)。

++++++++++++++++

★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったん
だ。ほんとうに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いっ
たんだよ。ボクのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるい
じゃん。それに、キミ めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)


★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだ
って、あそびたかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかっ
た」(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができな
かったんでしょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶ
んがわるくなるんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってか
ら べんきょうすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他
責・固執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他
責・固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よ
かったじゃないか」(他責・固執型)

++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、どこまでも自分
には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だ
が、A君は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、
思慮深く、静かな落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、
相手を責めまくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反
対の回答を書いたとしても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかとい
う点で、たいへん興味深かった。

 なおこの(P−Fスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分け
て考える(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
P−Fスタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト) 


+++++++++++++++++++++

子どもの欲求不満については、たびたび
とりあげてきた。

+++++++++++++++++++++

子どもの欲求不満を防ぐ法・(スキンシップでなおせ!)

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応
は、ふつう、次の三つに分けて考える。

(4)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状
態にあり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。

私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャ
ーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小4男児)がいた。あるいは私が、「今日は
元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした
女の子(小5)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、
暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分け
て考える。

(2)退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依
存性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれ
を叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケース
が多い。

(3)こだわり・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(こだわり性)、あるいはささいなことを気にして、
悶々と悩んだりする(執着性)。

ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多く見ら
れるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを
起こす。

ある男の子(小5)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大
切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その
子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメ
だというんでチョ」と。子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受
験勉強を見て育ったりすると、子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行
為と考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指
しゃぶり、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自
分の欲求不満を解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子ども
というのは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」とい
うのは、「疑いをいだかない」という意味。

その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男
児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったというこ
とで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。

子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんな
ことで……」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのよう
に消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずっ
たり、わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。
最初は抵抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカル
シウム分、マグネシウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシッ
プそのものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタして
いる。よく「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、
日本人のばあい、その心配はまずない。

そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不
満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決す
る。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【老後の統合性】

++++++++++++++++

(何をしたいか)ではなく、(何をすべきか)。

その(何をすべきか)を見出し、
現実の自分を、それに一致させて
いく。

それが老後を豊かに生きるための
秘訣ではないか。

そんなわけで、ここでもう一度、
老後の統合性を考えてみたい。

ただ、この老後の統合性を考える
上で、ひとつだけ条件があるとするなら、
それは大前提として、無私、無欲でなければ
ならないということ。

そこに功利、打算が入ったとたん、
統合性は、霧散する。

++++++++++++++++

●青年時代の同一性

 若いときは、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)を一致させれば、それ
ですんだ。(と言っても、それとて簡単なことではないが……。)

 よく「私、さがし」とか、「自分、さがし」という言葉を使う人がいる。そういう人た
ちは、結局は、(自分のしたいこと)がわからない。(自分はこうあるべき)という「像」
がつかめない人とみてよい。あるいは(自分のしたいこと)と、(していること)を一致
させることができない人とみてよい。

 だから、迷う。悩む。苦しむ。

 もう少し心理学的に説明すると、(自分はこうあるべき)という像を、「自己概念」と
いう。そしてそこには、(現実の自分)がいる。その現実の自分を、「現実自己」という。
この両者が一致した状態を、「自己の同一性」という。

 自己の同一性を確立した若者は、(何も若者にかぎらないが)、それなりに強い。ひと
つの目標に向かって、自分を燃焼させることができる。そうでない若者は、そうでない。

 私も、実は、高校2年の終わりまで、工学部の建築学科をめざして、勉強していた。さ
らにその前はといえば、大工になりたかった。しかし高校2年から3年にかけて、半ば無
理やりに進路を変えられてしまった。

 それはたとえて言うなら、好きでもない男性と、不本意な結婚をした女性の気持に似て
いる。顔を見るのもいや、においをかぐのもいや。肌に触れられるのは、もっといや。そ
ういう男性と結婚した、女性の気持ちに似ている。

 私は生涯において、そのとき、もっとも息苦しく、精神的にも不安定な時期を迎えた。

 つまりここで私は、いわゆる「同一性の危機」を迎えたことになる。わかりやすく言え
ば、リカちゃん人形のコスチュームを着せられ、踊りたくもないのに、舞台の上で踊らさ
れたようなもの。そのとき私は、私でなくなってしまった。

 が、やがて水が低いところを求めて流れていくように、私は私なりの道を見つけ、今の
私になった。しかしそれとて、10年単位の時間がかかった。今でも悔やまれるのは、あ
のとき、どうして私はもっと自分を主張できなかったかということ。「そんな有名な大学
でなくてもいい」「私は工学部へ進みたい」と。

●何をすべきか

 話が脱線したが、今でも、心のどこかに不完全燃焼感がないわけではない。「何か、や
り残した」という思いである。しかし年齢とともに、私はもっと大きな問題をかかえるよ
うになった。

 が、ここで誤解しないでほしいのは、(年齢)という数字が、問題ではないということ。
「40歳」「50歳」という、(数字)には、ほとんど意味がない。問題なのは、(命の
限界)である。加齢とともに、その(命の限界)を強く感ずるようになる。

 もっと端的に言えば、「死」である。「死」をそこに感ずるようになる。とたん、今ま
で見てきた風景が一転する。つまりそれまでは、(自分のしたいこと)をすること、で、
自分を満足させることができる。しかしそういう自分に対して、「……だから、それがど
うしたの?」と、問いかけるようになる。

 おいしい料理を食べた……だから、それがどうしたの?
 すてきな旅館に泊まった……だから、それがどうしたの?
 性能のよい新車を買った……だから、それがどうしたの?、と。

 そこで心理学者たちは、「統合性」という言葉を生み出した。同一性の問題が、(自分
のしたいこと)と(現実にしていること)を一致させることだとするなら、統合性の問題
は、(自分のすべきこと)と(現実にしていること)を、一致させること、ということに
なる。

 (したいこと)と(すべきこと)は、基本的な部分で、大きくちがう。自分の欲望のお
もむくまま、享楽的に何かをすることを(したいこと)という。(したいこと)をしてい
るときは、だれしも、楽しい。時の流れることさえ、忘れることができる。

 しかし(すべきこと)には、多くのばあい、苦痛や苦労がともなう。さらにほとんどの
ばあい、(すべきこと)は、(したいこと)ではない。(できればしたくないこと)であ
ることのほうが、多い。

 しかも(すべきこと)というのは、無私、無欲でしなければ意味がない。功利、打算を
考えたとたん、(すべきこと)は、そのまま霧散してしまう。

●「死」という限界状況の中で

 が、「死」をそこに感ずるようになると、(したいこと)の魅力が急速に薄れ、それに
かわって、「私は、最後に何をなすべきか」を考えるようになる。もっと言えば、(自分
という人間の存在の意味)を考えるようになる。

 それがわからなければ、仮に私やあなたが、何かの大病を患ったばあいを想像してみれ
ばよい。医師から、「あなたの命は、あと1年です」と宣告されたようなばあいでもよい。

 たった1年だぞ!

 そうなったとき、あなたはどういう心理的反応を示すだろうか。たった1年しかないこ
とを嘆き悲しみ、取り乱して、ワーワーとわめきつづけるだろうか。それとも(自分のす
べきこと)を自覚して、それに向かって、つき進むだろうか。もちろん、その中間もある
だろう。

 少なくとも、(したいこと)をしたからといって、ポッカリとあいた心のすき間を、そ
れで埋めることはできない。さらに言えば、(死という限界)を感じるようになると、名
誉、地位、肩書きのむなしさを、思い知る。山のように積まれた札束とて、ただの紙くず
になる。

 そこで改めて、私やあなたは、こう考える。「私は、なぜ、ここにいるのか?」と。

 ここで寿命を1年と書いたが、それが20年でもかまわない。30年でもかまわない。
もうすぐ私は満60歳になるが、どうがんばっても、あと30年前後しか生きられない。
しかも「健康寿命」というのもある。平均寿命から10年ほどを引いた年齢を、健康寿命
という。

 言いかえると、晩年の10年は、(不健康との戦い)ということになる。脳梗塞、認知
症、持病の悪化などなど。家庭医学書に書いてある、無数の病気が、そこで私やあなたを
待ちかまえている。してみると、私の命などというものは、長くみて、あと20年。20
年もあれば、御(おん)の字ということになる。

 1年でも寿命なら、20年でも寿命である。

 しかしここでおかしな錯覚にとらわれる。「1年だと短いが、20年だと長い」という
錯覚である。1年と宣告されると、あわてる人は多い。が、そんな人でも、20年と宣告
されれば、あわてない。「ひょっとしたら、100歳を超えても、自分だけは健康で生き
られるかもしれない」という、ばくぜんとした期待感が、自分から死の恐怖を遠ざけてく
れる。

 そういうことはある。

 しかしそれが、「私は、なぜ、ここにいるか?」という問題の答になるわけではない。
わかりやすく言えば、今、そこにある問題を、先延ばしにしているだけ。

●真の自由

 ところで(自由)には、2つの意味がある。行動の自由と、魂の自由である。行動の自
由はともかくも、魂の自由は、ハイデッガー流に考えるなら、死の恐怖から解放されては
じめて、自分のものとすることができる。

 死は、私やあなたから、すべてのものを奪う。そういう意味で、「死は不条理なり」と
いう。つまりいくら「私は自由だ」と叫んでも、「死」を前にしたら、「私」など、空中
に浮かぶ、かげろうほどの意味もない。事実、死ねば、私やあなたは煙のごとく、この世
界から消える。

 そこで実存主義を信奉する哲学者たちは、「無私」という言葉に行きついた。「私」が
あるからこそ、死は恐怖となる。が、もし「私」がなければ、失うものは、何もない。つ
まり死の恐怖から、解放される。無一文の人は、泥棒を恐れない。無肩書きの人は、地位
を失うことを恐れない。それと同じに考えてよい。

 (すべきこと)には条件があると書いた理由は、ここにある。私やあなたは、(すべき
こと)をすることによって、真の自由を手に入れることができる。またそれが(すべきこ
と)の最終目標ということになる。

●あるべき老後とは

 話がこみいってきたので、結論を急ぐ。

 老後を心豊かに生きるためには、(自分のしたいこと)だけをしても、意味はない。よ
く、「老後は孫の世話と庭の手入れ、それに旅行三昧(ざんまい)の生活をしたい」と言
う人がいる。しかしそうした生活は、けっして老後のあるべき姿ではない。またそれをし
たところで、心のすき間を埋めることはできない。
 
 私やあなたは、(自分がすべきこと)をする。個人によってテーマはちがうかもしれな
い。が、(自分がすべきこと)を知り、それに向かって、前に進む。

 が、ここで重大な問題にぶつかる。(自分がすべきこと)というのは、そうは簡単には
見つからない。またそれを見つけるにしても、下準備というものが、必要。その下準備が
熟成されて、それが(すべきこと)につながる。

 ユングの「ライフ・サイクル論」によれば、40歳前後から、人は、(人生の正午)を
過ぎ、中年期、さらには老年期へと向かうとされる。その年齢を、40歳とした。なお「自
己の同一性(アイデンティティ)」という概念は、エリクソンという学者が考えたもので
ある。

ユングの説によれば、つまり発達段階論によれば、そのころから、(自分のすべきこと)
の下準備をしなければならないことになる。しかし40歳でも、早すぎるということは
ない。30歳でも、早すぎるということはない。

 先に書いた統合性の問題は、何も、老人たちの問題ではないということ。むしろ、「死
の限界」を感ずるようになってからでは、遅いということ。そのことは定年退職していく
人たちを見れば、わかる。

 私の友人、知人たちは、今、いっせいに、その定年退職を迎えつつある。それぞれ老後
の夢をもっている。「日本中を車で一周する」「農地を買って、百姓をする」「本を1冊、
書く」とかなど。中には、どうしてそういうジジ臭いことを考えるのかよくわからないが、
「四国八十八か所めぐりをする」と言う人もいる。

 しかしみな、それまでのキャリアを、その時点でへし折られることになる。私も、その
1人だが、「今までの私は何だったのか」と、それを思い知らされる。あるいは「今まで
私は、何をしてきたのか」でもよい。

 老後という乾いた道には、何もない。恐ろしいほど、何もない。しかもその道は、先へ
行けば行くほど、細くなる。左右は、断崖絶壁。その下では、「死」が、「おいで、おい
で」と手招きしている。で、せいぜい私たちができることと言えば、その道を、ただ黙っ
て、静かに歩くこと。

 ……というのでは、あまりにも悲観的すぎる。そこで再々度、「統合性」の問題という
ことになる。

 私やあなたは、何をすべきなのか? またその(自分がすべきこと)を、どうすれば、
現実の自分と一致させることができるのか? あるいは私やあなたには、その下地がある
のか? どうすれば、その下地を発展させることができるのか?

 私はあと数か月で、満60歳になる。まさに正念場を迎えることになる。

++++++++++++++

少し前に書いた原稿を、少し
手直しして添付します。

++++++++++++++

【老齢期の絶望】

++++++++++++++++

老齢期は老齢期で、
自分のアイデンティティを
確立しなければならない。

自分を真剣の見つめなおさなければ
ならない。

+++++++++++++++

●自分を受け入れる

 老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、肯定すること。エリクソンは、それを
「(人生の)統合性」と呼んだ。

「老齢」といっても、50代、60代のことではない。ユングの「ライフ・サイクル論」
によれば、40歳前後から、人は、(人生の正午)を過ぎ、中年期、さらには老年期へと
向かうとされる。

 この時期までに、その人のアイデンティティ(=自己同一性)は、おおかた決まってく
る。が、中には、そのアイデンティティをかなぐり捨ててまで、別の人生を歩もうとする
人がいる。

 こんな話を耳にした人は多いと思う。

 「第二の人生」と踊らされて、退職後、田舎暮らしを始める人たちの話である。私が知
るかぎり、こうしたもくろみは、たいてい失敗する。たとえば浜名湖の北に、Aという村
があった。退職者たちが集まってつくった村である。

 当初はマスコミにも騒がれ、それなりに注目されたが、それから15〜20年。今は見
る影もない。荒れ果てた原野に逆戻り。地元の小学校で校長をしている男性に理由を聞く
と、こう話してくれた。

 「周囲の村の人たちと、うまく溶けこめなかったからです」と。

 それも理由のひとつかもしれないが、心理学的に言えば、アイデンティティの崩壊が起
きたからと考えるのが、正しい。つまり、それまでに自分がつくりあげてきたアイデンテ
ィティを放棄し、別のアイデンティティを求めても、うまくいかないということ。生命力
にあふれた成人前期(ユング)でも、アイデンティティの確立はむずかしい。いわんや、
中年期においてをや。

 人生の正午を過ぎると、精神力、体力は急速に衰えてくる。それ以上に、「死」をそこ
に感ずるようになる。時間の限界を覚えるようになる。言うなれば、断崖絶壁の上に立た
されたような状態になる。

 そういう状態で、それまでの自分を否定する。それまでの自分とはまったく別の人生を
歩もうとする。が、それはそのまま、想像を絶するストレッサーとなって、その人にはね
かえってくる。

 たいていの人は、この段階で、もがき、あがき、そして苦しむ。自己否定から、絶望す
る人も少なくない。

 もっとも、だからといって、たとえばここに書いたような田舎暮らしに、みながみな、
失敗するというわけではない。中には、それなりにうまく、田舎に溶けこんでいく人もい
る。

●屋久島に移り住んだ知人

 たとえば私の姉の義理の叔父は、50歳を過ぎるころまで、名古屋市内で事業を営んで
いた。が、そのころ会社を他人に売り払い、そのまま、屋久島に移り住んだ。九州の南に
ある、あの屋久島である。5、6年前に80数歳の歳で亡くなったが、その人のばあい、
30年以上、その屋久島で、田舎暮らしをしたことになる。

 それには理由がある。

 姉の義理の叔父は、それまでも、つまり若いときから、年に数回は屋久島に旅をつづけ
ていた。屋久島に心底、惚れこんでいた。そういう下地があった。だからうまくいった。
うまくいったというよりは、移住した時点で、(自分がしたいこと)と、(現実の自分)
を一致させることができた。

 そういう例なら、私にも理解できる。しかしそれまで都会でサラリーマンをしていた人
が、突然、田舎へ移り住んで、それでうまくいくということは、心理学的に考えても、あ
りえない。いくらそれが(自分がしたいこと)であっても、それに合わせて、(現実の自
分)をつくることは、たいへんなこと。並大抵の努力ではできない。遊んでいても暮らせ
るならまだしも、農業を職業とするとなると、なおさらである。

 では、どうするか?

●生の縮小

 大切なことは、冒頭にも書いたように、老齢が近づいたら、それまでの自分を受け入れ、
肯定すること。あるいはそれまでの人生の延長線上に、自分を置くこと。ユングは、「生
の縮小」という言葉を使った。が、だからといって、それは敗北を意味するのではない。
「生の縮小」とは、自分の限界を認めること。「ああ、私はこんなものだ」「私の人生は、
こんなものだ」と。

 そしてその範囲の中で、自分ができることを模索する。そういう意味では、ユングも言
っているように、この時期こそ、自分を真剣に見つめなければならない。またその努力を
怠ってはいけない。

 私も、もうすぐ満60歳になる。定年退職ということはないにしても、心の中では、す
でに老齢期の過ごし方を準備している。しかしその過ごし方は、今の私とまったく別のも
のではない。「60歳を過ぎて、何をすべきか」「70歳になったら、何をすべきか」と
いう視点で、ものを考える。

 でないと、自分がバラバラになってしまう。へたをすれば、先にも書いたように、自己
否定から、絶望へと進んでしまう。が、何としても、それだけは避けなければならない。
そのためにも、今こそ、私は、自分を真剣に見つめなおさなければならない。

 ついでに一言。

 私はときどき、ふと、こう思う。もし神様か何かが、私にこう言ったとする。「お前を、
奇跡によって、もう一度、青春時代に戻してやろうか?」と。

 しかし多分、私は、こう答えるだろうと思う。「これからも健康でいたい。長生きをし
たい。そのために努力はする。しかし同じ人生をもう一度歩めと言われるなら、それは断
る。人生は、一度でたくさん」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
老齢期の統合性 アイデンティティ アイデンティティの確立 人生の正午 生の縮小)

【補記】

この恐ろしいほどのニヒリズムは、
どこから来るのか?

地球温暖化の問題にしても、ふと、
「私には関係ない」と思ってしまう。

「少なくとも、私が死ぬまでは、
だいじょうぶ」と。

あるいは政治の問題にしても、
「勝手にしろ」と思ってしまう。

「どうせ、なるようにしかならない」と。

私のワイフですら、ときどき、
こう言う。

「あなた、1人くらいが悩んだところで、
どうにもならないのよ」と。

が、その一方で、その私を、急(せ)きたてる
ものがある。

「急げ、急げ、急がないと、間に合わないぞ」と。

それが今、こうしてものを書く原動力に
なっている。

そこに何があるか、私にもわからない。
なぜ、こうして毎日ものを書いているのかさえ、
私にもわからない。

しかし今の私が、今までの私の結果であると
するなら、今の私は、今の私をそのまま
受け入れるしかない。

今さら、ゴビの砂漠で、ヤナギの木の苗を
植えろと言われても、できるものではない。

老人介護センターで、ヘルパーのボランティア
活動をしろと言われても、できるものではない。

またしたところで、満足感を得られるもの
ではない。私は、その下準備をしてこなかった。

つまり私は私で、今の私を、貫くしかない。

「そのうちいいこともあるだろう」という程度の
淡い期待感でしかないが、悪いことばかりではない。

昨日も、1通の礼状が届いた。私はそれを
ポケットに入れたまま、そのつど、何度も
読み返した。うれしかった。励まされた。

私がしていることが、どこか知らないところで、
知らない人に、小さな感動を与えている!

私のすべきことは、こんなところにあるのかも
しれない。

あとは、それに向かって、前に進むだけ。
もう迷っている暇はない。

だれが何と言おうとも、私の知ったことではない。
私は、私の道を進む。

それが私にとっての、(統合性の一致)という
ことになる。

++++++++++++++++++

先日、磐田市のN公民館でした講演会についての感想が届いています。これをお送りくだ
さいました、館長、ならびに担当のTさん、どうもありがとうございました。昨日から今
日にかけて、ポケットから取り出し、何度も読み返しました。うれしかったです。手紙が
くしゃくしゃになっているのは、そのためです。

 
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(7月21日)

+++++++++++++++

昨夜は、仕事が終わると、そのまま
山荘へ。

一晩、そこで泊った。

朝、早く、小雨が降る中、
ヒグラシが鳴き始めた。

静かな声だった。
やさしい声だった。
心の奥にしみいる、
澄んだ声だった。

カナカナカナ……、と。

私はヒグラシの声が大好き!

横で眠っているワイフを
起こした。

「聞こえるか?」と。
ワイフは、うんと返事をしたあと、
体を上に向け、静かに目を閉じた。

カナカナカナ……
カナカナカナ……。

++++++++++++++

●雨

 おとといと、昨日は、計4単位以上も、運動をした。自転車で、40分x4単位。プラ
ス、5キロ近くを、早足で歩いた。

 おかげで今朝は、体がだるい。おまけに雨。山荘から帰ってきてからは、うたたね、ま
た、うたたね。

 ところで、「早足」か、「速足」か?

 時刻が早いことを、「早い」という。「早」という字は、もともとは、草の上に太陽(日)
がのぼっている様子を文字にしたものだそうだ。

 しかし速度が速いことを、「速い」という。もともとは、口をたばねて、走っている人
の様子を文字にしたものだそうだ。

 (このあたりのことは、私は詳しいぞ! 私は若いころ、そういう本を編集、制作した
ことがある!)

 しかし「早足」というのも、おかしい。正しくは、「速足」のはず。速度をあげて歩い
たのだから、「速足」? しかし時間を短縮して歩いたのだから、「早足」でもよい。

 そこで愛用の『日本語大辞典』を開いてみる。結果、正しくは、「早足」だそうだ。「速
足」というのは、馬術における走法のひとつ、とある。

 日本語って、本当にむずかしい。いまだに、「早」なのか、「速」なのか、よく迷う。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
















***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用).  mQQQm
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 20日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(7月20日)

+++++++++++++++

以前、こんな子ども(小6・男児)がいた。

赤ちゃん返りという現象は、幼児期には
よく見られるが、その子どもは、赤ちゃん
返りならぬ、「幼児返り」を起こしていた。

ボロボロになった雑誌を大切そうに、
いつもバッグの中に入れて、もち
歩いていた。

私が、「これは何?」と声をかけると、
突然、(それ以前にも、そういう話し方
をするときはあったが……)、幼児言葉に
なり、こう言った。

「どうチェ、ダメだと言うんでチョ。
こんな本、読んでは、ダメだと言うん
でチョ……」と。

幼児でもそんな言い方はしないというような
幼児ぽい言い方だった。

原因は、父親と兄だった。

兄はそのとき中学生で、毎晩、父親との間で、
「勉強しろ!」「うるさい!」の大乱闘を
繰りかえしていた。

その子どもは、それを見て、恐怖心をもった。
つまり幼児の世界に逃げこむことによって、
中学生になる(=成長する)ことを、
無意識のうちにも、拒否していた。

それが幼児返りとなって、現れていた。

++++++++++++++++

●子どもの未来は、脅さない

 子どもは、発達段階で、そのつど、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長してい
く。しかしときに、何らかの原因で、その発達がその段階で、踏みとどまってしまうこと
がある。

 ここに書いた男児のケースでは、父親と兄にはその意識はなくても、弟であるその男児
は、はげしい大乱闘を見ることによって、それを心の傷(心的外傷)としてしまった。

 そしてその段階で、「固着」、つまり無意識下における、大きな(こだわり)をもって
しまった。「固着」というのは、「成長するエネルギーが、その段階ごとに発展的に解放
されず、その段階で、踏みとどまっている状態」と考えるとわかりやすい。

 私は、(こだわり)を言いかえている。親たちに話すときは、そのほうが、ずっとわか
りやすい。

 そしてその男児のように、幼児期という過去に逃げこみ、未来に向けて発展的に成長で
きない状態を、心理学の世界では、「退行」と呼んでいる。その男児は、いつかはわから
ないが、(あるいは連続的にそういう印象をもったのかもしれないが)、中学生になるこ
とに、強い恐怖心をもってしまった。

 だから冒頭に書いたような、赤ちゃん返りならぬ、幼児返りを起こしてしまった。

 こうした現象は、就学前の幼児にもよく見られる。

 小学校への入学が近づくと、中に、こんなことを言って、子どもを脅す親がいる。

「小学校の先生は、きびしいわよ。毎日1時間、書きとりをするのよ」
「小学校では、10数えるうちに、服の脱ぎ着ができないと、お尻をたたかれるよ」
「小学校では、毎日宿題をしないと、学校を追い出されるわよ」よ。

 親としては、子どもに自覚をもたせたいと思って、そう言うかもしれない。が、子ども
によっては、それを(恐怖)ととらえる。そして小学校に入学することについて、恐怖心
をもつようになる。

 これがここでいう(固着)となって、(退行)が始まる。下に弟や妹がいないのに、赤
ちゃん返りに似た症状を示すことがある。私はこれを勝手に、「退行現象」と、「現象」
という言葉をつけて、呼んでいる。

 そこで重要なことは、

(1)子どもの未来を脅さない。
(2)子どもの未来に恐怖心をもたせない。
(3)子どもの未来は、いつも明るく楽しいものしておく、である。

 これは子どもが人間的に完成期に入る、18歳前後まで、つづける。そして重要なこと
は、(なかなかむずかしいことかもしれないが)、子どもはあるべき環境の中で、あるが
ままに、育てる。それが子育てにおいては、必要最低条件ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 固
着 対抗 幼児がえり、幼児返り)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【抑圧と抵抗(2)】

+++++++++++++

昨日は、1日中、抑圧と抵抗
について、考えていた。

もともと(抑圧)というのは、
その人個人が、無意識のうちにも、
心の中に押し込めた、(病的な
心的プロセス)をいう。

何かのことで受けた心の傷(トラウ
マ)を念頭に置いて考えてみれば、
それがわかる。

その(抑圧)を、たとえば治療などに
よって、解放させようとすると、
その人個人は、これまた無意識の
うちにも、それをさせまいと
がんばる。

病的な状況から解放されることに
よって、自分が自分でなくなって
しまう、つまり自我の危機をそこ
に感ずるからである。

これが(抵抗)である。

+++++++++++++

●抑圧と抵抗(2)

 たとえば……。妻に執拗な暴力を繰りかえす夫を考えてみよう。こういうケースでは、
夫自身が、幼少期に、何らかの心の傷(トラウマ)を負ったことが遠因となっていること
が多い。

 しかし夫は、それに気がつかない。気がつかないまま、妻に暴力を繰りかえす。「自分
が暴力を振るうのは、そうするに足る理由があるからだ」「言っても聞かない妻が悪いか
らだ」と。自分を正当化することも多い。

 ある男性は、子どものころ、父親に口答えしただけで、その場で父親になぐられた。だ
からその男性は、父親の前では、いつも借りてきた猫の子のようにおとなしかった。また
そうすることによって、身の保全をはかった。

 しかしこの時点で、その男性は、(自分)を、心の中でぐいぐいと押し殺さなければな
らなかった。父親の前では、いい子ぶることによって、仮面をかぶった。

 こうしてやがてその男性はおとなになり、今の妻と結婚した。ふだんは仲の良い夫婦だ
った。が、妻が口答えしたとたん、男性の様子が急変した。「何だ、その生意気な態度は!」
と。

 ここに書いた男性というのは、架空の男性である。話をわかりやすくするために、1つ
の例として考えてみた。

 そこでその男性は、専門医のもとで、心理カンウンセリングを受けることにした。と言
っても、それにすなおに応じたわけではない。妻がその男性の暴力で、大けがをし、救急
車で病院へ運ばれるという事件が起きてからである。離婚話が、妻の両親のほうからもち
かけられた。

 それでしぶしぶ、その男性は、専門医の門をくぐった。が、その男性は、こう言いつづ
けた。「私は正常だ」「どこもおかしくない」「ぼくを病人扱いしないでくれ」と。

 この例をみてもわかるように、心の奥深くに潜んだ心の傷(トラウマ)は、そうは簡単
には、姿を現さない。現さないまま、その人個人を、心の裏から操る。そしてその心の傷
(トラウマ)を、だれかがえぐり出そうとすると、たいてい、それに対して猛烈に反発す
る。

その男性のケースでも、妻が、「あなたはおかしい」「一度、病院へ行って」と懇願し
ただけで、狂乱状態になった。妻に暴力を振るった。

 その男性にしてみれば、心に傷(トラウマ)があることを認めることは、それまでの自
分を否定することに等しい。心の病気に対する偏見もある。「自分はおかしい」と認める
ことは、それゆえにできない。

 (抑圧)と(抵抗)というものが、どういうものか、これでわかってもらえたと思う。

 私たちはいつも、自分の中に、何らかのわだかまり(=固着)をもって生きている。わ
だかまりのない人はいない。見方を変えれば、私たちの心は、わだかまりのかたまりとい
っても、過言ではない。

 そのわだかまりを、ときには、心の奥深くに押し込むことがある。押し込みながら、別
の自分で、表を飾る。そしてだれかがその心の奥深くに侵入しようとしてきたとき、私た
ちたちは、無意識のうちにも、それに対して猛烈に反発する。

 ここにあげた男性のようなケースは例外的であるにしても、似たような現象は、日常生
活の中で、よく経験する。無意識のうちにも、自分が覆い隠している部分を、だれかが指
摘されたりしたようなときだ。そういうとき、たいていの人は、カッとなり、自分を見失
う。

 もうひとつ、例をあげて考えてみよう。これは私自身のことである。

 若いころ、(今もそうだが)、私の書いた本は売れなかった。書いても書いても、売れ
なかった。そこであるときから、私は、自分で自分をなぐさめるようになった。「私は自
分のために書く」「だれのためではない。自分のためだ」と。

 こうした心理的操作を、「合理化」という。それはそれとして、一方で、「お金がほし
い」「有名になりたい」という欲望を、私は、そのつどぐいぐいと押し殺さなければなら
なかった。事実、押し殺すことに成功した。

 私は無欲のライター(書き手)を装い、それなりに善人ぶっていた。

 そんなある日、ワイフが、新聞の広告欄を見ながら、こう言った。「あら、あのAさん
の本が、50万部も売れたんだってエ」と。Aというのは、昔、いっしょに仕事をしたこ
とのある仲間の1人である。

 ワイフは軽い気持ちでそう言った。が、そのとたん、私の心の中で怒りが爆発した。自
分の心の中に抑圧していたものが、一気に、表に顔を出した。嫉妬というような、なまや
さしいものではない。私は、ワイフが、私を否定したかのように感じた。

 ……というのも、実は、架空の話である。しかしこれを薄めたような経験は、ある。今
も、その種の話は、好きではない。そういう話を聞くと、その瞬間、私は私でなくなって
しまう。

 では、どうすればよいか。

 それについて、昨日は、一日中、考えていた。で、私なりの結論は、こうだ。

 まず自分を抑圧しているものに気づく。抑圧しているものというよりは、心の奥深くで、
抑圧されているものに気づく。ヒントがないわけではない。自分の弱点というか、(痛い
ところ)というか、それに気づく。

 つぎに、それを自ら解放させる。ウソをついたり、仮面をかぶる必要はない。私のばあ
いだったら、何もきれいごとを並べる必要はない。本を書いてお金を儲けたかったら、「儲
けたい」と、声に出して言えばよい。有名になりたかったら、「有名になりたい」と、声
に出して言えばよい。それを邪悪なものとして、心の奥に押し込める必要は、まったく、
ない。

 こうして少しずつ、自分を解放していく。

 冒頭にあげた男性のようなケースなら、最初は、小さな問題で、自分を解放させる。そ
れを繰りかえしながら、最終的には、自分の心の傷(トラウマ)を解放させる。

そのあとのことは、時間に任せる。時間が解決してくれる。ここに書いた、(抑圧)と
(抵抗)に無縁の人は、いないはず。あなた自身の問題として、この問題を考えてみて
ほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 抑
圧 抵抗 心の傷 トラウマ)

+++++++++++++++++

子育ても、またしかり。
子育てというのは、頭で考えてするものではない。
また考えたくらいで、変えることはできない。

ある母親はこう言った。

「頭の中ではわかっているのですが、その場に
なると、ついカッとして……!」と。

子育てというのは、もともとそういうもの。

そういう視点で、以前、こんな子育て
ポイントを書いた。

+++++++++++++++++

【子育てポイント】

●子どもに、子どもの育て方を教える

 子どもに子どもの育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふ
うに、子育てをするのですよ」「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを叱るので
すよ」と。

 教えるだけでは足りない。身にしみこませておく。「幸せな家庭というのは、こういうも
のですよ」「夫婦というのは、こういうものですよ」「家族というのは、こういうものです
よ」と。そういう「しみこみ」があってはじめて子どもは、今度は自分が親になったとき、
自然な形で、子育てができるようになる。

●自分の過去をみる

 一般論として、不幸にして不幸な家庭の育った人(親)は、子育てがへた。どこかぎこ
ちない。自分の中に親像のない人とみる。

 ある父親は、ほとんどその母親だけによって育てられていた。(父親の父親は、今でいう
単身赴任の形で、名古屋に住んでいた。)そのため父親がどういうものであるか知らなかっ
た? 何か子どもに問題があると、子どもを、容赦なく、殴りつけていた。このように、
極端にきびしい親、あるいは反対に極端に甘い親は、ここでいう親像のない人とみる。

 また不幸な家庭に育った人は、「いい親子関係をつくろう」「いい家庭をつくろう」とい
う気負いばかりが強くなり、結果として、子育てで失敗しやすい。

 もしあなたが自分の子育てのどこかで、ぎこちなさを感じたら、自分の過去を振りかえ
ってみる。この問題は、自分の過去がどういうものであるかを知るだけで、解決する。ま
ずいのは、その過去に気づかないまま、その過去に振りまわされること。

●「育自」なんて、とんでもない!

 よく「育自」という言葉を使って、「育児とは、育自」と言う人がいる。しかし子育ては
そんな甘いものではない。親は子育てをしながら、子どもに、否応なしに育てられる。

 子育てはまさに、山や谷の連続。その山や谷を越えるうちに、ちょうど稲穂の穂が、実
るとたれてくるように、親の姿勢も低くなる。もし「育自」を考えるヒマがあるなら、親
は親で、子育てを忘れて、一人の人間として、外の世界で伸びればよい。そういう姿勢が、
一方で、子どもを伸ばす。自分を伸ばすことを、子育てにかこつけてはいけない。

●カプセル化に注意

 家庭という小さな世界に閉じこもり、そこで自分だけの価値観を熟成すると、子育てそ
のものがゆがむことがある。これをカプセル化という。

 最近は、価値観の多様性が進んだ。また親たちの学歴も高くなり、その分、「私が正しい」
と思う人がふえてきた。それはそれで悪いことではないが、こと子育てに関しては、常識
と経験が、ものをいう。頭で考えてするものではない。

 そのため子育てをするときは、できるだけ風通しをよくする。具体的には、ほかの親た
ちと交流をふやす。が、それだけでは足りない。いつも「私はまちがっているかもしれな
い」という謙虚な姿勢を保つ。そして子どもを、自分を通して見るのではなく、別個の一
人の人間としてみる。「私の子どものことは、私が一番よく知っている」「私の子どもは、
私と同じように考えているはず」と過信している親ほど、子育てで失敗しやすい。

 このカプセル化のこわいところは、それだけではない。同じ過保護でも、カプセルの中
に入ると、極端な過保護になる。過干渉も、過関心も、極端な過干渉や、過関心になる。
いわゆる子育てそのものが、先鋭化したり、極端化したりする。

●親の主義に注意

 よく「私は○○主義で、子どもを育てています」などという人がいる。しかし「主義」
などというものは、無数の経験と、試行錯誤の結果、身につくもの。安易に主義を決め、
それに従うのは、危険ですらある。いわんや、子育てに、主義などあってはならない。よ
い例が、スパルタ主義、完ぺき主義、徹底主義など。

 これについては、以前、こんな原稿を書いたので、ここに張りつけておく。

++++++++++++++++

●子育ては自然体で(中日新聞掲載済み)

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわか
らない。そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、
こうある。これは健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応さ
せ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、
みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ること
もなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。
難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、徹底主義、スパ
ルタ主義、完ぺき主義がある。

徹底主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめる」と決めたら、
パッとやめさせるようなことをいう。よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁
止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくる
ことになる。

スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主
義は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子ど
もに完ぺきさを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの
心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は
私」「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子ども
のできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、見え、
メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解
放されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけ
ない。「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくても
いけない。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。
実際どんな子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き
出す。

子育てを一言で言えば、そういうことになる。さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の
大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それに背馳すれば死に、順応すれば太平
である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だが、簡単に言えば、「自然体で
子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなければ、そうでない」ということに
なる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目
的として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は
害せられる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せら
れる。栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大切なこと
だが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでもないが、健康論にから
めて、教育論を考えてみた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月19日)

++++++++++++++

今朝は、何と、4時起き!

すでに外は、ほんのりと
明るかった。

台所におりて、水を飲む。
書斎に入って、パソコンの
電源を入れる。

こうして私の1日は、始まる。

++++++++++++++

●バラエティ番組

++++++++++++++

昼のNHK定時ニュースを見たあと、
あちこちのテレビ局にチャンネルを
替えてみた。

驚いた!

バラエティ番組といえば、夜の番組
かと思っていたら、今では、昼間
から、この種の番組が、どんどんと
流されている。

昨日は木曜日だから、家庭の主婦層を
ねらった番組ということになる。

「昼間から、家庭の主婦たちは、
こんな番組を見ているのだろうか?」と
思った。

それにしてもレベルが低い。低すぎる。

ひとつのチャンネルでは、子だくさんの
母親を紹介していた。最高は、11人の
子どもを産んだ母親。

その母親の話を聞いて、ギャーッとか、
ワーッとか……。

もうひとつのチャンネルでは、風船を
地面に一度バウンドさせ、それを
昆虫アミで取りあうゲームをしていた。

大宅荘一が昔、「白痴化」という
言葉を使った。私はそれを見ながら、
その言葉を思い出した。

辛辣な言葉だとは思うが、戦後を
代表する評論家の言葉である。

5年前に、こんな原稿を書いた。

++++++++++++++

●学ぶ心のない子どもたち

 能力がないというわけではない。ほかに問題があるというわけでもない。しかし今、ま
じめに考えようとする態度そのものがない、そんな子どもがふえている。

 「享楽的」と言うこともできるが、それとも少し違う。ものごとを、すべて茶化してし
まう。ギャグ化してしまう。「これは大切な話だよ」「これはまじめな話だよ」と前置き
しても、そういう話は、耳に入らない。

私「今、日本と北朝鮮は、たいへん危険な関係にあるんだよ」
子「三角関係だ、三角関係だ!」
私「何、それ?」
子「先生、知らないの? 男一人と女二人の関係。危険な関係!」
私「いや、そんな話ではない。戦争になるかもしれないという話だよ」
子「ギャー、戦争だ。やっちまえ、やっちまえ、あんな北朝鮮!」
私「やっちまえ、って、どういうこと?」
子「原爆か水爆、使えばいい。アメリカに貸してもらえばいい」と。

 これは小学五年生たちと、実際した会話である。

 すべてがテレビの影響とは言えないが、テレビの影響ではないとは、もっと言えない。
今、テレビを、毎日四〜五時間見ている子どもは、いくらでもいる。高校生ともなると、
一日中、テレビを見ている子どももいる。

よく平均値が調査されるが、ああした平均値には、ほとんど意味がない。たとえば毎日
四時間テレビを見ている子どもと、毎日まったくテレビを見ない子どもの平均値は、二
時間となる。だから「平均的な子どもは、二時間、テレビを見ている」などというのは、
ナンセンス。毎日、四時間、テレビを見ている子どもがいることが問題なのである。平
均値にだまされてはいけない。

 このタイプの子どもは、情報の吸収力と加工力は、ふつうの子ども以上に、ある。しか
しその一方、自分で、静かに考えるという力が、ほとんど、ない。よく観察すると、その
部分が、脳ミソの中から、欠落してしまっているかのようでもある。「まじめさ」が、ま
ったく、ない。まじめに考えようとする姿勢そのものが、ない。

 もっとも小学校の高学年や、中学生になって、こうした症状が見られたら、「手遅れ」。
少なくとも、「教育的な指導」で、どうこうなる問題ではない。このタイプの子どもは、
自分自身が何らかの形で、どん底に落とされて、その中で、つまり切羽(せっぱ)つまっ
た状態の中で、自分で、その「まじめに考える道」をさがすしかない。

結論を先に言えば、そういうことになるが、問題は、ではどうすれば、そういう子ども
にしないですむかということ。K君(小五男児)を例にとって、考えてみよう。

 K君の父親は、惣菜(そうざい)屋を経営している。父親も、母親も、そのため、朝早
くから加工場に行き、夜遅くまで、仕事をしている。K君はそのため、家では、一日中、
テレビを見ている。夜遅くまで、毎日のように、低劣なバラエティ番組ばかりを、好んで
見ている。(……らしい。)

 が、テレビだけではない。父親は、どこかヤクザ的な人で、けんか早く、短気で、もの
の考え方が短絡的。そのためK君に対しては、威圧的で、かつ暴力的である。K君は、「ぼ
くは子どものときから、いつもオヤジに殴られてばかりいた」と言っている。

 K君の環境を、いまさら分析するまでもない。K君は、そういう環境の中で、今のK君
になった。つまり子どもをK君のようにしないためには、その反対のことをすればよいと
いうことになる。もっと言えば、「自ら考える子ども」にする。これについては、すでに
たびたび書いてきたので、ここでは省略する。

 全体の風潮として、程度の差もあるが、今、このタイプの子どもが、ふえている。ふだ
んはそうでなくても、だれかがギャグを口にすると、ギャーギャーと、それに乗じてしま
う。そういう子どもも含めると、約半数の子どもが、そうではないかと言える。

とても残念なことだが、こうした子どもたちが、今、日本の子どもたちの主流になりつ
つある。そして新しいタイプの日本人像をつくりつつある。もっともこうした風潮は、
子どもたちの世界だけではない。おとなの世界でも、ギャグばかりを口にしているよう
な低俗タレントはいくらでもいる。中には、あちこちから「文化人」(?)として表彰
されているタレントもいる。

日本人全体が、ますます「白痴化」(大宅壮一)しつつあるとみてよい。とても残念な
ことだが……。
(02−12−21)

●まじめに生きている人が、もっと正当に評価される、そんな日本にしよう。
●あなたのまわりにも、まじめに生きている人はいくらでもいる。そういう人を正当に評
価しよう。

+++++++++++++++

 先の原稿は、5年前に書いたものである。その5年。日本の「白痴化」(大宅壮一)は、
ますます進んでいる。昼間から、バラエティ番組が、流されるようになった。そのうち、
朝から、流されるようになるかもしれない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ダンボール紙で作った、肉まん

 NEW−iは、つぎのように伝える。
 
『中国の北京でダンボールを混ぜた肉まんが売られていたとされる問題で、これを最初
に報道した北京テレビが、「記者がねつ造したものだった」として18日夜、謝罪放送
をしました』と。

 このマガジンでも取りあげたが、(ダンボール紙入りの肉まん)の話は、テレビ局の記
者による、ねつ造だったという。

 ホントかな? 

 この報道の、あまりにも大きな反響に驚いた当局が、あわててテレビ局に否定会見をさ
せた。それが謝罪放送だった。……としか、私には、思えない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●A外務大臣の、またまた失言

++++++++++++++

中にはすばらしい政治家もいるの
だろう。

しかし親の七光りというか、
おごり高ぶった権力亡者のゴリ押しというか、
そのパワーにもの言わせて、
A外務大臣のような政治家が、すばらしい
政治家を踏み倒している。
日本の政治を、言いように動かしている。

しかもあろうことか、今、A外務大臣は、
次期総理大臣の椅子にいちばん近い
距離にいるという。

今度は、そのA外務大臣が、富山県T市
での講演で、こう言った。

『日本のコメの対中国輸出が再開し
たことに関し、「(日本では)コメ
一俵、1万6000円くらい。
中国ではキロ1300円で売られて
いるから、一俵で、7万8000円だ。
7万8000円と1万6000円は、
どっちが高いか。アルツハイマーでも、
これくらいは分かる』(読売新聞)と。

++++++++++++++

 A外務大臣の失言、暴言には、うんざり! 日米関係まで、おかしくしてしまった。し
かもそういう失言や暴言を繰りかえしながらも、自身は、みじんも恥じない。今度は、「ア
ルツハイマーでも、これくらいは分かる」と。日本語そのものも、こわれている。

 言うとしても、正しくは、「アルツハイマー病の患者でも」だ。しかしこうした言葉が、
その病気で苦しんでいる人たちを、いかにキズつけることか。あるいは自分自身が、その
初期症状にあるのではないのか?

 繊細な共鳴性、そのものを喪失している!

 インターネットで配信されたビデオ映像を見ると、その瞬間、A外務大臣は、不遜な笑
みまで浮かべているのがわかる。あの独特の、さも自分は大物の政治家と言わんばかりの
笑みである。

 ああいう政治家を見ると、私は、ゾッとする。人間が本来もっているはずの、誠実さ、
まじめさが、どこにも感じられない。それがわからなければ、幼児の顔とくらべてみるこ
とだ。悲しいかな、A外務大臣の顔には、邪悪な薄汚さだけが、黒いシミのように焼きつ
いている。

 で、そういう人が、J党の中では、次期総理大臣の席に、いちばん近いところにいると
いう。A外務大臣は、いったい、この日本を、どうしようとしているのか?

 ところで、そのアルツハイマー病だが、私にとっても、切実な問題である。このところ、
記銘力がぐんと弱まったように感ずる。ときどき、「私の頭は、どうなってしまったのだ」
と感ずることさえある。そんなとき、「もしや……?」と思う。

 アルツハイマー病になると、人間が人間でなくなってしまう。私が私でなくなってしま
う。そういう恐ろしさを、何人かの身近な人を通して、すでに、何例か経験している。私
の母も、一度、アルツハイマー病と診断されている。(しかし、これは私の見立てによれ
ば、完全な誤診である。)

 だからこうしてものを書きながらも、いつも自分に問う。「お前は、だいじょうぶか?」
と。しかし、このところ、どうもそれについても、自信がなくなってきた。たしかに頭の
活動は鈍ってきている。知力も、気力も衰えてきた。集中力も弱くなってきた。アルツハ
イマー病でなくても、ピック病、あるいは認知症にかかる確率は、たいへん高い。

 先日会ったとき、田丸謙二先生も、こう言っていた。「どうすれば、みんなに迷惑をか
けないで生きるか。(それが老後の最大の問題だ)」と。

 A外務大臣の失言は、何も、アルツハイマー病の患者たちだけの問題ではない。総じて
言えば、老後を迎えた、私たち全員の問題でもある。つまり、この私ですら、怒らせた! 
だいたい問題の提起のし方が、低レベル。

 「7万8000円と1万6000円は、どっちが高いか」だってエ?

 日本がこの先、アジアの中の先進国として、また経済大国として、他の国々をリードし
ていくためには、日本人自身が、知的能力を自ら磨いていくしかない。またそれができて
こそ、世界も、日本を先進国と認め、経済大国であることを認める。

 安倍内閣が誕生したとき、私はBLOGにこう書いた。「これでやっと日本も、世界に
誇れる総理大臣を生み出すことができた」と。私は安倍総理大臣に、それなりの知性と理
性を感じた。だからそう書いた。

 しかし今は……? おかしな文科大臣に、おかしな防衛前大臣、それに加えておかしな
農林大臣に、そしてこのA外務大臣。

 いったい、この国は、どうなってしまったのか!
(7月20日記、今回の参議院議員選挙の前に)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●K国の核施設廃棄約束

 K国が、核施設廃棄に向けて動き出したという。これもホントかな?

 韓国で、(ジョイス風向計)が調査したところ、つぎのような結果が出た(6月27日)。

 北朝鮮の『核施設廃棄約束』を信じない」……74%
(それほど57・6%+全く16・4%)

「信じる」……23・1%
(非常に2・3%+ある程度20・8%)

 今回停止されたYビョンの核開発関連施設は、すでに老朽化していて使いものにならな
い状態だったという。しかも8000本の燃料棒は、すでに抜き取られたあとだったとい
う。

 ああいう国、……というよりは、ああいう指導者を、まともに信じて、こうした交渉を
するほうがおかしい。……といっても、今回の一連の交渉の中で、アメリカは、日本を完
全に切り捨てている。わかりやすく言えば、「日本のことなど、知ったことか!」と。ま
ず、日本は、そのことに気づくべきである。

 K国が核兵器をもてば、(すでにもっているが)、いちばん危険な立場に置かれるのが、
この日本。しかしその日本には、交渉能力は、ない。ないことは、一連の6か国協議の流
れを見ればわかる。

 そのくせ言うことだけは一人前。「対米追従外交反対」の大合唱。それに呼応して、大
臣たちの失言につづく、失言。安倍総理は、就任後、8か月近くもたってから、アメリカ
詣で。アメリカにしてみれば、「どうして日本の平和と安全に、アメリカが責任をもたね
ばならないのか」となる。

 現在(7月18日)、アメリカは、自国の利益だけを最優先させて、6か国協議に臨ん
でいる。要は、K国の核兵器を、拡散させないことだけ。そのためには、最終的には、米
朝平和条約、もしくは米朝相互不可侵条約まで、念頭に置いて、行動を開始している。日
本が、今まで、もっとも恐れたシナリオである。

 ノー天気な評論家たちは、「これで極東アジアに平和が訪れる」などと書いているが、
これはとんでもない誤解。アメリカは、自国の領土が攻撃でもされないかぎり、K国に対
して、手も足も出せなくなる。しかしそれこそ、K国の思うつぼ。

 日本よ、日本人よ、もっと現実を見ろ!

 2050年には、このアジアでは、中国、インドが台頭し、日本のGDPにしても、中
国の10分の1以下に低落する。経済各誌の予想によれば、もっと低落する。つまりアメ
リカは、20年後、30年後をすでに読みながら、極東アジアを考え始めている。

 悲しいかな、今の日本からアメリカを取ったら、この日本は、どうなる?

 K国は、強硬な姿勢で、対日交渉に臨んでくるだろう。一説によれば、40兆円という
ばく大な戦後補償費を、すでに中国を介して打診してきている。(40兆円だぞ! 日本
人1人あたり、約40万円だぞ!)中国や韓国は、それを背後で支える。ロシアも支える。
中国にいたっては、沖縄まで、中国の領土と言いだすかもしれない。

 追従外交と言われようが、はたまた(金魚のフン)と酷評されようが、日本は、アメリ
カにすがるしかなかった。それを日本は、自ら、断ち切ってしまった。安倍総理は、極右
勢力と結びつき、おかしな民族主義に毒されてしまった。

 戦後の国際政治の中で、日本が、今ほど思いあがった時期は、ほかにない。その結果が、
今である。

 まさに打つ手なしの日本。静観しようにも、その居場所すらない。ゆいいつの望みは、
金xx政権が崩壊すること。はっきり言えば、金xxの死去。1日でも早いほうがよい。
それを知っているから、アメリカとK国(官僚、政府)は、1日でも早く、米朝交渉をま
とめようとしている。

 K国は、核兵器開発をやめない。K国というよりは、金xxは、やめない。当の韓国の
人たちですら、そう思っている。それが冒頭にあげた、「74%」という数字である。
(7月19日朝、記)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================













***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 17日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育てをゆがめる親意識

+++++++++++++++

親意識にも2種類ある。
善玉親意識と、悪玉親意識。

自分に向かう親意識を、
善玉親意識というなら、
子どもに向かう親意識を
悪玉親意識ということになる。

いわゆる(親風を吹かす)のが、
悪玉親意識。

+++++++++++++++

 「私は親だ」というのが親意識。これが強ければ強いほど、子どもも疲れるが、親も疲
れる。それだけではない。親意識の背景にある上下意識、これが親子関係をゆがめる。上
下意識のある関係、つまり命令と服従、保護と依存のある関係から、良好な人間関係は生
まれない。

ある母親は、子ども(小一)に、「バカ!」と言われるたびに、「親に向かって何てこと
言うの!」と。本気で怒っていた。そこで私に相談があった。「先生は、親子は平等だと
言うが、こういうときはどうしたらよいのか」と。

 平等というのは、相手の人格を認め、それを尊重することをいう。たとえ相手が幼児で
も、そうする。こんなシーンがあった。あるアメリカ人の女優の家にカメラマンが押し寄
せたときのこと。たまたまその女優が、小さな女の子(五歳ぐらい)を連れて、玄関を出
てきた。が、その女の子がフラッシュに驚いて、母親の陰に隠れた。そのときのことであ
る。

母親は、女の子に懸命に笑顔で話しかけながらながら、そのままあとずさりして、家の
中に消えてしまった。私はそのシーンを見ながら、「こういうとき日本人ならどうするだ
ろうか」と考えた。あるいはあなたなら、こういうときどうするだろうか。

 子どもは確かに未熟で未経験だ。しかしそれを除けば、一人の人間である。そういう視
点に立って子どもを見ることを、「平等」という。たとえば子どもに何かのおけいこをさせ
るときでも、「してみたい?」とか、「あなたはどう思う?」とか聞いてからにする。

もしあなた(妻)が、夫から、「お前の料理はまずい。明日から料理教室へ行け」と言わ
れたら、あなたはそれに従うだろうか。そのときあなたが、夫に何かを反論したとする。
そのとき夫が、「夫に向かって何てこと言うのだ!」と言ったら、あなたはそれに納得す
るだろうか。相手の視点に立って見るということは、そういうことをいう。

 冒頭の話だが、子どもに「バカ」と言われて気にする親もいれば、気にしない親もいる。
あるいは子どもにバカと思わせつつ、それを利用して、子どもを伸ばす親もいる。子ども
の側からみてもそうだ。「バカな親」と思いつつ、親を尊敬している子どももいれば、そう
でない子どももいる。

私の近所にも、たいへん金持ちの人がいる。本人は、自分は偉いと思っているらしいが、
誰もそんなふうには思っていない。人を尊敬するとかしなとかいうことは、もっと別の
ところで決まる。子どもに「バカ」と言われても、気にしないことだ。

かく言う私も、よく生徒にバカと言われる。そういうときは、こう言い返すようにして
いる。「私はバカではない。失礼なこと言うな。バカではない。大バカだ。まちがえるな」
と。子どもの口が悪いのは、あたり前。奨励せよというわけではないが、それが言えな
いほどまでに、子どもを押さえつけてはいけない。あるいはユーモアで切り返す。この
ユーモアが、親の度量の広さの見せどころということになる。

 そうそうあのアメリカ人のケースだが、日本人なら多分、こう言うに違いない。「何をし
ているの。お母さんが、恥ずかしいでしょう。ちゃんとしなさい」と。こうした押しつけ
が、親子の間にミゾを作る。そしてそのミゾが、やがて親子断絶へとつながる。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●エビで鯛を釣る

+++++++++++++++

子育てのコツは、『エビで鯛を釣る』。
が、中には、その鯛を釣る前に、
もったいないからという理由で、
そのエビを食べてしまう人がいる。

+++++++++++++++

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、め
ちゃめちゃだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつ
けて返したときのことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そこで
私は同じように、丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、
どうして丸をつけるのか」と。

 日本人ほど、「形」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
しかしオーストラリアでは、スペルがまちがっていることぐらいなら、先生は何も言わな
い。壁に貼られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と
聞くと、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。

「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはないのです。発音が違えば、
スペルもちがう。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉は、ルール(文
法やスペル)ではなく、中身です」と。

 現在、あちこちの小学校で、英語が教えられている。その会議が10年ほど前、このH
市であった。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、
こう話してくれた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じよ
うにWは四画と決まりました」と。

こういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。つまらない。子ども
たちは作文を書く楽しみを覚える前に、文字嫌いになってしまう。小学校の高学年児で、
作文が好きな子どもは、五人に一人もいない。大嫌いという子どもは、一〇人のうち、
三人はいる。

日本のアニメやコミックは、世界一だと言われている。しかしその背景に、子どもたち
の文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。このワープロの時代にハネや
ハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体ど
こにあるのか。形と個性は、正反対の位置にある。形に押し込めれば押し込めるほど、
子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、
それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは書く楽しみを覚える。オース
トラリアでは、戦後まもなくからタイプの授業を取り入れ、今はそれがコンピュータの授
業に変わった。すでに一五年以上も前から、しかも小学三年生から、それをしている。中
学でも高校でも、子どもたちは宿題を、フロッピーディスクで提出している。

こういう時代がもう来ているのに、何がハネだ。ハライだ。トメだ! 冒頭に書いたワ
ークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵描きになったとしても、
よいではないか。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それ
については、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。これは幼児教育の大原則。昔から
こう言う。「エビで鯛を釣る」と。しかし愚かな人は鯛を釣る前に、エビを食べてしまう。
こまかいこと(エビ)を言って、子どもの意欲(鯛)を、そいでしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

++++++++++++++

子育てとは、いかに自分の子どもを
信ずるか、それによって、良否が
決まる。

またその戦いと言ってもよい。

+++++++++++++++

●子どもを信ずる
 子どもを信ずることは難しい。「信じたい」という思いと、「もしかしたら…」という思
いの中で、親は絶えず迷う。子育てはまさに、その迷いとの闘い。が、その迷いにも、一
定のパターンがあるのがわかる。そこでテスト。

あなたの子ども(小学生)が、寝る直前になって、「学校の宿題がやってない」と言った
とする。そのとき、あなたは……。(1)「明日、学校で先生に叱られてきなさい」と言
って、そのまま寝させる。(2)子どもと一緒に、宿題を片づけてあげる。睡眠時間が多
少短くなることはしかたないと思う。

 そのパターンは、子どもが生まれたとき、あるいは子どもを妊娠したときから始まる。
たとえば子どもに四時間おきにミルクを与えることになっていたとする。そのとき、子ど
もが泣いてほしがるまで、ミルクを与えない親もいれば、時間がきたら、ほしがらなくて
もミルクを与える親もいる。子どもがもう少し大きくなると、こんなこともある。

子どもが「したい」と言うまで動かない親もいる。反対に何でもかんでも子どもが望む
前に、親のほうから用意してあげる親もいる。「ほら英語教室よ」「ほら体操教師よ」と。

 一度こういうパターンができると、あとは一事が万事。それ自体が生活のリズムになっ
てしまう。こんなこともあった。ある母親からの相談だが、いわく「うちの子(小三男児)
を、夏休みの間、洋上スクールに入れようと思うのですが、どうでしょうか」と。そこで
私が、「本人は行きたがっているのですか」と聞くと、「それが、行きたがらないので困っ
ているのです」と。またこんなことも。

やはり母親からのものだが、その母親の息子(高三)が、受験期だというのに、ビデオ
を借りてきて見ているというのだ。母親は「心配でならない」と言っていたが、心配す
るほうがおかしい。おかしいが、一度そのパターンにハマってしまってしまうと、それ
がわからなくなる。

 さて冒頭のテスト。(1)を選んだ人は、子ども信頼型の親ということになる。「うちの
子は立派だ」「うちの子はすぐれている」という思いが、親をしてそういう親にする。一方
(2)を選んだ人は、心配先行型の親とういうことになる。「何をしても、うちの子は心配
だ」という思いが、親をしてそういう親にする。当然、その影響は子どもに出てくる。

信頼型の親の子どもは、伸び伸びとしている。表情もハツラツとしている。行動力も好
奇心も旺盛で、何ごとにつけて積極的だ。しかし心配先行型の親の子どもは、それにふ
さわしい子どもになる。長い時間をかけてそうなる。親は、「生まれつきそうだ」と言う
が、生まれつきそういう目で見ていたのは、親自身なのだ。それに気がついていない。
では、どうするか。

 もし心配先行型の親なら、あなた自身の心を作り変える。一つの方法として、「あなたは
いい子」を口ぐせにする。子どもの顔を見たら、そう言う。そしてそれを数ヶ月、あるい
はそれ以上の間、続ける。最初はどこかぎこちない感じがするかもしれないが、あなたが
それを自然に言えるようになったとき、同時に、あなたの子どもは、その「いい子」にな
っている。

子どもを「いい子」にしたかったら、まず子どもを信ずる。たいへん難しいことだが、
それをしないで、あなたは自分の子どもを伸ばすことはできない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●発達障害児のための教室

+++++++++++++++

浜松市内では、現在、拠点校として、
6校ほどの小学校が、発達障害の
ある子どもを、専門的に指導する
設備を整えている。

たまたま先日講演をさせてもらった
S小学校もその一つ。そこには約40人
の障害をもった子どもが、通学している。

S小学校の現在の全校児童数は、400
人弱だから、約10%の子どもということ
になる。

自閉症、緘黙症、AD・HD児、LD児
など。ほかに言葉の教室もあり、発語
障害のある子ども(幼児を含む)も、
週1回くらいの割合で通っている。

健常児といっしょに生活することで、
将来にわたって、社会的に自立しやすく
するということで、ほかの子どもたちと、
ほとんど区別することなく、指導して
いるとのこと。

なお、現在(07年7月)、41人の
障害をもった子どもが通学しており、
それに対して、9人の指導教師が、
指導にあたっている(S小学校)。

また指導用の教室は、学校の中に、学校の
建物と併設という形で並んでいる。
S小学校のばあいも、校長室、職員室
と同じ棟、その隣に併設されている。

++++++++++++++++

●変わる親の意識

 以前はというと、発達障害をもった子どもの親は、それを世間的に(?)隠そうとする
意識が強かった。「障害児をもつことは、家の恥」という、とんでもない誤解と偏見もあ
った。その疑い(?)をかけられただけで、親は、絶望感にたたきのめされたり、あるい
は狂乱状態になったりした。

 今でも、その傾向には大きなちがいはない。しかしこの5、6年、親たちの意識が大き
く変わり始めているのを感ずる。

 S小学校でも、校長とそれが話題になった。私が、「親たちがこういう教室へ入れるこ
とに抵抗しませんか?」と質問すると、校長は、笑いながら、「最近では、よその地域か
ら、見学に来る親がふえています」とのこと。

 もちろんそこに至る過程の中で、さまざまな葛藤があったと思われる。しかし親たちが、
自分の立場ではなく、子どもの立場で、ものを考えるようになった。校長も、そう言って
いた。これはたいへんすばらしいことだと思う。

 もちろん学校側としては、強制はできない。そういう教室に入れるかどうかは、あくま
でも、最終的には、親の判断ということになる。しかし子どもの立場で考えると、その子
どもには、その子どもに合った環境で、指導を受けるほうが、BETTERということに
なる。つまりそういうふうに考える親がふえてきた。

 問題点もないわけではない。が、今やっと、こうした指導態勢が、この日本でも始まっ
たばかり。私たちがすべきことは、こうした指導態勢を前向きにとらえて、それを伸ばし、
育てていくこと。当然のことながら、親たちもまた、それに合わせて、意識を変えていか
ねばならない。

 国のレベルは、いかに弱者にやさしいかで、決まる。同じように教育のレベルもまた、
いかに弱者にやさしいかで決まる。進学率ではない。(やさしさ)である。そうした常識
が、日本中の常識となったとき、日本という国は、すばらしい国になる。

+++++++++++++

私が8年前に書いた原稿を
添付します。

中日新聞に発表したものですが、
この原稿には、大きな反響が
ありました。

+++++++++++++

●「お宅の子どもを、落第させましょう」・学校は人間選別機関? 

 アメリカでは、先生が、「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそれ
に喜んで従う。「喜んで」だ。あるいは子どもの勉強がおくれがちになると、親のほうから、
「落第させてくれ」と頼みに行くケースも多い。これはウソでも誇張でもない。事実だ。

そういうとき親は、「そのほうが、子どものためになる」と判断する。が、この日本では、
そうはいかない。先日もある親から、こんな相談があった。何でもその子ども(小二女
児)が、担任の先生から、なかよし学級(養護学級)を勧められているというのだ。そ
れで「どうしたらいいか」と。

 日本の教育は、伝統的に人間選別が柱になっている。それを学歴制度や学校神話が、側
面から支えてきた。今も、支えている。だから親は「子どもがコースからはずれること」
イコール、「落ちこぼれ」ととらえる。しかしこれは親にとっては、恐怖以外、何ものでも
ない。その相談してきた人も、電話口の向こうでオイオイと泣いていた。

 少し話はそれるが、たまたまテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた(9
9年春)。ある人がニュージーランドの小学校を訪問したときのことである。

その小学校では、その年から、手話を教えるようになった。壁にズラリと張られた手話
の絵を見ながら、その人が「どうして手話の勉強をするのですか」と聞くと、女性の校
長はこう言った。「もうすぐ聴力に障害のある子どもが、(1年生となって)入学してく
るからです」と。

 こういう「やさしさ」を、欧米の人は知っている。知っているからこそ、「落第させまし
ょう」と言われても、気にしない。そこで私はここに書いていることを確認するため、浜
松市に住んでいるアメリカ人の友人に電話をしてみた。彼は日本へくる前、高校の教師を
三〇年間、勤めていた。

私「日本では、身体に障害のある子どもは、別の施設で教えることになっている。アメリ
カではどうか?」
友「どうして、別の施設に入れなければならないのか」
私「アメリカでは、そういう子どもが、入学を希望してきたらどうするか」
友「歓迎される」
私「歓迎される?」
友「もちろん歓迎される」
私「知的な障害のある子どもはどうか」
友「別のクラスが用意される」
私「親や子どもは、そこへ入ることをいやがらないか」
友「どうして、いやがらなければならないのか?」と。

そう言えば、アメリカでもオーストラリアでも、学校の校舎そのものがすべて、完全な
バリアフリー(段差なし)になっている。

 同じ教育といいながら、アメリカと日本では、とらえ方に天と地ほどの開きがある。こ
ういう事実をふまえながら、そのアメリカ人はこう結んだ。「日本の教育はなぜ、そんなに
おくれているのか?」と。

 私はその相談してきた人に、「あくまでもお子さんを主体に考えましょう」とだけ言った。
それ以上のことも、またそれ以下のことも、私には言えなかった。しかしこれだけはここ
に書ける。

日本の教育が世界の最高水準にあると考えるのは、幻想でしかない。日本の教育は、基
本的な部分で、どこか狂っている。それだけのことだ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・あれこれ】

+++++++++++++++

とうとう追いついたぞ!

先ほど、8月15日号のマガジンの
発行予約を入れたところ。

今日は、7月15日! ちょうど
1か月先のマガジンの予約を入れた
ことになる。

やったア!

一時はどうなることやらと思った。
マガジンの廃刊まで考えた。

しかしとにかく、追いついた!

1000号まで、あと80号と
少し。

がんばろう! がんばります!

+++++++++++++++

●電子マガジン

 電子マガジンは、いつも1か月先の原稿を書き、送信予約を入れるようにしている。こ
うすることによって、読者の方に、マガジンを安定的に届けることができる。

 しかし5〜6月は、苦しかった。いろいろあって、苦しかった。で、だんだんと追いつ
かれて、一時は、1週間ほどまでに、その差が、縮(ちぢ)まってしまった。つまり1週
間先の原稿を書き、送信予約を入れるようになってしまった。

 が、こうなると、あたふたするだけ。落ちついてものを考えることすらできなくなる。
イライラするだけで、パソコンの前にすわるのも、おっくうになる。しかしこれは私のや
り方ではない。

 毎回、原稿用紙(40字x36行)で、20枚を目標にして、マガジンを発行している。
量を半分にしようかとも考えた。あるいは現在、週3回発行しているが、それを2回にし
ようかとも考えた。

 しかしあと、少し。1000号まで、あと少し。8月1日号で、916号になった。9
月3日号で、930号になる。

 何人かの人たちから励ましのメールをもらった。それはそれで、うれしかった。が、こ
れは(私自身)との戦いでもある。だれかのためではない。私自身のために書く。そう言
い聞かせて、また書き始めた。

 それが今日、8月15日号になった。配信予約を入れた。うれしかった。どういうわけ
か、うれしかった。


●台風一過

 NHKのニュースが、「現在、台風4号は、静岡県の浜松市の沖合、80キロのところ
にあります」と報道していたとき、この浜松市では、青空が見え始めていた。風も、ほと
んどなかった。

 台風の目の中に入った? ……まさか、そんなことはありえない。ありえないが、事実
は、そうだった。

 美しい空だった。私とワイフは、食事をかねて、外に出た。もちろんデジタルカメラを
もって。

 ただ気温だけは、ぐんぐんと上昇した。最終的には、30度近くにまでなったのではな
かったか。シリジリとした暑さが、身を包んだ。私は、青い、どこまでも澄んだ空をめが
けて、シャッターを押しつづけた。

 気持ちよかった。楽しかった。台風一過。何ごともなく終わって、バンザ〜イ!


●20万件!

 今日、楽天日記のアクセス数が、20万件を超えた。といっても、この数字には、あま
り意味はない。そのうち何割かは、巡回ロボットによるアクセス。さらに何割かは、何か
の宣伝のためのアクセス。さらに1日のうちで、10回とか、20回とか、アクセスして
くる人もいる。

 私のBLOGを読むためにアクセスしてくる人は、実際には、30〜40%ではないか。
つまりこの計算によると、実際のアクセス数は、8万件以下ということになる。

 この数字をみて、多いと感ずるか。それとも少ないと感ずるか。その実感がまるでない
のが、インターネットの世界。数字だけが、いつも、ひとり歩きしている。私は私で、こ
れまた勝手に、ひとり歩きしている。この世界は、おかしな、どこまでもおかしな世界で
ある。


●疝痛

 昨夜、床につく直前、ワイフが、下腹を押さえて、苦しみ始めた。腹を突き刺すような
痛みだという。

 しばらくすると痛みは治まったが、そのあと、言いようのない孤独感が私を襲った。こ
れからの私の老後生活は、すべて、ワイフの健康を前提として、できている。ワイフのい
ない老後生活など、今の私には、とても考えられない。

 床についてから、何度も、「だいじょうぶ?」と声をかける。そのつどワイフは、「今
は治まっている……」と。

 私は天井を見つめながら、あれこれ考える。考えていると、また孤独感に襲われる。だ
からまた、聞く。「だいじょうぶ?」と。

 結局、ワイフの疝痛は、一過性のものとわかった。朝起きると、ワイフがこう言った。
「トイレへ行ったら、すっきりした」と。

 よかった。ほっとした。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●行ってきたぞ、上高地!

++++++++++++++

行ってきたぞ、上高地!

私のためというより、ワイフの
ため。ワイフの夢をかなえるため。

「上高地は、私の夢だった」と、
ワイフは、何度も言った。

私はもともと岐阜県生まれ。
板取川(いたどりがわ)の
上流へ行けば、似たようなところ
は、たくさんある。

しかし上高地には、山がある。
目の前には、明神岳。その向こうには
3000メートルを超える、穂高。

スケールがちがう!

ちょうど新緑のころ。
台風一過。天気にも恵まれた!

よかった! すばらしかった!

+++++++++++++

 上高地で撮ってきた写真を紹介。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【上高地・旅行記】

●バス旅行

 朝、4時半起床。しばらく雑務をこなしたあと、服を着る。台風一過。空を見あげると、
天気は上々。そのころワイフも、起きてきた。

 バスの出発時刻は、午前7時。東名の西インター近くの発着場から、バスが出る。途中
のコンビニで、朝食用のおにぎりなどを、買う。「空気がきれいね」と、ワイフは言った。
台風が去ったあとの空は、どこまでも澄んでいる。

 発着場には、すでにバスが並んでいた。係員の誘導で、車を駐車場へ置くと、私たちは
そのままバスに乗り込んだ。時刻は午前6時40分。

 ワイフは、再度、日程表を確認していた。そしてこう言った。「あら、このバスには、
ガイドさんが乗らないってよ」と。見ると、下のほうに、「ガイドは添乗しません」と書
いてあった。

 「ラッキー!」と、私。「よかったわ」と、ワイフ。バス会社には悪いが、今どき、バ
スガイドなんて、いらない。あのとりとめもない、かつ軽薄なおしゃべりを聞いていると、
それだけで気がヘンになる。居眠りすることも、できない。少なくとも私たちは、静かな
旅がしたい。

 私とワイフは、さっそく、おにぎりを食べ始めた。

ワ「バスガイドがガイドするという時代は、もう終わったわ」
私「外国にも、いないよ。オーストラリアやアメリカでは、運転手さんが、ときどき簡単
なガイドをしてくれるけど、その程度だよ」
ワ「そうね。重要なことだけを話して、あとは静かにしていてほしい」と。

 30年前には、喫煙は自由だった。そこで私はバス会社に、「喫煙者は、前のほうの席
に集まって座るようにし、非喫煙者は、うしろのほうに集まって座るようにしたらどうか」
と提案したことがある。手紙で、そう書いた。

 この案は、みごとなほどまでに簡単に却下されてしまった。詳しくは忘れたが、そうい
う内容の返事だった。当時は、まだそういう時代だった。

 つぎに、あのカラオケ。当時は、バスの中では、カラオケが定番だった。またそういう
のが、サービスということになっていた。

 行くときならまだしも、旅行によっては、帰りには、ヘトヘトに疲れることがある。そ
ういうとき、バスの中で居眠りができないというのは、苦痛以外の何ものでもない。

 私は朝食をすますと、そのままワイフの肩に頭を落とし、居眠りの準備にとりかかった。
上高地までは、片道4時間の行程である。

●上高地

 バスが駐車場に入ったとたん、大きく胸が高まった。7月だが、そのあたりでは、今が、
新緑の季節。若葉が美しい。それに水色の空。加えて、言わずと知れた日本アルプス。目
の前には、明神岳。そして穂高!

 私はバスをおりるとすぐ、あたり構わず、デジタルカメラのシャッターを切った。

 台風一過ということで、濁流を予想していたが、梓川(あずさがわ)は、青く透きとお
っていた。うれしかった。川の写真を撮りながら上流をめざすと、あの河童(かっぱ)橋
が目に飛びこんできた。絵葉書どおりの景色だった。

 またまた私は、夢中で、デジタルカメラのシャッターを切った。ワイフは、私以上にう
れしかったはず。若いころから、「一度は、上高地へ行きたい」と、口ぐせのように言っ
ていた。

 「夢がかなった」などと、大げさなことを何度も言った。私にとっては、見慣れた景色
だが、スケールがちがった。目の前に明神岳、その向こうには、穂高連邦が連なっていた。
ところどこには、根雪の白い筋さえ見えた。

●明神橋

 私たちは河童橋の周辺でしばらく時間を過ごしたあと、明神池から明神橋をめざした。
ぐるりと1周すると、12、3キロ前後の道のりではなかったか。正確にはわからないが、
2時間ほど歩きつづけて、もとのところに戻ってきたので、それくらいの道のりだったと
思う。

 途中、フランス人夫婦と出会った。話がはずんだ。夫は、大学の教授。奥さんは、美術
館の指導員をしているということだった。ソルボンヌ大学で、学生に教えているとも言っ
た。息子も同行しているということだったが、夫婦とは離れたところを歩いていた。

 上高地のあと、飛騨の高山をめざすということだった。5週間のバカンスを、この日本
で過ごすとか。「今日は、1週間目だ」と言っていた。

 夫婦で、5週間? 彼らにとっては、それがふつうの休暇らしい。私とワイフは、再び
河童橋のところで、しばらく時間を過ごした。ワイフは、牛乳を飲み、私は、牛乳だけで
作ったというプリンを食べた。

 それにあちこちの友人たちに、絵ハガキを送った。バスの駐車場のすぐ横に、郵便局が
あった。

●無事(?)、帰宅

 とても楽しい旅行だった。それに帰りは、たっぷりと居眠りができた。見ると、約半数
の客たちも、眠っていた。再びワイフが、こう言った。「ガイドはいらないわよ」と。

 私は、うなずいた。

 そうそう同じ日の朝、私たちが松本市へ入るころ、新潟県では、大地震があったという。
私たちはバスの中にいたから気がつかなかったが、松本市でも、震度3だったという。新
潟県は、上高地のある長野県の隣の県。

 みながそのニュースを、バスの中で心配そうに見ていた。

 台風のつぎは、地震。このところ日本は、災難つづき。浜松の自宅へ帰ってきたときに
は、午後10時を過ぎていた。私とワイフは、おかしなことだが、無事帰ってこられたこ
とを喜んだ。

(付記)

 観光地なのだから、しかたないのか? 養殖いわなの塩焼きを食べたが、1匹900円。
明神池への入場料が、1人300円。ソフトクリームが、300円などなど。あとはすべ
て推してはかるべし。絵ハガキの切手代だけは、50円だった。ホ〜〜〜ッ!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●抑圧と抵抗(児童買春について)

++++++++++++++

心の中の葛藤を、簡単に説明すれば、
(抑圧)と(抵抗)の関係ということ
になる。

人は、おとなも、子どもも、この
(抑圧)と(抵抗)のはざまで、
葛藤する。その葛藤が、さまざま
な心理的反応を示す。

++++++++++++++

●61歳の男性が児童買春

 つい2週間ほど、前のこと。この浜松市で、61歳の男性(職業は大工)が、中学生を
相手にした児童買春で、逮捕されるという事件が起きた。

 61歳の男性と中学生? 親子どころか、祖父と孫の関係と言ってもよい。その事件を
知ったとき、私は、最初に、こう思った。「よく、相手にしてもらえたな」と。

 たいへん不謹慎な意見であることは認める。こういうとき、私なら、「児童買春は、悪
だ」「その男性は、悪人だ」と書くべきかもしれない。しかしきれいごとを言うのは、も
う疲れた。だから本音を書く。

 61歳といえば、ほぼ私と同じ年齢。その私はどうかというと、とうの昔に、若い女性
と遊ぶのは、あきらめた。あきらめたというより、(あきらめ)が重なって、考えること
すらしなくなった。おそらく今の私は、40歳の女性にも、相手にしてもらえないだろう。
30歳の女性なら、なおさら。それが自分でもよくわかっている。

 そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「お金が目的だからよ」と。

 ナルホド! 

新聞報道によれば、そのつど男性は、4、5万円の小遣いを女の子たちに渡していたと
いう。しかしそれにしても……?

私「あのなあ、ぼくが中学生のときには、年上の女の子は、たった数歳でも、みな、おば
さんに見えたよ。60歳といえば、オバアチャン。そんな女性と関係をもつなどというこ
とは、ぼくには、想像もできなかった。お金の問題ではないと思う」
ワ「男性と女性は、ちがうかもしれないわよ。男性はそうかもしれないけれど、女性は、
年上の男性とでも、関係をもつことはできるわよ」
私「45歳も、年上でもか?」
ワ「……そうねえ……」と。

 で、私なりの結論は、こうだった。その男性というのは、よほど、かっこよかったので
はなかったかということ。白いスーツに、水色のズボン。そういういでたちで、BMWか
か何かを乗り回している!

 つまりここに私なりの葛藤がある。「若い女性と遊んでみたい」という(欲望)が、(願
望)につながる。が、その(願望)には、強力なブレーキが働く。これが(抑圧)となる。
しかしその性的エネルギーをコントロールするのは、容易なことではない。(抑圧)が強
くなればなるほど、性的エネルギーは、それに対して(抵抗)を開始する。

 この(抑圧)と(抵抗)が、はげしくぶつかりあう。そのときさまざまな心理的反応が、
生まれる。それがこじれて、神経症を発症することもある。

 だからといって、私は、児童買春を容認しているわけではない。どうか、誤解しないで
ほしい。私が言いたいことは、フロイトが説く(性的エネルギー=リピドー)というのは、
本能に根ざすものだけに、それほどまでに強力であるということ。つまり私にだって、ふ
つうの人間としての、ふつうの性的エネルギーはある。私も、(ふつうの人間)であり、
(ふつうの男)である。聖職意識など、これまたとっくの昔に、捨てた!

 そういう自分の中を静かにのぞいてみると、(抑圧)と(抵抗)の関係がよくわかる。

 私はたしかに、自分の性的エネルギー(=リピドー)を、抑圧している。若いときとく
らべると、はるかに弱くなったとはいえ、性的エネルギーがまったく、なくなったわけで
はない。

 しかしその一方で、それに抵抗している自分も、いる。ここでいう(抵抗)というのは、
フロイトが説いた(抵抗)とは、少しニュアンスがちがうものかもしれない。(フロイト
は、精神分析を受けている患者が、現状を維持するため、医師の治療などに反抗的になる
ことを、「抵抗」と呼んだ。)

 (抑圧)と(抵抗)。この2つは、つねに、あらゆる場面で、人の心の中で、衝突する。
ウズを巻く。そしてそれをコントロールするものがあるとすれば、理性であり、道徳であ
り、倫理ということになる。

 しかし実際には、これら理性、道徳、倫理のもつ(力)というのは、それほど強くはな
い。またコントロールできるほどまでの理性、道徳、倫理をもつにしても、並大抵の努力
ではできない。

 実際に(性的エネルギー)をコントロールしているのは、(恐怖)ということになる。
第一義的には、配偶者(夫や妻)との信頼関係、教師であれば、父母との信頼関係を破壊
するという恐怖。二義的には、罰として、刑が科せられるという恐怖。もちろんその時点
で、その人の社会的名誉、地位は、地に落ちる。

 こうした(恐怖)が、実際には、性的エネルギーをコントロールする。言いかえると、
こうした児童買春についていえば、アメリカ並みに、厳罰主義で臨むよりほかにないとい
うことになる。16歳未満の子どもと性的関係をもったら、問答無用式に、2年の懲役刑
を科すとか、など。

 そうでもしないかぎり、この問題だけは、いつまでもつづくと思う。ただし一言。あま
り刑を重くすると、今度は、事件そのものをもみ消すため、(殺人)というレベルまで、
発展する危険性もある。そういうことはあるが、今の日本の刑法は、こと児童買春につい
ては、甘すぎる。

 たいてい執行猶予がついて、見た目には、無罪放免となるケースがほとんど。だから今
の今も、こうしたハレンチ事件は、あとを絶たない。

++++++++++++++

児童買春について書いた原稿を
さがしてみた。

つぎの原稿は、05年の5月に
書いたものである。

++++++++++++++

●教師によるハレンチ事件

+++++++++++++++

このところ、このS県でも、
教師による、ハレンチ事件が
たてつづけに、起きている。

+++++++++++++++

 今度は、I町(浜松市の近郊)の塾講師が、ハレンチ罪の容疑で逮捕された。新聞の報
道によれば、中学生の女子と、中学生と知りつつ、どこかのホテルで、「いかがわしい行為
をした」(報道)という。

 当の塾講師は、「身に覚えがない」(報道)と、それを否定しているという。それはそれ
として、つまり今の段階では、その講師がシロかクロかはわからないが、今回の事件は、(い
もづる式)に、発覚した。

 その女子は、不特定多数の男性と、そういうことをしていたらしい(?)。で、1人の男
性を調べていたら、ほかにも、同じようなことをしていた男性が何人か見つかり、その中
に、塾講師も含まれていたという。

 で、こういう事件を見聞きすると、その周囲の人間は、(私も含めてだが)、「さも、私は
関係ありません」というような顔をする。「自分は、そういうことをする人間ではありませ
ん」と。

 しかし本当にそうだろうか? そう考えてよいのだろうか? 言いかえると、だれが、
こういう塾講師を、『石もて、打てるのか』?

 スケベ心はだれにでもある。あなたにも、私にも、だれにでもある。もしそのスケベ心
を否定してしまったら、人間は、人間でなくなってしまう。つまりこういう事件に関して
は、絶対的な悪人もいないし、絶対的な善人もいない。

 では、悪人と善人のちがいは何かということになると、それが(距離)である。(してみ
たい)と思うことと、(実際に、してみる)ということの間には、距離がある。その距離の
短い人を、悪人といい、その距離の長い人を、善人という。

 その距離をつくるのが、道徳であり、倫理ということになる。哲学もそれに含まれる。
その人の社会的地位や立場が、距離をつくるということも考えられるが、こういう事件で
は、あまりアテにならない。アテにならないことは、一連の教師によるハレンチ事件を見
ればわかる。

 「教師なら、そういうことをしないはず」と考えるのは、今では、幻想以外の何もので
もない。

 距離をつくるのは、もっと本質的な問題である。また、そういう視点でこういう問題を
考えないと、こうした事件は、ますます巧妙化するだけ。水面の下にもぐるだけ。言いか
えると、その距離のない人に向かって、自己規制を、いくら求めても、ムダ。
 
 そこで前から私が述べているように、こうしたハレンチ事件に対しては、厳罰主義で臨
むのがよい。たとえば問答無用式に、2年の懲役刑にするとか、など。オーストラリアで
は、さらにそれが進んで、そうした行為を見聞きしたばあい、通報義務まである(南オー
ストラリア州)。

 たとえばあなたの友人(男性)が、未成年者(女子)とそういう交際をしていると知っ
たら、あなたは、それを警察に通報しなければならない。それを怠ると、あなた自身も逮
捕される。

 そういう意味では、日本は、こうした犯罪に対して、甘い。アメリカなどでは、教師が
生徒と性交渉をもったりすると、軽くても、10年近くの刑を科せられる。言い逃れはで
きない。日本も、そうすればよい。そうすることによって、こういう事件の再発を防ぐ。

 わかりやすく言えば、道徳面、倫理面、哲学面で距離を作ることが無理なら、その距離
は、刑罰で作るしかないということ。若い女の子が近づいてきただけで、男性のほうが青
くなって遠ざかるような状況になれば、この種の事件は、ぐんと少なくなるはず。

 世界広しといえども、女子高校生や女子中学生が、売春まがいの遊びをしている国は、
そうはない。またそういった子どもたちに群がって、男性たちがお金を払っている国は、
そうはない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
児童買春 厳罰主義)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 15日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●乱暴な子ども

+++++++++++++

滋賀県にお住まいの
Sさんという方から、
こんな相談が届いている。

掲載の許可をいただき
ましたので、そのまま
紹介させていただきます。

+++++++++++++

【滋賀県のSさんより、はやし浩司へ】

はじめてお便りします。滋賀県O市に住んでいる、S(母親)というものです。
早速ですが、小学校1年生の長男についての相談です。下に、1歳ちがいの妹がいます。
私は2人姉妹の、姉です。家業は、昔からの呉服商です。夫は、今、両親とともに、T町
の中心部で、家業を手伝っています。

で、息子のことですが、先日、学校帰りに、近所のスーパーで、200円のお菓子を万引
きしてしまいました。スーパーから1人で出てくるところを他の子に見られ、「取ったの
か?」と聞かれそうだ」と答え、万引きしたことが、わかりました。

子どもどうしの会話は学童保育の中でのできごとだったため、学童保育の先生に教えて
いただきました。その後、スーパーに行き、謝罪し、お金を支払いました。

わたしは、頭が真っ白になりショックで1日、起きあがれませんでした。長男は
「お母さんが、禁止って言うから、どうしても食べたかったんだ!」と言いました。
私は歯に良くないのでだめだと言ってしばらく与えていませんでした。

長男はとても活発で、元気な子どもです。年少児のころは一日に、何度も着替えるほど、
どろんこになって遊んでいました。「取った、取られた」で、お友達とのトラブルも
よくありました。年中児になり、「とても落ち着いたね」と、園の先生方からも言われ
担任の先生もおおらかな方で、とくにこれはというトラブルもありませんでした。

年長児になり、春の親子遠足で、全体の写真撮影の時、お友達の手をひっかき、
泣かせてしまいました。うしろにいた私は気がつかず、その夜、先生からのお電話で
知りました。長男に確認したところ、「ぼくの悪口を言ったんだ。お母さん、怒らない?
お母さんのことを『でぶばばあ』って言ったんだよ」と言って、泣き出してしまいました。

(そういえば、園でバスの出発を待っているとき、5人ぐらいの友だちに、
リュックを引っ張られたり、何か言われたりしていました。長男が、反撃をしようと
したので子どもたちに、「そろそろ出発だからお母さんのところに帰ろうね。」と言って
長男から引き離したことがありました。

私は、泣いている長男に、「でも、暴力はいけない」と言って相手のお母さんに
お詫びのお電話をしました。目の前で子どもを泣かされたお母さんは大変怒っていて、
許していただけませんでした。私は、「お気を悪くしないでください。実はこういう
ことがありました。」と事情を話しました。

相手のお母さんは余計怒ってしまい、「うちの子はそんなことは言っていない。お宅の
お子さんは落ち着きがないですよね。多動ではないかと他のお母さんが言っていた。
早く対処してあげないと子どもがかわいそうだ」と言われてしまい、泣けてしまい
ました。

その後、相手のお母さんから、「子どもに聞いたら、他の子が悪口を言って、
たまたま近くにいたうちの子が手をひっかいたようだ」と、電話がありました。

私のほうは、多動と言われた事がショックで、担任の先生に相談したところ
「お母さんの気持ちを聞いてもらったらどうか?」と、保健婦さんを紹介されました。
保健婦さんは、簡単な知能検査をして、帰っていきました。

話を聞いてもらえる機会はなく、先生からは「特に顕著な症状や遅れはありませんが
お母さんが心配なら、専門の病院を紹介します」とのことでした。
主人に相談をしたら、「考えすぎだ、そんなことをしたら子どもが傷つく」と言われ、
私自身も心の整理ができず、病院へは行きませんでした。

その後も、滑り台から滑ったときに、年少児の子を突き飛ばしたのに、やっていないと
うそをついたこともあります。「嘘はいけない」と、先生に、遊具倉庫に入れられたあと、
鍵をかけられたこともあります。

バスの中で立ってはいけない約束なのに、その約束も守れず、4日くらい言うことを
聞かなかったので、年少児の帽子をかぶり、1日、年少組で過ごしたこともありました。

その後、お友だちからばかにされるようになり、仲間に入れてもらえなかったりして、
トラブルになることもありました。長男にも言い分があったのですが、私は子どもの
言い分に耳を貸さず、ヒステリックに叱ったりしました。

そのあと、子どもにチックの症状が表れ、反省し、なるべく落ち着いて説明するよう
心がけました。

卒園前にはペットボトルの取り合いで、お友達に水をかけたので1人だけ、卒園式の
練習に参加させてもらえませんでした。卒園の少し前のこと、あんなに大好きだった
幼稚園に、「あんな幼稚園大嫌いだ!もう、いきたくない!」と。

「あと、3日で終わりだから、そんなこと言わないで」と言うと、
「ほんと?あ〜、良かった」といいました。後から考えると子どもなりに理由も
あったようですが、子どもの言い分を書いてしまうと、園の批判になってしまいますし、
先生方のお考えもあっての事だと思いますので、控えさせていただきます。

小学校入学前は、幼稚園の時みたいにならないようにと事こまかく
(あれをしてはだめ、これをしてはだめ)と、行く前から、何度もお説教しました。

その甲斐もなく、集団登校で言うことを聞かないと、上級生にさじを投げられたり、
お友達がたたいた、蹴ったと、いちいち職員室に報告に行ったりしました。

そして、今回の事件(万引き事件)がおこり、何をしつけてきたのかと、
がく然としました。

ただ、反省することは一度も子どもの味方になってあげられなかったことです。
今回の万引きで、「一生取り返しがつかないことをした、どろぼうだ。」と
言ってしまいました。言ってはいけないと思っても過去の色々な事が
フラッシユバックして止められません。1人の時は泣けてきてしまいます。

先生のコラムを読ませて頂いて、私自身にも問題があるのでは?、と思いました。
私の両親は典型的な『代償的過保護』だと思われます。

20代の時、それを断ち切るために、友だちをたよって、ワーキングホリデーを利用して、
オーストラリアに行ってきました。今では、両親の気持ちも理解でき、関係は良好です。

もうひとつは、私自身の幼稚園の年中児のときのできごとです。

雨の日、室内ジャングルジムで遊んでいる時、上から飛び降りるグループと
その下を通り抜けるグループに分かれて遊んでいました。
先生は「危ないから、やめなさい」と何度も言ったのですが、私たちは無視して
遊んでいました。私の番になった時、何度も「どいて、どいて、」と言って
飛び降りたのに、下を通り抜ける子とぶつかってしまいました。

先生は急いで下の子を医務室に連れて行きました。おなかをぶって苦しんでいる
私のところに「大丈夫?」と言ってきてくれた子に、先生は「自分が悪いんだから、
そんなことしなくていい!」と怒鳴りました。

その後しばらく幼稚園に通えなくなってしまいました。

しばらくして登園すると、みんな、よそよそしく感じ、先生の目も冷たく感じたのを
覚えています。

年中組が終わるまで、針のむしろにすわらせられたような気分で、「先生に嫌われたら、
みんな、離れていってしまう。こういう集団の中では生きていけないんだ。」と思い、
「幼稚園の2階から飛び降りて死んじゃおうかな・・・・。」と本気で考えたことも
あります。

でも、「両親 、大好きなおばあちゃんが悲しむな」と思いやめました。
それから、いい子という仮面をかぶって生きることにしました。
だから問題を起こしてくる長男が許せなかったのかもしれません。

長男へのしつけはしていたつもりです。「あいさつの大切さ、一番してはいけない
ことは、人の物や命を奪うこと」だと、何度も教えたつもりでした。
悪いことは悪い!、と、決めつけてしまい、長男の本当の理由と気持ちを聞いて
あげられなかった、言えなくしていたことがいけなかったのではと反省しています。

思いのたけをぶつけてしまいました。申し訳ありません。
読んでいただき、ありがとうございました。
アドバイスがありましたら、お願いします。

【はやし浩司より、Sさんへ】

 こうしたケースでは、まず、『負けるが勝ち』と心得て、子どもが何かトラブルを起こし
たら、頭をさげて、ひきさがります。いろいろあなたにも言い分はあるでしょうが、大切
なことは、子ども自身が、気持ちよく、学校へ行けるような環境を用意してあげることで
す。

 そのためにも、『負けるが勝ち』です。またそうすることで、あなたは相手の親より、一
歩、先に進むことができます。

 つぎに多動というよりは、1歳年下の妹さんとの、葛藤が疑われます。年齢的にみて、
いちばんあなたという母親に甘えたかったときに、妹が生まれてしまった。つまりそれが
子どもの情緒をゆがめてしまったのかもしれません。

 今からでも遅くありませんので、濃密なスキンシップを大切にして、もう一度、子ども
に安心感(=信頼感)を与えるように努力してみてください。全体としてみると、あなた
自身の不安先行型、心配先行型の子育てが、子どもに、悪い影響を与えていると考えられ
ます。

 リズムというか、親子の歯車がかみあっていない?

 また情緒が不安定(つっぱる、いじける、怒りっぽい、キレやすい)ということであれ
ば、海産物を中心にした献立にきりかえてみてください。CA、MG、Kの多い食生活に
するということです。子どもによっては、劇的に落ち着いてくるはずです。

 で、仮に多動性があるとしても、小学3、4年生を境に、症状は急速に収まってきます。
自己意識が育ち、自分で自分をコントロールするようになるからです。それまでは、あ・
き・ら・め・る、です。今しばらく、こうした乱暴、あるいはトラブルはつづくと考えて
ください。またすぐになおす方法は、ありません。

 だから冒頭に書いたように、『負けるが勝ち』なのです。

 で、万引きですが、この時期の子どもは、それほど悪意もなく、万引きをすることがあ
ります。金銭感覚がこの時期、急速に育ってきますが、同時に、それは未完成なものです。
言うべきことは言いながらも、子どもがおびえるほどまでに強く叱ってはいけません。

 なお、ウソ、悪口、盗みは、子どもが自立するための3種の神器と私は呼んでいます。
それを許せというのではありませんが、子どもは、ウソ、悪口、盗みをとおして、おとな
の世界に挑戦してきます。おとなの優位性を、押しつけないこと。

 大切なことは、友として、子どもの横に立つことです。どこか「私は親だ」という気負
いを強く感じます。その気負いが、今、あなたと子どもの関係をギクシャクしている。私
には、そう見えます。

 ともかくも、万引きにせよ、乱暴行為にせよ、ケースとしては、よくあることで、あま
りおおげさに考えないこと。「うちの子も、その年齢になったのだ」と、一歩退いて、おお
らかに考えてください。

 今までに書いた原稿を、いくつか添付しておきます。どうか、参考にしてください。

 メール、ありがとうございました。先日、長浜の町に行ってきましたが、すてきな町に
変身していましたね。また行きたいです。では、今日は、これで失礼します。

++++++++++++++++++

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。

この世界、「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いてい
る。それに皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に
問題のある人もいる。さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、4
0歳前後で、20人に1人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、
それにズケズケとものをいう。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、
それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに
相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、
よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつき
あいの大鉄則と考えてよい。

+++++++++++++++

●心配先行型の子育て

 私の印象に残っている事件に、こういうのがあった。

 ある日、自分の教室へ入ると、A組のA先生のチョーク箱が、起き忘れてあった。そこ
で園庭で遊んでいた、ひとりの女の子(年長児)をつかまえて、そのチョーク箱を、A組
のA先生のところへもっていってくれるように頼んだ。その女の子は、「ハーイ」と元気な
声でそれに応じてくれたが、心配だったのでその女の子を見ていると、その女の子は、ま
たチョーク箱をもってかえってきてしまった。

 そこで私が、「どうしてチョーク箱をもって帰ってきたの?」と聞くと、その女の子はこ
う言った。「だって、A組に先生がいなかったもん」と。当時、園舎はコの字型の廊下にな
っていて、その女の子が走っていく様子がよくわかった。その廊下で、帰ってくるとき、
その女の子は、A先生とすれちがっていた。そこでまた私が、「廊下ですれちがったとき、
どうしてA先生に渡してくれなかったの?」と聞くと、その女の子はこう言った。「だって、
先生は、教室にいなかったもん」と。

 その女の子は、(A組でA先生に渡す)ということにこだわった。その気持ちはわからな
いでもないが、チョーク箱を渡すという目的からすれば、その女の子の行動は、どこか的
がはずれている。こういう例は、ほかにもある。

 B君が教室に忘れ物をしたときのこと。私は近くにいたC君(年長児)に「これをB君
にもっていってあげて」と頼んだ。C君はすぐ追いかけたものの、これまたすぐ戻ってき
てしまった。「どうしたの?」と聞くと、C君はこう言った。「もういなかった」と。C君
は、うわばきをはいていた。それで「外(庭)へは出られなかった」と。C君は、B君を
呼びとめようと思えば、それができたはずである。しかしC君は、それを思いつかなかっ
た?

 このタイプの子どもは、頭がかたいというふうにも考えるが、もうひとつは社会性の不
足ということも考えられる。その場、その場で臨機応変にものを考えることができない。
もっと言えば、頭の中で大局的にものを考えることができない。言われたことは忠実にす
るが、「なぜ自分がそうしなければならないか」、また「その目的は何か」ということが考
えられない。威圧的な過干渉、親の先走り、心配先行型の子育てが日常化すると、子ども
は自分で考えることができなくなり、ここでいうような症状を示すようになる。

 もしあなたが「うちの子の行動は、いつもどこか的がはずれている」「常識はずれの行動
が多い」と感ずるなら、子どもの問題というよりは、育てかたの問題と考え、反省する。

+++++++++++++++

●子どもの心を大切に

●無理は禁物

 子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。たとえば神経症にせ
よ恐怖症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感
じたら、決して無理をしてはいけない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決め
つけて、無理をする人がいる。

さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。しかし子どもの心は、
無理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れる。しかし親
というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて気がつく。
その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなたには本当のところがわか
っていない」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけ
てしまう。あとはこの繰り返し。

●こわい悪循環

 子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを
繰り返しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出
てくる。もしそんな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そし
てその状態を受け入れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。よく
ある例が、子どもの非行。

子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗みや、夜遊びであったりする。し
かしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はまずいない。たいていの親は強く
叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的な行為は、症状をますます悪化
させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。

●ウリのつるにナスビはならぬ

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、
決して美しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく
子どもいる。しかし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、
あなた自身を振り返ってみればよい。

あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになっただろうか。あるいはあなたの
巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。そうでないなら、あまり子ども
には期待しないこと。昔からこう言うではないか。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。
失礼な言い方かもしれないが、子育てというのは、もともとそういうもの。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【幼児期(自律性の発達)】

++++++++++++++++++++

青年期最大のテーマは、「自己同一性」の問題
である。

(自分はこうあるべきだ)という姿と、
(現実の自分)が一致していることを、
自己同一性という。簡単に言えば、そういう
ことになる。

それを確立できるかどうか? それで青年期の
あり方が決まる。

結婚にたとえるなら、愛し合って結婚した
カップルは、同一性が確立していることになる。
そうでないカップルは、そうでない。

夫婦の間でも、同一性が確立できないと、
心理状態は不安定になり、
夫婦げんかばかりするようになる。
人間の心理も、また同じ。

その自己同一性の基礎は、実は、乳幼児期に、
作られる。

++++++++++++++++++++

 乳児期最大のテーマは、言うまでもなく、「基本的信頼関係」の構築にある。基本的信頼
関係は、生後直後から、母子の関係で、はぐくまれる。

 (絶対的な安心感)が基本にあって、子どもは、母子との間で、基本的信頼関係を築く
ことができる。(絶対的な安心感)というのは、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け
入れ)の2つをいう。

 「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。「何をしてもよい」と
自分をさらけだすのを、(絶対的なさらけ出し)という。「何をしても、子どものことは許
す」というのを、(絶対的な受け入れ)という。

 が、それだけではない。

 エリクソンによれば、つづく第2段階の幼児期では、「自律性の確立」が、テーマとなる。
「自立性」と言いかえてもよい。つまり「独立した人間として、自分のことは自分でする」
ことをいう。

 この自律性の確立に失敗すると、子どもは、他人に対して、「恥ずかしい」という感覚を
もつようになる。あるいは過度に他人に対して依存的になり、その分だけ、さらに自立で
きない人間になってしまう。自分が何をしたらよいのか、何をすべきなのか、それがわか
らなくなることもある。

 Y氏は、50歳になるが、たいへん世間体を気にする人である。何をするにも、世間の
目を気にする。「そんなことをすれば世間に顔向けができない」「世間が笑う」「世間が許さ
ない」と。「世間体」という言葉も、よく使う。

 一見、他人と協調性のある人に見えるが、その実、自分がない。「では、あなたはどうし
たいのですか?」と聞いても、答が返ってこない。それが如実に表れたのが、実父の葬儀
でのことだった。

 Y氏はけっして、裕福ではなかった。実父との関係も、よくなかった。その実父は、Y
氏が、48歳のときに、くも膜下出血で急逝した。そのとき、ほかの兄弟たちと、たいへ
んな騒動になってしまった。

 実父は、かなりの知識人であったとみえる。はやくから遺言を残していた。それには、「葬
儀はしなくていい。遺灰は、○○浜から太平洋へまいてほしい」とあった。

 その遺言をめぐって、「遺言は無視して、恥ずかしくない葬式をする」と主張するY氏。
「遺言どおり、遺灰を海にまく」と主張するほかの兄弟たち。結局、Y氏が長男だったと
いうこともあり、父親の遺言を無視して、葬儀をすることになった。その地域でも評判に
なるほど、かなり派手な葬儀であったという。

 Y氏の妹氏(45歳)はこう言う。「兄には、これが私の生き方という、一本のスジがな
いのです。いつも他人の目の中だけで生きているような人です」と。

 が、Y氏のこうした生き様は、エリクソンによれば、幼児期にできあがったものと考え
てよい。長男であるということで、蝶よ花よと、手をかけて育てられた。つまりその分だ
け、自律性の発達が遅れた。

 エリクソンの言葉を借りるなら、「重要な人格構成要素がうまく獲得できるか、それとも
マイナス面が勝ってしまうか」(「性格心理学」清水弘司)というはげしいせめぎあいの中
で、マイナス面のほうが、表に出てきてしまったということになる。

 エリクソンは、これを「心理的危機」「社会的危機」と呼んだ。つづく第3段階の「就学
前期」、4段階の「学童期」にかけて、それぞれの段階で必要な人格の確立に失敗しやすく
なるからである。

 Y氏がそうであったかどうかはわからない。わからないが、Y氏の様子を観察するかぎ
り、Y氏は、自律性の確立に失敗した人ということになる。

 つまりその分だけ、依存性が強い。もちろん本人は、それに気づいていない。自分が自
律性のない人間だとは、さらに思っていない。一応、それなりの仕事をしている。家族も
いる。「世間体」そのものが、Y氏にとっては、ひとつの哲学(?)になっている。「恥」
という言葉にしてもそうだ。

 1人の人間が懸命に生きる。その生き様に価値がある。生きる意味も、そこから生まれ
る。たとえ失敗しても、それはそれ。どうしてそれが「恥」なのか。いつか書いたが、「恥」
にも2種類ある。

 「己に対する恥」と「他者に対する恥」である。ここでいう恥というのは、当然、「他者
に対する恥」ということになる。

 そんなもの、気にするほうがおかしい……と私は思うが、Y氏にとっては、そうではな
い。ここにも書いたように、Y氏にしてみれば、それが生きる哲学(?)にもなっている。

 では、どう考えたらよいのか。

 エリクソンの発達論を借りるまでもなく、幼児期は、子どもの自律性だけを考えて、子
どもを育てる。「自分で自分を律しながら、自立させる」。もっと言えば、「自分で考えて、
自分で行動させ、自分で責任を取らせる」。

 そのために何をすべきかということよりも、何をすべきでないかを考える。というのも、
望ましい環境の中で、あるべき方法で子どもを育てれば、子どもは、自ら自分の中から、
その自律性を引き出していく。過干渉、過保護、過関心、溺愛が悪いことは言うまでもな
い。親の価値観の押しつけ、優位性の押しつけが悪いことも言うまでもない。

 ……ということで、この話はここまでにする。と、同時に、あなた自身は、どうかとい
うことを、ここで自問してみてほしい。

 あなたはここでいう自律した人間だろうか。それとも、依存性が強く、世間体ばかりを
気にするタイプの人間だろうか。どうであれ、そうした基礎は、実は、幼児期に作られた
ものであるということ。それに気がつくだけでも、あなたはさらによく、あなたという「私」
を知ることができる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自律 自律論 エリクソン 発達論 心理的発達論 恥論 幼児期の自立性 自律性 自
律性の発達)


++++++++++++++++

基本的信頼関係について書いた原稿
などを、参考のために、ここに添付
しておきます。

++++++++++++++++

【基本的信頼関係】

●信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、答えてあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人
間関係を結ぶことができる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用して
いくことができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、
第三世界での信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後
の信頼関係の基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあ
い、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出しても、気にしない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意す
るのは、親の役目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなこと
に注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。
(030422)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
基本的信頼関係 信頼関係 子供との信頼関係)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

●感情の発達

 乳児でも、不快、恐怖、不安を感ずる。これらを、基本感情というなら、年齢とともに
発達する、怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの感情は、より人間的な感情ということにな
る。これらの感情は、さらに、自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情へと発展してい
く。

 年齢的には、私は、以下のように区分している。

(基本感情)0歳〜1歳前後……不快、恐怖、不安を中心とする、基本感情の形成期。

(人間的感情形成期)1歳前後〜2歳前後……怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの人間的
な感情の形成期。

(複雑感情形成期)2歳前後〜5歳前後……自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情な
どの、複雑な感情の形成期。

 子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。これには、こんな経験がある。

 年長児のUさん(女児)は静かな子どもだった。教室でもほとんど、発言しなかった。
しかしその日は違っていた。皆より先に、「はい、はい」と手をあげた。その日は、母親が
仕事を休んで、授業を参観にきていた。

 私は少しおおげさに、Uさんをほめた。すると、である。Uさんが、スーッと涙をこぼ
したのである。私はてっきりうれし泣きだろうと思った。しかしそれにしても、大げさで
ある。そこで授業が終わってから、私はUさんに聞いた。「どうして泣いたの?」と。する
と、Uさんは、こう言った。「私がほめたれた。お母さんが喜んでいると思ったら、自然と
涙が出てきちゃった」と。Uさんは、母親の気持ちになって、涙を流していたのだ。

 この事件があってからというもの、私は、幼児に対する見方を変えた。

 で、ここで注意してほしいのは、人間としての一般的な感情は、満五歳前後には、完成
するということ。子どもといっても、今のあなたと同じ感情をもっている。このことは反
対の立場で考えてみればわかる。

 あなたという「人」の感情を、どんどん掘りさげていってもてほしい。あなたがもつ感
情は、いつごろ形成されただろうか。高校生や中学生になってからだろうか。いや、違う。
では、小学生だろうか。いや、違う。あなたは「私」を意識するようになったときから、
すでに今の感情をもっていたことに気づく。つまりその年齢は、ここにあげた、満五歳前
後ということになる。

 ところで私は、N放送(公営放送)の「お母さんとXXXX」という番組を、かいま見
るたびに、すぐチャンネルをかえる。不愉快だから、だ。ああした番組では、子どもを、
まるで子どもあつかいしている。一人の人間として、見ていない。ただ一方的に、見るの
もつらいような踊りをさせてみたりしている。あるいは「子どもなら、こういうものに喜
ぶはず」という、おとなの傲慢(ごうまん)さばかりが目立つ。ときどき「子どもをバカ
にするな」と思ってしまう。

 話はそれたが、子どもの感情は、満五歳をもって、おとなのそれと同じと考える。また
そういう前提で、子どもと接する。決して、幼稚あつかいしてはいけない。私はときどき
年長児たちにこう言う。

「君たちは、幼稚、幼稚って言われるけど、バカにされていると思わないか?」と。す
ると子どもたちは、こう言う。「うん、そう思う」と。幼児だって、「幼稚」という言葉
を嫌っている。もうそろそろ、「幼稚」という言葉を、廃語にする時期にきているのでは
ないだろうか。「幼稚園」ではなく、「幼児園」にするとか。もっと端的に、「基礎園」で
もよい。あるいは英語式に、「プレスクール」でもよい。しかし「幼稚園」は、……?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
感情の発達 子どもの感情)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てポイント】

●温もりのある園を

 保育園や幼稚園を選ぶときは、「温もり」があるかないかで判断する。きれいにピカピカ
にみがかれた園は、それなりに快適に見えるが、幼児の居場所としては、好ましくない。

 まず子どもの目線で見てみる。温もりのある園は、どこかしこに、園児の生活がしみこ
んでいる。小さな落書きがあったり、いたずらがあったりする。あるいは先生が子どもを
喜ばすために、何らかの工夫や、しかけがあったりする。が、そうでない園には、それが
ない。園児が汚すといけないからという理由で、壁にもワックスをかけているような園が
ある。そういう園には、子どもをやらないほうがよい。

●園は、先生を見て選ぶ

 保育園や幼稚園は、先生を見て選ぶ。よい園は、先生が生き生きとしている。そうでな
い園は、そうでない。休み時間などでも、園児が楽しそうに先生のまわりに集まって、ふ
ざけあっているような園なら、よい。明るい声で、「○○先生!」「ハーイ!」と、かけ声
が飛びかっているような園なら、よい。しかしどこかツンツンとしていて、先生と園児が、
別々のことをしているというような園は、さける。

 園児集めのために、派手な行事ばかりを並べている園もある。しかし幼児にとって、重
要なのは、やはり先生。とくに園長が運動服などを着て、いつも園児の中にいるような園
を選ぶと、よい。

●男児は男児

 男の子が男の子らしくなるのは、アンドロゲンというホルモンの作用による。そのため
男の子は、より攻撃的になり、対抗的なスポーツを好むようになる。サルの観察では、オ
スの子ザルのほうが、「社会的攻撃性があり、威嚇(いかく)行動のまねをしたり、けんか
遊びをしたり。取っ組みあいのレスリングのような遊びをしたりする回数が、多い」こと
(新井康允氏)がわかっている。

 とくに母親が家庭で子どもをみるときは、この性差に注意する。母親という女性がそう
でないかたといって、それを男である男の子に押しつけてはいけない。男の子の乱暴な行
為を悪いことと決めてかかってはいけない。

●負けるが勝ち

 子どもをはさんだ、親どうしのトラブルは、負けるが勝ち。園や学校の先生から、あな
たの子どものことで、何か苦情なり小言(こごと)が届いたら、負けるが勝ち。まずこち
らから、「すみませんでした」「至らぬ子どもで」と、頭をさげる。さげて謝る。たとえ相
手に非があるように見えるときも、あるいは言い分があっても、負ける。

 理由はいろいろある。あなたの子どもは、あなたの子どもであっても、あなたの知らな
い面のほうが多い。子どもというのは、そういうもの。つぎに、相手が苦情を言ってくる
というのは、それなりに深刻なケースと考えてよい。さらにそういう姿勢が、結局は、子
どもの世界を守る。

ほかの世界でのことなら、ともかくも、あなたがカリカリしても、よいことは何もない。
あなたの子どもにとって、すみやすい世界を、何よりも優先する。だから、『負けるが勝
ち』。

●我流に注意
 
子育てで一番こわいのは、我流。「私が正しい」「子どものことは、私が一番よく知って
いる」「他人の育児論は役にたたない」と。

 子育てというのは、自分で失敗してみてはじめて、それが失敗だったと気づく。それま
では気づかない。「私の子にかぎって……」「うちの子はだいじょうぶ……」「私はだいじょ
うぶ……」と思っているうちに、失敗の悪循環に入っていく。「まだ何とかなる……」「こ
んなハズはない……」と。親が何かをすればするほど、裏目、裏目に出る。

 子育てじょうずな親というのは、いつも新しい情報を吸収しようとする。見聞を広め、
知識を求める。交際範囲も広く、多様性がある。だからいつも子どもをより広い視野でと
らえようとする。その広さがあればあるほど、親の許容範囲も広くなり、子どももその分、
伸びやかになる。

●二番底、三番底に注意

 子どもに何か問題が起きると、親はその状態を最悪と思う。そしてそれ以上悪くはなら
ないと考える。そこまで思いが届かない。で、その状態を何とか、抜け出ようとする。し
かし子どもの世界には、二番底、三番底がある。子どもというのは、悪くなるときは、ち
ょうど坂をころげ落ちるように、二番底、三番底へと落ちていく。「前のほうがまだ症状が
軽かった……」ということを繰りかえしながら、さらに悪い状態になる。

 子どもの不登校にせよ、心の病気にせよ、さらに非行にせよ、親がまだ知らない二番底、
三番底がある。では、どうするか?

 そういうときは、「なおそう」と考えるのではなく、「今の状態をより悪くしないことだ
け」を考えて、様子をみる。時間をかける。コツは、なおそうと思わないこと。この段階
で無理をすればするほど、子どもはつぎの底をめがけて落ちていく。

●信仰に注意

 よく誤解されるが、宗教教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者が
いるから、宗教教団がある。人はそれぞれ何かの教えや救いを求めて、宗教教団に身を寄
せる。

 ……と書いても、できるなら、(あくまでもそういう言い方しかできないが)、入信する
にも、夫婦ともに入信する。今、たとえばある日突然、妻だけが入信し、そのため家族そ
のものが崩壊状態になっている家庭が、あまりにも多い。……多すぎる。信仰というのは、
その人の生きザマの根幹部分に関するだけに、一度対立すると、たがいに容赦しなくなる。
妥協しなくなる。で、行きつく先は、激突、別離、離婚、家庭崩壊。

 とくに今、こうした不安な時代を背景に、カルト教団(情報の遮断性、信者の隔離、徹
底した上意下達方式、布教や献金の強制、独善性、神秘性、功徳論とバチ論、信仰の権威
づけ、集団行為などが特徴)が、勢力を伸ばしている。周囲の人たちが反対すると、「悪魔
が反対し始めた。だから私の信仰が正しいことが証明された」などと、わけのわからない
ことを言いだしたりする。

 信仰するにも、できれば、夫婦でよく話しあってからにする。これはあなたの子どもを
守るための、大原則。

●機嫌を取らない

 親が親である「威厳」(この言葉は好きではないが……)は、親は親として、毅然(きぜ
んとした態度で生きること。その毅然さが、結局は、親の威厳になる。(権威の押しつけは、
よくないことは、言うまでもない。)

 そのためにも、子どもには、へつらわない。歓心を買わない。そして機嫌を取らない。
もし今、あなたが子どもにへつらったり、歓心を買ったり、機嫌を取っているようなら、
すでにあなたの親子関係は、かなり危険な状態にあるとみてよい。とくに依存心の強い親
ほど、注意する。「子どもには嫌われたくない」と、あなたが考えているなら、あなたは今
すぐ、そういうまちがった育児観は、捨てたほうがよい。

 あなたはあなた。子どもは子ども。嫌われても、気にしない。「あなたはあなたで勝手に
生きなさい」という姿勢が、子どもを自立させる。そして皮肉なことに、そのほうが、結
局は、あなたと子どものパイプを太くする。

●いつも我が身をみる

 子育てで迷ったら、我が身をみる。「自分が、同じ年齢のときはどうだったか」「自分が、
今、子どもの立場なら、どうなのか」「私なら、できるか」と。

 身勝手な親は、こう言う。「先生、私は学歴がなくて苦労しました。だから息子には、同
じような苦労をさせたくありません」と。あるいは「私は勉強が嫌いでしたが、子どもに
は好きになってほしいです」と。

 要するに、あなたができないこと。あなたがしたくないこと。さらにあなたができなか
ったことを、子どもに求めてはいけないということ。そのためにも、いつも我が身をみる。
これは子育てをするときの、コツ。

●本物を与える
 
子どもに与えたり、見せたり、聞かせたりするものは、できるだけ本物にする。「できる
だけ」というのは、今、その本物そのものが、なかなか見つからないことによる。しか
し「できるだけそうする」。

 たとえば食事。たとえば絵画。たとえば音楽。今、ほとんどの子どもたちは、母親の手
料理よりも、ファースト・フードの食事のほうが、おいしいと思っている。美術館に並ぶ
絵よりも、テレビのアニメのイラストのほうが、美しいと思っている。音楽家がかなでる
音楽よりも、音がズレたようなジャリ歌手の歌う歌のほうが、すばらしいと思っている。

こうした低俗、軽薄文化が、今、この日本では主流になりつつある。問題は、それでよ
いかということ。このままでよいかということ。あなたがそれではよくないと思ってい
るなら、機会があれば、子どもには、できるだけ本物を与えたり、見せたり、聞かせた
りする。

●親が生きがいをもつ

 子どもを伸ばそうと考えたら、まず親自身が伸びて見せる。それにまさる子どもの伸ば
し方はない。ただし押しつけは、禁物。「私はこれだけがんばっているから、お前もがんば
れ」と。

 伸びてみせるかどうかは、あくまでも親の問題。キビキビとした緊張感を家庭の中に用
意するのがコツ。そしてその緊張感の中に、子どもを巻き込むようにする。しかしそれで
も、それは結果。それを見て、子どもが伸びるかどうかは、あくまでも子どもの問題。し
かしこれだけは言える。

 退廃、退屈、マンネリ、単調、家庭崩壊、家庭不和、親の拒否的態度ほど、子どもに悪
影響を与えるものはないということ。その悪影響を避けるために、親は生きがいをもつ。
前に進む。それは家の中を流れる風のようなもの。風が止まると、子どもの心は、とたん
にうしろ向きになる。

●仮面に注意

 心の状態と、外から見る表情に、くい違いが出ることを、「遊離」という。怒っているは
ずなのに、ニンマリ笑う。あるいは悲しいはずなのに、無表情でいる、など。子どもに、
この遊離が見られたら、子どもの心はかなり危険な状態にあるとみてよい。

 遊離ほどではないにしても、心を隠すことを、「仮面をかぶる」という。俗にいう、「い
い子ぶる」ことをいう。このタイプの子どもは、外の世界で無理をする分だけ、心をゆが
めやすい。ストレスをためやすい。

 一般的に「すなおな子ども」というのは、心の状態と、外から見る表情が一致している
子どものことをいう。あるいはヒネクレ、イジケ、ツッパリなどの、「ゆがみ」のない子ど
もをいう。

 あなたの子どもが、うれしいときには、顔満面に笑みを浮かべて、うれしそうな表情を
するなら、それだけでも、あなたの子どもは、まっすぐ伸びているということになる。

●聞き上手になる

 子育てが上手な親には、一つの大きな特徴がある。いつも謙虚な姿勢で、聞き上手。そ
して他人の話を聞きながら、いつも頭の中で、「自分はどうだろう」「私ならどうするだろ
う」と、シミュレーションする。そうでない親は、そうでない。親と話していて、(教える
立場で)、何がいやかといって、すぐカリカリすること。

 私「最近、元気がありませんが……」
 親「うちでは元気があります」
 私「何か、問題がありませんか?」
 親「いえ、水泳教室では問題はありません。いつもと変わりません」と。

 子どものことを話しているのに、親が、つぎつぎと反論してくる。こういう状態になる
と、話したいことも、話せなくなってしまう。もちろんそうなれば、結局は、損をするの
は、親自身ということになる。

●親の悪口は言わない

 あなたが母親なら、決して、父親(夫)の悪口を言ってはいけない。あなたは子どもを
味方にしたいがため、ときには、父親を悪く言いたくなるときもあるだろう。が、それで
も、言ってはいけない。あなたがそれを言えば言うほど、あなたの子どもの心は、あなた
から離れる。そして結果として、あなたにも、そして父親にも従わなくなる。

 父親と母親の気持ちが一枚岩でもむずかしいのが、最近の子育て。父親と母親の心がバ
ラバラで、どうして子育てができるというのか。子どもが父親の悪口を言っても、相づち
を打ってはいけない。「あなたのお父さんは、すばらしい人だよ」と言って、すます。そう
いう姿勢が、家族の絆(きずな)を守る。これは家庭教育の、大原則。

●無菌状態に注意

 子どもを親の監督下におき、子どもを無菌状態のまま育てる人がいる。先日も、「うちの
子は、いつも子分です。どうしたらいいでしょうか」という相談があった。親としては、
心配であり、つらいことかもしれないが、しかし子どもというのは、子分になることによ
り、親分の心構えを学ぶ。子分になったことがない子どもは、親分にはなれない。私も小
学一年生くらいまでは、いつも子分だった。しかしそれ以後は、親分になって、グループ
を指揮していた。

 子どもの世界は、まさに動物の世界。野獣の世界。しかしそういう世界で、もまれるこ
とにより、子どもは、精神的な抵抗力を身につける。いじめられたり、いじめたりしなが
ら、社会性も身につける。これも親としてはつらいことかもしれないが、そこはじっとが
まん。無菌状態のまま、子どもを育てることは、かえって危険なことである。

●子どもは削って伸ばす

 『悪事は実験』ともいう。子どもは、よいことも、悪いことも、ひと通りしながら、成
長する。たとえば盗み、万引きなど。そういうことを奨励せよというわけではないが、し
かしそういうことがまったくできないほどまでに、子どもを押さえつけたり、頭から悪い
と決めてかかってはいけない。

たとえばここでいう盗みについては、ほとんどの子どもが経験する。母親のサイフから
お金を盗んで使う、など。高校生ともなると、親の貯金通帳からお金を勝手に引き出し
て使う子どももいる。

 問題は、そういう悪事をするということではなく、そういう悪事をしたあと、どのよう
にして、子どもから、それを削るかということ。要は叱り方ということになるが、コツは、
子ども自身が自分で考えて判断するようにしむけること。頭から叱ったり、威圧したり、
さらには暴力を加えたり、おどしたりしてはいけない。一時的な効果はあるかもしれない
が、さらに大きな悪事をするようになる。

 子どもにはまず、何でもさせてみる。そしてよい面を伸ばし、悪い面を削りながら、子
どもの「形」を整える。『子どもは削って伸ばす』というのは、そういう意味である。

●「偉い」を廃語に

 日本では、いまだに「偉い」とか、「偉い人」とかいう言葉をつかう人がいる。何年か前
のことだが、当時のM総理大臣は、どこかの幼稚園の園児たちに向かって、「私、日本で一
番、偉い人。わかるかな?」と言っていた。

 しかし英語では、日本人が「偉い人」と言いそうなとき、「尊敬される人(respected man)
という言い方をする。しかし「偉い人」と、「尊敬される人」の間には、越えがたいほど、
大きなミゾがある。この日本では、地位や肩書きのある人を、偉い人という。地位や肩書
きのない人は、あまり偉い人とは言わない。反対に英語国で、「尊敬される人」というとき
は、地位や肩書きなど、ほとんど問題にならない。

 この「偉い」という言葉が、教育の世界に入ると、それはそのまま日本型の出世主義に
利用される。そしてそれが日本の教育をゆがめ、子どもたちの心をゆがめる。そこでどう
だろう。もう「偉い」という言葉を廃語にしたら。具体的には、子どもたちに向かっては、
「偉い人になりなさい」ではなく、「尊敬される人になりなさい」と言う。何でもないこと
のようだが、こうした小さな変化が積み重なれば、日本の社会は変わる。日本の社会を変
えることができる。

●訓練(指導)と教育は別

 この日本では、訓練と教育が、よく混同される。もともと「学ぶ」という言葉は、「マネ
ブ」、つまり、「マネをする」という言葉から生まれたと主張する学者もいる。しかしマネ
をするというのは、教育ではない。

 訓練というのは、親がある一定の目的や目標をもって、子どもがそれをできるように指
導することをいう。大きくみれば、受験勉強というのも、それに属する。そういう訓練を、
教育と思い込んでしまっているところ、あるいはそれが教育の柱になってしまっていると
ころに、日本の教育の最大の悲劇がある。

 一方、教育というのは、あくまでも人間性の問題である。その人間性を、自ら養うよう
にしむけるのが、教育である。知性や理性、道徳や倫理は、そういう人間性から生まれる。
少なくとも訓練で、どうにかなるものではない。訓練したから、人間性が深く、広くなる
ということなど、ありえない。たとえば一日中、冷たい滝に打たれたからとか、燃えさか
る火の上を歩いたから、すばらしい人になるとか、そういうことはありえない。

 教育というのは、その子ども自身にすでに宿っている、「常識」を静かに引き出すことで
ある。私たちの体の中には、すでにそういう常識が宿っている。だからこそ、私たちは「心
の進化」を繰り返し、過去数十万年という長い年月を、生き延びることができた。

むずかしい話はさておき、訓練と教育は、もともとまったく異質のものである。訓練と
教育を、混同してはいけない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================








***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page021.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月15日)子どもの読解力について

+++++++++++++++

ただ今、台風4号、接近中。
横殴りの雨の中、たった今、
庭に、スズメの餌をまいて
きたところ。

こんな台風の日でも、スズメ
たちは、周囲の木々に身を
寄せながら、私を待っていた。

私はいつもより多く、餌を
まいた。

7月15日(日)、午前6時。

+++++++++++++++

●読解力向上

 国際的な学力調査、PISA(経済開発機構・OECD)の調査によれば、日本の子ど
もたちの読解力は、第14位。参加国の中では、ほぼ平均的でしかなかったという(20
03年)。

 わかりやすく言えば、文章を読みこなす力をいう。その読解力が、国際的な基準からし
ても、「平均的でしかない」と。しかし読解力と言っても、中身は、それほど単純なもの
ではない。

 表現力、表記力、作文力、洞察力、推察力、判断力、会話力などなど、もろもろの(力)
が、それに含まれる。が、何よりも重要なのは、自ら考える力。自ら考える力があっては
じめて、その上に、読解力が成り立つ。さらにそれに、時代性も加わる。日本語そのもの
が、変質しつつある。たとえば……。

 読解力? ゲッ、本読み? やだア!
 今は、映像の時代ちゅうの。わかる?
 何も、本だけが、情報のもと? じゃ
 ないよね。ゲロゲロ、パッ!、と。 

 今の時代の中では、むしろ私の書く文章のほうが、古臭いということになる。あるいは
時代遅れ? 自分でも、それがよくわかっている。しかし今の私の書き方を改めろと言わ
れても、そうは簡単にはできない。

 私は、私。……ということで、ではその私が、若い人たちに、私の書き方を押しつける
のも、どうかと思う。つまり基準そのものが、はっきりしない。私の基準からすれば、今
の若い人たちの読解力は、たしかに「?」。しかし若い人たちの基準からすれば、私のほ
うが、「?」。

 ……という話はここではやめて、子どもの読解力を向上させるためには、どうしたらよ
いか、それを前向きに考えてみる。

 私の教室(BW子どもクラブ)では、つぎのような方法で、子どもの読解力を養ってい
る。

(1)筆写

 小学2、3年以上は、毎回、レッスンの前の10分前後、筆写の時間にあてている。2
00字詰め原稿用紙(2、3年)、あるいは400字詰め原稿用紙(4年以上)を使って、
それに大正から昭和にかけて活躍した文豪たちの文章を筆写させている。

 この方法は、確実に効果がある。理由がある。

 筆写にまさる精読はない。子どもは、筆写することによって、その文章を精読する。難
解な漢字にはすべてフリガナをつけておくが、筆写させるときには、漢字はそのまま書か
せる。最初のころは、「こんな漢字は知らない」とか何とか言うが、そのうち、あきらめ
て書くようになる。

 たいてい1、2年もすれば、みな、国語が得意になる。ある女の子(小6)は、こう言
った。「学校のテストに出てくる文章なんて、簡単すぎて、読む気にもなれない」と。

(2)朗読

 もう一つの方法は、テープレコーダーなどに録音した本を、子どもに聞かせるというの
がある。これは幼児〜小学生にとくに効果的である。

 それについて以前、こんな原稿を書いたことがある。少し内容が脱線するが、許してほ
しい。

++++++++++++++

●またまた暴論!

 以前、こんなことを書いた、どこかの教授がいた。

○ 墓参りしたら、故人の遺骨を見せろ。子どもに生命の尊さを教える、よい機会である。
○ 夫婦喧嘩は子どもに見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会である。
○ 親子のきずなを深めるために、遊園地では、わざと子どもを迷子にせよ。
      (以上、100万部を超えるベストセラー書をもつ、T教授)
○ 子どもには、ナイフを渡せ。子どもを信頼しているという証(あかし)になる。
      (日本でも、著名な、S評論家)

 とんでもない暴論であることは、一読してわかる。

 そしてまたまた最近……。今度は、「絵本は、暗闇で読んでやれ」などということを書

た本を出版した元教授がいる。

 何も、私が正しくて、彼らがまちがっているというのではない。ただ、こういうことは
言える。

 幼児教育をしたこともない連中が、こうしたメチャメチャな本を書くのだけは、やめて
ほしい。どこかの研究室の奥にひっこんで、想像だけで幼児教育を考えると、こういう本
を書く。

 それともあなたは、どこかの大学の教授が、(助教授でも、講師でもよいが……)、幼

園や保育園で、園児を直接指導している姿を見かけたことがあるとでも、言うのだろうか。

 多分、その元教授は、「暗闇という、空想のキャンバスに、子どもが自由に空想の絵が

けるように……」という思いから、そう書いたのだろう。しかしその元教授は、本当に、
そういう指導をしたことがあるのだろうか。だいたいにおいて、親は、その暗闇の中で、
どうやって本を読むというのだろうか。

 あるいは、もしそうなら、昼間に本を読んで聞かせることは、まちがっていることにな
るのだろうか?

 こういう否定的なことばかりを書いては、意味がない。そこで私の意見。

 もし子どもに本を読んでやるなら、それをテープレコーダーに録音しておくとよい。子
どもは、それを繰りかえし聞くことで、内容を、暗記してしまう。またこれにまさる国語
教育は、ない。

 その方法なら、たとえば子どもが床についたあと、暗闇の中で、子どもに聞かせること
ができる。また親も、楽だ。つまりそういう指導なら、私にもわかる。

 この方法は、すばらしい。私の三男だったが、小学一年生くらいのとき、芥川龍之介の
「高瀬舟」をテープに読んで録音してやったことがある。あの難解な「高瀬舟」である。

 最初は、軽い実験のつもりだった。しかし二、三か月後には、三男は、そのほぼ全文を、
ソラで言うようになってしまった。これには、私も驚いたが、朗読には、そういう力もあ
る。

 子どもに本を読んでやるときは、子どもを、ひざに抱いて、暖かい息を吹きかけながら
読んでやるのがよい。明るいとか、暗いとか、それは重要な要素ではない。実際には、親
も忙しい。

 そういうときは、テープレコーダーを利用すればよい。

+++++++++++++++

 このテープレコーダーを利用するという方法は、実は、ある母親から教えてもらった。

 その子ども(年長・女児)は、ずば抜けて、国語力のある子どもだった。たとえば4枚
の紙芝居を渡して、話をさせたときでも、その子どもは、まさに立て板に水のごとく、ス
ラスラと話をつくってみせた。

 しかもそのまま文章として書いてもおかしくないほど、内容もしっかりしていた。

 そこでそのあと、母親に、「秘訣は何ですか?」と聞くと、こう教えてくれた。

 その母親の趣味は、ドライブ。そのドライブの途中、いつもその母親は、自分の声で吹
きこんだカセットテープを、子どもに聞かせていた。「赤ちゃんのときから、そうしてい
ました」とも。

 その女の子には、こんなエピソードがある。その女の子は、そののち、浜松市内でもい
ちばんという進学校(中学・高校)に入学したが、高校を出るまで、賞という賞を総なめ
にして卒業していったという。

 通りでの立ち話だったが、母親はこう言った。「作文だけは、だれにも負けませんでし
た」と。

 ……ということで、文部科学省は、05年に、読解力向上の指導資料を作成。考える力
を軸に、読む力と書く力の向上をはかることにした。県(神戸市など)によっては、副読
本の使用を始めたところもある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
読解力 子どもの国語力 子供の国語力 表記力)

++++++++++++++

子どもの作文指導について
書いた原稿を添付します。

ご家庭での、指導に、
お役立てください。

++++++++++++++

●作文指導

+++++++++++++++++

 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、
作文テストなるものをする。その作文テス
トについて、親たちからの、相談も多い。
「どうすればいいですか?」と。

+++++++++++++++++

 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、作文テストなるものをする。その作文テスト
について、親たちからの、相談も多い。「どうすればいいですか?」と。

 実はその作文テストで、いつも1つ疑問に思っていることがある。つまり(じょうず・
へた)は、だれが判断するのかということ。テストをする教師だって、みながみな、作文
がうまいとはかぎらない。そのことは、それぞれの学校が発行する印刷物などを読めばわ
かる。ときどき、「これが先生の書いた文章なのかなあ?」と思うことは、よくある。

 しかしそんな疑問をもっていたのでは、子どもたちに対して、指導ができない。では、
どうするか?

(1)声に出させて、読ませてみる。

 もっとも重要なコツは、子どもに作文を書かせたら、子ども自身に、それを声に出して、
読ませてみること。これは子どもにかぎらない。おとなでも、そうだ。声に出して読んで
みると、語句の使い方が正しいかどうかが、わかる。文のリズムも、それでわかる。自然
なリズムで、流れるようにサラサラと読める文章は、すばらしい。

 要するに気取らないで、話し言葉で書くということか。短い文章をつなげて、端的に書
くのがコツ。

(2)常識的なことを書く。

 作文テストで、教師が知りたいのは、その子どものものの考え方が常識的かどうかとい
うこと。そのことは、入試問題として、与えられたテーマをみればわかる。

 今年の入試では、たとえばこんな課題が出された(H市内)。

●みんなで、映画を作ることになりました。あなたなら、どんな目的をもって、どんな映
画を作りますか。

●みんなで、ロボットを作ることになりました。あなたが作るロボットは、どんなロボッ
トですか。またそのロボットには、どんな仕事をさせますか。

 こうした作文では、当然のことながら、戦争、死など、暗い話を書くのは、タブー。内
容が未来に向かって、明るくすなおなものであればよい。またこの世界には、「無思想の
思想」という言葉がある。わかりやすく言えば、思想という思想を感じない作文ほど、よ
い……ということになっている。たとえば、「神の教えに従って……」とか、「この世界
は、すべて数学で構成されている……」というのは、まずい。

 もちろん漢字の使い方や文字の書き方も評価されるが、それはマイナーな問題と考えて
よい。

 で、あとは練習あるのみ。作文というのは、書けば書くほど、うまくなる。もし、親と
して家庭で指導ができる部分があるとするなら、子どもとの会話に注意すること。それに
ついて書いた原稿を、ここに添付する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++

子どもの国語力は、親が決める!
親の会話力で、決まる!

++++++++++++++++

【子どもの国語力を伸ばす法】

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣ってい
ると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこ
がどう違うかを調べたことがある。結果、次の3つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない

ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」というような話し方を
していた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』
という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子ども
はこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、
バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない

ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで会話が終わるとか。何
を聞いても、「まあまあ」と言う、など。

母「学校はどうだったの?」
娘「まあまあ」
母「テストはどうだったの?」
娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない

そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子どもも外国語でも話す
かのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようにたどたどしか
った。

私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」
子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそ
のことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホ
ントにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話
し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持って
いますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まって
こう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞い
ているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それ
こそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を
音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、そ
の音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文
字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも
使う部分が違う。

そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的
には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわか
ってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だ
と思っている人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五
四歳)はこう言った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そう
いう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほし
かった。

+++++++++++++++++

【補記】

 自分の書いた文章を、一度、声に出して読んでみるというのは、とても重要なことであ
る。そしてできれば、いつも、読む人側の立場にたって、書くこと。つまり読む人にとっ
て、わかりやすい文章かどうかを考えながら、書くこと。

 たとえば、こんなメールを受け取ったとしよう。「先日は、いろいろありがとうござい
ました。あのあと、あの問題などをよく考えてみましたが、原因は父親にあると思います。
が、息子としても反省すべき点もあると思います。これからも、よろしくご指導ください」
と。

 「父親」というのは、その人自身の親のことなのか、それとも、その人の夫のことなの
か。
 「あの問題」とは、何か。
 「息子として……」というのは、だれのことなのか、などなど。「いろいろ」とか、「あ
の」「など」とかいう言葉は、使うとしても、最小限にしたい。

 こういう文章に出会うと、それだけでイライラしてしまう。そういう文章は、へたくそ
な文章ということになる(失礼!)。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
作文 作文指導 子どもの国語力 国語力の基礎 読解力 読書力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今、学校では……】(再録版)

+++++++++++++

先日、市内のS小学校で
講演をさせてもらった。

そのときその学校の校長と、
習熟度別クラスが話題に
なった。

+++++++++++++

●習熟度別クラス

 習熟度というほど、おおげさではないが、子どもの能力と、やる気に合わせて、クラス
を分けて授業を進めるという方法が、この浜松市でも、あちこちの小学校で採用されてい
る。

 現在は、まだ、試行錯誤の段階で、そうした授業を、親たちに参観させながら、そのあ
とアンケート調査をするところも多い。

 で、一応、親たちは、それを、「習熟度別授業」と、理解している。

 従来(2〜3年前から)は、小学3〜4年生クラスにおいて、実験的に、特定の教科に
ついて、こうしたクラス分けがなされていた。たとえば理科の実験などでは、人数を減ら
して、マンツーマンで教えるなど。

 ほかに小学1年生については、国語の学習で、とくに遅れが目立つ子どもについてなど
は、個人レッスンの形で、やはりクラス分けがなされていた。これを「個別指導」という
が、時間的は、それほど、長いものではない。平均して、20〜30分程度である。

 しかしこれは習熟度別というのではなく、ここにも書いたように、個人レッスン的な色
彩が濃いものであった。こうした授業形態を、「小(こ)人数クラス」と呼び、「少人数
クラス」とは、区別していた。

 こうした授業に対して、浜松市内の大規模校を中心に、(1)テストの結果などを参考
に、(2)日ごろの観察、(3)子どもの自主性、(4)親の希望を取り入れて、習熟度
別授業をもつところが、ふえてきた。

 「まだ、(本格的に)、しているところと、していないところがある」(某小学校教頭
談)とのこと。

 こうした習熟度別授業は、(1)固定化しているわけではなく、そのつど、流動的に生
徒が、それぞれのクラスを移動する。(2)クラス分けは、均等分けするときもあるし、
そうでないときもある。たとえば2クラスを、3クラスに分けて授業をするときは、均等
分けにしたりする。

 実験的な措置として、特定の学校のみに、1人、余分な教師が派遣されることもある。
(大規模校には、2人)。そういう教師を利用して、2クラスを3クラスに分けるときも
ある。

科目によっては、とくに算数などの差のつきやすい科目については、Aクラス(レベル高)
を、10〜20%前後、Cクラス(レベル低)を、10〜20%前後にし、中位のBクラ
ス(レベル中)のそのほかの生徒を置くということがなされている。

クラス名は、「上下意識」を感じさせないように、「木の実クラス」「さくらクラス」「か
もめクラス」というようなネーミングをつけるところが多い。が、こうした授業が、教師
に与える負担も、相当なものである。

 これについて、以前、つぎのような原稿を書いたので、再掲載する。

++++++++++++++++++++

●忙しくなる、教師の世界

 私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。た
いてい、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。

 その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価した
り、教材を用意したりしていた。

 しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。

 このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間にな
ってしまったという(某、小学校校長談)。(学校によっては、1週間に、平均して3時
間程度というところもある。文科省の指導に従えば、週1時間程度になるが、学校ごとに、
やりくりをして、3時間程度を確保している。なお、中学校では、平均して7〜8時間程
度の、空き時間がある。浜松市内)

 だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見るこ
とは、めったにない、

 「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、
習熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラ
スを、2人の先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなった
ためです」と。

 この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だ
けを追い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。

 余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師
が続出している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあた
りまえ。さらにこのところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改
革などで、自宅へ帰るのは、毎晩、7時、8時だという。

 何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここ
まで追いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たっ
た1〜2人の自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生
に押しつけて、「何とかしろ!」はない。

 さらに一言。

 1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ
2000年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。
進学競争が、激化する様相さえ見せ始めている。

 私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。
さて、みなさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学熱 進学指導
 詰め込み教育)

++++++++++++++++++++

 今後は、こうした習熟度別教室は、一部の抵抗もあるだろうが、学校内で定着していく
ものと思われる。実際には、当初は、どこか遠慮がちに始まった習熟度別授業だったが、
市内の小学校を中心に、新たな単元が始まるたびに、簡単なテストをして、そのあと、ク
ラス分けをするところがふえてきた。

 もちろん、問題点がないわけではない。

 教師の負担もさることながら、こうした習熟度別授業は、親たちに、少なからず、ショ
ックを与えている。たとえば習熟度別授業を参観してきた、ある母親は、こう言っている。
学校の帰り道、親たちはみな、進学塾はどうしようと、そんな話ばかりしていました、と。

こうした習熟度別授業は、平等主義を貫いてきた学校教育に、大きな変化をもたらすこと
はもちろんのこと、子どもたちの間で、差別化を生む可能性もある。それをどう克服して
いくか、これからの大きな課題になるものと思われる。


●過酷な職場

+++++++++++++++++

学校の先生たちが、悲鳴をあげている。
あなたには、その悲鳴が聞こえるだろうか?

+++++++++++++++++

 教育は、重労働である。とくに、小学校教育は、そうである。

 たとえば水泳指導したあと、生徒たちといっしょに着替え、つぎの時間には、クラスで
算数を教えなければならない。

 そのためかなりの体力と気力を、必要とする。

 で、現実問題として、この浜松市でも、55歳をすぎて教師をしている、女性教師は、
ほとんどいない。女性教師のばあい、たいていの教師は、50歳前後に退職していく。「水
泳指導ができなくなったら、教師はやめる」というのが、一つの目安になっているという。

 学校の教師のばあい、50歳少し前に、管理職に向うかどうかが、決まる。管理職にな
れば、学級担任からはずされるが、それは校長と教頭、教務主任のほか、あと1名程度。
そこでもっと、女性教師を管理職に回せばよいということになるが、これもむずかしい。

 浜松北部の、旧HK市のばあい、小学校は18校あるが、去年まで、女性校長は3人い
た。しかし2人、退職したので、現在(05年度)は、1人のみ。

 そうでない教師は、学級担任をつづける。が、50歳過ぎてからの、学級担任は、きつ
い。男性教師にとっても、事情は、同じ。

 ますます拡大する教師の仕事。今では、家庭問題にまで教師が駆り出される時代である。
「子どもが警察につかまった。いっしょに行ってくれ」「子どもが家出をした。いっしょ
にさがしてくれ」と。

 本来なら、教師は教育に専念すべきである。またそれをもって「教師」という。しかし
雑務、雑務の連続。これでは、本来の教育がおろそかになって当然。「これでいいのか」
と疑問をもつのは、私だけではないと思う。


●家庭問題が、そのまま学校に!

++++++++++++++++++++

 以前、荒れた学校が、問題になった。
しかし今は、問題になっていない?

実は問題になっていないのではなく、
荒れた学校が、当たり前になってしまった。

++++++++++++++++++++

 今どき、荒れた学校を問題にする人はいない。教師も、父母も、そして評論家も。それ
が当たり前の現象になってしまったからである。

 しかし「荒れ」は「荒れ」でも、以前とは、少し質が変わってきた。H市で小学校の校
長をしているN氏は、こう話してくれた。

 「以前は、荒れというと、暴力事件を言いました。しかし今は、少し質が変わってきた
ように感じます。つまり今は、家庭問題が、そのまま学校へ持ちこまれるようになりまし
た。

 家庭騒動、親の離婚、貧困などなど。親の心の問題が、そのまま持ちこまれることもあ
ります。引きこもり傾向を示す生徒がいたので、家庭訪問をしたら、親が出てこない。つ
まり親自身も、引きこもってしまっているのですね。

 そういう子どもが、学校の内部で、いろいろな問題を引き起こします。最近の荒れは、
そうして起こるものが多いです」と。

 ついでに言うと、その校長も、あの「金P先生」を、鋭く、批判していた。「ああいう
ありもしない教師像を、マスコミが勝手につくり出すから、かえって、現場は混乱してし
まうのです。

たとえばあの番組の中で、非行グループが、自転車のチェーンを振り回したとしますね。
するとつぎの日には、本当にそのチェーンをもって、学校へ来る生徒が出てきたりします」
と。

 金P先生については、私も、たびたび批判してきた。ああいう教師を見て、「教師とは、
こうあるべきだ」と考えるとしたら、それはまちがい。よくテレビドラマの中で、警官と
悪党が、ピストルでバンバンと撃ちあうシーンがある。

 それと同じくらい、金P先生の世界は、ありえない。たとえば金P先生は、非行少年の
家の中にあがりこみ、その少年の父親といっしょに、酒を飲んで、人生論を語りあったり
する。

 しかしそれが教師のあるべき姿なのか。そこまでしてよいのか。あるいは、それこそま
さに、教師の(おごり)ではないのか。いや、その前に、体力そのものが、つづかない。
20〜30人もの子どもを相手にすることだけでも、重労働である。その上での、教育で
ある。

 その金P先生について書いた原稿が、つぎのものである(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++++++

教師が10%のニヒリズムをもつとき 

●10%のニヒリズム

 教師の世界には10%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭して
も、最後の10%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズ
タズタにされてしまう。

たとえばテレビドラマに『三年B組、金P先生』というのがある。武田T也氏が演ずる金
P先生は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑
事ドラマの中で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなもの。ドラマとし
てはおもしろいが、現実にはありえない。

●その底流ではドロドロの欲望

 教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こん
なことがあった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、
私にあいさつをしたのに気づかなかった。30歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完
全になくしている。

が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うち
の娘の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。

私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、
「明日、娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこと
もあった。

●「お前を詐欺で訴えてやる!」

 たまたま5月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたこと
がある。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐
欺で訴えてやる。ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯
前だ!」と。

浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さらに
こんなこともあった。

 私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡し
ていたことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音
や効果音を自分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。
たまたまその子ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ
郵送した。

で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だろ
うと思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープに
は、ケースがついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。

ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親もい
る。だからこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。

 これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、
もう一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。

●痛々しい子ども

 一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会う
と、か弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれ
で喜んでいるようだったが、私には痛々しく見えた。4歳の子どもが、そんなあいさつを
するものではない。また親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。

しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精神
を萎縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしいハキがない。動作も
不自然で、ぎこちない。それに緩慢だった。

 こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないこ
とのほうが、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やれ
ばできるはずです。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど
読めます。数も100まで自由に書けます」と。

このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉強
を、先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご期
待にそえるような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子どもの
手を引っ張って、そのまま部屋から出ていった。

●黙って見送るしかなかった……

 こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、
それは私のすべきことではない。いや、こういう仕事を30年もしていると、予言者のよ
うに子どもの将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は
断絶。子どもは情緒不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるよう
になる……。

 このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と
思い込んでいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、そ
の実、愛というものが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つま
り自分が望む自分の未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこま
でわかっていても、私は黙って見送るしかない。

それもまさしくニヒリズムということになる。

++++++++++++++++++++++

 熱血教師が悪いというのではない。しかし一つまちがえば、熱血教師は、子どもの問題
にせよ、家庭の問題にせよ、さらにその問題をこじらせてしまう。その教師の独断と偏見、
思いこみと早とちりが、かえって騒動を大きくしてしまうこともある。

 反対の立場で考えてみればわかる。

 ある日、突然、子どもの問題にかこつけて、あなたの子どもが通う学校の教師が、ズカ
ズカとあなたの家にあがりこんできたら、あなたは、どのような反応を示すだろうか。い
くらあなたの家庭に問題があったとしても、あなたはこう言うだろう。「失敬だ」と。

 話が脱線したが、こうした「荒れ」もあって、学校の教師は、ますます疲れる。ある女
性教師(小学校)は、はからずも、私にこう話してくれた。

 「授業中だけが、心と体を休める場所です」と。

 こうした現実を、どれだけの親たちが、知っているだろうか?

(付記)

 参観日に参観授業を見てきた親の中には、よく、こう言う親がいる。「すばらしい授業
でした。先生も、あそこまで教材を用意して、授業をしてくれるとは、思ってもみません
でした」と。

 しかしそれは、参観日だから、である。「参観日のあと、数日は、何もやる気が起きま
せん」と、その(疲れ)を訴える教師が多いことも、忘れてはいけない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・あれこれ】

●夢見た老後、夢も見ず

++++++++++++++

今朝のC新聞に、『夢見た老後、
夢も見ず』というコラムがあった。

読んでいて、胸がジンと熱くなった。
つづいて、怒りが、胸の中に
充満してきた。

++++++++++++++

 今朝のC新聞に、『夢見た老後、夢も見ず』というのがあった。1人の男性(61歳)
が紹介されていた。

 その男性は、6年前に、学習塾の講師を解雇された。今は、新聞配達で、生計を立てて
いる。月収は26万円前後だという。障害のある子どもを、1人かかえている。で、その
新聞配達にしても、1年ごとの契約制。何とか70歳まで働きたいと、その男性は訴えて
いる。

 その記事を読んでいて、胸がジンと熱くなった。つづいて、怒りが胸の中に充満してき
た。

 言いたいことは、いろいろある。書きたいことも、いろいろある。しかし今日はここま
で。この怒りは、少しぐらいものを書いたくらいでは、収まりそうもない。だから今日は、
ここまで。

 必ず、この仇(かたき)は、取ってやる! 覚悟しておけ、不正者どもよ!


●中国

 「不正」という言葉で思い出したが、今の中国は、メチャメチャ。少し前、中国製のニ
セ薬を飲んで、何百人もの人が死んだという記事を読んだ。中国側は、ニセ薬ではない、
外国のメーカーが、勝手に劇薬を混入しただけと居直っている。

 が、それだけではない。一事が万事というか、一人が万人と言うべきか。今の中国では、
こうしたインチキが、大手を振ってまかり通っている?

 ワイフがどこかで仕入れてきた話を並べてみると、こうなる。

 肉まんの60%は、ダンボール紙を加工したものだった。
 スイカの中に、注射器か何かを使って、赤いインクを注入している。
 肉や魚にも、着色している、などなど。

 あきれるやら、笑うやら。日本も戦後、あぶない時期があった。しかしその時期は短か
った。おかげで(?)、道徳まで破壊されるところまではいかなかった。しかし今の中国
はちがう。道徳そのものが、破壊されている。

 金のためなら、何だってする? それが今の中国ということになる。

 そう言えば、オーストラリアの友人が、こんなメールを送ってくれた。

 オーストラリアにも、中国系の移民は多い。その中国系の移民たちが、列をなして、自
転車で走っていた。見ると、みな、ランプも、赤いテールランプもつけていない。(オー
ストラリアでは、赤いテールランプをつけるのが、義務づけられている。)

 それを見た警官が、その場で厳重注意した。

 で、その翌日のこと。同じく、その移民たちが、列をなして、自転車で走っていた。見
ると、先頭の1台だけがランプをつけ、最後尾の1台だけが、赤いテールランプをつけて
いたという。

 「実に中国人らしい」とその友人は書いていたが、道徳が破壊された人たちというのは、
そういう人たちのことをいう。一本、スジの通った、まじめさがない。インチキをインチ
キとも思わず、平気で小ズルイことをする。またそういう小ズルイことをしても、みじん
も恥じない。

 だから……。昨日も近くのスーパーへ行ったら、中国産のウナギを売っていた。2匹で
800円。「安い」と思ったが、結局、買わなかった。恐ろしくて、とてもたべる気には
なれなかった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 10日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家庭教育の原点】

++++++++++++++++

家庭での教育力が低下していると
言われている。

それはそうだが、しかし家庭教育と
いっても、構えて考える必要は
ない。またそんな問題ではない。

自然体で、臨めばよい。そのコツに
ついて、書いてみる。

++++++++++++++++

●約束(ルール)を守る、ウソをつかない

日々の積み重ねが月となり、その月が積み重なって、年となる。その年が、10年、20
年と積み重なって、その人の人格となる。その日々の積み重ねは、身の回りのほんのささ
いなことから始まる。子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことには関係な
く、約束(ルール)を守る。ウソをつかない。そういう親の姿を、子どもは、うしろから
見る。自分の人格とする。


●子どもは使う

子どもは使えば使うほど、よい子になる。忍耐力(=いやなことをする力)も、それで身
につく。社会性も身につく。が、それ以上に、他人の苦しみや悲しみを理解できるように
なる。言うまでもなく、子どもにかぎらず人は、自分で苦労をしてみてはじめて、他人の
苦労が理解できるようになる。その心のポケットができる。あなたが重い荷物をもって歩
いているとき、「もってあげる!」と子どもが助けてくれれば、それでよし。そうでなけ
れば、家庭教育のあり方を、猛省する。


●夢と希望、そして目的

目的(目標)をもった子どもは、強い。多少の誘惑くらいなら、自らはねのけてしまう。
心の抵抗力ができていると考える。その心の抵抗力をつける第一。それが夢と希望。その
先に目標(目的)ができる。そのため、子どもの夢や希望は、大切にする。親の価値観を、
けっして、押しつけてはいけない。子どもが「花屋さんになりたい」と言ったら、すかさ
ず、「そうね、それはすてきね」と言い返してやる。そういう親の姿勢が、子どもの夢や
希望を育てる。


●子どもの横に立つ

子育てには、3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前に立つ。保護者として、子ど
ものうしろに立つ。そして友として、子どもの横に立つ。日本人は、伝統的に、子どもの
前やうしろに立つのは得意だが、横に立つのが苦手。そのため多くのばあい、子どもが親
離れを始めるころから、親子の間にキレツが入るようになり、さらに多くのばあい、その
キレツは、断絶へとつながっていく。


●忍耐力は、いやなことをする力

試しに、台所のシンクにたまった生ごみを、始末させてみればよい。あるいは風呂場の排
水口にたまった毛玉でもよい。そのとき、「ハ〜イ」と言って、あなたの子どもがそれを
始末したとしたら、あなたの子どもは、すばらしい子どもとみてよい。またこのタイプの
子どもは、学習面でも、伸びる。なぜなら、勉強というのは、もともと(イヤなもの)。
そのイヤなことを乗り切る力が、ここでいう忍耐力ということになる。その忍耐力を育て
るためには、子どもは、使う。


●思考回路というレール

夢や希望をもち、さらには目標(目的)をもち、その目標に向かって努力する。その道筋
を、思考回路という。大切なのは、その思考回路。というのも、夢や希望というのは、そ
のつど変化する。変化して当然。幼児のころは、「お花屋さんになりたい」と言っていた
子どもでも、小学生になると、「パン屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と
言うかもしれない。中身は何であれ、思考回路にできている子どもは、その思考回路の上
に夢や希望を乗せて、前向きに進んでいくことができる。


●子どもに育てられる

親は、子育てをしながら、子どもに否応(いやおう)なしに育てられる。はじめて子ども
を幼稚園へ連れてきたような母親は、たしかに若くて美しいが、中身がない。そんな母親
でも、子育てで苦労をするうち、やがて姿勢が低くなる。幼稚園を卒園するころになると、
みなに、深々と頭をさげるようになる。中身ができてくる。つまり親が子どもを育てるの
ではない。子どもが親を育てる。子どもに育てられることを、恐れてはいけない。


●熟成される「善」

西洋では、「善と悪は、神の左手と右手である」という。しかし善と悪は、決して、平等
ではない。善人ぶることは簡単なこと。しかし自分の体の中から、悪を抜くのは、容易な
ことではない。しかもその善と悪は、長い時間をかけて、心の中で熟成される。とくに善
は、10年とか、20年とか、長い年月を経て熟成される。いつか、あなたも、親ではな
く、1人の人間として、子どもに評価されるときがやってくる。その評価に耐えうる人間
になれるかどうか。それは子育てにおける、大きなテーマのひとつと考えてよい。


●すなおな子ども

親や教師の言うことに従順で、それに静かに従う子どもを、すなおな子どもというのでは
ない。すなおな子どもというときは、(1)心の状態(=情意)が、そのまま表情となっ
て表れる子ども、(2)心のゆがみ(いじける、つっぱる、ひねくれるなど)のない子ど
もをいう。イヤだったら、「イヤ!」と言う。何でもないことかもしれないが、それが自
然な形でできる子どもを、すなおな子どもという。


●至上の愛

ある母親は、自分の子どもが死ぬか、生きるかの大病を繰りかえしたとき、天に向かって、
こう言って祈ったという。「私の命は、どうなってもいい。私の命と交換してでもいいか
ら、子どもの命を救ってエ!」と。こうした(自分の命すら惜しくない)という、まさに
至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。子どもを、ただの子どもと思ってはい
けない。あなたの子どもは、あなたに何かを教えるために、そこにいる。


●シャドウに警戒する

人は善人ぶることによって、自分の中に潜む(邪悪な部分)を、どこかへ押し込める。こ
れをユングという学者は、「シャドウ」と呼んだ。そのシャドウを、子どもはうしろから
見ていて、そっくりそのまま、引き継いでしまう。ときとして、牧師や僧侶など、聖職者
と呼ばれる人の子どもが、凶悪犯罪人になるプロセスは、こうして説明される。善人ぶる
としても、それを仮面(ペルソナ)として、意識すること。仮面を脱ぎ忘れてはいけない。


●自立したよき家庭人

アメリカでもオーストラリアでも、そしてドイツでもフランスでも、親や教師たちはみな、
こう言う。「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」と。が、一
方、この日本では、いまだに、出世主義、名誉主義、さらには権威主義が、大手を振って、
まかり通っている。封建時代の亡霊たちが、いまだに、のさばっている。そしてそれが教
育について言えば、諸悪の根源になっている。


●「偉い」という言葉を、廃語にしよう

日本では、地位や肩書のある人を、「偉い人」という。一方、英語には、「偉い人」にあ
たる言葉すらない。あえて言うなら、「respected man」ということになる。「尊敬される
人」という意味である。地位や肩書は、関係ない。だから子どもには、「偉い人になれ」
ではなく、「尊敬される人になれ」と言う。それが子どもの心をまっすぐ伸ばす。


●「家族」という重圧

家族は、それ自体、美徳であり、個々の人の心をいやす、心のより所である。が、その家
族も、ひとたびリズムが狂うと、今度は、重圧感となって、その人を苦しめることもある。
事実、その重圧感(=家族自我群)の中で、もがき苦しんでいる人も多い。反対に、自分
の子どもを、安易な親意識で、縛りつける親も少なくない。「産んでやった」「育ててや
った」と。こうした言葉は、親子の間では、使うとしても、心して最小限にする。


●恩の押し売り

日本の親たちは、無意識のうちにも、子どもに対して、恩の押し売りをする。「産んでや
った」「育ててやった」と。その代表的なものが、窪田聡という人が作詞した、『かあさ
んの歌』。「♪せっせと手袋編んでやった」「♪おとうは土間で、藁打ち仕事」と。あれ
ほどまでに恩着せがましい歌はない。言うとしたら、「♪春になれば、温泉へ行ってくる
よ」「♪家のことは心配しなくていいからね」だ。


●悪玉親意識

親意識にも、2種類ある。善玉親意識(=私は親としての責任を果たすという親意識)と、
悪玉親意識(=親風を吹かし、自分の子どもを自分の支配下に置こうとする親意識)。悪
玉親意識が強い親は、「産んでいやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、
そのつど、親の恩を子どもに押しつける。そしてあげくの果てには、「大学まで出してや
ったのに、何だ、その態度は!」と言うようになる。悪玉親意識に、注意!


●親の統合性

子どもは、自分のしたいこと(=自己概念)を、現実にすること(=現実自己)によって、
自分を確立することができる。これを「自己の同一性」という。一方、親は、それでは満
足できない。親は、自分がすべきことを、現実にすることによって、自分を確立する。こ
れを「自己の統合性」という。その(すべきこと)には、多くのばあい、苦労や苦痛がと
もなう。親は子育てをしながらも、自己の統合性をめざす。


●人生の正午

満40歳前後を、「人生の正午」と呼ぶ。このころから、人は、老後の準備を始める。つ
まり「死」という限界状況の中で、自分のすべきことを模索するようになる。(したいこ
と)ではない。(すべきこと)を、だ。その準備を怠ると、その人の老後は、あわれで、
みじめなものになる。孫の世話、庭木の手入れ、旅行ざんまいの生活が、けっしてあるべ
き(老後の生活)ではない。


●「だから、それがどうしたの?」

(したいこと)と、(すべきこと)の間には、大きな距離がある。それがわからなければ、
自分にこう問うてみればよい。何か、おいしいものを食べた……だから、それがどうした
の?、と。あるいは何か、ぜいたくなものを買った……だから、それがどうしたの?、と。
(したいこと)をしても、その答は返ってこない。(すべきこと)をしたときのみ、その
答が返ってくる。


●子育ては、子離れ

心のどこかで子育てを意識したら、すかさず、子離れを考える。もっと言えば、いかに子
どもの親離れをじょうずにさせるかを、考える。でないと、未熟な親のまま、いつまでも
子離れできなくなってしまう。そのよい例が、野口英世の母である。外国で懸命に研究生
活をしている自分の息子に向かって、「帰ってきておくれ」は、ない。言うとしたら、「私
のことは心配しなくていい」「研究が終わるまで、帰ってくるな」である。未熟な親を、
けっして美化してはいけない。


●「釣りバカ日誌」論

浜ちゃんとスーさんは、いつもいっしょに釣りに行く。しかし自分の妻は連れていかない。
日本人には何でもない光景だが、欧米では、考えられない。会社の同僚たちとの飲み食い
(=パーティ)するときでも、夫婦同伴が原則。もし欧米で、男どうしが、2人でいそい
そと旅行に行こうものなら、同性愛者とまちがえられる。見なれた光景だが、日本の常識
は、けっして世界の常識ではない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【補足】

●「子はかすがい」論……たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということ
はよくある。夫婦のきずなも、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦で
なくてはならない。夫婦関係がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまっ
たようなばあいには、子はまさに「足かせ」でしかない。日本には「子は三界の足かせ」
という格言もある。

●「親のうしろ姿」論……生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。
日本では「子は親のうしろ姿を見て育つ」というが、中には、そのうしろ姿を子どもに
見せつける親がいる。「親のうしろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿
など見せるものではない。(見せたくなくても、子どもは見てしまうかもしれないが、
それでもできるだけ見せてはいけない。)恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の
子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとする。

●「親の威厳」論……「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」
の立場にいるものには、居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、
そうではない。その分だけ上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じ
る。威厳などというものは、百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじ
めて、「家族」という。「親の権威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。

●「育自」論……よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」
と。まちがってはいないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てなが
ら、幾多の山を越え、谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などして
いるヒマなどない。もちろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なこ
とだが、それは本来、子育てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。

●「親孝行」論……安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献
身的な「孝行」を子どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうか
は、あくまでも子どもの問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の
人間関係で決まる。たがいにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。
親が子どものために犠牲になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳
ではない。あくまでも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。

●「産んでいただきました」論……よく、「私は親に産んでいただきました」「育ててい
ただきました」「言葉を教えていただきました」と言う人がいる。それはその人自身の
責任というより、そういうふうに思わせてしまったその人の周囲の、親たちの責任であ
る。日本人は昔から、こうして恩着せがましい子育てをしながら、無意識のうちにも、
子どもにそう思わさせてしまう。いわゆる依存型子育てというのが、それ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【自然教育について】

●台風4号

+++++++++++++

明日になると、もっとはっきりする
と思うが、今回の台風4号は、
九州地方に、かなりの被害を
もたらしたようだ。

河川の氾濫、土砂崩れ、など。

しかし以前は、河川の氾濫に
しても、その氾濫を防ぐために
はどうすればよいかということが
治水事業の柱になっていた。

が、今は、ちがう。「河川は
氾濫するもの」という前提で、
治水事業が考えられるように
なった。

わかりやすく言えば、それほど
被害がないと考えられるところで、
河川をわざと氾濫させることによって、
人口密集地や、住宅地への被害を
最小限におさえようという方法で
ある。

今までの治水方法では、あまりに
お金がかかりすぎた。それでそういう
考え方に変わってきたらしい。

国土交通省が導入しようとしている、
「洪水氾濫域減災対策制度」(仮称)
というのが、それである。

+++++++++++++++

 私の息子夫婦は、アメリカのアーカンソー州という州に住んでいる。テキサス州の上、
アメリカ南部の州である。

 そのアーカンソー州の東側を、たてに、あのミズーリー川が流れている。長大というよ
りも、広大な川である。

 この川が、数年おきに、氾濫する。ああいう国だから、ふつうの氾濫ではない。幅何1
0キロ(あるいはそれ以上)に渡って、氾濫する。

 しかし治水事業というか、堤防づくりは、ほとんどしていない。それについて、たまた
ま私がアメリカにいたとき、こんな住民投票の結果が、テレビで報道されていた。

 住民たちは、堤防づくりに反対しているというのだ。理由は、「お金がかかる」「その
ために税金がふえるのはいや」「そのかわり、氾濫で被害を受けたばあいには、補償金を
支給してくれればいい」と。

 何とも合理的な考え方ではないか。またこんな意見もあった。「人工の堤防をつくれば、
自然の景観を台無しにする」と。

 日本でも、河川の氾濫について、このところものの考え方が、少しずつだが、変わって
きた。以前はというと、河川の氾濫にしても、その氾濫を防ぐためにはどうすればよいか
ということが治水事業の柱になっていた。

が、今は、ちがう。「河川は氾濫するもの」という前提で、治水事業が考えられるよう
になった。

わかりやすく言えば、それほど被害がないと考えられるところで、河川をわざと氾濫さ
せることによって、人口密集地や、住宅地への被害を最小限におさえようという方法で
ある。

今までの治水方法では、あまりにお金がかかりすぎた。それでそういう考え方に変わっ
てきたらしい。

 といっても、わざと氾濫させてそのままというわけではない。道路や線路を高くもりあ
げて、堤防のかわりにするということらしい。これを行政用語で、「控え堤」とか、「二
番堤」とかいう。氾濫した水を、こうした控え堤や二番堤をうまくつかって、別の場所に
誘導する。最終的には、海へ流す。

 まさに知恵比べということになるが、その効あってか、これほどまでに大きな台風がき
ても、日本では、目だった被害はあまり起きない。少なくとも、どこかのあの国とはちが
う。あの国では、少し長雨がつづいただけで、壊滅的な被害を受ける。

 核兵器ばかり作っていないで、少しは、別のところにも頭を使ったらよい。……という
のは、おまけ。私の意見のおまけ。


●自然教育

++++++++++++++

ミズーリー川の話を書いたので、
ついでに自然教育について。

題して、「はやし浩司の自然教育」。

参考までに!

++++++++++++++

【自然教育について】

 「自然を大切にしましょう」「自然はすばらしい」という意見を聞くたびに、私は「日本
人は、どうしてこうまでオメデタイのだろう」「どうしてこうまで井の中の蛙(かわず)で、
世間(=世界)知らずなのだろう」と思ってしまう。

 外国を歩いてみると、彼らの自然観は、日本人と180度違うのがわかる。日本以外の
ほとんどの国では、自然は人間に害を与える、戦うべき相手なのだ。ブラジルでもそうだ。

彼らはあのジャングルを「愛すべき自然」とはとらえていない。彼らにすれば、自然は、
「脅威」であり、「敵」なのだ。このことはアラブの砂漠の国へ行くと、もっとはっきり
する。そういう国で、「自然を大切にしましょう」「自然はすばらしい」などと言おうも
のなら、「お前、アホか?」と言って笑われる。

 日本という国の中では、自然はいつも恵みを与えてくれる存在でしかない。そういう意
味で、たしかに恵まれた国だと言ってもよい。しかしそういう価値観を、世界の人に押し
つけてはいけない。そこで発想を変える。

 オーストラリアの学校には、「環境保護」という科目がある。もう少しグローバルな視点
から、地球の環境を考えようという科目である。そして一方、「キャンピング」という科目
もある。

私がある中学校(メルボルン市ウェズリー中学校)に、「その科目は必須(コンパルサリ
ー)科目ですか」と電話で問いあわせると、「そうです」という返事がかえってきた。こ
のキャンピングという科目を通して、オーストラリアの子どもは、原野の中で生き抜く
術(すべ)を学ぶ。ここでも、「自然は戦うべき相手」という発想が、その原点にある。

 もちろんだからといって、私は「自然を大切にしなくてもいい」と言っているのではな
い。しかしこういうことは言える。

だいたい「自然保護」を声高に言う人というのは、都会の人だということ。自分たちで
さんざん自然を破壊しておきながら、他人に向かって、「大切にしましょう」は、ない。
破壊しないまでも、破壊した状態の中で、便利な生活(?)をさんざん楽しんでいる。

こういう身勝手さは、田舎に住んで、田舎人の視点から見るとわかる。ときどき郊外で、
家庭菜園をしたり、植樹のまねごとをする程度で、「自然を守っています」などとは言っ
てほしくない。そういう言い方は、本当に、田舎の人を怒らせる。

そうそう本当に自然を大切にしたいのなら、多少の洪水があったくらいで、川の護岸工
事などしないことだ。自然を守るということは、自然をあるがまま受け入れること。そ
れをしないで、「何が、自然を守る」だ!

 自然を大切にするということは、人間自身も、自然の一部であることを認識することだ。
このことについては、書くと長くなるので、ここまでにしておくが、自然を守るというこ
とは、もっと別の視点から考えるべきことなのである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自然教育について(2)

 世界の中でも、たまたま日本が、緑豊かな国なのは、日本人がそれだけ自然を愛してい
るからではない。日本人がそれを守ったからでもない。浜松市の駅前に、Aタワーと呼ば
れる高層ビルがある。ためしにあのビルに、のぼってみるとよい。40数階の展望台から
見ると、眼下に浜松市が一望できる。

が、皮肉なことに、そこから見る浜松市は、まるでゴミの山。あそこから浜松市を見て、
浜松市が美しい町だと思う人は、まずいない。

 このことは、東京、大阪、名古屋についても言える。ほうっておいても緑だけは育つと
いう国であるために、かろうじて緑があるだけ。「緑の破壊力」ということだけを考えるな
ら、日本人がもつ破壊力は、恐らく世界一ではないのか。今では山の中の山道ですら、コ
ンクリートで舗装し、ブロックで、カベを塗り固めている。そういう現実を一方で放置し
ておいて、「何が、自然教育だ」ということになる。

 私たちの自然教育が自然教育であるためには、一方で、日本がかかえる構造的な問題、
さらには日本人の思考回路そのものと戦わねばならない。

構造的な問題というのは、市の土木予算が、20〜30%(浜松市の土木建設費)もあ
るということ。日本人の思考回路というのは、コンクリートで塗り固めることが、「発展」
と思い込んでいる誤解をいう。

たとえばアメリカのミーズリー川は、何年かに一度は、大洪水を起こして周辺の家屋を
押し流している。2000年※の夏にも大洪水を起こした。

しかし当の住人たちは、護岸工事に反対している。理由の第一は、「自然の景観を破壊す
る」である。そして行政当局も、護岸工事にお金をかけるよりも、そのつど被害を受け
た家に補償したほうが安いと計算して、工事をしないでいる。今、日本人に求められて
いるのは、そういう発想である。

 もし自然教育を望むなら、あなたも明日から、車に乗ることをやめ、自転車に乗ること
だ。クーラーをとめ、扇風機で体を冷やすことだ。そして土日は、山の中をゴミを拾って
歩くことだ。少なくとも「教育」で、子どもだけを作り変えようという発想は、あまりに
もおとなたちの身勝手というもの。そういう発想では、もう子どもたちを指導することは
できない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自然教育について(3)

 5月の一時期、野生のジャスミンが咲き誇る。甘い匂いだ。それが終わると野イチゴの
季節。そしてやがて空をホトトギスが飛ぶようになる……。

 浜松市内と引佐町T村での二重生活をするようになって、もう六年になる。週日は市内
で仕事をして、週末はT村ですごす。距離にして車で40分足らずのところだが、この2
つの生活はまるで違う。

市内での生活は便利であることが、当たり前。T村での生活は不便であることが、当た
り前。大雨が降るたびに、水は止まる。冬の渇水期には、もちろん水はかれる。カミナ
リが落ちるたびに停電。先日は電柱の分電器の中にアリが巣を作って、それで停電した。
道路舗装も浄化槽の清掃も、自分でする。

こう書くと「田舎生活はたいへんだ」と思う人がいるかもしれない。しかし実際には、
T村での生活の方が楽しい。T村での生活には、いつも「生きている」という実感がと
もなう。庭に出したベンチにすわって、「テッペンカケタカ」と鳴きながら飛ぶホトトギ
スを見ていると、生きている喜びさえ覚える。

 で、私の場合、どうしてこうまで田舎志向型の人間になってしまったかということ。い
や、都会生活はどうにもこうにも、肌に合わない。数時間、街の雑踏の中を歩いただけで、
頭が痛くなる。疲れる。排気ガスに、けばけばしい看板。それに食堂街の悪臭など。

いろいろあるが、ともかくも肌に合わない。田舎生活を始めて、その傾向はさらに強く
なった。女房は「あなたも歳よ…」というが、どうもそれだけではないようだ。私は今、
自分の「原点」にもどりつつあるように思う。私は子どものころ、岐阜の山奥で、いつ
も日が暮れるまで遊んだ。魚をとった。そういう自分に、だ。

 で、今、自然教育という言葉がよく使われる。しかし数百人単位で、ゾロゾロと山間に
ある合宿センターにきても、私は自然教育にはならないと思う。かえってそういう体験を
嫌う子どもすら出てくる。自然教育が自然教育であるためには、子どもの中に「原点」を
養わねばならない。数日間、あるいはそれ以上の間、人の気配を感じない世界で、のんび
りと暮らす。好き勝手なことをしながら、自活する。そういう体験が体の中に染み込んで
はじめて、原点となる。

 ……私はヒグラシの声が大好きだ。カナカナカナという鳴き声を聞いていると、眠るの
も惜しくなる。今夜もその声が、近くの森の中を、静かに流れている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ゆがんだ自然観

 もう30年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。

「夜空の星は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシ
ンのよう」と。

この詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小
さな虫を見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子ども
も多い。自然教育が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれ
が入ってこない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや
世界は、人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部
に過ぎなかった。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征
服されるもの」(ベーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民
地政策、さらには1740年に始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎です
ら、「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、
アメリカ型社会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本
を支配した。

その顕著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊され
た。埼玉県では、この40年間だけでも、30%弱の森林や農地が失われている。

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分
けて考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部で
しかないという事実の再認識である。

さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住む動物や植物の了解
を求めてからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつことである。少
なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切にし
ましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自
然教育 自然論 子供の自然教育)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(7月14日)

+++++++++++

大型の強い台風4号が、
こちらに向かっている。

今ごろは、四国の高知県
あたりを、東に進んでいる
という。

断続的に強い雨。
夕食後、することもないので、
こうして書斎に座って、
パソコンのキーボードを
たたく。

+++++++++++

●北海道I市

 昨夜、仕事から帰ると、北海道のI市の教育委員会から、講演依頼が届いていた。まだ本
決まりではないが、一応、その日(10月xx日)はあけておくということで、返事を書
いた。

 実は、昨年も、北海道のM市からの教育講演の依頼があった。そのときは、「遠方すぎ
る」ということで、断った。が、そのあと、少なからず、後悔した。やろうと思えば、で
きた講演である。一度は、北海道で、講演してみたかった。

 そんなわけで、今回は、すぐ「YES!」の返事を書いた。

 ……といっても、こうした講演は、このあと、キャンセルになることが多い。私の知名
度では、人は集まらない。自分でも、それがよくわかっている。だから返事には、こう書
いた。

 「お声をかけていただいただけでも光栄です。キャンセルということになりましても、
どうか私へのお気づかいは、なさらないでください」と。


●DVD「TOMORROW WORLD」

++++++++++++++

昨夜、DVD「トモロウ・ワールド」
を見た。

ずいぶんとお金をかけた映画のよう
だったが、評価は、星1つの、★。

ワイフは、「尻切れトンボみたい」と
言ったが、そう。何がなんだか、
よくわからないような状態で、
映画は終わってしまった。

++++++++++++++

 中学2年のときのこと。英語のテストで、「明日」という単語を書けというのがあった。
答は、(tomorrow)である。しかしテストの最中、(tommorow)だった
のか、(tomoorow)だったのか、それとも、(tomorrow)だったのか、
わからなくなってしまった。

 自分では覚えたつもりの単語だった。それが私には、悔しかった。だからテストが終わ
ったあと、(tomorrow)という単語を、自分のノートに何10回も書いた。

 そんなことを思い出しながら、DVD「TOMORROW WORLD」を見た。ワイフは、「尻
切れトンボみたい」と言ったが、私も同感。何がなんだか、よくわからないまま、映画は
終わってしまった。

 私が制作者なら、最後のシーンで、UFOでも登場させただろう。そのほうが、ずっと
SF映画らしい。

 
●生活不活発病

++++++++++++++

生活不活発病というと、何も、
老人だけの病気(?)ではない。

私たちだって、こうも雨がつづくと、
生活不活発病になる。

運動不足が引き金となって、
体の不調が始まる。だからますます
運動不足になる。

あとは、この悪循環。

++++++++++++++

 生活が不活発になり、体を動かさなくなると、知力、筋力、体力が衰え始める。つづい
て全身の機能が衰える。こうした(状態)を総称して、「生活不活発病」という。私がつ
けた名前ではない。ちゃんとした病名である。

 老人のばあい、風邪をひいたり、骨折したりしたことが引き金となって、生活不活発病
になることが多いという。そのまま寝込んでしまったりする。

 が、この病気は、何も老人だけの病気ではない。私も、先週は、2単位(40分x2)
しか運動ができなかった。雨続きで、自転車に乗ることができなかった。こういうときは、
いつもなら傘をさして、職場までの道のり(=往復15キロ)を歩くのだが、それもしな
かった。

とたん、体がだるくなってしまった。ものを考えるのも、おっくうになってしまった。

 そこで一念発起!、……ということでもないが、7月x日は、山歩きをすることにした。
(こうしたBLOGでは、詳しい日程は書かないほうがよいそうだ。空き巣に「おいで」
と言っているようなものだそうだ。以前は、私の講演日時などを公開していたが、今から
思うと、あぶないことをしていたものだと思う。余計なことだが……。)

 健康は、つくるものではない。維持するもの。私の年齢になると、そう考えるようにな
る。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●K国の核開発問題

+++++++++++++++

K国が、米朝2か国間の、
軍事会談の申し入れを、
行ってきた(7月13日)。

突然の申し入れである。

産経新聞は、その記事の末尾に
こう書いている。

『韓国政府筋は13日、「北朝鮮
の談話は軍部によるもので政府・
外務省の立場は確認できていない」
と述べた』と。

わかるかな?

++++++++++++++

 近く、6か国協議が開かれることになった。かねてより日本側は、7月中の協議には、
応じられないとアメリカ側に申し入れてきた。が、またまたアメリカ側は、日本側の意向
を無視。韓国と協調して、7月中に、6か国協議を開くことにしてしまった。

 この間、つまり先の協議と今日までの間、韓国側は、英語ペラペラの代表幹事をワシン
トンに何度も派遣している。が、日本側が、そうしたという事実は、どこにもない。

 で、アメリカと韓国が、日本をはずした4か国協議を画策している最中(さなか)、K
国側が、突然、米朝軍事会談をアメリカ側に申し入れてきた(7月13日)。

 さすがの韓国も、これにはあわてた。韓国統一部の長官でさえ、「韓国をはずした会談
などありえない」と談話を発表するほど※。「4か国協議でやろう」と考えていたら、K
国は、「2か国協議でやろう」と。

 産経新聞は、つぎのように伝える。

 『K国の中央通信は、K国人民軍板門店代表部が13日、朝鮮半島の平和と安全保障問
題を協議するため、国連の参加の下で米朝軍事会談の開催を提案すると提案したことを伝
えた。

アメリカのヒル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は、さきに朝鮮半島の平和体制を
話し合う米中韓と北朝鮮の、4カ国協議の年内開催に言及したが、談話でK国は、あくま
で米朝間の協議を主張した』と。

 そしてその意図について、産経新聞は、こう書いている。『北朝鮮の今回の談話は、米
国に直接交渉を要求するだけでなく、「核問題の本質は米国の核」と指摘し自らの核武装
の正当性を強調することで、今後の非核化交渉で、主導権を確保する狙いがあるようだ』
と。

 つまりねらいは、「今後の(6か国)協議で、主導権を確保するため」と。

 しかし、本当にそうか? そう考えてよいのか? こうした外交問題では、表面的な動
きに惑わされてはいけない。K国の立場で、ものを考えてみれば、それがわかる。

 たとえば6か国協議が始まるまで、K国は、さかんに米朝の2か国会議、ついで平和条
約の締結を主張していた。なぜか。

 日本を攻撃するにしても、(攻撃しないまでも、脅すにしても)、また韓国を攻撃する
にしても、(攻撃しないまでも、脅すにしても)、目の上のタンコブは、アメリカという
ことになる。

 日本や韓国にアメリカ軍が常駐しているかぎり、K国は、日本やアメリカに手を出すこ
とができない。脅すこともできない。

 しかし米朝で、たとえば相互不可侵条約のようなものが結ばれれば、K国に、もう、こ
わいものはない。その気になれば、いつでも、日本や韓国を攻撃できる。攻撃しないまで
も、脅すことができる。「金を出せ!」と。

 が、そんなことをされたら、日本は困る。韓国も、困る。そこで6か国協議ということ
になった。最低限でも、4か国協議(韓国側の主張)となった。

 が、いきなり、2か国軍事会議!

産経新聞は、「主導権を確保するため」と解説しているが、そんな甘いものではない。も
しそんな会談が開かれ、仮にここでいうような相互不可侵条約、あるいは平和協定のよう
なものが結ばれれば、日本は、それこそ、たいへんな立場に立たされることになる。日米
安保条約すら、死文化する。

韓国にしても、事情は同じ。しかし韓国は、K国がまさかそこまで言いだす(=図に乗る)
とは思っていなかった。常識で考えれば、つまり米朝の軍事力の差を考えれば、米朝軍事
会談などというものは、トンデモナイ話ということになる。

この常識ハズレなところが、実にK国らしい……というのが、実は、K国なのである。そ
してこうした常識ハズレの陰には、いつも金xxがいる。K国の軍部がいる。わかりやす
く言えば、(まだまともな、K国の政府・外務省)、(常識ハズレな、金xx・軍部)の
2つ。この2つが、今、K国内部で、対立している。

現在は、その双方が、主導権を争って、抗争中ということになる。産経新聞も、記事の最
後でこう書いている。

『韓国政府筋は13日、「北朝鮮の談話は軍部によるもので政府・外務省の立場は確認で
きていない」と述べた』と。

 つまり今回の米朝2か国協議の申し入れは、金xxと軍部の独断でなされた可能性が高
いということになる。言いかえると、6か国協議を前にして、金xxや軍部が、自分たち
の実権を失うのを恐れて、あせり始めたということ。

 では、日本は、どう考えたらよいのか。

 こと外交問題に関していえば、現在、日米関係は、戦後、最悪の状態にあるとみてよい。
前防衛大臣や、外務大臣の失言が大きく影響していることは、言うまでもない。A外務大
臣などは、英語どころか、日本語すらまともに話せない。おまけにやるべきことを、何も
していない。

 安倍総理大臣にしても、就任後、8か月を経て、はじめてアメリカ詣でをしている。お
かしな(対米追従外交反対論=国粋主義)が、これに拍車をかけた。アメリカにしてみれ
ば、「日本は、いったい、何を考えているのか?」ということになる。

 たとえば現在、アメリカのヒル国務次官補は、そのつど、日本へやってきて、事情を説
明している。日本側に協力を求めている。しかしアメリカにしてみれば、どうしてそこま
で、日本のためにしなければならないのか、ということになる。もっと言えば、K国の核
開発で、もっとも危険な立場に置かれているのは、この日本である。

 その日本が、何もしないで、アメリカの国務次官補が、飛びまわっている。この(おか
しさ)に、まず日本自身が気づかねばならない。つまり本来なら、アメリカの国務次官補
が日本へ来る以上に、日本側の責任者が、アメリカとの間を往復していて、当然なのであ
る。

 こんなことをしていれば、そのうち、ヒル氏自身も、日本には立ち寄らなくなるだろう。
時間の問題と考えてよい。6か国協議が4か国協議となれば、なおさらである。もしそう
なったら、日本は、どうするのか?

 私が日本の外務大臣なら、今ごろは、毎月のようにアメリカへ飛んでいる。日米の間に
信頼関係があってはじめて、日本の平和と安全が保たれる。その信頼関係の構築に、全力
を注ぐ。(韓国は、そうしているぞ!)

 その信頼関係があれば、自ずと道が見えてくる。あとは、その道に従って進めばよい。

 ……が、今、日本の進むべき道は、霧の中に入ってしまっている。そしてその責任の大
半は、A外務大臣にある。国際外交は、どこまでも現実的でなければならない。対米追従
外交に反対なのは、よくわかる。しかし今の日本から、アメリカを取り除いたら、この日
本は、どうなる? 勇ましい民族主義だけでは、この日本の平和と安全は、守れない! そ
れが今の日本が直面している、まぎれもない(現実)なのである。

 ともかくも、ああいう、どこか(?)な人物が、日本の外交を取り仕切っているという
のは、日本にとって、悲劇としか言いようがない。……というのは、少し言い過ぎかもし
れないが、今の日本には、つぎの一手が見当たらない。

 ここは一歩ひきさがって、6か国協議のなりゆきを見守るしかない。
(07年7月14日、朝記)

注※……韓国のI統一部長官は、「朝鮮半島の軍事的な緊張緩和と平和体制問題は、南北対
話を中心に発展させなければならない」と談話を発表している。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================







***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   8月 8日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【義母との問題】

●掲示板への投稿より

 こんな投稿があった。どこかの学生からのものだった。

 『現在学生をしており、妊産婦が妊娠・育児について義母から受ける影響について研究し
ています。間違った育児論により、妊産婦がなんらかの悪影響やプレッシャーを感じてい
るのではないかと考えています。この研究に使用できる参考文献などありましたら、紹介
していただきたいです。よろしくおねがいします』と。

 残念ながら、私はそうした(文献)を知らない。しかしその逆のことも言える。これは妊産婦
にかぎらないことだが、若い世代の人たちは、古い世代の人たちの価値、あるいはその価値
観を、
あまりにも安易に否定しすぎているのではないか(?)。

 古い世代に対して、(敵意)のようなものすら感じている人も少なくない。「古い世代の言う
ことには、価値はない」と。それで育児論。

これはあくまでも私の個人的な意見だが、むしろまちがった育児論で、親自身が、子どもをダ
メにしてしまうケースのほうが、はるかに多いのではないか。(「ダメ」という言葉はあまり
使いたくないが、ほかに適切な言葉が思い浮かばない。)もう少し、年配者、あるいは経験者
の意見に耳を傾けてくれたら……というケースは少なくない。

 そこでアメリカはどうかというと、たとえば息子夫婦のケースだが、妊娠と同時に、毎週、出
産、育児教室に通うようになる。出産後も、同じように通っている。最近、日本でも、各地で育
児支援センターがたちあがっている。それなどは完全に欧米の制度のマネとみてよい。

 核家族化が進み、さらにカプセル家族化が進んだ。頼るべき両親、相談すべき両親が、近く

いないというケースも少なくない。育児支援センターは、そういう親たちにとっては、救いの場
所ということになる。

 で、掲示板への投稿についてだが、私の調査では、こんなことがわかっている。14年も前に
した古い調査なので、そのまま現代に当てはまるかどうかわからないが、ここに紹介する。

+++++++++++

【別居か、さもなくば離婚か】

●好かれるおじいちゃん

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、
「好かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさ
しいこと、(3)経験が豊富であること、(4)控えめであることだった(一九九三年・
浜松市内で約五〇人の同居世帯で調査)。

●子どもが生まれる前から同居が望ましい

 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の
立場でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だっ
た。「甘やかしすぎて困る」というのが、それに続いた。

さらに「同居をどう思うか」という質問については、子どもが生まれる前から同居した
ばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えているのに対して、途中か
ら同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えていた。祖父母
との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。

●たいていは深刻な問題に

 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは
深刻な嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父
母にしても、孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かと
いうレベルまで話が進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私
の結論のようなもの。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教
育のことは、思い切って祖父母に任す。甘やかしなどの問題もあるが、しかし子育
て全体からみると、マイナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリ
ットよりもメリットのほうが多いので、割り切ること。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなこと
をする。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」
と言いながら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。

 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受
け入れるなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、
母親自身の精神生活にも悪い影響を与える。
(小生の著書で、発表済み)

++++++++++++++

●家庭内子育て戦争

+++++++++++++

さらに、こんな原稿を書いた
こともある。

家族の問題は、相手から相談
があるまで、介入しない。

これは子どもを指導するときの
大鉄則。

+++++++++++++

 明らかに過保護な子ども(年中男児)がいた。原因は、おばあさん。そこである日、た
またま母親が迎えにきていたので、その母親にこう言った。「少し、おばあちゃんから離
したほうがいいですよ」と。

おばあさんは、ベタベタに子どもをかわいがっていた。が、この一言が、その後、大騒動
の引き金になろうとは!

 それから一か月後。母親がすっかり疲れきった様子で、幼稚園へやってきた。あまりの
変わりように驚いて、私が「どうしたのですか」と声をかけると、こう話してくれた。

「いやあ、先生、あれからたいへんでしたの。祖父母と別居か、さもなくば離婚というこ
とになりまして、結局、祖父母とは別居することになりました」と。ほかのことならとも
かく、親も、こと子どものこととなると、妥協しない。こんなこともあった。

 その老人は、たいへん温厚で、紳士的な人だった。あとで聞くと、中学校の教師をして
いたという。その老人が、どういうわけだか、D君(年長児)の入試に、異常にこだわっ
ていた。「先生、何としても孫には、A小学校に入ってもらわねば困るのです」と。

私はその老人の気持ちが理解できなかった。「元先生ともあろう人が、どうして?」と。
が、ある日、その理由がわかった。老人は、こう話してくれた。D君の父親は、隣町の
K市で勤務医をしていた。もしD君がA小学校に入学すれば、D君は、その老人の家か
ら小学校へ通うことになる。が、入学できなければ、D君はK市の親のもとへ帰ること
になる、と。

しかし入試の直前になって、事態が急変した。親が入試を受けることに、猛烈に反対し
始めたのだ。私のところにも父親から電話がかかってきた。「今後は、我が家の教育に
ついては干渉しないでほしい。息子はK市の地元の小学校に通わせることにしたから」
と。

 この事件はそれで終わったが、それから半年後。そのときその老人は、自転車に乗って
いたが、車ですれ違うと、別人のようにやつれて見えた。孫の手を引きながら、意気揚揚
と幼稚園へ連れてきた、あのハツラツとした姿は、もうどこにもなかった。

あとで聞くと、それからさらに半年後。その老人は何かの病気で亡くなってしまったと
いう。その老人にとっては、孫育てが生きがい以上のもの、つまり「命」そのものだっ
た。

 孫を取りあって、父母との間で壮絶な、家庭内戦争を繰り広げている人はいくらでもい
る。しかし世の中には、こんな悲惨な例もある。例というより、一度、あなた自身のこと
として考えてみてほしい。あなたなら、こういうケースでは、一体どうするだろうか。

 ある祖父母には、目に入れても痛くないほどの一人の孫がいた。が、その孫が交通事故
にあった。手術をすれば助かったのだが、その手術に、嫁が、がんとして反対した。嫁は、
ある宗教教団の熱心な信者だった。その教団では、手術を拒否するように指導している。

一度私が教団に確認すると、「そういう指導はしていません。しかし熱心な信者なら、自
ら拒否することもあるでしょう」とのこと。ともかくもそれで、その孫は死んでしまった。
 
 その祖父はこう言って、言葉をつまらせた。「それまでは、愛だとか平和だとか、嫁の
宗教も、それほど悪いものではないと思っていたのですが……」と。

+++++++++++++

 子育てには、その人の人生観、価値観、哲学(哲学があればの話だが)、そういったも
ともろのものの見方、考え方が集約される。さらにその人の過去が、そのまま反映される。

だから子育てをしていると、夫婦の間でも、対立、衝突は、しばしば起きる。起きて、
当り前。子育てというのは、そういうもの。いわんや、義父母との対立、衝突など、今
どき珍しくも何ともない。

 私が現在経験しているケースの中には、孫を取りあって、姑(しゅうとめ=義母)と嫁
が、壮絶な家庭内戦争を繰りかえしているのもある。姑にしてみれば、「息子の子どもは、
私の孫」ということになる。

 理由を聞くと、「あんな嫁に孫を任せておいたら、孫が、どんな人間になるか、わかっ
たものではない。それが心配だ」と。

 しかし結論を先に言えば、親は、自分の息子、娘夫婦の子育てには、干渉してはならな
い。息子や娘から相談があれば、そのときは、そのとき。しかしそれまでは、そっとして
おいてやる。それも、親の務めではないか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【無知】

++++++++++++++++

メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

たしかにそうだ。

何ごともなく、無難に過ごそうと思えば、
それはできる。ひとり、静かに、小さな
部屋の中に、閉じこもっていればよい。

しかし人は、書くことによって、ものを
考え、考えることによって、生きること
ができる。

無知は、それ自体が、罪悪と考えてよい。

この言葉を知ったとき、数年間に書いた
原稿のことを思い出した。

++++++++++++++++

【無知という「罪悪」】

+++++++++++++++++

「私は知らなかった」では、すまされない。
それが子どもの世界。

無知は、罪悪。そう考えるのは、きびしい
ことだが、しかし親たるもの、親としての
勉強を怠ってはいけない。

+++++++++++++++++

 これだけ情報が濃密に行きかう時代になっても、その情報の外に住んでいる人たちがい
る。自ら情報の外の世界に身を置くことにより、彼らの言葉を借りるなら、「情報がもつわ
ずらわしさから、自分を解放するため」だ、そうだ。

 しかし無知は、今の時代にあっては、罪悪と考えてよい。「知らなかった」では、すまさ
れない。とくに相手が子どものばあい、親の独断と偏見ほど、こわいものはない。症状を
こじらせるだけではなく、ばあいによっては、取りかえしのつかない状態に、子どもを追
いやってしまう。

 A君という年長児の子どもがいた。自閉症と診断されたわけではないが、軽い自閉傾向
があった。一度何かのことで、こだわりを見せると、かたいカラの中に入ってしまった。
たとえば幼稚園へ行くときも、青いズボンでないと行かないとか、幼稚園でも、決まった
席でないと、すわらないとか、など。居間の飾り物を動かしただけで、不機嫌になること
もあった。

そのA君は、虫の写真の載っているカードを大切にしていた。いろいろな種類のカード
をもっていたが、その数が、いつの間にか、400枚近くになっていた。A君は、それ
を並べたり、箱に入れたりして大切にしていた。

 が、A君の母親は、それが気に入らなかった。母親は、虫が嫌いだった。また母親が、
カードの入っている箱にさわっただけで、A君は、パニック状態になってしまったりした
からである。

 そこである日、A君が幼稚園へ行っている間に、母親は、そのカードが入っている箱を、
倉庫へしまいこんでしまった。が、それを知ったA君は、そのときから、だれが見ても、
それとわかるほど、奇異な様子を見せるようになった。

 ボーッとしていたかと思うと、ひとり、何かを思い出してニヤニヤ(あるいはニタニタ)
と笑うなど。それに気づいて母親が、カードを倉庫から戻したときには、もう遅かった。
A君は、カードには見向きもしなくなってしまったばかりか、反対に、そのカードを破っ
たり、ゴミ箱に捨てたりした。

 それを見て、母親は、A君を強く叱った。「捨ててはだめでしょ」とか、何とか。私が、
「どうしてカードを、倉庫へしまうようなことをしたのですか?」と聞くと、A君の母親
は、こう言った。「だって、ほかに、まだ、100枚近くももっているのですよ。それに私
がしまったのは、古いカードが入った箱です」と。

 自閉傾向のある子どもから、その子どもが強いこだわりをもっているものを取りあげた
りすると、症状が、一気に悪化するということはよくある。が、親には、それがわからな
い。いつもそのときの状態を、「最悪の状態」と考えて、無理をする。

 この無理が、さらにその子どもを、二番底、三番底へと落としていく。が、そこで悲劇
が終わるわけではない。親自身に、「自分が子どもの症状を悪化させた」という自覚がない。
ないから、いくら説明しても、それが理解できない。まさに、ああ言えば、こう言う式の
反論をしてくる。人の話をじゅうぶん聞かないうちに、ペラペラと一方的に、しゃべる。

私「子どもの気持ちを確かめるべきでした」
母「ちゃんと、確かめました」
私「どうやって?」
母「私が、こんな古いカードは、捨てようねと言いましたら、そのときは、ウンと言って
いました」

私「子どもは、そのときの雰囲気で、『うん』と言うかもしれませんが、本当に納得したわ
けではないかもしれません」
母「しかし、たかがカードでしょう。いくらでも売っていますよ」
私「おとなには、ただのカードでも、子どもには、そうではありません」
母「気なんてものは、もちようです。すぐカードのことは忘れると思います」と。

 私の立場では、診断名を口にすることはできない。そのときの(状態)をみて、「ではど
うすればいいか」、それを考える。しかしA君の症状は、そのとき、すでにかなりこじれて
しまっていた。

 ……こうした親の無知が、子どもを、二番底、三番底へ落としていくということは、よ
くある。心の問題でも多いが、学習の問題となると、さらに多い。少しでも成績が上向い
てくると、たいていの親は、「もっと」とか、「さらに」とか言って、無理をする。

 この無理がある日突然、限界へくる。とたん、子どもは、燃えつきてしまったり、無気
力になってしまったりする。印象に残っている子どもに、S君(小2男児)という子ども
がいた。

 S君は、毎日、学校から帰ってくると、1〜2時間も書き取りをした。祖母はそれを見
て喜んでいたが、私は、会うたびに、こう言った。「小学2年生の子どもに、そんなことを
させてはいけない。それはあるべき子どもの姿ではない」と。

 しかし祖母は、さらにそれに拍車をかけた。漢字の学習のみならず、いろいろなワーク
ブックも、させるようになった。とたん、はげしいチックが目の周辺に現われた。眼科で
見てもらうと、ドクターはこう言ったという。「無理な学習が原因だから、塾など、すぐや
めさせなさい」と。

 そのドクターの言ったことは正しいが、突然、すべてをやめてしまったのは、まずかっ
た。それまでS君は、国語と算数の学習塾のほか、ピアノ教室と水泳教室に通っていた。
それらすべてをやめてしまった。(本来なら、子どもの様子を見ながら、少しずつ減らすの
がよい。)

 異常なまでの無気力症状が、S君に現われたのは、その直後からだった。S君は、笑う
こともしなくなってしまった。毎日、ただぼんやりとしているだけ。学校から帰ってきて
も、家族と、会話さえしなくなってしまった。

 祖母から相談があったのは、そのあとのことだった。しかしこうなると、私にできるこ
とはもう何もない。「もとのように、戻してほしい」と、祖母は言ったが、もとに戻るまで
に、3年とか4年はかかる。その間、祖母がじっとがまんしているとは、とても思えなか
った。よくあるケースとしては、少しよくなりかけると、また無理を重ねるケース。こう
してさらに、子どもは、二番底、三番底へと落ちていく。だから、私は指導を断った。

 子どもの世界では、無知は罪悪。そうそう、こんなケースも多い。

 進学塾に、特訓教室というのがある。メチャメチャハードな学習を子どもに強いて、子
どもの学力をあげようというのが、それ。ちゃんと子どもの心理を知りつくした指導者が
それをするならまだしも、20代、30代の若い教師が、それをするから、恐ろしい。ば
あいによっては、子どもの心を破壊してしまうことにもなりかねない。とくに、学年が低
い子どもほど、危険である。

 テストを重ねて、順位を出し、偏差値で、子どもを追いまくるなどという指導が、本当
に指導なのか。指導といってよいのか。世の親たちも、ほんの少しだけでよいから、自分
の理性に照らしあわせて考えてみたらよい。つまり、これも、ここでいう無知の1つとい
うことになる。

 たいへんきびしいことを書いてしまったが、無知は、まさに罪悪。親として、それくら
いの覚悟をもつことは、必要なことではないか。今、あまりにも無知、無自覚な親が、多
すぎると思うので……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 無
知 無知という罪悪 無学という罪悪)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心の洗濯・さわやかに生きる】

+++++++++++++

毎日をさわやかに生きるために
は、いろいろなコツがある。

+++++++++++++

●他人の生活をのぞかない

 他人の子どもの学歴や、進学先、成績などは、気にしないこと。それはその他人のため
というよりは、あなた自身のためである。

 少し話がそれるが、こんな事件が身近であった。

 10年ほど前だろうか、近所に住むA氏(40歳、当時)から、こんな相談があった。
何でも、そのA氏の自宅の東側に住むB氏(50歳、当時)が、A氏の家の中を、いつも
のぞいているというのだ。それでA氏の妻が、気味悪がって、不眠症になってしまった、
と。

 そこでA氏が、B氏に、「そういうことは、やめてほしい」と注意すると、B氏は、猛
然とそれに反発して、こう言ったという。

 「お前こそ、オレの家をのぞいているではないか。オレのウチは、そのため、すべての
窓ガラスを、型ガラスにかえたんだぞ!」と。

 A氏には、まったく身に覚えのない話だった。つまりB氏は、いつもA氏の家の中をの
ぞいていた。それでB氏は、自分もA氏にのぞかれていると思ったらしい。これに似た話
は、よくある。

 たとえば他人の私生活を気にする人は、同時に、自分が世間からどう見られているかを
気にする。つまり他人の生活をのぞく人は、のぞいた分だけ、今度は、自分の生活がのぞ
かれているのではないかと恐れる。あるいはそういった被害妄想を、もちやすい。冒頭に
あげたB氏が、そういう人だった。

 だから他人の子どもの学歴や、進学先、成績などは、気にしないこと。気にすればする
ほど、今度は、あなたが、自分の子どものことで、他人の目を気にするようになる。

 25年ほど前のことだが、いつも娘(高校生)を、車で送り迎えしていた母親がいた。
「近所の人に、娘の制服を見られるのが、恥ずかしかったから」というのが、その理由ら
しい。あるいは、(これはホントの話だぞ……)、駅で制服を着替えてから、学校に通っ
ていた子どもさえいた。

 世間の目を気にする人は、そこまで気にする。

 私は私。他人は他人。そのためにも、まずあなた自身の心をつくりかえる。つまり他人
の生活は、のぞかない。それは、このどろどろした世界を、さわやかに生きるための鉄則
でもある。

●家庭問題には、かかわらない
 
 こういう仕事をしていると、ときどき、横ヤリが入ることがある。つい先日も、ある女
性(60歳くらい)から、こんな電話が入った。

 「うちの嫁(=生徒の母親)が、孫(=私の生徒)をつれて、実家へ帰ってしまった。
ついては、あなた(=私)のほうで、何とか、孫だけでも、取りかえしたい。ついては協
力してもらえないか」と。

 その生徒は、私のところへ、何も変わりなく、通っていた。その女性(=祖母)は、そ
の機会をとらえて、孫(=生徒)を、取りかえそうと考えていた。

 こういうケースでは、私は、いつもはっきりと断ることにしている。「私は、母親(=
嫁)から委託を受けて仕事をしています。その母親を、裏切ることはできません」と。

 しかし問題は、そのあとだ。こうした電話があったことを、その母親に告げるべきかど
うかで迷う。

 で、私のばあい、こうした電話は、そのまま無視することにしている。いつしか、そう
いう処世術を身につけてしまった。まさに『さわらぬ神にたたりなし』である。

 へたに介入すると、やがて抜き差しならない状態になる。実際、こじれた人間関係ほど、
わずらわしいものはない。また介入したところで、どうにもならない。それぞれの家庭に
は、言葉に言いつくせない問題が、「クモの巣」(=英語の表現)のようにからんでいる。

 相手から相談があれば、話は別だが、これも、さわやかに生きるための鉄則である。


●人の悪口は、自分で止める

 母親どうしのトラブルは、日常茶飯事。「言った」「言わない」が、こじれて、裁判ざ
たになることもある。

 で、私の耳にも、そういった話が、容赦なく、飛びこんでくる。しかしそういうときの
鉄則は、ただ一つ。『ただ聞くだけ。そしてその話は、絶対に、人には、伝えない』。

 たとえばAさんが、こう言ったとする。

 「あのBさんね、祖母の老齢年金を、とりあげているそうよ。そしてそのお金を、自分
の息子の塾代にあてているんですって」と。

 こういう話は、聞くだけで、絶対に人に伝えてはいけない。あなたのところで止めて、
そのまま消す。そして忘れる。相づちを打ってもいけない。

だいたいにおいて、そういう話が飛びこんでくるということは、あなた自身も、そのレ
ベルの人ということになる。だから、よけいに、相手にしてはいけない。英語の格言にも、
『食物は口から入るが、禍(わざわい)は、口から出る』というのがある。

 ……と、偉そうなことを書いてしまったが、実は、私も無数の失敗をしている。たとえ
ば以前、こんなエッセー(中日新聞投稿済み)を書いたことがある。


+++++++++++++++++++++++

●父母との交際は慎重に

 教育の世界では、たった一言が大問題になるということがよくある。こんな事件が、あ
る小学校であった。

その学校の先生が一人の母親に、「子どもを塾へ四つもやっているバカな親がいる」と、
ふと口をすべらせてしまった。その先生は、「バカ」という言葉を使ってしまったのだが、
今どき、四つぐらいの塾なら、珍しくない。英語教室に水泳教室、ソロバン塾に学習塾な
ど。

そこでそれぞれの親が、自分のことを言われたと思い、教育委員会を巻き込んだ大騒動
へと発展してしまった。結局その先生は、任期の途中で転校せざるをえなくなってしまっ
た。が、実は私にも、これに似たような経験がある。

 母親たちが五月の連休中に、子どもたちを連れてディズニーランドへ行ってきた。それ
はそれですんだのだが、そのあと一人の母親に会ったとき、私が、「あなたは行きました
か」
と聞いた。するとその母親は、「行きませんでした」と。

そこで私は(連休中は混雑していて、たいへんだっただろう)という思いを込めて、「そ
れは賢明でしたね」と言ってしまった。が、この話は、一晩のうちにすべての母親に伝わ
ってしまった。

しかもどこかで話がねじ曲げられ、「五月の連休中にディズニーランドへ子どもを連れ
ていったヤツはバカだと、あのはやしが笑っていた」ということになってしまった。数日
後、ものすごい剣幕の母親たちの一団が、私のところへやってきた。「バカとは何よ! あ
やまりなさい!」と。

 母親同士のトラブルとなると、日常茶飯事。「言った、言わない」の大喧嘩になること

珍しくない。そしてこの世界、一度こじれると、とことんこじれる。現に今、市内のある
小学校で、母親同士のトラブルが裁判ざたになっているケースがある。

 そこで教訓。父母との交際は、水のように淡々とすべし。できれば事務的に。できれば
必要最小限に。そしてここが大切だが、先生やほかの父母の悪口は言わない。聞かない。
そして相づちも打たない。相づちを打てば打ったで、今度はあなたが言った言葉として、
ほかの人に伝わってしまう。「あの林さんも、そう言っていましたよ」と。

 教育と言いながら、その水面下では、醜い人間のドラマが飛び交っている。しかも間に
「子ども」がいるため、互いに容赦しない。それこそ血みどろかつ、命がけの闘いを繰り
広げる。

一〇人のうち九人がまともでも、一人はまともでない人がいる。このまともでない人が、
めんどうを大きくする。が、それでもそういう人との交際を避けて通れないとしたら……。
そのときはこうする。

 日本でも、『魚心あれば、水心』という。イギリスの格言にも、『相手は自分が相手を
思うように、あなたのことを思う』というのがある。つまりあなたが相手を「よい人だ」
と思っていると、相手もあなたのことを「よい人だ」と思うようになる。反対に「いやな
人だ」と思っていると、相手も「いやな人だ」
と思うようになる。

だから子どもがからんだ教育の世界では、いつも先生や父母を「よい人だ」と思うよう
にする。相手のよい面だけを見て、そしてそれをほめるようにする。

要するにこの世界では、敵を作らないこと。何度も繰り返すが、ほかの世界のことなら
ともかく、子どもが間にからんでいるだけに、そこは慎重に考えて行動する。

++++++++++++++++++++++++

 英語にも、『同じ羽の鳥は、いっしょに集まる』という格言がある。私は、どこか低劣

話が耳に入ってきたときには、相手は、私もその低劣な人間とみているのだなと思うよう
にしている。

 相手から見れば、私も低劣に見える。だからそういう低劣な話を、私にするのだ、と。

 しかし実際には、幼児相手の仕事をしていると、いつも低劣に見られる? 先日もいき
なり電話がかかってきて、こんなことを言う母親がいた。

 「おたく、幼児教室? あら、そう。今、うちの子を、クモンへ入れるか、あんたんど
こへ入れるか、迷っているんだけど、どっちがいいかなア?と、思って……」と。

 私はそれに答えて、「はあ、うちは、10問(ジューモン)教えますので……」と。

 この答え方は、昔、仲間のI先生が教えてくれた言い方である。(クモンと、ジュウー
モンのちがいですが、わかりますか?)

 いかにして、この世界で、さわやかに生きるか。これはとても重要なテーマのように思
う。いつもそれを心のどこかで考えていないと、あっという間に、泥沼に巻きこまれてし
まう。

それを避けるためのいくつかの鉄則を書いてみたが、これらの鉄則は、そのまま母親ど
うしの人間関係にも、応用できるのでは。ぜひ、応用してみてほしい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月13日)

++++++++++++++

昨夜、犬のハナが、いつもになく
クンクンと鳴いた。

見ると、犬小屋の中にまで、雨が
降り込んでいた。。

ハナの犬小屋は、4人用のテントの中。
そのテントの中に、ブロックを積み、その
上に、犬小屋を置いている。

その犬小屋の中にまで、雨が降り込んでいた。

台風の影響か、この1両日、この地方でも、
はげしい雨が、断続的につづいて
いる。

++++++++++++++

●ハナ

 犬のハナは、いつも庭で放し飼いにしてある。犬の飼い方にも、いろいろあるが、私は、
それが犬にとっては、いちばんよい方法だと考えている。運動も、自由にできる。

 そのハナが、昨夜、いつもになくクンクンと鳴いた。「どうしたの?」と言って、犬小
屋まで行ってきると、犬小屋の中にまで、雨が降り込んでいた。

 犬小屋と言っても、4人用のテントの中に、置いてある。台風の影響か、この地方でも、
はげしい雨が、断続的に降っている。

 そのときのこと。

 私がハナの犬小屋をのぞきながら、「これでは、寝られないよね」とハナに声をかける
と、ハナは、私を誘導するようなしぐさをしてみせた。「ついてこい」という、いつもの、
あのしぐさである。

 ハナは、私を、家と家の間の軒先に連れていった。そこだけは、大屋根に二重におおわ
れている。雨が降り込むことは、めったにない。私には、「ここで寝たい」と言っている
ように思えた。

 さっそく、私はそこにブロックを並べ、板を敷き、座布団を置いてやった。臨時の犬小
屋である。その作業をしながら、「犬でも、いろいろ考えているんだな」と思った。

 そう、ハナはハナなりに、いろいろ考えている。

私「クンクンと鳴いたのは、何とかしてほしかったからだったんだね」
ワ「そうね。ちゃんと、理由があったのね」と。

 ハナが座布団の上で丸くなったのを見届けたとき、ハナに対する見方が、少し変わった
ように感じた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●グチ

+++++++++++++++++

あちこちへ電話をかけまくって、
自分のグチを話している人がいる。

一応、相手は、それなりの顔、つまり
同情したフリをして、その人の話を
聞く。

しかしフリは、フリ。

愚かな人には、それがわからない。

++++++++++++++++++

 英語の格言にも、こんなのが、ある。

Don't tell your problems to people: eighty percent don't care; and the other twenty 
percent are glad you have them.

 「あなたの問題を、人に言うな。80%は、あなたの問題など、気にしない。残りの20%は、
あなたにそういう問題があることを、喜んでいる」と。

 だからグチなど言わない。言ってもムダ。しかし愚かな人には、それがわからない。わからな
いばかりか、家族についてのグチすら、他人に話す。

 しかし他人は、そうしたグチを楽しむだけ。が、中には、わざわざそうした問題に、(さぐり)
を入れてくる人さえ、いる。『他人の不幸話ほど、おもしろいものはない』と言った人さえいえ
る。(この私ではないぞ。念のため!)

 私も、私の家族のことで、いろいろ問題があった。今も、ある。しかし私は、そうした問題を、
他人には、話さない。相談するにしても、しっかりと相手を選んで、する。が、中には、こちら
が頼みもしないのに、私のほうに(さぐり)を入れてくる人がいる。

 用もないのに電話をしてきて、こう言う。「浩司君、君の夢を見たから、電話をしてみたよ」
とか、何とか。あるいは過去に、一度とて連絡もとりあったこともない人から、突然、メールが
届いたりする。インギンブレイな内容だから、その意図は丸わかり!

 さらに中には、あろうことか、この私に説教までしてくる人がいる。本当に私たちのことを心
配しているから、そうしてくるのではない。(本人にとっては)、楽しいから、そうしてくる。
「ごちそうさま」と言いたいが、そういう気持ちは、相手には伝わらない。だから、そういう人
たちとは、容赦なく、縁を切る。

 で、若いころ、私があれこれモノを言うと、私にこう言った人がいた。「クチを出すくらいな
ら、だれにだってできる。クチを出すくらいなら、カネを出せ」と。

 どこか辛らつな言い方だが、家族の問題というのは、そういうもの。だから私も、相手の家族
の問題には、クチを出さない。それぞれの人は、それぞれの立場で、懸命にがんばっている。

んばって生きている。その懸命さが少しでもわかったら、そっとしておいてやるのも、私たちの
努めではないか。

 話が脱線したが、グチは、それを言えば言うほど、その人を見苦しくする。その前に、言って
もムダということ。まず、それを肝に銘じておく。

 なお、口(クチ)から出るゴミだから、グチのことを、口(クチ)に濁点をつけて、グチとい
う(?)。これははやし浩司説! ハハハ!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================







***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ     
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page018.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●エロ本

 昨日、子ども(小5)たちと、こんな会話をした。きっかけは、子どもたちが騒いだこと。そ
れで私は、こう言った。

 「ママの梅干しおっぱいを飲んでいる人は、騒いでいい!」と。

 ふつうは、それで教室は、シーンとなるはずだった。が、昨日は、ちがった。A君が、「ぼく
のママのは、干しぶどうだ」と。

私「干しぶどう?」
A「パパがそう言った」
私「そういうのもある」
A「どうして、先生は、そんなこと、知っているの?」

私「そんなことは常識だ」
A「先生も、エロ本を読んでいるんだア」
私「あのなあ、そういうものは、もう読み飽きた」
A「たくさん読んだということ」と。

 するとB君が会話に加わってきた。

B「この前、パパの書斎に入って、引き出しを見たら、エロビデオが、いっぱいあった」
私「……ということは、君のパパは、正常ってこと」
B「正常?」
私「そうだ。いいか、人間がなぜ生きているかといえば、第一の目的は、子孫存続のためだ。

というのは、そういうエロビデオを見ながら、勉強するんだ」

B「じゃあ、女の人は、どうなの? ママはエロビデオを見ないよ」
私「見ているよ。きっと。ときどき、パパといっしょにね」
B「フ〜ン、じゃあ、ママもエロビデオを見て、勉強しているんだ」
私「まあ、勉強といえるかどうかは知らないけれどね。それに近い」と。

 この時期、子どもたちは、急速に(性)について、関心をもち始める。思春期ともなれば、四
六時中、頭の中は、そのことでいっぱいといった状態になる。それは、恐ろしいほどの力で、子
ども自身の理性で、とてもコントロールできるようなものではない。

 だったら、逆に、(性)を、明るい日なたのほうへ、引き出してやることこそ、大切。私は、
いつもそう考えている。エロ本にせよ、エロビデオにせよ、そうしたものに、(薄汚い)印象を
もたせないほうがよい。(実際には、薄汚いが……。)

 ……といっても、おとなの私のほうから積極的に話すようなことでもない。あとは、子ども自
身が判断すればよい。

そのまま黙っていると、教室は、再び、シーンと静まりかえった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●聖職意識(ある事件)

++++++++++++++

学校の教師には、聖職意識があった。
牧師、僧侶と並んで、「学校の先生」
と。

しかしその聖職意識は崩れた。崩れた
だけではなく、今や、学校の教師が、
聖職意識をかなぐり捨てて、自ら、
こう叫び始めている。

「われわれだって、ふつうの人間だ」と。

++++++++++++++

 こんな記事が、最近、新聞に載っていた(07年7月)。どこかの県のどこかの学校で、起き
た事件である。そのクラス(小4)には、どうしようもない問題児(男児)が1人いた。授業中
も、席には座らなかった。大声を出したり、ものを投げつけたりして、遊んでいた。

 おそらくそれまでに、いろいろないきさつがあったのだろう。担任の教師(女性、35歳)は、
ある日、クラス全員に、その問題児についての作文を書かせた。問題児自身にも書かせた。
そし
てその作文を集めると、そのまま、その問題児の母親のところへもっていった。母親に読ませ
た。

 母親は、それを見て、激怒。「こうした個人攻撃は、許せない!」と。この記事を新聞で読ん
だ人も多いかと思う。

 で、こういう事件を見聞きすると、攻撃の矛先(ほこさき)は、まず教師に向けられる。(1)
クラス全員に作文を書かせたこと。(2)その作文を母親に見せたこと。こうした行為は、母親
が言うように、個人攻撃そのものにほかならない。もう少しわかりやすい言葉を使えば、「つる
しあげ」。

 もちろん、こうした個人は、あってはならない。それはそのとおりだが、だからといって、そ
の女性教師が全面的に悪いかといえば、そうとも言えない。私にも似たような経験がある。

 ずいぶんと以前のことだが、私の教室にも、かなりの問題児がいた。最初から「勉強しよう」
などという意識は、みじんもなかった。「遊ぶ」というよりは、「破壊」するのが目的。そんな
感じの子ども(小4)だった。

 かなり頭のよい子どもだった。このタイプの子どもは、巧みなウソをつく。「ぼくのママが、
林は、どうせ、くだらない男だからと言っていた」「ぼくのママが、こんな教室、来月でやめろ
と言っていた」「ここは、レベルの低い教室だとママが、言っていた」などなど。

 教える側としては、こうした言葉に敏感に反応する。中学生や高校生だと、その子ども自身を
見ながら、教師は教壇に立つ。しかし小学生や幼児のばあいには、いつも子どもの向こうに、

を見ながら、教壇に立つ。

 こうしてその子どもは、私の母親に対する印象を悪くする。少なくとも、私が若いときは、そ
ういう印象をもった。「何だ、あの親は、オモテでは、協力的なフリをしながら、ウラでは、そ
んなことを言っているのか」と。

 しかし今は、ちがう。子どものウソを、見抜けるようになった。それに「?」と思ったら、す
ぐ電話をかけて、確かめることにしている。

 が、一方、このタイプの子どもは、家では、これまた別のウソをつく。「あの林は、ぼくだけ
仲間ハズレにする」「わからないところを教えてくれない」「ママのことを、おかしな親だと言
っていた」などなど。

 子どもはウソをつかないというのは、とんでもない誤解である。この時期のこの子どもは、ウ
ソのかたまりと言っても過言ではない。ウソを言うことで、おとなの世界を誘導しようとする。
快感とする。反抗期前夜によく見られる、子どもの心理のひとつである。

 こうしてその子どもは、私と母親の間を、そのつど離反させようとした。

 で、今回、どこかの県の、どこかの学校で起きた事件を振りかえってみる。こうした事件を考
えるときは、決して表面的な(できごと)だけを見て判断していはいけない。そこにいたるプロ
セスというものがある。とくに教育現場というのは、子どもの世界とは言いながらも、人間対人
間の関係で成り立っている。

 いくら相手が小学4年生でも、カチンとくるときには、くる。相手は子どもとわかっていても、
ふと油断すると、ドロドロとしたウズに巻きこまれてしまう。いわんや、毎日、毎日、学級を破
壊するような行為がつづいたら、たまらない。教師は、ものを教えることができて、はじめて教
師である。

 それが思うようにできなくなったとたん、教師は、ジレンマに陥る。ふつうのジレンマではな
い。へたをすれば、そのジレンマは、そのまま自己否定へとつながる。もっと言えば、廃業すべ
きかどうか、そこまで悩む。追いこまれる。

 そこでおそらくその女性教師は、その問題児の母親に、何度もコンタクトを試みたにちがいな
い。が、そういう親にかぎって、非協力的。いや、その母親がそうであったというのではないが、
それゆえにその母親の子どもがそういう子どもになったということは、じゅうぶん、考えられる。

 それに先にも書いたように、母親は母親で、その教師に対して、悪い印象をもっていたかもし
れない。私も同じような立場に立たされたことは、何度かある。しかし電話で相談しようとして
も、たいてい、その場で、はねのけられてしまう。「うちでは、ふつうです」「問題はありませ
ん」と。

 さらには、こんなことを私に言った母親もいた。「あなたは、だまって、うちの子の勉強だけ
をみていてくれればいい」と。(心の問題)は、「あなたの管轄ではない」と。

 たぶん、冒頭に書いた記事を新聞で読んだ人は、「先生が悪い」と思ったにちがいない。ふつ
うに記事だけを読めば、そうなる。

しかし私は、ちがう。ちがうということを言いたかったため、このエッセーを書いた。その女
性教師のした行為は、たしかにおとなげない行為であった。それは認める。しかしそういう行
為をせざるをえなかったところまで、追いつめられたその女性教師の気持ちも、私は理解でき
る。その女性教師の悲鳴のようなものさえ、私は感ずる。

教師だって、ふつうの人間である。私やあなたと同じ、ふつうの人間である。ふつうの人間で
あることが悪いと言っているのではない。「先生だから……」という理由だけで、一方的に先
生だけを責めるのも、私はどうかと思う。もしそれがわからなければ、あなた自身を、その教
室の中に置いてものを考えてみたらよい。

 はたして、読者のみなさんは、どうだろうか?

【補記】

 教育は、親と教師の信頼関係の上に成り立つ。もしその信頼関係がなければ、教育そのも
のが
成り立たない。その時点で、教育は崩壊する。

 しかしその信頼関係は、教師の側だけがつくるものではない。当然、親の側も、それなりの努
力をしなければならない。その努力を怠っておきながら、「学校が悪い」「教師が悪い」はない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親像に苦しむ親たち

++++++++++++

自分の中に、自然な形での
親像がインプットされていない
親は多い。

不幸にして不幸な家庭環境で
育てられた親たちである。

何度も書くが、子育ては、
本能ではなく、学習によって
できるようになる。

自分が親に育てられたという
経験が、自分の体の中に
しみこんでいてはじめて、
親は、親として、子どもを
自然な形で育てることができる。

++++++++++++

【親像】

●子どもの親像を知る

子どもに母性や父性が育つとき

●ぬいぐるみでわかる母性 

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわか
る。しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。

父性や母性(父性と母性を区別するのも、おかしなことだが……)が育っている子ども
は、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、
ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方も
ぎこちない。

中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児
の約八〇%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうち約半数が「大好き」と答え
ている。

●男児もぬいぐるみで遊ぶ

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオー
ストラリアに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。

つまり子どものときから、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物
を通して、心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てるこ
とによって、父性や母性を学ぶ。

そんなわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬や
ネコが代表的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐる
みを与える。やわらかい素材でできた、温もりのあるものがよい。

●悪しき日本の偏見
 
日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこ
れは偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり
男の子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。

男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただし
ここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダ
ムとかいうのは、ここでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、
これも偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人
形。

弓矢をもった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃を
もった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさ
がわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、
女は家事」という、あの日本独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。

●ぬいぐるみで育つ母性と父性

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、も
のの考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱か
せてみればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せた
だけで、スーッと頬を寄せてくる。

こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言いかえると、
この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があっ
てはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、ど
うも心配だ」と思っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと
遊びながら、子どもは親になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親像
 
ぬいぐるみ 人形)

+++++++++++++++

【親が子育てができなくなるとき】
 
●親像のない親たち
 
「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。
「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴
えた父親もいた。あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという
気力そのものがない母親すらいた。

また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な
家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆ
る「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん
頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、ス
イッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九八年の夏、一度妊娠し
たことがある。

が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子
育てができるかどうか」(新聞報道)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では
子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の
子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」とい
う体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、
何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。

……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団
体から、猛烈な抗議が殺到する。先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高
い」というような記事を書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。

「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子
どもは幸せな結婚はできないのか」など。

「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、
離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、
それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのこ
とを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実
として、冷静に見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決した
とみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分
は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。

たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」
をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたて
て、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作
品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。
もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っている
なら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せて
おかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子
育てができるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭
の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする
上での、一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)
●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」
そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そ
のアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。

これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、
ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習
をしたからだと説明されている(報道)。

しかしどうもそうではないようだ。アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人
工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。
アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。そ
れが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたり
しない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「とき
どきある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べ
た。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、
三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。

この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているの
がわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自
分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうか
がえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万
七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五
三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実
母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二
五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・
三%となっている。

++++++++++++++

 群馬県に住んでいるMさん(母親)から、こんなメールが届いた。Mさんも、自分自身の中に
親像がインプットされていない(?)ことに悩んでいる。

 しかしMさん、心配は、無用! この問題だけは、それに気づくだけも、ほとんどが解決した
とみる。あとは、時間が解決してくれる。がんばれ、Mさん!

【Mさんより、はやし浩司へ】

 先日は、お忙しい中、早速お返事を頂 ありがとうございました。

 ご相談させていただいた後も、はやし先生のHPを色々拝見させていただいております
が、先生のおっしゃるとおり もっと重大な問題を抱えておられる方々がおられることが
わかりました。

 今の次男の状態が、どの程度のものなのかが、わからずとても不安でしたので、少し気
持ちが落ち着きました。

 以前から、「子供はほめて育てなさい」とは聞いていましたが、私は確固たる理論や理
屈なくほめているだけでよいのか? 強く言って聞かせる必要もあるのでは?、と考えて
いました。

 何故、そのように考えるのかよくよく考えてみました。

 1.母、父、叔母等から「昔は厳しかった」「厳しく言わないと子供は まあいいや に
なるのではないか」と言うような話を聞いた。

 2.私自身 頭から叱れることが多かった

 3.世の中 軟弱な人が多い

1と2について 私の親たちが家庭人としてすばらしい人たちだったかと言うと、答えは
NOです。

3 について本当にそうなのか不明。勝手になんとなくそう思っている。

 以前、兄のことをずっと相談していた人に、「あなたは子供たちをあなたの親と同じよ
うに育ててはいけません。母親はどっしりと、おおらかで、細事にこだわってはいけませ
ん。」と言われていました。

 私は子供たちに対してどのように接してきたのか振り返ってみました。

 仕事や兄のことで時間がとられ、常に目の前にあるものを何とかすべく走り回り、時間
が足りないことにイライラする事が度々ありました。

 イライラしている時に子供たちが自分の思った様子で無ければ、突き刺さるような(主
人がそう感じたそうです)叱り方をしていました。

 ぐずぐずしている時には突き放し、条件をつけて(私の目から見て)良い生活をさせよ
うとし、脅迫するように諭すこともありました。
 
 こうして考えると、してはならないことを度々してきたようです。

 わたしは、両親のような子育てはしないぞ と思ってきました。

 主人はとても良く相談に乗ってくれる人なので、主人との関係がよければ子供たちに大
きな問題は無いだろう。と思っていました。

 しかし、私はやはり両親と同じような事をしてきていたようです。

 今回の次男のことは、私に考える時間を与えてくれたのだと考えております。

 まだまだ、吹っ切れない部分もあるので、色々悩む事もあると思いますが、主人と相談
しながら自分のことをもっと反省していきたいと思います。

 マガジンでこのような問題を取り上げていただけるとの事 参考にさせていただきます。

 文章力がないため、長くなってしまい申し訳ありません。
 今後も宜しくご指導お願いいたします。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月10日)

●新しいパソコン

++++++++++++++

どういうわけか、またまた
新しいパソコンを買うハメになった。

いろいろいきさつはあるが、
そういうことになった。

つまり私の家では、昔から、まず私が
最新型のパソコンを買う。

それを少し使ったあと、私は
それを息子たちに、順に払い下げて
いく。

最終的には、ワイフのところまで
それがいく。

で、ワイフのパソコンが、このところ、
おかしくなった。ついで、長男の
パソコンがおかしくなった。

私だけが最新型のパソコンを使うというのも、
どこか気が引ける。

それでまたまた買うことに……。

もちろんビスタ搭載の、デュアルコア!

そのパソコンが、明日、届く!

++++++++++++++

 我が家には、パソコンが、家じゅう、ゴロゴロしている。私の書斎だけでも、デスクトップが
4台。廊下に、ノートが3台。居間におりると、デスクトップが1台とノートが1台。

 「処分すればいい」と、だれしも思うだろう。しかし私には、それができない。どういうわけ
か、できない。それぞれに、それぞれの仕事をさせていることもある。が、それ以上に、パソコ
ンというのは、私にとっては、息子のようなもの。愛着がある。その愛着がしみついている。

 が、パソコンの世界というのは、日進月歩。ある雑誌には、こう書いてあった。「98、Me
を使っている人は、そのパソコンをすぐ捨てろ!」と。

 今、「ボット」と呼ばれる、新種のスパイウェアが、猛威をふるっている。パソコンをインタ
ーネットにつなぐだけで、感染するというスパイウェアである。わずか10分程度インターネッ
トにつないだだけで、1000種類以上のボットが感染したという報告すらある(パソコン雑誌)。

 そんなわけで、今では、ルータ設置は常識。しかしウィルス対策ソフトが万全かというと、こ
とボットに関しては、そうでもないらしい。現在、40万種類以上ものボットが確認されている
という。日々に、何百種類もの新種が、生まれているという。ここでいう1000種類以上のボ
ットというのは、そういったウィルス対策ソフトですら、くぐりぬけたボットということになる。

 そのボットは、私たちのパソコンの内部に深く、静かに潜み、まるでロボットのように、遠く
から遠隔操作される!

 ……というわけで、Xpでも、あぶない。ビスタでも、あぶない。が、98や、Meでは、ま
るで丘の上に、丸裸で立たされるようなもの。だから「98、Meを使っている人は、そのパソ
コンをすぐ捨てろ!」となる。

 で、古いパソコンのOSを、ビスタに取りかえるという方法もないわけではないが、実際には、
不可能。ビスタの要求レベルは、かなり高い。エアロにしても、かなりのグラフィックボードを
搭載していないと、作動しない。

 ……というわけで、しかたないので、もう1台。つまりこうして私の家では、毎年、2〜3台
の割で、パソコンがふえていく。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ビスタの不調

+++++++++++++++

昨夜、USBポートを、
増設した。

その必要はなかった。が、した。

しかしこれが失敗のもと。

今朝、パソコンをスリープさせよう
としたが、すぐ再起動がかかって
しまう。

シャットダウンしても、再起動が
かかってしまう。
つまり電源が落とせなくなった。

そのため悪戦苦闘すること、
2時間。

メーカーへの連絡、OSの最新版の
ダウンロードなどなど。

結局、原因は、昨夜取りつけた
USBポートとわかった。

それを取り外したら、パソコンは、
再び、順調に動き出した。

ワイフとパソコンとかけて、何と説く。

「さわらぬ神にたたりなし」

その心は?

「へたにいじると、おかしくなる」。

+++++++++++++++

●脳みその活性化

 私にとってパソコンとは、頭の健康器具のようなもの。ああでもない、こうでもないと悪戦苦
闘しているときが、いちばん、楽しい。まさに知恵比べ。パソコン相手に、将棋をさしているよ
うなもの。その緊張感が、何とも言えない。

 で、今朝も、またまた、やってしまった。必要もないのにあちこちをいじり、動きをおかしく
してしまった。原因は、昨夜取りつけた、USBポート。

 現在、USBポートは、6個ついている。それにさらに4ポート追加した。が、これがいけな
かった。わかりやすく言えば、電源が切れなくなってしまった。

 そこでメーカーに電話すると、「最新版のOSをダウンロードしてください」とのこと。言わ
れるままダウンロードしたが、600MBもあるような大きなデータ。ダウンロードするだけで、
40分! それからあれこれ、なんだかんだで、1時間。結局、原因は、昨夜取りつけたUSB
ポートとわかった。

 それを取り外したら、パソコンは、また順調に動き出した。メデタシ、メデタシ!

 教訓……それなりに順調に動いているなら、パソコンは、へたに、いじってはいけない。しか
し……増設USBの製品パッケージには、「ビスタ対応」とちゃんと書いてある。こういう表示
は、ことビスタに関しては、あまりあてにならない。みなさんも、ご注意のほどを!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小ズルイ人

++++++++++++++

一事が万事。
ひとつのことで小ズルイ人は、
ほかのあらゆる面でも、小ズルイと
考えてよい。

人間の脳みそは、それほど器用に
はできていない。

もっとも若いときは、
場面に応じて、自分を使い分ける
ことができる。

それなりの場所では、
それなりに、自分の小ズルサを
抑えることができる。

しかし歳をとると、そうはいかない。
ごまかしがきかなくなる。

自分の中身が、モロに外に
出てきてしまう。

それがこわい。まさに一事が万事。

大切なことは、歳をとる前に、
いかにして自分を確立するかということ。

その努力を怠ると、みじめで、あわれな
老後を送ることになる。

++++++++++++++

●一事が万事

 たとえば……。この熱い中、運転席の横の窓をあけて走っている車を、ときどき見かける。外
の空気を取り入れるために、そうしているのではない。たいていは、(ほぼ例外なく)、自分が
吸っているタバコの灰を、窓の外に捨てるために、である。

 そういうことが平気でできる人というのは、そういう人だと見てよい。まさに一事が万事。ひ
とつの場面で小ズルイ人は、ほかのあらゆる場面で、小ズルイ。人間の脳みそは、それほど
器用
にはできていない。

 場面ごとに、まじめになったり、場面ごとに小ズルくなったりなどということは、できない。
もっとも若いときは、(気力)がそれをカバーする。その(気力)で自分をごまかすことができ
る。

 しかし歳をとると、そうはいかない。(気力)そのものが、弱くなる。そしてそのため、自分
の中身が、モロに外に出てきてしまう。実は、これがこわい。

 そこで窓の外にタバコの灰を捨てている人を、よく観察してみるとよい。高級車であるとか、
そうでないとかいうことは、関係ない。若い人であるとか年配の人であるとか、そういうことも
関係ない。どの人も、例外なく、見るからに醜悪な顔をしている。

 そこで私たちはひとつの教訓を手に入れる。

 私たちの人格は、日々の、ほんのささいなことの積み重ねによって、できていくということ。
それが月となり、年となり、それが10年、20年とつづき、その人の人格となっていく。

 方法は簡単。ウソをつかない。約束(ルール)を守る。この2つだけを、心がければよい。人
が見ているとか、見ていないとか、そんなことを意識する必要はない。これは自分自身に対す

問題である。つまりは、己(おのれ)の問題。

●小ズルイ人とは、つきあわない

 ところで、最近、私は、つきあう人の選択を始めている。話せば長くなるが、私はもともと、
小ズルイ人間(子ども)であった。

 すべてをあの時代、つまり戦後のあの貧しい時代のせいにするわけいにはいかない。が、そ

いう生まれ育った環境もある。

 その小ズルさに気づいたのは、私がオーストラリアに渡ってからのこと。それまでの私は、自
分が小ズルイということさえ、わからなかった。それは私の体にしみついた、シミのようなもの。
私は私で、それがふつうだと思っていた。みなも、そうだと思っていた。

 しかし私は、誠実な友人に恵まれた。それがよかった。が、それはそれとして、だからといっ
て、自分の中から、小ズルさが消えたわけではない。今でも、私は基本的には、小ズルイ人間

ある。ふと油断したようなとき、その小ズルサが、表に出てくるときがある。

 とくに、小ズルイ人間を前にしたとき、そうである。

 というか、もともと私はそういう人間だから、自分に照らし合わせることによって、相手の小
ズルさが、よくわかる。「ああ、小ズルイことをしているな」と。だから私には、小細工(こざ
いく)は通用しない。

 が、同時に、ここでおかしな現象が起きる。

 そういう小ズルイ人とつきあっていると、自分の中の小ズルさが、そのまま外に出てきてしま
う。「目には目を……」というわけでもないが、相手が小ズルイ人間とわかったとたん、あるい
は小ズルイことをされたとたん、そういう人に対して、私は小ズルイことをしてしまう。良心の
呵責(かしゃく)というか、抵抗を、ほとんど感じない。

 だから私は、最近、私は、つきあう人の選択を始めている。(本当は、相手から選択されてい
るのかもしれないが……。)とくに、小ズルイ人とは、距離をおくようにしている。それが親類
であれ、古い友人であれ、そうしている。

 その人たちが悪いというより、そういう人たちに感化されてしまう自分がこわい。

●子どもに評価される親

 子育てにおいても、また、然(しか)り。

 当然のことながら、あなたは子育てしながら、あなたは自分の子どもに、誠実になってほしい
と願っている。心豊かな人生を、まっすぐ進んでほしいと願っている。もしそうなら、その前に、
あなた自身が、そうでなければならない。親が小ズルイ人間であって、どうして子どもに向かっ
て、「そうであってはいけない」と諭(さと)すことができるというのか。

 そのためにも、一事が万事。その一事が万事を、今に生かしていく。わかりやすく言えば、身
の回りのどんなささいなことについても、まず、約束(ルール)を守る。ウソをつかない。そう
した積み重ねが、長い年月を経て、あなたの人格となり、その人格は、確実に、あなたの子へ

伝わっていく。

 しかしこれはあなたの子どものためというよりは、あなた自身のためでもある。

 あなたもいつか、親としてではなく、一人の人間として、子どもに評価されるときがやってく
る。

 そのとき、あなたがその評価に耐えうるような人間であれば、それでよし。そうでなければ、
先にも書いたように、あなたの老後は、みじめで、あわれなものになる。何が悲しいかと言っ
て、
子どもに軽蔑されることぐらい、悲しいことはない。それ自体が、人生の結論といってもよい。

 が、それだけではない。

●時そのものが、金

 人はなぜ生きるかといえば、一歩でも、真・善・美に近づくためである。ほかにもいろいろ考
えられるだろうが、究極的には、この3つに集約される。が、そのための時間は、あまりにも短
い。

 加齢とともに、「時間性」(ハイデッガー)は、ますます拡散される。若いときの1年と、5
0歳を過ぎてからの1年は、明らかにちがう。わかりやすく言えば、50歳を過ぎると、1年は、
あっという間に過ぎ去っていく。

 たとえば今日にしても、2007年の7月10日。1年の半分以上が過ぎた。「つい先日、正
月を祝ったばかり」と思っているのに、もう半分以上が過ぎた? つまりそういった感じで、時
が流れていく。

 だからこそ、回り道をしているヒマなど、ない。しかも真・善・美などというものは、簡単に
は近づけない。へたをすれば、かえって遠ざかってしまうことすらある。『時は金なり』とは言
うが、私の年代になると、『時そのものが、金』なのだ。

 そんなわけで、さあ、あなたも勇気を出して、自分の小ズルさと闘おう。あなたの周囲から、
小ズルイ人を、遠ざけよう。

 そうすることが、あなたの人生を、心豊かに生きるための、第1歩と考えてよい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒     
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   8月 3日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page017.html

●まぐまぐプレミアの購読料は、月額300円です。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て狂騒曲】

●イチャモン保護者(?)

++++++++++++++++

学校に、無理難題をふっかけてきては、
学校の教師を困らす親がふえている。

称して「イチャモン保護者」。
「モンスター保護者」という新語も
生まれた。

しかしこの種の保護者は、昔もいた。
ただ当時は、数も少なかったし、
(学校)という権威が、まだそれを
抑えこむ力をもっていた。

今は、それがなくなった。

私自身も数多く経験している。

++++++++++++++++

●先生の訴訟費用保険加入が急増(産経新聞)

今朝(7月10日)の産経新聞は、つぎのように伝える。

『学校に対する保護者の理不尽な要求が問題となるなか、仕事に関するトラブルで訴え
られた場合に弁護士費用などを補償する、「訴訟費用保険」に加入する教職員が急増し
ている。

東京ではすでに公立校の教職員の3分の1を超す2万1800人が加入した。いつ保護
者に訴訟を起こされるか分からないとおびえる教師たちの姿が浮かぶ。

 公務員の訴訟費用保険は、職務に関連した行為が原因で法的トラブルに巻き込まれた際、
弁護士費用や損害賠償金などを補償する保険。東京では都福利厚生事業団が窓口となり
平成12年から都職員の加入を募集。保険料は月700円だ。

 事業団によると、加入者は教職員が突出して多く、3月現在で全体の約7割を占める2
万1800人。導入した12年当時は全体の2割の1300人だったが、口コミで急速
に広まったようだという。同タイプの保険を扱う大手損害保険会社でも、個人で加入す
る教職員が全国的に目立っているという』と。

 少し前、帰校途中で、けがをした子どもについてのエッセーを書いた。これらの話は、
私が当事者である学校の先生から、直接聞いた話をもとにして書いたものである。

++++++++++++++

●トラブル・メーカー

 ある県のある小学校に、「キング・トラブル・メーカー」と呼ばれる母親がいる。現在は、長
男の時代から、その小学校に、もう8年もいるという。その妹が、今年、5年生になった。

 その母親は、ささいなことでからんで、学校へ怒鳴りこんでくるという。40歳を過ぎたベテ
ラン教師(男性)ですら、その母親から電話がかかってくると、顔が青ざめてしまうという。

 とにかく、しつこい、ということらしい。

 あるとき、担任の教師が、その妹の頭を、プリントを丸めてたたいた。たたいたというより、
トントンとたたいたというほうが正しい。

 が、その3日後のこと。その母親がいきなり、校長室へ飛び込んできた。そして、「(担任の)
○○を呼んでこい!」と。

 校長が「どうしましたか」と聞くと、「うちの子をたたいたそうだが、許せない。うちの子に
なんてことをするのだ!」と。

 あわててやってきた担任には、その意識がない。たたいたという意識がないから、覚えていな
い。そこで「たたいた覚えはありません」と答えると、「相手が子どもだと思って、いいかげん
なことを言うな!」「うちの子(娘)は、私には、ウソをつかない!」と。

 そうして1時間ほど、ねばったという。

 で、こういうことが、1、2か月おき。あるいは3、4か月おきにつづいた。電話を受け取っ
ただけで、顔が青ざめるようになるのは、当然である。

 その男性教師(40歳)から、「そういうときは、どうしたらいいでしょうか?」と。

 私の経験では、(1)こちら側からは、いっさい、アクションをしない。その場だけのことで
すまして、あとは、ただひたすら無視するのがよいと思う。そう返事を書いた。

 何かアクションを起こすと、それがとんでもない方向の飛び火することがある。そしてときと
して、収拾がつかなくなってしまう。

 メールの内容からして、相手の母親は、まともではない。このタイプの母親は、全体の5%は
いるとみる。育児ノイローゼ、過関心、過保護、過干渉。その母親自身が、どこかに心の病気

もっていることもある。あるいは、アルツハイマーの初期の、そのまた初期症状というのもあ
る。

 異常なまでの自己中心性、傲慢、強引などなど。妄想性も強く、対処のし方をまちがえると、
烈火のごとく怒りだす。詳しくは書けないが、私も若いころ、そのタイプの母親に、さんざんい
びられた。当時は、そのため、母親恐怖症にさえなってしまった。「お母さん」と相手を呼んだ
とたん、ツンとした緊張感が、背中を走ったのを覚えている。

 しかしここに書いた鉄則を守るようになってから、トラブルは、ほとんどなくなった。要する
に、その場だけ相手にして、あとは、忘れる。この世界には、『負けるが勝ち』という、大原則
がある。意地を張ったり、反論しても、意味がない。まず、頭をさげて、「すみませんでした」
と言えばよい。あちこちで問題にすると、かえってこじれてしまう。

 ささいな言葉尻をつかまえて、「言った」「言わない」の、大騒動になることもある。だから、
無視。ただひたすら、無視。あとは、時間が解決してくれるのを待つ。

 で、その母親は、校長室で、「隣の席にすわっている女の子を呼んでこい」と息巻いたという。
「その子どもが、証人になってくれる」と。

 校長が「そこまでは、できません。相手の子どもにショックを与えることになりますから」「こ
れからは気をつけますから、許してください」と、再三再四、頭をさげたという。

 こういうトラブルは、学校という世界では、まさに日常茶飯事。しかし一番の犠牲者は、その
母親の子どもということになる。

 そのメールをくれた教師は、こう書いている。

「その子が、たたかれたとウソを言ったのは、宿題をやっていなかったからです。それで学校へ
行きたくないと言った。が、母親には、それを言うことができなかった。それで、その子は、母
親に、ウソを言ったのだと思います。ああいう母親ですから、子どもも、ウソをつくしかなかっ
たのですね」と。
 
 あなた周囲にも、1人や2人、必ず、このタイプの母親がいるはず。つきあうにしても、じゅ
うぶん注意したほうがよい。とくに、口がうまく、ヘラヘラと、どこか不自然なほどまでに、親
しげに近寄ってくる母親には要注意。これは、ある幼稚園の理事長がこっそりと私に話してくれ
たことである。 

(付記)

 それでもトラブルが起きてしまったら……。学校での活動は、必要最小限にして、学校そのも
のから遠ざかること。

 時間には、不思議な力がある。その時間が解決してくれる。

 またこうしたトラブル・メーカーは、あなたに対してだけではなく、別のところでも、トラブ
ルを起こすようになる。あとの判断は、周囲の人たちに任せればよい。性急に、自分の正しさ

主張したりすると、かえって問題が、こじれる。

 ほかの世界でのことなら、ともかくも、間に子どもがいることを、決して忘れてはならない。


++++++++++++++++

●親とのトラブル

++++++++++++++++

ある学校の先生が、親とのトラブル
で、悩んでいる。

トラブルといっても、その先生には
身に覚えのないトラブル。

教育現場は、私たちが思っているほ
ど、美しいものではない。

そこには、ありとあらゆる人間の欲
望が、ウズを巻いている。ホント!

++++++++++++++++

 昨夜、ある学校の先生(小学5年担任、女性)と、話す。電話で話す。いろいろと悩みは、尽
きないようだ。今、こんなことで、悩んでいるという。

 「ちょうど半年前のこと、何かのことで、その母親は、私に、『あなたは、それでも先生です
かア!』と言いました。数日おきに学校へ電話をしてきて、あれこれと言うのです。

 いわゆる教育ノイローゼというのですね。ささいな問題を取りあげては、ああでもない、こう
でもない、と。一方的にペラペラとしゃべるだけ。こちらの話など、何も聞かないのです。それ
である日、私のほうがキレてしまい、何かあれば、直接学校のほうへ、おいでくださいませんか
と言ったのです。

 それに対して、その母親は、私に、『あなたは、それでも先生ですかア!』と。

 この世界にも、口に出していい言葉と、そうでない言葉があります。その母親は、口に出して
はいけない言葉を言ったのですね。それからは、私のほうも、心して、一線を引くようになりま
した。

 が、その母親のほうは、それからことあるごとに、私の悪口を言い始めました。そこで先生
(=
私)からのアドバイスにしたがい、ひたすら無視することにしました。やがてその母親は、先生
(=私)が言ったように、ほかの父母たちからも、孤立するようになりました。

 ところが、です。先日、また突然、電話がかかってきました。うちの学校では、自宅の電話番
号は教えないようにしているのですが、自宅へ、かかってきました。電話を受けた娘の話では、
泣き声だったそうです。そして、『先生、うちの子がいじめられている。何とかしてほしい』と。

 たまたまその日は、今度の研修会の準備やらで、帰宅が10時近くになっていました。娘から
そういう電話があったことは聞きましたが、10時も過ぎていたということで、その日は電話を
しませんでした。

 翌朝、一番に電話をしてみましたが、留守でした。しかたないので、そのまま学校へ出勤。

 ところが昼近くになって、教頭から突然の呼びだし。あわてて校長室へ行ってみると、その母
親が、ものすごい剣幕で、そこにいました。驚いて、『どうしたのですか?』と聞くと、その母
親は、私を無視し、教頭に向って、こう怒鳴りました。『こんな教師は、即刻、辞めさせてくだ
さい!』と。

 いろいろな親がいますが、実際には、こういう親も多いです。そしてこういう親にからまれる
と、神経がもちません。こういうときは、どうしたらいいのでしょうか?」と。

 ちょうど半年前、私がその先生にしたアドバイスは、つぎのようなものだった。

 まともでない親(失礼!)にからまれたときは、ひたすら無視する。ていねいに頭をさげて、
「すみません」とだけ言って、逃げる。こちらが反応すればするほど、相手は勢いづく。私の恩
師(元幼稚園理事長)は、かつて、こう教えてくれた。

「林さん、そういうときは、『私がいたりませんでした。どうか許してください。これからも
何かと、いたらない点があるかもしれませんが、そのときは、よろしくご指導ください』と言
って、頭をさげなさい。決して、親を怒らせてはいけませんよ」と。

そしてあとは時間が過ぎるのを待つ。時間が過ぎれば、やがてだれの目から見ても、その親
は、
まともでないことがわかる。つまり孤立する。

 私は子どものころ、よくかんかをした。気が小さいくせに、そういうときになると、どういう
わけか、肝(きも)っ玉がすわってしまう。が、年下のものや、女子とは、したことがない。だ
から、今でも、けんかは、じょうず。攻め際(ぎわ)と、引き際を、よく心得ている。攻めるだ
けでは、けんかには、勝てない。引くときは引く。そして相手を孤立させる。そうして最終的に、
勝つ。

で、こういう親とのトラブルは、学校というワクに中で起きたときには、ただひたすら頭をさ
げて、逃げるのがよい。学習塾やおけいこ塾なら、親にやめてもらうこともできる。親のほう
も、やめることができる。しかし学校という場では、それができない。

 その先生は、精神的にかなり疲れているようだった。ときどき、「もう教師なんか、やめたい」
というようなことまで、言った。

 そして最後のアドバイスは、前回と同じ。私は、こう言った。

 「どこの世界にも、そういう人はいますよ。道理や理屈の通らない人たちです。育児ノイロー
ゼ、教育ノイローゼの人となると、ゴマンといます。ノイローゼそのものについての相談という
ことであれば、話は別です。さらに40歳もすぎると、アルツハイマー型認知症の初期の、その
また初期症状の親が出てきます。がんこで、自分勝手。それに被害妄想をもちやすくなりま
す。
そういう人にからまれたときの鉄則は、ただ一つ。『ただひたすら頭をさげ、あとは時間が過ぎ
るのを待つ』です。

 こわいのは、そういう事例が、いくつか重なったときです。先生自身の耐久性もあるでしょう
が、3つとか4つとか、重なったときです。さらにそういう親どうしが連携(れんけい)したと
きです。

 そうなると、もう、教育どころでは、なくなってしまいます。(私立)幼稚園でも、そのため、
先生が退職に追いこまれたり、あるいは、神経を病んでしまうことがあります。どこの幼稚園に
も、1人や2人、精神科か心療内科の世話になっている先生がいます。長期休職している先生
も、
います。事情は学校も同じでしょうが、学校のばあい、まだ転校という方法がありますが、幼稚
園では、それもままなりません。だから退職ということになってしまうのです」と。

 ついでながら、その母親の子ども(小5、女児)は、学校では、いつもオドオドとしていて、
元気がないという。そのため、学校では、友だちの輪の中に入っていくことができず、結果とし
て、いじめを受けているように見えるのではないか、と。が、その原因はといえば、母親にある
と、その先生は言った。

 「多分、家の中でも、こまごまとしたことで、母親は、娘を叱ったり、説教したりしているの
でしょうね。ときどき電話で話す程度の私でさえ、気がヘンになりそうですから、毎日接してい
る子どもとなると、影響を受けて、当然です。

 これは学校や子どもの問題というよりは、母親自身の問題だと思うのですが……」と。

 そういう事例は、多い。いつか、「母因性萎縮児」について書いた。(その原稿は、このあと
に添付。)母親自身が、子どもの伸びる芽を、つんでしまう。そして子どもの問題点を見つけて
は、「学校が悪い」「先生が悪い」と騒ぐ。もちろんそういうケースもあるだろうが、しかしま
ず疑ってみるべきは、自分自身の育児姿勢ということになる。

 卑近な例だが、自分では、信号無視、駐車場では、駐車してはいけない場所で駐車。窓から

ミをポ捨てしておいて、「どうして、うちの子は、約束を守らないのでしょう」は、ない。

 ……まあ、こう書くからといって、決して先生の肩をもつわけではない。しかし、今、学校の
先生は、本当に忙しい。休み時間(空き時間)にしても、文科省の指導どおりなら、週1時間し
かない(公立の小学校)。学校に問題をもちこむとしても、そういうことを理解して上で、した
らよいのでは……。いらぬお節介かもしれないが……。
 
++++++++++++++

親が神経質になるのは、親の
勝手。しかしその影響は、
確実に子どもに現れる。

++++++++++++++

●母因性萎縮児

 小児科医院で受け付けをしている、知人の女性から、こんな話を聞いた。

 何でも、その子ども(現在は、中学男子)は、幼児のころから、ある病気で、その医院に通っ
ているという。そして、2週間ごとに、薬を受け取りにくるという。

 その子どもについて、その知人が、こんなことを話してくれた。

 「ひとりで病院へくるときは、結構、元気で、表情も、明るい。薬の数を確認したり、看護婦
さんたちと、あいさつをしたりする。冗談を言って、笑いあうこともある。

 しかしときどき、母親がその子どもといっしょに、来ることがある。そのときの子どもは、ま
るで別人のよう。

 玄関のドアを開けたときから、下を向いて、うなだれている。母親が何かを話しかけても、ほ
とんど返事をしない。

 そこで母親が、その子どもに向って、『ここに座っているのよ!』『診察券は、ちゃんと、出
したの!』『あの薬も、頼んでおいてね!』と。

 そのとたん、その子どもは、両手を前にさしだし、かがんだまま、うなだれてしまう。もちろ
んだれとも、会話をしない。

 あるとき先生(医師)が、見るに見かねて、その母親に、『子どものやりたいように、させて
あげなさい。そんなうるさいこと、言ってはだめです』と、諭(さと)したこともあるという。

 ああいう母親を見ていると、いったい、母親って何だろうと、そんなことまで考えてしまう」
と。

 こういう子どもを、母因性萎縮児という。教育の世界では、よく見られるタイプの子どもであ
る。

 子どもだけのときは、結構、活発で、ジャキシャキと行動する。しかし母親がそばにいると、
とたんに、萎縮してしまう。母親の視線だけを気にする。何かあるたびに、母親のほうばかり
を、
見る。あるいは反対に、うなだれてしまう。

 が、母親には、それがわからない。「どうして、うちの子は、ああなんでしょう。どうしたら
いいでしょう?」と相談してくる。

 私は、思わず、「あなたがいないほうがいいのです」と言いそうになる。しかし、それを言っ
たら、お・し・ま・い。

 原因は、言わずと知れた、過干渉、過関心。そしてそれを支える、子どもへの不信感。わだ

まり。愛情不足。

 いや、このタイプの母親ほど、「私は子どもを愛しています」と言う。しかし本当のところは、
自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。子どもを自分の支配下において、自分の
思い
どおりにしたいだけ。こういうのを、心理学の世界でも、「代償的過保護」という。

 今、この母因性萎縮児は、結構、多い。10〜15人に1人はいるのではないか。おかしなこ
とだが、母親自身が、子どもの成長を、はばんでしまっている。そしてここにも書いたように、
「うちの子は、ここが悪い。どうして……?」「うちの子は、あそこが悪い。どうして……?」
と、いつも、悩んでいる。

 そうこの話も、あのイランの笑い話に似ている(イラン映画「桜桃の味」より)。

 ある男が、病院へやってきて、ドクターにこう言った。「ドクター、私は腹を指で押さえると、
腹が痛い。頭を指で押さえると、頭が痛い。足を指で押さえると、足が痛い。私は、いったい、
どこが悪いのでしょうか?」と。

 するとそのドクターは、こう答えた。「あなたは、どこも悪くない。ただ指の骨が折れている
だけですよ」と。

 そう、子どもには、どこにも、問題はない。問題は、母親のほうにある。

 しかしこの問題は、私のほうから指摘するわけには、いかない。この文章を読んだ、あなた自
身が、自分で知るしかない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 母因
性萎縮児 母原性萎縮児)

++++++++++++++

私自身が経験したことにも、
こんな事件がある。

古い話なので、ここに紹介する。
(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++

●気になる新築の家のキズ

++++++++++++++

自分の子どものことで
神経質になる母親たち。

しかしそれも度を越すと……

++++++++++++++

 新築の家のキズは、気になる。私も少し前、ノートパソコンを通販で買ったが、そのパ
ソコンには、最初から一本のすりキズがついていた。それがそのとき、私は気になってし
かたがなかった。

子育てもそうだ。子どもが年少であればあるほど、親は子育てに神経質になる。「英語教
室の先生はアメリカ人だが、日系二世だ。ヘンな発音が身についてしまうのでは」「こっ
そりと参観に行ったら、一人で砂場で遊んでいた。いじめにあっているのでは」「授業中、
隣の子と話をしていた。集中力がないのでは」など。

それはわかるが、度を超すと、先生と親の信頼関係そのものを破壊する。いろいろなケ
ースがある。

 ある幼稚園の若い先生は、電話のベルが鳴るたびに、心臓が止まる思いをしていた。ま
た別のある幼稚園の園長は、一人の親からの小型の封筒の手紙が届くたびに、手を震わせ
ていた。こうした症状がこうじて、長期休暇をとっている先生や、精神科の医師の世話に
なっている先生は多い。どこの幼稚園にも一人や二人は、必ずいる。

 親から見れば、子どもを介しての1対1の関係かもしれないが、先生から見ると、30
名の生徒がいれば、1対30。1人や2人の苦情には対処できても、それが4人、5人と
もなると、そうはいかない。

しかも親の欲望には際限がない。できない子どもが、ふつうになったとしても、親は文
句を言う。自分自身に完ぺきさを求めるならまだしも、先生や教育に、完ぺきさを求め
る。そしてささいなことを大げさにしては、執拗に、先生を責めたてる。

ふだんは常識豊かな人でも、こと子どものこととなると、非常識になる人は多い。私も
いろいろな経験をした。私が5月の連休中、授業を休んだことについて、「よそのクラス
は月4回の指導を受けている。私のクラスは3回だ。補講せよ」と言ってきた父親(歯
科医師)がいた。私がそれを断わると、その親は、「お前を詐欺罪で訴えてやる。ワシは
顔が広い。お前の仕事をつぶすことぐらい、朝飯前だ」と。

また別の日。たまたま参観にきていた父親に、授業を手伝ってもらったことがある。し
かしあとで母親(妻)から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「よくもうちの主人に恥
をかかせてくれたわね! どうしてくれるの!」と。

ふつうの電話ではない。毎日、毎晩、しかもそれぞれの電話が、ネチネチと一時間以上
も続いた。この電話には、さすがに私の女房もネをあげた。電話のベルの音がするたび
に、女房はワナワナと体を震わせた。

 あなたが園や学校の先生に、あれこれ苦情を言いたい気持ちはよくわかる。不平や不満
もあるだろう。しかし新築の家のキズはキズとして、あきらめることはサッとあきらめる。
忘れることはサッと忘れる。子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、神経質な
過関心は、思い出を見苦しくする。あなた自身や子どもの健康にも、よくない。

よけいなことかもしれないが、子どもはキズだらけになってはじめて、たくましくなる。
キズつくことを恐れてはいけない。私のパソコンも、今ではキズだらけ。最初のころは
毎日、そのつどカバーをかけてしまっていたが、今では机の上に出しっぱなし。しかし
使い勝手はぐんとよくなった。子育ても、それと同じ。今、つくづくとそう思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
神経質になる親たち 神経質な親)


++++++++++++++

もちとん、子どもどうし、
親どうしのトラブルもある。

そんなときは、どう考えたら
よいのか。

++++++++++++++

●子どものトラブル解決法(1)

 子どもどうしのトラブルが、一定の限度を超えて、子どもの心に影響が出てくることが
ある。たとえば深刻なケースとしては、不登校(学校恐怖症)にまで発展することもある。
が、そこまではいかないにしても、相手の子どもの暴力や暴言、いじめなどが原因で、子
どもの心が変調をきたすことがある。ぐずったり、元気がなくなったり、反対に家で荒れ
たりする。

そういうトラブルがつづくと、当然のことながら親は、「学校に言うべきかどうか」で
悩む。ひとつのケースを、モデルに考えてみる。

【K君、小三男児のケース】

 K君は、スポーツも得意で、よくハメをはずすことはあるが、学校でも人気者で、性格
も明るかった。毎日そのため、いつも友だちの家で回り道をして帰ってきた。算数教室に
も通っていたが、一度、友だちの家に集合し、そこからみなといっしょに算数教室へ通っ
ていた。

 そのK君の様子がおかしくなったのは、秋も深くなった一一月のことだった。K君が「学
校はいやだ」「学校へ行きたくない」と言い出した。朝、起きてもぐずぐずしているだけ
で、したくすらしない。そこで父親が理由を聞くと、「M君(同級生)がいじめるからだ」
と。M君は、キレると別人のように暴れるタイプの子どもだった。父親はこう言った。

 「それまでは、回り道をして帰ってくるのがふつうだったKですが、このところまっす
ぐ家に帰ってきます。それがかえって不自然な感じがします。それに母親が『算数教室の
プリントをしたら』というと、突発的に興奮状態になって、暴れます」と。

 不登校が長期にわたることが多いのに、学校恐怖症がある。この恐怖症には、ある一定
の前兆現象があるのが知られている。K君のケースでも、朝起きたとき、ぐずる、不平、
不満が多くなるなどの症状がみられる。ほかの神経症による症状、たとえば腹痛、頭痛な
どの症状が今のところ見られないので、まだ初期の、初期症状と考えてよい。しかし様子
は慎重に判断しなければならない。この段階で、無理をして、子どもの心を見失うと、症
状は一挙に加速、悪化する。

 ここでは不登校を問題にしているのではない。ここでは、だれに、どのように相談し、
問題を解決したらよいかという問題を考える。当然、最終的には学校ということになるが、
その前にやるべきことは多い。(不登校については、別のところ読んでほしい。)

(1)家庭を心をいやすやすらぎの場と心得ること。外の世界で疲れた子どもを、温かく
しっかりと包み込むような雰囲気を大切にする。子どもの生活態度や生活習慣が乱
れ、だらしなくなることが多いが、それはそれとして、大目にみる。

(2)食事面で、Ca、Mgの多い食生活にこころがけ、子どもの心を落ちつかせること
を大切にする。そして家では子どもを、「あなたはよくやっている」というような
言い方をして、子どもの心を裏から支えるようにする。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どものトラブル解決法(2)

 子どもどうしのトラブルが、限界を超えたら、(どこが限界かを判断するのはむずかし
いが)、学校の先生に相談、ということになる。その相談について……。

 これはどんなばあいでもそうだが、自分の子どものことを先生に相談するときは、子ど
もの症状だけを、ていねいに訴えて、それですますこと。親が原因さがしをしたり、理由
づけをしてはいけない。いわんや相手の子どもの名前を出したり、先生を批判してはいけ
ない。あくまでも子どもの症状だけを訴えて、それですます。

判断や指導は、プロである先生に任す。それがわからなければ、たとえばあなたが病気
になったときのことを思い浮かべればよい。あなたはドクターに、自分の診断名や治療
法を話すだろうか。そんなことをしても、意味がない。ないばかりか、かえって、診断
や治療のさまたげになる。学校という社会では、先生は、まさに教育のドクター。が、
それだけではない。

 この種のトラブルは、たとえばあなたが相手の子どもの名前を口にしたりすると、問題
が思わぬ方向に、飛び火したりする。10人もいれば、1人はまともでない親がいる。そ
のうちさらに10人のうち1人は、頭のおかしい親(失礼!)がいる。そういう人をトラ
ブルの中に巻き込むと、それこそたいへんなことになる。現に今、私が知っている人の中
には、「言ったの、言わないの」が、こじれて、親どうしで裁判闘争している人さえいる。
こうなると、子どものトラブルではすまなくなる。

 私は、つぎのような格言を考えた。

●親どうしのつきあいは、如水淡交……親どうしのつきあいは、水のように淡(あわ)く、
サラサラとつきあうようにする。教師との関係もそうで、濃密だから、子どもに有利とか、
そういうふうに考えてはいけない。

●行為を責めても、友を責めるな……これはイギリスの格言だが、子どもが非行に走って
も、その行為を責めるにとどめ、友を責めてはいけない。「あの子と遊んではダメ」と子
どもに言うことは、子どもに「親をとるか、友をとるか」の択一を迫るようなもの。

あなたの子どもがあなたをとればよいが、友をとれば、同時にあなたと子どもの間には
大きなキレツが入ることになる。同じように、学校でのトラブルでも、仮に先生に問題
があっても、先生を責めてはいけない。症状だけを訴えて、あとの判断は先生に任す。
(もっともあなたが転校を覚悟しているのなら、話は別だが……。)

●子どもどうしのトラブルは、1に静観、2にがまん。3、4がなくて、5にほかの親に
相談……「ほかの親」というのは、同年齢もしくはやや年齢の大きい子どもをもつ親のこ
と。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありまたよ……」というような会話
で、大半の問題は解決する。学校の先生に相談するのは、そのあとということになる。

++++++++++++++

こうしたトラブルが起きる背景には、
「何でも学校」という、親側の
甘えがある。

こんな事件もあった。

++++++++++++++

【MTさんへ、はやし浩司より】

 私も、若いころ、あちこちで、ひどい目にあいました。おかげで少しは、利口になりました。
が、それが(現実)というか、(外国)なのですね。日本の常識は、どこかぬるま湯的。外国で
は、通用しません。

 少し前にも書きましたが、アメリカ人は、道に迷っても、ぜったい、見知らぬ人には道を聞き
ません。自分で地図を開いて、それとにらめっこをしながら、目的の場所をさがします。で、あ
るとき、私が、「どうしてそのあたりの人に聞かないのか?」と聞くと、そのアメリカ人は、こ
う教えてくれました。

 「相手の人がこわがるから」と。

 ご存知ですか? アメリカでは道を聞くフリをして、その人に近づき、ピストルで脅(おど)
してお金を奪うという犯罪が、少なくないそうです。ばあいによっては、ズドン!

 が、日本では、中学校で使う英語の教科書などには、道をたずねるという英会話が載ってい

すね。「郵便局は、どう行けばいいですか、教えていただけませんか?」「この道をまっすぐ行
って、三つ目の角を、右に曲がってください」と。

 しかしそんなことをたずねるアメリカ人は、いません。つまりあれほど、ムダな英会話という
のもないということになります。

 で、MTさんのメールを読んでいて、感じたこと。……言うなれば、中国は、自己責任の国と
いうことでしょうか。あるいは社会制度そのものが、まだ未成熟? 日本では、大雨が原因で

水が起きても、住民は、市を訴えたりします。「行政の怠慢が原因で、洪水になった」と、です。
つまりそれだけ、日本人というのは、(お上)に対して、依存性が強いということになります。

 それがよいのか悪いのか、私にはわかりませんが、こうした依存性は、教育の場にも、たび

び見られます。

 少し前にも書きましたが、ある小学校で、こんな事件が起きました。

 ある子ども(小1、男児)が、学校の帰りに、同級生に石を投げられ、ケガをしたのです。た
いしたケガではなかったのですが、母親が、それに反発。翌日、学校へ行き、担任に、「もっと
しっかりと、子どもたちを監視してほしい」と申し出たそうです。が、その先生は、正直な人だ
ったのですね。その母親に、こう答えたそうです。

 「そこまでは、できません」と。つまり「帰り道のことまでは、責任を負えません」と。

 その言葉に、母親はさらに反発。今度は、その足で、校長室まで行って、校長に抗議したそう
です。きっと「あの先生は、無責任だ」とか何とか、そんなようなことを言ったのだと思います。

 しかし、実際問題として、先生が、そこまで監視するのは、不可能です。で、その先生は、そ
の日の終わりの会のとき、子どもたちの前で、「昨日、○○君に石を投げたのは、だれだ」と、
言ってしまったというのです。

 が、これがまたまた大問題に発展してしまいました。

 それを聞いた母親が、「そんなことを先生がみなの前で言えば、うちの子がいじめにあってい
るということが、みなにわかってしまう」「ますますいじめられるようになってしまう」と。

 ……こうした一連の母親の行為の向こうに、私は、日本人独特の、あの依存性を感じてしま

のです。もし自分の子どものことがそんなに心配なら、自分で、自分の子どもの送り迎えをす

ばよいのです。多分、中国人なら、そうするでしょうね。しかしそういう発想は、日本人には、
ありません。

 「何でも、かんでも学校」という発想です。たまたま今夜も、NHKテレビで、国語力につい
ての報道番組がありました。最近、若者たちの国語力が、低下しているという内容のものでし
た。

 その中で、ある作家(○○賞受賞者)が、こうコメントを述べていたのには、驚きました。「学
校での基礎教育を、もっと充実すべき」と。

 ここでも、また「学校」です。しかしどうして「学校」なのでしょう。私なら、「母親の言葉
教育から始めるべき」と言うでしょう。あるいは「母親の言葉教育を、もっと充実すべき」と言
うでしょう。

 言うまでもなく、子どもの国語力、なかんずく会話能力を決めるのは、母親自身の国語力だ

らです。その国語力が、子どもの国語力の基礎となります(※)。

 わかりますか?

 「自分で何かをしよう」と考える前に、「お上(=学校)に何かをしてもらおう」という発想
です。こうした発想が、日本中の、すみずみにまで、行き渡っている。日本人の骨のズイのズイ
まで、しみこんでいる。

 (外国)は、もっときびしいですね。日本人の私たちが考えているより、はるかにきびしい。
MTさんからのメールを読んでいたとき、別の心で、そんなことを私は考えていました。ちがう
でしょうか?

 ……ともあれ、お元気そうで、何よりです。しかし、MTさん自身がそうなのですから、ご主
人は、もっとたいへんな経験をなさっておられるかもしれませんね。風習や制度がちがうという
より、文化そのものがちがいますから……。むしろ戦前の日本人のほうが、中国に同化しやす

ったかもしれませんね。日本人は、よきにつけ、悪しきにつけ、戦後、アメリカ型の西欧文明を
受けいれてしまいましたから……。

 今、MTさんが感じておられるギャップというか、カルチャ・ショックは、その狭間(はざま)
で生じているのだと思います。おおいに頭の中で火花を飛ばして、それを楽しんでください。少
なくとも、お子さんたちには、たいへんよい刺激になっているはずですから……。(少し、無責
任な意見で、すみません。)

 で、日本は、今、秋たけなわといったところです。暖房はまだ必要ありませんが、ひんやりと
した寒気を感じる毎日になりました。

 また、どうか、上海の様子を知らせてください。よろしくお願いします。楽しみにしています。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 モン
スター保護者 イチャモン保護者 子育て狂騒曲 狂騒する親たち)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月10日)

+++++++++++++++

昨日は、涼しかった。まるで秋の
ようだった。

夜、寝るとき、薄いタオルケット
だけをかけた。が、すぐ寒くなって、
もう一枚、毛布を出して、寝た。

しかしどうも寝心地が悪かった。

いろいろな(思い)が現れては、
消えた。気がつくと、夜中の12時。

一度、起きて、水を飲む。

つぎに気がつくと、朝の4時。

今が、そのとき。午前、4時、少し
すぎ。

みなさん、おはようございます!

+++++++++++++++

●怒りの相乗効果

 ひとつずつの(怒り)は、それほどではない。しかしそんな(怒り)でも、いくつか重なると、
相乗的に、その(怒り)が大きくなる。

 今の国政に対する(怒り)がそうだ。
 
 今朝のヤフー・ニュースを読むと、A農林大臣の事務所経費問題について、安倍総理大臣
は、
「逃げきり」と決めたという。A農林大臣は、予定通り、国際会議出席のため、外国へ。「官邸
サイドが強気なのは、A氏のばあいは、実態から懸け離れた経常経費の計上などは見当たら
ない
と判断しているため」という。

 しかしそれですむか、どうか?

 年金問題をはじめ、K防衛大臣の失言問題などなど。その流れの中で、今回のA農林大臣
の事
務所経費問題が起きた。テレビで報道された映像を見ると、事務所として使われたといわれる

家は、まれに見る、大豪邸。そんな大豪邸が、事務所?

 (怒り)の相乗効果が始まると、そんな映像を見ただけで、さらに(怒り)が、大きくなる。
そのせいもあって、安倍内閣の支持率はさがる一方。反対に不支持率は、あがる一方。どこ
かの
調査会社の調査によれば、支持率は30%台。不支持率は50%台ということだそうだ。

 で、A農林大臣の事務所経費問題。どの政治家も、多かれ少なかれ、みなやっていること。こ
の問題を、あまり追及すると、ヤブヘビになりかねない。だから、ここらで幕引き。それが安倍
内閣の本音ではないのか。ヤフー・ニュースは、つぎのように伝えている。

 『首相周辺は、(1)赤城氏が事務所とした実家には活動実態もあり、そもそも実家であるた
め家賃は払っていない。(2)10年間の経費計9000万円も、1年単位で見ると高い金額で
はないとして「佐田氏とは決定的に違う」としている』と。

 活動実態があれば、10年間で9000万円は、妥当な金額というわけ? どうもすっきりし
ない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




***お願い******************

Melma(無料)読者のみなさんへ!
どうか、上(↑)のコマーシャルを、一度、クリック
してください。
クリックしてくださると、私のほうに、20ポイントの、
ポイントがたまります。そのポイントで、マガジンを
運営していきます。
みなさんに負担は、いっさい、ありません。
安心して、クリックしてください。

*****************お願い****

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 8月 1日(No 916)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
8月1日、マガジンは、916号になります。1000号まで、84号です。
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

************************

電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。
見本版をご覧くださる方は(↓)を、クリックしてください。
http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもたちの世界(携帯電話・インターネット)

+++++++++++++++ 

私のところには、毎日、500〜800
通あまりのスパム・メールが届く。
(数えたことはないが、これは本当だぞ!)

その90%以上が、スケベ・メール。

そこで私は、すべてのメールを、一度
すべて、「ごみ箱」に入れる。設定は、
ツールの中の、(メッセージ・ルール)
でできる。

そうしたあと、読みたいメールだけを、
受信トレイに移動したあと、そこで
開いて読む。

こうしたスケベ・メールから子どもたちを
守ることは、可能なのか?

答は、NO!

+++++++++++++++
 
内閣府は6日、「情報化社会と青少年に関する意識調査」の結果を発表した。それによ
れば、つぎのようだそうだ。

『高校生の96%が携帯電話やPHSを使用し、中学生は約6割、小学生も約3割が使
っており、携帯電話が広く行き渡っている実態が分かった。

小中高生を含む10〜29歳の男女5000人と、小中高生の保護者2000人を対象
に3月、面接や郵送で実施。10〜29歳の2468人(回答率49.4%)、保護者
1145人(同57.3%)から回答を得た。

 携帯電話やPHSからインターネットにアクセスしている高校生は95.5%、中学生
56.3%、小学生27%。パソコンからは高校生74.5%、中学生68.7%、小
学生58.3%。目的は▽宿題▽ホームページ、ブログを見る▽メールが小中高生とも
上位を占めた。

 一方、保護者の約4割が「暴力的、性的、反社会的な内容を含むサイトにアクセスする
こと」を心配していたが、こうしたサイトにアクセスしないよう心がけているという高
校生は40.7%、中学生は43.4%、小学生は30%にとどまった。

 有害サイトを判別してアクセスを防ぐ「フィルタリングサービス」を使用している小中
高生は、携帯、パソコンとも0.5〜2.7%しかいなかった』と。

+++++++++++++

 たとえば、こうある。『保護者の約4割が、暴力的、性的、反社会的な内容を含むサイト
にアクセスすることを心配していたが、こうしたサイトにアクセスしないよう心がけてい
るという高校生は40.7%、中学生は43.4%、小学生は30%にとどまった』と。

 保護者(=父母)の40%が、暴力的、性的、反社会的な内容を含むサイトにアクセス
することを心配しているという。しかしこの数字を裏から読むと、「60%は、心配して
いないか、何とも思っていない」ということになる。

 さらにこうしたサイトにアクセスしないよう心がけている高校生は、40.7%、中学
生は43.4%、小学生は30%にとどまったという。しかしこの数字も、同じように裏
から読むと、「60%以上の子どもたちは、日常的にアクセスしている」ということにな
る。

 その結果、『有害サイトを判別してアクセスを防ぐ「フィルタリングサービス」を使用
している小中高生は、携帯、パソコンとも0.5〜2.7%しかいなかった』と!

 こうした数字を見るかぎり、子どもの世界を、悪質インターネットの世界から守るのは、もう
不可能になったと考えるのが、正しい。「うちの子は、携帯電話をもっていないからだいじょう
ぶ」とか、「インターネットはさせていないからだいじょうぶ」などと思うのは、幻想以外の何
ものでもない。

たとえば、ここに100人の中学生がいたとする。内閣府の調査によれば、43%、つまり4
3人が、悪質サイトへのアクセスをしないように心がけているという。となると、では、残り
の57%の子どもは、どうなのかということになる。

内閣府の調査をそのまま読むと、「心がけている子どもも、約半数はいるから、問題はない」
(?)ということになる。

 しかし本当にそうか。本当の問題は、その中身である。

 そうしたサイトへのアクセスに、ほとんど関心がない子どももいれば、反対に、毎日、家に帰
ってから、ハマりっぱなしという子どももいる。「57%もいるからだいじょうぶ」ということ
ではなく、そういうハマりっぱなしという子どもが、仮に1%でもいたら、大問題だということ。
1学年を、約120万人で計算すると、1%でも、中学生で、3万6000人ということになる。

 この1%の子どもたちが、残りの99%の子どもを、誘導してしまう。「悪」のもつパワーは、
それほどまでに強烈である。

 が、今では1%どころか、50%以上の子どもたちが、日常的に、悪質サイトにアクセスして
いる。「手遅れ」というよりは、子どもたちは、私たちの知らない、まったく別の新しい世界を
作りつつある。

 私は、この数字を見て、そう思った。

【まとめ】

●「情報化社会と青少年に関する意識調査」(内閣府・07年7月発表)


携帯電話やPHSからインターネットにアクセスしている子ども、

高校生は95.5%
中学生56.3%、
小学生27%。

パソコンからインターネットにアクセスしている子ども、

高校生74.5%
中学生68.7%
小学生58.3%。

目的は●宿題●ホームページ、ブログを見る●メールが小中高生とも上位を占めた。

 保護者の約4割が「暴力的、性的、反社会的な内容を含むサイトにアクセスすること」
を心配している。

こうしたサイトにアクセスしないよう心がけているという子ども、

高校生は40.7%
中学生は43.4%
小学生は30%。

 有害サイトを判別してアクセスを防ぐ「フィルタリングサービス」を使用している子ど
も。

小中高生は、携帯、パソコンとも0.5〜2.7%、と。

(小中高生を含む10〜29歳の男女5000人と、小中高生の保護者2000人を対象に
3月、面接や郵送で実施。10〜29歳の2468人(回答率49.4%)、保護者11
45人(同57.3%)から回答を得た。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 携帯
電話 子供と携帯電話 子供とインターネット 子どもとインターネット)


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

【群馬県のMさんより】

+++++++++++++++++

群馬県にお住まいのMさんより、
子どもの恐怖症についての相談が
あった。

Mさんの次男は、その恐怖症で、
学校へ行けない状態がつづいて
いる。

+++++++++++++++++

はじめまして。自分の子供のことで悩んでいる時、はやし先生のHPを拝見しました。

 次男(小4)が5月の中ごろより、学校に行けなくなっております。そのことでご指導いた
だければと思い、メールを送らせていただきます。

 子供は小5(11歳)、小4(9歳)、保育園年中(4歳)の3人の男の子です。

 7年前から私たち夫婦が、私の実家の会社を継ぐことになり、現在は、主人と一緒に、その

社で働いています。主人、私、母、叔母、それに従業員6名でやっております。

実家とは別々に生活しています。主人は婿養子ではありません。主人の両親は遠方に住んで
いて、
盆、正月程度しか帰ることができません。私の義母(=主人の母)は保育園の園長先生をして

たこともあり、子供の扱いがとても上手です。長男、次男とも義母が大好きで、いつも夫の実家
へ帰るのを楽しみにしています。

 私には兄が2人おり、私は3女です。長男はまもなく50歳になりますが、27歳ぐらいから
引きこもりになり、現在も、その状態が続いております。

 私の実家は複雑でした。

 私の祖父は多額の借金を残したまま、亡くなり、父は20歳ごろから、借金だらけの中、苦労
して現在の家業をつづけてきました。意に沿わない母との結婚、叔母や祖母との同居の上、そ

に貧乏でした。叔母は父の母親のようです。母の実家のいざこざ、母の実家への借金、仕事
の問
題等など、叔母が何かと解決してきました。

父はロマンチストで、母は現実派でした。
 
私の父はいつも、頭のボケた祖母を罵倒し、私の母を罵倒してきました。基本的にはみんな善

なのですが、そんなわけで問題が絶えませんでした。私は怒鳴り声が聞こえる家がいやでし
た。

そんな中で精神的に一番被害を受けたのが兄でした。兄は就職した後、家業にもどり、すぐに

のまま家に引きこもってしまいました。兄は両親とは全く話せなくなったため、私が間に入って
います。結婚前から、今まで、兄のことでずっと振り回されてきました。

 仕事がとても忙しかったのと、私の兄が引きこもったこともあり、この7年間、毎日、目の
回るような忙しさでした。

 先日、私の父が亡くなりました。次男は父の四十九日が終わった直後から、学校に行けなく

りました。

 何故、急に行けなくなったのかについては、原因はよく解りません。本人にも何度か聞きまし
たが、何故急に怖くなったとのこと。

 ただ、今から考えると、少し前から様子はおかしかったように思います。

4〜5ヶ月程前から、(1)見ているものが、急に小さくなるとか、そんなことを訴えるように
なりました。

 三男と衝突することが多くなったようです。

 ほかに、(2)早起きだったのが起きれなくなる。(3)登校前、トイレからなかなか出てこ
ない(大便がまた出そうな気がするので、それが無くなるまで出られない)、と言うような事が
ありました。

 最近はほとんどありませんが、長男も次男も、低学年の頃、学校に行く前に何度かお腹が痛

なったことがあります。私たちは、熱がない場合、学校に行き、どうしてもだめだったら迎えに
行くよと言い、送り出すようしておりました。

 今回、学校に行けなくなった直前もやはり、次男は腹痛や吐き気を訴えました。2日程はしぶ
しぶ行っていました。その後、教室が怖いと言い出し、「お母さんがついて来てくれたら行け
る。」
と言うので、1週間ほど一緒に学校に行きました。が、それも行けなくなりました。

 教室が怖いから始まり、同年代の子供たちが怖い、知らない人が怖い、大きな物音が怖い、

どと訴えるようになりました。

 しばらく、休んでいましたが、「楽しいことがない」と言うので、おもちゃを買ってあげたり、
一緒にあそんであげたり、出かけたりもしたのですが、最近では、遊ぶものもなくなってきまし
た。

ビデオやインターネットなども長い時間していたこともあるのですが、あまり長くし続けるのも
良くないように思い、やる時間を決めました。すると、また、暇になってしまいました。

あまり、暇だと言うので、「勉強でもする?」と聞くと、好きな算数の計算はやるのですが、嫌
いな漢字練習などは、少ししただけで、様子がおかしくなってしまいます。

 学校を休みだしてからしばらくしてからのこと。校外学習の日、行きたそうにしていたので、
聞くと「行きたい」というので、学校へ行きました。それからは、行きたい時に行くというかた
ちで学校に行っています。

しかし、学校にいる間、怖がることが多く、私におんぶしたり、膝に座ったり、廊下でうずくま
ったりしています。休み時間のドッチボールや、体育での球技などはやりたいと言って、参加す
ることができます。何かのことで怖くなったら、帰っておいでと言っていますが、帰りたくない
と言うことが多いです。

 この1週間ほどは、あまり無いのですが、突然、おかしなことを言い出すことがありました。

たとえば、学校に行った日、学校が目の前にあるのに、「学校どこ?」と聞くようなことです。
当然解っているようなことを、聞いてきたりします。

 長男が生まれた頃は、もともと神経質な私は、いろいろなことで悩んでいました。長男のほう
に何か問題が起こらないかを心配をしていたほどです。次男はひょうきんで明るかったし、友

もそこそこいるようだったので、ほとんど心配していませんでした。ところが、今回、学校に行
かなくなってから、次男といろいろと話していると、次男は、とても怖がり屋で、細かなことに
とてもこだわる子であることが解りました。
 
 次男との接し方はこのままでよいのか? 病院等に相談する必要は無いのか。(スクールカ

ンセリングの先生はもう少し様子を見ては、と言っています。)

 現在、仕事を休んでいますが、いつまでもこのままというわけにはいきません。仕事を辞める
わけにもいきません。

 無理に学校に行く必要はないよ、とは言っていますが、行かないで家にいると、次男は、暇で
仕方がないと言います。そういうとき、どのように対処したらよいのでしょうか。あるいは学校
を休んでいる間は、どのような過ごさせ方をしたらよいのでしょうか。

 今まで、ゲーム機を買い与えていませんでしたが、最近欲しいと何度も言うようになりました。
約束事を決めて、買ってあげるべきかどうか、迷っています。

 次男への接し方と、長男、三男への接し方に相当な差が出てしまっています。
 長男も影響されて、学校を休みがちになってきています。どのように対処したらよいのでしょ
うか。

 たぶん、今の状態は相当長く続くとは思うのですが、どのように子供たちに接していくべきな
のか、仕事をどうしたら良いのか?、など毎日 色々悩んでおります。

ご指導宜しくお願いいたします。

【はやし浩司よりMさんへ】

 私もいくつかの恐怖症をもっています。子どものころは、閉所恐怖症、高所恐怖症などがあり
ました。30歳少し前に、飛行機事故に遭遇してからは、飛行機恐怖症になってしまいました。

 何とか飛行機には乗れるのですが、先方の外地などでは、完全な不眠症になってしまいま
す。
(最近は、かなり楽になりましたが……。)

 恐怖症を軽く考えてはいけません。よく「気のせいだ」と言う人もいますが、そんなものでは
ありません。私が経験していますから、よく知っています。

 恐怖症の対処のし方の第一は、(1)そのことに触れないこと、(2)時間をかけて忘れさせ
ること、です。

 全体にみると、学校恐怖症(私のHPで、「はやし浩司 学校恐怖症」を検索してみてくださ
い)による不登校のようにも思いますが、正確な診断は、スクールカウンセラーを通して、学校
医にしてもらってください。

 また神経症による症状も、いくつか出ていますね。しかし最近の考え方によれば、子どもはあ
くまでも、(代表)にすぎないという視点で、子どもの問題を考えます。大切なことは、「子ど
もをなおそう」と考えるのではなく、原因となっている家庭環境、親子関係を猛省するというこ
とです。

 メールによれば、いろいろと不安定な家庭事情がつづいていたようですね。そういったこと
が、
子どもの心理に大きな影響を与えてきたと考えてもよいのではないでしょうか。Mさんたちの気
がつかないところで、です。

 で、具体的に、どうしたらよいかについてですが、あまり(こだわり)が強いようでしたら、
心療内科を訪れてみることも考えてください。今ではたいへんすぐれた薬も開発されています。

 しかし当然のことながら、「薬だけでなおそう」とは、考えないでくださいね。(環境)を考
えます。コツは、友として、話しかけ、相談にのることです。この際、くだらない親意識は、捨
ててください。

 子どもの立場からして、親の存在をまったく意識しないほどまで、子どもの周囲から緊張感を
取り除きます。親の過関心、過干渉があれば、改めます。また「家庭は心を休める場所」と心

て、家庭では、子どもに好き勝手なことをさせます。

 態度がぞんざいになっても、部屋中が散らかっても、子どもがそれでいいと言うなら、それに
任せます。

 次男は、どこかで愛情飢餓の状態だったかもしれません。が、それはそれとして、今からでも
遅くありませんから、全幅の愛情を、次男に向けてあげてください。添い寝、手つなぎ、抱っこ、
いっしょの入浴などは、いとわず、します。献立も、CA、MG、K(=海産物)の多い食生活
に切り替えます。必要であれば、CA剤を処方してもらい、一方で、甘味の強いジュース、菓子
などは避けます。

 こうした問題で、一番大切なのは、担任の先生と密接な連絡をとり、カウンセラーの先生のア
ドバイスを聞くことです。幸いにも、「様子をみましょう」ということですから、カウンセラー
の先生は、その程度(失礼!)のことに思っているのかもしれません。というのも、Mさんにし
てみれば、自分の子どものことでもあり、事情が客観的に見えないかもしれませんが、事例と

ては、(よくある事例)です。

 子どもが風邪をひくように、今、Mさんの次男は、心の風邪をひいているのです。だれだって
風邪くらい、ひくでしょう。だからあまりビクビクしないで、時の流れの中に、静かに身を置い
てみてください。

 私の感じたところでは、症状は、学校恐怖症といっても、軽いのではないかと思います。むし
ろ怠学に近いと思います。学校恐怖症の子どもは、家から出たがりませんし、また「退屈」とは
あまり言いません。

 こうした事例では、先にも書きましたように、「なおそう」と思わないこと。またここが大切
ですが、「今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて」、対処してください。この種の
問題は、なおそうと思い、無理をすればするほど、二番底、三番底へと落ちていきます。つまり
「今を最悪」と思ってはいけません。

 これからのことですが、仕事と子ども、どちらが大切か、よく考えてください。私なら、迷わ
ず、子どもを選びます。Mさんには、Mさんのご事情があるかと思います。ご主人と、このあた
りのことを、よく話しあってください。道はあるはずです。

 また長男に現れた症状ですが、こうした伝播は、よく報告されています。長男は、11歳とい
うことですから、そろそろ何か目的(目標)をもたせることで、対処するのがベストかと思いま
す。

 詳しくは、また私のマガジン(予定では、8月1日号)で取りあげさせてください。無料です
から、また読んでくだされば、うれしく思います。

 神経症、恐怖症、学校恐怖症などの問題も、そちらで取りあげてみます。

 このところ忙しくて、ゆっくり返事が書けなく、この程度ですみません。また返事が遅れたこ
とをお許しください。

 どうか、気を楽に。今はつらいかもしれませんが、子どもを信じて育てれば、この種の話は、
必ず、あとで笑い話になります。

 あとは、許して、忘れる、ですよ。その度量の広さが、あなたの子育てを、心豊かなものにし
ます。あなたももっとすばらしい人になれます。

 たかがゲームくらいのことで、悩まないこと。ご主人に任せたらどうでしょうか。

 おやすみなさい!

 はやし浩司
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学校
恐怖症の子供 学校恐怖症 恐怖症 怠学)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心に従わず、心の主(あるじ)となれ

++++++++++++++

釈迦は、こう言った。

『心に従わず、心の主(あるじ)となれ』と。

もう少し明確に言うと、こうなる。

『心の奴隷になるな。心の支配者となれ』と。

さらの健康についても、こう言える。

『肉体の奴隷になるな。肉体の支配者となれ』と。

++++++++++++++

 釈迦は、こう言った。『……もし心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、これをお
さえなければならない。心に従わず、心の主(あるじ)となれ』(「最後の教え」(仏教聖典))
と。

 もう少し明確に言うと、こうなる。『心の奴隷になるな。心の支配者となれ』と。健康につい
ても、同じようなことが言える。『肉体の奴隷になるな。肉体の支配者となれ』と。

 心というのは、それが欲望に支配されているかぎり、私たちの精神活動は、邪悪なものとなり
やすい。また肉体についても、本来、肉体は、怠け者と考えてよい。心や肉体の命ずるままに

ていたら、人間は、そのまま動物に逆戻り。健康も損(そこ)なわれる。

 その心や肉体は、常に、いろいろな信号を発している。その信号をどう聞き、選択するかも重
要だが、それ以上に重要なのは、心や肉体を、逆に、支配し、その心や肉体に命令することで

る。

 たとえば何かの不愉快なことで、心がイライラしたとする。怒りも充満している。そういうと
き心の奴隷になってしまうと、心が命ずるまま、そのイライラや怒りが、表情や態度となって外
に出てきてしまう。ときに人間関係を破壊してしまうこともある。

 そこで反対に、心を支配する。支配して、心を、コントロールする。釈迦は、欲望について、
『心に従わず、心の主(あるじ)となれ』と言った。これを拡大解釈すれば、ここに書いたよう
なことになる。

 同じように、健康についても、そうである。

 私たちの肉体は、(私)の命令どおりに動く、きわめて精巧なロボットである。(私)の意思
の命令に従って、(私)は、自分の(肉体)を自由に動かすことができる。「立て」と命令すれ
ば、立つ。「座れ」と命令すれば、座る。

 しかしその一方で、この肉体は、本来的には、たいへんな怠けものである。つねに私たちに、
「動きたくない」「疲れた」「めんどう」という信号を送ってくる。さらには「楽をしたい」「横
になりたい」「もっと食べたい」と。

 そんな肉体の命令をそのまま聞いていたら、それこそたいへんなことになる。そこで私たち
は、
意思の命令によって、体を動かす。「お前の健康を管理するのは、私だ。私の言うことを聞
け!」
と。

 するとしぶしぶながら、(肉体)が動き出す。それは幼い子どもに、何かの仕事を言いつける
ときの様子に似ている。「スリッパをならべてください」と頼むと、幼い子どもは、しぶしぶな
がらも、それをする。

 (私)と(心)、さらには(私)と(肉体)を分離して考えることには、危険な側面もないわ
けではない。それが極端になると、(私)と(心)、さらには(私)と(肉体)を分離して考え
るようになる。そうなればなったで、それはカルトの世界の話ということになる。彼らが言うと
ころの(霊)というのは、そういう考え方の延長線上にある。

 が、それはそれとして、つまりそれとは別に、(私)が(心)を支配し、ついで、(肉体)を
支配することは、釈迦の言葉を借りるまでもなく、大切なことである。心や肉体を支配できる人
のことを、自己管理能力の高い人という。人格の完成度の高い人という。そうでない人を、自己
管理能力の低い人という。人格の完成度の低い人という。

 要するに感情のおもむくまま、行動してはいけないということ。一方、肉体が求めるまま、飽
食や大食をしてはいけないということ。だらしない生活をしてはいけないということ。これは心
や肉体の健康を守るために、とても重要なことである。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 釈迦
 
心の奴隷 肉体の支配者 心に従わず 主(あるじ))

【補記】
 何かのことで、カッとなったようなとき、この言葉を思い出してみてほしい。『心に従わず、
心の主(あるじ)になれ』と。

 あなたもきっと、私の意見に同意するだろう。

 また私は、よく自分の(肉体)に命令するときがある。近くにワイフがいても、ワイフに頼ま
ないで、自分に向かって、「食器を洗え」「あと片づけをしろ」「掃除機をかけろ」と。

 そういうとき(肉体)は、「いやだ」という信号を送ってくる。しかし私は無視する。無視し
て、「やれ」と再度命令をくだす。

 そういった命令を自分にくだすのが、このところ、とても楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++July 07++++++++++はやし浩司

●精神を支配せよ

+++++++++++++

昨日(7月6日)は、一日中、
「精神を支配せよ」という
言葉を、頭の中で考えていた。

釈迦は、『心の主(あるじ)と
なれ』と説いた。

それまでの私は、(精神)イコール、
(私)と考えていた。しかし
実際には、その(私)は、精神に
振り回されているだけ。

私の心の中は、いつもザワザワと
している。そしてそのたびに、
(私)は、右往左往している。

昨日、それがわかった!

+++++++++++++

 一度、自分の精神活動を、(私)から切り離してみる。それは、とても大切なことだと思う。
肉体にたとえてみると、それがよくわかる。

 私の肉体は、私のモノであって、私のモノではない。指の先の爪ひとつをとっても、(私)と
は無関係に成長する。「私の体」とはよく言うが、「私の体」と言えるような部分は、どこにも
ない。

 だから一度、自分の体を、(私)から切り離してみる。決して肉体の言いなりになってはいけ
ない。たとえば昨夜も、こんなことがあった。

 このところ、体重が2〜3キロもふえてしまった。そこでこの数日間、食事の量を、それまで
の2分の1から3分の1に減らしている。野菜を中心とした献立に切り替えている。

 そんなとき、何かの用事で、街へ出た。ワイフは、自分の用事をすませていた。で、見ると、
道の反対側に、コンビニがあった。私は、無性にアイスクリームが食べたくなった。そのときの
こと。私はこう考えた。

 「私の肉体は、アイスクリームを求めている。しかし今、アイスクリームを食べたら、ダイエ
ットが台無しになってしまう」と。

 (アイスクリームを食べたいと訴える肉体)。しかしその(肉体)を一度、(私)から切り離
してみる。すると、その(肉体)が、私のモノであって、私のモノでない、……たとえて言うな
ら、自分の子どものように思えてきた。

 そこで私は、私の肉体に、こう命令をした。「今夜は、やめろ!」「がまんせよ!」と。

 これは肉体の話だが、精神も、同じように考えることができる。先にも書いたように、精神と
いうのは、いつもザワザワしている。怒り、ねたみ、うらみ、欲望などなど。美しい女性と通り
過ぎただけで、ふと、そちらを見てしまう。

 そこで私は、『心の、主(あるじ)となれ』という言葉を、反復する。私のばあい、私は、ず
っと、心の奴隷みたいなようなものだった。また、それが当然と考えていた。しかしそれでは、
釈迦の言葉を借りるなら、『身を正し、心を正す』ことはできない?

 たまたま昨日の朝は、ワイフと、不穏な関係にあった。いつもなら口げんかをしていたかもし
れない。私のワイフは、ときとして、私の言うことを、ことごとく否定する。「否定する」とい
う意識がないまま、否定する。たとえば、昨日の朝も、こうだった。畑でとってきた、豆の料理
をし始めたときのこと。

私「ケチャップをかけて、食べようか」
ワ「醤油のほうが、おいしいわよ」
私「醤油は、塩分が多い」
ワ「少しくらいなら、だいじょうぶよ」
私「いいじゃないか、ぼくが、ケチャップでいいと言っているんだから……」

ワ「少しは塩分をとったほうがいいのよ」
私「どうして、お前は、いちいちぼくの言うことを否定する?」
ワ「否定なんか、してないわよ」
私「それがパラドックスだ。『否定していない』と言って、否定している」
ワ「否定してないわよ」

私「ぼくが、ケチャップでいいと言っているから、そうしてくれればいい」
ワ「だったら、私の言うことも聞いてよ」
私「ぼくが、食べるんだから、それでいい。お前は醤油をかけて、食べればいい」
ワ「料理のあとで、醤油をかけるわけにはいかないのよ」と。

 こういう状態になると、あとは、もう何を言っても無駄。がんこというか、ワイフは、厚いカ
ラの中に入ってしまう。生来の生い立ちの貧しさが影響しているのかもしれない。あるいは認知
症の初期症状なのかもしれない。さらにあるいは、私に対して、根深い欲求不満を抱えている

かもしれない。

 何はともあれ、そういうときは、私は、だまってワイフの料理したものを食べるしかない。そ
れがいやなら、自分で料理をする。

 私は自分の精神に命令をした。「言い争うくらいなら、無視して、自分で料理を作れ!」と。

 私は戸棚から、いくつかの缶詰を取り出して、封を切った。冷蔵庫から、サラダを取り出し
て、
テーブルに並べた。

ワ「私の料理は、食べないの?」
私「……」
ワ「無視しなくてもいいじゃないの?」
私「……」と。

 不思議と、心の中は、平穏だった。鼻歌まで出てきそうな雰囲気だった。私は私で、ワイフを
無視して、朝食をすませた。

 ……つまりそういうこともあって、昨日は、一日中、『精神を支配せよ(心の、主(あるじ)
となれ)』という言葉について、考えていた。

 今までにない、新しい経験だったので、たいへん新鮮な感じがした。このつづきは、もう少し、
あとに書いてみたい。

【発展】

 子どもにしても、そうだ。「私の子ども」とは、よく言うが、「私の子ども」と言えるような
部分は、どこにもない。私という(男)がしたことは、情欲に任せて、精液をひとしずく、ワイ
フの体の中に注入しただけ。

 「私の体であって、私の体でない」と考えていくと、「私の子どもであって、私の子どもでな
い」という考え方が、さらに鮮明な輪郭(りんかく)をともなって、明確になって現れてくる。

 子育てをするときは、常に、子どもから一歩、退いて、子どもをみる。これは子育ての常識だ
が、同じように、自分をみるときも、自分自身から一歩、退いて、自分をみる。それが正しいこ
となのかどうなのか、今の私にはまだわからない。わからないが、ここにも書いたように、これ
は私にとっては、新しい経験である。それが今、たいへん新鮮な感じがする。

 もう少し、今の経験を積み重ねてみたい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ

+++++++++++++++

昨日は、山荘のほうで、草刈りを
した。楽しかった。

エンジン付きの草刈り機で、バリバリと
夏草を刈っていると、気分そう快、
そのもの。

あとでみると、全身が、シャワーでも
浴びたかのように、汗ダクダクに
なっていた。

扇風機にあたって、体を冷やす。
ワイフが用意してくれたウーロン茶を
飲む。

その味がまた、格別!

+++++++++++++++

●小細工をする人

 小細工をする人に出会うと、不愉快。本当に不愉快。たとえばわずかなお金をケチって、そ

を何とか言葉だけで、ごまかそうとする。こちらの機嫌を取る。へつらう。お世辞を並べる。

 こちらは相手の意図がよくわかっている。だから儀礼的なあいさつしか、しない。が、相手
は、
それで私をだましたつもりでいる。うまく、丸めこんだつもりでいる。

 しかし、私は、相手が思っているほど、バカではない。相手の心の動きが、手に取るように、
よくわかる。

 ……実は、そういう相手ほど、気をつけたらよい。そういう相手ほど、こちらの様子をうかが
い、それをネタに、別のところでは、私の悪口を言う。それもよくわかっている。

 では、どうするか?

 答は簡単。そういう相手とは、つきあわない。つきあう価値もない。時間の無駄。

●義兄の話

 ……というような話を、先日、私の義兄が話してくれた。私にも似たような経験があるので、
話がはずんだ。

 「バカな人からは、利口な人が見えない。しかし利口な人からは、バカな人がよく見える」と
私が話すと、「まったく、そのとおりです」と言って、義兄は笑った。

 つまりバカな人は、いつも自分を基準にして、相手を見る。「相手も、自分と同じ程度だろう」
と思って、小細工をする。しかし利口な人からは、相手がよく見える。こんな例がある。

 私はときどき、幼児の前で、わざと計算をしまちがえて見せる。「3足す2は……、エ〜と、
6かな?」と。

 そのとき計算機を持ち出してみるのも効果的。すると中には、それを本気にして、私に向かっ
てこう言う子どもがいる。「先生、それでもあんた、本当に先生?」と。

 子どもがバカというわけではない。その子どもはその子どもを基準にして、私にそう言う。そ
ういう例は、多い。

●加齢とともに

 ほとんどの人は、加齢とともに、頭の働きが鈍くなる。それはどうしようもないこと。が、そ
れだけではない。

 50歳も過ぎると、それまでごまかしてきた持病が、どっと表に出てくるように、60歳にな
ると、その人のもつ人間性が、どっと表に出てくる。たいていは、邪悪な人間性である。つまり
ごまかしがきかなくなる。

 冒頭に書いた、小細工をする人も、そうだ。表面的には、穏やかでやさしい人を演じていた
が、
このところ、様子がおかしくなってきたという。

 義兄から預かっていたお金を、ごまかす。使いこむ。それを義兄から指摘されると、あれこれ
理由にもならない理由をくっつけて、それを正当化する。とぼける。笑ってごまかす。「言った」
「言わない」の押し問答になる。そこである夜、義兄が反撃に出た。

 義兄は、FAXで、預けたお金の明細を、日付とともに、送った。預金通帳の明細もつけて、
送った。

 とたん、相手の様子が変わった。そのあと電話をすると、相手の声が、恐怖で(?)、震えて
いたのがわかったという。もともと小細工をするような人は、気が小さい。いつバレるのではな
いかと、ハラハラしている。だから、そうなった。

●清く、正しく……

 人づきあいの基本は、清く、正しく……、である。しかし60歳を過ぎてからでは、遅い。5
0歳を過ぎてからでも遅い。40歳でも、30歳でも、遅い。

 人格などというものは、一朝一夕にできるものではない。日々の心がけが、長い年月を経て

成される。それがその人の人格になる。そしてその人格が、ここに書いた、バカな人と、利口な
人に区別する。

 義兄との話は、つづいた。

義兄「ぼくも、そこまで強く出るつもりはなかったんですがね、相手が、私をごまかしたつもり
でいるのを知って、私なりに、一度、たたいておく必要があると思ったわけです」
私 「ぼくなら、相手にしないで、無視しますが……」
義兄「1度や2度なら、そうでしょうね。しかしそういう状態が、この5年以上もつづきました
から……」

私 「……考えてみると、人間というのは、さみしい動物ですね。同じ心をもちながら、その心
を、神のような心にすることもできる人もいれば、反対に、動物以下の心にしてしまう人もいる」
義兄「浩司さん、だからね、大切なことは、ある年齢になったら、バカな人とは、つきあわない
ことですよ。自分の(命)を見苦しくしてしまう。私が、その相手に、ガツンと言ったのは、縁
を切るつもりで、そう言ったのです。これでもう相手からは、連絡はないでしょう。ハハハ」と。

 義兄のような人物を、「大物」という。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●日本人は、「平均値」が大好き?

+++++++++++++++

ときとして、「平均」という
言葉には、意味がない。

日本人は、「平均」という言葉が
大好きだが、アメリカなどでは、
むしろ反対に、「平均」という
言葉のもつ意味を、否定している。

たとえば中学校で習う数学の本でも
そう教えている。

アメリカの教科書を紹介する。

+++++++++++++++

●アメリカの教科書

 日本の教科書は、どこかのエラーイ学者先生が作った。だからおもしろくない。役に立
たない。いや、将来、学者になるにはよい教科書だが、しかし学者になる子どもは、一体
何%いるというのか。

一方、アメリカの教科書(日本でいう教科書というイメージはない。もちろん検定制度
もない)は、教科書そのものが、実用的。論より証拠。ここに紹介するのは、中学一年
レベルの数学の教科書(Prentice Hall版)。全米でもっとも広く使われている教科書と
言ってよい。

(教科書の写真)(HPのほうで収録)

「資料を整理して、グラフ化しよう。

(1)初代のころの大統領と、最近の大統領の平均年齢を調べよう。(写真1)

(2)ファースト・フード店における、賃金(時間給)と平均値を調べよう。」(p.5)

 どの項目にも、「実生活に関連して……」というコーナーが用意されている。つまり生
徒たちは、そのつど、なぜそれを学ぶのか。またどう役立つのかということを納得しつつ
学ぶしくみができている。が、日本にはそれがない。たとえば中学一年では、一次方程式
を、三年では、二次方程式を学ぶことになっている。が、なぜそれを学ぶのか。また学ば
ねばならないのかという説明は、一切、ない。ないまま、問答無用式に子どもに押しつけ
ている。

私など文科系の大学を出たこともあるが、高校を卒業後、二次方程式はおろか、一次方程
式すら、実生活で使ったことは、ただの一度もない。一方、アメリカの教科書は、生徒た
ちにこう問いかけている。

●平均値を調べても意味がない?

 「初代のころも、最近も、大統領の平均年齢は、約58歳。初代のころの大統領の年齢
は57歳から61歳まで。大統領の年齢は、だいたいこの平均値の前後にある。が、最近
の大統領の年齢は、42歳から69歳までの範囲で、バラバラ。つまり平均年齢が同じ5
8歳になるといっても、中身はまるで違う。だからこうした平均値を比較しても、あまり
意味がない」(教師用指導書)と。

 また時間給については、州ごとの平均所得を生徒に調べさせ、それをグラフ化させると
ころまでしている。そしてその結論として、「考えてみよう」というコーナーでは、「ア
メリカは、八〇年代の終わりから九〇年代のはじめに、経済の後退期に入ったが、どの州
がもっとも影響を受けなかったか」(写真2)と。さらに芝刈り(15ドル)、べイビー
シッター(10ドル)、配達(12ドル)の時間給を具体的に示しながら、「こうした時
間給の平均値を調べることに意味があるのか」と生徒に問いかけている。

ほかにも数字がいろいろ並んでいるが、すべて、現実の数値であるところがおもしろい。
それだけではない。日本の教科書は、平均値の出し方までは教えるが、「平均値は意味
がない」というところまでは教えない。

たとえばこのコーナーでも、芝刈り、ベイビーシッター、配達の平均値は、約12ドル
ということになるが、「だからといって、それがどうだというのだ」「楽な仕事は、そ
れだけ時間給が少ないのは当然ではないか」と、そこまで生徒に問いかけている。

ここに紹介したのは、中学一年レベルの数学の教科書(Prentice Hall版)。全米でもっ
とも広く使われている教科書と言ってよい。くわしくは、「はやし浩司のHP」→MENU
→アメリカの教科書で。

++++++++++++++

 日本人は、「平均」という言葉が、好きな国民である。何かにつけ、平均点を出し、その平均
点をみながら、一喜一憂する。たとえば日本では、「平均」「平均値」という言葉を、小学6年
レベルで教える。しかしその「平均値」に対する疑問は、少なくとも教科書には一行も書かれて
いない。

 しかし一方、アメリカではそうではない。「平均」という言葉を教えながらも、同時に、平均
という言葉のもつ無意味さを教えている。これは教え方のちがいというよりは、それぞれの国

性のちがいということになる。

 こんな(ちがい)も知って、日本の教科書をみるのも、また新たな発見につながるのでは?、
……という意味で、「平均」について、考えてみた。

【付記】

 平均値なんて、クソ食らえ! 平均的な生き方なんて、クソ食らえ! 私たちは、平均値とい
う数字を無視して生きよう! それが(自由)というもの!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                  
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================











戻る
戻る