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2007年 10月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

マガジン2005−10



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 10月 31日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●会話術

+++++++++++++

自分の子がこわくて、何も言えない
という親は、少なくない。

ある学校へ講演会に行ったら、
1人の母親が、こう言った。

「うちの子(小6)は、歯をみがき
ません。そのため口臭がひどいの
ですが、それを言うと、大げんかに
なってしまいます。

実際には、こわくて言えません。
そういうときは、どう言ったらよい
でしょうか?」と。

+++++++++++++

 会話によって、人間関係がよくなることもあれば、悪くなることもある。こういうケースのとき
は、こうする。

 まず、新しい、少し変わった歯ブラシを買ってくる。子どもに渡す。「これはすごい歯ブラシら
しいわよ」と。

 そして数日後、再び、子どもにこう言う。「あの歯ブラシ、使ってみた?」と。そこで子どもがも
し、「ウン」と言ったら、すかさず、こう言う。「よかったわ。口臭が消えたわよ」と。

 ほかにもいろいろある。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもを伸ばす、会話術

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(しつけ)

●「〜〜してはいけない」という禁止命令は、少なくする。そういうシツエーションで、いかにジ

ークを混ぜるかは、親の、親としての技量の見せどころ。(日本人の子育ては、まだ世界的に
みても、発展途上国。蓄積された「子育て観」が、まだ少ない……。)たとえば指しゃぶりをし

いる子どもに、「指をしゃぶってはダメ」と言うのではなく、「あなたの指、おいしそうね。ママに

しゃぶらせてね」とからかう、など。)

=====================================
心を伸ばす

●「がんばれ」ではなく、「調子はどう?」「気を楽にね」と言う。特に受験勉強などで、すでに

がきずついている子どもには、「がんばれ」は禁句。

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学習面で伸ばす

●子どもの点数は問題にしない。「何点だった?」「平均点は何点?」ではなく、「どこをまちが
えたの?」「あとで一緒に考えてみようね」と言う。


=====================================

生活面で伸ばす

●「あとかたづけをしなさい」ではなく、「遊ぶときは、一つだけですよ」と言う。子どもは次の遊
びをしたがため、前の遊びを片づけるようになる。



=====================================

学校生活で伸ばす

●「先生の話をよく聞くのですよ」ではなく、「わからないことがあったら、先生によく質問して、
わかるまで聞くのですよ」と言う。

=====================================

そのほか……

●「家族を大切にしようね」と、いつも口癖にする。子どもの心から「人」を奪ってはいけない。
「家族」を奪ってはいけない。「いい高校へ入れ」「いい大学へ入れ」と言うことは、子どもの心
から「人」を奪うことになるから注意。今、おとなでも、営業成績しか心の中にいない人はいくら
でもいる。心さみしいおとなたちである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

(子どもを伸ばす会話術)

●「立派な人になれ」ではなく、「尊敬される人になれ」と言う。(価値観を変える)

●「社会で役立つ人になれ」ではなく、「家族を大切にしようね」と言う。

●「先生の話をよく聞くのですよ」ではなく、「わからないことがあったら、先生によく質問する
のですよ」と言う。(親の指示に具体性をもたせる)

●「こんな点でどうするの!」ではなく、「どこをどうまちがえたか、あとで話してね」と言う。

●「がんばれ!」ではなく、「気を楽にしてね」と言う。(苦しんでいる子どもに、「がんばれ」は
禁句)

●「あとかたづけをしなさい」ではなく、「あと始末をしなさい」と言う。(あと片づけとあと始末は、
基本的に違う)

●「〜〜を片づけなさい」ではなく、「遊ぶときはおもちゃは一つよ」と言う。

●「〜〜しなさい」ではなく、「〜〜してほしいが、してくれる?」と言う。(命令はできるだけ避
ける)

●「友だちと仲よくしなさい」ではなく、「(具体的に)これを○○君にもっていってあげてね。き
っと喜ぶわ」と言う。

●「(学校で)しっかりと勉強するのですよ」ではなく、「学校から帰ってきたら、先生がどんな
話をしたか、あとでママに教えてね」と言う。

●「はやく〜〜しなさい」ではなく、「この前より、はやくできるようになったわね」と言う。

●「どうしてこんなことをするの!」ではなく、「こんなことをするなんて、あなたらしくないね」と
言う。

●「あなたはダメな子ね」ではなく、「あなたはこの前より、いい子になったね」と言う。(前向き
のプラスの暗示をかける)

●「あなたは〜〜ができないわね」ではなく、「〜〜がうまくできるようになったわね」と言う。
(欠点を積極的にほめる)

 親の会話力が、子どもを伸ばす。(もちろんつぶすこともある。)ほかにもたとえば直接話法

はなく、間接話法で。英語の文法の話ではない。たとえば「あなたはいい子だね」と言うのは、
直接話法。「幼稚園の先生が、あなたはいい子だったと言っていたよ」というのは、間接話法

ど。あるいは会話を丸くしたり、ときにはユーモアをまぜる。たとえば指しゃぶりしている子ども
には、「おいしそうな指だね。ママにもなめさせてね」とか、「おとなの指しゃぶりのし方を教え

あげようか」などと言う。コツは、あからさまな命令や禁止命令は避けるようにすること。何か

どもに命令しそうになったら、ほかに言い方はないかを考えてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 会話
 
会話術)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【満60歳の誕生日に】

●もうすぐ60歳!

+++++++++++++++

私も、もうすぐ満60歳!
その満60歳に際して、ここで
自分自身を特集してみたい。

題して、「満60歳の私」。

どこかくすぐったい感じがしないでも
ない。が、年齢だけは、みな平等に、取る。

「ああ、いやだ!」といくら叫んでも、
その時はやってくる。やってきた。

誕生日は、10月2x日。1947年
生まれ!

+++++++++++++++

●時間性

 ワイフが言う。「いやだったら、気にしなくていいのに」と。しかし気になる。世間では、「還暦」
とか何とか言う。気になる。が、何、それ?

 ところで、その人がもつ時間性というのは、個人によって、みなちがう。世の中には、1年を1
日のようにして過ごす人もいれば、1日を、1年のようにして過ごす人もいる。そのことがわか
らなければ、台所のテーブルに止まる、ハエを見ればよい。せわしなく手足を動かし、あっと
いう間にやってきて、あっという間に去っていく。

 もしあれと同じ行動を人間にしろと言われたら、1時間、かかるかもしれない。あるいはこん
なことも。

 一匹の蚊がやってきた。その蚊が、私の足の先から頭のところまで、スーッとあがってきた。
人間の高さに換算すると、約500メートル。(疑う人は、自分で計算してみたらよい。)つまり蚊
は、人間にすれば500メートルの高さの山を、数秒のうちに、あがったり、さがったりしている。

 もし人間が同じことをしようとしたら、ヘリコプターを使っても、5〜10分はかかる。歩いて、
登ったりおりたりすれば、1日、かかるかもしれない。

 つまり人間のもつ時間性は、蚊のもつ時間性の、数百分の1ということになる。蚊にすれば
人間は、恐ろしく動きが鈍く見えることだろう。

 これは人間と蚊の話だが、同じ人間どうしでも、時間性は、みな、ちがう。わかりやすく言え
ば、時間性は、その密度で決まる。時間性の濃い人もいれば、そうでない人もいる。

●濃密な人生

 限られた人生なら、時間性は濃ければ濃いほど、得ということになる。平均的な人が10日
かかってすることを、1日で、できる。単純に計算すれば、自分の人生を、10倍にすることが
できる。

ここでいう「得」という実感を得るのは、なかなかむずかしい。他人より10倍分濃い人生を送っ
たからといって、その10倍を実感するのは、むずかしい。が、反対に、時間を無駄にしたとき
に、それがわかる。くだらないテレビ番組などを、つい見るとはなしに見てしまったようなばあ
いである。そういうとき、私のばあい、「しまった!」と思う。

だからその人に与えられた時間の長さは同じでも、それをどう使うかは、それぞれ個人の問題
ということになる。ダラダラと、だらしない時間の過ごし方をすれば、時間だけが無益に過ぎて
いく。

 それはたとえて言うなら、貯金のようなもの。「時間」という貯金である。時間イコール、「命」
と置き換えてもよい。その貯金にはかぎりがある。浪費すれば、あっという間になくなってしま
う。有効に使えば、それなりに長く使うことができる。

●脳みその穴

 が、ここでひとつの問題が起きる。

 年を取ればとるほど、脳みその底に穴があくということ。多くの人は、一度頭の中に入った情
報や知識は、そのままの状態でいつまでも脳みその中に残ると考える。しかしこれは誤解。あ
る年齢を超えると、あたかも脳みその底に穴があいたかのように、情報や知識は、どんどんと
下へこぼれ落ちていく。

 私も、パソコンを使って数か月前にできたことが、できなくなることが、しばしばある。たとえ
ばソフトの使い方、など。英語の単語にしても、40歳を過ぎて覚えた単語というには、数える
ほどしかない。

 さらに思考そのものが、ループ状態になることもある。毎日、同じことを考えているだけ。毎
週、同じことを考えているだけ。さらに毎年、同じことを考えているだけ、と。

 一度、こういう状態になると、進歩など、望むべくもない。そういう状態のときに、脳みその底
に穴があくと、今度は、一気に、脳みその働きは鈍くなる。

 が、さらに悲劇はつづく。そういう状態になりながらも、その人自身が、それに気づくというこ
とはない。脳みそのCPU(中央演算装置)そのものが鈍くなる。コンピュータにたとえるなら、
CPUのクロック数そのものが少なくなるため、全体に脳の働きそのものが全体として、遅くな
る。だから自分では、気づかない。

 ひとつの例だが、脳のCPUが鈍くなると、話し方そのものが、遅くなる。同時に、早口で話す
人の言葉が理解できなくなる。

●精進

 そこで釈迦は、「精進(しょうじん)」という言葉を考えた。「死ぬまで、精進あるのみ」と。

 脳みその底に穴があくなら、それはしかたのないこと。だれでも、そうなる。体の筋肉が衰え
るように、脳みその機能も衰える。そこで重要なことは、漏れ出る以上のものを、上から補うと
いうこと。

 10の情報が漏れ出たら、20の情報を補う。100の情報が漏れ出たら、200の情報を補う。

 つぎに思考のループ性。同じことを、毎日、同じように考える。そういうループ性をどこかで
感じたら、そのループ性から抜け出ること。が、実際には、これがむずかしい。そこで人は常
に、
新しい世界に興味をもち、それに挑戦していく。その結果として、ループ性から抜け出る。

 新しい思想に接する。新しい分野に挑戦する。新しい人に出会う。

 もっともこんなことは、私が書くまでもなく、常識と考えてよい。つまり新しい世界を知ること
により、その反射的効果として、自分のループ性に気がつくことができる。ループ性から、抜け
出ることができる。

●生きるということは、考えること
 
 さて、虫の話に戻る。

 虫がもつ時間性が、かりに人間のもつ時間性の10倍であるとする。(「10倍」でも、ひかえ
めな数字だが・・・。)もし虫が時計を考えたとしたら、時針、分針、秒針のほかに、もうひとつ、
1秒で1周する、細い針を考えるかもしれない。虫の動きは、人間の動きとくらべても、明らか
に10倍は、速い。

 が、その虫が、では人間とどこがちがうかといえば、答はひとつ。虫には、思考能力がないと
いうこと。与えられた情報をもとに、それを加工し、利用していく能力はあるかもしれないが、
思考能力はない。

 思考能力というのは、分析力、そして論理力で構成される。だからいくら脳のCPUのクロック
数が速いからといっても、それがそのまま、虫の脳みその性能につながるとは、考えられな
い。
たとえて言うなら、ソフトのインストールされていない、パソコンのようなもの。

 思考能力というのは、それほどまでに高度なもの。かつ、思考するには、時間がかかる。こ
れもパソコンにたとえていうなら、パソコン自らがプログラムを組んでいくようなものかもしれ
ない。虫の目からすると、思考している人間は、まるで眠っているかのように見えるかもしれ
ない。

 しかし、だからといって、その分だけ、虫の人生が、人間のそれより密度が濃く、その分だけ
長いというかというと、そういうことはない。虫は虫として、(思考といえるようなものがあるかど
うかは、わからないが)、思考をループさせているだけ。

 そういう点では、虫は、「息(いき)ている」かもしれないが、「生(いき)ている」ことにはならな
い。ただこういうことは言える。

 人間から見れば、虫の一生は、数週間から数か月かもしれないが、虫自身は、それを短い
などとは思っていないということ。活動の量ということになると、かりにここに書いたように、10
倍とするなら、虫にとっての1年は、人間の10年分ということになる。

が、それでも虫は、「息ているだけ」。言い換えると、「息ているだけ」では、虫と同じ。人間がな
ぜ虫とはちがうかといえば、(考える)ところにある。その(考える)という部分が、人間と虫を分
ける。また考えるからこそ、人間は人間としての価値を維持することができる。

●長く生きる 

 平均寿命という言葉がある。それに対して、健康寿命という言葉もある。健康寿命というの
は、健康でいられる寿命をいう。ふつう(平均寿命)−10が、(健康寿命)と言われる。たとえ
ば平均寿命が84歳なら、84−10=74歳が、健康寿命ということになる。

 残りの10年は、不健康年齢ということになる。病気を繰り返したり、頭がボケたりする。つま
りそれまでが勝負。

 この計算式に従えば、私の健康寿命は、残り、10数年しかないということになる。(たったの
10数年だぞ!)「60歳」という年齢を気にするとすれば、むしろそちらの方である。「還暦(か
んれき)」とか何とか、そんなくだらない言葉に、振り回される必要はない。「残り、10数年しか
ない」という視点で、自分に緊張感を奮(ふる)い立たせる。

●これからの人生

 ではどうすれば、私は、残りの10数年を、有意義に過ごすことができるのか。人間として、
「生きる」ことができるのか。ただこのばあいも、「10」とか、「20」とかいう数字に、まどわされ
てはいけない。冒頭に書いたように、世の中には、1年を1日のようにして過ごす人もいれば、
1日を、1年のようにして過ごす人もいる。

 もし1年を10年にして生きることができれば、私の人生は、10倍の10年に延びることにな
る。

 そのひとつの方法が、「考える」ということになる。私のばあい、「真」の追求ということにな
る。
ほかにも、「善」の追求をする人もいるだろう。「美」の追求をする人もいるだろう。人は、人そ
れぞれだが、してはいけないことだけは、はっきりとしている。

 明日も今日と同じ。来月も今月と同じ。来年も今年と同じ・・・という人生には、意味はない。
そんな人生の送り方だけは、してはいけない。それこそ、10年を1年にして生きるだけ、という
ことになる。もっと言えば、ただ死を待つだけの人生ということになる。

●人間は中身
 
 60歳になったからといって、60歳らしく生きなければならないということはない。またそんな
ことを、考える必要もない。中には、「コンパクトな人生論」を説く人もいる。生活のレベルをさ
げ、範囲を狭くする。しかしどうしてコンパクトでなければ、ならないのか。

 どうせ死ねば、私もろとも、この宇宙すべてが消えてなくなる。だったら、それまでの人生。
それまで生きて、生きて、生き抜く。未練の痕跡を残さないほどまでに、燃やし尽くす。私はひ
とり。そのたったひとりの私が、どうして他人に遠慮しなければならないのか。自分という人間
に遠慮しなければならないのか。

 バカめ!

 恩師の田丸謙二先生は、先日、私にメールをくれた。その中で、先生は、「老いと戦うすばら
しさ。感謝、感謝」と書いていた。

 人は老いることにより失うものも多い。それは事実だし、避ける方法もない。しかし同時に得
るものも多い。その第一。人は老いてはじめて、生きることのすばらしさを知る。生きることの
価値を知る。あのアインシュタインは、かつて、こう言った。『生きていること自体が奇跡』と。
それが実感としてわかるようになる。

 私にしても、今の命が、あと何年つづくかわからない。ひょっとしたら、あと数か月かもしれな
い。が、それまで燃えて燃えて、燃やし尽くす。明日、死の宣告をされても、ジタバタしないよ
うに、今日を懸命に生きる。来年、死の宣告をされても、ジタバタしないように、今年を懸命に
生きる。10年後に死の宣告をされても、ジタバタしないように、この10年間を懸命に生きる。

 私の人生は、満60歳から、始まる! さあ、ここはしっかりと、はちまきを締めなおしてがん
ばろう!

【団塊の世代へ】

 私たちが満75歳までがんばれば、つまり何らかの形で現役として働けば、少子化の問題は
解決する。元気で働ける人だけでよい。それで少子化の問題は、解決する。仮に団塊の世代
と呼ばれる人の中の30%の人が、75歳まで働いたとすると、日本の労働人口は、私の試算
では、2015年から、労働者人口は、増加に転ずる※。

 だから元気で働けるうちは、元気で働こう。それは義務というより、特権である。元気で働け
る者の特権である。元気で働ける者が働けば、そうでない人たちの分まで、カバーする。

 不運にも、50代、60代で、大病をわずらう人もいるかもしれない。認知症になる人もいるか
もしれない。そういう人たちのためにも、元気で働ける人が働けば、回りまわって、結局は、そ
ういう人たちのためになる。

 元気で働ける人が、庭いじりや、孫の世話などで、時間をつぶしてはいけない。年金をアテ
にして、遊んで暮らしてはいけない。生活の合間にするのは、それはそれでかまわない。しか
しそれが決して、あるべき老後の姿ではない。またそういう生活を、理想の老後と思ってはい
けない。

注※

 乱暴な計算だが、団塊の世代(昭和22年〜26年生まれ)、200万人x5年分x0・3=600
万人。つまり30%の人たちが働きつづければ、600万人の労働人口を、団塊の世代だけで、
カバーすることができる。これらの人たちが、満70歳〜75歳の間も働けば、2015年以後、
少子化で減少する労働人口、約500万人分をカバーすることができる。

 さらに私たちのあとにつづく者たちが、同じように75歳まで働けば、少子化の問題は、その
まま霧散する。

 私たち団塊の世代は、戦争を経験することもなく、豊かな繁栄の時代を生きることができ
た。
それなりにきびしい時代ではあった。が、世界的に見れば、私たちはたいへん恵まれた時代
を生きたと言える。そこで私たちに残された責務は、ただひとつ。次の世代の人たちに、その
豊かさを、遺産として残すことである。還元することである。

 繰り返すが、元気で働ける者が、元気で働けるというのは、まさに特権である。その特権を、
おおいに楽しもう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 60歳
 
還暦 満60歳)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(9月28日)

+++++++++++++++++++

楽天のほうで、日記風エッセーを書いている。
それが昨日、500件のアクセスを記録した。

500件といっても、ダブってアクセスしてくれた
人も多い。それにそのうちの何割かは、私の
日記を読むためではなく、読んで自分のサイト
の宣伝のためにアクセスしてくれた人。

だから500件といっても、実際には、アクセス
し、私のエッセーを読んでくれた人は、200〜
300人程度ということではないか。

それにしても、すごい!

そこで今朝は、その記録に挑戦してみることに
した。

650件を超えれば、アクセス数上位30位以内に
ランクされる。

ランクされたところで、私にはメリットは」ない。
しかしおもしろそう。

早朝からエッセーをUPLOADすれば、その
分だけ、読者数がふえる。だから今朝は、
4時半起き。(4時半だぞ! ハハハ!)

で、今は、午前7時半。さきほど楽天日記の
アクセス数を調べたら、160件になっていた。

この分なら、今日は、600件を超えるかも
しれない。がんばろう!

まったく意味のない挑戦だが、一度はしてみる
価値がある?

どうかみなさん、私の楽天日記を読んでください。
よろしくお願いします。

+++++++++++++++++++

【ヤング・オールド・マン】

●価値

 賢い人は、失う前に、その価値を知り、愚かな人は、失ってから、あわてて、その価値を知
る。

 わかりやすい例では、健康がある。健康のときは、健康の価値というのがなかなかわからな
い。病気になったり、けがをしたりしたときに、その価値を知る。

 同じように、仕事がある。仕事をしているときは、仕事をしていることに価値というのが、なか
なかわからない。「早く休みになればいい」とか、「できるだけ楽をしたい」とか、考える。

 しかしその仕事がなくなると、とたんに心の中に、ポッカリと穴があいたような状態になる。
それがわからなければ、その反対の状態を想像してみればよい。もしあなたがこう言われた
としたら、あなたは、どう思うだろうか。

 「あなたはもう、何もしなくていい。あなたの役目は終わった。あなたには用はない」と。

 あなたはそれを喜ぶことができるだろうか。「長い休暇を手にした」と、喜ぶことができるだろ
うか。答は、NO!、のはず。

 人間の価値は、他者とのかかわりの中で、決まる。同時に、生きる価値も、他者とのかかわ
りの中で、決まる。人間は、いつも他人というカガミに自分の姿を映しながら、自分を知る。そ
れもなく、いわんや、死を待つだけの人生に、いくら健康であっても、あなたは、それに耐える
ことができるだろうか。

 私の知人にこんな老人がいる。55歳で定年退職してからというもの、優雅な(?)年金生
活。
一日とて、働いたことがない。間に、数年ほど、地区の補導委員のようなことはしたことがあ
る。
が、それだけ。近所のゴミ拾いすら、したことがない。

 家の裏に70〜80坪ほどの畑をもっているが、まさに庭いじり三昧(ざんまい)。健康なとき
は、朝から夕まで、その庭で遊んでいる。

 が、このところ健康が、思わしくなくなってきた。年齢は85歳を超えているのではないか。肥
満も重なった。歩くのもままならない。ときどき、妻に支えられて、庭の中を行ったり来たりして
いる。

 つまりその老人は、定年退職と同時に、死んだも同然という状態になった。一見、うらやまし
いような老後生活に見えるが、しかしそんな生活を、だれも、理想的な生活とは思わない。そ
の老人は、30年という年月を、1年、あるいは1か月にして過ごしただけ。

 (少し、言いすぎかな?)

 私も、ある時期、教材づくりに没頭したことがある。それなりに楽しかった。お金にもなった。
しかし今、振り返ってみると、そこに何もないことを知る。反対に、だれかに利用されただけと
いう思いだけが、今になって、日増しに強くなってきた。

 つまり仕事といっても、中身の問題もある。そういうことはあるが、「時間を無駄にした」という
思いは、年齢とともに、ボディブロウのように、ジワジワと体に響く。もし「後悔」という言葉が当
てはめるとしたら、そういう状態を、「後悔」という。

 そこで改めて、仕事論。

 仕事ができるということは、まさに権利であり、それができる者にとっては、特権である。繰り
かえしになるが、賢い人は、失う前に、その価値を知る。

+++++++++++

(付記)

 ところで昨日、電車に乗ったら、こんなポスターを見かけた。歌舞伎俳優の顔写真を背景
に、
「老人力……」うんぬんという文言が書いてあった。要するに、「老人よ、働こう」という内容の
ポスターだった。

 それを見て、私なら、「ヤング・オールド・マン」という言葉を使うのに思った。

 ニュアンスとしては、年を取っても、現役で働くことができる元気な老人という意味である。
それについて書いた原稿がある。

+++++++++++

●ヤング・オールド・マン

ワ「私たちは、おかげで、健康よ。私、よく思うの。こうして無事、今まで、生きてこられただけ
でも、不思議な気がするわ」
私「そうだね。健康だったということは、ありがたいね。仕事も、いろいろあったけど、とにかく、
順調だった。ぜいたくはできなかったけれど、そこそこに、いい生活はできた」
ワ「そうよ、まず、それに感謝しなければいけないわよ」

 私たちは、通りに出ると、駅に向って歩き始めた。近くに水族館があった。が、火曜日は、休
館日ということだった。その少し向こうには、何かのテーマパークがあるということだった。しか
しそこへ行くのはやめた。時刻は、午後の2時になろうとしていた。

 私たちは、裏通りを歩いた。静かな裏通りだった。途中、1人の大工さんが道路で、角材を
電動ノコで切っていたが、私たちが見かけたのは、その男だけだった。

 空き地に「蒲郡定住促進事業」という立て札が立てられているのを見たとき、ふと、「この町
も、不景気でたいへんなんだな」と思った。

私「あのころぼくたちには、何もなかった。でも、今は、何でもそろっている。家もあるし、車もあ
る」
ワ「そうよ、やっとあなたの考え方が、前向きになってきたわ」
私「そうだよな。これが前向きの考え方って、言うんだよね」
ワ「そうよ、ものは、そういうふうに考えたほうがいいのよ」

私「子育ては、重労働だった。たいへんだった。でも、今は、それも終わった。もう孫育てなん
て、ごめん。クソ食らえ!」
ワ「そうよ、孫のことは、息子たちに任せればいいのよ。あなたが心配しても、始まらないの
よ」
私「ぼくたちはぼくたちで、自分の人生を楽しめばいい」
ワ「そうよ、そうなのよ。私たちは、ヤング・オールド・マンよ」
私「そうだ、ぼくたちは、ヤング・オールド・マンだ」

 工事中の通路を、やけに長く感じた。私たちは、通路を抜けると、プラットフォームに出た。
そして帰りの電車に乗った。

●第二の人生

 老後は、第二の人生の始まりという。姉も、少し前、私にこう言った。何かのことで、私がグチ
をこぼしたときだ。

 「浩ちゃん、何、言ってるのよ。これからが、一番楽しいときになるのよ。夫婦、2人だけで、
好きなことができるのよ。旅行でも、何でも、よ」と。

 その姉の話をワイフに言うと、「それみなさい」というような表情を、私にしてみせた。私は私
で、それを見て笑った。

 私の考え方は、たしかにうしろ向きだった。マイナス思考というのだ。しかし、年齢などに、ど
ういう意味があるというのか。そこには、青い空があり、晴れた陽光がある。何を、私は恐れ、
何を心配しているのか。

 おかげで、健康だ。自由だ。その気になれば、やりたいことを何だって、できる。私に命令す
る人はいない。命令できる人も、いない。

 浜松駅へ着くころ、私はワイフにこう言った。

 「いつも出かけるときは、今日はやめようかと思う。しかし帰ってくるころになると、出かけて
よかったと思う。今度の土曜日も、どこかへ行こうか」と。

 それを聞いて、今度はワイフが、うれしそうに笑った。

 駅前では、青色申告会の人たちが、ビラを配っていた。それを見て、「あの人たち、みんな知
っているわ。いつもお世話になっている人たちよ」と。

 相変わらず、白い陽光が、かわいた路面を明るく照らしていた。私たちは、人目もはばから
ず、手をつないで歩いた。
(終わり)

【老齢問題】

 例外なく、だれもが直面する問題。それが老齢問題。

 その老齢問題について、私は今、大きな心境の転換期を迎えている。ただ単なる一時的な
思いこみかもしれない。あるいはやがてすぐ、またもとに戻ってしまうかもしれない。

 しかし、今、私は、たしかに、ものの考え方を変えつつある。

 その一。老齢は、人生の終わりの始まりではないということ。いつしか人間は、年齢を、時代
ごとに、区切って考えるようになった。幼児期、少年期、思春期……と。しかしこうした区切り
方そのものが、まちがっている。そしてその区切り方に応じて、自分の人生を考えることは、ま
ちがっている。

 50年も、自分の体だって、少しくらいは、ガタがくる。そんなことは、当然のことではないか。
しかしだからといって、私の目に映る空は、少し白っぽくなったかとは思うが、私が、30年、40
年前に見た、あの青い空と、どこもちがわない。

 木々の緑も、雲の白さも、そうだ。

 私は、何も失っていない。何も、なくしていない。

 むしろ、あの切なくて、わびしかった30年前とくらべただけでも、今は、(すべてのもの)が、
そこにある。家族もいるし、家もある。仕事もある。その私が、どうしてマイナス思考をしなけれ
ばならないのか。

 もう一度、あのゲオルギウの言葉を、ここでかみしめてみようではないか。

ゲオルギウというのは、ルーマニアの作家。一九〇一年生まれというから、今、生きていれ
ば、
一〇二歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわか
っていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。

 老齢を認めるかどうかは、その人の問題。しかし認めたところで、マイナス思考になることは
あっても、何も、よいことはない。だったら、認めないこと。気にしないこと。忘れること。頭の中
に置かないこと。

 さあ、これから私は、運動にでかけるぞ。途中、本屋とパソコンショップに寄るぞ。子どもたち
とワイワイと騒いでくるぞ。したいことをするぞ。
(041117)

【付記】

 「幼児だから……」「子どもだから……」と、私たちは、子どもを見るとき、安易に、そう決めて
かかる傾向がある。

 それについては、私は、常、日ごろから、「おかしい」と主張してきた。しかし何のことはない。
実は、その自分が、自分に向って、「団塊の世代だから……」「初老だから……」と、決めてか
かっていた。

 明らかに、私は矛盾している。その矛盾に、今日、気がついた。

【団塊の世代の仲間へ……】

 ……と書いても、私の原稿の読者には、団塊の世代の人は、ほとんどいないと思うが、あえ
て宣言。

 私たちは、ほとんど何もわからず懸命に生きてきた。今も、生きている。さあ、これからも懸
命に生きていこう。

 思い出してみようよ、あの貧しかった時代。あの時代から見れば、私たちは、今、夢のような
生活をしているではないか。

 まだ30年は、がんばれるぞ! がんばるぞ! そこらの若者たちなんかに、負けてたまる
か!

 
+++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●我ら、ヤング・オールド・マン!

 青春時代と、今の時代を比較する。その比較をしながら、人は、老齢期が近づくと、(失った
もの)をなつかしみ、そしてその反動として、自分のおかれた立場を嘆く。

 しかし本当に、そうだろうか? 私たちは、青春時代にもっていたものを、本当に失ったのだ
ろうか? そう思いこんでいるだけでは、ないだろうか?

 南こうせつとかぐや姫の歌う歌に、「神田川」がある。「♪あなたは、もう、忘れたかしら……」
という歌詞の、あの歌である。
 
 あの歌を耳にするたびに、涙を流す人も、多いはず。私もその一人だが、まさにあの歌詞の
ままの状況を、私も経験している。そういう時代を思い出すと、この「今」という時代は、夢のよ
うな時代ということになる。

 物質的な繁栄だけではない。当時、こんなことを思ったことがある。結婚当初、私たちは、6
畳1間のアパートに住んでいた。つぎに移ったアパートも、4畳と6畳、それに狭い台所と食堂
だけだった。

 仕事も不安定で、収入も、それ以上に、不安定だった。そんな私は、ある日、近くの家を見
ながら、こう思ったことがある。「ぼくたちも、いつか、あんな家が持てるのだろうか」と。

 そのときの私は、家をもつことなど、永遠に不可能に感じた。「家」というより、家がもつ家庭
的なぬくもりをもつことなど、永遠に不可能と感じた。私には、縁のない話だと思っていた。

 もちろん仕事も、そうだった。幼稚園の講師といったところで、今でいうフリーターのようなも
の。若い女性の先生にすら、軽んじられた。はっきり言えば、バカにされた。

 そんな私が、57歳になった。たいした人間にはなれなかったが、しかしそれでも、あの時代
の「私」とくらべれば、夢のような「私」になった。家もある。車もある。それに何よりもすばらし
いことに、家族もある。家庭もある。若いときのように、もう私は、孤独ではない。

 そうして考えてみると、私が失ったものは、何もないことに気づく。もともと美貌とかスタイル
などといったものは、私には、無縁のものだった。顔にシワがふえたところで、また髪の毛が
白くなったところで、私は、それを気にしたことはない。

 ただ女性に、年ごとに相手にされなくなったのは、感じている。が、だからといって、それがど
うなのか? 仮に今、私が、若い女性に好意をもたれたところで、私にとっては、レストランの
ウィンドウに飾られた料理のようなもの。手をのばすことすら、できない。

 平均寿命のことを言う人もいる。57歳といえば、残りの寿命は、約30年弱ということになる。
しかしその平均寿命にしても、若いから、長いとか、老齢だから短いと言うことにはならない。
「死」の恐怖は、世代をこえて、だれにでもある。

 その恐怖が、多少、大きくなっただけ。しかしその一方で、今まで生きてこられたことに感謝
する。そんな気持ちが生まれてきた。

 大切なことは、健康であるかどうかということよりも、健康管理ということになる。さらに言え
ば、「今」をどう生きるかということになる。

 私は今まで、老齢になる私を、少し、おおげさに考えすぎていた。まちがっていたというので
はない。しかし老齢を気にするあまり、もっと大切なものを、見落としていた。私は、それに
今、
気づいた。

 我ら、ヤング・オールド・マン(YOM)は、若いのだ!

【YOMの規約】

第1条

 結婚生活20年以上、子育てが終わりに近づいた、あるいは終わった我らを、ヤング・オー

第2条

 我らYOMは、(1)健康管理を第一とし、(2)日々に新しいテーマについて考え、(3)常に前
向きに生きていく。

第3条

 我らYOMは、(1)利他、つまり奉仕と還元の精神を大切にし、(2)自己管理を徹し、(3)他
者と良好な人間関係を築く。

第4条

 我らYOMは、日々に(1)やるべきことを完遂し、(2)やりたいことをし、(3)悔いを残さない
ことを、モットーとする。
(はやし浩司 YOM規約 ヤングオールドマン ヤング オールド マン)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「斎藤J」という評論家

++++++++++++++

子どもにはナイフをもたせろ。
親が子どもを信頼していると
いう証(あかし)になる。

そう説いたのは、斎藤J氏で
ある。

A新聞社の発行する、冊子型
文庫本の中に、そう書いてあった。

その斎藤J氏が、今度、大麻
取り締まり法違反(所持)で、
息子のM氏とともに、現行犯
逮捕された。

斎藤J氏の年齢は、68歳だった
という。

++++++++++++++

 どこか、へん? どこか、おかしい? ……私は斎藤J氏の教育評論を、いつもそんな目で
読んでいた。

 その第一。臨場感がない。子どもの息を感じない。頭の中だけで、教育論を組み立ててい
る。
それを氏自身も感じたのか、斎藤J氏は、55歳という年齢で、青森県のある小学校で1年間、
生徒として、授業を受けている。小学校4年生のクラスであった。マスコミでも、話題になっ
た。

 それについては、私はたびたび批判してきた。どこか、へん? どこか、おかしい? どこ
か、
常識をはずれている?

 ほかに、「子どものオムツをはめてみろ。子どもの心理がわかる」と説いた評論家もいた。
で、
その評論家は、たぶん老人用のオムツだと思うが、それをはいていた。その写真は、その評
論家のHPにも載っている。

 その斎藤J氏が、こんど大麻取り締まり法違反(所持)で、現行犯逮捕された。あろうことか、
長男のM氏も、同時に逮捕されたとか。私はこの記事を読んで、最初に感じたことは、「ありえ
る」だった。

 斎藤J氏の評論で、もっとも印象に残っている記事が、冒頭に書いた、「子どもにはナイフを
もたせろ」である。とんでもない意見というか、またそんなことで、親子の絆(きずな)が太くな
るというものでもない。

 バカげている! そのバカげているという部分で、今回の大麻取り締まり法違反と、一貫性
をもって、つながっている。

 で、そのしばらくあと、中学生によるナイフ殺傷事件がつづいた。同時に、斎藤J氏のこの意
見もなりを潜めた。

 それにしても、教育界は、今、いったい、どうなっているのだろう。

 この数日間だけでも、あちこちの教頭(副校長)や教師たちが、ハレンチ事件を引き起こし、
逮捕されている。ヤフー・ニュースに載っただけでも、3人! うち1人は、この静岡県の教師。
そして今度は、斎藤J氏!

 「教育者」と呼ばれる人がいちばん警戒しなければならないのは、仮面。ペルソナ。ある程
度の仮面は、だれしもかぶるものだが、その仮面をはずし忘れると、内面世界が分裂する。そ
の分裂した一部が、シャドウとなって、その人の「影(シャドウ)」(ユング)になる。

 これがこわい。

 3月にオーストラリアへ行ってきたが、そのときも、こんな話を聞いた。

 オーストラリアでは、牧師による少年、少女への性的虐待事件が、あとを絶たないという。毎
月のように問題になるという。日本では、それが教師? ともに聖職意識が強い? その聖職
意識が、心をゆがめる。

 ついでに一言。

 静岡県で逮捕された男性教師(52歳)は、こう弁解したという。「親の介護づかれで……」
と。

 記事をよく読むと、その教師の親は、最近、老人介護施設に入居したとある。となると、介護
疲れは、理由にならない。

 それに私も経験しているが、介護疲れイコール、憂さ晴らしのために、ハレンチ行為というの
は、筋が通らない。親の介護は疲れる。それは事実だが、しかしそれは(怒り)。親に対する怒
りもあるが、自分自身に対する、怒り。

 親の介護をしていると、その怒りが心の中に、充満する。たとえば下痢で汚れた母の尻を拭
いているようなとき。それを許せない自分に、怒りを覚える。その怒りとの戦い。しかしそれ
は、
「介護疲れ」とは、まったく異質のもの。

 「親の介護疲れで……」という記事を読んだとき、即座に、私はこう思った。「そのように言え
ば、同情されるとでも思ったのだろう」と。

 さて、今ごろ、斎藤J氏は、取り調べで、どのような弁解をしているのだろう。

+++++++++++++++

「子どもにはナイフを渡せ」について。
以前、書いた原稿を転載します。

+++++++++++++++

●暴論は疑う

++++++++++++++

子育ての世界には、暴論と
呼ばれるメチャメチャな
育児法がある。

そうした暴論には、みなさん、
くれぐれも、ご注意!

++++++++++++++

 少し前、子どもの不登校や情緒障害を、怒鳴り散らして「治す(?)」という指導者がいた。テ
レビでも何度か紹介されたことがあるが、ただただ(?)クェスチョンマークだけが並ぶような
指導法だった。

 ときとしてこういう暴論が、世間をにぎわす。少し前には、Tヨットスクールというのがあった。
死者まで出す、めちゃめちゃな指導法だったが、当初は、マスコミにも取りあげられ、結構話
題になった。
 
 私はずっと子育てや、育児論を最前線で見てきたが、結論はただひとつ。「暴論は疑う」だ。

 子どもの心は、ときとしてガラス箱のように、デリケートでこわれやすい。そしてこわれた心
は、こわれたガラス箱のように、簡単には、もとに戻らない。それこそ一年単位の時間と努力
が必要。それを数回、怒鳴っただけで治す(?)とは! 私もその指導者が書いた本を、二冊
買って読んだが、正直言って、「?」の本だった。一冊は、自分が高校生のとき、父親の車を
盗んで、無免許で乗り回したとか、そういう話が書いてあった。つまり「そういう経験が、今、役
にたっている」と。

 それ以上のことは私にはわからないので、反論のしようがないが、子育てには、近道も抜け
道もない。あるとすれば、あなたがそこにいて、子どもがそこにいるという事実。その事実だけ
を冷静に見つめて、子育てをすればよい。仮に子どもに問題があったとしても、「なおそう」と
か、「なおしてやろう」とか、さらには、「なおさなければ」と思う必要はない。今ある事実を、あ
るがままに受け入れて、その中で、あなたとあなたの子どもの人間関係をつくればよい。

 つぎの原稿は、こうした暴論について書いたもの。

+++++++++++++++++++++++

(暴論1)

●スパルタ方式への疑問

 スパルタ(古代ギリシアのポリスのひとつ)では、労働はへロットと呼ばれた国有奴隷に任
せ、
男子は集団生活を営みながら、もっぱら軍事教練、肉体鍛錬にはげんでいた。そのきびしい
兵営的な教育はよく知られ、それを「スパルタ教育」という。

 そこで最近、この日本でも、このスパルタ教育を見なおす機運が高まってきた。自己中心的
で、利己的な子どもがふえてきたのが、その理由。「甘やかして育てたのが原因」と主張する
評論家もいる。しかしきびしく育てれば、それだけ「子どもは鍛えられる」と考えるのは、あまり
にも短絡的。あまりにも子どもの心理を知らない人の暴論と考えてよい。やり方をまちがえる
と、かえって子どもの心にとりかえしのつかないキズをつける。

 むしろこうした子どもがふえたのは、家庭教育の欠陥と考える。(失敗ではない!)その欠陥
のひとつは、仕事第一主義のもと、家庭の機能をあまりにも軽視したことによる。たとえばこの
日本では、「仕事がある」と言えば、男たちはすべてが免除される。子どもでも、「宿題がある」
「勉強する」と言えば、家での手伝いのすべてが免除される。こうした日本独特のおかしさは、
外国の子育てと比較してみると、よくわかる。

ニュージラーンドやオーストラリアでは、子どもたちは学校が終わり家に帰ったあとは、夕
食がすむまで家事を手伝うのが日課になっている。こういう国々では、学校の宿題よりも、
家事のほうが優先される。が、この日本では、何かにつけて、仕事優先。勉強優先。そして
その一方で、生活は便利になったが、その分、子どものできる仕事が減った。

私が「もっと家事を手伝わせなさい」と言ったときのこと、ある母親は、こう言った。「何をさせ
ればいいのですか」と。聞くと、「掃除は掃除機でものの一〇分ですんでしまう。料理も、電子
レンジですんでしまう。洗濯は、全自動。さらに食材は、食材屋さんが届けてくれます」と。こう
いうスキをついて、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。で、ここからが問題だが、ではそういう形
でドラ息子、ドラ娘になった子どもを、「なおす」ことができるか、である。

 が、ここ登場するのが、「三つ子の魂、一〇〇まで」論である。実際、一度ドラ息子、ドラ娘に
なった子どもをなおすのは、容易ではない。不可能に近いとさえ言ってもよい。それはちょうど
一度野性化した鳥を、もう一度、カゴに戻すようなものである。戻せば戻したで、子どもはたい
へんなストレスをかかえこむ。本来なら失敗する前に、その失敗に気づかねばならない。が、
乳幼児期に、さんざん、目いっぱいのことを子どもにしておき、ある程度大きくなってから、「あ
なたをなおします」というのは、あまりにも親の身勝手というもの。子どもの問題というより、日
本人が全体としてかかえる問題と考えたほうがよい。だから私は「欠陥」という。いわんやスパ
ルタ教育というのは! もしその教育をしたかったら、親は自分自身にしてみることだ。子ども
にすべき教育ではない。

+++++++++++++++++++++++

(暴論2)

●「親だから」という論理

 先日テレビを見ていたら、一人の評論家(五五歳くらい)が、三〇歳前後の若者を叱責して
いる場面があった。三〇歳くらいの若者が、「親を好きになれない」と言ったことに対して、そ
の評論家が、「親を好きでないというのは、何ということだ! お前は産んでもらったあと、だ
れに言葉を習った! (その恩を忘れるな!)」と。それに対して、その若者は額から汗をタラ
タラと流すだけで、何も答えられなかった(〇二年五月)。

 私はその評論家の、そういう言い方は卑怯(ひきょう)だと思う。強い立場のものが、一方的
に弱い立場のものを、一見正論風の暴論をもってたたみかける。もしこれが正論だとするな
ら、
子どもは親を嫌ってはいけないのかということになる。親子も、つきつめれば一対一の人間関
係。昔の人は、「親子の縁は切れない」と言ったが、親子の縁でも切れるときには切れる。切
れないと思っているのは、親だけで、親はその幻想の上に安住しているだけ。そのため子ども
の心を見失うケースはいくらでもある。仕事第一主義の夫が、妻に向かって、「お前はだれの
おかげでメシを食っていかれるか、それがわかっているか!」と言うのと同じ。たしかにそうか
もしれないが、夫がそれを口にしたら、おしまい。親についていうなら、子どもを育て、子ども
に言葉を教えるのは、親として当たり前のことではないか。

 日本人ほど、「親意識」の強い民族は、そうはいない。たとえば「親に向かって何だ」という言
い方にしても、英語には、そういう言い方そのものがない。仮に翻訳しても、まったく別のニュ
アンスになってしまう。少なくとも英語国では、子どもといえども、生まれながらにして対等の
人間としてみる。それに子育てというのは、親から子への一方的なものではない。親自身も、
子育てをすることにより、育てられる。無数のドラマもそこから生まれる。人生そのものがうる
おい豊かなものになる。

私は今、三人の息子たちの子育てをほぼ終えつつあるが、私は「育ててやった」という意識は
ほとんどない。息子たちに向かって、「いろいろ楽しい思い出をありがとう」と言うことはあって
も、「育ててやった」と親の恩を押し売りするようなことは絶対にない。そういう気持ちはどこに
もないと言えばウソだが、しかしそれを口にしたら、おしまい。

 私は子どもたちからの恩返しなど、はじめから期待していない。少なくとも私は自分の息子
たちには、意識したわけではないが、無条件で接してきた。むしろこうして子育ても終わりに
近づくと、できの悪い父親であったことを、わびたい気持ちのほうが強くなってくる。いわん
や、
「親孝行」とは? 自分の息子たちが私に孝行などしてくれなくても、私は一向に構わない。
「そんなヒマがあったら、前向きに生きろ」といつも、息子たちにはそう教えている。この私自
身が、その重圧感で苦しんだからだ。

 私はそんなわけで、先の評論家の意見には、生理的な嫌悪感を覚えた。ぞっとするような
嫌悪感だ。しばらく胸クソの悪さを消すのに苦労した。

++++++++++++++++++++++++

(暴論3)(少し前に掲載した原稿です)

子どもにはナイフを渡せ!

●墓では人骨を見せろ?

 ある日、一人の母親(三〇歳)が心配そうな顔をして私のところへやってきた。見ると一冊の
本を手にしていた。日本を代表するH大学のK教授の書いた本だった。題は「子どもにやる気
を起こす法」(仮称)。

 そしてその母親はこう言った。「あのう、お墓で、故人の遺骨を見せたほうがよいのでしょう
か」と。私が驚いていると、母親はこう言った。「この本の中に、命の尊さを教えるためには、お
墓へつれていったら、子どもには遺骨を見せるとよい」と。その本にはほかにもこんなことが書
いてあった。

●遊園地で子どもを迷子にさせろ?

 親子のきずなを深めるためには、遊園地などで、子どもをわざと迷子にさせてみるとよい。
家族のありがたさを教えるために、子どもは、二、三日、家から追い出してみるとよい、など。
本の体裁からして、読者対象は幼児をもつ親のようだった。が、きわめつけは、「夫婦喧嘩は
子どもの前でするとよい。意見の対立を教えるのによい機会だ」と。これにはさすがの私も驚
いた。

●子どもにはナイフをもたせろ?

 その一つずつに反論したいが、正直言って、あまりのレベルの低さに、どう反論してよいか
わからない。その前後にこんなことを書く別の評論家もいた。「子どもにはナイフを渡せ」と。
「子どもにナイフを渡すのは、親が子どもを信じている証(あかし)になる」と。そのあとしばらく
してから、関東周辺で、中学生によるナイフ殺傷事件がつづくと、さすがにこの評論家は自説
をひっこめざるをえなかったのだろう。ナイフの話はやめてしまった。しかし証拠は残った。そ
の評論は、日本を代表するM新聞社の小冊子として発行された。その小冊子は今も私の手
元にある。

●ゴーストライターの書いた本

 これはまた元教師の話だが、数一〇万部を超えるベストセラーを何冊かもっている評論家
がいた。彼の教育論も、これまたユニーク(?)なものだった。「子どもの勉強に対する姿勢
は、
筆箱の中を見ればわかる」とか、「たまには(老人用の)オムツをして、幼児の気持ちを理解す
ることも大切」とかなど。「筆箱の中を見る」というのは、それで子どもの勉強への姿勢を知る
ことができるというもの。たしかにそういう面はあるが、しかしそういうスパイのような行為をし
てよいものかどうか? そう言えば、こうも書いていた。「私は家庭訪問のとき、必ずその家で
はトイレを借りることにしていた。トイレを見れば、その家の家庭環境がすべてわかった」と。た
またま私が仕事をしていたG社でも、彼の本を出した担当者がいたので、その担当者に話を
聞くと、こう教えてくれた。

 「ああ、あの本ね。実はあれはあの先生が書いた本ではないのですよ。どこかのゴーストラ
イターが書いてね、それにあの先生の名前を載せただけですよ」と。そのG社には、その先生
専用のライター(担当者)がいて、そのライターがその評論家のために原稿を書いているとの
ことだった。もう二〇年も前のことだが、彼の書いた(?)数学パズルブックは、やがてアメリカ
の雑誌からの翻訳ではないかと疑われ、表に出ることはなかったが、出版界ではかなり話題

になったことがある。

●タレント教授の出世術

 先のタレント教授は、つぎのようにして本を書く。まず外国の文献を手に入れる。それを学
生に翻訳させる。その翻訳を読んで、あちこちの数字を適当に変えて、自分の原稿にする。
そして本を出す。こうした手法は半ば常識で、私自身も、医学の世界でこのタイプのゴースト
ライターをした経験があるので、内情をよく知っている。

 こうした常識ハズレな教授は、決して少数派ではない。数年前だが私がH社に原稿を持ちこ
んだときのこと、編集部の若い男は遠慮がちに、しかしどこか人を見くだしたような言い方で、
こう言った。「あのう、N大学のI名誉教授の名前でなら、この本を出してもいいのですが……」
と。もちろん私はそれを断った。

が、それから数年後のこと。近くの本屋へ行くと、入り口のところでH社の本が山積みになって
いた。ワゴンセールというのである。見ると、その中にはI教授の書いた(?)本が、五〜六冊あ
った。手にとってパラパラと読んでみたが、しかしとても八〇歳を過ぎた老人が書いたとは思
われないような本ばかりだった。漢字づかいはもちろんのこと、文体にしても、若々しさに満ち
あふれていた。

●インチキと断言してもよい

 こうしたインチキ、もうインチキと断言してよいのだろうが、こうしたインチキは、この世界で
は常識。とくに文科系の大学では、その出版点数によって教官の質が評価されるしくみになっ
ている。(理科系の大学では論文数や、その論文が権威ある雑誌などでどれだけ引用されて
いるかで評価される。)だから文科系の教官は、こぞって本を出したがる。そういう慣習が、こ
うしたインチキを生み出したとも考えられる。が、本当の問題は、「肩書き」に弱い、日本人自
身にある。

●私の反論

 私は相談にやってきた母親にこう言った。「遺骨なんか見せるものではないでしょ。また見
せたからといって、生命の尊さを子どもが理解できるようにはなりません」と。一応、順に反論
しておく。

 生命の尊さは、子どものばあいは死をていねいに弔うことで教える。ペットでも何でも、子ど
もと関係のあったものの死はていねいに弔う。そしてその死をいたむ。こうした習慣を通して、
子どもは「死」を知り、つづいて「生」を知る。

 また子どもをわざと遊園地で迷子にしてはいけない。もしそれがいつか子どもにわかったと
き、その時点で親子のきずなは、こなごなに破壊される。またこの種のやり方は、方法をまち
がえると、とりかえしのつかない心のキズを子どもに残す。分離不安にさえなるかもしれな
い。
親子のきずなは、信頼関係を基本にして、長い時間をかけてつくるもの。こうした方法は、子
育ての世界ではまさに邪道!

 さらに子どもを家から二、三日追い出すということが、いかに暴論かはあなた自身のこととし
て考えてみればよい。もしあなたの子どもが、半日、あるいは数時間でもいなくなったら、あな
たはどうするだろうか。あなたは捜索願だって出すかもしれない。

 最後に夫婦喧嘩など、子どもの前で見せるものではない。夫婦で哲学論争でもするならま
だしも、夫婦喧嘩というのは、たいていは聞くに耐えない痴話喧嘩。そんなもの見せたからと
いって、子どもが「意見の対立」など学ばない。学ぶはずもない。ナイフをもたせろと説いた評
論家の意見については、もう書いた。

●批判力をもたない母親たち

 しかし本当の問題は、先にも書いたように、こうした教授や評論家にあるのではなく、そうい
うとんでもない意見に対して、批判力をもたない親たちにある。こうした親たちが世間の風が
吹くたびに、右へ左へと流される。そしてそれが子育てをゆがめる。子どもをゆがめる。

++++++++++++++++++++++

 こうした暴論がなぜ生まれるか。その背景には、独断と独善がある。だからといって、私の意
見が正論とは思わないが、私のばあい、すべての授業を公開することで、つまりいつも親の
視線と監視のもとに自分の教育を置くことで、そのつど軌道修正してきた。いまだかって、非
公開で授業をしたことはないし、参観を断ったことがない。これは教育を組みたてるときには、
たいへん重要なことだと思う。あえていうなら、世間的な常識の注入ということになる。これが
ないと、教育者も評論家も、軌道を踏みはずすことになる。理由は、簡単。英語でも、教師の
ことを、「子どもの王(King of Kids)」という。つまり独裁者。世間的な常識の注入がないと、そ
の独裁者になりやすい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
者の暴論 暴論 ナイフを渡せ ナイフをもたせろ)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 10月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ギャグ化する子どもの世界

+++++++++++++

「IQサプリ」という言葉がある。
いわば、「トンチ」のことだが、
そのトンチが、明らかに子どもたちの
世界を侵襲し始めている。

わかりやすく言えば、子どもたち
の世界も、ギャグ化し始めている。

たとえば作文を書かせても、
「ぼくの夢は、ゴジラと戦って、
ゴジラの肉を食べること」などと、
平気で書いたりする。

昨日も、こんなことがあった。

+++++++++++++

【問】
14人の友だちに、4分以内で連絡が届くように、連絡網をつくりたいと思っています。連絡
は、電話でします。また電話は、1人、1分かかるものとします。どのような連絡網を作れば
よいですか。(たとえば、A→Bで、1分。B→Cで、1分、計2分……かかります。)(浜松市
内N高校中等部・07年出題問題より)

 この問題を、小5の子どもたちにやらせてみた。学校ではみな、トップクラスの子どもたちで
ある。が、この問題を出すやいなや、みなが、こう言い始めた。

A「電話を14台、もってくればいい」
B「でも、やっぱり、14分、かかってしまう」
A「だったら、3分以内に、みなに電話をかけ、受話器を並べておいて、残りの1分で、大声
で、
しゃべればいい」
C「電話を14台も、もってこれないよ」
A「どこかの病院の電話を借りればいい。病院になら、電話がたくさんある」と。

 つまり数学の問題ですら、彼らはすぐギャグ化してしまう。

私「もう少し、まじめに考えろ!」
D「だったら、1分もかけないで、早口で、30秒ですませばいい」
私「これはそういう問題ではないの!」
A「私だったら、早口だから、30秒で、できる」
私「だったら、答にそう書けばいい。ぼくがバツをつけてあげる」
D「どうしてバツなの?」と。

 多くの人は、思考と情報を混同している。情報量の多い子どもを、「賢い子ども」と錯覚して
いる。さらにこうしたトンチ的発想のできる子どもを、「賢い子ども」と錯覚している。

 何度も書くが、思考力は、分析力と論理力で決まる。子どもたちが言っていることは、論理で
はなく、トンチである。トンチは、「頓知」と書く。国語大辞典には、「即座の知恵、機転、機知、
ウィット=quick wit」とある。

 子どもの賢さは、(おとなの賢さもそうだが)、思考力で決まる。トンチではない。思考力であ
る。トンチなら、まだよいが、それが最近では、ここにも書いたように、ギャグ化している。つま
りものごとを、まじめに考えようとする前に、それを茶化してしまう。

 で、私は、本気で怒った。

私「お前たち、もっとまじめに考えろ。電話は1台しかない。連絡するのに、1人、1分、かか
る。
それが条件だ」
A「もし、友だちが、外出していたら、どうするの?」
私「そういう偶然性は、考えないの。もし外出していたら、留守番電話に伝言を残しておけば
いい」
A「留守番電話がなかったら?」
私「そんなこと、知らない。だまって考えろ!」と。

 こうした傾向は、冒頭に書いた、「IQサプリ」という言葉が耳に入るようになってから、大きく
なった。ある時期は、毎晩のように、こうした番組がテレビで流されるようになった。たしかに
頭の体操にはなるだろう。しかしだからといって、つまりそれを繰りかえしたからといって、「賢
い子ども」には、ならない。

 それに(機転)程度のことだったら、私の飼っている犬のハナにだって、できる。追いかけて
いたトカゲが柵の中にもぐったようなとき、ハナは、先回りして、柵の向こうへ行く。が、そうい
うことができるからといって、私は、ハナに思考力があるとは思わない。頭はよいが、それと思
考力とは、まったく異質のものである。

 それがわからなければ、最初の問題を、あなた自身で解いてみたらよい。かなり難解な問
題である。

 たとえば……

 (A)→(B)→(C)→(D)→(E)で、4分、かかる。

 そこで、

(A)→(B)→(C)→(D)→(E)
↓  ↓   ↓   ↓
(F)→……
 ↓
(G)
 ↓
(H)
 
 ……というように連絡網をつくっていく。たいていの人は、この段階で、「ああでもない」「こう
でもない」と頭をかかえ始めるだろう。つまりその(苦しみ)こそが、思考の特徴ということにな
る。条件といってもよい。最近の子どもたちは、その苦しむということをしない。あるいは、それ
を意図的に避けようとする。

 その結果が……。話が飛躍するが、大阪府の元知事の、横山N氏であり、宮崎県の知事
の、
S氏ということになる。昨日も、こんなニュースが伝わってきた。

 自民党の総裁選挙で敗れたA氏は、こう言ったという。「これから家に帰って、たまったコミッ
ク本(ゴルゴ13)を、みんな読む」と。政治そのものが、ギャグ化している。が、悲しいかな、日
本全体がギャグ化しているから、それをギャグとは、だれも気づかない。

 日本人、1億、総ギャク化!、……と、子どもたちを見ながら、私は、そんなことを考えてい
た。

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これに関連して、以前書いた
原稿を、ここに添付します。

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●右脳教育

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右脳教育は、果たして安全なのでしょうか?
まだその安全性も、確認されていない段階で、
幼児の頭脳に応用する危険性。みなさんは、
それを、お考えになったことがありますか。

たった一晩で、あの百人一首を暗記してしま
った子ども(小学生)がいました。

しかしそんな能力を、本当にすばらしい能力
と安易に評価してよいのでしょうか。

ゲームづけになった子どもたち。幼いころか
らテレビづけになった子どもたち。今さら、
イメージ教育は必要ないと説く学者もいます。

それに右脳と左脳は、別々に機能しているわけ
ではありません。その間は、「交連繊維」と呼ば
れる神経線維で結ばれ、一番大きな回路である、
「脳梁(のうりょう)」は、2億本以上の繊維
でできています。

右脳と左脳は、これらの繊維をとおして、交互
に連絡を保ちながら、機能しています。

脳のしくみは、そんな単純なものではないよう
です。

そうそう、言い忘れましたが、一晩で百人一首
を暗記したのは、あの「少年A」です。

イメージの世界ばかりが極端にふくらんでしま
うと、どうなるか。そのこわさを、少年Aは、
私たちに教えてくれました。

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 アカデミックな学者の多くは、「右脳教育」なるものに、疑問を抱いています。渋谷昌三氏も

の1人で、著書「心理学」(西東社)の中で、こう書いています。

 「なにやら、右脳のほうが、多彩な機能をもっていて、右脳が発達している人のほうが、すぐ
れているといわんばかりです。

 一時巻き起こった、(現在でも信者は多いようですが)、「右脳ブーム」は、こういった理論か

生まれたのではないでしょうか。

 これらの説の中には、まったくウソとはいえないものもありますが、大半は科学的な根拠の

るものとは言えません」(同書、P33)。

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●右脳教育への警鐘

 論理的な思考力をなくす子どもたち。ものの考え方が直感的で飛躍的。今、静かにものを考
えられる子どもが、少なくなってきています。

 そうした危惧感を覚えながら書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞発表済み)。

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親が右脳教育を信奉するとき

●左脳と右脳

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳をきた

ると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞氏)。

(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直観像
化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事例は、現
場でもしばしば経験する。

●こだわりは能力ではない

たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろばん
を使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むという

りは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。

しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。もう

しわかりやすい例で言えば、一〇〇種類近い自動車の、その一部を見ただけでメーカーや車
種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。

たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこ

わりを見せることが知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の一小
節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうしたこだわりが強け

ば強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。

●論理や分析をつかさどるのは左脳

 そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成果

陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人とい
うイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと考

られなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論理)、他

の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということになる。
その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

●右脳教育は慎重に

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でなけれ

ならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。

脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺害事件』をあげ

研究家がいる(福岡T氏ほか)。

●少年Aは直観像素質者

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画

の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、五〇〇
〇円やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」
(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。

その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をまる

目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの
非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子

もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●才能とこだわり

 自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せることは、よく知られている。たとえば列
車の時刻表を暗記したり、全国の駅名をソラで言うなど。車のほんの一部を見ただけで、車

からメーカーまで言い当てた子どももいた。クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけ
で、曲名と作曲者を言い当てた子どももいた。

 こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、教育の世
界では、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、才能とは認めない。
たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を暗記できるなど。あるいは
一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、ピアノで演奏できた子どももいた。
まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めない。「こだわり」とみ
る。

 たとえばよく知られた例としては、少し前、話題になった子どもに、「少年A」がいる。あの「淳
君殺害事件」を起こした少年である。彼は精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と鑑定されて
いる。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に焼きつけてしま
うことができる子どもをいう。

少年Aも、一晩で百人一首を暗記できたと、少年Aの母親は、本の中で書いている(「少年A、
この子を生んで」文藝春秋)。そういう特異な「力」が、あの悲惨な事件を引き起こす遠因にな

たとされる。

 と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身が、その
「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ねて、サッカーの技
術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗記できてしまうという

は、才能ではない。

 つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。まさ

それだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知性、感性、
理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だが、まだそうし
た背景のない子どもが、一回聞いただけで、その曲が演奏できるというのは、才能ではない。
 
 脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並はずれ
た、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、しばしば経験して

る。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。

ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当

た子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。ある程度の計
算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、まったく理解できなかっ
た。

1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。1000円程度のも
のを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものがなかった。母親は、S
君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるはず」とがんばったが、しかし

れはS君の「力」ではなかった。

 教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければならない。
「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。「教育す

ことによって、伸ばすことができること」を、才能という。が、それだけでは足りない。その方法
が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければならない。またそれができるから、教育と
いう。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」は、才能ではない。

 こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているようにとらえら

るかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごとにこだわること
で、さらに自分の才能を伸ばすことができる。

現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数時間。
土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここでいう「こだわ
り」かもしれない。

時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にたたな
い「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、みごとな才能と
なって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひょっとしたら、私たちが今、名

を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう「こだわり」をもった子どもだったかもしれ
ない。そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定することもできない。
(02―11−27)※
(はやし浩司 右脳教育 右脳教育への疑問 こだわり 少年A イメージが乱舞する子ども 
子供 才能とこだわり 思考のバランス)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てポイント】

●ぼんやりする

 子どもは、ふとしたきっかけで、ぼんやりすることがある。英語ではこれを、「デイ・ド
リーム」という。日本語では、「白日夢」と訳すが、幻覚をともなうような白日夢とは違う。
デイドリームというのは、「ぼんやりすること」をいう。

 このデイドリームは、心の洗濯と考える。子どもは、ときどきぼんやりすることで、心
のホコリを払う。悪いことと決めてかかってはいけない。たとえば、あのニュートンにし
ても、エジソンにしても、よくぼんやりと、ひとり考えにふけることがあったという。「デ
イドリーマー(夢見る人)」というニックネームがつけられていた。

 もちろん、いつもぼんやりしているとか、無気力なままぼんやりとしているというのは、
好ましいことではない。慢性的な睡眠不足の子どもも、よくぼんやりする。

++++++++++++++++++++++
●子どもの睡眠不足(中日新聞掲載済み)
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 子どもの睡眠で大切なのは、いわゆる「ベッド・タイム・ゲーム」。日本では「就眠儀式」
という。子どもには眠りにつく前、毎晩同じことを繰り返すという習慣がある。それをベ
ッド・タイム・ゲームという。このベッド・タイム・ゲームのしつけが悪いと、子どもは
眠ることに恐怖心をいだいたりする。まずいのは、子どもをベッドに追いやり、「寝なさい」
と言って、無理やり電気を消してしまうような行為。こういう乱暴な行為が日常化すると、
ばあいによっては、情緒そのものが不安定になることもある。

 コツは、就寝時刻をしっかりと守り、毎晩同じことを繰り返すようにすること。ぬいぐ
るみを置いてあげたり、本を読んであげるのもよい。スキンシップを大切にし、軽く抱い
てあげたり、手でたたいてあげる、歌を歌ってあげるのもよい。時間的に無理なら、カセ
ットに声を録音して聞かせるという方法もある。

また幼児のばあいは、夕食後から眠るまでの間、興奮性の強い遊びを避ける。できれば
刺激性の強いテレビ番組などは見せない。アニメのように動きの速い番組は、子どもの
脳を覚醒させる。そしてそれが子どもの熟睡を妨げる。ちなみに平均的な熟視時間(眠
ってから起きるまで)は、年中児で一〇時間一五分。年長児で一〇時間である。最低で
もその睡眠時間は確保する。

 日本人は、この「睡眠」を、安易に考えやすい。しかし『静かな眠りは、心の安定剤』
と覚えておく。とくに乳幼児のばあいは、静かに眠って、静かに目覚めるという習慣を大
切にする。今、年中児でも、慢性的な睡眠不足の症状を示す子どもは、二〇〜三〇%はい
る。日中、生彩のない顔つきで、あくびを繰り返すなど。興奮性と、愚鈍性が交互に現れ、
キャッキャッと騒いだかと思うと、今度は突然ぼんやりとしてしまうなど。
(これに対して昼寝グセのある子どもは、スーッと眠ってしまうので、区別できる。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
睡眠不足 子どもの睡眠不足 子供の睡眠不足


++++++++++++++++++
●ハングリー精神を大切に
++++++++++++++++++

 子どもを伸ばす、最大の秘訣は、子どもをいつも、ややハングリーな状態におくこと。
与えすぎ、しすぎは、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。「子どもには、これくら
いすればいいかな」とか、「ここまでさせようかな」と迷ったら、その一歩手前でやめる。
たとえば子どもの学習量にしても、三〇分くらいは勉強しそうだなと思ったら、思い切っ
て、一五分でやめる。ワークブックでも、二ページくらいならしそうだと思ったら、一ペ
ージでやめる、など。要するに、ほどほど、に。

 とくに注意しなければならないのが、「欲望の満足」。子どものばあい、安易に欲望を満
足させてはいけない。たとえば子どもが「ゲームを買ってほしい」と言ったとする。「ほし
い」というのが、その欲望ということになる。問題は、欲望を満足させることよりも、そ
れになれてしまうことである。たとえば幼児期に、一〇〇円、二〇〇円の買い物になれて
しまった子どもは、中学生、高校生にもなると、一万円や二万円の買い物では、満足しな
くなる。いわんや、幼児期に、一万円、二万円のものを手に入れることになれてしまった
ら、その子どもは、どうなるか?

 中には、「うちの子だけ、ゲーム機をもっていないと、友だちから仲間ハズレにされる」
と、悩んでいる親がいる。「いつも友だちの家に行って、ゲームばかりしている」とも。「だ
から買ってあげるしかない」と。

 ケースバイケースだから、そのつど親が判断するしかない。が、これだけは言える。今
の日本人ほど、モノやお金に固執する民族は、そうはいないということ。五〇年前とくら
べても、日本人は大きく変わった。今、ほとんどの親たちは、あまりにも安易に子どもに
モノを買い与えている。そして「子どものほしいものを買ってあげたから、子どもは親に
感謝しているはず」「親子のパイプも太くなったはず」と考える。しかしこれは誤解。ある
いは逆効果。

 たとえばこのケースでも、親が子どもにゲーム機を買ってあげれば、子どもは親に、一
応「ありがとう」と言うかもしれない。しかしそれはあくまでも、「一応」。さらにこわい
のは、こうしてできた親子のリズムは、そのまま一生つづくということ。いつかその子ど
もがおとなになったとき、その親は、こう考えるようになる。

 「うちの子だけ大学を出ていないというのでは、みんなに仲間ハズレにされる」「うちの
子だけ、あんなC結婚場で結婚すれば、バカにされる」と。ものの考え方がズレているが、
そのズレにすら気がつかない。リズムというのは、そういうもので、自分で自分のリズム
に気づくということは、まずない。その狂ったリズムが、いつまでもつづく。

 子どもをハングリーな状態におく……。一見簡単なようで、実際には、そうでない。子
育て全体のリズムの中で考えるようにする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どものやる気 子供のやる気 やる気 やる気を引き出す)


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●小づかい一〇〇倍論(中日新聞掲載済み)
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子どもの金銭感覚

 年長(六歳)から小学二年(八歳)ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その
金銭感覚は、おとなのそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。子ど
もはこの時期を通して、お金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。そ
してそれがそれから先、子どものものの考え方に、大きな影響を与える。

 この時期の子どものお金は、一〇〇倍して考えるとよい。たとえば子どもの一〇〇円は、
おとなの一万円に相当する。千円は、一〇万円に相当する。親は安易に子どもにものを買
い与えるが、それから子どもが得る満足感は、おとなになってからの、一万円、一〇万円
に相当する。

「与えられること」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子
どもが、将来どうなるか。もう、言べくもない。さすがにバブル経済がはじけて、そう
いう傾向は小さくなったが、それでも「高価なものを買ってあげること」イコール、親
の愛と誤解している人は多い。より高価なものを買い与えることで、親は「子どもの心
をつかんだはず」と考える。あるいは「子どもは親に感謝しているはず」と考える。が、
これはまったくの誤解。実際には、逆効果。

それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。ある子ど
も(小二男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに
買いに行ってもらう」と。そこで私が、「どんなものか、見てから買ってはどう?」と言
うと、「それではおくれてしまう」と。その子どもは、「おくれる」と言うのだ。最近の
子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、
自分のステイタス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。変質
している。……というようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出
てきた。援助交際をしている女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「ど
うしてそういうことをするのか」という質問に対して、である。しかも金銭感覚そのも
のが、マヒしている。もっているものが、一〇万円、二〇万円という、ブランド品ばか
り!

 さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろう
か。千円のものだろうか。それとも一万円のものだろうか。お年玉には、いくら与えるだ
ろうか。与えるとしても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金をさせ
るだろうか。いや、その前に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせて
いるだろうか。どちらにせよ、しかしこれだけは覚えておくとよい。

五、六歳の子どもに、一万、二万円のプレゼントをホイホイと買い与えていると、子ど
もが高校生や大学生になったとき、あなたは一〇〇万円、二〇〇万円のものを買い与え
なくてはならなくなる。つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。
あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、
やめたほうがよい。やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられ
なくなる。そうなればなったで、苦労するのはあなたではなく、結局は子ども自身なの
だ。

+++++++++++++++++++++

●それでも、ゲームを買ってあげたい、あなたへ、

 「そうは言われても、やっぱり子どもにゲームを買ってあげたい」と思っているあなた
は、こうすればよい。

 クリスマスや誕生日には、心のこもった温かいものをプレゼントする。手作りのものが
よい。そしてゲームは、父親が自分で買ったという前提で、別の日に、買う。そして子ど
もには、「ときどきパパに貸してもらおうね」と言えばよい。こうすれば、あとあと指導も
しやすくなる。「これはパパのものだから、パパに借りて使うのだよ」と言うこともできる
し、「友だちが遊びにきたら、パパに使っていいかって聞くのよ」と言うこともできる。遊
ぶ時間も、それで決められる。「パパが、一時間なら使っていいと言ったよ」とか。

 またこうすることに、つまり父親が主導権をにぎり、子どもと一緒に遊ぶことにより、
親子のパイプも太くなる。あくまでも一つのアイディアだが……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの小遣い 子供の小遣い 小遣いの与え方 小遣い100倍論)


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●子どもは目を見て、判断する
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 子どもの能力は、子どもの目を見て、判断する。外見のハデさに、だまされてはいけな
い。賢い子どもの目つきは、静かに落ち着いている。鋭い。輝いている。そうでない子ど
もの目は、そうでない。どこかフワフワとして、つかみどころがない。最近収賄罪(しゅ
うわいざい)で逮捕された、国会議員のS氏の目を見て、私は驚いた。まるで死んだ魚の
目のような目をしている。ああいう人間が、国会を動かし、国政を動かしていたかと思う
と、ぞっとする。

 話はそれるが、あなたが子どもを叱るとき、子どもの目が、どのようであるかを見てみ
るとよい。そのときあなたの子どもの目が、じっと下へ沈むようであればよし。そうでな
く、どこかフワフワしていたら、あなたが叱る割には、その効果はないとみる。たいてい
はこわいから、おとなしくしているだけ。ある子ども(小三)はこう言った。「ぼくはママ
に叱られているとき、ポケモンの歌を、心の中で歌っている」と。

 「外見のハデ」ということが、幼児教育の世界では、よく話題になる。ペチャペチャと
よくしゃべり、反応もはやい。何か質問をすると、「ハイ!」と言って、それらしいことを
言う。このタイプの子どもは、一見、利発に見えるが、実際には、何も考えていない。テ
レビのバラエティ番組に出てくる、お笑いタレントを見れば、それがわかる。軽薄なこと
を、思いついたまま、言葉にしているだけ。

 賢い子ども、よく考える子どもは、一方、見た感じの反応はにぶい。何かテーマを与え
たりすると、それを何度も頭の中で反復するようなしぐさを見せる。これは生まれつきと
いうより、習慣によるものと考えてよい。つまり賢い子ども、よく考える子どもをつくる
のは、親の育て方の問題ということになる。

 ともかくも、子どもの能力は、子どもの目を見て、判断する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの見方 考え方 子供の見方 考え方 賢い子供 子供の目つき)


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●考える子ども(中日新聞掲載済み)
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人間は考えるアシ

 パスカルは、「人間は考えるアシである」と言った。「思考が人間の偉大さをなす」とも。

 よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すという
のは、別のことである。たとえば、こんな会話。

 A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「いいね」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二
人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて取り出してい
るにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の
九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいというこ
とにはならない。算数ができるということにもならない。

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識の
うちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には
考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話
をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言
ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まち
がいは、ない」と。

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に、意味がある。正しいとか、
間違っているとかいう判断は、それをすること自体、間違っている。こんなことがあった。
ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が一生懸命穴を掘っていた。「何をしているの?」と声
をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。

その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚
な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つ
まりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけ
させることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだ
とは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。
かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。私はそれを心配する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
考える 思考と情報 思慮 子供の思慮 子供の思考力)

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●叱るテーマはひとつ
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 子どもを叱るときは、おとなの目線を子どもの目線の位置までさげる。具体的には、お
となのほうが、腰を落として、子どもの身長の高さにまで、身をかがめる。子どもの両肩
をしっかりとつかみ、子どもの目をしっかりとにらみながら、言うべきことを言う。おど
したり、威圧してはいけない。子どもに恐怖心をもたせてはいけない。子ども自身に、考
えるようにし向ける。

 そしてそのとき、叱るテーマはいつもひとつ。あれこれ、同時に叱ってはいけない。と
くに大切だと思うテーマだけを、ていねいに叱る。また過去の話を、あれこれもちださな
い。「いつになったら!」「あんたは、また同じことを!」と叱るのは、タブー。そして一
度叱ったら、あとはときを待つ。同じことを、クドクドといつまでも言うのもタブー。『親
子げんかは、一日で消す』という格言も、私が考えた。同じように、『叱ったことは、一日
で消せ』。

 ところで先日(〇二年一一月)、市内のS小学校で講演をしたあと、その学校の校長とこ
んなことが話題になった。何でもその少し前、テレビ番組の中で、ある評論家が、「子ども
を叱るときは、子どもの横から叱れ」と言ったというのだ。それについて、その校長は、「た
しかに威圧感をやわらげるという意味では、効果的かもしれませんが、しかし実際的では
ないですね」と。私も同意見だった。

子どもを叱るときは、しかも真剣に叱るときは、子どもの前にすわり、子どもの目をし
っかりと見つめながら叱る。これはもう常識。横から子どもの肩を抱きながら叱って、
それで本当に叱れるのだろうか。ときどき、こういう(どこか風変わりな子育て論)を
説く人が現れる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の叱り方 叱り方のコツ 叱る 子どもを叱る)

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●子どもの叱り方(中日新聞掲載済み)
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子どもの叱り方、ほめ方

 子どもを叱(しか)るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。『威圧で閉じる
子どもの耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。
が、反省しているから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱る
ほどには、効果はない。叱るときは、次のことを守る。

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)
(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。『子どもの脳は耳か
ら遠い』と覚えておく。説教が脳に届くには時間がかかる
(3)相手が幼児の場合は、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えな
いため)。視線を外さない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の
両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部
への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても「お尻」と決めておく
(4)興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、
(5)叱ったことについて、子どもが守れるようになったら「ほら、できるわね」とほめ
てあげる。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも『忠告は秘(ひそ)かに、賞賛は
公(おおやけ)に』と書いている。子どもをほめるときは、少しおおげさにほめる。その
とき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめ
る。特に子どものやさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについ
ては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、
かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので
慎重にする。頭をほめすぎて子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さらに
は頑張っている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、かえっ
て子どもから、やる気を奪ってしまう。

「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の脅しもタブー。結果が悪く、子
どもが落ち込んでいるようなときはなおさら「あなたはよく頑張った」式の前向きの理
解を示してあげる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の叱り方 伸ばし方)


++++++++
●居なおり論
++++++++

 子育てをしていて、何かのカベにぶつかったら、その時点で居なおる。「こんなものだ」
「どうでもなれ」「勝手にしろ」と。

私はよく親に、「腹を決めなさい」と言うが、それもそのひとつ。たとえば子どもの夜尿
症にしても、親があれこれあせっている間は、なおらない。しかし親が、「オシッコをし
たければしろ。あと何年でもかまわない!」と宣言したとたん、不思議と、なおるもの。
そういうことは、子どもの世界では、よくある。

 居なおることにより、親はそこで親は、覚悟を決める。この覚悟が、一本のスジになる。
このスジが、親の迷いを吹き飛ばし、子育てをわかりやすいものにする。そしてそれが子
どもに、安心感を与える。この安心感が、子どもの心に風穴をあける。

……と、どこか、『風が吹けば、オケ屋がもうかる』のような話になったが、これは事実。
心理学の世界にも、フリップ・フロップ理論というのがある。判断がどっちつかずでフ
ラフラしている(=フリップ・フロップ状態)ときというのは、心もたいへん不安定に
なる。しかしどちらかへころんでしまえば、心は落ちつく。

 不登校……? 休みたければ、いくらでも休め!
 心の病気……? 何年かかっても、結構。私がなおしてやる!
 体や心に障害がある……? それがどうだというのだ!

 こうしてひとつずつ、居なおっていく。その居なおりのし方が、サバサバしていればし
ているほど、あなたも明るくなるが、子どもも明るくなる。その時点から、前に進むこと
ができる。要するに、問題があっても、それには抵抗しないこと。してもムダ。子育てに
は、居なおりはつきもの。それを覚えておくだけでも、あなたの心は、ずいぶんと軽くな
るはず。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 行き詰ったときの子育て論 育児論)


+++++++++++++++++
●たくましさは、緊急時をみる
++++++++++++++++++

 子どもが本当にたくましいかどうかを知るためには、緊急時をみればよい。緊急時に、
そのつど、臨機応変に、的確にこうどうできれば、その子どもは、たくましい子どもとみ
る。見かけや、外見で判断してはいけない。言葉のいさましさに、だまされてはいけない。
こんなことがあった。

 Y君(中二)は、体も大きく、親分的な感じがする子どもだった。大声で怒鳴ったり、
ときには友だちに暴力をふるうこともあった。そのY君たちを、キャンプに連れていった
ときのこと。私が別のところで夕食を料理していると、そのY君が、ワーッと泣きべそを
かいて、私のところへ飛んできた。異様な雰囲気だったので、「どうした!」と聞くと、「た
き火が一挙に燃えあがって、こわくなった」と。あわてて火を見にいくと、その火が近く
の雑草に燃え移るところだった。私はすかさず足で踏んで火を消したが、それにしても…
…? Y君のたくましさは、見かけだけだった。

 一方、こんな子どももいた。何かのことで母親が家をあけることになった。実家での急
用ができた。そこで母親は、年長児になったばかりのE君に、あれこれ家事を指示して、
家をあけた。母親はそのつど電話をしたというが、あとで母親はこう話してくれた。

 「いざとなれば、何でも子どもはしてくれるものですね。妹の世話はもちろん、料理も
炊事もしてくれました。戸じまりも、消灯も。寝るときは、妹を寝かしつけてくれました」
と。こういう子どもを、たくましい子どもという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 たくましい子供 たくましい子ども 緊急時の子ども)


+++++++++
●あせりは禁物
+++++++++

 子育てをしていて、(1)あせり、(2)イライラ、(3)子どもの遅れを強く感じたら、
親は手を引く。それは子どものためでもあるし、あなた自身のためでもある。今の状態を
つづければ、子どもは勉強嫌いに、そしてあなたはノイローゼになる。最悪のばあいは、
神経症から精神を病んで、うつ病になる。が、それだけではすまない。

親子関係は破壊され、家庭そのものもおかしくなる。では、どうするか? あなたはあ
なたで、子どもの勉強にはかまわず、子育て以外で、自分の生きがいを見つける。が、
それでも「勉強を……」ということなら、プロに任せたほうがよい。多少、お金を出し
ても、そのほうが、結局は安あがりになる。

 何が悪いかといって、親のあせりほど、悪いものはない。ホント! 原因はいろいろ考
えられる。子どもへの不信感、子どもへの愛情不足、生活の問題、学歴信仰、見栄、メン
ツ、世間体、自分自身の精神的欠陥や、情緒の未熟性、さらには将来への不安などなど。
そういうものが、こん然一体となって、親の心をゆがめる。そこでチェックテスト。あな
たはつぎの項目で、いくつが自分に当てはまるだろうか。

(1)子どもの横に座って、勉強を見ていると、イライラすることが多い。あるいはその
つど、子どもを叱ってしまう。
(2)近所の子どもと、何かにつけて比較してしまう。自分の子どもだけができが悪く、
また問題があるように見える。
(3)ほかの親たちと話をしていると、いつも不安になる。「子どもの将来はどうなるか」
と考えるだけで、夜も眠られないときがある。
(4)何かにつけて、自分の子どもには問題があるように見える。ささいな失敗であって
も、いつもおおげさに子どもを叱ってしまう。
(5)子どもが園(学校)に行っていても、子どものことが気になる。子どものことを考
えると、家にいても、気が晴れない。

 これらの項目で、3〜4個以上当てはまれば、あなたはまさにイライラママ(パパ)と
考えてよい。ある母親はこう言った。「買い物の帰りに、進学塾の光々としたライトを見た
だけで、カーッと頭に血がのぼるのがわかりました」と。もしそうなら、冒頭にも書いた
ように、子育てから手を引く。

 子育ては、本来、楽しいはず。それが楽しくない、楽しめないというのであれば、それ
は子どもの問題というより、あなた自身の問題と考える。ひょっとしたら、望まない結婚
であったとか、あるいは望まない子どもであったとか、あるいはあなた自身が、不幸にし
て、不幸な家庭で育てられたということがあるかもしれない。そういった部分まで、一度、
あなた自身を疑い、心の中までメスを入れてみる。

この問題は、一見、親と子どもの問題に見えるかもしれないが、根は深い。このことに
ついては、また別のところで考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 親の不安 親の情緒不安)


++++++++++++++++
●親とのつきあいは、如水淡交
++++++++++++++++

 親どうしのつきあいは、水のごとく、淡く交わるのがよい。ほかの世界のことならとも
かくも、間に子どもがいるため、一度こじれると、そのまま深刻な問題へと発展してしま
うことが多い。数年前だが、親どうしの「言った」「言わない」がこじれて、裁判ざたにな
ったケースもある。任期途中で、転校をさせられた教師は、いくらでもいる。転向してい
く親や子どもは、もっと多い。

 東京のある幼稚園では、「子ども交換運動」をしている。自分の子どもを相手の家に預か
ってもらうかわりに、相手の子どもを自分の家に預かるというのが、それ。「他人の家の釜
(かま)のメシを食べることはいいことだ」という教育理念から、それが始まった。しか
しこの方法も、ひとつまちがえると、……? 預かったり、預かってもらったりするなら、
できるだけ身近でない人のほうが、よい。親どうしが親密になりすぎるというのは、それ
自体、問題がある。理由はいくつかある。

 「教育」と言いながら、その底流では、ドス黒い親たちの欲望が、渦を巻いている。と
くに日本では、教育制度そのものが、人間選別の道具として使われている。少なくとも、
親たちは、そうとらえている。こういう世界では、「うちの子さえよければ……」「他人を
蹴落としてでも……」という、利己主義的な論理ばかりが先行する。もともと「美しく、
清らかな世界」を求めるほうが、おかしい。そのため親密になることは悪いことではない
が、相手をまちがえると、とんでもないことになる。

 一方、それを監督する、園や学校は、どうか? 20前、30年前には、まだ気骨のあ
る教師がいるにはいた。相手が親でも、堂々とけんかをしていく教師もいた。親に説教す
る教師もいた。しかしそのあと、学級崩壊だの、いじめだの、教師による体罰だのと問題
になっているうちに、先生自身が、自信をなくしてしまった。ある小学校(I郡I町)の
校長は、こう言った。「先生たちが萎縮してしまっています」と。

こういう状態をつくったのは、結局は、親自身ということになる。つまり園や学校の先
生が、それなりに(?)ことなかれ主義になったからといって、先生を責めることもで
きない。私にしても、一〇年前なら、先生のだらしなさを責めたかもしれない。が、今
は、むしろ同情する側に回っている。忙しいといえば忙しすぎる。「授業中だけが、息が
抜ける場所です」と、こっそりと話してくれた教師(女性)もいた。しかしそれとて、
教育はもちろん、しつけから、道徳、さらには家庭問題まで、私たち親が先生に押しつ
けているからにほかならない。

 ともかくも、親どうしのつきあいは、如水淡交。そうしていつも身辺だけは、きれいに
しておく。これは今の日本で、子どもを育てるための大鉄則ということになる。

(1)学校の行事、親どうしのつきあいは、あくまでもその範囲で。先生やほかの親に、
決して個人的な問題や、相談はしない。
(2)学校の先生の悪口、批判はもちろん、ほかの親たちの悪口や批判は、タブー。相づ
ちもタブー。相づちを打てば、今度は、あなたの言った言葉として、広まってしま
う。子どもにも言ってはならない。
(3)子どもどうしのトラブルは、そのトラブルの内容だけを、学校に連絡する。相手の
子どもの名前を出したり、批判したりするのは、タブー。あとの判断は、先生に任
す。
(4)先生への過剰期待は、禁物。あなただって、たった一人の子どもに手を焼いている。
そういう子どもを三〇人近くも押しつけ、「しっかりめんどうをみろ」は、ない。
(5)一〇人に一人は、精神状態がふつうでない親(失礼!)がいると思え。そういう親
にからまれると、あとがたいへん。用心するに、こしたことはない。
(6)子どもどうしのトラブルが、大きな問題になりかけたら、とにかくその問題からは
遠ざかる。見ない、聞かない、話さないに徹し、知らない、言わない、考えないと
いう態度で臨む。できれば、どこか「穴」にこもるとよい。
(7)それでも問題が大きくなったら……。時間が解決してくれるのを待つ。この種の問
題は、へたに騒げば騒ぐほど、大きくなる。そしてそのしわ寄せは、子どもに集ま
ってしまう。それだけは、何としても避ける。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
父母間の交際 父母どうしのつきあい 父母の交際)


+++++++++
●表情は豊かに
+++++++++

表情のない子どもがふえている。大阪市内で幼稚園を経営するS氏が、こう話してくれ
た。「今、幼稚園児で、表情のない子どもや、乏しい子どもが、約二割はいる」と。

少し前に書いた原稿を掲載する。

++++++++++++++++++
スキンシップ
++++++++++++++++++

 よく「抱きぐせ」が問題になる。しかしその問題も、オーストラリアやアメリカへ行く
と、吹っ飛んでしまう。オーストラリアやアメリカ、さらに中南米では、親子と言わず、
夫婦でも、いつもベタベタしている。恋人どうしともなると、寸陰を惜しんで(?)、ベタ
ベタしている。あのアメリカのブッシュ大統領ですら、いつも婦人と手をつないで歩いて
いる。

 一方、日本人は、「抱きぐせ」を問題にするほど、スキンシシップを嫌う。避ける。「抱
きぐせがつくと、子どもに依存心がつく」という、誤解と偏見も根強い。(依存心について
は、もっと別の角度から、もっと別の視点から考えるべき問題。「抱きぐせがつくと、依存
心がつく」とか、「抱きぐせがないから、自立心が旺盛」とかいうのは、誤解。そういうこ
とを言う人もいるが、まったく根拠がない。)仮にあなたが、平均的な日本人より、数倍、
子どもとベタベタしたとしても、恐らく平均的なオーストラリア人やアメリカ人の、数分
の一程度のスキンシップにしかならないだろう。この日本で、抱きぐせを問題にすること
自体、おかしい。もちろんスキンシップと溺愛は分けて考えなければならない。えてして
溺愛は、濃密なスキンシップをともなう。それがスキンシップへの誤解と偏見となること
が多い。

 むしろ問題なのは、そのスキンシップが不足したばあい。サイレントベビーの名づけ親
である、小児科医の柳沢さとし氏は、つぎのように語っている。「母親たちは、添い寝やお
んぶをあまりしなくなった。抱きぐせがつくから、抱っこはよくないという誤解も根強い。
(泣かない赤ちゃんの原因として)、育児ストレスが背景にあるようだ」(読売新聞)と。

 もう少し専門的な研究としては、つぎのようなものがある。

 アメリカのマイアミ大学のT・フィールド博士らの研究によると、生後一〜六か月の乳
児を対象に、肌をさするタッチケアをつづけたところ、ストレスが多いと増えるホルモン
の量が減ったという。反対にスキンシップが足りないと、ストレスがたまり、赤ちゃんに
さまざまな異変が起きることも推察できる、とも。

先の柳沢氏は、「心と体の健やかな成長には、抱っこなどのスキンシップがたっぷり必要
だが、まだまだじゅうぶんではないようだ」と語っている。ちなみに「一〇〇人に三人
程度の割合で、サイレントベビーが観察される」(聖マリアンナ医科大学横浜市西部病
院・堀内たけし氏)そうだ。

 母親、父親のみなさん。遠慮しないで、もっと、ベタベタしなさい!

+++++++++++++++++++++

 一般論として、豊かな親の愛情に包まれて育った子どもは、表情が豊かで、すなお。「す
なお」というのは、心の状態と、表情が一致していることをいう。うれいしいときには、
うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。しかし心がゆがんでくる
と、それが一致しなくなる。すねたり、ひねくれたり、いじけたりする、など。さらに症
状が進むと、心と表情が遊離し始める。うれしいはずなのに、無表情だったり、怒ってい
るはずなのに、ニヤニヤ笑うなど。

 その子どもが心を開いているかどうかは、抱いてみるとわかる。心を開いている子ども
は、抱くと、スーッと体をすり寄せてくる。しばらく抱いていると、自分の体と一体化し、
さらに呼吸のリズムまで同じになる。また親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、
その親切や、やさしさが、子どもの心の中に、そのまましみこんでいくのがわかる。本来、
子どもというのは、そうでなければならない……という前提で、考える。もしそうでない
というなら、……。いろいろな問題が考えられる。

 さて、あなたの子どもは、どうか? 園や学校から帰ってきたとき、明るい声で、「ただ
いま!」と言って、うれしそうな顔をするだろうか。もしそうなら、それだけでも、あな
たの子どもは、すばらしい子どもということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの表情 子供の表情 表情のない子ども 表情の乏しい子供 表情の豊かな子供 
表情の豊かな子ども)


+++++++++++++
●「何とかしてくれ」言葉
+++++++++++++

 日本語の特徴なのか? 日本人は、おなかがすいても、「○○を食べたい」とは言わない。
「おなかがすいたア〜、(だから何とかしろ)」というような言い方をする。

幼児「先生、オシッコ!」
私 「オシッコがどうしたの?」
幼児「オシッコがしたい」
私 「ふうん、だったら、そこでしたら?」
幼児「ここでは、いやだ」
私 「どこでしたいの?」
幼児「トイレへ行きたい!」
私 「だったら、最初からそう言おうね」と。

 ほかにもいろいろ、ある。「のどがかわいたア〜」「足が痛いイ〜」など。幼児や子ども
だけではない。私の叔母だが、電話で話すたびに、いつもこう言っていた。「オバチャンも、
年をとったからね……」と。つまり「年をとったから、何とかしろ」と。

 こうした言葉が生まれる背景には、日本人独特の、依存型社会がある。「甘え」という言
葉を使って表現する人もいる。つまりたがいに、ベタベタと依存することにより、支えあ
っている。またそれを美徳と考えている。その一つの例として、たとえば今でも、子ども
に向かって、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せる親はいくらでもいる。それに
対して、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言う子どもは、これまたい
くらでもいる。ともに自立できない、つまりは依存型親子ということになる。

 たがいに依存型世界に生きる人どうしにとっては、その社会は、それなりに居心地がよ
い。ものごとが、ナーナーで動く。が、若い世代を中心に、「それではいけない」と言う人
もふえてきた。そうなると、そこで世代間の対立が生まれる。この対立が、親子関係、さ
らには家族をぎくしゃくしたものにする。今、この問題は、日本中の、あらゆる場所で、
またほとんどの家庭で起きつつあるといってもよい。

 英語国では、親子でも、「お前は、パパに何をしてほしい」「パパは、ぼくに何をしてほ
しい」とたがいに聞きあっている。これからの日本で求められるのは、こうしたわかりや
すさではないのか。だから……。子どもがここでいう「何とかしてくれ」言葉を口にした
ら、「それがどうなの?」と言って、それをたしなめる。これは子どもを自立させる、そし
て親自身も自立する、第一歩と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの依存性 子供の依存性 依存型社会 甘えの問題 親の恩着せ 何とかしてくれ
言葉)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月26日)

++++++++++++

今年の誕生日プレゼントは、
何にするか?

毎年、プレゼントの内容は、
自分で決めている。

ワイフは、「ノートパソコンに
したら?」と言ってくれるが、
ノートパソコンは、いらない。

デジカメも、イマイチ。

あえて言うなら、RAID・HD。
ハードディスクをいくつか
重ねて、同時に使用するという
ハードディスクである。

いろいろと、ものすごいことが、
できる。

++++++++++++

●福井で、カニ食べ放題!

 10月に、ワイフと2人で、福井へ行ってくる。カニ食べ放題というサービスのついた、パッケ
ージ・ツアーである。1人、1万2000円前後。

私「食べ放題といっても、いくらも食べられないよ」
ワ「そうね」と。

 食べなければ損……と思って食べれば食べるほど、体によくない。ヘタをすれば、そのまま
コレステロールが血管につまって、あの世行き。

 それに私は、あの(食べ放題)というのが、あまり好きではない。先月も、御殿場へ、「ビール
飲み放題」というツアーに行ってきた。私は、アルコール類は、一滴も飲めない。その私が、で
ある。

 おかげで帰りのバスの中の酒臭さといったら、なかった。酒臭いというより、酔っぱらい独特
の、胃液の混ざった、生臭い、あの臭(にお)い。

 今度は、カニ。私たちは、適当に食べて、それですますつもり。……そう言いながら、結構、
ガツガツ食べてしまうかもしれないが……。


●チケット切り

 うちの三男が、テレビに映ったという。M元首相が、ニューヨークの国連へ出かけるとき、成
田空港でJAL便に乗った。そのとき最終カウンターで、M首相のチケットをちぎったのが、う
ちの息子だったらしい。

 「テレビを見てよ」と息子から電話がかかってきた。が、あいにくと、7時の定時ニュースは、
見逃してしまった。あとから別の人から、「映っていた」と、連絡があった。

 言い忘れたが、息子は、今、地上勤務の訓練を受けている。来年早々から、カルフォルニア
での飛行訓練が始まるとのこと。それまでは成田空港で働いている。機会があってJALに乗
る人は、カウンターあたりをのぞいてみてほしい。そのあたりで、フラフラと仕事をさぼってい
るのが、私の息子。

 (チケットの半券は、記念にもらったとのこと。いいのかな?)


●新しいHP

 今度、新しいHPを開設した。NINJAという会社が出している、フリーサービスのHPである。
ふつう、フリーのHPというと、1ファイルあたりの容量が、50MBとか、その程度に制限されて
いる。しかしNINJAには、それがない。

 私のHPのように文章量が多いサイトにとっては、たいへんありがたい。

 全体として、1GBまでだそうだが、「必要に応じて、増量します」とのこと。これもありがたい。
現在のサイトづくりが一段落したら、もうひとつ、NINJAで開設するつもり。

 新しいHPは、

http://hiroshihayashi.ninja-web.net/

で、よろしく!


●パソコンが破損!

 OSが立ち上がらなくなった、XPパソコンをメーカーに送ったら、「マザーボードも破損して
います」とのこと。

 そんなはずはない! 送る前には、BIOSの設定もできた。マザーボードが破損していた
ら、
パソコン自体、起動しないはず。それが破損している? しかたないので、マザーボードを交
換してもらうことにした。修理費は、x万円。高い修理費になってしまった。

 運送してくれたY運輸に、その旨、電話をした。納得できなかった。が、それに対して、「検討
するから待ってほしい」とのこと。で、翌日、つまり昨日電話があり、明細がわかった段階で、
弁償しますとのこと。

 ホ〜ッ! さすがY運輸。決断が早い。これからもずっと、Y運輸を利用する。こうしたサービ
スは、そのまま安心感につながる。(郵便局だったら、こうはいかないぞ!)


●保険

 このところ保険会社から、立て続けにパンフレットが送られてきたり、電話がかかってくる。
私はいくつか保険会社に加入している。ワイフはしていない。それを先日、ワイフが不安がっ
た。

 それで新聞に折り込みで入っていた会社に電話をした。「した」というより、「してみた」という
感じ。とたん、パンフレットと電話。(パンフレットが速達で3通。電話が、計4〜5回。)

 ところがそのパンフレットときたら、やたらと複雑。こまかい文字で、ぎっしりと書き込んであ
る。パソコン関連グッズの説明書より、難解。読んでも、よく理解できない。で、電話で、あれ
これ聞く。その時間が、毎回、30分ほど。

 先方は、「9月いっぱい案内させていただきます」と言う。どういう意味かわからない。「9月
末まで、しつこく電話するぞ」という意味なのか、「10月になったら、もう知らないぞ」という意
味なのか。

 今夜あたり、結論を出さなければならない。そんな雰囲気になってきた。


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  /
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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「マッチ棒4本で、81を作れ」

+++++++++++

小学5年のMさんが、こんな
問題を出した。

「マッチ棒4本で、81を作れ」と。

しばらく考えて答を言うと、
「さすが、先生!」と言ってくれ
た。

どこかのテレビ番組で、そういう
クイズが出たのだろう。

「君が考えた問題か?」と
聞くと、「友だちから聞いた」と。

「自分で考えたというのなら、
それはすばらしい。しかし友だち
から聞いたというのでは、意味が
ない。そういう問題は、自分で
考えなくちゃあ」と。

+++++++++++

 以前書いた原稿を読みなおしてみる。「またか!」と思われる人も多いかと思うので、今日
は自分の書いた原稿に注釈を加えてみたい。

+++++++++++

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。

『思考が人間の偉大さをなす』とも。

よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何
も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り
出しているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、
その園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。

私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人
はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。

デカルトも、『われ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。

正しいとか、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんな
ことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生
まれるものだと思っていた。

おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考え
て、
そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲に
してしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子ども
というのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよ
し悪しも関係ない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人
のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものが
ゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。

さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育である。つまり日本の
教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的な子どもをつく
るのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。
日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常
識。

ロンドン大学の故森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない
自己判断のできる人間を育てなければ、2050年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけ
ん」・98年・田丸先生指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、本文
にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が痛くなる
こともある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのため考えるだけ
でイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること自体を避け
ようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもあ
る。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残
すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フラ
ンスの哲学者、1533〜92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときの
ほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。

ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

+++++++++++

 こういう文章をいつも書いているので、ときどき、こう言われる。「先生は、夜のバラエティ番
組が嫌いのですか?」と。

 好きとか、嫌いとかという問題ではない。ああいうのを見ていると、「これが同じ人間か」「こ
れが同じ日本人か」と思って、悲しくなる。あえて言うなら、情報の洪水。その洪水は、頭の上
から入ってきて、そのまま下へと流れ落ちていく。

 ロンドン大学の森嶋先生は、この原稿を書いたあと、しばらくして亡くなった。全国紙にも、そ
の訃報が載っていた。恩師田丸先生の親友であったとも聞いている。だからここでは「故」を
つけて、「故森嶋……」とした。

 その故森嶋名誉教授は、こう言っている。「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自
己判断のできる人間を育てなければ、2050年の日本は本当にダメになる」と。

 こう言われても、ピンとこない人も多いかもしれない。とくにこの日本で生まれ育ち、日本で
生活している人には、それがわからない。(……と思う。)ただこういうことは言える。

 (考える人)からは、(考えない人)がよくわかる。「よくわかる」というより、はっきりとした(差)
を感ずる。

 しかし(考えない人)からは、(考える人)がわからない。が、その(差)は相対的なもの。たと
えば田丸先生や故森嶋先生レベルから見ると、私など、まったくものを考えない人間に映る
かもしれない。しかしそんな私でも、ときどき(考えない人)が、どういう人か、わかるときがあ
る。

 ……というより、これは極端なケースかもしれないが、そのことは老人介護センターへ行っ
てみると、よくわかる。あそこで日々を過ごしている老人たちは、何も考えていない。まったく、
何も考えていない。

 ではそこにいる老人たちと、私が、どれほどちがうかと言えば、それほど、ちがわない。中
に、
「私は考えている」と言う人はいる。(私もその部類だが……。)しかしその実、何も考えていな
い。多くは、日々の生活を繰りかえすように、毎日、同じことを繰りかえし考えているだけ。

 思想の進歩など、もとから望むべくもない。そこでああのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの
冒険」の著者)はこう言った。

『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。マーク・トウェー
ンは、「皆と違ったことをするのが、自由」という意味で、そう言ったが、この言葉を拡大する
と、こうなる。

 『昨日と同じことを考えていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。あるいは、
 『みなと同じことを考えていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』でも、よい。

 考えるということは、まさに日々の研鑽(けんさん)のみによって、磨かれるもの。そしてそれ
には、際限がない。目標もなければ、ゴールもない。あるいは日々の研鑽をやめたとたん、考
えはしぼみ、後退する。

 それはまさに、健康論に似ている。究極の健康法など、ない。「これをしたから、一生、健康」
と言うような健康法はない。体を鍛えるのをやめたとたん、その人は、不健康に向かって、ま
っしぐらに進む。

 さて、今、多くの子どもたちもまた、思考と情報を混同している。何度も書くが、思考は、分析
と論理によって成り立つ。分析や論理をともなわない思考は、一見、思考に見えても、思考で
も何でもない。よい例が、冒頭にあげた、「マッチ棒4本で、81を作れ」という問題である。

 答は、マッチ棒を2本ずつ使って、「く」を2つ作る。それで「くく(九九)」とし、「九九、81」とな
る。

 私はこの問題を解くとき、「81」という数字に着目した。かけ算の「81」を連想した。だから、
「九九」→「クク」となった。その「クク」が、「くく」となった。しかしこんなのは、知恵の(遊び)で
しかない。英語で言えば、リドル(とんち)。あえて言うなら、ヒラメキ! ここでいう思考とは、
本質的に別のものである。

 現にそのあと、その問題を出したMさんは、今度は血液型による性格判断の話を、し始め
た。
「O型の人は、ジコチューなんだってエ」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思考
 
思考論 思考と情報)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある老夫婦の自殺

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フランスの左派系哲学者で、エコロジストの
アンドレ・ゴルツ氏(84)と妻のドリーヌさん(83)が、
パリ南東のオーブ県にある自宅で、並んで
死亡しているのを近親者が発見した。
心中したとみられている(AFP)。

++++++++++++++++++++

 「アンドレ・ゴルツ」という名前は、はじめて知った。「裏切者」「エコロジスト宣言」「労働のメタ
モルフォーズ」など、資本主義に批判的な著書を書いていたことも、はじめて知った。しかしA
FP電の小さな記事を読んだとき、ジンと胸が熱くなった。

 アンドレ・ゴルツ夫妻は、自宅で並んで死んでいたという。ゴルツ氏が、84歳。妻のドリーヌ
さんは、83歳。

 最近、「リビング・ウイル」という言葉を、よく耳にする。「生きる意思」と訳すのか? 安楽死
の問題とからんで、使われることが多い。

 そのリビング・ウイル。

(1)医学的に不治の状態で、死期が迫っているばあい、延命措置を断る。
(2)ただし苦痛を和らげる処置は最大限実施してほしい。
(3)数か月以上にわたって植物状態に陥ったときは、生命維持装置を取りやめてほしい、の
3つから成り立っている(日本尊厳死協会)。

 宗教の世界では、「自殺は悪」という前提で、ものを考える。「自己殺人」という言葉を使う人
もいる。しかし自殺は、絶対的な悪かというと、そうとも言えないのではないか。アンドレ・ゴル
ツ夫妻の心中記事を読んだとき、ふと、そんなことを感じた。心中の理由は、病気がちの妻だ
ったという。

 自殺をけっして美化してはいけない。それはよくわかっている。しかし私はこの記事を読ん
だとき、その背景に、何とも言えないいとおしさのようなものを、覚えた。老いゆくものの、心さ
びしさ。生活疲れ。看護疲れ。それ以上に、夫婦がたがいを思いやる、愛情の深さ。ゴルツ氏
にしてみれば、妻を失うという喪失感に耐えられなかったのかもしれない。あるいは、妻の方
が、安楽死を望み、ゴルツ氏が、それに応じたのかもしれない。

 2人の間で、どんな会話がなされたかについては、知るよしもない。しかし2人がベッドの上
で、並んで亡くなっていたという事実が、すべてをもの語ている。私の胸がジンと熱くなったの
も、そのためである。

 ……と書きながら、実は、この問題は、私たち夫婦の問題でもある。ときどき、私は、ワイフ
にこう言う。「お前が死んだら、ぼくも死ぬよ」と。するとワイフはいつもこう答える。「あなたは、
あなたで生きていかなくちゃあ」と。

私「でもさ、お前が死んだら、ぼくはどうやって生きていけばいいんだ?」
ワ「だいじょうぶよ。息子たちもいるし……」
私「あんなの、だめだよ。何も助けてくれないよ」
ワ「そんなことないわよ。ちゃんと、助けてくれるわよ」
私「そうかなあ……?」
ワ「もっと、みんなを信じなくちゃあ」と。

 リビング・ウイルというのは、何も末期を迎えた人たちだけに使う言葉ではない。生きていて
も「末期」ということは、ある。夢も希望も失い、生きる目的すら失ったら、人は、どうやって生き
ていけばよいのか。孤独という苦痛を、毎日味わいながら、人は、どうやって生きていけばよ
いのか。さらに自分が生きることで、みなに迷惑をかけるようになったら、人は、どうやって生
きていけばよいのか。

 ……浜松に住むようになったころ、私には定職がなかった。だから私とワイフは、夜中に、ア
パートの近くの電柱に、張り紙を張って歩いた。「翻訳をします。電話xx−xxxx」と。私たち
夫婦の原点は、そこにある。そしてその原点は、今も、つづいている。何も変わっていない。

 もしワイフが死んだら、私は、リビング・ウイルそのものをなくすだろう。くだらないことかもし
れないが、私は生命保険に加入している。死亡時には、ワイフに死亡保険が入るしくみになっ
ている。しかし私は、ワイフの生命保険の加入には、今でも、反対している。反対まではしてい
ないが、まだ加入していない。

 ワイフの命を、お金で換算するなどということは、私にはできない。

 ……尊厳死の世界では、患者の自己決定権としての尊厳死の法制化を求める動きもあると
いう。しかしこれにも問題がないわけではない。

 患者自身の意思をどうやって、確かめるのか。私の母(92歳)をみても、すでに判断力は、
ほとんどない。つい1〜2時間前のことすら、忘れてしまっている。そういう母が、「死にたい」と
言っても、だれも本気にしないだろう。

 あるいは、たとえ母の意識がしっかりしていたとしても、私という近親者がそれを承諾するに
も、たいへんな勇気が必要である。実際には、できない。「母を静かに死なせてやってくださ
い」とは、とても言えない。

 が、自分の問題となると、それこそ「自己決定権」の問題ということになる。ゴルツ夫妻は、ま
さにその権利を、自ら行使したことになる。夫婦そろって、たがいに納得した上で、命を絶っ
た。
しかしそれこそ、まさに本物の尊厳死ではないのか。

 ところで、これは私の、たいへんプライベートな考え方だが、私は、自分が死んでも葬儀など
してほしくない。家族には集まってもらいたいと思うが、それとて、何も葬儀の日でなくてもよ
い。それぞれが都合がつく日に、来てくれればよい。

 そんな思いが強いから、私自身も、他人の葬儀には、意味を感じない。実際には、あれこれ
理由を並べて断っている。死んでいく人は、静かに死んでいく。だからといって、他人の死を
軽んじているわけではない。葬儀など、何も、葬儀場という「場」へ行かなくても、いくらでもで
きる。

 葬儀に出るときに感ずる、あの(義理立て感)ほど、不愉快なものはない。ああいう場に並ん
でいると、自分が自分でなくなってしまう。むしろ逆で、ほんとうにその遺族の悲しみがわかれ
ば、(中には、故人の死を喜んでいる人もいるぞ)、そっとしておいてあげることも、大切。通夜
だ葬儀だと、みなで騒ぎたてて、どうしてそれが故人の死を悼むことになるのか。

 いろいろな考え方があるだろう。この問題だけは、人それぞれ。私は私。あなたはあなた。そ
れぞれが自分の考えで、自分の意思を決定すればよい。

 ……ということで、繰りかえしになるが、ゴルツ夫妻の心中を聞いて、それがまったく知らな
い人たちの死であるにもかかわらず、ジンと胸が熱くなった。ご冥福を、お祈り申し上げます。

+++++++++++++

この原稿を書いているとき、
一磨君という1人の少年の
死を思い出しました。

+++++++++++++

●「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。
そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほしい」
と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせ
たときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイ
ワイやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。

しかしそれが一年たち、手術、再発を繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶
望感をもつようになった。彼の苦痛でゆがんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥
じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見ることができなかった。私が彼の病気を悪くして
しまったかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもでき
るし、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いま
した」と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞
いて、私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人
の死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君
の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年
齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人
生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わった
としても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るな
りや。汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、
私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることができ
る。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、そ
の瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生き
ていることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●20の難し

+++++++++++++++

「この世の中に、悟りへの道を始める
にあたって、成し難いことが20ある」
と、仏教では教える(四十二章経)。

+++++++++++++++

貧しくて施すことは難く、
慢心にして道を学ぶことは難く、
命を捨てて道を求めることは難く、
仏の在世に生を受けることは難く、
仏の教えを聞くことは難く、
色欲を耐え忍び、諸欲を離れることは難く、
よいものを見て求めないことは難く、
権勢を持ちながら、勢いをもって人に臨まないことは難く、
辱(はずかし)められて怒らないことは難く、
事が起きても無心であることは難く、
広く学び、深く究めることは難く、
初心の人を軽んじないことは難く、
慢心を除くことは難く、
よい友を得ることは難く、
道を学んでさとりに入ることは難く、
外界の環境に動かされないことは難く、
相手の能力を知って、教えを説くことは難く、
心をいつも平らかに保つことは難く、
是非をあげつらわないことは難く、
よい手段を学び知ることは難い。(以上「仏教聖典」より)

 釈迦が、こうしてものごとを教条的、つまり箇条書きにしてものを説いたかどうかは別とし
て、
(私は後世の学者たちが、まとめたものだと思うが)、ここに書いてあることは、たいへん参考
になる。

 その第一。私がもっている視点とは、まったく異なった視点で、書かれていること。読んだ瞬
間、バチバチと脳みその中で、火花が散るのを感じた。

 たとえば同じ問題でも、大脳生理学的な視点で見たばあい、心理学的な視点で見たばあ
い、
さらに教育的な視点で見たばあいとでは、それぞれ見方が分かれる。ここに書かれている、
「20の難し」について言えば、宗教的な視点で書かれている。

 私なりの解釈を加えてみる。

貧しくて施すことは難く、(自分が困っているのに、他人を助けるのは、難しい。)
慢心にして道を学ぶことは難く、(ものを学ぶには、謙虚でなければならない。)
命を捨てて道を求めることは難く、
仏の在世に生を受けることは難く、(仏が生きているときに、生まれるのは、難しい。)
仏の教えを聞くことは難く、(仏の教えに接することができるのは、難しい。)
色欲を耐え忍び、諸欲を離れることは難く、(本能をコントロールするのは、難しい。)
よいものを見て求めないことは難く、(物欲を抑えるのは、難しい。)
権勢を持ちながら、勢いをもって人に臨まないことは難く、
辱(はずかし)められて怒らないことは難く、
事が起きても無心であることは難く、(重大事のとき、平静を保つのは、難しい。)
広く学び、深く究めることは難く、(視野を広くもち、深く探求するのは、難しい。)
初心の人を軽んじないことは難く、(学び始めた人を、軽く見ないことは、難しい。)
慢心を除くことは難く、(おごり高ぶった心を取り除くのは、難しい。)
よい友を得ることは難く、
道を学んでさとりに入ることは難く、(悟りの境地に入るのは、難しい。)
外界の環境に動かされないことは難く、(自分を保つのは、難しい。)
相手の能力を知って、教えを説くことは難く、(相手に応じて、教えを説くのは難しい。)
心をいつも平らかに保つことは難く、(いつも平静でいるのは、難しい。)
是非をあげつらわないことは難く、(ささいなことを言い立てないのは、難しい。)
よい手段を学び知ることは難い。(よい解決方法を学んで知るのは、難しい。)
(以上「仏教聖典」より)

意味がよくわからないのが、三の『命を捨てて道を求めることは難く』。ここでいう「道」というの
は、「仏道」のこと? 仏教の世界には、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉がある。
「仏
法を得るために、身命をささげて惜しまないこと」(日本語大辞典)という意味である。つまり仏
道を究めるためには、命がけでせよという意味。いいかげんな気持ちでは、究めることはでき

い、と。

  が、ここで『命を捨てたのでは、道を求めることは、難しい』と教える。翻訳がおかしいの
か?
 仏典の多くは、サンスクリット語(ヒンズー語)で書かれたあと、最終的には漢語(中国)→日
本語
へと翻訳されている。

 ……とまあ、重箱の底をほじくり返すような議論は、やめにしたい。仏教の世界では、こうし
た議論が、あまりにも多すぎる。その道の人たちと議論していると、ときどき、何がなんだか、
わけがわからなくなるときがある。

 こんなことがあった。

 ある宗教団体では、「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。そこで私が、「どういう意味です
か」と聞くと、その人は、こう言った。「南無」の言葉だけでも、説明するのに、何か月もかか
る、
と。(何か月、だぞ!)

 そこで私は、東京のインド大使館の領事部まで足を運び、意味を調べた。そのとき書いた原
稿が、つぎのもの。

+++++++++++

●絶対的な服従・帰依

 絶対的な帰依……あらゆる信仰に共通する条件。絶対的な服従・帰依なくして、信仰は成り
たたない。

 仏教の世界にも、「南無」という言葉がある。もともとは、サンスクリット語の「ナム」の当て字
である。その「ナム」もまた、「帰依する」という意味である。ついでながら、日本のある宗派で
は、「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。

 南無は、ここに書いた、「ナム」の当て字。

 妙法は、「ミョウホウ」、同じくサンスクリット語で、「不思議な」とか、「因果な」という意味。そ
れに「妙法」という漢字を当てた。

蓮華は、「レンゲ」、同じくサンスクリット語で、「物語」という意味。それに「蓮華」という漢字
を当てた。

 「経」は、「経典」の経。中国で、仏典として編纂されるときに、つけ加えられた。つまり、「南
無・妙法・蓮華・経」は、「不思議な物語に帰依する経典」ということになる。

 これらの事実は、私が直接、東京にあるインド大使館の領事部の人の協力を得て、調べた
ものである。

 ただ「ナム」が意味する「帰依」については、「帰依」というほど、深い意味で使われているの
ではない。たとえばインドでは、あいさつとして、「ナマ(=ナム)・ステ」という言葉を使う。もと
もとは、「あなたに帰依します」という意味だが、そんな深い意味を考えてあいさつをする人は
いない。会ったときも、別れるときも、軽く両手を合わせて、「ナマステ!」と言いあう。

+++++++++++++

 つまり「説明するのに、何か月もかかる」というような、大げさな言葉ではないということ。ウ
ソだと思うなら、インド大使館の領事部へ自分で行ってみたらよい。サンスクリット語の専門家
もいて、ていねいに教えてもらえるはず。

 話をもどす。要するに、謙虚に他人の教えには耳を傾け、日々に視野を広め、心穏やかに
生きろということか。

 今日一日だけでも、この「20の難し」を心にとめて、過ごしてみたい。(私でも、悟りの境地に
達することができるかな?)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月24日)

++++++++++++++

政治から権威が消えた。それは
それとして歓迎すべきことかも
しれない。

しかしその政治が、今、ギャグ化
し始めている。ギャグはギャグで
も、お笑い化。

よい例が、宮崎県のS知事。お笑
いタレントが、そのまま知事にな
ってしまった。

今回の首相選もそうだ。

福田氏(71)が、330票。対立候補
のA氏(67)が、197票。福田氏は
そのまま首相に指名された。

A氏が行くところ、どこでも、若い
人たちの、「Tチャン」「Tチャン」の
大合唱が聞こえたという。

だれもこういう現象を、おかしいと
思わない? ごくふつうのこととし
て、受け入れてしまっている?

わかりやすく言えば、日本中が、
ノーブレイン状態。自ら考えること
そのものを放棄してしまっている。

政治とお笑い番組、もっと言えば、
民主主義とお笑い番組の区別すら
つかなくなってしまった?

そのうち、あのビートT氏が首相、
みの・M氏が幹事長、タモリ氏が
衆議院議長になる時代がやって
くるかもしれない。

それはそれで、楽しい時代かもし
れない。が、政治は大混乱。そのスキ
をねらって、今度は政治は、一気に、
ファシズム化する危険性がある。

かつてのドイツがそうだった。日本も
そうだった。大正デモクラシーとか
何とかもてはやされたあと、日本は
一気にファシズムへの道を進み始め
た。

テレビでも、こんな場面が流された。
A氏がどこかへ行ったときのこと。
1人の女性(45歳くらい)が、「Aさん
にサインをしてもらった」と、まるで
10代はじめの女の子のように、はしゃ
いで喜んでいた。

頭の中は、からっぽ。恐ろしいほど
からっぽ。

そんなからっぽの人たちが、選挙
で代表を決めていく。日本が進む
べき道を決めていく。

選挙は、ますますショー化し、政治
はますますギャグ化する。そして
その先、日本は、大混乱。「いいのか、
日本!」と叫んだところで、この話は
おしまい。

++++++++++++++

●私にとって、考えること

 考えることには、ある種の苦痛がともなう。たとえて言うなら、中学校で勉強する数学の問題
に似ている。二次関数、合同、相似など。さらに言えば、高校で勉強する微分、積分、あるい
は三角関数の問題に似ている。難解な論文にも、似ている。

 だからたいていの人は、考えることそのものを放棄してしまう。できるなら、考えないですま
そうとする。中にはカルト教団の信者のように、考えることそのものを、他人に預けてしまう人
もいる。

 その結果として、その人は、ノーブレインの状態になる。わかりやすく言えば、からっぽ。恩
師の田丸先生は、そういう脳みそを称して、「昆虫のような脳みそ」と言った。ずいぶんときび
しい言葉だが、そう評されてもしかたないような、からっぽの人は多い。

 さらに脳みその底に穴があいたような人さえいる。50代、60代の人の話ではない。20代、
30代の人でも、そういう人はいる。情報が洪水のように頭の中に入ってくる。しかしそれを分
析したり、論理的にまとめる力はない。ないまま、一方的に、外にたれ流してしまう。

 だからますますからっぽになる。

 こういう人たちは、あえて言うなら、地図をもたないまま、山の中に入るようなもの。そのつど
道に迷って、右往左往する。そのときどきの欲望にまどわされ、右往左往する。わかりやすく
言えば、人生の放浪者。損をするのは、結局は、その人自身ということになる。

 仏教でも、「悟りへの道」(仏教聖典)として、つぎのように説明する(パーリ。中部二、一切漏
経)。

 『第一に、ものの見方を正しくして、その原因と結果とをよくわきまえる。すべての苦しみのも
とは、煩悩(ぼんのう)であるから、その煩悩がなくなれば、苦しみのない境地が現れることを
正しく知るのである。
 見方を誤るから、我という考えや、原因・結果の法則を無視する考えが起こり、このまちがっ
た考えにとらわれて煩悩を起こし、迷い苦しむようになる』(仏教伝道協会)と。

 一方、考えることには、ほかにはない、すばらしさがある。私はよく、考えることを、荒野を歩
くことにたとえる。それはそのとおりで、ひとりで考えていると、あたかも自分が、どこか広い荒
野をさまよい歩いているかのように思うことがある。

 あるいはときには、背の高いアシを手でかき分けながら進んでいるように思うこともある。

 そんなとき、まれに、その下に小さな輝く石を見つけることがある。私はそれをよく宝石にた
とえる。小さな宝石だが、私はそれを見つけると、すかさずその宝石に向かって進んでいく。
そのとき覚える感動や喜びといったものは、ほかの世界では、絶対に経験できないものであ
る。

 またそれがあるから、考えることをやめることができない。趣味といえば、趣味ということに
なる。それが現実の世界で、利益を生むことは、まずない。私のしていることは、その程度の
ことかもしれない。しかしそれが今、私の生きがいになっている。時間を惜しんで考える、その
原動力になっている。

 人はなぜ生きるか? 一般論に従えば、真・善・美の追求の中に、人は最終的な生きがいを
見いだすという。その大前提が、「考える」ということである。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●首相の健康診断

+++++++++++++

K国の金xxが、認知症の初期症状
を示しているという。(拉致問題に
抗議の念をこめて、金xxとしている。)

認知症という病気(?)がどういう
ものか知らない人も多いかと思う。が、
認知症になると、その人がその人で
なくなってしまう。

私も身近で、その認知症の人たち
を見てきた。……見ている。

で、認知症になるのは、しかたの
ないことだが、あの評論家の立花
T氏が、脳梗塞を起こしていたという
手記を読んで、私は、即座にこう
思った。

首相、もしくは首相に立候補する
人は、必要最低条件として、脳の
検査だけは受けるべきではないか、
と。

首相という立場の人は、ふつうの
人以上の判断力が求められる。
その首相がもし、任期の途中で、
血栓性でも何でもよいが、認知症
になったら、それこそ、日本は、
たいへんなことになる。

そんなわけで、健康診断書を添えて、
首相に立候補すべきではないか、と。

+++++++++++++

 今では、どんな会社に入社するにも、健康診断書が必要である。私の息子にしても、パイロ
ットという職業的な特殊性もあるが、数回にわたって、そのつど、泊まりがけで、健康診断を受
けた。もちろん脳みそは、徹底的に検査された。

 だったら、首相、つまり日本の「長」たるべき地位を目指す人も、そうすべきではないのか。
個人的には(=内密には)、健康診断を受けているのだろうが、それを公表してから、首相候
補者として立候補する。

 とくに脳みその検査は、徹底的にしてもらいたい。その悪例というか、現実の問題が、あのK
国で起こりつつある。韓国のK国専門インターネット新聞、「デーリーNK」によれば、K国の金
xxに認知症の初期症状が見られるとの情報を、米政府が入手、確認作業に入っているそう
だ(9月20日)。

 道理で……、と思い当たるフシが、いくつかある。この4〜5年、金xxは、おかしなことばかり
している。しかしこれはK国の問題。K国が、それでよいと思うのなら、どんな指導者を選ぼう
が、それはK国の勝手。しかしこの日本では、困る。

 もし認知症の人物、あるいは認知症の初期症状をすでに示している人物が首相にでもなっ
たら、それこそ、たいへん。この日本は、メチャメチャになってしまう。

 私が見たところ、候補者の1人のA氏は、少しあぶないのではないか。たまたまテレビを見
ていたときも、「留年」と「留任」という言葉を、言いまちがえていた。その少し前は、「ロシア」と
「ソ連」を、言いまちがえていた。もちろん、A氏がそうだというわけではないが、認知症が進
むと、こうした言葉の取り違えが起きることは、よく知られている。

 認知症の初期症状……メディカル・トリビューンのHPでは、「認知症の初期症状」として、つ
ぎのものをあげている。

★同じことを言ったり、聞いたりする。
★ものの名前が出てこなかったりする。
★置き忘れやしまい忘れが目立つ。
★以前はあった関心や興味が失われた。
★日課をしなくなった。
★だらしなくなった。
★時間や場所の感覚が不確かになった。
★慣れているところで道に迷った。
★財布が盗まれたと言う。
★計算のまちがいが多くなった。
★ささいなことで怒りっぽくなった。
★蛇口やガス栓の締め忘れが目立った。

 もっとも認知症といっても、(1)脳血栓性によるもの、(2)脳腫瘍によるもの、(3)うつ病によ
るもの、(4)アルツハイマー型によるものなどに分類される。このうち多いのが、(1)の脳血栓
性によるものと、(4)アルツハイマー型によるものだそうだ(同)。

 脳血栓性によるものというのは、脳梗塞をいう。(ただし脳梗塞イコール、認知症というわけ
ではない。誤解のないように!)その脳梗塞でも、通常の検査ではわかりにくい微細脳梗塞と
いうのもある。末端の細い血管がつまり、それが原因で脳梗塞を起こす。

 そうした検査結果、微細脳梗塞も含めた検査結果を公表してから、首相候補者として立候
補する。もしそれがいやなら、あるいは、すでに脳梗塞を起こしているようなら、立候補すべき
ではない。

 さらに言えば……。国会議員の定年がよく話題になる。が、定年という(数字)ではなく、や
はり健康問題を重視すべきである。とくにここに書いた、脳の病気、認知症については、厳格
にしたらよい。

 またその心配のある人が、国会議員になるのだけは、やめてもらいたい。そこで……。

(1)首相候補者の健康診断書の公表を義務づける。(脳と全身)
(2)国会議員の健康診断書の公表を義務づける。(脳)

 ぜひ、ぜひ、やってもらいたい。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●韓国のガソリン事情

+++++++++++++

韓国の燃料効率は悪いと
よく言われる。つまり社会構造
そのものが、省エネ構造になって
いない。

だから原油の価格があがると、
その影響を日本よりも大きく
受ける。

簡単に知るためには、韓国での
ガソリン1リットルあたりの
価格を見ればよい。

それによると、9月24日現在、
韓国では、1リットルあたり、
約198円!

日本と韓国では税制も異なるので、
一概に比較はできないが、
約198円というのは、日本の価格の
1・5倍。

「高いなア〜」というのが、私の
実感である。

+++++++++++++

東亜N報は、以下のように伝える。

『ガソリン価格は7月の第4週(1557.38ウォン)以来、下がり気味を見せたが、最近、再
び2週間連続で上昇した。 
地域ごとにみると、ソウルが1リットル=1584.83ウォンでもっとも高く、△大田(テジョン)
=1559.86ウォン、△蔚山(ウルサン)=1557.00ウォン、△光州(クァンジュ)=1554.
50ウォンの順だった』と。
 
日本円に換算すると、1585ウォン=1585x0・125=約198円(9月24日レート)、つまり
1リットルあたり、約198円となる。

 高い!、……ということは、韓国の経済構造は、原油高には、弱いということ。たまたま今
は、
(意図的ではあるにせよ)、ウォン高であるから、何とかもちここたえている。が、ここで仮に
5%でもウォン安ということにでもなれば、それはそのまま原油価格にはねかえってくる。

 ここに韓国経済最大のアキレス腱がある。

 円安で、輸出産業を刺激したい。しかし円安になれば、原油高の影響をモロに受ける。貿易
収支は、そのまま赤字。そうなればN大統領の失政が、白日のもとにさらけ出されることにな
る。

 あやうし、韓国経済!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 24日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心が破壊される子どもたち

+++++++++++++++

はげしい受験競争。過負担。慢性的な
欲求不満。それがしばらくつづくと、
子どもの心は、破壊される。

やさしい思いやりの心は消え、乾いた
砂漠のようになる。

言いたいことをズケズケと言う。したい
ことを、容赦なくする。それには、当然、
いじめも含まれる。

印象に残っている子どもに、Sさん(中2)
という女の子がいた。

そのSさんが、ある日、私の顔を見て、こう
言った。

「あんたも、くだらねえ仕事、してるね。
私しゃ、おとなになったら、もう少しマシな
仕事をすっからね」と。

が、悲劇は、自分の子どもがそうなりな
がらも、親はそれに気づかないということ。

たいていのばあい、親は、子どもの言い分
だけを鵜呑みにする。自分の子どもが、
「A君が悪い」と言えば、A君が悪いと
決めつけてしまう。「B先生が悪い」と
言えば、B先生が悪いと決めつけてしまう。

こうして親は、自分の子どもを見失う。

昔、こんなことを相談してきた母親がいた。
話を聞くと、その母親の子ども(小5)が、
学校でいじめにあっているという。

私はそれを聞いて、心底、驚いた。何を
隠そう、その母親の子どもこそが、いじめ
グループの中心核にいたからだ。ほかの
父母からの相談もつづいた。その子どもが
こわくて、転校した生徒も、いたほどで
ある。

その子どもも、受験競争に巻きこまれる前
までは、心のやさしい、ほがらかな子ども
だった。笑顔も、青い空に抜けるように、
明るかった。

そんな子どもが、小学5年になると同時に、
分厚い問題集をかかえて、私の教室に来る
ようになった。とたん、人が変わった。

私は何度か、その子どもの母親に相談しよう
とした。しかし、いつも答はひとつ。

「学校でいじめにあっています。それでうち
の子は、イライラしているのです」と。

結局、その子どもは、6年になると同時に、
私のところを去っていった。

生意気な態度。おとなをおとなとも思わない
言動。私に対する一片の畏敬の念もなかった。

私が、「そういう態度をつづけるなら、君の
お母さんに言いつける」とおどしたのが、
まずかった? その日から、その子どもは、
家で私の悪口を並べた。つまり先手を打った。

だからその子どもも、母親も、私をうしろ足で
蹴飛ばすかのようにして、私のもとを去った。

今なら、もう少し別の指導ができたかもしれない。
そのとき私は、40代のはじめ。

怒りとむなしさで、私の心はボロボロになった。
しかし本当に犠牲者は、私ではなく、その
子ども自身だったかもしれない。

破壊された心は、簡単には修復されない。
乾いた心は、たいていはヒビ割れたまま、
その子どもの心のキズとなって、一生、残る。

が、悪いのは、その子どもではない。進学塾が悪い
のでもない。

悪いのは、格差。社会的格差。親たちはその格差を
毎日、いやというほど、見せつけられている。
その格差が、親をして、子どもの受験競争に駆り立
てる。

そしてそれが子どもの心を破壊する。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司


●金で成績を釣る?

+++++++++++++++++

このほど、テストの成績の伸び率に応じ、
学校予算を傾斜配分する仕組みについて、
東京都A区の教育委員会は、
「好ましくない」とする報告書案を
まとめた。

バカめ!

こんなことは、当然のこと。その前に、
「テストの成績の伸び率に応じ、
学校予算を傾斜配分するという仕組み」
そのものが、へん。おかしい。異常!

+++++++++++++++++

 バカさかげんもここまでくると、あいた口がふさがらない。少し前、東京都A区の教育委員会
は、テスト(公立小学校の学力テスト)の結果に応じて、学校予算を、傾斜配分すると言い出
した。

 わかりやすく言えば、成績のよかった学校には、予算をふやし、そうでなかった学校には、
予算を減らす、と。

 こういう時代錯誤というか、とんでもない意見が、教育委員会という場で、考えられること自
体、異常である。

 こうした批判が続出したのか、あわてて、同区の学力調査委員会(委員長・T足立区教育委
員会事務局次長)は、この案(仕組み)を撤回した。いわく、「好ましくない」と。その報告を受
けて、A区の教育委員会は、「傾斜配分を廃止する見通し」とか。

 成績は重要だが、成績だけが、すべてではない。成績は重要だが、しかし教育の場には、そ
れ以上に、大切にすべきものがある。成績だけをみて、その学校をみてはいけない。評価し
てはいけない。その理由の第一。

 成績というのは、あくまでも個人的なもの。学校でいえば、生徒1人ひとりのもの。それが総
合されたからといって、個人の成績がどうかなるというものではない。わかりやすい例で説明
しよう。

 あなたの子どもが、成績下位で悩んでいるとする。クラスでもビリに近い。しかしクラス全体
の成績は、よい。そのためあなたの子どもは、クラスの中では、のけ者。落ちこぼれ。

 そんなとき担任の教師が、祝賀会を開いた。「今度、うちのクラスが、総合成績でトップにな
りました。みなさん、喜んでください」と。

 あなたはそれを聞いて、喜ぶ気になるだろうか。「成績というのは、あくまでも個人的なもの」
という意味は、そこにある。そうした成績を総合的にみて、予算をふやすとか、減らすとか、そ
ういう発想そのものが、ゆがんでいる。おかしい。へん。異常!

 そのおかしさがわからなければ、進学塾をみればわかる。

 進学塾では、その季節になると、S中学50人合格、A中学60人合格……の張り紙を、玄関
先に張る。しかしその陰で、その倍以上の子どもたちが、不合格になっていたとしたら、どう
か。
それでもあなたはその進学塾は、すばらしいと言うだろうか。

 あなたの子どもは、不合格になった。そのあなたが、進学塾に、「おめでとうございます。あり
がとうございました」などという、祝電を打つだろうか。

 教育というのは、弱者にいかにやさしいかで、その真価が問われる。今回の東京都A区の、
予算傾斜配分案には、そうした(やさしさ)がどこにもない。おかしな資本主義的発想に、その
まま毒されている。

 私はこうした案が撤回されたのは当然だとしても、こうした案が、出てきたこと自体に、驚い
ている。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●Tさん(群馬県)からのメール

++++++++++++++

体に障害をもつ子どもをもつ、Tさん。
そのTさんから、こんなメールが届いた。

++++++++++++++

はじめて相談いたします。 今悩んでいるのは、3男(中2)のことです。

生まれつき右足が不自由で、2才のときに手術をしました。現在、歩行には問題がありません
が、速く走ったりなどは、できません。自分はみんなと違い、自由に運動ができないと知ったこ
ろ(4年生)から、なんで俺だけ・・・という気持ちが強くなったようです。

中学で職業調べを始め、運動に制約があると、資格をとる上での第一条件(主に航海士な
ど)と知り、ショックを受け、私に向かい、お前のせいで俺の夢が奪われた・・責任とれ・・と、く
どくど言いつづけたり、暴力を振るったりするようになりました。

また、寝起きなどは特に悪く、お前の声がキモイ出て行けなどと言い、腕や背中を殴ったりし
ます。塾や学校に遅刻するのも、お前のせいだ・・と何事も自分は反省せず、私のせいにしま
す。

俺の右足を奪ってどうする気だ・・何かいうことはないのか、と毎日のように怒鳴ります。私
は、
わざとじゃないけどごめんね、と謝るだけです。夢がなくなったから、勉強してもしょうがない、
といい、宿題はしません。成績は悪いです。

去年、仲の良かった友達とけんかしてから、親友もいないようです。家で会話するのも、私だ
けで、夫や兄弟とはほとんど会話しません。

二学期になり、学校行かないといい、5日ほど休みました。 言いがかりと暴力で、毎日がとて
も不安です。どうしたら、息子の心が平和になってくれるのでしょうか。将来にもっと夢と希望
を持ってほしいのですが・・・障害をもってなかったら・・と私もいまさらながらに思ってしまうこ
ともあります。家族で笑い会える日心待ちにしています。アドバイスをよろしくお願いします。
(07年9月)

【はやし浩司よりTさんへ】

拝復

こんばんは!

メールを読みました。

読んで、こう思いました。

愛し合うべき人たちが、たがいに憎しみ合っている。
キズつけ合っている、とです。とても悲しい話ですね。

お子さんは、反抗期(燃え上がってくる、エネルギー)
+自我の同一性の危機的(自分で何をしたらよいか
わからない)状況で、情緒的にも混乱していると
考えてください。

障害のことは、半ば口実にすぎません。

私も個人的に似たような場面を経験していますが、
『許して、忘れる』です。

この言葉だけを念じて、この時期を過ぎてください。

あなたの思いは、必ず、お子さんに届きます。
時間はかかりますが、そのときあなたたちは、
真の親子関係を築くことができます。

不登校の問題も同時進行の形で起きていますが、
この際、子どもの心だけを考え、最優先します。

不登校など、何でもない問題です。

運命は受け入れましょう。運命にさからうと、
運命はキバをむいて、あなたの襲いかかってきます。
しかし運命というのは、受け入れてしまえば、
何ともありません。運命のほうが、シッポを巻いて
逃げていきます。

そういうものです。

子どもの混乱は、今しばらくつづきますが、今こそ
あなたの愛がためされているときだと思ってください。
そしてあなた自身が、「十字架のひとつやふたつ何だ!」と、
いっしょに背負う姿を見せてあげてください。

ここが正念場ですよ。逃げてはいけませんよ。

「あなたはさみしいのね」「孤独なのね」「つらいのね」と
子どもに話しかけてみてください。そしてどんなことが
あっても、子どもを見捨てない……今はその混乱期
です。

このタイプの子どもは、一度、どこかで自分の運命を
受け入れてしまえば、ウソのように静かになります。
その時期は、近いと思います。というのも、
こういう状態で、いちばんつらい思いをしているのは、
あなたの子ども自身だからです。

そのつらさに、子ども自身が耐えられなくなります。
心理学にも、(フリップ・フロップ理論)というのがあります。

心が不安定な状態では、本人自身が疲れるため、
やがてどちらかに転ぶ……という理論です。

そのとき、静かになります。

以前、書いた原稿を添付します。

++++++++++++++++++++++++++

【子育てのすばらしさを学ぶ法(許して忘れろ!)】


子育てのすばらしさを教えられるとき


●子をもって知る至上の愛    


 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えら

ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。


●自分の中の命の流れ


 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じた

とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。



 先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死

だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう
だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。し
かしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなも
のがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分
も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。 



●神の愛と仏の慈悲


 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこ

いて、私をあざ笑う。



 すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。しか

子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものできの悪さを見
せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教
えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれな
い。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の
愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な
心をいやしてくれる。


●神や仏の使者


 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。



 子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そし

生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわ
たって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそうい

意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた
自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ
らい、子育てですばらしいことはない。


+++++++++++++++++++++++++++

【子どもへの愛を深める法(子どもは下から見ろ!)】


親が子どもを許して忘れるとき


●苦労のない子育てはない


 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子ど

を育てるのではない。子どもが親を育てる。



 よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがって

いないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。親は子育てをしながら、それこそ幾多の
山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうなしに育てられる。



 たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、確かに若くてきれいだが、どこか
ツンツンとしている。どこか軽い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あ
いさつすらしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が
実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。


●子どもは下からみる


 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなくしてか

気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。


 私には三人の息子がいるが、そのうちの二人を、あやうく海でなくすところだった。とくに二

は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、しかもほとんど
人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水
泳選手だったという。



 私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊ん

いるものとばかり思っていた。が、三歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいない!」と
叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、
何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。



 私は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それも
できなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水泳選手という人
が、海から二男を助け出すところだった。


●「こいつは生きているだけでいい」


 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思いなお
すことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したと
きも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きているだけでいい」

思いなおすことで、乗り越えることができた。



 昔の人は、いつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というのは、上
ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということだが、子育てで

きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から見る。「生きている」という
原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思議である。


●子育ては許して忘れる 


 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んでいる
と、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。 




 英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与えるため」

も訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。しかし何を与えるた

に許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、この言葉の意味をずっと考えていた
ように思う。が、ある日。その意味がわかった。


 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切った。
「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子どもではないか。
許して忘れてしまえ」と。



 つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るた
めに忘れろ」ということになる。そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親
の愛の深さが決まる。



 もちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子

もの言いなりになるということでもない。許して忘れるということは、子どもを受け入れ、子ども
をあるがままに認めるということ。子どもの苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れ、仮

問題があったとしても、その問題を自分のものとして認めるということをいう。


 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生きている」と
いう原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してみてほし
い。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。


***************************

あなたはけっしてひとりではないし、またほとんどの親が
それぞれ問題をかかえて、がんばっています。

外からは、それが見えないだけです。

また気が向いたら、いただいたメールを、みなさんに
紹介させてください。よろしくお願いします。

マガジンでは、いろいろな方の問題をよく取りあげます。
また参考にしてください。

おやすみなさい。

どうか、心安らかに!

そうそうもし荒れがあまりひどいようでしたら、
まずTさんだけで、心療内科を訪れて
みてください。アドバイスがもらえるはずです。

今は、よい薬もあります。

ひとりで悩まないこと。

では、

はやし浩司



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●道徳の完成度(2)

+++++++++++++++++++

道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、
(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)という。

 いかに公正であるか……相手が知人である
とか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、
公正に判断して行動できるかどうかで、その人の
道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児
が見せる原始的な自己中心性を原点とするなら、
いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的
であるかによって、その人の道徳的完成度は決
まる。

+++++++++++++++++++

 この2日間、「道徳の完成度」について、考えてきた。「言うは易(やす)し」とは、よく言う。し
かし実際に、どうすれば自己の道徳を完成させるかということになると、これはまったく別の問
題と考えてよい。

 たとえば公正性についても、そのつど心の中で揺れ動く。情に動かされる。相手によって、
白を黒と言ってみせたり、黒を白と言ってみせたりする。しかしそれでは、とても公正性のある
人間とは言えない。

 またその視野の広さについても、ふと油断すると、身近なささいな問題で、思い悩んだり、自
分を取り乱したりする。天下国家を論じながら、他方で、近隣の人たちとのトラブルで、醜態を
さらけだしたりする。

 コールバークの道徳論を、もう一度、おさらいしてみよう。

(1)「時、場所、そして人のいかんにかかわらず、公正に適応されるという原則」
(2)「個人的な欲求や好みを超えて、個人の行為を支配する能力」(引用文献:「発達心理
学」ナツメ社)。

 そこで重要なことは、日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要、ということになる。常に公
正さを保ち、常に視野を広くもつということ。が、それがむずかしい。ときとして問題は、向こう
から飛びこんでくる。こんな話を聞いた。

 よくある嫁―姑(しゅうとめ)戦争だが、嫁の武器は、子ども。「孫がかわいい」「孫に会いた
い」という姑の心を逆手にとって、その嫁は、姑を自分のよいように操っていた。具体的には、
姑のもつ財産をねらっていた。

 いつしか姑が、息子夫婦の生活費を援助するようになっていた。嫁の夫(=姑の息子)の給
料だけでは、生活が苦しかった。質素に生活すれば、できなくはなかったが、嫁には、それが
できなかった。嫁は、派手好きだった。

 そのうち、姑は、孫(=嫁の息子、娘)の学費、教育費まで負担するようになった。しかし土
地などの財産はともかくも、現金となると、いつまでもつづくわけではない。そこで姑が、支出
を断り始めた。「お金がつづかない」とこぼした。とたん、嫁は、姑と息子と娘(=姑の孫)が会
うのを禁止した。

 息子(小4)と娘(小1)は、「おばあちゃんに会いたい」と言った。
 嫁は、「会ってはだめ」「電話をしてもだめ」と、自分の子どもにきつく言った。
 姑は「孫たちに会いたいから、連れてきてほしい」と、嫁に懇願した。
 嫁は間接的ながら、「お金がなかったら、土地を売ってお金をつくってほしい」と迫った。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。こういう話は、あまりにも低レベルという
か、
あさましい。できるなら、こういう話は聞きたくない。話題にしたくもない。が、現実の世界で
は、
こうした問題が、つぎからつぎへと起きてくる。いくら道徳的に高邁(こうまい)でいようとして
も、
ふと気がつくと、こうした問題のウズの中に巻き込まれてしまう。

 言いかえると、道徳の問題は、頭の中だけで論じても、意味はないということ。この私だっ
て、
偉そうなことなら、いくらでも言える。それらしい顔をして、それらしい言葉を口にしていれば、
それでよい。それなりの道徳家に見える。

 しかし実際には、中身はガタガタ。私はその嫁とはちがうと思いたいが、それほどちがわな
い。そこで繰りかえすが、「日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要」ということになる。

 私たちは常に試される。この瞬間においても、またつぎの瞬間においても、だ。何か大きな
問題が起きれば、なおさら。そういうときこそ、日々の鍛錬が、試される。つまりその人の道徳
性は、そういう形で、昇華していくしかない。

(道徳性について、付記)

 高邁な道徳性をもったからといって、どうなのか……という問題が残る。たとえばこんな例で
考えてみよう。最近、実際、あった事例である。

 あなたは所轄官庁の担当部長である。今度、遠縁にあたる親類の1人が、介護施設を開設
した。あなたは自分の地位を利用して、その親類に、多額の補助金を交付した。その額、数億
円以上。

 そのあなたが、ある日、その親類から、高級車の提供をもちかけられた。別荘の提供ももち
かけられた。飲食して帰ろうとすると、みやげを渡された。みやげの中には、現金数百万円が
入っていた。

 こういうケースのばあい、あなたならどう判断し、どう行動するだろうか?

 「私はそういう不正なことは、しません」と、それを断るだろうか。その勇気はあるだろうか。ま
た断ったところで、何か得るものは、あるだろうか。

 私はそういう場に立たされたことがないので、ここでは何とも言えない。しかし私なら、かなり
迷うと思う。今の私なら、なおさらそうだ。いまだに道路にサイフが落ちているのを見かけただ
けで、迷う。

不運にも(?)、この事件は発覚し、マスコミなどによって報道されるところとなった。しかし
こうした事例は、小さなものまで含めると、その世界では、日常茶飯事。それこそ、どこでも
起きている。

 つまり道徳性の高さで得られるものは、何かということ。それがこの世界では、たいへんわ
かりにくくなっている。へたをすれば、「正直者がバカをみる」ということにもなりかねない。

 ところで、今朝の新聞によれば、中央教育審議会は、道徳の教科化を見送ることにしたとい
う(9月18日)。当然である。

 「学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会は、18日、道徳の授業を教科としな
い方針を固めた。政府の教育再生会議は、規範意識の向上を目的に、第二次報告で道徳を
『徳育』としたうえで、教科化するよう求めていた。もともと中教審の内部では、教科化に慎重
な意見も強かったが、安倍首相の辞任後、『教育再生』路線との距離の置き方も、明確になっ
た格好だ」(中日新聞・9月19日)とある。

 わかりやすく言えば、安倍総理大臣が辞任したこともあり、安倍総理大臣が看板にしていた
徳育教育(?)が、腰砕けしたということ。

 閣僚による数々の不祥事。加えて、安倍総理自身も、3億円の脱税問題がもちあがってき
ている。「何が、道徳か!」、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 道徳
 
道徳教育 徳育 徳育教育)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●自己愛

+++++++++++++++++

自己中心性が、極端に肥大化した
状態を、「自己愛・Narcissistic personality」
という。

極端な自己中心性にあわせて、完璧主義、
他人の批判などを許さない、などの特徴
がある。

で、その自己愛が、さらに極端化し、
通常の社会生活がむずかしくなった
状態を、自己愛性人格障害と呼ぶ。

DSM(アメリカ精神医学会(APA)、
『精神障害の診断・統計マニュアル』
(Diagnostic and Statistical Manual of 
Mental Disorders)は、つぎのように
定義する。

●自己愛性人格障害 

A.自己の重要さ、まはユニークさをおおげさに感じること。
(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)

B.再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的な愛の空想に夢中になること。

C.自己宣伝癖。
  (例:絶えず人の注意と称賛を求める)

D.批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、劣等
感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である。

E.以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。

(1)権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、
   (例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)

(2)対人関係における利己性:
   自己の欲求にふけるため、または自己の権力の拡大のために他者を利用する。
   他者の自己保全や権利を、ないがしろにする。

(3)対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。

(4)共感の欠如:他者がどう感じているかわからない。
   (例:重症の病気にかかっている人の苦悩を感じ取れない)
(DSM日本語版より抜粋)

++++++++++++++++

 「自己愛」というと、この日本では、どこか美しい(?)響きを感じながら、それをとらえる人は
多い。しかし自己愛は、軽蔑すべきものであって、けっして、賞賛されるべきものではない。

 要するに自分勝手でわがまま、自己中心的で、自分がいつも舞台の上の主人公でいないと
気がすまない。他人の心を思いやる余裕もなければ、共感性、共鳴性がない。つまりは、どう
しようもない人間。

 が、このタイプの人ほど、外の世界では、そうでない人間として振る舞う。他人の不幸話に、
それらしい顔をして耳を傾ける、わざと控えめな自分を演ずる、など。しかしそれは仮面(ペル
ソナ)。相手が自分の意図したとおりの反応を示さなかったりすると、激怒してみせたり、その
人をこきおろしてみせたりする。

長い時間をかけて、「それでは損」と、学習するためと考えるとわかりやすい。つまり自分の
中の自己愛を隠すために、その反対の人間を演じてみせる。しかし仮面は仮面。心の底か
ら伝わってくる人間味がない。

 子どもの世界でも、こうした自己愛的性格は、小学の低学年から現れ始める。中学生になる
ころには、それが「性格」として定着する。

 一般に子どもの自己中心性は、年齢とともに、修正されていく。大きく分けて、内容は、つぎ
の2つに分けて考える。

(1)空間的自己中心性……「自分は世界の中心にいる」と思いこむ。
(2)精神的自己中心性……「私だけが絶対である。自分だけが正しい。ほかはまちがってい
る」と思いこむ。

 この段階にまで進むと、他人に対する共感性、共鳴性が、極端に低下する。そのため、ズケ
ズケと言いたいことを言ったりする。あるいは反対に、同情したフリをしながら、他人の不幸
話、
失敗話を楽しむ。が、その一方で、他人が自分に対してそれをするのを許さない。そのため、
他人の心がわからなくなる。他人の立場や置かれた状況が、的確に判断できない。

 たとえば突然電話をかけてきて、「明日、そちらへ行くから」などと言ってきたりする。こちら
の都合など、まるで構わない。「私が行けば、あなたは喜ぶはず」という前提でものを考える。

 そこで私が、たとえば、(あくまでもたとえばの話だが……)、「明日は仕事があるので、1時
間くらいしか時間が取れない」などと答えたりすると、とたんに不機嫌になったりする。

 話がそれたが、こうした自己中心性は、そのつど他人とのかかわりの中で、修正されていく。
言いかえると、(他人とのかかわりがない)→(自己中心性が肥大化する)→(ますます他人と
のかかわりがもてなくなる)の悪循環の中で、やがて自己愛におぼれるようになる。

 子どもの世界では、そういう点でも、「お宅族」というのは、けっして好ましい状態ではないと
いうことになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自己
愛 自己愛性人格障害)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●ある読者の方からのメール

+++++++++++++

大阪府にお住まいの方から、
マガジンのほうに、こんな
メールが届いている。

紹介してもよいということなので、
ここに紹介させてもらう。

ありがとうございました!

+++++++++++++

小学生の二人の子どもが反抗期で荒れたときに、
どんなに林先生に力づけられたことでしょう。

「許して忘れる」の言葉を胸に刻んで、ここ数年がんばってきました。
一番底、二番底、と数えながらまだまだ、と今も思っています。
泣きながら先生のマガジンを読んだことが昨日のようです。

中2、小4の(男子)子ども達は思春期入り口、これからが本番です。
先生の一言一言をかみしめながら、自分のことも見つめています。

基本的には私はとても前向きなので、毎日が楽しくて幸せなのですが、
子どもの反抗期だけはどうにもならないです。
それでも、先生のマガジンとともに進んでいきます。

先生の貴重なアドバイス、ユニークな観点のエッセイ、人間くさい話、などいつも楽しみにして
おります。

お体に気をつけてお過ごしくださいませ。
本当にいつもありがとうございます。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●姉が来た

++++++++++++++

介護施設に入った母を見舞うため、
郷里から姉夫婦が来た。
突然の来訪で、道案内しかできな
かった。母にしても、9か月
ぶりの再開である。

施設では、母と姉は、何やら会話
らしきものをしていた。

静かな時だった。穏やかな時だった。

私たち夫婦と、義兄は、少し遠くにある
椅子に座って、その様子をながめていた。

++++++++++++++

 時の流れは、そのときは、恐ろしくのろい。ときによどんだ川の流れのように、動きさえ止め
てしまう。

 しかしそれでも終わってみると、あっという間のできごと。そんなこともあったのかと、思うこと
も多い。すべては闇に消える。その過ぎ去った時の流れに驚く。10年を一瞬に思うこともあ
る。
20年を一瞬に思うこともある。そしてこの時の流れは、つぎの瞬間には、私たちを例外なく、
「過去」という名の、無の世界へと追いやる。

 母は、もうすぐ92歳になる。介護施設でのケアがよかったのか、入所後3か月だが、以前よ
りはるかに元気になった。頭の回転も、速くなった。姉を見ると、すぐ名前を言い当てた。義兄
の顔もわかった。少しだが、冗談も理解できる。

 「そういうものだろうな」と思いつつ、静かな会話を遠くから見やる。私たちは私たちで、世間
話をつづける。が、やがてこの会話も終わり、姉夫婦は、帰る。一日は終わる。そして今、母と
姉の再会も、どこかへ消える。

 残るものは、何か? こうした過去から、残るものは、何か? それが「今」ということか。そ
う、
そこにあるのは、「今」だけ。過去は今の中に残り、その今が、未来を作っていく。そしてその
未来も、今となった瞬間、過去のものとなっていく。

 いつか、少し先のことになるが、私も死ぬ。死んで、この世から消える。私が死んだあと、ひ
ょっとしたら、この文章を読む人がいるかもしれない。私にとっては、「今」だが、その人にとっ
ては、過去ということになる。しかしこの文書を読んだ段階で、私の過去と、その人の今がつ
ながる?

 考えてみれば、これはすばらしいことではないか。言うなれば、タイムマシーンということに
なる。反対に考えれば、私たちは過去に書いた人の文章を読んで、その過去にもどることが
できる。今のあなたが、そうしているように、だ。

 ・・・とまあ、話が脱線したが、母と姉の姿を横で見ながら、ついでにそんなことも考えた。

 今はその「今」だが、母も、つぎの瞬間には、この世から消えていなくなる。それを見ている
私も、この世から消えていなくなる。で、あるとするなら、私たちは、何のために生きているの
か? ただ消えるために生きているのか? 答はNO!

・・・今は、何かとたいへんだが、そのたいへんさの中から、ドラマが生まれる。ほっと安らぐ時
など、一日のうちで、何時間もない。あとの時間は、そのためのもの。そのために、がんばる。
しかしそこから生まれるドラマこそが、人間の生きる意味へとつながっていく。今を生きる人た
ちに、勇気と希望を与える。

 つまりそのために、私は生きている。あなたは生きている。みんな、生きている。

 さあ、今日もがんばろう! 負けてなるものか!

 
はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi
 
●浜松百撰

+++++++++++++++++++

「浜松百撰」という、まれに見るというか、
全国でもよく知られたタウン雑誌がある。

おそらく・・・というより、まちがいなく、
その質の高さは、日本でも有数と考えてよい。

内容もすばらしいが、構成、デザインともに、
群を抜いている。しかも、そういう雑誌が、
今から40〜50年前に生まれたということ。
それが今につづいているということ。

浜松に住む人たちのみならず、文芸人と呼ばれる
人たちにまで、これほどまでに大きな
影響を与えたタウン誌は、ほかにない。

率直に言う。昔から、よく言われる。「浜松には
文化がない」と。たしかにそうで、そのことは、
ほかの文化都市と呼ばれる都市とくらべてみると、
よくわかる。

そういう中で、浜松百撰というタウン誌は、燦然
(さんぜん)と輝いていた。

・・・「いた」というのは、今は、少し時代が
変わった。以前は、どの店に入っても、その雑誌
が目についた。そしてどの人も、その雑誌に
読みふけっていた。

今は、情報そのものが、氾濫している。種々雑多
な情報が、容赦なく、私たちを襲う。洪水のように
襲う。そうした氾濫の中で、浜松百撰の陰が、少し
薄くなった?

それに、書いている人の世代も変わった。昔は、
浜松百撰を中心に、ひとつのサークルができた。
知り合いも、それでできた。が、今は、私は
ジジババの仲間。私を知る人はいない。知っている
人も、少ない。

残念なことだが、それにさみしいことだが、
これも時代の流れかもしれない。

しかしこれだけは覚えておくとよい。浜松百撰は
浜松の歴史に残るタウン誌である。その地位だけは
これから先も、ずっと残る。消えことはない。

その浜松百撰が、今年、50周年を迎えるという。
先週、その連絡が届いた。

浜松百撰の変わらぬ愛読者の一人として、浜松百撰
50周年記念を、心から祝いたい。プラス、
Y前編集長さん、おめでとうございます!

これからもますます元気な浜松百撰を提供して
ください。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●今日・あれこれ(9月21日)金曜日

++++++++++++++

正月に、アメリカに住む二男夫婦が
浜松に来る。

孫の誠司と芽依も来る。いろいろ
計画を立てる。真っ先に考えたのが、
ディズニーランドへ行くこと。

ついでにユニバーサル・スタジオにも
行こう。

二男夫婦は、その間、京都か奈良へ
でも行ってくればいい。

殺風景な景色に、ポッと花が咲いた
ような気分。

床についてからも、ワイフと話すのは
そのことばかり。

そうそう一度、私の教室で、誠司を
教えてみたい。私にとっては、夢の
ようなできごとになるにちがいない。

生涯でいちばんすばらしいレッスンを
して見せてやろう。誠司は、日本では、
年中児ということになる。

++++++++++++++

●気温45度

 少し前、ある温泉で、岩盤風呂なるものに入った。薄い浴衣を着て、ワイフと2人で入った。
室温は45度。湿度80%。猛烈な熱さである。(暑い、ではなく、熱い!)

私「今年、中国北部では、気温が45度にもなったそうだ」
ワ「ここと同じね」
私「そう。でも湿度は、そんなに高くなかったと思う」
ワ「ここは80%よ」
私「ワーッ、それにしてもすごい。45度なんて、とても耐えられないよ」と。

 私たちは、50年後の日本を模擬体験したことになる。あるいは10年後かもしれない。入浴
方法の注意書きどおり、10分入浴、10分休憩。それを3回繰りかえした。が、それでダウン。

 ふつうの風呂でも、43度が限界。中に45度でも平気という人がいる。しかし私のばあい、適
温は40〜41度。43度の風呂には入れない。

 が、45度とは! もし気温が45度になったら、人間はどうやってその日を過ごすのだろう。
今年、あのメルボルン市でも、気温が40度を超えたという。そこで「どうやって過ごしたか?」
と聞くと、その友人は、「家の中で寝ていた」と。

 友人の家もそうだが、オーストラリアでは、クーラーのない家が多い。その分、家の壁は厚
く、
天井が高い。

私「気温が45度にもなったら、人間は、生きていかれないよ」
ワ「気が狂う人も出てくるわね」
私「クーラーも45度あたりが限界らしい。いくら熱を外で放熱するといっても、外気が45度で
は、どうしようもない」

ワ「どうしたらいいのかしら?」
私「クーラーの外部装置そのものを、水冷化するとか、そういう方法がある」
ワ「クーラー自体を一度冷やして、それで室温を外へ放熱するという方法ね」
私「そう。それしかない。しかしコストがかかる。つまりその分だけ、電気を余計につかう。つま
りますます温暖化は進む」と。

 今はまだよい。しかしそのころになると、私たち夫婦も、70歳とか80歳になっている。体力
も弱くなるだろう。今でもヒーヒー言っている。45度になったら、もう死ぬしかない。

ワ「50度になったら、どうなるのかしら?」
私「急速に水の蒸発が始まるようになる」
ワ「海の水も、涸(か)れるのね」
私「まあ、そういうこと。空を暑い雲がおおい、気温はますます上昇する。それこそ蒸し風呂み
たいになるだろうね」
ワ「毎日、サウナに入っているようなものね」と。

 45度という気温は、そういうのをいう。深刻な話なのだが、どうもその深刻さに実感が伴わ
ない。私たちは、笑いながら、そんな会話をした。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●私はA(幹事長)にだまされた

+++++++++++++++++

ときとして外国の新聞社は、思い切った
スクープ記事を書く。

韓国の東亜N報は、「私はA幹事長に
だまされた」と題して、つぎのように伝える。
(9月19日)。

+++++++++++++++++

 韓国の東亜N報は、「私はA幹事長にだまされた」と題して、つぎのように伝える。内容が内
容だけに、そのまま転載させてもらう。

++++++++++

●私は、A幹事長にだまされた

12日に電撃的に辞意を表明した日本の安倍晋三首相の辞任の背景について、少しずつ流
れている話が総合され、論議を呼んでいる。 

当時、安倍首相が側近に「A幹事長、Y官房長官にだまされた」と吐露したという話が、一足
遅れてマスコミに取り上げられている。 

同じ時期に、いわゆる「小泉チルドレン」の一人であるK自民党広報局長が、テレビ朝日の番
組で、「これはクーデターだ。支えると言いながら、後ろから刺してる人がいる」と述べ、同様
の情況を伝えた。 

これはA幹事長が、安倍首相の辞任後に首相有力候補に名前が挙がったが、わずか1日で
墜落した背景とも関係がある。日本のマスコミが伝えた前後の事情は以下のようだ。 

M元首相、AK自民党衆議院会長、NG直幹事長などの自民党の長老たちは、参議院選挙
(7月29日)の数日前、「安倍首相の退陣、福田康夫元官房長官の推戴」で合意した。自民党
の惨敗が明らかな状況だったためだ。 

しかし選挙惨敗当日、このような建議を聞いた安倍首相は、A外相(当時)の勧誘によって政
権維持の方針を固めた。 

その後、A外相は、8・27党政改編を主導して幹事長になった。また、自分の人脈を主要ポス
トに配置するなど、選挙を狙って布石を打ったという。いっぽう、徹底して重鎮中心で構成さ
れた内閣で、安倍首相は宙に浮いた孤立状態だった。 

特に、安倍首相は側近に「内閣改造の過程で、徹底的に無視されただけでなく、A幹事長は
テロ特措法と関連して、誤った情報まで与えた」と吐露したという。 

日本のマスコミは、安倍首相が12日に辞意を表明して、A幹事長を後継に指名しない理由も
ここにあると解釈した。さらに、A幹事長が、安倍首相の辞意発表を2日前に聞いても引き止
めなかった事実が伝えられ、「首相への欲望のため」という批判まで出ている。 

いっぽう、「機能性胃腸障害」で入院中の安倍首相には、入院3日目から見舞い客も訪れず、
すでに「忘れられた人物」になっていると毎日新聞は伝えた。 

新首相の指名は、25日に行われる予定だ。(以上、東亜N報・記事、原文のまま)

+++++++++++

 東亜N報の記事を、よく読むと、今回の政変劇の裏が、少しだが見えてくる。

(1)7月29日の選挙前、M前首相らは、安倍首相退陣→福田元官房長官の首相への推戴を
考えていた。

(2)7月29日の参議院議員選挙で、自民党は大大敗をする。

(3)安倍首相が退陣すれば、自分の立場があやうくなると知ったA幹事長は、安倍首相に強
く続投を進言。その一方で、自分の人脈を主要ポストにすえた。このとき、安倍首相は、
「内閣改造の過程で、徹底的に無視されただけでなく、A幹事長はテロ特措法と関連し
て、
誤った情報まで与えた」と漏らした。

(4)安倍首相は、「A幹事長、Y官房長官にだまされた」と側近にもらしたあと、辞意を表明す
る。

(5)この時点では、だれもがA幹事長が、次期総理大臣と考えた。

(6)が、その翌日、福田元官房長官が急浮上。形勢は一気に逆転した。

+++++++++++++

 簡単に言えば、最初からA幹事長は、総理大臣のポストをねらって、安倍首相を利用してい
ただけ、ということになる。考えてみれば、恐ろしいことではないか。党利党略どころか、日本
という国の政治が、個人の私利私欲追求の場として、利用されている。

 報道番組などによると、A幹事長の公用車の中には、マンガ本が山になっているという。愛
読書は、コミックの「ゴルゴ13」だという。自称、「お宅族」であるとも。

 政治というより、民主主義そのものが、ギャク化されている。しかしこんなバカげたことが、こ
の日本で、ほんとうに許されてよいものか。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(9月20日版)

(未成年の出国者、昨年10万人を超える) 

++++++++++++++++

韓国の統計庁が9月18日発表した、
「06年国際人口移動統計結果」
によれば、3か月以上海外に滞留した
全体出国者の中で、19歳以下は
計10万691人で、03年に統計が
作成されてから初めて10万人を超えた
という。 

そのうち、9歳以下の韓国人は何と、
計4万611人で、前年の3万5876人
より13.2%増え、10〜19歳の
出国者も5万978人から6万80人
に17.9%増加したという。

わかるかな?

9歳……つまり日本でいえば、
小学3年生以下の子どもが、
約4万人、10〜19歳の若者が、
約6万人、計10万人もの子ども
たちが、韓国を捨てて、外国に
渡っている(06年度)。

「捨てて」というのは、「帰国の
意思はない」という意味。

++++++++++++++++

●韓国から逃げる子どもたち

韓国統計庁が9月18日(07)発表した「06年国際人口移動統計結果」によれば、3か月以
上海外に滞留した全体出国者の中で、19歳以下は計10万691人で、03年に統計が作成
されてから初めて10万人を超えた。 

うち9歳以下の韓国人は計4万611人で、前年の3万5876人より13.2%増え、10〜19
歳の出国者も5万978人から6万80人に17.9%増加したという(東亜N報、07−9−1
9)。

 驚くべき数字といってもよい。韓国にとっては、脱北者どころの問題ではない。19歳以下の
子どもたちをみただけでも、毎年、その10倍以上もの韓国の人たち自身が、韓国を捨てて外
国に渡っている。(脱北して韓国に渡った人たちは、累計で、約1万人。)その数、0〜19歳だ
けで、約10万人。つい昨年までは、8万人と言っていたから、06年度は、約2万人もふえたこ
とになる。

 わかるかな?

 9歳以下の子どもたちが、毎年、約4万人も、国を離れているということ。(毎年だぞ!) 親
の転勤などによる移住も、その中に含まれているが、その多くは、帰国の意思はない。親にも
帰国させる意思はない。

 韓国では、まず母親と子どもが外国に出る。以前はアメリカやオーストラリアが多かったが、
このところ行き先は、全世界におよんでいる。で、父親は韓国に残り、学費と生活費を送りつ
づける。これを称して、「逆単身赴任」という。韓国ではそう呼んでいる。で、ころあいをみはか
らって、父親も、財産を処分して、外国へ渡る。

 ことは深刻である。

 日本の人口規模に換算すると、3倍して、約12万人の子どもたちが、毎年国を離れているこ
とになる。19歳までの子どもについて言うなら、約30万人の子どもたちが、国を離れているこ
とになる。

 もし日本でこんなことが起きれば、どうなるか。それだけで、大きな社会問題になる。

 理由はある。今、韓国では、大卒でも、4人に1人しか、就職できない。そのくせ、学費は高
く、
受験競争ははげしい。貧富の差は、ますます広がっている。大企業の社員たちは、日本の大
企業の社員以上の給料を手にしている。その一方で、大半の人たちは、毎月、5〜6万円レベ
ルの生活を強いられている。加えて過酷な徴兵制度もある。そんな国で、だれが子どもを育
てたいと思うだろうか。

 韓国は今、内部から崩壊し始めている。

 ついでに外貨準備高というウソについて。

●外貨準備高

 韓国は、ことあるごとに、「外貨準備高が増えた、増えた」と喜んでいるはしゃいでいる。韓
国の大本営発表である。

韓国銀行、つまり」韓国の中央銀行が、9月4日(07)発表した、8月末時点の外貨準備高
は、前月比4億6000万ドル(0.2%)増の、2553億ドルとなったという。

 外貨準備高を「貯金」にたとえる人は多い。韓国もその仲間だが、しかし……?

 ちなみに、外貨準備高をみると、中国が1位の1兆ドル(06年10月)、日本が2位の8700

ドル(06年10月)。数字でみるかぎり、韓国は日本の3分の1にまで迫っているということにな
る。

 各国が外貨を準備するのには、大きく、つぎの2つの理由がある。

 ひとつは、国際決済のバッファー(緩衝材)とするため。たとえば貿易するときは、そのつど、
円とドルを交換しなければならない。そのとき国内でドル不足が起きると、支払いがとどこお
ったりする。そのために、どこの国でも、外貨、つまり多くはドルを自国に保有する。

 もうひとつは、自国の通貨を安定させるため。たとえば円安に行きすぎたようなとき、その円
安を修正するため、外国から円を買う。そのための資金として、外貨、つまり多くはドルを自国
に保有する。

 外貨をもつということは、それ自体に大きな意味はない。むしろ外貨を多くもつことによっ
て、
その管理がたいへんになる。そのコストもバカにならない。それ自体が、貯金のように利息を
生むわけでもない。

 貿易で稼いだ外貨は、運用してはじめて、意味がある。それを示す数値が、資本収支だが、
それについてはもう何度も書いてきたので、ここでは省略する。つまり、外貨が多いといって
も、
適正水準を超えた外貨の保有は、それ自体、まったく意味がない。へたをすれば、ドル安に
なった分だけ、そのまま損失ということになる。

 では、どの程度が適正かというと、諸説があるが、中国や日本は、明らかに、もちすぎ! も
っと外国に投資して、その利ざやを稼いだ方がよい。

 で、韓国はどうかというと、これがおかしなことが起きている。貿易立国を自負するくらいな
ら、
ウォン安に誘導した方が得。が、韓国政府は、自らウォン高を維持するために、政策金利を
高止まりにしたままにしている。07年9月現在、5%。日本の20倍!

 つまり外国の投資家たちは、韓国での利ざやを稼ぐため、ドルを売って、ウォンを買ってい
る。そのため貿易収支は赤字スレスレでも、(直近の貿易収支は、すでに赤字に転落してい
ると推定されている)、外貨だけがどんどんとふくれあがっていくという、珍現象が起きてい
る。

 その結果が、先に書いた、2553億ドルという数字である。

 政策金利を今のまま維持すれば、ウォン高になる。しかし貿易、とくに輸出には、不利。しか
しウォン安にすることもできない。今、ここでウォン安にすれば、アメリカで起きた、サブプライ
ムローン問題と同じことが、韓国でも起きる。その時点で、韓国のバブル経済は、大崩壊!
 2回目のデフォルト(債務不履行=国家破綻)。

 つまり韓国は、今、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれている。多くの専門家は、雑
誌などでは、2009年まで、韓国はもたないだろうと予測している。

 そこでゆいいつの頼みの綱は、この日本ということになる。このところ韓国のN大統領の反
日発言は、なりをひそめている。それもそのはず。今、ここで日本に嫌われたら、韓国というよ
り、韓国経済は、そのまま奈落の底へ落ちていくことになる。

 日本は韓国なしでも、やっていかれる。しかし韓国は日本なしでは、やっていかれない。N大
統領もやっとそれに気づきはじめた? が、今さら、それがどうだというのか。遅すぎた。小泉
内閣時代に始まった日韓経済戦争は、もうあともどりできないほどまでに、進んでしまった。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本! あと一歩だ!

 みなさん、今度の南北会談の隠された目的は、ズバリ、JAPANマネーだぞ。韓国は、K国
に投下されるであろう、日本からの戦後補償費をアテにしている。その理由は、ここに書いた
ことを読めば、わかるはず。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●やはり、そうだったのか!

++++++++++++++++

K国の金xxが、認知症になっている
という情報が飛び込んできた。

「やはり、そうだったのか!」と、私は
思った。

K国のような独裁国家では、その独裁性が
強ければ強いほど、独裁者個人の人間性が
そのまま、外に表れてくる。

その人間性(人間性と言ってよいかどうか
わからないが)は、もうメチャメチャ。

一貫性のなさ。枝葉末節へのこだわり。
予見不可能な行動パターン。突飛もない
言動。支離滅裂な大本営発表。おかしな
復古主義などなど。

こうして書き上げたら、キリがない。
しかしそれが認知症によるもので
あるとするなら、すべて合点がいく。

報道によれば、1年前からその疑い
があったということだが、私は、この
4〜5年前からそうではないかと思って
いた。

何度も、「金xxは、まともではない」と
書いてきた。

しかしK国の民こそ、あわれ。そういう
独裁者であっても、ただひたすら従順に
従っていくしかない。

+++++++++++++++++

読売新聞は、つぎのように伝える。いわく……

『韓国のK国専門インターネット新聞、「デーリーNK」は、9月20日(07年)、K国の金xxに
認知症の初期症状が見られるとの情報を、米政府が入手、確認作業に入っていると伝えた。

 日本の消息筋が米政府高官から確認した情報として伝えたという。

 情報は1年前に入手され、K国の権力中枢だけが知る極秘事項。具体的な症状の程度は
不明だが、判断力の低下により、金xxが行ってきた文書決裁の一部を側近らが代行する
など、国政運営全般に少しずつ支障が出ているという。

 金xxの発言や行動が統制できないため、身辺や生活を補佐する金xx個人の書記室が国
政運営に関与し始めているとされる』(読売新聞)と。

 認知症といっても、内容はさまざま。この記事によれば、(1)判断力の低下、(2)発言や行
動が統制できないということだから、血栓性の脳梗塞などによるようなものではなく、もう少し
重篤な認知症ではないかと思われる。

 脳の器質そのものが、変化している? たとえばアルツハイマー型の認知症など。突飛もな
い行動と言えば、先に、小泉首相と会談したおりには、飛行機いっぱいの松茸を、みやげとし
てくれたという話もある。

 その少し前には、ロシアの大統領には、やはり飛行機いっぱいの羊をもたせたという話も伝
わっている。ロシアの大統領が、「羊の肉はうまい」と言ったのが、そのきっかけだったという。
(この話は伝聞なので、不正確。馬だったかもしれない。)

 あとはみなさん、ご存知の通り。突然、ミサイルを発射してみせたり、核実験をしてみせたり
……。思い立ったように、おかしな建物を建造してみせたり……。最近では、突然、サッカー
場の建設や、オリンピック競技クラスの水泳場の建設を命じたりしている。

一貫性のなさ。枝葉末節へのこだわり。予見不可能な行動パターン。突飛もない言動。支
離滅裂な大本営発表。おかしな復古主義などなど。そうした一連の動きを、日本という外か
らながめていると、かえってこちらのほうが、気がへんになってしまうほどだった。

 とくに気になるのは、「統制できない行動」という部分。まさか? 徘徊が始まった?

 しかしこれらすべてに、「認知症」という病気を重ね合わせてみると、納得がいく。私たちは
最初から最後まで、まともでない人間を相手にしていた。そんな人間に振り回されていた。本
気で相手にして、ああでもない、こうでもないと、論じていた。

 本当のバカは、私たちだったということになる。

 報道によれば、「1年前」とあるが、私は、もっと前から疑っていたぞ。……ということで、この
話はここまで。

しかし韓国のN大統領は、そんな金xxを相手に、南北会談で、何を話し合うつもりなのだろ
うか? 韓国のN大統領の言動も、どこかおかしい。へん。常識をはずれている。会談で
は、
ひょっとしたら、こんな会話が交わされるかもしれない。「おたがい、同じ病気なんて、いや
ですな。がんばりましょう」と。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(9月18日)

【今日・あれこれ】

●日本語の話

+++++++++++++

美しい日本語って、どういう
日本語のことを言うのか。

+++++++++++++

 学生時代のこと。あるパーティで、2人の学生がけんかを始めた。けんかは、たがいに、
「What are you?」と言い合うところから始まった。が、その直後、一方の学生が、相手の学
生に、パンチをくらわせた。

 そのとき、殴ったほうの学生が、手を前に出すと同時に、こう叫んだ。

 I will paunch shit out of you!、と。

 言い終わったとき、相手の顔面で、パンチがはじけた。

 日本語に訳すと、「私はお前を殴って、クソを外へ出してやる」という意味になる。それだけ
の内容を、手を出した瞬間から言い始め、顔に届いたときには、言い終えていた。しかしいくら
日本語で早く言っても、英語にはかなわない。ためしに、あなたも英語と日本語の両方を言い
比べてみてほしい。

 つまり話し言葉としては、英語はすぐれている。日本語で話すと、どうしても遅くなる。理由
のひとつは、日本語は、そのすべての音に、母音を入れなければならないということ。そのつ
ど口腔の形を変えて、アイウエオの音を入れなければならない。が、英語は、そのほとんど
を、
子音だけで話す。

 このちがいは大きい。つまり英語では、それだけ早口で話すことができる。

 一方、日本語には日本語のよさがある。しかし言語としては、それほどすぐれた言語とは、
言えないのではないか。方言が多いのもそのひとつ。それに時代とともに、あまりにも大きく
変化しすぎる。

 今、江戸時代の文章を自由に読みこなせる人は、学者をのぞいて、そうはいない。いわん
や平安時代や奈良時代の文章をや、ということになる。

 これからも日本語は、どんどんと変化していく。つまり変化するということ自体、未完成な言
語ということになる。

 それにもうひとつある。

 書き言葉としての日本語だが、日本語は、本当にむずかしい。漢字の使い方にしても、「早
口」なのか、「速口」なのか。これは私の不勉強のせいもあるが、文章を書くとき、いまだに迷
う。迷いの連続といってもよい。

 語法も乱れている。「学校があった」でも、意味は通ずる。「学校で授業があった」でも、意味
は通ずる。しかし「授業」というのは、「あった」ではおかしい。正しくは、「子どもたちは授業を
受けた」ということになる。が、それでは文章が長くなってしまう。そこでまた、「学校があった」
となる。

 こうした迷いが、いつもついて回る。
 
 一方、では英語はどうかというと、文法に沿って単語を並べていくと、そのまま文章になって
しまう。そのつど主語をきちんと入れるので、読んでいて、「だれが〜」という部分で迷うことは
ない。話し言葉としての方言はあるが、書いた文章には、方言はない。国ごとによって、使う
単語がちがうということはある。使い方のちがいというのはある。

たとえば「How are you?」にしても、オーストラリアでは、「はじめまして」という意味で使う。
ほかの国では、「いかがですか?」という意味で使う。そういうちがいはある。しかしその程度。

 ところでこんなことがある。

 ときどきおかしな英語に出会うときがある。高校生がもってくる受験英語に、それが多い。私
が「こんな英語は、訳せないよ」と言ったりすると、みな、驚く。しかしおかしいものは、おかし
い。
英語だから、みな、同じと考えると、まちがい。書く人によって、当然、じょうず、へたがある。

 へたな英語は、へた。とくにドイツ系の人が書いた英文は、まわりくどい。ドイツ語というの
は、
もともとそういう言語らしい。英語でいうところの関係代名詞が、多い。

 同じようなことが日本語についても言える。私でも読みづらいと思うのは、宗教哲学者の書
いた文章。やたらと難しい言葉や漢字を使いたがる。難しいというより、意味不明。「形而上の
神秘主義が、独歩的な東洋哲学と遡及的に一体化した」などと書く。

 I文科大臣は、「美しい日本語」という言葉を使った。しかし私には、どういう日本語を美しい
日本語というのか、よくわからない。語法的に正しい日本語というのなら、それは当然のことで
あって、あえて美しい日本語という必要はない。

 それとも詩的な表現のある日本語を、美しい日本語というのか?


●幸せ

 Sさん(小4)が言った。「先生の顔は、シワだらけ」と。だから私も言い返してやった。「君たち
は、不幸になるよ」と。

S「どうして?」
私「シワを笑ったから」
S「だから、どうして?」
私「あのね、シワが多い人ほど、幸福になれるの」
S「だから、どうして?」
私「だってね、シワあせ(=幸せ)と言うだろ」と。

 たしかに私の顔には、シワが多い。理由はわからないが、多いのは事実。たぶん、笑うとき
も、怒るときも、表情をよく使うせいではないか。

 その表情だが、これは人間がもつひとつの財産と考えてよい。表情は、人間関係の潤滑
油。
表情が、人間関係を、心豊かにする。

 が、その一方で、表情のない子どもがふえている。喜怒哀楽の情を、ほとんど顔に示さな
い。
表情を顔に示さないから、教える側としては、何を考えているかわからない。何を考えている
かわからないから、教えにくい。

江戸時代には、侍たちは、みな無表情であったという。そんな話を、どこかで聞いたことがあ
る。今でも、「情を顔に出すことは、恥ずかしいこと」と考えている人は多い。

 が、今は時代がちがう。どんどんと表情を表に出す。子どもの世界でも、「すなおな子ども」
というときは、情意(=心の状態)と、表情が一致している子どもをいう。表情を顔に出すこと
は、恥ずかしいことでも何でもない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

+++++++++++++

子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

+++++++++++++

 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、その2
点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうかで、その
人の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とする
なら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的完
成度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたとする。
男性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声をか
けた。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だから、その
まま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正と判断して、事
務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それだけ道
徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え方
がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでいい
と考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またそのときだ
け、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場をつく
ったりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで考え
たり、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動すること
を、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみならず生
物全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と逃げて
しまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深いことは、幼
少の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という意見が
目立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しないというこ
と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の道徳 道徳の完成度 道徳 完成度 はやし浩司 道徳の完成度 コールバーク 道徳完
成度 完成度段階説)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月16日)

+++++++++++

今朝は、午前4時に目が覚めた。

昨夜、床につく前に飲んだ、2杯の
ジュース+スポーツドリンクが
悪かった。

口の中が、甘かった。胃の調子も、
それでおかしくなった?

考えてみれば、寝る前に、白砂糖を、
小カップ1杯分、胃の中に押し込んだ
ようなもの。

バカだった……。体によいはずが
ない。

+++++++++++

●スポーツドリンク?

みなさんも、あのスポーツドリンクには、注意したほうがよい。「スポーツで流した汗を…
…」とか何とか、それを謳(うた)い文句にしている。中には、栄養剤と誤解している人もい
る。
が、それはただの清涼飲料にすぎない。中身は、コーラと同じ。つまり白砂糖たっぷり。

 仮に10%の糖分ということであれば、1リットルあたり、100グラムの白砂糖ということにな
る。100グラムという量がどの程度のものであるかは、一度、はかりで量ってみればわかる。
それを見たら、みなさんもぞっとするはず。

 とくに運動もあまりしない人で、40代〜以後の人は、避けたほうがよい。あんなのを毎日飲
んでいたら、糖尿病になるのは、時間の問題。大切なことは、そういうものは、身近に置かな
いこと。買わないこと。

 ああいうまぎらわしい名前をつけた、清涼飲料は、やめてほしい。ついでに「果糖」などとい
う言葉でごまかすこともやめてほしい。「成分……果糖」などと、表示してある。中身は白砂
糖。
今朝起きたとき、つくづくそう思った。


●考える人

 大切なことは、そのつど考える人になること。そのクセさえあれば、ちょっとした買い物のと
きでも、それを働かすことができる。その力が積み重なって、その人を賢い人と、そうでない
人に分ける。

 わかりやすく言えば、賢くなるかどうかは、習慣の問題ということ。どこか健康論に似てい
る。

 その人が健康かどうかは、運動する習慣があるかないかで決まる。その習慣のある人は、
長い年月を経て、健康になる。そうでない人は、そうでない。

 
●健康

 健康というのは、失ってはじめて、その価値がわかる。賢い人は、その価値を失う前に知る。
そうでない人は、失ってはじめて、その価値を知る。

 そこでその健康だが、健康というのは、作るものではなく、維持するもの。今がどういう状態
であれ、「今以上に悪くしないことだけを考えながら、維持する」。漢方では、1年かけてなった
病気は、1年かけて治せ。10年かけてなった病気は、10年かけて治せと教える。

 これはひとつのたとえにすぎない。つまり健康を考えるときは、(時の長さ)が必要というこ
と。

 私の近くに、たいへんだらしない生活をしている女性(40歳くらい)がいる(失礼!)。すでに
5、6年前から、ひざが痛いと言っていた。一度、散歩などの運動を始めたが、長続きしなかっ
た。

 40歳といえば、女性でも、円熟の輝きがますころ。しかしその女性は、一日中、家の中にひ
きこもったまま。そのため体重はますます増加。今では階段の上り下りも、ままならない状態
という。

 しかしこういう状態になると、精神状態もおかしくなる。ときどき見かけるが、表情はいつも、
暗く沈んでいる。

 ……で、このままいけば、どうなるか? 最悪のばあいには、50歳を待たずして、歩行がむ
ずかしくなる。その前に、いろいろな病気にかかる(?)。

 そんなわけで、こと健康に関して言えば、いつも10年先を考えながら、行動する。それがこ
こでいう(時の長さ)ということになる。


●思考と情報

 情報量の多いことと、賢さは、関係ない。日本中のラーメン屋さんの名前と味を知っている
からといって、その人を賢い人とは、言わない。

 が、ほとんどの人は、情報量と思考を、混同している。また思考することには、いつも苦労と
苦痛がともなう。そのためほとんどの人は、思考することを、自らやめてしまう。中には、「私は
ものごとを深く考えないタチです」などと言う人がいる。

 楽天的な生き方をしているという意味で、そう言う。しかしこれも誤解。

 深く考えることイコール、深刻な生き方をするということではない。深く考えながら、楽天的な
生き方をしている人は多い。むしろこわいのは、思考のループ。妄想性の強い人は、おなじこ
とを何度も何度も、繰りかえし考える。悶々と考える。

 つまりこのタイプの人は、考えているのではなく、思考がループしているだけ。そのためそれ
が原因で、うつになったりする。生き方も当然、悲観的になる。

 さらに私の近くに、いつもペラペラとしゃべってばかりいる人(60歳くらい、女性)がいる。間
断なくよくしゃべる。ほんとうによくしゃべる。ひとつのテーマを持ちだすと、それについて、い
つまでもしゃべりつづける。

 しかし話の内容は、浅い。脳の表層部分に飛来する信号を、音声信号にかえているだけ。
話を聞いていると、そんな感じがする。が、当の本人は、自分では、「私が頭がいい」と思いこ
んでいる。

 その思考力は、分析力と論理力。この2つが柱になっている。他人がどこかで言ったことを
受け売りするのは、思考ではない。ただの情報の交換という。


●暑い!

 今日(9月18日)、いざ運動!、と思って、自転車の近くまで行ったら、足がふらついた。はじ
めての経験だった。

 うしろにいたワイフに、「?」というような顔をして見せると、「今日は、暑いわ」と。居間にもど
って気温計を見ると、何と、32度! 外では軽く34度を超えているはず。

 空はまぶしいほどに、明るく輝いていた。

 「今日は、やめた」と私が言うと、「無理しないで」と。

 そのかわり、夜になったら、1時間ほど歩いてみよう。このところ、膝(ひざ)が弱くなったよう
に感ずる。


●MSのパブリシャー
 
 ビスタ・パソコンにした。いくつかのソフトが動かなくなった。パブリシャーもそのひとつ。文章
をデザインするには、たいへん便利なソフトである。

 しかたないので街まで行って、パブリシャーにUPDATE版(パブリシャー・2007)を購入。
1万5500円。家に帰ってさっそく、インストール。今度は、うまく立ち上がるようになった。よか
った。

 使い勝手は、それほど大きく変わっていない。ただ、図(=イラスト)などは、そのつど、イン
ターネットを介してダウンロードして使うようになった。その数というか、量がぼう大。これなら
使えそう。この世界は、どんどんと進化している。いったい、どこまで進化するのか。


●「はやし浩司」のヒット数が、10万件?!

 ヤフーやグーグルで、「はやし浩司」を検索すると、ヒット数が、軽く10万件を超えるようにな
った。10万件といっても、実際には、数万ページ。さらに実際には、数千HP。

 多くの人が、どこかで「はやし浩司」と書いている。それがこういうヒット数となって、表れる。
たとえばあなたが、あなたのHPあるいはBLOGに、「はやし浩司」と書いたとする。すると、ヒ
ット数は、10万+1件となる。もう一度、「はやし浩司」と書いたとする。すると、ヒット数は、10
万+2件となる、

 もっとも、だからといって、みなが、みな、私に好意的な意見を書いているというわけではな
い。中には、私のことをボロクサに書いている人もいる。ときどき見かける。最近は、それが結
構、楽しい。まあ、世の中には、いろいろな人がいる。いちいち気にしていたら、HPやBLOG
の公開など、できない。どうぞ、ご勝手に!

(付記)私はときどき、カルト教団をたたく。それがおもしろくないらしい。身に覚えのある団体
が、私を攻撃してくる。文句があるなら、堂々と私に挑戦してきたら、どうか。いつでも私は受
けて立つ。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●立花T氏が、脳梗塞?

 文芸春秋の今月号によれば、あの立花T氏が、軽い脳梗塞を起こしていたという。日本を代
表する評論家である。

 立ち読みだが、その記事(手記)を読んで、いろいろ考えさせられた。「そう言えば・・・」と思
い当たるフシもないわけではない。しかしあの立花T氏が?

 私たちの世界では、神様のような存在の人である。全身が脳みそのかたまりのような人であ
る。そういう人でも、脳梗塞? 今回の記事を読んでもそうだが、とても脳梗塞を起こしたよう
な人が書いた文章には見えない。言いかえると、病気は、万人に共通してやってくる。立花T
氏にしても、ほかに糖尿病や血便などの症状もあるという。それに動脈硬化も。

 その記事を読んで、「私もすでに脳梗塞を起こしているかもしれない」と思った。立花T氏も、
検査でそれがわかるまで、気がつかなかったという。そういうものかなあと思ってみたりする。

 「明日はわが身」というより、私たちの年齢の人間は、みな、そうかもしれない。すでに脳み
その何%かは、使いものにならなくなっている。


●自己診断

 脳みそだって、老化する。それはしかたのないこと。で、そのとき、自分で自分の脳みその老
化に気づくかどうかということ。

 もちろん答は、NO!

 気づくようであれば、まだ症状は軽い。精神疾患でいう「病識」のようなもの。病識がある・・・
つまり「私の脳みそはおかしい」とわかっている人は、まだ軽い。精神疾患でも、重症になれ
ばなるほど、それがわからなくなる。「私はだいじょうぶだ」「まともだ」「病院へ行く必要はな
い」とがんばる人ほど、実は、あぶない。

 脳みそも、同じように考えてよいのでは?
 しかし・・・私の知り合いに、40数歳で脳梗塞になった人がいる。その人は、当時、こんなこと
を言っていた。

 「林さん、私はどうしても時計が読めない」と。脳梗塞を起こしたため、いろいろな症状が現
われた。時計を読めなくなったのも、そのひとつ。が、その人は、(時計が読めない)という自
分を、別の自分が客観的に判断していたということになる。

 そういうことはあるらしい。

 私は、今の私を、本当に把握しているか? わかっているか? が、自分ではわからない。
そこでワイフに聞く。「最近のぼくは、ボケたと思わないか?」と。ワイフは、「別に・・・」と言って
くれるが、ここでも、別の問題が起きる。もしワイフも私と同じようにボケ始めていたら、ワイフ
にも、それがわからないことになる。

 こわいね、年を取るということは!


●再び、立花T氏

 要するに、立花T氏は、不摂生をしすぎた? そんな感じがする。あるいは運動をするヒマも
ないほど、原稿書きに追われた? うらやましいような、うらやましくないような話だが、それ
で体の調子を悪くした?

 人間ドックという検査方法もあるが、その人が健康かどうかは、顔の様子を見ればわかる。
とくに脳みその様子は、顔の様子でわかる。

 ぽてっとした感じで、肌につやのない人は、同じように、血栓性の脳梗塞を起こしている可能
性が高い考えてよい。話し方も、どこかかったるい。反応も、にぶい。立花T氏について言え
ば、見るからに運動不足といった感じがする。

 ということで、これから私は1時間ほど、歩いてみよう。Y書店までは、片道3・5キロ。往復7
キロ。ちょうど歩いて1時間の距離である。

 
●「私はバカではない!」

 ついでにもうひとつ。

 先日、知り合いの女性とこんな会話をした。その女性というのは、見るからに知的能力に欠
けると思われる女性である。ペラペラとよくしゃべる。が、中身がない。浅い。脳に飛来した情
報を、そのまま音声にかえているだけ。

 人間の価値は、ご先祖様をどれだけ大切にするかで決まる、というようなことを言った。

 私が「うん、うん」とうなずいていると、その女性は、私にあれこれ説教がましいことまで言い
出した。私が「私は、そんなバカではないと思うのですが・・・」と言うと、いきなり何を思った
か、
こう叫んだ。「私だって、バカではない!」と。

 言い忘れたがその女性は、私より3歳年上。年長意識が、たいへん強い。それでそう言っ
た。

 私はその言葉を聞いて、「バカとは何か」と、改めて考えさせられた。その女性から見ると、
私はかなりのバカに見えるらしい。しかし私から見ると、その女性がバカに見える。お互いが、
お互いをバカだと思っている。

 となると、いったい、バカとは何かということになる。絶対的な尺度というのはない。大学であ
れば、成績が、ひとつの尺度ということになる。が、その尺度もない。(だからといって、成績が
よい学生が利口で、悪い学生がバカといっているのではない。誤解のないように!)

 私はその女性から見ると、どんなバカに見えるのか。私はその女性と話しながら、そのこと
ばかりが気になった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●格差(2)

++++++++++++++

東京都に住む人と、地方に住む人の
収入格差が広がっている。

それについては少し前に書いたが、
ここでひとつの疑問にぶつかった。

まずその格差の実態について、
もう一度、数字を並べてみる。


つぎの数字は、1人あたりの名目
県民所得である。

東京都が、460万円弱。
愛知県が、340万円強。
大阪府が、300万円強。

北海道が、250万円強。
沖縄県が、200万円弱。

(内閣府資料・04年)

++++++++++++++

 この数字を見て、「1人あたり」という文句が気になる。これは「就業者1人あたり」という意味
なのか、それとも、「県民全員(子どもも老人も)含めて、1人あたり」という意味なのか?

 「1人あたり」をどうとらえるかによって、中身は、まるでちがう。

 たとえば就労者1人あたりということになれば、イコール、1世帯あたりの所得ということにな
る。が、県民全員の1人あたりということになれば、格差は、ぐんと広がる。平均的な4人家族
で考えてみよう。

 東京都は、460万円x4=1840万円、
 北海道は、250万円x4=1000万円、ということになる。

 その差は、何と、840万円!

 そこで再び疑問。「名目県民所得」とは、何か?

 あちこちのサイトを調べてみると、(県民所得)を、(県の人口)で割ったものが、(1人あたり
の名目県民所得)ということがわかった。県民の実収入ということではないらしい。

 たとえば山梨県の例を見てみよう(平成17年度)。

経済成長率        名目2.0%増 実質2.1%増 
県内総生産(生産側)   名目3兆1,800億円 
県民所得(分配)      2兆3,131億円、1人当たり県民所得2,615千円 
県内総生産(支出側)   名目3兆1,800億円 実質3兆3,230億円 
 
 が、疑問は残る。では、「名目」とは何か? 日本語大辞典によれば、「実質」とある。すると
またまたわからなくなる。

 「実質」ということは、実質である。県民1人あたりが、それだけの収入を得ているという意味
になる。しかし東京都の人たちは、家族4人で、ほんとうに1840万円もの収入を得ているの
だろうか。家族2人でも、920万円!

 一方、北海道の人たちは、家族4人で、ほんとうに1000万円もの収入を得ているのだろう
か。家族2人でも、500万円! 

 県の所得がそれだけあっても、人口で割った分だけ、個人のふところに入るわけではない。
超高所得者がいる。闇から闇へと消えていくお金もある。それにしても、よくわからない。

 よくわからないが、「東京都に富が集中している」ということだけは、事実のようである。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

【極東のミステリー】

+++++++++++++

ミステリー映画を地でいくような、
あるいはそれ以上のミステリーが、
今、現実に、この日本とK国の
間で起きている。

ことの発端は、拉致被害者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会(=調査会)」が
持ち帰った、一枚の写真。

 その写真の一部に、昭和63年に日本海で行方不明になった、鳥取県米子市のY氏(失踪
当時、36歳)らしき男性の顔が写っていた。

場所は



 昭和63年に日本海で行方不明になった鳥取県米子市の矢倉富康さん=失跡当時(36)=
と、北朝鮮の放送局の日本語アナウンサーが酷似していることが分かり、同一人物である可
能性があるとして、日本政府が独自に写真鑑定などを進めていることが13日、分かった。矢
倉さんは、拉致被害者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)が
「拉致濃厚」とする1人。政府は、分析結果によっては、外交ルートを通じて北朝鮮側に情報
を照会する方針だ。

 調査会によれば、矢倉さんは元エンジニアで、63年8月2日、日本海へ1人で漁に出たまま
消息を絶った。調査会は平成15年1月、北朝鮮による拉致の可能性を捨てきれないとして矢
倉さんの名前や写真を公表。今年6月には、漁船に不自然な衝突痕があったことなど新たな
情報が得られたため、「拉致濃厚」に切り替えた。
 一方、矢倉さんに似た男性の写真が撮影されたのは今年3月15日。平壌・高麗ホテルで訪
朝した日本人らとともに撮影された。調査会は7月上旬に写真を入手した。調査会によると、
男性は、訪朝した日本人らの通訳として応対、朝鮮中央放送委員会に所属する日本語アナ
ウンサー「慎範(シン・ボム)」と名乗ったという。

 面会した1人は、「日本語はネイティブだが、朝鮮語はかなり下手だった」と証言。「『日本人
か?』とたずねたが、答えなかった」と話しているという。
 写真については、北朝鮮側が横田めぐみさん=拉致当時(13)=のものとして提供した遺
骨を「別人のもの」と鑑定した東京歯科大の橋本正次教授(法人類学)が鑑定。その結果を踏
まえ、調査会は7月9日に「男性は矢倉さんである可能性が高い」と発表した。橋本教授は
「顔や身体の特徴が一致、酷似しており、矛盾点がほとんどない。(写真の男性は)矢倉さん
と同一人物である可能性が極めて高い」としている。

 調査会とは別に、政府も写真による顔の鑑定や、アナウンサーの肉声の鑑定、平壌で撮影
された写真に合成など不自然な点がないかなど多角的な鑑定に着手。鳥取県警など捜査当
局は、無人で見つかった矢倉さんの漁船に残されていた衝突痕などを注視し、周辺海域での
船舶航行など、当時の状況や情報の洗い直しを進めている。
 一方、矢倉さんの家族は今月下旬にも、地元の海保や、鳥取県警に被疑者不詳のまま国
外移送目的略取・誘拐罪で刑事告発する方針。海上での失踪事案のため、一次捜査は海保
側が中心となって行われる見込み。




拉致被害者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)は21日、昭
和63年に日本海で行方不明になった鳥取県米子市の矢倉富康さん=失跡当時(36)=と酷
似する北朝鮮の放送局の日本語アナウンサーの声が、矢倉さんの父と似ているとする音声
鑑定の結果を発表した。

 矢倉さんは元エンジニアで、日本海へ1人で漁に出たまま消息を絶った。調査会が「拉致濃
厚」とする一人。調査会は先月、矢倉さんに似た朝鮮中央放送委員会に所属する日本語ア
ナウンサー「慎範(シンボム)」と名乗る男性の写真を公表。

 ラジオ放送で流された「慎範」氏の肉声の鑑定を、東京大学先端科学技術研究センターの
村岡輝雄客員研究員(音響工学)に依頼していた。

 鑑定では矢倉さんの父の声と比較し、「共通の甲高い部分があり、似ている」(村岡研究員)
との結果が得られた。

 村岡研究員によると、発声器官は遺伝的特徴を持つため、声帯で出た音を比較すること
で、
親族関係を推定できるといい、同じ手法で平成17年には、別の拉致被害者親族の音声鑑定
も実施している。

 一方、写真についても、東京歯科大の橋本正次教授(法人類学)によって「(写真の男性は)
矢倉さんと同一人物である可能性が高い」との鑑定結果が出されている。荒木代表は「音声
鑑定の結果が写真鑑定を否定するものではなかったことは重要な意味を持つ」としている。

 また、政府も、これとは別に写真と音声の鑑定を独自に行っている。





昭和63年に日本海で行方不明になった鳥取県米子市の矢倉富康さん=失跡当時(36)=
と、
北朝鮮の放送局の日本語アナウンサーとされる男性が似ているとして、同一人物かどうかを
調べている政府が、「2人は別人」との見方を強めていることが14日、分かった。男性は北朝
鮮に渡った在日朝鮮人の可能性があり、政府が鑑定した男性が写った写真は合成の疑いも
浮上している。

 公安当局は、写真が日本側にもたらされた背景に、北朝鮮側の何らかの意図があるとみて
分析を進めている。

 矢倉さんは、拉致被害者を調べている特定失踪(しっそう)者問題調査会が「拉致濃厚」とし
ている一人。元エンジニアで、63年8月2日、日本海へ1人で漁に出たまま消息を絶った。

 調査会は、訪朝した平壌放送の愛聴者らが平壌・高麗ホテルで撮影されたスナップ写真
を、
7月上旬に入手。そこに写っていた男性の一人が矢倉さんと酷似していたことや、専門家が
「同一人物の可能性が極めて高い」との鑑定結果を出していたことなどから、男性の顔写真を
公表し、「男性が矢倉さんである可能性が高い」と発表した。

 調査会によれば、男性は朝鮮中央放送委員会に所属する日本語アナウンサーで、「慎範
(シンボム)」と名乗ったといい、訪朝した日本人らの通訳として応対したとされる。

 一方、政府も同じ写真を入手しており、矢倉さんの写真との鑑定や、男性の人物調査を独
自に進めていた。政府関係者によると、写真には「2007・3・15」の日付がついており、男女

人が写っている。「慎範」は左端。

 だが、「慎範」と他の数人にはピントにずれがみられるなど複数の画像合成のような痕跡が
みられることが判明した。さらに、「慎範」についての関係当局の調べで、帰国事業で北朝鮮
に渡った在日朝鮮人男性である可能性が高まっており、現在も北朝鮮に住んでいるのかな
ど、
詳しい調査を進めている。政府関係者は「矢倉さんと男性を同一人物とみるには相当の疑念
が残る」としている。

 矢倉さんと「慎範」をめぐっては、漆間巌・前警察庁長官が8月の離任会見で、「(北朝鮮で
撮影された写真の男性と)似ているとの指摘があるが、多少間違いがあるだろう。拉致と認定
する材料はなく、それ以外の材料を持っている」と述べていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●リタリンは安全か?

++++++++++++++

現在、ADHD児と診断された
多くの子どもたちが、リタリンという
名前の薬を処方され、服用している。

しかしそのリタリンは、安全なのか。

M県に住んでいる、Kさん(母親)から、
質問があったので、アメリカのサイトから、
検索してみた。

アメリカでも、リタリンの服用について、
多くの臨床医たちが疑問を感じ始めて
いる。

出典は、アメリカ「Data Search Worldwide, Incまる」

こうした精神薬の子どもへの投与は
慎重であったほうがよい。

ADHD児についても、その年齢に
なると、表面的には、それがわからなく
なる。

++++++++++++++

【Psychiatric Disorders】(情緒障害)

The "solution" to ADHD – Ritalin and similar drugs (ADHD治療薬―リタリンと類似
した薬物)

The Drug Enforcement Administration (DEA) has established 5 schedules (or classes) of 
controlled substancesまる Random House Dictionary defines a controlled substance as, 
"any of a category of behavior-altering or addictive drugs, as heroin or cocaine, whose 
possession or use are restricted by lawまる" Drugs in Class I (or Schedule I) have the 
highest potential for abuse and dependence and, "typically, the only use for these 
substances are for research purposesまる Examples include LSD and heroinまる" Class 
II (Schedule II) includes drugs, "that have the highest abuse and dependence potential for 
drugs with medicinal purposesまる Examples include analgesics (drugs used to relieve 
pain) like morphine and Demerolまる" The above quotes are from The Essential Guide to 
Prescription Drugs, by Drsまる Rybacki and Longまる As the authors also point out, the 
DEA has classified Ritalin as a Class II drugまる
"Stimulants are the drugs most frequently prescribed for ADHD in the hope of controlling 
behaviors described as hyperactivity, impulsivity, and inattentionまる With their chemical 
names in parentheses, the drugs include:

まるRitalin (methylphenidate) (リタリン)
まるDexedrine and DextroStat (dextroamphetamine or d-amphetamine) 
まるAdderall (d-amphetamine and amphetamine mixture) 
まるDesoxyn and Gradumet (methamphetamine) 
まるCylert (pemoline) 

"Except for Cylert, all of these drugs have nearly identical effects and side effectsまる (C
ylertを除いて、リタリンなどすべての薬には、特有の効果と、副作用がある。)Ritalin and the 
amphetamines can for most purposes be considered one type of drugまる"
Drまる Peter Breggin, from his book Talking Back To Ritalin                 
"Perhaps the best known effect of chronic stimulant administration is psychosisまる (長
期にわたる刺激剤投与の、もっともよく知られた副作用は、精神障害である。)Psychosis has 
been associated with chronic use of several stimulants; eまるgまる, amphetamines, 
methylphenidate (Ritalin), phenmetrazine and cocaine…(This) psychosis mimics paranoid 
schizophrenia or paranoia so closely that it has been misdiagnosed as such by experienced 
clinicians many timesまる"
Predicting Dependence Liability of Stimulant and Depressant Drugs
by Drまる Klaus Unna, MまるDまる and Travis Thompson, PhまるDまる

"Ritalin is structurally related to amphetamine…Its pharmacological properties are 
essentially the same as those of the amphetaminesまる"
Goodman and Gilman's The Pharmacological Basis of Therapeutics (1985)  

The side effects of Ritalin on our childrenまるまるまる(リタリンの子どもへの副作用)

The following list of Ritalin side effects has been culled from 35 references and studies 
discussed in the book Talking Back To Ritalin by psychiatrist Drまる Peter Bregginまる 
 They are in no particular orderまる Some of these side effects are very common, others 
not as frequent, while others are rare: (以下の副作用は、ありふれたものもあれば、頻繁に
現れるものでもないもの、あるいはまれに現れるものである。)

★ pacing(歩きまわること)
★ impulsivity(衝動性)
★ agitation(錯乱、興奮性)
★ personality changes(性格の変化)
★ depression(落ち込み、抑うつ感)
★ "zombie" behavior(ゾンビのような行動)
★ inhibition of emotional feeling(感情の抑制)
★ blurred vision(ぼんやりとした幻覚)
★ muscle cramping(筋肉痙攣)
★ sadness(悲しみ)
★ tachycardian (abnormal increase heart rate)(異常な心拍数の増加)
★ psychosis (general term for any serious mental disorder)(一般的な意味での精神障害)
★ nausea(吐き気、むかつき)
★ dry mouth(口乾)
★ hair loss(頭髪が抜ける)
★ withdrawal symptoms(引きこもり症状)
★ skin disorders(皮膚障害)
★ oculogyric crisis (spasms of the eye muscles)(目の筋肉痙攣)
★ confusion(混乱)
★ stupor(知覚麻痺)
★ euphoria(多幸症……感情の病的高揚状態)
★ obsessive focusing on a routine task(日常的業務に関する、強迫観念)
★ increased weepiness(悲哀感の増大)
★ grimacing(しかめ面)
★ feelings of great power(強大感情)
★ fearful behavior(恐怖行動)
★ seeing and feelingsmall creatures, especially bugs(虫のような小生物を見たり感じたりする)
★ incessant talking(絶え間ない会話)
★ loss of sensation in fingers(指の感覚の喪失)
★ enuresis (loss of control of urination)(遺尿……遺糞尿コントロールの喪失)
★ marked blotches(おでき、吹きでものなど)
★ worsening of ability to think and learn(学習能力の悪化)
★ abnormal physical movements(異常な肉体的動き)
★ handwringing(手を握ること)
★ inattention(集中力欠如)
★ restlessness(落ちつきなく動くこと)
★ irritability(短気、かんしゃく)
★ social withdrawal(社会的引きこもり)
★ a pinched, somberexpression(陰湿感)
★ leukopenia (reduced white blood cell count)(白血球の減少)
★ heart palpitations
★ increased blood pressure(血圧増加)
★ dizziness(めまい)
★ headache(頭痛)
★ tic syndromes*(チック)
★ vomiting(吐き気)
★ weight loss(体重減少)
★ dependency symptoms(依存的症候群)
★ addiction symptoms(常習症候群)
★ liver disorders(肝機能障害)
★ severe convulsions(重度のひきつけ)
★ hallucinations(幻覚症状)
★ emotional instability(情緒不安定)
★ nervousness(神経質)
★ paranoia(パラノイア)
★ dysphoria (painful emotions)(精神不安……苦痛感情)
★ loss of "sparkle"(活力喪失)
★ paranoid schizophrenia(偏執分裂病)
★ body distortions(体のゆがみ)
★ ringings in the ears(耳鳴り)
★ tiredness(疲労感)
★ dopiness(不活発さ)
★ arm-waving(腕振り)
★ foot-tapping(足で床をたたくこと)
★ aggressive behavior(過激行動)
★ feeling hot(高熱感)
★ diarrhea(下痢)
★ hyperventilation(過呼吸)
★ excessive hugging and clinging(過度なしがみつき、抱きグセ)
★ suppression of the production of the hormone prolactin(プロラクチンの過剰分泌)
★ foot jiggling(足をせかせかと動かす、貧乏ゆすり)
★ anxiety(不安感)
★ insomnia(不眠)
★ memory problems(記憶障害)
★ constriction of mental activity(精神活動の緊縮)
★ inhibition of spontaneity(自発性の抑制)
★ anemia (a blood disorder
thrombocytopenic purpura (loss of factors for blood clotting)(無気力、虚脱感)
★ excessive central nervous stimulation, possible causing convulsions
★ "Tourette's symdrome**(ツーレット症候群)
★ loss of appetite(食欲減退)
★ stomach pain(胃痛)
★ growth suppression (including brain growth)(成長抑制、脳の発達抑制)
★ twitching(びくびくする)
★ abnormal thinking(異常な思考性)
★ hostility(敵意)
★ amnesia(記憶喪失)
★ neurosis (general term for any minor mental disorder)(精神神経症)
★ hypoactive (opposite of hyperactive)(過剰行動)
★ babbling(無駄口)
★ arching of the arms and legs(腕や脚のひきつり)
★ listlessness(ものうげ)
★ dazed feeling(ぼんやりとした感じ)
★ teeth grinding(歯ぎしり)
★ continuous, involuntary(持続的な無気力)
★ tremulous tongue movements(舌の震え)
★ wild, out-of-control behavior(制御できない暴力行為)
★ mottled skin (skin w/spots and disruption of growth hormone(斑紋)
★ visual disturbances(見た目の騒々しさ)
* tics is a general term which includes a wide variety of abnormal movements, including 
facial twitches and grimaces, eye blinking, and various abnormal movements of the feet, 
hands, arms, and legs
** Tourette's syndrome involves a combination of tics with spontaneous, uncontrollable 
vocalizations often in the form of a single word that may be obscene or offensive.

What the experts have to say about Ritalin...(リタリンについての専門家の意見) 

"The latest survey showed that about 7 percent of Indiana High School students had used 
Ritalin nonmedically at least once, and 2.5 percent of high school students use it monthly or 
more frequently…Used non-medically, it often is ground into a powder and snorted like 
cocaine, or diluted and injected like heroin."
Indianapolis Star article, "Teen abuse of Ritalin taking root," 5 August 1998

"Sufficient data on safety and efficacy of long-term use of Ritalin in children are not yet 
available." (Note: Ritalin was first introduced in 1956)
Ciba-Geigy Pharmaceuticals (makers of Ritalin) info sheet on the drug

"The mode of action (of Ritalin) in man is not completely understood, but Ritalin 
presumably activates the brain stem arousal system and cortex to produce its stimulant 
effect. There is neither specific evidence which clearly establishes the mechanism whereby 
Ritalin produces its mental and behavioral effects on children, nor conclusive evidence 
regarding how these effects relate to the condition of the central nervous system."
Ciba-Geigy Pharmaceuticals (makers of Ritalin) info sheet on the drug

"In clinical practice, children are routinely diagnosed with ADHD and treated with Ritalin if 
they display one, two, or three of these characteristics, or even a few behaviors that 
resemble these traits. While the most recent edition of the diagnostic manual added the 
requirement that the symptoms appear in two or more settings, children are commonly 
diagnosed on the basis of their behavior in school or a single classroom."
Dr. Peter Breggin-, from his book Talking Back to Ritalin 

"Through these criteria, describing common, everyday behavior of children, the rhetoric of 
science transforms them into what are purported to be objective symptoms of mental 
disorder. On closer inspection, however, there is little that is objective about the diagnostic 
criteria."
S. Kirk and Kutchins from "The Selling of DSM: The Rhetoric of Science In Psychiatry"
 
"I wrote to the Food and Drug Administration (FDA), the Drug Enforcement Administration 
(DEA), to Ciba-Geigy (manufacturer of Ritalin), to Children and Adults with Attention Deficit 
Disorders (CH.A.D.D.) and four times to leading ADHD researchers at the National Institute 
of Mental Health, requesting that they direct me to one or a few articles in the 
peer-reviewed, 
scientific literature that constitutes proof of a physical or chemical abnormality in ADHD, 
thus making it a 'disease'. I have yet to receive anything which would constitute proof of 
an abnormality - one that could be tested for patient by patient - one proving that we are 
not 
drugging entirely normal children."
Dr. Fred Baughman, M.D., Neurologist, from the booklet Psychiatry - Betraying and Drugging 
Children published by the Citizens Commission on Human Rights

"The driving force behind the over-diagnosis (of ADHD) is a system that is out of 
control. Teachers want compliant, well-behaved children. Parents eager to see children 
succeed take them to mental health professionals who are quick to diagnose ADHD and 
seek 
drug treatment. Under an insurance system that favors drugs over therapy, ADHD is an 
easy label to apply to undesired behavior; drugs are a quick fix. …

"Children who are creative, having a different learning style or are oppositional, angry, or 
depressive all have been diagnosed as having ADHD. Many of these problems can be found 
only by talking with patients at length."
Sharon Collins, pediatrician (1997)

"It's well known among research of the gifted, talented, and creative that these individuals 
exhibit greater intensity and increased levels of emotional, imaginational, intellectual, 
sensual and psychomotor excitability and that this is a normal pattern of development.
"These characteristics, however, are frequently perceived by psychotherapists and others 
as evidence of a mental disturbance… ADHD and ADD are a few of the diagnostic labels 
mistakenly used."
Lynne Azepeitia and Mary Rocamora (February 1997), from Misdiagnosis of the Gifted, in 
the newsletter of the National Association for the Fostering of Intelligence

"Sadly, it is often the more creative and enthusiastic kids who are slapped with a mental 
disorder label. Even Albert Einstein, if he had been born in the last decade or so, would 
have 
perfectly fit the profile of someone having attention deficit and supposedly needing 
Ritalin. (悲しいことに、より創造的で情熱的な子供ほど、精神障害のラベルを張られる。ア
ルバート・アインシュタインですら、もし現在に生まれていたら、AD児と診断され、リタリンの
服用をさせられていたであろう。) He didn't speak until he was 7(アインシュタインは、7歳ま
でしゃべらなかった。); his teacher described him as mentally slow, unsociable, and adrift in 
his foolish dreams. (彼の先生は、アインシュタインは、先進的に鈍く、非社交的で、おかしな
空想にふけると評している。)(You can rest assured that today there would be an all-out 
effort to have him medicated; and he certainly wouldn't have been alone. In school, Thomas 
Edison's thoughts often wandered and his body was perpetually moving in his seat. His 
teacher said he was unruly and too stupid to learn anything…Walt Disney had several of 
the 
characteristics used to diagnose ADHD, as did Alexander Graham Bell, Leonardo da Vinci, 
Mozart, Henry Ford, Benjamin Franklin, Abraham Lincoln, and the Wright Brothers. The list 
goes on…every one of these great minds and thousands of others like them would probably 
have been labeled with a mental disorder and put on Ritalin if they had gone to grade school 
today…What about our children? Do we want to stunt their initiative and creativity by 
drugging them? Wouldn't it be wiser instead to find out what is really stopping each of 
these young people from doing their very best in school?"
Dr. Erwin Gemmer, from his taped lecture Conspiracy Against Our Children

"A boy was brought to the home, diagnosed as ADD (Attention Deficit Disorder). The 
treating psychologist said that we wouldn't want to take him. So, I interviewed him. As 
he supposedly had ADD, I asked him some basic questions: 'What's the longest time you'
ve ever talked to a girl on the phone?' 'Three to five hours,' he replied. 'Do you 
remember what she said?' He could remember it all. I asked how long he could play a 
Nintendo (video) game. He told me he'd played it eight hours straight. What about 
books? Could he read? He said he read books from beginning to end - the ones he liked 
reading. He'd also played full games of basketball and football. So it appeared to me that 
he could pay attention to anything that he was interested in."
(AD児として薬が処方されている少年が、ホームに連れてこられた。臨床精神科医は彼を連
れて行きたくなかった。それで私はその少年に、質問をした。「ガールフレンドと最長、何時間
話したことがあるか」と。すると彼は、「3時間から5時間」と答えた。そこで「彼女が言ったこと
を覚えているか」と聞くと、彼はすべてを覚えていた。つぎに「ニンテンドーのゲームはどれく
らいしているか」と聞くと、「8時間休みなくしている」と答えた。本はどうなのか? 彼は読書は
できるのか? 彼は最初から最後まで読んだ。バスケットやフットボールは、フル・ゲームでし
ていた。だから私には、彼が、彼が興味もつものしか注意力を示さないように思えた。
Fred Shaw, Jr., owner and manager of several California group homes for boys as an 
alternative to prison            
              
"I became an expert in treating hyperactive children with stimulant drugs. Then I 
discovered that many children developed their unacceptable behavior because of the food 
they were eating. Along the way I found that I could stop allergies, lift depression, control 
some of the symptoms of schizophrenia, lower blood pressure if elevated, assuage asthma, 
control insomnia, and stop addiction and a great deal of criminal behavior. All with few or 
no drugs."
Dr. Lendon Smith, Oregon pediatrician

"Possible side effects of Ritalin: chronic rash, stunted growth, weakened immunity, 
anorexia, anemia, depression, anxiety, insomnia, withdrawal. Possible side effects of 
natural therapies: emotional stability, peace of mind, strengthened immunity, peaceful sleep, 
clarity of thought, ability to focus, more patient, enjoy life more, more loving."
Nina Anderson and Howard Peiper, from "ADD - The Natural Approach"                     

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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 19日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実用的なことを教える

++++++++++++++

この日本では、実用的なことを
教えるのは、邪道であるというふうに
考えている教師は多い。

統計的な数字があるわけではないが、
そういう風潮は、たしかにある。

このことは、アメリカの中学校で
使う教科書と比較してみると、
よくわかる。

アメリカの中学校では、「中古車の
買い方」(代数)というテーマから
数学の学習に入る(プレンティス版、
「代数」)。

金利計算(=小数の計算)、さらには
小切手の切り方などまで、その(流れ)
の中で教えている。

どうして教育が実用的であっては
いけないのか。アカデミックな部分も
必要かもしれないが、みながみな、
その道の学者になるわけではない。

+++++++++++++++

 「勉強は役に立たない」と考えている子どもは、多い。このほどベネッセが発表した「学習基
本調査」によると、「役に立つ」と答えた小学生の割合は、東京、ソウル、北京、ロンドン、ワシ
ントンDC、ヘルシンキの中で、最低だったという。

 希望の進学段階も、北京の小学生の65・2%が、「大学院まで」と答えているが、東京の小
学生は、「高校まで」という回答が、相対的に多かったという。

 さらに学習時間数についても、東京では1時間以下が、49・3%いる一方で、3時間半以上
が、18・1%いるそうだ。

 全体の平均も、

 東京 ……101・1分
 ソウル……145・8分
 北京 ……131・6分、とか。
(以上、「学習基本調査の国際比較」、ベネッセ、東京、ソウル、北京、ロンドン、ワシントン、
ヘルシンキの、小学5年生(10〜11歳、公立校)で調査。06年6月〜07年1月、産経新聞よ
り)
 
 私が住むこのあたりでも、「高校は部活動を一生懸命やって、推薦で高校へ入る」という中
学生が多い。北区にある、ある中学校の校長は、「そういう子どもが、全体の60%はいる」と
話してくれたのを覚えている。

 最近の子どもたちは、勉強をしなくなった。……というより、勉強する子どもと、しない子ども
の二極化が、ますます進んでいる。その一方で、進学を目的とした受験競争は、はげしくなっ
ている。それが「東京では1時間以下が、49・3%いる一方で、3時間半以上が、18・1%」と
いう数字になって、表れている。

 なぜ学校の勉強はおもしろくないか? それについては、今まで繰りかえし書いてきた。

+++++++++++

【日本の教育が遅れるとき】 

●英語教育はムダ?

 D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。「まだ日本語もよくわからない子どもに、英語
を教える必要はない」と。つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。

しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、外国
旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送るのはム
ダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっか
りとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論をする前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校では、
公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている(※1)。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、4歳児か
ら子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立大学で講師をし
ている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、教育
の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べている。
「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること(※2)」(長野県経営者
協会会合の席)と。オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達してい
て、
子どもたちは学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代
に、
「英語を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文法
学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者になる
には、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。もともとその道の学者が作った体系だから
だ。
だからおもしろくない。だから役に立たない。

こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもたちはもっとか
わいそうだ。

たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自分の
意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、3人称単数だの、そんなことばかりに
こだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学1年の入学時に
は、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、1年の終わりには、ほとんどの子どもが、
「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なもの
なのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切なも
のなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというの
か。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生活を
営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほしい。
「なぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばなら
ないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけ
ても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなければい
けないのかと思う」と、疑問に感じているというではないか(ベネッセコーポレーション・「第
三回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さて冒頭の話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。こう
いう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。早くから英語を教え
たい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学びたい子どもがいる。早くか
ら学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべきだという人がいる。早くから教える必
要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのよう
にクラブ制にすればよい。またそれができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」で
はなく、「はじめに子どもありき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿
ではないのか。それでほとんどの問題は解決する。

※1……州政府は学習内容を六つの領域に分け、一応のガイダンスを各学校に提示してい
るが、「それはたいへんゆるやかなもの」(同小学校、オクーイン校長)とのこと。各学校はそ
のガイダンスの範囲内で、自由にカリキュラムを編成することができる。

※2……ブレア首相は、教育改革を最優先事項として、選挙に当選した。それについて在日
イギリス大使館のS・ジャック公使は、次のように述べている。「イギリスでは、一九九〇年代
半ば、教育水準がほかの国の水準に達しておらず、その結果、国家の誇りが失われた認識が
あった。このことが教育改革への挑戦の原動力となった」「さらに、現代社会はIT(情報技術)
革命、産業再編成、地球的規模の相互関連性の促進、社会的価値の変化に直面している
が、
これも教育改革への挑戦的動機の一つとなった。つまり子どもたちが急激に変化する世界で
生活し、仕事に取り組むうえで求められる要求に対応できる教育制度が必要と考えたからで
ある」(長野県経営者協会会合の席で)と。そして「当初は教師や教職員組合の抵抗にあった
が、国民からの支持を得て、少しずつ理解を得ることができた」とも。イギリスでの教育改革
は、
サッチャー首相の時代から、もう丸4年になろうとしている(2001年11月)。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【実用的な教育】

●すべての国民は、国の教育機関で、平等な教育を受ける権利がある。……ということで、
学校教育は発達した。しかしそれが達成されたあとは、「教育」そのものに対する考え方
は変わってくる。変わって当然である。それはちょうど、食事に似ている。貧しい時代に
は、
腹がふくれれば、それでよかった。しかし人々の意識が、ある一定のレベルを超えると、
それは必要なことかもしれないが、それでは足りない。料理が発達し、人々が食生活に楽
しみを求めるようになったのと同じように、親や子どもたちは、教育に、「中身」を求めるよ
うになった。

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●何のための歴史教育

 生きた歴史教育は、「今」という時点で考えて、はじめて可能である。それはたとえて言うな
ら、料理の教育に似ている。料理にしても、自分で作ってみて、はじめてそれがわかる。

 昨夜も高校受験をひかえた中学生と話しあってみた。彼はこのあたりでも一番と呼ばれる進
学校を受験することになっている。たまたまアヘン戦争の話をしたが、こう言った。

「道光帝が、林則徐を広州に派遣した。で、アヘンを没収し、イギリス貿易を中止したんだ。そ
れで一八四〇年に、イギリス議会が、清に対して宣戦を布告した……」と。

 そんな彼でも、私が「では、どうして今の北朝鮮が日本を目の仇(かたき)にしているのか」と
聞いても、「知らない」「わからない」と言う。「あんな国は、あっという間にやっつけてやる」とも
言う。「しかし向こうは、100万人の兵隊をもっているよ。日本は20万人だよ」と、私が言うと、
「アメリカが、核兵器で始末してくれるさ」と。

●実用的でないのが教育?

 こうした例は、英語にも、国語にもある。恩師のT教授も、理科もそうだという。(私には理科
教育はよくわからないが……。)日本の教育は、伝統的に、どこかおかしい? 本当におかし
い? 教えるべきことを教えないで、教えなくてもよいようなことばかり、教えている? 何かし
ら役にたたないようなことを教えるのが教育と、誤解しているような面すらある。反対に、実用
的なことは教えてはいけないというような風潮すら、ある。

 アメリカでは、中学校での上級数学(Advance Math)では、中古車の買い方から教え始め、
小切手の切り方まで教える。高校で車の運転のし方を教えるところも多い。もちろん免許も学
校で取れる(地方の高校など)。

●学者になるには、すぐれた体系
 
が、この日本では、その道のエラーイ先生がたが、教科書をつくる。だから日本の教科書
は、
将来、数学者や歴史学者、英語の文法学者になるには、きわめてすぐれた体系をもってい
る。しかしみながみな、数学者や歴史学者、さらには、英語の文法学者になるわけではな
い。そういう道に進むのは、全体の1%もいないのでは? 

 歴史教育にしても、なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去を学び、未来にその経験や
失敗を生かすためである。頭でっかちのモノ知りを育てるためではない。少し前だが、こんな
ことを暗記している中学3年生がいた。

 「富山のチューリップ、長野の高原野菜、浜名湖のウナギ……」と。

そこで私が、「高原野菜って何?」と聞くと、「知らない……」と。さらに「浜名湖でウナギの
養殖なんか、もうしてないよ。みんな台湾や中国から輸入しているよ」と言うと、「いいの、そ
んなことは!」と。こういう教育の現実を、いったい、どれほどの人が知っているだろうか。

英語にしても、学校で習う英語は、まったく役にたたない。そんなことは、40年も前から言
われつづけてきた。50年かもしれない。しかしやっと重い腰をあげたのは、ほんの数年前。
その成果が出てくるのは、これから先、さらに20年後?

●教育の自由化を

 みなさん、もっと教育を自由化しよう。もっと教育を自由に考えよう。もっと教育を自由の流
れの中に置こう。ドイツやイタリアのように。カナダやオーストラリアのように。今の日本の教
育は、いまだに戦前のあの軍国主義時代の亡霊を引きずっている。学校万能主義。第一主
義。絶対主義などなど。私たちは、あの北朝鮮の教育体制を見て笑うが、どこがどう違うの
か。
私には、その「違い」がわからない。

 たとえばドイツでは、子どもたち(中学生)は、たいてい午前中で授業を終え、そのあと、好き
なクラブに通っている。いろいろなクラブがある。月謝は1000円程度。費用はチャイルドマネ
ーによって、国によって補助されている。イタリアもそうだ。

大学についても、ヨーロッパは、全体として、すでに完全に共通化された。こういう時代が、
もう世界の常識だというのに、いまだに、学歴社会だのなんのと、バカみたい。いい学校だ
の、いい大学だのと、バカみたい。学生たちは、その道のプロになるために大学へ行く。大
学院へ行く。しかも、だ。欧米では、奨学金を手にした学生たちは、自由に大学間を渡りあ
るいている。

●人間選別の弊害

 今ごろ教育改革しても、遅い。遅過ぎる。この日本では、せっかくすぐれた才能をもっていて
も、進学という関門を通りすぎるたびに、ふるい落されていく。つい先日も、O君というマレに
みる、優秀な子ども(小学生)がいた。小学3年生のときには、中学3年生でもできないような
難解な数学を、自分で考えた方法で解いていた。

しかしこういう子どもを伸ばす機関が、日本にはない。理解もない。そこで東京の私立中学
を受験したが、残念ながら、どこも不合格。「社会ができなかったから……」と、O君は言っ
た。

 こういうO君のような例は、本当に多い。が、これからは、もうそういう時代ではない。貧しい
時代の学校教育から、豊かな時代の学校教育へと変身しなければならない。その豊かな時
代とは何かといえば、それぞれの人が、自分の個性を光らせて生きる時代をいう。

これに対して、「全教科、まんべんなくできる子どものほうが、望ましい」という意見もある。
しかしその「全教科」にしても、本当に全教科なのか。私は以前、毎年、冬に刊行される「時
事辞典」※を調べてみたが、学校で習う勉強など、その辞典の20分の1から30分の1にも
ならない。「全教科」「基礎学力」といいながら、何をもって全教科というのか。何をもって、
基礎学力というのか。

 たとえばオーストラリアのグラマースクールでは、中学1年レベルで、外国語にしても、ドイ
ツ語、フランス語、中国語、インドネシア語、日本語から選択できる。芸術にしても、美術、音
楽、演劇などが、それぞれ独立している。ほかに宗教もあれば、読書、キャンピング、コンピュ
ータなどもある。全体に広く浅く教えながら、子どもの多様性を認める教育システムになって
いる。そして学外クラブも発達していて、それ以上に学びたい子どもは、それぞれのクラブに
通っている。

●自由度で決まる、国の力

 国家の力は、いかに民衆が自由であるかによって決まる。教育とて例外ではない。すぐれた
教育というのは、いかに多くの、将来への選択肢を子どもに与えることができるかで決まる。

 話がぐんぐんと脱線してしまったが、なぜ私たちが子どもを教育するかといえば、子どもたち
が将来、多様性のある社会の中で、柔軟(フレキシブル)に、力強く生きていくことができるよ
うにするためである。

とくに歴史教育は、先にも書いたように、過去を学び、未来にその経験や失敗を生かすた
めである。しかしその歴史教育一つとっても、子どもたちの世界では、まったく役にたってい
ない。日本よ、日本の親たちよ、本当にこんなことでよいのか?

注※「イミダス」の索引の中から、学校の授業(英数国社理)で扱うような項目と、そ
うでない項目を分けてみた。その結果、ここでいう20分の1から30分の1という数字
を算出した。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(平成19年9月13日(木))

++++++++++++++++

昨日は、何と、3日ぶりに、自転車を
こいだ。

雨、また雨。晴れた日もあったが、
ちょうどその時間に、また雨。

それで昨日ということになった。

そのせいで、夜中に筋肉痛。横にいた
ワイフが、しばらくマッサージして
くれた。

今日から、またがんばろう!

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●Kさん

 昨日、6年生のKさんが、私の顔をしげしげと見ながら、こう言った。「先生って、若いときは、
どんな顔だったの?」と。そこで私が、「若いときは、かっこよかったよ」と答えると、「ゼンゼ
ン、
想像つかナ〜イ! 若いときから、ひげを生やしたおっさんだった感じ〜イ」と。

 わかる、わかる、その気持ち。私の時代は、もう終わった。とっくの昔に、終わった。

私「あのね、あんただって、おばあちゃんになるんだよ」
K「私は、おばちゃんではない」
私「イ〜ヤ、未来のおばあちゃんだ。未来のババアかな?」
K「うるさいわね。私は、少なくとも今は、ババアじゃないわよ」と。

 若さとは、燃えさかる炎のようなもの。Kさんを見ていると、そんな感じがする。ときに生意
気になり、ときに自信をなくし、それでいて、懸命に自分の人生を模索している。そういうエネ
ルギーに触れられるだけでも、ありがたい。

 そうそう、ついでにこうも言った。いつものセリフである。どうして私の生徒たちは、みな、同じ
ことを言うのだろう?

 「先生の奥さんって、かわいそう! こんなジーサンといっしょにいるなんて!」と。

 実は、私もそう思っている。最近は、とくに強く、そう思うようになった。晃子、ごめんね!


●小寒い朝

 前線が南下したのか? 今朝は、涼しいというより、小寒い。「そろそろコタツの季節かな?」
と、ふと思う。しかし気象庁によると、10月の終わりまで、残暑が残るとか。

 しかしこういう季節は嫌いではない。あさっては、山荘のほうで、栗の収穫を予定している。
今年は、大豊作。それに秋の虫の声は、すばらしい。そのままワイフと一泊するつもり。

 そうそう、おととい、いとこと、電話で1時間ほど話す。話題はもっぱら、健康について。60数
人いたいとこだが、今、親しくしているのは、そのいとこのほかに、1人、2人だけ。『去る者、
日々にうとし』ということか。離れて住んでいると、心まで疎遠になってしまう。

 昨年、父方の方のいとこ会を開いてもらったが、親類というだけで、心の交流は、なかった。
そのあと、再び、交流を始めたという人もいない。なつかしいというよりは、「そう言えば、そう
いう人もいた」という感じだった。中に、「親類だから……」と、『ダカラ論』をぶつけてくる人もい
た。私はかえって違和感を覚えてしまった。

 自分の子ども時代が、(自分の一部)というよりは、映画か何かで見た過去の世界のような
感じがする。

 が、そのいとことは、近く、会うつもり。よろしく、Y君!


●パソコン

 昨日、1台、パソコンを修理した。P社のレッツノートというのである。買ったときは、22万円
もした。が、日付を見て、驚いた。パソコンの裏に、1999年2月購入とあった。「たった8年し
かたっていないのか」と。

 そこで修理することにした。修理といっても、パソコンの世界では、再セットアップ(リカバリ
ー)を意味する。

 何とかワープロ専用機としては、使えそうなので、今、しばらく使ってみるつもり。

 それと、今日、別の1台を修理しなければならない。メーカーに問い合わせたら、再セットア
ップ用のCDを届けてくれるとか。それが今日、届く。

 ほかに、T社のノートパソコン2台が修理の順番を待っている。こちらは、CDとパソコンをつ
なぐケーブルを紛失してしまった。目下、お手上げ状態。

 にもかかわらず、ビョーキというのは、こわい。

 このところ、新しいパソコンがほしくてたまらない。ねらっているのは、ズバリ、工人舎の小型
パソコン。昨日電車の中で、私の横に座った男性が、それを使っていた。いいね、あのパソコ
ンは!

 ほしい! ワイフは、「今度の誕生日プレゼントね」と言ってくれている。


●金価格

 久しぶりに金価格を調べてみたら、今日(9月13日)、グラム・2775円になっていた(田中
貴金属調べ)。この円高環境で、この価格。

 ちなみに、今日は1ドル=114円だから、少し前の1ドル=122円で計算してみると、グラ
ム・2970円ということになる。

 アメリカでの需要がふえているせいらしい。それに今日、原油が、とうとう1バレル、80ドル
を超えた。ドルの暴落ということになるが、さらにその理由としては、アメリカのバブル経済の
崩壊ということがある。少し前まで、うわさにすぎなかったが、いよいよ現実のものになりつつ
ある。

 どうなるのか……?、と、私のようなものが思い悩んでも、どうしようもない。そのどうしようも
ないところから、不気味さが生まれる。


●パソコンを送る

 今まで、サブ・メインで使っていたパソコンが、ほんとうに、壊れた。メーカーに電話して、あ
れこれ教えてもらったが、最後には、ギブアップ。メーカーの指示により、メーカーのほうで、
修理してもらうことにした。

 で、Y運輸に電話をすると、パソコン運送用の箱が用意してあるとのこと。早速、昼食をかね
て、Y運輸まで、パソコンを運んだ。そこでのこと。

 その箱というのは、2枚のビニールシートで、箱の中でパソコンを中空に浮かす構造になっ
ていた。ときどきあちこちで見かける。で、係の女性が、「私たちのほうでやっておきますから
……」というから、代金を払って出ようとしたが、……そこで、おかしな胸騒ぎ。

 しばらく作業を見届けることにした。

 箱というのは、中空で、パソコンを浮かす構造になっていた。箱の中に、ビニールシートを張
った2つの中箱を入れ、そのビニールシートで、パソコンを上下から、はさむ。が、見ていると、
そのビニールシートの中箱を、何と、反対向きに入れているではないか。つまりそれでは、ク
ッションとしての役目を果たさないばかりか、パソコンが直接、外部のダンボール箱に触れて
しまう。軽い衝撃でも、そのままパソコンを傷つけてしまう。

 そこで私が、「中箱の向きが反対です」と横で言うと、あからさまに不愉快な顔をしてみせ
た。
しかし私とて無視するわけにはいかない。私が自分で梱包をすることにした。が、箱のサイズ
がぜんぜん、合わない。

 それもそのはず。その女性は、私のパソコンよりやや大きいサイズの箱をもってきた。箱の
サイズは、AサイズからEサイズまである。

私「この箱では、サイズがあいません」
女「ちゃんと、(メジャーで)計りました」
私「中空で浮かす構造になっていますから、かなり余裕がなければなりません」
女「……大きいのもありますが、幅が合いません」と。

 係の女性は、パソコンの厚みに、上下の中箱の厚みをそのまま足し算していた。ビニールで
上下からはさむわけだから、パソコンの厚みは関係ないはず。

私「あのね、パソコンを上下からはさんで、パソコンを中空で浮かす構造になっているのです
よ。だからパソコンの厚みは、関係ありません」
女「だから、幅が合いません」
私「いいですから、いちばん大きい箱をもってきてください。サイズは何ですか?」
女「Eサイズです」
私「じゃあ、それをお願いします」と。

 係の女性は、ますます不機嫌な顔をしてみせた。が、私とて、引き下がるわけにはいかな
い。

 ……ということで、私が自分で梱包することになった。途中、奥の方から、男性が出てきて、
私を手伝ってくれた。私の予想通り、私のパソコンは、その箱に、すっぽりと収まった。それを
横で見ていて、係の女性がこう言った。「すみませんでした」と。

私「あのね、これはすみませんでしたで、すむ話ではありませんよ。もしあのままパソコンを梱
包されていたら、私のパソコンは、運送の途中で、壊れていたことでしょう。何10万円という損
害です」と。

 私は直感的に、その人(子ども)の知的能力を見分ける能力を、身に備えている。即座に、
それができる。40年近くも、そういう仕事をしてきた。そのときも、そうだった。おかしな胸騒ぎ
は、それで感じた。

 それにしても……? だいじょうぶか、Y運輸!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●チェホフの、「賭(かけ)」と「かわいい女」

++++++++++

アントン・チェホフといえば、
ロシアを代表する文豪。

私が学生のころは、「チェホフを
読んでいる」と言っただけで、
その人は、みなから、一目置か
れた。

しかし……。

++++++++++

 チェホフ、つまりロシアの文豪、アントン・チェホフの書いた、「賭」と「かわいい女」を読む。と
もに短編小説。文学小説を読むのは、久しぶり。翻訳がへたなのか、難解な言い回しだけが
つづく、読みづらい本だった。

 「賭」は、死刑について考えるには、参考になる本だった。また「かわいい女」は、女性の心
理を考えるには、参考になる本だった。しかしともに、どこか締めくくり方が、へん。何となく
「?」な気分で、読み終えた。

 「賭」というのは、若い男と銀行家が、賭をするという話。死刑は是か非かという論議から始
まり、若い男が15年間、幽閉生活をしたら、銀行家が200万ルーブルを払うという話(=賭)
に発展する。

 そこでその若い男は、15年間の幽閉生活に入る。そしてその15年間、若い男は、書物とい
う書物を、読みあさる。最後は、聖書を読む。

 が、15年間で、銀行家の周辺は大きく変わる。200万ルーブルも支払ったら、自己破産とい
う状態になっていた。そこでいよいよ15年目というそのとき、銀行家は、若い男(もう若い男で
はなかったが)の家に忍び込み、その若い男を殺そうとする。

 若い男は、そこで眠っていた。が、机には、一通の手紙がおいてあった。銀行家は、それを
読む。その手紙には、こう書いてあった。

 「私は、賭を中断して、この家を出る。200万ルーブルなんか、いらない。この世すべてが、
愚かしく見えようになった」と。

 若い男は、ありとあらゆる本を読むうち、東洋的に言えば、悟りの境地に達したことになる。
それを知って、銀行家は、若い男の部屋を出た。つづいて若い男も、その部屋から、どこかへ
消えていなくなった。

 また「かわいい女」というのは、1人のきわめて依存性の強い女性について書かれた短編小
説である。今風に言えば、共依存性の強い女性ということか。いつもだれかに依存しないと生
きていかれないタイプの女性をテーマにしている。

 このタイプの女性は、少なくない。もっとも、そういう女性をさして、「かわいい女」と言うべき
かどうかについては、異論もあると思う。

 先にも書いたが、翻訳がへたなのか、「これが世界的に有名な文学作品?」と思うような内
容の短編だった。テーマもテーマだが、内容も、展開も、稚拙。「チェホフ」という名前だけが、
先に有名になってしまった? 2編を読み終えたあと、私はそんな印象をもった。同時に、チェ
ホフの本は、そのまま書庫にしまった。

 
●A幹事長の淺知恵

++++++++++++

安倍総理大臣が健康問題
で倒れた。

++++++++++++

 安倍総理大臣が過労で倒れた。そのあと、その安倍総理大臣を一番側近で支えなければ
ならなかったはずのA幹事長の、はしゃぎようといったら、なかった。その夜のこと。たまたま
パーティ会場での様子がテレビに流れた。A幹事長は、体を大きく振って、何かにじゃれるよ
うにして笑いこけていた。

 A幹事長は、間髪を入れずして、総理の席につくつもりだったらしい。また安倍総理大臣の
辞任宣言直後は、そういう雰囲気になっていた。

 が、それに待ったをかけたのが、自民党議員たち。一転、今日は、F前官房長官が、その
(流れ)に乗った。A氏とF氏との一騎打ちということになっているが、A氏には勝ち目はない。
雪崩を打って、自民党各派閥は、F氏支持に動き出している。

 当然である。右派というより、極右。A幹事長が使う言葉は、どれも右翼の街宣車が、通りで
がなりたてている言葉そのもの。言っている内容も恐ろしいほど、一致している。

 それにしても、がっかりなのは、民主党。どうして今、O代表なのか? あの人が出てきただ
けで、イメージが悪くなる。そういうことが、民主党は、まったく、わかっていない。鳩Yさんや、
K直さんだったから、みなは、民主党に一票を入れた。O代表だったら、入れなかった。

 選挙に勝ったとたん、闇の奥から、ゾロリと出てきた。O代表には、私はそんな印象をもって
いる。
(平成19年9月14日(金)記)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●国際政治

+++++++++++++++++

いろいろ言い分はあるだろう。
「戦争反対」の気持ちもよくわかる。

しかしまず、現実の数字を見てほしい。

【現実の数字】

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
                    2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

わかるか?

 今、日本の自衛隊が、中東から手を引いたら、
この日本は、どうなる?

 あるいはその先のことでもよい。今、アメリカが
中東から手を引いたら、この日本は、どうなる?

+++++++++++++++++

 日本は、90%近い原油を、中東地域に依存している。その中東から、インド洋を通って、タ
ンカーで原油を運んでいる。

 これが現実。まぎれもない現実。その中東から、「私たち日本人は関係ありません」と日本
が逃げたら、この日本は、どうなる?

 民主党よ、O代表よ、少しは、頭を冷やせ。「国連……」「国連……」というが、その国連が、
K国の核開発問題を解決してくれるのか? その力はあるのか? 先のことはわからないが、
今という(現実の世界)では、その力はない。

 だったら、今は、たとえ金魚のフンと揶揄(やゆ)されようが、アメリカに追従していくしかな
い。

 インド洋上で、補給艦を担当しているある自衛官の談話が、ある雑誌に載っていた。その自
衛官は、こう言っていた。

 「私たちの行動が、いつか、日本有事の際、何かの助けになると思い、がんばっている」と。

 「アメリカは日本を助ける義務がある」「しかし日本はアメリカを助ける義務はない」と、もしあ
なたが考えているとしたら、それは甘い。少なくとも、国際政治の場では、通用しない。

 国際政治は、すべて現実に始まって、現実に終わる。現実を見失った国際政治論には、意
味はない。またそれこそ、まさに亡国の論理。

 この11月から、自衛隊の補給艦が、インド洋から消えることになっている。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●なぜか?

+++++++++++++++

『なぜか一般企業より深刻、
地方自治体職員の「心の病」 』と題して、
ヤフーにこんな記事が載っていた(9月14日)。

そのまま紹介させてもらう。

「県庁や市役所など地方自治体で、
職員の(心の病)が、一般企業以上に
深刻になっていることが、社会経済
生産性本部メンタル・ヘルス研究所
(東京都渋谷区、小田晋所長)の調査
で分かった。この研究所は自治体に
求められる役割が急速に変化する中で、
活力ある組織づくりが課題としている」と。

+++++++++++++++

 『なぜか一般企業より深刻、地方自治体職員の「心の病」 』と題して、ヤフーにこんな興味
ある記事が載っていた(9月14日)。

 「県庁や市役所など地方自治体で、職員の(心の病)が、一般企業以上に深刻になっている
ことが、社会経済生産性本部メンタル・ヘルス研究所(東京都渋谷区、小田晋所長)の調査で
分かった。この研究所は自治体に求められる役割が急速に変化する中で、活力ある組織づく
りが課題としている」と。

 どうして、こうまで分析力が浅いのかと、私は、思う(失礼!)。この記事だけを読むと、一般
企業よりも、公務員のほうが、職務がきびしく、そのため(心の病)になる人が多いと、だれしも
思う。

 が、ものごとは、(現実)の中で考えてみよう。

 一般企業の従業員が、(心の病)になったら、どうなる? ふつうの会社の従業員なら、しば
らくの療養期間を経たのち、まちがいなく、クビ。

 一方公務員が(心の病)になったら、どうなる? 2年でも3年でも、さらに5年でも10年で
も、
診断書さえあれば、仕事をしなくても、給料だけはもらえる。ぜったいに、クビにはならない。

 だから一般企業の従業員たちは、たとえ(心の病)になっても、それを表に出すことはできな
い。隠しに隠しまくって、人知れず、治療に通う。あるいはかなり重篤(じゅうとく)な状態になっ
てはじめて、(心の病)を訴える。

 一方公務員たちはちがう。(心の病)をよいことに、仕事をサボっている人は、ゴマンといる。
私が言っているのではない。こんなことは、公務員の世界では、常識。ときどきマスコミの世
界でも問題になる。が、ああいうのは、まさに例外。氷山の一角。

 そういう一般企業の従業員の立場とのちがいを無視して、『なぜか一般企業より深刻、地方
自治体職員の「心の病」 』とは!

 ……あとは、何も書きたくない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●月探査衛星

++++++++++++++++

三菱重工業と宇宙航空研究開発機構、
14日午前10時31分、日本初の本格的な
月探査衛星「かぐや(セレーネ)」を、
種子島宇宙センター(鹿児島県)から、
H2Aロケット13号機で打ち上げたという。

この記事を書いている今、午前10時
50分には、打ち上げ成功かどうかの
確認は取れていない。

NHKテレビをのぞいてみたが、その報道は
なかった。あちこちのニュースサイトを
のぞいてみたが、今のところ、それに関する
記事はない。

成功したのだろうか?
それとも失敗したのだろうか?

++++++++++++++++

 月には、謎が多い。たいへん多い。あの月は、ただの月ではない。そこまでは私にもわか
る。
が、その先が、わからない。NASAも無数の写真などを公表している。その写真にしても、こ
れはという写真には、すべて修正がほどこしてあるという。そういう、つまり修正がほどこして
あるという証拠写真は、私も、何枚か見たことがある。

 「かぐや」には、14種類の観測機器が積んであるという。月面の鉱物や地形などを詳しく調
べるという。月の誕生や進化の謎の解明を目ざすという。約20日後に月を周回する軌道に入
り、12月から約10か月の観測を始める予定だという。

 先日も、私のワイフが、私にこう聞いた。「いったい、あなたは、若いころ、どんな仕事がした
かったの?」と。

 若いころはともかくも、もし今、「何をしたいか?」と聞かれたら、私はまちがいなく、こう答え
る。「かぐやから送られてくる情報の分析の仕事をしたい」と。

 私は、どうしても知りたい。あの夜、ワイフと見たあの巨大なUFOの正体を知りたい。あのU
FOが、何者で、どこから来たのか、どうしても知りたい。

 それを知る手がかりが、あの月にあると思う。月が、あのUFOの前進基地であるとだれかが
言っても、私は驚かない。が、その確証がない。

 しかし日本の宇宙航空研究開発機構は、本当のことを公表するのだろうか。あるいは、すで
に各国との間で、秘密の取り決めを交わしてしているのかもしれない。「月の秘密は、庶民に
はバラすな」と。

 これから先、「かぐや」の名前には、注目したい。がくやは、どんな情報を月から送ってくるの
だろう。楽しみだ。

 そうそう、あの「かぐや姫」。あれは宇宙人だったのかもしれない。人間と宇宙人との交配に
よって、生まれた。かぐや姫を、おじいさんとおばあさんに、わざわざ地上で育てさせたのは、
地球上の重力に耐えられるような生物にするためだった? そういう例も、ないわけではない
そうだ。

 これも秋の夜のロマン。毎晩、空を見あげるたびに、私とワイフは、かぐやと、かぐや姫、そ
れにUFOの話をするだろう。

【追記】
 
打ち上げは、成功だったそうだ。よかった!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(9月15日)

++++++++++++++

昨夜は夜中の12時ごろまで、
家族でテレビの報道番組を
見ていた。

ニヤニヤというか、ニタニタというか、
正体不明の笑みを浮かべて話す、
A幹事長。

一方、どこか自信なさそうに、
視線を動かしながら話す、F元
官房長官。

自民党の各派閥(政策研究会)は、
たった一晩で、雪崩をうつかのように、
F氏支持に回ったという。

いろいろ理由は言われているが、
だれしもこう考えた。

「あんな男に、総理はさせられない」
「あんな男が総理になったら、この
日本は、どうなる?」と。

それが雪崩につながった(?)。

++++++++++++++

 少し前、「総理の任命責任」という言葉がよく使われた。だったら、「幹事長の支持責任」とい
うのは、ないのか? 突然の辞任表明のあと、日本中が安倍総理大臣を非難した。だったら、
その責任の一端は、A幹事長にもあるはず。が、当のA幹事長は、どういう理由かは知らない
が、はしゃぎまくった。

 どこか、おかしい。どこかズレている。

 報道番組でも、A幹事長は、始終、ニヤニヤというか、ニタニタというか、正体不明の笑みを
浮かべていた。ひとつの番組では、こんなシーンもあった。

 キャスターが、「今回の(安倍総理の)辞任劇の裏には、あなた(=A幹事長)の裏切り行為
があったからと言う人もいますが……」と質問を投げかけたときのこと。幹事長は、ニヤニヤと
いうか、ニタニタと笑いながら、「そういうことはありません」(NS番組にて)と。

 会話の内容は、記憶によるものなので正確ではないかもしれない。しかしふつうなら、こうい
う場面では、ニヤニヤというか、ニタニタとは笑わない。自分が疑われているのだから、ふつう
なら、こういう場面では、だれしも、怒る。潔白なら、怒る。

 私は似たような場面を、かつて何度か見たことがある。和歌山県で起きた、あの毒入りカレ
ー事件のときもそうだった。のちに刑事被告人となる林M(女性)は、テレビ局のインタビュー
に答えて、やはり、始終、ニヤニヤというか、ニタニタと、正体不明の笑みを浮かべていた。

 私がワイフに、「よく似ているね」と話すと、ワイフも、「そうね」と。

 私には、A幹事長が、政治家というよりは、出世欲、権力欲にとりつかれた、ただの野心家
のように見えた。年齢がそれほどちがわないこともある。同じ時代を生きた人間ということもあ
る。総理の座をねらって、政治の世界を、まるで国盗り物語の舞台のように使っている。そん
な印象を強くもった。

で、自民党の各派閥(政策研究会)は、たった一晩で、雪崩をうつかのように、F氏支持に
回った。それまでは、だれしも、流れからして、「次期総理大臣はA氏」と思っていた。

いろいろ理由は言われているが、自民党の議員たちが、それに対して、「NO!」の意思表
示をした。

「あんな男に、総理はさせられない」「あんな男が総理になったら、この日本は、どうなる?」
と。

それが雪崩につながった。A幹事長は、地方票を期待しているということらしいが、結果は
同じだろう。ふつうの常識のある人なら、自民党総裁への立候補をとりやめる。A幹事長自
身も、当初はこう言っていたではないか。「政治的空白をつくることは、許されない」と。

 自ら、その政治的空白を長引かせて、みじんも恥じない? 

 どこか、へん。どこかズレている。

【付記】

 問題は、なぜああいうA幹事長のような政治家が、時代をおいて、つぎからつぎへと生まれ
るか、である。ここにも書いたように、政治の世界を、まるで国盗り物語の舞台のように使って
いる。

 私は、その責任の一端は、私たち自身にもあると思う。ああいう人物を、「偉い人」ともちあげ
てしまう。その「偉い」という部分で、このタイプの政治家は、自分を見失ってしまう。

 まともな政治家なら、仲間のほとんどが、「お前ではダメだ」と言ったら、静かに引きさがる。
本人自身も、「政治空白は許されない」と言っていた。であるなら、なおさら、今は、引きさがる
べきではないのか。A幹事長には、その常識すらない。ないばかりか、ある番組の中では、こ
う言って居直っていた。「ここで私が引きさがれば、それこそ派閥談合と言われますよ」と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●台風11号

+++++++++++++++

台風11号は九州の東を、目下、北上中。
韓半島をめざして、まっしぐら!

そのため韓半島では、「レーダー雨雲監視」
(気象庁)で判断するかぎり、目下、大雨が
降っているらしい。

今日14日は、南北首脳会談に疑問を抱く
人たちが、首都ソウルで、大規模な抗議
行動を予定しているという。

この大雨にいちばん喜んでいるのが、
N大統領。それにK国の金xxではないのか。

しかし大雨にも、程度というものがある。

台風11号の直撃を受けて、韓国はもちろん、
K国は再び、大被害をこうむるかもしれない。

そうなればまたまた、南北首脳会談どころでは、
なくなってしまう。

+++++++++++++++

 今日現在、1ドル=115円。1ドル=928ウォン。日本の円高は、ほぼ適正水準で停止して
いるが、韓国のウォン高は、危険ラインをすでに突破している。(危険ラインは、1ドル=950
ウォンと言われていた。)「このままでは輸出をあきらめる企業が続出するだろう」(韓国各紙)
とさえ言われている。

 だったら、ウォン安に誘導すればよいとだれしも考える。簡単に言えば、政策金利をさげれ
ばよい。現在、韓国の政策金利は5%。日本の20倍。

 が、ここで金利をさげたら、韓国はたいへんなことになる。すでに個人負債額は、日本円に
なおして、70兆円以上。75兆円をうかがいながら、雪だるま式にふえつつある。こういうこと
だ。

 あなたは韓国の金さん。毎月の給料は20万円。しかし毎月、5万円の借金をしながら、25
万円相当の生活をしている。カードを使えば、いくらでもお金を借りられる。借金の額よりも早
く、土地やマンションの価格が値上がりしている。

 が、なぜ土地やマンションの価格が、値上がりしつづけているかって? それは外資、つま
り外国(とくに日本)のお金が、どんどんと韓国に流れ込んでいるからにほかならない。

 しかしもし、ここで政策金利をほんの少しでもさげたら、とたん、外資が韓国から逃げ始め
る。
同時に土地やマンションの価格がさがる。まさにアメリカのサブプライムローン問題と同じこと
が、韓国でも起きる。

 韓国の法定利息はすごい。年率66%までOK。しかし実際には、庶民の間では、100〜20
0%という高金利で、お金が動いている。もしここで外資の流入が止まったら、韓国はどうな
る? 想像するだけでも、恐ろしい。

 それにもうひとつ問題がある。

 直近の貿易収支をみると、韓国の貿易収支は、すでに赤字に転落している可能性が高い。
もしここで少しでもウォン安になれば、原油高が、韓国経済を直撃することになる。現在、1バ
レル=80ドル前後。ほんの1か月前には、70ドル前後だったから、この1か月で14%近くも
高騰したことになる。

 韓国の産業構造は、急激な原油高にもろい構造になっている。

 そんな中での、南北首脳会談である。N大統領は、決死挽回策として、南北首脳会談に打
って出た。K国にすりよるあまり、メチャメチャな約束をする可能性もある。が、それに危惧感
をいだいたのが、韓国の野党勢力。

 今日14日、その野党勢力が、南北首脳会談で勝手な合意をしてもらっては困ると、反対集
会をソウルで開くという。

 しかし、この雨雲。韓国の天気予報によれば、週末はソウルでは、10〜40ミリ前後の雨が
降るという。集会を霧散させるには、じゅうぶんな雨である。天はN大統領に味方したのか。

 ……と考えたいが、台風11号が韓半島に向かっている。直撃コースといってもよい。もし台
風11号が韓半島を直撃すれば、韓国はともかく、K国は、再び甚大な被害をこうむることにな
る。治水整備がほとんどなされていない国である。

 降れば洪水、降らなければ干ばつ。南北首脳会談どころでは、なくなってしまうかもしれな
い。

 どうなるか、韓国。K国。そして南北首脳会談。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●格差

++++++++++++++

次期総理大臣になると思われる
F元官房長官は、テレビでのインタビュー
番組の中で、ときどき「格差」という
言葉を使っていた。

「富と権力が、中央(=東京)に
集中しすぎている」「中央と地方の
格差が広がっている」と。

そこで、1人あたりの名目県民所得を
調べてみた。

東京都が、460万円弱。
愛知県が、340万円強。
大阪府が、300万円強。

北海道が、250万円強。
沖縄県が、200万円弱。

(内閣府資料・04年)

++++++++++++++

 1人あたりの名目県民所得(内閣府)を見ただけでも、ナルホドと思う。東京都の人たちの所
得は、愛知県や大阪府の人たちの、約1・5倍。沖縄県の人たちの、約2・3倍!

 これを不公平と言わずして、何という?  「格差が広がっている」のは、この数字を見ただ
けでもわかる。

 そんなわけで、東京都に住んでいる人たちにすれば、旅行などで、地方へ行けば行くほど、
物価が安く、楽しいかもしれない。どこへ行っても、東京都の約半額。それだけでも王様気分
になれる。

 が、反対に地方に住んでいる私たちにとっては、そうではない。少しでも人気のある観光ス
ポットへ行くと、どこも「東京価格」。実感として、この浜松市の物価とくらべても、2倍近い。

 が、それだけではない。

 このあたりにも、有数の漁港がいくつかある。そこで聞いた話だが、高級魚ほど、東京へ向
かうそうだ。私たち地方の人間が食べる魚は、二級品? 同じことを、農家の人たちも言って
いた。高級生花ほど、東京へ向かう、と。

 一方、悲しいかな、地方には、地方の、田舎根性というものがある。この浜松市でも、「東京
から来た」というだけで、何でもありがたがる。近くの幼児教室でも、こう宣伝している。「教材
は、東京の偉い先生が考えたものを使っています」と。

 バカめ! 東京の偉い(?)先生が、教材など作るか! そういう教材は、かつての私のよう
な教材屋がつくる。それにどこかの大学の教授の名前を載せて売る。そんなことは、この世界
では常識。

 さらに政治家となると、このあたりでは、みな、東京からやってくる。今度はじめて、地元出身
の男性が浜松市長になったが、少し前までは、元中央官僚。知事も、副知事も、元中央官
僚。
国会議員の大半も、元中央官僚。

 つまりそれがF元官房長官の言うところの、「権力」ということになる。そのほとんどが、東か
ら、この地方へやってくる。「地方分権」とは、聞いて、あきれる。ホント! しかしこれは制度
の問題というより、意識の問題。日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。中央集権国家。

 ……こう書くからといって、何も私は、東京都の人たちに、うらんでいるわけではない。東京
都に住む人が悪いと言っているのでもない。東京都に住む人は住む人なりに、いろいろ苦労
がある。当然、その分だけ、物価も高い。競争もはげしい。住環境もよくない。だから1人あた
りの名目県民所得が多いからといって、しかたのないこと。

 しかし、あの優越感だけは、何とかしてほしい。無意識のうちにも、地方を、「下」とみる。東
京都に住んでいる人にはそれがわからないかもしれないが、私たちには、それがわかる。「あ
あ、私たちをバカにしているな」と。

 F元官房長官は、とてもよいことを言う。総理大臣になったら、どうか、中央と地方の格差
を、
少しでもよいから、縮めてほしい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●馬に水を飲ますことはできない

++++++++++++++

子どものやる気を問題にする人は
多い。

しかし「やる・やらない」も能力の
うち。

++++++++++++++

 イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』とい
うのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の
問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのよう
に説明されている。

 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁という部分がある。それらを包み込んでいるのが、大脳
辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬もこの中
にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組織がある
という(伊藤正男氏)。

つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明さ
れている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持な
どを維持するための機関と考えられていた。)

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮
質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確
ではない」(新井康允氏)ということになる。

脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。い
くら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な
結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のであ
る。

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考えるば
あいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよければさらに乗
り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状回なのです」(日
本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、し
かしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味
で、
やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できな
い」。それだけのことかもしれない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 やる
気 子供のやる気 帯状回)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月12日)

++++++++++++++

このところ、ものがよく壊れる。

昨日は、デジカメの液晶にヒビ
が入ってしまった。

店にもっていくと、「液晶の故障は
修理代が高くなります」とのこと。

修理はあきらめた。

がまんしてもう少し使ったあと、
そのとき、最新型のデジカメを
購入しよう。

それと、T社のノートパソコン2台
が、同時に立ち上がらなくなって
しまった。

リカバリーをすればよいのだが、
CDは、外付け。そのCDとパソコン
をつなぐケーブルを紛失して
しまった。

したがって、今日は修理できず。

ワイフに、「ぼくほど日本のパソコン
業界に貢献した男も少ないだろうね」
と話すと、「そうね」と。

毎年、1〜2台は、パソコンを買って
いる。プラス関連機器やソフトなどなど。

デスクのまわりには、液晶モニターが、
4つも並んでいる。
手は2本しかないのに……。

++++++++++++++

●人間の脳みそ

 人間の脳みそは、大きく、外から3層に分かれている(P・D・マクリーン※)。

(1)最表層部……新ほ乳類脳(新皮質部)
(2)中層部  ……旧ほ乳類脳(大脳辺縁系)
(3)中心部  ……は虫類類脳(脊髄や中脳) 

 このうちの(1)新ほ乳類脳というのは、「感覚情報の処理、精密な運動制御、創造的活動、
遺伝的制約を超えた自由な活動」(同)を司る。

 つぎの(2)旧ほ乳類脳というのは、「喜怒哀楽と記憶、定型的なは虫類的働きを柔軟にす
る」(同)を司る。

 一番中心部にある(3)は虫類脳というのは、「呼吸や生殖、闘争や支配など、個体と種の保
存に関わる機能」(同)を司る。

 PDマクリーンの説によれば、人間の脳みそは、(は虫類脳)の上に、(旧ほ類脳)→(新ほ乳
類脳)が重なるようにして、進化してきたということになる。

 この説は、たいへんおもしろい。この説を逆にとらえると、太古の人間(人間というより、は虫
類のような生物)には、喜怒哀楽の情や記憶がなかったということになる。喜怒哀楽の情や記
憶は、旧ほ乳類脳が司る。

 さらに人間は頭がよいとされるが、そのことと、私たちがいうところの(人間性)とは、別の問
題であるということになる。人間の知的活動は、新ほ乳類脳が司る。

 さらに私たちが「本能的」と呼んでいる活動のほとんどは、人間の脳みその中心部にある、
は虫類脳が司っていることがわかる。考えてみれば、これは当然である。あらゆる生物は、そ
の起源において、個体と種の保存を最優先にした。もしそうでなければ、その生物は一代で、
絶滅していたということになる。

 P・D・マクリーンは、そのは虫類脳の機能に、「闘争や支配」を加えた。言いかえると、闘争
心や支配心の強い人は、それだけ原始的な人ということになる(?)。

 そこで最近、にわかに注目され始めたのが、(2)の旧ほ乳類脳と呼ばれる「大脳辺縁系」。
たとえば喜怒哀楽の情は扁桃核(扁桃体)、記憶は海馬、やる気などは帯状回が司るというと
ころまで、最近の研究でわかってきた。

 たとえば何かよいことをすると、大脳の新皮質部から信号が送られ、扁桃核は、その内部
で、
エンドロフィンやエンケファリンなどのモルヒネ様の物質を分泌する。これが脳内に放出され、
脳を心地よい陶酔感を生む。これが「善なる感情」の基本になる。

 が、ここでひとつの問題が起きる。「心地よい陶酔感」イコール、「善」ではないということ。

 たとえば1人の銀行強盗がいたとする。その強盗が、数千万円もの大金を、手に入れたとす
る。

 そうした情報も扁桃核に送られ、そこで心地よい陶酔感を生むということも考えられる。強盗
に問題があるとするなら、馬券を当てた人でもよい。その心地よい陶酔感は、たとえばサッカ
ー選手が、みごとなゴールを決めたときと同じと考えてよい。つまり「心地よい陶酔感」イコー
ル、「善」ということにはならない。

 さらにP・D・マクリーンの説によれば、(頭のよさ)と(人間的な感情)、さらに(動物的な本
能)とは、別物ということになる。

 このことも、現実に起きていることを例にあげると、「なるほど」と合点がいく。たとえば少し
前、
テレビで経済解説をするようなどこかの教授が、手鏡で、女性のスカートの中をのぞいて逮捕
されるという事件があった。

 その教授のばあい、新ほ乳脳の発達もすぐれていたが、同時に、は虫類脳の働きも活発だ
ったということになる。

 さらに……。どちらがどちらを支配しているかという問題もある。

 P・D・マクリーンの説に従えば、(は虫類脳)→(旧ほ乳脳)→(新ほ乳脳)の順に、は虫類脳
は旧ほ乳脳を支配し、旧ほ乳脳は新ほ乳脳を支配しているということになる。これも臨床的に
(?)考えると、納得がいく。

 たとえば性欲(=は虫類脳)にしても、理性(=新ほ乳脳)で支配するのは、不可能と考えて
よい。ある程度のコントロールはできるかもしれないが、それには限界がある。言いかえると、
生殖、つまり個体と種の保存にかかわる本能は、それほどまでに強力であるということ。

 だから教師によるハレンチ事件にしても、あとを絶たない。

 しかし「不可能」と言い切ってこのエッセーを結んだのでは、エッセーとしての意味を失う。そ
こで私なりにどうすればよいかということを考えてみる。方法がないわけではない。

 ひとつは、生殖、ならびに個体と種の保存についての本能は、そのまま自然な形で、表に出
していくという方法。食事をするとき、それを隠す人はいない。それに罪悪感を覚える人もい
ない。生殖も同じように考えていく。深い意味を、考えない。もっと言えば、生殖イコール、排
泄と考えていく。

 もうひとつは、自分の中の(本能)に気づく。そのメカニズムがわかれば、それを自分でコン
トロールすることができるようになる。メカニズムがわからないから、本能に振り回される。

 は虫類脳は頭の中にあるわけだから、それを消すことはできない。できないというより、この
は虫類脳があるからこそ、人間の世界では、さまざまなドラマが生まれる。そのドラマが、人
間の世界を楽しいものにする。

 前にも書いたが、あの映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいなければ、ただの
船の沈没映画で終わってしまっていただろう。

 さいごに、こういうことも言える。人間を、どの部分の脳みその働きが強いかによって、大きく
3つのタイプに分類することができるのでは……?

(1)新ほ乳脳型人間
(2)旧ほ乳脳型人間
(3)は虫類脳人間、と。

 どのタイプがどうかということについては、今さら、ここに書くまでもない。大切なことは、この
3つの脳が、それぞれバランスを保ちながら、ほどよく協調しあうということ。またそういう人
を、
より人間的な人という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 新ほ
乳脳 新哺乳脳 旧哺乳脳 爬虫類脳 P・D・マクリーン 大脳新皮質部 辺縁系 脳幹 脊
髄 中脳)

※P・D・マクリーン……アメリカの脳生理学者(発達心理学、ナツメ社)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●知識と思考

+++++++++++

知識と思考は、まったく
異質のものである。

そのことは、一匹の
ハチを見ればわかる。

ハチにはハチの知識がある。
特異ですぐれた知識である。

がそれがあるからといって、
ハチに思考力があるという
ことにはならない。

+++++++++++

 知識は、記憶の量によって決まる。その記憶は、大脳生理学の分野では、長期記憶と短期
記憶、さらにそのタイプによって、認知記憶と手続記憶に分類される。

認知記憶というのは、過去に見た景色や本の内容を記憶することをいい、手続記憶という
のは、ピアノをうまく弾くなどの、いわゆる体が覚えた記憶をいう。条件反射もこれに含まれ
る。

で、それぞれの記憶は、脳の中でも、それぞれの部分が分担している。たとえば長期記憶
は大脳連合野(連合野といっても、たいへん広い)、短期記憶は海馬、さらに手続記憶は
「体の運動」として小脳を中心とした神経回路で形成される(以上、「脳のしくみ」(日本実業
出版社)参考、新井康允氏)。

 でそれぞれの記憶が有機的につながり、それが知識となる。もっとも記憶された情報だけで
は、価値がない。その情報をいかに臨機応変に、かつ必要に応じて取り出すかが問題によっ
て、その価値が決まる。

たとえばAさんが、あなたにボールを投げつけたとする。そのときAさんがAさんであると
認識するのは、側頭連合野。ボールを認識するのも、側頭連合野。しかしボールが近づい
てくるのを判断するのは、頭頂葉連合野ということになる。

これらが瞬時に相互に機能しあって、「Aさんがボールを投げた。このままでは顔に当た
る。
あぶないから手で受け止めろ」ということになって、人は手でそれを受け止める。しかしこの
段階で、手で受け止めることができない人は、危険を感じ、体をよける。

この危険を察知するのは、前頭葉と大脳辺縁系。体を条件反射的に動かすのは、小脳とい
うことになる。人は行動をしながら、そのつど、「Aさん」「ボール」「危険」などという記憶を
呼び起こしながら、それを脳の中で有機的に結びつける。

 こうしたメカニズムは、比較的わかりやすい。しかし問題は、「思考」である。一般論として、
思考は大脳連合野でなされるというが、脳の中でも連合野は大部分を占める。

で、最近の研究では、その連合野の中でも、「新・新皮質部」で思考がなされるということが
わかってきた(伊藤正男氏)。伊藤氏の「思考システム」によれば、大脳新皮質部の「新・新
皮質」というところで思考がなされるが、それには、帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃
体(価値判断)なども総合的に作用するという。

 少し回りくどい言い方になったが、要するに大脳生理学の分野でも、「知識」と「思考」は別の
ものであるということ。まったく別とはいえないが、少なくとも、知識の量が多いから思考能力
が高いとか、反対に思考能力が高いから、知識の量が多いということにはならない。

もっと言えば、たとえば一人の園児が掛け算の九九をペラペラと言ったとしても、算数がで
きる子どもということにはならないということ。いわんや頭がよいとか、賢い子どもということ
にはならない。そのことを説明したくて、あえて大脳生理学の本をここでひも解いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思考
 知識 思考力)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●熱海

++++++++++++

伊東市のM小学校での講演に
行く途中、熱海で、数時間を
過ごした。

熱海は、少なくとも駅前は、
かつての活気を取り戻していた。

駅をおりると、そのままアーケード
街になっていた。月曜日の午後
というのに、かなりの人で混雑
していた。

が、物価の高いのには、驚いた。

ざっと見たところ、干ものにしても、
浜松市で見る価格の、1・5〜2倍。

何を見ても、「高いなあ〜」と。
私とワイフは、何度も顔を見合
わせた。

++++++++++++

 こうした観光地では、たいていどこでも、「東京価格」で、価格が設定されている。つまり、
「高い」。

 もう少し具体的に数字を、見てみよう。

 1人あたりの名目県民所得(単位:百万円・内閣府・04)でみると、東京都だけが、ダントツ
に高いことがわかる。

 東京都……4・6弱
 
 愛知県が、3・4強、大阪府が、3・0強だから、ほかの都市圏とくらべても、1・5倍も、所得が
高いということになる。

 さらに北海道が、2・5強、最低の沖縄が、2・0。つまり東京都沖縄とでは、2・3倍以上もの
格差があることがわかる。よく「東京のひとり勝ち」ということが言われるが、この数字を見る限
り、ひとり勝ちというよりは、不公平! 「中央にいる連中は、中央にいることをいいことに、好
き勝手なことをしている」。そう批判されても、しかたない。

 その東京価格が、熱海でも、反映されている。

 まあ、メチャメチャと言えば、メチャメチャ。

 つい先日も、東京都の都心にある、ティファニー銀座本店ビルが、坪1億8000万円で、売
買されたという。総額で380億円! その価格は、この4年で、2倍以上になったという(「週刊
ダイアモンド」9・15)。

 バブル経済とはいうが、バラまかれたお金が、東京都だけに集中し、その恩恵(?)を、東京
都だけが受けている。(一方、バブル経済がはじければ、その被害をまっさきに受けるのが、
地方ということになる。)

 しかしどうしてこの日本では、人々が、こうまで静かなのだろう。だれも怒らない。怒らないと
いうよりは、こうした問題について、考えようともしない。考えるための脳みそすらもっていな
い。

 わかるか?

 毎日一生懸命働いても、大半の人たちは、月に数万円の貯金しかできない。その一方で、
土地をころがすだけで、4年間で、190億円(380億円の半分)も手にする人たちがいる。もっ
ともそういう人たちなら、熱海へ来ても、「安い、安い」と言って、ものを買いあさるかもしれな
い。

 そう、私たちがもっている不公平感は、爆発寸前! 小泉内閣から安倍内閣へ。富者と貧者
の格差は、ますます広がっている。「勝ち組」「負け組」などという、なまやさしいものではな
い。
先にも書いたように、もうメチャメチャ!

 一口で言えば、政治が悪いということになるが、それ以前の問題として、国民が悪い。政治
そのものを、ギャグ化している。ギャグ化しながら、それにすら気づいていない。

 熱海では、そんなわけで、かまぼこしか、買わなかった。あとは友人や知人に、みやげを少
し。そうそう駅前にあった、あるホテルで、岩盤風呂なるものに入った。料金は、1人2500円。
これも「高いな〜」と思ったが、まあ、それなりの価値はあったと思う。

 そのあとスッキリとした気分で、講演ができた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●アメリカのバブル経済崩壊(?)

+++++++++++++++

手元に、「週刊ダイアモンド」誌がある。
経済雑誌である(07年9月15日号)。

それによれば、どうやらアメリカのバブル
経済が、崩壊しつつあるということらしい。
今回のサブプライム問題が、そのきっかけに
なった。

つまり、ことは、きわめて深刻!
日経新聞サイトの中にも、「崩壊」
という文字が、並ぶようになった。

私も数年前から、あぶないと感じて
いた。その一方で、「どうして好景気?」と、
それが不思議でならなかった。

しかしここで、は・じ・け・た!

+++++++++++++++

 毎月50万円の収入しかない人が、毎月60万円の生活をしている。差額の10万円は、借
金。
家を担保にして、カードで借金。

 ふつうの常識のある人なら、こんなバカな生活はしない。しかし今までのアメリカでは、それ
ができた。住宅価格の暴騰で、資産価値が、それだけあがっていたからである。

 しかしどこか、おかしい。へん。それがバブル経済である。

 そこでアメリカは、ドルをどんどんと印刷して、世界中にバラまいた。その結果は、原油価格
の暴騰に反映されている。現在、原油価格は、1バレルあたり、70ドル前後。80ドルをめざし
て、まっしぐらに進んでいる。つまりその分だけ、ドルの価値がさがった。(ひょっとしたら、今
月あたり、80ドルを超えるかもしれない。)

 当然、日本は、その影響をモロに受ける。……受けつつある。株価はさがったままで、反発
力は、弱い。少し前だったら、「安くなったから、買い」という心理が働いた。が、今は、様子見。
こういうときへたに動くと、(私のような)素人は、大やけどをする。

 原油価格があがれば、物価は上昇する。株価が暴落すれば、経済は萎縮する。ついでにバ
ブル経済が崩壊すれば、そのあとまたまた、長期不況。再び日本は、暗くて、長いトンネルに
入る。

 「ああ、私も公務員になっておけばよかった」と、また私は同じことを思うのだろうか。いやだ
な〜。

【付記】

 このところ暗い話ばかりで、すみません。

 まあ、こういう世相ですが、私たち夫婦は、仲よく、つつましく生活しています。昼は、ほとん
ど外食ですが、2人で1000円と、決めています。

 2人で1000円!……ですよ。ハハハ。その工夫をするのが結構、楽しい。

 たとえば、100円寿司では、1人、5皿まで。計9皿まで。あとはショウガをたっぷり食べて、
お茶を飲んでごまかす。

 たとえば、近くに「コーラクxx」という、全国チェーンのラーメン屋があります。そこでミニ・チ
ャーハンとラーメンセット、それにギョーザとミニ・チャーシュー丼で、計900円弱。

 ほかにランチ480円という、これまた全国チェーンのファーストフードの店もあります。

 今までの最低記録は、2人で、780円だったかな?

 今度やはり近くに、こんな店ができました。食べたいものを自分で選んで、会計するという店
です。

 ふつうライスは、1人分ずつ注文するのですが、ワイフは、おかずだけ。私は、おかずとライ
スを大盛り。(おかしな店で、大盛りでも、並でも、値段は同じ。)席についてから、ライスを2人
で分けました。

 店を出て、「780円だぞ!」「記録を作った!」と、2人で笑いあいました。

 どこの店でどう食べれば、どう安く+おいしく食べられるか……今朝も、食事をとりながら、ワ
イフと、そんなことを話しあいました。

 だけど不思議なことに、私たちがしげく足を運ぶ店は、どこも繁盛しています。一方、「ここは
だめだ」と思った店は、そのあとしばらくして閉店します。つまり私に嫌われたら、おしまい。私
は、こわいぞ〜。

 そうそうこんなことも。

 先日、知り合いの市議会議員の男性と会ったら、その男性がこう言いました。

 「いやあ、先生、この前、○○ラーメン屋で、実は先生の隣の席に、私はいたのです。先生で
も、こんな安いラーメン屋に来るのかと思って、驚きました。で、声をかけるのも悪いと思っ
て、
声をかけられませんでした」と。

 ハハハ、残念ながら、私は、そんな人物ではありません。それに世間体など、まったく気にし
ません。ワイフも気にしません。見栄や体裁など、もとから頭の中にありません。私たちはい
つも、ありのままで生きてきました。生きています。これからも生きていきます。

 この話も、どこか、暗いかな?


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●水槽の中の魚

+++++++++++

『井の中の蛙(かわず)』という
ことわざがある。

私たちは油断すると、すぐ、
その蛙になってしまう?

+++++++++++

 水槽で熱帯魚を飼うようになって、もう18、9年目になる。平成元年に飼い始めたから、この
数字にはまちがいはない。その熱帯魚たち。ときどきその熱帯魚を見ながら、私はこう考え
る。
「この魚たちにとっては、この水槽が全世界なのだろうな」「生まれから死ぬまで、一生、水槽
の中に住んでいるから、外の世界を知る由(よし)もない」と。

 考えてみれば、人間の意思も似たようなものだ。たとえば「自由」にしても、自由な世界を知
ってはじめて、不自由な世界がどういうものかがわかる。

たとえば江戸時代という時代。あの時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒
かつ恐怖政治の時代であった。それは客観的にみれば事実なのだが、ではその時代に住
んだ人がそう感じていたかどうかは疑わしい。

あの時代の人は、徹底した鎖国制度のもと、外国へ出るということすら許されなかった。だ
から外の世界など、知る由もなかった。それはちょうど、今のK国の人たちのようなもので
はないか。日本という外の世界からみると、ずいぶんと窮屈な感じがするが、では当のK国
の人たちがそう感じているかどうかは、疑わしい。

彼らは彼らで、結構自分たちの国は自由な国だと思っているかも知れない。聞くところによ
ると、首都のピョンヤンに住めるのは、ごく一部のエリートだけという話だ。それに旅行すら
自由にできなという話も聞いている。

 が、だからといって、日本が自由の国だとか、また日本人がもっている意識は、グローバル
な意味で、世界の標準だと思うのは危険なことである。

ひょっとしたら私たち日本人とて、水槽の中の熱帯魚と同じかもしれない。そういう例は、実
は教育の世界には多い。たとえば私が、三井物産という会社をやめ、結果的に幼稚園の講
師になったとき、みなは、「はやしは頭が狂った」と笑った。母まで、電話口でオイオイと泣
き崩れてしまった。

しかしそんな中でも、私を支えてくれたのが、オーストラリアの友人たちだった。「ヒロシ、す
ばらしい選択だ!」と。

こうした意識の違いというのは、それがない人には理解できないものであり、それがある人
には、外で呼吸をするくらい当たり前のことなのだ。そういう意味でも、意識の違いというの
は恐ろしい。

たとえば今の「私」ですら、ひょっとしたら私という範囲の中だけで「私」なのかもしれない。
ほんの少し意識が変われば、私は私でなくなってしまう可能性だってある。絶対的に正しい
ものなどというのは、ないということか?

 今日も水槽の中の熱帯魚を見ながら、私はそんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●離婚問題

+++++++++++++

離婚を考えている人は多い。
しかし子どもをかかえての離婚は、
慎重に。

母親の経済的自立を最優先に
して考える。

そのためには、まず情報を集める。

+++++++++++++

【子育て支援・助成金】

 現在、子どもをもつ親に、国や自治体は、以下のような
子育て支援・助成金を支給している。受領が可能と思われる
方は、遠慮せず、各窓口へ、相談してみたらよい。


●私立幼稚園就園奨励費

 資格……私立幼稚園へ通っている園児のいる家庭
 金額……年額、5万6500円(所得制限あり)
     (国と自治体から)
 届け出先……幼稚園、もしくは、各市町村村役場
       申請書を提出する。
     (現在、各私立幼稚園で代行。幼稚園に問いあわせてみること。)


●児童手当

 資格……小学校3学年修了前
金額……月額5000円
     第3子以降……月額1万円(所得制限あり)
 届け出先……各市町村村役場


●児童扶養手当

 資格……ひとり親
 金額……第1子……4万1880円
     第2子……プラス5000円
     第3子……プラス3000円
 届け出先……各市町村役場


●児童育成手当て

 資格……ひとり親
 金額……1万3500円前後(自治体によってちがう)
 届け出先……各市町村役場


●特別児童扶養手当

 資格……身体障害者1級手帳の子ども
 金額……月額5万1550円
 届け出先……各市町村村役場
 

 ほかに、乳幼児医療費助成金、ひとり親家庭医療費助成などがある。助成金の額は、自治
体によって、異なる。医療費の全額もしくは、ほとんどを助成してくれる。

 すべて届け出先は、各市町村村役場になっているので、こまめに足を運んで相談すること
が大切。これらの中には、届け出を出さないと受領できないものもが多く、また届け出を出し
た時点からしか支給されないものもある。

 上限の年齢制限もあるので注意。児童扶養手当、児童育成手当ては、子どもが満18歳に
なるまで。子どもが生まれたらすぐ、相談してみる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 育児
手当て 児童手当て 育児補助金 子育て支援 助成金 補助金 はやし浩司 保存資料)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●ハロー効果

++++++++++++

心理学の世界には、「ハロー効果」
という言葉がある。

要するに、美人、美男子は、得、
ということ。もっとはっきり言えば、
人も、外見で、その中身の価値が
判断されるということ。

外見のよい人は、聡明で、精神力も
強じんで、なおかつ性格もよいと判断
されやすい。人格者と見られることも
多い。

一方、そうでない人は、そうでない。

++++++++++++

 昔、「男は、一にマスク、二にマスク、三に親の財産」と言った、女子高校生がいた。そこで
私が、「心はどうするの?」「心が大切だよ」と言うと、そこに居合わせた女子高校生が、みな、
こう言った。

 「マスクのいい男は、心もいいに決まっているじゃん」と。

 マスク……つまり、顔のこと。

 昨日(9月12日)、安倍首相が、突然辞任を申し出た。健康問題も含めて、いろいろあったら
しい。政界の内情をよく知る人は、「クーデターだ」などとも言っている。

 で、つぎの総理大臣は、あのA氏になりそうである。もしそうなら、クーデターの仕掛け人
は、
A氏自身ということになる。

 心理学の世界には、「ハロー効果」という言葉がある。「ハロー」というのは、「後光」のこと。
「光背効果」と呼ぶ人もいる。つまり外見のよい人は、それだけ中身もよいと判断されやすい
ということ。そうでない人は、そうでない。

 その第一が、マスク(顔)であり、身長であるという。それはたしかにそうで、安倍首相(まだ
首相なので……)と、A幹事長(まだ幹事長なので)を、比較してみれば、それがわかる。

 いかにも育ちのよさを感じさせる安倍首相。一方、いつもにがり虫をかみつぶしたような顔
をしているA氏。2人の人物が私たちに与える印象は、まるでちがう。

 が、これが偏見かというと、どうもそうとも言い切れないらしい。

 渋谷昌三氏の「心理学」(西東社)によれば、「美人は子どものころからまわりの人にかわい
がられ、素直な性格に育つ」とある。

 さらに「(教授に)魅力的であると評価された学生ほど、学業の成績がよいということもわか
っている」とか。また「大統領の候補者のばあい、背が高い候補者ほど有利」「背が高い社員
のほうが、1割程度、給料が高い」というデータもあるとか。

 この「ハロー効果」を、まったく無視することもできないようだ。私のワイフも、「あのA氏が、
次期総理だってエ」と、どこかがっかりしたような言い方で、そう言っている。これはあくまでも
見た感じだが、そのA氏を見ていると、「美人は子どものころからまわりの人にかわいがられ、
素直な性格に育つ」の、ちょうど反対のことが起きているのではないかとさえ、思われる。

 マスクは、お世辞にも、よいとは言えない。背も低い。つまりそれが積み重なって、あの独特
の「にがり虫をかみつぶしたような顔」になったのではないか。もしそうだとするなら、性格も、
かなりゆがんでいる? 実際、A氏の発言は、どこかおかしい。

 Y神社問題についても、「天皇が行けばよい」とか、あるいは、憲法改正についても、「天皇
を元首に」とか述べている。イラクのアメリカ軍を揶揄(やゆ)して、「ドンパチ」と表現したこと
もある。最近でも、公の場で、「ロシア」と「ソ連」を言いまちがえている。右寄りというよりは、
極右的。

 だいじょうぶか、日本?、と書いたところで、この話は、おしまい。日本という国が、どんどん
とおかしな方向に進んでいるような気がしてならない。自衛隊のインド洋上での燃料補給に
ついても、民主党は、「反対」「中止」で勢いづいている。

 しかし前回の参議院議員選挙で、民主党が大勝したのは、民主党の政策に賛同したからと
いうよりは、自民党への批判票が、民主党に回っただけにすぎない。一番、大きな問題は、社
保庁の年金問題、それに各閣僚の不適切発言。インド洋上での燃料補給は、争点にもなって
いなかった。

 それを、つまり大勝したことをよいことに、突然、奥の院から、O代表が顔を出してきて、言
いたい放題のことを言っている。言い忘れたが、A氏の印象もよくないが、O代表の印象も、
さらによくない。

 民主党が今、総力をあげてすべきことは、年金改革問題ではないのか。それもしないでおい
て、どうして今、燃料補給問題なのか。

 ハロー効果……おそらく、世界の人たちも、(無意識ではあるにせよ)、そういう効果を感じな
がら、この日本を見ているにちがいない。

 だいじょうぶか、日本?、と、書いたところで、この話は、ほんとうに、おしまい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 15日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生徒による暴力行為

 ふざけと、暴力行為は、明確に区別される。ふざけは、(遊び)の範囲。同じ暴力行為でも、
そこにはある種の(なごやかさ)がある。

 しかし暴力行為には、それがない。暴力をふるいながら、相手に対して容赦しない。暴力を
ふるわれるほうは、恐怖感すら覚える。

 05年度に公立の小学校で起こした児童による暴力行為は、その前年度より6・8%もふえた
という。その数、2018件。しかも教師への暴力は、3年連続で、毎年30%以上もふえている
という(文科省)。

 ここでいう「2018件」という数字には、ほとんど意味がない。氷山の一角というか、たいてい
の事案は、そのまま闇から闇に葬られている。重要なことは、毎年7%前後でふえ、その中で
も、教師に対する暴力行為がふえているという事実。

 ……こういう話を書くと、「おとなが、子どもに暴力をふるわれる?」と、驚く人がいるかもしれ
ない。しかし現実は、そんな甘いものではない。

 暴力をふるう子どもは、繰りかえし、暴力をふるう。しかもここに書いたように、相手(教師)
に対して、容赦しない。本気で、たとえば足で蹴りあげてくる。小学2、3年生の児童でも、足で
蹴りあげられたら、たまらない。大のおとなでも、しばらく息が止まってしまう。

 暴力をふるう子どもは、私の経験でも、男児より女児のほうが、多い。つまりまだ幼さの残
る、
小さな女児が、大の教師を相手に暴力を繰りかえす。

 そういうとき教師というのは、(当然だが)、手で自分の頭や体をおおうのが、精一杯。強く叱
ればよいという意見もあるが、実際には、クラスの雰囲気もあり、それもできない。教師として
は、その場を茶化し、何ごともなかったかのようにしてすませようとする。が、そのことがさら
に、
このタイプの子どもを激怒させる。

 私も何例か経験している。その瞬間、子どもの顔が能面のように無表情になり、目つきが鋭
くなる。顔は鉛色に青ざめ、怒りというより、憎しみをそのままぶつけてくる。私が経験した子
どもの中で、最年少の子どもは、小学2年の女児だった。

 で、こういうケースのばあい、親に報告しても、あまり意味はない。ことの深刻さを理解でき
ないまま、子どもを一方的に叱ったりする。そのため、かえって暴力行為をエスカレートさせ
てしまう。

 直接的な原因のほとんどは、過負担、親の過干渉、過関心。それが慢性的に積み重なっ
て、
子どもの心をゆがめる。それ以上のことについては、「キレる子ども」に準じて考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの暴力 子供の暴力 暴力行為)


●論理的な思考

 文科省は指導要領の全面的な改定をめざし、その中で、とくに「言葉の力」を重視しようとし
ている(朝日新聞)。

 子どもたちの国語力の低下は、著しい。

 たとえば「3・30」という数字がある。これは私が考えた数字だが、「小学3年生で、算数の文
章題が理解できない子どもは、30%」という意味である。

 「お皿が3枚あります。10個のりんごを、同じ数ずつのせます。1つのお皿には何個のりんご
がのりますか。またあまったりんごは、何個ですか」と。

 割り算ができるとかできないとかいうレベルの問題ではない。文章の内容そのものを、読み
取ることができない。適当に数字だけ適当に拾って、それで足し算をしてみたり、引き算をし
てみたりする。

 さらに、社会科や理科という科目にしても、小学校の段階では、「社会科的な国語」「理科的
な国語」と考えた方がよい。つまり「言葉の力」は、すべての科目に大きな影響を与える。

 が、それだけではない。言葉の力は、そのまま文章表現力と直結している。わかりやすくい
えば、(ものを書く力)イコール、(論理的な思考力)と考えてよい。ものを書くことによって、子
どもは、(おとなもそうだが)、分析力にあわせて、論理的な思考力を養うことができる。

 言葉の力は、すべての学習の基本、というわけである。

 その言葉の力は、実は、乳幼児期に、母親が養うものである。その原稿を、ここに転載して
おく。

+++++++++++++

【子どもの国語力が決まるとき】

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャ
ン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。

たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」
と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバ
ン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわか
らなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」
だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだった
の?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみた
が、
どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外
国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子
「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。


 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。

毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方を
していて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たと
えめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ま
す」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだい
じょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。

また年中児ともなると、それこそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れ
る。
しかしたいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。なお文字を
覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を自分の
耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」として
認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。

そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的に
は「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(54歳)はこう言っ
た。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう
意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかっ
た。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 国語
力 子供の言葉の力 言葉の力 言語能力)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●全国学力調査

+++++++++++++++

07年度から、全国の小学6年生と
中学3年生、全員を対象に、学力
調査が行われている。

1964年まで、毎年中学2年生、3
年生を対象に行われていたが、
1966年を最後に、打ち切られた。

しかし現実には、ほとんどの都道府県
では、独自の学力調査をしているので、
2007年から始まった学力調査は、
いわばその全国版ということになる。

学力調査は毎年4月になされ、結果は、
「不開示情報」とされている。つまり不公表。

その調査結果が、9月、都道府県単位
に公表されているという。

もちろん私の知るところではないが、
学校によっては、平均点を公表して
いるところもある。

ただし学力テストそのものは、中学
3年生であれば、2年生までの範囲。
小学6年生であれば、5年生までの
範囲ということになっている。

ふつうの子どもが、ふつうに勉強
していれば、簡単にできる内容と
考えてよい。

+++++++++++++++

 欧米では、(教育)→(評価)は、いつもペアになっている。それが、カリキュラムの柱になっ
ている。たいていの学校、大学では、月曜日から金曜日の午前中までは教育、金曜日の午後
に試験(テスト)を実施している。もちろんこのほか、学期単位、年末単位の、大きな試験(テ
スト)がある。

 こうした試験(テスト)は、生徒(学生)に緊張感をもたせるためという意味もあるが、一方で、
教師がそれなりの成果を出しているかどうかを知る手段としても、利用されている。わかりや
すく言えば、教師の成績表としても、利用されている。

 だから生徒(学生)にしても、試験(テスト)というのは、当たり前のことと考えている。それに
ついてとやかく言う生徒(学生)はいない。親たちもその結果を見ながら、自分の子どもの学
力を知る。

 が、この日本では、学力調査に対する風当たりは、強かった。学校間、地域間の競争を過熱
させるという批判が、相次いだ。1960年代当時のことだが、教師たちがピケを張って、学力
調査の実施を阻止したという学校もある。今でも、一部の教師の間ではそうした批判は根強
い。が、その声は昔ほど、強くない。なし崩し的に消滅しつつあるとさえ言える。

 私立学校の登場である。地域間の競争など、どこ吹く風。学校どうしが、し烈なまでの競争
を繰りかえしている。

 どこの私立中・高校でも、「進学実績」として、生徒の卒業後の進学先を公表している。A大
学……10名、B大学……15名、C大学……18名、と。

 こうした風潮が常識化した現在、何が学力調査かということになる。学校が進んで、競争を
過熱させている。子どもたちを包む、社会的環境そのものが、変わってしまった。

 しかも学力調査といっても、先に書いたように、ごく基礎的な内容である。半数以上の子ども
が、90〜100点を取る。これだけ簡単な試験(テスト)になってくると、試験(テスト)は、試験
(テスト)としての意味はない。つまり、実施しても、無駄。

 もっと言えば、やらないよりは、まし、という程度。親も、教師も、そして子どもたちも、そう考
えている。

 が、これから先のことはわからない。最初は、無駄のように見せかけておきながら、少しず
つ、
軌道修正を加えていく。結果として、何かの目的のために使う。これは官僚の家芸のひとつで
ある。今は、その(ならし運転中)?

 今、多くの親や教師は、「何だ、全国学力調査といっても、こんな程度のことだったのか」と
思っている。私もそう思っている。しかしだからといって、油断してはいけない。

08年度も実施されるということだから、ここは慎重にその動きを見ていこう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 学力
調査 学力調査一考)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●血統空想

++++++++++++++

あのジークムント・フロイトは、
「血統空想」という言葉を考えた。

血統空想というのは、もとはと言えば、
「自分だけは特別でありたい」という、
潜在意識下の中の願望が具現化したもの
と考えてよい。

「私の父親は、今の父親ではない。
私の父親は、もっとすばらしい人で
あったにちがいない」と。

さらに……。

「私の祖先は、すばらしい人だった」
「それゆえに、その血の流れをひく
私は、特別である」と。

自己中心性の1バリーエションと
考えると、わかりやすい。

年齢的には、思春期以前、たとえば
6、7歳頃から、11、12歳前後
の子どもによく見られる現象である。
この時期、多くの子どもは、自分と
父親との関係を疑う。

こうした血統空想は、年齢とともに、
つまり社会性が育つとともに、消滅する。

他人との共鳴性、協調性が充実してくると、
自分も、多数の人たちの1人に過ぎない
ということを知る。

「自分だけは特別」と思うのは、その
人の勝手かもしれないが、その返す刀で、
「自分以外の人は、みな、劣っている」
と考えるのは、まちがっている。

年齢とともに、そのまちがいに気づく。

が、中には、こうした幼児性を持続した
ままおとなになる人がいる。40歳になって
も、50歳になっても、「私の祖先は、旧○○
藩の家老だった」とか、何とか言う。

自己中心性が残っているという点で、
精神的に未熟なおとなと考えてよい。

++++++++++++++++++

●「私は○○藩家老の子孫だ」

 私の知人に、家系を調べて、全国を歩き回っている人がいる。その人の先祖は、江戸時代、
旧○○藩の家老を代々、勤めていたという。またその一族は、○○藩おかかえの医家として
栄えたという。今風に言えば、その一族が、その地域の病院という病院の「長」を独占してい
たということになる。

 たいへんな権勢を誇っていたらしい。その知人にしても、その家系のはしくれのはしくれであ
るにもかかわらず、墓は、ある寺の門横にある。つまり別格。今でも、その苗字を名乗っただ
けで、その地域では、一目置かれる存在という。

 しかしその知人のすばらしいところは、そういうことをしながらも、はっきりとそれを「自己満足
のため」と自覚している点である。私にもそう言った。「だれのためでもないよ。道楽だよ、道
楽」と。そんなことは、簡単な計算をしてみればわかる。

 徳川、300年という時代の中で、30年ごとに、結婚、出産を繰りかえし、仮にぞれぞれの夫
婦が平均3人ずつの子どもをもうけたとすると、300年後には……。

●1400万人の子孫

 1代目で、3人の子ども。
2代目で、3の2乗の9人の子ども。
3代目で、3の3乗の27人の子ども。
4代目で、3の4乗の81人の子ども。
……
10代目で、3の10乗、つまりその数は、5万9049人の子どもとなる。
それに明治以後の140年(約5代)を加えると、

15代目には、1434万8907人の子どもとなる。つまりその県(藩)全体の人口を超えてしま
う。

 縦系列に、自分だけの先祖だけを、上へ上へとたどっていけば、それほど膨大な数にはな
らないかもしれない。しかしそれを知ったところで、それがどうだというのか? しかも家系とい
うのは、都合のよい人だけを選んで、さかのぼっていくのがふつう。

●都合で選ばれる先祖

 たとえば3代前の母親が、百姓出身であっても、ほとんどの人は、「私の先祖は、○○村の
百姓でした」とは言わない。つまり当然、そこには、封建時代独特の、権威主義が介在してく
る。封建時代に地位の高かった人、つまり「偉かった人」ほど、その対象になりやすい。またそ
こへそこへと、自分を結びつけていく。

 ○○藩の家老ともなれば、文句なし、である。そういうことは代々、親から子へと伝えられ
る。
「お前の先祖は、あの○○藩の家老だった」と。それを告げられた子どもは、そういう先祖に、
興味をもつ。調べるようになる。

 それが悪いというのではない。調べたい人は調べればよい。しかし私のように、「林」という
苗字からもわかるように、そういう世界とは無縁だった人間は、どうするのか。一度、私の祖父
が、祖父の生まれ故郷へ連れていってくれたことがある。

 小さな、窓もないような粗末な家だった。屋根は覚えていないが、土がむき出しの、土壁の
家だった。大きさは、3間x4〜5間ほどだった。私にはそれが家には見えなかった。家という
よりは、小屋? そんな感じだった。しかもその家が、長い間、無人のまま放置されていて、半
分傾いていた。

 祖父はその家のそばに、しばらく黙ったまま立っていた。

 で、そのあとしばらくして、今度は、ひとりでその家に行ってみた。家はまだそこにあった。最
初に見たとき受けた印象は、そのままだった。私の祖先は、まちがいなく、百姓であった。しか
も小作人。「林」という苗字は、明治以後になって、つけられたものらしい。

●私の祖先は武士?

 一方、母方の先祖は、武士だったという。武士といっても、落人(おちうど)。もともとは岐阜
城を守っていた斉藤道三の家来だったという。姓は、「長屋」。大永5年(1525年)、織田信長
に追われて、岐阜の山中に逃げ入った。

 そこで私は、子どものころ、父方ではなく、母方の先祖を自慢していた。「ぼくの先祖は、武
士だった」と。が、それこそまさに血統空想。「ぼくは父方の人間ではない。父方の血は流れて
いない。ぼくの先祖は、高貴な武士であった」「つまり父は、ぼくの本当の父ではない」と。

 しかしやがてそれも限界にきた。私の姓は「林」。母方の「長屋」という姓ではない。それを知
ったとき、私の頭の中から、先祖意識が急速に消え始めた。だからあるときから、私は居直る
ようになった。先祖意識の強い人に出会うたびに、「ぼくの先祖は、江戸時代、ずっと、どん百
姓だった」と。

 たいてい私がそう言うと、相手の人は、だまってしまう。

 というわけで、先祖を自慢する人には、今でも違和感を覚える。そういう人に出会うたびに、
「だから、それがどうしたの?」と言いたくなる。いや、中には、その返す刀で、自分の血統以
外の人たちを、「下」に見る人さえいる。しかしこれは先にも書いたように、まちがっている。幼
児性の表れ、そのものとみてよい。あるいは自己中心性の表れそのものとみる。はっきり言え
ば、人格の完成度がそれだけ遅れている。

●民族意識

 こうした血統空想の延長線上にあるのが、いわゆる民族意識である。「我が民族」というとき
の民族意識である。

 しかしその民族意識も、ここでいう血統空想と同じように考えていくと、それ自体、精神的未
熟性の表れということになる。はっきり言えば、民族意識など、相対的価値観の中で作られた
幻想でしかない。

 よい例が、高校野球。私たちは高校野球では、同郷の県出身の高校を応援する。しかしそ
の野球も、国際試合ともなると、日本代表のチームを応援する。さらに、もし宇宙人と野球…
…ということにでもなれば、私たちは地球人代表のチームを応援するにちがいない。

 この日本でも、少し前まで、薩摩だの長州だのと言っていた。つまり民族意識などというもの
は、世界が広がれば相対的な立場で変化する。

 が、だからといって、先祖意識にしても民族意識にしても、まったく否定することができない
のは、その(世界)では、それなりに居心地がよいからにほかならない。

 言葉、習慣、風俗、ものの考え方など。身体的な顔つきにしても、見慣れたもののほうが、
親近感を覚える。そういう点では、家族、一族、民族には、それなりの意味をもつ。しかしつき
つめて考えれば、それらも結局は、自己満足のためということになる。

 自分の家系がすばらしいと思えば、思えばよい。
 自分の民族がすばらしいと思えば、思えばよい。
 自分の国がすばらしいと思えば、思えばよい。

 それはその人の勝手。……という問題でしかない。わかりやすく言えば、どうでもよい。そう
そう、こんなことを話してくれた男性(当時、60歳くらい)がいた。

 「私は実は、父親の子ではないようです。私は祖父と母の間に生まれた子どもなんですね。
若いころそれを知って、母をうらんだこともあります。しかし今は、もうどうでもよいことだと思っ
ています。だれの子であるにせよ、私は私ですから」と。

 さらにアメリカへ行ってみればよい。私の息子の嫁にしても、父と母はアメリカ人だが、祖
父、
祖母の代になると、めちゃめちゃ。フランス人に、ドイツ人、イギリス人に、ウクライナ人……と
いうように、いろいろな血が混ざっている。アメリカでは民族を問題にしただけで、人種差別と
とらえられる。

 ……ということで、この話は、おしまい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●9月8日

 マガジンHTML用の写真が、切れた。つまり品切れ。ここ10日以上、ほとんど写真を撮って
いない。そのため9月10日以後のマガジンには、まだ写真を載せていない。

 外を見ると、あいにくの曇天。それにどうも気分が重い。運動不足? 体もだるい。どうしよう
かと考えながら、今日もはじまった。


●平和条約?

 K国の核の動きによっては、米朝は、平和条約を結ぶかもしれないという。しかしそれこそ
日本にとっては、一大事。日米安保条約(=軍事同盟)そのものが、死文化することになる。

 アメリカは、アメリカ本土が攻撃されないかぎり、アメリカは、K国に手も足も出せなくなる。
かりにK国が日本を攻撃してきても、それは日本の問題。アメリカは関係ない、ということにな
る。しかしそれこそK国の思うつぼ。

 日本がもっとも恐れていたシナリオである。


++++++++++++++++++++

●山荘で昼寝

+++++++++++++

昨日、愛用のパソコン(デスクトップ)が、
故障してしまった。

それで今日、2度もパソコンショップに
足を運んだ。

ついでに新しいハードディスクを購入。
160GBで、6700円。プラス、外付け
用ケース。

これから先、めんどうな作業がいくつか
つづく。

しかしこの(めんどう)が楽しい。パソコン
との知恵比べ。それが楽しい。

私はビョーキか?

+++++++++++++

 だれにでもビョーキはある。私の義兄などは、ゴルフにこって、今は、クラブを自作している。
設計図を自分で引き、材質まで指示し、それを業者に製造させている。そうそうビョーキとい
えば、オーストラリアの友人がいる。

 P・Lという名前の男だが、彼は、40歳そこそこの若さで、自分の会社を、売上高、オースト
ラリア・ナンバーワンにまで育てた。政府からも表彰されている。が、そのあと、自分の会社を
売却。そのまま隠居かと思っていたら、イギリスへ出かけていって、レーシングカー(ロータ
ス・E)を、10台も買って帰った。

 今はチームを経営し、世界中をまたにかけて、レースに出場している。自分でも運転してい
る。学生時代から車が好きな友人だったが、ここまで好きだったとは、知らなかった。(頭文字
がP・Lだから、その名前を知っている人も多いはず。)

 それにくらべたら、私のビョーキなど、かわいいもの。店で、6700円のハードディスクにしよ
うか、5500円のバルクもの(=大量生産、ノーブランドの安物)にしようかと、30分近くも迷っ
た。

 結局、安全を考えて、日本のメーカーが、中国で生産しているハードディスクにした。(韓国
製は、ぜったいに買わないぞ!)

 そのあと、山荘へ行き、昼寝。今日は、イタリアのテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティの
歌ばかりを聴いた。つい先日70歳そこそこの若さで、亡くなってしまった。近くイタリアでは、
国葬級の葬儀がなされるという。

 それにふさわしい人物である。私もCDを何枚かもっている。06年のトリノ冬季五輪開会式
で歌った、「誰も寝てはならぬ」は、今でも耳の中に、さわやかに残っている。

 あとは、いつもの日曜日。介護センターにいる母を見舞おうと思ったが、突然の豪雨で、中
止。「母さん、ごめん!」。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●老後が不安?

++++++++++++++

数日前の新聞(中日新聞)に、
「70%近い人たちが、老後に不安を
覚えている」というような記事が
載っていた。

あまりにも当然と思われる内容だったので、
むしろそちらのほうに驚いた。

「不安か、不安でないか」と聞かれれば、
だれだって「不安」と答える。不安で
ない人などいない。

もし「不安でない」と答える人がいたとする
なら、よほど恵まれた人か、それとも
何も考えないノー天気な人と、思って
よい。

あるいは、バリバリと仕事をこなしている
若い人?
 
++++++++++++++

 介護施設の職員は、はっきりとは言わない。言わないが、介護度によって、介護施設では、
フロアが分けられている。たとえば要介護度4前後の人は、1階の西、要介護度4〜5の人
は、
1階の東、要介護度5の人は、2階の西、さらに重度の人は、2階の東、と。

 母は、一番重度の人たちが集まる、2階の東にいる。同じ部屋の隅には、鼻から管(くだ)を
通して、一日中眠っている人もいる。

 介護施設で見る老人たちの姿は、そのまま私たち自身の近未来図である。私たちは段階的
に老化し、そして最終的に、死を迎える。

私「君たちは、幼稚園(ヨーチエン)か? ぼくは、もうすぐ要支援(ヨーシエン)だ」
子「先生、ヨーシエンではなくて、ヨーチエンだよ」
私「フーン。でね、幼稚園が終わったら、どこへ行くの?」
子「小学校だよ」
私「ぼくは、要介護(ヨーカイゴ)学校だよ」

子「ヨーカイ(妖怪)? そこはヨーカイが住んでいるの?」
私「住んでいるよ。とてもこわい学校だよ。みんなね、自分のウンチで、粘土細工をして遊ん
でいるよ」と。

 私が教室でよく使うギャグである。

 が、後ろ向きに考えてばかりいては、いけない。老後はだれにでもやってくる。が、それまで
は、老後ではない。老後などというものは、心の戸棚の、その一番奥に押し込めておけばよ
い。

 大切なのは、それまでどう生きるかということ。老後について言えば、すべきことを、どう、し
ながら、生きるかということ。したいことではない。すべきことを、だ。これを心理学の世界で
は、
「統合性」と呼ぶ。

 したいことをしているだけでは、やがて自ら、限界にぶつかる。これを「自由の限界」(サルト
ル)と呼ぶ。そこで人は、やがて自分は何をすべきかを模索し始める。そのターニングポイント
は、心理学の本によれば、「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後だという。

 この時期から人は、その基盤と方向性を模索し始める。そしてそれから後、10年とか20年
とかいう長い時間をかけて、それを熟成させる。「自己の統合性」は、青年期の「自己の同一
性」とちがい、一朝一夕にできあがるものではない。熟成期間が必要である。

 が、ここから先は、人によって、みな、ちがう。

 老後を迎えて、(すべきこと)と、(現実にしていること)を一致させる人もいれば、そうでない
人もいる。そのレベルも内容も、これまた人によって、みな、ちがう。しかしひとつのヒントとし
て、つまり老後を心豊かに生きるためのヒントとして、この統合性の問題がある。

 自己の統合性をその時期までに確立した人は、心豊かな老後を、老後と意識することなく、
過ごすことができる。そうでない人は、そうでない。

 たとえば恩師のT先生は、80歳前後で、ある国際学会の長となっている。フランスで開かれ
た大会には、世界中から2000人もの、最先端をいく学者が集まったという。つい先日は、アメ
リカの化学の本を翻訳出版している。そして80数歳という年齢にありながらも、天下国家を論
じ、日本の教育についてあちこちで意見を発表している。講演活動もしている。

 私たちが見習うべき老人というのは、T先生のような人をいう。生き様そのものが前向きとい
うよりは、自己の統合性をしっかりと確立している。で、そのことを先日会ったときに、直接先
生に話すと、先生は、「統合性ねえ?」と言った。

 T先生のような人にしてみれば、統合性など、ごく当たり前のことということになる。もう40年
近いつきあいになるが、その40年前から、先生は、自分のすべきことを、しっかりと自覚して
いた。

 私がある日、「先生、食糧危機がきたら、人類はどうなるのですか?」と聞いたときのこと。
当時は、地球温暖化の問題よりも、人口爆発による食糧危機のほうが深刻な問題となってい
た。

 が、それに答えてT先生は、こうはっきりと断言した。「そのために私たち科学者がいるので
す」と。「いざとなったら、合成タンパク質だって、できるのです」とも。

 私は20歳そこそこの学生だったが、その言葉に、感動した。視野そのものが、私の想像で

ないほど、広く、大きかった。たしかに食糧危機の問題は、遺伝子工学の驚異的な進歩によ
って、今のところ、何とかなっている。さらにT先生がめざしていた、水を水素と酸素に分解す
る触媒の研究にしても、かなりのところまできているという。

 もし水を触媒によって、つまり電力を使わないで分解できるようになったら、それこそ人類
は、
無公害のエネルギーを無尽蔵に手にすることになる。

 といっても、何度も書くが、「すべきこと」には、常に、苦労と困難がつきまとう。その苦労と困
難を乗り越えることなしに、統合性の確立は、ありえない。簡単に言えば、したいことだけをし
て、楽な生活をしている人には、統合性など夢のまた夢。その老後もまた、あわれでみじめな
ものとなる。

 そこで……実は私自身も含めてだが、「老後が不安」などと言っている人は、それだけで甘
い人間ということになる(失礼!)。本来なら、そんなことを考えるヒマなど、ないはず。楽天的
な言い方をすれば、そのときがきたら、また、そのとき考えればよい。

 ……ということで、私は、今日もがんばる。これから熱海まで行き、夕方は、伊東市の小学
校で講演をしてくる。明日も袋井市での講演会が待っている。体の調子はあまりよくないが、
電車の中で眠っていけば、だいじょうぶだろう。

 2007年9月10日、みなさん、おはようございます!


林様:

  「老いる」ということは「生きている」ことです。 「老いて初めて老いを経験 
するのです。 若いうちは分からなかったことを。 それだけ「学ぶ」ことになるの 
です。 めきめき老いながら、毎日感謝です。 有り難うございました。

  田丸謙二


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●死刑廃止

+++++++++++++

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

+++++++++++++

たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という刑罰
の重大性を認識しているかどうかというと、答はNOではないか。ふつうの状態であれば、
「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行為に走るのを、思いと
どまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bという悪いこ
とをしたら、B罪というように、あらかじめ決めておく。わかりやすく言えば、「これこれ、こう
いう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいますよ」という意味。

もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。これによって、犯罪の発生を予
防する。わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことをしたら、こう
なりますよと教える」意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうという点
で、罰とての「刑」の意味はない。罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から消えていな
くなってしまう。

そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるの
か。

わかりやすい例で考えてみよう。

ひとりの男が、窃盗をしたとする。その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗をしたの
は、右手」ということで、右手を切断したとする。そうした行為が、果たして刑罰として、許さ
れるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立つ。本人
は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。また多くの人は、右手を切り取られた人
を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。右手を切
り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、それはひ
どい」と。だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。最高裁が83年に定めた「永山基準」というの
が、
それ。それによれば、つぎのようにある。

(1)犯罪の罪質
(2)動機
(3)殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4)結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5)遺族の被害感情
(6)社会的影響
(7)犯人の年齢
(8)前科
(9)犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも、一
般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許される」
(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応されるよう
になってきている。つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。犯罪そのものが凶悪化してい
るという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意味をも
つ。
罰すべき(主体)を殺してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失ってしまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰であ
る」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうだろうか。反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だっているかもしれ
ない。たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え方が変わってき
た。「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」と、ふと思うことが多く
なった。ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになったら、それ以上に長生きをしたい
とは思わない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。死刑に値する凶悪犯であるなら
なおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。刑罰としては、そちらのほうがずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人もいるかも
しれない。しかしそれこそまさに、幼稚的発想。思考力がまだじゅうぶん発達していない子ど
もが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託したよ
うな国なら、いざ知らず、日本のような民主主義国家において、「公」としての組織体、つまり
「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。しかし民主主義国家では、死刑にす
るのは、国民1人ひとりである。つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。私や、あなた
が、だ。もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えているなら、それこそ、民
主主義の放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。ゆいいつ残ると
すれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。愛する人を奪われ、
深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。犯罪者を殺したいほど憎く思うこともある
だろう。あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるかもしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題もある。が、それこそ国が考えるべき問題で
はないだろうか。金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、そうした心情
を、
私たちみなが、力を合わせて、救済していく。それとも犯罪者を抹殺したところで、その人は、
救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの人と、紙
一重のちがいでしかない。どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思とは無関係
に、深みにはまってしまう。私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、明確な一線を
入れることすら、むずかしい。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論ということにな
る。
つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 死刑
 
死刑廃止 死刑廃止論)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●息子の転職

+++++++++++++++

アメリカにいる息子が、転職を考えている。

ラスベガスに本社のあるウォール・マート
社か、カルフォルニア州にあるグーグル
社へ、移籍するつもりだという。

アメリカでは、こうした転職は、ごく当たり前
のことらしい。より高い給料と、よりやりがい
のある仕事を求めて、若者たちは、そのつど
世界をさまよい歩く。

「コンピュータ・ソフトの会社を自分でたち
あげたい」と言っていたので、「一度、グーグル
で働いてみてからしたら」と、私はアドバイスした。

あとあとそれがキャリアになる。

そうそうつい先月、日本政府の統合的
管理ソフトを開発したのは、今、息子が
在籍している、アメリカのA社だそうだ。

新聞に、息子が在籍している会社名を
見たとき、うれしかった。

今日、息子は、グーグル社で、最終面接を
受けている。

うまくいけば、よいが……。

+++++++++++++++

 SKYPEで英会話をしている人なら、お気づきかと思うが、息子がSKYPEで使っている教
材表示ソフトは、息子が独自に開発したものである。「独自」というのは、おおげさだが、息子
はそういうことが、片手間でできる。高校生のときには、自分で、ウィルス対策ソフトをつくり、
自分のパソコンを守っていた。

 こんなことがあった。

 私の記事を、ある新聞社のHPに掲載してもらっていたことがある。しかし私の記事へのアク
セス数は、微々たるもの。1日に、多くて、10件とか、20件止まりだった。

 そこで息子に相談すると、すぐC++言語で書かれた、意味不明のプログラムを送ってきて
くれた。行数にすれば、40行足らずの簡単なものだった。

 電話で聞くと、「それをパパのパソコンにインストールすればいい。数字を入力できるように
なっているので、好きな数字を入力すればいい。1000と入力すれば、アクセス数は、1000
になる」と。

 つまり新聞社のHPへのアクセス数を、自由にコントロールできるというのだ。しかしこれに
は、驚いた。「バレないか?」と聞くと、「ぜったい、だいじょうぶ」と。が、私は、どうしてもその
プログラムを使うことができなかった。インチキはインチキ。そんなインチキをして、アクセス
数をあげても、意味はない。

 しばらくあとになって、「どうだった?」と聞いてきたので、私は「使わなかった」と答えた。息
子はいつも口癖のように、こう言う。「コンピュータの世界では、不可能なことはない」と。

 この世界は、どうもそういう世界らしい。よくわからないが……。

 そのグーグル社の社長は、ラリー・ページと、セルゲイ・ブリン。息子と同年齢というのも、気
になる。世の中には、すごい若者がいるものだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●ニューヨーク・ダウ、暴落。つづく円高……

++++++++++++++

昨日(9月6日)も、ニューヨーク株式相場は、250ドル近くも値をさげた。時事通信によれば、
「雇用情勢の悪化で米経済が、リセッション(景気後退)入りするとの懸念が強まり、大幅反
落」ということだそうだ。

一方、円高も急速に進んでいる。昨日、外為市場では、1ドル=113円台を記録している。今
現在(9月7日早朝)も、113・776円。つい先ほどまで、115円台だったので、為替相場とし

は、もう「メチャメチャ」。そんな大変動が、目下進行中ということになる。

 そう言えば、同じく昨日、金が1オンス、700ドルを超えたというニュースも伝わっている。つ
い先日まで、650ドルが「壁」と言われていたが、あっさりと、それを超えてしまった。わかりや
すく言えば、ドルから金へ、資金をシフトさせている人がふえているということ。

 中国特需とアメリカの好景気に支えられてきた日本経済。その日本経済を、大型ハリケーン
並の暴風雨が襲い始めた。9月10日以後、日本の株価はさらに暴落する。へたをすれば、そ
のまま日本のミニ・バブル経済は、崩壊するかもしれない。

 円高になれば、しばらくタイム・ラグ(=時間的なずれ)を経たのち、世界にバラまかれた円
が、日本へ逆流することになる。そうなれば今度は、猛烈な円安へと進む。ハイパーインフレ
の引き金を引いてしまうかもしれない。昔なら1年単位で起きていたことが、今では、1週間単
位で起きる。

 目まぐるしいというより、狂っている!
(07年9月7日、早朝記)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 12日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月7日)

+++++++++++++++

台風は去った。今ごろは関東北部を
北に向かっているとか。

今のところはまだよくわからないが、
大きな被害は出ていないようだ。
先ほどテレビのニュースを見たが、大波が
防波堤をたたきつけるシーンとか、
街を歩く人が傘をクシャクシャにされる
シーンとかが、報道されていた。

私が子どものころとは、台風の「質」
が変わったように感ずる。つまり
それだけ、家のつくりもがんじょうに
なった。

私が子どものころは、台風が近づいて
くると、どこの家でも、雨戸をハンマーで
打ちつける音が、カンカンと聞こえたもの。

それに台風ともなれば、家がゴーゴー
と揺れたりした。窓ガラスを突き破って、
風が中に入ってきたこともある。
屋根瓦が飛んだり、天井が落ちてきたり
したこともある。

今は、そういうことはない。

++++++++++++++

●伊勢湾台風

 ちょうど去年の今ごろ、この静岡県を、台風15号が襲っている。そのとき書いた原稿が出て

た。

+++++++++++++

●台風15号

 非常に強い台風、15号が、日本の九州地方をめがけて、目下北上中。気象庁の予報どおり
とす
るなら、17日から18日にかけて、九州地方に上陸する恐れさえ、出てきた。

 「15号」と言えば、あの「伊勢湾台風」も、15号だった。

伊勢湾台風(いせわんたいふう)……1959年9月26日に紀伊半島に上陸し、東海地方を中

に、近畿から東海の広範囲で大きな被害を及ぼした台風をいう。私が11歳のときのことであ
る。

死者・行方不明者は5098人、負傷者3万9000人にのぼり、明治以来最大の被害をもたらし
た。
ほかに、3000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風があり、これら3つ

合わせて、昭和の3大台風という。

 たまたまその台風15号は、私の郷里のM町を直撃した。台風の目に入ったとき、一時的だ
が、
青い空が見え、無風状態になったのを、今でもよく覚えている。が、その私といえば、風力計を

して、遊んでいた。まさかそんな巨大な台風だとは、思っていなかった。

 が、やがて私が住むG県も、家を根こそぎ揺らすような暴風雨圏に入り、窓が吹き飛んでしま

た。少し窓をあけておいたのがまずかった。そのときのはずみで、棚の上の人形ケースが落
ち、私
は右足におおけがを負った。そのときの傷は、今でも残っている。

 今度の台風にも、いやな予感がする。このままでは、九州地方に、大きな被害が出るかもし
れな
い。どうか、どうか、別のところへ行ってほしい。どこかとは言えないが、どうか、別のところへ
行っ
てほしい。


++++++++++++++++

 その伊勢湾台風で大きな被害を
受けたのが、愛知県のT村。木曽川
沿いにある村である。村というより
近郊都市。そのT村へ、講演に
行ってきた。

++++++++++++++++

●愛知県T村

 たった今、愛知県T村から、帰ってきたところ。そこの教育委員会から招かれて、講演をして

た。
I教育長以下、みなさんが、暖かく、私を迎えてくれた。うれしかった。

 当然のことながら、名古屋を越えると、私の知名度は、ほとんど、ない。だからいつも、観客
はガ
ラガラ。……と思って行ったが、結構、みなさん、集まってくれた。ほっとした。

 こういうとき、私は、全力を尽くすことを誓う。「どうせつまらない講演だろう……」と思って来て

る人も、多いはず。(実際、つまらないが……。)そういう気持ちがわかるから、なおいっそう、
がん
ばる。

 愛知県T村は、木曽川をはさんで、岐阜県との県境にある、細長い村である。「村」といいって
も、
地名だけで、実際には、名古屋市の近郊都市。「村」から連想する、田んぼや畑は、少なかっ
た。

 タクシーの運転手と、伊勢湾台風の話をする。運転手は、私より一歳、年上だった。「私が、
小学
5年生のときでした」と運転手。「私が、小学4年生のときでした」と私。

 講演の演題は、『親が変われば、子どもも変わる』。はじめての演題だった。親が変われば、
たし
かに子どもも変わる。しかし問題は、どうやって変えるか、だ。そしてその前に、どうすれば、
「私」
に気がつくか、だ。今日の、講演では、それについて話した。

 電車の中で、簡単な旅行記を書きたかったが、時間がなかった。雑誌を2冊買って、それを
読ん
だ。それでT村に着いてしまった。帰りも同じようなものだった。ウトウトとしそうになったところ
で、
浜松駅に着いてしまった。

 カメラ付きの携帯電話をもっていったが、写真をとることもなかった。会場に、私の名前と写
真が
のった、大きな垂れ幕があったので、それをとりたかった。が、そのチャンスも、なかった。どち
らか
というと、あわただしく講演をして、あわただしく帰ってきたという感じ。

 しかしどういうわけか、今でも、岐阜の近くに行くと、親しみを覚える。「この先が、木曽川です
ね」
と、主催者の方に言っただけで、どこか、ほっとする。その向こうは、長良川。私はその長良川
のほ
とりで、生まれ育った。

 みやげに、箱いっぱいの、レンコンをもらった。教育活動の一環として、子どもたちと掘ったも

だという。家で箱をあけてみたら、大小さまざま、7本くらいが入っていた。「食べやすそう」と、
ワイ
フが喜んでいた。どういう意味で、ワイフがそう言ったかは、よくわからないが……。

 しかしそれにしても、今日は、疲れた。ここちよい眠気が、先ほどから、私を襲っている。どう
しよ
う? もう寝ようか? しかしまだ午後7時20分。ワイフは、近所の人の通夜から帰ってきてか

は、
その人の話ばかり。

 「まだ62歳だったてエ。ガンみたいだったヨ」と。

 若くして死んだ人の話を聞くと、「つぎは、私」と、へんなことを考えてしまう。こういうときは、気

滅入りやすい。だから、この話は、ここまで。

 服を着がえて、今夜は、早く寝る。では、みなさん、おやすみなさい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(9月4日)

●古いパソコン

昨日(9月3日)、古いパソコンを修理した。どうしようもないほど、古いパソコンである。OSは、
「9
8」。電源を入れるたびに、BIOSで日付の設定をしなければならない。西暦2000年以後は、
使え
ないという設定になっているらしい。

が、私には愛機。シャープのPN・15Z、メビウス・スタイル。買った当時は、それでテレビが見
られ
るという、つまりテレパソの第一号機。当時の値段で、24万円もした。

ワイフは何度も「処分したら?」と言うが、私にはできない。テカテカになったキーボードを見る
と、
そのときの喜びが、ジンと胸にこみあげてくる。私はまず、再セットアップ(メーカーによっては、

カバリーともいう)を試みた。

が、何度BIOS画面にしようとしても、反応がない。「やはりだめか」と思って、パソコンの背部
を見
ると、キーボードコードがはずれていた。よくある失敗である。ハハハと笑いながら、再セットア
ップ
はしないことにした。ワープロ機として動けば、それでじゅうぶん。

昨日はそんなわけで、そのパソコンの前で、1時間ほど、原稿を書いてみた。反応は鈍い。遅
い。
ときどき文字がジャンプする。いろいろ問題はあるが、私には、かわいいパソコンである。


●チャドクガ(茶毒蛾)

このあたりでは、「おこぜ」ともいう。数日前、庭木の中に入ったとき、そのチャドクガの幼虫の
毛に
触れたらしい。そのときは何ともなかったが、1時間もしないうちに、赤く腫れあがり、ヒリヒリと
痛み
だした。つづいて、ギリギリっと、ときおりはげしい痛みが始まった。

チャドクガが年に2回、孵化するという。春と、今ごろの季節。春に消毒をしなかったのが、悪
かっ
た。それで秋になって、大発生。

そこで調べてみると、この痛み+かゆみは、2〜3週間もつづくとか。いやな虫だ。息子たちが
小さ
いころは、ちゃんと消毒していたが、最近は、それもしなくなった。今度、庭中の木を消毒する
つも
り。待ってろよ、チャドクガどもよ!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●都会人vs田舎人

++++++++++++++

都会人は、都会人のほうが田舎人より
すぐれていると思う。

一方、田舎人には、都会コンプレックス
というものがあって、「東京からきた」と
いうだけで、何でもかんでもありがたがる。

が、それでいて、都会人を尊敬している
というわけでもない。内心では、バカに
している。

つまり都会人にも、田舎人にも、優劣は
ない。もっとわかりやすい例で、考えて
みよう。

よく知られた論争に、西欧主義と人間主義の
対立がある。

西欧文明を発達させた西欧人と、その発達
から取り残された原住民との対立と考える
とわかりやすい。

サルトルとレヴイ・ストロースの論争が
よく知られている。

++++++++++++++

●ヘラクレスカブトムシ

 少し前、テレビで、南米に住むというカブトムシをつかまえるという番組を放映していた。何で

チリには、体長が15センチを超えるカブトムシがいるという。ヘラクレスカブトムシという名前の

ブトムシである。アンデス山脈の、標高1500メートル前後の樹林帯に住んでいるという。

 その捕獲作戦に、日本のある大学の教授が、参加した。昆虫博士としてよく知られた博士で

る。
おそらくテレビ局から出演依頼があったのだろう。いくらなんでも、ヘラクレスカブトムシだけを
つか
まえるために、南米のチリまで出かけていくような教授はいない。

 が、ヘラクレスカブトムシは、なかなか見つからなかった。が、ここで教授は、致命的なミスを

していた。カブトムシというと、ふつうは夜行性。しかしヘラクレスカブトムシは、夜行性ではなか

た。だから夜中に電灯をつけて捕獲するという作戦は、もののみごとに失敗した。

 そこで現地に住む住人に、ヘラクレスカブトムシの捕獲に協力してもらうことにした。テレビで

た感じでは、30歳前後の若い男性だった。その男性のあとについて、一行は、樹林帯の中に
入っ
ていった。

 しばらく行くと、その男性は、すぐにヘラクレスカブトムシを見つけた。が、教授たちには、どこ

いるかさえわからなかった。「あそこだ」「どこだ」「あそこだ」というような会話が、数回つづい
た。そ
のあと、一行はヘラクレスカブトムシを見つけた。撮影に成功した。ヘラクレスカブトムシは、夜

性ではなかった。昼間に、堂々と、食事を楽しんでいた。

 私は当然、視聴者の1人だから、日本という国から、日本人として、つまりその教授の目を通

て、
その番組を見ていた。が、そのとき、ふと、私はその視点を、現地に住む住人の中に置いてみ
た。
その住人から見たら、日本からやってきた一行は、どのように見えるか、と。

●田舎人の怒り 

 同じような経験は、山の中に住んでいるときにも、ときどきする。私は週末はいつも、山の中
で過
ごすようにしている。浜松市の中心部での生活と山の中での生活の、二重生活をするようにな

て、もう13年+6年になる。(「6年」というのは、山荘を実現するために要した年月。)

 わかりやすく言えば、私は、都会人としての「目」と、田舎人としての「目」の両方をもってい
る。だ
からときどき、同じ事象を、都会人としての目から見るときもあれば、反対に、田舎人としての
目か
ら見るときもある。が、そのつど、見える世界が、まるでちがう。おもしろいほど、ちがう。

 たとえばこんなことがあった。この話は、長野県でりんご栽培をしている、学生時代の友人か

聞いた話である。彼はこう言った。

 「林君、何が頭にくるかってね、都会の連中がハイヒールで田舎へやってきて、家庭菜園をす

ことくらい、頭にくることはないよ」と。

 最初、私は彼の怒りが理解できなかった。私も家庭菜園をしている。ときに、革靴をはいたま
ま、
畑をたがやすことがある。そこで私は聞いた。「どうして?」と。

友「あいつら、ぼくらの仕事をバカにしている」
私「バカにしているって?」
友「オレたちは、命がけで、りんご園を経営している。そういうところへ、日曜日ごとに車でやっ
てき
て、畑仕事のまねごとをしている」

私「いいじゃないか。そういうのを楽しむ人がいても……」
友「だったら、田舎では、大きな顔をするなって、言うの」
私「大きな顔って?」
友「平気でズカズカとオレたちの世界に入ってくる。ピカピカの車でね。オレにはそれが、許せ

い」と。

 しかしそれからほぼ10年。最近になって、やっとその友人の怒りが理解できるようになった。

●西欧主義vs人間主義

 さらに大きな視点では、西欧主義と人間主義の対立がある。よく知られた論争に、サルトル
と、レ
ヴィ・ストロースの論争がある。

 レヴィ・ストロースが、サルトルに論争をいどんだ。サルトルらが説く西欧主義がもつ優越感
に、
がまんできなくなったのだろう。「何も西欧主義が、たとえば未開の民族たちの生き方よりも、
すぐ
れているということにはならない」と。

 わかりやすく言えば、西欧主義というのは、西欧文明という世界で生まれた主義に過ぎない。

かしたとえば狩猟民族にしても、西欧文明とは異なる文明をもち、狩猟に関する知識や経験を

富にもっている。独特の「言葉」すらもっている。海洋民族にしても、そうだ。

 「西欧主義は、西欧で生まれた言葉にすぎない」「だから、人間には優劣はない」と。

 その「人間には優劣はない」というものの考え方を総称して、「人間主義」という。

 これに対してサルトルは、「自由なる意思決定をする西欧人と、そうでない民族とは、けっして

等でない」と説いて、反論した。わかりやすく言えば、「狩猟民族にしても、海洋民族にしても、
彼ら
はその世界で生かされているだけで、自由なる意思決定をしていない」と。

 そこで冒頭に書いた、ヘラクレスカブトムシの話に、もどってみよう。

 日本からやってきた一行は、ここでいう「西欧主義者」ということになる。すぐれた科学技術を

ち、
マネーももっている。知識も豊富である。自分たちの自由意思でもって、ヘラクレスカブトムシを

かまえるために、わざわざ南米のチリまでやってきた。

 一方、ヘラクレスカブトムシの捕獲に協力した現地の男性は、少なくとも日本からやってきた

行の目から見れば、原住民の1人に過ぎない。もっと言えば、ヘラクレスカブトムシと同列の、1

の人間にすぎない。自由意思によって行動しているというよりは、マネーで雇われたガイドにす

ない。

 が、そのガイドにしてみれば、ヘラクレスカブトムシなど、私たちが街の中でパチンコ屋を見
つけ
るくらい簡単なことにちがいない。だからもし私がその男性なら、ヘラクレスカブトムシを見つけ
て、
「いた!」「いた!」と喜んでいる連中を見たら、こう思うにちがいない。「こいつら、バカじゃな
い!」
と。

●どちらがすぐれているか?

 どちらがどうというのではない。ただ私は、西欧主義と人間主義の対立だけに焦点を当てて
言う
なら、どちらかに優劣をつけるのは、まちがっていると思う。

 この日本だって、西欧主義文明の中にありながら、アホな人はいくらでもいる。知識や経験は

富でも、頭の中はカラッポという人は少なくない。自分で考えて行動している人となると、いった
い、
どれほどいるというのか。

 見かけの派手さだけに、だまされてはいけない。

 一方、私が知る田舎の人たちの中には、都会人にはない、誠実さをもった人が多い。(もちろ

インチキ臭い人もいるが……。)とくに哲学という哲学はもっていないかもしれないが、心の温
かい
人も多い。もっと言えば、西欧主義にかぶれたからといって、幸福になれるというわけではな
い。
西欧主義を知らないからといって、不幸になるということでもない。

 えてして西欧主義は、物質文明に直結しやすい。その物質(車や家電など)が多いからといっ
て、
幸福とはかぎらない。「人間」という視点で考えるなら、私たちはもっと別の尺度で、私たち自身

判断する必要がある。

 ただここで誤解してほしくないことは、だからといって、私は、西欧主義を否定しているのでは

いということ。私自身は、学生時代から、サルトルを信奉し、自称、実存主義者を唱えてきた。
今に
いたるまで、その道を、一度たりとも、踏み外したことはない。

 一方、人間主義を、全面的に支持しているわけでもない。もし優劣を決める尺度があるとす
るな
ら、(思考力)ということになる。思考する人は、その分だけ、優れている。そうでない人は、そう

ない。それには、都会人も、田舎人もない。西欧主義者も、人間主義者もない。

●都会人のもつ傲慢さ

 が、このところ、私自身も含めてだが、都会人のもつ、あの鼻持ちならぬ傲慢さに、がまんで
きな
いことが多い。

 少し前、片山さつき氏という国会議員について書いた。片山さつき氏は、少し前、地元の自治

が主催する花火大会にやってきた。派手なパフォーマンスだけをして、再び、東京という中央に

っていった。本部席から、「片山さつきで〜す」と、マイクを使ってあいさつもした。

 片山さつき氏は、その東京で、「田舎者は、私が土下座すれば、イチコロよ」(雑誌「諸君」)と

言していたという。おそらく片山さつき氏から見る、私たちのこの地方は、取るに足りない、小さ

世界に見えるのだろう。もちろんそこに住む住人など、野原に住む、アリか虫のようなもの。

 そういった意識を逆に感ずれば感ずるほど、(これは私の被害妄想かもしれないが……)、

は、
どうしてもあの片山さつき氏が許せなくなる。どこでどう地元のために働いているか、私は知ら
ない。
知らないが、少なくともこの2年、片山さつき氏が、庶民レベルの世界で何かをしたという話を
耳に
したことがない。

 片山さつき氏が西欧主義者だとは思わないが、しかしあの片山さつき氏なる国会議員を見て

ると、なぜレヴィ・ストロースがサルトルにかみついたか、その理由がわかるような気がする。レ

ィ・ストロースも、どこかで、西欧主義者というよりも、都会人、都会人というよりも自称知識人た

のもつ傲慢さに、がまんできないものを感じたのかもしれない。

 ちょうどハイヒールをはいて家庭菜園にやってきた都会人に、怒りを感じた私の友人のよう
に、
である。

 むずかしい話になってしまったが、ここで重要なことは、「自由なる意思決定をすることは、人

として、必要不可欠な条件」であるとしても、それをできない人を、「下」に見てはいけないという

と。

 「自由なる意思決定をするということは、同時に、それをしない人たちをも啓蒙していくという

味も含まれる」ということ。その啓蒙活動そのものが、「自由なる意思決定」ということになる。
わか
りやすく言えば、自由なる意思決定というのは、外に向かってしてはじめて、その意味をもつと
いう
こと。もっと言えば、「私も考える」「だからみなさんも、考えよう」と、外の世界に向かって働きか

てはじめて、それを「自由」という。

 それには都会人も、田舎人もない。西欧主義者も、人間主義者もない。

 最後に一言。

 日本は奈良時代の昔から、中央集権国家。「中央意識」が、ほかの国々の人たちより、強
い。強
いというより、異常。だから都会人、とくに東京人のもつ、優越意識には、特別なものがある。
そし
て一方、地方に住む私たちには、都会コンプレックスというものがある。何でもかんでも、「東京

ら来た」というだけで、ありがたがる。

 この問題を考えるときは、そういう「意識」のちがいも、心のどこかに置いて考えなければなら

い。サルトルらがいたフランスと、この日本とでは、文化的背景がちがう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 構造
主義
と人間主義 西欧主義 都会人 田舎人 サルトル レビ・ストロース)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●輪廻(りんね)

++++++++++++++

生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。

生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。

が、ここで私は、ふと、思いとどまる。

生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。

しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。

戦前の日本のような国も、いや。

さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。

「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。

人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。

そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。

カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。

そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。たぶんその奴隷は、こう言うだろう。

「人生なんて、一度で、こりごり」と。

そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。

(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)

私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。

そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。

+++++++++++++++

 インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければならない。私

ちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。そういう部分は、

い。

 これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが今とは
ちが
っていたのではないか。たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、100年単位、200
年単
位で、時代が動いていた。

 あるときあなたはひとつの村を訪ねる。そこで何人かの村人に会う。が、それから30年後。

び、
あなたはその村を訪ねる。あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。生活もしきたりも、30年前
とま
ったく同じ。

 生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同じ。30年前

会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。

 私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。つまりあなたか
ら見
れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。そのくるくると回っている

いう部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。

 それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。一部、重複するが許してほしい。

+++++++++++++++++

【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

+++++++++++++++++++++

過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

+++++++++++++++++++++

 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の社会科の

強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未来へと、ちょうど、

絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想像する人も

るかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なっていく。あるいは上書き
され
ていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、未来は
その
まま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業を、何千回も繰り
かえ
す。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となっていく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えている。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し出された映
像に
すぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と思うだけの
話。本
当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこまでいっても、研(と)ぎすま
され
た、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、インドでは、そ
れが
クルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、やがて過去とつながり、
その
過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪の輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。現代
に視
点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)というものが、

とんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、100年一律のごとく、時

過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ人と同じ
よう
な生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動きもない。話す言葉
も、習
慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたかもグルグ
ルと
回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくしてその家に行ってみ
ると、
死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫たちが、以前と同じような生活を

ている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、みなが、

活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリはいる。しかしそのア
リた
ちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえしている。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」という概念が生
まれ
た。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが輪廻思想へと、発展し
た。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会では、
古代
のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころか、数年単位で、
すべ
てが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流れが、グル

ルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化していく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、冒頭に書い

ように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった年表である。しかしこ
こで
重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現在をとらえ、そして未来を考えてい
くと
いうのは、ひょっとしたら、それは正しくないということ。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえかたを、見
誤っ
てしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想となった。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自身は、
一言
も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法句)』(釈迦生誕地
の残
る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦自身は、そ

についても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4〜500年を経てか
ら、
「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりたち)によって、書かれ
た経
典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底知れぬ
謎が
隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発見することが

きるかもしれない。

 そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えているか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。

+++++++++++++++++

 再び輪廻について。

 たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、どれほ

の意味があるというのか。そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見ればわかる。(だ

らといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのではない。誤解のないよ

に!)

 毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事をして、あと

一日中、テレビの前に座っているだけ。

 これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たようなも
の。今
日は、昨日と同じ。今年は、去年と同じ、と。

 これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうすれば、この

廻を断ち切ることができるかということ。

 まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。(ヨーガというと、あのO真理教を

想し、どうもイメージがよくない。)しかしだれも、このままでよいとは思っていない。

 そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求め、思考
し、
自ら意思を決定していくことこそ重要」と。つまりこの輪廻を断ち切るためには、「私は私」と、そ

「輪」の中から飛び出すことではないか。

……と書いたところで、「ウ〜ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイフに話すと、
ワイフも、そう言った。

私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2〜3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。


+++++++++++++++++

【未来と過去】

++++++++++++++

前向きに生きるということは、
未来に展望性をもって生きること。

今すべきことは、今する。自分から
取り組んでいく。

生き方が後ろ向きになったとたん、
その人の人生は、萎縮し始める。

++++++++++++++

●回顧と展望

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるという。ある
心理
学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかしこれには、当然、個人
差が
ある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反対に、40
歳の
人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんどちらがよいとか、悪いと

いうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、過去をなつかしむ心が半々くらい

なり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大きくなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど毎日、幼児

小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっても、過去は、な
い。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。今度は、

の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10年後、あるいは20年
後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」という程度のことでしかな
い。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※をいくら読
んで
も、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、天国の話はしたが、前

論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏教典のほ
とん
どは、釈迦滅後四、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミックスされてできた経
典で
ある。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あればもうけも
の」
とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわからないが、私には見たこ
とも
ない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私のようなもの
を、
神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はやし浩司など、相手にしな
い。
どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。大きな正義を貫く勇気も、度胸もな
い。
小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があるとしても、私などは、入り口にも近づけないだろ
う。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。それしかな
い。そ
れに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。体力や気力が弱く
なる
ことが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつかしむ

うになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華や肩書き、名誉に
ぶら
さがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、いくらでもいるが、同時に、そういう

人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々に前進

ることこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。わかりやすく言えば、仏の境地など、
ない
ということになる。そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは許されないことだが、私もそう思
う。
人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未

でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

【前向きの人生、うしろ向きの人生】

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。偉そ
うな
ことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。しかしできる

ら、
最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70歳)が

た。
その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた人だった。
くず
鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を五人ほど雇うほど
まで
になった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸前にまで
追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってから2年後に他

している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をして

た。
が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私と同年代の娘(二
女)
がいたが、その娘はこう言った。「母は、異常なまでにケチになりました」と。

たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出し
たという。「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか30

0円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへと、大

小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波がなければな

で、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわいのは、方向がわからな
くな
ること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はな
い。
死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む
新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がいる。しか

そういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがうまくなっても、いくらパチ
ンコ
がうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記しても、それがどうだというのか。そ
うい
う人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある会で講演を

せてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だった。乳幼児の医療費
の無
料化運動を推し進めている女性だった。

私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚いた。「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞

と、その女性はこう笑いながら、こう言った。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保
育園の元保母だったという。そういうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しかしそうい
う航
海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。そして
その
ドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大波小波は、できれば少ないほ
うが
よい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ以上に大切なのは、その波を越えて生
きる
前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き

なる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あくまで
も信
仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、人がいなければ、
神な
ど生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって説明す
るの
だろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっとした
ら、
数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そのあと、また別の
生物
が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化して、昆虫人間になるという
こと
も考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、その昆虫人間の神は、今、どこにいる

かということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅をもた
らし
たという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜には神はいなかった

かということになる。数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年

ど、マバタキのようなものだ。

お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しかし数10万円では、パソコ

1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モーゼがシナイ山で十戒を授かった

される時代にしても、たかだか5000年〜6000年ほど前のこと。たったの6000年である。そ

以前の数10万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定しているので
はな
い。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、はるかに多い。だ
から
ひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかもしれない。そしてその論理に
従っ
て、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の

問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからといっ
て、神
や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡を起こすような

ーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待してするものではない。

ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマパダ」)、つ
まり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。キリスト教のことはよくわからないが、キ

スト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどう

を決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるからこそ、そこ

人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、毎
晩、仏
壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。同じようなことは子ども

ちの世界でも、よく経験する。

たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。そう
いうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎
晩、
私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。もしそういう人がいれ
ば、
多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格で、その時点からさらに前
向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。
「君
には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。そう言った

は、
町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。

が、何も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性の生き
ザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。言っては

らない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、ハシゴをはずすよう
なもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあげねばならない。何らか

おり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人として、してはいけないことと言って
もよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。どう
すれ
ば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うしろ向きに生きなく
てす
むかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生
はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私はそういう人生を
送る
ことになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。保証もない。毎日、毎晩、仏

の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようになるかもしれない。私とその女性
は、
本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、
土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。歯をくいしばり
ながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという間に闇の世界
に、
吹き飛ばされてしまう。

しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。もっと言

ば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。……つまり、そ

いう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく

になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察する。

日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目的を

っているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考えている
のだ
ろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、深さまでわかるように
なっ
た。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと

えている人も多い。

中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。クシャクシャになったレースの出番表
を大切そうに読んでいるような老人もいる。人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、
大半の人はかえって愚かになる。愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうと
して、かえって進歩の芽をつんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつの間か
自分
も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実に甘美な世界だ。

かになるということは、もろもろの問題から解放されるということになる。何も考えなければ、そ

だけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、日々
に自
分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、それを「精進(しょ
うじ
ん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始める。そ
して
同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はそ
の人
でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(030613)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

++++++++++++++

今日、台風6号が、東海から
関東に接近するそうだ。

すでにこのあたりも、台風模様。
低く鉛色の雲。時折、激しい雨。
あやしげな暖気を含んだ風。

窓の外を見ると、栗の木の葉が、
体を細く丸めて、風に揺れている
のがわかる。

++++++++++++++

●鮎

 毎年、岐阜県のG市に住むいとこが、鮎を送ってくれる。大きな鮎だ。「木曽川の鮎は、長良
川の
鮎より、一回り大きい」と、いとこは言う。川が大きいせいか? それとも鮎のエサが豊富なせ

か? 実際、木曽川の鮎は、大きい。

 私はその鮎が届くと、まっさきに、義兄のところに何匹かを届けることにしている。天然の鮎
は、
身がしまっていて、おいしい。


●中1のOさん

 昨夜のクラスで、中1のOさんと、数学の問題を解きあう。Oさんが見つけてきた、難解な問

を、
競争で解くというもの。

 昨日の成績は、2勝2敗。そういうみじめな成績になったのには、いろいろ理由がある。しか
し弁
解は、無用! そこで5回目の勝負。

 「ようし、真剣勝負だぞ!」と声をかけて、最終戦。時間も迫っていた。

 頭がぼんやりとしていると、うっかりミスがどうしても多くなる。ミスをしないように、ポイントをて

ねいに攻めながら、問題に取り組む。早くできればよいというものではない。

 結果、当然、私が勝った。

 しかし頭のよい子だ。中1なのに、すでに中3の勉強を、すべて終えてしまった。今は高校の
勉強
へ進もうか、どうかで迷っている。

 率直に、言おう。私は、このタイプの子どもを教えるのが、大好き。何よりも楽しい。だから生
徒数
2人だけのクラスにしている。経営的には成り立たないクラスだが、私にとっては、それが生き

いになっている。生きがいと言うより、生きるエネルギーそのものを、私のほうが、もらってい
る。

 Oさん、ありがとう。昨夜は、睡眠不足で、コンディションが悪かった!

【Oさんへ】

 いつかおとなになって、ぼくの原稿を読むようなことがあるだろうか? 今、ふと、そんなこと
を考
えた。君がこの文を読むときには、ぼくは、この世の人間でないかもしれない。あるいはボケて
しま
って、どこかのケア・センターに入っているかもしれない。

 しかし君のようなすばらしい女の子に巡り会えて、ぼくはラッキーだったよ。君を尊敬している
よ。
時の流れを超えて、この気持ちが、君に伝われば、ぼくはうれしい。

 2007年9月6日記。O・Sさんへ。


●高校生を平手打ちした警察官

 どこかの警察官が、乗車マナーの悪い高校生を平手打ちした。それに対して、警察官への
同情
のメールが殺到しているとか。

「殴ったのはよくないが、注意できる大人が少ない中、警察官の行動は安心できる」「大人とし

正しい行為」「逮捕は大げさでは」「あまり厳しく処分するな」など巡査長に同情的な意見が大半
を占め、送り主は県内だけでなく、北海道や山口県、香川県など全国に広がっているという(以
上、ヤフーニュースより)。

 そのときの状況がわからないので、何とも言えないが、制服を着ていたのなら、しっかりと声
をか
けるだけでも、効果があったのでは? 私も乗車マナーの悪い高校生には、よく出会う。先日
も、ド
アの前で、円陣をかいて座り込んで騒いでいる高校生たちを見かけた。

 床の上に、ペタッと座り込むことが、かっこいいとでも思っていたのか。しかし私と警官とで
は、見
方が少し、ちがうようだ。

 私は、(おそらく学校の先生たちもそうだろうが)、そういう子どもたちの姿を見ると、それを私
たち
の責任ととらえる。子どもたちを責める前に、自分を責めてしまう。だから注意するにしても、ど
うし
ても低姿勢になってしまう。

 たとえばニッコリと笑いながら、こう言う。「あのね、電車の床って、あまりきれいじゃ、ないよ。
トイ
レの汚水だって、いっぱいついていると思うし……」とか、何とか。いや、今では、それ以上に
手が
つけられないことが、多くなった。

 そのときも、「今時の高校生たちは、まあ、こんなものだろうな」と思って、私は無視した。

 ……ここまで書いて、こんなことを思い出した。この話は少し前、私のBLOGに書いた。

 少し前、電車に乗っていたら、高校生どうしが、空き缶を使い、通路をはさんで、たがいにけ
り合
って遊び始めた。雰囲気的には、サッカーのパス練習でもしているかのようだった。

 私はそういうとき、いつもやり方が決まっている。

 そのときも高校生たちを無視して、空き缶をさっと取りあげた。こういうときは、高校生たちに

のスキを見せないのがコツ。動揺している様子を見せたとたん、彼らはそのスキにつけこんでく
る。
一見バカおやじのフリをしながら、堂々とそれをするのがコツ。

 30年近くも高校生を教えてきたから、そのへんのタイミングというか、要領は、よく心得てい
る。
高校生といっても、中身は、幼児にぜい肉をくつけた子ども。

 で、冒頭に書いた警察官だが、どういう状況で平手打ちにしたのかは、よくわからない。逮捕
され
たということだから、平手打ちをしたあと、どこかで心のスキを見せてしまったのかもしれない。

ょっとしたら、ジロッとにらみ、堂々としていれば、こんな大げさな事件には発展しなかったかも

れない。

 いろいろ考えられるが、平手打ちにするのは、最後の最後。私もいろいろな場面で、高校生
たち
を注意することはある。が、平手打ちも含めて、暴力というのは、私の脳みその中には、プログ

ム化されていない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2209)

●日韓経済戦争(9月6日版)

+++++++++++++++++

韓国の個人負債額が、たったの73億円!
(朝鮮N報・9月4日)

記事をよく読むと、これは73兆円のまち
がい。

73億円と73兆円とでは、中身が1万倍も
ちがう!

ふつうなら、即、訂正するはずだが、73
億円のままになっているところが、恐ろしい。

+++++++++++++++++

 韓国では、法定利息(上限)は、年利66%となっている。日本では、18%(10万円以上100

円未満)。

 66%だぞ! わかるか! しかしこの数字は、あくまでも、表向きのもの。実際には、100%
とか、
200%とかいう利息で、個人は、借金をしまくっている。まさに国中が、「借金地獄」。

 悪徳サラ金でも、日本では、66%も取らない。

 そうした借金が雪だるま式にふくれにふくれあがり、それが73兆円。(朝鮮N報がいう、73億
円と
いうのは、ウソというより、誤記。)

 朝鮮N報(9月3日)には、つぎのようにある。原文のまま、紹介する。

 『韓国の家計の負債残高が600兆ウォン(約74億円)に迫ることが分かった。韓国銀行は3
日、
「第2四半期家計信用動向」で、6月末現在の家計負債残高が3月末より9兆9238億ウォン
(約1
兆2265億円)増の596兆4407億ウォン(約73兆7184億円)になったと発表した』と。

 途中から、73兆円になっている。

 しかし73兆円という額が、どういう額か。日本の人口規模に換算すると、3・5倍して、255兆
円! あの日債銀という都市銀行が倒産したとき、4兆円という国税が投入された。言いかえ

と、
たった4兆円で、あの銀行は、つぶれた。が、73兆円。その額は今の今も、急速にふくれあが
って
いる。たった3か月で、1・2兆円もふえた!

そんな国が破綻しないで、国としての「体(てい)」を保っている方がおかしい。朝鮮N報は、つぎ
のようにつづける。
 『家計の負債は、銀行や保険会社など金融会社から借り入た融資金、クレジットカード・ロー
ン会
社を通じた掛け売り残高を含み、6月末基準で1世帯当たり、平均3730万ウォン(約461万
円)の
借金を負っている計算になった』と。

 わかりやすく言えば、いわゆるサブプライムローンの激増である。韓銀のイ課長もそれを認
め、
「家計の負債が増えた理由は、政府の住宅関連貸出規制により銀行で個人融資が停滞したも

の、銀行からお金を借りられない人が銀行以外の金融機関から融資を受けたため」(朝鮮N
報)と
話している。

 サブプライムローン問題は、何もアメリカだけの問題ではない。現実に今、韓国でも起きてい
る。
アメリカほど規模は大きくないにしても、もしどこかで火がつけば、韓国など、ひとたまりもな
い。

 それを知ってか、今、韓国から外資が猛烈な勢いで逃避し始めているのみならず、一方、韓

への投資が、激減している。

 同じく朝鮮N報は、つぎのように伝える。

 『トムスン・ファイナンシャルの統計によると、今年に入って8月末の時点でアジアのうち最も
多く
の私募債ファンドを誘致した国は豪州で、182億4000万ドル(約2兆1200億円)だった。2
位は
インドの95億ドル(約1兆1000億円)、3位は日本の86億6000万ドル(約1兆円)だった。
 以下台湾、ニュージーランド、シンガポール、香港、中国、フィリピン、ベトナムと続いた。
 一方、韓国はインドネシアと共に、2億ドル(約233億円)を誘致し、アジアで私募債ファンド
の投
資額が最も少なかったことがわかった』と。

 アメリカが、4625億ドルも集めているのをみると、韓国は、その2000分の1以下。日本の
40分
の1以下。いくら金利を高くしても(=エサをばらまいても)、世界の投資家たちは、韓国の実情

みて、二の足を踏んでいる。……というのが、現在の韓国の置かれた状況と考えてよい。

 何も私は韓国のことを心配して、こう書いているのではない。私がもっとも恐れるのは、日本
のす
ぐそばに、強大な軍事力(+核兵器)をもった、最悪の反日国家が誕生すること。それだけは、

本としては、何としても阻止しなければならない。

 で、こうした韓国が生き残るゆいいつの方法は、K国を経由して、ジャパンマネーを取り込む

と。
日本は日朝交渉が軌道に乗れば、莫大な戦後補償費(=賠償金)をK国に支払うことになる。
ここ
にきて、突然、韓国のN大統領が、日本寄りの姿勢を見せ始めたのも、そのためと考えてよ
い。ま
さに韓国崩壊は、時間の問題。その時間との戦いが、南北会談ということになる。

 この際、日本は何も、アメリカや韓国に気がねする必要はない。ノラリクラリと日朝交渉をか
わし
ながら、時間を稼げばよい。時間は、確実に日本の味方についている。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 10日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【いろいろな子ども】

++++++++++++++

〜〜症という診断名こそつかないが、
いろいろと、問題をもった子どもは
多い。

気がつくまま、いろいろなタイプの
子どもを考えてみる。

++++++++++++++

●さがしものができない子ども

 さがしものができない子どもがいる。何かをさがさせると、すぐパニック状態になってしまう。
かん
しゃく発作を引き起こすこともある。……というより、かんしゃく発作を引き起こしやすい子ども
は、
さがしものが苦手。頭の中が混乱状態になったとたん、イライラが増幅する。そんなわけで、静

にものをさがすことができない。


●整理のできない子ども

 カバンなど、持ち物の中を見れば、わかる。いくら注意しても、カバンの中は、ゴチャゴチャ。

切なものの、そうでないものもない。古いテスト用紙の間に、学校からの連絡表がはさまってい

りする。見た感じ、まるでゴミ箱のよう。ときどきいっしょにカバンの中を整理するが、効果は一

的。


●忘れ物が多い子ども

 集中力、あるいは緊張感そのものが、抜けたように欠けている子どもがいる。学校への提出
物を
忘れるなどということは、日常茶飯事。反対に、学校には、いつも忘れ物してくる。その前日、
筆箱
を忘れて置いていったから、それを渡しながら、「筆箱をちゃんともって帰ってよ」と声をかける
と、
そのときは、「うん、わかった」と返事をする。しかしそのとき今度は、ノートを忘れていく。親や
教師
がいくら注意しても、効果はその場だけ。


●騒々しい子ども

 いつもガサガサしている。静かな落ち着きがなく、始終、何かをしゃべっている。「静かにしな

い」と言っても、効果はその場だけ。数秒から10秒もすると、またしゃべり始める。話している
内容
は浅く、テーマもクルクル、目まぐるしく変わる。アメリカではADHD児と考えられている。女児

多い。


●動作の鈍い子ども

 臨機応変に機敏な行動ができない。何かを言いつけても、ノソノソといった感じになる。緊急
時と
わかっていても、動作が、それについていかない。「緩慢行動」「緩慢動作」といって、神経症に

る症状のひとつに考えられている。


●表情のない子ども

 表情がなく、能面のような子どもをいう。喜怒哀楽の情をほとんど、示さない。無表情のまま、

だけをスーッと流したりする。全体的に静かで、大声を出して騒いだりするということもない。集

の中でも、いるかいないかわからないほど、存在感が薄い。


●字の汚い子ども

 乱雑な文字で、しかもワクから平気で飛び出したような字を書く。「きれいに書こう」と指示す
ると、
そのときだけはきれいな文字を書くが、その分だけ、異常に時間がかかってしまう。が、しばら
くす
ると、またもとの文字に逆戻り。よく観察すると、手の動きがぎこちなく、なめらかな動作ができ

いのがわかる。細かい作業が苦手という症状をあわせもつことが多い。


●SHY(シャイ)な子ども

 恥ずかしがりやで、はにかみや。いつも柔和な表情を絶やさず、存在感がない。大声を出し
て騒
いだり、人の前に立って、何かをするということもない。日本ではあまり話題にはならないが、ア

リカでは、SHY(シャイ)な子どもは問題児ということになっている。「日本では、SHYは美徳」と

うと、それを話してくれたアメリカ人の教師(公立小学校校長)は、目を白黒させて驚いていた。

(付記)

 大切なことは、その子どもはそういう子どもであると認めた上で、その子どもにあった指導を
する
ということ。どんな子どもにも、それぞれ、弱点、苦手な面、欠点というのがある。ない子どもは

ない。そういうふうに考えて対処する。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(9月5日)

++++++++++++++

今朝は、これから病院へ行ってくる。

数日前、毛虫に刺されたあと、おかしな
抗原・抗体反応がつづいている。

刺されたのは、脇の下だが、それが
昨日から、左腕、左脇、それに左の
肩のほうまで、痛みや腫れが広がって
きた。

ときどき、発作的に、ギリギリと激痛が
走ることもある。

症状は、この数日間、少しずつだが、
収まりつつある。しかしインターネット
で調べたかぎり、こうした症状は、
2〜3週間はつづくとのこと。

ゲッ!

2〜3週間もつづいたら、たまらない。

……ということで、病院へ。

+++++++++++++++

 昨日、小5クラスで教えているときのこと。時折、激痛が私を襲った。毛虫に刺されたあたりを

心に、そこからチクチクと、外に向かって痛みが走る。痛みそのものは、瞬間で終わるが、そ
のとき
は息もできないほどになる。

 ざっと数えてみたら、30〜40か所以上、刺されていた。おそらく毛虫の幼虫を、脇の下では
さん
でしまったのだろう。

 だから子どもたちに、「今日のぼくは、元気がない」と告げると、ここで意外なことが起きた。

 いつもは「林なんか、早く死んでしまえ」などと言っていた子どもたちだが、みな、神妙な顔つ

になって、こう言った。

 「先生、だいじょうぶ?」
 「病院へ行ってきなよ」
 「ぼくのパパに話して、薬をもらってきてあげようか?」と。

 私が冗談まじりに、「いいや、今夜あたり、激痛が心臓を貫いて、ぼくは死ぬかもしれない」と
言う
と、「死んでもらっては困るよ」「死んじゃあ、だめだよ」と。泣き顔になった子どももいた。

私「だけど、人間というのは、死ぬ人は、ポックリと死ぬもんだよ」
子「先生が死んだら、この教室は、どうなるの?」
私「いつもどおり、来なよ」
子「どうして?」
私「ぼくは幽霊になっても、ちゃんとここへ来るから」
子「いやだな」

私「幽霊になっても、教えるからさ。足はないと思うけど、スカートか何か、はけばいい」
子「男がスカート?」
私「この際、文句は言っておられない」
子「動くときは、どうするの?」
私「スーッと、飛ぶように動くよ」
子「楽だね」

私「そうさ。それにね、幽霊になったら、あの世のことを、みんなに話してあげるよ。楽しみにし
てお
きな」
子「どんな世界?」
私「みんなの知らない世界だよ。ぼくも知らない。だからみんなに話してあげるよ」と。

 子どもたちが心配してくれたのが、うれしかった。私は子どもたちに嫌われているとばかり思
って
いた。

 子どもたちの、意外な、ほんとうに意外な面を知って、うれしかった。で、そのことを家に帰っ
から
ワイフに話すと、ワイフはこう言った。

 「みんな、口は悪いけど、あなたのこと好きなのよ」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●血統空想

++++++++++++++

「私だけは特別でありたい」という
思いは、だれにでもある。そのひとつ
が、「血統」。

「私の血統は、特別だ」「だから私は
特別な人間」と。

あのジークムント・フロイトは、
そうした心理を、「血統空想」という
言葉を使って説明した。

年齢で言えば、満10歳前後から
始まると考えられている。

しかしそう思うのは、その人の勝手。
それはそれでかまわない。しかし、その
返す刀で、「私以外は、みな、劣って
いる」と考えるのは、まちがっている。
自己中心性の表れそのものとみる。

EQ論(人格完成論)によれば、
自己中心性の強い人は、それだけ
人格の完成度の遅れている人と
いうことになる。

わかりやすい例でいえば、今でも
家系にこだわる人は多い。ことあるご
とに、「私の先祖は、○○藩の家老だ
った」とか何とか言う。

悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。
江戸時代には、「家」が身分であり、
「家」を離れて、個人として生きていく
こと自体、不可能に近かった。

日本人がいまだに、「家」にこだわる
理由は、ここにある。

それはわかるが、それからすでに、
約150年。もうそろそろ日本人も、
そうした亡霊とは縁を切るべきときに
来ているのではないのか。

+++++++++++++++

 かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問
のす
すめ」)と。

その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎ

ような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対する
アメ
リカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシ

トンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、

川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持ってい

いアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭
吉は
新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造
らず
と言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。

 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。い
わん
や明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福

諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。

 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847〜1889年の人で
ある。
教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評され

こともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。そ

明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定
し、
不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動
が、
日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ち
ょう
ど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本
は、本
当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで
現わ
れた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったこ
とを
忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そん
なこ
とは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省す
るこ
ともなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時

は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れて
はな
らない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓

運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっ

いる人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでい
る。
たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となる
と、
ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。そ
れが
精神的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなか
った
からである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してし
まっ
た。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうし
た制
度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人
にと
っては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人に
は、居
心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知
るこ
とができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代
の負
の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。

 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。

 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国に
は、
いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものに
こだ
わるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよ
い。
つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。

(付記)

 この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかと
いう
問題に行き着く。

 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉

借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦は
こう
説いている。

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともと
は、
「自らに由る」という意味である。

 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだ
らな
いこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。

 その一言が、これからの日本を変えていく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 血統
空想
 封建時代 武士道)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●介護保険料

+++++++++++++

社保庁の不正問題は、いったい、
どこまで行くのか? まさに底なし。

私はもう10年以上も前から、
社保庁などいらないと主張してきた。

もし社保庁が必要だというのなら、
どうして、育児支援庁がないのか?
交通安全庁でもよい。介護保険庁
でもよい。どうして社保庁だけが、
社保庁なのか?

もとからこうなることはわかっていた。
社保庁の職員ですら、それを知っていた。

人口のすべてを、その動きまで含めて、
ひとつの庁が管理できると考える
ほうが、おかしい。

欧米のように、その年齢になったら、
一律の年金を平等に支払えばよい。
欧米のように、それ以上に必要な人は、
個人として、保険会社と契約すれば
よい。

わけのわからない制度を一方で
作っておきながら、こうした問題が
起きるたびに、大騒ぎする。

おまけに、今度は、介護保険?

++++++++++++++

 00年に3・6兆円だった介護保険が、08年度には、7・1兆円になるという。そのため国民が
負担する介護保険料は、2911円(00〜02年、40歳以上)から、3293円(03〜05年)と
なった。しかしこれで足りるわけがない。

 単純に計算しても、介護保険が約2倍になっているのに、介護保険料が、たったの400円前

の増額ですむはずがない。

 そこで05年10月から、施設の食費や居住費は、原則自己負担となった。ほかにも介護予
防制
度など、国はあれこれと手を打っているようだが、介護保険料が1人あたり、5000円を超える

は時間の問題。

 とくに私たち団塊の世代が、満65歳を迎える2015年ごろには、どうなっていることやら? 

 まわりくどい言い方はやめよう。

 簡単に、しかもわかりやすく言えば、「官」が、自分たちにつごうのよいように、日本の社会を
ここ
まで複雑化してしまった! 年金問題に例を見るまでもない。本来なら、平等化に向けて、制度

簡素化すべきだった。「複雑化」ということは、それをねじ曲げるための道具にしかすぎなかっ
た。

 年金にしても、下は6万円(国民年金)から、上は、27万円(共済年金)まで、4倍以上もの格

ができてしまった。

 介護保険とて例外ではない。どこの介護施設へ行っても、まず驚くのが、その豪華さ。「ここ
まで
豪華にする必要があるのか」と思えるほど、豪華である。が、そのくせ、人間的な暖かみを、ほ
とん
ど感じない。

 おかしなところにお金を使い、肝心の必要なところには、お金を使っていない。その結果が、
介護
保険の不足である。今は、社保庁職員による年金横領が問題になっているが、不必要な施設
(箱
物)を作ることだって、見方を変えれば、立派な横領である。

 そこで提言。社会を、もっと単純化しよう。簡素化しよう。称して、「シンプル・システム運動」。

して、「SS運動」。

 手始めに、年金制度に手をつけたらよい。年金の一元化などということは、当然のこと。その

で、その年齢になったら、国民には平等に、一律一定額の年金を支給する。「あなたは満60
歳に
なりましたから、毎月3万円ずつの年金がもらえます」「満65歳になりましたから、毎月5万円
ずつ
の年金がもらえます」「70歳になりましたから、毎月8万円ずつの年金がもらえます」と。

 複雑化すればするほど、それだけ組織もふえ、人員もふえる。つまり経費もかかる。

 先日も私は、市内にある子ども館へ行ってきた。そこでのこと。

 子どもの入場料は100円(小・中・高)。おとな200円。(幼児は無料。)そのチケットを受け
取ると
ころに、2人の職員が座っていた。

 仮に、2人の人件費を、月計80万円とすると、それだけの人件費を稼ぐためには、おとな1
人、
子ども1人の300円で、2600組の入場者がなければならない。

 2600組を、月25日で割ると、1日、106組である。ふだんは閑古鳥が鳴いている。土日だ
って、
100組入っているか、どうか?

 だったら、2人の職員をやめさせ、入場を無料にすればよい。そのほうが、ずっと安上がりに

む。
実際には、オープン時には、17人近い職員と、それと同じ数だけのボランティアがいた。(私は

ゃんと数えたぞ!)

 ……というような計算を、みんがもっとする。そして社会の制度を、もっと単純化し、簡素化す
る。
ニュージーランドのように、役人の仕事を、民営化するということも視野に入れる。でないと、今

社会保険制度、介護制度に例をみるまでもなく、日本中の制度という制度が、やがて破綻す
る。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●あやうし、日本!(9月4日号)

+++++++++++++++++++

すべては、アメリカの裏切りで始まった。
しかし今さら、過去を悔やんでもしかたない。

日本のM外相は、9月3日午後、外務省で
記者団に対し、北朝鮮が米国に求めている
テロ支援国家指定の解除問題に関し、こう
言った。

「日米関係を犠牲にしてまで米朝関係を
進めることはない、と米側から連絡が来
ている」(ヤフー・ニュース)と。

裏切られても、裏切られても、アメリカに
すがるしかない日本。その切々たる悲愴感。
それが、M外相の言葉の中に、にじみ出ている。

おそらくその裏で、日本は、アメリカに
泣きついたのだろう。「私を、見捨てない
でエ!」と。

その回答(=連絡)が、これである。

しかし今のアメリカの頭の中には、日本など、
ない。ないことは、アメリカのワシントン市に
視点を置いてみれば、わかる。

今のアメリカの頭の中にあるのは、中国。
すでにアメリカは、10年後、20年後のアジア
情勢を見据えながら、国際戦略を考え始めて
いる。

そのひとつ。すべては昨年(06年)夏の、
あのキッシンジャー元国務長官の訪中で
始まった。つまりそのときから、アメリカの
対極東アジア戦略は、大きく変わった。

あやうし、日本!

これから先、日本は、孤立無援のまま、
中国、そして韓国=K国という、反日国家と
ひとりで対峙していかねばならない。

すでにK国は、中国を介して、40兆円とも、
あるいはそれ以上とも言われる戦後補償費を
日本に打診してきている。

もうメチャメチャな額だが、おそらくアメリカ
(=ヒル氏)は、水面下で、K国(=金氏)に
こう言っているにちがいない。

「拉致問題を何とかしなさいよ。日本から、
お金を取ってあげるから」と。韓国のN大統領
ですら、「南北会談で、拉致問題を取りあげる」
と言い出している。

あのN大統領が……?、である。しかしそれも
ジャパン・マネーが目的と考えると、スンナリと
理解できる。

要するにK国は、日本との交渉を前にして、
何とか、アメリカを押さえておく必要がある。

「いざとなったら、戦争」ということを口にすれば、
K国は日本から、いくらでもしぼり取れる。
米朝交渉など、その前座でしかない。

では日本は、どうしたらよいのか。

日本がもつ、ゆいいつの武器といえば、
「経済」でしかない。その経済を使って、
経済戦争を発動するしかない。「戦争」
という言葉が悪いなら、「競争」でもよい
……ということになるが、今の日本には、
その度胸もない。知恵もない。戦略もない
その前に、正義もない。「日本は、どうある
べきか」という形すらない。

間に合うかどうかわからないが、今の
日本にとって最良の道は、K国を自己崩壊に
追いこむこと。同時に、韓国を、デフォルト
(=国家破綻)に追いこむこと。

今や、日韓経済戦争は、最終局面に突入
しつつある。

中国においてですら、韓国の現代自動車は、
前年度同月比で、この7月、32%も売り上げ
を減らしている。そのため、「北京現代自動車は、
非常経営体制に転換した」(中央日報)と。

あと一息。あと一息で、日本は、韓国、K国の
口を封ずることができる。

……という私をどうか、過激派とは思わないで
ほしい。

今、この日本は、勝つか負けるか、その瀬戸際
に立たされている。サッカーの試合とはわけが
ちがう。勝つか負けるか、である。引き分けは
ない。

もしこの戦争に敗れれば、日本には、明日はない。
これから先何十年も、日本は、極東アジアのすみで、
ビクビクしながら生きていかねばならない。

だから私はそのつど言ってきた。書いてきた。

拉致問題と制裁問題をからめてはいけない、と。
対米追従外交反対論に警戒しろ、と。
安倍総理は就任直後に訪米すべき、と。

今となっては、これらすべてが、むなしく
秋の空にこだまする。

おかしな極右思想にそまった、ヘタクソ外交。
その結果が、今と考えてよい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●学歴詐称

++++++++++++++

お隣の韓国では、学歴詐称が
大問題化している。

まさに「あの人も……」「この人も……」
という感じになっている。

その中には、大学教授はもちろん、
政府高官、さらにはテレビキャスター、
テレビタレントまで含まれている。
その数、今までにわかっただけでも、
500〜600人以上とか!

外国(主に、アメリカ、カナダ)の
大学から、博士号や学位をお金で
買い、それを肩書きに並べ、仕事に
使っていた。

しかしこの問題は、何も韓国だけの
問題ではない。この日本にも、「?」
と思われるような人がいる!

++++++++++++++

 私のところにも、ときどきあやしげな手紙が届く。「あなたを教育学博士として推薦し、あなた
に博
士号を授与します。ついては、当大学へ、○○万円の寄付をお願いします。この寄付は、当大

に通う学生たちのための奨学金として、使われるものです」(要約)と。豪華な大学案内書が、
それ
に添えられている。

 相場は、学位号授与で、50万円前後。博士号授与で、80〜100万円前後ということらし
い。こう
したインチキ肩書きのほか、名誉博士号というのもある。ただしこの名誉博士号授与について
は、
どこの大学でもしている。一定金額以上の多額の寄付をすると、相手先の大学から自動的に
与え
られる。

 で、私のところに届いた手紙だけでも、カナダのM大学、E大学、アメリカのH大学、C大学の
4校
がある。その中には、日本にも分校があるというという大学もあった。しかも学生が、ちゃんと
在籍
しているという。しかし???

 どうしてこの私が、博士号? そんな肩書きなど、もとから興味ない。

 お隣の韓国では、こうして得た肩書きを利用して、それなりの地位につき、仕事をしている人

多いという。上は大学教授から政府高官、ニュースキャスターまで。そのニュースキャスター
(女
性)については、テレビで自らそれを告白し、つい先週、降板したという。

 が、この問題は、何も韓国だけの問題ではない。この日本にも、「?」と思うような人がいる。

 たとえばX氏。「教育学博士」の肩書きを並べて、よくテレビにも出てくる。(……出てきた。最

は体調を崩したとかで、急に出てこなくなったが……。)しかし「教育学博士」という肩書きをも
つに
しては、話している内容が浅い。専門用語も、まったくと言ってよいほど、口から出てこない。

 「おかしいぞ」ということで、私は、HPから、X氏の博士号取得先を知り、数回、その大学へ問

合わせてみたことがある。しかし「X」という名前は、いわばタレント名。本名がわからない。HP

も、それが書いてない。

 そこで私はX氏のこまかい経歴、博士号を取得したと推定される年月日、現住所などを書い
て、
問い合わせた。

今のところ、その大学から返事はない。が、ないところが、おかしい。ふつうは、こうした問い合
わせ
については、どこの大学でも、ていねい答えてくれる。それが大学の重要な仕事のひとつにも
なっ
ている。ないばかりか、逆に、大学のほうが、私を調べた形跡がある。私のHPやBLOGでは、

クセスしてきた人の、@マーク以下のアドレスがわかるようになっている。

 私が大学に問い合わせた直後、その大学のアドレスがズラズラと連なった。つまり流れから
する
と、こういうことではないか。

 (私が、大学の実体やX氏を調べた。ついでにX氏に授与された博士号は本物かどうかを調

た)→(大学は、そうした問い合わせがあったことを、X氏に連絡した)→(大学とX氏との間で、

かのやりとりがあった)→(反対に、大学が、私を調べた。あるいはX氏が、私を調べさせた。X

については、個人のメールアドレスを知らないので、X自身が私を調べたかどうかについては、

からない。一方、私はいつも実名を出して、調査している)。

 大学そのものは、HPで見るかぎり、実体はあるようだ。森に囲まれた立派な学舎が並んでい
る。
(だからといって、インチキでないと思ってはいけない。私のところに手紙を送ってきた、カナダ

M大学、E大学、アメリカのH大学、C大学にしても、それらしい学舎の写真で案内書を飾って

た。)

 X氏とはだれか? まだこの段階ではそれは書けないが、「○○国○○大学○○博士号取
得」と
か、「○○学博士」という、あの肩書きだけは、じゅうぶん、疑ってみたほうがよい。中には、高
校も
出ていないような人が、いきなり大学の学位を手にしたり、あるいは修士号も取得していないよ

な人が、いきなり博士号を取得したりしているようなケースもある。

 (ただし欧米の大学では、博士号だけは、論文審査だけで授与することも珍しくない。必ずし
も、
その大学の在籍している必要はない。X氏については、その可能性もあったので、私は、X氏
の書
いた論文を手に入れようとした。が、それについても、今のところ、まったくのナシのつぶて。大

側からの返事はまったくない。)

(提言)

 テレビ局制作部の方へ……よく「○○博士」を肩書きにしてテレビに出てくる人がいますが、
一度、
どういう経緯で博士号を取得したか、直接本人に確かめるなり、あるいは先方の大学に問い
合わ
せる程度のことは、してみるべきではないでしょうか。

 あとあと問題になったとき、「当テレビ局は知らなかった」では、すまされない問題かと思いま
す。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●孤独

 私のような愚かな人間は、毎日が、孤独との闘い。仕事の上では、毎日、何十人という子ど
もた
ちと接している。同じ数だけの父母と接している。そのときはそのときで、結構忙しい。楽しい。

分を忘れる。

 しかしふとひとりになったとき、ひしひしと孤独感を覚える。

 理由はわかっている。私は、子どものときから、他人に対して心を開くことができない。もっと
言え
ば、人を信ずることができない。表面的には社交的で、明るく振る舞っている。が、それはまさ

仮面。ペルソナ。

 加えて、このとこと、自分がすべきことがよくわからない。仕事をしている最中ですら、「こんな

とをしていてはいけない」と思うことが、よくある。私の人生は、刻一刻と、短くなりつつある。健

だって、いつまでもつかわからない。

 だから時間を惜しんで、原稿を書く。遊ぶ。ワイフとでかける。今できることは、今、する。とく
に楽
しいことは、ぜったいに、後回しにしない。が、それでも一日が終わると、ふと、むなしさを覚え
る。

 知識や知恵にしても、バケツの穴から水が漏れるように、どこかへ漏れて消えていく。油断す

ば、すぐ邪悪な自分が顔を出す。名誉や地位とは、とっくの昔に縁を切ったはずなのに、いま

に、
未練たっぷり。お金だって、嫌いではない。

 昨日も、介護施設にいる母を見舞った。あの母を見ていて、おもしろいことに気づいた。

 会えば、私やワイフがだれだかはわかる。「お前は、浩司や」などと言う。しかしその前のこと
は覚
えていない。私の家に6か月いたことなど、すっかり忘れてしまっている。「ぼくの家にいたこと
を覚
えているか?」と聞いても、「お前の世話にはなっていない」などと答える。

 しかしそんな母をだれが笑うことができるだろうか。

 私と母のちがい。それは濃いか薄いかのちがいでしかない。この私だって、薄いが、つまり母

薄めた形で、同じことをしている。同じことを言っている。

私だって、「今」のことはよくわかる。しかし過去は、どんどんと、そのままどこかへ消えていく。
気がつくと、そこにいるのは、今の私だけ。私が作りあげたものは、何もない。どこにもない。

 たとえて言うなら、絶壁に囲まれた山の頂点に立たされているようなもの。まわりでは、ヒュー

ューと冷たい風が吹いている。

 この孤独感は、死ぬまでついて回るものなのか。

 ……たった今、『♪アメイジング・グレイス』を口ずさんだ。ついでに以前書いた原稿を思い出
す。

+++++++++++++++

●山荘ライフ

 窓をいっぱいにあける。
 空気を、胸いっぱいに吸いこむ。
 そして、シャルロット・チャーチのアルバムを聞く。
 以前、NHKでシャルロットが紹介されたとき、
 声がすてきだったので、それで買った。
 
 しばらく聞いてなかったが、オーストラリアのR君が、
先日、「もっているなら、聞いたら?」と言ってくれた。
 彼は、敬虔(けいけん)な、クリスチャンだ。

 その中でも、私が好きなのが、この曲。 
 「I vow to Thee, My Country」(わが郷土よ、我はあなたにひざまずく)

 「♪わが郷土よ、我はあなたにひざまずく。
  その上にある、ありとあらゆるものを、
  すべての完ぺきなものを、そして愛の営みを……」

 私はこの曲が、好きだ。
 一度聞き始めると、何度も繰りかえし聞く。
 山荘の前に広がる山々の雰囲気、そのものと言ってもよい。
 
 ……ときどきシャルロットの清らかな声が、
 オーケストラに負けそうになる。
 が、シャルロットは、懸命に、
 空に向かって、声をはりあげる。
 そのかけあい(?)が、すばらしい。
 人間が生きる「力」そのものを、感ずる。

 「♪もうひとつの郷土があると、私は、昔、聞いた。
  それを愛するものに、親愛であれ。
  それを知るものに、偉大であれ……」

 若い女性なのに、ここまで歌うとは!
ここまで哲学のある歌を歌いこなせるとは!
 その違和感が、まったくない。  
 その力量が、ただただ、すばらしい。
  
 「♪汝に向かう敵はなし。
  汝を支配する王はなし。
  汝の要塞は、信仰深い心。
  そして人の魂から魂へと、
  汝の輝く絆は太くなり、
  汝の道は、やさしさへの道。 
  そしてすべての道は、やすらぎへとつづく……」

 何曲か曲がつづいたあと、今度は、
 「Amazing Grace」※になった。
 何と、日本語に訳したらよいのだろうか。
 「驚くべき優雅さ」では、まったく感じがつかめない。
「神の優しさ」とでも、訳すのだろうか。
 アメリカでは、第二国家のようにもなっているというが、
 「アメージング・グレイス」として、
 そのまま日本でも、よく知られている。
 
……去年、となりの豊橋市で、
 結婚式場を開いた友人がいた。
 その結婚式のオープニング・
 セレモニーに招待されて行ったが、
 そこでも、この曲が披露された。
 チョコレートというより、
 ショコラ・チョコのようなすてきな結婚式場だ。
 私が「おいしそうな感じがしますね」と言うと、
 支配人のS氏は、うれしそうに笑った。
 今、シャルロットの曲を聞きながら、
 それを思い出した……。

 空はどんよりと曇り、
 風はない。
 すべてが、死んだように
 静まりかえっている。
 どこか肌寒い風が、
 心地よい。

 先ほど、ワイフが私を呼んだ。
 何か用があるようだ。
 最後の一曲を聞き終わったら、
 行くつもり。

 ……今、その最後の曲。
 『When at Night, I go to sleep』
 (夜とともに、私は眠る)

 「♪夜とともに、私は眠る。そのとき、
  一四人のエンジェルが、私を見守る。
  二人が、私の頭の上で、私を守り、
  二人が、私の足を案内し、
  二人が、私の右手を導き、
  二人が、私の左手を導き、
  二人が、暖かく私を包み、
  二人が、さまよう私を導き、
  二人が、そのとき、私を、
  天国へと、導く……。」

 この曲は、臨終を迎えたとき、自分で歌う歌らしい?
曲が終わったとき、
 外では、ウグイスが、鳴いていた。

 ……今日の私は、何となくクリスチャンになったような気分がする。
 神々しい気分になるのは、決して悪いことではない。
 心が、そのまま洗われる感じがする。
 それに死んだとき、一四人もの天使が迎えにきてくれたら、
 きっと、さみしさも消えるだろう。

 しかし、残念ながら、私には、天使はやってこない。
 私はもともと、それに値する人間ではない。
 それに、だいたいにおいて、私はクリスチャンではない。
 が、今だけは、アーメン! みなさんにも、安らぎを!
(030719)

DVD【シャーロット・グレイ】

 シャルロット・チャーチと同じ名前の映画に、『シャーロット・グレイ』というのがある。(読み方
で、
シャルロットにもなるし、シャーロットにもなる。)最近ビデオ化された、ユニバーサル映画だが、

の映画は、まさに★★★★★(五つ星)!

 思いっきり感動してみたい人には、お薦め。とにかくよい映画だった。最後のシーンでは、思
わず、
涙がポロポロとこぼれた。(ボロボロかな?)「私はあなたに伝えたいことがある……」と。この
つづ
きは、どうかビデオのほうを、見てほしい。映画『タイタニック』に、まさるとも劣らない映画……
と、
私は思う。

 そう、映画のオープニングは、マリー・ローランサンの絵画を思わせる、夢のように美しいシ
ーン
から始まる。(私は一時期、ローランサンが好きで、リトグラフを、何枚か買い集めたことがあ
る。)
それでよけいに釘づけになってしまった。……やはりここから先は、ビデオのほうを見てほし
い。

※……アメージング・グレイス

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now am found 
Was blind, but now I see
'Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils, and snares
I have already come
'Tis grace has brought me safe thus far
And grace will lead me home
The lord has promised good to me
His word my hope secures
He will my shield and portion be
As long as life endures

アメージング・グレイス……何とやさしい言葉か。
みじめな私を、その言葉が救ってくれた。
私はかつて道に迷ったが、今、それを見つけた。
私はかつて、暗闇にさまよったが、今は見る。
それが神のやさしさだった。それが私の心に恐れを教え、
そしてその言葉が、その恐れから私を救った。
何と、やさしさの尊いことよ。
あぶないこともあった。苦労もあった。誘惑もあった。
それをとおして、はじめてその言葉を信じたとき、
神のやさしさが、ここまで私を守ってくれた。
主は、私に、善なるものを約束した。
彼の言葉が、私の希望をたしかなものにした。
私の人生がつづくかぎり、神が私を守り、
私の苦しみや悲しみを、分けもってくれるだろう。
(訳、はやし浩司)

+++++++++++++++

 神に接すれば、ほんとうに、この孤独感から救われるのか。もしそうなら、今すぐにでも、私
はクリ
スチャンになる。

 ああ、今朝の私は、かなり弱気。やはり昨夜の睡眠不足がたたっているようだ。たった今、ワ
イフ
が台所から私を呼んだ。これから朝食。

 おはようございます!

 ところで今朝、マガジンの読者が6人もふえていた。うれしかった。9月3日に読者になってく
れた
みなさん、ありがとう! これからもよろしく!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●脳みその体操

+++++++++++++

昨日は、ADSLモデムの取り替えを
行った。

今日は、E−Bankの開設の手続きを
行った。

ともに、たいへんだった!

まずADSLモデムの取り替え。
モデムの設定が、かなりめんどう。
金曜日の夜ということもあって、
プロバイダーの相談窓口は、閉まっていた。

孤立無援。奮闘、悪戦苦闘!

インターネットがやっとつながったのは、
午後9時を回ったころ。1時間も
つぶした。

そして今日はE−bankの開設。

仮IDだの、仮パスワードだの、それが
すんだら本登録だのなんの、と。

手続きを始めたのが、1か月ほど、前。
その間に、身分を証明する書類を
送ったり、なんのと、たいへんだった。

で、何度、IDやパスワードを入力しても、
拒否、また拒否!
(1か月も前のことなど、すっかり
忘れてしまっていた。メモも残して
おかなかった。)

そのIDやパスワードの再登録だの、
なんので、これまた1時間ほども
かかってしまった。

しかし脳みその体操には、なった。

結構疲れた、イコール、楽しかった。
今、しみじみと、E−bankのカードを
手にして、どう使おうかと、思案中。

+++++++++++++

 このところ、ときどき、自分の脳みそに自信がもてなくなるときがある。今日も、そうだった。E
−b
ankの開設手続きをしているとき、肝心のパスワードを忘れてしまった。銀行関係のパスワード

特殊なものを使っている。それを入力しても、登録を拒否されてしまった。

 「?」と思いつつ、何度もトライ。で、結局それがわからず、仮IDと仮パスワードを再発行して
もら
った。それを使って、再手続き……ということで、1時間ほど、かかってしまった。

 ところで、私の知人にこんな人(65歳くらい、女性)がいる。

 見た感じでは、どこもボケていない。話し方もシャキシャキしている。が、ときどき、脳みその

部が欠けたかのように、記憶が消えてしまう。そんな人である。その前後のことは、よく覚えて

る。
こまかいことも、よく覚えている。しかし、ときどき、ちょうど網膜の盲点のように、記憶の一部が

えてしまう。

 たとえば、クラブの会費を渡す。本人は、それを茶封筒に入れて、バッグの中にしまう。しか
し後
日、その会費のことを話すと、「もらっていない」と言う。私が「茶封筒の中に入れたのを見てい
まし
たが……」と言っても、本人は首をかしげるばかり。

 とぼけているのか、それともウソをついているのか……、とも疑ってみるが、ふだんは誠実な

である。様子からして、ウソをついているふうには、とても見えない。

これは脳みそのどういう欠陥によるものなのか。……これはあくまでも私の推察だが、脳みそ

中で、微細脳梗塞が起きているためではないか。CTスキャンなどでは、発見できない血栓性
の脳梗塞をいう。

 私のばあい、そこまでひどくはないが、(自分でそう思っているだけかもしれないが)、似たよ
うな
ことがある。ただその女性とちがうところは、指摘されれば、思い出すということ。指摘されても

い出せないようであれば、その女性と同じということになる。

 こわいね、脳の病気は!


●今日から9月

++++++++++++++

今日は9月1日、土曜日。
日中は暑かったが、朝夕は、
寒さを感ずるほど、涼しくなった。

これから秋に向かって、まっしぐら?

昨夜は山荘に泊まったが、
夜中に寒くて、目が覚めた。

ところで今、興味があるのが、
UFO。とくに、「月空洞説」。

今日も、書店で1時間ほど、
立ち読みをした。おもしろかった。

何でも月の中は空洞になっていて、
そこに宇宙人たちが住んでいる
というのだ。

荒唐無稽(こうとうむけい)な
話のようにも聞こえるが、
科学者の中には、本気でそれを
信じている人もいる。

いろいろな現象を総合すると、
けっしてありえない話でもないような
気がする。

まあ、私にとっては、ロマン。
秋の夜の、ロマン。そんなことを
考えながら床につくと、いつも
そのまま眠ってしまう。

++++++++++++++

●月空洞説

 月空洞説は、もう30年近く前からある。もともとは2人の旧ソ連科学者が言い出したのが、
始まり
である。

月の中は、空洞になっていて、そこに宇宙人(地球外生命体)たちが居住しているという説であ
る。つまり天に浮かぶあの月は、巨大な宇宙船というわけである。

 何とも楽しい話ではないか。もしそれが事実だとするなら、私たちは、毎日、UFOを見ながら

活していることになる。ハハハ。

 そこでヤフーの検索エンジンを使って「月空洞説」を検索してみた。66件ほどヒットした。興味

ある人は、そちらを読んでみたらよい。


●DVD『善(よ)き人のためのソナタ』

++++++++++++++

久々に、よいDVDを見た。
星は、文句なしの、5つ星。★★★★★。

旧東ドイツを舞台にしたドイツ製のドラマ。
最初は、淡々としたドラマ展開がつづく。
「どうしてこんなのが、アカデミー賞?」
と思わせるような映画。

30〜40分も過ぎるころには、
「もうやめようか……」とも。
ちょっと退屈?

しかしそこはがまんして見てほしい。

エンディングにかけて、「それから
2年後……」「それから2年後……」と、
ドラマは1シーンごとに、年が飛ぶ。

「荒っぽい展開だなあ……」と思った、
その直後……。

この映画を見て、涙をこぼさない
人はいないと思う。いっしょに見ていた
長男ですら、ウォーと声をあげて
泣いた。私も泣いた。ワイフも
泣いた。

タイトルは、『善き人のためのソナタ』。

ドイツもすばらしい映画を作るように
なったものだ。

2時間半という長編。秋の夜に、じっくりと
見るには、よい映画。

ただしこの映画は、年配の男性向きかな?
流した涙は、まさに(男の涙)。

++++++++++++++

 DVD『善き人のためのソナタ』という映画を見た。よかった。すばらしかった。星は文句なし
の、5
つ星。★★★★★。07年アカデミー外国映画賞を受賞している。ドイツでも、ローラ賞(ドイツ
映画
賞)7部門を受賞している。

 1984年、壁崩壊直前の東ベルリン。
 盗聴器から聞こえてきたのは、
 自由な思想、愛の言葉、そして美しいソナタ……。
 それを聴いた彼は、生きる歓びにうち震えたーー。
    (『善き人のためのソナタ』公式HPより転載。)

 ……ということで、このあとの言葉がつづかない。というより、映画を見て、改めて、「自由の

さ」を考えさせられた。

 こうして自由にものを考え、自由にものを書けるということだけでも、実は、すばらしいこと。そ

歓びを、今、しみじみと感じている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小ズルイ人

+++++++++++++++++

小ズルイ人は、小ズルイ。こんな話を
ワイフから聞いた。

その家の兄弟たち(男3人、女1人)が集まって、
何かの法事をすることになった。その席でのこと。

長女格のHがしばらく成り行きを見守っていた
あと、こう言ったという。

「悪いけど、花輪代だけは、私に払わせてね」と。

(「だけは……」と言うところが、恐ろしい!)

つまり「法事の費用は負担しない」「私は(女
だから)何も払う必要はない」「だが、花輪代
だけは、払わせてほしい」と。

一見、長女のHは、ほかの3人の兄弟たちの
ことを思いはかって発言したようにもみえる。
しかしよくよく考えてみると、この話はおかしい。

1人の兄弟(男)が、ワイフにこう言ったという。

「花輪代など、1万円にもならない。法事の
費用は、全部で、100万〜150万円近くもかかる。
つまり姉のHは、言外で、『私は1万円しか
払わない』と言ったのと同じです」と。

私はその話をワイフから聞いて、驚いた。
そういうことが平気で言える人(女性)というのは、
そうはいない。相当な人とみてよい

こんな例で考えてみよう。

みなで飲み食いをした。さあお開きとなったところで、
その中の1人が、こう言ったとする。

「悪いが、みんなが飲んだコーヒー代だけは、
私に払わせてほしい」と。

あなたはその言葉を聞いて、どう思うだろうか。

++++++++++++++++++

 小ズルイ人は、小ズルイ。一事が万事というか、小ズルサが、一貫している。口がうまい。相
手の
言葉尻をつかまえて、そのまま既成事実化するのも、そのひとつ。「君が、そう言ったから、私
はそ
うしただけだ」とか何とか。

 このタイプの人は、どうでもよいような話の中に、重要な話を混ぜて話す。あるいは電話だっ
たり
すると、終わりがけにチョコチョコと重要な話を織り混ぜ、「ではね、よろしくね」と言って、その
まま
電話を切ったりする。

 とぼける、忘れたフリをするなどということは、朝飯前。母が入居している介護施設で知り合
った
男性が、こんなことを話してくれた。

 その男性には、その男性も含めて、3人の兄弟がいる。実家には、母親と三男夫婦が住んで

た。が、80歳をすぎた母親の様子がおかしくなってきた。便をもらすようになった。夜中に徘徊

るようになった。

 それについて三男の妻が、不平、不満を漏らすようになった。そこで長男のその男性が、「し
ばら
く……」ということで、母親を預かることにしたという。

 「私は、あくまでもしばらく……ということで預かったのですが、こんなことがありました。3、4
か月
もたったある夜のことです。三男の妻から突然、電話がかかってきました。話を聞くと、『お母さ

の夏物の服がないはずですから、少し送ります』と。

 そのときは、私は、それに感謝して、ありがとうと言ったのですが、その翌日のこと。母親の
衣類
が、いっさいがっさい、大きな箱で、4箱も送られてきました。それには驚きました。つまり電話
をか
けてきた時点では、すでに荷物を発送していたのですね」と。

 わかるかな?

 三男の嫁は、そういう形で、母親をその男性に押しつけたことになる。小ズルイ人は、どこま
でも
小ズルイ。姑息と言うか、狡猾(こうかつ)。

 しかたないので、その男性は、母親を介護施設に入居させることにした。たまたま母親には、

産があった。現在、三男夫婦が住んでいる土地と家も、母親名義のものになっていた。こうした

産があると、介護費用の控除が受けられなくなる。満額のばあいは、月額にして、20万円近い

担になる。

 そこでその男性は、介護費用の分担を二男や三男に申し出たのだが、「お金がない」「うちも
退
職者で、年金生活をしている」とか何とか言って、だれも払わないという。だからその男性はこ
う言
った。

 「兄弟といってもですね、つごうの悪いときは、『お前は長男だから』といって、何でも私に押し

ける。つごうがよいときには、『ぼくたちは同じ兄弟だから』と言って、分け前に預かろうとする。

でに遺産分けの問題も出ています。

 三男は、『今まで実家のめんどうをみてきたのは、ぼくだから、実家はぼくのもの』という。さら

『ぼくは実家の犠牲になった』とか、『兄たちは、外へ出て、自由なことができたが、ぼくはでき
なか
った』とか言うこともあります。一方、二男は、『遺産は、平等に分けるべき』と言う。

 兄弟は他人のはじまりと言いますが、他人以上の他人になることもありますよ」と。

 つまるところ、こうした話で一貫しているのは、小ズルサということになる。みながみな、小ズ

イ。その小ズルサが、やがて不協和音となって、家族の絆を破壊する。

 では、どうするか?

 私のばあいは、「相手にしない」という方法で対処している。またそれにまさる対処方法はな
い。
やりたいようにやらせ、言いたいように言わせておく。一方、やるべきことはやるやるべきこと
はや
る。あとは考えない。無視。

 兄弟にしても、それなりの人物であれば、話も別。しかし私には、もうそういう兄弟はいない。
年も
年だし、それなりに、おかしくなってきている。だからますます相手にしない。相手にしてもしか

ない。

 どうせあと20年もすれば、(10年かもしれないが……)、みんなこの世から消えてなくなる。
大切
なことは、そこにある運命は前向きに受け入れていく。運命にさからえば、運命はキバをむい
て、
私たちに襲いかかってくる。しかし運命を笑えば、運命は向こうからシッポを巻いて逃げてい
く。

 さらに大切なことは、今日一日を、愉快に楽しく生きること。

 そんな話を介護施設で知り合った男性に話すと、その男性も、そうしているとのこと。「やって
もら
おう、やってくれないと考えていると、気分が悪くなりますから、そういうことは考えないようにし

います」と。

 私も最近、その人の中に小ズルサを感じたら、その人とはつきあわないようにしている。そう
いう
人との交際は、時間の無駄。人生の無駄。つきあっても、得るものは、何もない。

 人がどう思うが、私の知ったことではない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●小ズルイ人

+++++++++++++++++

小ズルイ人は、小ズルイ。こんな話を
ワイフから聞いた。

その家の兄弟たち(男3人、女1人)が集まって、
何かの法事をすることになった。その席でのこと。

長女格のHがしばらく成り行きを見守っていた
あと、こう言ったという。

「悪いけど、花輪代だけは、私に払わせてね」と。

(「だけは……」と言うところが、恐ろしい!)

つまり「法事の費用は負担しない」「私は(女
だから)何も払う必要はない」「だが、花輪代
だけは、払わせてほしい」と。

一見、長女のHは、ほかの3人の兄弟たちの
ことを思いはかって発言したようにもみえる。
しかしよくよく考えてみると、この話はおかしい。

1人の兄弟(男)が、ワイフにこう言ったという。

「花輪代など、1万円にもならない。法事の
費用は、全部で、100万〜150万円近くもかかる。
つまり姉のHは、言外で、『私は1万円しか
払わない』と言ったのと同じです」と。

私はその話をワイフから聞いて、驚いた。
そういうことが平気で言える人(女性)というのは、
そうはいない。相当な人とみてよい

こんな例で考えてみよう。

みなで飲み食いをした。さあお開きとなったところで、
その中の1人が、こう言ったとする。

「悪いが、みんなが飲んだコーヒー代だけは、
私に払わせてほしい」と。

あなたはその言葉を聞いて、どう思うだろうか。

++++++++++++++++++

 小ズルイ人は、小ズルイ。一事が万事というか、小ズルサが、一貫している。口がうまい。相
手の
言葉尻をつかまえて、そのまま既成事実化するのも、そのひとつ。「君が、そう言ったから、私
はそ
うしただけだ」とか何とか。

 このタイプの人は、どうでもよいような話の中に、重要な話を混ぜて話す。あるいは電話だっ
たり
すると、終わりがけにチョコチョコと重要な話を織り混ぜ、「ではね、よろしくね」と言って、その
まま
電話を切ったりする。

 とぼける、忘れたフリをするなどということは、朝飯前。母が入居している介護施設で知り合
った
男性が、こんなことを話してくれた。

 その男性には、その男性も含めて、3人の兄弟がいる。実家には、母親と三男夫婦が住んで

た。が、80歳をすぎた母親の様子がおかしくなってきた。便をもらすようになった。夜中に徘徊

るようになった。

 それについて三男の妻が、不平、不満を漏らすようになった。そこで長男のその男性が、「し
ばら
く……」ということで、母親を預かることにしたという。

 「私は、あくまでもしばらく……ということで預かったのですが、こんなことがありました。3、4
か月
もたったある夜のことです。三男の妻から突然、電話がかかってきました。話を聞くと、『お母さ

の夏物の服がないはずですから、少し送ります』と。

 そのときは、私は、それに感謝して、ありがとうと言ったのですが、その翌日のこと。母親の
衣類
が、いっさいがっさい、大きな箱で、4箱も送られてきました。それには驚きました。つまり電話
をか
けてきた時点では、すでに荷物を発送していたのですね」と。

 わかるかな?

 三男の嫁は、そういう形で、母親をその男性に押しつけたことになる。小ズルイ人は、どこま
でも
小ズルイ。姑息と言うか、狡猾(こうかつ)。

 しかたないので、その男性は、母親を介護施設に入居させることにした。たまたま母親には、

産があった。現在、三男夫婦が住んでいる土地と家も、母親名義のものになっていた。こうした

産があると、介護費用の控除が受けられなくなる。満額のばあいは、月額にして、20万円近い

担になる。

 そこでその男性は、介護費用の分担を二男や三男に申し出たのだが、「お金がない」「うちも
退
職者で、年金生活をしている」とか何とか言って、だれも払わないという。だからその男性はこ
う言
った。

 「兄弟といってもですね、つごうの悪いときは、『お前は長男だから』といって、何でも私に押し

ける。つごうがよいときには、『ぼくたちは同じ兄弟だから』と言って、分け前に預かろうとする。

でに遺産分けの問題も出ています。

 三男は、『今まで実家のめんどうをみてきたのは、ぼくだから、実家はぼくのもの』という。さら

『ぼくは実家の犠牲になった』とか、『兄たちは、外へ出て、自由なことができたが、ぼくはでき
なか
った』とか言うこともあります。一方、二男は、『遺産は、平等に分けるべき』と言う。

 兄弟は他人のはじまりと言いますが、他人以上の他人になることもありますよ」と。

 つまるところ、こうした話で一貫しているのは、小ズルサということになる。みながみな、小ズ

イ。その小ズルサが、やがて不協和音となって、家族の絆を破壊する。

 では、どうするか?

 私のばあいは、「相手にしない」という方法で対処している。またそれにまさる対処方法はな
い。
やりたいようにやらせ、言いたいように言わせておく。一方、やるべきことはやるやるべきこと
はや
る。あとは考えない。無視。

 兄弟にしても、それなりの人物であれば、話も別。しかし私には、もうそういう兄弟はいない。
年も
年だし、それなりに、おかしくなってきている。だからますます相手にしない。相手にしてもしか

ない。

 どうせあと20年もすれば、(10年かもしれないが……)、みんなこの世から消えてなくなる。
大切
なことは、そこにある運命は前向きに受け入れていく。運命にさからえば、運命はキバをむい
て、
私たちに襲いかかってくる。しかし運命を笑えば、運命は向こうからシッポを巻いて逃げてい
く。

 さらに大切なことは、今日一日を、愉快に楽しく生きること。

 そんな話を介護施設で知り合った男性に話すと、その男性も、そうしているとのこと。「やって
もら
おう、やってくれないと考えていると、気分が悪くなりますから、そういうことは考えないようにし

います」と。

 私も最近、その人の中に小ズルサを感じたら、その人とはつきあわないようにしている。そう
いう
人との交際は、時間の無駄。人生の無駄。つきあっても、得るものは、何もない。

 人がどう思うが、私の知ったことではない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 5日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●赤ちゃん言葉

++++++++++++

子どもには、それが赤ちゃんで
あっても、正しい言葉で、正しい
発音で話す。

相手が子どもだからといって、
言葉を変える必要は、まったく
ない。

ないばかりか、あとあと、弊害も
生まれてくる。

++++++++++++

 日本語には幼稚語という言葉がある。たとえば「自動車」を「ブーブー」、「電車」を「ゴーゴー」

言うなど。「食べ物」を「ウマウマ」、「歩く」を「アンヨ」というのもそれだ。英語にもあるが、その
数は
日本語より、はるかに少ない。

 こうした幼稚語は、子どもの言葉の発達を遅らせるだけではなく、そこにはもうひとつ深刻な
問題
が隠されている。

 先日、遊園地へ行ったら、60歳くらいの女性が孫(5歳くらい)をつれて、ロープウェイに乗り
込ん
できた。私と背中あわせに座ったのだが、その会話を耳にして私は驚いた。その女性の話し方
が、
言葉のみならず、発音、言い方まで、幼児のそれだったのだ。「おばーチャンと、ホレ、ワー、
楽チ
ィーネー」と。

 この女性は孫を楽しませようとしていたのだろうが、一方で、孫を完全に、「子ども扱い」をし
てい
るのがわかった。一見ほほえましい光景に見えるかもしれないが、それは同時に、子どもの人

の否定そのものと言ってもよい。

もっと言えば、その女性は孫を、不完全な人間と扱うことによって、子どもに対するおとなの優
位性を、徹底的に植えつけている! それだけその女性の保護意識が強いということになる
が、それは同時に、無意識のうちにも孫に対して、依存心をもたせていることになる。ある女性
(63歳)は、最近遊びにこなくなった孫(小4男児)に対して、電話でこう言った。「おばあちゃん
のところへ遊びにおいで。お小づかいをあげるよ。それにほしいものを買ってあげるからね」
と。
これもその一例ということになる。結局はその子どもを、一人の人間として認めていない。

 欧米では、とくにアングロサクソン系の家庭では、親は子どもが生まれたときから、子どもを
一人
の人間として扱う。確かに幼稚語(たとえば「さようなら」を「ターター」と言うなど)はあるが、き
わめ
てかぎられた範囲の言葉でしかない。

こうした姿勢は、子どもの発育にも大きな影響を与える。たとえば同じ高校生をみたとき、イギ

スの高校生と、日本の高校生は、これが同じ高校生かと思うほど、人格の完成度が違う。日本
の高校生は、イギリスの高校生とくらべると、どこか幼い。幼稚っぽい。大学生にいたっては、

の差はもっと開く。

これは民族性の違いというよりは、育て方の違いそのもの。カナダで生まれ育った日系人の高
校生にしても、日本の高校生より、はるかにおとなっぽい。こうした違いは、少し外国に住んだ

験のある人なら、だれでも知っていること。その違いを生み出す背景にあるのが、子どもを子

ものときから、子ども扱いして育てる日本型の子育て法にあることは、言うまでもない。

 何気なく使う幼稚語だが、その背後には、深刻な問題が隠されている。それがこの文をとお

て、わかってもらえれば幸いである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●勇気

+++++++++++++++

昨夜、コンビニの前を通ると、
小さなサイフが落ちていた。

イヤ〜ナ気分だった。
私はそれを拾うと、自転車の前の
かごに入れた。

途中、信号待ちのところで、サイフを
開いてみると、何枚かのカードが
入っているのが、わかった。
住所と名前が書いてあった。

イヤ〜ナ気分だった。本来なら、
そのままコンビニの店員に渡すべき
だった。

悶々とした気分。
「もらっちゃえ」と言う、自分。
「落としたヤツが悪いんだ」と言う、自分。
そんな自分が、そこにいた。

そんな自分を感じながら、家に着いた。
ワイフがそこにいて、「お帰り!」と
声をかけてくれた。

明るい声だった。

私「サイフを拾っちゃった」
ワ「どこで?」
私「あの○○のコンビニの前」
ワ「……」
私「名前と電話番号が書いているから、
そこへ電話して!」
ワ「うん」と。

あとの処理は、ワイフに任せた。
いくら入っているかは、見なかった。
知りたくもなかった。

かばんをかけて、書斎へ入るとき、
振り返ると、ワイフは、どこかへ
電話をかけていた。

よかった……。

夜、床についてから、私は、ワイフに
こう言った。

「サイフを拾うたびに、いまだに迷う。
子どものころの、あの邪悪な小ズルサ、
それが、いまだに、ぼくの心の中で生きている。

ぼくが子どものころには、拾ったお金は、
そのまま自分のものになった。

ぼくはそういう時代に生きていた」と。

+++++++++++++++

 ほかのことでは迷わない私でも、どういうわけか、拾ったお金については、そうではない。迷
う。
私が子どものころには、終戦直後ということもあって、拾ったお金は、拾った子どものものだっ
た。
当時は、そういう時代だった。

 モラルもルールも、なかった。親たちにしても、食べていくだけで、精一杯。家庭教育の「か」
の字
もないような時代だった。

 だから今でも、迷う。「返そう」という自分と、「もらっちゃえ」という自分。その2人が、自分の
中で、
はげしく対立する。一度、心にしみついた(汚れ)は、そう簡単には消えない。昨夜もそうだっ
た。

 で、ここに書いたように、今回は、処理は、ワイフに任せた。数年前にも一度、同じようにコン
ビニ
の前で拾ったことがある。そのときは、コンビニの店員に届けた。しかし今回は、自転車のかご

入れて、もち帰ってしまった。

 つまり、このあたりに、私の善人としての限界がある。が、限界といっても、このところ、輪郭
(りん
かく)が、ぼやけてきた。以前は、コンクリートの壁のようだったが、今は、木の柵のようになっ
た。
簡単に乗り越えられる。

 おかげで、今朝は、どこかすがすがしい。さわやかな気分。心の中で、掃除機をかけたような

分といってもよい。それに少しだが、自分に自信がついた。

 世の中には、こわいものはいくらでもある。子どもたちは、「お化け」「幽霊」というが、それも
そう
かもしれない。

 しかしほんとうにこわいのは、自分自身である。自分自身の中に潜む、邪悪な自分である。こ

邪悪な自分に毒されると、人生そのものを無駄にしてしまう。前にも書いたが、「今、生きてい
る」
という、その一時(いっとき)一時の時間ほど、貴重な財産はない。その財産を、無駄にしてしま
う。

 その邪悪な自分と戦うためには、勇気がいる。どういうわけだか、勇気がいる。しかしその勇
気を
実感したとき、それが今度は、喜びに変わる。ここに書いた、「自信」も、そこから生まれる。

 「よかった!」と思ったところで、この話は、おしまい。今日(8月31日)も、始まった。

 みなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●生意気な子ども

++++++++++++++

とんでもないほど、生意気な
子どもというのは、いる。

私に向かって、「あんたは、
ほんとうにどうしようもないジジイだね」と
言った子ども(小6女子)がいた。

子どもらしい、冗談めいた言い方では
ない。憎しみをこめた言い方で、そう言う。

しかしそういうとき、表面的な様子に
まどわされてはいけない。

子どもは、そういう言い方をすることに
よって、一義的には、自分の優位性を
確保しようとする。

思春期の子どもによく見られる現象
である。

それにもう一つは、こういうケースの
ばあい、私に、だれかを投影させて
いるばあいが多い。

その女の子ばあいは、きびしい父親を
私に投影させていた。「きびしい」というよりは、
冷酷? そういう父親を、私に投影させて、
私に反抗していた。

わかりやすく言えば、父親には反抗できない
から、その下位にいる私に向かって反抗する。
そして自分の中にたまった欲求不満を
それによって解消する。

では、私は、どうすべきなのか?

相手は、どうせ、子ども。こういうケースでは、
けっして、本気になって対峙してはいけない。

適当にあしらって、適当にすます。

子どもはムキになって、ますます
言いたいことを言うが、言わせておけばよい。

10年ほど前だが、私にこう言った子ども(中2・
女子)もいた。

「あんたも、くだらねえ仕事してるね。
私しゃ、おとなになっても、あんたのしている
ようなくだらねえ、仕事なんかしないよ。
もう少し、マシな仕事をすっから……」と。

その子どもも、そういう形で、ガス抜きを
していた。

が、ひととおりガスが抜きがすむと、
また静かに落ち着く。

私は私で、言うべきことは言って、それで
すます。

あとはいつもの、のんびりとした時間。
くつろいだ時間。30分もすると、おだやかな
雰囲気に包まれる。

+++++++++++++++

 「優位性」については、たびたび、書いてきた。「子どもの優位性」をつぶしてしまうと、それを

どもは、「劣等感」としてしまう。それについて書いたのが、つぎの原稿。

+++++++++++++++

【劣等感と依存性】

●劣等感を克服する二つの方法

 本来なら、劣等感(コンプレックス)などというものは、少なければ少ないほどよい。しかし人
はだ
れしも劣等感をもっている。多かれ少なかれ、劣等感のない人はいない。その原因は、人間
が、あ
る時期、子どもであったことによる。

つまり子どもの世界からみると、おとなたちは常に、支配者でしかない。子どもであるがため
に、
いくらがんばっても、おとなには勝てない。体も小さい。体力も弱い。知識や経験では、とても勝
てない。そういう「思い」が、長い時間をかけて、子どもの心の中に蓄積される。そしてそれが劣
等感の原型となる。

 だれしも劣等感をもっているとしても、その劣等感と戦う方法として、人は取りあえず、二つの

から選択する。ひとつは、前向きに、つまりプラス方向に戦う方法。何とか、周囲のものを見返
して
やりたいと思うのがそれ。このタイプの人は、名誉や地位、肩書きを求め、他人より優位に立
つこ
とで、その劣等感を克服しようとする。

 もうひとつは、反対に、自分をより下位に置くことにより、相手の同情を誘ったり、援助を求め

方法。前向きに戦う方法を、プラス型というなら、こちらはマイナス型ということになる。こういう

向は、女性に多い。

ある女性(60歳)は、ことあるごとに、自分の息子や娘にこう言っていた。「お母さんも、歳をと

たからねエ〜」と。このタイプの女性は、そう言いながら、言外で、「だから何とかしてほしい」と
言う。つまりそう言いながら、相手が、「では、何とかしてあげますよ」と言うのを待っている。

●マイナス型の克服法

一見、正反対に見える方向性だが、プラス型にせよ、マイナス型にせよ、この二つのタイプに
は、大きな共通点がある。それはともに、相手を支配したいという欲望である。つまりプラス型
は、自分を相手よりより優位な立場に置くことによって、相手を支配しようとする。一方、マイナ
ス型は、相手に同情させ、援助させることにより、相手を自分の支配下に置こうとする。

 こうした心の反応を、「優位性の確保」という。しかし時として、その優位性の確保が、ゆがむ
とき
がある。

 ある母親は、息子(40歳)から、電話がかかってきて、息子が、「お母さん、生活費はあるの
か?」と聞くと、いつもこう言っていた。「お母さんはね、イモを食べていればいいんだよ。近所
の友
だちが、先週、イモを届けてくれてね。それを毎日食べているから、心配しなくていいよ」と。

 つまりこの女性は、「心配しなくていいよ」と言いながら、その実、子どもに心配させている。心

させながら、子どもから援助を引き出そうとしている。が、それだけではない。そういう息子を、

方的に、「親思いの、いい息子」と位置づけることによって、自分の親としての優位性を保とうと

ている。

 こういう心理、つまり、自分の劣等性を、何らかの形で補おうとする心理を、心理学の世界で

「補償」という。こうした補償は、多かれ少なかれ、ほとんどの人に見られる。が、その中でも、
自立
心の弱い、つまりは依存心の強い人ほど、その傾向が強い。

 それをさらに説明するために、二人の人を想定してみる。

●二つのタイプ

 一人(A氏)は、仕事人間。明けても暮れても、考えることは、仕事のことばかり。出世が生き

いで、いつも「いつかは自分もそれなりの人間になって、社会から認められたい」と願ってい
る。

 もう一人(B氏)は、いわゆるダメ人間。何をしても失敗ばかり。仕事もうまくいかない。努力も

ない。まわりの人が、「あなたは本当は、やればできるはず」と励ませば励ますほど、怠(なま)

てしまう。

 この二人も、見たところ、まったく正反対の人間に見える。A氏はたいへん自立心が旺盛。生

態度も、積極的で、攻撃的だ。それにくらべてB氏は、自立心が弱く。生活態度も、消極的で、

衛的。

しかしA氏もB氏も、自分の劣等感を克服しようとしている点では、共通している。A氏は、「何と
か認められたい」と思って、そうしている。「私はすばらしい人間なのだ。だから人が私に従うの
は当然だ」と思うことで、自分の優位性を保とうする。一方、B氏も、相手に「やればできるは
ず」
と思わせて、自分の立場をとりつくろっている。「やればできるのだが、自分がダメなのは、や

ないからだ」と、そう相手に思わせることで、自分の優位性を保とうとする。

 少しわかりにくいかもしれないが、B氏のようなケースは、子どもの世界ではよく見られる。

●「やればできるはず」と思わせて、自分の立場を守る

 たとえばC君(小5)は、たいへん学習態度が悪い。授業中も、ふざけて遊んでばかりいる。
先生
が何かを注意しても、それを茶化したり、あるいは適当にごまかしてしまう。もちろん成績も悪
い。

そういうC君をよく観察すると、ふざけることによって、自分の立場をとりつくろっているのがわ

る。まじめに学習し、まじめに取り組んで、それで勉強ができなければ、自分はバカだというレ

テルを張られてしまう。そこでC君は、自らふざけることによって、そのレッテルが張られるのを
避けようとする。先生やまわりの仲間に、「ぼくは本当は、やればできる人間なのだが、できな
いのは、まじめにやっていないからだ」と思わせる。思わせることによって、自分の立場を守ろ

とする。

 こんなケースもある。N君(小6)は、親の期待と、自分の実力のギャップの中で、悩んでい
た。…
…悩んでいるはずだった。親は「何とかA中学へ」と言っていた。しかしN君には、その力がな
かっ
た。多分そのとき、C中学どころか、D中学ですら、あぶなかったかもしれない。そこで私はN君
に、
こうアドバイスした。「君の力は、君が一番よく知っているはずだ。だったら、一度、お父さんに
君の
力を、正直に話したほうがよい」と。

 しかしN君は、決して、自分の実力のことは話さなかった。話せば、自分の立場がなくなってし

うからだ。N君は、父親や母親には、「やればできる」と思わせることで、自分の立場を守って

た。自分のわがままをとおしていた。「成績が悪いのは、先生の教え方が悪いからだ」「成績が

いのは、部活動が忙しく、勉強時間がないからだ」と。

●結局は依存性の問題

 こうした劣等感を、なぜもつかといえば、結局は、その人の依存性の問題に行きつく。もし真
の意
味で、自立心が旺盛であるなら、そもそも劣等感など、もたない。「私は私。人は人」という生き

マをつらぬく。が、依存性の強い人は、それができない。できない分だけ、劣等感をもつ。

 わかりやすい例では、容姿コンプレックスがある。鼻が低い、肌が黒い、足が短い、など。そ
うい
う劣等感をもつ人というのは、結局は他人に依存したいという思いが転じて、劣等感となる。こ

時点で、「私は私。人は人。人が何と思おうが、私には関係ない」という姿勢があれば、容姿コ
ンプ
レックスなど、吹っ飛んでしまうはず。

 が、その依存心を払拭(ふっしょく)できない。だからたとえば、顔を整形をしてみたり、あるい
は、
人前に出るのを避けたりするようになる。ある女性は、テレビの番組の中で、こう話していた。
「整
形をしたおかげで、人生が、バラ色になりました。生きザマも前向きになりました。それまでの
私は、
人前に出るのもいやで、家の中にずっと引きこもったままでした……」と。その女性は、その番

の中で、整形手術を受けていた。

しかしその女性は、何も変わってはいない。「変わった」と思っているのは、彼女の脳の中で
も、
表面的な部分だけ。もっとはっきり言えば、彼女自身の本質、つまり依存性は、何も変わって

ない。「生きザマが前向きになった」といっても、依存性そのものが消えたわけではない。先の
例でいうなら、B氏的だった彼女が、A氏的になっただけにすぎない。

 要するに、表面的な症状には、だまされてはいけないということ。とくに子どものばあいはそう
で、一見、正反対に見える子どもでも、その中身は同じということは、よくある。その一つの例と

て、ここでは劣等感を考えてみた。

【教訓】

●子どもたちに、一方的に、おとなの優位性を見せつけたり、押しつけてはいけない。おとなの
力で、子どもをねじ伏せたり、やりこめてもいけない。子どもに不要な劣等感をもたせないため
には、ときには、バカなフリをしたり、負けたフリをして、子どものほうを優位な立場に立たせ
る。
そしてそうすることによって、子どもに依存心をもたせることを防ぐことができる。
(030216)

【追記】
 この原稿を読んで聞かせると、ワイフはこう言った。「整形する人というのは、整形する前も、
そし
て整形したあとも、他人の目を気にしているのね。つまりは他人への依存性という点では、何も

わっていないのね」と。

 ワイフのこの言葉は、よく的(まと)をとらえているので、ここに追記として、記録しておく。それ

ワイフはこうも言った。「本当に自立心のある人は、他人の目など気にしない。他人に認められ
ると
か、認められないとか、そういうことは関係なく、マイペースでいくものね」と。この言葉も、たし
かに
的をとらえている。そしていつしか話は、鈴木M氏という政治家の話になった。昨年、贈収賄事

で逮捕された政治家である。

「ああいう政治家を見ていると、劣等感のかたまりのような気がする」と私。
「そうね、ああいう政治家は、自分の劣等感をごまかすために、政治家になったようなものね」
とワ
イフ。
「出世欲、名誉欲にとりつかれた人というのは、たいていこのタイプの人と見てよい」
「自分の劣等感を克服するために……?」
「いいや、そのやり方では、本当のところ、克服はできない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「劣等感というのは、心という内面世界の問題だろ。いくら外の世界で自分をとりつくろっても、

服はできない」
「自分をつくれということ?」
「そういうことになる」

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 優位
性の
確保 子どもの優位性 優位性 子供の優位性 劣等感 コンプレックス 反抗する子供 反
抗期 
思春期の反抗)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本人の笑い

++++++++++++

我ら、極東アジアの島国
原住民。その原住民には、
世界の人たちに、どうにも
こうにも理解されない風習
がある。

それがあの「笑い」。

++++++++++++

 先日、横道から飛び出した車と、あやうく衝突しようになった。見ると、30歳くらいの女性だっ
た。
「あぶない!」と思ってその女性を見ると、女性は視線をそらしたまま、ニヤニヤ笑っていた。
いわ
ゆる苦笑い(?)である。

 この笑いほど、世界で理解されない笑いはない。ほかにプラットホームで、電車に乗り遅れた

が笑う、打者にデッドボールを当てたピッチャーが笑う、テストの点で悪い点をとった子どもが

う、など。外国では、日本人の苦笑いは、相手をバカにした笑いととらえられる。それが原因
で、け
んかになることもある。

 なぜ、こういうとき日本人は笑うかということを考える前に、こんな笑いもある。

 日本語を覚えたての外国人は、当然のことながら、よくまちがえる。この前もテレビを見てい

ら、「辛抱する」というべきところを、「チン棒する」と言っていた外国人がいた。お笑い番組だっ

ので、わざとまちがえて視聴者を笑わせていたのだろう。が、こういうとき日本人は実によく笑
う。
ゲラゲラと笑う。しかし、外国人は笑わない。こういうとき笑うと、相手をバカにしたことになる。

にもこんな経験がある。

 留学時代、みなの前で歌を歌うことになった。私は「七つの水仙」(ブラザーズフォーの名曲)
を歌った。がその中で、「crust(パンの耳)」と歌うべきところを、「xxxxx(股の隠語)」と歌っ
てしまった。

私は友人のギター演奏で気持ちよく歌っていたのだが、その箇所になると、オーストラリア
の友人たちはみな、一斉に口を押さえた。あとでその理由を聞いて笑ったのは、むしろ私のほ
うあ
った。彼らにしてもれば、他人の失敗を笑うことは、タブー中のタブーなのだ。

 日本人は自分の失敗をごまかすために笑う。同時に相手がまちがえると、自分の優位性を
示す
ために笑う。これもルーツをたどれば、長くつづいた封建時代にある? 抑圧された環境の中
で、
民族としての心までゆがんでしまった。今の若い人には信じられないような話だが、私が子ども

ころには、たとえば身体に障害のある人をも、蔑視語を使って、平気で笑っていた。ごく最近ま
で、
外国の人を見ると、「ガイジン、ガイジン」と笑っていた。

 何でもないようなことだが、「笑い」も国によって、違う。そして日本人の笑いは、決して世界の

準ではない。少なくとも、外国では、「他人の不幸や失敗を笑ってはいけない」と、親は子どもに

える。しかしこんなことは、人間として常識ではないか。

 日本人の笑いについて、考えてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【人種差別と国際性(アジア人は第二級人種)】

●人種差別

++++++++++++++

「民族」とは何か。

「我が民族はすぐれている」と思うのは
その人の勝手。そう思いたければ、
そう思えばよい。

しかしその返す刀で、「相手は劣って
いる」とは思ってはいけない。

++++++++++++++

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリア人がすわ

た。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。「立ち去れ」という合
図で
ある。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた

が、そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。長い髪の
毛で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たちに向かって、低

声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。その一言で、学生たちはスプーンを
たたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その大男というのが、デニス君だった。本名は、
デニス・キシアという。今でも私の無二の親友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち三人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってきた。
そし
てハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。しかし品位に

けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの飯はまずいと言って
は、
どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中で焼いて食べたりしていた。

その中の一人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移民させるも
んじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界の人
は、
半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむしろ光栄なこと
とし
てとらえていた。

しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。結婚して
も、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格下げされた。その
法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアはまだ、白豪主義(ホワイ
ト・
ポリシー)にこだわっていた。

つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出してしまうだ
ろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。いや、医師だけではな
い。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い女性たちはキャーキャー

声を出して騒いでいた。

なぜ騒いでいたかは、ここには書けない。書けないが、日本人ならその理由がわかるはずだ。

かし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、四〜五波に分けて、アジア大陸から移住し
てきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもっている。つまり私たち
日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどうかしている。

●民族の優位性など意味がない

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち去れ」
とい
う合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、問題はその先
だ。
人種差別をされると、人は二つの考え方をするようになる。

一つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう一つは、
「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

どちらの考え方をもつにせよ、一つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性などと

うものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を認め、尊重しあう

とだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることができる。が、そうした世界観
は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人でありながら、日本人は自らを欧

人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引いていた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●運動

++++++++++++++

今週の運動量(8月31日)

月 2単位
火 1単位
水 1単位+30分のウォーキング
木 2単位
金 2単位(予定)

1単位=40分の自転車運動+通勤

++++++++++++++

 今週は、今日(金曜日)の分まで含めると、8単位の運動ということになる。平均な運動量で

る。先週は5単位。何かと体の調子が悪かった。この浜松市でも、35度を超える猛暑がつづ
いた。

 ところが今日は、一転、寒さを感ずるほど、涼しい。バンザ〜イ! 運動の季節! 9月は講
演の
季節でもある。あちこちへ講演に行くたびに、ワイフと散策をすることにしている。最近では、そ

が楽しみで、講演に行くようなもの。

 たとえば講演が朝の10時からだったとする。私たちは現地には8時ごろ着く。あちこちを歩
き回
る。反対に、講演が終わったあと、食事もかねて、あちこちを歩き回ることもある。講演先の情
報を
手に入れるのは、ワイフの役目。

 ところが、である。最近は、その運動量にも不足感を覚えるようになった。体のほうが、運動
より
も先に弱っていく。たとえば若いときは、1週間、何も運動をしなくても、それなりに体が動い
た。し
かし今は、1週間、2〜3単位の運動量では、足りない。それなりに健康を維持しようと思った
ら、最
低でも6〜8単位は必要である。

 友人たちの話を聞くと、意外と習慣として運動をしている人は少ない。毎日(毎週)、運動を欠

さないでしている人は、3人に1人くらいではないか。「それでよく体がもつなあ」と感心すると、
「ま
あね」などと答えたりする。

 運動というのは、しなければしないで、すむものなのか? しかしまったくしない、というのも、
よく
ない。わかりきったことだが……。

 来週は、10単位を目標にする。

(付記)

 健康といっても、(1)肉体の健康、(2)脳みその健康、(3)精神の健康の3つがある。これら
3つ
は、相互に深く関連しあっている。運動をサボると、むずかしい数学の問題が解けなくなる。イ
ライ
ラしたり、いじけやすくなる。

 そう言えば、数日前に、名前がよく知られていた作家が死んだ。享年78歳だったという。私
はそ
の作家の写真を見て、驚いた。

 顔がボロボロ。何というか、不健康に不健康を重ね、さらにその上に不健康を重ねたような
顔を
していた。映画『スターウォーズ』に出てくる、ジャバ様のような顔をしていた。写真を撮ったの

何歳のときか知らないが、78歳よりは若かったはず。

 たぶん、忙しくて、運動もしなかったのだろう。それがありありとよくわかる顔をしていた。

 そこで究極の選択。

 著名(=金持ち)になることと、健康、どちらかを選べと言われたら……? 私はやはり、迷わ

健康を選ぶ。お金は嫌いではないが、不健康になったら、私は私でなくなってしまう。とくに脳み

の健康は大切にしたい。

 ただし一言。50歳を過ぎたら、「健康になろう」などとは思わないこと。「今ある健康の維持」
だけ
を考える。それで精一杯。維持できれば、御の字。

 大切なのは、それまでにいかにして、運動の習慣をつくるかということ。私の知人の中には、
「さ
あ、定年退職!」ということで、スポーツジムに通い始めた人がいる。公民館でのスポーツクラ

に入った人もいる。(歩け歩けの会)に入った人もいる。「週2回は、ゴルフ」と決めた人もいる。

 しかしそういうのは、長つづきしない。しても1〜2年。長くて3年。だんだん運動をサボるよう
にな
り、あとは老後へとまっしぐら。それがわからなければ、老人介護施設を一度は、のぞいてみ
ること
だ。

 あそこにいる老人たちとて、私たちと寸部ちがわない人生を送っていた。同じことを考えてい
た。
が、やがて支援や介護が必要となった。私やあなただけが、例外ということは、ありえない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

●まだまだつづく、日韓経済戦争

+++++++++++++++++

韓国の中央N報は、こう伝える。

「 旅行収支赤字は増えたが、7月の経常収支は
16億4000万ドルの黒字を記録した」と。

しかしこれはウソ。こうしたウソには、じゅうぶん、
注意されたし。

+++++++++++++++++

 まず中央N報(9月1日付)を読んでみよう。そこには、こうある。

『韓銀の関係者は、「7月の韓国人出国者数は、前月比21.9%増となり、旅行収支赤字が増

た」と説明した。 韓銀は今年の旅行収支赤字は過去最高の150億ドルに達すると見込んでい
る。これは前年(129億ドル)比16%増。 

  旅行収支赤字は増えたが、7月の経常収支は16億4000万ドルの黒字を記録した。 商品
輸出
入による商品収支黒字が減少し、旅行収支を含むサービス収支も赤字となったが、海外投資

に対する配当金支給が減り、所得収支が黒字を記録したからだ』と。

 この記事の中で、注目すべき点は、「旅行収支は赤字になった」という点。理由として、「7月
の韓
国人出獄者数は、前月比21・9%増」であったからだという。

 が、ここでも、数字のマジック。わかるかな?

 「前月比」という文字と、「前年比」という文字に注目してほしい。

 「出国者数は、……前月比で、21・9%増えた」
 「旅行収支の赤字は、……前年比で、16%増の予定」と。

 この記事を読むと、あたかも韓国の景気はよく、そのため旅行者が増えて、赤字がふくらん
だか
のような印象をもつ。しかし実際に内容をよく調べてみると、旅行収支が赤字になったのは、旅

客が増えたことだけが原因ではない。

 韓国の若者たち(30歳未満)の海外流出は、止まらない。05年度だけでも、韓国からの長
期出
国者数は、8万人を超えている。(毎年8万人だぞ!) その数は、毎年、倍々でふえている。こ
うし
た若者たちには、帰国の意思はほとんどない。

 そういう若者たちへの仕送りも含めて、「旅行収支」としている。

 が、最大のウソは、つづく、そのあと。もう一度、よく読んでほしい。

 『 旅行収支赤字は増えたが、7月の経常収支は16億4000万ドルの黒字を記録した。 商
品輸
出入による商品収支黒字が減少し、旅行収支を含むサービス収支も赤字となったが、海外投

家に対する配当金支給が減り、所得収支が黒字を記録したからだ』と。

 所得収支について、統計の取り方は、国によってちがう。

 韓国では、資本収支の中に、(1)直接投資収支、(2)証券投資収支のほか、(3)その他の
投資
収支も含めている。

 前にも書いたが、この(3)の「その他の投資収支」というのが、クセモノ。中身は、外国からの

期借入金をいう。つまり、「借金!」。もっとわかりやすく言えば、韓国では、外国からの借金ま
で、
「収支」に加えてしまっている。当然のことながら、借金をすればするほど、「その他の投資収
支」
は、黒字になる。

 その額が、06年だけでも、約470億ドルの黒字?、ということになっている(韓銀)。

 「借金」と「投資」は、中身的には、よく似ている。たとえばあなたが銀行から1000万円を借
りて、
店舗を改装したとしよう。借金は借金だが、見方によっては、銀行による投資ともとれる。「銀

が、店舗の改装のために、1000万円、投資してくれた」と。

 しかし借金は、借金。いつかは返済しなければならない。これに対して、投資のばあいは、損

は、投資家に転嫁される。事業に失敗しても、返済する義務はない。こうしたカラクリをたくみに

りながら、「7月の経常収支は16億4000万ドルの黒字を記録した」と。

 では、実際には、どうか?

 実は、それがますますわかりにくくなってきている。韓国のN大統領は、マスコミの取材の規

を、強めている。東亜N報は、『……財政経済部は、現政府の取材統制案に合わせ、「新事
実」に
ついてのマスコミの個別取材に事実上応じない動きを見せている』と報じている。

 いったい、韓国の国家経済は、どうなっているのか? 貿易収支による黒字幅は、この数
年、激
減し、07年〜08年には、とうとう赤字に転落すると言われている。N大統領は、「外貨準備高
は世
界○○位」と豪語しているが、外貨などというものは、ためこんでも意味はない。

 世界に投資して、はじめて、生きる。家計における貯金によくたとえられるが、貯金とは、意
味が
ちがう。しかも、これにもカラクリがある。

 あなたは国際舞台で活躍する投資家だ。そのあなたは、まず、どこかでお金を借りなければ
なら
ない。そのとき、あなたはどうするだろうか。

 金利の安いJ銀行で借りるだろうか。それとも金利の高いA銀行で借りるだろうか。当然、あ
なた
は、J銀行からお金を借りる。

 が、そのお金は、一度、アメリカドルに交換しなければならない。「交換」というのは、このばあ
い、円を売って、ドルを買うことを意味する。

 さあ、そのドルが、国際社会で、ジャブジャブになっている。

 そこで今度は、韓国のN大統領の立場で考えてみよう。(N大統領に、それだけの経済知識
があ
るとは、とうてい思えないが……。)あなたはそのお金がほしくて、たまらない。何としても、韓国

内に呼び込みたい。しかし世界の投資家たちは、簡単には動いてくれない。

 そこでN大統領は、政策金利を高く設定する。つまりこれは魚釣りのエサのようなもの。現
在、韓
国の政策金利は、年5・0%だが、日本のそれと比べたら、20倍も高い。

 世界の投資家たちは、当然、そのエサに飛びついてくる。が、このとき、今度は、アメリカドル
を、
韓国ウォンに変換しなければならない。このばあい、「変換」というのは、ドルを売って、ウォン
を買
うことを意味する。

 だからウォン高になる。韓国側から見れば、みなが、ウォンを買ってくれるわけだから、その
分だ
け、アメリカドル、つまり外貨がふえることになる。しかしこの外貨は、使うことのできない外貨
であ
る。(だから「貯金」とは、意味がちがう。)

 売ったとたん、今度は、その分だけ、ウォン安になってしまう。

 では、現実は、どうか? 数年前、韓国のH自動車製造会社は、莫大な投資をして、中国本

に、自動車製造工場を建てた。が、その直後から、経営不振。経営不振と言うより、日本車が
本格
的に乗り込んできた。

 結果、今年(07)は、昨年度より、18%近くも売り上げが減り、とうとうトップ10からも脱落し
てし
まった。

 だったら、ウォン安にすればよい。ウォン安にして、国際競争力を強化すればよい。……とだ
れし
も、考える。常識のある人なら、そう考える。が、そうはいかない。いかないところに、韓国のジ
レン
マ、つまりアキレス腱がある。

 ここでへたにウォン安になれば、とたんに外資が逃げる。逃げたとたん、70兆円とも80兆円
とも
言われる個人負債が、爆発する。バブル経済が崩壊する。

 その危機は、刻一刻と、迫ってきている。

 韓国のマスコミが発表する、派手なアドバルーン、誇大広告にだまされてはいけない。もちろ

こうした記事は、慎重に読まなければならない。

【参考資料】

(朝鮮N報・9月1日)
 韓国人が海外旅行や留学などで使った金額は19億8330万ドル(約2296億円)だったのに対
し、外国人観光客と留学生が韓国で使った金額は4億3060万ドル(約498億円)にとどまった。
これにより、旅行収支は15億5270万ドル(約1797億円)の赤字となり、赤字幅は今年1月の14
億7000万ドル(約1702億円)を更新した。1−7月の旅行収支累積赤字は88億ドル(約1兆187
億円)、前年同期(70億ドル=約8103億円)に比べ25%増加した。

(東亜N報・9月1日)
財政経済部が、現政府の取材統制案に合わせ、「新事実」についてのマスコミの個別取材に
事実
上応じない動きを見せている。 

これは、政府がすべてのマスコミに新しい政策を共同で発表するまで、マスコミの独自取材行

を無力化するという意味を含んでおり、国民の「知る権利」と言論の自由を深刻に脅かす可能

が高い。 


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●英会話、2つの壁

++++++++++++++

本格的に英語を勉強していると、
そこに2つの壁があることがわかる。

(1)発音の壁
(2)表現の壁、である。

++++++++++++++

 本格的……つまり海外留学で、本格的に英語を勉強していると、そこに2つの壁があること
がわ
かる。(1)発音の壁と、(2)表現の壁である。

 発音の壁というのは、それまでに身につけた日本語式の発音を、かなぐり捨て、現地の発音

自らを浸透させることをいう。

 表現の壁というのは、日本式の「型」にはまった表現方法から脱却し、英語式の自由な表現
方法
に、自らを浸透させることをいう。私の経験を話す。

 それまで私は、どういうわけか、日本で学んだ、日本式の発音にこだわっていた。あのメラメ
ラと
した現地の英語に、どうしてもなじめなかった。で、私は私と思い、もっと言えば、日本人には
日本
人の英語があると思い、いわゆるジャパニーズ英語を、そのまま話していた。

 が、私の英語は、彼らにはかなり聞きづらかったらしい。それがやがてわかり、あるときか
ら、私
は、思い切って、彼らの話す英語式の英語を口にしてみた。が、これがおもしろいほど、彼らに
通じ
た。

 「アイ・アム・ヒロシ」ではなく、「ウアイ・エム・ヒロウシー」と。

 これが発音の壁である。

 つぎの表現の壁。このことは、先日、息子に教えた。

 たとえば、息子(三男)は、電話でこう言った。「I WILL GO TO NIIGATA NEXT
 WEEK.(ぼくは来週、新潟へ行く)」と。

 息子たちとは、よく英語で話す。そのとき、そう言った。パイロットのオブザーバー(コックピッ
トの
見学者)として、新潟へ行くという意味で、息子は、そう言った。

私「あのなあ、英語というのは、もっと自由な言葉だよ」
息「自由って?」
私「型はないということ。感性でものを話す」
息「……?」
私「たとえば、『ぼくは新潟へ行く』でも、『ぼくは新潟へ、空を横切る』とか、『新潟へ白い雲を突

切る』とか、あるいは『ぼくは新潟へ鳥になる』とかなど。いろいろな表現を、そのときの感性
で、自
由に話していい」
息「そう言えば、そうだね」
私「またそういう言い方ができる人を、英語国では、感性が豊かな人という。理知的な人とい
う。言
葉が、生活を豊かにする」と。

 「I WILL GO TO NIIGATA.」ではなく、「I WILL BE A BIRD TO 
NIIGATA CROSSING SUMMER BLUE SKY.(ぼくは夏の青い空を横切って、
新潟へ鳥になるよ)」と。

 日本語と英語には、いろいろとちがいはあるが、これもそのひとつ。またそうした自由な表現
に、
英語国の人たちは、寛大である。日本人のように、「キザだ」とか、そういうことは言わない。

 この2つの壁を越えてはじめて、その人は、英語を話せる人ということになる。

 「I WILL GO TO NIIGATA.」は、英語でもなんでもない。ただの単語を並べただけ。
それがわからなければ、一度は、シェークスピア文学に目を通してみればよい。悲しいかな、
日本には、そういう自由な表現方法を許す寛容さそのものがない。いつも(型キリ文句)に
こだわる。そしてそれがそのまま、世界の言葉と思いこんでしまう。

 しかしそれはたいへんな誤解。日本ではそれでよいとしても、外国ではちがう。それを息子に

した。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●子どもの状況判断

+++++++++++

子ども自身が、自分で
状況を判断できないようなときは、
周囲の人、(とくに母親)の
様子をみて、状況を判断
する。

そういう意味では、『母親の
心は、子どもの心』と覚えて
おくとよい。

よく知られた実験に、J・ソース
という学者がした実験がある(1981)。

子ども(乳幼児)のそばに、おもちゃを
置いておく。

そのとき、母親が安心した表情を
して見せると、75%の子どもは、
そのおもちゃを手にしたという。

反対に、母親が不安そうな表情
をして見せたところ、子どもは、
だれもそのおもちゃを手にしな
かったという。

+++++++++++

 うつ病質タイプで、かつ神経質な母親がいた。当然のことながら、子どもは、その母親の影響

モロに受ける。ハキがなく、いつもオドオドしている。が、こういうケースでも、自分に原因がある

思う母親は、まず、いない。

 「どうしてうちの子は、ハキがないのでしょう?」と、私に相談してくる。「どうすれば、うちの子
も、
みなのようにハキのはる子どもにすることができるでしょうか?」と。

 こういうときは、『母親の心は、子どもの心』と心得ておくとよい。よく知られた実験に、J・ソー
スと
いう学者がした実験がある(1981)。

 J・ソースは、乳幼児のそばに、おもちゃを置き、そばに母親を立たせてみた。そのとき、母
親が
安心した表情をして見せると、75%の子どもは、そのおもちゃを手にとってみたという。反対
に、母
親が不安そうな表情をして見せたところ、おもちゃを手にした子どもはゼロ、つまりいなかった
とい
う。

 その瞬間、瞬間において、子どもは自分で状況を判断できないときは、まわりの人、とくに母

の表情、しぐさ、雰囲気を観察しながら、状況を判断する。母親の心は、モロに、子どもに伝わ
る。

 少し話は飛躍するが、母親が日常生活において、慢性的に不安感を覚えていると、子ども自

も、(日常生活)に対して、不安感を覚えるようになる。その不安感が、自信喪失、自己否定、
自己
評価の損傷へとつながっていく。結果的に、ここでいうような、ハキがなく、いつもオドオドした感

の子どもになることも、珍しくない。

 では、子どもを伸ばすには、どうしたらよいかということになるが、答は、もうおわかりのここと

う。

 母親自身が、前向きに、ハキハキと、ものごとに自信をもって、明るく生きていく。そういう姿
を見
ながら、子どもは、(日常生活)に自信をもち、同じように、前向きに生きていくことができるよう

なる。つまり、これは子どもの問題ではなく、親の問題であるということ。

 そこでテスト。

 あなたは今の今、前向きに、ハキハキと、ものごとに自信をもって、明るく生きているか? も

そうなら、それでよし。そうでないというのなら、あなたの子どもに何か問題があっても、文句は

わないこと。子どもだけを見て、子どもだけを直そうと思わないこと。それこそ、親の身勝手とい

もの。

 さらに、もし今、あなたが、「うちの子は、何をしても心配だ」「不安だ」「だいじょうぶかしら?」
など
と思っていたとしたら、そういう気持ちとは、できるだけはやく、決別すること。方法は簡単。

 最初はウソでもよいから、「あなたはすばらしい子」「あなたはいい子」を、念仏のように子ども

向かって唱える。つまりそういう形で、自分の心を作りかえる。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面だけを見せようとする。そういう子
ども
の性質を使って、子どもを伸ばす。やがてあなたが自然な形で、「あなたはすばらしい小」「あな

はいい子」と言えるようになったとき、あなたの子どもは、そのすばらしい子、いい子になってい
る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 J・ソ
ース 
状況判断 状況判断能力 子供の状況判断)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●外責型人間VS内責型人間

+++++++++++++++++

何かのことで、責任を問われたりすると、
「お母さんが悪い」「友だちが悪い」と、
その責任を、他人に転嫁するタイプの子どもがいる。
このタイプの子どもを、(おとなもそうだが〜)、
外責型人間という。

心理学の世界には、「帰属理論」という言葉も
ある。責任をだれに帰属させるかという点で、
同じように、外的帰属型、内的帰属型に分けて
考える。

用語はちがうが、中身は、同じ。

外責型人間=外的帰属型、内責型人間=
内的帰属型ということになる。

このほかに、その中間にあって、責任を
問われても、へらへらと茶化してしまう、
無罰型というのもある。

たとえば子どもがお茶をこぼしたばあいを
考えてみよう。

子どもが部屋を走っていて、たまたまそこに
客に来ていた人の、お茶をこぼしてしまった
とする。

そのとき、「お母さんが、そんなところに
お茶を置くから悪いのよ」と、即座に、
他人のせいにするのを、外責型人間(外的
帰属型)という。

一方、すかさず、「ごめん。私が走っていたから
悪かった」とあやまるのを、内責型人間(内的
帰属型)という。

その中間にあって、ヘラヘラと笑いながら、
「お茶がこぼれちゃった。ぞうきん、ぞうきん!」と、
その場をやりすごしてしまうタイプを、無罰型と
いう。

外責型人間は、それだけ無責任で、責任を
いつも他人に向けるので、ストレスを内に
ためない。

内責型人間は、それだけ責任感が強く、ストレス
を内にためやすい。「まじめ」という評価を受けるが、
社会生活がその分だけ、ぎくしゃくしやすい。

+++++++++++++++++

 これは私たち夫婦のことだが、私のワイフは、完全に、外責型人間。一方、私は、完全
に、内責型人間。まったくタイプのちがう人間が、今、(夫婦)をしている。(あるいは
長い時間をかけて、たがいに分業するようになったのかもしれない。)

 つい先日も、2人で、コンサートに行くことになっていた。しかし会場に行ってみると、
コンサートはすでに終わっていた。

 「16:00会場、16:30開演」を、ワイフは、「6時会場、6時半開演」と読み
まちがえた。それを指摘すると、ワイフはすかさず、こう言った。

ワ「あら、このチケット、時間がちがっている」
私「ちがっていない」
ワ「だって、6時なのに、16:00と書いてあるわ」
私「ちがう。お前が読みまちがえた」
ワ「まぎらわしいわね。ちゃんと、午後4時からと書いてくれればいいのに」と。

 私ならこういうケースでは、即座に、あやまる。「ああ、ごめん。まちがえた。16:
00会場を、午後6時会場と思いこんでしまった」と。

 が、ワイフは、その段階でも、まだ自分の非を認めない。私が、「お前は、16:00
と午後6時のちがいもわからないのか」となじると、「だれだって、まちがえること、あ
るでしょ」「あなただって、この前、講演時間をまちがえたじゃない」と。

 すなおに、「ごめん、まちがえた」と言ってくれれば、私も救われる。が、ワイフはち
がう。つまりワイフのようなタイプの人間を、外責型人間、あるいは外的帰属型という。

 外責型人間は、言い訳がうまく、自分への圧力を、外の世界にかわす。だからストレス
をためない。うつ状態になることも少ない。

 一方、内責型人間は、自分の中にストレスをためるので、先にも書いたように、責任感
が強い分だけ、うつ状態になることも多い。

 そこであたた自身は、どうかということ。少し前に書いた原稿を、そのままここに転載
する。

【友だちに、あなたはこう言われた。「昨日は君が遊びに来たから、ぼくは(私は)今日
のテストができなかった」と。そのとき、あなたはどう言い返すだろうか?】



 
★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったん
だ。ほんとうに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いっ
たんだよ。ボクのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるい
じゃん。それに、キミ めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)


★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだ
って、あそびたかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかっ
た」(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができな
かったんでしょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶ
んがわるくなるんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってか
ら べんきょうすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他
責・固執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他
責・固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よ
かったじゃないか」(他責・固執型)

++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、子どもの世界では、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにし
て、どこまでも自分には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だ
が、A君は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、
思慮深く、静かな落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、
相手を責めまくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反
対の回答を書いたとしても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかとい
う点で、たいへん興味深かった。

 なおこの(P−Fスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の
3つに分けて考える(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
P−Fスタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト はやし浩司 外責型人間 内責型
人間 帰属理論 外的帰属型 内的帰属型) 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】

++++++++++++++

今朝は、あまり気分がよくない。
体も、だるい。食欲も、ない。
夏バテか? それともうつ状態?

こういうときは、パッと何か、買い物
でもすればなおるのだが、最近
株取引で、XX万円も、損をした。

そこでしかたないので、今は、小口の
株を買い、数万円くらいもうけたところで
即、売り。

少しずつ、損金を取り戻しつつあるが、
この分だと、全額取り戻すのに、Xか月
はかかりそう。

あ〜あ! コツコツやるしかない!

言い忘れたが、気分がよくないのは、
株取引のせいではない。

いろいろあった。それが重なった。

こういうときは、何か、気分をかえて、
新しい分野に挑戦してみるのがいい。

++++++++++++++

●『赤信号、みんなで渡れば、こわくない』

++++++++++++++

I社の発行する、「M」という雑誌に、
川柳10選というのが、載っていた。
それに、Bたけし氏の、『赤信号、
みんなで渡れば、こわくない』というのが、
選ばれていた。

寸評に、「抑圧された状態からの、
開放感を感ずる、さわやかな川柳」
(要約)とあった。 

++++++++++++++

 ときどき赤信号を無視して、つっこんでくる車がある。まじめなドライバーほど、そう
いうとき、ヒヤリとする。とくにこの浜松市では、それがひどい。交通事故率、ワースト・
ワンと言われる理由も、そこにある。

 信号を守るか、守らないかは、道徳とか倫理とか、そういうレベルの問題ではない。マ
ナーでもない。そんなことは、車を運転するものの、常識。歩行者にしても、そうだ。相
手の立場で考えれば、それがわかるはず。

 そこで改めて、「開放感」について考えてみる。

 たとえばこの川柳が、『素っ裸、みんなで裸になれば、こわくない』というのであれば、
私にも理解できる。あるいは『世間体、みんなで無視すれば、こわくない』でもよい。

 しかし赤信号は、困る。自分はそれで開放感を味わうことができたとしても、相手は、
どうなのか。わかりやすい例で言えば、暴走族がいる。あの連中は、赤信号でもクラクシ
ョンを鳴らしながら、平気で無視する。本人たちはそれで開放感を覚えるかもしれない。
が、そのまわりの人たちこそ、えらい迷惑。ときに事故に巻き込まれる。

 それを「さわやかな開放感」とは?

 もしBたけし氏の川柳が、さわやかな開放感を覚えるものであるとするなら、こんな川
柳は、どうか。

 『ガラス割り、みんなでやれば、こわくない』
 『銀行強盗、みんなでやれば、こわくない』
さらに、
 『列車爆破、みんなでやれば、こわくない』と。

 つまり『赤信号、みんなで渡れば、こわくない』は、この範囲の川柳だということ。さ
らに残念なことは、こうしたどこか心のゆがんだ(?)川柳が、天下の雑誌の中で、10
選として選ばれ、それなりの評価を受けているということ。言いかえると、Bたけし氏の
心も病んでいるが、社会も、病んでいる。病んでいながら、だれも、それに気づかないで
いる。

 私たちはいつも、子どもたちに、「信号を守ろう」「それは自分たちの命だけではなく、
相手の命を守るため」と教えている。が、その一方で、東京や日本を代表する(?)、こ
うした文化人(?)が、平気で、それをこわしていく。

 この日本では、正論や、まともな意見は、受けない。(私のエッセーが、そのよい例。)
Bたけし氏の意見のような、どこかメチャメチャな意見ほど、受ける。世間はおもしろが
り、喜ぶ。「さわやかな開放感」と評価する。

 いいのかなあ……?、とちょっと疑問に思ったところで、この話は、おしまい。書けば
書くほど、自分のしていることに、むなしさを覚えてしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●うつ病

++++++++++++++

悶々と晴れることのない気分。
抑うつ感、妄想、気分停滞、不快感、
何をしても、おっくう。悲観、そして
絶え間なく襲ってくる孤独感、不安感。

うつ状態を簡単に表現すれば、そう
なる。

なぜ、私が、うつ病に詳しいかって?

ははは、私も、うつ病? うつ症?

ふとしたきっかけで、気分が落ち込む。
うつ状態になる。病院の世話にこそ
なったことはないが、いつ世話になっても、
おかしくない状態? いつもその一歩
手前で、ふんばっている。

しかしうつ病は、もともと(まじめ人間)が
なりやすい。自責型人間が、なりやすい。

加えて、私もこの年齢。楽しいことよりも、
憂うつなことのほうが、多い。

アメリカでは、人口の3分の1の人が、
うつ病と言われている。うつ病であることを
恥じる理由など、どこにもない。

大切なことは、うつ病を治そうと考えるの
ではなく、どううまく、つきあっていくか
ということ。

愛知県T市に住んでいる、Dさんという
方から、こんなメールが届いた。

+++++++++++++++

【Dさんより、はやし浩司へ】

10年前にうつを発病しましたが、結婚後まで生活に支障をきたすものではありません
でした。
長女出産後から、育児ノイローゼ、反復性うつ病と診断されました。

昨年、実父のがん闘病と死、実父の多額の借金(返済完了)、長男の熱性痙攣、次女の食
物アレルギーが重なり、私のうつが悪化し、次女と無理心中未遂をしたこともあります。

その後、警察、児童相談所の世話になり、私も精神科に入院し、今は自宅で子供たちと
暮らしています。

調子のよい日、悪い日の差が激しく、子供に対してイライラが募ります。

家族仲良く暮らしたいのですが、自分の感情のコントロールが上手くできず、今後が不安で
す。
私自身、引きこもりがちでそんな自分が嫌でもがいています。

どうぞアドバイスを宜しくお願いします。

【はやし浩司よりDさんへ】

 うつは、脳間伝達物質の変調が原因で起こるというのが、定説です。つまり、脳の機能
的な病気で、それゆえに、だれでも、なりうる病気ということ。

 ただ脳の中枢部分が変調するため、自分で自分のことを客観的に知ることは、たいへん
難しい。脳の機能が変調しながらも、それが(私)と思いこんでしまう。たとえば自殺願
望にしても、当の本人は、ほんとうに死にたいと思っている。「死にたい」と思うこと自
体が、病気によるものだとういうことがわからない。

 が、うつ病の正体がわかってくると、自分で自分を客観的に見ることができるようにな
る。書店へ行くと、その種の本がたくさん出ているので、それを読むのもよい。私は、そ
うした。

 それに最近では、たいへんよい薬が開発されている。「変調」を、「正常」にもどす薬
である。うつ病など、あまり深刻に考えずに、(Dさん自身は、深刻な状態にあるかもし
れないが……)、薬で治すすものは、薬で治せばよいのでは? 「心の風邪」と表現する
人もいる。

 精神科に通っておられる様子なので、ここは精神科のドクターを信頼して、そちらで相
談なさるのがベストかと思う。

 同病者(?)として、あえて一言。

 気分が落ちこんだときは、いつも「ああ、これは本当の自分ではないぞ」と思うこと。
心の中のどこかをさがすと、もう1人の「私」がいるはずだから、そのもう1人の「私」
を、信ずること。私でない「私」に振り回されていると、いつの間にか、私でない「私」
を、ほんとうの私と思いこみ、本当の私を見失ってしまうから、注意!

 「私」ほど、そういう意味では、あてにならないものはない。


●自分の顔を、文字で表現してみました。
(使用、フリーソフト、「TextArtist」)

   :  : 国国田山国国目           
   国国田国山国=目三国国国国田       
 田国国: 国国国三=目: : 三国山国国山     
山三 国田三三三田三三=山=三三国=国国    
=〜国国国=三三〜三: 〜三三山国=目山国山   
 目目国〜田山: 〜〜=三 山山山目=山=三   
 山国三目=山国三: =〜=: : 目〜=国: 国〜  
 山目〜田田国国目田目三山山〜: 目田国山国国  
 〜山三山三国国国国目: 三山三〜三: 目目田〜山山
  国=国田国田国国国三三目三三山三=田国田  
 目国山目国国〜国目=田田三目田国目山山三三田田
 =国田目田山目: 三山〜:  田田〜=目国目三田田
 国田〜国田三= :  :       田国国田山山
 国目国国国:          国:  =国国山山
 国山国国国  目国国     国国国山=国国国
国国国国国:  三国国  山   :  国国 国国国
山田国国国  =:    三三国     三国国国
 田国国国     三三 三 〜山三三  国国国
: : 三国田:    国=  :  田    〜国山山
三三 国国 目             山国三三
山山 三国:  国   田〜:   山    田山山
= 三 三:       :        三山〜〜
 三 国:  〜     : 国   三   目  
 =〜 : :        国国国国国   三  
   : 山国    三国〜  山〜〜      
      =   山: 田 〜三    田   
      :        国田   =    
   三 国国田          三     
  三= 目山三国=        三     
  山目 〜 : 目国〜      国      
  山 目=: 三: 目 国国 : 国三       
  三   : :  : 国三目山三         
  三   : 三 〜〜〜: 三目         
  〜        〜 三三         

 行間をつめれば、ひょっとしたら、私らしい顔になるかもしれません。

(もう1作)

・‐‐・‐‐‐‐‐‐‐・‐‐・‐・‐・・・‐‐・‐‐‐‐・‐‐
‐・・・‐‐・・‐‐・‐・・・・・‐・‐‐‐・・‐・・‐‐‐‐
‐‐・・・・‐・‐‐・・・‐‐‐・・・・‐・‐‐・・・‐‐・・
‐・‐/・・・・・・・・・・・‐・‐・・・・・・・・・‐・‐‐
‐‐・・・・‐・‐苗・‐・‐・‐・・‐・・・・‐・‐‐・‐‐‐
・・・・‐・・鷹・蟹・・・+苗描瀧蟹母・・‐‐・‐‐‐・・‐‐
・・・・・‐・蟹/母・龍蟹鷹・・・・ 鷺欄瀧・・・‐‐・・・・
・‐・・‐・・蟹中・・ヌ・‐‐‐‐‐・‐‐・欄母・・・・‐‐‐
‐‐・・・・中瀧‐‐‐‐・・・‐・・・・‐・・描母‐‐‐・・・
・‐・・‐用母‐・・・・瀧欄蟹蟹鷺瀧用・‐‐・・欄‐・‐‐‐‐
・・・・/母・・・・・‐‐・・・・・・龍晃‐‐・‐欄‐‐‐・・
・‐・・龍・/蟹・・・‐‐‐・‐・‐‐‐‐龍・・‐鷹・‐‐‐‐
・・・毛・・描・・‐‐‐・‐・‐・‐‐・・/鷺・・メ母・‐・・
・・申母・刀晃・・・‐・‐‐・・‐・・・・・母母・‐欄・・・・
・・母・・包・・・・・‐・‐・・‐‐・‐・‐・蟹・・瀧・‐・・
‐・瀧・・瀧・・・・・・・・・・‐‐・‐‐・・龍・・瀧‐・‐‐
・+毛・メ用/・瀧鬱・・‐‐・鬱欄鬱中・‐・・包/‐鷹‐‐‐‐
・中+・メ母・瀧欄母・・・・・/鷹蟹瀧‐・・・毛メ・鬱・・・・
・申/・毛用母鬱中毛欄蟹刀・・・・中鷹鷺‐・‐晃・鷹瀧・‐・・
・/母・母鷹/・龍‐・・母鷹・・刃晃・・瀧母・蟹蟹・・欄・‐‐
・・蟹・・・・描・・・・・蟹・メ晃・・・・瀧・‐・・・・龍・・
・・・蟹刀‐・描・‐・・・刀母晃・・メ‐・母申・・・‐‐瀧‐‐
・/蟹欄母‐中申・・用晃‐・蟹瀧・鬱母欄・母母・・・・メ晃‐‐
・鷹‐・・・刀申・母母母/‐鷺鷹・瀧‐母‐描/‐・・・鷺‐・・
刀母・・・・メ母・母/・・申母龍・・‐・・龍・+母瀧瀧申・‐‐
晃・・‐・・/苗・・・・・鷹・母瀧メ・メ龍・・・・瀧・‐・・・
龍・・・・・・蟹/‐・・包刃・‐/鷹包・・‐・・・瀧・‐・‐‐
描欄中描鬱母・刀欄鷹母鷹用瀧‐・包・・‐‐‐‐‐‐龍・・‐‐‐
‐‐メ+龍・・‐‐・・・苗刃・・苗‐・‐‐‐・・‐瀧・・‐・・
・・・用・・・‐・‐・・龍・‐・中母・・・・‐‐・龍・‐・‐‐
‐・・鷹・・・‐・・・‐蟹鷺欄龍瀧母・‐‐・・‐‐蟹・・‐・・
・・・鷺・・・‐・・・・・/・・・・‐‐ヌ・‐‐・鷹・・‐‐‐
・・・晃・・・・・・母欄欄瀧欄鬱龍苗・・鬱欄・・‐龍・・・‐‐
・‐・龍・・・/・・描・・‐‐・・・・+毛・・‐‐鷹・・・‐‐
・‐‐鷹・・・・欄申・・‐・‐‐・・中描‐・・・毛母・‐・‐‐
‐・・晃・・・/晃蟹・・・‐・‐・描中・・‐・・苗+‐‐‐・・
‐‐・晃・・・‐・‐龍蟹中母鷹鷺鷹・・・・‐・・瀧・・・・‐‐
・・・鷹・・・・‐・・・‐・・・‐‐‐‐・‐・鷺申・‐・・‐‐
‐・・鷺・‐・・・・・‐・・‐・・‐・・‐メ描ヌ・・・・‐‐‐
・・・・蟹・・・・・・・‐‐‐・‐・/描晃用・‐・‐・・‐‐‐
・‐・・・龍鬱龍瀧瀧瀧蟹母‐・・‐瀧刀・・‐・・・‐‐・‐・・
・・‐・・‐・‐・・・‐龍‐‐・・蟹・・・・・・・・・・・・・
‐・・‐‐・‐‐‐・・・苗‐・・・龍‐‐・・・・・・・・・  
・・‐・・‐・‐‐・・・中母・・・晃・・・・・・・・‐‐‐‐‐
・・・・・・・・‐‐・・ヌ鷺・・・鷹・・・・・・・‐‐‐・・・
‐・・・‐‐‐・・・/瀧蟹母‐‐・蟹欄蟹龍蟹母・・‐‐‐‐・・
・‐‐・‐‐・・‐・瀧・・‐・・・・・‐・‐‐・‐・・‐・‐‐
‐‐‐‐・・・・・‐・・・・・・・・・・‐・‐・‐‐・・‐‐‐
‐・‐・・・‐‐‐・・・‐‐・・・‐・・‐‐・・・・・・・‐‐


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●顔形を決める遺伝子

++++++++++++++++++++++

最近知った事実で、興味深かったのは、
こんなこと。

たとえば、北方のアルタイ系(顔がさつまいも型の
上下が尖ったような形で、眉毛が薄く短い。
目も小さく、まぶたは二重ではない。眉間は広くて、
額も縦に長い。中央がふくらんでいて鼻先が
尖っており、ひげは少ない)と、南方系(四角い顔に
額は横に広く、縦は狭くて、眉毛は濃く、目が大きい。
二重まぶたで唇も厚い)の男女が結婚して、子ども
をもうけたとする。

するとその子どもは、アルタイ系と、南方系の中間型に
なるのではなく、どちらか一方の「型」に偏った顔形
になるそうだ。

わかりやすく言えば、四角い顔の父親と、丸い顔の
母親が結婚して子どもをもうけたとすると、その
子どもは、四角い顔か、丸い顔のどちらかになるという。
中間の卵型になるということは、ないそうだ。

そのため、複雑に「血」が混ざっていても、生まれてくる
子どもは、民俗学的に分類できるようになるという
(韓国。韓南大チョ・ヨンジン(美術解剖学)教授による)。

実際の顔写真を掲載するわけにはいかないので、イラスト
で表現してみる。

 

日本でも、顔の形から、タヌキ型とキツネ型、あるいは
醤油型とソース型に分類して考える人がいる。チョ教授の
研究は、それを一歩、前進させたものということになる。

また日本では、この種の研究は、「差別につながる」という
ことで、タブー視されてきた面がないとは言えない。こういうのを
骨相学というが、とても残念なことに、世界の中でも、
もっとも貧弱な骨相をもっているのは、私たち、この日本人
ということになっている。

韓国ですら、「8種の基本型は時差をおいて移住してきた
韓半島周辺種族の流入による」「(そのため8種の型に)
分類することができる」とのこと(同教授)。

日本は、幸か不幸か、こうした血の交流を受けてこなかった。

たいへん興味深い研究なので、これから先、折りにつけ、
この問題を取りあげてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
骨相学 アルタイ系 南方系 顔の形 顔形)


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●男(女)が、離婚を決意するとき

++++++++++++++

熟年離婚がふえている。
私のまわりでも、騒がしくなってきた。

静かに離婚する人、
大騒ぎして離婚する人、
笑いながら離婚する人、
泣きながら離婚する人、

人それぞれだが、実のところ、
私たち夫婦も、あぶない。

人は、「仲がいいですね」と言うが、
本当のところは、自分でも、
よくわからない。

世の中には、「仮面夫婦」と呼ばれる
夫婦もいる。私たちも、それかも
しれない。

ただ離婚するには、「離婚限界」という
ものがある。

10数年以上、家庭内別居、しかも
ほとんどたがいに口をきかない状態で、
それでも離婚しないで、がんばっている(?)
人もいる。ほんのささいな、傍から見れば、
何でもない問題を理由として離婚する人もいる。

どの程度を「限界」とするかは、その人
個人によって、みな、ちがう。つまり「離婚限界」
というのは、みな、ちがう。

だからこの問題ほど、デリケートなものは、
ない。ないが、離婚するならするで、
未練(みれん)は、完全に燃焼させておく
こと。

それが残っていると、離婚はできない。

……そんな話を、A氏(61歳男性)が、
昨夜、電話でしてくれた。

A氏は、ちょうど1年前。60歳の定年退職を
迎える、2か月前に離婚した。

「一時は、自殺まで考えた」とか。しかし
「自殺するくらいなら、またひとりでやりなお
したほうがいい」と。

それでそのまま離婚した。

+++++++++++++++

 A氏が離婚を決意したのは、こんなことがきっかけだったという。

 その夜、A氏と、A氏の妻は、車で、郊外にある旅館をめざしていた。夜、8時ごろの
ことだったという。月に1、2度は、その旅館で、週末を過ごしていた。

 それまで車の中では、ほとんど会話がなかった。が、途中で、A氏が車をおりた。「お
前は、ぼくとM荘(=行きつけの旅館名)へ行きたいのか」と聞いたとき、A氏の妻が、
「どちらでも……」と答えたからだという。

 で、A氏は、そこから自宅をめざして歩き始めた。距離にして10キロ近くある。夏の
暑い夜のこと。10キロの道のりはきつい。

 ときどきA氏は、振り返りながら、道を歩いた。しばらく、時間にすれば、3〜4分ほ
ど車は止まっていたが、最後に振り返ったときには、車は、そこから消えていた。

 A氏の妻は、そのまま旅館へ向かった。「歩いて帰りたければ、どうぞ」という、A氏
の妻、独特の冷たさを、A氏は感じたという。その瞬間、A氏は、離婚を決意した。

 「妻は、私をその時点で捨てたのですね。ふだんはやさしい(?)女性なのですが、心
のどこかに、いつもぞっとするような冷たさを秘めたような女性でした」と。「でもね、
その瞬間、同時に、私の心の中から、妻への未練が消えました」とも。

 が、A氏は、それからすぐ離婚したわけではない。離婚するにも、それなりの準備とい
うものが必要。子どもも、2人(上が30歳、下が25歳)いた。財産分けの課題もある。
「2人の子どもたちは、妻側につくのがよくわかっていましたから、かえって気が楽でし
た」と、A氏は言う。

 が、『覆水、盆にかえらず』というが、一度こわれた男女の仲ほど、無惨なものはない。
それからたがいに、たがいの顔を見るのもいや、においをかぐのもいや、洗濯物をいっし
ょに洗うのもいやという状態になった。一気に離婚へとつき進んでしまったという。期間
にすれば、わずか1か月もなかったという。

 私が「それまでの思い出はどうなったのですか? 楽しい思いでもあったでしょ?」と
聞くと、A氏は、笑いながら、吐き捨てるように、こう言った。「そんなもの、関係あり
ませんよ。離婚するときは、自分の過去そのものを、消したいという衝動のほうが、強く
なりますから」と。

私「でも、その程度の夫婦げんかなら、だれだってするでしょう?」
A「しかしあの夜のできごとは、象徴的でしたね。妻は、私を捨てたわけですから」
私「捨てた?」
A「そう、それをはっきりと感じました。これから先、10年とか、20年とか、いっし
ょに生活する自信が、そのとき消えました」と。 

 A氏はそのあと、こんなことも話してくれた。

 「もともと私の妻は、私とは結婚したくなかったのですね。何かにつけて、私を否定し
ました。おかしなことですが、30数年もいっしょに過ごしたのですが、妻は私には、最
後の最後まで、心を開いたことがありません。G教というという信仰団体に身を寄せたこ
ともあります。だから妻の言葉の端々に、私に対する軽い敵意のようなものを、いつも感
じていました。

 そんな妻ですから、毎日、私にすれば、腫れ物に触れるかのような接し方をしなければ
なりませんでした。一見すると、やさしくて親切な妻なのですが、私はいっしょにいても、
全幅のやすらぎを感じたことはありませんでした。そういう夫婦生活に、そのころ、疲れ
を覚え始めていました」と。

 若いときは、健康だし、多少の誤差なら、それを修正するだけの気力もある。男と女を
結びつける精力もある。が、50歳をすぎると、それが消える。とたん、それまで心の奥
に隠してきたものが、どっと表に出てくる。

 そうそうA氏は、こうも言った。「ぼくが妻に、『お前は心の開けない女性だ』と言っ
たことがあります。しかし心を開けない女性というのは、(心が開けない)という言葉の
意味、そのものが理解できないのですね。自分では、心を開いているつもりなのですから
……。相手が心を開いているかどうかは、心が開いている人からでしか、わからないもの
でしょうか。妻の心は、いつもクローズしていました。結婚してからこのかた、一度たり
とも、甘い声で、「あなたア〜」と私に甘えてきたことはありません。私の妻は、そうい
う女性でした」と。

 私たち夫婦も、似たようなもの。しかしこういうことも一方で言われているので、注意
したらよい。

 「離婚した夫婦には、できるだけ、近寄らない方がいい」と。

 離婚には、連鎖反応がある。近くに離婚した人がいると、その離婚した人に触発されて、
自分も離婚に……というケースは、たいへん多い。心のどこかでくすぶっていたモヤモヤ
に、火がついてしまうためらしい。

 ただし一言。離婚することが、悪いということではない。離婚したからといって、人生
に失敗したということでもない。離婚も、人生の中では、ひとつのドラマでしかない。誤
解のないように!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●脳梗塞

+++++++++++++

私の親類の、伯父たちは、
皆、脳の病気で死んでいる。

昔は、「チュウフウ」とか「ノイイッケツ」
とか言ったが、脳梗塞、くも膜下出血、
脳内出血をいう。

がんで死んだ人は、ひとりもいない。
父方の兄弟には、がんで死んだ人が、
1人いるが、息子というのは、母方の遺伝子を
強く受け継ぐという。根拠は知らないが、
昔から、そう言う。

だから私は、脳梗塞、もしくは脳内
出血がこわい。

それで死ぬのはかまわないが、半死の
状態になったら、どうする?

みんなに迷惑をかけるだけ。またそんな
醜態を、さらけだしたくない。

++++++++++++++

 「今日か?」「明日か?」と、ときどき、思う。私はいつ、なんどき、脳梗塞か何かに
なって倒れてもおかしくない。家系が家系である。私の母方の伯父たちは、みな、脳の病
気で倒れている。脳に、遺伝的な欠陥があるためらしい。

 G町に住む、いとこの説によれば、脳の中に、脳動脈瘤(りゅう=こぶ)があるためだ
そうだ。そこに血液がたまって、ある日突然、爆発する。だからそのいとこは、毎年、脳
の検査を欠かしたことがない。が、私は、一度もそういう検査を受けたことがない。それ
をいとこに話すと、「そんなばかなことをしてはいけないよ。CT検査は1日ですむんだ
から」と。

 そう、私は、ばか。相手が脳梗塞なら、(くも膜下出血でよいが)、死ぬときは、一気
に死にたい。くも膜下出血にしても、仮にそれで一命をとりとめたとしても、そのあと、
脳血管れん縮とよばれる現象がつづいて起こることが知られている。

 脳血管れん縮が起こると、そのまま脳梗塞を引き起こす。これがそのあと、さまざまな
障害の原因となる。

 いきなり暗い話で、ごめん。このところ、脳梗塞か何かになって、通りを、懸命に歯を
くしばりながら歩いている男性をみかけたりすると、とても、他人ごとのように思えなく
なった。「明日は、我が身かな」と。

 だから一応、健康には気をつかっている。これはあくまでも素人考えだが、血液をサラ
サラにしておけば、少なくとも、血栓性の脳梗塞は避けられるのではないか。だから夏場
は、水分の補給を、じゅうぶんするようにしている。

 そのほかに……。こればかりは、どうしようもない。

 ヤフーの「家庭医学」HPによれば、くも膜下出血について、こうある。

 「脳動脈瘤は約2〜3%の人が持っているとされ、その破裂率は年間に0・7〜2%とされて
います。年間に10万人中10〜20人がくも膜下出血を発症するといわれています」と。

 生きるのも、死ぬのも、偶然と確率の問題。私は10中8、9、脳動脈瘤をもっているから、
今年死ぬ確率は、0・7〜2%。

 それまで、私は生きて、生きて、生き抜いてやるぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●電話機

 昨夜、FAX電話機の寿命が尽きたので、新しいのを買ってきた。子機が2台もついて
いた。それを使って、夜中まで、ワイフと遊んでいた。子機どうしの会話もできる。感度
もよい。デジタル通話とかで、電波も、100〜200メートルは、届くのではないか?

 性能は、格段とよくなっていた。この世界も、日進月歩。あるいは月進年歩か? うち
では留守番電話機(+FAX)は、P社製と決めている。使い勝手が一貫している。買い
換えても、そのまま使える。


●一眼レフカメラ

 先週、デジタル一眼レフカメラを、アメリカに住む二男に送ってやった。つまり、払い
下げ。しばらく使ってみたが、どうも、使いにくい。大きいし、それに最小画素数でも、
2MB。これでは、インターネット上では、使い物にならない。そのつど画像を縮小しな
ければならない。インターネット上では、0・3MBでじゅうぶん。

 結局、コンパクトカメラに逆戻り。今は、もっぱら、P社製のTZ1を使用している。

 しかしまた楽しみがふえた。「今度はどの機種にしようか」と、パソコンショップへ行
くたびに、カメラコーナーをのぞく。株でもうけたら、買うつもり……と言いつつ、また
またアメリカでは、株価が暴落した。日本の株価も、暴落するだろう。円も、今朝は、1
ドル=114円前後になっていた。

 円高に揺れているということは、円キャリー解消の動きが出てきたということか? こ
こはじっと静観のとき。あわてて行動すると、損をする。

 (いっぱしの投資家みたいな口をきいて、すみません!)


●今日の予定

 今朝は、ワイフは、クラブへ。毎週水曜日の午前中は、私が留守番係。それにしても、
気持ちのよい朝だ。昨日のあの暑さが、ウソみたい!

 こういうときは、雑誌を読んだり、本を読んだりして、時間を過ごすのがよい。この「最
前線の子育て論byはやし浩司」も、今日で、2150作目になった。次回からは、22
00作〜ということになる。

 またこの原稿から、マガジン10月号。

数日前、マガジンのほうで、読者アンケートをしてみたが、それに答えてくださったの
は、2人! (計4人だったが、うち2人は、私とワイフ。)少し前の私なら、「もう、
やめた!」とマガジンを廃刊にしていたかもしれない。

 現実は、まあ、こんなもの。……と、自分をなぐさめる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   07年 10月 1日(No 943号)
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10月1日、マガジンは、943号になります。1000号まで、57号です。
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●タレントの世界

 ときどき「タレントになりたい」という子どもがいる。そういうとき私は、「よしなさい」
と言うことにしている。理由がある。

 私は若いころ、いろいろなテレビ番組の企画を書いていた。そのとき、ときどきモデル
が必要なときがあった。そのときのこと。これから先は、事実だけを書く。

 モデルが必要なときは、テレビ局の正面玄関とは別にある、裏玄関の掲示板に、メモを
張る。「Aショー、○月○日、水着モデル、一名」と。するとそのメモを、通称「人買いの
おばちゃん」という人が読み、あちこちからモデルを集めてくる。たいていは年配の女性
がその仕事をしていたので、「おばちゃん」と呼んでいた。で、全国放送ともなると、一回
の募集で、二〇〜三〇人の若い女性が集まった。

 そういうときは、その場でオーディションを開く。N局のばあい、別棟の二階がそうい
う部屋にあてられていた。その部屋の一室に、女の子たちを並べる。そしてディレクター
が、こう声をかける。「ハーイ、上を脱いで!」と。すると女の子たちが、一斉に服を脱ぎ
始める。中にはモジモジしている女の子もいる。するとディレクターがつづいて、そうい
う女の子に対しては、「あんたとあんたは、もう帰っていい」と。

 で、その中から、もっともスタイルのよい女の子を選ぶ。一度、裸にするのは、「テレビ
に出たときの度胸を試すため」だ、そうだ。が、ここで終わるわけではない。

 ある夜、その翌日出演予定の、Kというタレントとホテルの一室で打ち合わせをしてい
たときのこと。突然、連絡なしに、モデルの女の子がそのホテルへたずねてきた。人買い
のおばちゃんに連れられてやってきた。一応「あいさつにきた」ということだったが、実
は一夜をそのKというタレントと過ごすためである。当時はそうしたあいさつ(?)は、
半ば常識だった。つまりモデル志望の女の子は、そういう形で、体を売りながら、マスコ
ミの世界で自分の立場をつくっていた?

 それから二五年になる。今は、状況も違うだろう。システムも変わったかもしれない。
モデルとかタレントとかいっても、いろいろなレベルの人がいる。だからみながみな、こ
うしたオーディションやあいさつ(?)をしているわけではない。しかしその世界は、私
たちがテレビ画面から見るのとは大違い。少なくとも二五年前には、その背後ではドス黒
い人間の欲望と、策謀が渦巻いていた。きれいか汚いかと言われれば、あれほど汚い世界
はなかった。だから私は言う。「よしなさい」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●言葉教育

 私はときどき、英語で原稿を書く。そこで書いたあと、アメリカやオーストラリアの友
人に添削を頼む。だが、ここでおもしろい現象に出あう。どの人も、「それで意味がわかる
から、このままでいい」と、なおしてくれない。「文法のミスはないか?」と聞くと、「あ
るが、それでわかるからいい」と。こうしたおおらかさは、日本には、ない。

 最近、あることがあって、アメリカの友人が、冷やし中華のことを書いてきた。日本で
食べた、冷やし中華がおいしかったので、そのレシピを教えてほしい、と。そのときのこ
とだが、彼は、「中華」を、「tyuka」と書いてきた。正しくは、「chuka」か? 

……と考えたところで、私はハタと自分の愚かさに気づいた。そんなのは、どちらでもよ
いではないか、と。しかもそういうことにこだわるのは、日本人の悪いクセだ。実際、世
界広しといえども、日本人ほど「形」や「型」にこだわる民族はいない。いないものは、
いないのであって、どうしようもない。

アメリカでも、オーストラリアでも、子どもたちの作文を見ても、あちらの先生は、スペ
ルや文法(ルール)のまちがいには、ほとんど関心を払わない。大切なのは、中身という
考え方が徹底している。ウソだと思うなら、ここに私が書いていることを、あなたの周囲
にいるアメリカ人やオーストラリア人に確かめてみることだ。「言葉教育」に対して、考え
方が基本的な部分で違う。

日本の教育は、子どもたちが将来、文法学者になるためには、きわめてすぐれた体系をも
っている。しかし将来、文法学者になる子どもは、いったい、何%いるというのか。数学
にしても、英語にしても、そうだ。日本の教育は、将来数学者や、英語の文法学者になる
のは、きわめてすぐれた体系をもっている。しかし、将来そういう道に進む子どもは、何%
いるというのか?

 日本の教育は、もともとどこかのエラーイ大学の先生たちが作った。だからおもしろく
ない。だから役にたたない。言葉教育(作文、読書)についても、同じ。茶道や華道では
あるまいし、もっとおおらかでいいのではないのか。大切なのは、いかに考え、いかに的
確に表現し、いかに正しく相手に自分の気持ちを伝えるか、あるいはいかに正しく相手の
気持ちを知るか、だ。

本筋を忘れたとき、教育は基本的な部分でゆがむ。日本の教育は、その本筋を忘れている。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●白黒

++++++++++++++++

白人の世界では、YES・NOをしっかりと
言う。

中国でも、そうだ、そうだ。

昨日、上海から久しぶりに帰省した、
Mさんもそう言っていた。

一方、この日本では、(あいまい)な
言い方を美徳とする。白人の世界の
ように、白黒をはっきり言わない。

もっともこのことは、日本で生まれ、
日本で育った人には、よくわからない
かもしれない。

それに地域差も、ある。たとえば私
が生まれ育った、岐阜県のM町では、
それがひどい(?)。

しばらく住んでいると、何が本当で、
何がウソかわからなくなってしまう。
ときにタヌキとキツネの化かしあいの
ような雰囲気になることもある。

表では愛想よくつきあいながら、
裏では、その人の足を引っ張るような
行為も平気でする。

そんな話を、Mさんとする。

私「ぼくのばあい、ああいう世界に同化
することは、もう無理だと思います」
M「……」
私「ああいう世界で生まれ育ったという
ことは、不幸だったかもしれません。
結局は、心を開けない人間になって
しまいました」と。

私のような生き方が正しいというわけ
ではない。人、それぞれ。しかし私は、
これから先も、そのつど、白黒をはっきり
させながら、メリハリのある人生を送りたい。

わかりやすく、すっきりとした人生を
送りたい。それで嫌われても、さらに
敵をつくっても、それはそれでしかたの
ないこと。

Mさんと話しているとき、そんなことを
心の中で決めた。

Mさんへ、

マガジンの申し込み、ありがとうござい
ました。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【常識を疑う】

●男女観

 男女観ほど、あてにならないものはない。「男だから……」「女だから……」という論
理ほど、これまたあてにならないものはない。

 世界中どこへ行っても、男は男、女は女と、もしあなたが考えていたら、それは大きな
まちがい。国というより、民族によって、男女観は、みなちがう。

 一般的に言えば、欧米先進国(日本も含めて)では、比較的、男女観は共通している。
男女観には、それほど大きな差がない。みな、アメリカでもヨーロッパでも、「男はたく
ましく、攻撃的で、女はやさしく、おとなしい」とか言う。

 しかしだからといって、世界中の人たちが同じように考えているとしたら、まちがい。
たとえば日本と中国(中国といっても広いが……)とくらべただけでも、大きくちがう。
これはあくまでも私の印象だが、中国の女性は、日本の女性よりも、たくましい。強い。
日本的に言うなら、女らしくない。さらにニューギニアのような国へ行くと、男と女が、
逆転している民族もいるそうだ(ミード)。

 たとえばムンドグモル族は、男女ともに攻撃的で粗暴、冷酷。アラペシュ族は、男女と
もに、女性的で、自己主張せず、温和だそうだ。中には、チャンブリ族のように、男女の
立場が、逆転している民族もいるという(清水弘司著「性格心理学」より)。

 そういうところでは、男は、チンチンのある女、女は、おっぱいのある男ということに
なる。(ゾーッ!)

 で、この日本。日本人は日本人として、極東にある辺境の島国で、これまた独特の男女
観をつくりあげてしまった。「われわれはニューギニアの原住民たちとはちがう」と思い
たい気持ちも、わからないでもない。が、特異性という点では、日本もパプアニューギニ
アも、それほど、ちがわない。

 そうした名残というか、遺物は、今でも日本の社会のあちこちに、見られる。日本の社
会に深く、根をおろしている。たとえば今、あなたはどんな男性をあなたは「男らしい」
と言い、どんな女性をあなたは「女らしい」と思っているか。それをほんの少しだけ、頭
の中で想像してみてほしい。

 その(像)こそが、実は、日本という風土の中で作られたものにすぎない。

 だから冒頭の話になる。

 男女観ほど、あてにならないものはない。「男だから……」「女だから……」という論
理ほど、これまたあてにならないものはない。

+++++++++++

ここまで書いて、「内助の功」
という言葉を思い出した。

私はこれほどまでに、男尊女卑、
つまり極東の島国的なものの
考え方もないと思うが、いまだに
こうした考え方が、この日本では
大手を振ってまかりとおっている。

+++++++++++

【日本の常識、世界の非常識】

●「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまち
がっているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その
身分制度(=巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、
その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の
紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきでは
ないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこ
そ一九歳の舞妓を、「仕事のこやし」と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

●「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になってい
る。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、
女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫た
ちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわん
や休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、
離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

●「森進一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」
と泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、た
しかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えた
というが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、
親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。

●「かあさんの歌」論……窪田聡氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編
んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもう
すぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの
歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていた
よ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新
聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

●「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用
いられた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、
もう論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多い
ということ。約二三%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問
題ではないようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべき
だ」という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●「♪おふくさん論」

 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。
しかし……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育て
る。これは日本人独特の子育て法と言ってもよい。

あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、子どもに依存心をもたせる
のに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本では昔から、親に
ベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心が旺
盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが
下」と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対
して保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こん
な子ども(年中男児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着は
もちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげ
たまま、教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の
袋から取り出すこともできない。できないというより、じっと待っているだけ。

多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をす
るのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使
ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系
の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子
ども」という考え方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭
に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいたのだが、5歳になる娘が、その
母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言
った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないでね」と。

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自
立させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであな
たの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかして
くれ言葉」というのが、それである。

たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜
(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかして
くれ)」と言う。もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」
子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう
問答が、いつまでも続く。

 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろ
さんよ……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、そ
の背後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●夫婦の別称制度

 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれ
が顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のよ
うな世論調査結果を発表した(2001年)。

それによると、同制度導入のための法律改正に賛成するという回答は42・1%で、反
対した人(29・9%)を上回った。前回調査(96年)では反対派が多数だったが、
賛成派が逆転。さらに職場や各種証明書などで旧姓(通称)を使用する法改正について
容認する人も含めれば、肯定派は計65・1%(前回55・0%)にあがったというの
だ。

調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が68・1%と男性(61・
8%)より多く、世代別では、30代女性の86・6%が最高。別姓問題に直面する可
能性が高い20代、30代では、男女とも容認回答が8割前後の高率。

「姓が違うと家族の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の52・0%が「影響
がない」と答え、「一体感が弱まる」(41・6%)との差は前回調査より広がった。

ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が66・
0%で、「影響はない」の26・8%を大きく上回った。調査は2001年5月、全国
の20歳以上の5000人を対象に実施され、回収率は69・4%だった。

なお夫婦別姓制度導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあいに結婚前の
姓を名乗ることを希望するかどうか尋ねたところ、希望者は18・2%にとどまったと
いう。

わかりやすく言えば、若い人ほど夫婦別姓に賛成だということだが、夫婦別姓が問題にな
ること自体、私たちの世代では考えられないことであった。「結婚した女性は、その家に
入るもの」という考え方が、常識でもあった。言いかえると、今、私たちが経験しつつあ
る変化は、まさに革命的とも言えるものである。それこそ1000年単位でつづいた日本
の常識が、ここでひっくり返ろうとしている。そうした目で、この問題を考える必要があ
る。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●マザコン型人間

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。
このうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、
いわゆる溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。

 その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままお
となになるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。
たいていはげしい家庭内暴力をともなう。

 で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなにな
る。おとなになっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と
言うようになる。このマザコンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理
想の息子と思い込むこと。(圧倒的に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関
係で考える。)それはちょうど溺愛ママが、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似て
いる。そして献身的かつ犠牲的に、母親に尽くすことを美徳とし、それを他人に誇る。こ
れも溺愛ママが、自分の溺愛ぶりを他人に誇示するのに似ている。

 つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的
に美化しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいこ
とだ」と。そういう前提を自分の中につくる。そのために、親のささいな言動をとらえて、
それをおおげさに評価することが多い。これを「誇大視化」という。「巨大視化」という
言葉を使う人もいる。

「私の母は、○○のとき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団
の信者たちが、よく自分たちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親
孝行こそ最大の美徳」と説く人は、たいていこのタイプの男性とみてよい。G氏(五四
歳男性)もそうだ。何かにつけて、一〇年ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれ
かが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自分を悪者に
したてても、死んだ母親をかばおうとする。

 マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たい
ていは夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが
多い。しかし悲劇はそれで終わらない。

マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親をとるか、妻をと
るか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。反対に
妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。
そもそも結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」と
いうような条件を出すことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜ぶ。
あとはこの繰り返し。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●マザコン・テスト

 つぎの一二の質問項目のうち、6つ以上、当てはまれば、かなりのマザコン人間とみて
よい。(権威主義的なものの考え方が混在しているタイプのマザコン人間。)

( )いつも生活の中心に親がいる。親がいないと何も始まらないという感じ。重要なこ
とは、何でも親に相談したり、報告したりする。
( )「親は絶対」という意識が強く、親に反抗したり、親を粗末にするということは、
考えられない。献身的かつ犠牲的な親孝行をするのが、子どもの務めと考えている。
( )「親を選ぶか、妻を選ぶか」という択一に迫られたようなとき、「親!」と当然の
ように考える。そういう意味では、妻は、親の前では家政婦のような存在でしかない。
( )親の悪口を言ったりする人を許さない。あるいは徹底的に反論し、それを「息子の
カガミ」と、かえって他人に誇示することが多い。
( )常日ごろから、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、親に感謝
することを美徳とする。また自分の息子や娘にも、同じように思うように求める。
( )親を喜ばすことを、最大の目標とし、一方親は親で、そういう息子を、「親孝行で、
できのいい息子」と評価することが多い。
( )家庭や家族の中での上下意識が強く、自分の親には服従的である一方、自分の子ど
もが反抗したりすると、「親に向かって何だ!」というような言い方をする。
( )妻や家族といるよりも親といるほうが、なごやかな雰囲気になり、安心しているよ
うな様子や表情を見せる。
( )自分の妻よりも、母親のほうに、より広く心を開くことができる。悲しいことやつ
らいことがあると、妻に相談するよりも先に、母親に相談することが多い。
( )森進一の「おふくろさん」を聞いたりすると、涙を流さんばかりに感動したり、そ
れを「すばらしい歌」と評価する。
( )親の間では、まさに「子ども」といった感じになる。親は親で、まるで子ども扱い
をし、またそう扱われることを当然と納得している。
( )親を必要以上に美化することが多い。親のささいな部分をとらえて、親のすばらし
さ、あるいは自分の親のすばらしさを強調する。

 こうしたマザコン人間に、それを指摘すると、猛烈に反発するので、注意すること。マ
ザコンであること自体が、その人の人生観の基本になっていることが多い。したがって妻
の立場でいうなら、仮に夫がマザコン人間であるなら、それを受け入れるしかない。この
問題は対処のし方をまちがえると、たいへんな家庭騒動に発展する。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●いかに子離れするか

 いかに子どもを育てるかという問題と、いかに子離れするかという問題は、本来、同等
のもの。しかしこの日本では、後者(子離れ)は、なおざりにされ、むしろ、親は子離れ
などすべきではないという考え方が支配的である。「親子の縁は切れるものいではない」
という言い方をする人もいる。そしてその返す刀で、子どもが親離れすることを、「悪」
と決めてかかる。あるいはそれを許さない。

 こうした風習は、地方の山村地域ほど顕著で、私が生まれ育った岐阜県の地方では、親
にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。そして独立心が
旺盛で、親を親とも思わない子どもを、鬼ッ子として忌(い)み嫌う。こうした傾向は、
旧来型の日本の社会ではふつうに見られることで、多かれ少なかれ、ほとんどの日本人に
残っている。そしてそれが全体として、日本独特の親子関係をつくる。

 たとえば日本人は子どもを育てるとき、子どもによい思いをさせることが、親子のきず
なを太くする方法のひとつと考える。またそうすることで、子どもは親に感謝しているは
ずと考える。たがいの依存心を何よりも大切にする。(甘え、甘えられる)関係といって
もよい。それがあるべき親子の理想の姿と考えている人も多い。

 一般論として、子どもが依存心をもつことに無トンチャンクな親というのは、自分自身
も潜在的に、だれかに依存したいという潜在的な願望をもっている。つまりその潜在的な
願望が、子どもの依存心に甘くなるというわけである。そしてそれがさらに全体として、
日本型の子育て法として、親から子へと、代々と受けつがれていく……。

 が、ここにきて、その「流れ」に大きな変化がみられるようになった。若い世代を中心
に、欧米型の個人主義が台頭し、旧来型の親子関係を否定する動きである。尾崎豊の言葉
を借りるなら、「しくまれた自由からの卒業」(「卒業」)ということになる。が、それ
は同時に、そのまま家庭教育に混乱となってはねかえってきた。結果として「家庭の教育
力は低下した」(S県教育委員会)が、しかし実際には、家庭の教育力は低下していない。
むしろ教育力は高くなっている。親子のふれあいの時間は、40年前、30年前とくらべ
ても、飛躍的にふえている。

問題は、教育力の低下ではなく、新しい価値観になじめない親たち、新しい価値観を認
めない親たちにある。さらにもっと言えば、古い価値観を否定はしたものの、それにか
わる価値観を作りだすことができない親たちにある。

 話がそれたが、子どもを育てるということは、いかに子離れしていくかという、その一
言に尽きる。いつもこの二つの問題は、常に同時進行の形で、処理されるべき問題なので
ある。日本人は子離れ、親離れの問題を、あまりにも軽んじてきた。論ずる人も、(私を
のぞいて)いない。しかしそれでは、今の日本をおおう、もろもろの問題は解決しない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●代償的不満

 ある女性がこう言った。「私の夫は、あと片づけをほとんどしません。親から、そうい
う教育を受けていないからです」と。こういうのを代償的不満という。本来の不満を覆い
隠しながら、別の不満にすりかえる不満と考えればよい。で、どこが代償的不満?

 このケースのばあい、(夫があと片づけをしない)という不満が、本来の不満。しかし
この女性は、それを(親からそういう教育を受けていない)という形にすりかえている。
が、実のところ、これも代償的不満。

 このケースのばあい、(夫そのものへの不満)、さらには、恐らく(夫の両親への不満)
も、その背景にある。つまりそうい不満が、姿を変えて、(教育を受けていない)(あと
片づけしない)という不満へとなっていった。

 こうした代償的不満は、子育ての世界では、ごくふつう見られる。よくあるケースが、
学校の先生に対する親の不満。「私の子どもの先生は、宿題の出し方が不規則で、気分的
で困ります」など。こういうケースでは、その背景に、(自分の子どもをていねいにみて
くれないという不満)、さらには、恐らく(自分の子どもの学力が思うように伸びないと
いう不満)も、ある。こうした不満が、姿を変えて、先生への批判へとなっていく。

 また子どももそうだ。たとえば子どもは、塾などへ行きたくなくなると、「行きたくな
い」とは言わない。そういうときは、塾の先生の悪口を言い始める。「まじめに教えてく
れない」「えこひいきをする」「さぼって雑誌を読んでいた」など。つまりそういうこと
を親に言いながら、親をして、「そんならやめなさい」と言うようにしむける。A君(小
五)は、学校の先生に、「今度宿題をやってこなかったら、親に電話する」と脅されたの
がきっかけで、その日から毎日、学校の先生の悪口を言うようになった。いわば先手を打
ったということになるが、こうしたケースは日常茶飯事。 

 子どもの意見に耳を傾けるのは、大切なことだが、しかし本来の原因(問題)がどこに
あるかを判断することも忘れてはいけない。そのひとつのヒントが、ここでいう代償的不
満。この言葉を知っているだけでも、子どもの心がよりはっきと読めるようになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●パソコンの故障

 昨日、パソコンの調子が、突然、おかしくなった。インターネットがつながらなくなっ
た。製造メーカーに相談すると、マザーボードの故障かもしれませんということになった。

 大変なことになった!

 で、あれこれパソコンをいじること、30分。が、よく見ると、先日取り付けた、US
Bの増設ポートが、半分、はずれかかっているのがわかった。ネジがゆるんでいた。さっ
そく、USBの増設ポートを取り外した。それで一件落着。

 今日の楽しみ。新しいメモリーを購入してくること。再び、2GBから、3GBに、メ
モリーを増設する。

 そうそうビスタ(ULITIMATE)では、ハードディスクの内容を、そっくりその
ままDVD−Rにコピーする機能がある。それを使えば、万が一の時でも、そっくりその
ままハードディスクを生き返らせることができる。昨夜、そのコピーをした。

 ところでそのネジの話だが、先日の中華航空の爆発事故は、そのネジが原因だったとい
う。ネジがはずれて、燃料タンクに穴をあけた。たった一本のネジで、パソコンは動かな
くなる。たった一本のネジで、飛行機は爆発する。


●何がアブノーマルなのか?

 正常と異常とは、どこがどうちがうのか? その間に一線を引くのは、むずかしい。先
日も書いたように、最近の考え方によれば、こうした区別をしないのが、主流になりつつ
ある。正常と思っていても、それが異常だったり、反対に、異常と思っていても、それが
正常だったりする。

 よい例が、同性愛。私が学生のことは、同性愛は、異常と考えられていた。しかし今で
は、だれも、そんなふうに考える人はいない。社会的な常識を、個人に押しつけること自
体、まちがっている。そう、その社会的常識そのものが、狂っていることだって、ありえ
る。

 ほかにたとえば、性欲過剰もある。あの小林一茶などは、毎日の性交回数を、日記につ
けていた。「○月○日、三交。○月○日、四交……」と。若い妻と結婚したこともある。
毎日、少ない日でも2回。多い日になると、4回とか5回も、性交をしていた。

 どこでどうやって、やったのだろう? そのへんのことも気になるが、まあ、それで当
人どうしがハッピーなら、他人がとやかく言う問題ではない。

 信濃町の小林一茶の記念館のHPには、こうある。

 『……50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌
年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男
石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻
きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。一茶はひとりぽっちになりましたが、再々
婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました』と。

 小林一茶にも、いろいろな面があったようだ。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●韓国の失業率

++++++++++++++

大卒の就職率が、0・25(4分の1)
というのに、日本の失業率より低い?

韓国の朝鮮N報ですら、最近、(やっと)、
この数字を疑い始めた。

(やっとだぞ!)

++++++++++++++

 朝鮮N報は、こう伝える(8月22日)。

 『……一方、政府は昨年の失業率が3・5%で、失業者の数は83万人だったと発表
した。それによると一昨年よりも失業率は0・3%低下し、失業者数も6万人減ったこ
とになる。しかしこの統計資料では「ただ働いていない」という126万人と、「就職
の準備をしている」という、53万人を失業者から除外していた。失業率がそれほどひ
どくないように見せかけるため、こうした方法をとったのだ』(原文のまま)と。

 ここでいう「昨年」というのは、06年度をいう。

 3・5%で83万人ということは、逆算すると、全体の就業者人口は、(83÷0・
035=2371)で、2371万人ということになる。前回も書いたように、韓国で
は、4週間のうちに、たった1日でも、たった1時間でも働いたら、失業者とみなされ
ない。

 それはわかるが、この83万人という数字には、「働いていない=就職活動もしてい
ないという人」と、「準備をしている人」が含まれていない。その2つの数を合計する
と、(126+53=179)で、179万人となる。

 この179万人に、失業者と呼ばれる83万人を加えると、実際の失業者は、262
万人となる。この数を、就業者人口の2371万人で割ると、(262÷2317=0・
113)で、11・3%となる。

 つまり実際の失業者は、11・3%ということになる。

 3・5%と11・3%! これが韓国の失業者の実態というよりは、韓国政府の、数字
マジックの実態と言ってもよい。こうした数字マジックは、まさに韓国政府のお家芸。こ
んな例も、朝鮮N報は、指摘している。そのまま転載させてもらう(8月22日)

 『2005年7月、行政自治部は「本人の名義で土地を所有している人は、国民全体の
28・7%にすぎない」と発表した。

行政自治部がこうした統計資料を発表したのは、国民の71・3%はまったく土地を所
有していないということを強調し、不公平性の問題を提起するためだった。その意向に
従い、国政ブリーフィングではこの統計資料を引用して「多くの国民がむなしさを覚え、
二極化が進んでいることを痛切に感じている」と説明した。

 ところがこの統計資料にはからくりがあった。ほとんどの場合、土地は世帯主の名義で
登記されている。そのため、土地所有者の割合を計算するなら、分母は国民全体の数では
なく、世帯数でなければならない。

そのように算出方法を変えると、土地所有世帯の割合は57・4%となる。行政自治部
が土地所有状況を把握するのに、どんな計算をすべきかすら分からないはずがない。

しかし結果的に行政自治部の担当者は、乳幼児や未成年者まで「土地を持たない人」の
数に入れたのだ。政府の高位関係者がこうした内容の統計資料を欲しがっていることを
知った上で、大韓民国が「持つ者」と「持たざる者」の二極化が進んだ社会だという結
論を下せるよう、わざと数あわせが行われたのだ』と。

 隣の韓国という国の話だから、日本人の私たちには関係のないことかもしれない。しか
しこの手法を使って、さまざまな形で、経済指標もごまかしている。それについては、今
までに、何度も取り上げてきたので、ここでは省略する。

 たとえば経済成長率についても、韓国政府の公式報告によれば、ここ数年、5・0%前
後を維持しているという。しかしこの数字には、重大な疑惑がある。目下、その資料を集
めているところなので、近々、このマガジンで報告できると思う。

 ともかくも、韓国の大本営発表だけを鵜呑みにして、韓国に投資していると、たいへん
なことになる。加えて、南北会談もある。いったい、ウラで、韓国のN大統領と、K国の
金xxは、どんな取り引きをしようとしているのか? 

先の第1回目の南北会談では、5億ドル(600億円)という現金が、裏金として、金
xxに渡された。そのお金は、当然のことながら、核兵器開発にも使われた。金大中は、
その功績(?)が認められて、ノーベル平和賞まで受賞している。まさに「金で買った
ノーベル賞」ということになる。

私たち日本人は、これから先、韓国のN大統領の言動を、じゅうぶん疑ってみたほうが
よい。注視、また注視!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(8月24日)

+++++++++++++++

昨夜、いつものように扇風機を
つけて寝て、しばらくしたら、
はげしい悪寒。

体中が、小刻みにブルブルと
震えた。あわてて毛布をかぶり、
ワイフにしがみつく。

急激に外気が冷えたらしい。

時刻はわからないが、2度目に
目を覚ましたのは、午前4時。

どこかのだれかと議論している
夢を見ていた。それで興奮状態になり、
目が覚めた。

しかたないので、そのまま起きる。 

++++++++++++++++

●メモリーの不調

 現在、ビスタマシーンのメモリーを、3GBに増設して使用している。インターネット
を使っていると、ときどき、インターネットの画面が飛んでしまう。「そういうものかな
あ……」と思っていたが、昨日、メモリー・チェックをしてみたら、「メモリーに欠陥が
ある」とのこと、

 メモリー・チェックは、(システムとメンテナンス)→(管理ツール)→(メモリー診
断ツール)でできる。心配な方は、自分でメモリー・チェックをしてみたらよい。

 しかたないので、1GB分、メモリーをはずす。バルク品なので、保証はなし。「不良
品交換は2週間以内」とレシートに書いてあるのが、うらめしい。買った直後に、メモリ
ー・チェックをすればよかった!


●レーザーマウス

 昨日、近くのショッピングセンターへ行ったら、レーザーマウスを、1980円で売っ
ていた。小型のものだったが、即、購入。

 以前、レーザーマウスを使っていたが、パソコンとの相性が悪く、そのままお払い箱に。
が、今度のは、今のところ、問題ないようだ。スイスイと動く。

 ボール式のマウスは、ゴミがたまって、よくない。そのたびに動きが鈍くなる。


●今日の目標

 今日は、近くのパソコンショップへ行き、新しいメモリーを購入するつもり。再び、3
GBに。本当は、そんなにメモリーを必要としない。ビスタは、1GBが適正。2GBで
じゅうぶんということだそうだ。しかし私はいつも、最高のパフォーマンスを求める。ま
たそうでないと、満足しない。だから再び、3GBに!


●夏になると、体がだるい

 夏になるたびに、体がだるくなる。できるだけクーラーには当たらないようにしている。
が、それでも、いたるところで、クーラーに当たってしまう。コンビニ、書店、車、バス、
タクシーの中など。そのたびに、体温調整が狂う(?)。

 教室でも、このところクーラーを入れっぱなし。これは私のためではなく、参観の父母
のため。

 ところで数年前のことだったが、睡眠中もクーラーをかけるようにしてしまったことが
ある。そのためそのあと、ひどい目にあった。ある日、昼寝をしたのだが、そのあと、体
が動かなくなってしまった。以後、クーラーには当たらないように心がけている。

 が、それでも、だるい。頭の動きも鈍い。

 文をスイスイとこうして書けるのは、早朝の、今の時間帯だけ。


●円が116円

 ビスタにしてから、円相場がリアルタイムで、わかるようになった。ガジェットという
機能のおかげである。それによれば、現在円は、1ドル当たり、116円前後。日銀が政
策金利の利上げを見送ったため、再び、円キャリーが世界的規模で始まったという。

 金利の安い日本で円を借り、その円を一度アメリカドルに換えたあと、それぞれの国で
投資する。それが円キャリー。アメリカドルに換えるとき、円を売るから、円安になる。

 いいのかなあ……? こんなことつづけていて……?

 いつの間にか、日本は、世界経済を左右するだけの実力をもってしまった。規模そのも
のが、ちがう。そういう日本が、円を世界に、垂れ流す。世界は、お金でジャブジャブに
なる。まさにインフレの輸出。

 各国の投資家たちは、日本から借りた円→ドル→各国の通貨で、土地を買ったり、株を
買ったりしている。土地投機や株投機にも、資金が回っている。

 問題は、いつかそういう円が、日本へ逆流してくるということ。そのとき、日本は、ど
うなるのか?

 こわいなあ……?


●ウソ

 ウソにもいろいろある。しかしそれにボケ(認知症)が重なると、わけがわからなくな
ってしまう。明らかにウソなのだが、本人は、「ウソではない」とがんばる。

 人は加齢とともに、頭の働きが鈍くなる。判断力や記憶力が低下する。ときに、自分で
したことや、言ったことを忘れてしまう。だから結果的にみると、相手にウソを言ったの
と同じ状況になることがある。反対に、ウソを言われたのと同じ状況になることがある。

 よい例が、老人特有の、あのウソである。

 私の義姉も、頭のボケた母に、よくこう言われたそうだ。「私のサイフをどこへやった!」
「金を返せ!」と。

 自分でどこかへサイフを置き忘れておきながら、それをその母は、義姉のせいにした。

 言うなれば、ウソがウソであるためには、「故意」が必要ということか。故意のないウ
ソは、ウソでないということになる。たとえば、思い違いがある。義姉の母にしても、本
気で、義姉がサイフを盗んだと思っているのだから、ウソではないということになる。ウ
ソをついているという意識すらない。

 だからますますわけがわからなくなってしまう。

 ……と書きながら、実は、私は自分自身のことを心配している。このところ、ときどき、
自分で自分に自信がなくなるときがある。ここに書いた思い違いをすることも、たびたび
ある。思い過ごし、取り越し苦労も多くなった。今のところ、もの忘れ、ど忘れというに
は少ないので、ありがたい。が、しかしそれも時間の問題。

 こうした脳みその訓練を怠れば、あっという間に、私もボケ老人の仲間入り。平気でウ
ソをつくようになるかもしれない。


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