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2008年 6月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 6月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの中の子ども】

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子どもを見て、教育してはいけない。
教育するときは、子どもの中の子どもを見て、する。

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●乳幼児の記憶

+++++++++++++

子どもの中の子どもとは、何か?
それについて話す前に、乳幼児の
記憶について書いた原稿を
読んでほしい。

+++++++++++++

「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィ
ーク誌・2000年12月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えら
れていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられてい
る」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達
なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長
期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかし
メルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけ
ということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行っ
た場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよく
ある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起き
る現象と考えるとわかりやすい。

++++++++++++++++

わかりやすく言えば、あの乳幼児ですらも、
着々と記憶をたくわえ、「私」を作る
準備をしているということ。

やがてその「私」が、私の意思すらも、
ウラから操るようになる。

では、「私の意思」とは何か?

それについて書いた原稿が
つぎのもの。

++++++++++++++++

●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということ
がわかってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手
をのばし、それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作ら
れ、あなたは、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたかな脳」
の中に書いてあるが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているとい
うのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる
前に、すでに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだ
されるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうこと
になる。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな
電気信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数
的にとらえてしまう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何かと
いうことになってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。
私は、あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう
思うだろう。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事
をする」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従って
いるだけということになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その「私」
に、さからってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その「反対
の行動をしてみよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自我
がある。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分というこ
とか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放され
るといってもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よ
くわかるようになる。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包ん
でいたとする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにち
がいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるため
に、性欲の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男
性だって、そうだ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、
それがその男性を動かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコン
トロールされている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思
で、この原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏
の本は読んだが、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何
かの命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなってしま
う。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の
中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが
自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モル
ヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに
包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけでは
ないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除
してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい
うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも
のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝
手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、
そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反
応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教
室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも
つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印
象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子
どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、
ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」と
いう言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしてい
く。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってし
まい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみ
よう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があ
るという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン
にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド
レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5
9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる
ということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚
えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(ど
れだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁
桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると
考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、
その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ
の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしてい
る。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせ
る。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が
芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること
がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児
教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて
いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな
い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育
のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる
気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、
子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものが
ない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、
たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早
い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉
強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、
その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し
でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない
ということ。

++++++++++++++++++++

では、「私」とは何か?
その中心核にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)
ということになる。
「生的エネルギー」(ユング)でもよい。

++++++++++++++++++++

●生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of 
the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is 
not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「セックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、セックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる
気)

++++++++++++++++

では、いよいよ核心?

「私」とは何か。
また教育の世界では、「私」をどう考えたら
よいのか。

私は、ひとつの仮説を考えた。

++++++++++++++++

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains. 
The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other 
brains. Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the 
frontal part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of 
words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1〜2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない
部分 視床下部 大脳前頭前野)

++++++++++++++++

教育の世界では、表面的な子どもだけを
見て、教育してはいけない。

教師のひとつひとつの行動、言動が、
どのように子どもの中に形成されていくか。
それを観察しながら、教育する。

あるいは反対に、その子どもが、その
子ども自身の中の、どのような「私」に
コントロールされているか、それを
的確に判断しながら、教育する。

それが教育の原点ということになる。

++++++++++++++++

【私とは?】(What is "Me"?)
At last I have come to an conclusion or I just feel it that I have come. Here is what I 
have found in these ten years. 

●いよいよ核心?

++++++++++++++++++

「私」の中には、(私であって、私でない部分)と、
(私であって、私である部分)がある。

大半の「私」は、(私であって、私でない部分)と
考えてよい。

食事をするのも、眠るのも、仕事をするのも、
また恋をして、結婚して、子どもをもうけるのも、
結局は、視床下部の奥深くから発せられる、強力な
シグナルによって、そう操作されているだけ。
それを「本能」と呼ぶなら、本能という名称でも、
構わない。

では、(私であって、私である部分)は、どこに
あるのか。

実は、こうしたシグナルに逆らうところに、
「私」がある。

こんな例で考えてみよう。

毎年、その時期になると、私の家の庭には、2羽の
ドバトがやってくる。
巣をつくり、雛(ひな)をかえす。

そのときのこと。
ドバトは、たいてい2羽の雛をかえす。
が、そのうち雛が大きくなると、
より強い雛が、より弱い雛を、巣から押し出して、
下へ落としてしまう。

つまり1羽だけが、生き残る。
(たまに2羽とも生き残ることがあるが……。)

雛は、雛なりに、生存をかけて、もう一羽の
雛を、巣から落とす。

が、それはその雛自身の意思というよりは、
雛自身の、生まれもった、本能によるものと
考えるのが正しい。

もしその雛が、人間と会話ができるなら、
きっとこんなふうに言うにちがいない。

私「君は、どうして、もう一羽の雛を、巣から
落としたのだ?」
雛「親が、エサをじゅうぶんにくれないからだ」
私「君の意思で、そうしたのか?」
雛「もちろん。やむをえず、私は、そうした」と。

が、雛は、自分の意思で、そうしたのではない。
もう少し正確には、これはあくまでも私の
仮説だが、こうなる。

「生きたい」という強力なシグナルが、雛の
視床下部から発せられる。
そのシグナルは、雛の辺縁系と呼ばれる部分で、
「形」のあるシグナルに変換される。
このばあい、「嫉妬」という感情に変換される。

つまりそこで2羽の雛は、たがいに嫉妬し、
巣の中で、闘争を開始する。
「出て行け!」「お前こそ、出て行け!」と。

結果的に、より力の強い雛が、弱い雛を、巣から
追い出して、落とす。
落とされた雛は、野犬などに襲われて、そのまま死ぬ。

わかりやすく言えば、雛は、こうした一連の行為を
しながら、(私であって、私でない部分)に操られた
だけということになる。

では、その雛が、(私であって私である部分)をつかむ
ためには、どうすればよいのか。

ここから先は、人間を例にあげて考えてみよう。

2人の人がいる。
砂漠かどこか、それに近いところを歩いていた。
2人も、もう数日間、何も食べていない。
空腹である。

で、2人が歩いていると、目の前に、パンが一個、
落ちていた。
1人分の空腹感を満たすにも足りない量である。

もしそのとき、2人が、一個のパンを取りあって、
喧嘩を始めれば、それはドバトの雛のした行為と
同じということになる。

基本的には、視床下部から発せられたシグナルに
操られただけ、ということになる。

が、2人の人は、こう話しあった。

「仲よく、分けて食べよう」
「いや、ぼくはいいから、君のほうが、食べろよ」
「そんなわけにはいかない。君のほうが、体も細いし、
元気がない……」と。

もう、おわかりのことと思う。
(私であって、私である部分)というのは、
(私であって、私でない部分)を、否定した
部分にあるということ。

もっとわかりやすく言えば、先に書いた、「本能」を
否定したところに、「私」がある。

さらに言えば、一度(私であって、私でない部分)から、
抜けでたところに、「私」がある。

その究極的なものは何かと問われれば、それが「愛」
であり、「慈悲」ということになる!

「愛」の深さは、「どこまで、相手を許し、忘れるか」、その
度量の深さで、決まる。

「慈悲」については、英語で、「as you like」と訳した
人がいる。
けだし名訳! 「あなたのいいように」という意味である。
つまり「慈悲」の深さは、どこまで相手の立場で、「相手に
いいようにしてやる」か、その度量の深さで、決まる。

たとえば殺したいほど、憎い相手が、そこにいる。
しかしそこで相手を殺してしまえば、あなたは、
視床下部から発せられるシグナルに操られただけ、
ということになる。

が、そこであなたは、あなた自身の(私であって、
私でない部分)と闘う。闘って、その相手を、
許して忘れたとする。
相手の安穏を第一に考えて、行動したとする。
つまりその相手を、愛や慈悲で包んだとする。

そのときあなたは、(私であって、私である部分)を、
手にしたことになる!

「私」とは何か?

つまるところ、(私であって、私でない部分)を否定し、
その反対のことをするのが、「私」ということになる。

もちろん、人間は生きていかねばならない。
視床下部から発せられるシグナルを、すべて否定したのでは
生きていかれない。

しかし、そのシグナルの奴隷になってはいけない。
シグナルの命ずるまま、行動してはいけない。
闘って、闘って、闘いぬく。
その闘うところに、「私」がある。
そのあとに残るのが、「私」ということになる。

繰りかえすが、その究極的なものが、「愛」であり、
「慈悲」ということになる!

さらに言えば、「私」とは、「愛」であり、「慈悲」
ということになる。

言いかえると、「愛」や「慈悲」の中に、(私であって、
私である部分)が存在する、ということになる!

+++++++++++++++++

【補記】

ここに書いたのは、私の仮説に基づいた、ひとつの意見のすぎない。
しかし、おぼろげならも、やっと私は、「私」にたどりついた。
「私」とは何か、その糸口をつかんだ。
長い道のりだった。
遠い道のりだった。
書いた原稿は、数万枚!

ここまでたどりつくために、ほぼ10年の月日を費やした。
(10年だぞ!)

先ほど、ドライブをしながら、ワイフにこの仮説について説明した。
ワイフは、そのつど、私の仮説に同意してくれた。

で、それを説明し終えたとき、私の口から、長い、ため息が出た。
ホ〜〜〜〜〜ッ、と。
うれしかった。
涙がこぼれた。

この先は、私の仮説を、もう少し、心理学、大脳生理学、教育論の
3つの分野から、同時に掘りさげ、補強してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私とは 私論 愛 慈悲
 愛論 慈悲論 仮説 視床下部 辺縁系 はやし浩司の私論 教育の原点)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●言語能力

 ついでに、澤口俊之氏は、「言語能力こそが重要」と説く(「したたかな脳」日本文芸社)。

 私も、そう思う。

 言語能力のあるなしで、その人の知性を決める。「ヒトとサルの違いは、この言語能力の
あるなしである」(同書)という。

 私も、そう思う。

 つまりその言語能力を喪失したら、ヒトは、ヒトでなくなってしまう。ただのサルにな
ってしまう。

 が、最近、その言語能力のない人が、ふえてきた。いろいろな原因が考えられているが、
要するに、人間、なかんずく日本人が、それだけ「バカ」(養老孟子)になってきたという
ことか。

 先日も、コンビニで立ってレジがすむのを待っていたら、前に立っていた母親が、自分
の子どもに向かって、こう叫んでいたという。

 「テメエ、騒ぐと、ぶっ殺されるぞオ!」と。

 これは、ある小学校の校長先生が話してくれたエピソードである。服装や、かっこうは
ともかくも、その母親の頭の中は、サル同然ということになる。

 つまりは思考能力ということになるのだろうが、それを決定づけているのが、大脳の中
でも前頭連合野である。最近の研究によれば、この前頭連合野が、「人格、理性と深いかか
わりがあることがわかってきました」(同書、P34)という。

 その前頭連合野の発達のカギを握るのが、ここでいう言語能力である。しかもその発達
時期には、「適齢期」というものがある。言語能力は、ある時期に発達し始め、そしてある
時期がくると、発達を停止してしまう。「停止」という言い方には語弊があるが、ともかく
も、ある時期に、適切にその能力を伸ばさないと、それ以後、伸びるといことは、あまり
ない。

 それを「適齢期」という。

 私の経験では、子どもの、論理的な思考能力が急速に発達し始めるのは、満4・5歳か
ら5・5歳と、わかっている。この時期に、適切な指導をすれば、子どもは、論理的に考
えることができる子どもになるし、そうでなければ、そうでない。

 この時期を逸して、たとえば小学2年生や3年生になってから、それに気がついても、
もう遅い。遅いというより、その子どものものの考え方として、定着してしまう。一度、
定着した思考プロセスを修正、訂正するのは、容易なことではない。

 で、言語能力については、何歳から何歳までということは、私にはわからない。わから
ないが、その基礎は、言葉の発達とともに、小学生のころから、大学生のころまでに完成
されるのではないか。

 この時期までに、ものを考え、言語として、それを表現する。そういう能力を養ってお
く必要がある。

 澤口氏は、「日本人の脳の未熟化が進んでいる」(同書、P130)と、警告しているが、
このことは、決して笑いごとではすまされない。
(はやし浩司 言語能力 大脳 前頭連合野 適齢期 (はやし浩司 家庭教育 育児 
育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education 
essayist writer Japanese essayist メルツオフ メルツォフ 乳幼児の記憶 視床下部 
辺縁系 扁桃核 扁桃体 カテコールアミン はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●おばあちゃんのリボン

++++++++++++++++

今週は、「家族」というテーマで、
レッスンを進めた。

年長児になると、「お父さんのお父さんが、
祖父」というところまで、理解できる
ようになる。

さらに進むと、「お母さんのお姉さんが、
おばさん」というとことまで、理解できる
ようになる。

人間関係を、頭の中で整理することができる。
で、そのレッスンの中でのこと。

家族の一覧図を見せた。

「祖父母、両親、兄、姉、(私)、弟、妹」の
図である。

以前、祖父と祖母が、どちらがどちらかわからない
と言った子どもがいたので、私は、(おばあちゃんの
顔)に、リボンをつけた。

それがまずかった。

Yさん(年長児)が、こう言った。
「おばあちゃんは、リボンをつけない!」と。

私「おばあちゃんだって、リボンをつけるよ」
Y「つけないよ! おねえさんが、つけるよ」
私「そんなことないよ。今は、そういう時代じゃ、ないよ。
おばあちゃんだって、リボンをつけるよ」
Yさんと、そのほかの子どもたちも、「つけない」「つけない」の
大合唱!

しかたないので、レッスンの途中で、私はリボンを消した。

私「じゃあ、どうやって、おじいちゃんとおばあちゃんを
見分けるの?」
子「知らない・・・」
私「おばあちゃんは、どうすればいいのか?」と。

そこで私は妙案を思いついた。

おばあさんの額に、赤い丸を描いた。

子「何、それ?」
私「うめぼし」
子「どうして、うめぼし?」
私「昔のおばあちゃんは、みな、額に梅干をつけたの」
子「・・・」
私「トクホンでもいい・・・」と。

参観に来ていた母親たちが、それを見て、腹を
かかえて笑っていた。
子どもたちは、そういう母親を見ながら、
けげんそうな顔をしていた。

ついでながら・・・。

「お父さん」は、「おと・う・さん」
「お母さん」は、「おか・あ・さん」
「お兄さん」は、「おに・い・さん」
「お姉さん」は、「おね・え・さん」
「弟」は、「おと・う・と」
「妹」は、「いも・う・と」と、それぞれ表記する。

手をパンパンとたたきながら、指導するとよい。
さらについでに、カタカナでは、それぞれ
長音を、「―」で表記する。

「お父さん」は、「オトーサン」ほか。

今週のレッスンでは、ここまで指導した。
(08年5月)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●子どもをもつ家庭を、もっと保護すべし!(More Security to Families who have 
Children)
The apanese government pays much less money to those families who have children at 
home. According to the statistics done by OECD, the money paid to those families is abt 
only 0.6% of GDP. On the contrary most of the social security fee has been paid to 
ex-public workers, medical organizations and aged people.

++++++++++++++++++

たとえば……。

子ども1人につき、月額8万円の補助を!
月額4万円でもよい。
子どもが満6歳から18歳まで、親の所得に
関係なく、一律、支給する。

が、現実は、かなりちがう。

この日本では、子育て世帯への所得再配分は、
アメリカと並んで、ほとんどゼロに等しい。
(世界の社会政策の動向・OECD版)

「毎年88兆円(05年)もの社会保障費の
約80%は、年金、医療、介護など、高齢者
に向けられている。子ども向けは、4兆円に
すぎない」(東洋経済・5/17、08)そうだ。
とくに年金への支出が、す・ご・い!

その日になると、郵便局の窓口には、
ズラリと老人たちが並び、100万円
の札束を、わしづかみにして受け取っている。
(年金は、3か月分ずつ支給される。)

1人ひとりの元公務員の人に責任があるわけでは
ないが、そういう姿を見て、カッと体が熱くなるのは
私だけではあるまい。

で、この数字を見て、怒らない人は、いない。
つまり社会保障費、88兆円(これだけでも
国家税収の約2倍)のうち、子ども向けは、
たったの4兆円!

言いかえると、その分、親への負担が大きい
ということ。

日本では『子ども大学生、親、貧乏盛り』という。
私が考えた格言だが、子ども2人が大学へ通う
ようになると、それだけで大半の家庭の経済は
パンクする!

こうした(矛盾)は、大学生を見ればわかる。
欧米などでは、親のスネをかじって大学へ
通う大学生など、皆無に等しい。
奨学金を得るか、自ら借金をして、大学へ
通う。
そういう制度が、すでに確立している。

もっともアメリカなどでは、落第は当たり前。
アメリカの高校生の卒業率は、51%(07)
だそうだ(同誌)。

こうした(きびしさ)を、どう判断するか。
それについては、別のところで考えるとして
こんなバカげた福祉国家はそうはない。
東洋経済誌は、「日本は、中福祉国家」と評している。

ちなみに、デンマーク、スウェーデン、フランス
では、対GDP比で、約3〜4%もの社会保障費
を、子育て世帯に分配している。
が、この日本では、たったの0・6%前後(00年)。

冒頭で、月額8万円と書いたが、満6歳から18歳まで、
約1200万人の子どもに、月に8万円ずつ
支給したとしても、その額は、年間……

8万円x1200万人x12か月=11・52兆円
にすぎない。
4万円なら、約6兆円ですむ。
さらにその半分の2万円なら、たったの3兆円ですむ。

「補償費をどう使うか」という問題もあるが、
そんなことは、親に任せればよい。
親が、国にかわって、未来の日本人を育てている。
親が自分のために使ったところで、それはそれで
しかたのないこと。

また「一律」にするのは、その分だけ、行政を
簡素化するため。
所得に余裕がある人も、またない人も、一律。
担当する公務員の数も、最低限ですむ。
現に欧米では、そうしている。

……以上、やや暴論的に書いたが、とにかく、
現在の制度は、おかしい。
まちがっている。
それだけは確か!

ほとんどの親たちは、こうこぼしている。
「こんなに子育てに、お金がかかるとは思っても
みなかった!」と。

こうした声に耳を傾けないようであれば、日本の
未来に、希望はない。
少子化はますます、進む!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 日本の社会保障費 教育費
 子育て支援 少子化)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生活の貧困化

++++++++++++++++++++

認知症(アルツハイマー病を含む)になると、
「生活が貧困化する」(「アルツハイマー病にならない」
井原康夫著)
という。

たいへん興味をひく言葉である。

「貧困化」といっても、金銭的に貧しくなったり、
ケチになることではない。

生活の豊かさが、消えるということ。
つまり認知症になると、四季を楽しんだり、
芸術をたしなんだり、おしゃれをしたりするということが、
減るということ。

言いかえると、生活の豊かさというのは何かという
ことになれば、その逆ということになる。

私たちは日常の生活を通して、つねに、その豊かさを
求める。
その豊かさが、私たちをより幅の広い人間にする。

さらに言いかえると、豊かにすることが、認知症を
予防するということにもなるのではないか?

そういうことも考えながら、私たちは、努めて、
日々の生活を豊かにしなければならない。
「努めて」というのは、「多少、無理をしてでも」という
意味である。

++++++++++++++++++++++++

ワイフの知人に、ひとり、たいへん心配な人がいる。
年齢を聞くと、今年、まだ63歳だという。
女性である。

数年前に夫を病気で亡くしてからというもの、
それまでの趣味を、ほとんど、やめてしまった。
近くの公民館で、週2回、バドミントンもしていたが、
それもやめてしまった。

さらに、ワイフの話では、「歌も歌わなくなってしまった」
という。

私「歌を歌わない、ってどういうこと?」
ワ「どんな歌が好き?、と声をかけても、
歌えないとか言って、話に乗ってこないのよ」と。

こう書くと、静かで穏やかな女性を想像するかも
しれないが、そうではない。
ワイフが何かのまちがいを指摘したりすると、ヒステリック
な声をあげて、反論してくるという。

先日も、こんなことがあった。

電話で話をしているとき、その女性が、「F市にある、
バラ園のバラはきれいだそうよ」と言ったそうだ。

ワイフは、それを電話機の横にあるメモ帳に書きとめた。
で、しばらく話をしたあと、ワイフが、「じゃあ、今度、
いっしょにF市のバラ園に行きませんか」と言うと、
その女性は、突然、パニック状態になってしまったという。

女「私は、F市だなんて、言っていません。S市です!」
ワ「でも、先ほど、F市と、おっしゃったではないですか?」
女「言っていません。S市は、私の母の実家のある町です。
私がまちがえるはずはありません」
ワ「どちらでもいいですが、じゃあ、S市ですね?」
女「私はF市だなんて、言っていません!!」と。

その女性は、電話口の向こうで、ギャーギャーと泣きわめく
ように、大声で叫んでいたという。

先の本によれば、アルツハイマー病でも、似たような
症状が現れるという。
「ささいなミスを指摘されたりする、激怒する」と。
(だからといって、その女性が、アルツハイマー病
ということではないが・・・。)

しかし心の豊かさがないことだけは、事実。
ふつうなら、こうした会話では、「あら、そう。ごめん。
まちがえたかも・・・」で終わる。
が、その豊かさなくなると、ささいなことにこだわり、
それを針小棒大にして、騒ぐ。

心を豊かにするということには、「おおらかに生きる」という
意味も含まれる。

では、どうするか?

(1)人との接触を欠かさない。
(2)音楽や絵画を楽しむ。
(3)外出、旅行をふやす。

が、何よりも大切なのは、いつも新鮮な刺激を用意する
ということ。
その努力を怠ってはいけない。
日々の生活の中に、つねに変化を求めていく。

これは私自身の努力目標でもある。
がんばります! 
がんばりましょう!

(付記)渡辺謙の『明日への記憶』を見てから、アルツハイマー病
という病気が、気になるようになった。
ワイフの話を聞いたあと、今夜、2度目を見た。
いろいろ考えさせられた。
生きることにまつわる悲哀感を、ひしひしと感じた。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●孫

HPやマガジンのほうでは、孫の誠司の写真を
たくさん紹介している。
それについて、かえって、目障(ざわ)りに
思っている人が、いるかもしれない。

私「だれだって、自分の孫はかわいく見えるのものだよ」
ワ「そうよ」
私「誠司は、ぼくたちには、かわいい孫だが、他人が
見たら、おかしな顔に見えるかもしれない」
ワ「・・・そうかしら?」
私「そんなものだよ」と。

HPにせよ、マガジンにせよ、孫の誠司が生まれたころ、
創刊した。
そのときから、誠司の写真を、載せるようにした。
今では、私のHP全体が、誠司のアルバム集のようになっている。
だから今さら、誠司の写真を取りはずすわけにはいかない。

私「どうしようか?」
ワ「そうねエ〜。少しずつ、減らしたら・・・」
私「そうだなア〜」と。

いつか誠司がおとなになったとき、私のHPを見るかもしれない。
そのとき、私のHPを見ながら、自分のアルバムを見るように
思ってくれればよい。

これは私から誠司への、時空を超えた、プレゼントと
いうことになる。

To: Sage Hayashi

Please come here and enjoy your photos when you grow up.
When you see them, Akiko & I may not be in this world anymore.
But you are here and our hearts are here, too.

林誠司へ

いつかお前がおとなになったら、ここへ来て、写真を
楽しんでください。お前がそれを見るとき、晃子と
私は、この世界には、いないかもしれない。しかしお前は
ここにいて、私たちの心も、ここにあるよ。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●宗教を信じていない人、72%(72% of the Japanese do not have any religion)
According to the result of a research done by Yomiuri Newspaper, 72% of the Japanese 
do not have any religion. But on the other hand 54% of us believe that we eill be reborn 
in another world after the death. 

読売新聞社が、このほど、こんな興味ある調査結果を
公表した(08年5月30日)。

そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞より転載+++++++++++++

読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、何かの宗教を信じて
いる人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。

 ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人
は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れ
た。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超
えた何かを感じることがある」という人も、56%と多数を占めた。

 多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する
敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。

 調査は「宗教観」をテーマに面接方式で実施した。

 死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で最も多く、「別の世界に行く」2
4%、「消滅する」18%がこれに続いた。

++++++++++++以上、読売新聞++++++++++++++++

もう一度、数字を整理しておく。

何かの宗教を信じている人……26%
信じていない人     ……72%

先祖を敬う気持ちをもっている人……94%
自然の中に神秘的な力を感ずる人……56%

死んだら生まれ変わると信じている人 ……30%
死んだら別の世界へ行くと信じている人……24%
消滅すると思っている人       ……18%

これらの数字を見て、いろいろ考える。
中には、私のように、「自分が納得できる宗教があれば、
信じたい」と思っている人も多いはず。
そういう人たちの数が、今回の調査の中では、把握されて
いない。

つぎに、「死んだら……」についてだが、やはり私のように、
「わからない」と思っている人も、多いはず。

私はいつもこう考えている。

「あの世があるかどうかは、私にはわからない。
だから今は、あの世はないという前提で生きている。

それは宝くじのようなもの。

当たるか当たらないかわからないものをアテにして、
車を買ったり、家を買ったりする人はいない。

当たれば、もうけもの。
同じように、死んだあと、あの世があれば、もうけもの」と。

ただ「先祖を敬う気持ちをもっている人」が、94%も
いることには、驚いた。

こういう調査結果で注意しなければならないのは、
「先祖を敬う気持ちがあるか」「ないか」と択一的に質問されれば、
「ない」と答える人はいないだろう。(……少ない。)
だから「ある」のほうに、答えてしまうだろうということ。

さらに言えば、「先祖」の意味が、よくわからない。
個人的な先祖なのか、民族的な先祖なのか?
面接方式で調査したということだが、そのあたりの説明をきちんと
したのだろうか?

また「宗教を信じている」にしても、程度の問題がある。
バリバリの活動員となって、信者獲得のために狂奔している人も
いれば、ときどき墓参りする程度の人もいる。

日本では、どこかの宗教団体に属している人のことを、「宗教を
信じている人」と考える傾向が強い。

「死後の世界」についても、最近のスピリチュアル・ブームにのって、
「死後の世界はある」と考える人がふえているのも事実。
「スピリチュアル」というのは、「霊」のこと。

「死んだら生まれ変わる」「死んだら別の世界へ行く」を足すと、
30%+24%で、54%になる。

これらの数字を並べてみると、日本人の大半は、
宗教は信じていないが、死後の世界は信じている」ということになる。
「死後の世界を信ずる」というのは、立派な宗教だと私は
思うのだが……。

それにしても、ブームの力は、すごい!


●調子が悪い(I ate too much a few days ago and since then….)

++++++++++++++++++

数日前、市内のレストランで、
腹いっぱいの料理を食べた。
いつもの2倍近い、量だった。

その直後、ほんの数分だが、吐き気を
催した。
ズボンをゆるめたら、吐き気は収まったが、
はじめての経験だった。

が、それから今日まで、どうも胃の調子が
おかしい。
食欲はあるのだが、少し食べると、すぐ
胸焼けをしてしまう。
(実際には、どういう症状を「胸焼け」という
のか、私は知らないが・・・。
胃液が食道あたりまで逆流している感じ。
何となく、そのあたりが焼けるような
感じがする。)

で、今日は、朝食のみ。
あとは市販の胃薬を飲む。
それについても、いつもなら、「S」という
漢方製剤の胃薬を、1本飲めば治るのだが、
今日は、そうでない。

「???」

要するに、腹をしめつけるのは、よくないということか?
プラス、食べすぎは、禁物。
『腹、八分』と昔から言うが、私の年代になると、
『腹、六、七分』がよい。

(追記)

幸い、今朝起きてみると、不快感は、消えていた。
ワイフが「どう?」と聞いたので、「軽い風邪だった
かもしれない」と答えた。(5月31日)

++++++++++++++++++++++

●ワイフのジーパン(My wife's Jeans)

まちがえて、ワイフのジーパンをはいてしまった。
途中で気がついたが、「ままよ」と思って、はいてしまった。

が、はけた!

見ると、プチプチ。
パンパン。

「ハハハ、はけたよ」と笑って見せると、ワイフが、
「延びてしまうから、やめてよ!」と。

が、そのままワイフのジーパンをはくことにした。
が、すぐ、問題が起きた。

女性用のジーパンはそうできているのだろう。
チャックが、上のほうについている。
そのため小便のとき、アレが、すなおに出てこない。
無理に引き出すと、首をつったような状態になる。

しかたないので、小便のときは、子どもがするように、
ズボンを一度、さげてする。

「やはり、お前のジーパンは、いらない」と言うと、
ワイフは、「それ、見ろ!」と言わんばかりに、
私をにらんだ。

だから私は、こう言ってやった。

「お前のジーパンのチャックに、ぼくのチンチンを
通してやった。今日は開通式だ。ハハハ」と。


+++++++++++++++++++++

●アルツハイマー病(Alzheimer's disease)
One of my readers sent me an E-mail, saying about her elder sister about the disease.

先週、アルツハイマー病についての原稿を
いくつか書いた。
それについて、読者の方から、メールが届いた。
転載許可はまだもらっていないので、おおまかな内容だけを
紹介する。

何でもその方の姉(今年66歳)の様子も、このところ
少しおかしいという。
数日前のことを、すっかりというより、「スッポリ」と
忘れてしまうということがあるらしい。

昨晩の夕食に何を食べたかを忘れるというのは、
よくあること。
それがアルツハイマー病になると、夕食を食べたこと自体、
つまり「エピソード」そのものを、忘れてしまう。

それについて、その方が姉に指摘すると、姉は
烈火のごとく怒り出すという。

で、その方が言うには、こうだ。

「自分では、かなり知的な人間と思っているようです。
アルツハイマー病にも詳しいようです。
そのため、自分がその病気であると疑われるのを、極度に
警戒しているようです。
だから何かあると、すぐ、つじつま合わせをしようとします。
こうした(つじつま合わせ)は、アルツハイマー病の
特徴のひとつと、何かの本で読んだことがあります。

姉のことが心配です」と。

知的な人は、アルツハイマー病になると、自分の異変が、
自分でもわかるそうだ。
そのためそのつど、混乱状態になる。
はげしい自己嫌悪と恐怖から、激怒したり、自己嫌悪に
陥ったりする。

そのため他人に対しては、それを悟られないように警戒する。
つじつま合わせというのは、そのためのものらしい。

たとえばその方の姉が、電話で、だれかの名前を忘れて
しまったとする。
が、そのとき、その姉は、「忘れた」ということを悟られない
ように、あれこれ口実を並べたり、別の話題に切り替えたり
するという。

私も少しは、この病気について、詳しくなったようだ。

(追記)
井原康夫氏の『アルツハイマー病にならない』の中にも、
つぎのようにある。

『病気が始まったばかりの段階では、患者さんは、たとえば
答を思い出せなくても、とっさに話を作ったり、うまくその
場を取りつくろい、その場をしのいだりするので、(これを、
「取りつくろいじょうず」「場合せ反応」などと、呼んでいます)、
家族から、あらかじめ、正解を聞いておく必要があります』(P56)
と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist アルツハイマー病
取り繕い上手 場合せ反応 取りつくろい上手 場あわせ反応 取りつくろい上手 エピ
ソード記憶 エピソード記憶障害)

(補記)
アルツハイマー病になると、学習能力が著しく劣ってくるようになるそうだ(同書)。
わかりやすく言うと、新しいことを学んだり、それを身につけることができなくなる?

だったら、新しいことを積極的に学んだり、身につけたりするよう努力すれば、
アルツハイマー病を防げるかというと、どうも、そうでもないらしい。

アルツハイマー病というのは、脳が器質的に変化する病気。
コンピュータにたとえるなら、部品が欠落していくようなものだから、
本人の努力では、どうにもならない。
つまりここが、この病気の恐ろしいところということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●妙なこと?(A strange thing is happening)

++++++++++++++++++

HPを公開していて、妙なことに気がついた。
こういうことだ。

HPには、いろいろなページがある。
それらのページについて、たとえば、
(Bページ)(Cページ)へ進むには、
かならず、(Aページ)を通過しなければ
ならないところがある。

(Aページ)から分岐して、(Bページ)
(Cページ)へと進む。
そのようにリンクしてある。

ところが、である。

それぞれのページにアクセスカウンターを
設置してあるのだが、その数字が、合わない。

たとえば日によって、(Aページ)……300人、
(Bページ)……400人、
(Cページ)……500人となったりする。

この世界には、「ユニーク・アクセス」とか
「トータル・アクセス」とかいう言葉がある。

ユニーク・アクセスというのは、重複集計しない
アクセス数のこと。
トータル・アクセスというのは、重複集計した
アクセス数のこと。

だから1人の人が、1日に、10回私のHPを
訪問してくれたとすると、
ユニーク・アクセスは、「1」とカウントされる。
トータル・アクセスは、「10」とカウントされる。

それはわかる。

しかしそれにしても、数字が合わない。
どうしてだろう?
遊園地にたとえるなら、入場者が300人しか
いないのに、コースターに乗った人が、400人、
お化け屋敷に入った人が、500人、ということになる。

考えられるのは、(Aページ)を飛び越して、
(Bページ)や(Cページ)に、ハイパー・
ジャンプしてくるケース。

が、それにしても、数字が合わない?
今朝は、そんなことを、いちばんに考えた。
まったく、どうでもよいことだが……。


●コンビニで野菜?(They have started selling vegetables at convenient stores)

このところ、コンビニで野菜を売っているのを、見かける。
設置場所はまだ小さいが、一応、一通り、品数はそろっている。

その野菜を見ながら、「やったね!」と、私は感心している。
つまりそれを実行したのが、友人のMK君だからである。

UNESCOの交換学生で、いっしょに韓国に渡った仲間である。
そのM君が、その構想を、数年前から練っていた。
ときどき私の家に遊びに来て、「コンビニで野菜を売ってみたい」
「東京都で実験的に販売を開始した」「全国に広げたい」と。

で、今は、この浜松市でも、コンビニで野菜が売られるようになった。
MK君は、現在、東京のT青果KKに勤めている。

みなさんも、もしコンビニで野菜を見かけたら、こう思ってほしい。
あのはやし浩司の友人が、それを実行した、と。

MK君、おめでとうございます! 


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休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●S・ホーキング博士著『ホーキング・未来を語る』を読む

+++++++++++++++++

S・ホーキング博士は、人間と宇宙人が
遭遇する確率は、ほとんどないと、
断言している(「ホーキング・未来を語る」
ソフトバンク刊)。

人類の歴史は、たかだか、200万年。
ビッグ・バンから現在までは、150億年。
宇宙に知的生命体がいるとしても、人類
の歴史は、星のまばたき程度の長さでしか
ない。
その瞬間に、宇宙人が人間と遭遇するということは、
「ありえない」ということらしい。

が、もし、視点を変えて、宇宙人が人間を
知的生物に改良したと考えたら、どうだろう。
とたん、S・ホーキング博士のこの意見は、
それこそブラック・ホールの片隅に
吹き飛んでしまう。

その可能性は、ないわけではない。

S・ホーキング博士自身も、こう書いている。
「いずれヒトの遺伝子工学は始まるだろう」
(P222)と。

望むとか、望まないとか、そういうことに関係なく、
だれかが始めてしまうだろう、と。
わかりやすく言えば、人間自身が、遺伝子工学を
使って、人間そのものを、作り変えてしまう
だろう、と。

さらに「脳神経系に電子デバイスを移植する
ことによって、全言語やこの本の内容と
いった完全な情報パッケージや、増強型
メモリーを人は得ることができるだろう」
(P223)とも。

こうなると、「教育」も必要なくなってしまうのでは?
情報を詰めこんだチップを、脳の中に直接
移植すればよい。
それでその子ども(人)は、百科事典、数万冊分の
知識を、自分のものとすることができる。

で、人間が今のままの人間である間は、人間は
宇宙へ飛び出すことはできないそうだ。
そのためにも人間を改良する必要があると
いうことらしい。

ただしここでいう人間は、現在の人間とは
「ほとんど類似性をもたない」人間になる
という。

「類似性をもたない」ということは、昆虫や
魚ほどもちがった人間になるということらしい。
となると、そういう人間を、はたして「人間」と
呼んでよいものかどうか、という問題も起きる。

それはともかくも、私たち人間自身が、どこかの
宇宙人によって改良されたと考えるのは、
けっして、荒唐無稽な話でもないようだ。

●理性と知性

S・ホーキング博士の意見に、もう少し耳を
傾けてみよう。
S・ホーキング博士は、こう書いている。

「人間の脳の大きさは、女性の産道の大きさに
よって決まる」(要約)と。

つまり女性の産道以上に、直径の大きな頭を
もつ子どもは、生まれないということ。
そこで頭の大きな子どもを作るために、
「赤ん坊を、体外で、生み育てる」(P226)
という方法があるそうだ。
しかもそれは「100年以内に可能になる」と。

が、ここでまたまた問題が生ずる。

脳を大きくすればするほど、人間はより理性的に
なるが、しかし脳の中の信号を伝える伝達物質の
速度には、変わらない。
つまり頭が大きくなればなるほど、頭の回転が
遅くなる。

そこで人間は、択一を迫られる。

脳を大きくして、理性的な人間にするか、
あるいは小さくして、頭の回転の速い人間に
するか。

S・ホーキング博士は、「同時に、ふたつをもった
人間にはなれません」(P226)と書いている。

●人間の改良

「遺伝子工学」という言葉が聞かれるようになったのは、
今から、40年ほど前のことである。
当時はまだ、どこかSF的な感じすらした。

それが今では、その遺伝子工学を使って、新種の農作物を
作るところまできている。
驚くべき進歩と言ってもよい。
S・ホーキング博士がいうように、100年を待たずして、
人間の改良が、始まるかもしれない。

寿命を延ばす。
知的能力を伸ばす。
病気に強い肉体に作り変える。
気候の変動に強い人間に改良する、などなど。

理想的な(?)容姿をもった子どもが、
つぎつぎと生まれるかもしれない。

が、ここでも新たな問題が生まれる。
「心」はどうするか、という問題である。

S・ホーキング博士は、どんなすぐれた
コンピュータでも、(今のところ)、ミミズの
脳みそ程度の能力しかないと書いている。
「コンピュータが知的活動ができるように
なるのは、ずっと先」(要約)ということ
らしい。

で、それはわかるが、(心)はどうするか。

たとえば(私)という個人をながめて
みても、無数の(過去)をひきずりながら、
その上に、(私)がいることがわかる。

恐怖症、多重人格性、回避性障害、パニック
障害などなど。
かろうじて一定のワクの内に「私」という自分を収めて
いるが、無数のドラマも、そこから生まれる。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、悩んだり……。

さらにつけ足せば、(心)というのは、濃密な
親子関係の中で、はぐくまれる。

もし体外で、人間が生み、育てられるように
なったら、その人間は、温室で、水耕栽培される
野菜のようになってしまうのでは(?)。

仮に誕生してからも、人工的に育てられるとなると、
そうして育てられた人間は、画一的で、(心)の
ない人間になってしまう可能性がある。

もしそうなら、そんな人間が、仮に宇宙へ飛び出した
としても、それがどういう意味をもつというのか
ということになる。

だったら、はじめから、ボイジャーのように、
金属でできた、機械的な宇宙船を宇宙へ送ったほうが
マシということになる。

●進化?

S・ホーキング博士は、「進化」を前提として、人間
の未来を考えている。
過去から現在まで、人間は絶え間なく進化してきた。
だから、これからも進化しつづける、と。

しかし本当にそうだろうか?
そう考えて、よいのだろうか?

たとえば1995年に、シシリー宣言※というのが
出されている。

その中で、人間が排出する、内分泌かく乱物質、
つまり通称「環境ホルモン」が、人間の体に深刻な
影響をおよぼし始めていることが問題となった。

生殖器への影響もさることながら、脳にも、である。
「微細障害説」という言葉も生まれた。
つまり外からは把握できないが、こうした物質が、
脳に微細な障害を与え始めているという。

つまりDNAが、仮に1年に、1ビットの
割合で進化した(S・ホーキング博士)としても、
その数万倍、あるいは数十万倍の速さで、DNAが、
破壊されていくということも考えられる。

もちろん生殖器に与える影響も、深刻である。
それについては、たびたび問題になっているので、
ここでは省略するが、そのうち人間も、生殖能力を
失ってしまうかもしれない。

●自滅プログラム

S・ホーキング博士は、人類と宇宙人が遭遇できないのは、
確率的にありえないからだというようなことを書いている。

150億年という宇宙の歴史からすると、200万年という
人類の歴史は、瞬間にすぎない。
そこで200万年を150億年で割ってみる。
すると人類の歴史は、宇宙の歴史の中でも、1万5000分
の2に過ぎないということになる。

宇宙人が、1万5000回、地球を訪れたとしても、
人類を見るのは、そのうちのたった1回にすぎないという
ことになる。
(この計算は、単純すぎるが……。)

さらに人間が人間らしくなったのは、ここ数万年のこと。
歴史を残すようになったのは、ここ1万年のこと。

S・ホーキング博士が言うように、たしかに確率的には
ありえない。

しかしこうは考えられないだろうか?

どんな知的動物であっても、その進化の過程で、「無知
プログラム」が働き、自滅する、と。

よい例が、火星である。

最近の調査結果によると、火星にもかつては、海があり、
陸もあったそうだ。
ひょっとしたら、そこには、知的生物もいたそうだ。
その可能性は、きわめて高い。
が、その知的生物が、現在の人間と同じように、化石燃料
のようなものを燃やし、温暖化を招いてしまった。

結果、火星は、不毛の惑星へと化してしまった。
火星は地球よりも小さいから、温暖化は、はるかに
早く進んでしまった。

つまり、理性、つまり思考的知的能力が、
知識、つまり情報的知的能力に、
追いつくことができなかった。

仮に宇宙人がいるとしても、知的に(?)なったとたん、
自滅プログラムが働き始める。
その寿命は、短い。
数万年、あるいは数十万年にまたがって生き延びる
知的な宇宙人は、(いない)ということになる。

●思考的知的能力vs情報的知的能力

S・ホーキング博士は、脳が大きくなればなるほど、
人間は知的(理性的)にはなるが、その分、頭の回転は
遅くなると、説く。

一方、脳が小さくなればなるほど、頭の回転は速く
なるが、その分、より知的(理性的)ではなくなると説く。

『ホーキング・未来を語る』は、翻訳本なので、原書では
どんな英語を使っていたのかは、わからない。
しかしこのままでは、誤解が生ずる。

S・ホーキング博士が言う、「知的」というのは、
「理性」のことなのか、「頭の回転」のことなのか。

たとえば英語で、「smart」と言えば、「頭が切れる」を
意味する。
「wise」と言えば、「賢い」を意味する。

おそらくS・ホーキング博士は、「脳が小さくなれば、
smartになり、大きくなれば、wiseになる」と
言いたかったのでは?

日本語のほうでは、頭の切れる人も、賢い人も、区別なく、
「知的な人」という。

しかし問題は、その先である。

少し話がわかりにくくなってきたので、わかりやすく
説明しよう。

たとえば、子どもがピストルをもったとしよう。
本物のピストルである。

子どもでも、ほんの少し使い方を教えれば、ピストルを
使うことができるようになる。

その使い方を覚える能力が、「情報的知的能力」ということになる。
一方、ピストルは、たいへん危険な凶器である。
当然、使い方を考えないとたいへんなことになる。
その考える力、つまりコントロールする力が、
「思考的知的能力」ということになる。

つまり「進化」というときは、これら両者が、同時進行
の形で進化しなければならない。
そうでないと、子どもは、ピストルをバンバンと撃ち、
多くの人を殺してしまう、ということになりかねない。

が、現実はどうかというと、「情報的知的能力」が、
「思考的知的能力」に先行している。
原子爆弾にしても、先端技術にしても、そうだ。
現在、深刻な問題になりつつある、地球温暖化(火星化)
の問題にしても、そうだ。

身近な例では、「携帯電話」がある。
昨今、子どもに携帯電話をもたせてもよいかどうかという
ことが、国をあげて、問題になっている。

携帯電話という文明の利器を手にしながら、それを
正しく使う能力をもちあわせていない。

これらすべての問題は、結局は、(思考的知的能力)が、
(情報的知的能力)に追いついていないことが原因で
起こっている。

つまり私たち人間が、子どもがピストルをもつようなことを、
平気でしている。
つまり、それがここでいう、「自滅プログラム」を引き起こす。

わかりやすく言えば、人類が宇宙人と遭遇できないのは、
S・ホーキング博士が言うように、確率的にありえない
からではなく、進化する生物が共通してもつ、この
自滅プログラムによるものではないかということ。

人間どうしが起こすであろう核戦争を、例にあげるまでもない。

●宇宙人

そんなわけで、仮に宇宙人がいるとするなら、その
宇宙人は、つぎのような条件を兼ね備えているはずである。

(1)思考的知的能力が、常に情報的知的能力より、すぐれている。

わかりやすく言えば、理性のほうが、知性よりすぐれている
ということ。
さらにわかりやすく言えば、欲望を、つねにコントロールする
能力をもっているということ。
さらにさらにわかりやすく言えば、きわめて温厚で、穏やかな
性質をもっているということ。

(注:S・ホーキング博士は、本の中では、「理性ある人間」
という意味で、「知的生物」という言葉を使っている。)

しかしそれでは(進化)と矛盾する。

進化は、闘争の中で、はぐくまれる。
「便利なものがほしい」という欲望が、情報的知的能力を
刺激し、それが新しい製品を生み出す。

が、もし、そういう欲望がないとするなら、その時点で、
情報知的能力の進化は、停止する。

言いかえると、S・ホーキング博士が説くところの「進化」には、
すでに「自滅プログラム」が組み込まれていることになる。
進化イコール、自滅への道と考えてもよい。

地球温暖化(火星化)によって、自滅するかもしれない。
あるいは超高度な兵器(核兵器)によって、自滅するかもしれない。

そう、私たち人間は、子どもがピストルをもつようなことを
平気でしながら、それを理性的にコントロールする能力を、
じゅうぶんにもちあわせていない。

●人間が宇宙人になるとき

S・ホーキング博士は、人間が宇宙へ飛び出すためには、
人間を遺伝子工学によって、改良しなければならないと説く。

「それがよいか悪いかということではなく、だれかが
(改良を)始めてしまうだろう」(要約)と。

しかし(改良)には、つねに、2つの側面がある。
S・ホーキング博士のような、性善説に立てば、人間は
よりよい方向に向かって、進化していくことになる。

しかし(改良)は、つねに(改悪)をともなう。

たとえばサイボーグのような、凶悪な兵士型人間が
生まれたら、どうなるのか?
またそういう兵士が、欲望に任せて、地球征服をもくろんだら、
どうなるのか?

そこで重要なのは、やはり「思考的知的能力」という
ことになる。
わかりやすく言えば、「理性」ということになる。
その理性を、どうすれば、発達させることができるか。
つまり、その理性なくして、人間は、宇宙へ飛び出すことは
できない。
また飛び出すことも、ないだろう。

●爆発的な人間の進化

「進化」といっても、ここ1万年ほどの間に人類が
見せた進化には、驚くべきものがある。

それこそこの1万年の間に、それまでサルと区別
ができなかったヒトが、現在のような人間になって
しまった。

S・ホーキング博士は、「ヒトDNAが、生物的進化
によって更新される現在の割合は、1年で1ビットです」
「ヒトDNAがもっている情報量は、30巻におよぶ
百科事典に相当します」(P221)と書いている。

ただしヒトとサルのちがいは、「ロマンス小説のペーパー
ブック1冊分のちがいでしかない」とも。

ともかくも、ここ1万年の進化(進歩と書くべきか)には、
すさまじいものがある。
「1年で1ビット」(S・ホーキング博士)という進化では、
とても説明できない。

もっともS・ホーキング博士自身も、「ここ8000年の
変化は、DNAの増加によるものではなく、文字の発明に
より、情報の伝達が進んだから」(要約)と説いている。

どちらにせよ、ここ1万年の人類の変化は、「爆発的」という
に等しい。

このことは、反対の立場で考えてみればよい。

あなたはこれから先、1万年のうちに、チンパンジーを教育して、
そのチンパンジーを、現在の人間と同じレベルまで、その
知的能力(S・ホーキング)を、高めることができるだろうか。

答は、「NO!」のはず。

●人間が生き残るために

S・ホーキング博士の『ホーキング・未来を語る』を読んで、
私は、別のことを考えていた。

S・ホーキング博士は、先にも書いたように、性善説にもとづき、
かつ自身の恵まれた過去を基礎に、バラ色の未来像について
語っている。

しかし私は、「どうすれば、人類は未来に渡って、生き残る
ことができるか」、それについて考えていた。

もし今のように、情報的知的能力を、思考的知的能力に
優先させるような状況がつづけば、(ほぼまちがいなく、
つづくだろうが……)、人類には未来は、ない。

最先端技術を、惜しげもなく武器に応用し、その武器を
用いて、戦争を繰りかえす。
その結果は、もうここに書くまでもない。

地球温暖化(火星化)にしても、そうだ。
ひとつの問題を解決するよりも先に、つぎつぎと新しい
問題が生まれている。
化石燃料の消費を減らそうにも、それを減らすことさえ、
ままならない。

が、生き残るためには、何よりもまず、思考的知的能力を、
進化させなければならない。
もちろんここでいう進化というのは、DNAによる進化ではない。
私たち自身が、自ら思考力を高め、情報的知的能力を、
コントロールできるようにする。
そういう「進化」である。
「進化」という言葉に語弊があるなら、「進歩」でもよい。

それをしないで、欲望だけを野放しにすれば、人類は、確実に
滅亡する。
人類のみならず、地球上のありとあらゆる生物は、滅亡する。

●結論

私は、個人的には、宇宙人は、私たちのきわめて
近いところにいると信じている。

私とワイフは、とても人間の乗り物と思えないような
巨大なUFOを目撃している。

それについてはたびたび書いてきたので、ここでは
省略する。
省略するが、こういう話になると、どうしても、あの夜の
話にもどってしまう。

「私たちが見たものは、何だったのか?」と。

……あるいは、ひょっとしたら、私たち地球人は、
火星人の子孫かもしれない。
ただのSF的空想だが、その可能性がまったくないとも
言い切れない。

その本を読みながら、そんなことも考えた。

『ホーキング・未来を語る』は、すぐれた本である。
一読を、お勧めする。

(注※)シシリー宣言

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。

その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)なものであった。いわく、「これ
ら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではなく、行動的、お

び身体的異常、さらには精神にも及ぶ。

これは、知的能力および社会的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあ
らわ
れる可能性がある」と。つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。
が、
これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。

「環境ホルモンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引

起こす。奇妙な行動を引き起こす。多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間
に5ポイントIQが低下した。人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう
「社会性適応性の低下」というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪の
ことをさす」(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●介護について(About the Care of Old Parents)

++++++++++++++++

親を含めて、肉親の介護には、
いろいろと問題がある。

実際、その介護をしてみて、,私が
感じたことを、ここに、記録として
残しておく。

++++++++++++++++

●介護は、重労働

当初から親と同居しているケースは別として、介護を必要とするようになってから、その
親と同居するということは、不可能と考えてよい。またそういう前提で、介護の問題を考
える。

現に欧米では、そういうケース、つまり介護を必要とするようになってから、その親と同
居するというケースは、きわめて、稀(まれ)。

私も実際、母の介護をしてみて、それがわかった。母との間には、それまで、いろいろと
確執はあるにはあったが、相手は、90歳の老人。介護を始めたとたん、「こんな老人を相
手にしてもしかない」と思ったとたん、それまでのわだかまりは、ウソのように消えた。

母には、私たちの寝室を、与えた。風呂にもトイレにも近い。庭が見渡せるし、間取りも
広い。その部屋に、ベッドとソファ類を置き、歩きやすいようにと、部屋中にパイプを設
置した。そんな私でも、やがて「不可能」と感じるようになったのは、いくつか、事故が
重なったからである。

「あわや!」と思われるような事故も、3回、つづいた。たまたま発見が早かったからよ
かったようなもの、もし発見が遅れていたら、母は確実に死んでいた。

が、私の家は、まだよいほう。母の部屋にしても、2方に広い窓(南側は、2間幅の履き
だし窓)になっていた。木造だから、改変も自由にできた。
が、マンションのような鉄筋づくりだと、そうは、いかない。

●介護は、便との闘い

私はいつしか、「介護は、便との闘い」と思うようになった。
独特の加齢臭は、ファンを設置したりして、何とか軽減することができたが、問題は、や
はり便だった。

日に何度か、パットを交換するのだが、日によって、母は、パットがぬれたりすると、紙
おむつそのものまではずしてしまった。で、その状態で、ふとんの中で寝るから、毛布も、
ふとんも、便で汚れてしまうということもあった。

それに予期せぬできごとも、つづいた。

たとえば私の家には、ハナという猟犬がいる。母とそのハナは、どういうわけか、相性が
合わなかった。ハナは、母の姿を見るたびに、ワンワンと、けたたましく、吠えた。

母は、朝、4〜5時ごろ、カーテンを開ける。それを見て、ハナが吠える。私たちも目を
覚ます……。そこで私たちは、母の部屋を一日中、電気をつけっぱなしにし、夜、昼の区
別が母にできないようにした、などなど。

……というのは、まだマイナーな問題かもしれない。

母に、無線の呼び出しベルをもたせたこともある。首にネックレスのようにして、それを
かけさせた。が、母は、真夜中でも、それを押して、私たちを呼んだ。「水がほしい」「足
が痛い」と。私たちが睡眠不足になってしまった。

が、これもまだ、マイナーな問題と考えてよい。

●老人にもいろいろ

介護老人といっても、私の母などは、まだよいほう。ふだんは、静かで、おとなしい。し
かし老人の中には、一晩中、大声を出して暴れる老人もいる。ものを投げつけたり、暴力
を振るう老人もいる。

足がじょうぶな老人だと、徘徊という問題もある。N氏は、そのとき90歳くらいだった
が、裏の塀を乗り越えて、毎晩、出歩いていたそうだ。塀といっても、2メートルもある
ような高い塀である。

こうなると、介護する側の疲れは、倍加する。そこへアルツハイマー病、ピック病、さら
には血栓性の脳障害が加わると、さらにたいへん。介護疲れから、半年で、5〜10キロ
も体重を減らしてしまった人もいる。

そうした事情も知らない人、あるいは介護の経験がない人は、安易に、『ダカラ論』をぶつ
けてくる。「何といっても、親だからねえ」とか、「何といっても、あなたは子だからねえ」
と。

私も何度か、そう言われた。が、こうした『ダカラ論』ほど、その渦中にある人を苦しめ
る言葉はない。

繰り返すが、老人にも、いろいろある。さらにそれまで良好な親子関係であったのなら、
まだ救われる。そうでない親子も、多い。そういう子は、それまでの(わだかまり)や(こ
だわり)とも闘わねばならない。

●ケア・センター

介護度が4とか5になったからといって、ケア・センターに入居できるというわけではな
い。浜松市のこのあたりでも、半年〜1年の順番待ちというのが、実情である。が、順番
がきたから、入れるというものでもないらしい。

ケア・センターのほうでは、直接、そういうことは公言しないが、ある程度の人選はして
いるようだ。わかりやすく言えば、(扱いやすい老人)を、優先的に入居させている(?)。

暴れたり、暴力を振るう老人は、当然のことながら、敬遠される。持病をもっている老人
についても、そうだ。「うちには、医療設備はありませんので……」とか何とか言って、や
んわりと断られる。

言い換えると、慢性的な病気をもっている老人は、それだけ入居しにくいということ。も
ちろん医療機関を併設しているケア・センターもあるが、数は、まだ少ない。

もちろんケア・センターでは、それなりの費用がかかる。

下は、月額6〜7万円から、上は、20万円前後まで。その老人の所得や財産に応じて、
額が決まる。年金がじゅうぶんある老人は、まだよい。が、私の母のように、月額2万5
000円前後の老齢年金しかない老人のばあい、差額は、すべて、家族の負担となる。

くわえて治療費。

救急車で病院へ運ばれるまでは無料だが、たいていそのまま個室に入院ということになる。
そうなると費用は、1〜2泊しただけで、帰りの寝台付タクシー代も含めて、3〜7万円
もかかる。

幸い、私たちは浜松市という大都市に住んでいるからよいようなものの、少し離れた郊外
の町や村に住んでいる人は、さらにたいへん。たとえば寝台付タクシーのばあい、通常の
タクシー代の約5倍の料金がかかる。

●治療拒否

私の母も、それまではたびたび、救急車で病院へ運ばれた。しかし最後のときには、担当
のドクターに、こう言われた。「この先、救急車でおいでになっても、延命処置はもうしま
せん。天寿と思ってください」と。

私はそのとき、「そういうものかなあ?」「そういうものだろうなあ?」と、自分で自分を
納得させるしかなかった。

人の命は、地球よりも重いとか何とか言うが、こと介護老人について言えば、鳥の羽より
も軽い(?)。私の知人などは、病院のドクターにこう言われたという。

「うちの病院では、治る見込みのある人は治療しますが、そうでない人は、治療しません」
と。

が、この問題は、何も介護老人の問題ではない。私たち自身の問題でもある。私たちも、
やがて確実に、老人になる。介護老人になる。そのときもし、あなたがドクターに、「もう
延命処置はしません」と言われたら、あなたはどう感ずるだろうか。

●運命は受け入れる

親の介護で苦労している人も多い。さらに兄弟姉妹の介護で苦労している人も多い。そこ
へ、親の財産問題、金銭問題がからんでくるというケースもある。あるいは介護費用の分
担をめぐって、兄弟、姉妹が、怒鳴りあいの喧嘩をするというケースも、珍しくない。

叔父や叔母が介入してきて、問題がさらに複雑化するというケースもある。

こうなると、それまでの親子関係など、どこかへ吹っ飛んでしまう。(親の存在)そのもの
が、騒動の(種)となる。が、問題は、まだつづく。

いわゆる老・老介護の問題である。

平均寿命が延びたことは、よいことかもしれない。が、90歳の老人を、70歳を過ぎた
息子や娘が面倒をみるというケースも少なくない。子のほうが、先に認知症になるという
ケースもある。もちろん双方ともに、収入は、ゼロ。責任能力も、ゼロ。

「親の介護」といっても、内容はさまざま。事情も、それぞれの家庭に応じて、複雑。そ
れを無視して、あれこれ論じても意味はない。ないが、ひとつだけ言えることがある。そ
れは、『運命は、受け入れる』ということ。

そこにある(現実)をすなおに受け入れていく。あるがままを認めて、受け入れていく。
それを「運命」と呼ぶなら、運命でもよい。それぞれの人には、無数の糸がからんでいる。
からみあって、その人の進むべき方向を決めていく。

あとは、その運命に従えばよい。

その運命に逆らうと、運命は、キバをむいて、私たちに襲いかかってくる。しかしひとた
び運命を受け入れてしまえば、運命は、向こうからシッポを巻いて逃げていく。

●現状

私たちは、現在、ケア・センターの人たちに、たいへん感謝している。というのも、母が
ケア・センターに入居してからというもの、再びというか、それ以前よりも、気が楽にな
った。

自由な時間も、もどってきた。生活のリズムも、以前のそれにもどった。今は、ときどき
ケア・センターを見舞う程度ですむ。政治家の中には、「(こうした)施設が、姨捨(おば
すて)の場になっている」と非難する人もいるが、それはどうかと思う。

もしそれが「姨捨」なら、欧米の国々では、ほとんどすべての人が、姨捨をしていること
になる。むしろ現状は逆。

介護制度の貧困さを、こういう言葉でごまかそうとしているのではないか。今のような豪
華な施設でなくともよいから、こうした施設を、もっともっとふやすべきと私は考える。

「子に老後のめんどうをみてもらいたい」と願っている人もいるかもしれないが、「子には
迷惑をかけたくない」と願っている人は、もっと、多いはず。私たち夫婦もそうで、老後
は、どこかの施設に入ることを、すでに検討し始めている。

つまり「捨てられる立場」になるわけだが、捨てられたところで、一向に構わない。ただ
し、それには条件がある。

●ムダに生きるか?

ケア・センターの中で生活する老人たちを見ていると、大半の人たちは、ただ生きている
だけといった感じがする。毎日、うつろな目つきで、空を見つめているだけ。私の母にし
ても、食事のとき以外は、ひたすら眠っているだけ。

話しかけても、返事もない。あるいは、いつも「元気?」「元気?」という程度の会話しか
できない。

そういう老人たちのために、国は、1人あたり、月額にして、30〜40万円の税金を投
入している。今は、まだよい。しかし私たち団塊の世代が、後期高齢者(75歳以上)に
なるころには、3人に1人が、こうした老人になる。

そのとき、私たちが、現在のような手厚い介護を受けられるかどうかということになると、
答は、NO! 不可能!

そうしたことも考えると、ムダに長生きするなら、早めに死んだほうがよいということに
なる。いや、これは私の母のことを言っているのではない。私自身のことを言っている。

何でも東京都では、そうなると火葬場まで不足してくるという。だから火葬設備のある船、
つまり火葬船を用意する計画まで、取りざたされている。

何ともさみしい話だが、これが現実である。そこに待っている現実である。

しかも恐ろしいことに、私たちにしても、いつか突然、ケア・センターの中にいるような
老人になるわけではない。10年とか、20年とか、長い時間をかけて、少しずつ、ああ
なっていく。

つまりすでに今、私たちがその過程にいるということ。50歳とか、60歳からではない。
40歳から、あるいは30歳から、その過程にいるということ。

介護の問題は、けっして、老人だけの問題ではない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ランボー・最後の戦場』

+++++++++++++++++

昨夜、仕事が終わったあと、ワイフと
『ランボー・最後の戦場』を見てきた。

シルベスター・スタローンの最新作である。
星は3つの、★★★というところか?

戦闘シーンには、迫力があった。
トム・ハンクスの『プライベート・ライアン』
にも、勝るとも劣らない迫力だった。

飛び散る肉体、吹っ飛ぶ頭、ちぎれて飛んでくる足、など。
しかし全体に、設定が甘い?
だから星は、3つ。

『ランボー』
『ランボー・怒りの脱出』
『ランボー3・怒りのアフガン』につづく、第4作と
いうことだが、「やや、あきられたかな?」という
印象をもった。

脳みその刺激にはなったが、後味は、あまり
よくなかった。

戦争は、やはり、いやだね。

++++++++++++++++

●5月28日(水曜日)
Mr. C. Hill, remember that we, the Japanese are being angry about the process you have 
done between US and North Korea. We know you have betrayed Japan many times in 
the recent past and again this time too. Do you need Japan money so much to be friends 
with North Korea? Then the answer of ours is only one. We say, "No!". I feel more and 
more Japanese have been doubtful about what you have been doing now. Remember 
also that what you have been assisting is a country of the worst tyrant Kim. 

昨夜見た、深夜映画のせいか、今朝は頭の
活動が、ニ・ブ・イ。

頭の中は、ザワザワしているが、(思考)
として、それがまとまらない。

書きたい……というより、吐き出したいことは、
いくつか、ある。

今、いちばん、頭にきていることは、
K国による拉致問題。

ヒル氏と金Kの米朝会談の結果、K国は、
「数名程度の拉致被害者を日本へ返してくる」
とのこと(08年5月26日)。

官房長官は、そうした報道内容を否定して
いるが、もしこれが事実とするなら、
これほど、日本を、そして拉致被害者の
みなさんを、バカにした話もない。

ヒル氏は、日本のため……というよりは、
自国の利益と、己の名聞名利のため、
日本からマネーを出させたい。
そのための米朝会談ということらしい。

わかりやすく言えば、ヒルは、日本を売った!
「6か国協議」とは、名ばかり。
米朝会議を飾るための、追認会議でしかない。

今ごろ、ヒル氏は、金Kにこう言っているに
ちがいない。

「日本から、ちゃんと金を取ってあげるから、
ここは、私の言うことを聞きなさいよ」と。

しかし……。

既存の核兵器を不問にしたまま、現在の
K国に、ジャパン・マネーを渡すのは、
たいへんまず。

まずいというより、危険。

アメリカはそれでよいとしても、日本は、
それこそまさに、K国の思うつぼ。

いくら拉致問題が解決しても、既存核兵器を
不問にしたままなら、1円たりとも、ジャパン・
マネーをK国に渡してはならない。

どうして拉致被害国である日本が、K国に
頭をさげて、拉致被害者を返してもらわねば
ならないのか?

しかも礼金まで添えて……!

悪化の一途をたどる、日米関係。
その責任は、すべて、ヒル氏、あなたにある!


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

【無知の無知】

+++++++++++++++++

子育てに、無知はつきもの。
しかしその無知ほど、こわいものはない。

それについて書いてみた。
なお、各2行目の英文(?)は、
翻訳ソフトを使って、自動翻訳したもの。

おかしな、おかしな英語?
あくまでも、参考に!

+++++++++++++++++

子育てにおいて、無知ほど、こわいものはない。
It is not in the tough thing as much as ignorance in the child care.

「子どものことは、私がいちばんよく知っている」と豪語する親ほど、あぶない。
It is as dangerous as the parents who boast "I know a child best."

聞く耳をもっていない。
It doesn't have an ear to listen.

そのため独善の世界に陥りやすい。
It falls into the world of Germany good easily.

明らかに、チック症状を示す子ども(5歳男児)がいた。
There was a child (five years old boy) whom obviously showed tic-shaped.

ときおり、フーッ、フーッと、長いため息をもらす。
Time おり, フーッ and フーッ and a long sigh, too, らす.

たてつづけに2、3回、もらすこともある。
It has らす thing of 2, three times 【 も 】 【 it keeps putting it up 】, too.

ふつうのため息とちがうところは、喉をかすかに鳴らすこと。
Sound a throat faintly in the usually different place from the sigh.

習慣性(周期的に繰りかえす)と、定型性(まったく同じようなため息を繰りかえす)が
あった。
It has a habit (It is reeled periodically and hatched.), and it has fixed form-ization (The 
sigh which is really the same is reeled and hatched.)

チックである。
It is tic.

で、母親に、「よくため息をしますね」と、声をかけると、
When it goes and "It often has a sigh." and a voice are given to mother.

その母親は、すかさず、こう言った。
That mother didn't get hungry, and said like this.

「花粉症の後遺症による、喘息です」と。
"It is asthma by the sequela of the pollinosis."

私はドクターではないから、こういうばあい、「ああ、そうですか」と言って、引きさがる
しかない。
I am correct, and say "Is it so like that?", and there is no favor さ in る if I こういう 
because I am not a doctor.

しかしチックは、チック。
But, tic is tic.

チックも見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through tic, either, and can it do the infant education?

・・・というようなケースは、多い。
・・・ There are many cases.

が、その男児は、さらに明らかに糖分の取りすぎによる、
低血糖児特有の症状も示していた。
But, to that boy, more

小刻みな運動に加えて、時折、キーッという金切り声をあげた。

母親は、「自閉症児ではないか?」と聞いたが、自閉症児ではない。

簡単な見分け方としては、抱いてみるというのがある。

自閉症児は相手に心を許さないから、
Because an autism baby doesn't trust a partner to this.

抱いても、あたかも丸太を抱いたような感じになる。
Even if it is held, it becomes a feeling which a log is just held in.

ぎこちなく、体をこわばらせたりする。
A body is sometimes made to get stiff awkwardly.

その子どもは、私が抱いてみると、うれしそうな表情を
The expression which is glad at that child when I try to hold it

してみせたあと、自分の体から力を抜いた。
After it did and it was shown, the power was removed from its body.

しかし近くに立っていた父親は、私の言うことには、半信半疑と
But, as for that father, it is suspicious of what I say

いったふうだった。
It was ふう that it said.

どこかで別の情報を聞きかじっていたにちがいない。
It listens to another information in something, and it must be bitten.

・・・ということで、この世界には、(無知)はつきもの。
This world has (ignorance) with a thing of ・・・.

無知であることを責めているのではない。
It isn't blamed for being ignorant.

だれしも親は、こと子育てについて言えば、無知を前提として、
If it gets tired but parents say about the thing child care, based on the ignorance

子育てを始める。
Child care is begun.

そこで重要なことは、どうすれば、自分の無知を、知ることが
So, if it does what, it is important, the ignorance is known

できるかということ。
The thing of whether it can be done.

子どもの問題は、結局は、ここへ行き着く。
A child's problem goes here after all and reaches.

家に帰って、そのことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。
It came back to the house, and it was said like this that that was told to ワイフ about 
ワイフ.

「あの父親は、あなたより自分のほうが偉いと思っている
「 That father thinks himself greater than you.

から、だめね。
It is no good.

あなたを、ただの教師としかみていないのよ」と。
With 」 watching you only with the mere teacher.

ついでながらつけ加えると、私には30歳のはじめごろから、
When a chance is added, to me, from about a thirty-year-old beginning

自閉症児にしても、かん黙児にしても、何10例という
Several examples are said even if an autism baby is taken or かん黙 baby is taken.

子どもを、長期にわたって指導してきたという経験がある。
A child has been guided for a long time.

そういう経験が基本になっている。
Such an experience is a basis.

ADHD児やアスペルガー児にしても、そうだ。そういう言葉がまだ
Even if an ADHD baby and アスペルガー baby are taken, such a word, still

知られていないうちから、指導してきた。
It was guided from the inside where it didn't know.

当時は、ADHD児は、多動児とか、活発型自閉症児と呼ばれていた。
An ADHD baby was being called a hyperkinetic child and 活発 pattern autism baby.

アスペルガー児は、「がんこな子ども」と呼ばれ、一般的な自閉症児
アスペルガー baby is called "a cancer こな child", and he is a general autism baby.

とは区別して考えられていた。
It thought that it was distinguished.

だからもう一度、繰りかえす。
Therefore, it is reeled again and hatched.

自閉症児も見抜けないで、幼児教育など、できるか!
Can't you see through an autism baby, either, and can he do the infant education?

……と、まあ、少し頭を熱くしたところで、今日もはじまり、はじまり!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アルツハイマー病(Alzheimer's Disease)

+++++++++++++++++++

昨日、書店で、『アルツハイマー病にならない!』
という本を買ってきた。
井原康夫・荒井啓行著、朝日新聞社刊、定価1100円
+税、という本である。

仕事の合間に、一気に読んだ。
読んで、いろいろ考えさせられた。

そのひとつ。
「アルツハイマー病も、生活習慣病のひとつと考えて
よいのではないか」ということ。
つまり日々の生活の過ごし方で、ある程度、予防できる
ということ。
もう少し正確には、仮にアルツハイマー病になったと
しても、発症、進行を、遅らせることができるという
こと。

本書の中では、「アルツハイマー病にならない生活」として、
つぎのようなことをあげている。
そのまま箇条書きにさせてもらう。

(1)多量の飲酒は、脳萎縮を起こす。(アルツハイマー病につながるということではな
い。)
(2)魚を食べると、アルツハイマー病になりにくい。
(3)抗酸化物質を多く含む食事に心がける。
(4)抗酸化ビタミンを含むサプリメントを摂取する。(ビタミンC、Eなど。)
(5)ビタミン12と葉酸の欠乏を防ぐ。
(6)地中海料理がよい。
(7)カレーを食べるとよい?
(8)緑茶は、アルツハイマー病を予防する?
(9)教育歴は高い方がよい。
(10)社会的なつながりをもつ。
(11)有酸素運動が望ましい。
(12)昼寝をする。
(13)ストレスを減らす。

++++++++++++++++++++

本書の中では、いくつかの症例が紹介されている。
それを読みながら、「あの人もそうだった」
「あの人の現在の様子に似ている」と思った。

つまり、それくらい、読んでいて切実感があった。

私もそろそろ危険年齢。
本書によれば、加齢とともに、Aβ42(老人斑)が
でき始め、やがて神経原繊維変化が起こり、神経細胞の
脱落が始まるそうだ。

そのあと、軽度認知障害が始まり、アルツハイマー病へと
つながっていく。

「80歳で臨床的に認知症になるとすると、50歳くらいから、
老人斑ができ始めている考えられる」(P23)とある。

アルツハイマー病というのは、ある日突然なるという病気ではない。
20〜30年という長い時間をかけて、徐々に、そうなっていく。
つまり生活習慣病のひとつと考えてよいということらしい。

なお本書によって、いくつか誤解していたこともわかった。

(1)喫煙とアルツハイマー病

喫煙が、パーキンソン病の抗危険因子(つまり、タバコを吸うと、
パーキンソン病になりにくい)ということはよく知られている。
が、アルツハイマー病については、危険因子だ、そうだ。
(つまり、タバコを吸うと、アルツハイマー病になりやすいということ。)

(2)アルミニウムは危険因子ではない?

以前、「アルミニウムはアルツハイマー病の危険因子である」という
説が、巷(ちまた)に流布したことがあった。
私もそのとき、その説を信じ、アルミニウム製の調理器具を処分してしまった。
しかしアルミニウムとアルツハイマー病とは、直接的には関係が
ないということらしい。

だからといってアルミニウムが安全というのではない。
ウサギの脳に、塩化アルミニウムを接種した学者がいた。
で、そのあとウサギの脳を調べてみたら、「とぐろを巻いた
繊維構造がいっぱいつまっていた」(同書)という。
そこでその学者は、「神経原繊維変化」の原因物質をつきとめた
と思ってしまったらしい。

それが「アルツハイマー病、アルミニウム原因説」へとつながっていった。

が、やがてこの現象は、アルツハイマー病による神経原繊維変化とは
別のものとわかったそうだ。
で、現在、アルミニウムによるこの現象は、「アルミニウム脳症」
と呼ばれ、アルツハイマー病とは区別されているという。

なお、本書の巻末には、アルツハイマー病の診断テストがついていた。
MMSEテスト法というのが、それだが、「今日の曜日が言えるか」
とか、「季節がわかるか」といった程度のもの。

で、そのあと、私は、子どもたちと、こんなゲームをした。
称して、「逆唱ゲーム」。
MMSEテスト法の応用というか、もう少しレベルをあげたもの。

(テスト1)

ランダムに、5つの数字を言い、相手に、それを逆唱させる。
たとえば「3・8・6・3・9」を、「9・3・6・8・3」と。

(テスト2)

5文字程度の言葉、たとえば「ゆ・き・だ・る・ま」と言い、相手に、
「ま・る・だ・き・ゆ」と、それを逆唱させる。

これがスラスラとできるようなら、問題はないということらしい。

【症例】

私の知っている人に、こんな人がいた。
当時、年齢は55歳。
女性である。
なおアルツハイマー病では、女性患者のほうが、男性患者より多いそうだ。

で、ある日、突然、その女性から、電話がかかってきた。
話を聞くと、孫(当時6歳)が、ゲーム機器に買ってあげたという。
で、「どんなゲーム(ソフト)を買い与えたらいいか?」と。

私はゲームには、詳しくなかった。
「あとで調べて報告します」ということで、その電話は切った。
私はその足で、近くにあるソフト専門店に足を運んだ。

数日後、その女性に教室で会ったので、「何か、買いましたか?」と
聞くと、「ハア〜?」と。

私「ゲームは、どんなものにしましたか」
女「孫が、ほしいと言ったものにしました」
私「どんなゲームですか?」
女「知りません。孫が勝手に決めましたから」と。

が、私が驚いたのは、その1、2週間あとのこと。
私が再び、その女性に、「先日、電話をいただいたあと、どんなゲームが
いいか、それをレポートに、まとめてみました」と話しかけると、その女性は、
こう言った。

「私、先生に、いつ、電話をしましたか。電話などした覚えはありません!」と。

かなりきつい言い方だった。

似たような症例が、「アルツハイマー病にならない!」(前述)の中にもある。

『……(その女性は)本が好きで、毎晩、寝る前に本を読んでいた。
しかし「おかしい」と気づいたのは、65歳のとき。
寝る前に読んでいた本だったが、どこまで読んだか、忘れてしまった。
前の晩まで読んだ本の内容を忘れてしまった。

また息子の妻から、税金の申告に必要な書類を渡され、つぎの日に、
「書類はすみましたか」と聞かれたが、何のことかわからず、
書類を渡されたこと、その書類をどこにしまったかということ、
何を書き込んだかということを忘れてしまった……」(同書より、要約)と。

アルツハイマー病による(もの忘れ)は、ふつうの(もの忘れ)とは、
中身がちがうようだ。
(忘れる)というよりは、(記憶の断片そのものが、欠落する)と
いった感じになる。

で、先の女性の話にもどる。

その女性は、周期的に、私に電話をかけてきた。
「孫の相談で……」ということだったが、内容は、夫や、息子、息子の嫁
にまで及んだ。
が、そのつど、一方的に話すだけ。
アルツハイマー病の患者は、話し方が、かったるくなるというが、
その女性は、早口だった。
相談といっても、綿々とつづく、グチ、またグチ。
私が何かアドバイス的な意見を口にすると、ときに、それに激怒する。

「先生は、私の話を何も聞いていないのですね!」「ちゃんと、人の話は
聞いてください!」「この前、ちゃんと、説明したでしょ!」と。

が、次回の電話では、前回の電話の内容を、まったく覚えていない。
私が「あの件は、どうなりましたか?」と聞いても、「ああ、あれね。
解決しました」で、終わってしまう。

話の内容に、連続性がないばかりか、一貫性がない。
で、事件が起きた。

その女性の孫が通っている幼稚園で、何かの会費を預かったのだが、その会費を
紛失してしまったというのだ。
で、息子の嫁がそれを問いただすと、「私は、受け取っていない」の
一点張り。
そこで家族そろって、病院へ……ということになったという。

「アルツハイマー病にならない!」の中の女性についても、こうある。

『……夫からは、「最近、考えることや行動が貧困化している。以前は通院の
帰りにデパートで買い物などしていたが、今は、それがない」と。

また息子の嫁からは、「もの忘れが進んでいる。それを指摘すると、
顔色を変えて、怒り出す。食事の支度を頼んでも、味噌汁をつくってくれる
くらい」と……』(同書より、要約)と。

(1)連続性の欠落(話の内容が飛躍し、つながりをもたない)
(2)一貫性のなさ(「OK」と言っていたことが、突然「NO」になる)にあわせて、
(3)生活態度の貧困化
(4)突然の激怒、混乱も、アルツハイマー病の特徴に加えてもよいのでは?

こうした様子が、その人に見られたら、まず専門医に相談、ということになる。

それにしても、私は、この本を、ハラハラ、ドキドキしながら読んだ。
「明日は、我が身」という内容の本だった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(5月26日)
May 26th: I woke up at 5 o'clock in the morning and spent abt one hour with some 
routine works. Now is 6 o'clock and until around 9 o'clock, it is completely my private 
time, writing what I want to write. By the way an Irish song, called "Salley Gardens" 
teaches us to live easy, like this: "She bid me take love easy, as the leaves grow on the 
tree". I would agree if I were much younger than I am now.

++++++++++++++++

今日も、始まった!
時刻は、午前6時。
書斎へ入ったのが、5時。
1時間ほど、雑用をしたことになる。

これから9時ごろまで、私の時間。
私だけの時間。
そのころ、ワイフが
階下から声をかけてくる。

「朝ご飯、食べるウ〜?」と。

この習慣は、この20年近く、
ほとんど変わっていない。

++++++++++++++++

●キトラ古墳

昨日、久しぶりに、キトラ古墳について書いた。
そのキトラ古墳と同じころ作られた古墳に、
高松塚古墳がある。
7世紀終わりから、8世紀初めにかけて
作られた古墳だという(東京文化財研究所)。

その古墳の中に、「飛鳥美人」と呼ばれる、
女子群像の絵がある。
かなり傷みがひどいらしい。
今度は、「直径6〜7センチの陥没が、
3、4か所見つかった」(報道・08・05)という。

その飛鳥美人だが、あの絵を見て、
「昔の日本人」と思う人は、まずいない。
日本の着物ともちがう。
どこからどう見ても、百済、もしくは高句麗の
女性である。

さらにキトラ古墳、高松塚古墳の近くに、
カヅマヤマ古墳というのも、見つかっている。

「土を焼いて作った朝鮮半島の「せん」を使った
石室を意識した構造で、被葬者は天武天皇の客人
だった、百済王昌成(こうだらのこきししょうじょう)ら、
渡来人の人物がふさわしいのでは」(前園奈良芸術短大教授)
とのこと。

カヅマヤマとキトラは、距離にして、1・5キロしか
離れていない。

7世紀後半といえば、天武天皇の時代だが、
どうして天武天皇という人は、こうまで、朝鮮様式
の墳墓にこだわったのか。
(天智天皇もそうだが……。)

今度、ワイフと、これらの古墳群が並ぶ、
明日香村の西南部へ行ってみよう。
全体でも幅3キロ前後というから、歩いて
散策できる。


++++++++++++++++++

●音楽

今、ワイフは、アイルランドの民謡の、「Sally Gardens」
の歌詞を、懸命に暗記しようとしている。
「1週間で暗記してみせる」と言っているが、どうかな?

Down by the salley gardens my love and I did meet; 
She passed the salley gardens with little snow-white feet.
She bid me take love easy, as the leaves grow on the tree;
But I, being young and foolish, with her would not agree.

In a field by the river my love and I did stand,
And on my leaning shoulder she laid her snow-white hand.
She bid me take life easy, as the grass grows on the weirs;
But I was young and foolish, and now am full of tears.

柳の庭を下ったところで愛する人と逢ったんだ
彼女は白雪のような足で柳の庭を抜けて行った
彼女は僕に言った
恋は木の葉が茂るみたいに気楽に
でも若くて愚かだった僕は肯けなかった

川のほとりの原っぱに愛する人と立っていて
彼女は白雪のような手を僕の肩に掛けた
彼女は僕に言った
人生は堰に草の茂るみたいに気楽に
でも若くて愚かだった僕は今涙で一杯だ
(訳、ウィキペディア百科事典より)

音楽そのものは、YOU TUBEで
聴くことができる。
私のHPのトップページから、(音楽と私)
に進んでもらってもよい。

どこか淡く、切なく、美しい曲である。

●Salley Gardens

YOU TUBEを楽しむようになってから、
私の音楽の世界が、ぐんと広がった。

それまでは、限られた範囲の、限られた
曲しか聴いていなかった。

「Sally Gardens」も、YOU TUBE
を通して知った曲である。
いろいろな歌手が、それぞれの歌い方をしている。
それを知って、「有名な曲だたんだア」と驚いた。

言いかえると、私たちは、加齢とともに、
自分の住む世界を、どんどんと小さくしていく。
小さくしながら、それにすら気づかない。

考えてみれば、これほど恐ろしいことはない。
音楽にしても、「好きな曲は?」と聞かれたとき、
頭に思い浮かぶのは、数曲だけ……というのでは、
困る。

「困る」というより、その人の脳みそは、
かなり退化している(=ボケている)と考えてよい。
中には、「音楽など、聴いたことがない」と
いう人さえいる。

つまり脳みその退化と闘うためには、自分の住む
世界を、広くしていくしかない。
常に新しいことに興味をもち、それに向かって
挑戦していく。

その努力を怠ったとたん、脳みそは退化していく。

ところでその「Salley Gardens」だが、
こう歌う。

「人生は堰に草の茂るみたいに気楽に」と。

つまりあれこれ難しいことは考えないで、人生は気楽に
過ごしたらよい、と。

たしかに、そうかもしれない。
しかし、そうでないかもしれない。

考えるから、気楽でないということにはならない。
考えないから、気楽ということにもならない。

私も、書斎を離れたら、ワイフとはバカ話ばかり
している。
ヒワイな話も、よくする。

さらに子どもたちに接したとたん、心まで、子どもたちの
レベルにまで戻ってしまう。

6歳児と接するときは、6歳児に。
10歳児と接するときは、10歳児に。

それに若いときは、気楽に生きればよい。
時間はたっぷりとある。
1度や2度の失敗など、平気で取り返せる。

しかし今は、ちがう。
「あと20年」と言われたりすると、「今までの
20年のように、あっという間に過ぎて
しまうだろうな」と思ってしまう。
「たったの20年!」と思うこともある。

たとえば「死」についても、若いときは、
それは(個人)の死でしかなかった。
が、しかし、今は、ちがう。
私という(個人)よりも、この宇宙全体が、
「死」とともに、永遠に消えることを意味する。

「死」の重み、そのものが、ちがう。

さて再び、「Salley Gardens」。

私はこの歌は、失恋の歌だと思う。
どこにもそうは書いてないが、その(切なさ)が、
この歌を歌っていると、ジンと伝わってくる。

「♪あのときあの恋人が言ったように、静かに
人生の流れにの中に身を置いていたら、
私はあのまま、あの恋人と、幸福な人生を
送っていただろう。私は若くて、バカだった」と。

ついでに……。

先の「私は音楽など、聴いたことがない」と言った
人だが、今年、70歳くらいになる女性である。
私の印象では、どこか小ずるく、どこか薄汚い。
ペラペラとよくしゃべるが、中身がまったくない。

音楽を聴かない人というのは、ああなるのか?
それとも認知症の初期症状?

どうであるにせよ、音楽を聴くことは、大切なこと。
それによって生まれる感動は、生活のあらゆる部分に
影響を与える。

絵を見て感動する。
映画を見て感動する。
人と会って感動する。
そういうふうに、つながっていく。

そうでない人は、そうでない。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●山荘にて・・・

++++++++++++++++

今夜は、山荘にやってきた。
もっと早い時刻に来るつもりだった。
しかし午後になって、ワイフが、
『ロング・エンゲイジメント』と
いうDVDを見始めた。

フランス映画だった。
すばらしい映画だった。
星は、文句なしの、5つ星。
私も、つられて見てしまった。

それで山荘に来るのが、遅くなってしまった。
今、時刻は、午後10時、少し前。

外は、小雨が降っている。
谷の下のほうから、カエルの鳴く声が
聞こえてくる。

あとは・・・、かすかにパソコンのファンの
回る音。

+++++++++++++++++

●山荘を売る

山荘へ来る途中、その山荘を売る話をした。
あと5〜10年もすれば、車の運転もままならなくなる。
判断力も、決断力も、鈍る。
そうなってからでは、遅い。

「5〜6年もしたら、売ろうか?」と声をかけると、
「そうね・・・」と、ワイフ。

私「あとは、値段の問題だけだよ」
ワ「安くてもいいわ」と。

●老後の棲家(すみか)

ついでに居住地を、市の中心部に移すという話も
今、出ている。
「ショッピング・センターも病院も、歩いて行ける
ようなところがいい」と。

現在は、浜松市と浜名湖の、ちょうど中間あたりに
住んでいる。
JR浜松駅まで、車で、約20〜25分。
浜名湖へも、同じくらい。

バス停も医院も、近くに、あるにはある。
しかしどこか不便。
銀行や郵便局となると、歩いては行けない。
ショッピング・センターは、さらに遠い。
それで「居住地を移す」という話が出てきた。

ときどき近くの不動産屋へ足を運んでいる。

●生きがい

「生きる」といっても、ただ生きるだけでは、意味がない。
そこで登場するのが、「統合性の問題」。
まず、ありのままの自分を受け入れる。
その上で、「何をすべきか」を考える。

(したいこと)ではない。
(すべきこと)を、である。

その(すべきこと)と、(現実にしていること)を一致させる。
それを「統合性の一致」という。

この統合性の確立に失敗すると、老後は、みじめで
あわれなものになる。
現に、そういう老人は、多い。
死ぬこともできず、ただ生きているだけといった老人たちである。

繰りかえす。
ここでいう(すべきこと)というのは、(したいこと)では、
ない。
(すべきこと)には、ほとんどのばあい、ある種の苦痛が
ともなう。
そのため、だれしも、できるなら避けたいと願う。
しかしその苦痛を厭(いと)おっていたら、統合性の確立など、
望むべくもない。

庭いじりに、孫の世話。
旅行三昧(ざんまい)に、趣味三昧。
この日本では、そういうことをするのが、理想の老後と考える。

しかしそんなことを繰り返しても、心のスキマを埋める
ことはできない。
かえって、空しくなるだけ。

●墓の問題

ついでながら、私の家でも、「墓」の問題が、起きつつある。
「死んだら、墓をどうするか」と。

友人の中には、早々と墓地を手に入れた人もいる。
しかし私のばあいは、もう少し、複雑。

私の実家の、実質上の後継ぎは、この「私」ということになる。
(兄には子どもはいない。姉は、嫁いで、外に出ている。)
で、実家の墓は、G県の田舎にある。
私は、そのG県に戻る気持ちは、さらさら、ない。
となると、墓地を、この浜松へ移さねばならない。

(永代供養という形で、実家のほうに墓地を残すという
方法もあるそうだが・・・。)

しかし私自身は、墓地には、ほとんどといってよいほど、
こだわっていない。
なくても、かまわない。
ワイフも、同じような意見をもっている。

どうしたらよいのか?

まあ、この種の問題は、その時期がくれば、自然と
解決していくもの。
水が低いところも求めて流れていくように、やがて解決していく。
今、あれこれ考えても、しかたない。
どうせ、あれこれ考えても、どうにもならないし・・・。

●新しいパソコン

6月に、H社というアメリカの会社が、小型パソコンを
発売する。
大きさは、B5ノートより、一回り、小さいという。
値段は、6万円弱。

カタログを見たとたん、グググーッと、物欲が、私の
心に充満した。

現在、T社のダイナブックを2台、S社のメビウスを
1台。
それにこのP社の、レッツ・ノートを1台、使っている。
しかしこのレッツ・ノートを除いて、ほかのは、この
ところ故障つづき。
どうやら寿命らしい。

が、ほんとうにほしいのは、超高性能のデスクトップ。
RAID機能(電源を入れたまま、ハードディスクを
入れ差しできる)がついているのが、よい。

・・・とまあ、いろいろ考えている。

「誕生日まで、がまんする」と私が言うと、ワイフは、
こう言った。
「だれの・・・?」と。

もちろん私の誕生日である。
が、すかさず、私は、こう言った。

「もちろん、お前の誕生日だよ。
お前だって、ダンナの喜ぶ顔が見たいだろ」と。

ワイフの誕生日は、来月の6月。

つまらない話ばかりでは、申し訳ないので、こんな話も
書き残しておきたい。

まず基礎知識として……

天智天皇のつぎが、天武天皇。
その間に、つまり天智天皇のあとに、天智天皇の子の
大友皇子が皇位につき、「弘文天皇」と名乗ったという
説もあるが、これについては現在では否定的な見解が優勢。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【謎のキトラ古墳】

●百済(くだら)王子

今朝の新聞によると、例のキトラ古墳の内部は、
もぬけのカラだったという(08年5月24日)。
わずかな人骨が、散乱していたにすぎなかったという。
新聞記事によれば、「盗掘によってそうなった」と。
しかし、どこのだれが、人骨など、盗掘するだろうか?

これについては、こんな説がある。
その前に、当時の歴史について、説明しておかねば
ならない。

みなさんも、「壬申(じんしん)の乱」という言葉を、
学校の社会科の授業で、聞いたことがあると思う。
当時としては、たいへんな大事件であったらしい。
日本書紀も、この事件について詳しく書いている。

で、その壬申の乱というのは、天智天皇(てんじてんのう)の子
である、大友皇子(おおとものみこ)と、天智天皇の弟である、大海人皇子
(おおあまのみこ)の間で起きた、皇位争奪戦のことをいう。

つまり天智天皇なきあと、天智天皇の子と、天智天皇の
弟が、皇位を争って、「乱」を起こした。
結果、天智天皇の弟の大海人皇子が、皇位を継承する。
名を「天武天皇」と改める。

そこでもう一度、キトラ古墳が発掘された当時(02年)に
私が書いた原稿を、ここに再掲載してみる。

この中で、とくに注意してほしいことは、キトラ
古墳の内部が、百済王室の模様で、飾られていた
ということ。
だからキトラ古墳が発掘された当時、新聞記事の
見出しは、こうなっていた。

「天智天皇の子の大友皇子か、それとも百済皇子の
墓か」と。

++++++++++++++++++++++

●驚天動地の発見!

 さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。こ
れは私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。たとえば2
002年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆかり」という
言葉を使った。

これに対して韓国の金大統領は、「勇気ある発言」(報道)とたたえた(1月)。さらに同
じ月、研究者をして「驚天動地」(毎日新聞大見出し)させるような発見が奈良県明日香
村でなされた。

明日香村のキトラ古墳で、獣頭人身像(頭が獣で、体が人間)の絵が見つかったという
のだ。

詳しい話はさておき、毎日新聞はさらに大きな文字で、こう書いている。「百済王族か、
弓削(ゆげ)皇子か」と。

京都女子大学の猪熊兼勝教授は、「天文図、四神、十二支の時と方角という貴人に使われ
る『ローヤルマーク』をいくつも重ねている」とコメントを寄せている。こ

これはどうやらふつうの発掘ではないようだ。それはそれとして、が、ここでもし、「百
済王族か、弓削(ゆげ)皇子か」の部分を、「百済王族イコール、弓削(ゆげ)皇子」と
解釈したらどうなるか。

弓削皇子は、天武天皇の皇子である。だから毎日新聞は、「研究者ら驚天動地」という大
見出しを載せた。

++++++++++++++++++++++

先に書いた壬申の乱の前に、朝鮮半島で、「白村江
(はくそんこう)の戦い」というのが起きている。
西暦663年のことである。

この白村江の戦いというのは、わかりやすく言えば、
滅びつつあった百済が、百済再興をかけて、唐と
新羅(しらぎ)に、最後の一線を挑んだ戦いということになる。

その白村江の戦いに、天皇家は、百済にたいして、
援軍を送っている。
その中心的人物が、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)
と言われているが、確かではない。

それはそれとして日本の天皇家と、百済は、きわめて近い関係に
あった。

が、ご存知のように、白村江の戦いでは、百済が敗退。
同時に日本の天皇家は、手痛い打撃を受ける。

ここから先は、関裕二氏の書いた「古代史の秘密を握る
人たち」(PHP)を引用させてもらう。

関裕二氏の書いた本の中には、こうある。

「(日本書紀によれば)、中臣鎌足が出現する直前、
百済の皇子の豊璋(ほうしょう)が、人質として、
来日している」(同、P83)と。

以下、同書には、つぎのようにある。

「豊璋は、西暦631年に来日、660年に百済がいったん滅亡したのち、王朝復興の機
運の高まりの中で、百済の名将、鬼室福信に呼び戻され、擁立される。しかし(豊璋は)、
鬼室福信の手腕と名声をねたみ、これを殺し、首を塩漬けにして、自ら王朝の衰弱を招い
てしまう。白村江の戦いで百済王朝は、永遠にこの世から姿を消し、豊璋は行方をくらま
したままだった」と。

年代を整理してみよう。

631年・・・豊璋、来日
660年・・・百済滅亡
663年・・・白村江の戦い(百済、永遠に滅亡)
672年・・・壬申の乱が起きる。
673年・・・天武天皇(大海人皇子)即位

キトラ古墳は、こうした歴史を背景として、作られた。
ウィキペディア百科事典によれば、つぎのようにある。

「壁画などにみられる唐の文化的影響が、高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐
使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳である
と見られている」(ウィキペディア百科事典)と。

つまり西暦600年の末から、西暦700年のはじめである、と。
この時期は、白村江の戦い〜壬申の乱と、ピタリと重なる。

さらにつけ加えるなら、壬申の乱は、天智天皇の子と、
天智天皇の弟との間の皇位争奪戦だったということに
なっているが、関裕二氏の見解は、少しちがう。

それまでの百済派だった大友皇子(天智天皇の子)と、
新羅派になりつつあった大海人皇子(天智天皇の弟、
のちの天武天皇)との間の戦いだった、と。

わかりやすく言えば、百済派の天智天皇の子と、
新羅派の天武天皇の戦いだった、と。
これを裏づける資料としては、つぎのような
ものがある。

「天武は遣唐使は一切行わず、代わりに新羅から
新羅使が倭国へ来朝し、また倭国から新羅への
遣新羅使も頻繁に派遣されており、
その数は天武治世だけで14回に上る」(ウィキペディア百科事典)と。

が、最大の謎は、なぜ天智天皇は、それほどまでに百済に
肩入れをしたのかということ。
天智天皇は、ウィキペディア百科事典によれば、3派に分けて、
計4万人という兵力を送っている。

事実、白村江の戦いで百済は滅亡し、そのあと天皇家も滅亡の
危機を迎える。

が、こうした事実と、キトラ古墳を重ね合わせてみると、
答は自然と出てくるのでは?

壬申の乱で政権を継承した大海人皇子(天武天皇)は、新羅への
忠誠をたてる必要性からも、キトラ古墳をつぶさなければ
ならなかった(?)。

その結果が、今朝の新聞ということになる。

なお、こうした歴史観というのは、日本の外では常識で、
「そうではない」「まちがっている」と、かたくなに、
「日本史」にこだわっているのは、日本の歴史家たち
だけと考えてよい。

日本史も、実は、東洋史の一部でしかない。
またそういう視点で、日本の歴史をながめて、はじめて、
日本人は、日本のルーツを正しく知ることができる。
これは余計なことかも知れないが・・・。

なおさらにつけ加えるなら、ここに出てくる、「豊璋」
という人物は、中臣鎌足ではなかったかという説も
ある(前述、関裕二氏)。


+++++++++++++++++++++++

ここまで書いて、あの「ニセ石器事件」を
思い出した。
日本人の私たちにしてみれば、思い出したくもない
不愉快な事件かもしれない。
が、なぜ、日本の考古学者たちが、
あのニセの石器に飛びついたか。
その心理的背景を知るのには、たいへん象徴的な事件
ということになる。

+++++++++++++++++++++++

●日本史にこだわる日本人

【ニセ石器事件】

●藤木Sの捏造事件

 一方こんなこともある。藤木Sという、これまたえらいインチキな考古学者がいた。彼
が発掘したという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。
しかも、だ。そういうインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしま
ったというから、これまたすごい。

たまたまその事件が発覚したとき、ユネスコの交換学生の同窓会がソウルであった(1
999年終わり)。日本側のOBはともかくも、韓国側のOBは、ほとんどが今、大企業
の社長や国会議員をしている。

その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に寄り、こう話してくれた。「韓国
人は皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」と。当
時の韓国のマスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんばかりに、
日本をはげしく攻撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いていた。

+++++++++++++++++++

その韓国で、私は、交換学生だった当時、
金素雲氏という人から、こんな話を、直接
聞いた。

当時の韓国を代表する、文学者兼歴史学者
であった。

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【民族の誇りとは……】

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2002年の1月に、つぎのような原稿を
私はこんな原稿を書いた。

今、改めて、それを読みなおしている。

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●私はユネスコの交換学生だった

 1967年の夏。私たちはユネスコの交換学生として、九州の博多からプサンへと渡っ
た。日韓の間にまだ国交のない時代で、私たちはプサン港へ着くと、ブラスバンドで迎え
られた。が、歓迎されたのはその日、一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面
に立たされた。

私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏だったこともある。韓国を代表する文化学
者である。私たちは氏の指導を受けるうち、日本の教科書はまちがってはいないが、し
かしすべてを教えていないことを実感した。そしてそんなある日、氏はこんなことを話
してくれた。

●奈良は韓国人が建てた?

 「日本の奈良は、韓国人がつくった都だよ」と。「奈良」というのは、「韓国から見て奈
落の果てにある国(ナラ)」という意味で、「奈良」になった、と。

昔は「奈落」と書いていたが、「奈良」という文字に変えた、とも。現在の今でも、韓国
語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。

もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし結論から先
に言えば、日本史が日本史にこだわっている限り、日本史はいつまでたっても、世界の、
あるいはアジアの異端児でしかない。日本も、もう少しワクを広げて、東洋史という観
点から日本史を見る必要があるのではないのか。

ちなみにフランスでは、日本学科は、韓国学部の一部に組み込まれている。またオース
トラリアでもアメリカでも東洋学部というときは、基本的には中国研究をさし、日本は
その一部でしかない。

●藤木新一の捏造事件(先にあげた原稿と重複します)

 一方こんなこともある。藤木S一という、これまたえらいインチキな考古学者がいた。
彼が発掘したという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。
しかも、だ。そういうインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしま
った人たちがいるというから、これまたすごい。

たまたまその事件が発覚したとき、ユネスコの交換学生の同窓会がソウルであった(1
999年終わり)。日本側のOBはともかくも、韓国側のOBは、ほとんどが今、大企業
の社長や国会議員をしている。その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に
寄り、こう話してくれた。

「韓国人は皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」
と。当時の韓国のマスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんば
かりに、日本をはげしく攻撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いて
いた。

●常識と非常識

 私はしかしこの捏造事件を別の目で見ていた。一見、金素雲氏が話してくれた奈良の話
と、この捏造事件はまったく異質のように見える。奈良の話は、日本人にしてみれば、信
じたくもない風説に過ぎない。

いや、一度、私が金素雲氏に、「証拠があるか?」と問いただすと、「証拠は仁徳天皇の
墓の中にあるでしょう」と笑ったのを思えている。しかし確たる証拠がない以上、やは
り風説に過ぎない。これに対して、石器捏造事件のほうは、日本人にしてみれば、信じ
たい話だった。「石器」という証拠が出てきたのだから、これはたまらない。

事実、石器発掘を村おこしに利用して、祭りまで始めた自治体がある。が、よく考えて
みると、これら二つの話は、その底流でつながっているのがわかる。金素雲氏の話して
くれたことは、日本以外の、いわば世界の常識。一方、石器捏造は、日本でしか通用し
ない世界の非常識。世界の常識に背を向ける態度も、同じく世界の非常識にしがみつく
態度も、基本的には同じとみてよい。

●お前は日本人のくせに!

 ……こう書くと、「お前は日本人のくせに、日本の歴史を否定するのか」と言う人がいる。
事実、手紙でそう言ってきた人がいる。「あんたはそれでも日本人か!」と。

しかし私は何も日本の歴史を否定しているわけではない。また日本人かどうかと聞かれ
れば、私は100%、日本人だ。日本の政治や体制はいつも批判しているが、この日本
という国土、文化、人々は、ふつうの人以上に愛している。

このことと、事実は事実として認めるということは別である。えてしてゆがんだ民族意
識は、ゆがんだ歴史観に基づく。そしてゆがんだ民族主義は、国が進むべき方向そのも
のをゆがめる。これは危険な思想といってもよい。

仮に百歩譲って、「日本民族は誇り高い大和民族である」と主張したところで、少なくと
も中国の人には通用しない。何といっても、中国には黄帝(司馬遷の「史記」)の時代か
ら5500年の歴史がある。日本の文字はもちろんのこと、文化のほとんどは、その中
国からきたものだ。

その中国の人たちが、「中国人こそ、アジアでは最高の民族である」と主張して、日本人
を「下」に見るようなことがあったら、あなたはそれに納得するだろうか。民族主義と
いうのは、もともとそのレベルのものでしかない。

●驚天動地の発見!

 さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。こ
れは私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。たとえば2
002年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆかり」という
言葉を使った。

これに対して韓国の金大統領は、「勇気ある発言」(報道)とたたえた(1月)。さらに同
じ月、研究者をして「驚天動地」(毎日新聞大見出し)させるような発見が奈良県明日香
村でなされた。

明日香村のキトラ古墳で、獣頭人身像(頭が獣で、体が人間)の絵が見つかったという
のだ。詳しい話はさておき、毎日新聞はさらに大きな文字で、こう書いている。「百済王
族か、弓削(ゆげ)皇子か」と。

京都女子大学の猪熊兼勝教授は、「天文図、四神、十二支の時と方角という貴人に使われ
る『ローヤルマーク』をいくつも重ねている」とコメントを寄せている。これはどうや
らふつうの発掘ではないようだ。それはそれとして、が、ここでもし、「百済王族か、弓
削(ゆげ)皇子か」の部分を、「百済王族イコール、弓削(ゆげ)皇子」と解釈したらど
うなるか。弓削皇子は、天武天皇の皇子である。だから毎日新聞は、「研究者ら驚天動地」
という大見出しを載せた。

●人間を原点に

 話はぐんと現実的になるが、私は日本人のルーツが、中国や韓国にあったとしても、驚
かない。まただからといって、それで日本人のルーツが否定されたとも思わない。先日愛
知万博の会議に出たとき、東大の松井T典教授(宇宙学)は、こう言った。「宇宙から見た
ら、地球には人間など見えないのだ。あるのは人間を含めた生物圏だけだ」(2000年1
月16日、東京)と。

これは宇宙というマクロの世界から見た人間観だが、ミクロの世界から見ても同じこと
が言える。今どき東京あたりで、「私は遠州人だ」とか「私は薩摩人だ」とか言っても、
笑いものになるだけだ。

いわんや「私は松前藩の末裔だ」とか「旧前田藩の子孫だ」とか言っても、笑いものに
なるだけ。日本人は皆、同じ。アジア人は皆、同じ。人間は皆、同じ。ちがうと考える
ほうがおかしい。私たちが生きる誇りをもつとしたら、日本人であるからとか、アジア
人であるからということではなく、人間であることによる。もっと言えば、パスカルが
「パンセ」の中で書いたように、「考える」ことによる。松井教授の言葉を借りるなら、
「知的生命体」(同会議)であることによる。

●非常識と常識

 いつか日本の歴史も東洋史の中に組み込まれ、日本や日本人のルーツが明るみに出る日
がくるだろう。そのとき、現在という「過去」を振り返り、今、ここで私が書いているこ
とが正しいと証明されるだろう。

そしてそのとき、多くの人はこう言うに違いない。「なぜ日本の考古学者は、藤木S一の
捏造という非常識にしがみついたのか。なぜ日本の歴史学者は、東洋史という常識に背
を向けたのか」と。繰り返すが一見異質とも思われるこれら二つの事実は、その底流で
深く結びついている。(以上、2002年1月記)

++++++++++++++++++

 今朝(05年12月2日)の朝刊によれば、またまた奈良県の明日香村のカヅマヤマで、
石積み石室古墳が見つかったという。

 中日新聞は、「百済王族?」と「クエスチョンマーク」をつけて報道している。「時期は
7世紀後半、40〜50代の男性埋蔵か」と。

 「被葬者は渡来系か」と題して、前園・奈良芸術短大の教授は、つぎのように語ってい
る。

 「土を焼いて作った朝鮮半島の「せん」を使った石室を意識した構造で、被葬者は天武
天皇の客人だった、百済王昌成(こうだらのこきししょうじょう)ら、渡来人の人物がふ
さわしいのでは。丘陵の斜面を削り墳丘を築造する立地条件は、高松塚古墳など、ほかの
終末期古墳と一致するが、規模が大きく、「せき(=石へんに、専の文字)」を積んだ、特
殊な石室をもつ点が特徴だ」と。

 奈良県の明日香村の西南部には、7〜8世紀の終末期古墳が密集している。大半が天皇
家に関係があるとされる。

 中でも、天武、持統天皇陵は藤原京の中軸、朱雀(すざく)大路の延長線上にあり、そ
こから南約3キロのエリアを天武天皇一族が、「聖なるライン」として築いた墓域とみる説
が有力(同、新聞)。

 この周辺に、あの高松古墳、キトラ古墳もある。(カヅマヤマと、キトラは、距離にして、
1・5キロほど。)今回発見された古墳も、まさに百済や高句麗の様式をまねたもの……と
いうより、百済や高句麗の様式そのもの。そこで前園教授は、「被葬者は渡来人か?」と。
日本人の墓とするには、あまりにも無理があるからである。

 日本の天皇は、「ゆかり」という言葉を使って、当時は、大問題になった。しかしこの事
実ひとつだけを見ても、日本の天皇家と、朝鮮半島は、密接に結びついている。どうして
日本の聖域の中に、百済からやってきたと思われる渡来人の墓が、こうまであるのか。ま
た天皇陵の様式にしても、どうしてこうまで百済、高句麗の様式と酷似しているのか。

 この先のことは私にはわからないが、再び、私は、あの金素雲氏が言った言葉を思い出
す。

 「証拠は仁徳天皇の墓の中にあるでしょう」と。仁徳天皇の墓の中には、何かしら、巨
大な謎が隠されているらしい。
(はやし浩司 カヅマヤマ古墳、キトラ古墳 百済 高句麗 弓削王子 金素雲 (はや
し浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist キトラ古墳 豊璋 天
智天皇 天武天皇 百済 新羅 天皇家のルーツ はやし浩司 壬申の乱)

(あとがき)

朝鮮半島と日本は、古来より、密接に関係しあっていた。
朝鮮語と日本語は、発音こそちがうが、同じ言語である。
日本語が朝鮮半島に伝わったということは、ありえない。
朝鮮語が、日本に伝わったと考えるのが、自然である。

私はこのことを、佐賀県の唐津へ講演で行ったときに知った。
あのあたりまで行くと、会話の抑揚そのものが、韓国語に
そっくり。
そこでそのことを話題にすると、付き添ってくれた佐賀県の
教育委員会の方が、こう説明してくれた。

「天気のいい日には、近くの山に登ると、朝鮮半島が見えますよ」と。

日本から朝鮮半島が見えるということは、向こうからも日本が見える
ということ。
朝鮮半島に生まれた強大な国家が、日本制服をもくろんだとしても、
何もおかしくない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ニュースを読む】(2008年5月24日)(From News of the Day, May 24th)

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夕食後、うたた寝したのが悪かった。
1時間半ほど、眠ってしまった。

おかげで、そのあと頭が冴(さ)えてしまった。
時刻は今、午前0時30分!

書斎に入って、パソコンに電源を入れる。
あちこちのニュース・サイトに目を通す。

++++++++++++++++++

●原油価格(Crude Oil Price)

++++++++++

23日のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、押し目買いが優勢となっ
て、また値をあげたという(ヤフー・ニュース)。

++++++++++

現在、7月物は、前日終値比2・54ドル高の、1バレル=133・35ドル。

「押し目買い」とは、何か?
国語大辞典には、つぎのようにある。

「あがっていた株価が、少しさがって安くなること」(経済)と。
このばあいは、「安くなって、値ごろ感が出て、買いが入った」ということらしい。
それにしても、133ドルとは!

言うまでもなく、アメリカ経済の最大の強みは、ドル紙幣を印刷する、(ドル印刷機)をも
っていること。
だれに遠慮することもなく、まただれに相談することもなる、アメリカ政府の一存で、必
要となれば、いくらでもドル紙幣を印刷できる。

こうして印刷されたドルが、原油に向かった。
ほんの半年前には、1バレルが30ドル前後だったから、4倍以上になったことになる。
つまり、単純に計算すれば、ドルの価値が、こと原油価格についてみるかぎり、4分の1
になったことになる。
つまりそれだけのドルを、世界にバラまいた!

わかりやすく言えば、アメリカは、なりふり構わず、自国の経済防衛に打って出たことに
なる。
「自国が滅ぶなら、世界もろとも……」ということらしい。

しかしそれこそ、世界にとっては、えらい、迷惑。
日本など、先進国には、それほど大きな影響は出ないが、発展途上にある国々にとっては、
そうではない。
シワ寄せは、そうした貧しい国々に集まる。
つまりその分だけ、世界は、不安定化する。


●汚職問題(Corruption of a Politician)

+++++++++++

民主、共産、社民、国民新の野党4党は23日、国会内で幹事長・書記局長会談を開き、
防衛装備品の調達を巡る汚職事件に関連し、自民党の久間A元防衛相と、社団法人「日米
平和・文化交流協会」の専務理事だった、秋山N氏に対する証人喚問要求することで一致
したという(ヤフー・ニュース)。

+++++++++++

「社団法人」といえば、基本的には、営利を目的としない法人をいう。
税法上の恩恵も多いが、その分だけ、設立に関しては、審査もきびしい。
そういう法人の理事長が、YD貿易会社の元専務から、何かの名目で1億円も受け取って
いたという(同)。

つまり(YD貿易会社の元専務)→(社団法人の秋山N)→(久間A元防衛相)の3者が、
こうしてつながった。

単純に推理すれば、久間A元防衛相は、社団法人を隠れ蓑にして、YD貿易会社から、ワ
イロを受け取っていたということになる。
その疑いは、濃厚ということになる。

そこで、野党4党は、「秋山N氏に対する証人喚問要求することで一致した」(同)という。
秋山N氏が、どこまで真実を話すか。
また話さないか。

久間A元防衛相の命運は、それで決まる。


●生きたまま、祖父に火!(An Old Couple, that were burnt to Death)

+++++++++++++

島根県T町で22日、AKさん(81)と妻Tさん(76)夫妻が自宅で殺害された事件
で、殺人容疑で逮捕された孫の無職NK容疑者(23)は、AKさんが生きていた際、火
をつけていたことが23日、T署捜査本部の調べで分かった(ヤフー・ニュース)。

+++++++++++++

23歳の孫が、祖父母を殺害した!?
報道によれば、AKさんは上半身が黒こげ状態で、背中に包丁が2本刺さり、1本が近く
に落ちていたという。
約3メートル離れた所で倒れていた妻Tさんは首を切られ、いずれも死亡していたという。

何があったのか?

近所の人の話では、AKさん夫婦は、孫のNK容疑者を、ことのほか、かわいがっていた
という。
またNK容疑者は、おとなしく、静かな男性だったという(報道)。

家族の問題は、その家族にしかわからない。
私のような外部の第三者が、あれこれとコメントするほうが、まちがっている。
が、それにしても……?

(家族)というのは、良好な人間関係で結ばれている間は、すばらしい(力)を発揮する。
しかしひとたび、その人間関係が崩れると、その分だけ、たがいに憎しみあうようになる。
ふつうの(憎しみあい)ではない。
仏教の世界にも、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
四苦八苦のひとつになっている。
それこそ殺しあうところまで、憎しみあう。
今回の事件も、その一例?

よい家族でなくても、悪い家族でなければ、ほどほどのところで、満足する。
それが家族円満の秘訣ということか。


●四川大地震(Shi-Sen Earthquake)

+++++++++++++++++

香港紙・明報(電子版)は、23日、つぎのような記事を載せている。

『大地震の被災地・四川省羅江県で21日、地元当局による救援物資の横流しを疑う住民
数1000人が、警官隊と衝突したと報じた。地元公安局の副局長らが負傷した。12日
の地震発生以降、被災地で大きな抗議行動が起きたのは初めてという』と。

+++++++++++++++++

四川大地震は、いろいろな方面に、まったく予想外の波紋を広げつつある。
このニュースもそのひとつ。

「地元当局の救援物質の横流しを疑う住民らが、警官隊と衝突した」と。

事実か、事実でないか、私にはわからないが、もし事実だとするなら、「あきれて、ものも、
言えない」ということになる。

が、これだけではない。

四川省では、一部の放射性物質が未発見のままだという。
さらにその周辺では、致死性の感染症が、住民を襲い始めているという。

「放射性物質」とは何か?
「致死性の感染症」とは何か?

ひょっとしたら、放射性物質というのは、核兵器の一部のことではないのか。
また致死性の感染症というのは、細菌兵器の一部ではないのか。
つまりこれらの物質や最近が、今回の地震で、外に漏れ出た?
その可能性はないとは言えない。
現に、化学薬品工場などが倒壊し、化学薬品が漏れ出るという事故が多発している。

日を追うごとに、四川大地震が、(大地震)だけですまなくなってきている。
だいじょうぶか、中国!


●日本は、サラ金国家(Japan is a country of Cosumer Finance)

+++++++++++++++

額賀福志郎財務相は23日の閣議に、07年末の対外資産負債残高を報告した。日本の政
府や企業、個人が海外に保有する資産から、外国人投資家の対日投資など負債を差し引い
た 額賀福志郎財務相は23日の閣議に、07年末の対外資産負債残高を報告した。日本
の政府や企業、個人が海外に保有する資産から、外国人投資家の対日投資など負債を差し
引いた対外純資産残高は、前年末比16.3%増の250兆2210億円となり、2年連
続で過去最高を更新した。(毎日新聞) (以上、毎日新聞)。

+++++++++++++++

日本は、戦後、稼いだお金を、一度ドルにかえつづけた。
わかりやすく言えば、紙くずになりつつあったドルを、懸命に買い支えた。
月によっては、3兆円もアメリカの国債を買い支えたこともある(2006年度)。

で、たまる一方の外貨。
そこで日本は、その外貨を、外国に投資した。
その結果が、今。

毎日新聞によれば、「……対外純資産残高は、前年末比16.3%増の、250兆2210
億円となり、2年連続で過去最高を更新した」(毎日新聞)とある。

つまり日本は、世界のサラ金国家として、さらにその地位を不動のものとしたということ。
が、それにしても、スゴイ!

250兆円とえいば、人口の1億2000万人で割ると、1人あたり、208万円というこ
とになる。
私の家族は5人だから、約1000万円の対外資産ということになる。
が、喜ぶのは、早い!

もっともこれらの資産は、大半が、銀行や証券会社、それに企業のもの。
私たち個人による外国証券購入も、それに含まれるが、まだまだ一部。

ついでながら、「対外純資産」とは何か。

東奧日報のHPには、つぎのようにある。

「国全体として海外で保有する資産と、外国からの国内投資(負債)の差を表す。対外資
産は銀行の対外融資、日本企業の対外直接投資のほか、外貨準備や政府開発援助などが

まれ、最近は個人の外国証券購入も増加している。対外負債は外国人の対日証券投資や邦
銀による外貨資金の借り入れなど。財務相が毎年末の実績を閣議に報告することが法律で
定められている」と。

さらに言えば、こういうことにもなる。

本来なら、日本が稼いだお金は、日本国内で投資するのが、正道。
それをしないで、日本の金融機関は、外国ばかりに投資している。
言いかえると、日本のマーケットは、それだけ魅力がないということになる。

わかりやすく説明してみよう。

あなたはたいへんな勤勉家である。
毎日、朝から晩まで、汗水をたらして仕事をしている。
が、稼いだお金は、自分では使わず、せっこらせっこらと貯金に回す。
狭い家に住み、食べるものも食べず、貯金に回す。
通帳の数字を見ながら、「ふえた、ふえた」と喜んでいるだけ。
しかしそんな生活が、本当に、豊かな生活と言えるのだろうか。


●6か国協議(6-Nation Conference)

++++++++++++++++

ロイター通信は22日、外交筋の話として、K国の核問題をめぐる6か国協議の米首席代
表クリストファー・ヒル国務次官補が、来週、K国首席代表の金桂寛(キムケグァン)外務次
官と、北京で会談する見通しだと報じた。

++++++++++++++++

裏に何があるのか?
それとも、ないのか?

私には知るよしもないが、金xxの健康問題がからんでいる?
あるいは金xxは、すでに統治能力を失っている?
ブッシュ大統領は、なぜに、こうまで方向転換をしてしまったのか?
今では、あのアメリカが、金xxという独裁者の延命に、手を貸している?
「日本より、K国のほうが、信頼できる」と言わんばかり。

ヒル国務次官補の一連の行動を見ていると、どこかカルト的?
まるで金xxの毒気に、洗脳されてしまったよう。

「ジャンク(ガラクタ)化したヨンビョンの核開発関連施設を爆破してみせる」とまで、
言い出した。
わかるかな?
ヨンビョンの核開発関連施設を視察したアメリカの専門家ですら、「1940年代で時計が
止まったままの、ジャンク(ガラクタ)」と評している。
そんな施設を、爆破してみせる、と?

ヒル国務次官補は、それによって自分の成果(?)を、世界にアピールしたいのだろう。
一方、K国側は、それで核開発問題は、終わったことにしたいのだろう。
が、そんなショーにだまされてはいけない。

既存の核兵器はどうする?
ウラン抽出問題は、どうする?
拉致問題は、どうする?

ヒル国務次官補をうしろで操る、ライス国務長官。
そのライス国務長官の顔が、日本では、まったくといってよいほど見えてこない。
あの方は、よほど、日本という国が、嫌いらしい?

このままでは、日米関係は、さらに悪化する。
日米関係そのものに、大きなキレツが入る。
つぎの6か国協議は、その起爆剤になりそう?
(08年5月24日記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。つぎの特集記事を、どうか、お読みください。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●言葉が乱れる子ども

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言葉が乱れる子どもというのは、少なくない。
言っていることは、わかるのだが、全体として、
文章になっていない……?

それを書く前に、こんなことは、よくある。
これは日本語の特徴なのかもしれないが、
たとえば、子どもたちは、こう言う。

「明日は、プールがない」と。

そこで私がすかさず、「プールがないって、
どういうこと?」と聞きかえす。

子「プールがないよ」
私「プールが、現れたり、消えたりするの?」
子「ううん、プールはあるけど、プールで、
泳がない」

私「泳げばいいでしょ。どうして泳がないの?」
子「だからア〜、体育の授業で、水泳をしないって
いうこと」
私「ああ、そう。だったら、はじめっから、そう
言えばいいのに……」と。

が、P君(小2男児)のケースは、ややちがう。
(Pさん、P君のことを書いて、ごめんなさい。
立ち話のつづきを書いてみます。)

P君は、こう言った。

「ぼく、携帯電話ない。かぎは、もってる。
お母さん、仕事で、ぼく、先に、中に入る……」と。

P君が言おうとしていることは、よくわかる。
こういうことらしい。

「ぼくは携帯電話はもっていない。しかし家のかぎは、
もっている。お母さんが仕事で帰りが遅くなったときは、
そのかぎを使って、ぼくは、先に、家の中に入る」と。

こういうケースでまず疑ってみるべきは、その
子どもの会話能力。
会話能力が貧弱だと、作文能力に、そのまま
大きな影響を与える。
作文能力が劣ると、あらゆる科目に影響がおよぶ。

その子どもの会話能力を決めるのは、母親である。
母親は、そのため、子どもには、正しい日本語で
話しかけなければならない。

たとえば、「ほら、カバン、カバン、ハンカチは?」
ではなく、
「あなたはカバンをもちましたか?」「ハンカチは
もっていますか?」と。

それについて書いた原稿は、このあとに添付して
おく。

が、P君のケースは、それともややちがう。
お母さんは知的な人で、かつP君には、愛情豊かに
接している。
もちろん言葉の使い方も、正しい。

似たようなケースは、バイリンガルの子どもにも
ときどき観察される。

たとえば父親が日本人で、母親が中国人であるような
ケースである。

0歳〜2歳期の、言語形成期にバイリンガルで育てる
と、子どもの言語能力は、大きく乱れることは、
よく知られている。

私の孫も、2歳半くらいのとき日本へ来たとき、
英語とも日本語ともわけのわからない英語を
話していた。

たとえば「私は家へ帰りたくない」というときも、
「No go home, bye, bye」と。

問題は、なぜP君の言語能力が、乱れているか、である。
P君の両親は、日本人である。
脳の言語中枢の問題など、いろいろ考えられるが、
教育の世界では、(原因)よりも、「この先、どうするか?」
を、優先して考える。

私「乱れた日本語は、そのつど、言いなおさせるしかありませんね」
母「私も、気になっていましたが……」
私「まだじゅうぶん間にあいますから、今日からでも、正しい
日本語で会話することに心がけてみてください」
母「わかりました」と。

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子どもの会話能力について書いた
原稿を、いくつか添付します。

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子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣ってい
ると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこ
がどう違うかを調べたことがある。結果、次の3つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校
ジャン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」
となる。

たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だっ
た?」と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……
戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映
画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウ
ン」だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校
はどうだったの?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」
と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみた
が、どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日
本語を習う外国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、
言ってごらん」、子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそ
のことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホン
トにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し
方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持って
いますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まっ
てこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞い
ているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それ
こそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を
音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、そ
の音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文
字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも
使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をす
るとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわか
ってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だ
と思っている人は多い。

私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(54歳)はこう言った。
「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そ
ういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかって
ほしかった。

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もう1作、携帯電話について書いた原稿です。
(最近、携帯電話が話題になることが、多く
なりましたので……。)

日付はわかりませんが、2000年ごろに
書いたものです。

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●子どもの携帯電話を考える法

 携帯電話をもつ子どもがふえている。調査のたびに、ぐんぐんとうなぎ昇りにふえてい
るので、調査そのものがあまり意味がない。が、それと同時に弊害も表面化してきた。そ
れらを並べると……

(1)マジックミラー症候群……膨大な情報量の中で、知りたい相手の情報は見ても、
自分の情報は流さない。一方的に相手を観察するだけで、自分の正体は明かさない。あ
るいは他人の意見を知り、それを攻撃することはできても、自分の意見は述べない。情
報が一方通行化する。

(2)リセット症候群……一度、嫌いになると、ちょうどスイッチを切るかのように、
相手を自分の世界から抹殺してしまう。その後その相手からメールが入っても、それを
受けつけないか、無視する。

(3)オセロ症候群……白黒はっきりした人間関係をつくろうとする。敵の敵は味方と
いう考え方をしながら、その色分けをはっきりする。中間色的なつきあいができなくな
る。

(4)マトリックス症候群……バーチャルな人間関係を結ぼうとする。相手は無臭、無
味、体温の感じない状態のほうが、つきあいやすい。自分の側の臭いや味、感情も文の
上でコントロールしようとする。一方、現実の世界の人間とは、心を結べなくなる。

(5)字幕症候群……相手からの文字に、自分の心をのせて相手の文を読む。たとえば
相手が「バカだなあ」と書いたとする。相手は冗談のつもりで書いたとしても、その「冗
談」の部分はわからない。わからないから、こちらの感情でその文を読んで、ときには
憤慨したり、怒ったりする。

(6)携帯電話依存症候群……携帯電話がないと落ち着かない。気分がすぐれない。携
帯電話に固執する。

(7)カプセル症候群……メール用語、メールの世界だけしか通用しない用語だけで会
話をしようとする。またそれを知らない人を、よそ者的に排斥しようとする。

(8)ワイアレス症候群……膨大な情報の中に埋もれてしまい、自分がわからなくなる。
無能化、愚鈍化が進む。一日の行動が決められず、電話の運勢占いにすべてをかける。

(9)グラフィック症候群……音声の会話ができなくなる。メールでは何でも話せるの
に、いざその人と直接対面すると、何も話せない。

(10)ボーダーレス現象……性情報が氾濫し、それが見境なく低年齢層に浸透
している。

(11)情報のフェザー現象……情報の価値が限りなく軽くなり、その分、思考
回路も軽くなる。会話能力の低下、思考能力の低下をきたす。

(12)親指人間、会話能力欠如、言葉の短文化、感情化、短絡化、文字のマン
ガ化、ムダ話がなくなった分だけ、黙々と携帯に文字を打ち込んでいる。

通学電車の中。昔は高校生や中学生の笑い声やはしゃぐ声が聞こえた。が、今は違う。
誰もが黙々と携帯電話のボタンを押している。携帯電話をもっていない子どもも、もっ
ている子どもに遠慮して何も話しかけない。静かだ。しかしおかしい……?

今では中学生の約60%、高校生の約80%が携帯電話をもっている(2000年、
筆者調査)。すでに「持ち物」という範囲を超え、携帯電話は子どもたちの間では必
需品にすらなりつつある。

「携帯電話がないと、仲間ハズレにされる」「友だちができない」と言った中校生す
らいる。もちろんそれが子どもたちに与える影響は大きい。今どき、テレクラ・ナン
パ・援助交際を問題にするほうがおかしい。有害な性情報は、容赦なく子どもたちの
世界に降り注ぐ。知識や行動だけではない。この携帯電話が子どもたちの心まで蝕み
始めている。

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P君のケースとは関係ありませんが、
たとえばアスペルガー児のばあい、
言語能力が乱れることは、よく
知られています。

つぎの原稿は、6〜7年前に書いた
原稿です。

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●心にキズをもった子ども

【大阪府T市在住の母親より】

幼稚園で不登園になって以来、小学校に 入学してから今まで 毎日 学校でつき添っ
て登校しています。

最近 「ぼくは、死んだほうがいいんだ。」「お母さんは、僕が嫌いなんだ。」「どうせ何
をやってもうまくできない」と、毎日言います。

幼稚園に行かなくなったときに 私が、死にたいほど辛く 本人にもかなりひどいこと
を言ってしまったのを、思い出しているのかも知れません。最近になって、アスペルガ
−症候群だといわれました。

子供に 自己に自信をつけてあげるには、どのように接してあげれば、いいでしょう?
毎日 楽しく生活できるようにと 思っているのですが、毎日 あまりにもしつこく言
われ 私も いらいらしてしまいます。
(大阪府T市、CFより)

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 アスペルガー症候群については、たびたび書いてきたので、ここでは、簡単に説明だけ
しておく。

 自閉症的な症状を示しながら、知的な発達障害の見られない子どもが見せる症候群を、
アスペルガー症候群という。ふつう自閉症というときは、言語能力などの分野で、知的発
達障害をともなくことが多い。が、アスペルガー児には、そういった発達障害は、見られ
ない。むしろ、数学や算数の分野などで、特異な能力を見せることが多い。

 正確には、自閉症の中でも、正常レベルに近い子どもを、「高機能自閉症児」という。そ
の中でも、さらに正常に近い子どもを、「アスペルガー児」という。高機能自閉症児と、ア
スペルガー障害児をまとめて、「高機能広汎性発達障害児」と呼ぶ。

 しかし名前だけはぎょうぎょうしいが、要するに、対人関係に問題がある子どもという
だけで、それ以上に問題はない。「個性」と位置づける研究者も多いし、実際、教育現場で
は、そういう方向で、指導をしている。

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 この相談のばあい、その子どもが、アスペルガー児であるかどうかは、不随的な問題と
考えてよい。アスペルガー児だから、「死んだほうがいい」という言葉を口にするわけでは
ない。ただ、対人関係の調整が、きわめて苦手な子どもなので、ささいなことで、キズつ
きやすいということ。

 で、気になるのは、母親自身が、「私が、死にたいほど辛く、本人にもかなりひどいこと
を言ってしまったのを、思い出しているのかも知れません」と告白している部分である。

 恐らくそういった接し方を、その母親は、一度とか、二度とかではなく、ごく日常的に、
態度をとおして、していたのかもしれない。

 そのため、子どもの心は、キズついた。アスペルガー児であるというなら、なおさら、
デリケートな心をもっていた。子どもの年齢は書いてないので、よくわからないが、低学
年児であるなら、この言葉は、痛々しい。

【CFさんへ……】

 CFさんも、当時は、いろいろ混乱していたのだと思います。子どもの様子が、少し変
わっているということで、いろいろ悩んだのだと思います。そして、(ひどいこと)を口に
してしまった。

 この問題は、CFさんの子どもが、アスペルガー児であるとかないとかいうこととは、
一度、切り離して考えてみたほうが、よいのでははいないかと思います。そして過去の失
敗は、いまさら、悔やんでもしかたのないこと。

 問題は、これから先、どうするか、ですね。

 幸いなことに、CFさんは、今、そういう自分を深く、後悔しています。そして自分や
あなたの子どもを、冷静に見つめています。ここがとても重要な点です。というのも、世
の中には、そういう子どもをもちながら、その子どもの心を知らないまま、子どもを叱り
つづける親も多いからです。

 ほとんどの親は、子どもに何か問題が起きると、自分を改めようとする前に、「子どもを
なおそう」と考えます。しかしこれほど、身勝手な考え方はありません。

 実のところ、私自身も、「アスペルガー症候群」という言葉を、ほんの5年前にさえ知り
ませんでした。当時、ある母親から、子育て相談会の席で相談され、そういう症状がある
ことを知りました。今から思うと、それがアスペルガー症候群でした。

(この名称が一般的になったのは、ここ数年のことではないでしょうか。私の勉強不足
かもしれません。

 対人関係が結べず、その子どもの母親も、深刻に悩んでいました。「完ぺき主義で、だれ
かにまちがいを指摘されたりすると、錯乱状態になる」と。

 で、その子どもは、小学3年生になるまで、私は指導しました。その子どもについては、
また別の機会に詳しく書くとして、そんなわけで、私は、「死にたいほどつらく思い、子ど
もにひどいことを言った」あなたを、責めることができません。

 で、その結果、あなたの子どもの心は、ひどくキズついてしまったというわけです。

 ただ、一つ、誤解してはいけないのは、こうした対人関係がうまく結べない子どものば
あい、ときとして、相手に同情を求めながら、相手の心を試すということは、よくあるこ
とということです。

 「死」という言葉にしても、言葉として、そう言うかもしれませんが、あまり本気にし
てもいけません。「死ぬ」「死ぬ」と言って、死んだ子どもはいません。子どもが死を選ぶ
のは、あくまでも、何かのことで行きづまった、その結果です。……といっても、やはり
痛々しい言葉ですね。本来なら、絶対、子どもには口にしてほしくない言葉です。

 こういうケースでは、まさにあなたの親としての、愛の資質が試されます。どんなこと
があっても、「許して、忘れる」です。あとは、暖かい無視を繰りかえし、子どもが、何か
のスキンシップや愛情表現を求めてきたら、すかさず、いとわず、ていねいにそれに答え
てあげるということです。

 あとは、時の流れに任せましょう。コツは、そういったテーマや問題には、触れないこ
とです。うまく、聞き流すことです。「暖かい無視」という言葉がありますが、私も好きな
言葉です。うまく、応用してみてください。

 ただとても残念なことですが、一度ついた心のキズは、簡単には消えません。忘れるこ
とはできますが、消えません。

 しかしだれしも、そうしたキズを無数にもちながら、つまりキズまるけになりながら、
成長し、生きていくものです。ですから、CFさんの子どもが、こうしたキズをもってい
るとしても、それはそれとして、前向きに生きていくしかありません。

 コツは、その問題にふれないように。話題にしないように。あまり気にしないように。

 なお、こんな指導法もありますから、参考にしてください。

 ある中学生の男子ですが、何かにつけて、ゆううつな話題をもちかけてきます。……き
ました。

 たとえば、こうです。

 「ぼく、今度のテストで、悪い点を取るような気がする」
 「高校へ入っても、また勉強するなんて、いやだ」
 「昨日、友だちが、ぼくを無視した」と。

 最初のうちは、その中学生に相談に、そのつどあれこれ答えていましたが、そのうち、
私のほうもいやになり(本音!)、やがて、こう答えるようにしました。すぐ、話題を、切
りかえるのです。

 その子どもが憂うつそうな顔をして、話しかけてきたら、すかさず、「ほほう、君は、い
い趣味しているねえ。このサイフ、かっこいいね。もらったの? 買ったの?」と。

 あるいは、「もうすぐ運動会だね。君は、何に出場するの? 子どものころから、君は、
走るのは速かったんだろ?」と。

 つまりその瞬間、瞬間に、明るい話題に、こちらからもちこんでいきます。この方法は、
たいへん効果的ですから、ぜひ、CFさんのご家庭でも、応用してみてください。

 なお、いただきましたメールですが、マガジン用に、転載することを、どうかお許しく
ださい。不都合な点があれば、改めます。どうか、至急、ご連絡ください。勝手なお願い
ですみません。
(はやし浩司 高機能自閉症児 アスペルガー アスペルガー症候群 子どもの心 子供 
キズ はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩
司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子どもの言語能力 言
葉の乱れる子ども 会話能力 言語能力)

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原稿をさがしてみたら、6年前(02年)
にも、同じようなことを書いていたのが
わかった。

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●子どもの言葉(乱れる言葉)

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昨日、生徒たちと、こんな会話をした。
だれかが、「先生、トイレ!」と言ったときのこと。

私は、「もう少し、言葉を、ていねいに話そう」と
指導した。そしていろいろな例をあげて、
日本語のおかしさを、指摘した。

つぎの原稿は、そうした視点から書いたもの。

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ある夏の暑い日、1人の女の子(小2)がこう言った。「私、今日、プール、ない!」と。
ほかの子どもが、「今日、私、プール、あった」と言った言葉に対してそう言った。私は
そのときふと、「こういうとき、IBMの翻訳ソフトなら、こういう会話をどう翻訳する
だろうか」と考えた。ちなみに、私がもっているソフトで、実際、翻訳してみた。つぎ
のがそれである。

 「私、今日、プール、ない!」……"Pool and there is nothing me and today." (プール、
私と今日、何もない)
「今日、私、プール、あった」……"today and me -- a pool -- "(今日と私……プール)

 仮にもう少し原文に忠実に翻訳して、たとえばアメリカ人に、「Me, today, pool, no!」
「Today me, pool, yes」と言っても、多分その意味は通じないだろう。

 そこで私はその女の子に、つぎのように質問しながら、正しい言葉で言いなおさせた。

私「あなたはプールをもっていないの?」
女「私が、もってるんじゃ、ない」
私「プールがどうしたの?」
女「プールがなかった」
私「どこになかったの?」
女「そうじゃなくて、プールはあるけど、プールのレッスンはなかったということ」

私「プールがレッスンするの?」
女「あのねえ、私がプールへ行かなかったということ」
私「どうして?」
女「だからさあ、プールがなかったの」
私「プールがなくなってしまったの?」

女「そうじゃなくてエ〜、今日は水泳のレッスンはなかったということ」
私「だったら、最初から、そう言ってね」と。

 こういうとき英語では、「私は今日、スイミングのレッスンには行かなかった」というよ
うな言い方をする。IBMの翻訳ソフトで、翻訳させると、今度はちゃんと、「"I did not go 
to the lesson of swimming today."」と翻訳できた。

今、書店へ行くと、日本語についての本がたくさん並んでいる。その理由が、少しは理
解できたような気がした。
(02−7−25)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケの過程(Under the process of Senile)

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昨夜、久しぶりに、野球の実況中継を見た。
けっこう、おもしろかった。
が、それを見ているとき、少し前、兄が
口にした言葉を思い出した。

現在、兄は、重度の認知症になり、私たちの
顔さえも認識できなくなっている。

兄は、こう言った。
「野球は、いつ見ても、同じ」と。

念のためつけ加えると、同じ認知症でも、
うつ病から認知症になる人もいるという。

兄のケースは、重度のうつ病が高じて
認知症になった。
私はそう判断している。
当初、認知症特有の、痴呆性は、ほとんど
見られなかった。

感情もきめこやかだった。
ほんの数年前には、私の顔を見ると、
ポロポロと涙を出しながら、泣いた。

それはそれとして、「いつ見ても、同じ」とは!
鋭いというか、核心を、ズバリ、言い当てている。
少なくとも、選手にとってはそうではないかも
しれないが、観客の立場でいえば、そうなる。

いつ見ても、同じ!

……という人生には、じゅうぶん、気をつけた
ほうがよい。
ともすれば、私たちは、そういう人生を
繰りかえしてしまう。
繰りかえしながら、それにすら気がつかない。
気がつかないまま、どんどんと退行していく。

わかりやすく言えば、ボケていく。

+++++++++++++++++

おととい、仕事から帰ったのが、午後9時。
居間でお茶を飲みながら、ワイフに、こう言った。
「なあ、これから映画を見に行かないか?」と。

ワイフは、「これから……?」と言ったが、
つづけて、「いいわよ」と。

さっそくインターネットで検索してみる。
トムハンクス主演の『チャーリー・ウィルソンズ・
ウォー』というのがあった。
午後9時45分からだという。

最初の10分間ほどは、コマーシャルとか、そういうのが
入るから、じゅうぶん、まにあう。
私たちは、そそくさとあと片づけをすますと、
出かける準備に取りかかった。

私たちは若いころから、こういう生き方をしてきた。
自由奔放というか、私たちには、時刻表というのは、ない。
……なかった。

それがいつの間にか、時刻表ができてしまった。
私は、(ワイフも)、そういう時刻表と、いつもどこかで
闘ってきたように思う。
だから「行かないか?」「いいわよ」となった。

で、映画は、星2つの、★★。

「ウォー(WAR)」というほど、大げさなものではない。
何となく流れに乗った1人の下院議員が、それなりの成果を
あげただけ……という内容の映画だった。
(日本にも似たような政治家がいたが……?)

それはともかくも、こうして脳みそを刺激していくということは、
とても重要なこと。
肉体の健康は、運動をすることで維持できる。
脳みその健康は、刺激を与えることで維持できる。
それを怠ると、介護老人の世界にまっしぐら!

が、それだけではない。

刺激を与えても、その刺激に対する感受性そのものが、
弱くなる。
さらに情報を吸収しても、それ以上の情報が、脳みその
底から漏れ出ていく。

ときに先週見たばかりの映画の題名はもちろん、内容すら
思い出せないことがある。

(たまたま先週は、「MIST」という、これまたひどい
映画を見た。あれほどまでにひどい映画はなかった。
そういう意味では、かえって印象に残ったが……。)

そこでボケと闘うためには、2つのことに心がけなければ
ならない。

(1)時刻表的生活を避ける。
(2)感受性を豊かにする。
(3)刺激を与えつづける。
(4)漏れ出る以上の情報を吸収しつづける。

時刻表的生活と、規則正しい生活とは、中身がちがう。
「時刻表的生活」というのは、(時刻)に対する(こだわり)をいう。
「規則正しい生活」には、その(こだわり)がない。
そのつどフレキシブルに変化する。

感受性を豊かにするためには、音楽を聴いたり、美しいものを
見たりするのが、よい。
「感動」には一貫性がある。
よい音楽を聴いて感動する人は、美しいものを見ても感動する。
もちろん人間関係においても、そうである。

また刺激を与えるためには、たとえば映画鑑賞がよい。
できればいろいろな映画を見る。
ときにSF、ときにファンタジー、ときに戦争もの……と。

が、何よりも大切なのは、「漏れ出る以上の情報を、吸収しつづける」
ということ。

10の情報が漏れ出たら、20の情報を吸収していく。
20の情報が漏れ出たら、100の情報を吸収していく。

話せば長くなるが、私の計算によれば、6年間で、約80%の
情報は、どこかへ消えてなくなる。

たとえばあなたの今日一日をみても、今日というこの日の
中で、明日まで残る情報というのは、半分もないのでは……?
とくに思考の分野では、そうである。

たいはんの人は、新しい情報を吸収することもなく、
(思考のループ状態)へと入っていく。
あるいは過去へ、過去へとさかのぼっていく。

しかし一度、こうなったら、「進歩」など、望むべくもない。
一方的に退化していくだけ。
ボケていくだけ。

そのことは、介護センターにいる老人たちを見ればわかる。
そこにいる老人たちにしても、一晩でああなったわけではない。
長い時間をかけて、徐々に、ああなっていった。
10年とか、20年とかいう、長い時間をかけて、である。

私やあなたが今、その過程にいないと、だれが断言することが
できるだろうか。

むしろこの世界では、「私はだいじょうぶ」と思っている人ほど、
あぶない。

先日もある女性(70歳くらい)と話していたときのこと。
その女性は、明らかにその過程にいた。
あれこれと、レベルの低い話を、私にした。
そこで私が、「あのオ〜、私は、そんなバカではないと思いますが……」と、
その女性の言葉をさえぎると、その女性は突然、ヒステリックな声で、
こう叫んだ。

「私だって、バカではありません!」と。

私は、つぎの言葉を失った。

で、野球の話にもどる。

野球の実況中継の好きな人は、専門紙を読みながら、それを楽しむ。
試合のチケットが手に入れば、仕事の疲れをものともせず、
それを見に行く。
私の周囲にも、そういう人が何人かいる。

しかしそれはここでいう「情報の補充」になるのか。

その結論は、あの兄の言葉に集約されている。
つまり、「いつ見ても、同じ」イコール、「ならない」。

わかりやすく言えば、漏れた情報と同じだけのものを、
補充しているだけ。
風呂の湯で考えてみれば、それがわかる。

排水口から流れていくお湯の量と同じ量を、上から補充しても、
風呂の湯は、たまらない。
たまらないばかりか、脳みそそのものの活動も鈍くなって
いくから、感受性も弱くなっていく。
全体としてみれば、長い時間をかけて、ボケていく。

……と書きながら、実は、この問題は、私自身の問題でもある。
私自身も、その過程にある。

たとえば映画にしても、先週見た、DVDの「SKYBOYS」
くらいなら、まだよく覚えている。(星は4つ。★★★★。)
しかしその前の週に劇場で見た、「スパイダー何とか」という
映画については、内容は覚えているが、題名が思い出せない。
妖精の映画だった。(星は2つ。★★。)

さらに最近では、もっと恐ろしいことが起きつつある。

DVDショップで、以前借りたことがあるのと同じDVDを
借りてきてしまう。
家で、モニターに映してみて、はじめてそれを知ったりする。

映画のばあいは、まだこういう方法で、自分がボケていく
過程を知ることができる。
しかし野球の実況中継では、どうか?
兄が言ったように、「いつ見ても、同じ」というような
状況になる。

もちろんだからといって、そういうものを見るのが無駄とか、
そんな失礼なことを言っているのではない。
生活の一部として楽しむには、それなりによい刺激になる。

しかしこんな男性(70歳くらい)がいることも、忘れては
いけない。

その男性は、今では、認知症か何かになってしまって、繊細な会話
そのものができない。
何か話しかけても、「アウ〜」とか、「ハハハ」とか大声で笑って、
それをごまかす。
その男性は、50歳くらいのとき、いつもこう言っていた。

「林君、ぼくはね、野球の実況中継を見るのが、何よりも
楽しみ。実況中継がない日はね、パチンコをしているよ」と。

大切なのは、その(見方)ということになる。
もっと言えば、(生き方)ということになる。

ついでに一言。

深夜劇場で映画を見るのは、できたら、やめたほうがよい。
おととい、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』を
見て、家に帰ってきたのが、午前0時前後。
頭が興奮状態になってしまい、そのあとなかなか寝つかれなかった。

で、翌日は、午前中は、何となくぼんやりとした状態。
疲れも残ってしまった。
若いころは、ブルース・リーの深夜劇場を見ても、そういうことは
なかったのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●転載された私の原稿

+++++++++++++++++

今年(02年)の1月、私は、
羽田空港の国際化についての
原稿を書いた。

「日本人よ、もっと怒れ!」という
タイトルの原稿だった。

しかしこの原稿が、思わぬところで
反響を呼んだ。

息子が、「パパの原稿が、空港問題
サイトに転載されているよ」と。

で、調べてみると、あちこちに
転載されているのがわかった。
文章の一部を、検索してみれば、
それを知ることができる。

息子が言ったサイトにも、それがあった。

……こう書くからといって、転載された
ことを不愉快に思っているのではない。
(本来なら、一言、連絡してほしかったが……。)

私の意見が、それなりの影響力をもった
ことがうれしかった。

先日(08年5月)、羽田空港の国際化が
本格的に決定された(注※)。

少しは私の意見が役に立ったということか?

そのとき書いた原稿を、ここに再掲載します。

+++++++++++++++++

●日本人よ、もっと怒れ!

(Abt. 40 years ago, a most stupid decision was made by the government, to construct our 
international airport in Narita, which is so far away from Tokyo. It takes about 1 hour 
and half by express train. How come did they construct the airport in such a remoted 
area? Then internationalization of Tokyo has been far behind. Now at Haneda airport a 
new international terminal building is being under construction, but why now? Too late.

+++++++++++++++

羽田空港では、現在、国際線ターミナルの建設が始まっている。
(一部の国際線は、すでに離発着しているが……。)

しかし今ごろ、国際線? 国際線ターミナル?
日本の経済力がまだあるころならまだしも、ここまで弱体化した今、なぜ?

おかしな政治的エゴのために、国際線が、それまでの羽田空港から
現在の成田空港に移された。

日本の運輸行政で、もっともバカげた決断だった。
おかげで、日本の国際化は、10年は遅れた。20年は遅れた。
遅れるのみならず、羽田空港のハブ化は、ツユと消えた。

現在、韓国、香港、シンガポールなどに、
その(力)が分散してしまった。

もしあのとき、羽田空港を拡張することによって国際線化を
推し進めていたら、今ごろ羽田空港(=東京)は、
押しも押されぬ、一大、国際ハブ空港になっていただろう。

無理に無理を重ねるから、成田の地元では、住民たちの
猛反発まで買っている。
そのため成田空港の国際化まで、遅れてしまった。

あのね、あんな不便なところに空港を作って、どうするの?
開港当初は、外国からやってきた乗り継ぎの旅行客たちは、成田で
一度飛行機をおりて、わざわざ数時間もかけて、羽田まで
来なければならなかった。

その時間的ロスは、たいへんなもの!

今でも、千葉県側は、国際空港を、成田から羽田へ移すことに
反対しているという。

もう、やめよう!
こんなバカげた反対のための反対は!
日本全体の利益を考えて、もっとものごとは、合理的に考えよう。
そして、日本人よ、もっと声をあげて、怒ろう!

だれだ、あんなバカげたところに、国際空港を作ったのは!
東京から、特急で、1時間半もかかる、ヘンピなところに!

新幹線だってそうだ。

岐阜県の当時の有力政治家が、新幹線の線路を、大きく、岐阜寄りに曲げてしまった。
ウソだと思うなら、一度でよいから、新幹線の線路を見てみることだ。
名古屋を出たあと、新幹線は、不自然なまでに、大きく岐阜よりに迂回している。

もし名古屋から京都(あるいは米原)へ直行するルートを選んでいたら、
東京→大阪間は、今より、10〜15分は、短縮されたはず。

田舎の、田んぼの中の駅を通るために、以後、40年以上、
無駄な電力を日本は使いつづけている。
利用客は、ムダな料金を払いつづけている。
ヒマな人は、一度、そのロス計算をしてみたらよい。

みなが怒れば、これから先、こういうバカげたことは少なくなる。
怒らないから、そのまま放置される。
そして同じバカげたことが、繰りかえされる。

今度、羽田空港の国際線ターミナル建設を見ながら、
私は、そんなことを考えた!
(1月29日、記)

+++++++++++++

(注※)「Fresh Eye」記事より(08年5月22日)

冬柴鐡三・国土交通相が羽田空港の国際線を増やす方針を正式に表明した。2010年の空港
再拡張(第4滑走路の完成)に伴って、羽田空港発着の国際線(現在はソウルと上海への
チャーター便のみ就航)を現在の年間約9000回から約6万回へ大幅増。国際線「定期便」
は北京や台北、香港にまで拡大し、深夜・早朝には欧米各都市にも運航するという画期的
なものだ。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「私は私」(Me is Me.)

+++++++++++++++++

この日本では、「私は私」という生き方が、
たいへんしにくい。
社会の構造そのものが、そうなっている。
よい例が、日本の学歴社会。

学校しか道がなく、学校を離れて道はない。

中には、「学歴なんて、関係ない」と
思っている人もいるかもしれない。
しかしこんな事実も、ある。

10年ほど前、大学の同窓会に出た。
そこでのこと。
年齢的には、みな、50〜52歳ということになる。

民間企業に入社した仲間は、例外なく全員、
リストラされ、出向、あるいは転職をしていた。
(それでもまだ、恵まれたほうだが……。)

一方、役人になった仲間は、例外なく全員、
60歳まで、その役所に勤めた。
最近では、65歳まで雇用期間が延ばされ、
「あと5年ある」と言っている仲間もいる。
(現在、私は、満60歳。もうすぐ61歳になる。)

だからといって、民間企業に勤めた仲間が損をしたとか、
役人になった仲間が得をしたとか、そんなことを
言っているのではない。

この(歴然とした差)こそが、学歴社会を
象徴しているということ。
その(差)は、60歳になってみると、よくわかる。

つまり日本の社会というのは、(組織)で成り立っている。
「私は私」などと思って生きていると、そのまま
社会の構造そのものから、はじき飛ばされてしまう。

今でこそ、多少、社会の構造もゆるんできたが、
私が若いころは、そうではなかった。

ざっとみても、当時、私のような生き方をしている
人たちが、周辺に10人ほどいた。

しかしそれから10〜15年。私のような生き方を
貫くことができたのは、私、1人しかいない。

残りの9人は、そのあと、どうかなってしまった。
30歳の若さで、この世を去った人もいる。
多額の借金をつくって、夜逃げした人もいる。
あるいはサラリーマンに逆戻りした人もいる。

この日本では、「私は私」という生き方そのものを、
許さない。
そんな雰囲気さえある。

卑近な例では、冠婚葬祭がある。
とくに葬儀。

葬儀そのものが、迷信のかたまりのようになっている。
しかし「迷信」という言葉を口にしただけで、
親類、縁者から、袋だたきにされる。

先日も私がある人(女性、60歳くらい)に、こう言ったときのこと。

「日本の盆供養にしても、釈迦は、それについては一言も言っていない」と。

日本の盆供養、つまり盂蘭盆会(うらぼんえ)は、アフガニスタンの
「ウラバン」に由来する。
それにそれまであった中国の「中元」という習慣が、重なった。
つまり日本でいう「盆供養」、盂蘭盆会は、仏教が日本へ伝来する
過程で、こうして生まれた。

釈迦が知るはずもないことである。

それについてその女性は、猛反発。
「あんたは先祖を無視するのか」
「先祖あっての、あなたではないか」
「バチがあたって、あなたは地獄へ落ちる」と。

さらに「葬儀は、質素でいい」などと言おうものなら、さあ、たいへん!
しかし実際には、親の葬儀にしても、それまでの介護費用など、
財産の多くを食いつぶしてしまっている家庭も多い。
「葬儀費用はできるだけ抑えたい」と考えても、おかしくない。

東京在住のS氏は、以前、こう話してくれた。

「親をあの世へ送るのが、こんなに難儀なことだとは、
思ってもいませんでした」と。

兄弟、姉妹、親類、縁者との、壮絶なまでの確執があったらしい。
「結局、残ったのは、多額の借金だけです」とも。

一方、こんな動きも見られるようになった。

結婚式についても、6〜7万円でできるようになった。
本当に祝ってくれる人たちだけが集まって、式をする。
そんなサービスを提供してくれる式場が、現在、全国にふえている。

また葬儀についても、「直葬」といって、亡くなった
病院や施設から、直接火葬場で、遺骨にしてもらうケースも
ふえている。

首都圏だけでも、約30%の家族が、そういう方式を
選んでいるという(中日新聞)。

こと冠婚葬祭について言えば、見栄を張って、派手に
やればよいというものでもない。
またそういうバカげた風習は、私たちの世代だけでたくさん。

大切なのは、中身。
今。
そして生きている、私たち。

話が脱線したが、「自由とは何か?」と問われれば、
こうした社会的呪縛感からの解放をいう。
「この日本では、私は私という生き方はむずかしい」と
いうのであれば、まだそれだけ、この日本は、後進国。
自由はないということになる。

++++++++++++++++

「直葬」について……。

++++++++++++++++

●直葬(ちょくそう)

++++++++++++++++++

病院から、直接、火葬場へ。
そしてそのまま、家族だけの
静かな密葬。

それを直葬(ちょくそう)という。

今、その直葬が、ふえているという。
都市圏では、約30%が、その直葬だと
いう(06年3月・中日新聞)。

+++++++++++++++++

 葬儀費用もさることながら、それまでの介護費用、病気治療費が、以前とは比較になら
ないほど、高額になってきている。だからほとんどの家庭では、その家の老齢者が死ぬこ
ろには、大半の貯金を使い切ってしまうことになるという。「とても、葬儀費用なんて、出
せない」というのが、本音?

 今、首都圏を中心に、直葬という葬儀のし方がふえているという。「じきそう」と、私は、
読んだ。しかし正しくは、「ちょくそう」と読むのだそうだ。つまり病院で死亡すると、そ
のまま火葬場へ。そして家族だけの静かな密葬を行う。

 新聞報道(中日新聞)によると、人も80歳をすぎると、友人も少なくなり、葬儀とい
っても、家族だけの集まりになるという。従来の日本の儒教的感覚からすれば、派手な葬
儀を行うのが、親の死であれば、子の務めということになっている。が、そうした感覚そ
のものが、今、大きく、音をたてて崩れ始めている。

 つまり、無駄な葬儀に、どれほどの意味があるのか、と。

 数日前、私は、ワイフにこんな会話をした。ワイフは、「葬儀など、してくれなくてもい
い」と。そこで私が、「お前が死んだら、一晩、お前を抱いて寝てやるよ」と言うと、「ど
うして?」と。

 で、私はこう答えた。「もし、ぼくが先に死んだら、多分、お前は、ぼくにそうしてくれ
るから」と。ワイフは、それを聞いて、うれしそうに笑った。

 ずっと先かもしれない。あるいは、すぐ先かもしれない。しかし私は、ワイフが死んだ
ら、もうこの世の中で生きていく自信は、ない。そんな私が、ワイフの葬儀など、できる
わけがない。したくもない。ワイフが死んだら、その夜は、そしてそのつぎの夜も、その
つぎの夜も、静かに2人だけで過ごしたい。だれにも、その静かな時をじゃまされたくは
ない。

 それを葬儀というのなら、それが私にとっての葬儀ということになる。型や儀式など、
クソ食らえ! そんなことをしたからといって、どうして自分の心が癒されるのか!

 話をもとに戻す。

 私はたくさんの葬儀を見てきた。しかしこのところ、葬儀に出るのが、おっくうになっ
た。はっきり言えば、出たくない。できるだけ、あれこれ理由をつけて、出ないようにし
ている。そういう私を非難している人もいるようだが、非難したい人には、させておけば
よい。そういう人は、自分で考えて私を非難しているのではなく、型にはまったものの考
え方から抜け出せず、その中で、私を非難しているだけだ。

 だから、私はあえて言う。私が、死んでも、だれも来なくてよい。つまりその覚悟がで
きているからこそ、「出たくない」と、言う。私の葬儀に来ない人をうらんだり、非難した
りはしない。

 ……と少し力んでしまったが、大切なことは、どう死ぬかではなく、どうそのときまで、
生きるか、だ。その結果として、葬儀があるとするなら、それはそれ。あとは残された遺
族の問題ということになる。死んだ本人の問題ではない。

 だから私は、ワイフや息子たちにこう言っている。「無駄なお金は使うな。直葬ですれば、
費用も30万円程度ですむ」と。私は私の家族には、できるだけ迷惑をかけたくない。だ
からそういう(やり方)であっても、何ら、思い残すところはない。

 ただこういうことは言える。今、日本人のもつ意識は、大きく変わりつつあるというこ
と。戦前までの儒教的文化圏から抜け出て、アメリカ型の西欧型文化圏へと、その変革期
にあると言ってもよい。日本人にとっては、ルネサンスとも言えるべき、意識革命が、深
く、静かに、しかし確実に進行しつつある。

 そのひとつが、葬儀のし方ということか。が、「直葬」という言葉に、少なからず抵抗を
覚える人もいるかもしれない。地方の田舎へ行けばいくほど、そうだろう。しかしその葬
儀も、「型」から抜け出て、「人間」を見る方式に変わってきている。もっとわかりやすく
言えば、自然体ということか。自然な形で、自然にする。

 だからといって、もちろん、人の死を軽く考えてよいというのではない。しかし派手な
葬儀をしたからといって、人の死を重くとらえたということにはならない。あくまでもそ
れは心の問題。そういう視点で、ものごとを考えればよい。

 私のワイフが死んだ夜、親類や、近所のうるさい連中がワイワイとやってきたら、私は、
こう言うだろう。「出ていけ!」「2人だけにしてくれ!」と。そういう私を、他人がどう
思おうが、私の知ったことではない。

 これから先、長生きをすればするほど、私を知る人は少なくなり、私の死を悲しむ人も
少なくなる。人も80歳を過ぎると、ほとんどが、そうなるという。新聞記事にも、そう
書いてあった。派手な葬儀など、もとから望むべくもないが、あえてしてほしいとも思わ
ない。これはあくまでも、私の個人的な希望だが、私は、静かに、だれにも知られず、死
んでいきたい。ずっとあとになって、「あの林が死んでいた?」と思われるような、そんな
死に方をしたい。

 死ぬということは、その人にとって、人生最大の醜態をさらけ出すようなもの。少なく
とも、私にとっては、そうだ。おおげさ騒いでほしくない。直葬、大いに、結構!

(付記)

 それぞれの遺族は、それぞれの思いをもって、故人と別れを告げる。その遺族が、それ
ぞれの考えをもって、葬儀をする。それは、その遺族の勝手。まわりのものたちが、とや
かく言ってはいけない。

 しかし中には、世間体を優先させ、派手な葬儀をする人たちもいる。反対に、親類のだ
れかが質素な葬儀をしたりすると、「世間体が悪い」と、あれこれ不満を口にする人もいる。
どちらにせよ、つまるところ、それだけその人の精神構造が、未熟ということ。そう判断
して、まちがいない。

 派手な葬儀にせよ、質素な葬儀にせよ、大切なのは、「心」。いくら派手でも、その心が
なければ、ただの祭。しかしいくら質素でも、その心があれば、葬儀は葬儀。他人の目な
ど、気にするほうがおかしい。

 もし型があるとするなら、それはあとからついてくるもの。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 直葬 葬儀論 ちょくそ
う)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本人の依存性】

●孫から学んだこと(What I learnt from my G-son)

孫の誠司と接して、学んだことは多い。
たとえば、誠司は、こう言う。

(のどが渇いたとき)……「何か、飲み物をもっているか?」
(風呂に入るとき)……「足がやけどする」
(おなかがすいたとき)……「グレープフルーツを食べたい」と。

同じような場面のとき、日本の子どもなら、(だから、何とかしてくれ言葉)を使う。

たとえば、

(のどが渇いたとき)……「のどがかわいたア! (だから何とかしてくれ)」
(風呂に入るとき)……「熱い! (だから何とかしてくれ)」
(おなかがすいたとき)……「腹、減ったア! (だから何とかしてくれ)」と。

こうした日本人独特の依存性は、おとなになってからも、消えない。

私の叔母のひとりは、50代のころから、いつもこう言っていた。
電話で、話を始めるたびに、
「おばちゃん(=叔母自身)も、歳を取ったからねエ〜。(だから、何とかしてくれ)」と。

何も叔母を責めているのではない。
その地方では、そういう言い方が、ごくふつうの言い方となっている。
が、ときとして、イヤミに聞こえることもある。

たとえばしばらく実家に帰っていないでいたりすると、
「浩司君の家の横に、ゴミがたまっていたぞ。(だから何とかせよ)」、
「J君(=私の実兄)が、猛スピードで、坂を、自転車で走っていたぞ。(だから何とかせ
よ)」と。

「浩司君の夢を見たから」とか何とか、おかしな理由をつけて、電話をかけてくる。

一方、私が住んでいるこの浜松では、そうした言い方は、あまりしない。
とくにワイフの家族は、しない。
みな、独立心が旺盛で、それぞれが高次元な立場で、尊敬しあっている。

そんな私でも、誠司の言葉には、そのつど、驚く。
誠司は、日本語をほとんど話せない。
日本人というよりは、アメリカ人である。

いつもYES・NOをはっきりと言う。
会話は、そこから始まる。
だから何かほしいものがあったりすると、直接、「〜〜がほしい」などと言う。
わずか10日間ほどのつきあいだったが、そのつど、私は、こう思った。

「こんな5歳の子どもでも、日本人とは、ちがうなア〜」と。

その日本人の依存性については、たびたび書いてきた。
つぎの原稿は、5年前(03年)に書いた原稿である。

++++++++++++++

●拉致(らち)問題

 昨日の記者会見で、官房長官のF氏は、さかんにこう言っていた。「日本の立場は、アメ
リカも韓国も、よくわかっていてくれるはずです」「日本の立場は、じゅうぶん説明してあ
るので、わかってくれているはずです」と。

 まさに日本という国家そのものが、依存国家とみてよい。こういう会話は、依存性の強
い人ほど、好む。

 少し前だが、こんな子ども(小五女児)がいた。「明日の遠足を休む」と言うので、「担
任の先生に連絡したのか?」と聞くと、「先生は、わかっていてくれるはず」と。

 「どうして?」と私。
 「だって、今日、おなかが痛いと、言ったから」と、子ども。
 「しかし休むなら休むで、しっかりと先生に言ったほうがいいのでは?」
 「いいの。先生は、わかっていてくれるはずだから」と。

 日本語には、「だから、何とかしてくれ言葉」というのがある。たとえばのどがかわいて
も、「水がほしい」とは言わない。「のどがかわいたア〜」と言う。子どもだけではない。
ある女性(五〇歳)は、子どもや親類に電話をかけるたびに、「私も年をとったからネー」
を口ぐせにしていた。つまり、「だから、何とか、せよ」と。

 しかし国の「長」ともあろうF氏まで、そういう言い方をするとは! 「ハズ論」で動
かないのが、国際社会。少なくともアメリカ人には、通用しない。そう言えば、五、六年
前、ときの外務大臣のK氏が、あの北朝鮮に、百数十万トンもの米を援助したことがある。
そのときも、K氏は、そう言っていた。「日本も、これだけのことをしてあげたのだから、
北朝鮮も、何か答えてくれるはず」と。

 が、結果は、ゼロ。K氏は、「これで北朝鮮が何もしてくれないなら、私は責任をとる」
とまで言い切ったが、その責任をとった形跡は、どこにもない。

 こうした依存性は、親子の間にもある。

 「これだけのことをしてあげたのだから、うちの子どもは、私に感謝しているはず」「親
子の絆(パイプ)は、太くなったはず」と。つまり日本の親たちは、まず子どもに、いい
思いをさせる。ついで親としての優越性を、子どもに見せつける。「私に従えば、いいこと
がある」「私には、これだけの力がある」と。

 つまり外堀を埋めるような形で、子どもの周辺を、少しずつ、しばりあげていく。そし
て結果として、子どもに依存心をもたせ、ついで、自分も、子どもに依存していく。

 ついでに拉致問題について。

 本来なら、日本の軍隊が突入し、被害者を救出しても、おかしくない事件である。しか
しこの日本には、おかしな平和主義がはびこっている。「ことなかれ主義」を、平和主義と
誤解している人もいる。平和主義もよいが、相手が、日本を攻めてきたときには、どうす
るのか? あるいはそんなときでも、日本は、「アメリカが何とかしてくれるはず」「世界
が黙っていないはず」とでも、主張するつもりなのだろうか。

 日本政府の考え方は、甘い。本当に、甘い。「大国」としての誇りも、自覚もない。現に
今、北朝鮮のあの金XXは、核兵器の開発をしている。もちろんターゲットは、日本。韓
国やアメリカではない。この日本。本来なら、アメリカや韓国の先に立って、この問題を
解決しなければならない。しかし「ハズ論」だけで、みなのうしろをついていく?

 しかしそれにしても、北朝鮮の小さいこと、小さいこと。小細工ばかりしている。先週
も、拉致被害者の子どもたちに、手紙まで書かせている。そんな些細なことにまで、気を
配っている。あきれるより先に、ゾッとする。

私が金XXなら、拉致被害者の子どもたちを、すぐ日本へ返す。恥ずかしいか、恥ずか
しくないかということになれば、つぎからつぎへと脱北者が出ることのほうが、よほど、
恥ずかしい。金XXよ、恥を知れ!

 で、近く、六か国協議が始まる。しかしそれを望むわけではないが、この協議は、失敗
する。理由は簡単。北朝鮮は、核査察など、絶対にさせない。そんなことをすれば、金X
Xの悪行の数々が、白日のもとにさらされてしまう。一説によると、あの金XXは、すで
に数十万人以上の人を、殺害しているという。

 つぎにアメリカにしても、(安保理決議)→(経済制裁)→(金XX体制の崩壊)という
図式を、すでに描いている。中国やロシアを参加させるのは、「やれるだけのことはやって
みなさい。どうせダメだから」ということを、証明するためのものでしかない。

 日本にしても、あの金XX体制を経済援助するということは、隣の暴力団に、資金を手
渡すようなもの。そう簡単には、できない。してはならない。

 問題は中国とロシアだが、彼らにしても、日本のマネーがほしいだけ。日本に金を出さ
せ、その金で、中国やロシアのものを買わせる。あるいは今までの借金を、返済させる。
ただこの力が強ければ、皮肉なことに、六か国協議は、成功する可能性はある。しかしそ
のときは、日本は、屋台骨を数本、抜くぐらいの覚悟はしなければならない。「東京で、核
兵器が爆発するよりは、いいだろう」と。

 さらに中国人や韓国人の、反日感情には、ものすごいものがある。仲よくなりかけると、
アホな政治家が、S国神社を参拝したり、「南京虐殺はウソ」などと言っては、相手を怒ら
せている。S国神社を参拝するのに反対しているのではない。「何も、こういう時期に、あ
えてしなくてもいい」ということだ。

 どちらにせよ、今度の六か国協議は、日本にとっては、戦後、最大の山場になる。決裂
すれば、この秋には、米朝戦争が始まるかもしれない。もしそうなれば、日本も未曾有の
大惨事に巻き込まれる。日本だけが無事ということは、絶対にありえない。

 六か国協議で日本がどのような主張をするか。また世界は、どのような反応を示すか。
拉致問題もあって、目が離せない。
(030805)

+++++++++++++++++++

もう1作、同じような内容の原稿です。
これは4年前(04年)に書いたものです。

+++++++++++++++++++

●「年だから……」という言い方

7月のはじめ、豪雨が、新潟県から福井県を襲った。

今は、その雨もやっと一息つき、各地で復旧作業が始まった。連日、その模様を、テレ
ビが、ニュースとして伝えている。

 その模様を見ていたときのこと。一つ、気になったことがあった。

 何人かの老人が出てきたが、たまたまどの老人も、こう言った。

 「私ら、年ですから……」
 「年ですからね……」
 「私も、この年ですから……」と。

 つまり老齢だから、こうした復旧作業は、きびしい、と。

 実は、無意識だったが、私も、ときどき、同じ言葉を使うようになってしまった。ワイ
フに向って、「オレも、年だからなあ」とか、息子たちに向って、「パパも、年だからな」
とか。

 つまりは、私はそう言いながら、ワイフや息子たちに、依存しようとしている。甘えよ
うとしている。自分でそう言いながら、ハッと我にかえって、「いやな言い方だ」と思って
しまう。

 もちろん復旧作業にあたっている老人たちには、きびしい作業だろう。やりなれた仕事
ならまだしも、こうした仕事は、使う筋肉もちがう。何よりもたいへんなのは、「ゴロリと
横になって、体を休める場所がない」(ある老人の言葉)ということだそうだ。

 だからそういう老人たちが、つい、「年だから……」と言いたくなる気持は、よく理解で
きる。しかし……。

 この言葉は、どこか(だから何とかしてくれ言葉)に似ている?

 よく依存性の強い子どもは、「のどがかわいたア!」「おなかがすいたア!」「退屈ウ!」
と言う。その子どもは、そう言いながら、親に向って、「だから何とかしてほしい」と言っ
ている。

 同じように、「年だから……」という言葉の裏で、こうした老人たちは、「だから、何と
かしてほしい」と言っている? 私にはそう聞こえる。

 昔、私の伯母にも、そういう人がいた。電話をかけてくるたびに、「オバチャンも、年だ
からねエ……」と。

 今から逆算してみると、そのときその伯母は、まだ、50歳になったばかり。今の私の
年齢より、若い。

 そこで私は、気がついた。人はともかくも、私は、死ぬまで、その言葉を使わないぞ、
と。自信はないが、そう心に決めた。

 このマガジンを書くときも、ときどき、似たような弱音を吐くことがある。しかし弱音
は、弱音。「もう、使わないぞ」と。

 年なんか、関係ない。体が弱くなり、頭の活動はにぶるかもしれない。しかしそれは当
然のことではないか。年のせいにしてはいけない。人間には、年はない。そんな数字にふ
りまわされて、自分をごまかしては、いけない。他人をあざむいては、いけない。

 なまけた心、たるんだ体……、それは年のせいではない。

 ……ということで、今日の教訓。私の辞書から、「年だから……」という、あのどこかず
るい、どこか甘えた言い方を、消す。

 そう言えば、私のワイフなどは、そういう言葉を使ったことがない。どうしてだろう。
あとで、その理由を聞いてみよう。

【ワイフの言葉】

 「私やね、年だなんて、思っていない」と、一言。ワイフの言うことは、いつも、単純、
明快。

 今でも、20歳の娘のようなつもりでいる。……らしい。おもしろい心理だと思う。

 「それにもう一つは、だれかに何かしてほしいとか、してもらいたいとか、そういう気
持ちにはならない。自分のことは自分で何とかしようと、いつも、それしか考えていない
から」と。

 ナルホド!

 「お前はいいダンナをもったな」と私が言うと、ワイフはヘラヘラと笑った。

 「そうじゃないか。オレが、苦労を全部、引き受けているからな」と私。

 ああ、これも依存性の変形か? ともかくも、私は、「年だから……」という言葉を使わ
ないことを、心に決めた。自信はないが……。

【追記】

 山荘の近くに、Kさんという男性がいる。いわゆる老人である。老人と書くのは、失礼
な言い方だが、年齢からすれば、老人ということになる。そのKさん。今年は、78歳に
なるが、今でも、現役で、山の中で仕事をしている。

 畑もあちこちにもっている。会うたびに、ヒョイヒョイと、体を動かして、農作業をし
ている。

 一方、50歳になったばかりというのに、太った体をもてあまし、ハーハーと、息も苦
しそうに歩いている人もいる。Sさんという男性である。聞くと、毎日、1、2本のビー
ルを飲み、ヒマさえあれば、ソファの上で、ゴロ寝をしているという。

 趣味は、テレビでプロ野球をみることだそうだ。

 この二人を頭の中で、単純に比較しても、やはり人間には、年はないということ。たし
かにKさんは、この10年の間に、かなりの畑を減らした。ミカン栽培もやめた。しかし
いつも、できる範囲で、仕事をしているといった感じ。決して、「年だから……」という弱
音を吐かない。

 一方、Sさんは、いつも、「年には勝てないよ」とか、「オレも、年をとってしまったよ」
と言っている。どこか生きザマが、うしろ向き。しかしそういうSさんにしたのは、Sさ
ん自身ではないのか……と、考えて、この話はここまで。

 しばらくこのテーマについて、考えてみたい。
(040723)

+++++++++++++++++++++

こうした日本人の依存性を鋭く追及したのが、
土居健郎「甘えの構造」である。

5年前(03年)に、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++++++

●依存心

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」と
は言わない。「おなかが、すいたア〜」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからネエ〜」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、北朝鮮について話しあったが、その女性は、こう言っ
た。「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっ
ているだけ。

総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、そ
の依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわく
ない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」な
ど。こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、あ
るいは同情を買ったりする。「〜〜してあげたから、〜〜してくれるハズ」「〜〜してあ
げたから、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。
それ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。
ものごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい
子イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠
牲的であればあるほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそ
れに気づくことは、まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反
発したりする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個の確立」。個人が個人とし
て確立していない。

あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、あるいは封建時代の
全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性が、外の世界
からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつまでたって
も、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにある。
(03−1−2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」
の一節)

+++++著作権BYはやし浩司++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++ 
  
●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人が
それに気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・
リーブズが主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。

その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が仮想現実の世界に住んでいることにすら
気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おな
かがすいたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の叔母などは、
もう50歳代のときから私に、「おばちゃん(自分)も、歳をとったでナ。(だから何とか
してくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会
も国民も、それぞれが相互に依存しあっている。

こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ人もいる(土居健郎)。たとえば海
外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。そしてそこで
生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、新しい社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわ
いい子とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。

反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って
嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもらった」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のと
ころで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。

イタリアにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日
本人は、大きく二つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。
年配の人が多い。もう一つは小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者
が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期に
あるとみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさ
わしいほどの転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎ
にやってくるのかは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時
代であることも事実のようだ。

あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。
(はやし浩司 依存性 依存心 甘えの構造 日本人の依存性 依存 だから何とかして
くれ言葉 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 依存性 日本人
の依存性 土居 甘えの構造 だから何とかしてくれ言葉 何とかしてくれ言葉 なんと
かしてくれ言葉 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・あれこれ】(5月21日、夜)

●あの世vsこの世(This World itself is the Heaven of the Heaven)

もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。

(あの世)は、ずいぶんとつまらない世界ではないか、と。

会う人は、みな、聖人ばかり。
一点の非もない。
そこにあるのは、善ばかり。
悪いことを考える人は、いない。
悪いことをする人もいない。
病気もなければ、事故もない。

争いもなければ、喧嘩もない。
みな、穏やかそうに、ニコニコと笑っているだけ。

食物は、豊富にある。
いや、(あの世)の人たちは、ものを食べる必要もない。
当然、働く必要もない。

毎日、ぜいたく三昧、遊び三昧。
そんな生活をくりかえしている。

が、私なら、そんな世界など、数日で、あきてしまうかもしれない。
そこは想像を絶するほど、退屈な世界?

そこで(あの世)の人たちは、こう考える。

「一度、あの世へ行って、生老病死なるものを、経験してみようか?」と。

(あの世)の人たちがいうところの(あの世)というのは、つまり、私たちがいう、(この
世)ということになる。

わかりやすく言えば、(この世)が、(あの世)の(あの世)ということ。

……わかりにくい?

もう少し、かみくだいて説明してみよう。

私たちがいう(この世)というのは、この現実の世界のことをいう。
そして多くの人たちは、(この世)で死ねば、(あの世)へ行くと、信じている。
ほとんどの宗教は、そういう前提で、(この世)の人間を指導している。
しかし(あの世)は(霊)の世界(?)。

たとえば和式仏教の教えによれば、死ねばみな、(仏)になって、(あの世)へ行くという。
地獄、極楽論もあるにはあるが、基本的には、(仏)になって、(あの世)へ行くという。

そこで、では、(あの世)とは、どんな世界なのか、それを考えてみる。
(霊の世界)と置きかえてもよい。
(神の世界)でも、(仏の世界)でもよい。

それが冒頭に書いたような世界ということになる。
「会う人は、みな、聖人ばかり……」という世界である。

ただ私自身は、(あの世)があると、信じているわけではない。
「死んだら、あの世へ行くことができる」と考えるのは、それ自体、甘美な響きをもつ。
死ぬことにまつわる不安が、それで解消できる。

しかし私には、わからない。
本当に(あの世)があるのか、ないのか?
今の私は、一応、「ない」という前提で生きている。
「死んでからのお楽しみ」というわけでもないが、「ない」という前提で、生きている。

で、もし「ある」とする。
(あの世)があるとする。

すると、その世界は、たいへんつまらないものではないか。
はっきり言えば、夢も希望もない。
みな完成された人たち(?)だから、生きる目的もない。

毎日、音楽を聴いて、絵を描いて、遊んでいるだけ(?)。

そういう(あの世)では、人にせよ、はたまた(霊)にせよ、「私は生きている」という実
感は、たいへんもちにくい。

そこで(あの世)の人たちは、こんな会話を始める。

霊A「生老病死……ねえ」
霊B「あの世へ行けば、生老病死を経験できるそうですよ」
霊A「おもしろそうですねエ……」
霊B「あの世ではね、努力によって、悪人にも、また善人にもなれるそうです」

霊A「努力によって、ですかア……?」
霊B「そう。それに恋をし、結婚をし、子どもをつくることもできるそうですよ」
霊A「恋? 結婚? 子どもをつくる……? いったい、それはどういうことですか?」
霊B「あの世へ行った人だけが、わかるそうです」と。

そこで霊Bは、(あの世)の相談所へ行き、(あの世)の(あの世)、つまり(この世)への
渡航チケットのようなものを手に入れる。

……どこか宗教ぽく、それでいて、SF的な話だが、もし(あの世)があるとするなら、
けっして、ありえない話ではない。

つまり私が言いたいのは、今、私たちが住んでいる(この世)こそが、実は、(あの世)の
(あの世)ではないかということ。

もともと人間というのは、自己中心性の強い生物である。
私たちが住んでいる(この世)を中心にものを考える傾向が、強い。
しかし(あの世)の(あの世)が、実は、(この世)であると考えると、ものの考え方が、
一変する。

私たちは、もともとは、(あの世)の住人だった。
(霊でもよいが……)。
その住人が、私たちがいう、(この世)へやってきた。
そして「生きる」ということを、生身の肉体を使って、体験している……?

たしかに(この世)は、不完全で、未熟。
どれひとつをとっても、完全なものはない。
が、その(不完全さ)こそが、(この世)の魅力ということになる。
無数のドラマも、そこから生まれる。

私たちがなぜ(この世)に生きているかといえば、そのドラマを生み出すためと考えてよ
い。
そのドラマが、人間の世界を、うるおい豊かなものにする。
生きる意味や、価値も、そこから生まれる。

それこそ努力によっては、神や仏のような人間になることもできる。
それが「希望」ということになる。
が、そうでなければ、もちろん、そうでない。

もし(あの世)があるなら……という前提での話だが、私は、こう考える。

実は、(この世)こそが、(あの世)の(あの世)である、と。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●社会に適応でいない子ども(Those Children who can not adapt themselves to the 
Society)
Each family has its own domestic problems and there are none that have no problems.

++++++++++++++++

NEET、引きこもり、対人恐怖症、
回避性障害など、子どもが、社会に
適応できなくなる例は、多い。

学校恐怖症、不登校なども、それに
含まれる。

こうしたケースには、かならず、そこに
到る、プロセスというものがある。
やむにやまれぬプロセスというものがある。
過去というより、その一世代前の過去を
背負った人も多い。

結果だけを見て、親の責任や子どもの
責任を追及してはいけない。

どの親も、それぞれの立場で、懸命に
生きてきた。
生きている。
その中で、子育てをしている。
懸命にしていても、そうなるときは、
そうなる。
多少の無知、無理解はあったかもしれ
ない。
が、だからといって、そんな親を責めても
意味はない。

子育てには、無知、無理解は、つきもの。
多かれ少なかれ、だれにだって、ある。

が、どこかでほんの少しだけ、歯車が
狂う。
狂ったまま、まさにどうしようもない
状態で、そのままつづいてしまう。

夫婦の問題、経済の問題。
事故や病気は、向こうからやってくる。

軽い失敗が、悪循環と重なることも
ある。
もがけばもがくほど、予期せぬほうへと、
ものごとが進んでしまうこともある。

その結果として、(今の状態)が生まれる。
つまりその結果だけを見て、「私の
子育てが失敗だった」とか、そんな
ふうに考えてはいけない。

大切なことは、(今を原点)として、
そこから前に向かって進むこと。

過去は過去。
今は今。
未来は未来として、(今を原点)として、
そこから前に向かって進むこと。

外から見ると、どこの家庭も、そして
どこの親子関係も、うまくいっている
ように見える。

しかしそんな家庭は、10に1つもない。
100に1つもない。
(ぜったいに、ないぞ!)

みな、同じような問題を抱えて、それぞれが、
それぞれの家庭で、苦しんでいる。
悩んでいる。

C県にお住まいの、T氏(父親)から、
息子(18歳)の引きこもりについての
相談があった。

高校に入学してからも、ほとんど学校には行かなかった。
そのため高校1年の終わりに、中退。
現在は、大検にも合格し、進学先をさがして
いるという状況だそうだ。

T氏としては、進学など、どうでもよいと
考えている。
しかし息子自身が、「進学しなければ」と
あせっているという。

そういう姿を見て、ときどき息子のほうから、
「つらい」「助けて」というメッセージが送られて
くるという。

そんな息子を見ながら、T氏も苦しんでいる。
だから「どうしたらよいか?」と。

私はT氏と、電話で40分ほど、話した。
そのやり取りの中で、何よりも救いを感じたのは、
T氏と息子の間に、良好なコミュニケーション
が取れているということ。
親子の会話も多く、T氏、つまり父親自身が、
息子の相談相手になっているということ。

こういうケースでは、たとえ(今の状態)が、
そうであっても、未来はきわめて明るい。
私の経験では、子どもが20歳を待たずして、
(今の状態)は、やがて親子の笑い話に
なるだろうということ。

「お前にもいろいろなことがあったなあ」
「ハハハ、おやじには苦労をかけてしまった」と。

たとえば同じ引きこもりでも、家族との会話
が途絶えると、その分だけ、(今の状況)は、
長引く。

さらにそこに家庭内暴力が加われば、
ことは、深刻になる。

私「親子の会話がしっかりしているだけでも、
感謝しなければいけませんよ」
T「そうですね」
私「私の知っている例では、もう10年以上、
親子で、会話らしい会話もしないケースもあります」
T「……10年も、ですか……?」
私「ときどきささいなことで、突発的に
暴れるため、その家庭では、家中のガラスと
いうガラスを取り外してしまったそうです」

T「ああ、私の知っている人にも、そういう
人がいます。25歳の息子だそうですが、酒を飲んで
暴れるのだそうです。包丁を振り回して、ね」
私「それはたいへんですね」
T「そういう人とくらべたら、……くらべるのも
失礼かもしれませんが、うちの息子など、
軽いものです」

私「そうですよ。私の息子の話では、アメリカ
では、麻薬の常習者になって、家人を、
ショットガンで追いかけまわす子どもも
いるそうです」
T「はあ〜?」

大切なことは、「どうして自分だけが……」と
思わないこと。
先にも書いたように、みな、似たような
問題を抱えている。
抱えながら、懸命に生きている。
子育てをしている。

私「ようし、十字架の1本や2本、背負って
やると、前向きに考えることですよ」
T「そうですよね」
私「何ごともなく過ぎていくのも、子育て
かもしれません。しかしそんな子育てからは、
何もドラマは生まれません。私たちがなぜ
生きているかと言えば、そのドラマの中に、
生きる価値を見出すからです」

T「先生の話を聞いて、気分が軽くなりました」
私「そうですよ。Tさんが今抱えている程度の
問題など、何でもありません。問題というような
問題ではないように思います」
T「……そうですね」
私「で、ひとつだけ条件があるとするなら、
子どもの進学はあきらめること。
つぎに親子のパイプだけは、切らないように
すること、です」

T「私は進学にはまったく、こだわって
いません。息子のほうが苦しんでいます。
『大学へ行かなければ』とです」
私「それについては、そっとしておいて
あげるしかないですね。息子さんのほうから
相談があったとき、あなたの考えを伝えれば
いいでしょう」と。

私も、T氏と電話で話すうち、気分が
楽になった。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●テレビ局よ、自浄努力はどうなっている?(TV Stations should raise themselves)
TV Stations should not forget the efforts to raise themselves to higher levels of culture, 
or the culture of itself will fall down. Stupid TV programs make the Japanese more 
stupid.

+++++++++++++++++

日本PTA全国協議会が15日公表した、
親が子どもに見せたくないテレビ番組は、
バラエティー「ロンドンハーツ」(11%、
テレビ朝日系)で、5年連続ワースト1と
なった。
(産経新聞・08年5月16日)

+++++++++++++++++

5年連続で、ワーストワンになったら、
まともな人間なら、「やめよう」と考える。
考えて、ふつう。

テレビ朝日と言えば、昔のNET。
昔、川崎敬三司会の、『アフターヌーン・ショー』という
昼の番組があった。
私はその番組の企画を書かせてもらっていた。

あのころのNETには、まだアカデミックな
雰囲気があった。
企画会議の席でも、NET自体の「品(ひん)」を、
みなが大切にしていた。
(「NET」というのは、確か、「日本教育テレビ」の
略ではなかったか?)
が、その精神は、今、どこへ……?

日本PTA全国協議会が15日公表した、
親が子どもに見せたくないテレビ番組は、
バラエティー「ロンドンハーツ」(11%、
テレビ朝日系)だったという。

5年連続の、ワースト1!

ただ同じ調査だが、

「めちゃ×2イケてるッ!」(8%、フジテレビ系)、
「クレヨンしんちゃん」(8%、テレ朝系)がつづいた
という。

ただし、「クレヨンしんちゃん」には、誤解がある。

臼井氏が描いたコミックのうち、VOL1〜VOL11
前後までは、生活感にあふれている。
読んでいても、楽しい。
おそしろいし、参考になる。
幼児の心理のみならず、子育てに奮闘する、
母親、みさえの心理を、実にたくみに表現している。

問題になっているのは、テレビ番組のほうである。

どこかのプロダクションが入り込み、「クレヨン
しんちゃん」を好き勝手に(多分?)、料理し
始めた。

とたん、内容が、薄汚くなった(失礼!)。

結果、「親が子どもに見せたくない番組」の、
ワースト3!

私として、とても、残念に思っている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ディズニー・シー(Disney Sea in Tokyo)

+++++++++++++++

孫の誠司と、ディズニー・シーへ
行くのが、ここ数年の夢だった。

その夢はかなった。
が、しかし……。

+++++++++++++++

●計7人!

もうすぐ孫の誠司が、満6歳になる。
正確には、2008年の8月に、
満6歳になる。

私とワイフは、いつもこう言いあっていた。
「誠司が来たら、ディズニー・シーへ
連れていってやろう」と。

その日は、やってきた。

5月の連休をはさんで、日本へ来るという。
その日にあわせて、私たちは予定を組んだ。

最初は、私とワイフ、それに誠司の3人だけで
行く予定だった。

が、それに長男が加わった。
「誠司が行くなら、ぼくも行く」と。
それで計4人になった。

私たちは、そのつど旅行社に足を運んだ。

で、そのことを二男に電話で連絡すると、
二男夫婦、それにもうひとりの孫の芽衣も、
いっしょに行く、と。

計7人になった。

私にとって、人生で最良の日になる予定だった。

しかし現実は、甘くなかった。

●予定変更

二男が来日したあと、数度、予定が変更になった。
最初から、夜行バスで行くつもりだった。
が、それについて、満2歳の芽衣には、無理だろうということになった。
二男がそう言い出した。

「バスの中で、おとなしくしているだろうか?」と。

芽衣が行かないということになれば、だれかが、浜松に残らねばならない。

……ということで、二男夫婦と芽衣が、浜松に残ることになった。
旅行をキャンセルした。

またまたもとの計4人になった。

が、そのたびに、旅行者へ足を運び、頭をさげ、
キャンセル料を支払わねばならない。

いや、実際には、二男が来日したあと、一度は、「誠司も
行かない」ということになり、旅行すべてをキャンセルした。

こうして(申し込み)→(キャンセル)を、3度、繰りかえした。
(3度だぞ!)

計7人で、10万円ほどの旅行だったが、支払った
キャンセル料だけでも、5〜6万円になった。

で、最終的には、私とワイフ、誠司と長男の、計4人で
行くことになった。

●マイナス10度

当日は、小雨模様だった。
前線が、北からおりてきていた。

その2日前、私とワイフは、富士山に登っている。
5合目までバスで言ったが、気温は、そこで22度。
暑さを感ずるほどだった。

……ということで、ディズニー・シーへは、夏場のような薄着ででかけた。

しかしこれがまちがいだった。

ディズニー・シーへ言ってみると、気温は、10数度。
あとでタクシーの運転手に聞くと、「昨日より、今日は、10度ほど低いです」と。

おまけに小雨。

ディズニー・シーの正面の門をくぐったときから、
私たちは、ブルブルと震えだした。

が、そこで長男が、ダウン。
数日前から、風邪気味だった。
それが、ディズニー・シーへ来て、とたんにひどくなった。
長男は、そのまま救護室へ。

結局、誠司を間にはさんでの、私とワイフの3人の行楽となった。

●寒い!

私たちは、それぞれ1〜2枚の上着をもってきた。
しかしそれほどまでの寒さになるとは、思ってもみなかった。
上着は、バスの中に置いてきてしまった。

「寒いね」
「上着をもってくればよかった」と。

ワイフとたがいに、そんな会話を繰りかえした。

見ると、誠司が、鼻水を出しているではないか!
これには仰天。
私たちは、誠司に、合羽(かっぱ)を2枚、重ねて着させた。

が、こうなると、旅行どころではない。
昼を過ぎるころには、「電車で帰ろうか」という話まで、出た。

その点、当然だが、バス旅行は、融通がきかない。

バスが出発するのは、午後10時30分。
「開園から閉園まで、まるまる1日、ディズニー・シー・コース」という
あの歌い文句が、うらめしく思えた。

「10時まで、こんなところにいたら、みんな風邪をひいてしまうよ」と。

●ホテルへ

私たちは、近くのホテルに入ることにした。
案内の人に言われるまま、入ったホテルが、ディズニーランド直営(?)の、
Rホテル。

フロントで、午後10時まで過ごさせてほしいと言うと、1人、4万円です、と。
「午後3時を過ぎますと、一泊料金です」「今日は土曜日料金です」と。

時計を見ると、針は、午後3時10分を示していた。

4、5時間、部屋で過ごすだけで、計12万円!

私は別のホテルをさがすことにした。
幸い、誠司の鼻水は治まっていたが、油断はできない。
自分の子ならまだしも、孫となると、責任は重大。

雨の中、私は傘をさして、通りへ出た。

10分ほど歩いたところに、ビジネスホテルが一軒あった。
しかしそこでも、同じようなことを言われた。
料金は、1人、1万8000円。

しかしそんなところで、午後10時まで、何をして過ごすのか?
……というようなことを相談すると、フロントの男が、近くに、
温泉ホテルがあることを教えてくれた。

「あそこなら、ゆっくりとくつろげます」と。

私はその温泉まで歩いた。

●温泉ホテル

行ってみると、大きな温泉ホテルだった。
3階が、フロントと休憩室。
4階が、風呂場。
5階が、休憩室で、6階にレストラン。

料金は、1人、2500円。

「これならだいじょうぶ」と、私はそのままタクシーを呼び、Rホテルへ。
ワイフと誠司、それに長男は、そこで待っていた。

……といっても、そういう日だから、タクシーが来るまでに、
15分ほどの時間がかかった。
あとで計算してみると、私は、40分以上、雨の中をさまよい歩いたことになる。
靴は、雨でズブズブに濡れていた。

私たちは折りかえし、そのタクシーで、温泉ホテルにもどった。

●誠司

誠司はワイフに渡した。
そのまま私と長男は、「男湯」に。

しかし入ってしばらくすると、館内アナウンス。
「はやし浩司さんは、すぐフロントへ」と。

私は、誠司が事故でも起こしたのでは……?
あわてて半裸のままフロントへ。
そこにワイフと誠司が立っていた。

「裸の女の人を見たら、びっくりしたみたい」と。

私が誠司のめんどうをみることにした。
風呂の中で暖まれば、鼻水も消えるだろう。
そう考えた。
が、誠司が温泉に入るのは、そのときが、生まれてはじめて!
つまり、初体験。

まず、裸にするのが、たいへんだった。
ああでもない、こうでもないと、服をぬぐのを、いやがった。
つぎに湯船に入れるのが、たいへんだった。

足に湯をかけただけで、「I am burnt!(やけどする)」」と泣いた。
私は誠司をしっかりと抱きながら、「だいじょうぶ」「ぼくを信頼しな」と。

湯船はいくつかに分かれていた。
その中でも一番右手奥にある湯船の湯が、ぬるいのがわかった。
私はそこへ誠司を入れようとした。

そこでも誠司は、「NO」を繰りかえした。
が、そこに小学2、3年生の女の子がやってきた。
とたん、誠司は、風呂の中に。

どこかのプールと勘違いしたらしい。

●ハラハラ、ドキドキ

が、そこは子ども。
ひとたび遊び始めると、夢中になって遊び始めた。
しかし風呂には、あちこちに段差がある。
足をすべらせてはたいへん。
私は常に誠司の脇の下に手をかける。
が、誠司は、それをいやがった。

「ぼくは立てる」「ぼくはだいじょうぶ」と。

大きなボタンを押すと、泡がボコボコと出る装置があった。
先の女の子に、5歳くらいの男の子が加わった。
誠司たちは、その装置を使って、遊び始めた。

こうなると私にとっては、温泉どころではない。
ハラハラ、ドキドキ。
その連続。

「もう、風呂から出よう」「NO」と。
2人で、押し問答を何度も繰りかえした。

あとで時計を見たら、私たちは1時間以上も、風呂の中にいたことがわかった。

「入るのに、一苦労、出るのに、一苦労」と、私がワイフに話すと、
ワイフは、楽しそうに笑った。

●食事

6階がレストランになっていた。
そこで4人で、食事。
風呂から出て、長男も、気分がよくなったらしい。

私は、いくら丼、ワイフは、……?、(忘れた!)、長男はカツ丼、そして誠司は、
子ども定食を食べた。

見ると、前の席に、風呂で会った女の子が座っていた。

風呂の中では、私はメガネをはずしていた。
顔はよく見えなかった。
しかし誠司は、その女の子をよく覚えていた。
親しげに、たがいに笑いあっていた。

私たちは、食事に夢中になった。

ほっと、一息。また、一息。

時計を見ると、午後8時を回っていた。

●帰る

ディズニー・シーは、私たち夫婦にとっては、やや期待はずれだった。(ゴメン!)
誠司が楽しめばと思ったが、誠司には、まだ早すぎた。
長男は、救護室で横になっていただけ。

それに加えて、あの寒さと、雨。

何がよかったのか、悪かったのか?
はっきりとわからないまま、9時少し過ぎ、温泉ホテルを出た。
タクシーで、バスの駐車場へと向かった。
バスには、私たちが一番乗りだった。
乗って、私たちは、そのまま眠りの支度(したく)を始めた。

「人生、最良の日になるはずだったのに……」と私。
「残念だったね」とワイフ。

結局その日は、ほどほどの日になってしまった。
期待が大きすぎた分だけ、落胆も大きかった。
内心では、コリゴリと思った。
しかしそれは言わなかった。

ワイフも同じ気持ちではなかったか……?

私はそのまま目を閉じ、眠ってしまった。
バスが駐車場を出たのさえ、気がつかなかった。

目をさますと、どこかのサービスエリアへ、バスが入るところだった。
誠司は、ワイフのひざで、安らかに眠っていた。
それを見て、私は、また目を閉じた。

……以上、人生最良の日を記録するために……。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●四川大地震(The Big Earthquake in Shi-sen, China)

NIKKEIニュースは、つぎのように伝える。

『中国・四川大地震で国営の新華社は13日、四川省の震源に近い地区で2万3000人
を超える住民が、生き埋めになったと報じた。被災死者数は計1万2000人を超え、負
傷者の数は2万6206人』(5月14日)と。

「1万」とか「2万」とか……!
数字だけが、勝手にひとり歩きしているようで、恐ろしい。

つい先日は、ミャンマーをサイクロンが襲い、約3万4000人の人たちが、亡くなって
いる※。(「3万人」だぞ!)

新聞記事だけを読み流していると、自分の感覚がマヒしていくのが、よくわかる。
恐ろしい。ほんとうに恐ろしい。

そのうち「10万」とか、「100万」とか聞いても、驚かなくなるかもしれない。

しかしそれにしても、いったい、どんな地震だったのか?
インターネットで配信されてくる写真は、ほんの一部。
何10枚と写真をあちこちで見たが、まるで小さな鍵穴から、外の世界をのぞいているよ
う。
地震の実感は、まったくといってよいほど、伝わってこない。

しかし毎日新聞のつぎの記事を読んで、涙を流さない人はいないと思う。

++++++++++以下、毎日新聞より転載+++++++++++++

大地震で倒壊した中国四川省綿竹市の幼稚園で、教諭が背中にセメント板を受けて倒れ
ながら、抱えた園児の命を守ったことが明らかになった。新華社通信が13日、報じた。
園児が無事に救い出された時、教諭はすでに息絶えており、園長は「子供の命を救った
先生は、永遠に我々の元を去ってしまった」と涙した。

 幼稚園には地震発生当時、園児80人余りと教諭5人がおり、園児は昼寝の最中だった。

 園舎が倒壊した後、がれきの中から助けを求める園児らの声が聞こえたが、やがてか細
くなり、親たちが周囲から懸命に子供たちの名前を呼び続けた。その後、救助隊によっ
て、園児約50人と教諭3人の死亡が確認された。

++++++++++以上、毎日新聞より転載+++++++++++++

で、あえて自分をその世界に置いてみる。

私は今、暗い瓦礫(がれき)に下に閉じこめられている。
あるいはあなたの子どもが、暗い瓦礫の下に閉じこめられている。

想像するだけで、ゾーッと冷たいものが背筋を走る。
思わず、想像するのを、やめてしまう。

……これ以上、言葉がつづかない。
やはり感覚が、マヒしてしまったのか?

「1万人の人が死んだんだぞ」
「2万人の人が生き埋めになっているんだぞ」と、
自分に向かって叫ぶ。

もしここで私が、「2万人……」と他人ごとのように思ってしまったら、私は、この先、ど
うやって生きていけばよいのか。
いくらものを考えても、また書いても、それ自体、無意味になってしまう。

それこそほんとうに、恐ろしい。

(注※)……先月ミャンマーを襲ったサイクロンによる死者が、5月13日、3万400
0人を超えた。被災者の健康状態の悪化が心配されている(TBS i-news)。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●ムダに生きるか?(live for Nothing or die for Something)
Rambo, the last Battle Field

+++++++++++++++++++++

昨日、ワイフと、「MIxx」という、まあ、
どうしようもないほど、ひどいダ作映画を
劇場で見てきた。

ギャーギャーと騒ぎまくる、狂信的な女性だけが、
やたらと目立った。
それだけ。

近年には珍しい、ダ作中のダ作。
途中で「帰ろうか?」と、何度もワイフに声を
かけたほど。

舞台は、小さなスーパーマーケットの中。
そこでのシーンが、90%以上。
あとは白い霧(煙、あるいはフィルター)を
かけた外の景色だけ。

スーパーマーケットの外は、5〜6メートル先は、
何も見えない。

この何も見えないところが、ミソ。
つまり白い霧(MIST)で隠しているから、
セットなど、何も必要なし。

恐らく制作費は、最低限の、そのまた
最低限ですんだはず。

「金、返せ!」と、叫びたくなるような映画
だった。(ホント!)

星など、つけようもない。あえて言うなら、
星は、マイナス5個!

むしろ、その映画に先立って紹介された予告編のほうが、
印象に残った。

『ランボー、最後の戦場』である。

近く、その『ランボー、最後の戦場』が、封切られる。
その予告編の中で、ランボーが、こうつぶやく。

「live for Nothing, 
or die for Something!」と。

「生きるためのものを、何ももたないか、
それとも、死ぬためのものを、何かもつか」と。

私はこの言葉を聞いたとき、心底、ドキッとした。
もう少しかみくだいて解釈すると、こうなる。

「何も目的や目標をもたず生きても、そんな人生には、
意味はない。命がけでする何かをもつことこそ、重要」と。

しかしそれでももの足りない。

「ただ無益に生きるか、それとも、命をかけて、
何かのために生きるか」では、どうか?

TSUTAYAの映画紹介の中の字幕では、
つぎのようになっている。

「ムダに生きるか、何かのために死ぬか」と。

あえて言うなら、私なら、この部分のセリフを
こうする。

「Nothing to live or 
Something to die」と。

そのほうが、すっきりとして、わかりやすい。

なお「@ピア」のHPには、つぎのようにある。

『孤独な戦いに身を置いてきたランボーの最後の戦いは、そのままスタローンへと帰って
いく。自身のヒット作の誹謗中傷にも負けず、なお果敢に挑み続ける姿には、年齢に関係
なく挑戦することの大切さを教えてくれる。『ロッキー』同様ヒットとなるか、スタローン
のチャレンジに団塊世代を始めとする、世のお父さんたちも見守ることだろう』(同、HP)
と。

がんばれ、シルベスター・スタローン!
あなたこそ、我々、団塊の世代の星だ!
『ロッキー・ザ・ファイナル』は、すばらしかった。
文句なしの、星5つ。★★★★★。

かならず、私とワイフは、劇場まで、足を運ぶぞ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本の子育て(Our way of raising children)
My son with his wife and two sons came to my house and went back home yesterday. I 
have learnt a lot from them, especially about the difference between American way of 
raising children and Japanese one. 

+++++++++++++++++

二男夫婦が、嵐のようにやってきて、
嵐のように去っていった。

「嵐」というのも、大げさだが、私には、
そんな感じがする。

それまで無風地帯だった我が家が、
嵐のように騒々しくなった。
だからやはり「嵐」と思う。

その二男から学んだものは、多い。
二男が残していったものも、多い。

それを今のうちに、忘れず、ここに
書きとめる。

+++++++++++++++++

●アメリカ流、合理主義

二男が日本を去ったのは、二男が、高校を卒業したとき。
現在、満29歳だから、アメリカで生活するようになって、11年ということになる。
「たった11年」と思う人もいるかもしれないが、青年期の11年は、長い。重い。

二男は、日本人というより、すっかりアメリカ人になった。……なってしまった。
もし今、二男に、日本の生活をしろと言っても、二男には、できないだろう。
理由がある。

「アメリカ的である」ということは、「アメリカ的なスタンダードを身につけてしまった」
ということ。
日本を見る目そのものが、アメリカ的である。
つまり、ものごとをアメリカを基準にして見ている。

……といっても、二男が、直接、そう言ったわけではない。
この10日間、いっしょに生活してみて、私がそう感じた。
「アメリカはこうだから、日本も、こうあるべきだ」というようなことを、ときどき、口
にした。

あるいは「アメリカ人はこうしているから、日本人も、こうすべきだ」と。

そんなアメリカ人をとらえながら、よくオーストラリアの友人は、こう言う。
「アメリカ人は、傲慢だ(arrogant)」と。

私も、二男の中に、それを感じた。

●複雑な感情

二男にとってのアメリカというのは、そういうものかもしれない。
しかし私にとってのアメリカは、やや意味がちがう。

古くは学生時代から……。

私は大学生のとき、ガイドのアルバイトをしていた。
金沢の駅前にある「Mホテル」の専属のガイドである。
相手は、もっぱら、アメリカ人。

当時のアメリカ人は、超の上に、超がつく、金持ち、だった。
それもそのはず。
当時の日本の大卒の初任給が、3〜4万円。
羽田〜ニューヨーク間の、片道航空運賃が、17万円。
往復、34万円。

私は、この値段をよく覚えている。
私は、その17万円をためて、アメリカへ渡るつもりだった。

つまり日本人が、1年間働いて、やっとアメリカまでの航空運賃を手にすることができた。
一方、当時、アメリカでは、大卒の初任給が、17〜8万円だった。
私はこれらの数字を見比べながら、こう驚いた。

「アメリカ人というのは、初任給だけで、日本へ来ることができる!」と。

そのアメリカ人は、例外なく、みな、私を、奴隷のように扱った。
女性観光客の靴を、はかせられたこともある。
地面にはいつくばって、地図の説明をさせられたこともある。

私にとってのアメリカというのは、そういう国だった。
アメリカ人というのは、そういう人たちだった。

●時代が変わった?

二男は、すっかりアメリカ人になったつもりでいる。
時代も変わった。
アメリカ人も、変わった。

アジア人だからといって、小さくなっている時代は、終わった。
そのことは、オーストラリアを見ても、わかる。
私が学生時代のころは、オーストラリアは、「白豪主義(White Australian Policy)」の国
と呼ばれていた。

しかし今では、大都市部では、そのうちの3〜4割がアジア系人種で占められるようにな
った。

どこへ行っても、アジア人が、大きな顔をして歩いている。

それはわかるが、「心」というのは、そんなに簡単には、変えられるものではない。
「時代が変わりました。だからあなたがもっているアメリカ人像は、まちがっています」
と言われても、困る。

私にとってのアメリカ人像は、あのころのアメリカ人像が基本になっている。
つまり学生時代のアメリカ人像である。

もう少し年配の人たちにとっては、ひょっとしたら、戦時中のアメリカ人かもしれない。
私の父は、台湾でアメリカ兵と交戦し、2発の貫通銃創を受けている。

少なくとも、現在の二男がもっているアメリカ人像とは、ちがう。

●ひもじさとの戦い

二男は、日本が豊かになりきったあと、アメリカに渡った。
つまりそれまでの日本、つまり1950〜80年にかけての日本を知らない。
さらに言えば、戦後の日本を知らない。
戦後の日本が、どういう国だったかも、知らない。

あのころの私たちは、懸命に生きた。
生きてきた。
これは二男にかぎらないが、最近の若い人たちは、「お金(マネー)は、天から降ってくる
もの」と思っている?
ときどき、そんな雰囲気も感じた。

一方、私たちの世代は、子どものころから、(ひもじさ)との戦いだった。
しかし二男にかぎらず、今の若い人たちは、(ひもじい)という言葉の意味さえ知らない。
へたにそれを口にすると、「そんなのは、パパたちの責任」と言われそう。
つまり「親が苦労したとしても、ぼくたちには関係ない」と。

わかりやすく言えば、「親が学費を出すのは当然」という前提で、ものを考える。
その学費を稼ぐために、親である私たちがいかに苦労したかなどという話は、今の若い人
たちには、通じない。
しても、ムダ。

しかしこれも、考えてみれば、私たちの責任かもしれない。

●独立精神

悪い面ばかりではない。
アメリカ流子育てを見ていて、いくつか気がついたことがある。

孫の誠司を連れて、いくつかの観光地へ行ってきたが、どこへ行っても、孫の誠司は、何
もほしがらない。
みやげもの屋の中を歩いても、ただ手に取って見るだけ。
「ほしい」とか、「買って」とか、言わない。

「日本の子どもとはちがうなア」と思った。
あるいは育て方の基本が、ちがう?

孫の誠司にしても、YES・NOを、明確に表現する。
まだ6歳になっていないのに、自分の意思をしっかりと表現する。
だからそのつど、私の方が、孫の誠司に意思を確かめなければならない。

「〜〜へ行くが、いっしょに行くか?」
「〜〜を食べるが、食べたいか?」と。

日本では、こういうとき、あらかじめ親の方針を立てて、子どもに押しつける。
子どもの意思をいちいち確かめていたら、行動そのものが、できなくなってしまう。
……という考え方を、二男夫婦は、しない。

二男夫婦は、孫たちに、そのつど意思を確かめながら行動していた。
そういう姿を見て、私は、「親も、たいへんだなア」と思った。
「そこまで気をつかうのか?」と。
あるいは「そこまで気をつかう必要があるのか」とも思った。

あああ、やはり、私は日本人だア!

●嵐が去った

これは私の職業のせいかもしれない。
別れ強いというか、(別れ)に対して、かなりの免疫力がある。

ふつうなら、(多分?)、孫たちと別れるジイ様、バア様は、涙をこぼして……となる。
しかし私には、それがない。

昨日、二男夫婦は、孫たちを連れてアメリカへ帰っていった。
それを見送ったあと、午後から、年長児の指導をした。

今の私は、自分の息子たちに対してよりも、自分の生徒たちのほうに、強い愛情を感ずる。
居心地がよい。
孫についても、同じ。

ちょうど同じ年齢の子どもたちを指導しながら、心のどこかでふと、こう思った。

「この子たちにも、祖父母がいるんだな」と。

だから昨日は、私のほうがハイになり、乗りにのりまくって、楽しいレッスンを展開した。
子どもたちも、笑いっぱなしだった。
楽しかった。
おもしろかった。

……ということで、「嵐」は、去っていった。
と、同時に、「親子って、いったい、何なのか?」とも、考えた。

親は、自分の子どもを、いつまでも、「私の子」と思うかもしれない。
しかし子どものほうは、「親の子」とは思わない。

いや、これとて、実に日本的な発想かもしれない。

アメリカでは、親は、自分の子どもでも、「私の子」とは思わない。
いわんや子どものほうも、「親の子」などとは、ぜったいに思わない。
いつだったか、だれかが、「アメリカでは、自分の子でも、(神の子)と考えるようだ」と
話してくれたことがある。
それについては、まだよくわからない。
が、しかし、日本の親子と、アメリカの親子とでは、絆(きずな)の質、意味、内容その
ものがちがう。

それは確かなようだ。

今回、それを強く感じた。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●5月13日(火曜日)

●読書(Reading Books)
I have purchased several books in this week and now I have been reading a book, the 
title of which is "The Universe in a Nutshell" written by Stephen Hawking.

この1週間、ヒマさえあれば、本ばかり読んでいた。
買ってきた本は、4冊。プラス、雑誌、2冊。

今は、(昨夜から)、「ホーキング・未来を語る」(ソフトバンク社刊)を読んでいる。
3分の1ほどを読み終えたところ。

今日は、これを読破したい。

……ということで、この数日、原稿はほとんど書いていない。
BLOGの更新もしていない。

プラス、現在、おかしな(?)ニヒリズムが、心の中を充満している。
こんなことがあった。

私は、相談があったばあい、ほぼ100%、返事を書いている。
しかし中には、そんな私を、どこかの公的機関の職員のように考えている人もいるようだ。
返事が遅れたり、あるいは、少し説教がましいことを書いたりすると、抗議のメールが届
く。

返事を書いても、礼のメールが届くのは、3回のうち、1回程度。
また私のほうとしては、「転載、引用は不許可」という相談は、どうしても、後回しになる。
返事を書くとしても、1〜2時間は、かかる。
そんなとき、「コンビニのアルバイトにしても、時給、1000円なのに……」と思う。

……そんなわけで、現在、「こんなことしていて、何になるのか?」と考えている。
自分のしていることが、バカ臭く思える。
ときどき、こういう精神状態になる。

いや、これはニヒリズムというより、グチなのか?

で、こういうときは、本を買いこんできて、読書にふける。
ただし読書といっても、育児書だけは、ぜったいに買わない。
その著者の影響を受けるのもいやだが、半年ほど前には、明らかに私の原稿をパクって書
いたような本を見つけた。

あのときは、数日間、怒りで体がほてった。
そういう自分になるのがいやだ。
だから他人の書いた育児書は、買わない。
読まない。
参考にしない。

(付記)

昨日も、相談のメールをくださった方が、3人ほどいらっしゃいました。
しかし今は、とても返事を書く気になれません。
申し訳ないとは思いますが、どうか、今、しばらくお待ちください。
+当方の勝手を、どうかお許しください。

Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2614)

●なぜ、性犯罪はなくならないか?(Sexual Crime by Teachers)

つい数日前、わいせつ行為容疑で、51歳の中学教師が、逮捕された。
その教師は、ニセの卒業旅行通知を親に出し、親を安心させた上、
女子生徒を連れ出し、ホテルに宿泊していたという。

が、それに驚いていたら、今日も、また!
毎日新聞は、つぎのように伝える。

今までは、実名を伏せて記事を書いてきたが、
これからは実名をそのまま、出させてもらう。

+++++++++++++以下、毎日新聞 5月13日++++++++++++++

 スキー合宿の宿泊先で小学6年の女子児童(11)にわいせつな行為をしたとして千葉
県警SK署は12日、千葉県船橋市、NPO法人「さくら子どもスポーツネットワーク」
元理事長、宮下桂治容疑者(72)を強制わいせつ容疑で逮捕した。宮下容疑者は「寝て
いた女の子の体を触った」と容疑を認めているといい、同署で余罪を追及している。

 調べでは、宮下容疑者は3月27日午前1時ごろ、NPOのスキー合宿で訪れた長野県
上田市内のホテルで、参加した千葉県内の女子児童の下半身に触るなどした疑い。宮下容
疑者は翌日、理事長を退任。4月上旬、児童の母親が同署に被害届を提出した。

 NPOは子供のためのスポーツクラブとして、順天堂元大学教授の宮下容疑者が中心と
なって、03年2月に発足し、現在約60人の会員が在籍。運動の楽しさを教える乳幼児
向けの教室や、ツーリングなどの課外活動を実施している。

 NPO側は「被害児童への謝罪は済ませている。コメントを控えたい」とした。

++++++++++++以上、毎日新聞 5月13日+++++++++++++++

この記事の中で、とくに注目すべき点が、2点、ある。
1点は、「余罪」という言葉。
もう1点は、宮下桂治容疑者(72)が、順天堂大学元教授であったという点。

性犯罪者は、脳の中に特殊な受容体が形成されるという。
何らかの刺激が加わると、ドーパミンというホルモンが分泌される。
そのドーパミンが、線条体を刺激する。
結果、「条件付け反応」が起こり、それが猛烈な性衝動を引き起こし、性犯罪へとつながっ
ていく。

メカニズムは、アルコール依存症の患者や、喫煙者のそれと同じと考えてよい。
つまりアルコール依存症の患者や、喫煙者が、酒やタバコを、簡単には断つことができな
いのと同じように、性犯罪者は、性犯罪を繰りかえすという特殊性がある。

今回、宮下桂治容疑者は、11歳の女子児童にわいせつな行為をしたという。
事件の性質上、当然のことながら、余罪があるとみるべき。
「たまたまこの1件だけ」ということは、こうした種類の性犯罪の性質上、ありえない。

さらにつけ加えるなら、宮下桂治容疑者が、順天堂大学の元教授であったということ。
さらに、人格の円熟期も過ぎた、72歳という年齢であったということ。
このことは、つまり線条体で起こる反応は、それほどまでに強力であるということを示す。

「大学の元教授だから……」「72歳の男性だから……」という『ダカラ論』は、こと性犯
罪については、当てはまらない。
先に書いた、性衝動なるものは、理性や知性で、コントロールできるようなものではない
……ということになる。

では、どうするか?

2つの方法がある。

1つは、厳罰主義で臨む。
学校の教師によるハレンチ事件についても、たいていは、「すでに社会的制裁を受けている」
などという理由にもならない理由をつけられ、執行猶予になるケースが多い。
(社会的制裁を受けるのは、当然のことではないか。もしこんなバカげた論理がまかりと
おるなら、失業者の人たちは、どうなのか? 彼らは社会的制裁とやらを、受けていると
いうことになるのか!)

アメリカのように、18歳未満の子どもに手を出したら、問答無用に、即、2年間程度の、
刑務所送りにする。
あるいは欧米のように、周辺の者にも、報告義務を課し、そうした行為を見聞きしながら、
報告義務を怠った者についても、同罪を適応する。
さらにアメリカのように、性犯罪者については、(先にも書いたように、反復性が強いので)、
氏名と住所を、インターネットで公開するという方法も考えられる。

2つは、システムそのものを、変える。
カナダでは、教師の住所、電話番号などは、いっさい、親や子どもには伝えない。
日本でいう、医療制度に似たシステムが、すでに完成している。
つまり教師は、自分の教室内での行為については、全責任を取るが、生徒が一歩、教室の
外に出たら、すべての責任から解放される。

具体的には、学校の外での、教師と生徒、教師と親との、1対1の接触を禁止する。
ほかにもいろいろ考えられるが、こうしたシステムを少しずつ、積みあげていく。

日本は、この分野では、かなりの後進国と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 教師による性犯罪 性犯罪
 ハレンチ行為 ハレンチ事件)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

8年前に書いた原稿を、紹介します。

最近では、学校ごとに、ここに書いたようなクラブ制度を
充実させているところもあります。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●学校神話(School Myth)
Most of the Japanese parents have strong myth toward schools, that children have no 
choice but should go to schools. But is this a common sense of the world? The answer is 
"No!".

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、た
いていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。

しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のとき
にもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑っ
てみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度であ
る。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけ
でも九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の
割合でふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達するだろうと言われている。それを指導
しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は家庭で
こそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運
動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明し
ている(LIFレポートより)。

(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学校を出
る。ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども
自身が決めることができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習ク
ラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が一二〇〇円前後(二
〇〇一年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども一人当たり、二
三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助
金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。

ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をも
たない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号
すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」
と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう
教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待ってい
ると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で七〇校近くあった。が、私はそ
れを見て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあっ
たからだ。

別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオ
ーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこ
で私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれ
た。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校が
カリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」
と。

なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出す
と同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。

さらには子育てとは何か、と。その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあな
たにしても、結局は、学校神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学
校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に
住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回さ
れている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。

※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決
めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On 
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもので
しかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の
上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義
国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているでは
ないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れて
はならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の
犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考える
のは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察シ
ステムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと
別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中
学生では、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇
〇人多い。
 

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(5月14日・水曜日)
(May 14th, Wednesday)

【悪化する日本人の対米感情】(More and more Japanese dislike Americans)
How come are American so arrogant toward the world? They should realize that they 
are more disliked by us. According to Yomiuri News Paper, 32% of the Japanese think 
that the relationship between two nations have been getting worse. 

●オーストラリアの友人(Talking with an Australian Friend of mine)

昨夜、オーストラリアの友人と、しばらく電話で話す。
その中で、アメリカ人について話す。

友人(59歳、男性)は、こう言った。
「LAST SAMURAI(私が送ってやったDVD)は例外だが、ぼくは、アメリカ映画が嫌
いだ」と。

実際には、アメリカ映画を、ほとんど見ないという。
私が「アメリカ人は、自分たちのスタンダードを、他国に押しつけすぎる」と言うと、す
なおに、「そうだ。そのとおりだ」と。

私「日本でも、東京人という言葉がある。東京人というのは、東京に住んでいるだけで、
自分たちは特別な人間と思っている」
友「オーストラリアには、そういうのはない。もともと州ごとに独立した国だった」
私「都会と田舎では、どうか?」
友「田舎に住んでいても、歳をとって働けなくなると、都会へ出てくる。ぼく自身は、カ
ントリー・ボーイが好きだ」
私「どうしてオーストラリア人は、アメリカ人を嫌うのか?」
友「オーストラリアだけではない。世界中の人たちが、アメリカ人を嫌っている。アメリ
カ人が好きだという国は、日本だけではないのか」と。

数か月前、ブラッド・ピット主演の『バベル』という映画を見た。

あの映画ほど、アメリカ人の傲慢さを表している映画はない。
ああいう映画が、堂々と制作され、かつ堂々とハリウッド映画として、世界に配給される
おかしさ。
それにアメリカ人自身が、気がついていない。

そのとき書いたエッセーが、つぎのもの。

++++++++++++++++++

昨夜、ブラッド・ピット主演の
『バベル』を見た。

短い作品かな……?、と思って
見始めたが、終わってみると、
3時間!

そんなわけで床に入ったのが、
午前0時半過ぎ。

起きたのが、少し前。午前8時。

今日は、仕事も休み。肌寒さを
感ずる冬の冷気が、心地よい。

おはようございます。

++++++++++++++

●DVD『バベル』

 ブラッド・ピット主演の『バベル』。過去→現在→過去と、話が飛ぶから、見るときは、
注意が必要。最初は、モロッコ、東京、サンディアゴの3か所で、同時進行の形で、交互
にカメラが回る。サンディアゴ、メキシコのプエルトリコには、20代のころ、行ったこ
とがある。

 「?」と思っていると、だんだんとストーリーがつながっていく。あまり詳しくは書け
ないので、内容は、ここまで。

 星は、2つの★★。少しきびしいかな? 東京という都市が、退廃的な都市として、描
かれていた。「すべてのものがありながら、何もない空間」。そんな印象をもった。私はこ
のDVDを見ながら、学生時代に、金沢で、ガイドのアルバイトをしていた自分を思い出
していた。

 当時のアメリカ人は、傲慢(ごうまん)だった。『バベル』の中のブラッド・ピットも、
そのタイプの男性として描かれている。気になったシーンをいくつか、あげてみる。

(1)村にひとつしかない電話をかけながら、相手が自分の意にかなわない返事をしたと
き、その受話器を、壁にたたきつけていた。

(2)妻が、尿意をもよおしたとき、ガイド役の男性に、「鍋はないか?」と聞き、その鍋
をもってこさせた。妻に、鍋の中に、小便をさせていた。

 ほかにもあるが、電話機にしても、鍋にしても、モロッコの人たちにとっては、たいへ
んな貴重品。「アメリカ人なら、何をしてもよい」という傲慢さが、ガイドをしていた自分
の記憶と重なった。

 前にも書いたことがあるが、ガイドといっても、実際には、奴隷のようなもの。もちろ
ん中には、親切なアメリカ人もいた。反対に、あれこれ教えてくれた人もいた。が、そう
いうアメリカ人は、少なかった。記憶をたどってみる。

(1)小松空港へ迎えに行き、そこからタクシーで、金沢まで同行したときのこと。「タク
シー代は、予定外だ。私は了解していない。お前が払え」と言われた。

(2)そのアメリカ人は、金沢の町の中で、「ここはどこだ?」と、地図を地面に広げた。
私は、地面にはいつくばって、そのときの現在位置を教えた。そのアメリカ人は、
上から私を見おろしていた。

(3)夜遅く、郊外の温泉宿まで案内した。しかし帰りのバスも、タクシー代もなく、私
は徹夜で、金沢の町まで、歩いて帰った。

(4)忍者寺へ行ったときのこと。その男性と妻の靴を、脱がせたり、履かせたりさせら
れた、などなど。

 当時の日本は、まだそのレベルだった。アメリカ人もまた、そういうレベルで、日本や
日本人を見ていた。印象に残っているのは、カナダから来た家族だった。高校生ぐらいの
女の子が、タンクトップを身につけていた。日本人の私には、あまりにも刺激的だった。

 私はそれを見て、何度も、歩けなくなってしまったのを覚えている。当時の日本で、タ
ンクトップを身につけている女性はいなかった。(これは余談。)

 残念ながら、私は『バベル』を見ながら、当時の、あのタチの悪いアメリカ人を、思い
出していた。ブラッド・ピットも、小さな部落で、ワーワーとわめき散らしていた。「外国
にいる」という謙虚さが、まるで感じられなかった。それで星は、2つ。時間に余裕のあ
る人は、見たらよい。

 もう一言。

 東京という都市が、退廃的な都市として描かれていたということは、先にも書いた。か
なり誇張されていた。それはそれとして、このDVDを見ていて、「豊かさとは何か」、そ
れを改めて考えさせられた。

 見終わったあと、「モロッコのほうが、人間的ね」と、ワイフは言った。私も、まったく
同感だった。

……しかし東京というと、どうしていつも、ああまで薄汚い街として、描かれるのか?
 私も東京は好きではないが、しかしあそこまでひどいとは、思わない。東京の人たち
よ、もっと、怒れ!

++++++++++++++++++++

『バベル』の中では、ここにも書いたように、たった一台しかない電話機を、ブラッド・
ピットは、意に添わないからと言って、壁にたたきつけていた。
あるいは鍋の中に、妻の小便をさせていた、などなど。
おまけにモロッコの人たちが、まるで家畜か、動物のように描かれていた!

ほかにもあるが、まるで世界の中で、自分たちだけが文明人であるかのように、振る舞っ
ていたのも気になる。
(自分の妻、1人だけが助かれば、それで世界中がどうなってもよいというのか?)
札束で、相手の頬を叩きながら、好き勝手なことをする。
あの傲慢さこそが、アメリカ人が、なぜ世界で嫌われているか、その理由と考えてよい。

オーストラリアの友人に、『バベル』の話をしようとしたが、彼は、こう言った。
「ぼくは見ていない」と。
「興味があったら、見てみるといい」と私がつけ加えると、「ヒロシの話だけで、イナフ(た
くさん)だ」とも。

このところアメリカを見る私の目が、急速に変わりつつある。
これも、あのC・ヒル(国務次官補)が悪い。

なぜアメリカが、今のアメリカなのか?
ロクに働きもせず、それなりによい生活ができるのは、(今までできたのは)、日本のおか
げではないのか。
紙くずのようになったドル紙幣を、せっこらせっこらと、買い支えてきたのは、ほかなら
ぬ、この日本である。
その恩を忘れて、今まさに、この日本を切り捨てようとしている。

拉致問題は、棚上げだって?
K国の既存核兵器については、不問にするだって?
おまけに米朝和平交渉を進めるだって?

ならば日本政府は、こう宣言すればよい。

「ドル資産を、5%(たったの5%だぞ)、ユーロに交換します」と。

それだけでアメリカは、真っ青。ドルは、大暴落。ついでにアメリカの経済は、そのまま
奈落の底へ!
……というような意見は、過激すぎると、私も思う。
思うが、「この怒り、だれに向かうべきなのか」(尾崎豊「卒業」)。

このところどんな統計調査を見ても、日本人の対米感情は悪化しているのがわかる※。
ごく自然な流れと考えてよい。

(注※)2007年11月中旬に実施された読売新聞社と米ギャラップ社の「日米共同世
論調査」によれば、現在の日米関係を悪いと思う人は、日本で計32%(2006年は計
23%)、アメリカで計10%(同計7%)だったという。現在の日米関係を良いと思う人
は、日本で計39%(2006年は計53%)、アメリカで計46%(2006年は計61%)
だった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●いやな事件

+++++++++++++++++++++++

K府で、女子高校生が殺害された。
全国ニュースでも、大きく、取りあげられている。
殺害されたあと、ヤブの中に、死体が放置されたという。
「顔に殴られた跡があり、首に木の枝やツルが巻きつけられていた
ことがわかった」(ヤフー)とも。

が、実は、この地元でも、同じような事件が、同じころ、
起きている。
隣のA県で起きた事件だが、A県といっても、
この静岡県と県境にある村。
浜松市から車で、1時間〜1時間半前後の距離。
私たちも、ドライブで、そのあたりへは、よく行く。

新聞記事を読みながら、「あのへんだ」「あのへんよ」と
ワイフと話しあった。
新聞記事によると、類似した未遂事件が、2件ほど、
その前に起きていたという。

こうした推理は不謹慎かもしれないが、こちらで
起きた事件については、犯人が逮捕されるのは、時間の問題。
目撃者もいる。

しかしこんなことで自分の子どもが殺されようとは!
親の気持ちを察しようにも、察しようがない。
「無念」とか、「悔しい」とか、そういう言葉で表現できる
ような問題ではない。

どう表現したらよいのか?
いろいろ考えるが、適切な表現が、思い浮かばない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   6月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

今日・あれこれ】(5月10日、May 10th)

+++++++++++++++++

今日は、曇天。
天気予報によれば、今夜から明日にかけて、天気は下り坂。
明日は、全国的に、雨になりそうだという。

こんな話は、どうでもよい。
私の原稿を読んでくれる人に、申し訳ない。

ところで、無知ほど、恐ろしいものはない。

先日もあるショッピングセンターで、こんな光景を見かけた。
1人の幼児(5歳くらい)が、ソフトクリームを食べていた。

見たところ、その子どもの体重は、10キロ前後である。

そばに、両親と妹がいた。

「どうするのかな?」と思ってみていると、その幼児は、その
ソフトクリームをひとりで食べてしまった!

これには驚いた。

体重で換算すると、私は65キロだから、私が、6・5個分の
ソフトクリームを食べた量に等しい。

6・5個だぞ!

いくら甘党でも、6・5個は、食べられない。
食べたら、食欲どころが、気がヘンになる。

白砂糖が、いかに危険な食物であるかは、今さら、説明するまでもない。
昔から「白い麻薬」という。

これはネズミの実験だが、白砂糖を過剰に摂取すると、
過剰行動性にあわせて、もろもろの情緒障害、さらには脳水腫まで引き起こすことが
わかっている。

そうでなくとも、こういうものを日常的に与えておいて、
「うちの子は、小食です」はない。
「どうして落ち着きがないのでしょう」もない。

そういう意味で、無知ほど、恐ろしいものは、ない。
無知は罪悪である。
子どもの世界では、とくにそうである。

世の親たちよ、もう少し、賢くなろう!


●視線を合わせない?

自閉症児の症状のひとつに、「視線を合わせない」というのがある。
それは知っている。
しかし「視線を合わせないから、自閉症児」ということにはならない。

たとえて言うなら、風邪の症状に、「発熱」がある。
だからといって、「発熱があるから、風邪」ということにはならない。

ところで、ある子ども(4歳男児)が、ある専門機関で、「アスペルガー
(自閉症児)」と診断されたという。
理由をたずねると、「視線を合わせないから」ということらしい。

しかし私が見たところ、(この数年、4〜5例のアスペルガー児の指導を
していることもあり)、アスペルガーではない。

(「アスペルガー」という言葉が、ポピュラーになったのは、2002年以後の
ことである。念のため。)

たぶんその専門機関では、何かの診断基準をもとに、そう診断したのだろう。
しかしそれにしても、????????。

私の世界では、「この子はアスペルガーです」というように診断名をくだすことは、
許されない。
しかし「この子はアスペルガーではないと思います」と言うのは、かまわない。
で、私はその親にこう言った。

「私が見たところ、アスペルガーではないと思います」と。

が、その子どもに問題がないわけではない。
それなりに問題があるから、親は、専門機関(?)に相談した。

私には、その子どもの診断名から、指導法、対処法まで、わかっている。
なぜそういう症状を示すかも、わかっている。
しかしそれを口にすることはできない。
親のほうから相談でもあれば、話は別だが、そうでないかぎり、
こちらから話題にすることもできない。
親だって、私に、そこまでは期待していない。

こういうケースのばあい、だまってその場を、やり過ごすしかない。

「どうぞ、ご勝手に!」とまでは思わないが、それに近いニヒリズムを
もたないと、この世界では、やっていかれない。

ついでにアスペルガーについて書いた記事を、いくつか添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【アスペルガー障害】

++++++++++++++++++++

症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)として
おきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からす
ると、T君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタ
イプと考えてよいのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導
で、症状がこじれてしまっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。


+++++++++++++

●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」
と呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れ
なかったり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独
創性を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱され
たりすることに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝
の要素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には
最新の注意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、
行動療法などの治療法がある。


【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持してい
るといわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特
定のものに対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、こ
だわり、興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。


【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情をす
れば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうした
他人の感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イン
トネーションの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガー
症候群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解しに
くいことをいう。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生
まれつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。


【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど
男児のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や
容貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが
多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以
上と推定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。ま
た、多くの全体的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断
基準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶ
ん社会に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療に
おいても、社会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、
それぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アス
ペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

++++++++++++++++ 

●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているか
どうかということです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切
な対処法で、子どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話し
ません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母
親が、かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、
じゅうぶん、考えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところか
ら発生したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察
記録といった感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、
「うちの子は、生まれつきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容で
すね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知ら
れていないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの小児
科医のアスペルガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ始め
たのは、90年代に
入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられません
でした。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、
結局は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、
軽い回避性障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからで
す。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平
均児より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、
メチャメチャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通していま
す。こまかい作業が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になるこ
ともあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありまし
た。(軽いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問題
などで、まちがいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、
それを塗りつぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、
自己閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。
ですからそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、
当時は、「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しました。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関
することは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、「半
年、あるいは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」と
か、「直そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少しよ
くなれば、すぐ無理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしている。あ
とは、その繰りかえし。そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」という
言葉がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子ども
を指導してきました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいという
ことです。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、
それを利用し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせると
いうことはできます。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気
な態度のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを
指摘しただけで、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざ
いな態度で、「ウルセー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、その
態度は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう意味
です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が
書いてありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読む
と、担任の教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、
ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつう
の態度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりませ
ん。親というのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そうい
う母親がよく使う言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、
親を責めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているか
らです。懸命にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、不登校
児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親は
パニック状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。
この無理が、症状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が悪
ければ、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほど
長期化しなくてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験し
てきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちす
ぎるのではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単
位で、症状の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単
位、月単位の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したと
ころで、これまた意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があり
ます。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに
納得し、(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、
給食におおきなわだかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしま
うのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状
態にしてしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれ
てしまっていると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親が
それに納得し、指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった
記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。し
かし、これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだ
してもらい、そうであると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。私
が指導してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、「知
らぬフリ」をして、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、診
断名をくだすということは、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別で
す。そのときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。しか
しそれまでは、知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと
心配してきた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういうこ
とは、しばしばあります。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。し
かしこれも、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞い
てみたのですが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知
り、がく然としたことがあります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。アスペルガ
ー障害であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュラーになっ
たのは、ここ5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、
考えられます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会が
あれば、そっと遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の
微細障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」
な子どもがふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。
ありが
とうございました。

敬具


                                はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アス
ペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガーの子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●アスペルガー障害

【YKさんからのメールより】アスペルガー児について(補足)

++++++++++++++++++

アスペルガー児をおもちのNさんより、
YKさんに、意見が届いています。

あくまでも参考、ということで、ここに
掲載させていただきます。

もしASの心配があるなら、専門の診療
機関で、専門医による診断を受けてください。

++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

こんにちは。

私はこのYKさんの記事を読んで、ちょっとこのお子さんは発達障害の可能性があるので
はないかなと思いました。

もちろん確信はなく、発達障害の子どもを育てたことがある方だと、「ちょっと可能性があ
るかな」と思うくらいの程度でしかわかりません。2歳という年齢ですから、まだ判断す
るのは難しいのです。

でもよくアスペルガー症候群や、高機能自閉症の親のサイトでは、「外で癇癪が始まると激
しく騒いで、周りから白い目で見られたり親の躾(しつけ)がなっていないと怒鳴られた」
というような記事が出ていたりします。

発達障害を診断する医師は、このような、赤ちゃんから今までの様子なしでは診断できな
いと言われているくらい、発達過程での様子は大事なのです。

うちの息子も1歳くらいから、暑さ、寒さ、不快さ、などの理由で大泣きし寝転がって両
手両足を激しく動かして抱く事もできないような癇癪から始まり、2歳くらいでは、YK
さんのような理由での激しい癇癪が多かったです。電車の中でも、自分が思った通りでな
い事が起こると癇癪になったりしました。その当時はASなどの知識はなかったので、失
敗したなと思います。以下は私の感想です。

【YKさんからのメールより】生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあ
るほど、まとめて寝ない子で、起きている時間は抱っこして歩きまわらないと、グズって
ばかりの娘でした。

家の子の場合も、寝かせるのが本当に大変でした。眠いし、寝たいのに無理に目を開けて
いるのです。放っておくと午前1時でも寝ません。しかし、これはBed time storyの定着
でかなり解消されました。Ritualが好きで、それを一通り済ませる事で安心して寝られた
ようです。

【YKさんからのメールより】2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済
みません。着替えも、ちょっと手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れ
そうなほど引っ張って全部脱いでしまいます。

これは私は、OCとかOCDと言われるものが強い、つまりこだわりが強いからだと思い
ます。誰でも多少は持っています。しかし病的に近いものであると、手を洗うのがやめら
れない、この通りの順番でないと駄目、と社会生活に支障をきたしてきます。

OCである子どもの性格を変える事は出来ませんが、緩和する事は出来ます。それはその
習慣の連続性をたまに断ち切るのです。無理強いではなく、あくまで偶然という感じでで
す。

例えば石鹸を使わないと手を洗った気がせず、いつも石鹸で長い時間洗い続けている場合、
石鹸を求めてきたらそこにあればあげてもいいのですが、たまには石鹸を隠しておいて、
「そういえば買い忘れたからないわ。今度買っておくね、今日は水だけで洗おうね」とい
う感じでです。

一度か2度習慣を断ち切るうちに、その習慣性から抜け出す事が訓練されるようになりま
す。無理強いは駄目ですが、あくまでさりげなくです。服に関しては自分で着るのは良い
事で、やらせておいてもいいように思います。急いでいても親があせって着せてあげる必
要はないかもしれません。

いつも私は自分に言い聞かせているのは「5分待ってあげたら癇癪にならなかった。5分
待てなかったから癇癪になって半日潰れた。焦ったら駄目」という言葉です。

【YKさんからのメールより】三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、
購入して1週間で自分でこげるようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言っ
て横断歩道の真ん中でも足を踏ん張って動かなくなってしまいます。

多分、この子はお母さんが後ろを押すのが嫌なのではなくて、断りもなしに押されるのが
嫌なのだと思います。発達障害の子は、次に何が来るのか状況から判断するのが非常に苦
手なので、突然その出来事が降りかかったように思って驚いてしまうのです。だからお母
さんが一言、「押してあげようか?」と聞いたり、他の子を押している場面とか楽しい場面
を見せて「こうやって欲しい?」と聞いてあげれば、やりたいと言ったかもしれません。

【YKさんからのメールより】公園などでは順番や物の貸し借りのルールをすごく理解し
ています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもちゃを「どうぞ」と貸してあげ
られたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重なると、手がつけられないほど
暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

社会規範、学校校則など、決まりごとはきちんと守るべきと捉え、その枠から少しも外れ
る事ができないのは息子も同じです。言葉を文字通りにしか受け取れないからです。

学校で「教室で私語をしてはいけません」と先生が言ったら、休み時間でも私語をしませ
ん。人とのルールも決まった通りにのみ動くと思っていて、そうでない人を軽蔑していま
す。しかし人間ですから、そうでない場合もあり、プレイセラピーなどを通して学んでい
くのが課題です。

【YKさんからのメールより】お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

さっきのと重複しますが、これも突然だったからではないでしょうか。「これこれしたらバ
イバイするけどいいかな?」と聞いて、本人が納得してからバイバイさせるとなんともな
くバイバイしたりします。出かける時も、例えば家族で食事の時、今日は映画見に行こう
か、なんて話していても、本人に「今日は何時に何の映画見に行くけどいいかな?」と確
認を取っておかないと、出かける時に「言われてない」と癇癪になったりしました。何で
も疑問形で聞くので母とかは「子どもの顔色伺ってる」と批判してきました。

【YKさんからのメールより】ここまで激しいと私まで泣きたくなります。

私もその気持ち、とてもよくわかります。何度も泣きました。

【YKさんからのメールより】相手が泣いていたりすると自分が悪いと思ってしまい、何
度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。

人間関係の相手の感情とか全く読めないので、目に見えるもの、涙とか怒った言葉の口調
などで自分が責められたと思う場合が多いみたいです。また聴覚過敏だと、声のトーンが
上がっただけで平手ビンタをくらって気持ちになるそうです。

【YKさんからのメールより】こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかっ
たように、いつもの太陽みたいな笑顔を見せてくれます。

そうです。まるでスイッチがオンになったり、オフになったりしたみたいです。

普通、気分悪かった事、恨みに思ったり、嫌な感情は、その事が過ぎてもなかなか忘れま
せん。忘れないからこそ、学習したり、次から気をつけたり、同じ事を同じ人にしないよ
うにします。でも発達障害の子の癇癪の場合、その間の記憶があまりはっきり残っていな
かったりする事もあります。

そして癇癪発作が治まると、まるで何事もなかったように、スイッチがオフになったよう
に普通の子に戻ります。もう少し年齢が進むと、フラッシュバックで再度癇癪発作になら
なければ、その理由を話させたり、聞き出す事も出来るようになります。

大切なのは学び続ける事だと思います。

自分の子どもがこういう個性を持って生まれてきて、さて、どうやったら社会で生きてい
かれるのか、レッテルを貼る事が必ずしもいいとも限りません。でも親だけはその子の特
性を十分理解してあげて、それに沿った援助をしてあげて欲しいと思います。

【はやし浩司よりNさんへ】

 現在(07年2月)、私も、2人のアスペルガー児を、指導させていただいています。と
もに症状は軽いほうですが、診断基準通りの症状を示しています。

(1)他人と良好な人間関係が結べない。
(2)不器用。(文字、数字が、乱雑すぎて、読めないなど。)
(3)ともに、数の分野で、特異な才能を見せている。
(4)まちがいを指摘されると、パニック状態になる。
(5)キレた状態になると、突発的にかんしゃく発作的な症状を示す、など。

 しかし私の今までの経験では、小学3、4年生ごろになると、症状が急速に収まってき
ます。ときに自己意識(=自分を客観的に判断して、自分で自分をコントロールする力)
が育ってくると、見た目には、わからなくなります。

 私のように幼児期からその子どもを見ている者にはわかりますが、たとえば小学校の先
生などには、判断できないのではないかと思います。実際、学校の先生に、いつも「字が
汚い」と、叱られている子ども(小学高学年児)もいます。(叱ったところで、どうにかな
る問題ではないのですが……。)

 もちろん、親の前で、「アスペルガー」という診断名を口にすることは、タブー中のタブ
ーです。しかしその子どもから、ときどき、そういうケアセンター(名称は、いろいろで
す)で、指導を受けているという話を聞き、そのように診断されているということを、私
は知ります。

 (親のほうから、診断名を言うということは、めったにありませんので……。私のばあ
いは、知っていても、知らぬフリをして、指導しています。)

 発達障害児の問題は、その子ども自身に問題があるというよりは、親自身にその知識と
理解がなく、強引な指導などにより、症状をこじらせてしまうところにあります。ADH
D児についても、同じです。

 早期に、それと知り、適切な指導で、症状をこじらせないことこそ、重要です。あとは、
ここにも書きましたように、(時)を待ちます。根気のいる作業ですが、終わってみると、
「何だ、こんなことだったのか」という状態になります。

 ただ小学3、4年生になったから、症状が消えるということではありません。中学生、
高校生になっても、症状は残ります。(ADHD児も同じです。)が、「注意してみれば、わ
かる」といった程度まで、症状は、わかりにくくなります。またそうなるよう、指導をつ
づけます。

 現在指導している、A君(小学高学年児)にしても、そういう子どもであるという前提
で、指導しています。いろいろ問題点はありますが、A君自身でもどうにもならないこと
だとあきらめ、私のほうが、先に手を引くようにしています。たとえばまちがいを指摘し
ない、字が乱暴なのを責めないなど。

 こまごまと、追いつめないのが、指導のコツです。

 ともかくも、私は、実のところ、乳幼児期(0〜3、4歳児)については、ほとんどと
いってよいほど、知識も、また指導の経験もありません。貴重なご意見、たいへんありが
とうございました。

++++++++++++++++

YKさんからの相談(掲示板への
書き込み)を、再度、ここに転載
させていただきます。

++++++++++++++++

【YKさんより、はやし浩司へ】

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩
きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、
至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかります
が、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいい
か分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反
抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長
に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシ
ップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わが
まま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのか
なぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと
手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱い
でしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合
ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だ
からどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげる
ようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏
ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し
借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもち
ゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重な
ると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃく
を起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分の
おもちゃは貸さない!と言って、すぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり

たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとする
から、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激
しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまい
ます。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせて
あげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれ
て、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつ
までたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘し
なきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るとい
うのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配
されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる
子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激し
いと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪い
と思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いの
で、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないもの
をきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたい
な笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってく
れます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、
反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばし
てあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろ
しくお願いします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー 発達障害)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    6月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感集】

●愛国心(Exaggerated Nationalism)

●今朝・あれこれ(5月2日)

+++++++++++++++++

朝、起きる。
パソコンの電源を入れる。
Eメールをのぞいたあと、
いくつかのニュース・サイトをのぞく。

5月1日から、またまたガソリンの
暫定税率が復活した。

「暫定」というのは、「一時的」という意味。

これから先、政府(=官僚)が、「暫定」という
言葉を使っても、私はもう信用しないぞ。

そのこともあって、福田内閣の支持率は、
急落。
日経世論調査によれば、「21%」にまで、
さがったという(5月2日)。

問題は、利権にからんで、官僚の手先と
なって動く、族議員たち。
ああいう連中が、金(マネー)の力に
もの言わせて、日本の進むべき道を
狂わせてしまう。

この無力感。
この脱力感。

また、中国では、反フランス運動が、
燃えさかっているという。

ああいうのを日本から見ていると、
愛国心とは何か、改めて考えさせられる。

アインシュタインは、「誇張された民族主義
(exaggerated nationalism)こそ、危険」と
書いている(TK先生への私信)。

狂ったように騒ぐだけで、そこにある事実を
見ようともしない。

チベットは中国の領土だと叫び、ついで、
その中国を批判するフランスに抗議を
繰りかえす。

みなでワーワーと叫んで、自分たちの
都合のよいように、事実をゆがめてしまう。
これをファシズムと呼ばずして、何という?

++++++++++++++++

●糖尿病

現在、糖尿病患者、もしくはその予備軍の人が、1000万人
近くもいるという。
私の年代、つまり60歳以上になると、約30%の人が、
糖尿病患者、もしくはその予備軍だそうだ(5月1日、昼のニュース番組より)。

(ここにあげた数字は、聞き覚えなので、正確ではない。)

たいへん静かな病気で、それ故に、軽くみられがちだが、
糖尿病は、けっして、軽い病気ではない。
徐々に、体がむしばまれていく。
足の先が壊死したり、失明したりすることもあるそうだ。

私は、そのニュースを見たとき、ゾーッとした。
壊死した人の足の写真が、脳裏にペタリと張りついてしまった。

で、そのあと、そのままサイクリングに出かけた。
気分を変えるには、サイクリングがいちばんよい。

おかげで今は、気分爽快。
少し眠気が残っているが、それもどこか、心地よい。

……ということで、今日は、何かと忙しかった。
明日、二男夫婦が、アメリカから帰ってくる。
その準備に追われた。
ほっと一息ついたのが、昼ごろ。
それから仕事の準備。

プリントを印刷して、教材の整理。

で、今は、こうして教室のパソコンの前で、この原稿を書いている。
あと10〜20分もすれば、子どもたちの声が聞こえるはず。

今日も、がんばろう!


●66歳の死

近所の、N氏(男性)という方が、数日前に亡くなった。
66歳だった。
「つい先日まで元気だったのに……」と、ワイフは言った。
「66歳じゃあ、若すぎるよ」と私。

そう、若すぎる。

若い人たちは、「50歳」と聞くと、
ジジイと思うかもしれない。
「60歳」と聞いたら、なおさらだ。

しかし自分が、その60歳になってみると、
ジジイという感覚は、ない。
まったく、ない。

バリバリの現役というわけでもないが、
現役は、現役。
以前、Nペイントという会社で、会計監査役をしていた
T氏という人が、こう言った。

「私がいちばん仕事ができたのは、60代の
ときでした」「林さん、あなたは、まだ若い」「これからですよ」と。

そのときT氏は、75歳くらい、私は、55歳くらいだった。

だから「若すぎる」と、私は思う。

が、N氏との思い出は、あまりない。
しかしワイフは、N氏のことをよく覚えている。
ワイフは、町内の仕事を、いっしょにしたことがある。
だから余計にショックだったのだろう。
通夜にいったときも、今日、出棺で見送ったあとも、
ずっとN氏の話ばかりをしていた。

つぎは私かも……と考えて、この話はおしまい。
死んだ人の話は、いつも気が滅入る。


●「K」という宗教団体

街の中心部に、8階建てのビルがある。
その7階に、「K」という宗教団体の、浜松支部が、入居している。
知らなかった。
で、先日、その「K」という宗教団体の部屋へ、迷い込んでしまった。
同じフロアで、事務所を構えている友人に会うつもりだった。

一見して、「K」とわかった。
(あの人)の肖像画が、中央に、大きく飾られていた。

が、入ってみて、驚いた。
実に、みな、なごやかで、楽しそうだった。
7〜8人の男女が、輪をつくって、何やら袋づめの作業をしていた。
その向こうでは、別の数人が、印刷物の整理をしていた。

「あのうXという事務所をさがしているのですが……」と声をかけると、
即座に数人がたちあがり、「こっちです」「こっちです」と。

言い忘れたが、その部屋の表札には、どこにも「K」という名前はなかった。
「〜〜ビジネス・グル〜プ」(仮称)とかいうような表札がかかっていた。
それでまちがえた。

で、私が、「ここは、あのK、ですか……?」と声をかけると、
何ら躊躇(ちゅうちょ)する様子もなく、みなが「そうです」と言って、笑った。
明るい声だった。
プラス、私のような珍客(?)が、よほどうれしかったのだろう。
部屋を出ようとしたところで、ひとりが、こう言った。

「よかったら、お茶でもどうですか? これも縁ですから」と。

私は断ったが、しかし、彼らがもつ温もりというか、なごやかさに、
たまらないほどの(なつかしさ)を感じた。
(温もり)というか、(やさしさ)を感じた。

一時は、その「K」も強引な勧誘方法が問題になったことがある。
しかし私が見たところでは、そういう様子は、まったくなかった。

で、こうした宗教団体の魅力はといえば、その(親近感)にある。
入信したとたん、信者どうしが、家族以上の家族になる。
孤独感が、そのままどこかへ消えてしまう。
それがこうした宗教団体のもつ、魅力ということになる。

が、だからといって、「K」が、すばらしい団体と言っているのではない。
私が言いたいのは、どんな宗教団体にせよ、それを求める
信者がいるから、そこに存在するということ。

宗教団体があるから、信者がいるのではない。
信者が求めるから、そこに宗教団体が存在する。

だから宗教団体を、たとえばその反社会的行為を理由に、
叩いても意味はない。
よい例が、あの「O真理教」である。
仮に解散させたところで、信者たちは、また別の教団を求めて、
さまよい歩くだけ。

もっと言えば、ハシゴをはずすことくらいなら、だれにだってできる。
ハシゴをはずしたら、それに代わるものを用意してやらなければならない。
それをしないで、ハシゴだけをはずせば、困るのは信者、ということになる。

たまたま今日、再びそのビルに足を踏み入れた。
1階にあるレストランに行ったついでに、友人の事務所を訪ねてみた。
で、「K」という宗教団体のことを思い出した。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●5月3日(土曜日)
Mr. C. Hill has betrayed Japan many times and now he is going to betray us again. The 
only one choice that Japan should take is that we retreat from the 6 Nation Coference 
but very sadly we do not have such a diplomatic ablility and power. We can do nothing 
but to follow the US foreign policy. 

++++++++++++++++

「何でも、先取り!」
……それが今の私たち夫婦の、合い言葉。
したいこと、できること、それがあれば、
何でも、先手、先手で、していく。
けっして、あと回しにしない。

……ということで、今日も、忙しかった。

(今は、夕刻に近い、午後3時45分。)

これから夜にかけて、2つほど、
しなければならないことがある。

++++++++++++++++

●ヒル国務次官補の裏切り

「既存の核爆弾(核弾頭)については、不問」、
「拉致問題は、棚上げにした上、テロ国家指定を解除」。

これがライス→ヒルの出した、6か国協議の筋道。
ブッシュ大統領については、どう考えているのか、イマイチ、よくわからない。
それだけの思考力、判断力は、もう、ないのでは?

こんなバカげた6か国協議なら、日本は、今すぐ6か国協議から脱退したらよい。
出席を保留したらよい。

しかし悲しいかな、今の日本には、それだけの度胸も外交力もない。
これから先、日本は、K国の核兵器の影におびえながら、
ビクビクして生きていくしかない。
裏切られても、裏切られても、アメリカに追従するしかない。

ライス→ヒルは、韓国のノ前大統領の包容政策とやらに、
まんまと乗せられてしまった。
今さら、引くに引けない状態になってしまった。
それを受けて、金大中元大統領は、先月(08年4月)、アメリカで、
「韓国は、太陽政策を維持することになる」と発言。

では、日本は、どうすべきなのか?

原点に立ち返って、もう一度、考えてみよう。

K国のねらいは、ズバリ、「米朝平和条約」。
あるいはそれに準ずる、2か国条約。

これさえ結べば、日本など、もうこわくはない。
アメリカ本土さえ攻撃しなければ、K国は、日本に対して好き勝手なことができる。
核爆弾で、日本を脅しながら、補償金を、いくらでも手に入れることができる。

現に、K国は、中国を介して、その補償金額を打診してきている。
その金額にくらべたら、アメリカや韓国が用意している援助額など、
小遣いにもならない。

今ごろ日本の外務省は、「核爆弾を不問にするなどとは、もってのほか!」と、
アメリカに、内部で、抗議をしつづけているはず。
しかしその「力」は弱い。
「声」は届かない。

アメリカにしてみれば、「どうして日本を守らなければならないのか」となる。

アメリカ軍の基地が移動するたびに、「反米」「反米」の大合唱。
アメリカ兵が犯罪を犯すたびに、「基地撤退」の大合唱。
おまけに、歴代防衛大臣、外務大臣の失言につづく、失言。

韓国についても、同じ。

今年、K国は、10年ぶりという、大飢饉に見舞われている。
日本にとって最善のシナリオは、K国が、自己崩壊すること。
それがまた、K国の人たちにとっても最善である。

この際、日本は、もうアメリカに遠慮することはない。
6か国協議をノラリクラリとかわしながら、時間稼ぎをすればよい。
静かにその「時」がくるのを、待てばよい。


●介護、現在の「おば捨て山」?
We do not abandon caring old parents but we do not have any choide but send them to 
care centers where they are cared by professionals.

老人介護施設を、「現在のおば捨て山」(民主党)と批評した人がいた。
称して、「おば捨て山」論。

たしかにそういう側面はあるが、そう言い切るのは、ちょっと待ってほしい。

私も母を自宅で6か月間、介護したが、いつも事故と、隣りあわせだった。
「あわや!」と思われるような事故も、3度あった。

しかしいくら事故でも、自宅で、それは起きてほしくはない。
後味の悪い思いは、一生、残る。

で、実際、表にはあまり出てこないが、実際、事故で親をなくした人も、多いはず。
「朝起きたら、死んでいました」
「縁側で、眠るように死んでいました」
「農作業をしていて、そこで倒れて死にました」とか、など。

介護といっても、素人には、無理。
介護度が、「4」とか「5」になれば、なおさらである。
現在、私の母は、寝たきりで、寝返りもうつことができない。
そうなったとき、家族は、どうやって、親の介護をつづければよいのか?
できるのか?

やはりプロ集団で構成される、養護施設の世話になるしかない。
費用だって、かなりの額になる。
それを「捨てた」と言われると、少なからず、反発心を覚える。

むしろ事実は逆。
今ほど、豪華で、きめこまかい介護制度は必要ないとしても、
老人たちが、最期のときを迎える施設を、もっと拡充すべきではないのか。
「おば捨て山」とは言うものの、その「山」に入居させられなくて困っている
家族は、ゴマンといる。
入居させられるだけでも、御の字。

これは介護老人をかかえる家族の問題というよりは、私たち自身の問題でもある。
あなた自身も、やがてすぐ、その介護老人になる。

もし今、あなたが、「私の老後はだいじょうぶ」「息子や娘たちが、めんどうを
みてくれるはず」「年金も財産もたっぷりとあるから、心配ない」と
思っているとしたら、それは幻想以外の何ものでもない。

そういう視点で、今、一度、「おば捨て山」論を、考えなおしてみてほしい。


●失敗した大統領
All congressmen including the Prime minister and Minsiters should receive brain-exam 
and they should announce the result officially.

韓国の中央N報は、N前大統領について、たいへん興味深い、記事を載せている。

以下、中央N報(08年5月3日)の記事より、抜粋。

++++++++++++++以下、中央N報より++++++++++++++

「盧武鉉(ノ・ムヒョン)は世の中は変えようとしながらも、自分自身は変えようとしな
かった。 結局、コンプレックスの頚木から脱することができなかったのだ。 これが人間、
盧武鉉の限界だった」−−。 

(中略)

  大統領のリーダーシップの特性を個人的コンプレックス(劣等感・強迫観念)に基づいて
分析した金教授は、「貧しい農家の息子として生まれたという盧武鉉のコンプレックスは、
彼を成就欲と権力意志に燃える極めて特別な人間に作り、結局、最高権力を握るようにな
った」と評価した。 

  しかし金教授は「一人で熾烈な大統領選の戦いに勝ったという、勝負師的な優越感が、盧
武鉉を傲慢と独善の罠に陥れ、特に弾劾の屈辱を受けたことで、癒しがたい心理的な内傷
を負ってしまった」と述べた。 

  金教授は弾劾コンプレックスの症状で、「統治権をじゅうりんされたという、屈辱感に勝
てず、すぐに自制力を失って興奮するようになった」と指摘した。 

  金教授の分析によると、大統領のコンプレックスが激しければ、人事が感性的排他性を帯
び、政権自体が集団コンプレックス症候群を表すという。 さらに道徳的優越意識と理念的
偏狭性が加われば、国政運営が一方向に向かう。 

  金教授は盧武鉉政権の▽不動産政策▽過去史真相究明▽記者室閉鎖−−などを、代表的

例に挙げた。 

+++++++++++++以上、中央N報の記事++++++++++++++++

N前大統領については、こうした意見は、その当初からよく聞かれた。
N前大統領の父親は、労働組合の幹部だった。 
N前大統領は、その労働組合の顧問弁護士をしていた。

N前大統領が生まれ育った環境は、「自分たちが苦しい生活をしているのは、
日本のせいだ。アメリカのせいだ」と考えても、何らおかしくない世界だった。

金教授の意見に沿って、もう一度、N前大統領の特徴を整理してみる。

(1)世の中は変えようとしながらも、自分自身は変えようとしなかった。
(2)結局、コンプレックスの頚木から脱することができなかった
(3)そのコンプレックスは、彼を成就欲と権力意志に燃える極めて特別な人間に作った。
(4)一人で熾烈な大統領選の戦いに勝ったという、勝負師的な優越感をもった。
(5)それがN前大統領を傲慢と独善の罠に陥れた。
(6)特に弾劾の屈辱を受けたことで、癒しがたい心理的な内傷を負った。
(7)その屈辱感に勝てず、すぐに自制力を失って興奮するようになった。
(8)人事が感性的排他性を帯びるようになった。
(9)すぐに自制力を失って興奮するようになった。

その結果、

(1)人事が排他性を帯び、政権自体が集団コンプレックス症候群を表すことになった。
(2)それに道徳的優越意識と理念的偏狭性が加わり、国政運営が一方向に向かった、と。

が、私は、もうひとつ、これにN前大統領の、(脳の病気)をつけ加えたい。
退任してからわかったことだが、現在、N大統領は、「オリーブ橋小脳萎縮症」
という難病を患っている。
そのため「国軍ソウル地区病院に入院しているが、病状はかなり重い」(中央N報)
とのこと。

退任してまだ4か月にもならない。
韓国の人ならずとも、この事実には、ゾッとしたにちがいない。
「オリーブ橋小脳萎縮症」の人が、どうこう言うのではない。
そういう人が、大統領という要職についていたことに、だ。
(それとも退任したとたん、その病気を患ったということか?)

現職のときから、N前大統領の言動は、どこか不自然だった。
「過去の真相究明」と称して、戦前に日本軍に協力した子孫から、財産を
没収したのも、その一つ。
不動産政策にしては、常識では考えられないほど、メチャメチャ。
それに使う言葉にしても、日本に対して、「いい気になるな」とか、何とか。
ヤクザ言葉の連発。

また中央N報は、「一人で熾烈な大統領選の戦いに勝った」と書いているが、
N前大統領が大統領選に勝ったのは、まさにハプニング。
女子学生が、アメリカ軍に車両にひき逃げされるという事件が、味方した。
そうした事実も、N前大統領は、理解できなかったようだ。

最後に、金教授は、こう述べている。

「成長期の体験で始まったコンプレックスが、成就欲と権力意志を芽生えさせるが、最高
権力者になった後にもコンプレックスにとらわれる人は、失敗する指導者になる」(中央N
報)と。

そこで提案。

少なくとも国会議員以上の要職にある人は、(あるいはそれにつく人は)、
脳の検査を、徹底的にし、かつそれを公表すべきである。
総理大臣職や大臣職については、言うにおよばず。

ぜひ、実行してもらいたい……というようなことを、この中央N報の記事を
読みながら、考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●円高? 円安?

+++++++++++++++++

外国債券は、当然のことながら、
為替変動の影響を、モロに受ける。

円高に向かえば、外国債券は、損失を生む。
円安に向かえば、外国債券は、利益を生む。

今日、5月3日、1ドルは、105円70銭
まで、円安になっている。
一時は、95円近くまで、円高になった。

私もいくらか外国債券を購入している。
が、95円近くにまでなったときは、さすがの私も(?)、
少なからず、肝を冷やした。

「どこまで円高になるのか?」
「早めに債権を手放すべきなのか?」
「塩漬けにすべきなのか?」と。

そういうときは、私のばあい、こうしている。

日本へやてくる外人に、
「日本の物価をどう思いますか?」と聞く。

そのとき、「日本の物価は高い」とみなが言えば、
円は、円安に向かう。

「日本の物価は安い」とみなが言えば、
円は、円高に向かう。

で、2、3週間ほど前、フランスから一時帰国した
Sさんにも、そう聞いた。

Sさんは、こう言った。

「日本の物価は、高いです。とくに食料品が
高いです」と。

私は驚いた。

「フランスでは、パリでも、電車の初乗り(一区間)
が、1000円」という話を聞いていたからだ。

日本では、250円程度。
つまりこれだけでも、日本の円は、フランスの4分の1
の価値しかない……つまり、円高に向かうのは確実!

それについても、Sさんは、こう言った。

「それはウソです。ブルターニュからパリまで、4時間半
ほどかかります。弾丸列車で行っても、8000円前後
です」と。

もしこの日本で新幹線に、4時間半も乗れば、東京から
広島(4時間11分)あたりまで行くことができる。
料金は、東京→広島間で、1万8750円。

Sさんは、「フランスの交通費は安いです」と言うが、
それでも、日本は、フランスの約2倍。

つまり近い将来、日本は、確実に円安に進む。

……ということで、そのときは、「今、しばらく塩漬け」という
のを選択した。

連休明けにはどうなるか?
それは私にもわからない。
が、今日、105円70銭にまで円安になったということは、
私の判断はまちがっていなかったことになる。

つまり、円高、円安については、日本へやってくる外国人に
直接聞くのが、いちばん、よい。

(これは私という、1人のド素人の為替判断なので、
どうか、あまり参考にしないでほしい。)


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●一人前のジイ様

私もやっと一人前のジイ様になった。
孫の手を引いて、祭の人混みの中を歩いているとき、ふと、そう感じた。
「いやだなあ……」と思った。
が、つぎの瞬間、遠い昔、祖父の手に引かれて、祭の人混みの中を歩いたのを思い出した。
その(温もり)が、反対に、孫の手から私の手へと伝わっているのを感じた。
「そういうものかなあ……」と思った。
『子どもは父になり、そして祖父になる。
最後に、祖父は、孫に還(かえ)る』(スーパーマン・リターンズの中のセリフより改変)


●アカハラ

またまた新しい言葉。
「アカハラ」。

「アカデミック・ハラスメント」を略して、「アカハラ」という。

大学など、知的学習環境の場でのハラスメントを総称して、「アカハラ」という。
セクシュアル・ハラスメント、教官による暴力行為なども、その中に含まれる。

しかしこうした「ハラスメント」などというものは、どこにでもある。

学校……「スクール・ハラスメント」、略して、「スクハラ」。
仕事……「ビジネス・ハラスメント」、略して、「ビジハラ」。
家庭……「ホーム・ハラスメント」、略して、「ホムハラ」など。

最近は、こうした言葉の氾らんについていくだけで、精一杯。
新しい言葉が出るたびに、あちこちのサイトを調べる。
頭にたたき込む。


●自殺(Suiside)

++++++++++++++++++++

自殺をする人というのは、
考えながらする、……というよりは、
かなり衝動的にするのではないか。

もちろん中には、絶望感や孤独感が引き金となって、
自殺に走る人もいる。
事業の失敗や、健康問題、人間関係の行き詰まりなども、それに含まれる。
しかしこういうケースをのぞけば、
つまり多くの若い人たちの自殺について言えば、
その多くは、衝動的な自殺と考えてよい。

考えている間は、自殺など、できない。
わかりやすく言えば、悶々としていたところへ、何かの刺激が
加わり、カッとなって、そのまま自殺に突っ走ってしまう。

そのとき、頭の中は、真っ白。
見えるのは、その先の安穏の世界(?)だけ。
「死ねば楽になる」というよりは、
生きていることそのものを、精算したくなる。
あるいは自殺を美化することもある。
若い人にとっては、自殺そのものが、自己主張のひとつで
あると言われるのは、そんなところに理由がある。

そのことは、残された遺書を見ればわかる。
「贖罪(しょくざい)のため」と説く学者もいる。
しかし実際には、それほどむずかしい意味はない。
簡単に言えば、自分自身をヒーロー化し、死そのものを
ドラマ化する。

そういう若い人たちの自殺は別として、自殺を試みる人は、
それによって、体中に巻きついた無数の糸から、
自分を解放しようとする。

理由など、ほとんど、ない。
あっても、正常な人(?)から見れば、
何でもない理由であることが多い。
だからたいていの人は、こう言う。

「どうして?」
「自殺する必要などなかったのに……」と。

しかしだからといって、自殺する人を
責めてはいけない。
その人はその人なりに、苦しみ、もがく。
その結果として、「死」を選択する。

では、どうすれば、その人の自殺を防ぐことが
できるか。

私の印象では、(あくまでも印象だが)、
だれかと一本でも、糸、それがどんなに細い糸でも
かまわないが、その糸でつながっていれば、自殺するのを、
最後の最後のところで、思いとどまることができる。

その糸が切れたとき、その人に残された
道は、ただひとつということになる。

ただ先ほど、「若い人の……」と書いたが、
実際には、50代、60代の自殺がふえている。
私の年代である。

私自身も、その予備軍の1人かもしれない。

この年代になると、暗い曇天が、行く手をおおう。
言いようのない不安感。
言いようのない焦燥感。

そのためちょっとした悩みが、そのまま絶望感へと
結びつきやすい。
若いときは、「明日がある」と思うことで、希望を、
その明日につなげることができる。

しかしこの年代になると、その明日が、ない!
その切迫感が、その人の視野を狭めてしまう。
袋小路へと、追いつめてしまう。

うつ病がそれに加われば、なおさらである。
数は知らないが、この時期、初老性のうつ病になる人は、多い。
転職、退職、配偶者との離別、家族の病気などなど。
それらがきっかけで、落ちこんでしまう。

しかし結論から先に言えば、「自殺をしたい」と思うこと自体、
心の病気と考える。
自殺を考えたり、自殺を試みる動物はいない。
同じように、人間も、本来の人間であれば、自殺を考えたり、
試みたりすることはない。

……という前提で、ものを考える。

「死にたい」と考えたら、「これは病気」と思いなおして、
心療内科の門を、気軽にくぐったらよい。
むずかしく考えることはない。

子どもが「死」を口にしたときも、また同じ。


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●誠司に、Japanese Englishを教える。

+++++++++++++++++

孫の誠司に、今日、車の中で、
Japanese Englishを
教えた。

「ジス・イズ・ア・トラック」と。

すると誠司は、わかったのかどうか、知らないが、
「※PHTX※〃???、トラック」と言った。

私「そうだ、それでいい。日本では、Japanese English
を話す」
誠「ト・ラツ・ク……」
私「いいか、アメリカ英語は、英語ではない。いいな?」
誠「ハハ〜ン?」と。

アメリカ英語をペラペラと話す子どもに、Japanese English
を、わざわざ教える教師はいない。
しかし私は、その教師。

さっそく、動画に撮り、ビデオ編集をしてみる。
興味のある方は、(はやし浩司のHP)より、(朗読でごあいさつ)へ、どうぞ!


●富士山に登る

二男夫婦のために、バス旅行を用意した。
しかし「行けない」というので、私たち夫婦が、代わりに、行ってきた。
「2歳の芽衣を連れていくのは、無理」と言った。

富士山は、五合目まで登った。
雪が、積もっているというほどでもないが、たっぷりと残っていた。
温度計を見ると、22度。

寒くもなく、暑くもなく、ちょうどよかった。
目の前に、富士山。
ちょうど台湾か、中国本土からの旅行客といっしょになった。
北京語だと思う。
マンドリン(広東語)ではない。
だから、そう思った。

陽気な人たちで、たがいに写真を取りあいながら、キャッキャッとはしゃいでいた。

台湾から来た人……どこか人なつっこく、やさしい。
中国本土から人……どこか服装が独特。足がスラリと伸びている。

あと、周辺の観光地を、いくつか回った。

今の状態……疲れた!
その一言。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1秒は、1秒なのか?(One second for mice is equivalent to 100 seconds for men)

++++++++++++++++++++

今日の夕刊(4月30日、中日新聞)に、
こんな興味ある記事が、載っていた。

『人とマウス、行動似てる』というタイトルの
ものだった。

『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。

大阪バイオサイエンス研究所(大阪府吹田市)と
東京大学の研究チームによる、研究結果である。

記事には、『生物の行動の背後に、種を超えた基本法則
が存在する可能性を示すもの』(同)ともあった。

+++++++++++++++++++++

●庭のスズメ

たとえば庭に遊ぶスズメたちを見てみよう。
小枝から小枝へと、小刻みなリズムで、飛び回っている。

少し前、私は、それを見ながら、こんなことを考えた。

「もし人間が、同じ行動をしようとしたら、
スズメの何倍の時間がかかるだろうか?」と。

スズメたちは、数秒単位で、枝から枝へと、
ピョンピョンと飛び回る。

で、同じような枝を、パイプが何かでつくり、
人間に同じ行動をさせたら、どうだろう?

オリンピックに出るような体操選手ですら、
その10倍の時間は、かかるかもしれない。

またつぎにこんなことを考えたこともある。

一匹の蚊を頭の中で、想像してみてほしい。
その蚊が、人間の足の高さから、頭の高さまで
あがるのに、何秒くらいかかるか、と。

正確に計測したことはないのでわからないが、
ブーンと飛べば、3〜4秒もかからないのでは
ないか?

そこで蚊の体長を、5ミリとして計算すると、人間の
170センチの身長は、蚊の体長の340倍の高さという
ことになる。

そこで身長が1・7メートルの人間の高さに換算すると、
1・7メートルx340=578で、約580メートル
の高さということになる。

つまり蚊は、人間にしてみれば約580メートルの
山を、3〜4秒で登ったり、おりたりすることが
できるということになる。

3〜4秒である。

が、これで驚いてはいけない。

●ハエは、音速の3倍以上!

ときどき家の中を、体長1センチ前後の、大きな
ハエが飛び回ることがある。
私たちが「クソバエ」と呼んでいる、黒いハエである。

あのハエは、7〜8メートル四方の部屋を、
ビュンビュンと飛び回る。

そのハエについても、正確に計測したことがないので
わからないが、やはりブ〜ンと飛べば、7〜8メートルの
部屋を横切るのに、1秒もかからないのではないか。

そこでこれらの数字をもとにして、ハエの速度を計算してみると、
秒速7メートルとして、同じように170倍すると、
秒速1190メートルということになる。
さらにこの数字を、60x60=3600倍すると、
時速になる。
その時速は、何と、4284万000メートル。
キロメートルになおすると、4284キロメートル。

つまりあのハエは、人間の大きさで考えると、
時速4000キロ以上のスピードで、部屋の中を飛び回って
いることになる!

時速4000キロだぞ!

この数字を疑う人は、一度、自分で計算してみるとよい。
つまり音速の約3倍!

こうして考えてみると、スズメにせよ、蚊にせよ、
はたまたあのハエにせよ、私たちとはちがった(時間)を
もっているのがわかる。

前にも書いたが、もしハエが今のまま進化し、
時計を作ったとしたら、秒針のほかに、1秒で1周する
もう一本の針を考えるかもしれない。

つまりスズメにせよ、蚊にせよ、はたまたハエにせよ、
私たち人間がいうところの「1秒」を、10秒とか、
100秒で生きていることになる。

●マウスは、人間の100倍!

・・・というようなことを、今回、大阪バイオサイエンス
研究所というところが、はからずも証明した?

もう一度、新聞記事を読みなおしてみよう。
そこには、こうある。

『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。

もう少し専門的に言えば、「体内のリズムをつくる
時計遺伝子の働きは、マウスのばあい、人間の
それより100倍も速い」ということになる。

だから単純に、「マウスは人間の100倍の
速さで生きている」というふうに考えることは
できないとしても、「少なくともマウスは、
人間とはちがった時間の尺度をもっている」ということだけは
確かである。

同じ1秒を、人間は、それを1秒として生きている。
が、マウスにしてみれば、100秒にして生きている
かもしれない。

だからたとえば、マウスの寿命を仮に1年としても、
それを「短い」と思ってはいけない。
マウス自身が感ずる1年は、ひょっとしたら人間の
100年分に相当するかもしれない。

●幼児の世界でも

実は、私は、このことは幼児を指導している
ときにも、よく感ずる。

私の教室では、常にテンポの速いレッスンに心がけて
いる。
そうでもしないと、子どものほうが、飽きてしまう。
レッスンに乗ってこない。
で、そういうとき、私はよくこう思う。

幼児のもつ体内時計は、おとなのもつ体内時計より、
数倍は速い、と。
わかりやすく言えば、幼児にとっての1分は、
おとなに3〜4分に相当する。
おとなが3〜4分ですることを、幼児は、1分でする、と
言いかえてもよい。

「アウ〜、それでエ〜、エ〜ト・・・」などというような、
どこか間の抜けたようなレッスンをしていたら、
それだけで教室はザワついてしまう。
収拾がつかなくなってしまう。

反対に、老人ホームにいる老人たちを見てみると、
このことがさらによくわかる。

そこにいる老人たちは、1日中、何かをするでもなし、
しないでもなしといった状態で、その日、その日を
過ごしている。
そこにいる老人たちは、明らかに私たちとは、ちがった
体内時計をもっている。

ひょっとしたら、1日を、私たちがいう、1時間、
あるいはそれよりも短く感じながら生きている
かもしれない。

長い前置きになってしまったが、結論を急ぐと、こういう
ことになる。

私たちが感じている1秒、1分、1時間は、
けっして絶対的なものではないということ。
過ごし方によっては、1秒を1時間にして生きることもできる。
反対に、1日を、1分のようにして過ごしてしまう
かもしれない。

つまり(時の長さ)というのは、時計的にはみな、同じでも、
過ごし方によっては、何倍もにして生きることもできる。
反対に、数分の1にして生きることもあるということ。

もっと言えば(時の長さ)には、絶対的な尺度はないということ。
要は、その人の過ごし方、ということになる。

それにしても、『人の動きを100倍の速さで早回しすれば、
マウスと同じになることがわかった』とは!

100倍だぞ!

この「100倍」という数字を読んだとき、私は
改めて、(時間とは何か)、さらには、(生きるとは何か)、
それを考えさせられた。

余計なことかもしれないが、日々を、野球中継だけを見ながら過ごすのも
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
日々を、パチンコだけをしながら過ごすのも、
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
あるいは日々を、魚釣りだけをしながら過ごすのも、
これまた人生かもしれない。が、それではあまりにももったいない。

・・・というのが、このエッセーの結論ということになる。

●脳みそのクロック数

ついでに……。

宇宙には、私たちがいう「1秒」の間に、人間の世界でいう数100年、
あるいは数1000年分の人生を生きる生物がいるかもしれない。

あるいは反対に、私たちがいう「1万年」が、寿命という生物も
いるかもしれない。

そういう生物(?)は、指を1本、動かすのに、20年とか、
30年もかかる。
岩石のようなものでできた生物を想像してみればよい。

・・・という話は、どこか荒唐無稽な感じがしないでもない。
しかしこんなことは言える。

脳みそにも、コンピュータでいうところの「クロック数」の
ようなものがあるのではないか、ということ。

たとえばワイフは、8年前に買ったパソコンを使っている。
私は、昨年(07年)に買ったパソコンを使っている。
ワープロとして使っている間は、それほどの(差)を
感じない。
が、画像を表示したり、ゲームをしたりするときには、
はっきりとした(差)となって、ちがいが出てくる。

情報を処理するための基本的な速度、つまりクロック数そのものが
ちがう。

俗な言い方をすれば、(頭の回転の速さ)ということになる。
子どもにしても、頭の回転の速い子どもは、速い。
そうでない子どもは、そうでない。
反応も鈍い。

仮に脳みそのクロック数が、2倍ちがうとすると、クロック数が
2倍速い子どもは、そうでない子どもの、2倍長く時間を使う
ことができるということになる。
全体に、クロック数が速いから、当然、計算するのも速い。
文章を書くのも、速い。
思考する力も、速い。

だからクロック数が2倍速い子どもにとっては、同じ「1秒」でも、
そうでない子どもの、「2秒分」の時間に相当する。
同じ「1年」でも、「2年分」の時間に相当する。

ただし誤解しないでほしいのは、クロック数が速いからといって、
時間を有効に使っているということにはならないということ。

(時間を長く使う)ということと、(時間を有効に使う)という
ことは、まったく別のことである。
そのことは、冒頭に書いたスズメの話を思い出してもらえば、わかる。
庭に遊ぶスズメたちは、目まぐるしく、活動している。
しかし、それだけのこと。
わかりやすく言えば、(中身のない人生)を、忙しそうに
繰りかえしているだけ。

恩師の田丸謙二先生は、いつも口癖のように、こう言っている。
「せっかく、いい頭をお持ちなのですから・・・」と。
私に対して、そう言っているのではない。
東大という大学に入ってくる学生たちに、いつもそう言っている。

先生がいう、「・・・なのですから・・・」というのは、
「もっと自分の頭で考えなさい」という意味だが、
先生の言葉をもう少し、自分なりに解釈すると、こうなる。
「せっかく速いクロック数の頭をもっているのだから、
脳みそを有効に使いなさい」と。

●最後に・・・

脳梗塞のようなダメージを受けないかぎり、実際には、
脳みそのクロック数などというものは、みな、それほどちがわない。
ちがっても、2倍とか3倍とかいうものではなく、
1・1倍とか、1・2倍とかいう範囲の、わずかなものかもしれない。

しかもそのクロック数というのは、訓練によって、速くすることができる。
このことも、子どもの世界を見れば、よくわかる。
言いかえると、同じ人生でも、それを長くして生きるか、
それとも、短くして生きるかは、その人、個人の問題ということ。

そのためにも、頭は使って使って、使いまくる。
そうでなくても、脳みそのクロック数は、加齢とともに、落ちてくる。
老人ホームにいる老人たちにしても、ある日、突然、ああなったのではない。
ある時期から、徐々に、そして少しずつ、長い時間をかけて、
ああなった。

今の私やあなたがそうかもしれない。
クロック数というのは、そういうもの。
全体に脳みその機能が低下していくため、その人自身が、それに気づくと
いうことは、まずない。
知らぬ間に、クロック数は低下し、また低下しながらも、低下したこともわからない。

だから歳をとったら、なおさら、頭は使う。
使って使って、使いまくる。

それがとりもなおさず、私たちの人生を、より長くすることになる。

(付記)

実は、昨日(4月30日)、私は携帯電話を、W社の携帯端末機から、
E社携帯端末機に変更した。
この世界では、「スマートフォン」と呼ぶ。

携帯電話にパソコン機能がついた機種である。

で、そのとき、言いようのない不安感が私を襲った。
「私に使いこなせるだろうか」という不安感である。

この3〜4年の間に、スマートフォンの世界も、格段に進化した。
今度のは、無線LAN、BLUETOOTH、さらにGPS付き!
どこか分厚い説明書を手にしたとき、多量のアドレナリンが、
脳内で分泌されるのを感じた。

が、そのとき、こうも思った。

「同じ人間が作ったもの。私にできないはずはない」と。

それから家に帰って、悪戦苦闘すること、1、2時間。
が、そのうちEメールの送受信まで、何とかできるようになった。

で、そのとき、こんなことに気づいた。
精神状態が、きわめて不安定になっていた。
これは、おそらくそれまで使ったことのない脳みそを使ったために起きた
現象ではないか。
脳みその神経細胞から、新しいシナプスが伸びるときに起きる現象とも
考えられる。

子どもでも、まったく新しい分野の問題を与えたとき、
同じような反応を示す子どもがいる。

問題を解くとき、イライラした様子をして見せる。
中にはピリピリして、一触即発のような状態になる子どももいる。

私も、同じような状態になった。
と、同時に、こうも思った。
「こういうのも、ボケ防止にはよいのでは」と。

E社のスマートフォンは、この3月に新発売になったばかりのもの。
少し高い出費になったが、ボケ防止のためと思えば、安い(?)。
そう思って、自分を納得させた。
プラス、楽しかった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●他人の不幸を酒の肴(さかな)にする人(Those who enjoy other men's unhappiness)

++++++++++++++++++++++

H県のKさん(女性)から、メールが届いた。
この数年、ときどき、メールをもらう。
そのKさんが、こんなことを書いている。
前回もらったメールと合わせて、要約させてもらう。

『G県の人たちの親絶対教も、すごいようですが、
ここH県も、すごいです。

親どころか、叔父、叔母、伯父、伯母、みなそうです。
いとこでも、たった1、2歳年長というだけで、
年長風を吹かします。

そんな中、いとこの一人が、ときどき私の実家をのぞいては、
電話をしてきます。

(Kさんの母親は、5年前に他界。現在、Kさんの父親と、
Kさんの兄の2人が、実家に住んでいる。
その長男のほうに、このところ認知症の症状が出てきたという。
父親は、今年、満85歳。)

たいていは、「あなたの夢を見たから」とか、
「こんど用事で、そちらへ行くことになったから」と、
理由にもならない理由を並べて、電話をかけてきます。
そしてあれこれ、私に説教をします。

「いくら家を出た娘でも、子は子なのだから、親の
めんどうをみる義務がある」とか、何とか。

つい先日も、「おじちゃん(=私の父親)が、骨折して
入院したぞ」と、さも、イヤミたっぷりに電話をかけてきました。

そこで私が、「3日前に病院へ見舞いに行ってきましたから
知っています」と答えると、「エッ、そう? ハハハ、
そう?」と、とぼけていました。

そのいとこは、私や実家のことを心配して、電話して
くるのではないのですね。
いやな性格の人で、私たちの苦労や、不幸が楽しくて
ならないといったふうです。
恐らくどこか別のところでは、私たちの話を、酒の肴(さかな)にして、
楽しんでいるのでしょう。

が、親類は親類ということで、関係を切ることができません。

年賀状を出すときも、そのいとこのは、最後の最後に書きます。
宛名を書くだけでも、手が固まるほど、不愉快です。

先生(=私のこと)は、年賀状の停止宣言をしたと聞いていますが、私も
来年からは、そうします。
今年の年賀状の末尾に、「来年からは、年賀状は遠慮させていただきます」と
書きました。

末尾ながら、どうして日本人は、こうまで「血」にこだわる
民族なのでしょうか。
どうか、こうしたおかしな民族性と、もっと闘ってください。
よろしくお願いします』と。

++++++++++++++++++++

私にも似たような経験がある。
「浩司君、今朝、君の夢を見たよ。元気か?」などと言って、
電話をかけてくる。

たまたまそのときは、書斎にこもって、仕事をしていた。
あわてて電話機のある居間までおりていくと、そう言った。

で、そのときは、思わず、こう言ってしまった。
「そんなことで、いちいち電話なんか、しないでほしい」と。

それほど親しくない、いとこである。
(相手は、親しいと思っているかもしれないが……。
ジコチューな人には、それがわからない。)

私には、こんな鉄則がある。

それがどんな問題であるにせよ、相手のほうから相談してくる
まで、家庭問題には、干渉しない。

それぞれの家庭には、それぞれの問題がある。
外からはぜったいにわからない、問題がある。
一方の当事者の話だけを聞いて、安易な判断をすることは、
たいへん危険なことでもある。

加えて、こんな鉄則も。

『口を出すなら、金を出せ』と。

これは私の祖父がよく言っていた言葉である。
つまり「金を出すくらいの覚悟があるなら、口を出せ」と。

あるいはこういうふうにも、解釈できる。

「口を出すくらいのことなら、だれにでもできる」と。

が、年長風を吹かす人には、それがわからない。
Kさんの親類のように、たった1〜2歳、年上というだけで、
(偉そうなこと)を言う。

で、そういうときのもうひとつの鉄則は、これ。

『相手にしない』。

こうした権威主義は、その人にとっては、カルトのようにも
なっている。
争ったり、説得しても、無駄。
その人は、その人として認めた上で、相手にしない。

大切なことは、こうした日本人独特の悪しき風習は、
つぎの世代には、伝えないこと。
私たちの代で、止めること。

欧米には、こうした権威主義そのものが存在しない。
親子でも、兄弟姉妹でも、名前で呼びあっている。
またそのほうが、人間関係が、スムーズにいく。

反対に権威主義の親ほど、子どもたちから孤立することも
わかっている。
夫婦関係も、おかしくなる。
今どき、「男だから……」「親だから……」「夫だから……」と、
安易な『ダカラ論』を振りかざしているのは、世界広しと
いえども、この日本くらいなもの。

まず日本人の私たちが、それに気づくべき。

Kさんがいう「血」についても、同じ。
それについては、福沢諭吉が、100年前に、こんなことを
書いている。

国際留学協会(IFSA)のHPには、つぎのような一文が
掲載されている。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないの
だ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、
人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み
出すことになる』(国際留学協会(IFSA))と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である。

++++++++++++++++++++++

●論語(Why now is Rongo?)

++++++++++++++++

今度、小学校でも、論語の朗読を
するようになったという。

しかし、今、なぜ、論語なのか?

++++++++++++++++

 論語……もともとは、孔子の現行を、弟子や孫弟子たちがまとめたもの。日本には、応
神天皇の時代に、百済の王仁という人物によって伝えられたとされる(ウィキペディア百
科事典)。

 その論語、日本では、律令時代においては、官吏必読の書となった。わかりやすく言え
ば、官僚たちの教科書だった。

 その論語を、今度、小学校でも、朗読するようになったという。しかし、なぜ、今、論
語なのか? 研究家がその範囲で読み、研究し、意見を述べるのなら、それはそれで構わ
ない。またそれまでは、私も否定しない。

 が、どうしてお役人たちの発想は、いつも、こうまでうしろ向きなのか? 私には、ど
うしても、それが理解できない。もし読むべき本があるとするなら、世界の自由と平和の
ために戦った人たちが書いた本である。人間の平等を求めて戦った人たちが書いた本であ
る。

 たとえばアメリカのトーマス・ジェーファーソが書いた独立宣言(1776)でもよい。
それには抵抗感を覚えるというのなら、フランスの人権宣言(1789)でもよい。

 フランスの人権宣言を、ここでおさらいしてみよう(資料、近畿大学・大学院)。

+++++++++++++++++

1条
人は、法律上、生まれながらにして、自由かつ平等である。 社会的差別は、公共の利益に
基づくのでなければ、存在することはできない。

2条
すべての政治的組織の目的は、人間の生まれながらの、かつ取り消し得ない権利の保
全である。 それらの権利は、自由、所有権、安全、及び、圧政に対する抵抗である。

3条
あらゆる主権の原則は、本質的に国民に存する。いかなる集団、いかなる個人も、明
示的に発せられていない権限を行使することはできない。

4条
自由は、他人を害することのないもの全てを、なし得ることに存する。たとえば、各
人の自然権の行使は、それが社会の他の構成員に、これらと同じ権利の享有を確保す
ること以外の限界を持たない。これらの限界は、法律によって定めることができるに
過ぎない。

(以下、つづく)

+++++++++++++++++

 アメリカの独立宣言(前文)でも、「すべての人間は平等に造られている」と説き、不可
侵、不可譲の自然権として、「生命、自由、幸福の追求」の権利をあげている。

 この独立宣言が、明治時代になって、福沢諭吉らに大きな影響を与えたことは言うまで
もない。ついでながら、福沢諭吉が翻訳した、独立宣言を、ここにあげておく。

『天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テ
ス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモ
ス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政
府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣
旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツ
ヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ』(『西
洋事情』初編 巻之二より)』(ウィキペディア百科事典より抜粋)

 この独立宣言から、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
という言葉が、生まれた。

 で、結論から先に言えば、今、日本は、再び、儒教文明国家に戻るのか、それとも、ア
メリカ型ではあるにせよ、西欧文明国家に向かってまい進するのか、その瀬戸際に立たさ
れている。

 どちらを選ぶかは、これからつづく若い人たちが決めればよいことかもしれないが、し
かしその(流れ)を決めるのは、あくまでも、若い人たち。その(流れ)を、国が勝手に
つくることは、許されない。

 しかし、どうして今、論語なのか?

【付記】

 日本は自由な国である。平和な国である。しかしこと「平等」ということになると、そ
れを自信をもっていえる人は少ない。

 天皇制という制度がある以上、この日本では、「人は、みな、平等です」とは、言いにく
い。どこか口ごもってしまう。

 が、福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
と書いた。しかし当時の常識からすれば、これはたいへんな文章と言ってよい。そのまま
読めば、天皇制の否定とも解釈できる。

 そこでときの知識人たちは、天皇制を否定することもできず、またその一方で、福沢諭
吉のような大人物を否定することもできず、大ジレンマに陥ってしまった。

 「人の上の人とは、だれのことか」と。

 で、この文章について、さまざまな解釈が加えられた。

 「人とは、人種のことである」という解釈や、「天皇は人ではないから、問題はない」と
いう解釈など。あるいは「福沢諭吉は、組織の中の上下を言ったものだ」という解釈など
が生まれた。詳しく知りたい人は、インターネットの検索機能を使って、「福沢諭吉 天は
人の」で検索してみればよい。

 しかし福沢諭吉は、天皇も含めて、日本の身分制度について、大いなる疑問を感じてい
た。

 その「天は人の上に……」が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つ
ぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならない
のだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造
らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言
葉を生み出すことになる』と。

++++++++++++++++++

もう一作、武士道について。

++++++++++++++++++

●明治の偉勲たち(Great People in Meiji Era)

 明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847〜1889年の人で
ある。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評
されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したの
が、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定
し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こう
した運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた
年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)この日
本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する
人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者
までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であ
ったことを忘れ、あたかも自分たちが、武士であったかのような理論を展開するから、お
かしい。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。
そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかること。それを、反
省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あ
の江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時
代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六
社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本は、封建時代の負の遺産を、ひ
きずっている。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜
んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっ
ている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、それが精神
的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をし
なかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へ
と、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人
が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されて
しまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その
個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習
慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊
を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、
間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここ
で、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人々々の問題として、である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 権威主義 福沢諭吉 天は
天の上に 明六社 明治の偉勲 ワシントン)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケ防止(To prevent the Senility)
It is our custom to see films almost every week to prevent the senility. My wife and I 
went to a theater to see "Next" yesterday.

+++++++++++++++++

昨日、ワイフと、ニコラス・ケイジ
主演の『NEXT』を見てきた。

少しだが、ピーター・フォークが、
脇役で顔を出した。

歩くのもおぼつかない……といった
ふうだった。
演技だったのか、それともほんとうに
そうなのかは、わからない。

『刑事コロンボ』の時代から、私は
彼のファン。
ピーター・フォークの姿を見て、
年月の流れを、強く感じた。

+++++++++++++++++

『NEXT』の星は、3つの★★★。
先週は、『FIXER』を見た。
こちらは、よく見ていないと、内容が
よく理解できないということで、
星は、2つの★★。

『FIXER』のほうは、日本語字幕
(翻訳)が、まずいのでは?

主語の省略が多く、映画を見ながら、
そのつど、「だれが?」ということを
考えなければならなかった。

しかしどちらも、ボケ防止には、よい。
頭の回転を速くしないと、理解できない。
あえて言うと、

『NEXT』……理解の難易度は、3。
『FIXER』……理解の難易度は、4。

映画館から出るとき、ワイフとこんな
会話をした。

「週に1度は、映画を見て、脳みそを
鍛えよう」
「そうね」と。

ついでに最近見た映画の、私の評価。

『NO COUNTRY』……★
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』……星、ゼロ。
ともに理解の難易度は、1。

話をもとにもどす。

肉体の健康を維持するために、スポーツジムに
通う人は多い。
そこで同じように、脳みその健康を維持する
ために、映画鑑賞というのは、どうだろう?

家庭で鑑賞するという方法もあるが、
やはり映画は、劇場で見る方がよい。
迫力がある分だけ、脳みそがより強く
刺激される。

そのためには、難易度の高い映画ほどよい。
へたくそな翻訳なら、なおよい(?)。

今度から映画館も、こんなコマーシャルを
流したらどうか。

「ボケ防止のために、映画館で、映画を!」と。

しかしその前に、ほんとうに効果があるか、
それを、何らかの形で証明しなければならない。

もしよかったら、私たち夫婦が、その実験台に
なってもよい。
毎週、映画のただ券をくれたら、喜んで
協力する。

「週に1回程度映画を見ている人は、認知症に
なる確率が、そうでない人より、20%低い」とか、
何とか。

そんな数字が具体的に出てきたら、みな、こぞって
映画館に足を運ぶようになるだろう。

東宝シネマさん、どうか、ご一考を!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   0年 6月 2日(No 1051)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●言葉を反復する子ども(子どものひとり言)

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こちらの言ったことが、即座には
理解できず、いちいちそれを反復
する子どもがいる。

たとえば、

「りんごが3個ありました。
また4個、買ってきました。
あわせていくつですか?」と
質問すると、

「りんごが3個……。また4個
……」と。

そしてこちらの言った言葉を、あたかも
頭の中で反芻(はんすう)するかの
ように、少し考えた様子を見せた
あと、
「……3足す4で、7だあ」と
言ったりする。

様子を観察してみると、言葉そのものが、
即座には、大脳で処理されていかない
といったふう。

算数の問題にかぎらない。

何かの指示を与えても、同じように
反復する。

私「机の上の分度器を片づけて、
それを箱に入れてください」
子「分度器……、箱……」と。

高学年になるからといって、症状が
消えるわけではない。

私「1・5分というのは、何分と何秒の
ことかな」
子「1・5分……だからあ、ええと、……」と。

脳のどの部分に、どのような問題(失礼!)
があるのかは、私にはわからない。
しかし(音声で得た情報を処理する段階)で、
何か問題があるということは、推察される。

そのため、学習能力に影響が出る。
全体に反応が鈍く、その分だけ、時間が
かかる。

似たような症状に、何でも、ものごとを
音声化する子どもがいる。

それについては、以前に書いた原稿が
あるので、そのまま、紹介する。

++++++++++++++++++

●子どものひとり言(内言)

 「5歳の子ども(女児)のひとり言が多いです。意味のないひとり言です。どうしたら
いいですか」(滋賀県・Rさん)という相談をもらった。

 子ども(乳幼児)が発する言葉は、大きく、つぎの2つに分けて考える。

(1)自分の思考をまとめるために使う言葉。これを内言(ないげん)という。
(2)他人に、自分の考えや意思を表示するための言葉。これを外言(がいげん)という。

 たとえばクレヨンが、机の下に落ちたとき、「アッ、クレヨンが落ちた。ぼく、拾うよ」
というのが、内言。先生や、親に向かって、「落ちたから、拾って」と言うのが、外言とい
うことになる。

 こうした内言は、おとなのばあいは、口に出さないで使うが、幼児のばあい、ある時期、
それを音声として、口に出して言うことがある。一般的には4歳くらいがピークで、5、
6歳で内言は、無声化すると言われている。

 が、子どもによっては、内言の音声化が、その時期を過ぎても残ることがある。

 そこで5歳前後になってからも、無意味なひとり言が多いようであれば、「口を閉じて考
えようね」と、指導する。

 この音声化が残ると、子どものものの考え方に影響を与えることがある。子ども自身が
その言葉に左右されてしまい、瞬間的で、機敏な考え方ができなくなる。どこかまだるっ
こい、のんびりとした、ものの考え方をするようになる。

 もしRさんの子どもが、つぎのような話し方をしていたら、「口を閉じて、考えようね」
と、指導してみてほしい。

 「これからお食事。それが終わったら、私、これからお外に行こう」(行動の内言)
 「どちらの花がきれいかな。白かな、赤かな……?」(迷いの内言)
 「お花を、○○さんに、もっていくと、どうなるかな。喜ぶかな」(思考の内言)
 「風が吹いた……カーテンが揺れた……お日様が光っている……」(描写の内言)

 ピアジェは、こうした内言のうち、集団内で使うものを、「集団内独語」と呼んでいる。
他人の反応を気にしていないという点で、自己中心的なものととらえている。

 しかし実際には、言葉の発達の時期に、よく見られる現象で、内言イコール、自己中心
性の表れとは、私は思わない。

 Rさんの子どもは4歳ということだから、そろそろ、「口を閉じて考えようね」と指導す
べきころかもしれない。この時期を過ぎて、クセとして定着すると、ここにも書いたよう
に、思考力そのものが、影響を受けることがある。

 ほかにひとり言としては、つぎのようなものがある。

(1)自閉傾向のあるひとり言……こちらからの話しかけには、まったく応じない。1人
2役、3役のひとり言を言うこともある。

(2)ADHD児のひとり言……騒々しく、おさえがきかない。ひとり言というより、勝

(3)手に、かつ一方的に、こちらに話しかけてくるといったふう。

(4)内閉児、萎縮児のひとり言……元気なく、ボソボソと、自分に話しかけるように言
う。グズグズ言うこともある。

(はやし浩司 子どもの独り言、ひとり言 外言 内言 子供の独り言 子供 独り言 
集団内独語 ピアジェ ピアジエ はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 
幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese 
essayist 反復 反復児)

++++++++++++++++++

言葉を反復する子どもは、内言という
幼児期のクセが、そのまま残ったとも
考えられる。

相手の言ったことを反復しながら、
自分の考えを、まとめようとする。

しかしさらによく観察してみると、
ひとり言をやめさせてしまうと、問題の
意味そのものが、理解できなくなって
しまう。

私「りんごが5個あって、2個食べました。
残りは、いくつかな?」
子「りんごがア……」
私「口を閉じて考えようね」
子「……? 5個でしょ……?」
私「口を閉じて、考えようね」
子「……? ……?」と。

全体としてみると、10人に1人前後の
割合で、見られる。
年齢には関係なく、小学生でも、中学生でも、
ほぼ同じ割合で、見られる。

で、指導法ということになるが、脳の
機能そのものに問題があるように推察される
ため、注意したり、叱ったりしても意味はない。
またそれで(なおる)という問題ではないように思う。

その子どもは、そういう子どもであると
認めた上で、つまりそういう前提で、指導
する。
軽く注意はしても、あとは子どものリズム
に任せるしかない。

その言葉が適切であるかどうかは知らないが、
私は、このタイプの子どもを、「反復児」
と呼んでいる。

同じような内容だが、以前書いた
記録を、そのまま掲載する。

++++++++++++++++++

●言葉を反復する子ども 

++++++++++++++

いちいちこちらの言った言葉を
反復する子どもがいる。

反復しないと、こちらの言った
ことが、理解できないといった
ふう。

原因は、脳の中で、情報の伝達が
適切になされないためではないか。

教えていると、そんな印象をもつ。

++++++++++++++

 そのつど、こちらの言った言葉を、いちいち言葉を反復する子どもがいる。年齢を問わ
ない。たとえば先生との間では、こんな会話をする。

私「うさぎさんが、6匹いました。そこで……」
子「うさぎさんが、6匹?」
私「そうだよ、6匹だよ」
子「6匹、ね」
私「そこで、みんなに、帽子を1個ずつあげることにしました」

子「みんなに……?」「帽子……?」
私「そうだよ。みんなに、帽子だよ」
子「何個ずつあげるの?」
私「1個ずつだよ」
子「1個ずつ?」と。

 もう少し年齢が大きくなると、言葉の混乱が起きることがある。

私「1リットルのガソリンで、10キロ走る車があります」
子「何んだったけ? 10リットルで、1キロ?」
私「そうじゃなくて、1リットルのガソリンで、10キロ走る車だよ」
子「1リットルの車で、10キロ走る、ガソリン?」
私「そうじゃなくて、1リットルで……」と。

 このタイプの子どもは、少なくない。私の経験では、10人中、1人前後、みられる。
特徴としては、つぎのような点が観察される。

(1)こちらの言ったことがすぐ言葉として、理解できない。
(2)そのためこちらの言ったことを、そのつど、オウム返しに反復する。
(3)こちらの言った言葉に、すぐ反応することができない。
(4)全体に、軽度もしくは、かなりの学習遅進性が見られることが多い、など。

 私の印象としては、音声として入った情報を、そのまま理解することができず、それを
理解するため、もう一度、自分の言葉として反復しているかのように見える。あるいは音
声として入った情報が、脳の中の適切な部分で、適切に処理できず、そのままどこかへ消
えてしまうかのように見えることもある。脳の中における情報の伝達に問題があるためと
考えられる。

 このタイプの子どもは、もちろん叱ったり、注意したりして指導しても、意味がない。
またその症状は、幼児期からみられ、中学生になっても残ることが多い。脳の機能的な問
題がからんでいると考えるのが正しい。

 ほかに、こんな会話をしたこともある。相手は、小2の子どもである。

私「帰るとき、スリッパを並べておいてね」
子「帰るとき?」
私「そうだよ。帰るときだよ」
子「スリッパをどうするの?」
私「スリッパを並べるんだよ」
子「スリッパを並べるの?」
私「そうだよ」
子「帰るとき、スリッパを並べるんだね、わかった」と。

 このタイプの子どもは、今のところ、そういうタイプの子どもであると認めた上で、根
気よく指導するしかほかに、方法がないように思われる。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(4月28日)(April 28th, French Friends came to my office)
We have to be careful about the exaggerated nationalism, which is now often seen 
among Chinese people. The exaggerated nationalism often causes a heavy war.
(誇張された民族主義に警戒しよう!)

フランスの友人が、息子さんを2人連れて、
私の教室へ、遊びに来てくれた。

フランスのブルターニュというところから
やってきた。
観光用のパンフレットを見せてもらったが、
どのページも、夢の中の世界のよう。
「いいところですね」の連発。

で、2週間ほど前から、フランス語の
特訓を始めたが、覚えても、覚えても、
そのまま忘れてしまう。

別れるとき、やっと、「オーフォア」と言える
ようになった。
それも、息子さんたちに教えられて……。

フランス語は、発音がむずかしい。
とくに「r」の発音がむずかしい。
鼻から息を抜きながら、「フ」と発音する。
「ブルターニュ」にしても、
「BRETAGNE」と書いて、「ブルターニュ」と
発音する。

再開を約束して、昼過ぎに別れる。

+++++++++++++++

Sさん、またおいでください!
今度は、たまたま二男夫婦たちが日本へ
来るため、ゆっくり話をする機会を
つくれませんでした。

どうか、お許しください。

+++++++++++++++

●フランス語

今、どこの国の言語を学びたいかと聞かれたら、
私は、「フランス語」と答えるだろう。
ドイツ語も中国語も、学生時代にかじったが、
身につかなかった。
そこで「フランス語を」と考えたが、そこで
時間切れ。
以来、そのままになってしまった。

で、今回、先にも書いたように、自分なりに
時間を見つけて、せめて簡単な会話くらいはと
思ったが、やはりだめだった。

その国の言葉というのは、その国で、その
状況の中で学んで、はじめて身につく。
本の中のカタカナを読んだくらいで、
身につくはずもない。

プラス、脳みその働きも、かなり悪くなっている。
今回、改めて、それを実感した。

●国際結婚

国際結婚がどんどんとふえている。
ふえているというより、当たり前になりつつある。
すばらしいことだと思う。

私の従兄弟(いとこ)の娘さんも、アメリカ人と
結婚した。
30年来の友人も、中国の女性と結婚した。
5、6年前に、フィリッピンの女性と結婚した
友人もいる。
年齢は、30歳くらい離れていた。
今では、そんな結婚も、珍しくない。
ないが、そのときは、少なからず、嫉妬した。

奥さんが、まるでモデルのように、顔立ちの
整った、美しい人だった。

で、みんな、うまくやっている。

が、それを迎える親のほうはどうかというと、
心境は、やや複雑。
私の二男にしても、会えるのは、1、2年に一度。
今は、インターネットもある。
スカイプ(テレビ電話)もある。
が、どこか、さみしい。
だから「やや複雑」。

「複雑」というのには、「心配」という意味も
含まれる?

まあ、その分、身近にいる外国の人たちに、親切にする。
回りまわって、そういう(やさしさ)が、二男の
ところに伝わる。
そんな気がする。

今どき、「日本人だ」「外国人だ」と言っているほうが、
おかしい。

●人種差別

40年前には、国際結婚というのは、
ほとんど考えられなかった。

オーストラリアにしても、当時は白豪主義。
「ホワイト・ポリシー」というのがあった。

白人以外は、みな、第2級人種ということに
なっていた。
「セコンド・クラス・ピープル」という。

白人以外の人と結婚した白人も、第2級人種
ということになった。
第2級人種になると、いろいろな差別を
受けた。

だから、アジア人と結婚する白人は少なかった。
当人たちはともかくも、親たちが、反対した。

が、そのうち、アジア人の女性と結婚する
オーストラリア人男性が急増した。

そういう人たちが、ホワイト・ポリシーに反発した。
それだけではないが、やがてこのホワイト・ポリシーは
廃棄された。

そういうこともあって、私がオーストラリアに
いたころは、アジア人の私は、まったくと言ってよいほど、
女性にもてなかった。

背も低かった。
顔立ちも悪く、見栄えもよくなかった。
あの人口300万人(当時)のメルボルン市ですら、
日本人の留学生は、私、1人だけ。
後見人と呼ばれる、それなりの身元保証人がないと、
正規の留学すらできなかった。

珍しいというより、奇異な目で見られた。

それが今では、日本人の男性が、オーストラリア人の
女性を連れ立って、堂々と街中を歩くようになった。
「時代が変わった」というだけでは説明できない。
あまりにも、大きな変化である。

「友人」とうときと、「恋愛、結婚」というときには、
その間には、越えがたいほど、大きな壁がある。
その「壁」が、たいへん低くなった。

私の二男にしても、アメリカ人の女性と結婚すると
言ったとき、「よく、相手の両親が許してくれたな」と、
むしろ、私は、そちらのほうに驚いた。

いくら人種差別がなくなったとはいえ、二男が住んで
いるのは、アメリカの南部。
州庁舎の前には、いまだに南軍の旗がひらめいている。

あのあたりでは、黄色人種は、黒人より、下に見られている。

が、ともかくも、結婚してしまった。

●血の交流

日本人は、たいへん不幸なことに、長い間、他民族との
血の交流をしてこなかった。

そのため骨相学的には、日本民族は、特異な(?)
骨相をもつようになってしまった。

が、それだけではない。

思想そのものまで、ゆがんでしまった。
称して、「極東アジアの島国根性」。

いまどき、世界で、「男だから……」「長男だから……」と、
安っぽい『ダカラ論』をふりかざしているのは、
世界広しといえども、この日本くらいなもの。

中には、そういう『ダカラ論』をふりかざして、「これが
日本が誇るべき民族意識」とか、「国の品格である」
とか説いている人さえいる。

今でも、この日本を見ながら、「奇異」という言葉を
使う欧米人は、多い。
それがわからなければ、欧米の映画に出てくる日本人を
見てみることだ。

どこか、へん?
どこか、おかしい?

欧米の人たちは、そういう目で、日本を見ている。

世界的に見れば、フィリッピンの人たちのほうが、
よっぽど国際性に富んでいる。
1970年代の当時ですら、マナーも、社交のし方も、
日本人の私たちより、ずっと洗練されていた。

こうした民族性を打破するためには、他民族と
血の交流をするしかない。

……といっても、もちろん簡単なことではない。

たとえば現在、この浜松市には、約3万人の外国人が
住んでいる。
住人の20人に約1人が、外国人ということになる。
しかし、たがいの間には、厚い壁がある。
言葉の壁、習慣の壁、文化、風習の壁などなど。
ときどき、日本人との間で、トラブルが起きることもある。

「南米の人たちと、もっと仲良くなりましょう」と
言ったところで、簡単なことではない。

日本人と南米の人たちとの恋愛や結婚の話が話題になるように
なるのは、まだまだ先の話。
10年とか20年の年月が必要かもしれない。

●EUはなぜ統合できたか

フランスの友人は、こう言った。

「ブルターニュ地方は、避暑地としてもよく知られている。
ドイツ人やイギリス人の別荘が、あちこちにある」と。

つまり、ドイツ人やイギリス人が、自由にやってきて、
ブルターニュというフランスに住んでいる、と。

このアジアでは、まだそこまでは考えられない。
同じような例が、ないわけではないが、
「自由」とまではいかない。

しかしもしそういうことが、この日本でも
自由になされるようになったら、「国」に対する
考え方も、大きく変わるのではないか。

今どき、「薩摩出身だ」「長州出身だ」と言っている人はいない。
同じように、近い将来、「日本出身だ」「中国出身だ」と
言う人はいなくなる。

そうなれば、このアジアも、大連合できるかもしれない。

そのためにも、つまりそういう未来像を描きながら、
今、私たちがすべきことがあるとするなら、
それは偏狭な民族主義と戦うこと。

「国の品格」を問題にするなら、その国家を
超えたところで、日本を考える。
「日本だから……」とか、「日本人だから……」と
気負うことはない。

日本も中国もない。韓国も、ない。
私たちはみな、同じ、アジア人。

そういう視点で、日本の未来を考える。

フランスの友人が帰ったあと、私は、そんなことを考えた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●脳トレ問題(2)(Brain Working)
From A village which locates at the upper river, to B village which locates at the down 
river, it takes 6 hours by boat. From B village to A village, it takes 8 hours. Then how 
many hours will it take a raft from A village to B village?

+++++++++++++++++++++

【問】

川上にあるA村から、川下にあるB村まで、
船で6時間、かかる。
川下にあるB村から、川上にあるA村まで、
同じ船で、8時間、かかる。
いかだで、A村からB村まで下るとすると、
何時間、かかるか。
(いかだは、流れのまま、進むものとする。)

+++++++++++++++++++++

これは入試問題ではないが、最近の傾向としては、
この種の問題がふえてきた。

(できる・できない)というよりも、その子どもが
どのように、どの程度考えたかを、見る。

そのため、消しゴムを使うのを禁止する学校も、
ふえてきた。
メモを残させるために、である。

とてもよいことだと思う。

+++++++++++++++++++++

方程式を使えば、簡単にできる。
A村からB村までの距離を、(k)とする。
船の速さを、(x)、川の流れの速さを、(a)とする。

……こうして解いて、答は、48時間。

しかし残念ながら、この問題は、小6用。
方程式は使えない。

中に、6x8=48で、48時間と答える人も
いるかもしれないが、数学的な理由づけがないから、
いくら答が正しくても、まちがい。

さて、どうやって解いたらよいのか?

脳トレの開始!

(1)静水では、その船は、同じ距離を、7時間で行けることになる。
(2)川の流れに乗れば、マイナス1時間。川の流れにさからえば、プラス1時間。
(3)……ウム……?
(4)やはり、A村からB村までの距離を、(k)とするしかない。
(5)k÷(x+a)=6  k÷(x―a)=8
(6)どうしても、方程式になってしまう!
(7)となると、この問題は、方程式でしか解けないということを証明しなければ
ならない。
(8)さあ、どうするか?

これからサイクリングにでかける。
佐鳴湖を一周する。
その間に考えよう。

では、みなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++++++May.08++++++++++はやし浩司

●サブプライム問題(農林中金のばあい)(Norinchuikin Bank)

++++++++++++++++++

農林中央金庫のサブプライム問題関連の
損失が、当初の予想の400億円を超え、
1000億円前後にまでふくらむ見通し
という。

読売新聞、4月30日号は、つぎのよう
に伝える。

++++++++++++++++++

(読売新聞、4月30日)

 『農林中央金庫が2008年3月期決算でサブプライムローン関連損失が1000億円
前後に拡大する見通しであることが29日、明らかになった。

 農林中金は農業関連の融資が伸び悩んだため、積極的な海外投資を進め、2007年9
月末時点で、サブプライム関連商品の残高が5000億円に達し、関連損失として約40
0億円を計上していた。

 昨秋以降も国際金融市場の混乱が続き、証券化商品がさらに値下がりしたため、サブプ
ライム関連損失は半年間で2倍強に膨らむ見通しだ。サブプライム問題の影響による株式
市況の悪化を受け、保有株の大幅な減損処理も避けられないと見られる』と。

+++++++++++++++++

この記事を読んで、最初に、「?」と思ったのが、
どうして農林中央金庫なのか、ということ。

資本金は、1兆5000億円程度。
農林中金のHPには、つぎのようにある。

「※出資は、すべて民間(会員および優先出資者)から受け入れて
おり、政府出資や公的資金の注入は受けていません」と。

そして会員として、つぎのような団体をあげている。

「農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(森組)、およびそれらの連合会、
その他の農林水産業者の協同組織等のうち、農林中央金庫に出資している団体。(平成19
年3月31日現在 4445団体)」と。

わかりやすく言えば、農林中金というのは、
日本の農業、林業、漁業の、総元締め的な銀行ということになる。

しかしどうしてそういう銀行が、海外へ投資をつづけ、
(日本国内にではなく、海外へ、だぞ!)、
今回、サブプライム問題で、1000億円前後の損失を
出すことになったのか?

「農業関連の融資が伸び悩んだため」、海外へ積極的に
投資をつづけたと、新聞記事にはある(読売新聞)。

さらに読売新聞によると、「5000億円程度」を出資し、
損失が、「1000億円前後」という。

しかし……?

アメリカなどでは、サブプライム関連商品(証券類)は、
その価値が10分の1以下になっているという。

はたして1000億円程度の損失で、ほんとうに
すむのか? 資本金の約3分の1の、5000億円も
投資していたというのも、メチャメチャ。

さらに言えば、「政府出資や公的資金の注入は
受けていません」とあるが、会員の中には、
農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(森組)などが、
ズラリと名前を連ねている。

どれも政府出資や公的資金の注入を、ジャブジャブに
受けている団体である。
そういう団体の総元締め的な銀行が、「受けていません」と!

なんだかよくわからない。
以前から、どこか「?」と思っていた農林中金だが、
これでますます、わけがわからなくなってきた。

この先は、もう少し経済雑誌でも読んでから、
書いてみたい。


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