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2008年 8月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●







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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   29日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【月は、巨大な宇宙船か?】

●『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)
written by Don Wilson 昭和58年発刊、たま出版)  

++++++++++++++++++H.Hayashi

ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を
読み直す。
昭和58年7月発刊、ということだから、今から約
24年前の本ということになる。
私が36歳のときである。

月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。

++++++++++++++++++H.Hayashi

 ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読み直す。原題は、『Secrets of the 
Spaceship Moon』である。「宇宙船、月の秘密」と訳せる。

 この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。

 全体では19章。339ページ。文字が小さいから、かなりボリュームのある本と思って
もらえばよい。

 その中のいくつかを紹介する。

+++++++++++

●第7章 月軌道を決定した動力

次の疑問点について考えてみたい。

○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由につい
○て、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議
○するのか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大
○きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだ
○ろうか。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえ
○ない」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」と
○はいったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるの
○か。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以
○外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」
○「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 わかりやすく説明しよう。

 まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い
軌道上を、回っている。
 つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。もちろん太陽
のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。だから、皆既月食、皆既日
食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。
 さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。

 ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているというこ
ともある。だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、
見せることはない。(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)

 こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さ
らには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。(最近の学説によれば、太古の昔、
地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説
になりつつある。)

 しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。月の(みかけの大きさ)
が、太陽と同じなのか。さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということ
は、説明できない。

 偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。

 もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。「太古の昔、月が遠い別の天体からや
ってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。しかしならばその軌道面は、
楕円形になるはず。ぜったいに、真円にはならない。

 そこで「乗せられた」という説が出てくる。
 
 太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。つまり月自体が、巨
大な宇宙船というわけである。

 そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。つづく第8章の冒頭には、つ
ぎのようにある。

++++++++++++++

 ……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。

○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20
○〜30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で
○一致しているのか。では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASA の第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体み
○たいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。なぜこの結果が驚
○くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングの
○ように4時間も鳴りつづけたのか。このことが、どうして空洞の球体であることを説明
○しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったの
○は、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研
○究(質量の中心運動)は認められなかったのか。このような科学的証拠が、宇宙船説を
○引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?

それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 簡単に言えば、月の内部は空洞であり、おかしなことに、つまり常識に反して、月の外
郭部ほど、密度が高く、重金属でおおわれているということ。

 ……こう書くと、「月は巨大な岩石のかたまりではないか。宇宙船という(船)と考える
には、無理がある」と考える人がいるかもしれない。
仮に巨大な宇宙船であるとしても、それは映画、『スター・ウォーズ』に出てくる、デス・
スターのようなものではないか、と。

 しかし残念ながら、宇宙を航行するとき、もっとも安全な乗り物といえば、それなりの
大きさの隕石や衛星をくりぬいた船ということになる。
外壁を、厚い岩石で覆われているため、小さな隕石程度の衝突では、びくともしない。
が、何よりもすばらしいことに、危険な放射線類から、乗り組員を守ってくれる。
仮に映画『スター・トレック』に出てくる、エンタープライズ号のような宇宙船だったら、
隕石の衝突や放射線類から、乗り組み員を守ることはできない。

 では、動力源は何か。

 これも隕石や衛星をくりぬいた宇宙船であれば、方法は簡単。
緻密に計算をしながら、その上のどこかで、何かを爆発させればよい。
それでその宇宙船は、その反動によって、目的の方向に向かって、まっしぐらに進んでい
く。
もちろん宇宙船を止めるときには、その反対のことをすればよい。

 こうして考えて見ると、月が宇宙船であっても、なんらおかしくはない。
ないばかりか、実に精巧、かつ科学的に作られた乗り物ということになる。

 ちなみに月空洞説を裏付ける、ひとつの事実を紹介しよう。

 「月に人類が到達する以前解明されていたのは、『月の密度は地球の半分くらいだ』とい
うことぐらいだった。実際、月の密度は、地球の約6割だった。月の土、1立方センチメ
ートルと、地球の土1立方センチメートルでは、地球の方が、約2倍も重いということだ」
(同書、111P)と。

 言い換えると、月の内部の40%は、空洞ということになる。

+++++++++++++++

 改めて『月の先住者』を読んで、私は、ふと、こう思った。
「私はこの24年間、何をしていたのか」と。

 この地球には、いろいろな問題がある。
教育問題からはじまって、時事、環境、宗教、哲学、医学問題などなど。
しかし私たちが住む、この地球のそばに宇宙人がいて、それが月に住んでいるかもしれな
いという話については、ほとんど考えてこなかった。

 さらにとても残念なことに、この日本では、UFO問題にしても、幽霊や心霊と同格の、
「超常現象」として位置づけられている。
そのためこの日本では、「UFOを見た」というだけで、奇人、変人扱いされる。

 しかしUFOは、「科学」である。少なくとも科学的に解明されうる世界の乗り物である。
また科学の対象と考えて、なんらおかしくない。
それを一部の良識派(?)と呼ばれる科学者たちは、UFOを否定することによって、自分
たちの良識性を誇張する。
 
 が、もしいつか、(やがてその日は来るだろうが)、UFOなるものが、その姿を私たちの
前に姿を現したとき、そういった人たちは、どう自分たちの(非良識性)を弁解するのだ
ろうか。

 私とて、「見たものは見た」というだけで、どれだけ、白い目で見られたことか!
これからも、自分が納得するまで、この問題を追求してみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
UFO 超常現象 はやし浩司 月空洞説 月宇宙船説)

(付記)

私とワイフが見たUFO と同じものを見た人が、この浜松に、2人いる。
BT氏(男性、現在54歳)と、その弟氏である。
見た時期と、飛んでくる方向はちがったが、ほとんど同型のUFOである。
私が私の見たUFOについて中日新聞に書いたのを、BT氏が読んだ。
それで知り合いになった。

そのBT氏と、今夜(7月27日)、電話で、1時間ほど、話す。
私はこう言った。

「私は、あのUFOを見て以来、ずっと、自分の中のもう一人の自分と闘わねば
なりませんでした。
『私が見たのは、幻覚だ、夢だ、見まちがいだ』と言う私自身。
しかし一方で、『見たものは見た』とがんばる私自身。
ときに、『見たものは見た』という私自身が負けそうになりましたが、そういうとき、ワイ
フが、『私も見た』と言のです。
それでまた話が、振り出しにもどってしまう……。
毎回、その繰り返し。
記憶も、時間とともに、どこか薄れてきます。
もし見たのが私ひとりだけだったら、私はもう一人の自分に負けてしまっていたかもしれ
ません。
今ごろは、『やっぱり、あれは幻覚だったのだ』と、自分を納得させてしまっていたでしょ
う。
私は死ぬまでに、何としても、あの夜に見たものが何であるか、それに決着をつけておき
たいのです」と。

BT氏についても、事情は同じ。
BT氏もこう言った。
「私も弟と2人で見ました。私も、もし私ひとりだけで見ていたら、今ごろは、『やっぱり
あれは夢だったのだ』と自分を納得させてしまっていたでしょう」と。

しかしE・ミシェル博士の言葉で、私は、救われた。
肩の荷がはずされたというか、スーッと心が軽くなるのを感じた。
と、同時に、大きな使命感のようなものを覚えた。

私ももう60歳。
世間に遠慮しなければならない年齢ではない。
書きたいことを、書く。
伝えたいことを、伝える。
私のことを、奇人だとか、変人だとか、そういうふうに思いたければ思うがよい。

……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はものを書くということそのものに、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章をたたいている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから
10年以上もたってからのことである。

以前書いた原稿を、そのまま紹介する。

+++++++++++++++++++

●奇妙な体験

+++++++++++++++++++

●秋の夜のロマン、UFO

●資質を疑われるから、書かないほうが……

 私は超自然現象というものを信じない。まったく信じない。信じないが、UFOだけは
別。信ずるも信じないもない。私は生涯において、三度、UFOを目撃している。一度は、
ワイフと一緒に目撃している。(あとの二度については、目撃したのは私だけだから、だれ
にも話したことがない。文として書いたこともない。ここにも書かない。)

 が、私には、こんな不思議な体験がある。結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、
こうしてものに書くのははじめて。だから前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑
われる。損になることはあっても、得になることは何もない。事実、「林君も自分の仕事を
考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もい
る。それはわかっているが、しかしあえて書く。

●不可解な体験

 オーストラリアに留学していたときのこと。あと一か月ほどで、日本へ帰るというとき
のことだった。オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。私は友人のD君にビ
ーチハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。ビーチハウスは、ローンという
港町の手前、一〇キロくらいのところにあった。避暑地として有名なところで、そのあた
りには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在してい
た。

 ある日のこと。D君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。私とD君は、そのサンド
イッチをもって、ピクニックにでかけた。「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬
(Cape Otway)に行こう」ということになった。時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出か
けたと思う。あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になった
のを覚えている。小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチ
を食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。彼らがいうブッ
シュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。そして車
の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。そのときのこと。どちらが言った
わけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。背丈の短い雑草が、
点々と生えているような殺風景な岬だった。ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。
たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこか
にあったように思う。私たちは地面に正座してひざまづくと、そのまま体を前に倒した。
そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。横を見ると、D君も地面か
ら顔を離すところだった。私とD君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。ほとんど会
話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。そしてほどなく、アポロベ
イという港町に着いた。港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地だった。私たちは
そのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。日はとっくに暮れていた。まっ暗とい
ったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。そのとき私とD君は、D君の
両親の住むジーロンの町の家にきていた。そこで、ベッドに入って寝る前に、私はD君に、
こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「D、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、D、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、三〇分
もかからなかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、D、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだっ
た。あるいは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔
を離した。覚えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町
で、夕食を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走って
も、一時間はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、あたりはまっ暗だった。時
刻にすれば、夜の七時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだ
ろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後一時か二時だったと思う。それ以上、
遅い時刻ではなかった。が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。距離にして
も、三〇キロくらいしかない。が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮
れていた! どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をD君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。D君も同じように
感じたらしい。さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞
いた。D君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写
真などを、そのつど届けてくれた。一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、
そこには、ハバが数百メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。ただしそのカメ
ラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから五、六年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコ
ミで伝えられるようになった。いわゆる、「誘拐」(アブダクション)というのである。私
はあの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理
的に説明することができない。

簡単に言えば、私とD君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったというこ
とになる。そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。しかも数時間
も! しかし現実にそんなことがあるだろうか。私はその前にも、そのあとにも、一度
だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったことなど、ない。電車やバスの中
でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなことは、
一度もない。

 私とD君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきD君と、こんな話をする。「ぼくたちは、宇宙人に体を検査された
のかもね」と。考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、前にも書いた。繰り返すが、私たちがあの夜見たも
のは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。それに「この世のもの」でもない。飛
び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのように
して消えていった。飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。そのことはこの原稿に書いたとおりである。そ
の原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。この点に
ついては、ワイフも同意見である。つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並ん
で飛んでいるのに気づいた。そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。が、
しばらくすると、その窓を取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあが
ってきた。そのときは、夜空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今か
ら思うと、空から浮かびあがってきたのかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 08++++++++++はやし浩司

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

+++++++++++++++++++

月表面のみならず、この地球上でも、
またその間の宇宙空間においてでさえも、
今までに厖大な数の、UFO目撃例が
ある。

しかしどういうわけか、NASAは、それら
すべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、
極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット
扱いということは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その
暴露戦術に、うって出た。

が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、
勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信
じている』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェ
ル」となっている)は、UFOについて、こう述べている。『UFOに関して、あとわから
ないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、
何かの博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な
岩石のアーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していた
ということだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の
科学部門編集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋の
ような建築物が見えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確
認されたことだった。ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するとい
った。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろ
うか。英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面
課主任)は、BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UF
Oの陰謀』、ドナルド・キーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つま
り、それは技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加
えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、
人々をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』
とは一度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危機の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)
が存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可
能性が大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドー
ムのようなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P1
7〜18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
UFO 月面 危機の海 オニール橋)

Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●月は、巨大なUFO?

 このところ毎晩、眠る前に、「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)を読んで
いる。かなり前に買った本だが、それが結構、おもしろい。なかなかよく書けている。要
するに、月には、謎が多いということ。そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なU
FOということになる、という。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。
オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニー
ル)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(一九五三年七月)。
どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。一つの峰からつぎの峰
にまたがるような、端から橋まで、二〇キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。しかもそんな橋が、そ
れまで発見されなかったことも、おかしなことだった。それまでに、無数の天文学者が、
望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたという
こと。なぜか。その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なU
FOだったという。(ありえる!)

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。ヤフーの検索エンジンを使
って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。結局、オニール橋は、一部
の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信して
いる。ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。私たちが見たのは、幅が数キロもあ
るような巨大なものだった。だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かな
い。

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。つまり、「夢物語」。だから
といって、どうということもないし、また何ができるということでもない。またそれを基
盤に、何かをすることもない。ただの夢物語。しかし心地よい夢を誘うには、この種の話
が、一番。おもしろい。楽しい。それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、
夜の空に、ファンタジックな夢をはせるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。しかしあまりハマらないように! UF
Oの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂
信的なグループ(カルト)が、運営している。じゅうぶん注意されたし。
(030702)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●UFO

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o'clock. 
We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or 
3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks 
me if I believe in UFO's, I would say, "Yes". These days at the Parliament House of 
Japan, some congressmen discuss about UFO's in the public. Does this have something 
to do with "Kaguya", a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the 
moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about 
the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for 
the aliens. Do you think so too? 

+++++++++++++++++

このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

+++++++++++++++++++

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさん
と輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者
の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあっ
た。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、
そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、
全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消え
た」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるよう
に着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2〜3
キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が
話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20〜30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私た
ち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUF
Oにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上で
も公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいの
は、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうか
ウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビ
ューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的
に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような
形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、
ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確
認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだった
のではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部
長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一
時的に着陸していたのではという推測もされたそうです(以上、「月探査情報ステーション
の公式HP」より)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニー
ル橋)

++++++++++++++++
オニール橋と並んで、私が知った
月の2つのクレーターについて。

++++++++++++++++

●月の不思議

 月の南極の写真を見ていたときのこと。ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのク
レーターがある。「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。まるでコンパスで描い
たような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。パソコンの画面上での測定なので、その
点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。もう一方も、3・2セン
チ! 実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。しかしその大きさが、ピタリ
と一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、
よく話題になるところである。実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満
ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこ
ちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。つまりいたるとこ
ろにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。一説によると、月だけ
でも、NASAは、数一〇万枚の写真をもっているという。公開されているのは、そのう
ちの数パーセントにすぎないという。しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりし
ているという。しかし、クレーターまでは、消せない。それが、ここに書いた、二つのク
レーターである。

【写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コ
ーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれ
ば、その写真を見ていただける。】

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。その私がはいつくばっ
て東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手
なことをしている。中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。しかし頭の中で想像することはで
きる。そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間
の改造など、何でもない。それこそ、朝飯前? 小学生が電池をつないで、モーターを回
すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、
合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。「この問題」というのは、
まさに「人間に、約五五〇〇年前に起きた変化」ということになる。

 その五五〇〇年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。しかもその
変化は、メチャメチャ。その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。黄帝というの
は、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄
帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般
的になされてきた。黄帝内経は、そうして生まれたという説もある。しかし同時期、メソ
ポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体
となって旧約聖書が生まれている。黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、
どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。今でいう、
遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。理由はわからない。あるいは
エイリアンの気まぐれだったかもしれない。とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は
黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人で
ある。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能
力をもつようになった。そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教
え、文字を教えた。証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく
似ている。形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」
(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir」と発音した。星という意味と、神とい
う意味である。メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。(詳し
くは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。発音も、同じだったというこ
と。が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて
呼ぶならわしがあった。(今では、反対に「〜〜帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、
「dingir 〜〜」というように、先につけて呼んでいた。(英語国などでも、位名を
先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだ
ったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。しかしここでも、「だからどうな
の?」という部分がない。ないまま進化してしまった。それはたとえて言うなら、まさに
そこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居す
ることになってしまった。人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってし
まった。人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、秋の大ロマンである。もちろん、ロマン。SF(科学空想)。し
かしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。どんどん
と自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなって
いく。「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。相矛盾した自
分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

 あさって(二七日)も、天気がよければ、望遠鏡で、月をのぞくつもり。山荘から見る
夜空は、どこまでも明るい。
(030925)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(今日・あれこれ)(7月28日)

++++++++++++++++

ここ数日、UFOについて考えている。
と、同時に、「自分はとんでもないことを
書いている」という気分から、抜け出る
ことができない。

向こう岸の見えない、湖に飛び込んだ
ような気分とでも書くべきか?

つかみどろこがない。
直接、そうした問題と取り組んでいる
わけでもない。
ゆいいつの接点は、かつて、巨大なUFO
を見たことがあるというだけ。

まるで雲をつかむような話というのは、
こういうことを言うのか。

しかしこれは重大な問題と言ってもよい。

もし月が空洞で、人工的に建造された
宇宙船であるとするなら、人間の
歴史そのものがひっくり返ってしまう。
過去のありとあらゆる出来ごとが、すべて
UFO現象と関連づけて考えられるように
なるかもしれない。

そうなったときの混乱と騒動には、
想像を絶するものがある。
その前に、人間は、そうした混乱と
騒動に耐えることができるだろうか。

++++++++++++++++

●気分転換

……ということで、今朝は、少しUFO問題から、離れてみたい。
で、今、興味があるのが、「竹島(独島)問題」。
それに「6か国協議の行方」。

●最悪の反日国家

韓国政府は今度、竹島を刷り込んだ記念切手を発行することにしたそうだ。
韓国政府がどんな切手を発行しようが、日本の知ったことではない。
が、どこまで日本を挑発したら、気が済むのだろう。
しかもその図柄というのは、古い地図(古地図)のものだというが、元の
地図の、その写本のほうの地図のものだという。
元の地図には、竹島(独島)が載っていないからだという。
(……ということは、自ら、竹島は、韓国の領土ではなかったということを、証明する
ようなものではないのか。論理的に考えれば、そうなる。)

彼らが、「竹島(独島)は韓国の領土である」と主張する、最大の根拠が、古地図は古地図
でも、その写本では、話にならない。
ならないばかりか、今度は、対抗策として、「対馬は韓国の領土だ」と言い出した。

いわく「対馬は韓国領説に、歴史的根拠あり」(朝鮮N報、社説、08・7・27)と。

フ〜〜〜ン?

おまけに数日前の韓国の新聞には、こうあった。
「日本政府は、(竹島問題についての)歴史的資料を、隠ぺいしている」と。

フ〜〜〜ン?

さらに「日本は、地域紛争の火種を残すことに懸命である」とも。
「日本はいつか、竹島を理由に、地域紛争をしかけてくるはず」とでも言いたげな
論調である。

そこで朝鮮N報は、「独島:韓日戦わば」という長文の特集記事まで載せている(7・27)。
日本と韓国の兵力の差を紹介しながら、「半日で、独島は占領される」とか、何とか。
まるで臨戦気分?

フ〜〜〜ン?

ところで現在、日本と韓国の間の、交流事業が、ほとんど中断している。
この静岡県でも、毎年、日本と韓国の子どもたちが、サッカーの交流試合をしていた。
が、それも韓国側の一方的な通告で、中止!

フ〜〜〜ン?

韓国は、やはり韓国。
大統領が替わったくらいでは、何も変わらない。
最悪の反日国家?
それが韓国の実像ということになる。


●6か国協議

どうやらアメリカは、北朝鮮を、核保有国として認める方向で動いているようである。
日本にとっては、とんでもない話だが、アメリカにとっては、なんでもない。
視点をワシントンに置いてみればわかる。

アメリカにとって、アジアの最大の脅威といえば、北朝鮮ではない。
中国である。
中国の核兵器とミサイルである。
その数、数百発とも、数千発とも言われている。
北朝鮮が、8発くらい核兵器をもったところで、どうということはない。
(大切なことは、その8発を、北朝鮮内にとどめておくこと。
北朝鮮の核兵器がテロリストたちに渡ったら、それこそ、たいへんなことになる。
だから「拡散の防止」ということについては、アメリカは神経質になっている。)
次期大統領と目されているオバマ氏も、そんなようなことを演説の中で、ふと臭わした(0
8年7月末)。

で、今、核の検証問題で、米朝会談は山場を迎えつつある。
「検証を具体化せよ」と迫るアメリカ。
「テロ支援国指定解除が先」とがんばる北朝鮮。

しかしこういうのを、茶番劇という。
冷静に考えてみよう。

「テロ支援国家指定」が解除されたところで、何も変わらない。
言うなれば、ラベルのようなもの。
ラベルをはがしたところで、それで世界が、それに追従するわけではない。
そのことを北朝鮮は、百も承知のはず。

つまりどうでもよい、ささいな問題にこだわりながら、ああでもない、こうでもないと
難グセをつける。
それが北朝鮮のやり方。
先のB銀行問題を例にあげるまでもない。

あのときも、「B銀行に凍結されている資金を解除せよ」と北朝鮮はがんばった。
で、アメリカは、北朝鮮の言いなりになって、それを解除した。
北朝鮮は、現金をいつでも引き出せる状態になった。
が、北朝鮮は、現金を引き出さないばかりか、「もっと、自由に送金できるようにせよ」と
言い出した。

しかしいくらアメリカでも、それはできない。
それを判断するのは、世界の銀行各社。
それぞれの銀行が、「北朝鮮の資金は扱いたくない」と言えば、それまで。
事実、現在、北朝鮮の資金を扱う銀行は、皆無。
みんな、いやがっている。
中国の銀行だって、いやがっている。
というわけで、資金の凍結は解除されたが、状況は以前のまま。

同じように、テロ支援国指定が解除されても、それで世界が動くということは、
ありえない。

「アメリカが解除したのだから、もうだいじょうぶ」と、北朝鮮と交易を開始する
国はない。
つまり、北朝鮮は、理由にもならない理由をこじつけて、ダダをこねているだけ。
もっとはっきり言えば、「テロ支援国解除」などという問題は、もともと北朝鮮にとって
は、どうでもよい話。

むしろ、北朝鮮は、アメリカが、解除を延期するのを望んでいる(?)。
そうなれば、まさに、それこそ、北朝鮮の思うツボ。

「アメリカが約束を破った」とか何とか言って、大騒ぎすることができる。
さらにさらに時間を稼ぐことができる。

が、ひとり、そんな事情も理解できず、孤軍奮闘している人がいる。
北朝鮮の言い分を真に受けて、交渉をつづけている人がいる。
国務次官補のC・ヒル氏である。

どうしてあの人は、こんな簡単なことがわからないのだろう?
金xxの手の上で、ただ踊らされているだけ?
私には、ただのおバカにしか見えない(失礼!)。

ここまで書いたところで、朝食。
その席で、ワイフが私にこう聞いた。

「どうして北朝鮮は、B銀行から、資金を引き出さないのかしら?」と。

北朝鮮は、その気にさえなれば、いつでもB銀行から、現金を引き出せるはず。
その現金をカバンに詰めて、北朝鮮へもって帰ることもできるはず。
しかしどういうわけか、北朝鮮は、その資金をB銀行に預けたまま。
預けたままで、「外国の銀行に、自由に送金できるようにしろ」と、アメリカに迫っている。

が、これには理由がある。

私「簡単に言えば、もともと偽札(にせさつ)だからさ」
ワ「どういうこと?」
私「いいか、これはあくまでもぼくの推理によるものだけど、B銀行のトップと、北朝鮮
のトップが、グルだったということ」
ワ「……?」
私「ある日、北朝鮮が、10億ドルの偽札をB銀行に持ちこんできた。B銀行はそれが偽
札であることを知っていた。そこでその偽札を使えるようにするためには、一度、その偽
札を洗浄(ローンダリング)する必要があった」

ワ「どうやって、洗浄するの?」
私「簡単だよ。一度そのお金を、外国のどこかの銀行へ送金すればいい。たとえば日本の
三菱銀行なら、三菱銀行でもいい。で、一度三菱銀行に送金したあと、そこで現金を引き
出す。三菱銀行には、偽札はないからね。今度は、再び、その現金をカバンか何かに詰め
て、B銀行へもってくる。それで洗浄は、完了」
ワ「往復するだけでいいの?」
私「そう」
ワ「でも、B銀行は、どうやって、儲けるの?」
私「最初の段階で、10億ドルのうちから、たとえば5億ドルを自分のものとすることも
できる。あるいは洗浄が終わったあと、手数料として、5億ドル分を自分のものとするこ
ともできる」

ワ「B銀行は、どうしたのかしら?」
私「あくまでもこれはぼくの推理だけど、恐らく洗浄が終わったあと、手数料を受けとる
つもりではなかったのかな。が、その洗浄が、うまくいかなかった。だからB銀行として
も、額面どおりの現金を、北朝鮮に払い戻すことができないでいる」
ワ「北朝鮮に払えば、その分だけ、B銀行の損失ということになるわね。まさか偽札のま
ま、払い戻すというわけにはいかないから……」
私「そう。だから今でも、北朝鮮の資金は、B銀行に預けられたまま……ということにな
っている」と。

何からなにまで、訳のわからない国、それが北朝鮮ということになる。
まともな常識が通ずる国ではない。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●真の愛

 「子育てが生きがい」という人は多い。明けても暮れても、頭の中は、子どものことば
かり。しかしそういう人は、子どもの奴隷になっているだけ。親は親で、それで構わない
かもしれないが、それから受ける子どもの負担感には、相当なものがある。
 あるときある中学生は、母親に向かって、こう叫んだという。「お母さん、ぼくのことは
もういいから、お母さんはお母さんで、自分の人生を生きてよ!」と。
 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。(1)本能的な愛、(2)代償的愛、そして(3)
真の愛。本能的な愛というには、赤子のオギャーオギャーと泣くのを聞いたときに、親が
感ずるような愛をいう。親はその声を聞くと、いたたまれない気持ちになる。
 代償的愛というのは、いわば「愛ももどきの愛」をいう。子どもを自分の支配下におい
て、自分の思いどおりにしたいという愛をいう。親自身の情緒的欠陥、精神的未熟性が、
その背景にあることが多い。
 たとえば子どもの受験競争に狂奔する親というのは、「子どもを愛している」とは言うも
のの、その実、自分勝手な愛を、子どもに押しつけているだけ。自分が感ずる不安や心配
を解消するための道具とて、子どもを利用しているだけ。
 では、真の愛とは何か。…実は、「愛」ほど、実感しにくい感情はない。何かあったとき
に、顔を出すことはあるが、日ごろは、「平凡」の中に、埋もれてしまっている。が、真の
愛を知る方法はないわけではない。『許して、忘れる』。つまりその度量の深さで、真の愛
の深さを知ることができる。
 『許して、忘れる』というのは、英語では、「FOR・GIVE & FOR・GET」という。こ
の単語をよく見ればわかるように、「FOR・GIVE(許す)」は、「与えるため」とも訳せる。
同じように「FOR・GET(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。つまり『許して、忘れ
る』は、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということ
になる。その度量の深さによって、真の愛が決まる。
 が、誤解してはいけないのは、「許して、忘れる」と言っても、子どもに好き勝手なこと
をさせろという意味ではない。子どもがどんな子どもであっても、その苦しみや悲しみを
共有し、それを許し、忘れるということ。
 親は子どもを産むことで親になるが、真の愛にたどりつく道は、遠い。険しい。何度も
道に迷いながら、ときに袋小路に入って、もがく。苦しむ。「ああ、もうだめだ」と思うこ
ともある。
 そういう幾多の山を越え、谷を越えて、やがて親は、真の親にたどりつく。そのときの
言葉が、これ。『許して、忘れる』。いつかあなたも子育てで行きづまりを感ずることがあ
る。そんなとき、この言葉を、思い出してみてほしい。あなたはその先に、「真の愛」を見
出すはず。心が救われるはず。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●『許して、忘れる』

 「パパ、もうダメだ!」と、息子のHが、電話をかけてきた。それまでに聞いたことが
ないような、悲痛な声だった。私は異常さを感じ、すかさず、こう言った。「帰っておいで!」
と。

(以下、まぐまぐプレミア(有料版)のほうにてのみ、公開しています。)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宇宙人は、存在する!】(改)(Aliens are definitely out there!)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

驚くべきニュースが、伝えられた。
時事通信、7月25日、ニューヨーク発は、
つぎのように伝える。
その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++以下、時事通信より+++++++++++++

【ニューヨーク 25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラ
ジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが
相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・
ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われ
われのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。宇宙人は「奇
妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。(ヤフー・ニュースより転載) 

++++++++++以上、時事通信より+++++++++++++

この記事の信憑性を確かめることにした。
が、それは今日(7月25日)、オーストラリアの友人が送ってくれた情報の中に、含まれ
ていた。

それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。
(荒っぽい訳なので、後日、改めて訳し直してみたい。)

++++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 
14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(ア
ポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien 
contact has been repeatedly covered up by governments for six decades. 
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙
人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、
という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had 
had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.' 
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇
宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと
語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, 
large eyes and head. 
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られて
いる(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had 
they been hostile", he warned "we would be been gone by now". 
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「も
し彼らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for 
the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission. 
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッシ
ョンでは、9時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on 
this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said. 
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実
であるという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はた
またまもった」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly 
it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it. 
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少し
ずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分につい
て、述べるという特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of 
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers 
recently, it's been happening quite a bit." 
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そ
うだとも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、
それがたいへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a 
Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and 
similar alien visits continue to be investigated. 
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学
の博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、
調査されていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to 
open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are 
moving in that direction." 
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソン
にこう語った。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつ
かの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he 
was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it." 
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、
まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down. 
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in 
any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe. 
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、
この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、
いかなる隠蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題につい
て、彼の意見と共にすることはない」と。

++++++++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++
A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even 
the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from 
former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been 
coming to visit for decades. 

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of 
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers 
recently, it's been happening quite a bit," he said. 

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
"NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien 
life on this planet or anywhere in the universe," the agency said. 
But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else - 
thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer 
to home: it's all in your head, and you're wrong. 
"We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and 
crime TV shows are," Mr Williams said. "The brain needs to find answers, it can't 
stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it's wrong." 

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

+++++++++++++++はやし浩司

しかし私はこの記事を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのだ」と。

私とワイフは、35年近くの前の夜のこと、散歩中に、巨大なUFOを目撃している。
以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
この35年間、その歯がゆさとの闘いだった。

しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結び
つけるのは、まだ早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな
体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されている。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のこと
をさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに
人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるよう
なもの。

……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、
自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた者どもよ、悔しかったら、この記事を自分で読ん
でみることだ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 宇宙人 宇宙人は存在した
 アポロ14号 エドガー・ミシェル Dr Edgar Mitchell ET ALIEN エイリア
ン ロズウェル グレイ 宇宙人 はやし浩司)

++++++++++++++++

私たちが見たUFOについて書いた
記事がつぎのものです。
地元の中日新聞に掲載してもらいました。

++++++++++++++++

●見たぞ、巨大なUFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二
人で、それを見た。見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで
「ひょっとしたら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、
いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の十
二時を過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見上げると、淡いだいだい色の丸いも
のが、並んで飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛ん
でいるのだと思った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。

あとで聞くと女房も同じことをしていたという。が、それを五、六個まで数えたとき、私
は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の
字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきもの
だった。「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び
去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから
だ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれ
がUFOとは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のも
ので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。が、
このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を
届けてくれた。

当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。矢
追氏はその番組のディレクターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でも
ある。私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同
じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物
と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその
宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはな
い。

もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私
はその人と闘う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を
汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。

 …とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君
は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑わ
れる」と言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。
文を書くといっても、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィ
クションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊
書いた。うち四冊は中国語にも翻訳されている。

 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。たとえば
この世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそ
れについて書いてみた。

(補記1)

私とワイフの見たUFOは、いわゆる「ブーメラン型」のもので、後に、アリゾナ州のフ
ェニックスで目撃されたUFOと同型のものと思われる。

しかし喜んでばかりは、いられない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるという
ことは、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人
は、人類の前に姿を現すことはない。

しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであ
ろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなけ
ればならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつ
あるということ。
2100年までに、地球の平均気温は、4〜6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、
2100年で止まるわけではない。
仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不
測の事態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4〜6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると
考えるのは、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度
Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

(補記2)

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1)彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィル
スに対して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球と
ほとんど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2)地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、
かなり暗い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景
色を見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの
生物ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、
人類は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するにまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の
過程で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしま
う」とわかれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけというこ
とになる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球
人の最期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist エイリアン ET 宇宙
人)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●多治見で39度!

++++++++++++++++++H.Hayashi

今日(7月25日)、岐阜県多治見市で、最高気温39・0度を記録した。
猛烈な暑さである。
この浜松市でも、37・5度!
ちょうどその時刻に、私とワイフは、街中を歩いていた。
乾いた、肌を貫くような白い太陽光が、容赦なく天から降っていた。
「暑い」というよりは、「熱い」。
そんな感じだった。
私とワイフは、駐車しておいた車に飛び乗ると、クーラーをガンガンと
回した。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●宇宙人(ET)の話、PART2

●人間と宇宙人

昨日、久しぶりにUFOの話を、書いた。
あえて言うなら、「夏の夜のロマン」というところか。
UFOについて書けば、かえって変人扱いされるだけ。
「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういうことを書くのは、
やめたほうがいい」と忠告してくれた人もいた。

が、あのE・ミシェル元宇宙飛行士が、「UFO現象は、現実(real)である」
「宇宙人(ET)は存在する(real)」と断言した。

久々に、胸の内がスカッとする、ビッグ・ニュースである。

しかし問題がないわけではない。
私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを
隔離したり、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と
考えてよい。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしている
と言われている。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、
彼らにとっても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

すでに40年ほど前から、『月空洞説』(「月の先住者たち」)というのがあった。
旧ソ連の2人の科学者が言い出した説だが、根拠はいろいろある。
その第一は、月が体積に比して、比重が軽すぎるということ。
また月全体がまるで釣鐘のようになっていて、人工的に起こした地震波が、
いつまでも月の表面を伝わるなどの現象ガー・ミられる、など。

この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせてみると、今まで合点のいかなかった
ことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが
合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを
目撃した人もいるという。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという
伝説まで残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家も
いる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が
確認され、宇宙人の存在が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の
歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に出てくる。

アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかり
しれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

若いころ中国に伝わる『黄帝内経(こうていだいけい)』という本を調べているとき、
そのとほうもない科学性に驚いたことがある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも
出会った。
(詳しくは、私のHP上で紹介。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な
立場では、たとえば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

少なくとも、今から5500年前を境として、人類は、それまでの新石器時代から、
青銅器、鉄器時代へと、飛躍的に進化している。
このころ、黄河文明が生まれ、チグリス・ユーフラテス文明生まれた。
文字の発明も、このころと考えてよい。
で、先にあげた「黄帝内経」の「黄帝」というのは、司馬遷の「史記」の第1ページ目を
飾る黄帝である。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、
東の空に消えていった。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、
宇宙工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。

E・ミッシェル博士が指摘するまでもなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は
とっくの昔に、滅びていただろう」ということになる。
考えるだけでも恐ろしいことだが、宇宙人がその気にさえなったら、人類など、
部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺してしまうかもしれない。

●なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿を
おおっぴらに、私たちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということに
なる。

だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の
気温についてだけをみても、4〜5度も上昇するという。

中には、「たった4〜5度?」と思う人もいるかもしれないが、4〜5度もあがれば、
真冬でも、現在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬の
ほうに、より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、
さらには地球温暖化防止のための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを
考えみれば、それがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、
あなたは何と答えるだろうか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかも
しれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、
「それができないから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という
不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」
と思うようになった。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」
がつづくかどうか、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、
それに備えて、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その
根底からひっくり返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリスト
ですら、宇宙人とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教その
ものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられ
るような、単純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 壮大なロマン


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●7月25日(金曜日)

++++++++++++++++

久々に、書斎に、もどった。
昨日までは、新しく買ったノートパソコンを手に、
あちこちの部屋を移動しながら、原稿を書いていた。

やはり、原稿を書くには、この部屋がいちばん、よい。
このデスクトップがいちばん、よい。
電源を入れて、1〜2分後には、ビスタで作業ができる。

++++++++++++++++

●K国の核開発問題

シンガポールで行われていた、ASEAN地域フォーラム
(ARF)閣僚会議が、7月24日、終わった。
期間中、米朝の外務大臣どうしが、秘密会談を行ったようだ。
しかし結果は、「不発」。
拉致問題についても、ゼロ声明。
「K国の核計画申告書の検証の重要性を強調する議長声明を採択した」
(TBS)程度で終わってしまった。

来月8月11日に、K国のテロ国家指定解除が発効する。
それまでに核計画申告書の検証作業が具体化する予定だが、
このままでは、むずかしい。
K国は、さらにああでもない、こうでもないと、難グセをつけて、
引き延ばし戦術に出てくるはず。

期間中、C・ライス国務長官が、日本の高村外務大臣に、「検証
作業の具体化を急ぐよう、K国圧力をかけてほしい」という
要請があったという。

しかしC・ライスさんよ、今ごろ気がついても、遅い!
拉致問題を棚上げし、既存核兵器を切り離し、その上、検証作業
メンバーから日本をはずした。
何もかも、K国の言いなり。
原油もあげた、食糧もあげた、時間もあげた、音楽もあげた……。
しかしK国がしたのは、すでにジャンク・ヤード化していた冷却塔を
爆破しただけ。
あなたはK国に、完全に、ナメられている。


●調査書改ざん

TBS―iニュースは、つぎのように伝える。

++++++++++++++++++++++++++++++

静岡県H市にある県立高校で、大学受験する生徒2人の調査書が改ざんされた問題で、県
の教育委員会は、当時の校長を虚偽公文書作成などの疑いで警察に刑事告発しました。

(中略)

 この問題はT林業の教師4人が。去年卒業した2人の生徒について、推薦入試を受ける
際の基準を満たすよう、大学に提出する調査書の成績を改ざんしていたもので、4人は懲
戒処分を受けています。

 静岡県の教育委員会は、4人の話などから、当時の校長の働きかけで改ざんが行われた
と判断し、今月24日に虚偽の公文書作成などの疑いで警察に告発し、受理されました。

+++++以上、TBS−iニュースより+++++++++++

ニュースの記事だけでは、調査書のどの部分を、どのように「改ざん」したかまでは、わ
からない。
成績という数字だけの改ざんなのか、それとも、活動記録という記録の改ざんなのか。
雰囲気としては、「数字」の改ざんであったように感ずる。
そこでここでは、あくまでも、「数字の改ざん」という前提で、考えてみたい。

たとえばアメリカなどでは、いくら成績がよくても、成績だけでは、ハーバード大学など
の名門校には入学できない。
人物像、性格、人間性などを総合的に判断した、学校長などの推薦文がなければ、入学で
きない。
この「推薦文」にあたる部分が、この日本には、ない。
成績一辺倒というか、数字一辺倒。
(人物評価欄というのは、あるにはあるが……。しかしそれは各大学でも、形式的なもの
としかとらえていない。)

そこで今では、テストの点数だけで、成績をつけるということは、あまりしない。
「頭の中で、その子どもの印象を思い浮かべながら、成績をつける」(某、中学校教師談)
という方法が、一般化している。
さらに、小学校レベルでは、「あっちの子の成績をさげて、こっちの子の成績に上乗せする」
ということが、ごく当たり前のこととしてなされているという。
そういう話を、うわさとして聞いている。

ただ今回の事件は、校長が指示して(?)、4人の教員がそれに応じて動き、懲戒処分を受
けているという点で、きわだっている。
不正は不正なのだから、どこかで歯止めをかけておかないと、調査書そのものが、さらに
形骸化してしまう。
だから「事件」になったのだろう。

しかし教育には、ハンドルの(遊び)のような部分が、必要である。
わかりやすく言えば、「まあ、いいじゃないか」という、おおらかさである。
(たとえば、成績はあまりあがらなくても、がんばったという姿勢が見られたら、その子
どもを励ますという意味で、成績をあげたりする、など。)
その(遊び)の中で、子どもは自ら、伸びていく。
ギスギスは、かえって子どもの伸びる芽を摘んでしまう。

調査書改ざんを擁護するつもりは、まったくない。
ないが、しかしこの事件は、大分県で起きた、教員不正採用試験とは、まったく異質のも
のである。

要するに、「推薦」という部分を、「数字」ではなく、もっと別の方法で表現できないかと
いうこと。
そうすれば、「推薦入学制度」も、もっと実のあるものになっていくと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 調査書改竄 改ざん)


●鮎料理

先日、あるところで、ある料理を食べた。
「料理」と言えるようなものか、どうかは、わからない。

看板には、「ジャンボエビフライ、牛肉ステーキ、鮎の塩焼き、食べ放題」とあった。

しかし入ってみて、驚いた。
食べ始めてみて、驚いた。

まず、(1)ジャンボエビフライ。……というのは、まっかなウソ。
コロモだけがやたらと厚く、中のエビは、ヒモのように長く伸ばされていた。
(コロモの暑さは、1センチ程度。その中のエビは、太くても5〜8ミリ。)

つづいて(2)ステーキ。どれも硬くて、歯が立たなかった。

が、最悪なのは、(3)鮎の塩焼き。

私は子どものころから川魚を食べ慣れているから、そうでもなかったが、ワイフには、ち
がった。
あの川魚独特の生臭さは、海の魚には、ない。
人によっては、ムッとするような臭い。
おまけにあの、ヌルヌル感。
それだけで食欲をなくす人も多いはず。

それを丸いコンロの上で、いっしょに、焼く。
言い忘れたが、「塩焼き」と言いながら、鮎には、塩がまぶしてなかった。
そういう生の鮎が、金属製のトレイの中に、串をさして並べてあるだけ!

私はいろいろな料理を食べてきたが、あれほどまでに最悪の料理を食べたことがない。

ほかの客たちは、鮎の焼き方もわからないから、コンロの上に、そのまま置いた。
そのため皮だけが真っ黒にこげ、中は、生焼き。
口に入れたとたん、ゲーゲーと、口から吐き出している客もいた。

あとで聞いたら、店員に抗議した人もいたとか。

それにしても、ひどい料理だった。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●幸せに慣れた者は、不幸の意味がわからない

+++++++++++++++++++++

時代は変わった。
若者たちも変わった。
ものの考え方も、変わった。

+++++++++++++++++++++

最近の若い人たちは、「ぼくたちは不幸だった」と言う。
これだけ恵まれた世界に住みながらも、そう言う。
「こんな世の中、生まれてこなければよかった」と言った若者もいた。
心のすみに、そういういじけた心を閉じこめておく、牢屋のようなものがあるらしい。
何かの口論になったようなとき、そういう言葉が、ふと口から漏れる。

そういう言葉を聞くたびに、私はこう思う。
「何が、不幸だ」「不幸の意味も知らないくせに」と。

私たちが子どものころには、家族旅行などという言葉すら、なかった。
私の家が特別というわけでもないが、私の家族が家族旅行なるものをしたのは、
私が小学4年生のときが、はじめて。
数えてみれば、たったの1度だけ。
それも行った先は、伊勢。
その伊勢で、父は酒をあおってしまい、旅館で、大暴れ。
私たちは泊まることもなく、そのまま夜中に、家に帰ってきてしまった。
無惨な、あまりにも無惨な、家族旅行だった。

しかし私は親たちに向かって、「不幸だった」とか、「生まれてこなければよかった」など
と、言ったことはない。
そういう発想そのものが、私たちにはなかった。

日本が今にみるような豊かな国になったのは、ここ20〜30年のこと。
不幸と言えば、それ以前の日本がどういう国であったかを知らないことほど、不幸なこと
はない。
「今の状態」を当たり前と思うあまり、そこにある「幸福」に気づかない。

食事を口にすることができる。
寝泊まりする家がある。
洗濯された服が、そこにある。

今では高校生でも、親に感謝しながら高校に通っている子どもは、ゼロ。
大学生にしても、口では「ありがとう」とはいうものの、本当に感謝しているかどうかと
なると、疑わしい。
「高校へ行くのは、当たり前」「大学へ行くのは、当たり前」という前提で、ものを考える。
へたに、「進学をあきらめてくれ」などと親が言おうものなら、即座に子どものほうが、そ
れに反発する。

私は私で、生きていくだけで、精一杯だった。
それこそ身を粉にして働いた。
ある時期は、休みは、月に1度しかなかった。
今の若い人たちは、そういう(過去の現実)を知らない。

だからこう言った若者がいた。
「ぼくのおやじは、金儲けばかりしていた」と。
そこで私が、「君たちが大学へ行くのだって、お金がかかったんだよ」と言うと、こう反論
する。

「子どものときから、勉強、勉強と、勉強で追われた。その責任を取るのは、親の義務」
と。

もし当時、当時の日本人が、アメリカ人のような父親、たとえば『名犬ラッシー』に出て
くるような父親を演じていたら、その翌年には、一家心中……ということになっていたか
もしれない。
そういう過去の(現実)が、まったくわかっていない。

だからある日、私は自分がしてきたことが、バカらしく思えたことがある。

私の時代には、息子というのは、収入の半分を、実家へ仕送りするというのが、ひとつの
習わしになっていた。
みなガー・ミなではないが、私の周囲にも、同じようなことをしている人が、何人か、いた。
盆や正月には実家へ帰り、親に金銭を渡したり、贈り物をするという習慣も残っていた。

が、今では、それが逆転している。
親のほうが息子や娘、それに孫に金銭を渡したり、贈り物をしている!
いろいろな調査結果を見ても、「将来、親のめんどうをみる」と考えている子どもは、40%
もいない。
「めんどうをみる」という意味すら、わかっていない。
へたにそういう話題をもちだすと、「そんなのは親の責任」と言われそう。
つまり死ぬのも、私たち自身の責任で死ねということか。

その点、私のワイフなんかは、ずいぶんと前に、割り切ってしまっている。
たとえば私が息子たちにいくらかの金銭を渡すたびに、「そんなことはしなくてもいい」と、
ブレーキをかける。

とは言うものの、息子たちから何かの贈り物が届くというのは、うれしいもの。
三男は大学生のころから、旅の先々から、その土地の名物を送ってくれる。
その三男が、おととい、電話で、こう言った。

「パパ、NAPA(=アメリカ)での訓練が終わったら、1か月、休暇がもらえる。いっ
しょに旅行に行こう」と。

うれしかった。
楽しみがふえた。

私たちには、その「幸福」が、よくわかる。
身にしみる。

ワイフはさっそく、旅行先を選び始めた。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●カルト

+++++++++++++++++

昨日も、G―BLOGへのアクセス数が、
1000件を超えた。
(G−BLOGだけだぞ!)
その分、コメントも、いろいろ寄せられた。

そのコメントを読みながら、ふとこんな
ことに気づいた。

+++++++++++++++++

まずAさん(文の感じからして、若い女性)
のコメント。

「S」というグループ・シンガーについて書いた
エッセーについて、(その「S」を批判したわけではないが)、
「結成した年月日がまちがっている」「あなたの
書いていることは、意味不明」と。

つまり一部がまちがっていることを理由に、
私の書いた原稿を、全否定している。

同じようなコメントだが、「あなたは武士道を否定
しているようだが、教育者として資格なし」
というのもあった。

このコメントも、やはり一部が気に入らない
ことを理由に、私のすべてを、全否定している。

こうした傾向……つまり、一部が気に入らないことを
理由に、ほかのすべてを否定するというのは、
カルト教団の信者によく見られる特徴の一つである。
「誇大視化」という。
「巨大視化」ともいう。

少し前だが、こう言ったある仏教系カルト教団の信者がいた。

「キリスト教はまちがっている。キリストは、最期は、
十字架に張りつけになっている。その無惨な死に方が、
キリスト教がまちがっているという証拠だ」と。

こうして考えてみると、(カルト)と呼ばれているものは、
何も信仰の世界だけの話ではないということになる。

ここにもある、そこにもある、どこにでもある。

……となると、もう一度、ここでカルトについての定義を
再確認しておかねばならない。

以前書いた原稿の中から、それをさがしてみる。

++++++++++++++++++++++

●誇大視化

 カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」
と呼ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさ
に問題にし、さらにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。

 しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、
ごくふつうに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間で
も、ごくふつうに見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。

 私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツ
にウンチがついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方の
ほうが、「座っていなさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのと
きもそうだった。が、ここでハプニングが起きた。

そばにいた別の子どもが、その子ども(小二男児)のおしりに顔をうずめて、「クサイ!」
と言ってしまったのだ。「先生、コイツのおしり、本当にクサイ!」と。

 で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電
話がかかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうこと
だ!」と。私はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。

それから3か月もたったある日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出し
た。見ると、父親からの手紙が添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。
あちこちで講演をしているというが、今すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」
と。

 ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、
母親は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、
それですますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。

たしかに私は失敗をした。しかしそういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失
敗を恐れていたら、教育そのものができない。教育といっても、基本的には人間関係で
決まる。で、そういう一部の失敗をことさら大げさにとらえ、それでもって、相手を全
否定する。ふつうの否定ではない。全人格すら否定する。

 そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するとい
う。「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに
誇大視化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
誇大視 誇大視化 巨大視 巨大視化)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心を解き放て!

 今、人知れず、家庭内宗教戦争を繰り返している家庭は多い。たいていは夫が知らない
間に、妻がどこかのカルト教団に入信してしまうというケース。しかし一度こうなると、
夫婦関係は崩壊する。価値観の衝突というのはそういうもので、互いに妥協しない。

実際、妻に向かって「お前はだれの女房だ!」と叫んだ夫すらいた。その妻が明けても
暮れても、「K先生、K先生」と言い出したからだ。夫(41歳)はこう言う。「ふだん
はいい女房だと思うのですが、基本的なところではわかりあえません。人生論や哲学的
な話になると、『何を言っているの!』というような態度をして、私を無視します」と。
では、どうするか?

 宗教にもいろいろある。しかしその中でも、カルトと呼ばれる宗教には、いくつかの特
徴がある。

排他性(他の思想を否定する)、
情報の遮断性(他の思想を遮断する)、
組織信仰化(個人よりも組織の力を重要視する)、
迷信性(外から見ると?、と思うようなことを信ずる)、
利益論とバチ論(信ずれば得をし、離れるとバチが当ると教える)など。
巨大視化(自説を正当化するため、ささいな事例をことさらおおげさにとらえる)を指摘
する学者もいる。

 信仰のし方としては、

催眠性(呪文を繰り返させ、思考能力を奪う)、
反復性(皆がよってたかって同じことを口にする)、
隔離性(ほかの世界から隔離する)、
布教の義務化(布教すればするほど利益があると教える)、
献金の奨励(結局は金儲け?)、
妄想性と攻撃性(自分たちを批判する人や団体をことさらおおげさに取りあげ、攻撃する)
など。

その結果、カルトやその信者は、一般社会から遊離し、ときに反社会的な行動をとるこ
とがある。極端なケースでは、ミイラ化した死体を、「まだ生きている」と主張した団体、
毒ガスや毒薬を製造していた団体、さらに足の裏をみて、その人の運命や健康状態がわ
かると主張した団体などがあった。

 人はそれぞれ、何かを求めて信仰する。しかしここで大切なことは、いくらその信仰を
否定しても、その信仰とともに生きてきた人たち、なかんずくそのドラマまでは否定して
はいけないということ。みな、それぞれの立場で、懸命に生きている。その懸命さを少し
でも感じたら、それについては謙虚でなければならない。「あなたはまちがっている」と言
う必要はないし、また言ってはならない。私たちがせいぜいできることといえば、その人
の立場になって、その人の悲しみや苦しみを共有することでしかない。

 冒頭のケースでも、妻が何かの宗教団体に身を寄せたからといって、その妻を責めても
意味はない。なぜ、妻がその宗教に身を寄せねばならなかったのかというところまで考え
てはじめて、この問題は解決する。

「妻が勝手に入信したことにより、夫婦関係が破壊された」と言う人もいるが、妻が入
信したとき、すでにそのとき夫婦は崩壊状態にあったとみる。そんなわけで夫が信仰に
反対すればするほど、夫婦関係はさらに崩壊する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
カルトの特徴 カルト カルト信仰の特徴 2006年11月記)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

これらの原稿の中で、とくに重要なのは、
つぎのところ。
少し、補足してみたい。

【カルトの特徴】

●全体的な特徴としては、

(1)排他性(他の思想を否定する)

「私は絶対正しい」と言いながら、その返す刀で、「あなたは絶対に
まちがっている」と切り返す。
他者との価値観の融和性がない。

(2)情報の遮断性(他の思想を遮断する)

他者との接触はもちろん、その教団に対して批判的な団体、もしくは
批判的な記事のある雑誌や本を、極端なまでに排斥する。
「接しただけで、地獄へ落ちる」と教える教団もある。

(3)組織信仰化(個人よりも組織の力を重要視する)

徹底した上位下達方式による組織を形成する。
そのため信者は、ロボット化されているとも気づかず、
ロボット化する。

(4)迷信性(外から見ると?、と思うようなことを信ずる)

常識をはずれた行為をしながら、それが常識からはずれている
ことさえ気づかない。
かなり前のことだが、電柱に巻いてあるコイルは、人間を殺すための
新兵器であると説いた教団もあった。
(電柱に巻いてあるコイルは、電設会社の人たちが、予備として、
そうしているだけである。)

(5)利益論とバチ論(信ずれば得をし、離れるとバチが当ると教える)など。

カルトは、たいてい利益論(これを信ずれば、こういう利益があると教える)と、
バチ論(信仰を途中でやめると、恐ろしいことになる)を、ペアにしている。

(6)巨大視化(自説を正当化するため、ささいな事例をことさらおおげさにとらえる)
を指摘する学者もいる。

一部のまちがいを理由に、その相手を完全に否定する。
極端な自己中心性が見られることもある。

●信仰のし方としては、

(1)催眠性(呪文を繰り返させ、思考能力を奪う)

(2)反復性(皆がよってたかって同じことを口にする)

(3)隔離性(ほかの世界から隔離する)

(4)布教の義務化(布教すればするほど利益があると教える)

(5)献金の奨励(結局は金儲け?)

(6)妄想性と攻撃性(自分たちを批判する人や団体をことさらおおげさに取りあげ、攻
撃する)など。

+++++++++++++++++

こうしたカルト性は、何も、カルト教団と呼ばれる、信仰団体だけに
見られるものではない。

「マルクス・レーニン主義」というのも、どこかカルト化している。
最近では、「血液型正確判定」「占星術」「スピリチュアルブーム」も、
どこかカルト化している。
ゲームについても、そうである。
さらに健康法についても、さまざまなカルト性が見られる。

批判めいたことをBLOGに書いたりすると、翌日、ドッと、攻撃的な
コメントが送られてくる。

こうしたカルト化と闘う、ゆいいつの方法は、(1)自分で考え、
(2)常識に従う、である。
できれば自分の考えを文章化してみるとよい。
文章化することによって、自分の考え方の欠陥や、矛盾を自分で知ること
ができる。

あとは、常識に従う。
もっとも、ここでいう常識というのは、世俗的な常識のことではない。
広い視野の常識というか、「おかしいものは、おかしい」と、すなおに
思う常識をいう。

そのために、常に、常識人であることに心がける。
日々に、いろいろな思想に触れ、日々に、いろいろな人の話を聞き、
日々に、音楽を聴き、本を読み、自分の住む世界を広めていく。

こうした努力を怠り、ふと油断したそのとき、私たちはそのままカルトの
世界に入ってしまう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist カルト カルト性 カルト
化 狂信 誇大視化 巨大視化)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感集】

●下り坂を下るとき

++++++++++++++++++

それまでは前だけを見ながら、登りつめてきた道が、
50〜60歳になると、今度は、下り坂になる。
「下る」というよりは、「先細り」といったほうが、
正確かもしれない。
それまでの道が、突然、途切れ、その先が、暗い
モヤに包まれる。

そんなとき、自分にこう言って、問う。
「健康は、だいじょうぶか?」
「仕事は、だいじょうぶか?」と。

健康と仕事さえあれば、何とか生きていかれる。
夢や希望があれば、さらによい。
しかしぜいたくは言っておれない。
今、ここに生きているというだけでも、御の字。
「明日は何かあるかもしれない」と思えるだけでも、御の字。
ほかに何を望むことができるのか?
ほかに何ができるというのか?

ワイフはこう言う。
「私たちは幸せなほうよ」と。

そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
こういうばあい、他人との比較は、あまり好きではない。
私たちより不幸な人たちは、いくらでもいる。
だからといって、私たちが幸福とは、思いたくない。

他人は他人。
私は私。
人、それぞれ。

で、こういうときは、自分にこう言って聞かせる。
「とにかくがんばるしかない」
「今日、できることを、やるしかない」
「どうせやるなら、懸命にやろう」と。

あとは、日々に、この繰りかえし。
繰りかえしながら、明日に、命をつなげていく。

人生は今は、下り坂。
あとはそれを認めて、あくせくせず生きていく。
とにかく(その日)が来るまで・・・。

この人生観、少し暗いかな・・・?


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●幸福は長く延ばして、使うもの

++++++++++++++++++H.Hayashi

幸福は、細いゴムひものようなもの。
幸福を感じたら、できるだけそれを長く、延ばして使う。
おそるおそる、慎重に、かつ、ていねいに延ばして使う。

++++++++++++++++++H.Hayashi

幸福というのは、どのみち、長続きしない。
不幸と不幸の間にあるもの。
それが幸福ということになる。

だから心のどこかで幸福を感じたら、できるだけそれを長く、延ばして使う。
あせってはいけない。
無理をしてもいけない。
まちがっても、コップの中の水を、ぐぐっと飲み干すようなことはしてはいけない。
少しずつ、少しずつ、あふれた水をなめるようにして飲む。

一方、不幸を感じたら、動いてはいけない。
ジタバタしてもいけない。
熊が冬眠するように、じっと穴の中で、時間が過ぎるのを待つ。
不幸は、夏の終わりの嵐のようなもの。
長くはつづかない。
長くつづくと思ってもいけない。

愚かな人ほど、(ヌカ喜び)と(取り越し苦労)の中で、自分を見失う。
幸福のヒモを、自ら、断ち切ってしまう。
不幸を、さらに倍加させてしまう。


●観光地

伊吹山へ行く途中、「醒井(さめがい)」という観光地に寄った。
中仙道の街道宿場町で、その街道に沿って流れる地蔵川が、
そのあたりでも名所になっている。

透明度の高い川で、川の中には、ちょうど梅香藻という川藻が、5ミリ前後の
小さな花を満開させていた。
それが陽光を浴びて、キラキラと輝く水に流されていた。
都会の観光客の人たちにとっては、たまらないほど魅力的な景色かもしれない。
古い板壁の家。
木の格子戸。
石垣で組んだ小川などなど。

しかし残念ながら、私には、そうではない。
私は同じような町に、生まれ育った。
むしろあまりにも似ていることに驚いた。
「M町(=私の故郷)そっくり」と、ワイフに何度か言った。

観光地は、それぞれの特色を売り物にして、観光客を集める。
私の故郷のM町は、「うだつの町」として、売り出している。
隣のS 町は、「刃物の町」として、売り出している。
しかし「うだつ」など、私にとっては、何でもない。
ただの瓦屋根。
珍しくも何ともない。

(うだつの説明は、あえて省略。)

むしろ、私は、玄関先で涼を取っていた70歳前後の男性のほうに
興味をひかれた。
コンクリートの階段のところで、両手を前にたらして座っていた。
私の祖父に似ていた。
視線が合うと、その男性が、「ごくろうさま」と言った。
私は「暑いですね」と答えた。
白いランニングシャツと、それがつくる人影の、くっきりとしたコントラストが
美しかった。

私の祖父も、暑いときは、そうして玄関先で涼を取っていた。
通りを歩く人たちに、気軽に声をかけていた。

おそらくその男性にすれば、「どうしてこんな町に……」と
思っているにちがいない。
私自身も、そうだった。
若いころ、観光客の人たちが私の町へくると、こう思った。
「何が楽しくて、こんなところへ来るのだろう?」と。
というのも、こうした古い町並みの中に住んでいる人たちは、
それほどその町を気に入っているわけではない。……と思う。
むしろ嫌っている人も多いはず。
(一方、『住めば都』という諺もあるにはあるが……。)
私のワイフにしても、ときどき遊びに行くのはよいとしても、
住むのは、ぜったいにいやと言っている。

家と家が隙間なく軒を並べ、しかも古いしきたりが、クサリの
ようにからんでいる。
その重苦しさ、息苦しさは、外からはわからない。

そう言えば、私の母なども父と結婚して、そのM町に70年近く
住んだが、認知症が始まるころから、M町の話をまったくしなくなってしまった。
記憶から、その部分がすっぽりと抜けたような状態になってしまっている。
醒井の町を歩きながら、そんなことを考えた。

そんなわけで、観光地としては、星1つの、★。
先日訪れた、近江八幡は、星3つの、★★★。
彦根城は、評価できない。
このあたりでお勧めの観光地としては、長浜がある。長浜は、星4つの、★★★★。


●伊吹山

「伊吹山」は、どうやら「いぶき・やま」と読むようだ。
パンフレットでは、みな、そうなっている。
私は子どものころから「いぶき・さん」と読んでいた。

その伊吹山。
標高は1377メートル。
中学2年生のときに登って以来、47年ぶり。
山小屋でしばらく時間をつぶしたが、女主人に、「40年前のままですか」
と聞くと、「ありましたよ」と。
「50年前のままですか」と聞くと、「ありましたよ」と。

とたん、なつかしさが、ぐぐっと胸の中に充満してきた。
私はその山小屋で仮眠を取り、翌朝のご来光を拝んだ。

ワイフに、「タイムスリップしたみたい」と言うと、
「よかったね」と。

伊吹山へ来てみて思い出したことが、いくつかある。
夜の山道を、ライトを照らしながら登ったこと。
その光の帯が、細く、長くつづいていたこと。
私たちは「ロッコー……何とか」と、掛け声をかけながら、
みなで山に登ったこと、など。

山小屋では、(現在は、床をはずされ、小屋全体がレストランに
なっていたが)、自分がどのあたりに眠ったかまで思い出した。

帰りは、みなで走りながら山道をくだった。
そんな思い出が断片的だが、つぎつぎとよみがえってきた。

山小屋でワイフは、伊吹牛乳というのを飲んだ。
私はソフトクリームをなめた。
なめながら、こんな話をした。

私「なあ、タイムスリップして、あのときのぼくに戻ったら、どうする?」
ワ「映画みたいね……」
私「そう映画みたいだ。……でね、中学生のぼくが、お前を訪ねていくという
話はどうだ?」
ワ「訪ねてきて、どうするの?」
私「ぼくは将来、君と結婚することになっていると告げる」
ワ「私、気味悪がって、逃げるかもしれないわ」

私「そうだな。……だったら、お前とぼくしか知らない話をすればいい」
ワ「なんて?」
私「一升瓶をもって、角の酒屋まで、酒や納豆を買いにきた話というのは
どうだ?」
ワ「私の兄弟なら、みんな知っているわ」
私「だったら、小学2年生のとき、近所の友だちと、お医者さんごっこを
したという話はどうだ?」

ワ「いやねえ……。よけい、気味悪く思うわよ」
私「そうだな。やっぱりそのときが来るまで待つしかないね」
ワ「その時って?」
私「ぼくたちが乗馬クラブで出会ったときの日だよ」
ワ「なかなかロマンチックね」と。

伊吹山はすっかり変わっていた。
今では最後の200メートルを残して、バスで登れるようになった。
しかし先にも書いたように、あの山小屋は、50年前のまま、そこにあった。

「このあたりだよ、たぶん……。みんなで記念撮影をしたのは……」と。

2度と、伊吹山に登ることはないだろう。
つぎの50年後には、私は110歳になっている。
生きてはいないだろう。

駐車場まで下りたとき、もう一度、あのどこか平らな伊吹山を、もう
一度、脳裏に深く刻み込んだ。

(追記)

ところで海抜1300メートルの伊吹山山頂で、なんと、あのツバメが
飛んでいた。
自由自在というか、まるで行き交う流星群のように飛び回っていた。
速い!
私はツバメというのはこの時期、人間の民家までおりてきて、そこで
巣をつくり、子育てをするものだとばかり思っていた。
ジェット戦闘機でも、あれだけの速度感は、ない。
ヒョイと身をかわすと、そのまま数百メートル飛び、そこでまたヒョイと
身をかわすと、別の方向に、そのまま数百メートルは飛ぶ。
そんな飛び方だった。

「同じツバメでも、ちがうものだな」と思った。
街中をチョコマカ、チョコマカ飛び回るツバメもいれば、抜けるような
天空を、思うがまま飛び交うツバメもいる!
「私なら……」と思った。
「私なら、街中よりも、こうした山の頂上付近を飛び回るツバメになる」と。
だれのためでもない。
自分のため、と。

眼下を見ると、白いモヤにかすんで、小さな民家が点在しているのが見えた。
ひょっとしたらツバメたちのネグラは、あの民家かもしれない。
ツバメの運動能力にすれば、1300メートルの高さなど、何でもない。
山頂まで来るのに、数分もかからない?
朝になるとここまでやってきて、夕方、また戻っていく?

いずれにしても、すごい運動能力!
私は、しばらくぼんやりと、ツバメの動きに見とれていた。


++++++++++++++++++H.Hayashi

●多数決という、非民主主義

++++++++++++++++

帰りの観光バスの中で、ガイドさんが、
「ビデオを見るかどうか、採決をします」と切り出した。
定番である。

「これからビデオを見るかどうかで、多数決を取ります。
ビデオを見たい人……手をあげてください。
ハイ、11人。
ビデオを見たくない人……手をあげてください。
ハイ、13人……」と。

よかった!
またまたあの『釣りバカ日誌』を見せられたら、私は発狂していたかもしれない。
私は、同じビデオを、もう3回も見せられた。

しかしこういうのを、民主主義とは言わない。
「多数決」には、限界がある。
それについて、説明したい。

たとえばここに、20人の人がいる。
ビデオを見たいと思っている人が、その中の15人。
しかしビデオを見ることで、迷惑する人が、5人。

採決をすれば、当然、ビデオを見たい人が多いわけだから、ビデオは、かけられる
ことになる。
が、こういうのを、民主主義とは言わない。
多数決イコール、絶対的な正義ではない。
もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

たとえばここに20人の人がいる。
そのうち、記念碑を作りたい人が、15人。
記念碑が作られることによって、迷惑を受ける人が、5人。
「15人」というのは、建設業がらみの人たちである。
「5人」というのは、その地域の人たちである。
そこである人が多数決を取ることにした。

「記念碑の建設に賛成な人……手をあげてください。
ハイ、15人。
記念碑の建設に反対の人……手をあげてください。
ハイ、5人」と。

こういうケースのばあい、それによって迷惑を受ける人が1人でもいたら、
その人がこうむるであろう不利益を、優先して考えなければならない。
記念碑というのは、なくても構わないものである。

ビデオについての採決についても、そうである。

たまたま今日は、「見たくない人」が多かった。
しかしそれは客のほとんどが、50〜60代以上の人たちであったことによる。
伊吹山に登ったあとで、みな、クタクタ。
ガイドさんは若いから、まだ老人の生理というものがよくわかっていない。
この年齢になると、大半の人が、昼寝をする。
帰りの旅というのは、ちょうどその昼寝時間と重なる。

が、もし半分以上の客が、若い人たちだったら、採決の内容はちがったものに、
なっていたはず。
「では、ビデオを見ることにします」とか、なんとか。

一応、この日本は民主主義国家ということになっている。
多数決が意思決定の、大原則になっている。
しかしものごとすべてを、その多数決だけで決めていたら、それこそ、たいへんな
ことになる。
そのつど、弱者や少数者が、犠牲になる。

そこで民主主義の世界では、弱者や、少数者に、いかにやさしいかで、その
熟成度を知る。
当然のことながら、弱者や、少数者に、やさしい社会を、完成度の高い社会という。
そうでない社会を、そうでないと言う。

このばあい、ビデオをかけられることで、迷惑をする人がいたとしたら、(何も
ビデオというのは、見なければならないものではないのだから)、
ビデオはかけるべきではない。
「ビデオを見なければ、退屈で、気が変になる」という人がいれば、話は別だが、
そんな人はいない。
しかしここにも書いたように、ビデオなど、見なければ見なくても、すむはず。
また見なければならないものでもない。
だったら、「安眠を妨害されて迷惑する人」を、優先すべきである。
そういう人が、たとえ3人でも、4人でもいたら、ビデオの上映は、
やめるべきである。

それが民主主義である。
より完成された民主主義である。

わかるかな?

が、若いガイドさんには、それがわからない。
わからないから、単純に多数決を取ることで、ものごとを決めようとする。
つまりそれだけ、未熟ということ。

ガイドさんが未熟というより、日本の民主主義が、未熟ということ。


●通俗性

++++++++++++++++++H.Hayashi

いかにして、自分の中に、通俗性を確保するか。
通俗であれということではない。
この通俗性の大切さは、老人たちを観察してみるとわかる。

++++++++++++++++++H.Hayashi

老齢になると、極端に偏屈になる人がいる。
小さな殻(から)にこもり、その世界だけで生きる。

社会適応性がなくなるのは、しかたないとしても、
協調性、融和性、同調性がなくなる。
が、それですめばまだよいほう。
さらに症状が進行すると、奇行を繰り返すようになる。

たぶんに脳の老化による部分もあるのだろうが、
それによって迷惑するのは、その周囲の人たちという
ことになる。

だから心の一部は、常に、通俗に向けて開いておく。

こんな経験をしている。

この年齢になると、観光バスによるバス・ツアーは、
たいへんありがたい。
ありがたいが、その中は、通俗そのもの。
先日は、バスに乗り込んだとたん、ムッとするような
ニンニクのにおいがした。
乗客の一人が、ニンニクを食べて、旅行に参加したらしい。

あるいは、こまかいところでマナーを守らない人もいる。
酒を飲んで、騒ぐ人や、大声でしゃべりあう人たち。

しかしそういう人たちに、いちいち腹をたてていたら、旅行も
旅行でなくなってしまう。
つまりこちらも、そうした通俗性に合わせるしかない。
(私たち自身も、気がつかないところで、他人に迷惑をかけて
いるかもしれない。)

このことは子どもの世界をみていても、わかる。

すばらしすぎるほどすばらしい家庭環境で(?)育てられた子どもがいる。
それこそ、毎日、クラシック音楽で目覚めるような子どもである。
(これは少し、おおげさかな……。)

このタイプの子どもは、集団生活の中に押し込むと、その
ストレスから神経疲れを起こしやすい。
実際、こんな例がある。

Nさん(小1)は、いつもていねいな話し方をする子どもだった。
ほかの子どもたちが乱暴な話し方をするときでも、Nさんだけは、
「わかりました」「そうします」というような言い方をしていた。

Nさんの母親も、そういうNさんに満足していた。
私も、そういう言い方を、ほめ、励ました。
が、小学校へ入学してすぐ、異変が起きた。

Nさんのそういう言い方に対して、ほかの子どもたちが、
「お前の言い方は、へん」と、Nさんをいじめ始めたというのだ。
Nさんは、それほど器用な子どもではなかった。
そのまま不登校児になってしまった。

子どもを育てるとき、ある程度の通俗性は必要ということになる。
「ゲームは絶対に、だめ」
「コミックは、禁止」
「携帯電話は、もたせない」と。
頭から子どもを押さえつける親も、少なくない。
そういう意味では、子育てには、その親のもつ哲学観、教育観、
人生観がすべて集約される。
それはそれでしかたのないことだが、それをそのまま子どもに
押しつけてしまってはいけない。

子どもには子どもの世界がある。
大切なことは、子どもがその世界で、みなと楽しく過ごすこと。
そのためには、親自身も、ある程度の通俗性を受け入れる。
子どもの世界を、ほかの世界から隔離してしまえば、かえって
子ども自身が、苦しむことになる。
子どもは無菌状態になってしまう。

「学校」という場ではそれでもよいかもしれないが、一歩、
その場を離れたとき、抵抗力がない分だけ、『温室育ち、すぐ
風邪をひく』という状態になる。

……ということで、私たちはいつも、どこかで通俗との接点をもつ。
その努力を怠ってはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++July 08++++++++++はやし浩司

●うるさい、オバチャンたち

今日もそのバスの中で、うるさいオバチャンたちに、出会った。
うるさい。
本当に、うるさい。
バスに乗るやいなや、ギャーギャー、ゲラゲラ、ワーワーと騒ぎ出した。

旅行というのは、そういうものだと思っているらしい。
またそうすることが、旅行を楽しむ方法だと思っているらしい。
しかしこれはたぶんに、学校教育によるものだと思う。
私たちは、学生のころ、遠足といえばバス。
バスといえば、その中で騒ぐのが、旅行の仕方と学んだ。

欧米の方式がよいというわけではないが、欧米の人たちは旅行といえば、
いつも本を片手に、あちこちを歩き回っている。
一方日本では、少し前まで、観光地といえば、どこでも、
ガンガンと音楽が鳴らされていた。
「騒音」に対する感覚そのものがちがう。

数年前だが、エレベータに乗って驚いた外人の話が何かの雑誌に載っていた。
「日本は、どこへ行っても、騒音だらけ」
「エレベータの中でさえ、音声ガイダンスがあった」と。
ついでに言うなら、バスガイド。
もう、こんなバカげたサービスは、やめたらよい。
市内観光とか、どこかの観光地を回るときは、それなりにガイドも必要かも
しれない。
しかしくだらない無駄話ばかり。

今日乗ったバスのガイドも、こんな話をしていた。
「高校野球がどうの……」
「今年の気温はどうの……」
「交通渋滞はどうの……」と。

そういう話を、甲高い声でキャッキャッ、キンキンと間断なく話す。
それはまさに、拷問。
「携帯電話はオフに」と言いながら、自分ではそれ以上の騒音をがなり
立てている。

そのバスガイドの声に負けないようにと、乗客のオバチャンたちは、
さらに大きな声で話す。

アアアアア……!

しかしそういった通俗性に、私たちは耐えなければならない。
「日本という国は、まだこのレベルなのだ」と。

しかし、一言!
日本のオバチャンたちよ、もう少し、自分の知性を磨け。
理性を磨け!
本を読んで、絵画に親しめ。
でないと、あっという間に、ケアセンターに、足をつっこむことになるぞ!
粗大ごみになってしまうぞ!


●オバチャンのたわごと

ついでに、オバチャンたちが、どんな話をしていたかを、ここに記す。

うしろの席のオバチャンたちは、こんな話をしていた。
どこかのレストランへ行ったらしい。

「あそこのレストランは、おいしい」
「あそこは、値段の割に、まずい」
「Aさんが、勧めてくれたから行ってみたが、その日は休みだった」
「行くならB店がいい。B店は、量も多い」と。

こんな話が、いつまでもつづく。
キャッキャッ、ワイワイと、いつまでもつづく。

そのたびに、私は心の中で、こう反論する。
「だから、それがどうしたの?」と。
「おいしいものを食べた……だから、それがどうしたの?」
「値段の割にまずい……だから、それがどうしたの?」

その答がつづかない会話は、無駄。
つまりは、欲望を無意味に追求しているだけ。
言葉を話すというだけで、そこらのサルと、どこもちがわない。(失礼!)


●暑い

7月23日、水曜日、暑い。
午前中は、中元のあいさつ回り。
4〜5か所回ったところで、ダウン。
昼ごろ家に帰ると、気温は、家の中で32度。
道理で暑いはず。

今日あたり、40度近くなったところがあるかも。
昼食後少し横になるが、ジリジリと、身の置き場がない暑さが、
ふとんの下から伝わってくる。

このところ日本語の豊かさについて考える。
基本的には、日本語の自由度は低い。
英語は、高い。

「暑い」を表現するにしても、ここに書いたように、「ジリジリ」とか、
そういう言葉に限られる。
またそういう言い方をしないと、読者のほうも、安心しない。

そこで私も、いろいろ考えてみる。

肌の穴から空気がもれたように、体がだるい。
額の上で、汗がにじみ出るのがわかる。
フ〜ッと吸い込む空気が、肺の中を焦がす。
胸を押さえつける、くすんだ鉛のような重苦しさ。
それをかきむしるようにして、身を起こす。

だいぶ、豊かになってきたようだ。
が、「豊か」では、つまらない。
「言葉の奥の扉が開いたようだ」では、どうだろうか。

この先、もっともっと訓練して、私自身のもつ
国語力を、磨いてみたい。


●脳みその老化

++++++++++++++

このところ、ふとしたときに、
脳みその老化を感ずる。

脳みそというのも、年齢とともに、
弾性疲労を起こしやすくなるものらしい。
つまり融通がきかなくなる。
緻密なつながりのあちこちに、
小さな盲点ができる。
俗な言い方をすれば、「スキ」ができる。
もっとわかりやすく言えば、「ミス」が多くなる。

++++++++++++++

このところ、ときどきミスが多くなった。
自分でもそれが、よくわかる。
注意力が散漫になったというよりは、ふとしたときに、何かを
し忘れたりする。
「これをしなくては……」と思いつつ、別の行動に移ったりすると、
それをするのを忘れてしまう。

ところで私はよく夢の中で、擬似認知症を経験する。
夢の中の景色を見ながら、ここがどこであるか、わからなくなってしまう。
「この先を行けば、自宅に帰れる」というところまでは、何となくわかる
のだが、その先がわからない。
そういう夢である。

そのくせ、議論になると、つぎからつぎへと言葉が出てくる。
昨夜は、どこかのカルト教団の幹部と、議論をする夢を見た。
「もう少しで相手をやりこめることができたのに……」というところで、
目が覚めた。
残念!

ほかの人の脳みその中までのぞくことはできないが、これは私だけの
現象なのか?


●パイロット

おとといアメリカにいる息子に電話をした。
どこか沈んでいた。
「思うように操縦できない」と言った。

世の中には、車の運転も、飛行機の操縦も同じと説く人がいる。
しかしそういう人は、飛行機の操縦というのが、どういうものであるか、
わかっていない。

飛行機の操縦といっても、晴れた日に、限られた範囲の、限られた高度の下で、
ゆらゆらと飛ぶのもある。
この程度の操縦免許なら、趣味の範囲。
が、それが第一歩。
それからはじまって、双発機操縦免許、計器飛行免許……、事業者用航空免許と
つづく。
さらに大型機ともなると、飛行機ごとの免許が必要となる。
ふつう1人のライン・パイロットを育てるためには、数億円程度の費用が
かかるという。
期間は、4〜5年程度。
そのためか、それぞれの段階で、チェック・テストがあり、それに不合格に
なると、そのまま退学、もしくは配置転換。
容赦なし。

が、それで大型機を操縦できるようになるというわけではない。
副機長として、5年程度の訓練が課せられる。
その上、毎年の適性検査と身体検査。
最近では、英語の試験も課せられるようになった。
ひとつでもひかかると、もう飛行機の操縦はできない。

息子の話では、すでに何人かが、チェック・テストで落とされ、日本へ
帰されたという。

そして今日、再び、息子に電話をしてみた。
今度は明るい声だった。

「おととい、声が沈んでいたから、電話したよ」と言うと、
「あら、そう? そうだっけエ?」と。
「うまく進んでいるのか?」と聞くと、「今日は、うまくいったよ」と。

息子「アメリカの空は、飛行機が、四方八方から飛び交っていて、無法地帯みた
いだよ」
私「どういうことだ?」
息子「管制官も不親切で、しょっちゅうミスをしている」
私「日本では考えられないね」
息子「でも、それが世界の空だよ。中国も似たようなものだそうだよ」と。

息子を見ていると、パイロットという職業を、「職業」としてではなく、
「空を飛ぶ手段」と捕らえているような感じがする。
息子は、心底、空が好きらしい。
画家が美の向こうに理想郷を見るように、音楽家が自分の旋律に酔いしれるように、
息子は、青い空と、白い雲に、生きがいを見いだしている。

それもひとつの職業観かもしれない。
私には、想像はできても、よく理解できないが……。


●なぜ、女性は、オバチャンになるのか

美しい女性も、加齢とともに、女の匂いが消え、やがてオバチャンになる。
私たちが「オバチャン」というときは、あのオバチャンをいう。

デリカシー、ゼロ。
色気、ゼロ。
センス、ゼロ。
知性と理性、ゼロ。

しかし生命力だけは、やたらと強力。
あたりかまわず、ギャーギャー、ゲラゲラと騒ぐ。
卑猥な言葉を平気で口にして、ワイワイ喜ぶ。
年齢的には、早い人で、40歳くらいから。
ピークは、50歳〜60歳。

もちろんすべての女性が、オバチャンになるのではない。
女性でも、オバチャンになる人とそうでない人がいる。
その(ちがい)は、どうして生まれるのか?

その原因の大半は、夫がつくる。
夫が、自分の妻から、(女)を奪っていく。
その結果、女性は、自ら自分の中から、(女)を消していく。

いつだったか、女性のオシャレは、性的エネルギーのなせるワザと書いた。
もちろんオバチャンたちも、精一杯、オシャレをしている。
しかしそれは異性を意識したものというよりは、見栄、メンツ、世間体、
さらに言えば、仲間を意識したもの。

少なくとも世の男たちは、オバチャンたちのオシャレには、見向きもしない。
色気を感ずることなど、ぜったいに、ない。
オバチャンたちも、それをよく知っている。

で、それを防ぐのは、やはり夫ということになる。
夫たるもの、つねに自分が男であることを意識する。
そして夫たるもの、つねに自分の妻に、女を感じ、女を意識する。
日常のさりげない行動の中から、女性は、自分が「女」であることを意識する。

が、何よりも大切なことは、女性自身が、知性と理性を磨くこと。
この努力を怠ったとたん、女性は、あのオバチャンになる。
オバタリアンになる。


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   22日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不安な子育てに悩む

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掲示板のほうへ、
こんな相談がありました。
毎日子育てをしながら、
不安でならない……。
そんな内容の投稿です。

+++++++++++++++

小学一年生(6歳)の娘と、私自身のことで毎日、戸惑っています。

私自身も自分の心に問題、(わがまま、恩着せがましい依存性など、幼児的願望が強い)を
抱えていることを自覚しています。まだ、それを克服することができず心の中で、のた打
ち回っているのが現状です。

そのこともあり、娘には三歳まで私の母や姉、主人の手を借りて何とか一切怒ることはも
ちろん、叱ることもせず過ごしました。(娘を出産した病院の院長先生に、三歳までは何が
あっても怒ってはいけないと忠告されたためです。)

けれど、娘が四歳を過ぎてからそれまでのがまんが限界にきたのか、自分でもどうしよう
もなくヒステリックに娘に怒ることが多くなり、このままでは娘が壊れてしまうような危
機感を感じていたところ、はやし先生のこのリンクに出会い、近ごろは娘と距離を置くよ
うにしています。

ただ、そうすればそうするほど娘が私に、絡んでくるのです。例えば、ひらがなの『や』
が、「これは『か』に見えるから直しなさい。」と言うと、「やだ、これでいい。」とか、「お
母さんがこんな風に教えた」とか、そこから始まり、その後の食事もお風呂もそれ以後ず
っと機嫌が悪くなり、手がつけられなくなるのです。

また、娘がふてくされていたり、つまらなそうな顔をしていても、その心をうまく汲み取
れず、いつもどおりに「帽子もちゃんと片付けなさい」など言ってしまい、それでもぐず
ぐずしている娘に、「はやくしなさい」などと、追い討ちをかけてしまうのです。そうなる
と、その日はそれでもう何もかも動かなくなるのです。

今朝娘が、「今日もお父さんは夜遅いから嫌だな、怒りんぼ母さんと一緒は嫌だ」と涙をた
めて言う姿を見ると、私は私自身を蹴飛ばしてやりたい気持ちで一杯になりました。何故
でしょうか。気負いが強すぎるのでしょうか。

『1日1回、娘をゲラゲラ笑わせてやる』という私自身の目標も、全然実現しないし、本当
に私は娘に優しくないんです。いつも何かに追いかけられているような気がして、(ゆっく
り)ができないのです。

夕方娘と庭に水をまき、ゆっくり娘が育てているアサガを見ながら、冗談でも言ってゲラ
ゲラ笑いたいのに、「さ、早く手と足を洗って部屋に入ろう」などと言ってしまうのです。
何か、いつも自分がガツガツ急き立てられていて、心にゆとりがもてない。こんなことし
ていたら娘もそうなる。だから「急き立てたり、『早くしなさい』を言わずにいよう」と、
そう毎日心で唱えていても、極端な話、口が勝手に言ってしまう感じで……その後、自己
嫌悪で胸が苦しくなります。その繰り返しです。

娘に優しくゆったり接することができない私と、一度こじれたら修復できない娘のぐずぐ
ず……。『こんな母親死んでしまえ』と心で自分に怒鳴りつけているのですが、どうしてい
いのかわかりません。

林先生がおっしゃる「一貫性」は本当に難しい、と言うより苦しいです。毎日、朝と学校
から帰ってきたら、娘を抱きしめています。けれど、娘にしていることはそれだけです。
私の心のどこをどう整理をしたら、優しい母親、娘に優しく接することができる母親にな
るのか、私自身がわがままで、甘えているのは重々わっているのですが、何か一筋のくも
の糸でもかまいません。何か助言がありましたらどうか教えて下さい。お願いします。

【はやし浩司より、UNKNOWN様へ】

あなたを、Uさんとしておきます。
Uさん自身も、不幸にして不幸な家庭環境で、育っているとみてください。
「不安」の原因は何かわかりませんが、恐らくUさんが0〜2歳前後ごろ、その(種)が
できたものと思われます。

Uさんからみて、安心して、のんびりと過ごせる家庭環境になかった。
とくに母子関係(Uさんと、Uさんの母親の関係)を疑ってみてください。
Uさんの母親もいつも不安で、その不安を、Uさんにぶつけていたと思います。
それが今の、Uさんのパニック障害(少し前まで、「不安神経症」と呼ばれていました)に
つながっていると考えられます。

(心の緊張感が取れないことを、以前は、不安神経症と呼んでいました。
いつも心は緊張状態にあって、その状態のところへ何らかの不安や心配が重なると、一気
に、緊張状態が加速され、そこでパニック状態になるというわけです。)

ショッキングなことを書きましたが、まずUさん自身の過去と、真正面から向き合うこと
が大切です。
Uさん自身の心の奥深くを、自分でのぞいてみることです。
この問題は、そういった問題があるということではなく、Uさん自身が、自分の過去に気
づくことなく、その過去に振り回されるところに問題があります。

Uさんは、心豊かで、愛情に満ちた乳幼児期を過ごしましたか?
全幅の(さらけ出し)をしながら、幼児期を過ごしましたか?
恐らく、そうではなかったと思います。
Uさんは、親の前で、いつも(いい子)でいた(?)。

もっとはっきり言えば、あなた自身の中に、(母親像)が育っていないということです。
あるいはUさんは、いつも母親を拒絶してきたというケースも考えられます。
その結果が、「今」ということです。

この問題は、子どもの問題ではありません。
Uさん自身の中の、(不安)の問題です。
この(不安)がなくならないかぎり、Uさんは、つきからつぎへと自分で問題をつくり、
それに振り回されることになります。
取り越し苦労とぬか喜びの繰りかえし……というわけです。

で、さらに問題をほりさげると、何が、今、Uさんを不安にさせているかということにな
ります。
もちろん子育てについての不安もあるでしょう。
家庭問題? 夫婦問題? 経済問題? 家族の問題?

こういうケースでは、夫の協力が不可欠です。
しかしUさんは、その協力をじゅうぶん、得られず、それ故にさらに悶々と悩んでしまっ
ています。
袋小路に入ってしまっているのかもしれません。

実のところ私にも似たようなところがありますので、Uさんの精神状態がよく理解できま
す。
で、私のばあい、できるだけ食生活で、自分の心を安定させるようにしています。
海産物中心の献立にするなど。
Ca、Mg、Kが効果的です。
私の友人は、精神が不安定になると、いつもポケットからカルシウム剤を取り出して、ボ
リボリと口の中で、それをかんでいます。

あとは薬局で売っているハーブ系の安定剤を、よく口にします。
内科でも、副作用の少ない安定剤を処方してくれますので、一度、そういうところで相談
なさってみられたらどうでしょうか。
薬名はここでは書けませんが、私はときどき、それを2つに割って、口の中で溶かしなが
ら、服用することもあります。
(本当は1錠なのだそうですが、こうした精神薬は、いつも半分にして、口の中で溶かし
て服用することにしています。
このあたりのことは、医師とよく相談して決めてください。)

Uさんにはつらいでしょうが、この問題は、これから先、一生つづきます。
たまたま今は、それが小1の子どもに向かっているだけ、ということです。
ではどうするか?

あとはそういう自分とうまくつきあうだけです。
「治そう」とか、「直そう」と思う必要はありません。
うまくつきあうのです。
みんな、どんな人でも、その程度のキズというか、トラウマというか、そういうものをも
っています。
Uさんだけが特別というわけではありません。
Uさんが言っておられるように、Uさんは、心配先行型、不安先行型の子育てをしていま
す。
ちゃんとした(母親像)が入っていないため、どうしても気負いが強くなります。
「いい母親でいよう」という思いが強すぎるため、かえってそれが重荷になってしまうと
いうわけです。
それが今のような、どこかギクシャクとした子育てにつながっている。

そういうときは、肩の力を抜くことです。
(本当は、Uさんが子育てから離れて、自分の好きなことをし、その結果として、子育て
から離れられるようにするのが、よいですが……。)

「ほどよい親」「暖かい無視」を繰りかえしながら、あなたはあなたで、好きなことをすれ
ばよいのです。
仮に子どもを愛せないなら、愛せないでも構わないのです。
実際、約10%の母親たちは、(10%ですよ!)、子どもを愛せないということも、わか
っています。
万事、自然体で、子育てをすればよいのです。
頭の中で、「こうでなくてはいけない」とか、「そうであってはいけない」とか、思う必要
はないのです。
「子どもを愛せないから、私は失格人間」と思う必要もありません。

あなたはあなた。
子どもは子ども。

毎日、学校から帰ってきた子どもを抱く……それだけでじゅうぶん、Uさんは、すばらし
い母親です。
私など、一度も、そういうことはありませんでした。
あとは「求めてきたときが、与えどき」と心得てください。
Uさんの子どもが何かを求めてきたら、すかさず、与える。
それでよいのです。

それから投稿にありました、子どもの反抗ですが、この時期の子どもに、ごくふつうに見
られる反抗ですから、気にしてはいけません。
いわゆる(口答え)です。
(幼児期から、少年少女期への移行期に見られる、ふつうの口答えです。)
いちいち本気にするから、おおげさになってしまいます。
(このあたりにも、あなた自身の母親像のなさが、見受けられます。)

私の書いた原稿で参考になるようなものとしては、(好意の返報性)(親像)(育児ノイロー
ゼ)(悪玉親意識)(気負い先行型)などがあります。
ヤフーなどの検索エンジンを使って、「はやし浩司 好意の返報性」というように検索して
みてください。記事をいくつかヒットできるはずです。

Uさん、あなたはすばらしい母親ですよ。
これほどまでに、自分をみつめ、真剣に悩む母親は、そうはいない。
まず、そういうあなた自身に自信をもってください。
その自信が、あなたの子どもに伝わったとき、あなたの子どももまた、安心感をあたなに
もつようになるでしょう。

どのみち、あと2、3年で、あなたの子どもは、親離れを始めます。
今はがまんのとき。
じょうずに子どもが親離れできるように、子どもをし向けます。

繰りかえしますが、Uさんが今経験しているような、親子騒動(?)は、珍しくも何とも
ありません。
ごくふつうの、一般の親たちが経験する、何でもない問題です。
(みんな、外から見ると、うまくやっているように見えますが、そう見えるだけです。)
できれば小学2、3年の子どもをもつ親に相談してみることです。
「うちもそうですよ」というようなアドバイスをもらって、たいていそれで解決するはず
です。

そしてここが大切ですが、Uさんも子どもが親離れするのに合わせて、自分のしたいこと
を追求します。
あなたにはあなたの人生があります。
子どものために犠牲になるのは、美徳でも何でもありません。
そういう姿を見て、あなたの子どももまた、たくましく成長していきます。

子どもの機嫌など、取らないこと。
嫌われてもいいじゃないですか。
中学生でも、約60%の子どもは、「親のようになりたくない」「尊敬できない」と答えて
いますよ。

それでよいのです。
子育てに幻想をいだかないこと。
子どもに尊敬されようとか、好きになってもらおうとか、思わないこと。
それともあなたは、自分の母親や父親を尊敬していますか。
好きですか。
文面を読むかぎり、答は「ノー」のはずです。

ついでに「はやし浩司 レット・イット・ビー」という原稿も読んでみてください。
参考になると思います。
(たった今、自分で検索してみたら、18件、ヒットしました。)

「レット・イット・ビー」というのは、「あるがままに……」という意味です。

では、また。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの人格論】(特集)

●欲望の根源

かつて、私もそうだった。あなたもそうだった。が、今、子どもの心の中では、猛烈な
「性的エネルギー」(フロイト)が、わき起こっている。「生的エネルギー」(ユング)で
もよい。
 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発
信源ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受け
て、ドーパミンという脳間伝達物質が放出される。
 このドーパミンが、脳の中の線条体(報酬と行動要求に関する中枢部)というところを
刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(もちろんおとなも)を支配する。ふ
つうの反応ではない。最終的には、そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前
野(理性の中枢部)ということになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するの
はむずかしい」(N・D・ボルコフ)という。
 線条体が刺激を受けると、「あなたは、目的達成に向けた行動を起こせというメッセージ
を受けとる」(同誌)。
 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。食欲、性欲、生存欲、物欲、支配欲に
始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。わかりやすく言えば、脳の中で、ど
のような受容体が形成されるかによって決まる。たとえばアルコール中毒患者やニコチン
中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されることがわかっている。
 では、どうするか? そこでEQ論の登場ということになる。

●EQ論

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional 
Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。
(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性
 この中でとくに重要なのが、(1)の自己管理能力ということになる。その自己管理能力
は、どこまで(1)自分で考え、(2)自分で行動し、(3)自分で責任を取るかによって
決まる。
 アメリカでは、どこの小学校に行っても、ドアのところなどに、「Independent・・・」
という言葉が張ってある。「独立した……」という意味である。「Independent Thinker(自
分で考える人)」というような使い方をする。
 では、あなたの子どもは、どうか?

●子どもの人格テスト(自己管理能力)

(A)小遣いを手にしたとき、将来の自分の夢を達成するために、それを貯金に回す。あ
るいはささいなことでも、ルールを守り、約束を守る。疲れていても、家事の手伝いなど、
やるべきことは、きちんとやる。
(B)小遣いを手にしても、そのときどきに欲しいものがあると、使ってしまう。家庭の
中でもルールなど、あってないようなもの。約束を守るということは、まずない。「疲れて
いる」「やりたくない」という言葉をよく使い、家事を手伝わない。
 (A)のようであれば、あなたは自分の子どもを、「すばらしい子ども」と自信をもって
よい。

+++++++++++++++++

●最後に5つの提言

(1)「許して、忘れる」
 親の愛の深さは、どこまで子どもを許して忘れるかで、決まる。英語では、『for・give & 
for・get 』という。
 この単語をよく見ると、「与えるために、許し、得るために忘れる」とも訳せる。(forgive= 
許す、 forget=忘れる。「フォ・ギブは、与えるため」、「フォ・ゲッは、得るため」とも訳
せる。)
 子どもに愛を与えるために、親は許し、子どもから愛を得るために、親は忘れるという
ことになる。
 子育てをしていて、袋小路に入り、行きづまりを覚えたら、この言葉を思い出してほし
い。心が軽くなるはずである

(2)子どもの横を歩く
親には、三つの役目がある。ガイドとして、前を歩く。プロテクター(保護者)として、
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。
 いつも子どもの意思を確かめること。(したいこと)と、(していること)が一致してい
る子どもは、どっしりと落ちついている。夢や希望もある。当然、目的があるから、誘
惑にも強い

(3)ほどよい親である
 やりすぎない。子どもが求めてきたら、与えどきと考えて、そのときは、ていねいに答
えてやる。昔から『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。
 いつも、「子どもがそれを求めているか」ということを、自分に問いかけながら、子ども
に対処するとよい。手のかけすぎ、サービス過剰は、かえって、子ども自身が自ら伸びて
いく芽をつんでしまうことになる。
 
(4)暖かい無視
 親の過剰期待、過関心、過干渉ほど、子どもの負担になるものはない。「まあ、うちの子
は、こんなもの。親が親だから……」という割りきりが、子どもを伸ばす。
 親は、いつも子どもから一歩退いた位置で、子どもを見守る。野生動物保護団体には、『暖
かい無視』という言葉がある。その言葉は、そのまま、子育てにも当てはまる。
 ちょっと心配のしすぎかな? 手のかけすぎかな? と、感じたら、心のどこかで、暖
かい無視を思い浮かべる。子どもを暖かい愛情で包みながら、無視する。

(5)使えば使うほど、よい子
使えば使うほど、子どもは、すばらしい子どもになる。家事、仕事、手伝いなど。身近な
ところから、どんどん、使う。
 使えば使うほど、子どもには忍耐力(いやなことをする力)が身につく。この力が、子
どもを伸ばす。もちろん学習面でも、伸びる。もともと学習には、ある種の苦痛がともな
う。その苦痛を乗りこえる力が、忍耐力ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

【EQ論からみた、子どもの世界】

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆガー・ミのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)

++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(246)

****************

【子どもの心の発達・診断テスト】

****************

【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。

(1)いつも喜んでするようだ。
(2)ときとばあいによるようだ。
(3)いやがってしないことが多い。


(2)自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは
……

(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)


(3)自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子
どもは……。

○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)


(4)粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。

○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)

(5)楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子ど
もは……。

○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(6)柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……

○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)

***************************


(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。


 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

***************************

順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(1)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆガー・ミのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(2)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくな
になる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何ら
かの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。

 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをし
なかった子どもがいた。

 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚
園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。

 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまって
しまう子どもがいた。

 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」
と、最後までがんばった子どもがいた。

 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができ
る。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

+++++++++++++++++++++

 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピ
ーター・サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士
によって理論化された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(E
motional Education、by JESDA Websiteより転写。)

++++++++++++++++++++

【EQ】

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emo
tional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指
数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(4)自己管理能力
(5)良好な対人関係
(6)他者との良好な共感性

 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。

 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。

○行動面の管理能力

 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管
理能力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果
たせない。

 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを
行動に移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階にな
っても、その時点で、これまた迷うかもしれない。

 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊し
た例としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その
人の生死にかかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、
自殺行為も、それに含まれるかもしれない。

 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよ
う。

そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほ
うがよい」という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行
くにしても、「いやだ」という思いと戦わねばならない。

 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをす
すめられて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に
染まりやすい子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。

 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)
という、行動面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとでき
るかどうかで、その人の人格の完成度を知ることができる。

 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自
我の人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。

○精神面の管理能力

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐
怖症、飛行機恐怖症など。

 精神的な欠陥もある。

 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断
できなくなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態
に似ている。(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子ども
だったかもしれない。)

 具体的には、パニック状態になってしまう。

 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与
える。

 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身を
コントロールしていくということ。

 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そ
ういうとき、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、
そんなわけで、そういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをお
りたとたん、ヘナヘナと地面にすわりこんでしまうこともある。

 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされ
る。「わかっているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私
の人格の完成度は、低いということになる。

○感情面の管理能力

 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い
人ということになる。

 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がない
ことにより、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、
ふだんは、快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。

 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。
その人はいつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、ど
うしても足が遠のいてしまう。

 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のド
ラマをつくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するか
である。

 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワ
イフは、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになる
が、感情的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出し
て、相手を罵倒したのを、見たことがない。)

 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまっ
て……」ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。

 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、
結局は、だめだった。

 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そ
のつど、自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くという
のは。とてもよいことだと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。

 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、
その場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。

(3)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別
の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 
人格の完成)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●欲望の根源

かつて、私もそうだった。あなたもそうだった。が、今、子どもの心の中では、猛烈な
「性的エネルギー」(フロイト)が、わき起こっている。「生的エネルギー」(ユング)で
もよい。
 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発
信源ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受け
て、ドーパミンという脳間伝達物質が放出される。
 このドーパミンが、脳の中の線条体(報酬と行動要求に関する中枢部)というところを
刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(もちろんおとなも)を支配する。ふ
つうの反応ではない。最終的には、そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前
野(理性の中枢部)ということになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するの
はむずかしい」(N・D・ボルコフ)という。
 線条体が刺激を受けると、「あなたは、目的達成に向けた行動を起こせというメッセージ
を受けとる」(同誌)。
 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。食欲、性欲、生存欲、物欲、支配欲に
始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。わかりやすく言えば、脳の中で、ど
のような受容体が形成されるかによって決まる。たとえばアルコール中毒患者やニコチン
中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されることがわかっている。
 では、どうするか? そこでEQ論の登場ということになる。

●EQ論

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional 
Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。
(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性
 この中でとくに重要なのが、(1)の自己管理能力ということになる。その自己管理能力
は、どこまで(1)自分で考え、(2)自分で行動し、(3)自分で責任を取るかによって
決まる。
 アメリカでは、どこの小学校に行っても、ドアのところなどに、「Independent・・・」
という言葉が張ってある。「独立した……」という意味である。「Independent Thinker(自
分で考える人)」というような使い方をする。
 では、あなたの子どもは、どうか?

●子どもの人格テスト(自己管理能力)

(A)小遣いを手にしたとき、将来の自分の夢を達成するために、それを貯金に回す。あ
るいはささいなことでも、ルールを守り、約束を守る。疲れていても、家事の手伝いなど、
やるべきことは、きちんとやる。
(B)小遣いを手にしても、そのときどきに欲しいものがあると、使ってしまう。家庭の
中でもルールなど、あってないようなもの。約束を守るということは、まずない。「疲れて
いる」「やりたくない」という言葉をよく使い、家事を手伝わない。
 (A)のようであれば、あなたは自分の子どもを、「すばらしい子ども」と自信をもって
よい。(つづく)

●常識を大切に

魚は陸にあがらないよね。
鳥は水の中に入らないよね。
そんなことをすれば死んでしまうこと、
みんな、知っているからね。
そういうのを常識って、言うんだよね。

みんなもね、自分の心に
静かに耳を傾けてみてごらん。
きっとその常識の声が、聞こえてくるよ。
してはいけないこと、
しなければならないこと、
それを教えてくれるよ。

ほかの人へのやさしさや思いやりは、
ここちよい響きがするだろ。
ほかの人を裏切ったり、
いじめたりすることは、
いやな響きがするだろ。
みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
あとはその常識に従えばいい。
だってね、人間はね、
その常識のおかげで、
何十万年もの間、生きてきたんだもの。
これからもその常識に従えばね、
みんな仲よく、生きられるよ。
わかったかな。

そういう自分自身の常識を、
もっともっとみがいて、
そしてそれを、大切にしようね。

●それから10年
 この詩を書いてから、もう10年になる。と、同時に、この10年の間の脳科学の進歩
には、めざましいものがある。ポジトロンCTや、ファンクショナルMRIなどという装
置を使うと、脳の活動がリアルタイムでわかるという。
 で、最近では、善悪の価値判断すらも、脳の一部が分担していることがわかってきた。
 たとえば 大脳半球の中心部に、間脳や脳梁という部分がある。それらを包み込んでい
るのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさ
どる海馬もこの中にあるが、ほかに動機づけを決める帯状回という組織、価値判断をする
扁桃核などがあるという(伊藤正男・日本実業出版社「脳のしくみ」)。
つまり「善悪の価値判断」も、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明
されるようになってきている。
 たとえば人に親切にしたり、やさしくしたりすると、そのシグナルは、扁桃核に伝えら
れ、そこで扁桃核は、モルヒネ様の物質(エンドロフィン、エンケファリン)を放出する。
脳の中を、甘い陶酔感で満たす。
 そして子どもは、(おとなもそうだが…)、「人に親切にしたり、やさしくしたりすること
は、気持のよいことだ」と知る。
 そしてさらに言えば、こうした一連の反応は、「条件づけ反応」によって、条件づけされ
やすいということまでわかってきている(ND・ボルコフ・「サイエンス・07・12」)。
 つまりそれを習慣化することによって、やさしい子どもは、ますますやさしくなり、親
切な子どもは、ますます親切になる。
 詩の中に書いた、「ほかの人へのやさしさや思いやりは、ここちよい響きがするだろ」の
意味がわかってもらえば、うれしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 常識 常識論 扁桃核 扁
桃体)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●HP 2133

HP 2133(ハイスタンダード・モデル)を買って、ちょうど10日が過ぎた。
いろいろと使い勝手の悪いところが、目立つようになってきた。
そこで昨日、USB接続の外付けキーボードを購入してきた。
外付けキーボードは、キー幅が、19ミリ。
ふつうのデスクトップと同じ基準である。
とたん、使い勝手ガー・ミちがえるほど向上した。
つまりふつうのデスクトップと同じになった。

「これならいける」とワイフに言うと、「フ〜ン」と。
今、その外付けキーボードを使って、この文章を書いている。


●パソコン未亡人
 
私がパソコンに夢中になるのは、私の勝手。
しかしこの世界には、「パソコン未亡人」という言葉がある。
夫がパソコンばかりに夢中になっていて、妻が、未亡人と同じような立場になることをい
う。

で、たった今も、私はワイフにこう聞いた。

「……ぼくは、いつもパソコンばかり相手にしているから、退屈じゃないか?」と。

ワイフはそれに答えて、「あなたの趣味なんだから、いいんじゃないの」と。

が、私は、常に心がけていることがある。
原稿は、朝の早い時間か、夜の遅い時間に書く。
あるいはワイフが昼寝をしているときに書く。
そうでないときは、できるだけ、ワイフをひとりぼっちにしない、と。

私「ぼくはね、子どものころから、モノいじりをよくしていた」
ワ「今が、パソコンというわけ?」
私「それだけ、情緒が不安定だったんだろうね。モノをいじることで、自分の情緒を安定
させようとしていた。指しゃぶりや、若い女性の髪いじりと同じだよ」
ワ「いじっていると、どんな感じがするの?」
私「そうだなあ、若い女性のおっぱいをにぎっているような感じかな」
ワ「あら、握ったこと、あるの?」
私「ストリップ劇場なんかへ行くとね、向こうから握らせてくれるよ」と。

そんなわけで、私はパソコンを選ぶときは、キータッチの感触を、何よりも大切にしてい
る。
たとえばあくまでも、これは私の印象だが、感触がよいのは、パナソニックのレッツ・ノ
ート系。
キーを押したときの心地よさは、旧IBMのTHINK・PAD系。(現在は中国企業に買収さ
れて、レノボというメーカーになっている。)
HP 2133は、キーがスベスベしすぎて、どこかものたりない。
パンタグラフ形式のキー入力を採用しているが、クリック感がやさしすぎる。
キーボードをたたいていると、指先が、はがゆさを覚えることもある。
それで今回、外付けのキーボードにした。
こちらは日本語式キーボード。
Enterキーも大きく、たいへん使いやすい。
ということで、ここまで試しにキーを叩いてみた。

ワ「ところで、そういうストリッパーの人たちは、今ごろ、どうしているのかしら?」
私「ふつうのオバチャンになっていると思うよ」
ワ「若いころ、ストリッパーをしていたことを、何とも思っていないのかしら?」
私「思っていないよ。外国じゃあ、何でもない仕事だし……。何でもないというより、偏
見をもっちゃ、いけないよ。立派な職業だよ。ぼくのオーストラリアのガールフレンドな
んかは、アルバイトに、ヌードモデルをしていたよ」
ワ「子どももいるのかしら?」
私「結婚していれば、子どももいるだろうね」
ワ「フ〜ン」と。

……これから昼食。
土曜日の午後。
今日も暑い!


●HPの改造

++++++++++++++++++H.Hayashi

現在、HPの更新を考えている。

(1)幼児教室の風景を、そのまま紹介する。
(2)無料電子マガジンの内容を、HP上に、直接、収録する。
(3)お楽しみコーナーをふやす。

もうすぐ、HPは、満6歳になる。
孫の誠司が生まれたとき、トップページをその写真で飾った。
それ以前も、実験的に制作していたが、本格的にHPの制作に取り組むようになったのは、
そのときから。
以来、6年。
当時は、アクセス数は、多くても1日、10〜30件どまり。
それが今では、1日に、300〜500件を超えるようになった。
各ページへ直接ハイパーリンクしてくる人まで含めると、その数は、1000人を超える
かもしれない。
あるいはもっと多いかも?
(実際、私のHP上の『音楽と私』コーナーには、毎日、500〜1000件ほどのアク
セスがある。)

この2月に、そのHPとBLOGへアクセスしてくる人の数を、合計してみた。
HPは、現在、6〜8か所で発行している。
それをリンクでつないでいる。
BLOGは、4〜5本、書いている。
その合計が、月に10万件を超えた。

加えて電子マガジンがある。
こちらのほうは、現在、読者数は頭打ちになっているが、それでも3000人。

毎月それだけ多くの人の目にとまっていると思うだけで、大きな励みになる。
そこでまたまた今度、私のHPを、大きく更新しようと考えている。
夜、床にはいってから、頭の中で、そのデザインを考えているだけで、楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●バスガイドについて

++++++++++++++

このところ観光バス会社が
運営する、バスツアー客が
ふえているという。
安全で、値段も手ごろ。
とくに60歳以上の人に
とっては、バスツアーは、
ありがたい。
目的地まで、私たちを、
そのまま運んでくれる。

が、そのバスツアーには、
バスガイドはつきもの。
しかし今、そのバスガイドの世界に
に異変が起きつつある。

産経新聞は、つぎのように
伝える(7月20日)。

『……後部座席のシートベルト着用が義務づけられた、6月の道交法改正から1カ月半が
過ぎ、観光バスのバスガイドに変化が生じている。シートベルトの着用が義務化されたこ
とで、「右に見えますのは…」と案内するおなじみのスタイルを変更する会社が出始めた』
と。

私自身は、バスガイドは
不要と考えている。
とくに私たち夫婦のように、
月、1、2回ほど、利用している
者にとっては、そうである。

理由の第一。
「無駄なおしゃべりが多すぎる」。

たとえば浜松市から西へ向かう
バスに乗ると、かならずといって
よいほど、揖斐川のところでは、
定番の(養老の滝)に話になる。

以前は、そういう話を毎回
聞かされた。
(ここ3、4か月ほどは、養老の
滝の話は、聞かなくなったが……。)

あとは見ればわかるような話
ばかり。
あるいは聞いても、すぐ忘れるような
話ばかり。

「車が渋滞し始めましたね……
事故でしょうか……事故ですね……
警察のライトが見えてきました……
事故ですね……」と。

もちろん重要な話もある。

シートの倒し方、後部座席の人に
そのときは、一言、許可を求める
とか、など。

そういう話なら、飛行機の中での
ように、ビデオ化すればよい。
バスに乗ったら、すぐそのビデオを
流せばよい。

ついでにこんな文言も入れて
ほしい。

「せっかくのご旅行ですが、中には
静かな旅を望んでいる方も
いらっしゃいますから、お互いの会話は
まわりの方のことも考えて静かに
なさってくださいね」とか。

(映画館での冒頭の注意事項をまねた
ビデオにすればよい。)

30〜40人もいると、たいてい
中には、数組、ギャーギャー、
ワイワイ、ゲラゲラとあたり構わず、
騒ぐ人たちがいる。

しかも大声で!

そういう人たちがいかに、ほかの
乗客の迷惑になっているか。

が、それ以上にうるさいのが、
バスガイドの独り言。
中には、前列付近、3〜5列までの
人たちと、マイクを使って、
会話をしているガイドもいる。

おまけにいつもボリュームは最大。
そういう声がガンガンと耳に響く。

(注文)

「全国のみやげもの、ナンバーワンが
どうのこうの」とか、「高速道路がどうの
こうの」とか、そういう話は、まったく
無用。

また地元のBツアーのばあい、帰りには、
かならずといってよいほど、ビデオを
流す。

定番は、釣りバカ日誌。
あるいはその類の邦画。
釣りバカ日誌・能登編は、そんなわけで、
私は3回も見させられた!
(4回かもしれない。)

どうして軽音楽ではだめなのか。
市内を走るバスは、交差点では
エンジンオフになる。
そのとき軽音楽を流す。

私たちが聞きたいのは、そういう
音楽である。

つまり若いガイドから見れば、老人は
みなバカに見えるかもしれない。
しかし私たちから見ると、若いガイドが
みなバカに見える。

そうしたたがいの思いちがいが、とても
残念なことに、バスツアーの(質)を
落としている。

バスガイドの質を落とし、客の質を
落とす……。

オーストラリアでもアメリカでも、
観光バスに乗ると、乗客たちは、
本を読んだり、音楽を聞いたりしている。
パソコンをたたいている乗客すらいる。

ガイドは、たいてい運転手がしてくれる。
しかし無駄なことは言わない。
言っても、人を笑わせるような、機知に
富んだジョークが多い。

では、どうするか?

産経新聞は、バスガイドが立って話をするのが
できなくなると、書いている。

だったら、カメラをつけて、モニターに
流せばよい。
しかしそれとて、あいさつ程度にして
ほしい。
大音響で、キャッキャッ、ワイワイと
やられたら、せっかっくの旅も
台なしになってしまう。

昔は、あのBツアーも、タバコの煙と、
カラオケが定番だった。
今は、バスガイドのおしゃべりが定番。
しかしそれもやがて、なくなるだろう。
なくなって当然。

もちろん先ほども書いたように、必要な
情報もある。

時刻の指定とか、集合場所の連絡など。
それはそれとして、きちんとしてほしい。
問題は、バスガイドの意味のないおしゃべり
である。

産経新聞は、つぎのようにも書いている。

『同社営業部の青木憲之次長は「バスの燃料となる軽油価格も高騰している」と指摘した
うえで、「今後価格を上げざるを得ない状況になったとき、バスガイドは要らないというお
客さまが増えるのではないか」と不安げだ』と。

目的地でのガイドは必要かもしれない。
しかしたとえば高速道路を走っている
ときの、あのガイドは、まったく不要。

さらに若い人はともかくも、帰りの
道中になると、大半の人は、もうクタクタ。
60歳以上にもなると、昼寝を日課にして
いる人も多い。

「静かに休ませてほしい」と願っているのは、
けっして私たち夫婦だけではないだろう。

そうそう、ケアセンター(特別養護老人ホーム)
へ行くと、一日中、テレビがかけっぱなしに
なっている。
「テレビを見せておけば、老人は
退屈しないだろう」という発想による。

どうかどうか、私たち乗客を、ケアセンターの
老人と同じにしないでほしい。

(要望)

●バスガイドの仕事は、おしゃべりではなく、
サービスである。

お茶のサービスを、2回から、3回にふやして
ほしい。
あるいは口ではなく、体を使ったサービスを
もっと考えてほしい。

たとえばシート間を回りながら、客の
要望や状態を、こまめに聞いたり見たり
するなど。

マイクを使って、いっせいに、「クーラー
はいかがですか?」ではなく、ひとつずつの
席を回りながら、「寒くありませんか」
「気分はいかがですか」「マイクの音量は
どうですか」と聞いて回る、などなど。

ひどいときは、みなが、グーグーと眠って
いるようなとき、「ビデオでもかけましょうか」
「どれにするか、採決で決めます」と、
突然、言い出す。

そういう(気配り)が、残念ながら、
地元の観光バス会社には、ない。
まったく、ない。

●ビデオはまったく、不要である。

ひところ昔のカラオケが、ビデオに
なった。
しかし見たい映画などというのは、個人の
好みによって、大きくちがう。
しかもたいてい安っぽい邦画。
そういうものを否応なしに見せつけられる
乗客は、まるで拷問にあうようなもの。

もし見せるなら、音声のない、(あるいは
BGMに音楽だけの)、ビデオのほうがよい。

以前だが、一度だけ、各地の山岳めぐりの
ビデオをバスの中で見たことがある。
ああいうのだったら、ほとんどの乗客に
受け入れられるのでは?
(眠っていたい人は、眠っていられる。)

そうした不快感を、どうか、理解してほしい。

ともかくも、私たちは小学生や中学生
ではない。
バスガイドよりも、はるかに多くの
人生経験と、旅の経験を積んだ、熟年
である。

その地にまつわる、「詩」を朗読するとか、
バスガイドも、もっと勉強すべきではないか。

長野でそのあたりへ行ったら、「千曲川旅情」の
一節でも読むとか……。

それを「天気はどうでしょうか」「今朝の
予報によれば、晴だそうですね」「晴れる
といいですね」……「昼食はバイキングです」
「バイキングって、ご存知ですか」「時間制限が
あるんですね」と。

バスガイドのあの無駄なおしゃべりが
なくなったら、私は、月2回の利用を、
3回にしてもよい。

約束する。

(この原稿は、地元のBツアーの掲示板に、そのまま転載しておく。
Bツアーの営業部のみなさん、よろしく!)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●水産物自給率(Fishery Basic Law)

++++++++++++++++

少し前、燃料費高騰により、全国の
漁船、約20万隻が、操業を停止した。
ストライキに打って出た。

「採算が合わなくなったから、政府が
燃料費を補填(ほてん)しろ」と。

常識で考えれば、こんなおかしな話は
ない。
そこで私なりに調べてみたら、やはり
日本の水産業も、政府の補助金漬けに
なっているのがわかった。
その根拠となっているのが、1999年
12月に制定された、「水産基本法」。

これによって政府は、「漁業生産の現象と自給率
の低下、従業者の減少と高齢化」の問題
を解決しようとした。

「水産物の安定供給の確保と水産業の
健全な発展を図るという基本的理念の
もと、漁業のみならず、加工・流通などの
関連産業も含めた水産業全体の振興を
図る」と。

その結果、

(1)自給率目標を盛り込んだ水産基本計画の
策定。

(2)水産資源の管理と持続的利用。

(3)担い手育成、漁業経営支援。

(4)漁村、水産基盤整備などの施策が、
矢継ぎ早に、実行に移された(以上、参考、
IMIDAS 2005)。

2000年の段階で、水産物自給率は、
約53%。
それをこの計画によって、2012年までに、
魚介類で、66%にまで高めようというもの
だった。

それ自体は、悪いことではない。
食糧の自給率を高めることは、国の政策として
柱にすべきことがらである。

では、現状ははどうか?

2005年……57%
2006年……59%(農水省資料、2007年)

が、「自給率があがった」と思うのは、
ちょっと待ってほしい。

水産物自給率は、「水産物消費に占める国産水産物の割合であるが、算式的には、生産から
輸入超過を引いて、在庫変動を加味した上で、消費量で割って計算される」(社会実情デー
タ実録)とのこと。

つまり消費量が減れば経るほど、自給率は高くなる
ということになる。
が、ご存知のように、このところ魚類を
食べる人たちが、少なくなってきた。
2001年をピークに、水産物(=魚介類)
の消費量は、約8800トンから、2006年の
7300トンへと、減少している(同)。

同じように生産量、輸入量も、減少傾向にある。

私自身は、魚派で、肉類は、ほとんど口にしない。
だからこういう統計を見ると、「では、いったい、
日本人は何を食べているのか」と、ふと考えて
しまう。

もちろんその分だけ、日本人の食生活が、
ますます欧米化していることを意味する。

で、その分だけ、先にも書いたように、
水産物自給率は、高くなる。
ひょっとしたら、2012年までに、66%
を達成できるかもしれない。

しかしこうした基本法に基づく、補助金行政は、
まさに両刃の剣。
一方で水産業を支えることになるかもしれないが、
それから生まれる弊害もある。
いわゆる(依存性)の問題である。

水産業については知らないが、農業分野に
おいては、今や補助金なくして、農業そのものが
成り立たない。
と、同時に、農家の人たちは、補助金をアテにして、
自助努力をしなくなってしまった。

以前書いた、このあたりのミカン農家についての
原稿をここに載せる。

もともとは日本人の職業意識について書いた
原稿である。
やや趣旨が脱線するかもしれないが、許して
ほしい。

+++++++++++++++

【日本の農業+教育事情】

++++++++++++++++++

横浜に住む友人のM氏が、山荘に泊まりながら、こんな話をしてくれた。
それに私見も加えながら、メモとして、ここに記録する。

M氏は、日本でも最大手の食品会社の部長という重職を経て、
今は、東京にあるT社の事業開発室の室長をしている。
東京都内に流通する果物の60%は、彼の管轄下にあるという。

+++++++++++++++++

●山荘で

 山荘の周辺は、少し前までは、豊かなミカン畑に包まれていた。しかしここ5〜10年
のあいだ、減反につづく減反で、そのミカン畑が、どんどんと姿を消した。

 理由は、この静岡県のばあい、(1)産地競争に負けた、(2)ミカンの消費量が減少し
た、(3)農業従業者が高齢化した、それに(4)外国からの輸入ミカンとの価格競争に負
けた。加えて、この静岡県の人たちには、「どうしても農業をしなければならない」という
切実感がない。

とくにこの浜松市は、農業都市というよりは、工業都市。それなりに栄えている。「農業が
だめなら、工場で働けばいい」という考え方をする。

 産地競争というのは、この静岡県は、愛媛県、熊本県との競争のことをいう。ミカンは
暖かい地方から先に、出荷される。静岡県のミカンは、季節がら、どうしても出荷が遅れ
る。遅れた分だけ、価格がさがる。だからどうしても価格競争に負ける。

 ミカンの消費量が減ったのは、それだけミカンを食べなくなったということ。「皮をむく
のがめんどう」と言う人さえいる。皮をむくことで、「手が汚れる(?)からいやだ」とい
う人さえいる。

 農業従事者の高齢化の問題もある。ミカン栽培は、基本的には、重労働。ほとんどのミ
カン畑は中間山地にある。斜面の登りおりが、高齢化した農業従事者には、きつい。

 最後に、このところ、外国からの輸入が急増している。あのオーストラリアからでさえ、
温州(うんしゅう)ミカンを輸入しているという。

 そこで、静岡県のミカン産業は、どうしたらよいのかということになる。

●外国との競争

 オーストラリアでのミカン栽培は、そもそも規模がちがう。大農園で、大規模に栽培す
る。しかも労働者は、中国人やベトナム人を使っている。もともと日本にミカンに勝ち目
はない。

 本来なら日本も、その時期には、外国人労働者を入れて、生産費用を安くすべきだった。
しかし日本の農業、なかんずく農林省のグローバル化が遅れた。遅れたばかりか、むしろ、
逆にグローバル化に背を向けた。が、それだけではない。

 現在の農業は、まさに補助金づけ。それはそれで必要な制度だったかもしれないが、こ
の半世紀で、日本の農家は、自立するきびしさを、忘れてしまった。

このあたりの農家の人たちでさえ、顔をあわせると、どうすれば補助金を手に入れること
ができるか、そればかりを話しあっている。

 ここでは省略するが、農家の補助金づけには、目にあまるものがある。農協(JA)と
いう機関が、その補助金の、たれ流し機関になっていると言っても、過言ではない。が、
それ以上に、もう一つ、深刻な問題がある。

 実は農業に従事する人たちの、レベルの問題がある。M氏は、「おおっぴらには言えない
が、しかしグローバルなものの考え方ができる人が、あまりにも少ない」(失礼! もちろ
ん知的レベルとか人格的レベルのことを言っているのではない。誤解のないように!)と。
それを話す前に、こんなことがあった。

●オーストラリアでは

 私が学生で、オーストラリアにいたころ、私は、休暇になると、友人の牧場に招待され
た。そこでのこと。友人の父親は、夕食後、私たちに、チェロを演奏して聞かせてくれた。
彼の妻、つまり友人の母親は、アデレード大学の学士号を取得していた。

 私は、ほかにも大卒で、農業をしている人はいくらでもいた。私は、あくまでも197
0年当時のことだが、大卒の人が農業をしているという話は、この日本では聞いたことが
なかった。だから、この友人の両親の「質」の高さには驚いた。接客マナーは、日本の領
事館の外交官より、なめらかで、優雅だった!

 これには、本当に、驚いた!

 つまりこうした学識の高さというのが、オーストラリアの農業を支えている。が、とて
も残念なことだが、日本には、それがない。(最近、若い農業経営者の中には、グローバル
なものの見方ができる人がふえてきているが……。)

 一方、この日本では、M氏の話によれば、戦前には、大学の農学部門にも、きわめてす
ぐれた研究者がいたという。しかし戦後、機械工業優先の社会風潮の中で、農学部門には
目もくれず、優秀な人材ほど、ほかの部門に流れてしまった。

 このことは、大卒の就職先についても、言える。

 私が学生のころでさえ、地方に残った若者たちは、負け組と考えられていた。その中で
も、農業を継いだ若者たちは、さらに負け組と考えられていた。たいへん失礼な言い方だ
とは思うが、事実は事実。当時は、だれもが、そう考えていた。M氏は、さらにつづけて
こう言った。

 「農繁期には、中国や東南アジアから、季節労働者を呼び、仕事を手伝ってもらえばよ
い。農業を大規模化するため、産業化、工業化すればよい。

しかしそういうグローバルなものの見方や、経営的な考え方をすることができる人が、こ
の世界には、いない。それがこの日本の農業の、最大の問題だ」と。

●おかしな身分制度

 ところで江戸時代には、士農工商という身分制度があった。江戸時代の昔には、農業従
事者は、武士についで2番目の地位にあったという。それがどういうものであったかは、
ただ頭の中で想像するだけしかない。しかしまったく想像できないかといえば、そうでも
ない。

 私が、子どものころでさえ、「?」と思ったことがある。

私の実家は、自転車屋。士農工商の中でも、一番、下ということになる。それについて私
は、子どもながら、「どうして商人が、農家の人より下」と思ったのを覚えている。

 もちろん仕事に上下はない。あるはずもない。ないのだが、しかし私が子どものころに
は、はっきりとした意識として、それがあった。「農業をする人は、商業をする人よりも、
下」と。

 こうした社会的な偏見というか、意識の中で、日本の農業は、国際化の波に乗り遅れて
しまった。今の日本の農業は、国からそのつどカンフル注射を受けながら、かろうじて生
きながらえているといった感じになってしまった。それが実情である。

●職業観の是正 

 もう一つ、話が脱線するが、今でも、おかしな職業観をもっている人は、少なくない。
私も、そうした職業観に、いやというほど、苦しめられた。

 私が「幼稚園で働いている」と話したとき、高校時代の担任のT氏は、こう言った。「林、
お前だけは、わけのわからない仕事をしているな」と。

 近所のS氏も、酒の勢いを借りて、私にこう言ったことがある。「君は、学生運動か何か
をしていて、どうせロクな仕事にありつけなかったのだろう」と。

 私の母でさえ、「幼稚園の先生になる」と話したとき、「浩ちゃん、あんたは道を誤った
ア」と、電話口の向こうで、泣き崩れてしまった。

 そういう時代だったし、今でも、そうした亡霊は、この日本にはびこっている。いない
とは言わせない。つまりそういう亡霊が、私が子どものころには、もっと強くはびこって
いた。農業従事者を「下」に見たのは、そういう亡霊のなせるわざだった。

 が、もう、そういう時代ではない。またそういう時代であってはいけない。大卒のバリ
バリの学士ガー・ミカン畑を経営しても、何もおかしくない。仕事で山から帰ってきたあと、
ワイングラスを片手に、モーツアルトの曲を聞いても、何もおかしくない。

●結論

 私は、M氏の話に耳を傾けながら、これは農業だけの問題ではない。静岡県だけの問題
でもない。日本人が、広くかかえる問題であると知った。もちろん教育の問題とも、関連
している。さらにその先では、日本独特の学歴社会とも結びついている。

 が、今、日本は、大きな歴史的転機(ターニング・ポイント)を迎えつつある。それは
まさに「革命」と言ってよいほどの、転機である。

 出世主義の崩壊。権威の崩壊。それにかわって、実力主義の台頭。

 そこであなた自身は、どうか、一度、あなた自身の心に、こう問いかけてみてほしい。

 「おかしな職業による上下意識をもっていないか」と。

 もしそうなら、さらに自分自身にこう問いかけてみてほしい。

 「本当に、その意識は正しいものであり、絶対的なものか」と。その問いかけが、日本
中に広がったとき、日本は、確実に変る。
(040509)

【追記】

 その人がもつ職業観というのは、恐らく思春期までにつくられるのではないか。職業観
というよりは、職業の上下観である。

 この日本には、(上の仕事)と、(下の仕事)がある。どの仕事が(上)で、どの仕事が
(下)とは書けないが、日本人のあなたなら、それをよく知っているはず。

 こうした職業の上下観は、一度、その人の中でつくられると、それを変えるのは、容易
なことではない。心境の大きな変化がないかぎり、そのまま一生の間、つづく。

 もっともこの問題は、あくまでも個人的なものだから、その人がそれでよいと言うのな
ら、それまでのこと。しかしだからといって、その価値観を、つぎの世代に押しつけては
いけない。

 さてここでクエスチョン。

 もしあなたの子どもが、あなたが(下)と思っている仕事をしたいと言い出したら、そ
のとき、あなたは何と言うだろうか。そのことを、少しだけ、あなたの頭の中で、想像し
てみてほしい。

+++++++++++++++++

先ほども書いたように、これは農業の話。
おそらく水産業でも、同じようなことが
起きているはず。

そのひとつの証拠が、「燃料費の高騰を
補填せよ」という、そのストライキに
集約されている。

もしこんな論理がまかり通るなら、
トラック業者だって、タクシー業者だって、
同じストライキができるはず。
「ガソリン代があがったから、ガソリン代を
補填せよ」と。

「農業や漁業は別」と考える人もいる
かもしれないが、その分だけ、値段を
あげるという方法もないわけではない。

が、それについても、「値段をあげれば
外国から安い水産物が入ってきて、
日本の水産業は深刻な打撃を受ける」と
反論する人がいる。

しかし現実に、洋上取り引き(公海上で
外国の漁船から、直接魚介類を買う)が、
日常化している今、何が輸入か、という
ことになる。

私は「補填(ほてん)」という言葉を
聞いたとき、即座に、ドラ息子症候群の
ひとつを思い出した。

成績がさがった子どもが、ある日、
学校に向かってこう言う。

「成績がさがったのは、クーラーの
ない教室で、勉強させられたからだ。
その分だけ、得点を加算せよ」と。

話が飛躍したが、私が受けた印象は
それに近い。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 水産資源 水産基本法 日
本の水産業)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●竹島問題

+++++++++++++++++

今朝(7月21日)(月曜日)は、1時間ほどかけて、
竹島問題についてのBLOG、HPを読んでみた。
「竹島 領有権 歴史」で、検索した記事を
読んでみた。
詳しくは外務省ほか、何十もの団体が、この問題を
取り扱っているので、興味のある人は、そちらを
読んでみたらよい。

竹島は日本の領土なのか、それとも韓国の領土なのか。
結論から先に言えば、竹島は日本の領土である。
それが、私の得た結論ということになる。

それを韓国側は、過去の植民地政策とからめて、いわば
なし崩し的に、竹島を自国の領土として、既成事実化
しようとしている。
しかしそれ以前から、竹島は日本の領土であり、日本側
が管理管轄してきた。
ちゃんとした文書も残っている。

だからそのつど日本は、国際司法裁判所で話しあおう
と提案しつづけている。

が、どういうわけか、韓国側は、それを拒否、拒否、また拒否。
今に見る感情論だけを先行させて、ワーワー、ギャーギャー
と騒いでいる。

つまりこうした文書がしっかりと残っている以上、
日本側が教科書に、「竹島領有権」を明記するのは、
当然のことではないか。
しかし、韓国側は、それを「挑戦」と取る。
まさに過剰反応!
こうした過剰反応こそが、結局は、自国が不利な立場であることを
認めているようなもの。

本当に自国の領土であると信じて疑わないのなら、
もう少し、堂々としていることができるはず。

ところで話は変わるが、韓国のサムソンは、有機液晶パネルの
量産を、開始している。
「有機液晶パネル」というのは、もともと日本のソニーが
開発したものである。
どうして韓国のサムソンが、日本のメーカーに先立って、量産を
開始することができたのか?

「日本文化チャンネル・桜」サイトは、このあたりのいきさつを、
端的に説明している。
そのまま文だけを、紹介させてもらう。

++++++++++以下、日本文化チャンネル桜より++++++++++

アホのS(日本のメーカー)が、ますます凋落していく。
売国D会長は、逃げた。

(日本の)S社が、(韓国の)S社に、抜かれています。
文系のD会長になってから、ろくな新製品開発もしていないし、やったのは中高年リスト
ラで、なんとか利益確保をしたくらいだが、売り上げが減り続けるなか、それも限界にき
て、辞任した。

国内他社メーカーが反対したのに、日本の液晶技術を韓国に売ってしまって、(韓国の)S
社から輸入するようになってしまったD会長は、(日本の)S社を、商社にしてしまった。

++++++++++以上、日本文化チャンネル桜より++++++++++

きびしい言葉が並ぶが、大筋はまちがっていない。
ソニーは、自社の技術を、韓国のサムソンに売ることによって、
生き延びようとした。
その結果が、今である。

韓国側に言わせれば、「ちゃんとした対価を支払って手に入れた技術だから、
文句はないはず」ということになる。
しかし日本の大会社には、大会社を超えた使命というものがある。
それだけ税金面などでの優遇政策を受けてきたではないか。
そういう使命を忘れて、日本の基本技術を、外国へ平気で売り飛ばしてしまう。
が、こんなことが許されてよいものか。
しかも相手は、日本にとっては、当時も今も、最悪の反日国家である。

液晶技術にしても、いったい、どれほどの技術が、ソニーを通して、
韓国へ流れたことか?

そこでこの日本も、遅らばせながら、反撃に出ることになった。
NIKKEI NETは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、NIKKEI NET++++++++++

 東芝と松下電器産業は共同で、携帯電話などに使う高画質な中小型有機EL(エレクト
ロ・ルミネッセンス)パネルの本格的な量産に踏み切る。

2009年秋に石川県に新たな生産ラインを作り、月間100万枚(2.5型換算)生産する。同
規模で量産するのは国内で初。すでに量産体制に入っている韓国のサムスンSDIなどを
追う。

東芝・松下は中小型でコスト低減や品質安定化の技術を磨き、テレビ用の大型パネルの量
産につなげる。 

 東芝が6割、松下が4割を出資するパネルメーカー、東芝松下ディスプレイテクノロジ
ー(TMD、東京・港)の石川工場(石川県川北町)に、150億円を投じて量産ラインを作
る。当初は2―3型前後の小型画面の製品を生産する。(08年7月21日)

++++++++++以上、NIKKEI NET++++++++++

負けるな、日本!
がんばれ、日本!、と書いたところで、再び竹島問題。

ゆくゆくは、この東アジアも、一つの「共和国」になる。
現在のEUのように、である。
またそうでもしないと、生き残ることはできない。

そういう長いビジョンに立てば、日比谷公園ほどの大きさしかない島くらいの
ことで、こうまで大騒ぎするほうが、おかしい。
おかしいが、残念ながら、韓国には、その度量はない。

朝日新聞社のセスナ機が近づいただけで、戦闘機を送ってくるような国である。
ならば日本は、日本で、「経済」という武器を使って、対抗するしかない。
ここにきて、現在のイ大統領も、反日感情をむきだしにしてきている。
日本が、これ以上、遠慮しなければならない理由はない。
いい子ぶる必要もない。

過去はともかくも、造船、鉄鋼、自動車、電子産業などなど。
今度は有機液晶産業。
この日本から奪えるものは、すべて奪っておきながら、「竹島が奪われた」は、ない。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2731)

●単位交換(どうして今ごろ?)(ERASMUS PROJECT)

+++++++++++++++++

EUでは、大学生たちが、自由に各大学間を
渡り歩いている。

日本でいえば、早稲田大学で1年間、履修。
翌年は、韓国の大邱大学で、1年間、留学。
それから中国の南京大学で、1年間、履修。
最後は、静岡大学で1年間履修して、そこで学位を
認められ、卒業……というようなことを、
平気でしている。

が、この日本でも、そういう動きが出てきた。
今朝(7月21日)の読売新聞は、つぎの
ように伝える。

+++++++++++++++++

+++++++++++以下、読売新聞より転載+++++++++++++++++

(読売新聞・7月21日)

アジア・太平洋地域で、単位互換制度を中心に大学生や教員の留学・交流を進める政府の
「アジア版エラスムス計画」の概要が20日、明らかになった。

 日本、中国、韓国と東南アジア諸国の大学間で来年秋にも試験的に事業を開始し、5年
間で最大約5000人の交流を目指す。全体で数十校程度の参加を見込んでいる。月内に
も内閣官房に有識者による研究会を設置し、具体策の検討を始める。

 12月にタイで開かれる東アジア首脳会議で、福田首相が各国に参加を呼びかける方向
で調整している。当面は日中韓3国を軸に計5、6か国でスタートさせ、東南アジア諸国
連合(ASEAN)諸国の参加を徐々に増やす。首相が東アジア首脳会議で提案する際、
参加国で共同して基金を設置する構想も明らかにする方針だ。

 その後、来年秋までに各国の実務者間で、参加大学や制度の詳細、予算などを協議する。
日本では、主要な国立大学や私立大学に参加を呼びかける。

 「エラスムス計画」は、欧州連合(EU、当時は欧州共同体)が1987年から実施し
ているもので、加盟国内の大学間で単位を相互互換できる制度。現在、EU加盟国と周辺
のノルウェーなど約30か国の約2000校、学生約15万人と教員約2万人が参加して
いる。複数の国の大学を転学しても単位が取得でき、卒業が可能になることから、多数の
参加者を獲得した。

「エラスムス」とは、制度の英語名の頭文字(ERASMUS)から名付けられた。

+++++++++++以上、読売新聞より転載+++++++++++++++++

日本の大学制度は、あまりにも閉鎖的すぎた。
鎖国主義。
一言で言えば、そういうことになる。

今度この日本でも、「エラスムス計画」なるものが、実行に移されようとしている。
しかしこんな制度は、1970年当時、私がオーストラリアの大学にいたときから、世界
の常識だった。

だから同じ留学生たちと、こんな会話をしたことがある。

私が、各国の留学生たちに、「どうして日本へ留学しないのか?」と聞いたときのこと。
彼らは、みな、こう言った。
「日本へ留学しても、意味がないから」と。

たとえば日本で、医師免許や、建築士資格、会計士の資格などを取得しても、それぞれの
自国内ではもちろんのこと、日本以外の国々では通用しない。(現在も、基本的には、この
構図は変わっていない。)

一方、オーストラリアでそれぞれの資格を取れば、自国内でもそれぞれの資格が通用する
のみならず、(ただし国によって、追加的単位の取得が義務づけられているところはあるに
はあったが)、アメリカ、イギリス、カナダなど、主立った欧米諸国では、そのまま通用し
た。

大学での履修単位についても、そうである。

私の友人のD君にしても、メルボルン大学で2年間中国語を学んだあと、北京大学へ1年
間留学。帰国後は、4年生になり、1年間、再びメルボルン大学で学び、そのまま卒業し
ている(1970年当時)。

アメリカでは、それがもっと進んでいる!

……というような事実を、さておいて、今ごろ、「エラスムス計画」?
この読売新聞の記事だけを読むと、日本が率先して、単位の交換を申し出ているように見
えるが、それはおかしい。
日本は、やっと重い腰をあげて、世界の常識の仲間に入ろうとしているだけ。
今ごろこんな提案をしても、ほかの国々の責任者たちは、こう言って笑うだろう。
「今ごろ?」「なぜ?」と。

むしろ立場は逆で、日本はこう言うべきである。
「どうか、あなたがたの仲間に、日本を加えてください」
「日本も、あなたがたの国の単位(資格)を認めますから」と。

世界の潮流から遅れること、半世紀!
文科省の門戸開放は、あまりにも遅すぎた!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 単位交換 エラスムス エ
ラスムス計画 大学の開放 開放政策)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●木の箱

++++++++++++++++++H.Hayashi

教室に小さな木の箱があった。
どこかで宝石箱として買ったものだ。
それを小2のIさん(女児)が目ざとく見つけた。
「これ、何?」と。

++++++++++++++++++H.Hayashi

私「どこかの女の人がくれた箱だよ」
子「どこかの女の人って、だれ?」
私「いやね、少し前、海のそばを歩いていたら、子どもたちがカメをいじめていたんだ。
それでね、ぼくが、『いじめてはだめだよ』と言って、カメを助けてあげたんだ。そしたら
ね、ある日、魚を釣っていると、そのカメが大きくなってやってきた……」
子「それって、浦島太郎の話じゃん?」

私「あら、そう? ぼくは知らなかった。それでね、カメが背中に乗れというから、背中
に乗ったんだよ」
子「竜宮城へ行ったんでしょ?」
私「そう、そんなような名前だったかな? そこでごちそうを食べたり、魚のダンスを見
たり……。そのうち退屈になって、『帰る』と言ったら、その女の人が、おみやげにといっ
て、この箱をぼくにくれた」
子「で、どうなったの?」
私「それで家に帰って、箱のふたを開けたらね、ぱっと白い煙が出てね……。

子「だから、それでそうなったの?」
私「見ればわかるだろ。こんなジイちゃんになってしまった」と。

私はその子の前で、自分の顔を指さして見せた。

子「おじいさんになってしまったんだア」
私「そうだよ。あっという間に、ね。……本当はぼくは、若い先生なんだよ」
子「ウソだあ……」
私「本当だよヨ〜」と。

浦島太郎については、諸説が氾濫している。
それについては以前に、詳しく書いたことがある。
で、私はその話をしながら、ふと心のどこかで、こう思った。
「時間の流れを煙にたとえたのは、すごい文学的才能だ」と。
そしてつづいて、「ぼくも、あっという間に、ジジイになってしまったなア」と。
まるで煙のように、自分の過去が消えてしまっている。
とくに記憶があいまいなのは、40代のころ。
夢中で仕事をしたのは覚えているが、これといった記憶が、あまり残っていない。
何かをしたはずなのに、実感として、それが残っていない。
どうしてだろう?

あるいはその反対に、今というこの時は、40代の上にあるはず。
しかし今の私は、20代のままのような気がする。
その間の進歩は、ゼロ。
むしろ人格も知力も、40代のころより劣っているかもしれない。
30代のころよりも、劣っているかもしれない。
いったい、私の40代は、どこに消えてしまったのか?
まるで煙のように……。

私「あの女の人が、こんな箱をくれるから、ぼくはジイさんになってしまった」
子「どこかの女の人じゃないわよ、乙姫様でしょ」
私「みやげなら、もう少しマシなものをくれればいい」
子「たとえば……?」
私「竜宮城饅頭とか、イルカ・パイとか……」
子「そんなものないわよ」
私「そうだね、ハハハ」と。

そのあと、その箱は、そのIさんにあげた。
手をパンパンとたたきながら、「さあ、始めるよ」と、掛け声をかけながら。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●子どもたちへ(改)

***************


(1)いじめのこと

●常識を大切に

魚は陸にあがらないよね。
鳥は水の中に入らないよね。
そんなことをすれば死んでしまうこと、
みんな、知っているからね。
そういうのを常識って、言うんだよね。

みんなもね、自分の心に
静かに耳を傾けてみてごらん。
きっとその常識の声が、聞こえてくるよ。
してはいけないこと、
しなければならないこと、
それを教えてくれるよ。

ほかの人へのやさしさや思いやりは、
ここちよい響きがするだろ。
ほかの人を裏切ったり、
いじめたりすることは、
いやな響きがするだろ。
みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
あとはその常識に従えばいい。
だってね、人間はね、
その常識のおかげで、
何十万年もの間、生きてきたんだもの。
これからもその常識に従えばね、
みんな仲よく、生きられるよ。
わかったかな。

そういう自分自身の常識を、
もっともっとみがいて、
そしてそれを、大切にしようね。

●子どもたちへ

無理して、みんなと仲よくしようなどと、思
わなくてもいいんだよ。英語の格言にもね、
『二人の人に、同時によい顔はできない』と
いうのがあるよ。気楽にいこうよ。気楽に考
えようよ。無理して、いい子ぶることはない
よ。そんなことをしていると、疲れるもんね。

でもね、一つだけ、お願いがあるんだ。それ
はね、君のまわりに、友だちがいなくて、さ
みしそうにしている人はいないかな? もし、
いたらね、そういう人と仲よくしてあげてね。
「こんにちは」とか、「遊ぼうよ」と声をかけ
てみてあげてね。

それはとっても、大切なことだよ。それは、
とっても楽しいことだよ。うそだと思うなら、
一度でいいから、ためしてみてごらん。心の
中が、ポッと暖かくなるよ。うそじゃないよ。
ほんとうだよ。このお願いだけ聞いてくれる
なら、あとは、無理しなくてもいいよ。

そうそう英語には、もうひとつ、こんな格言
もあるよ。『相手はあなたが思うように、あな
たのことを思う』というのがね。これはね、
君が、相手のことを「いい人だ」と思ってい
ると、相手もまた君のことを、「いい人だ」と
思っているものだという意味だよ。

だからどんな相手でもいい。まず君ガー・ミん
なを「いい人だ」と思うこと。そうすると、
みんなも、君のことを「いい人だ」と思うよ
うになるよ。これもほんとうだよ。

(2)成績のこと

●成績

テストの点が悪かった、て?
そう……。いやなもんだね、テストって。
でもね、テストは、あくまでも勉強について、
だよ。
君の価値とはまったく関係ないよ。
だから大切なことは、
テストの点が悪いからといって、
自分の価値まで否定してはいけないというこ
と。
君は君だしね。
まあ、また、やってみようよ。
まだまだ、つぎがあるからね。
めげないでさ。
いちいち気にしていたら、
人生、つまらないよね。
……そう、ぼくなんか、
今、点つけられたら、
ひどい成績だと思うよ。
父親力……28点
夫力……33点
稼ぎ力…19点、……なんてね。
笑った?
笑ったら、先へ進もうよ。
そうそう、君は、「宝島」という本を知ってい
るかな。
「ジキル博士とハイド氏」でもいい。
あれを書いた、スティーブンソンという人は、
こう言っているよ。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことだ』とね。

●子どもたちへ

勉強って、つらいものだよ。だから勉強が嫌
いな君は、ちっともおかしくない。だれにだ
って、好き嫌いはあるしね。それにね、勉強
ができるから、すぐれた人ということにはな
らない。勉強ができないから、劣った人とい
うことにもならない。だからといって、怠け
るのもよくないけどね。ハハハ。でもね、君
は君だ。君の価値は、君が一番よく知ってい
る。

だからね、自分を信じて、自分の道を進むん
だよ。君にも、したいことがあるだろ。君に
も、できることがあるだろ。それが君の価値
になる。今はまだ土に包まれて、光っていな
いかもしれないが、いつか光り出す。宝石の
ように光り出す。そういうときが必ずくるか
ら、その日を信じて、今は、その準備のとき。
今は、じっくりと自分をさがしたらいい。自
分の中の宝石をさがしたらいい。テストの点
が悪かったからといって、あせってはだめだ
よ。失望してはだめだよ。勉強しても、その
効果が出てくるのは、半年とか一年後だから
ね。

そう、半年とか、一年後。もともと勉強とい
うのは、そういうものだよ。すぐには、効果
は出てこない。だからぼくらは気楽に行こう
よ。気楽に、ね。そうそう英語ではね、こう
言うよ。テイク・イッツ・イージィってね。「T
ake it easy!」と書くよ。「気楽
にしなさいよ」という意味だよ。
いい言葉だね

(3)恋のこと

●好きな人ができたらね……

好きだったら、「好き」って、
言えばいいよ。
いっしょにいたかったら、「いっしょに、いた
い」って、言えばいいよ。
絶対に後悔しないよ。
言わないほうが、後悔するよ。

だけどね、一つだけルールがある。
相手の人が、「ノー」と言ったときはね、
さっと、引きさがること。
相手の人が、一番いいようにしてあげるのが、
恋なのさ。
相手の人を、やさしさで包んであげるのが、
恋なのさ。
それが「本当に好き」という意味なのさ。
相手の迷惑になるようなことはしてはいけな
いよ。
いくら、フラれてもね。

……そういう気持ちでいるとね、
つぎには、もっとすてきな人が現れるよ。
そしてね、そのときは、うまくいくよ。

●子どもたちへ

大切なことは、心を解き放つこと! 空に向
かってね。モヤモヤしたら……。重苦しく感
じたら……。行きづまりを覚えたら……。体
はあとから、ついてくるって、昔、ぼくの友
人が、いつも、そう言っていたよ。

好きだったら、好きだと言おうよ。いやだっ
たら、いやと言おうよ。飾ることはないよ、
ね。ウソをつくことはないよ。

自分をごまかせばごまかすほど、疲れるよ。
ウソをつけばつくほど、もっと疲れるよ。で
も、それだけでは、すまないよ。

自分をごまかせばごまかすほど、見苦しくな
るよ。ウソをつけばつくほど、見苦しくなる
よ。英語にも、『正直こそ、最善』という格言
が、あるよ。どんなことでもね、正直である
ことが、一番いいということさ。

だから、……ごまかそうとか、ウソをつこう
かと迷ったら、この言葉を思い出してよ。そ
うすれば、おのずと答えが出てくるよ。そし
て、ね。思い切って正直に、話してみてごら
ん。思い切って正直に、生きてみてごらん。
そうするとね、心の中を、スーッと風が通る
のを感ずるよ。とっても気持ちのよい風が、
ね。

そうそうひとつ言い忘れたけど、自分を飾る
のもよくないよ。大切なのは、中身。中身だ
よ。もっとわかりやすく言えば、「これがぼく
だ」「これが私よ」と、相手に誇れるもの! こ
の実力がないと、せっかく実った恋でも、長
つづきしないよ。相手の人がね、「なんだ、こ
の人は、こんな人だったんだ」と思ったら、
それで恋も、お・し・ま・い。フラれるのも
つらいけど、相手の人に飽きられることは、
もっとつらいことだよ。これはぼくの経験だ
よ。ハハハ。

(4)将来のこと

●たった一度の人生だから

たった一度しかない人生だから、思う存分、
生きてみようよ。
海は広いんだ、空は広いんだ、宇宙は、もっ
と広いんだ。
だれにも遠慮することは、ない。何も恐れる
ことはない。
心を解き放とうよ。
海に向かって、空に向かって、宇宙に向かっ
て。
体はあとからついてくる。

でもね、自由に生きるということは、そんな
に楽なことではないよ。
「自由」というのはね、もともと「自らに由
(よ)る」という意味だよ。
自分で考えて、自分で行動して、そして自分
で責任をとるということ。
だから自由でいるということは、とってもき
びしいことだよ。

ちっぽけな肩書きや地位に満足してはいけな
いよ。
名誉や名声を、先に求めてはいけないよ。
そんなことをすれば、君の人生は、見苦しく
なるだけ。
つまらなくなるだけ。
今やるべきことを、懸命にやろう。
それでいいのさ。
人がどう思うと、そんなこと気にしてはいけ
ない。
君の人生は、どこまでいっても、君のもの。
だれのものでもない。君のもの。だから思う
存分、生きてみようよ。

君を判断するのは、君自身だよ。ほかのだれ
でもない。君自身だよ。
そういう意味でもね、自由に生きるというこ
とは、孤独なことだよ。
勇気がいることだよ。
でもね、結局はそのほうが、自分の人生を生
きることになるんだよ。

●子どもたちへ

人間に上下はないよ。仕事にも上下はないよ。
君がしたい仕事。君がしなければならない仕
事。君ができる仕事。それをさがせばいい。

方法は簡単。まず、どんなことをしていると
きが、いちばん楽しいか、それを知ればいい。
つぎに何をしたいか、それを知ればいい。そ
してその中から、自分ができることを、さが
していく……。するとね、その中に、キラリ
と光るものを、君は見つけるはず。つまりね、
それが君の仕事!

そして、ね、一度それを見つけたら、それを
一生かかってするんだよ。人が何と言おうが、
気にすることはない。気にしてはだめだ。君
は君の道を信じて、まっすぐ前に進めばいい。

大切なことは、プロになること。「これだけは
ぜったいに、だれにも負けない」というプロ
になること。プロになって、それを一生、つ
づけること。そのプロをめざそうね。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ものを書く】

●私の母(My Mother)


私の母は、容赦なく、私からお金を
むしり取っていった。


 目やにで閉じたまぶたを、そっと濡れたガーゼで拭く。その細い目の下で、黒い瞳が左
右に動く。もう話すこともできない。耳もほとんど聞こえない。大声で話しかけると、左
手だけが、かすかに反応する。
 母がセンターに入って、1年半。寝たきりになって、6か月。この2月に救急車で病院
へ運ばれたとき、担当のドクターはこう言った。「次回からは、延命処置はしません」と。
死の宣告だった。「そういうものかなあ」「そういうものだろうな」と思いながら、私は納
得した。


以下、まぐまぐプレミア(有料版)のほうにてのみ、公開しています。



(080718記)


●巣立ち(Chilfren who leave their nests)


これも子離れ、親離れ


 少し前、息子の1人に、こう言って怒鳴られた。「お前の言っていることは、矛盾だらけ
だ! ママは、お前の奴隷みたいだ!」と。何かの拍子に、ささいな口論が、そのまま大
喧嘩になってしまった。 



以下、まぐまぐプレミア(有料版)のほうにてのみ、公開しています。


(080718記)


●自分(I write Myself)


私たちは何のために生きてきたのか?
何のために生きているのか?


 自分が健康なときというのは、自分の年齢がわからない。年齢といっても、ただの数字。
だからときどき、昔出会った、私の今の年齢の男たちを、頭に思い浮かべる。「あの人も、
あのとき60歳だった」と。
 しかしどの人も、そのあと、まもなくして、死んでいる。時の流れというのは、そうい
うもの。ふと油断していると、10年、20年などという年月は、あっという間に過ぎ去
ってしまう。そして気がついてみると、その人は、もうそこにはいない。
 しかしそれは何も他人の話ではない。私自身の話である。私自身も、やがて「まもなく」、
この世から消える。が、今はわからない。ほどほどに健康だし、60歳といっても、体の
調子は、40代のころよりも、よいかもしれない。
 が、こうしたものの見方も、病気になると、一変する。とたん、それまで前に見えてい
た道が、深いモヤに包まれる。「まもなく」が、不気味な現実となってそこに現れる。不安
と悔恨、恐怖と絶望。そういったものが、こん然一体となって、心に重くのしかかる。
 「私は何のために生きてきたのか」と。
 しかしやがて精密検査の結果が出る。ドクターは笑いながら、こう言う。「何でもありま
せんね」「夏風邪でしょう」と。とたん、私の頭の中から、「60歳」という数字が消える。
と同時に、その先に、再び道が現れる。
 ……あとは、その繰り返し。ただ言えることは、加齢とともに、その繰り返しが多くな
ったということ。若いときは、数年に一度だったものが、60歳になると、年に1度とか、
そうなる。
 もちろん個人差もあるだろう。すでに大病を患っている人も少なくない。そこで私は、
今、ふとこう考える。
 「私は何のために生きているのか」と。
 私が書いてきた文章は、どれも駄作ばかり。言うなれば、化粧に化粧を塗り重ねてきた
ような文章ばかり。読むに耐えないというか、読めば読むほど、時間を無駄にしてきたこ
とがわかる。
 しかし私に残された時間は、あまりにも短い。そのうちこの脳みそも、ボケて使いもの
にならなくなるだろう。「まもなく」、本当に大病を宣告されるかもしれない。だったら、
結論は、ひとつ。
 私は「私」を書く。ありのままの「私」を書く。そんな私を他人がどう思うが、私の知
ったことではない。私とて、他人の一部。他人だって、私の一部。私と他人を区別するほ
うが、おかしい。
 先ほど、私は私の母のことを書いた。私のワイフの新興宗教とのかかわりについても、
書いた。ついでながら言うと、ワイフがその宗教団体とかかわったことは、その宗教団体
にとっては、不幸なことだった。私はものを書くことで、その宗教団体の虚構性を暴いて
やった。何冊か、本も書いた。
 それはワイフを取り戻すための、壮絶な闘いでもあった。
 結果、私の家には、再び平穏な日々が戻ってきた。
 ……ともかくも、今の私には、「60歳」というのは、ただの数字でしかない。こんな数
字にまどわされて、自分を見失うことはない。少なくとも今の私は、そうだ。ただ、また
そのときが来たら、今度こそ、「私は何のために生きてきたのか?」という思いは、最小限
にとどめたい。
(080719)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私の健康法

今日、1単位の運動をした。
だから明日は、だいじょうぶだろう。
今週、5単位の運動をした。
だから来週は、だいじょうぶだろう。
今月は、(歩け運動)に、1回、参加した。
だから来月は、だいじょうぶだろう。

しかしそのあとのことはわからない。
モヤモヤとした闇に包まれている。
来年のこととなると、さらにわからない。
ただ確実に言えることは、来年は、
今年より、よいということはないということ。

では、どうするか?

運動量を、1日、1単位から2単位へとふやす。
1週間で、5単位から10単位にふやす。
(歩け運動)については、1回から、月2回にふやす。

それが無理だというのなら、・・・やがて
運動量をふやすといっても、限界に達するだろうが、
そうなったときには、不健康であることを嘆かない。
それがそのまま「命」の限界ということなる。

それに、この世界には、『自業自得』という、恐ろしい
言葉がある。
どんな結果であるにせよ、それは(今)が決める。

若いときはそれほど気にしなかったが、
このところ、その言葉が、ズシリと、胸に響く
ようになった。

運動をサボるだけサボりながら、「健康でいたい」は、
ない。

そういう意味では、健康というのは、作るものではない。
守るものでもない。
維持するもの。
今、ここにある健康を、何とか,明日に、来週に、
来月に、そして来年につなげる。

つなげ、つなげしながら、何とか、生き延びていく・・・。

頭の体操も、しかり。

今夜は、これからワイフと深夜劇場に行く。
何を見るかは、ワイフに任せてある。
「楽しむ」というよりは、そこには、ある種の
悲壮感が漂うになった。
(もちろん、楽しみたいが・・・。)
「行かなければならない」という思いで、
深夜劇場に行く。

映画というのは、脳みそに刺激には、たいへんよい。
家でビデオを見るという方法もあるが、迫力がちがう。
その迫力が、脳みそを刺激する。

が、これも回数をふやすしかない。
今のところ、週1回と決めているが、そのうち、
週2回にするかもしれない。
あるいは、ほかの方法があれば、それも試してみたい。

それが今の私の健康法ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●ある塾長の死

K県内で、30教室あまりの進学塾を
経営していた、1人の塾長が、去る5月に死んだ。
(私たちは、昔から「塾長」と、その塾長が
引退してからも、一目置いて、そう呼んでいた。)

享年、75歳。
がんから、肺炎を併発し、あっけない死だった。
一線を退いてから、10年以上になる。

同じ私塾連盟に属していたが、その人だけは、
別格だった。
若いときから、派手な生活を楽しんでいた。
10年ほど前に会ったときにも、1000万円超もする、
ベンツを乗り回していた。

その葬儀に出た、別の友人が、こう言った。
「なあ、林君、さみしい葬式だったよ。親族のほうは、
家族と、その孫たちだけだった」と。

私「教え子たちは来なかったか」
友「来るわけないだろう。こういう仕事だからなア」
私「そうかア……。じゃあ、教師たちはどうだった?」
友「すでに一線を退いていたからなア……。受付には、
(塾関係者)というコーナーもあったが、記帳したのは、
ぼくと、ほかに数名だけだった」
私「彼の下で働いていた教師たちは、来なかったのか」
友「来なかったと思うよ。来れば、わかったはずだから……」と。

その塾長で覚えているのは、いつだったか、
こんな話をしてくれたこと。

塾長……彼の名前を、M氏としておく。
M氏には、ほかに4人の兄弟がいた。
生まれはみな、東北のI県だったという。
ガー・ミな、M氏を頼って、M氏の周辺に
集まってきた。

その兄弟たちの面倒を、M氏は、よくみた。
「ぼくはね、甥っ子や姪っ子の学費まで、
全額出してやったんだよ」が、M氏の自慢話
だった。
「こういう仕事をしていると、進学の話になると、
断れないもんだよね」とも。

それだけではない。

兄弟たちには、進学塾での仕事も与え、生活の
面倒もみていた。

「一応、理事ということで給料は払っているけど、
仕事らしい仕事は、してくれない」と、M氏は、
ときどきこぼしていた。

……と、まあ、そういう話をしながら、今日、
ワイフが私にこう言った。

「みんな、冷たいのね。それだけ世話になって
おきながら、どうして葬式に来なかったのかしら?」と。

私「あのね、そういう見方は正しくないよ。
塾長にしてみれば、『助けた』と思っているかも
しれないけど、助けられたほうは、そうは思っていない」
ワ「あら、どうして?」
私「貧者には貧者の論理が働く。塾長の自宅は、F市に
あるけど、(住まい)というよりは、(豪邸)だよ。
庭の端には、総ひのき造りの離れまである。そういうのを
見せつけられると、『ありがたい』と思う前に、
その人をねたむようになる。この(ねたみ)がこわい」
ワ「そうね……」と。

別の進学塾の塾長も、こう言っていた。
「ぼくは、今まで、仲人はともかくも、教え子の
結婚式に招待されたことすらない」と。

「そういうものかあ」と返事をためらっていると、
その塾長は、こう言った。

「いいか、林君、しょせん、ぼくらのしている
仕事というのは、そういうものだよ。父母に
しても、息子や娘が進学塾に通っていたという
話は、隠したがる……」と。

「そうであってはいけない」と、私は思うが、
月謝という(マネー)がからむと、人間と人間と
つなぐ紐は、かわいた藁(わら)のようなもの。
あっという間にボロボロになって、切れる。
『金の切れ目が、縁の切れ目』と。

だからその友人は、こうも言った。
「だから、ぼくらの仕事には、幻想をもたないことだ。
いくらきれいごとを並べても、親たちが求めて
いるのは、別のものなんだ」と。

彼が言う(きれいごと)というのは、いっぱしの
「教育論」をいう。

私「考えれば考えるほど、さみしくなるね」
友「ハハハ、ぼくたちだけではないよ。開業医を
している高校時代の友だちも、同じようなことを
言っていたよ」と。

話をもとにもどすが、他人がもつ(ねたみ)には、
警戒したほうがよい。
原始的な感情であるがゆえに、扱い方をまちがえると、
かえって反感を買ってしまう。

えてして成功者は、それをことさら他人に
誇示したがる。
「私は、これこれしかじかの成功者である」と。

しかし中には、その日、その日の生活で、
精一杯という人もいる。
そういう人は、その人をうらやむ前に、
はげしい憎悪の念すらもつかもしれない。

と、同時に、自分が覚える(ねたみ)にも、警戒した
ほうがよい。
他人をねたむことによって、自分の心を貧しくする。
あるいは、ゆがめる。
先にも書いたように、原始的な感情であるがゆえに、
一度ゆがむと、それを元にもどすのは、たいへん。
ばあいによっては、それがその人のものの考え方の
基本になってしまう。

友人はこう言った。

「昔は、医は、仁術と言った。それだけ患者たちに
感謝され、尊敬された。が、今は、ちがう。医者たちが
特権階級になってしまった。中には、すばらしい医者も
いるかもしれないが、たいはんの医者たちは、庶民とは
かけ離れた生活をしている。それが他方で、ねたみの
原因となっている」と。

……ここまで書いて、私は昔見た、華僑の家を
思い出した。

マレーシアでも、インドネシアでも、華僑の家は
見た目には、ものすごくみすぼらしい。
鉄格子のような扉が、道路を隔てている。
その鉄格子をとおして見える、部屋も、これまた
みすぼらしい。

が、案内されて廊下を通り抜けると、様子が一変する。
壁も、そして部屋の床も、すべて本物の大理石!
家具も調度品も、それにふさわしいものばかり!

あとで別の人に理由を聞くと、その人はこう話してくれた。
「現地の人にねたまれると、暴動が起きたような
とき、イの一番に、攻撃されるから」と。

人にねたまれるということは、そういうことをいう。

もっとも私のばあいは、相手が幼児だし、
進学を目的とした指導は、していない。
人間関係など、作りようがない。

が、立場は、冒頭に書いた塾長と同じ。
どこもちがわない。
派手な葬式など、望みようもない。
死ぬときは、かぎりなく孤独だろう。
長生きをすればするほど、そうで、ひょっと
したら、ワイフのほうが先に、あの世へ
行ってしまうかもしれない。

やはり大切なのは、「今」ということになる。
今というこの時を、どうやって心豊かに
生きていくか。
それだけを考えて生きていけばよい。

明日のことは、明日に任せればよい。
結果は、あくまでも結果。
そんな結果を気にしていたら、とても心豊かに
生きていくことはできない。

しかし……。あの塾長は、私にとってはよい人だった。
明るく快活で、いつも自信に満ち溢れていた。
一度、鉄板焼きをごちそうになったこともある。

ご冥福を、お祈り申し上げます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

●わけのわからないストライキ

現在、日本中の漁船が、操業を停止しているという(08年7月)。
理由は、燃料費の高騰。
漁民の人たちは、政府に対して、「燃料費の補填(ほてん)をしてほしい」と。

しかし考えれば、考えるほど、このストライキはおかしい。
理解できない。

たとえば航空輸送産業がある。
そこでも同じように、燃料の高騰に苦しんでいる。
事情は、日本各地の運送業も同じだろう。

が、どうして漁業だけが、「補填しろ」と言うのだろう。
……言えるのだろう。
私はこの言葉の裏に、「漁業をしてやっている」という、常識では考えられないような
高慢さを感じてしまった。

今さら説明するまでもなく、日本の農業と漁業、それに林業は、補助金漬けになっている。
このあたりの農家の人たちも、農業そのものの話ということよりも、集まれば、補助金の
話ばかりしている。
今では補助金なくしては、農業そのものが成り立たないしくみが、できあがってしまって
いる。
おそらく、漁業もそうなのだろう。
(詳しくは、あとで自分なりに調べてみたい。)

で、現在、日本の漁業には、「形」しか残っていない。
日本の港へ入ってくる漁船のほとんどは、外国船籍の船ばかり。
また沖合いで、外国の漁船と取り引きして、そこで魚を売買するという方法も、恒例化し
ている。

ふつうなら、燃料費が高騰すれば、その分だけ、魚の値段に上乗せすればよい。
現に航空輸送産業のほうでは、そうしている。

が、それをしないで、「補填しろ」と?
何かのカラクリが隠されている?
臭いぞ!
におうぞ!
漁民の人には失礼かと思うが、漁民の人たちも信用できないが、農林水産省は、もっと信
用できない。
その結果が、今回のわけのわからないストライキとなった?

私の今の感覚にすれば、「なんて、甘ったれたことを言っているのだ!」ということになる。
しかし一方、補助金に慣れすぎてしまった漁民の人にしれば、「燃料費の高騰にともなう被
害は、政府が補償すべき」となる。
このあたりの意識のズレは、いったいどこから生まれるのか。
どうしてこうなってしまったのか?

ちなみに、今日も近くの開店寿司を食べたが、値段は同じ。
ネタもいつものとおり。
(今朝の新聞によれば、魚の入荷が減り、魚市場での魚のセリは、いつもの半分の時間で
終わったとある。)

日本の漁船が操業を停止しても、日本人の食卓から魚が消えることはないらしい。
つまりそれが現在の日本の漁業を象徴している。
もっと言えば、日本の漁業など、あってもなくても同じ?
(だからといって、なくてもいいと言っているのではない。誤解のないように!)

さらにわかりやすく言えば、とっくの昔に、日本の漁業は、全体として倒産状態にあった?
それを無理に無理を重ねて、日本政府は、生かしてきた。
(だからといって、それがまちがっていたと言っているのではない。誤解のないように!)
こうした過保護行政は、たとえばあの「捕鯨」にも、みられる。

ほんの一部の捕鯨業者と、高級化割烹でクジラを食べる金持ちを守るためだけに、いまだ
に、捕鯨をつづけている。
「調査捕鯨」などという、それこそわけのわからない理由をこじつけて……。
おまけに世界中の人たちから、袋叩きにあっている!

何かおかしい。
どう考えてもおかしい。

このつづきは、私なりにもう少し調べてみてから、書いてみたい。
その結果、「やはり政府は、補填すべき」と書くかもしれない。
反対に、「補填など、とんでもない話」と、書くかもしれない。
どうであるにせよ、何かおかしい?
今は、保留としておく。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

●HP者の2133、ミニ・パソコン

最初は少しとまどったが、今は、2133が気に入っている。
使い勝手も悪くない。
が、ひとつ問題が発生。

ディスクドライブを内蔵していない。
そのため外付けのドライブを使用しているが、ソフトによって、インストールできるのと、
できないのがある。

そこでインターネットを調べてみると、今、私がもっているドライブは、ビスタには対応
していないのがあった。

しかたないので、さっそく、一台、購入。
チラシに出ていた、いちばん安いのを選んだ。
値段は、6800円。

で、この話とは別に、2133を使ってみて気づいたことがある。
2133は、ワープロとして使っている間は、まったく問題ない。
しかしインターネットにつないで、メールのやりたりをしたり、ウェブをのぞいてみたり
すると、能力の差を、たいへん強く感ずる。

もっとも今、私がデスクで使っているパソコンは、2台とも、最先端のCPUと、グラフィ
ック・ボードを搭載している。
メモリーも、4Gと3G。

ところが、大半の人は、この2133と同じレベルか、あるいはそれ以下のマシンを使っ
ている。
とくに家庭の母親たちは、そうだろう。

私は、それがよかれと思って、ホームページなども最新の技術を使って更新したりしてい
る。
しかし古いパソコンだと、画面を開くことさえできないかもしれない。
あるいはモタモタと時間ばかり、かかるかもしれない。

とたん、なんだか、申し訳なくなってきた。
つまり自分のしていることに自信がなくなってきた。
「私だけ、高性能のパソコンを使っていいものか?」と。

2133は、能力的には、お世辞にも、すぐれたパソコンとは、とても言いがたい。
最初の画面をたちあげるだけでも、2分40秒もかかる。
ワードを開こうとすると、さらに1分程度もかかる。
どこか、かったるい。
(一方、私が使っているデスクトップパソコンは、1分弱で、作業を始めることができる。)

しかし値段が値段だから、こんなものかとあきらめるしかない。
ぜいたくを言えば、キリがない。
とにかく今は、このパソコンを使い倒し、願わくは1年以内に故障させて、修理に出せる
ようにしたい。
保証期間は、1年。
少なくともパソコンというマシンは、使って使って、使いまくる。
みがいて床の間に、飾っておくようなものではない。
(と書きながらも、実際には、毎日ピカピカにみがいて、枕元に置いて眠っているが……。
しかしこの考え方は、どこか、セコイね。)


Hiroshi Hayashi++++++++July 08++++++++++はやし浩司

●『幻影師・アイゼンハイム』を見る

昨夜、深夜劇場で、『幻影師・アイゼンハイム』を見た。
星は、3つの★★★。プラス★。4つでもよい。

なかなか楽しかった。
おもしろかった。

結局、最初から最後まで、すべてがxxxxだった。
そういう映画だった。
(「xxxx」の部分は、映画を見てからのお楽しみ。)

で、アイゼンハイムが舞台で見せたのは、エジソンが
発明した活動写真のようなものではなかったか。
「そんなもので人をだませるか」と思う人もいるかも
しれないが、当時としては、そういうものだったに
ちがいない。

事実、はじめて活動写真なるものを見た人の中には、
あまりの衝撃で、気を失った人もいたという記録も
残っている。
テレビがはじめて現れたころもそうだった。
みな、テレビの前で正座して、それを見ていた。
アナウンサーが、「こんにちは」とあいさつ
したりすると、私の祖父などは、頭をしっかりと
さげて、「こんにちは」とあいさつをしていた。

祖父は真顔で、私にこう説明した。

「浩司、こちらから向こうが見えるということは、
向こうからも、こちらが見えるはず」と。

で、『幻影師・アイゼンハイム』は、最初から最後まで、謎、謎、謎……という映画だった。
が、最後の最後で、どんでん返し。
そのどんでん返しが、おもしろかった。
見て、損はない映画である。
とくにボケ防止には、よい。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●日々に精進

今日、こんなことがあった。
山荘へ向かう途中、一台の大型トラックターが、右前方を走っているのが見えた。
少し変わった形をしていた。
運転台が、4面大きなガラス窓になっていた。
まるで宇宙船のようだった。
で、そのトラックターに見とれていると、ちょうど交差点のところで、何かの上に乗り上
げた。
ドスンと大きく揺れて、その瞬間、どこかにたまっていた畑土が、ドドッと道路にこぼれ
た。
私とワイフはそれを見ながら、その交差点を、左に曲がった。

私「あの運転手は、土が落ちたのを見ていたよ」
ワ「どうしてそれがわかるの?」
私「だって、バックミラーをしっかりとのぞきこんでいたもの」と。

それから私たちはいつものように山荘へ向かい、数時間を過ごした。
昨日と変わって、涼しい風が吹いていた。
ワイフは、昼寝。
私は、パソコン雑誌を読んだ。

で、いつものように、いつもの道を通って帰った。
そして途中、先ほどの交差点へやってきた。

見ると、畑土は、きれいに消えていた。
道路を、ほうきで掃いたような跡も残っていた。

私「あの運転手、ちゃんと片づけていったよ」
ワ「あら、いい人ね」
私「今どき、珍しい人だよ。ちゃんと責任を取っていった」
ワ「ああいう人は、きっとみんなに信頼されているはずよ」
私「そうだね。一事が万事だからね。きっと友だちも多いはず」
ワ「そういう人は、幸福になれるわね」と。

まさに瞬間、瞬間が日々の積み重ねになる。
その日々が積み重なって、週となり、その週が積み重なって月となる。
さらに月々が積み重なって年となり、やがてその人の人格となる。

私「誠実な人は、いつでも、どこでも誠実だよ」
ワ「だからみんなに信頼されるようになるのよ」
私「が、油断してはいけない。ときに『まあ、いいや』と思ってしまうと、そのとたん、
それまでの自分が、総崩れになってしまう」
ワ「こわいわね」
私「だから日々に、精進あるのみ。その緊張感を忘れたら、おしまい」と。

人も50歳を過ぎると、それまでごまかしてきた持病が、どっと表に出てくるようになる。
人間性もそうで、それがそのまま表に出てくるようになる。
それまでは気力で、他人の目を欺くことができる。
その気力そのものが弱くなる。

さらにこわいことに、人も50歳をすぎると、健康はどんどんと下り坂に向かう。
同じようにそれ以後、その人の人間性が、向上するということは、ありえない。
よほどの努力をしないかぎり、そういうことは、ありえない。
加えて頭の活動も、鈍くなってくる。
醜い人は、醜い人のまま。
心の貧しい人は、貧しい人のまま。

よく「老人になればなるほど、人格に円熟味が生まれる」と説く人がいる。
しかしそれはまっかなウソ。
ウソということは、自分がその年齢になってみて、はじめてわかった。

もちろん老人の中には、高邁な人格を保った人もいる。
しかし、たいはんは、「?」。
中には、電車やバスの中で、ゲラゲラ、ギャハハハと騒いでいる老人さえいる。
悲しいかな、文化性はゼロ。
知性も、ゼロ。
人間というよりは、サルに近い。(ホント!)
ウソだと思うなら、ほんの数分でよいから、彼らの会話に耳を傾けてみることだ。
聞くに耐えないというか、よくもまあ、ああいう会話ができるものだというような会話を
する。

つまり人は、ある日突然、ケア・センターにいるような老人になるのではない。
日々に少しずつ、ああなっていく。

では、どうしたらよいのか?

結局は、『日々に精進あるのみ』ということになる。
その努力を怠ったとたん、とても残念なことだが、人も、サルになる。
(もちろんだからといって、人間としての価値をなくすという意味ではない。誤解のない
ように!)

ある人は、『ケータイをもったサル』という本を書いた。
若い人たちを酷評した本だが、ベストセラーになった。
しかし今の私なら、こんな本を書く。
『ケータイをもたないサル』。
いつか思い切って、老人たち(=私たち自身)を酷評してみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争・再燃

+++++++++++++++

またまた書くぞ、「日韓経済戦争」(PART2)。
やはり韓国は、日本にとっては、最悪の反日
国家だった。

李大統領は、竹島問題にからみ、こう述べた。
(朝鮮N報・7・17)

「国論分裂を狙う北朝鮮と日本の思うつぼにはまる」と。
「思うつぼ」とは、何か?

思わず本音が出たということか?

+++++++++++++++

朝鮮N報、7・17日は、竹島問題にからんで、つぎのように報道している。

+++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++

李大統領は日本で中学校の新学習指導要領解説書に独島(日本名竹島)の問題が盛り込ま
れたことについて、「日本が長期的、戦略的に独島を紛争地域にしたいという意図に基づき
一つ一つ着実に動いている点を念頭に置き、韓国も短期的、臨機応変式ではなく、戦略的
な次元で長期的な視野を持って対処すべきだ」と指摘。その上で「東北アジア歴史財団の
活動を強化し、中国だけでなく日本の歴史に対しても長期的な研究と対策立案を進めるべ
きだ。中国、日本とともに東北アジアの歴史教科書を共同で作るプランも積極的に進める
必要がある」と述べた。

李大統領は「独島に対する実効的支配を強化するとともに、国際的な広報活動も強化し、
歴史を歪曲(わいきょく)する日本の企てに、具体的かつ積極的な対応策を取るべきだ」
と強調した。

 李大統領は同時に「日本の独島に対する領有権明記と、金剛山観光客射殺事件は超党派
的に対応すべきだ。政界がこれを政略的に利用すれば、国論分裂を狙う北朝鮮と日本の思
うつぼにはまる」と警告した。

+++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++

李大統領は、「日本は長期的、戦略的に独島を紛争地域にしたいという意図に基づき、一つ
一つ着実に動いている点を念頭に置き……日本が国論分裂を画策している」と述べている。

一方的に、つまりなし崩し的に、竹島を自国の領土にしようと画策してきたのは、韓国の
ほうではないのか。
日本はそのつど、国際裁判所で裁定してもらおうではないかと、提案しつづけてきた。
もし本当に竹島(独島)が韓国の領土だと信じているなら、姑息な小細工などする必要は
ない。
ここまで過剰に反応する必要もない。
さらに言えば、国際裁判所に出てきて、堂々と持論をぶつければよい。

大統領就任から、約半年。
ここにきて、李大統領の心の内というか、本音が露呈し始めた。

もし日本の福田首相が、逆の立場で、同じようなことを口にしたら、韓国政府は、どのよ
うに反応するだろうか。
ほんの少しでよいから、韓国の人たちも、それを想像してみることだ。

「韓国は長期的、戦略的に竹島を紛争地域にしたいという意図に基づき、一つ一つ着実に
動いている点を念頭に置き……韓国が国論分裂を画策している」と

こうした挑発的な発言は、(敵対国)に対してするものであって、(仲間)に対してするも
のではない。

私はこの記事を読んで、再び、ムラムラと自分の中に、嫌韓感情がわき起ってきたのを感
じた。

いつ日本が、竹島を紛争地域にしたいと願った?
どこで日本が、韓国の国論の分裂を画策した?

バカも休み休み、言え!

……ということで、「日韓経済戦争」(PART2)再開。

負けるな、日本!
がんばれ、日本!

ちなみに、15日、ソウル証券市場でコスピは、前日比49.29ポイント(3.16%)
安の1、509.33で引け、ここ1年で最低をつけている。
(日本の日経平均株価は、前日比255.60ポイント(1.96%)安の12、754.
56で引けている。)


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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   18日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●母親と床につく中学生(A High School Boy who sleeps with his Mother)
A boy (age 14) has been sleeping with his mother every night in the same bed. His 
mother seems to have a kind of mental disorder.

+++++++++++++++++

R氏の長男(中学2年生)は、
今でも、母親と毎晩、抱き合うように
して寝ているという。

+++++++++++++++++

R氏(父親、45歳)からの相談。
相談というより、グチ?
現在、「妻とは、形だけの夫婦」とか。
息子(中2)と娘(小5)がいる。
が、「子どもたちは、今でも、妻といっしょに、
『川』の字になって寝ている』とのこと。

同じフトンの中で、だ。

R氏は、夕方からの仕事(=運送会社での
荷物の仕分け)をしている。
いつも帰宅するのは、朝の6時ごろ。

「離婚したくても、いろいろ事情があり
まして・・・」と、R氏は言葉を濁す。

「長男のヤツは、中学2年生というのに、
いまだに母親とくっついて寝ています。
よくないとは思いますが、どうしようも
ありません。
妻には、こわくて、何も言えません」と。

「どうしたらいいか?」という相談では
なく、「あきらめています」という
雰囲気の話だった。

+++++++++++++++++

母子分離不安、夫婦分離不安というのは、ある。
しかし母子分離不安というのは、あくまでも
子ども側の問題。

これに対して、母親のほうが、子どもと離れられない
というケースもある。
中学2年生のその息子(=R氏の長男)にしても、
スポーツマンで、見た感じは、ごくふつうの
子どもである。

R氏の話から想像するような、ナヨナヨとした
印象は、まるで受けない。

R氏は、「母親のヤツが、放さないのです」と
言った。

こういうケースのばあい、子どもが、心の隙間
を埋める代用品になっていることが多い、
心の緊張感をいやすために、代償的に子どもを
常にそばに置く。・・・置きたがる。

あるいは本来、夫に向けるべき愛(?)まで、
子どもに注いでしまう。

たいていは母親側に、情緒的欠陥、もしくは
何らかの心の病気があると考えてよい。
そのため無理に母子関係を引き裂くようなことをすると、
母親の症状はさらに悪化する。

が、母親はそれでよいとしても、子どもに与える
影響は無視できない。
依存性は相互的なもので、母親が子どもに依存性を
もてばもつほど、子どももまた、母親に依存性を
もつようになる。

しかし(依存性)は、けっして、(愛)ではない。
ベタベタに依存しあっているからといって、
たがいの(愛)が、濃密ということにはならない。
(見た目には、仲がよく、たがいに深い愛情で結ばれて
いるように見えるが・・・。)

R氏の妻が子どもに示している、こうした愛を、「代償的愛」
という。
が、「愛」ではない。
「子どもを愛している」と言いながら、その実、
子どもを自分の支配化において、自分の思いどおり
にしたいだけ。
かんたんに言えば、「愛もどきの愛」ということに
なる。
一見、愛に見えるが、愛ではない。
似たようなケースに、ストーカーが見せる愛(?)がある。
相手の迷惑を顧みず、相手を追いかけまわす。

どこまでも自分勝手で、自己中心的な愛ということになる。

子育ての目標は、子どもを自立させること。
こうした依存性は、子どもの自立の妨げになることは
あっても、自立を助けることは、ない。

本来なら、母親は、子どもの親離れを促しながら、
子どもを自立させなければならない。
一般論からしても、親の添い寝は、子どもに情緒的な
問題がなければ、長くても小学2、3年生ごろまで。

そのころになると、子どもの自己意識が急速に発達
してくる。
子どもが親離れする時期とも重なる。

で、ふつうこういうケースでは、つまり、ベタベタの
親子関係がつづけば、子どもは、マザコン化する。

(マザコンについては、たびたび書いてきたので、
ここでは省略する。)

一方、R氏は、父親としての役割を、すでに放棄
してしまっているかのようである。
(1)母子関係の是正と、(2)社会性の構築、である。
わかりやすく言えば、「母子の間に割って入り、
子どもに狩りのし方を教える」。

加えてR氏のばあい、夫婦関係は、すでに冷え切って
しまっている。
(だからこそ、母親は、子どもを溺愛していると
いうふうにも、考えられる。)

似たようなケースに、昔、Y君という子どもがいた。
当時、中学3年生の男子だった。

Y君の母親は、Y君が恋心をいだいただけで、狂乱状態に
なってしまった。
「今は、受験で大切な時期だから、何とか交際を
やめさせてほしい」と。
が、それはまさに嫉妬に狂った女の姿だった。

で、私が、「それだけは、この私にもできません」と
言うと、Y君の母親は、その女の子の写真を、パラパラと
机の上に並べて、こう叫んだ。

私が、「かわいい子じゃないですか」と言ったのが
まずかった。

「先生、こんな女ですよ、こんな女ですよ! こんな
女のどこがいいですかア!」と。
Y君の母親は、私の目の前で、ワーワーと泣いた。

では、どうするか?

具体的に何か問題がないかぎり、この世界には、
『内政不干渉の大原則』というのが、ある。
R氏のケースでも、母親(=R氏の妻)から、「どうしたら
いいでしょう?」という相談がないかぎり、私としては
アドバイスのしようがない。

母親がそれでよいと言うなら、それでよい。
子どもがそれでよいと言うなら、それでよい。
マザコンはよく話題になるが、それほど深刻な問題ではない。
(最近では、多かれ少なかれ、つまり程度の差こそあれ、
たいはんの男児は、マザコン化しているとみてよい。)

つまり、そうでない人から見て、「どこかへん?」といった程度の
問題。

・・・というわけで、私はR氏に話を聞きながら、
「はあ、そうですか」と相槌を打つことしか、できなかった。

以上、記録として、ここに書きとめる。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司


●うちの子、自閉症?(Autistic Disorder)

+++++++++++++++

「うちの子は自閉症ではないか?」という
相談が届いた。

私の立場では、資料を提供することしか
できない。

最終的な判断は、専門医に診断してもらう
しかない。

+++++++++++++++

 自閉症の最大の特徴は、スムーズな人間関係が、結べないこと。「机をはさんで、向かい
あった人に、ささやき声で話すかと思えば、ぎょっとするほど、近くに寄って、突然、大
声で質問したりする。人が指でさしたもののほうには、目をやらず、その人の指先を見つ
める」(京都大学・十一教授指摘)と。

 十一教授は、「基本的な、人間関係という、本能というべき部分に、問題がある」と述べ
ている。さらに最近の研究では、脳の中の、扁桃体(へんとうたい)に問題があるという
ことまで、わかってきている。つまり脳の機能障害説が有力になってきている。

 滋賀県のHさん(母親)より、「うちの子は、自閉症ではないか」という相談をもらった。

 いろいろ症状が書かれていたが、心配なら、一度、専門の機関に相談してみるとよい。
つぎのような機関がある。

 日本自閉症協会……電話(03―3232−6355)
 
 ホームページも用意されている。

 http://www.autism.or.jp/images/index1.jpg

++++++++++++++++++++++++

自閉症の診断基準について……
(日本自閉症協会・案内パンフより、転載)

●自閉性障害 (Autistic Disorder)

A.(1),(2),(3)から合計6つ(またはそれ以上)、うち少なくとも(1)から2つ、(2)と(3)
から1つずつの項目を含む。

(1)対人的相互反応における質的な障害で、以下の少なくとも2つによって明らかになる:

(a)目とめで見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調節する多
彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(b)発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例:興味のあるものをみせる,
もって来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
(d)対人的または情緒的相互性の欠如。

(2)以下のうち少なくとも1つによって示される意志伝達の質的な障害:

(a)話し言葉の遅れまたは完全な欠如(身振りや物まねのような、代わりの意志伝達の仕方
により補おうという努力を伴わない)。
(b)十分会話のある者では、他人と会話を開始し継続する能力の著明な障害。
(c)常同的で反復的な言葉の使用または独特な言語。
(d)発達水準に相応した、変化に富んだ自発的なごっこ遊びや、社会性を持った物まね
遊びの欠如。

(3)行動、興味および活動が限定され、反復的で常同的な様式で、以下の少なくとも1
つによって明らかになる:

(a)強度または対象において異常なほど、常同的で限定された型の、1つまたはいくつかの
興味だけに熱中すること。
(b)特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
(c)常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたり、ねじ曲げる、ま
たは複雑な全身の動き)
(d)物体の一部に持続的に熱中する。

B.3歳以前に始まる、以下の領域の少なくとも1つにおける機能の遅れまたは異常:
(1)対人的相互作用、(2)対人的意志伝達に用いられる言語、または(3)象徴的または想
像的遊び。

C.この障害はレット障害または小児期崩壊性障害ではうまく説明されない。
(DSM−IV 精神疾患の分類と診断の手引より)
(はやし浩司 自閉症 診断基準 DSM―IV)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●八つ当たり

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

今朝、こんなことがあった。

いつものようにパソコンを立ち上げ、メールを読んで、
ニュースに目を通す。
今朝はついでに、みなが私のことをどう批判しているか、
「はやし浩司」を検索してみた。

その中に、私が書いた『ポケモン・カルト』があった。
「とんでも本」とか、「こじつけ本」とかいう文言が
読めた。

とたん私の心の中に、ムラムラと闘志がわいてきた。
サッカーでいうなら、相手チームから、攻撃を受けたような状態である。
が、それはすぐに中断された。
階下からワイフが、朝食の用意ができたと私を呼んだ。

が、そのあとのこと。
テーブルについて新聞を読んでいるとき、どこか自分がイライラしているのを知った。
「拉致問題は棚上げ」
「日本は、6か国協議で、置いてきぼり」
「アメリカが、3か国(日本を除く)による検証活動を提案」と。

つまりインターネットで検索したとき感じたムラムラ感が、そのまま新聞記事を読んでい
るときも、わいてきた。

それもそのはず。

脳みそというのは、それほど器用にはできていない。
場所が変わったからとか、あるいたテーマが変わったからといって、脳みその中身まで、
変化するわけではない。
もう少し正確には、アドレナリン(興奮)にせよ、サイトカイン(ストレス※)にせよ、
はたまたドーパミン(快楽)にせよ、一度脳内の充満した脳間伝達物質は、すぐには消え
ない。

興奮性は、そのままつづく。
イライラも、そのままつづく。
ほんわかした気持ちも、そのままつづく。

そういう状態を、子どもたちは、「モード」という言葉を使って説明する。
「先生、ぼくは今、戦闘モードになっている」とか、「睡眠モードになっている」とか言う。
ゲームに、そういう言い方があるらしい。

似たような経験は、私もする。
たとえばザルソバが食べたくなって、ワイフと出かけたとする。
が、いつも行きつけの店が休みだったとする。
そういうとき、「では、ほかのものにしよう」とだれしも考えるかもしれないが、そうは簡
単ではない。
胃袋(=食性)そのものが、「ザルソバ・モード」になってしまっている。
簡単に切り替えることができない。
そこで私とワイフは、別のソバ店を求めて、車を走らせる……。

ということで、それぞれの状況に応じてモードがあるのは、しかたないとしても、そのモ
ードに振り回されてはいけない。
インターネットを見てイライラしたとしても、そのイライラを、ワイフや子どもにぶつけ
てはいけない。
頭の切り替えをしなければいけない。

その切り替えをするのが、脳の前頭部(前頭前野)ということになる。
いわば「理性のコントロール・センター」ということになる。
このセンターの機能がすぐれている人を、「人格の完成度の高い人」という。
EQ論(人格指数論)でも、それを基準にして、その人の人格の完成度を計る。

が、それには、どうしたらよいのか。
とくに私のように、人格の完成度が低い人間は、どうすればよいのか。

……というような話を、朝食を食べながら、ワイフとした。

私「理性によるコントロールを高めるためには、どうすればいいのかねえ」
ワ「……?」
私「ぼくのばあいはね、意外と簡単な方法でできるよ」
ワ「……?」
私「ぼくのばあいはね、目を閉じて、口を閉じれば、それでいい」と。

そう、目を閉じて、口を閉じればよい。
しばらくすると、脳の中では、フィードバック現象というのがおきる。それぞれのホルモ
ンを中和し始める。
そうなると、子どもたちがいうところの(モード)状態が、解除される。

ということで、新しい考え方をゲット!

人格の完成度を高めるためには、そのときどきに、目を閉じ、口を閉じる。
それでよい。

それをワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

「ナーンダ、そんなことでいいの?」と。
そう、そんなことでよい。
あとは脳みそが、勝手に処理してくれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人格の完成度)

(注※)
サイトカインについて

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

そこで人間は、自分の心を調整するため、(1)攻撃、(2)防衛のほか、つぎの3つの心
理的反応を示す。(3)同情(弱々しい自分をことさら強調して、同情を求めようとする)、
(4)依存(ベタベタと甘えたり、幼児ぽくして、相手の関心をひく)、(5)服従(集団
の長などに、徹底的に服従することで、居心地のよい世界をつくる)、ほか。。

(1)攻撃というのは、自分の周囲に攻撃的に接することにより、居心地のよい世界をつ
くろうとするもの。具体的には、つっぱる子どもが、それに当たる。「ウッセー、テ
メエ、この野郎!」と、相手に恐怖心をもたせたりする。(自虐的に、自分を攻撃す
るタイプもある。たとえば運動を猛練習したり、ガリ勉になったりする。)

(2)防衛というのは、自分の周囲にカラをつくり、その中に閉じこもることをいう。が
んこになったり、さらには、行動が自閉的になったりする。症状がひどくなると、
他人との接触を避けるようになったり、引きこもったり(回避性障害)、家庭内暴力
に発展することもある。

大切なことは、こうした心の変化を、できるだけその前兆段階でとらえ、適切に対処する
ということ。無理をすれば、「まだ、前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、
症状は、一気に悪化する。症状としては、心身症がある。

こうした心身症による症状ガー・ミられたら、家庭は、心をいやす場所と考えて、(1)暖かい
無視と、(2)「求めてきたときが与え時」と考えて対処する。「暖かい無視」という言葉は、
自然動物愛護団体の人が使っている言葉だが、子どもの側から見て、「監視されていない」
という状態をいう。

また「求めてきたときが与え時」というのは、子どもが自分の心をいやすために、何か親
に向かって求めてきたら、それにはていねいに答えてあげることをいう。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2721)

●興味ある事実

++++++++++++++

脳の中で、麻薬反応!
はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、
自分の子どもの笑顔を見たとき、
麻薬を服用したときと似たような
反応が起きるという。

++++++++++++++

時事通信、2008年7月13日は、つぎのように伝える。

『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と
似たような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・
ベイラー医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した。
母親の子への愛情を脳科学で分析すれば、育児放棄や虐待の背景にあるかもしれない病理
の解明に役立つと期待される』と。

これに関して、以前、こんな原稿を書いたのを思い出した。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どものオナニー(自慰)

 受験をひかえた受験生が、毎晩(毎日)、オナニーにふけることは、珍しくない。

 財団法人、「日本性教育協会」の調査(1999年)によれば、

 マスターベーションの経験者  中学生……41・6%
                高校生……86・1%
                大学生……94・2%(以上、男子)

                中学生…… 7・7%
                高校生……19・5%
                大学生……40・1%(以上、女子)

 ということだそうだ。この割合は、近年増加傾向にあるが、とくに若年化が進んでいる
ことが知られている。

 たとえば男子中学生のばあい、マスターベーション経験者は、87年には、30・3%
だったのが、99年には、41・6%に増加している。性交経験者も、男子高校生だけを
みても、11・5%(87年)から、26・5%(99年)へと、増加している。

 そのオナニー(自慰、マスターベーション、手淫などとも呼ばれている)について、あ
る母親から、相談があった。「中学3年生になる息子が、受験をひかえ、オナニーばかりし
ているようだが……」と。

 オナニーをすると、脳内で、麻薬様物質が放出されることがわかっている。現在、数1
0種類ほど、発見されているが、大きく分けて、エンドロフィン系と、エンケファリン系
に大別される。

 わかりやすく言えば、性的刺激を加えると、脳内で、勝手にモルヒネ様の物質がつくら
れ、それが陶酔感を引き起こすということ。この陶酔感が、ときには、痛みをやわらげた
り、精神の緊張感をほぐしたりする。

 問題は、それが麻薬様の物質であること。習慣性があるか、ないかということになる。

 モルヒネには、習慣性があることが知られている。しかしエンドロフィンにしても、エ
ンケファリンにしても、それらは体内でつくられる物質である。そのため習慣性はないと
考えられていた。が、動物実験などでは、その習慣性が認められている。つまり、オナニ
ーも繰りかえすと、「中毒」になることもあるということ。

 その相談のあった中学生も、受験というプレッシャーから、緊張感を解放するため、オ
ナニーにふけっているものと思われる。そして相談のメールによれば、中毒化(?)して
いるということになる。

 オナニーの害については、「ない」というのが、一般的な意見だが、過度にそれにふける
ことにより、ここでいう中毒性が生まれることは、当然、考えられる。

 男子のばあいは、手淫(しゅいん)ということからもわかるように、好みの女性の裸体
を思い浮かべたり、写真やビデオをみながら、手でペニスを刺激して、快感を覚える。

 女子のばあいは、好みの男性に抱きつかれる様子を想像しながら、乳首や、クリトリス、
膣を刺激しながら、快感を覚える。

 男子のばあい、中に、肛門のほうから前立腺を刺激して、快感を得る子どももいる。

 さらに病的になると、依存症に似た症状を示すこともある。中学生や、高校生について
は、知らないが、セックス依存症のおとな(とくに女性に多い)は、珍しくない。「セック
スしているときだけ、自分でいられる」と言った女性がいた。

 しかしこうした、エンドロフィンにしても、エンケファリンにしても、オナニーだけに
よってつくられるものではない。

 スポーツをしたり、音楽を聞いたりすることでも、脳内でつくられることが知られてい
る。善行を行うと、脳の辺縁系にある扁桃体でも、つくられるこも知られている。スポー
ツをした人や、ボランティア活動をした人が、そのあと、よく「ああ、気持ちよかった」
と言うのは、そのためである。つまり、同じ快感を得る方法は、ほかにもあるということ。

 私のばあいも、夜中に、自転車で、30分〜1時間走ってきたあとなど、心地よい汗と
ともに、気分がそう快になる。さらに翌朝、目をさましてみると、体中のこまかい細胞が、
それぞれザワザワと、活動しているのを感ずることもある。

 こうした方向に、子どもを指導しながら誘導するという方法もないわけではない。しか
し中学生ともなると、親の指導にも、限界がある。私の意見としては、子どもに任すしか
ないのではないかということ。

 こと、「性」にまつわる問題だけは、この時期になると、もう、どうしようもない。子ど
も自身がもつ自己管理能力を信ずるしかない。現在の私やあなたがそうであるように、子
どももまた、この問題だけは、だれかに干渉されることを好まないだろう。
(はやし浩司 マスターベーション 自慰 オナニー 子どもの自慰 子供の自慰)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

もう一作、添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●やる気

+++++++++++++++++++

このところ、忙しい。
そのせいか、疲労気味。
こうしてパソコの前に座っても、
ものを書く気があまり起きない。

気力の減退。
それについて、記録する。

+++++++++++++++++++

 東洋医学(漢方)では、体力と気力は、同一源のものとして考える。天の気(呼吸)と、
地の気(飲食物)が、合体して、人精となる。

 この人精(じんせい)が、エネルギーの根源というわけである。「精」は、「精力の精」「精
神の精」と考えると、わかりやすい。少し前まで、何かのことでがんばっている人を見か
けると、「精が出ますねえ」と、声をかけたりした。(最近は、この言い方を、あまり耳に
しないが……。)

 だから体力や気力が落ちてきたときは、第一義的には、おいしいものを食べて、適度な
運動を繰りかえすのがよいということになる。

 が、やる気は、それだけで起きてくるというものではない。伊藤氏の「思考システム」
によれば、思考は大脳新皮質部の「新・新皮質」というところでなされるが、それには、
帯状回(動機づけ)、海馬(記憶)、扁桃体(価値判断)なども総合的に作用するという(伊
藤正男)。

 さらに最近の研究によれば、脳内のカテコールアミンと呼ばれるホルモンが、やる気に
大きく関係していることもわかった(澤口俊之「したたかな脳」)。その中のノルアドレナ
リンは、集中力、ドーパミンは、思考力に関係しているという(同書)。

 つまりこうした作用が総合的に機能して、やる気が決まるということらしい。

 で、私の今の状態は、どうか?

 何を考えても、「どうでもいいや」という思いが、先に立ってしまう。めんどうというよ
り、むなしさが先に立ってしまう。ラマンチャの男(ドンキホーテ)が、風車を相手に、
ひとりで戦っているようなもの。所詮(しょせん)、相手は、風車!

 実際、「あなたの書いていることは、学問的には一片の価値もない」と言ってきた、大学
の教授がいた。(この話は、本当だぞ!)。「田舎のおばちゃんたちを相手に、講演をして、
どういう意味があるのか」とも。(この話も、本当だぞ!)

 そのときは、怒り、心頭に達したが、今になって思うと、「そのとおりだな」と納得する。
私のしていることは、どうせ、その程度。

 そういう思いが、私から、どんどんとやる気を奪っていく。

 だから、やる気がないのではなく、書く気がわいてこないということになる。そのほか
の面では、やる気はある。気力はある。

 今朝も、犬のハナの体を、シャップーで洗ってやった。午後に客人がくるので、居間の
掃除もした。腕につけるブレスレットの修理をした。言うなれば、書くのを、後まわしに
しただけ。しかしこうしてパソコンに向かって座っていると、「ああ、これが私の時間だ」
という思いは、強くもつ。それにおかしなことだが、こうしてサクサクと動くパソコンを
相手にしていると、気持ちよい。

 ……ということで、昼まで、まだ3時間弱もある。今日から、マガジンの6月号の原稿を書くこ
とにした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
やる気 気力 帯状回 カテコールアミン 動機づけ)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

最近の大脳生理学の進歩には、めざましいものがある。
ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)とか、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴
映像)いう、脳の活性度を映像化する装置を使うと、脳の働きが、リアルタイムで観察で
きるという。

今回の、アメリカ・ベイラー医科大の研究チームによる発見も、そうした機器を用いてわ
かったものだろう。

それにしても、すごいことがわかるようになってきたものだ。
わかりやすく言えば、「心」の状態が、科学的かつ計数的に把握できるようになった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 赤ちゃんの笑顔 母親の反
応 脳科学)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●明日から月曜日

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

明日から月曜日。
フ〜〜〜ン?
やや気が重い。
来週は、忙しい。
それに今夜中に、今度の講演会のレジュメを作成しなければならない。
静岡県教職員組組合HN支部での講演会である。
学校の先生たちが集まってくれる。
それだけに緊張する。

それに懇談会もある。
今年度は、12人で、定員を締め切らせてもらった。
椅子が12席しかない。
それで12人。
今月に入ってから申し込んでくれた人には、申し訳ないことをした。
2回に分けて、24人……ということにしてもよかった。
しかしこのところ、体力の限界を強く感ずるようになった。

今の私には、2講座は、無理。
若いときは4講座もしたことがあるが……。

で、それが終われば、夏休みということで、7月の後半に、4日つづきの連休がある。
とくに予定はないが、そのうち1日は、伊吹山に登ってくるつもり。
中学2年生のとき登って以来のこと。
あのときは早朝、日の出を見ることができた。
メンバーの中に、淡い恋心をもった女の子もいた。
いっしょにみなで記念写真を撮った。
遠い遠い昔のできごとのようでもあり、つい先日のできごとのようでもある。

記憶というのはそういうもので、古い記憶も、新しい記憶も、ごちゃまぜになって、脳み
その中に入っている。
古いのから順に、層になっているわけではない。

よい例が、眠っているときに見る夢。
10年前に見た夢も、数日前見た夢も、夢は夢。
新しい、古いはない。
(夢日記といって、見た夢の内容を記録している人は別だが……。)

記憶が古いか新しいかは、その内容に応じて、脳みそが判断しているかにほかならない。
「中学2年のときの記憶だから、古い」
「40歳のときの記憶だから、新しい」と。

もしそれがなかったら、古い記憶とか、新しい記憶とか、区別できないはず。

ただ記憶といっても、(記銘)→(保持)→(想起)というプロセスを経て、脳みその中に
残り、思い出すことができる。
「思い出せないから」といって、記憶が消えたわけではない。
たとえばロンドン大学のメルツォフという教授は、7、8年前、「乳幼児にも記憶がある」
という論文を発表して、話題になったことがある。

「乳幼児にも記憶があるが、記憶として、想起できないだけ」と。

現象的に考えれば、当然のことである。
が、それをメルツォフは、科学的に証明した。

ということで、もう一度、あの日のことを思い出してみる。
よく覚えているのは、帰りは自由行動ということで、目的地まで、みな、走って山をくだ
ったこと。
それほど急な坂ではなかったように思う。
あるいは私の身が軽かったのか?

あとは、あの山の近くを、電車や車で通るたびに、「あの山に登ったことがある」と、思っ
たこと。
そうそう山頂の山小屋で、仮眠をしたことも覚えている。
仮眠といっても、数時間のことではなかったか。
木造の粗末な山小屋で、多くの人で、ごったがえしていた。
みなでとった写真の中で、私は眠そうな顔をしているので、かなり眠ったのでは?
杖の上に頭を載せて、うつろな目つきでカメラのほうを見ている。

私にははじめての登山だった。
楽しかった。
今でも「伊吹山」と聞いただけで、あのときの(心)が、そのままよみがえってくる。
その伊吹山に、今度、登る。

楽しみ!


●付知峡(つけちきょう)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

7月x日、日曜日。
岐阜県の山奥、付知峡というところへ行ってきた。
「つけちきょう」と読む。
往復、約7キロ強の、ハイキング・コースである。
同じ7キロでも、山あり、谷あり、急な坂ありの、結構、たいへんなコースだった。
おまけに気温は、30度を軽く超えていた。
昨日は、このあたりでも、36度前後もあったという。

行きはよいよい、帰りは……、ということで、私とワイフは、
ヒーヒーとあえぎながら、最後の坂道を登って、目的地の不動滝というところまで戻って
きた。
が、そこは峡谷。
暑いといっても、木陰にすわると、森の冷気がさっと、体をいたわってくれる。

白い日差し。
森の緑。
そして青い空。

私「なんだか、ぼくたちの人生みたいだね」
ワ「何が?」
私「いつもこうして、ヒーヒー言いながら、生きてきた」

ワ「そうねエ……」と。

こうして月に1、2度は、地元のバス会社が企画する旅行会に参加するようになって、も
う3、4年になる。
今日は、「付知峡ハイキング」というのに、参加した。
旅行というよりは、体を鍛えるための(運動コース)。
料金も、1人、5000円弱と、安い。

私「今日、がんばったから、今月は何とか元気で、仕事ができるよね」
ワ「そうね。今月は、だいじょうぶね」
私「毎月、毎月、こうしてその月を生きていく……」
ワ「来月は、来月で、また何かをすればいい」
私「そうだね」と。

私たちにとって運動というのは、「貯金」のようなもの。
「楽しむ」というよりは、(もちろん、それもあるが……)、そこにはいつも、別の切実感
がともなう。
「今月はいいかもしれないが、来月はわからない」
「今年はいいかもしれないが、来年はわからない」と。

こうして付知峡へやってきたが、とくに来たくてやって来たわけではない。
だいたい私たちは、「付知峡」にしても、「ふちきょう」と読んでいた。
岐阜県の山奥にあるということは知っていたが、木曽川の上流だったということまでは、
知らなかった。
かい間見た表示板に、「下呂まで23キロ」とあったのを思い出した。

目的は、やはり運動だった。
よく、「成人病を予防するためには、週2回、30分程度の運動をするといい」という。
私は50歳を過ぎたら、それでは足りないと思っている。
が、同じように、こうも言える。

「成人病を予防するためには、月、1、2回、3〜4時間の運動をするといい」と。

今日が、その月、1、2回のうちの1回ということになる。

私「今月は、もう1回、どこへ行くことになっていたっけ?」
ワ「ほら、伊吹山(いぶきざん)に登ることになっているわ」
私「そうだったなあ」と。

ところで私はここ数年、こんなことに心がけている。
とくに仕事から帰ってきてから床につくまでの数時間のことだが、
できるだけワイフのそばにいてやること。
若いころは、そのまま書斎へ入って、夜遅くまで仕事をしていた。
が、それではよくない。
よくないということに、最近、気がついた。

私「ほら、E(三男)が、富士登山のとき、泣いていたというだろ」
ワ「ああ、あのことね」
私「あのときぼくは、背負ってでも、Eを、頂上まで連れていくべきだった」
ワ「だって、あれはEが、足が痛いから、もうこれ以上、歩けないと言ったからよ」
私「そうかもしれない。でも、それでも、ぼくはEに、『ここに残れ』と言い残して、自分
たちだけで登ってしまった」
ワ「……」
私「いつだったか、Eが富士登山をやりとげたとき、ハガキをくれただろ。『雪辱を果たし
ました』と。あのとき、ぼくは、心底、あの日のことを悔やんだ。それが今の今も、心の
トゲとなって、ぼくを苦しめる」と。

こうしてワイフと旅行ができるのも、あと数年かもしれない。
うまくいっても、10年だろう。
今日は無事に行ってきたから、来月も、たぶん、だいじょうぶだろう。
そう、私に見えるのは、そのあたりまで。
来年のことになると、自信がない。

だから……1日でも多く、1時間でも長く、ワイフのそばにいてやる。
ワイフにはかえってありがた迷惑かもしれないが、今、そんなことに心がけている。

……ところでこの原稿は、帰りのバスの中で書いている。
今度買った、ミニ・パソコンで書いている。
バッテリーのもちは、スペックよりも、やや短いかなという感じ。
2つのバッテリーで、計7時間近くもつということだが……?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 付知峡)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●ポケモン・カルト

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

今から10年ほど前、私は『ポケモン・カルト』(三一書房)という本を書いた。
異常な……ともいえるポケモン・ブームの中に、私は、カルト性を見た。
わかりやすく言えば、「凶人的な集団性」。

そのカルト性を追及したのが、『ポケモン・カルト』ということになる。

が、その直後から、ものすごい抗議の嵐。
電話による抗議はもちろんのこと、はがきや手紙によるものもあった。
出版元の三一書房にも、あった。

「子どもの夢をつぶすのか!」
「ゲームの楽しさを、お前は知らないのか!」と。

驚いたのは、抗議といっても、子どもたちからではない。20歳を過ぎたおとなたちから
のものだったこと。
しかも私が書いたのは、ポケモンそのものではなく、ポケモン・ブームの中に見られるカ
ルト性についてである。
当時、いくつかのカルト教団による、反社会的行動が問題になり始めていた。
大学の理学部を出たような人が、「地獄」とか「天国」とかいう言葉を、平気で口にしてい
た。

子どもたちの世界にも、明らかに異変が起きていた。
私が「ピカチューのどこがかわいいの?」と一言、口にしただけで、教室中がパニック状
態になってしまったのを覚えている。

が、それから10年。

今の今も、ポケモン・カルトで、私を攻撃している人は、あとを絶たない。
ためしに、グーグルの検索機能を使って、「はやし浩司 ポケモン」で検索してみるとよい。

「トンデモ本」「こじつけ本」などなど。
本そのものを、頭から否定する文言が並ぶ。

最初のころは私も頭にカチンときたが、そういうふうに書いている人たちが、その程度の
人たちであることを知って、そのうち相手にしなくなった。

で、さらにおかしなことだが、……というより私が書いたことを自ら証明するようなでき
ごとが、それからもつづいた。
最近でも、『ゲーム脳』という言葉を使った研究者がいた。
その研究者のところにも、連日連夜、抗議の嵐が襲ったという。

どうしてこの日本では、ゲームを批判すると、嵐のような抗議を受けるのか?

一方、しばらくすると、今度は、「ゲーム脳というのはありません」と主張する研究者が現
れた。
その研究者は、現在、ゲーマーの間では、神様的存在になっている。

ゲームのもつ危険性は、すでに世界では常識。
フランスなどでも、規制の動きが出てきた。
が、この日本では、野放し。
野放しであるばかりか、ゲームを批判しただけで、袋叩きにあう。
そこには一片の知性も理性もない。
感情論だけ。
これをカルトと呼ばずして、何という。

……ということで、私は改めて、ここでポケモン・カルトについて考えてみたい。
また本書は、近く、全文、私のHPに収録するつもりでいる。
つまりこの原稿は、ポケモンというよりは、カルト教団への挑戦状ということになる。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

●進むカルト化

誤解があってはいけないので、明確にしておきたい。
「占星術」「スピリチャル」というのは、立派なカルトである。
その前駆的段階の「占い」「まじない」「迷信」も、立派なカルトである。

それらが集合化され、組織化されたのが、「カルト教団」ということになる。

それがどんな信仰であれ、信仰の範囲にとどまっているなら、問題はない。
信仰の自由は、日本国憲法によっても、保障されている。
「何人も、その自由を奪うことはできない」。

が、その宗教が宗教のワクを超えて、反社会性を帯びたとき、あるいは政治の世界に介入
してきたとき、それが問題となる。
(アメリカでは、宗教団体による収益活動まで、きびしく制限されている。)

カルト教団の信者たちは、まさにノーブレイン(脳みそなし)の状態になる。
教団幹部のロボットとなって、思うがまま操られるようになる。
その危険性は、あのオウムS教に、例を見るまでもない。
というのも、この段階になると、カルト教団の信者たちは、「私たちはぜったい正しい」と
思う、その返す刀で、「あなたがたはまちがっている」と切り込んでくる。
あるいは自分たちの属する宗教団体以外の人たちを、否定する。

で、それから10年。
その間に、日本人は、より賢くなったのだろうか。
一連のカルト教団が起こした事件を見ながら、何かを学んだのだろうか。

答は、ノー。
最近の占星術ブームも、そのひとつ。
あのS・ホーキング博士も、占星術の無意味性を指摘している(「ホーキング、未来を語る」・
ソフトバンク)。

考えてみれば当然のことで、星座といっても、地球から見た星の位置にすぎない。
宇宙船か何かで、数万光年も先に行けば、星座も地球で見るのとまったく異なったものに
なる。
あるいは複雑な動きを見せる、水星や金星、火星や木星にしても、太陽の周辺を回る惑星
であるから、そう見えるにすぎない。

そういう星座や惑星の動きを見ながら、個々の、あるいは全体でもよいが、運命がどうの
こうのということ自体、ばかげている。
が、「ばかげている」だけでは、すまない。

天の運行と人の運命が連動しているというのは、まったく根拠のない迷信である。
原始の時代には、それなりの説得力もあったかもしれない。
事実、あのイスラム教は、占星術とは切っても切れない関係にある。

そういう占星術をぶらさげて、(ほんとうはどこまで勉強したかは、あやしいものだが……)、
どこかのオバチャンが、こう言うから、たまらない。

「あなたの背中には、蛇がついている。毎朝、シャワーで、10回ずつ、タオルでこすり
なさい」と。

つまりこういうカルト、もしくはカルトの宣伝まがいのことを、テレビという天下の公器
を使って、堂々と全国に垂れ流す。
その異常さ。
私たちは、まず、それを知らなければならない。
ついで、こうした愚劣な番組が、子どもたちに、どのような影響を与えるか、それを考え
なければならない。

そのひとつが、10年ほど前の、ポケモン・ブームであり、現在のスピリチュアル・ブー
ムということになる。
さらにさらに驚いたことに、最近では、「スピリチュアル・育児法」(仮称)という本まで
現れた。

スピリチュアル・育児法だと?

またそういう本のほうが、何10万部も売れたりする。(これは私のひガー・ミか?)
科学性の否定というよりは、理性の否定といってもよい。

わかりやすく言えば、日本人全体が、ますます考えない国民になってきているということ。
先にも書いたように、「ノーブレイン」の状態になってきているということ。

「ノーブレイン」というのは、英語の言い方である。
「ばか」とか「あほ」という意味ではない。
「何も考えない、ノー天気な」という意味である。

が、それはそのまま恐ろしい未来を暗示する。
戦時中の日本が、そうだった。
現在の北朝鮮も、そうではないか。
……こう書くと、「私たちはちがう」と思うかもしれない。
しかし本当にそうか?
そう言いきれるのか?

たとえば最近の子どもたちは、情報量だけはやたらと多い。
もの知りで、反応も速い。
しかし論理性、分析性となると、10年単位で、低下している(?)。
とくに政治の話になると、話しかけただけで、「ダサイ!」と言って、それをはねのけてし
まう。
地球温暖化(地球火星化)の問題にしても、(おとなたちもそうだが……)、いくら問いか
けても、会話そのものが、かみあわない。
まるで他人ごとのような反応しか返ってこない。
あるいは政治は政治家がするもの、地球温暖化の問題は科学者が考えるものと、どこかで
割り切ってしまっている。

話を戻す。

カルトがカルトとして危険性を帯びるのは、先にも書いたように、信者がノーブレインの
状態になって、ロボット化すること。
政治の世界にも大きな影響力を及ぼすことにもなりかねない。
そうなると、民主主義など、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。
言い換えると、民主主義を守ろうとするなら、同時に私たちがもつカルト性と、心のどこ
かで闘わねばならない。

これは健康論に似ている。

私たちが健康を保とうとするなら、病気の予防と治療に心がけることは当然のことだが、
同時に、体の抵抗力も高める。
その両者がかみあってはじめて、私たちは、それなりの健康を維持することができる。

私は『ポケモン・カルト』の中で書きたかったことは、(ポケモン)の攻撃ではない。
(ポケモン)といっても、ただのゲーム。
そんなものを本気で相手にしても、しかたない。
そのゲームが、テレビ、雑誌、ゲームの3方向から、子どもたちを包んだ。
当時は、「マルチ・メディアによる成功例(?)」として、もてはやされた。

その結果、子どもたちは、町でも学校でも、そして家の中でも、ピカチューのあの黄色い
色を見ただけで、興奮状態になってしまった。

お茶漬けにしても、菓子にしても、ピカチューの絵を載せただけで、売り上げが、倍増し
たという。
詳しくは、『ポケモン・カルト』に書いた。

子どもたちは、まさにポケモンによって、洗脳されたことになる。
つまりここに、私はポケモン・ブームの恐ろしさを見た。
そしてそれがその本の主題になった。

本を読みもしないで、表面的な批評に踊らされて、「とんでも本」とか、「こじつけ本」と
批評するのは、その人たちの勝手。
しかし私はそういう趣旨で、あの本を書いたのではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ポケモン・カルト)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●7月14日(月曜日)(Juky 14, 2008)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

今日は、焚き火で1日が始まった。
庭の枯れ木が気になっていた。
が、このところの雨続き。
風がないのを見はからって、「焚き火をするよ」と、ワイフに声をかけて、庭に出る。

やがて枯れ木は勢いよく燃え始めた。
が、湿った葉っぱの下を見て、ビックリ。
体長が12〜15センチもあろうかと思われるミミズが、何十匹もいるではないか。
生まれたばかりの小さなミミズもいた。
子どものころは、それを餌にして、よく川へ釣りにでかけたものだ。

そんなことを考えながら、ミミズたちは、そのまま畑へ移動。
湿った葉っぱも、そのまま畑へ。
どうせ荒れ放題の畑。

そうそう肥料がよいのか、先日、60センチほどもある、大きなキュウリが収穫できた。
お化けのようなキュウリだった。
「どうやって食べるの?」と聞くと、ワイフは、「漬物にするしかないわね」と。

夏、まっさかり!
こういう朝は、吉田卓郎の『♪夏休み』の曲が、よく似合う。
暑中、お見舞い申し上げます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

●迷信

どんな不幸がつづいたのかは知らないが、最近、自分の名前を変えてしまった人がいる。
家族ともども、みなだ。
同じ宗教団体に属していた知人(女性)がいた。
高校の同窓生だったが、彼女もまた、家族ともども、みな、名前を変えてしまった。

どうやらその宗教では、そうするらしい。
名前からして、どこか日本的ではない。
外国名の当て字のような感じがする。
(詳しい内容は、知らないが……。)

名前を改名したくらいで、不幸が去るわけではない。
そもそも「不幸」とは何か?

たぶん、私が想像するところ、こういうことではないか。

その知人は、その宗教団体の熱心な信者だった。
が、その宗教団体にはあってはならない(?)不幸が、つづいた。
そこで何らかの原因さがしが始まったらしい。

「どうして?」「どうして?」と。

そこで「名前が悪い」ということになった(?)。
追い詰められた幹部が、最終的に、身も心も、そして金も出せ。
ついでに名前も変えろと、迫ったのだろう(?)。
「あなたに不幸がつづいたのは、信仰が足りなかったからだ」と。

迷信というのはそういうもの。
それにハマると、知性も理性も失う。
失いながら、それが正しい、あるべき道と思い込んでしまう。
そして信者たちは、ますます、その信仰にのめりこんでいく。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜H. Hayashi

●HP 2133

リカバリーディスクが作成できない!
どうにもこうにも、できない。
HP付録のマニュアルどおりに、何回試しても、やっぱりできない!

こうして土日の、何時間が無駄になってしまった。
そう、私には、トラウマがある。
こういう状態になると、軽いパニック状態になってしまう。
以前は、徹夜でデータの回復などを試みた。
冷や汗をタラタラと流しながら……。

それがトラウマになった。

だから今でも、こういう状態になると、ヒヤヒヤする。
(それを楽しんでいる面も、ないわけではないが……。)

で、月曜日の朝、一番に、HP社に電話をした。
電話口の若い男性は、こう言った。

「2133では、リカバリーディスクはできないことになっています。
マニュアルの操作方法は、誤記です。
当社のHPのほうには、訂正記事を載せてあります」と。

ナーンダ、ということで、この話はおしまい。
HP社では、リカバリーディスクは、必要に応じて、実費で販売しているとか。
またそのときになったら、購入すればよい。

しかし「誤記」とは!
私はその誤記で、何時間も、時間を無駄にしてしまった!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●金xxの口臭

+++++++++++++

ときどき、子どもたち(幼児)が、
私に、こう言う。
「先生の口、臭い!」と。

私は子どものころから、歯が
弱い。
加えて、慢性的な歯肉炎で
悩んでいる。

行きつけの歯科医院へ行くたびに、
いまだに、歯の磨き方を教えられる。

数日前も、そうだった。
「どこも悪くありません。歯の磨き方です」と。

若い看護士の人が、ていねいに磨き方を教えてくれた。
それを習いながら、ふと、こんなことを思った。

あのK国の金xxに口臭があったとしたら、だれが、それを教えるか、と。
(拉致問題に抗議の念をこめて、「金xx」と呼んでいる。)

「将軍、あなたの口は臭いです」と言ったとたん、収容所送り。
あるいは公開処刑。

あとでワイフにそのことを話すと、「奥さんじゃあ、な〜い?」と。

私「奥さんでも、ビクビクしていると思うよ」
ワ「そうねえ……」
私「みんな神様の臭いと思って、がまんしているのではないかな?」
ワ「じゃあ、歯医者さんかしら?」
私「とんでもない。ぼくにだって、歯医者さんは、言わないよ」
ワ「そうねえ……。やっぱり、孫とか、子どもじゃない?」
私「孫はいたっけ? 子どもでも、あの国では処刑だよ、たぶん」
ワ「恐ろしい国ね」
私「ホント!」と。

子どもは正直。
『裸の王様』という物語も、ある。
私はいつも、子どもたちには、丸裸にされる。
そのたびに、歯科医院へ向かう。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼稚園選び(How to select a kindergarten)

+++++++++++++++++

京都府にお住まいのUYさんという
母親から、幼稚園選びの相談が届いて
います。

+++++++++++++++++

【UY様より、はやし浩司へ】

暑中お見舞い申し上げます。

以前、2年保育についてご相談させていただいたUYです。
カナダの幼稚園について、少しでもお役にたてようで良かったです。

さて、不躾ですが、またご意見を伺いたく以前のメールからご相談させていただくことを
お許しください。

2年保育を考えて・・・とはいえ、来年の幼稚園入園に向けて動き出さなければいけない
時期となりました。
現在、2つの幼稚園まで候補を絞ったのですが、だんだん判らなくなっています。

先日、「3年保育が主流ですので・・・」と言われた私立幼稚園に見学に伺いました。 

園長先生とお話をしたところ、週数回、午前だけの通園から始めて、徐々に慣れていくよ
うな形でも受け入れてくださるとのことでした。 園内は明るい雰囲気で、感じが良かっ
たです。
体育、英語などの先生が来て、カリキュラムに組まれているなどの教育型?のようです。 

見学の時は、ちょうど体育のクラスでしたが、横でやってみたくてウズウズして見ていま
した。(参加はさせてもらえませんでしたので) 子供が楽しい遊びの中のひとつとしてで
きるならば、素晴らしいと思いました。

もうひとつは、国立大学の付属幼稚園です。 

先日、幼稚園についての講演会に行ってきました。(説明会ではありません。)副園長先生
のお話は、子供に対して、幼児教育に対して、納得できる部分が多く、幼稚園の環境はと
ても自然の中で素晴らしいというのが感想です。木登りをしたり、草の中の昆虫みつけた
り、木の実を取って食べたりなどと言った体験が園内でできる環境でした。

私は、四国育ちなのですが、嬉しくなるようなキレイな遊具より、自然の中で自分達で遊
びを作ったり、発見する楽しさを我が子にも味わって欲しいと思っています。

現在、3年保育に通っているお友達から聞いていたのですが、父母が園の教室まで送り、
子供が納得するまで、園内にいても構わないということでした。2年保育でも同じ状況な
のか伺いたくて、実質、副園長先生に説明会の後、少しお話をさせていただきました。(園
長先生よりも副園長先生が現場?、と言う感じでしたので)2年保育でも3年保育でもそ
の子の状況に応じてで構わないということで、2年保育から入った場合でも、本人が納得
するまで全く構いませんとのことでした。

「数ヶ月もたたずに離れる子もいれば、一年間お母様が見ていらした方もいます。お子さ
んの発達や心の状況はそれぞれ違いますから、個々に対応するべきです。うちの幼稚園以
上に細やかな所は他にありません」ということでした。

園児の様子などは説明会の時しか見られないので、わかりませんが、説明会も大人のみと
なっており、実際に入園前に子供自身が園内に入れることはないのが、疑問です。

いろいろと他にも幼稚園の開放日、または支援センターの催しなどに息子を連れて行って
様子をみていますが、先生にも自分から行ってご挨拶して、いつもとても楽しそうに遊ん
でいます。

でも、いざ、またどこか幼稚園に行ってみようかという話をすると、「僕は幼稚園行かない
よ。マミーとずっといる。一緒に行ける幼稚園なら行きたいけど・・・」と言います。 他
のお友達もみんなお母さんと一緒じゃないけど、みんな同じようにお母さんと一緒がいい
ということ。みんな楽しい時間を過ごしているということ。離れていても、いつも愛して
いるしまた帰ってきたらすぐに会えるということ・・・など色々話しているのですが、息
子から返ってくる言葉はいつも同じです。 甘えているだけなのか、どう話せばいいのか
わかりません。

分離不安といっても、通っているお稽古のお友達とは私を置き去りにして遊びに走って行
くし、近所の1、2年生の子供達とも一緒になって走り回り見えなくなって、私が逆に危
なくないかとハラハラする程です。

どのように、息子に接したらいいでしょうか?

息子の様子から考えて、玄関前で引き裂かれるようなことがなく、納得できる状態で対応
できるなら附属幼稚園がいいのかなぁと思っています。

でも、受験に受かるかどうかはわかりません。以前、あるお受験対策塾のようなところに
お話を伺いに行きました。息子に数種類の問題をさせた結果、能力・学力的な問題はない
と思いますが、当日親から離れられるかが問題ですと言われました。それはそうだと思っ
たのですが、そこの塾の先生からこんなお話をされました。

「附属幼稚園に通わせる方の多くは、その後の小学校を視野に入れています。単純に附属
幼稚園、小学校、中学校、某有名進学高校へというコースを考えての方もいらっしゃいま
すが、現実はかなり違いますと。 

現在、附属幼稚園・小学校は、自由とか個人の尊重とうたってはいますが、放任そのもの
です。もちろん、他ではできない体験も待っていることとは思いますが、能力・学力が優
れ活発な子供にとっては楽しいかもしれませんが、そうでない子は置き去りにされます。
 学校は遊ぶ所、勉強はご家庭や塾がメインです。

小学校では、教科書を開き何ページという授業ではなく、チャイムがなっても生徒が座ら
ずに廊下にいるのは普通ですし、それについて先生も何も咎めません。ゆえに、2年生で
カタカナが書けないという子もたくさんいます。また、幼稚園においても、以前附属幼稚
園の先生をなさっていたR幼稚園園長は、今の附属幼稚園の保育はどうかしているという
ことで、この間OBを集め話し合いをなさったそうですよ。

いざ、入ってから、こんなはずではなかったと話してこられるお母様が多いので、いちお
う現実をお話しているだけす。また幼稚園に関しては特に、極端な言い方ですが国立は来
ても来なくても構いませんが、私立は経営ですので至れりつくせりのところが多いという
こともあります。

このようなことから、昨今は一貫した教育をきっちりしてくれる私立の方が人気を集めて
いますし、小学校に関しては、どうせ塾に行かせなければいけないなら、いっそのこと学
区の小学校でいいという方も増えています」とのことでした。

ここの塾には、息子は通っていません。 教室の雰囲気が暗く、楽しく学ぶというよりは
「お受験のための勉強」という感じで自分だったら通いたくないと思うだろうなぁという
感覚でした。(そういうものなのかもしれませんが・・・)息子は、「問題は楽しかったけ
れど、あの場所は楽しくなかった」と言っていました。 

でも、聞いてきた話については、かなり考えさせられました。

進学について何も考えず、どこでもいいさぁ〜!、と思っている訳ではありません。学力
は無いよりある方がいいと思っています。 私はいちおう進学校を出ているのですが、も
っと勉強しとけば良かったと思っています(笑)。

とはいえ、私は進学校にもかかわらず大学受験せず、高校卒業と同時にアメリカの大学に
行ったので、日本で進学校が目指している大学社会とは無縁でした。得られた物は、大き
かったと思っていますが。

息子には、本人が自分の方向を決めようとする中で、選択範囲が広い状態にしてあげたい
というだけです。

いわゆる私立と国立附属の幼稚園・・・根本的な方針が違うのかもしれませんが、はやし
先生はどのように思われますか?

いつも長くなってしまい、申し訳ありません。
お忙しい事と思いますが、お返事いただければ幸いです。

【はやし浩司よりUY様へ】

おはようございます。

そういうふうに迷われましたら、

(1)現場で直接、園児に接している先生の様子を見ることです!

若い先生が、やる気で生き生きと指導している幼稚園を選んでください。
何よりも大切なのは、その(活気)です。
その(活気)の中で、子どもは、伸びていきます。

とくに若い先生(新入りの先生でもよい)が、大きな声で、率先して
指導している幼稚園は、すばらしい幼稚園です。
先生どうしが、和気あいあいと、楽しそうに指導している幼稚園は、よい幼稚園です。
幼稚園は、看板、つまり園長の謳い文句ではなく、現場の先生を見て選びます。

これは大鉄則です。
園の隅から、遠巻きに観察してみると、それがわかります。

あとの問題は、はっきり言って、どうでもよい問題です。

(2)行ってはならない幼稚園は、先生たちが沈んでいる幼稚園です。
どこかタラタラした雰囲気になっていますから、それがわかります。
やる気なさそそうに、(ただ言われたことだけを、無難にやりこなしている)
というような幼稚園は、最悪です。

(3)またよい幼稚園には、(子どもの臭い)がします。
どこかしこに、その(臭い)がしみついています。
壁には落書きのあとがあり、それを先生が懸命に消したようなあとがあるとか……。
先生が子どもを楽しませようとか、そういう努力のあるなしもみてください。

(1)さらに言えば、園長でも、副園長でも、自ら率先して園児の中へ入って
指導している幼稚園を選びます。
園長が、スーツを着て、ふんぞり返っているような幼稚園には、疑問をもってください。
(スーツを着ていても、子どもたちの手で汚されたようなあとがあればいいのですが…
…。)

つまり看板にだまされないこと。
どこの幼稚園も、生徒募集のために、看板に四苦八苦しています。
ですから派手な指導方針を並べたり、見た目に派手な教育をしたがります。
もちろん園の方針も大切ですが、それ以上に、この時期、幼児に
とって大切なのは、直接子どもたちと接している、(現場の先生の活力)です。

園長の話など、あまりアテにしてはいけません(失礼!)。
美辞麗句が多いですから……。

これは私の経験からの意見です。

なおいただきましたメールですが、内容を大幅に改変したのち、
HPに収録しますが、お許しください。

最後に、「赤ちゃん返り」「母子分離不安」については、私のHPの中のQ&Aコーナー
を参考にしてください。

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●言葉


最近、子どもたちの言葉が、ますます乱れているように感ずる。

数日前も、私にこう言った子ども(年中男児)がいた。

「先生、幼稚園で、プールあったア」と。

私「プールがあったの?」
子「あったア」
私「どこに?」
子「幼稚園」
私「幼稚園にプールがあったの?」
子「そう、あったア」

私「幼稚園には、ブランコはないの?」
子「ブランコはある」
私「じゃあ、プールもあるの?」
子「……?」と。

最近の子どもの言葉の特徴としては、(1)言葉の単語化、(2)直観化、(3)言葉の飛翔
化などがある。

この中で、「単語化」というのは、わかりやすく言えば、言葉になっていないこと。
「直観化」というのは、(丸い)(黄色い)(すっぱい)という言葉を並べて、(レモン)を
意味するような言い方をいう。
つまり、語彙力が低下しているということ。
的確な言葉が使えない。
あるいは正確にものごとが表現できない、など。

「飛翔化」というのは、脈絡なく、使う言葉が、どんどんと飛躍していくことをいう。
話の内容が、話している先から、ポンポンと飛んでいってしまう。
以前、『(脳が)乱舞する子ども』というタイトルの原稿を書いた。
それが最近は、さらにひどくなってきた。

理由は、母親の言葉能力の低下があげられる。
「母親」でありながら、正しい言葉を適切に使える女性は、少ない。
幼稚園バスがやってきても、「ほら、ほら、バス、バス、バスよ」というような言い方を日
常的にしている。
どうしてこういう言葉環境の中で、子どもの国語能力が育つというのか。

そういうときはめんどうでも、こう言う。
「ほら、向こうから、あなたの乗るバスがやってきました。あなたはあのバスに乗って幼
稚園へ行きます。わかりましたね」と。

それができないというのなら、将来、「どうしてうちの子は、(算数の)応用問題を読み間
違えるのでしょう」などとは、悩まないこと。
それこそ、親の身勝手というもの。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの言葉能力 言語能力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心豊かな人生】


そこに人生があるなら、それは受け入れるしかない。
「あきらめろ」ということではない。
そこを出発点にして、前に進む。

『われらが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)。

まずいのはいつまでも重い過去に引きずられて、「今」を、無駄にすること。
悶々とした日々の中で、自分を見失うこと。

その今には、無限の価値がある。
賢明な人は、その価値を失う前に気づき、そうでない人は、それを失ってから、その価値
に気づく。


●使うしかない

今、そこにあるものを、受け入れていく。
それがどんなものであれ、それはそれとして、認めていく。
それが、心豊かに生きる、コツではないか。

たとえば、私はおととい、新しいパソコンを買った。
ミニ・パソコンと呼ばれる小型のパソコンである。
本当は……という言い方は適切でないかもしれないが、
私は、このパソコンと、もう一台のパソコンで、
どちらにするか、迷った。

このパソコンは、HP 社の、2133という機種。
もう一つは、今度、MSI社から発売になった、U100という機種。
U100のほうは、発売されたばかりとあって、現在、入手困難。
東京の秋葉原でも、発売と同時に、売り切れてしまっている。
この2つのパソコンの大きな違いといえば、2133のほうは、英語式キーボードになっ
ていること。
アメリカ製である。
U100のほうは、日本語式キーボード。
台湾製である。
値段は、2133は、8万円弱。
U100は、6万円弱。
2万円の差はあるが、性能的には、2万円以上の差がある。
それで2133にした。

が、いろいろと問題が起きている。
英語式キーボードだから、キーと文字(とくに記号)が、一致しない。
ワードを使いなれた私には、打ちにくい。
それにやはりミニ・パソコンはミニ・パソコン。
どこかおもちゃ的?

そういうパソコンと対峙したとき、私はこう考える。

「せっかく買ったのだから、使い倒そう」と。
あるいはこうも考える。
「使いにくい面はあるが、使う私がそれに慣れればいい」と。

不平や不満を並べても、しかたない。
「使うしかない」と。

●生きるしかない

……実は、人生も、これに似ている。
いろいろやり残したこともある。
今の今も、何かにつけて中途半端。
この先のことを考えたら、不安でならない。

しかし今の私には、今のこの人生しかない。
だったらこの人生を受け入れて、前向きに生きていくしかない。
私のほうから、今の人生に慣れていくしかない。

……こう書くと、誤解する人がいるかもしれない。
つまりこう書くからといって、「あきらめる」という意味ではない。
あきらめるのではない。
その逆。
こういう人生がそこにあることを、喜び、感謝する。
多少の不便さはあるが、生きるドラマはそこから生まれる。
大切なのは、そのドラマ。
そのドラマこそに、生きる価値がある。

たとえば私は、最近、こう考えることがある。
サイクリングしているようなときだが、自分の体がスイスイと動くことが、うれしい。
「私は目が見える」
「私は音が聞こえる」
「私は走ることができる」
「私はものを考えることができる」と。

その喜びにくらべたら、身のまわりの問題など、何でもない。
すべて、ささいなものに思えてくるから不思議である。

●損とは何か?

たとえば私は、自分の人生の中で、人にだまされたことはあるが、だましたことはない。
とくに金銭問題においては、そうである。
若いころは、それなりに悔しい思いもした。
相手を恨んだりもした。
しかしそんなことを引きずっていたら、これからの人生を心豊かに生きていくことはでき
ない。
できるだけ早くそういう過去とは決別して、前向きに生きていく。

というのも、損をしたと考えること自体、損。
もっと言えば、金銭的な損など、損でも何でもない。
本当に損なのは、(時間を無駄にすること)。
(時間)イコール(人生)と置き換えてもよい。
どのみちあと10年もすれば、みな、頭の活動も鈍る。
健康も衰える。
それに20年もすれば、みな、死ぬ。
(これは私の年代の人のことだが……。)

そしてその先、死ねば、この宇宙もろとも、私は煙のように消える。

金銭的な損得に毒されて、ああでもない、こうでもないと悩むほうが、どうかしている。
大切なことは、今日というこの(与えられた1日)を、心豊かに、楽しく、ほがらかに過
ごすことである。
そういう意味では、人生は、金の砂時計のようなもの。
刻一刻と、金の砂が、上から下へ落ちていく。

こんな話を聞いた。

●ある人の遺産相続問題

近所の人の話だが、父親が死んだとき、遺産問題がこじれて、はげしい兄弟戦争になって
しまったという。
その父親は、このあたりに、千坪単位の土地(もともとは農地)を、もっていた。
それが宅地開発で、黄金の土地に変身した。
その父親がなくなったのは、その直後のことだった。

3人の兄弟と2人の姉妹がいた。
実際には、その中の二男にあたる人が、死ぬまで父親の世話をしていた。
だから本来ならその二男が父親の財産を受け継いでも、何らおかしくはなかった。
が、これにまず長男と長女が、「待った!」をかけた。
つづいて、三男と二女が、「待った!」をかけた。

半端な財産ではない。坪40〜50万としても、10億円以上になる。
(10億円以上だぞ!)
で、こうして泥沼の遺産相続争いとなっていった。
毎週のように、父親の仏壇の前で、怒鳴りあい、殴り合いの騒動がつづいたという。

で、最終的には、二男が、3〜4割の財産を。
残りをほかの4人の兄弟姉妹で均等に分けることになったという。

が、それからその兄弟たちに異変が起きた。
もちろん兄弟、姉妹関係は、こなごなに破壊された。
「財産分けがすんでから、たがいの行き来は途絶えてしまった」と。
それは当然のことだが、そのうち、2人が脳卒中で倒れ、もう1人は、心筋梗塞で倒れた。
1人は、そのあと癌になり、入退院を繰り返している。
残りはもう1人だが、体調を崩してしまったと聞いている。

が、悲劇はそこで終わったわけではない。
今度は、それぞれの息子や娘の間で、財産の分与をめぐって、何かともめ始めているとい
う。

言い忘れたガー・ミな、年齢は、現在、65歳前後(当時)。
この話をワイフにしてくれた人は、こう言ったという。

「棺おけに足を半分つっこんだような人が、どうしてそんなにも、お金に執着するのでし
ょうね」と。
「騒動が長かったから、それから生まれたストレスが、悪かったのでしょう」とも。

●得るものより、失うもの

……というような例は多い。
私もお金は嫌いではないから、(あえて嫌う必要もないが……)、10億円ともなれば……?
そういう騒動に巻き込まれるかもしれない。
しかしどう生きたところで、あと20年。
が、そんな騒動に巻き込まれたら、寿命を縮めてしまうだろう。
脳梗塞で倒れたら、それこそ、お金の話どころではなくなってしまう。

さらに言えば、仮に100万円であろうが、10億円であろうが、この宇宙に視点を置い
てみれば、ただの数字。
子どもがもつゲームの中の得点と、どこもちがわない。
仮に相続問題が起きたとしても、事務的に処理して、それですます。
1億の取り分を、2億にしたいと思うから、騒動に発展する。
が、それによって失うものは、もっと大きい。
あるいは騒動を起こして、得になることは、何もない。

では、心の豊かさとは何か?

●自己の統合性

大切なことは、『自己の統合性』ということになる。
(自分がやるべきこと)を見つけ、(そのやるべきことに自分を一致させていく)。
生きがいも、そこから生まれる。
生きる喜びも、そこから生まれる。
生きがいや、生きる喜びの大きい人を、心の豊かな人という。

それがわからなければ、自分にこう問うてみればよい。

大きな高級車を買った……だから、それがどうしたの?、と。
大きな家を買った……だから、それがどうしたの?、と。
どこかの会社の社長になった……だから、それがどうしたの?、と。

自己の統合性が確立してくると、そういうことの無意味さが、つくづくと身にしみてわか
るようになる。
(だからといって、私は、そういうことを否定しているのではない。誤解のないように!)

さあ、あなたも、勇気をもって、まず、あなた自身に納得しよう。
あなたの住んでいる環境に納得しよう。
あなたを囲む、人間関係に納得しよう。

それを「運命」というのなら、運命と呼んでもよい。
まずあるがままの自分を受け入れる。
そしてここが重要だが、今、ここにいて、ここに生きていることを、喜び、感謝しよう。

それが自分の人生を、心豊かに生きていくための必要条件ということではないか。

(付記)

私たち戦後、戦時中生まれの人間は、程度の差こそあれ、みな、「金権教」の信者と考えて
よい。
「お金がいちばん大切」「お金があれば幸せ」「お金があれば安心」と。
それが転じて、人間の価値まで、お金で決めるようなところがある。

あの貧しい時代を思い浮かべれば、だれが、それをまちがっていると言えるだろうか。
みな、懸命に生きてきた。
あの独特の(ひもじさ)と闘ってきた。
おまけに当時の日本人は、敗戦と同時に、精神的なバックボーンを、失ってしまった。
それまでは「天皇」が神であり、「陛下」「陛下」と言っていれば、何も考えなくてもよか
った。
現在の北朝鮮のようなもの。
(戦時中の日本が、あそこまでひどかったとは思いにくいが……。)

敗戦と同時に、日本人は、「金権教」へと走った。
事実、「信仰すれば、庭木に札の花が咲く」と教えた宗教団体があった。
その宗教団体は、戦後、日本でも最大の宗教団体になっている。

が、同時に失ったものも多い。
「心の豊かさ」である。

私がオーストラリアへ留学したとき、何よりも驚いたのは、農家の人たちのレベルの高さ、
だった。
友人の父親は、夕食後にチェロを演奏してみせてくれた。
母親は4年生の大学を卒業していて、マナーも洗練されていた。

とても残念なことだったが、1970年当時の日本は、そうではなかった。
農家といっても、GHQによって農地解放される前は、そのほとんどが、「小作人」と呼ば
れる人たちだった。

その(差)を、直接肌で感じたとき、私はこう思った。

「日本が、オーストラリアのようになるためには、50年はかかる。
あるいは永遠に不可能かもしれない」と。

しかしその後の日本の経済的発展は、ものすごかった。
その後、20年を待たずして、経済的には、オーストラリアを追い抜いた。
生活のレベルもそれほどちがわないところまで、追いついた。

しかし(モノ)はそれでよいとしても、(心)は、そうでない。
今の今でも、金権教は、いたるところにはびこっている。
程度の差こそあれ、私もあなたも、みな、その信者といってもよい。

もちろん先にも書いたように、だからといって私は(マネー)を否定しているのではない。
お金で幸福は買えないが、しかしお金がなければ、みな、不幸になる。
問題は、その稼ぎ方と、使い方ということになる。
その視点を見失うと、結局は人生、……というより、「命」そのものを、棒に振ることにな
る。

【Mさんより、はやし浩司へ】

ありがとうございます。
何度も読み返しました。

先生のおっしゃることあたっております。
私は、不幸にして不幸な家庭で育ちました。
中学のときに進路を決める際、私は体育科の高校へ進学したかったのですが、
父親に猛反対を受け、また、大学進学の際にも猛反対を受け、
結局地元の短大へ進学することになりました。

小学校のころから運動が得意で、父親もほめてくれておりましたが、
進学先のことや、また、体育の先生になることは反対でした。
理由は、通学が遠かったこと、寮など、家を出ることを許さなかったこと、
体育の先生は長く続けられないと思ったこと、などだと思います。

それならほめてくれなければよかったと思います。
いまでは、スポーツとは一切関わりたくないと思っています。
そのことを考えるだけで、涙がでてきますし、いまだに父親にはそのことを
持ち出して喧嘩となります。一生反抗期です。
母も反抗期がなく過ごしたからこうなったと言っています。
いわゆるいい子だったのだと思います。

極論は、私は早く父親がいなくなればいいと思っております。
ただ、その時は怒りをぶつける相手がいなくなって放心状態になるのでしょうか?
言い方は悪いですが、被害者の家族が、加害者が死刑になってしまったあとは
どこへ怒りや悲しみをぶつければよいのかということです。
その方たちには失礼なことかもしれませんが、私もきっと苦しむと思います。

不幸な結婚かどうかはまだわかりません。

おねしょの件は、赤ちゃん返りとわかったのは、治ってからそう思えたことです。
姉の子供が5年生になっても人前でおもらしをしていたのを見て、おそろしくなりました。
それで、治療という形をとったのです。

本論に入りますが、ほめそだては一般論です。
私は、うちの息子はほめることができません。
ほめる内容がないのです。なんでもいいからと教育センターの方にも
いわれました。

私も息子から離れたいのです。仕事もフルタイムで働いていますし、
学校の役員をやったこともありますし、剣道の役員、当番なども引き受け
何かと忙しくしており、また、エステにいったりして気分転換をはかったり・・・。
また、妹もおりますので、ほかにやることはたくさんあります。
ただ、主人が遅い帰宅なので、夕食のために定時で帰らなければなりません。

これ以上はなにができますか?

私は自分と同じ目に遭わないでほしいのです。
少なくとも、やりたいことがあればなんでもさせてやりたい。
過保護はごもっともです。
でも、自分自身の今が本当につらい、自分の親や、主人に理解されない。

たまたま、私とおなじ境遇の人、友人の弟さん(行きたい大学に受験させてもらって合格
までしたのに、結局地元の大学に行かせられてしまった人)の話を聞きました。
その人は親と全く連絡を取らない、実家にも帰らないそうです。電話をして、母親がでた
ときだけ少し話しをするようです。

そんなことで、私を理解してくれる人(女性)がいます。
それが、どうということではないのですが、先生にも理解できますか?
子供がやりたい道をみつけて、親もそのことをほめてくれたのに、
進学はだめ。そんなのってありますか?

私自身それを解決しないかぎり、学歴コンプレックス&仕方なく今の仕事をしている姿勢
=毎日の生活は変わらないと思います。
子供にも教えています。
先生になりたければ先生の資格をとらなければいけないし、
ピアノの先生になりたければ音楽大学。
今からお母さんは体育大に行っても体育の先生にはなれない。
採用がないから。と
ばかげた会話かしれませんが、親から世の中を教えてもらえなかった
子供は不幸です。

以上が現在の私です。
私は旅行も大好きでした。
今は、子供と家のローンで、旅行にも行けません。

趣味はと聞かれたら、子育てと答えるでしょう。
それがいけないといわれそうですが・・・(笑)

もう少しヒントをください。
ほめ育ては一般論です。

ほんとに感謝しています。このような私にアドバイスしていただけること
うれしいです。
でも、涙がでるほどです。
よろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

たまたま今朝(7月12日)に書いた原稿を、下に添付します。
(まままま様)を意識したわけではありません。
ただ少し参考になるのではないかと思いましたので、添付します。

で、メールを読んで、第一声。
「あなたは幸福ですよ」です。

ただ不完全燃焼症候群というか、それが転じて、もろもろの不満、不平につながっている
と考えられます。
あなたは何も失っていない。
すべてがうまくいっている。
「不幸な家庭」といっても、あなたが経験したような家庭は、珍しくもなんともない。
ごくふつうの家庭です。

が、あなたにも夢があり、希望もあった。
能力もあった。
しかしそういうものが、(実は父親が原因ではなく)、あなたの意志の弱さによってくじか
れてしまった。
子どものころから、あなたは親の人形になることによって、自分の立場を築き上げてきた。
そういう自分に対する嫌悪感、憎悪感が、姿を変えて、父親への反抗となっているのです。

こういうケースも少なくありません。
あなたは自分ひとりだけが、不幸だと思っているかもしれませんが、「不幸」というのは、
そんなものではありません。

「思うようにならなかった」というのは、不幸とは言いません。

で、もしあなたにその力と、やる気さえあるなら、あなたが感じている不幸など、あっと
いう間に吹き飛ばすことができます。
今からでも、なんら遅くはないのですから、自分のしたいことをすればよい。
子どもを愛せないなら、愛せないで、よいのです。
世の中の10%前後の母親は、みな、そうです。
「あなたはあなた」「私は私」と、割り切って子育てを考えればよいのです。
もちろん(やるべきこと)は、やる。
その「限度のをわきまえている親を」(バートランド・ラッセル)、むしろすばらしい親と
いうのです。

気負わないこと。

あなたはすべてをもっている。
家族も、夫も、子どもも、健康も、若さも……。
いったい、それ以上、あなたは何を望むのですか?

私も日々に、自分の体と脳みそをいたわりながら、まるで薄氷の上を恐る恐る歩くような
人生を歩んでいます。
生徒たちには、「ジジイ」と呼ばれ、夜な夜な思いをはべらすことは、去っていった息子た
ちのことばかり。
朝起きたとき、あのころのあの子どもたちの姿が見え、歓声が聞こえたら、どんなにすば
らしいことだろう……。
あなたはその最中にいるから、その価値にまだ気がついていない!

ぜいたくを言うんじゃ、ない!

あなたも、外の空気を思いっきり吸ってみなさい。
呼吸ができる。
目が見える。
音が聞こえる。
歩ける、走れる、踊れる……。
そのすばらしさを、まず体感しなさい。

あなたは今、こうしてここに生きている。
そのすばらしさを、まず体感しなさい。

そして思う存分、心を解き放つのです。
過去にずるずると、いつまでも引っ張られていたら、損ですよ。
今を原点に前に向かって進むのです。
何だってできるでしょう。

不平、不満があったら、こうした掲示板に、自分の気持ちをたたきつけたらいいのです。
読むくらいのことしかできませんが、私だけは、まちがいなく、読んであげます。
(ほとんどアクセスのない掲示板ですが……。)

同じ仕事でも、いやいやしていれば、その辛苦は、倍加します。
しかし前向きにしていれば、その辛苦は霧散します。
子育てもしかり。
親子関係もしかり。

いいですか、あなたの運命は、受け入れなさい。
それが重病であるとか、あなたが闘うことができないものであるなら、それはあきらめる
しかありませんが、どれも、あなたの「力」で何とかなるものばかりです。

繰り返します。
ぜいたくを言んじゃ、ない!

また不完全燃焼症候群については、多かれ少なかれ、家庭に閉じ込められた妻たちガー・ミ
な、感じているもの。
暇があったら、『マジソン郡の橋』(ウォラー)でも、読んでみたらどうでしょう。
「かさぶたになったような人生」です。
映画でもいいですが、映画のほうは、ラブロマンスになりすぎています。

あなたのような若い方が、過去を引きずって、その鎖の中でもがいているのを知ると、か
わいそうというより、あわれでなりません。
あなたの夫は、そういうあなたに、気づいていますか。

これは自慢話ではありません。

私の嫁は、2人の子どもをかかえながら、日本で言う司法試験に合格し、今月から、イン
ディアナ州立大学のロースクールに通っています。
息子は、グーグル社への入社をあきらめ、現在は、半主夫業をしています。
もっと自由にあなたの人生を組み立てることはできませんか。
夫の協力は不可欠ですが……。

あなたはすばらしい人ですよ。
文面から、それがよくわかります。
活動的で、家族思い。
知的能力も高く、好奇心も旺盛。
健康だし、家族をよくまとめている。
犠牲心も人一倍ある。

そういう自分を信じて、とにかく前に向かって進むしかない。
それが何であるかは、私にもわかりませんが、あなたには、あなたのすべきことがあるよ
うに思います。
母ではなく、妻でもなく、女でもなく、1人の人間として、です。

まず心を解き放つこと。
過去と決別すること。
体は、あとからついてきます(アメリカの格言)。

がんばれ、声援します!

はやし浩司

【はやし浩司より、Mさんへ】(追伸)

ワイフに意見を求めました。
そのワイフが言うには、「Mさんは、がんばっているわ」でした。
学校のことも、家庭のことも、よくやっている、と。

私もそう思います。

不完全燃焼症候群について書いた原稿を添付します。
この問題は、ほとんどの母親に共通する問題かと思っています。


++++++++++++++++++++

子どもの自立

 ある母親(埼玉県U市在住のRYさん)から、こんなメールが届いた。 

「私には二人の子どもがおります。
一番上の娘が中学二年生、下の男の子が小学校の四年です。
とても優しい子ども達に恵まれ毎日幸せに暮らしています。
 
私は自分の子どもに、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を
自分で考えて歩いてゆける人間に育って欲しい と思っていますが
子どもの自立のために、何かよいアドバイスがあれば、いただけませんか。

いくら頭で考え、子どもの人生や価値観を尊重しようと思っても、
実際問題として、日本の社会は目立つものは排除する社会に思えます。
馬鹿な親ですが、自分の子どもには苦労をさせたくない、
社会に適応し、周りとうまくやって欲しい……と
おろかな望みを抱いてしまいます」

 この母親のメールを読んで、最初に感じたことは、「これは子どもの問題ではなく、母親
自身の問題」ということ。その母親自身はまだ気づいていないかもしれないが、母親自身
が、自分の住む世界で、窒息している。

 以前、こんな原稿(中日新聞経済済み)を書いた。

++++++++++++++++++++++++

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親
 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。

結婚したのは二四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だ
け電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらく
して、今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋
 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れ
ていた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受
性の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もま
た、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の
中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群
 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求める
ということだった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタ
ッチの絵だった。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というの
は、そういうものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む
 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段
落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と
思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間と
して。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。

++++++++++++++++++++++

【RYさんへ】

 それがよいことなのか、悪いことなのかは別にして、アメリカ人の生きザマを見ている
と、実に自由を謳歌しているのがわかります。それだけにきびしい世界を生きていること
になりますが、そういうアメリカ人や、アメリカとくらべると、日本の社会は、まさに「ぬ
るま湯社会」ということになります。

 この「ぬるま湯」の中で、人生の入り口で権利を得た人は、たいていそのままずっと、
その権利をなくすことなく保護されます。それがRYさんが、おっしゃる、「日本の社会は
目立つものは排除する社会に思えます」ということではないでしょうか。社会そのものが、
見えない糸で、がんじがらめになっています。

 たとえば私の友人のユキコさん(三一歳女性、日系人・アーカンソー州リトルロック在
住)は、今、アメリカで、老人福祉の仕事をしています。日本でいう公務員ですが、こう
言っています。「アメリカでは、公務員といっても、どんどん自分から進んで何かをしてい
かないと、クビになってしまう。また自分で何かアイディアを出したり、新しいことをし
たいというと、上司が、もっとやれと励ましてくれる」と。

 本当は、ユキコさんは、もっと過激なことを言っていますが、日本の社会の現状とは、
あまりにもかけ離れているため、ここでは控えめにしました。ユキコさんは、「社会のしく
みそのものが、そうなっている。日本のように、上から言われたことだけをしていれば、
安心という考え方は、通用しない」とも言っていました。

 こうした傾向はオーストラリアにもあって、私の友人の多くは、生涯において、何度も
職種そのものを変えています。またそういうことをしても、不利にならないしくみそのも
のが、できあがっています。あのヨーロッパでは、EU全体で、すでに大学の単位は共通
化されていて、どこの大学で学んでも、みな同じという状態になっています。

 世界は、どんどん先へ行っている。アメリカだけでも、学校へ行かないで、家庭で学習
している、いわゆるホームスクーラーと呼ばれる子どもは、現在、二〇〇万人を超えたと
推計されています。もっと世界の人は、自分の人生を、子どもの人生を、自由に考えてい
る。あるいは自由という基本の上に置いている。日本人の悪口を言うのもつらいですが、
この程度の自由を、「自由」と思いこんでいる、日本人が、実際、かわいそうに見えます。

 RYさん、これはあなたの子どもの問題ではありません。あなた自身の問題です。あな
たが魂を解き放ち、心を解き放ちます。そしてあなた自身が、大空を飛びます。それはち
ょうど、森へやってくる、鳥の親子連れと同じです。子どもの取りは、親鳥の飛び方を見
て、自分の飛び方を覚えます。あなたが飛ばないで、どうして子どもが飛ぶことができる
でしょうか。

 「自分の子どもには苦労をさせたくない。社会に適応し、周りとうまくやって欲しい」
ですかあ? しかしそんな人生に、どれほどの意味があるというのでしょうか。私は、一
片の魅力も感じません。しかたないので、そういう人生を、私も送っていますが、しかし
心意気だけは、いつも、そうであってはいけないと思っています。RYさんが言う「社会」
というのは、戦前は、「国」のことでした。「お国のため」が、「社会のため」になり、「お
国で役立つ人間」が、「社会で役立つ人間」になりました。今の中国では、「立派な国民づ
くり」が、中国の教育の合言葉になっています。日本も、中国も、それほど違わないので
はないでしょうか。

 今、行政改革、つまりは日本型官僚政治の改革は、ことごとく失敗しています。奈良時
代の昔からつづいた官僚制度ですから、そう簡単には変えることができません。それはわ
かりますが、この硬直した社会制度を変えないかぎり、日本人が、真の自由を手に入れる
ことはないでしょう。今も、子育てをしながら、RYさんのように悩んでいる人は多いは
ずです。小さな世界で、こじんまりと、その日を何とか無事に過ごしている人には、それ
はわからないかもしれませんが、しかしこれからの日本人は、そんなバカではない。「しく
まれた自由」(尾崎豊「卒業」)に、みなが、気づき始めている……。

 これは子どもの問題ではないのです。RYさん、あなた自身の問題なのです。ですから
あなたも勇気を出して、一歩、足を前に踏みだしてみてください。何かできることがある
はずです。そしてあなた自身をがんじがらめにしている糸を、一本でもよいから取りのぞ
いてみるのです。

 私は母ではない!
 私は妻ではない!
 私は女ではない!
 私は、一人の人間だア!、と。

 いいですか、RYさん、母として、妻として、女として、「私」を犠牲にしてはいけませ
んよ。自分を偽ってはいけませんよ。あなたはあなたの生きザマを、自分で追求するので
す。それが結局は、あなた自身の子育て観を変え、あなたの子どもに影響を与えるのです。
そしてそれが、今、あなたが感じている問題を解決するのです。

 家庭は、それ自体は、憩いの場であり、心や体を休める場です。しかしそれを守る(?)
女性にとっては、兵役の兵舎そのもの※。自分の可能性や、夢や希望、そういうものをこ
とごとく押しつぶされ、家庭に閉じ込められる女性たちのストレスは、相当なものです。(も
ちろん、そうでない女性も、約二五%はいますが……。)仕事をもっている男性には、まだ
自由は、ありますが、女性には、それがない。

 だから家庭に入った女性たちほど、自由を求める権利があるのです。その中の一人が、
RYさん、あなたということになります。

 私たちは、ともすれば、自分の隠された欲求不満に気づかず、そのはけ口を子どもに求
めようとします。子どもを代理にして、自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに果た
させようとするわけです。しかしそんなことをしても、何ら解決しないばかりか、不完全
燃焼の人生は、不完全燃焼のまま終わってしまいます。

子どもにしても、それは負担になるだけ。あるいは子どもがあなたの期待に答えれば、
それでよし。しかしそうでなければ、(その可能性のほうが大きいのですが……)、かえ
ってストレスがたまるだけです。あるいはそれがわかるころになると、あなたも歳をと
り、もうやり返しのできない状態になっているかもしれません。

 だから私は、「これはRYさん、あなた自身の問題だ」と言うのです。さあ、あなたも勇
気を出して、その見本を、子どもに見せてやってください。

 「私は、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を自分で考えて歩いているのよ。あん
たたちも、私に見習いなさい!」とです。それは、とっても、気持ちのよい世界ですよ。
約束します。
(030625)

※「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験す
る」(J・ハーマン)。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●7月12日(July 12, 2008)

愚劣な『ダカラ論』

●キャリアを中断する女性たち

大半の女性は、結婚と同時に、それまでのキャリアを失う。
ただし、失うことにみな、抵抗しているというわけではない。
公式の調査によっても、約30%弱の女性は、「それでよし」としている。
「家庭に入って、夫の帰りをまちながら、夕食の支度をする」と。

が、そうでない女性は、そうでない。
キャリアどころか、せっかく始めた仕事にしても、夫の転勤とともに、そこで中断される。
私が今まで出会った女性(母親)の中にも、こんな人がいた。

東京の玩具メーカーで、デザイナーをしていた人。
卓球の世界では、国体で優勝するほどの力をもっていた人。
自動車会社のモデルとして働いていた人。
大学院を出て、研究生活を始める一歩手前までいっていた人、などなど。

こうして多くの人材が、家庭という「監獄」(イギリスの格言)に入ることによって、失わ
れていく。
が、それから受けるストレスには、相当なものがある。
ときに、その後の夫婦関係、親子関係をゆがめる原因になることもある。
「夫や家族のために犠牲になった」という思いが、ずっと心をふさぐ。

●子育てに幻想は禁物

一方、子育てに過大な期待をもつのは、正しくない。
正しくないことは、(親に育てられたことがある人)なら、だれにもわかるはず。
たとえば、この私にしても、親に育てられたことがある。
とくに私の母親は、ことあるごとに、私に向かって、「産んでやった」「育ててやった」「大
学まで出してやった」と言った。
それこそ耳にタコができるほど、そういう言葉を聞かされて育った。

私の母親は、それだけ私に何かを期待していたのだろう。
それはわかる。
しかし私の親が願うほど、私が親に感謝しているかとなると、それはない。
むしろ事実は逆で、私はごく最近まで、その言葉に苦しめられた。
今でも、心ない人たちは、「それでも、お前の親だろ」とか、「どんな親でも、親はおやだ」
と、私を責める。

中には、森進一が歌う『♪おふくろさん』のようなすばらしい母親をもっている人もいる
だろう。
しかしそういう母親は、少ない。
少なくとも私は、「♪世の傘になれよ」と子どもに諭した母親を知らない。

多くの母親たちは、(そして父たちも)、子育てに幻想をもっている。
「これだけのことをしてあげたのだから、私の子は、私に感謝しているはず」とか、「私と
子どものとの間の絆は、絶対的」と。

しかしそれが幻想であることは、実は、ここにも書いたように、あなた自身が、いちばん
よく知っていること。

そこであのバートランド・ラッセル(イギリスの哲学者、ノーベル文学賞受賞者)は、こ
う書き残している。

『子どもを尊敬し、子どもから尊敬され、必要なことはするけれども、決して限度を超え
ないことを知っている両親のみが、真の家族の喜びを与えられる』と。

●ほどよい親に心がける

親は親としての義務がある。
その義務を果たすのは、それは当然である。
しかし子どものために、自分の人生(=命)まで犠牲にしてはいけない。
一見それは子どものためのように見えるかもしれないが、自分のために犠牲になっている
親の姿を見て喜ぶ子どもはいない。

私もあるとき、私の母親にこう思ったことがある。

「母さんは、母さんで、自分の人生を生きてほしい」と。

話はずっと具体的になるが、そのほうが子どものためにもよい。
子どもというのは、生き生きと前向きに生きている親を見ながら、成長する。
またそのほうが、子どもに安心感を与える。
さらに皮肉なことに、「親孝行なんか、考えなくていい」と言われて育った子どもほど、親
思いの子どもになる。

私も今のワイフと生活を始めるようになってから、収入の約半額を、実家に仕送りした。
それ自体は、無駄ではなかった。
そのたびに、それがつぎにがんばる、原動力となった。
が、金銭的な負担感よりも、精神的な負担感のほうが、大きかった。
毎月、毎年、(ときには、毎日が)、その負担感との闘いだった。
心理学でいうところの「幻惑」との闘いということになる。
(家族である)という重圧感には、相当なものがある。
私はいつしか、「いつになったら、この重圧感から解放されるのか」と思うようになった。

だから、親類に、「お前は親孝行な息子だ」とほめられたり、母に、「ワッチは、お前のよ
うな親孝行の息子をもって幸せだ」と言われるたびに、実家を爆弾か何かで破壊したい衝
動にかられた。

ともかくも、家族は家族だが、過大な期待をもたないこと。
幻想は、さらにもたないこと。

●人間の刷り込み

あなたは子どもをもうけたかもしれないが、親子といっても、つきつめれば、他人の始ま
り。
親子と、ほかの人間関係のちがうところは、脳の奥深くまで、(刷り込み)がなされている
点だけである。
最近の研究によれば、人間も、鳥類のように、(刷り込み)がなされることがわかってきて
いる。
その(刷り込み)をもって、「親子の縁は特別」などと、思ってはいけない。

さらに言えば、こういう事実もある。

子どもについての話だが、子どもを愛している親は、多い。
しかし親を、愛の対象と考えている子どもはいない。
依存性はあるかもしれないが、それは愛とは、まったく異質のものである。
たとえとしては、あまりよくない話かもしれないが、私の調査によっても、祖父母が死ん
だとき、涙をこぼした子どもは、ゼロだった。
(反対に、孫が不慮の事故か何かで死ねば、祖父母は狂ったように泣くだろうが……。)

最近、私の掲示板に、こう書いてきた女性もいる。
「あんな父親、早く死んでしまえばいい」と。

親絶対教の信者の人にすれば、とんでもない考えというこになるが、しかしそういう女性
を、だれが、石もて、打てるだろうか?
言い換えると、親子であるがゆえに、一度その関係が破壊されると、他人以上の他人の関
係になる。

話がどんどんと脱線してしまった。
いつものことだが、これには理由がある。

私は今、この原稿を、私のミニ・パソコンを使って書いている。
そのため文字を大きくした分だけ、前後12行しかひ表示されない。
全体をながめながら、文章を書くということができない。
それで話が、どんどんと脱線してしまう。

●不完全燃焼症候群と闘うために

……ということで、家庭に入った母親の話にもどる。

今まではどうだったかは知らないが、これからは、女性が、家庭に入ってキャリアを失う
時代ではない。
またそうであってはいけない。
またそういう社会を目指さなければならない。

「女だから……」「妻だから……」「母親だから……」という、『ダカラ論』が、いかに愚劣
なものであるか、これでわかってもらえたと思う。

それがなくならないかぎり、多くの母親たちが現在感じている、不完全燃焼症候群の問題
は、解決しない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月11日)

++++++++++++++++++

今度、岐阜県の山中を、7キロも歩くことになった。
そういうツアーに参加することになった。
で、そのためのシューズを、昨日、買ってきた。
今、使っているのは底が薄く、デコボコ道を
長く歩いていると、足が痛くなる。

値段は、私のが3000円弱、ワイフのが4000円弱。
「安い」というより、私は、4000円以上の靴は、
買わないようにしている。
もの持ちが悪いというか、そのほうが気楽に使える。
「これは(値段が)高い靴で……」「あれが安い靴で……」と
考えているだけで、疲れてしまう。

++++++++++++++++++

●雨つづき

このところの雨つづきで、運動不足を強く感ずる。
昨日も1単位しか、運動をしていない。
体がかたいというか、朝起きても、スッキリしない。

パソコンの前に座っても、モヤモヤするだけ。
頭の中の(考え)が、表に出てこない。
どうしたらよいものか?

ニュースを読んでも、「ああそう……」という感じで、
脳の表面を上すべりしてしまう。
「どうでもいいや」「勝手にどうぞ」と思うだけ。

窓の外を見る。
涼しいのはよいのだが、灰色の曇天が、空を覆っている。
「今日は2単位、運動をする」と心に誓うが、
どうなることやら?


●介護問題

介護のし方も、県、あるいは市や町単位で、かなりちがうようだ。
もちろん、個人によってもちがう。

先日、私の知人(男性)が、90歳という年齢でなくなった。
元内科医である。
その知人のばあい、病院付属のケア・センターに入居してからまもなく、
そのまま、亡くなってしまった。
半年もそこにいなかったのでは……?

「食事が食べられなくなった」「やせた」という話を聞いている
うちに、亡くなってしまった。

一方、同じような状態になりながらも、喉(のど)や腹にパイプを
通して、生きながらえている老人もいる。
集中治療室で、完全看護の手厚い介護を受けている。
どうしてこういう(差)が生まれるのだろう?
それよりも、「生きていたい」というその人の(思い)は、
どのように評価されるのだろう?

その年齢になってみなければわからないが、私がそういう状態に
なったら、無理に生きていたいとは思わない。
家族への迷惑を考えるなら、なおさらである。

昨日もワイフと車の中で、こんな会話をした。
ケア・センターにいる母を見舞いに行く途中でのことだった。

「なあ、ぼくが死んでも、息子たちは呼ばなくてもいいよ」と。

ワイフも同じ気持ちでいるらしい。

「そうね、みんな遠いところに住んでいるから、また来られるとき、
ゆっくり来ればいいわよね」と。

が、こういう意見は、少数派らしい。
少し前だが、母の葬儀のし方について、親戚の1人に相談すると、
その人はこう言った。

「浩司君、どんなことがあっても、葬式は、(郷里の)M町ですべきだよ」と。

「すべき」と断言するところが、恐ろしい。
で、それについて、私が、「霊柩車で、何時間もかかりますが……」と
答えると、「親の葬式だろ!」と、一喝されてしまった。

残念ながら、私の母は、若いときから、その親戚の人と同じような
考え方をする女性である。
今は、頭の活動もほとんど停止状態にあるが、最後の最後まで、
そういう考え方を改めたという話は、聞いていない。

つまり、「お前たちに世話(=迷惑)をかけたくないから、
質素にやってくれ」と願うようなタイプの女性ではない。
むしろ逆で、若いころから、どこかの葬儀から帰ってくるたびに、私に
こう言った。

「あんなみすぼらしい葬式はなかった」と。
そう言いながら、母は、言外で、そういう葬儀をする家族を、非難した。
さらに言外で、「お前たちは、私の葬式を、きちんとせよ」と迫った。

だから私は、その親戚の人に、何ら反論ができなかった。
母の中に、一本のスジの通った生きざまでもあれば、反論もできたであろうが、
それがない。

ところで、私自身は、新聞の「死亡欄」を見たことがない。
ああいうのは見始めると、やめられなくなる。……と思う。
オーストラリアの新聞にも「死亡欄」というのはあるが、同時に「結婚欄」
というのもある。
ちゃんとバランスを保っている(?)。

私「やっぱり、みんなに迷惑をかけたくないから、ぼくは、静かに死にたい」
ワ「そうね。私もそう思うわ。冠婚葬祭というと、世間体やメンツばかり、
みな、気にするでしょ。ああいうのは、イヤね」と。
私「(お別れ)とか何とか、おおげさに考える必要はないと思う。あとになって、
『ああ、あの林は、死んでいたのか』でも、いいのではないだろうか。本当に、
私の死を悲しんでくれる人たちだけで、葬式は、質素にすませばいい」と。

当人にとっては、(死)は極限問題かもしれない。
しかし周囲の者をそれに巻きこむのは許されない。
古代エジプトや中国では、生きたまま、墓の中に道連れにされた人もいたという。
そこまで極端ではないにせよ、息子たちは、息子たちの現在の生活を、
優先すればよい。
仕事を休んでまで、私の葬式には来てほしくない。……来る必要はない。
無駄なお金を使う必要は、ない。

私「何も、死んだ直後に顔を合わせる必要はない。1か月後でも、あるいは
1年後でもいい。葬式というのは、そういうものだよ」
ワ「そうね……」
私「1年を長いといい、10年を短いという。そんなのは、感覚の問題だよ」
ワ「どうせ、私たちも、あっという間に死ぬのだから……」と。

しかし……。
私たちがそう思うのと、他人の葬儀は、話は別。
私たちが「葬儀なんて、意味がない」と思うのは、私たちの勝手。
だからといって、「他人の葬儀も意味がない」とまでは、思ってはいけない。

この問題だけは、人それぞれ。
その人に合わせて、妥協すべきところは妥協する。
協調すべきところは、協調する。
もっと言えば、相手の立場になって、その相手がよいようにしてやる。

どうせ、ただの「儀式」なのだから(失礼!)、そこはもっと気楽に考えればよい。

介護の話から、葬儀の話になってしまった。
しかし介護の先には、葬儀がある。
いわば葬儀は、介護のしめくくりのようなもの。
勝手なこじつけをしたところで、この話は、おしまい。

みなさん、元気で生きている間が、人生は花ですよ。
さあ、今日もがんばって、その人生を、思う存分、謳歌しようではありませんか!


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●息づまる攻防戦(ウォン防衛)

+++++++++++++++

韓国政府は、自国のウォンを
防衛するため、現在、息づまる
ような攻防戦を繰り広げている。

「爆弾的」(朝鮮N報)と表現
する人もいる。

つまり韓国政府は、まさに「集中
豪雨的な」ドル売り、ウォン買いを
つづけている。

その額、100億ドル!

7月2日、8日、99日の3日間だけでも、
100億ドル(約約1兆700億円)
前後、売ったと推定されている(朝鮮N報)。

しかし効果は一時的。

今週のはじめ、1ドル=990ウォン
程度までウォン高になったが、今日
(7月11日)は、1004ウォンと、
再び、ウォン安に向かっている。

韓国政府は、手持ちの外貨で、「堤防を
築いた」(同紙)ことになるが、今年中
に返さなければならない借金(対外債務)が、
2156億ドルもある。

この額は、外貨準備高として保有している
外貨の、「80%」(同紙)にあたるという。

そういう外貨を、現在、韓国政府は、
湯水のごとく使っている。

が、こうなると、為替差益で利益を得ている、
通称、「ヘッジファンド」の、格好の餌食(えじき)。

韓国政府の攻防ラインがわかれば、ウォンを
買ったり売ったりすることで、莫大な利益を
手にすることができる。

何しろ、韓国政府の保証つき!

……というわけで、目下、韓国政府は、
自国のウォンを防衛するため、現在、息づまる
ような攻防戦を繰り広げている。

注視!
(この原稿は、平成20年7月11日(金)に
書いたものです。)

(補記)

現在の韓国の外貨準備高は、2581億ドル。(=貯金)
今年中に返済しなければならない対外債務は、2156億ドル。(=借金)
原油の高騰で、昨年よりも、500億ドルも、輸入コストの増加が見込まれる。(=負担)
その上、経常収支は、今年(08年)、100億ドルの赤字。(=収入源)

これだけの数字を並べただけでも、現在、韓国がどういう状況にあるか、わかるはず。

加えて現在、外資が猛烈な勢いで、韓国から逃避し始めている。
韓国の株式市場でも、今年に入ってから、すでに20兆ウォン(約2兆円)も、売り越さ
れている。

そこへもってきて、政情不安。
「ローソク・デモ」に見られるように、あの国は、何かが、おかしい。

かんたんに説明すると、こうだ。

あなたには、260万円の貯金がある。
しかし今年中に、220万円の借金を返済しなければならない。
しかし子どもの教育費で、今年は、さらに50万円の負担増。
加えて夫の給料だけでは、赤字。
仕事も減ってきた。
夫婦関係も、おかしい?

あとは、どうなるか?
みなさん、ご想像のとおり!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●たった一度の人生だから

たった一度しかない人生だから、思う存分、生きてみようよ。
海は広いんだ、空は広いんだ、宇宙は、もっと広いんだ。
だれにも遠慮することは、ない。何も恐れることはない。
心を解き放(はな)とうよ。
海に向かって、空に向かって、宇宙に向かって。
体はあとからついてくる。

でもね、自由に生きるということは、そんなに楽なことではないよ。
「自由」というのはね、もともと「自らに由(よ)る」という意味だよ。
自分で考えて、自分で行動して、そして自分で責任をとるということ。
だから自由でいるということは、とってもきびしいことだよ。

ちっぽけな肩書きや地位に満足してはいけないよ。
名誉や名声を先に求めてはいけないよ。
そんなことをすれば、君の人生は、見苦しくなるだけ。
つまらなくなるだけ。
今やるべきことを、懸命にやろう。
それでいいのさ。
人がどう思うと、そんなこと気にしてはいけない。
君の人生は、どこまでいっても、君のもの。
だれのものでもない。だから思う存分、生きてみようよ。

君を判断するのは、君自身だよ。ほかのだれでもない。君自身だよ。
そういう意味でもね、自由に生きるということは、孤独なことだよ。
勇気がいることだよ。
でもね、結局はそのほうが、自分の人生を生きることになるんだよ。


●成績

成績が悪かった、て?
そう……。いやなもんだね、成績って。
でもね、成績は、あくまでも勉強について、だよ。
君の価値とはまったく関係ないよ。
だから大切なことは、
成績が悪いからといって、
自分の価値まで否定してはいけないということ。
君は君だしね。
まあ、また、やってみようよ。
まだまだ、つぎがあるからね。
めげないでさ。
いちいち気にしていたら、
人生、つまらないよね。
……そう、ぼくなんか、
今、成績つけられたら、
ひどい成績だと思うよ。
老人度……82点
ボケ度……90点
嫌われ度……98点
……なんてね。
笑った?
笑ったら、先へ進もうよ。
そうそう、君は、「宝島」という本を知っているかな。
「ジキル博士とハイド氏」でもいい。
あれを書いた、スティーブンソンという人は、
こう言っているよ。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進む事だ』とね。



●悩み

悩みにも、二種類あるよ。
どうしようもない悩みと、
何とかなる悩みだよ。
どうしようもない悩みは、
あきらめようよ。しかたないもん、ね。
でもね、何とかなる悩みは、
……むずかしいね。
ぼくにも、わからない。
だってね、ぼくはね、
そういう悩みを、山のように
もっているからね。
ありすぎて、
どうしたらいいか、
わからないでいる。



●810年後

君がいつか、おとなになり、結婚したとするだろ。
そして二人の子どもをもったとするだろ。
そしてその二人の子どもが、
またおとなになって、結婚したとするだろ。
そしてまた二人ずつの子どもをもったとするだろ。
そうすると、ね、27代目には、君の子孫は、
1億3000万人を超えるんだよ。
今の日本の人口とほぼ、同じになるというわけ。
わかるかな。そしてね、一世代を30年で
計算するとね、つまり30かける27で、
810年後には、そうなるんだよ。
たった810年後には、日本中が君の子孫になるというわけ。
すごいことだね。
……こう考えると、「自分だけは」とか、
「自分の子どもだけでも」と考えることが、
いかにつまらないことか、わかるよね。
ときどきは、そういうふうに考えてみてごらん。
世界が、ぐんと広くなるよ。



●正直に言ってみようよ

言いたくないことも、あるさ。
かくしたいことも、あるさ。
だまっていたいことも、あるさ。
ウソをつきたいことも、 あるさ。
知られたくないことも、あるさ。
でもね……。
正直に、言ってみようよ。
勇気がいることだけれど、
思い切って、言ってみようよ。
つらいし、苦しいし、いやかもしれないけれど、
正直に、言ってみようよ。
するすると、ね。
……
ずっと、ずっと、心が軽くなるよ。



●いやだったら……

いやだったら、「いやだ」って、
言えばいいんだよ。
無理することないよ。
でもね、一つだけ、
こんなことに注意してよ。
君の「いや」は、わがままではないか、と。
もし、そうなら、君の「いや」には、
意味がないよ。
その「いや」は、よくないよ。



●なくすもの

おとなになるにつれてね、
なくすものも、あるんだよ。
何だと思う?
それはね、
感動と、純粋な心だよ。
たとえば虹を見たときね、
君は、ワーッて、歓声をあげるよね。
でもね、おとなになると、
そういうふうに感動しなくなるよ。
とってもさみしいことだけれどね。
それにね、
純粋な心もなくなるよ。
とってもさみしいことだけれどね。
でもね、
君たちは、大切にしようね。
いいか、よく「子どもっぽい」と
笑う人がいるだろ。
しかしね、
子どもっぽいということは、
とてもすてきなことなんだよ。
すばらしいことなんだよ。
だから恥ずかしく思うことはなんだよ。
いつまでも、いつまでも、
感動と、純粋な心を大切にしようね。
おとなになるとき、
なくしちゃあ、だめだよ。
ワーズワースという人は、
こんな詩を書いているよ。

子どもは人の父

空に虹を見るとき、
心ははずむ。
私が子どものころもそうだった。
おとなとなった、今もそうだ。

願わくば私は、
歳をとって、死ぬときも、
そうでありたい。
子どもは人の父。
自然の恵みを受けて
それぞれの日々が、
そうであることを、
私は願う。



●君の価値

君の価値は君が一番よく知っている。
だから、ね。だれも認めてくれなくても、
気にしてはだめだよ。
大切なことは、だれも認めてくれなくても、
自分をそまつにしないこと。
ぼくたちは、いつでも、どこでも、
気高(けだか)く生きようよ。
ぼくは世界中で、ただ一人。
君は世界中で、ただ一人。
ぼくは世界中で、最高の人間。
君は世界中で、最高の人間。
これは事実だよ。



●希望

人は、悪いこともするけれど、
努力によって、
神様のような人にもなれる。
それが「希望」だってさ。
みんな天使のような人に
なってしまったら、
この世界、つまらないよね。
いろんな人が
いろんなドラマを展開するから、
この世界、おもしろいんだよ。
聖書の中の説話だけど、
ぼくの好きな説話だよ。



●バカな人

バカな人は、賢い人にかみつくよ。
しかしね、賢い人は、バカな人を
相手にしないよ。無視するよ
それがバカな人と、賢い人の違いだよ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教育と政治(Political Apathy itself is to be ashamed.)

++++++++++++++

教育と政治は分離する。
当然のことである。
私も、子どもたち(生徒たち)と
接するときは、政治の話は、
いっさい、しない。
してはならない。

しかし教師であるなら、当然、
政治に関心をもつべきである。
それが教育の場でないなら、
政治の話をして、当然。
意見を述べて、当然。

子どもの未来を考えていくと、
その向こうに(政治)がある。
政治抜きに、子どもの未来を
語ることはできない。

が、この日本には、おかしな
偏見が蔓延している。
高校生あたりに「6か国協議を
どう思う?」と問いかけても、
即座に、「ダサイ!」とはねのけられて
しまう。

あるいは政治的に無関心である
ことが、(常識的な人間の条件?)と
思われている。

しかしこんなバカげた民主主義国家
が、どこにある?
税金の使われ方すら知らない国民が、
どこにいる?

私が10年間に書いた原稿を、
もう一度読んでみてほしい。

++++++++++++++

●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Political Apathy)」というのは、それだけ
で軽蔑の対象になる。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言われ
たりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、それ
に猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)と
いうことになっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さ
ない。関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分が
どのようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よ
く理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、
その結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、である。

●文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、三通の文部省通達である(たった三通!)。文部省が一
九六〇年に出した「文部次官通達」(六月二一日)、「高校指導要領改定」(一〇月一五日)、
それに「初等中等局長通達」(一二月二四日)。

 この三通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活
動から、政治色は一掃された。さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、
禁止された。当時は、安保闘争の真っ最中。こうした通達がなされた背景には、それなり
の理由があったが、それから四〇年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」
に改造された。その結果が、「ダサイ?」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう一〇年以上になるが、結局は、
ほとんど何も改革されていない。このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きく
なる。いや、すでに、日本は、現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれて
いる。あとはいつ爆発し、崩壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった三通の、次官、局長クラスの通達で、
日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、ど
うか理解してほしい。日本の教育は、(日本人の心も)、こういう形で、中央官僚の思うが
ままにあやつられている。

+++++++++++++

もちろん、極右であることも、極左であることも、
望ましいことではない。(否定はしないが……。)

ものごとは、常識を基点にして考える。
あるいは常識の上に常識を重ねながら、考える。
私たちが何よりも警戒しなければならないのは、
「極端化」である。
「先鋭化」ともいう。
とくに政治の世界では、警戒した方がよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●聖火台への着火

++++++++++++++

来月、北京オリンピックが
中国で開催される。
今朝の新聞(中日新聞)に、
それについての記事と、
聖火台への着火方法についての
記事が載っていた。

どうやらUFO型のヘリコプター
を使って、着火するらしい。
(あくまでも予想だが……。)

その記事を見て、では、日本でなら、
どんな方法があるかを考えてみた。

+++++++++++++++

(次々回、東京オリンピックでは……。)

(1)参加国と同じ数だけの、ロボットに、
行進させる。
衣装は、映画『スターウォーズ』に出てきた
ロボットのに、すればよい。
ただし手にもつのは、銃ではなく、各国の
旗。

『スターウォーズ』の行進音楽に合わせて、
行進する。
♪バンバンバン、バババ〜ン、と。

(1)聖火台の前あたりまで来たら、ロボット
たちは二手に分かれて、花道をつくる。

(2)やがて後方から、聖火をもったロボットが、
駆け足で、ヒョコヒョコやてくる。そしてそれが
みなに、あいさつなどをしたあと、聖火台の階段を
のぼり、聖火台に聖火を着火する。

(3)ほかのロボットたち、それを見て、拍手する。
あとは、入ってきたときのように、出口に向かって
行進しながら退場する。

次々回の開催地が東京に決まれば、8年後。
ロボットも、それまでにさらに改良されるに
ちがいない。

「介護ロボット」も実用化されるという。
であるなら、こんな演出はどうだろう。

(4)聖火をもったロボットが、階段の
途中で、こけて、倒れる。そのとき、足を
負傷したかのような様子をしてみせる。それを
見た別のロボット2体が、階段をかけのぼり、
そのロボットを助けながら、頂上までいっしょに
のぼる。

想像するだけでも、楽しい!


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2717)

●XPパソコンがおかしい?

+++++++++++++++++

私のXPパソコンが、おかしい。
ときどき、理由もなく(?)、フリーズ
してしまう。

いろいろやってみたが、ダメだった。
それにどこも悪くない?

人間でいえば、不定愁訴。
あるいは自律神経失調症。

そこであちこち、ネット上で検索してみると、
どうやら、原因は、「SP3の導入」に
あることがわかった。

「XP SP3 フリーズ」で検索
してみると、関連項目が、ズラリと
出てきた。

そう言えば、「SP3」をインストール
した直後から、おかしくなった。

しかしここからがたいへん。
「SP2」に戻せばそれでよいという
問題でもなさそうだ。
簡単には、戻らない。
「起動ディスク用のフロッピーを6枚
用意して……」(MS社のHP)とか、
何とかある。

しかしこんなトラブルが出ることがわかって
いるなら、MS社にしても、「SP3」など、
世に出さなければよい。

だれが責任を取ってくれるのだ!、と
叫んだところで、この話は、しばらく
お預け。

またそのうち、夏休みにでもなったら、
作業をしてみよう。
それまで、何とか、だましだまし、
使ってみる。

+++++++++++++++++

現在、XPパソコン(SP2)を
使っている人は、(SP3)の導入には、
くれぐれも、ご注意!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●おとなになろうよ、日本政府!

+++++++++++++++++

週刊誌などの情報によると、
今回のサミット(08年7月、北海道・洞爺湖)では、警備費だけでも、
600億円も使われたとか(報道)。
それはしかたないとしても、加えて、何からなにまで、超豪華!
料理にしても、山のようなごちそうが並んだという。

イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙は、つぎのように
報じている。

『英紙フィナンシャル・タイムズが8日に報じたところによると、第34回主要国首脳会
議(北海道洞爺湖サミット)初日の7日、各国首脳が味わったメニューは、ホワイトアス
パラガス、世界三大珍味の一つ・トリュフ、毛ガニなどを使った六つの美食コース料理だ
った。この日の夕食会のメニューはさらに豪華で、牛乳を飲ませて育てた子羊のロースト、
和牛冷しゃぶ、大トロなど、8コース・18種の料理が供された。

 同紙は「毎年開かれるサミットの中でも、今年のように貧困や気候変動に焦点を合わせ
た各首脳の(掛け声)と、各首脳が会議期間中に享受する(ぜいたくさ)の格差が大きい
ケースはまれだ」と指摘した』(朝鮮N報指摘)と。

いったいいくらの税金が、浪費されたのか?
結局は、こうした醜態をさらけ出すのは、それだけ日本政府に、
ポリシー(=正義)がないことを意味する。

日ごろから、ポリシー(=正義)があれば、こんなバカなことはしない。
つまり日ごろから何もしていないから、(=何も考えていないから)、
こういうバカげたことをしても、何ら疑問に思わない。

朝鮮N報は、「食糧の心配は、口先だけ」と見出しをつけているが、
まったく、同感。

もう20年も前になるだろうか、ある人物が、こう話してくれたのを
覚えている。
その人物のところには、ときどき日本の首相が、お忍びで意見を
求めにくることもあった。
いわく、「あの人たち(=首相を含む、政府高官)は、いったい、
いつ、どこでものを考えているのでしょうね」と。

つまり朝から分刻みのスケジュールに追われ、静かに考える時間
すら、もっていないと。

その結果が、こうしたサミットの(様子)となって、現われてくる。
「豪華であれば、それでよい」というものでもないだろう。
しかし政府ばかり、責めていてはいけない。
総じてみれば、日本人はみな、同じような感覚をもっている。
とくに50代以上〜の人はそうである。

世間体、見栄、メンツを気にする。
外国からの賓客となれば、なおさらだ。
なけなしのサイフをはたいても、見栄を張る。
そういう人は、少なくない

つまり国民の意識の中から、もっと言えば、私たち1人ひとりの意識の
中から、こうした意識を消さないかぎり、こうした愚行はこれからも
つづく。
政府といっても、つまるところ、私たちの(代表)にすぎない。

首相といっても、タダの人ではないか。
大統領といっても、タダの人ではないか。
こういう言い方が悪いというなら、「私たちと、どこもちがわない」と
言いかえてもよい。

「今、世界中の人が食糧不足と価格高騰で苦しんでいます。サミットでは、
そういう人たちの苦しみを分かち合うため、質素な食事をしていただきます」と、
どうして堂々と言えないのか。

その言えないところが、問題。
つまりポリシー(=正義)がない。

で、ほとんど成果がないまま、タダお祭り騒ぎで終わってしまった
今回のサミット。

大規模化するのか、それとも小規模化するのか。
大規模化するなら、国連がある。
小規模化するなら、やがて日本は、はずされる。

日本政府は、どう考えているんだろ?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist サミット 豪華なサミット
 北海道 洞爺湖 第34回 主要国首脳会議 北海道洞爺湖サミット)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●うれしい便り

ーーーーーーーーーーーーーーー

秋田県にお住まいのGUさんから、
メールが届いた。

先月、子ども(6歳男児)のことで
相談があった。

私が返事を書いたことで、「救われました」と。

たいていの方は、返事を書いても、そのまま。
みなさん、自分の子育てで精一杯。
それがわかるから、私も返事を期待していない。

またたいていの方は、「転載しないでほしい」
と書いてくる。

その事情もよく理解できる。
子育ての問題は、そのまま家庭問題と直結
している。

家庭にとっては、トップシークレット。
中には、「清水の舞台から飛び降りるつもりで、
相談します」と書いてくる人もいる。

「そうだろうな」と思う。
私という見知らぬ相手に、家庭の事情を話すのは、
たいへん勇気がいること。
だから私のほうも、相手の方が話してくれる以上の
ことは聞かない。

しかしときどき、GUさんのような方もいる。
メールの転載は許してもらえなかったが、ていねいな
礼状が届いた。

うれしかった。
またこういう人がいるから、相談に答える私も、
熱くなる。

ありがとうございました、GUさん!
また何かあれば、連絡してください。

(約束)

みなさんからのメールを、ハードディスクの中に残すときは、
かならず、住所、名前、年齢、家族構成、職業などを変えたり、
アルファベットにしています。

万が一、ハードディスクが他人の手に渡っても、みなさんの
プライバシーが外部に漏れるということは、ありません。

(そのため、しばらくしたあとなど、「先日、相談しました、
○○県の△△ですが……、その件で……」というメールをもらうと、
ハタと困ってしまうことがあります。私自身の記憶からも消えてしまって
いるからです。

そういうときは、前回のメールを、そのまま転載してくださると、
うれしいです。
毎日、少ない日でも、3〜4通の相談が届きます。どうか、こちらの
事情も、ご理解ください。

よろしくお願いします。)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

【今日・あれこれ】7月9日

とうとう買ったぞ、HPのミニパソコン。
MINI−NOTE PC、HP2133!
東京あたりでは、売れきれ続出というが、ここ浜松のNショップには、在庫があった。
値段は、東京での価格と同じ。
即、購入!

メモリーは2GB。VISTA搭載。画面は、8・5インチ。
MSI社の同企画のものは、10インチだが、その分だけ、バッテリーの消耗も早いかも?
(OSにATOMを使っているので、バッテリーのもちがよいという話もあるが・・・。)

HPの身にパソコンには、大小2個のバッテリーが付属しているのが、うれしい。
ただしワードが入っていないので、今は、メモ機能を使って、この文章を書いている。
言うなれば、試運転。


ーーーーーーーーーーーーー

●物欲について

「〜〜がほしい」という欲求を、物欲という。
これは物欲にかぎらないが、「欲望」には、定型がない。
定型はないが、脳内で起こるメカニズムは、同じ。
たとえば「パソコンがほしい」と思うのと、「新しい車がほしい」と
思うのは、同じ。

それもそのはず。
脳の中で放出されるドーパミンに、種類があるわけではない。
「これはパソコン用のドーパミン」「これは車用のドーパミン」と。
(ただしドーパミンを受け止める受容体に、変化が見られるという。
そういうことはある。)

では、どういうときにドーパミンが放出されるかというと、それには「条件づけ」
が必要。

わかりやすい例では、アルコール中毒者がいる。
私自身は、アルコール類は一滴も飲めないから、アルコール中毒者の気持ちは
わからない。
が、ものの本によると、そういう人たちは、酒のにおいをかいだだけで、
ムラムラと酒が飲みたくなるのだそうだ。
酒のテレビコマーシャルを見ただけで、そうなる人もいるという。

これが「条件付け反応」と呼ばれているものである。

このときも、視床下部あたりで指令を受けた脳が、大量のドーパミンを放出する。
それが線条体というところを刺激し、(猛烈な欲望)となって、その人を襲う。

が、そのときもドーパミンに、種類があるわけではない。
「これは酒用のドーパミン」「これはタバコ用のドーパミン」と。

わかりやすく言えば、欲望の形は、みなちがうが、脳の中で起こる反応は同じということ。
言い換えると、「パソコンがほしい」という欲望も、「酒が飲みたい」という欲望も、
形こそちがえ、中身は同じということ。

・・・ここまで話したらワイフがこう聞いた。
「性欲はどうなの?」と。

同じ欲望の中でも、生存、種族保存に関する欲望は、本能に根ざしているだけに、
それだけ強力と考えてよい。
私も、大学生のとき、初体験がすんでから間もなくのころだったと思うが、
道路で、若い女性の太ももを見ただけで歩けなくなってしまったのを覚えている。
たった一度の経験だけで、強力な「条件付け」ができてしまったことになる。

しかし欲望は、欲望。
基本的には、中身は、同じ。
「ちがう」と考えるほうが、おかしい。

そこで問題は、性犯罪。
たまたま今日も、教師によるハレンチ事件が報道されていた。
高校の教師が、生徒と長年にわたって性的関係をつづけていたという。

(ついでながら言うと、こういう事件が発覚するのは、例外中の例外。
氷山の一角の、そのまた一角。
非公式な調査によれば、学校の教師、もしくは部活の指導員と性的関係にある
女子学生(生徒)は多いという。
親からの相談もときどきある。
だからといって、女子学生が被害者とはかぎらない。
今では、女子学生のほうから、教師を誘うケースも少なくない。
もちろんだからといって、教師の行為が正当化されるわけではない。
誤解のないように!)

もちろん性犯罪は、別である。
数年前、手鏡で女性のスカートの中をのぞいていた大学の教授がいた。
日本でも一流の大学の、その大学の現役教授である。
当時は、毎週のようにテレビに出ていて、評論活動をつづけていた。

私たちはそういう事件を知ると、「どうして?」と、つづく言葉を
失ってしまう。
が、その教授が例外というわけではない。

「欲望」という視点で考えるかぎり、「パソコンがほしい」という欲望も、
「スカートの下をのぞきたい」という欲望も、欲望は欲望。
どこも違わない。
少なくとも、脳内での反応は同じ。
強弱のちがいはあるかもしれないが、同じ。
一流大学の、(こういう言い方は好きではないが)、教授職という、知性の
かたまりのような人ですら、そういうことをする。

ただこうした反応のこわいところは、先にも書いたように、「条件づけ」
されやすいということ。
新しいパソコンを見たとき、ムラムラと「ほしい」という欲望がわいてくるのも、
若い女性を見たとき、同じようにムラムラと「スカートの下をのぞいてみたい」
という欲望がわいてくるのも、同じ条件づけ反応ということになる。

私は私で、そういう条件づけができてしまった。

よく覚えているのは、中学2年生のとき、オリベッティ社のタイプライター」を
買ってもらったこと。
私はあのときの感動を今でも忘れない。
つまりそれが、今の(パソコン)につながった(?)。

もちろんだからといって、性犯罪者を擁護するつもりは、みじんもない。
ただ欲望が本来的にもつ性質上、それを理性の力でコントロールするのは、
たいへんむずかしいということ。

そのことは、アルコール中毒患者や、喫煙者を見ればわかる。
性犯罪者が犯罪を繰り返す理由は、そんなところにある。

言い換えると、話はずっと教育的になるが、「子どもの条件づけ」には、
注意したほうがよいということ。
一度、脳の中で条件づけ反応ができてしまうと、それがよい条件づけであれば
問題はないが、そうでなければ、問題となりやすい。

分厚い本を見ただけで、ゾクゾクとした感動を覚えれば、すばらしい。
(私も、分厚いマニュアルを手にしただけで、ゾクゾクするので、その気持ちは
よく理解できる。)

ただし私には、ロリコン趣味はない。
マゾ的趣味も、サド的趣味もない。
下着趣味もない。
ないことについては、私のワイフが証人である。

先日もその話になったとき、ワイフもこう言った。
「あなたには、(そういう趣味は)ないわねえ」と。

「正常なスケベ」という言い方が適切かどうかは知らないが、私は自分では
正常なスケベだと思っている。

私にとって、女性が一番美しく見えるのは、30〜35歳前後。
ただ私は若いころから、風呂上りの女性に弱い。
女性の肌に、石鹸のにおいをかいだだけで、今でもムラムラと感じてしまう。

(しかし私のばあい、どこでそのような条件づけができてしまったのだろう・・・?
ひょっとしたら、銭湯の中ではないか。
学生のころ銭湯へ行くたびに、女湯が気になってしかたなかった。
一度でよいから、番台に座ってみたかった。
ときどき番台のほうから裸の女性を見たことがある。
あのときの感動が、条件づけにつながった。
たぶん?)

話が脱線したが、「欲望」というものがどういうものであるか、それを説明してみた。
そして話をぐんと戻すが、結局は「物欲」も、その中のひとつにすぎないということ。

繰り返すが、脳の中で起きている反応は同じ。
区別するほうが、おかしい。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・ということで、試運転はおしまい。
最近書いた原稿の焼き直し版ということになってしまったが、許してほしい。

で、このパソコンの使い勝手だが、よくても悪くても、しばらくはこれを
使うしかないので、あえて評価はしない。

使いにくいところもあるが、しばらく使っていれば、そのうち慣れるだろう。

これは私が説く運命論に似ている。
そこに「運命」があるなら、それは、受け入れるしかない。
それが運命なら、不平、不満を並べても、しかたない。
そんなことをすれば、かえって自分ガー・ミじめになるだけ。
それと同じ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(補記)

ところで先ほど、無料ソフトの、「Star Suit 8」というのを、
無事インストールした。
Ms社のワード(Office)は、買えば、OM版でも、2万円前後もする。
それと同等のソフトが、こうして無料で使えるところが、うれしい。

Google社さん、ありがとう!


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●アルツハイマー病(Alzheimer's disease, as to the case of Mrs. K)

++++++++++++++++

私の近くに、アルツハイマー病では
ないかと思われている人(女性、65歳
くらい)がいる。
名前を、Kさんとしておく。

たびたびその人については、原稿を
書いてきた。
少し前には、一貫性のなさ、連続性の
なさについて書いた。

一貫性のなさというには、会うたびに、
受ける印象が、コロコロと変化することを
いう。
妙に寛大な人だなと思っていると、
つぎに会ったときには、その寛大さが
消えているなど。
時に別人のように事務的で、冷たく
感ずることがある。

こんなことがあった。

「私は、ひとり住まいの老人の家庭訪問
をしています」と、Kさんは言った。
穏やかで、やさしい言い方だった。
ときどきそういう老人を見舞って、様子を
見たり、ときには、使い走りもするという。
私はその女性に、たいへん感動した。

が、つぎに会うと、今度は、こんなことを
言った。

何でもKさんの隣に、今年85歳になる
老人(女性)が住んでいるという。
その女性が、このところ認知症か何かに
なって、少し様子がおかしいという。

その85歳になる女性について、Kさんは、
あれこれ悪口を言い始めた。
「風に乗って、老臭が、伝わってくる」
「窓をあけて掃除するから、ホコリが、
風に乗って、うちの洗濯物に付着してしまう」
「車で近くの店まで連れていってやったが、
車のシートを、小便で汚された」などなど。

そんな話を、立ち話だったが、ワイフに、
1時間あまりも、話す。
話すというより、グチの連続。
(1時間だぞ!)

そこで私が、ワイフに、「どうして1時間も?」
と聞くと、ワイフは、こう話してくれた。

「こまかいことを、一方的に話すからよ」と。

私「Kさんって、あのKさんだろ?」
ワ「そうよ」
私「……信じられない?」
ワ「そう。私も、いい人だと思っていた」と。

しかし事件が重なった。
町内で集めた町会費を、紛失してしまった。
これについては、以前、書いた。
が、夫がそれを指摘すると、パニック状態に
なってしまったという。

ワーワーというより、ギャーギャーと泣き叫ぶ
といったふうだった。
その場にいあわせた知人は、そう言った。

こうした一貫性のなさに併せて、連続性の
なさがある。

たとえば電話で、近所の人たちの苦情を
伝えてくる。
「Bさんがね……」「Bさんがね……」と。
いつものように長々と、1時間あまりも
それを話す。

が、1週間後にまた電話があると、そのことは、
ケロリと忘れている。

ワイフが、「Bさんの、あの話はどうなり
ましたか?」と聞いても、反応がないという。
で、ワイフが、「ほら、近所のBさんの話です」
と促しても、「ああ、Bさん……?」と。

そしてあの事件が起きた。

これについては以前にも書いたが、こういう
ことだ。

Kさんから、ある夜電話がかかってきた。
ワイフに、今度、X町にある、バラ園へいっしょに
行かないかという、誘いの電話だった。

ワイフは、その場で、「X町のバラ園」とメモを
した。

で、電話の終わりごろになって、ワイフが、
「X町のバラ園ですね」と復唱すると、突然、
Kさんが、パニック状態になってしまった。

「私、X町だなんて、言っていません。
X町は、私の実家のある町です。バラ園は
Y町です!」と。

ワ「でも、先ほど、X町と言われましたよ」
K「言っていません。あなたもいやな人ね。
X町とY町を、私がまちがえるはずはありません」
ワ「……でも、私、ちゃんとメモしましたが……」
K「林さん、どうしてそういうウソをつくのです
かア!」と。

電話口の向こうで、ギャーギャーと泣き叫ぶ
声が、私にも聞こえた。

結局、バラ園へいっしょに行くという話は、
そのまま流れてしまった。

私「おそらく、Kさんの夫は、奥さんの異変に
すでに気がついていると思うよ」
ワ「そうね……」
私「当人がアルツハイマー病になるのは、しかた
ないとしても、その過程で、周囲の人たちが、
えらい迷惑をする。それも大きな問題だね」

ワ「そうね。初期のころは、当人ももちろん、
周囲の人たちも、それを隠そうとするから……」
私「まさか、『うちのワイフは、アルツハイマー病
です』と、宣言するというわけにもいかないしね」
ワ「ひょっとしたら、治るかもしれない……。
アルツハイマー病ではないかもしれないという
迷いもある。そんな思いがあると、なかなか人には、
言えないわね」と。

アルツハイマー病にかぎらない。
老人になるのはしかたないとしても、認知症になると、
周囲の人たちは、大きな迷惑をこうむる。

私の知っている人は、裏の住人に、毎晩のように
石を投げられたという。
夜中になると、カラカラと、石が瓦屋根をころがる
音がしたという。

あとでその裏の住人が、何かの認知症になっていたこと
がわかったという。
しかしそれがわからない間は、そうでない。
つまり、石を投げられた人は、毎晩、眠られぬ
夜を過ごした。

……こうした病気は、否応なしに、周囲の
人たちを、巻きこんでいく。
そういう視点からも、こうした病気について
考える必要はあるのではないか。

Kさんのことを思い浮かべながら、今、
私は、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●韓国経済、最前線(Japan-South Korea Econimic War in Front-Line)
South Korea is now on the cliff of crisis, whose economic dondition has been much worse 
and worse.

+++++++++++++++++

韓国の経済状況が、ますます悪化している。
ここまで現実味を帯びてくると、
「国家破綻」という言葉を使うことすら、
気が引ける。

が、私たち日本人の心は、複雑……。

韓国は、つい去年まで、「最悪の
反日国家」と目されていた。

たとえば世界でも最大級の揚陸艦を
建造した。
その名もズバリ、「独島」。
「竹島」の別名である。

ノ大統領から、イ大統領に変わった。
イ大統領は、一応、親日派という
ことになっている。

しかし「?」。

私たち日本人の国民感情としては、
「わかりました」「では私たちも嫌韓感情を
捨てます」というわけにはいかない。

韓国の人たちがもつ反日感情に、
ぞっとした人も多いはず。

だから、私たち日本人の心は、複雑……。

+++++++++++++++++

●破綻は時間の問題

誤解があるといけないから、韓国政府が発表した数字のみを使って、韓国経済の内情をさ
ぐってみたい。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より++++++++++++++++

●10ぶりの高さとなった、物価上昇率。
●11年ぶりの経常赤字。
●非経済活動人口(失業者を含む)は、1532万人(08年、1〜5月)。
●08年6月の消費者物価は、前年度に比較して、5・5%上昇。
●08年5月の輸入物価上昇率は、44・6%。この数字は、98年12月(49%)以
来、28年ぶりの高さ。
●農林水産物の輸入物価は、44・8の上昇。
●一般家庭における家計負債は、過去最高の640兆ウォン(約65兆円)。
●企業投資は、過去7年間で、最悪。08年5月期で、前年度比で、2・5%減少。
●国民総所得(GNI)は、1〜3月期は、0・2%にとどまった。今年の所得指数は、
マイナスに転ずると予想されている(LG研究所)。

+++++++++++++以上、朝鮮N報より++++++++++++++++

この数字の中で、とくに注目すべきは、「一般家庭における家計負債は、過去最高の640
兆ウォン(約65兆円)」という部分。

日本のバブル経済がはじけたときには、銀行が多額の不良債権(=負債)をかかえた。韓
国では、個人が、多額の不良債権をかかえている。その額、約65兆円。日本の人口は、
韓国の人口の約3倍だから、日本の経済規模に換算すると、65x3=195兆円となる。
もうメチャメチャな数字である。

こうした現状の中で、庶民生活にも、大きな影響が出始めている。

朝鮮N報の記事を、そのまま抜粋させてもらう。

+++++++++++++以上下、朝鮮N報より++++++++++++++++

7月4日午後、ソウル広津区江辺テクノマート3階の大型家電売り場を訪れたが、買い物
客は数えるほどで閑散としていた。入居テナントの従業員(38)は「最近は大型家電を
求める客がほとんどおらず、開店休業状態だ」と顔を曇らせた。テクノマート関係者は「消
費心理の冷え込みが深刻で、10か月無利子ローンなど破格のキャンペーンを延長してい
る」と話した。家電量販大手のハイマートも「6月のエアコン販売は前年同期に比べ、3
0%前後落ち込んだ」とため息をついた。

 韓国経済を下支えしてきた電子、自動車など主力産業まで成長が止まり、後退の兆しを
見せている。内需はもちろん、輸出も揺らいでいる。

+++++++++++++以上、朝鮮N報より++++++++++++++++

さらに暗いニュースがつづく。

+++++++++++++以下、朝鮮N報より++++++++++++++++

韓国を代表する企業であるサムスン電子の生活家電は、国内向け販売が1990年代末の
アジア通貨危機以来、はじめて減少に転じている。同社役員は「6月中旬から洗濯機、エ
アコンなど生活家電の国内向け販売量が、前年に比べ20%急減した。7〜9月期も好転
の兆しはなく、販売減に備えた対策を準備している」と話した。

 内需だけではなく家電製品の主要輸出先である米国の状況も思わしくない。サブプライ
ム問題の波紋と原油高で消費が急速に落ち込み、米国での洗濯機販売量は昨年の980万
台から、今年は950万台へと減少する見通しだ。韓国企業の輸出にも、相当の打撃が避
けられない見通しだ。

(中略)

 特に昨年の韓国の自動車輸出で24・6%を占めた主力市場の米国の不振は、底が見え
ない。米自動車市場は2000年に過去最高の1740万台の販売を記録して以降、06
年までは1700万台以上を維持してきたが、今年上期は741万4000台にとどまり、
前年上期(824万8694台)に比べ、10・1%減少した。

(中略)

自動車の国内販売台数も3月をピークに減少に転じた。3月の国内販売台数は11万2
855台だったが、6月は10万6267台に落ち込んだ。


+++++++++++++以上、朝鮮N報より++++++++++++++++

不景気といえば、この日本も、不景気。しかしそれ以上に恐ろしいのが、今、韓国で起り
つつある、「外資の逃避」。経済指標を並べてみる。

●(08年)6月9日から、20日間連続で、証券先物取引所では、売り越しがつづいて
いる。その額、6兆2000億ウォン(約6340億円)。
●韓国株式市場でも、外国人による売り越しが、今年のはじめからだけでも、21億ウォ
ン(約2億1460万円)に達している。

わかりやすく言えば、外国が、韓国を見放し始めているということ。そのため、韓国銀行
がいくら金利(=外資を呼び込むためのエサ)を高くしても、ウォン売りの勢いは止まら
ない。

そこで、再び、「個人負債」。

韓国では、今、貸し金業者が、猛烈な勢いでふえているという。が、驚いていけないのは、
その日本でいう、利息制限法による、法定最高利率。それが、何と、49%! (49%
だぞ!)日本のばあい、「基本的には、元本が10万円未満の場合は年20%、10万以上
100万未満の場合は年18%、100万以上の場合は年15%、延滞の損害金は、この
1・46倍までが認められる」(ウィキペディア百科事典)。

が、貸金業者による実際の平均利率は、72%という(韓国金融監督院)。もちろんヤミ金
融では、上限がない。現在の49%にさげられるまで、韓国では、100%〜200%と
いうのが、常識だった。

(それでも人々は、金を借り、株式投資に走ったが……。)

わかりやすく言えば、元手として1000万円あれば、それを貸し付けることによって、
年、約500万円の利息を手にすることができる。一家がじゅうぶん、生活できる利息で
ある。そのため、韓国では、「猛烈勢いで、貸し金業者がふえている」(朝鮮N報)。その数、
何と、「ソウル市だけで、6373社」(同)。

『消費者金融市場が爆発的に拡大している。長引く不景気により信用が悪化し、銀行から
資金を調達できなくなってしまった人が増えたことで、これら不良債務者をターゲットと
した貸付業者が雨後のたけのこのごとく増えているのだ。

 年俸1億ウォン(約1000万円)以上の証券アナリストが貸付業者の「社長」に変身
するかと思えば、留学経験のあるエリートまでが開業に関心を示す。銀行や保険会社もブ
ランドイメージの低下を懸念しつつ、貸付専門の子会社を設立している』(同)と。

+++++++++++++

ここまで読めば、ぞっとしない人は、いないはず。しかも、韓国政府の発表する経済指標
は、インチキだらけ。たとえば日本の日銀にあたる韓国銀行ですら、借金に借金を重ねて
いる。「通貨安定証券」というのが、それ。あるいは短期外債(=借金)まで、韓国では、
資本収支の中では、「投資」と位置づけている、などなど。

が、問題は、この日本。

韓国の経済構造は、加工貿易。韓国の主力輸出製品である携帯電話にしても、その主要部
品のほとんどは、日本から輸入している。つまり輸出がふえればふえるほど、その分だけ、
対日貿易赤字がふくらむことになる。

言いかえると、韓国経済がコケるようなことにでもなれば、日本の韓国向け輸出業者は、
手痛い被害をこうむることになる。とくに機械産業など。へたをすれば、連鎖倒産という
ことにもなりかねない。

……ということで、日系の銀行各社は、韓国向けの融資をしぶり始めている。(当然である。)
が、これが悪循環となって、さらに韓国から外資が逃げる。さらにウォン安が進む。

私の印象では、どうやら韓国政府は、1ドル=1500ウォンを死守ラインと設定してい
るようである。私のような素人にもそれがわかるところが、恐ろしい。というのも、それ
がわかれば、あとは、外人投資家たちの思うがまま。わかりやすく言えば、(餌食=エジキ)。

1ドルが1400ウォン近くになれば、ウォンを売り、1ドルが1500ウォンを超えそ
うになったら、ウォンを買う。何といっても、韓国政府の保証つき! あとはこれをこま
めに繰りかえしていれば、まちがいなく、億万長者! が、そのたびに、韓国経済は、や
せ細っていく……。

今でも、韓国の大統領が、ノ大統領なら、私はまちがいなく、こう言うだろう。「思い知っ
たか、ノ大統領!」と。しかし今の私の心は、揺れ動く。かつて日本の小泉首相は、こう
言った。

「後悔するのは、韓国のほうだ」と。

それに呼応するかのように、その直後から、日本から台湾への直接投資が、豪雨のように
始まった。台湾に、日本の代理戦争をさせるために、である。韓国と台湾の経済構造は、
たいへんよく似ている。

その(結果)が「今」とみるなら、韓国の心配をするのも、おかしい。しかしこの(流れ)
は、もう変わらない。今すぐ、変えることもできない。ただここで言えることは、現在、
韓国にモノを輸出している企業は、厳戒態勢に入ったほうがよいということ。いつ何時、
売掛金がパーになるか、わからない。くれぐれも、ご注意!
(この原稿は、08年7月8日、早朝に書いたものです。)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●今日(7月X日)のこと

++++++++++++++++++++

今日、言葉クラブで、パソコンを使って、
ワープロの使い方を練習させてみた。

7人に子どもたちに、1台ずつ、パソコンを
貸し与えた。

が、指導をはじめてすぐ、事故、発生!

M君が、ひとつ離れた別の子が使っている
パソコンのキーボードを指でひっかけた。
ふざけて、ガリガリとやった。

T社のダイナブック。
キーが2つ、はじけて、飛んだ。

デスクトップ用のキーボードは、キーが
はずれても、そのまま押し込めば、もとにもどる。
しかしノートパソコンのキーは、作りがちがう。
ヒンジの部分が、もとから折れて、はじけた!

で、私が「ア〜ア」と、嘆き声をあげていると、
別の子どもが、それをまねして、同じように
キーボードをこすった。

とたん、またキーがはじけた。

まさに『猫に小判』。(ゴメン!)
パソコンの価値がまるでわかっていない。
使い方も、まるでわかっていない。

ダイナブックは、古いパソコンだが、現役で使っている。
「ア〜ア」と、また嘆き声。

しかしこうした事故は、子どもの世界では、
日常茶飯事。

昨日も、購入したばかりの鉛筆削りに、小さな
コンパスをつっこんで、壊してしまった子ども(小2)がいた。
ネジ穴が三角形になっていて、修理不能。
ふつうのドライバーでは、開けることもできない。
しかたないので、細い千枚刺しで、中の鉛筆を粉々に割って出した。

その少し前には、椅子に、鉛筆の先で、プツプツと
穴をあけてしまった子どももいた。

椅子は、ビニールシートで覆われている。
それに鉛筆で穴をあけると、プチプチと音がする。
その音を、私の目を盗んで、楽しんでいたらしい。

・・・こういう事故が起こるたびに、
「責任を取ってもらう」とか、「弁償してもらう」
とか、一応、叱ることにしている。
が、いまだかって、責任を取ってもらったことはない。

教室内での事故は、私の責任。
子どもが何をしても、それは私の責任ということになる。

「私の指導のし方が、不十分だったのだ」と。
要するに、『許して、忘れる』。
それしかない。

で、パソコンのレッスンは、1回で、おしまい。
こりごり。
レッスンのあと、そのまま片づけた。

++++++++++++++++++++

●騒々しい朝

我が家の朝は、リスの鳴き声で始まる。
まだ夜も明けやらぬ早朝から、カン、カン……と鳴く。
つづいてカラス、ハト、ヒヨドリ、スズメたち。
ほかに名前のわからない鳥。
ピヨピヨよ、せわしく鳴く。
最近は、トンビまでやってくるようになった。
ピーヒョロロ、と。


●新型パソコン

ほぼ1年に1台は、パソコンを取り替えている。
今は、VISTA・Ultimateマシン。
調子は悪くないが、どこか物足りない。
この世界は、半年ごとに、どんどんと進化していく。

OSは、VISTAでよいとしても、CPUは、
今では、ダブル・コア・デュオが常識。(欲しい!)
メモリーも4GBの時代。
加えて、チップセットも、インテルから「EXPRESS―35」
が発売された。(欲しい!)
さらにグラフィック・ボード。

私はゲーマーではないが、しかしグラフィック・ボードが
高性能だと、たしかにパソコンの動きは、速くなる。

「ボケ防止のためには、必需品だよ」と言うと、
ワイフは、すんなりと同意してくれた。

……というわけで、最近は、M社のHPを毎日のように
ながめている。


●夏前肥満

私は毎年、決まって夏の前に太る。
適正体重は、63キロ前後だが、それがこの時期になると、
68キロになることもある。

そこであわててダイエット。
これも毎年の恒例になっている。

で、私のばあい、食事を減らすと、数日後には、1〜2キロ、減る。
さらに1週間後には、3キロ前後まで、減る。

が、ここからが苦しい。
65キロ前後が、ひとつの壁になっている。
この65キロの壁を破ることが、なかなか、できない。

どうしてだろう?
……ということで、今日も、苦しい戦いが始まる。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●週刊B春(2)
(My personal review on Shu−kan Bunsyu (July 
1oth Editon), one of the leading Japanese weekl
y magazine.)  

+++++++++++++++

出版業界は、目下、真冬状態。
出版社の倒産、書店に閉店、それに
読者離れがつづいている。

こんなことは、もう15年近くも
前から言われていたことだが、この
ところテレビ業界も、雲行きが
あやしくなってきた。

インターネットの登場で、広告収入の
激減。制作費の削減。質の低下。
その悪循環の中で、今では、視聴率が
20%を超えるテレビ番組は、めったに
ないという。

新聞業界も、10年以上も前から、
下降につづく、下降。

……という視点で、もう一度、「週刊
B春(7月10日号)を読み直してみる。

+++++++++++++++

●週刊誌のバラエティ化

週刊B春を一読してまず気がついたこと。週刊誌までもが、バラエティ化している。個
人名の入ったコラムだけでも、15編前後。「あれもあり、これもあり」といった感じ。
ほかに制作費を節約するためか、対談形式の記事が、2編。週刊B春が独自の取材をし
て、記事として書いているのは、「地に堕ちた偽装列島」と、「短期集中連載」と銘打っ
た「日本の飢餓」の、2編だけ。(荒っぽい数え方で、まちがっているかもしれない。)

「父を、恋人の母を惨殺する、恐るべき十代」という記事は、かなり期待はずれ。ひと
ころ昔の低俗週刊誌の記事そのもの。つっこみが甘いというか、事件の表面だけを、さ
っと手でこすっただけの内容。何の参考にもならなかった。

で、あちこちを気が向くまま拾い読みしてみたが、どこか思考が、バラバラになってい
くのを感じた。これは多分に私の脳みその老化によるものかもしれない。(脳梗塞になっ
た、オシム)→(名物の産地を追え)→(日本の飢餓)→(退職金を守る、7つの鉄則)
→……と。若いときのように、脳みその切り替えをするだけで、たいへん。それだけで
疲れてしまう。

コラムは、1作を読んで、おしまい。TK氏の書いた、「国際紛争になってもおかしくな
い」(P75)だけ。しかし読むに耐えないというか、ただの痴話話。一部を紹介しよう。

●矛盾だらけのコラム

『……妻はロクに英語はできないが、腹を立てると英語が話せるから不思議である。わ
たしと妻がイギリスに滞在していたときもそうだった。サイレントピアノを借りに行き、
ピアノの電源アダプターが「ジー」と雑音を立てるのに気づいた。店員は「どれもこう
いう音がするんです」と説明した。わたしが仕方がないかと思っていると、妻が突然、「ノ
ー!!」と叫び、「チェンジ、チェンジ!」と流暢な英語で怒鳴った。
 大声を上げる妻に恐れをなした店員は、新しいものを取り寄せると約束し、数日後、雑
音のないサイレントピアノが届いた。
(中略)
 妻と友人のイギリス旅行の間、妻は毎日のように怒っていたらしい。同行した友人も、「今
日も喧嘩するんだからしっかり食べてね」と励まし、喧嘩のために食事をするようになっ
たという。よく国際紛争にならなかったものだ。(次回へつづく)』(以上、原文のまま)と。

 こういうばあい、英語で、「チェンジ、チェンジ!」と叫べば、相手には、「お釣り、お
釣り!」という意味になるのでは? つまり「お釣りをよこせ、お釣りをよこせ!」と。
正しくは、「イクスチェンジ(=交換)」である。加えて、「チェンジ、チェンジ!」と叫ぶ
ことを、「流暢な英語」とは言わない。私の住む世界では、ヘタクソな英語という。

 気になるのは、「毎日のように怒っていた」という部分。こういう恥さらしなことを平気
でするから、日本人は、いつまでたっても、イギリス人にバカにされる。それにこの部分
を読んだだけでも、話の内容に矛盾がある。

 「ジー」と音を出したのは、電源アダプターである。エッセーの中には、そう書いてあ
る。
 で、「交換?」ということになって、「数日後、雑音のないサイレントピアノが届いた」
とある。

 電源アダプターが「ジー」と音を出したとは、どういうことなのか? 電源アダプター
には、音がでるしくみそのものがない。中身は、小型の変圧器。分解しても、コードやコ
ンデンサーがぎっしりと詰まっているだけ。

 仮に音が出たとしても、電源アダプターなど、いくらでもあるはず。(私の家にも、20
〜30個はあるぞ!)それがどうして、「サイレントピアノの交換」ということにつながる
のか。交換するとしても、電源アダプターの交換だけで、すむはず。

しかもこれはまだ、店でサイレントピアノを借りる前の話である。音が出るなら、その
場で、借りるのをやめればよい。まだ借りてもいないのに、つまり、お金も払っていな
いのに、怒って、「チェンジ、チェンジ!」と叫ぶほうが、どうかしている。

 「店員が恐れをなして……」とあるから、ふつうの怒鳴り方ではなかったらしい。

 が、つぎのところでは、いつの間にか電源アダプターの話はどこかえ消え、「雑音のない
サイレントピアノが届いた」となっている。作者は、お茶のM大学の教授となっている。
たぶん文科系の教授だと思う。理科系の教授なら、こんなお粗末な原稿は、書かない。

 ……ということで、ほかのコラムを読むのは、やめた。読んで不愉快になるくらいなら、
読まないほうがよい。で、最後に一言。だいたい、「国際紛争になってもおかしくない」と
いうタイトルがおかしい(?)。どこかのオバチャンが、ワーワー騒いだくらいで、国際紛
争にはならない。だれもそんなオバチャンなど、相手にしない。

 少し自意識過剰ではないのかな?

 それにしても、週刊B春も、質が堕ちた。しばらく、もう買わない。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(7月9日)

●6か国協議
Mr. C.Hill's another Coup d'etat is now again on the course. We never hesitate to call 
him "Kim Jong-Hill".

++++++++++++++++

朝起きると、パソコンを立ち上げる。
メールに目を通す。
つづいてニュースに目を通す。
それが私の日課になっている。

まず、目についたのが、6か国協議。
明日、7月10日から、6か国協議が
開かれるという。

が、驚いたのは、あのC・ヒル氏が、
それに先だって、K国の金代表と、
核の検証法について、事前協議を行う
という。

??????

日米、もしくは米韓が事前協議を
行うというのなら、まだ話がわかる。
あるいは中朝でもよい。

どうして米朝が、事前協議を行うのか?

つまりここにC・ヒル氏の欺瞞性が潜んでいる。
C・ヒル氏は、この方法で、この日本を、
ことごとく裏切ってきた。
そして今回も、また……?

C・ヒル氏は、K国の利益を代弁する形で、
6か国協議を進めようとしている。
ならば、何のための6か国協議なのか?

拉致問題にしても、K国が約束した「再調査」
については、動きは、まったく、なし!

C・ヒル氏は、いったい、何を考えて
いるのか?
私には、さっぱり、理解できない。

++++++++++++++++

●上下意識

東洋には東洋独特の、上下意識がある。
身分、年齢、職業、続柄、男女、夫婦、親子……など。
あらゆる面に、その上下意識がある。
たとえばこの日本では、たった1〜2歳年上というだけで、親分風を吹かす。
そういう人は多い。

一方、欧米には、それがない。
まったくないとは言わないが、ない人には、まったく、ない。
こういうことを書くと、「そんなこと、ないでしょう?」と反論する人もいるかもしれない。
しかし、ない人には、まったく、ない。

反対に、上下意識のない人には、東洋独特の上下意識が理解できない。
とたえば(教師)と(学生、生徒)の関係においても、そうである。
欧米では、たがいに、ファースト・ネームで呼びあっている。
親子もそうだし、夫婦も、そうだ。
兄弟も、そうである。
だいたい、「兄」「弟」「姉」「妹」の区別をしない。
みな、ブラザー。
みな、シスター。

……なぜ、こんなことを書くか?

あの米朝会議を見ていると、若いC・ヒル国務次官補が、老獪(ろうかい)な金K外務次
官に、よいようにもてあそばれている。
そんな印象をもつ。
言うまでもなく、あのK国では、あらゆる面において、上下意識が徹底している。
政府高官には、すべて順位がつけられている。
国民も、成分(?)に応じて、徹底的に差別されている。
金K外務次官にすれば、C・ヒル氏など、とるに足りない、ただの若造ということになる。

つまり最初から、話しあいにならない。
少なくとも、金K外務次官には、その気はない。
C・ヒル国務次官補を利用しようという気はあるかもしれないが、対等には見ていない。
上下意識というのは、そういうもの。

が、ただの「上下意識」ではない。
人間の価値まで、その上下意識で決まる。
日本人には、それがわかる。
昔から、葵の紋章を見せつけられ、「控えおろう」と一喝されただけで、みな、頭をさげる。
が、アメリカ人のC・ヒル国務次官補には、それがわからない。

尊大に構えて、ニタニタというか、ニヤニヤというか、席にふんぞりかえって座る金K外
務次官。
大きな額をギラギラさせながら、金K外務次官に翻弄(ほんろう)されるC・ヒル国務次
官補。

今回の6か国協議でも、その構図は、何ら変わらないだろう。

ところでこの原稿の英文のタイトルは、「Mr. C.Hill's another Coup d'etat is now again on 
the course. We never hesitate to call him "Kim Jong-Hill"」。

訳すと、「C・ヒル氏の、もう一度のクーデター、進行中。我々は、彼を、『キム・ジョン・
ヒル』と呼ぶことに、何ら躊躇しない」である。
(2008/07/09記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●荷物をもってあげようよ

お母さんが、買い物から帰ってきたよ、ね。
お母さんは、重い荷物をもって いるよね。
そういうとき、君はどうしてる?
だまって見ている?
知らないフリをする?
いけないよね。
そういうときはね、お母さんの荷物を
もってあげようよ。
きっとね、君はね、あとで、胸の中が
スーッとするのを感ずるよ。
ウソじゃないよ。本当だよ。
一度、ためしてみてごらん。
本当に、胸の中が、スーッとするよ。



●将来

10年後の君は、どうなっているかな?
20年後の君は、どうなっているかな?
そんなことを考えると、いろいろ不安になるかもしれないね。
でも、心配、いらないよ。
きのうがあって、今日があるように、
必ず明日があるよ。
そして明日があるように、
10年後の君はいるよ。
20年後の君はいるよ。
だからそんな先のことは心配しないこと。
今できること。今しなければならないこと。
それを一生けんめいに、しようよ。
それでいいんだよ。
明日になれば、明日のことはわかるから、ね。
今日一生けんめいしておけばね、
明日のことが楽しみになるよ。



●自分の力で生きようよ

神様や仏様に祈って、
それで自分の願いをかなえようという人がいるよね。
それぞれの人が、それぞれの思いをもって、
真剣にそう願っているのだから、
ぼくには、何とも言えないけど、
君たちは、自分の力で生きようね。
だれかに助けてもらうとね、
何かを成しとげたとき、
喜びが半分になってしまうよ。
「神様のおかげで、1等賞をとりました」と言うのは、
どこか、さみしいね。
失敗しても、1等賞がとれなくても、
君は君。いいじゃない。
それで……。



●願い事

ぼくもね、実のところ、子どものころ、
よく神様に願いごとをしたよ。
でもね、「原爆の少女、偵子(さだこ)」を
読んでから、考え方が変わったよ。
「ぼくより、ずっと真剣に祈った人がいる」
「ぼくよりずっと、神様の力を必要としている人がいる」って、
そんなふうに考えたら、
もう神様や仏様に向かって、
「〜〜してください」などとは、
祈れなくなってしまった。
そのかわり、
「ぼくよりずっとあなたの力を必要としている人がいる。
もしあなたに力があるなら、ぼくはいいから、
そういう人のために、あなたの力を使ってください」と
思うようになった。つまりね、
それからは、神様や仏様には、
願いごとをしなくなったというわけ。
これはぼくの個人的な意見だよ。
君は君で、考えればいいよ。



●地球

知っているかな。
太陽を直径15センチのボールにたとえるとね、
地球はそこから10メートル離れたところにある、
直径0・5ミリ(1ミリの半分)の大きさの玉なんだよ。
宇宙船で太陽系を飛んでいてもね、
地球に気がつく人はいないかもしれない。
地球はそれほど小さい……?
目の前には、砂丘の砂の数ほどの太陽があるからね。
ぼくは「人間」を考えるとき、
いつもこのことを頭におくよ。
でもね、だからといって、
「人間はつまらない」と言っているのではないよ。
誤解しないでね。
ときどき、そういうふうに、
ものごとは宇宙からみた視点でかんがえるといいということ。
そうするとね、人間のことがよくわかるよ。



●時の流れ

時の流れは風のようなものだよ。
どこからともなく吹いてきて、
またどこかへ去っていく。
つかもうとしても、つかめないよ。
そしてね、
風は時に強く、
また時に弱く、止まるときもあるよ。
そういうときはね、
また風が吹き始めるのを待つんだよ。
あせってもしかたないもん、ね。
時の流れは、そういうものだよ。



●友だち

無理して、みんなと仲よくしようなどと、
思わなくてもいいんだよ。
英語のことわざにもね、
「二人の人に、同時によい顔はできない」
というのがあるよ。
気楽にいこうよ。
気楽に考えようよ。
無理して、いい子ぶることはないよ。
そんなことをしていると、
疲れるもんね。
でもね、一つだけ、お願いがあるんだ。
それはね、君のまわりに、
友だちがいなくて、
さみしそうにしている人はいないかな?
もし、いたらね、その人とは
仲よくしてあげてね。
「こんにちは」とか、「遊ぼうよ」と
声をかけてみてあげてね。
それはとっても、大切なことだよ。
それは、とっても楽しいことだよ。
このお願いだけ聞いてくれるなら、
あとは、無理しなくてもいいよ。



●男と女

「男だから」とか、「女だから」とかいう言葉は、
まちがっているよ。
「男のくせに」とか、「女のくせに」とかいう言葉も、
まちがっているよ。
そんなふうに考えている人がいたら、
「それはおかしい」と、言ってあげよう。
これからは、もう、そういう時代ではないよ。



●チャレンジ精神

何にでも、チャレンジしていこうよ。
それでいい。結果はあとからついてくる。
ついてこないかもしれない。
気にすることはないよ。
まず、チャレンジ。
それでいい。



●相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガー・ミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?


●家族

家族を大切に、ね。
家族は、一緒に住むんだよ。
家族は、みんな、助け合うよ。
家族は、守りあうんだよ。
あのね、幸せは、ね。
そんなに遠くにあるんじゃ、ないよ。
君のそばにあって、
君に、見つけてもらうのを、息をひそめて、
そっと待っているんだよ。
君の、すぐそば、でね。
ほら、知っているかな?
ボームという人が書いた、
「オズの魔法使い」さ。
あの中でね、ドロシーという女の子と、
トトという犬が、虹の向こうにあるという
幸せを求めて、旅をするだろ。
そしてエメラルド・タウンをめざすんだ。
しかし、ね。
本当の幸せは、カンザスのいなかの、
自分の家の中にあることを
知るんだよ。
幸せっていうのは、
そういうもの。
わかった?
わかったら、家族を
大切にしようね。



●偉い人

偉い人なんて、いないよ。
人間は、皆、平等だよ。
でもね、尊敬できる人はいるよ。
地位や、肩書きには関係なく、ね。
君のすぐそばにいるよ。
そういう人をさがしてみてごらん。
君だけが知っている、
君が尊敬できる人だよ。
必ず、君のすぐそばにいるよ。



●仕事

人間に上下はないよ。
仕事にも上下はないよ。
君がしたい仕事。
君がしなければならない仕事。
君ができる仕事。
それをさがせばいい。
そして、ね。
一度それを見つけたら、
それを一生かかってするんだよ。
人が何と言おうが、
気にすることはない。
気にしてはだめだ。
君は君の道を信じて、
まっすぐ前に
進めばいい。



●勉強部屋

勉強はね、一番したいところですればいい。
勉強部屋の机に向かってするなんて、
だれが決めたのかな?
そんなルールはないよ。
オーストラリアのぼくの友人は、
いつもベッドにねそべって、勉強していたよ。
そのほうが、よく考えられるからだって、さ。
つまりね、勉強には「形」はないの。
わかる?
だからしたいところで、したいようにすればいいんだよ。



●消しゴム

ぼくは、よく「消しゴムは使わないほうがいい」と言うだろ。
それはね、まず、君たちに、
考えてから書く習慣を、身につけてほしいからだよ。
消しゴムと仲よしになるとね、
書いてから考えるようになるよ。
そうするとね、考えがまとまらなくなる。
それだけではないんだよ。
消しゴムと仲よしになるとね、
時間がうんと、ムダになるよ。
消しゴムばかり使っていてね。
まちがえたら、一本、線を引いて、
それで消したことにすればいい。
それにね、
消せばなおるという人生観、
いやだね。
人生というのは、
一度過ごしたら、
消せないんだよ。
だから、「いつか消そう」などというふうに、
思って生きてはいけないよ。
「いつか消せる」と思っても、
いけないのだよ。
いつも真剣勝負だよ。
だから、消しゴムとは、
仲よしにならないほうが、いいよ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子の盗癖(Stealing)

+++++++++++++++

兵庫県K市に住んでいる、
KNさんという母親から、
こんな相談が届いている。

+++++++++++++++

【KNさんより、はやし浩司へ】

HPを読ませていただきメールを書きました。

今日相談させていただくのは中2になる息子のことです。この2月に4年間の海外転勤か
ら帰国し、日本の公立中学に通っています。部活動に入り頑張っているのですが、なかな
か新しい生活に、溶け込めないでいるようです。

その息子が朝、試合に出かけた後、主人の財布がなくなっていたのに気がつき、部屋を探
したらクローゼットから財布と共に、主人のいろいろな電化製品が出てきました。

実はこれが最初ではなく5月中旬に、やはりI・potを買うため家族の財布からお金を抜き
取り購入していました。この時は本人と話をし、金額が3万円と高価なため、私がお店に
出向き、親の知らぬところで買った旨を伝え、返品をさせていただきました。

そしてつい先週、やはり隠していた主人の財布からお金を抜き取り、サッカーシューズを、
黙って購入したのが発覚したばかりです。

そして今日、これを見つけ本当にどうしたらよいのか、このまま家族の中だけで済まなく
なり、お店のものを盗むようになったらどうしようか不安でなりません。

本人に注意をした時はもうしないというのですが、サッカーシューズの件以来、またやる
のではないかと私は感じていました。

なぜなら本人は悪いことをしていると意識があまりないように感じたからです。貯金から
かえせばいい、家族のお金、はっきりは言いませんがそのような受け取り方をしているよ
うです。

子供には買うことを禁止しているわけではありません。ほしいと言った時には意見を聞い
ていますが、高いものを欲しがるので、相応なものを提案しています。でも多分それでは
不満なのでこういう行動にでてしまったのでしょう。

そのつどどうしたらわかってもらえるかときつく叱ったり、じっくり話しあったりしてみ
ましたが効果はありません。いま試合に行っていますが帰ってきたらどう話を切り出した
らよいか……。自分が何を言い出してしまうかわからないのです。

突然メールをだし、ずうずうしいことは承知です。
ですがどうかお返事をいただけますようお願いいたします。

【はやし浩司よりKNさんへ】

かなり物欲の強い子どもですね。

最近の研究によれば、(「サイエンス」誌、Kロートワイラー・オゼッリほか)、物欲の「根」
は、私たちが考えているより、はるかに深いことがわかってきました。

たとえばそこに(新しいモノ)があると、最初の信号は、脳の中心部にある視床下部とい
うところに送られます。その信号を受けた視床下部は、ドーパミンという、快楽追求行動
を調整している神経伝達物質を放出します。これが脳の中の線条体を刺激します。

この反応メカニズムは、アルコール中毒患者が、酒の臭いをかいだり、酒のコマーシャル
を見たときと同じと考えられています。喫煙者が、タバコをやめられないのも、そのひと
つです。

つまり本人でも、どうにもならない問題と、まず考えてください。もし説教でなおるよう
な問題であれば、この世界には、アルコール中毒患者も、喫煙者もいないということにな
ります。KNさんのお子さんについていえば、(そのモノ)を見たとたん、猛烈な物欲が働
き、自分でもコントロールできない状態になると考えてください。

(そもそもそうした物欲を高めてしまったのは、家庭教育の失敗とみます。幼いころ、物
欲をうまく利用しながら、子どもをしつけてきたという経緯があるはずです。「これを買っ
てあげるから、勉強しようね」とか、など。)

その猛烈な物欲が、KNさんのお子さんを裏から操っている……。それが盗癖とつながっ
ています。(ふつうの盗癖とちがうところは、盗むこと自体には、快感を覚えていないとい
うことです。)

性格的にもかなりわがままで、自分勝手かもしれません。俗にいう、「ドラ息子症候群」が
ほかにあれば、それも疑ってみてください。

ではどうするか?

こうしたケースでは、子どもを叱っても、あるいは説教しても、あまり(=ほとんど)意
味はありません。先にも書いたように、子ども自身も、自分でどうしたらよいか、わかっ
ていないからです。

そこで親がとるべき方法は、ただひとつ。
管理を強化するということです。徹底した管理をします。

(2)子どもの目の届くところに、お金を置かない。
(3)サイフ、バッグの置き場所に注意する。
(4)大金を持ち歩かない。

夜の睡眠中も、お金の入ったバッグ類は、手元に置きます。またそういう習慣を確立しま
す。夫の協力も、不可欠です。メールを読ませていただいた範囲では、KNさんの家庭は、
裕福ということもあり、お金の管理が、かなりルーズな感じがします。サイフのお金は、
特別なことがないかぎり、3000円までとか、あるいは、それ以下にします。

またもうひとつ気になるのは、「私がお店に出向き、親の知らぬところで買った旨を伝え、
返品をさせていただきました」という部分です。

子どもの名誉、プライドをどのように考えていますか?
店の人が受ける迷惑を、どのように考えていますか?

あなた自身が、甘いというか、依存性が強いというか、あるいはあなたの子ども自身を、
私物化している(ゴメン!)。自分が盗まれるかもしれないようなところに、3万円もの大
金を置いておきながら、それが盗まれたからといって、大騒ぎする。

では、どうするか?

まず、あなた自身が、おとなになることです。同時に、あなたの子どもを、(子ども)では
なく、(1人の人間)として認めることです。そして友として、あなたの子どものした行為
については、あなたも共同責任を負います。あなた自身が、子どもと同じレベルになって
しまっているのが、たいへん気になります。

店に行って、3万円を取り返した段階で、すでにKNさんと、子どもの信頼関係は、崩壊
しているとみます。はっきり言えば、あなたはしてはいけないことを、してしまった。相
手が幼児ならともかくも、中学生ですよ! (あるいはそれ以前から、破壊されていると
考えてもよいでしょう。)で、こういうときは、(子どもを責める)のではなく、(そういう
スキを与えた自分)、さらには、(そういう子どもにした自分)を、もっと反省してくださ
い。一方的に子どもだけを責めるのは、あなたの身勝手というものです。

あなたにはつらいことかもしれませんが、あなたがすべきことは、ただひとつ。『許して、
忘れる』です。

これについては原稿を書いてきましたので、「はやし浩司 許して忘れる」で、検索してみ
てください。いくつかの原稿がヒットできるはずです。

今からでも遅くないなどという気休めは言いたくありません。むしろ、私が言いたいのは、
その逆です。

こうした問題には、かならず二番底、三番底があります。「今が最悪」などと思ってはいけ
ません。すでにあなたの子どもは、常習的に万引きをしていると考えてください。今の状
態をこじらせば、さらにそれがエスカレートする可能性があります。非行、夜遊び、家出、
不登校……、さらには家庭内暴力と、それが進んでしまう可能性もあります。

ですから、何としても、今の状況を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処してく
ださい。はげしく叱ったり、説教すればするほど、逆効果ということです。先にも書いた
ように、病的な(?)盗癖であれば、なおさらです。

とくに現在、あなたの子どもは、思春期の真っ最中。そうでなくても、心の中では、もろ
もろの欲望がウズを巻いています。そのウズは、あなた自身の力では、どうにもならない
ものです。もちろん子ども自身も、それをもてあましている。

盗癖は、あくまでも症状のひとつです。インフルエンザにかかった子どもの、「熱」のよう
なものです。熱だけをおさえたところで、インフルエンザが治るということではありませ
ん。

きびしいことを書きましたが、メールを読んだ範囲では、「今が序の口」と感じました。へ
たをすれば悪循環が悪循環を呼び、さらにKNさんのお子さんは、深くて暗い袋小路に入
ってしまうでしょう。

親のサイフからお金を盗んだことを叱るのではなく、(というのも、そんなことはだれでも
していることですから……。私も中学生のとき、しましたよ!)、まだまじめに(?)学校
へ行き、試合に出ている息子さんを、喜びなさい。感謝しなさい。

またそのうち万引きも発覚するでしょうが、それも覚悟しておくことです。そのときはそ
のときで、友として、堂々と、相手の方と接してください。(というのも、万引きにしても、
この時期の子どもにとっては、熱病のようなものですから)。子ども自身に責任を取らせれ
ばよいのです。子離れを今のうちにしっかりとしておきます。そしてそのときの自分の態
度を、シミュレートしておきます。

「自分でしたことは、自分で責任を取りなさい!」「私は知りません!」と。

それが今のあなたの取るべき、態度です。(まちがっても、相手の人に許しを乞うたりして
はいけませんよ!)

以上ですが、何かの参考になればうれしいです。
メール、ありがとうございました。

なおこの原稿は、HPに収録しますが、どうかお許しください。
不都合な点があれば、至急、お知らせください。書き改めます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子どもの盗癖 盗み 盗み
グセ 盗み癖 万引き 物欲論)

【KNさんより、はやし浩司へ】

> はやしさま

> お忙しい中、早急にお返事いただいていながら遅くなり申し訳ありません。
> 今後の向き合い方・不安などいろいろなものが頭を駆け巡り手つかずの状態になってし
まいました。
> メールの転載の件ですがお使いください。
> お答えいただいた内容が、同じように悩んでいらっしゃる方に少しでもお役にたてれば
と思います。
> と書きながらも、私はまだ確固たる信念・方針は何も決まっていません。
> お返事をいただいてから昨日までどうしたらよいのか考え悩みとにかく苦しい毎日です。 

> 夕べくらいから少し長期戦になる心構えができてきたくらいです。
> 前回のメールはとにかくどうしたらよいか気ばかり焦り、バーっと書いてしまいました。 

> もう少し息子についてくわしく書かせてください。

> 小さい頃より転勤が多くだいたい1〜3年おきに日本国内を住んできました。
> 小学校の中学年になると引っ越すときには嫌がっていたのを覚えています。
> また、転校先では口には出しませんがそれなりのストレスはあったようで、
> 仲間として認めてもらい自分らしく振る舞えるようになるのに4ヶ月くらいかかってい
たと思います。
> 5年生の時にフランスに転勤になり、インターナショナルスクールに転校となったので
すがこの頃までは物欲等がなく、
> みんながゲームを買っていても強くほしがることもなくたまに友達とするくらいでした。 

> 私自身も必要以上のもの・年相応と思えないもは、簡単には買い与えてきませんでした。 

> 物に対する執着はほとんどないといってもよいくらいでした。
> フランスに移ってからは、中学1年生くらいまでは海外の友達もでき楽しく学校に通っ
ていました。 

> ただ、生活面では中学2年のころから甘いものに執着を示しだし自分で買って食べるよ
うになりました。

> 同時に物に対する欲の始まりだったように思えます。
> 思春期を迎え少し経った頃から変わってきたと思います。
> 今思えば1年くらい前から兆候があったのかもしれません。
> 住んでいた国も多少影響があったかもしれません。

> フランスという国は管理されていないものは自分のものされてしまいます。
> 要するにしまっていなければ自分が取っても良いという意識なのです。
> もちろんみなではないとも思いますがほとんどの人はそう思っているでしょう。
> 主人の会社でも、パソコンを持って帰るのを忘れたら次の日には無くなっていたとか、
> 学校の図書室で調べ物をしている間に電子辞書が無くなっていたり,
> 娘が学校で iPot を置き忘れ、2分後にすぐに取りに行ったけれど
> なくなって見つからなかったなど。
> そんな環境で人の物に対する常識が少しずれてきていたのかもしれません 。
> (ほかの日本人みんなが感化されるわけではありませんから個人の問題ですが。)

> そして、今回の帰国に関しては、今までの中で一番厳しいようです。
> 年頃のせいかなかなか仲間に認められるのが大変なようで
> 仲良くなれてきたなと思っていた友達から急に、「お前なんかフランスに帰れ」と言わ
れたり
> 二人の時は普通に話しても何人かが集まると仲間外れされ始め、なかなか難しいようで
した。
> 心の支えとしていたサッカーもコーチとそりが合わないようではずされてしまいました。 

> 最近イライラしているのがよくわかります。
> > 
> 今書いたことが今回のことの原因とは思ってはいません。
> 考慮はしながら切り離して考えていこうと思っています。
> というのはアドバイスいただいたように本人にもどうにもならない物欲でコントロール
できない状態でもあるからです。

> 注意したそのときは理解しているし反省もしているけれどすぐ忘れて私物化してしまい
ます。 
> この先エスカレートしたらどうやって対処していけばよいのか、いつか治るのか、本当
に不安だらけです。
> もしかしたら大したことではない はしか のようなもの。
> もしかしたら警察沙汰になるようなもの。
> 頭の中がぐるぐる回ってしまいます。

> 「許して忘れる」それで快方に向かうのでしょうか。
> 私たち夫婦もお金の管理が甘かったことを反省し今は徹底して目の届くところにはおか
ないようにしています。
> 物については持ち歩くことができないので見つけたつど
> 「これ、私のだよね。使いたいときには一応貸してって言おうね。使ってもいいから」 

> となるべくさりげなく言葉をかけるようにしています。

> また、前回のメールで ipot を返品した件。言い訳がましいですが、
> ipot を返品したのはレシートから発覚したものでまだ買った時の袋も開けていない状
態です。
> それでもお店の方に迷惑をおかけしたことには変わりはありませんが。
> 見つけた段階で、私はどういう行動をとっていたらよかったのでしょうか。
> 一緒に返品することは息子のプライドが傷つくと思い私が行きました。
> 本人が行くべきだったのでしょうか。

> とても恐ろしいし頑張っていけるか自信はなく今まで落ち込んできましたが、
> これからが二番底、三番底と続くのなら落ち込んではいられないので覚悟をきめなけれ
ばいけないですね。
> 自分の子供なんだからしっかりしなくては。
> また、ご相談をさせていただくことがあるかもしれません。

> その折はよろしくお願いいたします。
> はやしさんにアドバイスをいただいていなければ、もっと自分を追い込んでいたと思い
ます。
> 心より感謝をいたしております。
> ありがとうございました

【はやし浩司より、KNさんへ】

おはようございます。
 
メールありがとうございました。
 
「KN様」というのが、ご本名であることを知り
うれしく思いました。送信者名から、わかりました。
(ほとんどの方は、偽名で相談においでになります。)
 
もちろんお名前が外に漏れるということは、
ぜったいにありませんので、ご安心ください。
 
原稿として残すときは、内容をすべて改変します。
メールもしばらくしたあと、削除しています。
 
またご事情を詳しく話してくださり、感謝しています。
よい勉強になりました。
 
基本的には、前回、書いたとおりですが、
神経症としての盗癖と考えてください。
お子さんは、そういう形で、(親から見れば心配
ですが)、自分の心を懸命に支えようとしています。
幼児のおねしょと同じように考えてやってください。
 
ものを所有することで、脳内にモルヒネ様の物質
(エンドロフィン、エンケファリン)を充満させます。
 
それはとても心地よいものです。
対処の仕方さえ誤らなければ、一過性のもので終わります。
習慣化すると、ずっと先まで残ります。
 
家庭の中では、心の開放を大切に、のんびりと
させてやるのがコツです。
 
では、今朝はこれで失礼します。

なお「フランスの事情」は、たいへん興味深く読ませていただきました。
私も思い当たることが、いくつかあります。

また先日、アメリカで研究生活を送っている、HTさん(女性、50歳くらい)
もこう言っていました。

「研究室に新しい機械が入っても、その使い方は、だれも教えて
くれない」とです。
「使い方を知りたかったら、自分で勉強しろ」という姿勢なのですね。
「冷たい」というか、向こうでは、弱肉強食的な人間関係が固定化している
ため、そういうことが起きるのだと、話してくれました。
 
はやし浩司
 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(7月5日)(July 5th)

●ハンド・トップ・パソコン

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今、ミニ・パソコンがおもしろい!
手のひらに載るような、小さなパソコンである。
言うなれば、「ハンド・トップ・パソコン」。

10年前にも、この種のミニ・パソコンは、あるにはあった。
私が買ったのは、TOSHIBAの「SS・3100」。
しかし値段が高かった。
当時、24万円くらいしたように記憶している。

が、台湾製の「イー・PC」で、火が付いた。
つづいて、HP社が、出した(6月下旬発売)。
今度は、MSI社が出した(7月5日発売)。

現在日本にも、KOHJINSHAという
会社がある。
職人的な技術が光る、すぐれたパソコンを出している。
しかし今度は、台湾製で、火が付いた。

KOHJINSHAをのぞいて、どれも、
値段は5〜7万円。
KOHJINSHAので、同程度のものが、
10万円前後。

一方、日本のメーカーのパソコンは、高い。
F社でも出しているが、20万円前後。
「どうしてこんなに値段がちがうのか?」と
思えるほど、高い!

私はMSI社のミニ・パソコンをねらっているが、
今のところ品薄。
発売と同時に、売り切れ状態がつづいている。

がんばれ、日本!
このままでは、日本製は、沈没してしまうぞ!

+++++++++++++++

●またまた6か国協議?
(What is the 6-nation conference for? Mr. C. Hill has already destroyed the basic scheme 
of the conference. The tragedy is that we, the Japanese, have no choice but to follow him 
whatever he is and whatever he does for North Korea.)

+++++++++++++++

まわりの人たちが、見るに見かねて
助けを出している。
見るに見かねて、だ。
にもかかわらず、当の本人は、それを拒否する。
拒否するばかりか、逆に、まわりの人たちを
ののしる。
「オレたちと、もっと仲よくしろ!」と。
仲よくしたいから、助けを出している。
が、当の本人には、それも理解できない。
つまり言うことなすこと、メチャメチャ!
今のK国を見ていると、そんな感じがする。

+++++++++++++++

●いじけた心

7月5日の読売新聞に、こんな記事が載っていた。

『……韓国とK国は首脳会談合意を受け、今年2月の実務接触で、南北各300人ずつ、
計600人の合同応援団派遣で一致していた。

 論評は李政権の融和政策見直しにより、「今年上半期に予定された南北首相会談など20
件以上の南北対話と協力事業がすべて破たんした」と非難。その上で、合同応援団派遣も
「実現できなくなった」と指摘した』(読売新聞・7月5日)と。

何も、好き好んで、韓国は、合同応援団を派遣したい
というわけでも、なさそうだ。
見るに見かねて、つまり何とか外の空気を
吸わせてあげたいと思って、そうしてきた(?)。
今までも、渡航費用は、韓国もち。
応援団が身につけるユニフォームも、韓国もち。

ところで、同じく今日、こんなニュースもあった。

たとえて言うなら、隣に住んでいる暴力団の男が、
こう言っているようなもの。
「ピストルを半分捨ててやったから、光熱費を
もっとよこせ」と。

「捨ててやった」と騒ぐところが、恐ろしい!

読売新聞の記事から抜粋する。

『……「われわれ(=K国)の核施設無能力化は現在80%以上進捗(しんちょく)し、
正確で完全な核申告書を提出、合意事項を履行した」「実験用原子炉の無力化を超越した冷
却塔爆破措置まで行った」と、自らの正当性を主張。一方で「5者(他5カ国)の経済保
証義務は40%しか履行されていない」と、「行動対行動」の原則に反すると指摘した』(読
売新聞・5月7日)と。

何をもって「80%」といい、何をもって「40%」
というのか?
こういうあいまいな数字をもちだすところが、実に
K国らしい。
が、それはともかくも、核兵器で周辺の国々を脅かし
ながら、「援助が少ない」とは?

……という話なら、だれにでもできる。
だれもが「おかしい」と思っている。
「へん」と思っている。

で、ここでは、話を先に進める。
つまり、どうしてこうまで常識ハズレの国が、
現実に存在するかということ。

言い方をかえるなら、どうしてK国は、こうまで
常識ハズレな国になってしまったかということ。

あるいは、私たちがもっている(常識)のほうが、
おかしいのか?

その問題を解くカギは、(貧困)にある。
というのも、貧困が長くつづくと、人の心までゆがむ。
心まで貧しくなる。

「貧困による公害」という言葉さえある。
「公害」というのは、良識の範囲を超えた「害」ということ。
個々の貧困が集合されると、公害的な要素をもつようになる。
昔、大学の講義で、耳にした言葉である。

たとえばある脱北者は、韓国でこう証言している。
「子どもを誘拐して殺し、その子どもの肉を店で
売っている人がいた」と。

何ともおぞましい話だが、食べ物に困ると、
人は、そこまでするようになる。
が、問題は、その先。

では、私たちは、だいじょうぶなのか?
つまり日本が、現在のK国の国のようになったとき、
「私たちは、そういうことはしない」と、
本当に断言できるか?

答は、「ノー」。
私自身も、その自信はない。
子どもを誘拐して殺す……ということまではしないにしても、
生きるために、泥棒くらいは、するかもしれない。
つまりそういう(心の貧しさ)が集合されて、
その国の(姿)をつくる。

それが現在のK国ということになる。
つまり私たちがもっている(常識)で、現在のK国を
理解しようとしても、無理ということ。
言いかえると、K国を理解するためには、
一度、K国という、つまりは(貧困の集合された国)に、
視点を置いてみる必要がある。

たとえばこんな例で考えてみよう。

あなたの父親は、経済感覚がなく、何をしても
失敗ばかり。
おかげで借金だらけ。
おまけに女性にだらしなく、家の中はゴタゴタつづき。

あなたやあなたの兄弟たちは、食べるものもなく、
学校へ払う給食費さえ、手元にない。
電話はもちろん、電気も止められ、車はあるが、ポンコツ。
ガソリン代が払えないから、道端でほこりをかぶっている……。

そんなとき、隣の家を見ると、こうこうと明かりが灯り、
みなが娘の誕生日パーティをしている。
豪華な料理に、山のようなプレゼント……。
ガレージには、高級車が何台も並んでいる。

それを見たあなたは、嫉妬とも、怒りとも
区別のつかない感情が、メラメラとわき起こってくるのを感ずる。
そこであなたは、あなたの父親を責めることを忘れ、
あなたの隣人に向かって、こう叫ぶ。

「お前たちが、富をひとり占めするから、オレたちは
こんなに貧しいのだ」と。

もちろんそう考えるのは、その人の身勝手。
それはわかる。
わかるが、その(常識)を超えたところに、あなたの、
つまり現在のK国の(常識)がある。
(だからといって、K国を擁護しているわけではない。)

では、どうするか?
私たちはK国をどう考えたらよいのか。
K国とどうつきあったらよいのか。

答は簡単。
あの国を、かろうじて支えているのは、恐怖政治。
その恐怖政治で、(形)を保っている。
外部との通信を遮断し、国に反抗する人たちは、
ことごとく政治犯として、収容所送り。
つまり体制そのものが、異常。

「つぶせ!」とまでは言えないにしても、そういう
体制の維持に、手を貸すことだけはしてはいけない。
いわんや、こちらから助けを申し出ることはない。

が、現在、6か国協議という協議は、名前だけ。
すでに形骸化している。
実質、米朝会談の、追認会議でしかない。
あるいは、ただの「K国援助会議」。

しかし、だ。
どうして、あんな国を、援助しなければならないのか。
拉致問題があろうとなかろうと、そんなことは
関係ない。
(拉致問題があるから、なおさらだが……。)

それを、「日本だけが取り残される」とか、
「日米韓は、ワンボイスでなければならない」とか。
どこかトンチンカンな意見ばかり。

取り残されて困るのは、K国ではないのか。
仲間ハズレにされて困るのは、K国ではないのか。
何もあんな国にビクビクしながら、ワンボイスに
する必要はない。

ところで話がそれるが、このところ、韓国経済が、おかしい。
先週は、イ大統領が、韓国経済が危機的状況に
あることを国民に伝えた。
「これは脅しではない」と。

そして先週末、ウォンを買い支えるため、韓国政府は、
「爆弾的な」(朝鮮N報)為替介入を試みた。
取り引き終了まぎわになって、ドル売り、ウォン買いの
まさに爆弾的な為替介入。
そのおかげで(?)、1ドル=1050を超えた
ウォンが、1ドル=1045ウォンにまで、ウォン高
になった。(韓国では、「ウォン安」と表現する)

しかしこんな状況は、長くはつづかない。
韓国経済が破綻するのは、時間の問題。
ゆいいつの助けは、造船業ということになる。
しかしそれだけで韓国経済を支えるのは、むずかしい。

つまり朝鮮半島は、この先、ますます混沌としてくる。
今すぐどうこうということはないにしても、
日本は、その準備だけはしておかねばならない。
韓国が2回目のデフォルト(債務不履行=国家破綻)に
陥れば、日本の韓国向けの輸出業者は、手痛い損害を
こうむることになる。
その救済措置も考えておかねばならない。
(韓国の救済措置ではなく、日本の輸出業者の、だ。
誤解のないように!)

この際、日本は日本のことだけを最優先に考えればよい。
朝鮮半島で何が起ころうとも、日本には関係ないこと。
責任もない。

本来なら、「隣人のために……」と、ここできれいごとを
並べるべきかもしれないが、しかし今の私は、
とても、そういう気にはなれない。

で、話を戻す。

ことK国について言えば、そういう国だから、
相手にしないのが、いちばん、よい。
仮に相手が殴りかかってきたとしても、ニッコリと笑いながら、
やんわりと、それをかわせばよい。
少なくとも、日本が本気で相手にしなければならないような
相手ではない。
その経済力にしても、アフリカの最貧国と並ぶ、最貧国。
経済力は、日本の地方の、一県あたりほどもない。

ただし拉致問題は、別。
そのため「人権問題」だけを最前面に出し、人権問題だけで
K国を攻める。
攻めて攻めて、攻めまくる。

(私は、当初から「制裁」に、賛成したことは一度もない。
「制裁しなければならないような国ではない」とは書いてきた。
残念なのは、拉致被害者の人たちが、率先して、「制裁」という
言葉を使ったこと。
その言葉を使ったことにより、拉致問題が、人権問題から
政治問題に置きかえられてしまった。
少なくとも世界の人たちはそう見ている。
「あの人たちは、政治活動をしている」と。
制裁するかどうかは、結果として、国際世論が決めること。)

その結果、K国は、自己崩壊するだろうが、
それも日本の知ったことではない。
この世界には、「自業自得」という言葉がある。
自己崩壊したところで、「国」や「民」がなくなるわけではない。
それが結局は、K国の民衆のためにもなる。
核開発問題も、それで解決できる。

この私の主張は、この3年間、まったく変わっていない。
が、もし私のこの意見を過激と思う人がいるなら、
一度でよいから、東京のど真ん中で核爆弾が炸裂する様子を
頭の中で思い描いてみることだ。

また韓国については、イ大統領になったからといって、
親日国家になったというわけではない。
あのノ前大統領時代の反日姿勢を思い出すなら、
しばらくは静観したほうがよい。
韓国は今でも、日本にとって、たいへん危険な国であることには、
ちがいない。

……しかし、それにしても、オメデタイのが、あの
C・ライス氏と、C・ヒル氏。
結局、この2年間で、アメリカがしたことは、K国に
金と原油とお金と時間、プラス、音楽を与えただけ。

反対に、アメリカが受け取ったものは、ゼロ。
ゼロであるばかりか、あの独裁者を延命させただけ。
その間、K国の民衆を、より苦しめただけ。
日米関係の破壊という、おまけまでつけて……!

私はあのC・ヒル氏を見ていて、あるとき、こう感じたことがある。
「3年B組の金八先生、そっくり」と。

独善的な教育論。
それをぶらさげて、生徒の家にあがりこむ。
「私が、この家庭の問題を解決してみせる」と。
そして最後は、父親と酒まで飲み交わす。
夜の道路を、みんなで歌を歌いながら、歩く。
しかし、そんなことをしても、何も問題は解決しない。

相手がワルすぎる。
心理学的にみても、あれほどまでのワルが、「ここで
心を入れ替えて……」ということは、ありえない。
もともと若い国務次官補の手に負えるような相手ではない。
その上、アジアのことが、まるでわかっていない。
言うなれば、ド素人。
そのド素人が、K国の手玉に取られて、いいように、
もてあそばれているだけ。

もっと言えば、C・ヒル氏らのしたことは、
かつてのソ連、中国、韓国、アメリカ、そしてこの日本がした
失敗を、繰りかえしているだけ。

この7月10日に、6か国協議が開かれるというが、
いったい、何をどう話しあうつもりなのか。

すでにK国は、「実際にテロ国家指定解除がなされるまで、
何もしない」と宣言している(7月5日)。
一方、パキスタンのカーン博士は、「K国に、高性能の
ウラン遠心分離器を渡した」と認めた※(7月5日)。

「何のための6か国協議?」と。「?」マークをつけたところで、
この話は、おしまい。
(この原稿は、08年7月5日の夜に、書いたものです。)

(注※)韓国中央N報は、つぎのように伝える(7月5日)。

『 カーン博士はこの日、AP通信とのインタビューで、「P1型遠心分離機や流量計サンプ
ルなどを北朝鮮に提供した」とし「この機械は00年夏に北朝鮮の飛行機便で運ばれ、当
時パキスタン軍当局が積載を監視した」と明らかにした』と。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●経穴(ツボ)(Acupoints)

+++++++++++++++

私は、若いとき、『東洋医学・経穴編』(学研)
という本を書いた。
「本」というよりは、「辞典」に近い。

しかしその本を書くのに、私は7年も、費やして
しまった。
(7年だぞ!)

毎日が、「書くのをやめようか」「しかしここで
やめたら、今までの努力が、水泡に帰す」の
繰りかえし。
が、7年もかかったのには、別の理由がある。

当初私は、中国式の取穴法で本をまとめていた。
日本には、さしたる文献も資料もなく、それで
「中国式で」となった。

原稿は、半年足らずで完成した。
で、出版社に原稿を渡す段階で、それに「待った!」を
かけてきたのが、「日本K穴委員会」。

本といっても、出版社が1億円近い予算をかけて
つくる本である。
ふつうの本ではない。

で、当時、WHOを舞台に、日本と中国は、その取穴法
について、はげしく対立し始めていた。
日本は、当然、「日本式」を主張した。
中国は、当然、「中国式」を主張した。

日本の取穴法は、あまりにも杓子定規的。
体のそれぞれの部位から、「〜寸」という取穴法を採用していた。

一方中国の取穴法は、実用的。
体の各部位を折り曲げたりして、その凹みなどに、経穴(ツボ)を求めていた。
どう考えても、日本式には勝ち目がなかった。

が、日本K穴委員会は、私が書いた本をたたき台に、
中国とやりあうつもりでいたらしい。

で、取穴法が、二転三転した。
そのたびに、私は原稿の書きなおしを迫られた。
それで7年もかかってしまった!

が、私にとっては、貴重な7年である。
私がちょうど30歳のときから、37歳のときまで。
私は、そんなくだらない本のために、7年も
無駄にしてしまった!

「日本式」とはいうものの、科学性はゼロ。
先にも書いたように、文献など、求めようもない。
私が子どものころには、「針・灸・按摩」というのは、
主に身体に障害のある人たちが、する仕事ということになっていた。
当時も、まだその流れの中にあった。

それをどこからか、いきなり「権威者?」たちが現われて、
「ああでもない」「こうでもない」と言い出した。

経穴(ツボ)というのは、その位置が、個人の体格に
応じて、微妙に異なる。
日本式のように、杓子定規的に求めても、意味はない。
ないから、結局は、日本式は、少なくともWHOという舞台では、
認められなかった。
当然である。

で、それからほぼ、23年。
今度は、中国と韓国の間で、経穴論争が起きているという。
ともに、「うちが元祖だ」「いや、うちこそが元祖だ」と。

今朝(08年7月6日)の朝鮮N報は、つぎのように伝える。

『はり治療の元祖はどこかをめぐり、韓国と中国が論争を繰り広げている。

 論争は世界保健機関(WHO)が2003年から韓国、中国、日本の伝統医学専門家と
の議論を経て、361個の経穴(つぼ)の位置に関する国際標準を定め、昨年公式本が発
行されたことがきっかけだ。

(中略)

しかし、韓中日3カ国の医学界では経穴の位置に違いがあり、異なる名称を使用してきた。
このため、3か国の専門家はWHOの要請に従い、中国の古代文献を参照しながら、各国
の経穴の位置を比較調査した。

その結果、361個の経穴のうち4分の1に相当する94個の位置が、異なることが分か
った。これを統一するため、WHOは国際標準を定めることを決定。3か国は11回の協議
で標準案をまとめ、昨年発表した。

 大韓韓医師協会は先月18日、WHOが定めた鍼灸(しんきゅう)経穴部位に関する公
式本の出版行事で、「WHOが公認した361個の経穴の99%近い357個が韓国の韓医
学における経穴の位置に従ったものだ」と指摘し、韓国の伝統医学の安全性と信頼度が国
際的に評価されたと主張した。

 これに対し、中国が激怒した。4日の中国国営・新華社通信によると、中国中医科学院
鍼灸研究所の黄竜祥副所長は「361個の経穴の位置はほぼ100%が中国の基準に従っ
たものだ。359個は中国の経穴の位置とまったく同じだ」と主張した。

同通信はまた、WHOが最近韓国をけん責し、非公式ルートで韓国が中国側に遺憾の意を
伝えてきたと伝えた』(以上、朝鮮N報より)と。

経穴(ツボ)はともかくも、経穴と経穴をつなぐ経絡(けいらく)に
ついては、神経介在説が、今では常識。
経絡イコール、神経と考えてよい。
だから韓国式のように、「解剖学的基準」が、ひとつの基準となっても、
何ら、おかしくない。
そういう点では、韓国式の取穴法は、より科学的ということになる。
で、今回の論争となったらしい。

……この記事を読んで、私は久々に、私が書いた『東洋医学・経穴編』
という本を思い出した。
出版元は、学研。
定価は、2万円〜。

著者は別の2人になっているが、(私は、著者兼企画構成者)、当時は、
そういう形で、本に権威づけをして売るのが習わしになっていた。
どうでもよいことだが、その本の人体モデルになってくれたのが、
当時の私の生徒であった、M君である。
私はそのM君を写真に撮り、その写真の上に経穴(ツボ)を書き込んで
いった。

なお私はこの本を書き終えたあと、『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)を
書き、東洋医学、つまり漢方の世界から、足を洗った。
戸棚いっぱいあった参考書や文献などは、数冊をのぞいて、
すべてを処分した。

『目で見る漢方診断』は、HPのほうに、全文、収録して
あるので、興味のある方は、ぜひ、見てほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 東洋医学 経穴 経絡 ツ
ボ)


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●今朝・雑感(7月6日)

●女子高校生と競争(A Bike Race with a High School Stuident)

数日前、帰宅するとき、1人の女子高校生と自転車競争をした。
「した」というより、たがいに、暗黙の了解のもとで、そうなった。

最初、ひとつの信号機の前で並んで止まった。
その信号が青になったとき、私がまず飛び出した。
が、やがてすぐその女子高校生に追い抜かれた。
「チクショウ!」と思った。
それで私がダッシュ。
女子高校生を追い抜いた。
つぎの信号機のところで止まったとき、うしろからその女子高校生が
並んでとまった。

私は、「まだまだ……」と思ったが、相手の顔は見なかった。

が、信号が青になると、その女子高生が、今度はダッシュした。
私が、それにつづいた。
が、猛烈なスピードである。
私はギアチェンジを「HIGH(ハイ)」にして、足に力を入れた。
腕で、ハンドルを引いた。

が、つぎの信号まで追い抜けなかった。
私の負け。

しかし今度は、3回目。
青になったところで、両方がダッシュ。
私はピッタリと、その女子高校生のうしろについた。
距離は2〜3メートル。
うしろからプレッシャをかける。
同時に、女子高校生が、私の風切りになる。

3回目の道路は、長かった。
距離にして、700メートルくらい。

で、最後のところで、私が追い抜いて、ゴール!
うしろを振り返ると、その女子高校生は、
横断歩道を左手に曲がって、その向こうに消える
ところだった。

どこかゆうゆうとした走り方だった。
私も苦しい息をごまかしながら、そのあとは、ゆうゆうと
走ってみせた。

家に帰って、ワイフにその話をした。
「今夜は、2勝1敗だった……」と。


●パソコンの故障(My Computer is Broken)

サブメインに使っている、XPパソコンの調子がおかしい。
HP用更新用に使っているパソコンである。
ときどき電源を入れても、立ち上がらない。
立ち上がっても、マウスを使い始めたとたん、フリーズしてしまう。

予備に全コピーをしておいたハードディスクと差し替えてみる。
が、状態は同じ。

どうやらマザーボードがいかれたらしい。

市内のパソコンショップに電話をすると、
検査、修理をしてくれるという。

で、今日は、これからそのパソコンをもって、その店まで行くつもり。
めんどうな作業だが、しかし、こういう作業が楽しい。

ついでだから、より高性能のマザーボードに取り替えてみよう。

(追記)
おかしなことだが、パソコンショップで検査してもらおうと
したら、そのパソコンがスイスイと作動するではないか!

店の人も、「どこもおかしくないですね」と。
?????

しかし再び家で設置すると、やはり同じ症状が現われる。
これはいったい、どういうことなのか?
今しばらく、様子をみることにする。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●「週刊B春・7月10日」号を読む
(Poor Translation of "Harry Potter".)

+++++++++++++++

以前は、毎週のように、「週刊B春」か、
「週刊S潮」を買っていた。
アメリカに住む息子に送るために、である。

が、このところ、その回数が、とんと減った。
今は、月に1、2冊。
よほど目につく記事がないと、買わない。
それで月に1、2冊。

しかしそれではいけない。
世俗の動きを知るには、週刊誌がいちばんよい。
……ということで、昨夜、「週刊B春・7月10日」
号を、コンビニで買った。
パッと開いたページに、「ハリー・ポッターの
翻訳は、やっぱりおかしい」(P139)と
いう記事があったからだ。

「ハリー・ポッターの翻訳は、やっぱりおかしい」。

実は、私も、かねてから、そう感じていた。
もう10年ほど前になるが、そういう原稿を
書いたこともある。

週刊B春のほうでは、誤訳を問題にしているが、
私は、文章そのものが、おかしいと感じた。
それには、理由がある。

私がハリー・ポッターの第一巻を手にしたのは、
アメリカのある空港内での売店だった。
「一度は読んでおこう」と思って、それを買った。
で、私はその本を、飛行機の中で読んだ。

そのときの印象は、「ゼンゼン、おもしろくない」
だった。
ただ英文は、読みやすかった。トントン……というか、
ポンポン……というか、読んでいて、気持ちよかった。

が、驚いたのは、日本へ帰ってから、日本語版を
読んだときのこと。
本には、それぞれ、言葉を通して流れてくるリズム感
がある。
音楽でいえば、調子のようなもの。
その調子が、英語版と日本語版では、まるでちがって
いた。

日本語版は読みづらく、ところどころで、「?」と
考えながら、一休止しなければならなかった。
翻訳者のMY氏には悪いが、「へたくそな翻訳だなあ」と
思った。
というのも、誤訳はともかくも、じょうずな翻訳家と
なると、文の調子まで、原書に合わせてしまう。
ハリー・ポッターには、それがなかった。

で、第一巻は、そんなわけで、3分の1ほどを読んだところで、
ギブ・アップ。
子どもたちに、「どうしてあんな本がおもしろいの?」と
聞くと、一人の子ども(当時、小3)は、こう言った。

「先生、ハリー・ポッターがおもしろくなるのは、
そこからだよ」と。
つまり3分の1を過ぎたあたりから、おもしろくなる、と。

が、それから10年。
一度、映画館で映画を見ただけで、私はハリー・ポッター
からは遠ざかった。
「読むに値しない本」と、判断した。

(今でも、そう思っている。「読むに値しない本」
というよりは、「くだらない本」と言ってもよい。
出まかせ、出まかせの、作り話……。
よくもまあ、ああいう出まかせの作り話ができるものだと、
私は、むしろ、そちらのほうに感心している。)

そう、そんなことは、ほんの少し冷静になってみれば、
わかること。
「魔法」というテーマそのものが、インチキ。
いくらもっともらしいことが書いてあっても、
そのインチキを乗り越えることはできない。
だから、「読む価値なし」。

世間の人たちは、売れた部数だけを見て、本の
価値を考える。
しかし(売れる本)イコール、(すばらしい本)
といういうことではない。
一方、(売れない本)イコール、(つまらない本)
ということでもない。
本というのは、(時流)に乗れば、売れる。
そうでなければ、売れない。
(中身)ではない。
言うなれば(ファッション)のようなもの。
ハリー・ポッターは、きわめてじょうずに、その(時流)に
乗った(?)。

20年前だったら、初版も売り切れずに、絶版に
なっていただろう。
20年後でも、よい。

……ということで、週刊B春の記事には、元気づけ
られた。
ずっと、「私だけが異端児」と思っていた。
もっとも、週刊B春は、「翻訳がおかしい」と書いて
いるだけで、ハリー・ポッターの内容について、
どうこう言っているのではない。

しかし、逆に言えば、誤訳があっても、どうと
いうことはないではないか。
神様の書いた本というわけでもないだろう。
もともと、デタラメな本なのだから……。
(ゴメン!)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●迷信

うらないや、まじないっていうのがあるね。
ああいうのは、みんなウソだよ。インチキだよ。
信じちゃ、だめだよ。ああいうのを信ずるとね、
自分が自分でなくなってしまうよ。
いつの間にか、ね、
自分で考えられなくなってしまうよ。

ぼくが神様ならね。
あるいは仏様でもいい。
いちいちみんなのことを、
そこまでこまかく、気にしないよ。
めんどうだもん。

自分の未来や運命は、自分で決めるものだよ。
だれでもない、自分自身が決めるんだよ。わかった?


大切なもの

生きるときに大切なものは、
自由と、平等と、正義さ。
この三つは、守ろうね。



●やさしさ

ほかの人を喜ばすことが、
自然な形で、できる人を、
やさしい人と、言うんだよ。
君はどうかな?
それができるかな?
方法は簡単だよ。
何かを買うときでもね、
「これがあったら、
パパが喜ぶだろう」
「これがあったら、
ママが喜ぶだろう」と、
考えて、買えばいいんだよ。
そうすれば、
君も、そのやさしい人に
なれるよ。

 

●邪悪なもの

心がゆがんでくるとね、
邪悪なものに、興味をもつようになるよ。
「殺す」「命」「悪魔」「戦争」とか、
そういう言葉にひかれるようになるよ。
それは病気のようなものさ。
心の、ね。
だから、もし君が、そういうものに、
ぐんぐんと心がひかれたら、ね、
それは君の心が、病気になり始めたということ。
風邪をひいて、熱を出すように、ね。
そういうときは、心を休めよう、よ。
無理をすることはないよ。
そして、ね。
少しは自分と戦って、
そういうものから、遠ざかるようにしようね。
でないと、心というのは、
もっと、もっとゆがんでくるよ。
病気は、どんどんと重くなるよ。


●悲しくなったら……

悲しくなったら、
空を見て、
星を見て、
大声で泣けばいい。
ぼくは、いつも
そうしてきた。
広い空はね、
きっと
君の
悲しみを、
なぐさめてくれるよ。



●家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。


●まじめな人

言われたことを、しっかりとする人のことを、
まじめな人と思っている人がいるよね。
しかしそれは誤解だよ。
まじめな人というのはね、自分で決めたことを、
しっかりと守れる人のことをいうよ。
他人に言われたことをするのではない。
自分で決めたことを、だよ。
人が見ていようが、見ていまいが、
そういうことは関係ないよ。
あくまでも自分の問題だよ。
まじめか、どうかということは、ね。
だから、まじめな人になるというのは、
実は、とってもきびしいことなんだ。

ぼくはどんな寒い日でも、風が強い日でも、
自転車で仕事に通っているよ。
健康のためだけど、ね。
そういう意味では、ぼくも、結構、まじめな人だよね。
多分……?


●約束

簡単に約束はしないこと。
そのかわり、
約束をしたら、必ず守ること。
どんなことでも、ね。
約束って、本当のところ、
とても重いものだよ。
苦しいものだよ。
だから、
簡単に約束はしないこと。
  

●心

心を解き放とうよ!
空に向かってね。
モヤモヤしたら……。
重苦しく感じたら……。
行きづまりを覚えたら……。
体はあとから、ついてくるって、
昔、ぼくの友人が、
いつも、そう言っていたよ。



●考えること

考えることは、もともと苦しいことだよ。
だからたいていの人は、考えることを
無意識のうちにも、避けようとする。
めんどうだし、ね。
しかし考えるから、人間の、人間としての
価値が、生まれるのだよ。
昔、パスカルという人も、
「考えるところに、人間の偉大さがある」
と、言ったよ。

そうそう、ペラペラと調子のよいことを、
しゃべる人がいるよね。
ああいう人は、本当は何も考えていないよ。
ただ頭の中の情報を、適当に加工して、
それを言葉にして、しゃべっているだけ。
考えているんじゃ、ないんだよ。

いいかな、考えるということと、
情報を加工して外に出すということは、
まったく別のことだよ。
わかった? 


●本物を、ね

本物を見ようね。
本物を聞こうね。
絵でも、音楽でも、何でも、だ。
ニセモノばかり見たり、聞いたりしているとね、
君自身まで、ニセモノになってしまうよ。
美術館へ行こうよ。
コンサートに行こうよ。
でもね、もっと大切なことは、
図書館へ行くことだよ。
図書館にはね、
本物が、山のように、あるよ。
だから、「本」というのかな?
これは、シャレかな?



●正直に生きようよ

いやだったら、いやだと言おうよ。
できなかったら、できないと言おうよ。
飾ることはないよ、ね。
ウソをつくことはないよ、ね。

自分を飾れば飾るほど、疲れるよ。
ウソをつけばつくほど、疲れるよ。
でも、それだけでは、すまないよ。

飾れば飾るほど、見苦しくなるよ。
ウソをつけばつくほど、見苦しくなるよ。

英語にも、『正直こそ、最善』ということわざが、あるよ。
何でもね、正直であることが、一番いいということさ。
だから、
……飾ろうかとか、ウソをつこうかと迷ったら、
この言葉を思い出してよ。
そうすれば、おのずと答えが出てくるよ。
そして、ね。
思い切って正直に、自分を表現してみてごらん。
思い切って正直に、話してみてごらん。
そうするとね、
心の中を、スーッと風が通るのを感ずるよ。
とっても気持ちのよい風が、ね。


●バカなおとなたち

電車の中で騒ぐおとな
車の外にゴミを捨てるおとな
ツバを道路にはくおとな
排気ガスを平気で出すおとな
赤信号をつっ走るおとな
大声でどなりあうおとな
バカなおとなは、いくらでもいるね。
今、そういうおとなたちを、
しっかりと見ておくといいよ。
そういうおとなが、バカだとわかればわかるほど、
君は、賢い人になるということさ。

……そう、おとなになればなるほど、
バカになっていく人はいくらでもいるよ。
君はどうかな?


●その人の価値

その人の価値は、友だちの数で決まるんだってさ。
友だちが多ければ多いほど、その人の価値があがるということだって。
アメリカ人の友人が、ぼくにいつもそう言っていた。

でもね、友だちを作るって、むずかしいね。
本当に、むずかしいね。
君はどうかな?



●前に進もう

学校というところはね、ただ勉強するだけじゃ、ないんだよ。
学校というところには、友だちがいっぱい いるだろ。
そういう友だちを見ながらね、「人」の勉強をするところだよ。
どんな「人」がいて、どんなことをしているか、見てごらん。
たとえば、ね。

前に進んでいる人は、輝いているよ。
何でもいいんだ。どんなことでもいいんだ。
前に向かって努力している人は、すてきだよ。

君はね、そういう人を目標にするといいよ。
つまり、ね、「人」を見るときは、
前の人ばかり見ていけば、いいんだよ。
うしろの人を見ないこと。
うしろを気にしないこと。
そして、ね。その人と一緒に、前に進めばいいんだよ。
学校というところは、そういうことも勉強するところだよ。



●許して、忘れな

友だちとのことでね、
いやなことがあったら、
許しちゃいな。
忘れちゃいな。
あとは気にしない。

人間ってね。
同じレベルの人のことで、悩むものさ。
もしいやな人がいて、その人のことで悩んだら、
君自身も、その人と同じレベルということ。
わかるかな?

だったら、ね。その人を超えればいい。
そうすると、ね。その人との問題は、
解決するよ。

だって、ね。
君のほうが、その人の上になるんだもん。
動物園のサルが、君に向かって、
アッカンベーしても、君は気にしないだろ。
それと同じことだよ。

君が上になればなるほど、
相手のことが気にならなくなるよ。
そのためにも、ね。
許しちゃいな。
忘れちゃいな。
あとは気にしない。


●勉強で苦しんでいる君へ

勉強って、いやなものだよ。
だから勉強が嫌いな、君は、ちっともおかしくない。
あんな勉強、好きな人のほうが、どうかしている。

それにね、
勉強ができるから、頭のいい人ということにはならない。
勉強ができないから、頭の悪い人ということにはならない。
勉強ができるから、すぐれた人ということにはならない。
勉強ができないから、劣った人ということにはならない。
勉強と君の価値は、まったく関係ないよ。
君は君だ。君の価値は、君が一番よく知っている。

だからね、
自分を信じて、自分の道を進むんだよ。
君にも、したいことがあるだろ。
君にも、できることがあるだろ。
それが君の価値になる。

今はまだ石に包まれて、光っていないかもしれないが、
いつか光り出す。宝石のように光り出す。
そういうときが必ずくるから、その日を信じて、
今は、その準備のとき。今は、勉強を通して、
じっくりと自分をさがしたらいい。
自分の中の宝石をさがしたらいい。

勉強ができないからといって、あせってはだめだよ。
失望したりしたりしてはだめだよ。
もともと勉強というのは、そういうものだから、ね。
ぼくらは、気楽に行こうよ。気楽に、ね。

そうそう英語ではね、こう言うよ。
テイク・イッツ・イージィってね。
「Take it easy!」と書くよ。
「気楽にしなさいよ」という意味さ。
いい言葉だね。



●文を書こうよ

「考える」ということは、「文にまとめる」ということだよ。
だから、いつもどこかで、文を書いてみようよ。
文を書くことのいい点はね、同じことでは、悩まなくなることだ。
つまりね、一つの問題にぶつかったら、文を書く。
書いて、結論を出す。そうするとね、その問題では
もう悩まなくてすむようになる。つまり、ね。
時間をムダにしなくて、すむということさ。
これをしないとね、いつまでも同じ問題で
悩むことになるよ。

そうそう「考える」ということはね、
ちょうど、だれも歩いたことがない荒野を、一人で歩くようなものだよ。
いくら先へ進んでも、その前にまた別の道がある……。
でもね、それは、とってもスリリングなことだよ。
いつも新しい景色が、そこで待っていてくれる。
それはいわば、頭の中の冒険のようなものだよ。
ひょっとしたら、頭の中は、この宇宙よりも広いかもしれない。
君も、その冒険に乗り出してみてごらん。
おもしろいよ。



●好きな人ができたらね……

好きだったら、「好き」って
言えばいいよ。
絶対に後悔しないよ。
言わないほうが、後悔するよ。
だけどね、一つだけルールがある。
相手の人が、「ノー」と言ったときはね、
さっと、引きさがること。
相手の人が、一番いいようにしてあげるのが、恋なのさ。
それが「本当に好き」という意味なのさ。
相手の迷惑になるようなことはしてはいけないよ。
いくら、フラれてもね。
……そういう気持ちでいるとね、
つぎには、もっとすてきな人が現れるよ。
そしてね、そのときは、うまくいくよ。



●意地悪(いじわる)

ぼくも、いつも意地悪をされているよ。
何かを話しかけても、口をきいてくれない人もいるよ。
かわいそうな人だね。自分では、一人前のつもりでいるから。
そういう人に限って。ぼくはね、おもしろいから、その人に 
わざと あいさつをしてやるよ。そうするとね、ますます
ぼくを無視するよ。それがおもしろいのさ。
だって、そういうことをする人は、かわいそうな人だもんね。
心がせまいというか、住む世界がせまいというか。
ぼくは全然そういう人を相手にしてないのにね……。

もしいじめにあったら、そのときこそ、
自分が大きくなるときだと思えばいいよ。
大きくなって、大きくなって、その人を
乗り越えるのさ。それは簡単にできるよ。
だってね、意地悪する人というのはね、
もともとちっぽけな人間だから、ね。
ちっぽけな人間だから、人に意地悪をして喜んでいるのさ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの虚言vsルール破り

++++++++++++++++++++

掲示板に、つぎのような書き込みがあった。

++++++++++++++++++++

【Mさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。うちの小6男子のことでご相談があります。
うちの子供は約束事が守れません。そして、約束を守れなかったことをウソをついたりし
てかくすというよりは、うその上塗りをしていきます。

内容はさまざまで、「学校の宿題を私が帰宅するまでやっておく」なんてことは、一度も
達成したことがありません。
学校に忘れ物をしてきたときも、「ランドセルのふたがあいていてなくなった」などと、平
気でわかるウソをいいます。

「ヨーカドーでお金を拾って? カードを買った1パック」本当は2パックだった。(拾っ
たお金は後日返しにいきましたが、何が本当だかわかりません。)
そんなことを毎日。

以前は私の財布からお金を盗んだこともありました。もちろん指摘して、主人も私もおこ
りました。そんなことが3度くらい。
一人でリビングにいさせることも、なんだかおそろしくなっています。

お金を盗むことはなくなったように思うのですが、約束を守らない→ウソ→ウソの上塗り
の構図は毎日で、私はもう子供を捨てたいとまで思っております。
主人は根気良く教えるしかないとも言いますが、私は限界です。

気休めの言葉はもう聞き飽きました。教育センターの相談員の方にも相談をしたり、私自
身も心療内科に通って精神安定剤を飲んでおりますが、怒ることも止まらず、なんとか医
学的にまたは、科学的に根本治療する方法はないのかなと思って探していたところ、この
HPに出会いました。

家族構成は父、母、本人(小6)妹(小4)です。
3歳のころには(今思えば)赤ちゃん返りでお漏らし、その後、夜尿症になり、ネットの掲
示板であるお医者様に相談にのってもらい、1年間かかって、夜尿症を治療した経験があり
ます。妹はちゃんとできます。

親子で楽しく?「約束を守らない→ウソをつく→ウソの上塗り」の構図を無くすことがで
きたらよいのですが、なにか良い飲み薬?、等ありますか?

夜尿症を治すときに「トフラニール」とうつ病の薬も飲ませました。もちろん膀胱の容量
を増やすために毎日オシッコを量ったして、なんとか治すことができました。

そんなことをしてまで、とお思いになるかもしれませんが、こちらは大真面目の治療そし
て今回のご相談です。

もちろん先生のQ&Aも読ませていただきました。

明日にでも、いや今すぐにでも、楽しい生活が欲しい。その一心です。
息子がいなければ家族は穏やかに過ごせます。私のわがままでしょうか?
母親がなんとか怒らずにいれば。いいだけなのでしょうか?

ぜひ、具体的な方法があればぜひご教示いただきたいのです。
どうかよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

●(虚言癖)と(ルールを守らない)は、分けて考える

子どもの虚言癖と、ルールを守らないは、分けて考えます。

虚言癖については、たびたび書いてきました。
私のHPの「子育てあいうえお」に収録してありますので、どうかお読みください。

子どものウソのばあい、いわゆる空想的虚言(妄想的虚言)でなければ、それほど心配す
ることはありません。
子どもは親にウソを言うことによって、親の優位性に打ち勝とうとします。
年齢的には、2歳前後から始まるとされています。
ウソ寝、ウソ泣きが、それです。

(ルールを守らない)は、率直に言えば、子育ての失敗(失礼!)とみます。
子どもに原因があるのではなく、また問題があるのではなく、今までの、(そして現在の)、
あなたや、あなたの家族の育児法に問題があるとみます。

一貫性のなさ、連続性のなさ、加えて、脅しと短気の入り混ざった育児法など。
これはMさんのことではありませんが、たとえば、親が交通ルールを平気で破っておきな
がら、子どもに向かって、「ルールを守りなさい」は、ないですね。

私たちはひょっとしたら、子どもの目の前で、それに気がつかないまま、ルールを破って
いるのかもしれません。
そういう意味では、子どもは、おそろしいですね。
親が隠しもっているシャドウ(=影の陰湿な部分)を、そのまま引き継いでしまいます。

で、掲示板の記事を読んで、何よりも気になるのは、子どもに問題があると、すかさず、
それを、子どもに向かって「直そう」と考える、Mさん自身の育児姿勢です。

たとえば赤ちゃん返りということまでわかっていながら、夜尿症を、「1年がかりでなおし
た」「トフラニールとうつ病の薬も飲ませました」「膀胱の容量を増やすために毎日オシッ
コを計った」という部分です。

ふつうは、そこまではしない。
むしろ、おねしょくらい、自由にさせてやったら、よかったのです。
3歳の子どもなら、なおさらです。

3歳の子どもに、うつ病の薬をのませて、夜尿症をなおす親というのは、そうはいない(失
礼!、「気休めはもういい」ということですので……。)
毎日、尿の量を量るとは?!

私はこの投稿を見て、Mさんの子どもに対する、愛情を疑いました。

また今どき、親の言うことを聞いて、「ハイハイ」と、学校の宿題などする子どもはいませ
んよ。
小学6年生なら、なおさらです。

そういう子どもがいたら、むしろその従順さのほうが、心配になります。

むしろいまだに子離れができない、あるいはその準備をしていない、Mさん自身のほうに
問題があると思います。

いいですか、あなたが子どもに不信感をもつのは、それはあなたの勝手です。
しかし親にいつも疑われている子どもの気持ちが、あなたには、理解できますか?
私があなたの子どもなら、「この、バカヤロー」と叫んで、家を出て行くでしょう。
やることなすこと、すべて、疑われ、ケチをつけられるのですから、たまりません。

原因を順に考えていきましょう。

(1)母子関係の不全

あなた自身が、不幸にして不幸な家庭に生まれ育った可能性があります。
そのため(親像)が、育っていない?
あるいは不幸にして、不幸な結婚生活を始めてしまった?

どうであるにせよ、心配先行型の子育てがそれで始まってしまったわけです。
「うちの子は、何をしても心配」と。
それが転じて、過関心、過干渉に……。
それが今でも、つづいています。

「学校で忘れ物」をしたくらいのことで、子どもを問い詰める親も、少ないですよ。
子どもといっても、小学6年生ですから……。
ふつうは、軽く叱る程度で、それですませます。

で、今さら、「あなたの子どもをもっと信じなさい」と言っても、遅すぎますね。
ただこのまま進めば、親子断絶は時間の問題。
さらにこうした問題には、二番底、三番底があります。

悪循環が悪循環を呼び、Mさんの子どもは、非行→さらなる非行へと発展していく可能性
もあります。
今の状態を、けっして「最悪」と思わないこと。

それがいやなら、今からでも遅くはないから、「自分の子どもを、もっと進ずること」。

(2)あなたの描く子ども像が見えてこない

Mさんが、自分の子どもを、いったい、どのようにしたらよいのか、その子ども像が、書
き込み記事だけでは、よくわかりません。
わかりませんが、Mさんは、いったい、どういう子どもを望んでいるのですか?
あなたの子どもに、どういう子どもになってほしいのですか?

ウソをつかない子どもなんて、いません。
盗みをしない子どもなんて、いません。
拾ったお金を使わない子どもなんて、いません。

私も小学生のころは、拾ったお金は、すべて自分のために使っていました。
私の息子たちも、そうです。

そういうとき私は、見て見ぬフリ。
一応叱ったこともありますが、それですましました。

「ウソ、ウソ、ウソ……」ではなくて、「疑う、疑う、疑う」、あなたの育児姿勢のほうに
問題があります。

「私自身も心療内科に通って精神安定剤を飲んでおりますが、怒ることも止まらず……」
とMさん自身が書いておられるように、この問題は、子どもの問題ではなく、Mさん自身
の問題です。

ここまで書いて、こんな話を思い出しました。

イランの笑い話に、こんなのがあります(イラン映画「桜桃の味」より)。

ある男が、病院へやってきて、ドクターにこう言いました。「ドクター、私は腹を指で押さ
えると、腹が痛い。頭を指で押さえると、頭が痛い。足を指で押さえると、足が痛い。私
は、いったい、どこが悪いのでしょうか?」と。

するとそのドクターは、こう答えたそうです。「あなたは、どこも悪くない。ただ指の骨が
折れているだけですよ」と。

書き込みの記事を読むかぎり、Mさんの子どもは、ごくふつうの、どこにでもいるような
子どものように思います。
ちがうでしょうか?

(1)子どもは家族の「代表」

「(ウソをなおすために)、なにか良い飲み薬?、等ありますか?」などという、バカなこ
と(失礼!)は、考えてはいけません。

2、3年前にも、こんな相談がありました。

1人、手がつけられないようなドラ息子(小3)がいました。
わがままで、自分勝手。
少しでも気にいらないことがあると、泣き叫んで、机を蹴飛ばしたりしていました。

で、最後は、とうとう手に負えなくなり、(それまで1年近く、母親を指導したのですが…
…)、指導を断ることにしました。
そのときのことです。

私が、「申し訳ありませんが、私の指導にも限界があります」と言うと、その母親は、すか
さず、こう言いました。

「どこの病院へ連れて行けばいいですか?」と。

自分の子育ての失敗を棚にあげて、また私のアドバイスなど、ことごとく無視しておいて、
「どこの病院へ?」はないですね。

最近では、「子どもは家族の代表」と考えるのが、常識です。
つまり子どもに何か問題が起きたら、それは子ども自身の問題ではなく、子どもは家族を
代表しているにすぎないという考え方です。

またそういう視点をもたないと、子どもの問題は、いつまでたっても、解決しません。
解決しないばかりか、より悪い方向に向かって、そのまま進んでいっていまいます。
ここでいう「二番底」「三番底」というのは、そういう意味です。

(4)では、どうするか?

「ほどよい親」「暖かい無視」を柱に、その一方で、「求めてきたときが与えどき」と考え
て、Mさん自身が、子育てから遠ざかることです。

といっても、直接的な方法で、遠ざかることはむずかしいです。
そういうときは、こうします。

Mさんは、親でもなく、妻でもなく、また女でもなく、ひとりの人間として、自分でした
いことを追求します。
仕事でも、ボランティア活動でも、さらにサークル活動でも、何でもよいでしょう。
あなたが自分で(すべきこと)を見つけて、それを追求します。
その結果として、子育てから離れます。

またそのほうが、あなたの子どもにとっても、よいでしょう。
(あなたは、実に、神経質で、うるさい親ですから……。)

あなた自身も、気づいておられないかもしれませんが、欲求不満のかたまりのように見受
けられます。
毎日、悶々とした気分で、過ごしている。
もしそうなら、もう子どものことなど相手にせず、自分のしたいことをしたらよいのです。
人生は、短いですよ。

もしあなたが自分の子どもを、神様のような子どもにしたいのなら、それはまた話は別で
すが……。

(5)各論

子どもが約束を守らないようであれば、最初から約束などしないこと。
約束するとしても、数をぐんと減らすこと。
それに重要なことだけで、約束をし、それが守れるまで、きちんと見守ること。
たかが学校の宿題程度のことで、「約束」「約束」と騒がないこと(失礼!)。

約束の乱発をしながら、(たいていは、親からの一方的な約束であることが多いわけですが
……)、「約束を守らない」は、ありませんね。

またウソについては、よくある自己正当化のウソですから、それほど心配しなくてもよい
と思います。
空想的虚言については、どこかの検索エンジンを使って、「はやし浩司 空想的虚言」を検
索してみてください。
いくつかをヒットできるはずです。
対処法も、併せて書いておきました。

(6)最後に……

きびしい意見を書きましたが、こう考えてください。
まず親であるという気負いを取ること。
「……息子がいなければ家族は穏やかに過ごせます」などと、気負うことはありません。
そう思うなら、思うで、それでよいのです。

「あなたはあなたで、勝手にやってください」と言って、あなたはあなたで、好き勝手な
ことをすればよいのです。

現に、子どもがこの年齢になると、大半の親たちは、そう感ずるようになります。
それが子離れです。
子離れすることを、恐れる必要は、まったくないのです。
つまりそういうふうに、わざわざ考えなければならないところに、あなたの気負いがある
わけです。

あなたの子どもは、雲が自然と風に乗って流れていくように、すばらしいおとなになって
いきます。
ひょっとしたら、あなたの望む方向とはちがった方向に進むかもしれませんが、それでも
ちゃんと、すばらしいおとなになっていきます。

が、条件があるとするなら、「自分の子どもを信ずること」です。

方法としては、つぎのような方法があります。
以前、書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++

●ほめる

++++++++++++++++

子どもは、ほめて伸ばす。
これは家庭教育の大鉄則!

++++++++++++++++

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味する(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」と
いう単語に由来する。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参
観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それ
が強化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなこと
があった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。

 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。
(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン 
子どものやる気 子供の集中力 思考力 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育
評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer 
Japanese essayist 好意の返報性)

+++++++++++++++++

この原稿の中で、とくに「好意の返報性」という言葉に注目してください。
日本でも、昔から、『魚心あれば、水心』と言いますね。
それと同じです。

これについても、たびたび書いてきましたので、このあとに、その原稿を貼り付けておき
ます。

これを読んでくだされば、Mさん、あなたのお子さんが今、いかに窮屈な思いをしている
か、理解できると思います。

+++++++++++++++++

●好意の返報性

 心理学の世界に、「好意の返報性」という言葉がある。あなたに好意をもっている人には、
あなたはよい印象をもち、反対に自分に反感をもっている人には、悪い印象をもつように
なる。つまり相手の心の状態が、こちらがもつ印象に影響を与える。それを好意の返報性
という。

 こうした好意の返報性は、子どもには、とくに強く現れる。「この子はいい子だ」と、親
や教師が思っていると、子どもも、その親や教師に、よい印象をもつようになる。反対に、
そうでないときは、そうでない。この性質をうまく利用すると、子どもを伸ばすことがで
きる。

 私も若いころ、初対面で、「この子は、教えにくい子どもだ」と思ったことがある。そう
いう子どもはたいてい、半年、一年もすると、「林先生なんて、嫌い」「幼稚園へ行きたく
ない」と言い出した。

 そこで私は、初対面のとき、仮にそういう思いが心の中を横切っても、それを打ち消す
ようにしている。そして心底から、「この子はいい子だ」と思いなおすようにしている。す
ると子どものほうも、やがて私に対してよい印象をもつようになり、「林先生が、好き」と
言い出す。しかしそれはその子どものためというよりは、私自身のためでもある。私はそ
うすることで、自分の仕事をしやすくする。

 そこで教訓。もしあなたが自分の子どもに対して、「うちの子はダメ」「うちの子は心配」
と思っているなら、そういう思いは、今すぐ、改める。そして最初はウソでも構わないか
ら、「うちの子は、すばらしい」「うちの子は、いい子」と思うようにする。これはあなた
の子どものためというよりは、あなた自身のためである。

+++++++++++++++++++

●好意の返報性(2)

 あなたが周囲の人を嫌ったり、批判したりすると、そのときはあなたに同調する人も現
れるかもしれないが、やがてあなた自身も、嫌われたり、批判されたりするようになる。
こうした現象も、好意の返報性で、説明される。

 たとえばあなたが園や学校の先生を、嫌ったり、批判したりしたとする。あるいは先生
の悪口を言ったとする。その人があなたと親しい人なら、あなたの意見にそのときは、耳
を傾けるかもしれない。しかしやがて、今度は、あなたが嫌われたり、批判されたりする
ようになる。

 そこであなたが皆に、好かれるためには、この反対のことをすればよい。あなたがあな
たの周囲の人を好きなったり、ほめたりすればよい。そのときは多少、反発する人もいる
かもしれないが、やがてあなたは、皆に好かれるようになる。

 家庭では、こんなことを注意する。

 あなたは子どもの前では、夫や家族を、ほめる。楽しいできごとだけを口にして、それ
を喜ぶ。そして夫や家族の前では、子どもをほめる。子どものすばらしい面だけにスポッ
トをあて、それを皆で、たたえる。こうした相互作用が、あなたの評価を高める。それだ
けではない。家庭全体が、温もりのある家庭になる。

++++++++++++++++++++

●好意の返報性(3)

英語の格言に、『友を責めるな、行為を責めろ』というのがある。仮にあなたの子どもが、
あなたからみて好ましくない友だちと交際していても、その友だちを責めてはいけない。
名前を出してはいけない。その友だちの行為の、どこがどう悪いかだけを指摘して、あ
とは子どもの判断に任せる。

 それについて以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を書いたので、ここに転載する。
この中で書いた、「遠隔操作」も、好意の返報性の一つと考えてよい。

++++++++++++++++++++

●友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはど
うするだろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。
こういうときの鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリ
スの格言だが、こういうことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、
子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもが
あなたを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入る
ことになる。友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨
てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責め
るほど、あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、
たいへんまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」
「夜ふかしすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人が
いる」とか、など。コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身
に判断させるようにしむける。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一
歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』
と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そうい
う子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの
子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。
このプレゼントをもっていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、
必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえ
ようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、
あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。
ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親
がいる。しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑
ってみること。祭で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣い
て弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケース
は、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因
は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でもない格
言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。

+++++++++++++++++++++++

●好意の返報性(4)

 子育ての要(かなめ)は、こういうわけで、子どもの叱り方にあるということになる。
これについても、以前、こんな原稿(中日新聞発表済)を書いたので、ここに転載する。

+++++++++++++++++++++++

子どもの叱り方、ほめ方

 子どもを叱(しか)るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。『威圧で閉じる
子どもの耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。
が、反省しているから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱る
ほどには、効果はない。叱るときは、次のことを守る。

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳か
ら遠い」と覚えておく。説教が脳に届くには時間がかかる

(3)相手が幼児の場合は、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えな
いため)。視線を外さない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかり
と親の両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避け
る。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても「お尻」と決めておく

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(4)叱ったことについて、子どもが守れるようになったら「ほら、できるわね」とほめ
てあげる。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも『忠告は秘(ひそ)かに、賞賛は
公(おおやけ)に』と書いている。子どもをほめるときは、少しおおげさにほめる。その
とき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめ
る。特に子どものやさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについ
ては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、
かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。

また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので慎重にする。頭
をほめすぎて子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さら
には頑張っている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、か
えって子どもから、やる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなこと
では!」式の脅しもタブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさ
ら「あなたはよく頑張った」式の前向きの理解を示してあげる。

++++++++++++++++++++++++

●好意の返報性(5)

 「好意」といっても、それがいつも好ましいものとはかぎらない。好意をもたれること
で、かえってその人に嫌悪感を覚えることだってある。

 たとえばあなたが財産家であったとする。そういうあなたに、何かのセールスマンが近
寄ってきて、あれこれあなたをほめたとする。しかしそういうときあなたは、そのセール
スマンの言うことなど、信じないだろう。あるいは反対に、そのセールスマンを毛嫌いす
るかもしれない。このばあい、あなたは、セールスマンの行為に、下心があるのを知るか
らである。

 好意が好意として、返報性をもつためには、同調性が必要である。「同調性」というのは、
こちら側もまた、相手の好意に対して、同調するということ。もう少しわかりやすく説明
してみよう。

 たとえばあなたが、絵を描いて、何かの賞をもらったとする。そのときまったく絵のこ
とを知らないAさんが、その絵を見て、「あなたの絵はすばらしい」と言ったとする。する
とあなたは、「何、言ってるのよ!」と思うかもしれない。あるいは日ごろからあなたの悪
口ばかり言っているBさんが、同じようにほめたとする。するとそのときも、あなたは、「何、
言ってるのよ!」と思うかもしれない。つまり同調性がないことになる。

 ほかにたとえば、ここでいう下心を、ほめられたほうが感ずると、同調性が消える。つ
まりそういう状態で、相手が、いくら好意を表現しても、効果がない。ないばかりか、か
えって逆効果になることもある。子どもも、また同じ。

 子どもをほめるときは、それなりに、ほめる側にも、同調性がなければならない。そこ
でつぎのことに注意するとよい。

○おせじ的なほめ方はしない。へつらわない。機嫌をとらない。

○子どもに同調するために、こちら側のレベルもあげる。子どもをほめるときには、なぜ
ほめるかという理由を、はっきりともつ。「レベルをあげる」というのは、ほめる側も、そ
れなりの知識をもつということ。具体的には、なぜほめるか、その理由を、しっかりと子
どもに伝えられるようにするとよい。「あなたの絵は、見る人をほっとさせるような、やさ
しさがあるわ。そういうところが、審査員の先生たちの心をとらえたのね」と。

○好意には、下心をもたない。心底、無の状態で、子どもをほめる。親にとっては、なか
なかむずかしいことかもしれないだが、努めて、そうする。

このように「好意の返報性」といっても、奥が深い。家庭で子どもを指導するときの、
一つのコツとして覚えておくと、役にたつ。
(030407)

++++++++++++++++++

では、これで今日は、失礼します。

心を解き放ちなさい。
体はあとから、ついてきますよ。
(アメリカの教育格言より)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●K市保健センターでの講演感想より
(08年6月)

++++++++++++++++++

K市で行った、講演の感想が届いている。

「批判的なものがあっても構いませんから、
感想がわかったら、送ってくださいね」と
頼んでおいた。

それで主催者の方が、すべて届けてくれた。

私にとっては、貴重な記録(?)である。
そのとき、そこに私がいて、60数名という
人に、話をした。

数か月もすれば、たいはんの人が、私の話した
ことのほとんどを忘れてしまうだろう。

(はやし浩司)の名前など、数週間も
残らない。

私が今まで聴いた講演にしても、みな、そうだった。

しかしたしかに私は、そこにいた。
そこにいて、話をした。
こういう感想文を読むと、その実感を、自分の
手でつかむことができる。

批判?

そんなことは当然の事ではないか。
10人の人がいれば、10人の人全員に
満足してもらえるなどということは、こと
講演については、ありえない!

しかし、うれしかった。
K市のKSさん、ありがとうございました。

++++++++++++++++++++

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2629535098/" title="img618 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm4.static.flickr.com/3175/2629535098_de8360e2b0_b.jpg" width="770" 
height="1024" alt="img618" /></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2628717253/" title="img619 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm4.static.flickr.com/3039/2628717253_29216b470c_b.jpg" width="770" 
height="1024" alt="img619" /></a>

<a href="http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/2628718243/" title="img620 by 
bwhayashibw, on Flickr"><img 
src="http://farm4.static.flickr.com/3184/2628718243_b5c33fd4c4_b.jpg" width="770" 
height="1024" alt="img620" /></a>

(読みづらい方は、HP→プロフィール→講演の感想へとおいでください。)


+++++++++++++++++++++

最前線の子育て論byはやし浩司(2711)

●青少年を取り巻く環境
The environment around the youth has been getting worse, as pointed out by the board 
of education of Shizuoka Pref., Japan. The problem is not how to control the 
environment but how to punish the adult people around the youth.
 
++++++++++++++++

ほんの30年前には、携帯電話など、
夢のまた、夢だった。
ドラエもんの『どこでも電話』を
みれば、それがわかる。

インターネットにしても、しかり。

今では、若者たちは(私たちも)、
いつでも、どこでも、だれとでも
話ができる時代になった。

++++++++++++++++

静岡県教育委員会が、このほど、こんな調査結果を公表した。

『青少年を取り巻く環境』と題して、「回答者の89%が、
『環境は10年前と比べて悪化している』と答えている」と。

また悪影響を与える要因として、「携帯電話やインターネットを
あげる答が、最多の30%にのぼった」(中日新聞・08年6月25日)とも

+++++++

(静岡県教育委員会・アンケート調査より)

●青少年を取り巻く環境

(調査は、県のインターネットモニター、計478人を対象に、
5月26日〜6月8日に実施。
20〜80代の452人が回答した)(同紙)。

(注:数字は、回答者の数)

有害映画や有害図書……40人
有害がん具類……14人
有害図書の自動販売機……12人
インターネットカフェやカラオケボックスなど、
深夜営業の娯楽施設……188人
自動販売機による、たばこや酒類などの販売……15人
携帯電話やパソコンなどによるインターネット……262人
テレビ番組やテレビゲーム・携帯ゲームの
内容および過度の視聴など……133人
保護者をはじめとする大人のモラルの低い行動……190人

++++++++++++++

この調査結果をふまえて、静岡県教育委員会は、
「規制強化に対する反発も予想したが、多くの県民から
理解をいただいた」として、県議会12月定例会に、
条例改正案を提出する方針という(同紙)。

++++++++++++++

●妊娠した女子高校生

浜松市内のA私立高校で、最近も1人、退学させられた生徒(高1女子)がいる。
理由は、「妊娠」?
学校側は、明確な説明を避けている。
しかし生徒の間では、「あの子は、妊娠したから退学させられた」と言いあっている。
学校側としても、「妊娠したから、退学させました」とは、言いにくい(?)。

しかしいまどき、高校生の妊娠など、珍しくも何ともない。
同じく浜松市内のB中学校だけでも、毎年、妊娠中絶する子どもが、1〜2人はいるとい
う(同校、教師談)。
(中学校だぞ!)

数年前の非公式統計だが、都会地域では、約60%の女子高校生が、セックスを経験して
いるという(某週刊誌調査)。
男子の数が、これに追いつきつつある。

今では、たいていの男子高校生は、サイフやポケットに、コンドームを忍ばせている。
これはまた浜松市内の別の進学高校の話だが、「放課後の教室は、ラブホテルみたい」(同
高校の生徒談)とのこと。

校門前でのキスシーンにしても、これまた珍しくも何ともない。

現在は、そういう世の中である!

……と考えていくと、「青少年を取り巻く環境」とは、何かということになる。

そんなことを考えていたら、1人の女子中学生(中2女子)が、勉強中に、突然、私にこ
う聞いた。
「先生は、ヘンタイか?」と。
そこで私が、「正常なスケベだよ」と答えると、「それならいい」と。

話を聞くと、彼女が小学生のときの担任教師が、昨年末、わいせつ行為で警察に逮捕され
たという。
名前を教えてくれたので、さっそくインターネットで検索してみると、その教師の名前が
ズラリと出てきた。
囲碁の世界では、かなり活躍していた教師らしい。
が、私は、同じ浜松市内に住みながら、その事件のことは知らなかった。
つまり、この種の事件も、やはり、今どき、珍しくも、何ともない。

今朝(7月2日)の朝刊にも、熊本県の中学教師によるわいせつ事件が、載っていた。
何でも「マッサージ」と称して、10数人の女子中学生に、いかがわしい行為を繰りかえ
していたという。
中には下着姿にされ、胸を触れられた女子中学生もいたとか。

そういえば、先週も、やはりどこかの中学校教師が、女子中学生を下着姿にして、四つん
ばいにさせて歩かせたという事件があった。

「環境による影響」ということになったら、教師自身のハレンチ行為のほうが、はるかに
影響力が大きい。
私に、「先生はヘンタイか?」と聞いた、その女子中学生にしても、私のみならず、おとな
社会全体に対して、不信感をもってしまったらしい。
あるいは「おとなの男というのは、そういうことをするものだ」と思ってしまっている(?)。

こうした誤解を解くためには、どうすればよいのか?

私「それならいいって……?」
子「すなおに認めればいい」
私「認めなかったら……?」
子「そういう男は、ヘンタイって、こと」

私「ヘンタイって、どういう男のこと?」
子「そういうことには興味ありませんというような顔をしている男」
私「ハハハ、そうか。なら、いい。ぼくは、興味、ある」
子「あの教師(ハレンチ事件を起こして逮捕された元担任)は、クソまじめな顔をしてい
た。キモイ!」と。

●欲望に対する抵抗力

欲望が渦巻く社会。
それが私たちが今住む、現代社会ということになる。
「環境が悪化した」というよりは、子どもたちの側からみれば、「欲望に対する抵抗力を失
った」とみるべきではないのか。

大脳生理学的に言えば、「D2ドーパミンが過剰に分泌されるようになった」ということか。
「D2ドーパミン」というのは、「快楽追求行動を調整している神経伝達物質」をいう。
もしそうなら、ことはやっかい。

喫煙者が禁煙をしたり、アルコール中毒の人が、アルコール断ちをするのと同じくらい、
子どもの世界を是正することは、むずかしい。
静岡県の教育委員会が言うような「規制」で、規制できるような問題ではない。

では、どうするか?

こういうときは『押してだめなら、思い切って、引いてみる』。

「携帯電話やインターネットがだめ」と決めつけるのではなく、「携帯電話やインターネッ
トの正しい使い方」を、教えていく。
携帯電話はともかくも、インターネットについて言えば、さらに無限の可能性を秘めてい
る。
インターネットによって、今、私たちの住む世界が、大きく変わりつつある。
「第2の産業革命」と位置づけている人も、多い。

だったら、ソロバンや計算機の使い方を教えるのではなく、コンピュータやインターネッ
トの使い方を教えたらどうなのか。
教育のカリキュラムそのものを、現実に合わせていく。

さらに言えば、何をもって、「悪化」というのか、私には、よく理解できない。

静岡県教育委員会の調査によれば、「環境は10年前と比べて悪化している」と答えた人が、
89%もいるという。
しかしそう答えた人は、ほんとうに10年前のことがわかっていて、そう答えているのか?
私自身は、「これが世の中の流れ」と思っているから、「悪化した」という意識は、あまり
ない。
(だいたい、10年前のことを、よく覚えていない。)

むしろ10年ほど前から、「高校でも、託児所が必要になる時代は、そこまできている」と
書いていた。
そのため「コンドームの正しい使い方を教えたらいい」とも。

もし「規制」ということになれば、何度も書くように、「厳罰主義」しかない。
「18歳未満の子どもと性的関係をもったら、問答無用に、懲役2年に処す」とか。
イギリスやオーストラリアなど、ほかの欧米諸国のように、そういう関係を見聞きしたら、
通告義務を課す。
その義務を怠った人も、同罪として、処罰する。

が、現実は、甘い。

学校の教師によるハレンチ事件にしても、それによって刑務所へ入った教師は、ゼロ。
「教職を追われるなど、すでに社会的制裁を受けている」などという、理由にもならない
ような理由で、みな、執行猶予がついて、(無罪?)放免にされている。

こんなバカな国が、ほかに、どこにある?

「規制」だけでは、この問題は、解決しない。
あるいは焼け石に水?
それとも気休め?
やらないよりは、やったほうがマシ?
結果は、すでに見えている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 青少年と取り巻く環境 規
制問題)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●友だち

君を、前にひっぱっていく友だちがいるよ。
しかしね、君を、うしろへ、ひっぱっていく友だちも、いるよ。
君に、夢や希望を話し、君と一緒に歩こうとうする友だちが、いるよ。
しかしね、君に悪いことを教え、君と一緒に逃げようとする友だちも、いるよ。
賢い君は、もうわかるね。どちらの友だちが、本当の友だちか?
あとは、君自身の判断に従えばいい。

それからね。ここが大切なところだけれど、
君は、君の友だちを、前にひっぱっていく人になるんだよ。
そうするとね、君のまわりには、すてきな人が集まってくる。
それはとっても、すばらしいことだよ。



●知恵

考えるから人間だよね。
しかしね、その考えることを、
悪いことに使う人がいるよ。
せっかく、すばらしい知恵をもちながら、ね。
そういう人は、知恵のゴミを、
社会にまき散らしているのさ。
かわいそうな人たちだけど、
自分では、それに気づいていない……
君にも知恵はあるだろ。
その知恵はね、
みんなのために使おうね。
せっかく、この宇宙に、
人間として生まれたんだから、ね。
たった一度の人生だから、ね。
大切に、その知恵を使おうね。



●流行

マーク・ツウェィンという人を知っているかな?
「トム・ソーヤの冒険」という本を書いた人だよ。
彼がね、こんなことを言っているよ。
「皆と同じことをしていると感じたら、
そのときは自分が変わるべきとき」とね。
皆と同じことをするということは、
ぞれだけでも時間のムダだよ。

君は君の時間を、君のものとして生きる。
いいかな、皆と同じことをするというのは、
とても楽な生き方かもしれないけど、
本当はずるい生き方なんだよ。
自分に対して、ずるい生き方なんだよ。
だからね、流行には、できるだけ抵抗すること。
少したいへんかもしれないけど、
がんばってみてごらん。
「私は違う」「ぼくは違う」という生き方のほうが、
ずっとすてきだよ。



●ごみは捨てない

毎日の積み重ねが、月になるよ。
月々の積み重ねが、年になるよ。
そしてね、その年が積み重なって
その人の人格になるよ。
むずかしいことではない。
簡単なことだよ。日々の積み重ねというのは、ね。
たとえばゴミを捨てない。
ツバをはかない。
人にウソをつかない。
お金やものを借りない、などね。
そういうことで人格が決まるよ。
ウソだと思ったらね、
車の窓から、タバコの吸いがらを
外へ捨てる人の顔をみてごらん。
ツバをはく人の顔を見てごらん。
その程度の顔しかしてないよ。
君たちも、ああいう人になりたくなかったら、
ゴミを捨てないこと。
たったそれだけのことだけど、
長い時間をかけて、「私」という君が
できるよ。



●目標

したいことは、いっぱいもっていたほうがいいよ。
君にもあるだろ。したいことが……。
そのしたいことを懸命にすればいい。
結果はあとからついてくる。

それから目標はもったほうがいいよ。
君にもあるだろ、目標が……。
その目標に向かって、努力する。
それはとても大切なことだ。

ぼくにも、子どものころ、一つの大きな目標があった。
それはね、外国へ行くことだった。
今から思うと、ちっぽけな目標だったかもしれないけどね。
でも、ぼくが子どものころは、飛行機に乗ることすら、
夢のような話だった。本当だよ。だから外国へ行くということは、
たいへんなことだった。
でもね、ぼくはその目標を達成したよ。
ぼくが最初に、外国へ行ったのは、韓国だった。
あのときは、うれしかったよ。
本当にうれしかったよ。
今でもそのときの感激を忘れないよ。
目標というのは、そういうものだよ。
君の人生に、大きな喜びを与えてくれるよ。
それはとっても、すばらしいことだよ。



●死後のこと

死んだあとも、
あの世があると
言う人がいるけど、
ぼくは、知らない。
見たことないもんね。
でもね、
あれば、楽しい、ね。
死んだあとも、またみんなに
会えるからね。
でも、本当に
あるのかな?
君は、どう思う?
それとも、
本当にだれか、
あの世を見たことが
あるのかな?



●めざせ、プロ!

君はプロになる。
プロだ。
いいか、どんな道のプロでもいい。
「これだけは絶対、人に負けない」というのが、
プロ、だ。
そのプロをめざせ。

ぼくもね、幼児教育については、
自信があるよ。
ぼくはね、この道では、
絶対に、人に負けないよ。
だから、ね。
この世界では、いつも優越感を覚えるよ。
何というか、ずっと先を、走っているような優越感さ。
これは実に、楽しいことだよ。
人に認められるとか、認められないとか、
そういうことは全然、気にならないよ。
ぼくはぼくだし、ね。
プロというのは、そういうものではないのかな。

プロになるんだよ。
どんな道でもいい。
それは本当に楽しいことだから。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●物欲のメカニズム

++++++++++++++++

子どもの物欲を満たすのは、慎重に。
それに慣れた子どもは、さらに強い
刺激を求めて、やがて物欲の奴隷に
なる。

子どもの心をモノで釣るようなことは
してはいけない。

++++++++++++++++

孫の誠司を、あちこちに連れていってみて、驚いた。
ショッピングセンターにも連れて行った。
みやげもの屋にも連れて行った。
コンビニにも連れて行った。
もちろんおもちゃ屋にも、連れて行った。
しかしどこへ連れて行っても、モノをほしがらない。

ただその場で、手に取ってみるだけ。
「ほしい」とか、「買って」とか、言わない。
で、私のほうが、「買ってあげようか?」と声をかけるのだが、
だまっているだけ。
つまり、そういう習慣そのものが、ない。
まったく、ない!
日本の子どもなら、「あれ、買って!」「これ、買って!」と言いそうな
場面でも、そういうことは、いっさい、口にしない。

これは息子の影響というより、嫁のデニーズの影響と思われる。
何回か、デニーズと誠司の買い物に、同行したことがある。
そういうときでも、デニーズと誠司は、そういう会話をいっさい、しない。
「必要なものは買う。しかしそれ以外のものは、いっさい買わない」。
そういう姿勢が徹底している。
つまり先にも書いたように、そういう習慣そのものが、ない。

そういう一例だけをみて、こう判断するのも危険なことかもしれない。
しかし『物欲というのは、習慣によって作られる』。

が、この日本では、モノで子どもの心を買うという習慣が、日常化している。
子どものほしがるものを先に予想して、それを買い与える親は少なくない。
またそれをすることによって、親子の絆(きずな)は太くなると考える。

しかし実際には、逆効果。
感謝されるとしても、一時的。
つぎに今度は、子どものほうから、それを請求してくるようになる。
が、それですまない。

物欲というのは、それを満たせば満たすほど、エスカレートする。
脳の中では、つぎのようなメカニズムが働くためと考えてよい。

何か目新しいものを見たとき、脳の中で、「ほしい」という欲求が生まれる。
(このときすでに条件反射行動(=条件づけ反応)が起きているとみる。)
視床下部あたりから脳に向かって、強力なシグナルが送られる。
それに応じて、ドーパミン(ホルモン)が放出される。
そのドーパミンが、線条体を刺激する。

「この刺激は強烈で、このとき線条体は、『目的達成に向けた行動を起こせ』
というメッセージを受けとる。この刺激は強力で、意志の力だけでこの
衝動を克服するのは、非常に難しい」(K・ローットワイラー・オゼッリほか、
「サイエンス」)という。

喫煙者がタバコの煙をかいだり、アルコール依存症の人が、酒の臭いを
かいだときと同じような現象が、脳の中で起こる。

とたん、子どもは(おとなも)、そのモノを強烈にほしがるようになる。
それはふつうの反応ではない。
ふつうでないことは、たとえばタバコをやめられない人や、酒をやめられない
人のことを考えてみればよい。

しかしこのとき、ドーパミンの働きを打ち消そうという働きも、同時に発生する。
これを大脳生理学の世界では、「フィードバック」と呼んでいる。
つまり、感覚がマヒしてくる。
マヒしてくるから、つぎのときは、さらに強い刺激を求めるようになる。

(実際には、「薬物依存患者などは、線条体に見られる(D2ドーパミン受容体)
の数が少ないのがふつう。……これはおそらく、麻薬などを何度も摂取するたびに
繰りかえされるドーパミンの急増を、脳が何らかの形で相殺しようとしている
のだろう」(同、K・ローットワイラー・オゼッリほか)とのこと。)

こうして物欲は、かぎりなくエスカレートしていく。

だから、子どもにモノを買い与えるのは、最小限にしたほうがよい。
できれば、そういう習慣は、やめたほうがよい。

わかりやすく言えば、一度、物欲にとらわれた子ども(人)は、
それを断ち切るのは容易なことではない。
ばあいによっては、物欲の奴隷となる。
ちょうど喫煙者がタバコの奴隷になり、アルコール依存症の人が、アルコール
の奴隷になるように、だ。

だから、先にも書いたように、モノを買い与えても、感謝するのは
そのときだけ、ということになる。

が、さらに恐ろしいことは、つぎのステップで起こる。

こうした欲望の奴隷になった子ども(人)は、それが満たされないとわかると、
パニック状態になる。
狂乱状態になることもある。

ときどきショッピングセンターなどで、「あれ、買ってエ!」と、泣き叫ぶ
子どもを見かけるが、それもその一例ということになる。

「実際には逆効果」というのは、そういう意味である。

で、だからといって誠司が理想的というわけではない。
現代という社会は、物欲を中心になりたっている。
その物欲が、経済活動の原動力にもなっている。

もし現代という社会で、物欲を否定してしまったら、
社会そのものが、崩壊してしまう。
子ども(人)の立場でいうなら、社会そのものに同化できなく
なってしまう。

「欲しい」という意欲があるからこそ、そこから勤労意欲が生まれる。
だから「ある程度は・・・」ということになる。
ある程度の物欲は必要だし、そのための教育(?)も必要ということになる。
が、あくまでも「ある程度」。
その「程度」を超えたとき、その子どもは、かぎりなくドラ息子化する。

結果として、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。

それだけは、注意したほうがよい。

(補記)

ドーパミン……快楽追求行動を調整している神経伝達物質
条件づけ反応……報酬と喜びに関連する脳の刺激に対する反応。これによって
       条件づけ反応が生じ、その環境に身を置いただけで、反応が起こる
       ようになる(以上、日経「サイエンス」07−12、p54) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 物欲 物欲の
メカニズム 子どもの物欲 子供の物欲 線条体 ドーパミン受容体 視床下部)

+++++++++++++++

この原稿に関連して、「100倍論」
について。

+++++++++++++++

【100倍論】

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚
 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感
覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分
の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇
円のものなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円
と。つまりこの時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買った
ときの満足感と同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一
〇〇〇円のものでは満足しなくなる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生
や大学生になれば、一〇万円、一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は
別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは
高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまった
くの誤解。あるいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれないが、それはあ
くまでも一時的。子どもはさらに高価なものを求めるようになる。そうなればなったで、
やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になる
ゲームソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでい
るというのだ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、
その女性はこう答えた。「かわいい孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖
母)と、子ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っ
ていた。「おばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人
の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム
屋の前に並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空の
もと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるか
どうか疑わしい。感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などとい
うものは、同じような苦労した人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「た
だのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動
車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思
い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、
そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリ
アへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それに
は、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意
識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそ
のまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りか
ってみてほしい。(中日新聞掲載済み)
(030716)

+++++++++++++++++

物欲によって、破壊される
親子関係について……

+++++++++++++++++

●バラバラになる親子

 Aさんは会社のリストラで職をなくした。企業診断士の資格をもっていたので、市内の
マンションを借りてコンサルタント事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行
きづまってしまった。しかしそれが悲劇の始まりだった。

 まず大学一年生になったばかりの長女が、Aさんを責めた。「大学だけは出してもらう。
あんたに責任をとってもらう」と。次に二女もそれに加わり、「お父さんが勝手なことばか
りしているから、こうなったのだ」と。本来ならここで母親が間に入って、父と娘たちの
調整をしなければならないのだが、その母親まで、「生活ができない」と言って、家を飛び
出してしまった。家族といっても、一度歯車が狂うと、どこまでも狂う。狂ってバラバラ
になってしまう。Aさんはこう言った。「妻の家出のことで助けを求めたとき、長女に『自
業自得でしょ』と言われました。そのときは背筋が凍る思いがしました」と。

 Aさんは何とか親戚中からお金をかき集めて、長女の学費を工面した。が、そういう苦
労などどこ吹く風。長女は妻が身を寄せている三重県の実家へは帰るものの、Aさんのと
ころには寄りつかなくなってしまった。仕送りが遅れたりすると、長女から矢の催促が届
くという。

 こう書くとAさんをだらしない男のように思う人もいるかもしれないが、ごくふつうの、
しかも典型的なまじめ型人間。日本人の何割かが、彼のような人物といってもよい。人一
倍家族思いで、また家族のためならどんな苦労もいとわない。Aさんはこう言う。「朝早く
仕事にでかけ、いつも帰るのは真夜中。家族はそれで満足してくれていると思っていまし
た。しかし妻も娘たちも、自分とはまったく違ったとらえ方をしていたのですね」と。
 そのAさんは今は、二女の進学問題で悩んでいる。「お金がないから……」と言いかける
と、次女は「今ごろそういうことを言われても困る」と。「そういう話は前もって言っても
らわなければ困る」とも。

 イギリスの格言に、『子どもに釣り竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け』というの
がある。親というのは、子どもに何かものを買ってあげることで、親としての義務を果た
したかのように思うかもしれない。が、それでは子どもの心をつかむことはできない。子
どもの心をつかみたかったら、「釣りに行け」と。何でもないことのようだが、親子の意識
のズレはこうして始まる。「してあげた」と思う親。それを「当たり前」と思う子ども。そ
してそのズレが無数に積み重なって、Aさんのようになる。いつか気がついてみたら、家
族の心がバラバラになっていた、と。ついでに一言。

 私たち戦後の団塊世代は、あのひもじさを知っている。だから子どもたちには、そのひ
もじい思いをさせたくないとがんばってきた。結果、今の子どもたちは、「ひもじい」とい
う言葉の意味そのものすら知らない。しかしそれが今、あちこちの家庭で裏目に出ようと
している。Aさんの家庭もそんな家庭だが、皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
(中日新聞掲載済み)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●他責型ママ、自責型ママ

母親にも他責型と自責型がある。

たとえば自分の子どもに何か問題を発見したようなとき、
即座に、「子どもを何とかしよう」と考えるのが、他責型。

一方、「自分の育て方に問題がある」と考えて、いつもその
責任を自分に求めるのが、自責型。

子育てでは、自責型ママのほうがよい。
また自責型ママの子どもは、それほど大きな問題を起こさない。

さらに最近では、「子どもは家族の代表にすぎない」、だから
「子どもに何か問題があったら、それは家族全体の問題」と
考えるようになってきた。

たとえば子どもに、ドラ息子症状が現われてきたとする。
わがままで、自分勝手。享楽的で、感情的。
自己中心性が強くなり、他者との協調性が失われる・・・。

それを母親に、それとなく指摘すると、即座に、「子どもをなおそう」と
考えるのが、他責型ママということになる。
「では、どこの病院へ行けばいいのですか?」と私に聞いた親もいた。
他責型ママほど、自分は完成された母親であり、自分には
問題がないと考える。

それだけ自己中心性が強いから、子どもの心がわからない。
わからないから、ますます悪循環の世界に入ってしまう。

これに対して自責型ママは、自分に責任を求める。
だから会話のし方そのものが、ちがってくる。

「そういう子どもにしたのは、自分自身」と考えて、
それまでの子育てのあり方を反省したり、見なおしたりする。
だから悪循環に陥ることもなく、子どもも、そのまま
よい方向に向かう。

……ということで、こんな例がある。

私の知人だが、3人の息子をもっている人がいる。
その3人だが、3人も、高校を退学させられている。
長男は、無免許でバイクを運転して、警察に逮捕された。
二男は、同じく無免許で車を運転していて、事故を起こした。
(このとき同乗していた高校生が、軽いけがをしている。)
三男は、ガールフレンドを妊娠させてしまった。
(相手の親は、「強姦だった」と主張した。)

3人のうち、1人くらいなら・・・、というケースは多い。
しかし3人とも・・・、というケースは少ない。
その母親は、「子どもたちが悪い」といつも言っていた。
しかしその遠因は、実は、母親自身にあった。

かなりわがままな女性で、他人の話など、ほとんど聞かなかった。
ここでいう他責型ママ。
学校の教師が何かをアドバイスしても、いつも即座に反論ばかり
していた。

「うちでは、ふつうです」「ほかの子にそそのかされただけです」と。

だからいつしか、教師のほうが、その母親を敬遠するようになった。
・・・ということが重なって、3人も、退学させられてしまった。

そこでクエスチョン。

あなたは他責型か、それとも自責型か?

こと子育てにおいては、つねに自責を心がけたらよい。
子どもに何か問題が起きたら、それは自分の問題、家族の問題と考える。
そういう姿勢が、子どもを、結局は守るということになる。

++++++++++++++

●他責型と自責型

たとえばテーブルの上にあったコップを落として、そのコップを割ったとする。
そのとき、すかさず、「だれ、こんなところにコップを置いたのは!」と、
責任を他人に求めるのが、他責型。

だれかがその人の不注意を指摘したりすると、即座に反論する。
「私は、手がすべっただけ」
「だれだって、ときには、失敗することもあるでしょ」と。

一方、自責型は、他人がコップを落として割っても、「ごめん、ごめん、
私がこんなところにコップを置いたのがいけなかった」と、即座に、自分に責任を求める。

そのコップを落とした人が、「ごめん」とあやまっても、「いいの、あなたは
誤らなくても・・・。私が悪いんだから」と言ったりする。

ただし、他責型が悪く、自責型がよいとも、言えない。
一般論から言うと、他責型ママは、他人に責任を転嫁するのがうまく、
うつ病にはならない。・・・なりにくい。
一方、自責型ママは、いつも自分を責める分だけ、うつ病になりやすい。

他責型は楽天的。
そこに大きな問題があっても、それに気づかないこともある。

自責型は、ものごとを深刻にとらえがち。
ささいなことを、針小棒大に考えて、悩んだり苦しんだりする。
神経質になったり、過干渉、過関心になったりしやすい。
こうしたちがいが、子育てに反映されることもある。

(はやし浩司 自責型ママ 他責型ママ 他責人間 自責人間)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●なぜ、今、ウォン安? (危機的状況の韓国経済)
(The Second Crisis is now attacking South Korea)

+++++++++++++++++

世界的に、現在、ドル安。
だから日本円も、それにつられて、円高。
半年前には、1ドル=120円前後だった。
それが今日現在は、106円前後。
それはわかる。

が、韓国のウォンは、半年前には
1ドル=900ウォン前後だった。
が、今日現在は、1044円ウォン!

どうして韓国のウォンだけが、世界の
流れに対して逆行しているのか?

理由は簡単。
ドルの価値がさがる以上に、ウォンが売られている。

朝鮮N報は、つぎのように伝える(6月30日)。

『原油高のショックで韓国経済が全体的に難局に直面する中、外国人投資家による韓国株
式市場での売り越し規模が4兆ウォン(約4100億円)を超えた。

 年初来の外国人による売り越し規模は27日時点で17兆4570億ウォン(約1兆7920億
円)に膨らんだ。このまま推移すれば、1992年の株式市場開放以降最高だった昨年の24
兆7117億ウォン(約2兆5360億円)を超えるのは確実だ。

 さらに6月の貿易収支は20日までの暫定集計で50億ドル(約5320億円)の赤字とな
り、韓国経済の困難が増大している』と。

わかるかな?

外国人投資家たちが、ウォンを売って、ウォン以外の
外貨に交換している。
ウォンが必要以上に売られているから、ウォン安。
つまり韓国を見捨て始めている!

具体的には、今年になってから、170億ドル(約1兆
8000億円)もの株式を、売り越している(朝鮮N報)。

その結果、どうなる?

朝鮮N報は、『雪だるま式に膨らむ、貿易赤字』と出して
つぎのように伝えている(同、6月30日)。

『原油高で原油の輸入単価が上昇し、貿易収支は通貨危機当時の1997年(85億ドル〈現
在のレートで約9000億円〉の赤字)以降初めて赤字に転落する見通しだ。年初来6月20
日までの貿易赤字は106億9694万ドル(約1兆1380億円)に膨らんだ。政府は当初、今
年の貿易収支を130億ドル(約1兆3800万円)の黒字と予測していた』と。

つまり当初韓国政府は、08年度は、130億ドルの黒字を予想していた。
それが一転して、08年度は、6月末までだけで、107億ドルの赤字!
このまま赤字が膨らめば、朝鮮N報が伝えるように、「雪だるま式に」、貿易赤字は
増大する。

……が悪いことは重なる。

現在、韓国では、アメリカ産牛肉問題で、国内情勢が
きわめて不安定になっている。
「今のところだいじょうぶ」と、韓国政府はがんばっているが、
その異常さは、ふつうではない。

恐らく外国人投資家たちも、そう見ている。
現在の韓国に、積極的に投資する外国人投資家は、いない。
この先、外国人投資家の逃避はつづく。

ますますウォン安になる。
貿易赤字が膨らむ。

あとは、想像するだけでも、ゾッとする。
第2のデフォルト(=国家破綻)が、ここまで現実化してくると、
その言葉を使うのも、恐ろしい。
(2008年6月30日記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 韓国経済 危機的状況の韓
国 デフォルト 国家破綻 債務不履行)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●低俗な番組は見ないほうがいいよ

夜になると、低俗な人たちがテレビで騒いでいるね。
バラエティ番組という名前がついている、あれだよ。
意味もないことを、ギャーギャーと言ったり、騒いだりしている。
ああいう人たちはね、実際には頭の中はカラッポ。
自分の知っている情報を、右から左へと、適当に流しているだけ。
思いついたことを、ペラペラと話しているだけ。
ときどきもっともらしいことを言うけどね、たいていは、人の受け売り。
だからいくらああいう人の意見を聞いても、君たちのためにはならないよ。
時間をムダにするよ。人生をムダにするよ。

いやね、それだけではない。
ああいう番組を見れば見るほど、君たちも、愚かになるよ。
言い方や、しぐさまで、似てくるよ。

今度ね、ゆっくりと、ああいう番組に出てくる人を観察してみてごらん。
ぼくには、どう見ても、スーツを着たサルにしか見えない。
ぼくがおかしいのかな。それともテレビがおかしいのかな。
でも、少しだけ、冷静に考えて見てごらん。
君たちは、本当にああいうおとなになりたいかい。
本当にああいうおとなが、理想のおとなと思うかい。
できれば、一度、音を切って、見てみてごらん。
顔や口の動きだけを見てごらん。
ぼくの言っている意味がわかるはずだよ。



●幸せの目標

幸福なんてものはね、
そんなに遠くにあるんじゃ、
ないんだよ。
君たちのすぐそばにあって、
君たちに見つけてもらうのを、
息をひそめて
静かに待っているんだよ。
「早く見つけてくれ」ってね。

何だと思う?
幸福って。
それはね、
「家族」だよ。
家族が、一番大切なものだよ。

家族にはね、
三つの役目がある。

(1)家族は助けあう。
(2)家族は守りあう。
(3)家族は理解しあう。

今日からね、大声で
こう言おうよ。
「私にとって、一番、大切なものは
家族です!」って。
「家族を一番大切にします!」って。
家族を大切にするということは、
とってもすばらしいことなんだよ。
そしてね、
それが結局は、
幸福の原点なんだよ。



●賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。



●バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。



●懸命に生きようね

「今」を、懸命に生きようね。
あとのことは、考えなくてもいい。
「今」を懸命に生きて、あとのことはあとに任せようよ。
結果はいつも、あとから、勝手についてくる。
気にしなくていい。心配しなくていい。
ぼくもね、この文を、今、懸命に書いているよ。
だれかが読んでくれるかどうか、わからないけれど、
懸命に書いているよ。でもね、大切なことは、
だれかに読んでもらえるかどうかなどということではないよ。
気にしないことだ。ぼくはぼくだし、君は君だ。
でもね、君は、ここまで読んでくれた。
心から「ありがとう」と言うよ。
本当に、ありがとう。
君のことを、心から愛しているよ。
君はね、決して、ひとりぼっちじゃ、ないよ。
心から愛しているよ!
ではね。
またいつか、このページを読んでね!



●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『告発のとき』+言葉感覚
My ability in my language has been getting worse? 

++++++++++++++++

トミー・リー・ジョーンズ主演の映画、
『告発のとき』を見てきた。

原題は『In the Valley of Elah』?

さらに原題は、『Death and Dishonor』?
『Death and Dishonor』は、雑誌・プレイボーイに
掲載されたときの原題。

「死と不名誉」という意味である。

どうであるにせよ、『告発のとき』という題名は、
おかしい?
映画の内容と一致しない?

映画を見終わったあと、「どうしてそんな題名なのか?」と思った。
そう思ったところで、私の思考は停止状態になってしまった。

(あるいは私の言葉感覚がおかしいのかもしれない。)

内容は、「アメリカで怒った実在の事件を
モデルにした人間ドラマ」(Anemo
Movie・HP)だ、そうだ。

同じHPには、つぎのようにある。

「……退役軍人(トミー・リー・ジョーンズ)の息子(ジョナサン・タッカー)は、イラクの最前線から
アメ
リカに帰国した直後に、軍隊から脱走する。地元警察の捜査官(シャーリーズ・セロン)の助け
を借
りて、父は息子を探しだそうとするが、そこにはある秘密が隠されていた。真実を追い求める
につ
れて、父親の知らない息子の素顔が明らかになっていく……」(同HP)と。

「秘密」といえば、秘密ということになるが、
しかし「告発」という言葉とは、どう考えても
結びつかない。

その映画を見てから、今日で3日目になるが、
いまだに、その疑問が解けないでいる。

どうして『告発のとき』なのか?
原題の『イーラの谷で』でもよかったのでは?
あるいはプレイボーイ誌に載った、『死と不名誉』でも
よかったのでは?

ただし、私がスクリーン上で見た原題(英文)は、
別のものだったように気がする。
だれかの個人名を含んだ原題だったように
記憶している。

(このあたりがあいまで、ゴメン!)

ともかくも、『告発のとき』を見てきた。
星は、3つの★★★。

よい映画だとは思うが、娯楽映画ではない。
(Anemo Movie)が解説しているように、
「人間ドラマ」。

私は基本的には、娯楽映画を好む。
劇場まで、お金を払って見に行く以上、
それなりに楽しみたい。
ハハハと笑いながら、楽しみたい。

というわけで、深刻な映画は、どうも肌に合わない。

その映画についても、全体としてみると、退廃的で、殺伐としている。
殺人、麻薬、酒、女……、と。

で、星は、3つ。
2つでもいいかな……?

私が「やっぱり、インディ・ジョーンズのほうにすればよかった」
と言うと、ワイフも、「そうね。次回の楽しみよ」と応じてくれた。

……しかしどうしてインディ・ジョーンズは、
あれほどまでにはげしい戦闘を経験しながら、
PTSD(心的外傷後ストレス障害)にならないのだろう?

屈強なアメリカ兵でも、インディ・ジョーンズの
ような経験をしたら、数日で、PTSDになってしまうだろう。
『告発のとき』の中のマイク(息子)のように……。

ついでながら、時事通信は、たまたま今日、こんな事実を
伝えている(6月30日)。

+++++++++++以下、時事通信より抜粋+++++++++++++

【ワシントン29日時事】米陸軍で昨年自殺した兵士は、前年より約13%増の115人
だったことが29日、わかった。1990年以降最悪という。米主要メディアが伝えた。

 イラクやアフガニスタンでの戦いが長期化し、兵士の心的外傷後ストレス障害(PTS
D)が深刻化。米国防総省内では対策が緊急の課題となっている。

 陸軍の調査では、43%が帰国後に、24%が最初の派遣で自殺していた。自殺者には
州兵と予備役も含まれている。また、935人が自殺を試みた。

+++++++++++以上、時事通信より抜粋+++++++++++++

戦争は、純朴な若者を、悪魔へと変えていく。
『告発のとき』という映画は、それを私たちに
伝えたかったのだろう。

それはよくわかるが……。

++++++++++++++++

●私の言葉感覚

++++++++++++++++

私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

「言葉感覚」という話が出たので、
ついでに、こんな話も書いてみたい。

++++++++++++++++

私の言葉感覚がおかしいのか?
それとも、世間一般の言葉感覚の
ほうが、おかしいのか?

まず、つぎの文章(詩)を読んで
みてほしい。

この詩は、ある青年が、26歳
のとき、書いたものである。
そのまま紹介する。

++++++++++++++++

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い証明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの古い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

++++++++++++++++

失礼があってはいけないので、一字一句、誤りがないように、
私自身がタイプして転写してみた。

この詩について、ある女性は「電撃に打たれた
ような衝撃と感動を覚えた」と書き、また
別の男性は、「人と人の交流の大切さを教える
すばらしい詩」と評している。

ウィキペディア百科事典の中にも、「特筆すべきは、
作者の特異で旺盛な自然との交感力である」とある。

私は、「フ〜〜ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もし私の身近で、こういう詩を書く人がいたら、
私は、まずその人の脳みその状態を疑うだろう(失礼!)。
相手が中学生か高校生だったら、「C」をつけた上、
書きなおしを勧めるかもしれない。

それとも私の言葉感覚がおかしいのか?

もちろんこんなことを書けば、私の脳みその状態の
ほうが疑われる。

そこで再度、この詩を読みなおしてみる。
(読者のみなさんも、どうか読みなおしてみてほしい。)

私以外の人たちは、「すばらしい」「すばらしい」と
この詩を賞賛する。
が、私には、どうにもこうにも理解できない。
理解できないばかりか、読めば読むほど、
気が変になっていくようにすら感ずる。

読者のみなさんは、どうであろうか?

ということで……実は、この詩は、あの宮沢賢治
(1896〜1933)が、26歳のときに書いたものである。
出典は「春と修羅」序文。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『詩集では制作日として(1922・4・8)という注記がある(賢治の場合、発表まで
の間に何度も書き直しを行う場合がほとんどであるため、第一稿を着想ないしは執筆した
日付と考えられている)。また、タイトルに"mental sketch modified"という副題が付さ
れている。なお、本詩集中の「青い槍の葉」「原体剣舞連」にも同じ副題が付いている』と。

この詩のみならず、私は同じような印象を、
あの『注文の多い料理店』を読んだときにも、もった。

『二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかつ
いで、白熊のような犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こん
なことを云いながら、あるいておりました。

「ぜんたい、ここらの山は怪しからんね。鳥も獣も一疋も居やがらん。なんでも構わない
から、早くタンタアーンと、やって見たいもんだなあ……」という、あの『注文の多い料
理店』である。

みなは「すばらしい」「すばらしい」と絶賛する。
学校で使う教科書にも載っている。
英文のみならず、いろいろな言語に翻訳されて、世界中に紹介されている。

さらに宮沢賢治個人については、記念館もある。
作品館もある。
宮沢賢治の作品を研究する学会まである。

そういう宮沢賢治のような「国民的作家」(某HP)の
代表作に「?」マークをつけるのは、たいへん勇気の
いることである。

むしろ私のほうが、袋叩きにあってしまう。
あの『注文の多い料理店』にしても、「宮沢賢治が、
都会から来たハンターに敵意をもっていたことがわかる、
秀作」(某HP)というのが、一般的な評価である。

やはり私は、「フ〜〜ン」と思っただけで、そのあとの
言葉がつづかない。

もう一作、『春と修羅』より、紹介する。

+++++++++++++++

心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
(正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき) 
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の眼路(めじ)をかぎり
 れいらうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)(エーテル)を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげらふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
    黒い木の群落が延び
      その枝はかなしくしげり
     すべて二重の風景を
    喪神の森の梢から
   ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる) 
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ 

++++++++++++++

一説によると、宮沢賢治自身は、生きている間は、
著作による収入は、ほとんどなかったと言われている。
彼が有名になるのは、むしろ死んだあとからのことらしい。

ウィキペディア百科事典にも、「死の直後から、
主に草野心平の尽力により、多数の作品が刊行された」とある。

どうであるにせよ、やはり私の言葉感覚のほうが、
おかしいようである。

ただ私のワイフだけは、こう言った。
「私たちは作られた虚像に振り回されているだけじゃ、ないの?」と。

そうかもしれない。
そうでないのかもしれない。

……それとも私やワイフの脳みその能力が低下したの
かもしれない。

あとの判断は、読者の皆さんに任せる。

+++++++++++++++++

●再び『告発のとき』

結論というわけでもないが、私は、どうしても
『告発のとき』というタイトルに違和感を覚えてしまう。

どうして『告発のとき』なのか?

フ〜〜ン。

やはり私の言葉能力のほうが、おかしいのかもしれない。
あるいは少しボケてきた?
そういう心配もあるので、よけいに気になるのかもしれない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
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の多い料理店 告発のとき はやし浩司 言葉感覚 言語能力 言語感覚)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●都市伝説(The Legend made by TV Stations)

+++++++++++++++++

2008年5月から6月にかけて、韓国で、
常識では理解できないデモが発生した。
先週の6月26日にも、デモが発生したという。

連日、キャンドルを片手にした数万人単位の
群衆が、「アメリカ産牛肉輸入禁止」の
デモを繰り広げた。

が、やがてそれが暴徒化。
新聞社を襲撃したり、機動隊員や民間人に対して
無差別暴力を繰りかえすようになった。

その中には、多くの小中学生までもが加わっていた。
「まだ15歳なのに死んでいくしかないのか」と、将来を悲嘆する
子どもまで現われたという(朝鮮N報)。

そのため連日のデモにより、イ大統領は、
青瓦台の人事刷新、内閣改造という事態にまで追い込まれた。

当初は左派系の政治団体が、右派系の
大統領府を攻撃するために、政治的にしくまれた
デモを疑われた。

それにしても、なぜにこれほどまでに過激な(?)デモに
なってしまったのか?

「たかが……」というと、叱られるかもしれないが、
たかが牛肉問題ではないか。

「米国で米国産牛肉を食べて狂牛病に
かかった人は一人もいない」
「狂牛病が人に感染したと考えられている
変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発症例は、
今年に入り世界で1件もない」(朝鮮N報)
という事実があるにもかかわらず、
韓国の人たちは、デモに走った。

なぜか?

私は一連のデモ騒動についての報道を見ながら、
あのH・G・ウェルズの『宇宙戦争』を
思い浮かべていた。

「ひょっとしたら韓国の人たちは、だれかに
踊らされているだけではないのか?」と。

+++++++++++++++++

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

+++++++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++

ラジオドラマ『宇宙戦争』(うちゅうせんそう、The War of the Worlds)は、オーソン・ウ
ェルズが、H.・G・ ウェルズ作『宇宙戦争』を、ラジオ番組化したものである。

1938年10月30日にハロウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組Mercury Theatre 
on the Airで放送された。この生放送は多くの聴取者を恐怖させ、実際の火星人侵略が進行
中であると信じさせた。侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと
言われるが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、
聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていた。

オーソン・ウェルズの翻案は、おそらく歴史上最も成功したラジオドラマ作品であろう。
それは、Radio Projectの最初の研究課題のひとつとなった。

ただし、このパニックについては、疑いも持たれている。当時新興メディアであったラジ
オに対して警戒心をあらわにしていた新聞がことさらにバッシングを行ったことが都市伝
説化したものだとする説も有力である。

+++++++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++

デモの様子について、毎日新聞は、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、毎日新聞より+++++++++++++++++

【ソウル中島哲夫】韓国の米国産牛肉輸入反対デモが過激化し、機動隊と衝突するだけで
なく、デモに批判的な保守系大手紙の本社を襲撃したり、取材カメラマンや一般市民に暴
行するといった事例が相次ぎ始めた。

 5月に始まった一連のデモは機動隊との衝突や警察車両の破壊へと次第にエスカレート。
李明博(イミョンバク)政権が米国との追加交渉を受けて牛肉輸入再開の手続きに踏み切
ると、一気に過激化した。

 26日から27日にかけて、いずれも夜間にデモ隊の一部がソウル都心にある朝鮮日報、
東亜日報の社屋に押しかけ、ハンマーなどで正面玄関の社名ロゴや大型回転ドアのガラス
を破壊、周辺にゴミを積み上げたり汚物をまくなどした。

 朝鮮日報社屋と接続しているホテルも植木鉢や入り口のガラスを割られたうえ、ロビー
に大量のゴミを投げ込まれ、職員3人はデモ隊から殴るけるの暴行を受けた。

 東亜日報カメラマンは取材中、デモ隊に引きずり回されたあげく殴られて失神、病院に
運ばれた。朝鮮日報カメラマンも酒ビンを投げつけられて負傷した。

 28日付の朝鮮日報によると、ホテル被害の現場で抗議した女性市民がデモ隊に取り囲
まれ、乱暴を止めようとした男性市民とともに殴られた。ホテル襲撃を主導した男を追跡
し逮捕しようとした刑事も周辺のデモ隊の暴行で妨害され、容疑者は逃走した。

 デモの規模は6月10日をピークに縮小傾向にあるが、一般市民の参加激減に伴い、本
気で李政権退陣を求める戦闘的メンバーの比率が増大。左派系の新聞や、政府の官業民営
化方針に反発する公営や半官半民の主要放送局は「警察の過剰鎮圧」を強調するなどデモ
隊に好意的な報道を続けているが、もはや「非暴力の市民デモ」とは主張しにくい状況に
なっている。(毎日新聞6・29)

+++++++++++++以上、毎日新聞より+++++++++++++++++

また朝鮮N報は、つぎのように伝える。

+++++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++++

米牛肉交渉が妥結したのは4月18日のことだった。当時、韓国で「米国産牛肉を食べたら
狂牛病(牛海綿状脳症〈BSE〉)になる」という都市伝説はほとんど聞かれなかった。だが、
2週間も過ぎた5月2日、「まだ15歳なのに死んでいくしかないのか」と中学生や市民が
キャンドル集会を始めた。

 落ち着いていた民心に火を付けたのは、4月29日に放送されたMBCの報道番組『PD手
帳』の「米国産牛肉、果たして狂牛病から安全なのか」だった。これをきっかけに、テレ
ビ局は「米国産牛=狂牛病」という認識を植え付けるような主張を「じゅうたん爆撃」の
ように一斉に放送した。

『PD手帳』の主張の核心は故意の歪曲(わいきょく)やねつ造だったことが白日の下にさ
らされたが、これらの無責任な主張はネットで増幅され、今は世界のどこにも存在しない
「狂牛病騒動」を生み出した。

 MBC『ニュースデスク』では『PD手帳』放送後の三日間、米国産牛肉の危険性を取り
上げた連続企画を放送し、多い日は全ニュース25項目のうち13項目をこの問題に充てた。
また、所々に狂牛病でもない「へたり牛」(自力で歩けずへたり込んだ牛)の映像を挿入し、
「米国産牛=狂牛病」と視聴者を洗脳した。5月4日には「へたり牛は狂牛病が疑われてい
たが食用と判定された」という無責任な『PD手帳』の主張を繰り返した。

 KBS『ニュース9』も多いときは全ニュース28項目のうち16項目を米国産牛肉の問題
に割いた。ここでもまた、へたり牛の映像を随時流し、恐怖をあおった。「他国には輸出で
きない危険部位が韓国に送られる」「インスタントラーメンのスープ・薬のカプセル・化粧
品も安心できない」という科学的に証明されていない話も放送した。

 KBS『時事トゥナイト』は5月5日、「今年2月に米国で"狂牛病が疑われる牛肉"6万
4000トンについて過去最大のリコール(回収)があった」と報じた。だが、このリコール
は狂牛病とは関係なかった。こうした誇張やうそ、都市伝説が朝の主婦向けワイドショー・
芸能番組・ラジオでも次々と流された。ごく常識的だと思われる人々も米国産牛肉と聞く
と顔をしかめるほどだった。

 テレビ番組はこうした報道をしながらも、「米国で米国産牛肉を食べて狂牛病にかかった
人は一人もいない」という基本的かつ核心的な事実から目を背けた。申し訳程度に、韓国
政府関係者の発言を1〜2回取り上げただけだった。「狂牛病が人に感染したと考えられて
いる変異型クロイツフェルト・ヤコブ病の発症例は今年に入り世界で1件もない」という
事実も、テレビでは報じられなかった。

 数日前、カナダで狂牛病にかかった牛が発見されたが、カナダのどこにも狂牛病騒動は
起きていない。騒動をあおるメディアがないのだ。2000年代初めに世界中を巻き込んだ狂
牛病の恐怖は、このように世界のほとんどの国で合理的な線で落ち着きつつある。だが、
韓国のテレビ局の暴力的なパワーは、世界のどこにもない「集団的な狂牛病の恐怖」を韓
国だけに生み出した。その真の目的が何なのかについては、今後一つ一つ明らかになって
いくだろう。

++++++++++++++++++

最近、キャンドル集会の規模は大きく縮小しているが、その一方で集会が一層過激さを増
しているのは、「デモ専門家」といわれる彼らの割合が大きくなっていることが大きな原因
と警察は分析している。

しかし、実際に過激な行為で連行されたり逮捕状が請求されているのは、そのほとんどが
大学生や失業者たちだった。先月24日以降、違法に道路を占拠したり暴力デモで警察に連
行された768人のうち、363人が大学生と失業者だった。

暴力行為で逮捕された6人も、失業者3人と大学生一人、日雇い労働者二人だった。警察
のある関係者は「デモに参加した経験の少ない人間はすぐに連行される。

デモ専門家たちは過激な行動をとる一方で、警察による取り締りが本格的に始まる前にそ
のほとんどが安全な地域に逃れている」と述べた。
李吉星(イ・ギルソン)記者

+++++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++++

朝鮮N報の記事によれば、「(テレビ局の)うそとねつ造番組が、
狂牛病騒動を引き起こした」ということらしい。

それにしても、テレビの力には、ものすごいものがある。
改めて、その「力」に驚く。……と同時に、そのお「恐ろしさ」も
覚える。

はたしてこの日本は、だいじょうぶか?

少し前に書いた原稿を紹介する。

++++++++++++++

●インチキ放送

 大阪にあるKテレビ放送局が、またまたインチキ番組を流した。「糸引き納豆は、ダイエ
ット効果がある」(「あるある大辞典2」)という番組だった。

 たまたま私も、その番組を見た。しかしその番組は、すべてインチキだったというから、
すごい! ……と同時に、静かな怒りが私の心の中に充満した。「また、やられた!」と。

 たしか番組の中では、毎日納豆を食べた人と、食べなかった人の体重を、比較していた
と思う。ともに3人ずつ出演したと思う(私の記憶)。

 結果、毎日食べた人は、3キロ前後の減量に成功。そうでない人は、変化なし、と。

 しかしこれらすべてが、やらせだったとは!

 新聞報道によれば、

(1)中性脂肪が正常値になった……実際には、測定などしていなかった。
(2)納豆を食べた人と、食べなかった人の血液比較……架空のデータ。
(3)アメリカの大学教授の意見……別の研究者の論文を発表。
(4)出演者の写真……まったく無関係の人たちの写真を発表、だそうだ(中日新聞)。

 とくに注意をひくのは、「日本の方々にも身近な食材で……」と、あたかも、その教授が
述べたかのようなコメントを、日本語訳で流したこと。「アメリカに住む教授だから、アメ
リカまで、耳に届くことはないだろう」という、制作者の思惑が、よく見てとれる。

 私もだまされたという点で、このインチキ番組を見過ごすことができない。しかもそれ
がインチキと発覚したのは、何かの偶然によるという。つまりこうしたインチキは、氷山
の一角と考えてよい。

 中日新聞は、「納豆ダイエット、ねつ造」「データ測定なし」と見出しにかかげている。
しかしそれにしても、悪質! だからといって、これからも納豆を食べるのをやめるわけ
ではないが、しかしそれを食べている自分が、アホに見えてきた。

 その番組のあと、納豆を食べながら、「納豆って、ダイエット効果があるんだよ」とワイ
フに話した私。そんな私に対して、だれが、どう責任を取ってくれるというのか。

(付記)

 日本人は、小ズルイね。ホント。正義なんて、子どものころから、教えていないもの。
へたに正義感を燃やしたら、受験競争そのものから、はじき飛ばされてしまう。そんな体
質が、こうした事件に集約されている。

+++++++++++++++

ついでにもう一作。
「ニセ科学」について書いた原稿。

+++++++++++++++

●ニセ科学(pseudo science)

In Japan very strangely most of the young people believe that each man's personal 
character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely 
spread throughout Japan.

++++++++++++++++

家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、そ
の店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。

私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。

血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

++++++++++++++++

 「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左
巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオ
ン。

(5)マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科
学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、
負イオンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空
気を浄化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピ
ーや高血圧症にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」
(フジテレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で
驚くべき効能がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エ
アコン、冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範
囲の商品が市場に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行く
と、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだ
わっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発
掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、
数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないこと
に注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見
を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である
左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。

 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(6)容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書
いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」
の水は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が
話題になった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。

 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。し
かし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が
広まったという。

 理由は、「人間の体の6〜7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した
教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道
徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し
前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持
たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、
自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを
思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。

いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化
させるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身
もきれいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。
水が変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水
からの伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。
その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術
にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!

 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。け
っして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダ
イエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 水の結晶)

++++++++++++++++

「みんな、もっと自分の頭で考えよう」。
それがこのエッセーの結論ということになる。

……しかし今回の一連のデモ騒動を見ながら、
いちばんそれを喜んでいるのは、実は、テレビ局
自身ではないかとも思った。

改めてテレビのもつ力を、再認識した……。
うまく操れば、民衆全体を洗脳することができる。
思うがまま操ることができるようになる、と。
(実際、すでに操られているが……。)

とても恐ろしいことだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++July.08++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(6月30日)

●認知症への道

+++++++++++++++

昨日、地元のバス会社が運営する
Bツアーを利用して、滋賀県まで
行ってきた。

で、バスに乗ったとたん、ムッと
するような悪臭!
強烈な悪臭!
……ニンニクと酒の臭い!

私たちは、西インターというところで
バスに乗り込んだが、それまで
そのバスは、あちこちで乗客を
集めながら、1時間ほど、走っている。

乗客の中に、ニンニクを食べた人が
いたらしい。
加えてバスの中には、すでに酒
(日本酒や焼酎)を飲んでいる人もいた!

幸い、私たちの席は、最後部。
席につくと、すぐ窓をあけた。

しかしそれにしても、すごい悪臭!

+++++++++++++++

●内側の人格

加齢とともに、内側に潜んでいた人間性が、そのまま
表に出てくるようになる。

若いときは、気力で、それをごまかすことができる。
それらしい人物に、振る舞うことができる。

しかし加齢とともに、その気力が弱くなる。
そのため、ここに書いたように、内側に潜んでいた人間性が、
そのまま表に出てくるようになる。

バスの乗客のうち、55〜60歳くらいの人が、3〜6人。
ほとんどの人は、70〜75歳前後の人たちだった。

7〜8割の人は、静かな会話をしていたが、そうでない人たちもいた。
ギャーギャー、ワハハ、ケタケタ……と。

おまけに冒頭に書いたように、ニンニクと酒の臭い。
臭いというより、強烈な悪臭!
プラス、乗ったときは気づかなかったが、加齢臭!

そういう人たちを見ながら、私は改めて、こう考えた。

「人は、ある日突然、老人になるのではない。
少しずつ、時間をかけて、老人になる」と。

それはそのとおりで、だれもこの説を疑う人はいない。

が、ここでいう「老人」というのは、「認知症の老人」のことをいう。
つまりバスの中の人たちは、ケア・センターにいる老人と、
若い人たちの、ちょうど、中間あたりにいるということになる。
(あるいは半分、ケア・センターに足を踏み入れている?)

中には、すでにヘベレケに酔っぱらっている男性(75歳くらい)もいた。
そういう男性が、呂律(ろれつ)の回らない言い方で大声で話す。

「ヤーヤー、事故だヤー」
「ありゃあ、死んでるわナ〜」
「事故だヤー、事故だヤー」と。

見ると、路肩に、2台、壊れた自動車が停まっていた。

私とワイフは、耳にイヤホーンを押し込んで、目を閉じた。

●近未来の私たち

そういう老人を見ながら、けっして笑ってはいけない。
直前に座っていた老人(70歳くらい)は、人間というよりは、
サルのような感じがした。
キョロキョロとせわしなくあたりを、見回しながら、そのつど、
意味のないことを口にしていた。

しかし、そういう老人は、私たち自身の、近未来の姿でもある。
私たち自身が、やがて、好むと好まざるとにかかわらず、
そのサルのような感じの人間になる。

私はその老人を、ななめうしろから見ながら、「では、どうすれば
そういう老人にならないですむか」を考えた。

私「あの人たちは、本を読むだろうか?」
ワ「読まないわよ」
私「じゃあ、音楽を聴くだろうか?」
ワ「聴かないわよ、きっと」
私「じゃあ、映画館で映画を見るだろうか?」
ワ「それは、ぜったいに、ありえないわよ」と。

子どもたちと接しているとき、ときどき(距離)を感ずることがある。
「こういう話をしても、理解できないだろうな」と。

そういうときは、話の方向性だけを話して、そでですます。
やがて子供自身が、私の話したことを起点にして、自分で
考えるようになる。

しかし相手が老人のばあいには、それがない。
(距離)というより、(絶望感)に近いものを覚える。
「こういう話をしても、無駄」と。

つまりその未来性がないことが、老人の特徴ということになる。
が、さらに運の悪いことがつづく。

そういう老人を見ながら、若い人たちは、この私たち夫婦まで、
その老人の仲間に押し込んでしまう。
そのときのバスガイドも、そうだった。
雰囲気で、それがわかった。

ガイドといっても、低劣な話を、ペラペラと口にしているだけ。
それが間断なく、つづく。
加えて昨日は、帰りのバスの中では、またまたあのビデオ。
「釣りバカ日誌」。

もうこれであのビデオは、3回目!
しかも同じビデオ!
大音響!
それを私たちを老人だと思って、(たしかに老人だが……)、
天井からガンガンと流す。

Bツアーで旅行するときは、騒音軽減防止つきのイヤホンは、
必需品。

●進む、社会の高齢化

そのうち、3人に1人が、満65歳以上の老人になる。
予想ではない。
計算上、確実にそうなる。

しかし、これは深刻な問題である。
もしバスの中にいるような老人が、巷(ちまた)にあふれるように
なったら、そのとき若い人たちは、私たち老人を、どんな目で
見るようになるだろうか。

あたりかまわず、ニンニクの臭いを吐きだし、酒を飲む。
それにあの独特の加齢臭。

そう、加齢臭にしても、自分では、それがわからない。
そういう老人たちが、観光バスから外に出て、旅館に入る。
映画館に入る。
レストランに入る。

やがてニンニクの臭いを発している老人が、どの人かわかった。
トイレで、横に並んだとき、それがわかった。
たぶん、横にいる妻にうながされたのだろう。
始終、マスクを口にかけていた。
しかしニンニクに臭いは、マスクで防げるようなものではない。

老人問題というと、老人の側からしか考えない。
しかし若い人たちの立場から、つまり「どうすれば若い人たちに
嫌われないですむか」という立場でも、考える必要がある。

でないと、前から書いているように、私たちはそのうち、
社会の粗大ゴミになってしまう!
つまり私たちは若い人たちに、絶望感を覚えさせてはいけない!

私たちは若い人たちに、未来を与えなければならない。
未来を語らなければならない。
自分たちの経験や知識を伝えなければならない。
そういう老人を目指さなければならない。

今回は、運悪く、おしゃべりなバスガイドに当たってしまったが、
バスガイドを責めてもしかたない。

私たち乗客が、そうされるにふさわしい老人にしか見えなかったのだ。

(付記)
●全国のみなさんへ

この浜松市は、別名、「ギョーザの町」としても知られている。
駅の売店でも、ギョーザを売っている。
最近では、街中の肉屋まで、ギョーザを売るようになった。
そのため、浜松へ来るときは、消臭剤付きのマスクを忘れずに!
駅を降りたときから、ムッとするようなニンニクの臭いがするはず。

それがいやなら、すかさず駅前のラーメン店へ飛び込み、
あなた自身もギョーザを食べること。

●嫌われない老人になるために

老人といっても、「これだけは若い人に負けない」という
一芸をもとう。
その一芸を磨こう。
その一芸を光らせよう。
その一芸が、粗大ゴミになることから、あなたを防ぐ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 老人問題 加齢臭)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Game Addiction Similar to Autism
(ゲーム中毒は、自閉症に似ている)

+++++++++++++++++++++++

イギリス心理学学会は、つぎのような研究結果を
公表している(2008年4月3日)。

つまりビデオゲームに中毒的な兆候を見せる人は、高機能自閉症の症状に似た振る舞いを
見せる、と。

++++以下、「The British Pyschological Society」HPより、要約++++++

Research presented at the British Psychological Society's Annual Conference this week 
suggests that people who show signs of being addicted to videogames exhibit many of 
the same symptoms as those with Asperger's syndrome, a form of high-functioning 
autism.

The University of Bolton's Dr. John Charlton and Ian Danforth of Whitman College 
questioned 391 gamers, focusing on the relationships (if any) between addiction, "high 
engagement" and personality. "Our research supports the idea that people who are 
heavily involved in game playing may be nearer to autistic spectrum disorders than 
people who have no interest in gaming," said Charlton.

ボルトン大学の研究者らによると、「過度にゲームに熱中する人は、そうでない人より
も、自閉症スペクトラムに、より近いということがわかった」という。

The more intense the gaming addiction, the more likely the subject was to display three 
character traits commonly associated with Asperger's: neuroticism, a lack of 
agreeableness, and a lack of extroversion. In other words, people who do nothing but 
play videogames tend to be obsessive, shy, and unpleasant. Well, duh.

たとえば(過度にゲームに熱中する人は)、アスペルガーに似た3つの症状を示す。(1)
神経症、(2)同調性の欠如(a lack of agreeableness)、(3)外向性の欠如(内向性)
(a lack of extroversion)。

Those afflicted with Asperger's often have trouble relating to other people, finding 
themselves unable to pick up on subtle social cues or understand humor. Charlton and 
Danforth believe that gaming addicts have similar difficulties, and find it easier to 
relate to games than to real people.

アスペルガーでは、他者との関わりにおいて、しばしばトラブルを起こす。たとえば微
妙な問題や、ユーモアが理解できない、など。
研究者らは、ゲーム中毒の人も、同じような問題をもっていると信じている。

Charlton and Danforth aren't suggesting that gaming addiction is also a form of autism, 
merely that those who can't put down the controller are "nearer to the 
non-empathising, 
systemising, end of the spectrum," along with "engineers, mathematicians and 
computer scientists." Well, at least they're in fairly brainy company.

ゲーム中毒が自閉症を引き起こすということではない。ただゲーム中毒の人は、技師、数
学者、コンピュータ科学者と並んで、他人に対して、共鳴性が欠落(the non-empathising, 
systemising)しやすいということ。

++++以上、「The British Pyschological Society」HPより、要約++++++

ゲーム中毒が、自閉症を引き起こすということではない。
(近年、自閉症の原因は先天的なもので、後天的な環境によるものではないという説が、
定説化している。)
しかしゲームに夢中になりすぎると、自閉症スペクトラムに似た症状が現われるというこ
とらしい。
「スペクトラム(濃淡の幅)」というのは、自閉症といっても、幅が広く、症状も千差万別
であることをいう。

隣の韓国では、ゲームも含めて、ネット中毒が、社会問題化している。
学校ごとにカウンセラーも配置し、子どもの指導にあたっている。
が、この日本では、いまだに野放し。
いいのか、日本!
このままで!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム中毒 ネット中毒
 自閉症 自閉症スペクトラム)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思想の偏(かたよ)り

+++++++++++++++

この浜松市にも、女性実業家と
呼ばれている人は多い。
その中でも、かなりの成功者として、
名を馳せている人がいる。

今日会った、S氏も、その1人。
愛知県から静岡県にかけて、10
店舗近い宝飾店を経営している。

そのS氏と、2時間ほど、話を
させてもらう。

おもしろかった。
ためになった。
このタイプの女性には、独特の
雰囲気がある。

負けん気が強く、どんな話題についても、
スパスパと切り込んでくる。

その女性が、話の途中で、ふと、
こんなことを言った。

「バランス感覚が大切」と。

私の持論でもあるが、そういう女性に
言われると、ドキッとする。
鋭く、心の奥に突き刺さる。

「バランス感覚のない人と接していると、
やがて洗脳されて、とんでもない思想を
もつようになるわよ」と。

+++++++++++++++

●バランス感覚

ものを書くとき、バランス感覚ほど大切なものはない。
偏(かたよ)った思想は、それ自体が、時間の無駄。
回り道をしている間に、自分を見失ってしまう。

だからものを書きながら、いつも自分に問いかける。
「私は、バランスを保ちながら、ものを書いているか?」と。

といっても、それは簡単なことではない。
人はいつも何かを信じているものだし、住む世界によって、ものの考え方も変化する。
自分にとって心地よい響きがするものには耳を傾けるし、そうでないものは遠ざける。
ほんの少しずつでも軌道がずれれば、その先で、その人のものの考え方は大きく変わる。

ささいなことだが、昨夜もワイフとこんな会話をした。
ワイフは、ことあるごとに、こう言う。
「80歳まで、自分の歯を20本残すわ」と。

それについて、私は、こう反論した。
「ぼくは、80歳まで、自分の黒髪を20本残す」と。

ワイフの兄弟は、みな、歯がじょうぶ。
義姉の1人は、全国大会で表彰されている。
ワイフも、虫歯は、ほとんど、ない。
だから自分の歯を自慢するかわりに(?)、いつも、そう言う。

一方、私は、60歳を過ぎた今も、見た目には、黒々とした髪の毛を保っている。
はげる心配も、なさそう。
だから、いつも、そう反論する。

つまりワイフはワイフで、私は私で、それぞれ、そういう話をする。

(私は歯が弱く、健康な歯は、もう数えるほどしかない。
一方、ワイフは、オール白髪。毎週のように髪の毛を染めている。)

わかりやすく言えば、バランス感覚といっても、それはその人のバランス感覚に
すぎないということ。

もっと言えば、この世界には、絶対的に正しいものはないということ。
反対に、絶対的にまちがっているものも、ないということ。
言いかえると、バランス感覚というのは、いつも自分を疑う感覚ということになる。
それを忘れたとたん、冒頭に書いたように、「とんでもない思想」をもつようになる。

極右、極左、それとも、カルト?
私が「極端主義」と呼んでいる思想は、こうして生まれる。

が、それだけではすまない。

自分が洗脳されるのもこわいが、他人を洗脳するのは、もっとこわい。
「とんでもない思想」をもったとしても、被害者が、私1人ですむなら、実害は、
ほとんどない。
しかしそれが他人に及べば、ときとして(ゆがんだパワー)をもつようになる。
それが全体として、ばあいによっては、国や人類の進むべき道を、誤らせることもある。

日本の歴史を見ても、そういう例は多い。

●子どもと接することの重要性

いかにすれば、バランス感覚をみがき、それを保つことができるか。
冒頭に書いたS氏は、こう教えてくれた。

「私は、毎日、いろいろな人と会うことで、バランス感覚を養っています」と。

人と話をすることの重要性は、恩師の田丸謙二先生も、よく口にする。
が、私のばあい、その「人」というのは、「子ども」ということになる。
私は、よくこんな経験をする。

改めて言うまでもないことだが、子どもの世界は、純粋。
ウソやインチキが通用しない。
たとえて言うなら、子どもの世界というのは、汚れのない鏡のようなもの。
自分の心の状態を、ありのまま、そのまま映してくれる。
そのとたん、自分の心が、ザザーッと洗われていくのを感ずる。

そう言えばS氏も、こう言っていた。

「私は宝飾店を経営しながら、毎日、いろいろな人と会っている。そういう人たち
からエネルギーをもらっている」と。

私のばあいも、どんなに落ちこんでいても、子どもたちの顔を見たとたん、それが
吹き飛んでしまう。
いつもの私に戻って、いっしょに、ワイワイと騒ぎ出す。
それを「エネルギー」と呼ぶなら、エネルギーということになる。

……しかし、ほめてばかりいてはいけない。
S氏は、S氏の世界では成功した人である。
ふつうの女性たちよりは、何倍も、努力をした。
苦労もした。
それはわかる。

が、「だから、それがどうしたの?」と問いかけたところで、言葉が詰まってしまう。
よい例が、あの『おしん』である。
小さな八百屋から身をおこし、やがて日本中にチェーン店をもつにまで成功する。
いつか書いたことがあるが、当初、おしんは、「生きるために働く」。
しかしそれがある時点から、働くために生きるようになる。
ダイナミックな人生であったにはちがいないが、やはり、「だから、それがどうしたの?」
という部分で、言葉が詰まってしまう。

一説によると、そのおしんは、10年ほど前に巨額の負債をかかえて倒産した、
Y・ジャパンの社長の母親がモデルであったという。
であるとするなら、なおさら言葉が詰まってしまう。

だからといって、私は、S氏のような生きザマが無駄とか、つまらないとか、そんな
ことを言っているのではない。
これは私自身の問題でもあるわけだが、「だから、それがどうしたの?」という部分を
置き去りにしたまま、あえて言うなら欲望の追求だけを目的としても、そこにはいつも、
限界があるということ。

教室が100教室になった……だから、それがどうしたの?
学校を設立した……だから、それがどうしたの?
巨億の財産を蓄えた……だから、それがどうしたの?、と。

そこで重要なことは、その中から、(やるべきこと)を発見し、その(やるべきこと)と、
自分の行動を一致させていく。
エリクソンが説く、『自己の統合性』という言葉をもちだすまでもない。
その操作を誤ると、「それだけの人生」で終わってしまう。

……が、ともかくも、私は久しぶりに、生き生きと生きる女性に会うことができた。
60歳を過ぎて、そういう生き方ができること自体、うらやましい。
日々に、(やりたいこと)(やるべきこと)があるというだけでも、すばらしい。
たいはんの女性たちは、(男性もそうだが)、それができなくて、悶々としている。
何よりも恐ろしいのは、「用なし」という言葉。
そのレッテルを張られるのを恐れて、それらしく生きている。
あるいは自分がそういう立場にあることにさえ、気がついていない。

そういう人には、自己の統合性など、望むべくもない。

●再び、バランス感覚

話が脱線したが、ここまで書いて、自分の文章を読みなおしてみる。
「私は、バランス感覚を保っているか」と。
さらに言えば、「自分にとって、都合のいいことだけを書いていないか」と。

たとえば今、私は、たいへん恵まれた生活環境の中で生きている。
過去において、借金とは無縁の世界で生きてきた。
人を使わず、人に使われず、自分なりの生きざまを貫くことができた。
何よりも感謝しなければならないことは、健康に恵まれたこと。
家族にも恵まれた。

そういう幸福な世界に住んでいる私が、自分の立場だけを基本にして、ものを
書いている。

世の中には、生きていくだけで精一杯という人たちがいる。
死ぬほどお金がほしいと願っている人たちがいる。
健康を害して、日々に闘病生活を送っている人たちがいる。
そういう人たちを頭の中で想像しながら、「私でなくてよかった」と思うことは、
自己愛以外の何ものでもない。

ここに書いた、『自己の統合性』の問題にしても、見方を変えるなら、ただの「道楽」
となってしまう。
それがしたくても、その余裕のない人となると、それこそ、ゴマンといる。

と考えていくと、やはり、私にはバランス感覚が、欠けている?
ここに書いたことだけでも、穴だらけ?

……実は、これから山荘のまわりの草刈りをしなければならない。
時刻は、午前7時、少し前。
このつづきは、その草刈りがすんでから、また書くことにする。
あるいはここで書き止めてもよい。

●草刈り

たった今、草刈りを終え、一息ついたところ。
汗を拭き、扇風機に当たる。
この爽快感が、たまらない。

ところで草を刈るといっても、完全防御。
(まだエンジンの振動が手に残っていて、キーがたたきにくい!)
ズボンは2枚、はく。
その上に、ひざまで届く、長い靴。
これはマムシ対策。

シャツも2枚。
タオルを首に巻き、フードを頭にかぶせる、
これはハチ対策。

あとは眼がねとゴーグル。
はねた石が、目に当たると、あぶない。

40分ほどで、裏庭の土手が、きれいになった。
そうそうもうひとつ、注意しなければならないことがある。
土手の上のほうに、ウルシの木がある。
へたに切ると、その汁で、かぶれることがある。
草を刈りながらも、そのつど木を見分けなければならない。

で、今は、さっぱり。
早朝の一汗は、健康にもよい。

●ふつうの生活

ごくふつうの人間として、ふつうの生活をする。
何でもないことのようだが、そういう生活の中から、ふつうの思想が生まれる。
その(ふつう)を保つことが、バランス感覚ということになる。

東洋医学でも、そう教える。

『八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨
み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずか
らの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、
精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする』(上古天真論篇※)と。

東洋医学では、肉体と精神の区別をしない。
「病気」という言葉にしても、「気を病む」と書く。
肉体の健康イコール、精神の健康、精神の健康イコール、肉体の健康ということになる。

……ということで、S氏の話は、ここまで。
近く、また会うつもり。
再開を約束して、別れた。

Sさんへ、
これからも、よろしく。
このエッセーを、メールに張りつけて、送ります。

(注※)

●子育ては自然体で(中日新聞掲載済み)

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわか
らない。そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、
こうある。これは健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応
させ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることな
く、みずからの崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥
ることもなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真
論篇)と。難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、徹底主義、スパ
ルタ主義、完ぺき主義がある。

徹底主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめる」と決めたら、
パッとやめさせるようなことをいう。よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁
止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくる
ことになる。

スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主
義は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子ど
もに完ぺきさを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの
心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は
私」「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子ども
のできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、見え、
メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解
放されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけ
ない。「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくても
いけない。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。
実際どんな子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き
出す。

子育てを一言で言えば、そういうことになる。さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の
大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それに背馳すれば死に、順応すれば太平
である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だが、簡単に言えば、「自然体で
子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなければ、そうでない」ということに
なる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目
的として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は
害せられる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せら
れる。栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大切なこと
だが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでもないが、健康論にから
めて、教育論を考えてみた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【6月27日】(June 27th, 2008)

●引っ越し(Shifting)
Soichi started his job at the university on Monday. My classes start in 
a couple of weeks. The kids like it here. Bloomington seems to be a 
nice town with a lot of cultural influences.

++++++++++++++

誠司(孫)の家族が、それまでの
アーカンソー州から、今度は、
インディアナ州へと、引っ越した。

新しい住所(家)も決まったらしい。
今朝、その連絡が届いた。

新しい住所は、
インディアナ州、ブルーミングトン。

デニーズ(=嫁さん)は、2、3週間後
から、インディナ州立大学の
ロー・スクールに通い始めることになっている。

息子は、同じ大学の中で、コンピュータ
技師として働くことになっている。

……こういうことが、自由にできるところが、
すばらしい。
プラス、うらやましい。

デニースは、全額、学費を、奨学金で
まかなうという。

一方、息子は、一度は、主夫業を覚悟した。
2人の子どもが、まだ幼いからである。

そういうことも配慮してくれたのかどうかは
知らないが、大学側が、二男を雇ってくれた。
ゆるやかな勤務態勢で、子育てにも支障は、
ないそうだ。

日本的に言えば、「夫が妻のために、犠牲になる」
ということだが、息子夫婦には、そういう発想は
まったくない。

この前日本へ来たとき、息子は、こう言っていた。
「デニーズの夢をかなえさせてあげたい」と。

そのため息子は、カルフォルニアにあるグーグル社
への入社を断念した。
息子には息子の、コンピュータ技師としての
夢があった。

私の気持ちは、複雑だった。
「嫁というのは、自分の娘と考えてよいのか、
それとも、基本的には他人なのか」と。
しかし孫の誠司と、芽衣を起点にものを考えたとき、
その迷いは氷解した。

繰りかえしになるが、……こういうことが、
自由にできるところが、すばらしい。
プラス、うらやましい。

「やっぱり、アメリカだなア」と思う。

この日本で、一介の家庭の主婦が司法試験に
合格して、弁護士をめざすというようなことは、
考えられるだろうか?

しかも子育て真っ最中の主婦が!

加えてデニーズは、首席で卒業はしている
ものの、文学部出身である。

そのことを二男に確かめると、二男は、
こう教えてくれた。

「デニーズは大学でのスコア(成績)が
よかったら、合格できた」と。
しかしそれだけではないと思う。

そのデニーズについて、息子が、こんな
BLOGを書いている。

++++++++++++++

この前結婚したばかりのような気がしていたのだけど、今月でもう結婚生活6年目になる。

今日友達の家族が行っているモルモン教の教会で、「トラック・オア・トリーティング」っ
ていう、教会の駐車場でお菓子を配るイベントがあったので、家族を連れて行ってきた。
今年の誠司はカウボーイ、芽衣は数年前、誠司が嫌がって着てくれなかったスーパーマン
の衣装を、「スーパーガール」ということにして無理やり着せて行くことにした。(明日の
トリック・オア・トリーティングでもこの衣装にする予定。)

早めに行ったのだけど、もうすでにキャンディーがなくなりかけているトラックがあった。
それを見てディニースが、「キャンディーは誠司だけもらうことにして、芽衣のはいらない
わ。他の子供達がキャンディーをもらえなくなってしまうから」と言った。

僕はこういう妻が誇りに思えてならない。他人のことをまず先に思いやり、どんなにくだ
らない約束でも必ずそれを守る。道徳とか、誠実さとか、そういうのはいくら本を読んで
考えても、誰かから話を聞いても、簡単に身に付けられるような物ではないと聞く。しか
し彼女の日ごろの何気ない行動にはいつも色々教えられてばかりだ。

これからも彼女と一緒に生きていきたい。

+++++++++++++++

当初は、「アメリカ人の女性だから……」と
思ったこともないわけではない。
しかしデニーズの誠実さは、私も直接、
肌で感じている。

いつも私にワイフにこう言っている。
「あんな誠実な女性を、ぼくは知らない」と。

きっとすばらしい弁護士になることだろう。
これから2年間、きびしい勉学が待っている。

がんばれ、デニーズ!


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●感想(Impressions)

+++++++++++++++++++++

人はなぜ生きるか……?
私のばあい、なぜ、こうして毎日ものを書いているか……?
それは、私が今生きているという感動を、
ほかのだれかと共有するためではないか。

もしそれがなかったら、私はただの抜け殻。
死の待合室で、死を待つ、ただの老人。

+++++++++++++++++++++

昨日、家に帰ると、先日掛川市の保健センターで
した講演の感想記が届いていた。

遅い夕食を食べながら、それを読んだ。
ジンと胸が熱くなった。
うれしかった。

このところ日程が合わなくて、講演を断ることが
多くなった。
体力的な限界を感ずることもある。

そうそう、私はどんな講演でも、引き受けたときは、
その数日前から、コンディションを整えるため、
運動量をふやすことにしている。
ボンヤリとした頭では、講演はできない。

いつも真剣勝負。

感想記を届けてくれた、KSさん、ありがとう!

本当にうれしかったです。

(感想記は、HPの講演の記録のところに
掲載しておきます。)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●秀吉と浜松(Hideyoshi & Hamamatsu)
Do you know the fact that Hamamatsu city has produced many well-known people 
 such as Honda, Suzuki and Toyota. Tokugawa-Ieyasu once lived in this city. But few
 know that Hideyoshi lived here for three years when he was about 15 years old.

私が住む浜松市は、不思議な町である。
古くは徳川家康の住んだ町として知られている。
そのため浜松城は、別名、「出世城」とも呼ばれている。

現在にいたっては、ホンダ、スズキ、それにトヨタの創始者は、
すべて、この浜松市周辺で生まれ育っている。

が、忘れてならない人物に、もう1人、いる。
豊臣秀吉である。

「当時、15歳だった秀吉は、生まれ故郷を飛び出して、
行商をしながら東海地方を転々としていた。

そして浜松で、松下加兵衛(かへい)と出会う。
江戸時代に書かれた『太閤記素性記』によれば、
加兵衛はそのとき、『猿かと思えば人、人かと思えば猿』
という印象を秀吉に抱いたという」(日本史・河出書房新社)
とある。

そのあとの話は省略するが、もしこのとき秀吉が加兵衛に
会っていなければ、その後の秀吉は、なかったと
断言してもよい。

秀吉は加兵衛に、3年間奉公し、生まれ故郷の尾張に帰っていく。
つまり、秀吉も、この浜松に住んでいたことがある!

なお秀吉は天下を取ったあと、「……そこで1585年(天正13)ごろ、
秀吉は昔の恩に報いるため、加兵衛を招き、丹波国に2000石、伊勢国内に
1000石を与えた」(同書)そうだ。

秀吉と加兵衛、それに浜松とのつながりには、相当なものが
あったようだ。

……ということで、私も、この事実を、はじめて知った。

ついでながら、私を幼児教育の世界にはじめて導いてくれたのが、
恩師、故松下哲子(のりこ)先生である。
同姓であるところが、少し気になる。

フ〜ン。


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●言葉の暴力(Violence by Words)

+++++++++++++++

先日、T市の教育会館で、講演を
させてもらった。
そのときのこと。

約束の時刻まで、まだ少し時間が
あったので、私とワイフは、その
あたりを歩いた。

裏手に、農業用の用水池があって、その
向こうは、新興の住宅団地になっていた。
緑の多い地域で、それ以前は、森で
あったらしい。

が、その団地に一歩、足を踏み入れて、
驚いた。
看板だらけ!

「建設反対」の旗にまざって、
「○○建設会社は、恥を知れ!」
「暴利会社、行く末は倒産!」
「地域住民は、お前たちを許さない!」と。

どうやらマンションの建設に反対している
人たちの看板らしい。

「地獄マンション」
「ここは不幸町1丁目」
「のぞき魔マンション、建設反対!」と。

さらにこんなのもあった。

「飛び降り自殺者、続出マンション!」
「呪われた死者の館(やかた)!」
「震度5で、倒壊マンション!」と。

もちろん大半は、ふつうの(?)看板。
その間にあって、ここに書いたような
手書きの看板が並んでいた。

しかしこうした看板は、ひとつまちがえば、
営業妨害になる。
それによって具体的に被害が認定されれば、
損害賠償請求事案の対象になる。

さらにマンションが完成し、入居する人たちが、
それによって精神的苦痛を味わえば、
慰謝料請求事案の対象にもなる。

地域の住民の人たちは、そういうことを
知っているのだろうか。
つまり、暴力にも二種類ある。

物理的な暴力と、言葉の暴力である。
精神的な苦痛という意味では、物理的な
暴力も、言葉の暴力も、同じ。
暴力は暴力。
こうした看板は、立派な暴力である。

私「かなり、こじれているみたいだね」
ワ「何が?」
私「住民と建設会社・・・」
ワ「そうね」
私「ここまでこじれると、あとがたいへんだね」
ワ「・・・シコリも残るでしょうね」
私「そうだね」と。

建設会社は、当然、法にのっとった手順を
踏んで、建設にとりかかっているはず。
となると、住民側の立場は、弱い。
特別な条例でもないかぎり、こうした建設を
止める手立てはない。

が、一方、こんなことも言える。
たしかに言葉の暴力だが、そういうことを
しなければならないところまで追い込まれた
住民の感情も、理解しなければならない。

こうした反対運動をするというだけでも、
かなりのエネルギーと神経を使う。
毎日、イライラしている人もいるだろう。
不眠に苦しんでいる人もいるだろう。
こうした運動から受ける精神的苦痛には、
相当なものがある。

直接的に不愉快な思いをしているのは、
住民の人たちである。

私「地域ぐるみで議会に働きかけて、環境
条例のようなものを制定してもらえばいい」
ワ「それによって、マンションの建設を
差し止めるわけね」
私「しかし、今からでは遅い。すでに一部
だが、建設が始まっているようだ。法には、遡及適用
の禁止※という大原則がある。過去にさかのぼって、
法を適用することはできない」

ワ「じゃあ、どうすればいいの?」
私「マンションを建設することによる被害を、
最小限に食い止めるしかない。たとえば8階建て
であったら、5階建てにしてもらうとか・・・」
ワ「でも、ここまでこじれていると、それも
むずかしいわね」
私「たぶん、ね」と。

しかし・・・。
言葉の暴力には、注意したほうがよい。
先にも書いたように、書き方をあやまると、
損害賠償、さらには、慰謝料請求事案の
対象になる。

看板のある家の人が、その責任を問われる。
「頼まれたから、看板を置いただけです」という
口実は、こういうケースでは、通用しない。

「看板」という手段を使って、公(おおやけ)
に向かってものを書くときには、じゅうぶん、
注意したほうがよい。

(注※)憲法39条に「何人も,実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為
については刑事上の責任を問われない」と明記されている。
処罰規定を過去に遡って適用することは、一部の行政法上の手続きを除いて、原則として
憲法違反ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 遡及適用 遡及適用の禁止
 看板 言葉の暴力)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

To Ms. C. Rice and Mr. C. Hill,(ライス氏とヒル氏へ)

According to this morning newspaper issued on June 26th, you mentioned that USA will 
not ignore the kidnappings by North Korea and will not forget about it. But should we 
say thank you for that?

The answer is NO! Both of you have already betrayed Japan so much and now again. 
Whatever you say, it sounds just vacant, since nothing has been solved by YOU. What 
you have done is just to give North Korea, time, money, oil and music. What did you 
receive? What did we receive? Mr. Fukuda, our Prime Minister of Japan has to start 
negotiating with G. Bush directly over these two pro-North Korean secretaries.

Ms. C. Rice and Mr. C. Hill, how much do you know about Asia and Asians? Here in Asia 
your American rationalism is not useful about everything. When you cancel the 
punishment toward North Korea, North Korea will get more reluctant to solve the 
problems of kidnappings. North Korea will try to cheat you again. Why can't you know 
such an easy matter?

I know both of you have families inside USA, but when one of them is kidnapped by 
someone, what would you say? What would you do? We have been cheated by North 
Korea over and over again. Now you are about to be cheated too. Kim Jong Il is not such 
a person but only a tyrant, who have killed more than 200 thousand people inside his 
own country.

We. the Japanese, have been very much disappointed by USA as well as by YOU.

Hiroshi Hayashi, Hamamatsu, Japan June 25th, 2008

今朝の新聞によれば、ライス米国務長官は23日、北朝鮮の核計画の申告に伴い、同国へ
のテロ支援国家指定解除を近く米議会に通告することについて、「米国は日本人拉致事件を
無視したり、忘れたりはしない」と述べ、北朝鮮に拉致事件の解決を迫る考えを示した。

これに対して日本は、感謝すべきなのか。
答は、「ノー」。

今まであなたがたは、さんざん日本を裏切っておきながら、今さら、こんな言葉はない。
あなたがたのしたことは、北朝鮮に、時間と金と原油と、音楽を与えただけ。その結果、
あなたがたは、何かを受け取ったのか? 日本は何かを受け取ったのか?

日本の福田首相は、ライス国務次官、ヒル次官補を越えて、ブッシュ大統領と直接交渉す
べきである。

ライス氏、ヒル氏は、どこまでアジアのことがわかっているのか。ここアジアでは、アメ
リカ式の合理主義は、すべての面で有効であるとはかぎらない。もし北朝鮮への制裁を解
除すれば、拉致問題は、ますます遠ざかってしまう。北朝鮮は、再び、あなたがたをだま
そうとしている。どうしてこんな簡単なことがわからないのか。

この問題は、もしあなたがたの家族のだれかが、北朝鮮に誘拐されたらという視点で考え
てほしい。私たちは、何度も北朝鮮にだまされた。金正日は、あなたがたの思っているよ
うな人物ではない。国内だけでも、20万人以上もの人たちを殺したという独裁者である。

私たち日本人は、あなたがたのみならず、アメリカ合衆国にたいへん失望しつつある。


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

【日本人にとっての、拉致問題】

●意識のズレ(A difference in consciousness)(To: USA Embassy of Japan)
Ms. C. Rice of the White House has apparently got a different consciousness from ours. 
She seems to be a very smart lady but she believes in herself too much and has no ears 
to listen to the voices of other world. It is OK for her to believe that she is right, but it is 
not OK for her to think all except her are wrong. She has not yet recognized that she has 
destroyed the relationship between Japan and USA. Here I'd like to explain about the 
difference of consciousness between two countries.

++++++++++++++

意識のちがいというのは、
相対的なもの。

こちらが相手の意識はおかしいと
思っているときは、相手もまた、こちらの
意識はおかしいと思っているもの。

大切なことは、そうした意識の
ちがいを感じたら、たがいに
認めあうこと。

それができる人を、協調性の
ある人といい、人格の完成度が
高い人という。

意識のちがいを説明する前に、
まずつぎの原稿を読んでほしい。

もうこの原稿を書いてから、
10年になる。

+++++++++++++

●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭・あさのたくみのかみ)が、吉良さん(吉良上野介・きらこうず
けのすけ)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害
事件である。

が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。浅野さんが吉良さん
に切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。今風に言えば、国会
の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」
と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし300年前(元禄14年、1701年)の
法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召
しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、429人(藩士)
の失業者が出た。

自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。もと
もと何かと問題のある自治体だった。わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の
交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされる
ことはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。

当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でも
その片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的
にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、
最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむに
やまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そう
でもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だっ
たら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死
刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。

もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定を意味する。
自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはあり
えない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。
一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説
明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成
りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで、子分の職場を台なしに
した浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい
物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなってい
る。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。

++++++++++++

オーストラリアも、基本的には、白人の国。
しかしアメリカ人なら、もっと合理的に
ものを考えるだろう。

(1)なぜ浅野内匠頭の家臣たちは、復讐の矛先を、被害者である吉良上野介に向けたの
か。

わかりやすく言えば、酒場で浅野さんが吉良さんにナイフで斬りかかった。
そのため浅野さんは、障害致傷罪で逮捕され、有罪になった。

浅野株式会社の社員たちは、吉良さんへの復讐を誓った。

(2)なぜ浅野内匠頭の家臣たちは、復讐劇へと走ったのか。

バカなことをして、逮捕されたのは、自分たちのボスである。だったら、第一義的
には、ボスに、その責任を問えばよい。

つぎに死罪では罪が重すぎるというのであれば、裁判所もしくは、その上の政府に、
抗議すればよい。「何がなんでも、ナイフを振り回したくらいのことで、切腹はない
だろう」と。

(3)吉良上野介を暗殺したところで、何が、どう解決するのか。

すでに浅野株式会社は、倒産している。社員たちは失業状態。そんな中、当の被害
者である吉良さんを暗殺したところで、何が、どう変わるというのか。

社員たちは、浅野さんのことは早く忘れて、再就職を考えたほうがよい。

 が、この日本では、そうは考えない。とくに江戸時代の人たちは、そうは考えなかった。
つまり、ここに意識のズレがある。

●アメリカ流合理主義のかたまり

 アメリカのC・ライス国務長官の一連の言動を見ていると、アメリカ合理主義のかたま
りのような気がする。

 何もかも合理的なのだが、どこかピントがずれている。ときに狂信的であるようにさえ
感ずる。中東問題にしてもそうだが、日本の拉致問題にしてもそうだ。

 だから、中東政策でも失敗。そして今度は、北朝鮮問題で失敗しようとしている。日本
人に向かって、今ごろ「拉致問題は忘れない」は、ない。日本人の怒りというものが、ど
ういうものか、まるでわかっていない。

 もっともC・ライス国務長官の脳みそでは、わからないだろうと思う。「自分たちの考え
方がぜったい正しい」と思う、その返す刀で、「あなたがたにとっても、それがいちばん」
と切りこんでくる。

 日本人には日本人の意識がある。

 ここに書いた忠臣蔵についても、合理的にものを考えれば、そうかもしれない。しかし
あわせて日本には日本の歴史というものがある。それから生まれる民族意識というのも、
ある。「忠臣蔵の家臣たちは、バカだった」と言われれば、日本人なら、みな、頭にカチン
とくるだろう。

 アメリカ流の合理主義だけで、ものごとを考えてもらっては、困る。

 C・ライス国務長官、C・ヒル次官補の一連の言動を見ていると、では今までの日米同
盟は何だったのか、と、そこまで考えてしまう。

 それほどまでに北朝鮮は重要な国なのか。譲歩に譲歩を重ね、ハードルをさげにさげて
まで、国交を回復しなければならない国なのか。

 しかも最大の同盟国である日本を、裏切ってまで! 

 そういう点でも、意識のズレというのは、恐ろしい。いや、ズレがあるならあるで、し
かたのないこと。C・ライス国務長官は、もう少し、日本人のもつ意識に耳を傾けてほし
い。頭のよい人かもしれないが、あなたの人格の完成度は、残念ながら、きわめて低い。

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もう一作、「世にも不思議な留学記」
からの原稿を紹介します。

意識のズレについて、もう一歩
踏み込んで理解していただければ、
うれしいです。

+++++++++++++++

●珍問答

 私の部屋へは、よく客がきた。「日本語を教えてくれ」「翻訳して」など。中には、「空手
を教えてくれ」「ハラキリ(切腹)の作法を教えてくれ」というのもあった。あるいは「弾
丸列車(新幹線)は、時速150マイルで走るというが本当か」「日本では、競馬の馬は、
コースを、オーストラリアとは逆に回る。なぜだ」と。さらに「日本人は、牛の小便を飲
むというが本当か」というのもあった。話を聞くと、「カルピス」という飲料を誤解したた
めとわかった。カウは、「牛」、ピスは、ズバリ、「小便」という意味である。

●忠臣蔵論

 が、ある日、オリエンタルスタディズ(東洋学部)へ行くと、4、5人の学生が私を囲
んで、こう聞いた。「忠臣蔵を説明してほしい」と。いわく、「浅野が吉良に切りつけた。
浅野が悪い。そこで浅野は逮捕、投獄、そして切腹。ここまではわかる。しかしなぜ、浅
野の部下が、吉良に復讐をしたのか」と。加害者の部下が、被害者を暗殺するというのは、
どう考えても、おかしい。それに死刑を宣告したのは、吉良ではなく、時の政府(幕府)
だ。刑が重過ぎるなら、時の政府に抗議すればよい。また自分たちの職場を台なしにした
のは、浅野というボスである。どうしてボスに責任を追及しないのか、と。

 私も忠臣蔵を疑ったことはないので、返答に困っていると、別の学生が、「どうして日本
人は、水戸黄門に頭をさげるのか。水戸黄門が、まちがったことをしても、頭をさげるの
か」と。私が、「水戸黄門は悪いことはしない」と言うと、「それはおかしい」と。

 イギリスでも、オーストラリアでも、時の権力と戦った人物が英雄ということになって
いる。たとえばオーストラリアには、マッド・モーガンという男がいた。体中を鉄板でお
おい、たった一人で、総督府の役人と戦った男である。イギリスにも、ロビン・フッドや、
ウィリアム・ウォレスという人物がいた。

●日本の単身赴任

 法学部でもこんなことが話題になった。ロー・スクールの一室で、みながお茶を飲んで
いるときのこと。ブレナン法学副部長が私にこう聞いた。「日本には単身赴任(当時は、短
期出張と言った。短期出張は、単身赴任が原則だった)という制度があるが、法的な規制
はないのかね?」と。そこで私が「何もない」と答えると、まわりにいた学生たちまでも
が、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と叫んだ。

 日本の常識は、決して世界の常識ではない。しかしその常識の違いは、日本に住んでい
るかぎり、絶対にわからない。が、その常識の違いを、心底、思い知らされたのは、私が
日本へ帰ってきてからのことである。

●泣き崩れた母

 私がM物産という会社をやめて、幼稚園の教師になりたいと言ったときのこと、(そのと
きすでにM物産を退職し、教師になっていたが)、私の母は、電話口の向こうで、オイオイ
と泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」「浩ちゃん、あんたは
道を誤ったア〜」と。

だからといって、母を責めているわけではない。母は母で、当時の常識に従って、そう
言っただけだ。ただ、私は母だけは、私を信じて、私を支えてくれると思っていた。が、
その一言で、私はすっかり自信をなくし、それから30歳を過ぎるまで、私は、外の世
界では、幼稚園の教師をしていることを隠した。一方、中の世界では、留学していたこ
とを隠した。どちらにせよ、話したら話したで、みな、「どうして?」と首をかしげてし
まった。

 が、そのとき、つまり私が幼稚園の教師になると言ったとき、私を支えてくれたのは、
ほかならぬ、オーストラリアの友人たちである。みな、「ヒロシ、よい選択だ」「すばらし
い仕事だ」と。その励ましがなかったら、今の私はなかったと思う。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 意識のズレ 浅野内匠頭 
吉良上野介 忠臣蔵 意識論)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●盗作事件・立松W氏のばあい(Plagiarism doubt by Wahei Tatematsu)
Wahei Tatematsu, a well-known writer in Japan, plagiarized someone's else book in 
1993 and this time again. When his plagiarism was disclosed, he was crying against TV 
monitors, "I was forgiven (by the author)". This is not the matter which may be forgiven 
or not forgiven. Whatever he is, he is such a writer on such a level.

++++++++++++++++

テレビ画面に向かって、「許してもらえました」と、
泣きじゃくっていた。
当時の立松W氏は、そういう作家だった。

盗作を、「許してもらえた」というのも、おかしな
話である。
相手に「許してもらう」とか、「許してもらえない」とか、
そういうレベルの問題ではない。

ことの発端は、『1993年に、小説「光の雨」を
文芸誌に連載中、小説が連合赤軍事件の坂口H死刑囚の
自伝的著作に、酷似していた』(毎日新聞)こと。

坂口H氏の支援者たちは、「盗用だ」と、立松W氏に、抗議した。
で、立松W氏は、坂口氏と直談判。
冒頭の謝罪会見となった。

が、それから15年。

今度は、『小説「二荒(ふたら)」(新潮社)の記述の一部が、
栃木県日光市職員、福田Kさんの著書「日光鱒釣紳士物語」
(山と渓谷社)と類似していることが分かった』(同紙)という
(08年6月27日)。

『「二荒」は、日光市を舞台に、実在の人物をモデルにした、
恋愛小説。昨年9月に刊行され、今年2月、福田さんが、
自分の本に似ていると指摘。新潮社が調査したところ、
第2章の冒頭、登場人物のせりふなどが、福田作品の
創作部分と似ていた。新潮社は「参考文献として挙げて
いたものの、参考の域を超えて使用していると判断せざるを
得ない」と、4月末に絶版を決めた』(同紙)という。

++++++++++++++

同じ盗作でも、有名な人が、無名の人の作品を盗作するというのは、
タチが悪い。
許せない。

立松W氏は、自然派作家を売り物にしているが、どこかウサン臭い。
テレビ画面に向かって泣きじゃくる、あの顔を見ながら、私は
そう感じた。

(当時の私は、泣きじゃくるという、子どもじみたその様子に
驚いたが……。)

で、今回の盗作疑惑。

今度は、日光市の職員、福田Kさんという人の著書から。

こうした盗作が発覚するのは、偶然に、さらに偶然が重なった
ばあいのみである。
つまりめったに発覚することはない。
言いかえると、2度も発覚したということは、立松W氏は、
かなり常習的に盗作を繰りかえしていたとみてよい。

(当の立松W氏は、新聞社の記者の質問に答えて、あれこれと
弁解しているが……。)

というのも、これは(もの書き)と呼ばれる人たちの共通の心理と
言ってもよい。
自分の名誉にかけて、盗作だけはしたくないというブレーキが、常に働く。

「一度、したら、おしまい」というプレッシャーもある。
つまり私のような、まったく無名の(もの書き)ですら、
いつも心のどこかで、それを念じながら、ものを書く。

いわんや、立松W氏のような、有名な作家だったら、なおさら。
盗作すれば、発覚する可能性は、はるかに高い。

が、そのブレーキは、ない人にはない。
自分の文章であろうが、他人に文章であろうが、それを平気で
金儲けにつなげていく。

新潮社が、「参考文献として挙げていたものの、参考の域を超えて、
使用していると判断せざるを得ない」、そのため、「絶版を決めた」と
判断したほどだから、盗作と断定してよい。

が、立松W氏には、そのブレーキが働かなかった?
「たまたま今回、一度だけ」という弁解は、もう通用しない。

作家が、盗作をするというのは、教師が女子トイレをのぞき見る
ようなもの。
一方でいくら高邁な人生論を説いても、その時点で、作家生命は
終わる。

さあ、どうする、立松W氏?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist Plagiarism doubt Wahei 
Tatematsu Tatematu立松和平 盗作疑惑 盗作作家)


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