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2008年 10月号
BOX版(ネットストーレッジ)……●
Essay……●

マガジン2008−10




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   31日号
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★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
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休みます。

今月は、通常の月より、発行回数が
1回多いので、雑感集をそのまま
送ります。

はやし浩司

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●不愉快な手紙

++++++++++++++++++

兄の49日の法要も無事すみ、葬儀に
参列してくれた人たちに、一品を添えて、
あいさつの手紙を出した。
「香典返し」というのである。
それについて、Fさんという女性(85歳
くらいか?)から、手紙が届いた。

++++++++++++++++++

Fさんという女性は、母の親しい友人であったらしい。
名前だけは、ときどき耳にした。
1、2度、会った記憶はあるが、顔までは思い浮かばない。
その女性から、香典返しに対して、返事が届いた。
が、その手紙を読んで、言いようのない不快感に包まれた。

いわく、
「お母さんを大切にしてあげてください」
「毎日でも、見舞いに行ってやってください」
「甘いものが好きだったようなので、〜〜を買ってあげてください」
「私は見舞いに行けませんので、かわりに行ってあげてください」
「くれぐれもよろしくお伝えください」
「私も介護で苦労したので、経験がありますが、あなたの姉さんは
たいへん苦労されましたよ」などなど。

一読すると、母のことを心配して、そう書いてきたようにもみえる。
姉のことをほめたたえているようにもみえる。
しかしその一方で、あたかも私が何もしていないかのようにも読める。
Fさんという女性は、私が地元にいないというだけで、そう思っているのだろう。
それはわかるが、親しい人からならともかくも、私はFさんという人を、ほとんど
知らない。
こういうのを、私たちの世界では、「内政干渉」という。
もう少し端的に言えば、「いらぬ節介」。

岐阜のあの地方では、こうした権威主義がいまだにのさばっている。
たった1〜2歳年上というだけで、年長風を吹かす人は、いくらでもいる。
相手が年下というだけで、平気で説教をしてくる。
Fさんにしても、友人の息子というだけで、「子分」か何かのように思っているのだろう。
が、どうもそれだけではないようだ。
私はその手紙を読んで、「ベタベタの依存性」を感じた。
反対に言えば、独立心の旺盛な人は、こういう手紙を書かない。
たとえ親しくても、こういう内政干渉はしない。

というのも、(依存性)や(独立心)には、双方向性がある。

よくある例が、依存性の強い子ども。
親は、「甘えん坊で困ります」とこぼすが、そういう甘えん坊にしているのは、親自身。
さらに言えば、自分自身が(甘えん坊)だから、子どもの依存性に気がつかない。
子どもの依存性に、どうしても甘くなる。
甘えてくる子どもに対して、表面的には、「いやね」「困っています」と言いながら、
そういう子どもを「いい子」「かわいい子」と許してしまう。
だから子どもはますます依存性をもつようになる。

さてFさんという女性。
私なりの返事を書こうと思ったが、やめた。
そういう女性を相手にしたところで、得るものは何もない。
それに母の友人は友人。
いろいろ世話になったのかもしれない。

が、一方、独立心の旺盛な人は、相手を、同じように独立した人とみる。
相手の立場を、独立した人として、尊重する。
たとえばこういうケースでも、「それぞれの家庭には、それぞれの事情があるのだろう」
とか、「それぞれの家の人は、それぞれにがんばっているのだろう」と考えて、それで
すます。

相手から相談でもあれば話は別だが、内政干渉など、もってのほか!

そうそう先日、ある冠婚葬祭についての本を読んでいたら、こんなことが書いて
あった。
「冠婚葬祭には、横ヤリはつきもの。
あれこれうるさく言ってくる人が、かならず1人や2人はいる。
しかし金(マネー)を出さない人の意見は、無視すればいい」と。

まったく、同感である。

だれだって口を出すことくらいなら、できる。
しかし金(マネー)を出す人は少ない。
ほとんど、いない。
だから私たちの世界では、こう言う。
『口を出すなら、金を出せ』と。
独立心の旺盛な人ほど、そう言う。
言い換えると、『金を出さないなら、黙っていろ』となる。

で、私は母に万が一のことがあっても、葬儀は質素なものにするつもりでいる。
「質素」ということは、「質素」。
費用を安くすますという意味ではない。
無駄な見えや体裁は、とりつくろわないという意味。
が、そういう葬儀をすると、干渉してくる人たちがいるはず。
すでに「親の葬儀は、借金をしてでも、(派手に)やれ」と言ってきた人がいる。
しかし私は、私。
喪主になるのは、私。
私は私のやり方でやる。

僧侶による読経については、すでに郷里の寺の住職に、こちらへ来てしてもらうよう、
頼んである。
住職も、こころよく承諾してくれた。
が、それ以上に、葬儀に、何が必要なのか。

「形」だけの人間関係には、もう、うんざり。
「形」だけの葬儀にも、もう、うんざり。
形だけ整えて、それをすませば、それでよいというのか。
人間の命は、もっと厳粛なもの。
日本の葬儀には、その(厳粛さ)そのものが、欠けている。
よく誤解されるが、派手な葬儀であればあるほどよいと考えるのは、バカげている。

Fさんという女性がどんな人か、実際のところ、私は知らない。
郷里では、たいへんな哲学者なのかもしれない。
しかし一片でも良識のある人なら、見知らぬ相手に対して、こんな手紙は書かない。
書けない。

私はワイフにこう言って、手紙を手紙入れにしまった。
「まあ、いいほうに解釈しよう。Fさんという女性は、心のやさしい人と」と。

もしFさん、あなたが、このエッセーを読んで不愉快に思ったら、こう思ってほしい。
あなたが不愉快に思った以上に、はやし浩司は、不愉快に思った、と。

(今日のこのエッセーは、少しきびしいかな?)


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●10月1日

今日から10月1日。
しかし数日前から、急に寒くなった。
で、さっそく私は長袖のシャツにセーターを着た。
それを見て、一人の女子中学生がこう言った。
「先生、もう、冬服を着ているの?」と。

見ると当人は、半そでのシャツ一枚で、ガタガタと震えているではないか。

私「あのなあ、寒かったら、セーターを着ればいいの」
女「でも、冬になったら、どうするの?」
私「この上に、革ジャンでも着ればいい」と。

実は、私は寒いのが苦手。
(最近は、暑いのも苦手になったが……。)
気温に応じて、季節にかまわず、衣服で体温を調整している。
「夏だから夏服」「冬だから冬服」と決めてかかるほうが、おかしい。

とは言っても、今日から10月1日。
日本では、「衣替えの日」と呼んでいる。
堂々と冬服が着られるのがうれしい。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●大恐慌

今朝の新聞の一面に、「(世界的な)大恐慌」という文字が並んでいた(中日新聞)。
銀行の連鎖倒産が始まり、つづいて企業の連鎖倒産、縮小、失業者の増大が始まる
という。
すでに不動産業界は、どしゃ降りの不景気。
しかし「待ったア!」。

「日本はだいじょうぶ」とまでは書けないが、「日本は、波はかぶるかもしれないが、
ズブ濡れにはならない」。
20年前にバブル経済が崩壊したときから、日本は、賢くなった。
昨年までアメリカや中国がバブル経済に踊ったときでも、日本だけは、「ミニ・バブル」
の範囲で、それを収めた。
現に今、ヨーロッパやロシアでも、大銀行がつぎつぎと国有化される中、いまだ、日本の
銀行で国有化の話が出ているのは、一行もない。

日本の借金も高額だが、しかし日本は、外国からは、金を借りていない。
借金といっても、親が息子や娘に借りるような、いわば身内の借金。
しかも政府には、1000兆円近い国有財産がある。
国民も1000兆円近い、金融財産をもっている。

では、なぜ今、アメリカの経済が、ころんだのか?
むずかしい話はさておき、そんなことは、アメリカの家を見ればすぐわかる。

アメリカでは銀行の中堅サラリーマンですら、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
映画『ホーム・アローン』に出てくるような、大豪邸である。
私もアメリカでそれを見たとき、こう思った。

「アメリカ人がこんないい生活できるのは、日本のような国が、せっこらせっこらと、
アメリカのドルを買い支えているからだ」と。

すでに10年近くも前から、アメリカのドル札は、紙くず同然になりつつあった。

一方、産業はどうか?
基本的には、アメリカの産業構造は、ブラジルの産業構造と同じとみてよい。
そのことも、アメリカのホテルに泊まってみると、よくわかる。
由緒ある、一流ホテルでもよい。

広い部屋に、豪華な調度品。
しかしよく見ると、アメリカ製のものは、何もない。
テレビは台湾製、電気器具類は中国製、毛布、シーツも中国製などなど。
かろうじて家具だけはアメリカ製だが、裏から見て、びっくり!
クロゼットにしても、表には豪華な彫刻(?)などがほどこしてあるが、裏から見ると、
ベニヤ板をたたきつけたよう。

それを見て私は、ワイフにこう言った。
「こんな家具は、日本だったら、売れないね」と。

アメリカがアメリカなのは、軍需産業(=軍事力)と映画産業、それにコンピュータの
ソフト産業があるからである。
それをのぞけば、ただの農業国。
そういう国が、基軸通貨であることをよいことに、双子の赤字をものともせず、ドル
紙幣を世界中にバラまいてきた。
その結果が今である。

ドルの価値が半減、もしくはそれ以下になるかもしれない。
その分だけ、日本の海外資産も半減、もしくはそれ以下になるかもしれない。
が、恐慌には巻き込まれない。
というのも、日本の銀行には、不良債権は、ほとんど残っていない。
個人負債もほとんどない。
心配なのは、証券会社などを通して海外投資をしてきた個人投資家たちである。
こういった人たちは、今年末までに、数10兆円近い損失を出すかもしれない。
しかしそれとて、少し言葉はきついが、自業自得。

ではどうするか?

この世界には、「ふんばり勝ち」という言葉がある。
最後までふんばったほうが、勝ち。
とりあえず、韓国には、自由主義貿易圏から退散してもらう。
つづいて中国にも、退散してもらう。
日本は最後の最後まで、手持ちの金融資産をしっかりと握り、ふんばる。
あとの結果は、世界に任せればよい。

日本は今回の「大恐慌」をきっかけに、世界の金融王国として、躍り出ればよい。
日本があえて手を出さなくても、そうなる。
(この意見は、少し過激かな?)


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人間vs山猿

今日、山荘へ来てみたら、テレビのアンテナが、またまた折られていた。
雨どいも一か所、途中で、大きく横へゆがんでいた。
それに電話の電線を伝って移動しているらしく、途中の釘を刺した
ビニールが、横に垂れていた。

猿のしわざである。

このところの雨で、猿の足跡というか、手跡がベタベタとあちこちに
ついていた。
それをたどってみると、猿の動きは、こうだ。

まず裏山の方向からやってくる。
土手に積んだブロックの上から、一本の雨どいに飛びつく。
その雨どいを伝って、一度、屋根に上る。
その屋根からアンテナに飛び降り、そこから栗の木に登る。

「猿は頭がいいから、釘のあるところを避けて歩いている」と私。
「どうしようもないわね」とワイフ。

来年になったら、栗の木は切るつもり。
梨の木も切るつもり。
ビワもあぶないが、季節がちがうから、どうか?
それにビワの木は、山荘から、離れている。

人間vs山猿の戦いは、今日もつづく。

++++++++++++++++++++++++++++++

【正直こそ、最善】

●小ずるい人たち

大きな悪さはできない。
ふつうは善人として、通用する。
しかし小ずるい人は、小ずるい。

私は息子たちには、いつもこう言ってきた。
「ウソはつくな。ウソをつきたいときは、黙っていればいい」と。
いつだったか、昔、オーストラリアの友人が教えてくれた言葉である。

もう少し踏み込んで言えば、こうなる。
これもそのオーストラリアの友人が教えてくれた言葉である。

「聞かれるまで、本当のことは言わなくていい。
聞かれても、自分に都合の悪いことは、だまっていればいい」と。

で、こんなことがあった。
何かのことで、その友人が、私にとってつごうの悪いことをした。
そこで私が、「どうして君は、そのことをぼくに話してくれなかったのだ?」と
聞くと、その友人は、こう言った。
「君が聞かなかったから」と。

"Because you didn't ask me that"(君がそれを聞かなかったから)という英語が、
今でも耳の中にしっかりと残っている。

欧米人というのは、「ウソ」に対して、たいへん敏感に反応する。
一度のウソが、そのまま人間関係に終止符を打つこともある。
しかしこの日本では、ウソに寛大というか、さらに『ウソも方便』という
言葉さえある。
ときと場合によっては、ウソも許される、と。

そういうウソを積み重ねていると、やがてウソをウソとも思わなくなる。
以前、こんな人(男性)がいた。
何でも車をバックさせているとき、カーブミラーに車をぶつけてしまったらしい。
そこでその男性は、急いで、その場を逃げたという。

「林君、警察に見つかると、120万円だよ、120万円!」と。

カーブミラーの修理代(=罰金)は、120万円いう。
その男性は、そういう話を、あたかも自分の手柄のようにして話してくれた。
もちろん「悪いことをした」という意識はない。

私自身も、子どものころは、小ずるい子どもだった。
自分でも、それをよく覚えている。
たとえば道に、お金や財布が落ちていたら、すかさず、自分のものにしていた。
一度だけだが、隣の家から、小さな金属製のライターを盗んだこともある。
私が小学5年生くらいのときのことではなかったか。
が、そのライターはすぐ母に見つかってしまい、母がそれを返しに行った。

しかしウソはあまりつかなかった。
まわりの人たちが、みなウソつきだったから、かえってウソについて、嫌悪感を
覚えていたせいかもしれない。
前後の混乱期ということもあった。
ただ私の父は、場違いなほど、実直な人で、今にして思うと、父には感謝している。
バカ正直というか、ウソがつけない分だけ、商売は下手だったが、正直さの大切さは、
私は父から学んだ。

で、結婚してからまもなくのこと。
ワイフ自身も、こう言ったことがある。
「あなたの町では、何が本当で、何がウソか、よくわからないわね」と。

小ずるい人のウソには、つぎのような特徴がある。

(1)小悪を告白して、大悪を隠す。
(2)とぼけて、その場をごまかす。
(3)忙しいフリをして、話題をそらす。
(4)すかさず作り話をする。
(5)他人のウソには、おおげさに怒ってみせる。
(6)口がうまく、ウソと真実を適当に混ぜて話す。
(7)ことさら「自分は善良な人間である」という演技をする。
(8)自分の正体を知っている人を、悪人に仕立てる。

「小悪を告白して、大悪を隠す」というのは、どうでもよいようなささいな失敗を
告白して、「自分は正直な人間である」ということを強調する。
たとえば大きな花瓶を割っておきながら、別のところで、「ごめんなさいね、不注意で、
テーブルのお茶をこぼしてしまいました」などと言う。

「とぼけて、その場をごまかす」というのは、小ずるい人間の常套手段。
年齢が高くなると、ボケたふりをすることもある。

「忙しいフリをして、話題をそらす」というのは、その話題になりかけると、
動物的な勘で、その場から逃げる。
「あっ、お湯をわかしたままにしておいた。ちょっとごめん!」とか、など。

「すかさず作り話をする」というのは、このタイプの人は、実にうまい。
長い時間をかけて訓練しているから、ふつうの人にはマネできない。
もちろん自分を正当化するために、である。

「他人のウソには、おおげさに怒ってみせる」というのは、『泥棒の家ほど、戸締り
が厳重』ということわざに、相通ずるところがある。
自分は平気でウソをつくくせに、(つまり、それだけ相手のウソを見抜く目が肥えて
いる)、相手がウソをつくと、大げさに、それを怒ってみせたりする。

「口がうまく、ウソと真実を適当に混ぜて話す」というのは、ウソつきというのは、
ウソだけを言うのではない。
適当にウソに本当の話を混ぜ、相手を自分のペースに引き込んでいく。
その仕方が、うまい。

「ことさら自分は善良な人間であるという演技をする」というのは、自分の正体を
見破られないため。
「先日も、あることから人助けをさせられましてね……」とか何とか。
そういう話を大げさに誇張してみせたりする。
あるいは1、2度しかしていないにもかかわらず、毎週のようにボランティア活動を
しているような話し方をする。

「自分の正体を知っている人を、悪人に仕立てる」というのも、やはり自分の正体を
見破られないため。
日ごろからその相手の悪口を、それとなく言いふらし、その相手を悪人に仕立てる。
あるいは「自分は善良な人間だが、その相手には、ひどいめにあっている」などと、
大げさに言いふらしたりする。

で、先にも書いたように、私も、もともとは小ずるい人間だった。
だからこそ、今、他人の小ずるさが、よくわかる。
子どもでも、いつもカンニングしている子どもほど、ほかの子どものカンニングに
敏感。
それを私に告げ口したりする。
だから私は、そういうときは、すかさず、こう言い返すことにしている。
「ぼくはね、告げ口は、もっと嫌いだよ」と。……これは余談。

こうした小ずるさは、一度身につくと、それを消すことは容易なことではない。
年齢とともに、ますます小ずるさに磨き(?)がかかってくる。
さらにある年齢以上になると、それがそのままその人の人格の基盤になってしまう。
若いときには、気力で自分の小ずるさを隠すことができるが、その気力が弱く
なると、中身がそのまま表に出てきてしまう。
そして小ずるいことをしながら、それが小ずるいこととさえ思わなくなってしまう。
これがこわい。

第一に、小ずるいことを重ねていると、周囲の人たちが去っていく。
第二に、人生観に一貫性がなくなり、自分の生き様を定められなくなってしまう。

日常的にウソをついていると、そのつど、相手に応じて、つじつま合わせをしなければ
ならなくなる。
『記憶力がよくなければ、ウソをつくな』ともいう。
ウソをつくたびに、その内容を記憶していかねばならない。
でないと、やがてこんな会話をすることになる。

私「あなた、先日、自分でこう言ったでしょ」
相手「……?」
私「自分で、そう言ったではないですか?」
相手「そんなこと言ったかなア」と。

わかりやすく生きるためには、『正直こそ、最善(Honesty is the best Policy.)』。
最近、この格言のもつ意味が、ますます深くわかるようになった。
   

Hiroshi Hayashi++++++++Oct.08++++++++++はやし浩司

●1680x1050

+++++++++++++++++

今日、パソコンのモニターを買い替えた。
22インチの、1680x1050ドット。

とたんパソコンの世界が、2倍は広くなった。
錯覚か?
そんな感じがした。
今までは、19インチのモニターだった。
何かと手狭だった。

が、今は、ホームページを2つ並べても、まだ余裕がある。
ワード画面をその下に並べても、まだ余裕がある。

8年ほど前、どこかのデザイン事務所で、
この22インチのモニターを見たときは、ほんとうに
驚いた。
それが、今、それが自分の手元にある。

しかも値段は、当時の10分の1以下。
この世界は、日進月歩。
すごいことだ!

+++++++++++++++++

問題は、このパソコンを使って、何をするか、だ。
遊びに使うには、もったいない。
大画面を利用して、何かもっと、役にたつことをしたい。
ということで、早速、古い本を一冊、HPに収めてみた。
『クレヨンしんちゃん・野原家の子育て論』である。

たまたまC新聞に記事を書いているときに発売されたということもあり、
この地方では、よく売れた。
(全国的には、さっぱりだったが……。)

あたかも2台のパソコンを並べたかのようにして
作業ができる。
しばし、画面の広さを楽しむ。
途中でワイフがお茶をもってやってきた。
画面を見て、同じような印象をもったらしい。
「すごいわね」と。

作業が終わったのが、午後11時ごろ。
興味のある人は、HPのトップ・ページから、
(立ち読みコーナー)へ、どうぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.08++++++++++はやし浩司

●電話

夜遅く、高校時代の友人のM君から電話。
1時間ほど、話す。
電話というと、1時間が基準になってしまった。
このところ何かと長電話が多くなった。

話題はM町の活性化問題から、パソコンまで。
ついでに松茸の話もした。
こうして話すのは、10年ぶりではないか。
話し出したとたん、高校時代の自分に戻るから
不思議である。

郷里のM町が、元気がないのは、さみしい。
先週も歩いてみたが、大通りにも人影はなかった。
「観光地といっても、みな、見ていくだけ。
お金を落とさないから、活性化にはならない」と。

彼は、パソコンは、「していない」そうだ。
「今は、パソコンの時代だよ」と言うと、
「オレは乗り遅れたみたい」と。

それぞれの人生。
それぞれの生き方。
この年齢になっても、みな、それぞれの生き方を
模索している。
すばらしい!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.08++++++++++はやし浩司

【心のゆがみ】

●ゆがんだ思想

+++++++++++++++++

ものを書いていて、いちばんこわいのは、
ふと「自分の考えがゆがんでいないか」と
思うこと。

+++++++++++++++++

このことは、反対に子どもの意識を観察
してみるとわかる。

子どもによっては、小さな殻(から)に
閉じこもってしまい、不合理な思いこみをする
ことがある。

たいていは人間関係から生ずるストレスが
原因で、そうなる。

が、一度、小さな殻に入りこむと、その時から、
ものの考え方が、どこかいびつになってくる。
「人口の半分は、核兵器か何かでみな、
死ねばいい」とか、「ぼくは、火星へ移住する」とか
言い出す。

そういうとき私は、そうした不合理さに対しては、
ていねいに質問責めにすることによって、対処
することにしている。

私「核兵器で、君だって死ぬ可能性があるんだよ」
子「ぼくは、いい。地下室へ逃げる」
私「みんなも、地下室へ逃げようとするよ」
子「ぼくは、自分だけの地下室をつくる」
私「食べ物はどうするの?」……と。

こうした(療法)を、心理学の世界でも、
「認知行動療法」と呼んでいる。
不合理な考え方を、自ら気づかせ、それを是正して
いく。

が、それは子どもの世界の話。
私のようなおとなになると、第三者にそれをして
もらわなければならない。
が、それもできなければ、どうしたらよいのか?

それについては、「論理療法」というのがある。

つまりは「自分で考える」ということ。
常に論理的にものを考えるクセを身につける。
しかしそれにも限界がある。
では、どうするか?

私のばあい、たいへんラッキーなことに、毎日、
子どもたちと接する機会がある。
とくに幼児と接するのは、よい。
彼らはたとえて言うなら、まさに「天使」。
心にゆがみがない。
そういう子どもと接していると、接した瞬間、
自分の心が洗われていくように感ずる。
ゆがんだ思想が、そのまま是正されていく。
言うまでもなく、幼児の世界では、ウソやインチキは
通用しない。
ごまかしもきかない。
プラス、母親たちの監視つき(失礼!)。

私はよく「職場がストレス解消の場です」と
言うが、それはけっして誇張ではない。
このところ、それを強く感ずる。
というのも、私の年齢になると、不合理な考えを、
それを不合理とも思っていないような人が多くなる。
つまり思想的に偏(かたよ)りができ、偏屈になる。
(思想らしきものをもっている人は、まだよいほう
かもしれないが……。)

中には、過去をそのまま踏襲することが、「善」と
考えている人もいる。
この時代にあって、「先祖様」とか、「武士道」とか
言っている人は、たいていこのタイプの人と
考えてよい。

こうした考えがいかに不合理なものであるかは、
幼児に当てはめて考えてみるとわかる。
「君たちは、どこから来たの?」と聞くと、
「ぼくたちは、ママのおなかから生まれた」と
答える。

「ぼくは生まれた」という言い方に注目してほしい。
「ぼくは産んでもらった」とは、けっして、言わない。
それがものの考え方の、原点である。

武士道についても、そうだ。
あの封建時代の「負の部分」に目をくれることもなく、
一方的にそれを礼賛するのも、どうかと思う。
江戸時代においても、武士は、人口の5〜7%。
残りの大半は、農民。
私たちの祖先は、その武士に虐げられた農民に
すぎなかった。

どうして今、武士道なのか?

少し脱線したが、ものを書いていて、
いちばんこわいのは、
ふと「自分の考えがゆがんでいないか」と
思うこと。

とたん、キーボードを叩く指が止まってしまう。
ゆがんだ考えなど、いくら書いても、社会の
害になることはあっても、役にたつことは
何もない。

それこそ時間の無駄。
人生の無駄。
だからものを書く。
書きながら、考える。
言うなれば、私は毎日、自分で自分を論理療法
していることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 認知療法 論理療法 認知
行動療法)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.08++++++++++はやし浩司

●適応障害

++++++++++++++++++

適応障害というと、何も、子どもの世界だけの
問題ではない。
おとなの世界にもある。

++++++++++++++++++

社会や環境にうまく適応できないと、そこで適応障害を起こす。
その前段階として、(1)欲求不満や葛藤を繰りかえす。
グチや取り越し苦労が多くなる。

ある女性は、認知症ぎみの実兄の世話を始めたとたん、適応障害を
起こしてしまった。
毎晩のようにあちこちに電話をかけ、ときにギャーギャーと
泣きわめきながら、自分の苦労(=グチ)を話しつづけた。
視野が極端に狭くなるのも、特徴のひとつ。
相手の都合など、まったく構わない。

こうした行動を総称して、「防衛機制」という。
自分の心の崩壊を防ぐための心的反応と考えるとわかりやすい。
たとえばそれらの中には、

(1)抑圧
(2)同一化
(3)代償
(4)補償
(5)合理化
(6)投射
(7)逃避
(8)退行
(9)昇華(「臨床心理学」・松原達哉著)がある。

相手かまわずグチをこぼすというのは、(攻撃的な防衛機制)ということになる。
その女性のばあいは、遠くに住む実弟を責めつづけた。
その実弟氏はこう言った。
「姉からの電話というだけで、手が震えるようになりました。
ギャーギャーと一方的に泣きわめくだけで、会話にはなりませんでした。
そういう電話が1〜2週間ごとにかかってきました」と。

この段階で対処のし方をまちがえると、そのまま何らかの精神障害を
負うことになる。
その女性にばあいは、やがてすぐ心療内科で、うつ病と診断された。

が、それも一巡すると、身体的な不調を訴えるようになる。
一連の神経症はこうして発症するが、神経症には定型がない。
「おかしな症状?」と感じたら、神経症を疑ってみるのがよい。

で、こうした問題が起きたら、原因となっている要因を排除するのが
よいのだが、それで問題が解決するとはかぎらない。

というのも、適応障害というのは、それ以前の段階で、心の病気と
深くからんでいることが多いからである。

たとえば不登校児を例にあげて考えてみる。
「A君がいじめるから、学校へ行きたくない」とある子どもが言ったとする。
親は、「不登校になった原因は、A君」と考える。
そして学校と相談して、クラスを替えをしてもらったり、A君を近くから排除
してもらったりする。
が、しばらくすると今度は、「B先生がこわい」とか、言い出す。

こうした現象を私は勝手に、『ターゲットの移動』と呼んでいる。
その子どもは自分の心を安定させるために、学校へ行きたくないのだ。
その口実に、A君の名前をあげたり、B先生の名前をあげたりする。
不登校という一見、不適応症状を示しながら、実は、学校へ行かないことで、
自分を社会に適応させようとしている。

つまり適応症状といっても、(1)継続性のものと、(2)非継続性の
ものがある。

継続性のものとなると、たとえその問題が解決したとしても、今度は別の
問題をもちだし、それについて悶々と悩んだり、苦しんだりする。
本来なら、つまり少しだけ視野を高くもてば何でもない問題はずなのに、
それを大げさに悩んだり、苦しんだりする。

ここにあげた女性のばあい、実兄が廊下で便をもらしただけで、パニック
状態になってしまったという。
そして即座に実兄に電話を入れ、「あんたがめんどうをみないから、こうなる」
と泣きわめいたという。

あとになってその実弟氏は、私にこう言った。
「ぼくの家では、家の中で2匹の犬を飼っている。いつも廊下でウンチを
するから、ぼくなら、それほど気にしないのに。
それでぼくが姉に、『犬のウンチと思えばいいのでは』と言ったら、姉は、
烈火のごとく怒りだしてしまった」と。

そこで費用は全額実弟氏もちということで、その女性は、実兄をグループホームへ
入れた。
が、今度は、そこでも……!

というようなことを繰りかえす。
つまり何らかの精神障害が基盤にあって、それから発生するもろもろの症状が、
あたかも泡のように表面にそのつど浮かんでくる。
継続性の適応障害というのは、そういうものをいう。

では、どうするか?

『文化性は、心の予防薬』と考えるのがよい。

ふだん、何ごともないようなときに、心を豊かにし、充実させていく。
音楽を聴くのもよし、美術館に足を運ぶのもよし。
本を読んだり、DVDを楽しむのよし。
こうして自分の文化性を高めていく。

だれしも、いつか、どこかで、いろいろな問題にぶつかる。
その問題にぶつかったとき、文化性の高い人は、そうした問題を、うまく処理できる。
心へのダメージを最小限に抑えることができる。
そうでない人は、そうでない。
自分の小さな殻(から)に閉じこもってしまい、そこから一歩も出られなくなってしまう。

とくに子育ても一段落したら、そうする。
そうでなくても、老後は、そうした問題が、あたかも打ち寄せる波のようにやってくる。
つぎつぎ、とだ。

だから『心の予防薬』が必要ということになる。

……ということで、今朝は、少し時間があるので、ワイフと佐鳴湖を一周してみる。
久しぶりに雨もあがり、気分は爽快!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 適応障害 防衛機制 不適
応 不登校)

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では、また11月号で
お会いしましょう!!!

バ〜〜〜イ!












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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   29日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●留学生斡旋会社倒産

どこかの留学生斡旋会社が倒産した。
かなりずさんな会社だったらしい。
が、その費用を見て、びっくり!
まさに「詐欺」!

自分でインターネットを使って申し込めば、
原則として、入学の申し込みは、ただでできる。
大学付属の語学校にしても、無試験が原則。
(もちろん渡航費、学費、滞在費は別だが……。)
それを手続き代と称して、100〜150万円程度もの費用を
取っていた!

入学許可がおりれば、下宿先などは、
たいてい大学のほうで、世話をしてくれる。
費用は実費。

どうしてみなさん、こんなインチキ会社に
ひかかるのだろう。

念のため、自分でできる方法をここに書いておく。

(1)大学の情報を集める。
語学校(Language Institute)の情報を集める。
インターネットを使って調べれば、瞬時にできる。

(2)入学申込書(願書)があるので、それに必要事項を書き込む。

(3)入学許可書が届いたら、大使館へ学生ビザを申請する。
(これも最近ではすべて、インターネットを介してできる。)

(4)その前後に、大学へ直接、学費の振り込みをする。

(5)入学許可書には、たいてい下宿の申込書、あるいは寮の申込書が
添付されているので、希望に応じて、それに申し込む。

(6)あとは航空チケットを購入。
オーストラリアやニュージーランドのばあいは、大学の係員が、空港まで
出迎えてくれる。もちろん無料!

こんな簡単な手続きのために、100〜150万円だと!
「詐欺」という意味が、これでわかってもらえた思う。

(注意)
よく高校前の電柱などに、「海外留学〜〜説明会」とかいう張り紙がしてあるのを
見かける。
しかしああいうのには、顔を出してはいけない。
たいてい会場は、フカフカのジュータンが敷き詰められた、高級ホテル。
会場へ入ると、甘いコーヒーの香りと、静かな音楽。

ピカピカのスーツを着た男女が、にこやかに立っている。

そういう雰囲気で説明会は始まるが、すでにそのとき、集まった人たちは、
催眠術でもかけられたような状態になっている。
あとはインチキ会社の思うがまま。
100〜150万円のインチキ契約に、サインをしてしまう。

自分で入学申込書も書けないような学生は、海外留学など考えないこと。
もとから「無理」。
留学しても、遊ぶだけ。
もしあなたの子どもが、「留学したい」とでも言ったら、あなたはこう言えばよい。
「手続きは、すべて自分でしなさい。それができなければ、留学はあきらめなさい」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子が帰ってくる!

++++++++++++++++

10月のはじめ、三男がアメリカから
帰ってくる。
NAPAでの6か月の訓練を終えて、
帰ってくる。
「パパとママを旅行に連れていってやる」と
言ってくれた。
うれしかった。
「飛行機はだめだよ」と私が言うと、
「国内にするよ」と。

1か月半の休暇がもらえるという。
それがすむと、いよいよ大型機の
操縦訓練。
訓練機は、ボーイング777。
通称、「トリプル・セブン」と呼ばれている。
J社の中でも最新鋭機。

やることなすこと、都会的なのだが、
旅行だけは、純和風の温泉へ行きたがる。
おもしろい息子だ。

ところで、みなさん、飛行機だけは、
JALに乗ったほうがよい。
国によって、訓練のし方そのものが、ちがう。
国によっては、空軍のパイロットが、そのまま
民間航空会社のパイロットになったりする。

C国のように、計器飛行のライセンスをもっていない
パイロットが、堂々と、国際線の飛行機を操縦して
いるというケースもある。
(だから夜間飛行ができない。数年前、韓国の
釜山で着陸に失敗した飛行機が、その一例。)

が、JALは、ちがう!
訓練のきびしさが、ちがう!
息子もいつも、口癖のようにそう言っている。

「国内線はともかくも、国際線は、JALにかなう
国はない」と。
つまりそれくらいパイロットの訓練が、徹底している。

+++++++++++++++

●6か国協議

●おバカHILL、行状記(Be ashamed, Mr. C. Hill!)
C.Hill will come to North Korea soon, but what for? He has been cheated and ignored by 
the North Korean Government in these 4 years, only giving them money, oil, food, music 
and time. In the meanwhile North Korea might have developed nuclear weapons more 
and we are afraid some of our kidnapped Japanese might have already passed away. 
Why does he go to North Korea now? The reason is quite clear. He wants to sell himself 
as a negotiator to the next USA government, saying "I am the only one who can talk 
with the high-officials of North Korea". We know he knows nothing about Asia. Mr. 
Bush should know this. The next President of USA should know this.

+++++++++++++++

アメリカのC・Hill国務次官補が、
9月29日、K国に向かうことになった。
今までの言動に、何ら責任を取ることもなく……。

+++++++++++++++

拉致問題では、逆に日本を脅迫。
「拉致問題を一時棚上げにし、K国援助に加われ。
さもなければ、K国のテロ支援国家指定を解除する」と。

これに対して日本が「NO!」と答えると、
C・Hill国務次官補は、本気でテロ支援国家
指定解除に動いてしまった。

が、何といっても最大の裏切り行為は、6か国協議を、
米朝2か国協議にすり替えてしまったこと。
自らを、国際外交の大スターに仕立てるためか(?)。
が、すべてが裏目、また裏目。

先週、K国の国連代表はこう言い出した。
「6か国協議で決まったわけではないので、K国は
約束を守る義務はない」と。
(「6か国」と、たくみに、6か国協議を利用している
点に注目。)

インターネットに配信されているニュースなどを
読むと、K国は、ここ1、2週間のうちに、
N−ビョンの核開発関連施設を、再稼働させるつもり
らしい。
つまりすべてが、白紙に逆戻り!
6年前に、逆戻り!

結局、この4年間の間にC・Hillがしたことは、
K国に、金と原油と食糧と音楽、それに「時間」を
与えただけ。
この間に、拉致被害者の方の中には、亡くなった人も
いるかもしれない。
K国の核兵器開発は、さらに進んだはず。
CIAの元長官ですら、「K国は小型核の開発に
成功しているはず」(08年9月)と述べている。

いいかげんに目を覚ませ、C・Hill!
アジアの「ア」の字も知らない、ド素人外交官!
口にするのは、根拠のない希望的観測ばかり。

追いつめられたC・Hillのつぎの一手は、
K国への直談判。
NIKKEI−NETは、つぎのように、
伝える。

『(9月)29日に米国を出発。30日に韓国で同国首席代表の金塾(キム・スク)外交通商
省朝鮮半島平和交渉本部長と協議した後、訪朝する見通し。北朝鮮が北西部寧辺(ニョン
ビョン)の核施設の復旧に動くなか、米朝の直接交渉で事態打開を狙う』と。

今ごろ、K国へ行って、どうする?
何が変わる?

C・Hillの訪朝意図は見え見え。
自分のクビを次期政権につなげること。
「K国と交渉できるのは私だけ」と。
つまり次期政権への、自分の(売り込み)。

恥を知れ、C・Hill!

【アジア人の特性】

●物活論

幼児の世界には、「物活論」というよく知られた心理的現象がある。
物活論というのは、「ありとあらゆるものが生きている」と考える心理状態をいう。
たとえば風にそよぐカーテンを見ても、それを生きていると考える。
空に浮かぶ雲も、それを生きていると考える。

つまり「物」に、「心」を注入する。
そしてその「物」に、「命」があると考え、その「物」に自分の「命」を代用させる。

が、この物活論は、成長とともに修正される。
「物」と「命」を区別できるようになる。

が、悲しいかな、物活論がそのままおとなになっても、残ることがある。
たとえば日本の仏教には、その傾向が著しい。
仏像に「魂?」を吹きこみ、それを「仏そのもの」と思いこんでしまう、など。
極端なケースになると、『イワシの頭も信心から』となる。
(釈迦自身は、自分に似せて仏像を作って拝むなと強く戒めているのだが……法句経。)

この傾向は、西洋人よりはるかに強い。
つまりその分だけ、アジア人は、精神的に幼稚性が残っているということにもなるが、
それはさておき、仏教の世界でいう、「本尊」には、そういう意味がこめられている。
「物」でしかない「本尊」を、「生きている仏」と思いこむことで、自らの信仰性を支える。

現在のK国、なかんずく金xxにとっては、核兵器そのものが、本尊。
本尊あっての、金xx。
最初から戦略的に核兵器を放棄する意図など、金xxには、みじんもなかった。
最近の情報によれば、すでに金日成の時代から、K国は、地下工場で核兵器の開発を
進めていたとされる。

その本尊を、金xxが、そうは簡単に放棄するはずがない。
ないことは、アジア人の私には、それがわかる。
しかしC・Hillには、それがわからない。
だからド素人!

ついでに物活論について……。

●乳幼児の心理

 乳幼児の自己中心性は、よく知られている。

 このほかにも、乳幼児には、(1)物活論、(2)実念論、(3)人工論など、よく知られ
た心理的特徴がある。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。

 風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きてい
ると考える。……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考
える心理をいう。

 ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを
念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別が
できない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつ
くられたと考える心理である。

 人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月
を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう感覚は、乳幼児の人工
論によって、説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されて
いく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには
青年期を迎えることがある。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●夜の散歩

+++++++++++++++++++++

このところ、やや運動不足。
風邪の症状も治まったので、ワイフと散歩に出かける。
コースは、一度バイパスに出て、コンビニに寄る。
そこから大通りに沿って佐鳴湖へ。

距離にして、5キロくらいか。
私はハナ(犬)のロープを左手に、懐中電灯を右手に。
ワイフは、バッグと傘。
出かけるとき、パラパラと小雨が降り出した。

++++++++++++++++++++

●楽しみ

「楽しみ」とは何かと問われれば、私は「生きているという実感」と答える。
もう少しシニカル(皮肉ぽく)な答え方をすれば、「死の恐怖のない自由」ということ
になる。
「生きている」という感覚は、「死の恐怖」の裏返しとして実感できる。
言い換えると、死の恐怖を感じないだけでも御の字。
感謝しなければならない。
喜ばなければならない。
あるいは、それ以上の「楽しみ」はあるのか。

もちろん健康であれば、さらによし。
足が動く。
息ができる。
目が見える。
音が聞こえる。

あとはその「楽しみ」を、どう使うか。
というのも、この「楽しみ」には、限界がある。
時間という限界である。
今の状態が10年つづくという保証は、どこにもない。
が、30年は、ぜったいに、つづかない。
つまり「時(とき)」そのものが、貴重な財産。
刻一刻と、砂時計の砂が下へ落ちていくように、「時」は、減っていく。

「楽しむ」といっても、そういう「時」を無駄には使いたくない。
いや、無駄に使っても、そのあとに残るのは、空しさだけ。
ときに「しまった!」と思うことさえある。

が、今夜の散歩は、楽しかった。
あちこちの記念碑を見たり、通りの看板を読んだり……。
閉店して静まりかえった店の中も、のぞいた。
それぞれの場所で、それぞれの人たちの(思い)を感ずることができた。

家に着くころには、ワイフは、「足が痛い」と言い、私は「背中に汗をかいた」と
言った。
ひんやりとした湿った冷気が、気持ちよかった。
つまりその実感こそが、「楽しみ」ということになる。
「生きているという実感」ということになる。

そうそう、たった今、ハナが牛乳をせがんだので、それを少し分けてやった。


●母の生きがい

毎晩、7〜8時ごろ、センターから電話がかかってくる。
朝のときもある。
そのときどき、母を介護する看護士さんや、介護士さんから、母の状態を知らせて
くれる。
先ほどもあった。

母の状態は、一進一退というところか。
危篤と安定を、3〜4日ごとに繰り返している。
そのつど、センターへかけつけたり、ほっとしたりしている。

ほかにとくに病気らしい病気のない母だから、人によっては、「100歳まで
生きられそうですね」と言う人もいる。
しかし体重のほうは、毎月のように減っている。
今では小学生のよう。
小学生といっても、小学3〜4年生の子どものよう。

昨日も食事が喉を通らなかったということで、点滴で、それをすました。
そういう母の心を思いやる。
「どんな気持ちだろう?」と。

もし母に、自分の境涯を理解できる能力がじゅうぶんあったなら、母は、きっと
自分の境涯をのろうにちがいない。
毎日、毎晩が、孤独との闘い。
生きる目的も希望もなく、また動くこともできず、ベッドの上に横たわっているだけ。

ただ幸いなことに、(それを幸いと表現してよいものかどうかはわからないが)、母には
今の境涯を理解するだけの能力はないと思う。
認知症に合わせて、脳梗塞も起こしている。
面会に行っても、毎回、ほとんど眠ったままの状態。

私は率直に言えば、母というよりは、そういう母を介護してくれる介護士さんのほうに、
頭がさがる。
介護士さんが介護してくれるおかげで、私とワイフは、自由な時間を楽しむことができる。
いや、それとて、自分で母を介護してみて、わかったこと。
老人の介護というのは、ほんとうにたいへん。
母が家にいるときは、毎日、1時間とて、気が抜けることはなかった。
事故も重なった。

もしあのまま母が私の家にいたとしたら、母は、去年のうちに他界していただろう。
だからこそ、介護士さんには、よけいに頭がさがる。

私には今の母の心を読むことはできない。
ないが、今、生きているということが、母の強い意思だと思う。
思うから、生きている以上は、どこまでも生きていてほしい。

私と母の間には、いろいろあったが、今ではそのわだかまりも、消えた。
ベッドの上で横たわっている母は、どこまでも、そしてどこまでもやさしい、
あの慈愛に満ちた母でしかない。

明日は、午前中に、少し時間があいているので、見舞いに行くつもり。
母ちゃん、ありがとう。
そしてがんばれ!
これからも、いっしょに生きていこう!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●韓国・9月危機が現実に!(September Crisis in South Korea)

++++++++++++++

9月29日。

今朝は、雨。
小雨。
木々の小枝を揺らすこともなく、
静かな雨が降っている。

こういうときというのは、
何かと人恋しい。
そっと冷めたお茶を飲む。
天井を見上げる。

どこかでスズメが鳴いた。
その声で、ふと我に返る。
今日も始まった。
今週も始まった。

++++++++++++++

●70兆円!

アメリカ政府は、不良債権を買い取るために、
70兆円規模の公的資金を投入することにしたという。

その点、アメリカは強い。
だれに遠慮することもなく、ドル紙幣を印刷する
ことができる。
印刷機を自由に、回すことができる。

世界中が、ドル札でジャブジャブになったところで、
アメリカの知ったことではない。
もともとあの国は、自分勝手。
無責任。

が、この日本も動き出した。
今まで、日本は、ためこんだドルを、使うことも
できなかった。
アメリカのドルを買い支えるため、せっこらせっこら
とドルをためこんできた。

ずいぶんと前の話だが、橋本総理大臣の時代に、
橋本総理大臣が、「手持ちのドルを5%だけ、他の通貨に
替える」と言っただけで、アメリカ政府はそれに
対して大激怒。
結果的に、橋本総理大臣のクビは、それが原因で
吹っ飛んでしまった。

が、今は、そのドルを堂々と使うことができる。
使って、瀕死状態のアメリカの銀行や証券会社の
買収に乗り出した。
今度ばかりは、アメリカ政府も、文句は言えまい。

しかし70兆円で足りるのか?
日本政府は、日本のバブル経済が崩壊したとき、
数年にわたって、30兆円規模の公的資金を市場に
投入した。

皮肉なことに、公的資金の投入に、もっとも強硬に
反対したのが、アメリカ。
そのアメリカが日本にならって、日本がしたのと
同じことをしている。

今朝の株価は、にもかかわらず、あまりパッとしない?
プラス110円程度の上昇。
やはり70兆円程度では、力不足?

が、同じ為替でも、韓国の通貨があぶない。
選手末、1ドル=1160ウォン前後だった
ウォンが、今朝(9・29)は1172ウォン!
これが1200ウォン程度までにさがれば、
約70%の中小企業は倒産すると言われている。
『中小企業中央会は、ウォン相場が対ドルで、
10ウォン下落するごとに損失が1000億ウォン
(約91億円)膨らむと推定している』(中央N報)と。

ウォンを買い支える外資も、今月中、底をついたはず。

日本の知ったことではないが、目が離せない。

(注:午前9:00に、1ドル=1170ウォンだった
為替相場が、午前9:30には、1180ウォンにまで、
さらにさがった。「9月危機」が、いよいよ現実になってきた!)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小型ヘリコプター

+++++++++++++++++++++

少し前から、おもちゃの小型ヘリコプター
に凝っている。
現在、7〜8機、もっている。
値段は、2000〜8000円前後。
今日も、1機、買った。
3チャンネル仕様のもので、結構、重量感がある。
「重量感がある」というのは、この種のおもちゃにしては、
重いということ。
値段は、12000円だった。

(3チャンネル仕様というのは、上昇・下降、
左右旋回、前進・後進の、3つの動きをコントロール
できるという意味。)

++++++++++++++++++

若いころは、ラジコンの飛行機やヘリコプターを
よく飛ばした。
しかし当時は、(今もそうだが)、値段も高く、
それに操作が難しかった。
たいてい3、4回も飛ばすと、墜落。
そのまましばらくどこかに飾ったあと、
ゴミになったりした。

が、昨年くらいから、手のひらに載るような
小さなヘリコプターが発売されるようになった。
とたん、私は、小型ヘリコプターにとりつかれて
しまった。

部屋の中で、気軽に飛ばせるのが、よい。
ふと気が向いたようなとき、飛ばせるのも、よい。
ただしラジコンといっても、きめのこまかい操作は
できない。
スイッチONで、突然、ビューンと舞いあがったりする。
OFFにしたとたん、そのまま墜落。
が、慣れてくると、ヘリコプターのもつクセを
うまく利用して、部屋の中を自由に旋回させるようなことが
できるようになる。

結構、この世界も、奥が深い。

もちろんきめのこまかい操作のできるのも、ある。
デジタル・プロポーショナルというプロポ(送受信機)
付きというのが、それである。

今日買ったのは、そのデジタル・プロポーショナル付き。
目下、充電中で、まだ飛ばしてないが、楽しみだ。

そう言えば、何かの雑誌に、「団塊の世代には、小型ヘリ
に凝っている人が多い」と書いてあった。
私もその1人。
なぜか?

ひとつには、私たちの世代は、ほかの世代とくらべて、
空へのあこがれが強いということがある。
小、中、高校時代、私たちはいつもどこかに、大きな
圧迫感を覚えていた。
といっても、それを自覚していたわけではない。
息苦しいのが当たり前で、その息苦しさそのものが、
よくわからなかった。
もがいていることも知らず、ただひたすら、その中で、
もがいていた。

「自由になりたい」というばく然とした思いが、
「空へのあこがれ」へと変化していったのではないか。

が、この状態は、社会へ出てからも変わらなかった。
「企業戦士」「猛烈社員」ともてはやされて、ただひたすら、かつ、
がむしゃらに、あの高度成長期という時代を生き抜いた。
それこそ、遊ぶ時間も惜しんで、仕事に励んだ。

いや、それとて今になってわかること。
当時の私たちは、「遊ぶ時間も惜しんで」という意識もないまま、
それを当たり前のこととし、家族を犠牲にし、自分の
時間を犠牲にして、働いた。

しかしその意識、つまり犠牲にしたという意識も、あまりなかった。
が、こんなことはあった。
欧米人が、たとえば1〜2か月も夏休み(バカンス)を
とると聞いたときのこと。
「あいつらバカじゃないか」と思ったことがある。
「1〜2か月も休んで、仕事はどうするのだ」と。

意識というのは相対的なもので、私がそう思ったという
ことは、同時に、私たちの意識が、欧米人の反対側にあった
ということになる。

しかし本当にバカだったのは、どちらだったのか?
今になってみると、ひょっとしたら私たちのほうが
バカだったかもしれない。

それを認めるのはつらいことだが、悪いことばかりでもなかった。
まだ私など、余裕のあるほうだった。
そのつどいろいろな趣味をもって、それを楽しむことができた。
先に書いたように、ラジコンの飛行機も飛ばしたし、
ヘリコプターも飛ばした。

で、今は、小型のヘリコプターを無心になって飛ばす。
ガチャンと墜落して、ひっくり返ったのを見て、
あわててかけつける。
傷んでないことをたしかめながら、またそっと、
空にそれを浮かす。。
それを見て、ほっとする。

私たちの世代に欠けていたものといえば、そういう
(バカを楽しむ心)ではなかったか。
今にしてみると、それがよくわかる。

小型のヘリコプターを飛ばしながら、別の心で、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●欲もほどほどに

++++++++++++++++++

今月は、土地の売買について、大きな
動きが2つあった。

ひとつは、小さな土地を売ったこと。
もう一つは、30年ほど前に買った山林を、
売りに出したこと。

小さな土地については、坪5万円という、まあ今の
相場感覚からすれば信じられないほど安い値段で売った。
もちろん宅地である。

「売った」というより、「早く縁を切りたかった」。
それでその値段で売った。

もうひとつのほうの山林は、ある知人にだまされて
買った。
当時ですら、相場の10倍。
今売っても、当時の値段の、6分の1にもならない。
あるいはそれ以下。
一言、「(だまして)すまなかった」と言って
くれれば、私も救われるが、本人には
その意識はない(?)。

「山は値段ではない」とか、「オレを信じろ」とか、
勝手なことを言っている。

昔から山師というのは、そういうもの。
詐欺師の代名詞にもなっている。

よく調べもせず買った私が、バカだった。

が、この世界には、損得は、つきもの。
損得を通して、人は何かを失い、何かを得る。
ただ誤解してはいけないことは、損をしたからといって、
何かを失うということではない。
得をしたからといって、何かを得るということでもない。

坪5万円だったが、おかげで私は、その土地のもつ
呪縛感から解放された。
気が楽になった。
一方、私をだましたその知人は、そのあと定職にもつかず、
貧乏の底をはうような生活をつづけている。
一方、高い授業料だったが、私はそれで少しは賢くなった。

ワイフはこう言う。
「死ぬまでに、少しずつ、処分していきましょう」と。
どうせ死ねば、この宇宙もろとも、私は消える。
「財産」というものがあるなら、まだ元気なうちに、
有効にそれを使ったほうがよい。
損か、得かということになれば、健康で、楽しくすごせる
ことにまさる「得」はない。
言いかえると、損をするほどの財産があったというだけでも、
もうけもの。
何もない人は、もとから損など、しない。
損から、得るものもなければ、学ぶものもない。

さらに言えば、他人をだまして得をしたような人は、
所詮、その程度の人間。
その程度の人生で、終わる。
人に軽んじられ、だれからも相手にされない。

そのほうが、よほど損だと私は思うが、恐らく、そのタイプの
人間には、それすら気がつかないだろう。
どこまでもあわれで、かわいそうな人間である。

……そう、私の財産。
それは今の、幸福な家庭ということになる。
心底、私を理解してくれるワイフ。
授産施設で、指導員として生き生きと働く長男。
アメリカに移住し、大学のコンピュータ技師として働く二男。
空が好きで好きでたまらない三男。
それにすくすくと育っている2人の孫。

それにまさる財産が、ほかのどこにある。

……とまあ、そう言いきかせながら、自分を納得させる。

『欲多ければ身をそこなひ、財(たから)多ければ身をわづらはす』(老子・
「浮世物語」)という。

欲もほどほどに、財産もほどほどに、ということか?


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●今朝のニュースから

●金融安定化法案否決

アメリカの下院は、7000億ドルの金融安定化法案、つまり
公的資金投入法案を否決した(9月29日)。
結果、アメリカのダウ工業株30種平均が、777ドルも
さがった。
ブッシュ大統領は、再採決をもくろんでいるが、再度否決
されたら、アメリカどころではない。
世界経済は、ほんとうに奈落の底に転落してしまう。

わかりやすく言えば、現在、「経済」の世界では、世界大戦
規模の「戦争」が起きているということ。
「私には関係ない」なんて思っていると、たいへんなことに
なる。
「経済」のこわいところは、「様子見」などと、のんびり
構えていると、あっという間に、動いてしまうこと。
日本でも取り付け騒ぎが起きるのは、時間の問題と考えてよい。

この際、現金化できる預金などは、できるだけ早く現金化して
おいたほうがよい。

とくに証券会社の窓口の女性の言葉は、ぜったいに信用しないこと。
「だいじょうぶです」と言ったら、「あぶない」という意味。
「安全です」と言ったら、「危険です」という意味。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●1ドル=1224ウォン!(9月30日、午前9:30現在)

7000億ドルの金融安定化法案が否決された。
その動きを受けて、アメリカドルは、世界的に全面安。
各国通貨は、値をあげた。

現在日本円は、1ドル=104円。

が、ひとり韓国の通貨だけは、ウォン安。
現在韓国ウォンは、1ドル=1224ウォン!

アメリカのドルも売られているが、それ以上の勢いで、韓国ウォンが、猛烈に
売られている。
「1224」という数字は、そういう数字である。

まだはっきりとした数字は出てこないが、韓国銀行の手持ち外貨は、すでに
底をついているはず。
これ以上、為替相場に介入したら、年末の借金が返せなくなってしまう。
なすすべもない。
指をくわえて、見ているだけ。

そのため危機ラインと言われていた、1200ウォンをあっさりと、超えて
しまった。

ゆいいつの救いは、日銀が、市中へのドル資産の大放出を決めたこと(9月29日)。
韓国経済救済のためというわけではないが、これによって、韓国経済は、
何とか生き延びられるはず。
(あるいは、それも無理かも? 9月危機の結果は、今夕までにわかる。)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2838)

●鍋料理

+++++++++++++

私は若いころ、鍋料理が嫌いだった。
ああいうのは、老人食と思っていた。
が、ここ10年(あるいは20年かな?)、
鍋料理が好きになった。
とくに今夜のように肌寒い夜は、ありがたい。

ワイフと私が鍋をつつき始めていると、
息子が仕事から帰ってきて、そのまま合流。
3人で、ああでもない、こうでもないと言って、
鍋料理を楽しむ。

+++++++++++++

●三男が帰ってくる

10月x日に、三男がアメリカから帰ってくる。
訓練を終え、1か月半の休暇がもらえるという。
「いいなあ〜!」。
が、それが終わると、今度は実機(777)での訓練が
待っている。
その訓練にあと1年。
それが終わって、やっと副操縦士。
訓練だけで、すでに5年になる。
あと1年。
よくがんばったと思う。
航空大学校でもそうだったが、チェックテストで
不合格になると、そのつど、そのまま退学もしくは、
配置転換。
パイロットの世界には、再試験とか追試とかいうのは
ない。
そのまま、おしまい。

資格試験だけでも、無線士、気象予報士に始まって、
20〜30種類は受けなければならない。
今では毎年、英語の試験も受けなければならないという。
それに飛行機というのは、機種ごとに操縦免許が
必要。
777を操縦できるからといって、エアバスも操縦
できるというわけではない。
「たいへんだなあ」と思うと同時に、「私にはでき
なかった」と思う。
私も一時は、パイロットの道をめざした。

で、私とワイフの夢。
三男の操縦する飛行機に乗ること。
今までは「機長になったら乗ろう」と言いあっていたが、
「副機長でもいい」と。
機長になるのを待っていたら、あと何年かかるか、
わからない。
10年先では、飛行機には、もう乗れなくなるかも
しれない。

息子たちは、今、この日本や、地球を、外の世界から
ながめている。
私のとはちがった人生観をつくりあげているはず。
私にはそれがどんな人生観かわからないが、私は
「これでよかった」と思っている。

「どんな人生観だろう?」と想像しただけで、ワクワク
するではないか。

がんばれ、息子たち!
迷わず、まっすぐ、自分の道を進め!


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   27日号
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Happy Birthday to Me!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親のシャドウ】

+++++++++++++++++

親を反面教師とする子どもは多い。
親そのものを、否定する子どもも多い。
「私の親は、インチキだ」
「私の親は、最悪だ」
「私の親は、親の資格はない」と。

そして最後には、決まって、こう言う。
「私は、私の親のような親にはならない」と。

しかし、そうはいかない。
親を反面教師とするのは、それはそれで結構なことだが、
反面教師とするならするで、それに代わる(親像)を、
自分の中に創りあげなければならない。
そうでないと、結局は、その子ども自身が、
いつか、親そっくりの(親)になる。
最悪の場合には、親のもつ陰湿な部分(シャドウ)を、
そっくりそのまま引き継いでしまう。

+++++++++++++++++

●高校時代のK教師

私は高校時代、英語の授業を受けながら、いつもこう思っていた。
「ぼくが英語の教師になっても、あんなK教師のような教師にはならないぞ」と。

K教師の授業は、古典的な暗記第一主義の教え方だった。
「わかったか?」「覚えたか?」「では、つぎ!」と。

が、それから5年後。
私はアルバイトで、ある予備校で英語を教えることになった。
相手は中学生だった。
そのときのこと。
私の教え方は、あのK教師の教え方そのものだった。
「わかったか?」「覚えたか?」「では、つぎ!」と。

それもそのはず。
私はいつもK教師を批判していたが、K教師以外の教師の教え方を知らなかった。
「あんなK教師のような教師にはならないぞ」とは思いつつも、それに代わる
(教師像)を自分の中に創る機会がなかった。
だからそうなった。

●親像

親子の関係も、これに似ている。
「私は、私の親のような親にはならない」と思うのは、その人の勝手だが、一方で、
それに代わる(親像)を創りあげなければならない。
(批判)しているだけは、代わりになる(親像)はできない。

が、それですむわけではない。

仮にあなたの親が、小ずるくて、世間体ばかり気にする人だったとしよう。
悪人ではないが、いつも人前では仮面をかぶり、善人ぶっていたとしよう。
あなたに対しては親風を吹かし、あなたの意思は無視。
頭ごなしに命令ばかりしている。

あなたはそういう親を見ながら、「あそこが悪い」「ここが悪い」と批判する。
そしてこう思う。
「私は親になっても、ああいう親にはならない」と。
「軽蔑」という言葉を使うこともあるかもしれない。
「私は、親を軽蔑している」と。

●Fさんの例

ワイフの知人にFさんという女性がいる。
高校時代からの知人である。
そのFさんは、学生時代、いつもワイフにこう言っていたという。

「私の母は、ずるい女性だ。頭の弱い叔母がいるが、その叔母をだまして、
高価な壺を、取りあげてしまった。代わりに安物の壺を叔母に与えた。
母は、それを手柄話のように、自慢にしている」と。

Fさんは、自分の母親を相当嫌っていたようだ。
高校を卒業すると家を出て、そのまま東京へ。
以来、帰郷するのは、数年に1度あるかないかという状態がつづいたという。

高校時代、ワイフはFさんの家に、毎週のように遊びに言っていた。
そして毎回のように、Fさんの母親の悪口を聞かされていた。

が、それから40年。
ちょうど1世代(=30年)が過ぎ、Fさん自身が、当時のFさんの
母親の年齢になった。

で、ワイフがFさんに久しぶりに会って驚いた。
そのFさん自身が、あの当時のFさんの母親そっくりの人になっていたという。
顔も似ていたが、しぐさ、様子、話し方まで、そっくりだったという。
「歳を取れば取るほど、遺伝子の影響が強く出るというけど、本当ね」と
ワイフは笑っていたが、これは遺伝子だけの問題ではない。

Fさんは、現在、親子関係に苦しんでいるという。
2人の息子と娘がいるが、2人も、高校を卒業すると同時に、家には寄りつかなく
なってしまったという。

●ちがい

それでもFさんは、ワイフにこう言っているという。
「私は、私の母とはちがう」と。
(Fさんの母親は、3年前に脳梗塞で他界。それを機に、Fさんは夫の転職もかねて
帰郷。現在は、同じ浜松市に住んでいる。)

が、ワイフから見ると、そっくり!

つまり(ちがい)というのは、どこまでも主観的なものでしかない。
FさんはFさんで、「私は母とは大きくちがう」と思っているかもしれない。
が、少し離れたところで、他人が客観的に見ると、「そっくり」ということになる。

言いかえると、その人が思っている(ちがい)ほど、いいかげんなものは、ない。

「私は、ほかの人とはちがう」と思っていても、ときには、その(ちがい)は、
わずかなものでしかない。
そのことは、たとえばアメリカなどの国際空港のロビーに座ってみると、よくわかる。

それぞれ個性的な服装をしている日本人にしても、そういうところでは、日本人はみな、
同じに見える。
少し離れたところからでも、すぐ日本人とわかる。

●シャドウの恐ろしさ

こうして子どもは親のシャドウを引き継ぐ。
こんなケースもある。

私はある時期、ある男性からその男性の父親についての相談をよく受けた。
名前をT氏(当時40歳くらい)としておく。

T氏は父親と、同居はしていたが、うまくいっていなかった。
よくあるケースである。

で、それから数年後。
別の機会に、私はT氏の弟氏と話しあう機会があった。
そのときそのこと、つまりT氏とT氏の父親との関係が話題になった。
が、T氏の弟氏がこう言ったのには、驚いた。

「あのね、林さん、兄貴だって親父そっくりなくせに、ね」と。

つまりT氏はよく父親を批判するが、弟氏から見ると、T氏とT氏の父親は
そっくりと言うのだ。
私はこれには驚いた。

T氏はT氏の父親を批判していたが、それはT氏の父親の一部でしかない。
その一部を、針小棒大に批判していた。
しかし大半の、そのほかの部分については、T氏は、T氏の父親を、そっくり
そのまま引き継いでしまっていた。

私もそのとき、うすうす、それを感じていたので、一度ならず、二度、三度、T氏に
こう忠告したことがある。
「気をつけなさいよ。でないと、あなたも、あなたの父親そっくりの人間に
なってしまいますよ」と。

が、結局、こうした忠告は、急流に竹竿を立てる程度の意味しかない。
T氏は現在、20〜30年前のT氏の父親そっくりの人間になりつつある。
20〜30年前のT氏の父親そのままと言ってもよい。

●妻の役割

こういうケースでは、妻の役割が、たいへん重要である。
(あるいは反対のケースもあるが……。)

妻はつねに夫の人間関係を、客観的に見なければならない。
またその努力を怠ってはいけない。
それを怠ると、妻自身も、その毒気というか、シャドウに、そのまま引き込まれてしまう。
こんなケースもある。

ある男性(60歳くらい)が、こう言った。

「うちの家内は駆け引きがうまくてね、露天などでも、いつも値段の半額以下でものを
買いますよ」と。

つまり口がうまく、小ずるい駆け引きが平気でできるということらしい。

が、本来なら、こういう駆け引きをたしなめるのは、夫の役目。
夫であるその男性が、それを制止しなければならない。
が、その男性は、むしろ自分の妻がそうであることを喜んでいるといったふうだった。
長くいっしょに住んでいると、そういう現象も現われる。

●関係の整理

親子、親類、師弟、友人関係などなど。
そのつど人間関係は、複雑に交錯する。
が、それが良質なものであればよし。
そうでないときは、避けるのがいちばんよい。

若いときは、いろいろな人とつきあって、そういう人たちからいろいろなものを
学ぶ。
『悪友もまた教師なり』と。

しかし50歳も過ぎると、今度は人生に天井が見えてくるようになる。
わかりやすく言えば、無駄にできる時間が、ぐんと少なくなる。
とたん、人間関係を整理し始める。
また整理しなければならない。
さらに言えば、愚劣な人たちとつきあっていると、自分まで愚劣になってしまう。
しかしそれこそ、時間の無駄。
人生の無駄。

よき友を求めて、その関係をより濃密にすることこそ、肝要。
これは私の言葉ではない。
古今東西、世の賢人たちは、みな、そう書き残している。
というのも、(シャドウ)には、ものすごいパワーがある。
仮にあなたが、邪悪な人と半年も交際すれば、(数週間でもよい)、
あなた自身も、そのシャドウを引き継いでしまう。
日本語的に言えば、「染まってしまう」。

これには、兄弟、親類も、ない。
「縁を切る」などと大げさに構えることはないにしても、たとえ相手が兄弟、
親類であっても、血縁にしばられて愚劣な人間関係を維持する必要はない。
適当に交際して、またその範囲ですます。
けっして深入りしない。
ここでいう「整理」には、そういう意味も含まれる。

●問題は、あなた自身

最後に、実は、これは、親である、あなた自身の問題であるということ。
つまり現在、あなたは親である。
そういうあなたという親は、どういうシャドウを、どこにもっているだろうか。
それをほんの少しだけ、自分に問いかけてみてほしい。

子どもの視点の中に自分を置いてみると、それがよくわかる。
つまり子どもの目から見た、あなたは、どういう親か。
一度、鏡に映すようにして、自分を見てみるとよい。

好かれているとか、嫌われているとか、そういうことは関係ない。
(嫌われていても、一向に構わない。)
1人の人間として、気高く、崇高なものを、あなたは子どもに残すための
努力をしているだろうか。
もしそうであれば、それでよし。
そうでなければ、結局はあなたの子どもも、あなたと同じレベルになってしまう。

私たちがなぜこの世界に生きているかといえば、たとえ数ミリでもよいから、
真・善・美に近づき、それをつぎの世代に伝えていくことである。
「数ミリ」というが、その数ミリがたいへん。
へたをすれば、つまりほんの少し油断すれば、後退することだって、ありえる。
が、もしそうなれば、それこそ、「何のために生きているのか」ということに
なってしまう。
そこらに住む動物と同じということになってしまう。
が、それこそ、人生の悲劇というもの。

(シャドウ)には、そういう問題も含まれる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月28日

++++++++++++++++++++

今朝は、どこか風邪気味?
のどが痛い。
頭痛も少しある。
手を当ててみると、額が、少し熱い。
加えて、悪寒。
「起きようか、それとも寝ていようか」と、迷う。
が、そのまま起床。
うがいをして、服を着る。

せっかくの日曜日。
やりたいことがたくさん、ある。

++++++++++++++++++++

●パソコンの修理

昨日は、パソコンを2台、修理した。
書斎のXPパソコンと、居間のノートパソコン。

書斎のXPパソコンは、メモリーの故障が原因だった。
長い間、調子が悪かった。
ときどき思わぬところで、フリーズしてしまう。
ハードディスクか?
OSか?

メーカーに問い合わせると、「マザーボードかも?」とのこと。

で、VISTAパソコンには、メモリー診断機能というのがついている。
そのVISTAパソコンにメモリーを差し替えて、検査。
するとあっさり、エラー表示。
ということで、原因は、メモリー。

もう1台は、居間のノートブック。
原因はわからないが、たぶん、おとといの雷のせいではないか(?)。
近くでジェット機でも墜落したかのような雷鳴が聞こえた。
で、そのあとOSが立ちあがらなくなってしまった。

しかたないので、リカバリー。
経験のある人ならわかると思うが、パソコンというのはリカバリーすれば、
それでめでたしめでたし……というわけにはいかない。

各種、再設定に始まって、ウィルス対策ソフトの再インストールなどなど。
全体で、4時間ほどかかった。

私はどんなパソコンでも、使うとか使わないとかにかかわらず、ベスト・
コンディションにしておかないと、気がすまない。
だから毎週のように、パソコンの修理を繰り返している。
これが結構、たのしい。

ところで数週間ほど前、ウィルス入りのメールを送ってきた人がいた。
どこか「?」と感じたので、別メールで問い合わせると、「ぼくは、
そんなメールを送っていない」とのこと。

おそらくボットか何かが、その人のパソコンに侵入したのだろう。
そのボットが、勝手にメールをばらまいている(?)。
この世界、油断もすきもあったものではない。
みなさんも、ご注意!


●『ラフマニノフ…ある愛の調べ』

数日前、映画『ラフマニノフ…ある愛の調べ』を見てきた。
ロシア映画だった。
星は、2つの★★。
ロシア映画は、いつも暗い。
どこかジメジメしている。
それで星は2つ。

またライラックの花が映画の伏線になっていたが、それがわかりにくかった。
音楽も、どれも中途半端。
もりあがりにも欠けた。
最初はピアノコンサートにでも行くつもりででかけたが、見終わって、やや
がっかり。

つぎは映画『アイアンマン』を見るつもり。


●三浦K事件

+++++++++++++++

現在、サイパン島の拘置所に拘留されている三浦Kが、今度、
共謀罪容疑で、犯行地であるCA州に移送されることになった。
一美さん殺しの殺人罪での起訴は、見送られることになった。
かわりに「共謀罪」で、三浦Kは起訴されることになった。
「殺人罪では不起訴。共謀罪で起訴」というのは、私も予想して
いなかった。
ナルホド!
検事たちが考えに考え抜いた、その結果の、苦肉の策ということになる。

+++++++++++++++

が、三浦Kへの殺人容疑がこれで消えるわけではない。
もう1人、三浦Kが何らかの形で、からんでいるのではないかと疑われている殺人事件に、
白石Cさん事件がある。
白石Cさんも三浦Kのすぐ近くにいて、やがて白骨死体で発見される。
三浦Kが、白石Cさんの貯金通帳から現金を引き出していることもわかっている。
当時三浦Kは、たしか「会社の金だった。(だから引き出すのは私の自由)」とか
言っていたように記憶している。
今朝の新聞報道によれば、アメリカの検察は、この白石Cさん事件での起訴も
視野に入れているとか(中日新聞)。

これに対して、三浦Kを日本側で弁護している弁護士や支援団体(?)の人たちが、
「不当判断」と騒いでいる(新聞報道、ほか)。
しかしどうして「不当」なのか?

私の常識がおかしいのか?
それとも彼らの常識がおかしいのか?
私にはわからないが、ただひとつ言えることは、いくら法的には無罪であっても、
それを許さない社会的正義が残っている以上、私たちにはそれを納得がいくまで
追求する権利がある。

もう少しかみくだいて言うと、こうなる。
つまりいくら裁判官が、「無罪だから、みなさんも無罪と思いなさい」と言っても、
そうは簡単にはいかない。
そう思うか思わないかは、最終的には私たち自身が決める。
刑を科することはできないが、だからといって(思い)をねじ曲げることはできない。

法というのは、あくまでも社会的正義追求のための手段でしかない。
もっと言えば、道具でしかない。
ふだんの生活の中では、どこに法があるかさえもわからない。
わからなくて、結構。
それでよい。
法というのは、そういうもの。
またそうでなければならない。

が、ひとたび社会的正義が破られたら、顔を出す。
私たちはそれを使って、その社会的正義を追求する。
それが「法」である。

が、まず法ありき……という社会は、(一応法治国家の建前にはなっているが)、
それ自体は、暗黒社会への入り口と考えてよい。
窮屈で、居心地の悪い世界になってしまう。
最近では、悪しきテレビ番組の影響なのだろう。
教室で子どもたちにカメラを向けただけで、子どもたちはこう叫ぶ。
「肖像権侵害!」「慰謝料請求!」と。

まちがった法意識ということになるが、それがわからなければ、
反対の立場で考えてみればよい。
それこそ「法に触れなければ、何をしてもよい」という社会になってしまう。
法の目をかいくぐって悪いことをし放題している人は、この世界には、ゴマンと
いる。
あるいは逆に、どこかの国の独裁者のように、自分につごうのよい法を作って、
善良な人たちをつぎつぎと処刑することもできる。

社会的正義と法は、どちらが先かと問われれば、社会的正義に決まっている。
社会的正義の上に、法がある。
社会的正義を守るために、法がある。
社会的正義が「主」で、法は、あくまでも「従」である。
こんなことは法がまだなかった、太古の昔から、常識である。

三浦Kを弁護するのも、支援するのも、その人たちの勝手だが、現に、
その周辺で2人の女性たちが殺されていることを考えるなら、弁護士が
弁護するのはともかくとして、三浦Kを支援するというのは、どうかと思う。
残念ながら私には、そうした人たちのもつ常識が、どうしても理解できない。

(注)報道などによれば、「支援団体」とあるが、その程度の人数による、
どの程度の規模のものかは、私は知らない。またどういう活動をしながら、
三浦Kを支えているのかも知らない。念のため。


●道徳の完成度

+++++++++++++++++++++++

道徳の完成度は、(1)公平性と(2)視野の広さ
で判断する。
そのうちの公平性について、再度、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++++

少し前、こんなことがあった。
きわめて近い関係にある、Mさんという女性(70歳くらい)から、
電話がかかってきた。
内容は、こうだ。

「息子夫婦が離婚したのだが、嫁が、離れの家から出て行かない。
どうしたらいいか」と。

Mさんは、元嫁、つまり息子の元妻の悪口を、つぎつぎと言い並べた。
が、話を聞いているうちに、私は、Mさんの言っていることのほうが、
無理があるのではと思うようになった。

元妻には、中学生と小学生の、2人の子どもがいる。
子どもたちは母親と家を出るほうを選んだ。
Mさんは、「離れといっても、私の家」「その離れから出て行かないから困っている」
と。
Mさんの言い分も理解できる。
しかしこういう話というのは、一方的に聞いてはいけない。
ただ私と元嫁というその女性とは、何度か会ったことはあるが、あいさつ程度以上の
会話はしたことがない。
「それほど悪い人にも見えなかったが……」と思ったとたん、Mさんへの信頼感
がグラグラと揺れだした。

Mさんは「離れから追い出すにはどうしたらいいか?」と言うが、話の内容を
詳しく聞くと、どうやら、財産のことを心配していることがわかった。
はっきりとは言わなかったが、「どうすれば財産を分与しないですむか」
という内容の相談だった。

……という話は前にも書いたので、ここではその先を考えてみたい。

私の立場では、当然、Mさんの側に立ってものを考えなければならない。
Mさんの利益になるような話をしなければならない。
できるだけ財産分与を少なくし、元嫁を離れから追い出すための方法について
知っていることを、話さなければならない。

ここで公平性といっても、人間関係に大きく左右される。
相手が近い関係の人であれば、なおさらである。
これは極端なケースだが、たとえばあなたの息子がひき逃げをして、家に
帰ってきたとする。
そういうとき、あなたという親は、どのような判断をくだすだろうか。
あなたはあなたの息子を、そのまま警察へ突き出すだろうか。
それとも事故を隠すため、あれこれと工作を始めるだろうか。

いくら相手が近い関係の人であっても、公平性を貫くことができたとしたら、
あなたは道徳の完成度の高い人ということになる。
たとえ息子でも、悪いことは悪いとして、警察へ突き出すことができたとしたら、
あなたは道徳の完成度の高い人ということになる。

で、先の話にもどる。
実際問題として、近くの人から、そういった相談を受けたとすると、どうしても
その人の利益になるような回答をしてしまう。
が、それは同時に、元嫁にとっては、不利な話となってしまう。
まだ40歳前の女性が2人の子どもをかかえて離婚するというのは、生活費だけを
考えてもたいへんなことである。
ある程度の財産分与、さらには慰謝料、養育費の負担は、当然である。

(話を聞くと、その元嫁は、結婚してからずっと、近くの事務所で事務員として
働いていたという。そのとき得た収入は、Mさん一家全体の生活費の一部にもなっていた
という。)

私は家庭裁判所での調停を勧めた。
こういった話は、第三者に客観的に判断してもらうのがいちばんよい。
が、あとで聞いたら、それがMさんを不愉快にさせたらしい。
Mさんは、知り合いに、「あの林は冷たい」「まともに相談にものってくれなかった」
と言いふらしているのを知った。

しかし私は私なりに、公平性を貫いた。
では、なぜ今、私はこんなことを書くか?

先の三浦K事件に話を戻す。
新聞の報道によれば、日本で三浦Kを無罪にもちこんだ2人の弁護士たちが、
今回のロス地裁での判断に対して、「不当である」と。

私はこの記事を読んだとき、こう思った。

弁護士なのだから、事件のあらましを詳しく知る立場にあったはず。
その過程の中で、弁護士は、三浦Kに、疑問を抱かなかったのだろうか、と。
法廷で確認された事実によれば、一美さんが銃撃されたとき、そばに白いバン
が駐車してあった。(三浦Kは、このバンの存在そのものを否定。)
白いバンは、近くのビルで仕事をしていた人にも目撃されているし、三浦K自身が
撮った写真の中にも、その一部が写っていた。

結局日本の裁判所では、実行犯が特定できず、三浦Kは無罪になったが、疑問は
疑問のままとして、残る。
もしほんの少しでもその疑問を、弁護士も感じたとするなら、無罪であったとしても、
もう少し謙虚になってもおかしくない。
「逮捕は不当」「アメリカ本土への移送は不当」「殺人罪での起訴は不当」
「共謀罪での起訴は不当」と、何からなにまで、「不当」というほうが、おかしいのでは(?)。

つまりいくら近い立場にあったとしても、どこかで公平性というブレーキをかけないと、
弱い人の立場を守れなくなってしまう。
三浦K事件について言えば、だれに殺されたかはわからないが、その弱い立場の人と
いうのは、一美さんであり、白石Cさんということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●日本が嫌い?

++++++++++++++++

韓国での世論調査によれば、
「もっとも嫌いな国は、日本」だ、そうだ。

++++++++++++++++

このほど韓国における、対外国感情についての世論調査が、
公表された(中央N報が創刊43周年を迎えて実施した世論調査、08年)。

それによると、

『好きな国=昨年に続いて韓国国民が最も好きな国、経済的に最も協力すべき国は「米国」
だった。 最も嫌いな国、最も見習うべき国は「日本」だった』(原文)という。 

 『 米国に対する好感と日本に対する非好感は07年に比べて強まっている。 最も好きな
国に「米国」を選んだ回答は16%から18%に、経済的に最も協力すべき国に「米国」
を選んだ回答も35%から42%に高まった。 

  最も嫌いな国に「日本」を選んだ回答は38%から57%に高まり、最も見習うべき国を
「日本」とする回答は27%から24%に減った。 

  最も好きな国の2−3位は「オーストラリア」(14%)、「スイス」(9%)、最も嫌いな
国の2−3位は中国(13%)、北朝鮮(10%)、最も見習うべき国の2−3位は「米国」
(18%)、「ドイツ」(9%)、経済的に最も協力すべき国の2−3位は「中国」(38%)、
「日本」(6%)となった』(同)と。

●日本が嫌い

注目すべき点は、「最も嫌いな国に日本を選んだ回答は38%から57%に高まった」と
いう点。
韓国民の約6割、つまり大半が「日本は嫌い」と答えている。
おおむねそんなものだろうと、私も感じている。
しかしその一方で、韓国の人たちのもつ、精神的ダブル構造。

「嫌い」ながらも、日本への「あこがれ」は強い。
この精神的ダブル構造は、40年前の昔と、ほとんど変わらない。

こんな経験がある。

 1960年代の終わり、私は、UNESCOの交換学生として、韓国に渡った。日韓の
間にまだ国交のない時代で、私たちは、どこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。

 そんなある日、大邸(テグ)大学での議論を終えたあと、私は、ひとり、大邸(テグ)
大学の屋上にのぼった。屋上からは、眼下に大邸の町並みが一望できた。

 そこでぼんやりとしていると、ひとりの学生が近づいてきた。私は、「こんなところでも、
また議論か……!」と身構えたが、その学生は、こう言った。つい先ほどまで、私たちを、
口汚く攻撃していた学生である。

 「ぼくは、日本へ留学したい。君は、何か、方法を知らないか」と。

 私は、その(落差)に驚いた。一方で、燃えるような反日感情をもちながら、その一方
で、「日本に留学したい」と(?)。

 つまり、こうした調査結果は、決して、数字だけで判断してはならないということ。現
に、台湾の人たちは、ことあるごとに、反日的な姿勢を示している。と、同時に、ではそ
の韓国が、反日的かというと、そうでもない。会って話をしてみると、個人的には、みな、
よい人たちばかりだ。

一方、ひとりこの日本に好意を寄せる国がある。
台湾である。

●もっとも、移民したい国は、日本!

 台湾のビジネス誌「遠見」によれば、全4質問中、「移民したい国」「立派だと思う国」「旅
行したい国」の3質問で、日本がトップになったという(06年6月29日)

 調査は、台湾全土で、20歳以上、約1000人の人について、行われた。以下、その
結果。

「移民したい国」   日本……32.3ポイント
米国……29.1ポイント
カナダ…26.5ポイント

「最も立派と思う国」 日本……47.5ポイント
米国……40.3ポイント
中国……15.8ポイント

 ことあるごとに、日本のアラさがしをしては、悪口を書きたてる、韓国の報道機関。最
近でも、「日本の株式市場は、新興市場」(朝鮮N報)とか、「指導国家としての資質なし」
(N大統領)とか、書きたてている(06年)。

●しかし、自由主義陣営の中で、日本が敵?

韓国の人たちが日本を嫌うのは勝手だが、日本は韓国なしでも生きていかれる。
しかし韓国は、日本なしでは生きていかれない。
その現実に、もっとすなおに目を向けるべきではないだろうか。

 が、何は、ともあれ、今回の「遠見」誌による調査結果には、ほっとした。「日本の近く
には、そういう国もあったのだ」と、改めて思い知らされた。と、同時に、日本は、台湾
のような国を大切にしなければならないと感じた。

 で、話は、ぐんと現実的になるが、パソコンの液晶モニターにしても、私は韓国製とい
うだけで、自分の選択肢からはずしている。買うなら、日本製。どうしても……というこ
となら、台湾製ということにしている。

 近く、液晶テレビを買うつもりだが、それもそうだ。性能のよい日本製にしようか、値
段の安い台湾製にしようか、今、迷っている。韓国製などは、もとから、眼中にない。ぜ
ったいに、韓国製だけは、買わない。

【付記】(06年7月1日)も、朝鮮N報の記事にはこんなのがあった。
1〜3番の記事は、どれも、日本がらみの記事ばかり。

(1)韓国の家は、実は日本の家より、狭い……。
(2)自負心調査では、日本、18位、韓国、31位……。
(3)韓国の殺人、性犯罪、日本の約2倍……と。

 「韓国の人たちよ、もう日本のことなどかまわず、自分たちの道を行きなさい」と、私
は言いたい。韓国の新聞に目を通すたびに、過関心ママに支配された子どものような心境
になる。
つまり、イヤ〜ナ気分!

●台湾へ向かう日本の投資

韓国か台湾か?

当然のことながら、日本の投資は今、韓国を避け、台湾に向かっている。
こういう現実に、韓国も、少しは気がつくべきではないのか。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●AS内閣(Ultra Right-wing Cabinet of Japan)
(Are we such a low-level people as has been seen in the brain-less statesments by 
Nakayama Minisniter?)

+++++++++++++++++

自民党右派の中でも、極右派と呼ばれる
人たちで固めた、AS内閣。
もちろんAS総理大臣自身も、極右派。

国会全体が、まるで極右団体の街宣車に
乗っ取られたよう。

で、内閣発足後、たった数日後には、
中山国交相の失言問題が発覚した。

+++++++++++++++++

●中山国交相の失言問題

(1)成田空港建設への反対闘争について
「ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う」

(2)外国人観光客の誘致策に関連して、
「日本は随分内向きな、単一民族といいますかね、あんまり世界と(交流が)ないので、
内向きになりがち」

(1)大分県の教員汚職事件に関して、
「(日教組とからめ)、大分県教委の体たらくなんて、日教組が原因ですよ。
日教組の子どもなんて、成績が悪くても先生になるんですよ。
だから大分県の学力は低いんだよ」と。

AS現総理大臣自身も、過去において、「日本は、一国家、一文明、一言語、一文化、
一民族」(九州国立博物館の開館記念式典の祝辞)と述べている(中日新聞指摘)。

ほかに中山氏には、文科省相時代に、「従軍慰安婦という言葉は当時はなかった」とか、
「(歴史教科書の記述を)自虐的」と述べたりしている(同紙、指摘)。

こうした一連の発言をふまえて、たとえばアイヌ民族の人たちから、「この程度の知識か」
という批判が相次いでいる。
いわく「このような発言をする人が閣僚をする資格はない」(アイヌ民族共有財産訴訟の
元原告団長の小川T氏)と。

AS総理大臣自身の過去の失言については、たびたび書いてきた。
「失言」というよりは、彼自身の「本音」なのだろうが、だからこそ、よけいに不気味。

情報だけをもって、「思想」と誤解し、その情報を加工する能力さえない。
そういう日本人が新しい総理大臣を選んだ。
その結果が、現在のAS内閣ということになる。

おととい、あの小泉元総理大臣が、政界から引退した。
AS内閣発足を見届けてからの引退である。
政治に幻滅したということでもないと思うが、小泉氏がそう思ったとしても、私は
それに納得する。

「この程度の知識」しかない、「この程度の内閣」。
日本という国は、この程度の国なのか?


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●「日教組は日本のガン」?(Japanese Teachers' Union is a Cancer of Japan?)

++++++++++++++

中山国交相は、自分の失言問題に対して、さらにこう言い切った。

「(失言の)撤回はしない。わたしは日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊す
ために火の玉になる」(時事通信)と。

************以下、時事通信記事より****************

……発言に対する野党や世論の反応については「わたしの失言というか、舌足らずという
か、言葉狩りに合わないように気をつけんといかん」と述べた。その上で、「日教組が強い
ところは学力が低い」との発言について「撤回はしない。わたしは日本の教育のガンは日
教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」と強調した。 

************以上、時事通信記事より****************

大分県の教員汚職事件に関して、中山国交相はつい先日、こう述べたとされる。

「(日教組とからめ)、大分県教委の体たらくなんて、日教組が原因ですよ。日教組の子ど
もなんて、成績が悪くても先生になるんですよ。だから大分県の学力は低いんだよ」(中日
新聞)と。

汚職事件はさておき、中山国交相が言うところの「成績」とは何か。「学力」とは何か。さ
らに「日教組が強い」というのは、どういう意味なのか。「日教組が強いところは、学力は
低い」というが、その根拠はどこにあるのか。「ぶっ壊すために火の玉になる」というのは、
どういう意味なのか。

中山国交相の発言は、「失言」の領域をはるかに超えている。中山国交相の思想を疑うとい
うよりは、私は脳みその中身そのものを疑う。あまりにも低次元すぎて、コメント(評論)
する気にもならない。何も私たちは、「言葉狩り」、つまり言葉尻をつかまえて、問題にし
ているわけではない。またそのレベルの話ではない。

日教組に属していても、いなくても、教職にかかわっている人なら、みな、同意見だろう。
あきれるよりも先に、笑ってしまう。しかし本当の問題は、このレベルの人間が、大臣を
しているという事実。そのおかしさというか、恐ろしさに、私たちはもっと目を向けなけ
ればならない。

(こんなレベルの人が、日本の政治を牛耳っているのだぞ!)

たとえば「学力」という問題ひとつ取りあげても、中山国交相は、テストの点数で示され
るような学力を念頭に置いているのだろう。もしそうなら時代錯誤もよいところ。40〜
50年前の昔ならいざ知らず、今どき、こういう発想をする人がいること自体、バカげて
いる。信じられない。

それになぜ国土交通省という畑にいる大臣が、まったく畑ちがいの教育問題で、「火の玉」
になるのか? 

さらに「日教組は日本のガン」と発言するに至っては、返す言葉は、ただひとつ。「アホか!」。
日教組とはまったく無縁の私にだって、そんな言葉しか、思いつかない。

AS総理大臣がどんな失言をやらかすかと、ハラハラしていた矢先の、この発言。あるい
はAS総理大臣なら、中山国交相の発言を擁護するかもしれない。失言では、AS総理大
臣のほうが、はるかに先輩。

しかしこんなことを繰りかえしていたら、日本は、ほんとうにメチャメチャになってしま
う。知性も理性もない国になってしまう。

「ガン」という言葉にしても、そうだ。今の今も、「ガン」という大病をかかえて苦しんで
いる人たちがいる。ガンと闘っている人たちもいる。中山国交相の発言は、そういう人た
ちへの配慮にも欠ける。あるいはもし自分がガンにでもなったら、そのとき自分のことを
どう思うというのだろうか。

世相について、そこにいくら問題があったとしても、病名でそれを表現するのはやめよう。
だれもその病気になりたくて、なるのではない。またなったとしても、それを「悪」にか
らめて考えてはいけない。だれだって病気のひとつやふたつ、かかえているではないか。

中山国交相の罷免もしくは辞任は、当然であるとしても、AS総理大臣にも、任命責任が
ある。自分自身の過去の失言問題をふりかえりながら、AS総理大臣は、どのような判断
をくだすのだろうか。どう責任を取るつもりなのだろうか。

なお「舌足らず」というのは、言葉による表現力に欠ける人がよく使う、弁解用語でしか
ない。そも大臣ともあろう一国のリーダーが、使う言葉ではない。

●AS総理大臣へ、

大臣の失言なら、たとえばその責任者である総理大臣が罷免することで、まだ問題を解決
することができる。しかし総理大臣の発言となると、それが対外的なものであれば、即、
戦争ということにもなりかねない。どうか、どうか、失言にはくれぐれも注意してほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 中山国交相 失言問題)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものやる気

+++++++++++++++++++

心というのは、それほど器用にはできていない。
ひとつのことで(やる気)を失うと、別のところでも、
(やる気)を失う。

もともと(やる気)には、脳の中でも、帯状回という
組織が関係しているそうだ。

しかしその帯状回は、(やる気)の中身まで、チェックする
ことはできない。
「この分野は、やる気を出してやろう」とか、
「あの分野は、やる気を出すのをやめよう」とか、
そういう器用なことはできない。

一事のことで(やる気)を失うと、ほかの部分でもやる気を
失う。

たとえばよくある例として、「受験期にさしかかったから、それまで
していたサッカーをやめさせよう」と考える親がいる。

親は、「サッカーに振り向けていた時間を、今度は勉強に
向けさせよう」と考えてそうするが、そういうやり方は、かえって
逆効果。

サッカーをやめさせられたことで(やる気)を失った子どもは、
そのままあらゆる面で、(やる気)を失う。

勉強など、するようになるわけがない。

++++++++++++++++++

兄が死んだあと、いろいろな事務手続きが重なった。
たとえば兄名義の貯金にしても、銀行のほうで、即、
出金停止ということになった。

引き出すことはもちろん、その通帳から支払われていた
電気代やガス代まで、自動引き落としができなくなって
しまった。

しかも兄の財産は、一度、母のものとなる。
が、その母は、現在、脳梗塞も重なって、ほとんど口を
きくこともできない。

さらに母の現住所は、この浜松市。
しかし本籍地は、岐阜県のM町……。
母のものとなった財産を、今度は、私が代理人となって、
引き出さなければならない。

その上、葬儀費用として使用するためには、葬儀社の
領収書を添えて、1か月以内に、それをすまさねば
ならない。

ということで、わずか数十万円の貯金の解約手続きのため、
浜松とM町の間を行ったり、来たり……。

私はこういうめんどうな手続きが、苦手。
大嫌い。

とたん、私は、それが苦になって、全面的に(やる気)を
失ってしまった。
いろいろ小さな仕事が重なったが、何かにつけて
(やる気)がわいてこない。
そしてそれがさらに積み重なって、何をするにも、おっくうに
なってしまった。
ワイフと旅行するのも、いやになってしまった。

が、これではいけない。
……ということで、一気にこの問題を片づけることにした。

まずあちこちに電話をかけ、必要書類を聞く。
必要書類をそろえる。
そろえたら、それでよいかどうか、あちこちに確認する。
「OK」が出たところで、当該銀行に足を運んで、一気に
事務手続き終了!

それが終わったとき、大仕事をしたような満足感はあった。
あったが、しかし私が何らかの利益を得たわけではない。
そうして引き出したお金は、葬儀費用の一部になっただけ。

……で、それから約1か月。
(やる気)が戻ってきたのは、その手続きがすんでから、
3、4日後のことだった。
脳というのは、そう簡単には、復元されないものらしい。

話を戻すが、子どものばあいでも、では、サッカーをまたやらせれば、
やる気が戻るかといえば、そうはいかない。
子どもどうしの人間関係も、からんでくる。
一度、退会すれば、レギュラーに戻ることも難しい。
ということで、たいていのばあい、子ども自身が、クラブに
戻ることをそのものを、拒否する。

こうして子どもは、ますます(やる気)を失っていく。
ご注意!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●金の奴隷

++++++++++++++++++H.Hayashi

金の奴隷にも2種類ある。
プラスの奴隷と、マイナスの奴隷。

プラスの奴隷というのは、金の力にものを言わせて、
得意になるタイプ。

マイナスの奴隷というのは、いわゆるケチ。
貧乏であることを売り物にして、(本当に貧しい人もいるが)、
始終、チマチマしている。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●プラスの奴隷

若いころ、こんな社長がいた。
日本全体がバブル経済に向けて、狂ったように走り出したころのこと。
会社の主だった社員はもちろんのこと、取り引き先の人や、何と近所の人たちまで招待
して、台湾や香港へ旅行していた。

私はそのときその旅行の世話と、通訳をしていたので、それがどんな旅行だったかを、
よく知っている。
その社長は、たとえば大きなレストランに入ったりすると、「チップ」と称して、
1000円札を、パパーッとあたりにバラまいたりしていた。
私はそれを見てあきれたが、社長は、得意満面だった。
そういう形で、その社長は、自分の力を誇示していた。

プラスの奴隷になると、金持ちであることを、自慢したくなるものらしい。
親戚や縁者を金銭的に援助したり、ものを買い与えたりする。

しかし誤解してはいけない。
だからといって、利益を得た人たちが、それでその人に
感謝しているかといえば、そういうことはない。
尊敬しているかといえば、そういうこともない。
金(マネー)の力は、ものを動かす力はあっても、心を動かす力は弱い。
恐ろしく、弱い。

前にも書いたが、こんな話を聞いた。

●金(マネー)の力は、弱い

長い友人に、K氏という人がいた。
昨年、脳梗塞で倒れ、そのまま他界してしまったが、その地域の開業医として、かなりの
収入を得ていた。
で、そのK氏のもとに、K氏の親類たちが集まってきた。
いつの間にか、K氏が、そうした親類たちの金銭的なめんどうをみるようになっていた。

K氏はいつも私にこう自慢していた。

「弟と妹に、4人の息子や娘たちがいるが、みんな私が大学を出してやった」と。
学費を援助したというのだ。
K氏には、そういう形で、甥や姪のめんどうをみるのが、生きがいだったようだ。

が、そのK氏が他界した。
突然の死だった。
私は通夜と本葬の両方に参列させてもらった。
しかし、である。
K氏の兄弟らしき人たちは来ていたが、K氏が学費を援助したと思われる若い人たちは、
来ていなかった。
そのことをK氏の妻に確かめたとき、「そんなものだろうな」と思った。

……こう書くからといって、K氏が「金の奴隷」だったというのではない。
私が書きたいのは、金(マネー)の力は、所詮、その程度のものということ。
よい例が、日本政府がしている国際援助。
国際援助してやって喜ぶのは、その時点の為政者(政治家)だけ。
国民のところまで、日本の(心)が届くことは、まずない。
むしろ為政者たちは、それを自分の手柄として、日本から援助があったことを、
国民から隠そうとする。
そういう例は、ゴマンとある。
というより、それが「ふつう」。

同じようにK氏が学費を援助した、先の息子や娘たちにしても、学費の出所さえ
知らなかったのではないか。
K氏の兄弟にしても、息子や娘たちには、それを黙っていた可能性が高い。

私はそういう葬儀を見ながら、ワイフとこんな会話をしたのを覚えている。
「Kさんが、こういう事実を知ったら、悲しむだろうね」と。

●ある社長の話

さて話をプラスの奴隷にもどす。

レストランで1000円札をバラまいた社長の会社は、バブル経済がはじけてまもなく、
不渡り手形を2度出し、そのまま倒産。
一時、小さな会社を再興したが、それも、半年足らずで、倒産。
そのあとは市内のマンションに移り、そこで生活をしていた。

私がその元社長に呼ばれて、再び会ったのは、それからちょうど1年目のことだった。
相変わらず、高拍子というか、親分風を吹かしていたのには、驚いた。
話を聞くと、台湾から梅干を輸入したいので、貿易を手伝ってほしいということだった。

私は私なりの方法で、すぐその可能性を調査した。
香港にも、台湾にも、私のパートナーがいた。
が、結果は、「やめたほうがいい」だった。
理由はいろいろあった。

それを元社長に伝えに行くと、私の話を半分も聞かないうちに、元社長はそばにあった
コップを床にたたきつけて、突然、私にこう怒鳴った。
「お前は、オレの恩を忘れたのか!」と。

「恩」というのは、私をあちこちの海外旅行に連れていったことをいった。
私はそそくさと、元社長のマンションをあとにしたが、それからも3、4回、怒りの
電話がかかってきた。

「金の奴隷」というのは、そういう人をいう。

●プラスの奴隷vsマイナスの奴隷

そこで、ではプラスの奴隷とマイナスの奴隷は、どこがどうちがのか。

話が少し外れるが、一般論として、大きく儲ける人は、その一方で、大きく損をする。
「儲け」と「損」は、つねに表裏一体となっている。
ここに書いたK氏にしても、たしかに「損」はしたが、もう少し若いころには、当時は
まだ珍しかった大型クルーザーを所有していた。
伊豆と那須に、別荘をもっていた。
市内にも、数か所、マンションを所有していた。

K氏にしてみれば、甥や姪の学費など、(小遣い)の範囲だったかもしれない。
ともかくも、「損」を気にしていたら、大きく儲けることはできない。
それに「損」が、つぎの「儲け」の原動力になることもある。
私も、似たような場面に出会ったことがある。

何かのことで損をしたりすると、「ちくしょう」と思って、さらに仕事に精を出し
たことがある。

では、マイナスの奴隷とは?

わかりやすく言えば、小さな世界に閉じこもり、チマチマ、ケチケチと生きている
人たちをいう。
損もしないが、さりとて大きく儲けることもない。
たいていは小銭の守銭奴となって、毎日貯金通帳を見ながら暮らす。
私もその仲間だから、偉そうなことは言えない。
だから私も含めて、このタイプの人は、大きな仕事ができない。

●金(マネー)に毒される人たち

どちらであるにせよ、金の奴隷たちは、金(マネー)の奴隷になりながら、奴隷に
なっていることにすら気がつかない。
たとえば前にも書いたが、テレビの人気番組に「お宝xx」というのがある。
視聴者がもちよった品物や絵画に、その道の鑑定家たちが値段をつけるという番組である。

あの番組による影響は、すさまじかった。
私自身もいつの間にか、影響を受けてしまった。
たとえば絵画にせよ、それがすばらしい絵画かどうかという判断をするよりも先に、
「値段はいくら?」「有名な画家の描いた絵か?」という視点で、見るように
なってしまった。

中身よりも、外見。
外見よりも、評判。
評判よりも、値段。
「この絵は、300万円だから、すばらしい」
「あの絵は、無価値だから、見る価値もない」と。

しかし テレビ番組を責めても、意味はない。
ああした番組が人気番組であるというのは、それをささえる視聴者がいるからに
ほかならない。
つまり金の奴隷が多いから、ああいう番組は、人気を博す。
しかしこれは人間にとって、悲しむべきことと言ってよい。
理由の第一。

●失うもの

金の奴隷になればなるほど、ものの本質が見えなくなる。
絵画を例にあげるなら、その絵画のもつすばらしさがわからなくなる。
あるいはすばらしい絵画、(絵画のよしあしは、あくまでも個人的嗜好によるもの
だが)、そのすばらしさを判断できなくなってしまう。

同じように、成功、失敗も、金銭的な尺度でしか、みなくなってしまう。
「あの人は金持ちだから、すばらしい」
「この人は、貧しいから、すばらしくない」と。

さらにそれが拡大してくると、自分自身の人生まで、金銭的な尺度でしか、みなくなって
しまう。
幸福の尺度さえ、相対的なものとなる。
「隣の人より、よい生活をしているから、私は幸福」
「隣の人より、小さな家に住んでいるから、私はみじめ」と。

そういう生活が基本になっていると、「生きる」ことそのものが何がなんだか、わからなく
なってしまう。

●日本全体が、金権主義国家?

が、それだけではない。
一度金(マネー)に毒され、金の奴隷になると、それから抜け出るのは、容易なことでは
ない。
価値観、さらには人生観、生きる哲学すらも、それに固定されてしまう。
政治だって、そうだ。

日本は一応、民主主義国家ということになっているが、実際には、金権主義国家。
たまたま今日、AS総理大臣率いる、AS内閣が発足する。
今朝の新聞を読むと、政治的イディオロギーなど、どこにもない。
「景気回復」「景気刺激策」などなど、すべて、金(マネー)、金(マネー)、金(マネー)。
金(マネー)にまつわる話ばかり。
政治そのものが、金の奴隷たちの「マスター(主人)」として君臨している。

金の奴隷……プラスの奴隷と、マイナスの奴隷がいる。
今朝は、それについて考えてみた。
(080925)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●秋

+++++++++++++++++++

今日、1日、私の情緒は不安定だった。
情緒が不安定というのは、心の緊張感が、ずっと取れない状態をいう。
どこか、心がピンと張りつめたような感じになる。
気が抜けないというか、いろいろささいなことが、心の壁にペタリと
張りついているような感じになる。
不安と心配が入り混じったよう。
それが取れない。
すっきりしない。

こういうときというのは、何かのきっかけで、突発的に心は
動揺しやすくなり、ささいなことで激怒したりする。
それがわかっているから、じっと静かにしているのがよい。
自分の心を見守るのいがよい。

こうした病気(?)は、「治そう」と思わないこと。
治るはずもない。
大切なことは、じょうずにつきあうこと。
自分の心の欠陥を認めること。

で、昼過ぎになって、Sxxxという安定剤を、半分に割ってのむ。
もともとは、女性用の精神安定剤だそうだ。
が、私には、効く。
少し頭痛もあったので、頭痛薬も半分のむ。
とたん、眠気。
ものすごい眠気。

「昼寝をしてくる」と言うと、ワイフも、「私も……」といって、
1〜2時間ほど、横でつきあってくれた。

起きてからも、あまり状態は変わらなかった。

ワ「何も、悩むことなど、ないのに……。すべてうまくいっているでしょ」
私「それが、おかしいのだよな。これといったことはなくても、気分が落ち込む」
ワ「私を信じなさいよ」
私「信ずるって?」
ワ「私がだいじょうぶと言ったら、だいじょうぶなの」
私「うん……」と。

夕方になって、今度講演をすることになっている、A教育委員会用のレジュメを
作成する。
けっこう、よいのができた。
それを封につめて、宛名を書く。
で、そのあと、長野県S市に住む友人に電話。
「おお、元気か?」
「おお、元気だ」と。

あとで見たら、1時間10分も話していたことがわかった。

その電話がよかった。
電話が終わったとき、心が軽くなっているのを知った。
バンザーイ!

こういうときは、友人と話すのがいちばん、よい。
みんな、それぞれにがんばっているのだと知るだけでも、励みになる。

で、今は、時刻は午後8時4分前。
ワイフに「DVDでも見ようか?」と声をかけると、「うん」と。
すなおに返事をしてくれた。

そうそうその友人がこう言っていた。

「生きるということは、長生きをすることじゃ、ないんだよな。
生きるということは、いかに密度を濃くして生きるかということだよな」と。

つまり元気で体が動くうちに、やるべきことをやるということ。
近く再開することを約束する。

近くに湯田中温泉、山田温泉、上山田温泉があるという。
交通事故でむち打ち症になってから、体の調子がよくないという。
見舞いをかねて、近く行ってみよう。


●ジョン・デンバー主役の『別れのとき』

ワイフが取り出しのが、ジョン・デンバー主役の『別れのとき』。
タイトルからして、うつ状態を加速させるような映画?
ジョン・デンバーが主演だから、新しい映画ではない。
が、ジョン・デンバーのファンの人には、たまらない映画だろう。
実は、私もその1人。
軽い気持ちで見始めたが、見始めるとすぐ、ジョン・デンバーが歌を歌った。

年代はわからないが、ジョン・デンバーが、35歳前後のときの作品らしい。

内容はやや退屈?
「デンバーの歌が出てきたら見る」と言って、私は再び、パソコンと遊び始める。

映画としては、星2つ、★★。
ジョン・デンバーのファンとしては、星5つ。★★★★★。

が、よく知られた曲は、一曲も収録されていなかった。
どれも映画用の新曲ばかり(?)。

残念!


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●体重が65キロ台!

少しがんばった。
1か月前には、68・5キロだった体重が、今朝は、65・5キロになっていた。
3キロの減量!
バンザーイ!

昨夜は鼻水が出るような状態だった。
が、サイクリングは欠かせない。
家に帰った直後、雨。
あやうくセーフ。
が、おかげで、風邪がひどくなってしまった。
朝起きて、うがい。
それに風邪薬。
今日は、そんなわけで、頭が重い。

しかし体が軽くなったのは、実感としてわかる。
やせればやせるほど、体は軽くなるのだろう。
が、筋肉がなえてしまったのでは、意味がない。

ワイフと卑猥(ひわい)な話をする。

私「あのなあ、チンxxをズボンの中にしまうとき、先を下に向けてはいけないんだよ」
ワ「あらそう? そんな話は、知らなかったは……」
私「ズボンの中にしまうときは、先を上に向けてしまうんだよ」
ワ「下に向けてしまったら、どうなるの?」
私「チンxxというのはね、そのつどいつも伸び縮みしているからね」

ワ「じゃあ、男も、ブラジャーのようなものをつければいいんじゃない?」
私「それも困る」
ワ「どうして?」
私「窮屈だ。小便をするときも、困る。それにモリモリといつもふくらんでいると、
変態に思われる。ところで、知っているか? チンxxというのは、別の意思を
もっているんだよ」

ワ「別の意思って?」
私「ほら、マムシでも、頭を切っても、体だけ、別に動くだろ。あれと同じ」
ワ「気持ち悪いわね」
私「そう、だから死んだ人がBOKKIするということもあるそうだ」
ワ「あら、そんなこと、知らなかったわ」

私「まだまだお前には話してない、秘密がたくさんある。中国では、死んだ人の
チンxxは、上に向けるのだそうだ」
ワ「ホント?」
私「あの世へ行っても、すぐ役にたつように、ね」
ワ「あの世でもSxxをするのかしら?」

私「どうも、そうらしい」
ワ「あなたが死んだら、チンxxを、上に向けてあげるから」
私「そうだな、頼むよ。あの世には、きれいな子がいるかもしれない」と。

朝食のときの、いつものバカ話。
ここに書いたことは、すべて、ジョーク。
(女性の読者の方へ……どうか信じないでほしい。詳しくは、旦那様に聞いてください。)
しかしこういう話だと、ワイフは、すべて信じてしまう。
そこがおもしろい。


●猿対策

このところ秋になったことあり、山荘が山猿に襲われることが多くなった。
雨どいのいくつかが、山猿に破壊されてしまった。
テレビのアンテナも折られてしまった。

今日、その修理に山荘へ行かねばならない。
が、ただではいかない。

山猿撃退用の装置をいくつか、つくった。

まず雨どいには、釘を四方八方につけたカバーをとりつける。
これは先日、別に買ってきた雨どいに、ドリルで穴をあけ、釘を刺して、私が作った。
同じように、電話線にも、釘を刺したカバーをとりつける。
電話線を伝ってやってくる山猿もいる。

それに裏山から、屋根に飛びついてやってくる山猿もいるようだ。
それについては、対策をこれから考えるところだが、こうしていろいろ考えるところに
山荘ライフのおもしろさがある。

相手は、(自然)。

山猿にしても、必死。
今度、山の向こうを、第二東名が走るようになった。
そこを追われた山猿が、山荘の近くにまで、出没するようになった。
もとはといえば、人間が悪い。

そうそう小屋の下を、何かの動物が、ねぐらにしているらしい。
いつも大きな穴があいている。
ワイフは、それを嫌う。
しかたないので、あたり一面、ガソリンをまいた。

ヘビや動物は、ガソリン(もしくは灯油)のにおいが、嫌いらしい。

……ということで、今年は、栗の収穫は、ゼロ。
みんな山猿に食べられてしまった。
しかしこういうことがあるから、山荘ライフは、楽しい。
おもしろい。

私と山猿との知恵比べは、しばらくは、つづきそう。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●犬のハロウィーン

++++++++++++++++

「あら、犬にもハロウィーンの衣装を
着せるんだって」と、ワイフが言った。

見るとペットショップのウィンドウに、
その類の服がズラリと並んでいた。

「楽しそうだね」と私。
「フ〜〜ン」とワイフ。

++++++++++++++++

人生の楽しみ方は、人、それぞれ。
犬がハロウィーンの衣装を身につけたところで、
(犬にとっては、ありがた迷惑かもしれないが)、
それは、その人の勝手。

言うなれば、人生のスパイスのようなもの。
ハハハと笑えば、それでよい。

私「外国では、妻の誕生日に、夫は、リボンをつけるそうだ」
ワ「どこに?」
私「どこにって、チンxxにだよ」
ワ「リボンをつけてどうするの?」
私「プレゼントのつもりだよ」

ワ「女性は、どうするの?」
私「女性は、腰に大きなリボンをつけるそうだ」
ワ「裸で?」
私「もちろん、そうだ」

ワ「でも、元気のないチンxxにリボンは似合わないわね」
私「下を向いていて、スルリとリボンが抜けたら意味がない」
ワ「かえってみじめになるだけだわ」
私「女性だってそうだ。くびれのない腰にリボンをつけても、
かえって見苦しい」
ワ「三段腹だったら、もっと見苦しいわね」
私「ハハハ」
ワ「ハハハ」と。

しかし、どうしてこの日本でハロウィーンなのだろう?
どうして犬に、ハロウィーンなのだろう?

こういう話は、むずかしく考えない。
考えても意味はない。

ハハハ+ハハハ。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司


●猿害対策

昨日、山荘のほうで、猿害対策を、いろいろほどこした。

栗、びわ、柿、さくらんぼなどの木の実については、猿にくれてやろう。
しかし山荘の雨どいが割られたり、壊されるのは、許さない。
山猿は雨どいを利用して、屋根に登る。
電話線や電線を伝ってやってくるのもいる。
足跡や、手の跡がしっかりと残っているから、それがよくわかる。

そこで私は、こうした。

(2)雨どいについては、山猿は手をかけるところには、塩ビに、裏から
釘を刺したものを、貼り付けた。
こうすれば、山猿は雨どいに手をかけることができない。

(3)電線には、釘を刺したテープを巻いた。

(3)裏山から飛び乗ってくる山猿もいる。私はそのあたりにある木を、3、4本、
切った。
結構太い木で、これにはてこずった。
というのも、チェーンソーを忘れ、電動ノコで切ったため。

電動ノコで、だ!

あとはこわされた雨どいの修理。
「今度山猿に雨どいを壊されたら、雨どいをすべてはずしてしまおう」と。
というのも、こうした山の中では、秋になると、雨どいは落ち葉ですぐ詰まってしまう。
用をなさない。

今のところ瓦はだいじょうぶのよう。
山猿に割られるようになったら、それこそ、たいへん。
このあたりの山猿は、(復讐)というのを知っている。

いつだったか、近くの農家の人で、山猿の集団に向かって石を投げた人がいた。
その人の家は、翌朝、山猿の襲撃を受け、屋根瓦がつぎつぎと割られてしまったそうだ。
ウソのような話だが、これはホントの話!

このあたりの山猿は、頭がよい。
本当に頭がよい。
太古の昔には、「引佐(いなさ)原人」と呼ばれる民族が住んでいたそうだ。
そのころ分派したのが、今の山猿……ということはないだろうが、そう考えてもおかしく
ないほど、頭がよい。

たいへんな作業だったが、けっこう、楽しかった。
山荘ライフのおもしろさは、こんなところにある。
まさに山猿との知恵比べ。
つまりこういう作業が嫌いな人には、山荘ライフは向かない。

……一汗かいて、体重計に乗ったら、何と、64キロ台!
この一年間で、最低記録。

これからも山猿との戦いはつづきそう!


●岐阜の町

++++++++++++++++++H.Hayashi

JR岐阜駅でおりる。
そこから少し歩いて、岐阜乗り合いバスに乗る。
M町までの各駅停車。

空は青く澄み渡り、さわやかな風が吹いている。
最高の旅行日。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●欲得の世界

人間がもつ強欲さは、他人を傷つけ、自分を滅ぼす。
しかし一度、身についた強欲さを体から切り離すのは、容易なことではない。
そのつど顔を出し、自分を惑わす。
どうして人間は、こうまで強欲なのか。

強欲であることが悪いというのではない。
生きる原動力になる。
無数のドラマもそこから生まれる。
しかしものごとには、程度というものがある。

そこに食べきれないほどの食物があっても、満足できない。
そこに使い切れないほどのお金があっても、満足できない。
そこにあふれんばかりの幸福があっても、満足できない。

こうなると、ビョーキ。

「さらに……」「もっと……」と、自分をせきたてる。
が、それではいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。
それこそ人間は、死ぬまで、馬車馬の馬のように働く。
で、やっと楽になったと思ったら、そのままあの世行き。

そこで私たちは、あるとき、自分の限界を認め、その限界の
中で、満足する術(すべ)を学ぶ。
そうでもしなければ、自分の身を支えることすら、できない。
それこそ欲望の渦の中に足をとられて、そのまま奈落の底へ。

欲得といっても、その人個人の範囲にあるなら、問題はない。
しかしその欲得が、他人とからんだとき、問題となる。
「私の財産」「あなたの財産」となる。
そういう意味では、欲得の問題は、人間関係と深くからんでいる。
言いかえると、人間関係は、どこかで、何らかの欲得とからんでいる。
大切なことは、どんな人とつきあうにしても、欲得関係をつくらないこと。
つくるにしても、銀行とか、会社とか、その道のプロとつくる。

子どもの教育についても、そう。
「親類だから安くやってもらえるだろう」「ていねいにみてもらえるだろう」と、
親類の人に家庭教師などを頼んだりする人が」いる。

しかしこういうケースでうまくいくのは、10にひとつもない。
が、そのとき、親類だからという理由で、家庭教師を変えることもできない。
ズルズルと1〜2年も過ごすと、かえって成績がさがってしまう。
お金はかかっても、こういう(汚れ仕事)は、プロに任すのがよい。

さらにあえて言うなら、少しでも金銭関係がからんだら、よき人間関係など
期待しないこと。
昔から、『仕事関係では、人間関係は育たない』という。
「金の切れ目が縁の切れ目」?

私たちがどこかの会社の社員と交際するとしても、その社員というよりも、
その背後にある(会社)と交際する。

話がそれたが、欲得がからむと、親子、兄弟の関係すら、おかしくなる。
しかも相手が親子、兄弟だと、問題は、さらに複雑になる。

では、どうするか?

私にのばあい、欲得のからむ問題については、最初に、腹を決めることにしている。
「腹を決める」というのは、要するに、「欲を出さない」ということ。
最近の例では、兄の葬儀があった。
最初から、○○○万円と予算を決める。
割り切る。
全額、私が払うと、心に決める。
決めてから、喪主になる。

姉からの援助や、親類縁者たちからの香典も、アテにしなかった。
だから気が楽だった。

結果的に、大赤字だったが、それでも損をしたという思いは生まれなかった。

要するに欲得には、恐ろしい魔力がある。
つきあい方をまちがえると、とんでもない方向に、自分がころげ落ちてしまう。
が、ほんの少しだけ妥協できるところは妥協し、寛容になれるところは寛容に
なれば、欲得も、ただの風。
取るに足らない、ただの風。

所詮、欲得などというものは、その程度のもの。
「ここに私たちがいて、ここに生きている」という価値と比べたら、ひょっとしたら、
風にもならないかもしれない。

……しかし私たちは、どうしてこんなにも、欲得の世界にそのつど、巻き込まれるのか?
まだ人間が金(マネー)というものを知らなかった、遠い昔の、原始の世界が、
うらやましい。


Hiroshi Hayashi++++++++SEP 08++++++++++はやし浩司

●ミニ・パソコン

私のところでは、2台のミニ・パソコンが、大活躍している。
HP社の2133と、ACER社のASPIRE−1。
ともに気に入っている。
どこでもメモ書き帳のように、文章が打てるのがよい。
電車やバスの中。
レストランや喫茶店で。

が、世の中の多くの人は、もっと別の目的でパソコンを使っているようだ。
そのため、ミニ・パソコンは、「あまり役に立たない」と。

ふ〜〜〜ん。


●C・HILL、おバカ外交官(A no brain diplomat of USA)
C.Hill, how come are you so stupid and incompetent in the diplomacy in the Far East?
We never hesitate to call you , Kim John-Hill of North Korea. From the earliest stage of 
the diplomacy, we knew that he was to repeat the same failure as former diplomats did. 
Have a listen to the words of Mr. Bolton or Mr. Kelly. Only what you have done is just to 
give them oil, food, money and music, without receiving nothing from them. We saw the 
childish Explosion Show in Yon-byon. But what was that for? Now what you have to do 
is just to admit the failure you have done and go back to the behind of the curtain. Also 
remember that you have destroyed the relationship between Japan and USA. Or are 
you a politician or a movie star? We hope not.

この場に及んでも、あのおバカ外交官は、K国をかばっている。
まあ、どうかばおうと、C・HILLの勝手だが、K国は、
最初から、核兵器製造をやめるつもりなどなかった。

最近になって、イランと共同で小型戦術核の製造をしていることも、
明らかになった。
専門用語を使うなら、「K国は戦略的に、核兵器を放棄する意思などなかった」
ということになる。

では、何のための「テロ支援国家解除」なのか?

もともと「テロ支援国家解除」など、K国にとっては、どうでもよかった。
ゴネるための口実に過ぎなかった。
解除されたところで、K国に利益がころがりこむわけではない。
解除されないからといって、とくに不利益もない。

つまりは時間稼ぎのために、K国は、「テロ支援国家解除」問題を利用しただけ。
が、あのおバカ外交官は、そんなこともわからず、手のひらの上で踊らされてしまった。

結局、C・HILLがしたことは、K国に、原油と食糧とお金と音楽を与えただけ。
見返り受け取ったものは、インチキ・爆破ショー。
それだけ。

ただの外交官(役人)が、あたかも政治家かスター気取りで、マスコミの
インタビューに答える。
まずもってこの異常さに気がつくべきである。
外交官というのは、大統領を代弁しながら、連絡を取りつぐのが仕事。
その本分を忘れて、独断、越権行為の連続。
あとは根拠のない希望的意見。

そこで現在、韓国、中国、アメリカは、K国への援助を停止しようという動きに
出てきた。
当然である。
が、これに対して、またまたあのおバカ外交官が、こう言った。
「まだ(核関連施設が稼動するまでに)、2、3か月かかるから、
それまで(援助停止を)待ってやろう」と。

おバカ!


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   22日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●シロが、嫁さんを連れてやってきた。

+++++++++++++++++

毎日、庭に、ハトの餌をまいている。
そこへ毎日、何羽かのドバト(野生のハト)が
やってくる。

+++++++++++++++++

春先からいつも一羽のドバトが、私の庭にやってきていた。
いつも一羽。
首の下に、白いえりまきのような輪があるから、私とワイフは、「シロ」と
呼んでいた。

たいへん意地の悪いドバトで、私の庭を独り占めにしていた。
ほかのドバトが入ってくると、すかさず、そのドバトを追い出したりしていた。

ところが今日、9月21日、そのシロが、嫁さんを連れて、私の庭にやってきた。
首筋がほっそりとした、なかなかの美人である。
首の下左右には、青と黒の、美しい縞模様がある。

私「シロが嫁さんを連れてきたよ」
ワ「あら、ほんとう。とうとう見つかったのね」
私「よかったね」と。

しかしどうも、仲がおかしい?

2羽とも、静か。
餌場の中に、じっとたたずんでいるだけ。
シロは嫁さんを、どこか遠慮がちに見守っているといった感じ。
ラブラブといったふうでもない。

私「まだ見合い中といったところかな?」
ワ「はじめてのデートで、戸惑っているみたい」
私「シロはまだ童貞みたいだ」
ワ「嫁さんのほうも、まだ処女みたい」
私「フ〜ン、ぼくが行って、指導してやろうか?」
ワ「どうやって指導するの?」
私「お前がうずくまって、ぼくが上から載って、ククー、ククーとやればいい」
ワ「バカバカしい……。ハハハ」と。

曇り空の暗い空。
その下でシロは、毛づくろいを始めた。
やはり嫁さんが気になるらしい。

いつもならほかのドバトをバタバタと追いかけ回してばかりいるシロ。
そのシロが、今日は、おとなしい。
満足げに、おっとりとしている。

よかった!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●持てる人の悩み

++++++++++++

もとからない人は、悩まない。
しかしへたに(失礼!)財産があると、
それなりに悩む。
そういう人は多い。

K氏の実家は、昔からの財産家。
その地域のあちこちに数か所、100坪単位の
土地をもっている。
K氏には、3人の姉妹がいる。
K氏は、その中でも末っ子だった。

父親が死んだとたん、遺産相続問題が起きた。

++++++++++++

この種の問題は、一度、こじれると、とことんこじれる。
こじれるだけならまだしも、当事者たちは、とことん神経をすり減らす。
たがいの微妙なかけひきが、火花を飛ばす。
それがストレスとなって、当事者たちを悩ます。
K氏は「問題が片づくまで、1年かかりました」と言った。
その1年の間に、K氏は、体重を6キロも減らした。

「平等に分けるつもりでいましたが、姉たちが、『あれは私の財産』
『これは私の財産』と言い出し、話がごちゃごちゃになってしまいました。
おまけに私に対して、『あなたは親のめんどうをしっかりと
みなかった』とか、『転勤で、この地に住んでいなかった』などと
言い出しました」と。

K氏のばあい、結局、土地を一度全部売り、現金にして、平等に分ける
ということで決着したそうだ。

もとから財産がない人には、こういう問題は起きる。
へたに(失礼!)財産があると、こういう問題が起きる。
額の多い、少ないは、関係ない。
遺産が数億〜もあればなおさらだが、わずか、数百万円の遺産を
奪い合ってけんかをしている人はいくらでもいる。

私がそんな(数百万程度の)問題で・・・と言いかけると、その人は
こう言った。

「姉は、こっそりと、その土地を駐車場に貸して金を取っていたのですね。
私にはウソばかりついていました。で、私には、『近所の人たちにただで
貸してやっている』と言っていました。それが許せないのです」と。

こうして兄弟関係、姉妹関係が破壊されていく。
K氏にしても、現在は、たがいにまったく音信ゼロ。
他人以上の他人になってしまったという。

では、こうした問題が起きないようにするには、どうしたらよいか。
答は簡単。
生きている私たちが、たとえわずかでも、金銭問題については、しっかりと
けじめをつけておくということ。
遺言書をしっかりと残しておくという方法もあるが、そのつど、息子や
娘たちには、自分の意思を伝えていく。

・・・と言っても、これも簡単ではない。
K氏のケースでも、K氏の父は、晩年は軽い脳梗塞をわずらい、判断力
がかなり鈍った。
さみしさも重なったのだろう。
娘たちが見舞いに来たりすると、それがうれしくて、「あの土地はお前に
やる」とか、「この土地はお前にやる」とか、そのつど一貫性のないことを
口にしていた。

それが遺産問題を、複雑にしてしまった。

しかし・・・命あっての財産。
大病を宣告されただけで、こうした問題は、闇のかなたへ吹っ飛んでしまう。
どうでもよくなってしまう。

それもそのはず。
宇宙は広い。
人間の魂も、それに劣らず、広い。
その宇宙の、ゴミのような地球上で、これまた点のような土地のことで
心をわずらわすこと自体、バカげている。
「死」に直面したとき、よほどのバカ(失礼!)でも、それに気づく。

遺産がもらえたと喜ぶ人。
遺産を取られたと悔やむ人。
どうであれ、そのときも、自分に、「だからそれがどうしたの?」と
問いかけてみればよい。

もちろん事務的にすます問題は、事務的にすます。
遺産相続問題は、純然たる事務問題。
大切なことは、それ以上に、心をわずらわせないこと。
その分だけ、命を縮める。
時間を無駄にする。
そのほうが、よほど「損」というもの。
あとは楽しく、笑ってすごせばよい。

(付記)
子育てが終わることになると、そこにドッとやってくるのは、老後。
年齢的には、あなたの息子や娘が、大学を卒業するころと考えてよい。
それまではみな、子育てに夢中になっているから、そこに老後があることにさえ
気づかない。

で、そのころになったら、10年後、20年後を考えて、自分の身辺の
財産(額の多少は関係ない)について、整理しておく。
まだ脳みその活動が、正常なうちに、そうしておく。
それはあなた自身のためというより、子どもたちのためと考える。

私の近辺でも、遺産相続問題がこじれて、ここに書いたK氏のように
なったケースは、多い。
ほとんどが、そうではないか。
遺産相続問題にかぎらない。
介護問題。
介護の費用問題。
さらには、親の見舞いに来たとか、来なかったとか、そういうことで
兄弟、姉妹関係がこじれることさえある。
また兄弟姉妹の範囲を超えて、叔父、叔母たちがからんでくるケースも
ある。
これは最近、ある司法書士の人から聞いた話だが、本来は遺産相続権の
ない甥や姪が、遺産相続問題に首をつっこんでくるケースもあるという。

この世が、いかに金に毒されているか、こうしたケースは、それをその
まま証明している。

そこでまた自問してみる。

「金(マネー)というのは、額ではない。使い方の問題である」と。
「金があれば安心」「なければ不安」というのであれば、すでにあなたは、
金(マネー)の奴隷になっているということ。

金(マネー)がなければ、不幸になる。
それは事実。
しかし金(マネー)では、幸福は買えない。
これもまた事実。
ないよりはあったほうがよいが、金の奴隷となったとたん、それと
引き換えに、人は、孤独に包まれる。
その孤独ほど、恐ろしいものはない。

(付記2)

相手から相談でもあれば、話は別だが、この種の問題には、首をつっこまない
こと。
それが親類、縁者のものであっても、「私は関係ありません」を貫くのがよい。
この種の問題に首をつっこむと、あなた自身も、その騒動に巻き込まれ、人間関係
がめちゃめちゃになってしまう。

というのも、一方の当事者は、自分の落ち度やまずい点については、話さない。
一方的に相手を悪く言う。
そういう一方的な話だけを聞いて、全体を想像すると、誤解が誤解を生み、さらに
人間関係がおかしくなる。

私も少し前も、こんなことがあった。
近い人から、息子の離婚問題についての相談を受けた。
「息子夫婦が、離婚したのだが、元嫁が、離れの家から出て行かない。
どうすれば追い出せるか」と。
協議離婚はしたものの、元嫁が、別棟の家から出ていないので、困っている
という内容の相談だった。
息子夫婦には、当時、中学生と小学生の子どもが2人、いた。
2人の子どもは、元嫁のほうを親として選んだ。

で、話を聞いていると、要するに、「財産を分けたくない」という内容だった。
が、こういうケースのばあい、家を追い出される女性の立場のことも考え
なければならない。
2人の子どもをかかえて、「はい、さようなら」というわけにはいかない。
だからその元妻は、離れに住み、それに抵抗した。

が、その人は、何度も電話をかけてきて、元嫁の悪口を並べた。
自分の意見を正当化しようとした。
しかしいくら悪口を並べても、法律的には、ただの雑音。

「養育費、慰謝料、財産分与など、払わなければならないものは、払わなければ
なりません」と答えると、「そんな必要はない」「あんなひどい嫁に、お金を渡す
必要はない」の一点張り。
やがておかしな押し問答になってしまった。

あとで、つまり1年ほどしてから人伝えに聞いたところによると、その
人が、私の悪口を言いふらしているのを知った。

「あの林は、冷たい男だ」「私の相談にものってくれなかった」と。

だから最近は、いくら近い人でも、私はこの種の相談には、のらないように
している。
「弁護士さんに相談するのがいちばんいいですよ」と言って、逃げることに
している。

(付記)
M県で司法書士をしている友人のU君さえも、先日、電話で同じようなことを言っていた。
「不動産取り引きなどは、不動産屋に任せたほうがいいよ。
身内だからといって、安易に引き受けると、あとでめんどうなことになる」と。

そう言えば、家庭教育の世界でも、同じようなことが言える。
たとえば身内だからといって、その子どもの勉強の指導を引き受けたりするのは、
やめたほうがよい。
うまくいっても、(うまくいくケースは、10にひとつもないが)、当たり前。
失敗すれば、そのまま人間関係も、おしまい。
こと受験勉強に関しては、お金はかかっても、そこはプロに任せたほうがよい。
やめるときも、後腐れなく、やめることができる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今夜・あれこれ(9月20日)

++++++++++++++++++

今夜の思考力、ゼロ。
何を考えても、そのままそれがバラバラになってしまう。
つぎからつぎへと、考えていることが、飛躍してしまう。
……ということで、「バラバラ」について、考えてみたい。

++++++++++++++++++

話している最中から、話がどんどんと飛んでしまっていくタイプの人は少なくない。
たとえばこんな話し方をする。

A子(30歳、架空人物)「昔の人は、苦労話ばかりする。学生時代は、貧乏だったとか」
私「ぼくたちの時代には、家からの仕送りも、下宿代だけだった」
A「奨学金をもらえばいい」
私「奨学金といっても、小額だった」

A「アルバイトは楽しいでしょ」
私「アルバイトも、したよ」
A「スキーは楽しいわね」
私「スキー場でのアルバイトって、こと?」

A「神様はいるわよ」
私「神様って?」
A「神様は、白い着物を着ているって、ほんと?」
私「さあ、どうかな?」

A「キリスト教と仏教では、どちらが役にたつのかしら?」
私「神様の着物の話はどうなったの」
A「ああ、どっちでもいいけど、赤い服じゃ、おかしいわね」
私「スキー場の話って、何?」と。

A「スキー場もいいけど、私は夏の海で泳ぐのが好き」
私「海で?」
A「子どものころは、よく川でも泳いだけど・・・」
私「・・・?」と

話の焦点が定まらない。
会話をからませようとしても、そのつど、振り回されてしまう。
会話をつづけているうちに、私のほうが、自分でも何を話しているか、
わからなくなってしまう。

おとなのばあいは、まだそれでよいとしても、子どもとなると、話は別。
指導そのものが、できない。
脳そのものが、乱舞したような状態になる。
言動が、落ち着かない。
ソワソワ、キョロキョロしている。
静かな会話になじまない。
ときにひとりでキャーキャーと叫ぶ。
ささいな言葉尻をつかまえ、周囲を巻き込んで、ワーワーと騒ぐ。

「風が吹いた・・・でも、キリンさんは、元気・・・冷蔵庫の中には、ミカンが
いっぱい・・・時計が鳴った。・・・ママは、お買い物・・・」と。

こうした症状が、どんな原因によるものなのかは、私にはわからない。
ある種の脳の障害が関係しているのかもしれない。
たとえば脳の微細障害説など。
さらにはその原因として、環境ホルモン説なども疑われる。
もちろん学習面でも、大きな遅れとなって現れる。

左脳の特徴である、分析力、論理性などが、正常に機能していない。
そんな印象をもつ。

このタイプの子どもを、私は勝手に「乱舞児」と呼んでいる。
思考そのものが、乱舞したような状態になることから、そう呼んでいる。
小学1〜2年生児に多く見られる。
程度にもよるが、全体の20〜30%。
しかしその後、3〜4年生になると、急速に症状は落ち着いてくる。
子ども自身が、自分で自分をコントロールするようになるためである。
が、症状が、まったく消えるわけではない。
その残像のようなものは、おとなになってからも残る。

それが冒頭に書いた、A子さんということになる。

「バラバラ」というテーマで書き始めた原稿だが、結構、シリアスな内容に
なってしまった。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 乱舞児)

(補記)
話していても、そのつどパッパッと話題が飛躍したり、どこかへ飛んでいって
しまうというのは、あまり好ましい現象ではない。
私の知人のH氏(当時、42歳)もそうだった。
従業員30人ほどの電気修理会社を経営していたが、私と知り合ってから、
その会社はまもなく倒産。
そのショックもあって、(私はそう人から聞いていたが・・・)、H氏はそのまま
精神病院へ入院してしまった。

一方、思考力の深い人は、静かな語り口の中にも、きちんとした論理性がある。
ひとつずつ論理を組み立てながら、説得力のある話し方をする。
(思考力)という面からは、こうした人物のほうが好ましいことは言うまでもない。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●過渡期の認知症

++++++++++++++++

認知症になるのは、私の勝手。
あなたの勝手。
しかしその過程で、多くの人たちに
迷惑をかける。
これが問題。

とくにその過渡期が、問題。
認知症とその人がはっきりとわかれば、それでよし。
対処の仕方も、それでわかる。
が、その一歩手前というか、認知症かな(?)と
思っても、それがはっきりしないときが、たいへん。

先月亡くなった私の兄についても、こんなことがあった。

+++++++++++++++++

その朝、高校の同窓会があった。
私は、シンガポールで買ってきた洋酒(ジョニ黒)を、恩師へのみやげに用意した。
で、出かけようと思ったそのとき、その洋酒の栓が抜かれているのを知った。
上から数センチ分、洋酒が減っているのもわかった。

私は兄がそうしたことが、すぐわかった。
兄を呼び、「どうしてこんなことをするのだ!」と怒った。
それに対して兄は、それほど悪びれた様子もなく、こう言った。
「ちょっと飲んでみたかっただけや」と。

そのときは私は本気で、兄に怒りを覚えた。
が、そのときを境に、兄の奇行が目立つようになった。
つまりそのときが、過渡期だった。
今から15、6年も前のことだった。

で、それ以後は、同じようなことがあっても、兄を相手にしなくなった。
「私の兄は、そういうものだ」という前提で、つきあうようになった。
何か心配なときは、前もって、予防策を講じたりした。

……という場面に、このところ、よく出くわす。
知人、友人、親類の人たちなど。
年齢がその年齢に近づいてきたということもある。
認知症とは断言できないが、しかしその過渡期かなと思わせる人たちがいる。
こういうケースのばあい、こちらは本気で相手にしてはいけない。
本気で相手にしても、意味はない。
相手にすればするほど、相手のワナにはまってしまう。

中には、「母がこうなってしまった」「父がこうなってしまった!」と、
電話で泣きわめいてくる人がいる。
その人はその人で、過渡期の認知症がどういうものであるか、わかっていない。
だから混乱する。
ギャーギャーと大げさに、騒ぐ。

が、過渡期かなと思うことで、その人を理解することができる。
理解したとたん、その人との間に、距離を置くようになる。
怒りも、それで収まる。

ある年齢になり、「どこかおかしい?」と感じたら、その過渡期を疑ってみればよい。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●五感を刺激する

+++++++++++++++++++

映画は、ボケ防止には、たいへんよい(と思う)。
はっきりとした根拠があるわけではないが、
映画を見ることによって、五感が刺激される。

家庭でDVDを見るという方法もあるが、私はやはり
劇場で見るのがよいと思う。

迫力がちがう。
それに私のワイフのばあい、家庭でDVDを見ていると、
そのままよく眠ってしまう。
だから劇場で見るのがよい。

とくに私のように、ものを書く人間は、そうである。
書いてばかりいると、社会性そのものが、現実世界と
遊離してくる。
思想が偏(かたよ)ったり、極端になったりしやすい。
が、映画を見ることによって、さまざまな世界を
疑似体験できる。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、ハラハラドキドキしたり……。

それに字幕を読みながら映画を見ることによって、
脳みそが、英語と日本語の両方で刺激される。

ということで、私とワイフは、週に2回は劇場まで足を運び、
映画を見ることにしている。
満50歳以上は、1回1000円。
6回見ると、7回目はタダ。

肉体的な健康維持のため、ジムに通う人は多い。
同じように、脳みその健康のため、映画館に通ってみてはどうか。
種類は、問わない。
というより、私のばあい、時間帯さえあえば、片っ端から見ている。
子ども向けの映画を見ることもある。
ただしどうせお金を出すなら、楽しいものを見たい。
見て、不愉快になるような映画は、いや。
ハッピーエンドで終わる映画なら、文句なしによい。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 07++++++++++はやし浩司

●不安の原点

++++++++++++++++++

世界経済が、おかしい。
それについて、少し前、私は
「おかしな胸騒ぎがする」と書いた。

私は、ある種の不安感を覚えた
ことになる。
それはそれとして、つまり経済問題は
別として、この問題は、「不安」について
考えるには、たいへんよいテーマと思う。

「不安とは何か?」
「不安はどこから来るのか?」
「不安を解消するためには、どうすれば
よいのか?」

++++++++++++++++++

「不安」は、心理学の分野でも大きなテーマになっている。
大きく分けて、不安の原因として、(1)抑うつ説と、(2)恐怖説がある。
またその前後関係について、(1)不安感が先にあって、抑うつ的になったり、
恐怖感を覚えるようになる。(2)抑うつ的になったり、恐怖感を覚えたあと、
不安になるの、2説がある。

私の個人的な実感としては、「不安のメカニズム」は、「ストレス学説」と似ている
ように思う。
現象面だけを見ると、たいへんよく似ている。

たとえばこんなことがあった。

数年前、健康診断を受けた。
しばらくするとセ検査ンターから検査報告書が届き、私の胃について、「要精密検査」と、
そこには書いてあった。

私にとっては、生まれてはじめての経験だった。
私はその言葉を見て、かなり動揺した。
「どの程度の心配があるのか?」
「どのレベル以上を、要精密検査というのか?」
「要精密検査とは何か?」
そういった情報が、まるでなかった。
あるいは「すでにがんにかかっているので、もう一度検査しなおす」という意味にも
とれた。

私は自分の体を静かに観察してみた。

食事はおいしい。
このところ胃の不調を訴えることはない。
体の調子も悪くない。
体重が減ったということもない、など。
そのあと、私は自分にこう言って聞かせた。
「仮にがんであっても、今なら間に合うはず」と。

こうした一連の心理状態を並べてみると、こうなる。

(要精密検査の報告書をもらった)→(得体の知れない恐怖感を覚えた)→
(不安感を覚えた)→(気分が落ち込んだ)→(「私はだいじょうぶ」と自分に
言って聞かせた)と。

「ストレス学説」によれば、(得体の知れない恐怖感)がストレッサーとなり、それが
一時的にはアドレナリンの分泌を促し、それが一巡し、気分を落ち込ませたことに
なる。

そこで私はすぐ、検査センターに電話を入れ、「要精密検査とは何か」を聞いた。
するとあちこちへ電話を回され、最後はドクターと思わしき人が、こう教えてくれた。
「今回の検査では検査できなかった部分がありますから、その部分を再検査します」と。

が、それで私の不安感が去ったわけではない。

私は翌日、かかりつけの医院へ行き、個人的に検査を受けた。
そんな状態で、再検査までに2週間も過ごしたら、気が変になってしまう。
で、結果はシロ!
とたん胸の中のモヤモヤが、スーッと消えた。

そこで得た教訓は、(1)まず敵の正体を知る、である。

何かのことで不安感を覚えたら、まず敵の正体を知る。
それが何であるか、正確に知る。
あいまいなままだと、妄想だけが勝手にふくらんでしまう。
その妄想が、強烈なストレスとなって、心を万力のように押しつぶし始める。

が、それがシロであれ、クロであれ、正体がわかれば、つぎの対処方法がわかる。
一歩、前に出ることができる。

つぎに大切なことは、(2)周辺情報を集めて、整理する。

これは大病には当てはまらないかもしれないが、情報をできるだけ多く集めて、
外堀をしっかりと埋めておく。
「こうなったら、こうする」「それでもこうなったら、こうする」と。
そういう対処法を、幾重にも、自分の周囲に、砦(とりで)のように積み重ねていく。
私はこれを「理論武装」と読んでいる。
つまり、「武装」する。

が、そうしたところで、不安感はすぐ消えるわけではない。
脳みそというのは、そういう点では、不器用。
一度分泌されたサイトカイン(ストレスの原因となる脳内ホルモン)は、すぐには
消えない。
静かに脳内で起こる(フィードバック現象※)を待つか、それとも、精神安定剤のような
薬物の世話になるしかない。
(私のばあいは、ハーブ系の安定剤をよく服用する。効果は薄いが、副作用や習慣性が
生まれない分だけ、安心してのめる。)

そこで「不安」について。

無知、無学、情報不足、経験不足、知識不足が、不安の原因の第一と考えてよい。
冒頭にあげた経済問題についても、そうである。
あまりにも情報が多く、全体として、まるで巨大な雲をつかむよう。
どの分野を、どのように切り込んでいったらよいかさえ、わからない。
そこに何があるのかさえ、わからない。
だから、言いようのない不安感に襲われる。

もうひとつの例をあげて考えてみる。

山荘が完成し、その山荘で暮らすようになってすぐのこと。
夜中に、庭をだれかが歩く音がする!
庭には、砂利を敷きつめてある。
その砂利が、ジャリ、ジャリと音を出す。

私は生きた心地がしなかった。
「だれだア!」と声をあげても返事もしない。
が、突然、風呂場のほうで、何かがバタンと倒れる音。

私は起きあがって、家中の電気をつけた。
そして懐中電灯をもって、外に出た。
が、そこには何もいなかった。
風呂場も、そのままだった。

翌日から私は、おもちゃのモデルガンと、木刀を枕元に用意した。
戸締りもきちんとした。

が、やがて、その理由がわかった。

夜になるとそのあたりでは、ハクビシン、タヌキ、イノシシ、それに近所の
イヌやネコがかわるがわる徘徊する。
それがそういう足音をたてた。
また風呂場での音は、鏡が原因だった。
バスタブをかわかすため、窓を開けておいた。
そこから風が入り、鏡を倒した。

ということで、それ以後は、恐怖心は消えた。
さらにそのあたりでは、村の人たちがこう言っているのを知った。
「この村では、この400年、泥棒(空き巣)に入られた家は一軒もない」と。

……とは言いながらも、この世界、どこもかしこも、不安だらけ。
不安と無縁で生きるほうが、むずかしい。
それぞれの不安と闘う時間すら、ない。
それに不安というのは、一度心の内壁に張りつくと、なかなか取れない。
(これは私だけの現象かもしれないが……。)
だから不安になってから、その不安と闘うのではなく、そうでないときから、
いろいろな情報を吸収しておく。

たとえば私のばあい、病気などについては、近辺にその病気の人が出たりすると、
その病気について、徹底的に調べるようにしている。
アルツハイマー病の人が出たら、アルツハイマー病について。
心筋梗塞の人が出たら、心筋梗塞について、というように。

もちろん人間関係についても、そうである。
冠婚葬祭に始まって、遺産相続問題などなど。
とくに今は、インターネットというたいへん便利なサービスもある。
以前なら、図書館で1日かかった調べ物が、ものの数分ですんでしまう。
体験談もそのまま読むことができる。

しかし悪いことばかりではない。
こうして私がものを書きつづけることにしても、見方によっては、その原点に
不安があるからにほかならない。
もし私が天国のような世界に住んで、何一つ不自由なくのんびりと暮らしていたら、
たぶん、ものなど書かないだろう。
ものを考えることもないだろう。
つまりこれも「ストレス学説」と似ている。
適度な不安は、生きる原動力となる。

それが「命」にかかわる問題でなければ、何も恐れることはない。
不安を避けるのではなく、不安とは仲よくつきあう。
それが、私の不安解消法ということになる?

なお心理学の世界では、「不安」を、心理分析の中核に置いている。
さまざまな学者が、それぞれの意見を論議しあっている。

欲求不満説
葛藤論
自己概念に対する脅威論
不安因子論などなど。

俗な言い方をすれば、「なるようにしかならないものは、あきらめ、何とか
なるものについては、がんばる」。
それしかない。

(注※)「フィードバック現象」……脳の中である種の反応が起こると、今度は、
それを打ち消すための別の反応が、同時に起こる。これを「フィードバック現象」
という。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●歯磨き一考

++++++++++++++++

長い間、口臭に悩んだ。
ときどき生徒からも、「先生の口は臭い」と言われた。
そのつど私は、「これはな、女よけなんだ」と言うようにしていたが、
そのため、若い母親などは、私に近づいてこなかった。

+++++++++++++++

で、歯医者へ行くたびに、こう言われる。
「口臭は、歯の磨き方が原因です」と。
で、何度か、磨き方の講習を受けた。

「口臭の講習(コウシュウのコウシュウ)」……シャレにもならない。

しかし原因は、やはり磨き方だった。
磨き方が悪いから、歯ぐそが残り、歯肉炎を起こす。
それが口臭となる。
理屈は簡単。
しかしその磨き方が、けっこう、めんどう。

(1)ひげが短くて、硬い歯ブラシ。
この歯ブラシで、数ミリずつ左右に動かして、歯と歯ぐきの間の食べかすをていね
いに取り去る。(手先をこまかく動かすのがコツ。)

(2)ひげが長くて、硬い歯ブラシ
これを「ローリングブラシ」というが、これをローリングさせながら、歯と歯の間
の食べかすを取り去る。
(手首をクルクルとローリングさせるので、最初は、練習が必要。)

(3)ふつうの市販の歯ブラシ(やややわらかい)
最後に、この歯ブラシで、ざっと磨いて、終わる。
(ほかにときどき、歯間ブラシを使うようにと、指導されている。)

全体で20分ほどかかる。
そのため風呂の中ですることが多い。
で、一応、口臭はなおったように思う。
臭いときは、ワイフがそう言って指摘してくれる。
このところ、その指摘がぐんと減った。

●歯磨き粉(練りチューブ)は、不要!

こうした歯磨きをつづけていて、気がついたことがある。
それはチューブに入った、歯磨き粉は、不要ということ。
おそらく歯を磨いたあとの清涼感のために、ああしたものを使うのだろうが、かえって
弊害もある。

先に書いた(1)〜(3)の歯ブラシで歯をみがいていると、信じられないほど、汚れた
水が口から出てくる。
汚水に近い。

歯磨き粉を使っていると、清涼感は残るが、その汚れがわからない。
「歯がきれいになった」と錯覚してしまう。
水の汚れがわからないから、途中でやめてしまう。
これがかえって、歯の汚れを残してしまう。

しかし歯磨き粉を使っていないと、少しずつ歯がきれいになっていくのがわかる。
水の汚れを見ながら、「まだここは磨き方が足りないな」とか、わかったりする。

その前に、歯磨き粉をなぜつけるのか、その理由がよくわからない。
「フッ素配合」「白い歯に」とか何とか、それらしい歌い文句は書いてはあるが、効果が証
明されているわけではない。
私がいつも通っている歯科医院の医師は、こう言う。

「あんなものをつけても、無駄ですよ。どうしても、というなら、塩にしなさい」と。
ふつうの塩でよいのだそうだ。

このあたりの意見が、私は正解のように思う。

さて、歯磨き粉を使わなくなって、もう3、4か月になる。
今は、それが当たり前になっていて、練りチューブも、どこかへ消えた。
使わなくても、不都合なことはまったくない。
もし私の説を疑う人がいたら、しばらく歯磨き粉なしで、歯を磨いてみたらよい。
あなたもかならずや、私の意見に賛成するようになるはず。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●秋

+++++++++++++++++++

今日、1日、私はうつ状態だった。
うつ状態というのは、心の緊張感が、ずっと取れない状態をいう。
どこか、心がピンと張りつめたような感じになる。
気が抜けないというか、いろいろささいなことが、心の壁にペタリと
張りついているような感じになる。
不安と心配が入り混じったよう。
それが取れない。
すっきりしない。

こういうときというのは、何かのきっかけで、突発的に心は
不安定になり、激怒したりしやすい。
それがわかっているから、じっと静かに、自分の心を見守る。

昼過ぎになって、Sxxxという安定剤を、半分に割ってのむ。
もともとは、女性用の精神安定剤だそうだ。
が、私には、効く。
少し頭痛もあったので、頭痛薬も半分のむ。
とたん、眠気。

「昼寝をしてくる」と言うと、ワイフも、「私も……」といって、
1〜2時間ほど、横でつきあってくれた。

起きてからも、あまり状態は変わらなかった。

ワ「何も、悩むことなど、ないのに……。すべてうまくいっているでしょ」
私「それが、おかしいのだよな。これといったことはなくても、憂うつになる」
ワ「私を信じなさいよ」
私「信ずるって?」
ワ「私がだいじょうぶと言ったら、だいじょうぶなの」
私「うん……」と。

夕方になって、今度講演をすることになっている、A教育委員会用のレジュメを
作成する。
けっこう、よいのができた。
それを封につめて、宛名を書く。
で、そのあと、長野県S市に住む友人に電話。
「おお、元気か?」
「おお、元気だ」と。

あとで見たら、1時間10分も話していたことがわかった。

その電話がよかった。
電話が終わったとき、心が軽くなっているのを知った。
バンザーイ!

こういうときは、友人と話すのがいちばん、よい。
みんな、それぞれにがんばっているのだと知るだけでも、励みになる。

で、今は、時刻は午後8時4分前。
ワイフに「DVDでも見ようか?」と声をかけると、「うん」と。
すなおに返事をしてくれた。

そうそう友人がこう言っていた。

「生きるということは、長生きをすることじゃ、ないんだよな。
生きるということは、いかに密度を濃くして生きるかということだよな」と。

つまり元気で体が動くうちに、やるべきことをやるということ。
近く再開することを約束する。

近くに湯田中温泉、山田温泉、上山田温泉があるという。
交通事故でむち打ち症になってから、体の調子がよくないという。
見舞いをかねて、近く行ってみよう。


●ジョン・デンバー主役の『別れのとき』

ワイフが取り出しのが、ジョン・デンバー主役の『別れのとき』。
タイトルからして、うつ状態を加速させるような映画?
ジョン・デンバーが主演だから、新しい映画ではない。
が、ジョン・デンバーのファンの人には、たまらない映画だろう。
実は、私もその1人。
軽い気持ちで見始めたが、見始めるとすぐ、ジョン・デンバーが歌を歌った。

年代はわからないが、ジョン・デンバーが、35歳前後のときの作品らしい。

内容はやや退屈?
「デンバーの歌が出てきたら見る」と言って、私は再び、パソコンと遊び始める。

映画としては、星2つ、★★。
ジョン・デンバーのファンとしては、星5つ。★★★★★。

ただし、「カントリー・ロード」や「サンシャイン」など、ジョン・デンバー
の有名な曲は、出てこなかった。
残念!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●チン長

+++++++++++++++++

突然、A子さん(小6女子)が、遠くから、私にこう聞いた。
このところ、A子さんの身長は、ぐんぐんと伸びている。
それが気になっているらしい。
で、私はこう言った。

+++++++++++++++++

私「そんな恥ずかしいこと、言えないよ」
A「どうして?」
私「だってさア……。チン長だなんて……」
A「あのね、先生、だれもチン長だなんて言ってないわよ」
私「えっ、じゃあ、何と言ったの?」
A「し・ん・ちょう」と。

するとそれを横で聞いていたB君(小4男子)が、こう言った。

「ぼくのは、2・1センチ!」

私「何だ、その0・1センチ、というのは?」
B「だから、2・1センチ!」
私「やめろ、もうわかった!」
A「そうよ、そういう話は、セクハラよ」
私「セクハラ? どうしてセクハラって、知っているの?」
A「だって、いやらしい話でしょ」
私「ぜんぜん。ぼくは、1ミリの話をしているだけだよ。1ミリは、0・1センチ……」
A「ウソばっかり。エッチ!」と。

こういう会話が、私は好き。
楽しい。
陰湿感が、どこにもない。
つまり「性」にまつわる話は、いつでも明るい日向(ひなた)へ引き出してやるのがよい。
「性」に、うしろめたさを感じさせないようにするのが、コツ。

で、私自身のこと。
私も若いころは、いろいろな女性と遊んだ。
(もちろん結婚する前の話だが……。)
が、どの女性も、みな、こう言った。
「林さんとセックスしていると、スポーツをしているみたい」と。
いつだったか、私のワイフも、そう言った。
味もそっけもない。
だから、そう言うのだろう。

私にとって「性」というのは、そういうもの。
で、今日も、どこかの元塾教師が、女子高校生に頼んで、修学旅行での脱衣室の
様子を盗撮させていたという。
そんなニュースが、どこかのインターネットに載っていた。

私も若いころは結構スケベだったと思うが、そういうことをしたいと思ったことはない。
見たかったら、「見たい」と言えばよい。
見せてもらえばよい。
どうせただの肉体。
セックスは、小便と同じ、排泄。

私の感じ方が正しいとは思わないが、ジメジメ、ジクジクと考えるのだけは、やめたい。
大切なことは、子どもたちに、罪悪感をもたせないこと。
陰湿感をもたせないこと。
セックスという行為にしても、明るくさわやかな印象をもたせるのがよい。

どうせただの排泄……。
……というのは、少し言いすぎ?
わかっています、ハイ!

(補記)
結婚して間もなくのころのこと。
家族で横浜へ旅行して、驚いた。
アメリカ軍基地に住む若者たちだったが、彼らはあたりかまわず抱き合い、接吻を
繰り返していた。
「若者」というよりは、まだあどけなさの残る、中高校生たちだった。

私はそれを見てショックを受けたが、その一方で、そういうことが堂々とできる、
アメリカの若者たちを、うらやましく思った。

が、それから30〜年。
日本も、それに近づいてきた。
とくにこの浜松市には、何万人ものブラジル人たちが住んでいる。
彼らは、人前でも自由奔放な行動を繰り返している。
最初はとまどったが、今では、それも見慣れた。
ごく当たり前の光景。

で、気がついてみると、いつの間にか、私とワイフも、同じことをしているのに
気がついた。
人前で接吻とまではいかないが、今では平気で手をつないで街中を歩いている。

ありがとう、ブラジルのみなさん!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●血液型性格判定

+++++++++++++++++++

血液型による性格判定なるものが、いかに
非科学的で、かつ根拠のないものであるかは、
再三再四、書いてきた。
エセ科学そのもの。
こうしたエセ科学が堂々とまかり通っているのは、
この日本だけ。
ついでに隣の中国でも、日本の影響を受けて、
血液型による性格判定の本がつづけて発刊されて
いるという。
韓国や台湾でも、発刊されているという。
が、だからといって、血液型による
性格判定が公認されたわけではない。

血液型による性格判定がエセ科学であることは、
「心理学」(大村政男著・ナツメ社)に詳しく
書いてある。
興味のある人は、そちらを読んでみたらよい。

++++++++++++++++++

血液型の中でも、なぜA・B・O・AB型だけが問題になるかといえば、これらの
血液型は、輸血の際などに、不適合を起こすことがあるからである。
血液型といっても、ほかに100種類以上が確認されている。
よく知られたものに、Rh型というのもある。

だいたい「性格」とは何か、よくわかっていない。
つぎに血液が、型によってどのように脳に作用するのか、その科学的証明が、
まったくなされていない。
A型の血液は、ドーパミンの分泌を促すとか、B型の血液は、セロトニンの
分泌を促すとか、そういうことが具体的に証明されれば話は別だが、今のところ、
そういう話は、まったくない。
あるはずもない。
ないばかりか、その出所さえあやしい。

私たちが現在、「血液型による性格判定」を根拠にしているのは、「古川学説」と
呼ばれる、古川竹二(1891〜1940)がなした研究論文によるものである。
が、「昭和8年(1933)3月、岡山医科大学における日本法医学会第18次総会の
論争で古川学説は破れ、漸次衰微していくことになる」(同書、p220)と。

が、エセ科学は、ここで止まらない。

こうした流れの中で、今度は能見正比古なる人物が現れて、「血液型人間学」を
発表する(1994年)。
そして「政治家の中には、O型が有意に多いことを発見し、『O型には政治性がある』
とした」(p224)。

しかしそれはたまたまそのとき、そうであったにすぎない。

平成6年(1994)10月の調査、さらに著者である大村政男氏による調査では、
この「有意性」は、否定されている。

大村政男氏は、こう書いている。
「……古川はAB型は外見はB型だが、内省(内面)はA型だと書いているだけなのに、
能美は、AB型について詳しく記述しているのである。どこからそのデータをとってきた
のだろうか。沓(よう)としてわからない。
能美の血液型人間学は、10万を超えるデータに基づいているというが、どこにもきちん
とした数値が発表されていないのである」(p226)と。

これが血液型による性格判定の結論と考えてよい。

……とは言いつつ、血液型による性格判定を信じている人は多い。
子どもにもときどき、「先生、先生の血液型は何?」と聞かれることもある。
そういうとき私は、そのつど、デタラメな答を返すようにしている。
ウソをつくというよりは、あまりにもバカバカしいので、そうしている。

「ふ〜ん、A型だったかなア?」と。
すると子どもは、我が意をえたりというような顔して、こう言ったりする。
「だろうな。ぼくも先生がA型だと思っていた。どこか変態だから」と。

で、おもむろに私はこう言う。
「ハハハ、残念でした。ぼくはO型でした」と。

中には、「O型の人は、(「O」の文字が丸いので)、人間的に丸みのある
人」とか、「AB型の人は、A型とB型の両方の性格を合わせもっている」
などと説く人がいる。

バカバカしい。

で、大村政男氏は、「FBI効果」という言葉を使っている。

(1)FREE SIZE効果
(2)BRAND効果
(3)IMPRINTING効果の、3つの頭文字をとって、
「FBI効果」と。


(1)REE SIZE効果というのは、だれにでも当てはまるようなことを
特徴として並べることをいう。
(2)BRAND効果というのは、血液型を先に見て、そのブランドで相手を
判断してしまうことをいう。
(3)IMPRINTING効果というのは、少しでも当たっていたりすると、
「当たっている」と思い込んでしまうことをいう(同氏)。

こうして血液型による性格判定なるエセ科学が、この日本だけにはびこってしまった。

そういう意味では、日本というより、日本人は、まだまだ。
考える力どころか、批判力さえ、じゅうぶんに育っていない。
(だからこそ、この世界は、おもしろいが……。完成されてしまったら、書くことその
ものが、なくなってしまう。)

あなたの子どもが血液型による性格判定を口にしたら、すかさず、こう言ってやろう。
「性格は、あなた自身でつくるもの」と。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●3GB→4GBへ

書斎には2台のパソコンがある。
ほかにもう1台、予備が置いてあるが、これはほとんど使っていない。

2台のうち、左側が、VISTAマシン。
右側がXPマシン。

VISTAマシンのメモリーを、昨日3GBから4GBに増設した。
そしてそのVISTAマシンから、メモリーをそのまま抜いて、
XPマシンへと移動した。
XPマシンのメモリーは、2GBから3GBになった。

そのせいか、VISTAマシンが、心持ち軽快になった。
またあれほど不調つづきだったXPマシンが、うそのように快適になった。
原因は、どうやらメモリーにあったらしい。

こういうときは、気分がよい。
しばらくこのまま使ってみて、10月の誕生日が近づいたら、新しい機種の
購入を考えよう。


●ブラジルの人

ブラジルの人たちというのは、おもしろい。
雨の日でも傘をささないで、通りを歩いている。
(日本の学校へ通う子どもたちは、傘をさしているが……。)
昨日も小雨だったが、全身ビショビショになって歩いている人を、何人か見かけた。
暑い夏ならともかくも、昨日は、車の中でもヒーターをたかねばならないほど、
寒かった。

傘をさす……こんな簡単な習慣ですら、国によって、異なる。
ドライブをしながら、ワイフとそれについて話しあった。

私「傘をさすのは、イギリス人と日本人かな」
ワ「オーストラリア人は、どうなの?」
私「イギリス系のオーストラリア人は、傘をさしていた。最近はみな、傘をさすように
なったけど、ぼくが学生のころには、傘は、あまり見かけなかった」
ワ「ズブ濡れになって、風邪をひかないのかしら……?」

私「家に帰ったら、すぐ熱いシャワーを浴びて、服を着替えるよ」
ワ「よその家に行ったときは、どうなのかしら? その家が濡れてしまうわ」
私「上着を脱いで、タオルで体をふいて、おしまい。家の構造そのものがちがうから、
家が濡れても平気だよ」と。

東南アジアの人たちも、あまり傘をささない。
(傘そのものがないと思ってよい。)
そのかわり、合羽(かっぱ)を、よく身につける。
合羽といっても、薄くて安い、ビニール合羽である。

また傘というのは、トルコで生まれたのだそうだが、そのトルコでも、傘をさす人は
ほとんどいないという(日本洋傘振興協議会hpより)。

が、日本人は、体や服が雨に濡れるのを嫌う。
嫌うから、少しでも雨が降り始めると、「傘、傘!」と騒ぐ。

国民性のちがいといえば、それまでだが、「日本の常識は、けっして世界の標準ではない」。
これもその一例ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●『カラマーゾフの兄弟』

新聞の書評欄によれば、最近、ドストエフスキーの書いた
『カラマーゾフの兄弟』が、売れに売れているという(中日新聞)。
私も学生時代に一度読んだことがあるが、よくできた推理小説という
印象しかもっていない。
しかし実際には、カラマーゾフ家の人々の愛欲の葛藤を描きながら、
中身は、キリスト教を代表するゾシマ長老と、無神論のイワンとの
壮絶なまでの闘いがテーマになっている。

ドストエフスキーは、ほかに『罪と罰』という本も書き残している。
こちらも推理小説風の柱立てをしながら、有神論と無神論の闘いが、
大きなテーマになっている。

当時のロシアは、キリスト教国。その圧迫感が、国民1人ひとりの
上に、重くのしかかっていた。
それは想像を絶する圧迫感だったといってもよい。ドストエフスキーは、
そうした圧迫感と、文学を通して闘った。

これは私の勝手な解釈によるものだが、しかしそういう視点をもって
ドストエフスキーを読むと、より理解しやすいのではないだろうか。
残念ながら、学生時代の私には、そこまで理解する力がなかった。
『カラマーゾフの兄弟』にしても、だれが父親フョードルを殺したか、
その部分だけを、ハラハラしながら読んだ覚えがある。

また少し前は、小林多喜二の『蟹工船』がよく売れたという。そのため日本
共産党への入党者が、ふえているという。
こうして日本の流れを大きくながめてみると、AS総理大臣誕生に向けて
動く極右派と、その一方で、静かなブームとなっている極左派の二極化が
進んでいるということになる。

で、その中間層にあたる「常識派」は、ますます政治に無関心になりつつある。
しかしこれは日本にとって、あまり好ましくない傾向とみてよい。
つまりその分だけ、社会が不安定化する。
どこか世相が、1970年の、あの第二次安保闘争時代に、似てきたような
感じがする。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

【日韓経済戦争】(9・18)

●9月14日に書いた記事のまちがい訂正と、お詫び

++++++++++++++++++

去る9月14日に、【日韓経済戦争】と題して、
韓国の「外平債」について書きました。
しかし「外平債」というのは、いわば外国向けの
国債のことで、韓国銀行が独自に発行する、
「通貨安定証券」とは別のものです。

この両者を混同し、まちがった記事を書いて
しまいましたので、ここにおわびし、記事を
訂正します。

まず9月14日に書いた原稿を、そのまま再掲載
します。

++++++++++++++++++

【日韓経済戦争・9・14】

●外平債って、何?

++++++++++++++

まず、朝鮮N報のつぎの記事を読んでほしい。
こうある(9月13日)。

++++++++++++++

『企画財政部は11日、10億ドル(約1070億円)規模の外国為替平衡基金債券(外
平債)の発行に向け、米ニューヨークで外国人投資家と交渉を進めたが、発行条件をめぐ
る要求の差が埋まらず、不調に終わったと発表した。アメリカ金融不安のあおりで、起債
計画に支障が生じた格好だ』(朝鮮N報より抜粋)と。

日韓経済戦争は、まだ終わっていない。
韓国の「9月危機説」も、まだ終わっていない。
その証拠が、この記事である。

まずこの2週間の韓国経済の流れを追ってみよう。
その第一、韓国政府は、手持ちの外貨を大量に使って、ウォン買い、ドル売りの大攻勢に
出た。
その額は今のところ不明だが、10月になればはっきりする。
つまり韓国政府は、一か八かの大勝負に出た。

このまま座視すれば、外資はどんどんと逃避し、ウォンの価値はさがる。
物価は上昇し、国内経済は混乱し、へたをすればそのまま奈落の底へ。

そこでなけなしの手持ちドルを使って、韓国政府は、ウォン買いの大攻勢に出た。
いわば貯金を使って、ウォン防衛に打って出たことになる。
しかしへたをすれば、やがて外貨不足になって、(すでに不足状態だが)、韓国はデフォル
ト(債務不履行)に陥りかねない。

結果、一時は、1ドル=1400ウォンまでさがっていたウォンが、現在(9月14日)
は、1100ウォン前後で落ちついている。

韓国の各紙は、政府談話を織り混ぜながら、「9月危機は去った」とはしゃいでいる。
しかし「待ったア!」。

ここに出てくる、「外国為替平衡基金債券」、略して「外平債」というのは、わかりやすく
言えば、韓国銀行(日本の日銀にあたる)がする、借金のことである。
わかるかな?
韓国政府の借金ではなく、韓国銀行の借金である。
こんなことは日本の常識では考えられない。
それともあなたは、日本の日銀が、いまだかって、外国に借金をしたというような話を聞
いたことがあるだろうか。
あるはずがない。
そもそも「外平債」というのが、世界の非常識。
どこの中央銀行が、外国に借金など、申し込むだろうか。

が、韓国銀行は、それをアメリカのニューヨークで行った。
いわく「発行条件をめぐる要求の差が埋まらず、不調に終わったと発表した」と。
その理由として、「アメリカ金融不安のあおりで、起債計画に支障が生じた格好だ」と。
たくみにアメリカ側のせいにしているところが恐ろしい。

理由は、アメリカの金融不安ではない。
「発効条件が折り合わなかった」からである。
朝鮮N報の同記事も、末尾のところでこう書いている。

「企画財政部のS・J国際業務管理官は、『交渉過程で外国人投資家が韓国経済に対する懸
念を抱いていないことを確認したが、アメリカ市場の状況が思わしくなく、高い金利を要
求された。あえて悪条件で発行する必要するはないため起債延期を決めた』と説明した」
と。

つまり外国人投資家は、韓国経済に対して、懸念はもっていないが、高い金利を要求した
ので、折り合わなかった、と。

現在、原油や金属市場から逃げ出した資本は、いっせいに株式、債権に向かい始めている。
「アメリカの市場が思わしくないので」という理由は、ウソと考えてよい。
本当の理由は、「韓国経済に不安をいだいた投資家たちが、高い金利を要求した」からであ
る。
朝鮮N報にも、そう書いてある。

「金は貸してもいいが、金利を高くしてくれなければ、いやだ」と。
だから折り合いがつかなかった!

つまりこの流れを裏から読むと、韓国銀行には、手持ちの外貨がなくなってしまった。
そこで韓国銀行は、ニューヨークで借金をしようとした。
しかし「金利を高くせよ」と迫られて、結果的に、それを断わられてしまった。

……ということで、「9月危機」は、去ったわけではない。
終わったわけでもない。
いまだ、現在進行中。

さあ、どうする、韓国。
つぎの一手は?

+++++++++++++++++

(ワイフのために……)

わかりやすく説明しよう。

各国の中央銀行(日本のばあい、日銀)は、金の管理をするのが仕事。
もっとわかりやすく言えば、輸出入で出入りする金の決済をするのが仕事。
ほかにも公定歩合などを調整する仕事もあるが、借金までして外貨を調達するというのは、
少なくとも世界の常識からは、完全にはずれている。

これに対して政府が借金するばあいは、ある。
日本の国債などは、その一例。

で、韓国のばあい、韓国銀行そのものに、ドルが不足してきた。
韓国の輸出入業者が、ウォンをドルに換えてほしいといってきたとき、手持ちのドルがじ
ゅうぶんあれば、問題はない。
しかしそのとき、「ドルがありません」と言えば、債務不履行の状態になる。
つまりデフォルト。
国家破綻。

それを防ぐために韓国銀行は、世界ではほとんど前例のない、「外平債」の発行をつづけて
いる。
その額、今回は、10億ドル。
私の推測では、韓国政府は、この7月に70億ドル程度の為替介入をしている。
それをベースに推測してみると、9月に入ってからは、おそらく100億ドル程度の為替
介入を繰りかえしたとみてよい。

韓国の経済規模からすると、これはたいへんな額である。
それと比べると、10億ドルというのは、そうたいした金額ではない。
つまりそんな金額ですら、「断わられた」。

韓国の9月危機は、終わったわけではないという理由は、ここにある。

【お詫び】

韓国銀行は独自に、外債を発行して外貨を調達していますが、それはここでいう「外平債」
ではなく、「通貨安定証券」のことでした。
韓国銀行は、国債ではない国債、つまり「通貨安定証券」を発行し、借金をしています。
その「通貨安定証券」と、「外平債」をまちがえました。
ここに深く、おわび申し上げます。

ただだからといって、韓国の経済危機が軽くなったというわけではありません。
見方によっては、「外平債」、つまり「外国向けの国債」ですら、アメリカではソッポを
向かれたということになります。かえってことは、より深刻になっているということ。
その事実は変わりません。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 カラマーゾフ
の兄弟 外平債 通貨安定証券 蟹工船)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2829)

【T林業高校での、成績改ざん事件】

『静岡県西部の県立高校で2006年、大学の推薦入試に有利になるよう生徒2人の調査
書が改ざんされた問題で、T竜署と県警は22日、このうち1人の調査書改ざんに対する虚
偽有印公文書作成・同行使の容疑で、元T林業高校長、北川Y容疑者(60)=浜松市浜
北区内野台=を逮捕した』(中日新聞記事より)と。

これに対して、北川Y容疑者(法律の世界では、被疑者)は、「担任には(入学できるよう)
頑張ろうとは言ったが、改ざんを指示されたと取られたら心外だ」などと否認していると
いう(同紙)。

もう少し、新聞記事の内容を詳しく読んでみよう。

『調べでは、北川容疑者は校長だった同年9月から同11月にかけて、同校で東京都内の
大学を志望する3年生の調査書の評定を改ざんするよう担任らに指示。3・1だった評定
を、推薦出願基準を満たす3・5にかさ上げさせた調査書を、大学に提出した疑い。

 県教委の調べでは、別の生徒1人の調査書改ざんも判明。2人とも推薦入試に合格し、
入学している。

 県教委などに同校関係者とみられる匿名の通報があり発覚した。北川容疑者や教員らを
名指しし、「地元有力者の身内である生徒の調査書が改ざんされている」といった内容。県
教委は7月、同容疑で刑事告発していた。県警は改ざんの指示に対し、生徒側からの働き
掛けや不正な金品の受け渡しがなかったか、北川容疑者を追及する。

 同日夜には北川容疑者の自宅と同校を家宅捜索。今後も含めて、周辺計9カ所を捜索す
るという。改ざんを指示されたとされる教諭4人についても任意で事情聴取を続け、裏付
けを進める。

 遠藤K静岡県教育長の話 警察に委ねており、捜査の状況を見守りたい』(同紙)と。

この記事の中での最大のポイントは、(1)改ざんの発端となった、動機の内容である。
それについて、同じく中日新聞は、つぎのように書いている。

○少子化、過疎化の問題を抱える中山間地の専門高校のトップに就き、生徒募集を有利に
進めるため学校の知名度アップにも熱心だった。

○森谷睦男・現校長は「改ざんは絶対に許されない」という認識を前提に「教諭4人は生
徒に希望の学校にいってもらいたかったという気持ちが強かったと思う」と話した。

○同校の大学進学率は10%前後。「希望の大学に入ってくれれば、学校の知名度も上がる」
と明かす。

○「指導熱心で前向きな先生」−。生徒2人の調査書の改ざんを教員に指示したとして逮
捕された地元の伝統校、天竜林業高校の元校長北川容疑者。
 
○生徒数は減少傾向にあり、現在は400余人。「二俣高校と合併する話もでているほどで、
学校は必死」と訴える。
 
さらに地元の「天竜・そま人の会」HPは、つぎのように北川容疑者を弁護する。

「この事件の要因として忘れてはいけないのは、林業全体が追いやられている危機的な状
況。各自がそれぞれの分析と判断をしていただければと思います」(天竜・そま人の会・HP)
と。

で、結果的に、北川容疑者は、地検浜松支部に起訴された。

『県立T林業高校での大学推薦入試調査書の改ざん事件で、地検浜松支部は11日、当時
の校長で無職、北川Y容疑者(60)を虚偽有印公文書作成罪で地裁浜松支部に起訴した。

 起訴状などによると、北川被告は06年9月中旬ごろ、同校の教員らに指示して当時高
校3年生だった生徒の評定平均を3・1から3・5に引き上げ、公印を押させて調査書を
改ざんした。北川被告は虚偽有印公文書作成・同行使容疑で先月22日に逮捕されたが、
地検浜松支部は「調査書の提出を最終的に決定するのは生徒側」とし、同作成罪でのみ起
訴した。

 北川被告は「やっていない」と否認を続けており、供述調書への署名、押印も拒否して
いるという』(毎日新聞)と。

で、この事件の最大のポイントは、動機。

報道によると、調査票を改ざんしてもらい、東京の大学に進学できたのが、「地元の有力
者」であったとうことから、有力者からの働きかけがあったかどうか。その際に、金銭の
授受があったかどうかという点についても、捜査しているという。

毎日JPもつぎのように報道している。

『北川容疑者は、「働きかけをした覚えはない。そんな風にとらえられたのは心外だ」と
容疑を否認しているが、県警では、生徒の親族である地元有力者から依頼や謝礼があった
かについても追及する方針』(毎日JP)と。

もし(地元の有力者からの働きかけがあり)→(金銭的利益の授受があった)ということ
であれば、これは単純な贈収賄罪ということになる。
たまたま教育の場でなされたというだけで、事件の構図は、談合事件などと同じ、ただ単
なる「汚職事件」ということになる。

「知名度をあげるためにした」「学校の存続をかけて必死だった」などという言葉は、ただ
の言い訳でしかない。

で、あくまでも金銭的利益の授受がなかったという前提で話をするなら、(仮にあったとし
ても、その双方が口を割ることはないだろうが)、今回の事件は、「生徒の将来を思わんば
かりにした、教育熱心な教師による善意の事件」ということになる。
教師の立場で考えてみよう。

(1)成績表の信頼性
(2)点数主義の弊害
(3)少子化による入試制度そのものの形骸化
(4)大学教育の不備、欠陥があげられる。

順に考えてみる。


(1)成績表の信頼性と(2)点数主義の弊害

成績表なるものが、いかにいいかげなもにであるかは、現場の教師なら、みな知っ
ている。
それがわからなければ、男たちが働いている職場での勤務評定を見ればよい。
評価のし方としては、相対評価、絶対評価があり、さらに点数主義、人物主義があ
る。
人物主義にしても、最近では、人格の完成度(EQ論)を応用する学校もふえてい
る。
「勉強しかできない」「勉強しかしない」「頭の中は偏差値でいっぱい」という学生
を排除しようとする傾向も強くなってきている。
さらに高校からあがってくる調査票を無視して、大学独自で、独特の選抜方法をと
る大学もふえてきている。

「AO方式」と呼ばれる入試選抜方法も、ふえている。

++++++++++++++++++

●AO入試とは

 AO入試について、(Gakkou Net)のサイトには、つぎのようにある。

「大学の 入試形態の多様化は既に周知の事実ですが、その中でもここ数年、センター入
試と並んで多くの大学で導入されているのが、AO入試(アドミッションズ・オフィス
入試)です。 

AO入試を初めて実施したのは慶応義塾大学の総合政策学部と環境情報学部で、199
0年のことでした。99年度には13の私立大学が導入していただけのAO入試も、2
001年度には、207大学と急増。その後もAO入試を実施する大学は、年々増加の
一途をたどっています。

自己推薦制などに
似た入試形態です。 学力では測れない個
性豊かな人材を求
めることを目的と
していて、学力よ
りも目的意識や熱
意・意欲を重視し
ています。

入試までの一般的
な流れは、(1)エ
ントリーシートで
出願意志を表明し、
(2)入試事務局
とやりとりを行っ
てから正式に出願
するといったもの。

選考方法は面談が
最も多く、セミナ
ー受講、レポート
作成、研究発表と
いった個性豊かな
ものもあります。

出願・選抜方法、
合格発表時期は大
学によって様々で
、夏休みのオープ
ンキャンパスで事
前面談を行ったり
、講義に参加した
りする場合もあり
ます。「どうしても
この大学で学びた
い」受験生の熱意
が届いて、従来の
学力選抜では諦め
なければならなか
った大学に入学が
許可されたり、能
力や適性に合った
大学が選べるなど
、メリットはたく
さんあります。

ただし、「学力を問
わないから」とい
う安易な理由でこ
の方式を選んでし
まうと、大学の授
業についていけな
かったり、入学し
たものの学びたい
ことがなかったと
いったケースも考
えられますから、
将来まで見据えた
計画を立てて入試
に望むことが必要
です。

AO入試は、もと
もとアメリカで生
まれた入試方法で
、本来は選考の権
限を持つ「アドミ
ッションズ・オフ
ィス」という機関
が行う、経費削減
と効率性を目的と
した入試といわれ
ています。 AOと
は(Admissions
 Office)の頭文
字を取ったもので
す。

一方、日本では、実は現時点でAO入

試の明確な定義が
なく、各大学が独
自のやり方で行っ
ているというのが
実情です。

しかし、学校長か
らの推薦を必要と
せず、書類審査、
面接、小論文など
によって受験生の
能力・適性、目的
意識、入学後の学
習に対する意欲な
どを判定する、学
力試験にかたよら
ない新しい入試方
法として、AO入
試は注目すべき入
試だということが
できるでしょう」
(同サイトより)。


●推薦制度とのちがい 

 従来の推薦入試制度とのちがいについては、つぎのように説明している。

「(1)自己推薦制など
に似た入試形態です。
 学力では測れない
個性豊かな人材を求
めることを目的としていて、学力よりも
目的意識や熱意・意
欲を重視しています。

(2)高校の学校長
の推薦が必要なく、
大学が示す出願条件
を満たせば、だれで
も応募できる「自己
推薦制・公募推薦制」
色の強い入試。選考
では面接や面談が重
視され、時間や日数
をかけてたっぷりと
、しかも綿密に行わ
れるものが多い。

(3)模擬授業グル
ープ・ディスカッシ
ョンといった独自の
選抜が行われるなど
、選抜方法に従来の
推薦入試にはない創意工夫がなされてい
る。

(4)受験生側だけでな
く、大学側からの積
極的な働きかけで行
われている

(5)なお、コミュニケー
ション入試、自己ア
ピール入試などとい
う名称の入試を行っ
ている大学がありま
すが、これらもAO
入試の一種と考えて
いいでしょう」(同サ
イトより)。

●AO入試、3つのタイプ

大別して3つのタ
イプがあるとされ
る。選考は次のよ
うに行われている

が一般的のようで
ある。

「(1)論文入試タイプ……早稲田大学、同志社大学など難関校に多いタイプ。長い論文を
課したり、出願時に2000〜3000字程度の志望理由書の提出を求めたりします。面
接はそれをもとに行い、受験生の人間性から学力に至るまで、綿密に判定。結果的に、学
力の成績がモノをいう選抜型の入試となっています。

(2)予備面接タイプ(対話型)……正式の出願前に1〜2回の予備面接やインタビュー
行うもので、日本型AO入試の主流になっています。 エントリー(AO入試への登
録)や面談は大学主催の説明会などで行われるのが通常です。エントリーの際は、
志望理由や自己アピールを大学指定の「エントリーシート」に記入して、提出する
ことが多いようです。 このタイプの場合は、大学と受験生双方の合意が大事にされ、
学力面より受験生の入学意志の確認が重視されます。

(3)自己推薦タイ
プ……なお、コミュ
ニケーション入試、
自己アピール入試な
どという名称の入試
を行っている大学が
あるが、これらもA
O入試の一種と考え
ていいでしょう」(同
サイトより)。

 詳しくは、以下のサイトを参照のこと。
   http://www.gakkou.net/05word/daigaku/az_01.htm

 また文部科学省の統計によると、

 2003年度……337大学685学部
 2004年度……375大学802学部
 2005年度……401大学888学部が、このAO入試制度を活用しているという。

++++++++++++++++

 年々、AO入試方法を採用する大学が加速度的に増加していることからもわかるように、
これからの入試方法は、全体としてAO入試方法に向かうものと予想される。

 知識よりも、思考力のある学生。
 ペーパーテストの成績よりも、人間性豊かな学生。
 目的意識をもった個性ある学生。

 AO入試には、そういった学生を選びたいという、大学側の意図が明確に現れている。
ただ現在は、試行錯誤の段階であり、たとえばそれをそのまま中学入試や高校入試に応用
することについては、問題点がないわけではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
AO入試 アドミッション・オフィス Admission Office 大学入試選抜)

+++++++++++++++++

(3)少子化による入試制度そのものの形骸化

「大学へ入れてやりたい」と思う高校側。
しかし現実には、そこには「1人でも多くの学生を入れたい」という大学側の事情もある。

北川容疑者は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で起訴されたが、「だからそれがどうな
の?」と、いちばん首をかしげているのが、ひょっとしたら、教育関係者自身ではないか。
私自身もそうである。

というのは、「教育」というのは、もっとファジー(あいまい)な部分で成り立っている。
自動車にたとえるなら、ハンドルの(遊び)のようなもの。
成績は、あくまでもその結果でしかないが、しかしたとえテストの点が悪くても、がんば
ったという姿勢が見られたら、成績表をあげる。
反対に、テストの点がよくても、態度が粗放で、その人間性に疑問をもてば、成績表をさ
げる。

こうした成績表の操作は、とくに小学校レベルでは、ひんぱんに行われている……という
おわさは、よく耳にする。
そもそも成績表を正確につけるなどということは、不可能。
さらに科目別に正確につけるなどということは、さらにさらに不可能。
そんなことは、現場の教師なら、みな知っている。
たいての教師は、その子どもの顔や様子を思い浮かべながら、(もちろんテストの点数を
参考にすることはあるが)、「適当に成績をつけている」(某小学校教師)。

むしろ以前のように、点数だけで人物を評価したり、進学先を決めることのほうが、異常
なのである。
その異常さに、みなが、気がつき始めている。

そういう中で、今回の事件は起きた。

そこで最後に

(4)大学教育の不備、欠陥があげられる。

これは欧米の大学との比較だが、現在、EUを中心として、欧米では、単位の共通化がさ
らに進んでいる。

どこの大学へ入ろうとも、そこで取得した単位は、たとえばEU全体で共通化されている。
が、その分だけ、「入学するのは楽でも、単位を取得するのはむずかしい」という現実が生
まれている。

日本のように「入学してしまえば、しめしめ」という現実そのものがない。

仮に成績をごまかして入学してきても、そのレベルに達しなければ、進級できないという
しくみが、大学内部で確立すれば、こうした問題は、すべて解決する。
つまりは、大学教育の不備、欠陥ということになる。

高校側だけを責めるのは、酷というもの。

実際、東京大学で、入試選抜委員を務めたことがある、ある教授は、こう教えてくれた。

「インチキをしても、今ではすぐ、コンピュータに入力し、次回(翌年)からの入試デー
タとして利用します」と。
「そういうデータを大学側は、しっかりもっていますよ」と。

つまり「あの高校の調査書はあてにならない」とわかれば、その翌年から、その高校の調
査書は信用されなくなるということ。
そういう現実があることを、一般の人たちもよく知っておくべきである。

……ということで、私の結論。

「虚偽有印公文書作成・同行使容疑」ということだが、教育の世界では、見方によっては、
成績表すべてが、「虚偽有印公文書」のようなもの。
どこかで歯止めをかけないと、メチャメチャになってしまうという点で、今回の告発は当
然だとしても、O県で起きた、たとえば教員の不正採用事件とは、本質的に異質のもので
ある。

もちろん、「地元有力者」と、北川容疑者との間で、金銭的な授受関係があったとしたら、
話は別だが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 天竜高校 成績表改ざ
ん事件 成績表改竄)




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   17日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●美しい声

先週、BW教室では「音感」のレッスンをした。
この時期、子どもの発声の仕方をていねいに見れば、音感障害があるかどうか、わかる。
音感障害(昔は「音痴」と言った)がある子どもは、ドレミ……の音階が、正確に発声
できない。
みなといっしょに歌を歌うときでも、音程がズレる。

もうひとつのタイプは、「音」そのものが、拾えない。
私が独特の抑揚をつけて、「♪こ〜ん〜に〜ち〜は〜」と言い、それを子どもたちに
復唱させてみる。
正確にできる子どももいれば、そうでない子どももいる。

だから理論的には、難解なピアノ曲をスラスラと演奏できる一方で、歌は、まったく
ダメという子どももいるということになる。
反対に歌はうまいが、楽器の演奏はまったくダメという子どももいるということになる。

こうした音感障害について、「ていねいな指導でなおる」と説明する先生もいるが、
どうその(ていねいな指導)をするのか。
そのエネルギーと子どもへの負担を考えるなら、「うちの子は音楽は苦手」というくらいに
考えて、その問題からは遠ざかったほうがよい。
(どうしても歌手にでもしたいと親が考えているなら、話は別だが……。)

というのも、この時期、音感にすぐれた才能を示す子どもは、驚くほど、すぐれている。
3つの音を同時にピアノなどで鳴らしても、正確にその音の音名を言い当てたりする。
その(差)を多少縮めたぐらいで、それがどうだというのか。
(少し、冷たいかな?)
つまり私が言いたいのは、子どもには、得意、不得意の分野がある。
子どもを伸ばすコツは、得意分野をのばし、不得意分野には、目をつぶる。
子どもをけっして、オールマイティにしようと考えないこと。
不得意分野を伸ばそうとすると、得意分野を伸ばすときの数倍、あるいは
それ以上のエネルギーを必要とする。
親もたいへんだが、子どもも、もっと、たいへん。

子どもというのは不思議なもので、得意分野がどんどんと伸び始めると、
つられて不得意分野も伸びてくる。
中学生でも、英語が伸びてくると、それほど勉強しなくても数学も伸びてくる。
そういう現象が、よく観察される。

だから音感障害と、構えて深刻に考えないこと。

さらに、ときどき美しい声をもった子どもに出会うことがある。
「少し練習すれば、すばらしい声になるだろうな」と思う。
思うが、そこまで。

一度は、幼児だけで合唱団を結成してみたい。
……私はそんな夢をずっと、もちつづけている。
しかし今の私にはその時間もないし、私の才能にも限界がある。
合唱団員を8年間してきたというだけ。
へたの物好きというか、私は合唱団の中では、いつもお荷物だった。
そんな思いが、こと合唱となると、つまり「弱化の原理」として働いてしまう。
(やる気)と(熱意)を奪ってしまう。

というわけで、音楽は好きだし、今の私には、音楽なしの生活は考えられない。
どのパソコンにも、数百曲以上の曲を入れている。
一時期は作曲に凝ったこともあるが、結局はものにならなかった。
で、今は、楽しむだけ。
もっぱら楽しむだけ。
今さら作曲家になりたいとは、思わない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●ユングの「シャドウ論」

++++++++++++++++++H.Hayashi

まじめで、かたぶつそうな父親。
世話好きで、一日中、こまめに動き回っている母親。
父親は現在、鉄道会社に勤めている。
父親の年齢は、45歳。
母親は、2〜3歳、年下だと思う。
その両親には、3人の子どもがいる。
長男(現在20歳)、長女(18歳)、それに二男(15歳)。

事の発端は高校1年生になったばかりの二男が、無免許運転で逮捕、補導
されたことによる。
同乗者に、全治1か月の怪我を負わせた。
それでそのまま高校を強制退学。

母親に頼まれて面接してみると、これがまた絵に描いたような、非行少年。
ふてぶてしい態度。
こちらがまじめに話しかければ話すほど、ニヤニヤ笑っているだけ。
態度も横柄で、ソファにでんと両手を伸ばして座っている。
初対面の大人と話すような態度ではない。

で、そこへ長男がやってきた。
「迎えに来た」ということだったが、長男を見て、私はまたまた驚いた。
20歳だというが、太った大柄な男だった。
眉に剃りを入れ、これがまた絵に描いたような、暴力団風の男。

私は、18歳になったという長女に会いたくなったが、母親の話では、どこかの
男と、駆け落ちして、今は、家にいないという。
16歳で妊娠、現在は1児の母親になっているという。
私はその話から、その長女が、現在どういう状態のか、容易に察しがついた。

が、問題は、3人の子どもたちが、みな、そうなったかということ。
「子どもは、家族の代表にすぎない」と、最近の発達心理学では考える。
しかし私が見たところ、両親は、ごくふつうの両親である。

で、私はこう考えた。
まず、長男が、自己の同一性の構築に失敗し、非行の道に入った。
その影響を、長女、二男が受けた。

しかしそれにしても、合点がいかない。
兄弟どうしの影響力は大きいが、下の子どもが、それを反面教師とするケースも
少なくない。

で、そうこうして、その数か月後のこと。
今度は父親が、二男を連れて私のところにやってきた。
どこかの高校に再入学したいが、その方法はあるか、と。

丸顔のどちらかというと、もの静かそうな男性だった。
鉄道会社では、保守の責任者をしているということだった。
がっしりとした体格をしていた。
が、やがて様子が変わってきた。

二男が父親の説教に対して、あいまいな返事を繰り返していると、突然、父親が
怒鳴り始めた。

「テメエ、このヤロー、ちゃんとオレの話を聞け、バカヤロー」と。

ドスのきいた、恐ろしい声だった。
私が仰天していると、さらに、「テメエナア、自分のしたことに責任を取れないって
いうのかヨ! つべこべ言わないで、オレの話を聞け!」と。

それは言葉というよりは、暴力団の叫び声そのものだった。
と、同時に、私の頭の中で、ジグソウパズルが、自動的にバタバタと組みあがった。

3人の子どもたちは、ユングが説くところの「シャドウ」を、そっくりそのまま
引き継いでしまっていたのだ。

シャドウ……これを発見したユングという学者は、ものすごい人だと思う。
こういうこと。

人はだれしも、その場、その場で、その場にふさわしい仮面をかぶる。
ショッピングセンターの店員も、鉄道会社の駅員も、教師も、医師も、弁護士も、
そして牧師も、みなかぶる。
私だって、かぶる。

大切なことは仮面をかぶるのは仕方ないとしても、どこかでその仮面を
脱ぐことを忘れてはならない。
脱いで、自分に戻らなければならない。
が、中には、その仮面を脱ぎ忘れてしまう人がいる。
そして自分の中に潜む(邪悪な自分自身)を、そこに閉じ込めてしまう。
その(閉じ込められた自分自身)を、「シャドウ」という。

外国でよく例としてあげられるのは、教会の牧師である。
中には、表では善良な牧師を務めながら、裏で、児童を性的に虐待している牧師がいる。
こういうケースのばあい、表の牧師の顔は、「仮面(ペルソナ)」ということになる。
それをかぶったまま、教会では、絶対的な善人として振る舞う。

が、この問題は、ここから始まる。
ここからが恐ろしい。
こうしてできあがった「シャドウ」は、そっくりそのまま子どもに引き継がれていく。
仮面を引き継ぎのではない。
シャドウを引き継ぐ。

だからよくあるのは、父親が牧師で、息子が凶悪犯というケースである。
教師の息子が、凶悪犯になることもある。
日本にも、過去において、信じがたいような凶悪事件を犯した子どもがいた。
たいていごくふつうの(?)、しかも高学歴の両親をもった子どもである。
そういう子どもが、世の中を震撼させるような大事件を引き起こす。

しかしこういうケースでも、ユングのシャドウ論を当てはめて考えてみると、
納得がいく。
あくまでも可能性として論ずるだけだが、可能性としては、どのケースにおいても、
それぞれの両親は、仮面をかぶったまま生活し、自分の中の邪悪な部分を、心の
片隅に押し殺してきた。
それをそっくりそのまま子どもが、引き継いでしまった。

で、最初の話に戻る。
「子どもは家族の代表にすぎない」。
子どもに何か問題を見つけたら、子どもを「直そう」と考えるのではなく、
家族のどこにどのような問題があるかを知る。
親は、自分の子どもの非行をはげしく叱っていたが、子どもは、親のシャドウを、
そのまま引き継いでいただけかもしれない。

私は一見善良そうに見える父親の横顔を見ながら、「これは子どもの問題では
ないのだがなあ」と思った。

さて、あなたはどうだろうか。
無理に善人ぶっているようなことはないだろうか。
仮面をはずすことを忘れてはいないだろうか。
邪悪な自分を、どこかで押し殺しているようなところは、ないだろうか。
もしそうなら、あなたの子どものために、それはやめたほうがよい。

あなたはあなたで、ありのままのあなたで生きたほうがよい。
自分をさらけ出しながら、生きたほうがよい。
そのほうが子どもも、すなおな子どもになる。

(補記)
ありのままに生きるとしても、ありのままに生きるだけに足りる(自分)が
なければならない。
自分をさらけ出したとたん、相手にあきられてしまうようでは困る。
だから……。
自分の子どもをすばらしい子どもにしようと考えたら、まず、自分の中から、邪悪な
自分を追い出す。
方法は簡単。

ウソをつかない。
ルールは守る。

これだけを金科玉条のごとく守る。
人が見ているとか、見ていないとかに関係なく、守る。
その積み重ねが、月、年となって、やがてその人の人格を形成する。
その人格を見て、子どもは、あなたという親を、親としてではなく、
ひとりの人間として評価する。
そのときそれに耐えうるような人間であれば、それでよし。
そうでなければ、結局は、悲しい思いをするのは、あなた自身ということになる。

子育てって、こわいね、ほんと!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●正常者と非正常者

+++++++++++++++++++

最近の心理学、なかんずく精神医学では、
「正常者はいない」という前提で考えるという。
そもそも「正常者とはどういう人をいうのか」、
その定義すらない。

多かれ少なかれ、程度の差こそあれ、どんな人でも、
心の問題をかかえている。
しかも内容は、千差万別。

ふだんは何ともなくても、ある特定のことがらに過敏に反応する
人となると、ゴマンといる。
心の傷(トラウマ)をもった人となると、もっと多い。

で、一定のワクを超えた人を、非正常者というのだろうが、
その「ワク」そのものが、明確ではない。
ワクに対する耐性も、人、それぞれ。

そこでキリストや釈迦はどうだったかということになるが、
キリストにせよ、釈迦にせよ、人間だったという前提で考えるなら、
「正常者だった」と言い切ることはできない。
現にキリストは、孤独に苦しんだ(マザーテレサ)。

この私だって、ある時期までは、自分の心の病気を隠そうとした。
しかしやがて、「心に病気をもっていない人はいない」ということに気づいた。
むしろこの世界では、「私は正常だ」と言い切る人のほうが、あぶない。
で、それ以後は、正直に自分の心の問題と向きあうようになった。
文にも書くようになった。

同じような問題に、「障害者」という言葉がある。
最近の精神医学では、これは西洋医学の宿命のようなものだが、まず診断名を
つけたがる。
診断名をつけないと、落ち着かないらしい。
その結果、「〜〜障害」「〜〜障害」という言葉が、氾濫するようになった。

しかしこの問題も、「どういう人を障害者といい、どういう人をそうでないと
いうのか」、その基準が明確ではない。
さらに人間の心は複雑。
いくつかの障害を、複合的にもっている人など、いくらでもいる。

先日もあるドクターから、こんな話を聞いた。

「ある統合失調症の患者だが、薬物療法で、症状が消えた人もいる」と。

それに対して、私が「最初の見立てがまちがっていたのではないですか?」と聞くと、
そのドクターは笑いながら、こう言った。
「実は、そういうケースも多いのです」と。

統合失調症(以前は、「精神分裂病」と呼ばれていた)のような、診断法が確立された
世界でも、そういうことがある。
(ただし統合失調症にも、いろいろなタイプがある。)

さらに言えば、人の心というのは、そのときどきにおいて、微妙に変化する。
環境が変わっても変化する。
それまで何ともなかった人でも、たとえば肉親の死に接したりすると、精神そのものが、
変調する。
「正常」といっても、いつもその内側には、「非正常」を内含している。

だからみな、こう居直ればよい。
「私は正常ではない」と。
そう思って生きるほうが、ずっと気が楽。
あとはそういう自分と、うまくつきあえばよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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●脳の切り替え

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最近気がついたが、年齢とともに、
脳の切り替え、つまり、気分の切り替えが、
むずかしくなってきたように思う。

たとえば朝起きて、ニュースを読む。
暗いニュースがつづく。
気分が重くなる。
ついで手持ちの債権の価格が、下がっていることを知る。
気分がさらに重くなる。

この状態で、何か、ものを書き始めると、
文章そのものが、暗くなる。
「それではいけない」と思いつつ、気分を切り替えようとするが、
それがうまくいかない。

(こだわり)が強くなったせいかもしれない。
このところ、ひとつのことにこだわると、そのことがずっと頭から
離れない。
ひどくなると、(うつ病)になる。

一見、複雑に見える脳みそだが、そういう意味では単純。
一方でひとつの反応が起きると、それが脳全体に広がる。
ホルモンや、脳間伝達物質のことを考えるなら、当然の現象ということ
になる。
一度分泌されると、ホルモンにせよ、脳間伝達物質にせよ、それらは、
否応なしに、脳全体に広がる。

が、それでは正常な社会生活は営めない。

そこで気分の切り替えをする。
何か楽しいことを考えて、いやな気分を払いのけようとする。
で、そういう自分を観察しながら、ふと、「若いときは、こうでは
なかったのだがなあ」と思う。
「若いときは、気分の切り替えが、すぐできた」と。
つまりその分だけ、脳の融通性がなくなってきた。
今、そんな感じがする。

・・・これから先、この傾向はますます強くなるのか?
それとも全体的に、脳の活動が鈍くなるから、ものごとを深く
考えないですむようになるのか?

そのあたりのことはよくわからないが、気分の切り替えがスタスタと
できる人は、それだけ脳の機能も、すぐれているということになる。

一方、何かあるとすぐ八つ当たりする人というのは、それだけ脳の
機能が劣っているということになる。
そこで登場するのが、前頭前野ということになる。
脳のいわば、集中コントロールセンターということになる。
こうした脳みその欠陥を補うのが、前頭前野ということになる。
脳みその方で、切り替えがうまくできないようであれば、前頭前野の
ほうで、理性的にそれをするしかない。

・・・ということで、今日も始まった。
ここは気分を自分で変えるしかない。
YOU TUBEを聴いて、雑誌に目を通して、新しいパソコンを
いじってみて・・・、と。

そうそうたった今、ワイフがお茶を届けてくれた。
軽い会話をかわす。
冗談を言って、ワイフを笑わす。

少し気分が軽くなったかな?

今日もがんばります!


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●通勤電車

運悪く、豊橋から名古屋まで、通勤電車に乗りあわせてしまった。
名鉄電車で、一部が指定席になっている。
しかしその指定席は、この時間帯には、空きはない。
通勤用の客たちに、ずいぶんと前から予約されてしまっているからである。
しかたないので、普通車のほうに立つことに。

通勤電車といっても、押しあい、へしあいといったふうでもなかったが、
それでも通路には、人が歩けないほど、人が立っていた。

そういう光景を見ながら、つまり何かにじっと耐えるように黙って立っている人たちを
見ながら、いろいろ考える。
毎日、こうして1時間の電車に乗るとすると、往復で2時間。
1週間で、10時間(月〜金)。
1年を300日とすると、600時間。
それを24時間(=1日)で割ると、25日。
つまり1年のうち、約1か月を、こうした人たちは、通勤のために使っていることになる。
通勤時間の分だけで、1か月分の休暇になる!

この数字を見ながら、いろいろ考える。

もしこういう時間を、もっと有効に使うことができないか、と。
日本の労働力人口は、それだけで、約8%ふえることになる。
「会社へ行かなければどうしてもできない仕事」というのもあるかもしれないが、
そうでなければ、インターネットなどをさらに活用して、自宅でできる仕事を
ふやしたらよい。
あるいは電車の中でも、何かの仕事ができるようにすればよい。
(その分の時間は、当然、労働時間として組み入れる。)

……といっても、やがてそういうことも可能になるだろう。
目下、通信革命、進行中!

それにもうひとつ。

世界にもっとも非人間的な乗り物があるとするなら、それは通勤列車ということになる。
現代版奴隷船といっても過言ではない。
「みんな、よくがんばっているなあ」と思うと同時に、「私には、もうできない」と
思ってしまう。

こういう電車に乗るときは、ただひたすら何も考えず、ボーッとっしているのがよい。
ただひたすら、時間が過ぎるのを待つのがよい。
(あるいは私なら、DVDでも見ながら、過ごすかも……?
しかしざっと見渡したところ、そういう過ごし方をしている人は、ゼロ。
携帯電話で、ワンセグを楽しんでいる人はいるようだが……。)


●時間を有効に使う

「時間を有効に使う」。
もし1時間を2時間分に使うことができたら、その人の人生は、2倍分、長くなることに
なる。
が、問題は、どう有効に使うかということ。

ときどき、こんな経験をする。

朝、5、6時ごろから何かの活動を始める。
いつもなら昼過ぎにたっぷりと時間をかけてする仕事を、朝食前にしあげたりする。
それからいくつかの場所を回り、昼前には帰ってくる。
料理をしたり、洗い物をしたり……。
それから山荘へ行き、草を刈る。
夕方は市内で夕食を取ったあと、映画を見る。
帰りに途中のレストランで、お茶を飲む……。

そういう一日を振り返って、「今日は長かったなあ」と。

もちろんその反対のこともある。

午前10時ごろまで床の中でぐずぐずしている。
朝ごはんと昼ごはんを、いっしょに食べる。
あとは雑誌を読んで、テレビを見る。
外出といっても、野暮用。
帰ってきて、また居間にゴロリと横になる。
あとは時計を見ながら、風呂に入って、寝るしたく……。

そういう一日を振り返って、「今日は短いかかったなあ」と。

しかしここで大きな問題にぶつかる。

では、前者のような過ごし方が、「有効」で、後者のような過ごし方が、
そうでないと、言い切ってよいかという問題である。
そもそも「有効」とは何か?

このことは、欧米人のバカンスの過ごし方を見ているとよくわかる。
彼らにしてみれば、静かにボーッと時間を過ごすことを、最高にぜいたくな過ごし方
ということになる。
本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、魚釣りを楽しんだり……。
基本的な部分で、時間の過ごし方がちがう?

一方私たち団塊の世代は、ボーッとして時間を過ごすことに、大きな抵抗感を
覚える。
時に罪の意識さえ覚える。
仕事第一主義と言うわけではないが、「もったいない」という意識は、どうしても
残る。
言い換えると、(金儲け)につなげるからといって、有効に使っていることにはならない。
さらに言えば、「仕事」イコール、「生きがい」ということでもない。
つまりいつも仕事をしているからといって、時間を有効に使っていることにはならない。

よい例が、私の祖父である。
明治生まれの人だったが、8歳で丁稚奉公に出て、朝は日の出とともに働き、夕は日没
とともに、仕事をやめたという。
休みも、盆と暮れのみ。
祖父は祖父なりに、適当に息抜きをしたのだろうが、その分だけ、現代の私たちより、
時間を有効に使っていたかどうかとなると、それは疑わしい。

つまりこうして突きつめていくと、時間を有効に使うということは、いかにしてその中で、
「私」を追求するかということになる。
それができる人を、「時間を有効に使っている」といい、そうでない人を、「そうでない」
という。
忙しいから、時間を有効に使っているということには、ならない。


●体重が戻った!

今朝、やっと65キロ台に戻った!
(体脂肪率も、23%!)
2、3週間ほど前には、68・5キロ。
そのときから比べると、ペットボトル(2リットル)、約1本分、軽くなったことになる。
少し体が軽くなったように感ずる。
それにズボンもはきやすくなった。

が、あいにくと今日は、小雨模様。
運動はできない。
あとは、何とかして、64キロ台をキープ。
これからの1キロが、苦しい。


●兄の49日

近く、兄の49日がある。
無事、納骨をすませば、一段落。
こういう儀式は、みなに合わせてするがよい。
ただひたすら、おとなしく、無言で、ハイハイと言ってすませばよい。

何度も書くが、カルトが悪いのではない。
それを求める信者がいるから、カルトは存在する。
だから信者であるその人を相手にしても、意味はない。
勝ち目もない。

妥協するときは妥協して、みんなと仲よくする。
とくに親戚関係の人たちとは、そうする。

どうせ意味のない儀式なのだから……。


●株価大暴落

アメリカの証券会社(リーマン・ブラザーズ)の破綻を受けて、今日の株価は
大暴落。
先ほど株価を見てみたが、700円近い下げとか。
今後は、日経平均株価は、10000〜12000円の範囲を行ったり来たりする
とか(某経済サイト)。

こうした予想は当たったためしがない。
というのも、株価というのは、いつも予想を裏切る形で、上がったり下がったりする。

株価大暴落を受けて、今ごろ、がっくりきている人も多いはず。
信用買い(証拠金取引)をしている人ほど、そうだろう。
儲かるときはドサッと儲かるが、損をするときは、その数倍、ドサッと損をする。
結果的に見ると、素人が株で儲けるなどということは、ほとんど、ない。

しかしこれから世界経済は、どうなるのだろう?
おかしな胸騒ぎがする。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●サブプライム問題

アメリカへ行くたびに、私はこう思った。
「どうしてみな、こんな立派な家に住めるのだろう?」と。

地方の州の田舎町に行っても、日本ではめったにお目にかかれないような大豪邸が、
ズラリと並んでいる。

(もちろん貧しそうな小さな家もあるが、それでも、広さから見ると、日本の平均的な
家の2〜3倍はある。)

「日本では耐震に金を使うから」とか、「日本では土地代に金を使うから」とかと、
説明する人がいる。
「だから、日本の家は貧弱なのだ」と。

が、それにしても、ケタはずれに、立派。
大きい。

あるときは、私は日本への借金も返さず、よくもまあ、こういうぜいたくな生活が
できるものだと、腹が立ったことさえある。
当時(今から5〜15年前)、ドルが紙くずになりそうになるたびに、そのドルを
せっこらせっこらと買い支えてきたのは、この日本にほかならない。

で、サブプライム問題で、アメリカがコケた。
そしてその余波は、証券会社、さらには銀行へと、あらゆる金融機関を巻き込み
始めている。

私はその話を聞くたびに、当時、アメリカで見た、友人の家を思い出す。

年収といっても、ごく平均的な銀行マン。
そんな彼でも、ゆったりとした曲がり階段のついた二階建ての家に住み、地下には
客間と筋トレ専用の部屋をもっていた。
(ちょうど小さな崖に寄り添うように建てられていたので、見方によっては、3階建て
ということになる。)
「近く、プールも作る」と、そのときは、そう言っていた。

が、そういう家そのものが、国際的な標準とは、かなりかけ離れている。
その調整がすまないかぎり、サブプライム問題は、片づかない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●兄の49日

++++++++++++++++++H.Hayashi

兄の49日の法要のために、実家へ行ってきた。
僧侶と、私たち家族、計4人だけの、
静かな法要だった。

その「49日」については、こんな由来がある。

漢字の「七」は、もともとは、腹を横、縦に切って、内臓が
飛び出している様子を表したものだという(「本当は怖ろしい漢字」・
小林朝夫・彩図社)。
どこかこじつけ的な感じがしないでもないが、「七」という数字が、
中国ではあまり好まれていないのは、事実。

「十字切りの腹切りは、腹を横に一度切ってから、腹に刺さったその刃物をいったん
引き抜き、もう一度自分の腹の上部に差し込んで、今度は縦に引き下ろすというもの
だ。
その際に『十』の形に切った切り口の下のほうから、血まみれの腸が外へ飛び出して
しまう。
『十』という字に、飛び出た血だらけの腸の形を付け足したのが、『七』なのである」
(同書)と。

「七」という漢字は、怖ろしい漢字ということになる。

そこで中国では、「天に昇った死霊を弔う行事である七夕。亡くなった者を供養する
最初の日は、初七日。喪に服すのは七日の二乗である四十九日。
このように『七』には、常に『死』がつきまとう。
『七福神』というめでたいイメージもあるが、これは『七』がもつ不吉さを払いのける
ための存在なのだ」(同書)と。

英語では「ラッキー・セブン」と言って、「7」を、めでる傾向がある(同書)。
しかし中国では、その逆。
「七」は、不吉な数字だったらしい。

ということで、初七日が生まれ、49日の法要が生まれた。

……ところで、一週間は、7日。
兄のばあいは、7日ごと、ちょうど1週間ごとに、法要を繰り返した。
そして7回目の今日、49日の法要があった。

住職による読経のあと、墓まで行き、納骨をすませた。
静かな、静かな、どこまでも静かな法要だった。

ついでに申し添えるなら、初7日の法要にせよ、49日の法要にせよ、もともとは釈迦仏
教とは、縁もゆかりもない法要ということが、これでわかる。
「7」にこだわったのは、釈迦ではなく、中国人だった(?)。
あるいはインド(ネパール)では、どうだったのか。
一度、インドの友人(マヘシュワリ君)に聞いてみよう。


●葬儀

要するに、葬儀の仕方は、国、民族、宗教、さらにその宗派によって、みな異なる。
異なるということは、「形」はないということ。
言い換えると、それがどんな方法であれ、死者を悼む目的でなされるものであれば、
それでよいということ。

「形」にこだわるほうが、おかしい。

同じく「本当は怖ろしい漢字」の中に、昔の中国の葬儀の仕方が書いてある。
それをそのまま紹介させてもらう。

「中国古代の葬儀法を記したものに、周公旦(しゅうこうたん)の表した『儀礼』が
ある。
この書には、葬儀は死んだ瞬間から始まると記されている。
身内が死んだら、死体をすぐ裸にして湿らせた布で拭き清め、死後硬直によって膝が
曲がらないように両足を固定する。
つぎに遺族の1人が、死者の衣を肩に掛けて屋根にあがり、北の方角を向いて服を
振りながら故人の名前を叫び、一度家に帰る。
つづいて皆で、故人に別れを告げ、魂をあの世に送る。
無事に送るには全員が泣き叫びつつ、その場で足踏みをつづけなければならない。
さらに折を見て、死者に散髪を施し、体を井戸水で洗い、黒色の装束をまとわせる。
埋葬する前に死者の口の中を米と貝で満たし、そこにさじを挿す。
あの世に行き着くまでの長旅に備えるのである。
埋葬する土地と日時は、あらかじめ占い師によって決められている。
その場所と日時を守らなければ、死者はあの世へ行くことはできないのだ。
一連の儀式が終わると、遺族の顔には笑顔が戻る。
大切な者を手厚くあの世へ送る『葬』を成し遂げた、安堵の表情であるといえよう」
(同書、P71)と。

しかし……?

昔、長谷川一夫という、日本を代表する名優がいた。
彼は妻が死ぬと、その日から、妻の仏壇の前だけで、毎日をすごすようになったそうだ。
そして妻が死んでからちょうど1か月目に、自らも衰弱し、
そのまま死んでしまったという。
何かの本で読んだ話なので、細部については不正確かもしれない。
しかし長谷川一夫のこの話には、愛する人を亡くした人の、悲しみや苦しみが、
集約されている。

もし儀式があるとするなら、それは飾りのようなもの。
あるいは飾りにもならないかもしれない。

身近にいる愛する人が亡くなったら、どんな儀式をしたところで、その悲しみは
癒されない。

「形」ばかりにこだわる和式仏教を批判してみたくて、ここで葬儀について書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++SEP 08++++++++++はやし浩司

●山荘にて

今夜は、夜遅く、山荘に来てみた。
着いたとたん、ガチャ、ガチャなく、くつわ虫の大合唱。
「うるさいわね」とワイフはこぼしたが、つづいて、「寒いくらいね」と。
森の湿った冷気が、気持ちよい。

あとはいつもの決まった作業。
雨戸をあけ、風を通し、食物を卓に並べる。
私はパソコンを広げ、ワイフは本を開く。

あとはただひたすら、雑談、また雑談。
こうして静かに夜がふける。

ところで今使っているパソコンは、HP社の2133。
バッテリーのもちが、格段によい。
省エネモードで使っているためか、まだ2時間近くももつ。
(全体では、7時間ほど。)
一方、ACERのASPIRE−1−は、画面が明るい分だけ、バッテリーの消耗が、
早い。
ASPIRE−1−のほうが、私には使いやすいのだが……。

ところで山荘に来る途中、パソコンショップに寄り、2GBメモリーを2枚、買ってきた。
計4GB!
特価品で、2枚で、8900円。
今使っているVISTAパソコンに付け替えてみるつもり。
店員は、「性能がアップしますよ」と言ってくれた。
楽しみだ。


●熟睡剤

睡眠薬には、いろいろある。
その中のひとつに、「熟睡剤」というのがある。
朝方早く、目がさめるのを防ぐための薬ということらしい。
私もいつも、バッグの中に、それをもっている。
「My Sxxxx」という名前の、実にそれらしい薬である。

が、これを1錠ものむと、効きすぎてしまう。
へたをすれば、10時間以上、眠ってしまう。
しかも眠っている間中、幻覚につづく幻覚。
現実と夢と、区別のつかない夢を見る。

そこで私は必要なときは、この薬を、6分の1から8分の1に
割ってのむ。
「今日は、これくらいでいいかな?」と。

そのとき、のみ方にコツがある。
胃袋のほうへすぐ入れてしまわないで、舌の下で溶かしながらのむ。
こうすると、脳みそに直接、薬が効く。
(これはあくまでも、私の素人判断だが・・・。)
しばらくすると、心地よい眠気が襲ってくる。

睡眠コントロール・・・若いときとちがって、歳をとればとるほど、
睡眠コントロールが、むずかしくなるという。
トイレが近くなる人も多い。
私もそろそろその年齢に近づいてきた。

そこで今、ひとつ心がけていることがある。
(1)就寝時刻は、きちんと守る。
(2)昼寝時間は、たとえ15〜30分でもよいから、きちんととる。

あとは自然体。
睡眠というのは、あまり神経質になりすぎてもよくない。
眠くなければ、起きていればよい。
眠くなったら、そのまま体を横にすればよい。

実は、昨日は兄の49日の法要とかで、かなり神経をつかった。
床につく前になっても、心のザワザワ感が消えなかった。
それでその薬をのんだ。
ワイフにも少し与えた。
それで今日は、たっぷり9時間も眠った。
(少し頭がボーッとしているので、量が少し多すぎたかな?)

ところで一言。
睡眠薬にかぎらず、脳みそに直接影響を与える薬を服用するときは、
脳の様子を静かに観察しながら、服用するのがよい。
こうした薬ほど、効き目に個人差があるものはない。
最初は、ほんの少しだけのんでみる。
それで効果がなければ、つぎに少しだけ量をふやしてみる。
やがて自分にとっての適量というものが、わかってくる。

・・・という話を、かかりつけのドクターに相談すると、そのドクターは
こう言った。

「そういう勝手な判断をしてもらっては困ります」と。

だから私のアドバイスは、みなさん、自己責任で応用してみてほしい。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●知性と理性

+++++++++++++

電車に乗ったときのこと。
相向かい席に、40歳くらいの女性が座った。
かなりの体重のある人だった。
その女性が座ったため、その席は、その1人で満席(?)。
おかげで私は、その少しあいたところに、自分の
荷物を置くことができた。

++++++++++++

日ごろ、いくらふざけた生活をしていても、そういう場で、そういう話が
きちんとできれば、それでよし。
このことは、幼児の世界でも、同じ。

子どもらしいあどけなさがあっても、たとえば先生が「名前は何というの
かな?」と聞いたようなとき、しっかりと受け答えができれば、それでよし。
しかしそういうことができない子どもがいる。
できないおとながいる。
状況判断が的確にできない。
ヘラヘラとわらっている。

私の前に座った女性が、そういう女性だった。
携帯電話を手の中でいじっていたが、そこへ電話がかかってきた。
とたん、あたりかまわず、大声で話し始めた。

「あのさア、今、電車の中なんだわさア、あと30分もするとさア、
そちらへ着くからさア、待っててやア」と。

こんな感じで、10分近くも話していた。
私とワイフは、あきれてその姿を見ていた。

が、私の忍耐も、そこまで。
私はおだやかに、心静かに、笑みをつくりながら、こう言った。
「あのね、奥さん、電車の中では、携帯電話での通話はいけないことになって
いますよ」と。

するとその女性は、体をななめにしたまま、そしてふてくされた様子で、
「いいじゃんかア、電話くらい。ウッセーなア。まわりのほうが、
ヨッポド、ウルセーやないかア」と。

電話の内容からして、高校生の息子もいるらしい。
つまり母親。
そういう母親が、そう言う。

やがてその女性は、電車からおりて行ったが、私とワイフは顔を見合わせて、
笑った。

「一片の知性も理性もない女性というのは、ああいう女性をいうね」と。
ワイフも、すなおに同意してくれた。
「まるで人種がちがうみたい」と。

私「そう、まるで動物園のサルみたい。きちんとした会話すらできない」
ワ「そんな感じね・・・。ケータイをもったサル?」
私「高校生の息子がいるらしいよ」
ワ「どんな子どもなのかしら?」
私「親を反面教師にすれば、いい子かもしれない。しかし同じような
タイプの子だろうね」と。

で、こうした方向性は、すでに幼児期に決まる。
幼児期の子どもをていねいに見れば、その子どもがその先、どういう
子どもになっていくかが、わかる。
言い換えると、それまでの教育が重要。
しかし子どもを教えるというよりは、これは環境の問題。

親自身が、知性と理性で子どもをくるんでやる。
その結果として、子どももまた知性と理性を身につける。
その価値を知る。

親が、とくに母親が、寝そべってせんべいをかじりながら、「おい、おめえ、
勉強しろや」は、ない。
それこそ親の身勝手というもの。
その女性を見ていて、そんなことを感じた。

(補記)
教育について、否定的な考え方をする人も多いですが、ああいう女性を
見ると、教育の重要さが、よくわかりますね。

でも、考えてみれば、そういう女性でも、子どものころ、きちんとした
教育を受けたはず。
そこで考えられるのは、

(1)家庭教育が不十分であった。
(2)学校教育そのものを、その女性が否定してしまっていた。つまり
つっぱってしまっていた、ということです。

しかし私は、やはり家庭教育に問題があったと思います。
というのも、今度はその母親の子どもですが、私の想像では、その子どもも
また母親と同じような子どもになっていくだろうと思います。

あとは類は友を呼ぶというか、そういう人たちはそういう人たちどうしで、
集まっていく。
つまりそういう人たちから見れば、きちんとした会話のできる人たちとは、
交際できないということになります。
そういう世界へ入っただけで、ストレスがたまってしまう。
あとは(逃げる)→(ますます知性や理性から遠ざかっていく)の悪循環。
その結果が、先の電車の中で、私が見た女性ということになります。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●父親似、母親似

++++++++++++

遺伝子学的に、そういうことが
実証されているのかどうかは
知らない。
が、こういうことは言える。

息子は、母親の遺伝子を強く受け継ぐ。
娘は、父親の遺伝子を強く受け継ぐ。

私の孫たちを見ていると、そう思う。

私の息子は日本人。
その嫁はアメリカ人。
孫が、男の子と女の子。

孫の男の子は、アメリカ人の母親似。
孫の女の子は、日本人の父親似。

つまり遺伝子というのは、父親→娘、母親→息子と、
クロスするものらしい。
男から女へ、女から男へとクロスするから、
私は勝手に、「クロス遺伝」と呼んでいる。
(もし同じような言葉がすでにあったら、ごめん!)

こういう例は多い。
たとえば肥満についても、それが言える。

++++++++++++++

肥満といってもいろいろなタイプがある。
その中でも、本態的な肥満というものもある。
食べ過ぎたから太ったとか、そういう肥満ではない。
生まれながらにして肥満というか、ある年齢以後、
肥満から解放されることがないというタイプの肥満である。

私の知っている人に、こんな例がある。

父親は、その本態的肥満タイプ。
母親は、子どものころから現在にいたるまで、やせ型タイプ。

で、その息子たちはみな、やせ型。
娘たちはみな、肥満型。
ふつうの太り方ではない。
どっさと、鏡餅を置いたような太り方をしている。

で、今度はその孫たちだが、ここでともに、妻や夫たちの
遺伝子が混在してくるので、一概には言えないが、こと肥満遺伝子に
ついては、たしかに孫たちに伝わっている。

やせ型の息子たちの娘たち(孫)は、やせ型。
肥満型の娘たちの息子たちは、肥満型。

簡単に言えば、息子は母親似になるということ。
娘は父親似になるということ。
しかしすべての遺伝子がそうというわけではないらしい。
ないらしいが、一方、きわめて濃厚に遺伝していく部分もある。

私の印象では、
(1)顔の容貌
(2)肥満、やせ型
(3)性格、体格などは、先に書いた「クロス遺伝」をしやすいのでは
と思っている。

(4)知的能力については、もう少し複雑な遺伝方法で遺伝する(?)。
たとえば、隔世遺伝とか、いろいろ。
(5)皮膚の色とか肌の色については、つねに優勢的な遺伝子が、遺伝して
いく(?)。

詳しくはまた自分で調べてみたい。
多分、この分野での研究は、かなり進んでいると思う。

で、あなた自身はどうか。
あなたの周囲の人たちはどうか。
一度、そういう目で、遺伝というものを考えてみたらよい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●記憶のメカニズム

+++++++++++++++++++

脳科学の進歩にはめざましいものがある。
それはそれとして、現象面からとらえた
脳の機能については、ほとんどといって
よいほど、研究が進んでいない。

+++++++++++++++++++

●こんな例で……

パソコンに向かって作業をする。
そのとき、ふと座右にある重要ファイルが気になった。
IDナンバー、パスワードなどが、そのファイルの中に入っている。
心のどこかで、「あとでしまわなくては……」と思う。
が、そのとき、小便がしたくなった。
下半身がムズムズしてきた。
そのこともあって、足で足元のコードをひっかけた。
とたん、スピーカーが床にゴロリと落ちた。
「トイレから帰ったら、もとに戻そう」と考える。

こうしてしばらく時間が過ぎる。

が、生理現象というのは、正直だ。
やがてがまんできなくなって、立ち上がる。
トイレに向かう。

で、書斎に帰る前に、居間で、水を飲む。
ワイフと話す。

……しばらくして書斎に帰り、パソコンの前に座る。
座ってから、ファイルとスピーカーのことを思い出す。
ファイルをしまうにも、スピーカーを戻すにも、一度立ち上がらなければ
ならない。
私の椅子は、宇宙船のコクピットのようになっている。
(少し大げさだが……。)
一度座ったら、なかなか立ち上がれない。
私は、そのとき、記憶について考える。

こういうケースでは、私は居間から帰ってきたとき、ファイルのことも、
スピーカーのことも忘れてしまっていたことになる。
覚えていたら、座る前にファイルを片づけ、スピーカーをもとの位置に
戻したにちがいない。

そこで自分の記憶の中をさぐってみる。
すると、こうして文章を打ちながらも、そのつど、瞬間、瞬間に、
まるで映画の中に別のコマが入ってくるように、いろいろな記憶が
飛び交っているのがわかる。
仮にこれを「コマ入れ」と呼ぶことにしよう。

昨夜見た映画のこと。
夕食の献立。
明日の過ごし方。
教室のこと。
……などなど。

つまり(思い)というのは、同時に2つ、あるいは3つ、4つと、
並行してもてないしくみになっている。
ひとつのことを考え始めたら、そのほかのことは頭の中から消える。
集中力のある人ほど、そうではないか。

ところでパソコンの世界には、「デュアル・コア」という言葉がある。
CPU(中央演算装置)が、脳みそを2つもっていると考えると
わかりやすい。
「デュアル」というのは、「2つの」という意味である。
さらに「クァッド・コア」というのもある。
脳みそを4つもっていると考えると、わかりやすい。

もし人間も、脳みそを2つとか、4つもっていれば、同時進行の形で、
複数の(思い)を処理できるかもしれない。
しかし悲しいことに(?)、ひとつしかない。

そこで脳みそは、瞬時、瞬時に、先ほども書いたように、ほかの記憶を
呼び起こす。

「ファイルは、どうした?」、「スピーカーは、どうした?」と。

その瞬間、それが重要なものであれば、脳の中で、拡大される。
「ファイルをしまわなくては」とか、「スピーカーをもとに戻さなくては」と。

そこでこういうことも言える。

もしその瞬間、瞬間の「コマ入れ」がなかったら、私は、ファイルのことも、
スピーカーのことも思い出すことはなかっただろう。
再び座右にファイルを見つけるまで、ファイルのことは忘れてしまっていたに
ちがいない。
スピーカーについても、そうである。
つまり「記憶」を現象面からとらえると、私は、たいへん記憶力が悪い人間
ということになる。

一方、その「コマ入れ」がはげしくても、困る(?)。
先ほども書いたように、集中力そのものが、分散してしまう。
だから適当に「コマ入れ」をし、そのつど、そのコマのことは忘れる。

これが現象面からとらえた、記憶のメカニズムということになる。
またこういう現象面でとらえた記憶のメカニズムについて、少なくとも
それを問題にした文献を、私は知らない。
ここに書いた「コマ入れ」という現象にしても、言葉にしても、私が
発見し、考えたものである。

さて、あなた自身は、どうか?

何かの作業をしながらも、そしてその作業に集中しながらも、瞬間、瞬間に、
いろいろなことが頭の中に飛来してくるのがわかるはず。
それが的確にできる人を、「記憶力のすぐれた人」という。
それができない人を、そうでない人という。

で、私のばあい、小便については、忘れることはなかった。
これは生理的な現象だから、いくら忘れようとしても、体のほうが
勝手に反応してしまう。

一方、ファイルやスピーカーのことは、椅子に座るまで思い出すことが
なかった。
だからその分だけ、「コマ入れ」が鈍かったということになる。
もし的確な「コマ入れ」がなされていたら、椅子に座る前に、ファイルや
スピーカーのことを思い出していたはず。

……ということで、今日は新しい発見を、ひとつゲット!

多分、このことは、まだだれも気がついていないはず。
そういうことを発見し、こうしてものの書くのは、ほんとうに楽しい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往
生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。
また道教経典の中にも、『元始天尊説?都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消
愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。

『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成
都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽
経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢訳仏
典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点
が、「十王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵
十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じら
れてきたという経緯がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づ
けをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。
また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておら
ず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経
ということ。

が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王
経」が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)、初江王
(十四日)、宋帝王(二十一日)、五官王(二十八日)、閻魔王(三十五日)、変成王(四十二
日)、泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生し
ていく事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審
判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」と
いう慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)、
都市王(一周忌)、五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道
のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも地獄道・餓
鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が
積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪
の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすた
めの受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化し
ている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。

死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを
引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウ
ィキペディア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地
獄へ送るかを決めるという。
私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。

しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。

極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的で
すらある。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀
というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ
落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。

「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっ
ている。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではな
いだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 初七日 四十
九日 法要 偽経)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●和式仏教の終焉(2)

+++++++++++++++++

日本の仏教は、何からなにまで、おかしい。
これについては、このところ毎日のように
考えている。

「葬式仏教」と揶揄(やゆ)されるように
なってから久しいが、さらに最近では、
それが「ビジネス仏教」になっている。
金儲けの道具として、仏教が利用されている。
人の死が、利用されている。

+++++++++++++++++

「私はカルトを信じていない」と豪語する人でも、そのカルトを信じて
いる人は、いくらでもいる。

葬儀に始まって、盆供養にしても、〜回忌という法事にしても、カルトそのもの。
「葬儀には僧侶は、必要」
「僧侶の読経がなければ、死者は成仏できない」
「戒名がなければ、成仏できない」などということを信じているのは、
立派なカルト。

最近私も知って驚いたが、同じ宗派でも、別の寺で葬儀をしたら、ほかの寺では、
それを受け入れてくれないそうだ。
たとえば私の母は、現在、静岡県の浜松市にいる。
おそらく最期は、この浜松市で迎えることになるだろう。
で、私は葬儀はこの浜松市で、そして49日の法要は、郷里のG県のM市でと、
考えていた。

が、それができない、と。

どういうしくみになっているのか、私にはよくわからないが、こういうケースのばあい、
郷里の寺は、母の遺骨を受け取ってくれないという。
もちろん郷里にある墓の中へも、入ることができないという。
地元の葬儀社の責任者の人が、そう教えてくれた。

ヘ〜〜〜エ?

これひとつとっても、日本の宗教は、「型」のかたまりということがわかる。
「作法」「作法」「作法」……。
作法ばかり。

どうしてこういう馬鹿げた仏教になってしまったのか?

今朝私は、法要の原点となっている「地蔵十王経」が、鎌倉時代にできた、
偽経であるということについて書いた。
が、寺の住職で、それを教えてくれた人はだれもいない。
おそらくみな、偽経であることを百も承知の上で、過去700年以上にわたって、
信者をだましつづけている。

もちろん、金儲けのためである。
「地蔵十王経」は、寺の金儲けの方便としては、まことにもって、都合がよい。
死者を成仏させるためと言いながら、49日まで、1週間ごとに、信者から布施を
取ることができる。

もしこの日本に、誠意があって、勇気がある僧侶がいたら、こう言ってほしい。
「戒名などというものは、日本だけにある奇習です」
「葬儀に僧侶による読経がなければ、成仏できないというのは、嘘です」
「初七日だの、49日だの、そんなものは、鎌倉時代にできた偽経がもとになっている、
インチキです」
「盆の供養などというのは、アフガニスタンの奇習が伝わっただけです」と。

もしそんなことを言ったら、日本の仏教は、総崩れになってしまうだろう。
しかしそれはそれで仕方のないことではないか。
世界的に見れば、大乗仏教(北伝仏教)がかろうじて残っている国は、
この日本だけ。
アフガニスタンにもない。
中国ではごく一部。
韓国でも、キリスト教が主流。
もちろん本家のインドには、ほとんど何も残っていない。
(仏陀は、クリシュナの弟子というふうに、位置づけられている。)

しかも日本の仏教は、どこかオカルト的。
(教え)によるというよりは、儀式が中心。
が、これでは、日本の仏教に、未来はない。
それともこれから先も、ずっと、僧侶たちは、私たち日本人をだましつづけると
でもいうのだろうか。

今、多くの日本人が、日本の仏教のもつ(おかしさ)に気がつき始めている。
その(おかしさ)を、日本の僧侶たちも、謙虚に反省してほしい。
門構え、建築物だけをいくら立派にとりつくろっても、中身がなければ、
ソッポを向かれるだけ。
あるいは原点にもう一度立ち返って、仏教がどうあるべきか、再構築してほしい。
鎌倉時代の昔ならいざ知らず、現在の庶民は、あなたがたが考えているほど、
馬鹿ではない。
少なくとも、人の(死)を、もっともらしい嘘でくるみながら、もてあそぶことだけは、
もうやめてほしい。

(付記)
もし釈迦が生きていて、この日本の現状を見たら、釈迦だって怒るだろう。
戒名なるものがあるのはまだ許せるとしても、その戒名には値段があって、
その戒名に応じて、葬儀の仕方もちがう?

このひとつをとっても、釈迦が説いた仏法の精神と違背していることは、
明らか。

「葬儀に僧侶を呼ばなければ、成仏できませんよ」とか、「3代先まで、たたりがでますよ」
とか言って、信者を脅す。
その手法は、まさにカルト。
そこらのカルト教団がとっている手法と、どこもちがわない。

もしそこに地獄に落ちるような人を見かけたら、その人のために救済の手を
さしのべてやることこそが、仏道の本来の精神というものではないのか。

(妻へ、息子たちへ)

私が死んでも、ぜったいに僧侶を呼ぶな。
読経などあげさせるな。
みなで、お別れ会をすればよい。
もし晃子がさみしがっているようなら、どうか、晃子を支えてやってほしい。
話し相手になってやってほしい。

2008年9月14日、しかと記す。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司
【9月14日】(日曜日)

+++++++++++++++

昨夜は、眠い目をこすりながら、
深夜劇場へ。
見たのは、『WANTED』。

まあ、デタラメな娯楽映画。
星は、3つの、★★★。
ストレス解消には、よい。

どんな映画にも、多少なりとも、
それなりの哲学があるものだが、
この映画に関しては、なし。

とくに気になったのは、
列車内での撃ち合いが高じて、
列車全体が谷底に転落していく
シーン。

当の本人たちが殺し合うのは、
本人たちの勝手。
だが、その事故の巻き添えに
なった乗客の人たちは、どうなるのか?

多少の哲学があれば、こういう
シーンはできないはず。
とたん興ざめ。

狂ったピストルマニアによる、
狂った殺し合い。

ボケ防止には、役にたったかも?

つぎに見たいのは、『イーグル・アイ』。
どこか『MATRIX』ぽくて、
楽しみ。

++++++++++++++

●ミニ・パソコン

現在、ミニ・ノート型パソコンが、超人気とか。
私も、さっそく、HPの2133と、AcerのASPIRE−1を購入してみた。

ほかに、その先駆けとなったE−PCとか、いろいろある。
今度は、DELも、販売を開始した。

DELの新製品については知らないが、今のところ、AcerのASPIRE−1が、
いちばん気に入っている。
バッテリー時間が、2133(こちらはバッテリーが2本付属)とくらべて短いのが
欠点だが、10月には、6セルバッテリーが発売になるとか。
それまでがまん。

MCJでも、10インチ画面のミニ・パソコンを発売しているが、キータッチが、どうも
もの足りない。
それに作りが、どこか安っぽい(ごめん!)。
E−PCも、それに工人社のミニ・パソコンも、キーボードが私の指には小さすぎる。
実用として使うには、無理(ごめん!)。

その点HPの2133には、重厚感がある。
手でいじっていても、楽しい。

ところで、教訓。
いくらパソコンでも、ミニ・パソコンには、パスワードなど、重要情報は入れては
いけない。
いつ、どこで紛失するかわかったものではない。
ご注意!

(実は私も、いろいろあって、この1週間、IDナンバー、パスワードの変更など、
余儀なくさせられた。ハハハ。)

(補記)ミニ・パソコンに関しては、XP仕様のほうが、VISTA仕様よりも、
はるかに使い勝手がよい。2133に関しては、電源を入れてから、立ちあがるまでに、
数分以上もかかってしまう。ミニ・パソコンの持ち味を生かしたいと思っても、つまり
カバンから出してすぐ使いたいというとき、いつもイライラさせられる。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

【今日、あれこれ】(9月15日)

+++++++++++++++++++

今日は、近くの富幕山(とんまくざん)に
登る予定だったが、朝からワイフが胃痛を
訴えて、あえなく断念。

急きょ、いろいろ予定を変更する。

+++++++++++++++++++

●立会い演説会

今日、近くの公園であった、立会演説会に出てみた。
今度立候補予定の、X氏の立会い演説会である。
前もって知らされていた時刻より、やや遅れて、X氏がやってきた。
私とワイフは、子ども用の鉄棒の上に座り、話を聞いた。

演説の途中で、「あとで質問を受けます」というようなことを言ったが、
結局、時間がないということで、そのまま終わってしまった。
X氏は、そそくさと、つぎの会場へと、行ってしまった。

その講演で、3〜4年ぶりに、大学の先輩に会った。
元気そうだった。
「どうしてここに?」と聞くと、「Xさんを応援しています」と。

で、この話はここで終わったが、昼寝をしているとき、そのつづきを見た(?)。
X氏だったかどうかは、よく覚えていないが、夢の中で、だれかが立会い演説をしていた。
どこか、見慣れない、美しい風景の丘の上だった。
遠くに、インディアンが住むような洞窟がいくつか見えた。
私は演説を聴きながら、ぼんやりとその景色を眺めていた。

記憶力が悪くなったせいか、公園での立会演説会でも、また夢の中でも、X氏がどんな
話をしたか、よく覚えていない。
「まじめにやります」「日本を変えます」「現在の姨捨(おばすて)政策を改めます」とか、
そんなようなことを言っていたような気がする。

今まで、X氏に投票してきたが、今回は、そのX氏に投票するのは、やめた。
昼寝から覚めたとき、ワイフとそんな会話をした。

(選挙だけは、我が家はみな、自由投票ということにしている。
当然のことだが……。)


●金xxの重病説

今日の朝刊(中日新聞)によると、K国の金xxが、(拉致に対する抗議の念をこめて、
「xx」としている)、いくつかの病気に苦しんでいるという。

腎臓病に肝臓病。
糖尿病もあって、心臓も悪いらしい。
そして今回、脳内出血と脳梗塞を同時に起こしたという(韓国系新聞)。
が、驚いたことに認知症も起こしているという。
別の情報(韓国系新聞)によれば、アルツハイマー病だという。
それも去年の春ごろ発症したという。

道理で、おかしなことばかり。
「金xxはまともではない」とは思っていたが、認知症とは、知らなかった。

が、それについて、中日新聞は、「金xxも、やはりふつうの人間だった」と書いている。

ふつうの人間?
とんでもない!
中日新聞は、「金xxといえども、スーパーマンではなかった」と言いたいのだろうが、
残念ながら金xxは、ふつうの人間ではない。
ふつうの人間なら、20万人とも40万人とも言われる人を、処刑したり、強制
収容所などに、送らない。
罪もない女子中学生を日本から、拉致したりしない。
金xxは、「中国の裏門に立つ、狂った犬」(韓国・某大学教授弁、韓国紙報道)。
彼の悪政のもとで、数百万人が餓死している。

……ということで、K国は、今、崩壊の危機に立たされている。
全体の動きとしては、強硬派の軍部が実権を握りつつあるようだ。
日本にとっては、たいへん危険な状態になりつつあると言ってもよい。

だいじょうぶなのかなあ……?
何でも数日前、どこかの国の潜水艦が、堂々と日本の領海内と通り過ぎていったという。
こんなことで、日本の自衛隊は、本当に日本を守ることができるのだろうか。


●ミニ・パソコン

今、最近買った、ミニ・パソコンがたいへん気に入っている。
いつも持ち歩いている。
昼寝をするときも、しばらく胸の上に置いて、文字を打ってみた。
キーボードは小さいが、指がそれに慣れてきた。

いつもならデスクトップに向かって、原稿を書いている。
が、今はちがう。
もっぱら、ミニ・パソコン。

どうしてだろう?
どうして、こんな小さなパソコンに魅力を感ずるのだろう?
そのこともあって、10年ほど前に買った、TOSHIBAの
ダイナブック・3010も、最近使い始めた。

ほかの仕事はできないが、文章を打つことだけはできる。
ボロボロで、塗装もはげている。
ワイフは何度か、処分したらと言ったが、私にはできない。
私にとってパソコンというのは、私の心を映す鏡のようなもの。
画面の向こうには、無限の世界が広がっている。


●9月15日

今日は敬老の日。
祭日。
山登りを中止したため、これといってやることもなし。
ほかに予定もなし。

ワイフの買い物につきあったり、料理をしたりした。
あとは昼寝。
庭掃除。
夕食のあとは、ワイフとDVD。
『希望の翼・最後に帰る場所』。
ホームドラマ風の古い映画。

「老人は古い武器のようなもの。
しばらく野ざらしにすれば、やがて錆びついて、使い物にならなくなる」と。
主演の男優が、そんなセリフを言っていた。

同じような話だが、老人になると、たとえば2週間もベッドに横たわっていたりすると、
そのまま歩けなくなってしまうそうだ。
そこで最近の医師は、相手が老人のばあい、無理をしてでも、できるだけ早く、
退院させるそうだ。

では、脳みそは、どうか?
しばらく野ざらしにしたら、使い物にならなくなるのだろうか。

『希望の翼・最後に帰る場所』は、ざっと言えば、つぎのような映画だった。

戦場に行った息子が帰ってくる。
心に重い後遺症を背負って、帰ってくる。
一度は死んだと思っていた息子である。
が、帰ってきたその日、父親が倒れる。
つまりは家族の絆をテーマにした映画だったが、
その映画を見ていて、こんなことを感じた。

アメリカ人というのは、三世代同居生活というのを、考えないのかなあ、と。
はじめから、そういう発想そのものがない。
日本なら、こういうケースのばあい、両親と、いっしょに生活することを、
まず考える。
が、戦場から帰ってきた息子は、嫁と子どもを連れて、家を出る。

それはともかくも、倒れた父親は、こう言う。

「私は残された時間に、みなと仲直りして、死にたい。私自身とも……」と。

敬老の日に、よいDVDを見た。
「私は老人だ。もうダメだ」と思っている人は、この映画を見たらよい。
それぞれのセリフがすばらしい。
何か生きるヒントを、与えてくれるはず。

「人は皆、さまよえる魂を持ち、
傷つきながら旅をする。
そして冷たい闇の中で、家の灯火(あかり)を見つけていく。
人が学べることなど、限られている。
心が宿る我が家にとどまり、
守っていくことぐらいだろう」(最後のシーンで)と。

ほのぼのとしたホームドラマという点では、星は4つの★★★★。
私のような団塊の世代には、とくにお勧め。


●2012年

このところ書店へ行くと、「2012」という数字が、よく目につく。
2012年に、人類は滅亡の危機に立たされるという。
マヤ暦が、その根拠になっているらしい。
そのマヤ暦を解読していくと、「2012年12月22日前後に、第五の太陽の時代
が終わる」(「2012年地球崩壊の大予言」・日本文芸社)とか。

具体的には、「2012年の9〜12月に、巨大隕石が、地球に衝突する」というのも、
ひとつの可能性として、あげられている。

しかし心配は無用。
それらしき隕石(小惑星、「トーチタス」)はあるにはあるが、そのころその隕石は
地球をはるか離れたところを通過する。
それにもし地球に衝突する可能性があるなら、隕石に接近して、それを
爆破することもできる。
人間はすでにそうい技術を身につけた。
マヤ文明の栄えた時期とは、今は、時代がちがう。

マヤ文明……紀元前1300年ごろ栄えた文明と言われているが、研究が進むに
つれて、それよりはるか昔から栄えていた文明であることがわかってきた。
一説によると、紀元前3000年までさかのぼることができるという。
もしそうなら、マヤ文明は、メソポタミヤ文明や黄河文明と肩を並べることになる。


●おろかな奇習vsおろかな民族

ここ数日、日本の冠婚葬祭についての原稿を書いてきた。
それがもつ、原点的なおろかさについて、書いてきた。
しかし、だからといって、日本の冠婚葬祭を責めても意味はない。
それらが奇習であるとするなら、その奇習を支えている、私たち自身こそ、
責められるべきである。

たとえば結婚式にしても葬儀にしても、見栄と虚勢の張りあいのようなところがある。
盛大であればあるほど、また列席者や参列者に、それなりの大物(?)が
いればいるほど、それを喜ぶ人たちがいる。
もてはやす人たちがいる。
しかも最近の傾向としては、昔からの名家の人たちほど質素にすませ、その
下の中堅クラス程度の人たちが、派手にそれをする傾向がある。
中には、なけなしの財布をはたいて、冠婚葬祭だけには金を注ぐという人も珍しくない。
地方の、田舎の人たちの中に、このタイプの人は多い。

なぜか?

結局は、生き様(ざま)の問題ということになる。
冠婚葬祭を派手にする人というのは、それだけ生き様と言えるような
生き様をもっていないことを示す。
「私はこう生きる」「私はこう生きてきた」「だから私はこうする」という
生き様がない。
ないまま、世俗の慣習に流され、それを「絶対的な善」として、信じきって
しまっている。

さらに悪いことに、人もある年齢を超えると、思考そのものがループ状態に
入る。
毎日、毎月、毎年、同じようなことを考え、その考えの中で、グルグルと
回るようになる。
過去をそのまま踏襲するようになる。
一度、こういう状態になると、「進歩」など、求めようもない。
が、さらにそこへ、脳の退化が加わる。
認知症にでもなれば、さらに退化する。
そういう人たちが、「老害」となって、若い人たちの生き様をしばる。

つまりこうしておろかな奇習が、おろかな人たちによって、つぎの世代に
伝承されていく。
みな、心のどこかでは、「おかしい?」と思いつつも、それを変えることが
できない。

そのひとつが、「戒名」ということになる。

私は、仏教界の人たちがどう考えているか知らないが、日本の仏教は、
戒名を突破口にして崩壊すると確信している。
和式仏教の矛盾が、すべてこの戒名という制度に集約されている。
が、それに対してあるBLOGに、僧侶の言葉として、こんなことが書いてあった。

「一般の人たちは、死者が出たときだけ、寺に泣きついてくる。
寺としては、そういうときだけでも、布施(=収入)を得なければ、
寺を維持することすらできない。(高額であって、何が悪い!)」と。

この記事を裏から読むと、すでに日本の仏教は、死滅していることになる。
「死滅」という言葉がきついなら、「形骸化」と言い換えてもよい。
私たちが子どものころは、寺というのは、子どもの遊び場でもあった。
それぞれの季節には、寺が子どもたちを呼んで、何かを食べさせてくれたり、
映写会を開いたりしてくれた。
紙芝居も、好んで寺の境内へやってきた。
当時は、まだそういう(つながり)が寺との間にあった。

しかし今は、もうない。
消えた。
どこの寺も、立派になり、立派になったことをよいことに、寺によっては、
門のところに背丈を越える鉄格子がはめてあるところもある(浜松市内)。
どこかの寺が率先して、慈善事業をしているという話は、私の近くでは、ここ
30〜40年、耳にしたことがない。

だから「葬儀のときだけ……」ということになる。

しかしこの傾向は、今後加速することはあっても、もとに戻ることはない。
日本の仏教そのものが、葬式仏教から、ビジネス仏教へと変身してしまった。
そのためますます多くの日本人が、日本の「寺」を通してみる「仏教」に、疑問を
もち始めている。
嘘だと思うなら、あなたも近くのだれかに聞いてみればよい。
戒名の話をしてみればよい。
100人中、100人が、「おかしい」と答える。

私自身も葬儀の席などでは、一応しおらしい様子で接してはいるが、その一方で、
「こんなことをして何になるのか」と、自分の心を押し殺さなければならない。
そういう現実を、今の僧侶たちは、いったい、どこまで気づいているだろうか。

(補記)
あなた以外の人の死について、葬儀のあり方を変えることは不可能と考えてよい。
実の親の葬儀にしても、仮にあなた流のやり方を押し通すと、思わぬ波風が立つ。
が、あなた自身の葬儀については、あなた流のやり方を、押し通せばよい。
そのために今、あなたが生きているうちに、遺言という形でよいから、
その意思を明確にしていおく。
「私の葬儀は、こうしてください」と。
そういう一人ひとりの生き様が、積み重なって、この日本の奇習を打ち砕いていく。

僧侶は不要。
読経など、もっと不要。
葬儀は内々で、静かに、と。

もしそれでだれかが、「地獄へ落ちる」とか、「三代に渡ってたたる」などと
言ったとする。
「それでは成仏できない」と言う人も、いるかもしれない。
それに対して、あなたはこう言って笑ってやればよい。

「あなたも少しは仏教を勉強したら?」と。


●生きる

「生きる」ということは、もっと別のことのような気がする。
同時に、「死ぬ」ということも、もっと別のことのような気がする。

私たちは「裸」で生まれる。
脳みそは、無垢の状態。
その私が今度は、「裸」で生きる。
いろいろな雑念が、脳みそを満たすようになる。

が、私は私。
どこまでいっても、私は私。
名誉や地位、そういったものがあるとしても、それは
あとからついてくるもの。
結果など、あってもなくても、気にすることはない。
それがわからなければ、野に飛ぶ鳥や蝶を見ればよい。
野に遊ぶキツネやタヌキでもよい。
「生きる」原点は、そこにある。

だから死ぬのも、裸。
ありのまま死ねばよい。
死ねば、私やあなたは、この宇宙もろとも、消えてなくなる。
少なくとも私やあなたがもっている「意識」というのは、そういうもの。
そういう「意識」が、死を乗り越えて、あの世にいくはずはない。
もし「行く」と信じているのなら、それは「思い込み」でしかない。

こんなパラドックスがある。
「逆説」とも言う。
「張り紙を張るな」という張り紙を張る。
「静かにしろ」と、大声で怒鳴り散らす。
そういうのをパラドックスという。

同じようなパラドックスに、自分の葬儀のことを心配する人がいる。
会う人ごとに、「私の葬式には来てくださいな」と頼んだりする。
自分の子どもに、「みすぼらしい葬式はするな」と言い伝えたりする。
しかし死んだその人に、自分の葬式のことがわかるだろうか。
仮にわかったとしても、その人が向かう「あの世」は、広大無辺に広い。
刹那(せつな)のそのまた刹那の、一瞬を過ごした地球上でのできごとなど、
「あの世」を前にすれば、ただの幻(まぼろし)。
そんな幻の結末などを、気にするほうがおかしい。

……と書いても、だからといって、「この世」はつまらないとか、
そう言っているのではない。
私が書きたいのは、その逆。

だからこそ、この一瞬一秒を、無駄なく、生きる。
「あの世」など、ないという前提で生きる。
死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
なければないでもかまわない。

アインシュタインは、こう言っている。
「生きていること自体が、奇跡なのだ」と。

だったら今、生きていることを大切にする。
「あの世」へ行ってから、成仏するとか、しないとか、
そんなくだらないことは考えない。
考えても、意味はない。
もし本当に成仏するかしないかということになれば、それは「この世」での
生き様によって決まる。
悪いことをさんざんし放題しておきながら、成仏するもしないも、ない。
こんなことは、ほんの少し常識を働かせば、だれにだってわかること。

ちょこちょこと、そこらの僧侶が、読経したくらいで、その人のそれまでの
一生が、評価されると考えるほうが、おかしい。

もうやめよう、こんな愚劣な議論は。
書いている私だって、疲れてくる。

さあ、あなたも、ありのままをさらけ出して、ありのままに生きよう。
そして「そのとき」がきたら、ありのままに、死のう。
その日のために、今、思う存分、生きよう。
何が苦しいかといって、「この世」に、やり残したことを残すことぐらい、
苦しいものはない。
そういう思いをしないためにも、今、思う存分、生きよう。

そのあとのことは、そのとき、また考えればよい。


●失う

++++++++++++++++

私の近くに、もうすぐ70歳になろうと
いう人がいる。
評判のケチで、お金にせよ、モノにせよ、
何一つ、手放そうとしない。

しかしこのところ、体調を崩し、今現在は、
寝たきりに近い状態という。

「命」にくらべたら、ほかの、ありと
あらゆるものは、夏の日に昇る陽炎(かげろう)
のようなもの。

どうして自分の「命」には、ケチにならないのだろう。
あるいはその前に、どうして「健康」には、ケチに
ならないのだろう。

私には、そういう人たちの心理が、よくわからない。

++++++++++++++

失うことを恐れる人は多い。
そういう人に共通するのは、人生観が薄いということ。
中には、「音楽など聴いたことがない」「本など読んだことがない」
「映画など見たことがない」などと豪語(?)する人もいる。
「まだ若いのだから、本でも読んで、少しは勉強したら?」などと言うと、
「私はもうすんだ」と。

つまり「世の中を知り尽くしたから、勉強する必要など、ない」と。

そして私より年長であることを理由に、私にあれこれと説教したりする。
私は私で、相手が年長であることに遠慮して、だまって、それを聞く。

「生への執着」。
それを裏返して言い換えると、「喪失への恐怖」ということになる。
そこでもし、「喪失の恐怖」から、人が解放されたら、「生への執着」も消える
はず。

私たちがなぜ「死」をこわがるかといえば、「生への執着」があるからに
ほかならない。

よい例(?)が、K国の金xx。
使い切れないほどのお金と、乗り切れないほどの車と、住み切れないほどの家。
そういった財産に加えて、身近に何十人もの、若い女性たちをはべらせているという。
で、ここから先は私の勝手な想像によるものだが、そういう人ほど、喪失への恐怖感
が強いはず。
つまり生への執着心が強い。
俗な言い方をすれば、「死んでも死に切れない」。
今は、そういう状態ではないか。
が、年齢は、たったの66歳。
若い。
その年齢だったら、世界中を旅しながら、遊んでいる人はいくらでもいる。
ぜいたくな旅でなくてもよい。
木賃宿に泊まり、屋台で売るソーセージをほうばる……。
つまりそれも財産のひとつと考えるなら、金xxの財産は、あまりにもみじめ。
貧しい。

大切なことは、身の回りで、何が大切で、何がそうでないか、それを明確に見極めること。
その価値判断を誤ると、そのまま人生そのものを、見誤ってしまう。
どうせ私たちは、死によって、すべてを失う。
この宇宙、もろとも、だ。

だからといって、積極的に失えということではないが、名誉や地位、それに財産にせよ、
「命」と比べたら、何でもない。
もっとわかりやすく言えば、「今、ここに生きている」ということにまさる価値は、
ほかにない。
それさえ大切にすれば、仮に今、重病であっても、こわいものは、何もないはず。

(その日)はいつか、かならずやってくる。
どういう形でやってくるかは、わからないが、かならずやってくる。
その日のために、私たちは常日頃から、心を養っておく。

音楽を聴いて、本を読んで、映画を見て……。
自分の人生観を厚くしておく。

もし人がケチになることがあるとするなら、「時間」ということになる。

くだらないテレビ番組を見たり、くだらない人と会話をしたり、くだらないことをして
時間をつぶす。
それこそ、本当の「損」というもの。
真・善・美……どれでもよいから、その追求のために、一瞬、一秒を燃やし尽くす。
そうでなくても、それにたどりつくのは、むずかしい。
あるいはそれにたどりつけるという保証は、どこにもない。
が、あきらめてはいけない。
ともかくも、私たちは、前に向かって進む。

あなたのまわりにも、ケチと呼ばれる人は多いだろう。
守銭奴となって、こまかいお金にきゅうきゅうとしている。
そういう人がそういう人であるとわかるだけでも、あなたはその人とはちがった
人であることを示す。

あとは、そういう人を、あわれで、かわいそうな人と思えばよい。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●日本の危機

産経ニュース(インターネット)は、つぎのように伝える(9月13日)

『けいれん症の後遺症も伝えられる北XXの金xx総書記(66)だが、重要式典さえ参
加できないとなればもはや「生きながらに死んでいる」状態。これまでもアルツハイマー
で重要決定ができず、集団指導体制で政権を維持してきたとされるが、脳卒中発症後から
政権内の抗争が激化。テポドン発射準備や核交渉決裂からみると、軍強硬派に実権が移り
つつあり、日本の安全にとり重大な危機が迫る』と。

金xxが、アルツハイマー病にかかっていたということは、知らなかった。
道理で、表情がおかしかった(?)。
しかし……。

また「軍強硬派に実権が移りつつある」とはあるが、こんな情報も伝えられている。

朝鮮N報、9月13日付は、つぎのように伝えている。

『現在では軍内部に、「今年下半期に人民軍の食糧倉庫である"2号倉庫"の備蓄が底を尽
き、人民軍の部隊に大量の餓死者が出るかもしれない」という恐ろしい噂が広まり、軍内
部の動揺も大きくなっている』と。

同じような情報が、あちこちから出ているところからみると、K国の内部事情は、
かなり深刻らしい。
つまり現在、K国の軍隊は、ガタガタ。

……そこで日本、危機説。

追いつめられた軍強硬派は、それを打開するため、「戦争」に打って出るしかない。
戦争あっての「軍」である。
が、その相手となると、日本と韓国しかない。
口実は、何とでもつけられる。
韓国軍は、K国崩壊に備えて警戒レベルをあげたという情報も流れている。

では、この日本は、どうか?

幸いなことに、K国の空軍、海軍は、老朽化がはげしく、使いものにならないという。
私が調べたところ、2隻のフリゲート艦があるが、旧ソ連から払い下げられたもの。
写真で見ても、艦全体がサビついているようにも見える。
別の情報によれば、港に係留されたたまま、動いた気配はないという。

残るは、ミサイルと核兵器。
それに原子力発電所の破壊。

万が一にも、東京に核兵器がミサイルで撃ちこまれたら、日本の政治、経済、社会は、
一夜にして崩壊する。
日本海側にある原子力発電所が破壊されても、同じような結果になる。
チェリノブイリの事故を思い出すまでもない。

つまりK国は、そういった形で日本を脅しながら、超多額の戦争賠償金を日本に要求
してくるだろう。
すでに中国を介して打診してきた額は、100兆円とも言われている。
(100兆円だぞ!)

そこで日本にとって最善のシナリオは、K国が静かに自然崩壊すること。
隣の韓国や中国は、それでは困るというかもしれないが、日本は日本として、K国を
そういう方向にもっていくしかない。

そのあとK国は、当然のことながら、韓国、中国、アメリカの共同管理国になるのだ
ろうが、私は実質的には、中国の管理下に入ると思う。
そのとき日本の拉致問題も解決する。

ともかくも、今の日本がもっとも憂慮すべきは、K国の軍部の暴走。
それだけは何としても、食い止めなければならない。

なお産経新聞は、つぎのようにも伝える(9月14日)。

++++++++++以下、産経新聞より+++++++++++++

9日に表面化した北朝鮮の金正日総書記の重病説を受けて、韓国、米国が「不測の事態」
を視野に走り出す中、日本政府は関係省庁による公式の情報分析・対策会議も開いていな
い。北朝鮮での異変の兆候は日本の安全保障に直結する重大問題なだけに、「日本政府は

まりに鈍感だ」(北朝鮮問題専門家)と対応を懸念する声も聞こえる。(北朝鮮問題取材班)

++++++++++以上、産経新聞より+++++++++++++

いいのか、日本!
このままで!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

【日韓経済戦争・9・14】

●外平債って、何?

++++++++++++++

まず、朝鮮N報のつぎの記事を読んでほしい。
こうある(9月13日)。

++++++++++++++

『企画財政部は11日、10億ドル(約1070億円)規模の外国為替平衡基金債券(外
平債)の発行に向け、米ニューヨークで外国人投資家と交渉を進めたが、発行条件をめぐ
る要求の差が埋まらず、不調に終わったと発表した。アメリカ金融不安のあおりで、起債
計画に支障が生じた格好だ』(朝鮮N報より抜粋)と。

日韓経済戦争は、まだ終わっていない。
韓国の「9月危機説」も、まだ終わっていない。
その証拠が、この記事である。

まずこの2週間の韓国経済の流れを追ってみよう。
その第一、韓国政府は、手持ちの外貨を大量に使って、ウォン買い、ドル売りの大攻勢に
出た。
その額は今のところ不明だが、10月になればはっきりする。
つまり韓国政府は、一か八かの大勝負に出た。

このまま座視すれば、外資はどんどんと逃避し、ウォンの価値はさがる。
物価は上昇し、国内経済は混乱し、へたをすればそのまま奈落の底へ。

そこでなけなしの手持ちドルを使って、韓国政府は、ウォン買いの大攻勢に出た。
いわば貯金を使って、ウォン防衛に打って出たことになる。
しかしへたをすれば、やがて外貨不足になって、(すでに不足状態だが)、韓国はデフォル
ト(債務不履行)に陥りかねない。

結果、一時は、1ドル=1400ウォンまでさがっていたウォンが、現在(9月14日)
は、1100ウォン前後で落ちついている。

韓国の各紙は、政府談話を織り混ぜながら、「9月危機は去った」とはしゃいでいる。
しかし「待ったア!」。

ここに出てくる、「外国為替平衡基金債券」、略して「外平債」というのは、わかりやすく
言えば、韓国銀行(日本の日銀にあたる)がする、借金のことである。
わかるかな?
韓国政府の借金ではなく、韓国銀行の借金である。
こんなことは日本の常識では考えられない。
それともあなたは、日本の日銀が、いまだかって、外国に借金をしたというような話を聞
いたことがあるだろうか。
あるはずがない。
そもそも「外平債」というのが、世界の非常識。
どこの中央銀行が、外国に借金など、申し込むだろうか。

が、韓国銀行は、それをアメリカのニューヨークで行った。
いわく「発行条件をめぐる要求の差が埋まらず、不調に終わったと発表した」と。
その理由として、「アメリカ金融不安のあおりで、起債計画に支障が生じた格好だ」と。
たくみにアメリカ側のせいにしているところが恐ろしい。

理由は、アメリカの金融不安ではない。
「発効条件が折り合わなかった」からである。
朝鮮N報の同記事も、末尾のところでこう書いている。

「企画財政部のS・J国際業務管理官は、『交渉過程で外国人投資家が韓国経済に対する懸
念を抱いていないことを確認したが、アメリカ市場の状況が思わしくなく、高い金利を要
求された。あえて悪条件で発行する必要するはないため起債延期を決めた』と説明した」
と。

つまり外国人投資家は、韓国経済に対して、懸念はもっていないが、高い金利を要求した
ので、折り合わなかった、と。

現在、原油や金属市場から逃げ出した資本は、いっせいに株式、債権に向かい始めている。
「アメリカの市場が思わしくないので」という理由は、ウソと考えてよい。
本当の理由は、「韓国経済に不安をいだいた投資家たちが、高い金利を要求した」からであ
る。
朝鮮N報にも、そう書いてある。

「金は貸してもいいが、金利を高くしてくれなければ、いやだ」と。
だから折り合いがつかなかった!

つまりこの流れを裏から読むと、韓国銀行には、手持ちの外貨がなくなってしまった。
そこで韓国銀行は、ニューヨークで借金をしようとした。
しかし「金利を高くせよ」と迫られて、結果的に、それを断わられてしまった。

……ということで、「9月危機」は、去ったわけではない。
終わったわけでもない。
いまだ、現在進行中。

さあ、どうする、韓国。
つぎの一手は?

+++++++++++++++++

(ワイフのために……)

わかりやすく説明しよう。

各国の中央銀行(日本のばあい、日銀)は、金の管理をするのが仕事。
もっとわかりやすく言えば、輸出入で出入りする金の決済をするのが仕事。
ほかにも公定歩合などを調整する仕事もあるが、借金までして外貨を調達するというのは、
少なくとも世界の常識からは、完全にはずれている。

これに対して政府が借金するばあいは、ある。
日本の国債などは、その一例。

で、韓国のばあい、韓国銀行そのものに、ドルが不足してきた。
韓国の輸出入業者が、ウォンをドルに換えてほしいといってきたとき、手持ちのドルがじ
ゅうぶんあれば、問題はない。
しかしそのとき、「ドルがありません」と言えば、債務不履行の状態になる。
つまりデフォルト。
国家破綻。

それを防ぐために韓国銀行は、世界ではほとんど前例のない、「外平債」の発行をつづけて
いる。
その額、今回は、10億ドル。
私の推測では、韓国政府は、この7月に70億ドル程度の為替介入をしている。
それをベースに推測してみると、9月に入ってからは、おそらく100億ドル程度の為替
介入を繰りかえしたとみてよい。

韓国の経済規模からすると、これはたいへんな額である。
それと比べると、10億ドルというのは、そうたいした金額ではない。
つまりそんな金額ですら、「断わられた」。

韓国の9月危機は、終わったわけではないという理由は、ここにある。


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   13日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●豊かな生活(?)

++++++++++++++++

貧困感を訴える人がふえている。
先日見た何かの調査結果によると、
日本人の約60%が、「貧しい」「生活が苦しい」と
訴えているという。
幸福度は、43位(アメリカ政府公認の研究組織
「ワールド・バリュー・サーベイ」調査・08年)
という報告もある。

不景気ということもあるが、どうもそれだけでは
ないようだ。

++++++++++++++++

バブル経済の最中、日本中が、マネー、マネーで、狂乱状態になった。
そのころのこと。こんな子ども(中2男子)がいた。
夏の暑い日だったが、片手で胸をかきむしりながら、ハーハーとあえいでいた。
「どうしたの?」と聞くと、「暑くて、苦しい」と。
「クーラーがない部屋では、勉強できない」とも。

またこんなことも。
1人の女の子(中3女子)が、突然、家に帰ると言い出した。
訳もわからず、私は言われるままタクシーを呼び、その女の子を家に帰した。
で、あとで母親に理由を聞くと、こう話してくれた。
「うちの子は、よその家のトイレが使えないのです」と。

ほかにもいろいろあったが、そのつど、私はこう思った。
「こんなことでいいのかなあ?」と。

つまり当時、子どもたちは、目いっぱい、ぜいたくな生活を送っていた。
そしてそうであることが、当たり前という感雰囲気だった。
私はそういう子どもたちを見ながら、こう思った。
「おとなになってからも、今のような生活が維持できればそれでいい。
しかし維持できなくなったとき、こういう子どもたちは、どうなるのだろう」と。

そこで今の若い人たちの生活をながめてみる。
たとえば車にしても、「あるのが当たり前」というふうに考えている。
車といっても、私たちの時代には、小型の車から乗り始めた。
私が乗っていたのは、本田のライフ(軽)。
つぎに買ったのが、シビック。
どれも中古車だった。

それが今では、いきなり4WDの高級車。

住居にしてもそうだ。
私たちの時代には、6畳とか8畳一間の間借りから、生活を始めた。
ワイフと知り合ったころも、8畳一間の間借りだった。

それが今では、マンション生活。

「収入に見合った生活」というよりは、「収入ギリギリの、あるいは
それ以上の、恵まれた生活」を基準にする。
洗濯機にしても、冷蔵庫にしても、電子レンジにしても、あらゆるものが、
あるのが当たり前という前提で、ものを考える。
つまりこれでは、余裕そのものが生まれない。
その余裕のなさが、貧困感につながっている(?)。

もっと言えば、収入が40万円だったら、それに見合ったというか、
その範囲の生活をすればよい。
20万円でも30万円でもよい。
その範囲で生活をすればよい。
もっと言えば、「ないのが当たり前」という前提で、生活をする。
今の若い人たちには、そんな感覚がないのではないか。

「結局は苦労するのは、子どもたち」と、日本中がバブル経済に
酔いしれていたころ、私は思った。
そう思ったことが、今、現実になっている。

(付記)世界の幸福度調査

(1位)……デンマーク
(2位)……プエルトリコ
(3位)……コロンビア
(4位)……アイスランド
……
(16位)……アメリカ
(21位)……イギリス
(43位)……日本
(54位)……中国
(62位)……韓国
……
(100位・最下位)……ジンバブエ

(アメリカ・ミシガン大学・「ワールド・バリュー・サーベイ」08年調査)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【戒名】(Buddah's Name given by Priests)
In Japan we have to pay at least around 300 thousands yen (abt 3000 US dollars) to 
priests who give us the Buddha's name when someone dies in your home. The price 
depends on the name given by them. Some people pay 1 million yen (or more), to one 
simple name. This is funny and strange!

●「戒名」って、何だ?

+++++++++++++++++

戒名…「僧が死者につける名前。真宗では
『法名(ほうみょう)』、日蓮宗では
『法号』という」(「日本語大辞典」)とある。

しかし、これはウソ!

+++++++++++++++++

●日本だけの奇習

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「戒名(かいみょう)は、仏教において、仏門に入った証し、戒律を守るしるしとして与
えられる名前。上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に
対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名
するため、その意味で法名と呼ぶ。
またそこから転じて、死後に浄土で出家して最終的には仏となる浄土思想にもとづき、死
者に戒名を与える風習が生れた。死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている」【ウ
ィキペディア百科事典】と。

つまりもともと「戒名」というのは、「出家修道者に対して受戒の師僧によってあたえられ
る名前」をいう。

話はそれるが、平安時代、鎌倉時代の昔には、「僧」というのは、今で言う、医師、教授を
かねた、たいへんな知識階級を構成していた。
最終的には、水戸、奈良(東大寺)、太宰府にあった、国立の三大戒壇の道場のどれかで、
認定を受けて、僧は晴れて一人前の僧になることができた。

したがって「当初は、出家・得度し、受戒(仏の定めた戒律を守ると誓うこと)を済ませ
て、仏道修行の途上にある人だけに与えられるのが戒名であった」(「葬式に坊主は不要と
釈迦は言った」・北川絋洋・はまの出版)というのが正しい。

しかもだ、「死者に戒名をつける」という風習、(これはもう「奇習」と呼んでさしつかえ
ないと思うが)、そういった風習があるのは、この日本だけだそうだ(同書)。

北川絋洋氏も、こう書いている。

「事実、日本以外の仏教国、たとえばスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベト
ナム、中国、韓国では、戒名というのは存在しない」(同書、P32)とある。

ウィキペディア百科事典にも、つぎのようにある。

「戒名は仏教が中国に伝わった際、号の風習を取入れて生れたものであるといわれる。道
教の道号などと同様、号の一種として考えることができるだろう。戒律の規定では、初め
て沙弥戒(十戒)を受ける時に、師より戒名(法名)を授かり、それと同時に従前の俗名
を捨てるとされる。

現代の日本では、各宗派独自に、法要や儀式を受けたり、ある一定の講習に参加したりし
た人に対しても授けるようになっている。また、死者に対しても戒名を与える慣習がある
ため、生前の俗名に対する死者の名前であると誤解されている面もある」と。

わかりやすく言えば、出家者が、それまでの俗名を捨てて、そのかわりに師僧から受け取
る名前が、「戒名」ということになる。

ウィキペディア百科事典にもあるように、「生前の俗名に対する死者の名前」というのは、
「誤解」なのである。
誤解が誤解とも認識されず、そのまま日本の社会の中に定着してしまった。

●宗派によって異なる戒名

この戒名は、宗派によって、みな違う。

ウィキペディア百科事典を参考に、それをまとめてみると、つぎのようになる。

"浄土宗鎮西派では、男女の別なく「誉」号をつける。西山派では「空」号を用いる。
位号は用いない。 

"浄土真宗では、「戒名」ではなく「法名」を用いる。「釋」号を冠して2字の法名が
付く。位号は用いない。 

"時宗では、古くは「阿弥陀仏」号を付けた。観阿弥、世阿弥はその崩れである。現
在では男性にその略である「阿」号、女性には「弌」(いち)号をつけるのが原則で
ある。阿弥陀仏号は重源が「南無阿弥陀仏」と自称したことを起源とし、成仏した
ことを意味する。女性も当初は阿弥陀仏号であったが、一遍は「一房」号や「仏房」
号を与えた。「一仏乗」からとったという。弌号はその名残りである。 

"日蓮宗では、法華経信者は霊鷲山の浄土に生まれるとされるため、「戒名」ではなく
「法号」と呼ぶ。「日」号、「妙」号などが使われる。 
o日蓮正宗では、「戒名」。 

"律宗では、戒名の下に「菩薩」の2字が付く。 

(注:以上の特徴の説明は、地域・寺院などの慣習によって異なる場合がある。)

こうして並べただけでも、戒名というのが、いかにいいかげんなものかがわかる。
本当にそれだけ重要なものであるなら、宗派ごとに、こうまで考え方やつけ方が、異なる
はずがない。

もう少し広い視野で、ものを考えてみよう。
アジア大陸全体を、宇宙から見ている自分を想像してみればよい。

そのアジア大陸の中心に、インドやネパールがある。
釈迦仏教はそこで誕生した。

で、日本は、その右隅にある小さな島国。
その島国には、死者に戒名を授けるというおかしな風習が残っている。
しかも宗派によって、考え方もつけ方も異なる。

そういう視点で見ただけでも、戒名があるから成仏できるとか、ないからできないとか、
そんなふうに考えること自体、まちがっていることがわかる。
北川絋洋氏は、同書のどこかで、「霊感商法と同じ」というようなことを書いているが、ま
さに霊感商法。
無知で、無学な人たちにつけこんだ、霊感商法。

●実名で、なぜ悪い?

死者に戒名なるものが与えられるのが、日本だけにある奇習の一つであるとするなら、仮
にあなたが熱心な仏教徒であるとしても、戒名などなくても、恐れることは何もない。
あなたには、あなたの実名がある。
実名のまま、死ねばよい。
実名のまま、あの世へ行けばよい。
どうしてその実名ではいけないのか?

百歩譲って、「戒名がなければ成仏できない」というのなら、それを言うほうがおかしい。
まちがっている。
一度、市内にある、ある寺の住職に、私はこう聞いたことがある。
「どうして戒名が必要なのですか?」と。
それに対して、その住職はピンと背筋を伸ばして、こう言った。

「俗名には、世間のしがらみが、ごみのようにまとわりついています。
そのしがらみを断ち切り、清廉潔白な気持ちで、極楽浄土に行くために必要です」と。

北川絋洋氏も、こう書いている。

「僧侶の中には、戒名についてきちんと説明してくれる人もいる。その場合も『仏の教え
に従って生きていこうとする人に与えられる名前』という内容がほとんどである」(同書、
P31)と。

だいたい、釈迦のもとに行くのに、「漢字の戒名」ということ自体、おかしい。
サンスクリット語、もしくはせめてヒンズー語でなければならない。
それを僧侶は、葬儀の席で、たとえばこう言って説明したりする。

「釋浩然信士……というのは、広く洋々たる海(=浩)のごとく(=然)、極楽浄土に向か
うことができるという意味です」とか?

嘘八百!
まさに言いたい放題!

それを聞いて、信者や遺族は、ハハ〜と、ありがたくも、頭をさげる。

●おかしいものは、おかしいと皆で、声をあげよう!

あなたが仏教徒であっても、またなくても、(たいていは名ばかりの仏教徒だが)、おかし
いものは、「おかしい」と、皆で、声をあげよう。

葬儀になると、葬儀社のほうから、勝手に遺族と僧侶を仲介しながら、「戒名はどうします
か」と聞いてくる。
もちろん戒名の内容によって、「布施」の額も変わってくる。
下は20〜30万円から、上は80〜100万円。
寺の格式(?)に応じて、上にはキリなし!
近くには、300万円も払った人がいる。

○○院
○○居士(こじ)
○○釈尼
○○信士
○○大姉
○○信女、ほか。

布施の額もちがえば、読経する僧侶の数も変わる。
読経の仕方も変わる。

そこで遺族が、「戒名は不要です」などと言おうものなら、僧侶のほうが、読経を断ってく
る。
葬儀社の担当者も、こう言う。
「戒名なしでは、僧侶は来てくれませんよ」と。
が、日本人は、「葬儀には僧侶による読経は絶対必要」と、骨のズイのズイまで、叩き込ま
れている。
(実際には、僧侶抜きの葬儀をする人もふえているが……。)
だから否応なしに、遺族は、戒名をつけざるをえないという状態に追い込まれる。
ゆっくりと考えて暇もない。

が、しかし、もしそうなら、僧侶なしの葬儀であっても、何ら、おかしくない。
「戒名なしで葬儀はできない」と言うのなら、僧侶に来てもらう必要はない。
こちらから願いさげればよい。

●葬式仏教からビジネス仏教へ

葬儀そのものが、葬儀社と僧侶によって、形骸化してしまっている。
もっとはっきり言えば、ビジネス化してしまっている。
が、その責任は、「私たち檀徒にもある」と、北川絋洋氏は説く。

私たち自身が、あまりにも無知、無学というわけである。
まったく同感である。

「……つまり、戒名(料)については、どうも一般の人たちの間に、値段が高いほうがい
い戒名、安いのは悪い戒名という認識があるようなのである。
どこのだれがそんな妄説(もうせつ)を唱えたのか定かではないが、日本人の心には最近
とみに、なんでもお金で解決できるという考え方が根づいてしまっているようなのだ。
それで喜ぶのは、どうやら寺と僧侶だけだということには、まったく気づいていないので
ある」(同書、P41)と。

しかしあえて一言。

寺の住職たちよ、こんなバカげた奇習を守りつづけて、好き勝手なことをしていると、日
本の仏教は、ほんとうに死滅するぞ!
一般庶民にしても、檀徒にしても、君たちが思っているほど、馬鹿ではないし、それに気
づき始めている。

すでに都会地域では、「直送(ちょくそう)」「自然葬」という言葉が、日常的な会話の中で
語られるようになってきている。
「直送」については、東京都だけでも、約30%の人が、それをしている。

葬儀にせよ、大切なのは、「心」。
日本の仏教は、その「心」を忘れてしまっている。

((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 葬儀 戒名 戒名論 はや
し浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 戒名 
戒名論)
参考文献:北川絋洋著「葬式に坊主は不要と釈迦は言った」・はまの出版


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2823)

●和式仏教の終焉(しゅうえん)
(What is the Japanese Buddhism? Everything is funny and strange.)

+++++++++++++++++++

浜名湖に面して、小さな漁村がある。
「その昔は、漁村だった」というべきか。
その昔は、浜名湖に生える天然の海苔が、
主な収入源だったという。

全体で、30世帯ほど。
最近まで、半分ほどがミカン農家だったが、
営農者の高齢化とともに、減反につづく減反。
今は、農業を営む人も、ほとんどいない。

その村での法事に行ったときのこと。
ワイフの母の実家が、そこにある。

「今年は、13軒も初盆がありましてね」と、
ワイフの従兄弟にあたる、Kさんがそう言った。
「でもね、初盆をする家は、半分くらいです。
あとの半分は、しません」と。

都会地域でならまだしも、そんな村でも、
今、初盆さえしない家がふえている。
Kさん自身も、「できればうちも、やめたかった」と。

「このあたりでは、13、14、15、16日と、
4日間もするのです。たいへんです」とも。

今、日本の仏教は、大きな曲がり角に来ている。
転機と言うべきか、それとも、終わりの始まりと
言うべきか。
称して、「和式仏教の終焉(しゅうえん)」。
このままでは、日本の仏教は、ほんとうに死滅する。

+++++++++++++++++++

日本の仏教は、おかしい。
何からなにまで、おかしい。
戒名に例を見るまでもない。

「宗教心」と、「信仰心」は分けて考える。
「どこがどう違うのか?」と思う人もいるかもしれない。
しかし宗教心をもつということと、信仰心をもつということは、別。
もっとわかりやすく言えば、「宗教」と「信仰」とは、別。

宗教それ自体は、哲学と考えてよい。
「宗教哲学」という言葉もある。
「教え」に従い、その教えを日々の生活の中で生かすことで、より豊かな人生(=心)を
めざす。
しかし信仰というのは、「信ずること」。
『イワシの頭も信心から』ともいう。
哲学というところの「学」は、ない。
なくても、一向に構わない。

そこでこの日本。
信仰心のある人は多いが、宗教心のある人は少ない。
仏教徒と言いながら、仏教の勉強をしたことがある人は、ほとんどいない。
中に経典をスラスラと読む人もいるが、その意味まで把握している人となると、少ない。

それもそのはず。
日本の仏教は、釈迦が説いた仏教というよりは、チベット密教の流れをくむ中国仏教。
信仰によって病気を治したり、国を治めたりする。
「教え」らしきものはあるにはあるが、もととなる経典にしても、そのほとんどは、
釈迦滅後、500〜600年もたってからインドで作られたもの。
日本で偽作された経典すら、ある。
「初七日から四十九日の法要など十仏事」の根拠になっている『地蔵十王経』も、
そのひとつ。
「鎌倉初期に日本において偽造されたことが、証明されている」(北川高揚)。

だから日本の仏教では、ルーツをたどられること自体を、嫌う傾向が強い。
あるいは日蓮、親鸞などの説いた仏教を、その始点とする。
中には、「日蓮は釈迦の生まれ変わりだから、日蓮仏法のほうが本物」と説明する人もいる。

たとえば観音様が女性であっても、(もともとは男性)、かまわない?
日本の仏像が、古代インドの衣装ではなく、古代ギリシアの衣装を身につけていても、
かまわない?
アフガニスタンの「ウラバン」が、「盂蘭盆(うらぼん)」になり、盂蘭盆会(え)に
なってもかまわない?

しかしいくら信仰をしても、盲目になってはいけない。
「おかしい」と思う心を失ってはいけない。
でないと、それこそイワシの頭を信じながら、それにすら気づかなくなる。
あるいはカルト教団の餌食となって、貴重な人生そのものを、棒に振ることになる。

では、宗教とは何か。

一言で言えば、「身の回りの不可思議さについての、哲学的体系」ということになる。
哲学の一部ということになるが、哲学とは視点が逆。

哲学は、実証された(事実)をもとに、思想を体系化していくが、宗教は逆に、
そこにある(不可思議さ)の中から、(事実)を引き出していく。
わかりやすい例で考えてみよう。

たとえば実存主義と呼ばれる哲学がある。
その実存主義では、(認識)を大切にする。
「私が生まれてみたら、そこに親がいた。社会があった。国があった」と。
この宇宙にしても、人間が認識するから、そこにあると考える。
そこで「神も仏も、人間がつくった」と考える。

一方、宗教では、(存在)の不可思議さに驚き、おののく。
「なぜ、山があり、海があるのか。人間がいるのか」と。
この宇宙にしても、まず不可思議な力によって、そこにつくられたと考える。
そこで「神が、人間をつくった」と考える。

さらにかみくだいて言えば、「生きている存在」として考えるのが哲学、
「生かされている存在」として考えるのが宗教ということになる。
つきつめて言えば、私たちは生きているのか、
それとも生かされているのか。
「私は生きている」という視点で、自分の生き様を確立していくのが哲学。
「私は生かされている」という視点で、自分の生き様を確立していくのが宗教。

どちらにせよ、こと(考える)という視点では、哲学も宗教も、方向性こそ逆でも、
中身は同じということになる。
ともに体系化されうるものだし、現に体系化されている。

が、信仰する人の多くは、(信仰)することだけをもって、それが「宗教」と
思いこんでしまっている。
さらに信仰的儀式を忠実に守ることだけをもって、それが「信仰」と思いこんで
しまっている。
はっきり言えば、ノー・ブレイン。
考える力どころか、批判力すら、喪失してしまっている。
それが集約されているのが、現在のこの日本に見る、葬儀ということになる。

もちろん中には、私たちが見えないところで仏道の修行に励んでいる行者も
いるかもしれない。
一歩退いて、どこの寺の住職でも、頼んだり質問したりすれば、それなりのことをしたり、
言ったりする。
しかしそういったものが、表に出てこない。
私たちに伝わってこない。

たとえば私の周辺でも、寺の住職が率先して、貧しい人や、苦しんでいる人を
救済したという話は、聞いたことがない。
耳に入ってくるのは、おどろおどろしい話ばかり。
金(マネー)にまつわる話ばかり。
ある遺族が、「うちにはお金がない。戒名料を払うお金がない」と言うと、その
僧侶は、読経もせず、寺に帰ってしまったという。
さらに日本では、高額所得者というと、医師、弁護士ということになっている。
が、実際には、寺の住職たちは、それ以上の収入をあげている。
一度税務署は、そういう実態を公表してみては、どうか。

こんなことをつづけていたら、日本の仏教は、どうなるか?
改めて私が、ここに書くまでもない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●謎の小惑星、「シュテインス」

+++++++++++++++++

欧州宇宙機関(ESA)が、10月6日(08)、
小惑星「シュテインス」の写真を公表した。

+++++++++++++++++

欧州宇宙機関(ESA)の探査機「ロゼッタ」が、
小惑星「シュテインス」に接近、写真撮影に成功した。

シュテインスは、地球から3億6000万キロ離れており、
直径は、4・6キロ(この数字に注目!)。
ちょうどダイアモンドのような形をしている。

が、この小惑星にも、大きなクレーターがある。

新聞記事をそのまま紹介する。

「ダイアモンドの上面にあたる部分に、直径2キロ
の巨大なクレーターがあるほか、側面に7つの小さな
クレーターが一直線に並んでいるのが特徴だ」(中日新聞)と。

●直径2キロのクレーター

こうした小天体(もしくは小惑星)には、たいてい場違いなほどに大きい
クレーターがある。

クレーターといっても、崩れた形のものではない。
どれもほぼ真円に近い、きれいな円形をしている。
(もちろん惑星そのものが、いびつだから、周囲はでこぼこしているが……。)
今度、欧州宇宙機関(ESA)の探査機「ロゼッタ」が、
写真撮影に成功した小惑星「シュテインス」も、その中のひとつ。

直径4・6キロの小惑星に、直径2キロのクレーター?

クレーターというのは、隕石どうしの衝突によって作られるもの。
それが常識(?)になっている。
もし直径4・6キロしかないような小惑星に、直径2キロものクレーターを
作るような隕石か何かが衝突したら、その小惑星は、クレーターを作る前に、
こなごなになってしまうはず。

そんなわけで、私は、こうしたクレーターは、自然にできたものではないと思う。

●宇宙船

宇宙を航行する、もっとも安全な宇宙船を、もっとも安価に建造するとしたら、
宇宙に漂う小天体か、小惑星を利用する方法がある。
こうした小天体か小惑星の内部をくりぬいて、その中を居住空間とする。

外壁を厚い岩盤でおおわれているから、危険な放射線や宇宙線をそれで防ぐ
ことができる。
宇宙を漂うゴミとの衝突による被害も、それで防ぐことができる。

重力はほとんどないから、作業も楽である。

が、問題は、推進装置。
どうすればその宇宙船を、目的の方向に向けて、動かすことができるか?
実は、方法は簡単である。

●推進装置

こうした小天体にせよ、小惑星にせよ、推進装置をつけるのは簡単である。
その上に、すり鉢状のクレーターを作ればよい。
その中で、何かを爆発させればよい。
半球形のクレーターであれば、爆発させる位置、爆発物の威力を調整する
ことによって、小天体、小惑星を自由に移動させることができる。

位置と威力の特定は、コンピュータを使えば、それほど難しいことではない。
探査機を操作するよりは、はるかに楽。
また爆発物には、放射能を出さない純粋水爆のようなものを使えばよい。
こまかくボン・ボン・ボン……と小刻みに爆発させれば、小天体、小惑星への
被害もないだろう。

●謎のシュテインス

ここにも書いたように、シュテインスにも、直径2キロのクレーターがある。
そればかりか、7個のクレーターが一直線に並んでいる。
写真でみるかぎり、大きさも、ほぼ同じ。

こうしたクレーターを、ここに書いた推進装置と理解することはできないだろうか。

大きなクレーターは推進装置。
小さなクレーターは、進行方向を微調整するためのもの。

もしそうであるとするなら、シュテインスはまさに、宇宙船ということになる。
外壁が、ノッペリとしているのも気になる。
何かの物質で、補強されているのかもしれない。
新聞の見出しにも、「小惑星、ダイヤの輝き」とある。
太陽の光をまぶしいほどまでに反射する物質と考えると、納得がいく。

その探査機「ロゼッタ」は、2014年に「彗星に接近、小型探査機を着陸
させる」という。
この記事だけでは、ロゼッタがシュテインスに着陸するのかどうかはわからない。
「彗星」とは、シュテインスのことなのか?

どうであるにせよ、ますますロマンが膨らんできた。

シュテインスは、宇宙船だゾ〜〜〜〜オ!


++++++++++++++

●UFO

+++++++++++++++++

若いころ、私が23、4歳のころだが、
当時日本テレビに在籍していた、矢追純一氏と、
交際させてもらったことがある。
当時は、矢追氏は、11PMという番組の、ディレクターを
していた。

浜松(がま産婦人科医院)でも数回、東京(ニューオータニ)
でも数回、個人的に会ったことがある。
恐らく矢追氏は、私のことなど忘れてしまっているだろう。
が、「手巻きタバコの林」もしくは、
「針麻酔の林」といえば、思い出してもらえることと
思う。

一度、UFOの写真集を、20〜30枚前後、
送り届けてもらったこともある。

その矢追氏が、今度、コミックだが、新しい
本を出した。
さっそく、コンビニで購入。

題して「UFO」(監修、矢追純一・竹書房)。
矢追氏自身の個人的な体験がふんだんに盛り込まれて
いて、おもしろかった。
「ああ、あのころ、矢追氏は、こんなことをしていた
のだ」と、それがよくわかった。
それに矢追氏が、UFO問題に傾注していく過程は、当時
直接矢追氏自身から聞いていたので、たいへん興味深かった。

もちろん、私の知らない事実もたくさん、この本の中に
あった。

火星にまつわる謎である。

それについては、別の機会に書くとして、たいへんおもしろかった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(2824)

●火星の人面岩

+++++++++++++++++++++

火星のシドニア地区に、あの有名な人面岩(人面像)がある。
大きさは、対角線にして、約2・6キロ。
その後、アメリカのNASAは、光のマジックで、そう見えるだけと説明した。
つまりたまたま光の角度によって、ふつうの岩山が、人面に見えただけ、と。
そしていろいろな角度から撮影した人面岩の写真を、公表した。

しかし本当に、光のマジックだったのか。
「人面」に見えたのは、光のマジックによるものだったのか。

++++++++++++++++++++

矢追純一氏は、こんな興味深い事実を指摘する(「UFO」・竹書房)。

その人面岩から少し離れたところに、いくつかのピラミッド状の
建造物らしきものが、群立している。
その中のひとつに、「D&Mピラミッド」と呼ばれる、きれいな五角形を
したピラミッドがある。
きれいな五角形といっても、正五角形ではない。
「ダビンチ五角形」とよばれる、辺がある比率で作られた五角形である(同書)。
自然にできた形とは、とても思えない。
何かの結晶でも、そこまできれいな形にはならない。
その五角形がピラミッドの頂点が、まっすぐ、先の人面岩をさしている。

私も線引きを使って確かめてみたが、誤差は、まったくない。
「まっすぐ」である。

ほかにもその本の中では、いくつかの事実をあげている。
が、このひとつだけ取りあげても、人面岩が、ふつうの岩でないことがわかる。
「光のマジック」というには、あまりにも無理がある。

……ということもあって、このところ宇宙へのロマンがますます、ふくらんでいる。

月には何かが、ある。
火星にも、ある。
小惑星にも、ある。

さらにその本の中には、いくつかのUFOの写真が載っているが、その
中に、私とワイフが見たのと同じ、「く」の字型のUFOもあった。

念のため申し添えるなら、私とワイフが見たのは、1975年前後。
当時、私もUFOに、それほど関心があったわけではない。
それにUFOといっても、アダムスキー型のものは知っていたが、
それほどまでに巨大なものがあるとは知らなかった。
私たちが見たのは、幅だけでも、数キロはあった。

さらに本に中には、UFOの現れ方についての描写もある。
UFOは、まわりの景色と溶け込むように、現れたり、消えたりするという。
つまり透明になることもできる。

私たちが見たUFOも、消えるときは、まるで空に溶けこむかのようにして、
東の空に消えていった。
遠ざかって消えたのではない。
スーッと、背景の星に溶けこむようにして、遠ざかっていった。
(このことは、私は、10数年も前にも書いた。
今回、この本を読んだから、そう書くのではない。念のため。)

また私は矢追純一氏という人を、若いときに知っているが、当時からもの静かで、
誠実な人だった。
信頼のおける人物である。
コミック本とはいえ、じゅうぶん、信用して読んでよい。
(むしろ最近では、インチキ本ほど、装丁を立派にして、人をだますことが
多いので注意!)

ただとても残念に思うことは、UFO問題が、霊とか超能力とか、そういったものと
ひとまとめになって、「超常現象」として片づけられていること。
UFO問題は、けっして根拠のない超常現象ではない。
そこにある(現実)であり、「科学」である。
そうとらえて、何ら遜色ない問題である。
つまり「信ずる」とか、「信じない」というレベルの問題ではない。
この宇宙に住んでいる知的生命体は私たち人間だけではないということ。
しかもその知的生命体は、私たちのごく近くにいて、私たちといっしょに
生活しているということ。
そういう前提で、UFO問題を考えてほしい。

●私とワイフが見たUFO

UFOは、飛行中、まったく音を出さない。
UFOは、急速にスピードをあげることができる。
UFOは、透明になったり、姿を現したりすることができる。
私とワイフが見たUFOは、幅が最低でも1キロ前後、「く」の字型の
巨大なものだった。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●三浦K事件

++++++++++++++++++

おかしなことがつづく。

昔、三浦K事件というのがあった。
「ロス疑惑事件」ともいう。
三浦K氏の妻が、白昼、近寄ってきた白いバンの
中から、だれかによって銃撃され、その後死亡した。
三浦K氏は、その模様を一部始終、目撃する
位置にいた。
(白いバンの存在については、三浦K氏は否定しているが、
三浦K氏自身が撮った写真の一部に、それが写っている。)

その三浦K氏は、現在、S島にある拘置所に
拘留されている。
S島というのは、アメリカの自治領である。
で、今度、再審理審査のために、ロスに
移送されることになった(9月11日)。

その是非はともかくも、それについて、
三浦K氏の元弁護士や、支援団体が、
猛反発しているという。
私は、この部分に、(おかしさ)を覚えた。

日本での裁判では、三浦K氏は、無罪を
勝ち取った。
その時点で、弁護士としての仕事は、
終了しているはず。
どうしてその弁護士が、感情論むきだしで、
それに反発するのか。
さらに三浦K氏には、彼を支える支援団体
まであるという。

私にはこれ以上のことは書けない。
フ〜〜〜ンと思っただけで、つぎの言葉が
出てこない。

あえて言うなら、日本側の弁護士も、
また支援団体の人たちも、法律という
条文の向こうにある、法的正義とは何か、
それについて一度、心のどこかで考えて
みてほしい。

法律というのは、あくまでもその法的正義を
具現化するための手段でしかない。

「罪刑法定主義」とは言うが、何でも「法律が先」という
世の中になったら、それこそこの世は闇。
まず法的正義を先に置く。
そのために必要であれば、条文を拝借する。
それが本来の(法律)のあるべき姿ではないのか。

というのも、三浦K氏は、日本の裁判では無罪に
なったが、大多数の日本人は、それに納得していない。
私も納得していない。
三浦K氏が無罪になったのは、もう1人、そこにいたであろう
はずの人物の存在が証明できず、かつ実行犯が特定できな
かったからにほかならない。
まさに日本の刑法の盲点をついた、無罪判決という
ことになる。

その三浦K氏はアメリカでの裁判を、「一事不再理」を理由に、
拒んでいるという。
しかしほんとうに自らの身の潔白を証明したいのであれば、
また自らの無実と信じているなら、アメリカで再審理をして
もらえばよい。

今度こそ、それで私たち日本人も納得する。
三浦K氏も、晴れて、堂々と世界中を歩きまわることができる。

++++++++++++++++++++

●AS総理大臣の誕生(?)

++++++++++++++++

自民党次期総裁に、AS氏が選ばれる
可能性が大きくなってきた。
すでに自民党内で、約60%の支持者を
獲得したという(報道)。
とくに若い人たちの支持を広く集めて
いるという。

自民党次期総裁イコール、日本国総理大臣
である。

++++++++++++++++

私はAS氏の今までの、数々の問題発言を理由に、AS総理大臣誕生には、強く
反対する。
昨今も、AS氏は街頭演説で、自らを、「漫画オタク」と表現してみせた。
一国の、しかも世界第二の経済大国の首相が、使うような言葉だろうか?
私たちは、彼の、あのニンマリと笑った仮面の下に、何が隠されているか、
それを見極めなければならない。

もし総理大臣ということになれば、これからは問題発言は、問題発言という
レベルを超えて、へたをすれば国家間の紛争につながる危険性もある。
自民党内でも(極右派)というだけで、すでに中国や韓国など、日本の周辺の
国々は、緊張し始めている。
「日本がどんな首相を据えようが、日本の勝手」という論理は、このアジアでは
通用しない。
先の大戦で、約300万人もの日本人が死んだが、その日本人が、ほぼ同数の
約300万人の外国人を殺している。
日本は、いまだかって、その戦争責任を、公式に認めたことは一度もない。
責任問題をうんぬんすれば、その責任は、「天皇」まで行ってしまう。
天皇を頂点にいだく官僚主義国家としては、これはまことにもって、まずい。

AS氏は、天皇を元首とする憲法改正に、もっとも積極的な政治家のひとりである。
この21世紀の日本で、なぜ今、王政復古なのか?
そういうことも考えながら、AS氏の言動に、これからも注視していきたい。


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   10日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものページ(Pages for Children)

マガジンのほうで、子どもも楽しめるページを作ってほしいという要望があった。
8月に載せた、「子どもたちへ」という詩集が、好評だったようだ。
よい要望なので、さっそく今夜からでも、実行してみたい。

Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子どもたちへ】(08年9月)(To: Children)

●よい友だちを選ぼう

よい友だちを選ぼう。
よい友だちは、君を、よいほうに伸ばしてくれる。
そうでない友だちは、そうでない。

そのひとつの方法として、こんなことを知るといいよ。
君によいことを教えてくれるのが、よい友だち。
スポーツの楽しさや、音楽のすばらしさなどをね。
君がその人を見て、「ぼくもやってみよう」「私もがんばろう」と
思うなら、その友だちは、よい友だち。

が、君に悪いことを教えてくれるのが、悪い友だち。
タバコを吸ってみないかとか、夜、遊びに行かないかなどと、ね。
君を誘ったりするよ。
そういう友だちが、悪い友だち。

よい友だちを選ぶためには、ひとつ条件があるよ。
それは君自身が、YES/NOをはっきりと言わなければならない。
またそれができなければならない。

いやだったら、「いやだ」と言う。
それには勇気が必要だけど、もしその勇気がなければ、家で練習をするといいよ。
何かのことを頭の中で想像しながら、「いやだ!」と大声で言ってみる。
あるいは笑顔をつくりながら、言ってみる。

こう考えてみたら、どうかな。
あなたという人は、長い時間をかけて、友だちによってつくられる、と。


●道徳

「道徳」ってむずかしいことだと思っている人は多いね。
でも、そんなにむずかしいことではないよ。
道徳の完成度は、公平性と視野の広さでみるんだって。

「公平性」というのは、いつも、だれに対しても、同じように正しく
接することをいうよ。
視野の広さというのは、いつも高い視点でものを考えることをいうよ。
「人間とは……」とか、「地球は……」とかね。

道徳の完成度の低い人は、そのつどやることなすこと、いいかげん。
相手によって、コロコロと態度が変わったりする。
それにいつも、ささいで、小さな問題で、ザワザワと騒いでいる。
しばらく話していると、窮屈な感じがするから、それがわかるよ。

だから君は、いつも、だれに対しても同じでいようね。
そしていつも、できるだけ大きな問題について、考えよう。
そういうことが平気でできるようになったとき、
君のまわりには、すばらしい友だちが集まってくるよ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●教育投資、日本、最下位

「経済協力開発機構(OECD)は、9日、加盟各国の国民総生産(GDP)に
占める教育への公財政支出割合について調査結果を発表。
日本は、前年よりも0・1ポイント減少し、3・4%で、データ比較が
可能な28か国中で、最下位だった(2005年度)」
(以上、中日新聞・08年9月10日)と。

こうした事実を、いったい、日本人のどれだけが知っているだろうか。
わかりやすく言えば、この日本では、教育費は、親の負担ということになっている。
大学生をみれば、それがわかる。

しかもこの日本には、奨学金制度がない。
アメリカでもオーストラリアでも、そしてほかの欧米諸国でも、親のスネを
かじって大学へ通っている学生など、ほとんどいない。
みな、民間企業などが提供する奨学金を得ているか、自分で借金をしながら、
通っている。
「意識」そのものが、ちがう。

だから自分の子どもが大学へ通うようになると、世の親たちは、爪に灯をともすよう
にして、学費を捻出する。
現実は、きびしい。
その数字が、3・4%。

ちなみに「調査結果によると、28か国の平均は、5・0%。

1位……アイスランド(7・2%)
2位……デンマーク(6・8%)
……
下位3か国は、日本のほか、スロバキアとギリシア」(同紙)と。

また「教育費全体に対する私費負担の割合は、日本は31・4%。
韓国、アメリカにつづき、3番目に多い」(同紙)とも。

昔は、『子、育ち盛り、親、貧乏盛り』と言った。
今は、『子、大学生、親、貧乏盛り』と言う。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自然葬(Natural Funeral)

自然葬を望む人が、団塊の世代を中心にふえているという(新聞報道)。
そういう活動を指導的に行う、NPO法人(特定非営利活動法人)も
立ち上がっている。

「葬送の自由をすすめる会」(東京)というのも、そのひとつ。
同会のばあいは、1991年に発足し、会員は全国で1万2000人、
3年前とくらべて、2倍にふえたという。

少し前、「直葬(ちょくそう)」という葬儀の仕方について書いた。
都会地域では、30%前後の人たちが、現在、直葬を選択しているという。

自然葬にせよ、直葬にせよ、日本の伝統的な死生観にそぐわないため、
抵抗を感ずる人も多い。
とくに農村部ではそうだろう。
しかし同時に、今、冠婚葬祭のし方が、この日本でも大きく変わろうとしている。
「従来のままではおかしい」と考え始めている人が、ふえ始めている。

実際、おかしい。
儀式化するのはしかたないとしても、肝心の「心」が、どこかへ置き去りに
なってしまっている。
誤解しないでほしいのは、直葬にせよ、自然葬にせよ、それをするからといって、
死者を軽んじているということではない。

もちろん中には経済的な理由で、そうする人もいるだろう。
都会地域では、葬儀費用は、平均して300万円前後もかかるという。
この浜松市でも、140〜50万円が、その相場ということになっている。

しかし実際には、それまでの介護費用、あるいは介護で、疲れきって
いる家庭も多い。
その上での葬儀である。
(私も先日、実兄を見送ったが、葬儀費用は、しめて165万円。
香典などでの収入は、43万円前後だったので、約120万円の赤字(?)という
ことになる。)

葬儀の費用のうち何割かが、僧侶への布施。
布施の額は、戒名によって異なる。
寺の格式(?)によっても、異なる。
G県の小さな田舎町での葬儀だったが、下は30万〜80万円。
上にはキリがないそうだ。

ちなみに、自然葬のばあい、合同葬なら、約5万円。
個人葬でも、約10万円だそうだ(上記、同会)。

日本人の多くは、葬儀といえば、僧侶による読経を当然と考える。
その読経の仕方も、布施の額によって異なる。
たとえば、寺に頼んでも、僧侶が1人で来るということはない。
たいてい仲間を誘う。(たがいに誘い合う?)
こうして別途に、1人、10〜20万円前後が請求される。
(これでも安いほうだそうだ。)
5人、助っ人を頼めば、プラス100万円〜となる。
(ある宗教団体では、僧侶を呼ばず、「友人葬」と称して、仲間同士で
葬儀をする。)

しかしこうした常識そのものが、おかしい。
で、私はこれについて、一度、地元のある寺の住職にこんな質問を
したことがある。

「戒名は、どうして必要なのか」
「読経は必要なのか」と。

それに対して、その住職は、こう教えてくれた。

「俗名には、世間のしがらみが、いっぱいくっついています。
清廉潔白な気持ちで浄土へ行くためには、戒名は必要です」
「読経するのは、仏(=死者)を、成仏させるためです」と。

私にはこれ以上のことはわからない。
わからないが、こんな方法では、残された遺族の悲しみやさみしさは、
癒されない。
むしろ、こうした形式的な儀式によって、死者や遺族の意志を、もて
あそぶことになりやしないか。

私の近い知人(元)高校教師(男性)が、先日、亡くなった。
しかしだれも、その知人の葬儀の日すら、知らなかった。
葬儀は、僧侶なし、家族だけの密葬で行われた。
が、だからといって、いいかげんな葬儀だったと考えないほうがよい。
それから1〜2週間、妻は、床に伏せたままだったという。
それを心配した息子や娘は、妻(=母親)のそばにずっといて、
妻(=母親)の介護をしたという。

故人というより、葬儀にしても、もっと遺族の心を大切にすべき。
と、同時に私たちも、意味のない迷信にとらわれることなく、
(こうあるべき)という葬儀の仕方を、もっと前向きに考えた
ほうがよい。

今のように(形)が先にあって、その(形)だけをすれば、それでよい
と考えるほうが、おかしい。
むしろ現実は逆で、心の中では、「バンザーイ!」と叫びながら、葬儀の席では、
うちひしがれた遺族を演ずる家族も少なくない。
その隠れ蓑として、「形」が利用される(?)。

で、もう少し先を言えば、「戒名」などという言葉は、釈迦の時代には、
「カ」の字もなかった。
「成仏」という言葉にしても、だれでも修行すれば仏になれると説いたのは、
北伝仏教。
さらに「死ねばみな、仏」という考え方をするのは、私が知るかぎり、この
日本人だけである。

(釈迦の教えが直接伝わっている南伝仏教では、ある一定の位以上の僧のみが、
仏になると教える。)

僧侶に読経してもらった程度のことで、成仏できるというのなら、ではこの
現世での努力は、何かということになってしまう。
懸命に生きた人も、そうでない人も、同じ仏という考え方そのものが、不平等。

いろいろ考えてみるが、私には、「成仏」という概念が、どうしても理解できない。
理解できないから、葬儀のあり方そのものに、どうしても納得できない。

……ということで、自然葬、おおいに結構。
私に遺産があるとかないとか、そういうことには関係なく、息子たちには、
無駄なお金を使わせたくない。
私は自分の遺灰が、どこかに捨てられても、いっこうにかまわない。
遺骨などに、私の魂は、ない。

私がワイフより先に死んだら、遺骨はワイフが死ぬまで、ワイフが預かる。
再婚したければ、すればよい。
ワイフが死んだら、私とワイフの遺骨の始末は、息子たちに任せる。
自由に決めてよい。

ワイフが私より先に死んだら、その反対。私が死ぬまで、ワイフの遺骨は
私が預かる。
私が死んだら、あとの始末は、息子たちに任せる。

なお散骨について、法務省刑事局総務課は、つぎのような見解を示して
いるという(同紙)。

「節度をもってすれば、刑法の遺骨遺棄罪には当たらず、問題はない」とのこと。
よかった!

Hiroshi Hayashi++++++++SEP 08++++++++++++はやし浩司

●2012年、ハルマゲドン説

+++++++++++++++++++

先日、電車に乗る前に、コンビニで、一冊の本を買った。
目当ての雑誌が、まだ発売になっていなかった。
それで、その本を買った。

『2012年、地球崩壊の驚愕大予言』(日本文芸社)という
本である。
一言で解説すれば、2012年の9月ごろ、巨大隕石が
地球に衝突する可能性があるという内容である。
その結果、人類の3分の2程度はそれで滅亡し、残りの3分の1も、
「生きながらえたことを後悔しながら、少しずつ死に絶えていく」と。

地球温暖化の問題にも触れ、ある予言者は、「地球の平均気温は
59度になる」と言っている、とか。

こうした本を読むとき注意しなければならないのは、(カルト教団の
説法と似通っているが)、事実とフィクションをたくみに混ぜていること。

地球温暖化は(事実)だが、その(事実)を取りあげながら、人々の
心を不安にする。
不安になると、正常な判断力が弱くなる。
その弱くなったところで、予言者なる人たちの言葉を使い、何かの目的のために、
人々の心を誘導していく。

ちょうど10年前には、「ノストラダムスの予言」が、話題をさらった。
しかしその「1999年の7月」には、何も起こらなかった。
で、今度は、2012年。
天文学に詳しかったとされる(?)、マヤ文明に残された古文書を根拠にしている。
「マヤの予言は史実だった」(p30)などと、ある。

そしてそれに別の(事実)を混ぜる。
たとえば、こうだ。

2012年12月8日〜28日の間に、地球に接近してくる小天体があるという。
名前は「トータチス」。
直径は約1キロメートル。
太陽のまわりを、約3・9年で一周するが、そのため、約4年に1度、地球の軌道と
クロスする。
ここまでは(事実)。
が、今のところ地球と衝突する可能性は、ほぼゼロに近いのだが、それでは本になら
ない。

で、こうある。

「きわめて(軌道の)変動のはげしいトータチスは、ほぼ4年に1度、長軌道から、
短軌道へと移動している。このとき、どうしても地球の軌道とクロスすることに
なる」(p43)と。

トータチスという小惑星があって、太陽のまわりを回っている。
しかしそんな小天体は、何百個もある。
そのうちの一個が、軌道を変えて、地球に衝突する可能性があるという。
つまりこの部分が、フィクション。

どこでどう軌道を変えるのか?
どうして軌道を変えるのか?

……いろいろ書きたいことはあるが、人間には(不安)を楽しむという心理も
ある。
映画にも、その種類のものが、たくさんある。
「ご勝手にどうぞ」と思ったところで、その本はそのまま、カバンの中へ。

【補記】

ついでに「予言」について。

どこかの科学者が、観測データに基づいて、「20xx年から前後、プラスマイナス、
20年以内に、東海沖地震が起きる」と説くのは、科学的根拠に基づいた可能性の
問題。
しかしどこかのオジチャンが、「20xx年に、東海沖地震が起きる」と説くのは、
そうした可能性をたくみに悪用した悪のり。

地球温暖化の問題にしても、そうだ。

すでに(事実)になりつつあることをたくみに利用しながら、それを(予言)に
つなげていくというのは、(インチキ)そのもの。
が、人間の脳みそはスキ間だらけ。

北海道に住む人と、九州に住む人が、携帯電話で話しても、だれも驚かない。
しかし数メートル離れたところにいる人どうしが、テレパシー(?)で、
簡単な絵や文字を伝達したら、それだけで大騒ぎ。

つまりは予言なるもの信じている人たちは、日常的に科学コンプレックスを
もっている。
それから生まれる欲求不満を、こうした形、つまり自分たちに優位性をもたせる
ことで、解消している。
「科学なんてあてにならない。自分たちのほうこそ、正しい」と。

少しでも科学の道に入っている人なら、こうした予言など信じない。
もとから相手にしない。


●隕石でできた鉄剣(A sword made of Star Dust)

トルコにある、世界最古の鉄剣が、「宇宙から飛来した金属を主成分
とする隕石(隕鉄)を材料にした可能性が高いことが」わかったという
(中日新聞9・6、夕刊)。

「この鉄剣は、1938年、アンカラの東、約200キロにあるアラジャホユック
遺跡の墳墓で出土した」(同紙)という。

が、そのあとの記述が気になる。

「鉄の精錬技術がまだなかった、約4300年前のもので、隕鉄を用いた
という説はあったが、直接の根拠はなかった」(同紙)と。

鉄の精錬技術のなかった時代に生まれた鉄剣であるということ。

分析したのは、「東京理科大などの研究チーム」(同紙)とか。

「(この)鉄剣の刀身部分を詳しく分析したところ、刀身の鉄には、隕鉄
に特徴的なニッケルが約7%含まれていることが判明。コバルトなどの微量
元素の組成も、隕鉄に極めて似ていることがわかった」(同紙)とも。

おもしろい!
たいへん、おもしろい!

新聞に載っている写真を見ると、刀の柄の部分は、金でできているらしい。
が、刀身のほうはボロボロにさびているといった感じ。
(日本刀のような輝きを期待してはいけない。)

しかし落ちてきた隕石で、どうやって刀を作るのだろうか。
あるいはもともと、この鉄剣は、宇宙のどこかで作られたものではないだろうか。
考えれば考えるほど、頭の中でロマンがふくらむ。

メソポタミア文明や黄河文明は、今から約5500年前に始まった。
紀元前3500年ということになる。
問題の鉄剣が作られた時代は、約4300年前という。
トルコの右下がイラク。
トルコで、こうした鉄剣が見つかったとしても、なんら、おかしくない。


●三浦K事件(K. Miura Case)

三浦K事件について、アメリカで再審裁判が行われるかどうか、この9月
26日に決まるという。

私の予想では、検察側の再審請求は却下され、三浦K氏は、晴れて無罪放免。
これほどまで今までの審理が長引いたということが、その根拠(?)。
アメリカ側の立場で考えれば、こういうこと。
「こういう裁判は、めんどうだから、やめよう」と。

「法的正義」という言葉があるが、今のアメリカに法的正義を求めても、
あまり意味はない。
三浦K氏が有罪になろうが、無罪になろうが、アメリカにしてみれば、関係の
ないこと(?)。
無駄な裁判をつづけて、税金を無駄遣いしたくないという心理も働くかもしれない。
ただ検察側の再審裁判が始まれば、アメリカへの信頼感は、ぐんと高まる。
「やっぱり、アメリカって、民主主義の国だったんだア」と。

あとはアメリカ側の政治的判断ということになる。


●再び、金xx、健康悪化説(Kim Il Jong of North Korea)

今日のニュースによれば、少し前、ピョンヤン入りした中国の医師5人が、
まだ帰国していないという。
韓国の新聞社は、そういう事実をとらえて、金xx、健康悪化説を流し始めて
いる。

持病の糖尿病と肝臓病が、悪化しているらしい、と。
心臓病については、少し前、心臓のバイパス手術を受けたといううわさもある。
どうであるにせよ、何十万人も人を殺したと言われる独裁者でも、自分の命だけは
惜しいらしい。

が、問題は、金xx亡きあとの、K国である。
金xxが死亡したからといって、K国が簡単に変化するとは思われない。
後継者がだれになるかによっても決まるが、むしろ軍部が力を拡張し、
K国は不安定になるかもしれない。
となれば、K国はますます強硬路線を歩むことも考えられる。

反対に金xxの死去とともに、K国が崩壊すれば、そのあとK国は、
韓国ではなく、中国の管理下に入るはず。
そうなれば韓国は、竹島(独島)どころか、朝鮮半島の半分を失うことになる。

私たち日本人の知ったことではないが……。
(ちょっとこの意見は、冷たいかな?)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●オバチャンたちの無駄話(Talkative Women)

電車で講演先に向かうとき、相向かって座った2人のオバチャンが、
さかんに会話を始めた。
年齢は2人も65歳前後。
ペチャペチャ、キャッキャッ、と。

目を閉じて、その会話を分析する。
で、いくつかのこと気づいた。

人は、とくにそのための訓練をした人は別として、静かに目を閉じてものを
考えることができない。
考えることはできるが、思考能力は浅く、内容も堂々巡りしやすい。

そこで人は、つぎの2つの方法のうち、どちらか一方を選択する。

(1)ものを書く。
(2)だれかと話をする。

しかし考えるといっても、情報の交換は、(思考)ではない。
思考には、常にある種の苦痛が伴う。
難解な数学の問題をだれかに解けと言われたときの状態を想像してみればよい。
それがその(苦痛)である。
で、だれしも、できるなら、解答を見て、簡単にすませたいと思う。
そういう心理も働く。

しかし私の前で話し込んでいる2人のオバチャンには、そういった様子は
まったく見られない。

「あら、白い花! あそこにも……。あれはソバの花かしら……」
「でも、ソバの花は、こんなところには咲かないわよ」
「花といえば、もうコスモスが咲き出したわ」
「コスモスはきれいね……」と。

やがて今度は、話題が旅行に移った。
「紅葉がきれいなのは、このあたりでは、XX峡ね」
「(JRの)H線に乗って、長野のほうへ行くのもいいわよ」
「私、去年は、○○へ行ってきたわ。今年も言ってみようかしら」と。


つまりそのつどテーマは変わるが、話している内容は、まったく同じ。
脳に飛来した情報を、たがいに、披露しあっているだけ。
思いついた情報を、たがいに交換しあっているだけ。

残念だが、こういうのは思考とは言わない。
言わないが、もうひとつ、気がついたことがある。

その2人のオバチャンは、間断なくしゃべりつづけていた。
その様子から、2人のオバチャンは、だまっていることができないことを知った。
つまり口の動きを止めたとたん、脳みその中がカラッポになる。
2人のオバチャンは、それに耐えられない。
だからしゃべる。……しゃべりつづける。

言いかえると、(考えるという習慣)そのものが、ない。
会話の途中で、相手の言葉を頭の中で反芻(はんすう)しながら、
「ウ〜ン」とか、「そうねエ〜」とかいう言葉が出てこない。
相手がポンポンとものを言えば、それにあわせてもう一方も、ポンポンと
ものを言う。

私は2人の会話を聞きながら、「この人たちの思考力はゼロ」と判断した。
言うまでもなく、思考力というのは、その「深度」で決まる。
その深度そのものが、なかった。

で、この状態がさらに進むと、養護センターの老人たちのようになる。
ある老人(85歳くらい、女性)は、会う人ごとに、「息子さんは元気ですか?」と、
声をかけている。
その息子のことを本気で心配しているから、そう言っているのではない。
口癖でしかない。

あるいは、介護師の人が何をしても、「ありがとう」を口にしている老人(80歳
くらい、女性)もいる。
本気でそう思っているから、そう言っているのではない。
やはり口癖でしかない。
自分でスプーンを落としても、「ありがとう」と言ったりする。

だからその2人のオバチャンのような会話は、たがいに言った先から、忘れて
いく。
聞いている私が忘れるのではなく、しゃべっている2人が忘れていく。
もともとどうでもよい話を、スズメのように、ピーチクパーチクと話して
いるだけ(失礼!)。
だから頭に残らない。
残らないから、先に向かって展開していかない。

……しかし、このタイプのオバチャンは、うるさい。
ほんとうに、うるさい。

「携帯電話はオフかマナーモードに」という車内アナウンスが聞き取れないほどの
大声で、しゃべりあっている。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●比較

+++++++++++++++++

私は他人に比較されるのが、大嫌い。
ときどきワイフも、その気はないとは思うのだが、
私をだれかと比較するときがある。
そういうとき私の心の中の古いトラウマが、爆発する。
「ぼくは、ぼくだア!」と。

+++++++++++++++++

比較……それが私の母の子育て方の「柱」になっていた。
「あのA君は、今度、○○賞を取ったそうや」
「あのB子さんは、算数のテストでは、いつも100点やそうや」とかなど。

さらに大きくなると、こう言った。

「あのC雄さんは、すごいものや。今度、両親を温泉へ連れていってやったそうや」
「Dさんは、親のために、離れを増築したそうや」とかなど。

これは母だけの「柱」というよりは、母方の兄弟は、みな同じような言い方をする。
だから母もまた、そういう環境の中で、自然とそういう「柱」を身につけたらしい。

で、私はその(比較)に、猛烈に反発するようになった。
……とは言っても、私の時代には、親に逆らうということ自体、タブー視されていた。
親自身も、自分の子に対して、そう思っていた。
だから私が何か反発したりすると、すかさず父にしても、母にしても、
「親に向かって、何だ!」と、怒鳴りかえされた。

そんなわけで、今でも(比較)が、私の心の中で、トラウマになっている。
ワイフが、「あら、この人(=昔の私の知人)が新刊書を出したわ」などと
言っただけで、ムカア〜〜〜ッと、不愉快な気分になる。

さらに「あら、おもしろそうな本ね」などと言ったりすると、さらに不愉快になる。
トラウマというのは、そういうもの。

私「うるさい!」
ワ「どうして怒るのよ」
私「そういう話は聞きたくない!」
ワ「私は、あの人が新しい本を出したと言っただけでしょ」
私「だから、そういう話は聞きたくない」
ワ「あなた、おかしいわよ」
私「おかしくても、おかしくなくても、聞きたくない!」と。

ワイフは、ワイフの考えだけで、ものを言う。
が、私には、どうしてもそれが(イヤミ)に聞こえてしまう。
その理由が、先に書いたトラウマである。

私はいつも心の中で、こう叫んでいた。

「ぼくは、ぼくだア!」と。

今も、そしてこれからも、そうでありたい。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●東海自然歩道(Walking through Tokai Nature-reserved Road)

++++++++++++++++++

昨日、富士吉田の浅間神社から、山名湖畔にある花の都
というところまで、約9キロを歩いた。
途中、ずっと東海自然歩道になっていた。
山や坂もあり、けっこうたいへんだった。

++++++++++++++++++

このところ、1か月に1、2度の回数で、「歩け歩け会」に参加している。
距離に応じて、初級、中級、上級コースにわかれている。
昨日は、約9キロ。
上級コース。
実際には、クネクネとした曲がり道がつづいていたので、その1・5倍は
あったのでは……。
前半は、でこぼこ道プラス、けもの道……。

おまけに途中で、農家の人から、トウモロコシを買ってしまった。
1本100円で、11本。
重さは、6〜7キロはあったのでは……?
それを薄いビニール袋に入れて、手で持ち運んだ。
これが悪かった。
やがて手が、ちぎれんばかりに痛くなり始めた。

が、今回は、こんなよいことがあった。

いつもならゴールに用意されている、どこかの道の駅で食事をする。
ご存知の方も多いと思うが、道の駅の中のレストランは、どこもまずくて値段が高い。
サービスも悪く、ほとんどがセルフサービス。
半官半民のレストランというのは、そういうもの。

で、今度は、行程の途中にあるレストランで食事をすることにした。
地図とにらめっこしながら、道から数十メートル離れたところに、
民家風のレストランを見つけた。
「忍野(おしの)八海(はっかい)」という観光地と、山名湖へ向かう道の、
ちょうど分かれ道のところに、それがあった。
「ほうとう」という名前の店だった。
たまたま通りかかったトラックの運転手に、「あの店はおいしいですか」と聞くと、
「おいしいよ」と。

そこで私とワイフは、「ほうとう」という名前のレストランに入った。

ワイフは、とろろ飯(800円)、わたしは、ほうとう鍋(1000円)を
注文した。
レストランの看板にもなっていることからもわかるように、その店のほうとう鍋は、
絶品!
いろいろなほうとう鍋を食べてきたが、あれほどまでにおいしいほうとう鍋は、知らない。
さらに私を感動させたのは、シイタケと思って食べた食材が、何と、マツタケ!

私とワイフは、汁を最後の一滴まで、飲みほした。

今回の「歩け歩け会」は、そんなわけで大満足。

……ただしその翌日の今日は、足が痛くて、歩くのもままならない。
つらいが、あのほうとう鍋を思い出すたびに、「よかった」と思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++++++++はやし浩司

●歩く(Walkings)

++++++++++++++++

推定体重85キロ前後あった義兄が、半年あまりの間に、
推定体重70キロ前後にまで。体重を減らした。
年齢は66歳。

久しぶりに会って、そのスリムな体つきに、驚いた。
「どうやってダイエットしましたか?」と聞いたら、
「毎日1時間以上、歩いている」とのこと。

ヘ〜〜エ!

歩くのは、ダイエットによいらしい!
もちろんほかにも食事コントロールなども、したのだろう。

しかしそれにしても、85キロから70キロとは、すごい!

そこで私も歩くことにした。

昨日も、10キロ。
今日も、7キロ。

歩いている間、頭の中はカラッポになる。
いつもなら、しばらくものを書かないでいると、頭の中がモヤモヤとしてくる。
だが、歩いているときは、それがない。

しかしダラダラと歩いていたのでは、運動にならない。
体をパッパッと動かして、リズミカルに歩く。
……というのは常識だが、夕方、体重計に乗ってみて、がっかり。
かえって体重が1キロもふえていた!

どうしてだろう?
歩きながら、水をたくさん飲んだせいかな?


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】9月10日(水曜日)

●金xx、倒れる?(Kim Il Jong fell down!)

++++++++++++++++

パソコンに電源を入れる。
メールに目を通したあと、いくつかの
ニュース・サイトを開く。

!!!!!

K国の金xxが、脳梗塞で倒れた!
昨日の、(9・9節・軍事パレード)にも、
顔を見せなかったという。
(一部の報道では、「脳卒中」となって
いる。)

脳梗塞?
それとも脳内出血?

それぞれの専門家が、先月、中国や
フランスから呼び集められたという。

そのため軍事パレードも、正規軍に
よる行進は中止。
近くの飛行場で待機したまま、
夕方になって解散したという。

+++++++++++++++

イギリスのタイムズ紙は、つぎのように伝えたという(朝鮮N報)。

『英有力紙タイムズ電子版は5日、「最も退廃的な独裁者10人」を選定し、第1位に北
朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記を挙げた。

 タイムズ電子版は、金総書記を「1994年から北朝鮮の"親愛なる指導者"として政権の
座にあり、極めて金のかかる趣味を持っている」と紹介した。記事によると、金総書記は
17の宮殿、自動車を数百台、さらにビデオテープを2万本ほど持っているという。また、
若く美しい女性たちで構成された「喜び組」を抱え、高級酒のヘネシーVSOP(コニャック)
を購入するのに、毎年65万ドル(約7027万円)を費やしているとのことだ。

 さらに、国賓としてロシアを訪問した際には、自らの装甲列車に毎日生きた伊勢海老を
空輸させた、と同紙は報じた』(以上、朝鮮N報)。

これだけ読んでも、金xxが、ものすごい独裁者ということがわかる。
しかしもちろん、これだけではない。
金xxが、政治犯として粛清(=殺害、および収容所送り)した人民は、推定でも20万
人とも40万人とも言われている。

で、こういう記事を読むと、「日本人はだいじょうぶ」とか、「日本ではそういう独裁者は
生まれない」と思う人は多い。

しかし金xxを、「将軍様」と呼ぶことからもわかるように、この日本だって、たった12
0〜130年前には、現在のK国と変わらない政治体制を敷いていた。
K国より、ひどかったかもしれない。
「喜び組」にしても、日本のばあいは、「大奥3000人」!
ケタがちがう!

30歳の若い人にとっては、120〜130年前というと、遠い昔のことのように思うか
もしれない。
が、昨年、満60歳になった私にとっては、そうでない。
120÷60=2、つまり私の年齢のたった2倍の昔でしかない。

で、韓国の各紙は、すでに金xxの後継者はだれかという報道を始めている。
金正哲氏か、金正男氏か。

それについて朝鮮N報は、『次男の金正哲(キム・ジョンチョル、27)氏は1993〜9
8年にスイスのベルン国際学校に留学した後、北朝鮮に帰国した。金正哲有力説は「白頭
の革命血統」を強調する北朝鮮で、金正哲が事実上の適任者だというものだ』と、書いて
いる(08年9月9日)。

流れとしては、金正哲氏ということになるらしい。
しかし「白頭の革命血統」とは?

フ〜〜〜ン?

今どき「血統」ねエ〜〜?

今度の金xxの健康悪化説で、ほっと胸をなでおろしているのが、アメリカの国務次官補
のC・ヒル氏ではないのか。
今までの失策を、すべて、健康悪化説のせいにすることができる。
「私はずっと前から、金xxの健康悪化説を承知の上で、K国と交渉を重ねてきた」とか
なんとか。

事実、そのことで、C・ヒル氏は、先月末、中国要人と会談を重ねている。

それにしても、「17の宮殿、自動車を数百台、さらにビデオテープを2万本ほど持ってい
る」(タイムズ紙)というのは、すごい! プラス、バカげている!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●BLOGへのコメント(感情論)

私のBLOGに対して、このところ辛らつなコメントが、多くなった。
今日は、「あなたも、〜〜という本を一度は読んでから、ものを書いたほうが
よい」とか、「日本に対しての内政干渉は許さない。総理大臣がY神社を参拝
して、何が悪い」(G−Blog)とかなど。

こうした感情論には、どう反論したらよいのか?

私のほうは、実名を公表して書いている。
しかしコメントを寄せる人は、無記名。
どこのだれかが、まったく、わからない。
だから不気味(?)。

しかしこのところ、削除するのもめんどうになり、そのままにしてある。
「勝手にどうぞ」というレベルを超えて、最近では、まったく気にしない。
そんなことをいちいち気にしていたら、BLOGに記事など書けない。

(興味のある人は、私のBLOGをのぞいてみてほしい。)

さらに中には、何が気に食わないのか、執拗に攻撃してくる人もいる。
しかしそれもそのまま。
「そんなに気に食わなければ、読まなければいい」と私は、思うのだが……。

+++++++++++++++++++++

感情論といえば、こんなのがある。
少し前、毒入りギョーザ事件があった。
私は記事を書いた。
それについて、「やっぱり中国人は、信用できない。あいつらもともと
そういう人種なのだ」というようなコメントがつけられた。

しかし日本人だって、同じようなことをしている。
産地偽造などは、朝飯前。
ここ数日は汚染米が、問題になっている。
何でもその業者は、農薬で汚染された米を、キロ7円で仕入れて、
300円で売っていたという(タブロイド紙)。

こういう事実に対して、先のコメントを書いた人は、どう反論するのだろう。
「やっぱり日本人は、信用できない。俺らはもともとそういう人種なのだ」
とでも言うのだろうか。

つまり一貫性がない。
ないから、感情論ということになる。
言うまでもなく、道徳の完成論は、(1)公平性、(2)視野の広さで決まる(マズロー)。
感情論には、この2つとも欠ける。


●交通事故、ワースト・ワン

統計のとり方によってもちがうが、「人口10万人あたりの人身事故発生率では、
1159件と、この浜松市が政令都市の中では、2年連続で、ワースト・ワンに
なった」(中日新聞・9・10)と。

2位が静岡市。
3位が福岡市。
4位が北九州市とつづく。

私が見ても、ここ浜松では、運転の仕方が、めちゃめちゃ。
黄信号は、浜松では、注意信号ではない。
「アクセル踏め踏め信号」。
しかも、だ。
この浜松では、赤信号になっても、止まる人はいない。
隣の信号が青になるまで、走る。
隣の信号が青になっても、隣の車が走り出さないなら、まだ、走る。

さらに交差点などの停止線で、きちんと止まる人はいない。
たいてい数メートル以上手前か、あるいは、停止線を越えて、横断報道の上で
止まる。

オーストラリアの友人がこう言った。
「日本人は、どうしてこうまでロジカルでないのか?」と。
交通ルールを守らないことをさして、そう言った。

だからワースト・ワン!

そこで教訓。
この浜松市へ来たら、交通ルールなど、ないものと思ったらよい。
信号など、信用してはいけない。
たとえ青信号になっても、自分で左右の安全を確かめながら、走る。

さらにおかしな上下意識が強く、自転車や、100〜200万円程度の
小型車は、浜松では、「車」ではない。
安い車で、へたに信号や速度制限を守って走っていると、うしろからプープーと
クラクションを鳴らされる。
(ちなみに私の車は、TOYOTAのビッツ。大衆車。)

浜松中央署は、「浜松は外部から来る車が多いから、交通事故が多い」と説明している。
が、それはどうかな?
国道1号線が通っていることを理由にしたいのだろうが、国道1号線沿いでは、
人身事故はほとんど起きていない。

最近になって、つまりここ1、2年は、交差点に立つ警察官をときどき見かけるように
なった。
が、それ以前は、まったくなかった。
もっと早くから、それをしてほしかった。
それがワースト・ワンの理由。

少なくとも赤信号になってから突っ走る車くらいは、検挙してほしい。
自転車に乗っている私など、おそろしくてならない。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【廊下に落ちていたウンチ】

●妄想の種

A中学校に通う中学生(女子)が、こんな話をしてくれた。
何でも、廊下に、ウンチが落ちていたという。

ゾッ!

私「どんなウンチだったの?」
女「ポタポタと、ふつうのウンチだった」
私「で、そのウンチ、どうなったの?」
女「先生が、何かの道具をもってきて、きれいにしていた」と。

で、そのあと、だれがウンチをしたかが、話題になった。

私「きっと女の子だよ」
子「どうして?」
私「男だったら、そんなにうまく、落せないよ」
子「ハア〜……?」
私「スカートだったら、うまく落せる」
子「だって、パンツは……?」
私「勝手に想像したらいい」と。

この話をしたあと、ウンチのイメージが、私の頭に
強烈に焼きついてしまった。
実際にそれを見ていれば、そういうことはなかったと思うが、
頭の中で想像したのが、まずかった。
ウンチのイメージだけが、頭の中でどんどんとふくらんでしまった。
「どんなふうにして、したんだろう?」と考えたのも、まずかった。

で、それから今日にいたるまで、もう1年近くになる。
が、その学校の前を通るたびに、そしてそのあたりで
出入りしている女子中学生を見るたびに、頭の中に、
大きなウンチが思い浮かんでくる。

どの女子中学生を見ても、「あの子かもしれない」「この子かもしれない」と。

今日も、そうだった。

たまたまそのときワイフが横にいた。
車を運転していた。
見ると、1人の女子中学生たちが、その中学校の校門を出てくるところだった。

私「あんなかわいい子が、廊下にウンチを落すのかねエ?」
ワ「あの子とは、かぎらないでしょ」
私「そうじゃないよ。あの学校には、440人の中学生が通っている。
うち、女の子は、220人。だからあのウンチの220分の1は、
あの子のものだ」
ワ「それはおかしいわよ」
私「おかしくないよ。ぼくの頭の中では、そのウンチが、巨大な
ウンチになってしまった。教室いっぱいくらいの大きさだよ」
ワ「……?」
私「220分の1にしても、犬ほどの大きさになる」と。

こういう現象を、心理学の世界では、どう説明するのだろう。
似たような現象に、被害妄想がある。
注察妄想、追跡妄想、披毒妄想、血統妄想、神格妄想……、などなど。
もちろん誇大妄想というのもある。

●妄想

となると、私のは、誇大妄想ということか。

しかしこれには、私自身の個人的な過去が、影響している。
私は子どものころ、自分の家のトイレで用を足すのが、こわくてならなかった。
トイレは、家の中でも、一番奥まったところにあった。
薄ぐらい土間の横にあった。

いつだったか、だれかに理由を聞かれたことがある。
そのときはだれにも言わなかったが、トイレの壁のシミが、私には何かのお化けの
ように見えた。
それでこわくてならなかった。

もちろんボットン便所。

小便はともかくも、大便のときは、土間に新聞紙を敷いたりして、していた。
あるいは伯父の家が近かったので、そこでしたりした。
小学生や中学生のときは、できるだけ学校でした。

つまり私はウンチにたいして、特別な思いがある。
今でも、その思いは強い。

私「だからぼくは、ウンチは苦手なんだよね」
ワ「……」
私「若いころから、ウンチの臭いをかいだだけで、たとえば性欲など、どこかへ
吹き飛んでしまった」
ワ「若い女性のウンチを見て、興奮する男性もいるという話よ」
私「ぼくのばあい、ぜったいに、それはない。相手がどんな美人でも、ウンチ
の臭いがしたら、もうだめ」
ワ「……?」と。

だから……以来、私はA中学校の女子生徒を見るたびに、先に書いたように
なってしまう。
誇大妄想といえば、誇大妄想だが、「妄想」とは、少しちがう。
いや、やっぱり妄想か?

もしそうなら、妄想の心理的メカニズムが、これで説明できる。

つまりまず強い(こだわり)が生まれる。
私のばあい、子どものころの経験がそれにあたる。
これを(妄想の種)とする。
この(妄想の種)は、そのままでは(妄想)にはつながらない。
(妄想の種)が(妄想)になるためには、何かの刺激が必要である。
生徒から聞いた、「廊下のウンチ」が、それにあたる。
その刺激が、(妄想の種)を呼び起こし、(こだわり)を増幅させる。
それがどんどんと大きくふくらんで、(妄想)になる。

そうした(妄想)は、だれでももちやすいものだが、その妄想が原因で、
通常の生活に支障をきたすようになった状態を、「被害妄想」という。

だからたとえば、その話がウンチと関係ないものであれば、私は
笑い話として、それですませたかもしれない。
たとえば10万円が落ちていたとか、あるいは下着が落ちていたとか……。
が、私は「ウンチ」という言葉に、強い関心をもってしまった。
それが妄想につながってしまった。

私「おもしろい現象だね」
ワ「何もおもしろくないわ」
私「臭い話で、ごめん」と。

+++++++++++++

(付記)

この話を教室ですると、ある男子(小5)が、「ぼくの学校でも、
同じようなことがあった」と話してくれた。

その子のばあい、授業中に、突然立って、「トイレへ行ってくる」
と言って、教室を飛び出していったのだそうだ。
が、間に合わなかった。

教室を出たところで、もらしてしまった。

こういう話を聞くと、そのもらしてしまった子どもが気の毒で
ならない。
おそらく一生、そのことを心のキズとするにちがいない。
ほかの生徒たちも、忘れない。
最悪のばあい、それによって、何かのニックネームをつけられて
しまうかもしれない。

子どもにとって(ウンチ)というのは、そういうもの。

そういうときこそ、教師による細心の指導が必要。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日常の中の思考(I think, therefore I am -2-)

++++++++++++++++

日常生活の中では、日々の思考は、
サラサラと流れていく。
いちいち深く考えて行動する人はいない。

バカ話、たわいもない冗談、うわさ話などなど。
脳の中でも、きわめて表層的な部分だけが
使用される。

あのアインシュタインにしても、ふだんの
アインシュタインは、いつもおどけた、
おもしろい人だったという。
あるときライフ社のカメラマンがカメラを
向けたときも、長い舌を出して、おどけてみせた。

しかしだからといって、その人の思考性が
浅いということにはならない。

むしろ、逆。

思考性の深い人ほど、日常生活の中では、
その反作用として、バカ話、たわいもない冗談、
うわさ話などを好むと考えてよい。
疲れた脳をいやすには、それがいちばんよい。

要するに、その人の思考性の深さというのは、
見た目ではわからないということ。

集中力についても、そうである。
私など、文を書いているとき以外は、集中力という
のは、ほとんど、ない。
とくにワイフと会話しているときは、頭の中は
バラバラ。
話があちらへ、こちらへと、奔放に飛び回る。
他人が見たら、「林は、頭がおかしい」と
思うにちがいない。
自分でも、そう思うことがある。

つまり私はそうして、文をかくことで疲れた
脳を休める。
(ワイフにとっては、迷惑なことかもしれないが……。)

++++++++++++++++

●統合失調症(Schizophrenia)

昨日、ある精神科のドクターと、立ち話だが、少し話をさせてもらった。
その中で、そのドクターがこう言った。
「100人もいれば、その中の1人は、統合失調症です」と。

発症率が1%という(!)。
この数字に、私は驚いた。
「そんなに多いのですか?」と聞きなおすと、「みな、表には出したがりませんから」と。

実際には、それよりやや少ない数字だそうだが、人口81万人(08)の浜松市にしても、
約8100人の患者がいることになる。

今では統合失調症といっても、薬でコントロールする時代らしい。
中には、短期間の薬の服用で、治ってしまう人もいるという。

それにしても、100人に1人とは!

私も今までに、4〜5人の子どもで、それを経験している。
「おかしいな?」※と思い始めるのは、小学の高学年くらいから。
しかしそれもあとになってわかることで、そのときはわからない。
何かのきっかけで発症することが多い。

ある子ども(男子)は、中学2年生前後から。
別の子ども(女子)は高校1年になってから。

発症するのは、時期的には、だいたいそのころから、ということになる。

本人にその自覚がないこともさることながら、
家族も、それを認めたがらないというところに、大きな問題がある。
精神科の門をくぐるのは、最後の最後ということらしい。

ともあれ、深刻な病気であることにはちがいない。

(付記)※

「おかしいな?」と思うのは、たとえば、(1)つかみどころがなくなってくる
ということがある。

何を考えているかわからないといった状態になる。
こちらの話を聞いているのか、聞いていないのかと思っていると、
話の内容が、突然、ポンとほかへ飛んだりする。

統合失調症といっても、いくつかのタイプがあるので、そういった状態を
前兆症状と言ってよいかどうかは、わからない。
しかし教える側の立場でいうと、ある種の不安感を覚えるのは事実。
指導しているとき、おかしな胸騒ぎを覚えることもある。

一方、精神的に安定している子どもは、安定感があり、教える側も安心して指導できる。
冗談を話しても、その冗談が、すなおに子どもに通じ、またすなおにその反応が
返ってくる。
つまりその(すなおさ)が消える。

で、そういうとき親にそれを告げるべきかどうかで、悩む。
統合失調症にかぎらない。
幼児でいえば、緘黙症、自閉症などがある。
不登校になる前の症状も、私のばあい、わかる。

しかしたいていは知らぬフリをしてすます。
親の方から相談でもあれば、話は別だが、こうした問題を、症状名をにおわせながら、
親に告げるのはタブー中のタブー。

が、ここでつぎの問題が起きる。

中学2〜3年生のころ統合失調症を発症した、M君にしても、当初は親(とくに父親)が、
それと気づかず、親がM君をはげしく叱ったりした。
それがかえって、症状をこじらせてしまった。
もし初期の段階で、精神科もしくは心療内科の門をくぐり、適切な治療を受けていたら、
症状もずっと軽くてすんだはず。
(正確には、M君のばあい、ほかの症状も併発してしまった。
少なくともそうした症状は、防げたかもしれない。)

ほかにもいくつかある。

(2)感情に一貫性がなくなる。感情が鈍麻する。
(3)神経質になったり、こだわりが強くなったりする、など。

そのドクターにしても、別れ際、こう話してくれた。

「親が勝手に病院から、子どもを連れ出してしまうケースもあります。
そういうとき、私たちとて、何もできません」と。

子どもの精神の問題というのは、そういうものかもしれない。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●注察妄想(I am watched!)

+++++++++++++++++

「自分の生活は、他人にのぞかれているのではないか」という妄想を
もつことを、注察妄想という。

こんな話を近所の人から、聞いた。

+++++++++++++++++

その家には、70歳くらいの老夫婦が住んでいるが、妻のほうは認知症が
進んで、今は、センターと自宅を行ったり来たりしている。

で、その夫のほうが、様子がおかしいという。
高い塀をへだてて、隣に住んでいるAさん(女性、48歳)が、こう話して
くれた。

「私の家族が、その家をのぞいていると、その人は言うのね。
だからガラス窓は、すべてすりガラスにしたとか、カーテンを厚いものに
したとか、あるいは部屋の中の電気がつけられないとか。

たまにその家のほうを見ることはあるけど、のぞくなんてことはないわよ。
そして自分が庭に出ているときは、わざと大きな咳払いをしたり、
大きな音をたてたりして、『自分はここにいるぞ』というような行動を
してみせるのよ。

気味が悪いから、無視しているけど、それがかえってその人を怒らせている
みたい」と。

注察妄想……被害妄想のひとつで、小さな(こだわり)が、そのまま大きな
(こだわり)に増幅してしまう。
そして自分でもコントロールできなくなってしまう。

この注察妄想に似ているのに、自意識過剰がある、
「私はみなに注目されている」と思うのが、それ。
しかし自意識過剰だからといって、(若い人は、たいていそうだが)、
行為に反社会性が見られなければ、それでよい。

で、注察妄想と自意識過剰のちがいはといえば、注察妄想にかぎらず、
妄想をもつひとは、同時に他人に対して、同じ行為を繰り返す。
「いつものぞかれている」と言う人は、同時に、他人の家をのぞいている。
のぞいているから、自分ものぞかれていると思う。……思い込む。
昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』というが、注察妄想もその延長線上にある。

先の話をしてくれたAさんも、こう言った。

「そのくせ、自分ではよほど私の家が気になるらしく、いつも私の家のほうを
見ているのよ」と。

そこで新しい推論、ゲット!

被害妄想というのは、つねに(ミラー=鏡)になっている。
何かのことで被害妄想をもつ人は、その人自身も、反対の立場で、だれかに
同じような被害を与えているということ。
自分にそういう経験があるから、今度は、同じことを他人もしていると思うように
なる。
それが過剰にふくらんで、被害妄想となる。

こういう現象を、何と呼んだらよいのか。

『ミラー反応』というのは、どうか?

言いかえると、自分自身がした行為が、被害妄想の(こだわり)となるということ。
たとえば被毒妄想にしても、これはふつうの人の発想ではない。
ふつうの人なら、だれかの食べ物に毒をもるなどということは考えない。
そういう発想そのものがない。
だから被毒妄想をもつこともない。

だれかの食べ物に毒をもったことがある人、あるいはそういうことを考えたことが
ある人が、ミラー反応として、被毒妄想をもつ。……もちやすい。
「だれかに追跡されている」という追跡妄想も、同じように考えてよい。

妄想をもつのはその人の勝手だが、妄想をもたれるほうも、困る。
「病気」とはっきりと診断されれば、対処の仕方もあるが、そうでないときは、
まわりの人が、迷惑する。

中には、道をはさんだ隣人に、朝夕、石を投げられ、それが理由で、
引越しを余儀なくさせられた人もいる。
石を投げる人には、その人なりの理由があるのだろう。
何かの被害妄想が疑われるが、そうした分類に属さない被害妄想もある。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝、あれこれ】

+++++++++++++++++

ちょうど10年前に、TOSHIBAの
Dynabook・SS・3010を買った。
値段は、24万円くらいだったと思う。

今で言う「ミニ・パソコン」。
厚さも1〜1・5センチ前後しかない。

このパソコン、当初から、トラブルつづき。
画面上の位置を示すポインターが、勝手に
フラフラと動き回り、定まらない。

そこで修理に出すこと数回。
が、そのうち私のほうがあきらめてしまい、
ダマシ、ダマシ使うことに……。

小さいが、使いやすいパソコンだった。
で、今はボロボロ。
側面の塗装もはがれ、人間の年齢にたとえるなら、
60歳。

そのパソコンが、何と、生きがえった!

何の気なしに、光学マウスを接続してみた。
多分ドライバーが、光学マウス自体に組み込まれて
いたのだと思う。
確かなことはわからない。

しばらくドライバーを読み込んだあと、
あれほどトラブルつづきだった3010が、
何と、正常に作動し始めたではないか!

驚いた。
うれしかった。
古い友に再開したような気分だった。

原因は、マウス・ドライバーだった(?)。

……ということで、今日は、その3010で、
いろいろと書くことにした。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●論文丸写し(?)

産経新聞がこんな記事を書いている。

+++++++++++以下、産経新聞より+++++++++++++

 平成18年度にブラジルを訪問したM主党東京都議の視察団が、都議会に提出した報告
書に日本貿易振興機構(JETRO)職員の論文を盗用していたことが4日、分かった。
論文のほぼ全文を引用し、視察団の「総括」としていた。視察団長だった大沢N都議(4
3)は同日の記者会見で「参考資料として載せるつもりだったが、結果的に『盗作』とい
われても仕方がない」と謝罪した。公金を使った海外視察のずさんな実態が露呈しただけ
に、都議の海外視察のあり方が改めて問われそうだ。

(中略)

 視察には、大沢氏のほか、岡Z幸夫氏(55)、大N智氏(47)、猪爪M氏(52)の
3都議が参加。18年10月に10日間の日程で、サンパウロ、クリチバ、イグアスの3
都市を回った。目的は公共交通政策の調査などで、1人当たり191万円(総額765万
円)が海外調査費として支出された。

+++++++++++以下、産経新聞より+++++++++++++

論文の丸写しもさることながら、この記事の下の方に注目してほしい。
こうある。

「10日間の日程で、……1人当たり191万円(総額765万円)が海外調査費として
支出された」と。

10日間で、191万円だと!

驚くと言うよりも、議員の人たちは、こういう形で、無料大名旅行を楽しんでいるのか。
ちなみにJALの航空運賃表によれば、サンパウロまでの航空運賃は、
往復で、28万円弱(エコノミー)。

191−28=163万円!
それを10日で割っても、1日、16万円!
1人、16万円!

フ〜〜ン!

しかも彼らが書いた報告書は、盗作(?)だったという。

フ〜〜ン!

M主党議員も、ナカナカやるね!
J民党議員、顔負け!
これ以上書くと、これから食べる朝食がまずくなるので、ここまで!


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(9月6日・土曜日)

●スズメバチ(Hornets)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

今朝は、あまり気分がよくない。
理由は、よくわからない。

ただ昨夜遅くまで、雨戸の戸袋の中に
巣を作った、スズメバチ退治をしていた。

スズメバチの中でも大型の、体長が、
4〜5センチもあるものだった。

まず逃げ道をふさいで、小さな穴から
殺虫剤の噴霧。
2本分以上、それに使った。

1〜2時間したあと、再度噴霧しながら、
雨戸を戸袋から引き出した。

見ると、下の方に、10〜12匹の
スズメバチが、丸くなって死んでいた。
(あとで見たら、戸袋の外でも、5〜6匹
死んでいた。)

で、再び雨戸を戸袋に入れようとして、
上のほうを見て、仰天!

6段ほどに階層を作った巣が、そこにぶらさがっていた。
巨大な巣だった。
外を包んでいたカバーは、粉々に割れて、
中の巣だけがそこにつりさがっていた。

細いノコギリで、根本を切断。

ワイフに「(幼虫を)食べようか?」と声をかけると、
「私は、いやよ」と。
あっさりと、断わられてしまった。

今まで退治したスズメバチの中でも、
最大級のものだった。
幼虫ですら、3センチ前後もあった。

しばらく巣を観察したあと、
巣は幼虫ごと、コンポートに捨てた。
上から三角鋤(すき)で、バンバンと押しつぶした。

こういう作業は、あまり気持ちのよいものではない。

ところでどこかの寺の住職が、スズメバチを
退治するために、「火」を使ったという。
それで巣を燃やそうとしたらしい。
が、その火が、寺に引火。
寺が全焼してしまったという。

スズメバチの巣は、薄いカバーで覆われている。
このカバーは、たいへん燃えやすい。
つまり火を使うのは、たいへん危険。
近くの農家の人も言っていたが、スズメバチを
退治するには、市販の殺虫剤が、いちばんよい。
外から見えるところにそれがあるなら、
夜中に作業をする。
(ぜったいに昼間にしてはいけない!)

別の所から、懐中電灯で巣を照らしながら、
他方の側から、巣の入り口に向けて
殺虫剤を噴霧する。
コツは、中から出てこようとするハチを、殺虫剤の力で、
中へ押し込む要領でする。
距離は、最初は30〜40センチくらいのところから。
すぐに巣の入り口に殺虫剤の口をつけて、中へ噴霧する。

スズメバチの巣のばあい、出入り口は1か所しかない。

噴霧は容赦なく、する。
中途半端なし方は、かえってあぶない。
1〜2分も噴霧したら、殺虫剤の口で、カバーに穴をあけ、
その穴からも中へ噴霧する。

戸袋の中のようなところに作った巣は、まずガムテープのようなもので、
逃げ道をふさぎ、別の小さな穴から、殺虫剤を噴霧する。

……というわけで、今朝は、あまり気分がよくない。

虫は虫だが、あのハチは、ほんとうに頭がよい。
信じられないほど、頭がよい。
殺すのがかわいそうと思えるほど、頭がよい。
毒針さえもっていなければ、人間と仲よくできる
ゆいいつの昆虫かもしれない。

しかし……知らないでいたら、たいへんなことに
なるところだった。

(補記)巣の見つけ方

ハチが何らためらわず、慣れた様子で、狭い場所に
スーッと入っていったら、巣があると思ってよい。

ときどき1〜2匹前後、出たり入ったりするという
ようであれば、すでに巣は、巨大なものになっている
と考えてよい。

先にも書いたように、殺虫剤は、容赦なくかけること。
両手に2本くらいもち、フルパワーで、数分以上、
かけること。

ところで先ほど、コンポートの中をのぞいてみたら、
ハチの巣は、幼虫ごと、きれいに消えていた。
コンポートの中の虫が、一晩で食べてしまったらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●『失意泰然』(to be stable in case of despair)

++++++++++++++++

近くのガス会社の玄関脇に、こんな言葉が
かかげられている。

『失意泰然』。

石柱に、その言葉が刻み込んである。

++++++++++++++++

『失意泰然』。

すばらしい言葉だ。
またこの言葉を選んだ、その会社の社長もすばらしい。
(たぶん、選んだのは社長だと思うが……。)

「どんな逆境に置かれても、泰然としている」という意味か?

しばしその言葉に見とれる。

……私たちはそのつど、何かの騒動に巻き込まれる。
こちらが望まなくても、向こうから、それがやってくる。
そういうとき、当然のことながら、心は動揺する。

そういうとき底の浅い人は、ガタガタする。
中には、ギャーギャーと泣きわめく人もいる。
しかしそうしたところで、何も問題は解決しない。
かえって問題が、こじれてしまう。

日本語にも、『腹を決める』という言い方がある。
そうであるならあるで、割り切って覚悟する。
とくに自分の力ではどうにもならない問題に直面したときほど、そうである。
それが「運命」というのなら、その運命を前向きに受け入れる。
とたん、心が軽くなる。

この『失意泰然』という言葉は、いろいろに応用できる。

『騒動泰然』でもよい。
『動乱泰然』でもよい。

つまりそういうときこそ、その人の人格の基盤が発揮される。
そういうときに、泰然としていられる人ほど、人格の完成度が高いということになる。
私はその石柱を見ながら、しばしその言葉を、肝に銘ずる。

「私はその場に及んでも、ガタガタしないぞ!」と。
(実際には、いつもガタガタしているが……。)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●負けるが勝ち(Don't be afraid of losing in order to win)

++++++++++++++++

『負けるが勝ち』という言葉がある。
これについては今までに、何度も書いてきた。
しかし『負けるが勝ち』には、
さらにすばらしい意味が隠されている。

++++++++++++++++

何かのことで、悶々と悩んだり、苦しんだりしたら、
思い切って負けてしまう。
負けて、自ら、まな板の上に乗ってしまう。
「さあ、どうでも、好きなようにしろ」と。

とたん、心が軽くなる。

大切なことは、今、ここで私たちが生きているという(事実)。
それにまさる価値はない。
つまりその価値さえ確保できるなら、そのほかのことは、
どうでもよい。
取るに足りない、ささいなこと。

さらに言えば、今、あなたが健康で、自由に動くことができるなら、
それ以上、あなたは何を望むのか。

息ができる。
歩くことができる。
見える。
聞こえる。

だからこちらから負けてしまう。
どうせ相手は、小さな、小さな、どこまでも小さな人間。
あなたがまともに相手にしなければならないような人間ではない。
つまり『負けるが勝ち』とあなたが覚悟した瞬間、あなたは
相手を、呑み込むことができる。
数段、その相手より上に出ることができる。

が、もちろん、負けてはいけないケースもある。
どんなに攻撃されても譲ってはいけないものがある。
それが「正義」。
わかりやすく言えば、「生きるための名分」。
それは最後の最後まで、死守する。

しかしその正義というのは、国家、民族、宗教、人類、地球、さらには
宇宙に対してするものであって、個人に対してするものではない。
こと個人に対して正義など貫いても、意味はない。
相手がそれなりの人物ならともかくも、(そういう人物というのは、
めったにいないが……)、相手にしても、意味はない。

あなたがその人を相手にするというのであれば、あなたもまた、
その程度の人間ということになる。

こんなことがあった。

その村では、村の人たちが自分の土地を少しずつ供出して、道を
作ることになった。
で、その計画を村役場に提出すると、「村道」として昇格してくれる
ことになった。
土地を村が買いあげてくれる。
造成のための補助金も支給される。

その補助金の取り合いで、村の人たちの心が四分五裂。
それからすでに20年になるというが、いまだにその(しこり)が残っているという。

対処の仕方をまちがえると、自分自身が、とんでもないほど低位に落ちてしまう。
「20年もゴタゴタするなら、あきらめるものはあきらめて、サッサとつぎの
行動に移ればいい」と私は考えるが、同じ騒動でも、「お金(マネー)」がからむと、
そうはいかない。

人間関係も、ドロドロになる。

あるいはこんなことも。
私は以前、いろいろなカルト教団を攻撃する記事を書いた。
雑誌や月刊誌にも書いた。
書籍も5冊出した。
そのこともあって、いまだに、私の家をさがしあて、抗議してくる人がいる。
玄関先で、押し問答をする。
しかしそういう個人を相手にしても、意味はない。
その人がそれで幸せなら、それでよい。
とやかく言う必要はない。
だから私のほうが逃げる。
相手がこわいから逃げるのではない。
どうでもよいから、逃げる。

だから『負けるが勝ち』。

仮に今日負けたら、明日、楽しく元気に仕事ができるようにすればよい。
今月負けたら、来月、楽しく元気に仕事ができるようにすればよい。
そのために、明日、あるいは来月、楽しく仕事ができるように、
心と体を、今日、あるいは今月、鍛えればよい。

私は自分で負けを感じたときは、その日は、運動の量をふやすようにしている。
運動をすることによって、不愉快なことを忘れることもできる。

「今年がんばれば、来月、楽しく仕事ができるだろ」と。

つまらないことでは、負けて負けて、ボロボロになる。
ボロボロになったところで、失うものは何もない。


Hiroshi Hayashi++++++++++++++++++++++はやし浩司

●庭のマムシ(A Poison Snake in my Garden)

++++++++++++++++

先月、なんと、私の庭で、マムシが出た。
小さなマムシ(日本マムシ、毒性はきわめて強い)だったが、
それでも体長は30〜40センチはあった。
このあたりでも、「かまれたら、1か月」という。
マムシにかまれたら、入院生活が1か月つづくという意味である。

++++++++++++++++

マムシの生態を知っている人なら知っていると思うが、マムシというのは、
こういう市街地の住宅団地には、出ない。
湿地帯に近い、草むらの中で生育する。
餌は生餌(いきえ)といって、生きたカエルやトカゲ。

その上、私の家の敷地は、全体的に、1〜1・5メートルほど、盛り土に
なっている。
まわりを40センチほどの高さのブロックで囲んでいる。

が、出た!

……ということで、夜など、自分の家の庭であっても、歩くのがこわくて
ならない。
懐中電灯は必携。
あれが子どものマムシとするなら、どこかに親がいるはず。
1匹だけということは、ことマムシに関しては、ありえないそうだ。

こうして私はまたあたらしい(こだわり)を作ってしまった。

……しかしどうして私の家の庭に、マムシ?

これも地球温暖化の影響か?


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボーイフレンドが、ほしい!

 中学生のRさん(中3女子)が、ふと、こう言った。「先生、私、ボーイフレンドが、ほ
しいよオ」と。

 「あなたなら、男たちが、放っておかないでしょう」と言うと、「好きな子を、パクられ
てしまったア」と。

 「フ〜〜ン」と言っただけで、しばらく、つぎの言葉が出てこなかった。

私「……ボーイフレンドと、何をしたいの?」
子「そりゃあ、いっしょに話をしたり、映画を見に行ったりとかさ、いろいろあるじゃん」
私「そうだな。そういうときが、一番、楽しいね」と。

 そのとき私は、自分の中学時代を思い浮かべていた。私には、そういう思い出が、まっ
たく、ない。

私「ぼくもね、好きな子がいたけど、電話で一度、話しただけだよ」
子「電話で?」
私「そう。相手の子が電話に出たとたん、何も話せなくなってしまったよ」
子「へえ〜エ。好きですとか何とか、言わなかったの?」
私「とても、言えなかったよ」と。

 そんなことを言いながら、ふと、Rさんを、見る。「そう言えば、そのときの彼女に似て
いるな」と思ったが、それは言わなかった。あまりにも見えすいた、何というか、女たら
しが、女性を口説くときに、よく使うセリフである。

子「でね、先生、そういうときは、何て、相手の男に、言えばいいの?」
私「あのね、男というのは、雰囲気で、相手が、真剣かどうか、わかるんだよ。真剣に何
かを言えばいいよ。その真剣さが、相手の心の窓を開くよ」
子「じゃあ、何と言うの?」
私「真剣にね、『今度、映画を見にいこう』とでも、言ってみてごらん。それで相手に、気
持が伝わるよ。『好きです』と、いきなり言うと、相手もビビるからね」と。

 私にとっては、40年以上も前の話。しかし、そんな感じが、まるでしない。タイムマ
シンか何かで、過去に、タイムトリップしたような雰囲気になってきた。今度は、私が質
問する番だ。

私「いきなり、男の子から電話がかかってきて、その相手が何も言わなかったら、どう思
う?」
子「へえ、先生、何とか、言葉をつなぐことができなかったの?」
私「できなかった。何も言えなかった」
子「そういうもんかなあ?」
私「そういうもんだよ。現実は、そうだった」と。

 あのとき、もしもう少しスマートに、愛を告白できていたら、どうなっていたか? う
まくデートできただろうか? あの子と、そのあと、どうなっていただろうか? いろい
ろ考える。

私「いろいろな子とつきあって、その子がどんな子か、知るといいよ。そうするとね、自
分がどんな人間かもわかるからね。フラれたら、どこに原因があるかを自分で調べるんだ
よ。そうして、どんどんと、自分をみがいていく。今は、そういう時期だから、いろいろ
な子とつきあうといいよ」と。

 少し偉そうなことを言ってしまった。あのころの私、つまり中学時代の私など、ボロボ
ロで、Rさんがそれを知ったら、確実にがっかりするにちがいない。ダサくて、田舎臭く
て、クソまじめで……。まったく、面白みのない男だった。

 私は、女性にモテるタイプではなかった。

私「いいか、ぼくの顔を見て、中学生のころのぼくを想像してみてほしい。想像するだけ
でいい」
子「うん、わかった。先生が、中学生だったころね」
私「そうだ。いいか、想像できたか?」
子「ハハハ、できる、できる」
私「じゃあ、そのぼくが、君に、『好きです』と告白したら、君は、どうする?」
子「気持、ワリ〜〜イ、サイテ〜」「気味、ワリ〜〜イ、サイアク〜ウ」
私「だろ……。なっ、わかってた」と。

 ますます自信をなくして、この話は、ここでおしまい。そのあと、私は、語気を強くし
て、こう言った。「さあ、勉強だ! お前ら、時間をムダにするなよ!」と。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●もう1人の自分

 自分にとって、受けいれがたい、もう1人の自分を感じたとき、その自分を抑圧するた
めに、人は、それとは正反対の自分を演ずることがある。

 これを「反動形成」という。

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。たとえば、
牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人がいる。

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。信者や生徒
が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫んでみせた
りする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。しかしそん
な感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。しかしこ
れは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、その自覚は
ない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。老
人に多い。自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて
(ニセの自分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜
くことができない。何十年も近くで住んでいる親類ですら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せる
かどうかで判断する。反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。とき
にサービス過剰になったりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。あるいは体の
弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。

 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。
(はやし浩司 反動形成)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。そのときのこと。私が子ど
もたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方で、「嫌
いだヨ〜」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえてお
おげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。が、中に、
正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめると、小声
で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはいる。しかし
そういう子どもは、例外と考えてよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人生の充実感】I think therefore I am. (我、思う。ゆえに我、あり)

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自分の今までの10年間を振り返りながら、
(もちろん20年でも、30年でもよいが……)、
「まだ10年しかたっていないのか!」と驚く人がいる。
反対に、「もう10年もたってしまったのか!」と驚く人もいる。

充実した人生を送っている人は、「まだ……」という言葉を
使って、自分の過去を振り返る。
そうでない人は、「もう……」と言って、自分の過去を振り返る。

++++++++++++++++++

●年齢は、ただの数字

懸命に何かに向かって生きている人は、それだけで美しい。
輝いている。
そうでない人は、そうでない。

大切なのは、「中身」。
「年齢」という数字ではない。
仮に90歳まで生きたとしても、長生きしたということにはならない。
仮に40歳で死ぬことになっても、若くして死ぬということにはならない。
あの

『無益に100年生きるよりは、一瞬のうちに自分を燃焼させる』。
それが(生きる)ということではないのか。

そのことは養護センターの老人たちを見ればわかる。
一日中、つけっぱなしにしてあるテレビの前で、何かをするでもなし、
何もしないでもなしという状態で、日々を過ごしている。
そういう人たちを見て、本当に生きていると言えるだろうか。

(もちろんそういう人生が、無駄だとか、そこにいる老人たちには、
価値がないと言っているのではない。
もし私たちが健康で元気なら、何もあわてて、そういう老人たちの
仲間入りをする必要はない。
けっしてそういう老人たちを手本としてはいけない。
たとえば日本では、老後というと、孫の世話と庭いじりと考える人は多い。
しかしその延長線上に、養護センターの老人たちがいる。
そういう意味で、「本当に生きていると言えるだろうか」と、私はここで
問いかけてみた。)

●密度

で、生きる価値は、その(密度)によって決まる。
密度の濃い人は、自分の人生を振り返りながら、「まだ……」と言う。
そうでない人は、「もう……」と言う。

が、その密度は、あくまでも相対的なもの。
「相対的」というのは、「他人と比較して……」ということになる。
が、実のところ、比較しても、意味はない。
この問題だけは、どこまでいっても、個人的なもの。
その人がそれでよいと思っているなら、それでよい。
他人の私たちが、とやかく言う必要はない。

たとえば仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。
たまの休みには、魚釣り。
雨の日にはパチンコ……という人も、いないわけではない。
が、その人がそれでよいとしているなら、それでよい。

しかし密度の濃い人生を送っている人からみると、そうでない人がよくわかる。
反対に密度の薄い人生を送っている人からは、密度の濃い人生を送っている人がわからな
い。
そのことも、養護センターの老人たちを見ればわかる。

●密度といっても、相対的なもの

先日もある女性(65歳くらい)と、こんな会話をした。
その女性は、どこか認知症的なところがある。
どうでもよい話を、長々と私に説明した。
そこで私が、「私は、(あなたが思っているような)バカではないと思うのですが……」と
言うと、その女性は突然、ヒステリックな声で、こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。

利口な人からは、バカな人がよくわかる。
しかしバカな人からは、利口な人がわからない。

で、「相対的」ということには、もうひとつの意味が含まれる。
たとえばある人は、20歳〜40歳まで、密度の薄い人生を送ってきたとする。
平凡な、これといって変化のない人生だった。
しかし満40歳になったとき、人生の転機が訪れ、何かの目標に向かって、
猛烈に突進し始めた。
朝起きるとすぐ(やるべきこと)を始め、寸陰を惜しんで、それに没頭した。

そして満50歳になったとき、それまでの10年間を振り返りながら、
「まだ10年しかたっていないのか!」と驚く。
しかしそれとて、20歳〜40歳までの自分自身の人生と比較してはじめて、わかること。
もしその人が40歳を過ぎても、それまでと同じような人生を歩んでいたら、
密度の変化そのものに、気がつかないだろう。
「相対的」というのには、そういう意味も含まれる。

●密度の濃い人生

ただ加齢とともに、人生の密度は、相対的に薄くなる。
体力、知力が衰え、ついでに気力も衰える。
脳が、あたかも穴のあいたバケツのようになる。
せっかく得た知識や知恵にしても、どんどんと下へと、こぼれ落ちていく。

つまり放っておいたら、人生の密度は、どんどんと低下していく。
実際、「歳をとればとるほど、1年は早く過ぎる」と言う人は多い。
が、それを当然と思ってはいけない。
またそうであってはいけない。

バケツに穴があいた状態になったら、さらに多くの知識や知恵を詰め込めばよい。
いつも新しいことに興味をもち、それに向かって、前向きに進んでいけばよい。
(すべきこと)を発見して、それに向かって進むということであれば、年齢は関係ない。
年齢という「数字」にだまされてはいけない。
「数字」に、遠慮する必要もない。
1年が早く過ぎると感じたら、2年分、生きればよい。

こんなことがあった。
前回のワールドカップの代表選手に選ばれたTK氏と、こんな会話をしたことがある。
別れ際、「すばらしい人生を送っておられますね」と声をかけると、TK氏は、
少しはにかみながら、「私はサッカーしかできませんから」と。
その少し前、TK氏は、アジアカップ杯のすべてに出場し、日本を優勝に導いている。

TK氏のような人は例外としても、TK氏にとっての一瞬は、私たち凡人の10年分、
あるいは100年分より、密度が濃いはず。
そのときTK氏は、まだ30歳そこそこ。
60歳に近い私でさえ、TK氏の前では、タジタジになってしまった。

●空しさとの闘い

話を戻す。

人生は楽しむためにあるのではない。
(生きる)ためにある。

それがわからなければ、そのつど、自分にこう問いかけてみたらよい。
「だから、それがどうしたの?」と。

すばらしい車を買った……だから、それがどうしたの?
すばらしい家を買った……だから、それがどうしたの?
おいしいごちそうを食べた……だから、それがどうしたの、と。

若いときはそれがわからないかもしれないが、人生に天井が見えてくると、
そこに残るのは、(空しさ)だけ。
(楽しみ)のあとを、すぐ(空しさ)が追いかけてくる。
そんな状態になる。

そこで大切なことは、「今」というこの「時」を、いかに充実させるかということ。
そのひとつの方法として、私は(考えること)をあげる。

人間がなぜ人間かと言えば、考えるからである。
あのパスカルも、「パンセ」の中で、そう書いている。
『人間は考える葦(あし)である』という言葉も、そういうところから生まれた。
もし考えなかったら、人間もただの動物。
「生きた」というだけの人生で、終わってしまう。

それについては、以前、こんな原稿を書いたことがある(一部、中日新聞発表済み)。

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●生きることは、考えること

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをな
す』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に
出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」
と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二
人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として
外に取り出しているにすぎない。

もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラ
ペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはなら
ない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識の
うちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。

中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こ
んな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうで
すか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでお
られる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『わ
れ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まち
がっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしてい
るの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の
中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、
その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカ
ルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけ
させることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠
牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、
賢い子どもというのは、自分で考える力のある子どもをいう。

いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わない。頭
のよし悪しも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう
言っている。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。
ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●教育の欠陥

日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み
教育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の
本山教育である。

つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画一的
な子どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくり
が基本になっている。

戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていな
い。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界
の非常識。ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教
育である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横
並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメにな
る」(「コウとうけん」・九八年・田丸先生指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっ
ているのがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせ
て、会話として外に取り出しているにすぎない。

一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考えていない。思考というのは、
本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては本当に頭が
痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。そのた
め考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考
えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるというこ
ともある。私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。
また文にして残すという方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。

私にとって生きるということは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテ
ーニュ(フランスの哲学者、1533〜92)も、「『考える』という言葉を聞くが、私
は何か書いているときのほか、考えたことはない」(随想録)と書いている。ものを書く
ということには、そういう意味も含まれる。
(はやし浩司 情報と思考 考える葦 パスカル パンセ フォレスト・ガンプ (はや
し浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi 
Hayashi education essayist writer Japanese essayist 思考 情報 生きる 生きるとい
うことは、考えること なぜ人は生きるか)

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『I think therefore I am. (我、思う。ゆえに我、あり)』
と言ったのは、あのデカルト(Descartes)だが、その言葉を、
もう一度、かみしめてみたい。
(ただし「think」を「思う」と訳したのは、誤訳と考えてよい。
「think」は、「考える」という意味に近い。
実際、日常では、そういう使い方をしている。)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 08++++++++++はやし浩司

●「健康論」(2002年に書いた原稿です。)

 何か体の不調が表れると、私はまず第一に、「この症状は以前にもあったか?」と自問す
る。そして以前にもあった症状なら、それで安心し、そうでなければ不安になる。いや、
ときどき以前にもあったはずなのに、それを思い出せないときがある。

先日も昼になって鏡を見たら、目の眼白がまっかだった。理由はわからないが、結膜出血
である。とたん、言いようのない不安感が私を包む。遠い昔、同じような症状があったは
ずだが、どうも思い出せない。女房に聞くと、「ほら、前にもあったでしょ」と笑ったが、
私は笑えない。

 賢明な人は、健康の価値を、それをなくす前に気づく。愚かな人はその価値を、なくし
てから気づく。「健康は第一の富である」と言ったのは、あのエマーソンだが、たしかに健
康はすべての財産にまさる。

いや、中には金銭的な財産をなくして、自ら命を断つ人もいる。が、しかしこういうこと
は言える。「死を前にしたら、すべての財産が無価値になる」と。健康あっての財産である。
健康あっての生活であり、健康あっての仕事である。……というようなことは頭の中でも
わかっている。問題はこのことではなく、その先である。では、健康であればよいのかと
いうと、そうでもない。

健康というのは、何かの目的のために有意義に使ってはじめて価値がでる。極端な言い
方だが、ただ無益に生きても、意味はない。むしろ生きるということを考えるなら、死
の恐怖を目前に感じていたほうが、生きる意味が鮮明にわかる。もっとはっきり言えば、
健康と「生きる」ことは別物である。健康だから生きていることにはならないし、死が
近いから生きていないことにはならない。実はここが重要な点だ。

私の家の近くに、小さな空き地がある。そこは老人たちのかっこうの溜まり場になって
いる。うららかな春の日ともなると、いつも七〜八人の老人たちが、何かをするでもな
し、しないでもなし、一日中何やら話し込んでいる。のどかな光景だが、しかしそれが
あるべき老人の姿なのか。竹の子の季節になると、交替で見張り番をしている。昨年も
私が不用意にその竹やぶに入ったら、いきなり一人の老人が飛び出してきて、「お前は、
どこのばかだ!」と叫んだ。そうした老人たちが健康なのかどうかは、外からはわから
ないが、生きているかどうかという視点でみると、それは疑わしい。

生きるということは、日々の生活の中で前進することだ。もし今日が昨日と同じ。明日
は今日と同じということになったら、その人はもう「生きていない」ということになる。
健康であるとかないとかいうことは、関係ない。若いとか老人であるとかいうことも関
係ない。

言い方を換えるなら、若い人でも「生きていない」人はいくらでもいる。老人でも、あ
るいは重病人でも「生きている」人はいくらでもいる。もちろん健康であることにこし
たことはないが、しかし健康は「生きること」の前提ではない。いわば健康は、その人
が当然大切にすべきものであるのに対して、「生きること」は、その人の心の問題である。
わかりやすく言えば、健康はハード、生きることはソフトということになる。いくらす
ばらしいハードをもっていても、ソフトがなければ、パソコンにたとえて言うなら、た
だの「箱」。少なくとも私はそういう人生には耐えられない。

……と書いて、私のことだが、私はもう二〇代の後半から自転車通勤を欠かしたことが
ない。真冬の寒い夜でも、あるいは多少小雨がパラつくときも、自転車通勤を欠かした
ことがない。健康のためという意識はあまりなかったが、それを欠かすと、とたんに体
の調子が悪くなる。一方、同年齢と思われる男たちが、乗用車で私を追い越したりする
と、「いいのかなあ」と思ったりする。健康というのは、それがしっかりとある間から守
ってはじめて守れる。病気になってから健康を考えても遅い。老人に近づいてから健康
を考えても遅い。そういう意味で、「もっと運動をしなくてもいいのかなあ」と思った。

で、今、おかげでというか、多少の持病はあるにはあるが、しかし成人病とは無縁だし、
生涯において、病院のベッドで眠ったことは一度もない。しかしそれでも不安はある。
冒頭に書いたように、今までに経験したことがない症状が出たりすると、「ハッ」と思う。
とくに私は不安神経症のところがある。いちどそれが気になると、ずっとそれが気にな
る。「このまま失明したらどうしょう」とか、「もっと悪い病気で、眼球摘出ということ
にでもなったらどうしよう」とか。が、内心のどこかで、「そんなはずはない。お前は健
康には気を配ってきたではないか」と思いなおして、それを打ち消す。……打ち消すこ
とができる。そのために二六年間も自転車通勤を続けてきたのだ!

と、書いて、しかしそこにそれでは満足できない自分を知る。健康でない人には、たい
へんぜいたくな話かもしれないが、「だからどうなのか?」という問題に、そこでぶつか
ってしまう。たとえば今私は、最新型のパソコンをもっている。ペンチアム四の一・五
ギガヘルツのすごいパソコンだ。しかしワープロで使う程度なら、実のところこんなす
ごいパソコンはいらない。一昔前の中古パソコンでも、じゅうぶんだ。もちろん最新型
であることはすばらしいことだが、健康もそれに似ている。「だからどうなのか?」とい
う部分を煮詰めないと、健康論もただの健康論で終わってしまう。

話が繰り返しになってきたので、ここで私の健康論はやめる。ただ私にもわかっている。
今ある健康にしても、それは薄い氷の上に建つ城のようなものだということ、を。また
健康をなくせば、当然心も影響を受けて、まともに考えられなくなるということ、をも。

そういう意味で、私にとっては「健康である」ことと、「生きる」ことは競争のようなも
のだ。時間との勝負といってもよい。この「健康な」状態はいつまで続くかわからない。
五年か、一〇年か。それとも一年か。私はその間に生きなければならない。一歩でも二
歩でも、前に進まねばならない。まだまだ知りたいことは山のようにある。少なくとも
空き地にたむろして、竹の子の見張り番をするようなことだけはしたくない。そしてと
てもぜいたくな言い方に聞こえるかもしれないが、そのための健康であるとするなら、
私は健康なんかいらない。(02・2・14)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【9月3日】(水曜日)

++++++++++++++++++H.Hayashi

福田総理大臣が、自民党総裁を辞任すると言った。
とたん、次期総理大臣として、AS幹事長が浮上してきた。

しかし、「待ったア!」。

AS幹事長の海外での評判は、数々の問題発言もさることながら、
たいへん悪い。
一度、アメリカの新聞(ニューヨーク・タイムズ紙)で、酷評されたこともある。
「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうかがえない政治家」と。

++++++++++++++++++

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、
日本のA外務大臣の発言に対して、

「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうか
がえない」と、批判した。

当然である。

++++++++++++++++++

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝などを
めぐるAS外相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢明さ
もうかがえない」と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」
と述べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言
を取りあげ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。
(以上、毎日新聞)

+++++++++++++

で、今日あたりの新聞(夕刊)を読むと、さっそく中国と韓国が
動揺し始めている。

私は、AS幹事長に対して、日本語すら、まともに話せない人という
印象をもっている。
話している言葉にしても、単語を並べているだけで、文になっていない。
愛読書が、「ゴルゴ13」(コミック本)というから、その程度の人なのだろう。

自民党の中でも、右派中の右派。
極右派ということになっている。
靖国神社問題にしても、「天皇に参拝してもらうのが、いちばんいい」
などと発言している。

こんな人が(失礼!)、総理大臣になったら、日本はとんでもないことになる。

……ということで、AS幹事長に対して、自民党内部で、対抗馬を出す
動きが活発になってきた。

前回の総裁選挙の繰り返しである。

で、今のところ、中川元幹事長、小池元防衛相らが、AS幹事長に対抗して、
自民党総裁選挙に出馬するかもしれないという。
AS幹事長を支持する人もいるかもしれないが、「ASだけは、だめだ」と
考えている人も多いはず。

自民党の良識を信じたい。
日本人の良識を信じたい。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●老人たちよ、立ち上がろう!

++++++++++++++++++H.Hayashi

老人たちよ、若い人たちのために、立ち上がろう!
私たちがものを言わずして、だれが言う!

おかしいものは、おかしいと言う。
たったそれだけのこと。

戦争について、平和について、国政について……。
私たちが良識をぶつければ、この日本は変わる。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●出世主義

AS幹事長のような政治家を見ていると、餓鬼のような醜さを感ずることはあっても、
「民の代表」というような清潔さを感じないのは、なぜか?
やることなすこと、どこかに薄汚ささえ覚える。

その理由として、AS幹事長は、政治というものを、我利、我欲の追求の場と
しか考えていない(?)。
「みなから選ばれる」というよりは、旧態依然の金権を利用した派閥政治だけで、
自分の地位を得ようとしている(?)。

前回の総裁選挙で、福田総裁が選ばれたことについても、福田氏が選ばれたという
よりは、「ASでは、だめだ」という勢力が、福田氏支持に回った。
ふつうの神経の持ち主なら、ここで自分に恥じて、それで静かになるはず。
しかしAS幹事長には、そういう神経はない。
で、またまたその繰り返し(?)。

今回の内閣改造でも、その下地づくり、つまり今度の総裁選挙準備のため、
自分の息のかかった大臣を何人も送り込んだという(報道)。
もしこれが事実とするなら、AS幹事長にとっては、政治の世界そのものが、
国取り物語の舞台になっている(?)。
織田信長や豊臣秀吉の時代ならまだしも、どうしてこの21世紀の今、こういう
政治家が生まれるのか?
いまだにこの日本には、おかしな出世主義が、はびこっている(?)。

……とまあ、「?」マークの連続だが、私は心底、日本の将来を心配する。

今日の夕刊によれば、AS幹事長は、政治公約を近く発表するという。
どんな公約になることやら?
私は、見たくもない。
聞きたくもない。


Hiroshi Hayashi++++++++SEP 08++++++++++はやし浩司

●A外務大臣(2006年1月に書いた原稿です。)

++++++++++++++++++

A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・1・29)

++++++++++++++++++

 A外務大臣は、こう述べたという。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と
言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、そ
れが一番」「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇
の意思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういった
プロセスを、何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑
近な例で考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、
菅原道真(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言った
ら、あなたは、どう答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも
出されているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)
が、そういう発言をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、
外の世界の私たちには、届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」
という発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民
党政権としては、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、
おしまい……というのが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の
場で、堂々と口にしてしまった。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろ
う? 軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さ
ん!」とか言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵
隊は、少なかったという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった、日本兵がいなかったわ
けではないだろうと思う。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今
までやってきた。もしそれが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に
向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の
完成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なく
なる。『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸
うな』と言われると、かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような
凡人ではない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理
能力のなさを、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、
A外務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに
等しい。このごう慢さ。この高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになる
だろう。私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近
隣諸国との関係を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低
いとは、思ってもみなかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲ
リラ戦でも、何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわか
りやすい方法である。先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもそ
の大半は、アメリカ軍を中心とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。
「英霊」ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。
もっとわかりやすく言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、
そしてその犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自
分たちの責任を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、
「戦争を起こしたのは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり責任
を国民に、押しつけた!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あの
とき戦争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ
連の進攻を食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQ
によって、完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私
はまた同じことを言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたら
よいのではないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなく
なってくる。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠
巻きに議論している。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もか
も、その負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの
人間」という部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、
天皇や天皇家の人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな
問題も隠されている。


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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   3日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●一夫一妻

+++++++++++++

一夫一妻であるかどうかも、
遺伝子の命令によるところが大きいそうだ。
今度、そんな研究結果が、公表された。

ナルホド!

動物をみても、一夫一妻をきちんと守っている
のもいるし、そうでないのもいる。

そうしたちがいは、遺伝子のちがいによるもの
だそうだ。

もちろん、この人間とて、例外ではない。

+++++++++++++

時事通信が、こんな記事を配信している(9月3日)。

+++++++++++以下、時事通信より(080903)++++++++

●遺伝子の個人差で離婚危機2倍=スウェーデン男性900人調査


 草原などに生息するハタネズミ類で固定した夫婦関係(一夫一婦制)を好むかどうかを
左右する遺伝子がヒトにもあり、男性ではこの遺伝子が特定のタイプの場合、そうでない
場合に比べ、結婚より同居を選んでいたり、離婚や別離の危機を経験したりする確率が2
倍高いことが分かった。

スウェーデンのカロリンスカ研究所や米エール大などの研究チームが2日までに調査した。
論文は米科学アカデミー紀要の電子版に掲載される。

 この遺伝子「AVPR1A」は、脳神経で神経伝達物質のアルギニン・バソプレシン(AVP)
を受け取るたんぱく質(受容体)を生み出す機能がある。

ハタネズミ類ではAVPが多かったり、受容体がよく働くタイプだったりすると、社会性が
高く、一夫一婦を好むようになることが実験で確認されており、ヒトでは自閉症の発症リ
スクに影響する可能性が指摘されてきた。

 研究チームは、パートナーがいるスウェーデン人男性約900人を対象に、2本がペアにな
っている12番染色体にあるこの遺伝子の一部DNA塩基配列が特定のタイプかどうかを調
査。その結果、2本とも特定タイプの男性が結婚ではなく同居している割合は32%、過去1
年に離婚や別離の危機を経験した割合は34%と、2本ともそうでない場合の17%、15%の
約2倍だった。 

+++++++++++以上、時事通信より(080903)++++++++

わかりやすく言うと、遺伝子(12番染色体にある遺伝子の一部)のタイプにより、
一夫一妻意識に、ちがいが出てくるという。

つまりその遺伝子が特定タイプの男性ばあい、結婚ではなく、同居している割合は、32%、
過去1年間に離婚や別離の危機を経験した割合は、34%もあったという。

そうでない遺伝子をもっている人の、17%、16%と比較すると、約2倍の数値だった
という。

へ〜〜エ!

よく「私は独身主義だ」とか何とか言っている男性がいる。
本人は、自分の意思と思想で、そう言っていると思っているかもしれない。
しかしそう言っている男性にしても、結局は、遺伝子に操られているだけ……
というふうにも、解釈できる。

となると、自分の意思とは何か、思想とは何か、ますますそれがわからなくなる。
というのも、(思想)にしても、自分にとって耳障りのよい(考え)の集合体でしかない。
「私は結婚したくない(あるいはその意思が弱い)」という、自分の意思を補強するために、
あちこちから独身主義にとって都合のよい(考え)を集めてくる。

そしてそれを(思想)という形にしたあと、「私は独身主義だ」と言う。

しかし、これで謎が解けた!

私の庭にやってくる野鳥にしても、ドバトは一夫一妻をきちんと守っている。
ヒヨドリも守っている。
スズメも、子育ての時期には、それを守っている。
いつも一羽でやってくるのは、モズ。

が、あのメジロはどうなのか。
いつも春先には、5〜10羽の集団でやってくる。
こうしたちがいは、それぞれの鳥が、それなりの思想をもっているからではなく、
その奥深くで、遺伝子によって生ずる。

さらに言えば、この私はどうなのか。
周期的に、離婚騒動を繰りかえしている。
(夫婦げんかをすると、私は、「お前なんかと離婚してやる」と言う。)
が、一応、この40年近く、一夫一妻を、きちんと(?)守っている。

もっとも、今回の研究では、「100%」という言葉はない。
つまり遺伝子のタイプが、(別居・離婚タイプ)であっても、別居・離婚をしないで
いる人も多いということ。
反対に(一夫一妻タイプ)であっても、別居・離婚をする人も多いということ。

このファジー(あいまい)な部分が、人間生活を豊かでおもしろいものにしている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 離婚 別居 一夫一妻 一
夫一妻制 遺伝子)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●病識(現実検討力)

+++++++++++++++++

「私の脳みそは、おかしい」とわかる人は、
まだ症状も軽いそうだ。
しかし「私は正常」「脳みそは、おかしくない」と
がんばる人ほど、症状は重いそうだ。

「私は病気」とわかることを、「病識」という。
精神病の多くでは、この病識の有無が、
たいへん重要という。

+++++++++++++++++

統合失調症という病気がある。
近年の治療の進歩には、ものすごいものがある。
以前は重篤な病気と考えられていたが、深刻であることには
ちがいないが、その深刻さが薄れてきたように感ずる。

そんな病気にかかっても、病識のない人が、60%も
いるという。
病識があれば、本人自身が、治療に向かって歩み始める
ことができる。
そうでなければ、そうでない。
こうした病気の第一歩は、その人にいかに病識をもって
もらうかだ、そうだ。

ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

+++++++++++++

自分が統合失調症であるという診断を認めない(いわゆる「病識」がない)、あるいは医師
に対する不信感などから病識が不足している患者が多い。
アメリカでの400人以上の精神障害者を対象にした調査では統合失調症患者の60%、統合
失調情動障害患者の約25%に病識がなかった。
つまり、「本当は病気で無いけれど強制されて治療を受けている」、「本当はどこも悪くない」、
といった症状が見られるということである(ウィキペディア百科事典より)。

+++++++++++++

しかしこれは何も、統合失調症の患者だけの問題ではない。
私たち自身も、つねにこの問題、つまり病識のある・なしの問題を
かかえている。

簡単な例で言えば、「私はバカかどうか」という問題がある。
先日も、どこか認知症ぽい女性(65歳くらい)と話をしたときのこと。
相手は、自分のレベルを基準にして、ものを話す。
で、私がふと、「私は、(あなたが思っているほど)、そんなバカでは
ないと思います」と言うと、その女性は、突然、こう叫んだ。

「私もバカではありません!」と。

この事件以来、私はつねに、自分の脳みそを疑ってみるようになった。
私から見ると、その女性には、病識がないことになる。
しかしこうしたレベルの問題は、相対的なものにすぎない。

より知的レベルの高い人から見れば、私はバカということになる。
つまり私には、その病識がないということになる。

さらに最近では、子ども(幼児)たちの能力や、中高校生の能力と
比較してみることがある。

たとえばカードめくりのような短期記憶では、私はもう、子どもたちには
かなわない。
一方、難解な数学の問題では、中高校生に負けることはないが、このところ
簡単な計算(足し引き算)でのミスが多くなった。
私の脳みそは、かなり、老化している。

これも病識といえば、病識ということになる。

……こうして、つねに自分の脳みその状態を知る。
というのも、脳みその問題は、CPU(中央演算装置)の問題だから、
原理的には、それがおかしくても、おかしいと気づくことはない。
とくに脳の活動が鈍ったようなときである。
全体が鈍くなってくるから、「鈍くなった」と気づくことはない。

統合失調症についても、つぎのような症例がある(ウィキペディア百科事典より転載)。

+++++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++

*被害妄想(他人が自分を害しようとしていると考える。「近所の住民に嫌がらせをされ
る」)

*関係妄想(周囲の出来事を全て自分に関係付けて考える。「○○は悪意の仄めかしだ」)

*注察妄想(常に誰かに見張られていると感じる。「近隣住民が常に自分を見張っている」)

*追跡妄想(誰かに追われていると感じる。「ストーカーの集団に追われている」)

*心気妄想(重い体の病気にかかっていると思い込む)

*誇大妄想(患者の実際の状態よりも、遥かに偉大、金持ちだ等と思い込む)

*宗教妄想(自分は神だ、などと思い込む)

*嫉妬妄想(配偶者や恋人が不貞を行っている等と思い込む)

*被毒妄想(飲食物に毒が入っていると思い込む)

*血統妄想(自分は天皇の隠し子だ、などと思い込む)

*家族否認妄想(自分の家族は本当の家族ではないと思い込む)

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++

要するにここに書いたようなことを思ったり、考えたりしたら、
まず自分の脳みそを疑えということ。
またここに書いたようなことを口に出して言っている人がいたら、
まずその人の脳みそを疑えということ。

とくに注意したいのが、「宗教妄想」。
私の近辺にも、「私は神だ」とか、「私は悟りを開いた仏だ」と言っている
人がいる。
けっこうそれらしいカリスマ性を備えているため、それを信じている
人もいるようだが、このタイプの人は、ほぼ100%、疑ってみたほうがよい。

話がそれたが、「病識」について考えてみた。

「まず自分の脳みそを疑う」……それが自分を知る第一歩ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 病識 統合失調症 宗教妄
想 私は神 私は悟りを開いた 現実検討力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●回顧性と展望性

++++++++++++++++++

回顧性(過去を懐かしむ)と、展望性(未来に向かって生きる)は、
満55歳前後を境として、入れ替わるのだそうだ。
この年齢を超えると、回顧性が展望性より強くなる。
さらに60歳、70歳となると、展望性はますます弱くなり、
回顧性が強くなる。

人によっては、ルーツさがしと称して、自分の先祖をさがし求める人も
いる。

これについては、すでに何度も書いてきたので、ここではその先に
ついて書いてみたい。

私がこの「回顧性と展望性」という言葉を知ったのは、50歳くらいの
ときである。
そういう意味で、私はラッキーだった。
50歳くらいのとき、心の未来を知ることができた。
その準備をした。

やがて55歳くらいになったとき、まわりの同年齢の人たちが、急速に
回顧性が強くなっていくのが、よくわかった。
たとえば同窓会の回数が、急にふえたのもそのひとつ。
(だからといって、同窓会に意味がないというのではない。誤解のないように!)
が、私はそのつど、展望性を失わないように気をつけた。
同時に、回顧性を強くしないように、心がけた。

現在、満60歳だが、そんなわけで、平均的な人たちよりは、展望性をもっている
と思う。
とくにジジ臭い人たちとくらべてみると、それがよくわかる。

中には「60歳になったから、四国八十八か所巡りをする」と言っている人もいる。
「家系図を作って、それを子どもたちに残す」とがんばっている人もいる。
さらに先にも書いたように、「自分のルーツさがし」と称して、先祖の足跡をたどってみた
り、早々と、墓地を購入したりする人もいる。

だからといってそういう人たちが、どうこうというのではない。
それぞれの人たちは、それぞれの思いの中で、そうする。
しかし心理学的には、(ごく平均的なこと)をしているにほかならない。
形はそれぞれでも、(みな、そうするだろう)というようなことをしているにほかならない。
アメリカ人もヨーロッパ人も、みな、そうである。
(死)という(天井)が見えてくると、とたん、目が過去へと向き始める。

それはわかるが、大切なのは、回顧性ではなく、展望性。
回顧性に陥ったとたん、そこで時計は止まる。
つまりその先の人生が、無駄になってしまう。

私にしても、残りの時間は、まだ10年はあると思う。
運がよければ、20年はあると思う。
過去を回顧するにしても、最後の最後でよい。

私は今まで生きてきたし、
生きているし、
これからも生きていく。

もちろん「生きる」ということは、「前向きに生きる」ことをいう。
(自信はないが……。)

10年もあれば、かなりのことができる。
20年もあれば、さらにいろいろなことができる。

年齢的には、満20歳から40歳までの期間と同じ。
あのビル・ゲーツは、20歳くらいのときに起業し、40歳のときには、
自分の会社を、世界一のコンピュータのソフト会社にまでした。

つまり毎日、仏壇の金具を磨いて過ごすようになったら、その人もおしまい。
そういうのを「生きている」とは、言わない。

だからもし、この文章を読んでいるあなたが、40代とか、50代のはじめの
人だったら、この言葉を覚えておくとよい。
「回顧性と展望性」という言葉である。

この言葉を知っているだけでも、老後の過ごし方が大きく変わると思う。

(補記)

一度回顧性に陥ってしまうと、それから抜け出るのは容易なことではない。
その人の人生観として、定着してしまうからである。
さらに回顧性に陥ると、考え方そのものが、どんどんと後ろ向きになっていく。
最終的には、自分の葬儀の心配ばかりをするようになる。

このことは、あなた自身の父親や母親、あるいは親類の人たちを観察してみると
よくわかる。
あなたの周囲にも、そういう人が、1人や2人は、たいてい、いる。
おおいにそういう人たちを参考にしたらよい。
(この言い方は、ちょっと、残酷かな?)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ(今日から9月、9月1日)

+++++++++++++++++

あちこちのニュース・サイトをのぞく。
興味をひいたのは、

(1)二日酔いには、蜂蜜がよいという。
アメリカの某、信頼のおける研究団体が、
そういう研究結果を報告した。
二日酔いの予防にもなるという。
蜂蜜を紅茶に溶かして飲むというのも、
ひとつの方法だとか……。

(2)共産党に入党する若者がふえているという。
小林多喜二の書いた、『蟹工船』という本が、
今、静かなブームになっている。
その影響ということらしい。
別の識者は、自民党でもない、民主党でもない、
第三の政党を、若者たちが求め始めていると
述べている。
ほんとうに、そうかな?

(3)「月刊現代」が、休刊になるという。
   発行部数の減少と、読者の高齢化が理由という。
   インターネットの普及とともに、オピニオン
   媒体としての、この種の雑誌が売れなくなったと
   書いてあるサイトもあった。
   「月刊現代」を、不定期にではあるが、愛読して
   いた私としては、さみしい。
   ところで現在、「月刊現代」は、毎月8万部強の
   発行部数しかないという。
   この数字には、驚いた。
   「たったの8万部?」と。
   私は、もっとあると思っていた。
   私のサイトやBLOGへのアクセス数にしても、
   この2月、10万件(月間ベース)を超えた。
   9月の今は、さらにふえている。
   今、時代が、大きく変わりつつある。

(1)北朝鮮が、テポドン2号を発射するという。
あの国は、どこまでいじけたら、気が済むのだろう。
だれにも相手にされなくなると、(=まわりが静かになると)、
すぐこういう脅しをかけてくる。

(2)ハリケーンが、巨大化しているという。
現在、フロリダ州、テキサス州から、100万人近い
人たちが、強制的に避難させられているという。
この先、台風が巨大化することも予想されている。
これは、けっして遠いアメリカだけの問題ではない。
地球は確実に、しかし静かに破局に向かって進みつつある(?)。

(3)韓国経済があぶない?
韓国の朝鮮N報、中央N報、東A日報各紙が、この数日、
韓国経済について悲観的な記事を載せている。
東A日報は、こと経済に関しては、率直な記事を書いてきたが、
朝鮮N報や中央N報まで、そういうことを書き始めたことに驚く。
かなり深刻らしい。
現在、猛烈な勢いで、韓国から外資が逃げ始めている。
ちなみに今朝の為替レートは、1ドル=1089ウォン。
先週はじめより、さらに30ウォンも、ウォンがさがっている。
危険水域は、とっくの昔に、越えた。
なお韓国では、「国家破綻」のことを、「通貨危機」と呼んでいる。
「デフォルト」というのは、もともとは「債務不履行」を意味するが、
中身は「国家破綻」。

++++++++++++++++++++

●日韓経済戦争(最終段階)(South Korea under Crisis)

+++++++++++++++++++++++

とうとう出てきた!
韓国与党代表の口から、「(韓国経済)、9月危機説」!

+++++++++++++++++++++++

すべての指標が下向き。
年末までに100億ドルの経済収支赤字とはいうが、その程度ですむはずがない。
この数日間だけでも、土日をはさんで20ウォンも、ウォンが下落している。
(現在、1ドル=1104ウォン。9月1日)

「後悔するのは、韓国のほうだ」と言い切った小泉元総理。
それが今、現実のものとなりつつある。

ソウル、聯合発のニュースをそのまま紹介する。

+++++++++++++++以下、聯合ニュースより++++++++++++++

【ソウル1日聯合】ハンナラ党の朴ヒ太(パク・ヒテ)代表は1日の政府・与党協議会で、
「わたしは9月危機説は信じないが、最大の注意を払うべき」と強調した。

 国際収支は今や完全に赤字基調が定着したようで、年末までに100億ドルの経常収支赤
字が予想されるのは、誰もが認める趨勢だと述べた。資本収支も悪化し、純債務国転落が
迫るなど、通貨危機から10年ぶりだと全員が口をそろえているうえに、現在と将来的な景
気指標もいずれもマイナスだと指摘した。

+++++++++++++++以上、聯合ニュースより++++++++++++++

敵意をあおるわけではないが、竹島問題に見る韓国の反日感情には、常軌を
逸したものがある。
つい先日は、陸海空軍をあげた「独島(竹島)奪回訓練」を実施している。

そういう国が、現在、窮地に立たされている。
韓国経済が、デフォルト(債務不履行=2回目の国家破綻)を宣言するのは、
まさに時間の問題。

一家にたとえていうなら、自己破産。

前回97年のときには、日本は頼まれもしないうちから、即、韓国救済に走った。
それに「待った!」をかけたのは、ほかならぬアメリカだった。
しかも総額500億ドル!

その結果がどうだったかは、すでに私たちみなが、知っている。

現在、外資が猛烈な勢いで韓国から逃避し始めている。
ウォンを買い支える資金も、底をついた。
ゆいいつの頼みの綱は、この日本ということになる。
おそらく現在、水面下で、韓国政府は、日本政府に対して、ウォンの買い支えを
要請しているにちがいない。
これは憶測ではない。
ここまでくると、それしか選択肢はない。

しかし日本よ、日本人よ、「97年の愚」を繰り返してはいけない。
今度こそ、韓国に頭をさげさせよう!
さげても、すぐ援助の手をさしのべる必要はない。
この10年間、韓国が日本に対してしたことを思い起こすなら、なおさらである。

が、韓国人の論理は、日本人の意識とは、かなりちがう。
「韓国がデフォルトしたのは、日本のせい」とか、「借金は全額返したから、文句は
ないはず」と、居直っている。

日本の市町村の村レベルまで、全国津々浦々に産業スパイを送り込み、この日本から
盗めるものはすべて盗んでおきながら、「独島(竹島)を、日本が盗もうとしている」は
ない。

現在のイ大統領は別として、ノ前大統領は、戦前(戦前だぞ!)、日本軍に協力した
という理由だけで、その子孫から財産を没収するようなことまでした。
また日本が国連の常任理事国入りをめざしたときには、韓国政府は、各国に特使まで
派遣して、(特使だぞ!)、それに反対した。

さあ、日本よ、日本人よ、覚悟しよう!
機械産業を中心として、韓国がデフォルトすれば、日本もかなり手痛い打撃をこうむる
ことになる。
日本とて無傷ですむわけではない。
しかし日本は、日本。
まだまだ底力がある。

今こそ韓国から、液晶産業、電子産業、自動車産業、造船技術、鉄鋼技術を
取り戻すチャンスである。
が、もし私の言っていることが、過激であると思う人がいたら、こんな事実を
忘れてはいけない。

金大中が大統領のときのこと。
日本はバブル経済の後遺症に苦しんでいた。
そのとき金大中は、毎朝(毎朝だぞ!)、
日本追い落としのための閣議を開いていた。
日本の繁栄を、そっくりそのまま韓国のものにしようと画策していた。

この試合は、サッカーの試合とはわけがちがう。
野球の試合ともちがう。
勝つか、負けるか。
日本が負けたら、この日本に明日はない。
私たち日本人にはともかくも、韓国人には、「共存、共栄」という言葉は通用しない。

【日本政府へ】

「97年の愚」を、ぜったいに繰り返してはいけない!
ときの河野外務大臣は、おまけに120万トンという米(米だぞ!)を、北朝鮮に
援助した。
「これで朝鮮半島が動かなければ、(私が)責任をとる」とまで言い放った。
しかし朝鮮半島は、何も動かなかった。
河野外務大臣も、何も責任を取らなかった。

【韓国への輸出業者のみなさんへ】

日本政府は、100億ドルの援助を約束している。
しかし97年当時と今とでは、韓国経済の規模そのものがちがう。
100億ドル程度の援助ですむはずがない。
輸出保険をしっかりとかけておくことは言うまでもないことだが、
こうした事実をしっかりと頭にたたきこんだ上で、韓国の輸入業者と
取り引きをしたらよい。

「韓国危機説」が、韓国政府の要人の口からとうとう、出てきた。
この事実を、私たちは重くみなければならない。

ちなみに週明けの今日(9月1日、午前)、韓国の株価は3%以上も暴落している。
(9月1日、正午記)

(注)さらに今朝、(9月2日)、1ドル=1116ウォンにまで、下落している。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●夫婦円満のコツ

+++++++++++++++++

夫婦も長い間いっしょにいると、
たがいに相手に合わせようとする。
いがみあっているよりは、妥協できる
ところは妥協し、相手に合わせたほうが
よいと考えるようになる。
そのほうがストレスもたまらない。

こうして夫婦の間には、同調関係
が生まれる。

+++++++++++++++++

仲がよい夫婦でいるためには、たがいに好感をもっていなければならない。
これは必要条件だが、しかしそれだけではじゅうぶんではない。

たとえばこんな例で考えてみよう。

夫は、岐阜県出身で、岐阜S高校の野球チームを応援。
妻は、静岡県出身で、静岡A高校の野球チームを応援。

夏の甲子園で、岐阜S高校と静岡A高校が対戦することになった。

こういうとき夫婦として、いろいろな解決策が考えられる。

(4)妥協…どちらかがどちらかに、合わせる。
(5)合理化…「たかが高校野球」と考え、対立を避ける。
(6)受容…たがいにたがいを認めあう。

これは実際、ある知人から聞いた話だが、日本人男性と結婚した
ブラジル人女性がいた。
その夫婦のばあい、ワールドカップで日本とブラジルが対戦したとき、
そのまま対立関係になってしまったという。
(実際には、妻は、ブラジル人が集まる会場で、ブラジルを応援し、
夫は家で、子どもたちと日本を応援したという。)

が、スポーツならまだしも、宗教がからむと、ことは簡単ではない。
とくに妻が、どこかのカルト教団(狂信的な信仰をする団体)に
入信したようなばあい、である。

こういうケースのばあい、(2)の合理化は、むずかしい。(3)の
受容についても、たいてい妻のほうが一方的に夫の価値観を否定する
ようになるので、それもむずかしい。

残るのは、(1)の妥協ということになるが、妻のほうが夫に妥協する
ということは、信仰そのものがもつ性質上、ありえない。
夫の側の一方的な妥協が強いられる。

が、その妥協に失敗すると、ストレスは急速に増大し、やがて限界を超える。
具体的には、「離婚」という言葉が、夫婦の間から出てくるようになる。
これは夫だけの問題ではない。
中には、「離婚はぜったいだめ」と教えるカルト教団もある。
妻自身も、信仰と離婚のはざまで、もがき苦しむことになる。

実際、その処理に失敗して、42歳という若さで、亡くなってしまった
男性がいる。
くも膜下出血だったという。
その話を聞いたとき、私はその背後で起きた、壮絶な家庭内宗教戦争を想像した。

さらによくあるケースとしては、不倫がある。

夫婦、どちらか一方の不倫が発覚したようなばあいを考えてみよう。

こういうケースでは、(1)の妥協ということは考えられない。
「あなたが不倫をしたから、私も不倫をしてきます」というわけにはいかない。
そこで(2)の合理化、もしくは(3)の受容ということになる。

合理化というのは、高校野球と同じように、「たかが不倫ではないか」と考え、
自分を納得させることをいう。
受容というのは、「夫婦といっても、たがいに束縛しあうのはよくない」などと
考えて、相手の行為を認めることをいう。
しかしそれにはかなり高度な、精神的操作が必要である。
昔、見たフランス映画に、そういうテーマを扱ったのがあった。

晩年に近づいた男性が、若い女性と結婚した。
しかし男性は、性的な満足感を妻に与えることができなかった。
そこで男性は妻の不倫を容認することによって、夫婦の愛情をさらに昇華させた。

……以上のケースは、いわば特殊な例ということになる。
こういうケースは別として、私たちは日常生活において、つねに、選択を迫られる。
妥協か、合理化か、さもなくば受容か、と。

それがじょうずに処理できる夫婦を、(仲のよい夫婦)といい、そうでない
夫婦を、そうでないという。
表面的な様子だけを見て、たとえば夫婦げんかが少ないから、仲がよいとか、
少ないからそうでないとか判断してはいけない。

あとは、たがいに前だけを見ながら、前に向かって進む。
夫婦というのは、けっして見つめあってはいけない。
それが夫婦円満のコツということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 夫婦論 夫婦円満)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司
●認知症(Senility)

+++++++++++++++++

認知症にも、いろいろあるようだ。
「最低限知っておきたい、認知症の種類」と題して、
こんな記事が、週刊B春(9月4日号)に載っていた。

+++++++++++++++++++++++++++++++

(1)脳血管性
(ビンスワンガー病など)

(2)神経変性
*アルツハイマー病
*非アルツハイマー型
      (前頭側頭型認知症=ピック症候群、レビー小体型認知症など)

(3)正常圧水頭症

++++(以上、武田病院神経脳血管センター・秋口一郎氏++++

今まで、それぞれが別々に頭の中に入っていたが、この表でスッキリした。
で、この中で、私自身もとくに注目しているのが、
「神経変性認知症の中の、非アルツハイマー型認知症」。

アルツハイマー病は、脳の中でも主に、側頭葉、頭頂葉(記憶を司る)が萎縮する
のに対して、前頭側頭型では、前頭葉や側頭葉が、萎縮するという(同誌)。

「問題の前頭側頭型認知症は、認知症を連想させる記憶障害(物忘れ)はほとんど
なく、性格変化や社交性の消失、周囲への無関心や、ワンパターン行動が目立ち
ます。
抑制も欠如し、万引きなど軽犯罪を犯すことも。
また話したいのに言葉が出にくく、口数が減ったり、口数が減ったりなどの言語異常
も出ます。
感情面は鈍化して、共感や感情移入ができず、多幸感が強まり、やたら趣味を広げたり
することもあります」(同誌)と。

「傍若無人(ぶじん)としか映らないが、原因は認知症。……なぜ異常な行動や
行為が生ずるかを理解すれば、家族の苦痛も軽減できる。
認知症に関心をもとう」(同誌)と。

雑誌には、Aさん(男性、55歳)の例が載っていたが、若くして発症することが
多いという。

で、この中に出てくる、「多幸感」という言葉だが、「数多い幸福に恵まれていると
いう実感」(「国語大辞典」)という意味である。

こうした認知症でこわいのは、本人自身の問題もさることながら、周囲の人たちに
大きな迷惑をかけることがあるということ。
周囲の人たちが、その病気の内容を理解し、その人がその病気であると理解していれば、
それでよい。
が、実際には、そうではない。
近隣の人たちとの、大きなトラブルに発展することも珍しくない。

ある男性(65歳くらい)は、パチンコを使って、近所の家々に石を撃ちつづけていた。
別の男性(60歳くらい)は、マジックで自動車のナンバーに落書きをしていた。
また別の男性(70歳くらい)は、自転車置き場に置いてあった自転車のタイヤに、
穴をあけ、つぎつぎとパンクさせていた、などなど。

共通しているのは、上記、秋口氏も指摘しているように、「ワンパターン行動」。
時刻表的生活が基本になり、またそれをしないと気が済まなくなる。

夕方5時には、カーテンをすべて閉める。
午後6時には、夕食。
午後9時には、就寝……というように。

毎日の生活が、数分の狂いもなく繰りかえされる。
そのため当然のことながら、いつも時計を身につけているか、見えるところに
大きな時計が置いてある。

で、私もよく理解できないのは、「多幸感」。
認知症患者の人が多幸感をもつという話は、よく聞く。
しかし若い人が感ずるような、(ルンルン気分)とは、内容がちがうようだ。
自分の殻(から)に閉じこもったまま、多幸感をもつ。
そのため独特の雰囲気をもつようになる(?)。

どうであるにせよ、「認知症に関心をもとう」(同誌)という意見には、賛成である。
何でも「85歳以上では、4人に1人が、認知症になる」とか。
確率は25%。
けっして他人ごとではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ピック症候群 ピック病 
前頭側頭型認知症 認知症 ビンスワンガー病)

(補記)

●ビンスワンガー病

「脳血管性痴呆は脳卒中の後、あるいはこれに伴って出た症状と考えて良いでしょう。大
部分は脳梗塞に伴うものです。しかし、痴呆が出る前にはっきりした発作があるとは限り
ません。脳の虚血性病変がじわじわ進んだり、それと判らぬ小さな発作を繰り返して痴呆
が目立ってくることがあります。どういうタイプの病変が痴呆を起こしやすいのでしょう
か。一番多いのは、大脳白質が広くやられるもの(ビンスワンガー病)、小さな梗塞が多発し
ているもの(多発梗塞性痴呆)です。このタイプは高血圧と強く関係していますが、大きな脳
梗塞や脳出血のあと、多発性の皮質梗塞、そして知能、記憶に関係する特殊な場所の病変
でも痴呆になります」(東京都老人総合研究所HPより抜粋)。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●無線LANの「ただ乗り」

++++++++++++++++

ある調査によると、54%の人が
無線LANにただ乗りしたことが
あるという。

今、無線LANのただ乗りが、
大きな問題になりつつある。

++++++++++++++++

新しいパソコンに、無線LANの(ON・OFF)スイッチがついていた。
何気なく私は、そのスイッチを(ON)にしてみた。
とたん、接続可能な無線LANの一覧表が出てきた。

ギョッ!

無線LANを使用している人は多い。
大半の人は、設置時にパスワードを設定し、セキュリティを確保している。
しかしそうした設定をしないまま、そのまま無線LANを設置している人も、多い。
私のパソコンが、そういう人たちの電波を拾った。

「まさか……?」と思って、その中のひとつをクリックしてみると、
数秒おいて、「インターネット、接続可能」と表示された。

またまた、ギョッ!

無線LANのただ乗りの話は耳にはしていたが、こんなにも簡単にただ乗りできるとは、
知らなかった。
無防備も、よいところ!

そこで警告。

現在、無線LANでインターネットを楽しんでいる人は多いと思う。
しかしパスワードなどの設定なしで、そのまま使ってはいけない。
(ただ乗り)を悪用して、あなたのパソコンが、犯罪に使われることもある。

たとえば先ごろ、どこかの掲示板に殺人予告をして逮捕された高校生がいた。
その高校生も、自分の身元がバレないように、他人の無線LANにただ乗りして、
つまり他人のパソコンを経由して、掲示板にそれを書き込んでいたという。
(結果的に、身元を追跡され、逮捕されたが……。)

こういうケースのばあい、ただ乗りされたその利用者が、掲示板に殺人予告を
したと疑われる。

フ〜〜ン……。

以前、私も無線LANを使っていたが、動作が不安定だったため、有線LANに
切り替えた。
(私の家のばあい、電子レンジが約1メートルのところにあって、どうやらその
電子レンジから出る電波が、無線LANに干渉していたらしい。)

実際、当初、パスワードの設定など、何かとめんどうなことが多い。
しかしそれは、きちんとしておいたほうがよい。

今のところただ乗りした人が、何かの被害を受けたという話は聞いていないが、
しかしこの世界、何があってもおかしくない。

「ただだから」と、ただ乗りしていると、逆に、それが利用され、あなたの個人情報
が盗まれるというケースも、考えられなくはない。

ただ乗りされるほうも、ただ乗りするほうも、注意。

(ワイフのために……)

わかるか?
もう少し詳しく説明すると、こういうこと。

だれかが無線で、モデム・ルーター(=電話機の横に設置してある機器)と、
パソコンをつないでいたとする。
(我が家のばあいは、有線でつないでいる。
その有線の部分が、無線になっていると考えればよい。)

しかしその電波はかなり強力で、半径200メートル前後は届いてしまうらしい。

そこでふつうは、他人が、その電波を使えないように、無線ルーターとパソコンを、
パスワードを使って暗号化する。
そうすれば、他人がその電波を利用するということは、できなくなる。
しかしそれをしないまま、無線LANを使っている人も多い。

そういう他人の電波をただで使って、インターネットに接続することを、「ただ乗り」と
いう。

わかったか?

++++++++++++++++++++

(付記)

インターネットの世界は、毎日のように進化(?)している。
それについていくだけでも、たいへん!

で、先日も、義兄(70歳)くらいが、こう言った。
「ぼくも、そろそろインターネットをしてみるかな」と。

それを聞いて、私は、即座にこう思った。
「無理だろうな」と。

しかしそれは言わなかった。

あちこちのHPを閲覧したり、メールのやりとりくらいなら、
それほどむずかしくない。
しかしそれでも、ふと油断したようなとき、いろいろなトラブルに
巻きこまれる。
そういうとき自力で解決する能力を身につけるには、相当な経験が必要である。
またその能力がないと、インターネットを楽しむことはできない。

……で、そのうち小学校でも、国語、算数、理科、社会に並んで、
「パソコン」という科目が生まれるかもしれない。
近年、その必要性は、ぐんぐんと高まっている。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●天皇のルーツ

++++++++++++++++++++

現在、天皇のルーツについて、大きく分けて
つぎの3つの説がある。

(1)朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族説
(2)邪馬台国、もしくはそれ以後、勢力をたくわえた豪族説
(3)九州地方から近畿にやってきた豪族説

++++++++++++++++++++

これらの説について、それぞれの学者が、きわめて専門的な立場で議論しあっている。
私のような門外漢が入り込む余地は、どこにもない。
しかし今回話題となった箸墓古墳(はしはか・こふん)は、卑弥呼の
墓ではないかと言われている。
卑弥呼の没年とちょうど重なるからである。

が、この古墳もまた宮内庁管轄陵墓ということで、これ以上の調査はできない。
(そもそも、どうして箸墓古墳が、宮内庁によってそのように指定
されているか、その理由がわからない。
一説によると明治時代になってから、たいした根拠もないまま、一方的に
指定されたという。)

それはともかく、もし箸墓古墳が邪馬台国の卑弥呼のものであるとするなら、
天皇のルーツについて、上記(2)の説が、がぜん有力になってくる。
卑弥呼と天皇を直接結びつけることはできないにしても、その地域には
天皇誕生前後に、強大な国があったことになる。

(私は今まで、(1)の朝鮮半島から渡ってきた、騎馬民族説を支持してきた。)

で、先日、私は、福岡県の小さな島でみつかった、あの『金印』について書いた。
言い伝えによれば、一人の農民が溝の中の、岩の間から見つけたという。
(私は学生時代、だれかが砂浜で見つけたと習ったが……。)

もし箸墓古墳が卑弥呼の墓であるとするなら、卑弥呼に与えられたとする
金印が、福岡県で見つかるはずがない。
つまり「金印・贋作説」が、逆に、がぜん有力になってくる。

もっとも常識で考えても、金印だけが、(そこ)から見つかったというのも、
おかしな話ではないか。
その周辺を広く発掘してみたが、ほかに何も見つからなかったという。
また発見したという農民についても、「?」がつけられている。
どこのだれかが、定かではない。
さらに卑弥呼は、「印綬」を受け取ったという記録は残っているが、「金印」だったとは、
どこにも書いてない。
「印綬」というのは、「紐のついた印章」という意味である。
一説によると、金印は、発見された江戸時代当時、それを鑑定したとされる学者による
ねつ造と言われている。

今ではインターネットを使って簡単に調べられるから、興味のある人は、
そちらを見てみたらよい。

ということは、私たちは、子どものころ、ウソを教えられた可能性が高くなる。
……というような例は、最近にもあった。

藤木Sによる、石器捏造事件も、そのひとつである。
言い換えると、日本の考古学は、どこかおかしい。
一度耳障りのよい説が発表されると、みなが疑うこともなく、それに同調してしまう。
常識そのものが、どこかへ吹き飛んでしまう。
これは考古学者にとっても、(プラス、日本の歴史学者にとっても)、たいへん
悲しむべきことと言ってよい。

そこで話を戻す。

天皇家の墓であるなら、「陵墓」として保護するのはしかたないとしても、
天皇が生まれる以前の、たとえば箸墓古墳のような古墳は、発掘調査を許可しても
よいのではないか。

天皇のルーツについても、そこに謎を解く鍵があるのに、それには触ることもできず、
みながワイワイ、ガヤガヤと議論をつづけている。
邪馬台国については、さらに騒々しい。

しかしそれこそ時間の無駄。
労力の無駄。
この時代の、私たちがもっている英知そのものの、無駄。
あるいはこの先も、こうした不毛な議論を、延々とつづけるというのか。

そもそも宮内庁というのは、何なのか。
私にはさっぱりわからない。

さらに言えば、日本の歴史学者たちも、「日本史」という狭いワクの中だけに
閉じこもっていないで、「東洋史の中の日本」という視点で、日本の歴史を
ながめてみる必要がある。

「日本だけは特別」と考えたい気持ちはわからないでもないが、日本史も
東洋史の一部でしかない。

(付記)

「わからないならわからないで、そっとしておけばいい」とか、
「それがわかったところで、どうなのか」という意見もある。

しかしほかの分野では、みなが、(わからないこと)を、懸命にわかろうとしている。
その先に何があるかわからないかもしれないが、そこに(わからないこと)があれば、
果敢なく、それに挑戦していく。
それが(真理の探究)ではないのか。

そこに(わかるもの)があるのに、あえてそれには目を閉じ、ああでもない、
こうでもないと議論をつづける、そのおかしさに、みながもっと気がつくべきではないの
か。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 東洋史 日本史 天皇のル
ーツ 邪馬台国 卑弥呼)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●山の朝

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今、気温はどれくらいかな?、と聞くと
たった今、床から起きてきたワイフが、
「24度」と言った。

肌寒さを感じさせるような朝である。
昨夜は、やや厚いふとんをかぶって、寝た。

天は高く、秋を思わせる薄い雲が、幾重にも
重なっている。
その間から淡い水色の空が、顔を出している。

カラスの声、コジュケイの声……。
空気はしっとりと湿っていて、動くものはない。
おだやかで、やさしい朝。
深い緑、それが見渡すかぎり、太平洋の先までつづいている。

時刻は午前6時を少し回ったところ。

「今日も暑くなるかねエ?」と声をかけると、
「ゆうべは寒かったわネ」とワイフ。

+++++++++++++++++++++

●今日の目標

そこで今日の目標。

(1)このパソコン(ASPIRE ONE)に、ウィルス対策ソフトをインストールする。その
ために町の中のパソコンショップへ行く。
(2)マガジン9月号(HTML版)を、アプロードする。
(3)庭と畑の草を刈る。(先日、私の家の庭に、マムシが出た。それについて近所の人が、
「一匹出たということは、数匹いると思いなさい」と教えてくれた。マムシという
のは、1匹だけでは、生息しないそうだ。マムシは、草むらに住む。)

あとは、いつもの日曜日。

ところでこんなことを書いている本があった。

●ブルー・マンディ

どうして「ブルー・マンディ(憂鬱な月曜日)になるかといえば、
日曜日の過ごしかたに問題があるから」(ある女性精神科医の書いた本)と。

つまり日曜日にだらしない生活をしてしまうと、その夜は、熟睡できない。
だから翌、月曜日は、朝から気分が晴れない。
それがブルー・マンディにつながる、と。

つまり日曜日こそ、スポーツをしたり運動をしたりしなければならない。
そしてその夜は、ぐっすりと眠る。

とは言われても、日曜日だけでも、ダラリとしてみたい。
ヒゲも剃らず、髪の毛もとかさず、時間にしばられず……。
その結果として、ブルー・マンディがあるとするなら、
ブルー・マンディを受け入れるしかない。

で、私はブルー・マンディというのは、もっと生き様に関連しているもの
ではないかと思う。
日曜日にゆっくり休む。
そのときついでに、自分のしていることが、生物としての人間の(基本)と
ズレていることを知る。
つまり休むことによって、(自分を取り戻す)。
が、月曜日に待っている世界は、何もかもが、その(基本)とはズレている(?)。
その調整がストレッサーとなって、その人を憂鬱にする。

ここでいう(基本)というのは、私の目前に広がっているような世界をいう。
もともと人間というのは、こういう世界に住んでいた。
が、実際の生活は、その(基本)から、かなりズレている。

都会に住んでいる人には失礼な言い方になるかもしれないが、都会の生活は、あれは
人間の生活ではない。

先日も横浜で通勤列車に乗り合わせたが、あれはひどい。
電車の中の人たちは、トラックに詰め込まれた家畜のよう。
窓の外に垣間見える景色は、まるで巨大な墓石のよう。
聞こえるのは、ゴーゴー、キンキンという機械的な音。

そういう生活に慣れろと言われても、今の私には、もうできない。
おそらく毎日が、ブルー・マンディになってしまうだろう。

その本を書いた女性精神科医は、ブルー・マンディを「悪」として、とらえている。
「悪」というより、それを治すには、どうしたらよいかという立場で、本を
書いている。
しかしもし私が社会学者なら、こう考えるだろう。

「人がブルー・マンディになるのは、その人に原因があるからではない。
社会のほうが、ゆがんでいるからだ」と。
またそういう視点で、この問題を考える。

何も日曜日は、月曜日のためにあるのではない!
その日曜日すらも、翌日の仕事のための準備に使うとしたら、では、
人は、いつ、どこで心と体を休めればよいのか?

ブルー・マンディというのが、それほど深刻な問題であるとするなら、
月曜日は、仕事は午後から、とすればよい。
私が政治家なら、そう提案する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ブルー・マンディ ブルーマンデー ブルーマンディ)

(補記)

日本人と、たとえばオーストラリア人の生き方を比較してみたばあい、
大きくちがう点が、ひとつ、ある。

日本人というのは、常に、未来のために現在を犠牲にするという生き方をする。
子どもの教育についても、幼稚園教育は、小学校での勉強のために。
小学校教育は、中学校での勉強のために。
中学や高校での教育は、その先の大学受験のために、と。

こうした意識は、社会へ入ってからも、変わらない。
つまり日本人は、いつも鼻先にニンジンをぶらさげながら、生きる。

で、やっと仕事から解放され、自由になったと思ったとたん、そこに
待っているのは、「老後」と。
そういうことになる。

一方、オーストラリア人は、そうではない。
常に「今」の生活を大切にする。
そういうものの考え方が、子どものときから徹底している。
『休息を求めて疲れる』というのが、愚かな生き方の代名詞のようにも
なっている。
(これについて書いた原稿があるので、あとでさがしてみる。)
私の友人のP君にしても、42歳ごろまでに稼ぐだけ稼いで、
全豪一の高所得者になったあと、会社を売り払い、現在は、
レーシングカー・チームをつくり、世界を渡り歩いている。
P君のようなケースは例外であるとしても、そういう生き方が
自然にできるような下地が、オーストラリアにはある。

要するに、この問題は、「働くために休むか」、それとも
「休むために働くか」という、択一の問題に行き着く。

意識のもち方が、180度ちがうから、たがいにたがいを理解するのは、
不可能と考えてよい。
実のところ、この私にしても、いまだに日本式の仕事観が心の中に居座っている。
長い休暇があっても、その休暇を楽しむというよりは、いつも心のどこかで、
休み明けの仕事のことを心配している。
しかしこれではいつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。
それこそ『やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた』という
ことになりかねない。

しかしそんな愚かな生き方が、あるだろうか?

さらに中には、40年前、50年前の学歴をぶらさげて生きている人がいる。
自分では「偉い」と思っているのかもしれない。
「自分はみなに、尊敬されている」「尊敬されるべき」と考えている(?)。
しかし中身が、まったく、ない。
「これが私だ」というものが、何もない。
ないから、ますます過去の学歴にしがみつく。

現在を常に未来のために犠牲にして生きていると、そういう(愚かさ)に
気がつくということもない。

かわいそうな人だと、私は思う。

【休息を求めて疲れる】

子どものやる気

 最近の研究では、やる気(動機づけ)をコントロールするのは、脳の辺縁系にある、帯
状回という組織が関係しているらしいということがわかってきた(伊東正男氏による「思
考システム」)。脳のこの部分が変調すると、子どもに限らず、人は、やる気をなくし、無
気力になるという。もっとも、そうなるのは重症(?)のケース。しかし重症のケースを
念頭におきながら、子どもの心をみるのは、大切なことである。

 こんな相談があった。

●栃木県のYUさんより

私は、小六の男子と小一の男子をもつ母です。小六の子どもの事で悩んでいます。

 低学年の頃から勉強やスポーツが嫌いで、テレビゲームと絵を描く以外には、興味がな
く、それ以外の事をさせようとしても、やる気を出してくれません。勉強の成績も悪く家
で教えていても、塾や家庭教師を頼んでみても、とにかく嫌々なので、本人の苦痛になっ
ているだけのようです。何も言わないで好きなようにさせていると、全く勉強もしないし、
ゲームや絵を描いたりしていて、外へ出て友達と遊ぶ事すらしないで家の中でゴロゴロし
ています。

 学校では、友達と仲良く遊んだりできているし、性格も温和で、明るいのですが、のん
びりしすぎてて、マイペースなので協調性に欠けるところが、あります。

 幼児の時から、軽い発語障害があり、難聴の検査をしたりして心配していたのですが、
異常もありませんでした。しかし、いまだに、言葉の使い方がおかしくてその都度注意し
ても、なおりません。知能的に問題があるのか、精神的なところで問題があるのかわから
ず、悩んでいます。
 
 もし、通塾しながら教育方法や学習方法について、ご相談できるところがあれば教えて
頂きたいのですが、よろしくお願いいたします。
(栃木県U市、YUより)

●二番底に注意   
                            
 このYUさんのケースで注意しなければならないのは、たいていの親は、「今が最悪」、
つまり「底」と思う。しかしその底の下には、もうひとつ別の底がある。これを二番底と
いう。が、それで終わるわけではない。さらにその下には、三番底がある。

 相談のケースで、親が「何とかしよう」「なおそう」と思えば思うほど、子どもは、つぎ
の底をめざして落ちていく。(勉強しない)→(塾へやる)→(やる気をなくす)→(家庭
教師をつける)→(さらにやる気をなくす)→……と。こういうのを悪循環というが、そ
の悪循環をどこかで感じたら、鉄則は、ただひとつ。「あきらめる」。「やってここまで」と
思い、あきらめる。こういうケースでは、「まだ、以前のほうが症状が軽かった」というこ
とを繰りかえしながら、ますます状態が悪くなる。

●リズムの乱れ

 つぎに注意しなければならないのは、親子のリズム。YUさんのケースでは、親子のリ
ズムがまったくあっていない。「のんびりしすぎてて……」というYUさんの言葉が、それ
を表している。つまり心配先行型というか、何でもかんでも、親が一歩、子どもの先を歩
いているのがわかる。せっかちママから見れば、どんな子どもでも、のんびり屋に見える。
そういうYUさんだが、子どもの心を確かめた形跡がどこにもない。「うちの子のことは、
私が一番よく知っている」「子どものため」という親のエゴばかりが目立つ。

 恐らくこのリズムは、子どもが乳幼児のときから始まっている。そして今も、そのリズ
ムのなかにあり、これから先も、ずっとつづく。リズムというのは、そういうもので、そ
のリズムの乱れに気づいたとしても、それを改めるのは容易ではない。

●強引な押しつけ

 「勉強」は大切なものだが、YUさんは、勉強という視点でしか、子どもを見ていない? 
だからといって勉強を否定しているわけではないが、「何とか勉強させよう」という強引さ
だけが、目立つ。

 親の愛には三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。このYUさんのケース
では、「子どものため」を口実にしながら、その実、子どもを自分の思いどおりにしたいだ
け。こういう愛もどきの愛のことを、代償的愛という。決して真の愛ではない。

 さらにでは、なぜYUさんが、こうした強引の押しつけをするかといえば、いわゆる学
歴信仰が疑われる。「学校は絶対」「勉強は重要」「何といっても学歴」と。信仰といっても、
カルト。脳のCPU(中央演算装置)がおかしいから、自分でそれに気づくことはない。
以前、「勉強にこだわってはだめですよ」と、私がアドバイスしたとき、ある母親はこう言
った。「他人の子どものことだと思って、よくそういう言いたいことを言いますね!」と。

●まず反省

 子どもに何か問題が起きると、親は、「子どもをなおそう」と考える。しかしなおすべき
は、親のほう。たとえばYUさんは、「子どもがゴロゴロしている」ことを問題にしている。
しかし学校から帰ってきたとき、あるいは土日に、子どもが家で、どうしてゴロゴロして
いてはいけないのか。学校という「場」は、まさに「監獄」(あるイギリスの教育者の言葉)。
そこで一日を過ごすということが、いかに重労働であるかは、実は、あなた自身が一番、
よく知っているはず。そんな子どもに向かって、「ゴロゴロしていてはダメ」と、どうして
言えるのか。あるいはYUさんは、夫にも、そう言っているのか?

 それだけではない。こういう生き方、つまり、「未来のためにいつも現在を犠牲にする」
という生き方は、結局は愚かな生きかたと言ってもよい。まさにそれこそ、『休息を求めて
疲れる』生き方と言ってもよい。こういう生きかたを子どもに強いれば強いるほど、子ど
もはいつまでたっても、「今」というときを、つかめなくなる。そしていつか、「やっと楽
になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

●塾のエサになってはいけない

 こういう生きザマが確立しないまま、塾や家庭教師に頼れば、それこそ、塾や家庭教師
の、よいカモ。こういうところは、親の不安や心配を逆手にとって、結局は、金儲けにつ
なげる。しかしそれはたとえて言うなら、熱を出して苦しんでいる子どもや親に向かって、
冷水を浴びせかけるようなもの。基本的な部分を何もなおさないまま、問題を先送りする
だけ。その場だけを何とかやりすごし、あとはまたつぎの受験屋にバトンタッチする。が、
必ず、いつか、こういう子育て観は、破局を迎える。二番底、三番底どころか、親子の絆
(きずな)すら、こなごなに破壊する。

●ふつうの子ども論

 YUさんは、「おかしいので……悩んでいます」と書いている。その気持ちはわからない
でもないが、しかし残念ながら、こういう悩み方をしていると、問題は何も解決しない。
そればかりか、さらに問題は複雑になる。

 日本人は、昔から「型」にあてはめて子どもを考える傾向が強い。ある一定のパターン
を子どもに想定する。そしてその型からはずれた子どもを、「おかしい」と言う。しかしそ
れ以上に大切なことは、その子どもはその子どもとして、その中に「よさ」を見つけるこ
と。しかし心のどこかに、「ふつうの子」を想像し、その子どもに近づけようとすればする
ほど、親は、子どものもつ「よさ」までつぶしてしまう。だから、ここでいうように複雑
になる。このYUさんのケースで言うなら、「あなたの発音はおかしい」と言ったところで、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもない。またそれだけの自意識がければ、自分
でなおすこともできない。小学六年生といえば、すでに言葉の問題をうんぬんする時期を
過ぎている。ラジオかテレビのアナウンサーにでもなるというのなら話は別だが、そうで
ないなら、あきらめる。それ以上に心配されるのは、こうした親の姿勢が、文字嫌い、本
嫌いを誘発し、さらには作文力から読解力まで奪っているということ。そうでないことを
望むが、その可能性は、きわめて高い。

●では、どうするか?

 絵を描き、テレビゲームばかりしているというなら、それ以上に心配しなければならな
いことは、引きこもりである。もしそうなってしまうと、それこそ、あとがたいへん。多
分、絵といっても、アニメのキャラクターを描くか、あるいはマンガ的なものだろう。し
かしそれとて伸ばせば、一芸になる。そしてその可能性があるなら、私は絵の才能を伸ば
したらよい。今の段階で、絵やゲームを取りあげたら、子どもはそのまま、まちがいなく、
二番底に落ちていく。

 成績が悪いということについては、今の段階では、手遅れ。仮に受験指導をしても、そ
れはまさにつけ刃(やいば)。問題を先送りするだけ。むしろ子どもに言うべきことは、逆。
「もっと勉強しなさい」ではなく、「あなたは、よくがんばっている」だ。「何も言わなけ
れば、勉強をしようとしない」ということなら、すでに家庭教育は失敗している。理由は
山のようにあるのだろうが、その失敗をしたのは、子どもではない。親のYUさんだ。そ
の責任をおおい隠し、子どもに押しつけても、それは酷というもの。

 こういうケースでは、あきらめる。あきらめて、子どもを受け入れる。そして子どもの
立場で、子どもの視点で、子どもの勉強を考える。「お母さんといっしょに、この問題を解
いてみようね」と。「勉強しなさい」「塾へ行きなさい」ではない。子どもといっしょに、
悩む。そういう姿勢が、子どもの心に風穴をあける。

 しかし本当のところ、それで子どもが立ちなおる可能性は、ほとんどない。立ちなおる
ころには、すでに子どもはおとなになっている。受験時代は終わっている。本来なら、Y
Uさんは、もっと早く子どもの限界に気づき、そして受け入れるべきだった。そのつど、「何
とかなる」「何とかしよう」と、子どもを、いじりすぎた。その結果が今であり、小学六年
生なのだ。が、ここでまた「何とかなる」「何とかしよう」と考えれば考えるほど、さらに
大きな底へと子どもは落ちていく。

●子どもへの愛

 この返事を読んで、YUさんが、怒るようなら、YUさんは、子どもを愛していないと
みてよい。私はこの返事を、YUさんというより、YUさんの子どものために書いた。そ
ういう私の意図がわかれば、YUさんは、怒らないはず。しかし反対に、「言いたいことを
よくも、言うものだ!」と怒るようなら、YUさんは、自分の愛情をもう一度、疑ってみ
たほうがよい。何か、大きなわだかまりがあるかもしれない。望まない結婚だった。望ま
ない子どもだった。あるいは生活が不安定だった。夫に、大きな不満があったなど。そう
いうわだかまりが姿を変えて、ときには子どもへの過干渉や過関心になる。その背景には、
親の子どもに対する不信感がある。

 そこでどうだろう。もう小学六年生なのだから、子どもを子どもと思うのではなく、一
人の友として受け入れてみては……。親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの
前を歩く。保護者として、子どものうしろを歩く。そして友として、子どもの横をあるく。
この三つ目は、実は日本人が、もっとも苦手とするところ。だからこそ、一度、友として、
子どもの横を歩いてみる。これは今からでも遅くない。これからでも間にあう。子どもが
絵を描いていたら、YUさん、あなたもいっしょに絵を描けばよい。子どもがテレビゲー
ムをしていたら、YUさん、あなたもいっしょにゲームをすればよい。そういう姿勢が子
どもの心を開く。そしてあなたが子どもの立場にたったとき、あなたが「勉強しようね」
と言えば、必ず、子どもは勉強をするようになる。今のように、一方で子どもの世界を否
定しておきながら、どうして、親の世界に子どもを引き込むことができるというのか。こ
ういうのを、親の身勝手という。お笑い草という。

●最後に……

 きびしいことを書いたが、ここに書いたのは、あくまでもひとつの参考意見。「そういう
考え方もあるのかな」というふうに、とらえてくれればよい。ただ私がここで言えること
は、私はYUさんとの間に、あまりにも遠い距離を感じたこと。恐らくYUさんも、私と
の間に、遠い距離を感じたことと思う。意識の差というのはそういうもの。

 しかしこう考えてほしい。私たちは今、こうしてここに生きている。その尊さというか、
その価値に気づいてほしい。あなたがここにいて、子どもがそこにいるということが、奇
跡なのだ。そういう視点で子どもを見ると、また子どもの見方も変わってくるはず。

+++++++++++++++++

●YUさんへ、

最後になりましたが、今、私は無料で電子マガジンを発行しています。そのマガジンへ、
ここに書いた原稿(YUさんからのメールの部分も含めて)の掲載をお許しください。
掲載予定日は、二月五日を予定しています。ご都合の悪い部分は改めますので、至急、
連絡ください。連絡がなければ、了解していただいたものを判断させていただきます。
よろしいでしょうか。はやし浩司
(03−1−28)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●YUさんより

早々のお返事ありがとうございます。
主人と二人で読んでいるうちに、胸が締めつけられ、涙があふれてきました。
今まで学校の先生や地域の相談所、親戚、知人などに相談してみましたが、結局、答えが
見出せないまま、今日までズルズルときてしまいました。
でも、今日は違います。
はやし先生のお考えは、まさに私の中で一番恐れていた 一番確かであろう答えそのもの
でした。

もう、手遅れであろう という言葉を目にしたとき、いままで自分が子供にしてきた事が
悔やまれ、この一二年間、ずっと苦しめてきたのだと思うと申し訳なくて、どう償えばよ
いのかわかりません。
私はきっと、この子を一人の人間としてではなく、私の所有物のように見ていたのだと思
います。

これから、この子にどのように接していかなくてはならないのかは、わかりました。
ただ、私自身がちゃんとやっていけるのか不安でたまりません。
 
これからは、友として子供の横を歩いていけるよう がんばってみます。
また、ご相談させていただく事があると思いますがよろしいですか?
 
はやし先生、今日は、本当に 本当にありがとうございました。

(追伸)メール、転載の件は了解しました。

++++++++++++++++++

●はやし浩司より、栃木のYUさんへ、

だいじょうぶですよ!
あなたはもう、すばらしいお母さんですよ!
勇気をもって、前に進んでください。
あなたの涙が、あなたの心を溶かし、
子どもの心を溶かします。
あとは、時間が解決してくれます。
しばらくすると、安らいだ心になりますよ。
子どもは、「許して、忘れる」ですよ。
あなたが真の愛にめざめたとき、
あなたや子どもに、笑顔が戻ります。
そのときから子どもは、学習面でも
伸び始めます。約束します。

子どもというのは、不思議なものでね。
「やりなさい」「がんばれ」と親が言う間は、伸びません。
しかしね、「よくやったわね」「気を楽にね」と言ってあげると、
不思議と伸びる始めるものです。
私も、何人かの子ども(生徒)を預かっていて、
どうにもこうにも、先へ進めなくなったようなときには、
近くの町の中を、みんなで、あちこち散歩します。
そうするとですね、とたんに、子どもたちの表情が
明るくなるのです。

あるいはね、子どもたちが、コソコソと隠れてカードゲームをしているでしょ。
そういうときは、「あのな、ブルーアイズ三枚と、融合カード一枚で、
パワーが一〇倍になることを知っているか?」と話しかけてやるのです。
これはハッタリです。するとですね、とたんに子どもたちの目つきが、
尊敬の目つきに変わるのです。子どもの心をつかむためには、
子どもの世界に、一度、自分を置いてみることです。

しかしね、同時に、そこはすばらしい世界ですよ。
純粋で、純朴で、そこは清らかな世界です。
おとなの私たちが忘れてしまった世界です。
あなたも、もう一度、少女期、青年期を楽しむつもりで、
子どもの世界に入ってみたらどうでしょうか?
あなたの子どもの心と目を通して、もう一度、
少女期と、青年期を楽しむのです。楽しいですよ!
「私は親だ」と気負うことはありません。
そんな親意識など、クソ食らえ、です。
肩の力を抜いて、子どもともう一度、人生を楽しむのです。

英語の格言に、『(子どもの心をつかみたかったら)、
釣りザを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに行け』
というのがあります。その心意気です。

さあ、あなたも勇気を出して、こう言ってみてください。
「そうね、勉強なんて、いやなものねえ。お母さんも
子どものころ、勉強なんて、大嫌いだった」と。
あなた自身も、あなたの心をふさいでいた、
心の重石(おもし)を吹き飛ばすことができますよ。
いえね、そのときから、親子の絆(きずな)を太くなり、
そのときから、あなたの子どもは伸び始め、
そしてそのときから、あなたは真の愛をもった、真の親になるのです。
そう、それはすばらしい世界ですよ。
小さな、小さな世界かもしれませんが、
神の愛、仏の慈悲を体験できる、すばらしい世界ですよ。

だから勇気をもって、一歩、前に進んでください。
すばらしい親子になるために。応援します! 
 
ではね。
また、何かあれば力になります。
どうかまたお便りをください。

はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●物欲

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物欲のメカニズムについては、前にも
書いた。
何かの刺激が与えられると、脳の視床下部というところから、
強力なシグナルが発せられる。
このシグナルに応じて、ドーパミンという
ホルモンが分泌される。
このドーパミンが、線条体というところを
刺激する。
すると、「欲望」が、ググッと湧き起こってくる。

この欲望について、最終的には、大脳の前頭前野
がコントロールすることになるが、理性だけの
力でコントロールするのは、不可能と考えてよい。

よい例に、アルコール中毒やニコチン中毒がある。
過食症もそのひとつと言われている。

中身はちがうが、脳内で起こるメカニズムは同じ。

で、今夜その物欲の恐ろしさを経験した。
理性を超えた、物欲の恐ろしさ、である。
ということで、ハハハ、何を隠そう、
新しいパソコンを買ってしまった。
「買ってしまった」というくらい、まったくの衝動買い。

FAXの印字リボンを買いに行ったのだが、そこで、
「エイサー」のミニ・パソコンが目についた。
「ASPIRE ONE」。
思わず手にとってみた。
キーボードを軽く叩いてみた。
とたん、あの物欲。

ガガーンと脳みそを刺激した。
とたん、がまんできなくなった。

で、買ってしまった。

では、少し前に買った、HP社の2133は、どうなったか?
どちらも今、流行のミニ・パソコン。

が、HP社の2133は、英字式キーボード。
ワープロ中心に使う私にしてみれば、どこか使いにくい。

ということで、買ってしまった。
キーサイズは、やや狭いかなというところだが、私の指は、平均的な人より細い。
あとは「慣れ」の問題。

で、今、そのパソコンを使って、この文章を書いている。
デスクトップのようなわけにはいかないが、サクサクと文章が
打つことができる。
気持ちよい。

しかしそれにしても、物欲には、ものすごい力がある。
で、ワイフにこう言った。

「浮気性の男というのがいるだろ。そういう男は、『女性の肉体』
を見ると、あるいは想像すると、物欲と同じメカニズムが
脳内で働くのではないか。『欲しい』と思ったとたん、ブレーキが
きかなくなる。ぼくのばあいは、電気製品だが、電気製品で
ほんとうによかったね」と。

ワイフは「何、言っているの!」というような顔で、私を見つめ返したが、
無言のままだった。

言い忘れたが、HPの2133は、しばらく書斎のサブノートとして
使うことにする。
現在、書斎では、大型のデスクトップパソコンを2台使っているが、
XPパソコンのほうは、どうも調子がよくない。
ときどき、予期しないところで、フリーズしてしまう。
マザーボードに故障があると思われるが、よくわからない。

そのXPパソコンのかわりに、しばらく使う。
しかし2台は、いらない。
たぶん、そのあとは、息子たちのだれかに、払い下げることになる。
いつものことだが……。

(補記)

ほしいものを手に入れたとき、ほっとしたような安堵感を覚える。
心地よい満足感である。
この満足感を冷静に観察してみると、何かの試合で勝ったときに感ずる
満足感に似ている。
甘い陶酔感もともなっているから、きっと脳内で、モルヒネ系のホルモンが分泌
されているにちがいない。

この陶酔感が、新しい受容体を形成する。
あるいはそれまでにあった受容体を補強する。
そのため、こうした欲望には、反復性が生まれる。
ちょうどアルコール中毒の人が、酒のコマーシャルを見ただけで、酒を
飲みたくなるのと同じように、新しいパソコンを見ただけで、それが
ほしくなる。

今日、新しいパソコンを買ったからといって、ここで終わるわけではない。
しばらくすると、また新しいパソコンがほしくなる。
あとは、この繰り返し。

では、こうした受容体が「悪」かといえば、そうでもない。
サッカーボールを見ただけで、足がウズウズする人だっているはず。
欲望は、よい方向に導けば、その人を前向きに伸ばしていく。
スポーツ選手などが、そのよい例ということになる。
が、導き方が悪いと、多くのばあい、その人をかえって後退させてしまう。

欲望は、つねに両刃の剣であることを忘れてはいけない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●8月30日(土曜日)

●山城新伍のこと(がんばれ、山城新伍!)

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昨日、俳優の山城新伍のことを書いた。
若い人たちは知らないかもしれないが、団塊の世代につづく、つぎの世代の人たちの間で
は、絶大な人気があった。
『白馬童子』という名前を知らない人はいない。

実は私も、山城新伍のファン。
飾り気のない、あの毒舌が好きだった。
ちょっと、(あるいは、かなり)、スケベぽい俳優だったが、憎めなかった。

その山城新伍は、現在、特別養護老人ホームに入居しているという。
69歳という。
糖尿病の悪化で、体が不自由になったらしい。
「週刊B春」誌によれば、悪化し始めたのは、離婚問題がこじれた10年ほど前からとい
う。
逆算すると、現在の私の年齢ということになる。
だから、よけいに山城新伍のことが気になる。

どうしてだろう?
どうしてこうも、気になるのだろう?

山城新伍という俳優は、世俗的な見方をすれば、大成功者(?)ということになる。
収入にしても、私たち庶民とは、2桁はちがう。(……と思う。)
ああいう人たちは、私たちが1万円稼ぐような場面で、100万円単位のお金を稼ぐ。
交友関係も広い。
そういう大成功者でも、現在は、「昔のマネージャーと弟氏が、2か月に一度くらい面会に
来る程度」(同誌)という。
本人もリハビリをつづけているとはいうが、「治る見込みもない」「そっとしておいてほし
い」(同誌)とのこと。

ファンの1人としては、「がんばって復帰してほしい」ということになるが、同時に、「長
い間、ごくろうさん」という気持ちもある。

山城新伍とは比較にならないが、現在の山城新伍の姿は、10年後、あるいは20年後の
私自身の姿いうことになる。

その山城新伍のことを思い浮かべながら、「人生って、こういうものかなあ」と思う。
「こういうものであったいいのかなあ」とも思う。
言いかえると、「人生って、何なのか」とも。

あるいはこうは考えられないだろうか。

山城新伍の人生を、誕生のときと今のときを、一本の線でつなぐなら、その間の人生は幻
のようなもの、と。
ひょっとしたら、私たちは、この光と、分子の織り成す世界で、踊らされているだけかも
しれない。
もともと価値のないものを価値あるものと信じ、価値のあるものを、価値のないものと思
い込んでいる。
マスコミの世界では、とくにそうだ。

こうした世界を、「夢」と表現する人も多い。
日蓮もそう言ったし、織田信長も、そう言った。
実体があるようで、その実、実体がない。
「私」にしても、どこからどこまで私で、またどこから先が私でないかも、わからない。

が、意識そのものがズレているから、それにすら気づくこともない。
だからといって、山城新伍の人生が無駄だったとか、そういうことを
言っているのではない。
私たち自身もまた、程度の差こそあれ、山城新伍と同じことをしているということ。

山城新伍は、私よりもはるかにダイナミックな人生を歩んできた。
しかし老後を迎えた今、そこに待っていたのは、『恍惚の世界』だった。
有吉佐和子の言葉を借りるまでもなく、こんな皮肉なことがあるのだろうか。
「長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老もうが待ち受けているとしたら、人間は何
のために生きたことになるのだろう」(有吉佐和子「恍惚の人」)と。

では、どうすればよいのか。
どうすれば「夢」を夢と気づき、どうすればその「夢」から自分を
解放することができるか。

それについては、私は、「ゴールのない旅のようなもの」と思っている。
老後はだれしも避けられないものであり、夢から自分を解放することはできない。
が、老後になっても、何かの希望をもち、その希望に向かって生きていくことができる。

ゴールできないからといって、あきらめてはいけない。
つねに旅をすることこそ、重要。
けっして立ち止まってはいけない。
死ぬまで、歩きつづける。

釈迦はそれを『精進』という言葉を使って説明した。
それは健康論に似ている。
究極の健康論などというものは、ない。
日々に努力をしてはじめて、健康というのは維持できる。
その努力をやめたとたん、健康は下り坂に向かう。

で、私自身は、『怪傑ハリマオ』や、『月光仮面』の世代である。
『鉄腕アトム』や、『鉄人28号』、さらには『赤胴鈴之助』の世代である。
しかしその結果、今の私があるとしても、あの世界は、「夢」だったのかもしれない。

山城新伍にしても、そうだ。
『白馬童子』で世に出たが、その流れの中で、踊らされただけ。
むしろ現在の山城新伍のほうが、(本物)かもしれない。

週刊B春誌によれば、こうある。

「……こちらではどんな生活をされているのですか」という質問に対して、「週末なんかは、
みんなでパーティをやったりね。まあ、楽しいってことはないけれど、皆さんと明るく交
流はしていますよ。ここでは『山城新伍がいる』なんて言う人は、だれもおらんから。こ
こが終(つい)の棲家(すみか)ですよ」と。

山城新伍は、与えられた世界を受け入れ、その世界で、今、懸命に生きようとしている。
ひょっとしたら、山城新伍は、その世界で、本当の「私」を発見しつつあるのかもしれな
い。
山城新伍という俳優が、ますます好きになった。
芸能界に復帰したら、私はまっさきに、彼を応援する。

++++++++++++++++

(補記)
まとまりのない文章で、すみません。
私もこうした問題になると、どう考えたらよいのか、よくわかりません。
仮に70歳まで元気で生きたとしても、あるいは80歳まで元気で生きたとしても、その
先で待っているのは、『恍惚の世界』(有吉佐和子)。
できるだけ長く、元気で生きたいとは思ってはいますが、無益に10年、生きながらえた
として、それにどういう意味があるというのでしょうか。
20年でも、同じです。

遅かれ早かれ、どうせ老後はやってきます。

大切なのは、「長く生きる」ことではなく、「どう深く生きるか」ということなのですね。
あとはその目標に向かって生きるだけ。
がんばるだけ。
その先に何があるか、本当のところ、私にもわかりません。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●「何を言いたいのか、さっぱり、わかりません」

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先日、私のBLOG(Yブログ)に、こんなコメントが寄せられていた。
「あなたの書いている文を読んでも、意味がわかりません。何を言いたいのか、それもさ
っぱり、わかりません」と。

++++++++++++++++++++

文の感じからして、若い女性のコメントだと思う。
事実、そのとおりだから、反論の使用がない。

で、私はそのコメントを読んだあと、その女性がコメントをつけた自分の記事を読みなお
してみた。
時代は変わっても、それぞれの世代に人たちがすることは、似たようなものという内容の
ものだった。
たとえば流行についても、私たちは私たちの時代で、流行を追った。
今の若い人たちから見れば、かび臭い流行だったかもしれないが、それでも流行だった。
同じように、今の若い人たちが追いかけている流行にしても、つぎの世代の人たちは、同
じようにいつか、かび臭く思うだろう。
つまり中身はちがっても、やっていることは同じ。
時代ごとに、みな、それを繰り返しているだけ、と。

が、その人は、それについて、「理解できない」と。

私は何度も自分の書いた文章を読みなおしながら、「どこに問題があるのだろう」と考えた。
私は自分なりに、わかりやすく、読みやすい文章を考えて書いているつもりである。
しかしそう思っているのは、私だけ(?)。
このところ頭のサエも、鈍ってきた。
その分だけ、文章がまとまらなくなってきた。

言うまでもなく、文章というのは、人に読んでもらってはじめて、命を得る。
これを段階的にチャート化すると、こうなる。

(1)読んでもらう。
(2)理解してもらう。
(3)賛同してもらう。

読んでもらえるだけでも、感謝。
理解してもらえれば、うれしい。
賛同してもらうということは、ほとんど期待していない。

そこで私はこう決心した。
これからは、若い女性にももっと理解してもらえるような文章を書こう、と。
「理解できないのは、君たちのほうに原因がある」などという、高慢な気持ちはもっては
いけない。

では、どうすればよいのか。

私はこの文章もそうだが、こんなことに注意している。

(1)句読点をふやしている。(2)1文ずつ、改行している。(3)1文を、できるだけ
短くしている。(4)できるだけ漢字を使わないようにしている。(5)難解な言葉
を、使わないようにしている、などなど。

あとは、(6)具体的なエピソードを多くし、(7)読者の人に楽しんでもらえるようにし
ている。

読者の人あっての、文章である。
私はそのコメントを読んで、改めて、それを肝に銘じた。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●異変? 少なくなったスズメ!

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今年、私の家の庭にやってくるスズメの数が、
激減している。

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例年だと、数10羽単位の群れが、ときに2つ、3つ
とやってくるのだが、今年は、やってきても、5、6羽。
ときおりやってきて、あとは閑散としている。

夏前には、子連れのスズメもやってきたが、それでも
10組とか20組程度?

そのため与える餌の量も、ぐんと減った。
例年だと、近くの農協で、20キロ入りの飼料が、春先から夏までに
2、3袋、必要だった。
今年はまだ、1袋が、3分の1も残っている。

「どこかで、だれかが、スズメを殺している」と、私は思っている。
だれとは言わないが、スズメを害鳥と思っている人は多い。
とくに秋の米の収穫時にはそうだろう。

それはわかるが、その時期をのぞけば、スズメは、益鳥である。
農作物に害を与える害虫を、食べてくる。

これは私の邪推かもしれないが、もしどこかでスズメを殺して
いる人がいたら、どうかそういうことはやめてほしい。

そうでなくても野鳥の住む区域が、どんどんと狭くなっている!


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●今日から10月号

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この原稿から、電子マガジン10月号用
ということになる。

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●擬似認知症

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今日、おもしろい実験をしてみた。
称して、「擬似認知症」。

記憶障害というのが、どういうものか
それが私にも、わかった。

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近所に、よくしゃべる女性がいる。
悪い人ではないが、話し始めると、止まらない。
その女性が、台所へおりていくと、そこにいた。
ワイフと楽しそうに会話をしていた。
お茶を飲みながら、少し離れたところに座った。

ほんとうはすぐ書斎へ戻りたかったが、その
女性に呼びとめられた。

そのときのこと。
はじめはその女性といくつか言葉を交わした。
が、そのあと私は目を閉じて、心の中で、歌を
歌い始めた。

「♪アメージング・グレイス」である。
50〜60%は歌えるが、あとは
懸命に思い出しながら歌った。
もちろん口は動かさなかった。

そのとき私はその女性が何を話しているか、
よく理解できた。
そのつど、「そうだな」とか、「なるほど」と
思った。

しかし、だ。
そのあと、おもしろい現象が起きた。

その女性はそのまま帰ったが、私は私が心の中で
歌を歌っていたとき、その女性がどんな話をしたか、
まったく、思い出せなかった。

私「あのね、ぼくね、あの人が話をしているとき、
ずっと心の中で、歌を歌っていたよ」
ワ「わかっていたわ。あなた足で、リズムをとっていたから」
私「それでね、そのときは、その女性がどんな話をしていたか
よくわかったはずなんだけど、どんな話をしたか、今、
まったく思い出せないんだよ」と。

記憶というのは、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの
プロセスを経て、脳の中に記憶として残る。
(記銘)というのは、「書き込み」のこと。
(保持)というのは、「保存する能力」のこと。
(想起)というのは、「思い出す能力」のこと。

たとえば私たちは乳幼児期の記憶について、思い出すことができない。
が、だからといって、記憶がないわけではない。
このばあい、(記銘)と(保持)はしているが、(想起)することはできないだけ。
つまり記憶はどこかに残っているのだが、それを記憶として取り出す
ことができない。

そこで今回の実験。
私はその女性が話をしている間、心の中で歌を歌っていた。
歌詞はうろ覚えだったから、懸命に思い出しながら、
それを歌っていた。

その女性の話は、私の脳には届いていた。
だからそのときは、その女性がどんな話をしているか、理解できた。
しかし私は歌を歌うことで、脳の中にその女性の話を刻まなかった。
脳の立場でいうなら、(記銘)が、阻害された。

だからその女性が帰ったあと、その女性がどんな話をしたか、
思い出せなかった。
この現象は、認知症の患者に起こる記憶障害とよく似ている(?)。

ワ「どんな話をしたのか、覚えていないの?」
私「思い出せない・・・」
ワ「あの人の叔父の話をしていたのよ。あの人の叔父がね、イタリアへ
行ってきたんだって」
私「そんな話をしていたの・・・」と。

そこで同じ実験を、今度は、ビデオを見ながらしてみた。
古いビデオを見ながら、私は、心の中で、歌を歌ってみた。
今度はよく知っている、「♪サウンド・オブ・サイレンス」にしてみた。

が、これはうまくいかなかった。
映画の字幕を読んでいたためだと思う。

つぎにワイフが何かを勝手に話し始めたときに、してみた。
夕食のあとのことだった。
私はまた心の中で、歌を歌ってみた。
「♪アメージング・グレイス」にしてみた。
そしてあの女性のときのように、目を閉じて、そうしてみた。

ワイフが何を話しているかは、理解できた。
そのときは、「そうだな」とか、「フ〜ン」とか、思った。
しかししばらくしてから、ワイフの話したことを思い出そうと
してみたときのこと。
私は何も覚えていないことを知った。

実験、成功!

こうして私は、認知症の擬似体験をすることができた。

(方法)
(1)目を閉じて、視覚的な情報を遮断すること。
(2)相手が話しているとき、心の中で歌を歌う。あまり歌詞を知らない歌がよい。

(応用)
(1)いやな相手と話をするときは、目を閉じて、心の中で歌を歌う。
(2)聞きたくない話を聞くときは、目を閉じて、心の中で歌を歌う。

・・・しかしこれはあくまでも実験。
実際、認知症か何かで記憶障害に悩んでいる人には、たいへん失礼な
実験かもしれない。
それはわかっている。
それにこんなことが日常的に起きている人には、たいへん深刻な
問題である。
それもわかっている。
しかしこういう実験をしてみることによって、記憶障害というのが
どういうものか、具体的に理解できる。
深刻さも理解できる。

なおこの実験のヒントをくれたのは、小学生の子どもだった。
その子どもがある日、こう教えてくれた。

「ぼくは、ママに叱られているときは、いつも心の中でポケモンの歌を
歌っている」と。
何でもそうしていると、母親に叱られても、気にならないのだそうだ。

不謹慎な応用かもしれないが、もしあなたの近くに口うるさい人が
いて、何か、小言を言い始めたら、この方法を応用してみるとよい。

記憶に残らないから、その分だけ、あとで気にしないですむ。


Hiroshi Hayashi++++++++Aug 08++++++++++はやし浩司

●北朝鮮の女スパイ

+++++++++++++++++++

このたび、北朝鮮の女スパイが、韓国で
逮捕された。
この日本にもたびたび、来ていたという。
与えられた任務のひとつは、脱北して
日本へ移り住んでいる人たちの住所と
名前を調べるというものだったという。
(韓国紙、報道)

+++++++++++++++++++

●とんでもない話!

もしこれが事実とするなら、とんでもない話である。
北朝鮮はその女スパイからの情報をもとに、北朝鮮から
逃げてきた人たちに対して、何かをするつもりだった。

中国へ逃げた人たちに対しては、拉致した上、北朝鮮へ連れ戻して
いたという事実もある。
その女スパイが関係した人たちだけでも、かなりの数になるという。

もしこんなことが実行されていたとしたら、(すでに実行された
かもしれないが)、日本は同じ過ちを繰り返すことに
なった。
日本人が北朝鮮の特殊部隊に拉致されたのは、日本政府にも責任がある。
かんたんに言えば、「日本政府がだらしないから、こういうことが起きた」。

そしてまた今度、こういう女スパイを摘発できなかったということは、
やはり、「日本政府がだらしないから」ということになる。

もちろん最大の悪は北朝鮮の金xxだが、彼の犯罪を許してしまった
日本政府にも、責任がある。
が、どうして日本政府は、こうまで甘いのか?
だらしないのか?

日本には日本の特殊な事情がある。
それはわかる。
しかし世界は、もっと別の基準で動いている。
緊張感そのものがちがう。

韓国筋の情報によると、その女スパイは、朝鮮S連の幹部とも
連絡を取りあっていたという。
(当の幹部は、「名前を使われただけ」と弁解しているが……。)
もしこれが事実なら、朝鮮S連そのものが、北朝鮮スパイ団の
中心的拠点ということになる。
(わかりきったことだが……。)

そういう団体が、堂々と日本国内で、北朝鮮から逃げてきた人たちを
拉致し、再び北朝鮮へ送り返そうとしていた。
順に考えていけば、そういうことになる。

こんなとんでもない話が、どこにある?
それにもう一言。
こんなとんでもないことに対して何もできない、だらしない国が
どこにある?

繰り返しになるが、拉致問題にしても、日本政府にも責任がある。
その責任を忘れてはいけない。

(補記)
この2〜3年はないが、それ以前は、こういう記事を書くと
必ずといってよいほど、ハングル文字で書かれた抗議文が
メールで届いた。
幸いなことに、私は、朝鮮語がほとんどわからない。
さらに最近では、韓国、北朝鮮からのメールは、すべてフィルターを
かけて処理している。

「この日本が安全で自由な国だ」と、もし、あなたが思っているとしたら、
それはとんでもないまちがいである。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.08++++++++++はやし浩司

●日韓経済戦争(08年8月29日版)
Japan vs. South Korea, Economic War
(Aug. 29th, 2008)

+++++++++++++++

反日も結構だが、現在の韓国に
とって、反日政策は、損になることは
あっても、得になることは何もない。

今、韓国経済は、危機的な状況にある。
まず朝鮮N報の記事を紹介する(8月29日)。

+++++++++++++++

韓国政府や金融機関、企業が外国の政府、金融機関、企業などに返さなければならない対
外債務は6月末現在で4197億6000万ドル(約45兆8000億円)。
これに対し、外国為替市場が注目しているのは1年以内に償還しなければならない流動対
外債務(短期対外債務と償還時期まで1年以内の長期対外債務の合計)になった。

流動対外債務は6月末現在で2223億2000万ドル(約24兆2600億円)に達し、3月末よ
りも61億9000万ドル(約6754億円)増えた。対外債務に占める流動対外債務の比率も
昨年末の75.8%から6月末には86.1%に上昇した。当面返さなければならない借金による
圧力が大きくなっている計算だ。

 対外債務が増加しているのに対し、政府が万一の際に対外債務償還に当てるための「実
弾」に当たる外貨準備高は年初来減少傾向だ。外貨準備高は3月末の2642億ドル(約28
兆8300億円)をピークに6月末に2581億ドル(約28兆1600億円)、7月末に2475億ド
ル(約27兆円)へと減少。8月末も2400億ドル(約26兆1800億円)をやや上回る水準
になるとみられる。
(以上、朝鮮N報、8月29日)。

数字が並ぶので、わかりやすく解説しよう。

あなたは小さな町工場の社長。
現在、あなたは、4200万円の借金をかかえている。

そのうち今年中に返さなければならない借金が、2200万円。
この額は、毎月約20万円ずつ、ふえている。

が、会社の資産、つまり家庭で言えば貯金は、現在、2400万円しかない。
去年(07年)には、2600万円あったので、200万円も減ったことになる。

今の状態で、2200万円の借金を返したら、残りは、たったの200万円という
ことになる。

仕事は、このところ赤字つづき。
しかも原油高で、支払い額もふえつづけている。
先月7月だけでも、107万円も、何かと出費がふえた。

そこであなたという社長は、二者択一問題に迫られている。

「既に危険水準に到達しており、為替安定か外貨準備高確保かという二者択一が必要だ」
(朝鮮N報)と。

会社の経営のため、貯金を切り崩して赤字を補うか、それとも、将来に備えて貯金を維持
するか。

つまり為替を安定させるために外貨を使うか、それとも外貨を確保するか、と。
しかし為替を安定させるとしても、その額は、残り、200億円分程度しかない。

以上が韓国の現状ということになるが、悲劇は重なる。

世界的に、とくにアメリカ系の銀行は、外資を引きあげる動きを見せている。
つまり「貸した金は返せ」と。

ところが、である。
つぎの数字を冷静に見てほしい。

第一銀行  外資比率100% (筆頭株主:スタンダード・チャータード)
 韓美銀行  外資比率 99% (筆頭株主:シティ・グループ)
 国民銀行  外資比率 86% (筆頭株主:バンク・オブ・ニューヨーク)
 外換銀行  外資比率 74% (筆頭株主:ローンスター)
 ハナ銀行  外資比率 72% (筆頭株主:ゴールドマンサックス)

わかるかな? エッ、まだわからない?

国策銀行のウリ銀行をのぞいて、韓国の銀行は、すべて、外資の支配下にあるということ。
国民銀行を例にあげてみると、86%が、外資。
しかもその筆頭株主は、バンク・オブ・ニューヨーク! 
アメリカの銀行である。わかりやすく言えば、韓国の銀行は、アメリカの銀行、もしくは
その支店と考えてよい。

つまり韓国の銀行は、そのほとんどが外資銀行(=アメリカの銀行)ということ。
97年のデフォルトのあと、そうなった。

本家の本店で、外貨がショート(不足)すれば、当然、これらの銀行は、各国から外資を
まっさきに、引きあげる。
朝鮮N報も、こう書いている。

「米国の住宅景気低迷とそれに伴う金融不安は回復の兆しを見せていない。その上、メリ
ルリンチ、リーマン・ブラザーズなどウォール街の金融機関は住宅景気低迷で不良債権が
増え、全世界から資金を引き揚げている。万一の際に使える豊富な外貨準備がない状況で
外国資本が一気に還流すれば、韓国の外貨準備高は流動性危機に直面する可能性がある」
と。

私の知ったことではないが、アメリカの銀行は、甘くないぞ!

この日本も借金だらけ。
しかし日本が韓国とちがう点は、日本は外国からは金を借りていない。
いわば身内の借金ということになる。
わかりやすく言えば、親(=国)が、子(=国民)から借金している。
その国民が、1100兆円という莫大な金融資産を保有している。

一方韓国は、外国から借金をしている。
いわば街なかのサラ金からの借金ということになる。
しかも個人負債が、1世帯当たり、500万円に迫っている。

韓国銀行と民間経済研究所の分析によると、06年の9月末現在、韓国の家計の金融負債
は過去最大の558兆ウォン(約71兆円)に達したという。
日本の人口で計算しなおすと、4倍の280兆円! (日本の人口は、韓国の人口の約3
倍。)

これだけでも、韓国では、1世帯当たり3500万ウォン(約445万円)の借金を抱えて
いるということになる。そのため1世帯当たりの年間返済利子負担額だけでも、300万
ウォン(約38万円)に迫ることになる。

ついで、家計負債の規模は昨年1年間で10・4%増加。一方、同じ期間の国民所得は2・
2%の増加にとどまっているという。

危険度という点では、日本と韓国とでは、比較にならない。

なお今日、1ドル、1085ウォンにまで下落している。
外資の流出が止まらない状況と考えてよい。

なお韓国政府は、このところ立て続けに、大本営発表を繰りかえしている。
「韓国経済は安定している」という大本営発表である。
こうした大本営発表には、くれぐれも注意したほうがよい。
2008/08/29記


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